カテゴリー「恋愛」の7件の記事

2020年12月17日 (木)

これまでに観た映画より(235) 蒼井優&高橋一生主演 黒沢清監督作品「スパイの妻〈劇場版〉」

2020年12月13日 出町座にて

出町座で日本映画「スパイの妻〈劇場版〉」を観る。黒沢清監督作品。脚本:濱口竜介、野原位(のはら・ただし)、黒沢清。出演:蒼井優、高橋一生、坂東龍汰、恒松祐里、みのすけ、玄理(ヒュンリ)、東出昌大、笹野高史ほか。第77回ヴェネチア国際映画祭銀獅子賞(監督賞)受賞作である。

1940年から1945年までの神戸を舞台とした戦時スリラーである。なお、黒沢清は神戸出身であり、そもそも故郷である神戸を舞台に何か撮って欲しいとNHKから依頼を受けたのがこの作品が生まれるきっかけになったという。「スパイの妻」は、まずNHKBS8Kで放送され、その後に映画用の編集が施されて公開されている。

福原物産社長の福原優作(高橋一生)と妻の聡子(蒼井優)。日中戦争が泥沼化し、アメリカとの開戦も間近という時期であり、憲兵による締め付けも厳しくなり、優作の友人で、神戸生糸検査所のジョン・フィッツジェラルド・ドラモンドがスパイ容疑で逮捕される。神戸の憲兵隊には優作の友人である津森泰治(東出昌大)が赴任して来ていた。横浜からの転勤である。

神戸が舞台であるため登場人物の多くが関西の言葉を話すが、優作、聡子、優作の甥である竹下文雄(坂東龍汰)、泰治の4人は東京の言葉で通している。優作が聡子に、「泰治君は君に惚れてる。君を追ってきた」と語る場面があるため、優作も聡子も元々は関東の生まれ育ちで、仕事の関係で神戸に移ったらしいことが何となくわかる。おそらく横浜で貿易の仕事を始めたのだが、大陸相手の仕事であるため神戸の方が有利とみて本社を移したのだと思われる。泰治は基本的に体制側の人間であるが、優作と聡子そして文雄もだが、時代に呑み込まれていく周囲の人々から浮いて見えるよう、意図的に東京の言葉で通しているという設定にしたのだと思われる。東京や関東の人間は日本中のどこに行っても東京の言葉で通したがる。私も言葉は99%東京と同じ千葉県北西部出身の人間であるが、京都に住んではいても基本的に東京の言葉しか話さない。関西の言葉も喋ろうと思えば喋れないではないが、自分を偽っているように思えて嫌になる。知り合いにも関東出身者は多いが、東京や関東以外の言葉を話す人はいない。というわけで、関西に住んでいても東京の言葉を話す人は珍しくなく、観ていてもそれほど不自然とは感じない。ただ、やはり技法として用いているのだと思われる。高橋一生は東京都、東出昌大は埼玉県の出身だが、蒼井優は福岡県、坂東龍汰は北海道出身で、東京の言葉の方が演じやすいというわけでもない。

優作は映画好きで(溝口健二の新作映画について聡子に聞く場面がある)フィルムを撮ることを趣味としており、蒼井優演じる聡子の初登場も優作が撮影したフィルムに出てくる怪盗役としてである。

仕事で満州に渡った優作と文雄は、731部隊(石井部隊)の情報を掴む。軍部関係施設で看護婦をしていた草壁弘子(玄理)を通して手に入れた、マルタと呼ばれた人々を対象にした人体実験の記録が記されたノートと満州で撮影されたフィルムを持ち帰った二人。二人に協力した草壁弘子も共に神戸港に帰ってきていた。1940年の暮れ、文雄は福原物産を辞め、有馬温泉の旅館に籠もって小説を書くことを宣言する。だが実は文雄が行おうとしていたのは小説の執筆ではなく、731部隊が行っていた人体実験の記録の英訳であった。
文雄が泊まっていた有馬温泉の旅館「たちばな」で仲居として働いていた女性が水死体となって発見される。草壁弘子だった。

