カテゴリー「劇評」の364件の記事

2023年2月26日 (日)

観劇感想精選(455) 渡邊守章記念 春秋座「能と狂言」2023 「花盗人」&「隅田川」

2023年2月4日 京都芸術劇場春秋座にて

午後2時から、京都芸術劇場春秋座で、渡邊守章記念 春秋座「能と狂言」を観る。

まず観世流シテ方の片山九郎右衛門と舞台芸術センター特別教授である天野文雄によるプレトークがあり、狂言「花盗人」と能「隅田川」が上演される。

片山九郎右衛門と天野文雄によるプレトークであるが、「隅田川」の内容解説などが中心となる。「隅田川」には子方といって子役が登場するのだが、片山九郎右衛門も子どもの頃に「隅田川」の子方を何度も務めているという。ずっと塚を表す室の中に隠れているのだが、ずっと正座しているそうで、それだけでも大変さが伝わってくる。
「隅田川」は救いのない悲劇として知られているが、子方の「南無阿弥陀仏」の称名が救いなのかどうか、また「隅田川」の作者である観世元雅と父親の世阿弥との間で行われたという『申楽談儀』の「子方論争」というものがあり、世阿弥が子方を出すべきではないと主張して、元雅はそれに反対したという経緯があるのだが、今では子方は基本的に出すことになっている。片山九郎右衛門が出演した「隅田川」でも観世銕之丞が出演した「隅田川」でも子方は必ず出ていたそうだ。ただそうではない演出も実は今でもあるそうである。


狂言「花盗人」。桜の花を盗みに来た男(野村万作)が、何某(野村萬斎)に捕らえられるが、歌道の妙技で危機を切り抜けたばかりか、桜の枝まで贈られるという展開で、芸能の妙技が称えられている。野村万作の動きのキレはやはり90代の高齢であることを感じさせない。


能「隅田川」。一昨年に横須賀でも観ている演目である。
子方梅若丸:安藤継之助、シテ狂女:観世銕之丞、ワキ渡守:森常好、ワキヅレ商人:舘田善博。
京都芸術劇場のある北白川に住む女が、息子の梅若丸をさらわれ、東国に連れて行かれたという噂を聞いて、武蔵国と下総国の国境である隅田川まで狂女となって落ちていく。
狂人に「狂え」と人が命令する能の演目はいくつかあるそうだが、それらはいずれも芸能者に「芸を披露しろ」と命ずるものだそうで、芸能者でないものに命令するのは珍しいそうである。

片山九郎右衛門は、梅若丸の姿が母親である狂女以外にも見えるという解釈を支持しているそうだが、確かに視覚全盛の現代の上演ということを考えれば、そうした解釈の方が似つかわしいように感じられる。

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2023年1月21日 (土)

観劇感想精選(454) 「万作萬斎新春狂言2023」@サンケイホールブリーゼ

2023年1月18日 大阪・西梅田のサンケイホールブリーゼにて

午後6時30分から、西梅田のサンケイホールブリーゼで「万作萬斎新春狂言2023」を観る。

まず、飯田豪、中村秀一、野村萬斎、内藤連、野村裕基(プログラム掲載順)による謡初「雪山」が歌われ、野村裕基による小舞「兎」が舞われる。


その後、野村萬斎によるレクチャートークがあるが、「野村裕基が卯年の年男だそうで、だそうでもなにも私の息子なんですが」と、野村裕基が「兎」を舞った理由が述べられる。
野村萬斎のトークは、前半の演目「舟渡聟」に関するレクチャーが大半を占める。「『舟渡聟』は大蔵流にもあるのですが、我々和泉流の方が面白い」として、なぜ面白いのかを解説する。また例によって、狂言が「エア」であることを強調する。確かにエアであることに納得出来ないと狂言を観ても面白くないだろう。また、狂言に出てくる人というのは理性や自制心が飛んでしまっている人も多いのだが、それは観る人の代わりにその場をぶち壊してくれるという要素が強いことが語られる。
野村萬斎は、今年の大河ドラマ「どうする家康」にも出演しているが、「第1回で死んでしまう」と語り、「まだ視聴率が高い内に退場出来て良かった」と前向きに捉えて、「第3回には私は登場するようです」と予告していた。


「舟渡聟」。出演:野村万作(船頭)、野村裕基(婿)、深田博治。
琵琶湖と琵琶湖畔が舞台である。都邊土(都の近辺)から婿入り(婿が舅の家に挨拶に行くこと。今ではこの風習はない)のために琵琶湖は大津松本にやってきた婿であるが、舅の家がある矢橋まで舟に乗ることにする。舅への土産として京の酒と鯛を担いでいる婿であるが、船頭は酒ほしさに婿を脅すことになる。
野村万作の年齢(今年で92歳)を感じさせない体の捌きに方にまず感心する。十代の頃は線の細い優男という印象だった野村裕基だが、今では堂々たる若武者に変貌。今後が楽しみである。


