カテゴリー「オンライン公演」の20件の記事

2022年3月28日 (月)

配信公演 パーヴォ・ヤルヴィ指揮パリ管弦楽団 フィルハーモニー・ド・パリ セカンドガラコンサート2015(文字のみ)

2015年1月17日

インターネット録画中継で、フィルハーモニー・ド・パリのセカンドガラコンサートを視聴。パーヴォ・ヤルヴィ指揮パリ管弦楽団の演奏。arteの制作。休憩時間にはパーヴォへのインタビュー映像が流れ、パーヴォはフィルハーモニー・ド・パリの内装について、「東京のサントリーホールから影響を受けた」と語る。パーヴォは指揮者としてサントリーホールのステージに上がったことがあるだけではなく、一聴衆としてサントリーホールの客席でギュンター・ヴァント指揮北ドイツ放送交響楽団の来日演奏会を聴いたことがあると、以前語っていた。

曲目は、ボロディンの歌劇「イーゴリ公」より“ダッタン人の踊り”、チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番(ピアノ独奏:ラン・ラン)、ベルリオーズの幻想交響曲。


ボロディンの歌劇「イーゴリ公」より“ダッタン人の踊り”。オリエンタリズムに溢れた旋律をパーヴォは瑞々しく歌い上げる。


チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番。ソリストであるラン・ランは中国を代表するピアニストである。神童として有名で、幼い頃から日本のテレビでも紹介されていたが、今は立派な青年になった。ただ、情感を込める余り、弾きながら変顔をする癖があり、それを苦手とする人も多いと聞く。

今日もラン・ランは半目になったりと、顔の表情を付けすぎであるが、ピアノの表情は個性があって豊か。普通は力強く弾くところを軽く流して旋律の美しさを際立てたりする。
ただ崩して弾くだけでなく、造形は堅固で、スケールの大きさにも欠けていない。

パーヴォ指揮のパリ管弦楽団も、ラン・ランに負けじと雄大な演奏を繰り広げる。

ラン・ランは、アンコールとして、シューマンの「ダヴィッド同盟舞曲集」より1曲を弾く。叙情味溢れる演奏であった。


ベルリオーズの幻想交響曲。

2011年に京都コンサートホールで聴いたパーヴォ・ヤルヴィ指揮パリ管弦楽団の幻想交響曲をメインとするコンサートは、私が生で聴いた演奏会の中でナンバーワンである。
あの時の幻想交響曲は視覚的演出もあって、迫力と狂気の放出が半端ではなく、パーヴォの指揮者としての才能を思い知らされたのであった。

映像であるため、当然ながら生で聴くような臨場感はないが、巧みな演奏であり、聴かせる。

パーヴォはシンシナティ交響楽団を指揮して幻想交響曲をレコーディングしており、素晴らしい出来を示しているが、そのCDも今日のインターネット中継も実演には敵わない。

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2022年3月21日 (月)

配信公演 パーヴォ・ヤルヴィ指揮パリ管弦楽団 フィルハーモニー・ド・パリ オープニングプレミアムガラコンサート2015(文字のみ)

2015年1月15日

フランス・パリに出来上がった初の本格的コンサートホール、フィルハーモニー・ド・パリのオープニングプレミアムガラコンサートをインターネットで視聴。arteの制作である。パーヴォ・ヤルヴィ指揮パリ管弦楽団の演奏。

パリとロンドンには本格的なコンサートホールがなく、「ロンドンとパリには一流のオーケストラはあっても一流のコンサートホールはない」と言われ続けてきたが、パリ管弦楽団の音楽監督に就任したパーヴォ・ヤルヴィが「今のままでは駄目だ」ということで、新たな本拠地とするための音響設計のきちんとなされたホールを作るよう進言。パリ管弦楽団の評価を高めたパーヴォの発言力は大きく、すぐさま実行に移されることになった。一方で、パリ管弦楽団がこれまで本拠地としてきたサル・プレイエルは歴史があり、パリの都心に近いとして(一応、パーヴォがパリ管弦楽団の音楽監督に就任した際に内部改修工事が行われている)新ホールへの本拠地移転に反対する意見もあるようだ。

フィルハーモニー・ド・パリのオープニングにパーヴォが選んだのはオール・フランス・プログラム。エドガー・ヴァレーズの「チューニング・アップ」、アンリ・デュティユーの「ひとつの和音の上で」(ヴァイオリン協奏曲。ヴァイオリン独奏:ルノー・キャピュソン)、フォーレの「レクイエム」、ラヴェルのピアノ協奏曲(ピアノ独奏:エレーヌ・グリモー)、ティエリー・エスケシュ(Thierry ESCAICH)の管弦楽のための協奏曲(世界初演)、ラヴェルの「ダフニスとクロエ」第2組曲。

通常の定期演奏会の倍近い時間を要する特別コンサートである。

マイクを通してだが、音響の良さが伝わってくる。映像で見る限り、内装はベルリン・フィルハーモニーに似ており、左右非対称なのも特徴である。


ヴァレーズの作風はそれほど易しいものではないが、「チューニング・アップ」は冗談音楽のような作品であり、楽しい。デュティユーの「ひとつの和音の上で」はクリスティアン・テツラフのヴァイオリンとパーヴォ指揮パリ管のCDが発売されたばかりだが、音だけで聴くより、演奏している風景が伴った方がわかりやすいような気がする。

