カテゴリー「京都府立府民ホールアルティ」の11件の記事

2022年5月14日 (土)

観劇感想精選(434) 加藤健一事務所 「サンシャイン・ボーイズ」

2022年5月3日 京都府立府民ホールアルティにて観劇

午後2時から、京都府立府民ホールアルティ(ALTI)で、加藤健一事務所創立40周年・加藤健一役者人生50周年記念公演第1弾「サンシャイン・ボーイズ」を観る。
本来は一昨年に予定されていた公演であるが、コロナ禍により延期となり、本年に改めて上演されることとなった。

出演:加藤健一、佐藤B作、佐川和正(文学座)、田中利花、照屋実、加藤義宗、韓佑華。声の出演:清水明彦(文学座)、加藤忍。テキスト日本語訳:小田島恒志、小田島則子。
演出は、堤泰之が手掛ける。

「サンシャイン・ボーイズ」は、ニール・サイモンの代表作であり、ニール・サイモンに憧れて演劇を志した三谷幸喜(彼は本来は映画監督志望であったため、最初から演劇を目指していたという訳ではないのだが)が、自身が日大藝術学部時代に旗揚げした劇団に、東京サンシャインボーイズという名を与えたことでも知られる。
私が東京サンシャインボーイズの公演に接した経験は一度だけで、東京・新宿の紀伊國屋ホールで行われた「ショウ・マスト・ゴー・オン ~幕をおろすな!」の1994年再演版がそれなのだが、実はその時、座長である宇沢萬役で出演していたのが佐藤B作であった。当時の東京サンシャインボーイズは、看板俳優であった西村雅彦(現・西村まさ彦)が、三谷の脚本である「振り返れば奴がいる」への出演や、フジテレビの深夜音楽特集の一つである「マエストロ」に主演するなどして知名度を急速に高めていたが、知名度自体では客演の佐藤B作が最も高かった。

サンシャイン・ボーイズと佐藤B作が繋がったということで、個人的な原点回帰のようで嬉しくなる。


出演者は比較的多めだが、実質的には、かつて「サンシャイン・ボーイズ」の名でヴォードヴィル界を沸かせた、ウィリー・クラーク(今回演じるのは加藤健一)とアル・ルイス(同じく佐藤B作)の二人が軸であり、本道ではないが一種のバディものとなっているのが特徴である。時折、バディもの映画の代表的存在である「明日に向かって撃て!」のオープニング&エンディングテーマ(“Not Goin' Home Anymore” バート・バカラック作曲)が流れ、以前の二人の関係がノスタルジックに浮かび上がる。この音楽による演出はとても良い。


かつてアル・ルイスとコンビを組み、サンシャイン・ボーイズの名で一世を風靡したウィリー・クラーク。サンシャイン・ボーイズとして43年活躍したが、12年前にウィリーとアルの間で諍いが生じ、11年前にサンシャイン・ボーイズは解散。アルはヴォードヴィルでやっていける自信がないとして株式仲買人へと転身したが、ウィリーは、芸能の仕事を続けている。だが、すでに老境に達しつつあるウィリーの下に舞い込む仕事はほとんどない。
甥であるベン・シルバーマン(佐川和正)がマネージャーを務めているが、仕事を取ってくることは少なく、ウィリーは、経年劣化の進むホテルの一室に暮らし、通俗的な昼メロをぼんやりと見続けるような無為な日々を送っている(一応、仕事の依頼がいつ来てもいいよう、電話のそばにいる必要があるとの理由があるらしい)。本当にやる気があるのなら、映画館に出掛けて前衛的な作品を鑑賞したりもするのだろうし、テレビ映画は当時でもそれなりのものが放送されていたと思うが、そうしたものを観る気力ももう失せているようである。「サンシャイン・ボーイズ」というタイトルを付けながら、こうした黄昏の日々を舞台としているところがいかにもニール・サイモンらしい甘悲しさである。

そんな時、ベンがCBSからの仕事の依頼を持ってくる。往年のアメリカコメディーを特集する番組にウィリーにも出て欲しいというのだ。だが、11年前に解散したサンシャイン・ボーイズ再結成という形で、というのが条件であった。
喧嘩別れをしたということもあってウィリーは乗り気ではなかったが、ベンがようやく取ってきた「金メダル」級の仕事、またアルの方も、「孫にヴォードヴィルスターとしての自分の姿を見せたい」ということで、ニュージャージーからニューヨークへと出てきていた。

久しぶりに再会するウィリーとアル。過去のしこりは残っているものの、得意芸だったコント「診察室へどうぞ」のリハーサルを始めることにするのだが・・・・・・。


ビターな味わいのある大人のためのコメディであり、若き日の栄光と、そうではなくなった今の対比が、滑稽と悲哀を生む。

華々しさを取り戻すことはないという、リアルでシビアな展開なのだが、「近い将来実は」という救いになりそうな話を持ってくるところが憎い。あるいはサンシャイン・ボーイズはとある場所で、大成功こそしないかも知れないが……という希望が見える。日没前後のマジックアワーは人生にもあるのかも知れないと、強くではないが背中を押されたような気分になる素敵な作品であった。

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2022年3月23日 (水)

コンサートの記(769) アンサンブル九条山コンサート Vol.10「標-SIGNE」

2022年3月11日 京都府立府民ホールアルティ(ALTI)にて

午後7時から京都府立府民ホールアルティで、アンサンブル九条山コンサート Vol.10「標(しるし)-SIGNE」を聴く。全曲、2010年代に書かれた邦人作品で編まれたプログラム。

曲目は、馬場法子の「カノンではない変奏曲」(2011)、網盛将平(あみもり・しょうへい)の「Practice of chimeric movement on static syntax」(2015)、前川泉の「レンブラントとして笑う自画像」(2019。アンサンブル九条山公募選出作品)、西村朗の「氷蜜(ひみつ)」(2019)、坂田直樹の「カンデラ」(2019。世界初演)、坂田直樹の「黒曜石の波」(2019。アンサンブル九条山、アンサンブル・エクート共同委嘱作品。日本初演)。

作曲者3名が会場に駆けつけており、舞台転換の合間にトークのコーナーが設けられ、パーカッションの畑中明香(はたなか・あすか)が馬場法子に、ヴァイオリンの石上真由子が前川泉(女性)に、ソプラノの太田真紀が坂田直樹にインタビューを行った。
馬場と坂田はパリ在住。前川は現在、東京藝術大学大学院修士課程に在学中である。


古典派やロマン派の時代を経ずに、素朴な作曲が行われていた時期に続いてほぼ現代音楽から西洋音楽作曲法の受容が行われた日本。他の東アジアの国に先駆けて西洋文化を取り入れているとはいえ、音楽史がいびつになるのはどうしても避けられない。今日聴いた曲も、いずれも面白いところはあったが、後世まで生き残る作品なのかどうかは正直良く分からない。良く分かったら、私も音楽史上に名を残せるわけだが、そんな才能があったら千年に一人の天才である。


馬場法子の「カノンではない変奏曲」。編成は、フルート(若林かをり)、クラリネット(上田希)、ヴァイオリン(石上真由子)、チェロ(福富祥子)。指揮を佐渡裕の弟子で大阪教育大学の教員でもあるヤニック・パジェが務める。

