カテゴリー「京都文化博物館」の7件の記事

2020年7月17日 (金)

美術回廊(53) 京都文化博物館 特別展「祇園祭 京都の夏を彩る祭礼」

2020年7月17日 三条高倉の京都文化博物館にて

三条高倉の京都文化博物館で、特別展「祇園祭 京都の夏を彩る祭礼」を観る。

新型コロナウイルスの影響で、山鉾巡航など大がかりなものは中止となってしまった今年の祇園祭。密にならない小規模なものは行われているが、それも毎日ではない。祇園囃子も録音されたものが四条通に流れているのは例年通りだが、生音を聴くことはない。
「動く美術館」といわれる山鉾巡航であるが、今年は 動くどころか建てることすら不可である。
そんな「動く美術館」をずっと静止した形で展示しているのが今回の展覧会である。

 

入場者を確認出来るようにするため、入る前に氏名等の記入が必要となる。

 

山鉾の前懸(その名の通り前に懸ける布)や胴懸の展示がまずある。「日本の祭り」というイメージの強い祇園祭であるが、実際は西洋画なども用いられている。ギリシャの「イーリアス」などの絵で、江戸時代ものである。京都人はよく「進取の気質に富む」といわれるが、こうしたところにそれが窺える。保守的であったら自分達の祭りに西洋の絵を用いようとは思わないだろう。

勿論、舶来のものだけでなく、和の要素も重要視される。安芸・宮島の前懸(占出山)などがそうである。

 

京都の円山派・四条派などの礎を築いた円山応挙(1733-1795。家は四条通に面しており、今は石碑が建つ)が書いた絵を基に編み上げた刺繍の展示がある。保昌山のものである。
とにかく徹底した描写力を追求した円山応挙だが、刺繍の基になっている絵は江戸の絵師達の影響を受け、エネルギー放射量を重要視するようになってからの作品である。
刺繍になると描写力の精緻さは当然ながら後退するのだが(絵筆を使ったタッチの再現は出来ない)そこに登場する虎などの動物は立体感と毛皮のように見える視覚を伴い、よりリアルなものへと変わっている。刺繍にした方が生きる絵を選んだということでもあるだろう。見事な発想である。

 

祇園祭がどのように行われてきたのかという記録も展示されている。名所図会などに描かれた山鉾、そして町衆によって書かれた「入日記」と呼ばれる記録用の冊子を見ることが出来る。

 

山鉾を彩る彫像などの展示もあるが、極めて繊細にして精緻な仕上がりであり、こうしたものを作り上げる技巧の高さは想像の外にある。中学校の美術の時間に取り組んだ木彫りが酷いものにしかならなかった私の技量では、まずどこからどう取りかかればこうなるのかすら掴むことが出来ない。空間認知能力に秀でていることも重要だろうし、手先の器用さも必要なのはわかる。技巧面でわかるのはそこまでである。
ただ、日本が誇る宮大工の技術や、仏教美術の蓄積がこれらの製作に大いに貢献しているということは想像に難くない。天明年間に製作された八幡宮の祠の展示もあるが、ここに展示されているのとほぼ同じ技術によるものが、京都の神社や寺院で見ることが出来る。祇園祭は八坂神社の祭礼であり、八坂神社は明治に入るまでは、祇園社や祇園感神院と呼ばれた神仏習合社であり、神道と仏教の両方の美術が社や氏子達に受け継がれてきたことになる。いわば、美の発信拠点でもあったわけだ。
それを象徴するような欄干様の細工がある。八坂神社の神紋は「五瓜に唐花」と神道共通の「左三つ巴」であるが、その真ん中に仏教の法輪が入ったものである。

ちなみに八坂神社の神紋が五瓜という瓜系の紋なのは、祭神である牛頭天王が瓜を好んだという話に由来すると思われる。左京区にある瓜生山は、牛頭天王に捧げる瓜を栽培したことにちなむ地名である。牛頭天王が初めて京に降り立った場所は北白川東光寺とされているが、この北白川東光寺がどこにあったのかは現在では不明である。ただ北白川という地名はいにしえとは範囲が異なると思われるが残っており、北白川東光寺の跡地に建つと主張している岡崎神社(東天王)は北白川に比較的近い場所にあり、同じく北白川東光寺の有力後継社である八大神社(北天王)は瓜生山の麓にある。

 

