カテゴリー「音楽」の1000件の記事

2026年4月 9日 (木)

これまでに観た映画より(434) コンサート映画「Ryuichi Sakamoto|Trio Tour 2012」

2026年4月6日 イオンモールKYOTO内のT・ジョイ京都にて

イオンモールKYOTO内の映画館T・ジョイ京都で、コンサート映画「Ryuichi Sakamoto |Trio Tour 2012」を観る。文字通り、坂本龍一が2012年にピアノ三重奏で行ったツアーの最終日の演奏を収録したものである。収録はWOWOWが行っている。
坂本龍一は、翌2013年と2014年に東京フィルハーモニー交響楽団と「Playing the Orchestra」公演を大阪と東京で行っており、それにも繋がるクラシック音楽の編成でのツアーであった。曲はアルバム「THREE」に収録されたものが中心。

2012年12月19日、東京・赤坂ACTシアターでの演奏と収録。共演は、ヴァイオリンのジュディ・カンとチェロのジャケス・モレレンバウム。坂本はモレレンバウムとは90年代に知り合い、「チェロでこんなに即興演奏が出来る人がいるんだ」と驚き、共演を申し込んで、何度も一緒に演奏しているそうだ。
ジュディ・カンはオーディションで選ばれたという。三次までの予選を突破した3人にニューヨークまで来て貰って、ジョイントを行い、カンが最も優秀だったという。ちなみにカンはニューヨークに住んでいたが、他の人はわざわざ外国からニューヨークにやって来たという。
坂本龍一としてはトーク多め(ちなみに坂本龍一は、全米のワーストMCに選ばれたことがある)で、本人も「どうしちゃったんでしょう?」と言っていた。

セットリストは、WOWOWが作ったホームページに載っているので繰り返さないが、ピアノ、ヴァイオリン、チェロだけで演奏された「ラストエンペラー」は3つの楽器で演奏されたとは思わないほどスケールが大きく、力強い演奏となった。

「Bibo no Aozora(美貌の青空)」は、元々は歌詞付きの作品で、イタリアで演奏するとなぜか大受けすると坂本は語っていたが、結果的にはインストゥルメンタルバージョンでの演奏が増えたことで、坂本の歌唱による「美貌の青空」を生で聴く機会はなかった。

「Playing the Orchestra2013」では、大河ドラマの「八重の桜」メインテーマがフルオーケストラに篠笛尽きで演奏されたが、2012年のピアノトリオ版では、ドラマ性よりも抒情美が勝って聞こえる。個人的にはフルオーケストラ版の方が好きだが、ピアノトリオ版もなかなかである。

「1919」は繰り返しと力強い音が特徴。1919年というとワイマール憲法が有名だが、ソ連ではレーニンが演説を行っていた。CDに収録されたバージョンにはレーニンの演説が入っている。非常に力強い演奏で、教授とモレレンバウムの即興でのやり取りがスリリングである。ちなみにモレレンバウムは、ドイツ語で「桜の木」という意味だそうで、坂本は「日本の苗字が出来ました。『桜木』さん」と命名したことを告げ、以後は「桜木さん」と呼んでいた。

必ず演奏される「戦場のメリークリスマス」。楽曲としてのタイトルは、「Merry Christmas Mr.Lawrence」の方が良いのかも知れないが、サウンドトラック盤とは異なる染みる系の演奏に胸が清められるかのようだ。

映画「ラストエンペラー」から“Rain”。“! Want A Divorce”の副題があり、満州国皇帝(あるいは執政)愛新覚羅溥儀の第二夫人・文繍が離婚を申し出る時の音楽である。外は雨、三人は車の後部座席に並んで座っている。文繍は「離婚したいの」と申し出る。
坂本龍一はこの曲を気に入っていたようで、ライブでも度々演奏している。
疾走感と痛切さが印象的な楽曲。ヴァイオリンの返しの音が、文繍の揺れる心境を表しているかのようである。

ラストは、「Parolible」で締めくくった。

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2026年4月 4日 (土)

これまでに観た映画より(433) 村上春樹原作・市川準監督作品「トニー滝谷」4Kリマスター版

2026年3月28日 烏丸御池のアップリンク京都にて

アップリンク京都で、村上春樹原作・市川準監督作品「トニー滝谷」4Kリマスター版を観る。音楽は坂本龍一。今日(3月28日)は坂本龍一の命日で、イオンモールKYOTOのT・ジョイ京都では、坂本龍一のフィルムコンサートも行われている(WOWOWの制作で放送された際の映像は録画して持っている)。残念ながら時間的にはしごは出来ない。

原作:村上春樹。脚本・監督:市川準。出演に:イッセー尾形、宮沢りえ、篠原孝文、四方堂亘、小山田サユリ、猫田直、木野花(特別出演)ほか。ナレーション:西島秀俊。音楽:坂本龍一。西島秀俊の敢えて感情を込めない語りが、トニー滝谷の心境を却って明らかにする。

「トニー滝谷」は、短編集『レキシントンの幽霊』に収められた短編小説が原作である。トニー滝谷という人物は、実は『ねじまき鳥クロニクル』の中の笠原メイのセリフにも登場している。こちらの方が短編小説「トニー滝谷」よりも先だと思われる。

「僕はとにかく『トニー滝谷』という小説が書きたかったんだ」ということで書かれた小説。トニー滝谷(イッセー尾形)は本名で日本人である。ジャズトロンボーン奏者、滝谷省三郎(イッセー尾形二役)の息子として生まれ、幼い頃から絵画を得意とした。父親は戦時中、魔都上海のおそらく租界で気楽に過ごした。日本本国の惨状は彼の知るところではなかった。しかし日本は戦いに敗れ、滝谷省三郎は抑留される。そのまま処刑されてもおかしくなかったが、罪に問われることはなく、日本に帰ることが出来た。そしてすぐに結婚。おそらく親族が決めた結婚だったのだろう。そしてトニー滝谷が生まれた。アメリカの将校から、「これからはアメリカの時代だからアメリカの名前を付けてやる」ということでトニー滝谷という名前になったのだ。トニー滝谷が生まれてすぐに母親は死んだ。
幼年時代、絵画教室でトニー滝谷はおそろしく緻密な絵を描いて、絵の先生(四方堂亘)を困らせた。上手いことは上手いのだが、情感が感じられないのだ。
そのまま美術を極めるために美大に進んだトニー滝谷だが、同級生からは、「物語性」「思想性」などが欠けていると言われる。だがトニー滝谷にとってはそんなものは幼稚で不正確なものでしかなかった。

トニー滝谷は絵画ではなくデザインの世界に進む。メカニックなものを描くのは彼の得意とするところだった。仕事は楽しく、金は貯まった。
ある日、トニーはデザイン誌の編集者である英子(宮沢りえ)と自宅で打ち合わせをする。英子に惹かれるトニーだったが、15歳も年齢の開き(つまりかなりの歳月がはしょられていたことになる)があることから素直に気持ちを伝えることが出来ず……。

 

晩年の市川準は、自身の作風を捨て、カメラが左から右へと移行する(人物は逆に右から左へと移る)、絵巻物的な絵作りを行っている。

市川準監督は小説について「乾いた」という表現を使っているが、実際には「トニー滝谷」は村上春樹の作品の中では、『ノルウェイの森』に代表されるウエットな路線の話である。

