カテゴリー「教養番組」の12件の記事

2025年11月14日 (金)

Eテレ「伝説のマエストロ カラヤンの日本公演再び」

2025年11月5日

NHKONEで、「伝説のマエストロ カラヤンの日本公演再び」を視聴。11月1日にEテレで放送されたもの。
20世紀後半最大の指揮者だったヘルベルト・フォン・カラヤン(1908-1989)。最大という形容に反して、身長は155㎝と白人男性としてはかなり小柄であった。ただレナード・バーンスタインも160㎝、広上淳一、下野竜也、大植英次という日本を代表する指揮者も軒並み小柄。女性指揮者も三ツ橋敬子は151㎝と女性としてもかなり小さい部類に入る。ただ考えてみれば、体が小さいと手も小さい。手が小さいと楽器を弾くには不利であり、ソリストよりも指揮者を目指す傾向はあるように思う。

カラヤンは計11回来日。ベルリン・フィルとの来日公演、ウィーン・フィルの来日公演、そして単身NHK交響楽団に客演している。
NHK交響楽団を指揮したのは1954年。日本での知名度は高くなかった。とても有能だったが、傲慢な性格に辟易したという話も伝わっている。
カラヤンがベルリン・フィルのシェフになった時代は、他にライバルとなり得るドイツ系指揮者がおらず(ベームはすでに高齢。ヨッフムは出世よりも楽団を育てることに喜びを見出すタイプ)、ベルリン・フィルのアメリカツアーに指揮者として帯同させて貰えれば、芸術監督の座を受けても良いとベルリン・フィル側に伝えていた。カラヤンの前にベルリン・フィルの首席指揮者となっていたのは、ルーマニア出身のセルジウ・チェリビダッケであったが、チェリビダッケはカラヤン以上に厳しい性格で、ベルリン・フィルの団員を平気で「下手くそ!」となじっていた。指揮者としては極めて有能だったが、ベルリン・フィルの団員はチェリビダッケにはこりごりだった。ということでカラヤン政権が誕生する。ナチ党員であったカラヤンは、戦後、「公的な演奏活動」を全て止められたが、録音活動は「公的な演奏活動」に含まれていなかったため、EMIのプロデューサーであるウォルター・レッグと組み、ロンドンに録音のために結成されたフィルハーモニア管弦楽団を指揮してレコーディングを行い、名声を高めていた。そんなこともあり、録音に関しては誰よりも積極的だった。
映像の制作にも熱心であったが、通常の配置では撮れないアングルから撮りたいというので、演奏する真似だけをさせることも多く、楽団員からは不評であった。

まず、東京・内幸町(愛宕山と表記されることもある)の旧NHKホール(現存せず)で行われたベルリン・フィルハーモニー管弦楽団との来日演奏会。1957年、ベルリン・フィルとの初来日時の映像である。演奏されるのはワーグナーの楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」前奏曲である。
カラヤンの指揮であるが、不思議な印象を受ける。この頃は「カラヤンは指揮するときに目を閉じる」は徹底されておらず、閉じたり開けたりしながらの指揮だが、動きが必ずしも流麗とはいえず、指揮棒も分かりにくいということはないが、予想外の動きをするため、オーソドックスタイプの指揮者に見えない。1957年のモノクロ映像であるが、ステレオでの収録である。カラヤンはすでにフィルハーモニア管弦楽団とステレオでの録音を行っていたが、映像としてはカラヤンとしても初のステレオ収録かも知れない。演奏としては録音が古いということもあってややまとまりに欠ける感じ。そもそもカラヤンはワーグナーはよく取り上げたが得意ではなかった。

続いてベートーヴェンの交響曲第5番。冒頭付近は映像がなく静止画、面白いのは、ハープが指揮者よりも前に位置するという配置。日本指揮者協会(というものがある。岩城宏之が外国人指揮者に、「日本には指揮者協会というのがあってね」と話したところ、「指揮者は二人いたらもうライバルなのに、お前の国は何やってんだ?」と呆れられたそうである)の演奏会で、山田一雄がハープを受け持ったのだが、「山田先生のような偉い方を奥に置くわけにはいかない」ということで、指揮者より前に出したことがあったそうだが、そんな感じである。
カラヤンは生涯に4度、「ベートーヴェン交響曲全集」を録音している。50年代、60年代、70年代、80年代だからほぼ10年おきだ。更に東京の普門館で行われたベートーヴェン交響曲チクルスを録音した放送音源の全集もリリースされている。個人的には70年代盤が好みである。
今回の映像であるが、貴重なものであることには間違いないが、指揮者がまだ熟していない気がする。この年、カラヤンは49歳。「40、50は洟垂れ小僧」ならまだ洟垂れ小僧である。この時点では、カラヤンがこの後、ベルリン・フィルとウィーン国立歌劇場(ウィーン・フィルの母体でもある)の芸術監督を兼任して帝王と呼ばれるようになるとは思えない。それほど若さが先行した演奏である。

