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2026年6月 8日 (月)

「古畑任三郎」第2シリーズ第2話 笑わない女(VS沢口靖子)

2026年3月26日

FODで「古畑任三郎」第2シリーズ第2話“笑わない女”を観る。
ミッション系女子高校が舞台。ルーテル(ルターのこと)学院大学がロケ先になっているが、プロテスタントではなくフランス系カトリック=「ノートルダム」「暁星」「海星」「明星」などを校名に付けやすい宗派の学校という設定になっている。学校名はプライオリ女学院で、これはシャーロック・ホームズ・シリーズの「プライオリ学院」(『シャーロック・ホームズの帰還』収蔵)にちなんだものと思われる。
犯人のプライオリ女学院寮長、宇佐美ヨリエを演じるのは沢口靖子。感情表現豊かなセリフ術を比較的苦手とする女優だが、今回はお堅くて、感情表現にも表情にも乏しく、抑揚の少ない喋り方ということで、沢口靖子が嵌まる役が選ばれている。悪い面だけではなく、立っているだけで絵になるということも考慮されているだろう。
プライオリ女学院は、校則が厳しく、学内で「歌ってはならない」「化粧をしてはならない」などガチガチである。1番最初に来るのは「人を欺いてはならない」だ。
学院に新風を送り込みそうな教師、阿部哲也(相島一之)が赴任。ギターを弾きながらボブ・ディランの「風に吹かれて」を歌い、女生徒が周りを取り囲んでいる。
宇佐美は無表情なのでどう思っているのか正確には分からないが、「歌ってはならない」という戒律を破っていると認識しているのは確かである。
瞬く間に宇佐美による阿部殺害の場面になる。宇佐美は、ジェームズ・ジョイスの長編『ダブリン市民』を借りたいと阿部に申し出る。国語の授業で使いたいというのだが、『ダブリン市民』を高校生が理解出来るとは思わない。だが、それは阿部の姿勢を崩すための口実。阿部が本棚の下段を覗くために頭を下げたところをパイプで一閃。だが、阿部もそのままでは死なず、宇佐美のコートのボタンをちぎり取る。宇佐美は、阿部が本棚の上の方にある書籍を取ろうとして段に上り、足を滑らせて、運悪くダンベルに後頭部を打ち付けて死亡したように見えるべく細工する。
ちなみで、戒律では、「男女が同じ部屋いるときはドアを開けておかねばならない」ので、ドアは開けたままで血痕は廊下まで飛び散っていた。また、宇佐美は阿部に引きちぎられたボタンを奪い返そうとはしなかった。「動物に触れてはならない」という戒律があったためだ。ということは宇佐美は男性と手を握ったこともないということになる。いや女性ともないのかも知れない。

古畑任三郎(田村正和)が阿部の部屋に来た時、床に一冊の本が落ちていた。ドストエフスキーの『罪と罰』だというが、『罪と罰』がそんなに薄いわけがない。だが特に変更もされず6分の1ぐらいの分量の『罪と罰』が最上段に入るのか、という話になり、今泉(西村雅彦)に『罪と罰』とおぼしき本を入れさせようとするが、高さがあるので最上段には入らない。普通は高さのある本は厚みもあるので、文庫本などは上、単行本は下に入れることになる。当時、分厚い単行本しかなかった『ダブリン市民』は下段にあったはず。
『罪と罰』も下の方にあったはずなので、上段にあって本を取ろうとして足を滑らせた可能性はない。細工である。
寮生に聞くと、戒律を厳格に守るのは今では宇佐美先生だけだという。学長であっても全ては守らない。男女が同じ部屋にいる時も部屋を開けたままにするのは宇佐美だけで、阿部も一度は閉めようとして、宇佐美なのでドアを開けたのだった。

倒叙型なので犯人は最初から分かっている。殺害方法も実際に演じている。このケースで分かりにくいのは動機である。普通に考えると、学校を変えようとする阿部が憎かったというのが動機になりそうであるが、実際はそうではない。
戒律の一つに「化粧をしてはならない」があるが、宇佐美は戒律を破った生徒から口紅を没収。だがふとした気の迷いから口紅を塗り、拭き取ろうとしたところを阿部に見られてしまったのだった。普通の世界ならまず起きない殺人事件である。
「人を欺いてはならない」とあるので、宇佐美は、「最初に『人を殺しましたか?』と聞いていれば、私は『はい』と答えましたのに。最速逮捕記録、逃しましたね」と憎まれ口を叩く。自身もプライオリ女学院出身の宇佐美。阿部に見られたのが人生最初の化粧だったのかも知れない。口紅を塗りたくなったのは、「あなたが女性である証拠です」と古畑は述べるが、あるいは宇佐美にも変身願望があったのかも知れない。阿部に見られたので一度で終わってしまったかも知れないが。

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2026年5月21日 (木)

観劇感想精選(516) KOKAMI@network vol.22 「トランス TRANS」

2026年5月17日 大阪・西梅田のサンケイホールブリーゼにて観劇

午後1時から、西梅田のサンケイホールブリーゼで、KOKAMI@network vol.22「トランス TRANS」を観る。鴻上尚史の代表作の上演。鴻上本人による戯曲改訂&演出版である。
三人芝居ということもあり、日本全国で上演が行われており、私自身は3度目の観賞である。最初は、ル テアトル銀座(現存せず)での上演で、ともさかりえ、河原雅彦、山崎銀之丞の出演で、演出は木野花。ともさかりえと河原雅彦が、この共演で仲良くなり、結婚するも後に離婚へと至っている。2000年8月の上演で、「鴨東記」も「猫町通り通信」も始まっていない。そもそも千葉市在住である。ということで感想は残っておらず、記憶としても曖昧である。この戯曲は、鴻上尚史が冒頭に、「俳優を必ず客席から登場させるように」と記している。理由は実は知らされることはないのだが、演劇をやるぐらいの人なら察しが付く。ル テアトル銀座での上演では、三人が客席通路の階段をかなりゆっくりと降りてきた。

二度目は鴻上の規則を破ってしまった上演である。京都大学の演劇サークルによる京都大学吉田寮食堂(通称:りょうしょく)での上演だったが、登場人物は、舞台下手から並んで入ってきてしまった。これでは「トランス」は完結しない。

作者が指定したことが守られず、反論出来るだけの要素がないなら舞台に乗せるべきではない。作者が気まぐれで書くはずがないのだ。そして、「トランス」において客席から出てこないのであれば、いかに演技が達者であったとしても、それは「トランス」という作品ではない。上演する資格がないと断言する。

 

今回の出演者は、風間俊介、岡本玲、伊礼彼方。

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ステージの中央には白衣が掛けてあり、客席通路を歩いて舞台に上がった3人は、誰が白衣を取るかで牽制し合うが、岡本玲が白衣を着て、精神科医・紅谷礼子となる。風間俊介は、記事に名前が出ない売れないフリーライターの立原雅人となり、伊礼彼方は、ゲイバーのシュワ子こと後藤参三になる。「なる」と書いたのには実は意味がある。

3人は高校の同級生で、よく屋上でだべっていた。
卒業後、礼子と立原は学部は違うが同じ大学に入るが、礼子は生きる意欲を失い、新宗教にのめり込み、それが無意味と分かったとき、「自殺しようと思うならまだ力が残っている」ということで、大学再受験を行い、医学部に入って精神科の医師になったのだ。

立原は、自分は南朝正統の立原天皇だと言い始める。熊沢天皇事件がモデルである。
まず前段階として、明治天皇が自らが属する北朝ではなく、「南朝こそ正統な皇統」だと断言したという事実がある。
熊沢天皇事件が起こる直前にも裏工作があったようだが、1946年に名古屋市に住む熊沢寛道という人物が、「自分こそが後亀山天皇の血を引く南朝の正統たる天皇」だと名乗りを上げ、北朝系である裕仁天皇(昭和天皇)に退位を求めている。
その後も、熊沢天皇は天皇としての活動(京都首都宣言など)を続けた。便乗して、「自分こそが天皇」と名乗りを上げた人もいたようだ。
立原雅人も「南朝」で、苗字である立原を名とする天皇と称する。シュワ子については、「シュウ・ワコ」という中国から来た宦官だと立原天皇は勘違いする。ゲイが宦官に飛躍したようだ。
立原天皇は、即位を望むが、世話係となったシュウ・ワコが、立原天皇が病室を出て行くのを何度も阻止する。
この、立原雅人=立原天皇、紅谷礼子、シュウ・ワコのやり取りが一番長い。しかし立原雅人は立原天皇ではないし、紅谷礼子は白衣を着る際に戸惑ったことから分かる通り、医師ではない。ではなんなのかということになるが、精神科の入院患者の可能性が高い。というよりほぼ確定である。参三も閉鎖病棟にいたのを医師である立原が連れてきたという。ただ、立原が医師である可能性はかなり低く、やはり病院に来るまでは売れないライターだったのだろう。
それぞれがそれぞれの役を演じることは演劇そのものにも繋がる。
また、役者が客席から出てくるのは、舞台と客席とが隔てられているわけではなく、自分達は普通の人々、もしくは客席にいる人々の代表としてステージに上がったという意味になる。誰もが少しは(かなりの人もいるかも知れないが)病んでおり、誰もが少しは日常で演じている。
というわけで、これは精神障害者を面白おかしく描いたものではなく、民衆を讃美する演劇である。

