カテゴリー「京都」の122件の記事

2021年4月 9日 (金)

スタジアムにて(33) J1 京都サンガF.C.対FC東京@京都市西京極総合運動公園陸上競技場兼球技場 2008.7.21

2008年7月21日 京都市西京極総合運動公園陸上競技場兼球技場にて

西京極へ。J1京都サンガF.C.対FC東京のゲームを観戦する。

前節では強豪・鹿島アントラーズを2-1で下したサンガ。今日も勝って波に乗りたいところ。現在のJ1の順位は、FC東京が10位、サンガが11位ということで好試合が期待される。

14062人が詰めかけた西京極スタジアム。今日の試合の主催である日本写真印刷(NISSHA)の社員や関係者と思われる人も多くいたが(NISSHAマークの入った、オリジナルのサンガTシャツを着ていたのでわかった)それでも観客が多いことでゲームの雰囲気も良くなる。試合途中からは涼しい風も吹き始め、観戦のコンディションはなかなか良い。

前半は、一貫してサンガペース。シュートもたびたび放たれるが、いずれもキーパーの真っ正面をついたもので得点には至らず。

FC東京の方も、決定的チャンスをつくるが、シュートは枠に飛ばない。前半は0-0。


後半6分、サンガはコーナーキックを得る。キッカーのフェルナンジーニョが蹴る直前に、ゴール真っ正面にいた柳沢敦が猛然とフェルナンジーニョ目掛けて走り始める。ショートコーナーか? しかし柳沢は囮であった。FC東京のディフェンダーが柳沢の動きに釣られて、ゴール正面が手薄になったところに、ボールが蹴りこまれ、ガンバからサンガに移籍したばかりの水本の頭にドンピシャリ。ボールはFC東京ゴールの真ん真ん中に飛び込み、サンガが先制。鮮やかなゴールであった。

1点をリードされたFC東京がサンガ陣地で攻撃を続けることが多くなる。現在のFC東京で最も有名な選手はフォワードの平山相太だと思われるが、今日の平山は動きが鈍く、恐さが感じられない。FC東京のディフェンダー長友が仕掛けるオーバーラップが効いているが、サンガディフェンダーも良くこれを止める。

ロスタイムに入り、FC東京がサンガ陣内でフリーキックを得る。このフリーキックをしのげばサンガの勝利。

だがこのフリーキックによるクロスを、後半途中から入った赤峰がサンガゴールに押し込む。FC東京イレブンとベンチ、FC東京サポーター達の歓喜の声。一方で、西京極スタジアム内の大半を占めるサンガ側は皆、唖然呆然。

その10秒後にタイムアップの笛が鳴る。1-1の引き分け。勝ち点1も取った。が、あたかもサンガが負けたかのようなムードがスタジアムを支配する。

今日勝たなければチームが危ういという試合ではなかったから、「ドーハの悲劇」のような悲壮感こそ漂わなかったが、九分九厘勝ったと思った試合をドローに持ち込まれるというのは一番がっくり来るパターンであることが改めてわかった。

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2021年4月 8日 (木)

コンサートの記(706) 「コバケン・ワールド in KYOTO」@ロームシアター京都メインホール 2021.4.4

2021年4月4日 左京区岡崎のロームシアター京都メインホールにて

午後2時から、左京区岡崎のロームシアター京都メインホールで、「コバケン・ワールド in KYOTO」を聴く。指揮とお話を小林研一郎が受け持つコンサート。
本来は、今年の1月23日に行われるはずの公演だったのだが、東京も京都も緊急事態宣言下ということもあり、今日に順延となった。

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現在は桂冠名誉指揮者の称号を得ている小林研一郎と日本フィルハーモニー交響楽団のコンビによる演奏である。
「炎のコバケン」の名でも知られる小林研一郎は、京都市交響楽団の常任指揮者を務めていたことがあり、日フィルこと日本フィルハーモニー交響楽団もロームシアター京都が出来てからは毎年のように京都での公演を行っているが、親子コンサートなどが中心であり(来月5日の子どもの日にも、ロームシアター京都のサウスホールで、海老原光の指揮により「小学生からのクラシック・コンサート」を行う予定)、本格的な演奏会を行うのは今回が初めてとなる。コバケンと日フィルの顔合わせで京都公演を行うのは今回が初めてとなるようだ。

 

小林研一郎は、1940年生まれで、昨年卒寿を迎えた。福島県いわき市出身。東京藝術大学作曲科卒業後に同大指揮科を再受験。芸大は編入などを一切認めていないため、受験勉強をやり直して合格し、1年生から再スタートしている。その頃は指揮者コンクールの多くに25歳までと年齢制限があり、芸大指揮科卒業時には20代後半となっていた小林は年齢で引っかかったが、年齢制限が緩かったブダペスト国際指揮者コンクールに応募して第1位を獲得。その縁でハンガリーでの活動が増え、同国最高のポストであるハンガリー国立交響楽団(現・ハンガリー国立フィルハーモニー管弦楽団)の音楽監督としても活躍。チェコ・フィルハーモニー管弦楽団の首席客演指揮者時代には、「プラハの春」音楽祭のオープニングである、スメタナの連作交響詩「我が祖国」の指揮も務めている。
日本では日本フィルハーモニー交響楽団と長年に渡ってパートナーを組み、首席指揮者、常任指揮者、音楽監督と肩書きを変え、2010年に名誉指揮者の称号を与えられている。1985年より京都市交響楽団常任指揮者を2年だけ務めた。最近はインスタグラムにはまっているようで、更新回数も多い。

日本フィルハーモニー交響楽団は、元々はフジサンケイグループの文化放送が創設したオーケストラであり、ドイツ本流の楽団を目指すNHK交響楽団に対抗する形でアメリカのオーケストラを範とするスタイルを採用。渡邉暁雄や小澤征爾をシェフとして、一時はN響と共に日本を代表する二大オーケストラと見なされていた時期もあったが、1972年にフジテレビと文化放送から一方的な資金打ち切りと解散を命じられる。この時、小澤征爾が日本芸術院賞受賞の際に昭和天皇に直訴を行い、右翼から睨まれるなど社会問題に発展している。結局、小澤とそれに従った楽団員が新日本フィルハーモニー交響楽団を創設し、残った日本フィルハーモニー交響楽団は「市民のためのオーケストラ」を標榜して、自主運営という形で再スタートを切った。
渡邉暁雄とは、世界初のステレオ録音による「シベリウス交響曲全集」と世界初のデジタル録音での「同全集」を作成するという快挙を成し遂げており、現在も首席指揮者にフィランド出身のピエタリ・インキネン(インキネンともシベリウス交響曲チクルスを行い、ライブ録音による全集がリリースされた)、客員首席指揮者にエストニア出身のネーメ・ヤルヴィ(ネーメともシベリウス交響曲チクルスを行っている)を頂くなど、シベリウスと北欧音楽の演奏に強さを発揮する。

そんな日フィルの京都における初の本格的な演奏会ということで、曲目には、グリーグの「ホルベルク組曲(ホルベアの時代から)」より第1曲“前奏曲”、グリーグのピアノ協奏曲イ短調(ピアノ独奏:田部京子)、グリーグの劇音楽「ペール・ギュント」より“朝”“オーゼの死”“アニトラの踊り”“山の魔王の宮殿にて”“ソルヴェイグの歌”、シベリウスの交響詩「フィンランディア」と北欧を代表する曲がずらりと並ぶ。初回ということで自分達の最も得意とする分野での勝負である。

今日のコンサートマスターは木野雅之(日本フィル・ソロ・コンサートマスター)、首席チェロが「ペール・ギュント」では活躍するということで、日本フィル・ソロ・チェロの菊池知也の名が無料パンフレットには記されている。

日本フィルは自主運営ということもあり、東京のオーケストラの中でも経済的基盤は弱い。今回のコロナ禍によって苦境に立っており、寄付を募っている。

 

