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2025年12月20日 (土)

京都市交響楽団・京都コンサートホール・ロームシアター京都「会員限定トークイベント 沖澤のどか×tupera tupera 『芸術との出会いと今、そして京都でのこれから』」

2025年12月19日 ロームシアター京都ノースホールにて

午後7時から、ロームシアター京都ノースホールで、「会員限定トークイベント 沖澤のどか×tupera tupera 『芸術との出会いと今、そして京都でのこれから』」を聴く。

京都市交響楽団の常任指揮者である沖澤のどか、そして京都を拠点に絵本やポスターなどの絵画制作を行っている夫婦二人組、tupera tuperaを招いて行われるトークショー。女性の方が司会を務めたが、残念ながらお名前は頭に残らず。

ロームシアター京都は来年、開場10年を迎えるが、それを祝した2026年1月10日と11日に行われる「プレイ!シアター」のポスターもtupera tuperaが手掛けているという。「なるべく色々な人を描いたということだが、沖澤は「自意識過剰かも知れませんが私もいるような」と発言。実際、沖澤をモデルにした人が描かれている。ただ遠目なので「指揮者」としか分からないかも知れない。髪が長いので、「ひょっとしたら女性かも」と思うかも知れないが、男性指揮者も髪が長い人は多い。なぜ男性指揮者も髪を長くするかだが、松尾葉子が学生時代の山田和樹に、「指揮者は大きく見えなければいけないと」言い、山田をそれを汲んで学生時代はパーマを掛けていたという話があるため、そうしたことと関係しているのかも知れない。

 

沖澤のどかは、次の日曜日にロームシアター京都メインホールで、「京都市交響楽団 オーケストラ・ディスカバリー」を指揮するが、これがロームシアター京都でのデビューとなるそうである。
青森県生まれ。東京芸術大学および同大大学院修了。コンクール歴などは語られなかったのでここでも記さない。ベルリン在住。二児の母である。

tupera tupera(ツペラ ツペラ)は、京都に拠点を置く美術ユニット。メンバーは、亀山達矢(三重県伊勢市出身。武蔵野美術大学油絵学科版画専攻卒)と中川敦子(京都府出身。多摩美術大学染織デザイン科卒)の二人。10年ほど東京で活動していたが、「今の時代、東京じゃなくても仕事出来るよね」。ということで移住を決意。中川が京都府出身、亀山も伊勢市出身で京都には馴染みがあるということで、京都市に転居。子どもが二人いたが、「秒の速さで京都弁を覚えた」そうである。亀山は、「京都に来てから東京に行く楽しみが増えた」と語る。今も関西在住の友達より、東京にいる友達の方が多いが、離れている分、会える喜びが増すようだ。

亀山は、小学校1年生の時に出した絵が伊勢市で1等を取ったのだが、実は失敗作だったらしい。だが、賞を取ったことで親から絵画教室に通うように言われ、嫌々通っていたそうだが、高校に進み、進路を考えた時に過去を振り返って、「やっぱり美大がいいんじゃないか」という結論に至り、今に至るまで美術の仕事をしているという。

 

沖澤のどかは、田舎で育ったので、虫取りをしたりツララにかじり付いたり、「ワイルドな」子ども時代を送ったそうである。チェロを習っている姉がおり、沖澤も小学校3年生の時からチェロを習い、小学校5年生からジュニアオーケストラに入ったそうである。ただチェロの練習は苦手で、独習は集中力が続かなかった。ジュニアオーケストラに入ってからも、「弾く真似をしてたら隣で上手い子が良い音で弾いてくれる」というので弾いている真似ばかりしていたそうだ。技術は当然ながら上達しなかったが、オーケストラは好きになったそうである。沖澤は子供用のチェロを弾いていたため、「音大目指すならお姉ちゃんと同じ立派なチェロを買ってあげるよ」と言われたが、当時は音大に行くほど音楽が好きになるとは思っていなかったため、良いチェロを手に入れる機会を逃したそうである。
高校ではオーボエに励んだが、オーボエは学校からの貸与。「自分のオーボエが欲しい」と思ったが、オーボエは高価。そこで、「指揮棒だったら手に入る!」というので指揮者になる決意をしたそうだ。「持たない人もいますけどね」と沖澤は続けていた。ヘルベルト・ブロムシュテットや尾高忠明は若い頃は指揮棒を使って指揮していたが、今は専らノンタクトである。小澤征爾も晩年はノンタクトが増えた。ピエール・ブーレーズのように指揮棒の存在を否定する人もおり、ブーレーズの影響を受けたフランスの指揮者にはノンタクトで振る人も多い。

外国で、tupera tuperaが京都在住と知れると、あちらこちらから、「京都なの? 京都の良いところ教えて?」と質問攻めにあうそうだが、みんな京都という街の存在は知っているようである。沖澤も京都でオーケストラのシェフをやっていると自己紹介すると、「京都の良いところ教えてよ」とやはり同じような結果になるようである。