意図的に息漏れをする管楽器がおもちゃの楽器のような愛らしい音色を出してスタート。ヴァイオリンとチェロがうねり、やがてチェロが寄せては引く波のような音型を奏で始める(指揮者の影になっていたので見えなかったが、弦に洗濯ばさみを挟むという特殊奏法を行っていたようだ)。ラストはヴァイオリンが弓ではなく青い棒のようなもので弦を擦るという特殊奏法を行っていた。


網守将平の「Practice of chimeric movement on static syntax」。出演は、太田真紀(ソプラノ)と森本ゆり(ピアノ)。

太田真紀と森本ゆりがピアノの連弾をしながらセリフを喋るというスタイルで開始。英語そして日本語が語られ、旋律へと変わっていく。ポピュラー音楽ならピアノの弾き語りはごくごく当たり前だが、クラシックでピアニストが語ったり歌ったりすることはまずないので珍しい(以前、同じアルティで児玉桃が語りながらピアノを弾いていたことはある)。
その後、太田真紀が後方へと移り、客席に背中を向けながらうなったり語ったりを行い、最後は少し上手寄りに移動して客席に横顔を見せながら叫んだりしていた。


前川泉の「レンブラントとして笑う自画像」。古代ギリシャの伝説的画家であるゼウクシスが、醜い老婆から「自分を女神として描いて欲しい」と頼まれ、仕事を開始するも余りの滑稽さに笑い転げ、息を詰まらせて死んだ、という話を題材にした作品をレンブラントが描いており、それを音楽として再現するという試み。編成は、バス・フルート(若林かをり)、バス・クラリネット(上田希)、チェロ(福富祥子)。石上真由子が行ったインタビューによると、前川は自身が習っていたのはヴァイオリンであるが、なぜか低音楽器が好きで、このような特殊な編成になったという。

各楽器が震えるような音を出す中、奏者達が実際に笑い声を上げていく。その後、楽器の旋律も笑いを模したようなものに近づいていく。


西村朗の「氷蜜(ひみつ)」。若林かをりによるフルート独奏作品である。いかにもフルート独奏のための現代曲といった特殊奏法満載の曲であるが、弱音で彼方から祭り囃子のような旋律が吹かれるのが印象的。今日聴いた作品の中ではこの瞬間が一番魅力的に聞こえた。


京都市出身で、今年41歳の若手作曲家、坂田直樹による「カンデラ」。上田希によるクラリネット独奏作品で、坂田は上田が演奏することを念頭に置いて作曲。上田が高い技術を持っているということで、より難度の高い楽曲となったようだ。
クラリネットの音をキャンドルの明滅に例えたもののようで、中盤に表れる重音奏法が光と影の重奏のようで印象的である。


最後の曲となる坂田直樹の「黒曜石の波」。坂田が大分県の姫島で見た黒曜石の輝きを音の波や潮騒に見立てた作品である。編成は、フルート(若林かをり)、クラリネット(上田希)、ヴァイオリン(石上真由子)、チェロ(福富祥子)、ピアノ(森本ゆり)、打楽器(畑中明香)。ヤニック・パジェの指揮による演奏。
3つの楽章からなるが、この曲はイメージがしやすかった。特にピアノの低音と鉄琴の煌めきが描写的で受け取りやすい。現代音楽の聴き方として、耳で聴くというよりは音を頼りに想像を楽しんだ方が理解しやすいということが上げられると思うが、この曲はまさに想像力で聴く作品であった。

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2021年11月14日 (日)

コンサートの記(752) 「ALTI 民族音楽祭~津軽・中国・モンゴル・琉球の音楽~」@京都府立府民ホールアルティ

2021年10月28日 京都府立府民ホールアルティ(ALTI)にて

午後6時から、京都府立府民ホールアルティで、「民族音楽祭~津軽・中国・モンゴル・琉球の音楽~」という音楽会に接する。津軽三味線(itaru)、二胡(尾辻優依子)、馬頭琴&ホーミー(福井則之)、ヴァイオリン(提琴&ヴァイパー。大城淳博)に古楽器のヴィオラ・ダ・ガンバ(中野潔子)を加え、各国・各地域の音楽が奏でられる。

曲目は、「もみじ」(全員)、「津軽よされ節」(三味線)、「楓葉繚乱(ふうようりょうらん)」(三味線)、「ナラチメグ」(馬頭琴、提琴、ガンバ)、「蘇州夜曲」(二胡)、「灯影揺紅」(二胡)、「スーホの白い馬」(馬頭琴)、「ホーミー・ホルバー・アヤルゴー」(馬頭琴&ホーミー)、「こきりこ節」(三味線、二胡)、「だんじゅかりゆし」(提琴、ガンバ)、「久高万寿主/唐船どーい」(ヴァイパー)、「かごめかごめ」の即興演奏(三味線、提琴、ガンバ)、「牧羊姑娘」(二胡、馬頭琴)、即興演奏(馬頭琴、三味線)、「茉莉花」(二胡、提琴、ガンバ)、「アメイジンググレイス~津軽あいや節」(三味線)、「津軽じょんがら節」(三味線)、「良宵」(二胡)、「三門峡暢思曲」(二胡)、「ドンシャン・グーグー」(馬頭琴)、「白馬」(馬頭琴)、「月ぬ美(ちゅら)しゃ」(ヴァイパー、ガンバ)、「てぃんさぐぬ花/闘山羊」(提琴、ガンバ)、「賽馬」(全員)。

全席自由だが、前後左右1席空けのソーシャルディスタンススタイルで、舞台席の上方、二階席と呼ばれる部分(一般的な二階席とは違う意味で使われている)は今日は関係者以外立ち入り禁止となっている。


ヴァイパーという楽器は、目にするのもその名を聞くのも初めてだが、アメリカで開発された6弦のエレキヴァイオリンで、日本では大城淳博が第一人者ということになるようである。

馬頭琴は演奏や曲を録音で聴いたことがあり、以前に訪れた浜松市楽器博物館では、「体験できる楽器」の中に馬頭琴(もどき)が含まれていたので、ちょっと音を出したこともあるのだが、演奏を生で聴くのは初めてかも知れない。

ホーミーは、今から30年ほど前に日本でも話題になったモンゴルの歌唱法である。低音の「ウィー」という声に倍音で中音域、高音域が重なるのが特徴となっている。坂本龍一の著書には、日本にホーミーを紹介したのは「いとうせいこう君」という記述があるが、これは本当かどうか分からない。坂本龍一は、日本で初めてラップを歌った人物もいとうせいこうであるとしている。


個人的なことを書かせて貰うと、民族音楽は比較的好きな方で、二十歳前後の頃にはキングレコードから出ている民族音楽シリーズのCDを何枚か買って楽しんでいた。「ウズベクの音楽」はかなり気に入った(HMVのサイトで、各曲の冒頭を聴くことが出来る)。
二胡は、姜建華が弾く坂本龍一の「ラストエンペラー」や、坂本龍一がアレンジしたサミュエル・バーバーの「アダージョ」を聴いて憧れ、キングレコードの民族楽器シリーズの中の1枚もよく聴いており、25歳の頃に先生について習い始めたのだが、色々と事情もあって3ヶ月でレッスンは終わってしまった。考えてみれば、二胡は単音しか出せない楽器なので、一人では「ラストエンペラー」を弾くことは出来ない。演劇を学ぶために京都に行く決意をしたのもこの頃ということもあり、以降は二胡とは疎遠になっている。

