カテゴリー「京都文化博物館」の29件の記事

2025年11月30日 (日)

観劇感想精選(502) 朗読劇「星の王子さま」 構成・朗読:安田成美

2025年11月12日 三条高倉の京都文化博物館別館ホールにて

午後5時から、京都文化博物館別館ホールで、朗読劇「星の王子さま」に接する。作:アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ、翻訳:内藤濯(ないとう・あろう)。構成・朗読:安田成美、音楽(作曲・演奏):阿部海太郎、美術:木梨銀士(きなし・ぎんじ。安田成美と木梨憲武の次男)。

東京の自由学園明日(みょうにち)館(国指定重要文化財)での公演を経て、昨日今日と京都文化博物館別館ホール(旧・日本銀行京都支店。国指定重要文化財)での京都公演が行われる。

 

「トレンディ女優」という言葉から連想される女優の一人である安田成美。映画、ドラマ、演劇と幅広く活躍しているが、結婚後は育児などを優先して、仕事をセーブしていた時期もある。「同・級・生」、「素顔のままで」、「ヴァンサンカン・結婚」、年末時代劇「源義経」、仲代達矢演じる弁護士と敵対関係になる女性を演じた松本清張ドラマ「霧の旗」、ベトナムロケを行った「ドク」など多くのヒットドラマに出演。映画では、「犬死せしもの」、林海象監督作品「ZIPANG」、オムニバス映画「バカヤロー!私怒ってます」第2話“遠くでフラれるなんて”、緒形拳と共演した「咬みつきたい」、役所広司主演作「すばらしき世界」などに出演している。演劇も出演作は多くはないが、「リチャード三世」は私も観ている。ただこれは劇団新感線による新感線版「リチャード三世」で、出演時間は余り長くはなかった。
こうやって見ると、ドラマに特化した活動を行っていることが分かる。

元々は、「風の谷のナウシカ」のイメージソング(作詞:松本隆、作曲:細野晴臣。映画本編では流れない)のシンガーとして登場した人で、昨年、細野晴臣との共同作業で「風の谷のナウシカ」をリメイクしている。

 

まず木梨銀士による動く美術。アニメーションとは少し違い、動く美術としか形容の仕様がないものである。そして、作曲家でマルチプレーヤーである阿部海太郎によって様々な楽器が演奏され、安田成美がにこやかな表情で下手側から現れて朗読を行う。

安田成美が構成を担当したテキストは、かなり改変されていて、原作とは違い、星の王子さまからの視点で物語は進んでいく。本来の語り手である飛行機の操縦士は途中で登場し、星の王子さまからのメッセージを受け取る役目を担う。

ドラマでは基本的に声音の使い分けは行わなかった安田成美だが、流石はプロの女優。様々な声を駆使して演じ分ける。星の王子さまの声は子どもっぽく、ヘビの物言いは狡猾そうだ。
テキストの改編については、様々な意見があるかも知れない。『星の王子さま』の著作権はすでに切れており、多くの出版社から刊行されていて、青空文庫では無料で読めたりする。なので改編も自由なのであるが、今回の上演は星の王子さまの内省の物語としてなら有効だと思われる。改編が嫌なら後で無料でテキストを読むことも可能なのだから、原作通りに頭から読まれることを希望するよりも安田成美が解釈した「星の王子さま」に耳を傾けるのも良い経験である。美声でもあるし。

 

カーテンコールには、木梨銀士も登場。安田成美が自身の次男であることを明かすと、「似てる!(安田成美にというよりも木梨憲武にだと思われるが)」という声も上がるが、実際はそんなに似ておらず、サッカー選手のような見た目である。木梨憲武も強豪・帝京高校サッカー部で、3年の地区予選までレギュラー、帝京高校は全国大会に出場を決めるが、全国大会では補欠に落ちてしまい、ピッチには立てなかった。なので両親に似ているというよりも木梨憲武のサッカー選手的雰囲気を受け継いでいるのかも知れない。

それよりも印象的だったのは、安田成美の声の可愛らしさである。今日の上演、更にはこれまでに出演したドラマや映画で演じている時の声よりも更に可愛い。つまり我々がこれまで聞いてきたのは演技用の安田成美の声であり、地声はさらに魅力的だったのだ。彼女はバラエティーにはほとんど出ないので(「笑っていいとも!」のテレフォンショッキングのゲストとして出演し、ここに来る直前にスタジオアルタの前で痴漢に遭ったことを告白していたのが記憶に残っているが)、彼女の地声はほとんど関係者にしか知られていなかったということになる。

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2025年11月 7日 (金)

コンサートの記(930) mama!milk “Musica Moschata(ムジカ・モスカータ)”

2025年10月4日 三条高倉の京都文化博物館別館ホールにて

午後6時から、京都文化博物館別館ホールで、mama!milkの公演“Musica Moschata(ムジカ・モスカータ)”を聴く。

京都を拠点に日本、そして世界各地で演奏を行っているmama!milk。アコーディオンの生駒祐子とコントラバス(ダブルベース)の清水恒輔のデュオだが、今回はマルチプレーヤーである曽我大穂(そが・だいほ)を迎えてのトリオでの演奏である。曽我が演奏するのは、ウクレレ、フルート、ブルースハーモニカ、自作の鉄琴、アコーディオンなど数多い。また、ノイズを入れる役割も受け持つ。

mama!milkは、アルゼンチンタンゴ、コンチネンタルタンゴ、ミニマル・ミュージック、アンビエント系など様々な音楽を取り入れて自分たちのものとしている。舞台音楽を手掛けることも多く、白井晃演出の舞台で音楽を担当したり、今はなきアトリエ劇研で行われたダンス公演に生駒のみが音楽担当として参加したりしている。

