カテゴリー「NHK交響楽団」の10件の記事

2022年10月20日 (木)

コンサートの記(809) ヘルベルト・ブロムシュテット指揮NHK交響楽団第1965回定期演奏会 マーラー 交響曲第9番

2022年10月15日 東京・渋谷のNHKホールにて

東京・渋谷のNHKホールで、NHK交響楽団の第1965回定期演奏会を聴く。指揮は95歳の名匠、ヘルベルト・ブロムシュテット。

実はブロムシュテットは、今年の6月に足を骨折しており、来日が危ぶまれたが何とか間に合った。

マーラーの交響曲第9番1曲勝負。ブロムシュテットの指揮ということで、今日もヴァイオリン両翼の古典配置での演奏である。

京都コンサートホールではクロークも復活しているが、東京はまだコロナの感染者が多いためか、NHKホールのクロークはまだ稼働していなかった。一方でホール内でのCD販売などは様々なホールで復活している。

今日のコンサートマスターは「マロ」こと篠崎史紀。フォアシュピーラーには郷古廉(ごうこ・すなお)が入る。
NHK交響楽団も団員がステージに現れると同時に聴衆が拍手を送るスタイルに変わっている。ブロムシュテットは、篠崎に支えられるようにしてステージに登場。椅子に座りながらの指揮である。


「心臓の鼓動のよう」と形容されることも多いマーラーの交響曲第9番の冒頭。だが、ブロムシュテットが指揮するとなんとも懐旧的に響く。過ぎた日々への愛おしさが伝わってくるかのようである。

私がブロムシュテット指揮の演奏会に初めて触れたのは、1995年9月のNHK交響楽団の定期演奏会。それから27年の歳月が流れたが、その間に接したブロムシュテット指揮の演奏会数々が、目の前で鳴り続ける音に呼応してマドレーヌ式に蘇ってくるような心地がした。演奏会のみならず、27年の間には本当に色々なことがあった。

怪我が治りきっていないということもあってか、あるいは曲想ゆえか、ブロムシュテットが誇る強靱なフォルムは感じられないが、透明で儚げで懐かしさを感じさせる音が響き続ける。それに縁取りを与えるN響の力強いアンサンブルも見事である。27年前のN響はこんな音は出せなかった。

死に向かう嘆きを描いたかのような第4楽章も、ブロムシュテットの手に掛かると、彼岸を見つめつつ現世を愛おしむような曲調へと変わったように聞こえる。これまで出会った人々、接した事象、森羅万象への感謝が音の背後から匂うように伝わってくる。唯一無二の美演であった。

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2022年8月24日 (水)

コンサートの記(800) ROHM CLASSIC SPECIAL 秋山和慶指揮NHK交響楽団京都特別演奏会

2022年8月20日 左京区岡崎のロームシアター京都メインホールにて

午後4時30分から、ロームシアター京都メインホールで、ROHM CLASSIC SPECIAL NHK交響楽団京都特別演奏会を聴く。指揮は秋山和慶。

ありとあらゆる楽曲を一定の水準以上で演奏出来る秋山和慶。日本中で新型コロナによるコンサート休止期間が発生した後ではそれ故に引っ張りだことなり、80歳を超えてますます存在感を増している。齋藤秀雄の高弟であり、「齋藤メソッド」の正統的な継承者として知られるが、自身のキャリアよりも教育を重視しており、アメリカ交響楽団、バンクーバー交響楽団、シラキュース交響楽団の音楽監督など主に北米でキャリアを築いているが、日本各地の学生オーケストラなどもたびたび指揮している。そのため、やはり齋藤秀雄の高弟で、共にサイトウ・キネン・フェスティバルを始めた小澤征爾に比べると地味であったが、小澤が指揮台に復帰するのが難しい状況となっており、皮肉なのかも知れないが、サイトウ・キネン・フェイスティバルがセイジ・オザワ 松本フェスティバルに名を変えるのに前後して、秋山に光が当たるようになった。


演奏曲目は、ドヴォルザークのチェロ協奏曲ロ短調(チェロ独奏:宮田大)、ベートーヴェンの交響曲第7番。


今日のコンサートマスターは、伊藤亮太郎。ドイツ式の現代配置での演奏である。
第2ヴァイオリン首席奏者であった大林修子が定年退職し、私がN響の学生定期会員をしていた時に在籍していたメンバーがもうほとんどいない状態になっている。N響も世代交代が進んでいる。チェロ首席の藤森亮一はまだ在籍しているが、それ以外は私が大学を卒業して定期会員を辞めて以降に入団した人が大半となっている。


今日は3階席の最前列で鑑賞。ロームシアター京都メインホールの3階席最前列は、手すりが目隠しのようになって視覚を遮ることで評判が悪いが、演劇やオペラではなく、クラシックのコンサートなので、「見えなくて困る」という程のことはなかった。


ドヴォルザークのチェロ協奏曲。宮田大のソロでこの曲を聴くのは、八幡市文化センターでの広上淳一指揮京都市交響楽団の演奏会以来だと思われるが、深々とした呼吸で朗々と歌い、ドヴォルザークがこの曲に込めたノスタルジアを自然な形で引き出す。「そこにあるので出しました」といったように。技術も高いのだが、自然体のように聴かせることが出来るのが宮田の良いところだろう。
秋山の音楽作りは管楽器重視。弦の音は渋めだが、管はアメリカのオーケストラのように華やかで、特に金管の浮かび上がらせ方が爽快である。


宮田のアンコール演奏は、マーク・サマーの「Julie-o」。ピッチカートや左手ピッチカートなども多用する現代作品である。「チェロ独奏」のイメージを打ち破る演奏であった。


ベートーヴェンの交響曲第7番。モダンスタイルによる演奏である。派手に演奏することも可能な楽曲であるが、秋山は堅牢な構造美を前面に打ち出した秀演を聴かせる。
安定感のある低弦部は渋めの音、一方でヴァイオリンは白熱の光を帯びており、その対比が鮮やかだ。迫力はあるが虚仮威しにならないのは、やはりバランス感覚の高さにあるのだと思われる。
第2楽章「不滅のアレグレット」も切々とした歌で聴かせる。ラストは弦の響きが印象的となる楽章であるが、秋山は弦が弾き終えた後も木管を伸ばして吹かせ続けて、独特の余韻を築いていた。
第3楽章と第4楽章も華やかだが、いたずらに迫力を追求することなく、ベートーヴェンがこの曲に込めた冒険心を一つ一つ詳らかにしていく。設計のしっかりした美しいベートーヴェン演奏であった。