こうやって書いてみると、坂本龍一という音楽家の存在が私の中ではかなり大きいことが改めて分かってくる。ちなみに今日演奏された「てぃんさぐぬ花」も、初めて聴いたのは「BEAUTY」というアルバムに収められた坂本龍一編曲版であった。


客席に若い人が余りないのが残念であるが(親子連れはいた)、民族楽器が終結した演奏会を聴くという機会も余りないため、印象に残るものとなった。


福島則之の説明によると、馬頭琴は二弦からなる楽器であるが、一本の弦に馬の尻尾の毛100本ほどが束ねられているそうで、二弦と見せかけて実は二百弦という話をしていた。馬頭琴の音は人間の声に近い。西洋の楽器を含めて、これほど人間の声に近い音色を奏でる楽器は他に存在しないのではないだろうか。

ちなみに、弓の持ち方であるが、ヴァイオリンだけ上から掴むように持つオーバーハンドで、馬頭琴、二胡、ヴィオラ・ダ・ガンバは箸を持つように下から添えるアンダーハンドである。二胡とヴィオラ・ダ・ガンバは手首を返しながら左右に弓を動かすが、馬頭琴は二胡やヴィオラ・ダ・ガンバほどには弓を動かさないということもあってか、手首を固定したまま弾いている。

ヴィオラ・ダ・ガンバの、ガンバは「足」という意味で、両足で挟みながら演奏する。Jリーグのガンバ大阪も、フットボールの「フット」のイタリア語である「ガンバ」と、「頑張れ!」の「頑ば!」を掛けたチーム名である。
エンドピンのないチェロのようにも見え、ヴィオラ・ダ・ガンバのために書かれた曲も現在はチェロで弾かれることが多いことから、「チェロの祖先」と思われがちだが、実際は違う体系に属する楽器であり、弦の数も6本が基本と、チェロよりも多い。


「茉莉花」は、中国の国民的歌謡で、第二の国歌的存在であり、アテネオリンピックや北京オリンピックでも流れて話題になっている。尾辻は、上海に短期留学したことがあるのだが、街角のスーパーや薬局などで「茉莉花」の編曲版が流れているのを普通に耳にしたそうで、中国人の生活に「茉莉花」という曲が根付いているのが分かる。

「良宵」は、二胡の独奏曲の中で間違いなく最も有名な曲であり、二胡奏者は全員この曲をレパートリーに入れているはずである。作曲した劉天華は、それまで京劇などの伴奏楽器でしかなかった二胡を一人で芸術的な独奏楽器の地位まで高めた人物であり、中国の民族音楽の向上に多大な貢献を行っているが、多忙が災いしたのか37歳の若さで他界している。
「良宵」は、元々のタイトルは「除夜小唱(大晦日の小唄)」というもので、大晦日の酒宴をしている時に浮かんだ曲とされる。尾辻によると、後半になるにつれて酔いが回ったような曲調として演奏する人もいるそうである。


アンコールとして、こちらは日本の国民的歌曲となっている「故郷」が独奏のリレーの形で演奏された。

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2021年9月26日 (日)

観劇感想精選(413) 加藤健一事務所 「THE SHOW MUST GO ON~ショーマストゴーオン~」

2021年9月18日 京都府立府民ホールアルティ(ALTI)にて観劇

午後6時から京都府立府民ホールアルティで、加藤健一事務所の公演「THE SHOW MUST GO ON ~ショーマストゴーオン~」を観る。作:ジョン・マーレイ&アレン・ボレッツ、テキスト日本語訳:小田島恒志。演出:堤泰之。出演は、加藤健一、新井康弘、辻親八(つじ・しんぱち)、奥村洋治(ワンツーワークス)、林次樹(Pカンパニー)、土屋良太、伊原農(いはら・みのり。ハイリンド)、千葉建玖(ちば・けんき。Studio Life)、加藤忍、岡﨑加奈。

今回の作品の原題は、「ROOM SERVICE(ルーム・サービス)」というものなのだが、そのタイトルだとなんだか分かりづらいということで、加藤健一事務所が27年前に上演した際には、「イッツ・ショー・タイム」という英語を使った邦題に変え、今回は加藤健一自身が「ショーマストゴーオン」というタイトルで上演したいと希望し、翻訳の小田島恒志に提案したそうである。

初演が行われたのは深刻な不況下である1937年のニューヨーク。昭和に直すと12年で、かなり昔の本である。初演は大成功したそうで、500回以上の上演を重ねたという。

ジャズエイジとも呼ばれたアメリカの青春時代である1920年代が世界恐慌で終わり、混迷の時代へと突入する。セリフに「ハーバート・フーヴァー大統領」という言葉が登場するため、作品の舞台が初演より少し前の大恐慌の時代であることが分かる。ハーバート・フーヴァーは大恐慌発生時の大統領で、経済面での有効な策を打つことが出来なかったため評価は極めて低く、「米国史上最も無能な大統領」の一人に数えられている。


ブロードウェイの近くにある二流ホテルの一室が舞台。演劇プロデューサーのゴードン・ミラー(加藤健一)は、駆け出しの若い劇作家であるレオ・デーヴィス(千葉建玖)が書いた優れた戯曲「ごきげんよう(GOD SPEED)」の上演を計画しており、ホテル内の施設を使った稽古にも入っているのだが、十分な資金が集まらないため、稽古が始まってから7週間が経った今も公演の目処は立っていない。プロデューサーとして資金調達が求められているのだが、不況下ということもあって良いスポンサーを見つけることが出来ない。ミラーは上演すれば大当たり間違いなしの本を手にしていながら上演出来ないことを悔しがっている。

劇団員はこのホテルに寝泊まりしており、費用はミラーが受け持っているのだが、現在は手元に金がない。実はミラーはそれまでにも劇団員全員でホテルに泊まって稽古をしては資金がまかなえずにトンズラを繰り返しており、ブロードウェイ付近のほぼ全てのホテルでブラックリスト入りしているようである。演出家のハリー・ビニョン(土屋良太)、演出助手のフェイカー・イングランド(伊原農)らと共にトンズラの準備を始めたミラーだったが、そこに「ごきげんよう」の作者であるデーヴィスが訪ねてくる。


この作品に関しては、上演を観ていない人のためにあらすじを細部まで語っても余り意味はないように思われる。意味があるのは筋書きよりもこの公演における主題で、打ち出されているメッセージは明確で力強い。

ホテルの重役であるグレゴリー・ワグナー(新井康弘)は経済至上主義者で芸術に全く理解がなく、「ごきげんよう」のリハーサルを観ても良さが分からずに「駄作じゃないの?」などと語る人物であるが、そうした無理解な人々の思考を演劇でもって克服し、最終的には救済までしてしまうという痛快な内容となっている。結局、全てを成功に導くのは演技の力であり、演劇の要素である。逆に言えばこの世に演劇というものがなかった場合、何一つ乗り越えられなかったことばかりだ。演劇は不要不急どころかマイナスをプラスに変える力を備えていることが高らかに宣言される。