グリーグの「ホルベルク組曲」より第1曲“前奏曲”は、指揮者なしでの演奏。弦楽合奏で演奏されることも多い曲だけに、整った仕上がりとなった。

その後、小林研一郎が登場。今日はマスクをしたままの指揮とトークである。「私が出遅れたというわけではありませんで、室内楽的な演奏を聴いて頂こう」というわけで指揮者なしでの演奏が行われたことを説明する。
その後で、コバケンさんは、京都市交響楽団常任指揮者時代の話を少しする。任期中に出雲路にある現在の練習場が出来たこと、また新しいホール(京都コンサートホール)を作る約束をしてくれたこと、京都会館第1ホールで行われた年末の第九コンサートの思い出などである。

 

田部京子を独奏に迎えてのグリーグのピアノ協奏曲イ短調。田部京子はこの曲を得意としており、私自身も田部が弾くグリーグの実演に接するのはおそらく3度目となるはずである。田部の独奏によるグリーグのピアノ協奏曲を初めて聴いた時も日本フィルとの共演で、東京芸術劇場コンサートホールでの演奏会だったと記憶している。

田部京子は、北海道室蘭市生まれ。東京藝術大学附属高校在学中に、日本音楽コンクールで優勝。ベルリン芸術大学に進み、数々のコンクールで優勝や入賞を重ねている。リリシズム溢れるピアノが持ち味で、グリーグなどの北欧作品の他に、シューマン、シューベルトを得意とし、シベリウスに影響を受けた作曲家である吉松隆の「プレアデス舞曲集」の初演者にも選ばれて、CDのリリースを続けている。

先に書いた通り、田部の弾くグリーグのピアノ協奏曲は何度も聴いているが、結晶化された透明度の高い音が最大の特徴である。国民楽派のグリーグの作品ということで、民族舞曲的側面を強調することも以前は多かったのだが、今回は控えめになっていた。
スケールも大きく、理想的な演奏が展開される。

今回は指揮台の前に譜面台は用意されておらず、小林は全曲暗譜での指揮となる。
ゲネラルパウゼを長めに取ったり、独特のタメの作り方などが個性的である。

田部のアンコール演奏は、シベリウスの「樹の組曲」より“樅の木”。田部はシャンドス・レーベルに「シベリウス ピアノ曲集」を録音しており、「樹の組曲」も含まれていて、現在ではナクソスのミュージック・ライブラリーでも聴くことが出来る。
透明感と憂いとロマンティシズムに溢れる曲と演奏であり、田部の長所が最大限に発揮されている。
シベリウスはヴァイオリンを自身の楽器とした作曲家で、ピアノも普通に弾けたがそれほど好んだわけではなく、残されたピアノ曲は全て依頼によって書かれたもので、自分から積極的に作曲したものはないとされる。ピアノ協奏曲やピアノ・ソナタなども手がけていない。ただ、こうした曲を聴くと、ピアノ曲ももっと聴かれても良いのではないかと思えてくる。

 

後半、グリーグの「ペール・ギュント」より。第1組曲に「ソルヴェイグの歌」(第2組曲に入っている)が足された形での演奏である。

演奏開始前に、小林はマイクを手にスピーチ。演奏だけではなく「ペール・ギュント」という作品のあらすじについても語りながら進めたいとのことで、出来れば1曲ごとに拍手をして欲しいと語る。

第1曲の「朝」は非常に有名な曲で、グリーグや「ペール・ギュント」に関する知識がない人でも一度は耳にしたことのある作品である。
この曲は、「モロッコ高原での朝について書かれたものですが、やはり作曲者の故郷の、氷が張った海に朝日が差し込むような、あるいは日本の光景でも良いのですが、そうしたものを思い浮かべて頂ければ」というようなことを語ってのスタートである。
ヘンリック・イプセンの「ペール・ギュント」は、レーゼドラマ(読む戯曲)として書かれたもので、イプセン自身は上演を念頭に置いていなかったのだが、「上演して欲しい」との要望を断り切れなくなり、ノルウェーを代表する作曲家になりつつあったグリーグの劇付随音楽ありならという条件の下で初演が行われ、一応の成功はしているが、その後はグリーグの曲ばかりが有名になっている。「ペール・ギュント」のテキストは、イプセン全集に収められていたり、単行本も出ていたりで、日本でも手に入れることは可能である。

「オーゼの死」について小林は、シンプルなメロディーで見事な効果を上げていることを褒め、「アニトラの踊り」の妖しさ、「山の魔王の宮殿にて」(3月で放送が終了した「ららら♪クラシック」のオープニングテーマであった)の毒についても語る。「ソルヴェイグの歌」は、ペール・ギュントの恋人であるソルヴェイグが、今どこにいるのか分からないペール・ギュントを思いながら歌う曲である。コバケンさんは、ペール・ギュントと共にソルヴェイグが死ぬ時の歌と説明していたが、厳密には誤りで、ペール・ギュントが息絶える時に歌われるのは「ソルヴェイグの子守歌」という別の歌で、ソルヴェイグ自身は死ぬことはない。

この曲でもゲネラルパウゼが長めに取られるなど、小林らしい個性が聴かれる。

 

シベリウスの交響詩「フィンランディア」の演奏前には、小林はステージ下手に置かれたピアノを弾きながら解説を行う。帝政ロシアの圧政のように響く冒頭は、小林の解釈によるとギロチンで処刑されるフィンランドの人々を描いたものだそうで、その後に悲しみのメロディーが流れ、やがて戦争が始まる。「フィンランド第2の国歌」として知られる部分を小林はテノールで歌った。

演奏も描写力に富んだもので、抒情美も見事であった。

 

アンコール演奏については、小林は、「よろしかったら2曲やらせて下さい」と先に言い、マスカーニの歌劇「カヴァレリア・ルスティカーナ」より間奏曲と、ブラームスのハンガリー舞曲第5番が演奏される。
ブラームスのハンガリー舞曲第5番は、スローテンポで開始して一気に加速するというアゴーギクを用いた演奏で、ハンガリーのロマ音楽本来の個性を再現していた。

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2021年4月 1日 (木)

ロームシアター京都 ハンブルク・バレエ団 「ベートーヴェン・プロジェクト」映像上映会

2021年3月21日 ロームシアター京都サウスホールにて

午後1時から、左京区岡崎のロームシアター京都サウスホールで、ハンブルク・バレエ団の映像上映会、「ベートーヴェン・プロジェクト」を観る。

本来は、この3月にハンブルク・バレエ団の来日公演として「ベートーヴェン・プロジェクト」の日本初演がロームシアター京都メインホールで行われるはずだったのだが、コロナ禍によって来日不可となり、代わりに「ベートーヴェン・プロジェクト」とコロナ下に制作された新作「ゴースト・ライト」の上映会が行われることになった。昨日と今日、「ベートーヴェン・プロジェクト」が午後1時から、「ゴースト・ライト」が午後5時から上映される。ということで今日2本とも観ることが可能なのだが、バレエの映像を1日2回観たいと思うほどバレエ好きではない。

「ベートーヴェン・プロジェクト」は、2018年に初演された作品。映像は2019年10月にバーデン=バーデン祝祭劇場で行われた上演を収めたものである。この映像はBSプレミアムの「プレミアムシアター」で放送されており、またDVDやBlu-rayも発売されていて、家庭でも観ることが出来る。振付:ジョン・ノイマイヤー。第1部のピアノ演奏:ミカル・ビアウク。第2部と第3部の演奏は、サイモン・ヒューイット指揮のドイツ放送フィルハーモニー管弦楽団。映像監督はミリアム・ホイヤー。

第1部「ベートーヴェン・フラグメント」、第2部「プロメテウスの創造物」、第3部「エロイカ(英雄)」の3部からなる。

 

第1部「ベートーヴェン・フラグメント」。プロメテウス主題が登場する「エロイカ変奏曲」が演奏される。3部ともプロメテウス主題が登場する作品が演奏され、人類に叡智を与えたプロメテウスと人類そのものへの讃歌が奏でられる。

ベートーヴェン自身を演じているのは、アレイズ・マルティネス。ベートーヴェン本人も推定身長165センチと、当時の西洋人としてもやや小柄だったようだが、マルティネスも他の男性バレエダンサーと比較して明らかに背が低いダンサーである。女性ダンサーよりも小さいかも知れない。

