これまでに観た映画より(376) 「美晴に傘を」
2025年2月6日 京都シネマにて
京都シネマで、日本映画「美晴に傘を」を観る。演劇畑出身で、短編映画の制作で評価されてきた渋谷悠(しぶや・ゆう。男性)監督の初長編映画作品である。
出演:升毅、田中美里、日髙麻鈴(ひだか・まりん)、和田聰宏(わだ・そうこう)、宮本凜音(みやもと・りおん)、上原剛史(うえはら・たけし)、井上薰、阿南健治ほか。
劇中で具体的な地名が明かされることはないが、北海道の余市郡が舞台。プロデューサーの大川祥吾が余市町の出身である。
漁師の吉田善次(升毅)の息子である光雄(和田聰宏)が癌で亡くなる。光雄は詩人を志して上京。以後、故郷に戻ることはなかった。雑誌に詩は投稿していたようだが、詩だけで食べることは出来ず、新聞の校正の仕事などをしていたようである。妻と娘が二人。
善次は妻に先立たれて一人暮らし。漁師仲間がいるが、付き合いは余り良い方ではない。東京で行われた光雄の葬儀にも出なかった善次であるが、そんな善次の下を、光雄の妻の透子(田中美里)、光雄の長女の美晴(日髙麻鈴)と次女の凛(宮本凜音)が訪ねてくる。こちらで光雄の四十九日を行うのだ。強引に押しかけた三人は善次の家で寝泊まりし、四十九日が終わっても帰ろうとしない。
小さな漁師町の余市には、透子のような美人はいない。ということで男どもが色めきだつ。光雄の遺言により、透子は白地の涼やかなワンピースに赤い口紅を塗って墓前に立ち、顰蹙を買うも、光雄の遺言だからと気にしない。
長女の美晴は、聴覚過敏を持つ自閉症である。自閉症は名称だけは有名だが、実態はよく知られていない症状である。基本的に知能は低く、視線が合わない、会話が上手く出来ないなどコミュニケーションの障害がある(かつてカナータイプと呼ばれたもの)。知能が正常、もしくは高い自閉症を以前はアスペルガー症候群や高機能自閉症といったが、差別的に用いられたこともあって(一見、普通の人なのだがコミュニケーションや想像力に問題があるため却って差別されやすい)、今はASDや自閉症スペクトラムという呼び方になったが、却って分かりにくくなったように思う。
美晴は二十歳だが、知能が低いタイプなので年齢よりはかなり幼く、不思議な手の動きなどを行う(これも自閉症の典型的な症状の一つ)。また擬音(オノマトペ)を好む。美晴は光雄が残してくれた絵本「美晴に傘を」を透子に朗読して貰うのが好きだ。次女の凛は、少々生意気な性格だが、姉を守る必要もあってかしっかりしている。
実は、善次は、文章が苦手である。当然ながら義務教育は受けているはずなのだが、生来苦手なのか漢字などが上手く書けず、文章にも自信がない。そこで書道家の正野(井上薰)が開いている書き方教室のようなものに通い始めたのだが、最近はサボり気味。実は、売れないとはいえ、詩を書いている息子に送るのに恥ずかしくない手紙を書くべく、習おうとしていたのだった。しかし、息子が病気に倒れたのを知り、更に亡くなったとあっては、書き方を習う必要はなくなってしまったのだった。
実は善次は光雄のことをずっと気に掛けており、光雄の詩が載った雑誌を購入して、息子の詩を全て暗唱していた。童謡のような詩を書く人だったことが分かる。
善次の仲間は個性豊か。二郎(阿南健治)は、俳句(川柳。無季俳句)を生き甲斐としているが、詠むのはエロ俳句ばかり。雑誌に投稿もしているようだがかすりもしない。妻に先立たれたようだが、娘のさくらは美容室を開いている。そんなある日、二郎の俳句が有名な専門誌に採用される。さくらは得意になってその雑誌を何冊も買い、知り合いに配るのだが実は……。
居酒屋が人々の行きつけの場所になっており、ほとんどの客は地元出身者なのだが、桐生(上原剛史)だけは東京からワイン造りのために余市へ越してきている。郊外に広大なワイン畑を所有していた。
美晴の夢の中では、光雄は傘売りのおじさんとなって登場。傘を様々なものに見立てて手渡すが、ある日、骨だけの傘を美晴に手渡す。
透子は当然ながら美晴のことを心配している。就職も恋愛も無理。自分が美晴を守らなかったら誰が美晴を守ってくれるのか。しかしそれが過保護になっていたことにある日気付く。凛の指摘もあった。透子は美晴のオノマトペの世界の豊穣さにも目を見張らされるようになる。
傘は守りの象徴だが、守られてばかりでは自由がなくなる。骨だけの傘は自由への第一歩の象徴でもあったのだと思われる。
ラストは善次と透子によるモノローグと、美晴の象徴的なシーン。モノローグのシーンにはリアリティはなく、少し恥ずかしい感じもするのだが、これぐらい語らないと伝わらないということでもある。メッセージを伝えることはリアリティよりも重要である。伝わらないくらいならリアリティを無視するのも手だと思われる。
夫に先立たれた妻と聴覚過敏を持つ自閉症の娘。息子を若くして亡くした父親というシリアスな設定なのだが、大声で笑える場面も用意されており、「良作」という印象を受ける。俳優陣も優秀。自閉症は圧倒的に男子に多く、女子は少ないのだが、日髙麻鈴は、実際の自閉症の女子に接して、役作りに励んだものと思われる。良い演技だ。
田舎に突如として美女が現れ、男達の心にさざ波を起こすという展開に、竹中直人監督の映画「119」を思い出した。「119」の鈴木京香は当時25歳で大学院生の役であったが、田中美里は今年48歳で透子も同世代と思われ、若くはない。それでもやはり男は美人に弱い。
ノスタルジックな余市の風景、美しいブドウ畑など映像面でも魅力的であり、多くの人に推せる作品となっている。
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