ちなみに草壁弘子演じる玄理のセリフは、ほぼ「あなたは本当に嘘がお上手」だけで、それも夢の中で語られるセリフいう設定なのだが、これが伏線の一つになっている。

若くして貿易商として成功している福原優作の怜悧さが光るドラマであるが、優作と聡子のシーンは長回しが多いのが特徴である。高橋一生も蒼井優もとんでもない実力を持った俳優だということが長回しを観ることでわかる。二人とも舞台の経験も豊富で長時間演じ続けることには慣れているはずだが、技巧面でも感情表出面でも完璧としかいいようのない演技を示しており、それを観るだけでも価値のある映画である。

技法としては、手前に人物がいて奥の別の部屋にもう一人の人物がいるという奥行きのあるアングルや、人物を真正面から捉えるという、最近の映画では余り見かけない構図も用いられている。
兵隊を捉える時のカメラワークも優れており、最初は兵隊達の行進前の訓練に優作が興味を示していないことがカメラの動きでわかるが、まもなく太平洋戦争開戦という頃になると相似形の構図で優作が兵隊と軍靴の足音を避けていることがわかるようになっている。その場面にいる優作以外の人物は兵隊達に向かって万歳を繰り返すなど、完全に時流に乗っている。

「敵を欺くにはまず味方から」という言葉があるが、全ては優作のシナリオ通りとなり、聡子に「お見事です!」と言わせることになる。
一方で、夫婦がずっと愛し合っていることは、優作が別れ際に聡子に語ったセリフと精神病院に入った聡子の様子、そしてラストの字幕でしか仄めかされないのだが、「確実にそう」だとわかるようになっている。語らないことで明らかにするという、黒沢清らしい手法でもある。戦時を描いた作品であるが、最も根底にあるのは愛だ。

個人的に好きなのは、外が見えないためどこを走っているのかわからない市電(ロマンスカー)に人物が乗っている場面である。私が初めて観た黒沢清監督の映画である「CURE」に役所広司とその妻役である中川安奈(2014年に死去)がどこに行くのかわからないバスに乗っているシーンがあるのだが、それを連想する。「CURE」の場合は妻が精神病院に入院することは観ている側もわかっているのだが、そのバス内のシーンだけ現実感がなく、アンバランスである。「スパイの妻」でもやはり先行きが見えない時代の象徴として、非現実感を伴って登場している。

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2020年12月 4日 (金)

これまでに観た映画より(231) 「滑走路」

2020年11月30日 新京極のMOVIX京都にて

MOVIX京都で、日本映画「滑走路」を観る。若手歌人として期待されながら、32歳で自ら命を絶った萩原慎一郎の処女作にして遺作となった同名歌集から着想を得たオリジナルストーリーである。

萩原慎一郎は、1984年、東京生まれ。中学受験をして入った私立の中高一貫有名進学校でいじめに遭い、高校はなんとか卒業するが、いじめの後遺症である精神障害に苦しみ、自宅療養と通院を続ける。17歳から短歌の創作を始め、のめり込むようになっていた。早稲田大学人間科学部の通信教育課程(eスクール)に入学し、精神の不調と闘いながら6年掛けて卒業。正社員として就職が出来るような体調ではなかったが、アルバイトから始め、契約社員(雑用が主であったという)として働くようになる。短歌会「りとむ」に参加し、雑誌などにも短歌の投稿を積極的に行うなど、創作欲は旺盛であり、いくつもの賞を受賞。短歌界の新星としてその名が知られるようになっていく。非正規労働者の哀しみを歌う第一歌集『滑走路』の出版が決まり、表紙の装丁なども自身で案を出したが、精神障害に打ち勝つことは出来ず、2017年6月17日に自死を選んだ。

今回の映画は、萩原慎一郎本人の悲劇的生涯や、歌集『滑走路』に歌われた内容とは違ったものになっている。近いものになることを避けたい人もいたのだろう。いじめ、精神障害、非正規労働、創作といった要素は別々の人物に割り振られることになった。

監督はこれが初監督作となる大庭功睦(おおば・のりちか)。脚本:桑村さや香。出演、水川あさみ、浅香航大、寄川歌太(よりかわ・うた)、木下渓、池田優斗、吉村界人、染谷将太(役名は「明智」である)、池内万作、水橋研二、坂井真紀ほか。影絵:河野里美、絵画制作:すぎやまたくや。

