カテゴリー「ミステリー」の20件の記事

2026年4月 8日 (水)

観劇感想精選(513) 舞台「私立探偵 濱マイク 『罠 THE TRAP』」

2026年3月14日 大阪城公園内のCOOL JAPAN PARK OSAKA TTホールにて観劇

午後5時から、COOL JAPAN PARK OSAKA TTホールで、舞台「私立探偵 濱マイク 『罠 THE TRAP』」を観る。林海象監督の「私立探偵 濱マイク」三部作の完結編である。林海象監督は、「濱マイク三部作」を撮るために探偵学校に通い、免許を取得している。
映画の「私立探偵 濱マイク三部作」は、不良上がりで今は横浜・黄金町の映画館、横浜日劇(実在の映画館だったが現存せず)の2階に事務所を構えている私立探偵、濱マイク(本名だ。永瀬正敏)が、横浜を舞台に繰り広げるハードボイルドサスペンスである。第1作の「我が人生最悪の時(「我等が生涯の最良の年」という映画をもじったもの)」はモノクロで撮られ、東京サンシャインボーイズの俳優も多く出演。東京サンシャインボーズの俳優(ちなみに近藤芳正は東京サンシャインボーズの俳優ではない)達は以後も出演する。第2作「遙かな時代の階段を」は、マイクの出生に迫る物語である。岡田英次と鰐淵晴子という往年のスターがノスタルジックな味わいを生んでいる。岡田英次は、「白い男」と呼ばれ、横浜の河川の権益を裏で操るヤクザであり、他の組も手出し出来ないという設定である。

第3作の「罠」は、サイキックホラーの色彩が強い。個人的には「罠」が3部作の中では一番好きである。
濱マイクが人命救助によって横浜市長賞を受賞し(写真には当時の本物の横浜市長が写っている。かなり有名な人である)、妹の茜は有名私立大学への推薦合格が決まる。そしてマイク自身にも百合子という口の利けない恋人が出来ており、永瀬正敏演じる濱マイクが運転をしながらカメラ目線で「人生は薔薇色だ」と得意になる。
口の利けない恋人・百合子を演じているのが夏川結衣だが、この頃の夏川結衣は驚くほどの透明感で健気な女性を演じていて魅力的である。この映画の成功の3分の1程度は彼女をキャスティングしたことによるものだろう。そして犯人像(犯人グループ)は実に不気味である。永瀬正敏演じるミッキーもこの一味なのだが、怪物的な要素がいくつも備わっている。

原作:林海象。脚本・演出:西田大輔。出演(カッコ内は役名):佐藤流司(濱マイク)、福井巴也(神津)、川上千尋(百合子)、上田堪大(かんだい。ミッキー)、矢野昌暉(星野)、小泉萌香(濱茜)、七木奏音(ななき・かのん。王百蘭)、なだぎ武(中山刑事)、大沢健(神父)、野々花ひまり(水月/影男)ほか。
映画では、ミッキーは、永瀬正敏の二役だが、演劇では一人二役は困難なので、別の俳優をキャスティングしている。
若者向けの演劇であり、キャスティングも若い人向け。知っている俳優はなだぎ武と大沢健の二人しかいない。ただ、声優として有名だったり、マルチな活動で一部ではすでに高い評価を受けている人がいたり、これから有名になっていくであろう人もいるだろう。

映画が原作なので、複数の場所が舞台になるが、汎用性のあるセットを用いていたため、場面転換がさほど不自然にはならず、ストーリーに集中出来た。またライティングは素晴らしいの一言。これほどハイレベルのライティングにはなかなかお目にかかれない。
東京ではサンシャイン劇場で上演された本作品だが、まだ新しい大阪のTTホールの方が良い条件で観劇出来ると思う。
なお、客席通路を使った演出も多かった。

1996年公開の映画の30周年を記念しての舞台制作だが、舞台上にも客席にも、ロードショー時生まれていなかった人がかなりの割合を占めると思われる。

 

映画とは異なり、コメディーの要素の多い上演で、アドリブもビシバシ飛び交う。映画とは異なる趣だが、今の時代、映画はいつでも観られるので、映画との違いを楽しんだ方が得である。

七木奏音は、中国人の役(映画には登場しない舞台オリジナルのキャラクター)だが、本場でも通じるレベルの北京語を話していた。

元々吉本のお笑い芸人で、たまたま演劇に出演したところ宮本亞門の目にとまり、俳優としての仕事も増えたなだぎ武。今日はズボンのお尻の部分を破ってしまうというアクシデントがある。東京でも同じアクシデントがあったようである。捌けている間に衣装さん(だと思う)に縫って貰ったらしい。
役者陣は、若い人は動きにキレがあり、流れの良い芝居を作る。特別素晴らしい人がいるわけではないが、特別素晴らしい人は滅多にいないので、この水準で文句なしである。映画版の方が豪華なキャスティングで演技も優れているが、その場合はやはり映画を観ればいいわけで、舞台で観るならこれで良い。ただ、映画版を知らないのはもったいないので、観たことがない人はこれを機会に原作映画を観てみると良いだろう。

ダンス、音楽、様々な要素が盛り込まれ、エンターテインメント演劇となっている。上演時間は途中休憩なしの約2時間半であったが、長くは感じなかった。

ラストは、佐藤流司が、「我が人生最悪の時」のエンディングテーマである「キネマの屋根裏」(オリジナルシンガーは永瀬正敏。なお、カラオケに入っている)を歌った。

 

本編終了後に、主要キャストによるアフタートークがある。明日はマチネーでアフタートークはなく、愛知公演でもアフタートークは企画されていないので、今回が最後のアフタートークとなる。
司会はなだぎ武で、出演者に、「名前と、何か面白いこと言って」と振っていた。百合子を演じた川上千尋は、なだぎに「あなた吉本なんだから期待してるよ」と言われる。なお、川上は、隣にあるCOOL JAPAN PARK OSAKA SSホール(森ノ宮よしもと漫才劇場)で、BKBことバイク川崎バイクに挨拶してきたそうだが、なだぎに「なんで、BKBなの。もっといるでしょう!」と言われていた。COOL JAPAN PARK OSAKAは吉本も出資している劇場であり、一番小さいSSホールは、「森ノ宮よしもと漫才劇場」となっている場合が多い。WWホール、TTホール、SSホールがあるが、命名は全て明石家さんまである。

今日は1日2回公演で、1回目と2回目の間に何をしているかという話になる。大沢健は大阪城公園を散策したそうで、事前に見つけておいたJR森ノ宮駅の近くに新しく出来た四文字のラーメン店(店名は思い出せなかった)で食事をしたそうだ。若い男性陣は昼寝。なだぎ武は年の近い大沢と話をしようと思っていたが、大沢の姿が見えないため、仕方なく一人で過ごしたようである。なだぎによると、大沢はラーメンを食べたにも関わらず、帰ってきてすぐに用意されていた弁当を掻き込むようにして食べていたそうである。
女性陣は4人が同じ部屋に集まり、アンサンブルキャストの2人も含めて女6人で、間もなく解散してしまうグループの音楽をランダムにして聴いていたそうである。野々花ひまりは、元宝塚娘役スターだが、宝塚の癖が抜けず、1日複数回公演でも、公演が1回終わるごとにメイクを落として、次の公演の前に再度メイクをするそうである。

 

帰り道、大沢健が行ったという四文字のラーメン屋に行ってみる。「一揚一杯(いちあげいっぱい)」という店であった。

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2026年3月22日 (日)

