カテゴリー「文化・芸術」の131件の記事

2020年1月16日 (木)

これまでに観た映画より(151) 「去年マリエンバートで」

2020年1月12日 京都シネマにて

京都シネマでフランス映画「去年マリエンバートで」を観る。(セーヌ)左岸派、アラン・レネ監督の代表作。芸術映画というジャンルの中ではまず真っ先に名前の挙がる一本でもある。脚本:アラン・ロブ=グリエ、出演:デルフィーヌ・セイリグ、ジョルジュ・アルベルタッツィ、サッシャ・ピトエフほか。アルフレッド・ヒッチコックもカメオ出演している。衣装担当:ココ・シャネル。音楽:フランシス・セイリグ(デルフィーヌ・セイリグの実兄)。

フィルムが4Kでリマスタリングされたのを記念しての上映であり、東京では4Kで上映されたようだが、京都シネマでは設備の関係上、2Kでの上映に留まるのが残念である。
1月5日から17日までの上映であるが、いずれも昼間の時間の上映であり、観に来られるのは今日しかなかった。

「去年マリエンバートで」は「世界一難解な映画」といわれることもあり、脚本のアラン・ロブ=グリエ自身がこんな笑い話を作っている。
「パリで泥棒が捕まった。警察で泥棒はアリバイを主張した。“映画を見ていました” “なんという映画だ” “『去年マリエンバートで』” “では筋を言ってみろ”。泥棒は絶句、アリバイは崩れた」

とはいえ、装飾の部分を剥ぎ取ったストーリー時代は極めてシンプル且つストレートである。ある男と女が出会い、今いるこの場所から二人で去って行くというそれだけである。それはそれでありきたり過ぎるため、泥棒は警察に信用して貰えないだろうが。
バロック(「歪んだ真珠」という意味。装飾が多い)調のホテルで物事は進んでいくのだが、このホテル自体が「去年マリエンバート」という映画の軸であり、それは過去であり、記憶であり、今この瞬間であり、未来をも象徴している。ストーリーを追うのではなく、装飾を楽しむべき映画であり、ある意味、この世の例えでもある迷宮で彷徨うことを堪能すべき一本であるともいえる。

象徴主義(広義的にはドビュッシーの音楽などもここに含まれる)や「意識の流れ」といった文学的芸術的手法を知っていれば、理解の手助けになるだろうが、そうでなくても十分に楽しむことの出来る映画である。世界的な評価は極めて高く、中国を代表する映画監督である陳凱歌は最も好きな映画として「去年マリエンバートで」を挙げており、ジャン・コクトーやアルベルト・ジャコメッティといった同時代を生きた人々からも絶賛されている。また、小説家のマルグリット・デュラスは、この映画に触発されて映画監督としての仕事を始め、傑作映画「インディア・ソング」ではデルフィーヌ・セイリグを主演女優に迎えている。世界的な名画ランキングでも必ずといっていいほど上位に食い込んでくる映画である。

ホテルで男と女は出会う。男は、「去年、フレデリクスバートでお会いしませんでしたか?」と聞くが、女には覚えがない。男は更に「でなかったらカールシュタットかマリエンバートか」と続ける。実は、マリエンバート(チェコにある)という地名が登場するのはこの一回だけであり、しかも基本的に会ったのはフレデリクスバートであってマリエンバートは「あるいは」の地名なのである。「あるいは」の地名がタイトルに入っているというのがひねりである。ただどこであったかはどうでもいいことでもある。

ストップモーションや長回し、サブリミナル的ともいえる極めて短いカットなど様々な映画の技法が錯綜し、この場所の混沌を深めていく。だがそれは世界そのもののことであり、我々の存在そのものの喩えでもある。
我々はよく知らないし、よく忘れるし、よく捉えることも出来ない。全ては存在したかどうかもわからず可能性でしかない。
そんな中で彼と彼女はこの場所を出て行く。出て行った先にもまた迷路が待ち受けていることが暗示されるが、それこそが全人類の前途に待ち構えている人生でもある。

ストップモーションの場面がキリコの絵を思わせるという指摘はよく知られているが、非現実を現実に滑り込ませるという意味でルネ・マグリットの絵画や、意識下での繋がりと別次元で愛を語るという意味では泉鏡花の小説に通底する部分もある。人間の根源にあるものが、この映画では描かれてるのだ。

ちなみはパンフレットには、アラン・ロブ=グリエのシナリオが採録されており、お薦めである。

Dsc_8452

| | コメント (0)

2020年1月13日 (月)

美術回廊(47) 京都髙島屋7階グランドホール 「没後220年 京都の若冲とゆかりの寺―いのちの輝き―」

2020年1月8日 京都髙島屋7階グランドホールにて

京都髙島屋7階グランドホールで、「没後220年 京都の若冲とゆかりの寺―いのちの輝き―」という展覧会を観る。左京区岡崎にある細見美術館の若冲コレクションと京都府内にある寺院が所蔵する若冲作品を集めた展覧会。細見美術館のコレクションはこれまで数回に渡って観たことのあるものも含まれている。

近年、急速に再評価が進んでいる伊藤若冲(1716-1800)。京都錦小路の青物問屋に生まれ、23歳から実家の商いを継ぐも、40歳で弟に店を譲り、隠居の身として絵に打ち込んでいる(最近になってその後も町衆のために働いていたことも確認された)。鶏の絵を多く残していることでも有名だ。

伊藤若冲の弟子についてはこれまでほとんど知られていたかったが、頭に「若」を付ける系譜と、下の漢字に「冲」を当てるもう一種類の系譜があることが分かってきたという。今回の展覧会では、若冲の弟子の作品も展示される。


まず最初に展示されているのは、若冲の木版画である。描写よりも意匠が重視される作品であるが、その後、竹久夢二を経て和田誠にまで至るデザイン性をそこに見いだすことは容易である。というよりも当たり前でもある。絵画というよりもデザイン画の伝統は江戸時代からすでに始まっており、後世の者が先人の絵に学ぶのは当然だからである。良くも悪くも現代人は江戸時代の影響を受け続けているといわれるが、こうした一見、関連がなさそうなところにもそれが見出せるのが面白くもある。

細見美術館のコレクションからは、「雪中雄鶏図」、「糸瓜郡虫図」、「伏見人形図」などお馴染みの作品が並ぶ。「伏見人形図」などもデザイン画の先祖の系譜に入りそうな作品である。そのほかにも、禅の祖を描いた「朱達磨図」、軍神「関羽図」、一瞬を描いた「虻に双鶏図」、簡略の美が光る「群鶏図」、今年の干支で、私も年賀状に採用した「鼠婚礼図」などが展示されている。

寺院所蔵の絵画としては、慈照寺(銀閣寺)所蔵の「牡丹百合図」、「鯉図」、鹿苑寺(金閣寺)所蔵の「竹虎(ちっこ)図」、「玉熨斗図」、「亀図」、伊藤若冲の菩提寺である裏寺町の宝蔵寺所蔵の「髑髏図」、相国寺(慈照寺、鹿苑寺の本山)の「鱏(えい)図」、「鳳凰図」などが展示されている。「鱏図」が面白い。

伊藤若冲が壬生寺に奉納した狂言の面も展示されている。これは今でも壬生狂言で使われているそうである。

あっかんべーをしたユーモラスな「布袋図」や、千葉県の魚でもある鯛を描いた「鯛図」なども面白い。「鯛図」は釣り上げられた瞬間の鯛を描いたものだが、鯛が躍り上がっていることがわかり、躍動感が感じられる。釣り針と鯛を描いた絵であるが、「留守絵」と呼ばれるもので、主人公である恵比寿を敢えて描かない手法で描かれたものだという。

相国寺の「釈迦三尊像(釈迦如来、文殊菩薩、普賢菩薩)」は色鮮やかだが、複製である。複製ではあるが、緻密な筆致を知ることが出来る。

屏風に描かれた鶏は実に生き生きしている。弟子である若演が描いた鶏の絵もあるが、生命力が違う。若冲が描いた鶏は今にも動き出しそうな生命力が宿っているが、若演が描いた鶏はやはり単純に描かれたものという印象を受ける。構図の問題も大きいが、細部の描き方も大きいと思われる。ある意味捻れたポージングが躍動感を生んでいるともいえる。

最後にMBS(毎日放送)が制作した上映時間約10分の若冲紹介映像が流れており、若冲と仏教、とりわけ伊藤家の宗派である浄土宗と若冲が障壁画や仏画を手がけた臨済宗相国寺派、若冲が晩年に関係を持つことになった黄檗宗との関わりなどが描かれていた。

Dsc_8433

| | コメント (0)

