カテゴリー「音楽映画」の45件の記事

2025年1月17日 (金)

これまでに観た映画より(364) コンサート映画「Ryuichi Sakamoto|Playing the Orchestra 2014」

2025年1月15日 新京極のMOVIX京都にて

MOVIX京都で、コンサート映画「Ryuichi Sakamoto|Playing the Orchestra 2014」を観る。WOWOWの制作で、WOWOWやYouTubeLiveで流れたものと同一内容である。ただ映画館で観ると迫力がある。来場者にはオリジナルステッカーが配られた。

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2014年4月4日、東京・溜池のサントリーホールでの公演の収録。オーケストラは東京フィルハーモニー交響楽団で、コンサートマスターは三浦章宏である。

2013年にも、東京と大阪で「Playing the Orchestra」公演を行っている坂本龍一。オーケストラはやはり東京フィルハーモニー交響楽団。ただこの時は栗田博文が指揮者を務めており、「八重のテーマ」とアンコール曲の「Aqua」のみ坂本自身が指揮を行っている。坂本自身は出来に引っかかりを覚えたようで、翌年に自身の指揮による「Playing the Orchestra」公演を行うことを決めたようである。
なお、私自身は「Playing the Orchestra 2013」は、大阪・中之島のフェスティバルホールで聴いており、それが新しくなったフェスティバルホールでの初コンサート体験であった。だが、2014には行っていない。行っておけば良かったのかも知れないが。

坂本龍一は指揮とピアノを担当。指揮だけの時もあれば弾き振りを行う場面もある。ピアノの蓋を取り、鍵盤が客席側に来る弾き振りの時のスタイルでの演奏。弦楽はドイツ式の現代配置である。
東京フィルハーモニー交響楽団は通常のフル編成のオーケストラの約倍の楽団員を抱えているため、坂本龍一も「昨年の公演にも参加してくれた方もいれば初めての方もいる」と紹介していた。

曲目は、「Still Life」、「Kizuna」、「Kizuna World」、「Aqua」、「Bibo no Aozora(美貌の青空)」、「Castalia」、「Ichimei-No Way Out」、「Ichimei-Small Happiness~Reminiscence」、「Bolerish」、「Happy End」、「The Last Emperor」、「Ballet Mèchanique」(編曲:藤倉大)、「Anger-from untitled 01」、「Little Buddha」。アンコール曲目「Yae no Sakura(八重の桜)」メインテーマ、「The Sheltering Sky」、「Merry Christmas Mr.Lawrence(戦場のメリークリスマス)」

「The Last Emperor」の後半と、「Merry Christmas Mr.Lawrence」の後半以外はノンタクトでの指揮である。坂本は左利きだが、指揮棒は右手に持つ。

マイクを手にトークを入れながらの進行。坂本は指揮の訓練は受けていないため、本職の指揮者に比べると細部の詰めが甘いのが分かるが、自作自演であるため、作曲者としての坂本龍一が望む音が分かるという利点もある。

「Ichimei」は、市川海老蔵(現・十三代目市川團十郎白猿)主演の映画の音楽だが、レコーディング初日が2011年3月11日だったそうで、東京のスタジオも揺れたそうだが、坂本は録音機材などが倒れないよう支えていたという話をしていた。

「Bolerish」は、ブライアン・デ・パルマ監督の映画のための音楽であるが、デ・パルマ監督から、「ラヴェルの『ボレロ』に限りなく近い音楽を作ってくれないかと言われ、それをやったら作曲家として終わる」と思ったものの、結局、似せた音楽を書くことになったようである。ラヴェル財団からは本気で訴えられそうになったそうだ。「古今東西、映画監督というのはわがままな人種で」と坂本は放す。別に本物のラヴェルの「ボレロ」を使っても良かったような気がするのだが。ラヴェルの「ボレロ」は今は著作権がグチャグチャなようだが。

「Ballet Mèchanique」は、「藤倉大君というロンドン在住のまだ三十代の現代音楽の作曲家なのですが」「子どもの頃からYMOや僕の音楽を聴いて育ったそうで」自分から編曲を申し出たそうである。
この「Ballet Mèchanique」は、坂本本人のアルバムにも入っているが、元々は岡田有希子に「WONDER TRIP LOVER」として提供されたもので、その後に中谷美紀に「クロニック・ラヴ」として再度提供されている。歌詞は全て異なる。セールス的には連続ドラマ「ケイゾク」の主題歌となった「クロニック・ラヴ」が一番売れたかも知れない。

「Little Buddha」は、ベルナルト・ベルトルッチ監督の同名映画のメインテーマであるが、何度も駄目出しされて、書き換えるたびにカンツォーネっぽくなっていったことを坂本が以前、インタビューで述べていた。「彼(ベルトルッチ監督)は自分が音楽監督だと思っているから」とも付け加えている。ベルトルッチとは、「ラストエンペラー」、「シェルタリング・スカイ」、「リトル・ブッダ」の3作品で組んでいるが、最初の「ラストエンペラー」も「1週間で書いてくれ」と言われ、それは無理なので2週間にして貰ったが、中国音楽のLPセットを聴いた後で作曲に取りかかり、不眠不休で間に合わせたそうである。オーケストレーションまでは手が回らなかったので他の人に任せている。

「八重の桜」は同名のNHK大河ドラマのテーマ音楽であるが、オリジナル・サウンドトラックにはなぜか指揮者の名前がクレジットされていない。指揮をしたのは尾高忠明である。

「戦場のメリークリスマス」の次にといっても過言ではないほどの人気曲である「シェルタリング・スカイ」であるが、個人的な思い出のある曲で、高校2年の時の芸術選択の音楽の授業でピアノの発表会があり、私は作曲されたばかりの「シェルタリング・スカイ」(ピアノ譜はなかったが、エレクトーンの雑誌に大まかな譜面が載っており、細部は適当にアレンジした)を弾いて学年1位になっている。ピアノを独学で弾き出してから間もない頃のことである。

説明不要の「戦場のメリークリスマス」。1989年のクリスマスイブ、テレビ朝日系の深夜枠で、坂本龍一がピアノで自作曲を弾くというミニコンサートのような番組をやっていた。それを録画して見たのが、「ピアノをやってみたいなあ」と思ったきっかけである。

 

演奏の出来としては、坂本がピアノに徹した2013の方が上かも知れない。曲目も2013の方が受けが良さそうである。ただ歴史的価値としては、自身で全曲指揮を行った2014の方が貴重であるとも思える。

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2025年1月12日 (日)

これまでに観た映画より(363) ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団×リッカルド・ムーティ 「第九」200周年記念公演 in cinema

2025年1月7日 MOVIX京都にて

MOVIX京都で、ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団×リッカルド・ムーティ「第九」200周年記念公演 in cinemaを観る。文字通り、リッカルド・ムーティ指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団ほかが、ベートーヴェンの交響曲第9番「合唱付き」初演から200年を記念して行ったコンサートの映像の映画館上映。ユニテルとオーストリア放送協会(ORF)の共同制作で、日本では松竹が配給している。2024年5月7日、ウィーン・ムジークフェラインザール(ウィーン楽友協会“黄金のホール”)での上演を収録。合唱はウィーン楽友協会合唱団。独唱は、ユリア・クライター(ソプラノ)、マリアンヌ・クレバッサ(メゾソプラノ)、マイケル・スパイアズ(テノール)、ギュンター・クロイスベック(バス)。ベーレンライター版での演奏。

常任指揮者を置かないウィーン・フィルにおいて、長年に渡り首席指揮者待遇を受けているというリッカルド・ムーティ。ウィーン・フィルの母体であるウィーン国立歌劇場にも影響力を持っており、小澤征爾がウィーン国立歌劇場の音楽監督を務めた際も、「ムーティの後押しがあった」「事実上の音楽監督はムーティ」との声があった。
1941年、ナポリ生まれ。ニュー・フィルハーモニア管弦楽団(後の元の名前のフィルハーモニア管弦楽団に名を戻す)首席指揮者時代に名を挙げ、1980年にユージン・オーマンディの推薦により、フィラデルフィア管弦楽団の音楽監督に就任している。長年コンビを組み、フィラデルフィア管弦楽団=オーマンディというイメージの残る中、お国もののレスピーギ「ローマ三部作」の録音(EMI)などが高く評価された。実はフィラデルフィア管時代に「ベートーヴェン交響曲全集」を制作しており、私が初めて聴いた第九のCDもムーティ指揮フィラデルフィア管のものであった。「ベートーヴェン交響曲全集」は俗に「クリスマスBOX」と呼ばれた廉価BOXCDの中の一つとして再発され、私も購入して全曲聴いてみたが、ベートーヴェンの演奏としては浅いように感じられた。
フィラデルフィア管弦楽団が、アカデミー・オブ・ミュージックという「世界最悪の音響」と言われたホールを本拠地にしていること(現在は新しいホールに本拠地を移している)やアメリカにはイタリアほどにはオペラやクラシック音楽が根付いていないことを理由に同楽団を離任してからは、祖国のミラノ・スカラ座で音楽監督として活躍。この時期、すでにウィーン・フィルから特別待遇を受けていたと思われる。上層部と対立してスカラ座を離任後は、フリーの指揮者を経てシカゴ交響楽団の音楽監督に就任。結果的には、嫌っていたはずのアメリカに戻ることになった。2011年にウィーン・フィルから名誉団員の称号を受けている。

