カテゴリー「宗教音楽」の7件の記事

2025年12月24日 (水)

忌野清志郎+坂本龍一 「きよしこの夜」

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2025年11月13日 (木)

追悼・仲代達矢 これまでに観た映画より(411) 市川崑監督作品「炎上」

2025年11月11日

追悼のため、FODレンタルで大映映画「炎上」を観る。三島由紀夫の『金閣寺』の映画化。しかし京都の仏教界から批判が相次ぎ、かなり妥協して作った作品である。1958年の制作。東京タワーが竣工し、長嶋茂雄が読売ジャイアンツに入団し、広上淳一と大友直人が生まれた年だ。

原作:三島由紀夫。監督:市川崑。脚本:和田夏十(わだ・なっと。市川崑夫人)。音楽:黛敏郎。出演:八代目市川雷蔵、二代目中村鴈治郎、仲代達矢、新珠三千代、北林谷栄、中村玉緒ほか。モノクローム作品である。

金閣寺の名は使えず、驟閣寺(しゅうかくじ)となった。ちなみに大谷大学も駄目なのか小谷大学になっているが、却って品格を落としているような気がする。
撮影は大映京都撮影所内で行われているが、大徳寺境内とおぼしき場所も映っている。驟閣は、大覚寺の大沢池の上に2階建てのセットとして建てられたが、色々制限もあったからかややチャチである。世にも美しい驟閣とは思えないのだが、当時の実際の金閣の方も(正式には鹿苑寺舎利殿)も金はすでに剥げ落ち、木の目が露わになった建物で、しかも足利義満が建てた建物に更に継ぎ足して建てられた部分があり、歴史的価で国宝となったが、もはや美しいとは言えない建物であった。現在の再建された金閣(舎利殿)であるが、足利義満が建てたときの図面や古写真によって、外観は往時のものより整った。だが、金箔は貼ってもすぐに剥げてしまう。修学旅行で訪れた高校の引率の先生が、「あれじゃ金閣じゃなくて黒閣だ」と言ったという有名な話もある。実際、私が子どもの頃の金閣は、金までも黒ずんで真っ黒という姿であった。その後、創建時の技法などが研究され、金箔を二重に貼る工法が考案されて、以後は金ピカの金閣となっている。禅寺があんな金ぴかで良いのかとも思うが、極楽の実相観のためということなのだろう。

空襲に備えて、道路の拡幅のために、家が壊されるシーンがあり、豪快な屋台崩しが行われる。御池通、五条通、東山通(現在の東大路通。信号などに記された交差地点の名称は今も東大路ではなく東山〈例:東山七条〉となっているものが多い)などで道路の拡幅が行われた。こうした京都の街の歴史は案外、知られていない。

なお、金閣寺こと北山(ほくぜん)鹿苑寺は臨済宗の本山ではなく、京都御苑と同志社大学今出川校地の北にある本山相国寺の境外塔頭である。銀閣寺こと東山(とうざん)慈照寺も相国寺の境外塔頭であり、共に拝観料を取るため、相国寺は京都で最も金持ちの寺院と言われている(相国寺は境内に立ち入るのは無料)。ただこの映画では驟閣寺は本山ということになっている。

原作と違い、主人公である溝口(市川雷蔵)の母親が京都まで来て居座るのだが、この母親を演じているのが北林谷栄であり、やはり演技のキレやリアルさは頭一つ抜けている。

文学で言う「意識の流れ」のような手法が溝口の父親や母親との思い出において用いられているのが特徴。

溝口がなぜ驟閣を燃やさなくてはならなかったのか、吃音持ちという生い立ちから、母親の不倫、京都に出て修行に入り、戦争を経験し(京都は、西陣、太秦、東山馬町を除いて大規模な空襲はなかったが、溝口は、東京出身の鶴川という友人が東京に帰って空襲に遭い、亡くなるという経験をしていた)、老師(中村鴈治郎)を始めとする僧侶達の女遊びなど、世間を知るうちに、穢れた世界にあって、驟閣は美しすぎると考え、他者に与える訳にはいかないと思ったのかも知れない。

仲代達矢が演じるのは、頭は良いがチョイ悪の身体障害者、戸刈(原作の柏木に相当)である。吃音の溝口同じく障害者であるが、脚が不自由な戸刈は自身の障害を見せることで、人の気を引く術を心得ていた。ニヒルな役を、仲代は生来の眼力の強さでエネルギッシュに演じている。

市川崑監督作品ということで、袖を襖の間に挟んで強引に引き抜くというシーンは当然ながらある。


黛敏郎の音楽は仏教で用いられる楽器や声明を巧みに音楽として取り入れ、涅槃交響曲へと繋がる。他にパーカッションなどが効果的に用いられている。
黛敏郎は、後年、ベルリン・ドイツ・オペラの委嘱により歌劇「金閣寺」を書いている。三島の『金閣寺』をオペラ化した作品で、二十世紀に日本人の手によって書かれた音楽作品の筆頭ともいえる傑作である。

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2025年10月 4日 (土)

