カテゴリー「心と体」の23件の記事

2020年5月18日 (月)

これまでに観た映画より(175) 坪田義史監督作品「だってしょうがないじゃない」

2020年5月17日 「仮設の映画館」@京都シネマにて

「仮設の映画館」@京都シネマでドキュメンタリー映画「だってしょうがないじゃない」を観る。坪田義史監督作品。字幕付きでの上映である。

40歳を過ぎてから発達障害に含まれるADHDの診断を受けた坪田義史監督が、やはり発達障害の診断を受けた親戚(再従兄弟とのことだったが後に違うことが判明する)のまことさんとの3年間をカメラに収めた映画である。
まことさんは中学卒業後、溶接工などの職を転々とした後で、二十歳の時に自衛官となるが、ほどなく父親が死去したため、神奈川県藤沢市辻堂にある実家に戻り、以後、40年に渡って母親と二人で暮らしていたのだが、母親も死去。今は障害基礎年金を受け取り、様々な福祉サービスを受けながら一人暮らしをしている。

まことさんは、母親が亡くなってから軽度の知的障害を伴う広汎性発達障害と診断を受けた。叔母さんがまことさんの面倒を主に見ているのだが、診断を受けるには様々な資料が必要だそうで、小学校の通知表などもなんとか探し出したそうである。ちなみにオール1が並んでいるようなものだったらしい。今なら特別学級に通うことになるのだと思われるが、当時は知的障害の認定は可能だったかも知れないが、発達障害は存在すらほとんど知られていなかった時代。知的障害があることは分かっていたのかも知れないが、軽度であるため、「学習に支障なし」とされたのであろう(成績から察するに実際は支障があったと思われる)。

まことさんは、吃音はあるが、言語は明瞭であり、漢字の読み書きなども割合普通に出来る。ということで何の情報もなければ障害者には見えないが、だからこその辛さも経験しているであろう。

 

精神医学は近年、急速に発達しているが、枠組みも変化しており、自閉症、アスペルガー症候群、広汎性発達障害障害などはより大きな枠組みである自閉症スペクトラムに組み込まれるようになっている。スペクトラム(連続体)という言葉が表している通り、同じ障害であっても症状は人それぞれ違うというのがやっかいなところである。知的障害があるものとないものがあり(知的障害がないものを以前はアスペルガー症候群といっていたが、今ではこの区分は少なくとも積極的には用いられていない)、その他の能力もバラバラである。ただ強いこだわりなど、共通するいくつかの特徴がある。強いこだわりはコレクターという形で現れることが多く、まことさんもフィギュアのコレクションを行っている。また風呂には土曜日にしか入らず、洗濯は水曜にしかしないと決めており、変更を嫌がる。

生まれ育った神奈川県への愛着があるようで、まことさんは毎年、藤沢市を通る箱根駅伝を見に出掛け、地元の神奈川大学(私立で、略称は「じんだい」。優勝経験もある)を応援する。またベイスターズのファンであり、坪田監督と横浜スタジアムに試合を見に出掛ける前にベイスターズのレプリカキャップを購入。その後、ずっと愛用し続けている。これもこだわりであるが、障害故なのかは判然としないところである。

 

「レインマン」という有名な映画があるが、ダスティン・ホフマンが演じているレイモンドも今診断を受けると自閉症スペクトラムになると思われる。レイモンドもこだわりが強く何曜日の何時からどのテレビを見るかを決めており、メジャーリーガーの成績を細部まで記憶しているというマニアであった。ただ、レイモンドは計算能力に秀でたり、驚異的な記憶力や認知能力を誇るサヴァン症候群でもあったが、サヴァン症候群は極めてまれな存在であり、まことさんには人よりも特に優れている部分はないように見受けられる。ということで、計算がうまく出来なかったり、小さな事で悩んだりと余り格好は良くない。自制心に欠けるところがあるため、ビニール袋が風に飛ばされる様をずっと眺めていて(いけないとわかっていてもやってしまうそうである)隣家から苦情を言われたり、エロ本を隠し持っていたことで叔母さんに心配され、怒られたりしている。

 

坪田監督とは良好な関係を築いていたが、ずっと住んでいた実家を手放さざるを得ない状況となる。これまでまことさんを支えてきた親族もみな高齢化し、今後もずっとまことさんの面倒を見るというわけにもいかない。

ということでグループホームに入るという話が出るのだが、変化を嫌がるという性質を持つまことさんは、いい顔をしない。

 

坪田監督は、まことさんの居場所を探し、平塚市にある就労継続支援B型(B型事業所)のstudio COOCAという芸術特化型の施設を見つける。平塚までの送り迎えは自分がやってもいいという。
studio COOCAに見学に出掛けたまことさんと監督であるが、まことさんは入所する気は全くないようだ。

 

その後、日本三大七夕祭りの一つである平塚の七夕祭りに出掛けたまことさんは、その夜、初めてカラオケに挑戦する。予想を遙かに上回る歌唱を披露したまことさん。歌をみんなに聴いて貰いたいという希望が生まれた。

 

といったように概要を述べてきたわけであるが、ドキュメンタリーであるため、「レインマン」のようなフィクションとは異なり、ドラマティックなことは起こらない。ダスティン・ホフマンやトム・クルーズのような男前も登場しないし、レインマンの正体が解き明かされたりもしない。軽い知的障害を伴う発達障害者の姿そのものを映し出すに留まる。そこにメッセージ性があるわけでもない。