沖澤も京都市交響楽団から常任指揮者の話を貰った時は、「わーい、京都に行ける」と無邪気に喜んだそうだ。「修学旅行以来」。ただ、常任指揮者の仕事は忙しく、まだ嵐山のモンキーパークと京都水族館、大徳寺にしか行けていないそうで、京都マスターにはほど遠い。大徳寺も塔頭巡りなどではなく、そばにある和菓子の店に娘と入っただけのようだ。京都市交響楽団を指揮する時は、一家で京都の民泊を行うそうで、近所での買い物ぐらいは出来ているようである。ちなみにようやく巡ってきたシェフの座なので、「受けない」という選択肢は、はなからなかったそうである。
なお、自炊はするが料理は得意ではないそうである。「料理が得意な指揮者も多いんですけれど」と沖澤は語っていたが、チョン・ミョンフンのように料理本を出している人もいる。
指揮者の常として、次回振る曲が頭の中で鳴っていたり、雑音が気になったりするそうだ。ベルリンは「大きな田舎」のような街で、快適に過ごせているそうだが、学生時代を過ごした東京は雑音だらけで、ずっと鬱々としていたらしい。最初は芸大から遠い、おそらく家賃の安いところで暮らしていたが、雑音に耐えきれず、大学のそばに引っ越したという(東京芸術大学は、東京の中でも駅前以外は閑静な上野にある)。京都は雑音がしないので快適だが、それでも街中は避け、出雲路の練習場の近くに民泊し、自転車で通っているそうだ。
ちなみに京都市交響楽団のコンサートマスターである泉原隆志も自転車通勤なので、京響は大都市にありながら常任指揮者とコンサートマスターが自転車通勤という風変わりなオーケストラということになる。
沖澤は、自宅にテレビもラジオもCDプレーヤーもないそうだ。昔、シャルル・デュトワは「好きなCD」について聞かれ、「私はCDなどというものは聴いたことがありません」と答え、質問者は「冗談なのかふざけているのか」と思ったそうだが、この調子だと実際にCDを聴いたことがない音楽家は結構いそうである。パーヴォ・ヤルヴィのように「朝比奈隆のブルックナーのCDは全部持っている」というCDマニアもいるが、自分の頭の中にある音を優先させる人もいそうである。

沖澤は、京都での音楽の展望について、「私はいかないんですけれど京都市交響楽団の方が」京都府内のあちこちでミニコンサートを行う計画があるということを話す。今年は沖澤は振らなかったが、京都市内各所の文化会館でまた指揮する予定もあるようだ。
展望とは余り関係がないが、沖澤が新しい「常任指揮者発表記者会見」に臨んだとき、ニコニコ生放送による中継が行われたのだが、後でニコ生のコメントをチェックしたところ、「十二単似合いそう」というコメントがあって嬉しかったそうである。司会者の方が、「着物を着て指揮したことのある方っていらっしゃるんでしょうか?」と聞き、沖澤は「ないです。演奏する方はいらっしゃいますけど」と答えていた。わざわざ着物を着てオーケストラを指揮するというのは絵面としても滑稽であり、単騎西洋文明に挑むドン・キホーテのようでもある。「意味がない」の一言でも済ますことが出来る。

海外での話としては、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の本拠地であるベルリン・フィルハーモニーはティンパニなどのすぐ後ろが客席となっていて、足で音楽を感じられるだとか、先日、ボストン交響楽団に客演した際には、女性チェロ奏者が演奏中に「So Wonderful Sound!」と叫んでいたという話をしていた。「本人は自分が声を出したと気付いてないと思うんですけど」ということで無意識に言葉が出たのだろうとのことだった。

 

亀山は、絵本だけが売り上げが右肩上がりで、他の書籍は電子書籍に食われていると語る。
絵本はめくる行為が重要な意味を持っており、紙の書籍でないとそれは出来ないため、絵本だけが電子書籍に勝っている要因なのではないかと分析していた。

 

中川は、AIの台頭に危機感を覚えていた。今年に入ってから、YouTubeなどで、「実在なのかAIなのか分からない」レベルの人物が溢れるようになってきている。音声読み上げソフトのレベルがまだ低めで、いかにも「文章をコンピューターで読み上げました」といったセリフ回ししか出来ていないため、音声なら見分けは付くし、シナリオも誰でも思いつくような低レベルのものが多いが、こうした中途半端な出来であっても満足してしまう人はいるだろうし、そうした人は嘘も拡散してしまう。見分けのつく人は拡散しないので、ネット上は嘘が上位になってしまう。そしてこの程度のクオリティでも娯楽として商品化したり消費したり出来るのも問題である。

生身の人間が演じる演劇には影響は余りないだろうが(劇場に来ずにYouTubeばかり見ている人が増えるという間接的な影響はあるかも知れないが)、映画やドラマなどは、主役級や重要な脇役陣は流石に俳優に任せるが、端役などはAIが務める時代が来てもおかしくない。AI俳優は危険なアクションに挑んでも怪我をしない。

ただ生身の俳優に出来てAI俳優に絶対に出来ないことが一つだけある。アドリブだ。AIはコンピューターが規定した予定調和の言葉しか喋れないし動けない。アドリブなど即興性の高い演技を行えるのは人間の俳優だけだ。
このところ、アドリブや即興を重視した演技について語る俳優が増えており、彼らはアドリブが巧みだ。決まり切ったことを決まり切ったように行うのがAIの得意技。NGも出さないだろう。だがそこに本当の面白さはないのではないだろうか。
即興の巧みさが演技のバロメーターになる日が来るような気がする。いや、もう来ているのかも知れない。