今回の上演が大千穐楽で、加藤健一事務所恒例の地方公演は今回に関しては京都公演のみとなっているが、演劇を愛する人の心に確実に訴えかける見事な上演となっていた。

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2021年8月15日 (日)

コンサートの記(738) アンサンブル九条山コンサート VOL.12 観世流能楽師・浦田保親×アンサンブル九条山「彼岸にて」

2021年8月6日 烏丸迎賓館通りの京都府立府民ホールアルティにて

午後7時から、京都府立府民ホールアルティで、アンサンブル九条山コンサート VOL.12 観世流能楽師・浦田保親×アンサンブル九条山「彼岸にて」を聴く。文字通り、観世流の能楽師である浦田保親とアンサンブル九条山によるコラボレーション。

現代音楽への挑戦を続けるアンサンブル九条山。2010年にヴィラ九条山のレジデントであったヴァレリオ・サニカンドロによって現代音楽アンサンブルとして結成され、2015年からは演奏家による企画を主体的に行う団体として再始動している。今日の出演は、太田真紀(ソプラノ)、畑中明香(はたなか・あすか。打楽器)、石上真由子(いしがみ・まゆこ。ヴァイオリン)、上田希(うえだ・のぞみ。クラリネット)、福富祥子(ふくとみ・しょうこ。チェロ)、森本ゆり(ピアノ)。

能舞を行う浦田保親は、1967年生まれ。父親は観世流職分・浦田保利。3歳で初舞台を踏み、10歳で初シテを「猩々」で演じている。2012年には長男である親良との「ちかの会」を結成。復曲能や新作能にも意欲的に取り組んでいる。重要無形文化財総合指定保持者。


曲目は、まず早坂文雄の「佐藤春夫の詩に據る四つの無伴奏の歌」より「孤独」と「漳州橋畔口吟」の2曲が太田真紀によって歌われ、畑中明香の演奏による石井眞木の「サーティーン・ドラムス」を挟む形で残りの2曲である「嫁ぎゆく人に」と「うぐひす」の歌唱が行われる。後半にはメシアンの代表作の一つである世の終わりのための四重奏曲が演奏される。


黒澤映画の作曲家としても知られる早坂文雄。仙台生まれの札幌育ち。家庭の事情で中学卒業後すぐに社会に出ており、作曲は独学である。同じ北海道出身の伊福部昭や三浦敦史らと札幌で新音楽連盟を結成。この頃、サティ作品に傾倒し、いくつかの曲を日本初演している。1939年に東宝映画に音楽監督として入社し、黒澤明との名コンビで知られたが、結核の悪化により41歳の若さで他界。その死に際して黒澤明は、「両腕をもがれたよう」と悲嘆に暮れている。同じく結核に苦しんでいた武満徹は、早坂のために「弦楽のためのレクイエム」を書き上げた。
「佐藤春夫の詩に據る四つの無伴奏の歌」は、佐藤春夫のごくごく短い詩の一節を選んで作曲したものだが、四つの歌を通すと一つの物語が浮かぶように設計されている。
汎東洋主義を掲げた早坂文雄。この歌曲でも尺八の息づかいを応用するなど、独特の試みがなされている。
「漳州橋畔口吟」に浦田保親が登場。扇子を持って舞う。


石井眞木(男性)の「サーティーン・ドラムス」。タイトル通り13の太鼓で演奏される曲である。数種類のバチの他、素手でも演奏が行われる。畑中明香のダイナミックな演奏が魅力的である。
浦田保親は、榊の付いた杖を持って登場。神へ奉納するような舞を見せる。


メシアンの世の終わりのための四重奏曲(ヴァイオリン、クラリネット、チェロ、ピアノのための)。20世紀に作曲された最高の室内楽作品の一つとして高く評価されており、その特異な曲名と共に有名である。演奏は、石上真由子、上田希、福富祥子、森本ゆり。
森本ゆりの硬質のピアノが、全曲を通して良いアクセントとなっている。

世の終わりのための四重奏曲は、第二次大戦中にドイツの捕虜収容所にて書かれ、1941年にメシアン自身のピアノで初演されている。ヴァイオリン、クラリネット、チェロ、ピアノという編成は、たまたま捕虜収容所で一緒だった演奏家を念頭に入れたが故の産物である。世の終わりのための四重奏曲というタイトルは『ヨハネ黙示録』に由来するが、意味的には「時の終わりのための四重奏曲」とした方が原題に近いようである。

この曲では浦田は増女の能面を付けて登場。まずは赤の着物、次いで白の着物、最後は頭に鳳凰の飾りを付けた天女の衣装で現れる。
アルティは舞台が可動式で自由に設計することが出来るが、今日は中央部を張り出した独特の設置。舞台奥側から俯瞰で見ると凸型に見えるはずである。

能面を付けると視界がほとんど遮られるはずだが、浦田はそれを感じさせないキレのある舞を披露。舞台端や演奏家のすぐそばまで寄るため、見ているこちらがヒヤヒヤしたりもした。

オリヴィエ・メシアンの母親は、詩人であり、メシアンがまだお腹の中にいる時に、「いまだかつて誰も聴いたことのない音楽が聞こえる」という詩を書いたというが、生まれた息子は本当に「誰も聴いたことのない音楽」を生み出すことになる。
世の終わりのための四重奏曲は、この世とあの世の対比が描かれるのだが、それはまさに能が描き続けてきた世界である。
上田希のピアニシモで彼方から響き始めるかのようなクラリネットの音は、異人である能の登場人物の肉声のように聞こえたりもする。
余り指摘されてはいないはずだが、メシアンの音楽は天体と親和性があり、天の川や星々の煌めきが音楽で描写されたようなところがある。「天国への階段」とされるラストも、同時に満点の星空へと吸い込まれていくような「魂の昇華」が目に見えるかのようだ。

浦田の舞も、本当の意図は分からないが、衣装の変遷とメシアンの音楽とのストーリー性、また演奏者が全員女性であるということから、三者三様というよりも三つの女性の舞を通して「女人往生」に繋がるものがあるようにも見えた。一言で表せるほど単純なものでもないと思われるが。

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2021年5月 4日 (火)

観劇感想精選(396) 加藤健一事務所 「ドレッサー」2021@京都府立府民ホールアルティ

2021年4月24日 京都府立府民ホールアルティにて観劇

午後2時から、京都御苑の西にある京都府立府民ホールアルティ(ALTI)で、加藤健一事務所の公演「ドレッサー」を観る。作は、「戦場のピアニスト」、「想い出のカルテット」、「テイキング・サイド」などで知られるロナルド・ハーウッド(1934-2020)。テキスト日本語訳:松岡和子。演出は鵜山仁(うやま・ひとし)。出演は、加藤健一、加納幸和(花組芝居)、西山水木、佐伯太輔(さえき・たいすけ)、照屋実、岡﨑加奈、一柳みる(ひとつやなぎ・みる。昴)。声の出演:石田圭祐、外山誠二、高橋ひろし、鍛冶直人、郡山冬果、浅海彩子。