森山直太朗 「あの世でね」概説

森山直太朗の「あの世でね」。現在開催中のツアーのタイトルにもなっていますが、映画「風のマジム」のエンディングテーマとして書かれたもので、内容も「風のマジム」とクロスします。

歌詞をあまり引用してしまうと問題になるので控えめにいきますが、まずはメッセージについての内容です。これは歌詞の主人公のメッセージのはずですが、より客観的に第三者が込めたものと見ることも出来ます。伝えることの大切さです。言葉もそうですが、言葉でないものを伝えるというシーンが映画にも出てきます。

さて、焼けてなくなった鳥居が出てきますが、「戦で」とあるので沖縄戦で焼けて再建されていないのだと思われます。続く「焼き尽くされた夏祭り」は沖縄戦の比喩です。
「迎えがない」という言葉が出てきますが、どこが出典なのかは分かりませんが、自然死でない死に方、事故死、自殺、戦死などをした者のお迎えは遅れるといわれています。歌詞の主人公も戦死したのでしょう。悲しみが続いて涙も涸れて悲しくなくなった後に沈丁花が出てきますが、花言葉は「不滅」で死んでも魂は終わりではないことを意味していると思われます。

「雲の上」という言葉が出てきますが、これは主人公が天国にいるということでしょう。なので、彼らは天国から地上に戻ってきて宴を行っているということになります。

セリフの部分に出てくる「あの子」というのがまじむ(伊藤沙莉)のことです。「あなた」もやはりまじむのことです。

「ひ孫の代」。映画にはまじむの母と祖母が出てきます。父親は出てきません。理由は原作小説には書かれていますが、映画では敢えて伏せられています。おばあ(高畑淳子)の孫がまじむですので、まじむの子の代まで見届けてほしいという意味になります。ちなみに映画の中ではまじむは結婚しておらず、子どももいません。

最後に幽霊達は天国へと帰って行き、「あの世でね」と死後のめぐり逢いを誓います。御霊は自分たちのことで、蝉時雨は別れの歌。具体的どの蝉のことかは明示されていませんが、ヒグラシかも知れません。蝉時雨は季語としては晩夏。「夏の終わり」です。

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2026年3月 2日 (月)

「科捜研の女」Season1概要

J:COM STREAM/TELASAで、連続ドラマ「科捜研の女」Season1 File.1とFile.2、File.3を見る。File1、つまり初回は1999年10月21日放送。私はまだ千葉にいて、京都についてはよく知らない時代である。

ファイナルの頃とは、作風も、沢口靖子演じる主人公の榊マリコのキャラクターもかなり異なる。

まずコミカルであることが、シリアス一辺倒となる時代とは異なる。コメディーを得意とする俳優が多く起用されているのもユーモラスなものを目指していたことの証左になっている。
榊マリコであるが、チャキチャキとした性格である。沢口靖子は堺市出身だが、榊マリコは関西人というよりも江戸っ子のような性格である。これも大きな相違点だ。セリフ回しは相変わらず平坦で、これが演技力のなさと捉えられる最大の原因だと思われるのだが、普段からそうした喋り方をしている場合はどうしようもない可能性がある。今は病気療養中の鷲尾いさ子なども不自然なセリフ回しに聞こえたが、トーク番組でも同じ喋り方をしており、そういう話し方をする人だったのである。
榊マリコの場合は説明をする役割が多く、感情を交えないフラットな話し方が合っていたため、「科捜研の女」が長寿番組になったのであろう。
沢口靖子は、頭の良い人だと思われるが、頭の回転に口や体がついて行けていないようなところもあるようだ。容姿だけなら芸能界史上のトップ争いに加われる人だけに惜しい気がする。
なお、マリコは突飛な行動をすることが多く、場の空気を読むのが苦手だったり、想像力に欠けたりと、発達系の何かを抱えている可能性があるが、今のところは明かされていない。「科捜研の女」が始まった翌年の2000年に放送されたの金曜ナイトドラマ「トリック」は、山田と上田の主役二人が明らかに発達障害系天才の特徴を示している。

マリコは、仕事は出来るが日常生活では全くのダメ女。掃除が苦手で、ご飯も炊けず、とにかく家事が出来ないタイプである。部屋に洗濯機がないが、コインランドリーに行くのが面倒くさいため、溜めるだけ溜めてから洗いに行く。そんな調子なので旦那にも逃げられている。植木等の「ハイそれまでョ」の3番の歌詞の世界である。
古畑任三郎などもそうだが、海外にもこうしたタイプの推理の天才キャラクターは多い。シャーロック・ホームズもハドソン夫人の家の2階(ベイカーストリート221B)に下宿しているが、ピストルで壁を撃ってヴィクトリア女王のイニシャルの形に穴を開けるなど、「ロンドン最低の下宿人」を自称している。ちなみに地球が太陽の周りを回っていることを知らないという極端な設定もある。
榊マリコは服装も色気がなく、中学校の部活動のような格好をしている。それと対比させるためか、伊藤裕子演じる城丸準子巡査部長はいつもミニスカートを履いている。マリコはSeason2から次第に衣装にも気を配るようになり始める。

さて初めての事件であるが、送り火の日、つまり8月16日に起きている。男が神社の階段から突き落とされて殺され、女の容疑者が逮捕されるのだが、実は別の女が犯人だったことが分かるという展開である。犯人の女は鈴を鳴らしているのだが、正直、鳴らし過ぎ。あれだけ鳴ってたら男も気付くはずだが、お茶の間に届けるためには鈴の音を大きくしないといけないのだろう。
今は消えてしまったDAT(デジタル・オーディオ・テープ)が出てくる。新時代の録音機材として期待されたDATだが、音楽のプロ以外にはほとんど広まることはなく、録音媒体として新たに登場したミニディスクにその座を奪われたが、ミニディスクも短期間で役目を終えている。今はちょっとした録音ならスマホのPCM録音アプリで行える時代であり、音楽を録音しなくてもクラウド上に溜めてダウンロードしたり、配信サービスで無料で楽しむことも出来る。
プロのレコーディングも、今はテープは使わず、ハードディスクに直接刻むのが基本である。

大文字は、やや南側から撮られている。あの辺りには大文字が大きく見えるスポットがあるのだが、人が増えても困るので教えないでおく。

事件の現場となる神社であるが、黒住神社の可能性が高いが、境内が殺害事件の現場となったという設定では外聞が悪いためかロケ地は明かされていない。

2つめの事件では、京都医科大学という大学が登場。京都には京都大学医学部と京都府立医科大学があるが、京都医科大学という大学は実在せず、架空の医大である。撮影は龍谷大学深草キャンパスで行われている。

京都府警察であるが、外観は積水化学工業京都研究所を映し、内部はおそらく別の企業のオフィス(協力に島津製作所の名がある)を借りて京都府警内に見立てて撮影。科捜研の部屋はセットを用いている。


File.3では、京都府警の刑事役である小林隆と、容疑者である大学助教授(まだ准教授ではない時代)役の相島一之が共演。元東京サンシャインボーイズの二人がやり取りを行った。
京都は大学が多いということで、今回も大学が舞台。黎明館大学という、立命館大学をもじった架空の大学が殺人現場となるが、そんなものの舞台となっても何の得にもならないので立命館大学は協力しておらず、当時はまだ亀岡市にしかキャンパスがなかった京都学園大学(現・京都先端科学大学)がロケ地となっている。
今回も強引に笑いを取りに行ったり、やってはいけない捜査方法が行われているなど、この頃の「科捜研の女」は必ずしも本格的な推理ではなく、エンターテインメント路線であったことが分かる。
マリコの元夫である倉橋(渡辺いっけい)と京都府警巡査部長の城丸準子が付き合っており、妊娠の話になると、なぜか決まってガーシュウィンの「ラプソディ・イン・ブルー」が流れるのが奇妙であった。