コンサートの記(921) ヤン・ヴィレム・デ・フリーント指揮京都市交響楽団第703回定期演奏会

2025年8月29日 京都コンサートホールにて

午後7時から、京都コンサートホールで、京都市交響楽団の第703回定期演奏会を聴く。指揮は京響首席客演指揮者のヤン・ヴィレム・デ・フリーント。なお、今日付で、デ・フリーントの首席客演指揮者の肩書きが2028年3月31日まで延長となることが発表された。世界的な知名度こそ低いが、紛うことなき名指揮者であるだけに朗報である。現代音楽をプログラムに入れることの多い沖澤のどかと古典に強いデ・フリーントがいれば京響の更なる躍進は約束されたも同然であろう。

 

曲目は、ドヴォルザークの「ロマンス」(ヴァイオリン独奏:HIMARI)、ヴィエニャフスキの「ファウスト幻想曲」(ヴァイオリン独奏:HIMARI)、モーツァルトの「レクイエム」(ジュスマイヤー版)

プレトークでは、デ・フリーントは、ヴィエニャフスキがパガニーニを意識して作曲したということに振れたが、モーツァルトの「レクイエム」については、弟子ジュスマイヤーの補筆が上手すぎて、「モーツァルトが書いたとしか思えない」とデ・フリーントは語る。デ・フリーントはどうも複数の作曲家による補筆ではないかと考えているようだが、ウィーンではなくザルツブルクに曲想があって、補筆者はそれを取り入れたのではないかとの類推を行っていた。ただそれだと時間的には厳しい。そしてジュスマイヤーがモーツァルトの弟子というのは近年では否定されつつある。フランツ・クサヴァー・ジュスマイヤーは一介の売れない作曲家であり、モーツァルトの妻であるコンスタンツェの不倫相手であった。モーツァルトの次男は実はモーツァルトの子ではなく、ジュスマイヤーとコンスタンツェの子で、モーツァルトはそれを察して、次男にフランツ・クサヴァーと命名している。
コンスタンツェは、「レクイエム」を完成させないと報酬を全額手に入れることが出来なくなるため、複数の知り合いの実力派作曲家を当たったが断られ、すぐそばにいたジュスマイヤーに補筆完成を頼んだのである。しかし、自身がジュスマイヤーの愛人というのは世間的に困る。またモーツァルトが最後の曲を妻の愛人に補筆完成させたとあっては世間体が悪い。そこでコンスタンツェは嘘をつき、ジュスマイヤーをモーツァルトの弟子としたのである。夫の弟子なら、コンスタンツェのすぐそばにいてもおかしくない。
その後、ジュスマイヤーは売れっ子になっていく。

 

天才ヴァイオリン少女として注目されているHIMARI。現在、14歳だが、すでにベルリン・フィルなど世界的名門オーケストラとの共演経験がある。11歳でフィラデルフィアのカーティス音楽院に史上最年少での入学。アメリカ国内やヨーロッパの名門オーケストラとの共演を重ねている。天才少女の登場ということで、チケットは完売である。

今日のコンサートマスターは、泉原隆志。フォアシュピーラーに、尾﨑平。ヴァイオリン両翼の古典配置をベースとしているが、中山航介君が叩くティンパニは上手端の一段高いところに置かれている。中山君の背後にもう一つ小型のティンパニがあり、モーツァルトで使われるバロックティンパニであることが分かる。
管の首席だが、フルート首席の上野博昭はヴィエニャフスキから、クラリネット首席の小谷口直子はモーツァルトのみの参加である。トランペット首席のハラルド・ナエスは降り番であった。客演首席ヴィオラ奏者に大野若菜、客演首席チェロ奏者に水野優也、客演首席トロンボーン奏者に清澄貴之が入る。

デ・フリーントは、背が高いということもあり、指揮台を置かずステージ上に直接立っての指揮である。ノンタクトであり、拍と音型の両方を表す時もある。

 

ドヴォルザークの「ロマンス」。HIMARIは、白いドレスで登場。透明感のある京響の伴奏を受けて、温かみのある音を奏でる。温かみがあるのにシルキーという非常に珍しいヴァイオリンを奏でる人だ。

ヴィエニャフスキのファウスト幻想曲では、一転して切れ味鋭い表現を聴かせる。音のパレットが非常に豊かという印象を受けた。京響もデ・フリーントの指揮の下、非常にアグレッシブな伴奏を聴かせた。

 

アンコール演奏は、イザイの無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第6番。ヴァイオリンで出来ることを極限まで突きつめたかのような曲だが、鮮やかに弾きこなしてみせる。

スタンディングオベーションを送る男性が何人もおり(女性はおそらくいない)。最前列の一人は、ステージ上のHIMARIに花束を渡していた。

さて今後であるが、一度、コンサートから距離を置いて練習とレッスンに励むのが良いと思われる。ユーディ・メニューインという神童ヴァイオリニストがいて、若い頃から世界中のオーケストラや名指揮者と共演し、リサイタルを開いたが、練習やレッスンに当てる時間がほとんどなくなったため、後年も有名ヴァイオリニストではあったが、超一流ヴァイオリニストには届かず、晩年は指揮者としての活動の方が増えていた。
諏訪内晶子はそうした先例を知っていたため、チャイコフスキー国際コンクール・ヴァイオリン部門で優勝した後もジュリアード音楽院での研鑽に没頭している。井上道義が、チャイコフスキー国際コンクール優勝直後に共演を申し出たことがあるそうだが、「私、勉強します」と首を縦に振らなかったという。