マルティネスが演じているベートーヴェンは、おそらくまだ若い頃、ハイリゲンシュタットの遺書を書いた時代だと思われる。
ピアノの足に絡みついていたマルティネスは、プロメテウス主題に合わせて踊る。やがて高貴な身分を表すと思われるマントを羽織った男性ダンサーが登場するが相手にされない(貴族に憧れつつも果たせないベートーヴェンの心情を表現したようである)。男性ダンサー二人組と楽しく踊った後で、男女のペアが現れる(女性ダンサーはアジア系である)。男女のペアとも楽しく踊るベートーヴェンだが、結局、ペアはペアのまま去り、先程現れた男性ダンサー二人組も、新たに現れた女性ダンサーに夢中になり、ベートーヴェンに構ってくれず、最後にはベートーヴェンは突き飛ばされて横転してしまう。その後、花嫁衣装のダンサーが現れるが、彼女はピアニストにご執心というわけで、作曲家の孤独が描かれている。やがてベートーヴェンは芸術そのものを恋人とし、人生を捧げることを誓う(セリフがないので「ように見える」というだけで、ノイマイヤーの実際の意図は不明である)。すると、それまですげなくしていたダンサー達が音楽の精として生まれ変わったように快活なダンスを披露し、最後はベートーヴェンを掲げて礼賛する。

続いて演奏されるのは、ピアノ三重奏曲「幽霊」である。不協和音が印象的な作品として知られている。赤いドレスの女性ダンサーが登場し、ベートーヴェンとパ・ド・ドゥを行うのだが、やがて彼女はすでに亡き人となっていることがうつ伏せに横たわることで示される。赤いドレスの女性ダンサーはその後に一度起き上がるのだが、それはベートーヴェンに喪服を着せるためであり、その後、男性ダンサー二人に仰向きに掲げられて退場する。恋人のように見えたのだが、実際はベートーヴェンの母親であるマリアであったようだ。赤い服を着た女性ダンサーはもう一人現れ、こちらが「不滅の恋人」のようである。

突然、金属音が混じり、録音によるピアノの演奏が奏でられる。宿痾となった難聴の始まりである。やがてピアニストのミカル・ビアウクもベートーヴェン役のマルティネスと視線を交わして退場する。悲劇の予兆だが、ベートーヴェンはそれを乗り越えていく。

第2部「プロメテウスの創造物」では、ベートーヴェンの母親役だと思われる女性ダンサーがこれから演奏される曲目について解説を行う。ドイツ語で、日本語字幕もないため何を言っているのかよく分からないが、ベートーヴェン作曲の「プロメテウスの創造物」からの2曲が演奏されると言っていることだけはなんとなく分かる。
第2部は第1部と異なり物語性は低め。天上の描写があり、アポロ神を始めとする多くの神々がベートーヴェンを祝福する。

 

第3部の「エロイカ(英雄)」。こちらも第2部同様、エネルギッシュでバリエーションに富んだ表現が中心だが、第2楽章の葬送行進曲だけは人一人の死というよりも何らかの崩壊が描かれているようであり、強い悲劇性を帯びている。

ハンブルク・バレエ団であるが、東アジア人のダンサーがかなり多い。特にアジア人女性ダンサーは重要な役割を担っている。エンドクレジットで確認したところ、日本人、中国人、韓国人の全てが含まれていることが分かった。日本人女性ダンサーは二人いて、有井舞耀(ありい・まよ)と菅井円加であることが確認出来た。

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2021年3月31日 (水)

観劇感想精選(388) 京都四條南座 「三月花形歌舞伎」令和3年3月20日 Aプロ 「義経千本桜」より“吉野山”&“川連法眼館”

2021年3月20日 京都四條南座にて観劇

午後4時15分から、京都四條南座で「三月花形歌舞伎」を観る。平成生まれの若き歌舞伎俳優達が中心となった公演である。AプログラムとBプログラムがあり、キャストが異なるが、本日4時15分開演の夜の部は、Aプログラムでの上演となる。

演目は、「歌舞伎の魅力」(中村米吉が担当)、「義経千本桜」より“吉野山(道行初音旅)”と“川連法眼館(通称・四の切)”。四の切とは、“川連法眼館の場”が「義経千本桜」四段目の切り(最後)にあることからついた通称である。「義経千本桜」は、元々は人形浄瑠璃(文楽)のために書かれた作品で、歌舞伎の「義経千本桜」は人形浄瑠璃の台本を元にした義太夫狂言と呼ばれる類いのものである。文楽でも“川連法眼館の場”は観たことがあるが、文楽では「四の切」という言い方はしないようである。

「歌舞伎の魅力」は、毎回、若手歌舞伎俳優が演目の説明や、歌舞伎に関する様々な紹介を行うもので、今回は中村米吉(播磨屋)が担当する。ちなみに、米吉、尾上右近、壱太郎(かずたろう)、橋之助の4人がローテーションを組んでおり、南座での「三月花形歌舞伎」の「歌舞伎の魅力」の初日最初の回の担当となってのも米吉だそうである。
「三月花形歌舞伎」は、明日千穐楽を迎えるため、米吉が「歌舞伎の魅力」を受け持つのは今回が最後となるようだ。

義太夫の「春の京都の南座で、歌舞伎の魅力語らんとまかり出でたる中村米吉」という言葉に乗って、米吉は花道から登場する。

今日は義太夫の紹介をまず行う。義太夫はわかりやすく言うと、「音楽付きのナレーション」で語りと三味線の二人からなると米吉は説明する。その後、義太夫は自分で退場のセリフを語り、定式幕の後ろへと引っ込むのだが、「義太夫さんが自分で語りながら退場するというアイデアを出したのは私」と米吉は胸を張っていた。

上演されるのは、「義経千本桜」の“吉野山”と“川連法眼館”であるが、それより前に忠信と静御前が登場する“鳥居前”(二段目)のあらすじを米吉は紹介する。義経と静御前の一人二役を行ったり、「会いたくて震える」という西野カナの歌詞を引用したりとユーモラスな語り口である。
その後、忠信のカツラや静御前の衣装、義経から忠信に授けられた甲冑や静御前に渡された初音の鼓などを紹介し、更に用意された巨大パネルで人物相関についても説明を行う。「すっぽん」は異形のものが現れる時に使われると説明し、花道と揚幕についても解説を行う。「揚幕は上がる時に音がして、向こうから誰か役者が出てきますので、皆さん、振り返ってみて下さい」と語るが、実はこれはトラップである。“川連法眼館の場”には、花道から誰かが出てくると思わせて、実は別の所から俳優が登場する場面が存在するのである。

 

「義経千本桜」より“吉野山”。出演は、尾上右近(音羽屋。佐藤忠信、実は源九郎狐)、中村壱太郎(成駒家。静御前)。
背景は吉野山の桜と吉野川。吉野川の装置は、途中に三段のローラーを設置し、川が流れているように見えるよう工夫されている(役者の見せ場では観客の意識が散らないよう、ローラーは止まる)。

若手でもトップクラスの女形と評価されている中村壱太郎。生まれ育ちは東京であるが、中村鴈治郎家の出身ということで、上方も拠点としており、屋号も江戸の成駒屋とは異なるとして、父親である鴈治郎が採用した成駒家という上方系の屋号を用いている。
仕草や表情がとにかく細やかであり、色気と上品さを合わせ持った静御前像を創造している。

尾上右近の狐忠信も凜々しく、動きはダイナミックで言うことなしである。

なお、「義経千本桜」には、澤瀉屋型と音羽屋型があり、宙乗りで有名なのは澤瀉屋型である。音羽屋の尾上右近の狐忠信ということで、当然ながら音羽屋型によって行われ、宙乗りや本物の忠信と狐忠信の早替えなどもないが、“吉野山”の一部で澤瀉屋型を採用したとのことである。

 

“川連法眼館”。出演は、尾上右近と中村壱太郎の他に、中村橋之助(成駒屋。源九郎判官義経)、中村福之助(亀井六郎重清)、中村歌之助(駿河次郎清繁)の三兄弟らが加わる。