2020年1月 9日 (木)

観劇感想精選(336) 二兎社 「私たちは何も知らない」

2020年1月4日 西宮北口の兵庫県立芸術文化センター阪急中ホールにて観劇

午後2時から、兵庫県立芸術文化センター阪急中ホールで、二兎社の「私たちは何も知らない」を観る。作・演出:永井愛。出演は、朝倉あき、藤野涼子、大西礼芳(おおにし・あやか)、夏子、富山えり子、須藤蓮、枝元萌。

「空気を読まない女たちがマジで議論した『青鞜』編集部の日々」という副題があり、その通り日本における女性運動の先駆けとなった雑誌「青鞜」を巡る人々を描いた群像劇である。

平塚らいてうの名で知られる平塚明(はる。朝倉あき)、大杉栄との愛人関係で知られ、関東大震災後の混乱の中で甘粕正彦に扼殺されることになる伊藤野枝(藤野涼子)、作家である岩野泡鳴との契約関係が話題となった岩野清(せい。大西礼芳)、長沼智恵子(後の高村智恵子)に代わって「青鞜」の表紙絵を手掛けるも余りの奔放さから追放されるようになる尾竹紅吉(夏子)、「青鞜」の実務全般を受け持つも結婚を機に離れることになる保持研(やすもち・よし)、平塚らいてうと事実婚関係にありながら籍を入れることは終生なかった画家の奥村博(後に博史に改名。須藤蓮)、17歳で自立を目指して渡米するも騙されて娼婦となり(劇中で明かされることはない)、その後、サンフランシスコで語学塾を開いていた山田嘉喜と結婚、「青鞜」でエレン・ケイらの女性社会学者の文章を翻訳することになる山田わか(枝元萌)が主な登場人物である。明治時代が舞台となるが、出演者はみな現代の若者と同じ様な服装をしている。

島村抱月の翻訳・演出、松井須磨子主演によるイプセンの「人形の家」がヒットしていた時代。女性たちも新しいスタイルの生き方に憧れるようになっていた。そんな中、平塚らいてう率いる「青鞜」が注目を浴びる。劇は、らいてうが書いた「青鞜」発刊の言葉をラップで歌い上げる音楽が流れてスタートする。その後もドラムなどの音が響く場面があり、これがノスタルジックな演劇ではないことが示唆される。

注目を浴びたは良いが、「青鞜」は順調とは言えない。編集部はメンバーである物集(もずめ)和子の実家の一室を間借りしていたが、検閲により発禁処分になるなどしたため、お寺の一室やメンバーの家などを転々とすることになる。

まず編集部を訪ねて来たのは、尾竹紅吉。本名は尾竹一枝である。東京美術学校(東京芸術大学美術学部の前身)は男子しか入学を許されなかったため、女子美術学校(女子美術大学の前身)に入るも中退し、森田草平が平塚らいてうとの心中未遂を描いた小説『煤煙』を読んで青鞜社入社を希望して来たのだ。その後、紅吉は平塚らいてうとの同性による恋などを小説に書いたり、「青鞜」のメンバーで吉原に繰り出したりしたことなどを著して、一大スキャンダルを招くことになる。
岩野清と山田わかは劇の途中からの入社となるため、始めの内は額縁の中での登場となる。
その岩野清は、岩野泡鳴の不倫による別居と養育費の未払いにより、日本初の離婚裁判を闘うことになった女性である。清はらいてうに何度も編集室に籠もっていないで行動を行うよう訴えかける。

「青鞜」への偏見は酷く、編集室には石が投げ込まれ、罵声が浴びせられる。また「青鞜」を批判する者は女性の割合が比較的高いのも特徴である。

彼女たちが行った三大論争といわれるものがある。貞操観念の問題(守るべきもの)、堕胎の是非(なくてもいい命はあるか)、売春論争(賤業について)であるが、今の時代から見ると観念的ではある。ただこれらの問題は形を変えて今も存続している。日本における女性の社会進出は現在でも世界最低水準であるが、ことは女性問題(#MeToo運動などもあったが)に限らず性別や人種を超えた世界的レベルにまで規模が拡大している。明治時代には女性だけへの差別問題だったかも知れないが、今はより複雑化されて人類としてのあらゆる差別や排除や分断の問題が噴出しているのである。

そして欧州戦争(のちに第一次世界大戦と呼ばれることになる)が勃発し、日本はドイツに宣戦布告して青島などのドイツ領に攻め込む。

ラストは、らいてうの悪夢である。奥村と千葉県の御宿で静養していたらいてうは、野枝が関東大震災後に虐殺されたことを知らされる。だが時はまだ明治である。らいてうは関東大震災を知らない。更に第二次大戦の勃発、元青鞜社員も戦争協力に積極的な者が出る一方で、「青鞜」を追われた紅吉が敢然と戦争に反対表明を行ったことを知らされる。

奥村の呼び掛けにより、それが白昼夢だと悟るらいてうであったが、全てはまだ知らないだけで実際に起こることである。目の前のことに必死になるあまり、時代の流れについて行けないのは彼女たちだけの誤りではない。全人類の宿命である。

平成時代に二度の震災を経験した我々の知り得ない未来に何が待ち受けているのか。ある意味これは恐怖演劇である。

らいてうを演じた朝倉あき。主演デビューしたドラマや映画など映像方面では伸び悩みも感じられるが、柔らかで張りのある声がとても良く、舞台女優として最も優れた武器を手にしている印象である。

京都造形芸術大学映画俳優コース出身である大西礼芳は、映画にも多く出演しているが、悪女役をやらせたらかなりいいところまで行けそうな力の持ち主である。菜々緒のように悪女専門ではなく役を広げる上で取り組んで貰いたい。

黒一点となった須藤蓮。育ちの良さそうな容姿であり、草彅剛や筒井道隆のような善人キャラ路線での活躍も出来そうな感じである。

Dsc_8412

| | コメント (0)

2019年12月24日 (火)

コンサートの記(614)「古楽最前線!――躍動するバロック2019 脈打つ人の心―中後期バロック いずみホールオペラ2019『ピグマリオン』」

2019年12月14日 大阪・京橋のいずみホールにて

午後2時から、大阪・京橋のいずみホールで、「古楽最前線!――躍動するバロック2019 脈打つ人の心―中後期バロック いずみホールオペラ2019『ピグマリオン』」を観る。いずみホールのディレクターでもあった故・礒山雅が企画・監修したバロック音楽のシリーズであり、礒山の遺志を引き継ぐ形で続けられている。

今日は、日本におけるバロックヴァイオリン演奏の第一人者である寺神戸亮(てらかど・りょう)が率いるレ・ボレアードの演奏会である。
レ・ボレアードとは、ギリシャ神話に登場する北風の神々で、東京都北区にある文化施設、北とぴあ(ほくとぴあ)で行われた国際音楽祭から生まれた古楽オーケストラである。「北区から文化の風を吹かそう」というメッセージが込められているそうだ。

今回は、バロックのバレエとオペラの企画である。
演目は、前半が、リュリの「アティス」より序曲~「花の女神のニンフたちのエール」~メヌエット~ガヴォット、コレッリの「ラ・フォリア」、リュリの「町人貴族(変換したら「超人気族」と出たがなんだそりゃ?)」より「トルコ人の儀式の音楽」と「イタリア人のエール」、リュリの「アルミード」より「第2幕第2場の音楽」と「パサカーユ」。後半がラモーのオペラ「ピグマリオン」(演出:岩田達宗)。

岩田さんも神戸のお寺の子なので、寺神戸さんと一緒に仕事をするのに似つかわしい気もするが、それはどうでもいいことである。

寺神戸亮は、ボリビア生まれ。桐朋学園大学に学び、東京フィルハーモニー交響楽団のコンサートマスターを務めている。その後、オランダのデン・ハーグ音楽院に留学。オランダはイギリスと並ぶ古楽のメッカであり、寺神戸も世界的に知られた古楽の大家、シギスヴァルト・クイケンに師事。レザール・フロリアン、ラ・プティットバンド、バッハ・コレギウム・ジャパンなどのコンサートマスターを歴任し、ソロでも多くのCDをリリースしている。1995年には北とぴあで上演されたパーセルのオペラ「ダイドーとエネアス(ディドとエネアス)」で指揮者としてもデビューしている。現在は、デン・ハーグ音楽院教授、桐朋学園大学特任教授、ブリュッセル音楽院と韓国の延世大学校(ヨンセ大学。日本では「韓国の慶応」として知られる)の客員教授を務めている。ブリュッセル在住。

 

