カテゴリー「日本フィルハーモニー交響楽団」の14件の記事

2024年10月 5日 (土)

コンサートの記(858) ROHM CLASSIC SPECIAL「コバケン・ワールド in KYOTO」Vol.4

2024年9月28日 左京区岡崎のロームシアター京都メインホールにて

午後2時から、左京区岡崎のロームシアター京都メインホールで、ROHM CLASSIC SPECIAL「コバケン・ワールド in KYOTO」Vol.4を聴く。

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炎のコバケンこと小林研一郎が日本フィルハーモニー交響楽団を指揮して行う「コバケン・ワールド」の京都公演4回目。日本フィルハーモニー交響楽団はロームシアター京都で定期的に演奏会を行っており、この「コバケン・ワールド」で今年3回目の演奏会となる。

1940年生まれの小林研一郎。84歳となった今年は、東京ドームで行われた読売巨人軍対広島カープの公式戦前の国歌演奏の指揮と、始球式を行っている。
東京藝術大学作曲科および指揮科卒業。藝大の作曲科時代は、「前衛でなければ音楽ではない」という教育に嫌気が差し、卒業はしたが指揮科に再入学している。今は藝大の入試は、国語と英語と実技のはずだが、当時は地歴も課されたようで、「日本史を勉強し直した」と語っている。
年齢制限に引っかかり、指揮者コンクールに参加出来ないことが多かったが、第1回ブダペスト国際指揮者コンクールは年齢制限が緩かったため受けることが可能で、見事1位を獲得。以後、ハンガリー国内での仕事も増え、ハンガリー国立交響楽団(現・ハンガリー国立フィルハーモニー管弦楽団)の常任指揮者を長きに渡って務めた。私が初めて聴いた小林指揮のコンサートも、東京国際フォーラムホールCでのハンガリー国立交響楽団の来日演奏会であった(メインは幻想交響曲。東京国際フォーラムホールCは音響が悪いので、演奏終了後、小林が、「ホールの関係だと思いますが、皆さんの拍手が小さいのです」と語っていた)。ネーデルランド・フィルハーモニー管弦楽団の常任客演指揮者、チェコ・フィルハーモニー管弦楽団の首席客演指揮者も務め、チェコ・フィル時代には「プラハの春」コンサートのオープニング演奏会、スメタナの連作交響詩「わが祖国」の指揮も行っている(リハーサル初日にチェコ・フィルの面々と喧嘩になったことが、「エンター・ザ・ミュージック」で明かされた)。
国内では日本フィルハーモニー交響楽団を指揮する機会が多く、常任指揮者などを経て、現在は桂冠名誉指揮者の称号を得ている。その他に、群馬交響楽団と名古屋フィルハーモニー交響楽団の桂冠指揮者、読売日本交響楽団の名誉指揮者、九州交響楽団の名誉客演指揮者の称号を保持。ロームミュージックファンデーションの評議員でもある。
京都市交響楽団の常任指揮者を2年務めており、出雲路の練習場と京都コンサートホールは小林の要望により、計画が進められている。


曲目は、スッペの喜歌劇「軽騎兵」序曲、エルガーの「愛の挨拶」(ヴァイオリン独奏:髙木凜々子)、サラサーテの「ツィゴイネルワイゼン」と「カルメン幻想曲」(ヴァイオリン独奏はいずれも髙木凜々子)、ベートーヴェンの交響曲第5番「運命」

今日のコンサートマスターは日フィル・ソロ・コンサートマスターの扇谷泰朋(おうぎたに・やすとも)。ソロ・チェロに菊地知也の名がクレジットされている。
ドイツ式の現代配置での演奏。


スッペの喜歌劇「軽騎兵」序曲。20世紀には通俗名曲の一曲としてよく知られていたのだが、最近は録音でも実演でも接する機会が少ない。
小林研一郎は譜面台を置かず、暗譜での指揮。
最初のトランペットソロと続くホルン・ソロは奏者を立たせて演奏させた。
今日はロームシアター京都メインホールのレフトサイド、ハイチェア席で聴いたのだが、音の通りが良く、輪郭もクッキリと聞こえる。座っていて疲れるが、音は良い席であった。
金管は精度が今ひとつであったが、マスとしての響きは充実しており、軽快な演奏に仕上がっていた。小林は指揮をやめてオーケストラに任せるところがあった。

エルガーの「愛の挨拶」(弦楽伴奏版)、サラサーテの「ツィゴイネルワイゼン」と「カルメン幻想曲」では、髙木凜々子(たかぎ・りりこ)がヴァイオリンソロを務める。

髙木凜々子は、東京藝術大学在学中にブダペストのバルトーク国際コンクールで第2位および聴衆賞を獲得。藝大卒業後に、シュロモ・ミンツ国際コンクール第3位、東京音楽コンクール第2位および聴衆賞、日本音楽コンクール第3位及びE・ナカミチ賞を受賞している。自身のYouTubeチャンネルに数多くの演奏動画をアップしているほか、パシフィックフィルハーモニア東京のアーティスティックパートナーソロとしても活躍している。
連続ドラマ「リバーサルオーケストラ」では、主演の門脇麦のヴァイオリンソロを当てたことで話題になっているが、このことは経歴には書かれていない。

この3曲では、小林研一郎はステージ正面上方から見て\のように斜めになった指揮台の上で指揮した。

髙木凜々子の演奏を聴くのは初めてだと思われる。
緋色のドレスで登場した髙木。かなりの腕利きだと思われるが、技術をひけらかすタイプではなく、的確に音の芯を狙っていくような演奏を行う演奏家である。

エルガーの「愛の挨拶」では、磨き抜かれた音が美しく、歌い方も優しい。

ヴァイオリンの独奏を伴う曲としては最も有名な部類に入る、サラサーテの「ツィゴイネルワイゼン」。ロマの音楽を意識した曲ということもあり、髙木も荒めの音で入るなど、曲調の描き分けが的確である。左手ピッチカートにコル・レーニョ奏法が加わるなど、難度のかなり高い曲だが、メカニックも申し分ない。

「カルメン幻想曲」も勢いの良い美演。なお、「ハバネラ」演奏後に拍手が起こったため、髙木も小林も動きを完全に止めて拍手が収まるのを待った。
「ツィゴイネルワイゼン」でも「カルメン幻想曲」でも終盤に急激なアッチェレランドを採用。スリリングな演奏となった。


演奏終了後、髙木と小林がステージ上で話し合い、アンコール演奏を行うことに決める。髙木は、「J・S・バッハ、無伴奏ヴァイオリン・パルティータより“サラバンド”を演奏します」と言って演奏開始。典雅な演奏であった。なお、高木はYouTubeにこの曲の演奏をアップしており、聴くことが出来る


ベートーヴェンの交響曲第5番「運命」。演奏前に、小林はマイクを手に、「皆さんと交流したいと思いまして」と語り始める。「来年も再来年も京都で演奏を行いたい」と抱負を語った後で、「曲の解説を行います」ということで、実際に日フィルに演奏して貰いながら、聴き所を語る。まず冒頭の運命主題(運命動機)。小林は「ヤパパパーン」と歌ってから、日フィルを指揮して運命主題を演奏。「これが世界で最も有名な運命主題であります」と語る。第2楽章の冒頭を「祈り」と解釈して演奏した後で、第3楽章の冒頭から運命動機の登場までを演奏。
最後は、第4楽章冒頭を2度演奏する。まず、「皆様の耳を聾するような(ママ)」全体での合奏。続いて、管楽器のみによる冒頭の演奏を行った。


