カテゴリー「文化・芸術」の155件の記事

2020年7月12日 (日)

これまでに観た映画より(190) ライブ・ビューイング フェス2020-Act Call-「坂本龍一 PERFORMANCE IN NEW YORK:async」@MOVIX京都 2020.7.7

2020年7月7日 新京極のMOVIX京都にて

午後7時から、MOVIX今日で、「坂本龍一 PERFORMANCE IN NEW YORK:async」を観る。「ライブ・ビューイングフェス2020-Act Call-」に選ばれた作品。初公開時(2018年2月)にもMOVIX京都で観ている映画であり、「猫町通り通信」や「鴨東記」にも記事を載せている。初公開時は5.1chで上映されたが、今回は2chMIX音声である。
監督は、スティーヴン・ノムラ・シブル。

2017年4月にニューヨークのパーク・アベニュー・アーモリーで100名のみの聴衆の前で2回、計200名しか接することの出来なかったライブの映像である。

前回は、映画を観てから、「async」(「非同期」という意味)のアルバムを聴いたのであるが、今回は「async」がどういう音楽かを知った上で映画を観ることになる。アルバムを聞き込んだからライブの内容もわかるというものではないように思うが、音楽自体の良さは前回映画を観たときよりも把握出来るようになっている。

現代音楽を指向する青年として音楽のキャリアをスタートさせた坂本龍一。ポピュラーミュージシャンのバックバンド、フリーのミュージシャン&プロデューサー、YMOなどを経て、映画音楽やポピュラーとクラシックの中間の音楽を多く書いているが、原点である現代音楽への回帰を目指しているように思える。
「async」は、アンドレイ・タルコフスキーの架空の映画のための音楽という設定で書かれた作品である。「惑星ソラリス」を観て感銘を受けたのだが、「惑星ソラリス」にはバッハの音楽が使われており、バッハの音楽を押しのけて新しい音楽を書くわけにもいかないので、架空の映画のための音楽という形で作曲している。

 

紛れもなく坂本龍一の旋律であるが、和音や音の進行などにバッハのような古典的格調が感じられるピアノソロと、その発展系のオルガン(その場で弾いて出すのではなく、サンプリングした音声を使用)といった調性音楽に近いものから、ノイズミュージック、音そのもの以上に視覚に訴えるパフォーマンスといったコンテンポラリーな要素まで曲調は幅広く、その点で映画音楽的であるともいえる。

同時にバッハに代表されるような音楽そのものを尊重すると同時に押し広げ、音そのものやそれを生み出す背景への愛着をも窺えるかのような、従来の枠を超えた作品となっている。
大空に吸い込まれて一体となるかのようなラストが特に好きだ。

本編上演後にプレゼントがある。「async」の宣伝用画像がスクリーンに1分間映し出され、自由に撮影が出来るほか、SNS等へのアップも可となっている。

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2020年7月 3日 (金)

美術回廊(50) 京都国立博物館 「曾我蕭白展」2005

2005年5月14日 京都国立博物館にて

京都国立博物館で行われている「曾我簫白展」を観に出掛ける。円山応挙や池大雅、伊藤若沖などと同時期の曾我簫白であるが、その作風は極めて個性的であり、グロテスクでさえある。鷹の画などは顔がティラノサウルスのようだ。

かなりの枚数の画が展示されている。簫白の画は筆致が濃く力強い。その気迫に押されそうになるので、何枚も見ているうちに疲れてしまった。

簫白は敢えて当時流行の画風に異を唱え、無頼を気取り、「中庸よりは狂」であることを良しとした。また画を見ていてわかるのは中国への傾倒。日本の画家が中国を題材にすることは珍しくも何ともないのだが、簫白が描いた子供の顔はまさに現在も中国製の土産物などに書かれている中国の子供の顔そのものである。中国によくある作風を取り入れたのだ。生活も中国の粋人を真似ていたようで、酒と碁と画を描くこと以外には何もしなかったそうである。また簫白という人は明の洪武帝の子孫を称したりしている。他にも相模の三浦一族の末裔を名乗るなど、残した画以上に変わった人物であったようだ。

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2020年6月30日 (火)

美術回廊(49) 京都国立近代美術館 「チェコ・デザイン 100年の旅」&日本・ポーランド国交樹立100周年記念「ポーランドの映画ポスター」

2020年6月25日 左京区岡崎の京都国立近代美術館にて

左京区岡崎にある京都国立近代美術館で、「チェコ・デザイン 100年の旅」と日本・ポーランド国交樹立100周年記念「ポーランドの映画ポスター」展を観る。
いずれも5月10日に最終日を迎えるはずの展覧会だったのだが、コロナ禍による臨時閉館期間があったため、再開後、7月までに展示期間が延びている。