音楽は時に官能的、時に詩的、時にドラマティック、時にセンチメンタルと幅が広く、好きな人はかなりのめり込みたくなるタイプの作品群である。

音楽専用ホール以外でも演奏することは多く、特に今日演奏する京都文化博物館別館ホール(旧・日本銀行京都支店。国指定重要文化座)は、内装とmama!milkの音楽性がマッチしているため、たびたび演奏会場として選ばれている。
京都文化博物館別館ホールの他に定期的に演奏している場所として左京区の法然院が挙げられる。谷崎潤一郎など有名人の墓が多いことで、鎌倉の東慶寺と共に知られている法然院で毎年のように演奏を行っている。収容人数は限られているが、そこでライブを行ったり、コロナが流行ってからは、演奏の同時配信などやライブラリー化にも力を入れている。
また金沢21世紀美術館で、初めて演奏を行ったのがmama!milkだったはずである。

今回はネットで受付を行う(基本QRコードを読み取ることになるのでスマホでの購入となる)のだが特に整理券配布などはなく、来た順で入れる。ただし、スマホに記された名前などは名簿で確認される。ということでやはりスマホ必須である。空間自体が狭いので遅めに入ったとしてもそれほど不満はないはずである。
名簿を確認して、名前があったら、丸く包まれ、リボンを掛けられた紙が渡される。招待状を模しているが、これがこの公演のチケットで、何らかの事情で会場を出る必要があるときは、再入場する際に、この招待状スタイルのチケットを提示する必要がある。

開演5分前に客演である曽我大穂が現れ、自家製の鉄琴などをチェック。紙をグランドピアノのチェアに置き(今回はグランドピアノが使われることはない)、下手端にすぐ崩れそうな木製の案山子を組み立てるが崩して大きな音を立ててしまう。
その間に、上手端に生駒祐子が現れ、聴衆に背を向ける形でアコーディオンを弾き始める。途中からメロディーが、ヘンリー・マンシーニの「ひまわり」のものに変わる。

清水恒輔が現れてからは、生駒は舞台の真ん中に近いスツールに場を移し、本編の演奏が行われる。生駒は客席に何度か話しかけたが、声が小さいので私の席からは何を言っているのか聞き取れなかった。

曲目は、1部「Azul 蒼、夜明けの」、「Bosa Moschata 麝香バラ」、「Gala de Caras ガラ・ドゥ・カラス」、2部「Waltz,Waltz とっておきのワルツ」、「Anise アニス」、第3部タイトル「J.S.Bachへの手紙」、「Farther 12 sighs 12の軌道」、「an Ode アン・オード とある歌」、「Veludo 天鵞絨」、「the moon 月影」、第4部「Ephemera エフェメラ」、「Shijima 静寂」、「Kujaku 孔雀」、第5部「ao 蒼」、「Azul 蒼。未明の」、「Sanctuary 3つのサンクチュアリよりⅡ残像」、第6部「Charade シャレード 逃避行のワルツ」、7部はラストの定番曲でもある「your voice ユア・ボイス」が演奏された。
生駒と清水のデュオ曲の時は、曽我はチェアに腰掛けて羽根ペンで何かを書いている。筆を走らせた数枚は最終盤に上に向かって放り投げられ、演奏会終了後に聴衆も読むことが出来るようになっていたが、音符などではなく、日本語による作況の文章が書かれてあった。

本格的な秋の到来と、精神面も含めて大人しか楽しめないミュージック。曲も会場も他の場所の一般的な庶民からは遠く、西洋の楽器を使った音楽なのであるが、これで実は「秋の京都」にジャストフィットな音楽である。

イメージ喚起力に長けた演奏から、「音で聴く映画」との賛辞を得ているmama!milk。ただ映画とすると聴き手が好むジャンルによって受け取り方が異なりやすいので、個人的には何と呼ぼうかと考えていると、「記憶の底で繋がる流れ」という言葉が浮かぶ。mama!milkの音楽を聴いていると様々なシーンが浮かび、ノスタルジックな心境となる。実体験にフィクションの場面、それらが浮かぼうとしては流れ、あるいは何かに手が触れる。いつかどこかで見た風景が、現れては去る。現実か虚構かは分からない。ただその曖昧さを表すのに音楽は適した手段であるように思う。

アンコール演奏は、「your slumber まどろみに」。この曲は生駒が演奏しながらスキャットを行う。インティメートな演奏であった。

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2025年10月26日 (日)

NHKスペシャル「シミュレーション昭和16年夏の敗戦前後編・ドラマ×ドキュメント」

2025年8月20日

NHK+で、NHKスペシャル「シミュレーション昭和16年夏の敗戦前後編・ドラマ×ドキュメント」を見る。ドキュメントの部分は比較的短く、ドラマが中心になる。ベースとなっているのは猪瀬直樹著の『昭和16年夏の敗戦』。
出演:池松壮亮、仲野太賀、岩田剛典、二階堂ふみ(語り兼)、北村有起哉、國村隼、佐藤隆太、三浦貴大、別所哲也、嶋田久作、中野英雄、松田龍平、奥田瑛二、江口洋介、佐藤浩市ほか、仲野太賀と中野英雄は親子共演となる。

連続テレビ小説「虎に翼」で、岡田将生演じる星航一の話に登場して話題になった総力戦研究所を描いたドラマである。星航一のモデルとされた三淵乾太郎は、実際に総力戦研究所で司法大臣として演習に当たっていた。
最初から日本が不利であることは大多数の人が気付いていた気がするが、それを覆すための研究所でもある。軍部としては「勝機はある」との言葉を待っていたのだと思われるが、結論としては、「開戦すべきでない」「日本はアメリカに何もかも劣る」であった。
しかし、時代の流れは止められず、日本は地獄を見ることになる。

永田町にあった総力戦研究所に集められたのは、身心知力ともに健康な、様々な分野から集った35人の男性。平均年齢は三十代である。いわば日本の最高水準の知力が集結したことになる。
池松壮亮演じる宇治田洋一は、東京帝国大学首席卒という設定だ。そのインテリ達が様々なデータなどを駆使してシミュレーションした結果は日本必敗であった。宇治田は日本の軍部高官が考えていることが「ごっこ遊び」に過ぎないと陸軍省の高官である西村(江口洋介)に考えを吐露するが、現地に赴くことの絶対にない軍の高官達にとっては、戦争はごっこ遊びと感覚的に似通っていることは確かだと思われる。私は村上春樹の『ねじまき鳥クロニクル』を大学の卒業論文で取り上げた際に同様の内容を記している。
だが、油田の獲得を目的とした南部仏印侵攻は続いており、「船の数が不足している」としても戦いを続けるしかない。
すでにABCD包囲網により、資源が不足していたが、オランダに次いでアメリカも石油禁輸。これにより、日本国内には全国民が使うための石油が2年しかもたないことが判明する。
頭脳明晰な壮年の男達は、太平洋戦争が辿る経緯をかなり正確に見抜いていた。集合知の力である。しかし結論を軍部に聞き入れられることはなかった。