J:COM STREAM/TELASAで、「科捜研の女」Season1 File.4を見る。
ピクニックに出掛けた科捜研と京都府警の人達。水辺の場所で、おそらく北山の方だと思われるが、自動車でないといけない場所だと思われる。今回は、京都らしいロケ地はなし。また梅田が、「大阪の梅田」というセリフで語られ、字幕でも「大阪 梅田」と出る。京都近辺だけだったら梅田がどこにあるか大半の人は分かるだろうし、そもそも梅田は全国区の地名でもあるのだが、地方の人は知らないかも知れないので説明する必要があるのだろう。梅田の場面であるが、おそらくリアルにする必要はないので、実際の梅田ではなく近場で撮影されていると思われる。
ピクニックに出掛けた一行が、白骨死体を発見するという、偶然が過ぎる展開だが、マリコは頭蓋骨に最初はパソコンで生前の顔の再現を試みる。完成品を「マネキンみたいですね」と言われたマリコだが、「コンピューターは人間には勝てないということ」と言って、今度は頭蓋骨に粘土を貼り付けての再現を試みる。
「あと四半世紀ほど経ったら、AIというものが本物そっくりに再現してくれて、表情まで動かせるよ。人間はコンピューターに負けるよ」と言っても、この当時の人は誰も信じないだろう。
顔を整形した元風俗嬢が、元同僚に揺すられて犯した殺人事件の話である。
沢口靖子のセリフ回しはやはり一本調子であるが、科捜研の人だけに事件について真摯に語っているように見える。やはり適役だったのだろう。

伊藤裕子は、翌年の「トリック」にも最初のゲストとして出演しているが、その後、余り見かけなくなる。単発での出演は続いているようだが、大きな役に就くことはほとんどないようだ。


「科捜研の女」Season1 File.5。今回は連続爆弾魔の話だが、緊迫する場面があるためかそれを緩和するためにギャグも多めである。そば屋の出前持ちとして、吉本新喜劇の辻本茂雄が登場。この時代の辻本茂雄については何も知らないが、特にギャグなどをやることはない。役名も辻本で、マリコに「良い名前でしょ?」と語りかける。
犯人役を演じているのは前田耕陽。その後、海原やすよ・ともこのともこと結婚。大阪在住となっている。ただ仕事は名古屋と東京で行うことが多く、大阪で流れている番組は少ないため、「奥さんに食べさせて貰っている」と勘違いされることも多いようだ。
洛北大学という架空の大学が出てくるが、嵯峨美術短期大学でロケが行われているようである。現在は4年制の嵯峨美術大学もあるが、この頃は短大しかない。
京都産業大学が洛北大学に改称しようとしたが、学生を省略すると「洛大生=落第生」になるので止めたという話がある。本当か嘘かは分からない。
病気がお笑いの要素として取り上げられる場面もあるが、これは余り感心しない。


「科捜研の女」Season1 File.6。今日はマリコが、高校の特別講義に招かれる場面から始まる。今熊野の京都女子大学附属小学校(共学)がロケ地である。小学校と幼稚園以外の京都女子大学、京都女子中学校・高等学校は全て女子校であり、阿弥陀ヶ峰に向かって上る道は俗に「女坂」と呼ばれていて、説明書きもある。
マリコの講義は不評だったが、今回はこの学校の看守が焼死体で発見されるという事件である。
マリコが大学時代の知り合いと再会し、大堰川の手漕ぎボートや嵐山でデートする場面もあった。
前回からCGが登場するようになっているが、20世紀末のCGは今に比べるとおもちゃ同然である。ただ映画などでは21世紀に入ってすぐに凝ったCG映像が使われるようになっているので、進歩も早かったことが分かる。

File.7も見てみるが、怪しいと思った男がやはり犯人だったという芸のない展開である。
マリコが、金魚のための情報を得ようとインターネットで検索していると、縛られた若い女性が追い込まれて銃で殺害されるという映像に行き当たる。科捜研全体で情報を探したところ、やはり縛られた若い女性が今度はナイフで刺殺されるという映像が見つかる。どちらも同じ部屋での犯行だった。
マリコは京都医科大学の西大路恵(一路真輝)に協力を求める。
京都医科大学は、以前にも登場し、龍谷大学の深草キャンパスがロケに使われていたが、校門にかなりの特徴があるためか、今回は使用されず、黎明館大学と全く同じ門が、大学名だけ変わって使われている。京都学園大学、現在の京都先端科学大学亀岡キャンパスである。校舎なども京都学園大学のものが使用されていると思われる。
犯人にあと一歩というところまで追い込まれるマリコだが、資料を強引に見ようとして謹慎中の木場(小林稔侍)に救われる。木場は捜査一課から外され、交通課に異動になった。犯人役は沢向要士。余り見ないと思ったら、一時期俳優を廃業としてホストとして働き、また俳優に戻っているようだ。

小林稔侍は、高倉健が著書で演技を褒めていたりするが、この人も悪い噂がある。伊藤裕子も悪い噂は聞く。ただ本当かどうかは分からない。


「科捜研の女」Season1 File.8とFile.9(最終回)を見る。連続した回で、牧野光(田中美奈子)という名の女性が登場。だが牧野光は偽名で、正体は分からない。
4年前に起こった内山刑事殺害事件、更に木場の奥さんの事故死、更には西大路恵(一路真輝)の旦那で新聞記者の篠田(長谷川初範)と全く同じ状況で事故死。マリコは、レーザーポインターを照射された可能性があると判断。小清水(橋本さとし)らは、「野球で使われて」という話をするが、もう随分前の話なので細く書くと、当時ヤクルトスワローズの吉井理人投手がマウンド上でサインを見ていた際に、観客席からレーザーポインターを当てられて目に入り、投球を続けられなくなるという事件があった。そのことである。
倉橋拓也(渡辺いっけい)は、警察庁へ昇進する可能性もあったが、事件の責任を取って日本海側へ左遷となる(記述によると日本海側ではなく琵琶湖北警察署署長のようである)。
なお、今回も京都医科大学が登場するが、龍谷大学の巨大な門をそのまま使用しており、校風が変わってしまったような印象を受ける。
ラストには企業ビルが登場。景観規制のある京都市内にあれだけのビルはニデック本社ビルなど、南部以外には建てられないため、京都市外のビルだと思われるが、検索してもヒットしなかった。

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2026年2月 8日 (日)

ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団+ウィーン楽友協会合唱団ほか モーツァルト 「レクイエム」(ジュースマイヤー版)

日本語歌詞対訳付き

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2026年2月 1日 (日)

コンサートの記(945) 下野竜也指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団第594回定期演奏会 バルトーク 歌劇「青ひげ公の城」(演奏会形式)ほか

2026年1月22日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後7時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、大阪フィルハーモニー交響楽団の第594回定期演奏会を聴く。今日の指揮は下野竜也。大フィル指揮研究員として朝比奈隆の下で学んだ指揮者でもある。ちなみに朝比奈の指揮に接した第一印象は、「何を振ってるのか分からないし、それなのに凄い音が出ていて訳が分からない」だったそうである。
現在は、NHK交響楽団の正指揮者、札幌交響楽団の首席客演指揮者、広島ウインドオーケストラの音楽監督を務め、広島交響楽団から桂冠指揮者の称号を得ている。吹奏楽出身の指揮者だけに広島ウインドオーケストラの音楽監督として吹奏楽の普及にも励んでいるものと思われる。