オペラ「ピグマリオン」の演出を務める岩田達宗が司会役となり、寺神戸と二人で進行を行うのだが、二人とも話すのは本職でないため、聞きたいことと言いたいことがチグハグになって、客席からの笑いを誘っていた。

寺神戸は、「バロック音楽というと、イタリアのヴィヴァルディ、ドイツのバッハ、ヘンデルがイギリスに渡って『メサイア』を書くといったことがよく知られていますが」と他国のバロック音楽を紹介した上で、フランスのバロック音楽の豊穣さを述べていた。

 

リュリは、クラシック音楽好きの間では、「指揮中に怪我をしてそれが元で亡くなってしまった作曲家」として知られている。というよりそれでしか知られていなかったりする。
ジャン=バティスト・リュリは、イタリア出身であり、フランスに帰化して「太陽王」ことルイ14世のお気に入りの作曲家として政治分野でも権勢を振るった人物である。
ルイ14世は、音楽とバレエをことのほか愛した王様であり、自らもバレエを踊ることを好み、王立の舞踏アカデミーも創設している。

今日は二段舞台を使っての上演である。舞台にはリノリウムカーペットが敷き詰められており、ここが舞踏のスペースとなっている。レ・ボレアードは後方の一段高くなった特設ステージ上での演奏となる。

弦楽器はガット弦を用いた古楽使用のものでの演奏であるため、音はかなり小さめとなるが、いずみホールは空間がそれほど大きくないのでこれで十分である。いかにもベルサイユ宮殿での演奏が似合いそうな典雅な楽曲が流れる。

バロック時代のバレエを行うのは松本更紗(まつもと・さらさ)。桐谷美玲の本名である松岡さやさに少し似た名前である。どうでもいいことだけれど。
実は松本は、国立音楽大学とパリ市立高等音楽院でヴィオラ・ダ・ガンバ(チェロの先祖に当たる楽器)を専攻したという演奏畑出身の人であり、演奏家としての活動も行っているようである。元々クラシックバレエを習っており、在仏時代に古典舞踊を学び、2014年にはオペラ「ディドとエネアス」に演奏と踊りの両方で出演。2018年に帰国し、様々な舞踏公演に出演している。
松本がフランスバレエについての解説を行う。バレエには譜面が存在するそうで、小さいがバレエ譜(舞踏譜)を使っての説明も行われた。バレエもベルサイユ宮殿のようにシンメトリーが重要視されたようで、男女が並んだり離れたりしながら、上から見ると一対の動きをしているように進んでいくバレエが理想とされたようである。また、バレエの動きは雅やかだが、それは振りのための振りではなく、日常動作を美しく行うために考えられた振りなのではないかとのことである。

 

コレッリの「ラ・フォリア」。
「ラ・フォリア」というのはイベリア半島由来の音楽であり、ポルトガル起源だそうである。「狂乱する女性」という意味があるそうで、元々は速めの曲調を持つものがラ・フォリアと呼ばれたそうだが、コレッリのものは比較的ゆったりとしている。
この曲は比較的有名な旋律を持っており、誰もがどこかしらで一度は耳にしたことがあるはずである。アントニオ・サリエリがこの曲の主題を用いた「スペインのラ・フォリアによる26の変奏曲」というオーケストラ曲を書いており、今年の夏に延原武春指揮テレマン室内オーケストラの演奏で聴いている。
寺神戸とレ・ボレアードは、高貴にしてメランコリックな曲調を適切に描き出していた。

 

リュリの「町人貴族」より「トルコ人の儀式の音楽」と「イタリアのエール」。「イタリアのエール」は、波多野睦美の歌と松本更紗による仮面舞踏入りである。
「町人貴族」は、モリエールとリュリによるコメディ・オペラ(コメディというと喜劇という訳語になりがちだが、元々は単に「演劇」という意味である)。金持ちになった町人が、貴族になることを願うが「自分には貴族に相応しい教養がない」という自覚があり、様々な道の第一人者に師事していくという、まるですぐそばにあるお城の築城主を主人公にしたようなお話である。この音楽にはトルコ趣味の音楽も登場するが、フランスを訪れたオスマントルコの大使がフランスを下に見るような発言をしてルイ14世を激怒させたという事件があったそうで、仕返しのために書かれた作品でもあるそうだ。「町人貴族」は後にリヒャルト・シュトラウスによってリメイクされているが、大失敗に終わり、現在ではリヒャルト・シュトラウス自身がまとめた組曲のみが知られている。なお、リヒャルト・シュトラウスの「町人貴族」の合間狂言として書かれたのが「ナクソス島のアリアドネ」であり、こちらの方はオペラとして大ヒットしている。
「イタリアのエール」は、イタリア語の歌詞による歌唱。歌詞はその後上演されたラモーの「ピグマリオン」の冒頭によく似ている。
松本の仮面舞踏は即興で行われるそうで、寺神戸によるとリハーサルでも毎回振りが違ったそうである。

リュリの「アルミード」より第2幕第2場の音楽とパサカーユ。パサカーユはパッサカリアのことである。リュリのパッサカリアは大人気だったそうで、聴衆もパッサカリアが出てくるのを今か今かと待ちわびていたらしい。
バロック音楽は音が意外な進行を見せることがあり、リュリの音楽もまたそうである。古典派以降の音楽は、音の進行パターンがある程度決めっているため、上手く嵌まっていく安定感があるのだが、バロック音楽はそれとは少し違う。「バロックと現代音楽は相性が良い」と言われることがあるが、いわゆるクラシック音楽の王道とは違ったスタイルであるという共通点がある。
この曲では、松本が客席通路を通ってステージに上がり、ダンスを行った。

 

ラモーのオペラ「ピグマリオン」。バロック時代のフランス人作曲家としては最も有名なジャン=フィリップ・ラモー。彼の架空の甥を主人公とした『ラモーの甥』という小説があったりする。ラモーが本格的なオペラを書き始めたのは50歳を超えてからだそうだが、最初の音楽悲劇である「イポリートとアリシ」がセンセーショナルな成功を収め、その後、ラモーは30年に渡ってオペラを書き続け、フランスバロックオペラの黄金期を牽引することになる。
ラモーは遅咲きの作曲家であり、フランス中部のディジョンに生まれ、40歳までは故郷や地方のオルガニストとして活動していた。その後、音楽理論書を発刊して成功を収め、パリに出て音楽理論家やクラヴサンの演奏家としての活動を開始。裕福な徴税請負人ラ・ププリニエール家の楽長となって本格的に作曲家としての活動を開始している。
「ピグマリオン」は、1748年8月27日にパリのパレ・ロワイヤルにあったオペラ劇場、王立音楽アカデミーで初演された作品である。大ヒット作となり、革命前までに200回以上上演されたという記録があるそうだ。
バレエの部分が長いのも特徴であり、言葉ではない表現の重要度も高い。

「変身物語」に由来する話であり、ストーリー自体はたわいないというかとてもシンプルなものである。彫刻家のピグマリオンが自身が制作した人形に恋をして、やがてその人形が意思を持つようになり、ピグマリオンの恋が報われるというそれだけの話である。
愛の神が登場し、愛が賛美されて終わる。
出演は、クレマン・ドビューヴル(ピグマリオン)、波多野睦美(セフィーズ)、鈴木美紀子(愛の神)、佐藤裕希恵(彫像)、松本更紗(バロックダンス)、中川賢(コンテンポラリーダンス)、酒井はな(コンテンポラリーダンス)。振付:小尻健太(こじり・けんた。「じり」は下が「九」ではなく「丸」)。
合唱は、コルス・ピグマリオーネス(臨時編成の合唱団)。

岩田達宗の演出は、いずみホールの空間を目一杯使ったものである。まず女性出演者達がステージ上に現れて戯れ始め、ピグマリオンとその分身のダンサーである中川賢は客席入り口から現れて通路を通って舞台に上がり、女性達と手を繋いだり、手と手で出来た橋の下を潜ったりして踊り始める。
やがて舞台から一人また一人と去って行き、ピグマリオンと一体のダンスを行っていた中川賢も下手バルコニーから降りている布の背後へと去って行く。ピグマリオンと彫像だけが残り、ピグマリオンが彫像に対する報われない恋に落ちてしまったことを嘆いている。この時はピグマリオンは愛の神が放った愛の矢を憎む発言を行っているのだが、人形に命が吹き込まれると一転して愛の神を絶賛し始め、愛の矢をもっと射るよう望み出すため、今の時代の視点からは結構いい加減な奴に見える。