頼りにならない父親、もうすでにいない母親、自分の絵を認めてくれない周囲。孤立の中で孤独感を深めていくトニー滝谷。小説でもそうだが、映画でも仕事の関係者はいるが親しい友人はいないようである。

一部を除いて、ほぼ全編に流れる坂本龍一のピアノ曲「Solitude」。諦めながら沈みつつ、それでもなお美しいものを追い求めるようなこの曲は坂本の作品の中でも異色である。物語が進むごとに孤独が深まっていく。

純粋に一人を楽しんで生きれば、トニー滝谷は真に孤独ではなかったのかも知れない。
だが英子と「出会ってしまった」。出会ってしまったことが彼を幸福にもし、別個の孤独へと押し込んだ。

だが、これが本来なのかも知れない。孤独を知ることなく人生を味わうことは出来ないのかも知れない。華やかな人生など花火のようなものだ。

この作品は、DVDで観ており、坂本龍一のサウンドトラックも買っている。スクリーンで観るのは初めてで、当然、スクリーンで観た方が良い、と思ったのだが、一人の部屋でモニターを見つめていた方が、この作品の真の味が分かりそうだ。孤独と孤独がよりそうことの。

これまでに観た映画より(230) 村上春樹原作 市川準監督作品「トニー滝谷」

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2026年3月31日 (火)

コンサートの記(954) 森山直太朗 Two jobs tour 2025~26「あの世でね」Yeeeehaaaaw@フェスティバルホール

2026年3月20日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後6時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、森山直太朗 Two jobs tour 2025~26「あの世でね」Yeeeehaaaawを聴く。昨年、森山直太朗がリリースした2つのアルバム、「弓弦葉」と「Yeeeehaaaaw」の楽曲によるコンサートツアー。今日は、「YeeeeHaaaw」というフォークブルース、ブルーグラスを中心にした構成。母親の森山良子から受けた影響も大きいようだ。「弓弦葉」のコンサート会場だが、今日、発表が行われ、京都コンサートホール大ホールで、6月に開催される。京都コンサートホールは、クラシック専用ホールだが、それにあった編成で行われるはずである。今日も編成が大きめのバンドだったが、全てアコースティックの楽器であり、柔らかさが伝わってくる。今日は終演後に京都公演のチケットも発売されていた。京都公演の翌日は、大阪・上本町の新歌舞伎座で公演を行うという。森山は新歌舞伎座という劇場名から歌舞伎の劇場だと思ったようだが、新歌舞伎座は、なんばにあった頃から「歌舞伎の上演されない新歌舞伎座」として有名で、若手の歌舞伎俳優が公演を行うことはあるが、歌舞伎のビッグネームが登場することはない。演劇、ミュージカルの上演が多く、演歌歌手のショーも盛んに行われている。松竹も支援しているが近鉄の小屋で(歌舞伎は松竹の独占興行で近鉄だけでは歌舞伎の公演は打てない)、ミュージカルの上演が多いということで、音響は一定の水準が保たれている。

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「あの世でね」というタイトルであるが、昨年9月に公開された映画「風のマジム」のために書き下ろされた新曲で、舞台になった沖縄のことが歌われている。典型的なアイリッシュテイストのブルーグラスの楽曲である。私も何度かカラオケで歌っているが、「メロディーは陽気だけど、歌詞が怖い」と言われた。沖縄戦で戦死した人々が天国から戻ってきて歌うという趣向で、まじむのことについても歌われ、語られる。民俗的要素も、沖縄・本土関係なく歌われている。この曲にはフル編成によるバージョンと、ギター弾き語りによるアンプラグドバージョンがあり、「弓弦葉」公演ではアンプラグドバージョンが歌われる可能性が高い。

客席の年齢層であるが、若者はほとんどいないものの、中年以上のお客さんの年齢幅は広いように感じられた。男女比は私の席の周りでは半々。開場時間と終演後のみ写真撮影可となっている。音声を録ることは本番以外の時間であっても厳禁。

森山直太朗は、現れてすぐに客席に「立って立って」とジェスチャー。バラードが来るまでスタンディングで聴く。

森山直太朗の楽曲は裏声(ファルセット)を多用するのが特徴で、私も好んで歌う楽曲が多いが、最近は年齢のためか、裏声が素直に出なくなっている。また森山は音をかなり伸ばす。

フォークブルースの楽曲ということで、「赤い鳥」という曲を作曲している時に母親の、「歌わせろー!」という声が頭の中で聞こえたりしたそうだ。ただ母親に歌わせるわけにもいかないので、バックコーラスを頼んだところ、食い気味に「いいよ」と返ってきたという。

今日はバックバンド全員が赤の服装。「あの世でね」のミュージックビデオでも着ているものだが、YMOの赤い人民服(実際はスキー服をモチーフに高橋幸宏がデザインしたもの)を連想させる。
メンバー紹介の時に、チェロのはるかさん(林はるか。実妹は作曲家・編曲家・ピアニストの林そよか)が、大阪出身だという話をするが、「大阪弁、聞いたことない」と森山が言う。はるかさんは、「いつもは皆さん標準語なので標準語ですが、大阪に帰ると大阪弁になります」
森山は、「もっと乱暴な感じの大阪弁が聞きたい」というも、はるかさんは、「箕面(みのお)なので」。これで客席は大体納得したが、森山は東京の人なので、「箕面がどうしたの?」とよく分かっていないようだった。箕面は阪急の前身の会社が大阪市までの線路を引いたところで、その後、専務の小林一三の提案により、箕面周辺に大阪市内まで通勤する、比較的アッパークラスのサラリーマンのための住宅街を造成。大阪市内の「家が手狭」という層の移住を目論んだ。鉄道とそれに乗る乗客の両方を生み出すという画期的な政策を行った街の一つである。ということで高級住宅街もあり、お上品な人が多く言葉も綺麗なのである。はるかさんもプロのチェリストになっているということはお金のある家の出身であると思われる。吉本の芸人が使うような河内弁ベースの言葉とは根本的に異なる。なお、はるかさんは鉄道好きの「鉄子」なので、みんな「はるか」ではなく「鉄子」と呼んでいるそうだ。

アルバムの曲以外では、「夏の終わり」が歌われる。この歌も反戦歌で、サビはほぼ全てファルセットで歌われるという、ファルセットが出ないと歌うのが難しい曲である。

「さりとて商店街」は、某有名曲のパロディー。お客さんも歌ったので「共犯」関係のようだ。

肝心の「あの世でね」。春分の日に相応しい楽曲だ。この曲にはセリフの部分があるのだが、森山直太朗はセリフを言った後、しばらく歌ってからまたセリフを言おうとしてしまい、セリフを止めて演奏だけを行い、バックバンドは上手くついてこられなかったが最後のフレーズを歌って、何とか格好をつけた。演奏終了後も悔しかったようで、色々言っていた。
最後の曲、「僕らは死んでしまうのだけれど」の前に、「アンコールが欲しいというのなら演奏する曲は用意しています」

アンコールは3曲だったが、最後は一人語り「生きてることが辛いなら」。作詞の御徒町凧(おかちまち・かいと)が第50回日本レコード大賞で作詞賞を得た作品。心が「自分」で占められている人へのメッセージソングである。この曲がラストというのもいい。

なお、全編終了後、森山直太朗がアルバム購入者全員にお渡し会を行うという。男の人に貰ってもねえ、というわけで私は参加しなかったが、多くの人が並んでいた。森山がステージを去る際に、「良かったで!」「また来てや!」と声が掛かる。大阪でも珍しいことで、森山がいかに愛されているかが分かる。