「ドレッサー」の実演には、2005年に、平幹二朗と西村雅彦(現・西村まさ彦)ほかの上演に接したことがある。
「ドレッサー」の世界初演は、1980年にロンドンで行われているが、日本初演はその翌年の1981年。座長役が三津田健で、ノーマン役が平幹二朗であった。平幹二朗は、2005年の「ドレッサー」では座長役を演じている。1988年には、加藤健一がノーマン役、三國連太郎が座長役を演じた「ドレッサー」が上演されている。加藤健一事務所による「ドレッサー」は、2018年が初演で今回が再演だが、どうもノーマン役を演じた俳優が後に座長役に回るというケースが多いようである。ということは、西村まさ彦が将来、座長役をやることがあるのかも知れない。楽しみである。

ロナルド・ハーウッドは、ロンドンの王立演劇学校で学んだ後に、ドナルド・ウォルフィットのドレッサー(衣装係兼付き人)を5年間務めていたという経験があり、それがこの作品には生かされている。

舞台は1942年1月のイギリス。ナチスドイツとの戦いが始まっており、イギリスはたびたび空襲に見舞われていた。劇中でも「リア王」の上演中に空襲警報が鳴り響くという場面がある。
上演、ひいては演劇が続けられるのかどうか分からない状態が劇中で続くが、それがまさに今の日本に重なる。実は、「ドレッサー」は明日(4月25日)、西宮北口の兵庫県立芸術文化センター阪急中ホールでの上演が予定されていたのだが、緊急事態宣言発出により中止が決まっている。また、アルティも明日から休館に入る。

「ドレッサー」のノーマン役は、とにかくセリフが多いのが特徴である。シェイクスピア専門劇団の座長は年老いており、セリフやスケジュールなどを忘れていることが多いが、ノーマンは全て記憶しており、逐一補うためセリフの量も膨大になる。ノーマンはドレッサーとして常に座長の傍らにいるため、シェイクスピア劇のセリフは全てそらんじているなど極めて有能である。

座長(加藤健一)は高齢ゆえ奇行なども多い。元々がエキセントリックな性格であったようだが、今宵も入院したため、本日の演目である「リア王」の上演が危ぶまれる。座長は病院を脱出し、なんとか上演にこぎ着ける。「リア王」というのが重要で、ノーマン(加納幸和)は、リア王にずっとついている道化(フール)の役を担っている。

明治大学在学中に、戯曲論の講義で武田清(比較的有名な先生である。授業がとにかく面白かった)に「シェイクスピア劇に出てくる道化」について教わったのだが、昔の王宮には、様々な障害者が王の周りに使えており、知的障害者などが実際に道化として王の話し相手になっていたりしたそうである。知的障害者とはいえ、王に仕えるレベルになると観察眼は鋭い場合が多く、常人では出来ない発想などをしたため重宝されたという。
そして、「リア王」の道化は、最愛の娘であるコーディリア役の少年俳優(シェイクスピアの時代には女性は舞台には上がれなかったため、女性役は主に少年が演じた)が一人二役で務めていたというのが定説になっている。実は道化とコーディリアが一緒にいる場面は存在せず、コーディリアの追放後に道化が登場してリア王と共にさまようが、最後は不自然な形で舞台を後にし、その後、コーディリアがずっと出るという場面が続く。この一人二役は、「ドレッサー」でも座長の口から語られる。

「ドレッサー」でコーディリアに相当する女性は実は二人いる。座長夫人(劇中の「リア王」でコーディリア役。演じるのは西山水木)と座付きの舞台監督であるマッジ(一柳みる)である。座長夫人とは再婚であり、仲は余り良くない。座長はマッジと過ごした時間の方が長い。劇中に、座長がマッジに伝説的名優であるエドマンド・キーンから貰ったという指輪をマッジに譲ろうとする場面がある。マッジは、「本当のコーディリアは私」と思ったはずだが、ここにロナルド・ハーウッドらしい捻りがある。そう、本当のコーディリアに相当するのはドレッサーのノーマンなのである。
直接的な場面はないが、ノーマンが同性愛者なのではないかと仄めかすようなセリフや設定がいくつかあり、花組芝居の加納幸和がノーマン役にキャスティングされたのもどうやらそのためのようである。

ラストを明かしてしまうと、ノーマンの前で座長は亡くなってしまうのだが(その直前に、劇中劇「リア王」の中で、リア王がコーディリアの死を悟るシーンがあり、ここでも転倒が見られる)、そこで夫人のような振る舞いをしたのはマッジである。マッジは一度は断ったキーンの指輪を手に入れて退場する。一見すると指輪を手に入れたから退場したようにも見えるのだが、その振る舞いはどちらかというと敗れた女のものである。自身が本当のコーディリアではないことを悟って敗走したのか。あるいは、二人の正体はコーディリアではなく、ゴネリルとリーガンだったのかも知れない。

自伝を書く計画をしていた座長だが、筆無精であるため、冒頭の献辞しか書くことが出来なかった。そこにノーマンの名前はない。ノーマンはそのことを悔しがり、勝手に自分の名前を書き込んだりするのだが、座長はノーマンが身近すぎたために名前を記すことを忘れたのではないかとも思える。それほどノーマンは座長と一体なのである(あるいは単に忘れたか、「自分の影は影で表に出すべきではない」という認識だったのかも知れないが。座長は演劇以外にはいい加減な人間である)。座長は自伝を残すことは出来なかったが、おそらくノーマンは座長の伝記を書くことは可能である。実際に書くかどうかは示されないが、名優と一体になったドレッサーの姿を描くというのは、実際にその役割を務めたことのあるハーウッドの誇りの現れのようでもある。俳優は死んでも、その思い出はドレッサーの中に残る。ドレッサーだったロナルド・ハーウッドは劇作家となり、座長の面影を芝居として描き、モデルがウォルフィットであるということも明かす(モデルとしただけで、ウォルフィットその人の姿を座長に反映させたわけではないとしている)。

設定を見ていくと、三谷幸喜の東京サンシャインボーイズ時代の代表作である「ショウ・マスト・ゴー・オン 幕を降ろすな」に似たところがある。三谷幸喜は欧米のコメディー作品をベースにした作品を書くこともあるが(元ネタを明かすことも多く、ビリー・ワイルダーの「あなただけ今晩は」に登場するムスタッシュのパロディーは、「王様のレストラン」と「巌流島」で用いている)、「ショウ・マスト・ゴー・オン 幕を降ろすな」もバックステージもので、座長の宇沢萬(佐藤B作)と舞台監督の進藤(西村雅彦)の関係は「ドレッサー」の座長とノーマンのそれによく似ている。今回の「ドレッサー」におけるオクセンビー(佐伯太輔)に相当する梓(野仲功が演じていた)という人物も登場する。面白いことに、座長にはドレッサー(付き人。小原雅人が演じていた)までいる。三谷幸喜は2013年には「ドレッサー」の演出も手掛けている。ただ、同じバックステージものということで設定が偶然似かよる可能性も高く、三谷幸喜が「ドレッサー」を元ネタに選んだのがどうかは不明である。加藤健一事務所の次回作がジョン・マーレイの「ショーマストゴーオン」であることを知ったため、共通点が目についたという可能性もある。
ちなみに、私が自分でチケットを買って初めて観た演劇作品が、1994年の4月に紀伊國屋ホールで上演された東京サンシャインボーイズの「ショウ・マスト・ゴー・オン 幕を降ろすな」であり、当日のチラシに東京サンシャインボーイズが30年の充電期間に入り、復活第一弾が小林隆主演の「リア玉(だま)」であることも予告されていた。「ドレッサー」のような「リア玉」をやってくれるのではないかと密かに期待してしまう。東京サンシャインボーイズの活動再開は3年後に迫っている。

