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2019年5月13日 (月)

観劇感想精選(300) 大阪松竹座「七月大歌舞伎」2014昼の部 「天保遊侠録」「女夫狐」「菅原伝授手習鑑」より寺子屋

2014年7月21日 道頓堀の大阪松竹座にて観劇

午前11時から、道頓堀にある大阪松竹座で、「七月大歌舞伎」昼の部を観る。演目は、『天保遊侠録』、『女夫狐』、『菅原伝授手習鑑』より「寺子屋」。ちなみに夜の部も魅力的な演目が揃っているが、今年は観る予定はない。


『天保遊侠録』は、勝海舟の父親である勝小吉(正式な通称は勝左右衛門太郎。演じるは中村橋之助)が主人公である。小吉は男谷信友を生んだ男谷家の出であるが妾腹の生まれであるため、小身の御家人である勝家の養子となるが、学問嫌いで遊び好き。牢にも二度入ったことがあり、役にも就かないでいたが、長男の麟太郎(のちの勝海舟)が神童の誉れ高いというので、金子の用意のために御番入りをしようと思い、小普請方支配頭の大久保上総介(片岡市蔵)や鉄砲組添え番の井上角兵衛(嵐橘三郎)らに取り入るべく、宴席に招こうとしている。小吉の甥の松坂庄之助(中村国生)も宴会の準備を手伝っているのだが、二人とも遊び人であったため、こうした正式な場での振る舞い方がわからない。
井上が芸者・八重次(片岡孝太郎)を連れて宴会の行われる料亭にやって来る。だが、八重次は小吉と昔馴染みであったが小吉が牢に入ったのを知らず、捨てられたと勘違いしたままであるため、小吉を見るや、憎しみが募ってすぐにその場を立ち去ってしまう。

八重次の妹分の芸者である茶良吉(中村児太郎)が、八重次に言付けを頼まれてやって来る。小吉が宴の主催者では今日の宴席には上がれないというのだ。仕方なく小吉は宴会の主催者を降りることにし、衣服を改めるために奥へと引っ込む。

小吉が奥に引っ込んでいる間に、麟太郎(子役が演じている)が現れる。麟太郎は、小吉に似ず利発であり、小吉の境遇のみならず世の中の状況を子供ながらに良く見抜いていた。

麟太郎が風呂に入り、着替えるために離れへと入っていったところに、小吉が戻って来て、丁度、その場にやって来た八重次と鉢合わせ、口論になる。と、離れの二階窓が開き、麟太郎が顔を覗かせる。麟太郎は聡明ぶりを発揮。八重次も感心し、麟太郎のためになるのならと、宴席に出ることを承知する。

やがて、大久保上総介や井上角兵衛が料亭に入ってくる。しかし、こういった場に慣れていない小吉や庄之助は至らぬことばかりで、大久保らを怒らせてしまい……

主役の勝小吉を演じる中村橋之助が二度、セリフを噛んでしまうという瑕疵があったが、全体としては優れた舞台になっていたと思う。


『女夫狐』は、『義経千本桜』から「川連法眼の館」、通称「四の切り」のリメイクであり、内容はほぼ同じであるが、主君は源九郎判官義経ではなく、楠木正成の子、楠帯刀正行(くすのきたてわきまさつら)である。

鼓の皮にされた狐の子供がやって来て鼓を恋い慕うというあらすじは同じであり、塚本狐が化けた又五郎(中村翫雀)と千枝狐が化けた弁内侍(中村扇雀)が楠正行(尾上菊之助)の下にやって来て、正行の持つ鼓を所望する。弁内侍は正行の恋人であったが、今はこの世の人ではない。不審がる正行は、弁内侍に宮中の行事をそらんじてみろというが、弁内侍はこともなげに舞ながら挙げてみせる。
楠正行は、弁内侍が生きていたのかと驚き、正行と女夫の契りを交わしたいという弁内侍の申し出を快諾する。又五郎は喜びの舞を演じて見せるが、雪の上の足跡が人間ではなく狐のものであることに正行が気付くと、正体を現し、正行の鼓の皮は自分達の親狐のものなのだと打ち明ける。「四の切り」同様、早替え、欄干渡り、独特の節を持つ狐言葉での語りなどが行われる。

弁内侍こと千枝狐を演じた中村扇雀の舞や立ち居振る舞いは実に妖艶。中村翫雀の面を次々に変えるユーモラスな舞も良かった。


『菅原伝習手習鑑』より「寺子屋」。子役が沢山出てくる。舞台はその名の通り、武部源蔵(中村橋之助)が営む寺子屋である。子役が多い中に大人の役者が子供役として混じっている。中村国生演じる与太郎である。菅丞相(菅原道真)の子である菅秀才(子役が演じている)が与太郎をたしなめる。武部源蔵は菅丞相の元家臣であり、そのため菅丞相の子である菅秀才を預かっている。

ところが、菅丞相を太宰府へと追いやった時平公(藤原時平)の家臣が、菅秀才を討つよう源蔵に命じたのである。源蔵は秀才を討つことは絶対に出来ない。だが、身代わりになる子供を探すのも気が引ける。しかも、自身の寺子屋に通うものはどれも田舎育ちで、公達の子のような品を持ち合わせているものはいない。どうしたものかと寺子屋に帰ったところ、妻の戸浪(尾上菊之助)から新たに寺子屋に入った小太郎(子役が務める)を紹介され、小太郎が見るからに育ちが良さそうであったため、彼ならば菅秀才の身代わりになれると確信する。しかし、だからといって心が晴れるわけではなく、幼い命を奪わねばならない苦しみに夫婦共に沈痛な面持ちである。

