カテゴリー「映像」の24件の記事

2025年12月31日 (水)

コンサートの記(936) 「映像の世紀コンサート」@ロームシアター京都メインホール 加古隆(ピアノ)&沼尻竜典指揮京都市交響楽団

2025年12月3日 左京区岡崎のロームシアター京都メインホールにて

午後4時より、左京区岡崎のロームシアター京都メインホールで、「映像の世紀コンサート」を聴く。

1995年から1996年にかけて放送され、大好評を博した「映像の世紀」。21世紀に入ってからは続編である「映像の世紀バタフライエフェクト」が放送中である。

 

大阪では、「映像の世紀コンサート」はフェスティバルホールで何度か行われており、私も初回のコンサートは聴きに行っているが、京都で「映像の世紀コンサート」が行われるのは初めてである。
関西での催しというと、最大の人口を誇り、交通も発達した大阪市内で行われがちであるが、街自体が文化と芸術の香りに溢れているような京都で楽しむのもまた乙なものである。
建築と芸術と自然が一体となった岡崎地区で聴くならなおさらでだ。

演奏は、作曲者である加古隆(ピアノ)、沼尻竜典指揮京都市交響楽団。ナレーションは、元NHKアナウンサーの山根基世が務める。

ピアノ協奏曲の布陣。ドイツ式の現代配置での演奏である。スクリーンの邪魔にならないよう、ティンパニの中山航介は上手奥の角で演奏を行っていた。
コンサートマスターは泉原隆志、フォアシュピーラーに尾﨑平。管楽器の首席奏者は、オーボエの髙山郁子、ホルンの垣内悠希、トランペットのハラルド・ナエスなどは出演したが、他は降り番である。

現在の「映像の世紀バタフライエフェクト」のテーマ音楽は、NHK交響楽団正指揮者の下野竜也がN響を指揮。下野は大河ドラマのオープニングのテーマもこのところは毎年のように指揮しており、NHK交響楽団とNHKからの信頼が感じられる。大河ドラマのオープニングテーマの指揮と年末の第九の演奏会だけは、実績のある人にしか振らせない方針のNHKとNHK交響楽団であるが、第九は外国人指揮者なども指揮台に立つが、大河ドラマのオープニングテーマは、ここ数年は下野竜也、尾高忠明という二人のNHK交響楽団正指揮者と、広上淳一を加えた3人で回している状態である。以前はNHK交響楽団音楽監督時代のシャルル・デュトワやウラディーミル・アシュケナージ、首席指揮者時代のパーヴォ・ヤルヴィも指揮していた。現在のNHK交響楽団首席指揮者であるファビオ・ルイージはまだ指揮していないが、来年の大河ドラマである「豊臣兄弟!」のオープニングを指揮するのは実は沼尻竜典である。勿論、初めての挑戦だ。

指揮者として活躍した後で、作曲家としてもデビュー。現在ではピアニストとしても活躍している沼尻竜典。びわ湖ホールの芸術監督を務めた後で(桂冠芸術監督の称号を贈られた)、神奈川フィルハーモニー管弦楽団の音楽監督に転身。自身が起こしたトウキョウ・ミタカ・フィルハーモニアの音楽監督も兼任している。京都市交響楽団とは、毎年1回、マーラーの交響曲をびわ湖ホール大ホールで演奏する試みを続けている。
劇伴の仕事をしたことがあるのかどうかは分からないが、テンポに関してはかなり的確な演奏が出来る指揮者である。総譜より先にタブレット状のものが取り付けられているが、これは譜面ではなくてモニターで、スクリーンに映っている映像がそのまま流れ、映像に合わせて指揮をするためにある。譜面にも映像にも合わせて指揮しなければならないので大忙しである。

リュミエール兄弟が世界で初めて撮影した映像や、線路の脇で電車がこちらへと走ってくる様を捉えた映像が流れて演奏スタート。演奏される楽曲は、「パリは燃えているか」、「時の封印」、「シネマトグラフ」、「はるかなる王宮」、「神のパッサカリア」、「最後の海戦 パート1、2」、「未来世紀」、「大いなるもの東方より」、「マネーは踊る」、「狂気の影」、「黒い霧」、「ザ・サード・ワールド」、「睡蓮のアトリエ」、「愛と憎しみの果てに」、そして今回はアンコールが予め決まっており、「映像の世紀バタフライエフェクト」のために書かれた、「風のリフレイン」と「グラン・ボヤージュ」が演奏される。

 

加古隆の音楽に必要なのは何よりも抒情美であるが、そこは京響。リリシズムに満ちた音楽を奏でていた。

今回の「映像の世紀コンサート」は、戦争の歴史に焦点を当てていたが、それは現在、ウクライナとロシア、イスラエルとガザ地区での戦闘が継続中であるからに他ならない。爆撃されて建物の多くが破壊されたガザ地区(おそらくガザ市)、ウクライナがロシア軍に攻撃される様も終盤、スクリーンに投影された。

「王朝の時代」を特集する映像もあり、後に惨殺されることになるロマノフ王朝のニコライ二世(皇太子時代に来日した際、大津市の旧東海道において、巡査の津田三蔵に斬りつけられるという、「大津事件」でも知られる)やアレクセイ皇太子などが映っている。
オーストリアでもハプスブルク家の支配が終焉を迎えるが、フランツ・ヨーゼフ一世の姿がカメラに捉えられている。ハプスブルク家の没落と共に登場したのが同じオーストリア出身のアドルフ・ヒトラーであり、ヒトラーの経済政策によってドイツは歴史的な大インフラを解消。ドイツにおけるヒトラーの支持率は実に90%を記録したが、このときはヒトラーの正体に気付いている人はまだほとんどいなかった。

ヨーロッパが混乱の最中にあるときに力を付けたのがアメリカである。ニューヨークには摩天楼が建ち、一際高いエンパイアステートビルが建設される。エンパイアステートビルは現在では、高さニューヨーク1ではないが、今でもニューヨークのシンボルの座は揺らいでいない。

ヒトラーはオーストリアを併合。イタリアでもファシスト党のベニート・ムッソリーニが政権を手にする。今では、「ファシスト」という言葉は相手の悪口にしか使わないが、当時は有効な政策運営手段の一つと思われていた。

独伊と手を組んだのが大日本帝国である。ヨーロッパとアジアとでは遠すぎて協力の仕様がないが、とにかく三国同盟は締結される。日本はその時は中立国だったアメリカに挑む。しかし国力の差は明らかで、日本は最終手段として特攻作戦を立案する。ゼロ戦で相手の軍艦に突っ込むという、死亡率100%の犠牲を伴う作戦。アメリカ人から見れば「クレイジー」としか思えないだろうが、日本には他国にない「死の美学」「犠牲の美学」があった。そうしたものを発揮するのはこのときではなかったかも知れないが、多くの日本戦闘機は迎撃されて海に沈み、数少ない成功例がアメリカ軍を慄然とさせた。アメリカ人からみればまともに見えなかったと思われる日本兵だが、戦死者に対する敬意は表したようである。

アメリカはベトナム戦争で敗戦する。南北に分断されたベトナム。アメリカは資本主義の南ベトナム(ベトナム共和国)を支援するが、アメリカ国内でもベトナム反戦の動きが起こり、泥沼化した戦争は、サイゴン(現ホーチミン)陥落で最後を迎える。

