カテゴリー「オンライン公演」の14件の記事

2021年3月21日 (日)

配信公演 滋賀県犬上郡甲良町制作 新作能「高虎」(文字のみ)

2021年3月12日

ぴあのWeb配信で、新作能「高虎」を観る。びわ湖ホールに「ローエングリン」を観に行った時にチラシを見つけたもの。藤堂高虎の出身地とされる滋賀県犬上郡甲良町が制作したものである。初演は令和元年10月19日であるが、コロナ調伏を願って全国配信版が新たに制作され、14日23時59分まで有料配信された。

甲良町長の挨拶があった後で、まず第1部として舞・笙「禍(まが)ごとの鎮め」が上演される。白拍子舞人:井上由理子、楽人:和田篤志。
磯禅尼が始め、娘である静御前が継いだとされる白拍子だが、平安時代末までそうしたものが生まれなかったと考えるのは不自然であり、また二人とも架空の人物である可能性もある。特に静御前については、モデルになった人はいたかも知れないが、物語に出てくるように常に義経の傍らにいたという部分は怪しい。義経の正妻が河越氏出身であることが執権となった北条氏にとっては不都合だったため、静御前という実在の不確かな女性を前に出すことで隠蔽した可能性も高い。

ただ白拍子がいつ生まれたのかは、ここでは特に大きなことではない。コロナ禍を鎮めるための雅やかな舞である。即興による部分が多いとのことだが、謡がなかなか聞き取れない。やはり伝統芸能の謡を聞き取るには相当の訓練が必要なようである。

 

第2部、能「高虎」。まずマンガによる能「高虎」の紹介がある。

新作能「高虎」。出演は、寺澤拓海(前ツレ・高虎の母)、浦部好弘(前シテ・高虎の父)、浦部幸裕(後シテ・高虎)、有松遼一(ワキ・天海僧正)、岡充(ワキツレ・従僧)。間狂言の出演、茂山茂(茶屋の主)、茂山宗彦(もとひこ。旅の者)、井口竜也(茶屋の妻)。

藤堂高虎は現在の滋賀県犬上郡甲良町の在士八幡宮付近の生まれとされ、在士八幡宮の藤の下が舞台となる。高虎は築城の名手として知られ、自らの居城の他に江戸城の縄張りも手掛けるなど、徳川家康からの信頼も厚かった。戦でも先陣は、譜代は井伊、外様は藤堂と決まっていた。

天海僧正が、江戸から京に向かうことになる。南禅寺山門供養のためである。途中、近江国で、満開の藤の花を見つけ、花の下で掃除をしている老夫婦にここはどこかと訪ねる。老夫婦は、甲良の在士八幡宮だと答え、この地が藤堂高虎公ゆかりの地であることを告げる。天海は今は亡き高虎と懇意であった。老夫婦の正体が高虎の両親の霊であることが明かされ、前場が終わる。

間狂言は、高虎が若い頃の話に基づいている。仕官先を求めて東へ向かい、三河国吉田(現在の愛知県豊橋市)で無一文で空腹となっていたところで餅屋を見つけて餅を食べるも銭がない。だが餅屋の主は銭を求めず、「東に行くのではなく故郷に戻りなさい」と高虎に勧める。故郷に戻った高虎は豊臣秀長に仕え、出世の第一歩を築く。高虎は後に吉田に行き、出世払いをしたという話である。
この狂言では、「三河国に住まい致す者」が京へ上る途中、近江国の茶屋に寄り、高虎の話が好きな茶屋の主から餅を振る舞われるという話になっている。
旅の者(茂山宗彦)が餅を豪快に食らうシーンが見せ場である。

後場。藤の花の下で眠りに就いた天海僧正の前に高虎の霊が現れ、昔を懐かしみ、大坂夏の陣での大活躍を舞で表現すると同時に身内を失った苦悩を吐露する。南禅寺山門は、高虎が親族を弔うために再建したものであり、天海がそこを訪れて供養を行うことを知って喜ぶのだった。

高虎は、主君を度々変えたということもあって、所領も頻繁に変わっており、築城した城も多い。新作能「高虎」にも、今治城や津城など、高虎が築いた名城が登場する。

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2021年3月 2日 (火)

配信公演 阪哲朗指揮山形交響楽団 『ベートーヴェン「英雄」~ベートーヴェン生誕250年記念特別公演』(文字のみ)

2021年2月26日

午後7時前から、クラシック専門配信サービス「カーテンコール」で、阪哲朗指揮山形交響楽団による『ベートーヴェン「英雄」~ベートーヴェン生誕250年記念特別公演』を視聴。やまぎん県民ホールからの同時配信である。

開演前に、山形交響楽団専務理事の西濱秀樹と阪哲朗によるプレトークがある。本番の前のプレトーク(二重表現だが、正確な日本語で書くと却って伝わりにくい)を日本に根付かせたのは山形交響楽団とされる。飯森範親が山形交響楽団の常任指揮者就任と共に始めた、というのは飯森範親本人が、大阪で行われた「さくらんぼコンサート」(山形交響楽団の本拠地以外での演奏会に付けられる名称)のプレトークで自慢として話していたことである。指揮者ではなくビジネスマンになっていたとしても有能であったことが確実視される飯森の広報戦略に乗り、山形交響楽団は「田舎のオーケストラ」というイメージで営業に苦労していた時代が嘘のようにブランドオーケストラへと成長した。この辺りの経緯は、松井信幸著、飯森範親監修の『マエストロ、それはムリですよ…』~山形交響楽団と飯森範親の挑戦~(ヤマハミュージックメディア)に詳しい。

プレトークの進行役である西濱さんは、関西フィルハーモニー管弦楽団の事務局長時代からプレトークを行っており、関西出身ということで大阪ではユーモラスな語り口で笑いを取っていたのだが、山形のお客さんは大阪に比べるとかなり大人しいようで、明らかに受け狙いのことを言っても反応がなかったりする。

京都市の生まれ育ちである阪哲朗であるが、両親が共に山形県内の出身ということで、子どもの頃は夏休みに山形に遊びに行くことも多かったそうである。山形交響楽団の常任指揮者に就任してからはよく「山形は夏暑いし、冬寒いので大変でしょう」と言われるそうだが、「京都も夏暑くて、冬寒いので余り変わらない。盆地なので」だそうである。
近年は、国内最高気温の記録が毎年のように更新されているが、それまでは長きに渡って1933年7月25日に山形市で記録された摂氏40.8度という気温が日本最高記録として定着していた。ただフェーン現象によるもので、山形市が特別暑い街というわけではないようである。

今回の曲目は、ニコライの歌劇「ウィンザーの陽気な女房たち」序曲、ヨハン・シュトラウスⅡ世の「アンネン・ポルカ」、ヨハン・シュトラウスⅡ世&ヨーゼフ・シュトラウスによる「ピッチカート・ポルカ」、ヨハン・シュトラウスⅡ世のワルツ「ウィーン気質(かたぎ)」、ベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」であるが、全てウィーンゆかりの作曲家で、最もオーソドックスな4拍子の曲や楽章が存在しないという共通項で選ばれているようである。

阪哲朗は、ウィーンというのは多国籍都市で、「これがウィーン人」といえるような典型的な市民は余りいないという内容の話をする。それもあって、当時はプロイセン領であったロシアのカリーニングラード出身のオットー・ニコライ(ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の創設者でもある)、ユダヤ系ハンガリー人の家系であるシュトラウスファミリー、西ドイツが存在した頃には首都にもなったこともあるボンの生まれ育ちで、祖父がベルギー・オランダ語圏からの移民であるベートーヴェンと、よそからウィーンに来た作曲家達のプログラムになったようである。

 