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2026年3月24日 (火)

コンサートの記(953) 出口大地指揮 京都市交響楽団高槻公演2026

2026年2月21日 高槻城公園芸術文化劇場 南館 トリシマホールにて

午後3時から、高槻城公園芸術文化劇場 南館 トリシマホールで、京都市交響楽団の高槻公演を聴く。

以前にもトリシマホールには来ているが、黛敏郎が音楽を手掛けた東京バレエ団の「ザ・カブキ」という公演であり、黛は様々な音を重ね録りしたテープ音源を作っていて、それで公演を行ったため、生音を聴くのは今日が初めてになる。

「ザ・カブキ」では、ホリゾント幕や中仕切り幕などを使っていたため、ホールの壁が見えなかったが、木材を転々とちりばめた独自のものであることが分かる。おそらく適度に音を散らせる効果もあるのだろう。

以前は、高槻城公園付近には、城跡らしきものは何も残っていない高槻城公園と、えらく古い高槻現代劇場というホールがあった。1973年竣工で、渋谷区神南のNHKホールと同い年だが、稼働率が高く、人がどんどん入るNHKホールに比べると高槻現代劇場はオンボロで、やはり人がいないと建物が朽ちるのは早いようだ。NHKホールのように修繕費が潤沢でもない。ということで取り壊されて、南館を新設。従来からあった高槻市立文化会館を北館としている。

 

今日の指揮者は、若手の出口大地。左利きの指揮者である。大阪府豊中市生まれ。元々は弁護士を目指して、関西(かんせい)学院大学法学部に入学したのだが、在学中に「自分は争うのが嫌いな性格なので弁護士にはなれない」と悟り断念。「みんなを笑顔に出来る仕事がしたい」ということで、卒業後に東京音楽大学作曲指揮専攻(指揮)に入学。広上淳一に師事する。左利きであったが、当初は慣例によりタクトは右手に握っていた。しかし余りに鈍いというので、広上から「左利きなら左手で振れ」と言われてサウスポーの指揮者となっている。左利きの指揮者は数は少ないが存在しており、シベリウス演奏の大家であったパーヴォ・ベルグルンドが有名である。
東京音大卒業後はドイツに渡り、ハンス・アイスラー音楽大学ベルリンのオーケストラ指揮科修士課程を修了。
2021年に、本番一発勝負である第17回ハチャトゥリアン国際コンクール指揮部門で日本人初の優勝を飾る。同年にクーセヴィツキー国際指揮者コンクールでも最高位及びオーケストラ特別賞を受賞。指揮を広上の他に、下野竜也、クリスティアン・エーヴァルトらに師事。オペラ指揮をハンス・ディーター・バウムに習っている。また、ネーメ、パーヴォ、クリスチャンのヤルヴィ一族のマスタークラスに参加という面白い経験もしている。2024年からの1年間は、ベルギーのリエージュ王立フィルハーモニー管弦楽団のアシスタントコンダクターを務めている。ちなみにリエージュ王立フィルハーモニー管弦楽団は来日ツアーを行った経験があり、京都コンサートホールでもクリスティアン・アルミンクの指揮で演奏を行っている。

 

曲目は、グリンカの歌劇「ルスランとリュドミラ」序曲、グリエールのホルン協奏曲(ホルン独奏:福川伸陽)、チャイコフスキーの交響曲第4番。オール・ロシア・プログラムである。

いつも通りのドイツ式の現代配置だが、指揮者の正面にはトランペットが来て、ティンパニはやや下手寄りに配される。おそらくステージの大きさと他の打楽器との位置関係だろう。
コンサートマスターは、客演の白人奏者。泉原隆志は降り番で、フォアシュピーラーに尾﨑平。尾﨑は老眼鏡を掛けての演奏である。
今日は管楽器の首席奏者が何人か降り番だったが(フルートの上野博昭、オーボエの髙山郁子ら)、その代わり、いつもは後半だけを吹くことが多い首席クラリネット奏者の小谷口直子や首席トランペット奏者のハラルド・ナエスが全編に出演した。

 

グリンカの歌劇「ルスランとリュドミラ」序曲。歌劇本編は滅多に上演されることはないが、序曲はとにかく有名な楽曲で、いかに速く弾くかを競うようなところもあるが、出口はスピード感より安定性重視。京響の各楽器が美しい音を奏でる。

 

グリエールのホルン協奏曲。NAXOSレーベルの録音第1弾がグリエールの交響曲第1番だったことで知名度を上げたグリエール。ただその後、爆発的な人気を得ることなく、「そういう作曲家もいるよね」という認識に留まっている。
グリエールは、ウクライナの首都キーウ出身。1950年、モスクワにてホルンという楽器の可能性を感じたグリエールは、翌1951年にホルン協奏曲を完成。ボリショイ劇場管弦楽団の首席ホルン奏者であるヴァレリー・ポレフの独奏、作曲者指揮のレニングラード放送交響楽団の演奏によりレニングラード・フィルハーモニー大ホールで初演を行っている。
今回、ホルン独奏を受け持つ福川伸陽(ふくかわ・のぶあき)は、NHK交響楽団首席ホルン奏者として活躍している。第77回日本音楽コンクール・ホルン部門第1位獲得。
リッカルド・ムーティやパーヴォ・ヤルヴィから賛辞を受けている。
東京音楽大学准教授。

ロシアはヨーロッパから見てかなり東にあり、離れているため、情報の伝達も遅い。今と違ってIT環境も発達していないため、作品の内容が西欧に比べると遅れていたりする。
グリエールのホルン協奏曲も、伴奏などを聴くと20世紀に書かれているのにモーツァルトのホルン協奏曲のような様式を保っている。
一方でホルン独奏はかなり伸びやかに旋律を歌い上げ、広大な大地が広がる様が目に見えるようである。
福川のホルンは音の透明度が高く、愉悦感を覚える演奏である。
グリエールのホルン協奏曲は余り録音が出ていないと思われるが、ウクライナが生んだ音楽として聴いてみるのも一興かも知れない。

福川のアンコール演奏は、チャイコフスキーの「アンダンテ・カンタービレ」。編曲者は分からなかったが、温かな演奏であった。

 

チャイコフスキーの交響曲第4番。後期3大交響曲の中では荒削りとされる作品だが、手直ししなかったということは、これがチャイコフスキーの荒ぶる魂そのものだったのかも知れない。
悪妻アントニーナと別れたチャイコフスキーは、弟のアナトールに連れられてスイスを経てイタリアに旅行。創作意欲を取り戻し、交響曲第4番を書き上げるが、その後、スランプに陥り、純音楽による交響曲が書けなくなってしまう(叙事詩的交響曲の「マンフレッド」交響曲は書いた)。それほどのエネルギーを費やしたのが交響曲第4番だったということになる。

出口の指揮する京響は力強くも輝かしい音を奏でる。「ベテラン指揮者ならここで」というところを通過してしまうが、出口が指揮者としてはまだ若いということだろう。本当なら胸が苦しくてたまらなくなるところでもそれほどではない。そういう気分になりたくない人には向いている。
孤独が身に染みる第2楽章。チャイコフスキーの音楽に賛辞を送る人は多かったと思われるが、同性愛など、プライベートなところまで理解してくれる人は多くはなかったはずである。
アントニーナとの結婚についてだが、チャイコフスキー本人が同性愛者であることを隠したかったのと、いざとなれば女を愛せるという思い込みがあったと思われる。ただアントニーナは、チャイコフスキーと別れてから20年以上精神科の閉鎖病棟で過ごすことになるという、最早恐怖の対象であった。アントニーナ以外だったらどうだったのかは、想像のしようもないが、アントニーナの熱烈な恋文が結婚に結びついているので、女性と接する機を持てず、生涯独身だったかも知れない。