チェコは、音楽(ドヴォルザークやスメタナ)、文学(カフカやカレル・チャペック)といった芸術が知られるが、チェコのデザインに触れる機会は余りないので、興味深い展覧会である。

チェコのデザインに触れるのは初めてではなく、以前にチェコ製のテントウムシのマグネットを買ったことがあり、今も冷蔵庫に止まっている。

チェコ出身のデザインアーティストというと、アルフォンス・ミュシャがまず頭に浮かぶが、ミュシャの「Q」をモチーフにした作品も勿論展示されている。19世紀末から20世紀初頭には、チェコでもアールヌーボーなどの影響を受けた美術が流行ったが、椅子などは実用性を度外視してデザインを優先させたために使い勝手が悪いものも多かったようである。

その後、チェコでは「結晶」を理想とした直線美によるパターンを重ねたデザインが流行する。考えてみれば、「自然は直線を嫌う」(ウィリアム・ケント)といわれているものの、肉眼では見えない結晶は例外的に直線で形作られている。顕微鏡の発達によってもたらされた、ある意味ではこれまでの常識を覆す自然美の発見であったともいえる。

家具や食器はアールヌーボーの反動で、シンプルで実用的なものが好まれる時代になるが、ガラス細工が盛んな地域をドイツに占領されてしまったため、木材などを中心とした新たなデザインを生み出す必要性に迫られるようにもなる。これはそれまで軽視されてきた木材の長所の再発見にも繋がったようだ。

共産圏となったチェコスロバキアでは、国外に向けてのチェコやスロバキア美術プロパガンダのための高級感のあるデザイン品が輸出される一方で、国内向けには貧相なものしか作られないという乖離の時代を迎える。チェコ動乱の前はそれでもピンクやオレンジといった色を用いたポップなデザインのポスターなども制作されたが、それ以降は実用的ではあるが味気ないいわゆる共産圏的なデザインも増えてしまったようだ。チェコのデザインが復活するにはビロード革命を待つ必要があったようである。

アニメーションの展示もあり、短編アニメが何本か上映されている。言葉がわからなくても内容が把握可能なものだったが、東欧のアニメとしてどの程度の水準に入るものなのか一見しただけではわからない。

チェコの木製おもちゃの展示もある。テントウムシのマグネットにも通じる可愛らしくてぬくもりが感じられるもので、子どものみならずインテリアとしても喜ばれそうである。

 

「ポーランドの映画ポスター」。映画好きにはよく知られていると思われるが、ポーランド映画は完成度が高く、海外からの評価も上々で、「芸術大国ポーランド」の一翼を担っている。
今回は、映画そのものではなく映画ポスターの展示であるが、ポーランドでは海外の映画のポスターをそのまま用いるということが禁止されていたため、ポーランド人のデザイナーが一から新しいポスターを製作することになった。
日本映画のポスター展示コーナーもあり、ゴジラシリーズなどはわかりやすいが、「七人の侍」などは日本の侍というよりもギリシャの兵士のような不思議な装束が描かれていたりもする。

市川崑監督の「ビルマの竪琴」(1985年の中井貴一主演版)のポスターには、二つの顔を持ったオウム(というよりも顔を素早く横に降り続けている描写だと思われる)が描かれ、右側に「日本にかえろう」、左側に「かえれない」という文字が日本語で書かれている。一般的なポーランド人が日本語を読めるとは思えないが――一般的な日本人がポーランド語の読み書きが出来ないように――日本趣味を出すために敢えて日本語をそのまま用いているのかも知れない。

ハリウッド映画では、アルフレッド・ヒッチコック監督の「めまい」、レナード・バーンスタイン作曲のミュージカル映画「ウエストサイド物語」、ポール・ニューマンとロバート・レッドフォードの「明日に向かって撃て!」などのポスターがある。日本ではハリウッドオリジナルのポスターも見ることが出来るが、それらとはかなり違ったテイストのポスターとなっている。

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2020年6月25日 (木)

配信公演 ACALINO TOKYO 「演劇の街をつくった男」

2020年6月21日 下北沢・小劇場B1からの配信

午後6時から、ぴあのストリーミング配信で、ACALINO TOKYOの演劇公演「演劇の街をつくった男」を観る。下北沢・小劇場B1で客を入れて行われている公演の有料配信。チケット事前購入制だが、リアルタイムでなくアーカイブのみを観られるチケットも発売されている。