アンコール演奏は、ドヴォルザークの「弦楽セレナード」より。しなやかな美しさが印象的であった。

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2021年3月 7日 (日)

コンサートの記(700) 下野竜也指揮 NHK交響楽団西宮公演2021

2021年3月3日 西宮北口の兵庫県立芸術文化センターKOBELCO大ホールにて

午後7時から、西宮北口の兵庫県立芸術文化センターKOBELCO大ホールで、NHK交響楽団演奏会西宮公演を聴く。指揮は下野竜也。下野とN響のコンビの実演に接するのは二度目である。

下野竜也は、NHKの顔となる大河ドラマのオープニングテーマの指揮を手掛けることが多く、NHKとNHK交響楽団から高く評価されていることが分かる。

少し早めに兵庫県立芸術文化センター(HPAC、PAC)に着いたので、いったんHPAC前の高松公園に下り、コンビニで飲料などを買って(新型コロナ対策として、ビュッフェは稼働せず、ウォーターサーバも停止されているため、飲み物はHPACの1階にある自動販売機か、劇場の外で買う必要がある)高松公園で飲み、高松公園からHPACのデッキ通路へと上がる階段を昇っている時に、眼鏡を掛け、髪を後ろで一つに束ねて(ポニーテールとは少し異なり、巫女さんがしているような「垂髪」に近い)、ヴァイオリンケースを背負った女性が折り返し階段を巡って目の前に現れたのに気がついた。マスクをしていたが、「あ、大林(修子。「のぶこ」と読む。NHK交響楽団第2ヴァイオリン首席奏者)さんだ」とすぐに気づいたが、それは表に出さずにすれ違った。大ベテランと呼んでもいい年齢のはずなのに、今なお女学生のような可愛らしい雰囲気を漂わせていることに驚いた。
NHK交響楽団も世代交代が進み、私が1990年代後半に学生定期会員をしていた頃とは顔触れが大きく異なる。歴代のN響団員全ての名前を覚えているわけではないのだが、学生定期会員をしていた頃から変わらず活動しているのは、大林修子、第1コンサートマスターの「マロ」こと篠崎史紀や首席チェロ奏者の「大統領」こと藤森亮一(共に今回のツアーでは降り番)など一桁しかいないはずである。首席オーボエ奏者であった茂木大輔は2019年に定年退職。5年間のオーボエ奏者としてのN響との再雇用を選ぶか指揮者の道に進むかで悩んだそうだが、指揮法の師である広上淳一の助言を受けて、指揮者として独立して活動することに決めたことが、茂木の最新刊である『交響録 N響で出会った名指揮者たち』(音楽之友社)に記されている。クラリネット首席の磯部周平、コンサートマスターとしてN響の顔も務めた堀正文などは、いずれもN響を定年退職している。

 

今回の、NHK交響楽団演奏会西宮公演は、入場前にチケットの半券の裏側に氏名と電話番号を記しておく必要がある。またAndroidのアプリが全く機能していなかったことで悪名高くなってしまったCOCOAのインストールや、兵庫県独自の追跡サービスに登録することが推奨されている。

 

今日のコンサートマスターは伊藤亮太郎。N響が日本に広めたとされるドイツ式の現代配置での演奏である。下野はステージに上がる前にコンサートマスターとフォアシュピーラーの二人と右手を少し挙げるだけのエア握手を行う。

 

曲目は、ベートーヴェンの「プロメテウスの創造物」序曲、ブラームスのヴァイオリン協奏曲ニ長調(ヴァイオリン独奏:三浦文彰)、ブラームスの交響曲第4番。N響が得意とするドイツものが並ぶ。

 

今日も客席は前後左右1席ずつ空けるソーシャル・ディスタンス対応シフトであるが、席によっては隣り合っていても問題なしとされているようである(家族や友人、知人などの場合が多いようである)。1階席の前列は、1列目と2列目は飛沫が掛からないよう席自体を販売しておらず、2階サイド席のステージに近い部分も客を入れずに飛沫対策を優先させている。

 

ベートーヴェンの「プロメテウスの創造物」序曲。弦楽器奏者はビブラートをほとんど用いないというピリオド的な演奏が行われる。古楽器での演奏のマイナス点として現代のコンサートホールという広大な空間にあっては音が小さ過ぎるということが挙げられると思うのだが、モダン楽器によるピリオド・アプローチならその差は僅かで、今回もN響の音の強度と密度と硬度にまず魅せられる。結晶化されつつボリュームも満点であり、音の輝きも素晴らしい。下野の怖ろしいほど精緻に形作られた音の輪郭が聴く者を圧倒する。
N響の奏者も今日は技術的に完璧とはいかなかったようだが、楽団としては90年代からは考えられないほどに進歩していることを実感させられる。90年代に渋谷のNHKホールで聴いていた時も「良いオーケストラだ」と思っていたが、近年になってEテレで再放送された当時の演奏や、リリースされた音盤を聴くと、「あれ? N響ってこんなに下手だったっけ?」と思うことが度々ある。それ故に長足の進歩を遂げたことが実感されるのであるが。特にエッジのキリリと立った各楽器の音は関西のオーケストラからは余り聴かれない種類のものであり、名刀を自由自在に操る剣豪集団が、刀を楽器に変えて、音で斬りかかって来るかのような凄みを放っている。

 

ブラームスのヴァイオリン協奏曲ニ長調。売れっ子ヴァイオリニストである三浦文彰がソリストを務める。下野とN響、三浦文彰という組み合わせは、2016年の大河ドラマである「真田丸」のオープニングテーマを想起させられるが、今回は残念ながらアンコール演奏自体がなし。考えてみれば「真田丸」も5年前のドラマであり、劇伴ということで賞味期限切れと見なされている可能性もある。