だが、この世界に、まことさんは生きている。確実に存在している。上手くいかないことの方が多いが、これまで生きてきて今もいる。何かのためにというわけでもなく。
本来人間というのはそれだけでいいものなのかも知れない。時代と環境とによって規定が変わっていくだけなのだ。

 

| | コメント (0)

2020年5月17日 (日)

これまでに観た映画より(174) 想田和弘監督作品「精神0」

2020年5月15日 「仮設の映画館」@京都シネマにて

「仮設の映画館」@京都シネマで、ドキュメンタリー映画「精神0」を観る。想田和弘監督作品。プロデューサー:柏木規与子(想田和弘夫人)。

現在、日本中の映画館が臨時休館を余儀なくされているが、その中でも営業的に苦しい運営形式であるミニシアターが共同でWeb上での映画配信を行うのが「仮設の映画館」である。映画の一般料金と同じ1800円をクレジットカードなどで支払い、自分が料金を支払いたい映画館を選択してストリーミングでの映像配信を観るというシステムとなっている。私はそもそもこの映画をここで観る予定であった京都シネマを選択する。京都シネマはこれまでも民事再生法の適用を受けながら営業、つまり倒産はしているわけで、今も資金面ではかなり苦しいはずである。更に近くにある新風館の地下にミニシアターのシネマコンプレックスが誕生する予定であり、先行きはかなり不安である。ただコロナ禍は去ったがお気に入りの映画館が潰れていたということは避けたい。今後も「仮設の映画館」の京都シネマでいくつか作品を観る予定である。

描かれるのは前作「精神」の10年後であるが、今回の主役は精神障害者の方達ではなく、山本昌知医師である。精神障害者に真摯に向き合い、親しく接する山本医師の人物像を掘り下げるということも含めて「精神2」ではなく「精神0」というタイトルになっている。

岡山市。精神科医院「こらーる岡山」の医師である山本昌知も82歳ということで、第一線から退くことになる。現役最後となる講演には山本の評判を聞いて東京から駆けつけた女性からサインを求められるなど、名医としての地位を築いた山本であるが、もう精神科の医師として働ける年齢は過ぎたと悟った(のかも知れない)。

ただ心残りなのは残される患者達である。山本医師の特徴は患者の言葉をよく聞いて、的確なアドバイスを送るというところである。説得力があり、ぬくもりに満ちている。だが少なくとも岡山市内にはそうした医師は他にいない。向精神薬は次々と優れたものが登場しているが、その結果として精神科医は最適な薬を選ぶことを主な仕事とするようになり、患者の話を聞かない医師が増えた。患者の一人は他の病院を受診した時のことを、「散々待たせて1分半で受診が終わり」と不満げに語る。

最初の、「CDを買いたいだとかそういった欲求が抑えられない」という患者に山本医師は、自然に欲求が沸いてくるのはいいことだがゼロになる日をたまに作るといいというアドバイスをする。アドバイスをするだけではなく、精神病者は誰よりも頑張っているというリスペクトも送る。

前作の「精神」で流れたものや、撮られたがカットされて使われなかった映像はモノクロームで映し出される。

想田和弘監督が東京大学文学部宗教学科卒業ということで、山本医師の姿に「膝をつき合わせるようにして弟子や信徒と語った」というブッダや、「共生(ともいき)」を掲げる浄土宗の祖で現在の岡山県出身の法然、その弟子で一人一人と共に悩み共に生きる宗教家である親鸞などを重ねて見ることも出来る。そしてそれは比較的たやすいことなのであるが、「精神0」で観るべきは、おそらくそこではないだろう。

山本昌知医師の奥さんである芳子さん。こらーる岡山で夫を手伝ったりもしていたが、山本昌知が医師ではない一個の人間となる「ゼロの場」である家庭でも共に時を過ごしてきた。山本医師とは中学高校と一緒であったという。10年前にはテキパキ動き、ハキハキと喋る奥さんだった芳子さんだが、高齢ということで無口になり、カメラの前でも所在なげである。撮影を行う想田監督に見当違いな発言をするなど勘違いが増えて、普通の生活を送ることももうままならないようだ。山本医師の引退も芳子さんの現状が絡んでいるように思われる。
芳子さんが学生時代の思い出を語る場面がある。山本医師は学生時代は「勉強がよく出来ない」生徒だったと芳子さんは語り、一方の山本医師は芳子さんのことを成績は一番が指定席のような人と話す。

芳子さんの親友が芳子さんについて話す場面がある。「凄い頭のいい方」だそうで、歌舞伎やクラシック音楽が大好きで、海老蔵(おそらく今の海老蔵ではなく、「海老さま」と呼ばれた先々代だと思われる)の大ファン。更にバブルの頃は夫に内緒で株で儲けたりもしていたそうで、政治面にも明るく、単に聡明なだけでなく多芸多才の女性であることがわかる。家には芳子さんの作った俳句が飾られており、おそらく生まれ持った能力は山本医師よりも上であると思われる。

 

