カテゴリー「京都」の104件の記事

2020年10月25日 (日)

スタジアムにて(28) J2 京都サンガF.C.対ギラヴァンツ北九州@サンガスタジアム by KYOCERA 2020.10.21

2020年10月21日 JR亀岡駅前のサンガスタジアム by KYOCERAにて

JR亀岡駅前のサンガスタジアム by KYOCERAまで、J2 京都サンガF.C.対ギラヴァンツ北九州の試合を見に出掛ける。午後6時33分キックオフ。

Dsc_9998

新設のサンガスタジアムをホームグラウンドとしたことで相手チームはピッチの把握が不可能となり、ホームでは強い京都サンガF.C.。実際、私が今季観に行った4試合は全て勝利している。だがアウェイに弱く、波になれないでいたところをホームのサンガスタジアムでも、大宮アルディージャに初敗戦を喫すると、アルビレックス新潟、レノファ山口FC戦も落として3連敗中。順位も10位まで落ちてしまっている。

 

対するギラヴァンツ北九州は、現在3位と、J1自動昇格圏内まであと一歩の位置に付けているが、ここ数試合は勝ち星がなく停滞気味である。
ギラヴァンツ北九州は、三菱化成黒崎サッカー部を前身に、2010年にJリーグ加盟を果たした若いチーム。加入当初は極端に弱いチームというのがJリーグには存在し、チーム名がパープルサンガ時代の京都や今では強豪の浦和レッズなども余りの弱さが話題になったが、ギラヴァンツ北九州もJ加盟初年度はわずか1勝に終わるなどプロレベルの厳しさを味わう格好になった。2017年からはJ3降格となり、昨年J3で優勝を果たしてJ2に昇格、J1まで1年での躍進を狙っている。現在ではサッカー・ラグビー専用スタジアムであるミクニワールドスタジアム北九州をホームグラウンドとしており、環境面でも比較的恵まれているようである。

Dsc_9992

入場者数の緩和が図られ、これまでの左右3席空けが、前後左右1席空けにまで縮まり、収容人数も多くなったはずなのだが、平日のナイトゲームということもあってか、入場者数は2100人ちょっとと、これまでよりも減ってしまっている。増えたら増えたで行き帰りのJR車内が混雑するのであるが、最大収容人数の10分の1程度の入りというのはやはり寂しい。

Dsc_9995

前回、サンガスタジアムで観戦したのが、9月5日の対ジェフユナイテッド千葉戦ということで少し間が空いてしまった。その間に変化があり、観客数の上限の緩和もそうだが、これまで禁止だった手拍子が今では推奨されるようになっている。拍手は推奨だが手拍子は禁止という奇妙な取り決めがあったのだ。プロ野球では手拍子での応援可なのに、なぜJリーグでは駄目なのかというと、「声援を誘発する怖れがあるから」だったようである。Jリーグは基本的には歌って叫ぶ応援スタイルであり、集団で行うのは好ましくないとされたのだろう。Jリーグに限らずサッカーの場合は地元密着スタイルの副産物でフーリガンと呼ぶべき観客が結構多いのも特徴であるためプロ野球などとは別の規定が設けられた可能性もある。

 

またアウェイ専用席が復活し、少ないながらも北九州のサポーターが駆けつけていて、JR亀岡駅にも「ギラヴァンツ北九州サポーターの皆様!! ようこそ亀岡へ!!」の横断幕があった。

Dsc_9991

今日はバックスタンドの2階席、前から4列目に座る。3階席を取ったつもりが2階席だったのだが、料金は変わらないので臨場感を楽しむことにする。バックスタンド2階席前方は、メインスタンド2階席前方以上に臨場感に優れている。

 

 

今日のサンガのスタメンは、キーパーが若原ではなく清水、背番号10の庄司も控えに回る。ピーター・ウタカがワントップである。

 

今日先発の上夷克典(うええびす・かつのり)が、試合開始3分程で負傷。グラウンド内にうずくまっていたが、結局、6分過ぎに安藤淳に交代した。今日のサンガは、後半にもヨルディ・バイスと曽根田が負傷で交代するなど怪我が多い。コロナ下特別ルールで、5人まで交代が認められているが、通常の3人交代で、交代要員を全て使い切ってしまっていた場合は少ない人数で戦うことを余儀なくされるケースである。

 

ギラヴァンツ北九州の中盤が守備的であるため、サンガは攻めあぐねる。一方、攻撃の切り替えの速さ、上がりのスピード、個人技による突破力などはギラヴァンツの攻撃陣の方が上であり、ゴールにこそ到らないが、チャンスを何度も作る。

 

サンガも攻め上がりは速いが、左サイドに自軍の選手2人がフリーでいるのに、右サイドのウタカにパスを送ってしまうなど、ウタカ頼みの部分は否めない。

 

前半21分、中央付近にいたウタカが、左サイドの仙頭啓矢にパス。仙頭はオフサイドポジションにいるようにも見えたのだが、副審は旗を揚げず、そのままプレー続行。仙頭は落ち着いてシュートをゴール右隅に決め、サンガが先制する。問題は、ギラヴァンツが「オフサイドだ」と抗議しないかだが、やはりギラヴァンツベンチから抗議があり、試合がしばらく中断した。主審は副審に確認したが判定は覆らず、試合続行となる。

 

後半に入ってからしばらくするとサンガは最終ラインを3人から基本5人に増やす。ヨルディ・バイスの負傷により後半から入った上月壮一郎はオーバーラップに積極的だが、それ以外のディフェンダーは攻めに回ることは余りない。ギラヴァンツの攻めに速さとキレがあるだけに、まだ逃げ切るには早いのだが、サンガの中盤の選手が厚みに欠けるため、相手陣地でのプレーに持ち込むことがなかなか出来ないでいる。

 

ワントップのウタカであるが、後半に入ると疲れが目立つようになり、キープ力はあるがスピードが十分ではなくなるため、決定的チャンスを作ることが出来ない。通常ならウタカを引っ込めて守りを固めるところなのだが、ギラヴァンツの攻撃を見ると、出来るならもう1点欲しいところで、専守防衛策は得策ではない。

 

だが、それでも後半も半ば以降はギラヴァンツイレブンが一方的に攻める展開が多くなる。サンガゴール手前でのセットプレーも多く、こぼれ球の向きが変わってあわやオウンゴールという場面もあったが、キーパーの清水がなんとか弾き出した。

 

アディショナルタイムは4分。ここでサンガは仙頭と怪我をした曽根田に代わって庄司悦大と谷内田哲平を投入。ゴール前ではなく中盤での防御を行う策だったのかも知れないが、これで確かにサンガゴール前でのプレーは減り、タイムアップの笛を迎えた。

 

試合内容はお世辞にも良いとは言えなかったが、なんとか逃げ切り、勝ち点3を獲得。サンガは7位に浮上、ギラヴァンツは4位に転落となった。

Dsc_0009

| | コメント (0)

2020年10月17日 (土)

観劇感想精選(359) 「ゲルニカ」

2020年10月10日 京都劇場にて観劇

午後6時から、京都劇場で「ゲルニカ」を観る。作:長田育恵(おさだ・いくえ。てがみ座)、演出:栗山民也。栗山民也がパブロ・ピカソの代表作である「ゲルニカ」を直接観た衝撃から、長田に台本執筆を依頼して完成させた作品である。出演:上白石萌歌、中山優馬、勝地涼、早霧せいな(さぎり・せいな)、玉置玲央(たまおき・れお)、松島庄汰、林田一高、後藤剛範(ごとう・たけのり)、谷川昭一郎(たにがわ・しょういちろう)、石村みか、谷田歩、キムラ緑子。音楽:国広和毅。

上白石姉妹の妹さんである上白石萌歌、関西ジャニーズ所属で関西テレビのエンタメ紹介番組「ピーチケパーチケ」レギュラーの中山優馬、本業以外でも話題の勝地涼、京都で学生時代を過ごし、キャリアをスタートさせた実力派女優のキムラ緑子など、魅力的なキャスティングである。

