カテゴリー「恋愛」の26件の記事

2025年3月 2日 (日)

これまでに観た映画より(379) 「ホテルローヤル」

2025年2月23日

J:COMストリームで、日本映画「ホテルローヤル」を観る。直木賞を受賞した桜木紫乃の同名短編小説集の映画化。ホテルローヤルは、桜木紫乃の父親が実際に釧路で経営していたラブホテルの名称であり、モデルにもなっていると思われる。
短編集であるため、映画化は難しかったようだが、桜木紫乃が「全てお任せ」としたため、桜木の他の小説などを含めた独自のシナリオで撮られている。
監督:武正晴。脚本:清水友佳子。出演:波瑠、松山ケンイチ、余貴美子、伊藤沙莉、岡山天音、正名僕蔵、内田慈(ちか)、冨手麻妙(とみて・あみ)、丞威(じょうい)、稲葉友(ゆう)、和知龍範、玉田志織、斎藤歩(釧路市生まれで北海道演劇界の重鎮)、原扶貴子、友近、夏川結衣、安田顕ほか。音楽:富貴晴美。
北海道のマスコミも多く制作に協力しているが、なぜかメ~テレ(名古屋テレビ)が筆頭となっている。

時代が飛ぶ手法が用いられている。ラブホテルが舞台だけに、男女の入り乱れた関係が描かれる。
北海道釧路市。釧路湿原を望む地に、ラブホテル、ホテルローヤルが建っていた。現在は閉鎖されているが、ヌード写真撮影のために男女が訪れる。この場面に意味があるのかどうかは不明だが(原作には出てくる場面である)、過去のホテルローヤルの場面が断片的に浮かび上がる。

田中雅代(波瑠)は、ホテルローヤルを営む大吉(安田顕)とるり子(夏川結衣)の一人娘。絵が得意で札幌の美大を受験するが不合格となる(原作では大学ではなく就職試験全敗という設定)。浪人する余裕がないのか、進学を諦めて、実家を継ぐことになるのだが、その前に母親のるり子が不倫の末、駆け落ちする。実は大吉も元々の妻を捨ててるり子と一緒になったのだが、今度は逆に自分が捨てられる羽目になった。
ホテルの部屋の音は、換気口を通して従業員室で聞き取れるようになっている(他のラブホテルでもそういうことがあるのかどうかは不明)。

ホテルには様々なカップルが泊まりに来る。何度も泊まりに来る熟年夫婦(正名僕蔵と内田慈が演じる)、ホームレス女子高生の佐倉まりあ(伊藤沙莉)と担任教師の野島亮介(岡山天音)や台詞も特にないカップルなど。

従業員は、能代ミコ(余貴美子)と太田和歌子(原扶貴子)の二人だけだが、ある日、左官として働いていると思ってたミコの長男が実は暴力団員であり、犯罪で捕まったことがテレビで報道される。ミコの夫の正太郎(斎藤歩)は病気で働くことが出来なくなっており、息子から「給料が上がったから」と仕送りが届いたばかりだった。ショックの余り森を彷徨うミコ。正太郎が何とか探し出す。るり子は雅代に「稼ぎよりも自分を本気で愛してくれる人を見つけなさい」とアドバイスするが、その後に姿を消したのだった。

佐倉まりあは、17歳。おそらく近く18歳になる高校3年生だと思われる(原作では高校2年生)。母親が男と駆け落ちし、その後、父親も女の下へ走ったため、ホームレスとなった。担任教師の野島亮介とは、雨宿りのためにホテルローヤルに立ち寄った、というと嘘くさいが本当らしい。実際にまりあが野島を誘うシーンがあるが、野島は応じない。進学先の候補である専門学校に二人で見学に行ったのだが、まりあは進学する気はなく途中で姿を消し、その後に野島が追いついたらしい。まりあが通うのは偏差値が低めの高校のようで、まりあを演じる伊藤沙莉もそれっぽく振る舞っている(武監督から「口開けてろ」「余計なことしろ」との指示があったとのこと)。なので大学進学という選択はないようだ(現在の北海道は私立大学受難の地で、名門私立大学はあるが難関私立大学は存在せず、Fランクと呼ばれる大学が多いが、それでも両親がいないのでは金銭的に難しいのだろう)。
キャバクラごっこ(札幌のススキノという設定らしい)で自己紹介をするのだが、野島に「君はキャバクラには向かない」と言われる。野島は妻の不倫が発覚したばかりで、それも相手は身近な人物だった。この場面の意味であるが、まりあには実際に「キャバクラ嬢になる」という選択肢があったのかも知れない。
この二人が起こした事件がきっかけで、ホテルローヤルからは客が離れることになる。ちなみに野島や佐倉という役名は原作通り(野島は原作では下の名前が広之)だが、某有名ドラマへのオマージュだと思われる。某有名ドラマの女優さん(現在は引退)も伊藤沙莉同様、千葉県出身である。

ホテルローヤルにアダルトグッズ(大人のおもちゃ)を売りに来る宮川聡史(松山ケンイチ)。「えっち屋さん」と呼ばれているが、松山ケンイチが演じているため、雅代が宮川に気があるのはすぐに分かるようになっている。雅代はかなり暗めの性格で、男っ気は全くなく、実際に処女である。宮川が結婚したことを知った時、少しショックを受けたような素振りも見せるが、宮川もその妻が最初の女性という奥手の男性だったことが後に明らかになる。

ホテルローヤルの閉鎖後は、エピローグ的に若き日の大吉(和知龍範)と若き日のるり子(玉田志織)の物語が置かれ、雅代を妊娠した日のことが描かれる。


映画化しにくい題材のためか、ややとっちらかった印象があり、焦点がぼやけてしまって、「ここが見せ場」という場面には欠けるように思う。一番良いのは松山ケンイチで、北海道弁(釧路弁)も上手いし、少し出しゃばり過ぎの場面もあるが、商売に似合わぬ爽やかな青年で優しさもあるという魅力的な人物像を作り上げている。

当時、26歳で高校生役に挑んだ伊藤沙莉。若く見せるために体重を増やして撮影に臨んでいる。「好きなだけ食べて良いのでラッキー」と思ったそうだ。担任教師役の岡山天音とは実は同い年で高校1年の時に同じドラマに同級生役で出演(共にいるだけの「モブ」役だったそうだが)しているそうである。まりあは17歳、野島は28歳という設定であるが、この時の伊藤沙莉は色気があるので、高校生には見えないように思われる。実際、「これが最後の制服姿」とも語っていたのだが、その後も、Huluオリジナルドラマ「あなたに聴かせたい歌があるんだ」や、高校生ではなく高等女学生役ではあるが「虎に翼」でも制服を着ており、いずれも十代後半に見える。「ホテルローヤル」で女子高生に見えないのはおそらく、特に工夫のない髪型のせいもあると思われる。
トローンとした眠そうな目が様々なことを語っていそうな場面があるのだが、これは伏線の演技であることが後に分かる。
武監督は、キャストとしてまずまりあ役に伊藤沙莉を決めたそうだ。ただ童顔の伊藤沙莉も段々大人っぽくなってきていたため焦ったそうである。

長く舞台中心に活動していた内田慈が思いのほか魅力的なおばさん(と言ったら失礼かな)を演じていて、興味深かったりもする。

ただ、波瑠が演じる雅代が暗すぎるのが大衆受けしない要素だと思われる。波瑠を使うならやはり明るい女性をやらせて欲しかった。美大に落ちたことをずっと引き摺っているような陰気なヒロインではキャストが充実していても波瑠ファン以外の多くの人から高い評価を得るのは難しい。

音楽を担当しているのは大河ドラマ「西郷どん」などで知られる富貴晴美。私は連続ドラマ「夜のせんせい」(観月ありさ主演)の音楽などは好きである。タンゴ調の(「単語帳の」と変換された)音楽が多く、ピアソラの「リベルタンゴ」に似た曲もあるが、おそらくそうした曲を書くよう注文されたのだと思われる。

舞台美術は美しいの一言。

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2025年2月22日 (土)

コンサートの記(889) 柴田真郁指揮大阪交響楽団第277回定期演奏会「オペラ・演奏会形式シリーズ Vol.3 “運命の力”」 ヴェルディ 歌劇「運命の力」全曲

2025年2月9日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後3時から、大阪・福島のザ・シンフォニーホールで、大阪交響楽団の第277回定期演奏会「オペラ・演奏会形式シリーズ Vol.3 “運命の力”」を聴く。ヴェルディの歌劇「運命の力」の演奏会形式での全曲上演。
序曲や第4幕のアリア「神よ平和を与えたまえ」で知られる「運命の力」であるが、全曲が上演されることは滅多にない。

指揮は、大阪交響楽団ミュージックパートナーの柴田真郁(まいく)。大阪府内のオペラ上演ではお馴染みの存在になりつつある指揮者である。1978年生まれ。東京の国立(くにたち)音楽大学の声楽科を卒業。合唱指揮者やアシスタント指揮者として藤原歌劇団や東京室内歌劇場でオペラ指揮者としての研鑽を積み、2003年に渡欧。ウィーン国立音楽大学のマスターコースでディプロマを獲得した後は、ヨーロッパ各地でオペラとコンサートの両方で活動を行い、帰国後は主にオペラ指揮者として活躍している。2010年五島記念文化財団オペラ新人賞受賞。