フォーレの「レクイエム」は、パーヴォとパリ管はすでにCDと映像(Blu-rayとDVD)をリリースしているが、今回の演奏でも好演を示している。


ラヴェルのピアノ協奏曲。フランスを代表する天才ピアニストにして変人美人のエレーヌ・グリモーのピアノ。
チャーミングにしてリズミカルな演奏をグリモーは展開。パーヴォ指揮パリ管の伴奏も粋だ。

アンコールとしてグリモーとパーヴォ、パリ管は、ラヴェルのピアノ協奏曲の第3楽章を再度演奏した。


ティエリー・エスケシュの管弦楽のための協奏曲(オーケストラのための協奏曲)。
ティエリー・エスケシュはフランスの現役の作曲家兼オルガニスト。才気溢れる作風で知られているようだ。
今回が世界初演となる管弦楽のための協奏曲も分かり易い音楽ではないかも知れないが響きは美しい。


ラストの曲目となるラヴェルの「ダフニスとクロエ」第2組曲。繊細さ、緻密さ、熱狂の度合い、どれを取ってもお手本となるような高水準の出来。フィルハーモニー・ド・パリのオープニングプレミアムガラコンサートは大成功とみて良いだろう。

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2021年12月23日 (木)

上七軒文庫ツイキャス配信「おはなしLeiture」vol.2

2021年11月14日

午後1時30分から、上七軒文庫のツイキャスでの配信「おはなしLeiture」vol.2を観る。
お話と絵、朗読による物語配信である。
原作:るか子。音楽:法太。朗読:鹿田ひさこ、田ノ口リコ、東村洋子。着付け協力:中村千佳子。イラストは田ノ口リコが兼任する。

泉鏡花や芥川龍之介や内田百閒の短編小説を彷彿とさせる、秋から冬にかけてのノスタルジックで不思議なお話全13編からなる配信公演。明治時代に造られた町家である上七軒文庫からの配信に相応しい内容である。配信のみではなく、上七軒文庫を会場にした公演も行えるなら建物自体の雰囲気にもマッチしてより良いものになりそうだが、その場合は上演のスタイルを変えないといけないため(絵は、ボードの上に置かれたものがクローズアップされる。会場での公演の場合は、それをモニターに映す必要があるが、臨場感は却って出にくいかも知れない)難しいだろう。
ともあれ、長い歴史と底知れぬ深さを持つ関西という場所を中心とした、迷宮を彷徨うような物語は、子供からお年寄りまで、多くの視聴者の琴線に触れるものであることは間違いない。多くの歴史や記憶が積み重なった重層都市である京都。そこで紡がれて送り届けられる物語には抗いがたい魅力がある。

これらの作品の絵本バージョンも読んでみたくなる公演内容であった。

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2021年9月13日 (月)

配信公演 古瀬まきを主演 プーランク オペラ「人間の声(声)」YouTube配信アーカイブ視聴

2021年9月2日

YouTubeで、古瀬まきを主演によるプーランクのオペラ「人間の声(声)」を視聴。8月9日に上演と同時配信とが行われた公演で、終演後1ヶ月はアーカイブとして映像を観ることが出来る。
プーランクのオペラ「人間の声」は、ジャン・コクトーのテキストを用いたモノオペラ(一人で演じるオペラ)である。

コクトーの一人芝居「声」は、青山のスパイラルホールで、鈴木京香の主演、三谷幸喜の演出で観たことがあるのだが、鈴木京香、三谷幸喜共に陽性で健康的な表現を得意とする人であるためか、痛切さはほとんど感じられなかった。鈴木京香が高校時代に陸上部だったということで、そうした要素も入れて笑いに変えていたが、この作品には笑いの要素は夾雑物でしかないように思われる。

オーケストラ伴奏によるプーランクの「声」は、「近江の春びわ湖クラシック音楽祭」2019において、石橋栄実の主演、沼尻竜典指揮京都市交響楽団の演奏、中村敬一の演出によるものを、びわ湖ホール大ホールでハーフステージ形式で聴いており(石橋栄実は体調不良で降板した砂川涼子の代役)、追い込まれた女の孤独が浮かび上がる優れた出来であったのを覚えている。

今回の上演は、コロナ感染拡大に配慮し、入場者20名と数を抑えて行われる公演で、關口康佑によるピアノ伴奏版と、歌い手だけでなく演奏者も一人きりの版での上演である。
字幕は、昨年11月に他界した藤野明子による日本語訳詞が用いられている。