「花折」。出演は、野村萬斎(新発意)、石田幸雄(住持)、高野和憲、内藤連、中村修一、飯田豪。

住持(住職)が出掛けることになるのだが、境内の桜は満開なるも「花見禁制にしたから誰が来ても庭へ入らせないように」と新発意(見習い僧)に言いつける。
そこへ人々が花見に訪れるのだが、新発意は住持の言いつけを守って人々を庭へは入れない。だが人々は寺の外から垣間見る形で花見をし、宴会を始めてしまう。新発意はうらやましくなり、ついには宴会に参加し、人々を寺内に招き入れてしまうのだが……。

タイトルから想像出来ると思われるが、ラストはかなり衝撃的で、客席から声や息をのむ音が伝わってきた。おそらくであるが、「質素倹約」を押しつけてきた時の為政者への強烈なカウンターの意味もあるのであろう。

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2022年12月24日 (土)

観劇感想精選(453) ルドルフ 「ヒロインの仕事」

2022年12月17日 東九条のTHEATRE E9 KYOTOにて観劇

午後7時から、THEATRE E9 KYOTOで、ルドルフという演劇団体の「ヒロインの仕事」を観る。作・演出は、ルドルフ主宰の筒井加寿子。出演は、鳩川七海(幻灯劇場)、山岡美穂、稲森明日香(夕暮れ社 弱男ユニット)、渡辺綾子、二口大学、豊島由香、F.ジャパン(劇団衛星)、南岐佐。声の出演:黒川猛(THE GO AND MO'S)。

医療事務の仕事をしながら同人誌でマンガを発表している神島結月(本名はヤマモトナオコ。演じるのは鳩川七海)と、大手企業からシルク関係の老舗会社に転職し、ブランディングなど大きな仕事を任させられている日比野桜子(山岡美穂)の二人が実質的なヒロインとなる。

結月は、マンガの腕はそれなりにあるようである。少なくともエレベーター事故に乗り合わせた桜子から賞賛され、仕事の依頼を受けるほどには優れている。ただ、医療事務の仕事も十代からの夢であり、マンガはあくまでも「好きだから」やっている。
一方の桜子はやり手であり、自由に仕事を任され、張り切って業務をこなしていたが、「おしゃれ度」や「スタイル」だけを念頭に仕事をしていることを総務の二階堂弘子(豊島由香)に見透かされ……。

スタイルや形からの愛ではなく、根源的な愛を問う物語である。神宮寺愛子(この字で合っていると思われる)が己の半生を顧みて行う発言には重みがあり、己の愛にまっすぐ向き合うことの重要性が説かれている。
メッセージ的にはそう特別なものではないのだが、少女マンガらしい愛らしくポップな展開と、なによりも小劇場演劇に対する根源的な愛情に満ちた作品であり、見終えてとても愛おしい気持ちになれる好編であった。

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2022年12月23日 (金)

観劇感想精選(452) 當る卯歳「吉例顔見世興行 東西合同大歌舞伎」第3部 「年増」&「女殺油地獄」

2022年12月9日 京都四條南座にて

午後6時から京都四條南座で、當る卯歳「吉例顔見世興行 東西合同大歌舞伎」第3部を観る。
コロナの影響で3部制となっている南座の顔見世。今年の第3部は、「年増」常磐津連中と、「女殺油地獄」の2本が上演される。


「年増」。出演は、中村時蔵(萬屋)。隅田川を背景とした舞踊である。
コミカルにしてユーモラスな所作の数々が天保時代の粋を現代に伝える。


「女殺油地獄」。近松門左衛門が人形浄瑠璃のために書いた本を基にした義太夫狂言で、私は大阪松竹座で平成19年に観ている。その時の与兵衛は市川海老蔵の代役を買って出た片岡仁左衛門であった。海老蔵が風呂場で転倒して足を怪我したため仁左衛門が代役となったのだが、仁左衛門は片岡孝夫時代に与兵衛役で大当たりを取っており、その時も貫禄十分の演技を見せていた。出演は、片岡愛之助(松嶋屋)、片岡孝太郎(松嶋屋)、嵐橘三郎(伊丹屋)、中村亀鶴(八幡屋)、中村壱太郎(成駒家)、片岡進之介(松嶋屋)、片岡松之助(緑屋)、中村梅花(京扇屋)ほか。