曲目は、大栗裕(おおぐり・ひろし)の管弦楽のための「神話」、小山清茂の管弦楽のための鄙歌第2番、バルトークの歌劇「青ひげ公の城」(演奏会形式。全一幕。出演:宮本益光、石橋栄実、田中宗利)。

いつものドイツ式の現代配置。今日のコンサートマスターは崔文洙だが、最前列の席だったため、崔文洙の隣で誰が弾いているのか見えず。真っ正面のコントラバスと、ヴィオラ奏者達の背中を見ることになる。管楽器はトロンボーンがわずかに見えるだけ。ただ「青ひげ公の城」ではトロンボーンが高い台に上って吹いたため、よく見えていた。

 

大栗裕の管弦楽のための「神話」。「天岩戸」を題材にした作品である。大阪フィルハーモニー交響楽団のホルン奏者にして、大フィルのための作品も多く書いた大栗裕。下野竜也が大阪フィルを指揮してレコーディングデビューしたのも大栗裕作品であった。
大栗は大阪・船場の生まれ。天王寺商業学校(現・大阪市立大阪ビジネスフロンティア高等学校)を卒業後、実家の小間物問屋を継ぐが、音楽を志し、旧東京交響楽団(現・東京フィルハーモニー交響楽団)や日本交響楽団(現・NHK交響楽団)のホルン奏者として活躍。朝比奈に呼ばれ再び大阪へ。関西交響楽団時代の1955年に大フィルに入団し、1966年まで在籍。その後は作曲家として活躍している。
管弦楽のための「神話」は、天岩戸が閉じたところから始まり、どうやったら天照大神が出てくるのか神々が考えるところから始まる。太陽神である天照大神が引きこもってしまったため、この世は闇である。ちなみに天照大神は伊勢神宮(内宮)に祀られてからも、「一人で食事をするのが寂しい」ということで豊受大神を呼び寄せているため(伊勢神宮外宮)、「皇祖神なのにメンヘラ」と呼ばれていたりする。
とにかく鶏が鳴けば朝になったと思うだろうということで、トランペットが鶏の鳴き声を真似る。その後も引きこもりの天照大神だったが、天鈿女命が裸踊りを始め、神々がその滑稽さに笑い転げる(芸術・芸能の神である天鈿女命は大宮姫命と同一視されることがあるが、大宮姫命はどちらかというと文芸系の女神である)。一体何事かと岩戸を少し開けてみる天照大神。そこに鏡が差し出され、鏡を知らない天照大神は何が起こったのか戸惑う。そこへ天手力男命が岩戸を強引にこじ開けるというストーリーである。古事記の中でも特に有名な場面の一つであるため、知っている人も多いと思われる。ちなみに京都市の蹴上にある日向(ひむかい)大神宮には、いかにも「作りました」という感じの天岩戸があり、戸隠神社として天手力男命が祀られている(厄除けの神)。初めて見た時には笑ってしまうかも知れないが、面白いことは面白い。
今日のプログラム全般にいえることだが、土俗的な迫力があり、一種の野蛮な力強さが聴く者を惹きつける。下野も造形をきちんと測った上でだが、いつもより強烈なドライブを見せていた。

 

小山清茂の管弦楽のための鄙歌第2番。小山清茂も音大に学んだ人物ではない。長野師範学校(現・信州大学教育学部)在学中にピアノの音を聴いて魅せられ、独学で作曲をものにする。師範学校卒業後は長野や東京で教員として勤務していた。1946年に「管弦楽のための信濃囃子」が第14回音楽コンクール(現・日本音楽コンクール)作曲部門で1位を獲得。1955年に教職を退いて作曲家として活動するようになっている。
鄙歌とあることからも分かるとおり、洗練とは真逆の古来から地方に残る生命力を音楽として昇華。力強い響きと「和」を感じさせる旋律を特徴とする。
「和讃」「たまほがい(上界と下界の魂のつどい)」「ウポポ(アイヌ語で室内で仕事をしたり儀式を行ったりするときに集団で歌う民謡)」「豊年踊り」の4部からなるが、今日は続けて演奏される。
やはり力強さが要求される曲であり、大フィルのパワーが生きている。大フィルも昔に比べると音に洗練度が増してきたが、こうした演奏も勿論可能である。

 

バルトークの歌劇「青ひげ公の城」(演奏会形式。全1幕)。大フィルは2013年に再開場したばかりのフェスティバルホールで、井上道義の指揮で、ハンガリー人の歌手2人を招いて「コンサートオペラ」として「青ひげ公の城」を上演している。
「青ひげ公の城」は、バルトークが完成させた唯一のオペラで、オペラ・ブッファとは異なる猟奇系オペラの代表作である。猟奇系オペラというジャンルはないが、挙げていくと、「ヴォツェック」、「ルル」、「サロメ」、「ねじの回転」などが含まれるだろう。「トゥーランドット」も場合によっては入るかも知れない。
青ひげ公は残忍な王で、数多の人を死へと導いている。「青ひげ公の城」の話が効果的に使われている映画として黒沢清の出世作である「CURE」が挙げられる。役所広司演じる刑事・高部の妻である文江(若くして亡くなった中川杏奈が演じている。中川杏奈という著名人は複数いるようだが、1965年生まれで演出家の栗山民也の奥さんだった人である)は精神を病んでいるのだが、それがかなり重いと分かる場面に「青ひげ公の城」の絵本が使われている。

出演は、宮本益光(ますみつ。青ひげ公)、石橋栄実(えみ。ユディット)、田中宗利(吟遊詩人)。
宮本益光は、バリトン歌手の他に、演出・構成、外国語オペラ詞の上演用日本語訳、執筆など幅広く活動しており、著書の名は、『職業、宮本益光』である。
大阪音楽大学教授としても知られる石橋栄実。澄んだ声を特徴とするソプラノだが、今日は役が役だけに痛切な声を聞かせる。
田中宗利は、劇団ひまわり所属の俳優。京都大学文学部哲学科卒。ピアノやチェロを習い、指揮者としても活動している。

下野、宮本、石橋の3人は、2023年に広島でも「青ひげ公の城」を上演している。

 

譜面の上に置かれた照明以外は光が絞られてスタート。吟遊詩人役の田中宗利が上手側から現れて、この話が昔々の語り継がれてきた物語であるということを告げる。
そして演奏開始。下野の巧みなリードに導かれて、豪快にしておどろおどろしい音楽が奏でられる。やはりこのオペラはオーケストラが強靱でないといけない。
青ひげ公の城にやって来た青ひげ公と、妻となったユディット。青ひげ公が残忍な王であるということはユディットも知っている。だが、ユディットは、家族と婚約者を捨てて青ひげ公の王妃になることに決めた。何故なのかは分からない。帰る場所をなくしたが、ユディットはかなり積極的である。青ひげ公に対して何度も「愛している」を口にする。あるいは帰る場所がないので青ひげ公にすがるしかないのかも知れないが。一方、青ひげ公の方は「愛してくれ」とは言うが、一度も「愛している」と口にすることはない。ユディットが「『愛してる』と言って」と迫っても、別の話をする。愛してなどいないのかも知れない。だとしたら正直だが。
一見、青ひげ公がユディットの行動を制しているように見えるのだが、実際にはそうやってユディットの非常に強い好奇心を引き寄せているようである。まんまと鍵を開けさせ、いくつもの部屋を見せ、最後の部屋へ。鍵を開けたのも多くの扉を開いたのもユディットの責任である。最後の部屋には朝の女と昼の女と夕方の女がいた。ユディットは夜の女となる。コンプリートである。
だが、どの部屋にも血痕があった。涙の湖にだけはなかったが、それは涙の湖だからか。とにかく殺さずに残忍な何かが起こっていたとしてもそれは知るよしもない。涙の湖が本当に涙の湖だとしたら、泣いたのは前にいた3人の女ということになる。会ったときには、たまたま普通の精神でいただけで、ユディットも3人の女同様、泣いて湖に涙を落とすことになるのだろうか。