なお、古瀬まきをは、2019年に行ったプーランクのオペラ「人間の声」を中心としたソプラノリサイタルで、第40回音楽クリティック・クラブ賞奨励賞を受賞している。


ジャン・コクトーのテキストによる一人芝居「人間の声(声)」が初演された1930年時点では、一人芝居はそれほどポピュラーなジャンルではなかった。一人語り形式のものは勿論あったが、朗読されることの方が多く、「声」のように語りではなくセリフのみで行われる一人芝居はほとんど例がなかった。「声」は、ある女性(名前不明)がある男(こちらも名前不明)と電話で話している状態を描いた作品である。当時はまだ電話は高級品で、一般にはそれほど普及しておらず、今と違って交換手を通じて望む相手に繋いで貰う必要があり、また混線があるなど、必ずしも便利な道具という訳ではなかった。この作品でも、混線や偶然起こった傍受などは女を焦らせ、苛立たせる。また今のようにワイヤレスではなく、電話機に伸びる電話線も、受話器と電話本体を繋ぐコードも長く、これがラストへと繋がっていく。

電話という当時はまだ新しい装置が、声は近くにあるが体は遠いという、当時としては奇妙なパースペクティブとアンバランスを招いている。また、犬の存在が、間接的かつ絶対的な男女の分け隔てを象徴する。

コクトーの原作では、女が外国語を話すシーンがある(オペラ版ではカットされている)。コクトーは「出演している女優が最も得意とする外国語を話すこと」としているのみで、何語を話すのが適切なのか指示はしていない。いずれにせよ、この女性がフランス語圏以外の外国籍で、出身身分もそれほど高くなく、経済的手段も能力もなんら持ち合わせていないことが分かってくる。当時のフランスは今よりもかなり差別が酷く、外国籍である程度年齢がいった女性が職に就ける可能性はまずない。あったとしても洗濯婦など最底辺の肉体労働で身も心もすり減らしていくだけだ。
そんな女が、5年間囲われていた男に捨てられた。女は睡眠薬自殺を図るのだが、命は取り留める。男からの電話に、女は「睡眠薬は飲んだが1錠だけだ」と嘘をつく……。

電話の向こうの男の声は聞こえないので、観る側が想像する必要がある。そのため、自由度が高いと同時に、内容を把握するのは困難で、100%想像するのはほぼ不可能である。観る者、聴く者に許されるのは、おおよその状況把握のみである。
ただ、オペラ「人間の声(声)」はプーランクが作曲した音楽によって、その場の空気や心理状態はある程度規定される。そういう意味では原作の一人芝居版よりもモノオペラ版の方が入りやすいかも知れない。

女にはマルトという女友達がいて(マルトというのはジャン・コクトーの実姉と同じファーストネームだが、どの程度関係があるのか、あるいは無関係なのかは不明。たまに「モルト=死」(この単語は劇中に登場する)に聞こえてゾッとするが、フランス人は多分間違えないだろう)、男と女が暮らしていた家の執事の名はジョゼフという。女が自殺未遂を図った際には、マルトが駆けつけ、マルトが医師を呼んだために女は助かっている。だが今はマルトは家に帰り、女は一人である。電話の向こうで男は、「マルトの下に身を寄せてはどうか」と提案しているようだが、女はそんな身勝手な真似は出来ないと断る。

男と女の甘い思い出が語られる際には、プーランクの音楽もロマンティックなものへと傾く。「パリのモーツァルト」の異名を取ったプーランク。甘い旋律を書かせると天下一品である。

男が新しい女と旅行に出ようとしているのは確実で、男が家から電話しているというのも交換手によって嘘であることが分かる。そして男は、かつて女と暮らしていた時に女にしてくれたのと同じ事を新しい女としようとしている。思い出が上書きされる。忘れ去られる。

女にとっては、おそらくは生活が出来なくなるということよりも、男が他の女のものになるということの方が耐えられない事実なのだと思われる。電話コードを体に巻き付け、男の声を体で感じながらの死は(ただし、今回の演出では死は明示されない)、単なる自殺というよりも男の声に抱かれた「空想の上での情死」を女が選んだことを仄かに伝えている。

明るすぎても暗すぎても良くないという、高度な演技が要求されるオペラであるが、古瀬まきをは過不足のない演技で、地球の外に放り出されたかのような女の孤独を炙り出していた。

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2021年9月 5日 (日)

配信公演 2021 セイジ・オザワ 松本フェスティバル オーケストラコンサートBプログラム YouTubeライブ配信 シャルル・デュトワ指揮サイトウ・キネン・オーケストラ 2021.9.3

2021年9月3日

午後7時から、2021 セイジ・オザワ 松本フェスティバル オーケストラコンサートBプログラムのYouTubeライブ配信を視聴。キッセイ文化ホール(長野県松本文化会館)からの無観客公演の配信である。

2021 セイジ・オザワ 松本フェスティバルは、新型コロナの影響によって全プログラム中止となったが、シャルル・デュトワの指揮によるオーケストラコンサートBプログラムは、YouTubeによって全世界にライブ配信されることになった。

本番開始前には、事前に収録した、サイトウ・キネン・オーケストラのメンバーが一言ずつ抱負を述べた映像が流れるという演出がある。勿論、語るのが得意な人も苦手な人もいる。


曲目は、ラヴェルの組曲「マ・メール・ロワ」、ドビュッシーの「海」~3つの交響的スケッチ~、ドビュッシーの牧神の午後への前奏曲、ストラヴィンスキーのバレエ組曲「火の鳥」(1919年版)。

