カテゴリー「イタリア映画」の13件の記事

2026年1月19日 (月)

NHKBS「坂本龍一コンサート リマスター版」

2025年12月30日

「坂本龍一コンサート リマスター版」の第1部と第2部を視聴。

私が買った坂本龍一の最初のアルバムは「Beauty」であるが、その1つ前のアルバム(分量から行くとミニアルバムに近い)が「Neo Geo」であり、第1部はそれに含まれている曲が中心のコンサートである。
NHKBSの映像であるが、年号がまだ昭和表記である。62年7月19日(1987年7月19日)、NHKホールでの公演。

「Neo Geo」は続く「Beauty」同様、坂本龍一が沖縄の音楽に接近した時期の音楽である。
東京藝術大学で小泉文夫に師事した坂本は、民族音楽への造詣も深かった。
古謝美佐子(こじゃ・みさこ)、我如古順子(がねこ・よりこ)、玉城一美という今では沖縄歌謡の重鎮となっている3人を集めた「オキナワチャンズ」の歌が強烈である。
坂本は、「日本は単一民族国家と思われているが冗談じゃない」との思いから、沖縄の音楽を積極的に取り上げている。
「童神」の作者としても知られる古謝美佐子は、ネーネーズのメンバーとしても有名だったが、この時期にはまだネーネーズは結成されていない(1990年結成)。

坂本龍一は、オキナワチャンズのメンバーも連れたワールドツアーを行っているが、ベルリン公演の前にオキナワチャンズのメンバーの一人が、体調不良で出られないということで、スタッフの一人がそれを坂本に告げに行く。坂本は一人離れたところで煙草を吸っていた。「ああ、そう」といった風に首を縦に振っただけだったが、そこに至るまでの坂本の佇まいがひどく孤独に見えた。
坂本は天性のメロディーメーカーである。しかし、なぜ人に受けるメロディーを簡単に書くことが出来るのか、自分でも戸惑っていたようなところがある。
「ずっと考えていることなんですが、自分でできてしまうことと、ほんとにやりたいことというのが、どうも一致しない場合が多いんです。できてしまうから作っているのか、本当に作りたいから作っているのか、その境い目が、自分でもよくわからないんですね」(「sitesakamoto」内、1998年10月5日の日記)。
旧フェスティバルホールで行われた、「/05」コンサートでも坂本は、「energy flow」を弾いた後で、「全く悪くない。全く悪くないのですが、それほどですか?」と客席に問いかけている。オリコンチャートでインストゥルメンタル作品として初めて1位を獲得した「energy flow」(正式には「energy flow」を含むミニアルバム「裏BTTB」)。5分ぐらいで書いた曲で、おそらく坂本本人も気楽に作ったと思われる。それが受けるというのがよく分からないようだ。
ドキュメンタリー映画「アルゲリッチ 私こそ、音楽!」でのアルゲリッチも彼女にしか出来ない演奏をするがなぜそうした演奏が出来るのか本人にも分からず、寂しそうな表情を浮かべる場面がある。
坂本龍一の孤独もそれに通ずるように見える。自分がよく分からないという感覚。苦労して作っても評価されなかった曲もあるのだからなおさらだ。


1曲目で奏でられるのは、坂本のピアノソロによる「BEFORE LONG」。シンプルながら聴き映えのする曲である。TOTOかどこかのCM曲にもなった。非常に短い曲だが、後にロングバージョンが作られる。

「Ballet Mechanic」は、まず岡田有希子に「WONDER TRIP LOVER」の名で提供された曲で、その後、自身で「Ballet Mechanic」をカバー。その後、中谷美紀に「クロニック・ラヴ」としても提供されるなど、教授お気に入りのナンバーだった。

「戦場のメリークリスマス」では、中国の箏奏者である姜小青が主旋律を奏でている。坂本龍一の著書である『Seldom Illegal』には、姜小青のことにも触れられており、文化大革命のただ中で幼少期から青春期を過ごしているが、「彼女、ピアノが弾けるのね。文化大革命の最中であってもピアノのレッスンを受けられる層がちゃんとあったんだ」と、文革を一方的なイメージで捉えるべきではないと示唆している。

坂本龍一は上下共に真っ赤なスーツ。日本人で赤いスーツを着こなせる人は余りいないと思われるが、やはり教授は絵になる。


「坂本龍一コンサート リマスター版」の第3部を観る。ピアノ:坂本龍一。大友直人指揮東京交響楽団の演奏。1988年4月9日と10日に渋谷区神南のNHKホールで行われた公演である。二胡:姜建華、琵琶:陶敬穎、箏:姜小青。
「SAKAMOTO PLAYS SAKAMOTO」のタイトルで、公演時には「オーケストラコンサート」とも呼ばれたようだが、ライブ音源をCDとして出すにあたり、「Playing the Orchestra」のタイトルが付けられ、以後、坂本龍一によるオーケストラコンサートは、「Playing the Orchestra」という名称で統一されるようになる。
ということで、後に「Playing the Orchestra」の第1回目となる公演は、映画「ラストエンペラー」の音楽と、「BEFORE LONG」のロングバージョン、「大航海」、そして「戦場のメリークリスマス」の音楽のオーケストラ版の3部構成となっている。

ベルナルト・ベルトリッチ監督の「ラストエンペラー」に満州国のフィクサーである甘粕正彦役としてオファーを受けた坂本龍一。だが映画音楽を書く予定は当初はなかった。坂本龍一も「あるかな」と思いながら撮影も終わり、半年が過ぎた頃にベルトリッチから、「映画音楽を書いてくれ2週間で」と依頼があり、それまで中国音楽に関しては何の勉強もしていなかった坂本龍一は、「中国音楽全集」LP全10巻といったようなものを急いで手に入れて聴き、以降は2週間ほぼ不眠不休で作曲作業に励むことになる。2週間という締め切りに間に合わせ、誇りとしたそうだが、過労により体調を崩して入院。突発性難聴にもなったそうだ。
「ラストエンペラー」の音楽は、デヴィッド・バーン、コン・スー(蘇聡。スー・ツォン)との連名でアカデミー賞音楽賞を受賞。オスカー像を手にする。
オーケストレーションにまでは手が回らず、他人に任せているが、今回のコンサートでは誰のオーケストレーションなのかは判然としない。楽器編成に中国の伝統楽器が入っており、「メインテーマ」などはフォルテシモのまま終わるなど、オリジナルサウンドトラックの時と同じ要素が見受けられる。坂本龍一本人のオーケストレーションによる演奏は、冒頭で弦が揺れるような音運びを見せ、ラストはフォルテシモになってから少し音量を下げて終わる。他の曲も映画の時のオーケストレーションに近い。坂本龍一は、自作のオーケストレーションを狭間美帆や藤倉大などの若手音楽家に任せる場合があり、それほど自身のオーケストレーションには固執していないように思える。

