カテゴリー「絵画」の85件の記事

2025年2月13日 (木)

美術回廊(88) 京都市京セラ美術館 「村上隆 もののけ 京都」

2024年5月31日 左京区岡崎の京都市京セラ美術館 東山キューブにて

左京区岡崎の京都市京セラ美術館・東山キューブで、「村上隆 もののけ 京都」を観る。

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ポップアーティストの村上隆(個人的には隆の前に「宗」の字を入れたくなる名前)の京都を題材にした新作展である。結構、無茶を言われたようで、未完成のままの開催となった。
2浪して東京芸術大学美術学部日本画科に入学した村上隆。東京芸術大学は同じ大学でも美術学部と音楽学部は別世界で、美術学部は現役生はまれ。多浪入学者の巣窟となっており、2浪3浪は当たり前、5浪、6浪が普通にいる世界で、2浪なら優秀な方。一方の音楽学部はほぼ現役生で占められている。同大学大学院博士前期課程(修士課程)を次席で修了。首席を取れなかったために正統派の日本画家を諦めて方向転換し、博士後期課程に進んで修了。論文が通って博士号を得た。現在はアーティスト集団「カイカイ・キキ」を主宰している。

「洛中洛外図屏風」や四神(玄武、青龍、朱雀、白虎)をポップにしたもの、永観堂禅林寺のみかえり阿弥陀のパロディ、花々が野球などあらゆることをしているシーン、「十三代目市川團十郎白猿襲名十八番」、ポップな五山送り火、舞妓さんなど、京都にちなんだポップアートが並んでいる。思ったよりも展示は少なかったが、全て写真撮影OKで、多くの人がカメラを向けていた。

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2024年7月31日 左京区岡崎の京都市京セラ美術館 東山キューブにて

左京区岡崎の京都市京セラ美術館・東山キューブで、「村上隆 もののけ 京都」に新作が展示されたというので観に行ってみる。「村上隆 もののけ 京都」は「全部新作で」との依頼を受けて、京都に関するポップアートを制作したのだが、やはりスケジュール的に無理があったようで、完成しないまま展覧会が開始されている。そのため、途中で新作が加わることになったのである。全作品、撮影可であり、多くの人がカメラやカメラ付きのスマホで撮影を行っている。外国人も多い。

前回も展示のメインだった、「洛中洛外図屏風」。荒木村重の子である岩佐又兵衛筆の「洛中洛外図屏風」をポップアートにしたものだが、登場人物達は桃山時代から江戸初期の格好をしている。
二条城の天守からは、何人かが顔をのぞかせているのが分かる。また、方広寺には、大坂の陣の引き金となった鐘楼が描かれており、何者かが撞こうとしているのが確認出来る。

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今日で終わる祇園祭の「祇園祭礼図」も展示されている。長刀鉾などの鉾や山が見え、橋弁慶山では義経と弁慶の五条大橋での一騎打ちの像が飾られている。
そんな山鉾巡航を木の上から眺めている若い女性がいるが、彼女は何者なのだろう。

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行列の中には、毛利氏から一と三つ星をひっくり返した家紋を授かった渡辺氏の家紋を旗に記した武将も登場しているが、どこの渡辺さんなのかはよく分からない。

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新作としては「梟猿図」が展示されているほか、京都を舞台とした小説『古都』を書いた川端康成象(ギョロリとした目が誇張され、切り取られた腕を手にしている)、金閣寺(鏡湖池に映った逆さ金閣との二重の影となっている)などが展示されていた。

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2025年1月30日 (木)

観劇感想精選(482) 加藤健一事務所 「夏の盛りの蝉のように」

2022年12月25日 京都府立府民ホールアルティにて観劇

午後2時から、京都府立府民ホールアルティ(ALTI)で、加藤健一事務所の公演「夏の盛りの蟬のように」を観る。浮世絵師の代名詞的存在である葛飾北斎を中心に、弟子の蹄斎北馬、田原藩家老となる渡辺崋山、遅咲きながら現在では屈指の人気を誇る歌川国芳、更に北斎の娘で、応為の雅号を持つ(北斎がいつも「おーい」と呼ぶので応為を雅号にしたといわれる)絵師となったおえいらを中心とした浮世絵画壇ものである。

作:吉永仁郎、演出:黒岩亮。出演:加藤健一、新井康弘、加藤忍、岩崎正寛(演劇集団 円)、加藤義宗、日和佐美香(ひわさ・みか)。

生涯に93回の引っ越しを行ったといわれる葛飾北斎(加藤健一)。この劇も引っ越しの場面から始まる。時は1816年。おえい(加藤忍)はまだ12歳である。ということで、加藤忍は12歳から50代までを演じることになるのだが、流石の上手さである。
葛飾北斎が引っ越しを頻繁に行ったのは、片付けの能力がなかったためといわれており、片付けが全く出来ないので、引っ越すことで身の回りの整理を行っていた――この場合、行えていたと表現していいのか怪しいのだが――のである。同じ傾向を持った芸術家にベートーヴェンがいる。ただベートーヴェンは若い頃は衣服などを清潔に保ち、手を頻繁に洗うという潔癖なところがあった一方で、葛飾北斎は身の回りの環境にほとんど無頓着であり、末娘で絵師となり、北斎と同居していたおえいも同様の傾向があったようで、二人とも絵以外に興味を持つことはほとんどなかったといわれており、そうした過集中の傾向はこの芝居でも描かれている。