曲目は、小澤征爾とデュトワの二人で決めたそうだが、デュトワの十八番が「これでもか」とばかりに並んでいる。なお、小澤征爾とデュトワは、年齢は1つ違い(1935年生まれの小澤の方が1つ年上)。そして共にシャルル・ミュンシュの弟子であり、ミュンシュが音楽監督として活躍していたボストン交響楽団繋がりでもある。

デュトワは、「音の魔術師」の異名を取るフランス音楽の名手として知られているが、小澤もフランス音楽を得意としており、1980年代にフランス国立管弦楽団を指揮した、ビゼーなどいくつかの録音は最良の演奏の一つであると思われる。なお、デュトワは1991年から10年間、フランス国立管弦楽団を音楽監督を務めており、私が初めて聴いた海外のオーケストラもシャルル・デュトワ指揮のフランス国立管弦楽団であった(1996年5月、サントリーホールにて)。
デュトワは1996年にNHK交響楽団の常任指揮者に就任。その後、N響初の音楽監督に昇格し、辞任してからも名誉音楽監督の称号を得て共演を続けていたが、ヨーロッパでのセクハラ疑惑によって、NHK交響楽団からは招聘の見送りが続いている。N響絡みでも小澤との共通点がありそうにも見えるが、ここでは語らないでおく。

今日は、指揮台なし、ノンタクト、全暗譜での指揮である。


桐朋学園のOB、OGを中心に結成されたサイトウ・キネン・オーケストラ(SKO)。小澤の師である齋藤秀雄に由来する楽団名を持つ団体だが、非常設であり、小澤と仲の良い海外有名奏者も参加することでお馴染みである。ただ、今年はコロナの影響で、海外から駆けつけたメンバーは少なめとなっている。


ラヴェルの組曲「マ・メール・ロワ」。繊細と優雅の極みのような音をデュトワはSKOから引き出す。非常設でありながらアンサンブルの精度は海外からも高く評価されているSKOであるが、短いリハーサルの期間で、単なる精度の高さを超えた一体感と音の表情の多彩さを生み出していた。

ドビュッシーの「海」も温かな音で、それまでのデュトワの「海」(モントリオール交響楽団とのCD録音や、N響との定期演奏会を収録した映像など)とも違った独特の音世界が繰り広げられる。

休憩中にはデュトワへのインタビューが流れ、「危機的な状況だからこそ、松本にやって来た」「セイジのためなら是非に」という言葉が語られていた。


ドビュッシーの牧神の午後への前奏曲でも、半睡半覚醒の「淡い」が巧みに音像化されていく。

ストラヴィンスキーのバレエ組曲「火の鳥」も鮮烈なだけではない温かさが全編に渡って感じられるという、余り例を見ないタイプの秀演となっていた。

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2021年5月23日 (日)

配信公演 鈴木優人指揮 京都市交響楽第656回定期演奏会(文字のみ)

2021年5月15日 京都コンサートホールより配信

京都市交響楽団の第656回定期演奏会は、予定通り午後2時30分の開演となったが、無観客に切り替わり、ニコニコ生放送での配信公演となった。
指揮台に立つのは、「古楽の貴公子」鈴木優人。鈴木優人が京都市交響楽団を指揮するのはこれが初めてとなる。鈴木優人指揮の実演には、日本人作曲家の作品を並べた関西フィルハーモニー管弦楽団の定期演奏会と、よこすか芸術劇場で聴いたベンジャミン・ブリテンの歌劇「カーリュー・リヴァー」に接しており、いずれも優れた出来であったが、鈴木優人の十八番である古楽ではなかった。今回の京響定期は、前半に古楽のレパートリーが並んでいたのだが、配信のみの公演となったため、「実演に接した」とはいえない状況になってしまったのだが残念である。

曲目は、ヘンデルの歌劇「忠実な羊飼い」序曲、ラモー作曲・鈴木優人編曲の歌劇「みやびなインドの国々」組曲、ヴィヴァルディのチェロ協奏曲ト長調 RV414(チェロ独奏:上村文乃)、ベートーヴェンの交響曲第7番。

ニコニコ生放送ということで、視聴者からのコメントが流れるのだが、プレトークで鈴木はそれらを拾いながら進めていく。ニコニコ生放送ならではの面白さである。休憩時間にも鈴木はソリストの上村文乃と共に視聴者コメントを読みつつトークを行っていた。

今日のコンサートマスターは、京都市交響楽団特別客演コンサートマスターの「組長」こと石田尚泰。フォアシュピーラーに泉原隆志。前半はドイツ式の現代配置をベースにしつつコントラバスが下手側に回るという独自の配置、後半はヴァイオリン両翼の古典配置での演奏である。
今日はクラリネット首席の小谷口直子が全編に出演(ヘンデルの時代にクラリネットという楽器は存在しないが、原典版ではなく編曲したバージョンでの演奏)。それ以外の管楽器首席奏者はベートーヴェンのみの出演である。

前半に並ぶ3つの古楽の曲目は、全て鈴木優人がチェンバの弾き振りを行う。典雅なハイドン、個性的でエスニックなラモーは、古楽を得意とする鈴木が存分に腕を振るい、上質の響きと旨味を提供する。今年の3月で放送が終わってしまったが、Eテレの「らららクラシック」でラモーの特集があり、歌劇「みやびなインドの国々」の上演風景などが流された。今回の歌劇「みやびなインドの国々」組曲の演奏も、歌劇の上演ではないが、その光景が目に浮かぶような描写力に長けたものである。