小林研一郎の指揮なのでモダンスタイルによる演奏を予想していたのだが、実際は弦楽のノンビブラートなどピリオドの部分も少し入れている。
また、これまで聴いたことのない奏法や異なる響きがある。小林はこの曲も譜面台を置かず暗譜で指揮したが、おそらくブライトコプフ新版の楽譜を用いての演奏だと思われる。
ブライトコプフ新版は貸与のみのはずなので、一般人がスコアリーディングすることは難しい。
まず第1楽章でコントラバスがコル・レーニョのような奏法を行った上で弓を胴体に当てる音を出す。更にホルンが浮かび上がる。オーボエのソロもベルアップで吹く(演奏開始前に、日フィルのスタッフがオーボエ奏者の女性と話し合い、オーボエ奏者の女性が周りの奏者とも話す様が見られたが、このベルアップのことだったのだろうか)。
第4楽章でピッコロが浮かび上がる場所もベーレンライター版とは異なるため、やはりブライトコプフ新版の可能性が高いと見た。

演奏は、スマートさの方が勝っている。炎の指揮者と呼ばれるが、いたずらに熱い演奏を行う訳ではない。音も84歳の指揮者が引き出したものとは思えないほど若々しく、音が息づいている。冒頭は小さく2度振ってから始まるのだが、弦楽のフライングがあったのが残念である。
日フィルも以前はあっさりとした演奏が特徴だったのだが、今日は密度の高い音を聴かせてくれた。第4楽章に入るところで小林は客席を振り返るかのように左手を大きく掲げて外連を見せていた。


なお、本編終了後のみスマホでのステージ撮影が可となっている。

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小林はマイクを手に、「皆様のブラボー、拍手、声などが励みになります。反応がないと音楽は成り立ちません」と語り、「またお越し下さい」と述べた後で、「日フィルの方々が最も得意とされている曲があります。『ダニー・ボーイ』」とアンコール演奏曲目をアナウンスして演奏に入る。小林のアンコール演奏の定番でもある「ダニー・ボーイ(ロンドンデリーの歌)」。しっとりとした愛に溢れた演奏を行った。

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2024年6月11日 (火)

コンサートの記(848) カーチュン・ウォン指揮日本フィルハーモニー交響楽団 第255回 芸劇シリーズ「作曲家 坂本龍一 その音楽とルーツを今改めて振り返る」

2024年6月2日 池袋駅西口の東京芸術劇場コンサートホールにて

東京へ。

午後2時から、池袋駅西口にある東京芸術劇場コンサートホールで、日本フィルハーモニー交響楽団の第255回 芸劇シリーズを聴く。日フィルが日曜日の昼間に行っている演奏会シリーズで、回数からも分かる通り、かなり長く続いている。私も東京にいた頃にはよく通っていて、ネーメ・ヤルヴィやオッコ・カムなどの指揮で日フィルの演奏を聴いている。

東京芸術劇場は、音楽と演劇、美術の総合芸術施設であるが、考えてみれば音楽でしか来たことはない。
コンサートホールは、東京芸術劇場の最上階にあり、長いエスカレーターを上っていくことになる。以前はエスカレーターは1階から最上階のコンサートホール(当時は大ホールといった)まで直通というもっと長く巨大なものだったが、「事故が起こると危ない」などと言われており、リニューアル工事の際に付け替えられて二段階でコンサートホールまで昇るようになっている。

前回来たときは1階席の前の方だったが、今回も1階席の下手側前から2列目。東京芸術劇場コンサートホールは、ステージから遠いほど音が良いことで知られるが、前の方でも特に悪くはない。

今回の芸劇シリーズは、パンフレットやチケットなどにはタイトルが入っていないが、ポスターには「作曲家 坂本龍一 その音楽とルーツを今改めて振り返る」という文言が入っており、事実上の坂本龍一の追悼コンサートとなっている。

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指揮は、日本フィルハーモニー交響楽団首席指揮者のカーチュン・ウォン。シンガポールが生んだ逸材であり、2016年のグスタフ・マーラー指揮者コンクールで優勝。日本各地のオーケストラに客演して軒並み絶賛を博し、2023年9月に日フィルの首席指揮者に就任した。京都市交響楽団や大阪フィルハーモニー交響楽団に客演した際に聴いているが、演奏が傑出していただけでなく、京響のプレトークではちょっとした日本語を話すなど、まさに「才人」と呼ぶに相応しい人物である。ドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団の首席客演指揮者でもあり、また今年の9月からは、イギリスを代表する工業都市・マンチェスターに本拠地を置く名門、ハレ管弦楽団の首席指揮者兼アーティスティック・アドバイザーへの就任が決まっている。


曲目は、ドビュッシーの「夜想曲」(女声合唱:東京音楽大学)、坂本龍一の箏とオーケストラのための協奏曲(二十五絃箏独奏:遠藤千晶)、坂本龍一の「The Last Emperor」、武満徹の組曲「波の盆(「並の凡」と変換されたが確かにそれもありだ)」よりフィナーレ、坂本龍一の地中海のテーマ(1992年バルセロナ五輪開会式音楽。ピアノ:中野翔太、合唱:東京音楽大学)。

コンサートマスターは客演の西本幸弘。ソロ・チェロとして日フィル・ソロ・チェロの菊地知也の名がクレジットされている。また生前の坂本龍一と共演するなど交流があったヴィオラ奏者の安達真理が、2021年から日フィルの客演首席奏者に就任しており、今日は乗り番である。


プログラムは評論家で早稲田大学文学学術院教授の小沼純一が監修を行っており、プログラムノートも小沼が手掛けている。
午後1時半頃より小沼によるプレトークがある。
昨年の暮れに、小沼の元に日フィルから「坂本龍一の一周忌なので何かやりたい」との連絡があり、指揮者がカーチュン・ウォンだということも知らされる。小沼は坂本が創設した東北ユースオーケストラも坂本の追悼演奏会をやるとの情報を得ていたため、「余りやられていない作品を取り上げよう」ということで今日のようなプログラムを選んだという。全曲坂本龍一作品でも良かったのだが、坂本龍一が影響を受けた曲を「コントラスト」として敢えて入れたそうだ。

坂本龍一が亡くなり、彼のことをピアニスト・キーボーディスト、俳優として認識していた人は演奏や演技を録音や録画でしか見聞き出来ず、それらは固定されて動かないものであるが、坂本龍一は何よりも作曲家であり、作曲されたものは生で演奏出来、同じ人がやっても毎回変わるという、ある意味での利点があることを小沼は述べていた。

坂本が若い頃に本気で自身のことを「ドビュッシーの生まれ変わり」だと信じていたということは比較的よく知られているが、「夜想曲」の第1曲「雲」は特にお気に入りで、テレビ番組でも「雲」の冒頭をピアノで弾いてその浮遊感と革新性について述べていたりする。小沼との対話でもたびたび「雲」が話題に上ったそうで、心から好きだった曲を取り上げることにしたそうである。
坂本龍一の箏とオーケストラのための協奏曲は、2010年に東京と西宮で初演され、「題名のない音楽会」でも取り上げられたが、その後1度も再演されておらず、14年ぶりの再演となる。沢井一恵のために作曲された作品で、初演時は、それぞれ調が異なる十七絃箏を1楽章ごとに1面、計4面を用いて演奏されたが、今日のソリストである遠藤千晶が「二十五絃箏を使えば1面でいけるかも知れない」ということで、今日は1面での初演奏となる。

「The Last Emperpr」は、ベルナルド・ベルトルッチ監督が清朝最後の皇帝となった愛新覚羅溥儀を主人公にした映画「ラストエンペラー」のために書かれた音楽で、坂本龍一は最初、俳優としてのオファーを受け、甘粕正彦を演じたが、音楽を依頼されたのはずっと後になってからで、全曲を締め切りまでの2週間で書き上げたというのが自慢だったらしい。「ラストエンペラー」の音楽で坂本は、デヴィッド・バーン、コン・スー(蘇聡、スー・ツォン)と共にアカデミー賞作曲賞を受賞。「世界のサカモト」と呼ばれるようになる。