壱太郎の静御前は相変わらず可憐なのだが、尾上右近の狐忠信は所作は良いものの、正体を現した時の独特のセリフが、「あれ??」と思うほど全くものになっておらず、これでは不出来と思われても仕方のない水準にしか達していなかった。尾上右近は自主公演「研の會」で“吉野山”を取り上げ、狐忠信をやったことがあるが、“川連法眼館”の狐忠信は初役だそうで、やはり初役で成功出来るほど易しい役ではないようである。自分のものにするにはまだまだ時間が掛かりそうだ。

“川連法眼館”は人気演目で、私も澤瀉屋型を当代の猿之助の狐忠信で、音羽屋型を愛之助の狐忠信で観ているが、いずれも優れた出来であった。そうした実力者と比較されやすいだけに、若手にとっては更なる難関となっているようである。

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2021年3月23日 (火)

これまでに観た映画より(252) スピルバーグ製作「SAYURI」

2008年6月17日

DVDでアメリカ映画「SAYURI」を観る。スティーヴン・スピルバーグ製作、ロブ・マーシャル監督作品。主演:章子怡(チャン・ツィイー)。出演は、鞏俐(コン・リー)、ミシェル・ヨー、桃井かおり、役所広司、工藤夕貴、大後寿々花、渡辺謙ほか。アメリカから見た日本が描かれているため、実際の日本や日本文化とは異なるところが多くある。

第二次世界大戦前後の、京都・祇園を舞台にした作品である。主役である「さゆり」は芸者。京都なので芸妓が正しいが、“GEISHA”や“MAIKO”は英語で通じても、“GEIKO”は通じないので、芸者でもいいだろう。

京都が舞台であるが、セリフの大半は英語。ただ、背景で時々日本語が聞こえてくる。

映像もセットも美しく。話も美しい。全てが「美しい」の一言で済んでしまうところが惜しいが。

舞いの名手である章子怡の舞いは、怖ろしいほどの美しさを持つ。

それにしても、さゆりの子供時代を演じる大後寿々花の演技の上手いこと上手いこと。これだけの子役を良く見つけてきたものである。

音楽はジョン・ウィリアムズ。ヴァイオリン演奏はイツァーク・パールマン、チェロ演奏はヨーヨー・マ。実に豪華な顔ぶれだ。旋律がたまに中国しているのが気になるが、章子怡と鞏俐という中国の二大女優の共演でもあり、中国風の音楽であっても文句はいえないだろう。

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2021年2月10日 (水)

コンサートの記(693) 長岡京室内アンサンブルコンサートツアー2021「空に飛びたくて」京都公演

2021年2月6日 長岡京市の京都府長岡京記念文化会館にて

午後3時から、京都府長岡京記念文化会館で、長岡京室内アンサンブルのコンサートツアー「空に飛びたくて」京都公演を聴く。京都府、名古屋市、東京都の3カ所ツアーとなる予定だったが、東京公演は中止となっている。

曲目は、J・B・シュヴァリエ・サン=ジョルジュのシンフォニー・コンチェルタント(ヴァイオリン独奏:ヤンネ舘野&松川暉)、ウェーバーのクラリネット五重奏変ロ長調(弦楽合奏版。クラリネット独奏:吉田誠)、チャイコフスキーの弦楽セレナード。

音楽監督の森悠子が、「一緒に弾きたいと思う人」を集めて公演を行う長岡京室内アンサンブル。コアメンバーもいるが、新しい奏者もどんどん加わっている。今回参加する伝宝菜摘(でんぽう・なつみ)は、立命館宇治高校在学中ということでまだ十代である。

今回の出演者は、ヤンネ舘野(ヴァイオリン)、松川暉(まつかわ・ひかる。ヴァイオリン)、谷本華子(ヴァイオリン)、石上真由子(ヴァイオリン)、田中祐子(ヴァイオリン)、伝宝菜摘(ヴァイオリン)、細川泉(女性。ヴィオラ)、野澤匠(ヴィオラ)、南條聖子(なんじょう・しょうこ。ヴィオラ)、金子鈴太郎(かねこ・りんたろう。チェロ)、諸岡拓見(チェロ)、石川徹(コントラバス)。

客席は、前後左右1席空けのソーシャルディスタンスシフトである。

ジョゼフ・ブローニュ・シュヴァリエ・ド・サン=ジョルジュ(1739-1799)は、初めて名前を聞く作曲家だが、フランス人の父親と黒人奴隷だった母親の間に生まれたハーフで、最初はフェンシングの選手として活躍したという異色の経歴を持つ人だという。1769年に「ガヴォット」で知られるゴセック(「五節句」と誤変換された)が率いるコンセール・デザマトゥールのヴァイオリニストとなり、その後、ゴセックから楽団長を受け継いで、フランス屈指のアンサンブルに育て上げたとされる。作曲もゴセックに師事したらしいのだがよくは分かっていないようだ。
シンフォニー・コンチェルタント(協奏交響曲)は、モーツァルトの作品が有名であるが、フランスで好まれた形式だそうで、モーツァルトもパリ旅行時に興味を示し、作曲するに至ったとされている。ただ、森悠子は、サン=ジョルジュがパリに旅行した時のモーツァルトの演奏活動に触れており、触発されてシンフォニー・コンチェルタントを書いたと語り、逆のようである。

今回のプログラムは、モーツァルトに影響を受けたサン=ジョルジュ、モーツァルトの楽器として知られるクラリネットが独奏を務めるウェーバーのクラリネット五重奏曲(ちなみにモーツァルトの妻であったコンスタンツェ・ウェーバーと作曲家のカール・マリア・フォン・ウェーバーはいとこの関係に当たる)、そしてモーツァルトへの敬愛の念から書かれたチャイコフスキーの弦楽セレナードと、「モーツァルトへの憧れ」という裏主題を持つかのような曲が並んでいる。

サン=ジョルジュのシンフォニー・コンチェルタント。ヴァイオリン独奏者二人の掛け合いが聴き所である。独奏のヤンネ舘野は、著名なピアニストである舘野泉の息子で、日本とフィンランドのハーフ。現在は山形交響楽団の第2ヴァイオリン首席奏者とヘルシンキのラ・テンペスタ室内管弦楽団のコンサートマスター兼音楽監督を兼務。ルーズベルト大学シカゴ芸術大学音楽院在学時代に森悠子に師事している。もう一人の独奏者である松川暉は、東京藝術大学を経て英国ギルドホール音楽院に留学、学部と大学院修士課程を修了。ミラノスカラ座アカデミーオーケストラのコンサートマスターをしていたこともある。室内楽ではトリオアミコラムのメンバーとして活躍している。

典雅な曲調を持つ曲だが、時折、影が差すところがモーツァルトに似ている。2楽章からなる曲であるが、第2楽章の冒頭はアンサンブルは休止で、ソロヴァイオリン二人が掛け合いを繰り返す(カデンツァに当たるのかも知れないが、譜面を見たことがないので断言は出来ず)という、特徴ある音楽となっている。

サン=ジョルジュ作品の演奏終了後、メンバーがいったん退場した後で、森悠子がマイクを持って登場。1年前の2020年2月1日に京都府長岡京記念文化会館で長岡京室内アンサンブルの演奏会を行った時は、満員の盛況で、ロビーも人が溢れていて、「それこそ密密密」だったが、コロナの影響で、その後、ほとんど演奏活動が出来なくなってしまったことを語る。まずコンサートの開催を許可してくれた長岡京市と京都府へのお礼を森は述べる。音楽家はその間、苦境続きで、昨年の11月頃からやっと小規模なサロンやオンラインでの演奏が出来るようになったが、森の活動のもう一つの柱である教育は十全に出来なくなってしまったという。

サン=ジョルジュについてだが、シンフォニー・コンチェルタントは、今日がほぼ世界初演に近いということを明かす。「凄く変わった曲」だが、森がパイヤール室内管弦楽団に所属していた時代に、音楽監督であるジャン=フランソワ・パイヤールがヴェルサイユ宮殿でこの曲の楽譜を見つけ、「この曲、日本で演奏してよ」と森に渡したそうだが、そのこと自体をずっと忘れてしまっており、この間、整理をしていたらシンフォニー・コンチェルタントの楽譜が出てきたそうで、演奏することにしたそうである。ヴェルサイユ宮殿にはオペレッタを中心とした多くの楽譜が眠っているそうで、演奏されたことがあるのかどうかも分からない曲がまだ沢山あるらしい。
サン=ジョルジュは、王室と深い関係にあり、ヴェルサイユやパリで行われた神童時代のモーツァルトの自作自演にも接することが出来たようだ。だが、王室と深い関係を有したが故にフランス革命後に没落し、貧困のうちに亡くなった。ちなみに「黒いモーツァルト」と呼ばれることもあるようだ。
なお、森は「事故っちゃって」足を痛めたそうで、続く2曲には出演しないが、アンコールには登場すると、予めアンコール演奏があることを告げていた。アンコール楽曲も変わった曲だと予告する。

