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2026年1月31日 (土)

観劇感想精選(508) キムラ緑子主演「わがうたブギウギ 笠置シヅ子物語」

2026年1月25日 京都四條南座にて観劇

午後3時30分から、京都四條南座で、キムラ緑子主演舞台「わが歌ブギウギ 笠置シヅ子物語」を観る。1994年初演の音楽劇。
主演:キムラ緑子。出演は、林翔太、曾我廼家寛太郎(そがのや・かんたろう)、賀集利樹、惣田紗莉渚(そうだ・さりな)、一色采子、桜花昇ぼる(おうか・のぼる)、松村雄基ほか。アンサンブルキャストを含めるとかなり多くの人が出演する。
作は小野田勇。補綴/演出は「現代の戯作者」こと齋藤雅文。音楽:服部隆之。
「ブギの女王」として一世を風靡しながら、42歳の若さで歌手を引退し、以後はおばちゃん役を得意とした女優として活躍、70歳で他界した笠置シヅ子の歌手時代の物語である。笠置シヅ子は、歌手時代には笠置シズ子の表記を用いており、女優に転身してから表記が笠置シヅ子に変わったとされるが、歌手時代に女優として出演した映画でもクレジットが「笠置シヅ子」になっているものがあり、歌手「笠置シズ子」、女優「笠置シヅ子」だったのかも知れない。

キムラ緑子は、同志社女子大学出身で、学生時代にお隣の同志社大学の演劇サークル第三劇場でマキノノゾミが演出するつかこうへい作品を観て参加。マキノとは結婚と離婚を繰り返している。
卒業後は、生まれ故郷の淡路島に帰って塾講師を務めるが、マキノに誘われ、マキノが主宰する劇団M.O.P.に参加。つかこうへい作品を上演していたが、マキノが作・演出を手掛けるようになってからは関西を代表する憑依型女優として名声を上げる。劇団M.O.P.が大阪、東京と本拠地を変えるごとに移住。映像作品にも出演するようになるが、全国区になるのは比較的遅く、朝ドラで意地悪な役や怖い役を演じて話題になってからである。舞台では、世間知らずなお嬢さんから性格のねじれた老婆まで幅広く演じ分け、才能を発揮している。

ただ今回はキムラ緑子を前面に出すためか、声など細部を除いては演じる年齢による演じ分けは行っていない。第1幕と第2幕からなる商業演劇であるが、カーテンコールでの声からいって、第2部が素のキムラ緑子の声で、第1部が若い声だったようだ。かなり違う。

NHK連続テレビ小説「ブギウギ」(主演:趣里)で、笠置シヅ子をモデルにした人物がヒロインとなり、笠置シヅ子の自伝や、シヅ子の師である服部良一の自伝などが久しぶりに再発売されているが、その間、研究はほとんど行われていなかったようである。笠置シヅ子も比較的謎の多い人物で、歌手引退と同時に歌を一切歌わなくなった、鼻歌すらも歌わなかったことが、一人娘の亀井ヱイ子氏の証言で分かっている。かなり頑なである。歌手引退の理由も曖昧だが、後年になって笠置シヅ子本人が、「太ってきたから」と理由を明かしている。笠置シヅ子の歌は、歌声だけでなくパフォーマンス(振付はほとんど自分で考えている)も併せて初めて一つの作品となるものだった。太ってしまっては踊れない。そして、笠置シヅ子が生きたのは日本人の平均寿命が今より短く、老けるのも早い時代だった。

 

黒澤明の作詞であり、黒澤映画「酔いどれ天使」でも使用された「ジャングル・ブギー」でスタート。キムラ緑子演じる笠置シヅ子が歌い踊り、それを多くのダンサーが盛り上げる。

話はシヅ子の若い日に戻る。少女時代のシヅ子(本名:亀井靜子。合田くるみが演じている)は、宝塚歌劇団を受けるも不合格。少女歌劇への夢を諦めきれないシヅ子は、今の大阪松竹座内にあった大阪松竹楽劇部(のちに大阪松竹少女歌劇団に改称)を訪れ、強引に入れて欲しいと頼む。二村定一の「アラビヤの唄」なども歌い上げる。生徒募集をしていなかった大阪松竹楽劇部も根負けして入団を認める。実際のシヅ子はもっとしつこかったそうで、毎日毎日「入れてくれ」と頼みに来たそうだ。
三笠シズ子の芸名で座員となるが、三笠宮が創設されたため、「畏れ多い」として笠置シズ子に改名させられている。
今回の劇では、服部良一(松村雄基)が大阪松竹少女歌劇団に在籍しているという設定(実際に二人が会うのは東京において)。 ピアニストとしてシヅ子たちにレッスンを付けるのは小暮五郎(賀集利樹)の役目であるが、小暮は若い頃から酒をたしなんでおり、その後、酒の飲み過ぎでピアノが弾けず、零落した姿でシヅ子の前に現れることになる。

大阪で歌声が評判になったシヅ子(大阪松竹少女歌劇団の後継団体であるOSK日本歌劇団で今も歌い継がれている「桜咲く国」などを歌う)に、東京の帝国劇場を舞台として組織される松竹楽劇団(SGD)に加わらないかという話が舞い込む。音楽監督は服部良一(史実でシヅ子と服部が出会ったのはこの時)。シヅ子は、男役のダンサーであるユリー五十鈴(桜花昇ぼる)と共に上京する。なおOSK日本歌劇団出身の桜花昇ぼるは、大阪の近鉄劇場で行われた「ブギウギ講談」では、歌唱担当として、笠置シヅ子とは名乗らなかったものの、実質、笠置シヅ子役で出演している。ユリー五十鈴は、体力では男性に敵わないことを感じ、男役の存在意義に悩むようになって、やがて芸能界から退き、五十鈴百合として女の人生を歩むことになる。
第1弾シングルとしてリリースされたのが、「ラッパと娘」である。朝ドラ「ブギウギ」でも「ラッパと娘」は「東京ブギウギ」以上に重要な曲となっていたが、この曲のメロディーは明らかに常道を外れており、服部良一の「音楽の殻を破ってやる」という意気込みが伝わってくる。実際に難しい楽曲で、本物の笠置シヅ子は、それまでこの手の激しいジャズは聴いたことがなかったはずなので、歌いこなすのにかなり苦労したことが察せられる。服部のレッスンは厳しいもので、夢中になると時間を忘れ、何時間もぶっ続けで進み、シヅ子は食事をすることも出来ず泣いたこともあるようだ。
笠置シヅ子の歌は、いわゆる「上手さ」ではそれほどでもない。あらゆる作品や書籍でも「歌が飛び抜けて上手い」という記述はない。そもそも音程には余り気をつかっていない。だが、黒人のジャズシンガーを思わせるソウルフルな歌声は、他に挙げる人物が見当たらないほど力強く、特にステージで聴く者を圧倒したことが証言から伝わってくる。

実は、終盤にシヅ子が歌った曲のメドレーが待ち構えている。

やがて戦時色が濃くなり、アメリカの影響を受けた歌を持ち歌としていたシヅ子は警察のターゲットとされて、「囲まれた線から出ずに歌え」と強要され、やがて「東京で歌ってはならない」という命令が下る。シヅ子は五郎をバンマスとした「笠置シズ子とその楽団」を結成し、地方巡業に活路を見出した。そんな中、シヅ子は一人の若い青年と出会う。早稲田大学に通う花森英介(林翔太)。花森興業創業家の一人息子である。花森英介は吉本興業の御曹司である吉本穎右(えいすけ。漢字も読みも難しいので、「エイスケ」とカタカナ表記にすることが多かった)をモデルとしているが、実際の吉本穎右はシヅ子の大ファンで追っかけをしており、出会ったのも偶然ではなかった。年が離れていたので恋人にはならないと思っていたシヅ子だが、英介の熱心さに惚れ、結婚を誓う。

シヅ子と英介が自己紹介をするシーン。シヅ子のパートは長台詞の上、状況説明が次々に変わり、体の動きも伴うため、キムラ緑子が軽々演じているのでそう見えないだけで、かなりの高難度である。

シヅ子の追っかけをしている人がもう一人。生駒芙美子(惣田紗莉渚)である。松竹少女歌劇団に押しかけて、榎本健一などの歌唱で知られる「私の青空」を歌って入団。シヅ子が東京に移ると、やはり追いかけてSGDのレビューガールに。しかし、自身の才能に見切りを付け、シヅ子の付き人となる。

日本はアメリカに敗れ、終戦となる。東京に戻ったシヅ子は有楽町の日本劇場(今は跡地に有楽町マリオンが建つ)で「ハイライト」公演に出演。中国に行っていた服部良一が、東京に戻った時に日劇の「ハイライト」公演の看板を目にし、吉祥寺の自宅に戻る前に日劇の笠置シヅ子の楽屋を訪れる。