日本では、年末になると国中が第九一色になり、日本のほぼ全てのプロオーケストラが第九を演奏し、日本の有名指揮者は第九に追われることになるが、年末の第九が定着しているのは日本だけ。ドイツのライプツィッヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団などいくつかの楽団が年末の第九を売りにしているが、他の国では第九は「難曲中の難曲」として滅多に演奏されない。そのため、今回の独唱者も全員、譜面を手にしての歌唱である。年末になると第九が歌われる日本の歌手は暗譜での歌唱が当たり前になっているが、これは世界的には珍しいことである。

 

ピリオド・アプローチによる時代の垢を洗い流したかのような第九がスタンダードになりつつあるが、ムーティは自分のスタイルを貫き通している。テンポは現代の標準値に比べるとかなり遅めであり、各パートをギッシリと積み上げたような男性的な第九を構築する。
シラーの「歓喜に寄す」から取った合唱の歌詞が、「平等」を目指すことをさりげなく歌っており、恋多き人生を歩んだベートーヴェンの心境にも男女の平等は浮かんでいたはずで、そうした点からは一聴して「男性的」という言葉の浮かぶ第九がベートーヴェンの意図を汲み取ったものといえるのかどうか(ムーティは「作曲家が書いた神聖な音符は一音たりとも動かしてはならない」という楽譜原理主義者として知られた。今は違うかも知れないが)。ただこれがムーティのスタイルであり、ウィーン・フィルが記念演奏会を任せた指揮者の音楽である。
随所で溜めを作るのも特徴で、オールドスタイルとも言えるが、音楽が単調になるのを防いでいるのも事実のように感じる。
現代望みうる最高の第九かというと疑問符も付くのだが、長年に渡ってクラシック音楽会の頂点に君臨し続けるオーケストラが「今」出した答えがこの演奏ということになる。
テンポが遅いため、近年よく聴かれるような演奏に比べると音楽が長く感じられるという短所もあるが、手応えのある音楽になっているのも確かである。東京・春・音楽祭で日本でも親しみを持って迎えられるようになった指揮者と、日本が愛し日本を愛したオーケストラの賛歌をスクリーンで楽しむべきだろう。

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2024年12月13日 (金)

これまでに観た映画より(358) 「BACK TO BLACK エイミーのすべて」

2024年11月27日 京都シネマにて

京都シネマで、イギリス・フランス・アメリカ合作映画「BACK TO BLACK エイミーのすべて」を観る。27クラブのメンバーとなってしまったイギリスのシンガーソングライター、エイミー・ワインハウスの人生を描いた作品である。監督:サム・テイラー=ジョンソン。脚本:マット・グリーンハルシュ、出演:マリア・アベラ、ジャック・オコンネル、エディ・マーサン、ジュリエット・コーワン、サム・ブキャナン、レスリー・マンヴィルほか。

27クラブの説明から行いたい。英語圏では27歳で早逝するミュージシャンが多く、この不吉な年齢で亡くなった場合、「27クラブに入った」と見なされる。27歳は若いので、自然死や病死の人は少なく、オーバードーズや自殺など、世間から見て「良くない」とされる死に方をしている人が大半である。エイミー・ワインハウスも急性アルコール中毒で、一応、病気の範疇には入るが、つまりは酒の飲み過ぎで、自ら死を招いている。
27クラブの主なメンバーには、ジミ・ヘンドリックス(変死)、ジャニス・ジョプリン(オーバードーズ)、ジム・モリソン(心臓発作であるがオーバードーズの可能性が高い)、カート・コバーン(自殺)がいる。

「私の歌を聴くことで現実を5分だけでも忘れることが出来たら」との思いで歌い続けるエイミー・ワインハウス(マリア・アベラ)。音楽好きの一家の生まれ、に見えるのだが、すでに両親は別居していることが分かる。演劇学校に合格し、入学当初は「ジュディ・ガーランドの再来」などと期待されるも素行不良で退学に。煙草と酒が好きでドラッグにも手を出すなど、かなりだらしない人という印象も受ける。特にアルコールには目がなかったようで、酒を飲みながらライブを行うシーンがある。
この映画では描かれていないが、エイミーは、酩酊したまま舞台に上がり、ほとんどまともに歌えないまま本番を終えて、「史上最悪のコンサート」とこき下ろされたライブを行っている。これを「笑っていいとも」でタモリが紹介しており、「エイミー・ワインハウスという名前で、ワインが入っているから」と笑い話にしていたが、結果的にこの「史上最悪のコンサート」がエイミーのラストライブとなったようである。

若い頃にジャズシンガーをしていて、音楽に理解のあった祖母のシンシア(レスリー・マンヴィル)と仲が良かったエイミーだが、この祖母にすでに癌に侵されていることを告げられ、彼女が他界するといよいよ歯止めが利かなくなっていったようである。

歌手としてデビュー後に出会ったブレイク(ジャック・オコンネル)と恋仲になり、胸にブレイクの名のタトゥーを入れるエイミー。しかし、その後、ブレイクとは別れることになる。祖母のシンシアが他界した時も、エイミーは腕にシンシアのタトゥーを入れている。
ブレイクとの別れを歌った曲が、映画のタイトルにもなっている「BACK TO BLACK」である。この曲での成功により、エイミーとブレイクはよりを戻す。コンサートで、結婚したことを発表するエミリー。しかし、どうにも駄目なところのある二人は上手くいかず、ブレイクは暴行罪で逮捕。スターとなっていたエイミーはパパラッチに追い回されることになる。更にブレイクからは、「共依存の状態にあるのは良くない」と別れを切り出される。

ダイアナ妃が事故死した際も問題になったが、英国のパパラッチは相当に悪質でエイミーを精神的に追い詰めていく。そしてエイミーもそれほど強い女性には見えない。何かにつけ、依存する傾向がある。エイミーはリハビリのための施設に入ることを選択する。

そんな中でグラミー賞において6部門においてノミネートされ、5部門で受賞するという快挙を達成。しかしそれが最高にして最後の輝きとなった。

以後もリハビリを続けたエイミーだが、映画では描かれなかった「史上最悪のコンサート」などを経て、同じ年にロンドンの自宅で遺体となって発見される。享年27。27クラブへの仲間入りだった。生前、エイミーは27クラブに入ることを恐れていたと言われている。自堕落な生活に不安もあったのだろう。
才能がありながらいい加減な生活を送って身を滅ぼした愚かな女で済ませることも出来なくはない。だが彼女の人生には人間が本来抱えている弱さと、周囲の容赦のなさが反映されているように思える。あそこまでされると生きる気力をなくす人も多いだろう。親族と親密な関係を築けたのがせめてもの幸いだろうか。

ライブシーンなども多く、マリサ・アベラ本人によると思われる歌唱も臨場感があって、イギリスの一時代を彩った歌姫の世界を間接的にではあるが味わうことが出来る。
エイミーの姿が悲惨なので、好まない人もいるかも知れないが、音楽映画として優れているように思う。

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2024年11月 9日 (土)

これまでに観た映画より(350) 英国ロイヤル・オペラ・ハウス シネマシーズン 2023/24 プッチーニ 歌劇「蝶々夫人」

2024年6月13日 桂川・洛西口のイオンシネマ京都桂川にて

イオンシネマ京都桂川で、英国ロイヤル・オペラ・ハウス シネマシーズン 2023/24 プッチーニの歌劇「蝶々夫人」を観る。イギリス・ロンドンのロイヤル・オペラ・ハウス(コヴェント・ガーデン)で上演されたオペラやバレエを上映するシリーズ。今回は、今年の3月26日に上演・収録された「蝶々夫人」の上映である。最新上演の上映といっても良い早さである。今回の上演は、2003年に初演されたモッシュ・ライザー&パトリス・コーリエによる演出の9度目の再演である。日本人の所作を専門家を呼んできちんと付けた演出で、そのため、誇張されたり、不自然に思えたりする場面は日本人が見てもほとんどない。

京都ではイオンシネマ京都桂川のみでの上映で、今日が上映最終日である。

指揮はケヴィン・ジョン・エドゥセイ。初めて聞く名前だが、黒人の血が入った指揮者で、活き活きとしてしなやかな音楽を作る。
演奏は、ロイヤル・オペラ・ハウス管弦楽団&ロイヤル・オペラ合唱団。
タイトルロールを歌うのは、アルメニア系リトアニア人のアスミク・グリゴリアン。中国系と思われる歌手が何人か出演しているが、日本人の歌手は残念ながら参加していないようである。エンドクレジットにスタッフの名前も映るのだが、スタッフには日本人がいることが分かる。

