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2026年3月28日 (土)

「科捜研の女」Season4概要

「科捜研の女」Season4 File.1。本来は、「科捜研の女」は、Season3で一区切りだったと思われるのだが、半年後にSeason4がスタートすることになった。科警研に辞表を出し、榊マリコ(沢口靖子)が京都府警科捜研に戻ってくる。科警研は日本における科学捜査の最高峰であるが、それであるが故にドラマが作りにくい。千葉県柏市だと東京などを含めてもロケ地としての魅力に欠けるということで、沢口靖子で続編を作るなら京都での「科捜研の女」であろう。元々、京都を舞台としたサスペンス&ミステリーの枠である。
科警研を辞めて京都府警科捜研に戻ることは現実にはあり得ないのかも知れないが、これは現実の話ではない。
2002年の放送。私が京都に移ってから初めての「科捜研の女」である。

東京から京都へ。榊マリコは、新幹線ではなく京阪高速バスで向かっている。京都から柏の科警研へは新幹線を使ったはずだが、なぜ今回は高速バスなのかはよく分からない。だが、この高速バスの中で殺人事件が起こり、バスは平安神宮の近くで停車し、捜査を行うことになるが、マリコが勝手に科学捜査を始めてしまう。
今は平安神宮の応天門の前、冷泉(れいせん)通から二条通の間は歩道となっており、岡崎公園が一体感を出しているが、以前は冷泉通から二条通まで応天門の前から大鳥居に向かって南北に走る車道(名前は神宮道で変わらず)があり、岡崎公園は東西に分けられていた。このドラマの映像でも、南北に走る応天門前の神宮道が映っている。

バスという狭い空間での殺人は、すぐに犯行がバレるため、通常は行われない。

さて、葛山信吾が演じていた上原刑事が久美浜署に異動になり、後任の新山は、「人相悪いな」と思ってよく見たら榊英雄だった。マリコとは榊繋がりだが、後に映画監督として強姦・準強姦容疑などで逮捕される人物である。丁度今日(2026年3月6日)判決が下り、懲役8年の実刑が言い渡されたようだ。「人は見た目によらぬもの」というが、この人は一目見て避けた方が賢明と判断すべきである。

バスに乗り合わせた容疑者役として、徳井優、宇梶剛士、本田博太郎らが乗っている。本田博太郎はプロのスリ師役である。ちなみにマリコは、引っ越しはサカイ引越センターを使っているが、だから徳井優が出演というわけでもないだろう。すでに売れている俳優であった。徳井優は売れる前は色々な仕事を受けており、ホテル備え付けの有料エロビデオにも出演していた。人気作だったのか大規模チェーンのホテルだったのか、複数の友人から「お前が出てきてどうすんねん?!」と言われたそうである。

京都の名所としては、鴨川沿い、みそそぎ川上の川床(ゆか)などが映っている。


「科捜研の女」Season4 File.2。中山忍登場。目が少し姉に似ている他は、見た目にさほど共通点はないが、声と言い回しが似ている。中山美穂がややきつめの顔であったのに対して、中山忍は柔和な表情であるためか、中山美穂は生前、ことあるごとに「妹の方がずっと美人」と口にしていた。

嵯峨嵐山の旅館で執筆を行っていた小説家の藤尾が殺害され、担当編集者の高須洋子(中山忍)が、その旅館の門から飛び出してきたところを車に轢かれて、二条院大学病院(同志社女子大学京田辺キャンパス友和館でロケが行われている)に入院する。洋子は旅館にいた時の前後の記憶だけが飛んでいたが、マリコは局限性健忘と断定、記憶はなくなっても意識下では残っているとして、脳指紋検査P300を使い、黒井千佳巡査(小林千晴。小林稔侍の娘である)をJR嵯峨嵐山駅に向かわせ、犯行現場までの映像を送らせる。結果としては洋子は、犯行現場と凶器に反応を見せたのだが、マリコは「目撃者の可能性もある」と犯人かどうかの決断は下さない。映像には桂川など風光明媚な場所も映っており、視聴者へのサービスとなっている。
洋子は、退院するが、「自分が犯人かも知れない」という心の動揺から、風呂場で自殺未遂を起こしてしまう。なんでよりによって風呂場なんだ。
再び二条院大学病院に入院した洋子に、マリコは再度の脳指紋検査を受けさせようとするが洋子は拒否。そこでマリコは前回の脳指紋検査からヒントになるものがないか徹夜で目を通し続ける。
脳指紋検査は実際に存在するようである。
藤尾の書いた小説の内容が、「沙粧妙子最後の事件」に出てくる梶浦(升毅)を連想させるが、多分、偶然であると思われる。ただ、沙粧妙子(浅野温子)は京都大学卒という設定であるため、京都という共通点はある。

Season4 File.3。洋館に若い男女が忍び込み、肝試しをする。というのは本編の導入部ではなく、テレビ局が事前に収録した映像という設定であった、WESTTVという民放が制作する生放送の心霊番組に、マリコは「幽霊不在派」の論客として出演するのだが、入りが遅れる。メイクの時間がないので、エレベーターの中で化粧をしようとして、人が降りるときにワイシャツを汚してしまう。プロデューサーの星野智里(星遙子。現・星よう子)の機転でスカーフを巻いて貰って汚れを隠し、本番スタート。MCは昔懐かしい北野誠。本人役での出演である。視聴率25%を狙える番組だそうで、15%で御の字という今とは状況が異なる。マリコは相変わらず空気が読めない言動だが、ロケ先である京都市中京区の旧領事館で異変が起こる。旧領事館の内部をレポートしていた城戸章吾が幽霊のような影を目撃。脇の部屋に飛び込んだのだが、老朽化した床が抜け落ち、転落してそのまま死亡した。
マリコは収録を抜け出して現場に向かう。
大きなテレビ局は東京と大阪に集中しているので、大阪のテレビ局かと思ったら、京都の局であった。まあ大阪からの放送だったら京都の現場に駆けつけられないので、芝居の嘘、もしくは現実とは違う世界である。

千佳は、「ワイルドで、その辺にいる優しいだけの男とは違う」と新山に惚れるが、悪いことは言わない、優しいだけの男にしておけ、そいつ実刑8年食らうぞ。

旧領事館の外観は、浜大津にある旧大津公会堂(収録・放送当時の名称は、大津市社会教育会館)が用いられている。1933年の竣工で、丸窓がアールヌーヴォーの影響を受けており、三条御幸町の1928ビル(旧毎日新聞社京都支局)に外観が似ている。
幽霊と思われた影の正体は、ブロッケンの怪物(ブロッケン現象)だとすぐに分かったのだが、城戸の死が事故なのかどうか謎が残る。
マリコはたまたま蓄光テープを発見。蓄光テープ(略称:蓄光)は、演劇の溶暗もしくは暗転の際に、俳優に進路などが見えるように床に貼る物で、溶暗や暗転のある舞台では必ず用いられる。
智里は、床が抜ける場所を知っており、城戸に安全のために貼らせた蓄光をその後にずらして城戸に腐った床を踏ませて下の階に転落するよう仕向けたのだった。
智里はWESTTVの編成局長と結婚して一児を設けたが、元アイドルで今はレポーターの城戸が何度も復縁を迫っており、殺害を決めたのだった。
トリックとしては今ひとつであるが、女性がマスコミを始めとする男性優位の社会で働くことの厳しさを訴える回でもあった。女性というだけで意見が通らない。同じ企画を男性が提案すると成功する。
マスコミに入ると女は女を捨てなければいけないという状況は今も変わっていないようだが、改善はされているようである。マスコミに多いパワハラもしくは体育会系体質は女性スタッフに対しては緩くなっていると聞く。1ヶ月家に帰れないなんてことはなくなったようである。


「科捜研の女」Season4 File.4。
北山。カップルがキノコ狩りをしている。しかし、女性の方が硬い何かを感じ、引っ張り上げると髑髏であった。結局、全身白骨化した遺体が見つかり、20代の女性で、身長160㎝前後、左利きであることが分かる。行方不明者の中で該当者は2人。うち1人はフィリピン人の女性テレサであった。テレサはフィリピンパブで働いており、毎週、彼女に巻き寿司を送りに来る男がいた。テレサは沖中という木工細工の職人とおそらく日本滞在のために偽装結婚していたが、次第に親しくなり、何もかも投げ出して駆け落ちを計画。しかし、借金のあるテレサの夜逃げをブローカーの溝口は許さず、沖中との待ち合わせ場所である面影寺に先回りして、抵抗されたためにテレサを殺してしまう。沖中は待ち合わせ時間に面影寺の山門に着いたが、いつまでもテレサが現れないため、駆け落ちを止めたのだと思い、帰るしかなかった。実際は彼が到着するより前にテレサは殺されていた。
紅殻の屋根を特徴とする面影寺の本堂にテレサの遺体は隠されていたが、3年前に本堂の一般公開が決まり、それで遺体を山奥に移していたのだった。
宮前(山崎一)が初めて科捜研の所長らしい仕事をする。科捜研も最初のうちは皆で科学捜査に取り組んでいたのだが、Seasonを重ねるうちに役割分担が出来、光子(深浦加奈子)は会計しかしておらず、捜査に関しては怖れすら抱いているようである。
今回、京都らしい観光名所で移ったのは仁和寺のみ。仁和寺の二王門はよく登場する。嵐山の法輪寺も面影寺として登場。
また、洛北医科大学の名前が出たが、名前が出ただけで、実際は京都医科大学が久しぶりに登場する。以前は龍谷大学深草キャンパスがロケ地で、巨大な正門も登場したが、今回は小さな門が登場しただけだった。


Season4 File.5。今回は京都市を離れ、マリコは有給を取って山奥の旅館に泊まりに出掛ける。チケットが二枚あったというだけで、なぜか新山を同行させることに。
ここに中高と同級生だった女性5人組が同窓会で来ていた。演じているのは、中島ひろ子、大西結花、魏涼子、冨樫真(まこと)、浅野麻衣子。80年代後半から90年代に掛けて活躍していた女優達である。収録・放送時点では余り売れなくなっているが、名前だけを見ると壮観である。と同時に芸能界を生き延びる厳しさも感じる。放送時点で見ても「懐かしい」と感じる顔ぶれである。全員が全盛期の時であったら、ギャラはかなり高額だったはずだ。劇中でも同じ年代だとしたら、彼女達は、就職時にバブルだったため、良いとされる職種に就いている人もいる。
5人は高校生の時にある男子に恋をするも悪戯を仕掛けて殺してしまったという過去を持っていた。
山奥で科学捜査は出来ないが、マリコはいつもよりは原始的な科学を用いて容疑者を割り出していく。ちなみに泊まる旅館は断崖絶壁の上で危険なことこの上ない。
血液型占いの話が出てきて、元同級生は5人ともA型であるが、実は本当は別の血液型で、性格を偽りたくてA型にしている人もいた。なお、マリコが断言するように、血液型と性格には何の関連性もない。日本の陸軍が、「血液型と任務遂行能力に何らかの関係性があるのではないか」というので調査したが、結論としては「一切関係なし」。だがそのデータがいつしか民間に流れて「血液型占い」が成立する。日本人の場合、A型4、O型3、B型2、AB型1という比率だったため、占いに用いやすかったのだろう。他の国ではB型が9割だったりするため、血液型占いは意味がない。今では先入観を持たせないために、子どもの頃に血液型を教えることはないそうである。


