これまでに観た映画より(378) 赤楚衛二&上白石萌歌&中島裕翔「366日」
2025年2月5日 新京極のMOVIX京都にて
MOVIX京都で、日本映画「366日」を観る。HYの同名ヒット曲にインスパイアされた作品。松竹とソニーの制作。ソニーが開発し、一時は流行したMD(Mini Disc)がキーとなっている。監督:新城毅彦(しんじょう・たけひこ)、脚本:福田果歩。出演:赤楚衛二、上白石萌歌、中島裕翔(なかじま・ゆうと)、玉城(たましろ)ティナ、稲垣来泉(くるみ)、齋藤潤、溝端淳平、石田ひかり、きゃんひとみ、国仲涼子、杉本哲太ほか。
主題歌は、HYの「恋をして」。「366日」もクライマックスの一つで全編流れる。
若い人はMD(Mini Disc)について知らないかも知れないが、カセットテープに代わるメディアとして登場したデジタル録音媒体で、四角く平たいケースの中に小さなディスクが収まっており、録音と再生が比較的簡単に出来た。CDほど音は良くないが、カセットテープより小さくて持ち運びに便利ということで流行るかに思われたが、ほぼ時を同じくしてパソコンでCDの音源をCD-Rに焼けるようになり、以後、急速に廃れてしまった。今は配信の時代であり、音楽を聴くだけならサブスクリプションで十分で、CDすらも売れない傾向にある。カセットテープやLPが見直されたことはあったが、MDが復活することはもうないであろう。
「366日」であるが、実は私はこの曲を知ったのは、HYのオリジナルではなく、上白石萌歌のお姉さんである上白石萌音のカバーによってであった。
2月29日生まれ、つまり1年が366日ある閏年の例年より1日多い日に生まれた玉城美海(たましろ・みう。演じるのは上白石萌歌)がヒロインである。なお、誕生日に1つ年を重ねるとした場合、2月29日生まれの人は4年に1度しか年を取れないため、法律上は誕生日の前日に1つ年を取ることになっている。4月1日生まれの人は3月31日に年を取るので上の学年に入れられる。
沖縄。HYが沖縄出身のバンドなのでこの土地が舞台に選ばれている。2024年2月29日の最初のシーンで、美海が病に冒され、病室を出て緩和ケアに移り、余命幾ばくもないことが示されてから、時間が戻り、2003年。美海がまだ高校1年生の時代に舞台は移る。MDで音楽を聴くのが趣味だった美海は、同じくMDを愛用していた2つ上の先輩である真喜屋湊(赤楚衛二)と落としたMDを拾おうとして手が触れる。それが美海が湊にときめきを抱いた始まりだった。文武両道の湊。女子人気も高いが、美海は湊と交換日記ならぬ交換MDを行うことで距離を縮めていく。美海の幼馴染みの嘉陽田琉晴(かようだ・りゅうせい。中島裕翔)も明らかに美海に気があるのだが、美海は気付いていない。
湊は東京の大学に進学して音楽を作る夢を語り、美海は英語の通訳になりたいと打ち明けた。
2005年、美海は、湊が通っている明應大学(どことどこの大学がモデルかすぐに分かる。ちなみに、連続ドラマ「やまとなでしこ」には明慶大学なる大学が登場しており、この二つの大学は架空の大学のモデルになりやすいようである。なお、23区内ではなく都下にキャンパスがありそうな雰囲気である)に入学。本格的な交際が始まった。
2009年、湊は都内のレコード会社に勤務中。湊と美海は同棲を初めており、美海は就活中だが、リーマンショックの翌年ということで、就職は極めて厳しく、都内の通訳関係の仕事は全てアウト。沖縄の通訳関係は会社はまだエントリー可だったが、美海は湊から離れたくないという思いがあり、通訳を諦めて他の仕事を探そうとしていた。
ある日、美海は湊の子を身籠もっていることに気付く。しかし、打ち明ける間もなく湊から突然の別れを切り出された美海。夢を諦めるなどしっかりしていないからだと自分を責める美海だったが、湊が別れを告げた理由は他にあった。