第3楽章は弦が大半をピッチカートで演奏するという特殊な楽章。浮遊感があり、魂が解放されるかのようだが、その後に来る第4楽章を考えると、束の間の想像の世界が描かれているのかも知れない。

第3楽章からアタッカで第4楽章に突入。コンサートマスターは最後の音までピッチカートなので、素早く切り替える必要がある。
「小さな白樺」の旋律が流れる。あるいはチャイコフスキーが子どもの頃に好きだった民謡なのかも知れない。ただそれが次第に威圧的に響くようになる。子どもの頃にはもう戻れない。
次第に曲調が激しくなるが、最後の方はもうまともな精神ではない。何もかも忘れてしまったかのようば馬鹿騒ぎである。
運命の動機の前に崩れ落ちるかのようにラストが訪れる。そもそも乗り越えられる程度のものならば運命とは呼ばないわけだが。

 

高槻城公園芸術文化劇場 南館 トリシマホールの音響であるが、残響は短いものの、音がストレートに飛んできて実に心地良い。大阪府内は音楽専用ホールが次々にオープンしているが、海外の名門オーケストラも来る堺は別格として、豊中、箕面、枚方、東大阪などと比べても、音響は高槻が一番だと思われる。
定期的に演奏会を行うプロオーケストラも出てくるだろう。

 

アンコール演奏は、チャイコフスキーの組曲第4番「モーツァルティアーナ」第3曲「祈り」。典雅な演奏であり、京響の弦が特に美しかった。

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2026年3月22日 (日)

森山直太朗 「あの世でね」概説

森山直太朗の「あの世でね」。現在開催中のツアーのタイトルにもなっていますが、映画「風のマジム」のエンディングテーマとして書かれたもので、内容も「風のマジム」とクロスします。

歌詞をあまり引用してしまうと問題になるので控えめにいきますが、まずはメッセージについての内容です。これは歌詞の主人公のメッセージのはずですが、より客観的に第三者が込めたものと見ることも出来ます。伝えることの大切さです。言葉もそうですが、言葉でないものを伝えるというシーンが映画にも出てきます。

さて、焼けてなくなった鳥居が出てきますが、「戦で」とあるので沖縄戦で焼けて再建されていないのだと思われます。続く「焼き尽くされた夏祭り」は沖縄戦の比喩です。
「迎えがない」という言葉が出てきますが、どこが出典なのかは分かりませんが、自然死でない死に方、事故死、自殺、戦死などをした者のお迎えは遅れるといわれています。歌詞の主人公も戦死したのでしょう。悲しみが続いて涙も涸れて悲しくなくなった後に沈丁花が出てきますが、花言葉は「不滅」で死んでも魂は終わりではないことを意味していると思われます。

「雲の上」という言葉が出てきますが、これは主人公が天国にいるということでしょう。なので、彼らは天国から地上に戻ってきて宴を行っているということになります。

セリフの部分に出てくる「あの子」というのがまじむ(伊藤沙莉)のことです。「あなた」もやはりまじむのことです。

「ひ孫の代」。映画にはまじむの母と祖母が出てきます。父親は出てきません。理由は原作小説には書かれていますが、映画では敢えて伏せられています。おばあ(高畑淳子)の孫がまじむですので、まじむの子の代まで見届けてほしいという意味になります。ちなみに映画の中ではまじむは結婚しておらず、子どももいません。

最後に幽霊達は天国へと帰って行き、「あの世でね」と死後のめぐり逢いを誓います。御霊は自分たちのことで、蝉時雨は別れの歌。具体的どの蝉のことかは明示されていませんが、ヒグラシかも知れません。蝉時雨は季語としては晩夏。「夏の終わり」です。

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2026年3月19日 (木)

コンサートの記(952) 「大阪フィル×ザ・シンフォニーホール ソワレ・シンフォニー」Vol.26 大植英次指揮

2026年3月12日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後7時から、大阪・福島のザ・シンフォニーホールで、「大阪フィル×ザ・シンフォニーホール ソワレ・シンフォニー Vol.26」を聴く。現在は本拠地を中之島のフェスティバルホールに移した大阪フィルハーモニー交響楽団が、ザ・シンフォニーホールで行う演奏会。「マチネ・シンフォニー」もある。
今日の指揮者は、大フィル桂冠指揮者の大植英次。大植英次が第2代音楽監督を務めていた時代には、大フィルはザ・シンフォニーホールを定期演奏会場としていた。ザ・シンフォニーホールは1700席と音響のために客席を絞っていたため、満員御礼も珍しくなかった。フェスティバルホールは2700席とキャパが広いため、大フィルの定期演奏会で満員は難しいと思われる。

ハノーファー音楽大学の終身正教授も務めた大植だが、昨年辞任したようである。

 

曲目は、オール・ロシア・プログラムで、グリンカの歌劇「ルスランとリュドミラ」序曲、ボロディンの交響詩「中央アジアの草原にて」、リムスキー=コルサコフのスペイン奇想曲、リムスキー=コルサコフの交響組曲「シェエラザード」

午後6時50分から大植英次よるプレトークがあるが、「誰も知らない話」「ネットやSNSに書き込まないで」と注意喚起した上で、ロシア音楽史の話が語られた。
内容は秘密である。

 

有名曲が並ぶが、ボロディンの交響詩「中央アジアの草原にて」は、実演では聴く機会は少ない。演奏時間的に載せにくいというのが最大の理由と思われる。ちなみにボロディンと私は誕生日が一緒である(グレゴリオ暦において)。余り有名な人がいない誕生日で、有名どころでも岩崎宏美や串田孫一といったところである。

 

コンサートマスターは須山暢大。フォアシュピーラーは尾張拓登であると思われる。
ドイツ式の現代配置での演奏。

 

グリンカの歌劇「ルスランとリュドミラ」序曲。大植は譜面台を置かず、暗譜での演奏である。
速さを競うような演奏もあるが、大植は強弱とメリハリで聴かせる。先日、枚方で大フィルの演奏を聴いたが、ザ・シンフォニーホールでの演奏は、慣れているということもあって弦の勢いが良い。

 

ボロディンの交響詩「中央アジアの草原にて」。その名の通り、アジア的な音楽要素を取り入れた楽曲である。
この曲では、大植は譜面台に総譜を載せ、老眼鏡を掛けて演奏スタート。途中で老眼鏡を外し、ノンタクトでの指揮に切り替わる。
オリエンタルな雰囲気に満ちた曲調を的確に生かした演奏で、風景が目に浮かぶかのようである(実際に行ったことはない)。特に管楽器が味わい深い。

 

リムスキー=コルサコフのスペイン奇想曲。今日はオール・ロシア・プログラムであるが、「ロシア独自」と「ロシアの外」の2つが演奏会のテーマであるため、ロシアを題材にした曲は少ない。「ルスランとリュドミラ」も舞台はウクライナのキエフである。
瞬発力のある演奏で、オケの鳴りも良い。リズム感も秀でている。スペインはリムスキー=コルサコフのみならず多くの作曲家が題材にしている。ナポレオンは、「ピレネー山脈の向こうはアフリカだ」と言ったが、イスラムの支配が長かったということもあり、他の西欧の国々とは異なる文化が作曲家のインスピレーションを刺激した。