ピカソが代表作となる「ゲルニカ」を描くきっかけとなったバスク地方の都市・ゲルニカでの無差別爆撃に到るまでを描いた歴史劇である。当然ながらスペインが舞台になっているが、コロナ禍で明らかとなった日本の実情も盛り込まれており、単なる異国を描いた作品に終わらせてはいない。

京都劇場のコロナ対策は、ザ・シンフォニーホールでも見た柱形の装置による検温と京都府独自の追跡サービスへのQRコード読み取りによる登録、手指の消毒などである。フェイスシールドを付けたスタッフも多い。前日にメールが届き、半券の裏側に氏名と電話番号を予め書いておくことが求められたが、メールが届かなかったり、チェックをしなかった人のために記入用の机とシルペン(使い捨て用鉛筆)が用意されていた。客席は左右1席空け。京都劇場の2階席は視界を確保するために前の席の斜交いにしているため、前後が1席分完全に空いているわけではないが、距離的には十分だと思われる。

紗幕が上がると、出演者全員が舞台後方のスクリーンの前に横一列に並んでいる。やがてスペイン的な手拍子が始まり、今日が月曜日であり、晴れであること、月曜日にはゲルニカの街には市が立つことがなどが歌われる。詩的な語りや文章の存在もこの劇の特徴となっている。

1936年、スペイン・バスク地方の小都市、ゲルニカ。フランスとスペインに跨がる形で広がっているバスク地方は極めて謎の多い地域として知られている。スペインとフランスの国境を挟んでいるが、バスク人はスペイン人にもフランス人にも似ていない。バスク語を話し、独自の文化を持つ。

バスク地方の領主の娘であるサラ(上白石萌歌)は、テオ(松島庄汰)と結婚することになっていた。サラの父親はすでになく、男の子の残さなかったため、正統的な後継者がこれでようやく決まると思われていた。しかし、フランコ将軍が反乱の狼煙を上げたことで、スペイン全土が揺るぎ、婚礼は中止となる。教会はフランコ率いる反乱軍を支持し、テオも反乱軍の兵士として戦地に赴く。当時のスペイン共和国(第二共和国。スペインは現在は王政が復活している)では、スペイン共産党、スペイン社会労働党等の左派からなる親ソ連の人民戦線が政権を握っており、共産化に反対する人々は反乱軍を支持していた。フランコはその後、世界史上悪名高い軍事独裁政権を築くのであるが、この時には人々はまだそんな未来は知るべくもない。
反共の反乱軍をナチス・ドイツ、ファシスト党政権下のイタリア、軍事政権下のポルトガルが支持。日露戦争に勝利した日本も反乱軍に武器などを送っている。一方、左派の知識人であるアメリカのアーネスト・ヘミングウェイ、フランスのアンドレ・マルロー、イギリスのジョージ・オーウェルらが共和国側支持の一兵卒として参加していたこともよく知られている。
バスクは思想によって分断され、ゲルニカのあるビスカヤ県は多くが人民戦線を支持する共和国側に立ち、1936年10月、共和国側は、バスクの自治を認める。だが翌1937年4月26日、晴れの月曜日、反乱軍はゲルニカに対して無差別爆撃を行った。市民を巻き込んだ無差別爆撃は、これが史上初となった。当時、パリにいたピカソは怒りに震え、大作「ゲルニカ」の制作を開始する。

 

サラの母親であるマリア(キムラ緑子)は、サラがテオと結婚することで自身の家が往年の輝きを取り戻せると考えていた。バスクは男女同権の気風が強いようだが、家主が女では見くびられたようである。しかし、内戦勃発により婚礼を済まさぬままテオは戦場へと向かい、マリアの期待は裏切られる。その後、サラはマリアから自身が実はマリアの子ではないということを知らされる。今は亡き父親が、ジプシーとの間に生んだ子がサラだったのだ。サラはマリアの下から離れ、かつて料理番として父親に仕えていたイシドロ(谷川昭一郎)の食堂に泊まり込みで働くことを決める。


一方、大学で数学を専攻するイグナシオ(中山優馬)は、大学を辞め、共和国側に参加する意志を固めていた。イグナシオはユダヤ人の血を引いており、そのことで悩んでいた。田園地帯を歩いていたイグナシオはテオとばったり出会い、決闘を行う格好になる。結果としてテオを射殺することになったイグナシオは、テオの遺品である日記に書かれたサラという名の女性を探すことになる。

イシドロの食堂では、ハビエル(玉置玲央)やアントニオ(後藤剛範)らバスク民族党の若者がバスクの誇るについて語るのだが、樫の木の聖地であるゲルニカにバスク人以外が来るべきではないという考えを持っていたり、難民を襲撃するなど排他的な態度を露わにしていた。

一方、従軍記者であるクリフ(イギリス出身。演じるのは勝地涼)とレイチェル(パリから来たと自己紹介している。フランス人なのかどうかは定かでない。演じるのは早霧せいな)はスペイン内戦の取材を各地で行っている。最初は別々に活動していたのだが、フランスのビリアトゥの街で出会い、その後は行動を共にするようになる。レイチェルはこの年に行われた「ヒトラーのオリンピック」ことベルリン・オリンピックを取材しており、嫌悪感を抱いたことを口にする。
レイチェルが事実に即した報道を信条としているのに対し、クリフはいかに人々の耳目を引く記事を書けるかに懸けており、レイチェルの文章を「つまらない」などと評する。二人の書いた記事は、舞台後方のスクリーンに映し出される。

イグナシオからテオの遺品を受け取ったサラは、互いに正統なスペイン人の血を引いていないということを知り、恋に落ちる。だがそれもつかの間、イグナシオには裏の顔があり、入隊した彼はある密命を帯びてマリアの下を訪ねる。それはゲルニカの街の命運を左右する任務であった。マリアは判断を下す。

 

ゲルニカの悲劇に到るまでを描いた歴史劇であるが、世界中が分断という「形の見えない内戦」状態にあることを示唆する内容となっており、見応えのある仕上がりとなっている。

新型コロナウイルスという人類共通の敵の出現により、あるいは歩み寄れる可能性もあった人類であるが、結局は責任のなすりつけ合いや、根拠のない差別や思い込み、エゴイズムとヒロイズムの暗躍、反知性主義の蔓延などにより、今置かれている人類の立場の危うさがより顕著になっただけであった。劇中でクリフが「希望」の残酷さを語るが、それは今まさに多くの人々が感じていることでもある。

クリフはマスコミの代表者でもあるのだが、センセーショナルと承認を求める現代のSNS社会の危うさを体現している存在でもある。
報道や情報もだが、信条や矜持など全てが行き過ぎてしまった社会の先にある危うさが「ゲルニカ」では描かれている。

ゲルニカ爆撃のシーンは、上から紗幕が降りてきて、それに俳優達が絡みつき、押しつぶされる格好となり、ピカソのゲルニカの映像が投影されることで描かれる。映像が終わったところで紗幕が落ち、空白が訪れる。その空白の残酷さを我々は真剣に見つめるべきであるように思われる。

劇はクリフが書き記したゲルニカの惨状によって閉じられる。伝えることの誇りが仄見える場面でもある。

 

姉の上白石萌音と共に、今後が最も期待される女優の一人である上白石萌歌。薩摩美人的な姉とは違い、西洋人のような顔と雰囲気を持つが、姉同様、筋の良さを感じさせる演技力の持ち主である。

 

関西では高い知名度を誇る中山優馬も、イグナシオの知的で誠実な一面や揺れる心情を上手く演じていた。

 

万能女優であるキムラ緑子にこの役はちょっと物足りない気もするが、京都で学生時代を過ごした彼女が、京都の劇場でこの芝居を演じる意味は大いにある。ある意味バスク的ともいえる京都の街でこの劇が、京都に縁のある俳優によって演じられる意味は決して軽くないであろう。