 

モーツァルトの「レクイエム」(ジュスマイヤー版)。合唱は京響コーラス。独唱は、石橋栄実(えみ。ソプラノ)、中島郁子(メゾ・ソプラノ)、山本康寛(テノール)、平野和(やすし。バス・バリトン)。
オーケストラ団員が黒の衣装なのは普通だが、京響コーラスも全員黒い衣装。指揮者のデ・フリーントも黒の上下で、男性歌手はタキシードだが、女性歌手二人も黒のドレスで喪服のようである。ということでステージ上が黒づくめになる。しかも独唱者は、舞台の中央におらず、男性歌手はステージ上手端、女性歌手は下手端に座っていて、独唱の時だけステージ中央に向かい、歌が終わったら去るということで、あたかもモーツァルトの葬儀に参列したような気分になる。
徹底したピリオド・アプローチであり、テンポもかなり速め、合唱が立体的で非常にうねりが強い。
最初の独唱者はソプラノの石橋栄実だが、喪服に似たドレスで下手端からゆっくり歩いて来て中央付近で歌うので、弔辞を行っているように見える。今月は広島交響楽団とマーラーの交響曲第4番のソリストとして全国を回った石橋栄実だが、その時とは大きく異なる、空気を切り裂くような鋭い歌声である。独唱者が歩んでは去るという光景が繰り返され、シアトリカルな演奏となった。
初めて接するピリオド・アプローチによるモーツァルトの「レクイエム」であり、デモーニッシュさが更に増した恐るべき音楽を聴くことになった。

演奏終了後、デ・フリーントは、下手の高くなった段の上を走って京響コーラスに近づき、健闘を称えると同時に若さをアピールしていた。

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2025年9月24日 (水)

コンサートの記(918) 「バロック・オペラ・エボリューション2025 濱田芳通&アントネッロの歌劇『オルフェオ』」

2025年2月16日 西宮北口の兵庫県立芸術文化センター阪急中ホールにて

午後2時から、西宮北口の兵庫県立芸術文化センター阪急中ホールで、「バロック・オペラ・エボリューション2025 濱田芳通&アントネッロの歌劇『オルフェオ』」を観る。

現在、歌劇と呼ばれているジャンルの作品の中では最も古い人気作とされるモンテヴェルディの歌劇「オルフェオ」。バロック・オペラと銘打たれているが、厳密に言うとバロックよりも前の時代の作品である。ただ上演されることは多くはない。また1607年というかなり古い時代(日本では江戸時代が始まったばかり。イギリスではシェイクスピアがまだ存命中である)の作品であるため、現在の歌劇=オペラと同列に語ることは難しい。そもそもこの時代にはまだオペラという用語は存在していない。

歌劇「オルフェオ」以外にも、声楽作品の最高峰を競うと言われる「聖母マリアの夕べの祈り」などで知られるクラウディオ・モンテヴェルディ。ジュゼッペ・ヴェルディを上回る才能を誇ったともされる人である。譜面や記録が残っていないだけという可能性もあるが、モンテヴェルディより前の時代の人気イタリア人作曲家は存在しておらず、イタリア史上初の人気作曲家として偉大な才能であったことは間違いない。イギリス人のジョン・エリオット・ガーディナーがモンテヴェルディ合唱団とモンテヴェルディ管弦楽団を設立してモンテヴェルディ作品に人気向上に一役買ったが、現在、このコンビ(実際にはガーディナーは解雇されてもうコンビではないが)はパワハラ疑惑の渦中にあるのが残念である。

「オルフェオ」は有名なギリシャ神話を題材にしている。日本でも伊弉諾(いざなぎ)と伊弉冉(いざなみ)の黄泉比良坂の話に似ていることで知られている話である。また、一応、「天国」や「地獄」という言葉が歌詞に出てくるが、古代ギリシャにも日本の神道にも、あの世(「冥府」「冥界」「黄泉国」)というものがあるだけで、生前の行いによって天国か地獄かに分かれるという考え方はない。歌劇「オルフェオ」でも、神々の世界はあるが、あの世はあの世で、上や下や天国や地獄はないようである。

今回、上演を行うのは、濱田芳通率いるアントネッロという団体。アントネッロは1994年の結成で、バロック音楽やそれ以前の音楽をレパートリーの中心としている。今回も古楽器による演奏で、チェロは用いられず、ヴィオラ・ダ・ガンバが低弦を担う(形は似ているが、ヴィオラ・ダ・ガンバとチェロは別種の楽器である)。ヴィオローネというヴィオラ・ダ・ガンバとコントラバスの中間のような楽器も使用される(ヴィオラ・ダ・ガンバとコントラバスは親戚とされる。この辺がややこしい)。ヴァイオリンやヴィオラはガット弦を張ったもの。コルネットも用いられるが、これも現在のコルネットとは形状が異なる。またこの時代は横笛よりも縦笛の方がメジャーで、リコーダーが活躍する。サクバットというトロンボーンの原型のような楽器が活躍するが、トロンボーン同様、宗教音楽でよく用いられた楽器である。オルガンやチェンバロも当然ながら演奏される。