当時、期待の若手指揮者だった大友直人。NHK交響楽団の定期演奏会に登場したり、NHK大河ドラマのオープニングテーマの指揮を任されたりと、NHKからも気に入られていたようである。指揮者にしては男前でファンクラブもあったはずだが、今はどうなのか分からない。ここでも自然体の音楽を作っているが、その後、指揮棒を手にしない機会が増え、フォルムで押すタイプの指揮者になるのだから分からない。ただ確執があったと思われる小澤征爾が亡くなり、大友の音楽性も少しずつ変化しつつある。アジアオーケストラウィークで京都市交響楽団を指揮した時には柔らかさが少し出ていた。
東京交響楽団は、東京の名を冠したまま、神奈川県川崎市のミューザ川崎コンサートホールを本拠地とし、ユベール・スダーンやジョナサン・ノットを音楽監督に迎えて、今まさに最盛期にあるが、この演奏会が行われたバブル期には、「手堅い」オーケストラと見なされていた。

CD「Playing the Orchestra」は、初出のものは手に入らず、再発のものを手に入れて聴いていた。ロングバージョンの「BEFORE LONG」を知ったのもCD「Playing the Orchestra」においてで、その後に楽譜を手に入れて全曲弾けるまで練習した。全て千葉時代のことで、京都に来てからはピアノを弾ける環境にないため、今弾けと言われても無理だと思うが。

「マンチューコー・パーティー」、「マンチューコー・ワルツ」など、印象的ながらオリジナルサウンドトラックに入っていない楽曲も含まれているため、「ラストエンペラー」という映画を愛する人には必携の音源となっている。ただもう誰かがYouTubeなどにアップしているかも知れない。

「戦場のメリークリスマス」のオリジナルサウンドトラックは、シンセサイザーと打ち込みで作られており、オーケストラとピアノ用に坂本龍一が改めて編曲している。

大友と東響の丁寧な演奏により楽曲を楽しむことが出来るが、今、2025年から2026年になろうとしている時代の日本のオーケストラが演奏したら遙かに細やか且つパワフルな演奏が成し遂げられるような気がする。坂本龍一本人は、もうその演奏を聴くことは出来ない訳だが。

アンコールとして、中国から来た3人の民族楽器奏者をメインとする「ラストエンペラー」メインテーマが演奏された。
その中の一人である姜建華は、日本で二胡をポピュラーな楽器にした立役者の一人で、日本で二胡を教えたりもしていた。京都でも何度かコンサートを行っているが、残念ながら巡り合わせが悪く、行けていない。

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2026年1月11日 (日)

これまでに観た映画より(424) ロベルト・ロッセリーニ監督作品「ドイツ零年」

2026年1月7日 京都シネマにて

京都シネマで、ロベルト・ロッセリーニ監督作品「ドイツ零年」を観る。1948年の作品。第二次世界大戦に敗れた1945年をドイツ零年として描いた作品である。上映時間74分の中編。出演:エドムント・メシュケ、エルンスト・ピットシャウ、インゲトラウト・ヒンツェ、フランツ・クリューガーほか。

焼け跡の残るベルリンでロケが行われている。ロベルト・ロッセリーニというと、「無防備都市」などで素人を大量に使った演出で、「戦艦ポチョムキン」(これらも素人を大量に動員)に匹敵する生々しさを生み、「無防備都市」を観たイングリッド・バーグマンは、全てを投げ出してロッセリーニの下へと走る。結婚した二人は、映画および演劇「火刑台のジャンヌ・ダルク」を上演。大ヒットを記録するが、これに味を占めたロッセリーニは、何度も何度も舞台「火刑台のジャンヌ・ダルク」を上演。何度も焼かれては死ぬ乙女を演じなければならなかったバーグマンは、やがてロッセリーニの下を去る。
その後のロッセリーニの情報は少ない。再婚しており、映画も監督したが、日本で上映された作品はほとんどないようだ。

「ドイツ零年」は、連合国軍によって分割統治されているベルリンが舞台である。ドイツ語の他に、英語やフランス語などが統治を行っている兵士の口から話される。イタリア語も用いられているようだが、確認は出来なかった。

この映画でも、大量動員されているのはエキストラではなく素人の可能性が高い。動きが整然としていないため、生々しさがある。端役俳優にも素人が抜擢され、主役のエドムントを演じるエドムント・メシュケも子役ではなく、家族が運営するサーカスで芸を行っていた11歳の少年である。

主人公は、12歳の少年、エドムントである。家族と、更に別の家族とも暮らしているようである。父親は病気で働くことが出来ず、兄のカールハインツは、最後までナチス兵として戦ったが、そのことが災いして強制収容所に入れられるのではないかと怖れ、引きこもり状態になっている。働き手が足りないので、姉のエヴァと共にエドムントも年齢を15歳と偽って、市場に出るが、見た目がどう見ても12歳であるため、「15歳未満は働いてはいけない」という法律によって追い返される。

一家の物語でありながら、ドイツの近年の歴史を辿るような展開が起こる。
エドムントは、戦後もナチを信奉している元教師のエニングと再会する。エニングは、「強い者が勝ち、弱い者は滅ぼされる」「弱肉強食」といったナチスの発想を今も抱いている。エドムントは次第にエニングに感化されていく。

エドムントは、父親を毒殺し、ラストは飛び降りて死ぬ。
ヒトラーのヒンデンブルクの死による政権奪取と、ベルリン陥落により二度負けたドイツそのものである。こうした描写は比較的分かり易いと思われる。

ヒトラーの演説が入ったレコードをエドムントが売りに行く場面があり、ヒトラーの演説も流れる。ヒトラーは簡単なことを何度も何度も繰り返し述べているが、洗脳にはこれが最も有効とされている。今生きる私たちに言えるのは、こういう人物がいたら注意しなさいということだけだ。真理が分かり易い言葉で語られることは余りない。それが分かるように我々は、子どもの時から何年も学校に通っているのである。

問題があるとしたら音楽。ロベルト・ロッセリーニの弟であるレンツォ・ロッセリーニが担当しているのだが、余りにも大袈裟で、この映画に関しては正直、神経に障る。

 

今回は、ジャン=リュック・ゴダール監督の「新ドイツ零年」と合わせての上映である。第二次世界大戦での敗北をドイツ零年としてロッセリーニに対し、ロッセリーニから影響を受けたゴダールは、東西ドイツ統一を新ドイツ零年としている。