服部は、シヅ子が主演する「ジャズ・カルメン」を企画。しかし、シヅ子は英介との愛の結晶である子を宿していた。妊娠しながら歌うのは難しいと、百合に反対されたシヅ子だったが、出演を強行。「ジャズ・カルメン」は大好評を得る。

だが英介は結核に冒されており、死んだ(史実では肺炎とされる)。「ジャズ・カルメン」を観る予定だったが、東京に来ることも出来なかった。数日後、シヅ子は女の子を産む。シヅ子は娘をヱイ子と名付けた。

服部は、「リンゴの唄」に続く復興ソングをシヅ子に歌わせようと考える、ある日、中央線の電車の中で、吊革が揺れているのを見た服部は、リズムと旋律が脳裏に閃く。史実では、服部は次の駅で降りて、すぐそばの喫茶店に駆け込み、紙ナプキンに五線譜と音符を書き込むのだが、舞台上ではそれは出来ない。満員の車内の乗客の揺れをアンサンブルキャストがダンスで表現し、服部が揺れの中で閃いて、手元の紙に五線譜と音符を書き込む。

こうして代表曲、「東京ブギウギ」が完成、裏手から実際に笠置シヅ子が着ていたドレスを模したものに身を包んだキムラ緑子とダンサーが登場し、「東京ブギウギ」が歌われる。最後の掛け声が「ヤー!」であることから、1947年に笠置が出演した映画「春の饗宴」を参考にしていることが分かる。実は、「東京ブギウギ」はかなりの難曲である。独特のリズムに乗り続けたまま歌うのはかなり難しい。キムラ緑子も、第2番の冒頭で少し遅れたが、乗り直した。ダンスも笠置のオリジナルと同じもの。全体を使った踊りなので、かなり体に来る。還暦を過ぎているキムラ緑子は、「東京ブギウギ」の終盤でバテているように見えたが、ここから地獄の「ブギウギメドレー」が始まる。要所要所を歌うだけだが、かなり疲れるはずである。「ブギウギメドレー」の曲目は、「買物ブギー」「ホームラン・ブギ」「大阪ブギウギ」「セコハン娘」「アロハ・ブギ」「センチメンタル・ダイナ」「ヘイヘイブギー」「東京ブギウギ」。ブギでないものも含まれる。

かくてシヅ子は、「ブギの女王」の名声を得る。

一方、シヅ子は、ラク町(有楽町のこと)のお葉(一色采子)らパンパンと交流を持つようになる。
お葉がいる喫茶店ドリームに一人の男。そこに笠置シヅ子が現れる。シヅ子は男が五郎だとすぐに気付く。五郎はピアノが弾けなくなり、生活に困っていた。シヅ子は五郎に禁酒を命じる。「禁酒は無理」だと思っていた五郎だが、持ち直し、ピアニストとして再出発出来るようになった。やがて芙美子と結婚する。

 

時が流れた。ブギの全盛期に、シヅ子は淡谷のり子と雑誌上で対談している。淡谷のり子が、「シャンソンは長く歌い継がれているけど、ブギは一過性で終わる」と断言しているのに対してシヅ子は、「ブギは長く歌い継がれていくと思います」と述べていた。だが、ブギの時代は短かった。ブギの全盛期には絶賛していた評論家が、手のひらを返して酷評の記事を書く。
そんな中、NHKでの公開録音に臨んだシヅ子だったが、「東京ブギウギ」の途中で歌唱を打ち切る(史実ではないようである)。もう高音が出ない。「もっと低い音程の歌をうたえば良い」と言ってくれる人もいた。だがシヅ子は歌手人生の終焉を感じる。「思うように歌えなくなったら歌手ではない」。服部は「それでこそプロの歌手の去り方だ」と称賛するのだった(実際は、服部は激怒したようである。服部はシヅ子に歌わせるために多くの歌を書いてきた。シヅ子がいなくなったら、思うような歌が書けなくなってしまう。しかしシヅ子は女優へと転身し、服部の最盛期も同時に終わることになる)。
華やかさの後の寂しさが身に染みる。
戦後を照らした太陽のような女性が、天岩戸へと帰っていく。天鈿女命(アメノウズメノミコト)がどんなに頑張っても意味はない。天鈿女命もまた彼女だったのだから。

 

今回の上演は、東京の三越劇場での上演を経て、京都四條南座での上演となっている。本来なら、笠置シヅ子、服部良一、吉本穎右全てと関わりのある大阪での上演が適当だったのかも知れないが、キムラ緑子が京都ゆかりの女優であることと、毎年のように南座で上演を行っていることから、南座が選ばれたのだと思われる。

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2025年12月23日 (火)

観劇感想精選(505) 松竹創業百三十周年 京の年中行事 當る午歳「吉例顔見世興行 東西合同大歌舞伎」尾上菊之助改め八代目尾上菊五郎襲名披露 尾上丑之助改め六代目尾上菊之助襲名披露 夜の部

2025年12月8日 京都四條南座にて

午後4時30分から、京都四條南座で、松竹創業百三十周年 京の年中行事 當る午歳「吉例顔見世興行 東西合同大歌舞伎」尾上菊之助改め八代目尾上菊五郎襲名披露 尾上丑之助改め六代目尾上菊之助襲名披露 夜の部を観る。
例年とは異なり、ポスターには演目が書いてあるだけ、番付も菊五郎と菊之助の屋号である音羽屋の由来となった音羽山清水寺の本堂(清水の舞台)をリアルなタッチで描いた田渕俊夫の「京洛心象 冬詩」が表紙絵となっている。

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演目は、「寿曽我対面(ことぶきそがのたいめん)」、「口上」、「弁天娘女男白浪(べんてんむすめめおのしらなみ)」より“浜松屋見世先の場”と“稲瀬川勢揃いの場”、「三人形(みつにんぎょう)」

尾上菊之助に当てて書かれた弁天小僧菊之助が登場する白浪ものが入っているのが特徴である。

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尾上菊五郎であるが、歌舞伎小屋で見た記憶がないので、芸を生で見るのは初めてかも知れない。連続テレビ小説「カムカムエヴリバディ」に登場する条映(東映京都撮影所がモデル)の時代劇スター、桃山剣之介の先代と当代を一人二役(キャラクターも芸も親子でそっくりなので二役に当たるのかは不明だが)で演じていたことが記憶に新しい。

新しい尾上菊之助は、まだ12歳。小学6年生で名跡を受け継ぐこととなった。

不思議なもので、歌舞伎役者は若い頃に苦労した方が伸び、楽しい青春を送った人が悲惨なことになることが多い。四代目市川猿之助などは若い頃に遊び放題、亀治郎から猿之助になってもセクハラし放題(彼はゲイなので相手は男である)で、才能は買われていたが、歌舞伎役者として戻ってくる可能性は極めて低く、市川猿之助という名跡も縁起が悪いのでもう継ぐ人がいない可能性もある。歌舞伎役者だったからかどうかは分からないが、2人殺しているのに執行猶予判決は出ている。
ただ苦労すれば良いというわけでは勿論ない。
市川中車(香川照之)の息子である市川團子も、当初は将来猿之助を継ぐ予定だったようだが(四代目猿之助はゲイなので結婚もしないし子どもも作らないと約束)、猿之助は避けて普通に市川段四郎を継ぐ可能性が高い。團子も明るい青春を送ったようだが(当代の染五郎は青山学院で初等部から高等部まで團子と同学年だったが、勉強が嫌いという理由で中退。團子だけが青山学院大学に進学している)、父親との関係が上手くいっていないという話もある。

かつて、「平成の三之助」と呼ばれた三人(市川新之助、尾上菊之助、尾上辰之助)のうち、菊之助だけが名を変えなかったが、これで平成の三之助も完全に過去のものとなった。市川新之助は海老蔵を経て團十郎を襲名。尾上辰之助はいち早く尾上松緑を名乗ったが、父親を早くに亡くしているため、七代目菊五郎に師事。封建的な歌舞伎の世界にあっては出世は難しいと思われ、大河ドラマ「葵 徳川三代」で徳川家光を演じたのも今後、大役に就くのは難しいからという制作側の配慮があったのかも知れない(尾上松緑本人は以後、映像作品への出演を全て断っている)。

 