「科捜研の女」Season4 File.6。豪邸で投資トレーダーを行っていた男が、遺体で発見される。家政婦の女性は、遺体が発見される前の1週間休みを取っており、久しぶりに豪邸に出勤して遺体を見つけたのだった。
男には妻がいたが、四六時中パソコンに向かって取引を行っていたため、妻の時子(石野真子)は愛想を尽かして出て行った。
マリコは遺体から砒素が検出されたことから、砒素を使った殺人事件と断定。ではどこに砒素が盛られていたのかが焦点となる。砒素は長年に渡って部屋に漂い、被害者をじわじわと死に追い込んでいった。
被害者には絵の趣味があり、中には妻の時子を描いたものもあった。マリコは絵画には全く興味がなかったが、木場がアドバイスを行う。
被害者が亡くなった部屋には土壁が使われた部分があり、砒素はここに忍ばせられていた。被害者は妻に興味がなくなったのではなかった。土壁に妻を描いた絵の額を飾ろうとして土壁を痛めてしまい、妻の幼馴染みで工務店を営む和美に補修を頼んだが、時子は砒素をひそませるよう仕向ける。和美の営む工務店も倒産寸前でどんなことにも従うしかなかった。
時子は被害者が自分を愛していたことを知り、悲嘆に暮れるももう後の祭りだった。


Season4 File.7。巨大マンションから女性が転落して亡くなる。京都市内には珍しい巨大マンションであったが、住所は伏見区桃山町。京都人からは、「伏見は京都ちゃう」と言われるようなところで、高さ制限は緩い。
被害者の里子は、企業に務めるOLで、フリーターで友人の清美と同居していた。
そんな里子が、血染めのラブレターを送られるなど、ストーカー被害に遭い、警察に訴えていた。
実は里子が住んでいたのは、新山と同じマンションである。今日も女子達は新山が「格好いい」のなんのと口にするが、止めておいた方がいいって。
新山が清美と車でマンションに向かう途中、里子と思われる女性がマンションの自室から転落するのを目撃する。
里子の部屋を望遠鏡で監視している人物をマリコが見つける。粕谷亨、10年引きこもりを続けている男で、大体、テレビでこの手の人物を描くと、女性から相手にされないような男になりがちなのだが、粕谷亨はそれなりに男前である。クレジットを見て津田寛治であることに気付いた。1999年頃テレビドラマデビューなので、まだまだ駆け出しの頃である。
犯人は粕谷ではなく、ワイヤーを使うなどご大層なトリックを使っていた。また清美も共犯だった。
豊臣秀吉の指月伏見城跡の下付近にある大島病院(伏見区桃山町)がクレジットで出たが、小林稔侍演じる木場が診察を受ける場面で、本編の最後に使われていた。


「科捜研の女」Season4 LastFile。左京区岡崎の私立桜谷女学園高校(モデルになった高校はないと思われる。左京区岡崎には京都文教中・高校がある)に通う芦原利奈(加藤夏希。加藤夏希はSeason3にも別の出ていたはずである)が誘拐される。マリコは監禁場所を写した写真に京都タワーの上層階が移っており、階段の見えない東側からの撮影と見て、角度などを計算し(実際にはそれほど簡単には計算は出来ないはずだが)監禁場所を特定する。しかしこれは、利奈が母親の仁美(多岐川裕美)に不満を抱いて起こした狂言誘拐であった。
しかしこの狂言誘拐に、先代からの運転手である相沢(石丸謙二郎)が便乗。携帯電話を偽装し、二億円の身代金を運ぶ役を担ったとして、仁美を車から降ろし、一人で車を走らせる。そのまま車で逃げるつもりだったと思われるが、邪魔が入る。先代の芦原壮介は京都府警から政治家に転身。裏社会とのパイプを持っており、スキャンダルを察知した第一秘書の下条を、近江八幡の裏社会の人間である大神(大杉漣)を使って抹殺していた。
そんな中、鴨川の河原(実際に鴨川の河原か分からず、そうだとしてもかなり下流の方)で木場(小林稔侍)が遺体となって発見される。マリコは何としても木場の仇を討つと心に誓う。木場の検視はマリコが洛北医科大(京都学園大学、現・京都先端科学大学亀岡キャンパスでロケが行われている)で行う。木場が赤こんにゃくを食べていたことが分かり、赤こんにゃくが近江八幡の名産だと知ったマリコは近江八幡に向かう。ロケは八幡堀付近で行われているが、八幡堀地区は、日本で最も美しい街並みを残す町であり、見栄えがするところを撮影すると、京都ですら敵わないので、比較的地味な場所でロケは行われている。
近江八幡の赤こんにゃく屋の前に怪しい事務所かある。ここを根城にしているのが、おそらくヤクザと思われる大神である。
マリコは、木場が監禁されていた場所を探し出すが、大神に襲われる。木場をすぐ殺さなかったのは、ある人物と会わせて、話を付けさせるためだった。現れたのは正宗岳尋本部長(小木茂光)。京都府警出身の芦原壮介元民友党幹事長が発端となっているだけに、京都府警全体の事件に発展する可能性があり、それを止めようとしていたのだった。
正宗は木場の遺品を持ち出そうとして科捜研のメンバー全員に目撃され、チェックメイトとなった。
木場は殉職により二階級特進。警部→警視→警視正となった。
マリコのメンター的存在だった武藤(内藤剛志)が、今回はなぜか、科捜研の部屋にも現れる。マリコと食事をしながら、「死は生の対極としてではなく、その一部として存在する」と、「あるベストセラー作家の一説」を引用する(村上春樹の言葉である。『ノルウェイの森』に登場する)。そしてどこへともなく去る。Season4の武藤は、小説家というよりも妖精のような存在である。
ラストは、これで最後の出演となる小林稔侍の名場面集。泣いていたマリコも、木場から受け取ったこれまでの恩義を回想しつつ、次の事件に向かうことを誓うのだった。

テレビ朝日系列の「世界の車窓から」でナレーターを長年に渡って務めている石丸謙二郎。やはりテレ朝系のドラマには出やすい。


Season4は総じてコミカルな要素はこれまでよりも控えめ。美人女優が変なことをすると見ていて痛くなることが多いが、沢口靖子もその例に漏れない。コメディエンヌのセンスは持って生まれたもので、演技力でカバーすることは出来ない。仲間由紀恵などは極めて貴重な美形コメディエンヌで、「トリック」シリーズの成功は主役が彼女だったからである。後ろから殴られて、「ニャー!」と言いながら倒れるなんて、普通の女優がやったら激痛ものだが、彼女の場合はコミカルになる。ただ若い頃はコメディアンヌとしての力を発揮しても、ある年齢に達すると本格派女優にシフトしてしまう人が多い。コメディエンヌよりも本格派女優の方が格は上だが、ある程度の経験を重ねるとなれる。美形コメディエンヌは希少種。というわけでもったいないことが起こりやすい。

ということで、今回が深浦加奈子などがコミカルな場面を受け持つことが多い。

大杉漣は、徳島県出身で明治大学中退後に転形劇場に入団。看板俳優となるが、劇団解散後は無職同然になり、俳優業を細々と続けていた。北野武に気に入られて、多くの北野武作品に参加。下半身不随となった元警察官で、絵画作品に力を入れる男を描いた「HANA-BI」での演技が高く評価され、以後は北野武作品のみならず多くの映画に出演。出過ぎだというので、「大杉漣複数人説」が飛び出し、三池崇史監督は、外国人記者からの「大杉漣は何人いるのか?」との質問に、「少なくとも大杉漣3号までは確認されている」と冗談を飛ばしている。

小木茂光は、一世風靡セピア出身だが、俳優転身にあたり、その経歴を隠すよう頼んだという。一世風靡セピアではリーダーで、「哀川翔よりも強いのでは」と言われたが、YouTube番組に出演した時に否定。哀川翔については、小木と柳葉敏郎が口論になった時に止めに来たそうで、「仲裁役をやれるとは強い」と一目置いたそうだ。だが、自身の話になると、「チンピラ紛いのファンが騒いでいるので、『ステージ上がれ!』と喧嘩を売った」「帰り、楽屋から出るとき襲われるかも知れないけど、『まあ、大丈夫だろう』と」と、明らかに喧嘩が強い人の発言をしている。
初めて演技を見たのは、CX系の深夜番組「マエストロ」においてで、西村まさ彦(西村雅彦)がマエストロで、小木茂光がコンサートマスター役であった。

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2026年1月31日 (土)

観劇感想精選(508) キムラ緑子主演「わがうたブギウギ 笠置シヅ子物語」

2026年1月25日 京都四條南座にて観劇

午後3時30分から、京都四條南座で、キムラ緑子主演舞台「わが歌ブギウギ 笠置シヅ子物語」を観る。1994年初演の音楽劇。
主演:キムラ緑子。出演は、林翔太、曾我廼家寛太郎(そがのや・かんたろう)、賀集利樹、惣田紗莉渚(そうだ・さりな)、一色采子、桜花昇ぼる(おうか・のぼる)、松村雄基ほか。アンサンブルキャストを含めるとかなり多くの人が出演する。
作は小野田勇。補綴/演出は「現代の戯作者」こと齋藤雅文。音楽:服部隆之。
「ブギの女王」として一世を風靡しながら、42歳の若さで歌手を引退し、以後はおばちゃん役を得意とした女優として活躍、70歳で他界した笠置シヅ子の歌手時代の物語である。笠置シヅ子は、歌手時代には笠置シズ子の表記を用いており、女優に転身してから表記が笠置シヅ子に変わったとされるが、歌手時代に女優として出演した映画でもクレジットが「笠置シヅ子」になっているものがあり、歌手「笠置シズ子」、女優「笠置シヅ子」だったのかも知れない。

キムラ緑子は、同志社女子大学出身で、学生時代にお隣の同志社大学の演劇サークル第三劇場でマキノノゾミが演出するつかこうへい作品を観て参加。マキノとは結婚と離婚を繰り返している。
卒業後は、生まれ故郷の淡路島に帰って塾講師を務めるが、マキノに誘われ、マキノが主宰する劇団M.O.P.に参加。つかこうへい作品を上演していたが、マキノが作・演出を手掛けるようになってからは関西を代表する憑依型女優として名声を上げる。劇団M.O.P.が大阪、東京と本拠地を変えるごとに移住。映像作品にも出演するようになるが、全国区になるのは比較的遅く、朝ドラで意地悪な役や怖い役を演じて話題になってからである。舞台では、世間知らずなお嬢さんから性格のねじれた老婆まで幅広く演じ分け、才能を発揮している。

ただ今回はキムラ緑子を前面に出すためか、声など細部を除いては演じる年齢による演じ分けは行っていない。第1幕と第2幕からなる商業演劇であるが、カーテンコールでの声からいって、第2部が素のキムラ緑子の声で、第1部が若い声だったようだ。かなり違う。

