カテゴリー「夏」の19件の記事

2020年9月 3日 (木)

コンサートの記(650) mama!milk 「八月の組曲」@京都文化博物館別館

2020年8月29日 三条高倉の京都文化博物館別館にて

午後6時30分から京都文化博物館別館で、mama!milkの公演「八月の組曲」を聴く。出演は、mama!milkの二人(アコーディオン:生駒祐子、コントラバス:清水恒輔)と二胡の杉原圭子、マルチミュージシャンの曽我大穂(アコーディオン、フルート、パーカッションほか)。

京都文化博物館に入るには、いつも通り、サーモグラフィー映像での検温と手のアルコール消毒、紙に氏名と電話番号を書くか、京都の追跡サービス「こことろ」にチェックインを入れる必要がある。コンサート会場である別館(旧日本銀行京都支店社屋。重要文化財)に入る前にも検温と手のアルコール消毒は必要となる。

 

曲目は、「アン・オード とある歌」、「waltz,waltz 小さなワルツの招待状」、「ビロンドの」、「永遠のワルツ」、「そしてNude」、「逃避行のワルツⅠ」、「港町にて」、「土曜日のTango」、「さまよえるアンバン」、「Kujaku 孔雀」、「かのハポネのワルツ」、「青」、「3つのサンクチュアリより」、「your voice ユア・ボイス」

 

客席は前回同様、プラスチック製の椅子が3つ繋がったものがワンユニットとして並べてあり、3人掛けに見えるが、実際は真ん中の椅子にしか座ることが出来ず、ソーシャルディスタンスが保たれるようにしてある。

今回は、京都文化博物館別館の西側の端がステージとなり、東側に客席が並ぶ。前回よりもオーディエンスの数は多そうだが、数えたわけではないので実際のところは把握出来ない。

 

まずコントラバスの清水恒輔が奧の扉から現れ、演奏を始める。それに曽我大穂のアコーディオンが応える。曽我は2階のテラスで演奏を行い、空間的な広がりと遠近感が生まれている。
その後、アコーディオンの生駒祐子が客席の後方から演奏を行いながら登場し、トリオでの演奏が続く。

曽我も1階に降りての演奏が行われる。ボレロのリズムが奏でられ、曽我が3つの拍をパーカッションで刻みながら客席を歩く。

二胡の杉原圭子の出番はそれほど多くなかったのだが、西洋の楽器でいうポルタメントを行うなど独自の奏法を取り入れ、二胡特有のノスタルジックな味わいを出す。

8月の終わりに行う「八月の組曲」ということで、演奏自体もノスタルジアに満ちている。京都文化博物館別館のレトロな雰囲気、照明の妙、そして何よりも演奏によって過去へと引き戻される。子どもの頃、母親の実家である田舎で過ごした夏休みの日々の音と匂いと情景、京都文化博物館別館と同様に古き良き時代の装飾を残した明治大学駿河台校舎の自習室(1928年竣工の建物で、記念館と図書館の間に存在した。記念館と自習室は現存せず、図書館も移転して、以前図書館であった建物は研究棟になっている)で勉学や詩作に励んだ日々などが甦る。

以前にも何度か書いているが、私は3ヶ月ほどだったが二胡を習っている。「ラストエンペラー」で二胡を弾いていた姜建華に憧れていたのだが、当時通っていた水道橋の日中学院に「二胡のサークルを作る」という張り紙があったので、応募して、墨田区にある施設で日曜日にレッスンを受けていた。そんな日々のことも思い出す。

音楽はただ音楽であるだけではなく、記憶と分かちがたく結びついている。自身でもそれがなければ入れない自分だけの部屋の鍵でもあるのだ。

とても良い時間を過ごす。

最後に「秋の始まりのワルツ」が演奏され、約1時間のコンサートは夢のように過ぎ去った。


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2020年8月 8日 (土)

コンサートの記(645) 松本宗利音指揮 京都市交響楽団 みんなのコンサート2020「世界の名曲!名曲セレクション」@京都市東部文化会館

2020年8月2日 山科区椥辻の京都市東部文化会館にて

山科へ。椥辻(なぎつじ)にある京都市東部文化会館で、京都湖交響楽団 みんなのコンサート2020「世界の名作!名曲セレクション」を聴く。指揮は期待の若手、松本宗利音(しゅうりひと)。