一方、北斎の一番弟子である蹄斎北馬(新井康弘。ストーリーテラーも兼ねる)は、自らの絵に集中するよりも、北斎と浮世絵士達の仲介役を務めている。
北斎を訪ねる門人ともいうべき浮世絵師は、歌川国芳(岩崎正寛)と渡辺崋山(加藤義宗)である。
国芳(よしさんと呼ばれている)は若い頃は手癖が悪く、絵師としてもなかなか芽の出ない日々が続いた。そんな中で和印(春画)に励んだり、武者絵に取り組んだりすることで、未来を切り開こうと必死である。
崋山は、武士身分だけあって潔癖なところがあり、絵には「技術」と「人格」の両方が必要だとして譲らない。
応為ことおえいは、自らの名を出しての作品も発表していたが、北斎名義の作品を出すこともしばしばである。

表現を巡っての対話が主になり、タイトルである「夏の盛りの蟬のように」に繋がる訳だが、北斎は主人公でありながら、いわば中心軸であり、崋山や国芳の絵師としてのスタイルを中心に話は展開していく。武士としての気質を崩せないでいる崋山や、絵を用いて風刺を盛んに行う国芳に対して、北斎は「絵は絵だ」と絶対芸術的な立場をとり続ける(そもそも絵以外のことに興味がないということもある)。それぞれの絵に対するスタンスが物語を動かす原動力となり、蛮社の獄(崋山は抗議の自刃を行う)や天保の改革(国芳の風刺画は幕府にマークされる)などの時代を背景に、己の作品と向き合う絵師の姿が浮かび上がってくる。

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2024年11月 8日 (金)

美術回廊(87) アサヒビール大山崎山荘美術館 「丸沼芸術の森蔵 アンドリュー・ワイエス展―追憶のオルソン・ハウス」

2024年10月14日 京都府乙訓郡大山崎町天王山にあるアサヒビール大山崎山荘美術館にて

京都府乙訓郡大山崎町にある、アサヒグループ大山崎山荘美術館で、「丸沼芸術の森蔵 アンドリュー・ワイエス展―追想のオルソン・ハウス」を観る。私が最も敬愛する画家、アンドリュー・ワイエスの展覧会である。
アメリカ、メイン州のワイエスの別荘の近く住む、クリスティーナ・オルソンとアルヴァロの姉弟に出会ったワイエス。彼らが住む築150年のオルソン家に惹かれ、彼らと30年に渡って交流を持つことになるワイエスが、オルソン・ハウスをテーマに描いた一連の作品の展覧会である。前期と後期に分かれており、現在は前期の展示が行われている。

ワイエスがオルソン・ハウスを題材にした展覧会は、2004年に姫路市立美術館で行われており、その時出展された作品も多い。なお、姫路市立美術館を訪れた日は、私が姫路に行きながら唯一、姫路城を訪れなかった日でもある。

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オルソン・ハウスは、2階建てだったものを無理に3階建てに直した建物でバランスが悪いが、ワイエスの絵画もわざとバランスを崩すことで不吉な印象を与えている。
ワイエスは、「死の青」を用いる。ワイエスにとって青は死の象徴であり、鏡に映った自身の姿を幽霊と勘違いした姿を描いた「幽霊」の習作にも不吉な青が用いられている。「パイ用のブルーベリー」習作や「青い計量器」でも青がクッキリ浮かび上がってどことなく不吉な印象を与える。

また、アルヴァロがモデルになることを嫌がったという理由もあるのだが、本来、そこにいるべき主がいないままの風景が描かれており、孤独が見る者の心の奥底を凍らせる。

代表作の「クリスティーナの世界」は実物は展示されておらず、習作がいくつか並んでいる。クリスティーナの手の位置や、体の向き、指の形などが異なるのが特徴。ワイエスが最も効果的な構図を模索していたことが分かる。

やがてクリスティーナもアルヴァロも亡くなり、オルソン・ハウスは主を失う。小雪の舞う中、佇むオルソン・ハウス。サウンド・オブ・サイレンスが聞こえる。
一方、オルソン・ハウスの屋根と煙突を描いた絵があるのだが、在りし日のオルソン家の人々の声が煙突や窓から響いてきそうで、ノスタルジアをかき立てられると同時に、もう帰らない日々の哀しみがさざ波のように心の縁を濡らす。

1917年に生まれ、2009年に亡くなったワイエス。アメリカの国民的画家の一人だが、日本に紹介されるのは案外遅く、丁度、私が生まれた1974年に東京国立近代美術館と京都国立近代美術館で展覧会が行われ、大きな話題となった。私の世代ではすでに美術の教科書に作品が載る画家になっている。
幼い頃から体が弱く、学校には通えず、家庭教師に教わった。「長生きは出来ない」と医者から宣告されていたワイエスは、画家活動を続けながら、常に死と隣り合わせの感覚であったが、結果として長寿を全うしている。

