カテゴリー「音楽」の1000件の記事

2019年12月12日 (木)

志村喬 「ゴンドラの唄」(映画「生きる」より)

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2019年12月 9日 (月)

コンサートの記(612) Marihiko Hara 《FOR A SILENT SPACE 2019 KYOTO》

2019年12月2日 左京区岡崎のロームシアター京都ノースホール

午後7時から、左京区岡崎のロームシアター京都ノースホールで、Marihiko Hara 《FOR A SILENT SPACE 2019 KYOTO》を聴く。
野田秀樹の「贋作 桜の森の満開の下」の音楽を手掛け、「『Q』 A Night At The Kabuki」ではサウンドデザインを手掛けた原摩利彦。1983年生まれ、京都大学教育学部卒業、同大学大学院教育研究科修士課程中退で、京都を本拠地としている作曲家である。現在は京都のパフォーマンス・アート・グループであるダムタイプにも参加している。ベートーヴェンと坂本龍一に影響を受け、坂本龍一とは後に共演も果たしている。
私は音楽家ではないが、好きな音楽は一致しているようである。

《FOR A SILENT SPACE》は、原摩利彦の室内楽コンサートのシリーズで、劇場での公演は初となる。原も「室内楽と言いながら基本一人なんですが」と語っていた通り、ピアノの他はコンピューターを使って流れる音楽で構成されており、演奏者は原一人である。今後は演奏家を増やしていく計画もあるそうである。

曲目は、「Habit」「Nuage」「Vibe」「山村余情」「Grazia」「Entree」「Carina」「Circle of Life」「Fontana」「Midi」「Memoire」「Inscape」「Nocturne」、映画「駅までの道をおしえて」より「Main Theme」、NODA・MAP舞台「贋作 桜の森の満開の下」より「Waltz」と「Princess Yonaga」、「Confession」「Passion」「Via Muzio Clementi」

演奏時間約1時間20分、ノンストップでのライブである。

コンピューターを使って出すアンビエント系の音楽は、坂本龍一よりも細野晴臣に近い印象を受けるが、ピアノで弾かれる曲はどれもどこか懐かしく、坂本龍一や坂本龍一が影響を受けた音楽家(ブライアン・イーノなど)の姿が仄見えたりする。基本的は鋭さの余りない美しい音楽である。

「贋作 桜の森の満開の下」は、残念ながら観ることが出来なかったのだが(新歌舞伎座での公演は抽選に漏れた)、「Waltz」も「Princss Yonaga(夜長姫)」も野田秀樹の世界観に合いそうな音楽である。実は「贋作 桜の森の満開の下」はテレビ放送されたものを録画はしているのだが、まだ観ていなかったりする。早く観よう。

ラストに弾かれた「Via Muzio Clementi」は、ローマのクレメンティ通り沿いにピアノの弾けるアパートを借りて、一夏掛けて作曲したそうである。それを友人に話したところ、「え? お前、ずっとローマにいて1曲しか書かなかったん?」と言われたそうで、原本人は「1曲書き上げたぞ!」という達成感で得意になっていたのだが、そう言われて、「え? 足りなかったん?」と肩透かしをくらったようになったそうだ。その友人というのが作曲やなんらかの創作をするのか否かで内容が変わってきそうな話であるが。

今の天候が雨上がりということで、アンコールとして「After Rain」という曲が演奏される。三拍子のウキウキした感じの曲であった。

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2019年12月 8日 (日)

これまでに観た映画より(146) 「ボヘミアン・ラプソディ」

録画してまだ観ていなかった映画「ボヘミアン・ラプソディ」を観る。イギリス=アメリカ合作作品。クイーンのボーカル、フレディ・マーキュリーの伝記映画である。監督:ブライアン・シンガー&デクスター・フレッチャー。出演:ラミ・マレック、ルーシー・ボイントン、グウィリム・リー、ベン・ハーディ、ジョゼフ・マゼロ、エイダン・ギレン、トム・ホランダー、アレン・リーチ、マイク・マイヤーズほか。

1970年のロンドン。ペルシャ系でゾロアスター教を信仰する移民の家に生まれたファルーク・バルサラ(ラミ・マレック)は、ヒースロー空港で「パキ野郎(パキスタン野郎)!」と差別を受けながら働いている。仕事の合間にも作詞を行い、作曲をするなど音楽への情熱に燃えていたファルークは、ボーカルに去られた学生バンド・スマイルに参加し、やがて彼らはクイーンとして世界的な人気バンドとなっていく。ファルーク・バルサラは、芸名ではなく本名をフレディ・マーキュリーに変更した。ライブ会場で出会ったショップの店員、メアリー(ルーシー・ボイントン)と恋に落ち、やがて結婚に至るなど、公私ともに順調かと思えたフレディだが、出自の問題やバイセクシャルに目覚めたことなどが影響してメアリーとの仲は次第に疎遠になっていく。CBSからのソロデビューの話を断り続けていたフレディだが、遂にはソロデビューを受け入れることになり、家族と呼んでいたクイーンのメンバーとも仲違いすることになる。クイーンの他のメンバーは有名大学卒のインテリで、本当の家族を作り、子どもを産んで育てることを当然のように行えるが不器用なフレディはそうではない。彼の第一の家族はクイーンのメンバー達だったがそれも失うのだ。