 

ウェーバーのクラリネット五重奏曲変ロ長調。ウェーバーはクラリネットという当時出来たばかりの楽器を気に入っており、3曲のクラリネット協奏曲と、5曲のクラリネットのための室内楽曲を書いている。

クラリネット独奏の吉田誠は、昨年に引き続いての登場。15歳で本格的にクラリネットを始め、22歳からは指揮も小澤征爾らに師事している。東京藝術大学入学後に渡仏、パリ国立高等音楽院とスイスのジュネーヴ国立音楽院で学んでいる。
甘く軽やかかつリズミカルなクラリネットであり、ツアーのタイトルである「空に飛びたくて」に最もよく合う演奏となった。
ちなみに第4楽章の冒頭は、弦楽アンサンブルで聴くと、グリーグの「ホルベアの時代から」の第1曲に少し似ている。

曲の間に、再び森がマイクを手に登場。自身はフランスで演奏家としてキャリアを築いたが、渡仏したのは桐朋学園大学在学中に小澤征爾から「フランス行ってきてよ」と頼まれたことが発端だそうである。フランス音楽の弦楽器演奏はボウイングがドイツなどとは異なるそうで、それを学んで日本でも広めて欲しいということだったそうだ。

チャイコフスキーの弦楽セレナード。CMなどでも用いられて有名になった曲だが、室内アンサンブルでの演奏で聴くと、弦楽オーケストラによるそれとは違った印象を受ける。迫力が後退した分、優しさが増し、木々の葉擦れや、森に生息する小動物の姿、広々としたロシアの荒野などが目に浮かぶような描写力の高い典雅な音楽となる。伸びやかなメロディーの中で憂いが忍び込んでくるのがいかにもチャイコフスキーらしい。

チャイコフスキーがこの曲を書いたのは、交響曲第4番を書き上げた後のスランプ時代。精神が安定せず、ヨーロッパ各地を転々としていた頃のことだ。この頃、チャイコフスキーは最も敬愛する作曲家であるモーツァルトの精神に立ち返る形で弦楽セレナードや管弦楽のための組曲集を作曲、組曲第4番はモーツァルトの楽曲を元にしており、「モーツァルティアーナ」というタイトルが付けられている。

 

アンコール演奏は、ボッケリーニの「マドリッドの夜警隊」。非常にユニークな音楽で、チェロのピッチカートで始まるのだが、その後、チェロ奏者は脚を組んでチェロの胴体をその上に乗せ、ギターを弾くようにチェロをつま弾く場面もある。各楽器を代表して一人で行われるピッチカートの送り方も個性的であり、最後はチェロ奏者が立ち上がってチェロを弾き、そのまま足踏みを始め、下手へと歩き始める。他の楽団員もそれに続き、行列が下手袖へと退場するが、コントラバスの石川徹だけは楽器を持って退場することは物理的に不可能なのでステージ上で演奏を続け、曲が終わると同時に敬礼をして、客席からの拍手を受けていた。

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2021年2月 6日 (土)

コンサートの記(692) 「京都・国際音楽学生フェスティバル2007」フィンランド&フランスDay

2007年5月28日 京都府立府民ホールアルティにて

午後6時30分から、京都府立府民ホールALTIで、「京都・国際音楽学生フェスティバル2007」フィンランド&フランスDayを聴く。全席自由、1000円均一の公演。チケットの安い公演は、「何か知らないけれど来てしまいました」という、マナーとは無縁の客が入ってきてしまうことが多いのだが、今日もそうした方がちらほら。

「京都・国際音楽学生フェスティバル」は、ALTIで毎年開かれており、ドイツ、フランス、オーストリア、イタリアという音楽大国の学生を始めとする有名音楽院の学生が参加している。

今日は、フィンランドのシベリウス音楽院(シベリウス・アカデミー。旧ヘルシンキ音楽院)と、「のだめカンタービレ」でもおなじみ(?)フランスのパリ国立高等音楽院(コンセールヴァトワール・パリ)の選抜学生による室内楽をメインとした演奏会である。

プログラムは、まずシベリウス音楽院の学生によるシベリウスの弦楽四重奏曲「親愛なる声」が演奏され、次いでパリ国立高等音楽院の学生によるフォーレのチェロ・ソナタ第1番と「エレジー」。そして、シベリウス音楽院、パリ国立高等音楽院、京都市立芸術大学の学生による弦楽合奏で、ドビュッシーの「小組曲」より“小舟にて”と“バレエ”、そして「夜想曲」(管弦楽のための「夜想曲」ではなく、ピアノ曲の編曲。いずれも篠田聡史による弦楽合奏版編曲による演奏である)、シベリウスの「アンダンテ・フェスティーヴォ(祝祭アンダンテ)」、「弦楽のためのプレスト」、1981年生まれの若き作曲家ハルティカイネン(シベリウス音楽院に在籍)の新作「ルーメン(光)」(世界初演)が演奏される。

いずれもコンクールなどで優秀な成績を修めている学生達だが、あくまで学生であり、こちらも名演は期待していない。


シベリウス音楽院の学生による弦楽四重奏曲「親愛なる声」。ファーストヴァイオリン、セカンドヴァイオリン、ヴィオラは女の子で、どういうわけか全員眼鏡をかけている。チェロだけ男の子。トーマス・ヨアキム・ヌニエス=ガルセ君という長い名前の男の子だ。
祖国の大作曲家シベリウスの作品とはいえ、「親愛なる声」は深い音楽であり、学生では表現できないのではないかと思う。案の定、曲の把握が徹底されていない演奏であった。単に音が鳴っているだけの箇所が多い。それでも第3楽章などは哀切で透明な音楽を再現することに成功していたように思う。
アンコールとして、コッコネンの弦楽四重奏曲第3番より第2楽章が演奏される。シャープな演奏であった。

パリ国立高等音楽院在籍の女性チェリスト、オレリアン・ブラウネールさんは、高い技術力を持ち、豊かな音色による淀みない歌を奏でる。なかなかの実力者と見た。
フォーレの2曲は、いずれも若さに似合わない奥行きのある演奏であり、アンコールの「白鳥」(サン=サーンス作曲)でも優雅な音楽を奏でた。ピアノのエマニュエル・クリスチャン君も煌めくような音色の持ち主であり、好演だった。

弦楽合奏。京都市立芸術大学からの出演者は全員女の子。ということで、ステージ上の男性メンバーは先ほど名前を出したトーマス君ただ1人である。
コンサートミストレスはシベリウス音楽院のシニ・マーリア・ヴァルタネンさん。
ドビュッシーの「小組曲」よりと「夜想曲」も良かったが、シベリウスの「アンダンテ・フェスティーヴォ」と「弦楽のためのプレスト」はより優れた演奏。時に勢いに流されそうにはなるが、若々しさ溢れる演奏に好感を持った。

「ルーメン(光)」のハルティカイネン氏は会場に来ており、演奏前に簡単な楽曲解説を行った。
現代音楽であるため奏者だけでの演奏は難しく、この曲だけミラノ・ヴェルディ音楽院在籍のアンドゥレーア・ラッファニーニ氏が指揮を務める。
「ルーメン(光)」は、ヴァイオリンがグラスハープのような音を奏でるなど、繊細な音のグラデーションを特徴とする。しかし、この手の曲は全て武満徹作品のように聞こえてしまうのは気のせいなのか。

アンコールはシベリウスの「カンツォネッタ」。これも若さがプラスに作用した好演であった。

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2021年2月 5日 (金)