原作:徳永京子、脚本・演出:徳尾浩治(とくお組)。出演:石川啓介、大部恵理子、笠井里美、杉山圭一、とみやまあゆみ、中薗菜々子、野川雄大、林雄大、本多一夫。

東京の下北沢で本多劇場など8つの劇場の経営主となっている本多一夫を描いた『「演劇の街」をつくった男 本多一夫と下北沢』(本多一夫:語り、徳永京子:著)を元にした演劇作品。ストーリーテラーを兼ねた女優を二人配するなど、わかりやすさを重視した作品となっている。

まずタイムスリップによる展開があり、舞台は2020年から1972年に飛ぶ。札幌工業高校時代に演劇部に在籍し、顧問の母校である北海道大学の学生劇団に入り浸っていた経験があり、元新東宝ニューフェイスであった本多一夫が、新東宝の倒産もあって俳優の道を諦め、下北沢で50軒もの飲食店を経営するまでになるが、やはり演劇を愛していたことから下北沢駅前の一等地に空いた土地を購入し、紆余曲折の末、本多劇場をオープンさせるまでを現代からタイムスリップした舞台女優の視点を通して描いていく。

演劇への思い入れが感じられる可愛らしい中編で、好感が持てた。

実は、本多劇場には一度も行ったことがない。竹中直人の会の公演である「水の戯れ」を観に行く予定があったのだが、当日の朝に首を痛めて病院に行く羽目になり、本多劇場で観劇は叶わなかった。なお、「水の戯れ」は、その後、光石研主演による再演を梅田芸術劇場シアター・ドラマシティで観ている。
本多劇場に先駆けて開場した小劇場であるザ・スズナリには一度だけ行ったことがあり、青空美人の「空にかかわるもの」という作品を観ている。下北沢での観劇経験はそれ一度だけであり、他の劇場に通えていないのが残念である。

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2020年6月12日 (金)

反東京一極集中のための特化型劇場試論

 日本の劇場の歴史は寺院の本堂の前の仮設舞台に始まる。往時、それも千年以上レベルで昔の話だが、本堂の前には往々にして芝が敷き詰められており、人々は芝の上の腰掛けて演目を楽しんだ。これが「芝居」という言葉の始まりである。芝居はそれ専用の劇場で行われているわけではなかった。

 やがて座が生まれ、日本の古典芸能は能楽堂(現在と違って野外)や歌舞伎の劇場(これも天上がない)へと繋がっていくのだが、想定された形態(橋がかりや花道を用いる)以外の演目を行うことは難しくなる。演目と劇場は不即不離の関係であった。

 翻って日本のクラシック音楽は多目的ホールで演奏を行うのが一般的であった。東京音楽学校(現在の東京芸術大学音楽学部)の奏楽堂など音楽のための会場もあるにはあったが、東京でも講演用に建てられた日比谷公会堂に始まり、地方では公会堂や文化会館という多目的の空間での上演が当たり前だった。多目的であるため、音楽のみならず演劇、映画上映会、講演会など多種多様の催しに対応出来るのだが、「多目的は無目的」という言葉がある通り、全ての演目において「万全という形」での上演は難しいということになる。いずれも「帯に短したすきに長し」というわけである。

 音楽特化型のホールが誕生したのは、大阪は1958年のフェスティバルホールオープン、東京は1960年の東京文化会館の竣工を待たねばならない。クラシック音楽専用となると更に遅く、大阪が1982年のザ・シンフォニーホール、東京が1986年のサントリーホール開場が嚆矢となっている。せいぜい150年ほどしかない日本における西洋音楽演奏史から見てもつい最近のことである。いずれも大阪が東京に先んじているというのが興味深い。

 その後に室内楽、器楽用の小ホールが併設されるようになり、今では室内楽・器楽曲専用のホールが単独で存在する(名古屋の宗次ホール、大阪のザ・フェイニックスホールなど)。

 オペラも多目的大ホールでの上演が主であったが、豊中市にある大阪音楽大学に小さいながらも日本初のオペラハウスがあり(1989年竣工の大阪音楽大学ザ・カレッジ・オペラハウス。優れたオペラハウスだが、大学の施設ということもあって、オペラ上演は年2、3回程度と稼働率は高くない)、東京・初台の新国立劇場にもオペラパレスが誕生し、1年を通して上演が行われる日本唯一の常設オペラハウスとして機能している。

 演劇の場合も多目的ホールでの上演の他に、大劇場、中劇場、小劇場、更に小さいアトリエといった区分しかなかったが、東京の浅草九劇がオンライン配信劇場として生まれ変わっている。ということで、能・歌舞伎の時代に立ち返り、特化型の劇場がもっと出来ても良いのではないかと考えるわけである。ミュージカル専用劇場は存在する。宝塚歌劇や劇団四季による自前の劇場である。ただこれからは、音楽劇限定、映像収録前提、出演者3人までの少人数制の芝居しかやらない、若手のみあるいはシニアオンリーといったように特化された強さを持つ劇場が日本各地に存在して良いのではないかと考えるのである。専用は難しいため特化型とする。