ヴィヴァルディのチェロ協奏曲ト長調 RV414。ヴィヴァルディの作品といえば「四季」、その他に「調和の霊感」ぐらいしか聴けないという時代は終わり、まずNAXOSレーベルがヴィヴァルディの作品の多くを録音、配信でも聴けるようになり、その他のレーベルからもヴィヴァルディの全集が出るようになった。
ソリストの上村文乃(かみむら・あやの)は、6歳からチェロを始め、第7回日本演奏家コンクール弦楽器中学生部門1位及び芸術賞受賞を皮切りに、第15回日本クラシック音楽コンクール全国大会中学生部門最高位、第5回東京音楽コンクール弦楽部門第2位、第4回ルーマニア国際音楽コンクール弦楽器部門第1位及びルーマニア大使館賞受賞、第80回日本国際コンクール第2位、第65回全日本学生音楽コンクール大学の部1位などのコンクール歴を誇る。桐朋学園大学ソリストディプロマコース卒業後にスイスに渡り、バーゼル音楽演劇大学とバーゼル音楽院に学ぶ。現在は鈴木優人が首席指揮者を務めるバッハ・コレギウム・ジャパン(BCJ)のメンバーとしても活躍している。

上村は、エンドピンのないバロックチェロを使用しての演奏。独特のコクのある音色が特徴で、技術も高い。

ニコニコ生放送ということでコメントを読むのも面白く、コンサートマスターの石田尚泰が石田組長と呼ばれているのを見て、「下の名前が組長なのかと思った」というコメントがあったり、「イケメンおるやん」「向井理おる」「向井理やで」と、「京響の王子」こと泉原隆志に関するコメントが並んだりする。九州在住と思われる視聴者が、クラリネット首席奏者の小谷口直子に、「小谷口さん、九響(九州交響楽団)に客演してくれてありがとう」というコメントを書いていたりもする。謎のキャラクター、Juviちゃんに関するコメントも多かった。Juviちゃんに合わせてコーデリア中山という謎のキャラになることもあるティンパニ(打楽器首席)の中山航介に対する絶賛のコメントも続く。

アンコール演奏は上村単独ではなく、チェンバロの鈴木も加わったボッケリーニのチェロ・ソナタ第6番よりアレグロ。超高音を美しく奏でる、上村の卓越した技巧が鮮やかであった。


ベートーヴェンの交響曲第7番。かなり優れた演奏となる。史上初めてリズムを最重要視して書かれ、ワーグナーによって「舞踏の聖化」と激賞された作品。人類史上初のロックンロールと見なしても良いと思われるほどのノリの良さを持つ曲である。
鈴木と京響(ぱっと見、「鈴木京香」に見えるな)は、確かな造形美を確立しつつ熱狂を盛り込むという理想的な演奏を展開。弦楽はビブラートを抑えたピリオドの響きを築き、管楽器がそれらを華やかに彩る。ヘルベルト・ブロムシュテット指揮ライプツィッヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団の演奏に若々しさを注ぎ込んだような演奏で、後世まで伝説として語り継がれそうなほどの快演であった。これが生で聴けないというのが残念極まりないが、このコロナ禍をくぐり抜けることが出来たのなら、また鈴木優人指揮のベートーヴェンの交響曲第7番を聴く機会もあるだろう。

演奏終了後に、今回のコンサートの出来を聞くアンケートがあり、「とても良かった」に投票した人が97%を超えた。

放送は、楽団員がステージ上から奏者達が去った後も続き、京響を影で支えるスタッフ達の仕事ぶりが全国に流された。

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2021年3月21日 (日)

配信公演 滋賀県犬上郡甲良町制作 新作能「高虎」(文字のみ)

2021年3月12日

ぴあのWeb配信で、新作能「高虎」を観る。びわ湖ホールに「ローエングリン」を観に行った時にチラシを見つけたもの。藤堂高虎の出身地とされる滋賀県犬上郡甲良町が制作したものである。初演は令和元年10月19日であるが、コロナ調伏を願って全国配信版が新たに制作され、14日23時59分まで有料配信された。

甲良町長の挨拶があった後で、まず第1部として舞・笙「禍(まが)ごとの鎮め」が上演される。白拍子舞人:井上由理子、楽人:和田篤志。
磯禅尼が始め、娘である静御前が継いだとされる白拍子だが、平安時代末までそうしたものが生まれなかったと考えるのは不自然であり、また二人とも架空の人物である可能性もある。特に静御前については、モデルになった人はいたかも知れないが、物語に出てくるように常に義経の傍らにいたという部分は怪しい。義経の正妻が河越氏出身であることが執権となった北条氏にとっては不都合だったため、静御前という実在の不確かな女性を前に出すことで隠蔽した可能性も高い。

ただ白拍子がいつ生まれたのかは、ここでは特に大きなことではない。コロナ禍を鎮めるための雅やかな舞である。即興による部分が多いとのことだが、謡がなかなか聞き取れない。やはり伝統芸能の謡を聞き取るには相当の訓練が必要なようである。