コンサートの記(691) 下野竜也指揮 第16回京都市ジュニアオーケストラコンサート

2021年1月31日 京都コンサートホールにて

午後2時から、京都コンサートホールで、第16回京都市ジュニアオーケストラコンサートを聴く。これまで広上淳一が指揮台に立つことが多かったが、今回は下野竜也が初めてジュニアオーケストラを振ることになった。コロナの影響は避けられず、演目を変更しての開催である。

午後1時開場であるが、全席自由ということもあり、開場前に行列が出来るのを防ぐために時差入場を実施しており、私が買ったチケットには午後1時20分以降の入場と記されていた。午後1時15分頃に京都コンサートホールの入り口に着いたので、5分待つことにしたが、レセプショニストさんによると、行列が出来ていないので、もう入場可とのことだった。

最優先されるのは、やはりジュニアオーケストラメンバーの親御さんだと思われるのだが、見渡したところ、両親に当たる年齢の男女(私と同世代が多いはずである)のコンビは余り見当たらなかった。客層としては京都市交響楽団の定期演奏会のそれに近い。1階席は埋まっている席が多かったため、3階席へ向かう。京都コンサートホールの2階席はサイド席しかなく、音が今ひとつだが、3階席はステージからは遠めだが音はビビッドに届く。今日はヴァイオリニストの小林美樹がソリストとして3曲に登場するということで、Rサイド(RIGHT、右側席)の、ソロヴァイオリンの音像が結ばれやすい席に座る。開演10分ほど前に、「こっちの方が見やすいよね」といった内容の話をしている男性二人組が後ろを通り過ぎたが、そのうちの一人が、1階席の入りを確認するために、ひょいっと顔を覗かせる。背の低い、頭の輝く男性で、マスクと眼鏡を掛けていたが、すぐに広上淳一だと分かった。

京都市ジュニアオーケストラは、2005年の結成。京都市内在住もしくは通学の青少年からなるオーケストラで、入団するには選抜試験を通過する必要がある。必ずしも音楽家志望の子達が入団しているという訳ではないが、「医師免許を持つヴァイオリニスト」として有名になった石上真由子は、初期の京都市ジュニアオーケストラでコンサートミストレスを務めていた。広上淳一が、「音楽家を目指している子ばかりではなく、お医者さんを目指している子がいたり」と紹介していたことがある「お医者さんを目指している子」というのはおそらく石上真由子のことであったと思われる。

各楽器の指導には京都市交響楽団の楽団員が当たり、合奏指導は広上の弟子の一人である大谷麻由美が行った。

 

曲目は、コープランドの「市民のためのファンファーレ」、リヒャルト・シュトラウスの13管楽器のためのセレナード、マスネの「タイスの瞑想曲」(ヴァイオリン独奏:小林美樹)、サラサーテの「カルメン幻想曲」(ヴァイオリン独奏:小林美樹)、J・S・バッハの2つのヴァイオリンのための協奏曲(独奏第1ヴァイオリン:小林美樹、独奏第2ヴァイオリン:山﨑祥恩)、シューマンの交響曲第4番。

ステージ上で密になる時間をなるべく短くするため、第1曲に金管楽器と打楽器のみによる「市民のためのファンファーレ」を置き、2曲目に木管楽器主体の13管楽器のためのセレナードが続く。

いずれの曲でも充実した響きが奏でられ、京都市ジュニアオーケストラの技術と表現力の高さが感じられる。下野も拍をきっちり振るなど、いつも以上に明快な指揮を行っているように見えた。

 

マスネの「タイスの瞑想曲」とサラサーテの「カルメン幻想曲」でソロを受け持つ小林美樹は、若手人気ヴァイオリニストの一人。1990年生まれ。2011年に第14回ヴィエニャフスキ国際ヴァイオリンコンクールで第2位を受賞し、注目を浴びる。桐朋女子高校音楽科、桐朋学園大学ソリストディプロマコース(学科授業はなく、プロのヴァイオリン奏者を本気で志す者のみが入学を許される育成コース)に特待生として入学し、その後、明治安田クオリティオブライフ及びロームミュージックファンデーションから全額奨学金を得てウィーン私立音楽大学に学んでいる。

以前、京都市交響楽団の大阪定期公演にソリストとして登場した時に聴いたことがあるが、女性としては高身長で、海老反りになって弾くことが多いのが印象的であった。
今日はターコイズブルーのドレスで登場。やはり時折、海老反りになって弾く。磨き抜かれた美音が最大の特徴であるが、メカニックも上質である。童顔系の可愛らしい顔をした女性なのだが、見かけとは異なり、「カルメン幻想曲」ではかなり情熱的な演奏を繰り広げる。

下野指揮の京都市ジュニアオーケストラも色彩豊かな演奏を繰り広げた。

 

後半、小林美樹と京都市ジュニアオーケストラのメンバーである山﨑祥恩(やまざき・しょうおん)の独奏によるJ・S・バッハの2つのヴァイオリンのための協奏曲。
山﨑祥恩は、現在、京都市立堀川音楽高校の1年生。小学5年生から京都市ジュニアオーケストラに参加し、コンクールでも金賞や奨励賞、優秀賞などの受賞歴がある。近年では、第29回日本クラシック音楽コンクール全国大会中学校の部で第2位(1位なしで最高位となる)、第74回全日本学生音楽コンクール大阪大会高校の部2位という成績を残しており、この子は確実にプロ志望だと思われる。

柔らかさも持った小林と、鋭さと正確さを武器とする山﨑の柔と剛の対比という趣があり、面白いバッハ演奏となった。京都市ジュニアオーケストラは、弦楽がほぼノンビブラートのピリオド奏法による伴奏を行った。若い人達なので、ピリオドにまだ十分に馴染んでいない感じだったが、総体的には優れた伴奏である。

 

ロベルト・シューマンの交響曲第4番。下野の的確な指揮棒に導かれ、仄暗さや幻想的な曲調も十全に表現した演奏となる。シューマンはオーケストレーションが独特であるため、演奏が難しいことで知られるが、第1ヴァイオリン13名、第2ヴァイオリン11名と大きめの編成での演奏ということもあって、鳴りも十分であり、聴く者を納得させるだけの出来を示した。

 

アンコール1曲目は、シューマンの「トロイメライ」(弦楽合奏版。編曲者不明)。ノスタルジックな叙情美に溢れた演奏であった。

「トロイメライ」演奏後、下野はマイクを手にして再登場。「京都『市立(しりつ)』芸術大学教員の下野竜也です」と「市立」を強調した自己紹介をして客席の笑いを誘う(京都造形芸術大学が一方的に京都芸術大学に校名変更を行ったため、訴訟に発展している)。「ちょっと前までは京都市交響楽団の指揮者もしていた訳ですが」と語った後で下野は京都市ジュニアオーケストラの定期演奏会(定期演奏会という名こそ付いていないが、毎年1月にメインのコンサートを行うので実質的な定期演奏会である)を指揮するのが初めてであること、コロナの影響によりトレーニングの期間が例年の半分ほどしか取れず、曲目も変更せざるを得なかったことを明かし、また京都市ジュニアオーケストラを音楽エリートに育てようという気は毛頭ないことを語る。京都市ジュニアオーケストラは何より「人間形成の場」と捉えているそうで、そのためリハーサルもスパルタで行っていることを明かす。「罵詈雑言こそ浴びせませんでしたが、出来ていない時は出来ていないとハッキリ言いました。出来てもいないのに、『出来てる上手い』と褒める風潮に疑問を感じていた」と語る。音程も含めた音を合わせることに最も傾注したが、「音程を合わせるというのは思いやり」であると述べる。「これは師である広上淳一先生からも何度も言われたことです。相手の音を聴いて、『あれ、自分、外れてないかな』と思いやること」と、周囲の音を聴くことの重要さに触れていた。

 

アンコールの2曲目は、ドヴォルザークのスラヴ舞曲第15番であり、ステージ後方やポディウムにも管楽器奏者が登場して、大編成での演奏となるのだが、下野は指揮は自分ではなく、合奏指導を行った大谷麻由美が務めることを明かす。
「彼女(大谷)も京都市立芸術大学の出身です。愛媛県出身ですが、ミスみかんにも輝いたことのある美貌の持ち主です。(自分とは違って)スラッとしたの出てきますんで。僕はもう出てきません。さよなら!」と言って下野はステージを後にする。