戦争の世紀であった20世紀であるが、各都市は復興し、発展していく。空襲を受けた東京の街は、木造建築が多いということもあり、ヨーロッパなどよりも悲惨な焼け野原だが、集った日本人少年達の顔は明るい。戦争が終わったなら後は復興するだけ。実際のところ、東京は人口が多かったということもあり、戦前の街並みをそのまま復興しようとする機運が強く、空襲を機会に道幅を広げてモータリゼーションの到来を予見した大阪や名古屋に比べると上手くはなかったと思う。それでもお洒落な銀座の街並みなど、活気ある東京をカメラは捉えていた。

 

アンコール演奏。加古隆はセンチメンタルな作風が特徴で、「映像の世紀」の音楽も明るくはないのだが、20世紀の「映像の世紀」の音楽に比べると煌びやかで希望を持てる曲調となっている。

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2025年12月22日 (月)

これまでに観た映画より(417) ドキュメンタリー映画「Voices from GAZA ガザからの声 Episode2 ミュージシャン・アハマドのメッセージ」

2025年12月17日 烏丸御池のアップリンク京都にて

烏丸御池のアップリンク京都で、ドキュメンタリー映画「Voices from GAZA ガザからの声 Episode2 ミュージシャン・アハマドのメッセージ」を観る。Episode1の主人公の名もアハマドであり、アラブ系の男性は同じファーストネームの人がかなり多いようである。イスラム教の聖人から取るケースが多いからだと思われる。西欧やアメリカもキリスト教の聖人の名前から取ることが多いので、ファーストネームの種類は多くない。彼らが、苗字も名前も膨大にあるという日本の事情を知ったら驚くだろう。更に日本の場合は、キラキラネームであるかどうかに関わらず新たな名前が生まれて増えていく。おそらく日本は名前に関しては世界一バリエーションに富む国だろう。

監督:ムハンマド・サウワーフ。ガザ地区の映像制作会社、アレフ(アルファ)マルチメディアとアップリンクの共同制作。

今回は、2025年7月12日に、ガザ市の無名戦士公園の避難民キャンプで撮影が行われている。この時はまだ停戦中であるが、ドローンからの空襲があったそうで油断出来ない状況である。前回、ガザ・イスラーム大学の跡地に作られた避難民キャンプで撮影が行われていたが、今回も「イスラーム大学が空襲された」という話が出てくる。ガザ・イスラーム大学のことだと思われる。通常は、大学は爆撃しても、攻撃する側も大して意味がないし、攻撃される側も大学は死守しなければいけない施設でもない。夜は誰もいないし、教室と食堂とその他、体育館やスポーツ施設、講堂など、攻撃しても相手にダメージは与えられない。それでも空襲したのは、ガザ・イスラーム大学がハマス指導者の母校だからだと思われる。腹いせにだろう。

 

今回、収録が行われた無名戦士公園の避難民キャンプはガザ市の西部にある。周辺は瓦礫の山だが、比較的高めのビルなどはあちこち撃たれているものの崩れていなかった。頑丈であるということも考えられるが、おそらく襲撃対象として後回しになったのだろう。ビルは見た目から判断するに企業のオフィスビルで、夜間に襲撃しても中には誰もいない。それよりは、人々が住む低い住宅を攻撃して打撃を与えようとしたのだと思われる。一般市民を標的にすることはあってはならないことだが、少なくとも第二次大戦以降は軍属よりも市民が犠牲になるケースが多い。

今回の主人公は、ミュージシャンのアハマド・アブ=アムシャ。5人の子を持つ父親でもある。これまで空襲に遭うこと12回、住居は3度変わって今は避難民キャンプにいる。家を3つほど持っていると取れるような発言をしているが、金持ちでないことは確かであるため、親族の家か何かだろうか? パレスチナの住宅事情については知識がないのでよく分からない。
元々いた住居が空襲で焼かれ、音楽スタジオに避難しようと思ったが、そこもグチャグチャになっており、避難民キャンプにも入れて貰えなかったが、端の方にテントを張ることが出来たそうだ。
アハマドは、イスラエルがガザ地区を攻撃するまでは、生活が出来る位の金を音楽で稼いでいた。彼はギターの弾き語りをする。だがガザ地区が攻撃されて、演奏活動などが出来なくなった。
それでもアハマドは、音楽をしている時だけは現実を忘れることが出来るため、音楽の効用を説く。避難所でも人々に楽器(ヴァイオリンやギター、民族楽器など)を教え、新しい曲を作詞・作曲する。少年がパレスチナの誇りを歌ったりする。
音楽が持つ力が描かれるが、同時に、怖ろしさも同居しているように思う。
大阪のザ・シンフォニーホールでプロムスのコンサートが行われ、トーマス・ダウスゴー指揮BBCスコティッシュ交響楽団の演奏で、エルガーの「威風堂々」第1番が演奏され、「英国第2の国歌」と言われる中間部に詞が書かれたものを歌ったのだが、イギリス人でも何でもないのに気分が異様に興奮した。爽快だったが危険だとも思った。音楽には我を忘れさせる作用がある。アドルフ・ヒトラーは子どもの頃からのオペラマニアだった。音楽にどんな効果があるのか熟知していただろう。

基本的に、現地で撮影されたものを編集しただけであり、起伏はないので、ドキュメンタリーとしての面白さは求められない作品であるが、ガザの人々の生の声が聴ける稀少性を持つ。

最後にチラシに書かれたアハマドのメッセージ
「戦争の中でも歌い続ける これは一種の抵抗だ。歌い 教え 奏でることでほんの一瞬でも戦争の空気から俺たちを引き離してくれる。世界中の芸術家たちへ僕からのメッセージ 不正義に沈黙することは加担だ」

その後、再びイスラエルによる空爆が再開された。ガザ市にいることはもう出来ない。今、彼らはどうしているのだろう。

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2025年12月17日 (水)

Eテレ「クラシック音楽館」 ヘルベルト・ブロムシュテット指揮NHK交響楽団第2045回定期演奏会

2025年11月16日

NHKONEで、Eテレ「クラシック音楽館」 NHK交響楽団第2045回定期演奏会を視聴。東京・溜池山王のサントリーホールでの演奏。N響のサントリーホールでの定期演奏会は、定期会員だけでほぼ満員になるため、1回券などで入ることは困難である。

指揮は史上最高齢指揮者であるヘルベルト・ブロムシュテット。1927年生まれ。今年で98歳になる。スウェーデン人のセブンスデー・アドベンチスト教会の宣教師の両親の下、アメリカで生まれたブロムシュテット。程なくしてスウェーデンに帰り、北欧最古の大学として知られるウプサラ才学やストックホルム音楽大学に学んだ。スイスのバーゼルでは古楽の研究も行っている。セブンスデー・アドベンチスト教会の教義に基づき、動物性の食材は一切口にしない(セブンスデー・アドベンチスト教会は、日本で三育学院大学などを設置しているが、この学院も学生は在学中肉食厳禁である)。ただ菜食主義者とは思えないほどエネルギッシュな音楽作りが特徴であり、ベートーヴェン、ブルックナー、ブラームス、シベリウス、ニールセンなどには定評がある。現在はアメリカ国籍。