以前、阪急電車で梅田に向かっているときに、たまたま向かい合わせの前の席の人が嵯峨美(嵯峨美術短期大学。現在の嵯峨美術大学短期大学部)とムサビ(武蔵野美術大学)出身の女性で、私も美術ではないが京都造形芸術大学で、絵にはまあまあの知識があったので、絵画の話になり、アンドリュー・ワイエスが好きだというと、「埼玉県の朝霞市にワイエスをコレクションしている美術館がある」と教えてくれたのだが、今回、ワイエス作品を提供しているのが、その朝霞市にある丸沼芸術の森である。

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アサヒグループ大山崎山荘美術館は、その名の通り、関西の実業家、加賀正太郎の大山崎山荘を安藤忠雄が美術館にリノベーションしたお洒落な施設である。美術作品と同時に、実業家の山荘の洗練度と豪壮さを楽しむことも出来るというお得な美術館。

ベランダから眺めると正面に男山(石清水八幡宮)を望むことが出来る。

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庭園も芝生が敷き詰められた場所があるなど、優しさの感じられる回遊式庭園となっている。


「天下分け目」の天王山の中腹にあり、そのまま道を登ると天王山の山頂(山崎の戦いの後、豊臣秀吉が山崎城を築き、一時、居城としていた)に出ることが出来るのだが、早いとはいえない時刻であり、登山のための準備をしてきていないので、今日は諦める。山城は危険である。

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2024年10月25日 (金)

コンサートの記(864) デイヴィッド・レイランド指揮 京都市交響楽団第694回定期演奏会 フライデー・ナイト・スペシャル

2024年10月11日 京都コンサートホールにて

午後7時30分から、京都コンサートホールで、京都市交響楽団の第694回定期演奏会 フライデー・ナイト・スペシャルを聴く。指揮は、デイヴィッド・レイランド。京響には2度目の登場である。

休憩時間なし、上演時間約1時間のフライデー・ナイト・スペシャル。今回は、アンドリュー・フォン・オーエンのピアノソロ演奏の後に京響が登場。京響は1曲勝負である。


曲目は、アンドリュー・フォン・オーエンのピアノソロで、ラフマニノフの前奏曲作品23から、第4番ニ長調、第2番変ロ長調、第6番変ホ長調、第5番ト短調。デイヴィッド・レイランド指揮京都市交響楽団の演奏で、ムソルグスキーの組曲「展覧会の絵」(ラヴェル編曲)。


アンドリュー・フォン・オーエンは、ドイツとオランダにルーツを持つアメリカのピアニスト。5歳でピアノを始め、10歳でオーケストラと共演という神童系である。名門コロンビア大学に学び、ジュリアード音楽院でピアノを修めた。アルフレッド・ブレンデルやレオン・フライシャーからも薫陶を受けている。1999年にギルモア・ヤング・アーティスト賞を受賞。レニ・フェ・ブランド財団ナショナル・ピアノ・コンペティションで第1位を獲得。アメリカとフランスの二重国籍で、ロサンゼルスとパリを拠点としている。

午後7時頃からのデイヴィッド・レイランドによるプレトーク(通訳:小松みゆき)でも、オーエンが、ロサンゼルスとパリを拠点とするピアニストであることが紹介されている。
プレトークでは他に作品の解説。共にロシアの作品で、ムソルグスキーの組曲「展覧会の絵」はラヴェルの編曲なのでフランスの要素も入ってくるということを語る。組曲「展覧会の絵」は、ムソルグスキーが、若くして亡くなった友人のヴィクトル・ハルトマン(ガルトマン)の遺作の展覧会を見て回るという趣向の作品だが、ハルトマンの絵は今では見られなくなってしまったものが多いと語る(いくつかは分かっていて、ずっと前にNHKで特集が組まれたことがあった。その際、「ビィドロ」は牛が引く荷車ではなく、「虐げられた人々」という意味でつけられたことが判明していたりする)。最後の曲は「キエフの大門」(今回は、「キエフ(キーウ)の大門」という併記表現になっている)で、これは今演奏することに意味があるとレイランドは語る。キエフ(キーウ)は、現在、ロシアと交戦中のウクライナの首都。更に、レイランドは知らないかも知れないが、京都市の姉妹都市である。ロシアはそもそもキエフ公国から始まっており、ロシアにとっても特別な場所だ。「キエフ(キーウ)の大門」の絵は現物が残っている。その名の通り、キエフに建てられる予定だった大門のデザインのコンペティションに応募した時の作品なのだが、不採用となっている。

アンドリュー・フォン・オーエンのピアノは、音がクリアで、構築もしっかりしている。全曲ラフマニノフを並べていることからメカニックに自信があることが分かるが、難曲のラフマニノフを軽々と弾いていく感じだ。

第4番のロマンティシズム、第2番のスケールの豊かさ、第6番のリリシズム、第5番のリズム感といかにもラフマニノフらしい甘い旋律などを的確に表現していく。ロシアものにかなり合っているし、おそらくフランスものを弾いても出来は良いだろう。