夜の女になったと分かった時点で、ユディット役の石橋栄実は下手に向かって退場するという演出だったが、さて、どこに向かったのか。最後の部屋以外に行く当てはないが。

各部屋は色のついた照明によって表現される。

オペラではあるが、管弦楽に力強さが求められる。その点、馬力に関しては日本屈指のオーケストラである大阪フィルの力がプラスに働く。
独唱者2名の歌唱も優れており、独唱者を伴った管弦楽曲のような緻密な音楽を見事に再現してみせていた。

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2026年1月31日 (土)

観劇感想精選(508) キムラ緑子主演「わがうたブギウギ 笠置シヅ子物語」

2026年1月25日 京都四條南座にて観劇

午後3時30分から、京都四條南座で、キムラ緑子主演舞台「わが歌ブギウギ 笠置シヅ子物語」を観る。1994年初演の音楽劇。
主演:キムラ緑子。出演は、林翔太、曾我廼家寛太郎(そがのや・かんたろう)、賀集利樹、惣田紗莉渚(そうだ・さりな)、一色采子、桜花昇ぼる(おうか・のぼる)、松村雄基ほか。アンサンブルキャストを含めるとかなり多くの人が出演する。
作は小野田勇。補綴/演出は「現代の戯作者」こと齋藤雅文。音楽:服部隆之。
「ブギの女王」として一世を風靡しながら、42歳の若さで歌手を引退し、以後はおばちゃん役を得意とした女優として活躍、70歳で他界した笠置シヅ子の歌手時代の物語である。笠置シヅ子は、歌手時代には笠置シズ子の表記を用いており、女優に転身してから表記が笠置シヅ子に変わったとされるが、歌手時代に女優として出演した映画でもクレジットが「笠置シヅ子」になっているものがあり、歌手「笠置シズ子」、女優「笠置シヅ子」だったのかも知れない。

キムラ緑子は、同志社女子大学出身で、学生時代にお隣の同志社大学の演劇サークル第三劇場でマキノノゾミが演出するつかこうへい作品を観て参加。マキノとは結婚と離婚を繰り返している。
卒業後は、生まれ故郷の淡路島に帰って塾講師を務めるが、マキノに誘われ、マキノが主宰する劇団M.O.P.に参加。つかこうへい作品を上演していたが、マキノが作・演出を手掛けるようになってからは関西を代表する憑依型女優として名声を上げる。劇団M.O.P.が大阪、東京と本拠地を変えるごとに移住。映像作品にも出演するようになるが、全国区になるのは比較的遅く、朝ドラで意地悪な役や怖い役を演じて話題になってからである。舞台では、世間知らずなお嬢さんから性格のねじれた老婆まで幅広く演じ分け、才能を発揮している。

ただ今回はキムラ緑子を前面に出すためか、声など細部を除いては演じる年齢による演じ分けは行っていない。第1幕と第2幕からなる商業演劇であるが、カーテンコールでの声からいって、第2部が素のキムラ緑子の声で、第1部が若い声だったようだ。かなり違う。

NHK連続テレビ小説「ブギウギ」(主演:趣里)で、笠置シヅ子をモデルにした人物がヒロインとなり、笠置シヅ子の自伝や、シヅ子の師である服部良一の自伝などが久しぶりに再発売されているが、その間、研究はほとんど行われていなかったようである。笠置シヅ子も比較的謎の多い人物で、歌手引退と同時に歌を一切歌わなくなった、鼻歌すらも歌わなかったことが、一人娘の亀井ヱイ子氏の証言で分かっている。かなり頑なである。歌手引退の理由も曖昧だが、後年になって笠置シヅ子本人が、「太ってきたから」と理由を明かしている。笠置シヅ子の歌は、歌声だけでなくパフォーマンス(振付はほとんど自分で考えている)も併せて初めて一つの作品となるものだった。太ってしまっては踊れない。そして、笠置シヅ子が生きたのは日本人の平均寿命が今より短く、老けるのも早い時代だった。

 

黒澤明の作詞であり、黒澤映画「酔いどれ天使」でも使用された「ジャングル・ブギー」でスタート。キムラ緑子演じる笠置シヅ子が歌い踊り、それを多くのダンサーが盛り上げる。

話はシヅ子の若い日に戻る。少女時代のシヅ子(本名:亀井靜子。合田くるみが演じている)は、宝塚歌劇団を受けるも不合格。少女歌劇への夢を諦めきれないシヅ子は、今の大阪松竹座内にあった大阪松竹楽劇部(のちに大阪松竹少女歌劇団に改称)を訪れ、強引に入れて欲しいと頼む。二村定一の「アラビヤの唄」なども歌い上げる。生徒募集をしていなかった大阪松竹楽劇部も根負けして入団を認める。実際のシヅ子はもっとしつこかったそうで、毎日毎日「入れてくれ」と頼みに来たそうだ。
三笠シズ子の芸名で座員となるが、三笠宮が創設されたため、「畏れ多い」として笠置シズ子に改名させられている。
今回の劇では、服部良一(松村雄基)が大阪松竹少女歌劇団に在籍しているという設定(実際に二人が会うのは東京において)。 ピアニストとしてシヅ子たちにレッスンを付けるのは小暮五郎(賀集利樹)の役目であるが、小暮は若い頃から酒をたしなんでおり、その後、酒の飲み過ぎでピアノが弾けず、零落した姿でシヅ子の前に現れることになる。

大阪で歌声が評判になったシヅ子(大阪松竹少女歌劇団の後継団体であるOSK日本歌劇団で今も歌い継がれている「桜咲く国」などを歌う)に、東京の帝国劇場を舞台として組織される松竹楽劇団(SGD)に加わらないかという話が舞い込む。音楽監督は服部良一(史実でシヅ子と服部が出会ったのはこの時)。シヅ子は、男役のダンサーであるユリー五十鈴(桜花昇ぼる)と共に上京する。なおOSK日本歌劇団出身の桜花昇ぼるは、大阪の近鉄劇場で行われた「ブギウギ講談」では、歌唱担当として、笠置シヅ子とは名乗らなかったものの、実質、笠置シヅ子役で出演している。ユリー五十鈴は、体力では男性に敵わないことを感じ、男役の存在意義に悩むようになって、やがて芸能界から退き、五十鈴百合として女の人生を歩むことになる。
第1弾シングルとしてリリースされたのが、「ラッパと娘」である。朝ドラ「ブギウギ」でも「ラッパと娘」は「東京ブギウギ」以上に重要な曲となっていたが、この曲のメロディーは明らかに常道を外れており、服部良一の「音楽の殻を破ってやる」という意気込みが伝わってくる。実際に難しい楽曲で、本物の笠置シヅ子は、それまでこの手の激しいジャズは聴いたことがなかったはずなので、歌いこなすのにかなり苦労したことが察せられる。服部のレッスンは厳しいもので、夢中になると時間を忘れ、何時間もぶっ続けで進み、シヅ子は食事をすることも出来ず泣いたこともあるようだ。
笠置シヅ子の歌は、いわゆる「上手さ」ではそれほどでもない。あらゆる作品や書籍でも「歌が飛び抜けて上手い」という記述はない。そもそも音程には余り気をつかっていない。だが、黒人のジャズシンガーを思わせるソウルフルな歌声は、他に挙げる人物が見当たらないほど力強く、特にステージで聴く者を圧倒したことが証言から伝わってくる。