そこへ、時平公の家臣である春藤玄蕃(片岡市蔵)と松王丸(片岡仁左衛門)がやって来る。源蔵と戸浪は菅秀才を押し入れの中に隠し、子ども達を寺子屋の奥へと下がらせる。

松王丸は、菅丞相の家臣、白太夫の息子で、菅秀才のことは子供の頃から知っている。そこで、今日は首実検役として訪れたのだった。
時平公の家臣一同は、寺子屋に通う子供の親を連れてきていた。そこで、親に子供を呼ばせ、一人一人顔をあらためることにする。六人出てきたが、誰も彼も山家の顔で、気品のあるものは一人もいない。春藤玄蕃と松王丸は、まだ奥に菅秀才がいるはずだと源蔵夫婦に迫り、源蔵は仕方なく「菅秀才の首を差し出す」と言って奥へ入っていく。寺子が六人出てきたのに、机が七つあるのを見つけた松王丸に、戸浪は菅秀才の机だと告げる。

小太郎の首を菅秀才の首だと言って源蔵は差し出す。首を検めた松王丸は、「菅秀才の首に相違ない」と断言し、病があるということで、早々に退散する。

春藤玄蕃も下がったところで、源蔵夫婦はがっくりと肩を落とし、身を震わせて、「何とか上手くいった」と手を取り合う。
そこへ、千代という女(中村時蔵)がやって来る。千代は小太郎の母であった。源蔵は隙を窺い、千代に斬りつけるが、千代は小太郎の文机で源蔵の刀を受け止め、退ける。そして「南無阿弥陀仏」と書かれた幡と経帷子を取り出す。
門口から、松の枝が投げ入れられる。松の枝に付けられた短冊には「梅は飛び桜は枯るゝ世の中に何とて松のつれなかるらん」という菅丞相の歌が記されていた。そして松王丸が寺子屋の中へ入ってくる。源蔵は「おのれ、幼き命を奪いし者」と松王丸に斬りかかるが、松王丸は刀を交わし、本当のことを話す。白太夫の三人の息子、梅王丸、竹王丸、松王丸は菅丞相の左遷後、それぞれ別々の主君に仕えることとなり、松王丸は不本意ながら時平公の家臣となったが、菅丞相との主従関係を思い出すにつれ心苦しく、病と称して時平公から遠ざかろうとしていた。しかし、時平公から「菅秀才の首を取るまでは隠居は認めない」と言われる。源蔵の気質を知る松王丸は、「源蔵が秀才の首を差し出すことは絶対にない」と思ったが、ならば他の者が犠牲にならねばならないというので、小太郎に白羽の矢を立てたのである。思惑の通りにことは運んだが、千代と松王丸は我が子を身代わりに立てざるを得なかった因果を嘆き、戸浪と源蔵も悲しみに暮れる。
そこへ、園生の前という貴婦人(片岡秀太郎)が寺子屋の前に輿で乗り付けるのだが、彼女が実は……。

歌舞伎の演目の中でも特に感動的といわれる場である。客席のあちこちからすすり泣きが聞こえた。悲劇ではあるが、大和心をくすぐる話であり、秀逸である。笑いの場面も取り入れられていることで、悲しみはいや増しに増す。

橋之助の繊細さと剛胆さを兼ね備えた演技、仁左衛門の善悪両面を巧みに演じ分ける技量に感心した。

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2018年4月20日 (金)

観劇感想精選(241) 「憑神」

2007年10月2日 道頓堀の大阪松竹座にて観劇

午後4時30分より、大阪・道頓堀にある大阪松竹座で、浅田次郎の小説を原作とした舞台「憑神」を観る。脚本・演出:G2。出演は、中村橋之助(現・八代目中村芝翫)、鈴木杏、葛山信吾、升毅、藤谷美紀、、陰山泰、コング桑田、デビット伊東、秋本奈緒美、螢雪次郎、笠原浩夫、初嶺麿代、福田転球、野川由美子ほか。


「憑神」開演。3階席の一番前の列で観たのだが、視界に、3階席の柵の上の高さ15cmほどのガラス板が入る。私自身は特に邪魔とは思わず、ガラス越しに見ると役者の顔の輪郭が逆にクッキリしたりして良かったのだが、気になる人は気になるだろう。

頃は幕末。御徒士(将軍の出立の際に、徒歩で護衛を務める下級御家人)である別所家の次男・彦四郎(中村橋之助)は、お堅すぎる性格が玉に瑕だが武芸に秀でた侍。しかし家督も何も継げない次男ということで(江戸時代は長子単独相続である)、小十人組頭である井上家の養子に入っていたのだが、陰謀によって井上家を追われ、実家の別所家に出戻っている。別所家は、大坂夏の陣の際に先祖が徳川家康の影武者となって、真田幸村相手に名誉の討ち死にを遂げたという家柄で、代々江戸城西の丸紅葉山の具足番を務めている。とはいっても、具足の手入れが主な仕事であり、毎日のように仕事があるわけでもない。太平の世が続き、具足の出番はなくなり、具足番の仕事も名前だけのものになりつつあった。現在の別所家の当主は、彦四郎の兄・左兵衛(デビット伊東)であるが、この左兵衛というのがものぐさで、具足の管理をろくにしていない。