アンコール演奏は、ラフマニノフの前奏曲作品32-12 嬰ト短調であった。これも好演。


デイヴィッド・レイランド指揮京都市交響楽団によるムソルグスキーの組曲「展覧会の絵」(ラヴェル編曲)。ピアノをはけさせるなど舞台転換があるため、まず管楽器や打楽器の奏者が登場し、最後に弦楽器の奏者が現れる。通常は一斉に登場して客席からの拍手を受けるのだが、今日は拍手をするタイミングはなかった。

デイヴィッド・レイランドは、ベルギー出身。ブリュッセル音楽院、パリのエコール・ノルマル音楽院、ザルツブルク・モーツァルティウム大学で学び、ピエール・ブーレーズ、デイヴィッド・ジンマン、ベルナルト・ハイティンク、ヨルマ・パヌラ、マリス・ヤンソンスに師事。イギリスの古楽器オーケストラであるエイジ・オブ・エンライトメント管弦楽団の副指揮者として、サー・マーク・エルダー、ウラディーミル・ユロフスキ、サー・ロジャー・ノリントン、サー・サイモン・ラトルと活動している。ウラディーミル・ユロフスキだけはイギリス人ではなくロシア出身のドイツ国籍の指揮者だが、長年に渡ってロンドン・フィルの指揮者を務めており、名誉イギリス人的存在である。
ルクセンブルク室内管弦楽団の音楽監督を経て、現在はフランス国立メス管弦楽団(旧フランス国立ロレーヌ管弦楽団)と韓国国立交響楽団の音楽監督を務めるほか、スイスのローザンヌ・シンフォニエッタ首席客演指揮者としても活動している。

今日のコンサートマスターは、京響特別客演コンサートマスターの会田莉凡(りぼん)。フォアシュピーラーに泉原隆志。ドイツ式の現代配置での演奏。ヴィオラの客演首席に東条慧(とうじょう・けい。女性)が入る。サクソフォンの客演は崔勝貴(さい・しょうき)。
ハープの客演は朝川朋之。朝川は以前にも京響に客演していたが、日本では男性のハーピストは比較的珍しい。ヨーロッパではそもそも女性が楽団員になれないオーケストラも多かったので、男性ハーピストは普通である。今は指揮者として活躍している元NHK交響楽団の茂木大輔氏が、エッセイで、「ハープは女性には運搬が大変なので、男性にやらせたらどうか」という内容を書いており、その後なぜかハープ演奏がヤクザのしのぎの話になって、「ハープの演奏をする」が「しばいてくる」になったりしていた。
トランペットは首席のハラルド・ナエス、副首席の稲垣路子が揃い、曲はナエスの輝かしいトランペットソロで始まる。
京響は音に艶と輝きがあり、音のグラデーションが絶妙な変化を見せる。まさに虹色のオーケストラである。京響も本当に魅力的なオーケストラになった。

レイランドの指揮は簡潔にして明瞭。指揮の動きに合わせれば演奏出来る安心感があり、オーケストラの捌き方も抜群。どちらかというと音の美しさで聴かせるタイプで、ムソルグスキーというよりラヴェル寄りであるが、十二分に満足出来る水準に達していた。

演奏終了後、京響の楽団員はレイランドに敬意を表して立たず、レイランドはコンサートマスターの会田莉凡の手を取って立たせて、全楽団員にも立つよう命じていた。

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2024年9月25日 (水)

美術回廊(85) 京都市京セラ美術館 コレクションルーム 夏期「特集 女性が描く女性たち」+やなぎみわ 「案内嬢の部屋1F」

2024年9月18日 左京区岡崎の京都市京セラ美術館本館南回廊1階にて

京都市京セラ美術館本館南回廊1階で、コレクションルーム 夏期「特集 女性が描く女性たち」を観る。タイトル通り、女性が女性を描いた絵画の展覧会である。5点のみ写真撮影可となっている。“先駆者の試み”、“着飾らない姿”、“よそゆきの姿”の3タイトルから構成。上村松園、伊藤小坡(いとう・しょうは)、梶原緋佐子、三谷十糸子(みたに・としこ)、秋野不矩(あきの・ふく)、広田多津、北沢映月、由里本景子、丹羽阿樹子の作品が並ぶ。

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梶原緋佐子は、疲れた女性や女芸人など、哀愁の漂う女性を多く描いている。

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梶原緋佐子「暮れゆく停留所」

由里本景子の「望遠鏡」は、天体望遠鏡、小型望遠鏡、肉眼で遠くを見つめる3人の女性を描いている。おそらく3人の見つめる先には希望があるのだろう。天体望遠鏡を覗く女性は、片足を台に乗せているのが印象的である。

丹羽阿樹子の「奏楽」は、着物姿の女性二人がヴァイオリンを奏でている様子を描いたものである。一人の女性(右側)はこちらを向き、もう一人の女性は向こうを向いていて顔は見えない。不思議なのは譜面台も譜面も描かれていないこと。こちらを向いた女性の視線は、もう一人の女性の足下を見ている。アマチュアの音楽家が譜面なしでデュオを奏でられるとは思われないのだが、譜面台を描いてしまうと着物が隠れてしまうため、フィクションとしてこうした構図にしたのだろうか。

