カテゴリー「住まい・インテリア」の5件の記事

2022年6月29日 (水)

美術回廊(76) 京都市京セラ美術館 「ポンペイ展」

2022年6月28日 左京区岡崎の京都市京セラ美術館本館北回廊1階にて

左京区岡崎の京都市京セラ美術館で、「ポンペイ展」を観る。

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「フニクリ・フニクラ」でも知られるヴェスヴィオ山の噴火による火砕流に飲まれ、一瞬にして街ごと消失したことで知られるポンペイ。18世紀から街の発掘が始まり、現在ではユネスコの世界遺産に登録されている。「一瞬にして消えた街」ということで、同じような運命をたどった街が「○○のポンペイ」と呼ばれることもある。浅間山の噴火により、村全てが埋もれた上野国鎌原村や洪水で消えた備後国草戸千軒町などが「日本のポンペイ」と呼ばれることがあるようである。

ヴェスヴィオ山は休火山だが、有史以来何度も大噴火を起こしている。
ポンペイが飲み込まれたことで有名なのは、紀元79年に起こった大噴火であるが、ぞれ以前やそれ以後の噴火で失われた街も複数存在するようだ。

街も人も消えるという一大悲劇の舞台であるが、長年に渡って眠っていたため、発掘が始まると、当時の南イタリアの風俗がそのまま分かるという重要な遺産ともなっている。

なお今回は、映像展示などを除いて全作品写真撮影可である。利用目的に関しては「個人で楽しむためだけ」とのことで、範囲は曖昧である。ただ、他人が映り込んだ場合は肖像権に触れる場合があるので注意は必要。そこにいてはいけないはずのお偉いさんが馴染みの誰かと写っていてスキャンダルに発展しても責任は持てないということでもある。

悲劇を伝えるものとしては、女性犠牲者の石膏像が一体、うつ伏せで横たわっている。頭を両手で抱えており、頭部を守ろうとしたのが分かる。

それ以外の展示は、紀元79年当時のポンペイの雰囲気を伝える遺物が中心である。
元々はローマと同盟を結ぶ同盟市であったポンペイ。しかし、戦に敗れ、ローマの植民都市となっている。その後、港湾商業都市として栄え、またワインのためのブドウ栽培と醸造でローマからも重要視されている。往事はヴェスヴィオ山の山頂付近までブドウ栽培が行われていたことが絵によって分かる。火山だと分かっているはずなのだが、勇気があるのか無鉄砲なのか。とにかく火山でもブドウは栽培されていた。

ローマの支配下ではあったが、文化的には古代エジプトやギリシャの影響も濃厚であり、エジプトやギリシャの神々が称えられていた。またギリシャについての知識を有することはポンペイの上流階級にとっては必須であったようである。エジプトについてもナイル川を描いた絵が展示されているなど、愛着を持たれていることがうかがえる。

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ポンペイは階級社会であったが、身分は固定制ではなく、奴隷もいたが、主人が臨終時に解放を宣言するか、あるいは奴隷自身がお金を払うことで一般市民へと格上げとなり、元奴隷の中には商売で成功して上流階級に伍するだけの力を蓄えた者もいたようである。

日常生活の道具なども展示されているが、半円形の穴がいくつか開いた、たこ焼き器のような銅器も存在している。勿論、ポンペイでたこ焼き器が使われていたはずもなく、実体は目玉焼き器あるいは丸パン焼き器と説明されている。正確に何を作る道具なのかは分かっていないようである。蛸が描かれた絵も存在しているため、本当にたこ焼きのようなものが作られていたら面白いのだが、可能性としては低いだろう。ただ紀元79年に火砕流に埋もれ、18世紀に発掘されたのだから、往事の記録はほとんど飛んでいるわけで、たこ焼きがオーパーツ的にあったら面白いとも思う。

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往事のポンペイ人の生活がうかがい知れるものとしては、「猛犬注意」のモザイク画が挙げられる。本物が展示されているのは1点だけだが、復刻版の別の「猛犬注意」も展示室の床に置かれている。犬を飼う人が多かったことが分かる。
また演劇が楽しまれていたようで、俳優や女優の像や、楽屋を描いたと思われる上演前の一景を目にすることが出来る。演劇は洋の東西を問わず、舞台に上がれるのは男性だけという決まりのあるところが多いが、ポンペイには女優がいたようである。ただ女優に関しては「おそらく遊女」という断りがあり、一般階級の女性が舞台に上がることはなかったようである。
一方で彫刻の技術はかなり高いレベルに達していたようで、神々の像や男女の胸像を始め、鹿、犬、猪、ライオンなどの動物も躍動感溢れる出来となっている。