出演は、並河寿美(なみかわ・ひさみ。ソプラノ。ドンナ・レオノーラ役)、笛田博昭(ふえだ・ひろあき。テノール。ドン・アルヴァーロ役)、青山貴(バリトン。ドン・カルロ・ディ・ヴァルガス役)、山下裕賀(やました・ひろか。メゾソプラノ。プレツィオジッラ役)、松森治(バス。カラトラーヴァ侯爵役)、片桐直樹(バス・バリトン。グァルディアーノ神父役)、晴雅彦(はれ・まさひこ。バリトン。フラ・メリトーネ役)、水野智絵(みずの・ちえ。ソプラノ。クーラ役)、湯浅貴斗(ゆあさ・たくと。バス・バリトン。村長役)、水口健次(テノール。トラブーコ役)、西尾岳史(バリトン。スペインの軍医役)。関西で活躍することも多い顔ぶれが集まる。
合唱は、大阪響コーラス(合唱指揮:中村貴志)。

午後2時45分頃から、指揮者の柴田真郁によるプレトークが行われる予定だったのだが、柴田が「演奏に集中したい」ということで、大阪響コーラスの合唱指揮者である中村貴志がプレトークを行うことになった。中村は、ヴェルディがイタリアの小さな村に生まれてミラノで活躍したこと、最盛期には毎年のように新作を世に送り出していたことなどを語る。農場経営などについても語った。農場の広さは、「関西なので甲子園球場で例えますが、136個分」と明かした。そして「運命の力」の成立過程について語り、ヴェルディが農園に引っ込んだ後に書かれたものであること、オペラ制作のペースが落ちてきた時期の作品であることを紹介し、「運命の力」の後は、「ドン・カルロ」、「アイーダ」、「シモン・ボッカネグラ」、「オテロ」、「ファルスタッフ」などが作曲されているのみだと語った。
そして、ヴェルディのオペラの中でも充実した作品の一つであるが、「運命の力」全曲が関西で演奏されるのは約40年ぶりであり、更に原語(イタリア語)上演となると関西初演になる可能性があることを示唆し(約40年前の上演は日本語訳詞によるものだったことが窺える)、歴史的な公演に立ち会うことになるだろうと述べる。

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柴田真郁は、高めの指揮台を使用して指揮する。ザ・シンフォニーホールには大植英次が特注で作られた高めの指揮台があるが、それが使われた可能性がある。歌手が真横にいる状態で指揮棒を振るうため、普通の高さの指揮台だと歌手の目に指揮棒の先端が入る危険性を考えたのだろうか。詳しい事情は分からないが。
歌手は全員が常にステージ上にいるわけではなく、出番がある時だけ登場する。レオノーラ役の並河寿美は、第1幕では紫系のドレスを着ていたが、第2幕からは修道院に入るということで黒の地味な衣装に変わって下手花道での歌唱、第4幕では黒のドレスで登場した。

今日のコンサートマスターは、大阪交響楽団ソロコンサートマスターの林七奈(はやし・なな)。フォアシュピーラーは、アシスタントコンサートマスターの里屋幸。ドイツ式の現代配置での演奏。第1ヴァイオリン12サイズであるが、12人中10人が女性。第2ヴァイオリンに至っては10人全員が女性奏者である。日本のオーケストラはN響以外は女性団員の方が多いところが多いが、大響は特に多いようである。ステージ最後列に大阪響コーラスが3列ほどで並び、視覚面からティンパニはステージ中央よりやや下手寄りに置かれる。打楽器は下手端。ハープ2台は上手奥に陣取る。第2幕で弾かれるパイプオルガンは原田仁子が受け持つ。

日本語字幕は、パイプオルガンの左右両サイドの壁に白い文字で投影される。ポディウムの席に座った人は字幕が見えないはずだが、どうしていたのかは分からない。

ヴェルディは、「オテロ(オセロ)」や「アイーダ」などで国籍や人種の違う登場人物を描いているが、「運命の力」に登場するドン・アルヴァーロもインカ帝国王家の血を引くムラート(白人とラテンアメリカ系の両方の血を引く者)という設定である。「ムラート」という言葉は実際に訳詞に出てくる。
18世紀半ばのスペイン、セビリア。カストラーヴァ侯爵の娘であるドン・レオノーラは、ドン・アルヴァーロと恋に落ちるが、アルヴァーロがインカ帝国の血を引くムラートであるため、カストラーヴァ侯爵は結婚を許さず、二人は駆け落ちを選ぼうとする。侍女のクーラに父を裏切る罪の意識を告白するレオノーラ。
だが、レオノーラとアルヴァーロが二人でいるところをカストラーヴァ侯爵に見つかる。アルヴァーロは敵意がないことを示すために拳銃を投げ捨てるが、あろうことが暴発してカストラーヴァ侯爵は命を落とすことに。
セビリアから逃げた二人だったが、やがてはぐれてしまう。一方、レオノーラの兄であるドン・カルロは、父の復讐のため、アルヴァーロを追っていた。
レオノーラはアルヴァーロが南米の祖国(ペルーだろうか)に逃げて、もう会えないと思い込んでおり、修道院に入ることに決める。
第3幕では、舞台はイタリアに移る。外国人部隊の宿営地でスペイン部隊に入ったアルヴァーロがレオノーラへの思いを歌う。彼はレオノーラが亡くなったと思い込んでいた。アルヴァーロは変名を使っている。アルヴァーロは同郷の将校を助けるが、実はその将校の正体は変名を使うカルロであった。親しくなる二人だったが、ふとしたことからカルロがアルヴァーロの正体に気づき、決闘を行うことになるのだった。アルヴァーロは決闘には乗り気ではなかったが、カルロにインカの血を侮辱され、剣を抜くことになる。
第4幕では、それから5年後のことが描かれている。アルヴァーロは日本でいう出家をしてラファエッロという名の神父となっていた。カルロはラファエッロとなったアルヴァーロを見つけ出し、再び決闘を挑む。決闘はアルヴァーロが勝つのだが、カルロは意外な復讐方法を選ぶのだった。

「戦争万歳!」など、戦争を賛美する歌詞を持つ曲がいくつもあるため、今の時代には相応しくないところもあるが、時代背景が異なるということは考慮に入れないといけないだろう。当時はヨーロッパ中が戦場となっていた。アルヴァーロとカルロが参加したのは各国が入り乱れて戦うことになったオーストリア継承戦争である。戦争と身内の不和が重ねられ、レオノーラのアリアである「神よ平和を与えたまえ」が効いてくることになる。

 

ヴェルディのドラマティックな音楽を大阪交響楽団はよく消化した音楽を聴かせる。1980年創設と歴史がまだ浅いということもあって、淡泊な演奏を聴かせることもあるオーケストラだが、音の威力や輝きなど、十分な領域に達している。関西の老舗楽団に比べると弱いところもあるかも知れないが、「運命の力」の再現としては「優れている」と称してもいいだろう。

ほとんど上演されないオペラということで、歌手達はみな譜面を見ながらの歌唱。各々のキャラクターが良く捉えられており、フラ・メリトーネ役の晴雅彦などはコミカルな演技で笑わせる。
単独で歌われることもある「神よ平和を与えたまえ」のみは並河寿美が譜面なしで歌い(これまで何度も歌った経験があるはずである)、感動的な歌唱となっていた。

演出家はいないが、歌手達がおのおの仕草を付けた歌唱を行っており、共演経験も多い人達ということでまとまりもある。柴田真郁もイタリアオペラらしいカンタービレと重層性ある構築感を意識した音楽作りを行い、演奏会形式としては理想的な舞台を描き出していた。セットやリアリスティックな演技こそないが、音像と想像によって楽しむことの出来る優れたイマジネーションオペラであった。ザ・シンフォニーホールの響きも大いにプラスに働いたと思う。

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2025年2月18日 (火)

観劇感想精選(484) リリックプロデュース公演 Musical「プラハの橋」

2025年2月10日 京都劇場にて

午後6時30分から、京都劇場で、リリックプロデュース公演 Musical「プラハの橋」を観る。歌手の竹島宏が「プラハの橋」(舞台はプラハ)、「一枚の切符」(舞台不明)、「サンタマリアの鐘」(舞台はフィレンツェ)という3枚のシングルで、2003年度の日本レコード大賞企画賞を受賞した「ヨーロッパ三部作」を元に書かれたオリジナルミュージカル公演である。作曲・編曲:宮川彬良、脚本・演出はオペラ演出家として知られる田尾下哲。作詞は安田佑子。竹島宏、庄野真代、宍戸開による三人芝居である。演奏:宮川知子(ピアノ)、森由利子(ヴァイオリン)、鈴木崇朗(バンドネオン)。なお、「ヨーロッパ三部作」の作曲は、全て幸耕平で、宮川彬良ではない。

パリ、プラハ、フィレンツェの3つの都市が舞台となっているが、いずれも京都市の姉妹都市である。全て姉妹都市なので京都でも公演を行うことになったのかどうかは不明。
客席には高齢の女性が目立つ。
チケットを手に入れたのは比較的最近で、宮川彬良のSNSで京都劇場で公演を行うとの告知があり、久しく京都劇場では観劇していないので、行くことに決めたのだが、それでもそれほど悪くはない席。アフタートークでリピーターについて聞く場面があったのだが、かなりの数の人がすでに観たことがあり、明日の公演も観に来るそうで、自分でチケットを買って観に来た人はそれほど多くないようである。京都の人は数えるほどで、北は北海道から南は鹿児島まで、日本中から京都におそらく観光も兼ねて観に来ているようである。対馬から来たという人もいたが、京都まで来るのはかなり大変だったはずである。