「寿曽我対面」。「寿」の字が入っていることから分かるとおり、祝いの時に上演されることが多い演目である。仇討ちものといえばまず曾我兄弟と言われるほど知名度も高い。
工藤祐経(中村梅玉)の館が舞台。工藤氏は、日本の中でも良く知られた苗字で人数も多いが、伊藤氏(伊勢藤原ではなく伊豆藤原の方)、伊東氏(藤から東に変更)と同族である。建築を得意とし、木工頭の称号を得て、伊藤や伊東から工藤に変わる者が多かったようだ。その後、陸奥国(現在の青森県付近)から建築の仕事が多く舞い込んだため、移住する者も多く、現在でも工藤は青森県内最多の苗字となっている。工藤氏や伊豆系伊藤氏や伊東氏は庵木瓜という特徴ある家紋の家が多い。木瓜(もっこう)が建物の中に入っており、建築技術に秀でた一族であることを示している。今回の工藤祐経館も庵木瓜があちこちに貼られている。
祐経が富士の裾野で行われる巻き狩りの総奉行職に任じられたので、多くの大名が祝いのために工藤館を訪れている。この冒頭は、どこかシェイクスピアの「リア王」の冒頭に似ている。小林朝比奈(中村鴈治郎)が、かねてから祐経に会いたいと申し出ている若者が二人いると祐経に上申。祐経は会うことにする。現れたのは実父である河津三郎祐康を工藤に闇討ちされた曽我十郎祐成(片岡孝太郎)と曽我五郎時致(片岡愛之助)の兄弟である。
諸大名が兄弟を「礼儀を知らぬ者」と嘲る中、祐経は二人が河津三郎の息子であると見抜き……。
兄弟ではあるが、性格が少し異なる二人を描いている。松嶋屋の二人による曽我兄弟であるが、昨年は体調不良により顔見世への出演を見合わせた愛之助はまだ調子が戻っていないように見える。
菊之助が、菊若丸という相応しい名で現れ、名刀・友切丸(縁起の悪い名前である)を運んでくる役を演じていた。

 

「口上」。出演は、八代目尾上菊五郎(音羽屋)、六代目尾上菊之助(音羽屋)、片岡仁左衛門(松嶋屋)、中村鴈治郎(成駒家)、片岡愛之助(松嶋屋)、片岡孝太郎(松嶋屋)、中村梅玉(高砂屋)、中村扇雀(成駒家)、片岡進之介(松嶋屋)、松本幸四郎(高麗屋)、中村勘九郎(中村屋)、中村七之助(中村屋)、中村歌六(播磨屋)。

仁左衛門の先導で、それぞれが口上や祝いを述べていく。菊五郎は、初代尾上菊五郎が京都の人であったこと、清水寺の音羽の滝にちなんで音羽屋を名乗ったことなどを述べる。舞台の下手側の斜め端には清水寺の本堂が、上手側の斜め端には音羽の滝が描かれている。
歌舞伎界ということで親戚が多く、また同世代も多いため、学生時代の話なども語られていた。ちなみに菊之助は青山学院出身だが、歌舞伎界には暁星学園出身者も多い。プロテスタントとカトリックの違いはあれど、ミッションスクールが多いのには訳があるのだろうか? ちなみに八打目菊五郎の世代だと青山学院大学の教養課程はまだ厚木キャンパスに置かれていたが、厚木に通っていては歌舞伎の稽古にも出演にも支障があるため、中退もやむなしであろう。市川團子が現在、青山学院大学に通っているが、今は1年から4年まで青山キャンパスに行くことになるので、歌舞伎との両立は可能である。他の大学中退の歌舞伎俳優も学業よりもキャンパスの遠さが理由になった人はいると思われる。
中村鴈治郎は、菊五郎よりも大分年上だが、菊五郎が企画し、蜷川幸雄が演出した「NINAGAWA十二夜」で菊五郎と共演し、ロンドン公演にも連れて行って貰ったことに今でも感謝しているそうである。

 

「弁天娘女男白浪」。河竹黙阿弥の作であり、弁天小僧菊之助は、尾上菊之助に当てて書かれている。「知らざあ言って聞かせやしょう」で始まる歌舞伎史上屈指の有名ゼリフもこの作品のものである。元々のタイトルは「青砥稿紙花紅彩画(あおとぞうしはなのにしきえ)」というものであるが、“浜松屋見世先”と“稲瀬川勢揃い”の抜粋上演をする際は、「弁天娘女男白浪」というタイトルになる。「白浪五人男」という別名でも有名だ。

鎌倉時代の鎌倉が舞台である(ということになっている)。“浜松屋見世先”の場。鎌倉雪の下(鎌倉の中では北の方)にある呉服屋、浜松屋。振袖姿の武家の娘と思われる女(菊五郎)が、若党の四十八(よそはち。中村勘九郎)を伴って浜松屋に入って来る。女は様々な品物を並べるが、番頭の与九郎(市村橘太郎)は女が緋鹿の子の小布を懐に忍ばせるのを見て万引きだと思い、店の者達で店を出ようとした女を引き戻し、番頭は算盤を女の額に打ち付ける。
しかし、女が手にしていたのは山形屋と書かれた別の小布であった。
騒ぎを聞きつけた若旦那の宗之助(中村鷹之資)は、店の者達と共に謝るが、四十八は女の正体が二階堂信濃守(鎌倉の雪の下の隣の地名が実は二階堂なのである。二階建ての本堂を持っていた永福寺〈ようふくじ〉が由来。地名で遊んでいるのが分かる)の家臣、早瀬主水の娘と明かし、濡れ衣を着せられた上に若い娘の額に傷を付けられたとあってはこのままでは帰れぬ、皆の首を取った上で切腹すると言い放つ。
鳶頭清二(坂東巳之助)がことを収めようとするが、上手く行かず、浜松屋の主である幸兵衛(中村歌六)が、十両で話を付けようとするが、四十八は百両を要求する。
そこへ、二階堂信濃守の家臣である玉島逸当(松本幸四郎)が現れ、二階堂信濃守の家中に早瀬主水という者はいないと断言。女は仕方なく自身が弁天小僧菊之助であることを、同じく四十八は南郷力丸であることを明かす。
「知らざあ言って聴かやしょう」のセリフは、音羽屋が本家である。本姓である「寺島」(女優の寺島しのぶは菊五郎の実姉である)が登場し、「菊之助」の名が語られる。以前、片岡愛之助の弁天小僧菊之助で同じセリフを聞いているが、趣は大きく異なる。菊五郎の方が現代的で節も抑えがちであり、愛之助はいかにも悪党がしゃあしゃあと語っているという感じだった。ちなみに語られる内容であるが、自己紹介である。それもかなりの駄目人間としての。なので情けない内容を格好つけて話している滑稽さが肝となるのだが、菊五郎の場合はそのままで格好いいので、格好いいのに駄目という残念さが加わるが、語りのスタイルとしてはスマートで外連のようなものは感じられない。本家の語りは代々このようなものなのかも知れない。
ちなみに玉島逸当の正体は、白浪五人男の首領、日本駄右衛門である。
番頭がなぜ弁天小僧の顔面に算盤を振り下ろしたのかは不明。振り下ろした時点では相手が男だとも正体が弁天小僧だとも分かっていなかったはずだが、女性の顔に傷を作ってしまったら何を言われるか分からないのは江戸時代だろうと鎌倉時代だろうと現代だろうと変わらないはずだが。傷さえ付けなければ悪党どもに吹っかけられることもなかったはずである。

“稲瀬川勢揃い”の場。白浪五人男が一人ずつ花道から舞台へと向かう。稲瀬川は、鎌倉を流れる短く小さな川だが、ここでは現実の稲瀬川でなく、江戸の隅田川が稲瀬川になぞらえられている。隅田川は今も東京23区内を流れる川としては荒川などの次に川幅が広いが、今の荒川は放水路で、江戸時代までの隅田川は荒川の水量も合わせた、今の倍ほどの川幅を持つ大河であった(荒川の下流の別名が隅田川。長江と揚子江のような関係である)。
登場するのは、弁天小僧菊之助、忠信利平(片岡愛之助)、赤星十三郎(中村七之助)、南郷力丸、日本駄右衛門。「志ら浪」の文字の入った番傘を差している。
捕り方が大勢現れ、大乱闘の内に五人男が見得を切り、幕となる。

女形として人気が出た七之助は。ここでも上品な美貌の盗賊という女形の持ち味を生かしたキャラ付けを行っていた。

 

「三人形」。江戸の新吉原仲之町。奴(坂東巳之助)、傾城(中村壱太郎)、若衆(中村隼人)の3人が、それぞれのスタイルで舞い始める。
常磐津が遊郭の歴史を歌っていく。弓削道鏡が勅命を受けて遊郭を築いたそうである。ちなみに遊郭という言葉の由来も語られるが、嘘である。
なお、弓削道鏡が遊郭を作った話も、道鏡の一物がかなり立派だったという俗説から来ていると思われる。
若手トップランクの女形である中村壱太郎(かずたろう。成駒家。彼は「女方」表記の方を好むようである)の細やかな仕草が更に洗練度を増しているのが感じられた。

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2025年11月30日 (日)

観劇感想精選(502) 朗読劇「星の王子さま」 構成・朗読:安田成美

2025年11月12日 三条高倉の京都文化博物館別館ホールにて

午後5時から、京都文化博物館別館ホールで、朗読劇「星の王子さま」に接する。作:アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ、翻訳:内藤濯(ないとう・あろう)。構成・朗読:安田成美、音楽(作曲・演奏):阿部海太郎、美術:木梨銀士(きなし・ぎんじ。安田成美と木梨憲武の次男)。

