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2019年12月10日 (火)

観劇感想精選(327) 南座新開場一周年記念「當る子歳 吉例顔見世興行 東西合同大歌舞伎」夜の部

2019年12月5日 京都四條南座にて観劇

午後4時45分から、京都四條南座で、南座新開場一周年記念「當る子歳 吉例顔見世興行 東西合同大歌舞伎」夜の部を観る。演目は、近松門左衛門作「堀川波の鼓」、河竹黙阿弥作「釣女」、河竹黙阿弥作「魚屋宗五郎」(「新皿屋敷月雨暈」より)、「越後獅子」

「堀川波の鼓」と「魚屋宗五郎」は共に「酒乱」が鍵となっている作品であり、それを縦糸としたラインナップなのだと思われる。大人気といえる演目が存在しないため、今日は空席も比較的目に付いた。

 

「堀川波の鼓」。堀川というのは京都の堀川のことであるが、今回の上演は通し狂言ではないので、堀川の場は出てこない。鼓の師匠である宮地源右衛門(中村梅玉)が京都の堀川下立売に住んでいるという設定である。
因幡鳥取藩で実際に会った不義密通事件を題材にした世話物である。
鳥取藩士の小倉彦九郎(片岡仁左衛門)が参勤交代で江戸に出向いている時の話から始まる。彦九郎の妻お種(中村時蔵)は、江戸詰である夫が恋しくてたまらない。彦九郎が江戸詰の時は、お種は実家に帰っているのだが、そこでも妹のお藤(中村壱太郎)に夫に会えない寂しさを語って聞かせている。お種は、実弟の文六(片岡千之助)を連れ養子としているのだが、文六は、京都の鼓師である宮地源右衛門に鼓を習っている。稽古が終わり、お種と宮地は初対面の挨拶をするのだが、酒が入ることになり、お種は酒好きなのでつい盃が進んでしまう。お藤と文六は帰宅し、源右衛門が場を外している時に、お種に懸想している磯辺床右衛門(中村亀鶴)がやって来て関係を迫る。床右衛門は隣から謡の声が聞こえたのに驚いて帰って行くが、源右衛門に話を聞かれたと思ったお種は源右衛門に口外しないよう誓わせようとする。だが酒で酩酊していたお種は、つい源右衛門と道ならぬ関係になってしまう。その後、引き返してきた床右衛門は、お種と源右衛門のそれぞれの袖を引き剥がすことに成功し、これをネタにゆすりを掛けようとする。5月半ばに彦九郎は帰国するが、藩内にお種が不義密通をしたという噂が流れており、お藤は彦九郎とお種を離縁させようとすると計るも失敗し、結局、彦九郎は泣く泣くお種を手に掛けることになる。
酒の勢いでついという話であるが、当時は不義密通は死罪相当であり、酒のせいでは済まされなかったのである。というわけで誰のせいにも何のせいにも出来ないやるせなさが残る。

彦九郎役の仁左衛門(松嶋屋)は、実は登場している時間はそれほど長くないのだが、貫禄と悲しみを併せ持った彦九郎を浮かび上がらせている。お種を演じた時蔵(萬屋)も酒に溺れてしまった不甲斐なさを適切に表現している。お藤を演じた壱太郎(かずたろう。成駒屋)の可憐さも光る。
この演目では音楽が実に効果的である。南座は新しくなって音の通りが良くなっただけに、一層、音楽の良さが引き立つ。

 

「釣女」。狂言の「釣女」を常磐津で演じる。
妻を娶りたいと思っている大名(いわゆる何万石という所領を持っている大名ではなく、地方の有力者程度の意味である。演じるのは中村隼人)が、縁結びの神として知られている西宮戎(西宮神社)に参詣することを思い立ち、太郎冠者(片岡愛之助)と共に出掛ける。西宮の戎は社伝そのままに夷三郎と呼ばれている。狂言では演者が最初から舞台の前の方に立つことはないのだが、大名のような身分の高い人はそれを表すために他の人よりも前寄りに立つ。

参詣した大名は、美しい女性と出会えるよう、夜通しの籠祈願を行うことにするのだが、太郎冠者に寝ずの番をさせて自分はさっさと寝てしまう。あきれた太郎冠者は何度も大名の眠りを妨げようとする。そうするうちに大名が夢を見る。神社の西の門に運命の人が現れるというのである。西の門に駆け付けた大名と太郎冠者であるが、そこに釣り竿が落ちているのを見掛ける。「女を釣り上げろ」ということかと合点した大名が釣り糸を垂れ、何度か引いている内に、見目麗しい上臈(中村莟玉)が釣り上がる。早速に三三九度を取り交わし、太郎冠者が「高砂」を真似た祝いの舞を演じると、大名と上臈も喜びの舞を始める。

今度は、太郎冠者が釣り針を垂れる。やはり女(中村鴈治郎)が釣り上がるのだが、これがとんでもない醜女であり、太郎冠者は嫌がる。だが、女は太郎冠者にぞっこんで、大名も神が決めた相手なので拒むことは出来ないと言い……。

愛之助(松嶋屋)の軽やかな舞が一番の見所である。隼人(萬屋)は、台詞回しが板に付いていなかったが、若いということだろう。
中村莟玉(かんぎょく。梅丸改。高砂屋)は、襲名披露ということで「おめでとうございます」と言われるシーンがあった。素顔が男前ということで、女形としてもやはり美しく華やかである。

 

「魚屋宗五郎」。私が初めて歌舞伎というものを観たのは、1996年の12月、東京の歌舞伎座に於いてであるが、3つあった演目のうちの最後が「魚屋宗五郎」であり、十二代目市川團十郎が宗五郎を演じていた。「魚屋宗五郎」を観るのは、それ以来、23年ぶりである。ちなみに「堀川波の鼓」で小倉彦九郎を演じた片岡仁左衛門も、1996年以来、23年ぶりの彦九郎役だそうで、偶然ではあるが繋がっている。

「新皿屋敷月雨暈(しんさらやしきつきのあまがさ)」の第2幕と第3幕を上演するもので、この二幕だけを演じる場合は、「魚屋宗五郎」という題になる。
妹のお蔦を手討ちにされた魚屋の宗五郎(中村芝翫)が、金比羅様に誓って絶っていた酒を飲んでしまったことから巻き起こる大騒動である。
実はお蔦は無実で、横恋慕していた岩上典蔵(中村橋吾)の策謀によって不義密通を仕立て上げられたのであった。

宗五郎が酒をがぶ飲みする場面では、三味線がコミカルな感じを上手く出している。

中村芝翫(成駒屋)の演技は、名人芸の域に達しつつある。歌舞伎界のトップに君臨するようなタイプの人ではないが、演技力に関しては言うことなしである。
一方、名前を継いだ長男の橋之助(四代目)は、狂言回しの役割も担う三吉という重要な役で出ていたが、明らかに「浮いている」と思うほどに下手である。同年代の隼人も上手くはないし、まだ若いということなのだろう。十代目松本幸四郎(七代目市川染五郎)などは、若い時から演技の質は高かったが、昨年の11月の顔見世などを見ると伸び悩みが感じられ、早くから完成されているが伸びないタイプと、最初は拙いがどんどん成長するタイプの二つが存在する――というよりどちらかでないと俳優としては致命的である――と思われる。五十代六十代という歌舞伎役者として大成する時期にどちらが上に来るのか見守ることも面白いように思う。

 

中村隼人、中村橋之助、片岡千之助、中村莟玉という若手歌舞伎俳優4人による舞踊「越後獅子」。江戸・日本橋駿河町(現在の東京都中央区日本橋室町)の三井越後屋前が舞台である。背景には堀と蔵屋敷が並び、正面遠方奥に掛かるのが日本橋ということになるのだと思われる(地理的には異なるはずだが芝居の嘘である)。
一つ歯の高下駄で舞うなど、「俺だったら一発で捻挫する自信がある」と思える高度な舞を全員が器用にこなす。流石は歌舞伎俳優である。
4人の中では、莟玉が小柄だが動きに一番キレがある。元々日本舞踊の世界から梨園に入ったということも大きいのであろう。

