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2026年3月 3日 (火)

コンサートの記(950) 小澤征爾音楽塾オペラ・プロジェクトXXⅠ ヴェルディ:歌劇「椿姫」 ディエゴ・マテウス指揮

2025年3月16日 左京区岡崎のロームシアター京都メインホールにて

午後3時から、左京区岡﨑のロームシアター京都メインホールで、小澤征爾音楽塾オペラ・プロジェクトⅩⅩⅠ ヴェルディ:歌劇「椿姫」を観る。

小澤征爾は亡くなったが、その志は若い人々へと受け継がれている。

今回も指揮者は、小澤征爾音楽塾首席指揮者のディエゴ・マテウス。演出は、デイヴィッド・ニースが手掛ける。小澤征爾には、創設者と共に永久音楽監督の称号が追贈されている。
小澤征爾音楽塾副塾長(実質的なトップ)には、チェリストの原田禎夫。アシスタント・ディレクターには、小澤征爾の娘である小澤征良(せいら)が就いている。

出演は、ニーナ・ミナシアン(ヴィオレッタ)、カン・ワン(アルフレード・ジェルモン)、クイン・ケルシー(ジョルジュ・ジェルモン)、メーガン・マリノ(フローラ)、牧野真由美(アンニーナ)、マーティン・バカリ(ガストン子爵)、井出壮志朗(ドゥフォール男爵)、町英和(ドビニー侯爵)、河野鉄平(こうの・てっぺい。医師グランヴィル)。
管弦楽は小澤征爾音楽塾オーケストラ。合唱は小澤征爾音楽塾合唱団。

原作小説・戯曲:アレクサンドル・デュマ・フィス。台本:フランチェスコ・マリア・ピアーヴェ。

 

ベネズエラの「エル・システマ」出身のディエゴ・マテウス。「エル・システマ」が輩出した有力指揮者としては、グスターボ・ドゥダメルに次いで二人目であり、単にドゥダメル一人に才能があったわけではなく、「エル・システマ」の有効性を示した人物でもある。「第二のドゥダメル」と呼ばれたこともあるが、最近はこの称号で呼ばれることは余りないようである。
小澤征爾音楽塾オペラ・プロジェクトの演出の多くを手掛けているデイヴィッド・ニースは、メトロポリタン歌劇場の演出家として長年活躍してきた人物である。
ヴィオレッタを歌うニーナ・ミナシアンは、アルメニア出身。アルフレード役のカン・ワンは中国系オーストラリア人である。アルフレードの父親役のジョルジュを歌うクイン・ケルシーはハワイ出身。見た目から原住民系であると思われる。ハワイ大学マノア校で音楽を学び、卒業後に欧米で活躍している。
日本人キャストも全員出身校が異なり、バラエティーに富んだ人選となっている。

 

紗幕にパリの情景が描かれている。エッフェル塔、セーヌ川、ポン・ヌフ、ノートルダム大聖堂。おそらくこれらが一度に見える場所はないので架空のパリなのだろう。「椿姫」が初演された時には、エッフェル塔はまだなかったと思うが、パリらしさを演出するためなのでいいだろう。

前奏曲を、マテウスは極めて小さな音でスタートさせる。その後も繊細な表現が続くが、華やかさが徐々に増していく。小澤征爾音楽塾オーケストラは、日本、韓国、中国などで行われたオーディションで選ばれた若い音楽家による団体だが、よく訓練されていて、アンサンブルの精度も高い。このオペラではフルートが重要な場面で演奏されるのだが、マテウスはフルートを上手く浮かび上がらせていた。
「椿姫」の音楽は三拍子系のものが多いのも特徴である。最も有名な「乾杯の歌」も三拍子であるが、この曲はカラオケ(JOYSOUND)に入っていて歌うことが出来る。

前奏曲の途中で紗幕が透け、ヴィオレッタ達が立っているのが見える。
ヴィオレッタは高級娼婦である。大金を手に入れることが可能だが、結婚は許されていない。そのヴィオレッタがアルフレードという若者に恋をしたことから起こる一騒動と、若くしての病死を描いた悲劇である。
私は、2002年に京都芸術劇場春秋座で行われた京都造形芸術大学(当時)と京都市立芸術大学音楽学部との合同公演で初めて「椿姫」を観ており(あの頃は二校は仲が良かった)、その後も春秋座のオペラ、佐渡裕が指揮した神戸文化ホールでの上演を観たことがある。

近年は、象徴的な演出が行われることも多い「椿姫」だが、デイヴィッド・ニースの演出は奇をてらわないオーソドックスなもので、まず「演技で見せるのだ」という強い意志が感じられる。ヴィオレッタは不治の病に冒されている。通常は死因となる結核という解釈が取られるが、結核の割りには元気な描写があったり、隔離されたりなどの措置が取られていないため、結核にかかったのは死の直前で、不治の病は別のものなのかも知れないが、ヒントとなるものがないため、現状ではやはり結核とするのが無難なように思う。

歌手達の水準は高く、ロームシアター京都メインホールということで声もよく通り、オーケストラの音も美しく聞こえる。

装置や衣装を手掛けたのはロバート・パージオーラだが、フローラの屋敷の場では、壁も登場人物の衣装も真っ赤で統一。特に深い意味はない(吐血のイメージは込められていると思う)と思われるが、インパクトはある。その他の場面でも装置はお洒落である。

第3幕で瀕死のはずのヴィオレッタが朗々と歌うのが、「リアルでない」と言われることもあるが、内面の吐露なのでそんな指摘をしても仕方ない気もする。今回、ヴィオレッタを演じたニーナ・ミナシアンは、ベッドの上にアルフレードと並んで座った時に、何度か頭に手をやって具合が悪そうに見せるなど、リアルな演技を見せていた。

 

この上演もカーテンコールでの撮影は可となっており、SNSへのアップも許されていた。

なお、今回の公演を持って、ロームは小澤征爾音楽塾から撤退することを明らかにした。

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2026年2月 4日 (水)

コンサートの記(946) びわ湖ホール オペラへの招待 モーツァルト作曲「劇場支配人」&レオンカヴァッロ作曲「道化師」2026.1.24

2026年1月24日 滋賀県立芸術劇場びわ湖ホール中ホールにて

大津へ。びわ湖ホール中ホールで、びわ湖ホール オペラへの招待 モーツァルト作曲「劇場支配人」&レオンカヴァッロ作曲「道化師」を観る。

「道化師」は、京都国立博物館中庭特設会場で、吉田裕史(ひろふみ)指揮ボローニャ歌劇場フィルハーモニーによる大規模キャストによる野外公演を観たことがあるが、「劇場支配人」を観るのは初めて。「劇場支配人」序曲は、以前に「題名のない音楽会」のオープニング&エンディングに使われていた

キンボー・イシイ指揮日本センチュリー交響楽団の演奏(コンサートマスター:松浦奈々)。日本センチュリー交響楽団は、びわ湖ホール中ホールでのオペラ上演にたびたび呼ばれているが、中規模編成のオーケストラだけに中ホールの小さめのピットでも威力を発揮出来るからだろう。ただ日程によっては、ザ・カレッジ・オペラハウス管弦楽団や大阪交響楽団が入ったりもする。
大ホールでのオペラ上演は京都市交響楽団が受け持つことが多い。何と言っても隣町のオーケストラである。

キンボー・イシイは、本名を石井欽一といい、キンボーはヨーロッパでのニックネームである。ただ、欽一というと欽ちゃんこと萩本欽一のイメージが強いからかどうかは分からないが、師である小澤征爾から「お前はキンボーを名乗れ」と言われ、それを守っている。一時は、キンボー・イシイ=エトウと名乗っていたが、長いからか、いつの頃からかキンボー・イシイとなっている。
冗談みたいな名前の人だが、ヨーロッパを中心にオペラ指揮者として活動しており、ベルリン・コミッシェ・オーパーの首席カペルマイスターを経て、マクデブルク劇場音楽総監督、大阪交響楽団首席客演指揮者、ドイツ・シュレースヴィヒ=ホルシュタイン州立劇場音楽総監督などを歴任している。
ウィーン市立音楽院でヴァイオリンをバリリ四重奏団で知られるワルター・バリリに師事。ジュリアード音楽院でも当初はヴァイオリンを専攻していたが、怪我のために途中で指揮に転向。前述、小澤征爾やサイモン・ラトルに師事している。

演出と日本語台本を務めるのは、お馴染みの中村敬一。「ザ・スタッフ」所属ということで、岩田達宗とも同僚だった人である。国立(くにたち)音楽大学招聘教授、大阪音楽大学客員教授。沖縄県立芸術大学講師などを務めている。沖縄県人の多くは、クラシック音楽を聴く習慣がないと言われているが(古くからの民謡や伝統音楽と、アメリカ統治時代に入ったロックやジャズなどが盛んで、クラシックが根付く土壌自体が形成されなかった)、県立の芸術大学があり、砂川涼子などスター歌手も生まれているため、普及に期待が持たれている。

 

上演前に、中村敬一による解説がある。1時間ほどの短いオペラ2本で、いずれももう1本の中編オペラと併せて上演されることが多く、特に「道化師」は、イタリアのヴェリズモ(現実)と呼ばれたオペラであり、ヴェリズモオペラのもう1本の代表作であるマスカーニの「カヴァレリア・ルスティカーナ」との組み合わせで上演されることが多いが、今回はそうではなく、「劇団」を巡る2本の物語としている。
モーツァルトの「劇場支配人」はタイトルとは裏腹に、劇場ではなくシェーンブルン宮殿の温室で上演するために作られた、どちらかというと余興に近いオペラである。オペラと書いたが、セリフを喋るだけの人も多く、アリアも少ないことから、ジャンル的には「魔笛」同様、ジングシュピールに分類される。セリフも歌詞もドイツ語だ。ヨーゼフ2世がドイツ語によるオペラ「ドイツ国民劇場」運動に力を入れており、サリエリがイタリア語のオペラ・ブッファを、モーツァルトがドイツ語のジングシュピールを書き、同日に続けて初演されている。サリエリが書いたオペラのタイトルは、「はじめに音楽、次ぎに言葉」である。1786年2月7日初演ということで、中村は「寒かったんじゃないか」と思ったそうだが、実際にシェーンブルン宮殿の温室行ってみたところ、温水が壁の向こうの管に常に流れているような施設で、暖かかったそうだ。両作品はヨーゼフ2世が義弟に当たるオランダ総督夫妻をもてなすための上演で、一般市民は会場にいなかったものと思われる。

「道化師」は、3人の作曲家にまつわる話があり、イタリアで行われた1幕物のオペラコンクールで、プッチーニが「妖精ヴィッリ」を送るも落選。しかしボーイトが高く評価して初演に漕ぎ着ける。初演時のピットに音楽院時代以来のプッチーニの友人であるマスカーニがコントラバス奏者として参加していたそうだが、上演は大成功。マスカーニは負けじと1幕物のオペラを書く。これが「カヴァレリア・ルスティカーナ」でコンクールで、当選を果たす。その上演の成功を目の当たりにしたレオンカヴァッロが書いた1幕物オペラが「道化師」である。コンクールには最終選考に残らず落選したが、コンクールの主催者が高く評価し、アルトゥーロ・トスカニーニ指揮で行われた初演は大成功したが、レオンカヴァッロの成功作はこの1作だけとなったようである。作曲以外には台本作家、教育者として活躍した。レオンカヴァッロに刺激を与えたマスカーニもまたヒット作は「カヴァレリア・ルスティカーナ」1作に留まっているようだ。
「カヴァレリア・ルスティカーナ」は実は原作を岩波文庫で読むことが出来るのだが、ごくごく短い物語であり、特にどうということもない作品である。オペラの方がずっと面白い。

 

歌劇(またはジングシュピール)「劇場支配人」。Wキャストで今日の出演は、脇阪法子(ヘルツ夫人)、高田瑞希(たかだ・みずき。ジルバークラング嬢)、古谷彰久(ふるや・あきひさ。フォーゲルザング)、林隆史(ブフ)、有ヶ谷友輝(ありがや・ともき。フランク)、佐貫遙斗(さぬき・はると。アイラー)、山田結香子(プファイル夫人)、岩石智華子(いわいし・ちかこ。クローネ夫人)、五島真澄(ヘルツ)、徳田あさひ(とくだ・あさひ。マドモアゼル・ルイーズ)。