 

アルティでの加藤健一事務所の公演は、アフタートークがあるのが好例であり、通常はロビー(喫茶店としても営業されている場所を使うこともある)で行われるが、今回は「より安全」ということでホール内で行われる。いつもは出演者のほぼ全員が参加するのだが、今回は加藤健一と加納幸和の二人に絞られる。

空襲の中でも演劇の上演を止めようとしない座長の姿に、加藤健一もやはり今の状況を重ねていたようで、本来は座長役にはもっと滑稽な要素もあるのだが、シリアスな部分をより面に出すよう、演出家の鵜山仁に頼んだそうである。
コロナ禍については、今日の来場者に感謝を述べ、「オンライン上演はやったことがないのですが、劇場でお客さんを入れてやらないと演劇は演劇でなくなっちゃう。劇がなくなって演だけになっちゃう」と劇場で観客を入れて上演することの重要さについて語っていた。また、ドイツ政府が新型コロナ感染が広まり始めてからいち早く、「アーティストは生命維持に必要不可欠な存在」と宣言してくれたことが嬉しかったと語り、「良い芸術が生まれる国は違う」と絶賛する。

加納幸和は、「ドレッサー」のノーマン役を軽い気持ちで引き受けたが、台本を読んでセリフの量を知り、後悔したそうである。加藤健一は自身もノーマン役を演じた経験から、「セリフが多いだけでなく他のことをしながらセリフを語るのが大変」と明かし、今回も演出の鵜山仁が、「そこ紅茶運びなら話して」といったような演出を加えるたびに、加納が頭を抱える回数も増えたそうである。

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2021年2月 6日 (土)

コンサートの記(692) 「京都・国際音楽学生フェスティバル2007」フィンランド&フランスDay

2007年5月28日 京都府立府民ホールアルティにて

午後6時30分から、京都府立府民ホールALTIで、「京都・国際音楽学生フェスティバル2007」フィンランド&フランスDayを聴く。全席自由、1000円均一の公演。チケットの安い公演は、「何か知らないけれど来てしまいました」という、マナーとは無縁の客が入ってきてしまうことが多いのだが、今日もそうした方がちらほら。

「京都・国際音楽学生フェスティバル」は、ALTIで毎年開かれており、ドイツ、フランス、オーストリア、イタリアという音楽大国の学生を始めとする有名音楽院の学生が参加している。

今日は、フィンランドのシベリウス音楽院(シベリウス・アカデミー。旧ヘルシンキ音楽院)と、「のだめカンタービレ」でもおなじみ(?)フランスのパリ国立高等音楽院(コンセールヴァトワール・パリ)の選抜学生による室内楽をメインとした演奏会である。

プログラムは、まずシベリウス音楽院の学生によるシベリウスの弦楽四重奏曲「親愛なる声」が演奏され、次いでパリ国立高等音楽院の学生によるフォーレのチェロ・ソナタ第1番と「エレジー」。そして、シベリウス音楽院、パリ国立高等音楽院、京都市立芸術大学の学生による弦楽合奏で、ドビュッシーの「小組曲」より“小舟にて”と“バレエ”、そして「夜想曲」(管弦楽のための「夜想曲」ではなく、ピアノ曲の編曲。いずれも篠田聡史による弦楽合奏版編曲による演奏である)、シベリウスの「アンダンテ・フェスティーヴォ(祝祭アンダンテ)」、「弦楽のためのプレスト」、1981年生まれの若き作曲家ハルティカイネン(シベリウス音楽院に在籍)の新作「ルーメン(光)」(世界初演)が演奏される。

いずれもコンクールなどで優秀な成績を修めている学生達だが、あくまで学生であり、こちらも名演は期待していない。


シベリウス音楽院の学生による弦楽四重奏曲「親愛なる声」。ファーストヴァイオリン、セカンドヴァイオリン、ヴィオラは女の子で、どういうわけか全員眼鏡をかけている。チェロだけ男の子。トーマス・ヨアキム・ヌニエス=ガルセ君という長い名前の男の子だ。
祖国の大作曲家シベリウスの作品とはいえ、「親愛なる声」は深い音楽であり、学生では表現できないのではないかと思う。案の定、曲の把握が徹底されていない演奏であった。単に音が鳴っているだけの箇所が多い。それでも第3楽章などは哀切で透明な音楽を再現することに成功していたように思う。
アンコールとして、コッコネンの弦楽四重奏曲第3番より第2楽章が演奏される。シャープな演奏であった。

パリ国立高等音楽院在籍の女性チェリスト、オレリアン・ブラウネールさんは、高い技術力を持ち、豊かな音色による淀みない歌を奏でる。なかなかの実力者と見た。
フォーレの2曲は、いずれも若さに似合わない奥行きのある演奏であり、アンコールの「白鳥」(サン=サーンス作曲)でも優雅な音楽を奏でた。ピアノのエマニュエル・クリスチャン君も煌めくような音色の持ち主であり、好演だった。

弦楽合奏。京都市立芸術大学からの出演者は全員女の子。ということで、ステージ上の男性メンバーは先ほど名前を出したトーマス君ただ1人である。
コンサートミストレスはシベリウス音楽院のシニ・マーリア・ヴァルタネンさん。
ドビュッシーの「小組曲」よりと「夜想曲」も良かったが、シベリウスの「アンダンテ・フェスティーヴォ」と「弦楽のためのプレスト」はより優れた演奏。時に勢いに流されそうにはなるが、若々しさ溢れる演奏に好感を持った。

「ルーメン(光)」のハルティカイネン氏は会場に来ており、演奏前に簡単な楽曲解説を行った。
現代音楽であるため奏者だけでの演奏は難しく、この曲だけミラノ・ヴェルディ音楽院在籍のアンドゥレーア・ラッファニーニ氏が指揮を務める。
「ルーメン(光)」は、ヴァイオリンがグラスハープのような音を奏でるなど、繊細な音のグラデーションを特徴とする。しかし、この手の曲は全て武満徹作品のように聞こえてしまうのは気のせいなのか。

アンコールはシベリウスの「カンツォネッタ」。これも若さがプラスに作用した好演であった。

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2020年11月14日 (土)