立原天皇が、尾籠な話をしようとして、邪魔が入るのはいつものことである(何を言うのか察しは付く)。時代が進んだということで、どこでもすぐに映像が見られるなど、現代社会に合わせた改変がある。
また、明治天皇、大正天皇、昭和天皇に掛けた駄洒落が新たに入っている(「目いじってんのう?」「鯛背負ってんのう?」「SHOW終わってんのう?」)。ただの駄洒落である。

 

KOKAMI@networkへの出演も多い風間俊介。「金八先生」での悪役で注目を浴びたが、今は清潔感のあるビジュアルを武器にしている。
高校時代に高学力女優として知られた岡本玲。大きな役はなかなか得られないが、朝ドラ「虎に翼」では、弁護士時代の寅子(伊藤沙莉)を出し抜く悪女役で話題になった。和歌山市出身なので親族が観に来ているかも知れない。今日は出だしは声がガラガラだったが、応急処置をしたようで、その後は澄んだ声になった。
伊礼彼方はミュージカルで見ることが多いが、ストレートプレーでも安定感のある演技を見せていた。

鴻上尚史は、来阪しており、開演前には1階ホワイエでパンフレットを手売りし(握手はOKだが、サインはNG。ただ少し離れたところで売られている鴻上の著書を買った人にはサインを入れていた)、更には2階席にも現れてパンフレットを売っていた。今日は私は2階席の一番後ろだったが、鴻上は、「すみませんねえ。追加公演をやることになったので2階席になっちゃって」と語っていたため、本来は私も含め1階席だったのだが、2階席に変わったため、ファンサービスに訪れたのだろう。私は2階テラスから、1階にいる鴻上を観察していたが、他の2階席のお客さんは1階には注目せずに来たので、鴻上が会場にいるのも知らず、びっくり仰天であった。
鴻上が帰るときに拍手が起こったが、鴻上は、「駄目駄目。下の階(1階席)の人、何が起こったかと思われる」

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2026年4月30日 (木)

Netflix連続ドラマ「地獄に堕ちるわよ」概要

2026年4月27日

Netflixドラマ「地獄に堕ちるわよ」が配信開始。全9話同時配信のようである。流石に全9話を一気には見られないので、細切れで見ていく。
占い本の売り上げがギネス記録になっている一方で、暴力団との直接的な関係を利用した恐喝など裏社会を利用した悪女でもある細木数子の一生を描くドラマ。主演:戸田恵梨香(細木数子役。ナレーション兼)。出演:伊藤沙莉(ナレーション兼)、富田靖子、高橋和也、細川岳、田村健太郎、余貴美子、根岸季衣、市川実和子(ナレーション兼)、田中要次、杉本哲太、生田斗真、三浦透子、青山テルマ、ヒコロヒー、細田善彦、石橋蓮司ほか。監督は、瀧本智行(友人に名前が似ている)と大庭功睦(おおば・のりちか)。脚本は真中もなか。音楽は、「どうする家康」の稲本響。

「SPEC」などでエキセントリックな人物も演じている戸田恵梨香。怪物クラスの人物である細木数子も、妖艶かつ時折凄みを出して演じている。終戦後、母(富田靖子)と四人姉弟でひもじい思いをした細木数子。弟や妹には街角のお供え物を与え、自分は仕方がないのでミミズを口にした。その味は、生涯忘れないと語る。一家でおでん屋を立ち上げた数子。早泣きが得意で、客から喝采を受ける。早くに稼ぐために高校時代にクラブデビュー。クラブではナンバーワンとなりやっかみを受けるもオーナーの落合元(奥野瑛太)に気に入られ、初めての体験をする。しかし、落合には裏の顔があった。自殺を図った数子だが、命を取り留める。高校を辞めた数子は、おでん屋の常連だった中園榮一(高橋和也)の紹介で、スタンド食堂「ポニー」を立ち上げる。店は繁盛するが、事実はどうか知らないが、数子は窓口係で食事の多くを姉が作ったため、姉が憤る場面がある。そのスタンドは半年で計画的にやめ、新橋にクラブ「潤」を起こす。水商売の女は教養がないと馬鹿にされるため、新聞を読み、更に大学に潜り込んで授業を受ける。どの大学なのかは明らかにしていないが、ロケでは立教大学が用いられている。一つの大学だけに潜るとは限らないが、交通費が掛かるため、複数の大学で学ぶということはなかったと思われる。
新橋の店が繁盛すると、今度は目標の地である銀座に「カズサ」という店を出す。オープン前に出資者の中園に土下座する場面がある。カズサというと千葉県の中部である上総を連想するが、彼女と千葉県には接点がない。織田上総介信長が、「総ての上に立つ」という意味で上総介を自称したが、あるいはそれを見抜いたのか。単に「カズコ」の「カズ」なのか。
数子は、最初は上司に連れられて来てその後は一人で週3回ペースで訪れるようになる三田麻呂彦(田村健太郎)のことが気になる。このままだと破産するのではと心配するが、実は三田は静岡の大地主の息子であった。三田の父親が亡くなった日、静岡に帰る三田との結婚を決意する数子。ただそれ以外の部分で三田に惚れたというより、金銭的な上がりを意識して三田と結婚したように見えてしまう。
これが第2話までの細木数子の人生である。
二番目にクレジットされている伊藤沙莉は小説家役である。伊藤沙莉本人も小説家という職業に憧れを持っているが、1から増やしていくことは出来るても、0から1を生み出す才能はないため、来世ではそうした才能を持つ天才作家になりたいようだ。おそらく蓬莱さんに惚れたのもそこだろう。売れない作家とクレジットされた魚澄美乃里であるが、実際は文芸新人賞を受賞した実力の持ち主である。しかし次の作品が書けなくなってしまい、書けないと金にはならないのでクリーニング工場でアルバイトをしている(余談だが、伊藤沙莉は若い頃にクリーニング工場ならぬクリーニング店でアルバイトをしていたことがあり、その時のことは著書やネットラジオで語られている)。細木数子のことを小説に書くことで再起を狙っている美乃里。美乃里のことは編集者が推薦し、細木からも「期待してるわ」と言われる。細木の自宅でのインタビューも行えていることから、全くの無名作家という訳でもないらしい。今後、対立が予想されるが、今のところ不仲という訳ではない。伊藤沙莉も取材対象を観察して「何でも書いてやる」と意気込んでいるためか、いつにもましてキリッとした姿勢である。

ただ気になるのは、Episode2で、美乃里の書棚が映る場面があるのだが、マンガのほかは、よしもとばななななどの現代小説と茨木のり子などの現代詩しか見当たらない。それも女性の作品ばかりである。漱石、芥川、太宰といった近代文学の王道や、泉鏡花や谷崎潤一郎などの耽美派、日本の古典文学、外国文学などは見当たらない。処女作『透明な女たち』であるが、帯を見ると私小説らしいことが分かる。誰でも私小説なら1冊は書ける。上手いか下手かは別にして。本当に何冊もヒット作を生み出す小説家になりたいのならこの読書量なら明らかに勉強不足である。私小説として『透明な女たち』に全て書いてしまったら、もう何も書けないのはむしろ当たり前といえる。
ただ第1作で自分に向き合ったというのなら、第2作で向き合うのは細木数子。細木数子が美乃里にとっては初めて描く他人だ。