「真田丸」は過去のこととして、ブラームスのヴァイオリン協奏曲で三浦は純度の高いヴァイオリンを奏でる。淀みがなく、この世の穢れと思えるものを全て払いのけた後に残った至高の精神が、音楽として姿を現したかのようである。「純度が高い」と書くと綺麗なだけの音に取られかねないが、そうした形而下の美を超越した段階が何度も訪れる。スケールも大きい。
下野指揮するN響も熟した伴奏を聴かせる。第2楽章のオーボエソロを担った首席オーボエ奏者の吉村結実(だと思われる。今日は4階席の1列目で、転落防止のための手すりが、丁度目の高さに来るということもあり、ステージ全体を見合わすことが出来ないという視覚的ハンディがある)の演奏も神々しさが感じられ、この曲の天国的一面を可憐に謳い上げる。
渋さと輝きを合わせ持つ下野指揮のN響は、ライプツィッヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団のような演奏を行える可能性を宿しているように感じられた。

 

ブラームスの交響曲第4番。ブラームス作品2作ではベートーヴェンとは違ってビブラートも盛大に用いられており、ピリオドの影響は感じられない。
下野の音楽性の高さは、苦味の中に甘さを湛えた表現を繰り出すことで明らかになっていく。感傷的だが自己憐憫には陥らない冒頭を始め、濃厚なロマンティシズムを感じさせつつ古典的造形美をきちんと踏まえた表現の的確さが印象的である。
第4楽章のシャコンヌ(パッサカリア)では、尊敬する大バッハへの憧憬を示しつつ、激流の中へと巻き込まれ、呻吟しているブラームスの自画像のようでもある。

N響の音は威力満点であるが、それに溺れることなく、バランスを保ちながら細部まで丁寧に詰めることで、濃厚にして情熱的なブラームス像が立ち上がる。

 

演奏終了後、指揮台に戻った下野は、右手の人差し指を立てて、「あともう1曲だけ」とジェスチャーで示し、「ベートーヴェンの『フィデリオ』の行進曲を演奏します。またお目にかかれますように」と語り(語尾の部分は客席からの拍手ではっきりとは聞き取れなかったので、聞こえた音に一番近い表現を記した)演奏が始まる。やはり音の輝きと堅固さが最大の特徴である。短い曲であり、あっさり終わってしまうため、下野は客席を振り返って、「終わり」と曲が終わったことを宣言して指揮台を後にした。

下野竜也はおそらく完璧主義者(師である広上淳一によると「音楽オタク」らしい)で、曲の細部に至るまでメスを入れて、表現を徹底させようとしているところがある。そのため、聴いている最中は彼が生み出す音楽の生命力に感心させられることしきりなのであるが、ほぼ全ての部分や場面を完璧に仕上げようとしているため、聞き終わった後の曲全体の印象が茫洋としてしまうところがある。余り重要でない部分を流せる技術や心情を得られるかどうか、そこが下野が今後克服すべき課題のように思われる。

ともあれ、N響と下野の力を再確認させられた演奏会であり、あるいは今後何十年にも渡って共演を重ねていくであろう同コンビの、まだまだ初期の局面に接することの出来た幸せを噛みしめたい。

 

ブラームスの交響曲第4番を聴くと、たまに村上春樹の小説『ノルウェイの森』を思い出す。主人公の「僕(ワタナベトオル)」が、この作品の二人いるヒロインの一人である直子を誘ったコンサートのメインの曲目がブラームスの交響曲第4番であった。「僕」はブラームスの交響曲第4番が「直子の好きな」曲であることを知っており、演奏会を選び、チケットも2枚取ったのだ。ブラームスが好きな女性は昔も今も珍しい。
当日、直子はコンサート会場には現れなかった。直子のいない空間で一人、ブラームスの交響曲第4番を聴くことになった「僕」の気持ちを時折想像してみる。おそらくそれはブラームスのクララ・シューマンに対する慕情に似たものであるように思われる。だからこそ村上春樹はこの曲を選んだのだ。報われぬ恋の一過程として。

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2019年2月10日 (日)

コンサートの記(523) ロベルト・フォレス・ベセス指揮 NHK交響楽団演奏会京都公演2019

2019年2月1日 左京区岡崎のロームシアター京都メインホールにて

午後7時からロームシアター京都メインホールで、NHK交響楽団演奏会京都公演を聴く。指揮はロベルト・フォレス・ベセス。

NHK交響楽団の京都公演は、京都コンサートホールを使うことが多かったが、今回初めてロームシアター京都メインホールが用いられる。東京のオーケストラでは日本フィルハーモニー交響楽団が毎年ロームシアター京都メインホールで演奏会を行っているが、それに次ぐ登場である。


指揮者のロベルト・フォレス・ベセス(ヴェセス)は、スペイン出身の指揮者。バレンシアの生まれだが、フィンランド・ヘルシンキのシベリウス音楽院でレイフ・セーゲルスタムに師事して指揮を学び、2006年のオルヴィエート指揮者コンクールと2007年にはルクセンブルクのスヴェトラーノフ国際指揮者コンクールで入賞を果たしている。現在はフランスのオーヴェルニュ室内管弦楽団芸術・音楽監督の座にある。


曲目は、チャイコフスキーの歌劇「エフゲニー・オネーギン」よりポロネーズ、チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番(ピアノ独奏:ソン・ヨルム)、ドヴォルザークの交響曲第7番。


今日のコンサートマスターは伊藤亮太郎。オーボエには定年退職が迫る茂木大輔。N響首席オーボエ奏者としての茂木さんを生で見るのは今日が最後かも知れない。第2ヴァイオリン首席の大林修子、チェロ首席の藤森亮一、フルート首席の甲斐雅之など、お馴染みのメンバーも顔を揃える。


チャイコフスキーの歌劇「エフゲニー・オネーギン」よりポロネーズ。
N響の力強さがありありと感じられる演奏である。ロームシアター京都メインホールの音楽特性もあって硬質の響きであるが、キビキビとした音運びや、質の高い合奏力など、N響の美質が存分に生かされている。
フォレス・ベセスの指揮は若々しくエネルギッシュである。


チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番。
ソリストのソン・ヨルムは、韓国の若手演奏家の中で最も将来有望とされている女性ピアニスト。11歳の時に「若い音楽家のためのチャイコフスキー国際コンクール」で2位入賞、2011年のチャイコフスキー国際コンクール・ピアノ部門でも2位に入っている。オバーリン国際ピアノコンクールとエトリゲン国際青少年ピアノコンクール、ヴィオッティ国際音楽コンクール・ピアノ部門ではいずれも史上最年少で優勝。韓国芸術総合学校を卒業後、ハノーファー音楽舞台芸術大学で学んでいる。