 

第2部、能「高虎」。まずマンガによる能「高虎」の紹介がある。

新作能「高虎」。出演は、寺澤拓海(前ツレ・高虎の母)、浦部好弘(前シテ・高虎の父)、浦部幸裕(後シテ・高虎)、有松遼一(ワキ・天海僧正)、岡充(ワキツレ・従僧)。間狂言の出演、茂山茂(茶屋の主)、茂山宗彦(もとひこ。旅の者)、井口竜也(茶屋の妻)。

藤堂高虎は現在の滋賀県犬上郡甲良町の在士八幡宮付近の生まれとされ、在士八幡宮の藤の下が舞台となる。高虎は築城の名手として知られ、自らの居城の他に江戸城の縄張りも手掛けるなど、徳川家康からの信頼も厚かった。戦でも先陣は、譜代は井伊、外様は藤堂と決まっていた。

天海僧正が、江戸から京に向かうことになる。南禅寺山門供養のためである。途中、近江国で、満開の藤の花を見つけ、花の下で掃除をしている老夫婦にここはどこかと訪ねる。老夫婦は、甲良の在士八幡宮だと答え、この地が藤堂高虎公ゆかりの地であることを告げる。天海は今は亡き高虎と懇意であった。老夫婦の正体が高虎の両親の霊であることが明かされ、前場が終わる。

間狂言は、高虎が若い頃の話に基づいている。仕官先を求めて東へ向かい、三河国吉田(現在の愛知県豊橋市)で無一文で空腹となっていたところで餅屋を見つけて餅を食べるも銭がない。だが餅屋の主は銭を求めず、「東に行くのではなく故郷に戻りなさい」と高虎に勧める。故郷に戻った高虎は豊臣秀長に仕え、出世の第一歩を築く。高虎は後に吉田に行き、出世払いをしたという話である。
この狂言では、「三河国に住まい致す者」が京へ上る途中、近江国の茶屋に寄り、高虎の話が好きな茶屋の主から餅を振る舞われるという話になっている。
旅の者(茂山宗彦)が餅を豪快に食らうシーンが見せ場である。

後場。藤の花の下で眠りに就いた天海僧正の前に高虎の霊が現れ、昔を懐かしみ、大坂夏の陣での大活躍を舞で表現すると同時に身内を失った苦悩を吐露する。南禅寺山門は、高虎が親族を弔うために再建したものであり、天海がそこを訪れて供養を行うことを知って喜ぶのだった。

高虎は、主君を度々変えたということもあって、所領も頻繁に変わっており、築城した城も多い。新作能「高虎」にも、今治城や津城など、高虎が築いた名城が登場する。

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2021年3月 2日 (火)

配信公演 阪哲朗指揮山形交響楽団 『ベートーヴェン「英雄」~ベートーヴェン生誕250年記念特別公演』(文字のみ)

2021年2月26日

午後7時前から、クラシック専門配信サービス「カーテンコール」で、阪哲朗指揮山形交響楽団による『ベートーヴェン「英雄」~ベートーヴェン生誕250年記念特別公演』を視聴。やまぎん県民ホールからの同時配信である。

開演前に、山形交響楽団専務理事の西濱秀樹と阪哲朗によるプレトークがある。本番の前のプレトーク(二重表現だが、正確な日本語で書くと却って伝わりにくい)を日本に根付かせたのは山形交響楽団とされる。飯森範親が山形交響楽団の常任指揮者就任と共に始めた、というのは飯森範親本人が、大阪で行われた「さくらんぼコンサート」(山形交響楽団の本拠地以外での演奏会に付けられる名称)のプレトークで自慢として話していたことである。指揮者ではなくビジネスマンになっていたとしても有能であったことが確実視される飯森の広報戦略に乗り、山形交響楽団は「田舎のオーケストラ」というイメージで営業に苦労していた時代が嘘のようにブランドオーケストラへと成長した。この辺りの経緯は、松井信幸著、飯森範親監修の『マエストロ、それはムリですよ…』~山形交響楽団と飯森範親の挑戦~(ヤマハミュージックメディア)に詳しい。

プレトークの進行役である西濱さんは、関西フィルハーモニー管弦楽団の事務局長時代からプレトークを行っており、関西出身ということで大阪ではユーモラスな語り口で笑いを取っていたのだが、山形のお客さんは大阪に比べるとかなり大人しいようで、明らかに受け狙いのことを言っても反応がなかったりする。

京都市の生まれ育ちである阪哲朗であるが、両親が共に山形県内の出身ということで、子どもの頃は夏休みに山形に遊びに行くことも多かったそうである。山形交響楽団の常任指揮者に就任してからはよく「山形は夏暑いし、冬寒いので大変でしょう」と言われるそうだが、「京都も夏暑くて、冬寒いので余り変わらない。盆地なので」だそうである。
近年は、国内最高気温の記録が毎年のように更新されているが、それまでは長きに渡って1933年7月25日に山形市で記録された摂氏40.8度という気温が日本最高記録として定着していた。ただフェーン現象によるもので、山形市が特別暑い街というわけではないようである。