美海は沖縄に帰る。沖縄では通訳の仕事に就くことに成功。そして琉晴が、子どもの父親は自分だと嘘をつき(ずっと離れていたのに子どもが出来るはずはないので、すぐにバレたと思うが)、二人は結婚に至る。結婚式はやや遅れて3年後、2012年の2月29日に挙げることになるのだった。この結婚式でのカチャーシーを付けての踊りの場面で、「366日」が流れる。
いかにも若者向けの映画である。美男美女によるキラキラ系。レコード会社に勤務し、通訳になる。花形の職業である。往年のトレンディドラマの設定のようだ。
三角関係、病気もの。若い女の子が感動しそうな要素が全て含まれている。実際、涙を流す若い女の子が多く、作品としては成功だと思える。
若い俳優陣が多いが、演技もしっかりしている。感情や感覚重視で、頭を使った演技をしている俳優がいないのが物足りなくもあるが。
ただやはり私のような年を取った人間が見ると粗が見えてしまう。どう見ても自分を好いている女の子が目の前にいるのに別の女の子の話をしてしまう無神経さ(そして自分を好いているということにずっと気がつかない)。外国の伝説の話をして断りにくくしてから告白するという狡さ(徹底できず誤魔化してしまうが)。相手のことを思っているつもりで実は後先のことは何も考えていないという浅はかさなど、若さ故の過ちが見えてしまう。大人なのでそうした見方を楽しむのもありなのだが。
沖縄ということでウチナーグチが用いられているが、みな達者に使いこなしているように聞こえる。薩摩美人といった感じで「鹿児島県出身」と言われるとすぐ納得できる上白石萌音に対し、妹の上白石萌歌は洋風美人で、ぱっと見で薩摩っぽくはないが、こうして沖縄を舞台にした作品で見てみると確かに南国風の顔立ちであることが分かる(鹿児島県も沖縄県も縄文系が多いとされ、弥生系の多い大和の人間に比べると顔立ちが西洋人に近いとされる)。上白石萌歌は沖縄が舞台になった連続テレビ小説「ちむどんどん」に出演しており、沖縄には慣れていると思われる。
縄文系は美人が多いということで、沖縄からは仲間由紀恵や新垣結衣、比嘉愛未など、美人とされる女優が多く出ているが、一番沖縄っぽい女優というと、この映画にも美海の母親の明香里役で出ている国仲涼子のような気がする。大河ドラマ「光る君へ」では、せっかく出演したのに第1話の途中で殺害されるという、元朝ドラヒロインにしては酷い扱いであったが、この映画では当然ながら良い役で出ている。
若い人向けとしてはまあまあ良い作品だと思うが(年配の方には合わないかも知れない)、こうした美男美女キラキラ系や、病気不幸系、三角関係ありという昔ながらの映画は今後減っていくのではないかと思われる。
ルッキズムが浸透し、自由恋愛が基本ということで、ある程度の容貌を持たないと、パートナーを見つけることが難しい時代になりつつあるが、逆に芸能人に関しては高いルックスは必ずしも必要でなくなりつつある。堅実な人が増えたためか、あるいはSNSが普及したためなのか、向こう側の世界に夢を求めず、美男美女しか出ないリアリティのない世界よりも、親しみが持てて高い演技力のある俳優――男優、女優共に――が出ている作品の方が人気が出やすくなって来ている。男優の方は昔から性格俳優が主役を張ることも珍しくなかったが、女優の方も圧倒的な美貌よりも等身大の外見の方が感情移入がしやすく好まれるようになりつつある。「主役は美人女優」も今は常識ではない。
美男美女キラキラ系映画も需要はあるのでなくなることはないだろうが、今は日本映画界も丁度端境期で、今後潮流が変わる可能性は多いにある。
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