登場人物の今現在(2つの今現在が描かれており、両者は10年ほど離れている)と中学時代とが交互に描かれるのだが、登場人物の名前はなかなか明かされず(今現在では苗字のみが知らされるのに対し、中学時代は下の名前だけだったり、「学級委員長」という肩書きで呼ばれたりする)、中学時代の彼らの誰が今の誰に相当するのか伏せられたまま話は進んでいく。そのうちの一人は中学時代に受けたいじめのストレスが原因で高校受験も大学受験も失敗し、就職も単純作業の非正規社員で、25歳の時に橋から飛び降りて自殺している。彼の名は、厚生労働省の「非正規雇用が原因で自殺したとされる人々のリスト」の中に載っている。働き方改革で、非正規雇用の劣悪な労働環境が問題視される中、厚生労働省の若手官僚も上司からは詰められ、労働ユニオンからは早急な決定を求められるなどストレス満載の過酷な労働が続き、不眠症やPTSDに苦しめられていた。

もう一人の主人公を演じているのが水川あさみである。パート勤務をしながら切り絵作家として活動を続ける翠が彼女の今回の役である。切り絵作家としての実力が次第に認められつつある翠。夫の拓己(水橋研二)との関係も良好だが、今後の生活に不安を抱いてもいた。拓己は高校の美術教師であるが、プロの芸術家として活動を始めた妻に複雑な思いを抱いていたことが後に判明する。

中学時代と現在とがどう絡むのかを予想する面白さもあるのだが、残念ながら着地点は想像を下回ってしまったように思う。それぞれを丁寧に描いた結果、全体が浅くなってしまったということだ。

ただ俳優陣はとても魅力的である。このところ重要な役での映画出演が続く水川あさみが良いのは勿論だが、寄川歌太や木下渓といった十代の俳優達のフレッシュな演技が良く、いじめが絡んだ辛い青春ではあるのだが、砂糖をたっぷり入れたコーヒーのような甘苦さ(千葉県人なので「マックスコーヒーの味わい」と書きたくなるが、おそらく千葉県人と茨城県人にしか伝わらないので止めておく)を観る者に届けてくれる。実は、歌集『滑走路』にも恋する人の存在は歌われており、好きな人がいるという喜びが生きる力となることが歌集でも映画でも描かれている。

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2020年11月 7日 (土)

観劇感想精選(364) 「狂言 ござる乃座 in KYOTO 15th」

2020年11月3日 烏丸迎賓館通りの金剛能楽堂にて観劇

午後2時から、京都御苑の西、京都府立府民ホールアルティのすぐ北にある金剛能楽堂で、「狂言 ござる乃座 in KYOTO 15th」を観る。野村萬斎が主催する狂言公演「ござる乃座」の京都公演。今回で15回目となった。
ちなみに野村萬斎は、現在、Eテレの「100分間de名著『伊勢物語』」に朗読担当として出演しており、昨夜第1回が放送されている。

演目は、「清水座頭(きよみずざとう)」と「止動方角(しどうほうがく)」。共に京都を舞台とした作品である。

「清水座頭」の出演は、野村万作(座頭)と野村萬斎(瞽女)。
まず「この辺りに住まい致す瞽女」が登場する。3年ほど前から目が見えなくなり、生業を失い、夫もいないということで行く末を憂いて清水寺の観世音菩薩に参詣し、その夜は本堂に籠もることにする。
しばらくすると座頭がやって来る。座頭も清水寺の観世音菩薩に妻となるべき人に出会えないことを嘆き、妻ごいをする。
瞽女がいるとは知らず、本堂に籠もろうとした座頭は無遠慮に近づいたということで瞽女と喧嘩になるが、互いが本当に目が見えないと分かると謡を交わす。
やがて瞽女は、観世音菩薩から「西門のところで夫となる者と出会う」との託宣を授かり、座頭も「西門のところに妻となる女がいる」とのお告げを受ける……。

婚活の曲ともいわれ、ロマンティックな展開となるが、自ずから杖をついているのではなく、神仏によって杖で導かれているという浄土真宗的な解釈をするとロマンの度合いは更に増す。