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2025年2月13日 (木)

美術回廊(88) 京都市京セラ美術館 「村上隆 もののけ 京都」

2024年5月31日 左京区岡崎の京都市京セラ美術館 東山キューブにて

左京区岡崎の京都市京セラ美術館・東山キューブで、「村上隆 もののけ 京都」を観る。

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ポップアーティストの村上隆(個人的には隆の前に「宗」の字を入れたくなる名前)の京都を題材にした新作展である。結構、無茶を言われたようで、未完成のままの開催となった。
2浪して東京芸術大学美術学部日本画科に入学した村上隆。東京芸術大学は同じ大学でも美術学部と音楽学部は別世界で、美術学部は現役生はまれ。多浪入学者の巣窟となっており、2浪3浪は当たり前、5浪、6浪が普通にいる世界で、2浪なら優秀な方。一方の音楽学部はほぼ現役生で占められている。同大学大学院博士前期課程(修士課程)を次席で修了。首席を取れなかったために正統派の日本画家を諦めて方向転換し、博士後期課程に進んで修了。論文が通って博士号を得た。現在はアーティスト集団「カイカイ・キキ」を主宰している。

「洛中洛外図屏風」や四神(玄武、青龍、朱雀、白虎)をポップにしたもの、永観堂禅林寺のみかえり阿弥陀のパロディ、花々が野球などあらゆることをしているシーン、「十三代目市川團十郎白猿襲名十八番」、ポップな五山送り火、舞妓さんなど、京都にちなんだポップアートが並んでいる。思ったよりも展示は少なかったが、全て写真撮影OKで、多くの人がカメラを向けていた。

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2024年7月31日 左京区岡崎の京都市京セラ美術館 東山キューブにて

左京区岡崎の京都市京セラ美術館・東山キューブで、「村上隆 もののけ 京都」に新作が展示されたというので観に行ってみる。「村上隆 もののけ 京都」は「全部新作で」との依頼を受けて、京都に関するポップアートを制作したのだが、やはりスケジュール的に無理があったようで、完成しないまま展覧会が開始されている。そのため、途中で新作が加わることになったのである。全作品、撮影可であり、多くの人がカメラやカメラ付きのスマホで撮影を行っている。外国人も多い。

前回も展示のメインだった、「洛中洛外図屏風」。荒木村重の子である岩佐又兵衛筆の「洛中洛外図屏風」をポップアートにしたものだが、登場人物達は桃山時代から江戸初期の格好をしている。
二条城の天守からは、何人かが顔をのぞかせているのが分かる。また、方広寺には、大坂の陣の引き金となった鐘楼が描かれており、何者かが撞こうとしているのが確認出来る。

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今日で終わる祇園祭の「祇園祭礼図」も展示されている。長刀鉾などの鉾や山が見え、橋弁慶山では義経と弁慶の五条大橋での一騎打ちの像が飾られている。
そんな山鉾巡航を木の上から眺めている若い女性がいるが、彼女は何者なのだろう。

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行列の中には、毛利氏から一と三つ星をひっくり返した家紋を授かった渡辺氏の家紋を旗に記した武将も登場しているが、どこの渡辺さんなのかはよく分からない。

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新作としては「梟猿図」が展示されているほか、京都を舞台とした小説『古都』を書いた川端康成象(ギョロリとした目が誇張され、切り取られた腕を手にしている)、金閣寺(鏡湖池に映った逆さ金閣との二重の影となっている)などが展示されていた。

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2024年7月23日 (火)

美術回廊(84) パリ ポンピドゥーセンター 「キュビスム展 美の革命 ピカソ、ブラックからドローネー、シャガールへ」

2024年5月29日 左京区岡崎の京都市京セラ美術館1階南北回廊にて

左京区岡崎の京都市京セラ美術館1階回廊(南・北とも)で、パリ ポンピドゥーセンター「キュビスム展 美の革命 ピカソ、ブラックからドローネー、シャガールへ」を観る。
タイトル通り、パリのポンピドゥーセンターが所蔵するキュビスムの絵画や彫刻、映像などを集めた展覧会。「50年ぶりの大キュビスム展」と銘打たれている。

写実ではなく、キューブの形で描写を行うことを特徴とする「キュビスム(キュービズム)」。抽象画ではなく、あくまで実物をキューブ化して描くのが特徴である。元々は「印象派」同様、どちらかというと蔑称に近かった。パブロ・ピカソとジョルジュ・ブラックによって始まり、最初は不評だったが、代表作「ミラボー橋」で知られる詩人で評論家のギヨーム・アポリネールがその創造性を評論『キュビスムの画家たち』において「美の革命」と絶賛したことで、次第に多くの画家に取り入れられるようになる。マリー・ローランサンがアポリネールと彼を取り巻くように並ぶ友人達を描いた作品(「アポリネールとその友人たち」第2ヴァージョン。ローランサンとアポリネールは恋仲だった)も展示されている。ローランサンもこの絵においてキュビスムの要素を取り入れているが、結局はキュビスムへと進むことはなかった。

