カテゴリー「京都劇評」の163件の記事

2022年12月24日 (土)

観劇感想精選(453) ルドルフ 「ヒロインの仕事」

2022年12月17日 東九条のTHEATRE E9 KYOTOにて観劇

午後7時から、THEATRE E9 KYOTOで、ルドルフという演劇団体の「ヒロインの仕事」を観る。作・演出は、ルドルフ主宰の筒井加寿子。出演は、鳩川七海(幻灯劇場)、山岡美穂、稲森明日香(夕暮れ社 弱男ユニット)、渡辺綾子、二口大学、豊島由香、F.ジャパン(劇団衛星)、南岐佐。声の出演:黒川猛(THE GO AND MO'S)。

医療事務の仕事をしながら同人誌でマンガを発表している神島結月(本名はヤマモトナオコ。演じるのは鳩川七海)と、大手企業からシルク関係の老舗会社に転職し、ブランディングなど大きな仕事を任させられている日比野桜子(山岡美穂)の二人が実質的なヒロインとなる。

結月は、マンガの腕はそれなりにあるようである。少なくともエレベーター事故に乗り合わせた桜子から賞賛され、仕事の依頼を受けるほどには優れている。ただ、医療事務の仕事も十代からの夢であり、マンガはあくまでも「好きだから」やっている。
一方の桜子はやり手であり、自由に仕事を任され、張り切って業務をこなしていたが、「おしゃれ度」や「スタイル」だけを念頭に仕事をしていることを総務の二階堂弘子(豊島由香)に見透かされ……。

スタイルや形からの愛ではなく、根源的な愛を問う物語である。神宮寺愛子(この字で合っていると思われる)が己の半生を顧みて行う発言には重みがあり、己の愛にまっすぐ向き合うことの重要性が説かれている。
メッセージ的にはそう特別なものではないのだが、少女マンガらしい愛らしくポップな展開と、なによりも小劇場演劇に対する根源的な愛情に満ちた作品であり、見終えてとても愛おしい気持ちになれる好編であった。

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2022年12月23日 (金)

観劇感想精選(452) 當る卯歳「吉例顔見世興行 東西合同大歌舞伎」第3部 「年増」&「女殺油地獄」

2022年12月9日 京都四條南座にて

午後6時から京都四條南座で、當る卯歳「吉例顔見世興行 東西合同大歌舞伎」第3部を観る。
コロナの影響で3部制となっている南座の顔見世。今年の第3部は、「年増」常磐津連中と、「女殺油地獄」の2本が上演される。


「年増」。出演は、中村時蔵(萬屋)。隅田川を背景とした舞踊である。
コミカルにしてユーモラスな所作の数々が天保時代の粋を現代に伝える。


「女殺油地獄」。近松門左衛門が人形浄瑠璃のために書いた本を基にした義太夫狂言で、私は大阪松竹座で平成19年に観ている。その時の与兵衛は市川海老蔵の代役を買って出た片岡仁左衛門であった。海老蔵が風呂場で転倒して足を怪我したため仁左衛門が代役となったのだが、仁左衛門は片岡孝夫時代に与兵衛役で大当たりを取っており、その時も貫禄十分の演技を見せていた。出演は、片岡愛之助(松嶋屋)、片岡孝太郎(松嶋屋)、嵐橘三郎(伊丹屋)、中村亀鶴(八幡屋)、中村壱太郎(成駒家)、片岡進之介(松嶋屋)、片岡松之助(緑屋)、中村梅花(京扇屋)ほか。

油まみれになっての殺害シーンが有名であり、映画化されているほか、「GS近松商店」など、舞台を現代に置き換えての翻案作品もいくつか存在している。

どら息子の与兵衛を演じる愛之助が様になっている。素の愛之助についてはよく知らないが、彼の芸風には与兵衛役は似合っているように感じられる。
主に大川(淀川)端のシーン、河内屋内の場、豊島屋(てしまや)油店の場からなり、河内屋内の場のラストなども独特の叙情があるが、見応えがあるのはやはり豊島屋油店の場である。義理の父親と実母が与兵衛に寄せる人情、与兵衛とお吉(孝太郎)の心理戦と油まみれの殺害シーンなど、近松の筆は冴えまくっている。
ラストで、足をガタガタ泳ぐように震わせながら花道を駆けていった愛之助。芸が細やかであった。

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2022年12月18日 (日)