まずは、現実の話。びわ湖ホールが今年の7月から改修工事に入るが、びわ湖ホール声楽アンサンブルはどこで活躍すればいいのかという話になって、滋賀県内を地方巡業と明かされるが、そこで劇場支配人のフランク(有ヶ谷友輝)が小さな劇団を作ろうとしていることを打ち明ける。それを知った人々が、「我こそが劇団に相応しい」と名乗り出てくるという芝居である。
初めの方はセリフだけという珍しい展開でもある。セリフは基本的に日本語で関西弁も混じるが、時折、ドイツ語が用いられる。
演技はオペラならではのもので、演劇的ではないが、演劇風の演技をしている人がいきなり歌い始めるのも差が激しすぎて妙なので、「オペラという架空世界の演技」として見るしかない。それはそれで楽しい。

今日が初日であるが、そのため緊張したのか、歌や振る舞いに堅さの見える人が何人かいる。今日のキャストは、1月26日にも出演する。平日のマチネーになるが、そちらの方が良い歌唱になりそうである。

出てくる人は皆、自身満々。「私より良い歌手はいない」と堂々と宣言し、「あなた程の人は他にはいない(「そこまで天狗な人はあなただけ」という当てつけ)」「あなたはいくらで契約したの?」「私より高いはずがない」というやり取りがある。
今回はフォーゲンザング夫人をマドモアゼル・ルイーズ(徳田あさひ)というバレリーナに変えて登場させているが、これは中村敬一が作り上げたキャラだそうだ。「びわ湖ホールの大規模改修期間における芸術家たちの活動ぶり」を示すためのキャラだそうだが、ジャンルの違うバレエで和らげようという意図もあったのだと思われる(元々のセリフは金に関する話ばかりでえげつないらしい)。
背景はいくつかのスクリーンを組み合わせたものだが、最後には一番大きなスクリーンにびわ湖ホール中ホールの客席が映り、これが遠い18世紀のことでなく今のびわ湖ホールの改修にも繋がっていることを示していた。なお、上野の東京文化会館も改修工事にはいることがセリフで告げられていた。
キンボー・イシイ指揮の日本センチュリー交響楽団はピリオド・アプローチを採用。古典様式を守った上で活気ある音楽を生んでいた。

 

レオンカヴァッロの歌劇「道化師」。出演は、福井敬(けい。カニオ)、船越亜弥(ネッダ)、西田昂平(こうへい。トニオ)、福西仁(じん。ペッペ)、大野光星(こうせい。シルヴィオ)。
「ヴェリズモ」と呼ばれるジャンルのオペラの代表作である。イタリア人は陽気で明るいイメージがあるが、こと芸術作品となるとシリアスな悲劇が好まれる傾向がある。

旅回りの芝居の一座に起こった悲劇である。殺害事件が観客の目の前で起こる(ギリシャ悲劇以来、悲惨なシーンは舞台裏で行われるのが慣習だった。ビゼーの歌劇「カルメン」の初演が失敗したのも、客の見えるところで殺害シーンが行われたからでもある。ちなみに歌劇「カヴァレリア・ルスティカーナ」も殺害は舞台裏で起こることになっているが、舞台上で起こるようにした演出もある)。

まず、足が不自由な道化役のトニオの口上で始まる。ステージ上には人が多いが、それでも「群衆」と呼ぶには足りないので、歓声などはスピーカーから録音されたものを流す。
座長のカニオとネッダは夫婦だが、ネッダは男にもて、トニオに言い寄られたり(鞭でぶって返り討ちにする)、村の青年であるシルヴィオと駆け落ちの約束をしていたりする。ネッダとシルヴィオがベンチの上で抱き合っているところをカニオが目撃したことから全ての悲劇が始まる。カニオはネッダに相手の名前を言うよう迫るが、座員ペッペがなだめる。
開演が迫り、カニオは衣装を纏い、化粧をするが、ここで歌われるのが有名な「衣装を纏え」である。オペラの冒頭にもこの旋律は登場する。ケヴィン・コスナーの出世作である映画「アンタッチャブル」で、ロバート・デ・ニーロ演じるアル・カポネが劇場のボックス席でこのアリアを聴きながら感動の涙を流しているところへ、配下からの「暗殺成功」の報告を受けて、一転ほくそ笑むというシーンに使われていることでも知られている。
一座の芝居が始まる。劇中劇である。アルレッキーノ(男の道化役でトリックスターのこと。代表例は「フィガロの結婚」のフィガロ)はペッペ、コロンビーナ(女の道化役で恋の取り持ち役のこと。代表例は「フィガロの結婚」のスザンナ)はネッダが務める。
心理劇の妙味として、カニオはネッダが抱き合っていた相手の名前を言わないから刺したのではない。それなら実にありきたりだ。実際は、トニオが間に入ったことで目撃した逢瀬を思い出し、逆上してネッダを刺すことになる。能天気にも顔が割れているにも関わらず芝居を見に来ていたシルヴィオも刺す。そしてラストの「喜劇は終わりました」のセリフは本来はトニオが語って、始めと終わりを結ぶことになるが、今回はカニオが客席の方を向いて語る。ベートーヴェンの遺言と同じ意味を持つことになる。

キンボー・イシイの指揮姿は私が座っていた席からもよく見えたが、キビキビとしてエモーショナルなものであった。生み出される音もダイナミックであり、ラストでは心を揺すられる思いであった。
どこぞで、「テノール界のラスボス」とも呼ばれている福井敬の歌はダイナミックで感情の表出も豊かであった。ネッダをコケティッシュに演じた船越亜弥のこれまでのイメージを覆す歌と演技も良かった。

 

びわ湖ホール オペラへの招待は何度も見聞きしているが、今回は上位に来る出来であったように思う。

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2026年2月 1日 (日)

コンサートの記(945) 下野竜也指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団第594回定期演奏会 バルトーク 歌劇「青ひげ公の城」(演奏会形式)ほか

2026年1月22日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後7時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、大阪フィルハーモニー交響楽団の第594回定期演奏会を聴く。今日の指揮は下野竜也。大フィル指揮研究員として朝比奈隆の下で学んだ指揮者でもある。ちなみに朝比奈の指揮に接した第一印象は、「何を振ってるのか分からないし、それなのに凄い音が出ていて訳が分からない」だったそうである。
現在は、NHK交響楽団の正指揮者、札幌交響楽団の首席客演指揮者、広島ウインドオーケストラの音楽監督を務め、広島交響楽団から桂冠指揮者の称号を得ている。吹奏楽出身の指揮者だけに広島ウインドオーケストラの音楽監督として吹奏楽の普及にも励んでいるものと思われる。

曲目は、大栗裕(おおぐり・ひろし)の管弦楽のための「神話」、小山清茂の管弦楽のための鄙歌第2番、バルトークの歌劇「青ひげ公の城」(演奏会形式。全一幕。出演:宮本益光、石橋栄実、田中宗利)。

いつものドイツ式の現代配置。今日のコンサートマスターは崔文洙だが、最前列の席だったため、崔文洙の隣で誰が弾いているのか見えず。真っ正面のコントラバスと、ヴィオラ奏者達の背中を見ることになる。管楽器はトロンボーンがわずかに見えるだけ。ただ「青ひげ公の城」ではトロンボーンが高い台に上って吹いたため、よく見えていた。

 

大栗裕の管弦楽のための「神話」。「天岩戸」を題材にした作品である。大阪フィルハーモニー交響楽団のホルン奏者にして、大フィルのための作品も多く書いた大栗裕。下野竜也が大阪フィルを指揮してレコーディングデビューしたのも大栗裕作品であった。
大栗は大阪・船場の生まれ。天王寺商業学校(現・大阪市立大阪ビジネスフロンティア高等学校)を卒業後、実家の小間物問屋を継ぐが、音楽を志し、旧東京交響楽団(現・東京フィルハーモニー交響楽団)や日本交響楽団(現・NHK交響楽団)のホルン奏者として活躍。朝比奈に呼ばれ再び大阪へ。関西交響楽団時代の1955年に大フィルに入団し、1966年まで在籍。その後は作曲家として活躍している。
管弦楽のための「神話」は、天岩戸が閉じたところから始まり、どうやったら天照大神が出てくるのか神々が考えるところから始まる。太陽神である天照大神が引きこもってしまったため、この世は闇である。ちなみに天照大神は伊勢神宮(内宮)に祀られてからも、「一人で食事をするのが寂しい」ということで豊受大神を呼び寄せているため(伊勢神宮外宮)、「皇祖神なのにメンヘラ」と呼ばれていたりする。
とにかく鶏が鳴けば朝になったと思うだろうということで、トランペットが鶏の鳴き声を真似る。その後も引きこもりの天照大神だったが、天鈿女命が裸踊りを始め、神々がその滑稽さに笑い転げる(芸術・芸能の神である天鈿女命は大宮姫命と同一視されることがあるが、大宮姫命はどちらかというと文芸系の女神である)。一体何事かと岩戸を少し開けてみる天照大神。そこに鏡が差し出され、鏡を知らない天照大神は何が起こったのか戸惑う。そこへ天手力男命が岩戸を強引にこじ開けるというストーリーである。古事記の中でも特に有名な場面の一つであるため、知っている人も多いと思われる。ちなみに京都市の蹴上にある日向(ひむかい)大神宮には、いかにも「作りました」という感じの天岩戸があり、戸隠神社として天手力男命が祀られている(厄除けの神)。初めて見た時には笑ってしまうかも知れないが、面白いことは面白い。
今日のプログラム全般にいえることだが、土俗的な迫力があり、一種の野蛮な力強さが聴く者を惹きつける。下野も造形をきちんと測った上でだが、いつもより強烈なドライブを見せていた。

 

小山清茂の管弦楽のための鄙歌第2番。小山清茂も音大に学んだ人物ではない。長野師範学校(現・信州大学教育学部)在学中にピアノの音を聴いて魅せられ、独学で作曲をものにする。師範学校卒業後は長野や東京で教員として勤務していた。1946年に「管弦楽のための信濃囃子」が第14回音楽コンクール(現・日本音楽コンクール)作曲部門で1位を獲得。1955年に教職を退いて作曲家として活動するようになっている。
鄙歌とあることからも分かるとおり、洗練とは真逆の古来から地方に残る生命力を音楽として昇華。力強い響きと「和」を感じさせる旋律を特徴とする。
「和讃」「たまほがい(上界と下界の魂のつどい)」「ウポポ(アイヌ語で室内で仕事をしたり儀式を行ったりするときに集団で歌う民謡)」「豊年踊り」の4部からなるが、今日は続けて演奏される。
やはり力強さが要求される曲であり、大フィルのパワーが生きている。大フィルも昔に比べると音に洗練度が増してきたが、こうした演奏も勿論可能である。

 

バルトークの歌劇「青ひげ公の城」(演奏会形式。全1幕)。大フィルは2013年に再開場したばかりのフェスティバルホールで、井上道義の指揮で、ハンガリー人の歌手2人を招いて「コンサートオペラ」として「青ひげ公の城」を上演している。
「青ひげ公の城」は、バルトークが完成させた唯一のオペラで、オペラ・ブッファとは異なる猟奇系オペラの代表作である。猟奇系オペラというジャンルはないが、挙げていくと、「ヴォツェック」、「ルル」、「サロメ」、「ねじの回転」などが含まれるだろう。「トゥーランドット」も場合によっては入るかも知れない。
青ひげ公は残忍な王で、数多の人を死へと導いている。「青ひげ公の城」の話が効果的に使われている映画として黒沢清の出世作である「CURE」が挙げられる。役所広司演じる刑事・高部の妻である文江(若くして亡くなった中川杏奈が演じている。中川杏奈という著名人は複数いるようだが、1965年生まれで演出家の栗山民也の奥さんだった人である)は精神を病んでいるのだが、それがかなり重いと分かる場面に「青ひげ公の城」の絵本が使われている。

出演は、宮本益光(ますみつ。青ひげ公)、石橋栄実(えみ。ユディット)、田中宗利(吟遊詩人)。
宮本益光は、バリトン歌手の他に、演出・構成、外国語オペラ詞の上演用日本語訳、執筆など幅広く活動しており、著書の名は、『職業、宮本益光』である。
大阪音楽大学教授としても知られる石橋栄実。澄んだ声を特徴とするソプラノだが、今日は役が役だけに痛切な声を聞かせる。
田中宗利は、劇団ひまわり所属の俳優。京都大学文学部哲学科卒。ピアノやチェロを習い、指揮者としても活動している。

下野、宮本、石橋の3人は、2023年に広島でも「青ひげ公の城」を上演している。

 

