NHK特集ドラマ「ももさんと7人のパパゲーノ」(再放送)+伊藤沙莉フォトエッセイ『【さり】ではなく【さいり】です。』より
2024年8月23日
「そうやってフェードアウトできたら楽かもしれない、怖いけど」(伊藤沙莉『【さり】ではなく【さいり】です。』より)
NHK総合で、深夜0時45分から、特集ドラマ「ももさんと7人のパパゲーノ」の再放送がある。2022年放映の作品。伊藤沙莉は、主人公のももに扮しており、この作品で令和4年文化庁芸術祭で放送個人賞を受賞している。パパゲーノというのは、モーツァルトの歌劇(ジングシュピール)「魔笛」に登場するユーモラスな鳥刺し男だが、絶望して首つり自殺を図ろうとする場面があることから、「死にたい気持ちを抱えながら死ぬ以外の選択をして生きている人」という意味の言葉になっている。自殺願望を抱えている人を周りが救った例をメディアが取り上げて自殺を抑止することを「パパゲーノ効果」といい、NHKは「わたしはパパゲーノ」というサイトを開設して、寄せられたメッセージを読むことが出来る他、自身で投稿することも出来るようになっている。
冒頭に掲げた言葉は、伊藤沙莉に自殺願望があったという意味ではないが、芸能生活が上手くいかなくなった時期の気持ちを表したもので、彼女の失意がストレートに出ている。
出演は、伊藤沙莉のほかに、染谷将太、山崎紘菜、中島セナ、橋本淳、野間口徹、平原テツ、池谷のぶえ、堀内敬子、浅野和之ほか。語り:古舘寛治。
作:加藤拓也、演出:後藤怜亜。精神科医療考証:松本俊彦(国立精神・神経医療研究センター 精神科医)、自殺対策考証:清水康之(NPO法人 自殺対策支援センターライフリンク代表)
ももが路上で寝転がり、「死にてー」というつぶやくシーンからドラマは始まる。
埼玉県川口市出身で都内で一人暮らししているOLのもも(伊藤沙莉)は、一緒にカラオケなどを楽しむ友人がおり、仕事も余り良い仕事ではないかも知れないがそこそこ順調。セクハラを交わす術も覚えて、陶芸など打ち込む趣味(伊藤沙莉の趣味が陶芸らしい)もあり、一般的と言われる人生を送っていた。
しかし、ある日、ももはオーバードーズ(薬物大量摂取)をしてしまい、救急車で病院に運ばれる(薬が病院で貰ったものなのか、また一人暮らしで意識のないももがどうやって救急車を呼んだのかは不明。だが事件を起こした後で、精神科に通い始めたことが分かるセリフがある)。自分に自殺願望があったことに気づくもも。死にたい気持ちを抑えるために、カッターナイフで足の甲を傷つけるレッグカットを行うようになってしまう。
特に好きではないが断る理由もない男から交際を申し込まれ、OKするももだったが、彼のSNSを見て余りの寒さに地雷臭を感じる。それでも一緒に部屋で暮らす時間を作るほどには親しくなるが、足の甲の傷を見つけられてしまい、説教される。一方的なメッセージにももは別れを決意する。
翌朝、出社するために電車に乗ったももだが、途中下車して休んでいるうちに気分がどんどん悪くなってしまい、会社に休むとの電話を入れる。その後もももは駅のベンチから動くことが出来ない。結局、ももは会社を辞めることを決意。SNSで「辛いけど楽しいことをしている人」を募集し、メッセージをくれた人に会いに行く。
ももはパパゲーノと出会う旅に出掛けることになる。
ももは自殺願望はあるものの、端から見るとそれほど強い動機には見えないため、そのため却って葛藤する。「たいしたことないよ」という風に言われるため、助けを求めることが出来ないのだ(「私が苦しいって思ってるんだから苦しいんだよ。貴様に何が分かる。くらいまでいく時はいく」『【さり】ではなく【さいり】です。』より。実はこの後、オチがあるのがお笑い芸人の妹らしい)。
セクハラを拒否したことで村八分にされ、IT会社を辞めて農業をする女性(玲。演じるのは山崎紘菜。たまたまももの同級生だった)と出会ったももは、宿を確保していなかっため、近所の家に泊めて貰おうとするという「ロケみつ」的展開となるが、早希ちゃんより可愛くないためか…、あ、こんなこと書いちゃ駄目ですね。ともかく断られ、テントがあると教えられてそこで野宿生活を送ることになる。