実は、終盤にシヅ子が歌った曲のメドレーが待ち構えている。

やがて戦時色が濃くなり、アメリカの影響を受けた歌を持ち歌としていたシヅ子は警察のターゲットとされて、「囲まれた線から出ずに歌え」と強要され、やがて「東京で歌ってはならない」という命令が下る。シヅ子は五郎をバンマスとした「笠置シズ子とその楽団」を結成し、地方巡業に活路を見出した。そんな中、シヅ子は一人の若い青年と出会う。早稲田大学に通う花森英介(林翔太)。花森興業創業家の一人息子である。花森英介は吉本興業の御曹司である吉本穎右(えいすけ。漢字も読みも難しいので、「エイスケ」とカタカナ表記にすることが多かった)をモデルとしているが、実際の吉本穎右はシヅ子の大ファンで追っかけをしており、出会ったのも偶然ではなかった。年が離れていたので恋人にはならないと思っていたシヅ子だが、英介の熱心さに惚れ、結婚を誓う。

シヅ子と英介が自己紹介をするシーン。シヅ子のパートは長台詞の上、状況説明が次々に変わり、体の動きも伴うため、キムラ緑子が軽々演じているのでそう見えないだけで、かなりの高難度である。

シヅ子の追っかけをしている人がもう一人。生駒芙美子(惣田紗莉渚)である。松竹少女歌劇団に押しかけて、榎本健一などの歌唱で知られる「私の青空」を歌って入団。シヅ子が東京に移ると、やはり追いかけてSGDのレビューガールに。しかし、自身の才能に見切りを付け、シヅ子の付き人となる。

日本はアメリカに敗れ、終戦となる。東京に戻ったシヅ子は有楽町の日本劇場(今は跡地に有楽町マリオンが建つ)で「ハイライト」公演に出演。中国に行っていた服部良一が、東京に戻った時に日劇の「ハイライト」公演の看板を目にし、吉祥寺の自宅に戻る前に日劇の笠置シヅ子の楽屋を訪れる。

服部は、シヅ子が主演する「ジャズ・カルメン」を企画。しかし、シヅ子は英介との愛の結晶である子を宿していた。妊娠しながら歌うのは難しいと、百合に反対されたシヅ子だったが、出演を強行。「ジャズ・カルメン」は大好評を得る。

だが英介は結核に冒されており、死んだ(史実では肺炎とされる)。「ジャズ・カルメン」を観る予定だったが、東京に来ることも出来なかった。数日後、シヅ子は女の子を産む。シヅ子は娘をヱイ子と名付けた。

服部は、「リンゴの唄」に続く復興ソングをシヅ子に歌わせようと考える、ある日、中央線の電車の中で、吊革が揺れているのを見た服部は、リズムと旋律が脳裏に閃く。史実では、服部は次の駅で降りて、すぐそばの喫茶店に駆け込み、紙ナプキンに五線譜と音符を書き込むのだが、舞台上ではそれは出来ない。満員の車内の乗客の揺れをアンサンブルキャストがダンスで表現し、服部が揺れの中で閃いて、手元の紙に五線譜と音符を書き込む。

こうして代表曲、「東京ブギウギ」が完成、裏手から実際に笠置シヅ子が着ていたドレスを模したものに身を包んだキムラ緑子とダンサーが登場し、「東京ブギウギ」が歌われる。最後の掛け声が「ヤー!」であることから、1947年に笠置が出演した映画「春の饗宴」を参考にしていることが分かる。実は、「東京ブギウギ」はかなりの難曲である。独特のリズムに乗り続けたまま歌うのはかなり難しい。キムラ緑子も、第2番の冒頭で少し遅れたが、乗り直した。ダンスも笠置のオリジナルと同じもの。全体を使った踊りなので、かなり体に来る。還暦を過ぎているキムラ緑子は、「東京ブギウギ」の終盤でバテているように見えたが、ここから地獄の「ブギウギメドレー」が始まる。要所要所を歌うだけだが、かなり疲れるはずである。「ブギウギメドレー」の曲目は、「買物ブギー」「ホームラン・ブギ」「大阪ブギウギ」「セコハン娘」「アロハ・ブギ」「センチメンタル・ダイナ」「ヘイヘイブギー」「東京ブギウギ」。ブギでないものも含まれる。

かくてシヅ子は、「ブギの女王」の名声を得る。

一方、シヅ子は、ラク町(有楽町のこと)のお葉(一色采子)らパンパンと交流を持つようになる。
お葉がいる喫茶店ドリームに一人の男。そこに笠置シヅ子が現れる。シヅ子は男が五郎だとすぐに気付く。五郎はピアノが弾けなくなり、生活に困っていた。シヅ子は五郎に禁酒を命じる。「禁酒は無理」だと思っていた五郎だが、持ち直し、ピアニストとして再出発出来るようになった。やがて芙美子と結婚する。

 

時が流れた。ブギの全盛期に、シヅ子は淡谷のり子と雑誌上で対談している。淡谷のり子が、「シャンソンは長く歌い継がれているけど、ブギは一過性で終わる」と断言しているのに対してシヅ子は、「ブギは長く歌い継がれていくと思います」と述べていた。だが、ブギの時代は短かった。ブギの全盛期には絶賛していた評論家が、手のひらを返して酷評の記事を書く。
そんな中、NHKでの公開録音に臨んだシヅ子だったが、「東京ブギウギ」の途中で歌唱を打ち切る(史実ではないようである)。もう高音が出ない。「もっと低い音程の歌をうたえば良い」と言ってくれる人もいた。だがシヅ子は歌手人生の終焉を感じる。「思うように歌えなくなったら歌手ではない」。服部は「それでこそプロの歌手の去り方だ」と称賛するのだった(実際は、服部は激怒したようである。服部はシヅ子に歌わせるために多くの歌を書いてきた。シヅ子がいなくなったら、思うような歌が書けなくなってしまう。しかしシヅ子は女優へと転身し、服部の最盛期も同時に終わることになる)。
華やかさの後の寂しさが身に染みる。
戦後を照らした太陽のような女性が、天岩戸へと帰っていく。天鈿女命(アメノウズメノミコト)がどんなに頑張っても意味はない。天鈿女命もまた彼女だったのだから。

 

今回の上演は、東京の三越劇場での上演を経て、京都四條南座での上演となっている。本来なら、笠置シヅ子、服部良一、吉本穎右全てと関わりのある大阪での上演が適当だったのかも知れないが、キムラ緑子が京都ゆかりの女優であることと、毎年のように南座で上演を行っていることから、南座が選ばれたのだと思われる。

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2025年12月28日 (日)

観劇感想精選(506) 佐々木蔵之介ひとり芝居「ヨナ -Jonah」

2025年11月23日 大阪城公園内のCOOL JAPAN PARK OSAKA TTホールにて観劇

正午から、大阪城公園内のCOOL JAPAN PARK OSAKA TTホールで、佐々木蔵之介ひとり芝居「ヨナ -Jonah」を観る。原作:マリン・ソレスク、翻訳・修辞:ドリアン助川。演出:シルヴィウ・プルカレーテ。東京芸術劇場×ルーマニア・ラドゥ・スタンカ国立劇場 国際共同制作作品である。