今回の展覧会のメインビジュアルとして用いられている秋野不矩の「紅裳(こうしょう)」。都ホテルのラウンジのテーブルを5人の女性が囲んでいる様子を描いたものである。5人のうち、視線を交わしているのは手前の二人のみである。二人は後ろ向きだが、互いが互いの目を見ていることは分かる。他の女性のうち、一人はテーブルの中央に浅葱色の花瓶に生けられた花を見つめている。残る二人はどこかをぼんやりと見ている。五角形の構図の中で、バラバラの場所を見ている5人が、逆に緊密な雰囲気を生み出しているのが興味深い。

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秋野不矩「紅裳」

丹羽阿樹子の「達矢」は、女性が弓を構え、上方を狙っている様子を描いたもの。傾いた構図だが、90度の構造と垂直のラインは保たれており、美しくも力強い絵となっている。


「女性が描く女性たち」の作品はそれほど多くはなく、「青磁と染付」、「青々とした緑」、「シルクスクリーンの可能性」、「大量消費がもたらす儚さ」という展示が続く。

「大量消費がもたらす儚さ」のラスト。つまりこの展覧会の掉尾を飾るのが、やなぎみわの「案内嬢の部屋1F」という写真作品である。1997年の作品。当時、二十代と思われる女性が何人も写っている。1997年に二十代ということで、写真の中の女性達は私と同世代と思われる。
中央に動く歩道がある(関西では「動く歩道」のことを「歩く歩道」ということがある。「歩道は歩くでしょ」というツッコミはなしで)。1枚目の写真は、その上に赤い制服を着た案内嬢達が座っている。一番手前の女性は仰向けに寝転んでいるが、寝ているのは気絶しているのかは不明。続く女性達は、座って斜め上の角度を見上げている。凄く歩道の側面はガラス張りのディスプレイになっており、その中に花々が凜とした姿を見せている。女性達の憧れの象徴なのだろうか。同じ角度を見上げている、同一人物と思われる女性が複数写っているようにも見えるのだが、はっきりとは分からない。いずれも華の案内嬢達は、憧れを抱きながら、動く歩道で運ばれ続けていく。残酷な構図である。
2枚目の写真も動く歩道が中央に写っているが、乗っている人は誰もいない。動く歩道の両サイドのガラス張りのディスプレイには案内嬢達が立って並んでいる。女性が消費される存在であることを暗示しており、これまた残酷である。

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2024年5月25日 (土)

美術回廊(83) 京都国立博物館 特別展『雪舟伝説 -「画聖(カリスマ)の誕生」-』

2024年5月23日 東山七条の京都国立博物館・平成知新館にて

東山七条にある京都国立博物館・平成知新館で、特別展『雪舟伝説 -「画聖(カリスマ)の誕生」-』を観る。
日本史上最高の画家(絵師)の一人として崇められる雪舟等楊。備中国赤浜(現在の岡山県総社市。鬼ノ城や備中国分寺があることで有名なところである)に生まれ、京都の相国寺(花の御所の横にあり、五山十刹の五山第2位。相国は太政大臣など宰相の唐風官職名で征夷大将軍にして太政大臣の足利義満が開基である)で天章周文という足利将軍家お抱えの画僧に本格的な画を学び、庇護を申し出た周防国の守護大名・大内氏の本拠地である「西京」こと山口で過ごしている。応仁の乱勃発直前に明の国に渡り、明代よりも宋や元の時代の絵を参考にして研鑽を重ね、天童山景徳禅寺では、「四明天童山第一位」と称せられた。帰国してからは九州や畿内を回り、山口に戻った後で、石見国益田(島根県益田市)に赴き、当地で亡くなったとされる。ただ最晩年のことは詳しく分かっていない。残っている雪舟の絵は、伝雪舟も含めて50点ほど。後世の多くの絵師や画家が雪舟を理想とし、「画聖」と崇め、多大な影響を受けている。
今回の展覧会は、雪舟の真筆とされている作品(国宝6点全てを含む)と伝雪舟とされる真偽不明の作品に加え、雪舟に影響を受けた大物絵師達の雪舟作品の模写や、雪舟にインスパイアされた作品が並んでいる。