格好いいとされた指揮姿も、今の指揮者達に比べると地味だ。やはり真正面を向いたまま指揮することが多く、左右に体を向けることはほとんどない。他の指揮者もそうなので、これがこの時代の正統的な指揮のスタイルだったのだろう。

カラヤンとウィーン・フィルの演奏。カラヤンはウィーン国立歌劇場芸術監督時代にはウィーンに家を持っているが、その後、田舎に居を構え、ベルリンではホテル暮らしだった。ベルリン・フィルのメンバーにはそのことを不満に思う人もいたようである。
1959年11月6日に、日比谷公会堂で行われたブラームスの交響曲第4番の演奏である。モノラルでの収録。カラヤンのブラームスには定評があったが、ベルリン・フィルを振った交響曲全集などは、私にとっては音で押してくる感じがして苦手である。
ここでは構造重視の演奏。センチメンタリズムなどは表に出さない。その方がカラヤンらしいと言える。
部分的には指揮棒を抑えてオーケストラに任せるところもある。一部は映像が存在しないようで、やはり写真などで乗り切っている。

最後は、1957年10月27日の、旧NHKホールで行われたブラームスの交響曲第1番第4楽章のベルリン・フィルとの映像。熱い演奏だが、カラヤンの若々しさの方が勝っているように思う。指揮姿も巨匠というより若武者といった感じ。旧NHKホールは収用人数600人程度とかなり手狭だったが、音響の良さは今にも伝わっており、この日訪れた聴衆も期待の若手指揮者と世界最高峰のアンサンブルに満足したのではないかと思われる。

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2025年10月26日 (日)

NHKスペシャル「シミュレーション昭和16年夏の敗戦前後編・ドラマ×ドキュメント」

2025年8月20日

NHK+で、NHKスペシャル「シミュレーション昭和16年夏の敗戦前後編・ドラマ×ドキュメント」を見る。ドキュメントの部分は比較的短く、ドラマが中心になる。ベースとなっているのは猪瀬直樹著の『昭和16年夏の敗戦』。
出演:池松壮亮、仲野太賀、岩田剛典、二階堂ふみ(語り兼)、北村有起哉、國村隼、佐藤隆太、三浦貴大、別所哲也、嶋田久作、中野英雄、松田龍平、奥田瑛二、江口洋介、佐藤浩市ほか、仲野太賀と中野英雄は親子共演となる。

連続テレビ小説「虎に翼」で、岡田将生演じる星航一の話に登場して話題になった総力戦研究所を描いたドラマである。星航一のモデルとされた三淵乾太郎は、実際に総力戦研究所で司法大臣として演習に当たっていた。
最初から日本が不利であることは大多数の人が気付いていた気がするが、それを覆すための研究所でもある。軍部としては「勝機はある」との言葉を待っていたのだと思われるが、結論としては、「開戦すべきでない」「日本はアメリカに何もかも劣る」であった。
しかし、時代の流れは止められず、日本は地獄を見ることになる。

永田町にあった総力戦研究所に集められたのは、身心知力ともに健康な、様々な分野から集った35人の男性。平均年齢は三十代である。いわば日本の最高水準の知力が集結したことになる。
池松壮亮演じる宇治田洋一は、東京帝国大学首席卒という設定だ。そのインテリ達が様々なデータなどを駆使してシミュレーションした結果は日本必敗であった。宇治田は日本の軍部高官が考えていることが「ごっこ遊び」に過ぎないと陸軍省の高官である西村(江口洋介)に考えを吐露するが、現地に赴くことの絶対にない軍の高官達にとっては、戦争はごっこ遊びと感覚的に似通っていることは確かだと思われる。私は村上春樹の『ねじまき鳥クロニクル』を大学の卒業論文で取り上げた際に同様の内容を記している。
だが、油田の獲得を目的とした南部仏印侵攻は続いており、「船の数が不足している」としても戦いを続けるしかない。
すでにABCD包囲網により、資源が不足していたが、オランダに次いでアメリカも石油禁輸。これにより、日本国内には全国民が使うための石油が2年しかもたないことが判明する。
頭脳明晰な壮年の男達は、太平洋戦争が辿る経緯をかなり正確に見抜いていた。集合知の力である。しかし結論を軍部に聞き入れられることはなかった。

東条英機は、開戦を避けようとするも、もはや自分の力ではどうにもならないと呻吟する人物として描かれる。ハゲヅラをかぶり、一目では誰だか分からない風貌になった佐藤浩市が熱演している。