ヨナというと韓国人女性にありがちな名前だが、本作は韓国とは一切関係がなく、「旧約聖書」のヨナ書に描かれた聖人のことである。クジラに飲まれたという話があることから、この作品のモチーフとして用いられている。

プルカレーテを発見したのは野田秀樹で、野田は自身が1992年に潤色した「真夏の夜の夢」の演出をプルカレーテに託しているが、プルカレーテは佐々木蔵之介との仕事も好んでおり、「リチャード三世」(正統派ではなく独自のテキストによる演出)、「守銭奴 ザ・マネー・クレージ」を上演している。

佐々木蔵之介は以前に、ほぼひとり芝居となる「マクベス」を演じている。ほとんどの時間は蔵之介一人が舞台にいて、セリフを話すのも蔵之介だけなのだが、精神病院の閉鎖病棟にいるという設定で、医師役と看護師役の二人が出ていた。

今回もひとり芝居とのことだが、歌手として歌だけをうたう役が一人(佐々木奏音。ささき・かのん)。座っているだけで特に何もしない「黒子」と呼ばれる若手俳優が二人(小林宏樹と吉田朋弘)出演している。

開演前から佐々木蔵之介は、緞帳代わり(演劇対応ホールで劇場ではないので緞帳はないと思われる)のセットの前に座り込んでいる。

海を見つめ、網を打つヨナ。
しかしあるときからクジラに丸呑みにされたことに気付く。クジラの体内で、ヨナは刃物を取り出すのだが……。

飲み込まれているという状況と抜け出すという行為が、メタ的に無限に広がっていく可能性を帯びた芝居である。
途中で英国風の一室が現れるのだが、ヨナはそうしたものに余り興味は示さず、ただ服装は英国風にして去って行く。なぜ英国風の一室が出てきたのかは分からないが、植民地主義の否定を意味していたのだろか。ちなみにヨナは、古代イスラエル国と関わりの深い聖人のようである。そしてイギリスは中東問題において最大の悪役である。

なお、今回の公演は、日本での上演に先立ち、東ヨーロッパでのツアー公演を行っており、ルーマニアのシビウ、ハンガリーのブダペスト、ルーマニアのクルージュ・ナポカ、ルーマニアのブカレスト、モルドバのキシナウ、ブルガリアのソフィア、再度ルーマニアのシビウで上演を行っている。
東ヨーロッパの人々がこの芝居に何を見出したのかは興味深い。勿論、人がクジラの体内から出るという単純な話ではなく、あるいは社会、常識とそれに附随する文脈、戦争、経済的苦境、差別と偏見など多層に解釈は及ぶであろう。

上演時間1時間25分と、一人芝居としては長めの作品であるが、余裕を持って乗り切った佐々木蔵之介の表現力も優れていた。

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2025年11月23日 (日)

これまでに観た映画より(413) 「第三の男」

2025年11月17日

Amazon Prime Videoで、「第三の男」を観る。映画誌などの「歴代映画トップ10」などでたびたび1位に輝く名画である。原作:グレアム・グリーン。制作:デヴィッド・O・セルズニック。監督:キャロル・リード。出演:ジョゼフ・コットン、アリダ・ヴァリ(ヴァリ名義)、オーソン・ウェルズほか。音楽:アントン・カラス。俳優、演出、音楽等全てが高水準で「完璧映画」と称されることもある。

アントン・カラスがオーストリアの民族楽器、ツィターを使って奏でるテーマ音楽(ハリー・ライムのテーマ)は日本ではつとに有名で、ヱビスビールのCM曲となり、更にはJR恵比寿駅の発着音にも採用されている。

第二次大戦終了直後。連合国側(米、英、仏、ソ)による分離統治下にあったウィーンが舞台である。アメリカの三文西部劇小説家のホリー・マーティンス(ジョゼフ・コットン)は、ウィーンに住む親友、ハリー・ライム(オーソン・ウェルズ)から、「良い仕事がある」と誘われ、ウィーンへとやって来る。しかし、その直前にハリーは交通事故で亡くなっていた。ハリーの死はアパートの管理人によってホリーに告げられるのだが、この構図が実に格好いい。そしてハリーの葬儀に出席したホリーは、イギリス軍のキャロウェイ少佐からハリーが横流しの売人だったと告げられる。

ハリーの葬儀に気が強そうだが美しい女性が一人。ハリーの恋人であったアンナ・シュミット(アリダ・ヴァリ)である。彼女はオーストリア人の舞台女優として活躍していたが、実際はチェコスロバキア国籍であり、そのことで強制送還させられるのではないかと不安を感じていた。

そして、事故現場に、「第三の男」がいたことが明らかになる。この「第三の男」の姿を探してホリーは奔走するが、やがて「第三の男」が姿を現す……。

 

中学校3年の時、民放の深夜で、ノーカット日本語字幕付きの映画が放送されることがあった。「第三の男」もそうした深夜放送映画の1本としてビデオ(まだVHS)に録画して観たのが始まりである。ミステリー仕立てである上にユーモアにも溢れ、映画史上最高を争うのに相応しく思っていたが、今日、この配信を観て、これまでノーカットだと思っていた民放深夜の放送版には数カ所カットがあったことが分かった。勿論、話の展開には関係のないところがカットされているのだが、騙されていた気分である。配信の時代となり、多くの作品が観られるようになった今日にあっては、民放深夜の映画放送はもう需要がないかも知れない。

ミステリー作品なので、ネタバレ出来ない部分も多いのだが、下水道での大立ち回り、そして、「映画史上、最も長い歩くだけのシーン」とも言われるラストシーンは必見である。

なお、原作者のグレアム・グリーンは別のラストを用意していた。高校に入り、図書室で『グレアム・グリーン全集』を見つけた私は、「第三の男」を読んでみた。グレアム・グリーンの名は、赤川次郎が目標とする推理作家として知っていた。グリーンは映画版を観て、「納得がいくわけではないが、映画版の方が上と認めざるを得ない」と評価していた。

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2025年11月18日 (火)

観劇感想精選(501) M&Oplaysプロデュース「私を探さないで」

2025年11月8日 梅田芸術劇場シアター・ドラマシティにて観劇

午後6時から、梅田芸術劇場シアター・ドラマシティで、M&Oplaysプロデュース「私を探さないで」を観る。作・演出・出演:岩松了。出演:勝地涼、河合優実、富山えり子、篠原悠伸、新名基浩、小泉今日子。

対岸に観光地の無人島がある、本町という街が舞台である。対岸の無人島は、昼間は観光地で本町から渡った人がいるが、滞在する場所がないため、夕方に帰りの便が出てからは文字通り無人島となる。だが、最近では、数件、滞在出来る場所が出来ているそうだ。

タイトルの「私を探さないで」の「私」は、具体的には河合優実演じる三沢晶(みさわ・あきら)のことである。この町の高校に通っていた晶は、17歳の時に突然失踪する。その直前に高校の教師である大城ユイ子(小泉今日子)が小説を発表。自身が勤める高校をモチーフにした話で、相手役のモデルは古賀アキオ(勝地涼)であるが、「橘」という名になっていた。だが、三沢晶は、三沢エミリと苗字はそのままであった。大城の小説はモデルがいるフィクションとして発表され、高校生にしては衝撃的な内容であり、話題になったが、三沢晶は小説中でも苗字が一緒であり、すぐに誰がモデルなのが分かってしまう。ということで三沢晶は姿を消さざるを得なかったのだ。大城は小説家に転身した。