 問題はソフト面と採算が取れるかということであるが、特化した方が固定ファンが付きやすいということはあるように思われる。「ここに行けば面白いものが観られる」というのであれば、人はよく分からなくても通うようになる。本当の演劇好きなら遠くても「行ってみようか」という気になる。

 重要なのは、特化型劇場は日本にいくつも存在しなくていいということである。特化型なので、演劇のおける特定のジャンルの最高峰を日本に一つだけ、それが無理なら各地方に一カ所だけ設けるのである。
 高校の硬式野球部においては甲子園が目標になるように、○○の甲子園、例えば高校の軟式野球部なら明石トーカロ球場、サッカーなら以前は国立競技場、吹奏楽ならかつては普門館今なら名古屋国際会議場センチュリーホールといったように各分野の頂点がある。そのような演劇における甲子園を創設するのである。東京の小劇場にとっては以前は紀伊國屋ホールが上がりだったが、その上がりをジャンルごとに新たに制定する。そしてそれは東京になくてもいい。否、東京でない場所にメッカを作ることで、東京一極集中が当然となっている演劇界へのカウンターとなる可能性を秘めているように思われるのである。ワーグナーの楽劇におけるバイロイトのように。

 これはあくまで案だが、例えば札幌に一人芝居の甲子園というべき劇場を設ける。会場自体も一人芝居が観やすいように設計する。アマチュアの一人芝居なら集客は期待出来ないが、有名芸能人の公演なら客が呼べる。しばらくは東京の俳優の力を借りるようになるだろうが、憧れの劇場と見做されるようになれば地元からスターが誕生することも期待出来る。同様に二人芝居なら、例えば金沢にメッカを作る。今は金沢も東京からも大阪からもアクセスは良好であり、日本全国から腕に覚えのあるものが集結する「二人芝居の頂点」を金沢とすることも可能だろう。まず始めにコンクールを開くのも良い。あくまで特化型で、専用ではないので、その他のジャンルを挟みつつ上演することになるだろうが。
 今はシニア劇団が日本各地にあるようだが、その年のナンバーワンを決める大会を例えば別府で行うとする。別府は観光地で老若男女が集う土地であり、シニア世代の集客も期待出来そうである。
 国際都市ということで、神戸で外国語演劇の上演を行うのも良い。来日団体に限らず、日本の団体も外国語による上演を行う。神戸市外国語大学が毎年学生による外国語演劇祭を行っているが、それを発展させた形でも良い。積極的に行うことが出来たなら、その場所は世界各国の、世界各国語の劇が上演される「国際演劇の街」として世界的な評価を得るという青写真を描くこともあるいは可能かも知れない。

 早稲田小劇場が富山県の利賀村に移ったり、青年団が本拠地を兵庫県豊岡市に移転したりと、劇団の本拠地移転は以前からあり、新本拠地での演劇祭も好評を博しているが、一劇団だけでなく、日本演劇界全体レベルで拠点を確立したならば、一劇団、一都市、そして演劇というジャンルのみならず、日本の全文化への貢献を果たせるように思うのだ。

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2020年6月11日 (木)

配信公演 広上淳一指揮日本フィルハーモニー交響楽団ソーシャル・ディスタンス・アンサンブル 「日本フィル&サントリーホール とっておきアフタヌーン オンラインスペシャル」(文字のみ)

2020年6月10日 東京・溜池山王のサントリーホールからの配信

今日は、広上淳一指揮日本フィルハーモニー交響楽団ソーシャル・ディスタンス・アンサンブル(弦楽合奏)によるサントリーホールからの配信公演「日本フィル&サントリーホール とっておきアフタヌーン オンラインスペシャル」が午後2時からある。休憩なし、上演時間約1時間のコンサート。

e+でのストリーミング配信。事前にチケットを購入し、メールで送られてきたURLで配信画面に飛んで視聴するというシステムである。

今日はテレワークなので、画面を見ながらはまずいが、音を聴きながら仕事は出来るため、午後2時からまず音だけを聴き、その後、アーカイブの映像を確認することにする。配信画像視聴には2種類の券があり、安い方は11日の午後2時まで映像を観ることが出来る。高い券だと比較的長い期間観られるのだが、私は安い券を買う。ちなみにアーカイブ映像視聴のためだけの券もある。