ここから先は、映画には描かれていないが、確実であると思われることを書く。山本医師を作ったのは実は芳子さんなのではないかということだ。山本医師は芳子さんの成績が常に一番であることを知っていた。興味を持っていたのである。クラスのマドンナ的存在だったのかどうかはわからないが、山本医師が芳子さんに憧れを抱いていたのは間違いない。同じ人生を歩む女性の候補と考えてもいただろう。だが、成績優秀な女性を振り向かせるには、こちらも勉強を頑張って認めて貰うしかない。同じ男なのでよくわかる。「勉強が出来ない」と言われていた山本昌知が医師になるだけの学力を付けたのだから、相当努力したことは間違いない。そして結ばれることが出来た。岩井俊二監督の「四月物語」的ロマンティックな話である。映像ではそうしたことは一切語られていないが、それ以外のストーリーはあり得ない。芳子さんがいなかったら、おそらく名医・山本昌知は誕生していなかったであろう。芳子さんいう尊敬出来る女性と出会ったこと、それが山本昌知の医師としてのゼロ地点(起点)であったのだと思う。

ラストシーンで二人はお墓参りに向かう。この日は芳子さんも山本医師と一緒に歌を唄い、よく喋る。高齢と病状のため芳子さんが立ち止まってしまうと山本医師が戻ってきて手を握り、一緒に墓地へと向かう。ずっと手を握り合っている。私の想像は間違っていないと確信する。

 

| | コメント (0)

2020年5月16日 (土)

これまでに観た映画より(173) 想田和弘監督作品「精神」

YouTubeの有料配信で、想田和弘監督のドキュメンタリー映画「精神」を観る。現在、ミニシアター支援のためにWeb上に設けられた「仮設の映画館」で続編に当たる「精神0」が公開中であるが、それを観る前に前編を観ておこうというわけである。「精神0」が上映される「仮設の映画館」はミニシアター支援が目的であるため、通常料金の1800円が必要だが、YouTubeで配信されている「精神」は300円でレンタルとして観ることが出来る。ストリーミングのみの配信で期限は3日間。ダウンロードする「購入」という手段もあるが、そちらは結構値が張る。

2005年から2007年に掛けての岡山市が舞台。この時点での岡山市はまだ政令指定都市になっていない。

精神科病院「こらーる岡山」。精神科の他に、精神障害者のための事業所や相談所、居場所などが併設されているが、民家を改築したものであり、外観も内装も医療施設っぽさが全くない。院長の山本昌知医師は、精神病者の診察や交流を生き甲斐としており、開業医となってからしばらくは給料も取らずに診察を行っていて、「現代の赤ひげ」とも呼ばれていたそうである。今は給料は10万円ほど受け取っているが、他に年金の収入があるだけで、全く金銭に執着がないようである。

日本は精神病大国なのであるが、精神病者が隔離される場合も多く、多くの人は精神病者の実態について、本当のことは知らないでいる。だから、精神病棟を舞台にして精神病者が襲ってくるという内容のホラーゲームが出来てしまったりするわけだが、外見からではわからない普通に近い人も当然ながら大勢いる。精神病は頭脳のエラーなのであるが、緻密な脳ほどダメージを受けやすく、夏目漱石や芥川龍之介らも精神病には苦しんだ。この映画にも、高校生時代1日18時間勉強する生活を半年続けておかしくなってしまった人や、岡山県随一の進学校である岡山朝日高校で3年間トップの成績を続け、岡山大学医学部に入学するがやはり無理をしすぎて精神的に参ってしまった人が出てくる。彼らは今も投薬の治療を続けてはいるが、エキセントリックではあるが一般的な日本人よりもむしろ知的な印象を受ける。

統合失調症で40年間治療を受けている男性も登場するが、健常者と障害者の間にカーテンがあるだけでなく、障害者同士の間にもカーテンがあると語る。なんとなく避けたり目にしなかったりということであるが、結局のところ互いのことをよく知らずに来てしまっている。男性は健常者であっても完璧な人などいないとわかったということで、健常者とされる人も障害者とされる人もどこかが欠けているわけであり、障害者が健常者の欠けているところを補うという生き方を提案したりもする。

背景として障害者自立支援法の存在がある。自立支援というと聞こえはいいが、「もう国が障害者を保護する金はないから自分で稼いでくれ」ということである。悪いことばかりではなく、これまでは門前払いだった一般就労への可能性が開かれたということもあるのだが、実はこの映画公開から10年後、この岡山県を舞台に一大スキャンダルが起こることになる。

舞台となったのは就労継続支援A型(A型事業所)という組織である。障害者に最低賃金を保障した上で就労訓練を行う施設で、賃金は売上金から出し、スタッフへの収入は給付金という形で国が保証するというシステムであったが、民間企業の参入を許可したことからコンサルタントを介した障害者ビジネスが発生。スタッフの人数や賃金、施設費や障害者の労働時間を抑えることで、稼げる事業がなくても黒字が出せてしまうという、仕組みの盲点を突いたもので、「悪しきA型」と呼ばれた。当然ながら国も給付金から賃金を支払うことを禁じ、結果としていい加減な経営を行っていた事業所は苦しくなり、奇しくも岡山県では大規模A型事業所が閉鎖、経営者は姿をくらまし、雇用されていた障害者は一斉解雇となり、その悪質な手口故に全国紙などでも報じられた。一部の障害者は別のA型事業所に移ったが、そのA型事業所も同様の手口を用いる悪しきA型事業所であったためにすぐに経営破綻、二度続けて解雇になる障害者も現れてしまい、「障害者を食い物にした」ということでテレビのドキュメンタリーで取り上げられたりもした。

この映画はそうした不祥事の起こる10年ほど前の障害者の姿を描いている。映像に映っている数名は映画公開前に他界されたようである。
健常者と障害者が共存するという青写真にはまだまだ遠い。

| | コメント (0)