静岡の旧家である三田の家(浄土真宗門徒のようで「正信偈」が唱えられる。浄土と地獄の対比である)に嫁いだ数子。しかし、眉をうすくして、『犬神家の一族』に出てきそうな風貌になった麻呂彦の母キヨ(余貴美子)が家の支配権を握っているようである。
初夜の日、麻呂彦はこれがはじめてだそうで、数子に指南して貰う。その間、鶏の映像が流れる。翌朝、起きた数子は麻呂彦の手伝いをしようとするが、キヨから何もしなくていいと言われる。それでも何かしようとするが、女中の仕事を奪うということで、何とか鶏小屋の掃除だけさせて貰う。名家である三田家では、跡継ぎを生むことだけが嫁の仕事だった。弟で「カズサ」の経営を任せた久雄への長距離電話もキヨに止められる。女中達が自身の悪口を言っていることを耳にした数子は、女中達を追い出し、鶏を皆殺しにして、夕食の膳に総て鶏料理を並べて家を出て行く。ちなみに親子丼は持って東京へ帰る途中のバスの中で食べるが(バスの中での食事は余り褒められたものではないが)卵だけ産む鶏の肉だけに、美味しくはなかったようだ。
それほど面白い話ではないが、美乃里は声を上げて笑う。数子はその理由も見抜いていた。美乃里は新人賞受賞直後に編集者の男と結婚。一女を設けるが、2作目の小説を書けない美乃里は、夫から「お前には才能がない」「小説家の道を諦めて子育てに専念しろ」と暴言を浴びせられたため離婚。娘の親権も取っている。
夫に酷い目にあった女。その復讐心や開放感が笑いへと繋がったのだと。ただ美乃里の夫はそれほど悪い人物ではない。

1963年。翌年には東京オリンピックが開催される。都内は突貫工事だらけであった。そんな中、「シンザン」と「だりや」という新店舗を銀座に出した数子は、不動産会社を経営している須藤豊という男(中島歩)と出会う。
一方、法外なみかじめ料を取ろうとした暴力団員に割って入った客がいる。滝口宗次郎(杉本哲太)。滝口組の組長だった。ここで初めて暴力団との接点が出来る。


この時点では、数子は占いを全く信じていないようだが、母親のみね(富田靖子)が占いを頼りにしており、辻占い師(田中要次)に頼み、娘の将来が明るいことを喜ぶ。
富田靖子も髪の毛を薄くするなど、かなり思い切った老けメイクを行っており、パッと見、富田靖子だと気付かない人もいそうである。

Episode5。1964年。細木数子は銀座で3軒のバーを流行らせ銀座の女帝となった。
だが好事魔多し。須藤と共同で赤坂のクラブ「艶歌」をオープンさせる計画を立て、中園と手を切るが、資金の半分を提供するはずだった須藤が金を持ち逃げして消えてしまう。新事業に力を入れていた数子だったが、須藤に欺されることになった。須藤は以前から密かに数子の内偵と欺す手口を考えていた。
そんな折、母親が死去。辻占い師に「数子が地獄を見る」と言われたという。実家にまで借金取りが来ていたそうだ。
再び自殺を考えた数子。須藤と滝口はグルだったようで、滝口は「艶歌」を存続させる代わりに自分の「おもちゃ」になるよう要求した。数子は飲むしかなかった。

現代(といっても2000年代)。細木数子は日本で最も有名な占い師となっていた。六星占術の本は世界で最も売れた占いの本として、ギネス記録になっていた。
だが、細木数子の本を書こうとしている魚澄美乃里役の伊藤沙莉は、観察の意味もあってか、厳しい眼差しを崩さない。細木数子への個人診断は10万円もし、その価格に見合うだけの診断を行っているとも思えない。やたら先祖供養を勧めるが、高い墓石を紹介し、美乃里のナレーションによると、細木はバックマージンを受け取っているという。

眼差しの演技が特徴的な伊藤沙莉。普段は強い眼差しを続けているので、それ以上のことは分からないが、細木数子が一万円札を燃やしたときに、最初は何が起こっているのか分からないという眼差しをし、その後、動揺を気取られないよう目を無表情に近づける。2枚目の一万円札に火を付けた時は流石に怒るが、これで1枚目を燃やしたことの意味が出る。火を付けてすぐ怒ったらドラマにならない。

細木数子が「最良の年」と呼んだ1964年が終わり、1965年。銀座の店は悉く閉店。数子は、「艶歌」の中では自由だが、滝口の情婦で外に一人で出ることも出来ない。滝口の求めにも応じなければならなかった。ある日、滝口の部下達が「艶歌」で騒ぐ。それを静めたのが江戸川一家の堀田雅也(生田斗真)だった。遅れてきた滝口を博打に誘う堀田。しかし堀田は博打の腕は確かであり、滝口を追い込むつもりだった。最終的には滝口は大負けし、負債を追う。そして復讐のために堀田を撃ちに現れる。

1973年。オイルショック。時短営業が求められ、「艶歌」の営業も上手くいかない。コロナを連想させる出来事だ。そんなある日、数子はついに占いに出会う。辻占い師だったが、「占いは統計学だから」(そう言いながら、占いの統計を取っている人はいないと思われる)ということで、「今付き合っている人とは相性が良いが、良すぎるかも知れない。そして新しいことを始めるのが良いかも知れない。あなたは人の何倍もエネルギーがある」
それを本気にしたのか分からないが、数子は「艶歌」をディスコ「マンハッタン」に模様替えすることにする。人一倍商才に長けた数子は再び時流に乗るが、車を運転している時に、橋から飛び降りようとしている女性を見かけ、声を掛ける。その女性は当代一の人気女性歌手、島倉千代子(三浦透子)であった、彼氏が出した手形に署名しているうちに借金が4億3千万を超え、マスコミが報じることに。数子は千代子を保護し、新宿コマ劇場でのリサイタルを完走させるのだった。
映画「ドライブ・マイ・カー」のドライバー役で注目された三浦透子。伊藤沙莉の友人である。東京理科大学数学科卒という理系の中の理系。今度、イギリスで生まれた一人芝居に挑む予定である。伊藤沙莉は高校の時にテストで0点を取ったと明かしているが、おそらく数学の試験においてであると思われるので、数学について語った場合は全く話が通じないと思われる。
伊藤沙莉がなかなかオーディションに受からず、受かったと思ってもエキストラだった時に、役を貰っていた三浦透子と昼ご飯を食べ、「ここじゃないから、沙莉のいる場所は」と言ってくれたという話がある。

Netflixドラマ「地獄に堕ちるわよ」Episode7からEpisode9(最終話)。

眼差しが険しかった美乃里だが、細木数子の話を聞いているうちに段々視線が柔らかくなる。数子は島倉千代子のマネージャーを務め、稼がせるためにドサ回りから刑務所慰問まで何でもやらせる。年間200ステージの強行軍。更にレコード購入者限定のサイン会など、金になることなら何でもやらせた。そして円満のうちに関係解消。
だが、数子の弟で一緒にバーやディスコを手伝っていた久雄から「そんなの全部嘘に決まってるじゃん」と美乃里は告げられる。久雄はその後に二度逮捕されて有罪になっており、数子からは離縁されていた。数子は姉や妹からも距離を置かれており、家族には好かれなかった。
久雄が言うには、芸能界と暴力団の両方に詳しいフィクサーから堀田に連絡があり、島倉千代子と面会し、傘下に置くことになかった。橋で千代子と会ったというのは大嘘だった。
数子が千代子に課した仕事そのものには嘘はないようだが、得た金の大半を懐に入れていた。千代子は月3万円を給料として貰っていたが、千代子の元マネージャーで今は新人のマネージメントを行っている男に聞くと、明らかにおかしいらしい。島倉千代子クラスなら、呼ぶだけで200万から500万かかるため、借金の4億円など1年で返せるという。数子は1年で稼いだという1億5千前円を出して、これで山分けとしていたがそんなはずはないというのだ。欺されたことを知り、週刊誌に離別の記事を載せて、「これで手切れ」としたようだ。美乃里は、テレビ局に島倉千代子を訪ねるが、千代子は数子への感謝を述べ、着服されたことについても「欺されたことに気付かない方が幸せなこともあるのよ」と取り合わなかった。そして数子が笑うようなタイミングで笑い声を上げる。数子の人に取り入る術を見せられる思いだ。

数子が最初に占ったのは千代子だったが、本格的に占いを学ぶことに決める。初めて占って貰った先生(木村優子)に弟子入りし、「占いには10年掛けないと」と言われるが1年でマスター。本当にそんなことが可能だったのか分からないが、これをベースにした六星占術を生み出すきっかけとなる。ちなみに先生に借りた本はついぞ返しにこなかったという。
更に思想界の大物、安永正隆(石橋蓮司)にも近づく。最初は推命学を教えて欲しいと近づき、得意の泣き真似もする。最初の先生によると「安永正隆は易経の人」で四柱推命には詳しくないそうだが、各界に顔が利く正隆との付き合いにより、数子も顔と知名度を上げていく。正隆の娘の加藤十和子(市川実和子)によると、正隆には軽度の認知症があり、それを数子が見抜いたのではないかという。認知症は徐々に進んだようで、正隆と数子が二人で部屋で飲んでいる時に、危機感を覚えて駆けつけた十和子を「静子」と母親の名前で呼ぶ。そしてその時、数子は正隆に印鑑を押させていて、婚姻届を出す準備を整えていた。しかし婚姻については後に裁判により無効となる。
正隆の葬儀の日、駆けつけた数子は、心から絞り出したかのような泣き声を上げるが、元々泣きの演技は得意であり、数子に同情する人はいなかった。
正隆が推薦文を書いた六星占術の本は売れに売れ、数子はテレビ界に進出することになる。