 

リムスキー=コルサコフの交響組曲「シェエラザード」。実は昨年、大植英次はOsaka Shion Wind Orchestraを指揮して、吹奏楽編曲版の「シェエラザード」を演奏している。編曲が独自なので聴き比べや比較にはならないが、音の厚みや多彩さは当然ながら、オリジナルのオーケストラ版の方が上である。
沖澤のどか指揮京都市交響楽団も熱演系の「シェエラザード」を演奏したが、沖澤と京響の方がアラブの香りがするような雰囲気重視で、大植と大フィルの方はリムスキー=コルサコフの巧みなオーケストレーションを明かしていくようなタイプの異なる演奏である。

コンサートマスターの須山暢大のヴァイオリンソロも艶やかで、大フィルの演奏も力強い。ハープの平野花子もオリエンタリズムの醸成に貢献する。
なお、ホルンファーストの高橋将純はこの曲のみの参加である。
弦楽器がうねる中、管楽器が的確にポイントを射貫いていく。大植も時に声を出しながら熱い指揮を繰り広げる。
最も有名な第3曲“若い王子と王女”では、弦が透明感に溢れた伸びやかな演奏を聴かせた。ラストの“バグダッドの祭り、海、青銅の騎士の岩での難破、終結部”でもスケール豊かで揺らぎに満ちたキレと厚みを両立した演奏を聴かせた。

 

演奏終了後、大植は大フィルのメンバーに2回立つように命じたが、オーケストラのメンバーは敬意を表して立たず、大植が一人で喝采を受ける。大植も客席に向かって360度拍手を送った。

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2026年3月10日 (火)

観劇感想精選(509) 稲垣吾郎主演「プレゼント・ラフター」

2026年3月5日 京都劇場にて観劇

午後6時から、京都劇場で、「プレゼント・ラフター」を観る。ノエル・カワードが自身の生活をモデルにしたとされるドタバタ喜劇。ノエル・カワードはシチュエーションコメディが得意な人だが、この劇は完全にスラップスティックである。

ロンドンにあるギャリー・エッセンディーン(稲垣吾郎)の高級アパートメントの一室が舞台であり、セットの転換はない。

作:ノエル・カワード、テキスト日本語訳:徐賀世子(じょ・かよこ)。演出:小山(こやま)ゆうな。
出演:稲垣吾郎、倉科カナ、黒谷友香、桑原裕子、望月歩、金子岳憲、中谷優心、白河れい、浜田信也、広岡由里子。

時代から言って、多くの人が喫煙をするが、ニコチンなしの茶葉スティック、つまり偽煙草であることがホワイエに掲示してある。今はどの芝居も演技で用いるのは「ネオシダー」などの偽煙草であることが掲示されており、事実上、舞台上で本物の煙草を吸うことは不可能になっている。この茶葉スティック、結構匂う。

トップクラスのスター俳優であるギャリー・エッセンディーン。間違いなく成功者だが、俳優の職業病故か、常に演技をしてしまう癖がある。そう言いつつ演技でない部分も多いと思われるが、「マクベス」の「眠りを殺した」など有名ゼリフを引用してしまうことがある。

2日間の出来事が描かれる。ギャリーの朝は遅め。スウェーデン人の家政婦であるミス・エリクソン(広岡由里子。広岡由里子に家政婦役だけではもったいないので、もう一つ別の役を演じる)が掃除をし、付き人兼使用人のフレッド(中谷優心)が朝食を作り、秘書のモニカ(桑原裕子)が、ギャリーが起きる前にやるべきことを始める。主が起きるより先に働いているので、この人達は住み込みなのだと思われる。
ギャリーには妻のリズ(倉科カナ)がいる。彼女は劇作家で業界人だが、現在は別居中だ。

だが、この家にやたらと人が訪ねてくる。アフリカでのツアーが迫っており(この時代、イギリスはアフリカに多くの植民地を持っていた。今は全て手放しているが、元英国領の多くは英語を公用語としている。ということでアフリカの植民地でなら英語での芝居が打てたのである)、その関係者が来るのは分かるのだが、劇作家志望のローランド・モール(望月歩)が戯曲を読んでほしいと訪ねてきたり(リズが本職の劇作家なのでリズに聞いた方がいいような気がするが、二人が夫婦と知らないのかも知れない。ギャリーは「20回作品を書け、そうすれば21回目に光が見える」とアドバイスする)、プロデューサーのヘンリー・リピアット(金子岳憲)の妻のジョアンナ(黒谷友香)が、「トスカニーニ(指揮)のコンサートを聴きに行ったけれど鍵を落とした」というので夜遅く訪ねてくる。二人が抱き合うのが第1幕のラストだが、二人は普通に考えて男女の関係になっているということで、仕事関係で女を巡るゴタゴタが起こりそうになったりする(ギャリーが大スターなので、よく起こるような展開にはならない)。

その他にも、ギャリーに憧れた母子が訪ねてきたりする。

なんでこんなに人が訪ねてくるんだろうという展開には、三谷幸喜作の「巌流島」の佐々木小次郎(益岡徹)のセリフ、「どうして今日に限って沢山人が訪ねてくるんだ!」が思い起こされたりするが、三谷幸喜も連なる英米系の喜劇作家の作風を作り上げたのがノエル・カワードだと言っても差し支えないので、似てはくるのである。「巌流島」で人が訪ねてくる理由は、「宮本武蔵の居場所が珍しく知られているから」だが、ギャリーに会いに来るのは、「今日を逃すとしばらくギャリーに会えないから」だと思われる。

ノエル・カワードは、1899年生まれ。聖歌隊で知り合った両親の子であり、音楽的才能にも優れていた。階級的には下層中流階級で、余り大金を稼ぐことは望めないが、母親が「子役募集」のチラシを見つけ、息子の才能を信じて応募。ノエルは売れっ子子役となり、そのまま俳優、劇作家へと進んでいく。学校教育はほとんど受けていない。

常に自分を格好良く見せる強迫に駆られているようなギャリーだが、稲垣吾郎なら伊達男を演じても嫌な気はしない。
倉科カナは、初舞台を観ている女優である。2008年、兵庫県立芸術文化センター中ホール。クラシックの室内楽とコラボレーションした「4×4」という芝居である。当然ながら演技は上手くなかったが、それから5年後に上川隆也主演版の舞台「真田十勇士」にくノ一役で出たときはかなりの成長が見られ、今日の演技も役に馴染んでいる。
なお、イギリスが舞台なので、基本的に新劇スタイルの演技が採用されている。
黒谷友香は久しぶりだが、大人の女の色香がほんのりと漂い、魅力的。彼女とならギャリーが間違いを犯したとしても仕方ないように思える。

出捌けが多く、とにかく導線が重要となる舞台である。登場人物達も個性的で、ローランドが2日目に特に用もないのに訪ねてきたり、ジョアンナが夫のヘンリーの前で2人の男と関係を持ったことを明かしてしまったりと、2日間だというのに、10年分のことが起こったりする。