古典配置による演奏。阪は、ニコライとベートーヴェンは指揮棒を使って、シュトラウス作品はノンタクトで指揮を行う。

ニコライの歌劇「ウィンザーの陽気な女房たち」序曲は、阪らしいキビキビとした音運びと躍動感で聴かせる。

阪はプレトークで、ウィーンの人はワルツを三等分で演奏したがらないと話していたが、シュトラウスファミリーの作品では、意図的なパウゼを長めに取るなど、日本のオーケストラが演奏しがちなポルカやワルツとは異なる演奏を行う。山形交響楽団の各奏者達の技術も高く、楽しめる仕上がりとなった。

休憩時間には、山菜料理・出羽屋に取材した映像(山形交響楽団が独自に作成したものではないそうである)が、通常版と英語字幕付き版とで2度流れる。料理の宣伝ではなく、山形県の魅力に迫るもので、山菜採りや山歩きなど、山形に「移住したくなる魅力」を発信していた。

 

メインであるベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」。ホルンとトランペットはナチュラルタイプのものを使用(ナチュラルトランペットとモダンのトランペットの中間であるバロックトランペットなるものもあるそうであるが、見分けはつかず)。ティンパニも当然ながらバロックタイプのものである。

速めのテンポによる溌剌とした「英雄」になるのではないかと予想されたが、テンポはピリオドのものとしては中庸で、鮮烈さを強調するよりも地に足のついた安定感を重視した演奏となる。阪を正面から捉えた映像も流されるが、指揮棒の先をかなり細やかに動かして指揮していることが確認出来る。
第2楽章の重厚さ、第3楽章の軽快さ、第4楽章のアポロ的な造形美など、阪と山形交響楽団の相性の良さが伝わってくる好演となった。

 

山形交響楽団は、オリジナルの「Bravoタオル」を公式サイトで販売しており、今日も「Bravoタオル」を掲げているお客さんを確認することが出来た。

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2021年2月26日 (金)

劇団音乃屋オンライン公演 音楽劇「はごろも ~三保の伝承にもとづく~」(文字のみ)

2021年2月23日

劇団音乃屋のオンライン公演、音楽劇「はごろも ~三保の伝承にもとづく~」を視聴。静岡市清水区(旧静岡県清水市)の曹洞宗庵原山(あんげんざん)一乗寺の本堂で収録されたものである。静岡市清水区の三保の松原を始め、日本各地に残る羽衣伝説を題材にした「家族みんなで楽しめる音楽劇」である。宮城聰が芸術監督を務めるSPAC所属の女優で、劇団音乃屋主宰でもある関根淳子の作・演出、天女役。劇団大樹主宰で大蔵流狂言方の川野誠一の伯良(漁師。川野誠一は私立大分高校卒とのことなので、財前直見の後輩、森七菜の先輩となるようである)。新保有生(しんぼ・ありあ。苗字から察するに、先祖がご近所さんだった可能性もある)の作曲・演奏(三味線、篠笛、能管)での上演である。冒頭に一乗寺住職からの挨拶があり、劇団音乃屋主宰の関根淳子からの挨拶と新保有生の演奏が特典映像として収められている。

全国各地に存在する「羽衣伝説」であるが、三保の松原のそばにある御穂神社には天女のものとされる羽衣が今に伝わっている。
羽衣伝説は様々な芸能の素材となっているが、歌舞伎舞踊の「松廼羽衣(まつのはごろも)」が中村勘九郎・七之助の兄弟により、ロームシアター京都メインホールで上演された時には、上演前に行われた芸談で、「静岡公演の昼の部と夜の部の間に三保の松原と羽衣を見に行った」という話をしており、「残っているんなら切って与えたんだから、それを演出に取り入れよう」ということで、夜の部から急遽羽衣を切るという演出を加えたという話をしていたのを覚えている。

三保の松原は風光明媚な地として日本中に知られているが、そこから眺める富士山の美しさでも知られている。富士山は休火山で、今は噴煙は上がっていないが、噴火していた時代もあり、空へとたなびく白煙が天界へと続く羽衣に見立てられたことは想像に難くない。

新保有生による冴え冴えとした邦楽器の音が奏でられる中、まず川野誠一演じる伯良が狂言の発声と所作と様式で状況を説明して松に掛かった羽衣を見つけ、次いで天女役の関根淳子が現れて、返して欲しいと謡の発声で話し掛ける。邦楽を用いることで郷愁や哀愁が自ずから漂う。「舞を行うので衣を返して欲しい」と頼まれた伯良は「嘘偽りではないか」と疑うが、天女は「天に偽りなきものを」と言い、羽衣を纏っての舞を披露する。もちろん嘘ではない、嘘ではないが「芸術とは最も美しい嘘のことである」というドビュッシーの言葉が浮かぶ。天女は天界の人(正確にいうと人ではないが)なので神通力が使えるはずなのであるが、無理に衣を奪い返そうとせず、舞を披露することで羽衣を取り返す。このあたりが、芸能に生きる人々の「舞こそおのが神通力なれ」という心意気であり、今も受け継がれているように思える(伝承での「羽衣」は舞を披露したりはせず、夫婦となった後に天上へと帰ったり、地上に残ったりするパターンが多い。舞によって羽衣を取り返すのは伝世阿弥の謡曲「羽衣」以降である)。
三保の松原を舞台にした「羽衣」作品群には、天女への愛着のみならず、霊峰と仰がれ神格化された富士山(寿命を持った女神である「木花開耶姫=浅間神」に見立てられた)とそこから上る白煙を通した天界への憧れが、背後に隠されていると思われる。

関根淳子と川野誠一の演技と動きも寺院で上演されるに相応しい雅趣がある。現代劇の発声ではないので、セリフが耳に馴染みにくい方もいらっしゃるかも知れないが、日本語字幕付きのバージョンがあったり、英語字幕付きのバージョンがあったり、目の不自由な方のための解説副音声付きのものがあったりと、バリアフリー対応の公演となっている。

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2020年12月15日 (火)

配信公演 坂本龍一 「Ryuichi Sakamoto Playing the Piano 12122020」(文字のみ)

2020年12月12日

午後7時半から、坂本龍一の有料配信コンサート、「Ryuichi Sakamoto Playing the Piano 12122020」を視聴。高画質・高音質配信が可能なMUSIC/SLASHを使っての配信である。
配信の本番が始まる前に、坂本龍一が屋外で皿などを割る模様を捉えた映像が流れ、要約すると「2020年は否応なしに変化を求められる年となった」という意味の字幕が流れる。

7時30分から、まずアーティスト、インタラクションデザイナー、プログラマで今回の演出を任された真鍋大度(まなべ・だいと)へのインタビュー映像が流れ、コロナでの自粛期間中、配信の公演は沢山観たし、Zoomで色々な人と話したりもしたが、身体が感じられなかったといったようなことを語る。
今度は、真鍋がインタビュアーとして坂本龍一に質問をすることになるのだが、犬型のロボットにスマホ状(スマホそのものなのかも知れないがよくわからず)をセットし、犬型ロボットがガシガシとした足取りで坂本龍一のいる部屋に赴くという趣向になっている。

坂本龍一の住むニューヨークの街はかなり厳しくコントロールされており、4段階ある安全基準の今は3段階目だそうで、レストランに定員の25%までなら入れていいなど、細かな決まりがあるそうである。
ブロードウェイの俳優やダンサー、ミュージシャンなどは仕事が完全になくなってしまったため、ストリートで様々な芸を披露したりしているという。
犬型ロボットの動きに無駄がなくて不自然だという話から、坂本は雨音が大好きでずっと聴いていられるという話になり、「ベートーヴェンやマーラーが色々構築した音楽を書いているけれど、結局のところ雨音に勝てないんじゃないか」と最近では思うようになっているそうである。
ピアノの演奏に関しても変化はあるそうで、ピアノの弦の一本一本の響きを味わいながら弾くことが最近では好きなのだが、それだとどうしてもテンポが遅くなり、昔からのファンに、「最近、ピアノ遅くないですか?」と指摘されるそうである。