ソン・ヨルムのピアノはスケールが大きく、音色よりも輪郭の明晰さで勝負するタイプである。メカニックは高度で、表現力も高い。パウゼを長く取るのも個性的である。
フォレス・ベセス指揮のN響もパワフルな伴奏を聴かせる。

ソン・ヨルムのアンコール演奏は、チャイコフスキーの「くるみ割り人形」より中国の踊り(ミハイル・プレトニョフ編曲)。原曲ではファゴットで吹かれる低音と煌びやかな高音が印象的なチャーミングな演奏である。


ドヴォルザークの交響曲第7番。
全般的に純音楽的な解釈による演奏で、スラブ的なローカリズムは余り感じられないが、上質の演奏芸術を味わうことが出来る。N響のアンサンブル能力や表現力は高く、マスの響きで聴かせる。これがヴィルトゥオーゾ・オーケストラを聴く愉しみなのだろう。


アンコール演奏は、シベリウスの「悲しきワルツ」。遅めのテンポでスタートし、アッチェレランドで盛り上がる。オペラも得意とするというフォレス・ベセスらしい物語性豊かな演奏であった。


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2018年9月 2日 (日)

コンサートの記(420) 下野竜也指揮 NHK交響楽団大津公演2018

2018年8月24日 びわ湖ホール大ホールにて

午後7時から、びわ湖ホール大ホールで、下野竜也指揮NHK交響楽団の大津公演を聴く。N響の近畿公演は全3回、明日は奈良市で、明後日は西宮市で公演を行う。

曲目は、ニコライ(Ⅱ世じゃないですよ)の歌劇「ウィンザーの陽気な女房たち」序曲、ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番(ピアノ独奏:リーズ・ドゥ・ラ・サール)、ベートーヴェンの交響曲第5番。
「西郷どん」のメインテーマを演奏しているコンビだけに、ひょっとしたらアンコールで演奏されるのかなとも思ったが、それはなかった。

今日のコンサートマスターは、ウィーン・フィルのコンサートマスターとしてお馴染みだったライナー・キュッヒルが客演で入る。第2ヴァイオリン首席は大林修子、チェロ首席は大統領こと藤森亮一。それ以外の首席は私が学生定期会員だった頃にはまだいなかった人である。オーボエ首席が青山聖樹、フルート首席が甲斐雅之、トランペット首席が京都市交響楽団出身の菊本和昭。第1ヴァイオリンの横溝耕一は横溝正史の家系の方だろうか。私が学生定期会員だった頃にはまだ黒柳徹子の弟さんが在籍していた。
ステージマネージャーの徳永匡哉は、どうやら徳永二男の息子さんのようである。

オットー・ニコライの歌劇「ウィンザーの陽気な女房」序曲。「タタタタン」というリズムがモチーフになっており、それ故に選ばれたのかも知れない。下野は快活な音色をN響から引き出し、スケールの大きな演奏を展開する。たまに交通整理が行き届かない場面もあるが、総体的には優れた出来である。

リーズ・ドゥ・ラ・サールをソリストに迎えた、ラフマニノフのピアノ協奏曲第2番。

フランスの若手であるリーズ・ドゥ・ラ・サール。以前、京都市交響楽団の定期演奏会で聴いたことがある。その時、CDも買っている。雨傘で有名な(?)シェルブールの生まれ。4歳でピアノを始め、11歳の時にパリ国立高等音楽院に入学。2004年にニューヨークのヤング・コンサートで優勝し、以後、世界各地で活躍している。
スペルからいってサールが苗字なのだが、サールという苗字のフランス人は冠詞のように前に必ずドゥ・ラが付く。世界で初めて教室での教育を行ったジャン=バティスト・ドゥ・ラ・サール(鹿児島のラ・サール学園の由来となった人)もそうである。下野が鹿児島出身だからというのでラ・サールという人がソリストに選ばれたわけでもないだろうが。

ドゥ・ラ・サールは冒頭のピアノ独奏をかなり遅いテンポで弾き始める。オーケストラが入ると中庸のテンポになるが、第2楽章ではまたテンポを緩めてじっくりと演奏する。
打鍵が強く、和音を確実にとらえるようなピアノである。
下野指揮のN響は渋い音での伴奏を聴かせる。濃厚なロマンティシズムの表出が光っている。

ドゥ・ラ・サールは、「メルシー、サンキュー、ありがとうございます」と3カ国語でお礼を言う。アンコール演奏は、ドビュッシーの24の前奏曲から第1曲「デルフィの舞姫たち」。色彩感豊かなピアノである。

ベートーヴェンの交響曲第5番。下野は指揮棒を振り下ろしてから止め、そこでオーケストラが運命動機を開始、フェルマータの音で下野は指揮棒を右に払う。これによってフェルマータを思い切り伸ばすという指揮法である。
ピリオド・アプローチを採用しており、弦楽はビブラートをかなり抑えていたが編成は大きいのでピリオド的には聞こえない。ただこれによって細部まで音が聞き取れるようになり、第4楽章では大いにプラスに作用する。
ベーレンライター版の楽譜を使用。ベーレンライター版は第4楽章が旧ブライトコプフ版とは大きく異なるが、掛け合いの場所の音型を、「タッター、ジャジャジャジャン、タッター、ジャジャジャジャン」ではなく、「タッター、タッター、タッター、タッター」と同音でのやり取りを採用し、ピッコロも大いに活躍。
この曲でも整理が上手くいっていない場面があったが、全体的には密度の濃い優れた演奏である。日本人指揮者の日本のオーケストラによるベートーヴェンとしては相当なハイクラスと見ていいだろう。

基本的にN響は日本人指揮者の場合はベートーヴェンがきちんと振れる人でないと評価しない。下野がN響から気に入られているのもベートーヴェンが良いからだろう。

アンコール演奏はベートーヴェンの歌劇「フィデリオ」より行進曲。朗らかな演奏であった。



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2018年7月30日 (月)

コンサートの記(410) ユッカ=ペッカ・サラステ指揮 N響「夏」2018 大阪公演

2018年7月21日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後4時から、大阪・福島のザ・シンフォニーホールで、N響「夏」2018 大阪公演を聴く。指揮はフィンランドを代表する指揮者の一人であるユッカ=ペッカ・サラステ。