指揮とコルネット、リコーダーなどを担当する濱田芳通は、東京音楽大学(当初は東洋音楽学校)の創設者の家系に繋がる人である。ただ東京音大には古楽系の専攻がないためか、桐朋学園大学の古楽器科に進み、スイスのバーゼル・スコラ・カントールムに留学。現在は初期オペラの上演などを数多く手掛けている。第7回ホテルオークラ賞、第53回サントリー音楽賞などを受賞。

出演は、坂下忠弘(バリトン。オルフェウス)、岡﨑陽香(おかざき・はるか。ソプラノ。エウリディーチェ)、中山美紀(ソプラノ。ムジカ/プロゼルピナ)、弥勒忠史(みろく・ただし。カウンターテナー。メッサジェーラ)、中嶋俊晴(カウンターテナー。スペランツァ)、松井永太郎(バス・バリトン。プルトーネ)、中嶋克彦(テノール。牧人)、新田荘人(にった・まさと。カウンターテナー。牧人/精霊)、田尻健(たじり・たけし。テノール。牧人/精霊)、今野沙知恵(ソプラノ。ニンファ)、目黒知史(めぐろ・ともふみ。バス。カロンテ)、近野桂介(牧人/精霊)、酒井雄一(アポロ)、田崎美香(たさき・みか。ニンファ)。
演出は中村敬一。

ゲートがあるだけのシンプルなセット。背後のスクリーンに様々な絵画が投影される。

この時代はまだ音楽が舞踊と強く結びついていた時代であり、また宗教音楽が盛んであった。つまりこの二つの要素が濃厚であり、組み合わされている。舞踊音楽のようにリズミカルであり、宗教音楽のように清らかな発声で歌われる。

台本も後の世紀になると削られてしまうような、状況説明の歌詞が多いが、なるべく多くの歌手に出番を作ろうという意図もあったのかも知れない。おそらく、ロマン派以降のオペラになると、「この人いらないだろ」とカットされてしまうような人が割と多く出てくる。

 

よく知られている話だが、あらすじを書くと、オルフェオ(オルフェウス。「オルフェウスの竪琴」という言葉で知られているように竪琴を持っている)がエウリディーチェと夫婦になるが、エウリディーチェは毒蛇に噛まれて命を落とす。エウリディーチェを諦められないオルフェオは冥府へ赴き、冥界の川の渡し守であるカロンテの妨害を眠りに陥れることで突破して、冥界の王であるプルトーネと王女のプロゼルピナを説得して、エウリディーチェを現世に連れ帰る許しを得るが、「決して振り向いてはならぬ」という約束を守れなかったため、エウリディーチェと引き離される。
その後は、このオペラ独自の展開で、オルフェオは父親のアポロに促されて天上世界へと向かうことになる。原作では実は悲惨なことになるのだが、この作品では一応はハッピーエンドということに変えられている。

ストーリー自体は易しいので何の問題もないのだが、「その場にはいるが特に何もしていないと思われる人」が多いので、演出には工夫がいる。そのままだと「この人達は何をしているんだ?」ということになるが、今回はこの時代の絵画に見られるようにポーズを取るなどして、くつろいでいるように見せている。視覚的に美しい演出だと思う。またオーケストラピット浅くし、階段で下りられるようにして、その階段を使った演出も効果的。メッサジェーラはオーケストラピットに降りた後で、今度は客席通路を泣きながら上って去って行った。また出演者が手拍子を行う場面では、ニンファの二人が階段の途中まで降りて客席にも手拍子を促すなど、一体感を生む演出が施されていた。
問題があるとすれば、冥府でのオルフェオとエウリディーチェの場面で、おそらくは歩いているはずのシーンなのだが、二人とも止まっているため、何をしたいのか、また何をしているのかよく分からないように見えてしまう。少しは動きが必要だったのではないか。

エウリディーチェはヒロインではあるが、出番は余り多くないため、実は美味しい役ではないようにも思う。

歌唱面は充実。カウンターテナーが3人もいるということが時代を物語っているが、カウンターテナーだからこそ生み出せるシーンであることが実際に観ていると看取出来る。
衣装も洒落ていて(衣装担当は東京衣装株式会社の村上まさあき)雰囲気の良い芝居に仕上がっていた。

この後にオペラと言われることになるジャンルは、神々の物語で、舞踊や宗教音楽と不即不離であり、状況を説明するだけの歌手がいた。ここからオペラは発展し、一部を除いて人間の物語となり、純音楽的になり、無駄が省かれていく。その過程を確認する上でも、意義深い上演であった。

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2025年7月 4日 (金)

コンサートの記(906) 尾高忠明指揮大阪フィルハーモニー交響楽団第587回定期演奏会 エルガー 「ゲロンティアスの夢」

2025年4月12日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後3時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、大阪フィルハーモニー交響楽団の第587回定期演奏会を聴く。今日の指揮は、大フィル音楽監督の尾高忠明。