本編では、まず円形オペラ劇場のようなところでの演奏から始まる。真鍋から受けたインタビューにより、坂本は帰国して2週間の隔離を経ており、東京で配信のための演奏を行うことは知らされていたのだが、東京にああいった劇場があるとは思えないため、CGか合成だろうと思われるわけだが、最近の技術力はかなり高いようで、実際に円形オペラ劇場にいるように見える。その後、背景は変化し、雲の上にいるようになったり、浜辺で弾いているように見えたり、白い壁と白枠の大きな窓のある部屋の中に移ったりする。

曲目は王道で、「async」の第1曲である「andata」に始まり、「美貌の青空」、「青猫のトルソ」、「BEFORE LONG」、「シェルタリング・スカイ」、「ラストエンペラー」、「戦場のメリークリスマス」、「PERSPECTIVE」などの代表曲が次々に弾かれていく。坂本龍一のピアノコンサートには2度行ったことがあるが、また参加してみたくなる。

最後のピアノ曲は、無印良品のCM曲「MUJI2020」。これが公開初演になるという。その後に、冒頭の映像で坂本が割っていた皿の断片などを使ったノイズミュージックが奏でられる。音と雑音の境界への挑戦であった。

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2020年9月30日 (水)

配信公演 「京都能楽チャリティ公演~祈りよとどけ京都より~」2020.9.25

2020年9月25日

午後7時から、YouTubeライブで「京都能楽チャリティ公演~祈りよとどけ京都より~」を観る。東日本大震災の被災地のためのチャリティ公演であり、ロームシアター京都完成後は、毎年サウスホールで公演が行われていたのだが、今年は新型コロナの影響で中止となり、代わりに配信が行われることになった。
なお、今回は新型コロナウイルスの流行中であるということで、チャリティ募金は行われない。東日本大震災での被災地は、主に東北地方の太平洋側であったが、今現在は全世界が新型コロナの被災地といって過言ではない状態になってしまっている。

「能楽チャリティ公演」は、例年は昼夜別演目1回ずつの2回公演であったが、今回は流石に2回は難しいということで、能2番、狂言1番の1公演分の演目が先月20日にロームシアター京都サウスホールで収録され、観世流シテ方の片山九郎右衛門がライブ出演して、特別に演目の解説を行うというスタイルとなった。歌舞伎などではイヤホンガイドがあるが、能や狂言にはそうしたものはないので、貴重な機会である。

まず、祝言謡「四海波」が能楽師有志によって謡われ、能「羽衣」(出演:浦田保浩ほか)、狂言「口真似」(出演:茂山千五郎ほか)、能「大会(だいえ)」(出演:片山九郎右衛門ほか)が上演される。


「四海波」は、能楽師が最もよくうたう謡だそうである。


能「羽衣」。世阿弥の作と伝わるが、確たる証拠はないという演目である。舞台となっているのは駿河国の三保の松原。舞台設定や登場人物、あらすじは歌舞伎舞踊になっているものとほぼ同じである。
能舞台の場合は鏡板があるわけだが、今回は能楽堂ではなく劇場での公演ということで、背景は富士山の山稜や雲を表しているかのような抽象的な線が照明で描かれている。
天女の昇天(でいいのかな?)は、富士山の煙と二重写しになるように描かれており、また天女は月世界からやって来たということで、「竹取物語」も意識されているようである。

英語の字幕スーパー入りでの上演。ちなみに羽衣は英語で“Robe(ローブ)”となっており、確かにそうかも知れないが大分イメージが異なる。英語圏の人に「羽衣とは何か」を説明しても、多分、すぐにはわからないので、ローブが適当なのだろう。
歌舞伎ではそうではないが、能では天女は面を付けているため、明らかに異界の人である。
また、天女の舞も迫力重視である。
ラストでは富士山が須弥山に例えられ、月の光は浄土の無量寿光に重なって、この世の安寧が祈念される。


狂言「口真似」。主(茂山茂)が酒を飲もうとするのだが、一人で飲んでも面白くない。そこで太郎冠者(茂山千五郎)を呼び、「面白い奴を客人として呼んでこい」と無茶を言う。太郎冠者は酔狂人(飲んべえ)の逸平(茂山逸平)を呼ぶことにする。主は、酔狂人が来ると聞いて不満に思うも無下にするわけにもいかず、太郎冠者に自分の言う通りにして逸平に接するよう命じるのだが、太郎冠者は主の言ったことを一言一句そのまま逸平に伝えてしまい……。

どこかで見た覚えがあったのだが、1996年の大河ドラマ「秀吉」の第48回の劇中で、豊臣秀吉(竹中直人)が徳川家康(西村雅彦。現・西村まさ彦)と共に演じ始めたのがこの演目であったことを思い出す。一度、確認してみたいのだが、残念ながら今すぐに確認出来る手段はないようだ。調べてみたところ、能狂言好きとしても知られた豊臣秀吉は、「口真似」の元となる狂言を徳川家康と前田利家と共に3人で舞ったことがあるそうである。


能「大会(だいえ)」。大会というのは、釈迦が霊鷲山(りょうじゅせん)で行った説法を指す言葉のようである。
前段が、絵本で紹介される。片山九郎右衛門の制作で「大会」を絵本化した『天狗の恩返し』からの引用である。

天狗(片山九郎右衛門)が鳶に化けて東北院(とうぼくいん)近くの都大路で遊んでいたところ、武士の投げた石で落とされ、子ども達に捕まって、殺されそうになった。たまたま通りかかった僧侶が鳶の命を助けたのだが、鳶の正体である天狗は僧侶にお礼がしたくなって寺院(原作では比叡山延暦寺とされているが、今回の上演では具体的な寺院名は出てこなかった)を山伏に化けて訪れる。山伏に化けた天狗は、僧侶に「望みがあれば仰って下さい」という。大会の様が見たいと僧侶が言うと、天狗は法力(でいいのかな?)を使って大会の様子を再現してみせる。ただ、これは明らかに釈迦と邪魔の話に重なるため、激怒した帝釈天が姿を現し……。

天狗が強者・帝釈天に追われるという話なのだが、今回の上演では天狗が帝釈天に立ち向かい、一騎打ちとなる。YouTubeLiveということで、チャットにコメントが書き込めるのだが、一騎打ちの場面では、「かっこいい」「凄い」という言葉が並ぶ。
帝釈天と天狗が去った後、舞台上に鳶の羽が一つ舞い落ち、僧侶がそれを拾い上げるという、映像でしか出来ない詩的な演出が施されており、これも好評であった。


私もチャットに参加していたが、こうした上演に立ち会うと、「日本人に生まれて良かった」としみじみ思う。こうした考えも決して大袈裟ではないはずだ。

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2020年9月 2日 (水)

配信公演 小林沙羅ソプラノ・リサイタル「日本の詩(うた)」@浜離宮朝日ホール

2020年8月10日 東京・築地の浜離宮朝日ホールから配信

ソプラノ歌手の小林沙羅が東京・築地の浜離宮朝日ホールで行ったソプラノ・リサイタル「日本の詩(うた)」の、ぴあLiveStreamによる見逃し映像を視聴してみる。

曲目は、前半が、武満徹作詞・作曲の「小さな空」、山田耕筰の「この道」(詩:北原白秋)、山田耕筰の「赤とんぼ」(詩:三木露風)、 山田耕筰の「ペチカ」(詩:北原白秋)、中田章の「早春賦」(詩:吉丸一昌)、越谷達之助の「初恋」(詩:石川啄木)、武満徹の「死んだ男の残したものは」(詩:谷川俊太郎)、中村裕美の「智恵子抄」(詩:高村光太郎)より“或る夜のこころ”“あなたはだんだんきれいになる”“亡き人に”