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2019年12月 6日 (金)

2346月日(19) 「カルチャートーク Creator@Kamogawa」 第1部「場所の記憶」&第2部「ラ・長い息」 2019.11.30

2019年11月30日 荒神橋のゲーテ・インスティトゥート・ヴィラ鴨川にて

ゲーテ・インスティトゥート・ヴィラ鴨川で午後3時から「カルチャートーク Creator@Kamogawa」を聴くことする。
始まる前にゲーテ・インスティトゥート・ヴィラ鴨川内にあるカフェ・ミュラーで食事。本格的な食事は2種類だけで、鳥料理のものを選ぶ。

 

ゲーテ・インスティトゥート・ヴィラ鴨川での「カルチャートーク Creator@Kamogawa」は1階のホール(ザール)での開催。ドイツの建築家・美術家であるミヒャエル・ヒルシュビヒラーと宗教人類学者の植島啓司の対談による第1部「場所の記憶」と、ドイツの美術家であるレニ・ホフマンと美術家の今井祝雄(いまい・のりお)との対談である第2部「ラ・長い息」の二本立てである。いずれも司会進行役は小崎哲哉が務める。イヤホン付きの機械を使うことで日独同時通訳音声を聞くことが出来る。

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第1部「場所の記憶」。ミヒャエル・ヒルシュビヒラーは、1983年生まれ。哲学と建築をベルリンとチューリッヒで学び、現在はミュンヘンとチューリッヒを拠点に美術と建築の境界領域で活動。パプアニューギニアでの調査や教育活動も行っている。

ヒルシュビヒラーは、「ナラティブな考古学」と称した調査探索をパプアニューギニアで行っており、パプアニューギニアに伝わる怪談話や口語伝承を現地の人から聞き取っているそうである。
また、アゼルバイジャンの首都バクーの油田では、石油を使って絵を描き、組み上げポンプの音を録音して音楽を作るという試みも行っている。実は、石油を使って絵を描いている時に、立ち入り禁止のところに入ってしまって逮捕されたこともあるそうだ。
石油で描いた絵をギャラリー内に再現するということも行っているそうだが、これらをアゼルバイジャンの外に持ち出すのは許可がいり、下りていないため、ヨーロッパでの再現はまだ果たされていないそうである。おそらくバクー市内のギャラリーでの再現に留まっているのだろう。

一方の植島啓司は、1947年東京生まれ。東京大学と同大学院博士課程修了。ニューヨーク・ニュースクール・フォー・ソーシャルリサーチ客員教授、関西大学教授などを歴任し、現在は京都造形芸術大学空間演出デザイン学科教授を務めている。熊野の民俗学や聖地の研究などを行っている。

植島は「聖地は自然発生的に出来るもので、個人が聖地を作り出すことは出来ない」と主張しており、全く反対の考え方をしている荒川修作と共に聖地調査を行ったこともあるそうだ。
植島は、世界的な聖地としてアルメニアに注目しているという。アルメニアのアララト山は、エデンの園のモデルとなったところだそうで、またアルメニア国内にはノアの箱舟伝説の最初期の形態が残っているという。
熊野に伝わる小栗判官の話などもする。地獄に落とされた小栗判官が蘇るという物語だが、このように非業の死を遂げた人を神様として祀るという習慣が日本にはある。京都での例として北野天満宮が挙げられていたが、京都にはそれ以外にも上御霊神社、下御霊神社、白峯神宮、崇道神社など、怨霊を神様として味方にするという風習がある。これは世界的に見ても珍しい習慣であることは間違いない。小崎によると、他の国では地獄に落ちた人が罰せられるという救いのない話になることが多いそうだ。ヒルシュビヒラーによると、パプアニューギニアにもそんな話はないそうである。パプアニューギニアに伝わるナラティブには、例えば、母親が留守の時に父親が息子を殺してバラバラにし、庭に撒くと草木や花が生えてきて、戻ってきた母親がそれを見て喜ぶという、論理も倫理道徳もない不思議な話が多いそうである。

ヒルシュビヒラーも、「個人で聖地を作ることは出来ない」という植島の意見には賛成するが、「聖地から影響を受けて新たなものを作り出すことは可能」という考えを持っているそうだ。京都に来て、様々な妖怪の話や怪談を集めて回っているが、文学からのアプローチでは、まず日本の古典を読むことを始めたそうで、上田秋成の『雨月物語』を読むことにした。それもドイツ語訳されたものではなく、日本語の文章をGoogle翻訳機にかけたもので読もうとしたそうだが、翻訳機能がまだ正確ではないので、わけのわからないものになったそうだ。ただその滅茶苦茶さが面白いという。これはパプアニューギニアで採取した物語のわけのわからなさにも繋がっているのだろう。
京都について、ヒルシュビヒラーは、「古いものと新しいものがこれほど渾然一体となっている都市は世界中を探しても存在しない」ということで、京都という場所の歴史的重層性を芸術作品にしようと、妖怪が描かれた絵巻物を、幽霊が出るという噂のあるトンネルの中に置き、一晩寝かせた状態のものを作品とするという試みなどを紹介する。トンネルというのは近年になってから出来たもので、絵巻物の上にはタイヤの跡などがついているが、自動車も古くからあったものではない。時代の異なるものが合わさったものを重層性のある芸術作品として捉えるというあり方である。

植島は曼荼羅が土地の代わりになるという日本の考え方を紹介する。これもある意味、土地が芸術作品を生み出す例と見ることも出来る。また記号の中に物語が展開される例があるとして、中央オーストラリアのワルビリ族のイコノグラフィーを紹介する。不思議な絵のようなものが並んでいるが、全てに意味があるそうで、見て感じる物語のようなものとなっているようである。また、蛇の物語が最初に置かれているのだが、この蛇の物語は世界中の至る所で見られるそうで、例としてメソポタミアの英雄マルドゥクと大地の精霊ティアマトの絵が資料に印刷されていたが、考えてみればエデンの園の物語で悪役となっているのは蛇であり、日本でも箸墓伝説など蛇が重要な役割を果たすものは枚挙にいとまがない。

あるいは、聖なる意識というものは人類の奥底で繋がっていて、それが特別な場所や手段を経て、人類の意識上において再結合するものなのかも知れない。

 

第2部「ラ・長い息」。タイトルは、レニ・ホフマンが決めたそうだが、ドイツ語で「LA LANGER」という語感で決めたそうである。レニ・ホフマンは、自らを「アナーキスト」と語っており、前衛芸術を生み出す人であるようだ。

レニ・ホフマンは、1962年生まれ。デュッセルドルフとカールスルーエを拠点に、サイトスペシフィック(場所に帰属する芸術)な創作活動を行っているそうである。2002年よりカールスルーエ芸術アカデミーの教授を務めている。レニ・ホフマンの芸術を捉えるには「パンク」や「遊び」が重要なワードとなるようだ。

対談相手の今井祝雄は、1946年生まれ。1965年に吉原治良が率いる具体美術協会の最年少会員となる。その後、大津市にある成安造形大学教授を経て現在は同大学の名誉教授の称号を得ている。
具体美術協会では、展覧会に出展する作品などは全て吉原治良が選定していたそうだが、評価に関しては「ええで」か「あかん」の二つだけだったそうで、「ええで」と言われた時はいいが、「あかん」と言われたときは理由がわからず、悶々とすることもあったという。自分が教育者や選定者として活動する立場となった時は、流石に「ええで」と「あかん」の二つで決めるというわけにはいかず、駄目なときでもその理由を説明するようにはしているそうである。
吉原には、「これまでにないものを作れ」と何度も言われたそうで、それが作家としての指針となってきたようだ。ただ小崎によると現代芸術は新しいものを求める一方で、その根拠や歴史的な文脈を求めるところがあるそうで、真逆のことをやらねばならない難しさがあるようである。