「ヤクザの女」じゃなくて「女ヤクザ」と呼ばれた細木数子。テレビ局の前での出迎えは、テレビ局ではなく暴力団事務所の前のような光景である。

それでも数子を悪く言う人は少数派。番組ADは不満をぶつけるが、ディレクターは大絶賛。以前、10万円払って数子に見て貰った老婆も、状況は全く改善されていない上に高額の墓石まで買わされているが、「有名な方」に見て貰って嬉しいと、述べる本人が良いと言うなら良いで収まる結果となっている。

数子は、美乃里を鑑定することにする。放送には流さずカメラも回さないという条件下だ。美乃里は今書いている小説の話をする。モデルがいて、それが誰のことなのかは明かさなかったが、数子にはすぐに分かったはずだ。

1冊しか書けていないが、小説家の血が騒ぐ美乃里。ノートパソコンのワープロソフトに向かって縦書きで書く、とにかく書く、アルバイト先でも(本来の仕事はさぼってるが)書く。そうして文字を奏でた美乃里は、2冊目の小説となる『虚飾の自画像(原題『女の自画像』)』を書き上げる。週刊誌に細木数子のスキャンダルを連載する予定があり、美乃里の小説はそれに対して細木数子擁護の書籍となるはずだった。だが、美乃里は耳にしたままを小説にした。
美乃里は、「誰よりも先に読んで欲しい」ということで、出勤前の細木数子の家に向かい、プリントアウトしたばかりのA4用紙を入れた紙袋を車中の数子に手渡す。
実のところ、数子は美乃里が書いた小説に泣いた。感受性も強い人らしい。
しかし、再び美乃里と自宅であった数子は、「面白かった」と言いながら「嘘ばかりで表に出せない」と美乃里を責める。おそらく本は世に出ないだろう。だが美乃里と対峙した時にぶちまけた原稿を、数子は美乃里が帰ってから1枚1枚慈しむかのように丁寧に拾う。
虚飾と嘘に満ちた人生。知力、商才、胆力、演技力に長けながら、それを悪へと向かわせてしまった女。それでも人々は「虚飾には虚飾を」なのか、本来の数子に向けられたとは思わない言葉を掛ける。これは自分じゃない、それも自分じゃない、あんなものも自分じゃない。そんな中でただ一人、等身大の自分に向き合う人がいた。美乃里である。美乃里は自分のことを分かってくれていた。だが、この内容で出版する訳にはいかない。

翌2006年、週間「現代」が細木数子の数々のスキャンダルを書き立てた。数子はテレビ界から追放。表舞台から姿を消す。しかし死ぬまで「占いなんて信じてない」と言いながら占い師の仕事を続け、ケータイ向けの六星占術のサイトが爆発的にヒットするなど、占いに関わり続けた。また姪を養女に貰い、細木家を繋いだ。
「細木数子は欲しいものを全て手に入れた」ように見える。本当の理解者以外は。

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2026年4月29日 (水)

観劇感想精選(515) アーサ・ミラー作「るつぼ The Crucible」(坂本昌行主演)

2026年4月3日 西宮北口の兵庫県立芸術文化センター阪急中ホールにて観劇

午後6時から、兵庫県立芸術文化センター阪急中ホールで、「るつぼ The Crucible」を観る。「アメリカの頭脳」アーサー・ミラーの代表作である。「アメリカの頭脳」に名前負けせず、彼が残した戯曲の数々は今も各国で上演され、高い評価を得ている。「るつぼ」は、日本でも数年前に堤真一の主演で上演されたが、チケット争奪戦に敗れて観ることは叶わなかった。

今回は坂本昌行の主演版である。テキスト日本語訳は水谷八也、演出は上村聡史。

「エクソシスト」を先取りしたような、奇怪にしておどろおどろしい作品だが、主軸にはキリスト教などの権威の傲慢さへの冷めた目があるように思う。

出演:坂本昌行、前田亜季、松崎祐介、瀧七海、伊達暁、佐川和正、夏子、大滝寛、那須佐代子、大鷹明良ほか。

舞台美術は長田佳代子で、○を八百屋飾りにし、中間の何もない部分に、こちらも少し八百屋になったセットを作っている。出入り口は背後、階段を降りた先にある。

 

魔女狩りが主題である。中世ヨーロッパでは魔女狩りが横行し、ジャンヌ・ダルクも魔女として火刑台に消えた。今もイギリスなどでは魔女として暮らしている人は多いが、特に他者を害するということはないようである。一方、新大陸では……。

アメリカ合衆国独立前の英領アメリカで起こったセイラム魔女裁判がモデルとされる。

黒人役の人が出てくるが、肌を塗ったりは出来ないので、髪型をそれらしくして演じている。鍵を握るのは、アビゲイルという17歳の女性(瀧七海)である。アビゲイルというと、オーケストラ・アンサンブル金沢のコンサートミストレスであるアビゲイル・ヤングを連想してしまう。アビゲイルという名前の人を彼女以外に知らないからでもあるが。
アビゲイルは他の女の子と共に、夜の森で踊り、それが悪魔崇拝だとして問題視される。特にパリス牧師の娘であるベティ(前田亜季)は意識不明となり、ベッドで寝ているのだが、突如起き上がって暴れたりする。本当に「エクソシスト」の世界である。ベティの出番は短いが、前田亜季はその後は成人女性であるエリザベス(エリザベスの愛称もベティである)役で登場する。

パリスというのも意味ありげな名前だが、この人物は魔女騒動を焚きつけているようなところがあり、好人物とは言えない。魔女を巡る人々の心に寄り添うのはヘイル牧師(松崎祐介)の方である。

しかし、おそらく集団ヒステリーによるものだと思われるが、街の若い娘達が悪魔を目撃するなど奇妙な精神状態へと陥り、奇声を発するようになる。

主人公のジョン・プロクター(坂本昌行)は、信仰心はそこそこ。畑仕事をしている方が好きで、安息日である日曜日にも畑に出掛けて土を耕していたことがある。日曜の集会にも出られる日だけ出ている。
妻のエリザベスとの関係は良好だが、つい侍女のアビゲイルと関係を持ってしまう。アビゲイルはそれをネタに……。

 

魔女狩りという前近代的な習慣を題材にしながら、絶対的権威と個人など、現代においても起こる対立を緻密に描いた作品である。魔女審問では次々に死刑とされるなど、血なまぐさい出来事が背後で起こっているが、そうした凄惨な出来事は今は終わったわけではない。

この小さな街の魔女狩りの話をスライドさせれば日本で言えば特高警察の話になる。アーサー・ミラーは、そうした作劇法を確信犯的に用いている。

 

坂本昌行はミスもあったが集中力の高い演技を見せ、ジョンという男の多面性を表していた。ジョンという人物は必ずしも格好良くはないのだが、坂本昌行は多くの女性の目に格好良く映るだろう。
近年は舞台を活躍の場に選ぶことが多い前田亜季。やはり可憐な役も多かったが、今回は心揺れる女性を情感豊かに演じていた。

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2026年4月 4日 (土)

これまでに観た映画より(433) 村上春樹原作・市川準監督作品「トニー滝谷」4Kリマスター版

2026年3月28日 烏丸御池のアップリンク京都にて

アップリンク京都で、村上春樹原作・市川準監督作品「トニー滝谷」4Kリマスター版を観る。音楽は坂本龍一。今日(3月28日)は坂本龍一の命日で、イオンモールKYOTOのT・ジョイ京都では、坂本龍一のフィルムコンサートも行われている(WOWOWの制作で放送された際の映像は録画して持っている)。残念ながら時間的にはしごは出来ない。

原作:村上春樹。脚本・監督:市川準。出演に:イッセー尾形、宮沢りえ、篠原孝文、四方堂亘、小山田サユリ、猫田直、木野花(特別出演)ほか。ナレーション:西島秀俊。音楽:坂本龍一。西島秀俊の敢えて感情を込めない語りが、トニー滝谷の心境を却って明らかにする。