フレディと仕事仲間にして、同性愛の関係でもあったポールは、北アイルランドのベルファスト出身のカトリックで同性愛者と、自らがイギリスから阻害された存在であることを語る場面があるが、フレディもまたペルシャからインドを経てイギリスに渡った移民の子供であり、タンザニアの生まれで、ゾロアスター教徒の子であるが、教義に背いて男も愛するという阻害された存在である。ボヘミアン=ジプシーは、まさに彼のことであり、「ボヘミアン・ラプソディ」は彼自身のことを歌ったプライベートソングである。間違いなくロックではあるが、同時に阻害された者の孤独なアリアであり、バルサラからマーキュリーへの痛みを伴った転身と再生、怖れと希望を歌い上げるソウルナンバーである。
「ボヘミアン・ラプソディ」は、6分という長さと難解さ故、EMIのプロデューサーからも理解されず、シングルカット当初は音楽評論家達から酷評されるが、音楽史上初ともいわれるプロモーションビデオが大衆に受け入れられ(多重録音を用いて製作された「ボヘミアン・ラプソディ」は全曲を通してはライブで歌うことの出来ない曲であり、そのためプロモーションビデオが作成されて公開されたのだが、これが予想以上の人気を呼ぶ)大ヒット。2002年にはギネス・ワールド・レコーズ社によるアンケートで、全英ポップミュージック史上ナンバーワンソングに選ばれることになる。

成功したアーティストになったフレディだが、合同記者会見を行っても記者達は音楽のことではなく自らのプライバシーに切り込もうとばかりする。成功者ではあっても理解された存在ではなかったのだ。

父親から言われ続けた「良き思い、良き言葉、良き行い」から背いたと見做され、両性愛者であったことと奔放な私生活が原因でメアリーに去られ、子供も残せない。そしてルーズな行動が目立ち始めたことに端を発するクイーンのメンバーとのすれ違い。
最後は、この3組の家族の和解と音楽を通しての世界の融合が行われる。全てが結びつけられるのだ。

音楽の力を見せつけられるかのようなラストシーンは、実に爽快である。

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2019年12月 7日 (土)

イン・メモリアム マリス・ヤンソンス ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団 「悲しきワルツ」

先月、フェニーチェ堺で行われたパーヴォ・ヤルヴィ指揮ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団の来日演奏会のアンコール曲としてこの曲を聴いているのですが、それから一月も経たないうちに、こんな形で耳にするとは思ってもいませんでした。

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2019年12月 3日 (火)

コンサートの記(611) 準・メルクル指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団第533回定期演奏会

2019年11月28日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後7時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、大阪フィルハーモニー交響楽団の第533回定期演奏会を聴く。今日の指揮者は大フィルへの客演も多くなってきた準・メルクル。

まずNHK交響楽団への客演で日本での知名度を上げた準・メルクル。日独のハーフである。おそらくN響の年末の第九で、史上初めてピリオドの要素を取り入れた演奏を行ったのがメルクルだと思われる。ハノーファー音楽院で学んだ後、チェリビダッケらに指揮を師事。タングルウッド音楽祭ではレナード・バーンスタインと小澤征爾に師事している。リヨン国立管弦楽団、MDRライプツィッヒ放送交響楽団、バスク国立管弦楽団の音楽監督を務め、2021年からはオランダのハーグ・レジデンティ管弦楽団の首席客演指揮者に就任する予定である。

 

曲目は、ドビュッシーの「子供の領分」(カプレ編曲)、ドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」、武満徹の「夢の引用-Say sea,take me!-」(ピアノデュオ:児玉麻里&児玉桃)、シューマンの交響曲第3番「ライン」

メルクルは、リヨン国立管弦楽団と「ドビュッシー管弦楽曲全集」を、NHK交響楽団とは「ロベルト・シューマン交響曲全集」を作成しており、いずれも得意レパートリーである。

ドビュッシー、武満徹、シューマンの3人に共通しているのは、「夢」を意味するタイトルの入った曲を代表作にしていることである。武満徹は、今日演奏される「夢の引用」の他にも「夢の時」や「Dream/Window」(駄洒落のようだが夢窓疎石のこと)といった夢をタイトルに入れた曲を多く書いており、タイトルに「夢」は入っていないが実際に見た夢を音楽にした「鳥は星形の庭に降りる」という曲も有名である。
ドビュッシーは、今日演奏される「牧神の午後への前奏曲」も牧神のまどろみが重要なモチーフになっているが、ずばり「夢」というタイトルの有名ピアノ曲を書いている。
シューマンは、言わずと知れた「トロイメライ」の作者である。シューマンの名前を知らなくても、「トロイメライ」を一度も聴いたことがない人は存在しないというほどの有名曲である。

というわけで、「夢」をモチーフにしたプログラミングなのかを、開演前に大フィル事務局次長の福山修氏に聴いたのだが、そうしたことは意識していなかったそうで、メルクルの得意としているシューマンとドビュッシーの曲をというリクエストから始まったそうである。大フィルはシューマンは不得手としているためメルクルに鍛えて貰いたいという思いもあったようだ。
その後、「シューマンの交響曲だと「ライン」よりも第2番の方が夢っぽいですよね」と私が話したことから、オーケストレーションと交響曲第2番の第3楽章と第4楽章の話になったのだが、結構コアな話なので、ここに書いてもわかる人は余りいないと思われる。少しだけ書くと、シューマンの交響曲第2番が陰鬱というのは間違った評価だという話である。

 

今日のコンサートマスターは、東京フィルハーモニー交響楽団のコンサートマスターでヴァイオリニストの三浦文彰の父親としても知られる三浦章宏が客演で入ったが、これが抜群の上手さであった。ソロのパートを弾き始めた瞬間に、「あ、これは上手い!」と感じるのだから半端な腕前ではない。関西は人口が多いということもあって、オーケストラも群雄割拠。コンサートマスターも名手揃いなのだが、次元が違うようである。