観劇感想精選(366) 加藤健一事務所 「木の皿」2006京都

2006年7月9日 京都府立府民ホールアルティにて観劇

午後4時から京都府立府民ホールALTI(アルティ)で、加藤健一事務所の「木の皿」を観る。エドマンド・モリス作(小田島恒志:訳)、久世龍之介:演出。

「木の皿」は、2003年に日本初演(やはり加藤健一事務所による。京都公演も行われたが、私は見に行けなかった)された作品。頑固な老人とその家族を巡る葛藤劇である。

1953年、アメリカ・テキサス州の田舎町。かつてはテキサス開拓に大いに貢献したロン(加藤健一)も今では78歳の老人だ。次男のグレン(鈴木一功)と共に暮らすロンだが、体力が衰え、視力も落ちたのに「眼鏡なんかかけられるか」という頑固者であるため、家の花瓶やら皿やらをしょっちゅう割っている。普通の皿はすぐに割ってしまうため、食事は木の皿で摂らされている。煙草好きであるが、意識も低下し始めているため、たびたびボヤ騒ぎも起こしている。
そんなロンの介護に疲れたクララ(グレンの妻。大西多摩恵が演じる)はロンを老人ホームへ入れる計画を立てていた。しかし、老人ホームを見に行ったグレンはその施設の余りの酷さを見て猛反対。グレンとクララの子で、おじいちゃんっ子であるスーザン(加藤忍)も当然反対だ。
グレンとクララから連絡を受けて、ロンの長男であるフロイド(大島宇三郎)が20年ぶりにロンの家に帰ってくる。しかし、フロイドが自分を老人ホームに入れるための相談にやって来たと知ったロンは激怒してしまい……。

初演時はグレンを演じた加藤健一であるが、今回は老人であるロン役に挑戦。達者な演技を見せてくれる。

観ていて、「幸福な家庭はみな一様に幸福であるが、不幸な家庭はそれぞれに不幸である」(『アンナ・カレーニナ』冒頭)というトルストイの言葉が浮かぶ。またロンの友人であるサム・イェーガーが、ロンに「一緒に牧場経営をして暮らそう」と持ちかける下りが、スタインベックの『二十日鼠と人間』を連想させたり、設定もシェイクスピアの『リア王』やバルザックの『ゴリオ爺さん』を思わせたりと、様々な名作の要素がここかしこに見え隠れするが、パクリなどという低レベルな次元に留まらない独立した立派な作品に仕上がっている。

登場人物は全部で10人だが、彼らの全員の中に私は私の姿を見出した。言い換えると、私も彼らの性格を少しずつではあるが持ち合わせているということになる。

老いた義父を老人ホームへ送ろうとするクララも決して悪人ではない。彼女もロンの介護を20年以上も見続けて、自分の人生を犠牲にしてきたのだ。20年もロンの前に姿を見せなかったフロイドも父親が嫌いなわけではないし、逆にロンを老人ホームに送ることに反対するグレンも必ずしも善人ではない。ロンのことが大好きなスーザンも善人というより世間知らずという要素の方が強い。善でも悪でもないが故の葛藤が生まれている。だが完全な悪人が存在しないため事態は一層深刻だ。ゴネリルやリーガン(いずれも『リア王』の娘)のような突き抜けた人物がいれば話はもっと単純なのだが。

作中に「罠のようだ」というセリフがあるが、まさに誰かが仕掛けた、あるいは誰も仕掛けなかったが故により複雑で残酷になってしまった罠に全員が落ちていく。完全な悪人がいないので却って救いがない。

登場人物の言動を批判するのは簡単だが、彼ら全員の中に私は私自身が持っている性格を見出せるし理解も出来るので、そうした批判は私自身の胸に鋭利な刃となって返ってくる。
残酷な芝居である。だが、誤解を恐れずに言えば、そうした残酷さは私自身の中にもあり、それが故の切実さと感動を覚える。

特にラストのスーザンのセリフは痛切だ(ネタバレになるので書けないのが残念である)。こういうセリフを本当の意味での「リアルなセリフ」というのだろう。

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2020年2月 2日 (日)

コンサートの記(623) 京都府-レニングラード州友好提携25周年記念事業 日露地域・姉妹都市交流年認定イベント ロシア民族楽器楽団「メテリッツア」友好提携25周年記念コンサート「レニングラードの夕べ」

2020年1月24日 京都府立府民ホールアルティにて

午後7時から、御所の西にある京都府立府民ホールアルティで、京都府-レニングラード州友好提携25周年記念事業 日露地域・姉妹都市交流年認定イベント ロシア民族楽器楽団「メテリッツア」友好提携25周年記念コンサート「レニングラードの夕べ」を聴く。無料、事前申し込み不要である。そのためか、開場の15分前にアルティに着いたのであるが、すでに長蛇の列が出来上がっていた。結局、列がロビーの中に収まらないということもあって、開場は6時30分から20分に繰り上がった。

京都府はレニングラード州と平成6年(1994)11月4日に友好提携を締結している。レニングラード州の州都はレニングラードからサンクトペテルブルクに名前が変わって久しいが、州の名前は現在に至るまで変更はない。ちなみに共に古都である京都市とサンクトペテルブルク市であるが姉妹都市ではない。「北方のベネチア」とも呼ばれるサンクトペテルブルク市と姉妹都市なのは「水の都」大阪市である。

 

ロシア民族楽器楽団「メテリッツア」は、1988年にイーゴリ・トニンがサンクトペテルブルクで結成した楽団。現在もイーゴリ・トニンが率いている。イーゴリ・トニンはレニングラード州立リムスキー=コルサコフ音楽学校の出身であり、「メテリッツア」も同校の卒業生や若手教員で構成されている。

 

曲目は、第1部が、「ペドラーズ」、「コチョウザメ」(ロシアの婚礼式典曲。歌:エレナ・クスカヤ)、ツィガンコフの「ツーステップ」(ドムラ独奏:レイラ・アフメドヴァ)、クリコフ作曲の「古い菩提樹」(ロシア民族曲をテーマにした幻想曲)、テムノフの「モスクワ カドリール」(歌:エレナ・クスカヤ)、アファナシエフの「碧い湖を見つめて」(歌:エレナ・クスカヤ)、「私は蚊と踊る」(ロシア民謡道化歌。歌:エレナ・クスカヤ)、ロシア民謡「カリンカ」(ゴロドフスカヤ編曲。バラライカ独奏:アンドレイ・カシャノフ)、シャハノフの「3つの民話をテーマにした幻想曲」(グスリ独奏:エレナ・ヴェサロヴァ)、ジェリンスキーの「ジャズ・ピッチカート」、グリディンの「ラシプーハ」(クロマティックアコーディオン:アンドレイ・クズミノフ&ミハイル・シュスタロフ)、「私は丘に登ったの」(歌:エレナ・クスカヤ)。第2部が、ルロイ・アンダーソンの「そりすべり」、ダウトフの「ファティマ」(ドムラ独奏:レイラ・アフメドヴァ)、フィンランド・カレリア地方の民謡(クロマティックアコーディオン:アンドレイ・クズミノフ&ミハイル・シュスタロフ)、「ワーレンキ」(ロシア民謡変奏曲)、日本民謡「桜(さくらさくら)」(ソプラノ:天野加代子)、ヴァカレイニコフの「スレイベル(小鈴)」(ソプラノ:天野加代子)、シャハノフの「グスリと管楽団の演奏会パート2」(グスリ独奏:エレナ・ヴェサロヴァ)、グレボフの「ユーモレスク」(バラライカ独奏:セルゲイ・クラスノクツキー)、「ほら、郵便トロイカが駆けてくる」(ロシア民謡「トロイカ」。歌:エレナ・クスカヤ)、「牧草のアヒル」(ロシア民謡。歌:エレナ・クスカヤ)。