ヴェスヴィオ山の噴火により消失した街としてはポンペイが最も有名であり、同じようにして消えた街への意識が向かないようになっていた。だが、エルコラーノ(紀元79年の噴火で消失)やソンマ・ヴェスヴィアーナ(472年のヴェスヴィオ噴火により消失)といった街の発掘も、少しずつではあるが進んでいるという。特にソンマ・ヴェスヴィアーナは東京大学のチームが中心になって発掘を続けているそうで、将来的に日本人による世界的な発見がもたらされる可能性もありそうだ。

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2021年11月11日 (木)

美術回廊(70) 京都文化博物館 創業200年記念「フィンレイソン展―フィンランドの暮らしに愛され続けたテキスタイル―」

2021年11月3日 三条高倉の京都文化博物館にて

三条高倉の京都文化博物館で、創業200年記念「フィンレイソン展 ―フィンランドの暮らしに愛され続けたテキスタイル―」を観る。

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フィンランドのタンペレに本社を置いていたテキスタイル企業、フィンレイソン。北欧のデザイン界を代表する企業だが、フィンレイソンというのは英国スコットランドからやって来た創業者、ジェームズ・フィンレイソンの苗字であり、「フィン」と入るがフィンランドとは一切関係がないようである。なお、200年に渡ってフィンランドのテキスタイルデザインをリードし続けたフィンレイソンであるが、20世紀後半の綿工業の衰退により、現在では本社を首都のヘルシンキに移し、生産は海外の工場に一任しているようである。
ちなみに、フィンレイソンを代表するデザインの名は「コロナ(王冠)」という何とも皮肉なものである。

1820年。ロシア統治下のフィンランドで創業されたフィンレイソン。工業都市タンペレに本拠を置き、ロシア人経営者の下で急成長。タンペレ市民の6割ほどがフィンレイソンの社員として働いていたこともあるそうだ。また北欧で初めて女性を社員として雇った企業でもあり、1880年代から1920年代に掛けては、女性社員の数が男性社員のそれを上回っていたそうで、かなり画期的な運営をしていたことが分かる。

動植物の柄を中心としたシンプルなデザインが多いが、子どもを描いたデザインなどは可愛らしいものも多く、見る方も自然と頬が緩んでしまう。

トーベ・ヤンソンもムーミンを使ったデザインでフィンレイソンのテキスタイルに参加しており、今回の展覧会の見所の一つとなっている。

京都文化博物館の4階と3階の展示室を使用しているが、3階に展示されている作品は撮影自由である(フラッシュ撮影、動画撮影などは禁止)。
フィンレイソンは女性の社員が多いという話をしたが、参加しているデザイナーも1名を除いて全員女性である。アイニ・ヴァーリがメインのデザイナーのようで展示数も多いが、第二次世界大戦中には、ユダヤ人ということでドイツから逃れてきた女性がフィンレイソンのデザイナーになったこともあったようである。

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3階の展示室もシンプルで飾らないデザインが主流だが、中にはミンナ・アホネンという、フィンランドらしい名前ではあるが日本語で取ると愉快な名前のデザイナーもいる。みんながみんなアホだったら、それはそれで幸せな世の中になりそうではある。

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フィンランドということで、シベリウスの交響詩「フィンランディア」を題材としたデザインのうちの一つも展示されている。シルッカ・シヴェが1980年代末に手掛けたものだが、白地に赤黄青の三原色線を配したシンプルなもので、フィンランドを支配し続けてきたスウェーデンとロシアからの飛躍をモチーフにしているようでもある。

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フィンランドの有名人に、パーヴォ・ヤルヴィの名前の由来となったことでも知られる名指揮者、パーヴォ・ベルグルンドがいるが、同姓のカーリナ・ベルグルンドというデザイナーの作品も展示されている。血縁関係はないと思われるが、比較的有名なデザイナーのようである。カーリナ・ベルグルンドの作品は原題はイケアでは「グラウドブローマ(幸せな花)」と命名されていたようだ。

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デザイナーということで、ヘルシンキ芸術デザイン大学(2010年に合併改組されて、アアルト大学となっている)の卒業生も多い。
ヘルシンキ芸術デザイン大学出身の、アンナ・フフタが描いた都市のデザインは、簡素化された図形の配置と色合いがいかにも北欧的である。

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リーサ・スーラ(ジョルジュ・スーラとは多分、無関係)が花の絵2点は、「キオト(京都)」と名付けられている。「京都は春の花の美しいところ」と聞いて命名したそうである。

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2021年2月17日 (水)