 

ドビュッシーの「子供の領分」(カプレ編)。原曲はドビュッシーが愛娘のシュウシュウ(本名はクロード=エンマ)のために書いたピアノ曲である。極めて描写的な「雪は踊っている」や黒人音楽の要素を取り入れた「ゴリウォーグのケーク・ウォーク」などの曲は単独でもよく知られている。ただ、個人的にはやはりオリジナルのピアノ曲版の方が好きである。オーケストラで聴くと例えば「雪は踊っている」の雪が風に舞う場面などは迫真性に欠けて聞こえてしまう。
フランス音楽は得意としていない大フィルであるが、メルクルの指揮に乗って繊細で美しい音色を紡ぎ続ける。これに小粋さが加わると良いのだが、現時点の大フィルにそれを求めるのは酷かも知れない。

 

ドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」。フルートが鍵を握る曲であるが、冒頭のフルートは音が大きすぎる上に雑な印象。その後、メルクルが左手で何か指示を出しているように見えてからは少し安定する。ポディウム席だと指揮者が何を要求しているのかよく分かったりするのだが、フェスティバルホールはオペラ対応形式ということで、ステージ後方の席は設けられていない。そのため本当に左手でなんらかの指示を行ったのかも良くは分からない。
立体感のある音響が特徴の演奏であったが、「牧神の午後の前奏曲」としては分離が良すぎる印象も受ける。まどろみの要素が吹き飛んでしまったかのようだ。
この曲の演奏が終了した後では、多くの場合、フルートが単独で拍手を受けるのだが、今回はメルクルはオーケストラ全員を立たせて、単独で拍手を受けるシーンは作らなかった。

 

武満徹の「夢の引用-Say sea,take me!-」。1991年に初演された2台のピアノとオーケストラのための作品である。12の夢を描いたとされる作品で、ドビュッシーの「海」からのそのままの引用が印象的である。
2台のピアノを受け持つ児玉麻里と児玉桃の姉妹は、大阪府豊中市出身。幼い頃に両親と共にフランスに渡り、二人共にパリ国立音楽院に入ってピアノを専攻。姉の児玉麻里は、ケント・ナガノ夫人としても名高い。関西生まれということもあって、京阪神地域で演奏会を行うことも多い二人である。
ドビュッシーの「海」の第3楽章のタイトルは「風と海の対話」なのだが、2台のピアノもまた対話している。2台のピアノとオーケストラも対話していて、武満とドビュッシーもまた対話しているということで、音の背後で縦横無尽なやり取りが行われていることが感じ取れる。
「夢」というのが、いわゆる夜に見る夢のようなものなのか、あるいは「憧憬」として語られているのかはわからないが、後者だとしたらそれはドビュッシーに対してのものであろう。
この曲で武満が書いた旋律は、簡潔で明瞭で温かく、その後に書かれることとなる「系図~ファミリー・トゥリー」を先取りしているかのようである。特に4つの音は印象的で、武満の刻印のように聞こえる。武満が、自分が歩んで来た音楽の原点を振り返るような趣さえある。あたかもショスタコーヴィチが交響曲第15番で引用を多用したように。

児玉姉妹は、元々武器としている煌びやかな音色を生かした切れ味鋭いピアノを弾いた。

児玉姉妹のアンコール演奏は、チャイコフスキーの「くるみ割り人形」より“金平糖の踊り”。「夢の引用」では、第1ピアノが児玉麻里、第2ピアノが児玉桃であったが、アンコールでは場所を入れ替え、原曲ではチェレスタが奏でるメロディーを第1ピアノの児玉桃が主に弾いた。

 

ロベルト・シューマンの交響曲第3番「ライン」。シューマンの4つある交響曲の中では最も人気が高く、コンサートプログラムに載る回数も多い。メルクルは暗譜での指揮である。
シューマンのオーケストレーションの弱さに関しては、彼の生前からいわれていたことであり、19世紀末から20世紀中盤に掛けては、もっとよく聞こえるようにと楽器を足したりオーケストレーションにメスを入れたりということもよくあった。ただシューマン独自の渋い響きを支持する人も多く、例えば黛敏郎などは、「あの音を出すにはあのオーケストレーションしかない」と全面的に肯定している。
フェスティバルホールは空間が広いので、シューマンの交響曲をやるには不利のように思える。スケールがやや小さめに聞こえてしまうのである。
「ライン」交響曲に描かれた滔々とした流れや、巨大な構造などをメルクルと大フィルは音に変えていく。ドイツ文学や神話、叙情詩などが音として結晶化されているのが把握出来るかのようである。
一方で、音の生命力に関してはホールがシューマンの曲には向いていないということもあって、十分に溢れているとはいえないかも知れない。
ただシューマンが曲に託そうとしていた希望は伝わってくる。

「夢だわ!」(チェーホフ 「かもめ」よりニーナのセリフ)

 

「ライン」もなんだかんだで人気曲だけに、実演に接する機会は多いが、その中でのベストはやはり一番最初に聴いたウォルフガング・サヴァリッシュ指揮NHK交響楽団のものだったように思う。ドイツ精神が音と化してNHKホール一杯に鳴り響いたかのような強烈な体験であった。

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2019年12月 2日 (月)