武満徹の「波の盆」を入れることを提案したのは指揮者のカーチュン・ウォンだそうで、日本人作曲家の劇伴音楽という共通点から選んだようだ。
1996年に武満徹が亡くなり、NHKが追悼番組「武満徹の残したものは」を放送した時に真っ先に登場したのが坂本龍一で、学生時代に東京文化会館で行われたコンサートで、アンチ武満のビラを撒いていたところ武満本人が現れ、「これ撒いたの君?」と尋ねられたこと、後年、作曲家となって再会した時には、「ああ、あの時の君ね」と武満は坂本のことを覚えており、「君は作曲家として良い耳をしている」と言われた坂本は「あの武満徹に褒められた」と有頂天になったことを語り、「そんないい加減な奴なんですけどね」と自嘲気味に締めていた。

地中海のテーマは、1992年のバルセロナ・オリンピックのマスゲームの音楽として作曲されたもので、当初はオリンピックという国威発揚の側面がある催しの音楽を書くことを拒んだというが、最終的には作曲を引き受け、7月25日の開会式では自身でオーケストラを指揮し、その姿が全世界に放映された。指揮に関しては、当時、バルセロナ市立管弦楽団の首席指揮者をしていたガルシア・ナバロ(ナルシソ・イエペスがドイツ・グラモフォンに録音したアランフェス協奏曲の伴奏で彼の指揮する演奏を聴くことが出来る)の指揮に間近で触れて、「本物の指揮者は凄い」という意味の発言をしていたのを覚えている。またオリンピックで自作を指揮したことで、「凄い人」「偉い人」だと勘違いされるのが嫌だった旨を後に述べている。
地中海のテーマは、CDが発売され、また一部がCMにも使われたが、オーケストラ曲として日本で演奏されたことがあるのかどうかはちょっと分からない。ただこれはコンサートホールで生演奏を聴かないと本当の良さが分からない曲であることが確認出来た。

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ドビュッシーの「夜想曲」。「雲」「祭り」「シレーヌ」の3曲からなる曲で、ドビュッシーの管弦楽曲の中でも人気曲だが、第3曲「シレーヌ」は女声合唱を伴うという特殊な編成であるため、演奏会または録音でもカットされることがある。今回は東京音楽大学の女声合唱付きで上演される。東京音楽大学の合唱団は必ずしも声楽科の学生とは限らず、学部は「合唱」の授業選択者の中からの選抜、大学院生のみ声楽専攻限定となるようだ。

フランス語圏のオーケストラによる名盤も多いため、流石にそれらに比べると色彩感や浮遊感などにおいて及ばないが、生演奏ならではのビビッドな響きがあり、繊細な音の移り変わりを視覚からも感じ取ることが出来る。
ノンタクトで指揮したカーチュン・ウォンは巧みなオーケストラ捌き。日フィルとの相性も良さそうである。
東京音楽大学の女声合唱もニュアンス豊かな歌唱を行った。


坂本龍一の箏とオーケストラのための協奏曲。独奏者の遠藤千晶は当然と言えば当然だが着物姿で登場。椅子に座って弾き、時折、身を乗り出して中腰で演奏する。箏のすぐ近くにマイクがセットされ、舞台左右端のスピーカーから音が出る。箏で音が小さいからスピーカーから音を出しているのかと思ったが、後にピアノもスピーカーから音を出していたため、そういう趣旨なのだと思われる。
遠藤千晶は、東京藝術大学及び大学院修了。3歳で初舞台を踏み、13歳で宮城会主催全国箏曲コンクール演奏部門児童部第1位入賞という神童系である。藝大卒業時には卒業生代表として皇居内の桃香楽堂で御前演奏を行っている。現在は生田流箏曲宮城社大師範である。
第1楽章「still(冬)」、第2楽章「return(春)」、第3楽章「firmament(夏)」、第4楽章「autumn(秋)」の四季を人生に重ねて描いた作品で、いずれも繊細な響きが何よりも印象的な作品である。箏の音が舞い散る花びらのようにも聞こえ、彩りと共に儚さを伝える。


坂本龍一の「The Last Emperor」。カーチュン・ウォンは冒頭にうねりを入れて開始。壮大さとオリエンタリズムを兼ね備えた楽曲として描き出す。坂本本人が加わった演奏も含めてラストをフォルテシモのまま終える演奏が多いが(オリジナル・サウンドトラックもそんな感じである)、カーチュン・ウォンは最後の最後で音を弱めて哀愁を出す。


武満徹の組曲「波の盆」よりフィナーレ。倉本聰の脚本、実相寺昭雄の演出、笠智衆主演によるテレビドラマのために書いた曲をオーケストラ演奏会用にアレンジしたものだが、このフィナーレは底抜けの明るさに溢れている。「弦楽のためのレクイエム」が有名なため、シリアスな作曲家だと思われがちな武満であるが、彼の書いた歌曲などを聴くと、生来の「陽」の人で、こちらがこの人の本質らしいことが分かる。この手の根源からの明るさは坂本龍一の作品からは聞こえないものである。


坂本龍一の地中海のテーマ。映画音楽でもポピュラー系ミュージックでも坂本龍一の音楽というとどこかセンチメンタルでナイーブというものが多いが、地中海のテーマはそれらとは一線を画した豪快さを持つもので、祝典用の楽曲ということもあるが、あるいは売れる売れないを度外視すれば、もっとこんな音楽を書きたかったのではないかという印象を受ける。若い頃は現代音楽志向で、難解な作品や前衛的な作品も書いていた坂本だが、劇伴の仕事が増えるにつれて、監督が求める「坂本龍一的な音楽」が増えていったように思う。特に映画などは最終決定権は映画監督にある場合が多いわけで、書きたいものよりも求められるものを書く必要はあっただろう。ファンも「坂本龍一的な音楽」を望んでいた。そういう意味ではバルセロナ五輪の音楽は「坂本龍一的なもの」は必ずしも求められていなかった訳で、普段は書けないようなものも書けたわけである。監督もいないし、指揮も自分がする。ストラヴィンスキーの「春の祭典」に通じるような音楽を書いても今は批難する人は誰もいない。というわけで基本的にアポロ芸術的ではあるが、全身の筋肉に力を込めた古代オリンピック選手達の躍動を想起させる音楽となっている。前半だけ、今日初めて指揮棒を使ったカーチュン・ウォンは、日フィルから凄絶な響きを引き出すが、虚仮威しではなく、密度の濃い音楽として再現する。バルセロナやカタルーニャ地方を讃える歌をうたった東京音楽大学の合唱も力強かった。

タブレット譜を見ながらピアノを演奏した中野翔太。プレ・カレッジから学部、大学院まで一貫してジュリアード音楽院で教育を受けたピアニストであり、晩年の坂本龍一と交流があって、今年の3月に行われた東北ユースオーケストラの坂本龍一追悼コンサートツアーにもソリストとして参加。「戦場のメリークリスマス」を弾く様子がEテレで放送されている。
地中海のテーマは、ピアノソロも力強い演奏が要求され、中野は熱演。
先に書いた通り、スピーカーからもピアノの音が鳴っていたが、そういう設定が必要とされていたのかどうかについては分からない。


アンコール演奏。カーチュン・ウォンは、「アンコール、Aqua」と語って演奏が始まる。坂本龍一本人がアンコール演奏に選ぶことも多かった「Aqua」。穏やかで優しく、瑞々しく、ノスタルジックでやはりどこかセンチメンタルという音楽が流れていく。坂本本人は「日本人作曲家だから日本の音楽を書くべき」という意見に反対している。岡部まりからインタビューを受けて、日本人じゃなくても作曲家にはなっていたという仮定もしている。だが、「Aqua」のような音楽を聴くとやはり坂本龍一も日本人作曲家であり、三善晃の弟子であったことが強く感じられる。

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なお、カーテンコールのみ写真撮影が可能であった。

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池袋では雨は降っていなかったが、帰りの山手線では新宿を過ぎたあたりから本降り、品川では土砂降りとなった。

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2024年5月26日 (日)

コンサートの記(845) ローム クラシック スペシャル 2024 「日本フィル エデュケーション・プログラム 小学生からのクラシック・コンサート」 グリーグ 劇音楽「ペール・ギュント」より@ロームシアター京都サウスホール