ある日、彦四郎は、草むらに隠れていた小さな祠を見つける。三巡と書かれたその祠に手を合わせた彦四郎。ところがその祠が、貧乏神と疫病神と死神を祀る祠だったからたまらない。早速、両替商・伊勢屋を名乗る貧乏神(升毅)が現れる。名ばかりの仕事しかない別所家の台所事情は当然苦しい。貧乏神から逃れようとする彦四郎に、貧乏神こと伊勢屋は、“宿替え”なるものを提案する。何でも貧乏神が取り憑く先を替えることを“宿替え”というのだそうで、取り憑く先は彦四郎が決められるという。彦四郎は、自らを罠にはめ、井上家から追い出した、義父の井上軍兵衛(螢雪次郎)を宿替え先にしてみた。すると井上家は火事を出し、お取りつぶしに。しかし、貧乏神の次には疫病神が巡ってくることになり、最後は死神までやってくるという。彦四郎はまたもや宿替えをすることになるのだが……。

江戸幕府の崩壊を背景に、混乱の世をいかに生きるかを問うた作品。

原作も脚本も演出も良いのだが、何といっても役者、それも中村橋之助を見せる芝居である。橋之助も観衆のためのサービス精神に満ちた魅せる芝居をする。それが、舞台の上だけで世界が完結しているリアリズムの芝居とは違うところである。もちろん橋之助の芝居が悪かろうはずがない。他の出演者の演技も充実していたが、何といっても橋之助がいなくては成立しない舞台ある。

音楽はスカやロックを使用した現代的なもの(作曲は佐藤史朗)。出演者が、舞台上でパーカッションを演奏する場面もあり、エンターテインメントの精神に満ちている。
メッセージも分かり易く、難しいことを考えなくとも、単純に「芝居って良いなあ」と思える舞台であった(内容が単純なわけではない。念のため)。

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2018年2月25日 (日)

観劇感想精選(233) 「喜劇 有頂天一座」

2018年2月18日 道頓堀の大阪松竹座にて観劇

午後4時から、道頓堀にある大阪松竹座で「喜劇 有頂天一座」を観る。原作:北條秀司(「女剣劇朝霧一座」より)、演出:齋藤雅文(「眠狂四郎 The Final」では脚本を担当していた)。出演は、渡辺えり、キムラ緑子、林翔太(ジャニーズJr/宇宙Six)、広岡由里子、村田雄浩、段田安則ほか。

前回の「喜劇 有頂天旅館」から3年ぶりとなる渡辺えり&キムラ緑子による有頂天シリーズの第2弾である。今回も北條秀司の本を齋藤雅文が演出する。

まずは二代目朝霧恵美子(渡辺えり)が率いる剣劇集団、朝霧恵美子一座の「国定忠治」のクライマックスが演じられる。1960年代前半、女剣劇は隆盛期にあり、朝霧恵美子一座も浅草松竹座での公演を行っている。しかし、それから5年が経ち、女剣劇ブームも終了。朝霧恵美子も地方のどさ回りで食いつなぐようになっていた。今回は群馬県赤城山の麓にある上州座の世話になりながら公演を打つ予定である。5年前に朝霧恵美子に弟子入りした小夜子(キムラ緑子)も稽古を重ね、それなりに良い役を貰えるようになっていた。食堂を兼ねた駅舎で朝霧恵美子一座が昼食を取っていると、かつて恵美子と恋仲だった舞台俳優で今は映画界に転身してスター俳優となっている嵐玉之介(段田安則)がやって来る。玉之介は国定忠治もの映画の続編を収録する予定であり、そのため作品の舞台となったこの地に来ていたのだった。
その夜、恵美子と玉之介は昔を思い出して再び深い仲に……、ところが強盗事件に遭ってしまう。犯人は玉之介の顔を知っており、妙な会話が交わされたりするのだが、犯人逃亡後に玉之介は刑事の尋問に答える羽目になる。映画スターと女剣劇の座長が恋仲となれば大スキャンダルになるのは必定。そこで少しでも被害を減らすべく、小夜子が恵美子の身代わりとなる。だが、その情報が新聞に出ると、劇場では詰めかけた客が「小夜子を出せ!」と要求するなど、事態は激変。そして小夜子は玉之介を利用して知名度を上げ、三代目朝霧恵美子を襲名(二代目朝霧恵美子は二代目朝霧菊扇となる)。興行師の浅倉(村田雄浩)も三代目朝霧恵美子となった小夜子をドル箱にするべく奔走を始める。だが実は小夜子は最初からある意図が持って朝霧恵美子一座に近づいていた。

渡辺えり演じる二代目朝霧恵美子を山形県出身に、キムラ緑子演じる朝霧小夜子=三代目朝霧恵美子を淡路島の生まれ育ちにと、演じている本人と同じ設定に変えてお国訛りでの応酬があるなど、遊び心のある上演である。剣劇ということで殺陣や立ち回りもあるのだが、そこは日本を代表する舞台女優である渡辺えりとキムラ緑子だけに全く問題を感じずに楽しむことが出来た。良い意味でいつも渡辺えりしている渡辺えりと、変幻自在の演技力を持ち味として今回の上演でも朴訥な女性から妖艶な悪女へと化けるキムラ緑子。好対照な個性だが、互いが互いを照らし出し輝かせるという相乗効果が働いていて演者としての相性の良さを感じる。
商業演劇であり、著名な俳優はみな好演であったが、セリフを少ししか貰っていない俳優は立ち姿からすでに不安を感じさせる人もいて、実力の差が激しい。