ヘンリック・イプセンの「ペール・ギュント」の話が出てくる。イプセンがレーゼドラマ(読むための戯曲)として書いたもので、上演を想定していなかったが、クリスチャンセン(現・オスロ)の国民劇場から何度も上演依頼があり、イプセンも「グリーグの劇附随音楽付きでなら」と許可。当初は大ヒットするが、一度上演が途切れるとほとんど上演されなくなる。
「ペール・ギュント」は、山の魔王の娘と結婚させられそうになったり、モロッコで富豪になったり、アラビアで予言者となって尊敬されるも騙されて無一文になったりと波乱万丈のストーリーである。予言的ではある。
「ペール・ギュント」の舞台でもあるアフリカでのツアーには妻のリズも愛人となったジョアンナも同行するようだ。

稲垣吾郎に最も合う音楽は、マーラーの「アダージェット」だと思っていたが、今日は実際にアダージェットが響く。ギャリーが蓄音機から流した。

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2026年3月 4日 (水)

コンサートの記(951) 京都市立芸術大学第179回定期演奏会大学院オペラ公演 ドニゼッティ 歌劇「愛の妙薬」 阪哲朗指揮

2026年2月19日 京都市立芸術大学・堀場信吉記念ホールにて

午後6時から、京都市立芸術大学崇仁新キャンパスの堀場信吉記念ホールで、京都市立芸術大学第179階定期演奏会大学院オペラ公演、ドニゼッティの歌劇「愛の妙薬」を観る。指揮は京都市立芸術大学音楽学部作曲専攻出身で、京都市立芸術大学指揮専攻教授の阪哲朗。佐渡裕と共に、京都芸大出身指揮者の筆頭候補だが、佐渡もフルート専攻出身であり、指揮専攻からはこれといった指揮者が出ていない。指揮専攻から次から次へと逸材が登場する東京芸大や桐朋学園大、東京音大とは対照的である。オーケストラは京都市立芸術大学音楽学部・大学院管弦楽団。合唱は京都市立芸術大学声楽科在学生が務める。
出演は、アディーナが4人体制で、北田実佳、石原のぞみ、伊吹日向子、碓井莉子。「愛の妙薬」には準ヒロイン的立場の人がいないので、当然ながらアディーナに出演者が集中する。ネモリーノに廣瀬響、ベルコーレに池田智樹、ドゥルカマーラに大西凌、ジャンネッタに松井偉乃里。他に大学院生4名、大学院研究生1名が出演する。
恋愛を題材にしたドタバタ劇だが、最後は恋愛に必要なのは妙薬ではない、という結末に至る、一種の人間讃歌である。

イタリアの作曲家によるイタリア語の歌劇だが、スペインのバスク地方が舞台となっている。イタリアの歌劇というと、この間触れた、ヴェリズモオペラも有名だが、「愛の妙薬」はオペラ・ブッファ(喜劇的オペラ)である。
関西では上演の機会が少なかった「愛の妙薬」だが、このところ3度立て続けに上演される。内容的には笑いが中途半端なので関西人には受けないかも知れない。

演出は、久恒秀典。ICUこと国際基督教大学で西洋音楽史を専攻した後、東宝演劇部を経て、イタリアに渡り、ボローニャ大学、ヴェネツィア大学文学部、マルチェロ音楽院オペラ科に学び、ヴェネト州立ゴルドーニ劇場演劇学校でディプロマ取得。
現在は、新国立劇場オペラ研修所、東京藝術大学、東京音楽大学、京都市立芸術大学などで教えている。

 

純朴な農夫のネモリーノは、教養ある農場主の美女アディーナに恋しているが、アディーナが読書などをたしなむのに対して、ネモリーノはおそらく文盲で、アディーナは高嶺の花であり、アプローチすら出来ない。
一方、軍曹のベルコーレが、アディーナに求婚。恋のレースにおいてリードする、と書きたいところだが、ネモリーノはアディーナの視界にすら入っていない。
そこへインチキ薬売りのドゥルカマーラ博士が登場。これを飲めば恋路が全て上手くいくという「愛の妙薬」をネモリーノに売りつける。ちなみに「愛の妙薬」の中身はボルドーワインで薬ですらない。ただボルドーワインは美味しそうである。
「恋の妙薬」は1日経たないと効き目が出ない。しかし、1日経つ前にネモリーノに不利な出来事が次々に起こり……

抽象的だが可愛らしいセットでの上演である。服装は、初演された時代に近いものを採用。

阪はいつもながらに活気に満ちた音楽を引き出す、と書きたいところだが、阪の要求に応えるには京都市立芸術大学音楽学部・大学院管弦楽団は非力で、美しく纏めた音楽を奏でた。阪の個性を生かすためにはプロオーケストラ相手でないと難しいようだ。

京都市立芸術大学大学院声楽専攻の歌手達は、いずれも美声であり、セリフの内容を上手く把握した歌唱をしていたように思う。
オペラ歌手の動きには、定番と呼ぶべきものがあり、今回も歌手達はそれをなぞっていたが、これからもそうあり続けるのかどうか微妙なところである。ただオペラの演出を演劇の演出家が手掛けるケースが増えているが、外国語も分からなければ、背景の把握も同時代の他の芸術との絡みなどに関しても知識不足であるため、止めた方が良い。日本人がオペラ演出するのはそれほど難しいということである。

「愛の妙薬」というタイトルだが、最終的に「愛の妙薬」なんてなくてもハッピーエンドとなる。ひょっとしたら「愛の妙薬」が登場しなくても完成する話だったのかも知れない。そういう意味では、「愛の妙薬」というタイトルが「愛の妙薬」を否定する仕掛けになっているとも言える。

演技面だが、軍隊が登場する際に、ダラダラとした感じで、「この国、どこと戦争しても勝てないぞ」という感じなのがマイナス。女性の出演者が多いが、全員で同じ動きをするときに今ひとつ決まらず。ただ個々に動いているときはリアルで良かった。

京都市立芸術大学A棟ビルの3階にある堀場信吉記念ホール(長いので略称として、「ホリバホール」を使うことが増えるかも知れない)。入り口までは階段で行くのだが、照明がないため、ソワレ終演後は足下の段差が分からず危険だったが、思うことは皆同じであるため、誰かの提言で照明が取り付けられた。これで欠点はトイレの狭さだけということになる。急勾配のホールだけに、それが危険と感じる人はいるかも知れない。

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2026年3月 3日 (火)

コンサートの記(950) 小澤征爾音楽塾オペラ・プロジェクトXXⅠ ヴェルディ:歌劇「椿姫」 ディエゴ・マテウス指揮

2025年3月16日 左京区岡崎のロームシアター京都メインホールにて

午後3時から、左京区岡﨑のロームシアター京都メインホールで、小澤征爾音楽塾オペラ・プロジェクトⅩⅩⅠ ヴェルディ:歌劇「椿姫」を観る。

小澤征爾は亡くなったが、その志は若い人々へと受け継がれている。

今回も指揮者は、小澤征爾音楽塾首席指揮者のディエゴ・マテウス。演出は、デイヴィッド・ニースが手掛ける。小澤征爾には、創設者と共に永久音楽監督の称号が追贈されている。
小澤征爾音楽塾副塾長(実質的なトップ)には、チェリストの原田禎夫。アシスタント・ディレクターには、小澤征爾の娘である小澤征良(せいら)が就いている。