2024年5月6日 左京区岡崎のロームシアター京都サウスホールにて

午後2時から、左京区岡崎のロームシアター京都サウスホールで、海老原光指揮日本フィルハーモニー交響楽団によるローム クラシック スペシャル「心と体で楽しもう!クラシックの名曲 2024 日本フィル エデュケーション・プログラム 小学生からのクラシック・コンサート」を聴く。上演時間約70分休憩なしの公演。演目はグリーグの劇音楽「ペール・ギュント」より抜粋で、江原陽子(えばら・ようこ)がナビゲーターを務める。

毎年のようにロームシアター京都で公演を行っている日本フィルハーモニー交響楽団。夏にもロームシアター京都メインホールで主に親子向けのコンサートを行う予定がある。

昔から人気曲目であったグリーグの劇付随音楽「ペール・ギュント」であるが、2つの組曲で演奏されることがほとんどであった。CDでは、ネーメ・ヤルヴィ指揮エーテボリ交響楽団による全曲盤(ドイツ・グラモフォン)、ヘルベルト・ブロムシュテット指揮サンフランシスコ交響楽団(DECCA)やネーメの息子であるパーヴォ・ヤルヴィ指揮エストニア国立交響楽団の抜粋盤(ヴァージン・クラシックス)などが出ているが、演奏会で組曲版以外が取り上げられるのは珍しく、シャルル・デュトワ指揮NHK交響楽団の定期演奏会で取り上げられた全曲版が実演に接した唯一の機会だろうか。この時は歌手や合唱も含めた演奏だったが、今回はオーケストラのみの演奏で、前奏曲「婚礼の場にて」、「夜の情景」、「婚礼の場にて」(前半部分)以外は2つの組曲に含まれる曲で構成されている。

ヘンリック・イプセンの戯曲「ペール・ギュント」は、レーゼドラマ(読むための戯曲)として書かれたもので、イプセンは上演する気は全くなかったが、「どうしても」と頼まれて断り切れず、「グリーグの劇音楽付きなら」という条件で上演を許可。初演は成功し、その後も上演を重ねるが、やはりレーゼドラマを上演するのは無理があったのか、一度上演が途切れると再演が行われることはなくなり、グリーグが書いた音楽のみが有名になっている。近年、「ペール・ギュント」上演復活の動きがいくつかあり、私も日韓合同プロジェクトによるものを観た(グリーグの音楽は未使用)が、ゲテモノに近い出来であった。
近代社会に突如現れた原始の感性を持った若者、ペール・ギュントの冒険譚で、モロッコやアラビアが舞台になるなど、スケールの大きな話だが、ラストはミニマムに終わるというもので、『イプセン戯曲全集』に収録されているほか、再編成された単行本なども出ている。

今回の上演では、海老原光、江原陽子、日フィル企画制作部が台本を纏めて共同演出し、老いたソルヴェイグが結婚を前にした孫娘に、今は亡き夫のペール・ギュントの昔話を語るという形を取っている。江原陽子がナレーターを務め、「山の魔王の宮殿にて」では聴衆に指拍子と手拍子とアクションを、「アニトラの踊り」ではハンカチなどの布を使った動きを求めるなど聴衆参加型のコンサートとなっている。


指揮者の海老原光は、私と同じ1974年生まれ。同い年の指揮者には大井剛史(おおい・たけし)や村上寿昭などがいる。鹿児島出身で、進学校として全国的に有名な鹿児島ラ・サール中学校・高等学校を卒業後に東京芸術大学に進学。学部を経て大学院に進んで修了した。その後、ハンガリー国立歌劇場で研鑽を積み、2007年、クロアチアのロヴロ・フォン・マタチッチ国際指揮者コンクールで3位に入賞。2010年のアントニオ・ペドロッティ国際指揮者コンクールでは審査員特別賞を受賞している。指揮を小林研一郎、高階正光、コヴァーチ・ヤーノシュらに師事。日フィルの京都公演で何度か指揮をしているほか、日本国内のオーケストラに数多く客演。クロアチアやハンガリーなど海外のオーケストラも指揮している。2019年に福岡県那珂川市に新設されたプロ室内オーケストラ、九州シティフィルハーモニー室内合奏団の首席指揮者に就任し、第1回と第2回の定期演奏会を指揮した(このオーケストラはその後、大分県竹田市に本拠地を移転し、改組と名称の変更が行われており、シェフ生活は短いものとなった)。

ナビゲーターの江原陽子は、東京藝術大学(東京芸術大学は国立大学法人ということもあり、新字体の「東京芸術大学」が登記上の名称であるが、校門やWeb上で使われている旧字体の「東京藝術大学」も併用されており、どちらを使うかはその人次第である)音楽学部声楽科を卒業。現在、洗足学園音楽大学の教授を務めている。藝大在学中から4年間、NHKの番組で「歌のおねえさん」を務め、その後、教職や自身の音楽活動の他に、歌や司会でクラシックコンサートのナビゲーターとしても活躍している。日フィルの「夏休みコンサート」には1991年から歌と司会で参加するなど、コンビ歴は長い。


舞台後方にスクリーンが下がっており、ここに江原のアップや客席、たまにオーケストラの演奏などが映る。

海老原光の演奏に接するのは久しぶり。私と同い年だが、にしては白髪が目立つ。今年で50歳を迎えるが、指揮者の世界では50歳はまだ若手に入る。キビキビした動きで日フィルから潤いと勢いのある響きを引き出す。ビートは基本的にはそれほど大きくなく、ここぞという時に手を広げる。左手の使い方も効果的である。

日フィルは、創設者である渡邉暁雄の下で、世界初のステレオ録音による「シベリウス交響曲全集」と世界初のデジタル録音による「シベリウス交響曲全集」をリリースし、更にはフィンランド出身のピエタリ・インキネンとシベリウス交響曲チクルスをサントリーホールで行って、ライブ録音を3度目の全集として出すなどシベリウスに強いが、渡邉の影響でシベリウス以外の北欧ものも得意としている。北欧出身者ではないが、フィンランドの隣国であるエストニアの出身で北欧ものを得意としているネーメ・ヤルヴィ(現在は日フィルの客員首席指揮者)を定期的に招いていることもプラスに働いているだろう。

音楽は物語順に演奏され、合間を江原のナレーションが繋ぐ。降り番の楽団員やスタッフも進行に加わる。演奏曲目は、前奏曲「婚礼の場にて」、「イングリットの嘆き」、「山の魔王の宮殿にて」、「オーゼの死」、「朝(朝の気分)」、「アラビアの踊り」、「アニトラの踊り」、「ペール・ギュントの帰郷」、「夜の情景」、「ソルヴェイグの歌」、そしてペール・ギュントとソルヴェイグの孫娘の結婚式があるということで「婚礼の場にて」の前半部分が再び演奏される。

ロームシアター京都サウスホールは、京都会館第2ホールを改修したもので、特別な音響設計はなされておらず、残響もほとんどないが、空間がそれほど大きくないので音はよく聞こえる。日フィルも音色の表出の巧みさといい、全体の音響バランスの堅固さといい、東京芸術劇場コンサートホールやサントリーホールで聴いていた90年代に比べると大分器用なオーケストラへと変わっているようである。
江原陽子のナビゲートも流石の手慣れたものだった。


演奏終了後に撮影タイムが設けられており(SNS上での宣伝に使って貰うためで、スマホやタブレットなどに付いているカメラのみ可。ネットに繋げない本格的な撮影機材は駄目らしい)多くの人がステージにカメラを向けていた。

終演後には、海老原光と江原陽子によるサイン会があったようである。

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2022年6月13日 (月)

コンサートの記(781) 「コバケン・ワールド in KYOTO」Vol.2

2022年6月4日 左京区岡崎のロームシアター京都メインホールにて

午後2時から、左京区岡崎のロームシアター京都メインホールで、「コバケン・ワールド in KYOTO」Vol.2を聴く。東京でコバケンこと小林研一郎が日本フィルハーモニー交響楽団を指揮して行っている特別コンサートの京都版、昨年に続いて2回目である。