美術回廊(62) 京都国立近代美術館 「分離派建築会100年展 建築は芸術か?」

2021年2月11日 左京区岡崎の京都国立近代美術館にて

左京区岡崎にある京都国立近代美術館で、「分離派建築会100年展 建築は芸術か?」を観る。

分離派というとグスタフ・クリムトやオットー・ワーグナーらが興したウィーン分離派(オーストリア造形芸術家協会。セセッション)による芸術革新運動が有名であるが、今回の展覧会は、ウィーン分離派に影響を受け、「分離派建築会」を創設した日本の若き建築家達が主役である。創設メンバーは全員、東京帝国大学工学部建築学科に所属していた、石本喜久治、瀧澤眞弓(男性)、堀口捨己、森田慶一、矢田茂、山田守の6人である。その後、山口文象(岡村蚊象)、蔵田周忠(濱岡周忠)、大内秀一郎が加わっている。

創設メンバーは、東京帝国大学で伊東忠太に師事。それまでの建築様式にとらわれない新建築を目指したが、ウィーン分離派同様、全体としての傾向を定めることはなく、一人一様式としている。

分離派建築会が関わった建築は、今では少なくなってしまっているが、往時は毎日のように眺めていた東京・御茶ノ水の聖橋や、京都では京都大学学友会館、京都大学農学部正門などが残っている。入ってすぐのところに現存する分離派建築会関連建築の写真展示があり、分離派建築会の第1回作品展で掲げられた宣言(「我々は起つ」)を読み上げる女性の声が、終始流れている。

分離派建築会の創設は、1920年(大正8)。スペイン風邪のパンデミックの最中であった。明治維新と共に、西洋風の建築が日本の各地に建てられたが、明治も終わり頃になると「西洋建築一辺倒でいいのか?」という疑問を持つ人も多くなり、独自の日本建築の開拓に乗り出す人が出てきた。分離派建築会の人々もまたそうである。
分離派建築会の東大の先輩にあたる野田俊彦は、「建築非芸術論」を上梓し、実用性最優先の立場に立っていた。

いくつかの映像展示があるが、一番最初にあるのは、当時の建築の最前線を走っていた後藤慶二に関する映像である。1983年の制作。テレビ番組として制作されたもののようで、後藤の代表作である豊多摩監獄(豊多摩刑務所。正門部分のみ現存)が紹介されている。豊多摩監獄は、1983年に取り壊されることが決まっており、このドキュメンタリー映像は、豊多摩監獄を記録する意図で制作されたようである。
豊多摩監獄は、日本最大級の監獄であり、江戸時代の小伝馬町の牢屋敷を市ヶ谷に移した市谷監獄の後継施設として建てられている。市谷監獄は小伝馬町の牢屋敷をそのまま移築したものだそうで、何と江戸時代に建てられた獄舎が明治43年まで長きに渡って使用されていた。手狭になり、老朽化も甚だしいとして現在の中野区に建てられたのが豊多摩監獄である。思想犯を多く収容し、大杉栄、亀井勝一郎、小林多喜二、三木清、中野重治、埴谷雄高、河上肇らが入獄している。
後藤が設計した豊多摩監獄は、十字式の独居房配置が特徴。中心の部分に見張りを置いていれば、4つの独居房の列が全て見渡せるという、画期的な仕組みが採用されていた。
その後藤慶二にあるが、スペイン風邪に罹患し、腸チフスも合併して35歳の若さで亡くなってしまう。
後藤慶二や、分離派建築会のメンバーの師である伊東忠太も師事した辰野金吾もスペイン風邪に罹り、64歳で他界。スペイン風邪は日本の建築界にも激震をもたらした。

その直後に発足した分離派建築会は、新たなる芸術としての建築美を追究することになる。アールデコなどの装飾も流行った時期であったが、分離派建築会のメンバーが設計した建築は、どちらかというと装飾の少ない、スッキリしたものが多い。
教育面でも活躍しており、瀧澤眞弓は神戸大学や大阪市立大学、甲南大学といった関西の大学で教鞭を執っている。堀口捨己は明治大学建築科の創設に尽力し、指導も行った。森田慶一は武田五一に招かれて京都帝国大学の教員となり、京大関連の建物も設計。先に書いた京都大学学友会館や農学部正門といった現存建築は森田が設計したものである。矢田茂は民間企業に就職したため分離派としての作品は少ないが、逓信省に入った山田守は、後に御茶ノ水の聖橋、日本武道館や京都タワーなどを手掛けた。

分離派建築会のメンバーは、新しい建築を生むにあたり、オーギュスト・ロダンらの彫刻を参考にしたり、田園地帯での生活における建築美を追究するなど、建築そのものとは関わりのないものにも影響を受け、自身の作品に取り入れていった。瀧澤眞弓の作品「山の家」模型は、ディズニー映画「アナと雪の女王」に出てくる雪の女王の城を連想させる斬新な設計である(理想を掲げたもので、実際に建設はされなかった)。