松本宗利音は、1993年、大阪府生まれ。名前は、往年のドイツの名指揮者、カール・シューリヒトから取られたものであり、実はカール・シューリヒト夫人の命名によるものだという。
幼少期から相愛音楽教室(浄土真宗本願寺派の大学で音楽学部のある相愛大学附属の音楽教室)、センチュリー・ユースオーケストラなどで特にヴァイオリンに打ち込む。
高校は京都市堀川音楽高校に進学。その後、東京藝術大学音楽学部指揮科に入学し、最優秀で卒業。最優秀の証であるアカンサス賞を受賞している。藝大在学中には、ダグラス・ボストックやパーヴォ・ヤルヴィといった世界的名指揮者のマスタークラスも受講している。
東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団の指揮研究員を経て、2019年に札幌交響楽団の指揮者に就任。藝大の同期である太田弦らと共に、日本人の20代男性指揮者を代表する存在である。

 

曲目は、モーツァルトの歌劇「ドン・ジョヴァンニ」序曲、J・S・バッハの管弦楽組曲第3番から「アリア」(「G線上のアリア」)、ベートーヴェンの交響曲第5番から第1楽章、メンデルスゾーンの劇付随音楽「真夏の夜の夢」から“夜想曲”、ヘンデル(サー・チャールズ・マッケラス編曲)の「王宮の花火の音楽」

上演時間1時間弱、聴衆の数を絞り、客席は左右の席2つ分を空けてソーシャル・ディスタンスを保つ。舞台上もソーシャル・ディスタンスを守るが、東部文化会館などの京都市内の多目的ホールはステージが狭いため、今日は第1ヴァイオリン4、第2ヴァイオリン3、ヴィオラ、チェロ、コントラバスが各2という室内オーケストラ編成での演奏となる。
管楽器奏者の前には透明のアクリル板が立てかけてあり、飛沫が弦楽器奏者の方に飛ばないよう工夫されている。
入場前に手のアルコール消毒と検温があり、チケットは自分でもぎって半券を箱に入れる、無料プログラムも自分で取るというコロナ対策が施されていた。

今日は指揮者の松本宗利音も京響の楽団員も全員京響の黒いポロシャツを着ての演奏である。コンサートマスターは泉原隆志。弦楽器はワントップの編成で、最前列は距離を置いた弦楽四重奏編成である。曲目はバロックから初期ロマン派までと比較的古めの曲が並ぶため、ティンパニはバロックタイプのものが用いられていた(打楽器首席指揮者・中山航介)。

 

モーツァルトの歌劇「ドン・ジョヴァンニ」序曲。松本は若々しさを表に出した爽快な演奏を行うが、室内オーケストラ編成で響かない多目的ホール、しかもコロナ対策で隙間を空けざるを得ない布陣ということで音に密度が欠けてしまう。松本が若いということもあって陰影も十分とはいえないが、指揮者の世界には「40、50は洟垂れ小僧」という言葉があり、20代で優れた演奏を行える指揮者は極々まれである。近年、20代で頭角を現した指揮者は、ダニエル・ハーディング、ミッコ・フランク、グスターボ・ドゥダメルぐらいだと思われる。ちなみに山田和樹がオンライン講座で話していたが、ダニエル・ハーディングは現在、パイロットの免許を取るために奮闘しているそうである。
松本は、木製と思われる指揮棒を使用していたが、背景に溶けて指揮棒ははっきりとは見えない。

その後、松本がマイクを手にトークを行うのであるが、「きょうと……、京都こうきょう……、京都市交響楽団の」と何度も噛むなどまだ慣れていない様子である。「高校時代は京都で学んでいましたので、東京のオーケストラを振る時とはまた違った緊張感があります」
松本は、「ドン・ジョバンニ」序曲の半音進行の魅力についても語った。

 

バッハの管弦楽組曲第3番から「アリア」。弦楽のみの合奏である。松本は弦楽のみの楽曲を指揮する時はノンタクトで振る。
演奏前に、「G線上のアリア」というヴァイオリン独奏編曲について述べ、コンサートマスターの泉原に実際にG線を弾いて貰う。
しっとりとした明るさのある演奏で、松本の基本的に陽性な音楽性がよく生きていた。
ただまだどちらかというと京響の色彩の濃い演奏ではある。