1956年生まれのユッカ=ペッカ・サラステ。三つ年上のオスモ・ヴァンスカや二歳年下のエサ=ペッカ・サロネンと共に、フィンランド指揮界のアラ還世代(フィンランドには還暦もなにもないわけだが)を代表する人物である。ヴァイオリン奏者として世に出た後でシベリウス音楽院でヨルマ・パヌラに指揮法を師事。クラリネット奏者として活躍していたヴァンスカやホルン奏者としてキャリアをスタートさせたサロネンとは同じ時期に指揮を学んでいる。パヌラの教育方針として「オーケストラの楽器に精通すること」が重要視されており、指揮とピアノ以外の楽器を学ぶことはプラスになったようである。
1987年から2001年までフィンランド放送交響楽団の指揮者を務め、「シベリウス交響曲全集」を二度制作。フィンランディア・レーベルに録音した二度目の全集は今でも屈指の高評価を得ている。その後、スコットランド室内管弦楽団(スコティッシュ・チェンバー・オーケストラ)の首席指揮者、トロント交響楽団の音楽監督、BBC交響楽団の首席客演指揮者、オスロ・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者と、主に北欧、イギリス、北米での指揮活動を行い、現在はケルンのWDR交響楽団の首席指揮者の地位にある。

曲目は、シベリウスの「アンダンテ・フェスティーヴォ」、シベリウスのヴァイオリン協奏曲(ヴァイオリン独奏:バイバ・スクリデ)、ブラームスの交響曲第1番。
無料パンフレットに寄稿している中村孝義は、シベリウスとブラームスの両者に奥手で思慮深く、自罰的という共通項を見いだしている。

N響配置ことドイツ式の現代配置での演奏。今日のコンサートマスターは伊藤亮太郎。
NHK交響楽団も若返りが進み、90年代後半に学生定期会員をしていた頃にも在籍していたメンバーは少なくなっている。有名どころでは第2ヴァイオリンの今では首席奏者になった大林修子、オーボエ首席の茂木大輔(『楽器別人間学』が大幅に手を加えて本日復刊である)、ティンパニ(打楽器首席)の久保昌一らがいるのみである。

シベリウスの「アンダンテ・フェスティーヴォ」。フィンランディアに録音した「シベリウス交響曲全集」では辛口の演奏を行ったサラステ。この「アンダンテ・フェスティーヴォ」でも痛切なほどに磨き上げられた弦の音色が印象的である。ただ単にツンとしているだけの演奏ではなく、彩りを自由自在に変え、さながらオーロラの揺らめきのようの趣を醸し出す。そうした音色で旋律を優しく歌い上げるという相反する要素を包含し共存させたかのような演奏である。
サラステの指揮は比較的振り幅を抑えた合理的なものであった。

シベリウスのヴァイオリン協奏曲。ソリストのバイバ・スクリデは、1981年、ラトヴィアの首都リガ生まれのヴァイオリニスト。音楽一家に生まれ育ち、ドイツのロストック音楽演劇大学でヴァイオリンを専攻。2001年にエリーザベト王妃国際コンクール・ヴァイオリン部門で1位を獲得している。

N響の音は「アンダンテ・フェスティーヴォ」と同傾向である。輪郭のクッキリした音であり、アンサンブルの精度の高さが感じられる。
スクリデのヴァイオリンは優雅で色彩豊か。シベリウスを演奏するのに最適の音楽性を持ったヴァイオリニストである。

スクリデのアンコール演奏は、ヨハン・パウル・フォン・ウェストホフのヴァイオリン・ソナタ第3番より「鐘の模倣」。ヴィヴァルディにも共通したところのあるバロック期の技巧的一品。スクリデの優れた技巧が光る。

ブラームスの交響曲第1番。サラステは序奏を快速テンポで駆け抜ける。また表情を抑え、暑苦しくなるのを防いでいる。タクトはシベリウスを指揮するときよりも大きく振るし、情熱的な盛り上がりも見せるが、あくまで一音一音を丁寧に積み上げている演奏。N響の威力のある音と渋い音色もプラスに作用する。
第3楽章演奏後、ほとんど間を置かずに第4楽章に突入。この楽章ではパウゼの部分も詰めて演奏しているのが印象的であった。
フィンランドを代表する指揮者であったパーヴォ・ベルグルンドがヨーロッパ室内管弦楽団を指揮してブラームス交響曲全集の名盤を録音しているが、フィンランド人指揮者の分析的アプローチはブラームスに合っているのだと思われる。

アンコールとして、シベリウスの「クオレマ」より鶴のいる情景が演奏される。透明感に満ちた優れたシベリウスであった。



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2018年3月 6日 (火)

コンサートの記(355) 龍角散Presents レナード・バーンスタイン生誕100周年記念 パーヴォ・ヤルヴィ&N響 「ウエスト・サイド・ストーリー」(演奏会形式)~シンフォニー・コンサート版~

2018年3月4日 東京・渋谷のBunkamuraオーチャードホールにて

午後3時から、渋谷のBunkamuraオーチャードホールで、龍角散Presents レナード・バーンスタイン生誕100周年記念 パーヴォ・ヤルヴィ&N響 「ウエスト・サイド・ストーリー」(演奏会形式)~シンフォニー・コンサート版を聴く。レナード・バーンスタインの弟子であり、現在NHK交響楽団首席指揮者の座にあるパーヴォ・ヤルヴィが師の代表作を取り上げる。

龍角散Presentsということで、入場者には龍角散ダイレクトのサンプルが無料配布された。

1957年に初演された「ウエスト・サイド・ストーリー」。まさに怪物級のミュージカルである。ミュージカルは一つでも名ナンバーがあれば成功作なのだが、「ウエスト・サイド・ストーリー」の場合は名曲が「これでもかこれでもか」とばかりに連なり、「全てが有名曲」といっても過言でないほどの水準に達している。とにかく世界的にヒットしたということに関していえば20世紀が生んだ舞台作品の最右翼に位置しており、超ドレッドノート級傑作である。