Dsc_9830

| | コメント (0)

2020年10月14日 (水)

美術回廊(58) 京都文化博物館 特別展「舞妓モダン」

2020年10月8日 三条高倉の京都文化博物館にて

三条高倉の京都文化博物館で行われている特別展「舞妓モダン」を観る。
舞妓を描いた絵画を中心とした展覧会である。
京都以外の人は案外知らなかったりするのだが、舞妓というのは芸妓になるための見習い期間を指す言葉であり、「半人前」である。それがいつの間にか芸妓よりも注目されるようになっている。
私が子どもの頃に、京都出身にして在住の推理小説家であった山村美紗が舞妓が探偵役を務めるシリーズを書いてヒットにつなげており、テレビドラマ化などもされたため、この時点で舞妓がすでに人気だったことがわかるのだが、その後、宮川町が芸妓ではなく舞妓を前面に押し出す戦略を始め、宮川町が後援する舞妓を題材とした映画がいくつか作られている。
その後、それとは全く無関係に周防正行監督の「舞妓はレディ」も制作されるなど、初々しさが売りの舞妓は京都の象徴であり続けている。

舞妓は今では「半人前」ということで髪型や衣装も芸妓とは異なっているが、江戸時代以前にはそうした区別はなかったそうで、往時の絵では描かれているのが舞妓なのか芸妓なのか判然としないそうである。

江戸時代から明治初期までに描かれた舞妓はいわゆる「江戸美人」の名残を残しており、細いつり目の瓜実顔であり、今の「美人」や「可愛い」とは大分基準が異なる。美人芸妓として知られた江良加代を描いた絵と彼女の写真も展示されているが、今の時代であっても彼女が売れっ子になれたかというとかなり怪しくなってくる。

昭和6年(1931)に行われた都をどりの映像が流れている。昭和6年というと、関西では大阪城天守閣の再建(正確に書くと「新たなデザインによる建設」となる)がなった年として重要だが、松の廊下事件から230年目ということで、「忠臣蔵」を題材とした演目で都をどりが行われたようである。今でも美人で通用する人と難しいかも知れない人の両方が映っているが、昭和初期であっても今と美人の基準が異なっているのは映画スターの顔を見ればわかり、今の基準で美人の子が当時も人気だったかどうかは分からない。全ては無常で移り変わっていくのである。

「つり目の舞妓」が、黒田清輝の絵画(明治29年に描かれたもの。なお、後期からは重要文化財に指定されている黒田の「舞妓」という作品が展示される予定である)から一気に変わる。キュレーターがそういう絵を選んだという可能性もあるのだが、展示された黒田清輝の絵に登場する舞妓はつり目ではなく、フラットというかナチュラルな表情をしている。日本における美人の基準が年を経れば経るほど西洋の美女に似てくるというのはよくいわれることであり、現代でもハーフタレントなどは大人気であるが、黒田清輝が舞妓の絵を描いたのはフランスへの留学を終えて帰国した後であり、あるいは当時の一般的な日本人とは違った美意識を持っていたかも知れない。異国への留学を経て帰ってきた黒田であるが、京都の舞妓にむしろ外国人以上に外国的なものを見出したことが記されている。

山があり、川が流れ、田園が広がるという景色が日本の原風景だとすると、大都市は明らかに「非日本的」な要素を多く持つことは自明であるが、ご一新の世にあっても大都市の中では日本らしさを守り続けた京都は明治時代においてすでに異国的であり、年を経るにつれ、様々な時代の建造物や価値観が渾然一体となって、いうなれば「日本的要素を凝縮しすぎたが故に却って異国的」となっていく。芸妓・舞妓はその象徴ともいえる。誤解を怖れずにいえば、彼女達は異人なのだ。特に舞妓は、華麗な衣装を纏ってはいるが半人前というアンバランスさを持っており、そこに一種の儚さやこの世ならぬものが見出されていく。

京都画壇を代表する画家である竹内栖鳳は、舞妓の「不自然さ」について書いている。竹内によると舞妓はその仕草からして不自然であり、往時は9歳から舞妓になれたということで、幼い顔や肉体とその優美な着物が不一致であるとしている。

大正時代に入ると長田幹彦が書いた祇園を舞台とする小説がヒットし、大正を代表する美人画家である竹久夢二が長田とコラボレーションを行うようになる。夢二が描く舞妓はいかにも夢二的なものである。絵としては正直弱いと思うが、大衆受けはとにかく良かったため、祇園の知名度を上げることには大いに貢献したであろうことが想像される。

舞妓という存在の不可思議性を追求する画家はその後も登場しており、速水御舟が描いた一見グロテスクな「京の舞妓」(大正9年。この作品は前期のみの展示)は、その特異性に光を当てていると見ることも出来る。ちなみにこの作品は、「悪趣味だ」として、横山大観を始めとする多くの画家から酷評されたそうである。

岡本神草の「口紅」(大正7年。この作品も前期のみの展示)も、舞妓を泉鏡花の小説に出てきそうなあだっぽい存在として描いたものであり、問題視されたそうである。

勿論、舞妓が持つそのものの魅力を描く画家もおり、「舞妓モダン」のポスターに使われている北野恒富の「戯れ」は青紅葉とカメラを持った舞妓の横顔を描いており、瑞々しさが強調されている。

Dsc_9808


だが、その後もデフォルメは続き、下村良之介が昭和55年に描いた「たこやき」などは可憐な舞妓のイメージから最もかけ離れたものになっている。

その他にも、一見、可憐な舞妓に見えるが、よく見えると目が白人風だったりと、「別世界の女性」としての舞妓を描く作品は多い。

舞妓と呼ばれるのは芸妓になる前の5年ほどの歳月である。可憐にして奇妙な仕組みの住人となるこの短い日々を、画家達は常識的でない視点で切り取っている。

 

| | コメント (0)

2020年9月30日 (水)

配信公演 「京都能楽チャリティ公演~祈りよとどけ京都より~」2020.9.25

2020年9月25日

午後7時から、YouTubeライブで「京都能楽チャリティ公演~祈りよとどけ京都より~」を観る。東日本大震災の被災地のためのチャリティ公演であり、ロームシアター京都完成後は、毎年サウスホールで公演が行われていたのだが、今年は新型コロナの影響で中止となり、代わりに配信が行われることになった。
なお、今回は新型コロナウイルスの流行中であるということで、チャリティ募金は行われない。東日本大震災での被災地は、主に東北地方の太平洋側であったが、今現在は全世界が新型コロナの被災地といって過言ではない状態になってしまっている。

「能楽チャリティ公演」は、例年は昼夜別演目1回ずつの2回公演であったが、今回は流石に2回は難しいということで、能2番、狂言1番の1公演分の演目が先月20日にロームシアター京都サウスホールで収録され、観世流シテ方の片山九郎右衛門がライブ出演して、特別に演目の解説を行うというスタイルとなった。歌舞伎などではイヤホンガイドがあるが、能や狂言にはそうしたものはないので、貴重な機会である。

まず、祝言謡「四海波」が能楽師有志によって謡われ、能「羽衣」(出演:浦田保浩ほか)、狂言「口真似」(出演:茂山千五郎ほか)、能「大会(だいえ)」(出演:片山九郎右衛門ほか)が上演される。


「四海波」は、能楽師が最もよくうたう謡だそうである。


能「羽衣」。世阿弥の作と伝わるが、確たる証拠はないという演目である。舞台となっているのは駿河国の三保の松原。舞台設定や登場人物、あらすじは歌舞伎舞踊になっているものとほぼ同じである。
能舞台の場合は鏡板があるわけだが、今回は能楽堂ではなく劇場での公演ということで、背景は富士山の山稜や雲を表しているかのような抽象的な線が照明で描かれている。
天女の昇天(でいいのかな?)は、富士山の煙と二重写しになるように描かれており、また天女は月世界からやって来たということで、「竹取物語」も意識されているようである。