仲野太賀と岩田剛典は、「虎に翼」のオマージュとしての抜擢かも知れない。岩田剛典は、海軍でありながら、「開戦に反対」という立場を取るが、長州閥のある陸軍では開戦派、薩摩閥のある海軍では、「負ける戦いはするべきではない」との慎重派が多かったとされる。ただ、実のところ藩閥が1941年時点でどれだけ働いていたのかはよく分からない。
その陸軍のトップに立ったのが盛岡藩士の家系である東条英機である。同じく陸軍の軍人であった東条英機の父親は、藩閥によって出世出来なかったが、東条英機は藩閥を超えている。彼が「戊辰の仇」である長州に対してどんな思いを抱いていたのかは不明である。

近衛文麿を演じる北村有起哉は、出番は余り多くないが、見た目が近衛文麿そっくりになっており、笑ってしまうくらいの良い出来である。
摂関家筆頭の近衛家から出た近衛文麿。お公家さん出身だからか、京都帝国大学卒のインテリながら、ちょっと不思議な人だったらしい。
摂関家出身でも駄目なら宮家からということで、東久邇宮稔彦が近衛の次の首相として推されるが、昭和天皇(松田龍平)は首を縦に振らず、東条英機が首相になる。
東久邇宮稔彦は、戦後処理のためだけの内閣総理大臣として、短期間政務に就いた。首相在任期間は、羽田孜に抜かれるまで明治以降最短であった。

佐藤隆太とは、もう大分前になったが、舞台上でハグや握手をしたことがある。そういう人がテレビに出ていると不思議な気がする。

京都でもロケが行われており、龍谷大学本館や京都府京都文化博物館別館(旧・日本銀行京都支店)などが使われていた。

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2024年10月13日 (日)

CIRCUS(サーカス) 「風のメルヘン」(テレハーモニーVersion)

コロナ時の収録。メンバーチェンジ前になりますが、サーカスは一度だけ、ライブを聴いたことがあります。1992年、千葉市の幕張メッセ幕張イベントホールでの合同コンサート。本人達は、「今日は音楽とサーカスが来るという話になってる」と半自虐発言をなさっていました。

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2022年6月20日 (月)

BSプレミアム 「忌野清志郎 ゴッホを見に行く」 2015.5.2

※2015年5月2日に再放送されたものである

今日は忌野清志郎の命日である。録画しておいたBSプレミアム「忌野清志郎 ゴッホを見に行く」を観る。2004年に収録、2010年に放送された番組の再放送。清志郎が、岩手県立美術館で行われたゴッホとミレーの展覧会を観に行くという内容である。30分足らずの短い番組。10年以上前に収録されたものだが、デジタル技術の発達により、映像は古びていない。

清志郎が高校卒業後すぐに描いた画にはゴッホの影響が濃厚であるが、その後の清志郎の画からはゴッホらしさが消えている。清志郎が53歳時収録の番組であるが、清志郎が本物のゴッホの画を観るのは実はこの時が初めてだそうだ。

ゴッホとミレーの画を見比べて、ミレーの画の方が上手いと清志郎は言う。「ゴッホは自分に負けちゃったんじゃないですかね。最後は」とも語る。

ゴッホの自分にのめり込んでいく姿勢がロックだと思っていた清志郎だが、実際はミレーの方がもっと執念深く闘っていたのがわかるそうだ。最晩年のゴッホの画は真面目に描くことを諦めてしまった白旗状態にも見えるという。

最後は東京で、ゴッホの「ひまわり」を観る。これは画を超えたパワーが感じられて良いそうだ。何だかんだで清志郎にとってはゴッホはジミ・ヘンドリックスのようなアイドル的存在なのだそうである。

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2022年3月25日 (金)

BSプレミアム「アナザーストーリーズ」 村上春樹『ノルウェイの森』“世界のハルキはこうして生まれた”

2022年2月1日

NHKBSプレミアム「アナザーストーリーズ」。今回は村上春樹の代表作の一つである『ノルウェイの森』の誕生秘話が紹介される。
『ノルウェイの森』は、私が2度目に読んだ村上春樹の小説である。初めて読んだ村上春樹の小説は、長編第2作目である『1973年のピンボール』で、私の生まれた前年である1973年というタイトルに惹かれて購入した。中学1年の時である。実のところ、『1973年のピンボール』は、村上春樹のデビュー作である『風の歌を聴け』の続編であり、『1973年のピンボール』だけを読んだのでは何のことかよく分からないのである。「不思議な小説」という印象だけ持った。

『ノルウェイの森』を初めて読んだのは、高校2年生の時。かなり辛く追い詰められた青春時代を送っていた私にとって、『ノルウェイの森』は福音のような役割を果たした。「このまま生きていていいんだ」とそれまでの人生を肯定された気になったことを今も忘れることはない。特別な小説である。