ちなみにピグマリオンにはセフィーズという愛人がいるのだが、ピグマリオンは生身の人間であるセフィーズよりもまだ動く前の彫像を選んでおり、彫像に負けたセフォーズの身になってみればたまったものではないが、彫刻家と彫像ではなく、ラモーのような作曲家と作曲作品に置き換えると、案外まっとうなことに思えてしまう。もし仮に私が作曲家だったとしたら、女よりも自作を選んでしまう可能性は結構高い気がする。

彫像が命を得た後で、愛の神が客席後方(いずみホールの客席は緩やかな傾斜となっており、バルコニー席以外の2階席はないが、1階席の後方には2階通路から入る構造となっている)から分身を伴って現れる。

その後、コルス・ピグマリオーネスのメンバーが現代風の衣装で舞台に現れ、客席通路を通って後方へと進み、ピグマリオンとの掛け合いが行われる。更にそれが終わるとコルス・ピグマリオーネスは2階バルコニー席に現れ、最後は舞台上から再び客席に降りて手拍子を行い、観客にも手拍子を促す。

バルコニーにいた愛の神と分身が階段を降りてパイプオルガン演奏スペースに進み、手に手を取って舞い始める。ダンスと音楽の素敵な結婚。ヴァイオリン奏者たちが立ち上がっての演奏を行い、最後は寺神戸もコンサートマスターの位置を離れて舞台前方へと歩み出る。

衣装や空間の用い方により、時代や境界を超えたありとあらゆる愛が讃えられるかのような祝祭性に満ちあふれたオペラ上演となっていた。

Dsc_8179

| | コメント (0)

2019年12月20日 (金)

美術回廊(46) ジョーン・ジョナス京都賞受賞記念展覧会「Five Rooms For Kyoto:1972-2019」

2019年12月18日 御池通の京都市立芸術大学ギャラリー@KCUAにて

御池通にある京都市立芸術大学ギャラリー@KCUAで、ジョーン・ジョナスの京都賞受賞記念展覧会「Five Rooms For Kyoto:1972-2019」を観る。
1936年生まれのジョーン・ジョナス。今月12日にロームシアター京都サウスホールでパフォーマンス「Reanimatio」が上演され、14日から京都市立芸術大学@KCUAのでの展覧会が行われている。年をまたいで来年の2月2日までの開催である。入場無料。

展覧会のタイトル通り、京都市立芸術大学@KCUAの5つの展示室を使って行われる展覧会。映像作品と美術の展示がある。
最初の部屋は、12日にロームシアター京都サウスホールで行われた「Reanimation」のものである。ジェイソン・モランの音楽も録音で流れてくる。
ジョナスは、歌舞伎や能を観て日本の表現形式に魅せられたそうだが、「Reanimation」では障子をスクリーンとして用いている。氷河の山脈の映像や、ドローイングの風景などが投影されている。
「Reanimation」の上演映像もモニターで流れている。セリフを書いた冊子が手前の椅子の上に置いており、自由に読むことが出来るようになっている。

2階に上がり、3つの部屋で行われる展示を眺める。最初の部屋に映されているのは、「Lines in the Sand」。パリスと結婚したとされるヘレネーの物語を題材としているが、ヘレネーはトロイアではなくエジプトに行ったとするアイスキュロスの戯曲を元にしており、エジプトに取材した作品である。ただ、ジョナスはエジプトには行かず、ピラミッドやスフィンクスの模倣品が街中にあるラスベガスに向かい、ラスベガスのそばの砂漠で砂にドローイングを行ったりしている。二重の意味で「本来ではない場所」での創造が行われるのである。
モニターには「ピロートーク」という題の、男女による語りの作品が映されていた。こちらは演劇性が高いものである。

2階の2つ目の部屋は、最も演劇性の高い実験映像である。「Organic Honey」と題された映像群で、最初期の作品である「Oranic Honey's Visual Telepathy」を始めとする6つの映像がスクリーンやモニターに流れている。何が映っているのかよくわからないものもある。

2階の3つ目の部屋は、ジョナスが取り組んでいる環境問題に題材を取った映像2つ(「Moving off the Land Ⅱ」と「Whale Video」)が流れている。人類と魚類の共通点が少年や少女によって語られ、「Reanimation」のラストに登場した魚は、やはり生物の原点という意味で扱われていたことがわかる。
ジョナスがスクリーンに映る海の生き物たちと一体になろうとしたり、自分の体に紙を押し当てて体型をなぞったものに吸盤を加えてタコと一体化したりと、生物の歴史を超えた融合を試みる場面が見られる。この作品でもジョナスがハンドベルを鳴らず場面があるが、自然破壊への「警鐘」そのものとして用いているようである。

階段を降りて、1階にある最後の展示室へ。この部屋ではジョナスの教育活動が紹介されている。4つのモニターが互いに背を向ける形で四方に並べられており、大学や美術アカデミーで行われたインプロビゼーション(即興)でのパフォーマンスが映し出されている。
ガラスケースの中には、ジョナスが授業の際に使用した指示書が展示されている。これも日本語訳テキストが壁に2冊ずつ下がっていて、手に取って読むことが出来る。詩や映像作品の組み立てを分析してパフォーマンスに生かすこともやっているようだが、日記を書いて、実際にあったことを表現するよう指示が出されたものもあった。

Dsc_8220

| | コメント (0)

観劇感想精選(330) ジョーン・ジョナス 京都賞受賞記念パフォーマンス「Reanimation」

2019年12月12日 左京区岡崎のロームシアター京都サウスホールにて

午後7時から、ロームシアター京都サウスホールで、ジョーン・ジョナスの京都賞受賞記念パフォーマンス「Reanimation」を観る。

ジョーン・ジョナスは、1936年、ニューヨーク生まれ。現在も同市在住である。1960年代にパフォーマンスとビデオを融合させた新たな表現形式を創始し、現在もデジタルメディアとパフォーマンスとの関係を探求し続けている。

 

舞台中央に障子で出来たスクリーンが降りており、そこに映像が投影される。まず映されるのは寒冷地の街の映像であり、その後、アイスランドを描いた地図が映り(左下に首都のレイキャビクがある)、先程の映像がアイスランドのものであるらしいことがわかる。

舞台左手にグランドピアノがあり、その上にキーボードが乗せられている。演奏を行うのは、1975年、テキサス州生まれのピアニストで作曲家であるジェイソン・モラン。グランドピアノには坂本龍一のコンサートでよく見られるような自動演奏機能が付いており、モランはグランドピアノを自動演奏モードにしてキーボードを弾いたり、片手でキーボード、もう片方の手でピアノの演奏を行ったりする。ミニマルミュージックに始まり、即興演奏風になり、再びミニマルミュージックに戻ってくる。北欧の先住民であるサーミ人の伝統歌謡「ヨイク」も効果的に用いられている。

舞台上手にはテーブルが置かれ、助手が映像を映し出したり、ドローイングが行われたりする。

 

アイスランドの作家、ハルドル・ラクスネスの著作、特に『極北の秘教』に影響を受けたパフォーマンスである。近年、世界的な問題となっている氷河の融解を題材としているが、実はラクスネスは氷河がまだ溶け出していない1960年代に氷河の問題を取り上げているそうである。
ラクスネスの著作を題材にしたパフォーマンスは、まず2010年にジョナスが教鞭を執るマサチューセッツ工科大学(MIT)で制作され、講義形式の作品であったようだが、その後、ジェイソン・モランとのコラボレーションを行うようになり、完成形へと徐々に近づいていったようである。

ハルドル・ラクスネスは、1955年にノーベル文学賞を受賞しているが、彼が書いた戯曲のような小説『Under the Glacier(氷河の下で。邦題:極北の秘教)』が今回の公演の軸となっている。『極北の秘教』からのテキストをジョナスが朗読することで進んでいく。上演時間は約1時間。

ジョナスが、舞台中央やや下手寄りに立てられた板に掛かる黒板風のものにチョークで六角形の図形を並べた花のような絵を描き込んでいく。
「完全な死体となった全裸の女が目覚め、棺から出てアイルランド風のパンを焼き(どんなパンなのかはわからないが)、棺担ぎの男達に振る舞った」という民話風のミステリアスな蘇生(Reanimation)の話が冒頭で語られる。その後、北欧(アイスランドではなくノルウェーらしい)の光景である山々や動物達がスクリーンに映し出される。ジョナスは舞台上手のドローイングスペースに行って、映像の輪郭をなぞるような書き込みを行うが、完成する前に映像は先に進んでしまい、ジョナスが描き込んだ絵は残像のように残されることになる。「喪失」が強く印象づけられる。

ラクスネスによると氷河は世界の中心であり、昔、錬金術師に導かれて3人の男が氷河に覆われた火山の噴火口に降り、そこで世界の中心を見つけたという。

ノルウェーの氷に閉ざされた山の麓を走る列車から取られたと思われる映像が続き、ジョナスは草笛のようなものや、角笛のようなものを鳴らす。また紙をくしゃくしゃに丸める音を出す。それは氷河の溶解の音のようでもある。