2019年6月 5日 (水)

真宗大谷派山城2組 仏教市民講座「生きる」2019.5.15@池坊短期大学

2019年5月15日 四条室町の池坊短期大学にて

午後7時から室町四条下ルの池坊短期大学で、真宗大谷派山城2組(そ)主催の仏教市民講座「生きる」に参加。洗心館6階の第1会議室での講演である。今日の話し手は岐阜県大垣市にある医療法人徳養会沼口医院の院長で真宗大谷派の僧侶でもある沼口諭。

今は寿命が延び、ほとんどのお年寄りが病院で亡くなるという時代である。平均寿命は84歳になったが、健康寿命は男性で8歳ちょっと、女性で12歳と少し短い。「健康なまま、ある日ぽっくり死にたい」という理想を持っている人は8割に上るのだが、実際にそうした往生が叶う人は1割ほどしかいないということで、大半の人は不自由な生活と向き合わねばならなくなる。西洋にはそうした場合、チャプレンという宗教者が病院にいて患者と接するのだが、日本にはそうした人はいない。東日本大震災後、「それはおかしいんじゃないか」と声が起こったそうで、臨床宗教師という資格が生まれ、沼口もそうした人を採用しているそうである。

癌と向き合う様々なケースが語られたのだが、京都シネマで「がんになる前に知っておくこと」を観たことがこんなところで生きる。話の内容をより確実に理解することが出来た。弥陀のお導きなのか否か。

60歳の女性は癌になり、ずっと愛知県のがんセンターまで通って抗がん剤の治療を受けてきたのだが、余り良くならないし、先もそう長くない。思い残したことといえば夫と旅行に行けなかったこと。旅行に行く場合、抗がん剤の治療をやめる必要があったようだが、「やめる」という手段もありだそうで、最終的にはやめる決断をする。ところが体調が思いのほか良くならず、旅行が行けるまでには回復しない。そこで病室で折り鶴アートを提案され、折り鶴を亡くなるまで折り続けたそうだ。彼女が折った鶴は今も病院内に形を変えてアートとして飾られているそうである。

昔は若い人がかなり多く死んだ。例えば1920年前後にはスペイン風邪の流行で若い人がバタバタと亡くなるという出来事があったのだが、今は17歳以下で亡くなる人はとても少ない。お年寄りが病院にいて死ぬのを待っているというケースも多いのだが、お年寄りなので信心深い。ということでお内仏にお祈りがしたいという希望を持つ人も多いのだが、これまでの病院ではそれは叶わなかった。希望が通らないという状況ではまずいということで、最近の病院ではそうした要望に応えられるようになってきているそうである。また、入院していると一人になる場所がない。トイレの個室ぐらいしかないのだが、そこでしか一人の時間を持てないというのは精神的に貧しいことだろうというので、沼口の病院には「瞑想室」という一人だけのスペースが設けられており、一人だけの時間が確保出来るようになっているそうだ。「瞑想室」と名付けたが、瞑想をするための部屋ではなく、あくまで一人きりになれる場所を「瞑想室」呼んでいるだけのことである。

これまで肉体面や心理的なケアはなされてきたが、内面世界に関することはおざなりになっており、これからはそうしたスピリチュアル面でのケアが重要になってくるようである。

仏教的な因果を医学面から見ると、因が病気で果が死でしかないが、そうしたスピリチュアル的なケア、真宗的な解釈によると、果は様々なことへの「目覚め」となるようである。

| | コメント (0)

2018年8月 8日 (水)

コンサートの記(412) マルク・ミンコフスキ指揮オーケストラ・アンサンブル金沢第405回定期演奏会 フィルハーモニー・シリーズ ドビュッシー 歌劇「ペレアスとメリザンド」金沢公演(ステージ・オペラ形式)

2018年7月30日 金沢駅前の石川県立音楽堂コンサートホールにて

午後6時30分から、金沢駅前の石川県立音楽堂コンサートホールで、オーケストラ・アンサンブル金沢の第405回定期演奏会 フィルハーモニー・シリーズ 歌劇「ペレアスとメリザンド」を観る。ステージ・オペラ形式での上演。
原作:モーリス・メーテルリンク(メーテルランク)、作曲:クロード・ドビュッシー。演出:フィリップ・ベジア&フローレン・シオー(仏ボルドー国立歌劇場との共同制作で、2018年1月のボルドー公演に基づく上演)。マルク・ミンコフスキ指揮オーケストラ・アンサンブル金沢の演奏。ミンコフスキは今年の9月からオーケストラ・アンサンブル金沢の芸術監督に就任する予定で、そのための記念公演の一つである。出演は、スタニスラフ・ドゥ・バルベラック(テノール。ペレアス)、キアラ・スケラート(ソプラノ。メリザンド)、アレクサンドル・ドゥハメル(バリトン。ゴロー)、ジェローム・ヴァルニエ(バス。アルケル)、シルヴィ・ブルネ=グルッポーソ(メゾ・ソプラノ。ジュヌヴィエーヴ)、マエリ・ケレ(アキテーヌ・ユース声楽アカデミー・メンバー。イニョルド)、ジャン=ヴァンサン・ブロ(医師・牧童)。合唱・助演:ドビュッシー特別合唱団。映像:トマス・イスラエル。