カーテンコールではホワイトタキシードに着替えて登場した渡辺えりとキムラ緑子が「有頂天ソング」(作詞:齋藤雅文、作曲:甲斐正人)を歌って華々しく終えた。

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2017年10月 6日 (金)

観劇感想精選(223) 大竹しのぶ主演 ミュージカル「にんじん」

2017年9月2日 大阪・道頓堀の大阪松竹座にて観劇

午後4時30分から、道頓堀の大阪松竹座で、ミュージカル「にんじん」を観る。原作:ジュール・ルナール、テキスト日本語訳:大久保洋、脚本・作詞:山川啓、演出:栗山民也、音楽:山本直純、出演:大竹しのぶ、中山優馬、秋元才加、中山義紘、真琴つばさ、今井清隆、宇梶剛、キムラ緑子ほか。

赤毛でそばかすがあるため、皆から「にんじん」と呼ばれているフランソワ(大竹しのぶ)の物語である。「出来が悪い」「駄目」などと言われ、家庭の中にあっても居場所が見つけられないにんじん。
にんじんの両親(宇梶剛とキムラ緑子が演じている)のも仲が悪く、互いが会話を交わそうとせず、結局、にんじんが間を取り持つことになる。にんじんから見れば自分よりもはるかに優遇されているように見える兄のフェリックス(中山優馬)と姉のエルネスティーヌ(秋元才加)であるが彼らは彼らで内心の葛藤を抱えていて……。
ミュージカル「にんじん」の実に38年ぶりの再演である。当時20代だった大竹しのぶも還暦を迎えた。第1幕が45分ほど、30分の休憩を挟んで第2幕が1時間ほどと、決して長い作品ではなく、年齢に関係なく楽しむことの出来る作品であると思われる。
にんじんがなぜそれほど人から、就中母親から嫌われるのかについてはそれなりの答えが用意されている。

山本直純の音楽は多少古さを感じさせるが(時代を超えるのは思いのほか難しいようである)、彼ならではの「ドラマ」を感じさせる出来となっている。

大竹しのぶが少年「にんじん」を好演。中山優馬が兄を、秋元才加が姉を演じるというキャストの中で違和感がないどころか説得力のある演技と歌唱で魅せた。

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2017年6月13日 (火)

観劇感想精選(217) 大阪松竹座「五月花形歌舞伎」 「野崎村」&「怪談乳房榎」

2017年5月17日 大阪・道頓堀の大阪松竹座にて観劇

大阪・道頓堀にある大阪松竹座で、「五月花形歌舞伎」を観る。午後4時開演の会で、演目は、新版歌祭文「野崎村」と「怪談乳房榎」

大阪松竹座の「五月花形歌舞伎」には、中村勘九郎、中村七之助の兄弟が出演。市川猿之助も出る。「怪談乳房榎」は、勘九郎・七之助兄弟がニューヨークで行われた平成中村座で大当たりを取った演目でもある。


「野崎村」は、近松半二が人形浄瑠璃のための書いた本を基にした世話物の義太夫狂言である。「心中」がキーワードになっている。
大坂の野崎村が舞台。百姓の久作(板東彌十郎)には一男一女があったが、息子の久松(中村歌昇)は実子ではなく、武士の家の出。訳あって実家が断絶し、久作に引き取られたのだ。久作には実の娘であるお光(中村七之助)がいて、久松とお光は将来を約束した仲だった。
久松は大坂の油屋に奉公に出ていたが、実家に戻ってくる。
冒頭に、久松の男っぷりとお光の容色を村人が褒めるセリフが加わっている。
七之助演じるお光は、久松が戻ってきて結婚も間近ということで浮き浮きとした様子。何度も鏡を見て、自らの容姿におかしなところはないかと確かめるが、どうやら少しナルシストの傾向があるようでもある。
大坂で久松と恋仲だった、油屋の娘・お染が久作の家を訪ねてくる。訪ねて来た人が噂に聞くお染だと悟ったお光は、つれなくして家に入れようとしない。

色々あって、久松とお染は心中しようとして久作に止められ、お光は身をひくため仏門に入る決意をするのだが、「身をひくために仏門に入る」という感覚は、正直、今ひとつピンとこない。現代では「身をひくために仏門に入る」ということはまずないということもあるのだが、身をひくような状況であるのかどうか。お光が幼かったとすればそれまでになるのだが。

七之助のお光は色気があってとても良い。


「怪談乳房榎」。三遊亭円朝の落語が原作である。中村勘九郎は、菱川重信、下男の正助、うわばみ三次の3役を早替りで演じる。

隅田川河畔の隅田堤。絵師の菱川重信の妻であるお関(七之助)が、桜の名所である堤の茶屋で休んでいると、従兄弟の松井三郎(市川猿弥)がやってくる。松井の主家である谷家で、金蔵に盗賊が押し入り、二千両が盗まれるという事件が発生。佐々繁(さっさ・しげる)という侍の羽振りが急に良くなったという話を聞いた松井の父親は佐々を捉えようとするが、佐々は逐電。事件を解決できないまま亡くなった父親の無念を晴らすため、松井は佐々の行方を追っていたのである。