「歴史は寓話、それも粗末な。それに絶えられず私は神学を学ぶことにした」だが、その神学もやがては信じられなくなるようである。新たな寓話が求められる。

嵐に耐えるユキホオジロの話も語られる。「完璧」の喩えとしてだ。人間がユキホオジロのように鳴き声を交わす生き物でないことを残念に思い、ならば沈黙を求めようとする。氷河は沈黙している。野の百合もまた。

やがて話は冒頭の全裸の女の死体の話に戻る。それは今や完全な死体である。幽霊の話も語られるが、幽霊は常に不完全な存在であり、「世界の流産」と形容される。これは氷河の融解に繋がるメタファーだと思われる。氷河の融解は進んでおり、時間を巻き戻すことは出来ない。それを食い止める夢を描いたとしても、それはかつての氷河の姿に由来する幽霊に過ぎないのではないか。

ただ、時間は解決のための有効な手段として今も考えられており、最後の結論として再度登場する。

「蘇生」を題材にした映像。池の中に白い影が映り込んでいる。やがてその白い影は白い服を着た女性だということがわかり、飛び込み台の上にいる女性はやがて池に飛び込み、泳ぎ出す。その後、映像はアザラシなど、氷河の海で暮らす生物達の映像に突然切り替わる。

タンポポとミツバチの話、ミツバチがタンポポの蜜を吸い、ミツバチがタンポポの花粉を体につけて他のタンポポに移り、受粉が行われることを「超交信」と呼ぶ。これが新たな宇宙的発展の希望と考えられているようである。

世界は悪魔が支配しているという話。ものが燃やされている映像。あるいは焚書を表しているのかも知れない。悪魔はいつまで経っても悪魔であり続けると考えたとしても、神を冒涜したことにはならないだろうという内容が読み上げられる。

山羊などアイスランドの家畜達が映った映像が流れた後で、ジョナスはカウベルなどを鳴らす。スクリーンにはすでに家畜はおらず、雪の畑を延々と歩き出す人の影が映し出されている。やがて右の方に北極海が見え、影は砂浜にたどり着く。

ジョナスは、最初は黒板のようなものが掛けられていた板に半紙を垂らし、墨で魚の絵を描く。

『極北の秘教』からの最後の引用が語られる。「時について」だ。「時の超越性は誰も知ることである。時はエネルギーでも物質でもないが、始まりと終わりを担っている。世界の創成のだ」
スクリーンには魚達の姿が映されている。あるいは他に意味があるのかも知れないが、「始まり」と「魚」は相性が良い。生物の始まりは魚だからである。
ジョーン・ジョナスは、教訓的な表現は行わない人だそうで、あるいは細分化して「意味」として受け取るのは間違っているのかも知れないが、「根源に戻ること」は何事においても重要なのかも知れない。我々はそもそも何を求めてどこからやって来たのかということだ。
キリスト教では、魚は特別な存在であり、題材からいってそちらの可能性もあるのだが、キリスト教徒の少ない日本においてはそうした解釈は真偽に限らず有効性を持たない。先の解釈の方が良いだろう。

Dsc_8152

| | コメント (0)

2019年12月18日 (水)

美術回廊(45) 京都国立近代美術館 「円山応挙から近代京都画壇へ」

2019年12月12日 左京区岡崎の京都国立近代美術館にて

京都国立近代美術館で、「円山応挙から近代京都画壇へ」という展覧会を観る。
円山派の祖としてその名を残す円山応挙(1733-1795)。京都の四条通に面した家に住んでおり、弟子の多くも四条通沿いに居を構え、弟子の呉春は応挙の写実性と与謝蕪村の瀟洒さを兼ね備えた四条派を起こしている。

この展覧会ではまず応挙が最晩年に手掛けた大乗寺の障壁画が並んでいる。兵庫県の日本海側、美方郡香美(かみ)町にある大乗寺。円山応挙の名は全国に鳴り響いており、大乗寺もその名声を耳にして応挙とその弟子達に障壁画を依頼している。現在では大乗寺は「応挙寺」の別名でも知られているという。

円山応挙が描いた大乗寺の障壁画。まずは、「松に孔雀図」である。円山応挙は四条河原の見世物小屋で孔雀を見て惚れ込み、孔雀の絵を何枚も描いているが、これがおそらく応挙最後の孔雀絵である。細部まで極めて丁寧に描き込まれており、写実を得意とした応挙の真骨頂が発揮されてる。角になる部分に松を配して、松ヶ枝が降りかかってくるよう錯覚させる工夫がなされていることも、江戸時代の芸術らしい計算が感じられる。

孔雀は阿弥陀如来の乗り物であり、孔雀が描かれた襖を開けると、奥に大乗寺の阿弥陀如来像が現れる仕掛けとなっている。

呉春が描いた「巖上孔雀図」も展示されているが、肩の部分の盛り上がりなど、応挙に比べると立体感を重視しているように見受けられる。

相国寺が所蔵する円山応挙の「牡丹孔雀図」は可憐であり、極楽浄土の縮景として孔雀が描かれているかのようである。隣には岸駒(がんく)の「孔雀図」も展示されており、岸駒の孔雀も緻密な描写であるが、目の部分などはグロテスクさを隠さないほど写実的であり、特に極楽的なものを盛り込む意思が岸駒にはなかったと思われる。

円山応挙はありとあらゆるものを描いており、その点においては東の葛飾北斎と並ぶ西の雄であったと思われるのだが、躍動感や構図を重視する北斎に比べ、応挙は細部に至るまでの徹底した観察と描写を重視しており、同じものを様々な構図から描いているが、基本的には静物画指向である。その点において、応挙の方が北斎よりも西洋絵画に近いといえる。
「応挙漫画」ともいえる「写生図鑑」は、「それそのもの」を描くことのお手本である。

円山派・四条派の写実の力はとにかく傑出したものがあり、「どうやったらここまでリアルに描くことが出来るのか」と呆れてしまうほどである。この点においては現代の画家の筆致が稚拙に思われるほどであるが、映像が溢れている時代に往時のような描写力で勝負しようと思っても余り意味がない。ある意味、円山応挙とその弟子達が追い求めた絵画の世界は理想郷ではあったが、今となっては遠い場所となっている。上村松園は、応挙の世界を「理想的」と讃えていたが、その世界を再現する意志はなかったと思われる。

忠臣蔵の季節ということもあって、円山応挙による「大石良雄図」も展示されている。「おおいしよしお」と読むようである。「お軽と勘平」のお軽とのやり取りの場面である。この図を源琦が模写したものが並んでいる。着物が透けているというリアルな描写を応挙は行っているのだが、源琦はそれを更によくわかるよう再現している。

写実的な静物画を描いていた円山応挙であるが、「保津川図」では、水の流れが見えるような動的な描写を行っている。寛政7年(1795)応挙最後の年の作品である。動的な描写を旨とした江戸の絵画に影響を受けたのかどうかはわからないが、応挙もまた最後はダイナミズムと躍動感に溢れる絵画へと行き着いたということだろうか。動くはずのない絵の中に、あたかも動画と錯覚させるような流れを盛り込む技法。西洋絵画の影響を受けた応挙が、その西洋画壇を驚嘆させることになる日本画の系譜の中に、しっかりと入っていることが感じられる作品である。

Dsc_8150

| | コメント (0)

2019年12月10日 (火)

観劇感想精選(327) 南座新開場一周年記念「當る子歳 吉例顔見世興行 東西合同大歌舞伎」夜の部

2019年12月5日 京都四條南座にて観劇

午後4時45分から、京都四條南座で、南座新開場一周年記念「當る子歳 吉例顔見世興行 東西合同大歌舞伎」夜の部を観る。演目は、近松門左衛門作「堀川波の鼓」、河竹黙阿弥作「釣女」、河竹黙阿弥作「魚屋宗五郎」(「新皿屋敷月雨暈」より)、「越後獅子」

「堀川波の鼓」と「魚屋宗五郎」は共に「酒乱」が鍵となっている作品であり、それを縦糸としたラインナップなのだと思われる。大人気といえる演目が存在しないため、今日は空席も比較的目に付いた。

 