 

ベートーヴェンの交響曲第5番。誰もが知っている曲であり、ありふれすぎていて、松本も「ああ今日は『運命』が聴きたいと思う日はない」そうであるが、聴くたびに発見のある曲だとも述べ、家に帰ったら4楽章通して聴くことを聴衆に勧める。またボイジャーに「運命」の音盤が搭載されているという話もしていた。

松本は指揮棒を振り下ろして止め、もう一度上げようとするところで運命主題が奏でられるという振り方を採用。一拍目が休符であるため、合わせるのが難しい冒頭であるが、そのため振り方は指揮者によって各人各様であり、音が4つしかないために指揮者の個性が最もはっきりと出る部分である。
編成が小さいため、押しが弱いが、スマートな第5が展開される。流石にハーディングでもドゥダメルでも20代の内にベートーヴェンの交響曲で誰もが認めるような超名演を成し遂げたことはなく、若手の名演を期待する方が無理な曲でもある。

 

松本の良さが最も良く発揮されたのは、メンデルスゾーンの「真夏の夜の夢」から“夜想曲”とヘンデル(サー・チャールズ・マッケラス編曲)の「王宮の花火の音楽」序曲という。最後の2つの曲である。

“夜想曲”では雰囲気作りが抜群であり、富豪の息子として生まれたメンデルスゾーンの上品さがよく出ている。ホルン首席の垣本昌芳のソロが実に上手い。

ちなみに松本はシェイクスピアの「真夏の夜の夢」を読んだことはあるのだが、「複雑すぎて内容を説明出来ません」ということで読むことも勧めないそうだ。

「真夏の夜の夢」は、大阪芸術大学舞台芸術学科の卒業公演をシアター・ドラマシティで観たことがあるのだが、役が付かなかった人が全員がいたずら好きの妖精であるパックを演じるという、芸術系大学ならではというかなんというか、風変わりな上演であった。

 

ヘンデル作曲、サー・チャールズ・マッケラス編曲の「王宮の花火の音楽」序曲。
「王宮の花火の音楽」は、「水上の音楽」と並ぶヘンデルの機会音楽の代表作。野外での演奏用に書かれているため、編成がかなり大きいが、オーストラリア出身で欧州楽壇の重鎮でもあったサー・チャールズ・マッケラスがコンサート用に編曲した版での演奏である。
日本屈指の輝きを誇る京都市交響楽団のブラス陣が実力を遺憾なく発揮。中山航介によるティンパニの強打も効果的で、典雅且つ豪勢な演奏となった。

 

アンコール演奏は、チャイコフスキーの弦楽セレナードより「ワルツ」。瑞々しい演奏である。ロシア出身のチャイコフスキーだから北国である札幌のオーケストラで活躍する指揮者の演奏が似合うということはないと思うが、「ワルツ」に関しては北海道の情景が浮かぶような音楽であることは確かである。北海道大学のポプラ並木などは、この曲にとても合うはずである。

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2020年8月 6日 (木)

美術回廊(55) 京都国立近代美術館所蔵作品にみる「京(みやこ)のくらし――二十四節気を愉しむ」

2020年7月31日 左京区岡崎の京都国立近代美術館にて

左京区岡崎にある京都国立近代美術館で、京都国立近代美術館所蔵作品にみる「京(みやこ)のくらし――二十四節気を愉しむ」を観る。

新型コロナウィルスにより、多くの行事が流れてしまった京都。その京都の四季の彩りを再確認するために京都国立近代美術館所蔵品を中心として開催されている展覧会である。

階段を上ると「晩夏」から、エレベーターを使うと「初夏」の展示から観ることになる展覧会。階段を使って「晩夏」より入る。

四季を更に細分化した二十四の季節を持つ日本。古代中国由来なので、必ずしも今の暦と符合するわけではないが、恵みと脅威を合わせ持つ自然に対する細やかな意識が察せられる区分である。

 

階段を上がったところに、北沢映月の「祇園会」という屏風絵が拡げられている。1991年に京都国立近代美術館が購入した絵だ。「小暑」の区分である。
京舞を行っている母親をよそ目に、祇園祭の鉾の模型で二人の女の子が遊んでいる。一人は鉾を手に転がそうとしているところで、もう一人はそれを受け止めるためか、片手を挙げている。動的な絵である。