譜面の上に置かれた照明以外は光が絞られてスタート。吟遊詩人役の田中宗利が上手側から現れて、この話が昔々の語り継がれてきた物語であるということを告げる。
そして演奏開始。下野の巧みなリードに導かれて、豪快にしておどろおどろしい音楽が奏でられる。やはりこのオペラはオーケストラが強靱でないといけない。
青ひげ公の城にやって来た青ひげ公と、妻となったユディット。青ひげ公が残忍な王であるということはユディットも知っている。だが、ユディットは、家族と婚約者を捨てて青ひげ公の王妃になることに決めた。何故なのかは分からない。帰る場所をなくしたが、ユディットはかなり積極的である。青ひげ公に対して何度も「愛している」を口にする。あるいは帰る場所がないので青ひげ公にすがるしかないのかも知れないが。一方、青ひげ公の方は「愛してくれ」とは言うが、一度も「愛している」と口にすることはない。ユディットが「『愛してる』と言って」と迫っても、別の話をする。愛してなどいないのかも知れない。だとしたら正直だが。
一見、青ひげ公がユディットの行動を制しているように見えるのだが、実際にはそうやってユディットの非常に強い好奇心を引き寄せているようである。まんまと鍵を開けさせ、いくつもの部屋を見せ、最後の部屋へ。鍵を開けたのも多くの扉を開いたのもユディットの責任である。最後の部屋には朝の女と昼の女と夕方の女がいた。ユディットは夜の女となる。コンプリートである。
だが、どの部屋にも血痕があった。涙の湖にだけはなかったが、それは涙の湖だからか。とにかく殺さずに残忍な何かが起こっていたとしてもそれは知るよしもない。涙の湖が本当に涙の湖だとしたら、泣いたのは前にいた3人の女ということになる。会ったときには、たまたま普通の精神でいただけで、ユディットも3人の女同様、泣いて湖に涙を落とすことになるのだろうか。

夜の女になったと分かった時点で、ユディット役の石橋栄実は下手に向かって退場するという演出だったが、さて、どこに向かったのか。最後の部屋以外に行く当てはないが。

各部屋は色のついた照明によって表現される。

オペラではあるが、管弦楽に力強さが求められる。その点、馬力に関しては日本屈指のオーケストラである大阪フィルの力がプラスに働く。
独唱者2名の歌唱も優れており、独唱者を伴った管弦楽曲のような緻密な音楽を見事に再現してみせていた。

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2026年1月31日 (土)

観劇感想精選(508) キムラ緑子主演「わがうたブギウギ 笠置シヅ子物語」

2026年1月25日 京都四條南座にて観劇

午後3時30分から、京都四條南座で、キムラ緑子主演舞台「わが歌ブギウギ 笠置シヅ子物語」を観る。1994年初演の音楽劇。
主演:キムラ緑子。出演は、林翔太、曾我廼家寛太郎(そがのや・かんたろう)、賀集利樹、惣田紗莉渚(そうだ・さりな)、一色采子、桜花昇ぼる(おうか・のぼる)、松村雄基ほか。アンサンブルキャストを含めるとかなり多くの人が出演する。
作は小野田勇。補綴/演出は「現代の戯作者」こと齋藤雅文。音楽:服部隆之。
「ブギの女王」として一世を風靡しながら、42歳の若さで歌手を引退し、以後はおばちゃん役を得意とした女優として活躍、70歳で他界した笠置シヅ子の歌手時代の物語である。笠置シヅ子は、歌手時代には笠置シズ子の表記を用いており、女優に転身してから表記が笠置シヅ子に変わったとされるが、歌手時代に女優として出演した映画でもクレジットが「笠置シヅ子」になっているものがあり、歌手「笠置シズ子」、女優「笠置シヅ子」だったのかも知れない。

キムラ緑子は、同志社女子大学出身で、学生時代にお隣の同志社大学の演劇サークル第三劇場でマキノノゾミが演出するつかこうへい作品を観て参加。マキノとは結婚と離婚を繰り返している。
卒業後は、生まれ故郷の淡路島に帰って塾講師を務めるが、マキノに誘われ、マキノが主宰する劇団M.O.P.に参加。つかこうへい作品を上演していたが、マキノが作・演出を手掛けるようになってからは関西を代表する憑依型女優として名声を上げる。劇団M.O.P.が大阪、東京と本拠地を変えるごとに移住。映像作品にも出演するようになるが、全国区になるのは比較的遅く、朝ドラで意地悪な役や怖い役を演じて話題になってからである。舞台では、世間知らずなお嬢さんから性格のねじれた老婆まで幅広く演じ分け、才能を発揮している。

ただ今回はキムラ緑子を前面に出すためか、声など細部を除いては演じる年齢による演じ分けは行っていない。第1幕と第2幕からなる商業演劇であるが、カーテンコールでの声からいって、第2部が素のキムラ緑子の声で、第1部が若い声だったようだ。かなり違う。

NHK連続テレビ小説「ブギウギ」(主演:趣里)で、笠置シヅ子をモデルにした人物がヒロインとなり、笠置シヅ子の自伝や、シヅ子の師である服部良一の自伝などが久しぶりに再発売されているが、その間、研究はほとんど行われていなかったようである。笠置シヅ子も比較的謎の多い人物で、歌手引退と同時に歌を一切歌わなくなった、鼻歌すらも歌わなかったことが、一人娘の亀井ヱイ子氏の証言で分かっている。かなり頑なである。歌手引退の理由も曖昧だが、後年になって笠置シヅ子本人が、「太ってきたから」と理由を明かしている。笠置シヅ子の歌は、歌声だけでなくパフォーマンス(振付はほとんど自分で考えている)も併せて初めて一つの作品となるものだった。太ってしまっては踊れない。そして、笠置シヅ子が生きたのは日本人の平均寿命が今より短く、老けるのも早い時代だった。

 

黒澤明の作詞であり、黒澤映画「酔いどれ天使」でも使用された「ジャングル・ブギー」でスタート。キムラ緑子演じる笠置シヅ子が歌い踊り、それを多くのダンサーが盛り上げる。

話はシヅ子の若い日に戻る。少女時代のシヅ子(本名:亀井靜子。合田くるみが演じている)は、宝塚歌劇団を受けるも不合格。少女歌劇への夢を諦めきれないシヅ子は、今の大阪松竹座内にあった大阪松竹楽劇部(のちに大阪松竹少女歌劇団に改称)を訪れ、強引に入れて欲しいと頼む。二村定一の「アラビヤの唄」なども歌い上げる。生徒募集をしていなかった大阪松竹楽劇部も根負けして入団を認める。実際のシヅ子はもっとしつこかったそうで、毎日毎日「入れてくれ」と頼みに来たそうだ。
三笠シズ子の芸名で座員となるが、三笠宮が創設されたため、「畏れ多い」として笠置シズ子に改名させられている。
今回の劇では、服部良一(松村雄基)が大阪松竹少女歌劇団に在籍しているという設定(実際に二人が会うのは東京において)。 ピアニストとしてシヅ子たちにレッスンを付けるのは小暮五郎(賀集利樹)の役目であるが、小暮は若い頃から酒をたしなんでおり、その後、酒の飲み過ぎでピアノが弾けず、零落した姿でシヅ子の前に現れることになる。

大阪で歌声が評判になったシヅ子(大阪松竹少女歌劇団の後継団体であるOSK日本歌劇団で今も歌い継がれている「桜咲く国」などを歌う)に、東京の帝国劇場を舞台として組織される松竹楽劇団(SGD)に加わらないかという話が舞い込む。音楽監督は服部良一(史実でシヅ子と服部が出会ったのはこの時)。シヅ子は、男役のダンサーであるユリー五十鈴(桜花昇ぼる)と共に上京する。なおOSK日本歌劇団出身の桜花昇ぼるは、大阪の近鉄劇場で行われた「ブギウギ講談」では、歌唱担当として、笠置シヅ子とは名乗らなかったものの、実質、笠置シヅ子役で出演している。ユリー五十鈴は、体力では男性に敵わないことを感じ、男役の存在意義に悩むようになって、やがて芸能界から退き、五十鈴百合として女の人生を歩むことになる。
第1弾シングルとしてリリースされたのが、「ラッパと娘」である。朝ドラ「ブギウギ」でも「ラッパと娘」は「東京ブギウギ」以上に重要な曲となっていたが、この曲のメロディーは明らかに常道を外れており、服部良一の「音楽の殻を破ってやる」という意気込みが伝わってくる。実際に難しい楽曲で、本物の笠置シヅ子は、それまでこの手の激しいジャズは聴いたことがなかったはずなので、歌いこなすのにかなり苦労したことが察せられる。服部のレッスンは厳しいもので、夢中になると時間を忘れ、何時間もぶっ続けで進み、シヅ子は食事をすることも出来ず泣いたこともあるようだ。
笠置シヅ子の歌は、いわゆる「上手さ」ではそれほどでもない。あらゆる作品や書籍でも「歌が飛び抜けて上手い」という記述はない。そもそも音程には余り気をつかっていない。だが、黒人のジャズシンガーを思わせるソウルフルな歌声は、他に挙げる人物が見当たらないほど力強く、特にステージで聴く者を圧倒したことが証言から伝わってくる。

実は、終盤にシヅ子が歌った曲のメドレーが待ち構えている。

やがて戦時色が濃くなり、アメリカの影響を受けた歌を持ち歌としていたシヅ子は警察のターゲットとされて、「囲まれた線から出ずに歌え」と強要され、やがて「東京で歌ってはならない」という命令が下る。シヅ子は五郎をバンマスとした「笠置シズ子とその楽団」を結成し、地方巡業に活路を見出した。そんな中、シヅ子は一人の若い青年と出会う。早稲田大学に通う花森英介(林翔太)。花森興業創業家の一人息子である。花森英介は吉本興業の御曹司である吉本穎右(えいすけ。漢字も読みも難しいので、「エイスケ」とカタカナ表記にすることが多かった)をモデルとしているが、実際の吉本穎右はシヅ子の大ファンで追っかけをしており、出会ったのも偶然ではなかった。年が離れていたので恋人にはならないと思っていたシヅ子だが、英介の熱心さに惚れ、結婚を誓う。

シヅ子と英介が自己紹介をするシーン。シヅ子のパートは長台詞の上、状況説明が次々に変わり、体の動きも伴うため、キムラ緑子が軽々演じているのでそう見えないだけで、かなりの高難度である。

シヅ子の追っかけをしている人がもう一人。生駒芙美子(惣田紗莉渚)である。松竹少女歌劇団に押しかけて、榎本健一などの歌唱で知られる「私の青空」を歌って入団。シヅ子が東京に移ると、やはり追いかけてSGDのレビューガールに。しかし、自身の才能に見切りを付け、シヅ子の付き人となる。

日本はアメリカに敗れ、終戦となる。東京に戻ったシヅ子は有楽町の日本劇場(今は跡地に有楽町マリオンが建つ)で「ハイライト」公演に出演。中国に行っていた服部良一が、東京に戻った時に日劇の「ハイライト」公演の看板を目にし、吉祥寺の自宅に戻る前に日劇の笠置シヅ子の楽屋を訪れる。

服部は、シヅ子が主演する「ジャズ・カルメン」を企画。しかし、シヅ子は英介との愛の結晶である子を宿していた。妊娠しながら歌うのは難しいと、百合に反対されたシヅ子だったが、出演を強行。「ジャズ・カルメン」は大好評を得る。

だが英介は結核に冒されており、死んだ(史実では肺炎とされる)。「ジャズ・カルメン」を観る予定だったが、東京に来ることも出来なかった。数日後、シヅ子は女の子を産む。シヅ子は娘をヱイ子と名付けた。

服部は、「リンゴの唄」に続く復興ソングをシヅ子に歌わせようと考える、ある日、中央線の電車の中で、吊革が揺れているのを見た服部は、リズムと旋律が脳裏に閃く。史実では、服部は次の駅で降りて、すぐそばの喫茶店に駆け込み、紙ナプキンに五線譜と音符を書き込むのだが、舞台上ではそれは出来ない。満員の車内の乗客の揺れをアンサンブルキャストがダンスで表現し、服部が揺れの中で閃いて、手元の紙に五線譜と音符を書き込む。

こうして代表曲、「東京ブギウギ」が完成、裏手から実際に笠置シヅ子が着ていたドレスを模したものに身を包んだキムラ緑子とダンサーが登場し、「東京ブギウギ」が歌われる。最後の掛け声が「ヤー!」であることから、1947年に笠置が出演した映画「春の饗宴」を参考にしていることが分かる。実は、「東京ブギウギ」はかなりの難曲である。独特のリズムに乗り続けたまま歌うのはかなり難しい。キムラ緑子も、第2番の冒頭で少し遅れたが、乗り直した。ダンスも笠置のオリジナルと同じもの。全体を使った踊りなので、かなり体に来る。還暦を過ぎているキムラ緑子は、「東京ブギウギ」の終盤でバテているように見えたが、ここから地獄の「ブギウギメドレー」が始まる。要所要所を歌うだけだが、かなり疲れるはずである。「ブギウギメドレー」の曲目は、「買物ブギー」「ホームラン・ブギ」「大阪ブギウギ」「セコハン娘」「アロハ・ブギ」「センチメンタル・ダイナ」「ヘイヘイブギー」「東京ブギウギ」。ブギでないものも含まれる。