油まみれになっての殺害シーンが有名であり、映画化されているほか、「GS近松商店」など、舞台を現代に置き換えての翻案作品もいくつか存在している。

どら息子の与兵衛を演じる愛之助が様になっている。素の愛之助についてはよく知らないが、彼の芸風には与兵衛役は似合っているように感じられる。
主に大川(淀川)端のシーン、河内屋内の場、豊島屋(てしまや)油店の場からなり、河内屋内の場のラストなども独特の叙情があるが、見応えがあるのはやはり豊島屋油店の場である。義理の父親と実母が与兵衛に寄せる人情、与兵衛とお吉(孝太郎)の心理戦と油まみれの殺害シーンなど、近松の筆は冴えまくっている。
ラストで、足をガタガタ泳ぐように震わせながら花道を駆けていった愛之助。芸が細やかであった。

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2022年12月18日 (日)

観劇感想精選(451) 山口浩章×KAIKA 「既成戯曲の演出シリーズ」vol.2「特急寝台列車ハヤワサ号」

2022年12月3日 東九条のTHEATRE E9 KYOTOにて観劇

午後7時から、THEATRE E9 KYOTOで、山口浩章×KAIKA 「既成戯曲の演出シリーズ」vol.2 「特急寝台列車ハヤワサ号」を観る。作:ソーントン・ワイルダー、テキスト日本語訳:時岡茂秀(劇書房『ソートン・ワイルダー一幕劇集』より)。演出:山口浩章(このしたやみ/劇団飛び道具)。上演時間約1時間の中編である。
出演は、浅田誠、鈴木美由紀、くぬぎ森子(劇団虹色どんぐり)、多田祥太郎、西山あずさ、齋藤薫、辻智之、橘(ヨアガキ)、鎌田奨一(ウィンターパーク)、大田陽彦(劇団ケッペキ/劇団ゲスワーク)、奥村海斗、渡邊志織、由良真介(笑の内閣)、渡邊容(劇団ケッペキ)、深草友紀子、岡田眞太郎(劇団トム論)、藤村弘二、友井田亮、乱痴パック(演劇集団Q)、河田全休(オフィスKAJA)、野村明里(ブルーエゴナグ)、サンタナカ(忍者ショー企画事務所team児雷也/MIYABEKIKAKU Action Team)、西村花織(劇団しようよ/劇団飛び道具)、合田団地(努力クラブ)、中村こず恵(劇団飛び道具)、佐藤真/ゆめみがち、岡田ヒビキ(ウィンターパーク)、吉岡沙月。総勢28名の大挙出演である。

舞台となるのは、ニューヨークからシカゴに向かう特急寝台列車ハヤワサ号であるが、車内でのやり取りが中心になるのではなく、ある女性の死とそれを巡る、人間ドラマとは異なった諸相が描かれており、特急寝台列車での行程があたかも60分の人生に喩えられたかのような印象を受ける。出演者達による合唱が効果的であり(戯曲には直接的には指示されておらず、今回の上演のための演出である)、生まれたしみじみとした効果は、この作品が年末に上演されるに相応しいことを教えてくれる。

登場するのは人間ばかりでなく、アメリカの各地方や、各地の天候、惑星のさえずりなどであり、今終わった一人の人間の人生が、他の人間のみならず、森羅万象に支えられた行いであったことが実感される。人生は本当に様々な事象に彩られている。

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2022年12月 7日 (水)

観劇感想精選(450) 「凍える」

2022年11月5日 西宮北口の兵庫県立芸術文化センター阪急中ホールにて観劇

午後6時から、兵庫県立芸術文化センター阪急中ホールで、「凍える」を観る。作:ブライオニー・レイヴァリー、テキスト日本語訳:平川大作、演出:栗山民也。坂本昌行、長野里美、鈴木杏による三人芝居である。

三人芝居であるが、序盤はそれぞれ一人ずつが独り言を言ったり語ったりするシーンが続き、一人芝居の集合体といった趣である。中盤以降は会話を交わすシーンも出てくるが、三人で会話を行うシーンは存在しない。たまたまかも知れないが、コロナ下に行うには適した作品である(もっとも顔を近づける場面などは存在する)。

犯罪と幼児期の虐待がテーマとなっており、ストレスが脳に与える影響が語られる。人体実験が出来ないため脳については不明の部分が圧倒的に多いが、CTスキャンなどを行うと脳の萎縮した場所などが分かるため、心の傷が脳の傷に直結しているということも最近では分かるようになってきた。