フランス語上演・日本語字幕付きである(日本語訳:増田恵子)。なお上演前にロビーコンサートが行われており、ドビュッシーの「シランクス」などが演奏された。

舞台は四段構え。通常のステージの中央のオーケストラ・アンサンブル金沢とミンコフスキが陣取り、ステージの前の客席部分が取り払われていて、ここも使用される。ステージ上手はやや高くなっており、舞台奥は更に高くなっていて、ここがメインの演技の舞台となる。その背後に紗幕があるが、メリザンドが髪を下ろすシーンなどではひときわ高いところにある舞台が光で透けて現れる。
オーケストラのいる舞台の前方にも紗幕が垂れており、ここにも映像が映る。ラストのシーンを除いて、映像は基本的にモノクロームであり、人物の顔や目のクローズアップが頻用される。

ドビュッシー唯一のオペラ「ペレアスとメリザンド」。メーテルリンクの「ペレアスとメリザンド」自体は劇付随音楽を複数の作曲家が手掛けており、フォーレ、シベリウス、シェーンベルクのものがよく知られている。1893年にパリで初演されたストレートプレーの「ペレアスとメリザンド」(メリザンド役はサラ・ベルナール)を観たドビュッシーはその魅力に取り憑かれ、すぐにオペラ化を計画。メーテルリンクの許可も得る。オペラが上演されるのはそれから8年後のことだが、メーテルリンクはメリザンド役に自分の愛人を起用するように迫った。ドビュッシーは音楽的素養のない人間をヒロインに抜擢することを拒絶。かくして裁判沙汰にまでなり、メーテルリンクの憎悪が極限に達した中で初演されるという、なんともドビュッシーらしい展開を見せた。独自のイディオムによる音楽が用いられたということもあり(そもそもアリアらしいアリアはほとんどない)、初演は不評に終わるが、その後10年で100回もパリで上演されるなどヒット作となっている。

メーテルリンクの戯曲では、ヒロインのメリザンドは実は水の精(オンディーヌ)であることが冒頭で示唆されているのだが、ドビュッシーは冒頭を全てカットしてしまったため、意味が通らなくなっているシーンもある。メリザンドが水の精(誤変換で「ミズノ製」と出た)だとすれば、ペレアスは水の世界へと導かれたことになり、水の精と人間の間に生まれた子供が未来を司るということになる。

いつかはわからない時代、アルケルが治めるアルモンド王国での物語。狩りの帰りに森の中で迷ってしまった王子のゴローは、泉のほとりで泣く少女を見つける。少女の名はメリザンド。泉の底にはメリザンドが落とした冠が輝いている。ゴローはメリザンドを連れて城に帰ることにする。ゴローはメリザンドとの結婚を望み、王のアルケルはこれを許す。
ゴローの弟であるペレアスは、船で旅立とうとしているのだが、その前にメリザンドと共に城内にある「盲人の泉」を訪れる。この泉にメリザンドはゴローから貰った指輪を落としてしまうのだが、これが悲劇を招くことになる。

物語造形からしておぼろな印象だが、噛み合わないセリフも多く、ミステリアスな戯曲である。
映像との相性も良く、お洒落だが仄暗い闇の中を進んでいくような感触の上演となっている。

マルク・ミンコフスキ指揮のオーケストラ・アンサンブル金沢は極上の演奏を展開。音の輪郭がクッキリしており、密度も濃く、上品で上質のソノリティーを保ち続ける。
歌手達も大健闘であり、舞台装置も演出も見事だ。チケットを取るのが遅かったため3階席の券しか手に入らなかったが、石川県立音楽堂コンサートホールの響きは素晴らしく、少なくとも音に関してはステージから遠いこともハンデにはならなかった。
カーテンコールの最後でミンコフスキはスコアを掲げて作品への敬意を示す。極めてハイクオリティーの「ペレアスとメリザンド」と観て間違いないだろう。

音楽関係者も多数駆けつけたようで、終演後のホワイエには、野平一郎や池辺晋一郎といったオーケストラ・アンサンブル金沢ゆかりの作曲家の姿も見られた。



| | コメント (0) | トラックバック (0)

2017年4月 8日 (土)

京都大学フィールド科学教育研究センター主催 公開シンポジウム「ひろげよう、フィールドの世界」

2017年3月19日 京都大学 益川ホールにて

午後2時から、京都大学吉田キャンパス北部構内にある京都大学益川ホールで、京都大学フィールド科学教育研究センター主催による公開シンポジウム「ひろげよう、フィールドの世界」に参加する。「自然」「芸術」「文系」「理系」などの融合を図るシンポジウム。

無料公演で、予約多数による抽選となったようだが、なんとか突破出来た。

益川ホールは、2008年にノーベル物理学賞を受賞した益川敏英を記念して北部構内総合教育研究棟1階に作られた中規模講堂であり、当然ながらまだ新しい。
私が京都に来た頃は、京都大学はまだ「日本一のオンボロ大学」と呼ばれていたが、その後、何年にも渡って増改築を繰り返し、今では「その辺の私大より豪華」な大学に変わっている。

京都大学北部構内は、理系の学部のためのキャンパスであり、私も入るのは初めて。益川ホールの場所を確認して、受付を済ませてから、缶ジュースを買いに、いったん、総合教育研究棟を出る。歩いていると、上品そうなおばさんから、「すみません、京大の先生ですか?」と聞かれる。先生どころか関係者ですらないので、否定したが、私と同じく益川ホールに向かうとわかったため(京大関係者以外で今日、北部構内を歩いているお年の方はシンポジウム参加者しかいない)場所は教えた。
顔も格好も京大の先生っぽかったのだろう(京都国立博物館上席研究員で、京都大学出身の宮川禎一先生とは知り合いだが、「よく似ている」と言われる)。