ロームシアター京都オープン当初から積極的に演奏会を開催している日本フィルハーモニー交響楽団(日フィル。JPO)。この3月まで京都市交響楽団の常任指揮者を務めていた広上淳一(現在はフレンド・オブ・JPOの肩書きを得ている)との繋がりがあるのかどうかは分からないが、「東京のオーケストラの関西公演といえば大阪のザ・シンフォニーホールかフェスティバルホール」という状況を変えつつある。今年、日フィルは京都で3回の公演を行うが、そのうち2回は親子向けのコンサートで、一般向けのコンサートは、「コバケン・ワールド」のみとなる。

昨年のローム・ミュージック・フェスティバルには東京交響楽団が登場(コロナのために無観客での配信公演のみとなった)、今年のローム・ミュージック・フェスティバルには新日本フィルハーモニー交響楽団がロームシアター京都メインホールのステージを踏むなど、東京のオーケストラが京都コンサートホールではなくロームシアター京都で公演を行うことも増えている。今年のNHK交響楽団の京都公演(秋山和慶指揮)も京都コンサートホールではなくロームシアター京都メインホールで行われる予定である(N響がロームシアター京都メインホールで京都公演を行うのは2度目)。その中にあって、日フィルは京都での売り込みには一歩リードしている形となる。


曲目は、ウェーバーの歌劇「オベロン」序曲、ブルッフのヴァイオリン協奏曲第1番(ヴァイオリン独奏:千住真理子)、ベートーヴェンの交響曲第7番。

今日のコンサートマスターは、日フィル・ソロ・コンサートマスターの扇谷泰明。ソロ・チェロ奏者として菊地知也の名も無料パンフレットに記載されている。ドイツ式の現代配置での演奏。


現在は日本フィルハーモニー交響楽団桂冠名誉指揮者の称号を得ている小林研一郎。「炎のコバケン」の愛称で親しまれており、岩城宏之の後を継いで、年末の「ベートーヴェン交響曲一挙上演」の指揮を担っていることでも知られている。非常に熱心なファンを持つ一方で、アンチもまた多いことで有名。
レパートリーはそれほど広くなく、気に入った曲目を何度も取り上げるというところは朝比奈隆にも似ている。
第1回ブダペスト国際指揮者コンクールで優勝。小林は東京藝術大学を二度出ている(作曲科と指揮科。東京藝大は編入を認めていないため再入学している)ということで、指揮科を卒業した時にはそれなりの年。今はそうでもないが、当時の指揮者コンクールは、「応募出来るのは29歳まで」というところがほとんどで、小林は応募資格がなかったが、ブダペスト国際指揮者コンクールは「35歳まで」年齢制限が緩かったので、参加して優勝を勝ち得た。そうしてハンガリーの音楽好きに気に入られ、同国最高のオーケストラであるハンガリー国立交響楽団(現・ハンガリー国立フィルハーモニー管弦楽団)の音楽総監督を長年に渡って務めたほか、ヨーロッパ各地のオーケストラに招かれている。ネーデルランド・フィルハーモニー管弦楽団の常任客演指揮者を25年の長きに渡って務めているのも特筆事項である。
国内では日本フィルハーモニー交響楽団や京都市交響楽団、名古屋フィルハーモニー交響楽団などのシェフを務めており、特に日本フィルとは、渡邉暁雄亡き後の精神的支柱として長年に渡って称号を変えつつ共演を重ねてきた。


ウェーバーの歌劇「オベロン」序曲。小林は暗譜で指揮を行う。唸り声を上がるためか、マスクはしたままの指揮である。
東京に通っていた頃から何度もコンサートに接してきた日本フィル。当時は弦の弱さが顕著だったのだが、今は弦の音色も引き締まり、厚みがある上に表現力も高い。
ウェーバーは、保守的な作曲家であるが、その分、ドイツの伝統に則った音楽を生み出しており、重厚なロマンティシズムが耳に心地よい。


ブルッフのヴァイオリン協奏曲第1番。
ヴァイオリン独奏の千住真理子は、千住三兄妹(画家の千住博、作曲家の千住明、ヴァイオリニストの千住真理子)の末っ子としてよく知られている。一時期、ヴァイオリンを続けることに疑問を感じ、音大には進まず、慶應女子高校から慶應義塾大学文学部に内部進学したが、普通の大学出身であるデメリットとして「お友達が出来ない」ことを挙げていた。大学卒業後に指揮者のジュゼッペ・シノーポリに認められ、ヨーロッパデビューを飾り、以後、国内外での活躍を続けている。


千住真理子は人気ヴァイオリニストであるが、これまで生で聴いた記憶がなく、CDも持っていないので、演奏を聴くこと自体、今回が初めてとなるかも知れない。
美音であるが「磨き抜かれた」音とは少し違い、渋さも兼ね備えている。スケールも大きすぎず小さすぎずで、楽曲の本質をよく捉えたヴァイオリンという印象を受ける。表現の幅も広めである。

小林は、オーケストラに正対するのではなく斜めにした指揮台の上で指揮を行う。以前、オリ・ムストネンが京都市交響楽団に客演した時に、ピアノを斜めにおいて弾き振りしているのを見たことがあるが、指揮台を斜めにおいてその上で指揮するというスタイルを目にするのは初めてである。この曲では総譜を見ながらの指揮。
日フィルからロマンティックな音を引き出していた。

千住のアンコール演奏曲目は、「アメイジング・グレイス」。祈りと愛に溢れつつ、切れもあるという演奏であった。


ベートーヴェンの交響曲第7番。小林はこの曲も暗譜で指揮する。
「炎のコバケン」という愛称からも分かるとおり、熱い演奏を行う小林研一郎にぴったりの曲だが、いたずらに情熱を振りかざすだけではなく、低弦を分厚く築いた強固なフォルム作りが印象的である。日本人はピラミッド型のバランス作りという発想自体を持っていないことが多いのだが、小林は海外での経験が長いためか、低弦をしっかり築いた演奏を行っている。
重低音が魅力の日本のオーケストラというと、大阪フィルハーモニー交響楽団が代表格であるが、大フィルでも、ここまで低弦を分厚くしたベートーヴェンを聴くことは滅多にない。


演奏終了後、小林はマイクを手にスピーチを行う(マスクはしたまま)。「京都は我々に大きな命を与えてくれる場所です」と語りだし、ローム・ミュージック・ファンデーションに大変お世話になっているという話をした。

アンコールはまず、小林のアンコール演目の定番である「ダニー・ボーイ(ロンドンデリーの歌)」。叙情味溢れる演奏である。

最後は、ベートーヴェンの交響曲第7番第4楽章より終結部。やや粗めの演奏であったが、会場を盛り上げた。


小林は最後に、「京響も素晴らしいんですが、日本フィルも。年に1回しか来られないものですから」と、「コバケン・ワールド in KYOTO」の年複数回開催の希望を語った。

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2021年4月 8日 (木)

コンサートの記(706) 「コバケン・ワールド in KYOTO」@ロームシアター京都メインホール 2021.4.4

2021年4月4日 左京区岡崎のロームシアター京都メインホールにて

午後2時から、左京区岡崎のロームシアター京都メインホールで、「コバケン・ワールド in KYOTO」を聴く。指揮とお話を小林研一郎が受け持つコンサート。
本来は、今年の1月23日に行われるはずの公演だったのだが、東京も京都も緊急事態宣言下ということもあり、今日に順延となった。

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現在は桂冠名誉指揮者の称号を得ている小林研一郎と日本フィルハーモニー交響楽団のコンビによる演奏である。
「炎のコバケン」の名でも知られる小林研一郎は、京都市交響楽団の常任指揮者を務めていたことがあり、日フィルこと日本フィルハーモニー交響楽団もロームシアター京都が出来てからは毎年のように京都での公演を行っているが、親子コンサートなどが中心であり(来月5日の子どもの日にも、ロームシアター京都のサウスホールで、海老原光の指揮により「小学生からのクラシック・コンサート」を行う予定)、本格的な演奏会を行うのは今回が初めてとなる。コバケンと日フィルの顔合わせで京都公演を行うのは今回が初めてとなるようだ。