東条英機は、開戦を避けようとするも、もはや自分の力ではどうにもならないと呻吟する人物として描かれる。ハゲヅラをかぶり、一目では誰だか分からない風貌になった佐藤浩市が熱演している。

仲野太賀と岩田剛典は、「虎に翼」のオマージュとしての抜擢かも知れない。岩田剛典は、海軍でありながら、「開戦に反対」という立場を取るが、長州閥のある陸軍では開戦派、薩摩閥のある海軍では、「負ける戦いはするべきではない」との慎重派が多かったとされる。ただ、実のところ藩閥が1941年時点でどれだけ働いていたのかはよく分からない。
その陸軍のトップに立ったのが盛岡藩士の家系である東条英機である。同じく陸軍の軍人であった東条英機の父親は、藩閥によって出世出来なかったが、東条英機は藩閥を超えている。彼が「戊辰の仇」である長州に対してどんな思いを抱いていたのかは不明である。

近衛文麿を演じる北村有起哉は、出番は余り多くないが、見た目が近衛文麿そっくりになっており、笑ってしまうくらいの良い出来である。
摂関家筆頭の近衛家から出た近衛文麿。お公家さん出身だからか、京都帝国大学卒のインテリながら、ちょっと不思議な人だったらしい。
摂関家出身でも駄目なら宮家からということで、東久邇宮稔彦が近衛の次の首相として推されるが、昭和天皇(松田龍平)は首を縦に振らず、東条英機が首相になる。
東久邇宮稔彦は、戦後処理のためだけの内閣総理大臣として、短期間政務に就いた。首相在任期間は、羽田孜に抜かれるまで明治以降最短であった。

佐藤隆太とは、もう大分前になったが、舞台上でハグや握手をしたことがある。そういう人がテレビに出ていると不思議な気がする。

京都でもロケが行われており、龍谷大学本館や京都府京都文化博物館別館(旧・日本銀行京都支店)などが使われていた。

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2024年5月12日 (日)

2346月日(41) 京都文化博物館 「松尾大社(まつのおたいしゃ)展 みやこの西の守護神(まもりがみ)」

2024年5月1日 三条高倉の京都文化博物館にて

三条高倉の京都文化博物館で、「松尾大社(まつのおたいしゃ)展 みやこの西の守護神(まもりがみ)」を観る。王城の西の護りを担った松尾大社(まつのおたいしゃ/まつおたいしゃ)が所蔵する史料や絵図、木像などを集めた展覧会。

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松尾山山上の磐座を祀ったのが始まりとされる松尾大社。祭神の大山咋神(おおやまくいのかみ)は、「古事記」にも登場する古い神で、近江国の日吉大社にも祀られている。別名は「山王」。大山咋神は素戔嗚尊の孫とされる。松尾山山麓に社殿が造営されたのは701年(大宝元)で、飛鳥時代のことである。ちなみに、松尾大社の「松尾」は「まつのお」が古来からの正式な読み方であるが、「まつおたいしゃ」も慣例的に使われており、最寄り駅の阪急松尾大社駅は「まつおたいしゃ」を採用している。
社名も変化しており、最初は松尾社、その後に松尾神社に社名変更。松尾大社となるのは戦後になってからである。

神の系統を記した「神祇譜伝図記」がまず展示されているが、これは松尾大社と神道系の大学である三重県伊勢市の皇學館大学にしか伝わっていないものだという。


松尾大社があるのは、四条通の西の外れ。かつて葛野郡と呼ばれた場所である。渡来系の秦氏が治める土地で、松尾大社も秦氏の氏神であり、神官も代々秦氏が務めている。神官の秦氏の通字は「相」。秦氏は後に東家と南家に分かれるようになり、諍いなども起こったようである。
対して愛宕郡を治めたのが鴨氏で、上賀茂神社(賀茂別雷神社)、下鴨神社(賀茂御祖神社)の賀茂神社は鴨氏の神社である。両社には深い関係があるようで共に葵を社紋とし、賀茂神社は「東の厳神」、松尾大社は「西の猛神」と並び称され、王城の守護とされた。

秦氏は醸造技術に長けていたようで、松尾大社は酒の神とされ、全国の酒造会社から信仰を集めていて、神輿庫には普段は酒樽が集められている。今回の展覧会の音声ガイドも、上京区の佐々木酒造の息子である俳優の佐々木蔵之介が務めている(使わなかったけど)。

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「名所絵巻」や「洛外図屏風」、「洛中洛外図」屏風が展示され、松尾大社も描かれているが、都の西の外れということもあって描写は比較的地味である。「洛中洛外図」屏風ではむしろ天守があった時代の二条城や方広寺大仏殿の方がずっと目立っている。建物のスケールが違うので仕方ないことではあるが。

松尾大社が酒の神として広く知られるようになったのは、狂言「福の神」に酒の場が出てくるようになってからのようで、福の神の面も展示されている。松尾大社の所蔵だが、面自体は比較的新しく昭和51年に打たれたもののようだ。

松尾大社で刃傷沙汰があったらしく、以後、神官による刃傷沙汰を禁ずる命令書が出されている。当時は神仏習合の時代なので、刃傷沙汰は「仏縁を絶つ」行為だと記されている。松尾大社の境内には以前は比較的大きな神宮寺や三重塔があったことが図で分かるが、現在は神宮寺も三重塔も消滅している。