ブロムシュテットが注目を浴びたのは、東ドイツのシュターツカペレ・ドレスデン(ドレスデン国立歌劇場管弦楽団)時代。2、3年でコロコロと指揮者を替える傾向のあった同楽団の首席指揮者を10年に渡って務め、ベートーヴェンやシューベルトの交響曲全集を完成させている。ドレスデン離任後はサンフランシスコ交響楽団の音楽監督となり、グリーグの劇附随音楽「ペール・ギュント」抜粋や、ニールセンやシベリウスの交響曲全集が絶賛された。その後、ハンブルクの北ドイツ放送交響楽団の首席指揮者に就任したものの、ライプツィッヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団から首席指揮者(カペルマイスター)就任の打診があり、北ドイツ放送響は3年契約を2年契約で打ち切っている。ライプツィッヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団では、ブルックナーや2度目となるベートーヴェンの交響曲全集を作成。作曲者生存当時の奏法なども研究した演奏で、トップクラスの評価を受けている。
NHK交響楽団からは1985年に名誉指揮者の称号を得る(NHK交響楽団の名誉指揮者は、N響と特に強い結びつきを持つ外国人指揮者に贈られる終身称号。亡くなると返納される)。実は若い頃のブロムシュテットは他の名誉指揮者に比べると地味とされて、それほど人気はなかったが、ベートーヴェンや北欧ものでの人気は高かった。現在は、N響初の桂冠名誉指揮者を務めている。
私も、N響、チェコ・フィルハーモニー管弦楽団、バンベルク交響楽団、ライプツィッヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団を指揮した演奏会を、東京、大阪、京都、横浜で聴いている。高齢のため、現在は日本では東京でしか指揮しておらず、オーケストラもNHK交響楽団に限られる。

以前はすっくと立って、指揮棒を激しく振る指揮姿が印象的であったが、世紀が変わる頃にノンタクトでの指揮に移行。現在は高齢のため椅子に座って指揮するようになっている。

オール・北欧プログラムで、グリーグの「ホルベルク組曲(ホルベアの時代から)」、ニールセンのフルート協奏曲(フルート独奏:セバスティアン・ジャコー)、シベリウスの交響曲第5番の3曲が演奏される。

ちなみにブロムシュテットが耳に装着しているのは補聴器ではなく、より音が良く聞こえる装置だそうである。

グリーグの「ホルベルク組曲」(グリーグが書いた擬古典的音楽)は、スプリングの効いた若々しい演奏である。古典的な造形美も見事だ。

ニールセンのフルート協奏曲は、やはりミステリアスな作風で、交響曲を含めてニールセンの作風を理解するにはまだ時間が掛かりそうである。ただ豪快な作風はバイキングを生んだ国民性と無関係ではないだろう。なお、ソリストのジャコーはタブレット譜を見ながらの演奏であり、涼やかな響きでホールを満たした。アンコール演奏は、フルート独奏曲としてお馴染みのドビュッシーの「シランクス」。

ブロムシュテットが得意とするシベリウスの交響曲第5番。若い頃と変わらず、無駄な肉をそぎ落としたソリッドで力強い演奏。人生讃歌、そして世界讃歌となっている。ブロムシュテットのシベリウスは第3、第4、第6、第7などは必ずしも万全ではないのだが、第5に関しては、確信を持った演奏を行っており、盤石である。


楽団員の多くがステージを去った後も拍手は鳴り続き、ブロムシュテットはコンサートマスターの郷古廉(ごうこ・すなお)に付き添われて再登場した。

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2025年10月29日 (水)

コンサートの記(928) 太田弦指揮 日本センチュリー交響楽団第293回定期演奏会

2025年10月24日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後7時から、大阪・福島のザ・シンフォニーホールで、日本センチュリー交響楽団の第293回定期演奏会を聴く。指揮は、松本宗利音(しゅうりひと)と共に日本の若手指揮者界をリードする太田弦(げん)。1994年生まれの太田弦。今年で31歳になるがかなりの童顔で下手したら高校生に間違えられそうである。札幌生まれ。幼少の頃からピアノとチェロを学び、東京藝術大学音楽学部指揮科を首席で卒業。尾高忠明と高関健に師事した。今の藝大指揮科の主任は山下一史であるが、全員、桐朋学園大学出身である。ということで、藝大の指揮科は長い間、桐朋学園大学の植民地となっている。国公立の藝大、それに対抗する私立の桐朋であるが、格としてはやはり藝大の方が上。上のはずの学校の看板部門が植民地化されている例は珍しく、芸術関係ならではのような気がする。他の一般の学問では有名私立大の特定の分野が有名国立大の教授で占められ、植民地となっているケースが多い。
それはさておき、太田弦は東京藝術大学大学院に進み、指揮専攻修士課程を修了。指揮以外にも作曲を二橋潤一に師事している。
2015年、第17回東京国際音楽コンクール・指揮部門で2位入賞。
2019年から2022年まで大阪交響楽団正指揮者、2023年には仙台フィルハーモニー管弦楽団の指揮者に就任。2024年4月より、福岡市を本拠地とする九州交響楽団の首席指揮者に就任。初めて手兵を得ている。昨年、シャルル・デュトワ指揮九州交響楽団の定期演奏会を聴きに、九響の本拠地であるアクロス福岡シンフォニーホール(正式にはアクロス福岡という総合文化施設の中にある福岡シンフォニーホールであるが、続けて表記されることが多い)に初めて出向いたが、ホワイエに太田弦の全身パネルが飾られていた。等身大ではないと思うが。

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今日の曲目は、ベートーヴェンの交響曲第2番、武満徹の「波の盆」、武満徹の「系図 -若い人のための音楽詩-」(語り:寺田光、アコーディオン:かとう かなこ。岩城宏之編曲による小管弦楽版)

 

武満作品が2つ並ぶという意欲的なプログラム。ドイツ人指揮者がベートーヴェンを指揮するように、フランス人指揮者がドビュッシーを指揮するように、フィンランド人指揮者がシベリウスを指揮するように、デンマーク人指揮者がニールセンを指揮するように、ノルウェー人指揮者がグリーグを指揮するように、イギリス人指揮者がエルガーを指揮するように、日本人指揮者は武満徹を指揮する。

 

だが、武満作品、それもかなり分かり易いものであっても現代音楽は避けられるようで、集客面ではかなり残念であった。特に2階席は空席が目立つ。
今日は茨木市在住の人のための招待公演でもあったのだが、その人達なのかどうかは分からないものの、コンサート初心者が多いようで、ベートーヴェンでは楽章が終わるたびに拍手が起こっていた。この場合、どうするのかというと人による。藤岡幸夫は、「エンター・ザ・ミュージック」で、「新しいお客さんが来てくれたんだ」と喜ぶと明かしている。一方で、聴衆の中にはマナー違反と取る人もいるようだ。
モーツァルトやベートーヴェンの時代には、交響曲が丸々演奏されず、1つの楽章が終わったら歌曲が入るなど、もっと雑多な構成であったようだ。聴衆は貴族が多かったが、音楽そっちのけで話す人も珍しくなかったらしい。正しい姿勢で、楽章間拍手なしでという風になったのはワーグナーの影響が大きいと言われている。ワーグナーが礼儀正しかったからではなく、逆に「俺様の音楽を黙って聴け」という尊大な人だったからと言われている。

 