 

小林研一郎は、1940年生まれで、昨年卒寿を迎えた。福島県いわき市出身。東京藝術大学作曲科卒業後に同大指揮科を再受験。芸大は編入などを一切認めていないため、受験勉強をやり直して合格し、1年生から再スタートしている。その頃は指揮者コンクールの多くに29歳までと年齢制限があり、小林は年齢で引っかかったが、年齢制限が緩かったブダペスト国際指揮者コンクールに応募して第1位を獲得。その縁でハンガリーでの活動が増え、同国最高のポストであるハンガリー国立交響楽団(現・ハンガリー国立フィルハーモニー管弦楽団)の音楽監督としても活躍。チェコ・フィルハーモニー管弦楽団の首席客演指揮者時代には、「プラハの春」音楽祭のオープニングである、スメタナの連作交響詩「我が祖国」の指揮も務めている。
日本では日本フィルハーモニー交響楽団と長年に渡ってパートナーを組み、首席指揮者、常任指揮者、音楽監督と肩書きを変え、2010年に名誉指揮者の称号を与えられている。1985年より京都市交響楽団常任指揮者を2年だけ務めた。最近はインスタグラムにはまっているようで、更新回数も多い。

日本フィルハーモニー交響楽団は、元々はフジサンケイグループの文化放送が創設したオーケストラであり、ドイツ本流の楽団を目指すNHK交響楽団に対抗する形でアメリカのオーケストラを範とするスタイルを採用。渡邉暁雄や小澤征爾をシェフとして、一時はN響と共に日本を代表する二大オーケストラと見なされていた時期もあったが、1972年にフジテレビと文化放送から一方的な資金打ち切りと解散を命じられる。この時、小澤征爾が日本芸術院賞受賞の際に昭和天皇に直訴を行い、右翼から睨まれるなど社会問題に発展している。結局、小澤とそれに従った楽団員が新日本フィルハーモニー交響楽団を創設し、残った日本フィルハーモニー交響楽団は「市民のためのオーケストラ」を標榜して、自主運営という形で再スタートを切った。
渡邉暁雄とは、世界初のステレオ録音による「シベリウス交響曲全集」と世界初のデジタル録音での「同全集」を作成するという快挙を成し遂げており、現在も首席指揮者にフィランド出身のピエタリ・インキネン(インキネンともシベリウス交響曲チクルスを行い、ライブ録音による全集がリリースされた)、客員首席指揮者にエストニア出身のネーメ・ヤルヴィ(ネーメともシベリウス交響曲チクルスを行っている)を頂くなど、シベリウスと北欧音楽の演奏に強さを発揮する。

そんな日フィルの京都における初の本格的な演奏会ということで、曲目には、グリーグの「ホルベルク組曲(ホルベアの時代から)」より第1曲“前奏曲”、グリーグのピアノ協奏曲イ短調(ピアノ独奏:田部京子)、グリーグの劇音楽「ペール・ギュント」より“朝”“オーゼの死”“アニトラの踊り”“山の魔王の宮殿にて”“ソルヴェイグの歌”、シベリウスの交響詩「フィンランディア」と北欧を代表する曲がずらりと並ぶ。初回ということで自分達の最も得意とする分野での勝負である。

今日のコンサートマスターは木野雅之(日本フィル・ソロ・コンサートマスター)、首席チェロが「ペール・ギュント」では活躍するということで、日本フィル・ソロ・チェロの菊池知也の名が無料パンフレットには記されている。

日本フィルは自主運営ということもあり、東京のオーケストラの中でも経済的基盤は弱い。今回のコロナ禍によって苦境に立っており、寄付を募っている。

 

グリーグの「ホルベルク組曲」より第1曲“前奏曲”は、指揮者なしでの演奏。弦楽合奏で演奏されることも多い曲だけに、整った仕上がりとなった。

その後、小林研一郎が登場。今日はマスクをしたままの指揮とトークである。「私が出遅れたというわけではありませんで、室内楽的な演奏を聴いて頂こう」というわけで指揮者なしでの演奏が行われたことを説明する。
その後で、コバケンさんは、京都市交響楽団常任指揮者時代の話を少しする。任期中に出雲路にある現在の練習場が出来たこと、また新しいホール(京都コンサートホール)を作る約束をしてくれたこと、京都会館第1ホールで行われた年末の第九コンサートの思い出などである。

 

田部京子を独奏に迎えてのグリーグのピアノ協奏曲イ短調。田部京子はこの曲を得意としており、私自身も田部が弾くグリーグの実演に接するのはおそらく3度目となるはずである。田部の独奏によるグリーグのピアノ協奏曲を初めて聴いた時も日本フィルとの共演で、東京芸術劇場コンサートホールでの演奏会だったと記憶している。

田部京子は、北海道室蘭市生まれ。東京藝術大学附属高校在学中に、日本音楽コンクールで優勝。ベルリン芸術大学に進み、数々のコンクールで優勝や入賞を重ねている。リリシズム溢れるピアノが持ち味で、グリーグなどの北欧作品の他に、シューマン、シューベルトを得意とし、シベリウスに影響を受けた作曲家である吉松隆の「プレアデス舞曲集」の初演者にも選ばれて、CDのリリースを続けている。

先に書いた通り、田部の弾くグリーグのピアノ協奏曲は何度も聴いているが、結晶化された透明度の高い音が最大の特徴である。国民楽派のグリーグの作品ということで、民族舞曲的側面を強調することも以前は多かったのだが、今回は控えめになっていた。
スケールも大きく、理想的な演奏が展開される。

今回は指揮台の前に譜面台は用意されておらず、小林は全曲暗譜での指揮となる。
ゲネラルパウゼを長めに取ったり、独特のタメの作り方などが個性的である。

田部のアンコール演奏は、シベリウスの「樹の組曲」より“樅の木”。田部はシャンドス・レーベルに「シベリウス ピアノ曲集」を録音しており、「樹の組曲」も含まれていて、現在ではナクソスのミュージック・ライブラリーでも聴くことが出来る。
透明感と憂いとロマンティシズムに溢れる曲と演奏であり、田部の長所が最大限に発揮されている。
シベリウスはヴァイオリンを自身の楽器とした作曲家で、ピアノも普通に弾けたがそれほど好んだわけではなく、残されたピアノ曲は全て依頼によって書かれたもので、自分から積極的に作曲したものはないとされる。ピアノ協奏曲やピアノ・ソナタなども手がけていない。ただ、こうした曲を聴くと、ピアノ曲ももっと聴かれても良いのではないかと思えてくる。

 

後半、グリーグの「ペール・ギュント」より。第1組曲に「ソルヴェイグの歌」(第2組曲に入っている)が足された形での演奏である。

演奏開始前に、小林はマイクを手にスピーチ。演奏だけではなく「ペール・ギュント」という作品のあらすじについても語りながら進めたいとのことで、出来れば1曲ごとに拍手をして欲しいと語る。

第1曲の「朝」は非常に有名な曲で、グリーグや「ペール・ギュント」に関する知識がない人でも一度は耳にしたことのある作品である。
この曲は、「モロッコ高原での朝について書かれたものですが、やはり作曲者の故郷の、氷が張った海に朝日が差し込むような、あるいは日本の光景でも良いのですが、そうしたものを思い浮かべて頂ければ」というようなことを語ってのスタートである。
ヘンリック・イプセンの「ペール・ギュント」は、レーゼドラマ(読む戯曲)として書かれたもので、イプセン自身は上演を念頭に置いていなかったのだが、「上演して欲しい」との要望を断り切れなくなり、ノルウェーを代表する作曲家になりつつあったグリーグの劇付随音楽ありならという条件の下で初演が行われ、一応の成功はしているが、その後はグリーグの曲ばかりが有名になっている。「ペール・ギュント」のテキストは、イプセン全集に収められていたり、単行本も出ていたりで、日本でも手に入れることは可能である。