不動立山の「夕立」は、おそらく東本願寺の御影堂門と烏丸通を描いたと思われる作品である。昭和5年の作品なので、京都駅は今のような巨大ビルではないし、京都タワーもなかったが、それを予見するかのような高所からの俯瞰の構図となっている。これは不動茂弥氏からの寄贈である。

「大暑」では、丸岡比呂史の「金魚」という絵が出迎える。昨日観た深堀隆介の金魚とは当然ながら趣が異なり、愛らしさが前面に出ている。

同じタイトルの作品が並んでいるのも特徴で、「処暑」では、福田平八郎の軸絵「清晨」(どういう経緯なのかはよく分からないが、旧ソヴィエト連邦からの寄贈)と深見陶治の陶器「清晨」が並んでいる。趣は大分異なるが、各々が感じた朝の気分である。

具体美術協会を起こしたことで知られる吉原治良(よしはら・じろう)の作品もある。「朝顔等」という絵だが、朝顔の周りに海産物が並べられており、海は描かれていないが海辺であることが示唆されている。夫人による寄贈。

 

「立秋」にはこの展覧会のポスターにも使われている、安井曾太郎の「桃」が展示されている。邪気を払う特別な果物だ。

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「中秋」では、京都画壇を代表する女性画家である上村松園の「虹を見る」(文化庁からの管理換)という屏風絵が素敵である。虹は右上に小さく描かれ、それを若い女性と母親と赤ん坊が見上げるという作品であるが、虹がまだ何かもわからない年齢なのに惹かれている赤ん坊が特に印象的である。

「秋分」では、小川千甕(おがわ・せんよう)の「田人」という作品が「その先」の想像をくすぐる出来である。2001年度購入作。

俳優の近藤正臣の親族としても有名な陶芸家の近藤悠三の作品もある。堂々とした作風である。

 

坂本繁二郎の「林檎と馬齢著」(立冬)。全く関係ないが、最近観た見取り図の漫才ネタを思い出す。

 

秋野不矩の「残雪」(「初春」。1985年に作者が寄贈)。これも関係ないが中国を代表する前衛小説家の残雪の作品を最近は読んでいない。急に読んでみたくなったりする。

「仲春」には花と蝶を題材にした絵画が並ぶ。久保田米僊(くぼた・べいせん)の「水中落花蝶図」、枯れて水面に落ちた花弁と、その上を舞う蝶が描かれており、動物と静物、しかも盛りを過ぎた静物との対比が描かれている。2005年度購入作。

 

「春分」には今も花見の名所として名高い円山公園を描いた作品がいくつか登場する。

「晩春」では、藤田嗣治や長谷川潔が手掛けた「アネモネ」という花の絵が美を競っている。アネモネは色によって花言葉が違うようだが、調べてみると紫のアネモネの花言葉は「あなたを信じて待つ」であり、赤のアネモネの花言葉は「辛抱」であった。

 

「立夏」には葵祭を題材にした伊藤仁三郎の絵が2点(2002年寄贈作品)並び、苺の収穫を描いた小倉遊亀(寄託作品)の作品もある。

「夏至」には千種掃雲の「下鴨神社夏越神事」(2005年度寄贈)、更に美術の教科書によく作品が登場する安田靫彦の「菖蒲」(2000年度購入)などがある。

 

そして階段から入った場合、最後の展示となるのが川端龍子(かわばた・りゅうし)の「佳人好在」(1986年度購入)。佳人(美人)の部屋を描いた作品だが、佳人は登場せず、並んだ小物などから佳人の人となりを想像させる絵となっている。これが今日一番気に入った絵となった。これぞまさに「不在の美」である。

 

京の行事はこの一年、ほぼ全て幻となってしまったが、展示された美術作品の数々の中に、悲しみと同時に希望を見出すことになった。
「京都は京都」幾多の災難を乗り越えた街であり、いつかまたこれらの作品に描かれているような愉しみが復活するのは間違いないのだから。

 

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2020年8月 1日 (土)

サザンオールスターズ 「夏をあきらめて」

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2020年7月17日 (金)