後半が、早坂文雄の「うぐいす」(詩:佐藤春夫)、瀧廉太郎の「荒城の月」(詩:土井晩翠。変換したら「工場の付き」になったが、なんだそりゃ?)、宮城道雄の「せきれい」(詩:北原白秋)、宮城道雄作詞・作曲の「浜木綿」、井上武士の「うみ」(詩:小林柳波)、橋本國彦の「お六娘」(詩:林柳波)、橋本國彦の「舞」(詩:深尾須磨子)、小林沙羅自身が作曲した「ひとりから」(詩:谷川俊太郎。本邦初演)。


本来は、小林沙羅が3月にリリースした日本の歌曲アルバムのためのリサイタルとして企画されたのだが、コロナの影響で延期になり、真夏になってようやくの開催となった。小林がマイクを手に曲目を紹介してから歌うというスタイルである。

ピアノ伴奏は小林沙羅と一緒に仕事をすることも多い河野紘子。後半の「荒城の月」では箏の澤村祐司が伴奏を務め、2つの宮城道雄作品では澤村と尺八の三澤太基(みさわ・たいき)が二人で伴奏を務める。

1曲目の武満徹作品「小さな空」を歌い終わった小林沙羅は、約半年ぶりに聴衆と同じ空間で歌えたということですでに泣きそうになっていると告げる。

ただそうした感傷に浸ることなく、明るめの伸びやかな声で、小林は日本の歌曲を歌い上げていく。やはり歌声というのはどの楽器よりも馬力がある。

高村光太郎の「智恵子抄」に収められた詩に曲を付けた中村裕美(なかむら・ゆみ)は学生時代から小林と共にVOICE SPACEというユニットで活躍していた友人だそうである。

また、有名童謡の「うみ」や「お六娘」を作詞した小林柳波は、小林沙羅の曾祖父だそうだ。

日本におけるフランス音楽の紹介者でもあった橋本國彦の「お六娘」では一度止まってしまい、歌い直すというハプニングもあったが、オペラで培って演技力を生かした表現力豊かな歌を披露する。
またやはり橋本國彦の「舞」では、小林が10歳の頃から日本舞踊を習い続けているということで、タイトル通り「舞」を入れながらの歌唱となった。小林が舞いながら歌うことは、小林が衣装チェンジのために引っ込んでる間にピアノの河野紘子がマイクを手にアナウンスする。何の予告もなくいきなり本格的な日舞が始まったら聴き手も驚くだろうから、当然の措置であるが、河野の声を聴く貴重な機会ともなった。

王道の曲目も多いが、映画音楽などで知られる早坂文雄や「春の海」で知られる邦楽の大家、宮城道雄の歌曲も入れるなど、新たな試みも行っている。いずれもイメージにない作風を持つ曲である。

谷川俊太郎に頼んで詩を書いて貰い、小林自身が作曲した「ひとりから」は、「ホモサピエンス」と広い範囲を指す言葉を使用していたのが印象的であった。


アンコールとして、岡野貞一作曲の「ふるさと」が歌われる。小林は「本当は皆さんと一緒に歌いたいのですが」と述べる。新型コロナの感染に繋がるというので、客席で歌うことは推奨されていない。

最後の曲として小林沙羅作詞・作曲の「えがおの花」が歌われる。編曲は中村裕美で、ピアノ、箏、尺八伴奏版となっている。 ほのぼのとした良い曲であり、歌唱であった。

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2020年7月26日 (日)

配信公演 尾高忠明指揮大阪フィルハーモニー交響楽団「サマーコンサート in 住友生命いずみホール」(文字のみ)

2020年7月17日 住友生命いずみホールより配信。同7月23日 アーカイブを視聴

7月17日に、大阪フィルハーモニー交響楽団が大阪の京橋にある住友生命いずみホールで行った「サマーコンサート in 住友生命いずみホール」がクラシック専門ストリーミングサービスのカーテンコールで配信されたのだが、そのアーカイブを視聴する。17日は、左京区下鴨にある月光堂という楽器店で仏教談義を行っていた(店主が真言宗の僧侶である)ため、リアルタイムでは接することの出来なかった演奏会である。当初、大阪フィルはこの日に神戸国際会館国際ホールで演奏会を行うはずだったのだが、新型コロナの影響で中止となり、代わりに配信のための演奏会が組まれた。無観客ではなく関係者を客席に入れての公演である。指揮は大阪フィルハーモニー交響楽団音楽監督の尾高忠明。

冒頭に「食い倒れ」の街・大阪のグルメと、中之島周辺の夜景など大阪の魅力を紹介する映像が流れ、西成区岸里(きしのさと)にある大阪フィルハーモニー会館とこの演奏会のリハーサルの模様が映し出される。管楽器以外の奏者はマスクを、指揮者の尾高はフェイスシールドをしてのリハーサルである。
本番でも尾高はフェイスシールドをして登場したが、指揮台に上がってからは取る。尾高によると、フェイスシールドは東大阪市の会社が作ったもので、とても優秀だそうである。


曲目は、デュカスのバレエ音楽「ラ・ペリ」よりファンファーレ、ホルストの「吹奏楽のための第1組曲」、エルガーの弦楽セレナード、シベリウスの「アンダンテ・フェスティーヴォ」、モーツァルトの交響曲第39番。

デュカスとホルストは管楽のみ(ホルストは吹奏楽ということでコントラバス奏者はいる)、エルガーとシベリウスは弦楽のみ(シベリウスの「アンダンテ・フェスティーヴォ」はティンパニ入りでの演奏)、モーツァルトでフル編成となる。

休憩時間なしの演奏会で、曲間の楽団員や楽器入れ替えの時間は尾高がマイクを手にトークで繋ぐ。


いずみホールは、元々が住友のホールであるが(住友の屋号が「泉屋」)、今年から住友生命いずみホールという名称に変わっている。


先月から演奏会が再開された大フィル。今月は定期演奏会を含めて4度のコンサートがある。ただソーシャル・ディスタンスを保つため使用可能な客席は通常の半分ほどであり、ぴあなどで取り扱うチケットは比較的少なめで、ほぼ全て売り切れ。大フィルのチケットセンターでの取り扱いが中心となっている。


まずデュカスの「ラ・ペリ」よりファンファーレ。フランス音楽のファンファーレとしては最も有名なものである。ステージ最後列に半円形に陣取った金管奏者達が輝かしい音を放つ。

本番前の映像に尾高忠明へのインタビューも含まれていたが、デュカスは自身に厳しい人で、寡作。「ラ・ペリ」もいったんは破棄しようとして、友人に止められたという比較的有名なエピソードを紹介していた。


ホルストの「吹奏楽のための第1組曲」。ホルストは職業作曲家ではあったが、専業ではなく、女学校の音楽教師をすることで主な収入を得ており、作曲作品も自分が書きたいものよりも依頼されたものが中心となっている。自身がトロンボーンを専攻していたということもあり、吹奏楽のための作品も多い。
尾高は、ホルストの代表作である組曲「惑星」の話をする。組曲「惑星」は地球を除く太陽系の惑星の神話等を音楽で描いたものだが、ホルストの死後に冥王星が発見されたため、「不完全な惑星」と見做されたこともあった。だが、つい最近であるが、「冥王星は惑星の基準を満たしていない」ということで準惑星となり、惑星の数はホルストが作曲した通りに戻ったという話である。実はイギリスのコリン・マシューズという作曲家が、サー・サイモン・ラトルの依頼を受けて「冥王星」を作曲したばかりだったのだが、それはまた別の話である。

生き生きとした演奏が展開される。舞台上でもソーシャル・ディスタンスを保つということで大編成の曲をプログラムに載せにくく、テューバなどは出番がなかったのだが、この曲はテューバが含まれるため、久々に本番を迎えられたという話を尾高はする。