東京の自由学園明日(みょうにち)館(国指定重要文化財)での公演を経て、昨日今日と京都文化博物館別館ホール(旧・日本銀行京都支店。国指定重要文化財)での京都公演が行われる。

 

「トレンディ女優」という言葉から連想される女優の一人である安田成美。映画、ドラマ、演劇と幅広く活躍しているが、結婚後は育児などを優先して、仕事をセーブしていた時期もある。「同・級・生」、「素顔のままで」、「ヴァンサンカン・結婚」、年末時代劇「源義経」、仲代達矢演じる弁護士と敵対関係になる女性を演じた松本清張ドラマ「霧の旗」、ベトナムロケを行った「ドク」など多くのヒットドラマに出演。映画では、「犬死せしもの」、林海象監督作品「ZIPANG」、オムニバス映画「バカヤロー!私怒ってます」第2話“遠くでフラれるなんて”、緒形拳と共演した「咬みつきたい」、役所広司主演作「すばらしき世界」などに出演している。演劇も出演作は多くはないが、「リチャード三世」は私も観ている。ただこれは劇団新感線による新感線版「リチャード三世」で、出演時間は余り長くはなかった。
こうやって見ると、ドラマに特化した活動を行っていることが分かる。

元々は、「風の谷のナウシカ」のイメージソング(作詞:松本隆、作曲:細野晴臣。映画本編では流れない)のシンガーとして登場した人で、昨年、細野晴臣との共同作業で「風の谷のナウシカ」をリメイクしている。

 

まず木梨銀士による動く美術。アニメーションとは少し違い、動く美術としか形容の仕様がないものである。そして、作曲家でマルチプレーヤーである阿部海太郎によって様々な楽器が演奏され、安田成美がにこやかな表情で下手側から現れて朗読を行う。

安田成美が構成を担当したテキストは、かなり改変されていて、原作とは違い、星の王子さまからの視点で物語は進んでいく。本来の語り手である飛行機の操縦士は途中で登場し、星の王子さまからのメッセージを受け取る役目を担う。

ドラマでは基本的に声音の使い分けは行わなかった安田成美だが、流石はプロの女優。様々な声を駆使して演じ分ける。星の王子さまの声は子どもっぽく、ヘビの物言いは狡猾そうだ。
テキストの改編については、様々な意見があるかも知れない。『星の王子さま』の著作権はすでに切れており、多くの出版社から刊行されていて、青空文庫では無料で読めたりする。なので改編も自由なのであるが、今回の上演は星の王子さまの内省の物語としてなら有効だと思われる。改編が嫌なら後で無料でテキストを読むことも可能なのだから、原作通りに頭から読まれることを希望するよりも安田成美が解釈した「星の王子さま」に耳を傾けるのも良い経験である。美声でもあるし。

 

カーテンコールには、木梨銀士も登場。安田成美が自身の次男であることを明かすと、「似てる!(安田成美にというよりも木梨憲武にだと思われるが)」という声も上がるが、実際はそんなに似ておらず、サッカー選手のような見た目である。木梨憲武も強豪・帝京高校サッカー部で、3年の地区予選までレギュラー、帝京高校は全国大会に出場を決めるが、全国大会では補欠に落ちてしまい、ピッチには立てなかった。なので両親に似ているというよりも木梨憲武のサッカー選手的雰囲気を受け継いでいるのかも知れない。

それよりも印象的だったのは、安田成美の声の可愛らしさである。今日の上演、更にはこれまでに出演したドラマや映画で演じている時の声よりも更に可愛い。つまり我々がこれまで聞いてきたのは演技用の安田成美の声であり、地声はさらに魅力的だったのだ。彼女はバラエティーにはほとんど出ないので(「笑っていいとも!」のテレフォンショッキングのゲストとして出演し、ここに来る直前にスタジオアルタの前で痴漢に遭ったことを告白していたのが記憶に残っているが)、彼女の地声はほとんど関係者にしか知られていなかったということになる。

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2025年11月 8日 (土)

観劇感想精選(499) 「市川團十郎特別公演」昼の部「伊達競阿國戯場 三升先代萩」 令和七年十月十一日

2025年10月11日 京都四條南座にて

正午から、京都四條南座で、「市川團十郎特別公演」昼の部「伊達競阿國戯場(だてくらべおくにかぶき) 三升先代萩(みますせんだいはぎ)」を観る。三升という成田屋の定紋がタイトルに入っていることからも分かるとおり、成田屋でしか上演しない且つ出来ない演目である。石川耕士が補綴を行っている。

今回の「市川團十郎特別公演」は、昼の部が自家のための演目、夜の部は「歌舞伎の世界」というタイトルで、有名な歌舞伎の演目のハイライト上演で、おそらく團十郎による解説もあり、明らかに歌舞伎初心者向けとなっている。歌舞伎好きとこれから歌舞伎の世界に入ろうとする客の両取り作戦である。

「三升先代萩」は、仙台藩のお家騒動(伊達騒動)を題材にした「先代萩」の成田屋専売版である。まず團十郎が口上を述べる。挨拶などの後で、背後に人物関係図が下りてきて、「三升先代萩」の解説を行う。江戸時代の話が元なのだが、幕府にあれこれ文句を付けられぬように、室町時代の話としており、山名宗全、細川勝元など実在の人物も登場する。お家乗っ取りを企む悪漢との戦いであるが、團十郎は早替えで計7人を演じ分ける。ということで、結構有名な人も出演しているのに、團十郎以外は基本端役で、團十郎のワンマンショーとなっている。
この時の足利家分家の当主である頼兼を團十郎はかなりのバカ殿として演じている。早替わりは巧みだが、中村勘九郎の方がスムーズに感じる。

最大の特徴は大詰めにある。細川勝元を演じているときに團十郎は、「寄こしてみなさい」といったように、完全現代口語でセリフを発する。歌舞伎で「寄こしてみなさい」というセリフが存在する可能性は低く、「ふん、寄こせ」などのセリフを現代語に改めたものと考えられる。現代の演劇のようなセリフを入れた意図ははっきりしないが、セリフは聞き取りやすくなった。團十郎の弱点は滑舌の悪さという指摘があるが、歌舞伎の言い回しでなく現代語で語られるようなセリフなら発音も明瞭である。そして細川勝元を機械仕掛けの神(デウス・エクス・マキナ)に見立てたという可能性も考えられる。
十三代目襲名以降、様々な取り組みを行っている團十郎だが、今回の現代口語もその一つだろう。私は、「ああ、そう来たか」と思っただけだったが、「これはもう歌舞伎ではない」と考える人もいるかも知れない。いずれにせよ大胆な試みである。

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2025年11月 5日 (水)

観劇感想精選(498) 広田ゆうみ+二口大学 別役実 「眠っちゃいけない子守歌」@アバンギルド

2025年10月28日 京都・木屋町のアバンギルドにて観劇

午後7時30分から、木屋町のUrBANGUILDで、広田ゆうみ+二口大学の「眠っちゃいけない子守歌」を観る。別役実が書いた二人芝居の上演。演出は広田ゆうみ。広田ゆうみと二口大学は、演出家で演劇専修のある大阪大学大学院やロシアで演劇を学んだ埼玉県出身の山口浩章(俳優としては今も山口吉右衛門の芸名を使うことがある。戯曲は1本だけ書いており、その上演を私は観ている)を加えた三人で、このしたやみという演劇ユニットを組んでいるが、別役実作品を上演するときだけは、広田ゆうみが演出に回る。「別役だけは譲らない」そうだ。広田ゆうみは若い頃から別役作品の上演をライフワークとしている人で、戯曲や童話などの上演や朗読の許可を別役にたびたび求めていたが、余りにも数が多いので、別役も根負けしたわけではないだろうが、「あなたはもういいから」と返事があったそうで、別役実作品を自由に上演出来る唯一の演劇人となっている。

 

客席には、別役作品の英訳を行っている白人の観客(英語なのでイギリス人かアメリカ人だと思われるが)や、京都の小演劇界で活躍する女優など色々な人が詰めかけている。広田さん、二口さんの個人的な友人(演劇人ではない人)なども多い。

 