美術回廊(53) 京都文化博物館 特別展「祇園祭 京都の夏を彩る祭礼」

2020年7月17日 三条高倉の京都文化博物館にて

三条高倉の京都文化博物館で、特別展「祇園祭 京都の夏を彩る祭礼」を観る。

新型コロナウイルスの影響で、山鉾巡航など大がかりなものは中止となってしまった今年の祇園祭。密にならない小規模なものは行われているが、それも毎日ではない。祇園囃子も録音されたものが四条通に流れているのは例年通りだが、生音を聴くことはない。
「動く美術館」といわれる山鉾巡航であるが、今年は 動くどころか建てることすら不可である。
そんな「動く美術館」をずっと静止した形で展示しているのが今回の展覧会である。

 

入場者を確認出来るようにするため、入る前に氏名等の記入が必要となる。

 

山鉾の前懸(その名の通り前に懸ける布)や胴懸の展示がまずある。「日本の祭り」というイメージの強い祇園祭であるが、実際は西洋画なども用いられている。ギリシャの「イーリアス」などの絵で、江戸時代ものである。京都人はよく「進取の気質に富む」といわれるが、こうしたところにそれが窺える。保守的であったら自分達の祭りに西洋の絵を用いようとは思わないだろう。

勿論、舶来のものだけでなく、和の要素も重要視される。安芸・宮島の前懸(占出山)などがそうである。

 

京都の円山派・四条派などの礎を築いた円山応挙(1733-1795。家は四条通に面しており、今は石碑が建つ)が書いた絵を基に編み上げた刺繍の展示がある。保昌山のものである。
とにかく徹底した描写力を追求した円山応挙だが、刺繍の基になっている絵は江戸の絵師達の影響を受け、エネルギー放射量を重要視するようになってからの作品である。
刺繍になると描写力の精緻さは当然ながら後退するのだが(絵筆を使ったタッチの再現は出来ない)そこに登場する虎などの動物は立体感と毛皮のように見える視覚を伴い、よりリアルなものへと変わっている。刺繍にした方が生きる絵を選んだということでもあるだろう。見事な発想である。

 

祇園祭がどのように行われてきたのかという記録も展示されている。名所図会などに描かれた山鉾、そして町衆によって書かれた「入日記」と呼ばれる記録用の冊子を見ることが出来る。

 

山鉾を彩る彫像などの展示もあるが、極めて繊細にして精緻な仕上がりであり、こうしたものを作り上げる技巧の高さは想像の外にある。中学校の美術の時間に取り組んだ木彫りが酷いものにしかならなかった私の技量では、まずどこからどう取りかかればこうなるのかすら掴むことが出来ない。空間認知能力に秀でていることも重要だろうし、手先の器用さも必要なのはわかる。技巧面でわかるのはそこまでである。
ただ、日本が誇る宮大工の技術や、仏教美術の蓄積がこれらの製作に大いに貢献しているということは想像に難くない。天明年間に製作された八幡宮の祠の展示もあるが、ここに展示されているのとほぼ同じ技術によるものが、京都の神社や寺院で見ることが出来る。祇園祭は八坂神社の祭礼であり、八坂神社は明治に入るまでは、祇園社や祇園感神院と呼ばれた神仏習合社であり、神道と仏教の両方の美術が社や氏子達に受け継がれてきたことになる。いわば、美の発信拠点でもあったわけだ。
それを象徴するような欄干様の細工がある。八坂神社の神紋は「五瓜に唐花」と神道共通の「左三つ巴」であるが、その真ん中に仏教の法輪が入ったものである。

ちなみに八坂神社の神紋が五瓜という瓜系の紋なのは、祭神である牛頭天王が瓜を好んだという話に由来すると思われる。左京区にある瓜生山は、牛頭天王に捧げる瓜を栽培したことにちなむ地名である。牛頭天王が初めて京に降り立った場所は北白川東光寺とされているが、この北白川東光寺がどこにあったのかは現在では不明である。ただ北白川という地名はいにしえとは範囲が異なると思われるが残っており、北白川東光寺の跡地に建つと主張している岡崎神社(東天王)は北白川に比較的近い場所にあり、同じく北白川東光寺の有力後継社である八大神社(北天王)は瓜生山の麓にある。

 