レニ・ホフマンは、サイトスペシフィックとはいうが、デジタルな思考として「昨日」「今日」「明日」が一度に見えるような作品を指向するなど、重層性ということに関してはヒルシュビヒラーと繋がる部分があるように感じられる。
レニ・ホフマンの芸術観は、日本の観念だと「無常」と相性が良く、その日、その場所、その人でなければ味わえないアートを理想としているようである。第2部開始前に聴衆全員に粘土をこねたボールが配られたが、粘土は誰でも手軽に形を変えることの出来る芸術という意味があるようだった。私も色々と押しつぶして形を変えてみた。結局のところありきたりの形にしかならなかったわけだが。他の人も色々と試していたが、飛び抜けて創造的な作品を作ることは難しいようだった。

ある意味、「個」としての体験を重要な芸術感覚と捉えているようで、第2部終了後、ゲーテ・インスティトゥート・ヴィラ鴨川の裏庭に設けられたレニの作品を皆で鑑賞したのだが、様々な角度を向いたミラーに人々が映り込むことで、1回きりの芸術体験が出来るようなものであった。1回きりではあるがそれは瞬間瞬間においてはということで、形を変え続ける作品をずっと見続けることは出来る。ただ、写真とは相性は悪く、私もスマホで何枚か撮影したが、「写真には写らない美しさがある」作品だと確認した。

レニは芸術の幅を広げることを重要視してるようだが、今井によるとメンターの問題として美術系芸術系大学が増えて、売り出し方までも教えるようになった結果、アカデミズムから抜け出ることが難しくなっているという。
都市芸術にも話は及ぶ。都市芸術というと、私などは名古屋市立美術館で観たハイレッド・センター(高松次郎、赤瀬川源平、中西夏彦による前衛芸術グループ。東京の路上で過激なパフォーマンスを行うことで都市における芸術を提唱した)を思い浮かべるが、今井も御堂筋の3階建てのビルの最上階のネオンを使った都市芸術作品を作ったことがあるそうである。レニも都市は市民にとって重要な表現の場という考えを抱いているようであった。

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2019年11月23日 (土)

2346月日(18) 兵庫県立美術館 日本・ポーランド国交樹立100周年記念「ショパン―200年の肖像」

2019年11月9日 兵庫県立美術館ギャラリー棟3階にて

神戸へ。岩屋の兵庫県立美術館ギャラリー棟3階で日本・ポーランド国交樹立100周年記念「ショパン―200年の肖像」を観る。

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兵庫県立美術館は京都から行くには遠い。以前に1回行ったことがあるのだが、その時は神戸に泊まっての帰りかなにかであり、京都から向かったわけではない。

午後1時過ぎに出て、阪急大阪梅田駅で降り、阪神大阪梅田駅から岩屋に向かうという道筋を採ったのだが、阪神の普通電車に乗ってしまい、思ったよりも進まないということで、尼崎駅で特急に乗り換えて御影駅まで行き、そこから普通で岩谷駅に向かうというルートを辿る。尼崎駅のホームからは、尼崎上の模擬天守が見えた。

 

兵庫県立美術館ギャラリー棟3階の「ショパン―200年の肖像」展入り口に着いたのだが午後4時少し前。1時間で回れるだろうと踏んでいたのだが、想像していたよりも展示品がずっと多く、最後の方は駆け足で見てまわることになった。

まずは、ヴワディスワフ・ヤールが描いた、ショパン作品にインスパイアされた絵画作品(エッチング)が並ぶ。ポロネーズ、前奏曲、ノクターン、バラード、即興曲などが並ぶが、必ずしも楽曲から受けるイメージ通りのものを描いたわけではない。

その後は、ショパンの肖像画が並ぶ。本格的なものからマンガ風のものまであるが、中には本来は抽象的な作風を特徴としていたヘンリク・スタジェフスキが、共産主義的リアリズムを強制されて描かれたショパンの肖像画などもあり、ポーランドが辿った歴史を確認することも出来る。

ショパンの肖像画として有名なものに、ドラクロアが描いたものがあるが、実はドラクロアによる肖像画は元々は「ショパンのジョルジュ・サンド」という二人を描いた作品として発表されたものが、いつの間にか二つに分けられて別々に展示されるようになったものである。今回の展覧会では、ルドヴィク・ヴァヴリンキェーヴィチが復刻した「ショパンとジョルジュ・サンド」が展示されていた。

ローベルト・シュピースがショパンの24の前奏曲全曲のイメージ画連作も展示されている。元々一般的なイメージは避けて描かれたものが多いといわれているそうだが、確かになぜこうなったのかよくわからないものもある。ただ、イメージ通りの絵を描いたとしたらそれはそれで面白くないだろう。絵は音楽の従者ではないのであるから。エウゲニウシュ・ピヘルやズィグムント・パドフスキなども同様の仕事を行っており、それぞれの個性がある。

 

壁一面に、ドゥシュニキ=ズドルイ・ショパン音楽祭や、アントニン「秋色のショパン」国際音楽祭、マリアーンスケー・ラズーニェ・ショパン音楽祭のポスターが並ぶ。ポーランドはポスター芸術も盛んだそうである。フォルマリズム的な、いかにも東側の芸術といった感じのポスターもあるが、少女マンガ風のものがあったり、アンディ・ウォーホルの影響が見られる作品があったり、ルネ・マグリット風の絵があったりとバラエティに富んでおり、また近年のものはポップでお洒落である。
スピーカーからは、ピリオド楽器で弾かれたショパンの曲が流れていた。

日本におけるショパン受容のコーナーもある。日本で最初にショパンの曲を弾いたのは、音楽取調掛(東京音楽学校と東京芸術大学の前身)の学生であった遠山甲子という女性である。また日本人でショパン弾きとして最初に評価されたのが、澤田柳吉(1886-1936)であり、澤田の紹介として、澤田が作・編曲をした「セノオ楽譜 お江戸日本橋」が展示されている。日本人で最初にショパン作品の録音を行ったのも澤田だそうで、SPに「ポロネーズ」作品40-1と「ワルツ」作品64-2を吹き込んでいるという。

 

ショパンが見たであろう、ワルシャワの風景を描いた絵画の展示が続く。描かれたいくつかの建物の中では、ショパンがピアノ演奏を行った記録が残っているそうだ。ショパンもショパン自身の演奏を聴いた人も、確実にこの景色を見ていたということになる。

余り有名ではない、ショパンの父親に関する展示もある。フリデリク(ポーランドの発音により近い表記ではこうなるらしい)・ショパンの父親であるニコラはフランスのロレーヌ地方の生まれなのだが、ニコラが生まれる5年前まで、ロレーヌは独立国だったそうで、しかも大公はポーランド人だったそうである。そのこともあってニコラもポーランド人に仕えており、主のポーランド移住に伴ってニコラもポーランドに移ったようである。ポーランドに移住後は、ニコラはポーランド風のミコワイを名乗るようになる。

続いて、パリでのショパンとその周辺の人々の肖像画並ぶ。ニロラ=ウスタシュ・モランの「著名なピアニスト達」には、ショパンに加えて、フランツ・リストやジーギスムント・タールベルクらが勢揃いした像が描かれている。ショパンの肖像として最も有名なものは、アリ・シェフェールのものだと思われるが、アリ・シェエールの筆によるフランツ・リストの肖像や、画家としてのシェフェールの代表作なども同時に展示されている。

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若き日のショパンを描いたものとして有名なマリア・ヴィジスカのものや、ショパンのデスマスク、ショパンの左手像などを経て、いよいよショパンの自筆譜の展示がある。紙と筆跡を守るため、セパレーションで区切られた暗室の中に、ショパンの自筆の手紙と譜面が展示されている。近づくとケースの灯りがともる仕掛けとなっている。エチュードヘ長調作品10-8と、ポロネーズヘ短調71-3。閉館時間が迫っていたのでじっくりと見ることは出来なかったが、長い時間見たからといって感動が増すわけでもない。とりあえず、「見たぞ」という記憶と瞬間の映像を脳に刻む込む。