出演は、ジュリア・ブロック(マリア)、ライアン・シルヴァーマン(トニー)、アマンダ・リン・ボトムズ(アニタ)、ティモシー・マクデヴィット(リフ)、ケリー・マークグラフ(ベルナルド)、ザカリー・ジェイムズ(アクション)、アビゲイル・サントス・ヴィラロボス(A-ガール)、竹下みず穂(ロザリア)、菊地美奈(フランシスカ)、田村由貴絵(コンスエーロ)、平山トオル(ディーゼル/スノー・ボーイ/ビッグ・ディール)、岡本泰寛(ベビー・ジョン)、柴山秀明(A-ラブ)。東京オペラシンガーズ(ジェッツ&シャークス)、新国立歌劇場合唱団(ガールズ)

今日のNHK交響楽団はチェロ首席奏者の藤森亮一がステージ前方に来るアメリカ式の現代配置を基調とした布陣である。コンサートマスターは客演のヴェスコ・エシュケナージ。N響はステージ後方に陣取り、舞台前方に歌手が出てきて歌ったりちょっとした演技をしたりする。

久しぶりとなるオーチャードホール。中に入るのは2度目だが、実はここでコンサートを聴くのは初めて。前回は「カタクリ家の幸福」という映画の完成披露試写会で訪れている。忌野清志郎が「昨日」というタイトルのどこかで聴いたことがあるような曲をギターで弾き語りしていた。

オーチャードホールの音の評判は良くないが、今日聴いた2階席4列目には残響は少なめだが素直な音が飛んできていた。ステージは遠目だが思っていたほど悪くはない。

第1部が60分、第2部が35分という上演時間。合間に30分の休憩がある。

N響は音には威力があるが、余り慣れていないアメリカものということもあり、ジャジーな場面では金管などに硬さが見られる。パーヴォは打楽器出身であるためリズム感は抜群のはずなのだが、N響からノリを思うままに引き出せていないようにも感じられる。
一方でリリカルな音楽では弦の艶やかな音色が生き、歌も秀逸で、万全に近い出来を示していた。パーヴォの棒もやはり上手い。

歌手陣の大半はクラシック畑出身。トニー役のライアン・シルヴァーマンはブロードウェイを活躍の主舞台としており、三役で出演の平山トオルもミュージカル出身だが、他は純然たるクラシックの歌手かミュージカルにも出たことがあるクラシック歌手である。バーンスタイン自身がドイツ・グラモフォンにレコーディングした「ウエスト・サイド・ストーリー」に聴かれるように、クラシックの歌手が歌った場合は声が肥大化してしまって余り良い結果が出ないのだが、今回は歌手達は健闘した方だと思う。ただジェッツやシャークスが集団で出てきて歌う時は、ギャングなのに首を振って音楽を聴いているだけでそれらしさが出ず、違和感がある。かといってクラシックの歌手達が踊れるはずもなく、粋なパフォーマンスを繰り広げるというわけにもいかないのでどうしようもない。そういう上演なのだと思うしかない。

コンサート上演を前提にしたものであり、ストーリーは飛び飛びになっているが、それでもラストに感動していまうのは音楽の力ゆえあろう。

残念ながらBunkamuraオーチャードホールは渋谷のど真ん中にあり、JR渋谷駅に向かうためには道玄坂の人混みを突っ切る必要がある。コンサートの余韻に浸れる環境にはない。出来ることなら別の会場で、パーヴォ指揮の「ウエスト・サイド・ストーリー」を聴いてみたい。



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2018年1月24日 (水)

コンサートの記(342) ダーヴィト・アフカム指揮 NHK交響楽団神戸公演2018

2018年1月20日 神戸文化ホールにて

午後4時から、神戸文化ホールでNHK交響楽団神戸公演を聴く。指揮は世界的に注目を浴びている俊英、ダーヴィト・アフカム。
1983年、ドイツ・フライブルク生まれのアフカム。インド系の父親とドイツ人の母親を持つ。フライブルク音楽大学とワイマール・フランツ・リスト音楽大学に学ぶ。ベルナルト・ハイティンクによる「若い才能におくる基金」の最初の受賞者に認定され、ハイティンクのアシスタントに抜擢されている。2008年にドナティラ・フリック指揮者コンクールに優勝。2010年のネスレ&ザルツブルク音楽祭ヤング・コンダクターズ・アワード第1位も獲得している。グスタフ・マーラー・ユーゲント・オーケストラ・アシスタントコンダクターを務めていた2010年には同オーケストラを指揮してCDデビューも果たしている。このCDを私は聴いていて、年齢を考えれば優れた出来だと感じた。


曲目は、リヒャルト・シュトラウスの交響詩「ドン・ファン」、モーツァルトのピアノ協奏曲第20番(ピアノ独奏:小山実稚恵)、リヒャルト・シュトラウスの歌劇「ばらの騎士」組曲、ラヴェルの「ラ・ヴァルス」

今日のNHK交響楽団のコンサートマスターは、マロこと篠崎史紀。私のN響学生定期会員時代からいる奏者はマロの他に、首席オーボエ奏者の茂木大輔、第2ヴァイオリン首席の大林修子、チェロの藤森大統領こと藤森亮一など数えるほどしかいない。藤森亮一夫人である向山佳絵子も一時、N響首席チェロ奏者に就いていたのだが現在は退団したようである。その他の有名奏者としては、私と同い年の池田昭子(オーボエ&イングリッシュホルン、元京都市交響楽団の菊本和昭(首席トランペット)、神田寛明(首席フルート)らがいる。

神戸文化ホールは、東京・渋谷のNHKホールと同じ1973年の竣工。同時期の建築だけに内部がよく似ている。築40年が過ぎているため、神戸市はすでに2025年を目処に、廃館と機能の三宮移転を決めている。
神戸文化ホールに入るのは初めてだが、直接音は比較的良く聞こえる一方で残響はほぼなし。ということで音が生まれる端から消えていくような印象を受ける。そして困ったことに席が小さめで肩をすぼめて座る必要がある、更に客席前が狭く、移動に難儀する。ということで余程のことがない限り、もう聴きに行くことはないと思う。

さて、アフカム指揮のN響であるが、驚嘆すべき水準の合奏を聴かせる。世代交代が進み、更に首席指揮者のパーヴォ・ヤルヴィの手腕故か、音の威力が増し、今日の出来ならロンドン交響楽団に勝るとも劣らない(比較対象が微妙っちゃ微妙だが)レベルに達している。