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2026年1月 8日 (木)

これまでに観た映画より(423) 「ドマーニ!愛のことづて」

2025年4月3日 京都シネマにて

京都シネマで、イタリア映画「ドマーニ!愛のことづて」 を観る。2024年の制作であるが、モノクロームを使っているのは(解像度はかなり高い)、ネオリアリズモからの影響や、第二次大戦後間もなくということと、当時のイタリアの女性は彩り豊かな人生を歩むことが困難ということの両方を表しているように思われる。
監督・脚本・主演の三役をこなすのは、パオラ・コルテッレージ。イタリアは基本的にファーストネームがaの音で終わるのが女性、oで終わるのが男性である(例外あり)。
パオラ・コルテッレージは、劇団出身で、イタリアではコメディエンヌとして知られる人物であるという。ただ今回は女性蔑視という、根源的で根深い問題に切り込んでいる。
ちなみにパオラは、左利き。日本だとこの世代では強制的に右利きへの矯正が行われることが多かったが、イタリアではどうだったのか分からない。ちなみに人種に関係なく、10人に1人の割合で左利きは存在するという。日本も今でこそ左利きに寛容であるが、江戸時代までは、右利きが当たり前であり、左利きは身体障害者と見なされて差別の対象となった。そのため右利きへの矯正が当たり前であった。
出演は他に、ヴァレリオ・マスタンドレア、ロマーナ・マッジョーラ・ヴェルガーノ、ヴィニーチョ・マルキオーニ、エマヌエラ・ファネッリほか。

1946年5月、イタリアが第二次世界大戦で敗北してからほどない時代のローマが舞台となっている。
デリア(パオラ・コルテッレージ)は、半地下の家で家族と暮らしているが、戦争帰りの夫のイヴァーノ(ヴァレリオ・マスタンドレア)は暴力的である。また部屋で寝たきりの義父のオットリーノがいるのだが、彼も男尊女卑の思想の持ち主である。実は彼が亡くなった後、人々は口々に彼を「聖人」と称賛しているが、ここから女性は見下されるのが当たり前の存在であったことが分かる。男同士で評価が高ければ、女性に対してどれだけ冷淡でも評価されるのだ。
デリアは、自動車整備工のニーノ(ヴィニーチョ・マルキオーニ)と長年に渡り惹かれ合っているが、妻子がいるため踏みとどまっている。ニーノは後悔を口にした。
デリアの娘であるマルチェッラ(ロマーナ・マッジョーラ・ヴェルガーノ)は、ジュリオという色男と付き合っている。彼を家に呼ぶため、デリアは奔走するが、ジュリオはマルチェッラに、「仕事を辞めて家に入ってほしい」など、いかにも男性的な要求を行う。デリアはジュリオに不審を抱く。

妻や義理の娘を時に女中のように扱う男達。今の観点から見ると化け物のようにも見え、ステロタイプに過ぎるようにも思えるのだが、おそらく似たようなことは往時もあったであろうし、何よりも女性の立場が弱い状態は現在も世界各地で続いている。

突然、歌が始まるなど、インド映画が始まったのかと思うようなところのある演出。音楽が重要な役割を担っており、重苦しい展開の中で、音楽パートだけは希望が持てるようになっている。

ラストシーンは、女性に選挙権が認められての初めての選挙。デリアは投票券をうっかり家の中に落としてきてしまうが、マルチェッラが届けに現れ、事なきを得る。女性参政権に反対のイヴァーノが引き下がるのも印象的である。

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2025年3月28日 (金)

コンサートの記(896) 東北ユースオーケストラ演奏会2025@サントリーホール・マチネー公演

2025年3月21日 東京・溜池山王のサントリーホールにて

午後3時から溜池山王のサントリーホールで、東北ユースオーケストラ演奏会2025・マチネー公演を聴く。

東北ユースオーケストラ(TYO)は、東日本大震災で大きな被害を受けた東北地方の復興のために、坂本龍一が音楽監督として立ち上げたユースオーケストラ。小学生から大学院生までの若者が在籍している。入団に関しては音楽経験は不問で、やる気だけが入団条件である。まだ小学生で震災を知らない子もメンバーに加わっている。
今回のコンサートでは、演奏指導を行った東京フィルハーモニー交響楽団の楽団員のゲスト出演や東北ユースオーケストラの卒団生賛助出演などがある。またコンサートミストレス(無料パンフレットなどにも表記はなく、氏名は不明)のフォアシュピーラーは、ウクライナから今日のために駆けつけたイリア・ボンダレンコが務める。

震災発生後、坂本は東北地方を回り、壊れた学校の楽器の修復に尽力すると共に、「こどもの音楽再生基金」を立ち上げ、2012年に「スクール・ミュージック・リヴァイヴァル・ライブ」を開催。翌年も「スクール・ミュージック・リヴァイヴァル・ライブ」を行い、そこから東北ユースオーケストラが生まれた。リハーサルなどでの指揮やピアノは坂本本人が受け持ったが、専属の指揮者は坂本が栁澤寿男(やなぎさわ・としお)を指名。今日も栁澤が指揮を務める。

 

開演前に、東北ユースオーケストラのメンバー数名が登場。自己紹介や楽団、楽曲の紹介、プログラムの意図説明などを行った。

 

曲目は、坂本龍一の「Castalia」、坂本龍一の「Happy End」、坂本龍一作曲/篠田大介編曲の「Tong Poo」(ピアノ独奏:三浦友理枝)、坂本龍一作曲/篠田大介編曲の「Piece for Ilia」(ヴァイオリン独奏:イリア・ボンダレンコ)、坂本龍一の「いま時間が傾いて」、坂本龍一の「BB」(朗読:吉永小百合)、坂本龍一の「Parolibre」(朗読:吉永小百合。ピアノ独奏:三浦友理枝)、坂本龍一の「母と暮せば」(朗読:吉永小百合)、藤倉大の作・編曲によるThree TOHOKU Songs(大漁唄い込み、南部よしゃれ、相馬盆歌)、坂本龍一の「Little Buddha」、坂本龍一の「The Last Emperor」、坂本龍一の「Merry Christmas Mr.Lawrence(戦場のメリークリスマス)」(ピアノ独奏:三浦友理枝)。

司会は元TBSアナウンサーで、現在はフリーアナウンサーの渡辺真理が務める。渡辺は、ターコイズブルーのドレスで登場したが、スクリーンを見ると普通の青のドレスに見えるため、映像の限界も感じられる。