演奏後、管楽器奏者は退場し、弦楽奏者が持ち場に着くという入れ替えがある。その間、尾高はイギリスの話をする。尾高は元々はイギリスのことが余り好きではなかったそうで、一番の理由は「12進法」の採用だと話す。日本は「10進法」だが、ヨーロッパは元々は12進法で、イギリスは今でも12進法が主である(12の半分が6、6の半分が3という割り算基準である。3は「1と2」という数字の始まりの数二つを足した特別な数字とされている。12は当然ながら3の倍数でもある。10進法だと2つと5つにしか割れない)。そのため初めてイギリスに行ったときは計算がややこしく難儀したが、一緒にいた安永徹(元ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団コンサートマスター)がとても頭が良くて計算に強い人で助かったそうである。当時、ウィーンに留学中だった尾高は「イギリスなんて二度と行くものか。ウィーンで頑張ろう」と誓ったそうだが、皮肉なことにイギリスのオーケストラから「首席指揮者にならないか」という話が来る。受ければ海外初のポストとなる。最初は断ろうと思った尾高だが、「日本からの行き帰りの交通費、全部出すよ」という話だったので受けたそうだ。

着任したのはカーディフにあるBBCウェールズ交響楽団である。日本の感覚だと「イギリスと呼ばれるところは全てイギリス」だろうと思いがちだが、そもそもあの国は「イギリス」ではなく、「グレート・ブリテンおよび北部アイルランド連合王国」で、ウェールズはロンドンのあるイングランドとは違うという意識が強い。これはサッカーのワールドカップで別代表を送っていることからもよく分かる。大フィルのヴィオラ奏者である木下雄介は、8歳の頃からカーディフで育ったそうだが、ウェールズは英語とはまた別の世界最古といわれる言語を持っており、尾高と木下はウェールズ語でやり取りをしていた。

ウェールズ時代のことは、尾高は「徹子の部屋」に出演した際に語っていたが、ホールから歩いて5分ぐらいの所に家を構えて、リハーサル前に紅茶を飲んでリラックスという、結構、優雅な生活であったらしい。


エルガーの弦楽セレナード。エルガーを得意としている尾高。元々の音楽性が合っていたということもあるだろうが、ウェールズとはいえ、イギリスで長い時間を過ごすことで英国音楽のイディオムを身につけたということは大きいだろう。ノーブルな演奏である。


シベリウスも得意としている尾高。シベリウスは本国であるフィンランドの他にイギリス、アメリカ、そして日本で高く評価されている作曲家である。イギリス人指揮者の多くがシベリウス作品を取り上げ、アメリカにはユージン・オーマンディ、レナード・バーンスタイン、ユタ交響楽団の指揮者であったモーリス・アブラヴァネル、日本にも渡邉暁雄という優れた紹介者がいた。
日本のオーケストラもそうだが、フィンランドのオーケストラのメンバーもシャイな人が多いそうである。シベリウス自身がシャイな人として有名である。フィンランドに行くと色々なところでシベリウスの曲が流れているそうで、「シベリウスの音楽のないフィンランドは考えられない」そうである。

「アンダンテ・フェスティーヴォ」は、ここ数ヶ月の間に、広上淳一指揮日本フィルハーモニー交響楽団ソーシャル・ディスタンス・アンサンブル、村川千秋指揮山形交響楽団が共に配信演奏会で取り上げており、人気の曲目となっている。美しさの中に力強さを持っている曲であり、ラストで示される確固たる意思が人気の理由なのかも知れない。
尾高指揮の「アンダンテ・フェスティーヴォ」は、サントリーホールで行われた札幌交響楽団によるオール・シベリウス・プログラム演奏会のアンコール曲目として聴いたことがあるが、その時同様、自身と確信に満ちた演奏である。現在の日本におけるシベリウス演奏の泰斗としての誇りが窺える。

尾高は、「ティンパニがいつ入るんだろうと思われた方も多いでしょうが、ラストで効果を上げます」と語り、打楽器繋がりで、現代日本の作曲家は作品に多くの打楽器を用いるという話をする。打楽器が多いと、打楽器奏者当人よりも楽器の配置換えを行うステージマネージャーが大変になるそうで、曲の演奏の前にてんやわんやになるそうである。それでいて聴衆に大変さが分かって貰えず、配置換えの長さ故に面白い顔をされないので疲れるそうだ。
尾高は、N響のステージマネージャーだったKさんから、「モーツァルトはいいですね。打楽器の配置換えが少ないのにお客さんに喜んで貰える」という話をされたことがあるそうだ。


モーツァルトの交響曲第39番。この曲も尾高指揮大阪フィルのモーツァルト後期三大交響曲一挙演奏の定期演奏会で聴いたことがあるが、今日も尾高らしい細やかな味わいが光る演奏となる。尾高はフォルムで聴かせるタイプであるが、繊細な表情を特徴としており、音で押し切るスタイルとは異なる。


東京でも演奏会の仕事は始まっているそうであるが、東京は大阪とは違い、街を歩いていてもマスクをしていない人が目立つそうである。
錦糸町にある、すみだトリフォニーホールでの演奏は上首尾だったそうだが、「ブラボー禁止」ということで、本来ならブラボーがいくつか掛かってもいい出来と感じていたが、声を発する人がおらず、寂しい思いもしたそうだ。だが、「ブラボー!」と書かれた紙を掲げている人が5、6人ほどいたそうで、尾高も「あれいいね」と大フィルの楽団員に語りかける。「今度から紙配っておこうか」

多くの人が工夫を凝らしているようである。サッカーのサポーターが掲げるような「ブラボー!タオル」を作ったら売れそうな気もする。一時的だろうけれど。


志村けん、岡江久美子といった有名人も含めて多くの人が新型コロナで亡くなったということで、追悼曲として、グリーグの「二つの悲しい旋律」より「過ぎた春」が演奏された。

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2020年7月22日 (水)

配信公演 THEATRE E9 Air オープニングプログラム参加作品 MTCproject 関根淳子オンライン一人芝居「わたし」発達障害女子の当事者演劇(文字のみ)

2020年7月19日

午後1時から、THEATRE E9 Airのオープニングプログラム参加作品MTCproject「わたし」(発達障害女子の当事者演劇)オンラインバージョンを観る。京都の東九条にあるTHEATRE E9によるZoomを使っての配信公演である。SPAC(Shizuoka Performing Arts Center 静岡県舞台芸術センター)所属の女優である関根淳子の一人芝居。脚本(脚色)・出演:関根淳子、原作・演出:増田雄(MTCproject)。振付:相良ゆみ。音楽:度会美帆。

大阪を拠点に活躍している増田雄が発達障害普及のための芝居を依頼され、一人芝居として書き上げたもので、自身が初演も行っている。2016年初演。元々のタイトルは漢字で「私」であった。増田自身もADHD系の診断を受けているそうである。
というわけで、元々は男優による一人芝居だったのが、それを観た発達障害の当事者でもある関根淳子が刺激を受け、当事者性に関する論文を書いている時に「私」を女優の一人芝居にトレースすることを思いつき、コロナ禍の自粛期間に書き上げたという。本来は6月に大阪で初演されるはずだったのだが、コロナのために流れ、THEATRE E9による配信公演を行うことになった。

カメラワークやライティングなどを万全にするためだと思われるが、上演本編は静岡市内にあるあそviva!劇場で収録したものが流され、上演時間も48分とはっきりしている。その後、増田雄と関根淳子による対談がリアルタイムで配信される。増田は大阪からの、関根は静岡からのZoom出演となる。

 