桜も散り始め、フェスティバルホール周辺の多くの桜が葉桜となっている。

今日の曲目は、エルガーの「ゲロンティアスの夢」1曲のみ。上演に約90分を要する大作である。エルガーの出世作で、イギリスではよく演奏されるが、日本で上演される機会は少ない。大フィルも、音楽監督がU.K.でポストを持った経験があり、エルガーを得意とする尾高でなかったら取り上げることはなかったであろう。
プレトークサロンで、大フィル事務局長の福山修さんが、ジョナサン・ノット指揮の東京交響楽団が7年前に取り上げているが、それ以外の上演は把握していないと仰っていた。おそらくだが、それ以外に上演されたことはないのだろう。

今日のコンサートマスターは崔文洙。フォアシュピーラーに須山暢大。今日も第2ヴァイオリンは全員女性である。ドイツ式の現代配置での演奏だが、ティンパニは視覚上の理由(背後に合唱が陣取る)からやや下手寄りに位置し、指揮者の正面にはトランペットが回った。
合唱は大阪フィルハーモニー合唱団。
独唱は、マリー=ヘンリエッテ・ラインホルト(メゾ・ソプラノ。守護天使)、マクシミリアン・シュミット(テノール。ゲロンティアス)、大山大輔(バリトン。司祭、苦悶の天使)。

「ゲロンティアスの夢」は、オラトリオであるが、エルガーが作曲時点でオラトリオとしていなかったという理由からだと思われるが、今回は曲目は「ゲロンティアスの夢」とのみ表記されている。

 

ゲロンティアスという男性が天国に召される様を描いたもので、イギリスの神学者・詩人であるジョン・ヘンリー・ニューマンの宗教詩を基のテキストとしているが、ニューマンは英国国教会からカトリックに改宗した人物であり、エルガーもカトリックの信者だった。イギリス人の大半は英国国教会(プロテスト)の信者であるため、エルガーはカトリック的な要素を詩から除くことで、反発を弱めようとしている。

二部構成であり、男声歌手二人は始めから登場して歌唱を行う。メゾ・ソプラノのマリー=ヘンリエッテ・ラインホルトは、二部が始まる時に上手側から登場した。

字幕付きでの上演。
エルガーらしいノーブルさと音の輝き、力強さなどを共存させた楽曲である。大阪フィルハーモニー合唱団も優れた歌唱を聴かせる。
オラトリオなので、独唱者の歌唱もいくぶんドラマティックになるが、みな節度を持った歌唱。

死者が天国に向かうまでを描いており、ある意味、英国版の「おくりびと」(人ではなく天使だが)のような楽曲である。

CDを含めて聴いたことのない楽曲であったが、エルガーを振るときの尾高と、大フィルの堅実な演奏力への信頼が共に高まる演奏会であった。

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2025年3月 7日 (金)

コンサートの記(893) 大阪フィル×神戸市混声合唱団「祈りのコンサート」阪神・淡路大震災30年メモリアル@神戸国際会館こくさいホール 大植英次指揮

2025年2月27日 三宮の神戸国際会館こくさいホールにて

午後7時から、三宮の神戸国際会館こくさいホールで、大阪フィル×神戸市混声合唱団「祈りのコンサート」阪神・淡路大震災30年メモリアルに接する。大植英次指揮大阪フィルハーモニー交響楽団と神戸市混声合唱団による演奏会。

神戸国際会館こくさいホールに来るのは、13年ぶりのようである。干支が一周している。
神戸一の繁華街である三宮に位置し、多目的ホールではあるが、多目的ホールの中ではクラシック音楽とも相性が良い方の神戸国際会館こくさいホール。だが、クラシックコンサートが行われることは比較的少なく、ポピュラー音楽のコンサートを開催する回数の方がずっと多い。阪急電車を使えばすぐ行ける西宮北口に兵庫県立芸術文化センターKOBELCO大ホールというクラシック音楽専用ホールが2005年に出来たため、そちらの方が優先されるのであろう。ここで聴いたクラシックのコンサートはいずれも京都市交響楽団のもので、佐渡裕指揮の「VIVA!バーンスタイン」と、広上淳一指揮の「大河ドラマのヒロイン」として大河ドラマのテーマ曲を前半に据えたプログラムで、いずれもいわゆるクラシックのコンサートとは趣向がやや異なっている。ポピュラー音楽では柴田淳のコンサートを聴いている。

構造にはやや難があり、地上から建物内に上がるにはエスカレーターがあるだけなので、帰りはかなり混む。というわけで、聴衆にとっては使い勝手は余り良くないように思われる。客席は馬蹄形に近く、びわ湖ホール大ホールやよこすか芸術劇場を思わせるが、ステージには簡易花道があるなど、公会堂から現代のホールへと移る中間地点に位置するホールと言える。三宮には大倉山の神戸文化ホールに代わる新たなホールが出来る予定で、その後も国際会館こくさいホールでクラシックの演奏会が行われるのかは分からない。

 