 

大谷麻由美の指揮によるドヴォルザークのスラヴ舞曲第15番。
下野は大谷麻由美を「京都市立芸術大学出身」と紹介したが、実は大谷は近畿大学商経学部を卒業後に会社員として働き、三十代に入ってから指揮者を志して京都市立芸術大学に入学したという経歴の持ち主である。プロの指揮者として成功することは難度がかなり高いため、一度は諦めたが、再度挑戦という人は結構多い。日本を代表する指揮者であった朝比奈隆がそうした経歴を持つということも再挑戦組が多い理由だと思われる。下野竜也も実は高校卒業時に「中学の吹奏楽から音楽を始めたからプロの指揮者になるなんて無理だろう」ということで音大には進学せず、音楽教師を目指して地元の鹿児島大学教育学部音楽科に入るも卒業間近になっても夢を諦められず、「齋藤メソッド」の映像を何度も見て独学し、卒業後に桐朋学園大学付属指揮教室に通ったという再挑戦組である。

その大谷の音楽作りであるが、編成が大きくなったということも影響しているが、音の輪郭を上手く形作ることが出来ず、飽和状態になることが多い。やはり下野のようにはいかないようだ。強弱やニュアンスを細やかに変えることの出来る下野の実力が改めて明らかになる。下野は60年代後半生まれの日本人指揮者としてはおそらくナンバーワンであり、NHK交響楽団に可愛がられて、毎年のように大河ドラマのオープニングテーマの指揮者として指名されていたのも納得である。

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2021年1月30日 (土)

コンサートの記(688) 松たか子歌手デビュー10周年記念全国コンサートツアー“I Cherish You”2007城陽

2007年5月20日 文化パルク城陽・プラムホールにて

京都市の南、京都市と奈良市のほぼ中間にある京都府城陽市の文化パルク城陽・プラムホールまで、松たか子の歌手デビュー10周年記念全国コンサートツアー公演“I Cherish You”を聴きに行く。

城陽市は、京都サンガF.C.のクラブハウスのある街だ。ただそれ以外にこれといって名所のない、人口8万人ほどの小さな都市である。
文化パルク城陽の最寄り駅は近鉄寺田駅。普段は乗降客の少ない各駅停車の駅だが、今日は沢山の人が下りる。ほぼ全員、松たか子のコンサートが目的の人々だ。

松たか子のコンサートは午後5時30分開演。客層はお年寄りから子供まで幅広い。
松の最新アルバムである「Cherish You」収録曲と、松がこれまでに発表したシングル曲を中心とした構成。松たか子は自然体でコンサートに臨んでおり、伸びやかな歌声が心地良い。キーボードの弾き語りやピアニカ(鍵盤ハーモニカ)の演奏などでも聴衆を楽しませてくれる。

歌手・松たか子は、女優・松たか子ほどの魅力的はないけれど、音楽の基礎もしっかりしているだけにあらゆることに関してレベルが高い。MCもお手の物といった感じだ。「(デビューシングルである)『明日、春が来たら』を間違って買っちゃった人!」と挙手を求めて、反応に「微妙……」と首をかしげるなど、歌手が本業でないが故の自虐ネタで会場を和ませたりする。

ところで、松たか子は、子供の頃にピアノの先生に才能を認められ、プロのピアニストを目指して猛練習をしていた時期があったそうだが、練習のし過ぎで血を吐いて倒れ、プロのピアニストになるのは諦めたという。しかし、血を吐くというのは凄いな。どれだけ練習したのだろう。

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2021年1月27日 (水)

観劇感想精選(381) 「万作萬斎新春狂言2021」@サンケイホールブリーゼ

2021年1月20日 西梅田のサンケイホールブリーゼにて観劇

午後7時から、西梅田のサンケイホールブリーゼで、「万作萬斎新春狂言2021」を観る。
緊急事態宣言発出により、劇場の営業は午後8時までとなっているが、「すでにチケットを売ったものについては例外」となっている。ただなるべく協力する形でということで、野村萬斎によるレクチャートークを短くし、休憩時間をなくすことで、午後8時15分頃の終演とした上で上演が行われる。
ちなみに明日も同一内容の公演がサンケイホールブリーゼであるが(主役級のキャストに変更はないが、ダブルキャストの役があるため、今日と完全に同じ出演者というわけではない)、マチネーであるため、レクチャートークも通常の長さ、休憩もありで上演される予定である。

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サンケイホールブリーゼの入るブリーゼタワーの周辺、西梅田や桜橋の地上は人がまばら。ショッピングビルであるブリーゼブリーゼ内部も休業中のショップも多いためか、がらんどうである。ブリーゼタワーは下層がショッピングビルのブリーゼブリーゼであり、その最上階の7階にあるサンケイホールブリーゼまでが一般人が立ち入れるスペースである。それより上はオフィスビルとなっており、日本ハムの本社もこのビル内に移転している。日本ハムは大阪の企業であるが、ファイターズが本拠地を東京(後楽園球場→東京ドーム)や札幌(今現在は札幌市の隣町である北広島市に自前の新球場を建設中であり、2年後を目途に移転する予定)、二軍を千葉県鎌ケ谷市に置いているということもあり、大阪の会社であるということは野球ファン以外には案外知られていないようである。

さて、「万作萬斎新春狂言2021」であるが、七五三縄が降りる中、まず謡初「雪山」が、中村修一、深田博治、野村萬斎、高野和憲、内藤連(上手からの並び順)によって謡われる。背景には舞い落ちる雪片が投影される。雪ということで「衣手」といった和歌でよく取り上げられる組み合わせの言葉も登場する。

狂言の演目は、野村万作がシテを務める「横座」と野村萬斎がシテを演じる「木六駄(きろくだ)」。「木六駄」は、野村万作が演じたものをびわ湖ホールで観たことがあるが、萬斎が太郎冠者を務める「木六駄」を観るのは初めてである。

好評をもって受け取られることが多い野村萬斎のレクシャートークであるが、今日は時間に制限がある。「明けましておめでとうございます、というには少し遅いような気がしますが」と萬斎は話し始める。ちなみに昨年の「万作萬斎新春狂言」では萬斎は、自身が総合演出を務めるはずだった東京オリンピックの開会式についても触れていたのだが、東京オリンピックは延期となり、今年開催されるにしても開会式も閉会式も規模縮小ということで、野村萬斎がリーダーであった「ドリームチーム」はすでに解散となっている。余りにも商業化しすぎ、筆頭スポンサーのNBCの意向で、真夏の開催となったことで批判の多い東京オリンピック。延期により秋の開催が出来るのかと思いきや、またもやNBCの意向で、酷暑の時期の開催が決まっている。正直、今の状態で東京オリンピックが開催されるようになる可能性は極めて低い。設備は整っているのだから、今年でなく近い将来に東京オリンピックが開催されるのもありだが、秋でないなら開催自体を見送った方がいい。オリンピックは一巨大メディアの専有物ではない。

野村萬斎はコロナ禍の中で駆けつけたお客さんに向かい、「よくぞいらっしゃいました。勇気と覚悟を持って」と話し、「今日は市松模様の俺様シート(左右前後空けのソーシャルディスタンスシフト)ですのでゆったりとご覧いただけます」と語った。緊急事態宣言発出の中での公演であるが、「なるべく劇場にお越し頂きたい」とお願いもする。

野村萬斎の家で元日に行われる謡初の話から入り、今日の演目が丑年にちなむ「牛尽くし」であることを説明する。「料理店のメニューのようですが」と語った後で、「横座」の解説。「横座」というのは上座のことで、牛主が「可愛らしい子牛が生まれた」というので、上座に子牛を据え、それが元で「横座」と呼ばれるようになった牛の話である。何某が牛を買ったのだが、見立てが出来ないので、見立てが出来る者のところに赴くことにする。さて、見立ての出来る牛主だが、大事な牛がどこかに行ってしまった。そこに通りかかった何某の牛を見て、それは自分が育てた横座という牛だと主張するのだが、何某は「金を出して買ったのだから自分の牛である」と譲らない。
萬斎は客席に、「牛の見分けが付く方、いらっしゃいますか? 私は自信がないのですが、ずっと牛と一緒にいれば見分けが付くようで」