明治時代以降の山鉾についての展示が最後にある。幸野楳嶺や今尾景年、竹内栖鳳ら絵師というよりも画家と呼ばれる時代の人々による伝統美を追求した作品が展示されている。

 

一番最後に展示されているのは、鈴木松年(すずき・しょうねん)の筆による「宇治川合戦屏風」。浄妙山の人形の姿の元となった合戦の場面を屏風にしたものでダイナミックな構図が印象的であり、勝ち運の山である浄妙山への祈念が込められているようにも見えた。

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2019年8月16日 (金)

観劇感想精選(312) “あきらめない、夏”2019 大阪女優の会 Vol.17 朗読劇「あの日のこと」

2019年8月10日 大阪・大手前のドーンセンター1Fパフォーマンススペースにて観劇

午後5時から、大阪・大手前のドーンセンター1Fパフォーマンススペースで、“あきらめない、夏”2019 大阪女優の会 Vol.17 朗読劇「あの日のこと」(『朝、目覚めると、戦争が始まっていました』『空が、赤く、焼けて 原爆で死にゆく子たちとの8日間』より)を観る。構成・演出:棚瀬美幸。出演:秋津ねを(ねをぱぁく)、河東けい(関西芸術座)、金子順子(コズミックシアター)、木下菜穂子、佐藤榮子(劇団息吹)、嶋まゆみ、条あけみ(あみゅーず・とらいあんぐる)、田中敏子(劇団MAKE UP JELL)、鼓美佳(劇団MAKE UP JELL)、長澤邦恵(tsujitsumaぷろでゅ~す)、服部桃子、原口志保(演劇ユニット月の虹)、桝井美香、南澤あつ子(劇団EN)、山本つづみ。“あきらめない、夏”公演の創設者の一人である河東けいは今回の公演をもって勇退するという。


1941年12月8日午前7時のラジオニュースで流れた米英との開戦報告に続いて、開戦を知った当時の著名人による記述や回想(『朝、目覚めると戦争が始まっていました』収録)が述べられる。顔写真と当時の年齢、役職も背後のスクリーンに投映される演出。登場するのは、吉本隆明、鶴見俊輔(ハーバード大学在学中であるため、日付が12月7日となっている)、ピストン堀口、新美南吉、岡本太郎、野口冨士男、中島敦、火野葦平、河東けい、坂口安吾、伊藤整、神山茂夫、阿部六郎、古川ロッパ、中野重治、神林暁、井伏鱒二、横光利一、金子光晴、獅子文六、青野季吉、室生犀星、折口信夫、秋田雨雀、高村光太郎、正宗白鳥、永井荷風、真崎甚三郎、幸田露伴。現在、93歳である河東けいも、開戦時はまだ16歳。何が起こったのかよく把握出来ていなかったが、二人の兄が欣喜雀躍していたのを覚えているそうである。
奥田貞子の広島原爆体験記『空が、赤く、焼けて』、1942年に発表された太宰治の短編小説「十二月八日」(これも『朝、目覚めると戦争が始まっていました』収蔵だそうである)、『朝、目覚めると戦争が始まっていました』に収められた著名人の記述によって編まれたテキストが、女優達によって読み上げられていく。


日米開戦の報はどう受け止められたのか。実は多くの著名人は興奮や感動をもって受け止めている。当時の日本はABCD包囲陣などによって経済封鎖を受けており、極めて苦しい状態にあった。開戦によってこれから開放されるという希望があったのかも知れない。あるいは、日米開戦に壮大なロマンを描いていた人もいる。火野葦平は、「新たな神話の始まり」と評しており、ある意味では日本が世界の主人公となる壮大な物語の誕生が多くの人に渇望されていたのかも知れない。すでに日露戦争で「有色人種が白人に勝つ」というロマンを体現していた日本にとって、更なる神話の出発として歓迎されていたのだ。もちろん、開戦を歓迎する人ばかりではなく、金子光晴は開戦の報を聞いて「馬鹿野郎!」と口走り、老境に達していた幸田露伴は若者達のことを思って涙を流したそうだ。欧米をよく知る永井荷風は、開戦に浮かれて素人が駅で演説を始めたことに呆れている。