今日はP席(ポディウム)は開放しておらず、スクリーンが降りていて、そこに曲名や楽曲解説、現在進行形の映像や、坂本龍一の映像、抽象的な絵などが投影される。

開演前の紹介に並んだ子の中に、ピアノ担当の女の子がいたが、ピアノ担当は二人いるため、「Castalia」と「Happy End」でピアノ独奏を担当したのがどちらなのかは分からなかった。ソワレ公演では、別の子がソロを務めるのだろう。ネタバレになるが、アンコール曲の「ETUDE」では、二人で連弾を行っていた。「Castalia」と「Happy End」でソロを務めたのは開演前の自己紹介にも出ていた飯野美釉(いいの・みゆう)の可能性が高いがなんとも言えない。もう一人のピアノ奏者は、遊佐明香莉といういかにも東北的な苗字の子である。

 

入団条件に「音楽経験不問」とある以上、他の将来音楽家指向のユースオーケストラやジュニアオーケストラとは異なり、音楽をすること自体に意味があると考える団体のようである。そのため、音楽に対する情熱よりも喜びの方が勝っている印象を受ける。他のユースオーケストラやジュニアオーケストラほど音に厚みはないし、上手くもないかも知れないが、上手く演奏することだけが音楽ではない。かといって特段劣っているということはなく、よく訓練されていて、音の輝きは――サントリーホールの音響の恩恵を受けているかも知れないが――魅力的である。

 

栁澤寿男。コソボ・フィルハーモニー管弦楽団など政情不安定なところでの音楽活動も行う指揮者で、バラバラになった旧ユーゴスラビアの音楽家を集めたバルカン室内管弦楽団を創設したりもしている。知名度はまだ低いが、男前なので人気が出そうである。日本国内では京都フィルハーモニー室内合奏団のミュージックパートナーを務めている。今日はノンタクトでの指揮。

坂本龍一ファンにはお馴染みの曲が続くが、栁澤は坂本本人から指名されただけあって、優れたオーケストラ捌きを見せる。

「Tong Poo」などでピアノソロを受け持った三浦友理枝。美人ピアニストとしても知られるが、英国王立音楽院(アカデミーの方)を首席で卒業。同校の大学院も首席で修了するなど、腕が立つ。第47回マリア・カナルス国際音楽コンクール・ピアノ部門で1位を獲得している。京都市交響楽団とは、オーケストラ・ディスカバリーで共演したことがある。

「Piece for Ilia」でソロを務めるイリア・ボンダレンコは、キーウ音楽院の作曲専攻を卒業。卒業制作の「REN Symphony」は坂本龍一に捧げられている。ロシア軍による侵攻が始まると、30近い国の90人のヴァイオリニストがウクライナ民謡を演奏する様子をZoomなど使って配信。これを見て感動した坂本が、「イリアと共にウクライナ支援のチャリティ・アルバムへ参加しないか」と友人の作曲家から誘われ、すぐさまヴァイオリンとピアノのための曲を作曲。イリアに送った。ロシア軍による空爆後の瓦礫の中でこの曲を演奏するイリアの姿(今回も後部のスクリーンに映像が流れた)は多くの人に感銘を与えている。オーケストラ伴奏による編曲は篠田大介によるものだが、坂本が篠田に依頼したそうである。

「いま時間が傾いて」。タイトルはリルケの詩の一節から取られている。東北ユースオーケストラのために書かれた作品で、おそらく坂本最後のオーケストラ曲である。
3.11、9.11など、「11」という数字に特別なものを感じた坂本が、11拍子というかなり珍しい拍子を取り入れた書いたもの。終盤にはチューブラーベルズが11回鳴らされるが、11回目は弱音である。
途中、奏者に全て任された即興の部分もあり、同じ演奏は二度と出来ないという趣向になっている。
映画音楽などで聴かせるエモーショナルな旋律とは異なっているが、響きは美しく、後半はかなり力強い響きがする。

休憩時間に入るが、渡辺真理は、TYOのメンバーを呼んで物販の宣伝などをさせていた。

 

後半。吉永小百合が登場して、詩の朗読を行う。採用された詩は、和合亮一の「詩の黙礼」より、大平数子の「慟哭」、安里有生の「へいわってすてきだね」の3編。「BB」、「Parolibre」、「母と暮せば」の音楽に乗って朗読が行われる。「BB」は坂本が残した演奏データによる自動演奏ピアノ独奏と共に朗読が行われる。また「母と暮せば」は、吉永自身が主演した映画の音楽である。
東北ユースオーケストラの演奏会には度々参加(東京公演は皆勤だと思われる)しているほか、朗読公演自体も何度も行っている吉永だけに、極めて細やかな心情表現を込めた読みを聞かせる。
ちなみに坂本龍一もサユリストであったことを、第2弾自伝の『ぼくはあと何回、満月を見るだろう』で明かしている。

 

坂本龍一に多大な影響を受けた藤倉大。高校時代に渡英し、現在もロンドンで活動する作曲家である。英国王立音楽大学(カレッジの方。カレッジとアカデミーはライバル関係にあり、藤倉の取り合いになったことが藤倉の自伝に記されている)出身。キングス・カレッジ・オブ・ロンドンで博士号を取得。指揮者の山田和樹と共に日本人若手音楽家の旗頭的存在で、東京芸術劇場の音楽部門の監督に就任することが決まっている。
東北の、宮城、岩手、福島の民謡のオーケストラバージョンであるが、掛け声をそのまま採用し、楽団員達に言わせることでノリの良い楽曲に仕上がっている。

 

最後は坂本龍一の映画音楽3曲。「Little Buddha」、「The Last Emperor」、「Merry Christmas Mr.Lawrence」。

「Little Buddha」は、ベルナルド・ベルトリッチから、「悲しいけれど救いのある曲を」という難しい注文を受けて書かれたものだが、4度ボツになり(坂本龍一はベルトルッチについて「自分が音楽監督だと思っているから」と述べていたりする)、5度目でようやく採用された。「どんどんカンツォーネっぽくなっていった」とも語っているが、哀切だが光が差し込むような、胸にひびく楽曲となっている。

「The Last Emperor」。坂本龍一は満映理事長の甘粕正彦役で出演。甘粕を演じた俳優は何人もいるが、甘粕本人とは外見が一番似ていない坂本龍一が最も有名なフィクションにおける甘粕像となっている。最初は俳優だけのオファーで、「戴冠式の音楽を書いてくれ」と言われただけだったが、撮影終了後半年ほど経ってから、「音楽を書いてくれ。二週間で」と言われて、まず、中国音楽のLPセットを聴くことから始めて、不眠不休で作曲。納期に間に合わせたが、過労のため、突発性難聴に見舞われて入院することになっている。
映画ではオーケストレーションまでは手が回らなかったため他人に任せたが、その後に自身でオーケストレーションを行い。二胡で奏でられていた主題を木管楽器に置き換えたりしている。
栁澤はかなりスケールの大きい演奏を形成。銅鑼なども盛大に鳴らされた。
なお、スクリーンには映画「ラストエンペラー」本編の映像も投影された。