入り口で、タイムテーブルの入ったチラシを渡され、それで上映の内容が分かるようになっている。まず解説と指揮者や出演者へのインタビューがあり(18分)、第1幕が55分。14分の途中休憩が入り、その後すぐに第2幕ではなくロイヤル・オペラ・ハウスの照明スタッフの紹介とインタビューが入り(13分)、第2幕と第3幕が続けて上映され、カーテンコールとクレジットが続く(98分)。合計上映時間は3時間18分である。

チケット料金が結構高い(今回はdポイント割引を使った)が、映画館で聴く音響の迫力と美しい映像を考えると、これくらいの値がするのも仕方ないと思える。テレビモニターで聴く音とは比べものにならないほどの臨場感である。

蝶々夫人役のアスミク・グリゴリアンの声がとにかく凄い。声量がある上に美しく感情の乗せ方も上手い。日本人の女性歌手も体格面で白人に大きく劣るということはなくなりつつあり、長崎が舞台のオペラということで、雰囲気からいっても蝶々夫人役には日本人の方が合うのだが、声の力ではどうしても白人女性歌手には及ばないというのが正直なところである。グリゴリアンの声に負けないだけの力を持った日本人女性歌手は現時点では見当たらないだろう。

男前だが、いい加減な奴であるベンジャミン・フランクリン・ピンカートンを演じたジョシュア・ゲレーロも様になっており、お堅い常識人だと思われるのだが今ひとつ押しの弱いシャープレスを演じたラウリ・ヴァサールも理想的な演技を見せる。

今回面白いのは、ケート・ピンカートン(ピンカートン夫人)に黒人歌手であるヴェーナ・アカマ=マキアを起用している点。アカマ=マキアはまず影絵で登場し、その後に正体を現す。
自刃しようとした蝶々夫人が、寄ってきた息子を抱くシーンで、その後、蝶々夫人は息子に目隠しをし、小型の星条旗を持たせる。目隠しをされたまま小さな星条旗を振る息子。父親の祖国を讃えているだけのようでありながら、あたかもアメリカの帝国主義を礼賛しているかのようにも見え、それに対する告発が行われているようにも感じられる。そもそも「現地妻」という制度がアメリカの帝国主義の象徴であり、アフリカ諸国や日本もアメリカの帝国主義に組み込まれた国で、アメリカの強権発動が21世紀に入っても世界中で続いているという現状を見ると、問題の根深さが感じられる。
一方で、蝶々夫人の自刃の場面では桜の樹が現れ、花びらが舞う中で蝶々夫人は自らの体を刀で突く。桜の花びらが、元は武士の娘である蝶々夫人の上に舞い落ち、「桜のように潔く散る」のを美徳とする日本的な光景となるが、「ハラキリ」に代表される日本人の「死の美学」が日本人を死へと追いやりやすくしていることを象徴しているようにも感じられる。日本人は何かあるとすぐに死を選びやすく自殺率も高い。蝶々夫人も日本人でなかったら死ぬ必要はなかったのかも知れないと思うと、「死の美学」のある種の罪深さが実感される。

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2024年9月10日 (火)

これまでに観た映画より(345) 「チャイコフスキーの妻」

2024年9月9日 京都シネマにて

京都シネマで、ロシア・フランス・スイス合作映画「チャイコフスキーの妻」を観る。キリル・セレブレンニコフ監督作品。音楽史上三大悪妻(作曲家三大悪妻)の一人、ピョートル・イリイチ・チャイコフスキーの妻、アントニーナを描いた作品である。ちなみに音楽史上三大悪妻の残る二人は、ハイドンの妻、マリアと、モーツァルトの妻、コンスタンツェで、コンスタンツェは、世界三大悪妻の一人(ソクラテスの妻、クサンティッペとレフ・トルストイの妻、ソフィアに並ぶ)にも数えられるが、モーツァルトが余りにも有名だからで、この中では比較的ましな方である。

出演:アリョーナ・ミハイロワ、オーディン・ランド・ビロン、フィリップ・アヴデエフ、ナタリア・パブレンコワ、ニキータ・エレネフ、ヴァルヴァラ・シュミコワ、ヴィクトル・ホリニャック、オクシミロンほか。

主役のアントニーナを演じるアリョーナ・ミハイロワは、オーディションで役を勝ち取っているが、これぞ「ロシア美人」という美貌に加え、元々はスポーツに打ち込んでいた(怪我で断念)ということから身体能力が高く、バレエや転落のシーンなどもこなしており、実に魅力的。1995年生まれと若く、将来が期待される女優なのだが、ロシア情勢が先行き不透明なため、今後どうなるのか全く分からない状態なのが残念である。

芸術性の高い映画であり、瞬間移動やバレエにダンスなど、トリッキーな場面も多く見られる。映像は美しく、時に迷宮の中を進むようなカメラワークなども優れている。

冒頭、いきなりチャイコフスキー(アメリカ出身で、20歳でロシアに渡り、モスクワ芸術座付属演劇大学で学んだオーデン・ランド・ビロンが演じている)の葬儀が描かれる。チャイコフスキーの妻として葬儀に出向いたアントニーナは、チャイコフスキーの遺体が動くのを目の当たりにする。チャイコフスキーはアントニーナのことを難詰する。

神経を逆なでするような蝿の羽音が何度も鳴るが、もちろん伏線になっている。

チャイコフスキーとアントニーナの出会いは、アントニーナがまだ二十代前半の頃。サロンでチャイコフスキーを見掛けたのが始まりだった(ロシアの上流階級が、ロシア語ではなくフランス語を日常語としていた時代なので、この場ではフランス語が用いられている)。作曲家の妻になりたいという夢を持ったアントニーナは、チャイコフスキーが教鞭を執るモスクワ音楽院に入学。チャイコフスキーが教える実技演習を立ち聞きしたりする。しかし学費が続かず退学を余儀なくされたアントニーナは、より大胆な行動に出る。郵便局(でだろうか。この時代のロシア社会の構造についてはよく分からない)でチャイコフスキーの住所を教えて貰い、『ラブレターの書き方』という本を参考に、チャイコフスキーに宛てた熱烈な恋文を送る。
チャイコフスキーから返事が来た。そして二人はアントニーナの部屋で会うことになる。しかし、そこで見せた彼女の態度は、余りにも情熱的で思い込みが激しく、一方的で、自己評価も高く、チャイコフスキーも「あなたは舞い上がっている。自重しなさい」と忠告して帰ってしまう。そして彼女には虚言癖があった。「チャイコフスキーと出会った時にはチャイコフスキーのことを知らなかった」という意味のことをチャイコフスキーの友人達に語ったりとあからさまな嘘が目立つ。

一度は振られたアントニーナだが、ロシア正教のやり方で神に祈り、めげずに恋文を送る。そしてチャイコフスキーは会うことを了承した。チャイコフスキーは同性愛者であった。当時、ロシアでは「同性愛は違法」であり、有名人であるチャイコフスキーが同性愛者なのはまずいので、ロシア当局がチャイコフスキーに自殺を強要したという説がある。この説はソビエト連邦の時代となり、情報統制が厳しくなったので、真偽不明となっていたのだが、ソビエトが崩壊してからは、情報の網も緩み、西側で資料が閲覧可能になったということもあって、「本当らしい」ことが分かった。以降、チャイコフスキー作品の解釈は劇的に変わり、交響曲第6番「悲愴」は、初演直後に囁かれた「自殺交響曲」説(チャイコフスキーは、「悲愴」初演の9日後に他界。コレラが死因とされる。死の数日前にコレラに罹患する危険性の高い生水を人前で平然と口にしていたことが分かっている)を復活させたような演奏をパーヴォ・ヤルヴィやサー・ロジャー・ノリントンが行って衝撃を与えた。また交響曲第5番の解釈も変わり、藤岡幸夫はラストを「狂気」と断言している。荒れ狂い方が尋常でない交響曲第4番も更に激しい演奏が増え、人気が上がっている。ただ、同性愛を公にしていた人物もいたようで、この映画にも架空の人物と思われるが、一目でそっち系と分かる人も登場する。
チャイコフスキーは、「今まで女性を愛したことがない」と素直に告白。「それにもう年だし、兄妹のような静かで穏やかな愛の関係になると思うが、それでも良ければ同居しよう」とアントニーナの思いを受け入れる。二人は教会で結婚式を挙げた。チャイコフスキーには自分が同性愛者であることを隠す意図があった。

プーシキンの作品を手に入れたチャイコフスキー。サンクトペテルブルクから仕事の依頼があり、二人の愛の形をオペラとして書くことに決め、旅立つ。この時書かれたのが、プーシキンの長編詩を原作とした歌劇「エフゲニー・オネーギン」であることが後に分かる。
しかしチャイコフスキーは帰ってこなかった。モスクワで見せたアントニーナの行動が余りにも異様だったからだ。夫婦の営みがないことにアントニーナは不満でチャイコフスキーを挑発する。二人の生活は6週間で幕を下ろすことになった。
史実では、アントニーナとの結婚に絶望したチャイコフスキーは入水自殺を図っており、それがアントニーナが悪妻と呼ばれる最大の理由なのだが、そうしたシーンは出てこない。