最後は、ショパン国際ピアノコンクール関連の展示である。コンクールのポスターが展示され、優勝者であるマウリツォ・ポリーニやクリスティアン・ツィマーマン、入賞者の中村紘子らの写真を確認することが出来る。映像の展示もあるが、残念ながら見ている時間はなかった。

会場を出てすぐの壁にショパンの手紙の翻訳が貼られている。ショパンは日記や手記などを残さなかった人であり、直接残された言葉は手紙に記されたもののみであるようだ。

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2019年11月17日 (日)

観劇感想精選(326) こまつ座&ホリプロ公演「組曲虐殺」2019

2019年11月8日 梅田芸術劇場シアター・ドラマシティにて観劇

午後6時30分から、梅田芸術劇場シアター・ドラマシティで、こまつ座&ホリプロ公演「組曲虐殺」を観る。井上ひさしの劇作家としての遺作の上演。2010年に初演され、2012年に再演。それから久しぶりの再々演となる。演出は初演から引き続き栗山民也が手掛け、音楽&ピアノ演奏も小曽根真が担当する。出演:井上芳雄、高畑淳子、上白石萌音、神野美鈴、山本龍二、土屋佑壱。上白石萌音は石原さとみからのバトンタッチ、土屋佑壱は山崎一から役を引き継いでいるが、それ以外は初演時と同じキャストでの上演である。

「組曲虐殺」は、プロレタリア小説家として最も有名な人物と思われる小林多喜二を主人公とした音楽劇である。リーマンショック後の2010年頃は一大不況が全世界を覆っており、イタリア初とされるプレカリアートという言葉が紹介されるなどプロレタリア文学にも光が当たっていた時期で、「蟹工船」が映画化されたりもしている。

昭和5年(1930)5月下旬から昭和8(1933)年2月下旬までの2年9ヶ月が断続的に描かれる。

まず、小林多喜二が伯父が経営するパン屋で育ったことが紹介される。小林多喜二は小学校を皆勤賞の上、成績も最優秀ということで伯父に見込まれ、住み込みでパン屋を手伝いながら小樽商業学校と小樽高等商業学校(現在の国立大学法人小樽商科大学)を卒業。北海道拓殖銀行(1997年に経営破綻し、山一証券とともにバブル崩壊後不況の象徴となった)に勤務し、銀行員として働く傍ら、「蟹工船」などのプロレタリア小説を発表し、高く評価されたが、そのことが原因で拓銀を追われている。

小林多喜二の伯父が経営するパン屋(小林三ツ星パン)は最初は「小樽で一番のパン屋」と歌われるのだが、その後「北海道一のパン屋」に歌詞が変わり、最後は焼失かとしての小林多喜二の下地を生んだということで「日本で一番のパン屋」と歌われる。この小さいところから徐々に拡大していくセリフはその後も何度か登場する。
パン屋では代用パンが、安いにも関わらず売れない。小樽商業学校時代の小林多喜二(井上芳雄)は、誰かが「代用パンを買う金をくすねている」からだと考える。それが後の巨大資本や官僚批判へと繋がっていく。

多喜二は、酌婦(体を売る接待係)の田口瀧子(上白石萌音)と出会い、引き取ることにするのだが、「奥さんと許嫁の間」という中途半端なポジションであり、多喜二は奥手なので、「キスはしていて抱き合ってもいるが、生まれたままの状態でではない」というこれまた中途半端な付き合い方をしている。結局、瀧子とは籍を入れないままで終わった。

場面は大阪市の大阪府警島之内署の取調室に変わる。多喜二は大阪で講演を行った夜に、日本共産党への資金提供容疑で逮捕されたのだ。黙秘を続けていた多喜二だが、話が瀧子や伯父のことに及ぶやうっかり話し出してしまう。

豊多摩警察署の独房で、多喜二は自らの無力さを嘆くブルースを歌う(「独房からのラヴソング」)。

その後、多喜二は監視役の特高刑事である古橋(山本龍二)と山本(土屋佑壱)が杉並町馬橋の多喜二の借家に下宿するという形での不思議な生活を送る。多喜二の姉である佐藤チマ(高畑淳子)や瀧子も馬橋の家を訪ねてくる。瀧子は山野美容学校などに通い、美容学校の助手となっていたが、収入の問題で辞め、今は給仕をしている。瀧子はパーマネントの技術を身につけたのだが、当時、パーマネントの機械は日本に3台しかないということで、その腕を生かせずにいた。多喜二はそのことを嘆くのだが、これは「独房からのラヴソング」にも呼応している。多喜二は結局は同じ無産者活動家の伊藤ふじ子(神野美鈴)と結婚するのだが、それは瀧子を危険に巻き込みたくなかったからであり、不思議な距離の愛情は終生続くことになる。

酌婦に身を落とすしかなかった瀧子、美術学校に通い舞台美術家などを経て活動家となるふじ子など搾取される側にいる階級の女性が登場するが、憎むべき特高の刑事達も、上の命令に「犬」として従うしかないという苦みを歌い上げており、やはり下層にいる哀れむべき人々として描かれている。そこに井上独特の視点があるように思われる。

日本共産党員であった井上の政治観については、ここで私が書いても余り意味のないことであり、そうした面から語ることの出来る他の多くに人に任せた方が良いように思う。私がこの劇から感じたのは、「書くこと」「イメージすること」の重要性だ。多喜二は「体で書く」重要性を特高の山本に伝える。多くの人は手や頭や体の一部で文章を書くのだが、大切なのは体全体で書くことであり、体全体で書かれたものは、書き手そのものとなって残っていく。
小林多喜二は若くして虐殺されたが、「蟹工船」を始めとする作品は今も読まれ続け、時にはブームも巻き起こす。そのことで私達は小林多喜二その人に触れることも出来る。そして井上ひさしが全身で書いたこの戯曲も、井上が亡くなって間もなく10年が経とうとしている今も上演され、井上本人の肉声に触れるかのような体験を可能としている。

 

ミュージカルトップスターの井上芳雄の歌声が素晴らしいのは勿論だが、瀧子を演じた上白石萌音の歌声も予想を遙かに凌ぐ凄さ。彼女の声凄さは、耳にではなく心に直接染みこんでくることである。稀な歌唱力の持ち主とみていいだろう。ミュージカル映画「舞妓はレディ」の小春役で注目を浴びた上白石萌音。実は「舞妓はレディ」はミュージカル化されて博多座で上演されており、私も観に出掛けたのだが、その際は唯月ふうかが小春を演じている。唯月ふうかも若手ミュージカル女優としてはトップクラスなのだが、そのため却って「ああ、上白石萌音は別格なんだな」と実感することになった。

小曽根真のピアノと音楽も多彩な表情で芝居を彩る。クルト・ワイル風のワルツが登場したりするが、実は井上ひさしが「ロマンス」でクルト・ワイルの音楽に歌詞を付けていたそうで、その影響もあるのかも知れない。

井上ひさし本人が、これが最後の戯曲になるとわかっていたのかどうかは不明である。だが、井上の最後の戯曲らしい仕上がりとなったのも事実である。
これは悲劇であるが、「思いが残っていればいつかきっと」という希望と「不滅と広がりの予感」を歌い上げる祝祭劇でもある。

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2019年11月16日 (土)

美術回廊(44) 大丸ミュージアム京都 「かこさとしの世界」展

2019年11月11日 大丸京都店6階大丸ミュージアム京都にて

大丸京都店6階の大丸ミュージアム京都で、「かこさとしの世界」展を観る。
昨年、92歳で亡くなった日本を代表する絵本作家であるかこさとし(加古里子。本名:中島哲)の絵本原画を集めた展覧会。私も子どもの頃は、毎週図書館でかこさとしの絵本を借りてきて、夢中で読んだものである。