公開シンポジウム「ひろげよう、フィールドの世界」。司会を務めるのは、京都大学海里森連環学教育ユニット特定准教授の清水夏樹(女性)。着物姿での登場である。

まず、京都大学総長である山極壽一(やまぎわ・じゅいち)が開会の言葉を述べてスタート。

最初に発表を行うのは、京都大学フィールド科学教育センター教授兼センター長の吉岡崇仁。「和と洋が出会う場所」というタイトルである。スクリーンに映像が映され、レーザーポインターを使って進められる。
まず、京都大学の芦生研究林(京都市左京区、京都市右京区、京都府南丹市、福井県、滋賀県にまたがる広大な森林。本部は京都府南丹市芦生にある)には鹿がいるのだが、鹿によって植物が食い荒らされるという食害が発生している。ただ、鹿は天然記念物なので殺害することも出来ない。そのため、「鳥獣保護VS植生保護」という二律背反が起こっているという報告を行う。
芦生研究林では、檜皮を作っており、本来なら結構な値段になるのだが、これらは神社の檜皮葺等に無償で提供されているという。吉岡は、「こころ」と「ふところ」という言葉を用いて、「こころ=文系=非経済」、「ふところ=理系=経済」という図式を作り、どちらも大切であることを述べる。吉岡は「和魂洋才」という言葉を出す。客席に「ご存じの方?」と聞くが、手を挙げたのは私を含めて5人前後。だが吉岡は、「全員ですね」「私には心の中で挙げてる人も見えます」と続ける。京大でのシンポジウムであるが、みなユーモアを持ち合わせていてお堅くもなんともない。
吉岡は「和魂洋才」の説明をしてから、文系は和でこころに近く、理系は洋でふところに近いという話をする。
そして、森林伐採が行われた場合、何が心配かをアンケート調査したところ、「水質」という答えが多かったということを語り、森と水とが繋がっていることを人々が認識していると同時に、森自体は水よりも生活に密接に結びついているとは取られていないことを告げた。


続いて登壇したのは、京都大学フィールド科学教育研究センター准教授で芦生研究林長でもある伊勢武史。テーマは「人はなぜ、森で感動するのか」。芦生研究林は研究林あると同時に観光名所でもあるそうで、ハイキングやピクニックに訪れる人も多いという。だが、当然ながら人間が増えると生態系が破壊されるため、「観光客を制限してはどうか」という意見が上がる一方で、「観光客を減らすのではなく、より生態系を守る活動をしよう」という見解もあるそうだ。
さて、「人はなぜ、森で感動するのか」というテーマの仮説であるが、旧石器時代以前は自然淘汰が激しかったため、森を愛した人の方がそうでない人よりも生き残りやすく、我々はその生き残った人々の子孫であるため、森に安らぎを感じるのではないかと考えられるそうである。
また、「なぜ人は森に行くのか?」という疑義が呈され、森はアミューズメントだという仮説が発表される。森には多様性があり、美しいものも醜いものも両方ある。「美」というものは生物進化の中で生まれた観念であるが、これは白紙の状態(「タブララサ」ということだろう)から生まれたものではなく、人が恣意的に作り上げたものだという。ハゲタカは死肉を食するので、死肉が美だが、人間にとっては(佐川君のような例外はあるが)そうではない。ということで、伊勢は、「芸術家がたやすく美を語るな」という心情を持っているそうである。ただ、伊勢も芸術には関心を持っており、この後登場する髙林佑丞(たかばやし・ゆうすけ)と組んで、外来種による生け花を作っているという。外来種の植物というと嫌がられ、駆除するのが人間であるが、外来種を連れてきたのも人間であり、恣意的に退けてはならないという考えを持っているようである。


続いて登場したのは、京都大学こころの未来研究センター教授の広井良典。ドイツの新聞に載った「Japan's burden」という記事をスクリーンに映し、英語に直すと「ジャパン・シンドローム」となり、人口減少と高齢化が同時に進行していることを示していると語る。日本は少子高齢化の最先端にあるが、他の先進国も同傾向にある。
さて、幸福指標であるが、日本は世界全体で53番目。日本人には控えめな人が多いので、割り引いて考える必要がある(ちなみに1位はデンマーク)が、高くはない。
一方で、世界的な幸福指数に疑問を感じ、自主的な幸福指数を作っている自治体がある。東京都荒川区と高知県である。「皆さん、荒川区といってもピンとこないかも知れませんが」と断った上で話が進み(私は関東出身者なので荒川区の様子はわかる)、荒川区はGAH(Global Arakawa Happines)という独自の指標で幸福度を追求していると語る。更に高知県もGKH(Global Kochi Happines)なるものを作り、高知県は47都道府県の中で所得最低(最近、沖縄県を抜いたそうである)であるが、逆に森林面積率は全国1位であり、これを幸福の指標の一基準にしたそうである。
さて、広井が挙げたタイトルは「鎮守の森とコミュニティづくり」であるが、秩父神社は武甲山という山を御神体(神奈備山)にした神社であるが、武甲山は石灰岩が採れるというので、採掘が進み、自然と資源の調和が取れなくなっているそうだ。工業と自然の対立と有効利用の構図が出来ているそうである。
日本には神社は約8万1千、寺院は約8万6千あるそうだが、岐阜県郡上市の白鳥町では、小水力発電を行う一方で、「白山信仰の聖地」であるとして、エネルギー関連の人が訪れた場合は、必ず長老白山神社に参拝して貰うなど、鎮守がコミュニティの中心になる文化を築いているという。また「鎮守の森セラピー」というものを行っている地方もあるそうで、そこでは森林浴ならぬ「神林浴」という言葉が使われているそうだ。神との繋がりが心身の健康に繋がり、それが自然との繋がりにもなるという。
現代日本では、ピラミッドの頂上に「個人」がおり、その下に「コミュニティ」があって、一番下に「自然」が来るのだが、自然が礎になっていることはもっと意識されて良いという。