明治時代以降の山鉾についての展示が最後にある。幸野楳嶺や今尾景年、竹内栖鳳ら絵師というよりも画家と呼ばれる時代の人々による伝統美を追求した作品が展示されている。

 

一番最後に展示されているのは、鈴木松年(すずき・しょうねん)の筆による「宇治川合戦屏風」。浄妙山の人形の姿の元となった合戦の場面を屏風にしたものでダイナミックな構図が印象的であり、勝ち運の山である浄妙山への祈念が込められているようにも見えた。

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2020年7月 4日 (土)

美術回廊(51) 京都文化博物館 「横山華山」

2019年7月17日 三条高倉の京都文化博物館にて

京都文化博物館で、「横山華山」の絵画展を観る。「かざん」という号を持つ人物としては渡辺崋山が有名だが、横山華山は江戸時代後期に活躍した京都の絵師である。曾我蕭白に私淑した後、岸駒(がんく)や呉春(ごしゅん)に師事し、円山応挙や伊藤若冲と入れ替わるようにして世に出る。明治時代末に書かれた夏目漱石の『坊ちゃん』にその名が登場しており、その後、大正時代頃までは有名な人物であったようだが、昭和に入ってからはその名が忘れ去られてしまうようになる。展覧会のキャッチコピーは「まだいた、忘れられた天才絵師」である。
横山華山は、祇園祭の山鉾を描いた「祇園祭例図絵巻」を著しており、祇園祭の時期に合わせての展覧会開催である。

まず曾我蕭白の「蝦蟇仙人図」模写から入る。曾我蕭白の原図は張り詰めた雰囲気だが、横山崋山の模写は全体的に明るく、体の線も緩やかである。
横山華山の作風の特徴は、クッキリとした輪郭と緻密な描写力にある。風景画などは手前側をリアルに描き、奥はぼやかすため、絵全体に浮遊感と奥行きが生まれている。
「祇園祭例図絵巻」も「そのまま」を描く精緻な筆が冴えており、近々復活する予定である山鉾の一つ「鷹山」の史料となったというのも頷ける。

一方で、画面全体が明るいということで陰影を欠きがちであり、絵の背後にあるものを余り感じ取ることが出来ない。健康的で優しい絵なのだが、写真が現れ、その精度が上がれば取って代わられるような絵なのではないかという思いも浮かぶ。昭和に入ってから急速に忘れ去られたという背景の一つにそうしたことがあるいはあったのではないか。ただ、そうでなくとも「激動の昭和を駆け抜けるに相応しいだけの力を持った絵師だったか」と問われれば、「否」と答えることになると思う。破滅の予感が日本を襲った時代にあっては横山華山の画風は優しすぎたであろうし、復興の時代になればなったでパワーに不足しているように見える。あるいはまた時代が変われば評価も変化するのかも知れないが、今の時点では「リアリズムの点において優れた描写力を発揮し、史料的に重要な絵を残した」絵師に留まると書くのが最も適当であるように思われる。

だが、祇園祭の史料になるだけのリアリスティックな絵を描いたというその一点だけでも、横山華山という絵師の存在意義は十分に肯定され得るものだと確信してもいる。芸術的な意味では必ずしもなく、時代の証言者としてということになるのかも知れないが「絶対に必要な存在」だったのだ。

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2020年6月24日 (水)

コンサートの記(642) mama!milk 「Concert at The Museum of Kyoto」2020.6.14

2020年6月14日 京都文化博物館別館ホールにて

午後4時30分から、三条高倉にある京都文化博物館別館ホールで、mama!milkの「Concert at The Museum of Kyoto」を聴く。
mama!milkもYouTubeでの配信は行っていたが、聴衆を前にして演奏するのは久しぶりである。

入場料3000円、上演時間約1時間のコンサート。YouTubeでの無料同時配信も行われるが、やはり音楽は生で聴くのが一番であり、旧日本銀行京都支店社屋であるお洒落な京都文化博物館別館ホールはmama!milkの音楽によく合う場所である。