曲目は、白井真の「しあわせ運べるように」(神戸市歌)、フォーレの「レクイエム」(ソプラノ独唱:隠岐彩夏、バリトン独唱:原田圭)、マーラーの交響曲第1番「巨人」

 

今日のコンサートマスターは須山暢大。ドイツ式の現代配置の演奏。ホルン首席の高橋将純はマーラーのみに登場する。
フォーレの「レクイエム」ではオルガンが使用される。神戸国際会館こくさいホールにはパイプオルガンはないので、電子オルガンが使われるが、パンフレットが簡易なものなので、誰がオルガンを弾いているのかは分からなかった。

 

白井真の「しあわせ運べるように」(神戸市歌)。神戸出身で、阪神・淡路大震災発生時は小学校の音楽教師であり、東灘区に住んでいたという白井真。神戸の変わり果てた姿に衝撃を受けつつ、震災発生から2週間後にわずか10分でこの曲を書き上げたという。
神戸市混声合唱団は、1989年に神戸市が創設した、日本では数少ないプロの合唱団。神戸文化ホールの専属団体であるが、今日は神戸国際会館こくさいホールで歌う。
ステージの後方に階段状となった横長の台があり、その上に並んでの歌唱。
聴く前は、「知らない曲だろう」と思っていた「しあわせ運べるように」であるが、実際に聴くと、「あ、あの曲だ」と分かる。映画「港に灯がともる」(富田望生主演。安達もじり監督)のノエビアスタジアム神戸での成人式の場面で流れていた曲である。
「震災に負けない」という心意気を謳ったものであり、30年に渡って歌い継がれているという。
ホールの音響もあると思うが、神戸市混声合唱団は発声がかなり明瞭である。

 

フォーレの「レクイエム」。大きめのホールということで、編成の大きな第3稿を使用。パリ万博のために編曲されたものだが、フォーレ自身は気が乗らず、弟子が中心になって改変を行っている。そのため、「フォーレが望んだ響きではない」として、近年では編成の小さな初稿や第2稿(自筆譜が散逸してしまったため、ジョン・ラターが譜面を再現したラター版を使うことが多い)を演奏する機会も増えている。

実は、大植英次の指揮するフォーレの「レクイエム」は、2007年6月の大阪フィルの定期演奏で聴けるはずだったのだが、開演直前に大植英次がドクターストップにより指揮台に上がることが出来なくなったことが発表され、フォーレの「レクイエム」は当時、大阪フィルハーモニー合唱団の指揮者であった三浦宣明(みうら・のりあき)が代理で指揮し、後半のブラームスの交響曲第4番は指揮者なしのオーケストラのみでの演奏となっている。ちなみにチケットの払い戻しには応じていた。
それから18年を経て、ようやく大植指揮のフォーレの「レクイエム」を聴くことが叶った。

マーラーなどを得意とする大植であるが、フランスものも得意としており、レコーディングを行っているほか、京都市交響楽団の定期演奏会に代役として登場した時にはフランスもののプログラムを変更なしで指揮している。
フォーレに相応しい、温かで慈愛に満ちた響きを大植は大フィルから引き出す。高雅にして上品で特上の香水のような芳しい音である。
神戸市混声合唱団の発音のはっきりしたコーラスも良い。やはりホールの音響が影響しているだろうが。

フォーレの「レクイエム」で最も有名なのは、ソプラノ独唱による「ピエ・イエス」であるが、実はソプラノ独唱が歌う曲はこの「ピエ・イエス」のみである。
ソプラノ独唱の隠岐彩夏は、岩手大学教育学部卒業後、東京藝術大学大学院修士および博士課程を修了。文化庁新進芸術家海外研修生としてニューヨークで研鑽を積んでいる。
岩手大学教育学部出身ということと、欧州ではなくニューヨークに留学というのが珍しいが、岩手県内での進学しか認められない場合は、岩手大学の教育学部の音楽専攻を選ぶしかないし、元々教師志望だったということも考えられる。真相は分からないが。ニューヨークに留学ということはメトロポリタンオペラだろうか、ジュリアード音楽院だろうか。Eテレの「クラシックTV」にも何度か出演している。
この曲に相応しい清澄な声による歌唱であった。

バリトン独唱の原田圭も貫禄のある歌声。東京藝術大学および同大学院出身で博士号を取得。現在では千葉大学教育学部音楽学科および日本大学藝術学部で講師も務めているという。

フォーレの「レクイエム」は「怒りの日」が存在しないなど激しい曲が少なく、「イン・パラディズム(楽園へ)」で終わるため、阪神・淡路大震災の犠牲者追悼に合った曲である。

 