配信公演ということで、事前のアナウンスもホールに流れるが、いつもとは違ったものになっている。


今日の日本フィルハーモニー交響楽団は、ソーシャル・ディスタンス・アンサンブルという名で弦楽のみの編成、それも奏者間を広く空けての演奏である。コンサートマスターは田野倉雅秋。握手などが難しいというので、広上と田野倉は、何度もエアーハイタッチを行う。
管楽器は飛沫感染の危険性の高さを現時点では否定出来ないため、全ての楽器が揃っての演奏はまだ先になるかも知れない。


曲目は、グリーグの「ホルベアの時代から(ホルベルク組曲)」より第1曲“前奏曲”、エルガーの「愛の挨拶」(ヴァイオリン独奏:田野倉雅秋)、ドヴォルザークの「ユーモレスク」(弦楽合奏版)、チャイコフスキーの「弦楽セレナード」

広上淳一はマスクをしての指揮。司会進行役である音楽ライターの高坂はる香もマスクを付けて登場し、コンサートマスターの田野倉雅秋もトークの際はマスクを装着していた。


距離感を空けての演奏であり、通常のプルトでの合奏ではない。フォアシュピーラーは存在せず、その他の楽器も首席が一人だけ前に出て弾き、すぐ横に人がいないよう配慮しての演奏となる。

ということでアンサンブルとして万全とはいかないかも知れないが、久しぶりに日本のオーケストラの演奏を配信で聴けるということで嬉しくなる。


グリーグの「ホルベアの時代から(ホルベルク組曲)」より第1曲“前奏曲”はスプリングの効いた演奏で、躍動感と推進力に富む。日フィルは昔から音の洗練度に関しては東京の他のオーケストラに比べると不足しがちであり、今後も課題となってくるだろう。

演奏終了後に広上と高坂とのトーク。高坂が日本フィルハーモニー交響楽団が演奏を行うのは3ヶ月半ぶり、サントリーホールで演奏会が行われることも約2ヶ月ぶりだと説明。広上は、「ホールがもし言葉を喋ることが出来たら、『久しぶり、よく来たね!』と喜んでくれるだろう」と語る。
「ホルベアの時代から」に関して広上は、ホルベアというのはノルウェー文学の父とも呼ばれる人物で、グリーグにとってはベルゲンの街の先輩でもあった。この曲は元々はピアノ曲で、ヴァイオリンとピアノのための編曲が行われたり、歌詞が付けられて歌曲になったこともあったが、現在では弦楽合奏曲として知られていると語る。


「愛の挨拶」は、エルガーが奥さんとなるキャロラインに求婚した時に送った曲で、広上はキャロライン夫人の内助の功を、「今の大河(広上がメインテーマを指揮している「麒麟がくる」)でいうと、帰蝶のような、お濃さんのような」と例える(エルガーは遅咲きの作曲家である)。

「愛の挨拶」は、田野倉雅秋のヴァイオリンソロと弦楽アンサンブルの伴奏による演奏。少し速めのテンポを取り、愛らしさよりも流麗さを重視する。日本人なのでチャーミングな演奏は照れくさいということもあるのだろう。


ドヴォルザークの「ユーモレスク」は、クライスラー編曲によるヴァイオリンとピアノのデュオ版でも有名だが、今回はソリストを置かずに弦楽合奏版での演奏を行う。ユーモラスな曲想が広上の音楽性にも合っている。
トークで広上は、「ドヴォルザーク先生はヴィオラが得意、ヴィオラ奏者だった。ピアノはあんまり好きじゃなかった」と語るが、ロベルト・シューマンの影響でピアノ組曲を書こうと思い立ち、その7曲目が「ユーモレスク」で、様々な編曲による演奏で親しまれていると語る。


チャイコフスキーの「弦楽セレナード」。西欧ではロマン派全盛の時代となっており、装飾の多い雄弁な音楽が流行っていたが、遙か東方のロシアにいたチャイコフスキーはそれに疑問を感じ、モーツァルトを範とした「虚飾を排し、本質を突く」という意気込みで書いたのがこの「弦楽セレナード」だと語る。実際にパトロンであったフォン・メック夫人にそうした内容の手紙を送っているそうだ。

通常の「弦楽セレナード」よりも小さめの編成での演奏ということもあって、「虚飾を排し、本質を突く」というチャイコフスキーの意図がより鮮明になっているように感じられる。アレクサンドル・ラザレフやピエタリ・インキネンに鍛えられて性能が向上した日フィルであるが、更なる典雅さと優美さも欲しくなる。ただ広上の巧みな棒捌きに導かれて、フル編成でないにも関わらずスケールの豊かさとシャープさを兼ね備えた演奏で聴かせた。