英語の字幕スーパー入りでの上演。ちなみに羽衣は英語で“Robe(ローブ)”となっており、確かにそうかも知れないが大分イメージが異なる。英語圏の人に「羽衣とは何か」を説明しても、多分、すぐにはわからないので、ローブが適当なのだろう。
歌舞伎ではそうではないが、能では天女は面を付けているため、明らかに異界の人である。
また、天女の舞も迫力重視である。
ラストでは富士山が須弥山に例えられ、月の光は浄土の無量寿光に重なって、この世の安寧が祈念される。


狂言「口真似」。主(茂山茂)が酒を飲もうとするのだが、一人で飲んでも面白くない。そこで太郎冠者(茂山千五郎)を呼び、「面白い奴を客人として呼んでこい」と無茶を言う。太郎冠者は酔狂人(飲んべえ)の逸平(茂山逸平)を呼ぶことにする。主は、酔狂人が来ると聞いて不満に思うも無下にするわけにもいかず、太郎冠者に自分の言う通りにして逸平に接するよう命じるのだが、太郎冠者は主の言ったことを一言一句そのまま逸平に伝えてしまい……。

どこかで見た覚えがあったのだが、1996年の大河ドラマ「秀吉」の第48回の劇中で、豊臣秀吉(竹中直人)が徳川家康(西村雅彦。現・西村まさ彦)と共に演じ始めたのがこの演目であったことを思い出す。一度、確認してみたいのだが、残念ながら今すぐに確認出来る手段はないようだ。調べてみたところ、能狂言好きとしても知られた豊臣秀吉は、「口真似」の元となる狂言を徳川家康と前田利家と共に3人で舞ったことがあるそうである。


能「大会(だいえ)」。大会というのは、釈迦が霊鷲山(りょうじゅせん)で行った説法を指す言葉のようである。
前段が、絵本で紹介される。片山九郎右衛門の制作で「大会」を絵本化した『天狗の恩返し』からの引用である。

天狗(片山九郎右衛門)が鳶に化けて東北院(とうぼくいん)近くの都大路で遊んでいたところ、武士の投げた石で落とされ、子ども達に捕まって、殺されそうになった。たまたま通りかかった僧侶が鳶の命を助けたのだが、鳶の正体である天狗は僧侶にお礼がしたくなって寺院(原作では比叡山延暦寺とされているが、今回の上演では具体的な寺院名は出てこなかった)を山伏に化けて訪れる。山伏に化けた天狗は、僧侶に「望みがあれば仰って下さい」という。大会の様が見たいと僧侶が言うと、天狗は法力(でいいのかな?)を使って大会の様子を再現してみせる。ただ、これは明らかに釈迦と邪魔の話に重なるため、激怒した帝釈天が姿を現し……。

天狗が強者・帝釈天に追われるという話なのだが、今回の上演では天狗が帝釈天に立ち向かい、一騎打ちとなる。YouTubeLiveということで、チャットにコメントが書き込めるのだが、一騎打ちの場面では、「かっこいい」「凄い」という言葉が並ぶ。
帝釈天と天狗が去った後、舞台上に鳶の羽が一つ舞い落ち、僧侶がそれを拾い上げるという、映像でしか出来ない詩的な演出が施されており、これも好評であった。


私もチャットに参加していたが、こうした上演に立ち会うと、「日本人に生まれて良かった」としみじみ思う。こうした考えも決して大袈裟ではないはずだ。

| | コメント (0)

2020年9月23日 (水)

2346月日(23) KYOTO CMEX第1回コンテンツクロスメディアセミナー 戸田奈津子「世界の映画俳優が愛した京都」

2020年9月18日 烏丸六角のホテルモントレ京都大宴会場「ケンジントン」にて

午後4時30分から、烏丸六角にあるホテルモントレ京都2階大宴会場「ケンジントン」で、KYOTO CMEX 第1回コンテンツクロスメディアセミナー「世界の映画俳優が愛した京都」に参加する。映画字幕翻訳者として著名な戸田奈津子の講演である。

予約先着順無料で行われる講演会。本来ならもっと大勢の方に来て貰いたかった講演会であるが、コロナのためソーシャルディスタンスを保つ必要があり、90名限定となった。

異国情緒を売りとするホテルモントレグループ。7月に泊まったホテルモントレ京都はスコットランドの首都エディンバラをイメージした内装であり、「ケンジントン」もお洒落である。クラシック音楽の演奏なども似合いそうな空間であるが、お高いのだろうか。

 

映画の字幕翻訳家の代名詞的な存在である戸田奈津子であるが、若い頃に映画と英語に憧れ、津田塾大学学芸学部英文科在学中に映画の字幕翻訳を志すのであるが、当時は映画の字幕翻訳家は日本中で10人いるかいないかという専門性の強い仕事であり、全員男性でそれぞれ得意分野を持っていた。大学を出たばかりの女性が割り込む余地はなく、戸田奈津子も短期間のOL(秘書)やフリーの翻訳業をしながら清水俊二に師事するなどして機会を窺っていたが、最初の映画の字幕の仕事を貰った時にはもうすでに40歳を過ぎていたそうで、20年越しの夢の達成となったそうである。
ただ、今回話すのは字幕翻訳家としての仕事ではなく、その中で出会ったハリウッドスタートの思い出話である。字幕翻訳家を目指しながら仕事に全く恵まれなかった時代にその物語は始まる。1980年以降、ハリウッドスターが続々と来日するようになるのだが、ハリウッドスターは英語しか話さないので通訳が必要ということになった。ということで字幕翻訳家希望の英語が出来る女性がいる、英語にも映画にも詳しいので大丈夫だろうというので、その話が戸田奈津子に回ってきたのである。だが、戸田は英文科出身なので英語の読み書きは得意であるが、今の若い人達とは違って学校でリスニングもスピーキングも習っていない。いわば「文字専門」の人だったわけである。というわけで断ろうとしたのであるが、実際に会ったロバート・レッドフォードの美しさに胸がときめいたということもあって、ハリウッドスターとの通訳としての交流が始まっていく。ちなみに若き日のロバート・レッドフォードの美しさは今の若手ハリウッドスターとは「格が違う」そうである。

スクリーンに写真を投影しながらのトーク。映るのはロバート・レッドフォード、リチャード・ギア、シルヴェスター・スタローン(大河内山荘で撮影)、ロバート・デ・ニーロ、アーノルド・シュワルツェネッガー(新幹線内で)、シガニー・ウィーバー(嶋原の角屋で撮影)、ロビン・ウィリアムズ、トム・クルーズである。ハリソン・フォードとも京都を旅したことがあるが、残念ながらハリソン・フォードとの写真は残っていないそうだ。

リチャード・ギアは、千家(どこの千家かは不明)の茶室、苔寺(西芳寺)、そして余り人がいない寺院での写真に写っている。リチャード・ギアはダライ・ラマを崇拝する仏教徒であるが、若い頃はまだ何を信仰しようか迷っており、写真に写っているのは仏教を志し始めた頃の姿だそうである。ギアがカメラを構えた姿を捉えた写真もあるが、当時からモノクロームの写真を撮ること趣味で、毎年誕生日プレゼント代わりに自身が撮ったモノクロームの写真を伸ばしたものを送ってくれるそうである。
「アメリカン・ジゴロ」(1980)がヒットして、初めての来日。リチャード・ギアは大学で哲学を専攻したということもあって、思索を好む若者だったそうだ。人混みが嫌いであるリチャード・ギアは、清水寺や金閣寺といった観光寺には興味を示さず、「寂」が支配するような無名の寺院を好んだという。