青い薔薇がテーマの一つになっている。現在は品種改良によって青い薔薇は存在するが、劇中の時代には青い薔薇はまだ存在しない(青い薔薇は2004年に誕生)。

アンディ(本名はアンドレア。竹島宏)はフリーのジャーナリスト兼写真家。ヨーロッパ中を駆け巡っているが、パリの出版社と契約を結んでおり、今はパリに滞在中。編集長のマルク(宍戸開)と久しぶりに出会ったアンディは、マルクに妻のローズ(庄野真代)を紹介される。アンディもローズもイタリアのフィレンツェ出身であることが分かり、しかも花や花言葉に詳しい(ローズはフィレンツェの花屋の娘である)ことから意気投合する。ちなみにアンディはフィレンツェのアルノ川沿いの出身で、ベッキオ橋(ポンテ・ベッキオ)を良く渡ったという話が出てくるが、プッチーニの歌劇「ジャンニ・スキッキ」の名アリア“ねえ、私のお父さん”を意識しているのは確かである。
ローズのことが気になったアンディは、毎朝、ローズとマルクの家の前に花を一輪置いていくという、普通の男がやったら気味悪がられそうなことを行う。一方、ローズも夫のマルクが浮気をしていることを見抜いて、アンディに近づいていくのだった。チェイルリー公園で待ち合わせた二人は、駆け落ちを誓う。

1989年から1991年まで、共産圏が一斉に崩壊し、湾岸戦争が始まり、ユーゴスラビアが解体される激動の時代が舞台となっている。アンディは、湾岸戦争でクウェートを取材し、神経剤が不正使用されていること暴いてピューリッツァー賞の公益部門を受賞するのだが、続いて取材に出掛けたボスニア・ヘルツェゴビナで銃撃されて右手を負傷し、両目を神経ガスでやられる。

竹島宏であるが、主役に抜擢されているので歌は上手いはずなのだが、今日はなぜか冒頭から音程が揺らぎがち。他の俳優も間が悪かったり、噛んだりで、舞台に馴染んでいない印象を受ける。「乗り打ちなのかな?」と思ったが、公演終了後に、東京公演が終わってから1ヶ月ほど空きがあり、その間に全員別の仕事をしていて、ついこの間再び合わせたと明かされたので、ブランクにより舞台感覚が戻らなかったのだということが分かった。

台詞はほとんどが説明台詞。更に独り言による心情吐露も多いという開いた作りで、分かりやすくはあるのだが不自然であり、リアリティに欠けた会話で進んでいく。ただ客席の年齢層が高いことが予想され、抽象的にすると内容を分かって貰えないリスクが高まるため、敢えて過度に分かりやすくしたのかも知れない。演劇を楽しむにはある程度の抽象思考能力がいるが、普段から芝居に接していないとこれは養われない。風景やカット割りなどが説明的になる映像とは違うため、演劇を演劇として受け取る力が試される。
ただこれだけ説明的なのに、アンディとローズがなぜプラハに向かったのかは説明されない。一応、事前に「プラハの春」やビロード革命の話は出てくるのだが、関係があるのかどうか示されない。この辺は謎である。

竹島宏は、実は演技自体が初めてだそうだが、そんな印象は全く受けず、センスが良いことが分かる。王子風の振る舞いをして、庄野真代が笑いそうになる場面があるが、あれは演技ではなく本当に笑いそうになったのだと思われる。
宍戸開がテーブルクロス引きに挑戦して失敗。それでも拍手が起こったので、竹島宏が「なんで拍手が起こるんでしょ?」とアドリブを言う場面があった。アフタートークによると、これまでテーブルクロス引きに成功したことは、1回半しかないそうで(「半」がなんなのかは分からないが)、四角いテーブルならテーブルクロス引きは成功しやすいのだが、丸いテーブルを使っているので難しいという話をしていた。リハーサルでは四角いテーブルを使っていたので成功したが、本番は何故か丸いテーブルを使うことになったらしい。

最初のうちは今ひとつ乗れなかった三人の演技であるが、次第に高揚感が出てきて上がり調子になる。これもライブの醍醐味である。

宮川彬良の音楽であるが、三拍子のナンバーが多いのが特徴。全体の約半分が三拍子の曲で、残りが四拍子の曲である、出演者が三人で、音楽家も三人だが何か関係があるのかも知れない。

ありがちな作品ではあったが、音楽は充実しており、ラブロマンスとして楽しめるものであった。

 

竹島宏は、1978年、福井市生まれの演歌・ムード歌謡の歌手。明治大学経営学部卒ということで、私と同じ時代に同じ場所にいた可能性がある。

「『飛んでイスタンブール』の」という枕詞を付けても間違いのない庄野真代。ヒットしたのはこの1作だけだが、1作でも売れれば芸能人としてやっていける。だが、それだけでは物足りなかったようで、大学、更に大学院に進み、現在では大学教員としても活動している。
ちなみにこの公演が終わってすぐに「ANAで旅する庄野真代と飛んでイスタンブール4日間」というイベントがあり、羽田からイスタンブールに旅立つそうである。

三人の中で一人だけ歌手ではない宍戸開。終演後は、「私の歌を聴いてくれてありがとうございました」とお礼を言っていた。
ちなみにアフタートークでは、暗闇の中で背広に着替える必要があったのだが、表裏逆に来てしまい、出番が終わって控え室の明るいところで鏡を見て初めて表裏逆に着ていたことに気付いたようである。ただ、出演者を含めて気付いた人はほとんどいなかったので大丈夫だったようだ。

竹島宏は、「演技未経験者がいきなりミュージカルで主役を張る」というので公演が始まる前は、「みんなから怒られるんじゃないか」とドキドキしていたそうだが、東京公演が思いのほか好評で胸をなで下ろしたという。

庄野真代は、「こんな若い恋人と、こんな若い旦那と共演できてこれ以上の幸せはない」と嬉しそうであった。「これからももうない」と断言していたが、お客さんから「またやって」と言われ、宍戸開が「秋ぐらいでいいですかね」とフォローしていた。

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これまでに観た映画より(378) 赤楚衛二&上白石萌歌&中島裕翔「366日」

2025年2月5日 新京極のMOVIX京都にて

MOVIX京都で、日本映画「366日」を観る。HYの同名ヒット曲にインスパイアされた作品。松竹とソニーの制作。ソニーが開発し、一時は流行したMD(Mini Disc)がキーとなっている。監督:新城毅彦(しんじょう・たけひこ)、脚本:福田果歩。出演:赤楚衛二、上白石萌歌、中島裕翔(なかじま・ゆうと)、玉城(たましろ)ティナ、稲垣来泉(くるみ)、齋藤潤、溝端淳平、石田ひかり、きゃんひとみ、国仲涼子、杉本哲太ほか。
主題歌は、HYの「恋をして」。「366日」もクライマックスの一つで全編流れる。

若い人はMD(Mini Disc)について知らないかも知れないが、カセットテープに代わるメディアとして登場したデジタル録音媒体で、四角く平たいケースの中に小さなディスクが収まっており、録音と再生が比較的簡単に出来た。CDほど音は良くないが、カセットテープより小さくて持ち運びに便利ということで流行るかに思われたが、ほぼ時を同じくしてパソコンでCDの音源をCD-Rに焼けるようになり、以後、急速に廃れてしまった。今は配信の時代であり、音楽を聴くだけならサブスクリプションで十分で、CDすらも売れない傾向にある。カセットテープやLPが見直されたことはあったが、MDが復活することはもうないであろう。

「366日」であるが、実は私はこの曲を知ったのは、HYのオリジナルではなく、上白石萌歌のお姉さんである上白石萌音のカバーによってであった。

2月29日生まれ、つまり1年が366日ある閏年の例年より1日多い日に生まれた玉城美海(たましろ・みう。演じるのは上白石萌歌)がヒロインである。なお、誕生日に1つ年を重ねるとした場合、2月29日生まれの人は4年に1度しか年を取れないため、法律上は誕生日の前日に1つ年を取ることになっている。4月1日生まれの人は3月31日に年を取るので上の学年に入れられる。

沖縄。HYが沖縄出身のバンドなのでこの土地が舞台に選ばれている。2024年2月29日の最初のシーンで、美海が病に冒され、病室を出て緩和ケアに移り、余命幾ばくもないことが示されてから、時間が戻り、2003年。美海がまだ高校1年生の時代に舞台は移る。MDで音楽を聴くのが趣味だった美海は、同じくMDを愛用していた2つ上の先輩である真喜屋湊(赤楚衛二)と落としたMDを拾おうとして手が触れる。それが美海が湊にときめきを抱いた始まりだった。文武両道の湊。女子人気も高いが、美海は湊と交換日記ならぬ交換MDを行うことで距離を縮めていく。美海の幼馴染みの嘉陽田琉晴(かようだ・りゅうせい。中島裕翔)も明らかに美海に気があるのだが、美海は気付いていない。
湊は東京の大学に進学して音楽を作る夢を語り、美海は英語の通訳になりたいと打ち明けた。

2005年、美海は、湊が通っている明應大学(どことどこの大学がモデルかすぐに分かる。ちなみに、連続ドラマ「やまとなでしこ」には明慶大学なる大学が登場しており、この二つの大学は架空の大学のモデルになりやすいようである。なお、23区内ではなく都下にキャンパスがありそうな雰囲気である)に入学。本格的な交際が始まった。