コンサートの記(610) 以和貴会演奏会「欣求浄土~天台聲明と天王寺楽所」

2019年11月25日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後6時30分から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、以和貴会演奏会「欣求浄土~天台聲明と天王寺楽所」を聴く。
天王寺楽所(てんのうじがくそ)は、四天王寺ゆかりの聖徳太子の時代にまで遡る歴史を誇る雅楽集団である。内裏の大内楽所、奈良の南都楽所と共に三方楽所に数えられていた。だが、明治になって三方楽所の楽師達は東京に召され、雅楽局の団員となる。雅楽局の後継団体が宮内庁式部職楽部(宮内庁雅楽部)である。このため、天王寺楽所の歴史も途絶えそうになったが、これを憂いた有志が雅亮会という団体を結成。事務所を大阪木津の浄土真宗本願寺派願泉寺に置き、天王寺楽所を名乗ることを四天王寺から許されている。平成26年に雅亮会の維持のため以和貴会が結成され、天王寺楽所の名は以和貴会の演奏時の名前となったが、この12月の頭に再統合されて、天王寺楽所雅亮会としてスタートする予定である。
事務所が願泉寺内に置かれているためか、浄土真宗本願寺派の大学で音楽学部のある相愛大学の特別受け付けが設けられていたりする。


曲目は、第1部が「欣求浄土の響」と題され、講式「順次往生講式『述意門』より」、極楽声歌「萬歳楽(只拍子)」、聖衆行道「付楽 菩薩」、舞楽「迦陵頻伽」
第2部が「念仏會」で、舞楽「振鉾(合鉾)」、聲明「引聲阿弥陀経(散華)」、雅楽「賀殿」、聲明「引聲阿弥陀経(四奉請)」、舞楽「還城楽」、退出音声「長慶子」


まず、天王寺楽舞協会常任理事で以和貴会副会長の小野真龍から本日の舞台の解説がある。第1部の前半は往生に向かう道であり、力尽きて途中で緞帳が降りる。その後は極楽の描写となり、極楽の音楽である雅楽が鳴って、迦陵頻伽達(少年達が扮する)の舞となる。

第1部前半は、舞台後方に四天王寺の鳥居と、その上に被さるような夕陽が映されている。夕陽を見ながら極楽を思い浮かべる日想観(じっそうかん)である。夕陽は徐々に沈んでいき、下にまで達したところで声歌が終わって緞帳が降りる。
舞台下手から楽師達が登場。演奏途中で、上手の者から順に緞帳の側に向き直る。全員が緞帳の側を向いたところで、緞帳が上昇。舞台背後には今度は阿弥陀来迎図が浮かんでいる。

少年達による「迦陵頻(迦陵頻伽)」の舞は可憐であった。


第2部は背後に阿弥陀如来像の絵が浮かんでいる。

鉾を持った二人の男の舞の後で、僧侶達が登場し、阿弥陀経と唱えつつ散華を行う。花は紙で出来たものを撒いているようだ。

舞楽「賀殿」。4人の男達による勇壮な舞である。舞人達は戻る時に一人一人阿弥陀如来を見上げてから立ち去っていった。
終わった後で、今のことが全て夢だったかのような不思議な感慨にとらわれる。

再び僧侶達による阿弥陀経が唱えられた後で、今度は仮面を被った男による豪快な舞「還城楽」が行われる。とぐろを巻いた蛇を手にしての舞であり、蛇は迦陵頻伽を舞っていた少年の一人が手渡す。おそらく音楽の神様である弁財天とも関係があるのだろう。
同じ古代の舞踏をモチーフにしているためか、音やリズムがストラヴィンスキーの「春の祭典」を連想させるようなものであるのも面白い。
舞は3部に分かれ、徐々に楽器の厚みが増していく。第3部の重厚な音楽は黛敏郎の「舞楽」に近い迫力を持つ。
さて、舞人はステージ下手手前の仮花道から退場するのであるが、仮面をつけているため前がよく見えず、壁に激突するなどかなり危なっかしい。

最後は、「長慶子」。夢枕獏の『陰陽師』でもお馴染みの源博雅が作曲したという華やかな曲である。

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2019年11月30日 (土)

コンサートの記(609) パーヴォ・ヤルヴィ指揮ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団来日演奏会2019堺

2019年11月23日 堺市・堺東のフェニーチェ堺大ホールにて

この秋にオープンしたばかりにフェニーチェ堺で、パーヴォ・ヤルヴィ指揮ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団の来日演奏会を聴く。

最寄り駅は南海堺東駅である。堺市庁舎23階にある展望台で世界文化遺産への登録が決定したばかりの百舌鳥・古市古墳群を眺めてからフェニーチェ堺に向かう。最初は堺市役所の西側にある大通りからフェニーチェ堺に近づき、北側を通って東側にあるエントランスにたどり着く。北側からの眺めはまるで美術系専門学校といった雰囲気である。その後、堺銀座通り商店街に戻り、今度は、東側からフェニーチェ堺に向かったのだが、今度はいかにも文化施設といった外観に見える。角度によって印象が大きく異なるようだ。

 

フェニーチェ堺大ホールは、3階まではエスカレーターがあるのだが、4階席へは細い階段を上がる。ロームシアター京都メインホールと同じような感じだが、フェニーチェ堺大ホールは4階までエスカレーターは上がる。細い階段はロームシアターは2本あるが、フェニーチ堺は1本だけなので、4階席に行くならエスカレーターで一気に行ってしまった方が良いかも知れない。

構造的にはちょっと使いにくいといった印象は受ける。4階席自体の面積が余りないので、最寄りの入り口からの入場となる。他のホールのように少し遠い入り口から入って場内を移動ということは難しい。
4階の傾斜から見て、「これは今日は指揮者は見られないぞ」と思ったが、なんとか見える。だがそれはロームシアター京都メインホールのベランダ席にもあるハイチェア席だったからである。席が高めに設置されおり、折りたたみ式の足乗せ台が下にある。視角は良くなったがやはり疲れる。