1980年代初頭、来日したハリウッドスターはまず東京で会見を行い、更に大阪に移って再び会見を行って、その後、1週間ほど京都で遊ぶというのがスタンダードだったそうである。今のハリウッドスターは忙しすぎて、来日して会見してすぐ帰らなければいけないそうで、若いハリウッドの俳優達は往時の映画スターの来日スタイルをうらやましがっているそうである。一方、残念ながら映画のマーケット的にはもう日本は重要拠点ではなく、中国に取って代わられてしまったそうである。人口が多いところには勝てない、のであるが、実は日本の映画人口の減少も関係していると思われる。平均的な日本人が1年のうちに映画館で観る映画はわずかに2本。映画は「観る人は滅茶苦茶観る」というものであるため、実際は1本も観ないという人が圧倒的多数であると思われる。一方、中国や韓国では映画は国策の一つであるため、観ることを習慣としている人が多い。実は日本はクラシック音楽のマーケットとしても中国は勿論、韓国にすら負けてしまっており、オペラのDVDやBlu-rayの輸入盤に中国語や韓国語の字幕は入っていても日本語の字幕が入っていないというケースが散見される。韓国の人口は日本の半分にも満たないが、韓国の方がマーケットとして重視されているということである。私の周りにもオペラを観たことがないのにオペラを馬鹿にする人が普通にいる。かなりまずいことだと思われるのだが、危機意識を持っている日本人は少ない。中国にはいつの間にか座付きオーケストラを持つオペラハウスまで建つようになっており、かつて文化大革命を推進していた国とは思えないほどだ。

リチャード・ギアは、禅寺を回っている時に、“I was here.”と言ったことがあるそうだ。当然ながら輪廻の考えを知っており、昔、日本人だった時にこの寺院で修行していたことを思い出したという。本当かどうかはわからない。
京都から奈良に向かう途中、京田辺の一休寺(酬恩庵)に寄ったことがあるのだが、一休宗純の人物像や一休が詠んだ和歌(「有漏路より無漏路へ帰る一休み雨降らば降れ風吹かば吹け」だろうか?)にもリチャード・ギアは詳しかったそうだ。また桂離宮も愛したそうである。懐石料理なども好み、またなぜか「ひじき」が大好きだそうだ。

 

ロバート・デ・ニーロは、二条城の唐門で家族と共に撮った写真に収まっている。2006年に撮影されたものだという。
「レイジングブル」で、体重を20キロ増やし、20キロ落としたという伝説で知られるデ・ニーロ。戸田奈津子には、「体に悪いのでもう二度とやらない」と話していたそうだが、普通の人は一度だってそんなことはしない、と書きつつ、私も2003年に半年で17キロ体重を落としたことがあるのだが、みんなに心配され、病気説が流れ、重病説に変わるという経験をしたため、今では体重は「自然のまま」に任せている。

なんにでもなれる俳優として尊敬を集めるデ・ニーロ。ハリウッドでは売れない俳優や女優がウエイターやウエイトレスをやっていることが多いのだが、ウエイターに「憧れの俳優」を聞くと、10人中9人が「ロバート・デ・ニーロ」と答え、ウエイトレスに「憧れの女優」を聞くと、10人中9人が「メリル・ストリープ」と答えるそうで、この二人は神様扱いだそうである。

デ・ニーロが家族を連れて二条城に来たとき、息子達が「チャンバラが見たい」と言ったため、太秦の東映映画村で大部屋の俳優がチャンバラショーをやっているということを知り、息子達は太秦に向かうことになった。デ・ニーロも「見たい」と言ったのだが、大部屋の俳優のショーをロバート・デ・ニーロが見るとなると演じる方も困惑するということで、子ども達が映画村に行っている間、車の中で本を読んでいたそうである。物静かで「Sweetな」性格の人だそうだ。初来日前は、「気難しいらしいよ」などと聞かされていたそうだが、会ってみたら話とは別人であり、以降、戸田奈津子は「自分の目で判断したこと」以外は信じなくなったそうだ。

 

双極性障害(躁鬱病)に苦しみ、6年前に自殺したロビン・ウィリアムズ。戸田奈津子とツーショットの写真がスクリーンに映る。戸田奈津子は「東山の寺」とした覚えていなかったが、おそらく法然院だと思われる。
彼は本物の「天才」だそうで、コメディー出身ということもあり、人を笑わせるのが得意だった。記者会見でも即興による芸でその場を爆笑の渦に巻き込むことが得意だったそうである。アメリカのコメディーは作家が書いたものをコメディアンが演じるというケースが多いのだが、ロビン・ウィリアムは作家を使わず、全て自分で考えて演じていたという。
彼もロバート・デ・ニーロ同様、素顔は物静かな人で、それが人を前にするとサービス精神に火が付き、楽しませることに夢中になっていたという。
その二面性が、個人的には双極性障害に繋がっているようにも見える。悲劇的な死は天才であったことの代償なのか。

 

トム・クルーズもエンターテインメント精神に関しては誰にも負けないという。ディスレクシア(読字障害)を持ち、人一倍苦労して育ったトム・クルーズ。新宗教に入れあげていて、それで批判されることも多いが、現役としては最高の映画スターであることは間違いなく、戸田奈津子はトム・クルーズのことを「映画のために生まれてきた人」と評している。二条城での「ラスト サムライ」公開時の記者会見の写真がスクリーンに映る。
トム・クルーズは、「ラスト サムライ」出演に当たって、武士道や剣術などを徹底して研究したそうで、プロ意識も高く、日本など諸外国へのリスペクトも忘れないという。

危険なシーンにもスタントマンなしで挑むことでも知られるトム・クルーズであるが、他の映画を観た時に、あきらかに別人が吹き替えているとわかるものがあり、自分がそうなるのはみっともないという考えがあるそうだ。そのためトム・クルーズが危険なシーンに挑んでいる時は、必ず自身の顔が映るようにして貰っているそうである。「ファンが僕がやってるんだとわかると喜んでくれるから」だそうである。

トム・クルーズは笑顔が印象的な俳優であるが、朝起きた瞬間から笑顔というような人だそうで、「ちょっと気持ち悪いかも知れないんですけど」と戸田もいうが、とにかく人を喜ばせることを生き甲斐としているそうである。

 

ハリウッドスターの共通点は、「ビッグになればなるほど謙虚」だそうである。残念ながら写真はないが、最後はハリソン・フォードの話になる。ハリソン・フォードは30代になってから売れ始めた遅咲きの俳優であるが、売れ始めた頃から今に到るまで、内面は全く変わらないそうである。
ハリソン・フォードは20代の頃は丸々売れず、「大工をしていた」という話があるが、正確にいうとしていたのは大工というよりも「家具職人」に近いそうである。
アメリカの場合、売れない俳優にはポルノ映画からの声が掛かることがあるそうで、有名俳優にも若い頃はそうやって日銭を稼いでいた人はいるそうだが、ハリソン・フォードはポルノ映画から声が掛かっても、「それをやってしまうと俳優の仕事への誇りを失ってしまいそうだ」という理由で断り、職人仕事を行いながら映画俳優への道を模索し続けていたそうである。

Dsc_9575

| | コメント (0)

2020年9月18日 (金)

美術回廊(57) 美術館「えき」KYOTO 「キスリング展 エコール・ド・パリの巨匠」

2020年9月13日 美術館「えき」KYOTOにて

美術館「えき」KYOTOで、「キスリング展 エコール・ド・パリの巨匠」を観る。

キスリング(本名はモイーズ・キスリングだが、キスリング本人はユダヤ的であるファーストネームが余り気に入らず、姓のみを記すことが多かったようだ)は、「ポーランドの京都」に例えられることが多い古都クラクフに生まれ、最初は彫刻に興味を持つが、地元の美術学校の彫刻科に空きがなかったため、絵画科に学ぶ。
19歳でパリに出たキスリングは、モンマルトルでピカソ、モンパルナスでモディリアーニや藤田嗣治(レオナール・フジタ)らと交流。影響を受ける。藤田嗣治とは特に親しかったようで、二人で収まっている写真が残っている。