「Merry Christmas Mr.Lawrence(戦場のメリークリスマス)」。序奏は、坂本龍一が「最後のコンサート」としてNHKのスタジオ5で収録した演奏のデータによるピアノ自動演奏で始まる。その時の映像もスクリーンに映る。
本編に入ってからは三浦友理枝がピアノ演奏を受け持つ。坂本の映像も映り続けるので、テンポは坂本の演奏に合わせる。
ペンタトニックを使った東洋風の作曲技術を用いながら、東洋でも西洋でもない独自の音の世界を生み出した楽曲。栁澤はこの曲でも終盤をかなり盛り上げていた。

 

アンコールは、先に明かしたとおり「ETUDE」(狭間美帆編曲)。ピアノの連弾がある。聴衆も一緒になって手拍子を入れる曲だが、吉永小百合や三浦友理枝もステージに登場して手拍子で参加。盛り上がった。

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2025年1月30日 (木)

これまでに観た映画より(370) 「イル・ポスティーノ」4Kデジタルリマスター版

2024年11月20日 アップリンク京都にて

アップリンク京都で、イタリア映画「イル・ポスティーノ」4Kデジタルリマスター版を観る。イタリア映画の中でもメジャーな部類に入る作品である。1994年の制作。1995年のアカデミー賞で、ルイス・エンリケス・バカロフが作曲賞を受賞している。監督・脚色:マイケル・ラドフォード。ラドフォード監督は、「アンドレア・ボチェッリ 奇跡のテノール」も監督している。音楽:ルイス・エンリケス・バカロフ。出演:マッシモ・トロイージ(脚色兼任)、フィリップ・ノワレ、マリア・グラツィア・クチノッタほか。主演のマッシモ・トロイージは、撮影中から心臓の不調に苦しんでおり、この映画を撮り終えた12時間後に心臓発作のため41歳で急死。本作が遺作となった。

実在のチリの詩人、パブロ・ネルーダをフィリップ・ノワレが演じた作品である。

イタリア、ナポリ沖のカプリ島(レオナルド・ディカプリオの先祖がこの島の出身である)をモデルとした小島が舞台。マリオ(マッシモ・トロイージ)は、漁師の子だが、アレルギーなどがあり、漁師になることは出来ない。しかし、父親からは「もう大人なのだから働け」とせかされる。郵便局の扉に求人の張り紙があるのを見たマリオは、翌日、郵便局を訪れ、詳細を聞く。チリの国民的な詩人であるパブロ・ネルーダ(フィリップ・ノワレ)が共産党員という理由で祖国を追われて亡命し、イタリアのこの島で暮らすことになったので、彼宛ての手紙を届ける専門の郵便配達夫が必要になったのだという。賃金は雀の涙だというが、マリオはこの職に就くこと決める。共に共産主義者ということもあって次第に親しくなるマリオとパブロ。
やがてマリオは瞳の大きなベアトリーチェ(マリア・グラツィア・クチノッタ)という女性に恋をする。マリオはベアトリーチェに近づくためにパブロに詩を習うことになる。

 

詩を題材にしたヒューマンドラマである。言葉によって心と心が通じ合っていく。風景も美しく、音楽も秀逸で、ローカル色の濃い南イタリアの島の風景に溶け込む喜びを感じることが出来る。偉大な詩人によって郵便配達夫が詩の腕を上げていくという大人の教養小説的な味わいにも満ちた作品だ。
ベアトリーチェ役のマリア・グラツィア・クチノッタも魅力的で、イタリア映画の中でも独自の味わいを築いている。

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2025年1月17日 (金)

これまでに観た映画より(364) コンサート映画「Ryuichi Sakamoto|Playing the Orchestra 2014」

2025年1月15日 新京極のMOVIX京都にて

MOVIX京都で、コンサート映画「Ryuichi Sakamoto|Playing the Orchestra 2014」を観る。WOWOWの制作で、WOWOWやYouTubeLiveで流れたものと同一内容である。ただ映画館で観ると迫力がある。来場者にはオリジナルステッカーが配られた。

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2014年4月4日、東京・溜池のサントリーホールでの公演の収録。オーケストラは東京フィルハーモニー交響楽団で、コンサートマスターは三浦章宏である。

2013年にも、東京と大阪で「Playing the Orchestra」公演を行っている坂本龍一。オーケストラはやはり東京フィルハーモニー交響楽団。ただこの時は栗田博文が指揮者を務めており、「八重のテーマ」とアンコール曲の「Aqua」のみ坂本自身が指揮を行っている。坂本自身は出来に引っかかりを覚えたようで、翌年に自身の指揮による「Playing the Orchestra」公演を行うことを決めたようである。
なお、私自身は「Playing the Orchestra 2013」は、大阪・中之島のフェスティバルホールで聴いており、それが新しくなったフェスティバルホールでの初コンサート体験であった。だが、2014には行っていない。行っておけば良かったのかも知れないが。

坂本龍一は指揮とピアノを担当。指揮だけの時もあれば弾き振りを行う場面もある。ピアノの蓋を取り、鍵盤が客席側に来る弾き振りの時のスタイルでの演奏。弦楽はドイツ式の現代配置である。
東京フィルハーモニー交響楽団は通常のフル編成のオーケストラの約倍の楽団員を抱えているため、坂本龍一も「昨年の公演にも参加してくれた方もいれば初めての方もいる」と紹介していた。

曲目は、「Still Life」、「Kizuna」、「Kizuna World」、「Aqua」、「Bibo no Aozora(美貌の青空)」、「Castalia」、「Ichimei-No Way Out」、「Ichimei-Small Happiness~Reminiscence」、「Bolerish」、「Happy End」、「The Last Emperor」、「Ballet Mèchanique」(編曲:藤倉大)、「Anger-from untitled 01」、「Little Buddha」。アンコール曲目「Yae no Sakura(八重の桜)」メインテーマ、「The Sheltering Sky」、「Merry Christmas Mr.Lawrence(戦場のメリークリスマス)」

「The Last Emperor」の後半と、「Merry Christmas Mr.Lawrence」の後半以外はノンタクトでの指揮である。坂本は左利きだが、指揮棒は右手に持つ。

マイクを手にトークを入れながらの進行。坂本は指揮の訓練は受けていないため、本職の指揮者に比べると細部の詰めが甘いのが分かるが、自作自演であるため、作曲者としての坂本龍一が望む音が分かるという利点もある。