かくてシヅ子は、「ブギの女王」の名声を得る。

一方、シヅ子は、ラク町(有楽町のこと)のお葉(一色采子)らパンパンと交流を持つようになる。
お葉がいる喫茶店ドリームに一人の男。そこに笠置シヅ子が現れる。シヅ子は男が五郎だとすぐに気付く。五郎はピアノが弾けなくなり、生活に困っていた。シヅ子は五郎に禁酒を命じる。「禁酒は無理」だと思っていた五郎だが、持ち直し、ピアニストとして再出発出来るようになった。やがて芙美子と結婚する。

 

時が流れた。ブギの全盛期に、シヅ子は淡谷のり子と雑誌上で対談している。淡谷のり子が、「シャンソンは長く歌い継がれているけど、ブギは一過性で終わる」と断言しているのに対してシヅ子は、「ブギは長く歌い継がれていくと思います」と述べていた。だが、ブギの時代は短かった。ブギの全盛期には絶賛していた評論家が、手のひらを返して酷評の記事を書く。
そんな中、NHKでの公開録音に臨んだシヅ子だったが、「東京ブギウギ」の途中で歌唱を打ち切る(史実ではないようである)。もう高音が出ない。「もっと低い音程の歌をうたえば良い」と言ってくれる人もいた。だがシヅ子は歌手人生の終焉を感じる。「思うように歌えなくなったら歌手ではない」。服部は「それでこそプロの歌手の去り方だ」と称賛するのだった(実際は、服部は激怒したようである。服部はシヅ子に歌わせるために多くの歌を書いてきた。シヅ子がいなくなったら、思うような歌が書けなくなってしまう。しかしシヅ子は女優へと転身し、服部の最盛期も同時に終わることになる)。
華やかさの後の寂しさが身に染みる。
戦後を照らした太陽のような女性が、天岩戸へと帰っていく。天鈿女命(アメノウズメノミコト)がどんなに頑張っても意味はない。天鈿女命もまた彼女だったのだから。

 

今回の上演は、東京の三越劇場での上演を経て、京都四條南座での上演となっている。本来なら、笠置シヅ子、服部良一、吉本穎右全てと関わりのある大阪での上演が適当だったのかも知れないが、キムラ緑子が京都ゆかりの女優であることと、毎年のように南座で上演を行っていることから、南座が選ばれたのだと思われる。

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2026年1月30日 (金)

これまでに観た映画より(426) 「Tokyo Melody Ryuichi Sakamoto」4Kレストア版

2026年1月17日 T・ジョイ京都にて

京都駅八条口南西にあるイオンモールKYOTO内の映画館、T・ジョイ京都で、ドキュメンタリー映画「Tokyo Melody Ryuichi Sakamoto 4Kレストア版」を観る。上映時間62分の中編。フランス映画である。監督はエリザベス・レナード。1986年の作品だが、撮影自体は1984年に行われている。YMO散開直後であり、坂本は大島渚監督のオール・メイル・キャスト映画「戦場のメリークリスマス」の音楽が高く評価されて、アメリカではなくイギリスのアカデミー賞作曲賞を受賞。この映画の中にも映画「戦場のメリークリスマス」の場面が挿入されている。

1952年1月17日に東京都中野区に生まれた坂本龍一。東京都世田谷区に育ち、都立新宿高校を経て東京藝術大学音楽学部作曲科に現役合格。その後、同大学大学院音響研究科で、電子音楽やコンピューター音楽などを学んでいる。学生運動を行い、授業には余り出なかったそうだが、民族音楽の小泉文夫には多く学び、また作曲の師である三善晃から得たものも大きいことが作品を聴くと感じられる。
本当は大学院に進む気はなく、「社会には出たくない」ので留年しようと思っていたが、指導教員(誰なのかは不明)から、「留年は駄目だ。お前は卒業するか大学院に行くかどっちかにしろ」と言われ、大学院進学を選んでいる。望んで進んだわけではないが、これが愛称の「教授」に繋がる。大学院在学中に友部正人と出会い、レコーディングに参加。当時としては破格のギャラに驚喜し、バックバンドのミュージシャンとしてスタートすることになる。

最初にドビュッシーの言葉がフランス語で語られる(この作品は全編英語字幕付き)。“I am working on things that will only be understood by the grandchildren of the twentieth century.”。坂本はおもちゃの銃で遊んでいる。
坂本のアルバムの中でもマイルストーン的な1枚である「音楽図鑑」の制作に取材班は密着し、それ以外に坂本へのインタビューや思考を聞きだし、明治神宮や浅草寺の祭りなど、東京的な要素の濃い場所でロケを行っている。
当時の東京には、自動改札は勿論なく、駅員が切符を切っている。原宿では竹の子族が踊っているが、ダンスのレベルは今の若い人に比べるとかなり低い。今の若い子は、小学校の授業でダンスを学んでおり、誇張でなく竹の子族の何十倍も高度な動きとスピードでダンスを行っている。本当に隔世の感である。

坂本龍一が、新宿アルタの液晶ビジョンが見える位置に立つと、YMO時代の「体操」や「Behind the Mask」のPROPAGANDAライブ時の映像がビジョンに映る。

後年、坂本は若い頃の自分について、ヘッドバッドを行うポーズをして、「生意気だった」「(YMO結成の時も)時間があったらやります」「年取って(そういうことがなくなって)良かった」と述べている。

この頃は30代前半(厳密に書くと32歳)だが、父親への反発から文学書よりも思想書を多く読んでいたという坂本は、鋭さを特に隠そうとはしていない。

1から10まで、順番に作曲するのが音楽というのがそれまでの作曲法だったが、坂本はそれに疑義を呈し、部分部分を作曲して保存し、次の部分とつなぎ合わせるというシャッフリングのような発想をしていることが分かる。村上春樹が1985年に発表した『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』にもシャッフリングは登場するので、そういう発想をする人が多い時代だったのだろう。
シンセサイザーで作曲をする坂本だが、この時代のシンセサイザーの性能は今のおもちゃ以下。フロッピーディスクをLPレコードサイズにしたようなメモリーディスクを何枚も使い、音色の変更はメモリーディスクに入っているものの中からセレクトして行う。今なら適当な電気店で買った安いキーボードでも音色のチェンジは簡単に出来る。そう思うと、1984年は思っているよりも遙かに昔ということになるようだ。ちなみにCDの発売は、1985年なので、スクリーンの向こうの世界にはまだCDというものは存在しない。
明治神宮の神苑に似た場所で、坂本は「歩き煙草禁止」「順路→」という立て札の前を煙草を吸いながら逆方向に進んでいく。反骨精神を表しているようだ。今は「歩き煙草禁止」じゃなくて「禁煙」の立て札になっているだろう。
ちなみに明治神宮での祭りで鼓が打たれるが、鼓に近い音もメモリーディスクには入っている。

影響を受けた人物として坂本は、様々な作曲家を挙げた後で、哲学者・思想家の吉本隆明(「たかあき」ではなく有職読みで通称の「りゅうめい」で答えている)を挙げた。
一方で、「クラシックよりビートルズを先に聴いていたらクラシックには行かなかったかも知れない」と述べている。

坂本が作曲した作品以外に流れるのは、坂本が愛したフランスの作曲家の作品。ドビュッシーの「子供の領分」より第1曲“グラドゥス・アド・パルナッスム博士”、サティのグノシエンヌ第1番などだ。

YMO時代の中でもとりわけ有名な作品である「東風」は、PROPAGANDAライブの時のものと、矢野顕子とのピアノ連弾のものが採用されている。

なお、坂本はたまに眼鏡を掛けているが、後に老眼になるまで視力1.5なのが誇りだったと語っているため、伊達眼鏡である。老眼になってから丸眼鏡を掛けるようになり、「お洒落」と評判になったが、フランスの作曲家には丸眼鏡を愛用していた人が何人かいるため、影響を受けたのかも知れない。

坂本は、店舗で掛かるBGMについては、「最初から聴かないで次の階に行ったらまた別の音楽に変わる」として、音楽の聴き方が変わるという予兆を感じている。ただ、音楽の聴き方については現時点では激変はしていないように思う。ソフトから配信が主流になったりはしているが、基本的には好きな音楽を最初から最後まで聴く人の方が多いだろう。

1984年、バブル前夜。日本が上り調子の時代である。GDP(当時GNP)は世界第2位。1位のアメリカを脅かす勢いで、「Japan as No.1」と呼ばれるのが、1985年頃である。坂本も東京を「資本主義の最先端」と呼んでいる。まさかここまでひどい国になってしまうとは誰も予想していなかっただろうが、YMOも世界初のサンプリングを駆使したアルバム「テクノデリック」を発表するなど、世界最先端の音楽を作っていた。世界音楽史上、日本のミュージシャンが世界最先端の地位に躍り出たのはおそらくこの時だけだっただろう。

アルバム「音楽図鑑」の収録曲は、「M.A.Y. IN BACKYARD」と「マ・メール・ロワ」、ラストに演奏される「SELF PORTRAIT」がメインだ。それ以外の楽曲では、「戦場のメリークリスマス(Merry Christmas Mr.Lawrence)」が教授によるピアノソロと、映画の場面をセレクトして流れる。

その後、坂本は「ラストエンペラー」の音楽で、デヴィッド・バーン、コン・スー(蘇聡)と共にアメリカのアカデミー賞作曲賞を受賞。「世界のサカモト」と呼ばれるようになる(なお、この時、エンニオ・モリコーネが落選し、作曲者を大いに落胆させた)。
だがこれはまだ坂本龍一が世界的に知られる前の映像である。

この時の坂本は、整然としたものではなく、そこからこぼれ落ちたもの、はみ出たものなどに興味を持っていたようで、ノイズなどを取り入れた音楽に繋がって行くのかも知れない。アルヴァ・ノト(カールハインツ・ニコライ)との作業はまさにそんな感じだ。

ニューヨークに転居して世界的な活動を始める坂本。ニューヨーク転居については矢野顕子が強く望んだもので、その理由については知っている人は知っているので詳しくは書かない。村上龍はテレビ番組で「亡命していった」と語っていたが、坂本はそれも否定している。

一方で、東京に対する落胆は増していったようで、自伝『音楽は自由にする』では、東京に対して、「限界に来ている」「家賃が高すぎる」「誰が住むか」と露骨に嫌悪している。「東京じゃない、家賃の安い場所から新しいものが生まれる」という予感もあったそうで、最後の方では、「京都あたりに住んでみようかと思っている」と述べている。これは絵空事ではなく、実際に京阪神地域を愛したデヴィッド・ボウイが手に入れていた九条山の土地を買ったか、買おうとした動きがあったようである。だが、癌になったことで京都移住は夢と終わった。

東京に生まれ、東京に育ち、東京で学び、東京で仕事をしてきた坂本龍一。「東京はもう駄目だ」とまで宣告したようなものだったが、最後の癌の治療は主治医が東京にいたため、東京に仮住まいし、東京の病院で手術を受け、東京の病院で亡くなった。そして何よりも、本人は否定するかも知れないが、彼は東京が似合う男だった。

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2026年1月25日 (日)

コンサートの記(942) 阪哲朗指揮 紀尾井ホール室内管弦楽団第144回定期演奏会大阪公演

2025年9月16日

午後7時から、住友生命いずみホールで、紀尾井ホール室内管弦楽団第144回定期演奏会大阪公演を聴く。指揮は京都市出身で、今は大津市に住み、びわ湖ホールの芸術監督を務めるという阪哲朗。

紀尾井ホール室内管弦楽団は、以前は紀尾井シンフォニエッタ東京を名乗っていた団体で、紀尾井坂上の日本製鉄紀尾井ホールを本拠地としている。常設の団体ではなく、普段は別のプロオーケストラの楽団員やソリストとして活躍してるメンバーが集まって演奏会を作り上げる。紀尾井シンフォニエッタ東京時代の演奏を紀尾井ホールで聴いたことがあるが、紀尾井町・四ツ谷、上智大学のすぐそばという土地だからか、見るからに「私、良家の娘です」というタイプの若い女性の聴衆が多いのが印象的であった。