 

1926年、福井県武生(現在の越前市)に生まれたかこさとし。幼い頃から画才を発揮。大日本帝国に尽くそうと、パイロットを目指すが、視力が悪いために断念。ならば技術力で貢献しようと東京帝国大学工学部に入学するが、在学中に敗戦を迎える。復学して、新制となった東京大学を卒業し、大手企業の社員というエリートとなったかこだが、戦争に協力しようとした愚かさを恥じ、自分のような過ちを犯さないよう子ども達を導こうとの思いから、セツルメントの一環として川崎市内の自宅のそばの公園で紙芝居上演を始め、その後、絵本作家に転じている。

入ってすぐの所にモニターが設置してあり、かこが子ども相手の紙芝居を始めた頃のエピソードなどを語る映像が流れている。約20分の映像であるが、全部見てみる。さしものかこでもすぐに子どもの心を捉えられたというわけではなく、最初は紙芝居を始めても、一人去り、二人去り、すぐそばの多摩川で虫取り遊びに興じ始めるということが普通の状態であったが、次第に子ども達の心を掴むようになる。上演された紙芝居の中には「どろぼうがっこう」の原型となる作品もあったようだ。

「からすのパン屋さん」シリーズは、どちらかといえば嫌われ者であるカラスを主人公にしている。カラスの賢さに注目し、水平の眼差しを忘れなかったかこらしい着想でもある。

京都の四季を題材にした作品もあり、かこの目を通した、葵祭、祇園祭、時代祭の京都三大祭を描いた絵を京都で楽しめるの趣がある。

 

絵本の他に、子ども達に科学を教えるために描いた絵もある。東京大学工学部応用化学科などで学んだ理系の知識が生かされているようだ。
また子ども達に芸術を教えるために描かれた絵本もある。絵画と彫刻の各1冊ずつで、ダヴィンチ、ピカソ、葛飾北斎、ミケランジェロ、ロダンのなどの作品がわかりやすく解説されており、大人が読んでも大変勉強になる。絵は有名だが名前をそれほど知られていない「ヴォルガの船引」のイリヤ・レーピンを取り上げているのもかこらしいといえる。前を見据えている一人の青年の姿は、まさに未来ある子ども達の理想そのものだ。

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2019年11月15日 (金)

これまでに観た映画より(138) ポーランド映画祭2019 in 京都「コメダの奏でるポーリッシュ・ジャズ」@同志社大学 「コメダ・コメダ」&「バリエラ」

2019年11月12日 同志社大学室町キャンパス寒梅館クローバーホールにて

同志社大学室町キャンパス寒梅館クローバーホールで、ポーランド映画祭2019 in 京都「コメダの奏でるポーリッシュ・ジャズ」と題された映画2本を観る。2012年製作の「コメダ・コメダ」と、1966年のイエジー・スコリモフスキ監督作品「バリエラ」。「バリエラ」の音楽は、クシシュトフ・コメダが手掛けている。なお、「バリエラ」の上映前にはイエジー・スコリモフスキ監督の舞台挨拶がある。

ポーランドのモダン・ジャズの先駆けでありながら、37歳の若さで事故死したクシシュトフ・コメダ。ロマン・ポランスキーとのコラボレーションを経て、ハリウッド映画の作曲家として活躍し始めたばかりの死であった。

「コメダ・コメダ」(ジャパンプレミア上映)は、クシシュトフ・コメダの生涯を辿るドキュメンタリー映画。ナタシャ・ジュウコフスカ=クルチュク監督作品。監督について詳しいことはよくわからないが、名前は明らかに女性名である。
ロマン・ポランスキーやアンジェイ・ワイダといったポーランド映画界の巨頭を始め、コメダと共演経験のあるポーランドのミュージシャン、コメダの医大時代の同級生などが証言を行っている。

共産党一党独裁時代のポーランドにあっては、ジャズは敵国であるアメリカの敵性音楽であり、コメダも医大時代にジャズの演奏や作曲を行っていることがばれ、医大生達に囲まれてつるし上げに遭いそうになったことがあるそうだ。

コメダが生まれたのは1931年。ナチスドイツがポーランドに侵攻する8年前である。
コメダは幼い頃、ポリオに罹り、後遺症で片足が少し不自由になっている。ピアノの才能は幼時より発揮されていたそうで、7歳で出身地にあるポズナン高等音楽学校に入学。戦時下であっても母親はコメダの才能が途切れてしまわないよう、ピアノを弾ける環境を作ることに腐心したそうである。ただ、コメダの母親は、コメダがプロのミュージシャンなることには反対であり、医師になることを望んでいた。コメダは母親の望み通り医科大学を卒業し、耳鼻咽喉科の医師となるが、結局、ジャズミュージシャンになることを選んだ。コメダの友人の一人は、「運命には抗えない」と語っている。
ポズナンには音楽の仕事がなかったため、コメダは、クラクフへ、更にワルシャワへと移動する。
ちなみにコメダというのは芸名で、本名はトルチンスキという。子どもの頃に、「command」(司令官)と書くべきところを「comada」とスペルミスしたことに由来するそうである。
アンジェイ・ワイダは、コメダの第一印象を、「パデレフスキ(ポーランドを代表するピアニストで、後には首相にもなっている)みたいな長髪の奴が来るのかと思ったら、見るからにオタクといった感じの奴が来て」と語っている。線が細く、いかにも繊細そうで影のあるコメダは、真逆の性格であるロマン・ポランスキーとは馬が合ったそうで、「水の中のナイフ」などの音楽を手掛け、ポランスキーに招かれる形でハリウッドへと渡っている。コメダは、自らのことを「映画の作曲家」と名乗っていたそうで、映画音楽を手掛けることに誇りを持っていたことが窺える。

ジャズ以外にもポーランドの生んだ音楽の先進性が語られる場面がある。ポーランド人は独自性を追求する傾向があるそうで、それがペンデレツキやルトスワフスキといった現代音楽の大家を生み出した下地になっているのかも知れない。

コメダの最期は転落事故である。交通事故となっている資料もあるが、関係者の証言によるとどうもそうではないようだ。事件性がありそうなことも語られてはいるのだが、詳しいことはわからないようである。

 

イエジー・スコリモフスキ監督による「バリエラ」。「バリエラ」というのはポーランド語で「障壁」という意味のようである。

上映前に、イエジー・スコリモフスキ監督による15分ほどの舞台挨拶がある。「バリエラ」はかなり特異な経緯で生まれた作品だそうで、元々は「空っぽの領域」というタイトルで、それまでドキュメンタリー映画を作り続けて来た映画監督の初劇映画作品として製作される予定であった。イエジー・スコリモフスキは依頼を受けて脚本を執筆。その監督のそれまでの作品も全て観て、「これはドキュメンタリータッチの脚本にした方がいいだろう」と判断。脚本を提出したのだが、その監督は脚本を読んで青ざめたようになってしまったという。ドキュメンタリー映画の監督で、劇映画は不得手であり、撮影には入ったのだが、制作費の4分の3を使ったところで、その監督は降板。続きをスコリモフスキの監督で撮るよう指示があったのだが、スコリモフスキは、監督に合わせてドキュメンタリー映画調の脚本を書いたが、自分ではそうした映画を撮りたいという気持ちはまるでない。ということで、残りの4分の1の予算で、1から新しい映画を撮ることになった。とにかく時間もないので脚本なしの即興で撮ることにし、キャストも全て一新、撮影監督も新たに指名した。キャスティングの一新についてスコリモフスキは、「大成功だった。主演女優はその後、私の妻になるのだから」とジョークを言っていた。
スコリモフスキ監督によると「バリエラ」には3つの奇跡があるそうで、まず「即興による映画が完成したこと」、2つ目は「即興にしては出来が良かったこと」、3つ目は「この映画が高く評価され、映画賞を受賞し、60年以上経った今でも上映される機会があるということ」だそうである。