2009年、湊は都内のレコード会社に勤務中。湊と美海は同棲を初めており、美海は就活中だが、リーマンショックの翌年ということで、就職は極めて厳しく、都内の通訳関係の仕事は全てアウト。沖縄の通訳関係は会社はまだエントリー可だったが、美海は湊から離れたくないという思いがあり、通訳を諦めて他の仕事を探そうとしていた。
ある日、美海は湊の子を身籠もっていることに気付く。しかし、打ち明ける間もなく湊から突然の別れを切り出された美海。夢を諦めるなどしっかりしていないからだと自分を責める美海だったが、湊が別れを告げた理由は他にあった。
美海は沖縄に帰る。沖縄では通訳の仕事に就くことに成功。そして琉晴が、子どもの父親は自分だと嘘をつき(ずっと離れていたのに子どもが出来るはずはないので、すぐにバレたと思うが)、二人は結婚に至る。結婚式はやや遅れて3年後、2012年の2月29日に挙げることになるのだった。この結婚式でのカチャーシーを付けての踊りの場面で、「366日」が流れる。

いかにも若者向けの映画である。美男美女によるキラキラ系。レコード会社に勤務し、通訳になる。花形の職業である。往年のトレンディドラマの設定のようだ。
三角関係、病気もの。若い女の子が感動しそうな要素が全て含まれている。実際、涙を流す若い女の子が多く、作品としては成功だと思える。
若い俳優陣が多いが、演技もしっかりしている。感情や感覚重視で、頭を使った演技をしている俳優がいないのが物足りなくもあるが。

ただやはり私のような年を取った人間が見ると粗が見えてしまう。どう見ても自分を好いている女の子が目の前にいるのに別の女の子の話をしてしまう無神経さ(そして自分を好いているということにずっと気がつかない)。外国の伝説の話をして断りにくくしてから告白するという狡さ(徹底できず誤魔化してしまうが)。相手のことを思っているつもりで実は後先のことは何も考えていないという浅はかさなど、若さ故の過ちが見えてしまう。大人なのでそうした見方を楽しむのもありなのだが。

沖縄ということでウチナーグチが用いられているが、みな達者に使いこなしているように聞こえる。薩摩美人といった感じで「鹿児島県出身」と言われるとすぐ納得できる上白石萌音に対し、妹の上白石萌歌は洋風美人で、ぱっと見で薩摩っぽくはないが、こうして沖縄を舞台にした作品で見てみると確かに南国風の顔立ちであることが分かる(鹿児島県も沖縄県も縄文系が多いとされ、弥生系の多い大和の人間に比べると顔立ちが西洋人に近いとされる)。上白石萌歌は沖縄が舞台になった連続テレビ小説「ちむどんどん」に出演しており、沖縄には慣れていると思われる。

縄文系は美人が多いということで、沖縄からは仲間由紀恵や新垣結衣、比嘉愛未など、美人とされる女優が多く出ているが、一番沖縄っぽい女優というと、この映画にも美海の母親の明香里役で出ている国仲涼子のような気がする。大河ドラマ「光る君へ」では、せっかく出演したのに第1話の途中で殺害されるという、元朝ドラヒロインにしては酷い扱いであったが、この映画では当然ながら良い役で出ている。

若い人向けとしてはまあまあ良い作品だと思うが(年配の方には合わないかも知れない)、こうした美男美女キラキラ系や、病気不幸系、三角関係ありという昔ながらの映画は今後減っていくのではないかと思われる。
ルッキズムが浸透し、自由恋愛が基本ということで、ある程度の容貌を持たないと、パートナーを見つけることが難しい時代になりつつあるが、逆に芸能人に関しては高いルックスは必ずしも必要でなくなりつつある。堅実な人が増えたためか、あるいはSNSが普及したためなのか、向こう側の世界に夢を求めず、美男美女しか出ないリアリティのない世界よりも、親しみが持てて高い演技力のある俳優――男優、女優共に――が出ている作品の方が人気が出やすくなって来ている。男優の方は昔から性格俳優が主役を張ることも珍しくなかったが、女優の方も圧倒的な美貌よりも等身大の外見の方が感情移入がしやすく好まれるようになりつつある。「主役は美人女優」も今は常識ではない。
美男美女キラキラ系映画も需要はあるのでなくなることはないだろうが、今は日本映画界も丁度端境期で、今後潮流が変わる可能性は多いにある。

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2025年1月30日 (木)

これまでに観た映画より(370) 「イル・ポスティーノ」4Kデジタルリマスター版

2024年11月20日 アップリンク京都にて

アップリンク京都で、イタリア映画「イル・ポスティーノ」4Kデジタルリマスター版を観る。イタリア映画の中でもメジャーな部類に入る作品である。1994年の制作。1995年のアカデミー賞で、ルイス・エンリケス・バカロフが作曲賞を受賞している。監督・脚色:マイケル・ラドフォード。ラドフォード監督は、「アンドレア・ボチェッリ 奇跡のテノール」も監督している。音楽:ルイス・エンリケス・バカロフ。出演:マッシモ・トロイージ(脚色兼任)、フィリップ・ノワレ、マリア・グラツィア・クチノッタほか。主演のマッシモ・トロイージは、撮影中から心臓の不調に苦しんでおり、この映画を撮り終えた12時間後に心臓発作のため41歳で急死。本作が遺作となった。

実在のチリの詩人、パブロ・ネルーダをフィリップ・ノワレが演じた作品である。

イタリア、ナポリ沖のカプリ島(レオナルド・ディカプリオの先祖がこの島の出身である)をモデルとした小島が舞台。マリオ(マッシモ・トロイージ)は、漁師の子だが、アレルギーなどがあり、漁師になることは出来ない。しかし、父親からは「もう大人なのだから働け」とせかされる。郵便局の扉に求人の張り紙があるのを見たマリオは、翌日、郵便局を訪れ、詳細を聞く。チリの国民的な詩人であるパブロ・ネルーダ(フィリップ・ノワレ)が共産党員という理由で祖国を追われて亡命し、イタリアのこの島で暮らすことになったので、彼宛ての手紙を届ける専門の郵便配達夫が必要になったのだという。賃金は雀の涙だというが、マリオはこの職に就くこと決める。共に共産主義者ということもあって次第に親しくなるマリオとパブロ。
やがてマリオは瞳の大きなベアトリーチェ(マリア・グラツィア・クチノッタ)という女性に恋をする。マリオはベアトリーチェに近づくためにパブロに詩を習うことになる。

 

詩を題材にしたヒューマンドラマである。言葉によって心と心が通じ合っていく。風景も美しく、音楽も秀逸で、ローカル色の濃い南イタリアの島の風景に溶け込む喜びを感じることが出来る。偉大な詩人によって郵便配達夫が詩の腕を上げていくという大人の教養小説的な味わいにも満ちた作品だ。
ベアトリーチェ役のマリア・グラツィア・クチノッタも魅力的で、イタリア映画の中でも独自の味わいを築いている。

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2025年1月26日 (日)

これまでに観た映画より(368) 濱口竜介監督作品「寝ても覚めても」

2024年11月23日

ひかりTV有料配信で、日仏合作映画「寝ても覚めても」を観る。「ドライブ・マイ・カー」の濱口竜介監督作品。濱口竜介監督はこれが初の商業作品である。その後、出演者が一悶着起こした曰く付きの映画でもある。原作:柴崎友香。脚本:田中幸子、濱口竜介。出演:東出昌大、唐田えりか、瀬戸康史、山下リオ、伊藤沙莉、渡辺大知、仲本工事、田中美佐子ほか。占部房子もワンシーンだけ出演している(3.11の地震で気分が悪くなってしゃがみ込んでいる女性役)。音楽:tofubeats。

大阪で物語が始まり、東京に移り、再び大阪に帰ってくる(最初の場面は大阪市内だが、戻ってきたときはおそらく大阪市内ではない。天野川が流れているというので、枚方市付近の可能性がある)。

大学生の朝子(唐田えりか)は、中之島の国立国際美術館で、牛腸茂雄(ごちょう・しげお)の写真展を見た後で、鳥居麦(ばく。東出昌大)にいきなりキスをされて恋に落ちる。朝子は親友の島春代(伊藤沙莉)や岡崎伸行(渡辺大知)と共に、麦が居候している岡崎の家で度々遊ぶようになる。春代は麦のことを警戒しており、「あの男だけはアカン」と忠告する(これが現実世界で響くことになるとは)。ちなみに春代と岡崎は同じ大学に通っていることが会話で分かるが、麦や朝子についてはどうなのかはっきりとは分からない。麦は風来坊のような性格で、度々無断でどこかへ行ってしまう。そしてある日、麦は朝子の前から姿を消した。

2年後、朝子は東京に出て喫茶店を経営している。近くにある酒造会社に勤める丸子亮平(東出昌大二役)と出会う朝子。最初は亮平のことを麦だと思い込んで、「麦だよね?」と話しかけるが、亮平は顔は麦にそっくりだが他人なので、「獏? 動物園のこと?」と意味が分からない。しかし、亮平が朝子に好意を持つのも早かった。おそらく一目惚れである。東京でも牛腸茂雄の作品展を観ようとしていた朝子。東京で出来た友人である鈴木マヤ(山下リオ)と画廊の前で待ち合わせていたのだが、そこに亮平が通りかかる。遅れてきたマヤがようやく画廊にたどり着くが、もう入場時間を過ぎている。ここで亮平が機転を利かせて、3人は画廊に入ることが出来た。亮平もやはり大阪出身である。惹かれ合う亮平と朝子だったが、おそらく朝子は自身が麦の面影を亮平に見ていることに気付き、一度は別れを決意する。