PlayStationのコントローラーのようなものを使って、山上の磐座や松風苑という庭園をバーチャル移動出来るコーナーもある。

徳川家康から徳川家茂まで、14人中12人の将軍が松尾大社の税金免除と国家の安全を守るよう命じた朱印状が並んでいる。流石に慶喜はこういったものを出す余裕はなかったであろう。家康から秀忠、家光、館林出身の綱吉までは同じような重厚な筆致で、徳川将軍家が範とした書体が分かるが、8代吉宗から字体が一気にシャープなものに変わる。紀伊徳川家出身の吉宗。江戸から遠く離れた場所の出身だけに、書道の流派も違ったのであろう。以降、紀州系の将軍が続くが、みな吉宗に似た字を書いている。知的に障害があったのではないかとされる13代家定も書体は立派である。
豊臣秀吉も徳川将軍家と同じ内容の朱印状を出しており、織田信長も徳川や豊臣とは違った内容であるが、松尾大社に宛てた朱印状を出している。
細川藤孝(のちの号・幽斎)が年貢を安堵した書状も展示されている。

松尾大社は摂津国山本(今の兵庫県宝塚市)など遠く離れた場所にも所領を持っていた。伯耆国河村郡東郷(現在の鳥取県湯梨浜町。合併前には日本のハワイこと羽合町〈はわいちょう〉があったことで有名である)の荘園が一番大きかったようだ。東郷庄の図は現在は個人所蔵となっているもので、展示されていたのは東京大学史料編纂所が持っている写本である。描かれた土地全てが松尾大社のものなのかは分からないが、広大な土地を所有していたことが分かり、往事の神社の勢力が垣間見える。

その他に、社殿が傾きそうなので援助を頼むとの書状があったり、苔寺として知られる西芳寺との間にトラブルがあったことを訴えたりと、窮状を告げる文も存在している。

映像展示のスペースでは、松尾祭の様子が20分以上に渡って映されている。神輿が桂川を小船に乗せられて渡り、西大路七条の御旅所を経て、西寺跡まで行く様子が描かれる。実は西寺跡まで行くことには重要な意味合いが隠されているようで、松尾大社は御霊会を行わないが、実は御霊会の発祥の地が今はなき西寺で、往事は松尾大社も御霊会を行っていたのではないかという根拠になっているようだ。

室町時代に造られた松尾大社の社殿は重要文化財に指定されているが(松尾大社クラスでも重要文化財にしかならないというのが基準の厳しさを示している)、その他に木像が3体、重要文化財に指定されている。いずれも平安時代に作られたもので、女神像(市杵島姫命か)、男神像(老年。大山咋神か)、男神像(壮年。月読尊か)である。仏像を見る機会は多いが、神像を見ることは滅多にないので貴重である。いずれも当時の公家の格好に似せたものだと思われる。老年の男神は厳しい表情だが、壮年の男神像は穏やかな表情をしている。時代を考えれば保存状態は良さそうである。

神仏習合の時代ということで、松尾社一切経の展示もある。平安時代のもので重要文化財指定である。往事は神官も仏道に励んでいたことがこれで分かる。松尾社一切経は、1993年に日蓮宗の大学で史学科が有名な立正大学の調査によって上京区にある本門法華宗(日蓮宗系)の妙蓮寺で大量に発見されているが、調査が進んで幕末に移されたことが分かった。移したのは妙蓮寺の檀家の男で、姓名も判明しているという。


松尾大社は、摂社に月読神社を持つことで知られている。月読神(月読尊)は、天照大神、素戔嗚尊と共に生まれてきた姉弟神であるが、性別不詳で、生まれたことが分かるだけで特に何もしない神様である。だが、松尾大社の月読神はそれとは性格が異なり、壱岐島の月読神社からの勧請説や朝鮮系の神説があり、桂、桂川や葛野など「月」に掛かる地名と関連があるのではないかと見られている。

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2022年12月28日 (水)

これまでに観た映画より(318) 第44回ぴあフィルムフェスティバル in 京都 ブラック&ブラック「ザ・ビッグ・ビート:ファッツ・ドミノとロックンロールの誕生」 ピーター・バラカンのアフタートーク付き

2022年11月25日 京都文化博物館フィルムシアターにて

午後6時から、京都文化博物館フィルムシアターで、第44回ぴあフィルムフェスティバル in 京都、ブラック&ブラック 日本未公開/関西初上映の音楽映画「ザ・ビッグ・ビート:ファッツ・ドミノとロックンロールの誕生」をピーター・バラカンのアフタートーク付きで観る。

共にルイジアナ州ニューオーリンズ近郊に生まれたファッツ・ドミノとデイヴ・バーソロミューを中心に、黒人音楽がリズム&ブルールへ、そしてロックンロールへと昇華する過程を様々なミュージシャンや伝記作家などへのインタビューと往年の演奏姿によって綴る音楽映画である。
ジャズ発祥の地としても名高いニューオーリンスが生んだ二人の天才音楽家が生み出した音楽が、エルヴィス・プレスリーやビートルズなどの白人ミュージシャンに影響を与え、ロックンロールという名を与えられていく。
ちなみに、リズム&ブルースは1949年に生まれたとされる言葉で、それまでは黒人の音楽を指す専門用語はほとんど存在しなかったようである。ただ、リズム&ブルースは、黒人音楽のイメージが余りに強いため、ロックンロールという新語が生まれたようだ。ともあり、ファッツ・ドミノが生み出し、デイヴ・バーソロミューが演奏とプロデュースを手掛けた音楽は全米で大ヒット。新たな音楽の潮流を生むことになった。
ブラスの分厚いニューオーリンズサウンドがとにかく華やかで、音楽性の豊かさに魅せられる。

ピーター・バラカンのアフタートークは、ニューオーリンズの紹介を中心としたもので(持ち時間が限られていたためにそこから先に行けなかったということもある)、フレンチクオーターと呼ばれる地域があり、フランス統治時代の面影が残っている(ルイジアナ州のルイジアナとはルイ○世のルイ由来の地名であり、オーリンズとはフランスのオルレアン地方が由来である)。フレンチクオーターの北の方にコンゴスクエアという場所があるが、ここで黒人奴隷達が週に1回音楽を奏でることが許されたそうで、ここが黒人音楽の発祥の地ということになるようである。音楽をすることを許されたのは、ピーター・バラカンによると統治していたフランスがカトリックの国であったことが大きいという。その他の地域、イギリスの統治下にあったところは、黒人が音楽を奏でることは許されなかったそうである。