1曲目の交響詩「ドン・ファン」では煌めくような快演を聴かせたアフカムとN響。ステージの光の加減もあって、一服の金屏風を眺めているような趣である。


モーツァルトのピアノ協奏曲第20番。アフカムとN響はピリオドによる伴奏を展開するが、残響のないホールであるため、場面によっては弦がスカスカに聞こえる。
ソリストの小山実稚恵は、純度の高いピアノを聴かせる。純度が高いためモーツァルトの愛らしさは後退してしまった嫌いがある。短調の曲だからそれでも良いのかも知れないが、何もかも上手くいくというわけにはいかないようだ。
アンコールとして小山はショパンのマズルカ作品67-4を弾く。ショパンの方が小山の個性にずっと合っているように感じた。
彼女の著書である『点と魂と スイートスポットを探して』は出てすぐに読んだが、いかにも音楽ばかりやって来た女性が書いたという感じの本であり、人に薦めるほどのものではないように思う。


リヒャルト・シュトラウスの「ばらの騎士」組曲、ラヴェルの「ラ・ヴァルス」も立体的で充実した演奏。特に「ラ・ヴァルス」は音運びが上手い。
アフカム、将来が楽しみな指揮者である。

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2017年11月 2日 (木)

コンサートの記(323) パスカル・ロフェ指揮 NHK交響楽団京都公演

2014年8月25日 京都コンサートホールにて

午後7時から、京都コンサートホールで、NHK交響楽団の京都公演を聴く。

NHK交響楽団の京都公演を聴くのはおそらく10年ぶり。スタニスラフ・スクロヴァチェフスキ指揮の公演を聴いて以来である。その間、大阪や東京ではN響の演奏会を聴いているし、Eテレでの放送も見ているが、京都での演奏会は聴いていないはずである。

今回の指揮者は、フランスの中堅であるパスカル・ロフェ。比較的有名なピアニストであるパスカル・ロジェに名前が似ているが別人である。普通、名前が違ったら他の人ではあるが(二つ以上のペンネームや芸名を使い分けている人は存在する)。
パスカル・ロフェは1960年、パリ生まれ。パリ国立高等音楽院を卒業後、1988年にブザンソン国際指揮者コンクールで優勝し、その後、現代音楽演奏専門の集団であるアンサンブル・アンテルコンタンポランを指揮した現代音楽の演奏で活躍。2014年9月からフランス国立ロワール管弦楽団の音楽監督に就任予定である。大阪フィルにも客演したことがあり、お国ものであるフランス音楽の演奏を私も聴いている。

今日のコンサートマスターは、N響ソロ・コンサートマスターの堀正文。

8月は、日本や世界の各地で音楽祭などが行われる時期であり、祝祭オーケストラのメンバーとして参加したり、学生やアマチュアの指導を行ったりする楽団員もいるはずである。N響のオーボエには茂木大輔と池田昭子(いけだ・しょうこ)という二人の有名奏者がいるが、今日は二人とも降り番。私がNHK交響楽団の定期会員だった頃に比べると知っている楽団員も少なくなっている。今日いるメンバーの中で私の知っている奏者は堀正文以外では、第2ヴァイオリンの大林修子(おおばやし・のぶこ)、チェロ首席の藤森亮一(茂木大輔が書いたエッセイを読むと、90年代には「藤森大統領」という渾名で呼ばれていたことがわかる。ペルーのアルベルト・フジモリ大統領の失脚以後もその渾名のままなのかは不明)ぐらいであろうか。なお、藤森亮一夫人であるチェロの向山佳絵子(茂木大輔のエッセイによると、渾名は「向山奥様」)は、以前はソリストであったが、昨年の7月に夫婦揃ってとなるNHK交響楽団の首席チェロ奏者に就任している。向山は今日は降り番である。
ホルンの松崎さんも樋口さんも、クラリネットの磯部さんも、オーボエの北島さんも、ティンパニの百瀬さんも、皆、定年退職などで退団されてしまった。

曲目は、ドヴォルザークのチェロ協奏曲(チェロ独奏:堤剛)とチャイコフスキーの交響曲第4番。

NHK交響楽団によるチャイコフスキーの交響曲第4番というと、指揮者のアシュケナージが演奏会の前半に指揮棒の先で手を突いてしまい、メインであるこの曲を指揮することが出来なくなったため、オーケストラのみで演奏することになったことが思い起こされる。また、シャルル・デュトワの指揮でDECCAにレコーディングを行った2枚のCDのうちの1枚のメインがチャイコフスキーの交響曲第4番であった。

ドヴォルザークのチェロ協奏曲。ソリストの堤剛は、日本チェロ界の大御所的存在であり、齋藤秀雄に師事しているが、齋藤秀雄に指揮ではなく、チェロを学んだということからも年齢が感じられる(齋藤秀雄は指揮の教育者や指揮者活動に入るまではチェロ奏者であった)。インディアナ大学に留学し、ヤーノシュ・シュタルケルにもチェロを学んでいる。カザルス国際コンクールで優勝後、ソリストとして活躍。母校であるインディアナ大学のチェロ科教授を経て、2004年から2013年までやはり母校である桐朋学園大学の学長を務め、現在はサントリーホールの館長でもある。2009年に紫綬褒章受章、2013年に文化功労賞に選出されるという、とにかく偉い、日本チェロ界の徳川家康のような人である。

当然ながら主導権は堤が握る。堤は緩急自在の表現をするため、ロフェとN響は合わせるのに苦労しているようだった。

ドヴォルザークのチェロ協奏曲は、ドヴォルザークがアメリカのナショナル音楽院の学院長として渡米していた時期に書かれたものであり、チェコへの郷愁が色濃く出ている作品であるが、堤のチェロはしっとりとした音色でノスタルジアをいや増しに増すものである。

ロフェの指揮するN響であるが、ドヴォルザークのチェロ協奏曲に相応しい渋い音色を出す。音の張り、立体感ともに見事で、やはり日本ナンバーワンオーケストラの座は揺るがない。