NHK連続テレビ小説「ブギウギ」(主演:趣里)で、笠置シヅ子をモデルにした人物がヒロインとなり、笠置シヅ子の自伝や、シヅ子の師である服部良一の自伝などが久しぶりに再発売されているが、その間、研究はほとんど行われていなかったようである。笠置シヅ子も比較的謎の多い人物で、歌手引退と同時に歌を一切歌わなくなった、鼻歌すらも歌わなかったことが、一人娘の亀井ヱイ子氏の証言で分かっている。かなり頑なである。歌手引退の理由も曖昧だが、後年になって笠置シヅ子本人が、「太ってきたから」と理由を明かしている。笠置シヅ子の歌は、歌声だけでなくパフォーマンス(振付はほとんど自分で考えている)も併せて初めて一つの作品となるものだった。太ってしまっては踊れない。そして、笠置シヅ子が生きたのは日本人の平均寿命が今より短く、老けるのも早い時代だった。

 

黒澤明の作詞であり、黒澤映画「酔いどれ天使」でも使用された「ジャングル・ブギー」でスタート。キムラ緑子演じる笠置シヅ子が歌い踊り、それを多くのダンサーが盛り上げる。

話はシヅ子の若い日に戻る。少女時代のシヅ子(本名:亀井靜子。合田くるみが演じている)は、宝塚歌劇団を受けるも不合格。少女歌劇への夢を諦めきれないシヅ子は、今の大阪松竹座内にあった大阪松竹楽劇部(のちに大阪松竹少女歌劇団に改称)を訪れ、強引に入れて欲しいと頼む。二村定一の「アラビヤの唄」なども歌い上げる。生徒募集をしていなかった大阪松竹楽劇部も根負けして入団を認める。実際のシヅ子はもっとしつこかったそうで、毎日毎日「入れてくれ」と頼みに来たそうだ。
三笠シズ子の芸名で座員となるが、三笠宮が創設されたため、「畏れ多い」として笠置シズ子に改名させられている。
今回の劇では、服部良一(松村雄基)が大阪松竹少女歌劇団に在籍しているという設定(実際に二人が会うのは東京において)。 ピアニストとしてシヅ子たちにレッスンを付けるのは小暮五郎(賀集利樹)の役目であるが、小暮は若い頃から酒をたしなんでおり、その後、酒の飲み過ぎでピアノが弾けず、零落した姿でシヅ子の前に現れることになる。

大阪で歌声が評判になったシヅ子(大阪松竹少女歌劇団の後継団体であるOSK日本歌劇団で今も歌い継がれている「桜咲く国」などを歌う)に、東京の帝国劇場を舞台として組織される松竹楽劇団(SGD)に加わらないかという話が舞い込む。音楽監督は服部良一(史実でシヅ子と服部が出会ったのはこの時)。シヅ子は、男役のダンサーであるユリー五十鈴(桜花昇ぼる)と共に上京する。なおOSK日本歌劇団出身の桜花昇ぼるは、大阪の近鉄劇場で行われた「ブギウギ講談」では、歌唱担当として、笠置シヅ子とは名乗らなかったものの、実質、笠置シヅ子役で出演している。ユリー五十鈴は、体力では男性に敵わないことを感じ、男役の存在意義に悩むようになって、やがて芸能界から退き、五十鈴百合として女の人生を歩むことになる。
第1弾シングルとしてリリースされたのが、「ラッパと娘」である。朝ドラ「ブギウギ」でも「ラッパと娘」は「東京ブギウギ」以上に重要な曲となっていたが、この曲のメロディーは明らかに常道を外れており、服部良一の「音楽の殻を破ってやる」という意気込みが伝わってくる。実際に難しい楽曲で、本物の笠置シヅ子は、それまでこの手の激しいジャズは聴いたことがなかったはずなので、歌いこなすのにかなり苦労したことが察せられる。服部のレッスンは厳しいもので、夢中になると時間を忘れ、何時間もぶっ続けで進み、シヅ子は食事をすることも出来ず泣いたこともあるようだ。
笠置シヅ子の歌は、いわゆる「上手さ」ではそれほどでもない。あらゆる作品や書籍でも「歌が飛び抜けて上手い」という記述はない。そもそも音程には余り気をつかっていない。だが、黒人のジャズシンガーを思わせるソウルフルな歌声は、他に挙げる人物が見当たらないほど力強く、特にステージで聴く者を圧倒したことが証言から伝わってくる。

実は、終盤にシヅ子が歌った曲のメドレーが待ち構えている。

やがて戦時色が濃くなり、アメリカの影響を受けた歌を持ち歌としていたシヅ子は警察のターゲットとされて、「囲まれた線から出ずに歌え」と強要され、やがて「東京で歌ってはならない」という命令が下る。シヅ子は五郎をバンマスとした「笠置シズ子とその楽団」を結成し、地方巡業に活路を見出した。そんな中、シヅ子は一人の若い青年と出会う。早稲田大学に通う花森英介(林翔太)。花森興業創業家の一人息子である。花森英介は吉本興業の御曹司である吉本穎右(えいすけ。漢字も読みも難しいので、「エイスケ」とカタカナ表記にすることが多かった)をモデルとしているが、実際の吉本穎右はシヅ子の大ファンで追っかけをしており、出会ったのも偶然ではなかった。年が離れていたので恋人にはならないと思っていたシヅ子だが、英介の熱心さに惚れ、結婚を誓う。

シヅ子と英介が自己紹介をするシーン。シヅ子のパートは長台詞の上、状況説明が次々に変わり、体の動きも伴うため、キムラ緑子が軽々演じているのでそう見えないだけで、かなりの高難度である。

シヅ子の追っかけをしている人がもう一人。生駒芙美子(惣田紗莉渚)である。松竹少女歌劇団に押しかけて、榎本健一などの歌唱で知られる「私の青空」を歌って入団。シヅ子が東京に移ると、やはり追いかけてSGDのレビューガールに。しかし、自身の才能に見切りを付け、シヅ子の付き人となる。

日本はアメリカに敗れ、終戦となる。東京に戻ったシヅ子は有楽町の日本劇場(今は跡地に有楽町マリオンが建つ)で「ハイライト」公演に出演。中国に行っていた服部良一が、東京に戻った時に日劇の「ハイライト」公演の看板を目にし、吉祥寺の自宅に戻る前に日劇の笠置シヅ子の楽屋を訪れる。

服部は、シヅ子が主演する「ジャズ・カルメン」を企画。しかし、シヅ子は英介との愛の結晶である子を宿していた。妊娠しながら歌うのは難しいと、百合に反対されたシヅ子だったが、出演を強行。「ジャズ・カルメン」は大好評を得る。

だが英介は結核に冒されており、死んだ(史実では肺炎とされる)。「ジャズ・カルメン」を観る予定だったが、東京に来ることも出来なかった。数日後、シヅ子は女の子を産む。シヅ子は娘をヱイ子と名付けた。

服部は、「リンゴの唄」に続く復興ソングをシヅ子に歌わせようと考える、ある日、中央線の電車の中で、吊革が揺れているのを見た服部は、リズムと旋律が脳裏に閃く。史実では、服部は次の駅で降りて、すぐそばの喫茶店に駆け込み、紙ナプキンに五線譜と音符を書き込むのだが、舞台上ではそれは出来ない。満員の車内の乗客の揺れをアンサンブルキャストがダンスで表現し、服部が揺れの中で閃いて、手元の紙に五線譜と音符を書き込む。

こうして代表曲、「東京ブギウギ」が完成、裏手から実際に笠置シヅ子が着ていたドレスを模したものに身を包んだキムラ緑子とダンサーが登場し、「東京ブギウギ」が歌われる。最後の掛け声が「ヤー!」であることから、1947年に笠置が出演した映画「春の饗宴」を参考にしていることが分かる。実は、「東京ブギウギ」はかなりの難曲である。独特のリズムに乗り続けたまま歌うのはかなり難しい。キムラ緑子も、第2番の冒頭で少し遅れたが、乗り直した。ダンスも笠置のオリジナルと同じもの。全体を使った踊りなので、かなり体に来る。還暦を過ぎているキムラ緑子は、「東京ブギウギ」の終盤でバテているように見えたが、ここから地獄の「ブギウギメドレー」が始まる。要所要所を歌うだけだが、かなり疲れるはずである。「ブギウギメドレー」の曲目は、「買物ブギー」「ホームラン・ブギ」「大阪ブギウギ」「セコハン娘」「アロハ・ブギ」「センチメンタル・ダイナ」「ヘイヘイブギー」「東京ブギウギ」。ブギでないものも含まれる。

かくてシヅ子は、「ブギの女王」の名声を得る。

一方、シヅ子は、ラク町(有楽町のこと)のお葉(一色采子)らパンパンと交流を持つようになる。
お葉がいる喫茶店ドリームに一人の男。そこに笠置シヅ子が現れる。シヅ子は男が五郎だとすぐに気付く。五郎はピアノが弾けなくなり、生活に困っていた。シヅ子は五郎に禁酒を命じる。「禁酒は無理」だと思っていた五郎だが、持ち直し、ピアニストとして再出発出来るようになった。やがて芙美子と結婚する。

 

時が流れた。ブギの全盛期に、シヅ子は淡谷のり子と雑誌上で対談している。淡谷のり子が、「シャンソンは長く歌い継がれているけど、ブギは一過性で終わる」と断言しているのに対してシヅ子は、「ブギは長く歌い継がれていくと思います」と述べていた。だが、ブギの時代は短かった。ブギの全盛期には絶賛していた評論家が、手のひらを返して酷評の記事を書く。
そんな中、NHKでの公開録音に臨んだシヅ子だったが、「東京ブギウギ」の途中で歌唱を打ち切る(史実ではないようである)。もう高音が出ない。「もっと低い音程の歌をうたえば良い」と言ってくれる人もいた。だがシヅ子は歌手人生の終焉を感じる。「思うように歌えなくなったら歌手ではない」。服部は「それでこそプロの歌手の去り方だ」と称賛するのだった(実際は、服部は激怒したようである。服部はシヅ子に歌わせるために多くの歌を書いてきた。シヅ子がいなくなったら、思うような歌が書けなくなってしまう。しかしシヅ子は女優へと転身し、服部の最盛期も同時に終わることになる)。
華やかさの後の寂しさが身に染みる。
戦後を照らした太陽のような女性が、天岩戸へと帰っていく。天鈿女命(アメノウズメノミコト)がどんなに頑張っても意味はない。天鈿女命もまた彼女だったのだから。

 

今回の上演は、東京の三越劇場での上演を経て、京都四條南座での上演となっている。本来なら、笠置シヅ子、服部良一、吉本穎右全てと関わりのある大阪での上演が適当だったのかも知れないが、キムラ緑子が京都ゆかりの女優であることと、毎年のように南座で上演を行っていることから、南座が選ばれたのだと思われる。

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2026年1月25日 (日)

コンサートの記(942) 阪哲朗指揮 紀尾井ホール室内管弦楽団第144回定期演奏会大阪公演

2025年9月16日

午後7時から、住友生命いずみホールで、紀尾井ホール室内管弦楽団第144回定期演奏会大阪公演を聴く。指揮は京都市出身で、今は大津市に住み、びわ湖ホールの芸術監督を務めるという阪哲朗。