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2022年10月26日 (水)

史の流れに(10) 京都文化博物館 「新選組展2022」

2022年10月4日 三条高倉の京都文化博物館にて

京都文化博物館で、「新選組展2022」を観る。
京都文化博物館で、「新選組展」が行われたのは2004年のこと。大河ドラマ「新選組!」放送を記念してのことだった。だがその時点では歴史学界では、松浦玲の『新選組』(岩波新書)によると「研究に値しない団体」と見なされていた。小説やマンガ、ゲームなどでは新選組は特に女子に人気で、当時流行り始めていた言葉を使うと幕末の「『イケメン』剣豪集団」としてもてはやされていた。だがそれらは全てフィクションの世界を主舞台としており、地道な研究の道には繋がりにくいものだったのである。それが大河ドラマ「新選組!」が契機となってようやく研究の俎上に乗り、以降の研究の成果が「新選組展2022」として発表されることになった。

文書が中心の展示であるため、比較的地味であり、私は崩し字は読めないということで、「真の成果」がどこにあるのか判別しがたい状態ではあるのだが、文書に記された「小島鹿之助」「佐藤彦五郎」といった多摩の人々の名前を見ると、久しぶりに出会った親戚のように思えて懐かしくなる。

新選組の土台を築いたのは、主に近藤勇が宗家を務める天然理心流の道場「試衛」一派と芹沢鴨ら水戸派の二派である。「試衛」と書いたが、実は近藤勇の道場を一般に知られる試衛館と記した史料は見つかっておらず、伝わっているのは試衛の2文字もしくは試衛場とした3文字だけである。主立った江戸の剣術道場、例えば千葉周作の玄武館、斎藤弥九郎の練兵館、桃井春蔵の士学館の三大道場などには全て「館」の字がつくため、「試衛の2文字だけでは不自然だから館が付いたのだろう」との推測によって試衛館とされているのである。ただ試衛館という名は現時点ではあくまでも想像上のものであるため、今回の展覧会の説明書きでは試衛の2文字で記されている。

新選組は、「京都守護職御預」と記されることも多いが、これも厳密にいうと誤りで、松平容保(松平肥後守)が約2ヶ月だけ京都守護職を離れて陸軍総裁となり、京都守護職が松平春嶽となった際も、松平春嶽ではなく容保の配下となっていることから、役職に従っていたのではなく、松平肥後守個人に従っていたことが分かるようである。そのため松平肥後守御預とした方が実態に近いようである。

新選組にはもう一つ、新撰組という表記もあり、これらは併用されていた。近藤や土方も両方の表記を用いている。当時は漢字などは「読めればいい」「分かればいい」という考えが一般的であったため、正式な表記というものもないということになっている。だが、研究の結果、正式な場では「新選組」表記がなされる傾向にあるということは分かったそうである。

土方歳三の愛刀は和泉守兼定、脇差が堀川国広ということはよく知られているが、根拠となっているのは近藤勇の書簡だそうで、今回の展覧会ではその書簡の現物も展示されている。
なお土方所蔵の和泉守兼定は現存しており、今回の展覧会でも展示されていたが、堀川国広は行方不明となっていて、本当に国広が打ったものなのかどうかは定かではない(近藤勇の愛刀である長曽根虎徹もまた見つかってはおらず真贋不明である)。

新選組の活躍を今に伝える史料として重要視されているものの一つに、永倉新八(本姓は長倉。維新後の名前は杉村義江)が書いた『新選組顛末記』(こちらは厳密に言うとインタビュー記事をまとめたもの)と『浪士文久報国記事』が挙げられる。いずれも最晩年の永倉が遺したもので、共に今も文庫版を手に入れて読むことが出来るが、残念ながらこの時代は今と違って編集者が内容を面白おかしく書き換えてしまうのが常識となっており、『新選組顛末記』の方は掲載された小樽新聞の記者が脚色した可能性が高く、『浪士文久報国記事』の方も永倉が記した原本は失われたままだが、『新選組顛末記』よりは永倉の実体験に近い内容が記されていると考えられているようである。

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2022年7月 9日 (土)

コンサートの記(786) Mimori Yusa Concert 2022「京都日和」

2022年7月3日 三条高倉の京都文化博物館別館にて

午後5時30分から、三条高倉の京都文化博物館(正式名称は京都府京都文化博物館。略称は文博〈ぶんぱく〉)別館で、遊佐未森のコンサート「京都日和」を聴く。遊佐未森が京都でライブを行うのは10年ぶりだそうだが、10年前のライブ(於・磔磔)にも私は接している。私と遊佐未森は丁度10歳差なので、前回は今の私と同じ年齢の時に京都でのライブを行ったことになる。

遊佐未森は毎年春に、ギターの西海孝とパーカッションの楠均とのトリオで東京と大阪で「cafe mimo」というライブを行っているが、今回の「京都日和」はギターは西海孝だが、パーカッションの代わりにハープの吉野友加(よしの・ゆか)が参加している。


元祖癒やし系シンガーでもある遊佐未森、浮遊感のある涼やかな歌声は、今の季節に聴くのにも相応しい。


白いドレスで登場した遊佐未森はまず「つゆくさ」と「天使のオルゴオル」の2曲歌った後で、会場である京都文化博物館別館(重要文化財)について、「すごく素敵なホールですね」「昔ここで色々な人が働いていたと思うんですけど、日銀の京都支店だったそうで」と語り、西海孝は知らなかったようで、「え? そうなの?」と驚いていた。遊佐未森は、京都文化博物館別館の前を通ったことは何度もあるそうだが、中に入るのは今日が初めてだそうである。「楽屋として使わせて貰っている部屋も応接室だったところのようで、調度品も全てが素敵」と絶賛であった。


私は初めて演奏を聴くハープ奏者の吉野友加。小学6年生の時にハープを始めたが、そのきっかけが、「ピアノの先生から突然、『お前、ピアノ下手くそだからハープ弾け』と言われた」ことだそうで、折良く近所に小学6年生のハープを習いたい子を探している先生がいたそうである。なぜ小学6年生かというと、中学校1年生から音楽科でハープを専攻する子を出したかったからだそうで、吉野は「(ハープ奏者として成功出来たので)ピアノが下手くそで良かった」と語っていた。