ベートーヴェンの交響曲第2番。今日のコンサートマスターはセンチュリー響客員コンサートマスターの篠原悠那(しのはら・ゆな)。ドイツ指揮の現代配置での演奏である。
日本センチュリー交響楽団は、中編成のオーケストラなので在阪の他の3つのプロコンサートオーケストラに比べるとサイズが小さい。弦楽奏者が全くと言って良いほどビブラートを掛けないピリオド・アプローチによる演奏であったが、ザ・シンフォニーホールの音響をもってしても中編成でのピリオドだと音が弱い。ただ広上淳一とオーケストラ・アンサンブル金沢はザ・シンフォニーホールで「田園」交響曲をきちんと鳴らしていたから、演奏者側の問題も皆無ではないだろう。だが、次第に耳が慣れてくるので音の小ささは余り気にならなくなる。
太田弦は、大きめの総譜を見ながらノンタクトでの指揮。暗譜で振る曲は今日はなかったが、暗譜否定派かも知れない。両手を使って巧みにオーケストラを操る。
流れが良く、フォルムもカチッと決めているのに、今ひとつ手応えを感じないのは指揮者の若さ故だろうか。日本だから31歳でもベートーヴェンを振らせてくれるが、ヨーロッパではそうはいかないかも知れない。「40、50は洟垂れ小僧」の世界である。
いくつか聴いたことのないメロディーなどが聞こえてきたが、あるいはブライトコプフ新版を使っていたのかも知れない。大阪フィルの演奏だったら福山さんに気軽に尋ねることが出来るのだが、センチュリー響にはそうした人はいない。

 

 

武満徹の「波の盆」。民放のテレビドラマのための音楽として書かれ、後に演奏会用に編み直されている。チェレスタとシンセサイザーが入るのが特徴。チェレスタ:橋本礼奈、シンセサイザー:新井正美(女性)
センチュリー響の特徴である、編成が小さいが故に効く音のエッジが印象的。メロディーを美しく歌い上げる。武満は響きの作曲家であるが、今日取り上げる「波の盆」と「系図」はいずれも美しいメロディーを特徴とする。

 

 

武満徹の「系図 -若い人のための音楽詩-」。武満晩年の作品であり、映画用に書くはずだった音楽を語り付きの管弦楽曲にまとめたもので、チャーミングなメロディーと武満ならではの響き、谷川俊太郎のテキストが相まって、武満の次なる方向性を示すはずだったのかも知れないが、幼い頃から病弱だった武満は長生き出来ず、初演の翌年の1996年に他界した。

 

初演は、レナード・スラットキン指揮ニューヨーク・フィルハーモニックによって、1995年4月に行われたが、谷川俊太郎の詩集『はだか』から取られた「おかあさん」のテキストが、「ネグレクトで、相応しくない」と指摘され、危うく初演が流れるところだった。

 

日本でも同年に、岩城宏之指揮NHK交響楽団により、映像作品と実演で初演された。語りを務めたのは、先頃若くして亡くなった遠野なぎこ(当時:遠野凪子)である。
子役として本名でデビューした遠野なぎこであるが、毒親育ちであり、親は子役をやらせることで儲けようとしていた。遠野凪子の芸名で活躍するようになってからもDVやネグレクトなどがあったようである。彼女がテキストをどんな気持ちで読んでいたのかは分からないが、プロに徹して朗読していたような気がする。
遠野なぎこは、シャルル・デュトワ指揮NHK交響楽団の定期演奏でも、テキストを暗記して語り手を務め、小澤征爾指揮サイトウ・キネン・オーケストラとの録音でも語りを行ったが、小澤盤での語りはナチュラルさが失われ、感情過多で良くない。なぜ悪くなったのかは分からないが、小澤の意向だろうか。

 

「系図 -若い人のための音楽詩-」を生で聴くのは3回目。日本語の朗読で聴くのは2回目である。どういうことかというと、初めて聴いたのは、東京オペラシティコンサートホール“タケミツ メモリアル”で聴いたケント・ナガノ指揮リヨン国立歌劇場管弦楽団の来日演奏会で、フランス人の少女によるフランス語の朗読だったのである。武満は語り手について、「15歳前後の少女が望ましい」としているが、この時の少女は15歳ほどだったと記憶している。フランス語は分からないので、音楽だけ聴いていた。
2度目は、横浜みなとみらいホールで行われた、沼尻竜典指揮日本フィルハーモニー交響楽団の横浜定期演奏会。語り手は当時18歳の蓮佛美沙子。座ってテキストを読みながらの朗読であった。今の蓮佛美沙子は名女優だが、18歳の頃は今ほどではなく、演奏が終わった後も少し照れくさそうにしていた。ただ女優といっても、コンサートホールで大勢の聴衆を前に朗読という機会はなかなか巡ってこないのだから貴重な体験だったはずである。なお、この演奏会の記録をWikipediaに書き込んだのは私である。

 

今回、朗読を務める寺田光は、2005年11月19日生まれ。現在、19歳、まもなく二十歳である。大阪府出身。テキストを読みながらの語りである。
ミュージカル女優としてデビュー後、映像にも進出。朗読劇にも参加したことがあるようだ。
アコーディオンのかとう かなこは指揮台右横のスピーカーのすぐ後ろに座って演奏する。ボタン式であるクロマチックアコーディオンを弾く機会が多い人だが、今回は多くの人が目にしたことのある鍵盤式のアコーディオンで演奏を行う。

 

寺田光のテキスト解釈は、私とはズレているところが何カ所かあったが、詩なので解釈が異なるのは当たり前であり、そういうものとして受け入れるしかない。谷川俊太郎の『はだか』は私もお気に入りの詩集で、自分で持っているほか、人にプレゼントしたこともある。

 

かとう かなこは腕利きとして知られるだけに、今回もノスタルジックなメロディーを温かな音で奏でていた。

 

今回は、岩城宏之の編曲による小管弦楽版での演奏である。日本センチュリー交響楽団は、フル編成ではないのでこの版が選ばれたのだろう。初演の指揮者である岩城宏之がなぜ編曲を行ったかというと、彼らは日本初のプロ室内管弦楽団であるオーケストラ・アンサンブル金沢(OEK)の初代音楽監督をしており、OEKの編成ではそのままでは演奏出来ないので、編成を小さくしてもタケミツトーンが生きる編曲をする必要があったのだ。小管弦楽版での初演は、2002年11月20日に、岩城指揮のOEKによって行われた。
岩城は語り手として吉行和子を選んだことがあり、若杉弘も自分の奥さんを語り手にしたことがあるが、これは良くないと思う。「しらないあいだにわたしはおばあちゃんになっているのかしら きょうのこともわすれて」という部分があるため、高齢の人が読むとある症状を連想してしまう。テキストを俯瞰で読めると考えたのだと思われるが、ラストを考えるとやはりこれは若い人が語り手を務めるべき作品である。

 

太田弦指揮する日本センチュリー交響楽団、かとう かなこらによる演奏は、胸が苦しくなるほど美しく、背筋が寒くなるほどに麗しい。抜群の色彩感は武満ならではで、生前、武満と親しかった岩城も、単に編成を切り詰めるだけでなく、響きのポイントを押さえた編曲を行っているように思う。
音楽に国境はないが、日本人でなかったらここまでの美しさはやはり感じ取れなかっただろう。
とはいえ、世界にアピールできる武満作品の一つ、それが「系図 -若い人のための音楽詩-」である。この音楽を知る人は、きっと誰よりも「とおくへ」行ける。