関根淳子は、発達障害(10年ほど前の診断で、当時のアスペルガー症候群、現在のASD。ADHD傾向もあるそうである)の当事者であるが、東京大学卒業であり、SPAC芸術総監督の宮城聰の後輩。高学歴である。発達障害と知的障害は混同されることが多く、長崎県の某私立高校に通う女子生徒が教師から「障害者の通う学校じゃない」と暴言を吐かれたという事件が起きた時に、「発達障害だからどうせ勉強苦手でしょう」などという推測による書き込みが散見されたが、発達障害の知的能力は個々でバラバラであり、高IQの人もいれば、知的障害と重なる人もいる。天才肌の人もいるが、残念ながら極々少数に限られる。知的障害と名称が異なるということは当然別の障害であり、知力というよりもどちらかというとコミュニケーション能力に難のあるケースが多い。「反復を好む」という性質を持つ人もいて、それが学習面において発揮された場合はむしろ受験においては有利に働く。発達障害当事者は学生時代には問題が顕在化されない場合もあり、障害が自覚されるようになるのは就職が機になることが多い。学生時代は勉強が出来ると人間関係に躓きはあっても評価はされることが多いため、落差に苦しむ人もいる。

発達障害というと漠然としたイメージであり、区分も様々であるが(DSMとICDという二つの基準がある)、現在の日本の診断基準では3つに大きく分かれており、「自閉症スペクトラム(ASD)」(知的障害を伴わない自閉症である「アスペルガー症候群」も今では名称自体が医学では用いられなくなり、ここに分類される)、「学習障害」(知能指数全体には問題がないが、特定の分野だけを不得手とする)、「ADHD」(多動、不注意などが顕著)となる。複数の障害を抱えている人もいる。アスペルガー症候群という名称が医学用語からなくなったことからも分かる通り、区分が大きく変わることがあるのも特徴である。

原作の一人芝居「私」は、「このままでは就職出来ない」と悩む男子大学生が主人公だったようだが、関根淳子が脚色した「わたし」は、専門学校を卒業してカフェで働くフリーターという設定である。障害自体は今では用いられないがアスペルガーもしくはそのグレーゾーンになるようだ。
主人公の女性はカフェでアルバイトを続けていたが、他の店員とコミュニケーションが取れず、仕事も休みがちとなり、今では半ば引きこもり状態となっている。そんな彼女のアパートの部屋にもう一人の「わたし」が発達障害のためのマニュアルを持って現れるという話である。女性には彼氏がいるのだが、今のままではそれも上手く行きそうにない。

アフタートークでの関根の発言によると、男性版の「私」にとっての一番の問題は就職であるが、関根自身が過去を振り返った場合、恋愛が一番であったということで、そこが一番大きく変えたところだという。

マニュアルを得た女性は、同じくマニュアルを持った定型発達の人(いわゆる普通の人)達から配慮して貰えるようになり、人生が上手く運ぶかに見えたのだが、定型発達の人からの配慮が、「なになにしてあげてる」、「寛大だから受け入れてあげてる」、「私たちはあなたを理解している」という上からの視点によるもの(一種のパターナリズム)であることが、1年後に現れた過去の「わたし」によって明かされていく。主人公の女性は関根本人とは違って高学歴ではないし、勉強も苦手、人から言われたことをそのまま受け取ってしまうため騙されやすいという難点も抱えている。発達障害がプラスになっているところはほとんどない。
鬱状態の中で女性は子どもの頃、物語を作るのが好きだったということを思い出す。やがて物語はハンス・クリスチャン・アンデルセンの「人魚姫」の話になり、子どもの頃の主人公の女性が現れて(夢なのか記憶なのか、比喩なのかインナーチャイルドなのかは明かされない)結末へと向かう。

代表的な症状に「スペクトラム(連続体)」という名称が与えられていることから分かる通り、発達障害には「典型的な症例」というものは存在せず、個々で抱えている問題も能力も異なる。そのため理解されにくいのであるが、あたかもわかったかのように、実在しない「イメージ」への対処法をされることで問題は更に根深く大きくなっていく。
アフタートークで増田は、発達障害普及のための演劇が、精神保健福祉士の方から精神保健福祉士を目指して学んでいる学生が観るための演劇を書いて欲しいとの依頼で書かれたことを明かし、「発達障害を学んでいる学生なら、僕よりも発達障害に詳しいんじゃないですか?」と聞いたところ、「学んでいた時と、実際の当事者に接した時に感じるギャップが大きい」ということで、ならいっそのことわかりやすくするのではなく、その溝を真っ正面から見つめる作品にしようということで「私」が書かれたそうである。

当事者演劇ではあるが、描かれているのは典型的な症例ではなく、あくまで当事者の一個人「わたし」である。

「人魚姫」が劇中に引用されていることから(「人魚姫」を引用したのは関根淳子であり、増田雄の原作バージョンでは「えら呼吸が出来ない魚」の話だったそうである。レオ・レオニの「スイミー」が発想の元になったそうだ)、私は以前、兵庫県立芸術文化センター中ホールで観た白井晃の一人芝居「アンデルセン・プロジェクト」を思い出し、アフタートークの時にチャットに書いたのだが、増田も「アンデルセン・プロジェクト」は観ているそうである(先にも書いたとおり、「人魚姫」を引用したのは関根なので、増田が「アンデルセン・プロジェクト」から影響を受けたわけではない)。故人を障害認定することは実際は慎まなければならないことなのだが、ハンス・クリスチャン・アンデルセンは、明らかに何らかの障害の持ち主であった。当時は発達障害という概念自体がなく、実際にそうだったのか判断は不可能なのであるが、アンデルセンは「人と違うこと」に生涯に渡って苦しんだことは確かであり、その苦しみを童話として昇華させている。そうしたアンデルセンの心情に迫ったのが、「アンデルセン・プロジェクト」という作品であった。
「アンデルセン・プロジェクト」の主人公は、才気溢れる作詞家・劇作家なのであるが、白子(差別用語だがこの言葉が劇中で用いられていた)であるため、親しい友人からも裏では馬鹿にされているという設定である。差別されて当然の存在だけれど、自分達が寛大だから受け入れて「あげている」と思われていたのである。そこが生涯一人の伴侶も持てなかったアンデルセンの姿に繋がる。

アンデルセンが苦しみを童話や文学作品へと昇華したように、当事者達も何かを見つけていくのかも知れない。あるいは屈することも、一敗地に塗れることもあるのかも知れない。答えはない。「答えがあると思うこと自体が決めつけ」であり「そうではない人々の奢り」だからである。

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2020年6月27日 (土)

配信公演 サザンオールスターズ特別ライブ2020「Keep Smilin’~皆さん、ありがとうございます!!~」(文字のみ)

2020年6月25日 横浜アリーナからの配信

午後8時から、サザンオールスターズの無観客有料配信ライブ2020「Keep Smilin'~皆さん、ありがとうございます!!~」を視聴。サザンの結成42周年記念ライブで、42年前のデビューした日である6月25日を選んで横浜アリーナで行われる。

横浜アリーナには一度だけ入ったことがあるのだが、それはスポーツ観戦でもライブ参戦でもなく「大学の入学試験を受けるため」であった。横浜アリーナで受験した経験のある人はほとんどいないと思われるが、私が受験生だった時代は、受験者数がとにかく多く、話題作りも行う必要があるということで、変わった場所が試験会場になることもあった。

 

私の経験はどうでもいいとして、サザンオールスターズのライブ。ライブ配信であるにも関わらず、全曲字幕入りである。しかも今日のライブのために加えた歌詞や変更を行った歌詞も字幕で表示される。下準備が入念に行われたことが想像される。

セットリストは、「You」「ミス・ブランニューデー」「希望の轍」「Big Star Blues(ビッグスターの悲劇)」「フリフリ'65」「朝方ムーンライト」「タバコ・ロードにセクシーばあちゃん」「海」「夕陽に別れを告げて~メリーゴーランド」「シャ・ラ・ラ」。メンバー紹介を挟んで、「俺のへそピアス」「天井桟敷の怪人」「愛と欲望の日々」「Bye Bye My Love(U are the one)」「真夏の果実」「東京VICTORY」「匂艶THE NIGHT CLUB」「エロティカ・セブン」「マンピーのG★SPOT」「勝手にシンドバッド」