「トニー滝谷」は、短編集『レキシントンの幽霊』に収められた短編小説が原作である。トニー滝谷という人物は、実は『ねじまき鳥クロニクル』の中の笠原メイのセリフにも登場している。こちらの方が短編小説「トニー滝谷」よりも先だと思われる。

「僕はとにかく『トニー滝谷』という小説が書きたかったんだ」ということで書かれた小説。トニー滝谷(イッセー尾形)は本名で日本人である。ジャズトロンボーン奏者、滝谷省三郎(イッセー尾形二役)の息子として生まれ、幼い頃から絵画を得意とした。父親は戦時中、魔都上海のおそらく租界で気楽に過ごした。日本本国の惨状は彼の知るところではなかった。しかし日本は戦いに敗れ、滝谷省三郎は抑留される。そのまま処刑されてもおかしくなかったが、罪に問われることはなく、日本に帰ることが出来た。そしてすぐに結婚。おそらく親族が決めた結婚だったのだろう。そしてトニー滝谷が生まれた。アメリカの将校から、「これからはアメリカの時代だからアメリカの名前を付けてやる」ということでトニー滝谷という名前になったのだ。トニー滝谷が生まれてすぐに母親は死んだ。
幼年時代、絵画教室でトニー滝谷はおそろしく緻密な絵を描いて、絵の先生(四方堂亘)を困らせた。上手いことは上手いのだが、情感が感じられないのだ。
そのまま美術を極めるために美大に進んだトニー滝谷だが、同級生からは、「物語性」「思想性」などが欠けていると言われる。だがトニー滝谷にとってはそんなものは幼稚で不正確なものでしかなかった。

トニー滝谷は絵画ではなくデザインの世界に進む。メカニックなものを描くのは彼の得意とするところだった。仕事は楽しく、金は貯まった。
ある日、トニーはデザイン誌の編集者である英子(宮沢りえ)と自宅で打ち合わせをする。英子に惹かれるトニーだったが、15歳も年齢の開き(つまりかなりの歳月がはしょられていたことになる)があることから素直に気持ちを伝えることが出来ず……。

 

晩年の市川準は、自身の作風を捨て、カメラが左から右へと移行する(人物は逆に右から左へと移る)、絵巻物的な絵作りを行っている。

市川準監督は小説について「乾いた」という表現を使っているが、実際には「トニー滝谷」は村上春樹の作品の中では、『ノルウェイの森』に代表されるウエットな路線の話である。

頼りにならない父親、もうすでにいない母親、自分の絵を認めてくれない周囲。孤立の中で孤独感を深めていくトニー滝谷。小説でもそうだが、映画でも仕事の関係者はいるが親しい友人はいないようである。

一部を除いて、ほぼ全編に流れる坂本龍一のピアノ曲「Solitude」。諦めながら沈みつつ、それでもなお美しいものを追い求めるようなこの曲は坂本の作品の中でも異色である。物語が進むごとに孤独が深まっていく。

純粋に一人を楽しんで生きれば、トニー滝谷は真に孤独ではなかったのかも知れない。
だが英子と「出会ってしまった」。出会ってしまったことが彼を幸福にもし、別個の孤独へと押し込んだ。

だが、これが本来なのかも知れない。孤独を知ることなく人生を味わうことは出来ないのかも知れない。華やかな人生など花火のようなものだ。

この作品は、DVDで観ており、坂本龍一のサウンドトラックも買っている。スクリーンで観るのは初めてで、当然、スクリーンで観た方が良い、と思ったのだが、一人の部屋でモニターを見つめていた方が、この作品の真の味が分かりそうだ。孤独と孤独がよりそうことの。

これまでに観た映画より(230) 村上春樹原作 市川準監督作品「トニー滝谷」

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2026年3月15日 (日)

観劇感想精選(510) 小早川保隆演出 C.T.Tプロデュース公演「オセロー」

2005年12月9日 河原町広小路の京都府立文化芸術会館にて観劇

京都府立文化芸術会館でC.T.Tプロデュース公演「オセロー」を観る。原作:ウィリアム・シェイクスピア、翻訳:福田恆存(ふくだ・つねあり 新潮文庫刊)、脚色・演出:小早川保隆。
京都の新劇と小劇場劇団から選ばれたメンバーによる公演である。

ショパンの夜想曲第20番(遺作)のソプラノ編曲版が流れ、幕が上がる。いきなり本来のラストシーンであるオセローのデズデモーナ殺しと自殺の場から始まってしまう。そこから時間が遡行していくという描き方である。
「オセロー」を観たことも読んだこともない人の中には途中まで展開がわからなかった方もいるかも知れない。巨大な時計の文字盤がセットにあったので、それを左右逆にしておけば、内面的時間における再構成ドラマとして、もっとわかりやすく見せられただろう。
率直に言ってしまえば、これは「オセロー」ではなく(少なくとも悲劇「オセロー」ではなく)、「イアーゴー」と名付けた方が適当な劇であった。
思い切った脚色と演出で試みとしては面白かったけれど、「オセロー」を観たことがない人が、「『オセロー』とはこういう芝居なのか」と誤解してしまう可能性があるのが少し恐い。それに、結果から冒頭に進む形態にしてしまうと、イアーゴー以外の人物が愚かに見えて仕方がない。

更に徹底して脚色し、ピカレスク・ロマン「イアーゴー」と銘打って公演してしまうのも一つの手であっただろう。もともとイアーゴーはオセロと並んで人気のある役であり、オセロー俳優を喰ってしまうイアーゴー役者も歴史上には沢山いた。

1番前の席だったので、各々の役者が演技をする上で何を大切にしているのかがわかり過ぎてしまい、演技の方に注意が行ってしまって、ストーリーになかなか入り込めなかった。
心理を重視する人は、ジョギングに例えると気ばかりが走って体が前のめりになり、今にも足がもつれそうな演技だったし、文化芸術会館の広さを気にする人は(特に小劇場の俳優は)声が通るように滑舌に気を配ったり、姿勢を含めた見た目に注意が行ったりで、心理面がフラットになってしまっている。ナチュラルな演技を心がけている人も周りの演技スタイルからは浮いている。別に統一感がある必要はないけれど、スタイルに差がありすぎるのは気になる。

ラストはテレビドラマでよくやるような、視覚的に美しいものだったが、やはりイアーゴーがオセローを憎む理由を強化して、ピカレスクな終わり方にした方が全体の統一感が出て、より効果的だったと思う。「イアーゴー」として観た方が楽しめる劇であった。

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2026年2月11日 (水)

NHK 宮城発地域ドラマ 草彅剛主演「ペペロンチーノ」

2026年2月2日

NHKオンデマンドで、宮城発地域ドラマ「ペペロンチーノ」を見る。作:一色伸幸、音楽:世武裕子。主演:草彅剛。出演:吉田羊、國村隼、矢田亜希子、富田望生、一色洋平、蒼波純、古川凛ほか。演出:丸山拓也(NHK仙台放送局)。

東日本大震災から10年が経った宮城県内の牡鹿半島にある町(具体的な市区町村名は明かされない)が舞台。10年前、港の近くで妻の灯里(吉田羊)と共にイタリアンレストラン「PARADOSO」を開いていた小野寺潔(草彅剛)は、東日本大震災で被災。命は助かったが、レストランは津波に流された。
仮設住宅に入った小野寺。レストランを失ったので他の仕事を探さねばならないが、見つかるのは賃金が安いか、肉体労働の仕事だけ。5つほど従事したが、どれも長続きはしなかった。
そんな日々の中で、酒浸りの生活となり、オートバイを飲酒運転して転倒し、脚の骨を折るという重傷を負う。担当した佐々木という医師(國村隼)もアル中だったことがあり、小野寺は2021年の3月11日まで断酒するよう厳命される。
ある日、小野寺は、仮設住宅の隣の部屋で暮らしているのが、高校の時の同級生であるより子(矢田亜希子)であることに気付く。激しめの親子喧嘩を聞きつけて、隣家に飛び込んだのだ。より子はシングルマザー。小野寺は仲直りのためのペペロンチーノを作る。「最も易しいが、最も難しい」それがペペロンチーノ。

かつてレストランがあった場所を訪れた小野寺は、ラフマニノフの「パガニーニの主題による狂詩曲」より第18変奏を奏でる音に惹かれ、倉庫の方へ。グランドピアノを弾いていたのは高橋(一色洋平)。なたね(富田望生)がそれを聴いている。高橋はなたねのためにピアノの練習を重ねていたようで、突然、なたねにプロポーズ。なたねのみならず小野寺も動揺して、近くにあった木材などを蹴飛ばしてしまい、高橋となたねから「誰?」という目で見られる。小野寺は、以前に近くでレストランを開いていた者だと教える。
高橋となたねは、海で養殖の仕事をしているが、小野寺も仕事を教えて貰うようになる。