「眠っちゃいけない子守歌」。タイトルはダブルミーニングになっている。
福祉施設の会で働く――というより薄給のボランティアに近いのかも知れないが――とにかくその女性が、アパートの家を訪ねる。エレベーターを出て左に曲がり、13番目の部屋をノックするようにとの指令(?)である。
だが、部屋には誰もいない。女性は指令を独り言で確認する(同内容のセリフはその後にも出てきて、そちらで内容は完全に分かるため、演出家によっては冒頭の独り言はカットしてしまうかも知れないが、広田ゆうみは別役信奉者なので別役が書いたセリフは全て語る)。紺のワンピースの衣装にバスケットを下げている。この時にははっきりとは分からなかったが、女がエプロンを羽織ったことでそれがメイド服だということが分かる。メイド喫茶の店員が着ている華美だが実用的ではないものではなく、仕事がしやすいちゃんとしたメイド服だ。きちんとしたメイド服を着た女優が演じる舞台や映画やテレビドラマは余りなく(かとうれいこが着ていた記憶があるがかなり昔のものだ)、韓国の連続ドラマ「火の鳥」で、今年が20回忌に当たるイ・ウンジュ(1981-2005)が演じていた役を思い出す。イ・ウンジュのメイド服も魅力的だが、広田さんのメイド服もきちんとした女性だけが生み出すことの出来る魅力を湛えていた。

部屋の主であるが、年老いた男である。自分の名前も覚えていなかったりするが(あだ名は「よっちゃん」であることを昨日思い出す)、語っている内容はかなり論理的で、いわゆる認知症等にかかっている訳ではないようだ。
紅茶に入れる砂糖の数選択の曖昧さや、逆にクッキーとビスケットの違いを知りたがる細かさに、女は別れた夫と目の前の男との共通点を見出したりする(クッキーとビスケットは基本的に同じもの。アメリカ英語ではクッキー、イギリス英語ではビスケットである)。

男は、「トシコ」という女性の名前を口にするが、それが誰なのか覚えていないようである。メイドをしている女がトシコなのかと男は聞くが、女は当然ながら否定する。
ちなみに何の脈略もなく、「発言すると嫌がらせをする人がいる」と語るが、突然、照明の明度が落ちたりする。嫌がらせをするのは「世界」である。確かに、「世界」から嫌がらせを受けやすい人はいる。俳優だとか、作家だとか、演出家だとか、哲学者だとかね。今この空間にも結構いそうだけれど。

男の部屋にはラジカセがあるが、テープには風の音が録音されている。男はそれを聴くそうだ(武満徹や晩年の坂本龍一など、風を音楽として聴く人は実在する)。更には雪の音を録音したテープもある。これらが男の「眠っちゃいけない子守歌」だと思われる。
男の部屋には、積み木のようなおもちゃのようなものがある。それを出して並べる。家屋、街路樹、しかし何かが足りない。女がそれを発見する。別役作品の代名詞、電信柱である。
雪の音が鳴り、男は人が「トシコ」と呼ぶ声を聞いたと話す。トシコは男の母親で、それまで住んでいた土地を何らかの理由で離れることになり、町を出て行くトシコを呼び止める声を耳にしていた。ちなみに積み木を使う心理療法があり、男が受けていた可能性もあるが、あってもなくても主筋に変更はないので、深掘りしなくても良いだろう。

男は、トシコが、「子守歌を聞いても眠ってはいけない」とタイトルの「眠っちゃいけない子守歌」に繋がる言葉を話したことを覚えている。これは「雪なので寝ると凍死する」という意味だろう。しかし、「嫌がらせを受ける」立場になった男にとっては、「眠っちゃいけない子守歌」は、「世界」に対して「隙を見せてはいけない」「ぼんやりしていてはいけない」「ちゃんと見ていなくてはいけない」と常に集中力を切らすべきではないというメッセージに聞こえる。最終的には男は眠るように死んでしまうのだが。
言葉の重層性が生きた別役作品だった。

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2025年10月 4日 (土)

コンサートの記(921) ヤン・ヴィレム・デ・フリーント指揮京都市交響楽団第703回定期演奏会

2025年8月29日 京都コンサートホールにて

午後7時から、京都コンサートホールで、京都市交響楽団の第703回定期演奏会を聴く。指揮は京響首席客演指揮者のヤン・ヴィレム・デ・フリーント。なお、今日付で、デ・フリーントの首席客演指揮者の肩書きが2028年3月31日まで延長となることが発表された。世界的な知名度こそ低いが、紛うことなき名指揮者であるだけに朗報である。現代音楽をプログラムに入れることの多い沖澤のどかと古典に強いデ・フリーントがいれば京響の更なる躍進は約束されたも同然であろう。

 

曲目は、ドヴォルザークの「ロマンス」(ヴァイオリン独奏:HIMARI)、ヴィエニャフスキの「ファウスト幻想曲」(ヴァイオリン独奏:HIMARI)、モーツァルトの「レクイエム」(ジュスマイヤー版)

プレトークでは、デ・フリーントは、ヴィエニャフスキがパガニーニを意識して作曲したということに振れたが、モーツァルトの「レクイエム」については、弟子ジュスマイヤーの補筆が上手すぎて、「モーツァルトが書いたとしか思えない」とデ・フリーントは語る。デ・フリーントはどうも複数の作曲家による補筆ではないかと考えているようだが、ウィーンではなくザルツブルクに曲想があって、補筆者はそれを取り入れたのではないかとの類推を行っていた。ただそれだと時間的には厳しい。そしてジュスマイヤーがモーツァルトの弟子というのは近年では否定されつつある。フランツ・クサヴァー・ジュスマイヤーは一介の売れない作曲家であり、モーツァルトの妻であるコンスタンツェの不倫相手であった。モーツァルトの次男は実はモーツァルトの子ではなく、ジュスマイヤーとコンスタンツェの子で、モーツァルトはそれを察して、次男にフランツ・クサヴァーと命名している。
コンスタンツェは、「レクイエム」を完成させないと報酬を全額手に入れることが出来なくなるため、複数の知り合いの実力派作曲家を当たったが断られ、すぐそばにいたジュスマイヤーに補筆完成を頼んだのである。しかし、自身がジュスマイヤーの愛人というのは世間的に困る。またモーツァルトが最後の曲を妻の愛人に補筆完成させたとあっては世間体が悪い。そこでコンスタンツェは嘘をつき、ジュスマイヤーをモーツァルトの弟子としたのである。夫の弟子なら、コンスタンツェのすぐそばにいてもおかしくない。
その後、ジュスマイヤーは売れっ子になっていく。

 

天才ヴァイオリン少女として注目されているHIMARI。現在、14歳だが、すでにベルリン・フィルなど世界的名門オーケストラとの共演経験がある。11歳でフィラデルフィアのカーティス音楽院に史上最年少での入学。アメリカ国内やヨーロッパの名門オーケストラとの共演を重ねている。天才少女の登場ということで、チケットは完売である。

今日のコンサートマスターは、泉原隆志。フォアシュピーラーに、尾﨑平。ヴァイオリン両翼の古典配置をベースとしているが、中山航介君が叩くティンパニは上手端の一段高いところに置かれている。中山君の背後にもう一つ小型のティンパニがあり、モーツァルトで使われるバロックティンパニであることが分かる。
管の首席だが、フルート首席の上野博昭はヴィエニャフスキから、クラリネット首席の小谷口直子はモーツァルトのみの参加である。トランペット首席のハラルド・ナエスは降り番であった。客演首席ヴィオラ奏者に大野若菜、客演首席チェロ奏者に水野優也、客演首席トロンボーン奏者に清澄貴之が入る。

デ・フリーントは、背が高いということもあり、指揮台を置かずステージ上に直接立っての指揮である。ノンタクトであり、拍と音型の両方を表す時もある。

 

ドヴォルザークの「ロマンス」。HIMARIは、白いドレスで登場。透明感のある京響の伴奏を受けて、温かみのある音を奏でる。温かみがあるのにシルキーという非常に珍しいヴァイオリンを奏でる人だ。

ヴィエニャフスキのファウスト幻想曲では、一転して切れ味鋭い表現を聴かせる。音のパレットが非常に豊かという印象を受けた。京響もデ・フリーントの指揮の下、非常にアグレッシブな伴奏を聴かせた。

 

アンコール演奏は、イザイの無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第6番。ヴァイオリンで出来ることを極限まで突きつめたかのような曲だが、鮮やかに弾きこなしてみせる。

スタンディングオベーションを送る男性が何人もおり(女性はおそらくいない)。最前列の一人は、ステージ上のHIMARIに花束を渡していた。

さて今後であるが、一度、コンサートから距離を置いて練習とレッスンに励むのが良いと思われる。ユーディ・メニューインという神童ヴァイオリニストがいて、若い頃から世界中のオーケストラや名指揮者と共演し、リサイタルを開いたが、練習やレッスンに当てる時間がほとんどなくなったため、後年も有名ヴァイオリニストではあったが、超一流ヴァイオリニストには届かず、晩年は指揮者としての活動の方が増えていた。
諏訪内晶子はそうした先例を知っていたため、チャイコフスキー国際コンクール・ヴァイオリン部門で優勝した後もジュリアード音楽院での研鑽に没頭している。井上道義が、チャイコフスキー国際コンクール優勝直後に共演を申し出たことがあるそうだが、「私、勉強します」と首を縦に振らなかったという。