謡であるが、恋路を扱った作品にしてはかなりナンセンスな言葉が選ばれており、源平合戦の一ノ谷の戦いで、で頤(おとがい。顎のこと)を切られた武者と踵(きびす)を切られた武者が、忙しいので慌てて切られた頤に切り落とされた踵を付け、傷を負った踵に切断された頤を付けると、踵から髭が生え、頤があかぎれになるという変なものである。よく分からないが、これは「割れ鍋に綴じ蓋」ということなのだろうか? 解釈せずに戯れ言として捉えた方が謡が生きるのかも知れないが。

瞽女の謡う「地主の桜」は、清水寺境内にある地主神社の桜のことであるが、この時代から地主神社が縁結びの神様として名高かったことが窺える。

 

「止動方角」。出演は、野村萬斎(太郎冠者)、野村太一郎(主)、深田博治(伯父)、飯田豪(馬)。

主が、東山での茶会(内容は茶葉の生産地を当てたり、品質を見抜いたりする闘茶)に参加することになるのだが、見栄を張るため、茶器や太刀や馬を伯父に借りてこいと太郎冠者に無理を言う。野村萬斎演じる太郎冠者は、「え゛?」と現代風にボケたりして、狂言を客体化し、主の無理難題っぷりを誇張する。こうした一種のパースペクティブは効果的であり、これが伏線となってラストでは、セリフが変わっておらず、演技や表情にも作為的なものは見えないのにニュアンスが変化しているような印象を受ける。
太郎冠者が活躍する「太郎冠者物」の傑作であるが、野村萬斎演じる太郎冠者の人間くささが実に良い。主という絶対的権力に媚びずに挑みかかる存在であり、私は余り見ていないが「半沢直樹」に繋がるような一種の爽快さを生み出しているように思われる。

ちなみにタイトルの「止動方角」というのは、後ろで咳をすると暴れ出すという馬を止めるときの呪文である。

 

演目終了後に野村萬斎からの挨拶がある。羽織袴姿で登場した萬斎は観劇が「勇気と覚悟が必要」なものになってしまったことを語ったが、一席空け(萬斎は「市松」と表現)にするなど感染症対策を十分に行った上での上演であること、15回目ということで盛大にやりたかったが、演目も登場人物の少ないものを選んで、接触をなるべく減らしていることなどを語った。
「清水座頭」については、「座頭が卒寿、瞽女が五十代半ばということで年の行ったカップル」と表現して笑いを取る。
「止動方角」で見られるように、狂言は身分の高い人が酷い目に遭うことが多いのだが、能・狂言は、室町幕府、豊臣政権、江戸幕府、朝廷が公認し、後ろ盾となってきた芸能であり、「一種のガス抜き効果」があったと萬斎は解釈を述べる。
ちなみに、今回の上演は有料配信用の収録が行われ、特別解説付きで11月13日から期間限定で配信されるが、午前中に解説用の映像を撮るために清水寺に行ってきたそうで、西門から見る京都市街とその向こうの西山に落ちる夕日に極楽浄土が見立てられているという話をしたが、それも有料配信用の宣伝であり、続きは配信でということのようである。

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2020年7月13日 (月)

これまでに観た映画より(191) 「精神0」@京都シネマ

2020年6月16日 京都シネマにて

※すでに「仮設の映画館」で観た時の感想を上げているため、元々はそれに加筆するつもりでしたが、重複する部分も多いものの夫婦の関係をより注視して書いたものであるため別記事として載せることにしました。

 

京都シネマで想田和弘監督のドキュメンタリー映画「精神0」を観る。Webストリーミング配信による「仮設の映画館」でも京都シネマに料金が入る設定にてスマホで観たのだが、やはりミニシアターでもちゃんと観ておきたい。

想田和弘監督のドキュメンタリー映画は「観察映画」というスタイルを掲げており、音楽なし、ナレーションなし、台本なし、事前の打ち合わせも原則行わないなど、先入観や作り手のイメージへの誘導をなるべく排することを重視している。

詳しい内容や感想は以前にも書き、ブログにも転載しているので多くは述べないが、山本昌知医師が、中学校・高校と同級生だった奥さんのことを「芳子さん」と「さん」付けで呼んでいるのが印象的である。青春時代を同じクラスで過ごし、しかも82歳という年齢を考えれば、呼び捨てか「お前」か「おい」という呼び方をするケースが多いように思われる。今でも奥さんのことを「さん」付けて呼んでいることに、山本医師の芳子さんに対する敬意が感じられる。