出演は、ニーナ・ミナシアン(ヴィオレッタ)、カン・ワン(アルフレード・ジェルモン)、クイン・ケルシー(ジョルジュ・ジェルモン)、メーガン・マリノ(フローラ)、牧野真由美(アンニーナ)、マーティン・バカリ(ガストン子爵)、井出壮志朗(ドゥフォール男爵)、町英和(ドビニー侯爵)、河野鉄平(こうの・てっぺい。医師グランヴィル)。
管弦楽は小澤征爾音楽塾オーケストラ。合唱は小澤征爾音楽塾合唱団。

原作小説・戯曲:アレクサンドル・デュマ・フィス。台本:フランチェスコ・マリア・ピアーヴェ。

 

ベネズエラの「エル・システマ」出身のディエゴ・マテウス。「エル・システマ」が輩出した有力指揮者としては、グスターボ・ドゥダメルに次いで二人目であり、単にドゥダメル一人に才能があったわけではなく、「エル・システマ」の有効性を示した人物でもある。「第二のドゥダメル」と呼ばれたこともあるが、最近はこの称号で呼ばれることは余りないようである。
小澤征爾音楽塾オペラ・プロジェクトの演出の多くを手掛けているデイヴィッド・ニースは、メトロポリタン歌劇場の演出家として長年活躍してきた人物である。
ヴィオレッタを歌うニーナ・ミナシアンは、アルメニア出身。アルフレード役のカン・ワンは中国系オーストラリア人である。アルフレードの父親役のジョルジュを歌うクイン・ケルシーはハワイ出身。見た目から原住民系であると思われる。ハワイ大学マノア校で音楽を学び、卒業後に欧米で活躍している。
日本人キャストも全員出身校が異なり、バラエティーに富んだ人選となっている。

 

紗幕にパリの情景が描かれている。エッフェル塔、セーヌ川、ポン・ヌフ、ノートルダム大聖堂。おそらくこれらが一度に見える場所はないので架空のパリなのだろう。「椿姫」が初演された時には、エッフェル塔はまだなかったと思うが、パリらしさを演出するためなのでいいだろう。

前奏曲を、マテウスは極めて小さな音でスタートさせる。その後も繊細な表現が続くが、華やかさが徐々に増していく。小澤征爾音楽塾オーケストラは、日本、韓国、中国などで行われたオーディションで選ばれた若い音楽家による団体だが、よく訓練されていて、アンサンブルの精度も高い。このオペラではフルートが重要な場面で演奏されるのだが、マテウスはフルートを上手く浮かび上がらせていた。
「椿姫」の音楽は三拍子系のものが多いのも特徴である。最も有名な「乾杯の歌」も三拍子であるが、この曲はカラオケ(JOYSOUND)に入っていて歌うことが出来る。

前奏曲の途中で紗幕が透け、ヴィオレッタ達が立っているのが見える。
ヴィオレッタは高級娼婦である。大金を手に入れることが可能だが、結婚は許されていない。そのヴィオレッタがアルフレードという若者に恋をしたことから起こる一騒動と、若くしての病死を描いた悲劇である。
私は、2002年に京都芸術劇場春秋座で行われた京都造形芸術大学(当時)と京都市立芸術大学音楽学部との合同公演で初めて「椿姫」を観ており(あの頃は二校は仲が良かった)、その後も春秋座のオペラ、佐渡裕が指揮した神戸文化ホールでの上演を観たことがある。

近年は、象徴的な演出が行われることも多い「椿姫」だが、デイヴィッド・ニースの演出は奇をてらわないオーソドックスなもので、まず「演技で見せるのだ」という強い意志が感じられる。ヴィオレッタは不治の病に冒されている。通常は死因となる結核という解釈が取られるが、結核の割りには元気な描写があったり、隔離されたりなどの措置が取られていないため、結核にかかったのは死の直前で、不治の病は別のものなのかも知れないが、ヒントとなるものがないため、現状ではやはり結核とするのが無難なように思う。

歌手達の水準は高く、ロームシアター京都メインホールということで声もよく通り、オーケストラの音も美しく聞こえる。

装置や衣装を手掛けたのはロバート・パージオーラだが、フローラの屋敷の場では、壁も登場人物の衣装も真っ赤で統一。特に深い意味はない(吐血のイメージは込められていると思う)と思われるが、インパクトはある。その他の場面でも装置はお洒落である。

第3幕で瀕死のはずのヴィオレッタが朗々と歌うのが、「リアルでない」と言われることもあるが、内面の吐露なのでそんな指摘をしても仕方ない気もする。今回、ヴィオレッタを演じたニーナ・ミナシアンは、ベッドの上にアルフレードと並んで座った時に、何度か頭に手をやって具合が悪そうに見せるなど、リアルな演技を見せていた。

 

この上演もカーテンコールでの撮影は可となっており、SNSへのアップも許されていた。

なお、今回の公演を持って、ロームは小澤征爾音楽塾から撤退することを明らかにした。

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2026年2月28日 (土)

コンサートの記(949) ヤン・ヴィレム・デ・フリーント指揮京都市交響楽団第708回定期演奏会

2026年2月13日 京都コンサートホールにて

午後7時から、京都コンサートホールで、京都市交響楽団の第708回定期演奏会を聴く。
今日の指揮者は、京都市交響楽団首席客演指揮者のヤン・ヴィレム・デ・フリーント。ウィーン室内管弦楽団首席指揮者、ノルウェーのベルゲン・フィルハーモニー管弦楽団のアーティスティック・パートナーも務めている。

曲目は、シューベルトの交響曲第4番「悲劇的」とブルックナーの交響曲第3番(初稿/1873年)。
いずれも作曲者の精神状態に危うさが感じられる曲であるが、デ・フリーントはそうした理由ではなく、ウィーンで暮らした二人の作曲家の交響曲を並べるという意図があったようだ。
両曲とも、ある程度の知名度はあるのだが、「好きで好きで仕方ない」という人には会ったことがないという演目であるためか、入りは4割行かないかも知れない。

午後6時30分頃から、デ・フリーントによるプレトーク。英語でのスピーチである(通訳:小松みゆき)。
デ・フリーントは、「悲劇的」について、「そんなに悲しい曲ではありません」と述べる(実はかなりの苦みを感じる曲である)。作曲時、シューベルトは19歳で、デ・フリーントは、「信じがたい」と述べるが、確かにこれだけの曲を書くことの出来る19歳は凄いというより異常だろう。
「悲劇的」は作曲者の命名であるが、19歳の若者にとっての悲劇とは何なのか気になるところである。現代の日本なら生育環境に始まり、いじめ、教職員などの行き過ぎた指導、病気や事故、受験、就職などで悲劇に見舞われることはある。
デ・フリーントは、シューベルトがハイドンの指揮で演奏したり、モーツァルトから直接教わったことなどを述べ、この曲の主題がベートーヴェンの弦楽五重奏曲から取られたということも指摘する。シューベルトはベートーヴェンとも会っている。
実はシューベルトの主任教師と呼べる存在なのは、アントニオ・サリエリなのであるが、それについては触れることはなかった。