 

モーツァルトの「レクイエム」(ジュスマイヤー版)。合唱は京響コーラス。独唱は、石橋栄実(えみ。ソプラノ)、中島郁子(メゾ・ソプラノ)、山本康寛(テノール)、平野和(やすし。バス・バリトン)。
オーケストラ団員が黒の衣装なのは普通だが、京響コーラスも全員黒い衣装。指揮者のデ・フリーントも黒の上下で、男性歌手はタキシードだが、女性歌手二人も黒のドレスで喪服のようである。ということでステージ上が黒づくめになる。しかも独唱者は、舞台の中央におらず、男性歌手はステージ上手端、女性歌手は下手端に座っていて、独唱の時だけステージ中央に向かい、歌が終わったら去るということで、あたかもモーツァルトの葬儀に参列したような気分になる。
徹底したピリオド・アプローチであり、テンポもかなり速め、合唱が立体的で非常にうねりが強い。
最初の独唱者はソプラノの石橋栄実だが、喪服に似たドレスで下手端からゆっくり歩いて来て中央付近で歌うので、弔辞を行っているように見える。今月は広島交響楽団とマーラーの交響曲第4番のソリストとして全国を回った石橋栄実だが、その時とは大きく異なる、空気を切り裂くような鋭い歌声である。独唱者が歩んでは去るという光景が繰り返され、シアトリカルな演奏となった。
初めて接するピリオド・アプローチによるモーツァルトの「レクイエム」であり、デモーニッシュさが更に増した恐るべき音楽を聴くことになった。

演奏終了後、デ・フリーントは、下手の高くなった段の上を走って京響コーラスに近づき、健闘を称えると同時に若さをアピールしていた。

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2025年9月 6日 (土)

コンサートの記(916) 京都市交響楽団 オーケストラ・ディスカバリー2025「発見!メモリアルイヤーの作曲家」第1回「音楽と物語と」 鈴木優人指揮 ウエンツ瑛士(語り)

2025年6月15日 左京区岡崎のロームシアター京都メインホールにて

午後2時から、左京区岡崎のロームシアター京都メインホールで、京都市交響楽団 オーケストラ・ディスカバリー2025「発見!メモリアルイヤーの作曲家」第1回「音楽と物語と」を聴く。

これまでのオーケストラ・ディスカバリーは年4回の公演を4人の指揮者で振り分けていたのだが、今年度は前半2回を鈴木優人が、後半2回を京響常任指揮者である沖澤のどかが受け持ち、二人で振り分ける。

タイトルにあるようにメモリアルイヤーの作曲家をフィチャーするプログラム。今回は、ビゼー、ヨハン・シュトラウスⅡ世、クライスラーの作品が取り上げられ、今後も芥川也寸志、ラヴェル、ショスタコーヴィチ、ルロイ・アンダーソン、フォーレ、サン=サーンス、ファリア、ウェーバー、ベンジャミン・ブリテンの作品がプログラムに載る予定である。

今日の演目は、ビゼー(没後150年)の歌劇「カルメン」前奏曲、サラサーテの「カルメン幻想曲」(ヴァイオリン独奏:大石彩代)、クライスラー(生誕150年)の「ウィーン奇想曲」(ヴァイオリン独奏:古川真弥)、メンデルスゾーンの「夏の世の夢」より“スケルツォ”“夜想曲”“結婚行進曲”、ヨハン・シュトラウスⅡ世(生誕200年)のポルカ「雷鳴と電光」(指揮者体験コーナーあり)、プロコフィエフの交響的物語「ピーターとおおかみ」
ナビゲーターと「ピーターとおおかみ」の語りはウエンツ瑛士が務める。

 

バッハ・コレギウム・ジャパンの首席指揮者として、また関西フィルハーモニー管弦楽団の首席客演指揮者、読売日本交響楽団の指揮者としてお馴染みの鈴木優人。父親の鈴木雅明も若白髪だったが、彼もその血を受け継ぎ、最初は前の方だけだったが白髪がどんどん拡大。今や若くして総白髪である。眼鏡をかけている時もあるが、今日は眼鏡なしで登場した。

今日のコンサートマスターは泉原隆志。フォアシュピーラーは尾﨑平。ドイツ式の現代配置での演奏である。オーボエ首席の髙山郁子とクラリネット首席の小谷口直子は降り番である。ヴィオラの客演首席には須藤三千代が入る。

今日の鈴木優人は全編指揮棒を使っての指揮である。

ビゼーの歌劇「カルメン」前奏曲。リズム感の鮮やかな情熱的な力強い音が奏でられる。時折、タメを作るのが鈴木らしい個性となっていた。

昨年、オーケストラ・ディスカバリーにナビゲーターとして登場した時には、曲目数が少なかったということもあって、台本を手にせず、全て暗記してやり取りを行っていたウエンツ瑛士だが、今回は曲も出演者も多く、「ピーターとおおかみ」では語りも務めるということで台本を抱えて登場した。

 

新しい試みとして、まだ学生のヴァイオリン奏者をソリストとして迎える。
「カルメン幻想曲」でヴァイオリン独奏を務める大石彩代(さよ)は、京都市立芸術大学大学院修士課程1回生。学部も京都市立芸術大学だが弦楽専攻を首席で卒業している。第4回みおつくし音楽祭クラシックコンクール弦楽器中学生の部第1位・金賞及び大阪府知事賞、第10回あおによし音楽コンクール奈良2023でプロフェッショナルステージ第1位・グランプリ・総務大臣賞、第47回全日本ジュニアクラシック音楽コンクールヴァイオリン部門大学生の部第1位といった優勝歴の他、高位での入賞歴もある。また小澤征爾音楽塾オペラ・プロジェクトⅩⅩへも参加した。

クライスラーの「ウィーン奇想曲」でヴァイオリン独奏を務める古川真耶は、2011年、デュッセルドルフ生まれ。その後、日本に戻って音楽教育を受けている。現在、中学2年生で、京都市立芸術大学音楽学部音楽教育研究会「京都子どもの音楽教室」に在室している。なお、鈴木優人が初めてオーケストラを指揮したのも中学2年生の時で、ベートーヴェンの交響曲だったが、教師から「(取り組むには)まだ早いね」と言われたそうである。
古川も、2023年に行われた第35回京都子供のためのヴァイオリンコンクール金賞及び奨励賞を受賞している。
ウエンツ瑛士が、「ヴァイオリン以外に好きなものある」と聞くと、「K-POP」という答えが帰って来た。だが、「K-POP、ヴァイオリンで弾いたりする?」とのウエンツの問いには「弾かない」と答えていた。

大石彩代が独奏を務める「カルメン幻想曲」は、スペインや南仏的な濃い色彩こそないもの、安定した技巧が楽しめる。一方で、まだまだ弾くだけで精一杯のようにも見えた。
「ロマの踊り」のアッチェレランドの部分で、鈴木は「ついてこられるかな?」と大石の方を見るが、大石はきちんとついて行った。
なお、大石は、鈴木優人が指揮する京都市立芸術大学音楽学部・大学院音楽研究科の定期演奏会に、ヴァイオリンではなくヴィオラのトップとして出演し、再度共演する予定だそうである。

クライスラーの「ウィーン奇想曲」。19世紀末から20世紀前半にヴァイオリニスト兼作曲家として活躍したフリッツ・クライスラー。だが、自身が作曲した作品の多くを、「図書館で見つけた古典」などとして演奏。「大作曲家のものに違いない!」と言われたりした。一方で、クライスラー名義で作曲した作品の評価はさっぱり。クライスラーも最終的には打ち明け、大騒ぎとなるのだが、人の評価が当てにならない一例証となっている。
「ウィーン奇想曲」は、クライスラー本人が作曲者であることを明かして発表した曲の一つである。
古川のヴァイオリンは素直なもので、この手の曲にありがちな耽美的な表情を付けたりはしない。技巧も安定している。
なお、古川は、京都市交響楽団第2ヴァイオリン副首席奏者の杉江洋子(今日も首席第2ヴァイオリン奏者のフォアシュピーラーとして参加)に師事しているようである。

 

メンデルスゾーンの「夏の夜の夢」から“スケルツォ”“夜想曲”“結婚行進曲”
鈴木は、「まず台風の話からしないといけないのですか」と語り始める。昨年の9月1日にロームシアター京都メインホールで行われる予定だったオーケストラ・ディスカバリーが台風の接近により中止になってしまったのだが、その時の指揮者が鈴木優人で語りを務めるのがウエンツ瑛士のはずだったのだ。女性歌手2名を招いての本格的な公演になる予定だったが、今回、規模は縮小したが演奏出来る喜びを鈴木は語った。

京響は鈴木の棒への反応も良く、生命力豊かな上質の演奏を聴かせる。“結婚行進曲”におけるブラスの輝きも効果的であった。

 