山本医師は、昨今の優れた向精神薬を処方することを第一とする医師とは違い、患者と誠実に向き合うことを大事にしており、患者に対しても敬意を持って接している。

そんな山本医師なので、奥さんに対しても敬意を払うのは当然なのかも知れないが、中学・高校と山本医師はどちらかといえば落ちこぼれで、一方の芳子さんは常にクラスで一番の成績を誇る才女。おそらく憧れの女性である。山本医師もそんな芳子さんに振り向いて貰うために努力し、精神科の医師となれるだけの学力を身につけたのかも知れない。芳子さんとの出会いが、名医・山本昌知のゼロ地点であり、そのため今も芳子さんに敬意を抱いているのではないか。

山本医師と芳子さんが、芳子さんの親友の女性を訪ねる場面がある。実はセッティングをしたのは山本医師で、想田監督が「全て撮り終えた」と思っていたところに山本医師から提案があったのだという。

親友の語る芳子さんはとにかく頭が良く、歌舞伎やクラシック音楽に通じていて、株で儲け、政治にも経済にも強いという「出来る女性」である。今は高齢のため認知にも衰えが生じてしまっている芳子さんであるが、山本医師にとっては自慢の奥さんであり、彼女がいかに素晴らしい女性かを知って貰いたかったのだと思われる。座っている間、山本医師は芳子さんの手の上に自身の手を重ねている。
「支える」「支え合う」という言葉が出てくるが、あるいは山本医師と芳子さんはそれ以上の二人で一人のような関係だったのかも知れない。

とても素敵である。

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2020年5月31日 (日)

これまでに観た映画より(178) 王家衛(ウォン・カーウァイ)監督作品「花様年華」

2004年10月26日

王家衛監督作品「花様年華」をDVDで観る。マギー・チャン、トニー・レオン主演。

映像は美しいが、なかなか渋い内容の映画だ。表現を切り詰めており、省略が多いので入っていけない人は入っていけないだろう。

1962年の香港。チャン夫人(マギー・チャン)とチャウ(トニー・レオン)は同じ日に、偶然隣りに部屋を借りる。互いの夫と妻が不倫関係にあることを知った二人は惹かれあうようになるのだが……。

梅林茂作曲の「夢二のテーマ」が何度も繰り返し使われ、官能的な迷宮へと陥っていくかのような錯覚にとらわれる。二人に肉体関係はあったのか、それが描かれないだけに一層官能的である(実際はラヴシーンは撮影されていたがカットされたということだ)。二人のつかず離れずの関係は切なくもあり歯がゆくもある。またそれぞれの妻や夫は声や後ろ姿のみで描かれ顔はわからないので、生活臭だとか、背徳の感じなどが後退し、チャンとチャウの二人の関係のみがクローズアップされることになる。本当に大人の男女のみの映画だ。若者向けでは全くない。

時計のアップシーンは「欲望の翼」でもおなじみである。

大人の映画であり、レトロな音楽やファッションなどが相まってワイン入りのビターチョコレートのような味わいがある。

ちなみに小説を書くようになったチャウ(あるいはこれは口実なのかも知れない)が仕事部屋とし借り、チャンと密会することになるホテルのルームナンバーは「2046」である。王家衛は、次の作品として「2046」というタイトルの映画を撮影することになり、数字に関して「意味はない」と発言しているのだが、実際には2046は中国と香港の一国両制(一国二制度)が終わる年のことでもある。

ラストに出てくるカンボジアのアンコール遺跡で、チャウは壁にどんな秘密を封じ込めたのだろうか。想像はつくのだが違うかも知れない。
見れば見るほど味わいの出てくるタイプの映画であり、機を見てもう一度観てみたいと思う。

何故カンボジアなのかはよくわからないが、設定によるとこのシーンは1966年のことである。この年、北京では文革が起きた。やがてカンボジアでもポル・ポトが文革を手本として……、というのは単なる深読みに過ぎないだろうが。

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2020年5月17日 (日)