妻の灯里がイタリアンを食べる姿を見た小野寺は、以前の「PARADOSO」より、より海に近い場所に新たな「PARADOSO」を開くことを決め、金策に回る。雑誌やテレビが取材に訪れ、窓から見える海の眺望も話題となって繁盛するが、コロナ禍が訪れる。そんな中、一人の若い女性がPARADOSOを訪れる。彼女は小さなWeb情報誌のライター、庄司結衣香(齊藤夢愛)だった。彼女は他のライターとは少し異なる記事を書いた。


2021年3月11日。小野寺は、知り合い全員をPARADOSOに呼び、貸し切りパーティーとするが、それは小野寺が誰よりも深い喪失を抱えていることが分かる瞬間でもあった。


2021年にNHK仙台放送局によって制作されたドラマである。陰のある男役も得意とする草彅剛だが、この時点で渋みも加わった演技を行うことが可能になっている。年を取れば取るほど味が出てくるタイプだ。
何千回、何万回と写真を撮られてきた人だと思うが、新たなPARADOSO出発の日に写真を撮られているときには明らかに撮られ慣れていない表情をしており、面白い。
目の演技が細やかな富田望生は、この2年ほど後に体重を増やして、朝ドラ「ブギウギ」で草彅剛と再度共演。富田望生は自身と同じ福島県出身の役を演じており、語尾が「くんちぇ」になる方言を草彅が面白がってよく真似ていたそうだ。

どんでん返しのあるドラマだが、一層、小野寺という男の内面が愛おしくなるような気がする。
東京制作とは違った、ゆったりとした時の流れを感じられるのも印象的であった。

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2025年12月28日 (日)

観劇感想精選(506) 佐々木蔵之介ひとり芝居「ヨナ -Jonah」

2025年11月23日 大阪城公園内のCOOL JAPAN PARK OSAKA TTホールにて観劇

正午から、大阪城公園内のCOOL JAPAN PARK OSAKA TTホールで、佐々木蔵之介ひとり芝居「ヨナ -Jonah」を観る。原作:マリン・ソレスク、翻訳・修辞:ドリアン助川。演出:シルヴィウ・プルカレーテ。東京芸術劇場×ルーマニア・ラドゥ・スタンカ国立劇場 国際共同制作作品である。

ヨナというと韓国人女性にありがちな名前だが、本作は韓国とは一切関係がなく、「旧約聖書」のヨナ書に描かれた聖人のことである。クジラに飲まれたという話があることから、この作品のモチーフとして用いられている。

プルカレーテを発見したのは野田秀樹で、野田は自身が1992年に潤色した「真夏の夜の夢」の演出をプルカレーテに託しているが、プルカレーテは佐々木蔵之介との仕事も好んでおり、「リチャード三世」(正統派ではなく独自のテキストによる演出)、「守銭奴 ザ・マネー・クレージ」を上演している。

佐々木蔵之介は以前に、ほぼひとり芝居となる「マクベス」を演じている。ほとんどの時間は蔵之介一人が舞台にいて、セリフを話すのも蔵之介だけなのだが、精神病院の閉鎖病棟にいるという設定で、医師役と看護師役の二人が出ていた。

今回もひとり芝居とのことだが、歌手として歌だけをうたう役が一人(佐々木奏音。ささき・かのん)。座っているだけで特に何もしない「黒子」と呼ばれる若手俳優が二人(小林宏樹と吉田朋弘)出演している。

開演前から佐々木蔵之介は、緞帳代わり(演劇対応ホールで劇場ではないので緞帳はないと思われる)のセットの前に座り込んでいる。

海を見つめ、網を打つヨナ。
しかしあるときからクジラに丸呑みにされたことに気付く。クジラの体内で、ヨナは刃物を取り出すのだが……。

飲み込まれているという状況と抜け出すという行為が、メタ的に無限に広がっていく可能性を帯びた芝居である。
途中で英国風の一室が現れるのだが、ヨナはそうしたものに余り興味は示さず、ただ服装は英国風にして去って行く。なぜ英国風の一室が出てきたのかは分からないが、植民地主義の否定を意味していたのだろか。ちなみにヨナは、古代イスラエル国と関わりの深い聖人のようである。そしてイギリスは中東問題において最大の悪役である。

なお、今回の公演は、日本での上演に先立ち、東ヨーロッパでのツアー公演を行っており、ルーマニアのシビウ、ハンガリーのブダペスト、ルーマニアのクルージュ・ナポカ、ルーマニアのブカレスト、モルドバのキシナウ、ブルガリアのソフィア、再度ルーマニアのシビウで上演を行っている。
東ヨーロッパの人々がこの芝居に何を見出したのかは興味深い。勿論、人がクジラの体内から出るという単純な話ではなく、あるいは社会、常識とそれに附随する文脈、戦争、経済的苦境、差別と偏見など多層に解釈は及ぶであろう。

上演時間1時間25分と、一人芝居としては長めの作品であるが、余裕を持って乗り切った佐々木蔵之介の表現力も優れていた。

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2025年12月20日 (土)

京都市交響楽団・京都コンサートホール・ロームシアター京都「会員限定トークイベント 沖澤のどか×tupera tupera 『芸術との出会いと今、そして京都でのこれから』」

2025年12月19日 ロームシアター京都ノースホールにて

午後7時から、ロームシアター京都ノースホールで、「会員限定トークイベント 沖澤のどか×tupera tupera 『芸術との出会いと今、そして京都でのこれから』」を聴く。

京都市交響楽団の常任指揮者である沖澤のどか、そして京都を拠点に絵本やポスターなどの絵画制作を行っている夫婦二人組、tupera tuperaを招いて行われるトークショー。女性の方が司会を務めたが、残念ながらお名前は頭に残らず。

ロームシアター京都は来年、開場10年を迎えるが、それを祝した2026年1月10日と11日に行われる「プレイ!シアター」のポスターもtupera tuperaが手掛けているという。「なるべく色々な人を描いたということだが、沖澤は「自意識過剰かも知れませんが私もいるような」と発言。実際、沖澤をモデルにした人が描かれている。ただ遠目なので「指揮者」としか分からないかも知れない。髪が長いので、「ひょっとしたら女性かも」と思うかも知れないが、男性指揮者も髪が長い人は多い。なぜ男性指揮者も髪を長くするかだが、松尾葉子が学生時代の山田和樹に、「指揮者は大きく見えなければいけないと」言い、山田をそれを汲んで学生時代はパーマを掛けていたという話があるため、そうしたことと関係しているのかも知れない。

 

沖澤のどかは、次の日曜日にロームシアター京都メインホールで、「京都市交響楽団 オーケストラ・ディスカバリー」を指揮するが、これがロームシアター京都でのデビューとなるそうである。
青森県生まれ。東京芸術大学および同大大学院修了。コンクール歴などは語られなかったのでここでも記さない。ベルリン在住。二児の母である。

tupera tupera(ツペラ ツペラ)は、京都に拠点を置く美術ユニット。メンバーは、亀山達矢(三重県伊勢市出身。武蔵野美術大学油絵学科版画専攻卒)と中川敦子(京都府出身。多摩美術大学染織デザイン科卒)の二人。10年ほど東京で活動していたが、「今の時代、東京じゃなくても仕事出来るよね」。ということで移住を決意。中川が京都府出身、亀山も伊勢市出身で京都には馴染みがあるということで、京都市に転居。子どもが二人いたが、「秒の速さで京都弁を覚えた」そうである。亀山は、「京都に来てから東京に行く楽しみが増えた」と語る。今も関西在住の友達より、東京にいる友達の方が多いが、離れている分、会える喜びが増すようだ。

亀山は、小学校1年生の時に出した絵が伊勢市で1等を取ったのだが、実は失敗作だったらしい。だが、賞を取ったことで親から絵画教室に通うように言われ、嫌々通っていたそうだが、高校に進み、進路を考えた時に過去を振り返って、「やっぱり美大がいいんじゃないか」という結論に至り、今に至るまで美術の仕事をしているという。

 