しかし、その始まりに比して、悲惨な結末の落差は余りにも大きい。男達が広げに広げた大風呂敷は、もはや畳むに畳めない状態となり、空回しした大きな物語の傍らで多くの子供達の死という小さな物語を記し続けることになる。虚妄が生む悲劇はこうして起こり、繰り返されるのである。

太宰治の「十二月八日」は、ごくごく短い作品であるが、後に書かれる『斜陽』と同じ趣向を辿っており、淡々とした日常風景の中に利いた風なことをいう無知な男の姿が冷笑的に語られている。帰りの電車の中で青空文庫で読んでみたが、朗読に採用されなかった部分では、シリアスな状況がそうとは悟られないように明るくユーモラスに描かれており、流石は太宰と感じ入る出来である。
ちなみに、「十二月八日」は本当にその日に書かれた私小説やリアリズム文学ではなく、その証拠に開戦の日だというのに主人公の女性はすでに空襲のことを心配している。未来への不安を感じられるタイプであり、夫の楽天的で無責任な態度との対比が鮮やかである。

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2018年8月 2日 (木)

都はるみ歌唱 「親子三代千葉おどり」(みんなで踊ろう編)


この曲のおかげで、千葉市の子供達は「千葉の名物は祭りと踊り」だと思い込んでいます。

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2018年5月11日 (金)

観劇感想精選(244) ミュージカル「リトル・ナイト・ミュージック」2018大阪

2018年5月4日 梅田芸術劇場メインホールにて観劇

午後7時から、梅田芸術劇場メインホールで、ミュージカル「リトル・ナイト・ミュージック」を観る。「ウエストサイド・ストーリー」や「スウィーニー・トッド」などの名作ミュージカルを手掛けたスティーヴン・ソンドハイムの最高傑作とされる作品の日本初上演である。作曲・作詞:スティーヴン・ソンドハイム、脚本:ヒュー・ホィーラー、翻訳・作詞:高橋知伽江、演出:マリア・フリードマン、振付:ティム・ジャクソン。音楽監督・指揮:小林恵子。出演:大竹しのぶ、風間杜夫、安蘭ケイ、栗原英雄、蓮佛美沙子、ウエンツ瑛士、木野花、安崎求、トミタ栞、瀬戸たかの(瀬戸カトリーヌ改め)。リーベリーダー(アンサンブルキャスト):彩橋みゆ、飯野めぐみ、家塚敦子、中山昇、ひのあらた。

19世紀のスウェーデンが舞台。本作はスウェーデン映画の巨匠であるイングマール・ベルイマン監督の映画「夏の夜は三度微笑む」に着想を得た作品で、1973年に初演。トニー賞7部門、グラミー賞2部門を獲得している。これほど評価の高いミュージカルがなぜ日本で上演されなかったかはナンバーを聴けばすぐにわかる。完成度は恐ろしく高いが難度もそれ以上に高い。ミュージカル初挑戦となる風間杜夫の最初のナンバーは、なんとレチタティーヴォ調。ただでさえ難しいのにレチタティーヴォに不向きな日本語で歌うのはほぼ不可能。ということで、風間杜夫は音程もリズムも外しまくっていた。元々歌はそれほど得意ではないのだと思われるが、初挑戦のミュージカルが本作というのは酷である。

朗読や朗読劇への出演はあるものの、本格的なミュージカルに挑戦するのは初となるのが、風間杜夫演じる弁護士のフレデリック・エイガマンの幼妻・アン役の蓮佛美沙子。蓮佛美沙子は現在27歳だが、アンは18歳ということで10歳ほど下の女性を演じることになる。「若さ」と「幼さ」の表現に長け、かなり高めの音が要求される歌もこなしていた。ただ、魅力が十分に出ていたかというとそうでもないように思う。

リーベリーダーという役割を与えられている5人は、いずれも歌唱力が高い。年中ミュージカルで出ているような気がする飯野めぐみを始め、歌第一で取られた人達なのだから当然ともいえるが、歌に関しては有名キャストを上回っていたようにも思える。
ストーリーはリーベリーダーがワルツのリズムに乗って登場するところから始まるのだが、このミュージカルはとにかく3拍子系の楽曲が多い。全体のおそらく9割前後が3拍子系の楽曲で占められている。舞踏のリズムである3拍子系が多用されていることには勿論、意味がある。作品自体がエンドレスワルツ的狂騒を描いたお話なのである。