 

背後のスクリーンに映像を投影しながらの演奏である。マイクとスピーカを使用。

使われている民族楽器は、ドムラ、バラライカ、グスリの3種類。ドムラは胴体が丸い、ロシアの民族楽器の代表格であるバラライカは三角形の胴体を持つ弦楽器である。グスリは平面に弦が張られているが、平行ではなく翼型のボディに合わせて放射状に広がっている。ドラムは全員女性奏者、バラライカは全員男性が演奏を受け持つが、性別によって担当する楽器が違うというわけではおそらくないだろう。
その他の楽器として、ドラムス&パーカッション、クロマティックアコーディオン、キーボードが加わる。

イーゴリ・トニンは、ビートルズも来ていたような服装で登場。全曲で指揮を受け持つ。

歌を担当するエレナ・クスカヤは伸びやかで澄んだ歌声の持ち主で、ノリも良い。

「私は蚊と踊る」では、演奏前に蚊の羽音がスピーカーから聞こえ、民族楽器がリムスキー=コルサコフの「熊ん蜂の飛行」を前奏として演奏するなど、編曲も凝っている。

バラライカの独奏もあるが、速弾きによる超絶技巧であり、ロシア民謡の背後で物憂げに鳴っているというバラライカのイメージが覆る。

 

第2部冒頭の、ルロイ・アンダーソンの「そりすべり」では、アゴーギクを多用し、クラシックの演奏との違いを打ち出す。

天野加代子にソプラノによる「桜」では、ロシアの楽器らしいもの悲しい音色が曲調に合う。これは、エレナ・クスカヤに歌による「ほら、郵便トロイカが駆けてくる」においても同様である。日本でもよく知られている「トロイカ」であるが、本来の歌詞に内容は、日本語詞とは大きく異なるものである。

 

アンコールは3曲。全てエレン・クスカヤと天野加代子による歌唱入りである。1曲目は、イーゴリ・トニンが「一緒に歌ってください」と言うも全然知らない曲である。2曲目は「モスクワ郊外の夕べ」。演奏終了後、天野加代子が、「実はこの歌は元々は『レニングラードの夕べ』というタイトルだったが、映画で用いられて以降、『モスクワ郊外の夕べ』というタイトルに変わった」という話をする。

最後はお馴染みのロシア民謡「カチューシャ」。エレナ・クスカヤがロシア語で歌い(「輪になって来い」と聞こえる部分が存在する)、天野加代子が、「林檎の花ほころび」で始まる日本語詞を歌う。有名曲ということで、客席も大いに盛り上がった。

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2019年9月 1日 (日)

コンサートの記(590) ソフィア・ヴォーカルアンサンブル京都公演2019

2019年8月22日 京都府立府民ホールアルティにて

午後7時から、御所の西にある京都府立府民ホールアルティで、ソフィア・ヴォーカルアンサンブルの来日公演を聴く。

ソフィア・ヴォーカルアンサンブルは1995年に指揮のベンクト・オレーンによって創設されたスウェーデンの合唱団。ストックホルムのソフィア教会を本拠地としているということでこの団体名を名乗っており、ブルガリア(首都がソフィア)や上智大学(英語名や愛称がソフィア)とは無関係である。

スウェーデンは合唱で知られており、エリック・エリクソン時代のスウェーデン放送合唱団は、「世界最高の合唱団」という賛辞を受けている。ソフィア・ヴォーカルアンサンブルも2012年に、ヨーロッパ・グランプリで優勝している。
今回が初の来日で、軽井沢国際合唱フェスティバルに参加するためにやって来たのだが、東京、広島、京都でもコンサートを行う。

 

曲目は当日になって変更となっており、前半が、伝承歌「No vi eg till Jondalen og fri」(ベンクト・オレーン編曲)、ヤン・サンドストレムの「山風のヨイク」、ポール・ミュラーの「至福の教え」、松下耕の「神よ喜びたたえよ」、プーランクの「7つのシャンソン」。後半が、ベンクト・オレーンの「海の向こうに人を待つ歌」、マシュー・ピーターソンの「カンターテ・ドミノ」、スヴェン=ダーヴィド・サンドレストの「楽園にて」、ダーヴィド・ヴィカンデルの「谷間のゆり王」、アルヴェーンの「そして娘は踊りの輪に加わった」

比較的良く知られた作曲家は、プーランクとアルヴェーンだけという攻めたプログラムである。マシュー・ピーターソンは、ソフィア・ヴォーカルアンサンブルのテノールメンバーであり、今日もステージで歌っていた。

メンバーの男女一人ずつがステージの前方に歩み出て、挨拶や曲目解説を行う(通訳あり)。最新のアルバムが出たばかりだそうで、その宣伝も何度も行っていた。そのためか、後半始めの挨拶の時点で、完売が見えてきたそうである。

オレーンは、タブレット譜を見ながらのノンタクトでの指揮である。タブレット譜には鍵盤のアプリもついているようで、曲の前に最初の音をピアノの音色で小さく出していた。

 

1曲目の伝承曲「No vi eg till Jondalen og fri」では、メンバーが口笛を吹くなど、声だけでない表現を行っていた。
やはり、体格の違いなのか、歴史がものを言うのか、とにかく声が澄んでおり、時にはうねるような生命力と迫力が宿る。

ベンクト・オレーンの作曲である「海の向こうに人を待つ歌」では、男声歌手達が客席に降り、上手と下手に分かれて壁を背後に並ぶ。彼らが主に歌うのは潮騒である。女性歌手達はステージ上に一人か二人ずつで点在。目の上に手をやって遠くを見るような仕草をしながら歌い、シアトリカルな作品となっていた。

スヴェン=ダーヴィド・サンドレストは、ソフィア・ヴォーカルアンサンブルの良き友人であったが、今年の6月に他界したそうである。「楽園にて」は、来世は楽園であるという内容を歌ったものだそうで、最後は「レクイエム」の言葉で閉じられる。

ダーヴィド・ヴィカンデルの「谷間のゆり王」は、ゆりやスズランといった花を擬人化させて歌ったものだそうである。歌詞の内容についてはわからないが、バルザックの『谷間の百合』とは無関係であると思われる。

北欧の作曲家というと、ノルウェーのグリーグ、フィンランドのシベリウス、デンマークのニールセンが国民的作曲家として知られているが、スウェーデンは残念ながら彼らに匹敵するだけの作曲家は生んでいない。そんな中でもアルヴェーンは比較的名前が知られている作曲家。「そして娘は踊りの輪に加わった」は、三拍子の快活な曲である。

 

アンコールは2曲、いずれも初めて聴く曲で、タイトルはわからないが、2曲目では、メンバーが客席に降り、階段状の通路に立って清澄な声を響かせた。

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