キュビスムの源流にはアフリカの民俗芸術など、西洋の美術とは違った要素が盛り込まれており、それがアフリカに多くの領土(植民地)を持っていたフランスに伝わったことで画家達に多くのインスピレーションを与えた。だが、ピカソやブラックが全面的にキューブを取り入れ、分かりにくい絵を描いたのに対し、それに続く者達はキューブを意匠的に用いて、平明な作風にしているものが多い。ピカソやブラックの画風がそのまま継承された訳ではないようで、キュビスムが後々まで影響を与えたのは絵画よりもむしろ彫刻の方である。
ピカソはフランスで活躍したスペイン人、ブラックはフランス人だったが、キュビスム作品を扱った画商のカーンヴァイラーがドイツ系だったため、「キュビスムは悪しきドイツ文化による浸食」と誤解されて、第一次大戦中にフランス国内で排斥も受けたという。ブラックらキュビスムの画家も前線に送られ、カメレオン画家のピカソはまたも画風を変えた。これによりキュビスムは急速に衰えていく。

ピカソもブラックも楽器を題材にした作品を残している。ブラックは、「ギターを持つ女性」を1913年の秋に描き、翌1914年の春に「ギターを持つ男性」を作成して連作としたが、「ギターを持つ男性」が抽象的であるのに対して、「ギターを持つ女性」の方はキュビスムにしては比較的明快な画風である。顔などもはっきりしている。

キュビスムの画風はフェルナン・レジェ、ファン・グリスによって受け継がれたが、それ以降になると具象的な画の装飾的傾向が強くなっていく。
ロベール・ドローネーは、キュビスムを取り入れ、都市を題材にした絵画「都市」と壮大な「パリ市」を描いたが、マルク・シャガールやアメデオ・モディリアーニになるとキュビスムと呼んで良いのか分からなくなるほどキュビスム的要素は薄くなる。共に個性が強すぎて、流派に吸収されなくなるのだ。

発祥の地であるフランスでは衰えていったキュビスムであるが、他国の芸術には直接的にも間接的にも影響を与え、イタリアの未来派やロシアの立体未来主義に受け継がれていく。

フランスにおけるキュビスムを総括する立場になったのが、建築家、ル・コルビュジエの名で知られるシャルル=エドゥアール・ジャヌレ=グリである。ル・コルビュジエは画家としてスタートしており、キュビスムの影響を受けた絵画が展示されている。初期のキュビスムとは異なり、込み入った要素の少ない簡素な画だが、シンプルな合理性を重視した建築家としての彼のスタイルに通じるところのある作品である。ル・コルビュジエは、「純粋主義(ピュリスム、ピューリズム)」を提唱し、『キュビスム以降』を著して、装飾的傾向が強くなったキュビスムを批判し、よりシンプルで一般人の関心を惹く芸術を目指した。

最後に展示されているのは、実験映画「バレエ・メカニック」(1924年)である。坂本龍一が影響を受けて、同名の楽曲を作曲したことでも知られるフェルナンド・レジェとダドリー・マーフィー制作の映像作品で、作曲はアメリカ人のジョージ・アンタイル。彼の作曲作品の中では最も有名なものである。上映時間は13分48秒。
音楽は何度も反復され、映像は断片的。女性の顔がアップになったり、部分部分が隠されたり、同じシーンが何度も繰り返されたり、機械が動く要素が映されたり、マークが突如現れたりと、当時の最前衛と思われる技術をつぎ込んで作られている。キュビスムとは直接的な関係はないかも知れないが、現実の再構成やパーツの強調という似たような意図をもって作られたのだろう。

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2024年3月27日 (水)

これまでに観た映画より(325) ドキュメンタリー映画「アアルト」

2024年3月21日 京都シネマにて

京都シネマで、フィンランドのドキュメンタリー映画「アアルト」を観る。フィンランドのみならず北欧を代表する建築家にしてデザイナーであるアルヴァ・アアルトの生涯と彼の二人の妻に迫る作品。ヴィルビ・スータリ監督作。

母校のヘルシンキ工科大学が現在はアアルト大学に校名変更されていることからも分かるとおり、絶大な尊敬を集めたアルヴァ・アアルト(1898-1976)。「北欧デザイン」といわれて何となく頭に浮かぶイメージは彼が作り上げたものである。彼の最初の妻であるアイノは4つ年上であり、同じヘルシンキ工科大学の出身であった。
アアルトがヘルシンキ工科大学卒業後にユヴァスキュラに建築事務所を設立。従業員を募集し、それに応募してきたのがアイノであった。