松井が去った後、器量よしであるお関は、通りがかりの者に絡まれるが、深編み笠の浪人がお関を助ける。浪人の名は磯谷浪江(市川猿之助)。磯谷は、「絵師になりたい」ということで、菱川重信に弟子入りする運びとなったのだが、磯谷の正体こそ佐々繁であり……。

中村勘三郎は、正助役として下手に去ったかと思えば、うわばみ三次としてすぐに現れたり、うわばみ三次と正助が階段ですれ違う場面で、三次から正助へ瞬く間に化けたりする。
花道で他の役者と入れ替わるのだが、これがまた実に巧みで、どうなっているのかやはりわからない。勘九郎が早替りを行うたびに、客席から感嘆の声がもれる。歌舞伎の外連の極みである。

今回は、角筈十二社大滝の場では、本水が使用される。勘九郎は水を思いっきりはね飛ばして、客席から笑いが起こる(一階席前から5列目までの人には水よけ用のシートが予め配られていた)。
角筈という地名は現在では消滅しているが、西新宿の一帯であり、東京都庁の辺りである。角筈一二社(じゅうにそう)大滝は、現在の新宿中央公園内にあった人工の滝。淀橋浄水場建設の際に埋めたてられ、現在では影も形もない。

勘九郎は正助の剽軽ぶりがよくはまっている。勘九郎も七之助も実にいい役者である。実いい役者なのだが、二人合わせてもまだ父親の勘三郎には遠く及ばない。勘三郎は不世出の名優であり、超えるのは至難の業であると思われる。

猿之助が出演ということで、勘九郎は猿之助がテレビCMに出ているソルマックの話をしたり(「CMに出ているのがまたいい男」と言っていた)、キーになる印籠に「澤瀉」の家紋が入っているという設定にして笑いを取っていた。

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2008年7月25日 (金)

観劇感想精選(42) スーパー歌舞伎「ヤマトタケル」

2008年5月15日 大阪・道頓堀の大阪松竹座にて観劇

午後4時30分から、大阪・道頓堀にある大阪松竹座でスーパー歌舞伎「ヤマトタケル」を観る。梅原猛の作、市川猿之助の脚本・演出。

スーパー歌舞伎「ヤマトタケル」

「ヤマトタケル」は、梅原猛が市川猿之助のために書いた作品であるが、猿之助は病気のためステージに上がるのは困難であり、門下である市川段治郎と市川右近が交代で主役であるヤマトタケルを演じる。本日午後の公演は、段治郎がヤマトタケルを、右近はタケヒコを演じた。

出演は他に、市川笑三郎、市川笑也、市川春猿、市川猿弥、市川猿紫、市川門之助など。市川猿之助のところは、長男の香川照之が歌舞伎を継がなかったので、弟の段四郎と、段四郎の子の亀治郎しか一族がいない。ということで、門下の大半は歌舞伎の家の出身ではない。

京都造形大で市川笑也の講演を聞いたことがあるが、笑也も歌舞伎とは何の関係ない家の出身。美大受験に失敗して(「高校時代にアイスホッケーをやっていて、それが悪かったと思うのですが、見事に滑りまして」と本人は洒落を言っていた。「ここ笑うところですよ」とも言っていたが、周囲は笑えずにただただ驚くばかりであった)、予備校に通おうとしていたところ、何かの拍子で国立劇場の歌舞伎俳優研修所研修生の募集広告を見て、軽い気持ちで受けたら受かってしまって(何のことはない、受験者全員が合格だったとのこと)、そのまま歌舞伎俳優になってしまったという。

余談だが、歌舞伎の女形には本当に男の方が好きな人が多いとも話していた。笑也も女形だが、ある劇場で、笑也が女形の歌舞伎俳優二人と同室になったことがあり、その二人がどんな男がタイプか話していたという。それで、その二人の女形が笑也に話しかけてきた。

女形A「ねえねえ、笑也さんは女が好きなの? 男が好きなの?」
笑也「女です」
女形B「えー! 女が好きなの?!」
女形A「(女形Bに)変態よねえ!?」
笑也「………」

……なんだか凄い世界である。笑也も「とんでもないところに入って来てしまった」と思ったそうだ。

それはともかくとして、「ヤマトタケル」。タイトル通り、日本の古代神話の英雄である日本武尊命を主人公にした物語。

大和国。大碓命(市川段治郎)が朝廷に出仕しないのを、帝(市川猿弥)が怒っている。大碓命の弟である小碓命(のちのヤマトタケル。段治郎の二役)は、大碓命に出仕するよう促すが、大碓命は「朝廷に自分達兄弟を亡き者にしようという動きがある」と、これを聞き入れない。それでも執拗に迫る小碓命に大碓命は怒って斬りつける。

ここは早替えにより、段治郎が二役を演じる。大碓命が表にいる時は小碓命は奥にいて、小碓命が表にいるときはその逆。奥にいる方のセリフをテープを使って出していると思われる。大碓命と小碓命の斬り合いの場面では、段治郎の他にもう一人、誰だかわからない俳優を用いて、柱の後ろに回った時に、早替えをする。客席に顔を向けている方が段治郎である。