最新アルバム『潮騒』に収録された「ルイーズと黒猫」を歌う前に、背後の元カウンターの仕切りを覆っていた茶色い布が取り払われ、往事の日本銀行京都支店の姿が明らかになる。

「僕の森」を歌う前には、「ずいぶん昔に作った、と言いそうになったんですけど、デビューして間もない頃に作った。私、今、何歳なんだろう?」という話をする。
遊佐未森は独自のファルセットを得意としているが、「僕の森」はそうでないと「こういう曲を作ろう」という発想すら出来ない曲である。

「街角」では「久しぶりに」リコーダーも演奏された。

国立(くにたち)音楽大学出身の遊佐未森。これまでコンサートでクラシックの曲を歌うことはほとんどなかったのだが、今日はヘンデルの歌劇『リナルド』より「私を泣かせてください(Lascia ch'io pianga)」を歌う。導入部のレチタティーヴォ付きの歌唱である。
クラシックの教育を受けていることがはっきりと分かる歌声。本人もクラシックを歌う時にはスイッチが入るそうで、歌い方が変わるので驚かれるそうである。
仙台の常盤木高校音楽科時代には、音楽の先生がとにかく何でも歌わせるという方針だったそうで、それが今の音楽家としての下地になっているようだ。


ピアノに向かって座り、「早いものであと2曲になってしまいました」と語った遊佐未森だが、「あ、間違えた」ということで、残りはあと3曲で、次の曲は弾き語りではなく立って歌う曲であることが分かる。「夏草の線路」が歌われる。

ラスト2曲はアルバム『潮騒』からの曲で、「I still See」と「潮騒」をピアノ弾き語りで歌唱。

「cafe mimo」などでは、アンコール曲演奏の前に、西海孝と楠均がBPB(物販ブラザーズ)として物販の宣伝を行うことが恒例となっており、まず西海孝が現れて「BPB!」と連呼するが、「今回はBPBの兄(楠均)がいないということで、代わりに妹が来ています」と吉野友加を呼んで、ミニトートバックの宣伝などを行う。

その後、未森さんが現れ、アンコールとして「オレンジ」が歌われた。

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2021年11月11日 (木)

美術回廊(70) 京都文化博物館 創業200年記念「フィンレイソン展―フィンランドの暮らしに愛され続けたテキスタイル―」

2021年11月3日 三条高倉の京都文化博物館にて

三条高倉の京都文化博物館で、創業200年記念「フィンレイソン展 ―フィンランドの暮らしに愛され続けたテキスタイル―」を観る。

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フィンランドのタンペレに本社を置いていたテキスタイル企業、フィンレイソン。北欧のデザイン界を代表する企業だが、フィンレイソンというのは英国スコットランドからやって来た創業者、ジェームズ・フィンレイソンの苗字であり、「フィン」と入るがフィンランドとは一切関係がないようである。なお、200年に渡ってフィンランドのテキスタイルデザインをリードし続けたフィンレイソンであるが、20世紀後半の綿工業の衰退により、現在では本社を首都のヘルシンキに移し、生産は海外の工場に一任しているようである。
ちなみに、フィンレイソンを代表するデザインの名は「コロナ(王冠)」という何とも皮肉なものである。

1820年。ロシア統治下のフィンランドで創業されたフィンレイソン。工業都市タンペレに本拠を置き、ロシア人経営者の下で急成長。タンペレ市民の6割ほどがフィンレイソンの社員として働いていたこともあるそうだ。また北欧で初めて女性を社員として雇った企業でもあり、1880年代から1920年代に掛けては、女性社員の数が男性社員のそれを上回っていたそうで、かなり画期的な運営をしていたことが分かる。

動植物の柄を中心としたシンプルなデザインが多いが、子どもを描いたデザインなどは可愛らしいものも多く、見る方も自然と頬が緩んでしまう。

トーベ・ヤンソンもムーミンを使ったデザインでフィンレイソンのテキスタイルに参加しており、今回の展覧会の見所の一つとなっている。

京都文化博物館の4階と3階の展示室を使用しているが、3階に展示されている作品は撮影自由である(フラッシュ撮影、動画撮影などは禁止)。
フィンレイソンは女性の社員が多いという話をしたが、参加しているデザイナーも1名を除いて全員女性である。アイニ・ヴァーリがメインのデザイナーのようで展示数も多いが、第二次世界大戦中には、ユダヤ人ということでドイツから逃れてきた女性がフィンレイソンのデザイナーになったこともあったようである。

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3階の展示室もシンプルで飾らないデザインが主流だが、中にはミンナ・アホネンという、フィンランドらしい名前ではあるが日本語で取ると愉快な名前のデザイナーもいる。みんながみんなアホだったら、それはそれで幸せな世の中になりそうではある。

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フィンランドということで、シベリウスの交響詩「フィンランディア」を題材としたデザインのうちの一つも展示されている。シルッカ・シヴェが1980年代末に手掛けたものだが、白地に赤黄青の三原色線を配したシンプルなもので、フィンランドを支配し続けてきたスウェーデンとロシアからの飛躍をモチーフにしているようでもある。

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フィンランドの有名人に、パーヴォ・ヤルヴィの名前の由来となったことでも知られる名指揮者、パーヴォ・ベルグルンドがいるが、同姓のカーリナ・ベルグルンドというデザイナーの作品も展示されている。血縁関係はないと思われるが、比較的有名なデザイナーのようである。カーリナ・ベルグルンドの作品は原題はイケアでは「グラウドブローマ(幸せな花)」と命名されていたようだ。

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デザイナーということで、ヘルシンキ芸術デザイン大学(2010年に合併改組されて、アアルト大学となっている)の卒業生も多い。
ヘルシンキ芸術デザイン大学出身の、アンナ・フフタが描いた都市のデザインは、簡素化された図形の配置と色合いがいかにも北欧的である。

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リーサ・スーラ(ジョルジュ・スーラとは多分、無関係)が花の絵2点は、「キオト(京都)」と名付けられている。「京都は春の花の美しいところ」と聞いて命名したそうである。