 

拍手が鳴り止まなかったため、太田は総譜を閉じて、「これで終わりです」というパフォーマンスを見せた。

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2025年6月12日 (木)

「God Only Knows」

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2024年12月20日 (金)

「サミュエル・ベケット映画祭」2024 program1 ゲスト:森山未來

2024年12月7日 京都芸術劇場春秋座にて

午後1時から、京都芸術劇場春秋座で、「疫病・戦争・災害の時代に―― サミュエル・ベケット映画祭」2024 program1に接する。2019年のベケット没後30年のサミュエル・ベケット映画祭に続く二度目のサミュエル・ベケット映画祭である。前回は京都造形芸術大学映写室での上映会がメインだったが、今回はキャパの大きい春秋座での開催である。
先にオープニングイベントがあり、今日が本編の初日となる。今日は、「ゴドーを待ちながら」、「ねえ、ジョー」、「クラップの最後の録音」の3作品が上映される。またトークの時間が設けられ、俳優・ダンサーの森山未來が登場する。森山未來を生で見るのは、先月17日のPARCO文化祭以来、と書くと不思議と長そうに思えるが、半月ちょっとぶりなので、同一の有名人に接する期間としては比較的短い。
総合司会兼聞き手は、京都芸術大学大学院芸術研究科教授の小崎哲哉(おざき・てつや)。


まずベケットの代表作である「ゴドーを待ちながら」が上映されるのだが、その前に小崎による解説がある。ベケットが長身で男前だったこと、語学の才に長け、英語、フランス語、ドイツ語、イタリア語などを操ったことを紹介する。性格的には怖い人だったようである。また人前に出るのが嫌いで、ノーベル文学賞を受賞しているが、授賞式には出なかったという。また、下ネタが好きで、「高尚なものから下品なものまで描くのが芸術」だと考えていたようである。便器を「泉」というタイトルで芸術作品にしたマルセル・デュシャンとは仲が良かったようである。


「ゴドーを待ちながら」は、2019年のサミュエル・ベケット映画祭で、京都造形芸術大学映写室で上映されたものと同一内容だと思われる。この時は再生トラブルがあり、途中で中断があって、デッキを交換して上映を続けている。この時はこうした手際の悪さに呆れて以降に上映された作品は観ていない。この大学のいい加減さを象徴するような出来事であった。

「ゴドーを待ちながら」は、エストラゴン(ゴゴ)とウラディミール(ジジ)が一本の木が生えた場所で、ゴドーなる人物を待ち続けるという作品である。途中で、資本家の権化のようなパッツオと、奴隷のラッキーとのやり取りが2回ある。
監督:マイケル・リンゼイ=ホッグ。出演:バリー・マクガヴァン、ジョニー・マーフィーほか。マイケル・リンゼイ=ホッグ監督は、瓦礫だらけの場所を舞台に設定している。明らかに第二次大戦後の荒廃した光景を意識している。
エストラゴンとウラディミールという二人の浮浪者については、余り分かりやすいセリフではないのだが、いい加減に生きてきたから浮浪者になっているのではなく、頑張ってやるだけのことはやったが結局努力が実らなかったことが察せられるものがある。そして二人の人生はもうそれほど長くはない。大人の男の寂寥感が漂っている。ベケットは黒人による「ゴドー」の上演は強化したが、女優による「ゴドー」の上演は禁じている。「女性差別じゃないか」との批判もあったが、ベケットは「女性には前立腺がないから」というをその理由としている。ただ女性二人組にした場合、寂寥感は出ないかも知れない。男性でしか表現出来ないもの、女性にしか表現不可能なものは確かにある。
資本家のポッツォと奴隷のラッキーであるが、こうした組み合わせは戦前までは当たり前のように存在していた構図でもある。法律上は禁止されていても、金持ちが貧乏人がいいように扱うというのは一般的で、今でもある。世界の縮図がこの二人の関係に表れている。
人生そのものを描いたかのような「ゴドーを待ちながら」。何があるのか分からないのだが、とにかく待って生き続けるしかない。


上映終了後、15分の休憩を挟んで、森山未來を迎えてのトークがある。先に書いたとおり、聞き手は小崎哲哉が務める。

小崎はベケットと森山の共通点として、「多領域で活躍し」「格好いい(森山は「イヤイヤ」と首を振る)」などを挙げていた。森山はこれまでベケット作品にはほとんど触れてこなかったそうで、「初心者です」と述べていた。
「ゴドーを待ちながら」は、事前に映像データを貰っていたのだが、冒頭をパソコンで観て、「これはパソコンで観られる作品ではない」と感じ、知り合いの神戸の喫茶店がスクリーン完備だというので、そこを貸してもらって観たそうだ。「見終わって体力的に疲れた」という。
小崎が「ゴドー」が人生を描いたものという説を紹介し、森山も「人生暇つぶし」というよくある解釈が思い浮かんだようだ。

NHK大河ドラマ「いだてん」では森山は落語家の古今亭志ん生の若い頃を演じ、老成してからの志ん生は北野武が演じたが、入れ替わりになるので接点はなかったそうである。ただ、小崎は北野武はベケットから影響を受けているのではないかと指摘する。監督4作目の「ソナチネ」で、沖縄のヤクザに戦いを挑んだ弱小ヤクザ軍団が見事に敗れ、離島に逃げて何もやることがないので時間を潰すというシーンがあるのだが、これは「ゴドー」を念頭に置いているのではないかとのことだった。
なお、落語家の演技は、亡くなった中村勘三郎が抜群に上手かったそうだが、実は勘三郎は、立川談志の楽屋を訪れて弟子入りを志願したそうで、談志に実際に師事していたそうである。また殺陣は勝新太郎に習っていたそうだ。

ベケットの作品は自身の戦争体験が基になっているということで、ダンサーの田中泯の話になる。田中泯は、1945年3月10日、東京の西の方で生まれている。実はこの日、東京の東の方では、いわゆる東京大空襲があり、田中泯自身には東京大空襲の記憶はないだろうが、その日に生まれたということで様々な話を聞かされたのではないかと小崎は語っていた。

小崎は、森山が2020年に行った朗読劇「『見えない/見える』ことについての考察」の話をする。実は小崎はこの公演は観ていないようだが(私は尼崎での公演を観ている)、使われたテキストの作者、ジョゼ・サラマーゴとモーリス・ブランショは共にベケットから強い影響を受けた作家とのことだった。森山未來はそのことについては知らなかったという。


森山未來は神戸市東灘区の出身である。11歳の時に阪神・淡路大震災に被災。しかし東灘区は神戸市内でも特に被害が大きかった場所であるにもかかわらず、森山未來の自宅付近は特に大きな被害はなく、周囲に亡くなった人もいないということで、当事者でありながら周縁者という自覚があり、コンプレックスになっているそうだ。「ゴドー」を観てそんなことを思い出したりしたそうだが、小崎に「ラッキーをやってみたらどうですか? 合うと思いますよ」と言われてちょっと迷う素振りを見せた。

なお、阪神・淡路大震災発生30年企画展「1995-2025 30年目のわたしたち」が兵庫県立美術館で今月21日から開催されるが、森山未來も梅田哲也と共に出展している。