イギリスが舞台であるが、冒頭には鈴木杏演じる精神科医のアニータ(研究医だろうか。デイヴィッドという男性と共同で幼時のストレスが脳に与える影響を研究しており、犯罪者も幼時に虐待などを受けて脳に損傷が見られるケースが多いことを学会で発表する)がニューヨークを去る場面が置かれている。アニータはアイスランド系であり、苗字も変わったものだ。

今から21年前に事件は起きた。ナンシー(長野里美。ちなみに「ナンシー」というのは「アン」の愛称である)の次女で10歳のローナが行方不明になる。イギリスでは幼児の失踪事件も多く、ナンシーと夫のボブ(「ボブ」というのは「ロバート」の愛称である)は失踪した子どもの親達が作る互助会のグループ「炎」に入って活動を続けるが、ローナの行方は知れない。その間にナンシーと夫や長女のイングリットとの関係もきしみ始める。

それから21年が経ち、ラルフ(坂本昌行)が連続児童殺害の容疑で逮捕される。殺害された児童の中にローナの名があった。


犯罪者と心の傷に迫る作品であり、興味深いところも沢山あるのだが、知識として提示されただけで、解決が何一つなされないというのが物足りないところである(解決しようがない問題であり、無理矢理解決させてはいけないのかも知れないが)。ラルフ(「ごめんあそばせ」という男らしからぬ言葉遣いをすることがあり、DVを受けていると思われる母親の姿がトラウマとして焼き付いているのかも知れない)の幼時に対する掘り下げがもっとあった方が物語性も高まるので良いように思われるのだが、グロテスクになる可能性も高いため敢えて避けた可能性もある。
ラルフの狂気の場面は、可笑しくなったり大仰になったりする直前で止まる優れた表現で、坂本昌行の俳優としてのセンスの高さが感じられ、長野里美も鈴木杏も自らの個性を十分に発揮した演技を行っていたように思う。

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2022年11月27日 (日)

観劇感想精選(449) 三谷幸喜 作・演出・出演 「ショウ・マスト・ゴー・オン」2022京都公演@京都劇場

2022年11月19日 京都劇場にて観劇

※1994年版の回想が中心になりますが、2022年版のネタバレも含みますのでご注意ください。

午後6時から京都劇場で、「ショウ・マスト・ゴー・オン」を観る。三谷幸喜の東京サンシャインボーイズ時代の代表作であり、私も1994年に行われた再演を東京・新宿の紀伊國屋ホールで目にしている。それが自分でチケットを買って観た初めての演劇公演であった。

今回の「ショウ・マスト・ゴー・オン」は、当然ながら当時とは完全に異なるキャストで上演される。小林隆だけは以前と完全に同じ役柄(役名だけは「佐渡島」から「万城目」になり、異なっている)で出演する予定だったのだが、左足筋損傷のため博多公演の初日から舞台に上がることは叶わず、作者である三谷幸喜が代役を務めることになった。博多公演は全て三谷幸喜が出演したが、小林の怪我が完治していないため、京都公演も引き続き三谷が代役として出演する。


作・演出・出演:三谷幸喜。出演:鈴木京香、尾上松也、ウエンツ瑛士、シルビア・グラブ、新納慎也、今井朋彦、峯村リエ、秋元才加、藤本隆宏、小澤雄太、井上小百合、大野泰広、中島亜梨沙、荻野清子、浅野和之。ミュージシャンである荻野清子は音楽・演奏(ピアノ)も兼任。女優としては、地声が小さすぎるのでそばにいる人を介さないと何を言っているのか分からないという変わった役(役名は尾木)を演じる。セリフでは有名俳優に敵わないので、仕草だけの演技ということになったのだと思われる。

1994年の再演時(NHKBS2で収録された映像が放送され、その後、同じ映像がDVDとなって発売されている)とは、出演者の数も違うし、性別も異なる俳優が何人もいる。例えば、鈴木京香演じる舞台監督の進藤は、再演時には西村雅彦(西村まさ彦)が演じており、西村雅彦が初めて「僕が主演」と感じたと振り返っているのが「ショウ・マスト・ゴー・オン」である。中島亜梨沙演じるプロデューサーの大瀬を再演時に演じていたのは近藤芳正(近藤芳正は東京サンシャインボーイズの後期の作品には全て出演しているが、正式な団員だったことはない)、シルビア・グラブ演じるあずさを演じていたのは、「鎌倉殿の13人」にも出演している野仲功(野仲イサオ)であった(ただし初演時には斎藤清子が演じており、性別がコロコロ変わる役であることが分かる)。また、再演時には存在しなかった役として、井上小百合演じる通訳の木村さん(演出がダニエル、再演時のフルネームはダニエル・ブラナーという外国人という設定)、浅野和之演じる医師の鱧瀬も再演時には出てこなかった人物である。当然ながら、荻野清子演じる尾木も今回のオリジナルキャストである。
シルビア・グラブが出ているということで、彼女がソロで歌うシーン、また尾上松也がソロで歌うシーン、更には前半終了時と全編終了時には全員が合唱を行う場面も用意されている(ちなみに再演時は休憩なしのワンシチュエーションものであった)。