アアルトの設計の最大の特徴は、「人間的」であること。また自然との調和も重視し、人間もまた自然の一部であるという発想はシベリウスを生んだフィンランド的である。
二人三脚で仕事を進めたアアルトとアイノ夫人。アイノもアアルトと同じヘルシンキ工科大学を卒業しているだけあって、アイデアも豊富でセンスにも長け、アアルトが起こしたデザイン企業アルテックの初期の家具などのデザインにはアイノ夫人の発案も多く取り入れられているようである。
ただ、二人とも家具職人ではないので、実用的な部分は専門家に任せていたのだが、彼が亡くなると家具デザイナーとしてのアアルトは全盛期を過ぎることとなる。
地中海を行く船上で行われた近代建築国際会議(CIAM)に出席し、ル・コルビュジエなどの知遇を得、パリ万博やニューヨーク万博のフィンランド館(パビリオン)、ニューヨーク近代美術館(MoMA)での個展などで注目を浴びたアアルト。作風を次々に変えながら、「人間的」という意味では通底したものを感じさせる建築を次々に発表。マサチューセッツ工科大学(MIT)の客員教授に就任し、MITの学生寮も設計。蛇行した川に面したこの学生寮は、全ての部屋から川面が見えるよう、建物自体もうねっているという独特のものである。

1948年にアイノ夫人が若くして亡くなると、3年後に24歳年下のアアルト事務所職員で同じヘルシンキ工科大学出身のエリッサと再婚。エリッサ夫人は、アアルトが亡くなると、彼が残した設計図を元に建築の仕上げなども行っているようである。

アアルトの最大の仕事は、ヘルシンキ市中心部の都市設計であったが、これはフィンランディアホールを完成させるに留まった。このフィンランディアホールは白亜の外観の美しさで有名であるが、それ以上に劣悪な音響で知られており、ヘルシンキのクラシック音楽演奏の中心は、現在ではヘルシンキ音楽センターに移っている。

晩年になると海外での名声は高まる一方であったアアルトであったが、フィンランド国内では逆に保守的な建築家と目されるようになり、国民年金協会本部や村役場、大学などの設計を行うことで、体制側と見なされることもあったという。

フィンランド以外での建築物としては、前記MITの学生寮、ハーバード大学のウッドベリー・ポエトリー・ルーム、ベルリン・ハンザ地区の集合住宅、ノイエ・ファールの高層集合住宅(ドイツ・ブレーメン)、フランスのルイ・カレ邸、ヴォルフスブルクの文化センター(ドイツ)、同じくヴォルフスブルクの精霊教会、エドガー・J・カウフマン記念会議室(アメリカ・ニューヨーク)、リオラの教会(イタリア)などがある。

ラジオなどで収録されたアアルト自身の肉声、アアルトが残した手紙などを朗読する声優(アアルトの声を当てているエグゼクティブ・プロデューサーで俳優でもあるマルッティ・スオサオは、ヴィルビ・スータリ監督の夫だそうである)の他に、建築家の仲間や専門家、大学教授などの証言を豊富に収めており、アカデミックな価値も高いドキュメンタリー映画である。

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2022年10月11日 (火)

美術回廊(80) 「アンディ・ウォーホル・キョウト」

2022年9月21日 左京区岡崎の京都市京セラ博物館・東山キューブにて

京都市京セラ美術館の新館である東山キューブで、「アンディ・ウォーホル・キョウト」を観る。アメリカのモダンアートを代表するアンディ・ウォーホル(本名:アンドリュー・ウォーホラ。1928-1987)の没後最大級の回顧展である。ちなみにウォーホルは、1956年と1974年に来日しており、京都も訪れているようである。

会場内はスマホ内蔵のカメラでの撮影のみ可であり、フラッシュの使用や動画撮影は禁止となっている。

ウォーホルの美術の特徴は、ポップなタッチや豊かな色彩もさることながら、「芸術における唯一性の逆転」を最大のものとしている。それまでの美術は、「一点しかないこと」「真作であること」に価値があったのだが、ウォーホルは大量生産・大量消費の時代を反映して、同じものをいくつも描き、オリジナリティも否定して、「唯一でないことの唯一性」を示すことの成功した。そうしたポップアートを提唱したのはウォーホルが最初であったはずである。そこにはあるいは「ミニマル」という観念が作用していたかも知れない。

ウォーホルが京都を訪れた時のスケッチの展示があるほか、YMO時代の坂本龍一や葛飾北斎の「神奈川沖浪裏」を取り入れたアートがあり、日本からの影響も分かりやすく示されている。坂本龍一の肖像は、2枚1組であるが、同様の肖像画としてアレッサ・フランクリンやシルヴェスター・スタローンのものが並んでいる。また、本展覧会のポスターに採用されている3つの顔が並んだマリリン・モンローのものも観ることが出来る。

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有名なキャンベルスープの缶を描いた作品や、ジャクリーン・ケネディの複数の表情をモチーフにした「ジャッキー」という作品などが興味深い。

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プライベートを明かさなかったウォーホルであるが、敬虔なキリスト教徒であり、協会での礼拝を欠かさなかった。展覧会の後半には、キリスト教をテーマにした作品も並ぶが、「最後の晩餐」には、レオナルド・ダ・ヴィンチの「最後の晩餐」に20世紀のアメリカ的な要素を持ち込んだオリジナリティを放棄したことで逆に独自のオリジナリティを発揮するというウォーホルらしい技巧がちりばめられている。

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ウォーホルの「生死観」については、壁に以下のような文字が投影されている。「ぼくは死ぬということを信じていない。起こった時にはいないからわからないからだ。死ぬ準備なんかしていないから何も言えない(I don't believe it(death),because you're not around to know that it's happend.I can't say anything about it because I'm not prepared for it.)」