後半、マーラーの交響曲第1番「巨人」。この曲も死と再生を描いた作品であり、メモリアルコンサートに相応しい。
マーラー指揮者である大植英次。「巨人」の演奏には何度か接しているが、今日も期待は高まる。譜面台なしの暗譜での指揮。
冒頭から雰囲気作りは最高レベル。青春の歌を溌剌と奏でる。チェロのポルタメントがあるため、新全集版のスコアを用いての演奏だと思われるが、譜面とは関係ないと思われるアゴーギクの処理も上手い。
第2楽章のややグロテスクな曲調の表現も優れており、大自然の響きがそこかしこから聞こえる。
マーラーの交響曲第1番は、実は交響詩「巨人」として作曲され、各楽章に表題が付いていた。当時は標題音楽の価値は絶対音楽より低かったため、表題を削除して交響曲に再編。その際、「巨人」のタイトルも削ったが、実際には現在も残っている。「巨人」は、ジャン・パウルの長編教養小説に由来しており、私も若い頃に、東京・神田すずらん通りの東京堂書店で見かけたことがあるが、読む気がなくなるほど分厚い小説であった。ただ、マーラーの「巨人」は、ジャン・パウルの小説の内容とはほとんど関係がなく、タイトルだけ借りたらしい。そしてこの曲は、民謡などを取り入れているのも特徴で、第3楽章では、「フレール・ジャック」(長調にしたものが日本では「グーチョキパーの歌」として知られる)が奏でられる。これも当時の常識から行くと「下品だ」「ふざけている」ということになったようで、マーラーの作曲家としての名声はなかなか上がらなかった。
大植と大フィルはこの楽章の陰鬱にして鄙びた味わいを巧みに表出してみせる。夢の場面も初春の日差しのように淡く美しい。
この葬送行進曲で打ち倒された英雄が復活するのが第4楽章である。そしてこのテーマは交響曲第2番「復活」へも続く。
第4楽章は大フィルの鳴りが良く、大植の音運びも抜群である。特に金管が輝かしくも力強く、この曲に必要とされるパワーを満たしている。
若々しさに満ちた再生の旋律は、これからの神戸の街の発展を祈念しているかのようだった。

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2024年10月16日 (水)

コンサートの記(861) 尾高忠明指揮大阪フィルハーモニー交響楽団第581回定期演奏会 ベートーヴェン 「ミサ・ソレムニス」

2024年9月24日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後7時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、大阪フィルハーモニー交響楽団の第581回定期演奏会を聴く。今日の指揮は大フィル音楽監督の尾高忠明。
今日は事前にチケットを取らず、当日券で入った。

曲目は、ベートーヴェンの「ミサ・ソレムニス」1曲勝負である。
第九とほぼ同時期に作曲された「ミサ・ソレムニス」。以前は、荘厳ミサ曲という曲名で知られていたが、「荘厳」という訳語が本来の意味とは異なる(「盛儀の」「正式の」といった意味の方が近い)ということで、最近では、「ミサ・ソレムニス」と原語の呼び方に近い表記が採用されるようになっている。
ベートーヴェンが4年がかりで作り上げた大作である。無料パンフレットによると演奏時間は約83分。宗教音楽ということで、神聖さや敬虔さも描かれているのだが、同時にドラマティックであり、第九が人間世界を描いているのに対し(第2楽章は宇宙的で、第3楽章は楽園的であるが)、「ミサ・ソレムニス」は神に近いものを描いていると言われる。ただ、有名な「心より出で--再び心に届かんことを!」という警句が書かれており、この「神」というのは「音楽」または「音楽の神ミューズ」ではないかと受け取れる部分もある。

「ミサ・ソレムニス」は、傑作の呼び声も高いのだが、上演が難しいということで、プログラムに載ることはほとんどない。私も生演奏を聴くのは初めてである。


午後6時30分頃から、大フィル定期演奏会の名物となっている大阪フィルハーモニー交響楽団事務局長(裏方トップ)の福山修氏によるプレトークサロンがホワイエである。
大フィルは、ベートーヴェン生誕250年に当たる2020年に「ミサ・ソレムニス」を尾高忠明の指揮で上演する予定だったのだが、コロナ禍により上演中止に。練習などは進んでいて、「1年も経てば収まるだろう」との読みから、翌2021年にも「ミサ・ソレムニス」の上演がアナウンスされたのだが、コロナ禍が長引いたため、やはり上演不可。最初の計画から4年が経って、ようやく上演が可能になった。今日は129名での大規模演奏になるという。大阪フィルハーモニー合唱団は、アマチュアの合唱団であり、「なぜプロのオーケストラの演奏会でアマチュアを歌わせるのか?」という疑問を投げかけられることがあるそうだが、尾高さんも「上手さだけじゃない」と語っているそうで、結成51年目になる伝統が持つ味わいが重要なのだと思われる。
合唱指揮者による指揮から全体の指揮者の指揮に変わるタイミングについても質問があり、今回はリハーサルは合唱指揮者の福島章恭(あきやす)が行った後の本番4日前から尾高によるオーケストラ、合唱、独唱者の全体練習が始まったそうである。ちなみに、大阪フィルハーモニー合唱団のトレーナーは、昨日、京都コンサートホールで歌ってた大谷圭介が務めている。

今回の定期演奏会は変則的で、大フィルは同一演目2回公演が基本であるが、振替休日の昨日がマチネー、今日がソワレとなる。大フィルの定期演奏会は、初日が金曜日のソワレ、2日目が土曜日のマチネーとなることも多いが、1日目がマチネーで2日目がソワレという逆の日程は珍しい。