その後、明治大学文学部で日本史を専攻するはずだった私は、受験の壁に弾き飛ばされ、やむなく明治大学の夜間の文学部のみに設置されていた文芸学専攻に入学した。敬愛する詩人である田村隆一の直接の後輩になれた訳だが、やはり誰よりも得意だった歴史学を生かせないのは後々痛手になるのではないかと、心が震えるような日々を過ごしていた。3年生になった時、津田洋行教授が、ゼミで村上春樹作品を取り上げることを知る。ゼミに入れるかどうかは早い者勝ちであるため、私は受付当日に事務室の前に3時間前から並び(当然ながら一番乗り)、音楽之友社から発行されていた「世界の指揮者名鑑」を読みながら待ち続けて、参加券を得た。ゼミ自体では上手くいかないこともあったが、ゼミ最後の席でなかなか良い発言が出来たため、そのままの流れで津田先生の担当により村上春樹の『ねじまき鳥クロニクル』を卒論に選ぶことになる。自身が書いた論文の文体が気に入らなかったが(論文の文体ではなく、フィクション作品を書く時のような文章であった)、高い評価はいただけた。

そんなこんなで村上春樹は私にとって特別な作家の一人となっている。余談だが、村上春樹を卒論で取り上げなかった場合は、中島敦論を書く予定であった。そのため1年生の頃からちくま文庫の『中島敦全集』を全て読むなど準備を進めてきたのだが、3年の時に方向転換することになる。

『ノルウェイの森』は、読んだことのない人には「お洒落な小説」と映っているようである。1987年に単行本が出た時の装丁が、上巻が赤地に緑の抜き字、下巻が緑に赤の抜き字で、「クリスマスみたい」と言われていたのを記憶している。ただ私にとって『ノルウェイの森』はお洒落でもなんでもない、痛切なサーヴァイブの小説であり、巨大な世界と対峙して敗れていく若者の姿を描いたシリアスな文学だった。東京と京都が舞台となっているというのも気に入った。東京と京都への憧れを持った少年だったから。

自分がどこにいるのか分からなくなるラストは、おそらくは夏目漱石の『それから』へのオマージュであると同時に、多くの若者が体験するであろう乖離のような感覚が叩きつけられるほど鮮烈に描かれていた。『ノルウェイの森』に描かれた風景は確かに私の中にあった。まだ大学にも入っていないのだが、その存在は現実よりもありありと私の眼前にあった。東京23区内の大学に進むことで、それを追体験してみたい気持ちもあった。

そして私は、ヴィルヘルム・バックハウスのピアノ、カール・ベーム指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団によるブラームスのピアノ協奏曲第2番のCD(ロンドン=DECCA)を買った。京都の花脊峠の向こうにあるという療養所での会話で紹介されている録音である。高校2年生の時の京都・奈良への修学旅行の帰りに、千葉そごう内にあったレコードショップで買って帰って聴いている。まだ演奏の良し悪しがさほど分からない頃だが(ただ感動だけはする)そうやってそれまでの自分とは決別した、新たな自覚を持って歩み始めた人生の後押しをしてくれたのが、『ノルウェイの森』だったような気がする。

トラン・アン・ユンが監督した映画「ノルウェイの森」を観たのは、折しも私が36歳の時。『ノルウェイの森』の冒頭で、語り手であるワタナベトオルが、今「36歳」であることを告げる場面がある。かなりの苦みを伴うシーンなのだが、ワタナベと同じ36歳で「ノルウェイの森」の映画と向き合える巡り合わせを喜んだ。

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Eテレ 「ドキュランド 『プーチン大統領と闘う女性たち』」

2022年2月25日

Eテレでドキュランド「プーチン大統領と闘う女性たち」を見る。2021年製作のイギリスのドキュメンタリー。プーチン大統領独裁下のロシアで、反プーチンのナワリヌイを支持しようとしたり、自ら立候補しようとする女性達に迫っているが、ロシアのやり方はかなり強引且つ滅茶苦茶で、立候補の完全阻止が行われている。「新型コロナウイルスを広めようとした」「新型コロナウイルスに感染した」として刑務所化している病院に閉じ込めるという政策である。「『よし、パンデミックだ、これを利用しよう』。こんなことをしている国は世界でロシアだけ」と彼女達も揃って苦笑するが、ここには民主主義も公正な選挙もなく、20世紀のソ連となんら変わりのない警察国家が続いている。

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2021年9月18日 (土)

NHKBSプレミアム 「英雄たちの選択」 秀吉の“終活”~発見!幻の京都新城~

2021年9月15日 ※レポートではなく、番組を見ての私自身の考えが主となっています。

NHKBSプレミアム「英雄たちの選択」。今回は、豊臣秀吉が死の前年に京都御所(内裏、禁裏)にほぼ隣接した場所に築いた京都新城と豊臣氏の滅亡についての検証がなされる。