新型コロナウィルス感染防止のため、入場者数は少なめに抑えられている。椅子を3つ並べて3人掛けにしたものが一定の距離を保って並ぶが、聴衆は中央の椅子にしか座れず、左右は空けておく必要がある。3人掛けの椅子が30個ほどということで、聴衆は全部で30人ほど。これにスタッフが加わるが、それでも計40名ちょっとである。別館ホールに入る前にはガンスタイル(と書くと物騒だがこうした表現で良いのだろうか?)の体温計を額に近づけて検温をする必要がある。ちなみに京都文化博物館本館には入ってすぐのところにサーモグラフィー機能付きのスクリーンが張られているのだが、私だけ35度台と体温が低めであった。

京都に本拠地を置くmama!milk。アコーディオンの生駒祐子とコントラバスの清水恒輔のデュオである。本拠地は京都なのだが、日本国内は勿論、海外での公演も多く、京都だからいつも聴けるというわけではない。

 

曲目は、「Parade(これからのパレード)」、「intermezzo Op.28(間奏曲第28番)」、「rosa moschata」、「微熱のtango」、「永遠のワルツ」、「Amber(さまよえるアンバー)」、「Sometime Sweet(かすかに甘くてほろ苦かったこと)」、「Waltz for Hapone(かのハポネのワルツ)」、「Veludo(ヴェルード,月の居ぬ間に)」、「ao(そして、青)」、「Sanctuary Ⅲ(3つのサンクチュアリより)」、「逃避行のワルツ」、「kujaku(孔雀)」、「your voice」

今回は、日本銀行京都支店時代にはカウンターだったところ、つまり現在の別館ホールの南側に背を向けての演奏である。

曇りであったため、南側2階に設けられた窓からはどんよりとした雲しか見えなかったが、会場としての雰囲気は良い。

 

mama!milkの音楽は、甘美且つミステリアスな要素を多く含み、ノスタルジックな迷宮へと誘われるような趣がある。どこかで見たことがあるような風景なのだが、気がつくと見知らぬ異国にたどり着いているような。

タイトルからも分かる通り、3拍子系の音楽も多く、優美であるが表層的な美ではなく血の通った音楽性で勝負している。

プログラム終了後、会場に駆けつけた聴衆のためだけのアンコール演奏が1曲だけあった。

 

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2019年10月29日 (火)

美術回廊(41)+コンサートの記(603) 京都文化博物館 「みんなのミュシャ ミュシャからマンガへ―線の魔術」&mama!milk Quartetコンサート

2019年10月22日 京都文化博物館および京都文化博物館別館ホールにて

京都文化博物館で、「みんなのミュシャ ミュシャからマンガへ―線の魔術」を観る。
イラストレーションやポスターを芸術へと高めたことで知られるアルフォンス・ミュシャ。史上最高の舞台女優といわれるサラ・ベルナールとのコラボレーションでも知られるが、今日10月22日はサラ・ベルナールの誕生日だそうである。

オーストリア帝国統治下のチェコのモラヴィア地方に生まれたミュシャ。子どもの頃は音楽で才能を示し、ブルノの少年聖歌隊ではレオシュ・ヤナーチェクと同僚だったそうである。その後、声に支障が出たために音楽から美術への転身を目指す。ただ若い頃は苦労続きだったようで、学業不振で中学校を退学後、地方裁判所で働き、プラハの美術院を目指すも書類選考で落ちてしまう。19歳でウィーンに出て劇場付属の美術工房で働きながら夜の美術教室で腕を磨くが、劇場が火災に遭い、業務整理のあおりを受けて工房を解雇されてしまう。その後、クーエン・ベラシ伯爵と出会い、気に入られて金銭的援助を受けてミュンヘン美術院とパリの美術学校(この学校は現存しないようである)を卒業。だが、これからという時に伯爵の援助が突然打ち切られてしまう。ミュシャは手っ取り早く金が得られそうな挿絵画家として自身を売り込み、これが当たって画家として軌道に乗る。そしてたまたま引き受けることになったサラ・ベルナールのポスターを描いたところ、パリ中で評判となり、サラ・ベルナールと共に一躍時代の寵児となった。ウィーン分離派(ウィーン造形芸術協会)にも参加し、フリーメーソンのメンバーとなり、教職にも就いている。一方で、チェコ民族のための画家として活躍したいと思いはなかなか叶えられず、ようやく50歳を越えてチェコに戻ってから「スラヴ叙事詩」を描いて積年の思いを遂げることになる。チェコがスロヴァキアと共にチェコスロヴァキアとして独立するとミュシャは独立記念の紙幣や切手などを無償で手掛けるという愛国心を見せる。だが、その後にそれが仇となる。ナチスドイツがチェコを占領すると、ミュシャは「危険な愛国者」として逮捕尋問され、これが体に応えて釈放後4ヶ月ほど経った1939年7月14日に他界。パリ祭の日に亡くなったことになる。79歳の誕生日を10日後に控えての死であった。