朝子の親友のリオは、たまにテレビの再現VTRに出る女優で、普段は舞台女優としての活動に力を入れている。チェーホフやイプセンの作品に出ているので、新劇系統の小劇団に参加しているのだと思われる。亮平の同僚である串橋耕介(瀬戸康史)と共に、リオが出演したチェーホフ作品(「桜の園」だと思われる)のビデオを見ていた時に、耕介が突然怒り出すという事件が起こる。耕介はリオの演技を自己満足だと批判し、不快感を露わにする。そしてその後、自身でチェーホフのセリフを語る。チェーホフのセリフはビデオを見てその場で覚えたものとは思えないのだが、実際に耕介は舞台俳優に憧れて演じていた経験があり、自分は諦めたのにまだ続けている人がいることに嫉妬したとして謝罪。おそらくチェーホフ作品で同じ役を演じたことがあるのだろう。最終的にはリオと耕介は結婚することになる。濱口監督は、「ドライブ・マイ・カー」でも、「ゴドーを待ちながら」や「ワーニャ伯父さん」を西島秀俊に演じさせているので、そうした王道の演劇作品が好みなのだろう。また伊藤沙莉の証言では、ニュアンスを抜いたセリフの喋り方の訓練を行っており、伊藤は、「ニュアンスを抜く」の意味が当初は分からなかったと告白しているが、「ドライブ・マイ・カー」で、西島秀俊演じる俳優兼演出家が感情を込めずにゆっくりとセリフを喋らせるシーンがあるため、これに近いことが行われていたことが想像出来る。

イプセンの「野鴨」に出演することになったリオ。亮介は金曜の午後のソワレを招待券として受け取る。朝子も同じ回を取るかと思ったが、彼女は金曜のマチネーのチケットを頼んだ。その後、朝子から別れを切り出された亮介は、受付で金曜のマチネーにチケットを変更して貰った。無論、朝子に会うためだ。開演直前だったがリオに挨拶。リオは当然ながら亮平の意図を見抜いており、朝子は明日のチケットに変えたのだと告げる。
それでも折角なので観ていくつもりだった亮平だが、その日は、2011年の3月11日。開演の客電が消えた瞬間に東京でも大きな揺れが発生し、大道具や照明などが倒れたり破損したりしたことなどから公演は中止に。電車が止まっているので、歩いて会社まで帰ろうとしたが、街は人で混雑。地震のショックでうずくまっている女性(占部房子)に声を掛けるなど、亮平は優しさを見せる。そんな中、亮平は朝子と出会う。運命を感じた二人は抱き合うのだった。

5年後、亮平と朝子は同棲を続けているが結婚はしていない。リオと耕介は結婚している。ある日、朝子はデパートで春代と偶然再会。春代はシンガポール人の男性と結婚して、シンガポールに住んでいたが、旦那が東京に転勤になったので東京で暮らしているという。亮平と出会った春代は、朝子が亮平の中に麦を見つけて付き合っているのだとすぐに見抜く。そして麦が最近売り出し中の芸能人になっており、CMに出演して、連続ドラマの主演も決まっていると教える。
実は亮平も麦が売り出し中の芸能人であることを知っており、出会いの件から、顔が似ているので自分に惹かれたのだろうと見当を付けていた。それでもそのお陰で出会えたのだからと寛容な態度を取る。
亮平は大阪の本社に転勤を願い出る。新居は天野川の近くだ。だが朝子が一人の時に、麦が訪ねている……。

容姿の似た男性の間で揺れる女性を描いたファンタジー。評価は高く、第42回山路ふみ子映画賞、山路ふみ子新人映画賞(唐田えりか)、第10回TAMA映画賞最優秀作品賞、最優秀男優賞(東出昌大)、最優秀新人女優賞(伊藤沙莉)、第40回ヨコハマ映画祭の作品賞、主演男優賞(東出昌大)、助演女優賞(伊藤沙莉)、最優秀新人女優賞(唐田えりか)など受賞多数である。
ただ、個人的には都合の良い映画のように映る。朝子が麦と亮平の間で揺れるのも、顔の似たいい男だからのように思われ、軽く見えてしまうのも難点である。所詮、顔ってことか。
実際、軽い二人だったようで、不倫騒動を起こしてしまい、東出昌大はすでに撮影済みであった映画以外は出演自粛、唐田えりかは映画と配信、BSのみの出演で韓国に拠点を移しつつある。韓国では彼女の容姿は受けが良いようだ。最近になって日本の地上波のドラマに出演したが散々に叩かれている。
この映画は、濱口竜介監督作品ということで、いずれは観ることになったと思うのだが、「伊藤沙莉のSaireek Channel」を初回の方から聴いて、丁度「寝ても覚めても」が公開になるというタイミングだったので視聴してみた。伊藤沙莉は今よりポッチャリしていて、大阪弁を喋る役なのだが、千葉県出身で方言を話したことがほとんどないので、習得に時間を掛けたという話をしている。実は春代は出番はそれほど長くなく、鈴木マヤを演じた山下リオの方が助演に近いのだが、ヨコハマ映画祭では伊藤沙莉が助演女優賞を受賞している。春代が朝子にすっと温かい言葉を掛けて、ドキッとさせるシーンがあるが、それが評価されたのだろうか。この時に、共に助演女優賞を取ったのが親友の松岡茉優で、この時点では2016年の大河ドラマ「真田丸」にも良い役で出演していた松岡の方が知名度では上であったと思われる。すでに二人は親友になっているが、その後、更に友情が深まる事件が2020年に発生している。詳しくは書かないでおく。

伊藤沙莉が語るところでは、「寝ても覚めても」のチームは仲が良く、一緒に出掛けたりしていたらしいが、東出と唐田がああいうことになって会えなくなってからは親交もおそらく途絶えたのだと思われる。


叩かれてばかりの東出と唐田だが、少なくともこの映画においては東出はなかなか良い演技をしている。セリフは余り上手くないが、モデル出身だけあって佇まいが良い。唐田えりかの演技はやや拙い感じだが、演技経験に乏しく、苦手意識がある中での抜擢であったため、やむを得ない印象は受ける。初々しさがあって良い。「ナミビアの砂漠」では短い出番ながら自然な印象の演技で、表に情報は出ないが演技のレッスンは続けているのだと思われる。

一番印象に残るのは瀬戸康史で、英語を喋るシーンがあるなど、いい役を貰っているということもあるが、この時から存在感を放っている。ただあくまで引き立て役であるためか、瀬戸康史はこの映画では特に賞は貰っていない。

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2024年12月26日 (木)

コンサートの記(874) 沼尻竜典 歌劇「竹取物語」2024 大津公演2日目 阪哲朗指揮日本センチュリー交響楽団ほか

2024年11月24日 滋賀県立芸術劇場びわ湖ホール大ホールにて

午後2時から、びわ湖ホール大ホールで、沼尻竜典作曲の歌劇「竹取物語」を観る。約2年ぶりの上演。

びわ湖ホールに行くのも久しぶり。京阪びわ湖浜大津駅で降りてなぎさ公園を抜け、びわ湖ホールまで歩く。良い気分である。

2014年に、横浜みなとみらいホールで、セミ・ステージ形式で初演された歌劇「竹取物語」。指揮者・ピアニストとして活躍している沼尻竜典が初めて手掛けたオペラである。オペラを指揮する経験も豊かな沼尻だけに(ピットで指揮する回数は日本人指揮者の中でもかなり上位にランクされるはずである)オペラの構成や旋律、和音などの知識に長けており、平易でバラエティに富んだ内容の歌劇に仕上げている。

前回は、沼尻による自作自演であったが、今回はびわ湖ホール芸術監督の阪哲朗が指揮を担う。オーケストラは日本センチュリー交響楽団(コンサートマスター:松浦奈々)。オーケストラはステージ上での演奏(古典配置に近いが、金管楽器は上手に斜めに並ぶロシア形式に近く、ティンパニも視覚面の問題で上手端に置かれる)。その周りをエプロンステージが取り囲み、ここで演技が行われるという形式である。
前回はオペラ演出界の重鎮である栗山晶良が演出を手掛け、高齢だというので中村敬一が演出補という形で入ったのだが、栗山は昨年6月に死去。栗山と共に仕事を行うことが多かったびわ湖ホールが、栗山が演出を手掛けたオペラの再上演を行うことを決め、その第1弾が今回の「竹取物語」である。原演出:栗山晶良、演出:中村敬一という表記になっているが、中村は基本的に栗山の演出を踏襲する形であり、自分のカラーは余り表に出していない。栗山演出の再現が目的なのだからそれは当然である。

また、前回はびわ湖ホールのみでの上演だったが、今回は阪哲朗が常任指揮者を務める山形交響楽団が演奏を担う、やまぎん(山形銀行)県民ホールでの山形公演、iichiko総合文化センターでの大分公演(管弦楽:九州交響楽団)、札幌コンサートホールkitara(管弦楽:札幌交響楽団)での公演が加わり、全4公演となっていて、これらのホールの共同制作という形を取っている。東京や関東は敢えて避けられているのかも知れない。

大津公演では、主役のかぐや姫はWキャストで、今日は若手の高田瑞希(たかだ・みずき)が歌う。昨日は砂川涼子のかぐや姫で、砂川は山形、大分、札幌でもかぐや姫を歌う(いずれも1回公演)。高田の出番は今日1回きりだが、それだけに貴重とも言える。ちなみに前回は砂川涼子のかぐや姫を聴いている。
出演はほかに、迎肇聡(むかい・ただとし。翁)、森季子(もり・ときこ。媼)、西田昂平(帝)、有本康人(石作皇子)、大野光星(庫持皇子)、市川敏雅(阿倍御主人)、晴雅彦(はれ・まさひこ。大伴御行)、平欣史(たいら・よしふみ。石上麻呂足)、有ヶ谷友輝(大将・職人)、徳田あさひ(月よりの使者)ほか。合唱は、「竹取物語」合唱団(大津公演のために公募で集まったメンバーからなる。他の場所での公演は、当地の合唱団や有志を中心に編成される予定)。