「堀川波の鼓」。堀川というのは京都の堀川のことであるが、今回の上演は通し狂言ではないので、堀川の場は出てこない。鼓の師匠である宮地源右衛門(中村梅玉)が京都の堀川下立売に住んでいるという設定である。
因幡鳥取藩で実際に会った不義密通事件を題材にした世話物である。
鳥取藩士の小倉彦九郎(片岡仁左衛門)が参勤交代で江戸に出向いている時の話から始まる。彦九郎の妻お種(中村時蔵)は、江戸詰である夫が恋しくてたまらない。彦九郎が江戸詰の時は、お種は実家に帰っているのだが、そこでも妹のお藤(中村壱太郎)に夫に会えない寂しさを語って聞かせている。お種は、実弟の文六(片岡千之助)を連れ養子としているのだが、文六は、京都の鼓師である宮地源右衛門に鼓を習っている。稽古が終わり、お種と宮地は初対面の挨拶をするのだが、酒が入ることになり、お種は酒好きなのでつい盃が進んでしまう。お藤と文六は帰宅し、源右衛門が場を外している時に、お種に懸想している磯辺床右衛門(中村亀鶴)がやって来て関係を迫る。床右衛門は隣から謡の声が聞こえたのに驚いて帰って行くが、源右衛門に話を聞かれたと思ったお種は源右衛門に口外しないよう誓わせようとする。だが酒で酩酊していたお種は、つい源右衛門と道ならぬ関係になってしまう。その後、引き返してきた床右衛門は、お種と源右衛門のそれぞれの袖を引き剥がすことに成功し、これをネタにゆすりを掛けようとする。5月半ばに彦九郎は帰国するが、藩内にお種が不義密通をしたという噂が流れており、お藤は彦九郎とお種を離縁させようとすると計るも失敗し、結局、彦九郎は泣く泣くお種を手に掛けることになる。
酒の勢いでついという話であるが、当時は不義密通は死罪相当であり、酒のせいでは済まされなかったのである。というわけで誰のせいにも何のせいにも出来ないやるせなさが残る。

彦九郎役の仁左衛門(松嶋屋)は、実は登場している時間はそれほど長くないのだが、貫禄と悲しみを併せ持った彦九郎を浮かび上がらせている。お種を演じた時蔵(萬屋)も酒に溺れてしまった不甲斐なさを適切に表現している。お藤を演じた壱太郎(かずたろう。成駒屋)の可憐さも光る。
この演目では音楽が実に効果的である。南座は新しくなって音の通りが良くなっただけに、一層、音楽の良さが引き立つ。

 

「釣女」。狂言の「釣女」を常磐津で演じる。
妻を娶りたいと思っている大名(いわゆる何万石という所領を持っている大名ではなく、地方の有力者程度の意味である。演じるのは中村隼人)が、縁結びの神として知られている西宮戎(西宮神社)に参詣することを思い立ち、太郎冠者(片岡愛之助)と共に出掛ける。西宮の戎は社伝そのままに夷三郎と呼ばれている。狂言では演者が最初から舞台の前の方に立つことはないのだが、大名のような身分の高い人はそれを表すために他の人よりも前寄りに立つ。

参詣した大名は、美しい女性と出会えるよう、夜通しの籠祈願を行うことにするのだが、太郎冠者に寝ずの番をさせて自分はさっさと寝てしまう。あきれた太郎冠者は何度も大名の眠りを妨げようとする。そうするうちに大名が夢を見る。神社の西の門に運命の人が現れるというのである。西の門に駆け付けた大名と太郎冠者であるが、そこに釣り竿が落ちているのを見掛ける。「女を釣り上げろ」ということかと合点した大名が釣り糸を垂れ、何度か引いている内に、見目麗しい上臈(中村莟玉)が釣り上がる。早速に三三九度を取り交わし、太郎冠者が「高砂」を真似た祝いの舞を演じると、大名と上臈も喜びの舞を始める。

今度は、太郎冠者が釣り針を垂れる。やはり女(中村鴈治郎)が釣り上がるのだが、これがとんでもない醜女であり、太郎冠者は嫌がる。だが、女は太郎冠者にぞっこんで、大名も神が決めた相手なので拒むことは出来ないと言い……。

愛之助(松嶋屋)の軽やかな舞が一番の見所である。隼人(萬屋)は、台詞回しが板に付いていなかったが、若いということだろう。
中村莟玉(かんぎょく。梅丸改。高砂屋)は、襲名披露ということで「おめでとうございます」と言われるシーンがあった。素顔が男前ということで、女形としてもやはり美しく華やかである。

 

「魚屋宗五郎」。私が初めて歌舞伎というものを観たのは、1996年の12月、東京の歌舞伎座に於いてであるが、3つあった演目のうちの最後が「魚屋宗五郎」であり、十二代目市川團十郎が宗五郎を演じていた。「魚屋宗五郎」を観るのは、それ以来、23年ぶりである。ちなみに「堀川波の鼓」で小倉彦九郎を演じた片岡仁左衛門も、1996年以来、23年ぶりの彦九郎役だそうで、偶然ではあるが繋がっている。

「新皿屋敷月雨暈(しんさらやしきつきのあまがさ)」の第2幕と第3幕を上演するもので、この二幕だけを演じる場合は、「魚屋宗五郎」という題になる。
妹のお蔦を手討ちにされた魚屋の宗五郎(中村芝翫)が、金比羅様に誓って絶っていた酒を飲んでしまったことから巻き起こる大騒動である。
実はお蔦は無実で、横恋慕していた岩上典蔵(中村橋吾)の策謀によって不義密通を仕立て上げられたのであった。

宗五郎が酒をがぶ飲みする場面では、三味線がコミカルな感じを上手く出している。

中村芝翫(成駒屋)の演技は、名人芸の域に達しつつある。歌舞伎界のトップに君臨するようなタイプの人ではないが、演技力に関しては言うことなしである。
一方、名前を継いだ長男の橋之助(四代目)は、狂言回しの役割も担う三吉という重要な役で出ていたが、明らかに「浮いている」と思うほどに下手である。同年代の隼人も上手くはないし、まだ若いということなのだろう。十代目松本幸四郎(七代目市川染五郎)などは、若い時から演技の質は高かったが、昨年の11月の顔見世などを見ると伸び悩みが感じられ、早くから完成されているが伸びないタイプと、最初は拙いがどんどん成長するタイプの二つが存在する――というよりどちらかでないと俳優としては致命的である――と思われる。五十代六十代という歌舞伎役者として大成する時期にどちらが上に来るのか見守ることも面白いように思う。

 

中村隼人、中村橋之助、片岡千之助、中村莟玉という若手歌舞伎俳優4人による舞踊「越後獅子」。江戸・日本橋駿河町(現在の東京都中央区日本橋室町)の三井越後屋前が舞台である。背景には堀と蔵屋敷が並び、正面遠方奥に掛かるのが日本橋ということになるのだと思われる(地理的には異なるはずだが芝居の嘘である)。
一つ歯の高下駄で舞うなど、「俺だったら一発で捻挫する自信がある」と思える高度な舞を全員が器用にこなす。流石は歌舞伎俳優である。
4人の中では、莟玉が小柄だが動きに一番キレがある。元々日本舞踊の世界から梨園に入ったということも大きいのであろう。

Dsc_8109

| | コメント (0)

2019年12月 6日 (金)

2346月日(19) 「カルチャートーク Creator@Kamogawa」 第1部「場所の記憶」&第2部「ラ・長い息」 2019.11.30

2019年11月30日 荒神橋のゲーテ・インスティトゥート・ヴィラ鴨川にて

ゲーテ・インスティトゥート・ヴィラ鴨川で午後3時から「カルチャートーク Creator@Kamogawa」を聴くことする。
始まる前にゲーテ・インスティトゥート・ヴィラ鴨川内にあるカフェ・ミュラーで食事。本格的な食事は2種類だけで、鳥料理のものを選ぶ。

 

ゲーテ・インスティトゥート・ヴィラ鴨川での「カルチャートーク Creator@Kamogawa」は1階のホール(ザール)での開催。ドイツの建築家・美術家であるミヒャエル・ヒルシュビヒラーと宗教人類学者の植島啓司の対談による第1部「場所の記憶」と、ドイツの美術家であるレニ・ホフマンと美術家の今井祝雄(いまい・のりお)との対談である第2部「ラ・長い息」の二本立てである。いずれも司会進行役は小崎哲哉が務める。イヤホン付きの機械を使うことで日独同時通訳音声を聞くことが出来る。

Dsc_8058

第1部「場所の記憶」。ミヒャエル・ヒルシュビヒラーは、1983年生まれ。哲学と建築をベルリンとチューリッヒで学び、現在はミュンヘンとチューリッヒを拠点に美術と建築の境界領域で活動。パプアニューギニアでの調査や教育活動も行っている。