アンコール演奏の前に広上は、「文化はAIやITのような科学文明の進歩とは違った、心を解き明かすもの」と語り、学校教育においては文化が大上段から語られるため誤解されやすいが、人間を人間たらしめている「心」を大切にし、描くものとしてその重要性を説いた。


アンコール演奏は、シベリウスの「アンダンテ・フェスティーヴォ(祝祭アンダンテ)」(弦楽合奏版)。広上は、日本フィルハーモニー交響楽団の初代常任指揮者で、現在も創立指揮者として頌えられている渡邉暁雄(わたなべ・あけお)が得意としたのがシベリウスだと語り、日フィルの創立記念日が渡邉暁雄の命日(6月22日)であるという因縁も述べる。

音楽が出来るという喜びと、ここから新しい演奏史が始まるのだという高揚感溢れる熱い演奏であった。

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2020年6月 6日 (土)

配信公演 浅草九劇オンライン 柄本明ひとり芝居「煙草の害について」(劇評。文字のみ。関連リンクはあり)

2020年6月5日 東京の浅草九劇からの配信

午後7時30分から、オンライン型劇場に模様替えした浅草九劇の配信公演、柄本明ひとり芝居「煙草の害について」を観る。事前申込制の有料公演である。配信はVimeoを使って行われる。

配信公演への入り口となるURLは開演1時間ほど前に送られて来たのだが、メールソフトの調子が今日もおかしく、HTML形式のメールの画像がダウンロード出来ないので、返信やら転送やらのボタンを押して、無理矢理別の形式に置き換えて見る。返信を押した場合、更に「返信をやめる」を押すのだが、それでも返信されてしまう場合がある。

 

午後7時開場で、その直後に配信画面に入ったのだが、ずっと暗闇が続く。「LIVE」と視聴者数の文字は出ているので動いていることは確かだが、午後7時30分丁度になっても暗闇のままなのでブラウザの更新ボタンを押す。そのためか、あるいはそれとは関係なく配信の時間が来たからなのか、画面に舞台の背景が映る。臨場感を増すため、フルスクリーンにして視聴する。

 

「煙草の害について」は、アントン・チェーホフが書いた一人芝居である。オリジナルに近い形での上演は、MONOが京都芸術センターで行った「チェーホフは笑いを教えてくれる」というチェーホフの短編を連作にした作品の中で水沼健(みずぬま・たけし)が演じたものを観たことがあるのだが、上演時間が20分弱という短いものであるため、今回はチェーホフが書いた他の戯曲のセリフや歌などを加えて、上演時間1時間前後に延ばしたテキストを使用しての上演である。柄本版「煙草の害について」は、1993年初演で、書き直しを行いながら何度も上演を重ねているが、私は観るのは今日が初めてである。

柄本明が演じるのは、妻が経営する全寮制女子音楽学校の会計係兼教師であるが、恐妻家であり、今いちパッとしない男である。着ているベストも継ぎ接ぎだらけだ。

妻に命令されて、無理矢理「煙草の害について」というタイトルの健康に関する講演をすることになったのだが、彼自身は喫煙者であり、煙草の害に関する知識は辞書などで得たもの以外にはさほどない。当然ながらやる気もない。

音楽学校の生徒全員分のホットケーキを焼くよう妻に命じられて作ったのだが、体調不良で5人が食事をキャンセルしたため、妻から5人分を一人で食えと命じられ、食べ過ぎで体調不良である。妻からは「かかしんぼ」と呼ばれることがあり、かなり侮られている。

 

本編に入る前に、柄本明はアコーディオンを弾きながら榎本健一の楽曲「プカドンドン」(もしくは歌詞違いの「ベアトリ姉ちゃん」。サビの歌詞が一緒なので判別出来ず)を歌う。伴奏と歌がかなりずれることもあるが、あるいは浅草での上演ということでエノケンへのリスペクトも込めて歌われたのかも知れない。

体調が悪いので、持ってきた原稿の1枚目に向かってくしゃみをしたり、もうちょっと汚いものが出たため、それを丸めて棄てたのだが、実はそれが「煙草について調べた内容を書き記したメモ」だったため、それに気づいて、汚いのを承知で拾い、広げて読み上げるのだが、出したものでインクが滲んでしまい、上手く読めない。「イタリえば」と読んだが、実は「例えば」だったり、「中洲」という博多の繁華街ネタが始まるが、実際は「中枢神経」と書かれたものだったことが直後に判明したりする。男は「学がない」と自己紹介をしていたが、最後の辺りで「若い頃は大学で学問に励んだ」という話をしたり、音楽学校で理系から文系までの教養科目を幅広く教える能力があるため、謙遜しただけで、今は冴えないが少なくとも若い頃はかなり優秀と見られた人物であるらしいことがわかる。ちなみに彼の奥さん(「三人姉妹」に登場する怪女・ナターリヤの要素を入れている)は友人とフランス語で話すが、男の悪口を言うときはロシア語になるということが語られる場面があるのだが、帝政ロシア時代はかなり徹底したフランス指向の影響で上流階級はロシア語でなくフランス語を話していたという事実があり、奥さんもフランス語が話せて音楽がわかるということからハイクラスの出身であることがわかり、そうした女性と結婚出来た男も同等の階級出身である可能性が高い。あるいは彼も優れた才能と身分に恵まれながら時代の壁に阻まれて上手く生きられなかった「余計者」の系譜に入るのかも知れない。