国宝に指定されているのは、「秋冬山水図」(東京国立博物館蔵)、「破墨山水画」(東京国立博物館蔵)、「山水図」(個人蔵)、「四季山水図巻(山水長巻。期間によって展示が変わり、今は最後の部分が展示されていて、それ以外は写真で示されている)」(毛利博物館蔵)、「天橋立図」(京都国立博物館蔵)、「慧可断臂図」(愛知 齊年寺蔵)である。全て平成知新館3階の展示が始まってすぐのスペースに割り当てられている。いずれも病的な緻密さと、異様なまでの直線へのこだわりが顕著である。普通なら曲線で柔らかく描きそうなところも直線で通し、木々の枝や建築も「執念」が感じられるほどの細かな直線を多用して描かれている。「病的」と書いたが、実際、過集中など何らかの精神病的傾向があったのではないかと疑われるほどである。少なくとも並の神経の人間にはこうしたものは――幸福なことかも知れないが――描けない。狩野探幽を始め、多くの絵師が雪舟の直系であることを自称し、雪舟作品の模写に挑んでいるが、細部が甘すぎる。当代一流とされる絵師ですらこうなのだから、雪舟にはやはり常人とは異なる資質があったように思われてならない。
だが、その資質が作画には見事に生きていて、繊細にして描写力と表出力に長け、多くの絵師に崇拝された理由が誰にでも分かるような孤高の世界として結実している。山の盛り上がる表現などは、富岡鉄斎の文人画を観たばかりだが、残念ながら鉄斎では雪舟の足下にも及ばない。一目見て分かるほど完成度が違う。雪舟がいかに傑出した異能の持ち主だったかがはっきりする。

国宝にはなっていないが、重要文化財や重要美術品に指定されているものも数多く展示されており、その中に伝雪舟の作品も含まれる。伝雪舟の作品には国宝に指定された雪舟作品のような異様なまでの表現力は見られないが、雪舟も常に集中力を使って描いたわけでもなく、リラックスして取り組んだと思われる真筆の作品も展示されているため、「過集中の傾向が見られないから雪舟の真筆ではない」と判断することは出来ない。風景画が多い雪舟だが、人物画も描いており、これもやはり緻密である。

2階の「第3章 雪舟流の継承―雲谷派と長谷川派―」からは、雪舟の継承者を自認する絵師達の作品が並ぶ。雪舟は山口に画室・雲谷庵を設けたが、雲谷派はその雲谷庵にちなみ、本姓の原ではなく雲谷を名乗っている。江戸時代初期を代表する絵師である長谷川等伯も雪舟作品の模写を行うなど、雪舟に惚れ込んでいた。雲谷派も長谷川派も雪舟の正統な継承者を自認していた。

江戸時代中期以降の画壇を制した感のある狩野派も雪舟は当然意識し、神格化しており、狩野探幽などは雪舟の「四季山水図巻」(重要文化財)を模写して、五代目雪舟を名乗っていたりする(雪舟の「四季山水図巻」も探幽による模本も共に京都国立博物館の所蔵)。狩野古信が描いた「雪舟四季山水図巻模本」は模本にも関わらず、何と国宝に指定されている。

展示はやがて、雪舟がモチーフとした富士山や三保の松原を題材とした画に移る。原在中の描いた「富士三保松原図」は描写力が高く、緻密さにおいて雪舟に近いものがある。ただ画風は異なっている。京都ということで伊藤若冲の作品も並ぶが、画風や描写力というよりも題材の選び方に共通点があるということのようだ。

その他にも有名な画家の作品が並ぶが、描写力や表現力はともかくとして緻密さにおいて雪舟に匹敵する者は誰もおらず、それこそ雪舟は富士山のような屹立した独立峰で、後の世のゴッホのように画家なら誰もが崇める存在であったことは間違いないようだ。

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2024年5月 2日 (木)

美術回廊(82) 京都国立近代美術館 没後100年 富岡鉄斎「Tessai」

2024年4月13日 左京区岡崎の京都国立近代美術館にて

左京区岡崎の京都国立近代美術館で、没後100年 富岡鉄斎「Tessai」を観る。「最後の文人画家」とも呼ばれ、京都で活躍した富岡鉄斎の展覧会である。

富岡鉄斎は、1837年(天保7)の生まれ。坂本龍馬の1つ年下となる。長命で数えで89歳となる1924年(大正13)の大晦日まで生きた。1924年は関東大震災の翌年であるが、鉄斎も義援金を送っている。

三条新町の法衣商の家に生まれる。富岡家の先祖は石田梅岩から直接、石門心学を教わっており、代々、心学の教えが受け継がれてきた。鉄斎も心学を学び、その後、儒学、国学、漢学、南画、仏典、詩文、書、陽明学、勤王思想などを学んで、勤皇派の人物とも交流を持つ。坂本龍馬が暗殺された近江屋事件の当日に近江屋を訪れて、自作の「梅椿図」の掛け軸を贈った(結果としてその掛け軸は龍馬の血染めの掛け軸として有名になる)勤皇派文人の板倉筑前介(淡海槐堂)とは友人である。長崎遊学時代には龍馬の支援者でもあった文人画家・書家の小曽根乾堂にも師事している。19歳の頃には北白川(今の左京区北白川)の心性寺(現在の日本バプテスト病院付近にあった。廃寺となり現存しない)で、歌人で陶芸家の太田垣蓮月尼の学僕として住み込みで学んでいる。
儒学者を志し、それなりに評価もあったようだが、聖護院村(現在の左京区聖護院)に開いた私塾は繁盛せず、絵を描いて収入を得るようになる。若い頃には複数の神社の宮司も務めた。その中には有名な社も含まれる。

文人画家の心得である「万巻の書を読み、万里の道を征く」を座右の銘とした人物であり、日本国中を旅して回った。北海道の名付け親である松浦武四郎とも親しく、北海道にも渡っている。また富士山を愛し、たびたび絵の題材とした。