画才は子どもの頃から発揮されていたようで、最初の絵である「磔刑図」は8歳の時に描かれたものだという。「ブルノ、ペトロフ教会の聖歌隊の少年たち」は、1905年に幼き日の思い出を描いたものだとされる。

ミュンヘンやパリ時代初期に描かれた自画像がある。猫背になりながら絵に取り組んでいる自画像だ。
その後、ミュシャは架空の人物を想定し、それを磨き上げる、言い方によっては使い回す手法を生み出す。「カリカチュア」という絵に描かれた人物がその後、典型的な容姿の人物として再登場するようだ。

一方で、動きを感じさせる絵にも取り組んでおり、いくつかの習作を試みている。走る少年やバレエを描いた習作もあるが、「なにかしているところを描く」ことが多い浮世絵に影響を受けたのかも知れない。

ミュシャのポスターと特徴は、「Q字型」といわれるデザインである。ポスターの中心にいる人物を円形のリボンなどが取り囲み、下で結んでたれて「Q」の形に見えるためにこの名があるが、額縁の中にもう一つ「Q」の縁が描かれることで立体感やメルヘン的や柔らかさが与えられている。チャーミングになるのだ。

サラ・ベルナールを描いた一連のポスター(そのうちの3点は撮影可である)や代表作とされる「黄道十二宮」なども良いのだが、チェコへの愛国心を描いた作品の方がより気に入る。ミュシャはスメタナと同時代人で、「スラヴ叙事詩」などもスメタナの「わが祖国」を聴いてインスピレーションを受けたようだが、「チェコ音楽界のパンテオン」というポスターの中心に描かれているのはおそらくスメタナだと思われる。「正義(ヤン・フス)」という市長ホールのための絵画の習作も展示されているが、これなども当然ながらスメタナが描いたことと一致している。ポスター作家としての顔の影に隠れて余り知られていないが、ミュシャはスメタナと並ぶチェコ国民運動の最先端に位置していたというわけである。

実は、挿絵画家としてスタートした直後に、ドイツの歴史の挿絵の仕事が舞い込んだのだが、貧しい時期だったにも関わらずミュシャはこれを断ろうとしている。結局、引き受けて、今回の展覧会にも3点が展示されているが、反ドイツの意識はそれほど強かったようだ。その横に、スペインの歴史のために描いた挿絵の習作が並べられている。どうもスペインがイスラム教徒に占領された時代の絵のようで、いかにもムスリムといった感じの男の前で、十字架の入った杖を持ったキリスト教徒達が屈んでいるが、そのうちの一人はムスリムの男を鋭い視線で捉えている。キリスト教徒のムスリムへの反抗心に、ミュシャはチェコ民族のドイツ人達への反感を重ねていたのかも知れない。心の中ではレコンキスタの士の一人だったのだろう。

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死後は愛国心が危険視されたのか、封印される形になったミュシャ作品だが、1960年にアメリカで起こったヒッピームーブメントで再評価が高まり、多くのミュージシャンのポスターやレコードジャケットがミュシャを真似た手法で描かれている。ジミ・ヘンドリクスやピンク・フロイド、ドアーズなどビッグネームも多い。

 

日本では与謝野鉄幹と与謝野晶子の「明星」の表紙がミュシャの影響を受けているとされ、一條成美やその跡を継いだ藤島武二のデザインが並んでいる。
ミュシャの影響を公言している日本の漫画家も多く、水野英子、山岸涼子、26歳で夭逝した金沢出身の花郁悠紀子(かい・ゆきこ)やその実妹の波津彬子(はつ・あきこ)、松苗あけみなどの絵が並んでいる。

最後を飾るのは、「ファイナルファンタジー」の天野喜孝と「ロードス島戦記」などを手掛ける出渕裕。出渕の作品にはミュシャそのままのものもある。

 