ストーリーであるが、第一幕を観ている時はとにかく退屈に感じられる。第一の理由は私の年齢にある。この手の話を気楽に観られるほど若くはないが、切実に感じるほどには年を取っていない。
第1幕を見終えて、本気で「もう帰ろうか」と思ったが、今後が面白くなりそうな予感もあり、第2幕の予定上演時間は約55分と短めであったため続けて観ていくことにする。

第2幕では、フレデリックの息子のヘンリック(ヘンリック・イプセンにちなんだ名前であることが暗示される場面がある。演じるのはウエンツ瑛士)、アン、カールマグナス伯爵(栗原英雄)と妻のシャーロット(安蘭けい)、舞台女優のデジレ(大竹しのぶ)などが入り乱れた恋の話になる。盲目状態の愛が繰り広げられ、人間という存在が根本に持つ愚かしさとそれゆえの愛おしさが照射されていく。

悲惨な状況であるにも関わらず滑稽という場面が第2幕には登場する。ヘンリックが縊死しようとする場面や、フレデリックの「不思議だ。庭のベンチに腰掛けて休んでいたら、人生が終わってしまった」というセリフは、悲劇性を伴っているはずだが妙に可笑しく、客席が笑いで沸く。フレデリックのこのセリフをこれほどリアルに語れる俳優は風間杜夫をおいて他にいないはずで、歌唱力の不足を補って余りある配役といえるだろう。

この感想は時間の関係で当日には書かず、翌日、翌々日に書いたものなのだが、時間が経てば経つほどこの作品に対する愛着は強くなっている。そういう作品はこれまでに何度か観たことがある。
すぐにわかることなど、その程度のものでしかないということなのかも知れない。

終演後にアフタートークがあり、ウエンツ瑛士と安蘭けいが参加する。司会を置かず、ウエンツがリードする形で二人が自由に喋るというスタイルである。ウエンツは「みんな僕を馬鹿にする」としてふさぎの虫に取り憑かれているヘンリックを、安蘭けいは頭が空っぽの夫にうんざりしているシャーロットをそれぞれ好演していた。ともにミュージカル経験が豊富だけに、この難しい作品と役を手の内に入れていた印象を受ける。
途中、カールマグナス伯爵役の栗原英雄とアン役の蓮佛美沙子が舞台を上手から下手へと横切っていった。

今回は、演出がマリア・フリードマン、振付がティム・ジャクソンということで稽古は全て英語による指示で行われたのだが、ウエンツ瑛士と瀬戸たかの(安蘭けいはまだ「カトリーヌちゃん」と呼んでいるようだ)というハーフが二人おり、いかにも英語が出来そうな雰囲気を持つもの、実は二人とも英語でのコミュニケーションは一切出来ないということで苦労があったようである。ウエンツは、義母でありながら恋心を寄せているアン役の蓮佛美沙子と二人一組になることが多かったのだが、蓮佛美沙子は英語が得意で、マリアの指示を大体理解することが出来るため、横にいるウエンツにも「通訳が言わなくてもわかるよね」と暗に示されることが多く、ウエンツもさも分かったような振りをせざる得ず、稽古が終わった後でマリアに「あれ、なんて言ってたの?」と聞きに行く羽目になったそうだ。
安蘭けいによると、マリア・フリードマンは「リトル・ナイト・ミュージック」に女優として出演した経験があり、マリアが演じたことのあるシャーロットとペトラ(今回は瀬戸たかのが演じた)には思い入れが強いようで、指示も細かかったそうである。

なお、デジレの娘、フレデリカ(演じるのはトミタ栞)の名はフレデリックの女性形なのだが、フレデリカがフレデリックとデジレの間に出来た娘なのかどうかについては答えが書かれていないという。フレデリカの父親がフレデリックなのかどうか、ウエンツが客席に拍手の大きさでアンケートを取る。今日のお客さんは、フレデリックとフレデリカは親子だと考えている人が比較的多いようだった。



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2011年8月16日 (火)

大文字送り火

大文字送り火

京都の夏も終わりです。

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2008年7月31日 (木)

蝉、掻き立てる夏

蝉沸かす熱たぎりゆく京の朝

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