アンコールとして、「太陽は罪な奴」「ロックンロールスーパーマン」「みんなのうた」が歌われた。

セットリスト通りのストリーミング音楽配信もライブ終了後にタイシタレーベルから8つの配信会サービス向けに行われており、気が利いている。

録音された歓声入りでのライブ。メンバーもイヤホンをしていて歓声が聞こえるようになっている。桑田のボケにも適切な音声が返ってくるため、かなり入念なリハーサルが行われたことが察せられる。サザンオールスターズのみならず、ダンサーやスタッフも完璧を目指したかなり完成度の高い仕上がりで、「単に無観客配信ライブをやるのではなく、歴史に残るものを作ってやろう!」という強い意気込みが感じられる。

東京オリンピックのために作られた「東京VICTORY」では、新国立競技場の代わりに横浜アリーナ内の作られた聖火台に火を灯し、デビュー曲「勝手にシンドバッド」では客席で法被を着たスタッフが踊り狂うなど、無観客ライブとしては最大限の盛り上がりと臨場感と一体感を得られるような演出が施されている。見事という他ない。これぞ、ジ・エンターテインメントである。

これから行われるポピュラー音楽の無観客ストリーミング配信公演はこれが基準になるのではないかと思えるほどの高水準ライブであり、サザンオールスターズが日本のポピュラー音楽界の頂点に立つバンドであることを改めて示すことになった。

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2020年5月10日 (日)

配信公演 12人の優しい日本人を読む会「12人の優しい日本人」(文字のみ)

2020年5月6日

YouTubeLiveで、「12人の優しい日本人を読む会」の公演、「12人の優しい日本人」を観る。近藤芳正の呼びかけで、東京サンシャインボーズの代表作である「12人の優しい日本人」をZoomを使った朗読公演として再現するという試み。作・三谷幸喜、演出・冨坂友(アガリスクエンターテイメント)。出演:甲本雅裕(陪審員1号)、相島一之(陪審員2号)、小林隆(陪審員3号)、阿南健治(陪審員4号)、吉田羊(陪審員5号)、近藤芳正(陪審員6号)、梶原善(陪審員7号)、妻鹿ありか(Prayers Studio。陪審員8号)、西村まさ彦(陪審員9号)、宮地雅子(陪審員10号)、野仲イサオ(陪審員11号)、渡部朋彦(Prayers Studio。陪審員12号)、小原雅人(守衛)。

このうち、甲本雅裕、相島一之、小林隆、阿南健治、近藤芳正、梶原善、西村まさ彦(旧芸名および本名:西村雅彦)、宮地雅子、野仲イサオ、小原雅人が再々演時と同じ役である。野仲イサオは客演。そして呼びかけ人である近藤芳正も、最後の方の作品には毎回出ていたが、実は東京サンシャインボーイズ団員だったことは実は一度もなく、ずっと客演であった。94年頃に発行された演劇雑誌に、「あれ、でも近藤さん、この前、オーディションで『東京サンシャインボーイズの近藤芳正です』って言ってましたよ」なんて証言が載っていたが(誰の証言だったかは忘れた。東京サンシャインボーイズのメンバーだったと思うのだが、正確には記憶していない)、真偽は不明である。団員でなかったことは確かである。ぱっと見でわかるが、東京サンシャインボーイズの団員は、名前に「雅」という字の入るメンバーが多いことも特徴であった。


「12人の優しい日本人」は、「12人の怒れる男」を念頭に置いて書かれた作品である。12人の陪審員と守衛、ピザの配達員の14人で上演される「密」室劇であり、推理劇であり、会話劇であり、人間ドラマである。

私が「12人の優しい日本人」という作品を知ったのは、実は映画のシナリオにおいてである。「シナリオ」誌が年間の優秀シナリオを纏めて本として販売していたのだが、そこに映画化された「12人の優しい日本人」のシナリオが載っていたのである。作者の名義は三谷幸喜と東京サンシャインボーイズであった。当時、私は高校生だったが、「変なタイトルの映画だなあ」を思いながら読んだのを覚えている。その次に接した「12人の優しい日本人」は実は原作戯曲なのである。三谷幸喜は戯曲は表に出さないことで有名だが、「12人の優しい日本人」と「ショウ・マスト・ゴー・オン」だけは雑誌に掲載されたことがあるのである。これも複数分の雑誌を纏めて書籍にしたものを明治大学の図書館で発見して、「ショウ・マスト・ゴー・オン」と共に読んでいる。
次は映画版「12人の優しい日本人」である。演劇版の「12人の優しい日本人」を観たのは2005年になってから、大阪・梅田のシアター・ドラマシティでの公演においてだった。


「12人の優しい日本人」は、シアターサンモールで初演された後、東京サンシャインボーイズの本拠地ともいうべきTHEATER/TOPSでの再演を経て、今回と同一キャストが多い再々演(三演)がパルコ劇場の上にあったパルコスペースパート3といった小さな空間で上演されている。パルコスペースパート3には私も1994年の5月だったか、1度だけ行ったことがある。「SWEET HOME」という芝居で、作者の柳美里と演出の鈴木勝秀が町田町蔵(現・町田康)が演じるはずだった役を巡って対立、町田町蔵は降板し、柳と鈴木による訴訟にまで発展した曰く付きの作品であるが、本当に小さなスペースで、篠井英介、椎名桔平、松重豊(実は東京サンシャインボーイズの元メンバーである)ら後に大物俳優になる人が無名時代に出演していたが、本当に客席の最前列の目の前に役者がいるような場所である。私は隅の方だったが最前列だったため、たまに俳優と目が合って、互いに気恥ずかしいので逸らすというそんな場所で上演されていた。「12人の優しい日本人」も少ないお客さんを前にして行うことが前提の芝居だったのである。

だが、2005年の再演時には三谷幸喜はメジャーになっていたため、会場も東京は(旧)パルコ劇場、大阪ではシアター・ドラマシティという大きめの劇場を使用した。ただ、問題が発生。私はキャパ800のシアター・ドラマシディで観たのだが、この劇を上演するには観客が多すぎるのである。陪審員9号を演じていた小日向文世のセリフで(どのセリフだったか)客席から一斉に爆笑が起こったためセリフが聞こえなくなり、小日向さんはセリフを止めて、笑い声が収まるのを待ってから続けていた。つまり大劇場で上演するには不向きであり、パルコスペースパート3のような小スペースでしか本来の上演は出来ないのだが、三谷幸喜の作品を豪華キャストで小劇場でというのはもう無理な話である。例え小さな劇場で行われる機会があったとしてもチケットが手に入るとは思えない。もう上演を観ることはないだろなと思っていたのだが、新型コロナウイルスの影響で俳優が一斉に仕事を失うという状況が発生し、それなら、というので近藤芳正が企画したのが今回の上演である。客席からの笑い声も空気も一体感も得られない上演であり、本当の意味での演劇作品とはいえないと思うが、オリジナルキャストが何人も揃う公演が突如予告された。


「12人の優しい日本人」は、1幕1場場転なし上演時間約2時間半弱である。12人の陪審員は出ずっぱりであるため、役者には酷である。2005年公演の有料パンフレットには、やはりリハーサルの時などは途中でトイレに行きたくなる人も出てしまったということが書かれていた。
今回はそれに加えてリーディングの公演。しかも画面には全員映ったままなので表情の演技は続けなければならず、しかも体は余り動かせないということで役者への負担は更に多くなるため、2部構成での上演となった。第1部が午後2時スタートで約1時間半、第2部が午後6時スタートの1時間弱の上演となる。


ちなみに映画版にも東京サンシャインボーイズの団員が何人か出演しているが、西村まさ彦も当然キャスティングされるつもりでいたがされず、酷く落ち込んでいたということを後に三谷幸喜がエッセイに書いている。ちなみに映画版には休憩のシーンがあったはずである。