これまでに観た映画より(174) 想田和弘監督作品「精神0」

2020年5月15日 「仮設の映画館」@京都シネマにて

「仮設の映画館」@京都シネマで、ドキュメンタリー映画「精神0」を観る。想田和弘監督作品。プロデューサー:柏木規与子(想田和弘夫人)。

現在、日本中の映画館が臨時休館を余儀なくされているが、その中でも営業的に苦しい運営形式であるミニシアターが共同でWeb上での映画配信を行うのが「仮設の映画館」である。映画の一般料金と同じ1800円をクレジットカードなどで支払い、自分が料金を支払いたい映画館を選択してストリーミングでの映像配信を観るというシステムとなっている。私はそもそもこの映画をここで観る予定であった京都シネマを選択する。京都シネマはこれまでも民事再生法の適用を受けながら営業、つまり倒産はしているわけで、今も資金面ではかなり苦しいはずである。更に近くにある新風館の地下にミニシアターのシネマコンプレックスが誕生する予定であり、先行きはかなり不安である。ただコロナ禍は去ったがお気に入りの映画館が潰れていたということは避けたい。今後も「仮設の映画館」の京都シネマでいくつか作品を観る予定である。

描かれるのは前作「精神」の10年後であるが、今回の主役は精神障害者の方達ではなく、山本昌知医師である。精神障害者に真摯に向き合い、親しく接する山本医師の人物像を掘り下げるということも含めて「精神2」ではなく「精神0」というタイトルになっている。

岡山市。精神科医院「こらーる岡山」の医師である山本昌知も82歳ということで、第一線から退くことになる。現役最後となる講演には山本の評判を聞いて東京から駆けつけた女性からサインを求められるなど、名医としての地位を築いた山本であるが、もう精神科の医師として働ける年齢は過ぎたと悟った(のかも知れない)。

ただ心残りなのは残される患者達である。山本医師の特徴は患者の言葉をよく聞いて、的確なアドバイスを送るというところである。説得力があり、ぬくもりに満ちている。だが少なくとも岡山市内にはそうした医師は他にいない。向精神薬は次々と優れたものが登場しているが、その結果として精神科医は最適な薬を選ぶことを主な仕事とするようになり、患者の話を聞かない医師が増えた。患者の一人は他の病院を受診した時のことを、「散々待たせて1分半で受診が終わり」と不満げに語る。

最初の、「CDを買いたいだとかそういった欲求が抑えられない」という患者に山本医師は、自然に欲求が沸いてくるのはいいことだがゼロになる日をたまに作るといいというアドバイスをする。アドバイスをするだけではなく、精神病者は誰よりも頑張っているというリスペクトも送る。

前作の「精神」で流れたものや、撮られたがカットされて使われなかった映像はモノクロームで映し出される。

想田和弘監督が東京大学文学部宗教学科卒業ということで、山本医師の姿に「膝をつき合わせるようにして弟子や信徒と語った」というブッダや、「共生(ともいき)」を掲げる浄土宗の祖で現在の岡山県出身の法然、その弟子で一人一人と共に悩み共に生きる宗教家である親鸞などを重ねて見ることも出来る。そしてそれは比較的たやすいことなのであるが、「精神0」で観るべきは、おそらくそこではないだろう。

山本昌知医師の奥さんである芳子さん。こらーる岡山で夫を手伝ったりもしていたが、山本昌知が医師ではない一個の人間となる「ゼロの場」である家庭でも共に時を過ごしてきた。山本医師とは中学高校と一緒であったという。10年前にはテキパキ動き、ハキハキと喋る奥さんだった芳子さんだが、高齢ということで無口になり、カメラの前でも所在なげである。撮影を行う想田監督に見当違いな発言をするなど勘違いが増えて、普通の生活を送ることももうままならないようだ。山本医師の引退も芳子さんの現状が絡んでいるように思われる。
芳子さんが学生時代の思い出を語る場面がある。山本医師は学生時代は「勉強がよく出来ない」生徒だったと芳子さんは語り、一方の山本医師は芳子さんのことを成績は一番が指定席のような人と話す。