続けて「ねえ、ジョー」の上映。上映時間16分の短編である。監督:ミシェル・ミトラニ、出演:ジャン=ルイ・バロー。声の出演:マドレーヌ・ルノー。
モノクロの映像。男が室内を歩き回り、やがてこちら向きに腰掛ける。そこへ女の声がする。「ねえ、ジョー」と呼びかける女の声は、ジョーのこれまでの人生などを語る。ジョーは涙を流す。
声と表情を分離したテレビ作品である。


「クラップの最後の録音」。ベケット作品の中でも知名度は高い部類に入る。
監督:アトム・エゴヤン。出演:ジョン・ハート。
69歳になる老人、クラップは、これまで毎年、誕生日にテープレコーダーにメッセージを吹き込んできた。30年前に録音した自分の声を聞いたクラップはその余りの内容の乏しさに、自身の人生の空虚さを感じ、悔いを語るメッセージを残すことにする。
小さめのオープンリールのテープレコーダーを使用。実際には民生用のテープ録音機材が発売されてから間もない時期に書かれているため、30年前の録音テープが残っているというのはフィクションである。
老年の寂しさ、生きることの虚しさなどが伝わってくるビターな味わいの作品である。


最後に森山未來が登場。「皆さん、これ3本観るわけでしょう。体力ありますね」と述べていた。

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2024年7月23日 (火)

美術回廊(84) パリ ポンピドゥーセンター 「キュビスム展 美の革命 ピカソ、ブラックからドローネー、シャガールへ」

2024年5月29日 左京区岡崎の京都市京セラ美術館1階南北回廊にて

左京区岡崎の京都市京セラ美術館1階回廊(南・北とも)で、パリ ポンピドゥーセンター「キュビスム展 美の革命 ピカソ、ブラックからドローネー、シャガールへ」を観る。
タイトル通り、パリのポンピドゥーセンターが所蔵するキュビスムの絵画や彫刻、映像などを集めた展覧会。「50年ぶりの大キュビスム展」と銘打たれている。

写実ではなく、キューブの形で描写を行うことを特徴とする「キュビスム(キュービズム)」。抽象画ではなく、あくまで実物をキューブ化して描くのが特徴である。元々は「印象派」同様、どちらかというと蔑称に近かった。パブロ・ピカソとジョルジュ・ブラックによって始まり、最初は不評だったが、代表作「ミラボー橋」で知られる詩人で評論家のギヨーム・アポリネールがその創造性を評論『キュビスムの画家たち』において「美の革命」と絶賛したことで、次第に多くの画家に取り入れられるようになる。マリー・ローランサンがアポリネールと彼を取り巻くように並ぶ友人達を描いた作品(「アポリネールとその友人たち」第2ヴァージョン。ローランサンとアポリネールは恋仲だった)も展示されている。ローランサンもこの絵においてキュビスムの要素を取り入れているが、結局はキュビスムへと進むことはなかった。

キュビスムの源流にはアフリカの民俗芸術など、西洋の美術とは違った要素が盛り込まれており、それがアフリカに多くの領土(植民地)を持っていたフランスに伝わったことで画家達に多くのインスピレーションを与えた。だが、ピカソやブラックが全面的にキューブを取り入れ、分かりにくい絵を描いたのに対し、それに続く者達はキューブを意匠的に用いて、平明な作風にしているものが多い。ピカソやブラックの画風がそのまま継承された訳ではないようで、キュビスムが後々まで影響を与えたのは絵画よりもむしろ彫刻の方である。
ピカソはフランスで活躍したスペイン人、ブラックはフランス人だったが、キュビスム作品を扱った画商のカーンヴァイラーがドイツ系だったため、「キュビスムは悪しきドイツ文化による浸食」と誤解されて、第一次大戦中にフランス国内で排斥も受けたという。ブラックらキュビスムの画家も前線に送られ、カメレオン画家のピカソはまたも画風を変えた。これによりキュビスムは急速に衰えていく。

ピカソもブラックも楽器を題材にした作品を残している。ブラックは、「ギターを持つ女性」を1913年の秋に描き、翌1914年の春に「ギターを持つ男性」を作成して連作としたが、「ギターを持つ男性」が抽象的であるのに対して、「ギターを持つ女性」の方はキュビスムにしては比較的明快な画風である。顔などもはっきりしている。

キュビスムの画風はフェルナン・レジェ、ファン・グリスによって受け継がれたが、それ以降になると具象的な画の装飾的傾向が強くなっていく。
ロベール・ドローネーは、キュビスムを取り入れ、都市を題材にした絵画「都市」と壮大な「パリ市」を描いたが、マルク・シャガールやアメデオ・モディリアーニになるとキュビスムと呼んで良いのか分からなくなるほどキュビスム的要素は薄くなる。共に個性が強すぎて、流派に吸収されなくなるのだ。

発祥の地であるフランスでは衰えていったキュビスムであるが、他国の芸術には直接的にも間接的にも影響を与え、イタリアの未来派やロシアの立体未来主義に受け継がれていく。

フランスにおけるキュビスムを総括する立場になったのが、建築家、ル・コルビュジエの名で知られるシャルル=エドゥアール・ジャヌレ=グリである。ル・コルビュジエは画家としてスタートしており、キュビスムの影響を受けた絵画が展示されている。初期のキュビスムとは異なり、込み入った要素の少ない簡素な画だが、シンプルな合理性を重視した建築家としての彼のスタイルに通じるところのある作品である。ル・コルビュジエは、「純粋主義(ピュリスム、ピューリズム)」を提唱し、『キュビスム以降』を著して、装飾的傾向が強くなったキュビスムを批判し、よりシンプルで一般人の関心を惹く芸術を目指した。

最後に展示されているのは、実験映画「バレエ・メカニック」(1924年)である。坂本龍一が影響を受けて、同名の楽曲を作曲したことでも知られるフェルナンド・レジェとダドリー・マーフィー制作の映像作品で、作曲はアメリカ人のジョージ・アンタイル。彼の作曲作品の中では最も有名なものである。上映時間は13分48秒。
音楽は何度も反復され、映像は断片的。女性の顔がアップになったり、部分部分が隠されたり、同じシーンが何度も繰り返されたり、機械が動く要素が映されたり、マークが突如現れたりと、当時の最前衛と思われる技術をつぎ込んで作られている。キュビスムとは直接的な関係はないかも知れないが、現実の再構成やパーツの強調という似たような意図をもって作られたのだろう。

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2024年5月18日 (土)

これまでに観た映画より(333) コンサート映画「Ryuichi Sakamoto|Opus」

2024年5月11日 イオンシネマ京都桂川スクリーン8にて

イオンシネマ京都桂川まで、コンサート映画「Ryuichi Sakamoto|opus」を観に出掛ける。「Ryuichi Sakamoto|opus」は日本全国で上映されるが、京都府で上映されるのはイオンシネマ京都桂川のみである。生前の坂本龍一が音響監修を務めた109シネマズプレミアム新宿で先行上映が開始され、昨日5月10日より全国でのロードショー公開が始まっている。