 

三谷幸喜作品と久々の真剣勝負ということで、私は午後1時過ぎから体操を始め、神経を集中させる時に行うシャドウピッチングも繰り返すなど、万全の体制を整える。

 

午後2時、YouTubeの画面が作動する。まずは提案者の近藤芳正の挨拶である。リハーサルの時には、そもそもZoomに入るのに手間取る人が多く、全員が画面上に揃ったのはリハーサル初日は開始から1時間、2日目が20分経った頃だそうで、全員の顔が映った時には拍手が起こったそうである。自宅からZoomに参加しているので、宅配便のチャイムが鳴ったり、「石焼き芋」の声が響いたりということもあったそうである。本番では救急車のサイレンが聞こえただけで、特に障害になる物音は鳴らなかった。


近藤芳正は、「芝居の質とか、そういうことはもう期待しないで下さい。何があってもどんなことがあってもみんなで繋いでいく、最後まで終える(ショウ・マスト・ゴー・オン)、グダグダになってもやっていく」と言っていたが、ここで作者の三谷幸喜が別画面で割り込む。長い間自宅から出ていないそうで、口髭顎髭頬髭が伸び放題。しかも染めていないので髪も含めて白いものが目立つ。「よくこんな面倒くさいことやろうと思ったよね」「でもね、大体面白いものって面倒くさいからね」「グダグダって言ってましたけども僕はそんなの認めないですから。『12人の優しい日本人』といえば僕らの劇団(東京サンシャインボーズ)の代表作ですから」といういつもの調子である。その後、三谷は「12人の優しい日本人」について説明する。初演から30年、2005年の上演から数えても15年が経過しているわけで、そもそも「12人の優しい日本人」という作品を知らないという若い人も多いと思われる。

初演時のテキストを使用していると思われ、若い人には何のことかわからないこともそのまま読み上げられる。大手結婚相談所と思われるものは、2005年時には婚活サイトのようなものに置き換わっていたはずだが、今回は置き換えはない。若花田、貴花田(共に今では一発変換不可)という四股名も当時のままで、「わく」から始まる名前の女優として和久井映見の話が出るが、今だと「わく」から思い浮かぶ女性は、女優ではないがNHKの和久田麻由子アナウンサーだと思われる。そう思うと時の経過を実感せずにはいられない。


Zoomを使ってのWeb上演であるため、タイムラグが生じたり、音響に問題のある場面があったり、間が開きすぎたりという難点は当然ながら発生するが、上演形態としては面白い。「12人の優しい日本人」は本来は俳優が円卓を囲って座る形で行われる上演であり、顔が見えない人が結構いるということになる。シアター・ドラマシティでの上演はアリーナではなくステージと客席という一般的なスタイルでの上演であったため、顔が見えない場面の多い人が3分の1ぐらいはいたと記憶している。だが、今回はZoomでの上演であるため全員の顔が見える。小日向さんと温水さんは客席に背を向ける配置であった(「ハイチで会った」と変換されたのだが、なんか楽しそうだな)。常に表情の演技を続けなければならない俳優には酷な上演形態であるが、観る側としては純粋に興味深かったりはする。

 

初演時には日本には裁判員制度はなく、陪審員制度のある架空の日本という設定であったが、2005年の上演は裁判員制度開始が目前に迫っていたため、有料パンフレットには裁判員制度に関する紹介と説明が載っていた。


第1部上演終了後から第2部開始までの間が長いが、ネットで他のページを見ると集中力が途切れるため、読書のみを行って待つ。


12人の個性を生かす形で書かれた本である。「こういう人っているよなあ」という人が何人も登場し、それぞれの立場からのセリフを話す。「数学は出来ないけど理系」を自称する三谷らしいセリフの配置術が巧みに行われる。どのタイミングでどのセリフを振るのがベストかという計算が万全になされている。
こちらはおおよその内容は知っているので、セリフでないパスを受ける人がどういう表情をするのかも確認して楽しんだ。やはりみんな上手い。


東京サンシャインボーイズの全メンバーが揃う最後の公演として行った、1994年の「ショウ・マスト・ゴー・オン」(紀伊國屋ホール)が、私が観た初めての本格的な芝居だったが、その際に購入したパンフレットに、三谷が「良い芝居の作り方」というようなエッセイを載せていた。パンフレット自体は京都にも持ってきているので探せばあると思うが、記憶を紐解くと、おおよそ以下のような内容であった。劇作法に関しては一切書かれておらず、東京サンシャインボーイズとその時の客演のメンバーの人柄に触れたもので、「この人はこうこうこういう性格だが、こういうセリフや役を振ってあげると喜ぶ」だとか「この人はセリフの数が少ないと落ち込むので、なるべくセリフの数を多くしてあげる」といった内容で、役者の個性の尊重は徹底されている。だからこの芝居でも全員が主役になれる場面がある。いい加減な役が存在しないということである。論理が立つ人間から見下される役も、その人がいたからこその展開が後になされるのである。


吉田羊が演じる陪審員5号は、得た知識や情報を意見として語ってしまうタイプの人で、自分で考えた意見は余り持っていないのだが、この役は観る者に議題の内容を提示するという重要な役割を果たしている。基本的に美形女優が演じる役で、2005年の上演では石田ゆり子が演じていた。

野仲イサオが演じる陪審員11号は、一番美味しい役であり、男前俳優が演じる。映画では豊川悦司、2005年の上演ではこれが初舞台となる江口洋介という配役であった。

一番難しい役だと思われるのは、気弱なスタイルを通し続けねばならない陪審員10号。オリジナルキャストである宮地雅子はずっと泣きそうな顔で演じており、見事だった。
2005年の上演でこの役を演じていたのは、劇団四季出身の堀内敬子。彼女は私より4つ上なので、2005年にはまだ30代半ばだったはずだが、50代に見えるおばちゃんを好演。三谷幸喜によると観客や関係者には、本当に50代ぐらいのおばちゃんだと思い込んでいる人が多かったそうで、その演技力に惚れた三谷は彼女を主役とした「コンフィダント・絆」を書き、同作で堀内敬子は数々の演劇賞を受賞することになる。

最重要人物だと思われるのは相島一之が演じる陪審員2号である。相島一之は映画でもこの役を演じているが、三谷が常に当て書きということもあり、填まり役である。人間の悲しさを背負っている役でもあり、上演が終わった時に漂う切ない感じは、相島の好演に負っている部分も多いと思われる。


ちなみに三谷幸喜はドミソピザの配達員役で出演。ただ持ってきたのが少なくともピザではない何か(ドミソピザということで、五線紙上のド・ミ・ソの部分に音符の入った帽子を被っていたため、持ってきたものも譜面のように見える)で、出演者からも「これピザ?」という声が上がり、三谷も「何だこの空気は?」という言葉を発していた。


見終わって心地よい疲れを感じる。実に良い。ただ休憩のないバージョンも観たかったので、アーカイブ化された映像を、午後8時過ぎからもう一度観た。


この芝居は、小さなスペースで、俳優と観客が密集してこそ生きるものである。いわば小演劇の王道作品である。今回はWebでの上演ということで観客がおらず、やはり本当の意味での演劇にはならない。空間の共有がここにはない。それ故に、劇場での演劇という他では味わえないものの良さを真に確認出来たともいえる。
吉本ばなな風に書くと、「私がこの世で一番好きな場所は劇場である」ということも。


「僕の書く劇は誰かが嘘をついていることが多い」という事を三谷は以前にテレビ番組で語っていたと思うが、この芝居でも進行上重要な役割を担う人物が大きな嘘をついている。そしてその嘘と嘘の経験が鍵を握っている。

フィクションの重要性、俳優という存在の素晴らしさがここに提示されているように思う。


12人の優しい日本人を読む会 https://12nin-online.jimdofree.com/

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