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2022年1月31日 (月)

美術回廊(72) 京都国立近代美術館 「上野リチ:ウィーンからきたデザイン・ファンタジー」

2022年1月15日 左京区岡崎の京都国立近代美術館にて

左京区岡崎にある京都国立近代美術館で、「上野リチ:ウィーンからきたデザイン・ファンタジー」を観る。

今回は展示品の横に説明書きのようなものはなく、入り口に置かれている作品リストを手に、展示品の脇に置かれた番号(「Ⅰ-1-01」「Ⅱ-2-10」といったような)を参照して、リストで内容を確認するという鑑賞法になっている。

1893年にウィーンに生まれた上野リチ。生誕時の名前はリチ・リックスであり、32歳の時に日本人建築家の上野伊三郎と結婚して、上野リチ・リックスという名前になっている。
ウィーン工芸学校で学んだ後、ウィーン工房の一人としての活動を開始。上野とはウィーン工房の同僚であった。

ウィーン工房は、共にウィーン分離派(オーストリア造形芸術家協会)出身のヨーゼフ・ホフマンとコロマン・モーザーが始めた美術工房で、工業デザインを得意としていた。

上野リチの作品の前に、ウィーン工房が作成したデザイン画や日用品などが展示されているが、一目見てマーラーの音楽が脳内に響き渡るような趣を持ったものが多い。マーラーもこのような工芸デザインに囲まれながら作曲や指揮活動を行っていた訳で、相互作用は当然ながら働いていたと思われる。マーラーは生前には作曲家としてはいくつかの例外を除いて成功出来ておらず、「異様な曲を書くらしい」ということだけが知られていた(マーラーは失敗を怖れて交響曲の初演を本拠地のウィーンでは行わなかった)。だが、時を経て見てみると、時代による親和性は確かにある。

上野伊三郎と結婚後、上野リチは夫の故郷である京都とウィーンを往復する生活に入る。作品の中には、水墨画や版画を意識したものもいくつか見られる。夫と共作したものもある。オーストリアと日本の良き融合である。

その後に京都に定住するようになった上野リチ。当時の日本にはまだインダストリアルデザインは十分には普及しておらず、上野は京都市立美術大学(現・京都市立芸術大学美術学部)で教鞭を執った他、夫と共にインターナショナルデザイン研究所(その後、何度も校名変更を行い、最終的には京都インターアクト美術学校となるが、京都精華大学に吸収合併される形で2009年に閉校)を設立して後進の育成に当たった。展覧会の終盤にはリチの教え子達の作品も展示されている。

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2022年1月23日 (日)

美術回廊(71) 大丸ミュージアム〈京都〉 「堀内誠一 絵の世界」

2022年1月5日 大丸京都店6階大丸ミュージアム〈京都〉にて

大丸京都店6階大丸ミュージアム〈京都〉で、「堀内誠一 絵の世界」を観る。
1932年、東京に生まれた堀内誠一は、第二次世界大戦の影響を受けて、家計を助けるため中学校卒業後に伊勢丹に就職。日本大学第一商業学校(日本大学第一高校の前身)の夜間部に入学しているが中退している。父親が今でいうデザイナーの日本での走りということもあり、誠一も幼い頃から絵が得意で、伊勢丹でもデザイン部門の仕事を行っているが、その後に独立。絵本や童話の挿絵などを手掛けるようになる。「an・an」や「Popeye」の創刊号の表紙の想定を手掛けるなど、グラフィックデザイナーとしても活躍している。

若い頃に描いた絵画なども観ることが出来るが、ピカソ、モディリアーニ、ゴッホ、ゴーギャン、ラウル・デュフィなど、フランスで活躍した画家からの影響が一目で分かるほど顕著な作品もあり、フランスへの憧れが垣間見える。1974年に堀内誠一は、日本でのグラフィックデザインの仕事を全て断って渡仏。パリ郊外のアントニーに居を構え、絵本の制作などに打ち込んだ。パリには1981年まで滞在。1987年に下咽頭癌のため54歳の若さで死去している。

パリに移る前後に、詩人の谷川俊太郎とのコラボレーションを行っており、谷川俊太郎が翻訳した『マザーグース』に挿絵を付けたり(現在の講談社文庫の挿絵は堀内誠一のものではない)、共通の趣味であるクラシック音楽のために堀内がエッセイと作曲家の肖像を描き、谷川が作曲家に纏わる詩を書くなど、芸術性の高い仕事を行っている。ストラヴィンスキーの肖像画は、明らかにラウル・デュフィの作品へのオマージュであることが分かる。

絵本のために描いた絵は作品ごとにタッチが異なっており、アメリカ風だったり、淡彩画風だったり、バランスを敢えて崩してチャーミングさを増してみたりと、様々な工夫を行っている。

地理も愛していたようで、移住したパリを始め、世界各地の都市の地図を描いている。原色系の愛らしい地図である。

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2021年11月11日 (木)