私は初演時の「ショウ・マスト・ゴー・オン」は観ておらず、明治大学の図書館で見つけた戯曲(明治大学文学部には演劇専攻があるということで、演劇雑誌に掲載されていたものが冊子に纏められていた。今も明治大学の駿河台図書館に行けば読めると思われる。ただし入れるのは明大生、明大OBOG、千代田区在住者に限られる)を読んだだけなので、細部についてはよく分からないが(何カ国語も話せる人物が登場していたりする)、1994年の再演は目にしており、BSを録画した映像を何度も繰り返して観た上にDVDとなった映像も視聴している。ということで比較は容易になる。

ちなみに再演時のキャストは、進藤:西村雅彦、木戸:伊藤俊人、のえ:高橋理恵子(演劇集団円所属)、栗林:相島一之、八代:阿南健治、あずさ:野仲功、佐渡島:小林隆、大瀬:近藤芳正、七右衛門:梶原善、中島:甲本雅裕、ジョニー:小原雅人、進藤の妻:斎藤清子、宇沢:佐藤B作。

再演を観たのは、1994年の4月の土曜日のソワレ、日付を確認するとおそらく4月16日のソワレで、当日券を求めて並び(並んでもチケットが手に入るとは限らない)なんとかチケットをゲットして、紀伊國屋ホールの最後列の後ろに設けられた補助席の一番下手寄りの席に腰掛けて観た。「この世にこんなに面白いものがあるのか」と喫驚したことを昨日のようにどころか終演直後のようにありありと思い返すことが出来る。そしてそれは懸念ともなった。前回の記憶が鮮明なだけに、今回の上演を楽しむことが出来ないのではないかという懸念である。そしてそれは現実のものになった、というより上演前から分かっており、確認出来たと書いた方が事実に近い。「ショウ・マスト・ゴー・オン」は、1994年の4月に上演されたからこそ伝説の舞台になったのだということをである。
内容を知り過ぎているということは、時に不幸となる。1994年のあの公演を劇場で観ていなければ、あるいは今回の上演も楽しめたかも知れないという意味で。
「過ぎたるは尚及ばざるがごとし」

ただ私事ばかり書いていても意味はない。今回の上演について記そう。
群像劇ではあるが、「ショウ・マスト・ゴー・オン」の主役は明らかに進藤である。舞台監督であるため、ほぼ全ての指示を出すことになるためだ。この進藤に鈴木京香。女性が舞台監督であることは特に珍しくもない(私が出演した京都造形芸術大学の授業公演でも女子が舞台監督を務めていた)が、バックステージもので舞台監督を女性が演じるというのは記憶にないので、フィクションの世界では珍しいことなのかも知れない。再演時に西村雅彦が演じていた進藤には、「現代のマクベス夫人」と言われる怖い奥さんがいたのだが、進藤役が女性になったということで、甲斐性のない男優希望の青年(小澤雄太が演じる)に置き換えられている。50歳を超えた今も第一線の女優であり続けている鈴木京香の進藤ということで、存在感もあり、女性ならではの悩みなども巧みに演じている。

進藤に、進藤の右腕となる木戸(ウエンツ瑛士)と、舞台女優志望ながら現在はスタッフとして働いているのえ(秋元才加。ちなみに現在放送中の「鎌倉殿の13人」に菊地凛子演じるのえという人物が出てくるが、「ショウ・マスト・ゴー・オン」ののえも、「鎌倉殿の13人」ののえも「ぶりっこ」という点で共通している)を加えたトリオがこの作品の原動力となっている。ただ、再演時には木戸を伊藤俊人(2002年没)、のえを今では演劇集団円の看板女優の一人となった高橋理恵子が演じており、キャラクター自体も再演時の俳優の方が合っていた。三谷幸喜は当て書きしかしない人であり、今回も出演者に合わせて大幅に加筆しているが、やはりインパクトでは再演時の俳優には敵わない。他の俳優についてもこのことは言える。客席からは笑いが起こっていたが、「違うんだよ、この程度じゃないんだよ。三谷幸喜と東京サンシャインボーイズは本当に凄かったんだよ」と私と舞い降りてきた19歳の時の私はひどく悲しい思いをすることになった。