「Ichimei」は、市川海老蔵(現・十三代目市川團十郎白猿)主演の映画の音楽だが、レコーディング初日が2011年3月11日だったそうで、東京のスタジオも揺れたそうだが、坂本は録音機材などが倒れないよう支えていたという話をしていた。

「Bolerish」は、ブライアン・デ・パルマ監督の映画のための音楽であるが、デ・パルマ監督から、「ラヴェルの『ボレロ』に限りなく近い音楽を作ってくれないかと言われ、それをやったら作曲家として終わる」と思ったものの、結局、似せた音楽を書くことになったようである。ラヴェル財団からは本気で訴えられそうになったそうだ。「古今東西、映画監督というのはわがままな人種で」と坂本は放す。別に本物のラヴェルの「ボレロ」を使っても良かったような気がするのだが。ラヴェルの「ボレロ」は今は著作権がグチャグチャなようだが。

「Ballet Mèchanique」は、「藤倉大君というロンドン在住のまだ三十代の現代音楽の作曲家なのですが」「子どもの頃からYMOや僕の音楽を聴いて育ったそうで」自分から編曲を申し出たそうである。
この「Ballet Mèchanique」は、坂本本人のアルバムにも入っているが、元々は岡田有希子に「WONDER TRIP LOVER」として提供されたもので、その後に中谷美紀に「クロニック・ラヴ」として再度提供されている。歌詞は全て異なる。セールス的には連続ドラマ「ケイゾク」の主題歌となった「クロニック・ラヴ」が一番売れたかも知れない。

「Little Buddha」は、ベルナルト・ベルトルッチ監督の同名映画のメインテーマであるが、何度も駄目出しされて、書き換えるたびにカンツォーネっぽくなっていったことを坂本が以前、インタビューで述べていた。「彼(ベルトルッチ監督)は自分が音楽監督だと思っているから」とも付け加えている。ベルトルッチとは、「ラストエンペラー」、「シェルタリング・スカイ」、「リトル・ブッダ」の3作品で組んでいるが、最初の「ラストエンペラー」も「1週間で書いてくれ」と言われ、それは無理なので2週間にして貰ったが、中国音楽のLPセットを聴いた後で作曲に取りかかり、不眠不休で間に合わせたそうである。オーケストレーションまでは手が回らなかったので他の人に任せている。

「八重の桜」は同名のNHK大河ドラマのテーマ音楽であるが、オリジナル・サウンドトラックにはなぜか指揮者の名前がクレジットされていない。指揮をしたのは尾高忠明である。

「戦場のメリークリスマス」の次にといっても過言ではないほどの人気曲である「シェルタリング・スカイ」であるが、個人的な思い出のある曲で、高校2年の時の芸術選択の音楽の授業でピアノの発表会があり、私は作曲されたばかりの「シェルタリング・スカイ」(ピアノ譜はなかったが、エレクトーンの雑誌に大まかな譜面が載っており、細部は適当にアレンジした)を弾いて学年1位になっている。ピアノを独学で弾き出してから間もない頃のことである。

説明不要の「戦場のメリークリスマス」。1989年のクリスマスイブ、テレビ朝日系の深夜枠で、坂本龍一がピアノで自作曲を弾くというミニコンサートのような番組をやっていた。それを録画して見たのが、「ピアノをやってみたいなあ」と思ったきっかけである。

 

演奏の出来としては、坂本がピアノに徹した2013の方が上かも知れない。曲目も2013の方が受けが良さそうである。ただ歴史的価値としては、自身で全曲指揮を行った2014の方が貴重であるとも思える。

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2024年4月 5日 (金)

これまでに観た映画より(328) 「ラストエンペラー」4Kレストア

2024年3月28日 アップリンク京都にて

イタリア、中国、イギリス、フランス、アメリカ合作映画「ラストエンペラー」を観る。4Kレストアでの上映である。監督はイタリアの巨匠、ベルナルド・ベルトルッチ。中国・清朝最後の皇帝である愛新覚羅溥儀(宣統帝)の生涯を描いた作品である。プロデューサーは「戦場のメリークリスマス」のジェレミー・トーマス。出演:ジョン・ローン、ジョアン・チェン、ピーター・オトゥール、英若誠、ヴィクター・ウォン、ヴィヴィアン・ウー、マギー・ハン、イェード・ゴー、ファン・グァン、高松英郎、立花ハジメ、ウー・タオ、池田史比古、生田朗、坂本龍一ほか。音楽:坂本龍一、デヴィッド・バーン、コン・スー(蘇聡、スー・ツォン)。音楽担当の3人はアカデミー賞で作曲賞を受賞。坂本龍一は日本人として初のアカデミー作曲賞受賞者となった。作曲賞以外にも、作品賞、監督賞、撮影賞、脚色賞、編集賞、録音賞、衣装デザイン賞、美術賞も含めたアカデミー賞9冠に輝く歴史的名作である。

清朝最後の皇帝である愛新覚羅溥儀(成人後の溥儀をジョン・ローンが演じている)。弟の愛新覚羅溥傑は華族の嵯峨浩と結婚(政略結婚である)して千葉市の稲毛に住むなど、日本にゆかりのある人で、溥儀も日本の味噌汁を好んだという。幼くして即位した溥儀であるが、辛亥革命によって清朝が倒れ、皇帝の身分を失い、その上で紫禁城から出られない生活を送る。北京市内では北京大学の学生が、大隈重信内閣の「対華21カ条の要求」に反対し、デモを行う。そんな喧噪の巷を知りたがる溥儀であるが、門扉は固く閉ざされ紫禁城から出ることは許されない。

スコットランド出身のレジナルド・フレミング・ジョンストン(ピーター・オトゥール)が家庭教師として赴任。溥儀の視力が悪いことに気づいたジョンストンは、医師に診察させ、溥儀は眼鏡を掛けることになる。ジョンストンは溥儀に自転車を与え、溥儀はこれを愛用するようになった。ジョンストンはイギリスに帰った後、ロンドン大学の教授となり、『紫禁城の黄昏』を著す。『紫禁城の黄昏』は岩波文庫から抜粋版が出ていて私も読んでいる。完全版も発売されたことがあるが、こちらは未読である。

その後、北京政変によって紫禁城を追われた溥儀とその家族は日本公使館に駆け込み、港町・天津の日本租界で暮らすようになる。日本は満州への侵略を進めており、やがて「五族協和」「王道楽土」をスローガンとする満州国が成立。首都は新京(長春)に置かれる。満州族出身の溥儀は執政、後に皇帝として即位することになる。だが満州国は日本の傀儡国家であり、皇帝には何の権力もなかった。