紀尾井ホール室内管弦楽団は、以前は紀尾井シンフォニエッタ東京を名乗っていた団体で、紀尾井坂上の日本製鉄紀尾井ホールを本拠地としている。常設の団体ではなく、普段は別のプロオーケストラの楽団員やソリストとして活躍してるメンバーが集まって演奏会を作り上げる。紀尾井シンフォニエッタ東京時代の演奏を紀尾井ホールで聴いたことがあるが、紀尾井町・四ツ谷、上智大学のすぐそばという土地だからか、見るからに「私、良家の娘です」というタイプの若い女性の聴衆が多いのが印象的であった。

会場の住友生命いずみホールに来るのは久しぶり。来る前に大阪城公園内にある豊國(ほうこく)神社に参拝。豊臣秀吉公の像は完成したばかりの頃から見ているが、経年により細かな傷なども目立ち、色も以前より薄めになった。「お互い年を取りましたなあ」と心の中で呟く。
大阪城公園内は外国人観光客が目立つが、国旗をモチーフにしたものを着たり持ったりしている人も多く、「トルコか」、「ベトナムか」と分かる。

日本人の女性二人が、「中国では少し残す」という話をしていたのが耳に入るが、すぐにピンとくる。中国では出された食事を全部食べずに残すのがマナーである。全部食べてしまうと、「量が足りなかった」という意味になる。京都が生んだ女優である中村玉緒さんの著書を読むと、昔は京都でも少し残すのが礼儀という時代があったようである。

 

さて、住友生命いずみホールでの紀尾井ホール室内管弦楽団のコンサートであるが、入りは余り良くない。全て横向きの席である2階のバルコニー席はほぼ埋まっているが、1階席は6割行くか行かないかといったところ。いずみホールでは、いずみシンフォニエッタ大阪というこれも非常設の団体が定期演奏会を行っており、新鮮味がなかったのかも知れない。1階席には数人分丸ごと空いている席があるが、おそらく招待客が来てくれなかったのだと思われる。

 

曲目は、ヴェーバーの歌劇「オベロン」序曲、コルンゴルトの左手のためのピアノ協奏曲(ピアノ独奏:阪田知樹)、メンデルスゾーンの劇附随音楽「夏の夜の夢」(ナレーションなしで、一部を割愛してのほぼ全曲演奏。ソプラノ独唱:三宅理恵&山下裕賀。合唱:大阪すみよし少年少女合唱団)

「夏の夜の夢」だけ聴きたい人もいたようで、後半には1階席の後ろの方の聴衆が少し増えていた。
聴衆が少ない理由としては、「コルンゴルトって誰?」という人が多いのと、「関西なら阪さんはいつでも聴ける」という2つが考えられる。

コンサートマスターは玉井菜摘。玉井さんのお母さんは京都市交響楽団の第2ヴァイオリン奏者であったようだ。
ヴァイオリン両翼の古典配置を採用しているが、演奏スタイルは全てモダンである。

 

いずみホールも京都コンサートホール同様、反響板がないので、1階席は音が降りてこないように感じることがある。今日の2階バルコニー席で聴いた。

 

ヴェーバーの歌劇「オベロン」序曲。比較的、演奏会の第1曲に選ばれやすい曲である。今日プログラムされた3曲には盛り上げ方が似ているという共通点がある。

紀尾井ホール室内管弦楽団は、腕利きが揃っているだけに常設ではないのにアンサンブルも緻密で、音も輝かしい。室内管弦楽団としては、オーケストラ・アンサンブル金沢と日本のトップを争う力を持っているように感じた。ただ、紀尾井ホール室内管弦楽団は非常設故メンバーが入れ替わるので、演奏会ごとに出来が違うということもあり得るかも知れない。前に聴いた演奏も今日の演奏も優れたものだったが。

 

コルンゴルトの左手のためのピアノ協奏曲。戦場で右手を負傷したピアニストのパウル・ヴィトゲンシュタイン(哲学者のルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタインの実兄)が、多くの作曲家に依頼して書いて貰った左手のためのピアノ作品の一つである。
コルンゴルトは、幼時から楽才を発揮し、ミドルネームがヴォルフガングということもあって、「モーツァルトの再来」と絶賛された。23歳で書いた歌劇「死の都」は大ヒットしている。ヨハン・シュトラウスⅡ世の喜歌劇「こうもり」をミュージカル化したり、メンデルスゾーンの劇附随音楽「夏の夜の夢」を編曲したりと、舞台劇方面でも活躍。しかしコルンゴルトはユダヤ系であったため、ナチスから逃れるためのアメリカに渡る。
アメリカでは映画音楽の作曲を数多くこなし、現代では「映画音楽の礎を築いたコルンゴルト」と讃えられることもあるが、当時は劇伴はクラシックよりも下と見なされており、また彼のクラシック音楽のロマンティックな作風がウィーンでも「時代遅れ」と受け取られるようになり、晩年は不遇だった。死後はその名が一度、消えかかったが、1990年代半ばにアンドレ・プレヴィンやフランツ・ヴェルザー=メストらが指揮したコルンゴルト作品のCDが立て続けに発売され、「コルンゴルトブームが起こるか」と思った矢先に世界的なピアソラブームが起こってしまい、コルンゴルトの名は吹き飛ばされてしまった。
それでも近年は「死の都」が日本でも上演されるなど、再評価の動きはある。

コルンゴルトの左手のためのピアノ協奏曲は、弦楽器のロマンティシズムに鋭さを隠した音色をバックに、個性的な旋律が展開される。今でも新しく聞こえる部分があるなど、コルンゴルトの確かな才気が感じる。そして盛り上げ方は「オベロン」序曲や「夏の夜の夢」序曲などにも通じるものがある。
ソリストの阪田知樹は技巧派ピアニストとして名声を高めており、大阪フィルハーモニー交響楽団の宇治公演で聴いたチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番のシャープなピアノが記憶に新しいが、今日は音楽の大枠をガッシリと捉えた男性的なピアニズムを示す。高音がトイピアノのように聞こえる場面もあり、ハッとさせられる。
珍しい曲ということで譜面を用意し、自分でめくりながらの演奏であった。
以前は男性ピアニストというと、遊び人やボヘミアンも多かったが、聞くところによると、阪田知樹はアスリートのようにストイックな生活を送っているそうである。

アンコール演奏は、メンデルスゾーンの「無言歌」より“紡ぎ歌”。私はメンデルスゾーンの「無言歌」の全曲盤を持っているのだが、余り耳に残らなかった曲。ただコルンゴルトの後で聴くと、メンデルスゾーンの革新性を聴き取ることが出来る。
メンデルスゾーンが38歳の若さで亡くならなかったら、もっと音楽を推し進めていたかも知れない。

 

メンデルスゾーンの劇附随音楽「夏の夜の夢」。短い曲とナレーションをカットしたバージョンである。メンデルスゾーンの劇附随音楽「夏の夜の夢」は人気が高まる傾向にあり、檀ふみのナレーション、飯森範親指揮日本センチュリー交響楽団の演奏、幸田浩子と林美智子の独唱で聴いたことがある。この演奏はライブ録音され、CDとなってリリースされている。
もう大分経ったので書いてもいいと思うが、泉鏡花の「夜叉ヶ池」がオペラ化され、演出が岩田達宗さんで、主役の百合を歌うのが幸田さんということで、東京・初台の新国立劇場中劇場まで観に出掛けたのだが、檀ふみさんがいらしていた。無闇に話しかけられないようにだと思うが、お付きの男性とずっと話していて、「有名人も大変だな」と思ったものである。
京都市交響楽団も昨年、オーケストラ・ディスカバリーの曲目として、鈴木優人の指揮、ウエンツ瑛士のナレーションほかで、劇附随音楽「夏の夜の夢」を演奏する予定だったのだが、「台風接近」との予報により公演中止となっている。

前半は指揮棒を使っていた阪哲朗であるが、「夏の夜の夢」はノンタクトでの指揮。総譜は譜面台の上に開かれているが、ほぼ暗譜の指揮で、譜面をめくらずに立て続けに指揮した時には、数ページまとめてめくっていた。
演奏は活力に富み、メカニックの高さもあって、大変優れた出来であった。阪のキビキビとした音運びがこの曲に相応しいということもあるが、メンデルスゾーンの実力にも改めて感服することになり、充実した演奏会となった、三宅理恵と山下裕賀(ひろか)の独唱者二人と、大阪すみよし少年少女合唱団も澄んだ声で演奏に彩りを施した。

 

プログラムが長めであるが、更にアンコール演奏がある。ヨハン・シュトラウスⅡ世の喜歌劇「こうもり」序曲。アンコールとしては長めの曲だが、賑やかさと仄かな哀愁が印象的な演奏であった。この曲も終盤は盛り上がる。

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2026年1月17日 (土)

観劇感想精選(507) 「シャイニングな女たち」

2026年1月10日 大阪の森ノ宮ピロティホールにて観劇

午後6時から、森ノ宮ピロティホールで、「シャイニングな女たち」を観る。「シャイニング」というと、スティーヴン・キングの同名小説とスタンリー・キューブリック監督によるその映画化作品を連想しがちだが、それらとは全く関係のない話である。

作・演出:蓬莱竜太。出演:吉高由里子、さとうほなみ(ゲスの極み乙女のドラマー、ほな・いこかと同一人物。現在、朝ドラ「ばけばけ」に遊女役で出演中)、桜井日奈子、小野寺ずる(映画「風のマジム」では、伊藤沙莉演じる主人公の右腕的存在&コミックリリーフで出演)、羽瀬川なぎ(朝ドラ「虎に翼」では車椅子生活という難役を演じた)、李そじん(読みは、イ・ソジンだと思う)、名村辰(なむら・しん。「虎に翼」では学生時代には女性を蔑視していた嫌な男を演じていた)、山口紗弥加。一人を除いて全員女優という比較的珍しい布陣。宝塚歌劇は全員女性だが、男役と娘役がある。
山口紗弥加だけ年が上(吉高由里子とは比較的近い)であるが、実際に年齢の離れた役を演じている。

蓬莱竜太が十代半ばを過ごした石川県の県庁所在地、金沢市が舞台である。そのため、出演者は(韓国からの留学生役を除いて)全員、加賀地方の方言を使う。ちなみに加賀の語源は「輝き」とされ、「シャイニングな女たち」に通ずる。
北陸創成大学という、いかにも偏差値の低そうな校名の大学が舞台だが、良いとされる大学だと彼女の卒業後の進路も変わってくるため、敢えてそういったイメージの大学名にしたのだろう。ちなみに、石川大学という大学は存在しない(47都道府県のうち、石川大学と栃木大学だけが存在しない)。石川大学だと良さそうに見えるので避けたのかも知れない。

2年前の大河ドラマ「光る君へ」で主役の紫式部(まひろ/藤式部)を演じた吉高由里子。「ハロハロ日曜日」で始まる、吉高由里子じゃなかったら、「この人、ちょっと頭おかしいんじゃないの」と思ってしまうような告知がXで毎週あった。「1時間を私に下さい」とも書いていたが、大河ドラマの放送枠は45分である。今回も群像劇ではあるが、劇は彼女のモノローグに始まり、彼女を中心に回っていくため、主役と見なして間違いないだろう。女優の多くにモノローグが用意されているが、桜井日奈子がもう一人の軸となっている。