1994年に観た「ショウ・マスト・ゴー・オン」は、あの日、あの時、あの出演者だったからこそ今でも思い返して幸福感に浸れるほどの作品となったのだ。そして同じ思いに浸れることはもう決してないのだということを確認し、なんとも言えぬ切なさが胸の底からこみ上げてきて、涙すら誘いそうになる。ただこれが生きていくということなのだ。生きていくというのはこういうことなのだ。

そんな懐旧の念にとらわれつつ、今回の「ショウ・マスト・ゴー・オン」もやはり魅力的に映った。小林隆が出演出来なかったことは残念であるが、代役を務める三谷幸喜の演技が思いのほか良かったというのも収穫である。映像ではまともな演技をしているのを見た記憶はないが、舞台となるとやはり学生時代からの経験が生きてくるのだろう。役者・三谷幸喜をもっと観たいと思う気持ちになったのは、我ながら意外であった。

劇場の下手袖が主舞台であるが、劇場(シアターコクーンならぬシアターコックンという劇場名らしい。ちなみに1994年の再演時には、三百人劇場ならぬ三億人劇場という劇場名だったが、その後に三百人劇場は閉館している)の舞台、つまり本当の舞台の上手袖ではほぼ一人芝居版の「マクベス」が宇沢萬(うざわ・まん。尾上松也)によって演じられているという設定である。このほぼ一人芝居版「マクベス」がその後、細部は全く異なるが実際に上演されている。佐々木蔵之介によるほぼ一人芝居版「マクベス」がそれで、佐々木蔵之介の演技を見ながら、「『ショウ・マスト・ゴー・オン』の世界が現実になった」と感慨深く思った日のことも思い出した。

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2022年11月23日 (水)

観劇感想精選(448) 大竹しのぶ主演 「女の一生」@南座

2022年11月3日 京都四條南座にて観劇

午後4時から、京都四條南座で「女の一生」を観る。作:森本薫、補綴:戌井市郎。出演:大竹しのぶ、高橋克実、段田安則、西尾まり、大和田美帆、森田涼花、林翔太、銀粉蝶、風間杜夫ほか。段田安則が演出も兼ねる。京都市出身の段田安則にとっては凱旋公演となる。また大竹しのぶは今回が南座初出演となる。

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大阪に生まれ、京都帝国大学文学部に学んだ森本薫。文学座の作家としていくつもの作品を手掛けるも、学生時代に煩った結核が元で、1946年に34歳の若さで他界している。「女の一生」は、森本の最晩年の作品であり、最も有名な一作として挙げることが出来る。戦中の1945年4月に文学座によって初演され、戦後となった翌1946年にプロローグとエピローグが加えられている。プロローグとエピローグを加えた版は森本の死の1ヶ月後に初演された。今回はそれに戌井市郎の補綴を加えた版を採用している。

一貫して堤家の座敷が舞台となっている。堤家は戦災により全焼したため、プロローグとエピローグでは焼け落ちて何もないかつて堤家の座敷だった場所が舞台となる。

第1幕目は、1905年(明治42)の堤家の座敷が舞台である。正月で、堤家の女大黒柱であるしず(銀粉蝶)の誕生祝いが行われている。栄二は赤い櫛をプレゼントし、声楽家志望である次女のふみ(大和田美帆)は「アニー・ローリー」の歌唱を贈り物とする。そんな堤家に、布引けい(大竹しのぶ)がふらりと彷徨い込む。早くに両親を亡くし、育てて貰った叔母からも追い出されたけいは行く当てがなかった。そして旅順陥落の提灯行列を見るために開けてあった堤家の門から入ったのだった。

幼い少女が、中国相手の商売で一財産儲けた堤家の事実上の女主に成長していく過程を描いた作品であり、政治に興味があり、商才に長けるなどこれまでとは違った女性像を打ち出している。だがラストで、どんでん返しではないがそれ以上にインパクトのある転換がけいの口から語られる。森本の迸るような文才が結実した見事にして新鮮なラストである。

第1幕では、堤家の跡取りである長男の伸太郎(段田安則)と次男の栄二(高橋克実)はまだ若くて堤家の舵取りは出来ないという設定であり、段田安則も高橋克実も学生服を着て登場する。有料パンフレットに段田安則も二人の学生姿について「ご笑納ください」と書いており、確かに違和感があるが、「そういうものだ」と思えば違和感があってもなんとかはなる。大竹しのぶも第1幕では少女を演じるが、声や仕草を変えることで、お得意の「化ける」演技を披露。観る者を納得させた。

西尾まり、大和田美帆、森田涼花の若手女優3人も(西尾まりは私と同い年なので、若手のイメージはあっても実際には中堅女優であるが)可憐で、舞台に華やかさを振りまいていた。

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2022年11月21日 (月)