アントニーナをモスクワ音楽院の創設者でもあるニコライ・ルビンシテイン(オクシミロン)が、チャイコフスキーの弟であるアナトリー(フィリップ・アヴデエフ)と共に訪れる。有名音楽家の来訪にアントニーナは舞い上がるが、チャイコフスキーの親友でもあるニコライは、チャイコフスキーと離婚するようアントニーナに告げに来たのだった。アナトリーは、キーウ(キエフではなくキーウの訳が用いられている)近郊に住む自分たちの妹のサーシャ(本名はアレクサンドラ。演じるのはヴァルヴァラ・シュミコワ)を訪ねてみてはどうかと提案する。サーシャの家に逗留するアントニーナは、サーシャから「兄は若い男しか愛さない」とはっきり告げられる。

離婚協議が始まる。当時のロシアは、離婚に厳しく、王室(帝室)か裁判所の許可がないと離婚は出来ない。また女性差別も激しく、夫の家に入ることが決まっており、そこから抜け出すのも一苦労であり、選挙権もないなど女性には権利らしい権利は一切与えられていなかった。アントニーナにも男達に激しく責められる日々が待ち受けていた。
チャイコフスキーの友人達は、離婚の理由を「チャイコフスキーの不貞」にしても良いからとアントニーナに迫るが、アントニーナは「私はチャイコフスキーの妻よ。別れさせることができるのは神だけよ!」と、頑として離婚に応じない。チャイコフスキーの友人達はチャイコフスキーは天才であり、天才は「なにをしても許されており」褒め称えられなければならない。凡人が天才の犠牲になるのは当然との考えを示す。元々、性格に偏りのあったアントニーナだが、チャイコフスキーとの再会を願って黒魔術のようなことを行う(当時のロシアでは主に下層階級の人々が本気で呪術を信じていた)など、次第に狂気の世界へと陥っていく……。

チャイコフスキーを描いた映画でもあるのだが、チャイコフスキー作品は余り使われておらず、ダニール・オルロフによるオリジナルの音楽が中心となる。最も有名なメロディーである「白鳥の湖」の情景の音楽はチャイコフスキーの友人達が旋律を口ずさむだけであり、本格的に演奏されるのは、オーケストラ曲は「フランチェスカ・ダ・リミニ」の一部、またピアノ曲は「四季」の中の2曲をアントニーナが部分的に奏でるだけである。あくまでもアントニーナの映画だという意思表示もあるのだろう。

俳優の演技力、独自の映像美と展開などいずれもハイレベルであり、今年観た映画の中でもおそらくトップに来る出来と思われる。

アントニーナは本当に嫌な女なのだが、自分自身にもてあそばれているような様が次第に哀れになってくる。

ちなみにチャイコフスキーと別れた後の実際のアントニーナの生涯が最後に字幕で示される。彼女がチャイコフスキーと別れた後に再会するチャイコフスキーが幻影であることは映像でも示されているのだが、史実としてはアントニーナはチャイコフスキーと再会することなく(数回会ったという記録もあるようだが、正確なことは不明)、最後は長年入院していた精神病院で亡くなった。

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2024年9月 8日 (日)

これまでに観た映画より(344) 「ボレロ 永遠の旋律」

2024年8月28日 京都シネマにて

京都シネマで、フランス映画「ボレロ 永遠の旋律」を観る。

「ボレロ」で知られるフランスの作曲家、モーリス・ラヴェルの伝記映画である。監督:アンヌ・フォンテーヌ。出演:ラファエル・ペルソナ、ドリヤ・ティリエ、ジャンヌ・バリバール、ヴァンサン・ペレーズ、エマニュエル・デュヴォス、アレクサンドル・タローほか。エマニュエル・デュヴォスが演じるマルグリットは、往時の名ピアニスト、マルグリット・ロンのことである。録音が残っているピアニストとしては最も古い世代に属しているマルグリット・ロン。ヴァイオリニストのジャック・ティボーと共に、ロン=ティボー国際音楽コンクールを創設したことでも知られる。お金に細かく、出演料はその場でキャッシュで貰い、それを鞄に入れて持ったままステージに出演。鞄を椅子の下に置いて演奏していたという話がある。お金を盗まれるのが嫌だったかららしいが、この世代の音楽家は変わったエピソードに事欠かない。
マルグリット・ロンは有名ピアニストではあるが、映画に登場するのはあるいはこれが初めてかも知れない。

ラヴェルがローマ大賞に予選落ちした1905年(字幕では1903年となっていたがより事実に近い方を採用)、出征した1916年、「ボレロ」が作曲された1928年、最晩年の1937年が主に描かれる。

若くして作曲家として名声を得たラヴェル(ラファエル・ペルソナ)。更なる飛躍を求めて若手作曲家の登竜門であったローマ大賞に挑戦。しかし、何度受けても大賞受賞には至らなかった。多くの作曲家仲間がラヴェルを応援していたが、年齢的に最後のチャンスとなる5回目の挑戦では、本命視されながら本選にすら進めなかった。これが波紋を呼ぶ。作曲家仲間の多くが審査結果に納得がいかず、抗議。審査に問題があったとして、審査員長のテオドール・デュボワがパリ国立音楽院院長の座を追われるという事態にまで発展する(ラヴェル事件)。
ただこの映画では、5回落ちて残念だったと、皆で飲むシーンで終わっており、ラヴェル事件には触れられていない。

1916年、第一次世界大戦にラヴェルは志願して出征。その直後、最愛の母親を失う。
「ラ・ヴァルス」を自らの指揮で演奏するシーンがあるが、ラヴェルが指揮中に集中力を欠く様子が描かれている。
ラヴェルは、バレリーナのイダ・ルビンシュタイン(ジャンヌ・バリバール)と出会い、後にバレエ音楽の作曲を依頼される。スペイン情調溢れるものが良いということで、スペインの作曲家、アルベニスの「イベリア」をオーケストレーションすることにしたが、版権の都合上、編曲作業中に放棄せざるを得なかった。バスク人の血を引くラヴェルは、スペインのボレロのリズム(ラヴェルの「ボレロ」のリズムと正統的なボレロのリズムは実は異なる)に乗せた17分の楽曲を自らの手で作成することを決意。試行錯誤しながら作業を進める。

ラヴェルが同性愛者であることは当時よく知られていた。男性音楽家がラヴェルを訪ねたという話を聞くと、周囲は「で、ラヴェルはどうだった?」と聞くのが恒例となっていたようである。この映画の中でも、ラヴェルが「音楽と結婚した」と評されていたり、「君なら(女性といても)大丈夫だ」というセリフがあったりする。女性関係があったのかどうかは定かではないが、この映画では直接的な描写はないが、あったということになっている。

ラヴェルは、「ボレロ」についてインテンポ(テンポ変化なし)、17分ということにこだわりを見せる。だが実は、バレエのシーンで流れる「ボレロ」もラヴェルに扮したペルソナが指揮する場面の「ボレロ」もおそらく15分行くか行かないかのテンポで、更にアッチェレランドしている。この辺が徹底されていないのが何故なのかは分からない(演奏時間約17分の演奏として有名なものにはアンドレ・プレヴィン盤やシャルル・ミュンシュ盤があり、かなり遅めであることが確認出来る)。
ラヴェルは、イダの振付が気に入らず、リハーサルでも文句を言い、本番も途中でいったん退席している。だがその後、自分の方が誤りで、「ボレロ」の持つ性的な魅力に気づいていなかったと認めることになる。

なお、名前が可愛らしいということもあって日本でも人気の高いピアニストであるアレクサンドル・タローが、ラヴェルのピアノ楽曲の演奏を手掛ける(主演俳優のペルソナ自身がピアノを弾いているが、プロの演奏に届かない部分をタローが補うという形のようである)他、辛口の音楽評論家役で出演している。タローの実演には接したことがあり、サインも貰っているが、シャイで大人しい印象の人で、俳優をやるタイプには見えなかったのだが、結構、芸達者である。フランス語には強くないので正確には分からないのだが、表情といい、台詞回しといい、なかなか堂に入っている。タロー演じるラロはドビュッシーの信奉者で、ラヴェルの作品は酷評することが多かったのだが、「ボレロ」に関しては好意的な態度を示す。

ヴィトゲンシュタインから左手のためのピアノ協奏曲の作曲を依頼されたと語るラヴェル。このヴィトゲンシュタインというのは、ピアニストのパウル・ヴィトゲンシュタインのことで、著名な哲学者であるルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタインの実兄である。ヴィトゲンシュタイン兄弟は、男ばかりの5人兄弟だったが、気を病みやすい家系だったようで、パウルとルートヴィヒ以外の3人は全員自殺している。
パウル・ヴィトゲンシュタインは戦争で右腕を失ったため、左手のピアニストとして活動を初めており、そのため複数の作曲家に左手のためのピアノ作品の作曲を依頼している。