ヨハン・シュトラウスⅡ世のポルカ「雷鳴と電光」。指揮者体験コーナーがある。
まず鈴木がショートバージョンを京響とお手本として演奏する。その後、指揮体験をしたい子どもを募る。客席で手を挙げた子の中からウエンツが選ぶ。ウエンツは、「我こそは子どもだぞという大人の方もどうぞ」と呼びかけるが、流石に大人で手を挙げる人はいない。
3人の子どもが選ばれるのだが、なぜか舞台に上がって来た子が更に2人。ウエンツは「日本も変わりましたね」と語るが、一人は「眼鏡の子」と言われたので間違えて来てしまい、もう一人はなぜかよく知らないが上がってきてしまったようだ。
結局、5人全員に指揮してもらう。5人中4人が女の子である。
二つに刻む指揮をしたのは一人だけで、後は円を描くような指揮。テンポも速すぎたり、遅すぎたり、伸び縮みしたりと、京響のメンバーも演奏が難しそうである。快速テンポで振った子の後ではウエンツは、「京響の意地を感じました。なんとしてもついて行ってやる」

前半も押したようだが、後半も指揮者体験が3人のはずが5人になったので更に押す。

ポルカ「来面と電光」は。最後に鈴木と京響がカットのないバージョンを演奏して終えた。プロの指揮者なのでメリハリが利いている。

 

最後の曲目となるプロコフィエフの交響的物語「ピーターとおおかみ」。ウエンツは、指揮台の前、下手寄りに据えられた椅子に腰かけて朗読を行う。
まずどの楽器が何を表すのかを説明してから演奏開始。
今年はロームシアター京都サウスホールで園田隆一郎指揮日本フィルハーモニー交響楽団の演奏による「ピーターとおおかみ」も聴いているが、ホールが違うとはいえ、鈴木と京響の演奏は音がやや渋めでエッジが聞いており、表現の引き出しがより多い感じである。
ウエンツ瑛士の語りも流石で、子どもだけでなく大人をもうっとりとさせてしまう声と朗読術の巧みさが聴く者の想像力に働きかけてきた。

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2025年7月24日 (木)

観劇感想精選(495) 広田ゆうみ一人芝居 別役実 「もうひとりの飼主」@アバンギルド京都

2025年7月10日 京都・木屋町のアバンギルドで観劇

午後7時30分から、木屋町のUrBANGUILDで、広田ゆうみ一人芝居「もうひとりの飼主」を観る。出演・演出:広田ゆうみ、演出協力:二口大学。
UrBANGUILDの入るビルは、入居する店舗が変わったようで、他の階から歌声が漏れてくる。

2002年に、私は京大のそばにあったスタジオヴァリエという小劇場で、広田さんの演じる「もうひとりの飼主」を観ている。ということで23年ぶりの観劇となった。「もうひとりの飼主」の戯曲に関しても読んだことはあるが、だいぶ昔のことなので内容などは覚えていない。

安マンションの1室が舞台。上手の奥に空間があることが察せられる。
作品の書かれた時代を考慮して黒電話が用いられている。23年前には辛うじて黒電話も「若者にとって見覚えのないもの」ではなかった。

23年前は、最前列で、客席の中央よりやや下手寄りの席を選んだはずだが、今日は前から2列目の中央より上手寄りの席に陣取る。

23年前は広田さんは紺の衣装であったが、今回も同様である。

この芝居は出オチのところがある。広田ゆうみ演じる女性が現れるのだが、エプロンに血痕が付いている。ということで、上手の奥にあるのは風呂場で、遺体が切断されているようである。ただ、お嬢様育ちの美人妻の犯罪として知られる新宿・渋谷エリートバラバラ殺人事件で、妻が夫を殺して一人でバラバラにしたが、ほぼ、頭部、上半身、下半身に分けられただけで、実際には女性一人がバラバラにする作業を行っても細かく刻み分けることは困難そうである。
一方で、同じ2002年に桐野夏生の長編小説を映画化した「OUT」が公開されている。私はMOVIX京都で観たが、それが初MOVIX京都だったはずである。深夜のコンビニ弁当製造に従事しているパートの主婦4人が、遺体解体業に手を染めることになる話で、今回の芝居を観て気に入った人(余り気に入られても困るが)は映画を観るか、原作を読んでみるのもいいかも知れない。

女性の正体であるが、「外出しない」とのセリフがあることから、引きこもりと思われる。神田須田町の精神科の話が出てくるが、おそらくここにかかっているのだろう。女性はローラという名の猫を飼っているが、実際には飼っているのは同じマンションの3階に住むクヌギという男であり、猫の名もメアリーだ。つまりこの女性が「もうひとりの飼主」としてローラを勝手に飼っているのである。引きこもりのローラというと、演劇好きの人はすぐピンとくると思うが、言葉以上の深い意味はないようである。あるとしたならかなり意味深いが。ちなみに別役は「消えなさいローラ」という作品も書いている。

女性の病状であるが、判然とはしない。ただ多重人格や解離性健忘症などの傾向は見られる。

「ひとのみち教会」という団体が出てくる。「ひとのみち教会」という団体は実在しないが、よく似た「ひとのみち教団」は実在する。現在の「パーフェクト リバティー教団」、「PL教団」である。おそらく「ひとのみち教会」は「ひとのみち教団」に由来すると思われるが、特に教義の話などは出てこない。
PL学園高校野球部の甲子園での活躍や、花火大会、PLタワー(超宗派万国戦争犠牲者慰霊大平和祈念塔)などで知られたPL教団だが、PL学園高校は野球部の廃部のみならず、今やP全校生徒が3学年合わせて46人しかいないということで、「永遠の学園」の廃校、ひいては教団の解散に繋がりそうである。
ちなみにPL学園高校に入るにはPL教の信者である必用があるのだが、お金を払うだけであり、払わなくなったら棄教ということになるので、プロ野球で活躍したPL学園出身の選手の多くは卒業後は棄教扱いになっていると思われる。
モデルになった教団が衰退している時代にこうした芝居を観ると、感慨深いものがある。「人生は芸術である」を教義としたPL教団だが、この人以外には余り響かなかったのだろう。

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2025年7月23日 (水)

観劇感想精選(494) 有吉佐和子作 大竹しのぶ主演「華岡青洲の妻」

2025年7月13日 京都四條南座にて観劇

午後4時30分から、京都四條南座で、「華岡青洲の妻」を観る。和歌山県出身の小説家、有吉佐和子の代表作の一つを有吉佐和子本人の手で潤色・戯曲化した作品。小説家や脚本家が戯曲を書いたり、自作を戯曲化しても上手くいかないことが多いのだが、有吉佐和子は劇作家からスタートした人だけに、不自然でない仕上がりに達している。雨の日に手が空いたので昔話に花が咲くいうのが第1幕と第2幕の趣向だが、同じ趣向のため8年間雨が降り続いているという設定になったりしているが、この辺はご愛敬であろう。初演の演出も有吉佐和子自身が手掛けている。

演出:齋藤雅文。出演:大竹しのぶ、田中哲司、田畑智子、武田玲奈、陳内将(じんない・しょう)、長谷川稀世(はせがわ・きよ)、曾我廼家文童(そがのや・ぶんどう)、小野洋子(文学座。体調不良で降板した波乃久里子の代役)ほか。主要キャストではないが、京都劇場で上演された「リンス・リピート-そして、再び繰り返す-」にも出演していた名越志保も出ている。世界で初めて全身麻酔による乳がんの手術を受けて成功へと導かれた老女・お勘役である。

今日は、上演時間約3時間の演目を、午前の部、午後の部、夜の部の3回公演。その3回目である。俳優の体力が試される。加えてこの蒸し暑い気候。影響が皆無とは言えないようで、セリフを噛んでしまう人も多い。
客の入りも良いとはいえない。大竹しのぶと田中哲司のコンビ、ご当地女優の田畑智子、若手注目株の武田玲奈と、波乃久里子は出られなくなったが十分に魅力的なキャストであるのだが、気候が出歩くのに向いていない。「祇園祭もいいから、家で涼しく過ごしたい」というのが多くの京都人の本音であろう。

「華岡青洲の妻」はかなり有名な作品だけに、大まかなストーリーを知っている人は多いだろう。

世界で初めて全身麻酔による手術に成功した華岡青洲。代々紀州で蘭方医を営む家に生まれ、生地の近くで学んだあと、京に遊学。長く滞在し、当時の日本の最先端のものを含む多くの医術を学んだ。生地(現在の和歌山県紀の川市)に帰って父の跡を継いで医師になる。麻酔による手術を行う方法を工夫し、実母と妻が実験台となり、妻は失明してしまうという話である。その後、青洲は紀伊徳川家藩主、徳川治宝(はるとみ)に謁見して士分となり(元々は農民階級の出身。そして当時、医師は身分の外にいた)帯刀を許される。やがて、世界で初めて全身麻酔を使った乳がんの手術に成功。医師として紀伊国で身分を上げるとともに、自宅を改造した医院兼医学塾の春林軒を興して多くの門人を育てている。