喫茶店で待ち合わせた雄太(染谷将太)と出会うもも。雄太は保育士のようなのだが、ももの影響を受けて仕事を辞めてしまう。ももは一人で旅したかったのだが、結果として雄太はももと二人で過ごす時間が増え、二人でアルバイトなどをしてお金を稼ぎながら旅を続ける。
その後も、トランペットに挫折した女子高生、もともとろくに働いていなかったが年を取って仕事に就けなくなった男性、仕事は苦手だが妻子を養うために辞められない男性、何をするでもなく生きている男、山口(浅野和之)らと出会い、様々な人生観に触れながらももは生きていく決意をする。
伊藤沙莉は、NHK連続テレビ小説「虎に翼」で、現在40代になった主人公の佐田寅子を演じており、40代の演技をしているため、20代前半を演じている「パパゲーノ」とはギャップが凄い。丸顔で童顔なため、今回は実年齢より若い役だが違和感はない(最近痩せてきているのが気になるところだが)。
比較的淡々と進む作品だが、そのなかで微妙に変化していくももの心理を伊藤沙莉が丁寧かつ自然体の演技で表している。
先進国の中でも自殺率が特に高い国として知られる日本。基本的に奴隷に近い就業体制ということもあるが、生きるモデルが限定されているということもあり、しかもそこから外れるとなかなか這い上がれない蟻地獄構造でもある。実際のところ、ももも何の展望もなく会社を辞めてしまったことを後悔するシーンがあり、「一人になりたい」と雄太に告げ、それでもその場を動かない雄太に、「一人になりたいの! なんで分からないの!」と声を荒らげてもおり、どこにも所属していない自分の不甲斐なさに不安を覚えてもいるようだ。
それでも自分だけがそんなんじゃないということに気づき、歩み始める。まっすぐに伸びた道を向こうへと歩き続けるももの後ろ姿を捉えたロングショットが効果的である。
引用があることからも分かるとおり、遅ればせながら伊藤沙莉のフォトエッセイ『【さり】ではなく【さいり】です。』(KADOKAWA)を買って読む。伊藤沙莉自身があとがきに「文才なんて全く持ち合わせておりません」と記しており、口語調で、Webに書き込むときのような文章になっているのが特徴。読点がかなり少なめなのも印象的である。文字数も余り多くなく、読みやすい。くだけた表現も多いので、ライターさんは使っていないだろう。お芝居以外は「ポンコツ」との自覚があるため、この人が演技にかけている演技オタクであり、結構な苦労人であることも分かる。出てくる芸能人がみんな優しいのも印象的(態度の悪いスタッフに切れるシーンはあるが、無意識にやってしまい、後で落ち込んでいる)。基本的に伊藤沙莉は愛されキャラではあると思われるが、この手の人にありがちなように悪いことは書かないタイプなのかも知れない。
ちょっと気になった記述がある。子役時代に連続ドラマ「女王の教室」に出演して、主演の天海祐希に金言を貰ったという、比較的有名なエピソードを語る場面だ。これに伊藤沙莉は、天海祐希の言葉を長文で載せ、「『A-studio+』でも言わせて頂いたが完全版はこれだ」と記しているのである。さらっと記しているが、長文で記された天海祐希の言葉は天海が実際に話した言葉を一言一句そのまま書き記したものだと思われる。ということで、伊藤沙莉は人が言った言葉をそのまま一発で覚えて長い間忘れないでいられるという異能者であることがここから分かる。他にも様々な人のセリフが出て来て、長いものもあるが、「だいたいこんな感じ」ではなく、言われた言葉そのままなのだろう。やはり彼女は並みの人間ではないということである。あとがきで伊藤は、「昔から記憶力だけはまあまあ良くて だったらそれをフル活用してやんべ(語尾が「べ」で終わるのは「方言がない」と言われる千葉県北西部地方の数少ない方言で、彼女が千葉県人であることが分かる)」と記しているが、「まあまあ」どころではないのだろう。彼女が挙げた膨大な「何度も観るドラマや映画」のセリフもかなり入っている可能性が高い。
「なぜこの人はこんな演技を軽々と出来てしまうのだろう」と不思議に思うことがあったが、本人の頑張りもさることながら(観て覚えて引き出しは沢山ある)、やはり持って生まれたものが大きいようである。実兄のオズワルド伊藤が妹の伊藤沙莉のことを「天才女優」と呼んでいるが、身贔屓ではないのだろう。
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