更にラヴェルは、ピアノ協奏曲ト長調を作曲。エンディングテーマとして第2楽章が使われている他、初演に向けてマルグリット・ロン(エマニュエル・デュヴォス)がラヴェルの前で行うリハーサルで第2楽章の冒頭を弾く場面がある。
しかし、次第にラヴェルの作曲意欲は衰えていく。「ボレロ」が有名になりすぎて、「ラヴェル=ボレロ」というイメージも築かれ始めてしまう。

ラヴェル作品には、「ラ・ヴァルス」や「ボレロ」のようにラストで「とんでもないこと」が起こる曲があるのだが、皮肉にもラヴェルも人生の最後でとんでもない事態を迎えることになる。

脳に障害が生じたと思われるラヴェル。交通事故に遭って障害が進行したとされるが、この映画では交通事故には触れられていない。脳外科手術を勧められたラヴェルだが、手術は失敗。そのまま帰らぬ人となった。ラストシーンは、ラヴェルを演じたペルソナの指揮(の演技)、ペルソナを取り囲む形で配置されたブリュッセル・フィルハーモニー管弦楽団の演奏で「ボレロ」が演奏される。

なお、「ボレロ」が様々な国において様々な形態で演奏されていることが冒頭付近で紹介されており、ジャズになったり、ハウスになったり、ポピュラーソング風や民族音楽風になったりした「ボレロ」が演奏されているが、その中に、アジア代表としてアジアのオーケストラが「ボレロ」を演奏している光景が一瞬映る。エンドロールには、「オルケストラ・フィルハーモニー・ド・トーキョー」とあり、東京フィルハーモニー交響楽団であることが分かった。


全体的にフィクションが多めであり、伝記映画としては必ずしも成功しているとは言えないかも知れないが、アレクサンドル・タローの演技はレアということもあり、クラシック音楽好きなら一見の価値はある映画である。

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2024年8月 2日 (金)

これまでに観た映画より(343) ドキュメンタリー映画「トノバン 音楽家 加藤和彦とその時代」

2024年6月6日 京都シネマにて

京都シネマで、ドキュメンタリー映画「トノバン 音楽家 加藤和彦とその時代」を観る。ザ・フォーク・クルセダーズ、サディスティック・ミカ・バンドなどの中心メンバーとして活躍し、日本ポピュラー音楽界をリードし続けながら残念な最期を遂げた加藤和彦(愛称:トノバン)の姿を多くの音楽関係者達の証言を元に浮かび上がらせるという趣向の映画である。

京都市伏見区生まれの加藤和彦。実は生まれてすぐに関東に移っており、中高時代は東京で過ごして、自身は「江戸っ子」の意識でいたようなのだが、京都市伏見区深草にある龍谷大学経済学部に進学し、在学中にデビューしているため「京都のミュージシャン」というイメージも強い。ということもあってか、京都シネマは満員の盛況。一番小さいスクリーンでの上映であるが、それでも満員になるのは凄いことである。

監督:相原裕美。出演:きたやまおさむ(北山修)、松山猛、朝妻一郎、新田和長、つのだ☆ひろ、小原礼、今井裕、高中正義、クリス・トーマス、泉谷しげる、坂崎幸之助(THE ALFEE)、重実博、清水信之、コシノジュンコ、三國清三、門上武司、高野寛、高田漣、坂本美雨、石川紅奈(soraya)、斉藤安弘“アンコー”、高橋幸宏ほか。声の出演:松任谷正隆、吉田拓郎、坂本龍一。

加藤和彦は、バンドを始めるに当たって、雑誌でメンバーを募集。住所が京都市内となっていたため、それを見た、京都府立医科大生のきたやまおさむ(北山修)が、「京都で珍しいな」と思い、参加を決めている。参加したのは、加藤と北山を含めて5人。うち二人は浪人生で一人は高校生。浪人生二人は受験のために脱退。一人は東京の大学に進学したために戻ってこなかった。大阪外国語大学(現・大阪大学外国語学部)に進学を決めた芦田雅喜は戻ってくるが、再び脱退。加藤、北山、平沼義男の3人で再スタートする。
加藤和彦が龍谷大学への進学を決めたのは、祖父が仏師であるため、それを継ぐ志半分で、浄土真宗本願寺派の龍谷大学を選んだということになっているが、どうも東京時代に東京を離れたくなる理由があったようだ。龍谷大学には文学部に仏教学科と真宗学科があるが、加藤が選んだのは経済学部であり、特に仏教について学びたい訳ではなかったことが分かる。
常に新しいことをやりたいと考えていた加藤和彦。「帰ってきたヨッパライ」はメンバーが新しくなったので新しいことをやりたいという思いと、半ば「ふざけ」で作ったものだが、その先に何か新しいことが開ける予感のようなものがあるという風なことを若き日の加藤は語っている。

「帰ってきたヨッパライ」は、自主制作アルバム「ハレンチ」の1曲として発売された。当時、関西のミュージシャンが関西でレコーディングしたアルバムを出し、加藤もそのアルバムの録音に参加。「関西でもやろうと思えば出来る」との思いがあった。また関西の音楽人には、中央=東京に対する反骨心のようなものがあったと、北山は述べている。「帰ってきたヨッパライ」は、ラジオ関西で放送され、大きな反響を呼ぶ。それがやがて東京に飛び火。オールナイトニッポンのパーソナリティーだった斉藤安弘“アンコー(安弘を有職読みしたあだ名)”は、「帰ってきたヨッパライ」を一晩に何度も流したそうだ。
「帰ってきたヨッパライ」に関しては、高橋幸宏や坂崎幸之助が、「今まで聴いたことのない新しい音楽」と口を揃えて評価する。そんな曲が関西のアマチュア音楽家でまだ大学生の若い人々によって作られたというのは衝撃的だった。
一方、加藤、そして医大生だった北山は大学卒業と同時に音楽は終わりと考えていた。北山は大学院に進学して医師を目指し、加藤は普通に就職する気だった。だが、プロデビューの話が舞い込み、パシフィック音楽出版と東芝レコード(東芝音楽工業。後に東芝EMI、EMIミュージック・ジャパンを経て、ユニバーサル・ミュージックに吸収される)と契約。東芝からレコードを出し、1年限定のプロ活動を行うことにする。この時、はしだのりひこが加わる。どうもこの頃、加藤は学生生活が上手くいっていなかったようで、はしだが加藤の面倒をよく見ていたようだ。プロデビューのために龍谷大学は中退した。
東芝側は、第2、第3の「帰ってきたヨッパライ」を期待していたのだが、ビートルズは1曲ごとにスタイルを変えているということで、ザ・フォーク・クルセダーズ側は全く趣が異なる「イムジン河」を第2弾シングルとすることを決める。だがここで問題が起こる。ザ・フォーク・クルセダーズのメンバーは全員、「イムジン河」が朝鮮の民謡だと思い込んでいたのだが、実際は北朝鮮の作詞家と作曲家が作ったオリジナル楽曲だったのだ。北山は、「南北分断が歌詞に出てくるんだから民謡の訳がない」と後になって気づいたそうだが、朝鮮総連から「盗作」「歌詞を正確に訳すように」と物言いが付き、東芝は当時、韓国進出に力を入れていて、北朝鮮と揉めたくないということで、「イムジン河」は発売中止となる。そこで、「加藤をスタジオに缶詰にするから」という条件で、サトウハチローに作詞を依頼して書かれたのが、「悲しくてやりきれない」だった。

その後、ソロミュージシャンとしての活動をスタートさせた加藤和彦。新しいものが好きで、「イギリスで、グラムロックというものが流行っている」と知るといち早く真似をして髪を染めてステージに立った。

北山との共作でベッツィ&クリスに「白い色は恋人の色」を提供。ヒットさせる。

北山修との共作で「あの素晴らしいを愛をもう一度」をリリースしてヒット。実は、クリスに歌って貰うつもりで作ったのだが、出来が良いので「俺たちで歌っちゃおうぜ」となったようだ。「あの素晴らしい愛をもう一度」は高校の音楽の教科書に載っており、私が初めて知った加藤和彦の楽曲である。また、若き日の仲間由紀恵も出演していた、村上龍原作、庵野秀明監督の映画「ラブ&ポップ」のエンディング曲として主役の三輪明日美が拙い歌声で歌っており、そのため却って印象に残っている。

代表曲「悲しくてやりきれない」は、実は最初は松本伊代によるカバーをラジオで聴いて知ったのだが、周防正行監督の映画「シコふんじゃった。」で印象的な使われ方をしていた。立教大学をモデルとした教立大学相撲部が合宿を行うシーンで、おおたか静流の歌唱で流れた。