観劇感想精選(451) 山口浩章×KAIKA 「既成戯曲の演出シリーズ」vol.2「特急寝台列車ハヤワサ号」

2022年12月3日 東九条のTHEATRE E9 KYOTOにて観劇

午後7時から、THEATRE E9 KYOTOで、山口浩章×KAIKA 「既成戯曲の演出シリーズ」vol.2 「特急寝台列車ハヤワサ号」を観る。作:ソーントン・ワイルダー、テキスト日本語訳:時岡茂秀(劇書房『ソートン・ワイルダー一幕劇集』より)。演出:山口浩章(このしたやみ/劇団飛び道具)。上演時間約1時間の中編である。
出演は、浅田誠、鈴木美由紀、くぬぎ森子(劇団虹色どんぐり)、多田祥太郎、西山あずさ、齋藤薫、辻智之、橘(ヨアガキ)、鎌田奨一(ウィンターパーク)、大田陽彦(劇団ケッペキ/劇団ゲスワーク)、奥村海斗、渡邊志織、由良真介(笑の内閣)、渡邊容(劇団ケッペキ)、深草友紀子、岡田眞太郎(劇団トム論)、藤村弘二、友井田亮、乱痴パック(演劇集団Q)、河田全休(オフィスKAJA)、野村明里(ブルーエゴナグ)、サンタナカ(忍者ショー企画事務所team児雷也/MIYABEKIKAKU Action Team)、西村花織(劇団しようよ/劇団飛び道具)、合田団地(努力クラブ)、中村こず恵(劇団飛び道具)、佐藤真/ゆめみがち、岡田ヒビキ(ウィンターパーク)、吉岡沙月。総勢28名の大挙出演である。

舞台となるのは、ニューヨークからシカゴに向かう特急寝台列車ハヤワサ号であるが、車内でのやり取りが中心になるのではなく、ある女性の死とそれを巡る、人間ドラマとは異なった諸相が描かれており、特急寝台列車での行程があたかも60分の人生に喩えられたかのような印象を受ける。出演者達による合唱が効果的であり(戯曲には直接的には指示されておらず、今回の上演のための演出である)、生まれたしみじみとした効果は、この作品が年末に上演されるに相応しいことを教えてくれる。

登場するのは人間ばかりでなく、アメリカの各地方や、各地の天候、惑星のさえずりなどであり、今終わった一人の人間の人生が、他の人間のみならず、森羅万象に支えられた行いであったことが実感される。人生は本当に様々な事象に彩られている。

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2022年11月27日 (日)

観劇感想精選(449) 三谷幸喜 作・演出・出演 「ショウ・マスト・ゴー・オン」2022京都公演@京都劇場

2022年11月19日 京都劇場にて観劇

※1994年版の回想が中心になりますが、2022年版のネタバレも含みますのでご注意ください。

午後6時から京都劇場で、「ショウ・マスト・ゴー・オン」を観る。三谷幸喜の東京サンシャインボーイズ時代の代表作であり、私も1994年に行われた再演を東京・新宿の紀伊國屋ホールで目にしている。それが自分でチケットを買って観た初めての演劇公演であった。

今回の「ショウ・マスト・ゴー・オン」は、当然ながら当時とは完全に異なるキャストで上演される。小林隆だけは以前と完全に同じ役柄(役名だけは「佐渡島」から「万城目」になり、異なっている)で出演する予定だったのだが、左足筋損傷のため博多公演の初日から舞台に上がることは叶わず、作者である三谷幸喜が代役を務めることになった。博多公演は全て三谷幸喜が出演したが、小林の怪我が完治していないため、京都公演も引き続き三谷が代役として出演する。


作・演出・出演:三谷幸喜。出演:鈴木京香、尾上松也、ウエンツ瑛士、シルビア・グラブ、新納慎也、今井朋彦、峯村リエ、秋元才加、藤本隆宏、小澤雄太、井上小百合、大野泰広、中島亜梨沙、荻野清子、浅野和之。ミュージシャンである荻野清子は音楽・演奏(ピアノ)も兼任。女優としては、地声が小さすぎるのでそばにいる人を介さないと何を言っているのか分からないという変わった役(役名は尾木)を演じる。セリフでは有名俳優に敵わないので、仕草だけの演技ということになったのだと思われる。

1994年の再演時(NHKBS2で収録された映像が放送され、その後、同じ映像がDVDとなって発売されている)とは、出演者の数も違うし、性別も異なる俳優が何人もいる。例えば、鈴木京香演じる舞台監督の進藤は、再演時には西村雅彦(西村まさ彦)が演じており、西村雅彦が初めて「僕が主演」と感じたと振り返っているのが「ショウ・マスト・ゴー・オン」である。中島亜梨沙演じるプロデューサーの大瀬を再演時に演じていたのは近藤芳正(近藤芳正は東京サンシャインボーイズの後期の作品には全て出演しているが、正式な団員だったことはない)、シルビア・グラブ演じるあずさを演じていたのは、「鎌倉殿の13人」にも出演している野仲功(野仲イサオ)であった(ただし初演時には斎藤清子が演じており、性別がコロコロ変わる役であることが分かる)。また、再演時には存在しなかった役として、井上小百合演じる通訳の木村さん(演出がダニエル、再演時のフルネームはダニエル・ブラナーという外国人という設定)、浅野和之演じる医師の鱧瀬も再演時には出てこなかった人物である。当然ながら、荻野清子演じる尾木も今回のオリジナルキャストである。
シルビア・グラブが出ているということで、彼女がソロで歌うシーン、また尾上松也がソロで歌うシーン、更には前半終了時と全編終了時には全員が合唱を行う場面も用意されている(ちなみに再演時は休憩なしのワンシチュエーションものであった)。

私は初演時の「ショウ・マスト・ゴー・オン」は観ておらず、明治大学の図書館で見つけた戯曲(明治大学文学部には演劇専攻があるということで、演劇雑誌に掲載されていたものが冊子に纏められていた。今も明治大学の駿河台図書館に行けば読めると思われる。ただし入れるのは明大生、明大OBOG、千代田区在住者に限られる)を読んだだけなので、細部についてはよく分からないが(何カ国語も話せる人物が登場していたりする)、1994年の再演は目にしており、BSを録画した映像を何度も繰り返して観た上にDVDとなった映像も視聴している。ということで比較は容易になる。