勤皇家ということで、明治天皇の東京行きの際には同行しているが、母親が亡くなったため、すぐに京都に戻っている。今の京都市内で度々転居を繰り返し、頼山陽の邸宅であった鴨川沿いの山紫水明處で暮らしたこともあったが、明治14年に室町一条下ルの薬屋町に転居し、ここが終の棲家となった。屋敷内には無量寿仏堂という名のアトリエがあったようである。
教育者としても活動し、西園寺公望の私塾・立命館で教えたほか、京都市美術学校(現在の京都市立芸術大学美術学部及び京都市立美術工芸高校の前身)でも教員となっている。美術学校の教師ではあるが、教えていたのは絵ではなく修身(道徳)だったようで、鉄斎自身は自分のことを学者と見なしていたようである。

鉄斎の絵の特徴はまず余白が少ないこと。ダイナミックで迫力があり、山岳の描写なども筋骨隆々といった感じで、男性的である。絵の中心に描く対象を縦に並べたり、中心に川や道といった縦の空間を作って、その横に家屋や人物を並べるなど、センターラインを重視した構図のものが多い。また自然の描写が雄渾なのと対照的に人物は小さく可愛らしく描かれており、対比がなされている。人物画の特徴は細くて吊り上がった目の持ち主が多く描かれていることで、南画の影響かとも思われる。

刻印収集が趣味であり、淡海槐堂や松浦武四郎らの篆刻による刻印がずらりと展示されている。鉄斎自身も篆刻を行った。

書家としても評価されていたようで、力強い筆致が印象的である。

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2022年11月 3日 (木)

これまでに観た映画より(313) ドキュメンタリー映画「フェルナンド・ボテロ 豊満な人生」

2022年10月28日 京都シネマにて

京都シネマで、ドキュメンタリー映画「フェルナンド・ボテロ 豊満な人生」を観る。現在、京都市京セラ美術館で開催されている「ボテロ展」に合わせて公開されているものである。2018年の制作で、監督はドン・ミラー。バンクーバーを拠点とするカナダ人スタッフを中心に制作されている。フェルナンド・ボテロ本人を始め、ボテロの実子や孫などが出演し、コメントをしたりインタビューに応えたりしている。キュレーターや評論家といった絵画・美術の専門家も多数登場する。

3人兄弟の次男として生を受けたフェルナンド・ボテロ。父親は商売人であり、馬にまたがって商品を運んだりしていた。だがボテロが4歳の時に心臓発作で他界。母親は女手一つで3人の子どもを育てることになる。母親には裁縫の才があり、お針子として生計を立てていたが、収入は十分ではなく、ボテロは中学生の頃から新聞の挿絵などを描くアルバイトに励んでいた。ボテロの夢は世界一の画家になることだったが、生まれ育ったメデジンには絵画の教育を受けるのに十分な機関が存在せず、ボテロはヨーロッパに渡ることになる。

ボテロの画風の特徴であるふっくらとした「ボテリズム」は、直接的にはメキシコでマンドリンを描いている時に着想を得たものだが、若い頃、フィレンツェ滞在中に数多く触れたルネサンス期とその少し前のイタリア絵画に影響を受けていることがこのドキュメンタリーを見ていると分かる。ボテロの絵を見ているだけでは関連性に気づかなかったが、ルネッサンス期の絵画は確かにふくよかなものが多い。

ボテロはその後も成功を求めてニューヨークやパリなどに移り住み、絵画を制作。決して順風満帆という訳ではなく、作品を酷評されることも多かった。だがニューヨークで活動をしていたある日、隣に住んでいた画家のところにMoMAことニューヨーク近代美術館のキュレーターが来ており、その画家が、「隣にも画家がいるからついでに見て行きなよ」と言ったため、キュレーターがボテロのアトリエに来たのが成功へと繋がる。MoMAで行われたボテロの個展は大成功を収める。実の子ども達と語り合うシーンで、「私がその時留守だったら運命は変わっていた」とボテロは述べている。

この映画にはこの手のドキュメンタリーとしては珍しく、ボテロの作風を「マンガ的」などと否定的に捉える評論家のコメントなども取り上げられている。
また、「分かりやすいから成功したと思われるようだがそうではない」という専門家の意見も聞くことが出来る。

子ども達や孫達はボテロの成功を夢見ての努力を賞賛しているが、ボテロ本人のコメントは面白いことにそれとは異なっており、「成功したか失敗したかは問題じゃない」として、「とにかく描くことが人生」だとボテロは心の底から思っているようである。描くことで学ぶことが出来、日々発見がある。存命中の画家としては世界で最も有名という評価もあるが、老境に入った今は若い頃と違って名声をいたずらに求めるのではなく、絵と芸術に向かい合うことが何より幸せな時間であると実感していることが伝わってくる。

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2022年9月27日 (火)