内装は、一昔前の公会堂を木目にした感じで、意外であった。ステージから遠いのでちゃんと聞こえるが不安だったが、音の通りはかなり良い。

 

パーヴォ・ヤルヴィ指揮ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団の日本ツアーは今日が楽日である。午後5時開演。

当初は、音楽監督であるダニエーレ・ガッティとの来日になるはずだったと思われるが、ガッティがセクハラ疑惑で馘首となったため、代役としてパーヴォが指名されたのであろう。パーヴォはそう度々コンセルトヘボウ管弦楽団に客演しているわけではないので、急遽の抜擢だったと思われる。パーヴォが日本に拠点を持っていたということも大きいのだろう。

 

曲目は、ベートーヴェンの交響曲第4番とショスタコーヴィチの交響曲第10番。いずれもパーヴォはレコーディングを行っている曲目である。

コンセルトヘボウ管は古典配置での演奏。パーヴォは基本的に古典配置を好んでいるようである。

 

ベートーヴェンの交響曲第4番。パーヴォはドイツ・カンマーフィルハーモニー・ブレーメンとレコーディングを行っており、同コンビの実演にも接したことがある。
パーヴォとドイツ・カンマーフィルが作成した「ベートーヴェン交響曲全集」の中で最も衝撃的だった演奏の一つがこの第4番である。ベートーヴェンの交響曲の中で最もアポロ的と思われた同曲をディオニソス的に演奏し、常識を覆してみせた。もっとも、そうした演奏をするだけならそう難しいことではなかったのかも知れないが、パーヴォの凄さは説得力に溢れていたことである。

コンセルトヘボウ管との演奏も、ドイツ・カンマーフィル同様、ピリオドによるアプローチ。バロックティンパニが用いられている。
流石に手兵であるドイツ・カンマーフィルに比べると、コンセルトヘボウはパーヴォの棒への対処が遅れがちで、もどかしいところもあったが、強弱、緩急ともに自在のエネルギッシュで面白いベートーヴェンを聴かせる。クラリネットは特に即興的に吹かせている。ゲネラルパウゼも長め。パーヴォの腕をグルグル回す指揮も見ていて爽快である。
第1楽章ではまろやかで明るめの音色を出していたコンセルトヘボウ管だが、第2楽章ではお馴染みの渋めの音色も披露。エレガントな描写力もあり、ある意味、最もヨーロッパ的といえるオーケストラの実力をいかんなく発揮する。
第4楽章のラストは超スローテンポからの一気の加速というユニークさで、聴衆を沸かせた。

 

ショスタコーヴィチの交響曲第10番。パーヴォはシンシナティ交響楽団とこの曲をレコーディングしている。

コンセルトヘボウ管は極彩色の音色で阿鼻叫喚の地獄絵図を奏でる。その異常さ痛切さに胸が苦しくなるが、同時に美と悲しみが隣り合わせであることを実感させられる。
第1楽章のラストでは、ピッコロ2本が遠くに霞んで見える希望を浮かび上がらせるのだが、やがてピッコロは1本での孤独な囁きとなり、ティンパニがこだまして希望が雲の彼方に消える。

「スターリンの肖像画」といわれる第2楽章を嵐のような勢いで進撃したパーヴォとコンセルトヘボウ。第3楽章では、ショスタコーヴィチの「天才」としか思えない至芸を明らかにする。
最初、警告のように聞こえたホルンのソロが、弱音で演奏されると先程のピッコロ同様、遙か遠くに霞む希望のように聞こえる。ピッコロが伏線になっていたとはいえ、全く同じ音型で別のものを描くということ自体が天才でしか着想し得ないものである。

第4楽章では重苦しい響きの中で突如、クラリネットとファゴットが奇妙だが明るい旋律を吹き始め、曲調がガラリと変わる。クラリネットとファゴットはそれまでずっとシリアスな役割を演じていたのだが、その楽器が端緒になって趣を変えていくというのもショスタコーヴィチらしいひねりである。
やがて壮大なうねりが訪れ、遠くにあった希望が目の前に到来するかと思ったその手前で止めてしまうというのもショスタコーヴィチらしい。

美音と凄惨という相反するかのように思える要素を巧みに止揚させたパーヴォとコンセルトヘボウ管。野田秀樹が「カノン」で用いた発想が思い起こされる。

 

アンコールは2曲。アンコール演奏の前にパーヴォはホールのスタッフだと思われる女性から花束を受け取り、譜面台の上に乗せていったん退場。その後、再び指揮台に上がり、指を1本立てて(ONE MORE)演奏を行おうとしたのだが、花束を譜面台に乗せたため「今日はアンコールなし」と思い込んで譜面を交換していなかったメンバーが何人もいて、楽団内からも客席からも笑いが起こる。

1曲目は、チャイコフスキーの「くるみ割り人形」より“トレパーク”。年末になると聴く機会の多くなる曲である。この曲でもコンセルトヘボウ管の美音がなんといっても印象的である。パーヴォは内声部を表に出す場面などがあり、個性を発揮していた。

2曲目は、パーヴォのアンコール曲目の定番であるシベリウスの「悲しきワルツ」。今日も黄泉の国から聞こえてくるかのような超絶ピアニッシモが聴かれる。超弱音でもピッチカートが丸みを帯びているのがコンセルトヘボウ管らしいところである。

 

楽団員の多くがステージを去ってからも拍手は鳴り止まず、パーヴォが再び登場。ここでパーヴォはステージ上にまだ残っていた女性ファゴット奏者を指揮台に上げて喝采を浴びさせるというユーモアを披露。父親のネーメ・ヤルヴィもユーモアが大好きであり、この面では似たもの親子ということになるのだろう。