満州国を影で操っていたのが、大杉栄と伊藤野枝を扼殺した甘粕事件で知られる甘粕正彦(坂本龍一が演じている。史実とは異なり右手のない隻腕の人物として登場する)で、当時は満映こと満州映画協会の理事長であった。この映画でも甘粕が撮影を行う場面があるが、どちらかというと映画人としてよりも政治家として描かれている印象を受ける。野望に満ち、ダーティーなインテリ風のキャラが坂本に合っているが、元々坂本龍一は俳優としてのオファーを受けて「ラストエンペラー」に参加しており、音楽を頼まれるかどうかは撮影が終わるまで分からなかったようである。ベルトルッチから作曲を頼まれた時には時間が余りなく、中国音楽の知識もなかったため、中国音楽のCDセットなどを買って勉強し、寝る間もなく作曲作業に追われたという。なお、民族楽器の音楽の作曲を担当したコン・スーであるが、彼は専ら西洋のクラシック音楽を学んだ作曲家で、中国の古典音楽の知識は全くなかったそうである。ベルトルッチ監督の見込み違いだったのだが、ベルトルッチ監督の命で必死に学んで民族音楽風の曲を書き上げている。
オープニングテーマなど明るめの音楽を手掛けているのがデヴィッド・バーンである。影がなくリズミカルなのが特徴である。

ロードショー時に日本ではカットされていた部分も今回は上映されている。日本がアヘンの栽培を促進したというもので、衝撃が大きいとしてカットされていたものである。

後に坂本龍一と、「シェルタリング・スカイ」、「リトル・ブッダ」の3部作を制作することになるベルトルッチ。坂本によるとベルトルッチは、自身が音楽監督だと思っているような人だそうで、何度もダメ出しがあり、特に「リトル・ブッダ」ではダメを出すごとに音楽がカンツォーネっぽくなっていったそうで、元々「リトル・ブッダ」のために書いてボツになった音楽を「スウィート・リベンジ」としてリリースしていたりするのだが、「ラストエンペラー」ではそれほど音楽には口出ししていないようである。父親が詩人だというベルトルッチ。この「ラストエンペラー」でも詩情に満ちた映像美と、人海戦術を巧みに使った演出でスケールの大きな作品に仕上げている。溥儀が大勢の人に追いかけられる場面が何度も出てくるのだが、これは彼が背負った運命の大きさを表しているのだと思われる。


坂本龍一の音楽であるが、哀切でシリアスなものが多い。テレビ用宣伝映像でも用いられた「オープン・ザ・ドア」には威厳と迫力があり、哀感に満ちた「アーモのテーマ」は何度も繰り返し登場して、特に別れのシーンを彩る。坂本の自信作である「Rain(I Want to Divorce)」は、寄せては返す波のような疾走感と痛切さを伴い、坂本の代表曲と呼ぶに相応しい出来となっている。
即位を祝うパーティーの席で奏でられる「満州国ワルツ」はオリジナル・サウンドトラック盤には入っていないが、大友直人指揮東京交響楽団による第1回の「Playing the Orchestra」で演奏されており、ライブ録音が行われてCDで発売されていた(現在も入手可能かどうかは不明)。
小澤征爾やヘルベルト・フォン・カラヤンから絶賛されていた姜建華の二胡をソロに迎えたオリエンタルなメインテーマは、壮大で奥深く、華麗且つ悲哀を湛えたドラマティックな楽曲であり、映画音楽史上に残る傑作である。

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2022年2月19日 (土)

これまでに観た映画より(282) 「ベニスに死す」

2022年2月8日

DVDで映画「ベニスに死す」を観る。ルキノ・ヴィスコンティ監督作品。トーマス・マンの同名小説の映画化であるが、主人公のアシェンバッハ(アッシェンバッハ)は、原作の小説家から音楽家に変えられている。元々、トーマス・マンは、作曲家にして指揮者のグスタフ・マーラーをアシェンバッハのモデルにしたとされており、最初の構想に戻す形となっている。舞台となっている年代は、原作では「19××」年とぼかされているが、この映画ではマーラーの没年である1911年に設定されている。
セリフは、英語、フランス語、イタリア語、ポーランド語、ロシア語、ドイツ語で語られる(メインは英語)。

アシェンバッハは高名な作曲家にして指揮者であるが、作曲作品は聴衆から受け容れられていない。アシェンバッハが自作を指揮する場面があるが、演奏終了後に拍手が起きないどころか、ブーイングと怒号の嵐となる。

私が初めて「ベニスに死す」を観たのは、タージオ役のビョルン・アンドレセンと同じ、15、6歳の時、高校1年か2年である。当時フジテレビでは深夜に名画をCMなしで放送しており、それを録画して3回ほど観ている。今回、30数年ぶりに見直してみて、映像のキメが細かいことに驚いた。当時の地上アナログ波、そしてVHSの限度が分かる。
また、フジテレビ放送版は、おそらく15分ほどのカットがあったと思われる。

自作の上演が成功せず、鬱状態に陥ったアシェンバッハ(ダーク・ボガード)は、心臓が弱いということもあり、医師から静養を勧められ、ベニス(ヴェネツィア)に旅行に出掛け、リード・デ・ヴェネツィアにあるホテルに滞在することになる。
アシェンバッハは厳格な性格であり、精神性を何よりも大事にしていた。そんなアシェンバッハが、滞在先のホテルで絶世の美少年であるタージオ(タジオ。本名はタデウシュ。演じるのはビョルン・アンドレセン。タージオはフランス語とポーランド語を話すという設定だが、アンドレセンはフランス語やポーランド語は出来ないため、セリフは全て吹き替えである)を見掛ける。最初はタージオへの思いに戸惑い、自身に怒りすら覚えるアシェンバッハだったが、次第にタージオの精神を超えた美に対する愛を肯定するようになる。友人の音楽家であるアルフレッドから指摘された殻を破れそうになるのだが、ベニスには疫病が蔓延していた……。

時間と場所、現実と妄想が予告なしに入れ替わる、「意識の流れ」のような手法が採用されている。

アシェンバッハは、いつも通っている美容師から白塗りのメイクを伝授されたのだが、見るからに不吉である。そして、同じように白塗りをした男達にからかわれたりするのだが、どうも彼らも死神の分身のように見える。
そして、死神の本体とも思えるのが、美少年であるタージオである。愛と死とは隣接したものであるが、それが淡いのように渾然として描かれているのは流石である。