ちなみに再演時のキャストは、進藤:西村雅彦、木戸:伊藤俊人、のえ:高橋理恵子(演劇集団円所属)、栗林:相島一之、八代:阿南健治、あずさ:野仲功、佐渡島:小林隆、大瀬:近藤芳正、七右衛門:梶原善、中島:甲本雅裕、ジョニー:小原雅人、進藤の妻:斎藤清子、宇沢:佐藤B作。

再演を観たのは、1994年の4月の土曜日のソワレ、日付を確認するとおそらく4月16日のソワレで、当日券を求めて並び(並んでもチケットが手に入るとは限らない)なんとかチケットをゲットして、紀伊國屋ホールの最後列の後ろに設けられた補助席の一番下手寄りの席に腰掛けて観た。「この世にこんなに面白いものがあるのか」と喫驚したことを昨日のようにどころか終演直後のようにありありと思い返すことが出来る。そしてそれは懸念ともなった。前回の記憶が鮮明なだけに、今回の上演を楽しむことが出来ないのではないかという懸念である。そしてそれは現実のものになった、というより上演前から分かっており、確認出来たと書いた方が事実に近い。「ショウ・マスト・ゴー・オン」は、1994年の4月に上演されたからこそ伝説の舞台になったのだということをである。
内容を知り過ぎているということは、時に不幸となる。1994年のあの公演を劇場で観ていなければ、あるいは今回の上演も楽しめたかも知れないという意味で。
「過ぎたるは尚及ばざるがごとし」

ただ私事ばかり書いていても意味はない。今回の上演について記そう。
群像劇ではあるが、「ショウ・マスト・ゴー・オン」の主役は明らかに進藤である。舞台監督であるため、ほぼ全ての指示を出すことになるためだ。この進藤に鈴木京香。女性が舞台監督であることは特に珍しくもない(私が出演した京都造形芸術大学の授業公演でも女子が舞台監督を務めていた)が、バックステージもので舞台監督を女性が演じるというのは記憶にないので、フィクションの世界では珍しいことなのかも知れない。再演時に西村雅彦が演じていた進藤には、「現代のマクベス夫人」と言われる怖い奥さんがいたのだが、進藤役が女性になったということで、甲斐性のない男優希望の青年(小澤雄太が演じる)に置き換えられている。50歳を超えた今も第一線の女優であり続けている鈴木京香の進藤ということで、存在感もあり、女性ならではの悩みなども巧みに演じている。

進藤に、進藤の右腕となる木戸(ウエンツ瑛士)と、舞台女優志望ながら現在はスタッフとして働いているのえ(秋元才加。ちなみに現在放送中の「鎌倉殿の13人」に菊地凛子演じるのえという人物が出てくるが、「ショウ・マスト・ゴー・オン」ののえも、「鎌倉殿の13人」ののえも「ぶりっこ」という点で共通している)を加えたトリオがこの作品の原動力となっている。ただ、再演時には木戸を伊藤俊人(2002年没)、のえを今では演劇集団円の看板女優の一人となった高橋理恵子が演じており、キャラクター自体も再演時の俳優の方が合っていた。三谷幸喜は当て書きしかしない人であり、今回も出演者に合わせて大幅に加筆しているが、やはりインパクトでは再演時の俳優には敵わない。他の俳優についてもこのことは言える。客席からは笑いが起こっていたが、「違うんだよ、この程度じゃないんだよ。三谷幸喜と東京サンシャインボーイズは本当に凄かったんだよ」と私と舞い降りてきた19歳の時の私はひどく悲しい思いをすることになった。

1994年に観た「ショウ・マスト・ゴー・オン」は、あの日、あの時、あの出演者だったからこそ今でも思い返して幸福感に浸れるほどの作品となったのだ。そして同じ思いに浸れることはもう決してないのだということを確認し、なんとも言えぬ切なさが胸の底からこみ上げてきて、涙すら誘いそうになる。ただこれが生きていくということなのだ。生きていくというのはこういうことなのだ。

そんな懐旧の念にとらわれつつ、今回の「ショウ・マスト・ゴー・オン」もやはり魅力的に映った。小林隆が出演出来なかったことは残念であるが、代役を務める三谷幸喜の演技が思いのほか良かったというのも収穫である。映像ではまともな演技をしているのを見た記憶はないが、舞台となるとやはり学生時代からの経験が生きてくるのだろう。役者・三谷幸喜をもっと観たいと思う気持ちになったのは、我ながら意外であった。

劇場の下手袖が主舞台であるが、劇場(シアターコクーンならぬシアターコックンという劇場名らしい。ちなみに1994年の再演時には、三百人劇場ならぬ三億人劇場という劇場名だったが、その後に三百人劇場は閉館している)の舞台、つまり本当の舞台の上手袖ではほぼ一人芝居版の「マクベス」が宇沢萬(うざわ・まん。尾上松也)によって演じられているという設定である。このほぼ一人芝居版「マクベス」がその後、細部は全く異なるが実際に上演されている。佐々木蔵之介によるほぼ一人芝居版「マクベス」がそれで、佐々木蔵之介の演技を見ながら、「『ショウ・マスト・ゴー・オン』の世界が現実になった」と感慨深く思った日のことも思い出した。