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2019年11月25日 (月)

コンサートの記(608) シルヴァン・カンブルラン指揮 京都市交響楽団第640回定期演奏会

2019年11月17日 京都コンサートホールにて

午後2時30分から、京都コンサートホールで京都市交響楽団の第640回定期演奏会を聴く。今日の指揮は読売日本交響楽団の前・常任指揮者、現・桂冠指揮者として日本でもお馴染みのシルヴァン・カンブルラン。

現代音楽の世界的な名解釈者としても知られるシルヴァン・カンブルラン。1999年から2011年までバーデン=バーデン・フライブルクSWR交響楽団の首席指揮者の座にあり、現代音楽アンサンブルであるクラングフォーラム・ウィーンの首席客演指揮者なども務めた。現在は、日本でも人気と評価の高いバンベルク交響楽団の首席指揮者に就任している。
オペラでも活躍しており、2012年から2018年までシュトゥットガルト歌劇場の総監督を務めた。ちなみに私が初めてカンブルランの演奏に触れたソフトは、1999年のザルツブルク音楽祭でオペラ形式で上演されたベルリオーズの劇的物語「ファウストの劫罰」である。
日本では、スタニスラフ・スクロヴァチェフスキの後任として読売日本交響楽団の常任指揮者を9年間務め、今年の4月からは同楽団の桂冠指揮者の称号を得ている。また、2002年からはドイツ・マインツのヨハネス・グーテンベルク大学で指揮科の招聘教授を務めている。

 

曲目は、武満徹の「夢の時~オーケストラのための」、ハイドンの交響曲第104番「ロンドン」、ストラヴィンスキーのバレエ音楽「春の祭典」

 

今日のコンサートマスターは、客演の豊嶋泰嗣。泉原隆志がフォアシュピーラーに回る。テューバの一人として京響を定年退職した武貞茂夫が招聘されているのも興味深い。第2ヴァイオリンの客演首席は大森潤子、チェロの客演首席にはルドヴィート・カンタが入る。
ドイツ式現代配置での演奏。木管楽器の首席奏者は、小谷口直子が全編に出演。その他は後半のストラヴィンスキーのみの参加である。ホルンは前半が副首席の水無瀬一成がトップの位置に入り、首席ホルン奏者の垣本昌芳はストラヴィンスキーのみの出演となる。トランペットは、武満がハラルド・ナエスと早坂宏明のコンビ、ハイドンが稲垣路子と西馬健史の二人で、ストラヴィンスキーでは全員が出演し、更に客演の小和将太が加わった。

 

プレトークでカンブルランは、楽曲の解説を行う。ストラヴィンスキーの「春の祭典」はバレエ音楽であるため、リズムやテンポが協調される。ハイドンの交響曲もリズムやテンポに独特のものがあり、また独特の楽器の扱い方を行うというところにストラヴィンスキーとの共通点があるとする。ハイドンとモーツァルトは同時代人であるが、モーツァルトは独特の楽器の使用法を追い求めることはなかったとする。
一方、武満徹の音楽は、ストラヴィンスキーやハイドンとは一線を画しており、リズムやテンポなどが曖昧になっており、独特の音像の築き方をする。
カンブルランは、「三者三様の音楽を楽しんで欲しい」というようなことを言って、いったんステージを後にする。

 

武満徹の「夢の時~オーケストラのための」。ネザーランド・ダンス・シアターとその芸術監督であるイリ・キリアンの委嘱によって書かれたものであり、「春の祭典」同様、舞踊のための音楽である。ただストラヴィンスキーとは大きく異なり、精妙なテクスチュアがたゆたうようなある意味、東洋的な趣を持つ。押すのではなく絶えず引き続けるような音楽だ。ドビュッシーを思わせるようなところもあるが、それもまた武満のイディオムに昇華されており、武満にしか書き得ない地点にまで達している。
現代音楽のスペシャリストであるカンブルランの「最適」を探り当てて行く巧みな再構築性が光る演奏であった。
武満はティンパニという楽器が好きではなかったので、この曲ではティンパニは用いられておらず、普段ティンパニを演奏することの多い京都市交響楽団首席打楽器奏者の中山航介はヴィブラフォンを担当。ヴィブラフォンを弦の弓で引いて音を出すという特殊奏法も行っていた。

 

ハイドンの交響曲第104番「ロンドン」。ハイドン最後の交響曲である。
テンポは中庸かやや速め。バロックティンパニを採用しており、中山航介の思い切った強打が効果的。意気軒昂なハイドンとなる。
弦であるが、ビブラートを抑え気味の人とそうでない人がいるという折衷スタイルであり、響きとしてはモダンに近いが、豊嶋のソロは徹底した古楽的技法で弾かせて他の弦楽器から浮かび上がらせるなど、対比を鮮やかにつけていた。

 

ストラヴィンスキーのバレエ音楽「春の祭典」。カンブルラン指揮の「春の祭典」は、以前、読売日本交響楽団の大阪定期公演で聴いたことがある。
京響の力強さが印象的な「春の祭典」。だが現代音楽の明解釈者であるカンブルランの指揮ということで、初演時のスキャンダルを忘れさせるかのような、よくこなされた演奏が展開される。打楽器の大音量もどことなくまろやかであり、鮮烈という印象よりも音楽的な充実の方がより耳に届く。
ある意味、ベートーヴェンの音楽に接するのと同じ感覚で聴くことの出来る「春の祭典」である。こうした演奏を聴くと、「春の祭典」もいよいよ古典の領域に達したことを実感させられる。もはや特異な印象を受ける現代音楽ではなく、普通にクラシックの王道として楽しめる馴染み深い音楽にまで消化されたのだ。