「いざ鎌倉。鎌倉はどっち? ここは浅草だから」という話が出てきたり、「休憩」と称して下手隅にある椅子に腰掛けてバナナを食べた後で、ぶら下がっている紐に首を入れて揺らし、縊死するかのように見せた後で「ゴンドラの唄」を歌い、黒澤映画の「生きる」をモチーフにした演技を見せるなど、日本的な要素もちりばめられている。

とにかく妻や娘から軽視されているというので愚痴が多く、「誰でも出来る」結婚しか出来なかった(ただ今の人にとっては、結婚自体が高望みになりつつある。私も結婚していない。「私にも妻がいればいいのに」)不甲斐なさを述べるのだが、柄本明自身が奥さんである角替和枝を亡くしているということが透けて見えるような愛情吐露の場面もあり、妙に切なかったりする。

途中で後ろの方に座っていた学生風の若者が勝手に退出しようとしたのを見とがめたり、女子音楽学校の校則などの紹介が載っている本を客席に向かってロシア通貨で販売しようとする場面があったり(今回は無観客上演なので誰もいない)とステージ上だけでない空間の広がりを生む演技もある。

ラスト付近ではラヴェルの「ボレロ」が流れ、妻の影絵が浮かび、転調を伴う狂乱の内に芝居は終わる。

 

上演終了後、柄本は無人の劇場で演じるのは初めてだと語り、文化は生きることと同等であり、なくてはならないもの。なくなったら死んでしまうと熱いメッセージを語った。

 

初の配信ということもあってか、映像が時折途切れたりする。こちらの回線が悪い時もあったかも知れないが、スローモーションになった時には視聴者数が一気に20人ほど減ったため、観るのを諦めたかいったんログアウトしたかで、他の人が観ている映像にも問題が生じていることが察せられた。その後、観客数が一気に増え、ほどなくして画面も動き出した。

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2020年5月29日 (金)

コンサートの記(640) 「“いにしえ”からベリオ」 ルチアーノ・ベリオ「セクエンツァ」全曲演奏会2日目 知恩院三門裏

2004年10月24日 知恩院三門裏にて

知恩院へ。ルチアーノ・ベリオの「セクエンツァ(連続)」2日目にして楽日、金管楽器と鍵盤楽器のコンサート。世界で最も巨大な木像門である三門の裏での演奏である。

トランペットとピアノの作品。ピアノは弾かずに、トランペットがピアノの弦に吹きかけて共鳴効果をつけるためだけに用いるという。ただ演奏している姿が見えないので、どこで吹きかけたのかわからない。音で判断出来ないとなると、わざわざピアノに吹きかける意味がないような気もする。

ピアノの演奏。ピアノで曲を弾いたことがある人には何となくだが理解出来る曲だ。奏でるのではなく、音を置いていくといえばいいのだろうか。ストーリーではなく韻文、あるいは俳句を作るような感じで弾く曲だと思う。

「女声のためのセクエンツァ」。ソプラノは、先日神戸国際会館国際ホールで行われた佐渡裕指揮の「VIVA! バーンスタイン」にも登場した天羽明惠(あもう・あきえ)。いかにも前衛作家の書いた歌(のようなもの)という印象。天羽は途中でサングラスを掛けたりしたが、これも楽譜に書かれているのであろうか? あるいは天羽の演出だろうか?