『竹取物語』は物語の祖(おや)とも呼ばれているが、作者は不明である。紀貫之説などがあるが決定打に欠ける。
竹の中で生まれたかぐや姫が成人して美女となり、多くの貴族が求婚するが、かぐや姫は無理難題を出して、彼らのアプローチを避けようとする。かくてかぐや姫を射止める者は誰も現れず、やがてかぐや姫は自身が月からの使者であることを打ち明け、月へと帰って行く。置き土産として帝に渡したものが、「不死の命を得る」という薬であるが、「かぐや姫のいない世界で生きていても仕方ない」と、帝は駿河国にある大和で最も高い山の頂、つまり月に最も近い場所で不死の薬を燃やした。かくてこの山は不死の山、転じて富士山となったという話である。沼尻竜典は現代語訳したテキストを、特別な脚色はせずにそのまま生かした台本としている。

シャープな音楽性を持ち味とする沼尻の指揮に対して、阪の音楽作りは寄り造形美重視。耳馴染みのない音楽なので、具体的に比較してみないと詳しいことは分からないと思うが、これまでの両者の音楽作りからいって、おそらく傾向そのものの把握は間違っていないと思われる。不協和音を使った現代的な場面から、アコーディオンを使ったシャンソン風音楽、クレイジーキャッツのようなコミカルな要素の多いものや、現代のポップス風などあらゆる要素の音楽が取り込まれている。かぐや姫には、特に高い声が望まれる場面があるが、高田瑞希は無難にこなしていた。

高田瑞希の紹介をしておくと、京都市生まれ。京都少年合唱団出身の若手ソプラノ。京都市立芸術大学声楽科卒業と同時に、真声会賞、京都音楽協会賞、佐々木成子奨励賞を受賞。京都市立芸術大学大学院に進み、声楽専攻を首席で修了。京都市長賞を受賞している。令和2年度青山音楽財団奨学生となっている。びわ湖ホール声楽アンサンブルのメンバー。
大学2回生の時に京都市内の御幸町竹屋町の真宗大谷派小野山浄慶寺で行われた「テラの音」に出演しており、「お喋りな子」として紹介されている。その後、京都コンサートホールで行われた京都市立芸術大学音楽学部及び大学院音楽研究科のコンサートで、ホワイエに友達といるのを見掛けたことがある。知り合いに「よ! 久しぶり」などと挨拶していて、やたらと明るそうな子であった。

かぐや姫は罪を犯して月から追放されたという設定である。この時代の女性の罪というと、大抵は色恋沙汰であり、かぐや姫も男性と恋に落ちて断罪されたのだと思われる。月の人々は不死身であるが、そのため子どもを作る必要がない。恋愛などというものは味気ない言い方をしてしまうと、子どもを作るための準備段階。だが不死身で子どもが必要ないとなると、良い感情と思われないであろうことは目に見えている。そこで、月よりも恋愛事情に溢れている地球で一定期間修行し、恋に落ちなければ月に帰れるという約束だったのであろう。かぐや姫が、石作皇子(いしつくりのみこ)、庫持皇子(くらもちのみこ)、右大臣 阿倍御主人(あべのみうし)、大納言 大伴御行(おおとものみゆき)、中納言 石上麻呂足(いそのかみのまろたり)に難題をふっかけるのは、そもそも達成不可能な課題を与えれば、自ずと諦めるだろうという魂胆だったと思われる。とにかく恋愛をしてはいけないのだから。ただ地球の男達は、かぐや姫が予想していたよりも、欲深く、あるいは執念深く、あるいは努力家で、あらゆる手を使って困難を克服しようとする。ほとんどは嘘でかぐや姫に見破られるのであるが。大伴御行のように「わがままな女は嫌い」と歌う人がいたり、石上麻呂足のように命を落とす人も出てくるが、これらはかぐや姫の心理に大きな影響を与えたと思われる。なお、阿倍、大伴、石上(物部)のように、実在の豪族の苗字を持つ人物が登場しており、『竹取物語』の作者と対立関係にあったのではないかとされる場合があるが、これもよく分かっていない。

その後、かぐや姫は帝と歌のやり取りをするようになる。帝を遠ざけてはいたが、やまと心を理解するようになるかぐや姫。次第に月よりも今いる場所が恋しくなるが、帰らなければならない定めなのだった。
かぐや姫の成長を描くというか、「マイ・フェア・レディ」(そしてパロディの「舞妓はレディ」)の原作となった「ピグマリオン」に通じるというべきか、とにかく日本的情調の豊かさを歌い上げる内容になっているのが特徴である。このことが紀貫之原作者説に通じているのかも知れない(紀貫之は『古今和歌集』仮名序で、やまと心と和歌の重要性を記している)。


オーケストラの後方に、横に長い階段状の舞台があり、ここに声楽のメンバーが登場する。また月からの使者が現れるのもこの階段状の舞台である。その上方にスクリーンがあり、ここに竹林や月、内裏などの映像が投影される。大がかりなセットは用いられず、映像で処理されるが、21世紀に書かれたオペラなので、その方が似つかわしいかも知れない。
登場人物の歌と演技も安定していた。


なお、会場には作曲者の沼尻竜典が駆けつけており、阪の紹介を受けて立ち上がって拍手を受けていた。

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2024年12月25日 (水)

これまでに観た映画より(359) 森山未來主演「ボクたちはみんな大人になれなかった」

2024年12月7日

Netflixで、Netflix製作映画「ボクたちはみんな大人になれなかった」を観る。森山未來主演作品。原作は燃え殻の同名小説。監督は森義仁。出演は森山未來の他に、伊藤沙莉、東出昌大、SUMIRE、篠原篤、平岳大、片山萌美、高嶋政伸、ラサール石井、大島優子、原日出子、萩原聖人ほか。

渋谷が主舞台となっている。渋谷のゴミ収集場所の場面から始まる。このシーンは後にリフレインされる。
佐藤(森山未來)は、1999年に恋人のかおり(伊藤沙莉)と別れた。というより、かおりが一方的に姿を消したのだ。その後、SNSが発達した時代になると、佐藤はFacebookでかおりを見つける。かおりは他の男と結婚し、子どもをもうけていた。

時代が次々と飛ぶ作品で、一番古い時代は1995年、公開年の2021年の前年であるコロナ禍の2020年が最新の場面となる。

佐藤は、映像のテロップを作る会社の社員だが、後にスタートアップの社員であることが分かる。高校卒業後に製菓会社のアルバイト社員をしていたのだが、まだマンションの一室をオフィスにしていた弱小テロップ製作会社に応募して採用されたのだ。とにかく人がいないので誰でも良かったらしい。その後、会社は規模を拡大し、現在では広めのオフィスを持つようになる。
この時、佐藤はかおりと付き合っていた。二人が出会ったのは1995年。文通の雑誌に、かおりが「犬キャラ」のペンネームでペンフレンドを募集していたのを佐藤が見つけたのが始まりであった。ちなみに「犬キャラ」というのは、小沢健二の「犬は吠えるがキャラバンは進む」というかなり有名なアルバムに由来しており、小沢健二がキューピット役となっている。かおりは渋谷にあるインドなどアジア系の雑貨を売る店で働いているようである。

最初はペンフレンドであるが、爆風スランプの「大きな玉ねぎの下で」(今度、この曲にインスパイアされた映画が公開されるようである)の歌詞にあるように会いたくなるのは必然。二人は渋谷で会うことになり、デートを重ねる。おそらく佐藤がテロップ製作会社に就職したのは、かおりとの結婚を意識したためだと思われるが、就職のお祝いにかおりにラブホテルに誘われる佐藤。かおりはそれまで経験がなかった。以降はかおりとのデートシーンが中心となる。タワーレコード渋谷店でCDを購入し、スペイン坂上にあった映画館、シネマライズの前を通ると、王家衛監督の「天使の涙」がロードーショー公開されている。私は1997年にシネマライズで「天使の涙」を三回観ており、タワーレコード渋谷店は、NHK交響楽団の定期演奏会を聴いた帰りにしばしば寄っていて、私自身の青春と重なる。
佐藤と出会ったばかりで、人見知り気味の初々しい姿を見せるかおりを演じる伊藤沙莉がとても可愛らしい。その後、ドライブデートなどをする二人だったが(かおりが、「宮沢賢治は東北から一歩も出なかった」という意味のセリフを語る場面があるが、これは明らかに誤りである)、円山町のラブホテル(どうも常連になっているようだ。かおりが群馬県出身であることが、ラブホテルの受付のおばちゃんとの会話で分かる)に泊まり、オルガン坂を上るかおりが振り向いて「今度CD持ってくるからね」と語りかけた姿が、佐藤にとってのかおりの最後の姿となった。