ブルックナーの交響曲第3番は、「ワーグナー」の愛称で呼ばれることがある。今回は、ワーグナー風の旋律を取り入れた初稿での演奏。ブルックナーの交響曲第3番(初稿)の演奏は、90年代にヘルベルト・ブロムシュテット指揮NHK交響楽団の定期演奏会で聴いており、「とにかく長い」という印象を受けた。その後、ブロムシュテットは、カペルマイスターを務めたライプツィッヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団とのライブ録音BOXを出し、それにもブルックナーの交響曲第3番(初稿)が含まれていたが、その時の印象も「長い」であった。
ブルックナーの交響曲第3番は、第2稿が決定稿となり、この稿で録音したものが多い。朝比奈/大フィル(キャニオン・クラシックス)、クラウス・テンシュテット/バイエルン放送響なども第2稿の演奏で、この2つが私が推せるブルックナーの交響曲第3番のツートップである。
ブルックナーの交響曲第3番(初稿)は、ウイーン・フィルハーモニー管弦楽団によって初演されることになるが、リハーサルで、「長い」「難しい」「退屈だ」との意見が出て、演奏を拒否されてしまう。
ブルックナーはオルガンの名手で、オルガンの手法を管弦楽に置き換えたものが多いのだが、当時の音楽界にあっては異様な音楽であり、理解を得るのは難しかった。
通常ならすぐに改訂に入るところだが、初演の話よりも前に心酔していたワーグナーに会っており、献呈を申し出ている。ビールを飲みながらの会談で、交響曲第2番と第3番のどちらかを献呈することになり、ワーグナーは2曲とも気に入ったのだが、飲み過ぎたせいで二人とも眠ってしまい、どちらの曲を献呈するのか忘れてしまって、結果的にはワーグナーの楽曲からの引用が多い交響曲第3番が選ばれ、作曲家自身により「ワーグナー交響曲」と名付けられた。ワーグナーに気に入られたためか、改訂作業に入るのは遅めとなった。

それから9年が経ち、ブルックナーは交響曲作曲家として評価されるようになっていたが、もうワグネリアン(ワーグナー信奉者)ではなくなっていた。ということで、ワーグナーの旋律をどけて新たなる版を作った。ちなみに他人の曲の旋律を用いることは、今では著作権法違反となるが、当時はリスペクトと捉えられており、ヨハン・シュトラウスⅡ世も他人の作品の旋律を多くの作品で取り入れている。
さて、第2稿の演奏は、作曲者指揮のウィーン・フィルハーモニー管弦楽団が受け持ったが、ウィーン・フィルが非協力的だったこともあって、失敗している。評価は初稿のリハーサル時にウィーン・フィルの団員が抱いたものとほぼ同じだった。ただ、若き日のグスタフ・マーラーはこの曲の真価を見抜き、フィンランドからウィーンに留学していたシベリウスもこの曲に感銘を受け、ブルックナーに師事しようとして断られている。
第3稿により、三度目の正直で大成功を収めた。この時も演奏はウィーン・フィルである。大巨匠であるハンス・リヒターの指揮であったことも大きかったかも知れない。
なお、ブルックナーの交響曲第3番の日本初演を行ったのは、ハンス・ヨアヒム・カウフマン(京響第2代常任指揮者)指揮の京都市交響楽団であった。1962年5月23日のことである。
1977年に初稿が日の目を見て高く評価され、4、5年前にデ・フリーントは知り合いから、「ブルックナーの交響曲第3番の初稿を知っているか?」と言われ、「初稿の存在は知っているけれど」と答えたが、いざ初稿のスコアを見てみると強く引き込まれるものがあったという。

 

今日のコンサートマスターは、京響ソロコンサートマスターの会田莉凡(りぼん)。フォアシュピーラーに泉原隆志。ドイツ式の現代配置での演奏である。ティンパニが2種類用意されていて、シューベルトではバロックティンパニが、ブルックナーではモダンティンパニが共に中山航介によって叩かれた。
首席客演ヴィオラ奏者は、安藤裕子。

デ・フリーントは背が高いため、指揮台を用いずノンタクトでの指揮である。総譜は随時確認する。

 

シューベルトの交響曲第4番「悲劇的」。私はヘルベルト・ブロムシュテット指揮シュターツカペレ・ドレスデンによる「シューベルト交響曲全集」(ドイツ・シャルプラッテン)でよく聴いている。ということでブロムシュテット繋がりの2曲である。
デ・フリーントが生み出す演奏はピリオドを援用しており、ブロムシュテットのものとは趣が異なる。毒のある音楽を生み出したシューベルトであるが、ピリオドで聴くと力強さの方が印象的になる。ただ時折現れる狂気のようなものが、あちらの世界の音楽のような印象を強くする。
ピナ・バウシュだったか、ドイツのダンスカンパニーがこの曲を効果的に用いていたのを覚えている。
19歳で悲劇的な音楽を書こうと思ったシューベルトの真意は今となっては分からないが、異色の生き方をした作曲家であるシューベルトの一面を知ることが出来る。「悲劇的」というより鬱のような曲想の部分があり、やがて焦燥へと変わる。間違いなく天才作曲家であるシューベルトであっても若き日にこれほど追い詰められているかのような曲を書いていることは、多くの人々の慰めになるかも知れない。
弦楽のビブラートであるが、完全ノンビブラートではなく、旋律の始まりの部分などにビブラートを掛ける傾向のあることが見て取れた。
プレトークで、デ・フリーントが、「終わった時に拍手が来るかも知れない」と語った第3楽章は短いものである。
左右の手を交互に挙げて、泳いでいるかのような仕草をしたデ・フリーントの指揮姿はユニークであった。

 

ブルックナーの交響曲第3番(初稿)。初稿の実演に接するのはブロムシュテット以来2度目である。やはり長く、同じような旋律が何度も繰り返されたり、かと思ったら本道をそれて脇道を延々と進んだりと、バランスはやはり良くない。戸惑う人が多かったというのもよく分かる。
冒頭はミステリアスであり、「まっとうな精神ではないのではないか」という危うい感じを受ける。一方で、ブルックナーの交響曲の中でも最も格好良い冒頭であるとも思える。
ワーグナーの引用としては、第2楽章に出てくる「タンホイザー」からの引用が最も分かり易い。この時期、ウィーンではエドゥアルト・ハンスリックという大物音楽評論家がブラームスを崇拝し、ワーグナーを否定するということが起こっていた。ワーグナー崇拝者であったブルックナーは当然、評価を得られない。そのワーグナーであるが借金踏み倒しに始まり、自身のファンだったルートヴィッヒ2世王をたぶらかして自身の作品上演のためだけの劇場をバイロイトに作らせるなど、作曲家としては歴史に残る存在だったが人間としては褒められた人ではなかった。ブルックナーがワーグナーから離れたのも、ワーグナーの性格によるところが大きかったのか。
そんなワーグナーの旋律を取り入れた初稿。急に別世界が現れるようで、面白さと違和感の両方を覚える。
これまで聴いてきて「長い」としか感じられなかったブルックナーの交響曲第3番(初稿)であるが、ミニシカゴ交響楽団のような輝かしく陽性なブラスの威力、残響が長く、音が美しいまま天井に留まっている京都コンサートホールの響きなどがプラスになり、今日は「長い」と感じずに聴くことが出来た。失敗を重ねた作品だが、ブルックナーだけに時折、神々しい旋律が顔を覗かせる。
ブルックナーの曲はゲネラルパウゼ(ブルックナーの場合は特に「ブルックナー休止」とも言う)が特徴なのだが、交響曲第3番(初稿)は特にブルックナー休止が多い。ブルックナーの演奏に京都コンサートホールは向いているようである。デ・フリーントは時折、天井を見上げる仕草をしていたが、京都コンサートホールの響きの特性に感心していたのかも知れない。

 

なお、天井からマイクが下がっていたほか、舞台上にも本格的なマイクセッティングがあった。どちらか、あるいは両曲をライヴ録音しているのかも知れない。

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