会場の住友生命いずみホールに来るのは久しぶり。来る前に大阪城公園内にある豊國(ほうこく)神社に参拝。豊臣秀吉公の像は完成したばかりの頃から見ているが、経年により細かな傷なども目立ち、色も以前より薄めになった。「お互い年を取りましたなあ」と心の中で呟く。
大阪城公園内は外国人観光客が目立つが、国旗をモチーフにしたものを着たり持ったりしている人も多く、「トルコか」、「ベトナムか」と分かる。

日本人の女性二人が、「中国では少し残す」という話をしていたのが耳に入るが、すぐにピンとくる。中国では出された食事を全部食べずに残すのがマナーである。全部食べてしまうと、「量が足りなかった」という意味になる。京都が生んだ女優である中村玉緒さんの著書を読むと、昔は京都でも少し残すのが礼儀という時代があったようである。

 

さて、住友生命いずみホールでの紀尾井ホール室内管弦楽団のコンサートであるが、入りは余り良くない。全て横向きの席である2階のバルコニー席はほぼ埋まっているが、1階席は6割行くか行かないかといったところ。いずみホールでは、いずみシンフォニエッタ大阪というこれも非常設の団体が定期演奏会を行っており、新鮮味がなかったのかも知れない。1階席には数人分丸ごと空いている席があるが、おそらく招待客が来てくれなかったのだと思われる。

 

曲目は、ヴェーバーの歌劇「オベロン」序曲、コルンゴルトの左手のためのピアノ協奏曲(ピアノ独奏:阪田知樹)、メンデルスゾーンの劇附随音楽「夏の夜の夢」(ナレーションなしで、一部を割愛してのほぼ全曲演奏。ソプラノ独唱:三宅理恵&山下裕賀。合唱:大阪すみよし少年少女合唱団)

「夏の夜の夢」だけ聴きたい人もいたようで、後半には1階席の後ろの方の聴衆が少し増えていた。
聴衆が少ない理由としては、「コルンゴルトって誰?」という人が多いのと、「関西なら阪さんはいつでも聴ける」という2つが考えられる。

コンサートマスターは玉井菜摘。玉井さんのお母さんは京都市交響楽団の第2ヴァイオリン奏者であったようだ。
ヴァイオリン両翼の古典配置を採用しているが、演奏スタイルは全てモダンである。

 

いずみホールも京都コンサートホール同様、反響板がないので、1階席は音が降りてこないように感じることがある。今日の2階バルコニー席で聴いた。

 

ヴェーバーの歌劇「オベロン」序曲。比較的、演奏会の第1曲に選ばれやすい曲である。今日プログラムされた3曲には盛り上げ方が似ているという共通点がある。

紀尾井ホール室内管弦楽団は、腕利きが揃っているだけに常設ではないのにアンサンブルも緻密で、音も輝かしい。室内管弦楽団としては、オーケストラ・アンサンブル金沢と日本のトップを争う力を持っているように感じた。ただ、紀尾井ホール室内管弦楽団は非常設故メンバーが入れ替わるので、演奏会ごとに出来が違うということもあり得るかも知れない。前に聴いた演奏も今日の演奏も優れたものだったが。

 

コルンゴルトの左手のためのピアノ協奏曲。戦場で右手を負傷したピアニストのパウル・ヴィトゲンシュタイン(哲学者のルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタインの実兄)が、多くの作曲家に依頼して書いて貰った左手のためのピアノ作品の一つである。
コルンゴルトは、幼時から楽才を発揮し、ミドルネームがヴォルフガングということもあって、「モーツァルトの再来」と絶賛された。23歳で書いた歌劇「死の都」は大ヒットしている。ヨハン・シュトラウスⅡ世の喜歌劇「こうもり」をミュージカル化したり、メンデルスゾーンの劇附随音楽「夏の夜の夢」を編曲したりと、舞台劇方面でも活躍。しかしコルンゴルトはユダヤ系であったため、ナチスから逃れるためのアメリカに渡る。
アメリカでは映画音楽の作曲を数多くこなし、現代では「映画音楽の礎を築いたコルンゴルト」と讃えられることもあるが、当時は劇伴はクラシックよりも下と見なされており、また彼のクラシック音楽のロマンティックな作風がウィーンでも「時代遅れ」と受け取られるようになり、晩年は不遇だった。死後はその名が一度、消えかかったが、1990年代半ばにアンドレ・プレヴィンやフランツ・ヴェルザー=メストらが指揮したコルンゴルト作品のCDが立て続けに発売され、「コルンゴルトブームが起こるか」と思った矢先に世界的なピアソラブームが起こってしまい、コルンゴルトの名は吹き飛ばされてしまった。
それでも近年は「死の都」が日本でも上演されるなど、再評価の動きはある。

コルンゴルトの左手のためのピアノ協奏曲は、弦楽器のロマンティシズムに鋭さを隠した音色をバックに、個性的な旋律が展開される。今でも新しく聞こえる部分があるなど、コルンゴルトの確かな才気が感じる。そして盛り上げ方は「オベロン」序曲や「夏の夜の夢」序曲などにも通じるものがある。
ソリストの阪田知樹は技巧派ピアニストとして名声を高めており、大阪フィルハーモニー交響楽団の宇治公演で聴いたチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番のシャープなピアノが記憶に新しいが、今日は音楽の大枠をガッシリと捉えた男性的なピアニズムを示す。高音がトイピアノのように聞こえる場面もあり、ハッとさせられる。
珍しい曲ということで譜面を用意し、自分でめくりながらの演奏であった。
以前は男性ピアニストというと、遊び人やボヘミアンも多かったが、聞くところによると、阪田知樹はアスリートのようにストイックな生活を送っているそうである。

アンコール演奏は、メンデルスゾーンの「無言歌」より“紡ぎ歌”。私はメンデルスゾーンの「無言歌」の全曲盤を持っているのだが、余り耳に残らなかった曲。ただコルンゴルトの後で聴くと、メンデルスゾーンの革新性を聴き取ることが出来る。
メンデルスゾーンが38歳の若さで亡くならなかったら、もっと音楽を推し進めていたかも知れない。

 

メンデルスゾーンの劇附随音楽「夏の夜の夢」。短い曲とナレーションをカットしたバージョンである。メンデルスゾーンの劇附随音楽「夏の夜の夢」は人気が高まる傾向にあり、檀ふみのナレーション、飯森範親指揮日本センチュリー交響楽団の演奏、幸田浩子と林美智子の独唱で聴いたことがある。この演奏はライブ録音され、CDとなってリリースされている。
もう大分経ったので書いてもいいと思うが、泉鏡花の「夜叉ヶ池」がオペラ化され、演出が岩田達宗さんで、主役の百合を歌うのが幸田さんということで、東京・初台の新国立劇場中劇場まで観に出掛けたのだが、檀ふみさんがいらしていた。無闇に話しかけられないようにだと思うが、お付きの男性とずっと話していて、「有名人も大変だな」と思ったものである。
京都市交響楽団も昨年、オーケストラ・ディスカバリーの曲目として、鈴木優人の指揮、ウエンツ瑛士のナレーションほかで、劇附随音楽「夏の夜の夢」を演奏する予定だったのだが、「台風接近」との予報により公演中止となっている。

前半は指揮棒を使っていた阪哲朗であるが、「夏の夜の夢」はノンタクトでの指揮。総譜は譜面台の上に開かれているが、ほぼ暗譜の指揮で、譜面をめくらずに立て続けに指揮した時には、数ページまとめてめくっていた。
演奏は活力に富み、メカニックの高さもあって、大変優れた出来であった。阪のキビキビとした音運びがこの曲に相応しいということもあるが、メンデルスゾーンの実力にも改めて感服することになり、充実した演奏会となった、三宅理恵と山下裕賀(ひろか)の独唱者二人と、大阪すみよし少年少女合唱団も澄んだ声で演奏に彩りを施した。

 

プログラムが長めであるが、更にアンコール演奏がある。ヨハン・シュトラウスⅡ世の喜歌劇「こうもり」序曲。アンコールとしては長めの曲だが、賑やかさと仄かな哀愁が印象的な演奏であった。この曲も終盤は盛り上がる。

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2025年12月31日 (水)

コンサートの記(937) びわ湖ホール プロデュースオペラ コルンゴルト作曲「死の都」 阪哲朗指揮京都市交響楽団ほか

2025年3月2日 滋賀県立芸術劇場びわ湖ホール大ホールにて

大津へ。午後2時から、びわ湖ホール大ホールで上演されるコルンゴルトの歌劇「死の都」を観るためだが、午前11時から、演出家の岩田達宗によるワークショップがあるというので、それも聴くために早めに家を出る。ワークショップの会場は大ホールで、自由席、先着順である。誰もが知っている有名オペラではないので、多くの人が押し寄せるということはなかったが(オペラ自体マイナーなので有名オペラでも多くの人は来ないかも知れないが)、それでも「知られざる傑作」としてある程度の知名度はある作品なので、まあまあの入りであった。

びわ湖ホールの館長である村田和彦からの挨拶とびわ湖ホールの四面舞台の紹介があり、その後、岩田達宗のトークとなる。今回の「死の都」は、「竹取物語」、「三文オペラ」同様、オペラ演出家の栗山昌良が演出を担当した歌劇作品の再現を目指して上演が行われるもので、岩田達宗は再演演出となっている。ただ岩田さんから直接伺った話や、びわ湖ホールのSNS記事によると、特別な演出はしないで、どちらかというと演技指導を行っているような印象を受ける。栗山昌良に師事した岩田達宗であるが、生前の栗山から「演出家が自分の色を出すんじゃない」と何度も言われていたそうで、それを考えると栗山が施した演出を再現するだけと考えるのが普通であろう。実際、自分のことを「演出補」と語っていた。
まず、歌劇「死の都」から。コルンゴルトが23歳の時に書いたオペラであり、初演からしばらくは大成功を収めていた作品である。原作はローデンバックの『死都ブリュージュ』。ただ、直訳すると『死 ブリュージュ』で、「これでは収まりが悪い」というので、『死都ブリュージュ』としたようである。「死の都」というも良いタイトルだが、ドイツ語のタイトルを直訳すると「死の町」で(歌詞には「死の町」という言葉が登場する)、ちょっと味気ないので、『死都ブリュージュ』から取って、「死の都」というタイトルになったようだ。今間違えて、「四宮(しのみや)」と打ってしまって直したのだが、四宮という駅は京阪京津線に存在する。
原作は、ベルギーの斜陽の街、ブリュージュ。ひきこもりの男性が愛する女性を殺害するというだけのもので少し味気ないので、台本作者のパウル・ショット(正体はコルンゴルトの父親のユリウス・コルンゴルト)とコルンゴルトは、幻想劇のような作品に仕上げている。今もある夢オチ。比較的評判の悪い手法だが、本格的な夢オチを行ったのは「死の都」が初めてだそうである。「全てが夢でした」という意味での夢オチのようなものはそれまでもあったが、ジークムント・フロイトの『夢分析』の影響を受けて、「夢には意味がある」とした上での夢オチを積極的に使ったのが「死の都」となるようだ。

栗山昌良は、1925年生まれ。ということで、生きていれば100歳になる年だったという。ということもあって、世代的にオーソドックスな演出家と評する向きもあり、栗山昌良本人もそう評価されることを喜んだというが、実際の作風はアヴァンギャルドで、表現主義をベースにしたものであった。「演出家は自分の色を出すな」とは言ったが、「死の都」冒頭の主人公の部屋に関する長いト書きは全く守られていない。ただこれも無視したのではなく、内容を抽出した結果だそうである。幕を上げて、第1幕第1場のセットを見せたのだが、指示とは全く別の部屋が目の前にある。
演技も写実を嫌い、二人の人物が向かい合って喋ることすら「写実だから」と嫌ったそうである。
稽古に関しては、「昭和の人は説明をしない」ということで、細かい指示は出さず、「もう一回、もう一回」を何度も繰り返していたそうだ。何が駄目なのかを聞いても答えはないそうである。現役の演出家としては岩松了が同じような演出を行っていると竹中直人が明かしたことがあり、高岡早紀が稽古場の隅で涙を拭っていたという話が思い起こされる。
さて、「死の都」であるが、1920年にハンブルクとケルンで同時初演されているが、その直前に第一次世界大戦があり、約3400万人が戦死。その約3分の2が兵士などではなく民間人であり、廃墟のようになった街が「死の都」に重なって見えたことは大きかったようだ。その後、第二次世界大戦では全世界で約Ⅰ億人が死亡。しかし、その後、ヨーロッパは戦争をしなくなった。しょっちゅう戦争を起こしており、イメージとは違って野蛮な場所であるヨーロッパであるが、80年以上戦争がないというのはヨーロッパ史上稀なことである(東欧などは含まない)。
「死の都」には有名アリアがあるが、それよりも第3幕のマリエッタのアリアを聴いてほしいとも語っていた。