吉高由里子演じる金田海(うみ)は、地域スポーツ振興課の非正規社員(金沢駅を使って通勤しているため、石川県内の他の自治体の可能性もある)。生活に疲れた感じで、経済的な余裕もなさそうである。

ある日、葬儀の後のお別れ会に紛れ込んだ海は、安らぎを覚え、お別れの会に参加して食事をするのが癖になる。それを20回ほど重ねたある日、海は遺影に見覚えがあることに気付く。大学時代に女子フットボール部員として一緒に活動してきた白澤喜美(よしみ。桜井日奈子)であった。周りにいる人も大学時代の女子フットサル部のメンバー達で……

さとうほなみ演じる山形圭子が、海の幼馴染みということで、海の若いときの話は圭子によって語られる。中高と同じ学校の陸上部で、海は勉強は余りしないタイプ。圭子は勉強していることを海にからかわれるが、結局、同じ大学に進み、今も一番親しい友人である。2011年7月17日、FIFA女子ワールドカップ、なでしこJAPANがアメリカ代表を破って世界一になった時、海は女子サッカー部創設を決意する。圭子も巻き込まれる。2011年は3月11日に東日本大震災が起こってから、日本全体が暗く沈んだムードの年だった。今こそ女子サッカーをやろう! ということでビラを撒いたりして勧誘を行うが、反応はいまいち。そもそも女子でサッカーをすることに興味がある人は少なく、経験者はすでに強豪の女子サッカー部を持つ大学に進んでしまっている。
「次の校舎の陰から出てきた人をスカウトする」と海は決めるが、出てきたのは見るからにオタクっぽい白澤喜美で……。
コーチにプロ経験もある川越瑞希(山口紗弥加)を招き、人数不足でサッカーは諦めてフットサル部を立ち上げた海(それまでフットサルの存在も知らなかった)。初戦はシュートを何発も食らって大敗するが、実力を付けていく。
そんな中、子どもの頃は皆から「可愛い」「綺麗」と言われて得意になるも、それが災いしたのか小学校4年生の時に同級生の女子全員から無視され、以後は、「地味に地味に」を心がけてきた遠藤アキラ(羽瀬川なぎ)が週刊誌の「スポーツ美女」コーナーで取り上げられ、自信を付ける。そんなアキラのロッカーから財布が盗まれた。金額は1350円と安いが、金沢市内の実家などではなく、遠くからなのか、下宿してるのか、持ち金に乏しく、とにかく月末までそれで過ごさなければいけないのだった。海の提案で皆で金を出すことにするが、海は犯人に心当たりがあり……。

この後は蓬莱竜太得意の心理戦が始まるが、その後、ネット社会の怖ろしさや、海の非正規社員としての悲哀(喜美も契約社員にしかなれなかった。海は非正規ながら公務員のようだが、非正規ゆえ発案した企画は一つも通らない、給料や待遇も据え置きで正社員への昇格も却下、午前中に地域のスポーツの写真を撮りに出掛けることだけが生き甲斐だったが、コロナで活動出来なくなる。コロナが終わると写真撮影専門の人が入ってきて、海は事務の雑用をこなすだけになる。アキラは、地方局のレポーターとして人気になり、東京に進出するも地方とは違い、同業となるのは全員可愛い子。仕事はなく、でも事務所にレッスン代は払わねばならず、酒席の接待に駆り出されることもある)などが描かれ、最後は輝いていた青春時代に戻って、どこかからか落ちてきたボールでサッカー(金沢駅近くの公園ということで神社のそばのあそこかな? などと想像していた)という何とか花のある終わり方をするかと思われたが、ラストに能登半島地震の発生が圭子によって告げられる。

悪い作品ではないのだが、テーマを詰め込み過ぎてしまうため、結果としてどれを描きたかったのかが不鮮明になってはいる。ただ俳優陣は皆魅力的で、満足のいく出来にはなった。一つ一つ三部作で描いた方が良いような気もした。

左利きの有名人の一人である吉高由里子であるが、サッカーもレフティー。脚のレフティーは手の左利きより多いので、他にも何人か左で蹴る人がいたが、常時左は吉高由里子だけである。

今回は吉高由里子得意のフィールドに持ち込める役だったので、吉高も生き生きと演じる。「岡山の奇跡」と呼ばれて注目された桜井日奈子だが、今のところテレビドラマでも映画でも有名作で主役を張ったことはない。今日は良い演技だったし、ホワイエにも一人だけお花が二つ届いていたが、「彼女でないと出来ない役」が思い浮かばないのが現状である。岡山県は最近元気で、後輩の女優達も出てきているため、嵌まり役が見つかればいいのだが。

他の出演者は「安定」といったところ。

宣伝用ポスターに黒塗りのサッカーボールが写っており、劇中でもサッカーボールが使われるが、本気でやるとボールが客席に蹴り込まれてしまう危険性があるため、要所だけボールを用いて、後はエアでキックやトラップなどを行っていた。

金沢が舞台なのが嬉しい。「あの辺かな、あの辺かな」と街並みを思い浮かべながら観ていた(実際に出てくる具体的な施設は、金沢駅とその周辺のホテル、金沢21世紀美術館、石川県立美術館のみ)。また金沢に行きたい。七尾市の能登演劇堂も再訪したい。

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2025年12月12日 (金)

観劇感想精選(504) 音楽劇「エノケン」

2025年11月2日 大阪城公園内のCOOL JAPAN OSAKA WWホールにて観劇

午後5時から、大阪城公園内の、COOL JAPAN PARK OSAKA WWホールで、音楽劇「エノケン」を観る。ホリプロの制作。喜劇王エノケンこと榎本健一と彼の家族や仲間達を描いた作品。COOL JAPAN PARK OSAKAは、2019年にオープンした劇場だが、これまで何故か縁がなく、初めての来場である。

まだ軽演劇が盛んな時代の東京が舞台だが、現在の東京の軽演劇はもう何年も虫の息状態。一方、大阪は吉本新喜劇が今も人気であり、日本で最も成功した軽演劇の劇団となって、大阪を軽演劇の中心地とした功績は大きい。一方、松竹新喜劇などライバル劇団は苦戦しており、吉本の一強が続く。

COOL JAPAN PARK OSAKAという劇場自体が、大阪の民放各社と吉本興業によって建てられている。大阪だけの特殊な状況だが、各民放と吉本興業が共同で番組制作を行っており、吉本の権限が非常に強い現状の象徴となっている。3つあるホールの名付け親も明石家さんまだ。
一方、吉本自体は必ずしも堅調とは言えず、大阪で売れた芸人が東京吉本に進出するという状況は相変わらず続いていて、かまいたちや千鳥など、大阪時代に面白さに定評にあった芸人が東京に移って全国区になるというパターンがすでに成立しているものの、ミルクボーイや霜降り明星など個別に面白いコンビはいるが、次の世代の人達が順調に育っているとは言えず、劇場面でもよしもと祇園花月は撤退。吉本は京都における拠点を失っている。
ダウンタウンという看板もこれからは出演は無理そうであり、危機的な状況である。
吉本は京橋花月があった時代に芝居路線を打ち出したが、京橋花月閉鎖と同時に撤退。COOL JAPAN PARK OSAKAはその路線に戻るための布石だったと思われ、現在も吉本系の演劇が行われている。

この音楽劇「エノケン」も又吉直樹が戯曲を手掛けるなど吉本の色が入っている。作:又吉直樹、演出:シライケイタ。音楽:和田俊輔。主演:市村正親。出演:松雪泰子、本田響矢、小松利昌、斉藤淳、三上一朗、豊原功補。

松雪泰子は、エノケンの妻・よしゑと、銀座の女郎・花島喜世子(アイコの源氏名で呼ばれる)の一人二役。途中で、「一人二役って大変なんだから」と登場人物ではなく松雪泰子のセリフを言う場面があるが、台本に書いてあったのか、稽古中にアドリブで言ったのが採用されたかのどちらかであろう。

まず、エノケン(市村正親)が脱疽を患い、義足になった場面から始まる。エノケンは息子の鍈一(本田響矢)に支えられながら退場。
その後、市村正親は、若かった頃のエノケンとして客席下手入り口から登場。通路を歩いて舞台に上がる。名曲「青空(私の青空)」、NHK連続テレビ小説「虎に翼」で、ヒロインの寅子(伊藤沙莉)が披露宴で歌い、「あの曲なに?」「披露宴で唄う歌じゃない」と話題になった(この時点での寅子の鈍さが表れている象徴的な場面でもある)「モン・パパ」、「東京節」「洒落男」などが歌われる。市村も高齢だが、本業がミュージカル俳優。本業が喜劇俳優で歌は余技の榎本健一よりも歌唱力ははるかに高い。それにしても「モン・パパ」が入るようになったのは感慨深い。「虎に翼」で話題になったということもあるが、恐妻家を唄った歌は、これまで男性からも女性からも好まれなかった。「モン・パパ」はタイトルからも分かるとおりシャンソンで、様々な日本語訳があり、今はYouTubeで聴くことが出来るようになっている。何種類もの訳詞と歌唱があるということは、大ヒットしたということだが、その後忘れられ、久しぶりに日の目を見た曲ということでもある。なお、「寅に翼」で歌われたのは、榎本健一&二村定一によるバーションである。

よしゑと喜世子の二役を行った松雪泰子。着物の早替えと声や仕草の変化で演じ分ける訳だが、喜劇役者の妻であるよしゑよりも、女郎とはいえ高級な店でハイクラスな人々の相手をしている喜世子の方が言葉遣いも身のこなしも可憐。身分的にはよしゑの方が上のはずなのだが、こうした逆転現象は、演技=演劇の妙味である。
松雪泰子出演の舞台はそれほど多く観てはいないのだが、彼女は空間に嵌まるタイプであるため、ヒット率はかなり高そうである。

豊原功補は、今回は、劇作家の菊谷榮(きくや・さかえ)を演じている。最初の場面で菊谷の声にエコーが掛かっていたため、彼が今はこの世にいないことが分かる。
その後、時代が遡り、菊谷が元々は舞台美術をしていたが、脚本に回ったことなどが語られる。三谷幸喜の「笑の大学」にも、菊谷をモデルとした人が出てくるが、軽演劇の本は演劇のそれとは異なる要素が求められる。お客さんは笑いに来ているので、哲学的な命題で入ったり、斬新な設定にしても付いてこられない。菊谷もそんなものを書くつもりはなかったが、自分にしか書けない作品を望んでいた。しかし召集令状が来る。戦地で菊谷は自身の最高傑作を書き上げるのだが、程なく戦死する。検閲制度があったため、戯曲にも目を通され、「自分にしか書けない」戯曲などは当局によって危険と判断され、破棄された可能性が高い。
そうではあっても、菊谷は幽霊となってエノケンを励ます。

菊谷よりも有名なのが菊田一夫(小松利昌)。「君の名は」が最も有名だが、小学校中退であり、仕事がないので公衆便所の掃除の仕事に申し込んだところ、「学歴がない」という理由で落とされ、「なにを!」と奮起して学歴の関係ない演劇界で生きている。

古川緑波(斉藤淳)は、早稲田大学中退であり、他の演劇人に比べるとインテリで、最初の売り込みのときから自身のことを「千両役者」と呼んでいたようである。その後、エノケン・緑波は浅草の二大看板となったが、次第にアイデアの枯渇に悩むようになっていく。その後、映画に端役で出たり、地方公演など、プライドをかなぐり捨てての活動を行うが、尊大な態度が周囲の人の癪に障ったようで、57歳にして寂しく世を去っている。