 

溶暗したまま舞台が始まる。仕事をしている女性たちに一人ひとりスポットライトが当たる。糸車を回す於継(小野洋子)、機を織る加惠(かえ。大竹しのぶ)、そして於勝(田畑智子)、紬糸を行う小陸(おりく。武田玲奈)。於継と於勝と小陸が元からの華岡家の人間で、加恵は3か月前に嫁入りしたばかり。加恵は大庄屋の娘で、生家の格は加恵の方が上である。そして青洲はまだ京都に留学中で夫婦にはなったものの、顔を合わせていない。於勝と小陸は加恵より年下で、加恵のことを「姉さあ」と呼ぶ。
於継は根は良い人だと思うのだが、時折、無意識に加恵に厳しく当たってしまうことがあり、嫁姑の関係は、於継の次女である小陸に影響を与えることとなる。

そんな中、いよいよ青洲こと雲平(田中哲司)が帰ってくる。

第1幕と第2幕は続けて上演され、ずっと雨が降り続いている。第1幕では青洲が京都に遊学に行っているため、女達が機仕事をして稼がねばならないが、第2幕では自宅内で診療が行われているため、余計な音は出せず、機仕事はもう行われていない。

 

大竹しのぶは近年、セリフを歌うように発する傾向があり、今回も音楽的な発声を行うことがある。日本の時代劇なので余り合わないのだが、第3幕で姑との言い合いになる時は効果的となる。
初めての場面での加恵は25歳ということで、大竹しのぶも声を若くし、身振りのスピードを速くしている。声は細くなってセリフが聞き取れない場面もあったが、身振りは非常に愛らしい。

於継を演じる小野洋子。誰かを思い出してしまう名前だが、堅実な演技を見せる。新劇の文学座所属だが、演出の齋藤雅文が新派も手掛けていることから、新派風の言い回しに挑戦しているように聞こえる場面もあった。

ご当地女優・田畑智子。見るたびに演技が上手くなっているような感じで、今日も舞台上で生き生きとしている。若死にする役なので2幕で出番が終わってしまうのが惜しい。

若手の注目株、武田玲奈。武田梨奈と名前が似ているが別人である。「NGなし」と言われるほど様々な役に挑んでいる人だが、今回はセリフが紀州弁ということで発声の方に意識を取られている気がした。ただ舞台映えのする人で着物も似合い、これからも見てみたい女優である。

田中哲司の紀州の若旦那といった雰囲気も上手く表れていたように思う。なお、青洲が気付け薬(白湯だと思われる)を加恵に口移しで飲ませる場面があり、客席から息を飲む音が聞こえた。

加恵は麻酔の失敗で失明してしまうのだが、大竹しのぶの目の見えない人に見える演技も巧み。本当に見えていないように見えるだけでなく、見えない目で見ているような趣がある。

ラストのセリフを大竹しのぶは声音を変えて発する。古い表現になるが天女の声のようであった。

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2025年6月 9日 (月)

観劇感想精選(491) 「リンス・リピートーそして、再び繰り返すー」

2025年5月10日 京都劇場にて観劇

午後6時から、京都劇場で、「リンス・リピート―そして、再び繰り返す―」を観る。作:ドミニカ・フェロー、テキスト日本語訳:浦辺千鶴、演出:稲葉賀恵(いなば・かえ)。出演:寺島しのぶ、吉柳咲良(きりゅう・さくら)、富本惣昭(とみもと・そうしょう)、名越志保(なごし・しほ)、松尾貴史。

ドミニカ・フェローは、まだ二十代と思われる若い劇作家。この「リンス・リピート」は、自身が摂食障害を患っていたニューヨーク大学在学中に多くの演劇を観るも摂食障害を取り上げた作品が一つもないことに気付き、自伝的作品として書き上げたもので、オフブロードウェイでの初演時は、自身が摂食障害のレイチェル役を演じたそうである。なお、劇中ではレイチェルは名門イェール大学法学部在学中で弁護士を目指しているが、ドミニカ・フェローは法学ではなく、ニューヨーク大学では演劇を学んでいる。

アメリカ、東海岸。コネチカット州グリニッジ。ジョーン(寺島しのぶ)は、エクアドル系のヒスパニックである。ヒスパニック系は、アメリカでは数は多いが最下層と見なされ、最も差別されている。そこから這い上がって弁護士となり、今では共同弁護士事務所を立ち上げるというキャリアウーマンであるジョーン。ジョーンの夫のピーター(松尾貴史)は、名家出身だが、経済力はなく、セミリタイアのような生活を送っている。ということでジョーンが一家を支えている。
長女のレイチェル(吉柳咲良)は、イェール大学の4年生。成績も優秀だが、摂食障害を患い、レンリーという施設に入っている。
長男のブロディ(宮本惣昭)は高校3年生。フットボール選手として活躍したため、名門のノートル・ダム大学への進学が決まっている。

人種差別の激しいアメリカ。ヒスパニック系が勝ち上がるには専門職に就くしかない。ジョーンはそうして勝ち抜いてきた。名門大学に入り成績優秀な娘にも同じ道を歩むことを望んでいる。

レイチェルが施設から帰ってくる。吉柳咲良はミュージカル俳優として期待されている人だが、今回はストレートプレーなので歌はないのかと思っていたが、短いもののスキャットで歌ってくれる。このレイチェルがしょっちゅう着替えるのだが、それによって時間の経過や場所の移動が分かるようになっている。
入院施設レンリーは、一度は回想として、一度は悪夢の中に出てくる場所として登場する。レンリーでレイチェルを受け持つのは、ブレンダ(名越志保)というセラピスト。実はこのブレンダは黒人という設定なのだが、今の日本では肌を黒く塗って黒人を演じることは禁忌とされているため、とくに何も施さずに登場。おそらく黒人だと分かった人はいないと思われる。

レイチェルは、イェール大学で文系クラスを受講していることをジョーンに打ち明け(ジョーンも「学生時代、詩の授業を取ってたわよ」と返す)、レンリーでも詩を書いてブレンダに見せている。だが自信があるわけではなく、「エミリー・ディキンソン(「希望とは翼あるもの」などで知られる米国最高の女流詩人。半引きこもりのような生涯を送り、若くして亡くなっているが、生前は詩を発表せず、死後に発見された詩の数々が反響を呼び、世界的名声を得る。日本でも岩波文庫から英文と日本語対訳の詩集が発売されるなど人気は高い)ぐらいでないと」と自らの才能に限界を感じているようでもある。また、レイチェルは自殺を図ったことがあるが、それを仄めかすナイフの詩を書いていた。
4ヶ月大学を休んでいたレイチェル。だがそれまでの成績が優秀だったため、イェール大学ロースクールの受験資格はありそうである。
だが、本当は、レイチェルは、法学ではなく文学の道に進みたくて、それが摂食障害に繋がったのでは……、と思わせるのはミスリード。この家には何故か体重計が母親のジョーンの部屋に置いてあるのだが、これが伏線になっている。

ヒスパニック系の話であり、親子の話であり、心理劇であり、ミステリーの要素も含まれる。

母親のジョーン役の寺島しのぶが主演で、彼女が出ると空気が引き締まり、いかにも格上という感じがするのだが、レイチェルを演じる吉柳咲良が舞台上にいる時間が最も長くセリフも多く、また初演時に作者が自分自身のこととして演じているため、W主演的な位置にある。寺島しのぶと吉柳咲良とでは本当に親子ほど年齢が離れているので、なかなかW主演とは銘打ちがたいのだが。
寺島しのぶと吉柳咲良が抱き合ってから、吉柳咲良が客席通路を通って退場するのは、母からの巣立ちを意味すると思われる。

吉柳咲良は、昨年、朝ドラ「ブギウギ」では、主人公のスズ子(趣里)に挑もうとする若手歌手の水城アユミ役、大河ドラマ「光る君へ」では1話だけの出演だったが、のちに『更級日記』などを書くことになる菅原孝標女を演じて話題になり、お茶の間にも知名度を拡げている。今年はTBS日曜劇場で詩森ろばが脚本を書いた「御上先生」に髙石あかりらと共に生徒役で出演している。

 

今日は上演終了後にアフタートークがあり、寺島しのぶ、松尾貴史、吉柳咲良の3人が出演する。松尾貴史は、始まってから終わるまで一度も客席から笑いの起こらない芝居に出るのは初めてだと語る。

客席からの質問があり、消え物の話のほか、細かいところも質問として出た。

アフタートークが終わり、寺島しのぶと松尾貴史は、客席に手を振る。吉柳咲良はそのまま退場しようとして、二人が手を振っていることに気づき、慌てて手を振るなど微笑ましい。

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