京都新城は、「太閤御屋敷」など他の名称と共に史料に出てくる城郭で、本丸の跡地には仙洞御所が建っている。というよりも城が築かれていて地固めなどもしっかりしていたため上皇のための御所に転用されたと考えた方が良いだろう。
仙洞御所の地下に眠っているため、本格的な発掘調査などは難しかったが、昨年、調査によって堀の幅などが分かった。約20メートルの堀を有していたというからかなり本格的な城郭である。

豊臣秀吉というと大坂城のイメージが強く、実際に本城は大坂城であるが、関白として平安京の大内裏跡に築かれた聚楽第で政務を執ることが多く、また晩年は指月と木幡山の二箇所の伏見城を隠居城としてそこで過ごしていた。指月の伏見城は隠居の場として居館に近い形状であったと思われるが慶長伏見地震で倒壊し、その廃材を利用してより堅固な城郭を木幡山に築いている。木幡山の伏見城は、城攻めの名手でもあった秀吉が知恵を絞って築いた天下の堅城であり、防御力は大坂城をも上回っていたと思われるが、関ヶ原の戦いの前哨戦である伏見城の戦いでは、鳥居元忠ほか僅か500騎が守る伏見城に石田三成ほかが率いる数万の軍勢が押し寄せ、落城。ただ、この落城自体が三成を東側におびき出すための罠だった可能性がある。実際、徳川家康は秀吉の伏見城が堅城であったとして跡地に新たな伏見城を築き直しており、征夷大将軍にも伏見城で任じられている。

伏見城は、徳川家光の時代に廃城になっているが、それには洛中に出来た二条城の存在が大きく影響している。元々は京とは別の街で、現在の京都市でも外れにある伏見の城より、京の街の真ん中にある二条城の方が便利であり、京都の町衆にも徳川の権威を見せつけやすい。それと同じ理由が豊臣氏にもあったのだと思われる。

聚楽第は秀吉から関白職を受け継いだ秀次の城となるが、その後、秀吉に実子の拾(のちの豊臣秀頼)が生まれたため、秀次の存在は邪魔になる。
秀吉の右腕であったのは、弟で大和大納言や小一郎の名でも知られる秀長である。聡明にして「人物」とされた秀長の死により、豊臣政権に歯止めが利かなくなり、秀次は謀反の疑いによって高野山に幽閉され、切腹(秀吉から切腹を命じられたという説と、抗議のために自ら切腹して果てたという説がある)。秀次の妻子は三条河原で皆殺しとなり、秀次の城だった聚楽第は跡形もなく破却された。だが、関白という公家系の称号で成り立った豊臣政権としては洛中に城がないのでは権威を示せなくなる。そこで聚楽第の代わりに御所の近くに新たに建てられたのが京都新城であると思われる。

秀吉の死後、京都新城には正室であった於寧(寧々、北政所、高台院、豊臣吉子)が住んでおり、この地で亡くなっている。高台院がこの地を選んだのは、生前に秀吉から「危なくなったら禁裏に逃げ込め」と指示されていたからとも言われている。堀と石垣以外の防御策はなく、守りは正直手薄だが、御所のそばにある京都新城を攻めるということが御所に弓引くと同じことになり、物質的ではなく心理的な防衛力が期待されていた可能性もある。
幕末とは違い、この時代の天皇は権威はそれほど高くなかったが、紫衣事件が起こる前で、まだ天皇の優位性は保たれていたと思われる。

ただ、平時ならいいが、いざ戦が始まった場合、昔の小島よしおのように「そんなの関係ねえ!」と京都新城を攻める武将が出てくる可能性もあり、秀吉は秀頼が物質的に守りの堅固な大坂城に移ることを決めている。


関ヶ原の戦いの前哨戦である伏見城の戦いが終わった後、京都新城の西側の堀や石垣などが西軍の兵士達によって崩されている。「御所の安全を守るため」とのことだったが、仮に京都新城を東軍方に乗っ取られた場合、西軍が攻め寄せると「天皇に弓引く」と受け取られて、石田三成らによる家康追討の説得力が失われる。そこで事前に京都新城の防御力を裂いたと見るのが適当であるように思われる。

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2021年8月27日 (金)

NHKBSプレミアム 「追悼 ウォルフガング・サヴァリッシュ ~マエストロの肖像 ウォルフガング・サヴァリッシュ 音楽に愛された男~」2013.3.4

2013年3月4日

NHKBSプレミアムで、「追悼 ウォルフガング・サヴァリッシュ ~マエストロの肖像 ウォルフガング・サヴァリッシュ 音楽に愛された男~」を観る。2003年に作成されたドキュメンタリーの再放送。先日(2013年2月22日)逝去した指揮者でNHK交響楽団の桂冠名誉指揮者であったウォルフガング・サヴァリッシュ追悼放送である。