「オーゼの死」について小林は、シンプルなメロディーで見事な効果を上げていることを褒め、「アニトラの踊り」の妖しさ、「山の魔王の宮殿にて」(3月で放送が終了した「ららら♪クラシック」のオープニングテーマであった)の毒についても語る。「ソルヴェイグの歌」は、ペール・ギュントの恋人であるソルヴェイグが、今どこにいるのか分からないペール・ギュントを思いながら歌う曲である。コバケンさんは、ペール・ギュントと共にソルヴェイグが死ぬ時の歌と説明していたが、厳密には誤りで、ペール・ギュントが息絶える時に歌われるのは「ソルヴェイグの子守歌」という別の歌で、ソルヴェイグ自身は死ぬことはない。

この曲でもゲネラルパウゼが長めに取られるなど、小林らしい個性が聴かれる。

 

シベリウスの交響詩「フィンランディア」の演奏前には、小林はステージ下手に置かれたピアノを弾きながら解説を行う。帝政ロシアの圧政のように響く冒頭は、小林の解釈によるとギロチンで処刑されるフィンランドの人々を描いたものだそうで、その後に悲しみのメロディーが流れ、やがて戦争が始まる。「フィンランド第2の国歌」として知られる部分を小林はテノールで歌った。

演奏も描写力に富んだもので、抒情美も見事であった。

 

アンコール演奏については、小林は、「よろしかったら2曲やらせて下さい」と先に言い、マスカーニの歌劇「カヴァレリア・ルスティカーナ」より間奏曲と、ブラームスのハンガリー舞曲第5番が演奏される。
ブラームスのハンガリー舞曲第5番は、スローテンポで開始して一気に加速するというアゴーギクを用いた演奏で、ハンガリーのロマ音楽本来の個性を再現していた。

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2020年6月11日 (木)

配信公演 広上淳一指揮日本フィルハーモニー交響楽団ソーシャル・ディスタンス・アンサンブル 「日本フィル&サントリーホール とっておきアフタヌーン オンラインスペシャル」(文字のみ)

2020年6月10日 東京・溜池山王のサントリーホールからの配信

今日は、広上淳一指揮日本フィルハーモニー交響楽団ソーシャル・ディスタンス・アンサンブル(弦楽合奏)によるサントリーホールからの配信公演「日本フィル&サントリーホール とっておきアフタヌーン オンラインスペシャル」が午後2時からある。休憩なし、上演時間約1時間のコンサート。

e+でのストリーミング配信。事前にチケットを購入し、メールで送られてきたURLで配信画面に飛んで視聴するというシステムである。

今日はテレワークなので、画面を見ながらはまずいが、音を聴きながら仕事は出来るため、午後2時からまず音だけを聴き、その後、アーカイブの映像を確認することにする。配信画像視聴には2種類の券があり、安い方は11日の午後2時まで映像を観ることが出来る。高い券だと比較的長い期間観られるのだが、私は安い券を買う。ちなみにアーカイブ映像視聴のためだけの券もある。


配信公演ということで、事前のアナウンスもホールに流れるが、いつもとは違ったものになっている。


今日の日本フィルハーモニー交響楽団は、ソーシャル・ディスタンス・アンサンブルという名で弦楽のみの編成、それも奏者間を広く空けての演奏である。コンサートマスターは田野倉雅秋。握手などが難しいというので、広上と田野倉は、何度もエアーハイタッチを行う。
管楽器は飛沫感染の危険性の高さを現時点では否定出来ないため、全ての楽器が揃っての演奏はまだ先になるかも知れない。


曲目は、グリーグの「ホルベアの時代から(ホルベルク組曲)」より第1曲“前奏曲”、エルガーの「愛の挨拶」(ヴァイオリン独奏:田野倉雅秋)、ドヴォルザークの「ユーモレスク」(弦楽合奏版)、チャイコフスキーの「弦楽セレナード」

広上淳一はマスクをしての指揮。司会進行役である音楽ライターの高坂はる香もマスクを付けて登場し、コンサートマスターの田野倉雅秋もトークの際はマスクを装着していた。


距離感を空けての演奏であり、通常のプルトでの合奏ではない。フォアシュピーラーは存在せず、その他の楽器も首席が一人だけ前に出て弾き、すぐ横に人がいないよう配慮しての演奏となる。

ということでアンサンブルとして万全とはいかないかも知れないが、久しぶりに日本のオーケストラの演奏を配信で聴けるということで嬉しくなる。


グリーグの「ホルベアの時代から(ホルベルク組曲)」より第1曲“前奏曲”はスプリングの効いた演奏で、躍動感と推進力に富む。日フィルは昔から音の洗練度に関しては東京の他のオーケストラに比べると不足しがちであり、今後も課題となってくるだろう。

演奏終了後に広上と高坂とのトーク。高坂が日本フィルハーモニー交響楽団が演奏を行うのは3ヶ月半ぶり、サントリーホールで演奏会が行われることも約2ヶ月ぶりだと説明。広上は、「ホールがもし言葉を喋ることが出来たら、『久しぶり、よく来たね!』と喜んでくれるだろう」と語る。
「ホルベアの時代から」に関して広上は、ホルベアというのはノルウェー文学の父とも呼ばれる人物で、グリーグにとってはベルゲンの街の先輩でもあった。この曲は元々はピアノ曲で、ヴァイオリンとピアノのための編曲が行われたり、歌詞が付けられて歌曲になったこともあったが、現在では弦楽合奏曲として知られていると語る。


「愛の挨拶」は、エルガーが奥さんとなるキャロラインに求婚した時に送った曲で、広上はキャロライン夫人の内助の功を、「今の大河(広上がメインテーマを指揮している「麒麟がくる」)でいうと、帰蝶のような、お濃さんのような」と例える(エルガーは遅咲きの作曲家である)。

「愛の挨拶」は、田野倉雅秋のヴァイオリンソロと弦楽アンサンブルの伴奏による演奏。少し速めのテンポを取り、愛らしさよりも流麗さを重視する。日本人なのでチャーミングな演奏は照れくさいということもあるのだろう。


ドヴォルザークの「ユーモレスク」は、クライスラー編曲によるヴァイオリンとピアノのデュオ版でも有名だが、今回はソリストを置かずに弦楽合奏版での演奏を行う。ユーモラスな曲想が広上の音楽性にも合っている。
トークで広上は、「ドヴォルザーク先生はヴィオラが得意、ヴィオラ奏者だった。ピアノはあんまり好きじゃなかった」と語るが、ロベルト・シューマンの影響でピアノ組曲を書こうと思い立ち、その7曲目が「ユーモレスク」で、様々な編曲による演奏で親しまれていると語る。


チャイコフスキーの「弦楽セレナード」。西欧ではロマン派全盛の時代となっており、装飾の多い雄弁な音楽が流行っていたが、遙か東方のロシアにいたチャイコフスキーはそれに疑問を感じ、モーツァルトを範とした「虚飾を排し、本質を突く」という意気込みで書いたのがこの「弦楽セレナード」だと語る。実際にパトロンであったフォン・メック夫人にそうした内容の手紙を送っているそうだ。

通常の「弦楽セレナード」よりも小さめの編成での演奏ということもあって、「虚飾を排し、本質を突く」というチャイコフスキーの意図がより鮮明になっているように感じられる。アレクサンドル・ラザレフやピエタリ・インキネンに鍛えられて性能が向上した日フィルであるが、更なる典雅さと優美さも欲しくなる。ただ広上の巧みな棒捌きに導かれて、フル編成でないにも関わらずスケールの豊かさとシャープさを兼ね備えた演奏で聴かせた。


アンコール演奏の前に広上は、「文化はAIやITのような科学文明の進歩とは違った、心を解き明かすもの」と語り、学校教育においては文化が大上段から語られるため誤解されやすいが、人間を人間たらしめている「心」を大切にし、描くものとしてその重要性を説いた。