エノケンも脱疽の病気が進み、右足の膝から下を切断。その後、訓練によって軽快な動きを取り戻すが、更に脱疽は進んで太ももの切断まで行う。エノケンは心の面においては弱い人のようで、何度も自殺しようとするが、未遂に終わる。その後の復帰も周囲の人々に支えられてだった。古川緑波の凋落はこの芝居の中では描かれないが、好対照な生き方であるといえる。

実は、私が小学校の頃、道徳の教科書に載っていたのが、脱疽の病を得た後の榎本健一の姿だった。記憶が曖昧だが、今日観た芝居に描かれたエノケンとは違い、毅然とした英雄的な態度だったように思う。教科書の編纂者は、障害を得ても強く生きる偉人として榎本健一を選んだはずである。だが、実際の榎本健一は今日の芝居の方が近いはずである。

小説家や脚本家が戯曲を書くとかなりの確率で失敗する。戯曲は場面が限られるので、その中で何をどう配置するか決める必要があるが、小説も脚本も舞台は無限であり、ずっと自由である。
又吉直樹の戯曲も、場面や時代が飛ぶことが多く、映像的ではあったが、彼自身が舞台人ということもあり、過度にセリフを語らせることはなかった。またメタ的なセリフだが、「セリフは短い方が良い」と俳優に語らせていた。

シライケイタの演出は、中仕切り幕の多用が印象的。緞帳はないので、中仕切り幕で場面転換などを行う。歌舞伎的な手法だが、蜷川幸雄に影響を受けた人なので頷ける。客席の通路を多用した演出であり、市村正親や松雪泰子を間近で見ることが出来た。やはり松雪泰子は顔が小さい。

榎本の障害に相当するものが市村にとっては年齢だと思われる。昔のように唄えなくなるし、踊れなくなる。エノケンは65歳で他界したが、市村は76歳にして現役。市村は今日は年齢から来る衰えを克服したように思う。

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2025年12月 4日 (木)

これまでに観た映画より(415) 「アクターズ・ショート・フィルム」シーズン2

2025年12月2日

アクターズ・ショート・フィルム シーズン2 エピソード1「いくえにも。」とエピソード2「物語」を観る。俳優が監督としてショートフィルムを制作するという試みの第2弾。WOWOWの制作である。

エピソード1「いくえにも。」は、脚本:山咲藍、出演:村上虹郎、平岩紙、見上愛、奥田洋平、黒沢あすか他。監督:青柳翔。

少年が線路沿い(総武快速線もしくは横須賀線沿いに見える)の電話ボックスに入るシーンから始まるが基本的には家族ものである。
阿部家では、毎週土曜日は一人暮らしをしている長男のシュウヘイ(村上虹郎)を呼んで家族4人で食事をすることにしている。朝食のテーブルについた4人。長女のナツミ(見上愛)は高校の制服を着ているが、土曜日でも学校に通う用事があるのかも知れない。ただ、結局、学校に行くことはない。
ナツミは肉を抜くダイエットを始め、シュウヘイは唐揚げが好きなので妹の分も食べる。
そんなところに、引っ越してきたお隣さんのフジノ(黒沢あすか)がやって来て、犬が……。

食事を始めたときは朝食だったのに、お隣のフジノがいる間に外は暗くなり、夕食となっている。そんなに長くいたのか?
シュウヘイがトイレの中で嘔吐する音が大きすぎるのが問題点。あんなに音が大きく漏れるトイレはもはや欠陥品である。

シュウヘイが自身のアイデンティティーを疑う展開があるが、基本的には食事をしているのがメインの話で、物語らしきものは見当たらない。
二世タレントとしては最も有名な一人である村上虹郎は、外見に似合う演技を見せている。
この時点では無名だったと思われる見上愛だが、大河ドラマ「光る君へ」で、中宮彰子(劇中での読み方は「あきこ」。実は「あきこ」と読む人が数人いた)に抜擢されて注目を浴び、次期朝ドラのWヒロインの一人をオファーで勝ち取っている。自然体の演技を行っているが、これだけでは女優としての資質は分からない。
平岩紙はおそらく主婦役だと思うが(旦那の職業は不明だが、一軒家に住んでいるので、少なくともそれなりの企業で良い地位にいると思われる。シュウヘイはホームセンターの倉庫係と、今ひとつパッとしない職業についた。正社員なのかどうかも不明)は、現実の彼女の年齢よりも若い女性を演じていると思われる。

エピソード2「物語」。出演:琉花、奥平大兼、玉城ティナ、はやしだみき他。脚本・監督:玉城ティナ

若い女性(琉花)が人混みの中でイヤホンを付ける。
彼女は白い部屋の中で寝たきりの男性、ユウヤに自身のことを話し続ける。彼女の職業が女優で、オーディションに落ちまくっていることが分かる。よそで聞いた話によると、男優でも女優でも大抵のオーディションは落ちるらしい。「オーディション荒らし」の異名を取った芳根京子でも落ちたオーディションの方が圧倒的に多いようだ。
とはいえ、オーディションに落ちてばかりでは仕事は出来ない。
彼女は昔、ユウヤがカラオケで歌った尾崎豊の「ダンスホール」を動画で撮影したことがあり、それを視聴して心を癒やしてきた。
見た目は要介護の男性に女性が話しかけているように思われるのだが、女性は部屋を出るとそこは病院のような施設で、女性が何も言わない男性に話しかけることで癒やしを得るセラピー施設のようだ。
新たな女性(玉城ティナ)が来た。ユウヤは、女性に好きなことを言っていいと紙に書いて示す。新たなセラピーが始まる。

7月12日

Amazon Prime Videoで、アクターズ・ショート・フィルム シーズン2エピソード3話「あんた」を観る。脚本・監督・主演:千葉雄大、主演:伊藤沙莉。

バーの雇われ男性ママが仕事を終えた後で小説を書き始める。それは遠い日の自分を題材にしたもののようだ。

仲が良さそうな男女が山にキャンプに来る。男の方(千葉雄大)も女の方(伊藤沙莉)も二人称は「あんた(標準語とは違い、『あ』ではなく『ん』にアクセントが来る)」であり、互いの名前は最後まで分からない。
男と女の親友という感じなのだが、共に未来に不安を感じている。女の方はマンションの22階から飛び降りる気になったことがあるということで希死念慮があり、男の方もまた同様の感情を抱いていた。

二人の関係に変化が起こる。女の方に彼氏が出来て同棲を始めたのだ。男の方は仕事を終えた後、小説を書こうとしているようだが、思うようなものは書けないようである。

女に彼氏が出来たことを男は喜ぶが、単なる親友で男女の関係になることはないと思っていた男が愚痴を言い始め……。

非常に仲が良いが恋人にもパートナーにもなれないし、なる気のない二人の心理劇。二度目のキャンプにおける心理攻防戦が見どころ。基本的に男も女も優しい人であることは分かる。


プライベートでも仲良しという千葉雄大と伊藤沙莉ということで、互いの良さが生かされている。台本はあるはずだが、伊藤沙莉の口癖が入っていたり、口語でしか使わない語順のセリフがあったりするため、かなり即興的に撮られた部分も多そうである。どうやったら自然に見えるかを第一に考えて二人で演技しているということもあり、俳優でない本当の一組の男女のやり取りを見ているかのようだ。
カメラの台数はそれほど多くないが、伊藤沙莉のキュートな丸顔(チャームポイントだと思うのだが、本人はコンプレックスに感じているようで、Instagramなどではビューティー+を使って顔を細くした写真をアップしている)が綺麗に撮られており、千葉雄大が伊藤沙莉のことを人間として大好きであることが察せられる。
線香花火のシーンの伊藤沙莉の子どものような無邪気さも愛らしいが、台本の必用がないシーンなので素でやっていると思われる。

「死んだら殺す」と発言出来る相手と出会う確率はかなり低く、その後はおそらく上手くいかなかったのだろうが、キャンプを楽しんだ日々は思い出として永遠に残るほどの幸せであったのだと思う。

伊藤沙莉は、この作品の演技で、国際短編映画祭 ショートショート フィルムフェスティバル&アジア2022 ジャパン部門のベストアクターアワードを受賞した。

8月22日

アクターズ・ショート・フィルム パート2のエピソード4「ありがとう」を観る。脚本・監督:永山瑛太。主演:役所広司。出演:永山瑛太、橋本マナミ、服部文祥ほか。
地方都市。役所広司はきちんとした格好をしているが勤め人ではないようだ。食事も十分に取らずに店を出る。金銭的にも行き詰まっているようである。
その後、性感マッサージの店に入るが、ここも途中で抜け出す。
コロナ禍で多くの人がマスクをしているが、マスクをせずに大きな咳をしている男が一人。役所広司演じる男は、咳をしている男の車を奪う。黄色のオープンカーで、重厚な役所広司には軽すぎて全く似合っていない。男は、森の森の中に入り、首吊り自殺を試みようとするが、目の前に黄色い服を着た男が一人。それでも男は縊死を試みるが、ネクタイとベルトだけでは弱く、宙づりにすらなれない。たまに幼女や妻らしき姿が目の前に浮かぶ、男は二人を亡くし(もしくは別れ)、生き甲斐を失ったようだ。
役所広司演じる男は、黄色い服を着た男に案内されて山の中の家へ。二人暮らしで猟をして生活しているようだ。
役所広司演じる男は、猟銃を盗み出し、ヘミングウェイのように口内を撃って自殺しようとするが上手くいかず、ならばと腹に銃口を向けてゴッホのように死のうとするがやはり上手くいかない。
男は、都井睦雄になろうとして、商店街まで出て人々に銃口を向けるが、誰からも相手にされず、森へと戻る。娘の思い出の花束を川に流した後で、男は瑛太演じる黄色い服の男から撃たれる。かすり傷のようだ。
上を見れば太陽は輝き、自然は息づいている。「この世には生きるだけの価値がある」と男は思い直したようである。

妻子を失った老年に入ろうとする男の孤独に焦点を当てた作品だが、悲しく見えねばならないはずの妻子の姿がやけに綺麗であるだけに喪失感が薄まっている。何か一つエピソードを入れた方が良くなるはずである。セリフなしだったとしても十分である。
男の持ち金が少ないことは分かるので、失業がきっかけで妻に去られたのかもしれないが、自殺の理由としてはやや弱い。現実社会ではそうしたこともあるのかも知れないが、フィクションなので更なる説得力が要る。説得力がないと観客が置き去りにされてしまう。