幼児の頃から楽才を発揮したこと。第二次大戦では聴力を生かした傍受係を担当したこと。ミュンヘン音楽大学を首席で卒業したこと。初めての指揮台での演奏は失敗に終わったこと。アーヘンの歌劇場でのキャリアの出発。34歳の時に史上最年少でバイロイト音楽祭の指揮者を務めたこと。38歳でバイエルン国立歌劇場という、ドイツ国内でも一二を争う名門オペラハウスの芸術監督に就任したこと。歌劇場の総支配人との対立。1993年にフィラデルフィア管弦楽団の音楽監督に就任したことなどが、サヴァリッシュ指揮によるリヒャルト・シュトラウスの交響詩「英雄の生涯」に乗せて描かれていく。

私はサヴァリッシュの実演には一度しか接することが出来なかったが(1998年11月21日、NHK交響楽団の第1366定期演奏会)、この愛すべきマエストロの生前の姿を観て、一度きりだったことを残念に思うし、改めてサヴァリッシュの音楽が聴きたくなった。

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2021年7月17日 (土)

広上淳一×小林研一郎×下野竜也 NHK総合「ディープピープル」指揮者 2011.8.3

2011年8月3日

深夜1時15分から、NHK総合で放送された「ディープピープル」を見る。再放送である。本放送は都合により、見逃してしまっていた。テーマは指揮者。
下野竜也、広上淳一、小林研一郞という、日本を代表する個性派の指揮者3人が東京オペラシティのリハーサル室に集まってそれぞれの指揮に対する思いを語る。3人の中では広上が一番饒舌なので、自然に広上が進行役を務めるようになる。

個性派と書いたが、3人ともいわゆるオーソドックスなタイプの指揮者ではない。下野は41歳で(今年42歳。2011年当時)と指揮者としては若いが、若さに似合わず、30代のころから渋い音を出す指揮者だし、広上はハチャメチャな指揮スタイルとそれに似合わぬ美音をオーケストラから引き出す指揮者。また「炎のコバケン」こと小林研一郞は熱烈なファンとアンチが共に多いという変わった指揮者である。

指揮棒の話になり、3人とも自分の指揮棒を持参していて見せ合う。広上の指揮棒が比較的長めなのは実演に接しているので知っていた。ただ、明らかに長いというほどではない。遠目から見てもはっきり他の指揮者とは違うと感じる指揮棒を使用しているのは大植英次で、彼の指揮棒は一目で違いがわかるほど短い。広上さんは「背が低い」(自称164cm。学生時代の身長だと思われる。今はそれよりもかなり低いはず)から長めの指揮棒を使っていると語っていたが、大植は広上と同じか、あるいは更に背が低いのに指揮棒は短い。

クラシック以外の音楽の話題にも触れ、小林研一郞は美空ひばりが好きだそうだ。広上淳一は娘さんの影響もあって意外にもAKB48をカラオケで歌ったりするそうで、「『ヘビーローテーション』いいよ」と言っていた。私もAKB48は特に好きではないが、「ヘビーローテーション」だけは好きで(といってもCDは持っていないが)カラオケでも歌う。ただ、なぜか他の曲には惹かれない。下野はクラシック以外の音楽を聴くことはほとんどないそうだ。

演奏会前の楽屋にもカメラが入っており、小林研一郞は演奏会の前に楽屋で一度素っ裸になるそうだが、カメラが入っているので流石にそれはせず、NHKのスタッフが希望するポーズを取った。下野竜也は演奏会前に楽譜を入念にチェックする。かなりの緊張しいだとも語っていた。広上淳一は着替えるのがおそらく日本人指揮者としては一番遅いと語っていた。本番の2分前ぐらいに着替えるという。それより前に着替えると緊張してしまうそうだ。実は広上指揮の京都市交響楽団の定期演奏会で、オーケストラがチューニングを終えて待っているのに広上がなかなか出てこないということがあった。おそらく着替えが遅れたのだろう。

3人のリハーサルにもカメラが入る。小林研一郞はリハーサルでの言葉遣いが非常に丁寧なことで知られているが、70歳になった今でもそれは変わっていない。広上のリハーサルはオーケストラのメンバーと和気藹々といった感じである。下野のリハーサルは厳しいという噂があったが、実際は楽しくやっているようだ。