 

エーリヒ・ヴォルフガング・コルンゴルトは、現在のチェコのブルノ(モラヴィアの中心都市である)生まれのオーストリア=ハンガリー二重帝国出身の作曲家。幼少期から楽才を発揮し、ヴォルフガングというミドルネームから「モーツァルトの再来」と呼ばれ、マーラーなどにも激賞されている。しかし、ナチスが政権を取ると、彼の人生は暗転。ユダヤ系であったためアメリカの亡命したが、アメリカでは彼のクラシック音楽は受けず、生活のために映画音楽の作曲に進出。こちらでは好評を得た。オーストリアに帰る機会もあったが、前衛の時代に彼の作風は「時代遅れ」と見なされるようになっており、受け入れられることはなかった。映画音楽は当時は格下扱いであり、そのことも影響した。アメリカでも終生、クラシックの作曲家としては評価されず、アメリカに多い毒舌評論家から、「KORNGOLDは、ゴールドではなくてコーンだ」などと揶揄された。若き日の栄光を取り戻せないまま60歳で死去。
1990年代半ばに、アンドレ・プレヴィンやフランツ・ヴェルザー=メストといった有名指揮者がコルンゴルト作品をレコーディング。ようやくコルンゴルト再評価なるかと思われた直後にピアソラ・ブームが起こってしまい、コルンゴルトはどこかに飛んでしまった。運のない作曲家であるが、びわ湖ホールで「死の都」が上演されるのと同時に、九州ではコルンゴルト作品を集めたコンサートが行われており、今度こそは広まるかも知れない。

そんな中、「死の都」だけは知名度が高く、映像も数点出ている。
ちなみに、「死の都」の演奏会形式での日本初演は、1996年に井上道義指揮の京都市交響楽団が行っており、演出ありのオペラ形式での日本上演は、2014年に沼尻竜典指揮京都市交響楽団によってびわ湖ホール大ホールで行われており、この時の演出が栗山昌良である。

 

 

午後2時から、びわ湖ホール大ホールで、びわ湖ホール プロデュースオペラ コルンゴルト作曲「死の都」を観る。2014年にびわ湖ホール大ホールでオペラ形式での日本初演が行われた作品である。びわ湖ホールの芸術監督である阪哲朗指揮の京都市交響楽団(コンサートマスター:泉原隆志)の演奏。Wキャストで、今日の出演は、山本康寛(パウル)、木下美穂子(マリー/マリエッタ)、池内響(フランク)、山下牧子(ブリギッタ)、小川栞奈(おがわ・かんな。ユリエッテ)、秋元悠希(ルシエンヌ)、島影聖人(しまかげ・きよひと。ガストンの声/ヴィクトリン)、迎肇聡(むかい・ただとし。フリッツ)、与儀巧(よぎ・たくみ。アルベルト伯爵)。合唱は、びわ湖ホール声楽アンサンブル。児童合唱は、大津児童合唱団。演出:栗山昌良、再演演出:岩田達宗。

舞台下手側がパウルの部屋。上手側が幻の教会(神殿)となっている。
パウルの部屋の奥にマリーの巨大な肖像画が掛けられている(木下美穂子をモデルにしたもの。昨日は昨日のマリー役である森谷真理をモデルにした絵だったようである)。
ブリギッタとフランツの二人の場面なのだが、絵の事柄に関するものなのに二人とも絵に背を向けて歌う。これが栗山流の写実でない歌い方のようだ。
ブリュージュに住むパウルは、妻のマリーを失ったのだが、友人のフランクには「マリーが戻ってくる」と語る。マリーを見かけたというのだが、それはマリーに似たマリエッタという踊り子であった。パウルは彼女が何者なのか分からないまま家に呼ぶ。
マリエッタがパウルの部屋を訪ねる。マリエッタはパウルがマリーという女性を自分の中に見ていることに気づき、部屋を後にする。やがてマリーの亡霊が現れる。

びわ湖ホール館長の村田和彦が、四面舞台の話をしていたが、第2幕では、その機構を生かし、これまでの舞台が奥に引っ込んで、下から新たなセットが現れる。三段になったヘアピンカーブである。ここでマリエッタの一座が余興のようなものを繰り広げる。
さて、いつからパウルが夢、または幻覚の世界に入っていったかであるが、第2幕ではブリギッタが「修道院に入る」と言って出て行くシーンがある。しかし現実にはブリギッタはパウルの屋敷で女中を続けており、この時点で夢であることは確かである。友人のフランクもマリエッタへの思いを語るのだが、これも夢か幻である。更にいうならその前にマリーの姿(幻覚)を見る場面がある、ということで、大半が夢の中での出来事となる。

絵空事が繰り広げられる訳だが、それこそが実はパウルの欲していたことであり、フランツはこのままではいけないとブリュージュを去るようパウルに告げるのだと思われる。「ブリュージュを離れられない」というパウルの真意は「マリーから離れられない」であり、街と一体化した「今の自分を離れられない」である。そこから出るのだ。

 

阪哲朗指揮の京都市交響楽団が輝かしくも重厚で、かつ瞬発力もある演奏を展開。プッチーニ(おそらくペンタトニックは使っていると思われる)やワーグナー、モーツァルトにリヒャルト・シュトラウスと、様々なオペラ作曲家に影響された響きや旋律が登場するが、いずれも「リアル」な音として鳴り響く。この場ではこの音が鳴らなくてはならないという、説得力に満ちた演奏だ。
退廃的でミステリアスで、それでいて魅力的という音楽である。1920年に初演された作品だが、世紀末的な彩りがあるのは、やはりフロイトの影響を受けているということもあるのだろうか。あるいは初の世界大戦が終わり、次の世界大戦前夜の荒廃した思い故だろうか。
阪の指揮する京都市交響楽団は、おそらく日本初演時の沼尻竜典指揮の時よりも妖艶な音を奏でているような気がした。

オペラ形式の初演も観ている「死の都」。記憶には余り残っていないが、コミカルな部分に関しても、初演時と同じなのかは不明である。

ラストでは、パウルはマリーへの未練を見せるが、今回の演出ではそれほど執着はなく去って行く(例えば、チェーホフの「かもめ」の主人公、トレープレフとは好対照である)。ブリギッタが一人残り、前方に置かれた燭台を手にし、また後ろに下がる。そして幕が下りる。このブリギッタの動きは台本にはなく(ブリギッタはフランツと共に退場することになっている)、オリジナルである。

 

演出家の岩田達宗さんとは、2幕と3幕の間に話をした。

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2025年12月26日 (金)

コンサートの記(933) 沖澤のどか指揮 京都市交響楽団 オーケストラ・ディスカバリー2025「発見!メモリアルイヤーの作曲家」第3回「時代を超えて踊る踊る」

2025年12月21日 左京区岡崎のロームシアター京都メインホールにて

午後2時から、左京区岡崎のロームシアター京都メインホールで、京都市交響楽団 オーケストラ・ディスカバリー2025「発見!メモリアルイヤーの作曲家」第3回「時代を超えて踊る踊る」に接する。指揮は京都市交響楽団第14代常任指揮者の沖澤のどか。
沖澤が「オーケストラ・ディスカバリー」を指揮するのは初めてだが、ロームシアター京都(京都会館)で指揮すること自体が初めてであり(一昨日はノースホールでトークイベントには参加したが)今日は沖澤の輝かしきロームシアター京都デビューとなる。
沖澤は来年の3月にもロームシアター京都メインホールで2025年度最後の「オーケストラ・ディスカバリー」を指揮するが、2026年度の「オーケストラ・ディスカバリー」は2回だけと半減し、指揮者も6月に太田弦、2027年2月に川瀬賢太郎という若くしてオーケストラを率いる指揮者に変わる。プログラムも発表になっており、良く知られたクラシックの曲が多いが、映画音楽が増えているのが特徴。特に来年6月の「オーケストラ・ディスカバリー」では、オープニングの映画音楽を投票で決めるということで、私は「ハリー・ポッターと賢者の石」のヘドウィグのテーマに1票入れた。おそらく来年3月の「オーケストラ・ディスカバリー」でも投票は行われると思う。他の候補は、「スター・ウォーズ」、「パイレーツ・オブ・カリビアン」、「ジュラシック・パーク」、「ゴジラ」で、5曲中3曲がジョン・ウィリアムズ作曲作品である。

 

今回は、「踊る」がテーマだが、クリスマスシーズンに相応しい曲が選ばれている。
曲目は前半が、ヨハン・シュトラウスⅡ世(生誕200年)の「シャンペン・ポルカ」、ポルカ「観光列車」、「皇帝円舞曲」。ルロイ・アンダーソン(没後50年)の「ワルツィング・キャット」、「そりすべり」、「クリスマス・フェスティバル」
後半が、チャイコフスキーのバレエ音楽「くるみ割り人形」から“行進曲”、“トレパーク”、“パ・ド・ドゥ”、“あし笛の踊り”、“こんぺい糖の踊り”、“花のワルツ”。“トレパーク”は指揮体験コーナーとなっている。

 

今日のコンサートマスターは泉原隆志。フォアシュピーラーに尾﨑平。第2ヴァイオリンの安井優子は降り番のようで、客演首席として水鳥路が入る。ヴィオラの客演首席は大野若菜。トロンボーンの客演首席に西村菜月。
フルート首席の上野博昭は降り番である。ドイツ式の現代配置での演奏。11月の京響の定期演奏会を指揮したジャン=クリストフ・スピノジは、チェロが客席側に来るアメリカ式の現代配置にして右手で巧みに操っていたが、今日の沖澤も、真横に陣しているヴィオラに指揮棒を突くように向けることで音を大きくしていた。指揮台の横にどの楽器を置くかで、楽器の操りやすさやバランスが変わるようである。

今日は珍しく、首席クラリネット奏者の小谷口直子が一番先にステージに現れる。

 

司会も兼任する沖澤。楽曲の紹介などを行う。私の席の近くから「喋り上手いな」という老年男性の声が聞こえてきた。

 

「シャンペン・ポルカ」。ラストに特徴がある曲である。沖澤は「真面目」な音楽作り。この手の曲はもっとおちゃらけたものでも良いのだが、沖澤は性格的に余りふざけたことは出来ないのであろう。ラストでは、打楽器首席の中山航介が、口を開いてその前で両手を叩き、独特の音を出していた、空気銃でもシャンペンのコルクが開いた時の音を出しているのだが、人力(?)でも似た音を出す工夫がなされている。沖澤は中山の真似をして上手く音が出なかったが、実はヨハン・シュトラウスⅡ世は音について「どうやって出すか」は特に指定していないそうである。

 

ポルカ「観光列車」。沖澤は、この曲では「汽笛」と呼ばれたハーモニカに似た楽器を吹く。レールを進む音はカダフという中東で用いられる特殊な楽器で出していた。

 

「皇帝円舞曲」。沖澤は、「ポルカが続いたので、次はワルツを演奏します。といってもこの曲は最初は2拍子で、後で3拍子になります」と説明する。
ヨハン・シュトラウスⅡ世の楽曲は、メディアから流れてきて、いつの間にか知っていたり、CDを聴いて覚えたものも多いが、「皇帝円舞曲」に関してはいつどうやって知ったのかはっきりと覚えている。工藤静香が出ていたチョコレートのCMで知ったのである。その後に観た映画「ラストエンペラー」でも満州国建国記念の舞踏会でこの曲が用いられていた。沖澤と京響は堂々とした「皇帝円舞曲」を奏でる。一方で、オーストリアの楽団が出す揺れのようなものは出さなかったが、あれはオーストリア人だから自然に出るものなのかも知れない。

 

沖澤と京響のヨハン・シュトラウスⅡ世の演奏だが、ほぼノンビブラートで演奏している弦楽奏者と、ビブラートを一音ごとに掛けて演奏している弦楽奏者が半々だったのが特徴。例えばコンサートマスターの泉原隆志は稀にしかビブラートを行わず、フォアシュピーラーの尾﨑平は盛大にビブラートを掛けていた。
ヨハン・シュトラウスⅡ世の時代は、演奏法が変化していく時代である。大きなホールが建設され、ビブラートを用いないと音が隅まで届かないようになる。ただ20世紀のオーケストラのように弦楽器全員がビブラートを掛けて演奏するにはまだ間があり、ビブラートを使う人と使わない人が混じる過渡期の演奏も行われていたはずである。今日はその過渡期の演奏を味わったことになる。音色は爽やかで、派手派手しくなく、好感を抱いたが、その後に世界のほぼ全弦楽奏者がビブラートを掛ける演奏の時代が訪れたことで、音楽家達は爽やかさよりもスケールの大きさやゴージャスさを選択したということになりそうだ。