1970年に加藤は同じ京都出身の福井ミカと結婚。サディスティック・ミカ・バンドの結成へと繋がる。ちなみに私が福井ミカの声を初めて聴いたのは、サディスティック・ミカ・バンドの音楽ではなく、YMOのアルバム「増殖」に含まれていた有名ナンバー「NICE AGE」の途中に挿入される「ニュース速報」のナレーション(ポール・マッカートニーが大麻取締法違反で逮捕されたことを仄めかしたもの)においてであった。
ちなみにドラムの高橋幸宏を加藤に紹介したのは、小原礼だそうで、小原は高橋幸宏と一緒に演奏活動をしており、「高橋幸宏といういいドラマーがいる」と加藤に紹介。加藤と高橋はロンドンでたまたますれ違い(そんなことってあるんだろうか?)、加藤が「話には聞いてます」と話しかけたのが最初らしい。

加藤和彦の若い頃の映像は見たことがあったが、高橋幸宏の若い頃の映像は余り見たことがなく、想像以上に若いのでびっくりする。
つのだ☆ひろは、若い頃にずっと加藤和彦にくっついており、サディスティック・ミカ・バンドにも加入するが、すぐに辞めてしまったそうだ。
サディスティック・ミカ・バンドは、日本よりも先にイギリスで評判となり、逆輸入という形で日本でも売れた。高橋幸宏はYMOでも同じような体験をしている。

この頃の加藤和彦は音響にも熱心で、「日本はPAが弱い」というので、イギリスから機材を個人輸入して使っていたそうだ。

イギリスでの好評を受けて、イギリスからクリス・トーマスが招かれ、サディスティック・ミカ・バンドのレコーディングが行われることとなる。クリス・トーマスは、ビートルズのアルバム制作にも関わったプロデューサーであり、レコーディングの初日にはメンバー全員が緊張していたというが、クリスはまず「左と右のスピーカーの音が違う」とスタジオの音響から指摘。スピーカーの調整から始まった。クリス・トーマスへのインタビューも含まれるが、福井ミカについては、「彼女は、何というか、音程が、その……自由だった」と語っている。クリスは気に入るまで作業をやめず、レコーディングが朝まで続くこともたびたびであった。
そんな苦労の末にセカンドアルバム「黒船」を完成させ、イギリスでのツアーも成功させる。日本に帰ってきた加藤であるが、東芝の新田和長に「ミカが帰ってこない」と漏らす。新田は若い頃に加藤とミカと暮らしていた経験を持つ人物である。新田は、「そのうち帰ってくるよ」と慰めるが、3、4日して、「これはミカはもう帰ってこない。クリス・トーマスと一緒になる」ということが明らかになる。そんな折りに加藤が失踪。ほうぼう電話しても見つからなかったが、しばらくして「ズズのところにいる」と加藤から連絡が入る。ズズというのは作詞家の安井かずみのことである。コシノジュンコの親友で、ハイクラスの人物であり、新田は「我々とは釣り合わないのではないか」と思ったというが、加藤と安井は結婚する。安井との結婚後、加藤もまたハイクラス志向になったそうで、明らかに影響を受けている。ちなみに、安井が亡くなった後、加藤は有名ソプラノ歌手の中丸三千繪と結婚しているが、そのことについては今回の映画では触れられていない。サディスティック・ミカ・バンドの再結成や再々結成についても同様である。

加藤和彦は、「ヨーロッパ三部作」という一連のアルバムを作成することになるが、レコーディングスタジオにはこだわったようだ。YMOのメンバーが参加しており、レコーディングの様子などについて坂本龍一が語っているが、細野晴臣は写真に写っているだけで、今回は何も語っていない。坂本は、加藤について「事前に何冊も本を読んで練り上げる人」といったような証言をしている。また加藤は、楽曲が出来上がってレコーディングをする振りをしてアレンジが出来る音楽家を呼び、「いいイントロない?」「いいアレンジ出来ない」と言っていきなり仕事を振ることがあったそうで、竹内まりやの「不思議なピーチパイ」で清水信之がそうした経験をしており、「教授にもやってる」と証言しているが、教授こと坂本龍一もそれを裏付ける発言をしている。
三部作最後のアルバム「ベル・エキセントリック」では、最後にサティの「Je Te Veux(ジュ・トゥ・ヴー)」(「おまえが欲しい」と訳される男版「あなたが欲しい」と訳される女版の二つの歌詞を持つシャンソン。ピアノソロ版も有名)を入れることにし、坂本龍一がピアノを担当することになった。楽譜は当時、坂本と事実婚状態にあった(その後、正式に結婚)矢野顕子が買ってきたそうである。

加藤和彦は料理が得意で、料理を味わう舌も肥えていた。いきつけの店だったという、京都の祇園さゝ木が紹介されている他、岡山の吉田牧場でのエピソードなどが語られる。

音楽面ではその後、映画音楽や歌舞伎の音楽に挑戦するなど、様々なチャレンジを行っているが、この映画では触れられていない。

2009年10月17日、加藤和彦は軽井沢のホテルで遺体となって発見される。首つり自殺であった。鬱病を患っており、鬱病の患者は自殺率が高いことから、精神科医となっていた北山修は加藤に「絶対に自殺はしない」と誓わせていたが、果たされることはなかった。

北山修は、加藤について、「完璧を目指す人。だが完璧を演じる自分と素の自分との間に乖離があり、それが広がっていったのではないか」という意味の分析を行っている。
プロデューサーの朝妻一郎、つのだ☆ひろ、坂崎幸之助なども「自分が何かしてあげられたら」結末は違うものになっていたのではないかとの後悔を述べている。

小原礼は加藤を「ワン・アンド・オンリー」と称し、北山修は「ミュータント。彼のような人に会ったことはない」と語り、高中正義は「加藤さんと出会わなかったら今の自分はない」と断言した。

最後は、「あの素晴らしい愛をもう一度」の2024年版のレコーディング風景。高野寛と高田漣がギターを弾き、きたやまおさむ、坂崎幸之助、坂本美雨、石川紅奈などのボーカルにより録音が行われる。坂本美雨を映像で見るのは久しぶりだが(舞台などでは見ている)、顔が両親に似てきており、体型は矢野顕子そっくりになっていて、遺伝の力の強さが伝わってくる。


映画の中では全く触れられていない、俳優・加藤和彦についての思い出がある。岩井俊二監督の中編映画「四月物語」である。松たか子の初主演作として知られている。今はなくなってしまったが、渋谷のBunkamuraの斜向かいにあったシネ・アミューズという映画館(上のフロアからハイヒールで歩く音が絶えず響いてくる映画館で、映画館側も苦情を入れていたようだが、上のフロアには何があったのだろう?)でロードショー時に観ている。ファーストシーンで観客を笑わせる仕掛けのある映画であるが、加藤和彦はラストシーンに登場する。千葉市の幕張新都心での撮影である。
主人公の楡野卯月(松たか子)は、高校時代、密かに思いを寄せる先輩(山崎先輩。田辺誠一が演じている)がおり、その先輩が東京の武蔵野大学(映画公開時には架空の大学であったが、その後、浄土真宗本願寺派の武蔵野女子大学が共学化して武蔵野大学となり、実態は違うが同じ名前の大学が存在することとなった)に進学したと知り、卯月も武蔵野大学を目指して合格。上京した四月の出来事を描いた作品である。卯月は先輩がアルバイトをしている本屋を探しだし、高校と大学の後輩だと打ち明けた後、スコールに襲われ雨宿りをする。ここで画廊から出てきた加藤と出会う。加藤もスコールだというので画廊の職員から傘を借りたところだったのだが、加藤は「傘ないの? じゃあこれ使いなさい。まだ中に傘あるから」と提案。卯月は傘を受け取るも、「傘買ってすぐ戻ってくるんで。すぐ戻りますから」と言って、先輩がアルバイトをしている本屋に引き返し、傘を借りようとする。しかし本屋にあるのは破れ傘ばかり。だが卯月は破れ傘を「これでいいです。これがいいです」と言って引き返す。加藤は破れ傘で戻ってきた卯月を見て、「それどうしたんだい? 拾ったのかい?」と笑いかけるという役であった。役名は画廊の紳士・加藤で、身分は明かされていなかったが、画家ではおそらくなく、知的な雰囲気であったことから、大学の先生か出版社の人物か何かの役で、エレガントな身のこなしが印象的であった。

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2024年7月19日 (金)

これまでに観た映画より(339) 濱口竜介監督作品「悪は存在しない」

2024年5月22日 京都シネマにて

京都シネマで、濱口竜介監督作品「悪は存在しない」を観る。第94回アカデミー賞で国際長編映画賞(旧・外国語映画賞)、第74回カンヌ映画祭で脚本賞などを獲得した「ドライブ・マイ・カー」の濱口竜介監督の最新作。出演:大美賀均(おおみか・ひとし)、西川玲(にしかわ・りょう)、小坂竜士(こさか・りゅうじ)、渋谷采郁(しぶたに・あやか)、菊池葉月、三浦博之、島井雄人、山村崇子、長尾拓磨、宮田佳典、田村泰二郎ほか。音楽:石橋英子。
ほぼ無名の俳優や素人同然の俳優を使った意欲的な配役である。主役の大美賀均に至っては、俳優ではなく映画の助監督出身で、昨年、中編映画で初監督を経験したという完全に作り手側の人である。子役の西川玲は映画初出演。重要な役を演じる小坂竜士は俳優業を休んでいて久しぶりの復帰。渋谷采郁は、チェルフィッチュの作品など演技力が余り求められないところでの演技経験が主である。この素人っぽさがある意味、この映画の肝であり、上手い俳優を使っていたら退屈極まりないものになっていたかも知れない。