WOWOW 野田秀樹版「パンドラの鐘」&蜷川幸雄版「パンドラの鐘」に関する感想とメモ

11月14日(月)

WOWOWで放送されたものを録画した野田秀樹演出版「パンドラの鐘」を観る。1999年、世田谷パブリックシアターでの収録。野田秀樹の作、野田秀樹自身の演出版と蜷川幸雄演出版でほぼ同時に上演された話題作である。以前にNHKBS2(NHKBSプレミアムの前身)で放送された映像をWOWOWが借りて放送したのだと思われる。

原爆投下と天皇の戦争責任を古代の架空の王朝に重ねて描いた作品であり、冒頭に忌野清志郎のロック版「君が代」が流れたり、二・二六事件がはっきりそれと分かるように描かれていたり(はっきり描かなくても分かるところを敢えて更にはっきり分かるようにしている)と、リアルな要素も含まれるが、全般的には日比野克彦の衣装の影響もあっておとぎ話のようにも見える。そしてこれは確かに大人のおとぎ話である。

出演:堤真一、天海祐希、富田靖子、古田新太、松尾スズキ、銀粉蝶、入江雅人、八嶋智人、野田秀樹ほか。

パンドラの鐘は、見るからに長崎に投下された原子爆弾であるファットマンの形をしている。ちなみに蜷川幸雄演出版のパンドラの鐘は広島に投下されたリトルボーイ(「鐘」について語る場面で登場する「金に童」の「童」である)の形をしており、ほぼ同時に上演されたのはこの2発の原爆になぞらえたのかも知れない。もっとも、「2つ同時にやるのだから片方はファットマンにして片方はリトルボーイにしよう」と決まっただけかも知れないが。

「蝶々夫人」に出てくるピンカートンのひ孫であるタマキ(富田靖子。「タマキ」という名は三浦環に由来すると思われる)のキャラクターは、野田演出版と蜷川演出版でかなり違い、他のキャラクターも当然ながら性格は微妙に異なる。
また野田秀樹演じるヒイバアと天海祐希演じるヒメ女の関係を見ていると、これがどうやらジュリエットと乳母の関係を模したものであるらしいことにも気がつく(蜷川版ではそういう風には見えない)。

23年前の作品であり、今でも学生演劇などで上演されることも多いが、野田演出版は今から振り返ると残念ながら時代を超えられていないように思われる。最初に映像で観たときは大いに感心したものだが、今では粗に目が行ってしまう。私も年を取ったということなのかも知れない。ただ当時も「パンドラの鐘」に感銘を受けると同時に不満も抱き、「こういう形ではない原爆を題材にした劇を書きたい」と思ったのも事実で、それが「落城」という私の戯曲での処女作に結びついている。

 

 

11月15日(火)

WOWOWで録画した「パンドラの鐘」蜷川幸雄演出版を観る。1999年の年末に、野田秀樹の自作自演版とほぼ同時期に東京・渋谷のBunkamuraシアターコクーンで上演されたものである。出演:大竹しのぶ、勝村政信、生瀬勝久、壌晴彦、宮本裕子、高橋洋、井手らっきょ、森村泰昌、沢竜二ほか。

蜷川幸雄はシアターコクーンの舞台に土砂を敷き詰め、「軽み」を重視した野田秀樹の演出とは対照的に重厚的な作品に仕上げている。長崎の発掘現場はアングラ的に見え、一方で古代の王国の場面はシェイクスピアの「リア王」の荒野にいるような効果を上げている。

昨日も書いたが、見るからに長崎に落とされた原爆・ファットマンを意識した野田版「パンドラの鐘」に対し、蜷川幸雄は広島に投下された原爆・リトルボーイに模したフォルムを鐘に採用している。

野田秀樹は階段状の舞台を使い、「上下」の関係を可視化。そのため二・二六事件をほのめかした場面は蜷川版よりも分かりやすかったりする。

蜷川の演出は野田のそれよりもはるかにリアルで、オズ(高橋洋)とタマキ(宮本裕子)の関係なども等身大に描かれている。

実は「パンドラの鐘」底流にはシェイクスピアの「ハムレット」が下敷きとして使われており、いくつかの場面ははっきりそれと分かるように蜷川も演出している。ただ私が演出するなら(演出することも演出する気もないが)もっと分かりやすく示すはずである。ミズヲが「葬儀屋」「葬儀王」と名乗ったり言われたりしていながら、やっていることは葬儀というよりも墓掘り人であり、ここ一つとっても墓掘り人による名場面がある「ハムレット」に繋がっている。私ならもっとシェイクスピアに近づける。