最後に、格好悪い役所広司も格好良かった。

11月18日

Amazon Prime Videoで、アクターズ・ショート・フィルム シーズン2パート5「理解される体力」を観る。出演:柳英里紗(やなぎ・えりさ)、三浦貴大ほか。監督:前田敦子。
小さな喫茶店で、パフェを食べながら泣きじゃくる女、キエ(柳恵里紗)と煙草を吸いながらそれを見守るトランスジェンダーの男、ユミ(三浦貴大)。
キエは、旦那に浮気された。家に帰ったら、旦那が新婚旅行の時に買ったカメラで若い女のことを録画していた(多分、「撮影していた」のだと思われる)。これ以上の悲しみはないというので大泣きしていたのである。キエは悲しみが表に見えないタイプで、しかも身の回りで起こった悪いことにのみ記憶がいい。幼稚園児の頃や小学校時代に起きた悪いことを克明に覚えている。最近の研究で、発達障害のある人は悪いことばかり覚えて良いことを忘れてしまう傾向があることが分かっている。同じ失敗を二度としないために悪いことを覚えるのだが、良いことを覚えて悪いことは忘れるという一般人にありがちな傾向とは真逆であり、生きづらさを抱えている。最終的にはユミも同じような傾向があるらしいことが分かる(演技の可能性もあるので断言は出来ない)。
余り広がりのない物語だが、友情についてはよく分かる話になっている。なお、柳英里紗と前田敦子は大親友だそうだ。その関係を置き換えたところがあるのかも知れない。

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2025年11月18日 (火)

観劇感想精選(501) M&Oplaysプロデュース「私を探さないで」

2025年11月8日 梅田芸術劇場シアター・ドラマシティにて観劇

午後6時から、梅田芸術劇場シアター・ドラマシティで、M&Oplaysプロデュース「私を探さないで」を観る。作・演出・出演:岩松了。出演:勝地涼、河合優実、富山えり子、篠原悠伸、新名基浩、小泉今日子。

対岸に観光地の無人島がある、本町という街が舞台である。対岸の無人島は、昼間は観光地で本町から渡った人がいるが、滞在する場所がないため、夕方に帰りの便が出てからは文字通り無人島となる。だが、最近では、数件、滞在出来る場所が出来ているそうだ。

タイトルの「私を探さないで」の「私」は、具体的には河合優実演じる三沢晶(みさわ・あきら)のことである。この町の高校に通っていた晶は、17歳の時に突然失踪する。その直前に高校の教師である大城ユイ子(小泉今日子)が小説を発表。自身が勤める高校をモチーフにした話で、相手役のモデルは古賀アキオ(勝地涼)であるが、「橘」という名になっていた。だが、三沢晶は、三沢エミリと苗字はそのままであった。大城の小説はモデルがいるフィクションとして発表され、高校生にしては衝撃的な内容であり、話題になったが、三沢晶は小説中でも苗字が一緒であり、すぐに誰がモデルなのが分かってしまう。ということで三沢晶は姿を消さざるを得なかったのだ。大城は小説家に転身した。

古賀がこの町に戻ってきた。高校の同級生と再会し、今は小説家となった大城とも顔を合わせるが、高校の制服を着た晶を見かける。すぐにそれは幻影だと分かるのだが、町に一つしかない映画館で、晶と二人で「(スター・ウォーズ)ジェダイの復讐」(現在の邦題は、「ジェダイの帰還」)を観た記憶が蘇る。古賀の記憶では、大城先生からチケットを譲られて、晶と二人で観に行き、上映後に晶と目を合わせて決まりが悪くなった、なのだが、大城先生からチケットを譲られたという記憶も怪しい、更に晶と二人で観に行ったのかどうかも記憶のねつ造によるところが大きいのではないかと思い始める。
ただ最終的には、チケットを誰から譲られたのかは分からないが、古賀と晶の二人で映画を観に行ったという記憶は正しいのではないかと思われる。古賀と晶は親しかった。古賀はバスケットボール部であったが、部室かどこかで余り公には出来ないことをしていたのも確からしい。一方、大城も古賀には目を掛けていた。
晶はサプライズ好きな性格で、大城先生の誕生日に手焼きのクッキーをプレゼントして驚かせた。晶も大城も同性間での行いには余り抵抗がなく、やはりそうした関係になるのだが、ここで大城が裏切った。三沢晶の苗字そのままに三沢エミリというキャラクターを創造し、バイセクシャルで奔放な少女として描いた。フィクションではあるため、高校生という立場もあって何も言い出すことは出来ない、というよりも何か言ったらモデルであることが確定してしまう。のんびりとした街で起きた残酷な情念の物語である。現在の晶がどうしているのかは不明。大城の前にも姿を現す晶だが、大城は「本物のわけない」と晶がこの町にいるわけがないことを知っている。だが、晶の生死に関しては情報を得ていないだろうから、あくまで「幻覚」と見なしているということだ。あるいは亡くなっているのかも知れないがその情報はない。

話題作への出演が続く河合優実。舞台にも何度か出演している。独特のムードを持った人で、演技も巧みだが、声は鼻に引っかかり気味の高いものであるため、舞台よりもやはり映像に向いているかも知れない。
ステップも独特だが、大きく向きを変える時は、バレエ経験者でしかもかなり巧い人でないと出来ないと思われるターンを見せていた。

キャリアは長いが、私は初めて舞台で見る小泉今日子。彼女は女優や歌手、書評家よりも 何よりもまず「アイドル」であると思われる。その証拠にスペースの作り方が上手い、ソロのアイドルとして数々のステージやテレビ番組をこなしてきた結果、自分だけの見せ場を作る技術が身についたのかも知れない。セリフに関しては計3回言い間違えるなど安定感には欠けたが、演技スタイル自体は確立されているため、「誰だって言い間違いはある」という風に受け取ることが出来る。ポッと出の人が力が足りずに言い間違えた訳ではない。

 

岩松了の芝居は比較的分かりにくいと言われているが、今回は対立の構図が明白だったため、核の部分はつかめたように思う。

カーテンコールでは、多くの人が大阪のグルメについて挙げる。河合優実は、一昨日、昨日と大阪グルメを堪能したが、明日しっかり食べるため、今日は揚子江ラーメン(他の俳優が何人も名を挙げていた)は食べないという話をしてから、緊張していたのか「よろしくお願いします」と場違いな挨拶をしそうになり、慌てて止めていた。

岩松了は、マチネー公演で3つ下がっている短冊状のカーテンの1つがどうしても下りてこず、仕方ないので2本でやったという話をする。この公演もどうかと思ったが、幸い、きちんと3本下りてくれたようである。

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2025年9月11日 (木)

「伊藤沙莉のオールナイトニッポン0(ZERO)~『風のマジム』スペシャル~」視聴記+森山直太朗 「あの世でね」

2025年9月6日

午前3時から、17LIVEで、「伊藤沙莉のオールナイトニッポン0(ZERO)~「風のマジム」スペシャル~を視聴。radikoでも同時配信しているが、17LIVEは映像付きの配信である。
伊藤沙莉が「オールナイトニッポン」に出演するのは、5年8ヶ月ぶり二度目だそうだが、前回出てから何の音沙汰もなく、「はあ、つまらなかったかあ」と落ち込んだらしい。

相談コーナーや、那覇にあるという設定の「スナック沙莉」などのコーナーがある。
伊藤沙莉は、今日もまんまる丸顔で健康的である(本人は気にしているらしい)。

ゲストは、「風のマジム」の主題歌「あの世でね」を手掛けた森山直太朗と、映画で共演したシシド・カフカであったが、「初めての人と話すのが苦手なので、なんかあったらごめんなさい」と伊藤沙莉が事前に謝ってのスタート。森山直太朗もシシド・カフカも「オールナイトニッポン」歴は豊富である。森山直太朗は伊藤沙莉が遠慮がちなのにすぐに気付いて、どんどん話してその場を回してくれる。森山直太朗、良い奴だな! 見た目からして良い奴にしか見えないけれども。
「あの世でね」は、映画の冒頭で出演者がハミングするスローバージョンと、楽器がガンガン鳴るポップバージョンがあるが、森山直太朗はギター弾き語りをし、間奏の部分で二人にハミングして貰おうと提案。伊藤沙莉もシシド・カフカも歌声はいいので雰囲気豊かで、ニライカナイからの風が吹いてきそうである。
歌詞を聴けば分かるが、沖縄戦のことを込めた内容である。

「スナック沙莉」では、スナック沙莉のママである伊藤沙莉が色々な人の相談に乗るのだが、この人はまず主題を掲げ、アンチテーゼを思いついて、あれこれ考えるタイプであるらしい。それで止揚が行われて解決すればいいのだが、アンチテーゼから更に枝葉を伸ばして混乱しまくって未解決になるというグダグダパターンである。考えなくてもいいことを考えてしまうようで、旦那の蓬莱さんから、「風呂場洗っといたよ」と言われて、「ありがとう」と返したものの、「私が風呂掃除してないってこと?」としなくてもいい裏読みをしてしまうらしい。別役実の戯曲に出てくる女性のようだ。
「流れるがままにせよ」「雨は降らせよ」と思ってしまうけどね。

リスナーからの、「北海道の祖父母のところへ一泊で行くスケジュールは?」には、「北海道」しか頭になく、北海道の3カ所のグルメを堪能して帰ると、祖父母がどこかに行ってしまったため、スタッフも笑っていたが、本人もかなり堪えたんじゃないだろうか。

まあ、そんなこんながあって、「風のマジム」は今週末に全国公開が始まります。


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2025年9月 6日 (土)

コンサートの記(916) 京都市交響楽団 オーケストラ・ディスカバリー2025「発見!メモリアルイヤーの作曲家」第1回「音楽と物語と」 鈴木優人指揮 ウエンツ瑛士(語り)

2025年6月15日 左京区岡崎のロームシアター京都メインホールにて

午後2時から、左京区岡崎のロームシアター京都メインホールで、京都市交響楽団 オーケストラ・ディスカバリー2025「発見!メモリアルイヤーの作曲家」第1回「音楽と物語と」を聴く。

これまでのオーケストラ・ディスカバリーは年4回の公演を4人の指揮者で振り分けていたのだが、今年度は前半2回を鈴木優人が、後半2回を京響常任指揮者である沖澤のどかが受け持ち、二人で振り分ける。

タイトルにあるようにメモリアルイヤーの作曲家をフィチャーするプログラム。今回は、ビゼー、ヨハン・シュトラウスⅡ世、クライスラーの作品が取り上げられ、今後も芥川也寸志、ラヴェル、ショスタコーヴィチ、ルロイ・アンダーソン、フォーレ、サン=サーンス、ファリア、ウェーバー、ベンジャミン・ブリテンの作品がプログラムに載る予定である。

今日の演目は、ビゼー(没後150年)の歌劇「カルメン」前奏曲、サラサーテの「カルメン幻想曲」(ヴァイオリン独奏:大石彩代)、クライスラー(生誕150年)の「ウィーン奇想曲」(ヴァイオリン独奏:古川真弥)、メンデルスゾーンの「夏の世の夢」より“スケルツォ”“夜想曲”“結婚行進曲”、ヨハン・シュトラウスⅡ世(生誕200年)のポルカ「雷鳴と電光」(指揮者体験コーナーあり)、プロコフィエフの交響的物語「ピーターとおおかみ」
ナビゲーターと「ピーターとおおかみ」の語りはウエンツ瑛士が務める。

 

バッハ・コレギウム・ジャパンの首席指揮者として、また関西フィルハーモニー管弦楽団の首席客演指揮者、読売日本交響楽団の指揮者としてお馴染みの鈴木優人。父親の鈴木雅明も若白髪だったが、彼もその血を受け継ぎ、最初は前の方だけだったが白髪がどんどん拡大。今や若くして総白髪である。眼鏡をかけている時もあるが、今日は眼鏡なしで登場した。