 

「アメリカのヨハン・シュトラウス」と呼ばれたルロイ・アンダーソン。見た目が余り良くない人だったのだが、名門ハーバード大学出身。音楽学部に学んだ後、大学院に進んで修士号取得。ニューイングランド音楽院でも学んだ後でハーバード大学に戻り、今度は両親が話者だったスカンジナビア語の研究を行って、最終的には博士号を取得するなど、非情に優秀にして多彩な人であった。アーサー・フィードラー時代のボストン・ポップス・オーケストラ(ボストン交響楽団が、各パートの首席奏者抜きでライトクラシックや映画音楽を演奏する時の名称)のアレンジャーとして仕事を始め、フィードラーに気に入られて自作を発表するようになっている。

「ワルツィング・キャット」について、沖澤は、「弦楽がグリッサンドといって、猫の鳴き声を真似ます。最後には猫じゃなくて犬が出てきます」と言って演奏開始。上品で柔らかな演奏である。この演奏で描かれているのはシャム猫か何かで絶対に雑種ではない。
犬は大勢の奏者が口で鳴き声を真似するが、沖澤によると「犬になりたい人多かったので、猫の倍ぐらいいました。アンダーソンは鳴き声を誰がどう出すかは書いていないんです」

 

「そりすべり」。クリスマスシーズンによく流れる曲であること、最後に馬がいななきすること、「スキーの橇ではなく、馬がひく橇です」と言って演奏開始。スケール、スピードとも理想的な演奏である。最後に馬のいななきを吹いたハラルド・ナエス(京響トランペット首席)も上手かった。

「クリスマス・フェスティバル」。クリスマスにちなんだ曲を並べてメドレーとしたもので、とても楽しい曲と演奏であった。考えてみれば、仏教にはこうした楽しい音楽は少ない。暗い曲も多いが明るい曲もある。ただ折角明るい曲があるのに、同じ歌詞の暗いメロディーを選ぶ傾向があるように思う。極楽往生が定まったのだから、それを祝う曲があってもいいと思うのだが、定めたのは自身ではなく阿弥陀如来(絶対他力)なので、能天気な曲は書けないのだろう。

 

後半。チャイコフスキーのバレエ音楽「くるみ割り人形」から。クリスマスの定番の演目であるバレエ「くるみ割り人形」。実は沖澤のどかはバレエオタクで、これまでベルリン州立バレエで様々なバレエを楽しんできたのだが、「くるみ割り人形」だけは人気が高すぎてチケットを手に入れることが出来なかった。それでも観たいのでドレスデン州立歌劇場バレエ(ドレスデンはザクセン州にあり、ベルリンとは州が異なる)まで遠征したこともあったのだが、ようやくベルリン州立バレエの「くるみ割り人形」のチケットに当選した、と思ったら公演当日の朝に電話が掛かってきて、「水道管が破裂した(だったかな?)ので照明を使ったりするのが危険なので公演中止」「ただリハーサルはご覧になれます」ということで出向いて、ジャージ姿で踊るバレリーナを観察したりしていたそうだ。

リムスキー=コルサコフの交響組曲「シェエラザード」を聴いた時にも感じたことだが、沖澤の振るロシアものは味が濃いめである。低弦が力強く、洗練された響きの奥にざらついたものが聞こえる。ロシアの大地を考えれば、そうした表現も適切なのかも知れない(ただ私はロシアの大地を見たことはない)。

“トレパーク”では、小学校2年の女の子と小学校4年の男の子が指揮に挑戦。
小学校2年の女の子は途中でテンポが遅すぎて止まりそうになったため、沖澤が助け船を出して右手を振ってテンポを示して見せ、最後まで振り切った。
小学校4年生の男の子は、途中でテンポの変更があって、京響の団員も合わせるのが難しそうであったが、こちらも完走した。
沖澤は、学校で習う四拍子や三拍子の振り方については、「あれはあくまで基本形。というよりどうでもいい」。ということで四拍子は二つ振り、三拍子は円を描く方法で教えていた。
パーヴォ・ヤルヴィは、「今のプロオーケストラは優秀なので拍を刻まなくても演奏出来ます」ということで、音型を描く指揮を教えているようである。アニメ「響け!ユーフォニアム」には、吹奏楽部の顧問による指揮の「打点が分からない」と友達が愚痴る場面があるが、あれはアマチュアだからきっちり拍を刻んだ指揮をしないと弾けないということである。

“パ・ド・ドゥ”は、組曲にも含まれていない曲だが、「組曲に取り上げられていない曲にも良い曲がある」と沖澤は語っていた。

「あし笛の踊り」。ソフトバンクのCMで知られる曲だが、沖澤のどかは、テレビもラジオもない生活を、しかもベルリンで送っているので、CMのことは知らなかったと思われる。YouTubeでなら見られるが、わざわざ「ソフトバンク CM」と検索したりはしないだろう。主役であるフルートは首席なしでの演奏なのでやや落ちる感じではあったが、雰囲気は出ていた。
京響は首席と次席に明らかな実力差があるのが難点である。

「こんぺい糖の踊り」。チェレスタをお馴染みの佐竹裕介が演奏する。
沖澤は、チャイコフスキーがパリでまだ新しい楽器だったチェレスタを見つけたこと、「新作のバレエで使いたい」のでロシアまで運んで欲しいと出版社に手紙を送ったこと、「ただしリムスキー=コルサコフやグラズノフには絶対知られないように」と念を押したことなどを述べ、「くるみ割り人形」の初演でチェレスタの音が大好評だったことを語った。
「オーケストラ団員になりたい」という夢を持つピアニスト、佐竹裕介。普通はピアニストというと個性勝負になるが、オーケストラの一楽器となったチェレスタを演奏する。
神秘的な雰囲気が良く出ていた。

最後はお馴染みの“花のワルツ”。この曲はいすゞジェミニのCMで知ったはずである。チャーミングであるが、案外、ガッシリとした聴き応えのある演奏であった。

 

最後に告知。2025年度最後となる「オーケストラ・ディスカバリー」が来年の3月29日に沖澤の指揮で行われること、また2026年度は2回の公演になること(理由はよく分からないが、プロコフィエフの交響曲チクルスがあるからではないかと思われる)、クリスマスシーズンというと、「くるみ割り人形」や(フンパーディンクの歌劇)「ヘンゼルとグレーテル」が上演されたりするが、「日本の年末と言えば第九ですよね」「と言いながらもうチケット完売なんですが」「来年、再来年と機会があるので」と話していた。

 

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2025年12月20日 (土)

京都市交響楽団・京都コンサートホール・ロームシアター京都「会員限定トークイベント 沖澤のどか×tupera tupera 『芸術との出会いと今、そして京都でのこれから』」

2025年12月19日 ロームシアター京都ノースホールにて

午後7時から、ロームシアター京都ノースホールで、「会員限定トークイベント 沖澤のどか×tupera tupera 『芸術との出会いと今、そして京都でのこれから』」を聴く。

京都市交響楽団の常任指揮者である沖澤のどか、そして京都を拠点に絵本やポスターなどの絵画制作を行っている夫婦二人組、tupera tuperaを招いて行われるトークショー。女性の方が司会を務めたが、残念ながらお名前は頭に残らず。

ロームシアター京都は来年、開場10年を迎えるが、それを祝した2026年1月10日と11日に行われる「プレイ!シアター」のポスターもtupera tuperaが手掛けているという。「なるべく色々な人を描いたということだが、沖澤は「自意識過剰かも知れませんが私もいるような」と発言。実際、沖澤をモデルにした人が描かれている。ただ遠目なので「指揮者」としか分からないかも知れない。髪が長いので、「ひょっとしたら女性かも」と思うかも知れないが、男性指揮者も髪が長い人は多い。なぜ男性指揮者も髪を長くするかだが、松尾葉子が学生時代の山田和樹に、「指揮者は大きく見えなければいけないと」言い、山田をそれを汲んで学生時代はパーマを掛けていたという話があるため、そうしたことと関係しているのかも知れない。

 

沖澤のどかは、次の日曜日にロームシアター京都メインホールで、「京都市交響楽団 オーケストラ・ディスカバリー」を指揮するが、これがロームシアター京都でのデビューとなるそうである。
青森県生まれ。東京芸術大学および同大大学院修了。コンクール歴などは語られなかったのでここでも記さない。ベルリン在住。二児の母である。

tupera tupera(ツペラ ツペラ)は、京都に拠点を置く美術ユニット。メンバーは、亀山達矢(三重県伊勢市出身。武蔵野美術大学油絵学科版画専攻卒)と中川敦子(京都府出身。多摩美術大学染織デザイン科卒)の二人。10年ほど東京で活動していたが、「今の時代、東京じゃなくても仕事出来るよね」。ということで移住を決意。中川が京都府出身、亀山も伊勢市出身で京都には馴染みがあるということで、京都市に転居。子どもが二人いたが、「秒の速さで京都弁を覚えた」そうである。亀山は、「京都に来てから東京に行く楽しみが増えた」と語る。今も関西在住の友達より、東京にいる友達の方が多いが、離れている分、会える喜びが増すようだ。

亀山は、小学校1年生の時に出した絵が伊勢市で1等を取ったのだが、実は失敗作だったらしい。だが、賞を取ったことで親から絵画教室に通うように言われ、嫌々通っていたそうだが、高校に進み、進路を考えた時に過去を振り返って、「やっぱり美大がいいんじゃないか」という結論に至り、今に至るまで美術の仕事をしているという。

 

沖澤のどかは、田舎で育ったので、虫取りをしたりツララにかじり付いたり、「ワイルドな」子ども時代を送ったそうである。チェロを習っている姉がおり、沖澤も小学校3年生の時からチェロを習い、小学校5年生からジュニアオーケストラに入ったそうである。ただチェロの練習は苦手で、独習は集中力が続かなかった。ジュニアオーケストラに入ってからも、「弾く真似をしてたら隣で上手い子が良い音で弾いてくれる」というので弾いている真似ばかりしていたそうだ。技術は当然ながら上達しなかったが、オーケストラは好きになったそうである。沖澤は子供用のチェロを弾いていたため、「音大目指すならお姉ちゃんと同じ立派なチェロを買ってあげるよ」と言われたが、当時は音大に行くほど音楽が好きになるとは思っていなかったため、良いチェロを手に入れる機会を逃したそうである。
高校ではオーボエに励んだが、オーボエは学校からの貸与。「自分のオーボエが欲しい」と思ったが、オーボエは高価。そこで、「指揮棒だったら手に入る!」というので指揮者になる決意をしたそうだ。「持たない人もいますけどね」と沖澤は続けていた。ヘルベルト・ブロムシュテットや尾高忠明は若い頃は指揮棒を使って指揮していたが、今は専らノンタクトである。小澤征爾も晩年はノンタクトが増えた。ピエール・ブーレーズのように指揮棒の存在を否定する人もおり、ブーレーズの影響を受けたフランスの指揮者にはノンタクトで振る人も多い。

外国で、tupera tuperaが京都在住と知れると、あちらこちらから、「京都なの? 京都の良いところ教えて?」と質問攻めにあうそうだが、みんな京都という街の存在は知っているようである。沖澤も京都でオーケストラのシェフをやっていると自己紹介すると、「京都の良いところ教えてよ」とやはり同じような結果になるようである。

沖澤も京都市交響楽団から常任指揮者の話を貰った時は、「わーい、京都に行ける」と無邪気に喜んだそうだ。「修学旅行以来」。ただ、常任指揮者の仕事は忙しく、まだ嵐山のモンキーパークと京都水族館、大徳寺にしか行けていないそうで、京都マスターにはほど遠い。大徳寺も塔頭巡りなどではなく、そばにある和菓子の店に娘と入っただけのようだ。京都市交響楽団を指揮する時は、一家で京都の民泊を行うそうで、近所での買い物ぐらいは出来ているようである。ちなみにようやく巡ってきたシェフの座なので、「受けない」という選択肢は、はなからなかったそうである。
なお、自炊はするが料理は得意ではないそうである。「料理が得意な指揮者も多いんですけれど」と沖澤は語っていたが、チョン・ミョンフンのように料理本を出している人もいる。
指揮者の常として、次回振る曲が頭の中で鳴っていたり、雑音が気になったりするそうだ。ベルリンは「大きな田舎」のような街で、快適に過ごせているそうだが、学生時代を過ごした東京は雑音だらけで、ずっと鬱々としていたらしい。最初は芸大から遠い、おそらく家賃の安いところで暮らしていたが、雑音に耐えきれず、大学のそばに引っ越したという(東京芸術大学は、東京の中でも駅前以外は閑静な上野にある)。京都は雑音がしないので快適だが、それでも街中は避け、出雲路の練習場の近くに民泊し、自転車で通っているそうだ。
ちなみに京都市交響楽団のコンサートマスターである泉原隆志も自転車通勤なので、京響は大都市にありながら常任指揮者とコンサートマスターが自転車通勤という風変わりなオーケストラということになる。
沖澤は、自宅にテレビもラジオもCDプレーヤーもないそうだ。昔、シャルル・デュトワは「好きなCD」について聞かれ、「私はCDなどというものは聴いたことがありません」と答え、質問者は「冗談なのかふざけているのか」と思ったそうだが、この調子だと実際にCDを聴いたことがない音楽家は結構いそうである。パーヴォ・ヤルヴィのように「朝比奈隆のブルックナーのCDは全部持っている」というCDマニアもいるが、自分の頭の中にある音を優先させる人もいそうである。