今回の曲目は、ニコライの歌劇「ウィンザーの陽気な女房たち」序曲、ヨハン・シュトラウスⅡ世の「アンネン・ポルカ」、ヨハン・シュトラウスⅡ世&ヨーゼフ・シュトラウスによる「ピッチカート・ポルカ」、ヨハン・シュトラウスⅡ世のワルツ「ウィーン気質(かたぎ)」、ベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」であるが、全てウィーンゆかりの作曲家で、最もオーソドックスな4拍子の曲や楽章が存在しないという共通項で選ばれているようである。

阪哲朗は、ウィーンというのは多国籍都市で、「これがウィーン人」といえるような典型的な市民は余りいないという内容の話をする。それもあって、当時はプロイセン領であったロシアのカリーニングラード出身のオットー・ニコライ(ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の創設者でもある)、ユダヤ系ハンガリー人の家系であるシュトラウスファミリー、西ドイツが存在した頃には首都にもなったこともあるボンの生まれ育ちで、祖父がベルギー・オランダ語圏からの移民であるベートーヴェンと、よそからウィーンに来た作曲家達のプログラムになったようである。

 

古典配置による演奏。阪は、ニコライとベートーヴェンは指揮棒を使って、シュトラウス作品はノンタクトで指揮を行う。

ニコライの歌劇「ウィンザーの陽気な女房たち」序曲は、阪らしいキビキビとした音運びと躍動感で聴かせる。

阪はプレトークで、ウィーンの人はワルツを三等分で演奏したがらないと話していたが、シュトラウスファミリーの作品では、意図的なパウゼを長めに取るなど、日本のオーケストラが演奏しがちなポルカやワルツとは異なる演奏を行う。山形交響楽団の各奏者達の技術も高く、楽しめる仕上がりとなった。

休憩時間には、山菜料理・出羽屋に取材した映像(山形交響楽団が独自に作成したものではないそうである)が、通常版と英語字幕付き版とで2度流れる。料理の宣伝ではなく、山形県の魅力に迫るもので、山菜採りや山歩きなど、山形に「移住したくなる魅力」を発信していた。

 

メインであるベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」。ホルンとトランペットはナチュラルタイプのものを使用(ナチュラルトランペットとモダンのトランペットの中間であるバロックトランペットなるものもあるそうであるが、見分けはつかず)。ティンパニも当然ながらバロックタイプのものである。

速めのテンポによる溌剌とした「英雄」になるのではないかと予想されたが、テンポはピリオドのものとしては中庸で、鮮烈さを強調するよりも地に足のついた安定感を重視した演奏となる。阪を正面から捉えた映像も流されるが、指揮棒の先をかなり細やかに動かして指揮していることが確認出来る。
第2楽章の重厚さ、第3楽章の軽快さ、第4楽章のアポロ的な造形美など、阪と山形交響楽団の相性の良さが伝わってくる好演となった。

 

山形交響楽団は、オリジナルの「Bravoタオル」を公式サイトで販売しており、今日も「Bravoタオル」を掲げているお客さんを確認することが出来た。

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2021年2月26日 (金)

劇団音乃屋オンライン公演 音楽劇「はごろも ~三保の伝承にもとづく~」(文字のみ)

2021年2月23日

劇団音乃屋のオンライン公演、音楽劇「はごろも ~三保の伝承にもとづく~」を視聴。静岡市清水区(旧静岡県清水市)の曹洞宗庵原山(あんげんざん)一乗寺の本堂で収録されたものである。静岡市清水区の三保の松原を始め、日本各地に残る羽衣伝説を題材にした「家族みんなで楽しめる音楽劇」である。宮城聰が芸術監督を務めるSPAC所属の女優で、劇団音乃屋主宰でもある関根淳子の作・演出、天女役。劇団大樹主宰で大蔵流狂言方の川野誠一の伯良(漁師。川野誠一は私立大分高校卒とのことなので、財前直見の後輩、森七菜の先輩となるようである)。新保有生(しんぼ・ありあ。苗字から察するに、先祖がご近所さんだった可能性もある)の作曲・演奏(三味線、篠笛、能管)での上演である。冒頭に一乗寺住職からの挨拶があり、劇団音乃屋主宰の関根淳子からの挨拶と新保有生の演奏が特典映像として収められている。

全国各地に存在する「羽衣伝説」であるが、三保の松原のそばにある御穂神社には天女のものとされる羽衣が今に伝わっている。
羽衣伝説は様々な芸能の素材となっているが、歌舞伎舞踊の「松廼羽衣(まつのはごろも)」が中村勘九郎・七之助の兄弟により、ロームシアター京都メインホールで上演された時には、上演前に行われた芸談で、「静岡公演の昼の部と夜の部の間に三保の松原と羽衣を見に行った」という話をしており、「残っているんなら切って与えたんだから、それを演出に取り入れよう」ということで、夜の部から急遽羽衣を切るという演出を加えたという話をしていたのを覚えている。

三保の松原は風光明媚な地として日本中に知られているが、そこから眺める富士山の美しさでも知られている。富士山は休火山で、今は噴煙は上がっていないが、噴火していた時代もあり、空へとたなびく白煙が天界へと続く羽衣に見立てられたことは想像に難くない。