アコーディオン。「シャンソン」という副題がついているせいかも知れないが、「セクエンツァ」シリーズの中ではメロディアスな曲だ。奏者はフィンランド出身のヤンネ・ラットゥワ。1974年生まれだから私と同い年だ。表情の豊かな演奏である。

アコーディオンの次がラストの笙。吹奏楽器と鍵盤楽器の違いはあるが音の出る原理は同じで、笙とアコーディオンは親戚のような関係だ。妙なる音色が三門の庇に反射する。朱雀門の前で笛や笙を奏でたという伝説の残る源博雅を彷彿させる。小鳥が囀るなどいい雰囲気。ヘリコプターのはばたきや、バスを誘導する笛の音は少しかまびすしかったが。


知恩院境内を歩く。ここは城郭のような設計である。というより本当は隠れ城郭である。特に黒門付近は明らかに城郭の装いだ。
京都の城郭というと二条城だが、これはどちらかというと政庁の色彩が濃く守りは手薄なので、いざという時には、ここ知恩院を城として立て籠もれるようにしたのである。ここは浄土宗だった徳川氏に手厚い保護を受けた寺。境内のあちこちに徳川氏の葵の御紋が輝いている。

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2020年5月26日 (火)

配信公演 茂山千五郎家「YouTubeで逢いましょう! part9」(文字のみ。アーカイブへのリンクはあり)

2020年5月24日

午後2時から、茂山千五郎家による「YouTubeで逢いましょう! part9」を視聴。今回は今や梨園を代表する女形となった中村壱太郎(かずたろう)。以前、京都芸術センターで行われた壱太郎のトークイベントを見に出掛けたことがあるが、壱太郎自身は女形よりも女方表記を好んでいるようである。

若手人気歌舞伎俳優が出演するということで、視聴者はいつもの倍となる。そのためかどうかはわからないが今日は回線が不安定であり、茂山千五郎家の科学技術庁長官こと茂山茂は大忙しとなる。茂山茂は京都コンピュータ学院出身で、IT関係のスペシャリストであるが、茂山千五郎家には茂以外にその手の分野に詳しい人は皆無であるため、茂におんぶに抱っことならざるを得ない。


動きがカクカクして見えるが、狂言「茶壺」が上演される。出演:茂山茂(すっぱ)、茂山宗彦(もとひこ。中国方の者)、鈴木実(目代)。
中国方の者(中国地方出身の者という意味だと思われる)が栂尾まで買い物に出掛けた帰り、酒にしたたか酔って、茶壺を背負ったまま道の真ん中で眠ってしまう。そこに現れたすっぱは、茶壺をものにすべく、肩紐を掛けて眠る。中国方の者が目覚めたところですっぱは、茶壺は自分のものだと主張、中国方の者を盗人だと決めつける。そこで目代に茶壺が誰のものか判定して貰うことにするのだが……。

歌舞伎でも「茶壺」は演目に入っているのだが、結末が異なるようである。
すっぱは、とにかく記憶力が良く、舞なども巧みで、すっぱなどやらずともあらゆる分野で活躍出来そうではある。

映像は最初からコマ送りのようであり、古い時代の映画を観ているようで、これはこれで趣があるものだったのだが、すっぱと中国方の者と目代とでやり合っている間に映像が完全に止まってしまう。直すことが唯一出来る茂は舞台の上、ということで、いったん演目を中断し、茂が色々と工夫して直す。その間、茂山千五郎家の人々がトークで繋ぐ。ちなみに京都府は緊急事態が解除になったため、今日は至近距離で会話を交わすことが出来る。

その後、再開し、無事やり遂げる。ちなみに茂は映像が止まったということには気づいていて、演じている間もどうやったら再開出来るか考え続けていたそうだ。

ということで予定時間より15分ほど押すことになる。

 

続く狂言の演目は、有名作「棒縛」。出演、茂山千五郎(太郎冠者)、島田洋海(ひろみ。次郎冠者)、井口竜也(主人)。

島田洋海が「是非、次郎冠者をやってみたい」というので行われる演目である。チャットでは茂山千之丞(童司)が「棒縛」の裏話などを教えてくれる。

 

中村壱太郎へは、狂言にまつわるクイズが千之丞から出題される。同じ演目を行うこともある狂言と歌舞伎だが、中村壱太郎はかなりの苦戦。能舞台の背後にある松の絵が描かれたものをなんというか(正解は「鏡板」)、今ある狂言の流派は大蔵流と何流?(正解は「和泉流」)という比較的簡単な問題にも正解出来ず、「やっちまった」状態。和泉流でなく「井上流」と答えたときにはコメントが総ツッコミ状態となる。「関係者が見てるんで、もう狂言(が元)の奴(歌舞伎の演目)させて貰えないと思います」と語っていた。

洒落にならないかも。

慶應ボーイなのでクイズ番組から出演のオファーがあってもおかしくないが、絶対に断った方がいいレベルである。

 

アーカイブ https://www.youtube.com/watch?v=zPRYN5WUleg&t=7264s

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2020年5月23日 (土)

We Need Culture

演劇、音楽、映画に触れている時間は、「営みの凝縮型」。人生から切り離されているのではなく、むしろ一段濃い時の流れ。

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