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2022年11月23日 (水)

観劇感想精選(448) 大竹しのぶ主演 「女の一生」@南座

2022年11月3日 京都四條南座にて観劇

午後4時から、京都四條南座で「女の一生」を観る。作:森本薫、補綴:戌井市郎。出演:大竹しのぶ、高橋克実、段田安則、西尾まり、大和田美帆、森田涼花、林翔太、銀粉蝶、風間杜夫ほか。段田安則が演出も兼ねる。京都市出身の段田安則にとっては凱旋公演となる。また大竹しのぶは今回が南座初出演となる。

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大阪に生まれ、京都帝国大学文学部に学んだ森本薫。文学座の作家としていくつもの作品を手掛けるも、学生時代に煩った結核が元で、1946年に34歳の若さで他界している。「女の一生」は、森本の最晩年の作品であり、最も有名な一作として挙げることが出来る。戦中の1945年4月に文学座によって初演され、戦後となった翌1946年にプロローグとエピローグが加えられている。プロローグとエピローグを加えた版は森本の死の1ヶ月後に初演された。今回はそれに戌井市郎の補綴を加えた版を採用している。

一貫して堤家の座敷が舞台となっている。堤家は戦災により全焼したため、プロローグとエピローグでは焼け落ちて何もないかつて堤家の座敷だった場所が舞台となる。

第1幕目は、1905年(明治42)の堤家の座敷が舞台である。正月で、堤家の女大黒柱であるしず(銀粉蝶)の誕生祝いが行われている。栄二は赤い櫛をプレゼントし、声楽家志望である次女のふみ(大和田美帆)は「アニー・ローリー」の歌唱を贈り物とする。そんな堤家に、布引けい(大竹しのぶ)がふらりと彷徨い込む。早くに両親を亡くし、育てて貰った叔母からも追い出されたけいは行く当てがなかった。そして旅順陥落の提灯行列を見るために開けてあった堤家の門から入ったのだった。

幼い少女が、中国相手の商売で一財産儲けた堤家の事実上の女主に成長していく過程を描いた作品であり、政治に興味があり、商才に長けるなどこれまでとは違った女性像を打ち出している。だがラストで、どんでん返しではないがそれ以上にインパクトのある転換がけいの口から語られる。森本の迸るような文才が結実した見事にして新鮮なラストである。

第1幕では、堤家の跡取りである長男の伸太郎(段田安則)と次男の栄二(高橋克実)はまだ若くて堤家の舵取りは出来ないという設定であり、段田安則も高橋克実も学生服を着て登場する。有料パンフレットに段田安則も二人の学生姿について「ご笑納ください」と書いており、確かに違和感があるが、「そういうものだ」と思えば違和感があってもなんとかはなる。大竹しのぶも第1幕では少女を演じるが、声や仕草を変えることで、お得意の「化ける」演技を披露。観る者を納得させた。

西尾まり、大和田美帆、森田涼花の若手女優3人も(西尾まりは私と同い年なので、若手のイメージはあっても実際には中堅女優であるが)可憐で、舞台に華やかさを振りまいていた。

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2022年11月17日 (木)

コンサートの記(813) オペラ「石見銀山」石見銀山世界遺産登録15周年記念関西公演@京都劇場

2022年11月2日 京都劇場にて

午後6時30分から、京都劇場でオペラ「石見銀山」石見銀山世界遺産登録15周年記念関西公演を観る。

オペラ「石見銀山」は、石見銀山の世界遺産登録10周年と石見銀山のある島根県大田(おおだ)市の地方創生として2017年に制作されたもので、オペラユニット「THE LEGEND」が中心になり、THE LEGENDの吉田知明が、石見神楽の団体である大屋神楽社中の安立均がまとめた神楽の演目「石見銀山 於紅谷」を原作に脚本を書き、演出も行う。作曲は、デュオ「鍵盤男子」(現在はソロユニットとなっているようである)のメンバーでもある中村匡宏(くにひろ)が手掛けている。
中村匡宏は、ウィーン国立音楽大学大学院作曲科最終試験で最上位を獲得。国立音楽大学と同大学院で共に首席を獲得し、博士後期課程の博士号を取得している。
中村は指揮と音楽監督も兼任している。

出演は、柿迫秀(かきざこ・あきら。島根県大田市出身)、菅原浩史(すがわら・ひろし)、吉田知明、坂井田真実子、志村糧一(しむら・りょういち)、内田智一、松浦麗。ゲストピアニストは西尾周祐(にしお・しゅうすけ)。石見神楽上演は大屋神楽社中。合唱はオペラ「石見神楽」合唱団(一般公募による合唱団)。

有料パンフレットに東京公演での模様を撮影した写真が掲載されており、オーケストラピットにオーケストラ(東京室内管弦楽団)が入っているのが確認出来るが、京都公演ではオーケストラはなしで、当然ながらカーテンコールでも紹介されなかった。音色からいってシンセサイザーが用いられているのが分かるが、どのように音が出されていたのかは不明である。