ラストも鮮やかに決めたカンブルラン。聴衆も大いに沸き、京都の人々にその実力を知らしめることに成功したようである。

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2019年11月24日 (日)

これまでに観た映画より(143) ポーランド映画祭2019 in 京都 「ポランスキー短編集」

2019年11月20日 出町枡形商店街の出町座にて

出町枡形商店街の出町座で、ポーランド映画祭2019 in 京都 「ポランスキー短編集」を観る。ポーランドを代表する映画監督の一人、ロマン・ポランスキーがウッジ国立映画大学在学中に制作した無声短編映画の上映である。クレジットに制作年が書かれており、全て1950年代後半の作品であることがわかる。

「殺人」、「微笑」、「パーティーを破壊せよ」、「タンスと二人の男」、「灯り」という作品の上映。いずれもDVDで入手できる映像であるが、今回はポーランドの音楽デュオであるシャザの生演奏付きでの上映である。ヴァイオリンとクラリネット他による演奏。

 

「殺人」は、ベッドで寝ていた男性が、小型ナイフで胸を刺されて殺害されるという、それだけを撮影したショートムービーである。
若き日のポランスキーが何を考えて、これだけのムービーを撮ったのかはわからない。ただ特殊に見える小型ナイフで心臓を一突きにしていることや、犯人の見た目が温厚そうなおじさんであることから却ってプロの殺し屋らしく見える。これらは意識して撮っているのだろう。

 

「微笑」は、覗きを題材にしたコメディーである。志村けんが作りそうなギャグでもある。マンションの部屋の主がドアの前に牛乳瓶を並べるシーンがあるが、ポーランドは共産党支配時代は牛乳が配給制だったそうで、夜の間に家のドアの前に牛乳の瓶を出しておくと、朝には配給されているというシステムだったそうである。

 

「パーティーを破壊せよ」。ウッジ国立映画大学のあるウッジという街は、ポーランドの中でもフーリガン(通訳は「ヤンキー」と訳していた)が多いことで知られているそうで、ウッジ国立映画大学在学中のポランスキーは大学でパーティーを開催する時に、街のフーリガン達も誘うことにしていたそうだ。その流れでこの「パーティーを破壊せよ」もフーリガン達に出演して貰って撮ったそうだが、喧嘩の場面は実際に殴っているとしか思えない。そんなこんなでポランスキーも大学を退学になりそうになったことがあるそうだ。映画に登場するフーリガン達は、ジェームズ・ディーン風というか、「ウエスト・サイド・ストーリー」のジェッツ(ジェット団)風というか(ジェッツはポーランド系移民のストリートギャングである)ポーランドであっても当時の不良はアメカジだったことがわかる。

 

「タンスと二人の男」は、ポランスキーの初期作品の中でも傑作として知られている作品である。音楽はクシシュトフ・コメダが作曲しているが、今回はシャザの二人がコメダの音楽を元にアレンジした曲を演奏する。映画の一場面は、同志社大学寒梅館クローバーホールで観た「コメダ・コメダ」の中でも取り上げられていた。
タンスを担ぎながら海から上がってきた二人の男が街へと繰り出し、あらゆる場所で拒否されてまた海に戻っていくという話である。かなりシュールであるが、ヨーロッパということで異人や移民の話なども絡んでいるのかも知れない。ポランスキー自身がユダヤ系ということもある。タンスを担ぎながら歩く二人の横で、スリや殺人といった犯罪が起こり、二人は街で見掛けた可愛い女の子には相手にされず、女の子にちょっかいを出そうとした不良グループとは揉めて、殴り倒される。路面電車やホテルにはタンスを担いでいるが故に立ち入りを拒否される。
タンスが何のメタファーなのかは、特に考える必要はないのかも知れない。生活用具なので、生活や人生を担いでいると見るべきなのかも知れないが、そこは固定せずに個人で捉えた方がいいだろう。
個人的には、ボードレールの「人皆キメールを背負えり」という詩を連想した。

 

「灯り」。人形館が舞台である。人形職人の男が嬉々として人形を作り続けている。部屋には完成したものや作りかけの人形が一杯で、結構不気味である。だが、電気がショートして火事が起こり、人形達は炎に包まれる。大惨事である。
ここでカメラが切り替わり、人形館の外の風景が映る。雨の日で、人々は人形館から漏れ出ている灯りが火事によるものだということに気づかず淡々と通り過ぎていく。内と外の違いが、ある意味、現代の孤独と断絶と無関心を引き立たせているとも感じ取れる。

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2019年11月23日 (土)

2346月日(18) 兵庫県立美術館 日本・ポーランド国交樹立100周年記念「ショパン―200年の肖像」

2019年11月9日 兵庫県立美術館ギャラリー棟3階にて

神戸へ。岩屋の兵庫県立美術館ギャラリー棟3階で日本・ポーランド国交樹立100周年記念「ショパン―200年の肖像」を観る。

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兵庫県立美術館は京都から行くには遠い。以前に1回行ったことがあるのだが、その時は神戸に泊まっての帰りかなにかであり、京都から向かったわけではない。

午後1時過ぎに出て、阪急大阪梅田駅で降り、阪神大阪梅田駅から岩屋に向かうという道筋を採ったのだが、阪神の普通電車に乗ってしまい、思ったよりも進まないということで、尼崎駅で特急に乗り換えて御影駅まで行き、そこから普通で岩谷駅に向かうというルートを辿る。尼崎駅のホームからは、尼崎上の模擬天守が見えた。