芳子さんの親友が芳子さんについて話す場面がある。「凄い頭のいい方」だそうで、歌舞伎やクラシック音楽が大好きで、海老蔵(おそらく今の海老蔵ではなく、「海老さま」と呼ばれた先々代だと思われる)の大ファン。更にバブルの頃は夫に内緒で株で儲けたりもしていたそうで、政治面にも明るく、単に聡明なだけでなく多芸多才の女性であることがわかる。家には芳子さんの作った俳句が飾られており、おそらく生まれ持った能力は山本医師よりも上であると思われる。

 

ここから先は、映画には描かれていないが、確実であると思われることを書く。山本医師を作ったのは実は芳子さんなのではないかということだ。山本医師は芳子さんの成績が常に一番であることを知っていた。興味を持っていたのである。クラスのマドンナ的存在だったのかどうかはわからないが、山本医師が芳子さんに憧れを抱いていたのは間違いない。同じ人生を歩む女性の候補と考えてもいただろう。だが、成績優秀な女性を振り向かせるには、こちらも勉強を頑張って認めて貰うしかない。同じ男なのでよくわかる。「勉強が出来ない」と言われていた山本昌知が医師になるだけの学力を付けたのだから、相当努力したことは間違いない。そして結ばれることが出来た。岩井俊二監督の「四月物語」的ロマンティックな話である。映像ではそうしたことは一切語られていないが、それ以外のストーリーはあり得ない。芳子さんがいなかったら、おそらく名医・山本昌知は誕生していなかったであろう。芳子さんいう尊敬出来る女性と出会ったこと、それが山本昌知の医師としてのゼロ地点(起点)であったのだと思う。

ラストシーンで二人はお墓参りに向かう。この日は芳子さんも山本医師と一緒に歌を唄い、よく喋る。高齢と病状のため芳子さんが立ち止まってしまうと山本医師が戻ってきて手を握り、一緒に墓地へと向かう。ずっと手を握り合っている。私の想像は間違っていないと確信する。

 

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2019年1月13日 (日)

観劇感想精選(286) 紺野美沙子の朗読座「新春公演2019 源氏物語の語りを愉しむ ―紫のゆかりの物語」@びわ湖ホール

2019年1月5日 びわ湖ホール中ホールにて観劇

午後2時30分から、びわ湖ホール中ホールで、紺野美沙子の朗読座の公演「新春公演2019 源氏物語の語りを愉しむ ―紫のゆかりの物語」を観る。出演は、紺野美沙子(朗読とおはなし)、陣野英則(解説。早稲田大学文学学術院教授)、中井智弥(二十五絃箏、箏)、相川瞳(パーカッション)。演出は篠田伸二。

『源氏物語』から、第一ヒロイン的存在である紫の上(紫式部という通称の由来とされている)を中心とした恋物語のテキスト(早稲田大学名誉教授である中野幸一による現代語訳である『正訳 源氏物語』を使用)を用いた朗読公演である。

まずオープニング「新春を寿ぐ」と題した演奏がある。中野智弥作曲・演奏による箏曲「プライムナンバー」という曲が演奏され、その後、主役である紺野美沙子が現れて、中野とトークを行う。紺野美沙子は『源氏物語』ゆかりの帯を締めて登場。その写真が後方のスクリーンに映される。昨日、西宮の兵庫県立芸術文化センター阪急中ホールで公演を行ったのだが、「もっと近くで帯の柄を見たい」という声があったため、今日は写真をスクリーンに投影することにしたそうである。前側が「浮舟」、後ろ側がおそらく葵祭の車争いの場面の絵柄である。着物の柄も平安時代を意識したもので、貝合の貝を入れる貝桶の絵が鏤められている。紺野は、『源治物語』の現代語訳を多くの人が行っているという話をするが、瀬戸内寂聴の紹介は物真似で行っていた。
中野が、「プライムナンバー」という曲名の解説を行う。「プライムナンバー」は「素数」という意味で(紺野美沙子はにこやかに、「素数。ありましたね」と語る)、4分の2拍子、4分の3拍子などの2や3が素数であると語り、素数の拍子を用いたこと、また箏は13弦で13は素数であることなどを語る。

ちなみに、『源氏物語』の主人公である光源氏は箏の名手であり、演奏を聴いた女性達が涙を流して感動したという話を中野がすると、紺野は、「あら? じゃあ、中野さんは、平成の光源氏?」と冗談を言い、中野も「そうだと嬉しいんですが。ローラースケートを履いてる方(光GENJI)じゃなく」と冗談で返す。紺野は、「次の時代もご活躍を」と更に畳みかけていた。