石見銀山に伝わる於紅孫右衛門事件という史実が題材となっており、石見銀山で働く男女の悲劇が描かれる。

第1幕から第4幕まであるが、第1幕から第3幕までが通しで上演。休憩を挟んで石見神楽が本格的に登場する第4幕が上演された。

ストーリー的には良くも悪くも素人っぽい感じだったが、中村匡宏の音楽は明快にして才気に溢れており、今後オペラ作曲科としてさ更なる活躍が期待される。

第1幕は、1526年(大永6)に博多の大商人であった神屋寿禎(演じるのは柿迫秀)が石見銀山の主峰、仙ノ山を発見することに始まる。第2幕と第3幕は、石見銀山の間歩(まぶ。坑道のこと)頭である於紅孫右衛門(吉田知明)と、やはり間歩頭である吉田与三右衛門、そして与三右衛門の妻であるお高(坂井田真実子)、与三右衛門の弟である吉田藤左衛門(内田智一)の話が主になる。「銀よりも皆が無事であることが大事」と説き、仕事仲間からの人望もある孫右衛門に、与三右衛門は嫉妬。更に妻であるお高と孫右衛門が懇意になったことから嫉妬は更に加速していく。与三右衛門は妻のお高に暴力を振るっているが、心の底ではお高を強く愛しており、両親の命を奪った銀山からお高を救いたいと願っている。ただ愛情が強すぎて妻にきつく当たってしまうようだ。
第4幕では神屋寿禎が再度登場し、鬼女(龍蛇。演じるのは松浦麗)が登場して、石見神楽が演じられる中、緊迫感が増していく。

京都劇場は、元々はシアター1200として建てられ、音響設計がしっかりされている訳ではないと思われるが、劇団四季が一時常打ち小屋として使っていたこともあり、音響はまずまずのはずなのだが、やはりオペラをやるには空間が狭すぎるようである。PAを使っての上演だったが、声が響きすぎて壁がビリビリとした音を延々と発する場面も結構多かった。
またオペラは生のオーケストラで聴きたい。

今後この作品がオペラの定番としてレパートリー化されるのは、島根以外ではあるいは難しいかも知れないが、地方創生としておらが街のオペラを創作するというのは素晴らしい試みであると感じられた。

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2022年11月 4日 (金)

コンサートの記(811) 新国立劇場 高校生のためのオペラ鑑賞教室2022@ロームシアター京都 プッチーニ 歌劇「蝶々夫人」

2022年10月27日 左京区岡崎のロームシアター京都メインホールにて

午後1時から、左京区岡崎のロームシアター京都メインホールで、プッチーニの歌劇「蝶々夫人」を観る。東京・初台にある新国立劇場の高校生のためのオペラ鑑賞教室2022として開催されるもので、例年は当日券のみか、以前にモーツァルトの歌劇「魔笛」が開催された時には4階席のみ一般席として発売されたが、今回は1階席の後方が一般席として前売りが行われ、廉価でオペラを楽しめることになった。

指揮は京都出身の阪哲朗。演出は栗山民也。出演は、木下美穂子(蝶々夫人)、村上公太(ピンカートン)、近藤圭(シャープレス)、但馬由香(スズキ)、糸賀修平(ゴロー)、畠山茂(ボンゾ)、瀧進一郎(神官)、高橋正尚(ヤマドリ)、佐藤路子(ケート)、保坂真悟(ヤクシデ)、照屋睦(書記官)、藤永和望(母親)、塚村紫(叔母)、肥沼諒子(いとこ)。演奏は京都市交響楽団、合唱は新国立劇場合唱団。

舞台正面の壁の上方に長方形の開かれた窓のような空間が開けられており、そこから下手側にスロープ上の緩やかな階段が降りている。窓のような空間の下には八畳間ぐらいのスペースが設けられており、ここが蝶々さんの家の居間ということになる。

開かれた窓のような空間には星条旗がはためいている。常にあるという訳ではないが、要所要所で現れ、第2幕第2場では蝶々さんが星条旗と並ぶシーンがある。おそらく蝶々さんの見知らぬ国への憧れとそこでのピンカートン夫人としての生活の夢を表しているのだと思われる。第1幕終盤でのピンカートンと二人の場面で蝶々さんは「星」について歌っているが、今回の演出ではその「星」も夜空に瞬くリアルなものではなく星条旗にデザインされた星のことと受け取ることが可能なように思えてくる。


海外の歌劇場での音楽監督としての活動も長かった阪哲朗。彼らしいシャープで生き生きとした音楽を生み出す。京都市交響楽団は、ピットでの演奏ということで音が濁る場面もあったが、力強くも美しい音を奏で、日本で聴けるオペラの演奏としては最上の一つと思われる上質の響きを生み出していた。
ロームシアター京都メインホールの1階でオペラを聴くのは初めてだが、潤いと迫力を合わせ持った音が届き、やはりこの会場はオーケストラがピットに入った時に最も良い響きを生むことが分かる。プロセニアムの形もあるいはオーケストラがピットに入った時に音を前に飛ばす設計なのかも知れない。