ヒルシュビヒラーは、「ナラティブな考古学」と称した調査探索をパプアニューギニアで行っており、パプアニューギニアに伝わる怪談話や口語伝承を現地の人から聞き取っているそうである。
また、アゼルバイジャンの首都バクーの油田では、石油を使って絵を描き、組み上げポンプの音を録音して音楽を作るという試みも行っている。実は、石油を使って絵を描いている時に、立ち入り禁止のところに入ってしまって逮捕されたこともあるそうだ。
石油で描いた絵をギャラリー内に再現するということも行っているそうだが、これらをアゼルバイジャンの外に持ち出すのは許可がいり、下りていないため、ヨーロッパでの再現はまだ果たされていないそうである。おそらくバクー市内のギャラリーでの再現に留まっているのだろう。

一方の植島啓司は、1947年東京生まれ。東京大学と同大学院博士課程修了。ニューヨーク・ニュースクール・フォー・ソーシャルリサーチ客員教授、関西大学教授などを歴任し、現在は京都造形芸術大学空間演出デザイン学科教授を務めている。熊野の民俗学や聖地の研究などを行っている。

植島は「聖地は自然発生的に出来るもので、個人が聖地を作り出すことは出来ない」と主張しており、全く反対の考え方をしている荒川修作と共に聖地調査を行ったこともあるそうだ。
植島は、世界的な聖地としてアルメニアに注目しているという。アルメニアのアララト山は、エデンの園のモデルとなったところだそうで、またアルメニア国内にはノアの箱舟伝説の最初期の形態が残っているという。
熊野に伝わる小栗判官の話などもする。地獄に落とされた小栗判官が蘇るという物語だが、このように非業の死を遂げた人を神様として祀るという習慣が日本にはある。京都での例として北野天満宮が挙げられていたが、京都にはそれ以外にも上御霊神社、下御霊神社、白峯神宮、崇道神社など、怨霊を神様として味方にするという風習がある。これは世界的に見ても珍しい習慣であることは間違いない。小崎によると、他の国では地獄に落ちた人が罰せられるという救いのない話になることが多いそうだ。ヒルシュビヒラーによると、パプアニューギニアにもそんな話はないそうである。パプアニューギニアに伝わるナラティブには、例えば、母親が留守の時に父親が息子を殺してバラバラにし、庭に撒くと草木や花が生えてきて、戻ってきた母親がそれを見て喜ぶという、論理も倫理道徳もない不思議な話が多いそうである。

ヒルシュビヒラーも、「個人で聖地を作ることは出来ない」という植島の意見には賛成するが、「聖地から影響を受けて新たなものを作り出すことは可能」という考えを持っているそうだ。京都に来て、様々な妖怪の話や怪談を集めて回っているが、文学からのアプローチでは、まず日本の古典を読むことを始めたそうで、上田秋成の『雨月物語』を読むことにした。それもドイツ語訳されたものではなく、日本語の文章をGoogle翻訳機にかけたもので読もうとしたそうだが、翻訳機能がまだ正確ではないので、わけのわからないものになったそうだ。ただその滅茶苦茶さが面白いという。これはパプアニューギニアで採取した物語のわけのわからなさにも繋がっているのだろう。
京都について、ヒルシュビヒラーは、「古いものと新しいものがこれほど渾然一体となっている都市は世界中を探しても存在しない」ということで、京都という場所の歴史的重層性を芸術作品にしようと、妖怪が描かれた絵巻物を、幽霊が出るという噂のあるトンネルの中に置き、一晩寝かせた状態のものを作品とするという試みなどを紹介する。トンネルというのは近年になってから出来たもので、絵巻物の上にはタイヤの跡などがついているが、自動車も古くからあったものではない。時代の異なるものが合わさったものを重層性のある芸術作品として捉えるというあり方である。

植島は曼荼羅が土地の代わりになるという日本の考え方を紹介する。これもある意味、土地が芸術作品を生み出す例と見ることも出来る。また記号の中に物語が展開される例があるとして、中央オーストラリアのワルビリ族のイコノグラフィーを紹介する。不思議な絵のようなものが並んでいるが、全てに意味があるそうで、見て感じる物語のようなものとなっているようである。また、蛇の物語が最初に置かれているのだが、この蛇の物語は世界中の至る所で見られるそうで、例としてメソポタミアの英雄マルドゥクと大地の精霊ティアマトの絵が資料に印刷されていたが、考えてみればエデンの園の物語で悪役となっているのは蛇であり、日本でも箸墓伝説など蛇が重要な役割を果たすものは枚挙にいとまがない。

あるいは、聖なる意識というものは人類の奥底で繋がっていて、それが特別な場所や手段を経て、人類の意識上において再結合するものなのかも知れない。

 

第2部「ラ・長い息」。タイトルは、レニ・ホフマンが決めたそうだが、ドイツ語で「LA LANGER」という語感で決めたそうである。レニ・ホフマンは、自らを「アナーキスト」と語っており、前衛芸術を生み出す人であるようだ。

レニ・ホフマンは、1962年生まれ。デュッセルドルフとカールスルーエを拠点に、サイトスペシフィック(場所に帰属する芸術)な創作活動を行っているそうである。2002年よりカールスルーエ芸術アカデミーの教授を務めている。レニ・ホフマンの芸術を捉えるには「パンク」や「遊び」が重要なワードとなるようだ。

対談相手の今井祝雄は、1946年生まれ。1965年に吉原治良が率いる具体美術協会の最年少会員となる。その後、大津市にある成安造形大学教授を経て現在は同大学の名誉教授の称号を得ている。
具体美術協会では、展覧会に出展する作品などは全て吉原治良が選定していたそうだが、評価に関しては「ええで」か「あかん」の二つだけだったそうで、「ええで」と言われた時はいいが、「あかん」と言われたときは理由がわからず、悶々とすることもあったという。自分が教育者や選定者として活動する立場となった時は、流石に「ええで」と「あかん」の二つで決めるというわけにはいかず、駄目なときでもその理由を説明するようにはしているそうである。
吉原には、「これまでにないものを作れ」と何度も言われたそうで、それが作家としての指針となってきたようだ。ただ小崎によると現代芸術は新しいものを求める一方で、その根拠や歴史的な文脈を求めるところがあるそうで、真逆のことをやらねばならない難しさがあるようである。

レニ・ホフマンは、サイトスペシフィックとはいうが、デジタルな思考として「昨日」「今日」「明日」が一度に見えるような作品を指向するなど、重層性ということに関してはヒルシュビヒラーと繋がる部分があるように感じられる。
レニ・ホフマンの芸術観は、日本の観念だと「無常」と相性が良く、その日、その場所、その人でなければ味わえないアートを理想としているようである。第2部開始前に聴衆全員に粘土をこねたボールが配られたが、粘土は誰でも手軽に形を変えることの出来る芸術という意味があるようだった。私も色々と押しつぶして形を変えてみた。結局のところありきたりの形にしかならなかったわけだが。他の人も色々と試していたが、飛び抜けて創造的な作品を作ることは難しいようだった。

ある意味、「個」としての体験を重要な芸術感覚と捉えているようで、第2部終了後、ゲーテ・インスティトゥート・ヴィラ鴨川の裏庭に設けられたレニの作品を皆で鑑賞したのだが、様々な角度を向いたミラーに人々が映り込むことで、1回きりの芸術体験が出来るようなものであった。1回きりではあるがそれは瞬間瞬間においてはということで、形を変え続ける作品をずっと見続けることは出来る。ただ、写真とは相性は悪く、私もスマホで何枚か撮影したが、「写真には写らない美しさがある」作品だと確認した。

レニは芸術の幅を広げることを重要視してるようだが、今井によるとメンターの問題として美術系芸術系大学が増えて、売り出し方までも教えるようになった結果、アカデミズムから抜け出ることが難しくなっているという。
都市芸術にも話は及ぶ。都市芸術というと、私などは名古屋市立美術館で観たハイレッド・センター(高松次郎、赤瀬川源平、中西夏彦による前衛芸術グループ。東京の路上で過激なパフォーマンスを行うことで都市における芸術を提唱した)を思い浮かべるが、今井も御堂筋の3階建てのビルの最上階のネオンを使った都市芸術作品を作ったことがあるそうである。レニも都市は市民にとって重要な表現の場という考えを抱いているようであった。

Dsc_8067_20191206230501

| | コメント (0)

2019年11月23日 (土)