旧岩国藩主であった吉川家の東京邸や、公家であった坊城邸なども堀口捨己や蔵田周忠ら分離派建築会のメンバーが手掛けているようだ。写真のみの展示なのがちょっと寂しい。

京都国立近代美術館を出ると隣は武田五一設計の京都府立図書館(残念ながら外装工事中であり、布で覆われていた)、北側に目をやると伊東忠太設計の平安神宮応天門が眼に入る。今まさに建築の歴史の中に生きていることを実感し、彼らと繋がれたような喜びがこみ上げてくる。

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2019年10月17日 (木)

美術回廊(39) 大阪市立東洋陶磁美術館 特別展「フィンランド陶芸 芸術家のユートピア」&「マリメッコ・スピリッツ フィンランド・ミーツ・ジャパン」

2019年7月18日 大阪市立東洋陶磁美術館にて

中之島と堂島川を隔てて向かいにある大阪市立東洋陶磁美術館で特別展「フィンランド陶芸 芸術家のユートピア」「マリメッコ・スピリッツ フィンランド・ミーツ・ジャパン」を観る。多くの作品は撮影可である。午後5時閉館で、東洋陶器美術館に入ったのが午後4時20分頃であったため、駆け足の鑑賞になる。

フィンランドの陶芸を興隆させたのはアルフレッド・ウィリアム・フィンチ(1854-1930)という人物であり、その弟子達によって更なる発展を遂げている。
「フィンランド陶芸」では、フィンチの弟子であるミハエル・シルキン(1900-1962)、ルート・ブリュック(1916-1999)、ビルゲイ・カイピアイネン(1915-1988)らの作品を中心とした展示が行われている。
トーベ・ヤンソンの画風を思わせるような愛らしい作品もあるが、ターコイズブルー1色の陶器や白と青のシンプルな作品なども北欧らしくて気に入る。

「マリメッコ・スピリッツ」は、テキスタイルのブランドであるマリメッコの展示会。1974年生まれのパーヴォ・ハロネン、1982年生まれのマイヤ・ロウエカリ、1983年生まれのアイノ=マイヤ・メッツォラの3人の若い作家の「JAPAN」をテーマにした作品が展示されている。展示のラストには今回の展覧会のために制作された茶室の展示がある。趣もあるが白木の香りがなんともいえず心地よい。

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2018年12月19日 (水)

美術回廊(21) 名古屋市美術館 「アルヴァ・アアルト もうひとつの自然」

2018年12月13日 名古屋市美術館にて

名古屋へ。名古屋駅から地下鉄で伏見(京都の伏見とは異なり、語尾にアクセントが来る)まで出て、白川公園内にある名古屋市美術館へ。フィンランドの建築家・デザイナーとして活躍したアルヴァ・アアルト(アールト)の特別展「アルヴァ・アアルト もうひとつの自然」が開かれている。

北欧デザインの祖とも呼ばれているアルヴァ・アアルト。1898年生まれ、1976年没。ヘルシンキ工科大学で建築を学び、隣国スウェーデンに渡ってアルヴィート・ビヤケルの事務所で働いた後に独立。ファーストネームはフーゴであったが、フィンランドの建築家リストのトップに載るために、セカンドネームのアルヴァを用いてアルヴァ・アアルトと名乗る。建築、インテリアデザイン、都市計画(ヘルシンキ・オリンピック選手村など)といった仕事を行っており、建築家としてはヘルシンキのフィンランディア・ホールの設計を行っている。フィンランドを代表するこのホールは、白亜の美しい外観と同時に音響の悪さで知られており(音響設計に関しては建築家の責任ではない)、1971年竣工とそう古くはないのであるが、「音響改善の見込みなし」として、2011年にヘルシンキ音楽センターが建てられ、ヘルシンキ・フィルハーモニー管弦楽団とフィンランド放送交響楽団が本拠地を移している。

アアルトはシベリウスと同時代を生きた人であり、二人の間には共通点も多い(スウェーデン系フィンランド人である、自然と人間の調和を志向、奥さんの名前がアイノなど)。アアルトは建築家をあらゆる芸術の指揮者と位置づけていたようだ。

インテリアデザイナーとしてのアアルトは、シンプルさと自然そのものの優美な曲線を特徴としており、「北欧のインテリア」と聞いてパッと思いつくようなものはアアルトが最初に提案したもののようだ。椅子に関しては腰掛ける部分と背もたれ、更には手すりなどの部分を全て緩やかに曲がる「L字」で手掛けているのが特徴である。

母校であるヘルシンキ工科大学は、ヘルシンキ経済大学、ヘルシンキ美術大学と合併し、現在ではアアルト大学を名乗っている。まさに国民的建築家とされているようだ。


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