登場人物が上の開いた窓のような空間から下に降りてくるということで、理想的な場所から修羅場に向かってくるようにも見えるのだが、おそらくそこまでは想定していないであろう。ただ星条旗のはためく空間は理想と希望を表しているようにも見える。一方で星条旗は帝国主義と植民地主義の象徴でもあり、蝶々さんを苛むことにもなる。見方によっては、あるいは場合によっては希望と絶望は表裏一体になり得る。

初演が大失敗に終わったことでも知られる「蝶々夫人」。だがその際は、ピンカートンの性格が帝国主義と植民地主義の権化のようなものだったそうで、その場合はピンカートンと蝶々さんのロマンスが全く生きなくなったであろうことは想像に難くない。ということでピンカートンを色男にしたことで再演は成功したとされている。ちなみにピンカートンというのは「出来の悪い海兵」を表すスラングだそうで、初演時の人物設定が今以上に悪かったことが窺える。

タイトルロールを歌う木下美穂子は細やかな歌唱と心理描写が印象的。実力をいかんなく示す。シャープレスを歌う近藤圭も想像以上に貫禄があり、アメリカの駐日領事官としての重さを演技で表していた。

栗山民也は自害した蝶々さんを息子が見つけて呆然とする(あるいは何が起こっているのか分かっていないのかも知れないが)場面を最後に持ってくることで、この物語と植民地主義とピンカートンの残酷さを描き出していた。

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2022年9月 1日 (木)

観劇感想精選(444) 「能楽チャリティ公演~祈りよとどけ、京都より~」2022 第2部

2022年7月25日 左京区岡崎のロームシアター京都サウスホールにて

午後6時から、左京区岡崎のロームシアター京都サウスホールで、「能楽チャリティ公演~祈りよとどけ、京都より~」第2部を観る。午前10時半から第1部の公演があり、少し開けて第2部の公演が行われる。

第2部の演目は、「右近」、狂言「舎弟」、「鞍馬天狗」

女性能楽師の松井美樹によるナビゲーションがあり、公演の趣旨や演目のあらすじが紹介される。同じ内容を白人の男性通訳が海外からのお客さんのために英語に訳した。


「右近」。半能として後半のみの上演である。出演は、吉田篤史、有松遼一。
北野天満宮の右近の馬場が舞台であり、鹿島神宮の神職が在原業平の歌を口ずさむと、桜場の女神(じょしん)が感応して舞を始めるという内容である。
長い袖を腕に絡ませながらの舞であるが、その瞬間に桜の花が咲いて散る様が見えるような、桜そのものの舞となる。おそらく意識しているのだと思われるが、凄いアイデアである。


狂言「舎弟」。出演は、茂山千之丞、鈴木実、網谷正美。
この辺りの者(シテ。茂山千之丞)には兄がいるのだが、名前ではなくいつも「舎弟、舎弟」と呼ばれている。シテの男は「舎弟」の意味が分からないので、ものをよく知っている知り合い(鈴木実)に「舎弟」の意味を聞きに行く。いい年なのに「舎弟」という言葉も意味も知らないということで知り合いは呆れ、「舎弟るといって、人のものを袖に入れて持ち去る」いわゆる盗人だと嘘を教える。シテの男は信じ込んで激怒。兄の正美のところへ文句を言いにやってくる。

いつのまにか「舎弟る」という言葉が一人歩きし、二人で「舎弟る」の話になって別の喧嘩が始まるのが面白い。


「鞍馬天狗」。通常とは異なり、白頭の装束での上演となったが、膨張色ということもあり、鞍馬の大天狗が大きく見えて効果的であった。出演は、原大、茂山逸平、島田洋海、松本薫、井口竜也。
鞍馬寺にはその昔、東谷と西谷があり(東谷って嫌な言葉だなあ)、一年おきに片方の僧侶が相手の所に出向いて花見を行い、それを当地の僧侶がもてなすという習慣があった。そんな折り、東谷を訪れた山伏。正体は鞍馬の大天狗(「義経記」などの鬼一方眼に相当)である。稚児達が遊んでいるが、皆、山伏が来たのを見て帰ってしまう。その中で一人、残った稚児がいる。この子こそ後に源九郎判官義経となり日本一の戦上手として名をはせる人物であるが、「帰ったのはみな平家の稚児、それも平清盛に近い稚児で、自分だけ彼らとは立場が異なる」と語る。それを見た山伏は、兵法の奥義を後に義経となる牛若丸、大天狗の名付けによると遮那王に授けることに決める。

能の演目であるが、狂言方による笑えるシーンなどもあり、大天狗の舞も見事で、能のもう一つの魅力であるダイナミズムが前面に出た演目となった。とにかく迫力がある。

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2022年8月20日 (土)