イオンシネマ京都桂川の入るイオンモール京都桂川は、京都市の南西隅といっていい場所に建っており、すぐ南と西は京都府向日(むこう)市で、敷地の一部は向日市内に掛かっている。
最寄り駅はJR桂川駅と阪急洛西口駅で、桂川駅は目の前、洛西口駅からも近く、交通の便はいいのだが、立地面からこれまで訪れたことはなかった。ただイオンシネマ京都桂川でしか上映されないので行くしかない。イオンモール京都桂川とイオンシネマ京都桂川は2014年オープンと新しく、「Ryuichi Sakamoto|opus」が上映されるイオンシネマ京都桂川スクリーン8はDolby Atmos対応で、音響面から選ばれたのだと思われる。

洛西口駅を東に出て、歩いて5分ほどのところにあるイオンモール京都桂川に入る。横断歩道に直結しており、2階から入ることになった。


「Ryuichi Sakamoto|opus」は、坂本がNHKの509スタジオを借りて数日掛けてモノクロームで収録し、「これが最後」のコンサートとして有料配信したピアノ・ソロコンサート「Playing the Piano 2022」の完全版である。「Playing the Piano 2022」(13曲60分)の倍近くの長さ(20曲115分)があり、配信コンサートではおまけとして流されたアルバム「12」に収録された音楽の実演の姿も見ることが出来る。また、別テイクも収録されている。監督は空音央(そら・ねお。坂本龍一の息子)、撮影監督はビル・キルスタイン、編集は川上拓也、録音・整音はZAK、照明は吉本有輝子。3台の4Kカメラでの収録で、この時、坂本は体力的に一日数曲弾くのがやっとだった。

映画館の入り口でポストカードが配布され、裏面にセットリストが載せられている。
曲目は、「Lack of Love」、「BB」、「Andata」、「Solitude」、「for Johann」、「Aubade 2020」、「Ichimei-small happiness」、「Mizu no Naka no Bagatelle」、「Bibo no Aozora」、「Aqua」、「Tong Poo」、「The Wuthering Heights」、「20220302-sarabande」、「The Sheltering Sky」、「20180219(w/prepared piano)」、「The Last Emperor」、「Trioon」、「Happy End」、「Merry Christmas Mr.Lawrence」、「Opus-ending」。邦題やカタカナ表記の方が有名な曲もあるが、一応、オリジナル通りアルファベットのみで記した。

ピアノは、2000年に坂本龍一のためにカスタムメイドされ、長年コンサートやレコーディングで愛用してきたYAMAHAのCFⅢS-PSXG(シーエフスリーエス ピーエスエックスジー)が使用されている。

イタリアでやると何故か大受けする曲で、映画「バベル」にも用いられた「Bibo no Aozora(美貌の青空)」は原曲の長さが終わっても弾き続け、主旋律を保ったまま伴奏を暗くしていくという実験を行っており、途中で納得がいかずに演奏を中断。弾き直してまた止めてやり直すというシーンが収められており、演奏を終えた後で坂本は「もう一度やろうか」と語る。NGテイクが映画では採用されていることになる。

1曲目の「Lack of Love」は全編、ピアノを弾く坂本の背後からの撮影。後頭部を刈り上げてもみあげを落としたテクノカットにしていることが分かる。
YMO時代の代表曲「Tong Poo(東風)」は、リハーサルからカメラが回っており、練習する坂本の姿が捉えられている。

ジュリエット・ビノシュ主演のイギリス映画「嵐が丘」のテーマ曲である「The Wuthering Heights」や、市川海老蔵(現・第十三代目市川團十郎白猿)主演の映画「一命」のテーマ曲である「Ichimei-small Happiness」は、コンサートにおいてピアノ・ソロで演奏するのは初めてだそうである。特に「The Wuthering Heights(嵐が丘)」は、KABからピアノ・ソロ版の楽譜が出版されているだけに意外である。

2020年にも配信でピアノ・ソロコンサートを行った坂本だが、生配信を行ったのは、「癌で余命半年」との宣告を受けた翌日であり、自身では何が何だか分からないまま終わってしまった。これが最後になるのはまずいということで、2022年の9月に8日間掛けて収録されたのが今回の映画と、元になった配信コンサートである。坂本本人は出来に満足しているようである。
坂本本人も指摘されていたようだが、年を重ねるごとにピアノのテンポが遅くなっており、今回のコンサート映画の演奏もテンポ設定は全編に渡って比較的遅めである。誰でもそうした傾向は見られ、収録時70歳ということを考えれば、バリバリ弾きこなすよりもじっくりと楽曲に向かい合うようになるのも当然かも知れない。またこの時点で死が目前に迫っていることは自覚しており、彼岸を見つめながらの演奏となったはずだ。

坂本のピアノ・ソロで聴いてみたかった曲に「High Heels」がある。ペドロ・アルモドバル監督のスペイン映画「ハイヒール」のメインテーマで、これもKABからピアノ・ソロ版の楽譜が出ており、実は私も弾いたことがある。坂本本人がメインテーマをピアノで弾いたことがあるのかどうか分からないが(別バージョンのピアノの曲はサウンドトラックに収められていたはずである)、弾いていたらきっと良い出来になっていただろう(その後、音源を発見した)。

エンディングの「Opus」は、当然ながら坂本が弾き始めるが、途中でピアノの自動演奏に変わり、演奏終了後にスタジオを去る坂本の足音が収録されていて、「不在」が強調されている。
坂本の生年月日と忌日が映され、坂本が愛した言葉「Ars Longa,vita brevis(芸術は長く、人生は短し)」の文字が最後に浮かび上がる。

ピアノ一台と向かい合うことで、坂本龍一という存在の襞までもが明らかになるような印象を受ける。彼の音楽の核、クラシックから民族音楽まで貪欲に取り込んで作り上げた複雑にしてそれゆえシンプルな美しさを持った音の彫刻が屹立する。それは他の誰でもない坂本龍一という唯一の音楽家が時代に記した偉大なモニュメントであり、彼の音楽活動の最後を記録した歴史的一頁である。

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2024年5月 5日 (日)

観劇感想精選(460) RYUICHI SAKAMOTO+SHIRO TAKATANI 「TIME」京都初演

2024年4月27日 左京区岡崎のロームシアター京都メインホールにて

午後2時から、左京区岡崎のロームシアター京都メインホールで、坂本龍一の音楽+コンセプト、高谷史郎(ダムタイプ)のヴィジュアルデザイン+コンセプトによるシアターピース「TIME」を観る。坂本が「京都会議」と呼んでいる京都での泊まり込み合宿で構想を固めたもので、2019年に坂本と高谷史郎夫妻、浅田彰による2週間の「京都会議」が行われ、翌2020年の坂本と高谷との1週間の「京都会議」で大筋が決定している。当初は1999年に初演された「LIFE」のようなオペラの制作が計画されていたようだが、「京都会議」を重ねるにつれて、パフォーマンスとインスタレーションの中間のようなシアターピースへと構想が変化し、「能の影響を受けた音楽劇」として完成されている。
2021年の6月にオランダのアムステルダムで行われたホランド・フェスティバルで世界初演が行われ(於・ガショーダー、ウェスタガス劇場)、その後、今年の3月上旬の台湾・台中の臺中國家歌劇院でのアジア初演を経て、今年3月28日の坂本の一周忌に東京・初台の新国立劇場中劇場で日本初演が、そして今日、ロームシアター京都メインホールで京都・関西初演が行われる。
京都を本拠地とするダムタイプの高谷史郎との作業の中で坂本龍一もダムタイプに加わっており、ダムタイプの作品と見ることも出来る。