笑三郎、笑也、春猿、門之助など、いずれも歌舞伎界のトップランクの女形の共演も凄い。みな、女声に似た声を出せるが、笑也と門之助の声はじっくり聞いても女声にしか聞こえない。

熊襲タケル兄弟との死闘では、ヤマトタケルの女装があり(男役と女形の二つが出来るので、梅原猛は「ヤマトタケル」を題材に選んだと猿之助が語っているのを聞いたことがある)、屋台崩しがあり、熊襲タケル配下役の歌舞伎役者達が次々ととんぼを切るなど、視覚効果は抜群である。

猿之助は、「歌舞伎はつまらない」と公言している。知識がないと楽しめないというのがその理由。そこでスーパー歌舞伎は知識がなくてもわかることを第一に考えて作られている。しかし、セリフのほとんどが傍白を含む状況説明と、直接的な心情吐露とで出来ているため、本としてのクオリティは低くなる。仕方ないことではあるが。

草薙の剣で有名な焼津の場面、弟橘姫(スーパー歌舞伎では、橘の弟姫。春猿が演じた)が身投げする走水の海の場面などでも視覚効果は高い。ヤマトタケルが白鳥になって飛んでいくラストの宙乗りの効果が高いのは言うまでもない。

梅原猛の脚本は、ヤマトタケルの英雄的要素だけでなく、侵略者としての側面にもわずかながら触れているのが興味深い。

また、橘の弟姫(おとひめ)の入水場面で、海の帝のもとへ行くという解釈は、考えようによっては「浦島太郎」に通ずる可能性がある(「乙姫」は固有名詞ではなく、「姉妹の妹の方の姫」という意味である。しかし竜宮城にいるのが乙姫様で、浦島太郎が最後に鶴になり、ヤマトタケルが最後に白鳥になるという共通点がある)。昔話というのは、大抵元ネタがあるものだが、ヤマトタケルの神話が浦島太郎の元ネタである可能性もある。ちなみに、ヤマトタケルと弟橘姫の話も浦島太郎の話も、ともに舞台は三浦半島である。

更にいうと、スーパー歌舞伎「ヤマトタケル」において、ヤマトタケルと共に東征する吉備国出身のタケヒコ(市川右近が演じた)はおそらく稚武彦で、稚武彦は桃太郎のモデルともされる人物である。

更に、鎮西に赴き、東国に赴き、大和に帰ることなく没したヤマトタケルは、もともとは祟り神だったのかも知れない。複数の英雄の功績を一人の人物にまとめた形で生まれたというヤマトタケル。しかし実際は大和朝廷のために命を落とした多くの若者の魂を鎮めるために、一人の英雄として創作されたのではないだろうか。

劇を観ていて、そうした可能性が頭に浮かんだ。

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2008年6月25日 (水)

観劇感想精選(38) 第十八代目中村勘三郎襲名披露公演「野田版・研辰の討たれ」ほか

2005年7月7日 大阪・道頓堀の大阪松竹座にて観劇

大阪へ。道頓堀にある大阪松竹座で第十八代目中村勘三郎襲名披露公演を観るためだ。



松竹座は心斎橋駅となんば駅の中間にあり、どちらからもアクセスは良くないのだが、とりあえず通い慣れたなんば駅で降り、戎橋筋を北上する。少し早く着いたので道頓堀商店街をぶらぶらする。火災で焼失した中座の跡に建つビル、「セラヴィスクエア中座」に入ってみる。シバエモン(芝右衛門)という狸の姿をした神様の像が4階に祀られている。ユーモラスな像だが、客入れの神様とのことである。昔、中座に芝居好きの狸が通っていたのだが、正体がばれて殺されてしまった。ところがそれ以来、中座への客足がぱったりと絶えて閑古鳥が鳴く有り様。そこで狸の霊を祀ったところ再び中座は大入りとなったため、神様となったそうだ。
余談だがこのビルの2階に元横綱・若乃花こと花田勝氏の経営する「Chanko Dining 若」道頓堀店がある。

松竹座に入り口の前で待っていると、次第に劇場の前に人が増えてくる。午前の部を見終わった客が出てくる。その時、スコールに見舞われる。私は屋根の下にいたから濡れなかったのだが、外にいた人達が屋根の下へと集まりだしたため、満員電車さながらの混雑ぶりとなってしまう。遅れてのんびり劇場を出て来た人は外に出られず、外にいる人達はのんびり出て来た客達のために雨に濡れる。両方に不利益な状態となった。ちょっとした悲惨な光景である。

午後4時30分開演。まず襲名披露の口上を兼ねた、「宮島のだんまり」。口上以外は文字通り全てだんまり。衣装が皆、華やかである。

天井桟敷(通称:大向こう)に座っていたので、声を掛ける人がいるだろうと思っていたら、比較的若い女性が一人で連発。流石に回数が多すぎるように思う。

第二の演目は中村雁治郎(現・坂田藤十郎)らによる「大津絵道成寺」。物の怪などが沢山出てくるユニークな演目だ。この回は中年の男性が頻繁にかけ声を発する。「成駒屋」のことを「こまや」と言っていたから歌舞伎は何度も見て知っている方だろうと思う(屋号の頭を飛ばして発声すると舞台上では反響があるため、ちゃんと全ての音を発しているように聞こえるという)。ただタイミングがいいのかどうかはわからない。