そのまま午後6時から京都文化博物館別館ホールで、mama!milk Quartetのコンサートを聴く。アコーディオン&手回しオルゴールの生駒祐子とコントラバスの清水恒輔のデュオであるmama!milkにマルチミュージシャンの曽我大穂とピアノの林正樹が加わっての演奏。辰野金吾設計の旧日本銀行京都支店の建物である別館ホールで秋に行われるのに相応しいお洒落な音楽会となる。
曽我大穂は、フルート、パーカッション、アコーディオンなどいくつもの楽器を奏でる器用な人で、その他にもノイズを出して、現代の音楽であることを強調する役割も担っている。

mama!milkのコンサートを聴くのも久しぶり。今年の七夕にもこの京都文化博物館別館ホールで白井晃演出による結成20周年コンサートを行っているのだが、広上淳一指揮京都市交響楽団大阪公演の日であったため聴くことは出来ていない。
アルバムなども聴いていないので、曲目なども詳しくは分からないが、3拍子を基調としたフレンチテイストのものや、秋を感じさせるノスタルジックなもの、5拍子と6拍子の変拍子からなるタンゴ風のものなど、曲調も幅広い。

アンコールとして演奏されたのは「Your Voice」。とてもチャーミングな曲と演奏であった。

 

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2019年9月16日 (月)

美術回廊(35) 京都文化博物館 ICOM京都大会開催記念+京都新聞創刊140年記念「百花繚乱 ニッポン×ビジュツ展」&「京の歴史をつなぐ」展

2019年9月6日 京都文化博物館にて

京都文化博物館で行われている、ICOM京都大会開催記念「百花繚乱 ニッポン×ビジュツ展」と「京の歴史をつなぐ」展を観る。

4階で行われている「百花繚乱 ニッポン×ビジュツ展」は、某学会が運営する東京富士美術館所蔵の美術作品の展示である。全て撮影OKである。
伊藤若冲の「象図」、東洲斎写楽の「市川蝦蔵の竹村定之進」、歌川国芳の「相馬の古内裏」などの有名画が並んでいる。多く刷れる浮世絵が多いため、価値としてはそれほど高くないのかも知れないが、実際のところ目の前で観る機会はそれほど多くないため、貴重である。
その他にも、近藤勇の愛刀として知られた長曽根虎徹や、土方歳三の愛剣として有名な和泉守兼定が打った刀剣なども展示されている(近藤や土方の愛刀そのものではない)。
昨日行った京都国立博物館には、俵屋宗達の「風神雷神図屏風」が展示されていたが、京都文化博物館には鈴木其一の「風神雷神図襖」がある。構図は完全に一緒で、腕もねじれているのだが、鈴木其一は風神と雷神を一枚に収めず、別の襖に描いているという特徴がある。

天璋院篤姫愛用の、葵の御紋が入った蒔絵茶碗台と蓋、女性用の籠(仙台伊達氏の順姫が、宇和島伊達氏に嫁いだ際に使用したもの)、洛中洛外図屏風などに続き、葛飾北斎の富岳三十六ヶより「山下白雨」、「凱風快晴」、「神奈川沖浪裏」などの展示があり、歌川広重の「名所江戸百景 水道橋駿河台」の錦絵が掛けられている。以前、ひろしま美術館でも観たことのある絵だが、大きな鯉のぼりの背後に描かれているのは、我が青春の街、神田駿河台である。

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3階のICOM京都大会開催記念「京の歴史をつなぐ」。まず平安京の玄関口であった羅生門の模型が出迎える。この展覧会も撮影可である。こちらは京都文化博物館所蔵のものが中心。平安京遷都を行った桓武天皇の肖像画(墓所にちなんで柏原天皇とも呼ばれたようだ)、出土品である平安時代初期の瓦や壺などが展示され、羅生門にちなんで、芥川龍之介の「羅生門」初版本や、黒澤明の映画「羅生門」のシナリオ(映画の冒頭とラストに羅生門は出てくるが、実際の原作は「藪の中」である)やポスターなども展示されている。

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現在の、四条河原町付近に名が残る真町で交わされた取り決め書付や、譲り状なども展示されており、江戸時代の四条河原町の人々の生活の一端を垣間見ることが出来る。

四条河原付近の復元模型がある。現在は南座が残るだけだが、江戸時代には7つの芝居小屋が軒を連ねており、一大歓楽街であった。
更には岡崎で行われた第4回内国勧業博覧会の模型も展示されている。元々は伊東忠太設計によりパビリオンとして建てられた平安神宮はそのままだが、現在はロームシアター京都(京都会館)や京都市美術館(京都市京セラ美術館として来年3月リニューアルオープンの予定)、京都府立図書館や京都国立近代美術館のある場所の明治時代の様子を知ることが出来る。