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2021年8月28日 (土)

美術回廊(68) 京都文化博物館「小早川秋聲 旅する画家の鎮魂歌(レクイエム)」

2021年8月19日 三条高倉の京都文化博物館にて

京都文化博物館で、「小早川秋聲 旅する画家の鎮魂歌(レクイエム)」を観る。
京都府立の施設である京都文化博物館も緊急事態宣言発出により、明日から休業に入るのだが、「小早川秋聲」展だけは引き続き展示が行われる予定である。

1885年生まれの小早川秋聲(こばやかわ・しゅうせい)。鳥取県日野郡日野町の真宗大谷派の寺院・光徳寺の住職の子として生まれた秋聲(本名:盈麿。みつまろ)。母親は摂津三田(さんだ)元藩主・九鬼隆義の養妹であり、幼時を母の実家である神戸で過ごした。7歳から仏典を教わった秋聲は、父親が出世により本山である京都・東本願寺の事務局長となったため、共に京都に移住。9歳で東本願寺の衆徒として僧籍に入る。いったんは鳥取に戻った秋聲だったが、画家を志して二十歳の時に再び上洛。以降、88歳で他界するまで京都を本拠地として作品制作に取り組んだ。とはいえ、旅好きであった秋聲は、中国を皮切りにヨーロッパやアメリカまで出掛けて作品を残しており、旅を愛し、旅に生きた画家でもあった。

幸野楳嶺の門下である谷口香嶠に師事した秋聲は、谷口が京都市立絵画専門学校(現在の京都市立芸術大学の前身)の教師になったため、同校に入学しているが、南画や文人画など中国を本場とする絵画に憧れていたこともあって、すぐに退学して中国に渡り、水墨画を学んだ。
秋聲の絵は、中国絵画からの影響が濃厚である。そうした画風を持ちつつ、欧米の風物を描いたことが強い個性へと繋がっているように思える。

満州事変以降、中国や東南アジアに渡って戦争画を作成した小早川だが、1974年に没すると急速に忘れ去られてしまう。彼の名前が再び脚光を浴びるのは、戦争画の一つである「國之楯」が戦争画展で注目を浴びたここ数年のことであるという。ということで、小早川秋聲の回顧展は今回が初めてとなる。「國之楯」で注目されたが、他の作品が全く知られていないという事実が、今回の展覧会開催の端緒となったようだ。

戦争画と関連のある絵画と見ることも出来る「山中鹿介三日月を排する之図」で展示はスタートする。題材は日本であるが、画風は典型的な南画の系列に入る。歴史的人物を描いた絵としては他に「楠公父子」という作品があり、楠木正成と楠木正行が描かれている。忠臣を描くことが好きだったのかどうかは分からない。

京都市立絵画専門学校時代の習作であるという「するめといわし」は、日本画のタッチで西洋的な描写も視野に入れるということで、高橋由一の作風によく似ている。

中央の火の明かりが周囲の人々を浮かび上がらせる「露営之図」の技法はその後も何度も用いられることになる。


海外を題材にした絵としては、満州吉林、蒙古ゴビ砂漠、台湾(当時日本領)、香港(当時英国領)、インド(当時英国領)のタージマハール、エジプト(当時英国領)、イタリア・ナポリ、ローマ、南仏ニース、グリーンランド、パリ、アメリカ・グランドキャニンなどを描いた作品が展示されている。いずれも西洋的な技術や視点とは異なるスタイルが取られているのが興味深い。
小早川は、ヨーロッパの夕景を好んだそうで、光と影の配分に力を入れているという点で、日本の伝統的な絵画の技術も受け継いでいることが分かる。
一見、暖かでユーモラスなタッチで描かれている「巴里所見」も描かれているのは大道芸人達ということで下層階級の人々だそうである。

一方で、「國之楯」と共に展覧会のポスターにも採用されている「長崎へ航(ゆ)く」 は、長崎の出島へ向かうオランダ商船をオランダ人が見送るという構図を持った作品で、日本人的でない発想力を持った人だったことも分かる。

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出征家族に送ることを想定した戦争画では勇ましい日本男児の姿が描かれているが、戦場で眠る日本兵士を描いた「虫の音」などはユーモラスであり、小早川の個性が窺われる。

戦死した日本軍兵士を描いた「國之楯」は、構図も内容も衝撃的である。戦死した日本人を描くのは好ましいとはされなかったようで、依頼した陸軍省から一度は受け取りを拒否されたという。

敗戦後、戦犯とされるのは覚悟の上だったという小早川だが、従軍中に体調を崩しており、京都で依頼される仏画などを描いて晩年を過ごす。真宗大谷派の寺の出身ということで、蓮如上人を題材としていたり、無量寿経(大経)に出てくる「天下和順(てんげわじゅん)」をイメージした絵画を制作している。
「天下和順 日月清明 風雨以時 災厲不起(天下は治まり、日や月が煌々と輝く 風雨は相応しい時に立ち、災害や疫病も起こることがない)」

 

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2021年6月16日 (水)

2346月日(33) 京都文化博物館 京都文化プロジェクト 誓願寺門前図屏風 修理完成記念「花ひらく町衆文化 ――近世京都のすがた」&「さまよえる絵筆―東京・京都 戦時下の前衛画家たち」

2021年6月11日 三条高倉の京都文化博物館にて

京都文化博物館で、京都文化プロジェクト 誓願寺門前図屏風 修理完成記念「花ひらく町衆文化 ――近世京都のすがた」と「さまよえる絵筆―東京・京都 戦時下の前衛画家たち」を観る。

「花ひらく町衆文化 ――近世京都のすがた」は、修復された寺町・誓願寺の門前町を描いた屏風絵の展示が中心となる。豊臣秀吉によって築かれた寺町。その中でも本能寺などと並んでひときわ巨大な伽藍を誇っていたのが誓願寺である。