内容は、ヌーヴェルヴァーグの影響も感じられるもので、「フランス映画だ」と言われたらそのまま信じてしまいそうになる。ポーランド映画とフランス映画は相性が良いのか、共同製作が行われることも結構多い。

国の世話になることもアメリカ人のように生きることもよしとしない主人公の医大生が医大を去り、「明日、結婚することになった」と父親に告げるも、相手が不明。父親に託された手紙を届けた家の女主人からサーベルを渡されることになる、といった風に、あらすじだけ書くと何が何やらわからないことになる。ただメインとなるのは、冬の停電の日に出会った路面電車の女運転士とのロマンスである。そこだけ辿ると素敵な恋愛映画と観ることも出来る。
人海戦術も多用されているが(特に深く考えられて行われたわけでもないと思うが、人一人の人生の背後には数多くの人物が潜んでいると捉えることも出来る)低予算映画でなぜあれほど多くのキャストを使えるのかは謎である。共産圏なので「低予算」といっても西側とは意味が異なっていたのかも知れない。
ロールスロイスなどの西欧の高級車が登場するが、これは若者達に敵対するものとして描かれているようだ。

また、クシシュトフ・コメダの音楽が実にお洒落である。即興で作り上げた映画だけにどうしても細部は粗くなるのだが、そこをコメダの音楽がまろやかなものに変えていく。映画の出来の半分近くはコメダの功績である。

ラストは、やはり即興風に撮られた王家衛監督の「恋する惑星」に近いもの。「恋する惑星」のラストに近いものになって欲しいと個人的にも思っていたのだが、やはりなるべくして同じようなラストに着地。めでたしめでたしとなった。

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2019年11月14日 (木)

日本・ポーランド国交樹立100周年記念 ポーランド国立民族合唱舞踊団シロンスク@フェスティバルホール

2019年11月6日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後6時30分から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、日本・ポーランド国交樹立100周年記念 ポーランド国立民族合唱舞踊団シロンスクの公演を観る。

ポーランド国立民族合唱舞踊団シロンスクは、1953年7月1日に作曲家で教育者、更に作家でもあったスタニスワフ・ハディナによって設立された民族舞踊団。100人を超えるメンバーがいるというが、そのうちの54名が今回来日し、日本各地で公演を行う。合唱団、舞踊団、オーケストラから成る団体だそうだが、今回はオーケストラなしでの上演(録音音源だと思われる)。シロンスクは、現在はポーランドとシロンスク県(県都は、ポーランド国立放送交響楽団の本拠地としても知られるカトヴィツェ)の共同運営となっているそうだ。

まずスクリーンにポーランドとポーランド国立民族合唱舞踊団シロンスクの紹介映像が映される。その後、ポーランド広報文化センター職員でピアニストの栗原美穂がポーランド民族衣装を纏って登場し、進行役を務める。

その後、いかにも東欧といった感じの舞踊が繰り広げられるのだが、「シュワ・ジェヴェチカ(森へ行きましょう)」が日本語で歌われるなど、サービス精神にも富んでいる。

シロンスクは、ポーランドの民族衣装2万点以上を保有しているそうで、今回も多くの民族衣装を披露すべく、ダンサーは平均して公演中に10回近く着替えるそうである。

民族舞踊に関しては特に知識もないので見所なども上手くは語れないが、やはり下半身の強靱さは目立つ。隣国ロシアのコサックダンスのような足の動きもあるのだが、器用に軽々とこなせるのは足腰の強さあってこそだろう。そしてバレエでもそうだが、男性のダンサーはやはり日本人とは比べものにならないほど体格が良く、動きがダイナミックである。女性ダンサーも日本人よりプロポーションは良いが、圧倒的といえるほどの差はないように思われる。スポーツでも女子選手は世界の強豪国と互角以上に戦える種目が多いが、男子の場合はお家芸とされる種目以外ではまず勝てない。身体能力においては日本人男性は不利だ。

ポーランドが生んだ最大の作曲家が、フレデリック・フランソワ・ショパンである。ショパンは父親がフランス人、母親がポーランド人のハーフであり、生涯の半分近くをパリで過ごしたため、純粋なポーランドの作曲家とはいえないのかも知れないが(フランス系であったがために青春期に失恋したこともあるようだ)ポロネーズやマズルカといった祖国の舞曲をピアノ曲にしており、愛国心においては祖国の人々に劣ってはいなかったと思われる。

そのポロネーズやマズルカの踊りも当然ながら行われる。ピアノ曲でしか知らない舞曲が実際にどのように舞われるのか興味があったが、リズムの意味が舞踊を見ているとよく分かる。特にリズムにステップが大きく影響していることが見て取れる。

曲芸的な舞やユーモアを取り入れた表現、舞と合唱のコラボや、合唱のみで聴かせる場など、思った以上にバラエティーに富んだ構成であった。

アンコールとして、ラストに踊られた「クラコヴィアク」が再度披露され、その後、スクリーンが下りてきて、シロンスクの出演者達が中島みゆきの「時代」を歌う。スクリーンには「皆さまもご一緒にお歌い下さい」と出て歌詞が投影され、ポーランド人出演者と日本人聴衆による合唱が行われる。大阪の聴衆の良いところは、こうした場面でちゃんと歌ってくれることである。仕事のため行けなかったが、今月2日にはロームシアター京都メインホールでの公演もあった。京都のお客さんはちゃんと歌ってくれただろうか。

同じ歌を歌っただけで本当に心が通じ合えたかどうかはわからない。ただやはりこうした経験は心を温かくしてくれるし、短い時間であっても一体感を得たことで少しだけ優しくなれたようにも思う。

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2019年11月13日 (水)

美術回廊(43) 京都国立博物館 「佐竹本三十六歌仙絵と王朝の美」

2019年11月7日 東山七条の京都国立博物館にて

七条の京都国立博物館で、「佐竹本三十六歌仙絵と王朝の美」を観る。

佐竹本三十六歌仙絵は、秋田久保田藩主の佐竹氏が所蔵していた三十六歌仙絵巻を一つ一つに分けたものである。現在佐竹本といわれる三十六歌仙絵巻は、藤原信実の絵、後京極良経の書によるもので、鎌倉時代に制作されたのであるが、その後しばらく行方不明となっており、江戸時代初頭には下鴨神社が所蔵していることが確認されているのであるが、再び行方をくらませていた。それが大正に入ってから突然、元秋田久保田藩主の佐竹侯爵家から売りに出される。佐竹氏は戊辰の役の際に東北地方で唯一最初から新政府方についたこともあって侯爵に叙され、優遇を受けていたのだが、それでも家計が苦しくなったため売りに出されたのである。三十六歌仙絵巻は実業家の山本唯三郎が手に入れたのだが、第一次世界大戦による不況で山本もこの絵巻を手放さざるを得なくなる。不況に見舞われたのは当然ながら山本一人というわけではなく、どこも資金が不足していたため、佐竹本三十六歌仙絵巻を買い取れるほどの資産家は日本には存在しない。このままでは海外に流失してしまうということで、三井物産の益田孝(号は鈍翁)が、絵巻を一つ一つに分けて複数人で保有することを提案。これによってなんとか海外流出は食い止められ、住吉大社の絵も含めた37枚の絵を、当時の富豪達が抽選によって1枚ずつ手に入れることとなった。それが今から丁度100年前の1919年のことのである。当時の新聞記事に「絵巻切断」という言葉が用いられたため、衝撃をもって迎えられたが、実際は刃物は用いず、もともと貼り合わせてあった絵を職人の手によってばらしただけである。抽選の会場となったのは、東京・御殿山にあった益田邸内の応挙館である。円山応挙の襖絵が施されていたため応挙館の名があったのが、この円山応挙の絵も今回の展覧会で展示されている。
三十六歌仙といっても人気が平等ではない。そのためのくじ引き制が取られたのだが、主催者である益田は坊主の絵を引いてしまって不機嫌になったため(引いたのは源順の絵だったという証言もある)、一番人気であった「斎宮女御(三十六歌仙の中で唯一の皇族)」の絵を引き当てた古美術商が絵を交換することで益田をなだめたという話が伝わる。