最も重要なセリフの一つと思われる、タマキの「待つなんて馬鹿、まして死ぬなんてもっと馬鹿よ」(蝶々夫人に対してのセリフであるが、広義的には当時に日本人に向けられていると思われる)のニュアンスが野田秀樹と蜷川幸雄とでは大きく異なるのも特徴。野田秀樹版の富田靖子は頑是ない子どもに言い聞かせるように語り、宮本裕子は吐き捨てるようにとまでは行かないが捨て台詞として見下すように口にしている。

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2022年11月17日 (木)

コンサートの記(813) オペラ「石見銀山」石見銀山世界遺産登録15周年記念関西公演@京都劇場

2022年11月2日 京都劇場にて

午後6時30分から、京都劇場でオペラ「石見銀山」石見銀山世界遺産登録15周年記念関西公演を観る。

オペラ「石見銀山」は、石見銀山の世界遺産登録10周年と石見銀山のある島根県大田(おおだ)市の地方創生として2017年に制作されたもので、オペラユニット「THE LEGEND」が中心になり、THE LEGENDの吉田知明が、石見神楽の団体である大屋神楽社中の安立均がまとめた神楽の演目「石見銀山 於紅谷」を原作に脚本を書き、演出も行う。作曲は、デュオ「鍵盤男子」(現在はソロユニットとなっているようである)のメンバーでもある中村匡宏(くにひろ)が手掛けている。
中村匡宏は、ウィーン国立音楽大学大学院作曲科最終試験で最上位を獲得。国立音楽大学と同大学院で共に首席を獲得し、博士後期課程の博士号を取得している。
中村は指揮と音楽監督も兼任している。

出演は、柿迫秀(かきざこ・あきら。島根県大田市出身)、菅原浩史(すがわら・ひろし)、吉田知明、坂井田真実子、志村糧一(しむら・りょういち)、内田智一、松浦麗。ゲストピアニストは西尾周祐(にしお・しゅうすけ)。石見神楽上演は大屋神楽社中。合唱はオペラ「石見神楽」合唱団(一般公募による合唱団)。

有料パンフレットに東京公演での模様を撮影した写真が掲載されており、オーケストラピットにオーケストラ(東京室内管弦楽団)が入っているのが確認出来るが、京都公演ではオーケストラはなしで、当然ながらカーテンコールでも紹介されなかった。音色からいってシンセサイザーが用いられているのが分かるが、どのように音が出されていたのかは不明である。

石見銀山に伝わる於紅孫右衛門事件という史実が題材となっており、石見銀山で働く男女の悲劇が描かれる。

第1幕から第4幕まであるが、第1幕から第3幕までが通しで上演。休憩を挟んで石見神楽が本格的に登場する第4幕が上演された。

ストーリー的には良くも悪くも素人っぽい感じだったが、中村匡宏の音楽は明快にして才気に溢れており、今後オペラ作曲科としてさ更なる活躍が期待される。

第1幕は、1526年(大永6)に博多の大商人であった神屋寿禎(演じるのは柿迫秀)が石見銀山の主峰、仙ノ山を発見することに始まる。第2幕と第3幕は、石見銀山の間歩(まぶ。坑道のこと)頭である於紅孫右衛門(吉田知明)と、やはり間歩頭である吉田与三右衛門、そして与三右衛門の妻であるお高(坂井田真実子)、与三右衛門の弟である吉田藤左衛門(内田智一)の話が主になる。「銀よりも皆が無事であることが大事」と説き、仕事仲間からの人望もある孫右衛門に、与三右衛門は嫉妬。更に妻であるお高と孫右衛門が懇意になったことから嫉妬は更に加速していく。与三右衛門は妻のお高に暴力を振るっているが、心の底ではお高を強く愛しており、両親の命を奪った銀山からお高を救いたいと願っている。ただ愛情が強すぎて妻にきつく当たってしまうようだ。
第4幕では神屋寿禎が再度登場し、鬼女(龍蛇。演じるのは松浦麗)が登場して、石見神楽が演じられる中、緊迫感が増していく。

京都劇場は、元々はシアター1200として建てられ、音響設計がしっかりされている訳ではないと思われるが、劇団四季が一時常打ち小屋として使っていたこともあり、音響はまずまずのはずなのだが、やはりオペラをやるには空間が狭すぎるようである。PAを使っての上演だったが、声が響きすぎて壁がビリビリとした音を延々と発する場面も結構多かった。
またオペラは生のオーケストラで聴きたい。

今後この作品がオペラの定番としてレパートリー化されるのは、島根以外ではあるいは難しいかも知れないが、地方創生としておらが街のオペラを創作するというのは素晴らしい試みであると感じられた。

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