堤は、アンコールとして、パブロ・カザルスが編曲して良く演奏したことで知られるカタルーニャ民謡の「鳥の歌」を弾く。平和への祈りに満ちた、良い演奏であった。

チャイコフスキーの交響曲第4番。ロフェは今日は前半、後半ともにノンタクトで指揮する。極めて明快な指揮であり、奏者はロフェの腕の動きをなぞるように演奏すればOKである。明晰で知的なアプローチであるが、チャイコフスキーの交響曲第4番には運命の過酷さや悲しみがそのままに書かれているため、ドラマティックに演奏しようとすると大袈裟になりすぎる可能性があり、ロフェのような客観的な姿勢を取った方がチャイコフスキーの心境が惻惻と伝わってくるようだ。実際に、チャイコフスキーの交響曲第4番の第1楽章を生で聴いて、これほど胸が締め付けられるような思いがしたのは初めてである。

第2楽章の憂鬱な表情、第3楽章(弦楽がピッチカートのみで演奏することで有名である)のリズム感の出し方も見事であり、ロシア民謡「小さな白樺」の旋律が用いられることで知られる最終楽章もラストで不安定な音型が徐々に安定したものへと変化していく過程がはっきりわかるように表現されていた。

ドヴォルザークでは渋い音色を出していたN響であるが、チャイコフスキーではそれに相応しいヒンヤリとした音色で演奏する。
90年代のN響には「パワーはあるがそれほど器用ではない」というイメージを持っていたが、独墺系以外の指揮者をシェフに招き続けたことで音色や表現に多彩さが生まれたようである。

アンコールはドヴォルザークの「スラヴ舞曲」第1番。ロフェが一ヶ所振り間違えて音が弱くなってしまったところがあったが、それ以外は快活な優れた演奏であった。

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2017年10月24日 (火)

実演に接したことのあるNHK交響楽団演奏会

これまでに会場で聴いたことのあるNHK交響楽団の演奏会を列挙していきたいと思うのですが、1990年代の記憶はもはやおぼろげであるため、聴いたのに聴いたことがないと思い込んでいる演奏もありそうです(特記がない場合は、東京・渋谷のNHKホールでの鑑賞)。

1995年9月2日 ヘルベルト・ブロムシュテット指揮 ムソルグスキーの組曲「展覧会の絵」ほか

1995年12月2日 シャルル・デュトワ指揮 プロコフィエフの交響曲第5番ほか

1996年2月3日 スタニスラフ・スクロヴァチェフスキ指揮 チャイコフスキーの交響曲第5番ほか

1996年3月2日 ハインツ・ワルベルク指揮 ブラームスの交響曲第2番ほか(武満徹追悼のため、冒頭に「弦楽のためのレクイエム」の演奏あり)

1996年5月11日 エリアフ・インバル指揮 ブルックナーの交響曲第5番ほか

1996年9月7日 ヘルベルト・ブロムシュテット指揮 ベートーヴェンの交響曲第3番「英雄」ほか

1996年11月30日 シャルル・デュトワ指揮 レスピーギの交響詩「ローマの松」ほか

1997年3月1日 イヴァン・フィッシャー指揮 ブラームスの交響曲第1番ほか

1997年3月6日 朝比奈隆指揮 ブルックナーの交響曲第8番

1997年4月5日 広上淳一指揮 グリーグの「ペール・ギュント」組曲第1番第2番ほか

1997年5月17日 イルジー・コウト指揮 スメタナの連作交響詩「我が祖国」全曲(修学旅行生が団体で来ていたがマナーが悪かった)

1997年9月6日 エフゲニー・スヴェトラーノフ指揮 チャイコフスキーの交響曲第5番(第2楽章は1週間前に亡くなったプリンセス・オブ・ウェールズ=ダイアナ妃に捧げられた)ほか

1997年10月18日 ドミトリ・キタエンコ指揮 ショスタコーヴィチの交響曲第5番ほか

1997年12月6日 シャルル・デュトワ指揮 ラヴェルのバレエ音楽「ダフニスとクロエ」全曲ほか(上演中に震度3の地震あり)

1998年3月28日 シャルル・デュトワ指揮 ブラームスのピアノ協奏曲第1番(ピアノ独奏:ブルーノ・レオナルド・ゲルバー)ほか

1998年4月18日 ウルフ・シルマー指揮 リヒャルト・シュトラウスの家庭交響曲ほか

1998年5月9日 アンドレ・プレヴィン指揮 モーツァルトの交響曲第39番ほか

1998年9月19日 マレク・ヤノフスキ指揮 ブラームスの交響曲第2番ほか

1998年10月3日 ヘルベルト・ブロムシュテット指揮 ブルックナーの交響曲第3番ほか

1998年11月21日 ウォルフガング・サヴァリッシュ指揮 ロベルト・シューマンの交響曲第3番「ライン」ほか

1998年12月19日 シャルル・デュトワ指揮 グリーグの劇付随音楽「ペール・ギュント」全曲ほか

1999年2月6日 スタニスラフ・スクロヴァチェフスキ指揮 ベートーヴェンの交響曲第5番ほか

1999年2月27日 エフゲニー・スヴェトラーノフ指揮 自作を含むロシア名曲集

2002年9月12日 シャルル・デュトワ指揮 ルーセルのバレエ音楽「バッカスとアリアーヌ」ほか

2004年4月24日 スタニスラフ・スクロヴァチェフスキ指揮 ベートーヴェンの交響曲第5番ほか(京都コンサートホール)

2012年12月17日 シャルル・デュトワ指揮 リムスキー=コルサコフの交響組曲「シェエラザード」ほか(NHK大阪ホール)

2013年5月5日 広上淳一指揮 ベートーヴェンの交響曲第7番ほか(サントリーホール)

2013年9月14日 ヘルベルト・ブロムシュテット指揮 ブラームスの交響曲第1番ほか(NHK大阪ホール)

2014年8月25日 パスカル・ロフェ指揮 チャイコフスキーの交響曲第4番ほか(京都コンサートホール)

2014年11月10日 クリスティアン・アルミンク指揮 ブラームスの交響曲第4番ほか(NHK大阪ホール。アルミンクはレナード・スラットキンの代役)

2015年10月3日 パーヴォ・ヤルヴィ指揮 マーラーの交響曲第2番「復活」

2016年2月20日 パーヴォ・ヤルヴィ指揮 リヒャルト・シュトラウスの交響詩「ツァラトゥストラはかく語りき」ほか(NHK大阪ホール)

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