「第九演奏対決」という企画があり、3人の指揮者が同じオーケストラ(東京フィルハーモニー交響楽団)と同じリハーサル室を使って、ベートーヴェンの第九の第1楽章の終結部を演奏する。音の大きさでいうと、広上、小林、下野の順に大きい。下野が一番オーソドックスな演奏で、広上は指揮棒の振り方は一番個性的なのに生まれる音楽は一番カッチリしたフォルムを持っているという特徴がある。小林は一番テンポが遅く、最後の方は一音毎に指揮棒をくねらせ、最後もゆったりと大見得を切るように終わる。小林が楽譜にない間を取っていることも話題になる。

広上が教授を務める東京音楽大学のリハーサル室にもカメラが入り、広上の指揮指導姿が撮される。学生指揮者と学生オーケストラによる授業。広上は以前、「東京音大の指揮科に定員を設けるのをやめ、その代わり授業を厳しくする」と語っていたが、言葉通り、学生指揮者の演奏を何度も止め、駄目だしをしていた。

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2021年7月 2日 (金)

NHKオンデマンド「英雄たちの選択スペシャル 決戦!西南戦争 ラストサムライ西郷隆盛の真実」

2021年6月21日

NHKオンデマンド「英雄たちの選択スペシャル 決戦!西南戦争 ラストサムライ西郷隆盛の真実」を見る。2018年に放送されたもので、昨日の午後1時から再放送されている。再放送の録画の予約をしておいたのだが、ハードディスクの容量が足りず、ラスト20分ほどが録画されていなかったため、NHKオンデマンドで確認することにした。

再現VTRとロケ、スタジオでのトークからなる構成で、軍事方面の解説者として友人の竹本知行(現・安田女子大学准教授)が二度ほど登場する。

再現VTRで山県有朋を演じるのは懐かしの河相我聞。今は俳優専業ではないはずだが、俳優としての活動は続けているはずである。

クライマックスとなるのは田原坂。最後の内戦となった西南戦争最大の激戦地である。熊本民謡「田原坂」で、またNHK紅白歌合戦に対抗して日本テレビ系が年末に放送していた大型時代劇の一つ「田原坂」(西郷隆盛を里見浩太朗が演じた)の由来としても知られる。年末大型時代劇の「田原坂」は、それまでの「白虎隊」に見られるような群像劇ではなく、西郷隆盛一人の人生を追ったスタイルとなっていたが、そのために不評で、視聴率も振るわなかったと記憶している。


西郷の下野については、征韓論論争での敗北が引き金となっているが、鹿児島に帰った西郷の下に、不平を抱く多くの士族が集結。西郷が開いた「私学校」で武術の研鑽に励んだ。
中央を退いても人材の育成に努めた姿は多くの人の共感を呼び、私の出身地でもある千葉県にも、敬愛大学や千葉敬愛高校などを運営する千葉敬愛学園が存在する。敬愛は、西郷の座右の銘である「敬天愛人」が由来である。

今では「士農工商」という言葉も学校では教えなくなっているが、当時は皇族や公家、将軍家や大名家などを除いた人々の身分は、「士族とそれ以外」からなっていた。そして勝海舟や坂本龍馬のように、先祖が御家人身分などを金で買って士族に加わるものもあり、思ったほど厳しい身分社会という訳でもなかった。
だが、明治維新となり、士族はその特権を次々と失っていく。武士の魂とも呼ばれる刀を奪う廃刀令、そして仕えることで俸禄を頂くという体制も主君が華族となって東京に移り住むことで徐々に崩壊していく。そして1869年の秩禄処分により多くの士族が生活の糧を失う。商売に手を出す者もいたが、ノウハウが全くないため次々と失敗。これが「武士の商法(士族の商法)」と呼ばれるようになる。
秩禄体制の崩壊に深く関わってくるのが、徴兵令の施行である。国民皆兵を目指したことで、士族が特権階級である意義は事実上消滅したことになる。

そうした状況下で不平士族が次々と決起。佐賀の乱、神風連の乱、秋月の乱、萩の乱などの士族反乱が立て続けに起こる。

そして不平士族の首領として担がれることになったのが、鹿児島に隠居していた西郷隆盛である。下野していたとはいえ、戊辰戦争の英雄であり、陸軍大将の称号は保持。その魅力は全国の士族達を引きつけていた。

ただ、西南戦争自体は、西郷隆盛以上に桐野利秋(幕末は中村半次郎を名乗る。あだ名はご存じ「人斬り半次郎」である)が積極的に関わっており、西南政争を「桐野の戦争」と呼ぶこともある。桐野は徴兵制が士族の存在意義を否定するものと捉えていた。

西郷の決起は本意でなかったとされるが、新しい解釈として、西郷もいずれは反乱を起こす気でいたが、薩摩士族の暴挙や西郷暗殺計画を知ったことにより、十分に準備を整えることが出来ないまま立ち上がらざるを得なくなったという説が紹介される。神風連の乱が起こった際に西郷が、「ひとたび相動き候わば、天下おどろくべきの事をなし」という書状を友人に送ってるのがその根拠とされるが、漠然とした希望を語っただけの可能性もあり、根拠として十分とはいえないように思われる。文面から察するに、この時は今すぐ何らかの行動を起こすつもりはなかったと思われる。文章がやや悠長だ。