美術回廊(70) 京都文化博物館 創業200年記念「フィンレイソン展―フィンランドの暮らしに愛され続けたテキスタイル―」

2021年11月3日 三条高倉の京都文化博物館にて

三条高倉の京都文化博物館で、創業200年記念「フィンレイソン展 ―フィンランドの暮らしに愛され続けたテキスタイル―」を観る。

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フィンランドのタンペレに本社を置いていたテキスタイル企業、フィンレイソン。北欧のデザイン界を代表する企業だが、フィンレイソンというのは英国スコットランドからやって来た創業者、ジェームズ・フィンレイソンの苗字であり、「フィン」と入るがフィンランドとは一切関係がないようである。なお、200年に渡ってフィンランドのテキスタイルデザインをリードし続けたフィンレイソンであるが、20世紀後半の綿工業の衰退により、現在では本社を首都のヘルシンキに移し、生産は海外の工場に一任しているようである。
ちなみに、フィンレイソンを代表するデザインの名は「コロナ(王冠)」という何とも皮肉なものである。

1820年。ロシア統治下のフィンランドで創業されたフィンレイソン。工業都市タンペレに本拠を置き、ロシア人経営者の下で急成長。タンペレ市民の6割ほどがフィンレイソンの社員として働いていたこともあるそうだ。また北欧で初めて女性を社員として雇った企業でもあり、1880年代から1920年代に掛けては、女性社員の数が男性社員のそれを上回っていたそうで、かなり画期的な運営をしていたことが分かる。

動植物の柄を中心としたシンプルなデザインが多いが、子どもを描いたデザインなどは可愛らしいものも多く、見る方も自然と頬が緩んでしまう。

トーベ・ヤンソンもムーミンを使ったデザインでフィンレイソンのテキスタイルに参加しており、今回の展覧会の見所の一つとなっている。

京都文化博物館の4階と3階の展示室を使用しているが、3階に展示されている作品は撮影自由である(フラッシュ撮影、動画撮影などは禁止)。
フィンレイソンは女性の社員が多いという話をしたが、参加しているデザイナーも1名を除いて全員女性である。アイニ・ヴァーリがメインのデザイナーのようで展示数も多いが、第二次世界大戦中には、ユダヤ人ということでドイツから逃れてきた女性がフィンレイソンのデザイナーになったこともあったようである。

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3階の展示室もシンプルで飾らないデザインが主流だが、中にはミンナ・アホネンという、フィンランドらしい名前ではあるが日本語で取ると愉快な名前のデザイナーもいる。みんながみんなアホだったら、それはそれで幸せな世の中になりそうではある。

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フィンランドということで、シベリウスの交響詩「フィンランディア」を題材としたデザインのうちの一つも展示されている。シルッカ・シヴェが1980年代末に手掛けたものだが、白地に赤黄青の三原色線を配したシンプルなもので、フィンランドを支配し続けてきたスウェーデンとロシアからの飛躍をモチーフにしているようでもある。

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フィンランドの有名人に、パーヴォ・ヤルヴィの名前の由来となったことでも知られる名指揮者、パーヴォ・ベルグルンドがいるが、同姓のカーリナ・ベルグルンドというデザイナーの作品も展示されている。血縁関係はないと思われるが、比較的有名なデザイナーのようである。カーリナ・ベルグルンドの作品は原題はイケアでは「グラウドブローマ(幸せな花)」と命名されていたようだ。

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デザイナーということで、ヘルシンキ芸術デザイン大学(2010年に合併改組されて、アアルト大学となっている)の卒業生も多い。
ヘルシンキ芸術デザイン大学出身の、アンナ・フフタが描いた都市のデザインは、簡素化された図形の配置と色合いがいかにも北欧的である。

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リーサ・スーラ(ジョルジュ・スーラとは多分、無関係)が花の絵2点は、「キオト(京都)」と名付けられている。「京都は春の花の美しいところ」と聞いて命名したそうである。

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2021年8月13日 (金)

美術回廊(67) 京都国立近代美術館 「モダンクラフトクロニクル」(京都国立近代美術館コレクションより)&京都国立近代美術館コレクション・ギャラリー「令和3年 第2回コレクション展」

2021年8月4日 左京区岡崎の京都国立近代美術館にて

左京区岡崎の京都国立近代美術館で、「モダンクラフトクロニクル」(京都国立近代美術館コレクションより)と京都国立近代美術館コレクション・ギャラリー「令和3年度 第2回コレクション展」を観る。

「モダンクラフトクロニクル」は、工芸品を中心とした展覧会。工芸品はどちらかというとアーティスト(芸術家)よりもアルチザン(職人)寄りであるため、芸術品と評価されない時代が長かった。特に日本では職人芸と芸術が引き離された形で発展したため、「工芸家は工芸家」と見なされることが今でも少なくない。

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1階に海外の作家による作品が並べられているが、これはこれまでに京都国立近代美術館で行われた工芸展に出展されたものが中心となっているようだ。

工芸作品には疎いため、知っている作家の名前を見つけることがほとんど出来ないが、理解するのではなく、「そういうもの」を受け入れる形で楽しむべき作品が多いことは分かる。理屈を言い出した途端に面白くなくなる作品群である。