観劇感想精選(443) 学生演劇企画「ガクウチ」 in E9「そよそよ族の叛乱」

2022年8月13日 東九条のTHEATRE E9 KYOTOにて観劇

午後7時から、THEATRE E9 KYOTOで、学生演劇企画「ガクウチ-学徒集えよ、打とうぜ芝居-」in E9「そよそよ族の叛乱」を観る。作:別役実、演出:小倉杏水。
京都や大阪の学生劇団14団体から36人の学生が集い、上演を行う企画。参加団体(50音順)は、演劇企画モザイク(同志社大学)、演劇集団Q(同志社大学)、演劇集団ペトリの聲(同志社大学)、演劇実験場下鴨劇場(京都府立大学)、劇団ACT(京都産業大学)、劇団明日の鳥(京都府立医科大学)、劇団月光斜(立命館大学)、劇団ケッペキ(京都大学)、劇団蒲団座(大谷大学)、劇団万絵巻(関西大学)、劇団〈未定〉(京都女子大学)、劇団愉快犯(京都大学)、劇団立命館芸術劇場、第三劇場(同志社大学)。「別役実メモリアル」参加作品である。

探偵と科学博物館に勤める女の二人が主人公となっている。サミュエル・ベケットの「ゴドーを待ちながら」を想起させるシーンがあるが、おそらく意図的に取り入れているのであろう。

午後2時33分、遺体が発見される。通報を受けた探偵は現場に駆けつける。女性の遺体であった。外傷は全くない。探偵と遺体に興味を持つ女が一人。科学博物館の地下にある鯨の骨の監視を職業としているのだが、鯨の骨を見に来る客は1ヶ月に1人程度の閑職である。

探偵と女は遺体の身長と体重を量る。身長165.5cm、体重39.8kg。かなりの痩身であり、女は「餓死したのではないか」と推理する。ちなみに身長165.5cmの女性は「大女」だそうだが、今でも高めで「スタイルが良い」と言われがちな身長ではあるが、現在では170cm以上ないと「大女」(という言葉自体今では使われないかも知れないが)とは呼ばれないだろう。時の流れを感じる。

今では餓死者が出た場合、「異例」とは見なされるだろうが、餓死する人がいるのかどうかは発表されないし、人々は「日本には餓死する者など今はいない」という前提で生きている。いるのかも知れないが見ないし知らないようにしている。それが現代の日本社会である。一方でアフリカなどには餓死者がいるのはよく知られており、「前提」ではある。だが、募金などはするかも知れないが我がこととして実感する日本人は少ないだろう。そうした社会に対して、別役は切り込んでいく。
「社会」の人々、個人個人は善良な人々である。それはこの劇でも描かれている。だがそれが全体となった時に「無関心」「事なかれ主義」といった目の曇りが生まれてしまう。

そよそよ族というのは、劇中では古代にいた失語症の民族と定義されているが、一方で、餓死者の痛みや「助けを呼べない心理」などを敏感に察知する人のことでもある。死体処理係の男は、餓死者が出たことの責任が自分にあるように感じ、「自首する」と言い出す。「誰かの分を自分が食べてしまった」とも語るのだが、この戯曲が書かれた1971年時点で日本は「飽食の時代」を迎えており、食料が足りているのみならず大量の残飯が社会問題になっていた。一方ではアフリカなどでは食べるものがなく餓死者が普通に出ている。そうしたことの痛みと責任を我がことのように受け取ることが出来るのが「そよそよ族」と呼ばれる人々である。飢えを訴えたとしても意味はない、餓死することでしか問題を提起することが出来ない。そうした現状を別役は「そよそよ族の叛乱」として訴えてみせるのである。

劇中で「そよそよ族」は自身の罪を訴えることしか出来ない。太宰治の言葉の逆を言うようだが、今の時代は「犠牲者」であることは必ずしも尊いことではないのかも知れない。だが「犠牲者」でなければ「自罰的」であらねば伝わらないものごとは確実にある。今現在の世界的状況に照らし合わせても意味のある、痛切なメッセージを持った本と上演であった。

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2022年8月14日 (日)

観劇感想精選(442) 「観世青年研究能」 令和4年8月6日

2020年8月6日 左京区岡崎の京都観世会館にて

左京区岡崎の京都観世会館で、「観世青年研究能」を観る。午前11時開演。能楽観世流若手による上演だが、時節柄体調不良の者が多く、出演者にかなりの変更がある。

演目は、「田村」、大蔵流狂言「太刀奪」、「杜若」、「鵺」

先日、上七軒文庫のシラス講座「能と唯識」で取り上げられた「鵺」が上演されるということで、講師で観世流シテ方の松井美樹が宣伝していた公演である。今日は本来なら出勤日なのだが、手掛けている仕事も一段落ということで、休みを取って観に行くことにしたのだ。同じ講座を受講している人と会えるかなとも思ったのだが、残念ながら観に行ったのは私一人だけだったようである(松井美樹は地謡として「鵺」に出演していた)。

謡本は、Kindleで買ったものをスマホにダウンロードしており、昨日、一通り読んで来たのだが、いざ本番となると、肝心要のセリフが聞き取れなかったりする。「聞き取れない部分の面白さ」も能にはあるわけだが、なるべくなら謡も聞き取れた方がいい。ということで、売店でミニサイズの謡本「杜若」と「鵺」を購入。不思議なもので本を読んでいると謡も「そう言っているようにしか聞こえない」ようになる。周りを見ると、謡本を手に能を観ている人も結構多い。