アンコール演奏は、シベリウスの「アンダンテ・フェスティーヴォ(祝祭アンダンテ)」(弦楽合奏版)。広上は、日本フィルハーモニー交響楽団の初代常任指揮者で、現在も創立指揮者として頌えられている渡邉暁雄(わたなべ・あけお)が得意としたのがシベリウスだと語り、日フィルの創立記念日が渡邉暁雄の命日(6月22日)であるという因縁も述べる。

音楽が出来るという喜びと、ここから新しい演奏史が始まるのだという高揚感溢れる熱い演奏であった。

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2013年7月 9日 (火)

河村尚子(ピアノ) アレクサンドル・ラザレフ指揮日本フィルハーモニー交響楽団 ラフマニノフ ピアノ協奏曲第2番第1楽章 長崎ブリックホールにて

河村尚子公認による動画です。お楽しみ下さい。

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2013年7月 6日 (土)

コンサートの記(94) ピエタリ・インキネン指揮日本フィルハーモニー交響楽団第649回定期演奏会 「シベリウス・チクルスⅢ」

2013年4月26日 東京・溜池山王のサントリーホールにて

サントリーホールで、日本フィルハーモニー交響楽団の第649回定期演奏会い接する。指揮はピエタリ・インキネン。インキネンと日フィルによる「シベリウス交響曲チクルス」3回目にして最終回である。明日も同じ演目でマチネーがあるが、一応、これで今年のシベリウスファン最大の祭典は終わりを告げることになる。

今日演奏されるのは、交響曲第3番、第6番、第7番の3曲、第6番と第7番は続けて演奏される。

ピエタリ・インキネン指揮日本フィルハーモニー交響楽団第649回定期演奏会 「シベリウス・チクルスⅢ」

交響曲第3楽章冒頭、インキネンは余り旋律を歌わせず、誰よりも素朴な表現をする。ただその後の盛り上げ方、音の立体感の作り方は見事だ。とても三十代前半の指揮者の業とは思えない。日フィルも絶好調。シベリウスを演奏している時の日フィルはまさにスーパーオーケストラだ。

交響曲第6番のしっとりとした抒情と詩情、弦の透明さ、木管のリリカルさ、金管の輝き、いずれも文句なし。

交響曲第7番も同傾向で、インキネンのオーケストラ捌きの巧みさにも舌を巻く。

チクルス最終回に相応しい、好演であった。

「シベリウス・チクルスⅡ」の感想は、右下にある「コンサートの記」ではなく、「シベリウス」のカテゴリーをクリックして御覧下さい。

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2013年6月24日 (月)

コンサートの記(91) ピエタリ・インキネン指揮日本フィルハーモニー交響楽団第648回定期演奏会 「シベリウス・チクルスⅠ」

2013年3月15日 東京・溜池山王のサントリーホールにて

午後7時から、東京・赤坂のサントリーホールで、日本フィルハーモニー交響楽団の第648回定期演奏会に接する。フィンランド出身で日フィル首席客演指揮者のピエタリ・インキネンによるシベリウス・チクルスの第1回である。

曲目は、シベリウスの交響曲第1番と第5番。まずは他のコンサートでも良く取り上げられる曲で勝負してきた。

日本フィルハーモニー交響楽団は、創設に関わり長きに渡って関係を保ち続けた日本とフィンランドのハーフである指揮者、渡邉暁雄が好んでシベリウスを取り上げたという歴史を持っており、世界初のステレオ録音によるシベリウス交響曲全集、世界初のデジタル録音によるシベリウス交響曲全集を発表したのはいずれも渡邉&日フィルのコンビである。
ということで、シベリウスの演奏に関しては、日フィルも自信を持っている。

サントリーホールに来るのはおそらく15年ぶり。内装も「こんな感じだったかな?」と記憶が朧気である。残響が長いのが特徴だが、響き自体は大阪のザ・シンフォニーホールの方が良いと思う。

ピエタリ・インキネン指揮日本フィルハーモニー交響楽団第648回定期演奏会 「シベリウス・チクルスⅠ」

交響曲第1番。スマートな演奏だ。日フィルは東京のオーケストラの中では上位とは呼べないが、シベリウスの演奏に関しては流石である。インキネンの大風呂敷を広げすぎない解釈も良い。

交響曲第5番は、先月、レイフ・セーゲルスタム指揮大阪フィルハーモニー交響楽団の定期演奏で聴いたばかりだが、セーゲルスタムのシベリウスを表現美のシベリウスとすると、インキネンのシベリウスは解釈美のシベリウスだ。スケール壮大なセーゲルスタムに比べるとインキネンは細部のアンサンブルを重視しており、造形の確かなシベリウスを確立していた。

「シベリウス・チクルスⅡ」の感想は右下にある「コンサートの記」ではなく、「シベリウス」のカテゴリーをクリックして御覧下さい。

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2013年4月19日 (金)

猫町通り通信・鴨東記号 ピエタリ・インキネン指揮日本フィルハーモニー交響楽団 「シベリウス交響曲チクルスⅡ」

サントリーホールで行われるピエタリ・インキネン指揮日本フィルハーモニー交響楽団の「シベリウス交響曲チクルスⅡ」を聴くために東京に向かう。

今日は春にしては肌寒い日であったが、それは東京も同じであった。明日、明後日の東京は更に寒くなるという。体調に気をつけねばなるまい。

ピエタリ・インキネンはフィンランド出身の若手指揮者。1980年生まれだから指揮者としては若手の中でも更に若手の部類に入る。NAXOSから音楽監督を務めているニュージーランド交響楽団を指揮した「シベリウス交響曲全集」をリリースしているが、30歳になるかならないかの指揮者とは思えないほどの完成度を示し、注目を集める存在である。現在、日本フィルハーモニー交響楽団の首席客演指揮者の座にあり、その縁で、日本フィルとしては12年ぶりの「シベリウス交響曲全曲演奏会(チクルス)」に繋がった。ちなみに12年前に「シベリウス交響曲チクルス」を指揮したのは「シベリウス交響曲全集」を2度リリースしているネーメ・ヤルヴィである。

今日は交響曲第4番と第2番という組み合わせ。
交響曲第2番はシベリウスの交響曲の中で最もポピュラーな曲であり、演奏会のプログラムにたびたび載るが、交響曲第4番は完成度は随一ながら、暗い曲調と特殊な音楽性のために、おそらくシベリウスの交響曲の中でも最も演奏される機会の少ない曲だと思われる。この曲の実演を聴くのは私も初めてである。

前半が交響曲第4番、後半が交響曲第2番というプログラム。

インキネンが現れ、指揮台に立って一礼すると、まだ一音も発していないのに「ブラボー!」がかかる。この曲を取り上げてくれた御礼なのだろうか。

演奏する機会が少ないということは当然ながら演奏しなれていないわけで、指揮者、オーケストラともに負担は大きくなる。日フィルはシベリウスを演奏した回数が日本のオーケストラの中で一番多いと思うが、それでも金管、木管ともに完璧とはいかなかった。
一方の弦は透明で切れ味があり、胸が痛くなるような痛切な音楽を表現してみせる。
インキネンは流石に曲調をよく捉えており、おそらく人類史上最も見事に「絶望」を音楽に表した、この特異な交響曲を適度な抑制を持って演奏する。この曲はモーツァルトの二つのト短調やチャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」のように思い切った嘆きをしないだけに却って救いようのない曲である。
第2楽章冒頭で、木管が明るすぎたり、第4楽章でインキネンの交通整理が上手く機能しない場面もあったが、全体としては優れた出来であった。

交響曲第2番は模範的な演奏。他のコンビの演奏と比べると、良い意味で鄙びた印象を受ける。シベリウスの音楽は都会の音楽ではなく、大自然の中の音楽なのである。第4楽章は実に明るく、暗い場面があることなど忘れそうになるほどだった。

アンコールは「悲しきワルツ」。しっかりとした演奏であった。

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