今日のコンサートマスターは泉原隆志。フォアシュピーラーは尾﨑平。ドイツ式の現代配置での演奏である。オーボエ首席の髙山郁子とクラリネット首席の小谷口直子は降り番である。ヴィオラの客演首席には須藤三千代が入る。

今日の鈴木優人は全編指揮棒を使っての指揮である。

ビゼーの歌劇「カルメン」前奏曲。リズム感の鮮やかな情熱的な力強い音が奏でられる。時折、タメを作るのが鈴木らしい個性となっていた。

昨年、オーケストラ・ディスカバリーにナビゲーターとして登場した時には、曲目数が少なかったということもあって、台本を手にせず、全て暗記してやり取りを行っていたウエンツ瑛士だが、今回は曲も出演者も多く、「ピーターとおおかみ」では語りも務めるということで台本を抱えて登場した。

 

新しい試みとして、まだ学生のヴァイオリン奏者をソリストとして迎える。
「カルメン幻想曲」でヴァイオリン独奏を務める大石彩代(さよ)は、京都市立芸術大学大学院修士課程1回生。学部も京都市立芸術大学だが弦楽専攻を首席で卒業している。第4回みおつくし音楽祭クラシックコンクール弦楽器中学生の部第1位・金賞及び大阪府知事賞、第10回あおによし音楽コンクール奈良2023でプロフェッショナルステージ第1位・グランプリ・総務大臣賞、第47回全日本ジュニアクラシック音楽コンクールヴァイオリン部門大学生の部第1位といった優勝歴の他、高位での入賞歴もある。また小澤征爾音楽塾オペラ・プロジェクトⅩⅩへも参加した。

クライスラーの「ウィーン奇想曲」でヴァイオリン独奏を務める古川真耶は、2011年、デュッセルドルフ生まれ。その後、日本に戻って音楽教育を受けている。現在、中学2年生で、京都市立芸術大学音楽学部音楽教育研究会「京都子どもの音楽教室」に在室している。なお、鈴木優人が初めてオーケストラを指揮したのも中学2年生の時で、ベートーヴェンの交響曲だったが、教師から「(取り組むには)まだ早いね」と言われたそうである。
古川も、2023年に行われた第35回京都子供のためのヴァイオリンコンクール金賞及び奨励賞を受賞している。
ウエンツ瑛士が、「ヴァイオリン以外に好きなものある」と聞くと、「K-POP」という答えが帰って来た。だが、「K-POP、ヴァイオリンで弾いたりする?」とのウエンツの問いには「弾かない」と答えていた。

大石彩代が独奏を務める「カルメン幻想曲」は、スペインや南仏的な濃い色彩こそないもの、安定した技巧が楽しめる。一方で、まだまだ弾くだけで精一杯のようにも見えた。
「ロマの踊り」のアッチェレランドの部分で、鈴木は「ついてこられるかな?」と大石の方を見るが、大石はきちんとついて行った。
なお、大石は、鈴木優人が指揮する京都市立芸術大学音楽学部・大学院音楽研究科の定期演奏会に、ヴァイオリンではなくヴィオラのトップとして出演し、再度共演する予定だそうである。

クライスラーの「ウィーン奇想曲」。19世紀末から20世紀前半にヴァイオリニスト兼作曲家として活躍したフリッツ・クライスラー。だが、自身が作曲した作品の多くを、「図書館で見つけた古典」などとして演奏。「大作曲家のものに違いない!」と言われたりした。一方で、クライスラー名義で作曲した作品の評価はさっぱり。クライスラーも最終的には打ち明け、大騒ぎとなるのだが、人の評価が当てにならない一例証となっている。
「ウィーン奇想曲」は、クライスラー本人が作曲者であることを明かして発表した曲の一つである。
古川のヴァイオリンは素直なもので、この手の曲にありがちな耽美的な表情を付けたりはしない。技巧も安定している。
なお、古川は、京都市交響楽団第2ヴァイオリン副首席奏者の杉江洋子(今日も首席第2ヴァイオリン奏者のフォアシュピーラーとして参加)に師事しているようである。

 

メンデルスゾーンの「夏の夜の夢」から“スケルツォ”“夜想曲”“結婚行進曲”
鈴木は、「まず台風の話からしないといけないのですか」と語り始める。昨年の9月1日にロームシアター京都メインホールで行われる予定だったオーケストラ・ディスカバリーが台風の接近により中止になってしまったのだが、その時の指揮者が鈴木優人で語りを務めるのがウエンツ瑛士のはずだったのだ。女性歌手2名を招いての本格的な公演になる予定だったが、今回、規模は縮小したが演奏出来る喜びを鈴木は語った。

京響は鈴木の棒への反応も良く、生命力豊かな上質の演奏を聴かせる。“結婚行進曲”におけるブラスの輝きも効果的であった。

 

ヨハン・シュトラウスⅡ世のポルカ「雷鳴と電光」。指揮者体験コーナーがある。
まず鈴木がショートバージョンを京響とお手本として演奏する。その後、指揮体験をしたい子どもを募る。客席で手を挙げた子の中からウエンツが選ぶ。ウエンツは、「我こそは子どもだぞという大人の方もどうぞ」と呼びかけるが、流石に大人で手を挙げる人はいない。
3人の子どもが選ばれるのだが、なぜか舞台に上がって来た子が更に2人。ウエンツは「日本も変わりましたね」と語るが、一人は「眼鏡の子」と言われたので間違えて来てしまい、もう一人はなぜかよく知らないが上がってきてしまったようだ。
結局、5人全員に指揮してもらう。5人中4人が女の子である。
二つに刻む指揮をしたのは一人だけで、後は円を描くような指揮。テンポも速すぎたり、遅すぎたり、伸び縮みしたりと、京響のメンバーも演奏が難しそうである。快速テンポで振った子の後ではウエンツは、「京響の意地を感じました。なんとしてもついて行ってやる」

前半も押したようだが、後半も指揮者体験が3人のはずが5人になったので更に押す。

ポルカ「来面と電光」は。最後に鈴木と京響がカットのないバージョンを演奏して終えた。プロの指揮者なのでメリハリが利いている。

 

最後の曲目となるプロコフィエフの交響的物語「ピーターとおおかみ」。ウエンツは、指揮台の前、下手寄りに据えられた椅子に腰かけて朗読を行う。
まずどの楽器が何を表すのかを説明してから演奏開始。
今年はロームシアター京都サウスホールで園田隆一郎指揮日本フィルハーモニー交響楽団の演奏による「ピーターとおおかみ」も聴いているが、ホールが違うとはいえ、鈴木と京響の演奏は音がやや渋めでエッジが聞いており、表現の引き出しがより多い感じである。
ウエンツ瑛士の語りも流石で、子どもだけでなく大人をもうっとりとさせてしまう声と朗読術の巧みさが聴く者の想像力に働きかけてきた。

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2025年7月29日 (火)

これまでに観た映画より(390) 「BLUE GIANT」

2025年2月24日

Amazon Prime Videoで、アニメ音楽映画「BLUE GIANT」を観る。原作:石塚真一、NUMBER8。脚本:NUMBER8。音楽:上原ひろみ。声の出演:山田裕貴、岡山天音、間宮祥太朗、東地宏樹(とうち・ひろき)、木下紗華(きのした・さやか)、木内秀信、加藤将之、高橋伸也(たかはし・しんや)、乃村健次ほか。監督:立川譲。
ジャズを題材にした青春ストーリーである。女の子が主人公の音楽アニメには、京都市左京区がロケ地となった「けいおん!」シリーズや、京都府宇治市を舞台とした「響け!ユーフォニアム」(いずれも京都アニメの作品)などがあるが、こちらは女性はほとんど登場せず、音楽男子達の友情と青春を描いた作品となっている。

仙台出身の宮本大(声:山田裕貴)が主人公である。中学高校とバスケットボール部だったが、3年ほど前から広瀬川の河原でテナーサックスの練習を始め、半年ほど、由井というサックス奏者(乃村健次)に師事した。
高校を卒業し、「世界一のジャズプレーヤー」になることを夢見て上京した大。先に東京の大学(早稲田大学がモデルとなっている)に進学していた高校の同級生の玉田俊二(岡山天音)の下宿に転がり込む。隅田河畔で練習に打ち込み、ジャズバー「TAKE TWO」を訪れた大は、ママのアキコ(木下紗華)から生演奏を行っているジャズバーを紹介される。そこで大は片手で華麗なピアノ捌きを見せる沢辺雪祈(さわべ・ゆきのり。間宮祥太朗)のプレーに釘付けになる。すぐに共演を申し込む大。ずっと年上に見えた雪祈だったが、実は大と同じ18歳で、立教大学をモデルにした立丘大学の学生だった。
「TAKE TWO」に雪祈を誘った大。しかし、サックス経験がわずか3年、しかもほとんど独学ということで呆れられる。雪祈はピアノ教室を経営している家に生まれており、4歳の時から14年間、ピアノを弾き続けてきた。だが、大のサックスの演奏を聴き、3年の間に尋常でない練習量をこなしてきたことに気付いた雪祈は、心を打たれるのだった。
「TAKE TWO」の空き時間に練習させて貰えることになった大と雪祈だったが、ピアノとサックスだけでは足りない。ドラムがいる。
その頃、大学のサッカーサークルに所属していた玉田は、遊び半分のプレーを行う先輩達に嫌気が差していた。高校で全国ベスト8に入ったこともある玉田だったが、早稲田大学がモデルとなると、サッカー部(早稲田のサッカー部は、ア式蹴球武を名乗る)に入るのは難しいのだろう。失望してサークルを辞めた玉田は、隅田川のほとりでサックスの練習をする大を見に行き、空き缶でリズムを取る役目を務めたことでジャズに興味を持つ。他に当てのない大は、玉田をドラマーとして加えることにするのだが、雪祈はど素人を連れてきたことに呆れる。取りあえずセッションを行うが、玉田は全くついて行けない。
それでもドラムに魅せられた玉田は、ドラム教室に通うなど、二人のセッションに加わろうとする。

サークルや部活動ではなく、本気でプロを目指す若者達の青春ものである。描かれているのは1年ほどだが、音楽的にも人間的にも成長著しい。それまでジャズに興味のなかった者や、密かに彼らを見守ってきた常連客、遠い昔の知り合いなどを巻き込み、文学でいう教養小説的な佳編に仕上がっている。主人公3人はプロの声優ではなく若手俳優が当てていいるが、違和感もなく素直に上手いと感じられる。韓国と中国のスタッフが多数参加しており、東アジア総力戦という構え。音楽は、ピアノが上原ひろみ、サックスが馬場智章、ドラムが石若駿が演奏を務め、音楽に合わせて作画を行うという工程が取られている。動きはリアルで、モーションキャプチャーが使用されているようである。実写では絶対無理なアングルや描写なども多く、アニメならではの優れた構図が多く見られる。

精神年齢が高すぎて18歳には思えない人も出てきたりするが、それも物語を進む上での推進力となっており、音楽映画として、また人間ドラマとしても優れた仕上がりになっている。
第47回日本アカデミー賞では優秀アニメーション賞と最優秀音楽賞を受賞した。

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