出演は、田中泯(ダンサー)、宮田まゆみ(笙)、石原淋(ダンサー)。実質的には田中泯の主演作である。上演時間約1時間20分。

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なお、シャボン玉石けんの特別協賛を受けており、配布されたチラシや有料パンフレットには、坂本龍一とシャボン玉石けん株式会社の代表取締役社長である森田隼人との対談(2015年収録)が載っており、来場者には「浴用 シャボン玉石けん 無添加」が無料で配られた。

「TIME」は坂本のニュートン時間への懐疑から構想が始まっており、絶対的に進行する時間は存在せず、人間が人為的に作り上げたものとの考えから、自然と人間の対比、ロゴス(論理、言語)とピュシス(自然そのもの)の対立が主なテーマとなっている。

舞台中央に水が張られたスペースがある。雨音が響き、鈴の音がして、やがて宮田まゆみが笙を吹きながら現れて、舞台を下手から上手へと横切っていく。水の張られたスペースも速度を落とすことなく通り過ぎる。
続いて、うねるようでありながらどこか感傷的な、いかにも坂本作品らしい弦楽の旋律が聞こえ、舞台上手から田中泯が現れる。背後のスクリーンには田中のアップの映像が映る。田中泯は、水の張られたスペースを前に戸惑う。結局、最初は水に手を付けただけで退場する。
暗転。
次の場面では田中泯は舞台下手に移動している。水の張られたスペースには一人の女性(石原淋)が横たわっている。録音された田中泯の朗読による夏目漱石の「夢十夜」より第1夜が流れる。「死ぬ」と予告して実際に死んでしまった女性の話であり、主人公の男はその遺体を真珠貝で掘った穴に埋め、女の遺言通り100年待つことになる。
背後のスクリーンには石垣の中に何かを探す田中泯の映像が映り、田中泯もそれに合わせて動き出す。

暗転後、田中泯は再び上手に移っている。スタッフにより床几のようなものが水を張ったスペースに置かれ、田中泯はその上で横になる。「邯鄲」の故事が録音された田中の声によって朗読される。廬生という男が、邯鄲の里にある宿で眠りに落ちる。夢の中で廬生は王位を継ぐことになる。

田中泯は、水を張ったスペースにロゴスの象徴であるレンガ状の石を並べ、向こう岸へと向かう橋にしようとする。途中、木の枝も水に浸けられる。

漱石の「夢十夜」と「邯鄲」の続きの朗読が録音で流れる。この作品では荘子の「胡蝶之夢」も取り上げられるが、スクリーンに漢文が映るのみである。いずれも夢を題材としたテキストだが、夢の中では時間は膨張し「時間というものの特性が破壊される」、「時間は幻想」として、時間の規則性へのアンチテーゼとして用いているようだ。

弦楽や鈴の響き、藤田流十一世宗家・藤田六郎兵衛の能管の音(2018年6月録音)が流れる中で、田中泯は橋の続きを作ろうとするが、水が上から浴びせられて土砂降りの描写となり、背後にスローモーションにした激流のようなものが映る。それでも田中泯は橋を作り続けようとするが力尽きる。

宮田まゆみが何事もなかったかのように笙を吹きながら舞台下手から現れ、水を張ったスペースも水紋を作りながら難なく通り抜け、舞台上手へと通り抜けて作品は終わる。

自然を克服しようとした人間が打ちのめされ、自然は優雅にその姿を見守るという内容である。

坂本の音楽は、坂本節の利いた弦楽の響きの他に、アンビエント系の点描のような音響を築いており、音楽が自然の側に寄り添っているような印象も受ける。
田中泯は朗読にも味があり、ダンサーらしい神経の行き届いた動きに見応えがあった。
「夢の世界」を描いたとする高谷による映像も効果的だったように思う。
最初と最後だけ現れるという贅沢な使い方をされている宮田まゆみ。笙の第一人者だけに凜とした佇まいで、何者にも脅かされない神性に近いものが感じられた。

オランダでの初演の時、坂本はすでに病室にあり、現場への指示もリモートでしか行えない状態で、実演の様子もストリーミング配信で見ている。3日間の3公演で、最終日は「かなり良いものができた」「あるべき形が見えた」と思った坂本だが、不意に自作への破壊願望が起こったそうで、「完成」という形態が作品の固定化に繋がることが耐えがたかったようである。

最後は高谷史郎が客席から登場し、拍手を受けた。なお、上演中を除いてはホール内撮影可となっており、終演後、多くの人が舞台セットをスマホのカメラに収めていた。

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2022年9月 8日 (木)

「BRIAN ENO AMBIENT KYOTO」2022

2022年8月31日 七条の京都中央信用金庫旧厚生センターにて

東本願寺の近くにある京都中央信用金庫旧厚生センターで、「BRIAN ENO AMBIENT KYOTO」を聴くのか観るのか、まあ「体験する」と書くのが適当だろうか。とにかく接する。
アンビエントミュージックの提唱者であり、今も第一人者として活躍するブライアン・イーノの個展で、音楽と映像、美術からなる。京都中央信用金庫旧厚生センターの1階から3階までの全てを利用し、4つのスペースを用いて展示は行われる。3階から観ていくのが順路である。
3階の「The Ship」は、タイタニック号の沈没や第一次大戦、そして傲慢さやパラノイアの間を揺れ動き続ける人間をコンセプトとした作品であり、「Whe I was young Soldier」という言葉や、カーテンがはためくような音楽、そして続くポップスのような歌など、多彩な作風による音楽が薄闇の中で流れている。目が慣れるまでに時間が掛かるがそれもまた一興である。

「時効警察」の三日月しずか(麻生久美子)のセリフ、「いいのいいの、ブライアン・イーノ」でもお馴染みの(?)ブライアン・イーノ。私がイーノを知ったのは例によって坂本龍一経由である。1992年に発売された雑誌で坂本龍一の特集が組まれており、教授のインタビューとお薦めのCDが載っていて、その中にブライアン・イーノのCDの紹介記事があった。

ブライアン・イーノのアンビエントミュージックと映像に接するのは初めてではなく、以前も大阪で同様の個展に接しているが、その時はイーノ一人ではなく、複数のアンビエントミュージックのミュージシャンによる合同での個展であった。イーノ一人の個展に接するのは初めてだと思われる。

3階にはもう一つ、「Face to Face」(世界初公開作品で、36000人以上の顔を写真に収め、特殊なソフトウェアを使って一つの顔から別の顔へと少しずつ推移していく様を繰り返すという展示と音楽である。この「Face to Face」は、音楽よりも映像が主役という印象を受けた。

2階には、「Light Boxes」という展示がある。キュビズムのような表現作品(絵画ではないので、そうとしか言い様がない)がLED照明によって徐々に色を変え、それを彩るような音楽が流れる。

メインとなるのは1階の「The Lighthouse」で、この展示だけ「滞在時間30分間」という時間制限がある。ソファーがいくつも置かれ、そのソファーの群れと対峙する形で、時計のように円形に広がった展示作品がある。展示作品は複数の画で構成されており、徐々に移り変わる。音楽も面白く、ここには20分ほど滞在した。

ブライアン・イーノの音楽は細胞の一つひとつに染み込んで、体内で膨張していくような静かな生命力を感じるものである。

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