沖澤のどかは、田舎で育ったので、虫取りをしたりツララにかじり付いたり、「ワイルドな」子ども時代を送ったそうである。チェロを習っている姉がおり、沖澤も小学校3年生の時からチェロを習い、小学校5年生からジュニアオーケストラに入ったそうである。ただチェロの練習は苦手で、独習は集中力が続かなかった。ジュニアオーケストラに入ってからも、「弾く真似をしてたら隣で上手い子が良い音で弾いてくれる」というので弾いている真似ばかりしていたそうだ。技術は当然ながら上達しなかったが、オーケストラは好きになったそうである。沖澤は子供用のチェロを弾いていたため、「音大目指すならお姉ちゃんと同じ立派なチェロを買ってあげるよ」と言われたが、当時は音大に行くほど音楽が好きになるとは思っていなかったため、良いチェロを手に入れる機会を逃したそうである。
高校ではオーボエに励んだが、オーボエは学校からの貸与。「自分のオーボエが欲しい」と思ったが、オーボエは高価。そこで、「指揮棒だったら手に入る!」というので指揮者になる決意をしたそうだ。「持たない人もいますけどね」と沖澤は続けていた。ヘルベルト・ブロムシュテットや尾高忠明は若い頃は指揮棒を使って指揮していたが、今は専らノンタクトである。小澤征爾も晩年はノンタクトが増えた。ピエール・ブーレーズのように指揮棒の存在を否定する人もおり、ブーレーズの影響を受けたフランスの指揮者にはノンタクトで振る人も多い。

外国で、tupera tuperaが京都在住と知れると、あちらこちらから、「京都なの? 京都の良いところ教えて?」と質問攻めにあうそうだが、みんな京都という街の存在は知っているようである。沖澤も京都でオーケストラのシェフをやっていると自己紹介すると、「京都の良いところ教えてよ」とやはり同じような結果になるようである。

沖澤も京都市交響楽団から常任指揮者の話を貰った時は、「わーい、京都に行ける」と無邪気に喜んだそうだ。「修学旅行以来」。ただ、常任指揮者の仕事は忙しく、まだ嵐山のモンキーパークと京都水族館、大徳寺にしか行けていないそうで、京都マスターにはほど遠い。大徳寺も塔頭巡りなどではなく、そばにある和菓子の店に娘と入っただけのようだ。京都市交響楽団を指揮する時は、一家で京都の民泊を行うそうで、近所での買い物ぐらいは出来ているようである。ちなみにようやく巡ってきたシェフの座なので、「受けない」という選択肢は、はなからなかったそうである。
なお、自炊はするが料理は得意ではないそうである。「料理が得意な指揮者も多いんですけれど」と沖澤は語っていたが、チョン・ミョンフンのように料理本を出している人もいる。
指揮者の常として、次回振る曲が頭の中で鳴っていたり、雑音が気になったりするそうだ。ベルリンは「大きな田舎」のような街で、快適に過ごせているそうだが、学生時代を過ごした東京は雑音だらけで、ずっと鬱々としていたらしい。最初は芸大から遠い、おそらく家賃の安いところで暮らしていたが、雑音に耐えきれず、大学のそばに引っ越したという(東京芸術大学は、東京の中でも駅前以外は閑静な上野にある)。京都は雑音がしないので快適だが、それでも街中は避け、出雲路の練習場の近くに民泊し、自転車で通っているそうだ。
ちなみに京都市交響楽団のコンサートマスターである泉原隆志も自転車通勤なので、京響は大都市にありながら常任指揮者とコンサートマスターが自転車通勤という風変わりなオーケストラということになる。
沖澤は、自宅にテレビもラジオもCDプレーヤーもないそうだ。昔、シャルル・デュトワは「好きなCD」について聞かれ、「私はCDなどというものは聴いたことがありません」と答え、質問者は「冗談なのかふざけているのか」と思ったそうだが、この調子だと実際にCDを聴いたことがない音楽家は結構いそうである。パーヴォ・ヤルヴィのように「朝比奈隆のブルックナーのCDは全部持っている」というCDマニアもいるが、自分の頭の中にある音を優先させる人もいそうである。

沖澤は、京都での音楽の展望について、「私はいかないんですけれど京都市交響楽団の方が」京都府内のあちこちでミニコンサートを行う計画があるということを話す。今年は沖澤は振らなかったが、京都市内各所の文化会館でまた指揮する予定もあるようだ。
展望とは余り関係がないが、沖澤が新しい「常任指揮者発表記者会見」に臨んだとき、ニコニコ生放送による中継が行われたのだが、後でニコ生のコメントをチェックしたところ、「十二単似合いそう」というコメントがあって嬉しかったそうである。司会者の方が、「着物を着て指揮したことのある方っていらっしゃるんでしょうか?」と聞き、沖澤は「ないです。演奏する方はいらっしゃいますけど」と答えていた。わざわざ着物を着てオーケストラを指揮するというのは絵面としても滑稽であり、単騎西洋文明に挑むドン・キホーテのようでもある。「意味がない」の一言でも済ますことが出来る。

海外での話としては、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の本拠地であるベルリン・フィルハーモニーはティンパニなどのすぐ後ろが客席となっていて、足で音楽を感じられるだとか、先日、ボストン交響楽団に客演した際には、女性チェロ奏者が演奏中に「So Wonderful Sound!」と叫んでいたという話をしていた。「本人は自分が声を出したと気付いてないと思うんですけど」ということで無意識に言葉が出たのだろうとのことだった。

 

亀山は、絵本だけが売り上げが右肩上がりで、他の書籍は電子書籍に食われていると語る。
絵本はめくる行為が重要な意味を持っており、紙の書籍でないとそれは出来ないため、絵本だけが電子書籍に勝っている要因なのではないかと分析していた。

 

中川は、AIの台頭に危機感を覚えていた。今年に入ってから、YouTubeなどで、「実在なのかAIなのか分からない」レベルの人物が溢れるようになってきている。音声読み上げソフトのレベルがまだ低めで、いかにも「文章をコンピューターで読み上げました」といったセリフ回ししか出来ていないため、音声なら見分けは付くし、シナリオも誰でも思いつくような低レベルのものが多いが、こうした中途半端な出来であっても満足してしまう人はいるだろうし、そうした人は嘘も拡散してしまう。見分けのつく人は拡散しないので、ネット上は嘘が上位になってしまう。そしてこの程度のクオリティでも娯楽として商品化したり消費したり出来るのも問題である。

生身の人間が演じる演劇には影響は余りないだろうが(劇場に来ずにYouTubeばかり見ている人が増えるという間接的な影響はあるかも知れないが)、映画やドラマなどは、主役級や重要な脇役陣は流石に俳優に任せるが、端役などはAIが務める時代が来てもおかしくない。AI俳優は危険なアクションに挑んでも怪我をしない。

ただ生身の俳優に出来てAI俳優に絶対に出来ないことが一つだけある。アドリブだ。AIはコンピューターが規定した予定調和の言葉しか喋れないし動けない。アドリブなど即興性の高い演技を行えるのは人間の俳優だけだ。
このところ、アドリブや即興を重視した演技について語る俳優が増えており、彼らはアドリブが巧みだ。決まり切ったことを決まり切ったように行うのがAIの得意技。NGも出さないだろう。だがそこに本当の面白さはないのではないだろうか。
即興の巧みさが演技のバロメーターになる日が来るような気がする。いや、もう来ているのかも知れない。

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2025年12月 4日 (木)

これまでに観た映画より(415) 「アクターズ・ショート・フィルム」シーズン2

2025年12月2日

アクターズ・ショート・フィルム シーズン2 エピソード1「いくえにも。」とエピソード2「物語」を観る。俳優が監督としてショートフィルムを制作するという試みの第2弾。WOWOWの制作である。

エピソード1「いくえにも。」は、脚本:山咲藍、出演:村上虹郎、平岩紙、見上愛、奥田洋平、黒沢あすか他。監督:青柳翔。

少年が線路沿い(総武快速線もしくは横須賀線沿いに見える)の電話ボックスに入るシーンから始まるが基本的には家族ものである。
阿部家では、毎週土曜日は一人暮らしをしている長男のシュウヘイ(村上虹郎)を呼んで家族4人で食事をすることにしている。朝食のテーブルについた4人。長女のナツミ(見上愛)は高校の制服を着ているが、土曜日でも学校に通う用事があるのかも知れない。ただ、結局、学校に行くことはない。
ナツミは肉を抜くダイエットを始め、シュウヘイは唐揚げが好きなので妹の分も食べる。
そんなところに、引っ越してきたお隣さんのフジノ(黒沢あすか)がやって来て、犬が……。

食事を始めたときは朝食だったのに、お隣のフジノがいる間に外は暗くなり、夕食となっている。そんなに長くいたのか?
シュウヘイがトイレの中で嘔吐する音が大きすぎるのが問題点。あんなに音が大きく漏れるトイレはもはや欠陥品である。