その後に、平安時代の呪術の話が登場し、ややこしいので、萬斎はそこを重点的に解説する。「『陰陽師』(映画版は野村萬斎が安倍晴明役で主演している)って覚えてますでしょうか? リモートで戦うという」という話から、「横座」で語られる呪術合戦の物語へと入っていく。文徳天皇の御代の話である。平安時代の初期だ。日本の初期の歴史書6つ、総称して「六国史」と呼ばれるが、6つのうち4つは天皇数代の記録を一つの史書に纏めている。だが文徳天皇だけは『日本文徳天皇実録』と諡号入りの一代記になっている。藤原北家が本格的な摂関政治へと繰り出すきっかけになった天皇であり、天皇としての実績はほとんどないが、歴史のターニングポイントに在位した重要な存在である。ちなみに祖父は藤原冬嗣、伯父は藤原良房である。
さて、文徳天皇には後継者として有力視される二人の皇子がいた。紀静子との間に生まれた惟喬親王(萬斎は「タカちゃん」と呼ぶ)と、藤原明子の間に生まれた惟仁親王である。藤原北家の時代が始まりつつあったが、紀氏もまだ勢力を保っていたということで跡目争いが本格化する。惟喬親王と紀氏は、東寺の柿本紀僧正(真済)の力を借り、一方の惟仁親王と藤原氏は比叡山延暦寺の慧亮和尚の後ろ盾を得て、皇位継承を決める相撲合戦を密教で操作する。最初は柿本紀僧正の密教の方が力が強く、10戦で勝敗を決める相撲の第4取り組みまでは惟喬親王派が4連勝した。これを聞いた比叡山の慧亮和尚は、独鈷で頭を割り、脳みそを引きずり出して火にくべて祈祷し、結果、惟仁親王側の力士が6連勝し、惟仁親王が清和天皇として即位することになるのだが、萬斎は、「さっきググってみたら、どうも話を盛っている。清和天皇は清和源氏の祖となりますので、源氏の人達が先祖を讃えるべく盛った」らしいという話をしていた。

「今日は時間を短くしなくちゃいけないということで、もう時間が来てしまいました」と萬斎は、「木六駄」についても軽く解説する。「お歳暮の話です」と言い、「お歳暮を黒猫(ヤマト運輸)ではなく牛で運ぶ」と冗談を言って、「『横座』は実際に牛が出てくるんですが、『木六駄』はリモートでいるように見せます」と語った。
「牛と出くわしたことのある方、いらっしゃいますか? 私はイギリスに留学していた時に野生の牛と出くわしたことがあるのですが、牛というのはとにかく動きません。通り過ぎるまで15分ぐらい待ちました」
また、通常の能舞台とは異なる場所での上演ということで、「劇場ならではの演出をする」ことも明かしていた。

 

「横座」。出演:野村万作、石田幸雄、石田淡朗。後見:飯田豪。
何某(石田幸雄)が、牛(石田淡朗)を連れ簡易橋懸かりから現れる。たまたま牛を手に入れたのだが、価値も何もわからないので、目利きの出来る牛主(博労。演じるのは野村万作)に目利きを頼むつもりで、牛を東の在所の柱に繋ぐ。そこへ牛主がやって来る。なんでも横座という名の秘蔵の牛が行方不明になったらしい。
牛主が陰陽師に見て貰ったところ、「(横座は)東の在所にいる」ということで、東の在所にやって来たのだ。そこで何某が繋いでいる牛こそが横座なのではないか、と聞くが、何某は、「これは自分がきちんとしたところから買った牛で、横座とは思えない」と返し、横座であったとしても金を出して買ったのだから自分のものだと主張する。
牛主は、横座は呼べば答える牛なので、呼んでみようとするが、「100編呼ぶ内に答えたら」と回数が余りに多く、「それだけ呼んだらたまたま鳴くこともあるだろう」と何某に突っ込まれて、50回、5回と減らされ、最期は3度の内に落ち着く。鳴かなかった場合は、牛主は何某の譜代(家来)にならねばならないという。
2度呼ぶも横座は答えず、ならば、と文徳天皇の時代の故事を語る。陰陽師の話を聞いて東の在所にやって来たり、東寺と延暦寺による加持祈祷合戦の話をしたりと、スピリチュアルな内容になっているのが特徴の狂言である。
比叡山の慧亮和尚は、五大尊の曼荼羅を置いて祈ったのであるが、五大尊の中の大威徳は、水牛に座した姿で描かれており、慧亮和尚が祈祷を行うと、描かれた水牛が鳴いたという。
「絵の牛ですら鳴くのだから、実在する横座は鳴くだろう」というのが、語られた故事の結末となっている。果たして……
最後は書かないでおく。

 

「木六駄」。出演:野村萬斎、中村修一、高野和憲、深田博治。後見:内藤連。
狂言は、「この辺りの者でござる」で始まるのが一般的だが、この狂言では最初に出てきた主(中村修一)が、「奥丹波に住まい致す者でござる」と自己紹介をする。京に住む伯父(深田博治)にお歳暮を届けようと思い、太郎冠者(野村萬斎)に牛12頭のうち6頭に炭六駄、残る6頭に木六駄を付けて運ぶよう命じる。野村萬斎演じる太郎冠者は最初の返事から「はい」ではなく「ばい」といった感じで、常日頃から主の無理難題に辟易していることが見て取れる。その後の返事も、「ふぁい」「ふぇい」と不請不請答えていることが伝わってくる。通常の狂言は、舞台上で行われる古い時代の笑い話を見ることになるのだが、野村萬斎の場合は現代人に近い感じの人物を創造するため、現代的視点が狂言の中に入り込む仕掛けとなり、客体化もしくは相対化される。これはおそらく、野村萬斎一代限りの芸である。息子さんは継げないだろう。

雪深い奥丹波を行く太郎冠者。言うことをなかなか聞かない牛を連れて、舞台を横切っていく。能舞台で演じる時は、下手の橋懸かりから出て、再び橋懸かりから下手袖に戻るということしか出来ないのだが、今日は普通の劇場ということで、上手に退場。その後、背後の紗幕が透け、紗幕の後ろを上手から下手へと牛を追う仕草をしながら歩いて行くのが見える。そして再び下手から仮設の橋懸かりに登場。そこで太郎冠者は老の坂の峠の茶屋を発見し、一休みすることにする。牛を繋ごうとするが、「進め」と言っても進まないのに、「止まれ」と命じるとなぜか進もうとし、崖の方へ向かったりと太郎冠者を苦戦させる。
茶屋の中でくつろぐ太郎冠者に、茶屋の主(高野和憲)は茶を勧めるが、太郎冠者は酒を所望する。だが、茶屋は酒を切らしており、大雪のため買いにも行けない。実は太郎冠者は伯父に贈るための酒樽を持って歩いていた。茶屋の主と二人で、「濃い酒なので少しぐらい飲んでも水を足せばバレない」と話し合い、「ちょっと一杯のつもりで飲」み始め、「いつの間にやら」酒宴となってしまう。太郎冠者は鶉舞を披露。レクチャートークで「豪華パンフレット(冗談で、ペラペラの紙が二つ折りになっているだけである)に歌詞が載っているので」後で見て欲しいと萬斎は言っていたが、源三位頼政の鵺(ぬえ)退治の話が出てくる。京都市内には三位頼政の鵺退治ゆかりの場所がいくつか存在する。

結局、ベロベロに酔っ払った太郎冠者は、木六駄とそれを付けた牛を茶屋の主に与えてしまい、酔ったまま千鳥足で旅路を急いで、都の伯父の家に辿り着く。状を伯父に渡した太郎冠者。伯父は、「炭六駄と木六駄とあるが、木六駄がないではないか」と太郎冠者を問い詰める。太郎冠者は、「近頃、名を木六駄と変えまして、それがし木六駄が炭六駄を付けた牛を連れて上って参りました」と無理矢理誤魔化そうとするのだが……

太郎冠者のトリックスターぶりを際立たせた名演技であった。

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