37枚のうち31枚が集められているが、残念ながら斎宮女御の絵は含まれていない。また、6期に分かれての展示で、今日は、源宗于、小野小町、清原元輔の絵は展示されていない。なお、大戦をくぐり抜ける激動の時代ということもあり、37点のうち、現在、行方不明になっているものも3点ほどあるそうだ。

柿本人麻呂は、歌聖として別格扱いだったようで、柿本人麻呂の他の肖像画なども数点展示されているほか、柿本人麻呂は維摩居士の化身だというので、維摩居士の絵なども展示されている。

女性や若い人は華やかな王朝の美に酔いしれることが出来るのだろうが、もうすぐ45歳の私は、老いや孤独を歌った寂しい絵に心引かれる。やはり自分自身に絵や歌を重ね合わせてしまうようだ。
例えば、藤原興風の「たれをかも知る人にせむ高砂の松も昔の友ならなくに」や、藤原仲文の「ありあけの月の光をまつほどにわがよのいたくふけにけるかな」などである。

小倉百人一首でお馴染みの歌もいくつかある。藤原敦忠の「あひみてののちの心に比ぶれば昔はものを思わざりけり」などは有名だが、藤原敦忠は38歳で突然死した人物であり、菅原道真の怨霊によるものだと噂されたという。
ちなみに藤原敦忠の絵を手に入れたのは、後に血盟団事件で暗殺されることになる三井財閥の團琢磨である。流石にそれまでもが菅原道真の祟りというわけでもないだろうが。

在原業平の「世の中に絶えて桜のなかりせば春の心はのどけからまし」も百人一首で有名である。和歌の天才と呼ばれた在原業平であるが、漢詩を不得手としていたため出世はかなわず、『伊勢物語』の主人公となったように東下り伝説が残るなど激動の人生を送った。

壬生忠見と平兼盛の歌もあるが、この二人の場合は今回の絵に採用されているものではなく、百人一首に取り上げられた歌の方が有名である。
歌合戦という言葉があるが、昔の歌合はまさに合戦であり、よりよい歌を詠んだ方が政において有利な立場を得ることが出来た。
天徳内裏歌合において、一番最後に「恋」を題材にした歌合があった。壬生忠見は、自信満々に「恋すてふ我が名はまだきたちにけり人知れずこそ思ひそめしか」と歌ったが、平兼盛の「しのぶれど色に出にけりわか恋はものや思ふと人の問ふまで」に敗れ、出世の道が絶たれたため悶死したとされる(史実ではないようだが)。このことは夢枕獏の『陰陽師』などにも出てくる。

 

佐竹本の三十六歌仙絵は2階に展示されているのだが、1階にもそれとはまた違った三十六歌仙の絵が展示されており、違いを楽しむことも出来る。

 

展示の最後を飾るのは、3隻の三十六歌仙屏風。作者は、土佐光起、狩野永岳、鈴木其一である。人気上昇中といわれる鈴木其一の三十六歌仙図屏風はやはり面白い。

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2019年11月10日 (日)

第62回祇園をどり 「千紫万紅倭色合(せんしばんこうやまとのいろあい)」全八景

2019年11月5日 祇園会館にて

午後4時から、祇園会館(よしもと祇園花月)で第62回祇園をどりを観る。当日券を買い、補助席での鑑賞。

五花街の中で唯一、秋に公演の行われる祇園をどり。祇園東の芸妓と舞妓による上演である。
実は五花街のをどりの中で最初に観たのが祇園をどりである。その後、鴨川をどり、京おどり、都をどりの順で観ているが、上七軒の北野をどりは離れた場所にあるということもあってまだ観たことはない。

祇園をどりを観るのは15年ぶり。「猫町通り通信」を始めて最初の秋に観ているので覚えている。当然ながら記事も残っていて読むことも出来るが、大したことは書いていないので読み返す価値はない。
祇園東の歌舞練場である祇園会館であるが、15年前はまだ吉本興業の小屋ではなく、通常は映画の二番館として営業していた。往時の祇園をどりは、舞妓が少なく、芸妓も年上の方が多く、それでも足りないのでご年配の方まで登場していて、祇園東の窮状が見ているだけで伝わってきたのだが、今では舞妓も増えて大分持ち直しているようである。15年前は舞妓(そもそもは「半人前」の意味である)も今ほどもてはやされていなかったようにも記憶しているが、映画で舞妓がよく取り上げられるようになったということもあってか時代は変わった。現在は、祇園東には舞妓が7人いるようで、舞妓だけによる舞の場面も上演出来る。

「千紫万紅倭色合(せんしばんこうやまとのいろあい)」と題された公演であり、令和改元御祝「紫宸殿の庭」「籬(まがき)の禿(かむろ)」「雪むすめ」「黒木売り」「三社祭」「春野の蝶」「花街十二階」「祇園東小唄」の八景が上演される。監修は藤間紋寿郎、演出振付は藤間紋、脚本構成は塩田律、作曲は清元菊輔&杵屋勝禄、作調は藤舍名生&中村寿鶴。

 

祇園会館は現在はよしもと祇園花月として運営されているということで、ロビーには吉本の大崎洋会長と記者会見で話題になった岡本昭彦社長からのお花が飾られていた。

15年前の記憶はほとんどないが、視覚的にほぼ同じ位置から舞台を眺めていたことは映像として残っている。15年前も当日券で入ったため、おそらくほぼ同じような場所で観ているのだろう。

まず「紫宸殿の庭」(紫の踊り)では、聖武天皇の「橘は実さへ花さへその葉さへ枝(え)に霜降れどいや常葉の木」をアレンジした、「橘は実さえ花さえその葉さえ霜降りてなお常盤の木」という歌詞が歌われる。桜も「花」という名で出てくるが、常緑の木である橘の方が、新元号令和の長久を願うのに相応しいだろう。
「左近の桜 右近の橘」と呼ばれ、桜と並び称された橘だが、いつの間にか華々しく咲いて散る桜の精神こそが大和魂ということになってしまっている(本居宣長 「敷島の大和心を人とはば朝日に匂ふ山桜花」)。常に変わらぬ橘の精神もあってこその桜だと思うのだが。桜と橘が両輪であったことを思い直すのも良いだろう。この上演ではセリが多用されており、つね和が一度下がってからから瑞兆を表す紫雲に乗って現れることで目出度さを演出した。

「籬の禿」(赤の踊り)では、まりこが赤い可憐な着物姿で登場、続く「雪むすめ」(白の踊り)は雪の背景の中での踊りであり、紅白の対比で縁起の良さを表現する。続くは黒の踊り「黒木売り」。つね和一人での舞である。

ここで、舞妓5人が客席に登場。聖徳太子の冠位十二階は、6つの色に濃淡を加えた12の色で身分を表したという話をする。セリフはつたないが、それこそが舞妓の売りだったりする。

青の踊り「三社祭」は男装しての踊りである。昨年の南座での顔見世でも観た演目であり、善玉と悪玉の面をして舞う。

「春野の蝶」では、照明が鮮やかな効果を上げる。15年前に祇園をどりを観た時には「思ったより地味だな」と思ったものだが、今回はかなり絵になる演出となっている。

舞妓5人による「花街十二階」。冠位十二階の色を祇園東の光景に例えた舞踊で、舞妓達がラスト付近で「おたのもうします」と言う。実は今日は小さなお子さんが客席の上の方でずっとなんかを言っている状態だったのだが、ここでその子が「おたのもうします」と真似て返す。おぼこさを売りにしている舞妓であるが、本当の子どもの声の方が可愛いので客席から笑いが起こる。舞妓さん達が食われてしまった格好であった。