ともあれ、西郷は桐野と共に決起。まずは新政府軍の鎮台が置かれた熊本城を目指す。西郷軍が動いた時点での熊本城の守りは手薄であったが、当時最新鋭の電信、鉄道などを駆使する新政府側は速やかに熊本城内に援軍を送ることに成功。結局、西郷軍は谷干城を司令官として置く熊本城を落とせぬまま、博多から迫り来る新政府軍の援軍と退治するため、熊本城の北にある田原坂に陣取り、迎撃態勢を整える。
従来は、田原坂の一本道を巡る死闘とされていた田原坂の戦いだが、現在では調査により、西郷軍は田原坂の一本道の上方に砦を築き、地の利を生かす戦法を取ったことが分かっているようだ。

天下の堅城、熊本城とはいえ、援軍が来なければ籠城側は負ける。田原坂で援軍を押し止め、同時に分隊が熊本城への攻撃を続けることで、南北同時勝利を目指した作戦であった。

ここでまた徴兵制の問題が絡んでくる。西郷軍に所属するのはほぼ全員が士族。一方、新政府軍は、平民身分出身者が軍事教練を受けて参加していた。勿論、士族出身者も幹部を中心に含まれていたが、主力は平民階級の兵士である。
その後、白兵戦で勝てぬと踏んだ新政府側は、士族を中心とした警視局の抜刀隊を組織。士族出身者を特別視することで徴兵制を否定するような戦術だったが、日本刀での斬り合いの訓練を幼少時から受けていたのは士族階級出身者のみであるため、背に腹は代えられなかった。警視局抜刀隊には、元新選組の三番隊組長・斎藤一こと藤田五郎が参加していて、新聞にも載るほどの獅子奮迅の激闘を演じ、新選組隊士の維新後唯一の活躍となっている。
会津新選組局長、山口二郎を名乗ったこともある斎藤一こと藤田五郎の活躍などもあって、戊辰戦争で負けた会津出身の抜刀隊員が、「戊辰の敵! 戊辰の敵!」と叫びながら激闘を繰り広げたという有名な話があるが、これは誤解によるものとされており、実際に抜刀隊の主力となったのは、旧薩摩藩士だそうである。

江戸時代の薩摩藩(島津家)の統治体制は独特であり、一国一城令の時代に100を超える支城(外城)を持つことが許されていた。その代わりなのかどうかは分からないが、島津氏も譲歩しており、居城の鹿児島城は、鶴丸館という本来の名の方が相応しい質素な居館であり、堅固で巨大な城郭は築いていない。支城を守るために武士を多くする必要があり、他の大名家の家臣なら農民階級に属する人々が苗字帯刀を許されて士族に組み入れられ、半農半士というスタイルで生活していたため、薩摩における武士の割合は、子女も含めて15%から25%ほどにもなる。江戸時代に全人口において武士が占める割合は、子女を含めて5%から7%といわれているため、薩摩の武士層の厚さが分かる。ただ一方で、鶴丸館の周りに屋敷を構える城下士と、支城を固める役割を持つ外城士では身分に違いがあり、外城士は郷士とも呼ばれ、自作農が許される代わりに俸禄なしなど待遇は良くない上に、城下士からは蔑まれていた。維新になっていよいよ生活出来なくなった外城士からは東京に出て警視局に入る者が多く出る。そして、因果なことに抜刀隊として同国人同士で斬り合うことになるのである。抜刀隊を支えたのは戊辰の怒りではなく、階級体制に対するかつての不満だったようだ。

ところで、島津氏の居城は鶴丸城のみで、親戚の藩もあったが、支城の数の方が遙かに多く、それを守る外城士=郷士の方も当然ながら多かった。西南戦争においても、城下士=西郷軍、外城士=新政府軍という単純な二極化ではなく、西郷軍も数からいえば郷士出身の者の方が圧倒的に多かった。郷士も「私学校」への入学を許されたためで、統計を見てみると、城下士は郷士の10分の1強の数しかいない。郷士は半農半士なので、剣術はともかくとして、砲術、射撃、軍事的知識などについては城下士ほどには通じていないはずである。

戊辰戦争に参加した薩摩軍の兵士は、大半が身分は低めであったものの城下士で、郷士の大半は実戦経験を持っていない。また、これまで郷士を見下してきた城下士に部下として仕える意味も必ずしも持っているわけではない。そうした状況でありながら、数を頼りに挙兵したことが、西郷方のそもそもの誤りであった可能性もある。

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