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2019年5月19日 (日)

美術回廊(30) 京都文化博物館 「美を競う 肉筆浮世絵の世界」(光ミュージアム所蔵)

2019年5月6日 京都文化博物館にて

京都文化博物館で、「美を競う 肉筆浮世絵の世界」(光ミュージアム所蔵)展を観る。飛騨髙山にある光(ひかる)ミュージアム所蔵の肉筆浮世絵を集めた展覧会。
浮世絵というと版画のイメージがあるが、当然ながら肉筆画も存在する。一点ものであるため版画に比べると数が少なく、また海外に流出する傾向が見られたため、光ミュージアムがその流れを食い止めるために多くの肉筆浮世絵を集めたようだ。

宮川長春、宮川一笑、勝川春水、司馬江漢、勝川春英、水野廬朝、藤麿、葛飾北斎、蹄斎北馬、駿斎連馬、渓斎英泉、歌川豊国、歌川国次、歌川豊広、歌川広重、鳥羽広丸、二代歌川広重、歌川国芳、月岡芳年、月岡雪鼎、三畠上龍、吉原真龍、大石真虎、周幽斎夏龍らの作品が並ぶ。これだけ肉筆浮世絵が揃うのは京都でも稀なことだと思われる。

遊女を描いた作品が多く、「遊女と禿」や桜の下の美女などの図は何人もの絵師が描いている。仏画的要素に遊女を潜り込ませた(?)絵が多いのも興味深い。今と違って聖と俗が一体まではいかないがかなり近しいものであったことを伺わせる。というよりも現代日本社会が宗教からかなり隔たった成り立ちをしているということが実感出来る。

蘭学者としても知られる司馬江漢は唐美人を描いており、描かれている人物像も当然ながら日本人とは異なるが、仄暗い印象が異彩を放っている。

有名画家としては葛飾北斎の作品がいくつか展示されているが、中でも日蓮を描いた一種の宗教画が独特の趣を持っている。

蹄斎北馬が描いた「田植え」という作品は、田植えをしている三人の早乙女の一人が、上空の燕を見つけて指さした瞬間を切り取っており、写真的な面白さがある。

 

第1章と第2章では江戸の浮世絵師の作品が並ぶが、第3章では上方そして地方の絵師の作品がまとまって展示されている。上方の絵師の描いた遊女は江戸の絵師が手がけたものに比べると臨場感や艶めかしさが欠けているというよりそうしたもの全面に出すことが重視されていないことがわかる。関東と関西のエロティシズムには違いがあるといわれているが、これは江戸時代からすでにあり、余り変わっていないようである。
大石真虎は、名古屋の浮世絵師。「遊女と禿」の絵が展示されているが、顔が白塗りではない。これが名古屋なのかどうかはわからない。
周幽斎夏龍は佐賀の浮世絵師である。「物思う女」という上半身がクローズアップされた作品が展示されているが、ほつれ毛の描き方なども江戸や上方とは異なる。

最後に、美術に造詣の深いアイドルとして知られる和田彩花が光ミュージアムを訪れた時の映像を観る。おそらく「ピーチケパーチケ」で流れていたものである。版画では出来ない技法として着物の柄の細やかさなどを挙げていたが、そうか、着物に余りが興味がないのでそれほどじっくりとは見なかった。絵を描くのが苦手ということもあり、審美眼がまだまだ備わってはいないようである。

渓斎英泉 「立ち美人」パネル

 

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2019年5月13日 (月)