ラストの「祇園東小唄」。総出での舞である。舞妓さんも可愛らしいが、こうして一緒に踊る姿を見ると、技術以外の部分でも芸妓さんとは差があるのがわかる。おひねりが撒かれ、華々しいうちに祇園をどりの幕は下りた。

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2019年11月 2日 (土)

観劇感想精選(325) 神里雄大/岡崎藝術座 「ニオノウミにて」

2019年10月26日 京都芸術センターフリースペースにて観劇

午後7時から、京都芸術センターフリースペースで、神里雄大/岡崎藝術座の「ニオノウミにて」を観る。英語のタイトルは「Happy Prince Fish」である。作・演出:神里雄大。

ニオノウミというのは琵琶湖の別名(ニオというのは滋賀県の県鳥になっているカイツブリのこと)である。日本三大弁財天の一つを祀る竹生島を舞台とした異人との遭遇を巡る物語。能の「竹生島」がモチーフとなっている。出演は、浦田すみれ、重実紗果(しげみ・さやか)、嶋田好孝。

京都国際舞台芸術祭参加作品としての上演であり、舞台上方(天井の近く)にセリフの英訳が投映されての上演である。意味としては似通っているが、思考パターンが異なるためニュアンスに大きな隔たりが出ているのを見るのも楽しい。

まず、薄明の中で舞台上にタブレット端末が置かれてスタートする。
治安の悪い国からやって来た男が滋賀県にたどり着く。日本に希望を持ってやって来たのだが、日本語をきちんと話せないことで(セリフ自体はきちんとした日本語として語られている)日本人から見下されており、日本人が嫌になって日本語の学習もやめてしまっていた。男は琵琶湖に釣りをしにやって来たのだが、そこで琵琶(タブレット端末から竿状のものが伸びており、画面に琵琶の腹部が映されている)を拾う。背後で若い女の声がする。女は「それは私の琵琶です。返してください」と男に言う。女は「じじい」と呼んでいる祖父と二人暮らし。両親は離婚して家を出て行き、兄が一人いるが東京に出たまま一度も帰ってこない。漁師をしている「じじい」と共に女は毎晩、漁に出ている。種明かしをするとこの女の正体は弁財天なのだが、共に竹生島に渡ろうと女は男に提案する。

琵琶湖では、ブラックバスやブルーギルという外来魚が固有種を食い荒らしてしまうため、問題となっている。「じじい」は外国人観光客を外来魚になぞらえて罵り始め、「下等動物」とまで呼んで怖れている。
ブルーギルは実は明仁上皇が皇太子時代に外遊先のシカゴで市長から贈られたものを持ち帰ったのが最初である。ブルーギルは水産庁淡水区水産研究所が食用研究の対象として飼育していたのだが、淡水真珠養殖で母貝として用いるイチョウガイの養殖場でイチョウガイ幼生の宿主としてブルーギルが利用され、逃げ出したものが琵琶湖で繁殖するようになった可能性が高いようである。実はブルーギル繁殖のきっかけを作ったことについて、上皇陛下が天皇であられた時に謝罪なされたことがある。

3つの場からなる芝居だが、1場が終わった後で10分間の休憩が入る。お弁当付きの前売り券があった他、少数だが当日申し込み用のお弁当も用意されており、スナック菓子やお茶も売られる。
客席もフリースペースの段差を利用した椅子状のものと座布団を敷き詰めた床席が用意されており、自由なスタイルで芝居を観ることが出来るようになっている。観劇に「多様性」を持たせたいという神里の意思である。

 

異人と外来種を「じじい」が語る(録音された声による)が、今度はブルーギルが謝罪と自己弁護を述べることになる。ブルーギルは食用にも適さず、臭く、何の取り柄もないと自分を卑下するが、一方で、明仁上皇がやはり皇太子時代にやはり外来種のティラピアをタイに食用として贈り、現在ではティラピアはブラーニンという名で国民食として愛されているという話もする。同じ外来種でもティラピアは食用として役に立つから良く、役に立たないブルーギルは差別されて当然なのかという問いがある。近年の日本では「実用性」ばかりが叫ばれ、差別や区別が当然のように論じられているがこれは正しいことなのか。外国人に限っても安くて便利な労働力として重宝する一方で治安が問題視され、観光客となると「観光公害」として排斥運動が起こる直前の情勢になっていたりする。これは雇用の調整弁と見なされた日本人においても同様である。

3つの楽器がキーとして登場する。まずは琵琶湖の名の由来にもなった琵琶。ペルシャが起源であり、シルクロードを伝わって奈良時代に日本に渡来し、琵琶法師や仏話の際に用いる楽器として広まった。2つめは三線である。沖縄の民族楽器として有名だが、中国由来の楽器である。これが関西地方に伝わって生まれたのが三味線で、胴体にはニシキヘビの皮ではなく手に入りやすい猫や犬の皮を用い、琵琶のようにバチを使って弾く。日本は海外から様々な文化要素を取り入れ、それを吸収してオリジナルへと昇華させるという歴史を歩んできた。しかも元も文化を否定せず、共生させる。楽器に限らず、言葉から演劇から音楽からあらゆることにおいてそうであり、これこそが日本の伝統なのである。無料で配られた用語集に「琵琶湖周航の歌」がさらっと入っていて、休憩時間に流れていたが、実は「琵琶湖周航の歌」はオリジナルではなく、第三高等学校(現在の京都大学)の生徒が書いた詩を「ひつじぐさ」のメロディーに乗せたものなのだが、これが今では滋賀県のご当地ソングとして愛されるまでになっている。また「琵琶湖哀歌」も用語集に入っていて、「琵琶湖周航の歌」の後で流されたが、これまた「琵琶湖周航の歌」のメロディーを転用したものである。だが、そのまま受け入れられている。こうした懐の深さが日本人にはあったのだ。
ところが現代の日本は取り込むことを止めて排斥へと変化している。それは「男性的」と呼ばれる刹那の喜びのために行われるブラックバスフィッシングのキャッチアンドリリースにも例えられる(ネット用語の「釣り」も関連しているのかも知れないが)。伝統的ではない状態なのに排外に回る人は自身を伝統的な保守主義者だと勘違いまでしている。そういった状態に無関心の人も多く、とにかく選挙にも行かない。権利を行使しなかったわけだが、その結果生まれた社会を意思を示さなかった人々が本当に受け入れられるのかどうか。
日本だけが正義で被害者というわけでもない。オセアニアやヨーロッパでは、日本や朝鮮半島では食用として愛されているわかめが侵略的な外来種として問題になっていることが用語集には書かれ、劇中でも仄めかされている。

弁財天である女は仏教の十善戒から6つを唱えるが、もうそれは死んだしまった人間の言葉だとつぶやく。無宗教者が大多数を占める今の日本では仏教も神仏習合時代の言葉も心に届かない。そして女は男に自分の座を譲ろうとまでする。弁財天から渡された三味線の歴史が語られ、特に救いらしい救いもなく、不毛の未来が提示されて黙示録的に終わる。弁財天は男の良き未来を祈り、「またどこかでお会いすることがあるといいですね」と言うも、「でもわかりません」と続ける(英語字幕では、ビートルズやMr.Childrenの歌でお馴染みの「Tomorrow never knows」と表示されていた)。

芝居では答えは示されなかったが、日本人はどうすればいいのか? まずは本当の伝統を知ることである。受け入れ、止揚し、自らのものとしていった日本の歴史。それを断ち切らせることがあってはならない。「排除」を「正義」にしてはならない。三味線に見られるような「昇華」と「共生」を可能としてきた希有な伝統をもう一度振り返る必要がある。

我々は幕末の志士達よりも賢いはずだと思いたい。

 

内容は当然ながら異なるのだが同じ「共生」への意識を描いた黒沢清監督の「カリスマ」を見直してみたくなった。

 

内容が気に入り、台本が500円で売っていたので購入し、読む。「いいね!」。いや「いいね!」だけでは駄目なのだが。

 

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