それから、二十五絃箏の紹介。邦楽は通常はペンタトニック(五音階)であるが、二十五絃箏は西洋のドレミの十二音階を奏でることが出来るそうである。

その後、パーカッショニストの相川瞳も登場。今日は25種類の打楽器を使うそうで、日本生まれの打楽器として木魚と鳥笛を紹介していた。

紺野美沙子は、有閑マダム層が使うような言葉遣いであったが、意識していたのかどうかはわからない。

その後、第1部のトークセッションに移る。ゲストは早稲田大学文学学術院教授の陣野英則。今日使用するテキストの現代語訳を行った中野幸一の弟子だそうである。
陣野は、『源氏物語』を長編大河小説と位置づける(紺野美沙子 「橋田壽賀子もびっくり」)。1000年前にこれほど大部の恋愛フィクションが書かれた例は海外にも存在せず、しかも作者が女性というのが凄いという話になる。海外ではこの時代、歴史書や叙事詩、戦争物や回顧録、エッセイ、日記文学などは書かれていたが、大部のフィクションの名作が現れるのはずっと後になってからである。

『源氏物語』がわかりにくいのは、古文ということもあるが、人間関係が入り組んでいるということを上げる。登場人物は450名ほどに上り、主人公の光源氏があちらと関係を持ち、こちらとも契りを結びということをやっているため、男女関係が滅茶苦茶になっている。ただ、陣野によると光源氏が素晴らしいのは、関係を持った全ての女性の面倒を見ることだそうで、ドン・ファンなど他の好色家には見られないことだとする。
スクリーンに人物関係図や男女関係図を投影しての説明。わかりやすい。
紺野美沙子は、「私、慶應義塾大学文学部国文科卒ということで、色々わからないといけないんですが、資料が多いもので、大和和紀先生の漫画『あさきゆめみし』で読んだ」と伝えると、陣野は、「今の学生は、ほぼ全員、『あさきゆめみし』から入っています」と答えていた。

第2部が今日のメインとなる「朗読と演奏」になる。

二十五絃箏の中井智弥は、東京藝術大学音楽学部邦楽科卒。伝統的な箏や地歌三絃の演奏も行いつつ、二十五絃箏の演奏をメインに行っている。2016年には三重県文化奨励賞を受賞。

パーカッションの相川瞳も東京藝術大学音楽学部出身。2007年にブルガリアで開催されたプロヴディフ国際打楽器コンクールDuo部門で2位入賞(1位なし)。大友良英 with あまちゃんスペシャルビッグバンドのメンバーとして紅白歌合戦に出場したこともあり、2019年の大河ドラマ「いだてん」オープニングテーマの演奏にも加わっている。

「いづれのおんときか女御更衣あまたさぶらいける中に、いとやんごとなききわにはあらねど、すぐれてときめきたもふありけり」の出だしからスタート。
光源氏と紫の上の出会い(といっていいのかな?)である「若紫」、光源氏と紫の上との初枕が出てくる「葵」、光源氏が須磨へと下り、紫の上と離ればなれになる「須磨」、源氏と結ばれた明石の君と、明石の姫君が大堰へと上る「松風」、光源氏と帝の娘である女三の宮が結婚することになるという「若菜上」、紫の上がみまかる「御法」と光源氏の死が暗示される「幻」の各帖から選ばれた文章が読まれ、和歌とその現代語訳が読み上げられる。映像も多用され、想像力の補完を行う。

紺野美沙子の朗読に凄みはないが、的確な読み上げは流石は一流女優の技である。テキストの背後にある心理をもさりげなく炙り出してみせる。

紫の上という女性の「女であることの哀感」と、光源氏の紫の上への愛と、愛するが故の切なさがありありと伝わってくる朗読であり、聞いていて一途に悲しくなったりもする。これが大和心の真髄の一つである「もののあはれ」だ。
哀しみと同時に、日本という国で生まれ育ったことの喜びが胸を打つ公演でもあった。

バラ色に彩られた雲が覆う琵琶湖の湖畔を歩いて帰途に就く。

 

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