美術回廊(79) 「とびだせ!長谷川義史展」@大丸ミュージアム〈京都〉

2022年9月17日 大丸ミュージアム〈京都〉にて

大丸京都店6階にある大丸ミュージアム〈京都〉で、「とびだせ!長谷川義史展」を観る。今日が開催初日である。

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絵本作家として人気の長谷川義史。私自身はそれほど詳しくはなかったが、上七軒文庫で行われる「井上歳二絵本ライブ」で長谷川義史の絵本が多く取り上げられるため、馴染みの存在となっていた。

長谷川義史は、1961年、大阪府藤井寺市生まれ。高校卒業後に専門学校に進み(本当は美大に行きたかったが、母子家庭であったため、費用面で無理であった)、その後にデザイン事務所などでアルバイトとして働きながら更に絵を学ぶ。その頃に週刊朝日の「山藤章二の似顔絵塾」に投稿した似顔絵も展示されている。その後、南河内万歳一座の作品ポスターを手がけて注目され、絵本を発表する。奥さんもデザイナーから絵本作家に転じた人で、長谷川の背中を押したのは奥さんだそうだ。
自身のルーツをたどる『おじいちゃんのおじいちゃんのおじいちゃんのおじいちゃん』、寛容さの大切さを説くような『いいからいいから』、反戦のメッセージを持った『ぼくがラーメンたべてるとき』、同じく『へいわってすてきだね』などの原画が並ぶ。顔が大きく、パーツが中心に寄っているなど、「こども」の要素を持つ人物が登場することで、愛らしさが強調され、大人から子どもまで親しまれるであろうタッチが特徴となっている。またストーリー展開があるというよりも、一枚ワンシーンの構図で完結した絵が連続するという感じであり、昔ながらの紙芝居を想起させるところもあって、なんともいえない懐かしさが画面から溢れている。紙芝居が子どもたちの娯楽であった戦後すぐの時代が作品の中で広がっているかのようだ。

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映像展示もあり、長谷川が絵を描く様子も見ることが出来る。長谷川は下絵は描かず、「塗るんじゃなくて描く」「やりにくいをチャンスと思おう」「正解したと思う方が絵は失敗」といったような創作哲学を説いている。

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東日本大震災後の福島での野球を題材にした絵本もある。『ぼんやきゅう』という作品で、興味を引かれる。物販コーナーもあったのだが、今日は持ち合わせが余りなかったため、買うのは諦めた。いずれどこかで購入したいと思う。

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2022年8月 3日 (水)

美術回廊(78) 京都市京セラ美術館 特別展「綺羅めく京の明治美術――世界が驚いた帝室技芸員の神業」

2022年7月26日 左京区岡崎の京都市京セラ美術館にて

左京区岡崎の京都市京セラ美術館南回廊で、特別展「綺羅めく京の明治美術――世界が驚いた帝室技芸員の神業」を観る。明治23年(1890)年に発足した制度で、皇室によって優れた美術工芸家を顕彰、保護するシステムである帝室技芸員。選ばれたのは一握りの美術家のみであり、帝室技芸員に選ばれることは大変な名誉であったようだ。昭和19年に廃止となっている。
その帝室技芸員に選ばれた京都縁の明治時代に活躍、もしくは明治時代生まれの19人の美術家の作品を取り上げた展覧会である。
取り上げられた美術家は、森寛斎、幸野楳峰、川端玉章、岸竹堂、望月玉泉、今尾景年、熊谷直彦、野口小蘋、竹内栖鳳、富岡鉄斎、山元春挙、五世伊達弥助、加納夏雄、三代清風輿平、初代宮川香山、並河靖之、二代川島甚兵衛、初代伊東陶山、初代諏訪蘇山。

日本画の本質は何かと問われると、浮世絵以来の「躍動感」になると思われる。静止してポーズを取っている西洋画に比べ、日本の絵は、「何かしている最中」を「想像力を使って描く」のが特徴である。そのため、妙な表現にはなるが、「動かない動画」「動き出す0.1秒前の永遠の静止」を描くのが日本画の神髄だと思える。絵画は静止画でしかあり得ないが、その前と後を想像させることで、静止画の中に動画が紛れ込んだかのような手法。ヨーロッパの画家達を震撼させた技法を、日本の絵師達は自然に用いていたということになる。

今回の展覧会に出品された作品もそうした躍動感や生命力、動的な印象がはち切れんばかりに表に出ている。例えば岸竹堂の「猛虎図」に描かれた虎は今にも動き出しそうで、毛の先々まで神経が行き届いている(明治時代には江戸時代と違い、日本人も動いている本物の虎の姿を実際に見ることが出来るようになったため、リアルである)。同じく岸竹堂の「月下猫児図」は、たわんだ柳の枝の上の猫が蟷螂と対峙している様を描いた作品だが、このまま柳の枝が垂れて猫も蟷螂も振り落とされそうになるのか、あるいは猫が蟷螂を捕まえるのか、はたまた蟷螂が逃げおおせるのか、様々なケースが脳裏に浮かぶ。富岡鉄斎が描いた文人画風の「阿倍仲麻呂明州望月図・円通大師呉門隠栖図」(重要文化財指定)からは人々の話し声や嬌声が聞こえてきそうな気がする。現在いわれるリアリズムとはまた違った、ビビッドな迫真性がそこには感じられるのである。

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