その後、佐藤には、恵(大島優子)という恋人が出来たり、スー(SUMIRE。浅野忠信とCHARAの娘)といい感じになったりするのだが、深い関係にまでは至らない。
パーティーで出会った、いわい彩花(という芸名でセクシー系のDVDを6枚出している子。演じるのは片山萌美)を誘った佐藤は、彩花から「子どもの頃なりたかった大人になれてる?」と聞かれる。
結構、ごちゃごちゃした作りなのだが、最終的には佐藤がかおりを忘れられないという心境が示されることで終わる。二十代から四十代になっても忘れられない女となると、やはり伊藤沙莉ぐらいは起用しないと説得力は出ない。なお、かおり役が誰なのかは公開直前まで伏せられていた。
小説家になりたいという夢を持ちつつ、面白いものが書けないでいる佐藤。かおりの、「君は大丈夫だよ。面白いもん」の言葉が背中を押してくれるのだが、その時は花開かない。ただ、「その後」は明かされていないが、自伝的小説を基にしているということは、この後、佐藤はかおりとの思い出を小説にして世に出ることになるのかも知れない。

約四半世紀が描かれるため、世界も様変わりしている。最初の頃は公衆電話を使っており、ポケベルで連絡したり、パソコンもブラウン管内蔵の旧式のものだったりする。今は若者の間では見なくなったガラケーも登場する。
大傑作という訳には残念ながらいかないだろうが、森山未來と伊藤沙莉のコンビが実に良く、特に若い人には薦められる作品となっている。

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2024年10月12日 (土)

コンサートの記(860) 2024年度全国共同制作オペラ プッチーニ 歌劇「ラ・ボエーム」京都公演 井上道義ラストオペラ

2024年10月6日 左京区岡崎のロームシアター京都メインホールにて

午後2時から、ロームシアター京都メインホールで、2024年度全国共同制作オペラ、プッチーニの歌劇「ラ・ボエーム」を観る。井上道義が指揮する最後のオペラとなる。
演奏は、京都市交響楽団。コンサートマスターは特別名誉友情コンサートマスターの豊島泰嗣。ダンサーを使った演出で、演出・振付・美術・衣装を担当するのは森山開次。日本語字幕は井上道義が手掛けている(舞台上方に字幕が表示される。左側が日本語訳、右側が英語訳である)。
出演は、ルザン・マンタシャン(ミミ)、工藤和真(ロドルフォ)、イローナ・レヴォルスカヤ(ムゼッタ)、池内響(マルチェッロ)、スタニスラフ・ヴォロビョフ(コッリーネ)、高橋洋介(ショナール)、晴雅彦(はれ・まさひこ。ベノア)、仲田尋一(なかた・ひろひと。アルチンドロ)、谷口耕平(パルピニョール)、鹿野浩史(物売り)。合唱は、ザ・オペラ・クワイア、きょうと+ひょうごプロデュースオペラ合唱団、京都市少年合唱団の3団体。軍楽隊はバンダ・ペル・ラ・ボエーム。

オーケストラピットは、広く浅めに設けられている。指揮者の井上道義は、下手のステージへと繋がる通路(客席からは見えない)に設けられたドアから登場する。

ダンサーが4人(梶田留以、水島晃太郎、南帆乃佳、小川莉伯)登場して様々なことを行うが、それほど出しゃばらず、オペラの本筋を邪魔しないよう工夫されていた。ちなみにミミの蝋燭の火を吹き消すのは実はロドルフォという演出が行われる場合もあるのだが、今回はダンサーが吹き消していた。運命の担い手でもあるようだ。

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オペラとポピュラー音楽向きに音響設計されているロームシアター京都メインホール。今日もかなり良い音がする。声が通りやすく、ビリつかない。オペラ劇場で聴くオーケストラは、表面的でサラッとした音になりやすいが、ロームシアター京都メインホールで聴くオーケストラは輪郭がキリッとしており、密度の感じられる音がする。京響の好演もあると思われるが、ロームシアター京都メインホールの音響はオペラ劇場としては日本最高峰と言っても良いと思われる。勿論、日本の全てのオペラ劇場に行った訳ではないが、東京文化会館、新国立劇場オペラパレス、神奈川県民ホール、びわ湖ホール大ホール、フェスティバルホール、ザ・カレッジ・オペラハウス、兵庫県立芸術文化センターKOBELCO大ホール、フェニーチェ堺大ホールなど、日本屈指と言われるオペラ向けの名ホールでオペラを鑑賞した上での印象なので、おそらく間違いないだろう。

 

今回の演出は、パリで活躍した画家ということで、マルチェッロ役を演じている池内響に藤田嗣治(ふじた・つぐはる。レオナール・フジタ)の格好をさせているのが特徴である。

 

井上道義は、今年の12月30日付で指揮者を引退することが決まっているが、引退間際の指揮者とは思えないほど勢いと活気に溢れた音楽を京響から引き出す。余力を残しての引退なので、音楽が生き生きしているのは当然ともいえるが、やはりこうした指揮者が引退してしまうのは惜しいように感じられる。

 

歌唱も充実。ミミ役のルザン・マンタシャンはアルメニア、ムゼッタ役のイローナ・レヴォルスカヤとスタニスラフ・ヴォロビョフはロシアと、いずれも旧ソビエト圏の出身だが、この地域の芸術レベルの高さが窺える。ロシアは戦争中であるが、芸術大国であることには間違いがないようだ。

 

ドアなどは使わない演出で、人海戦術なども繰り出して、舞台上はかなり華やかになる。

 

 

パリが舞台であるが、19世紀前半のパリは平民階級の女性が暮らすには地獄のような街であった。就ける職業は服飾関係(グレーの服を着ていたので、グリゼットと呼ばれた)のみ。ミミもお針子である。ただ、売春をしている。当時のグリゼットの稼ぎではパリで一人暮らしをするのは難しく、売春をするなど男に頼らなければならなかった。もう一人の女性であるムゼッタは金持ちに囲われている。

 

この時代、平民階級が台頭し、貴族の独占物であった文化方面を志す若者が増えた。この「ラ・ボエーム」は、芸術を志す貧乏な若者達(ラ・ボエーム=ボヘミアン)と若い女性の物語である。男達は貧しいながらもワイワイやっていてコミカルな場面も多いが、女性二人は共に孤独な印象で、その対比も鮮やかである。彼らは、大学などが集中するカルチェラタンと呼ばれる場所に住んでいる。学生達がラテン語を話したことからこの名がある。ちなみに神田神保町の古書店街を控えた明治大学の周辺は「日本のカルチェラタン」と呼ばれており(中央大学が去り、文化学院がなくなったが、専修大学は法学部などを4年間神田で学べるようにしたほか、日本大学も明治大学の向かいに進出している。有名語学学校のアテネ・フランセもある)、京都も河原町通広小路はかつて「京都のカルチェラタン」と呼ばれていた。京都府立医科大学と立命館大学があったためだが、立命館大学は1980年代に広小路を去り、そうした呼び名も死語となった。立命館大学広小路キャンパスの跡地は京都府立医科大学の図書館になっているが、立命館大学広小路キャンパスがかなり手狭であったことが分かる。

 

ヒロインのミミであるが、「私の名前はミミ」というアリアで、「名前はミミだが、本名はルチア(「光」という意味)。ミミという呼び方は気に入っていない」と歌う。ミミやルルといった同じ音を繰り返す名前は、娼婦系の名前といわれており、気に入っていないのも当然である。だが、ロドルフォは、ミミのことを一度もルチアとは呼んであげないし、結婚も考えてくれない。結構、嫌な奴である。
ちなみにロドルフォには金持ちのおじさんがいるようなのだが、生活の頼りにはしていないようである。だが、ミミが肺結核を患っても病院にも連れて行かない。病院に行くお金がないからだろうが、おじさんに頼る気もないようだ。結局、自分第一で、本気でルチアのことを思っていないのではないかと思われる節もある。


「冷たい手を」、「私の名前はミミ」、「私が街を歩けば」(ムゼッタのワルツ)など名アリアを持ち、ライトモチーフを用いた作品だが、音楽は全般的に優れており、オペラ史上屈指の人気作であるのも頷ける。


なお、今回もカーテンコールは写真撮影OK。今後もこの習慣は広まっていきそうである。

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2024年9月20日 (金)

観劇感想精選(468) イキウメ 「小泉八雲から聞いた話 奇ッ怪」

2024年9月5日 大阪・福島のABCホールにて観劇

午後7時から、大阪・福島のABCホールで、イキウメの公演「小泉八雲から聞いた話 奇ッ怪」を観る。原作:小泉八雲。脚本・演出:前川知大。出演:浜田信也(はまだ・しんや。小説家・黒澤)、安井順平(警察官・田神)、盛隆二(もり・りゅうじ。検視官・宮地)、松岡依都美(まつおか・いずみ。旅館の女将)、生越千晴(おごし・ちはる。仲居甲)、平井珠生(ひらい・たまお。仲居乙)、大窪人衛(おおくぼ・ひとえ。男性。仲居丙)、森下創(仲居丁)。ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)の『怪談』で描かれた物語と、現代(かどうかは分からない。衣装は今より古めに見えるが、詳しくは不詳。「100年前、明治」というセリフがあるが、100年前の1924年は大正13年なので今より少し前の時代という設定なのかも知れない。ただ小泉八雲の時代に比べるとずっと現代寄りである)。役名は、現代の場面(ということにしておく)のもので、小泉八雲の小説の内容が演じられるシーンでは他の役割が与えられ、一人で何役もこなす。

舞台中央が一段低くなっており、砂か砂利のようなものが敷き詰められていて、中庭のようになっている。下手に祠、上手に紅梅の木。開演前、砂が舞台上方から細い滝のように流れ落ちている。舞台端に細い柱が数本。