古賀がこの町に戻ってきた。高校の同級生と再会し、今は小説家となった大城とも顔を合わせるが、高校の制服を着た晶を見かける。すぐにそれは幻影だと分かるのだが、町に一つしかない映画館で、晶と二人で「(スター・ウォーズ)ジェダイの復讐」(現在の邦題は、「ジェダイの帰還」)を観た記憶が蘇る。古賀の記憶では、大城先生からチケットを譲られて、晶と二人で観に行き、上映後に晶と目を合わせて決まりが悪くなった、なのだが、大城先生からチケットを譲られたという記憶も怪しい、更に晶と二人で観に行ったのかどうかも記憶のねつ造によるところが大きいのではないかと思い始める。
ただ最終的には、チケットを誰から譲られたのかは分からないが、古賀と晶の二人で映画を観に行ったという記憶は正しいのではないかと思われる。古賀と晶は親しかった。古賀はバスケットボール部であったが、部室かどこかで余り公には出来ないことをしていたのも確からしい。一方、大城も古賀には目を掛けていた。
晶はサプライズ好きな性格で、大城先生の誕生日に手焼きのクッキーをプレゼントして驚かせた。晶も大城も同性間での行いには余り抵抗がなく、やはりそうした関係になるのだが、ここで大城が裏切った。三沢晶の苗字そのままに三沢エミリというキャラクターを創造し、バイセクシャルで奔放な少女として描いた。フィクションではあるため、高校生という立場もあって何も言い出すことは出来ない、というよりも何か言ったらモデルであることが確定してしまう。のんびりとした街で起きた残酷な情念の物語である。現在の晶がどうしているのかは不明。大城の前にも姿を現す晶だが、大城は「本物のわけない」と晶がこの町にいるわけがないことを知っている。だが、晶の生死に関しては情報を得ていないだろうから、あくまで「幻覚」と見なしているということだ。あるいは亡くなっているのかも知れないがその情報はない。

話題作への出演が続く河合優実。舞台にも何度か出演している。独特のムードを持った人で、演技も巧みだが、声は鼻に引っかかり気味の高いものであるため、舞台よりもやはり映像に向いているかも知れない。
ステップも独特だが、大きく向きを変える時は、バレエ経験者でしかもかなり巧い人でないと出来ないと思われるターンを見せていた。

キャリアは長いが、私は初めて舞台で見る小泉今日子。彼女は女優や歌手、書評家よりも 何よりもまず「アイドル」であると思われる。その証拠にスペースの作り方が上手い、ソロのアイドルとして数々のステージやテレビ番組をこなしてきた結果、自分だけの見せ場を作る技術が身についたのかも知れない。セリフに関しては計3回言い間違えるなど安定感には欠けたが、演技スタイル自体は確立されているため、「誰だって言い間違いはある」という風に受け取ることが出来る。ポッと出の人が力が足りずに言い間違えた訳ではない。

 

岩松了の芝居は比較的分かりにくいと言われているが、今回は対立の構図が明白だったため、核の部分はつかめたように思う。

カーテンコールでは、多くの人が大阪のグルメについて挙げる。河合優実は、一昨日、昨日と大阪グルメを堪能したが、明日しっかり食べるため、今日は揚子江ラーメン(他の俳優が何人も名を挙げていた)は食べないという話をしてから、緊張していたのか「よろしくお願いします」と場違いな挨拶をしそうになり、慌てて止めていた。

岩松了は、マチネー公演で3つ下がっている短冊状のカーテンの1つがどうしても下りてこず、仕方ないので2本でやったという話をする。この公演もどうかと思ったが、幸い、きちんと3本下りてくれたようである。

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2025年10月26日 (日)

これまでに観た映画より(409) 東野圭吾原作「ある閉ざされた雪の山荘で」

2025年10月12日

J:COM STREAMで、日本映画「ある閉ざされた雪の山荘で」を観る。東野圭吾の同名小説の映画化。出演:重岡大毅(しげおか・だいき)、中条あやみ、岡山天音(おかやま・あまね)、西野七瀬、堀田真由(ほった・まゆ)、戸塚純貴(とづか・じゅんき)、森川葵、間宮祥太朗ほか。監督は、「GTO」(AKIRA版)の飯塚健。

タイトル通り「ある閉ざされた雪の山荘」が舞台、ではない。実際の舞台となるのは海に近い別荘地にある貸別荘である。東京から近い海のそばの貸別荘となると千葉か神奈川になると思うが、エンドロールで千葉県南房総市でロケが行われたことが確認出来る。
そこで、劇団水滸の役者達が最終オーディションに臨むことになる。劇団水滸は比較的大きな劇団であるが、毎回オーディション制で、劇団員が所属しているという訳ではないらしい。東郷という男が主宰者で演出家だが、声のみで別荘に姿を現すことはない。監視カメラの映像に表示されている日付から、現在が冬ではなく3月初旬であることが分かる。
オーディション制といっても毎回受かっている人もいて、今回は7人中6人が数回共演している仲間であり、前回公演もこの6人で行われた。三次オーディションで合格した久我和幸(くが・かずゆき。重岡大毅)が新参者だ。久我だけは現地での合流となる。

海から近い貸別荘は豪華な作り。久我、中西貴子(中条あやみ)、田所義雄(岡山天音)、元村由梨江(西野七瀬)、笠原温子(あつこ。堀田真由)、雨宮恭介(あまみや・きょうすけ。戸塚純貴)、本多雄一(間宮祥太朗)は、この貸別荘で最終オーディションを受けることになる。一番優れた者が次回作の主役となる探偵役に抜擢される。東郷は現れないが、カメラが何カ所か据え付けられていて、モニターで監視しているということらしい。
更に設定が加えられ、今いる場所は海の近くの貸別荘ではなく、雪に閉ざされた山荘で、外に出ることは出来ず、通信手段も何もないということになる。なぜこうしたことをするのかというと、この話の元ネタであるアガサ・クリスティの『そして誰もいなくなった』の設定にしてみたかったからだと思われる。部屋には『そして誰もいなくなった』が人数分置いてある。アガサ・クリスティの時代にはそもそも通信手段自体が未発達だったが、今はいくらでもある。それを敢えて手放して行動することがオーディションになるようだ。「本当にオーディションになるのか?」という疑問は当然起こるが、疑問が起こってもストーリーが変わるわけではないので、それはそれとする。

連続殺人が起こるわけだが、当然ながら疑問に思うところは出てくる。最初の事件は、「この人物はこれが得意で、あるものを装着しながらこれを行う」こと知らないと事件を起こせない。これはかなり引っかかる点である。それ以外の事件については特にやり方に問題はない。

若い俳優ばかりが出てくる作品だが、今の若い俳優は私たちの時代と比べて演技が細やかでナチュラルである。私の家は映画館に行くのは年に1度で、それ以外はテレビドラマかテレビで放送されるカットと吹き替え付きの洋画、やはりカットありの邦画ぐらいしか演技している人を見る手段がなかった。一方、今の若い俳優はそれに加えてインターネットや配信サービスなどを利用して何時間でも演技をしている人を見ることが可能だ。その分、有利な環境にあるといえる。持って生まれた才能に関しては今も昔もどうしようもないわけだが。私も以前は、「才能はなくても稽古をすればある程度は伸びるはず」と思っていたが、全く伸びずに終わった俳優(彼のために上演10分の平易な戯曲を書き下ろしたが、それすら無理であった)を見ると持って生まれたものの大きさについて思いをはせたりする。

登場人物が全員役者ということで生まれたミステリー。テレビドラマの延長的な作りであるため、そこを嫌う人がいるかも知れないが、ひと味違ったものを観たいという人には向いているかも知れない。

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