「ミサ・ソレムニス」の初演は、1824年だそうで、当初はその予定ではなかったが、期せずして初演200周年の記念演奏になったという。

福山さんの説明が終わった後で、来場者からの質問のコーナーが設けられており、大フィルの6月定期と7月定期で予定されていた指揮者が相次いでキャンセルしたが、代役というのは早くから見つけているものなのかといった質問(6月のデュトワの客演は、デュトワが先に指揮した新日本フィルハーモニー交響楽団との演奏で、「体調がおかしいようだ」との情報がWeb上で流れていたため、早めに代役捜しが行われたと思われる)があった。
実は私もザ・シンフォニーホールが定期演奏会場だった時代に質問したことがあるのだが(トーン・クラスターについて)、何故か福山さんと二人で私も解説する羽目になったため、以後は控えている。

質問コーナーが終わった後でも、福山さんには質問出来るので聞いてみた。なお、福山さんとは何度も話し合っている間柄である。
質問は、大フィルのヴィオラ奏者に一樂もゆるという名前の奏者がいたので、「この一樂さんというのは、一樂恒(いちらく・ひさし)さんのご兄弟ですか?」というもの。一樂恒は、現在は京都市交響楽団のチェロ奏者だが、入団以前は、フリーで、京都市交響楽団や大阪フィルハーモニー交響楽団によく客演奏者として参加していた。京都のお寺で演奏会を行うというイベント、「テラの音(ね)」コンサートにも出演したことがあり、左京区北白川山田町の真宗大谷派圓光寺(ここは一般のお寺だが、すぐ近くの左京区一乗寺に臨済宗の圓光寺があり、こちらは徳川家康開基の観光寺で、間違えて真宗大谷派の圓光寺に来てしまう人がいるそうである)で行われた「テラの音」では、チェロを弾く前に(他の仕事があったため遅れて参加)京都市内の高低差について話し、この辺りは東寺のてっぺんと同じ高さらしいと語っていた。
福山さんによると、実は一樂もゆるというのは、一樂恒の奥さんで、結婚して苗字が変わったとのことだった(仕事上の旧姓表記にはしなかったようである)。「ライバル楽団の奏者と結婚」と仰っていた(何度も語ってはいるが、福山さんには正体を明かしていないので、私が京都在住だということも多分、ご存じないはずである)。ここでちょっと核心を突いてみる。「お父さんは、大谷大学の一樂(真)教授(真宗学の教授で僧侶でもある)」と口にする。福山さんがビクッとして顔を一瞬引いたので、実際そうであることが分かる。「いやー、よくご存じで」とのことだった。京都でも一樂という苗字は珍しく、しかも仏教系の苗字。年齢的にも親子ほどの差で、名前も一文字。「恒」というのは「恒河沙(ごうがしゃ)」の「恒」。ということで親子の可能性が高かったのだが、知り合いの真宗大谷派の住職に聞いても、「一樂教授のことは知っているけど(真宗界隈では一樂真は有名人である)、音楽のことは知らない」とのことで確証が持てなかったのだが、福山さんなら多分ご存じだろうということで、聞いてみたのである。


今日のコンサートマスターは崔文洙。フォアシュピーラーに須山暢大。ドイツ式の現代配置での演奏であるが、舞台後方に独唱者と合唱が並ぶので、ティンパニは指揮者の正面ではなく、やや下手よりに据えられる。指揮者の正面の一段高いところに独唱者(ソプラノ:並河寿美、メゾ・ソプラノ:清水華澄、テノール:吉田浩之、バスバリトン:加藤宏隆)が横一列に並び、その背後に横長の階段状の台を並べて大阪フィルハーモニー合唱団が控える。


大フィルとのベートーヴェン交響曲チクルスでも好演を聴かせた尾高。「ミサ・ソレムニス」でも確かな造形美と、磨かれた音、決して大仰にはならないドラマ性といった美点溢れる演奏を聴かせてくれる。

基本的にモダンスタイルの演奏だが、第1曲「キリエ(主よ)」や第5曲「アニュス・デイ(神の子羊)」では、弦楽器がノンビブラートかそれに近い奏法を見せる場面もあり、部分的にピリオドなども取り入れているようである。
大阪フィルハーモニー合唱団も力強い合唱。フェスティバルホールは良く響くが声楽が割れやすい会場でもあるのだが、今日は音が飽和する直前で止めた適度な音量で歌われる。この辺は流石、尾高さんである。

第4曲「サンクトゥス(聖なるかな)」には、コンサートマスターによる長大なソロがあり(ヴァイオリン協奏曲ではない曲で、これほど長いヴァイオリンソロを持つ作品は他にないのではないかといわれている)、崔文洙が甘い音色による見事なソロを奏でた。

もう少し野性味があっても良いとも思うのだが、尾高さんの音楽性にそれを求めるのは無理かも知れない。イギリス音楽やシベリウスを得意とする人である。

ともあれ、取り上げられる機会の少ない「ミサ・ソレムニス」を美しい音色と歌声で彩らせた素敵な演奏だった。「素敵」という言葉が最もよく似合う。

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