美術回廊(29) 京都文化博物館 「黒田清輝展」2014

2014年7月16日 三条高倉の京都文化博物館にて

京都文化博物館で、「黒田清輝展」を観る。

日本における洋画の先駆者の一人である黒田清輝。代表作の「湖畔」は当然ながら展示されている。

黒田清輝は旧薩摩藩士の子であり、当初は法律を学んでいて、渡仏したのもフランス法を学ぶためであったが、パリでフランス絵画に触れ、画家に転身することを決めている。

黒田清輝が、パリから養父(伯父である黒田清綱)に送った手紙も展示されており、くずし字なので読めないが、活字化したものが壁に貼られている。候文であるが、候文なら私は読めるので、興味深い。黒田は、養父に、「法学者になるのは難しいので画の勉強をしようかと思っている」と書いて手紙を送り、その後、「(日本で有名だと思われる当代の画家3人の名前を挙げて)絵画の先進国である仏国(フランス)にあっては、日本画家の画など恥ずかしくて見せられない。そこで私がフランス絵画に負けないものを描いてみようと思う。ただ絵画というのは何年勉強すればものになるかわからないものである。自分に才能があるのかどうかも天のみが知っている」という内容の手紙を送っている。その3年後の手紙には「日本にいるときは画などは卑賤の者のやることだと思っていたが、フランスの絵画を観て、それは誤りだと気付いた。私が良い画を描いてみせることが日本のためになると思う。ただ自分に才能があるのかはわからない」と最後は同じような内容の文を送っている。
フランスに渡った直後、まだ法律を学んでいた頃のスケッチもあり、黒田が生まれつき絵心を持っていたことがわかる。
フランス時代の黒田の描写力は極めて高く、イメージ喚起力があり、元の風景がどんなものだったのかが、映像としてくっきりと脳内に浮かび上がる。

フランス時代の日記も展示されており、活字に直したものを読んでみると、「汁粉を焼いた、汁粉と書いたがショコラ(引用者注:チョコレート)である。その後、移動するために友人と一緒に歩いたが、田舎に入ると道が分からない。途中で、“お前らは何者だ? ドイツ人か?”などと問う人に出会ったのが面白く、二人で笑った。今夜の宿が取れるかどうかわからない。取れなければ夜通し歩くか、あるいは野宿するか」という内容である。

日本に戻ってからの黒田は、描写力よりも画でしか出来ない表現をすることに力を注いだようで、純粋な画の力を感じさせる作品が多い。

黒田は、日清戦争にジャーナリストとして従軍しているが、この時の日記も展示されており、面白い。一進一退の後、日本軍が押していて、清軍は退却する。その後、清の兵が現れたと思ったら、大きなかぶり物をした子供で、それを敵兵と勘違いしたことに大いに笑ったという。やがて砲声が聞こえたが、大砲は飛んでこない。一応、念のために退却する。その夜は、清の人の家に泊まったのだが、清人にしてはとても親切で、女性は黒田の顔を見て微笑むし、他の家人も懇ろにもてなしてくれたという。それまでに出会った清人は、皆、自分達が日本人だとわかった途端に、鬼でも見たかのように怯えて逃げてしまったそうだ。

黒田清輝は京都の円山公園内にアトリエを持っていたそうで、そこで描いた「昔語り」という大作があり、本作は残念ながら焼失してしまったが、下絵は残っており、それが展示されている。画に出てくる男性と、彼と手を繋いでる舞妓は実在の人物だそうで、舞妓と黒田が一緒に映った写真が展示されているが、確かに彼女である。彼女を描いた下絵が今日の展覧会では一番気に入った。

黒田清輝は裸体画を得意としたが、当時の日本では裸体画は猥褻物という扱いであり、そのことに強く反発したようである。「智・感・情」という三人の裸婦を描いた三部作が黒田の代表作の一つなのだが、女性達の手の仕草が仏像のそれに似ていることに気付く。「智」は虚空菩薩の、「感」は字は違うが同じ「かん」である観音菩薩、「情」は人類を救うとされる情け深い弥勒菩薩の手の置き方に似ている。「情」などは乱れ気味の黒髪をかき上げる仕草で、確かに「情事」を感じさせたりもするのだが、それはフェイクで、実際は観たままではなく一捻りしてあるような感じを受ける。

代表作「湖畔」は、箱根の芦ノ湖畔で描かれたもので、モデルは後に黒田清輝夫人となる金子種子(結婚後、照子に改名。ただし黒田はすでにバツイチということもあって親族の反対にあったため事実婚であり、入籍は遅れている)。照子夫人の証言により、描かれた場所も特定されており、同じ風景を撮った写真が壁一杯に貼られていた。
黒田照子の写真が3枚ほど展示されているが、今の尺度から見ても美人である。

黒田の絶筆となった「梅林」も展示されている。遠くから見ると儚げな梅の木に見えるのだが、近づくと実にまがまがしく、あの世の光景が黒田には見えているようにも感じた。

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