濱口竜介監督は、東京大学文学部卒業後、横浜の馬車道にある東京藝術大学大学院映像研究科を修了しているが、スタッフにも東京藝術大学大学院映像研究科出身者が目立つ。アカデミックな制作陣が素人を使って制作しているというのも興味深い。

元々は、「ドライブ・マイ・カー」の音楽を担当した石橋英子が好評を得たことから、音楽フィルムを撮ることを濱口に提案。それがいつしか物語作品へと変化している。冒頭は音楽が流れる中、延々と空と木々が映されるシーンが続くが、それは音楽映像として作成されたことの名残なのかも知れない。

長野県水挽町という架空の自治体が舞台。安村巧(大美賀均)は、町の便利屋として、薪割り、木の伐採、水汲み、山菜採りなどを行っている。これで生活が成り立つのかどうか微妙に思えるが、特に金に不自由はしておらず、娘の花(西川玲)と一軒家で二人暮らし。母親の姿はないが、そのことについては特に触れられることはない。
水挽町は、名水の産地で、峯村佐知(菊池葉月)は、水の良さに感動して東京から移り住み、名水を使ったうどん屋を営んでいる。
そんな水挽町に、東京の芸能事務所がグランピング(テントを使った一種のホテル)を建てる計画を立て、説明会が行われることになる。コロナの補助金目当ての事業であることは明白だった。町の公民館のような施設で、東京から来た高橋(小坂竜士)と黛(渋谷采郁)の二人が映像などを使って説明を行うが、浄化槽の位置が問題で、水挽町の水に影響を与えるのではないかといった疑問や、管理人が24時間常駐している訳ではないので、管理人がいない間に花火などをされたら困るなどの意見が出る。高橋も黛も芸能畑の人間なので、環境面などについては詳しいことを把握しておらず、責任を取れる立場の者が来ていないということもあって、説明会は一触即発の状態になる。

一方、高橋と黛の側からも物語は描かれる。補助金目当ての社長とのネット会議を経て、二人が水挽町に向かう車中で行う会話は自然体で、ある意味、セリフっぽくなく、独特の魅力がある。二人の出自を説明する会話なのだが、芸能マネージャーの高橋が俳優の元付き人で俳優として作品に出たことがあったり、黛が元介護福祉士で、半ばミーハーな気持ちから芸能事務所に社員として入ったことが分かる(介護福祉士というのがいかにもそれっぽいので当て書きかも知れない)。管理人に関しては、巧にやって貰ったらどうかという提案や、高橋が「自分がやろうか」と立候補の気配を見せたりする。二人とも自然環境を破壊する気はなく、水挽町の人々もグランピングに関して素人の高橋と黛を嫌悪するでもなく、それこそ「悪は存在しない」状態である。
そんな中、巧の娘である花が行方不明になる。町の人々も高橋も黛も花を探す。途中、黛が右手を怪我をしたため、巧の家に戻ることになる……。

第80回ヴェネチア国際映画祭で銀獅子賞を受賞したほか、海外で多くの賞を受賞しているが、高橋と黛の車中の会話は日本人だからこそピンとくるはずの内容で、こうした細部が海外の人にどれだけ伝わっているのか疑問である。

ラストは自然との調和を乱そうとしたことへの自然側からの報いであり、町を守るために部外者の目を塞ぐ行為と見るべきだろうが、おそらく意図的にだと思われるが、詳しいことはぼやかされている。

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2024年7月 4日 (木)

これまでに観た映画より(337) 笠置シヅ子主演映画「ペ子ちゃんとデン助」(1950)

2024年6月17日

録画してまだ観ていなかった、笠置シヅ子主演映画「ペ子ちゃんとデン助」を観る。1950年制作の松竹作品。原作:横山隆一(漫画「ペ子ちゃん」「デンスケ」)、脚本:中山隆三、監督:瑞穂春海。音楽:服部良一。出演:笠置シヅ子、堺駿二、高倉敏(たかくら・びん。コロムビア・レコード)、横尾泥海男(よこお・でかお)、河村黎吉、沢村貞子、殿山泰司(とのやま・たいじ)、紅あけみほか。撮影:布戸章。
「フクちゃん」の作者である横山隆一の原作ということで、劇中で漫画「フクちゃん」が読まれる場面がある。

笠置シヅ子は、歌手時代は「笠置シズ子」名義で、女優に専念してから「笠置シヅ子」に芸名を変えたとする記述がよく見られるが、歌手時代に出演した映画でもクレジットが「笠置シヅ子」表記になっているものがあり、「ペ子ちゃんとデン助」もその一編である。ということで芸名を変えたというよりは、歌手「笠置シズ子」、女優「笠置シヅ子」と使い分けていた可能性の方が高いことが分かる。

笠置シヅ子が演じているのは、フラワ社という弱小カストリ雑誌社の記者兼編集者の大中ペ子である。ペ子は映画の途中で新しく創刊されることの決まった雑誌の編集長に抜擢されるが、取材の内容はクローバーレコードから売り出し中の覆面歌手、ミスタークローバーの正体を探って覆面を剥がすという下世話なもので、カストリ雑誌と余り変わらないように思える。この映画では笠置は「買い物ブギー」の歌詞以外は標準語で通しているが、たまにアクセントが大阪弁風になる時がある。
一方のデン助(堺駿二)は、フラワ社の給仕である。かなりドジな性格で、銀座の交差点で手紙類をばら撒いてしまい、たまたま通りかかったペ子に車道まで飛び散った手紙を拾わせて、自身は逃げてしまう。このシーンは、実際の銀座かどうかまでは分からないが繁華街の公道でのロケで、多くのエキストラを使って撮影したと思われるのだが、人や車、路面電車を全て止めて撮影したのだろうか。あるいは人通りの少ない早朝などにゲリラ撮影を行ったのだろうか。俯瞰でのアングルでどこから撮っているのかも気になる。

ペ子には大きく年の離れた弟がおり、「サザエさん」のサザエとカツオのようであるが、この時代には大きく年の離れた姉弟は珍しくなかったようである。

笠置シヅ子は美人ではなく、笠置本人も自身を「けったいな顔」と評していたり、初対面時に服部良一からがっかりされているが、映画での笠置シヅ子の表情はかなり魅力的で顔の造形が全てではないことが分かる。若き日の三島由紀夫が熱愛する笠置シヅ子と対談を行った時の記事が残っているのだが、三島の笠置に対する崇拝ぶりは凄まじく、読んでいるこちらが恥ずかしくなってくるほどであるが、なるほど、これなら三島が惚れるのも納得である。

笠置シヅ子は、映画オリジナルの「ペ子ちゃんセレナーデ」や「ラッキーサンデー」、デビュー曲の「ラッパと娘」の抜粋なども歌っているが、何よりも見物聞き物なのは代表曲「買い物ブギー」である。服部良一が上方落語「ないもん買い」をヒントに大阪弁の歌詞で作った意欲的な楽曲であるが、メロディーを歌うというよりも音を置いていくような進行は、ラップを先取りしていると見ることも出来る。ちなみに「ペ子ちゃんとデン助」の公開は1950年5月21日。「買い物ブギー」の発売は1950年6月15日で、やはりプロモーションを兼ねているようである。
「買い物ブギー」のシーンは、2階建てのセットを組み、水平方向のカメラ移動と、垂直方向への移動が組み合わされており、笠置シヅ子の動きも決まっていて、当時としてはかなり凝ったカットである。笠置が横顔を見せる場面では、向かいのビルや背後にもエキストラを配して手拍子させるなど芸が細かく、ミュージックビデオとして通用する。このシーンには女優デビューしたての黒柳徹子が通行人役で出演しているはずだが、映っているのかどうかはっきりとは確認出来ない。黒柳は何度もNGを出したそうだが、笠置がとても優しくにこやかな人で助かったという。

黒柳徹子の証言(連続テレビ小説「ブギウギ」放送を記念したNHKの特別インタビューより)
 “「通行するっていっても難しくて、『いま後ろ行った人、スパって行って、なんか不自然だから普通に歩いて!』ってディレクターから指示が出て、普通にってっどうやって歩くんだっけなと思って。『申し訳ありません。上手にやります』って言って。それでまた何回かトボトボ歩くと『もうちょっと元気よく!』って言われて、何回も何回もやらされたりして。そのたびに笠置さんは『今日は朝から♪』ってやらなきゃいけなくて、本当に申し訳なかったんですけど」
 「3回か4回やっていたら、笠置さんが私をご覧になってね、『大変でんな』っておっしゃったんですよ。なんていい方だろうと思って。私が下手なために、笠置さんはそのたびに『今日は朝から♪』って歌っていらっしゃるわけですから。『何回やらせるのよ!』っておっしゃったっていい立場なのに、とても優しくしてくださってね。芸能界ってのは怖いって聞いていたけど、あまり怖くないかもしれないなと思ったりしました」”