メインは木村鏡花の作、平田兼三郎の脚色による本を基にした、野田秀樹:脚本・演出の「野田版・研辰の討たれ(とぎたつのうたれ)」。
歌舞伎の主人公といえば、いなせな男女か悪党が定番だが、「研辰の討たれ」は剣を研ぐのが上手いために武士に取り立てられた元研ぎ屋の守山辰次(研辰)が主人公。当然、剣の腕は全くなく、それでいてお調子者のために周りの武士からは見下されているという弱い立場の男。そんな弱い研辰が、ある日、家老に剣術で散々に打ち負かされた怨みからちょっとした悪戯を仕掛ける。家老を脅かそうとしたのだが、やり過ぎたのか家老は脳卒中で死んでしまい、家老の息子二人に仇として追われるようになるという特異な演目である。

実は初演の時に収録された映像を私は観ており、今日生で観て、「実はこの歌舞伎は映像で見るのに向いているのでは」、という印象も受けた。セリフが聴き取り難い箇所があったし、生で同じことを何度も繰り返されると何故かしつこく感じてしまうのである。舞台では同じことを繰り返すケースを見慣れていないせいかも知れない。

とはいえ、迫力はやはり生で観る方が断然上。殺陣の場面は言うまでもないが、回転舞台の使い方の妙なども生でないと本当の面白さは伝わらないだろう。勘三郎演じる研辰が3階席に逃げ込んでくる場面も実際にその場にいてはじめて楽しめる。

ラストの紅葉のセットも生で見ると朱が滴るようで、目を楽しませると同時に悲壮美がより鮮烈になるのを感じる。

野田秀樹演出の切れは抜群で、野田という男の希有な才能を思い知らされる。ただ歌舞伎の劇場でやるとどうもしっくり来ないところもある。観客の雰囲気の違いもあるだろうし、野田色が強すぎるように思えるところもある。映像で見たときはそんなことは感じなかったのに。不思議なものである。

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2007年10月20日 (土)

観劇感想精選(19) 松竹7月大歌舞伎2007 夜の部 「鳥辺山心中」、「身替座禅」、「女殺油地獄」

2007年7月25日 大阪・道頓堀の大阪松竹座にて観劇

大阪へ。道頓堀にある大阪松竹座で、松竹7月大歌舞伎夜の部、「鳥辺山心中」、狂言「身替座禅」、「女殺油地獄(おんなごろしあぶらのじごく)」を観る。
市川海老蔵が、怪我で降板した公演でもある。ただ、私の目当ては海老蔵ではなく、京を舞台とした心中ものとして有名な「鳥辺山心中」と、近松門左衛門の傑作「女殺油地獄」という演目にあったので、不満はなし。

「鳥辺山心中」は祇園の遊郭と四条河原が舞台となっている。作者は「半七捕物帳」で有名な岡本綺堂。
祇園の遊女・お染は、江戸の旗本で、徳川二代将軍秀忠の上洛に伴って京に来ている半九郎という若者と恋仲になる。
ところが、秀忠が突然の江戸への帰還を決め、半九郎も江戸に帰ることに。せめて帰るまでの5日間はずっと一緒にいようという半九郎。
半九郎の友人である市之進という侍も祇園に来て、半九郎や、お染を始めとする遊女と遊び始める。半九郎は市之進に、借財を申し出る。その金でお染を祇園から出してやりたいというのである。
そこへ市之進の弟である源三郎がやって来て、市之進に帰るよう促す。源三郎は堅物で、女遊びにうつつを抜かす男を軽蔑している。源三郎は半九郎に、「兄がたわけのようになったのもお身のような朋輩があるから」、「武士の風上にも置けない」、「面汚し、恥さらし」などとなじる。
さすがに頭に来た半九郎は源三郎に決闘を申し出る。四条河原で決闘は行われ、半九郎は源三郎を斬って捨てる。しかし、人を殺めたとあっては半九郎も死罪は免れない。お染は半九郎とともに心中する決意を固める。

半九郎を片岡愛之助、お染を片岡孝太郎が演じる。四条河原での決闘は、殺陣が迫力満点。
ただ、心中の舞台を京都にしてしまうと綺麗過ぎるような気がする。四条河原、鴨川、東山など、絵になる光景だが、心中物の舞台はやはり大坂の方が似合う。

狂言「身替座禅」。京・洛外に住む山蔭右京(片岡仁左衛門)は、旅先で、京・北白川に住む白拍子の花子(はなご)と恋仲になる。京に戻った右京は花子のもとに出かけたくてうずうずしている。しかし右京には奥さん(中村歌六)がいる。恐妻家である右京は、花子のもと行きたくとも行けない。そこで、「一晩座禅を組みたい」と申し出、太郎冠者(片岡愛之助)に頭巾をかぶせて身替わりとし、花子のところへ出かける。しかし太郎冠者が身替わりになっていることがばれてしまい…。

仁左衛門のユーモラスな表情や仕草、せりふ回しが絶品であった。

「女殺油地獄」。油まみれになる殺害場面が有名な傑作であり、何度も映画化されている。また、石田純一が主演した舞台が以前テレビで録画中継されているのを観たことがあるのだが、なぜ石田純一だったのだろう。