 

兵庫県立美術館ギャラリー棟3階の「ショパン―200年の肖像」展入り口に着いたのだが午後4時少し前。1時間で回れるだろうと踏んでいたのだが、想像していたよりも展示品がずっと多く、最後の方は駆け足で見てまわることになった。

まずは、ヴワディスワフ・ヤールが描いた、ショパン作品にインスパイアされた絵画作品(エッチング)が並ぶ。ポロネーズ、前奏曲、ノクターン、バラード、即興曲などが並ぶが、必ずしも楽曲から受けるイメージ通りのものを描いたわけではない。

その後は、ショパンの肖像画が並ぶ。本格的なものからマンガ風のものまであるが、中には本来は抽象的な作風を特徴としていたヘンリク・スタジェフスキが、共産主義的リアリズムを強制されて描かれたショパンの肖像画などもあり、ポーランドが辿った歴史を確認することも出来る。

ショパンの肖像画として有名なものに、ドラクロアが描いたものがあるが、実はドラクロアによる肖像画は元々は「ショパンのジョルジュ・サンド」という二人を描いた作品として発表されたものが、いつの間にか二つに分けられて別々に展示されるようになったものである。今回の展覧会では、ルドヴィク・ヴァヴリンキェーヴィチが復刻した「ショパンとジョルジュ・サンド」が展示されていた。

ローベルト・シュピースがショパンの24の前奏曲全曲のイメージ画連作も展示されている。元々一般的なイメージは避けて描かれたものが多いといわれているそうだが、確かになぜこうなったのかよくわからないものもある。ただ、イメージ通りの絵を描いたとしたらそれはそれで面白くないだろう。絵は音楽の従者ではないのであるから。エウゲニウシュ・ピヘルやズィグムント・パドフスキなども同様の仕事を行っており、それぞれの個性がある。

 

壁一面に、ドゥシュニキ=ズドルイ・ショパン音楽祭や、アントニン「秋色のショパン」国際音楽祭、マリアーンスケー・ラズーニェ・ショパン音楽祭のポスターが並ぶ。ポーランドはポスター芸術も盛んだそうである。フォルマリズム的な、いかにも東側の芸術といった感じのポスターもあるが、少女マンガ風のものがあったり、アンディ・ウォーホルの影響が見られる作品があったり、ルネ・マグリット風の絵があったりとバラエティに富んでおり、また近年のものはポップでお洒落である。
スピーカーからは、ピリオド楽器で弾かれたショパンの曲が流れていた。

日本におけるショパン受容のコーナーもある。日本で最初にショパンの曲を弾いたのは、音楽取調掛(東京音楽学校と東京芸術大学の前身)の学生であった遠山甲子という女性である。また日本人でショパン弾きとして最初に評価されたのが、澤田柳吉(1886-1936)であり、澤田の紹介として、澤田が作・編曲をした「セノオ楽譜 お江戸日本橋」が展示されている。日本人で最初にショパン作品の録音を行ったのも澤田だそうで、SPに「ポロネーズ」作品40-1と「ワルツ」作品64-2を吹き込んでいるという。

 

ショパンが見たであろう、ワルシャワの風景を描いた絵画の展示が続く。描かれたいくつかの建物の中では、ショパンがピアノ演奏を行った記録が残っているそうだ。ショパンもショパン自身の演奏を聴いた人も、確実にこの景色を見ていたということになる。

余り有名ではない、ショパンの父親に関する展示もある。フリデリク(ポーランドの発音により近い表記ではこうなるらしい)・ショパンの父親であるニコラはフランスのロレーヌ地方の生まれなのだが、ニコラが生まれる5年前まで、ロレーヌは独立国だったそうで、しかも大公はポーランド人だったそうである。そのこともあってニコラもポーランド人に仕えており、主のポーランド移住に伴ってニコラもポーランドに移ったようである。ポーランドに移住後は、ニコラはポーランド風のミコワイを名乗るようになる。

続いて、パリでのショパンとその周辺の人々の肖像画並ぶ。ニロラ=ウスタシュ・モランの「著名なピアニスト達」には、ショパンに加えて、フランツ・リストやジーギスムント・タールベルクらが勢揃いした像が描かれている。ショパンの肖像として最も有名なものは、アリ・シェフェールのものだと思われるが、アリ・シェエールの筆によるフランツ・リストの肖像や、画家としてのシェフェールの代表作なども同時に展示されている。

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若き日のショパンを描いたものとして有名なマリア・ヴィジスカのものや、ショパンのデスマスク、ショパンの左手像などを経て、いよいよショパンの自筆譜の展示がある。紙と筆跡を守るため、セパレーションで区切られた暗室の中に、ショパンの自筆の手紙と譜面が展示されている。近づくとケースの灯りがともる仕掛けとなっている。エチュードヘ長調作品10-8と、ポロネーズヘ短調71-3。閉館時間が迫っていたのでじっくりと見ることは出来なかったが、長い時間見たからといって感動が増すわけでもない。とりあえず、「見たぞ」という記憶と瞬間の映像を脳に刻む込む。

最後は、ショパン国際ピアノコンクール関連の展示である。コンクールのポスターが展示され、優勝者であるマウリツォ・ポリーニやクリスティアン・ツィマーマン、入賞者の中村紘子らの写真を確認することが出来る。映像の展示もあるが、残念ながら見ている時間はなかった。

会場を出てすぐの壁にショパンの手紙の翻訳が貼られている。ショパンは日記や手記などを残さなかった人であり、直接残された言葉は手紙に記されたもののみであるようだ。

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