「買い物ブギー」は、曲が長く、全編がSP盤には収まらないので、最後の落語で言う下げの部分がカットされているが、この映画ではカットなしの全編を聴くことが出来る。なお、放送自粛用語(放送禁止用語という言葉があるが、戦後の日本には検閲制度はないので禁止にすることは出来ず、自粛に任せるというのが実情に近い)が含まれているが、この映画の2カ所と最初のSP盤の1カ所は伏せることなく歌われている。「買い物ブギー」は5年後に再録音が行われており、そちらは歌詞を変えて放送自粛用語は含まれていないため、現在では再録音盤の方が主に使用されている。

映画の中にエイプリルフールの下りがあるが、どうやらこの頃には日本でもエイプリルフールの習慣が広まっていたことが分かる。世相を知る上でも興味深い映画となっている。
また劇中に「のど自慢コンクール」(まだテレビはない時代なのでラジオでの放送)が登場するが、審査の結果を知らせるのがチューブラーベルズの響きというところは今と変わっていない。

この映画におけるデン助の役割はピエロ的であり、ラストも寂しげなデン助のシーンで終わる、かと思いきや「買い物ブギー」のアンコールがあり、「ものみな歌で終わる」展開となっている。


「ペ子ちゃんとデン助」に出演した男優は、殿山泰司を除き、おしなべて若くして亡くなっている(高倉敏に至っては癌のため41歳で没)が、まだ日本人の平均余命が短かった時代であり、俳優や歌手であったから若死にするということでもないはずである。
そんな中で、沢村貞子だけが飛び抜けて長命(87歳)で、女優としての名声も高い。

堺駿二は、堺正章の父親で、本名は栗原正至。堺正章の本名は栗原正章であるが、堺の芸名を受け継いでいるということになる。堺正章の娘も栗原小春を経て堺小春という女優になったので、芸名の堺姓が3代に渡って受け継がれることになった。

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2024年5月18日 (土)

これまでに観た映画より(333) コンサート映画「Ryuichi Sakamoto|Opus」

2024年5月11日 イオンシネマ京都桂川スクリーン8にて

イオンシネマ京都桂川まで、コンサート映画「Ryuichi Sakamoto|opus」を観に出掛ける。「Ryuichi Sakamoto|opus」は日本全国で上映されるが、京都府で上映されるのはイオンシネマ京都桂川のみである。生前の坂本龍一が音響監修を務めた109シネマズプレミアム新宿で先行上映が開始され、昨日5月10日より全国でのロードショー公開が始まっている。

イオンシネマ京都桂川の入るイオンモール京都桂川は、京都市の南西隅といっていい場所に建っており、すぐ南と西は京都府向日(むこう)市で、敷地の一部は向日市内に掛かっている。
最寄り駅はJR桂川駅と阪急洛西口駅で、桂川駅は目の前、洛西口駅からも近く、交通の便はいいのだが、立地面からこれまで訪れたことはなかった。ただイオンシネマ京都桂川でしか上映されないので行くしかない。イオンモール京都桂川とイオンシネマ京都桂川は2014年オープンと新しく、「Ryuichi Sakamoto|opus」が上映されるイオンシネマ京都桂川スクリーン8はDolby Atmos対応で、音響面から選ばれたのだと思われる。

洛西口駅を東に出て、歩いて5分ほどのところにあるイオンモール京都桂川に入る。横断歩道に直結しており、2階から入ることになった。


「Ryuichi Sakamoto|opus」は、坂本がNHKの509スタジオを借りて数日掛けてモノクロームで収録し、「これが最後」のコンサートとして有料配信したピアノ・ソロコンサート「Playing the Piano 2022」の完全版である。「Playing the Piano 2022」(13曲60分)の倍近くの長さ(20曲115分)があり、配信コンサートではおまけとして流されたアルバム「12」に収録された音楽の実演の姿も見ることが出来る。また、別テイクも収録されている。監督は空音央(そら・ねお。坂本龍一の息子)、撮影監督はビル・キルスタイン、編集は川上拓也、録音・整音はZAK、照明は吉本有輝子。3台の4Kカメラでの収録で、この時、坂本は体力的に一日数曲弾くのがやっとだった。

映画館の入り口でポストカードが配布され、裏面にセットリストが載せられている。
曲目は、「Lack of Love」、「BB」、「Andata」、「Solitude」、「for Johann」、「Aubade 2020」、「Ichimei-small happiness」、「Mizu no Naka no Bagatelle」、「Bibo no Aozora」、「Aqua」、「Tong Poo」、「The Wuthering Heights」、「20220302-sarabande」、「The Sheltering Sky」、「20180219(w/prepared piano)」、「The Last Emperor」、「Trioon」、「Happy End」、「Merry Christmas Mr.Lawrence」、「Opus-ending」。邦題やカタカナ表記の方が有名な曲もあるが、一応、オリジナル通りアルファベットのみで記した。

ピアノは、2000年に坂本龍一のためにカスタムメイドされ、長年コンサートやレコーディングで愛用してきたYAMAHAのCFⅢS-PSXG(シーエフスリーエス ピーエスエックスジー)が使用されている。

イタリアでやると何故か大受けする曲で、映画「バベル」にも用いられた「Bibo no Aozora(美貌の青空)」は原曲の長さが終わっても弾き続け、主旋律を保ったまま伴奏を暗くしていくという実験を行っており、途中で納得がいかずに演奏を中断。弾き直してまた止めてやり直すというシーンが収められており、演奏を終えた後で坂本は「もう一度やろうか」と語る。NGテイクが映画では採用されていることになる。

1曲目の「Lack of Love」は全編、ピアノを弾く坂本の背後からの撮影。後頭部を刈り上げてもみあげを落としたテクノカットにしていることが分かる。
YMO時代の代表曲「Tong Poo(東風)」は、リハーサルからカメラが回っており、練習する坂本の姿が捉えられている。

ジュリエット・ビノシュ主演のイギリス映画「嵐が丘」のテーマ曲である「The Wuthering Heights」や、市川海老蔵(現・第十三代目市川團十郎白猿)主演の映画「一命」のテーマ曲である「Ichimei-small Happiness」は、コンサートにおいてピアノ・ソロで演奏するのは初めてだそうである。特に「The Wuthering Heights(嵐が丘)」は、KABからピアノ・ソロ版の楽譜が出版されているだけに意外である。

2020年にも配信でピアノ・ソロコンサートを行った坂本だが、生配信を行ったのは、「癌で余命半年」との宣告を受けた翌日であり、自身では何が何だか分からないまま終わってしまった。これが最後になるのはまずいということで、2022年の9月に8日間掛けて収録されたのが今回の映画と、元になった配信コンサートである。坂本本人は出来に満足しているようである。
坂本本人も指摘されていたようだが、年を重ねるごとにピアノのテンポが遅くなっており、今回のコンサート映画の演奏もテンポ設定は全編に渡って比較的遅めである。誰でもそうした傾向は見られ、収録時70歳ということを考えれば、バリバリ弾きこなすよりもじっくりと楽曲に向かい合うようになるのも当然かも知れない。またこの時点で死が目前に迫っていることは自覚しており、彼岸を見つめながらの演奏となったはずだ。

坂本のピアノ・ソロで聴いてみたかった曲に「High Heels」がある。ペドロ・アルモドバル監督のスペイン映画「ハイヒール」のメインテーマで、これもKABからピアノ・ソロ版の楽譜が出ており、実は私も弾いたことがある。坂本本人がメインテーマをピアノで弾いたことがあるのかどうか分からないが(別バージョンのピアノの曲はサウンドトラックに収められていたはずである)、弾いていたらきっと良い出来になっていただろう(その後、音源を発見した)。

エンディングの「Opus」は、当然ながら坂本が弾き始めるが、途中でピアノの自動演奏に変わり、演奏終了後にスタジオを去る坂本の足音が収録されていて、「不在」が強調されている。
坂本の生年月日と忌日が映され、坂本が愛した言葉「Ars Longa,vita brevis(芸術は長く、人生は短し)」の文字が最後に浮かび上がる。

ピアノ一台と向かい合うことで、坂本龍一という存在の襞までもが明らかになるような印象を受ける。彼の音楽の核、クラシックから民族音楽まで貪欲に取り込んで作り上げた複雑にしてそれゆえシンプルな美しさを持った音の彫刻が屹立する。それは他の誰でもない坂本龍一という唯一の音楽家が時代に記した偉大なモニュメントであり、彼の音楽活動の最後を記録した歴史的一頁である。

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