落語発祥の地としても名高い浄土宗西山深草派総本山誓願寺。明治時代初期に槇村正直が新京極通を通したために寺地が半分以下になってしまったが、往時は北面が三条通に面するなど、京都を代表する大寺院であった。
この「誓願寺門前図屏風」作成の中心となった人物である岩佐又兵衛は、実は織田信長に反旗を翻したことで知られる荒木村重の子である(母親は美女として知られた、だしといわれるがはっきりとはしていないようである)。荒木村重が突然、信長を裏切り、伊丹有岡城に籠城したのが、岩佐又兵衛2歳頃のこととされる。使者として訪れた黒田官兵衛を幽閉するなど、徹底抗戦の姿勢を見せた荒木村重であるが、その後、妻子を残したまま有岡城を抜け出し、尼崎城(江戸時代以降の尼崎城とは別の場所にあった)に移るという、太田牛一の『信長公記』に「前代未聞のこと」と書かれた所業に出たため、有岡城は開城、村重の妻子は皆殺しとなったが、又兵衛は乳母によってなんとか有岡城を抜け出し、石山本願寺で育った。その後、暗君として知られる織田信雄に仕えるが、暗君故に信雄が改易となった後は京都で浪人として暮らし、絵師としての活動に入ったといわれる。

誓願寺門前図屏風は、1615年頃の完成といわれる。大坂夏の陣のあった年である。翌1616年頃に又兵衛は越前福井藩主・松平忠直に招かれて、福井に移っているため、京都時代最後の大作となる。又兵衛一人で描いたものではなく、弟子達との共作とされる。又兵衛は福井で20年を過ごした後、今度は二代将軍・徳川秀忠の招きによって江戸に移り、その地で生涯を終えた。又兵衛は福井から江戸に移る途中、京都に立ち寄ったといわれている。

岩佐又兵衛について研究している京都大学文学研究科准教授の筒井忠仁出演の13分ちょっとの映像が、「誓願寺門前図屏風」の横で流されており、「誓願寺門前図屏風」に描かれた京の風俗や修復の過程で判明したことなどが語られる。

経年劣化により、かなり見にくくなっていた「誓願寺門前図屏風」。修復の過程で、二カ所に引き手の跡が見つかり、一時期は屏風ではなく襖絵として用いられたことが確認されたという。

『醒睡笑』の著者で落語の祖とされる安楽庵策伝が出たことで、芸能の寺という側面を持つ誓願寺には今も境内に扇塚があるが、「誓願寺門前図屏風」にも誓願寺のそばに扇を顔の横にかざした女性が描かれている。

また、三条通と寺町通の交差する北東角、現在は交番のある付近には、扇子を売る女性が描かれているが、彼女達は夜は遊女として働いていたそうである。また、今は狂言で女性役を表すときに使う美男鬘を思わせるかづきを被った女性などが描かれている。

誓願寺は和泉式部が帰依した寺ということで、和泉式部の塚も以前は誓願寺にあったようだ(現在は少し南に位置する誠心院に所在)。誓願寺は女人往生の寺であるため、女性の姿も目立つ。
一方、三条寺町では馬が暴れて人が投げ出されていたり、喧嘩というよりも決闘が行われていたり、物乞いがいたりと、当時の京都の様々な世相が描かれている。

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その他には、茶屋氏、角倉氏と並ぶ京の豪商だった後藤氏関係の資料が展示されている。後藤氏の邸宅は現在、新風館が建つ場所にあった。かなり広大な面積を持つ屋敷だったようで、往時の後藤氏の勢力が窺える。
作庭家や茶人としても有名な小堀遠州(小堀遠江守政一)や、豊臣家家老でありながら大坂を追われることになった片桐且元、加賀金沢藩2代目の前田利光(後の前田利常)、熊本城主・加藤清正らが後藤家の当主に宛てた手紙が残されており、後藤家の人脈の広さも分かる。虎狩りで知られる加藤清正だが、清正から後藤氏に出された手紙には、虎の毛皮を送られたことへの感謝が綴られており、清正が虎狩りをしたのではなく虎皮を貰った側ということになるようだ。


元々、下京の中心は四条室町であったが、江戸時代には町衆の中心地は、それよりやや東の四条烏丸から四条河原町に至る辺りへと移っていく。
出雲阿国の一座が歌舞伎踊りを披露した四条河原は、京都を代表する歓楽地となり、紀広成と横山華渓がそれぞれに描いた「四条河原納涼図」が展示されている。紀広成は水墨画の影響を受けたおぼろな作風であり、一方の横山華渓は横山華山の弟子で華山の養子に入ったという経歴からも分かる通り描写的で、描かれた人々の声や賑わいの音が聞こえてきそうな生命力溢れる画風を示している。

後半には四条河原町付近の住所である真町(しんちょう)の文書も展示されている。面白いのは、四条小橋西詰の桝屋(枡屋)喜右衛門の名が登場することである。万延元年(1860)の文書で、灰屋という家の息子である源郎が、桝屋喜右衛門の家に移るという内容の文書と、転居したため宗門人別改にも変更があり、河原町塩谷町にあった了徳寺という寺院の宗門人別改帳への転籍が済んだことが記載されている。

実はこの翌年、または2年後に、桝屋の主であった湯浅喜右衛門に子がなかったため、近江国出身で山科毘沙門堂に仕えていた古高俊太郎が湯浅家に養子として入り、桝屋喜右衛門の名を継いでいる。古高俊太郎は毘沙門堂に仕えていた頃に梅田雲浜に師事しており、古高俊太郎が継いで以降の桝屋は尊皇討幕派の隠れアジトとなって、後の池田屋事件の発端へと繋がっていくことになる。ということで、灰屋源郎なる人物も古高俊太郎と会っていた可能性があるのだが、詳細はこれだけでは分からない。

 

3階では、「さまよえる絵筆―東京・京都 戦時下の前衛画家たち」展が開催されている。
シュルレアリスムを日本に紹介した福沢一郎が独立美術協会を立ち上げたのが1930年。その後、四条河原町の雑居ビルの2階に独立美術京都研究所のアトリエが設置され、京都でも新しい美術の可能性が模索されるようになる。だが戦時色が濃くなるにつれてシュルレアリスムなどの前衛芸術などは弾圧されていく。そんな中で現在の京都府京丹後市出身である小牧源太郎は、仏画を題材とした絵画を制作することで土俗性や精神性を追求していったようである。

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