最後に、この4月から池坊短期大学の非常勤講師に就任するという華道家の髙林佑丞が登壇。「専心口伝」という池坊の美学を語る。植物の命を見つめ、「木物」「草物」「通用物」に分ける。「通用物」というのは木なのか植物なのかわからないもので、藤や竹や牡丹などが入るそうだ。
「花は足で生けよ」という言葉があるそうだが、実際に足を使うのではなく、花の根本を学んで生けるという意味である。
ここで、生け花の実演。「立花新風体」という、1999年に始まった新しい手法による生け花。八重桜や胡蝶蘭を使うが、ミモザやユーカリなどの洋花も使用。更には松の枝や檜の皮なども用いる。
最後は余計なところを剪定。生け花には「引き算の美学」があるという。


休憩を挟んでパネルディスカッション。休憩中に聴衆からのアンケートを取り、それにも答えるという形式。私の書いたものもそのままではないが読み上げられた。

まず、京大総長の山極壽一が話す。皆の話を聞いていて「感性の問題」を感じたそうで。「今はIT社会で、イメージが先行して生身のものが取り残されていく」ように思われるそうだ。
そして、生け花が「引き算」で出来ていることに興味を持ったという。華道家の髙林によると生け花は引き算で、フラワーアレンジメントは足し算だそうである。

私は、日本人と西洋人とでは自然に対する姿勢が違うのではないかと思えたのだが、伊勢は私の意見も纏めた清水からの紹介に「日本人と砂漠に住む人とでは、自然に対する印象は勿論違うと思います。ただ、自然に対する気持ちには万国共通のものがあるように思います」と述べた。

吉岡は、和魂洋才ならぬ洋魂和裁でも日本人は最先端にあると思われるというようなことを述べ、「風景という言葉がありますが、風景というのはそこで自分が何をしたかを読み込むこと」と定義し、自然や環境の中で自己を定義するのが風景であり、生きるということだと述べる。

広井は、文系だが科学史科学哲学専攻という理系に近い文系の人である。「日本人は高度成長期に寺社を忘れてしまった」として、一方で「今の若者達にはローカル指向があり、寺社を中心とした文化に帰る可能性もある」という。

髙林は、「時間を生ける」という言葉を使い、作品を生ける時間と同時に植物が育つ時間も感じるのが生け花だと話した。伊勢が、「(洋花を生けて)怒られない?」と髙林に聞くが、髙林は、「昔は家に必ず床の間があって、そこに生け花を飾っていたわけですが、今は洋間しかない家も多いので、それに合わせて変わっていくのも生け花」だと述べる。


山極は、京都市立芸術大学学長である鷲田清一と話したときに、日本の新興住宅に足りないものが三つあると言われたという。「神木」「神社・仏閣」「場末」に三つで、それ故に新興住宅地は薄っぺらいのだそうである。

吉岡は、パネルディスカッションの冒頭で山極が挙げた「感性」という言葉に触れ、「自然に触れることが感性を育む」とし、このシンポジウムのテーマである文理融合を京都大学で進めているのだが、実際はなかなか上手くいかないという。ただ、「人間とは何か?」を問う上で文理融合は有効だとして、これからも進めていく予定であるという。

伊勢も文理融合を進めているのだが、一意専心が良しとされる現状では文理融合をやっていると、「遊んでいる」と勘違いされるそうである。

最後は、山極がまとめという形で話す。「文明は言葉から、哲学から。それから数学が分かれていくわけですが、数学も哲学のため。だから数学者達も自分は数学者だとは思っていないはず」と語り、その後、哲学よりも技術が主役とされる世の中になったが、例えば社会学を築いたオーギュスト・コントのような立場に戻る必要があるのではないかとする。
山極は「20世紀はコンクリートの時代」と言われたことがあるそうだが、そのためにコミュニティも変わってしまったという。宮大工などの地元に密着した大工などはいらなくなり、建築家さえいればコンクリートを流してどんな建物でも出来てしまう。そして「機能こそ美しい」という考えが出来てしまい、同じような建築が増えてしまった。また高層住宅では上にいくほど立場も高いということになっており、建物が人間を定義するようになってしまったと述べる。
その上で衣食住の再定義から始める必要があるのではないかと語り、「まとまっていないけれど良いですか?」と司会の清水に聞いて、シンポジウムはお開きとなった。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年10月26日 (金)

美木良介が教える健康エクササイズ「ロングブレス」で体を変える!