ヴィスコンティ好みの耽美的な作風であり、ベニスという都市が登場人物以上の存在感を持つようカメラで切り取られている。芸術性は非常に高い。

本来なら作曲の新境地へと行けるはずだったアシェンバッハが、その前に命を落とすという悲劇のはずであるが、絵が余りに美しいので余り悲壮な感じはしない。好みが分かれるとしたらここであると思われる。

この映画が公開された当時、マーラーはまだ人気作曲家ではなかった。ブルーノ・ワルターやオットー・クレンペラーといったマーラーの指揮の弟子達が作品を取り上げ、マーラーの生前からその作品を高く評価していたウィレム・メンゲルベルク、そして「この作品が自分の作曲であったなら」とまで惚れ込んでいたレナード・バーンスタインが演奏と録音を行っていたが、一般的な評価は「不気味な曲を書く作曲家」といったところだった。ところが「ベニスに死す」でマーラーの交響曲第5番第3部第1章(第4楽章)「アダージェット」がメインテーマとして取り上げられたことで甘美な一面が知られるようになり、マーラーの人気は上がっていく。

映画界だけでなく、音楽界の潮流も変えた記念碑的作品である。

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2021年4月22日 (木)

これまでに観た映画より(256) ルキノ・ヴィスコンティ監督作品「異邦人」

2021年4月19日 京都シネマにて

京都シネマで、「異邦人」を観る。ルキノ・ヴィスコンティ監督作品のデジタル復元版。アルベール・カミュの同名小説の映画化(公式サイトではなぜか原作が「ペスト」になっている)である。主演はマルチェロ・マストロヤンニで、恋人役でアンナ・カリーナが出演している。
日本初公開時は、英語による国際版での上映だったようだが、今回はイタリア語版での初上映となる。

「太陽が眩しかったから」人を殺したというくだりが有名な不条理文学を代表する作品が原作である。ただこの「不条理」をどう捉えるかで解釈も変わってくる。「自分でもよく分からない」「とにかく謎」という意味であるとするならば、今現在の現実社会ではそうした状態であることの方がむしろ自然であり、もしそうだとするなら不条理というよりも先駆的であるという意味で優れた文学作品であると評価出来る。

ただ、当然ながらそうした「よく分からない」状態は文学作品であるからこそ有効であり、映画にするとどうしても説得力を欠く作品となってしまう。20世紀を代表するヴィスコンティ監督の力量を持ってしてもそれは覆せなかったようで、映像美やカットの面白さが取り柄の作品となってしまっている。原作の文章をモノローグとして用いることが多いが、そうした手法自体が映像的ではない。映画「異邦人」は、映像ソフト化されることがこれまで一切なかったそうだが、あらすじをなぞっているだけであるため、映画として楽しむのは苦しいというのが第一の理由であると思われる。そして今現在から観ると映画化された「異邦人」はごくありきたりの物語に見えてしまう。原作小説自体が映像化に向いていないのだが、筋だけ見ると、カミュが示した世界に現実が追いつきつつあるような、一種の不気味さも感じられる。

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2020年10月10日 (土)

これまでに観た映画より(215) 生誕100年フェデリコ・フェリーニ映画祭より「道」

2020年10月8日 京都シネマにて

京都シネマで行われている、生誕100年フェデリコ・フェリーニ映画祭最終日の「道」を観る。

イタリアを代表する映画の巨匠、フェデリコ・フェリーニ。前衛作として知られる「8 1/2(「はっかにぶんのいち」。我々の世代の読み方だと「はちとにぶんのいち」)」なども観ておきたかったのだが日程が合わず、最終日の「道」だけはなんとか観ることが出来た。

フェリーニの代表作で、知名度は最も高いと思われる「道」。ニーノ・ロータによるテーマ音楽も極めて有名である。1954年制作のモノクロ作品。製作:カルロ・ポンティ。
出演:アンソニー・クイン、ジュリエッタ・マシーナ、リチャード・ベイスハートほか。

ジュリエッタ・マシーナはフェデリコ・フェリーニ夫人である。夫婦仲は極めて良好だったようで、1993年にフェリーニ監督が亡くなった際、体を支えられながら身も世もないといった風に悲嘆に暮れるジュリエッタ・マシーナの姿をカメラが捉えており、コメンテーターが、「これ、大丈夫なんですか?」と発言していたことが記憶に残っている。フェリーニ監督を失ったことは心身共にこたえたようで、その5ヶ月後にジュリエッタ・マシーナも後を追うように肺がんで亡くなっている。


海辺のシーンから映画は始まる。軽度の知的障害を抱えているジェルソミーナ(ジュリエッタ・マシーナ)が海辺を歩いていると、子ども達がジェルソミーナの姉であるローザが亡くなったということを告げに来る。ローザは大道芸人であるザンパノ(アンソニー・クイン)の助手をしていたのだが、ジェルソミーナが後任としてザンパノと共に旅をするようになる。それまで仕事が出来ずにふらふらとしていたジェルソミーナの旅立ちに母親は複雑な態度を取る。

最初と最後が海のシーンというのも実は意味がありそうである。


見るからに粗暴そうなザンパノだが、ジェルソミーナにも体罰を行う。一度はザンパノの下から逃げ出すジェルソミーナ。ローマでジェルソミーナは綱渡りを得意とし、小型ヴァイオリンを弾く若い男(本名不明。「イル・マッド」=「気狂い」「キジルシ」というあだ名で呼ばれている。演じるのはリチャード・ベイスハート)と知り合う。自らの不器用さを嘆くジェルソミーナに男は、「全ての物事には関係がある」「例えばこの小石にだって存在意義がある。それが何かは今すぐにはわからないけれど」と語り、励ますのだった。しかしこの男がザンパノをからかい続けたことから刃傷沙汰寸前まで行ったため、二人ともサーカス団から追い出されることに。
サーカス団や若い男からの誘いを断り、ジェルソミーナはザンパノに同行することを選んだ。
辛い日々を過ごすジェルソミーナであったが、そこにささやかな幸せを見出してもいた。誰からも相手にされなかった自分が助手として金銭を稼ぐことが出来ている。だが、若い男とザンパノが再会してしまったことから全てが狂っていく……。

極めて孤独な(ザンパノが酒場で、「友達なんていない!」と叫ぶ場面がある)その日暮らしの旅芸人の哀感を描いた作品であり、不器用にしか生きられない男女の袋小路的なやるせなさが伝わってくる。ただ当人にとっては実はそうではないのかも知れないと思わせる部分もあり、単なる「悲劇」に終わっていない。それが「名画」として長く評価されている理由の一つなのだと思われる。

ジェルソミーナ役のジュリエッタ・マシーナがとても魅力的である。劇中でも言われ、また多くの評論で一致しているように美人ではないが、それを補って余りある愛嬌が溢れんばかりに発揮されている。

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