沖澤は、京都での音楽の展望について、「私はいかないんですけれど京都市交響楽団の方が」京都府内のあちこちでミニコンサートを行う計画があるということを話す。今年は沖澤は振らなかったが、京都市内各所の文化会館でまた指揮する予定もあるようだ。
展望とは余り関係がないが、沖澤が新しい「常任指揮者発表記者会見」に臨んだとき、ニコニコ生放送による中継が行われたのだが、後でニコ生のコメントをチェックしたところ、「十二単似合いそう」というコメントがあって嬉しかったそうである。司会者の方が、「着物を着て指揮したことのある方っていらっしゃるんでしょうか?」と聞き、沖澤は「ないです。演奏する方はいらっしゃいますけど」と答えていた。わざわざ着物を着てオーケストラを指揮するというのは絵面としても滑稽であり、単騎西洋文明に挑むドン・キホーテのようでもある。「意味がない」の一言でも済ますことが出来る。

海外での話としては、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の本拠地であるベルリン・フィルハーモニーはティンパニなどのすぐ後ろが客席となっていて、足で音楽を感じられるだとか、先日、ボストン交響楽団に客演した際には、女性チェロ奏者が演奏中に「So Wonderful Sound!」と叫んでいたという話をしていた。「本人は自分が声を出したと気付いてないと思うんですけど」ということで無意識に言葉が出たのだろうとのことだった。

 

亀山は、絵本だけが売り上げが右肩上がりで、他の書籍は電子書籍に食われていると語る。
絵本はめくる行為が重要な意味を持っており、紙の書籍でないとそれは出来ないため、絵本だけが電子書籍に勝っている要因なのではないかと分析していた。

 

中川は、AIの台頭に危機感を覚えていた。今年に入ってから、YouTubeなどで、「実在なのかAIなのか分からない」レベルの人物が溢れるようになってきている。音声読み上げソフトのレベルがまだ低めで、いかにも「文章をコンピューターで読み上げました」といったセリフ回ししか出来ていないため、音声なら見分けは付くし、シナリオも誰でも思いつくような低レベルのものが多いが、こうした中途半端な出来であっても満足してしまう人はいるだろうし、そうした人は嘘も拡散してしまう。見分けのつく人は拡散しないので、ネット上は嘘が上位になってしまう。そしてこの程度のクオリティでも娯楽として商品化したり消費したり出来るのも問題である。

生身の人間が演じる演劇には影響は余りないだろうが(劇場に来ずにYouTubeばかり見ている人が増えるという間接的な影響はあるかも知れないが)、映画やドラマなどは、主役級や重要な脇役陣は流石に俳優に任せるが、端役などはAIが務める時代が来てもおかしくない。AI俳優は危険なアクションに挑んでも怪我をしない。

ただ生身の俳優に出来てAI俳優に絶対に出来ないことが一つだけある。アドリブだ。AIはコンピューターが規定した予定調和の言葉しか喋れないし動けない。アドリブなど即興性の高い演技を行えるのは人間の俳優だけだ。
このところ、アドリブや即興を重視した演技について語る俳優が増えており、彼らはアドリブが巧みだ。決まり切ったことを決まり切ったように行うのがAIの得意技。NGも出さないだろう。だがそこに本当の面白さはないのではないだろうか。
即興の巧みさが演技のバロメーターになる日が来るような気がする。いや、もう来ているのかも知れない。

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2025年12月12日 (金)

観劇感想精選(504) 音楽劇「エノケン」

2025年11月2日 大阪城公園内のCOOL JAPAN OSAKA WWホールにて観劇

午後5時から、大阪城公園内の、COOL JAPAN PARK OSAKA WWホールで、音楽劇「エノケン」を観る。ホリプロの制作。喜劇王エノケンこと榎本健一と彼の家族や仲間達を描いた作品。COOL JAPAN PARK OSAKAは、2019年にオープンした劇場だが、これまで何故か縁がなく、初めての来場である。

まだ軽演劇が盛んな時代の東京が舞台だが、現在の東京の軽演劇はもう何年も虫の息状態。一方、大阪は吉本新喜劇が今も人気であり、日本で最も成功した軽演劇の劇団となって、大阪を軽演劇の中心地とした功績は大きい。一方、松竹新喜劇などライバル劇団は苦戦しており、吉本の一強が続く。

COOL JAPAN PARK OSAKAという劇場自体が、大阪の民放各社と吉本興業によって建てられている。大阪だけの特殊な状況だが、各民放と吉本興業が共同で番組制作を行っており、吉本の権限が非常に強い現状の象徴となっている。3つあるホールの名付け親も明石家さんまだ。
一方、吉本自体は必ずしも堅調とは言えず、大阪で売れた芸人が東京吉本に進出するという状況は相変わらず続いていて、かまいたちや千鳥など、大阪時代に面白さに定評にあった芸人が東京に移って全国区になるというパターンがすでに成立しているものの、ミルクボーイや霜降り明星など個別に面白いコンビはいるが、次の世代の人達が順調に育っているとは言えず、劇場面でもよしもと祇園花月は撤退。吉本は京都における拠点を失っている。
ダウンタウンという看板もこれからは出演は無理そうであり、危機的な状況である。
吉本は京橋花月があった時代に芝居路線を打ち出したが、京橋花月閉鎖と同時に撤退。COOL JAPAN PARK OSAKAはその路線に戻るための布石だったと思われ、現在も吉本系の演劇が行われている。

この音楽劇「エノケン」も又吉直樹が戯曲を手掛けるなど吉本の色が入っている。作:又吉直樹、演出:シライケイタ。音楽:和田俊輔。主演:市村正親。出演:松雪泰子、本田響矢、小松利昌、斉藤淳、三上一朗、豊原功補。

松雪泰子は、エノケンの妻・よしゑと、銀座の女郎・花島喜世子(アイコの源氏名で呼ばれる)の一人二役。途中で、「一人二役って大変なんだから」と登場人物ではなく松雪泰子のセリフを言う場面があるが、台本に書いてあったのか、稽古中にアドリブで言ったのが採用されたかのどちらかであろう。

まず、エノケン(市村正親)が脱疽を患い、義足になった場面から始まる。エノケンは息子の鍈一(本田響矢)に支えられながら退場。
その後、市村正親は、若かった頃のエノケンとして客席下手入り口から登場。通路を歩いて舞台に上がる。名曲「青空(私の青空)」、NHK連続テレビ小説「虎に翼」で、ヒロインの寅子(伊藤沙莉)が披露宴で歌い、「あの曲なに?」「披露宴で唄う歌じゃない」と話題になった(この時点での寅子の鈍さが表れている象徴的な場面でもある)「モン・パパ」、「東京節」「洒落男」などが歌われる。市村も高齢だが、本業がミュージカル俳優。本業が喜劇俳優で歌は余技の榎本健一よりも歌唱力ははるかに高い。それにしても「モン・パパ」が入るようになったのは感慨深い。「虎に翼」で話題になったということもあるが、恐妻家を唄った歌は、これまで男性からも女性からも好まれなかった。「モン・パパ」はタイトルからも分かるとおりシャンソンで、様々な日本語訳があり、今はYouTubeで聴くことが出来るようになっている。何種類もの訳詞と歌唱があるということは、大ヒットしたということだが、その後忘れられ、久しぶりに日の目を見た曲ということでもある。なお、「寅に翼」で歌われたのは、榎本健一&二村定一によるバーションである。

よしゑと喜世子の二役を行った松雪泰子。着物の早替えと声や仕草の変化で演じ分ける訳だが、喜劇役者の妻であるよしゑよりも、女郎とはいえ高級な店でハイクラスな人々の相手をしている喜世子の方が言葉遣いも身のこなしも可憐。身分的にはよしゑの方が上のはずなのだが、こうした逆転現象は、演技=演劇の妙味である。
松雪泰子出演の舞台はそれほど多く観てはいないのだが、彼女は空間に嵌まるタイプであるため、ヒット率はかなり高そうである。

豊原功補は、今回は、劇作家の菊谷榮(きくや・さかえ)を演じている。最初の場面で菊谷の声にエコーが掛かっていたため、彼が今はこの世にいないことが分かる。
その後、時代が遡り、菊谷が元々は舞台美術をしていたが、脚本に回ったことなどが語られる。三谷幸喜の「笑の大学」にも、菊谷をモデルとした人が出てくるが、軽演劇の本は演劇のそれとは異なる要素が求められる。お客さんは笑いに来ているので、哲学的な命題で入ったり、斬新な設定にしても付いてこられない。菊谷もそんなものを書くつもりはなかったが、自分にしか書けない作品を望んでいた。しかし召集令状が来る。戦地で菊谷は自身の最高傑作を書き上げるのだが、程なく戦死する。検閲制度があったため、戯曲にも目を通され、「自分にしか書けない」戯曲などは当局によって危険と判断され、破棄された可能性が高い。
そうではあっても、菊谷は幽霊となってエノケンを励ます。

菊谷よりも有名なのが菊田一夫(小松利昌)。「君の名は」が最も有名だが、小学校中退であり、仕事がないので公衆便所の掃除の仕事に申し込んだところ、「学歴がない」という理由で落とされ、「なにを!」と奮起して学歴の関係ない演劇界で生きている。

古川緑波(斉藤淳)は、早稲田大学中退であり、他の演劇人に比べるとインテリで、最初の売り込みのときから自身のことを「千両役者」と呼んでいたようである。その後、エノケン・緑波は浅草の二大看板となったが、次第にアイデアの枯渇に悩むようになっていく。その後、映画に端役で出たり、地方公演など、プライドをかなぐり捨てての活動を行うが、尊大な態度が周囲の人の癪に障ったようで、57歳にして寂しく世を去っている。

エノケンも脱疽の病気が進み、右足の膝から下を切断。その後、訓練によって軽快な動きを取り戻すが、更に脱疽は進んで太ももの切断まで行う。エノケンは心の面においては弱い人のようで、何度も自殺しようとするが、未遂に終わる。その後の復帰も周囲の人々に支えられてだった。古川緑波の凋落はこの芝居の中では描かれないが、好対照な生き方であるといえる。

実は、私が小学校の頃、道徳の教科書に載っていたのが、脱疽の病を得た後の榎本健一の姿だった。記憶が曖昧だが、今日観た芝居に描かれたエノケンとは違い、毅然とした英雄的な態度だったように思う。教科書の編纂者は、障害を得ても強く生きる偉人として榎本健一を選んだはずである。だが、実際の榎本健一は今日の芝居の方が近いはずである。

小説家や脚本家が戯曲を書くとかなりの確率で失敗する。戯曲は場面が限られるので、その中で何をどう配置するか決める必要があるが、小説も脚本も舞台は無限であり、ずっと自由である。
又吉直樹の戯曲も、場面や時代が飛ぶことが多く、映像的ではあったが、彼自身が舞台人ということもあり、過度にセリフを語らせることはなかった。またメタ的なセリフだが、「セリフは短い方が良い」と俳優に語らせていた。

シライケイタの演出は、中仕切り幕の多用が印象的。緞帳はないので、中仕切り幕で場面転換などを行う。歌舞伎的な手法だが、蜷川幸雄に影響を受けた人なので頷ける。客席の通路を多用した演出であり、市村正親や松雪泰子を間近で見ることが出来た。やはり松雪泰子は顔が小さい。

榎本の障害に相当するものが市村にとっては年齢だと思われる。昔のように唄えなくなるし、踊れなくなる。エノケンは65歳で他界したが、市村は76歳にして現役。市村は今日は年齢から来る衰えを克服したように思う。

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