ただ、想像と知識でもって理解すべき作品も勿論あって、里中英人の「シリーズ:公害アレルギー」は、水道の蛇口が徐々に破損されていく様を描いており、象徴的である。

益田芳徳の「1980年5月」という作品は、1980年5月のとある一日の新聞の一面が球状のケースの中に押し込まれているが、紙面ははっきりとは見えない。1980年5月を後で調べると、光州事件、日本のモスクワオリンピック不参加決定といった出来事が起こっていたことが分かる。また5月にはWHOが天然痘の根絶を宣言していた。
ただ、実際に一面を飾っていたのは、大平正芳内閣総理大臣とジミー・カーター米大統領の共同声明だったことが分かる。その直後、内閣不信任案が自民党内の反大平派が黙認したことによって通過し、衆議院は解散。翌6月12日に大平は過労が元で急死している。


第4章の「古典の発見と伝統の創出」には、河井寛次郎、北大路魯山人などのビッグネームが登場する。近藤正臣の親戚である近藤悠三の作品も展示されている。近藤悠三は人間国宝に指定されたが、近藤正臣の話によると、その途端に作品の値が跳ね上がったはいいが、高すぎて売れなくなってしまったそうで、「名誉は手にしたがお金は」という状態だったそうである。


4階展示室に場を移した第6章「図案の近代化 浅井忠と神坂雪佳を中心に」。現在の千葉県佐倉市出身(生まれは江戸の佐倉藩邸内)で、京都高等工芸学校(国立大学法人京都工芸繊維大学の前身)の教授としての活躍や、関西美術院の創設と後進の育成に尽力したことで知られる浅井忠。私が生まれ育った千葉県では郷土の偉人として教科書に載っていたり、小学校の廊下に肖像画が掛けられていたりする。京都での活躍でも知られるのだが、実際に京都で過ごしたのは死ぬまでの6年間ほどだそうで、決して長くはない。
フランスからの帰国後の京都時代に浅井は、当時のフランスで流行していたアールヌーヴォーを取り入れた陶芸作品の図案をいくつも作成。日仏工芸の融合に貢献したようである。


「令和3年度 第2回コレクション展」の展示では、冒頭に置かれた「西洋近代美術作品選」のアーシル・ゴーキーという画家の作品が面白い。

1904年、オスマントルコ統治下のアルメニアで生まれたアーシル・ゴーキーは、11歳の時にアルメニア人大虐殺によって母親を殺害され、アメリカに渡っていた父を頼って渡米。ボストンの美術学校に学び、抽象派やシュルレアリスムの影響を受けた独自の手法で高く評価されたが、少年期のトラウマに加え、度重なる怪我や病気を苦にして44歳の時に自ら命を絶っている。
「令和3年度 第2回コレクション展」のポスターにも選ばれた「バースデイ・グリーティング」は、いたずら書きのような自在感の中に、赤と緑の対抗色などを含めた計算された配置が存在感を放っている。

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2021年7月14日 (水)

京都版ラ・デファンスのための覚え書き

 卒業後の就職先が少ないため、大学時代だけを過ごす「通過する街」とも呼ばれる京都。だが今後の事を考えれば、京都市内南部にパリのラ・デファンスに相当する経済特区を設ける必要があるのは明らかである。京都駅よりも北にそうしたものを作るのは景観上も問題があって不可能だが、南側なら可能である。景観上も過去と現在と未来が調和したものになるはずで、問題がないどころか望ましいものとなる。北陸新幹線の駅もそこに作ればなお良い。特に金沢との連携は重要である。双子都市である大津市を始めとする湖南地域も今はむしろ大阪との経済的結びつきが強くなっているが、京都駅の南側に京都版ラ・デファンスを設けられたなら、京滋の絆は強まるだろう。京都に拠点を置きたい企業はいくらでもあるので心配はない。大学の街、京都の特性を生かすなら、就職するのではなく京都で起業したいと考える学生の後押しも行いたい。税制などの優遇策を設ければ不可能ではないはずだ。

 近くに大阪という一大経済都市があるが、京都は名門大学や個性のある大学をいくつも抱えているということで、情報産業に重きを置きたい。製造業で大阪に勝つのは難しいため、棲み分け戦略が必要となる。

 京都版ラ・デファンスを置くべき場所は、らくなん進都および洛南新都心である。少しややこしい問題もあったりするが、開発は可能なはずである。京都市の財政再建策であるということを考えると、パリの隣町にあるラ・デファンスとは異なり、京都市内に置く必要がある。
 洛南新都心計画は交通の問題によって頓挫したままになっているが、従来計画されて全く進まなかった京都市営地下鉄烏丸線の延伸ではなく、新たに開発されたLRTなども含めた複数の交通手段を用いる。らくなん進都に北陸新幹線の駅を置くことで、交通は更に便利になる。らくなん進都と更に先の洛南新都心に向かう乗客数が増えれば、京都市営地下鉄の赤字問題も軽減され、将来的には解消される可能性もあるだろう。
 地域政党・京都党は、崇仁地区に京都市立芸術大学を移転させるのではなく商業地域にするプランを打ち出しているが、崇仁地区は景観上、経済特区のようなものを作るのは無理で、もっと南である必要がある。

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