河内屋与兵衛を演じるはずだったのが市川海老蔵だが、降板により片岡仁左衛門が与兵衛役を務める(与兵衛役は仁左衛門の十八番の一つ。仁左衛門の出世作でもあり、仁左衛門は片岡孝夫時代に与兵衛役で大当たりを取って、日本全国にその名を轟かせた)。海老蔵の降板により、仁左衛門は昼の部も夜の部もほとんど出ずっぱりの状態である。

油商人・河内屋の次男である与兵衛は、女遊びが大好きで、あちこちからの借金を抱えている。父親の徳兵衛はすでに亡く、番頭上がりの男が二代目徳兵衛として河内屋の主となっているが、与兵衛は二代目徳兵衛を見下して勝手放題。与兵衛の放蕩が過ぎるので、河内屋では与兵衛の妹・おかちに婿を取ろうという話が出ている。与兵衛はおかちに一芝居打たせて、それを阻止しようとする。ところがそれがばれた。今でいう逆ギレをして徳兵衛やおかちに暴力を振るう与兵衛。与兵衛は実母のおさわから河内屋を出て行くように言われてしまう。
与兵衛が訪ねた先はなじみの油商・豊島屋。主の妻であるお吉に借金を申し出るつもりであった。実は与兵衛は明朝までに返さなければならない借金があった。豊島屋に入る勇気がなく、表でうろうろしている与兵衛。そこへ、徳兵衛がやって来る。与兵衛の今後を案じた徳兵衛は、「もし与兵衛がやって来たらこれを渡して欲しい」と、お吉に300文を渡す。そうしている内に、おさわも豊島屋へやって来る。やはり与兵衛のことを心配して、お吉に500文を渡しに来たのだ。物陰でそれを聴き、涙にむせぶ与兵衛。しかし借金を返すにはそれでもまだ足りない。徳兵衛とおさわが帰った後、豊島屋の中に入った与兵衛はお吉にあと200文貸して欲しいとせがむ。しかしお吉は主の留守でもあり、首を縦に振らない…。

年齢もあって、仁左衛門は不良には見えないが、演技力・表現力はさすがである。油で滑りながらお吉を殺す場面、お吉を殺した後、手の震えが止まらずに脇差しを手放すのに一苦労する演技、全身をガタガタ震えさせながら退場するラストなど、芸の細かさに感心する。
特に殺害後の心の震えの表現は素晴らしく、観ているこちらの心もガタガタ震えてしまうほどであった。

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2007年3月23日 (金)

観劇感想精選(5) 市川海老蔵主演 「信長」

2006年2月24日 大阪・道頓堀の大阪松竹座にて観劇

大阪松竹座に市川海老蔵主演の「信長」を見に行く。海老蔵のために書き下ろされた新作。作:斎藤雅文、演出:西川信廣。
織田信長を演じるのはもちろん海老蔵。濃姫に純名りさ、羽柴秀吉に甲本雅裕、お市の方に小田茜、明智光秀に田辺誠一という配役。
戦の神に憑かれた「狂王」としての信長を描く。

ジャンル分けは難しい。殺陣のシーンなどに歌舞伎の役者も出るし、海老蔵も歌舞伎俳優だが、当然ながら歌舞伎ではない。斎藤雅文は新派の作家だし、西川信廣は新劇の名門・文学座所属の演出家である。基本的には役者を見せるタイプの演劇なので、ジャンルに拘る必要はないのだが、見慣れないタイプの演劇なので内容に入り込むまで少し時間がかかった。

海老蔵はカリスマ性を出すために声音を変えるが、そのため少しセリフが聴き取りづらい。歌舞伎以外の仕事も沢山しているとはいえ、やはり他の俳優とはスタイルが違うので違和感もある。だが、存在感はあるし、「敦盛」の舞や殺陣などは流石であり、柱としての役割を十分に果たしていた。

信長の生涯を2時間半に凝縮した作品であり、要所要所を抜き出して描くというスタイルを取っている。余分と思われるエピソードもあるが、それでも人物の内面を描く伏線にはなっているのでいいのだろう。

セリフは説明的だがわかりやすい。先端を行く演劇ではないわけだから、多少セリフが人工的だろうが嘘くさかろうが構わないと思う。やはり時代劇であること、また客層を考慮するに、今、どういう場面で登場人物はどういう心理なのか、そういったことを丁寧にやらないとサービスに欠けることになるだろうから。

天下統一を果たしていないのに、朝鮮、明国、天竺などを制覇し、果てはローマ占領を本気で夢見る信長像というのも秀吉の考えを先取りする形で、試みとしては良いと思うが、強引さも感じる。秀吉のように天下統一した上で妄想を抱くというのならある程度自然なのだが。
やはり朝鮮や明を攻める野望があることを匂わす程度の方が良かった気がする。誇大妄想が激しすぎる。信長の「激しさ」に光を当てたい気持ちはわかるけれども。

明智光秀を焚きつけたのは誰か、歴史書には信長に嫁いで以降の記録が全くない濃姫という人物をどう描くかなど、面白いところはいくつもある。

普段観ている演劇のスタイルとは違うが、「これはこういうものだ」と思って観ているので違和感はない。
好きなタイプの演劇ではない。けれどもこういった芝居には「ハレ」の雰囲気があって楽しい。

俳優では、羽柴秀吉を演じる甲本雅裕が特に良かった。飄々としていながら虎視眈々と次代を窺う秀吉像を上手く演じていたように思う。

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