ちなみによく知られた「エコール・ド・パリ」という言葉だが、当時のフランスでは国粋主義が台頭しており、元々はモンパルナスという家賃の安い場末で創作活動を行う非フランス人画家を指す差別語であったようだが(この時代のフランス人画家達は「エコール・フランセーズ」と呼ばれていたそうである)、「印象派」同様、今では良いイメージの言葉に変わっている。

初期のキスリングの絵は渋めの色を用いたものが多いのだが、パリでの生活によって色彩豊かな作風へと変わっていく。キュビズムの影響も受け取ったが、「ちょっとした試み」として取り入れただけのようだ。そうはいいながら、菱形をモチーフにした静物画と風景画が意図的に並べられており、構図と構造は参考にしているようである。

風景画と違い、人物画は正面から光を当てたような独特の輝きと眼のデフォルメが特徴である。眼は大きめで少女漫画のような描き方をされていて、輝きと憂いを宿す。当時、モンパルナスでアイドル的な人気を得ていた「モンパルナスのキキ」ことアリス・プランと親しくしていたキスリングはキキを題材にした裸婦画、その名もずばり「モンパルナスのキキ」も残している。キスリングの裸婦画は臀部を膨らませたような描き方をしているのが特徴である。1918年には南仏に長期滞在し、南仏を題材にした絵も描いている。

「モンパルナスのプリンス」「モンパルナスの帝王」と呼ばれるほどの成功を収めたキスリング。彼自身は「自分はユダヤ人ではなくてフランス人だ」と思っていたようである。フランスに帰化もした。だがナチスドイツが台頭するとキスリングは反ナチ的な発言によりドイツから死刑宣告を受けたこともあって、ドイツによるフランス侵攻が始まると亡命。マルセイユからポルトガルを経てアメリカに渡る。ニューヨークに居を構えるが、旧知のピアニスト、アルトゥール・ルービンシュタインに誘われハリウッドでも暮らしている。アメリカ時代に描いた「ミモザの花束」では花弁に使う絵の具をホイップ状に重ねることで立体感を出している。
南仏を代表する花であり、「不滅」という意味を持つミモザ。キスリングのフランスへの思いを表しているようだ。戦後フランスに戻ったキスリングは南仏サナリーにアトリエを構え、同地で没した。

Dsc_9548

| | コメント (0)

2020年9月 8日 (火)

楽興の時(39) 京都坊主BAR 「MANGETSU LIVE vol.24」(オーボエ:國本恵路)

2020年9月2日 元本能寺の近くの京都坊主BARにて

午後7時から、元本能寺の近くにある京都坊主BARで、「MANGETSU LIVE vol.24」を聴く。今日はオーボエの國本恵路(くにもと・えみ)独奏の演奏会である。

國本恵路は、大阪芸術大学演奏学科オーボエ専攻卒業後、フランスに渡り、更にスイスに移ってチューリッチ芸術大学でもオーボエを修め、同大学の大学院で音楽生理学の基礎コースを修了している。帰国後は合気道を習い、現在は合気道の指導員としても活躍しているという。

飛沫防止用のシートを前にしての演奏。これまで京都坊主BARでは、リコーダー、ヴィオラ、電子チェンバロ、ヴィオラ・ダ・ガンバなどの演奏を聴いてきたが、オーボエが一番音の通りがいい。


スコット・ジョプリンの「ジ・エンターテイナー」のオーボエ独奏版でスタート。合間にトークを入れながらの進行である。今日はマイクが使えるため、トークの内容もよく聞こえる。
「ジ・エンターテイナー」は、1973年公開の映画「スティング」で一躍有名になり、今ではサッカーのサポーターが歌う曲として抜群の知名度を誇っている。

秋をテーマにしたということで、イギリスの作曲家であるジェームズ・オズワルドの「キリンソウ」が演奏される。秋というと日本ではノスタルジックなシーズンというイメージだが、イギリスの曲ということで日本の秋のイメージとは大分異なる。

日本の秋の曲として「夕焼け小焼け」が録音伴奏付きで演奏されるが、やはり日本の秋というと、空が高く澄んでいて、夕焼けが映えてというイメージが浮かびやすい。秋の季語である「月」も歌詞に登場する。中村雨紅の詩は出身地である今の東京都八王子市の夕景を表したものだそうである。國本によると「夕焼け小焼け」のメロディーは草川信が1923年に作り上げたものであるが、この年の9月1日起こった関東大震災によってオリジナルの譜面は焼けてしまったという。ただ友人に写譜を渡していたため、作品自体が灰燼に帰すということは避けられたそうだ。

続いて瀧廉太郎の「荒城の月」が録音伴奏付きで演奏される。1番は歌曲の旋律通り(山田耕筰の編曲に準拠)に吹いたが、その後は崩して歌われ、最後に歌曲のメロディーに戻ってくるという編曲であった。

アンタル・ドラティ作曲の無伴奏オーボエのための5つ小品から「蟻とキリギリス」。
指揮者大国ハンガリー出身の名指揮者として名高いアンタル・ドラティ(ドラーティ・アンタル)。世界初の「ハイドン交響曲全集」を作成し、晩年にデトロイト交響楽団を指揮して録音したストラヴィンスキーの「春の祭典」は名盤中の名盤として知られる。
作曲家や編曲家としても活躍しており、無伴奏オーボエのための5つの小品は、名オーボイストのハインツ・ホリガーのために作曲されたものである。
20世紀の作品だけに音に鋭さがあり、進行も割合複雑である。最後に軽いオチがある。

20世紀のイギリスを代表する作曲家であるベンジャミン・ブリテンの「6つの変容」より。「6つの変容」は、ギリシャ神話に登場する神々にちなんだ曲集で、今日はそのうちの“パン”、“フェイトン”、“アレトゥーサ”にまつわる3曲が演奏された。
ベンジャミン・ブリテンは、生前から「パーセル以来久しぶりに現れたイギリスの天才作曲家」と呼ばれていたが、近年、作品が上演される機会の増えている作曲家の一人であり、才気に満ちた作品の数々が人々を魅了している。

今年の7月に亡くなった映画音楽の大家、エンニオ・モリコーネの「ガブリエルのオーボエ」。録音伴奏付きの演奏である。耳に馴染みやすく、どこか懐かしい甘美で流麗な旋律が魅力的である。

クロード=ミシェル・シェーンベルクの「レ・ミゼラブル」より“夢破れて”。クロード=ミシェル・シェーンベルクは、十二音技法で知られるアーノルト・シェーンベルクの親戚である。
“夢破れて”は、スーザン・ボイルの歌唱で有名になったほか、映画「レ・ミゼラブル」のアン・ハサウェイによる感情を最優先させた歌唱も話題になった。日本語訳詞版を歌う歌手も多く、ミュージカル「レ・ミゼラブル」の中でもキーになっている曲として人気が高い。嘆きの歌詞を持つだけに、歌だと情感たっぷりとなるが、オーボエで演奏した場合は旋律の美しさが目立つ。

最後はテレマンのファンタジー。「MANGETSU LIVE」はバロック以前の楽曲演奏を主軸とした演奏会であるため、テレマンの楽曲が演奏されることが多いのだが、均整の取れた楽曲は魅力的である。

| | コメント (0)

2020年9月 3日 (木)

コンサートの記(650) mama!milk 「八月の組曲」@京都文化博物館別館

2020年8月29日 三条高倉の京都文化博物館別館にて

午後6時30分から京都文化博物館別館で、mama!milkの公演「八月の組曲」を聴く。出演は、mama!milkの二人(アコーディオン:生駒祐子、コントラバス:清水恒輔)と二胡の杉原圭子、マルチミュージシャンの曽我大穂(アコーディオン、フルート、パーカッションほか)。