シュウヘイが自身のアイデンティティーを疑う展開があるが、基本的には食事をしているのがメインの話で、物語らしきものは見当たらない。
二世タレントとしては最も有名な一人である村上虹郎は、外見に似合う演技を見せている。
この時点では無名だったと思われる見上愛だが、大河ドラマ「光る君へ」で、中宮彰子(劇中での読み方は「あきこ」。実は「あきこ」と読む人が数人いた)に抜擢されて注目を浴び、次期朝ドラのWヒロインの一人をオファーで勝ち取っている。自然体の演技を行っているが、これだけでは女優としての資質は分からない。
平岩紙はおそらく主婦役だと思うが(旦那の職業は不明だが、一軒家に住んでいるので、少なくともそれなりの企業で良い地位にいると思われる。シュウヘイはホームセンターの倉庫係と、今ひとつパッとしない職業についた。正社員なのかどうかも不明)は、現実の彼女の年齢よりも若い女性を演じていると思われる。

エピソード2「物語」。出演:琉花、奥平大兼、玉城ティナ、はやしだみき他。脚本・監督:玉城ティナ

若い女性(琉花)が人混みの中でイヤホンを付ける。
彼女は白い部屋の中で寝たきりの男性、ユウヤに自身のことを話し続ける。彼女の職業が女優で、オーディションに落ちまくっていることが分かる。よそで聞いた話によると、男優でも女優でも大抵のオーディションは落ちるらしい。「オーディション荒らし」の異名を取った芳根京子でも落ちたオーディションの方が圧倒的に多いようだ。
とはいえ、オーディションに落ちてばかりでは仕事は出来ない。
彼女は昔、ユウヤがカラオケで歌った尾崎豊の「ダンスホール」を動画で撮影したことがあり、それを視聴して心を癒やしてきた。
見た目は要介護の男性に女性が話しかけているように思われるのだが、女性は部屋を出るとそこは病院のような施設で、女性が何も言わない男性に話しかけることで癒やしを得るセラピー施設のようだ。
新たな女性(玉城ティナ)が来た。ユウヤは、女性に好きなことを言っていいと紙に書いて示す。新たなセラピーが始まる。

7月12日

Amazon Prime Videoで、アクターズ・ショート・フィルム シーズン2エピソード3話「あんた」を観る。脚本・監督・主演:千葉雄大、主演:伊藤沙莉。

バーの雇われ男性ママが仕事を終えた後で小説を書き始める。それは遠い日の自分を題材にしたもののようだ。

仲が良さそうな男女が山にキャンプに来る。男の方(千葉雄大)も女の方(伊藤沙莉)も二人称は「あんた(標準語とは違い、『あ』ではなく『ん』にアクセントが来る)」であり、互いの名前は最後まで分からない。
男と女の親友という感じなのだが、共に未来に不安を感じている。女の方はマンションの22階から飛び降りる気になったことがあるということで希死念慮があり、男の方もまた同様の感情を抱いていた。

二人の関係に変化が起こる。女の方に彼氏が出来て同棲を始めたのだ。男の方は仕事を終えた後、小説を書こうとしているようだが、思うようなものは書けないようである。

女に彼氏が出来たことを男は喜ぶが、単なる親友で男女の関係になることはないと思っていた男が愚痴を言い始め……。

非常に仲が良いが恋人にもパートナーにもなれないし、なる気のない二人の心理劇。二度目のキャンプにおける心理攻防戦が見どころ。基本的に男も女も優しい人であることは分かる。


プライベートでも仲良しという千葉雄大と伊藤沙莉ということで、互いの良さが生かされている。台本はあるはずだが、伊藤沙莉の口癖が入っていたり、口語でしか使わない語順のセリフがあったりするため、かなり即興的に撮られた部分も多そうである。どうやったら自然に見えるかを第一に考えて二人で演技しているということもあり、俳優でない本当の一組の男女のやり取りを見ているかのようだ。
カメラの台数はそれほど多くないが、伊藤沙莉のキュートな丸顔(チャームポイントだと思うのだが、本人はコンプレックスに感じているようで、Instagramなどではビューティー+を使って顔を細くした写真をアップしている)が綺麗に撮られており、千葉雄大が伊藤沙莉のことを人間として大好きであることが察せられる。
線香花火のシーンの伊藤沙莉の子どものような無邪気さも愛らしいが、台本の必用がないシーンなので素でやっていると思われる。

「死んだら殺す」と発言出来る相手と出会う確率はかなり低く、その後はおそらく上手くいかなかったのだろうが、キャンプを楽しんだ日々は思い出として永遠に残るほどの幸せであったのだと思う。

伊藤沙莉は、この作品の演技で、国際短編映画祭 ショートショート フィルムフェスティバル&アジア2022 ジャパン部門のベストアクターアワードを受賞した。

8月22日

アクターズ・ショート・フィルム パート2のエピソード4「ありがとう」を観る。脚本・監督:永山瑛太。主演:役所広司。出演:永山瑛太、橋本マナミ、服部文祥ほか。
地方都市。役所広司はきちんとした格好をしているが勤め人ではないようだ。食事も十分に取らずに店を出る。金銭的にも行き詰まっているようである。
その後、性感マッサージの店に入るが、ここも途中で抜け出す。
コロナ禍で多くの人がマスクをしているが、マスクをせずに大きな咳をしている男が一人。役所広司演じる男は、咳をしている男の車を奪う。黄色のオープンカーで、重厚な役所広司には軽すぎて全く似合っていない。男は、森の森の中に入り、首吊り自殺を試みようとするが、目の前に黄色い服を着た男が一人。それでも男は縊死を試みるが、ネクタイとベルトだけでは弱く、宙づりにすらなれない。たまに幼女や妻らしき姿が目の前に浮かぶ、男は二人を亡くし(もしくは別れ)、生き甲斐を失ったようだ。
役所広司演じる男は、黄色い服を着た男に案内されて山の中の家へ。二人暮らしで猟をして生活しているようだ。
役所広司演じる男は、猟銃を盗み出し、ヘミングウェイのように口内を撃って自殺しようとするが上手くいかず、ならばと腹に銃口を向けてゴッホのように死のうとするがやはり上手くいかない。
男は、都井睦雄になろうとして、商店街まで出て人々に銃口を向けるが、誰からも相手にされず、森へと戻る。娘の思い出の花束を川に流した後で、男は瑛太演じる黄色い服の男から撃たれる。かすり傷のようだ。
上を見れば太陽は輝き、自然は息づいている。「この世には生きるだけの価値がある」と男は思い直したようである。

妻子を失った老年に入ろうとする男の孤独に焦点を当てた作品だが、悲しく見えねばならないはずの妻子の姿がやけに綺麗であるだけに喪失感が薄まっている。何か一つエピソードを入れた方が良くなるはずである。セリフなしだったとしても十分である。
男の持ち金が少ないことは分かるので、失業がきっかけで妻に去られたのかもしれないが、自殺の理由としてはやや弱い。現実社会ではそうしたこともあるのかも知れないが、フィクションなので更なる説得力が要る。説得力がないと観客が置き去りにされてしまう。

最後に、格好悪い役所広司も格好良かった。

11月18日

Amazon Prime Videoで、アクターズ・ショート・フィルム シーズン2パート5「理解される体力」を観る。出演:柳英里紗(やなぎ・えりさ)、三浦貴大ほか。監督:前田敦子。
小さな喫茶店で、パフェを食べながら泣きじゃくる女、キエ(柳恵里紗)と煙草を吸いながらそれを見守るトランスジェンダーの男、ユミ(三浦貴大)。
キエは、旦那に浮気された。家に帰ったら、旦那が新婚旅行の時に買ったカメラで若い女のことを録画していた(多分、「撮影していた」のだと思われる)。これ以上の悲しみはないというので大泣きしていたのである。キエは悲しみが表に見えないタイプで、しかも身の回りで起こった悪いことにのみ記憶がいい。幼稚園児の頃や小学校時代に起きた悪いことを克明に覚えている。最近の研究で、発達障害のある人は悪いことばかり覚えて良いことを忘れてしまう傾向があることが分かっている。同じ失敗を二度としないために悪いことを覚えるのだが、良いことを覚えて悪いことは忘れるという一般人にありがちな傾向とは真逆であり、生きづらさを抱えている。最終的にはユミも同じような傾向があるらしいことが分かる(演技の可能性もあるので断言は出来ない)。
余り広がりのない物語だが、友情についてはよく分かる話になっている。なお、柳英里紗と前田敦子は大親友だそうだ。その関係を置き換えたところがあるのかも知れない。

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