京都・愛宕山(「京都の近くの愛宕の山」とあるが京都の近くの愛宕山は京都市の西にある愛宕山しかないので間違いないだろう)の近くの旅館が舞台。かつては寺院で、50年前に旅館に建て替えられたという。天然温泉の宿である。この宿に小説家の黒澤シロウが長逗留している。小説を書きながら周囲でフィールドワークを行っているため、つい根を張るようになってしまったらしい。この宿はGPSなどにもヒットしない隠れ宿である。
宿に男二人組が泊まりに来る。田神と宮地。実は二人とも警察関係者であることが後に分かる。

使用される小泉八雲のテキストは、「常識」、「破られた約束」、「茶碗の中」、「お貞の話」、「宿世の恋」(原作:「怪談牡丹灯籠」)の5作品。これが現代の状況に絡んでいく。

舞台進行順ではなく、人物を中心に紹介してみる。小説家の黒澤。雑誌に顔写真が載るくらいには売れている小説家のようである。美大出身で、美大時代にはシノブという彼女がいた。黒澤は当時から小説家志望だったが、余り文章は上手くなく、一方のシノブは子どもの頃から年齢に似合わぬ絵を描いていたが、それが予知夢を描いたものであることが判明する。来世の話になり、黒澤は、「シノブが生まれ変わったとしても自分だと分かるように小説家として有名にならないと」と意気込む。だが、その直後にシノブは自殺してしまう。シノブは自身の自殺も絵で予見していた。
生まれ変わったシノブに会いたいと願っていた黒澤。そして愛宕山の近くの宿で、シノブによく似た19歳の若い女性、コウノマイコ(河野舞子が表記らしいが、耳で聞いた音で書くことにする)と出会う。マイコが「思い出してくれてありがとう」と話したことから、黒澤はマイコがシノブの生まれ変わりだと確信するのだが、マイコもまた自殺してしまう。マイコの姉によると精神的に不安定だったようで、田神は「乖離性同一障害」だろうと推察する。

小泉八雲の怪談第1弾は、「常識」。白い像に乗った普賢菩薩の話。この宿が寺院だった頃、人気のある僧侶がいて賑わい、道場のようであったという。僧侶は夜ごと、白い像に乗った普賢菩薩が門から入ってくるのが見えるのだという。普賢菩薩を迎える場面では、般若心経が唱えられる。しかしその場に居合わせた猟師が普賢菩薩をライフルで撃ってしまう。殺生を生業とする自分に仏が見えるはずはなく、まやかしだとにらんでのことだった。普賢菩薩が去った後に鮮血が転々と続いており、池のそばで狐が血を流して倒れていた。化け狐だったようだ。その狐が祀られているのが、中庭の祠である。

続いて、「破られた約束」。落ちぶれはしたが、まだ生活に余裕のある武士の夫婦。だが、妻は病気で余命幾ばくもない。夫は後妻は貰わないと約束したが、妻は跡継ぎがまだいないので再婚して欲しいと頼む。傍らで見ていた田神が、「女の方が現実的で、男の方がロマンティストというか」と突っ込む。妻は、亡骸を梅の木の下に埋めることと、鈴を添えて欲しいと願い出る。
妻の死後、やはり男やもめではいけないと周囲が再婚を進め、それに従う男。比較的若い奥さんを貰う。しかし夫が夜勤の日、鈴が鳴り、先妻の幽霊が現れ、「この家から去れ、さもなくば八つ裂きにする」と脅す。夫が夜に家を空ける際にはいつもそれが繰り返される。新妻は恐れて離縁を申し出る。ある夜、また夫が夜勤に出ることになった。そこで夫の友人が妻の寝所で見守ることにする。囲碁などを打っていた男達だが、一人が「奥さん、もう寝ても構いませんよ」を何度も繰り返すようになり、異様な雰囲気に。やがて先妻の幽霊が現れ、新妻の首を引きちぎるのだった。

現代。それによく似た事件が起こっており、泊まりに来た二人はその捜査(フィールドワークを称する)で来たことが分かる。ここで二人の身分が明かされる。首なし死体が見つかったのだが、首が刃物ではなく、力尽くで引きちぎられたようになっていたという。


「茶碗の中」。原作では舞台は江戸の本郷白山。今は、イキウメ主宰で作・演出の前川知大の母校である東洋大学のメインキャンパスがあるところである。だが、この劇での舞台は白山ではなく、愛宕山近くの宿屋であり、警察の遺体安置所である。田神が茶碗の中に注いだ茶に見知らぬ男の顔が映っている。なんとも気持ちが悪い。そこで、他の人にも茶碗を渡して様子を見るのだが、他の人には別人の顔は見えないようである。
ところ変わって遺体安置所。検視官の宮地も茶碗の中に別人の顔が映っているのを見つける。そして遺体安置所から遺体が一つ消えた。茶碗の中に映った男の顔が黒澤に似ているということで黒澤が疑われる。消えた遺体は自殺したコウノマイコのものだった。黒澤はコウノマイコには会ったことがないと語る(嘘である)。捜査は、この遺体消失事件を中心としたものに切り替えられる。

温泉があるというので、田神は入りに出掛ける。宮地は「風呂に入るのは1週間に1度でいい」と主張する、ずぼらというか不潔というか。そうではなくて、「1日数回シャワー」、あ、これ書くと炎上するな。あの人は言ってることも書いてることもとにかく変だし、なんなんでしょうかね。もう消えたからいいけど。


「お貞の話」。これが、先に語った、シノブと黒澤シロウ、黒澤シロウとコウノマイコの話になる。来世で会う。この芝居の核になる部分である。
ついこの間、Facebookに韓国の女優、イ・ウンジュ(1980-2005)の話を書いたが(友人のみ限定公開)、彼女がイ・ビョンホンと共演した映画「バンジージャンプする」に似たような展開がある。「バンジージャンプする」は、京都シネマで観たが、キャストは豪華ながら映画としては今ひとつ。イ・ウンジュは映画運には余り恵まれない人であった。

「宿世の恋」。落語「怪談牡丹灯籠」を小泉八雲が小説にアレンジしたものである。この場面では、女将役の松岡依都美が語り役を務める。
旗本・飯島家の娘、お露は評判の美人。飯島家に通いの医師である志丈(しじょう)が、萩原新三郎という貧乏侍を連れてきた。たちまち恋に落ちるお露と新三郎。お露は、「今後お目にかかれないのなら露の命はないものとお心得下さい」とかなり真剣である。しかし、徳川家直参の旗本と貧乏侍とでは身分が違う。新三郎の足はなかなか飯島家に向かない。それでも侍女のお米の尽力もあり、飯島家に忍び込むなどして何度か逢瀬を重ねたお露と新三郎だったが、新三郎の足がまた遠のいた時に、志丈からお露とお米が亡くなったという話を聞いた新三郎。志丈は、「小便くさい女のことは忘れて、吉原にでも遊びに行きましょう。旦那のこれ(奢り)で」と新三郎の下僕であるトモゾウにセリフを覚えさせ、トモゾウはその通り新三郎に話すが、激高した新三郎に斬られそうになる。お露のことが忘れられず落胆する新三郎であったが、ある日、お露とお米とばったり出会う。志丈が嘘をついたのだと思った新三郎。聞くと二人は谷中三崎(さんさき)坂(ここで東京に詳しい人はピンと来る)で暮らしているという。二人の下を訪れようとする新三郎だったが断られ、お露とお米が新三郎の家に通うことになる。だが、お察しの通り二人は幽霊である。新三郎の友人達は二人の霊を成仏させるため、新三郎の家の戸口を閉ざし、柱に護符を貼り、般若心経が再び唱えられる。お守りを渡された新三郎はその間写経をしている。新三郎の不実を訴えるお露の声。
6日我慢した新三郎だが、今日耐えれば成仏という7日目に、会えなくなるのは耐えられないと、お守りを外し、戸口を開けて……。

照明がつくと、田神と宮地が寝転んでいる。旅館だと思っていたところは荒れている。「こりゃ旅館じゃないな」と田神。
黒澤がマイコの遺体を隠したのだと見ていた二人は、狐を祀る祠の下で抱き合った二人の遺骸を発見する。マイコはミイラ化しており、黒澤は死後10日ほどだった。「報告書書くのが面倒な事件だなこりゃ」とこぼしながら旅館らしき場所を去る田神と宮地。下手袖に現れた黒澤の霊はお辞儀をしながら彼らを見送り、砂の滝がまた落ち始める。
生まれ変わった恋人にも自殺されてしまった新三郎だが、再会は出来て、あの世で一緒になれるのならハッピーエンドと見るべきだろうか。少なくともマイコもその前世のシノブも彼のものである。


小泉八雲の怪談と現代の恋愛、ミステリーに生まれ変わりの要素などを上手く絡めたロマンティックな作品である。次々に場面が入れ替わるストーリー展開にも妙味があり、また、青、白、オレンジなどをベースとした灯体を駆使した照明も効果的で、洗練とノスタルジアを掛け合わせた良い仕上がりの舞台となっていた。
やはり幽霊や妖怪を駆使した作風を持つ泉鏡花の作品に似ているのではないかと予想していたが、泉鏡花が持つ隠れた前衛性のようなものは八雲にはないため、より落ち着いた感じの芝居となった(ただし抱き合った遺体は、鏡花の傑作『春昼・春昼後刻』のラストを連想させる)。


上演終了後、スタンディングオベーション。多分、私一人だけだったと思うが、周りのことは気にしない。ほとんどの人が立っている時でも立たない時は立たないし、他に誰も立っていなくても立つ時は立つ。ただ一人だけ立っている状態は、大阪府貝塚市で観た舞台版「ゲゲゲの女房」(渡辺徹&水野美紀主演)以来かも知れない。渡辺徹さんも今はもういない。

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