YouTubeからの転載です。法政大学野球部出身の俳優・美木良介氏が編み出した「ロングブレス」、ダイエットにヘルスケアに有効なようです。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2012年3月12日 (月)

チャレンジ喘息!なるほど ぜんそく.com

私も喘息持ちですが、喘息の正しい知識と治療についての総合サイト「チェンジ喘息!なるほど ぜんそく.com」を紹介したいと思います。

http://naruhodo-zensoku.com/

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年7月18日 (土)

グニラ・ガーランド 『あなた自身のいのちを生きて』(クリエイツかもがわ)

グニラ・ガーランド著の小冊子『あなた自信のいのちを生きて』(クリエイツかもがわ)を紹介します。

グニラ・ガーランド 『あなた自身のいのちを生きて』(クリエイツかもがわ) 作者のグニラ・ガーランドはスウェーデン出身。幼い頃から周りの世界との不調和に悩んでいましたが、成人してから自身が高機能自閉症だとわかったという人です。

この小冊子ではアスペルガー症候群、高機能自閉症、広汎性発達障害を持つ人々の症状について実例を挙げながらわかりやすく説明がなされています。

見かけは常人と変わらないだけに一層理解されずに悩みが大きくなる、知的に問題のない発達障害を理解する上での入門書として最適の一冊です。

グニラ・ガーランド 『あなた自身のいのちを生きて』(クリエイツかもがわ) bk1

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2009年6月15日 (月)

頑張っていても生きづらい人達 佐々木正美著『大人のアスペルガー症候群』(講談社こころライブラリー)

アスペルガー症候群は、オーストリアの医師、ハンス・アスペルガーによって初めて報告された発達障害の一種で、知的障害のない自閉症のことです。LD(学習障害)やADHD(注意欠陥多動性障害)を併発していることも多く(これらを総称して広汎性発達障害ともいいます)、懸命にやっても生きづらさを抱えてしまう人が多いのが特徴です。そんなアスペルガー症候群を分かり易く紹介しているのが佐々木正美著の『大人のアスペルガー障害』(講談社こころライブラリー)です。

佐々木正美著『大人のアスペルガー症候群』(講談社こころライブラリー) アスペルガー症候群を持つ人は、几帳面で規則に重きを置く一方で柔軟性に欠け、人付き合いを苦手としています。言葉が直接的であり、また運動が不得手だったり不器用だったりします。

本書は多くのイラスト入りで大変わかりやすく、アスペルガーを抱える人達の容態を適切に描き出しています。

理解されないが故に、心に傷を多く抱えているアスペルガーの人々。そうした人々が誰からも理解される社会の到来することを切に願います。

佐々木正美著『大人のアスペルガー症候群』(講談社こころライブラリー) 紀伊國屋書店BookWeb

佐々木正美著『大人のアスペルガー症候群』(講談社こころライブラリー) bk1

| | コメント (0) | トラックバック (1)

その他のカテゴリー

2346月日 DVD YouTube …のようなもの いずみホール おすすめCD(TVサントラ) おすすめサイト おすすめCD(クラシック) おすすめCD(ジャズ) おすすめCD(ポピュラー) おすすめCD(映画音楽) お笑い その日 びわ湖ホール アニメ・コミック アニメーション映画 アメリカ アメリカ映画 イギリス イギリス映画 イタリア イタリア映画 ウェブログ・ココログ関連 オペラ カナダ グルメ・クッキング ゲーム コンサートの記 コンテンポラリーダンス コンビニグルメ サッカー ザ・シンフォニーホール シアター・ドラマシティ シェイクスピア シベリウス ショートフィルム ジャズ スタジアムにて スペイン スポーツ ソビエト映画 テレビドラマ デザイン トークイベント ドイツ ドキュメンタリー映画 ニュース ノート ハイテクノロジー バレエ パソコン・インターネット パフォーマンス パーヴォ・ヤルヴィ ピアノ ファッション・アクセサリ フィンランド フェスティバルホール フランス フランス映画 ベルギー ベートーヴェン ポーランド ミュージカル ミュージカル映画 ヨーロッパ映画 ラーメン ロシア ロームシアター京都 中国 中国映画 交通 京都 京都コンサートホール 京都フィルハーモニー室内合奏団 京都劇評 京都四條南座 京都国立博物館 京都国立近代美術館 京都市交響楽団 京都文化博物館 京都芸術センター 京都芸術劇場春秋座 伝説 住まい・インテリア 余談 兵庫県立芸術文化センター 動画 千葉 南米映画 占い 台湾映画 史の流れに 哲学 大河ドラマ 大阪 大阪フィルハーモニー交響楽団 大阪松竹座 学問・資格 宗教 室内楽 小物・マスコット・インテリア 広上淳一 心と体 恋愛 意識について 携帯・デジカメ 政治・社会 教育 散文 文化・芸術 文学 文楽 旅行・地域 日本映画 日記・コラム・つぶやき 映像 映画 映画音楽 映画館 書店 書籍・雑誌 書籍紹介 朗読劇 来日団体 東京 梅田芸術劇場メインホール 楽興の時 歌舞伎 正月 歴史 海の写真集 演劇 無明の日々 猫町通り通信・鴨東記号 祭り 笑いの林 第九 経済・政治・国際 絵画 美容・コスメ 美術 美術回廊 習慣 能・狂言 花・植物 芸能・アイドル 落語 街の想い出 言葉 趣味 追悼 邦楽 配信ライブ 野球 関西 雑学 雑感 韓国 韓国映画 音楽 音楽劇 音楽映画 食品 飲料 香港映画