京都文化博物館に入るには、いつも通り、サーモグラフィー映像での検温と手のアルコール消毒、紙に氏名と電話番号を書くか、京都の追跡サービス「こことろ」にチェックインを入れる必要がある。コンサート会場である別館(旧日本銀行京都支店社屋。重要文化財)に入る前にも検温と手のアルコール消毒は必要となる。

 

曲目は、「アン・オード とある歌」、「waltz,waltz 小さなワルツの招待状」、「ビロンドの」、「永遠のワルツ」、「そしてNude」、「逃避行のワルツⅠ」、「港町にて」、「土曜日のTango」、「さまよえるアンバン」、「Kujaku 孔雀」、「かのハポネのワルツ」、「青」、「3つのサンクチュアリより」、「your voice ユア・ボイス」

 

客席は前回同様、プラスチック製の椅子が3つ繋がったものがワンユニットとして並べてあり、3人掛けに見えるが、実際は真ん中の椅子にしか座ることが出来ず、ソーシャルディスタンスが保たれるようにしてある。

今回は、京都文化博物館別館の西側の端がステージとなり、東側に客席が並ぶ。前回よりもオーディエンスの数は多そうだが、数えたわけではないので実際のところは把握出来ない。

 

まずコントラバスの清水恒輔が奧の扉から現れ、演奏を始める。それに曽我大穂のアコーディオンが応える。曽我は2階のテラスで演奏を行い、空間的な広がりと遠近感が生まれている。
その後、アコーディオンの生駒祐子が客席の後方から演奏を行いながら登場し、トリオでの演奏が続く。

曽我も1階に降りての演奏が行われる。ボレロのリズムが奏でられ、曽我が3つの拍をパーカッションで刻みながら客席を歩く。

二胡の杉原圭子の出番はそれほど多くなかったのだが、西洋の楽器でいうポルタメントを行うなど独自の奏法を取り入れ、二胡特有のノスタルジックな味わいを出す。

8月の終わりに行う「八月の組曲」ということで、演奏自体もノスタルジアに満ちている。京都文化博物館別館のレトロな雰囲気、照明の妙、そして何よりも演奏によって過去へと引き戻される。子どもの頃、母親の実家である田舎で過ごした夏休みの日々の音と匂いと情景、京都文化博物館別館と同様に古き良き時代の装飾を残した明治大学駿河台校舎の自習室(1928年竣工の建物で、記念館と図書館の間に存在した。記念館と自習室は現存せず、図書館も移転して、以前図書館であった建物は研究棟になっている)で勉学や詩作に励んだ日々などが甦る。

以前にも何度か書いているが、私は3ヶ月ほどだったが二胡を習っている。「ラストエンペラー」で二胡を弾いていた姜建華に憧れていたのだが、当時通っていた水道橋の日中学院に「二胡のサークルを作る」という張り紙があったので、応募して、墨田区にある施設で日曜日にレッスンを受けていた。そんな日々のことも思い出す。

音楽はただ音楽であるだけではなく、記憶と分かちがたく結びついている。自身でもそれがなければ入れない自分だけの部屋の鍵でもあるのだ。

とても良い時間を過ごす。

最後に「秋の始まりのワルツ」が演奏され、約1時間のコンサートは夢のように過ぎ去った。


Dsc_9423

 

| | コメント (0)

2020年8月29日 (土)

美術回廊(56) 京都文化博物館 特別企画展「池大雅―文人たちの交流」&「三条御倉町 大橋家の歴史と美術 木島櫻谷と京都画壇」

2020年8月21日 三条高倉の京都文化博物館にて

三条高倉の京都文化博物館で、特別企画展「池大雅―文人たちの交流」(京都府蔵 池大雅美術館コレクション)と「三条御倉町 大橋家の歴史と美術 木島櫻谷と京都画壇」展を観る。

京都文化博物館に入るにはサーモグラフィーによる各自の検温(スクリーンに映ったカメラ映像に体温が表示されるようになっている)の他、手のアルコール消毒、京都府独自の追跡サービスである「こことろ」をスマートフォンにインストールして「京都文化博物館」にチェックインを入れるか、氏名や住所などを専用紙に記入する必要がある。

京都を代表する文人画家にして書家の池大雅(いけ・たいが、いけのたいが)。享保8年(1723)に京に生まれ、幼くして唐書を学び、隠元隆琦以来、清国出身者が住持を務めた黄檗宗萬福寺(近年は代々日本出身者が住持となっており、往時とは異なる)に出入りするなどして、当時は先端であった中国の文化を自分のものとし、「神童」の名をほしいままにした。その後、大和郡山の柳沢家の重臣であった柳沢淇園(やなぎさわ・きえん。五代将軍・徳川綱吉の側近として辣腕を振るった柳沢吉保から柳沢姓を授かった人物であり、柳沢氏の血筋というわけではない)に師事し、日本における文人画(南画)の第一人者となっている。

唐の風流人の「万巻の書を読み、万国を歩く」を実践し、江戸への遊学や加賀金沢に長期に渡って滞在した時には立山や白山といった北陸の名山を踏破。更に富士山登山や東北の名勝にして日本三景の一つである松島にまで足を延ばすなど旅と登山を愛した画家でもあった。

2013年までは嵯峨野に池大雅美術館があったのだが、閉館後は京都府が池大雅のコレクションを譲り受けている。

描かれた男達は福々しく、彼らの所作は活気に満ちていて声まで聞こえてきそうである。ポスターに採用された「山亭小酌之図」(画もしくは書を描いていると思われる人物の手元を5人の男達がのぞき込んでいる)などでは描かれた人物達の現在の心境まで伝わってきそうである。

Dsc_9370


山は「筋骨隆々」といった趣で、江戸の浮世絵師達の作風とは明らかに異なるパワフルさを備え、一方で針葉樹の葉などはジョルジュ・スーラを思わせる点描で描かれており、個性はかなり強い。
草木などを描いたものは陰影豊かであり、単なる異国趣味に留まらない止揚を成し遂げている。

書の巧拙は残念ながらわからないのだが、デザインとして見た場合に面白いということは伝わってくる。

池大雅は画家でもあった玉瀾を妻とし、共に切磋琢磨する間柄でもあったのだが、その玉蘭の画も展示されている。柔らかさを特徴とする作品である。

 

「三条御倉町 大橋家の歴史と美術 木島櫻谷と京都画壇」。
三条御倉町(三条烏丸と三条室町の間の両側町)に居を構える大橋家ゆかりのコレクション展である。本来は今年の春に行われるはずだったのだが、コロナ禍によって展示期間がずれることになった。
大橋家は、皇族や寺社関係の染色業を扱う西村家の番頭格であり、のちに「別家」と呼ばれるようになる。

大橋家は近代京都画壇の日本画をコレクションしており、それらが今回、公開される。

最初に展示されている木島櫻谷(このしま・おうこく)の画が気に入る。木島櫻谷は、1877年(明治10年。コレラの流行により、八坂神社に季節外れの茅の輪が立った年である。今年はそれ以来、143年ぶりに季節外れの茅の輪が立った)に生まれ、四条派を受け継いだ日本画家である。四条派らしく描写力が高く、何よりも画の力によって見せるタイプである。「最後の四条派」とも呼ばれているようだ。

 

| | コメント (0)

2020年8月13日 (木)

楽興の時(38) 京都坊主BAR 「MANGETSU BAROQUE NIGHT」 ensemble kreanto(西谷玲子&中野潔子)

2020年8月4日 本能寺跡近くの京都坊主BARにて

午後7時から、元本能寺(本能寺跡地)の近くにある京都坊主BARで、「MANGETSU BAROQUE NIGHT」を聴く。普段はツーステージあるが、今日はワンステージのみである。出演は、ensemble kreanto。

ensemble kreantoは、チェンバロの西谷玲子とヴィオラ・ダ・ガンバの中野潔子によるデュオ。

西谷玲子は、京都市出身。京都市立堀川高校音楽科を経て、京都市立芸術大学ピアノ科を卒業。京都市新人芸術家選奨を受賞している。現在はJEUGIAが経営する京都音楽院の講師として活躍している。