謡本を購入する前に観た「田村」。この作品は、YouTubeなどで何度か観たことがあり、あらすじも分かっているのだが、次回は謡本を手に観た方が良さそうである。
「田村」というのは、征夷大将軍・坂上田村麻呂(劇中では田村丸)のことである。
ワキの僧侶は、東国出身で都(京都。平安京)を見たことがないというので、上洛してまず清水寺(「せいすいじ」「きよみずでら」の両方で読まれる)に詣で、そこで地主権現(現在の地主神社)の桜の精(前シテ)と坂上田村丸の霊(後ジテ)に出会うという物語である。「杜若」に出てくる僧侶が京の生まれで東国を見たことがないというので東下りするのと丁度真逆の設定となっている。
出演:谷弘之助(前シテ、後ジテ)、岡充(ワキ。旅僧)、島田洋海(アイ。清水寺門前ノ者)。

坂上田村麻呂と縁の深い清水寺。この演目ではその由来が語られる。懸造りの舞台が有名な清水寺であるが、勿論そればかりではない。音羽の滝の清水や、地主神社、十一面観音などの来歴がシテや地謡によって語られていく。


狂言「太刀奪」。野村万作、野村萬斎、野村裕基の親子三代による和泉流狂言も観ているが、大蔵流は設定からして和泉流とは異なる。

和泉流では太郎冠者がすっぱに太刀を奪われるのであるが、大蔵流では太郎冠者が北野天満宮通いの男の太刀をすっぱよろしく奪おうとするという真逆の設定になっている。
出演:山本善之(太郎冠者)、茂山忠三郎(主人)、山口耕道(道通の者)。

和泉流でも大蔵流でも霊験あらたかな寺社に詣でるのは一緒だが、和泉流の鞍馬寺に対して大蔵流は北野天満宮となっている。どちらも京都の北の方にある寺社ということだけ共通している。


「杜若」。三河の八つ橋の在原業平伝説にちなみ演目である。出演:河村晴道(代役。シテ。杜若ノ精)、有松遼一(ワキ。旅僧)。
当代一の色男にして色好み(三河は「実は三人の女」、八つ橋も「実は八人の女」説があるようだ)、加えて天才歌人と見なされた才能。だがそれ故にか嫉妬され、出世を阻まれ東下り(実際にはそれなりに出世しており、東下りも伝説に留まる)と不遇の貴公子のイメージも強い業平であるが、この演目では、業平の霊と共に業平の愛人である高子后の霊、杜若の霊が一体となって舞う場面がある。
「田村」での田村丸の舞、「鵺」での鵺の前も勇壮であり、気が飛んでくるような迫力があるが、この「杜若」での舞はそれとは真逆の静寂でたおやかなものである。「色ばかりこそ昔なれ」という謡の前に置かれていることから、それは「単なる時の経過」を表していると見ることも出来るのだが、その発想が尋常ではない。「時の過ぎゆく様を舞で表したい」とは普通は着想も実現も出来ない。しかしこの「杜若」での舞は、そうした様子が悲しいほど切実に伝わってきた。時が過ぎゆくほど残酷なことはない。そしてこの杜若の舞が、「草木国土悉皆成佛」へと繋がっていくのである。


「鵺」。以前に春秋座の「能と狂言」公演で観たことのある演目である。世阿弥の作といわれている。出演:寺澤拓海(シテ)、原陸(ワキ。旅僧)、増田浩紀(アイ。里人)。

頭は猿、尾は蛇、手足は虎、胴体は狸に似ているというキメーラの鵺。鳴き声が鵺という鳥(トラツグミ)に似ているので鵺と名付けられた怪物である。近衛天皇の御代(この時の近衛天皇は今でいう中学生と同い年ぐらい。その後、わずか17歳で崩御している)、東三条の空に黒雲が宿り、やがて御所へと押し寄せて近衛天皇を気絶させるほどに苛むものがあった。その正体が鵺である。三位頼政、源三位頼政として知られる源頼政がこの鵺を弓矢で射て退治することになる。

鵺退治の褒美として頼政は宇治の大臣(悪左府の名で知られる左大臣藤原頼長)の手を通して獅子王という剣を拝領するのだが、その時にホトトギスが鳴いたので、頼長は、「ほととぎす名をも雲居に揚げるかな」と上の句を詠み、頼政が「弓張月のいるにまかせて」と下の句を即興で継いだという下りが出てくる。三位頼政も悪左府頼長も平安時代末期の人であり、室町時代初期の人である世阿弥は彼らの最期がどうなったかを当然ながら知っている。それを考えた場合、鵺の最期も悲惨であろうと想像することは必然でもある。

鵺の悪とは、天皇を苛んだことであるが、それ以上に大きななにかがありそうである。だがそれは劇中では明らかにされない。なぜ鵺として現れたのか、なぜ天皇を苛んだのかいずれも謎である。

春秋座で「鵺」を観た時には、渡邊守章が「鵺=秦河勝説」を唱えていたが、世阿弥自身も秦河勝の末裔を名乗っており、秦河勝は能楽(猿楽)の祖ともいわれている。
最晩年に赤穂・坂越に流罪になったともいわれる秦河勝は、キメーラである摩多羅神と同一視されてもいるという。
「鵺」は世阿弥の最晩年に書かれた作品とされている。世阿弥の心に何か去来するものがあったのであろうか。

午前11時に開演して、終演は午後4時近く。約5時間の長丁場であった。

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