2346月日(18) 兵庫県立美術館 日本・ポーランド国交樹立100周年記念「ショパン―200年の肖像」

2019年11月9日 兵庫県立美術館ギャラリー棟3階にて

神戸へ。岩屋の兵庫県立美術館ギャラリー棟3階で日本・ポーランド国交樹立100周年記念「ショパン―200年の肖像」を観る。

Dsc_7893


兵庫県立美術館は京都から行くには遠い。以前に1回行ったことがあるのだが、その時は神戸に泊まっての帰りかなにかであり、京都から向かったわけではない。

午後1時過ぎに出て、阪急大阪梅田駅で降り、阪神大阪梅田駅から岩屋に向かうという道筋を採ったのだが、阪神の普通電車に乗ってしまい、思ったよりも進まないということで、尼崎駅で特急に乗り換えて御影駅まで行き、そこから普通で岩谷駅に向かうというルートを辿る。尼崎駅のホームからは、尼崎上の模擬天守が見えた。

 

兵庫県立美術館ギャラリー棟3階の「ショパン―200年の肖像」展入り口に着いたのだが午後4時少し前。1時間で回れるだろうと踏んでいたのだが、想像していたよりも展示品がずっと多く、最後の方は駆け足で見てまわることになった。

まずは、ヴワディスワフ・ヤールが描いた、ショパン作品にインスパイアされた絵画作品(エッチング)が並ぶ。ポロネーズ、前奏曲、ノクターン、バラード、即興曲などが並ぶが、必ずしも楽曲から受けるイメージ通りのものを描いたわけではない。

その後は、ショパンの肖像画が並ぶ。本格的なものからマンガ風のものまであるが、中には本来は抽象的な作風を特徴としていたヘンリク・スタジェフスキが、共産主義的リアリズムを強制されて描かれたショパンの肖像画などもあり、ポーランドが辿った歴史を確認することも出来る。

ショパンの肖像画として有名なものに、ドラクロアが描いたものがあるが、実はドラクロアによる肖像画は元々は「ショパンのジョルジュ・サンド」という二人を描いた作品として発表されたものが、いつの間にか二つに分けられて別々に展示されるようになったものである。今回の展覧会では、ルドヴィク・ヴァヴリンキェーヴィチが復刻した「ショパンとジョルジュ・サンド」が展示されていた。

ローベルト・シュピースがショパンの24の前奏曲全曲のイメージ画連作も展示されている。元々一般的なイメージは避けて描かれたものが多いといわれているそうだが、確かになぜこうなったのかよくわからないものもある。ただ、イメージ通りの絵を描いたとしたらそれはそれで面白くないだろう。絵は音楽の従者ではないのであるから。エウゲニウシュ・ピヘルやズィグムント・パドフスキなども同様の仕事を行っており、それぞれの個性がある。

 

壁一面に、ドゥシュニキ=ズドルイ・ショパン音楽祭や、アントニン「秋色のショパン」国際音楽祭、マリアーンスケー・ラズーニェ・ショパン音楽祭のポスターが並ぶ。ポーランドはポスター芸術も盛んだそうである。フォルマリズム的な、いかにも東側の芸術といった感じのポスターもあるが、少女マンガ風のものがあったり、アンディ・ウォーホルの影響が見られる作品があったり、ルネ・マグリット風の絵があったりとバラエティに富んでおり、また近年のものはポップでお洒落である。
スピーカーからは、ピリオド楽器で弾かれたショパンの曲が流れていた。

日本におけるショパン受容のコーナーもある。日本で最初にショパンの曲を弾いたのは、音楽取調掛(東京音楽学校と東京芸術大学の前身)の学生であった遠山甲子という女性である。また日本人でショパン弾きとして最初に評価されたのが、澤田柳吉(1886-1936)であり、澤田の紹介として、澤田が作・編曲をした「セノオ楽譜 お江戸日本橋」が展示されている。日本人で最初にショパン作品の録音を行ったのも澤田だそうで、SPに「ポロネーズ」作品40-1と「ワルツ」作品64-2を吹き込んでいるという。

 

ショパンが見たであろう、ワルシャワの風景を描いた絵画の展示が続く。描かれたいくつかの建物の中では、ショパンがピアノ演奏を行った記録が残っているそうだ。ショパンもショパン自身の演奏を聴いた人も、確実にこの景色を見ていたということになる。

余り有名ではない、ショパンの父親に関する展示もある。フリデリク(ポーランドの発音により近い表記ではこうなるらしい)・ショパンの父親であるニコラはフランスのロレーヌ地方の生まれなのだが、ニコラが生まれる5年前まで、ロレーヌは独立国だったそうで、しかも大公はポーランド人だったそうである。そのこともあってニコラもポーランド人に仕えており、主のポーランド移住に伴ってニコラもポーランドに移ったようである。ポーランドに移住後は、ニコラはポーランド風のミコワイを名乗るようになる。

続いて、パリでのショパンとその周辺の人々の肖像画並ぶ。ニロラ=ウスタシュ・モランの「著名なピアニスト達」には、ショパンに加えて、フランツ・リストやジーギスムント・タールベルクらが勢揃いした像が描かれている。ショパンの肖像として最も有名なものは、アリ・シェフェールのものだと思われるが、アリ・シェエールの筆によるフランツ・リストの肖像や、画家としてのシェフェールの代表作なども同時に展示されている。

Dsc_7894

 

若き日のショパンを描いたものとして有名なマリア・ヴィジスカのものや、ショパンのデスマスク、ショパンの左手像などを経て、いよいよショパンの自筆譜の展示がある。紙と筆跡を守るため、セパレーションで区切られた暗室の中に、ショパンの自筆の手紙と譜面が展示されている。近づくとケースの灯りがともる仕掛けとなっている。エチュードヘ長調作品10-8と、ポロネーズヘ短調71-3。閉館時間が迫っていたのでじっくりと見ることは出来なかったが、長い時間見たからといって感動が増すわけでもない。とりあえず、「見たぞ」という記憶と瞬間の映像を脳に刻む込む。

最後は、ショパン国際ピアノコンクール関連の展示である。コンクールのポスターが展示され、優勝者であるマウリツォ・ポリーニやクリスティアン・ツィマーマン、入賞者の中村紘子らの写真を確認することが出来る。映像の展示もあるが、残念ながら見ている時間はなかった。

会場を出てすぐの壁にショパンの手紙の翻訳が貼られている。ショパンは日記や手記などを残さなかった人であり、直接残された言葉は手紙に記されたもののみであるようだ。

| | コメント (0)

より以前の記事一覧

その他のカテゴリー

2346月日 DVD YouTube …のようなもの いずみホール おすすめCD(TVサントラ) おすすめサイト おすすめCD(クラシック) おすすめCD(ジャズ) おすすめCD(ポピュラー) おすすめCD(映画音楽) お笑い その日 びわ湖ホール アニメ・コミック アニメーション映画 アメリカ アメリカ映画 イギリス イギリス映画 イタリア ウェブログ・ココログ関連 オペラ カナダ グルメ・クッキング ゲーム コンサートの記 コンテンポラリーダンス コンビニグルメ サッカー ザ・シンフォニーホール シアター・ドラマシティ シェイクスピア シベリウス ショートフィルム ジャズ スタジアムにて スペイン スポーツ ソビエト映画 テレビドラマ トークイベント ドイツ ドキュメンタリー映画 ニュース ノート ハイテクノロジー バレエ パソコン・インターネット パフォーマンス パーヴォ・ヤルヴィ ピアノ ファッション・アクセサリ フィンランド フェスティバルホール フランス フランス映画 ベルギー ベートーヴェン ミュージカル ミュージカル映画 ヨーロッパ映画 ラーメン ロシア ロームシアター京都 中国 中国映画 交通 京都 京都コンサートホール 京都フィルハーモニー室内合奏団 京都四條南座 京都市交響楽団 京都芸術センター 京都芸術劇場春秋座 伝説 住まい・インテリア 余談 兵庫県立芸術文化センター 動画 千葉 占い 台湾映画 史の流れに 哲学 大河ドラマ 大阪 大阪フィルハーモニー交響楽団 学問・資格 室内楽 小物・マスコット・インテリア 広上淳一 心と体 恋愛 意識について 携帯・デジカメ 政治・社会 教育 散文 文化・芸術 文学 文楽 旅行・地域 日本映画 日記・コラム・つぶやき 映画 映画音楽 映画館 書店 書籍・雑誌 書籍紹介 朗読劇 来日団体 東京 楽興の時 歌舞伎 正月 歴史 海の写真集 演劇 無明の日々 猫町通り通信・鴨東記号 祭り 笑いの林 第九 経済・政治・国際 絵画 美容・コスメ 美術 美術回廊 習慣 能・狂言 花・植物 芸能・アイドル 落語 街の想い出 言葉 趣味 追悼 邦楽 野球 関西 雑学 雑感 韓国 韓国映画 音楽 音楽劇 食品 飲料 香港映画