中野潔子は、大阪音楽大学楽理科卒業後、同大学院でも音楽学を学び、現在は京都音楽院などで講師を務めるほか、ヴィオラ・ダ・ガンバのコンサートなども主催している。

 

京都坊主BARに新たに電子チェンバロが入る。私が浜松を訪れた時に訪れた浜松市楽器博物館で弾くことの出来る数少ない楽器展示だった電子チェンバロと同じ種類のものだと思われる。この電子チェンバロシリーズは、「テラの音(ね)」コンサートでも用いられたことがある。新品は高いので中古品を購入したそうだ。

Dsc_9306

出演者が店に到着するまでに時間があったので、チェンバロで少し遊んでみる。J・S・バッハの「平均律クラーヴィア」からプレリュード、坂本龍一の「シェルタリング・スカイ」、サティの「ジムノペディ」第1番などの冒頭を弾き(暗譜していないため)、その後、即興演奏も行って遊ぶ。

 

スピーカーからはいつもバロック音楽が流れているのだが、コレッリの「ラ・フォリア」が流れたので、CDの紙ケースを見せて貰う。リコーダー:フランス・ブリュッヘン、チェロ:アンナー・ビルスマ、チェンバロ:グスタフ・レオンハルトという豪華な顔触れによる演奏である。しかしもう今では全員他界してしまった。

フランス・ブリュッヘンの実演には1度だけ接したことがある。リコーダー奏者ではなく指揮者としてである。自ら結成した十八世紀オーケストラを率いての京都コンサートホールでの来日公演。2003年のことだったと思う。民音(民主音楽協会、創価学会の運営)主催であるため、チケット不買運動が起きていた。
この時はブリュッヘンは体調不良だったようで、演目はベートーヴェンの交響曲第6番「田園」と第5番という王道プログラムであったが、ブリュッヘンらしい覇気と才気には欠けていた。というわけで1980年代から90年代のような好調時のブリュッヘンの演奏には残念ながら接していない。

 

今日はマイクのセッティングがなく、出演者もマスクをしながら喋る必要があるため、説明や曲目紹介などが聞き取りにくい。ただ、いずれも馴染みのない曲が多く、曲名を紹介したところで、こちらもどういう曲なのか上手く説明出来ないため、印象のみを述べることにする。

 

西谷玲子のソロ曲目は聞き取ることが出来、J・S・バッハの「シンフォニア」よりが演奏される。西谷は「調の変化を楽しんで欲しい」と言う。「インヴェンションとシンフォニア」として学習用楽曲として有名であるが、そこは流石にバッハで、平易ではあってもシックな大人の音楽に仕上げている。京都坊主BARは町家を改造したバーであり、シンクな雰囲気がバッハの楽曲にとてもよく合う。

 

中野潔子のヴィオラ・ダ・ガンバの演奏。コロナ禍で海外旅行が出来ないため、せめて音楽の世界だけでも異国に飛ぼうということで、オランダ、イギリスやフランスなどの楽曲が奏でられる。
ガット弦を張ったヴィオラ・ダ・ガンバ(チェロの先祖に当たるが、エンドピンがなく、奏者は両足で楽器を挟んで演奏する)の音色は押しつけがましさがなく、音も漂うような雰囲気があり、光の推移の様が目に見えるかのようである。そういう点においては音楽は絵画の「印象派」を先取りしている。ドビュッシーやラヴェルの音楽は、音楽における印象派と呼ばれているが絵画の印象派とは異なる(ドビュッシーらは印象派ではなく「象徴派」と呼ぶべきだという意見もある)。クロード・モネが描こうとしたような光と時間の移り変わりは、音楽では先に達成されていると見ることも出来るのかも知れない。

 

ヴィオラ・ダ・ガンバとチェンバロの楽曲としては珍しい現代の作品の演奏を経て、テレマンの3つあるガンバ・ソナタのうちの一つが演奏される。スケールが大きくリズミカルな曲であり、テレマン自身の自信や誇りが伝わってくるかのようである。
その後の音楽とは価値観が異なる作品が多いが、その時代にマッチし、彩ってきた音楽に触れる贅沢を感じることが出来た。

 

演奏終了後、やっぱりチェンバロを演奏してみたくなったので、先程演奏した曲に加えて、楽譜が置かれていたバッハの「インヴェンションとシンフォニア」第1曲(千葉にいた頃によく弾いた曲だが、譜面がスラスラ読めないようになって来ているので苦戦)、ベートーヴェンの「月光」ソナタの冒頭(暗譜出来ておらず、すぐに行き詰まる)、サティの「グノシェンヌ」第5番の冒頭の右手の旋律、オルガンの音も出せるので、J・S・バッハの「小フーガ」ト短調の冒頭、右手だけの部分などを弾く。もう18年もピアノに向き合っておらず、たどたどしいものにしかならないが、瞬間瞬間で浮かんでくる旋律を音に変えるという即興演奏っぽい遊びを行っている時間は、あるいは私にとって最も幸せな瞬間なのではないかと、高校生の時にふと浮かんだ思いが、デパートの屋上から上がるアドバルーンのように私の頭上でゆらゆら揺れていた。

| | コメント (0)

より以前の記事一覧

その他のカテゴリー

2346月日 DVD YouTube …のようなもの いずみホール おすすめCD(TVサントラ) おすすめサイト おすすめCD(クラシック) おすすめCD(ジャズ) おすすめCD(ポピュラー) おすすめCD(映画音楽) お笑い その日 びわ湖ホール アニメ・コミック アニメーション映画 アメリカ アメリカ映画 イギリス イギリス映画 イタリア イタリア映画 ウェブログ・ココログ関連 オペラ カナダ グルメ・クッキング ゲーム コンサートの記 コンテンポラリーダンス コンビニグルメ サッカー ザ・シンフォニーホール シアター・ドラマシティ シェイクスピア シベリウス ショートフィルム ジャズ スタジアムにて スペイン スポーツ ソビエト映画 テレビドラマ デザイン トークイベント ドイツ ドキュメンタリー映画 ニュース ノート ハイテクノロジー バレエ パソコン・インターネット パフォーマンス パーヴォ・ヤルヴィ ピアノ ファッション・アクセサリ フィンランド フェスティバルホール フランス フランス映画 ベルギー ベートーヴェン ポーランド ミュージカル ミュージカル映画 ヨーロッパ映画 ラーメン ロシア ロームシアター京都 中国 中国映画 交通 京都 京都コンサートホール 京都フィルハーモニー室内合奏団 京都劇評 京都四條南座 京都国立博物館 京都国立近代美術館 京都市交響楽団 京都文化博物館 京都芸術センター 京都芸術劇場春秋座 伝説 住まい・インテリア 余談 兵庫県立芸術文化センター 動画 千葉 南米映画 占い 台湾映画 史の流れに 哲学 大河ドラマ 大阪 大阪フィルハーモニー交響楽団 大阪松竹座 学問・資格 宗教 室内楽 小物・マスコット・インテリア 広上淳一 心と体 恋愛 意識について 携帯・デジカメ 政治・社会 教育 散文 文化・芸術 文学 文楽 旅行・地域 日本映画 日記・コラム・つぶやき 映像 映画 映画音楽 映画館 書店 書籍・雑誌 書籍紹介 朗読劇 来日団体 東京 梅田芸術劇場メインホール 楽興の時 歌舞伎 正月 歴史 海の写真集 演劇 無明の日々 猫町通り通信・鴨東記号 祭り 笑いの林 第九 経済・政治・国際 絵画 美容・コスメ 美術 美術回廊 習慣 能・狂言 花・植物 芸能・アイドル 落語 街の想い出 言葉 趣味 追悼 邦楽 配信ライブ 野球 関西 雑学 雑感 韓国 韓国映画 音楽 音楽劇 音楽映画 食品 飲料 香港映画