新保有生による冴え冴えとした邦楽器の音が奏でられる中、まず川野誠一演じる伯良が狂言の発声と所作と様式で状況を説明して松に掛かった羽衣を見つけ、次いで天女役の関根淳子が現れて、返して欲しいと謡の発声で話し掛ける。邦楽を用いることで郷愁や哀愁が自ずから漂う。「舞を行うので衣を返して欲しい」と頼まれた伯良は「嘘偽りではないか」と疑うが、天女は「天に偽りなきものを」と言い、羽衣を纏っての舞を披露する。もちろん嘘ではない、嘘ではないが「芸術とは最も美しい嘘のことである」というドビュッシーの言葉が浮かぶ。天女は天界の人(正確にいうと人ではないが)なので神通力が使えるはずなのであるが、無理に衣を奪い返そうとせず、舞を披露することで羽衣を取り返す。このあたりが、芸能に生きる人々の「舞こそおのが神通力なれ」という心意気であり、今も受け継がれているように思える(伝承での「羽衣」は舞を披露したりはせず、夫婦となった後に天上へと帰ったり、地上に残ったりするパターンが多い。舞によって羽衣を取り返すのは伝世阿弥の謡曲「羽衣」以降である)。
三保の松原を舞台にした「羽衣」作品群には、天女への愛着のみならず、霊峰と仰がれ神格化された富士山(寿命を持った女神である「木花開耶姫=浅間神」に見立てられた)とそこから上る白煙を通した天界への憧れが、背後に隠されていると思われる。

関根淳子と川野誠一の演技と動きも寺院で上演されるに相応しい雅趣がある。現代劇の発声ではないので、セリフが耳に馴染みにくい方もいらっしゃるかも知れないが、日本語字幕付きのバージョンがあったり、英語字幕付きのバージョンがあったり、目の不自由な方のための解説副音声付きのものがあったりと、バリアフリー対応の公演となっている。

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2020年12月15日 (火)

配信公演 坂本龍一 「Ryuichi Sakamoto Playing the Piano 12122020」(文字のみ)

2020年12月12日

午後7時半から、坂本龍一の有料配信コンサート、「Ryuichi Sakamoto Playing the Piano 12122020」を視聴。高画質・高音質配信が可能なMUSIC/SLASHを使っての配信である。
配信の本番が始まる前に、坂本龍一が屋外で皿などを割る模様を捉えた映像が流れ、要約すると「2020年は否応なしに変化を求められる年となった」という意味の字幕が流れる。

7時30分から、まずアーティスト、インタラクションデザイナー、プログラマで今回の演出を任された真鍋大度(まなべ・だいと)へのインタビュー映像が流れ、コロナでの自粛期間中、配信の公演は沢山観たし、Zoomで色々な人と話したりもしたが、身体が感じられなかったといったようなことを語る。
今度は、真鍋がインタビュアーとして坂本龍一に質問をすることになるのだが、犬型のロボットにスマホ状(スマホそのものなのかも知れないがよくわからず)をセットし、犬型ロボットがガシガシとした足取りで坂本龍一のいる部屋に赴くという趣向になっている。

坂本龍一の住むニューヨークの街はかなり厳しくコントロールされており、4段階ある安全基準の今は3段階目だそうで、レストランに定員の25%までなら入れていいなど、細かな決まりがあるそうである。
ブロードウェイの俳優やダンサー、ミュージシャンなどは仕事が完全になくなってしまったため、ストリートで様々な芸を披露したりしているという。
犬型ロボットの動きに無駄がなくて不自然だという話から、坂本は雨音が大好きでずっと聴いていられるという話になり、「ベートーヴェンやマーラーが色々構築した音楽を書いているけれど、結局のところ雨音に勝てないんじゃないか」と最近では思うようになっているそうである。
ピアノの演奏に関しても変化はあるそうで、ピアノの弦の一本一本の響きを味わいながら弾くことが最近では好きなのだが、それだとどうしてもテンポが遅くなり、昔からのファンに、「最近、ピアノ遅くないですか?」と指摘されるそうである。

本編では、まず円形オペラ劇場のようなところでの演奏から始まる。真鍋から受けたインタビューにより、坂本は帰国して2週間の隔離を経ており、東京で配信のための演奏を行うことは知らされていたのだが、東京にああいった劇場があるとは思えないため、CGか合成だろうと思われるわけだが、最近の技術力はかなり高いようで、実際に円形オペラ劇場にいるように見える。その後、背景は変化し、雲の上にいるようになったり、浜辺で弾いているように見えたり、白い壁と白枠の大きな窓のある部屋の中に移ったりする。

曲目は王道で、「async」の第1曲である「andata」に始まり、「美貌の青空」、「青猫のトルソ」、「BEFORE LONG」、「シェルタリング・スカイ」、「ラストエンペラー」、「戦場のメリークリスマス」、「PERSPECTIVE」などの代表曲が次々に弾かれていく。坂本龍一のピアノコンサートには2度行ったことがあるが、また参加してみたくなる。

最後のピアノ曲は、無印良品のCM曲「MUJI2020」。これが公開初演になるという。その後に、冒頭の映像で坂本が割っていた皿の断片などを使ったノイズミュージックが奏でられる。音と雑音の境界への挑戦であった。

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