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2025年3月18日 (火)

佐々木蔵之介出演「京のかがやき」2025@祇園甲部歌舞練場

2025年2月8日 祇園甲部歌舞練場にて

午後6時30分から、祇園甲部歌舞練場で、「京のかがやき」2025を観る。京都府内各所の民俗芸能に関わる人々が集って芸を披露する催し。昨年、南座で第1回が執り行われ、今年は会場を祇園甲部歌舞練場に移して開催される。昨年、スペシャルナビゲーターとして参加した、京都市上京区出身の俳優である佐々木蔵之介が、今年はストーリーテラーとして2年連続で参加する。
昨年は副題などは掲げていなかった「京のかがやき」であるが、今年は「夢」がテーマとなっている。

出演は、宮津おどり振興会、宇治田楽まつり実行委員会、原谷弁財天太鼓保存会(京都市)、福知山踊振興会、和知太鼓保存会(京丹波町)の5組。
今回は、それぞれ背景に物語があるという趣向で、佐々木蔵之介が舞台裏でそれを読み上げる。

司会は、あべあさみという名の女性。「なっち」こと安倍なつみの妹で、一時期芸能活動をしていた方と同じ名前だが、別人である。一応、検索するとMCをメインの仕事にしている阿部麻美さんが引っかかるので、この方かも知れない。
最初に西脇隆俊京都府知事の挨拶がある。山田啓二前府知事や松井孝治京都市長に比べて影の薄い西脇府知事。コロナの時期にはようやく表に出てきたが、今ではまた存在感が薄くなっている。最近、X(旧Twitter)を開設して、遅ればせながら発信を始めるようである。

 

「京のかがやき」2025は、「私には夢がある」という言葉でスタート。紗幕の背後に、各団体の代表者が浮かび上がる。
佐々木蔵之介が、下手の花道の入り口から姿を現し、ゆっくりとした足取りで舞台に向かって花道を進む。濃い灰色の着物に青系の羽織という姿である。
ステージにたどり着いたところで佐々木蔵之介による作品の紹介。舞台下手端で、台本を片手にしてのスピーチである。マイクとスピーカーの状態が余り良くないのか、音割れするところもあったが、5つの民俗芸能が京都の未来へと繋がることを語る。ただ、その後は袖に引っ込んで、声のみの出演となった。蔵之介のストーリーテリングは郷土愛ゆえか、少しオーバーになっている気がしたが、発音は明瞭で聞き取りやすかった。流石は第一線の俳優である。

宮津おどり振興会は、宮津市で介護士をしている女性が、障害などがあってもみなが自由に生きられる社会が訪れることを夢見ているという設定。一応、若い女性が主役としているが、実際に介護の仕事をしているのか、物語上の設定なのかは分からない。
宮津おどりの発展に寄与している人が舞うわけだが、素人ではあるので、それほど高いレベルは期待出来ない。だが、そもそもそんなものを望むイベントでもない。
祇園甲部歌舞練場2階の下手桟敷席が演奏のスペースとなっていた。

 

宇治田楽まつり実行委員会。体を悪くしてしまい、「もう宇治田楽には参加出来ないか」と諦めていた男性が、再び宇治田楽に出るという夢を叶える話である。宇治市は、京都府内で第2位の人口を誇る街であり(それでも京都市とは8倍ほどの差があるが)、貴族達の別荘地として長い歴史を誇るだけに、華やかな感じがする。笛などの演奏は舞台上で行われる。

 

原谷弁財天太鼓保存会。内気な女の子が人前で演奏する夢を叶えるという話。迫力のある太鼓である。

 

福知山踊振興会。背後に福知山城天守の絵が投影される。
福知山市では当地を治めた明智光秀はヒーロー。踊り手の女性の着物には明智の家紋である桔梗が入っている。また歌詞に明智光秀が登場する。
尺八が吹かれるのだが、福知山市在住で空手を習い、大会に出ることを夢とする小学生の女の子が、父親の勧めで福知山踊で尺八を吹くというストーリーがある。
上手2階の桟敷席が演奏スペースとなっていた。
ちょっとしたワークショップのようなものがあり、観客も演者と一緒になった簡単な舞を行う。

 

和知太鼓保存会。和知太鼓を広めるという夢があるそうだ。佐々木蔵之介のナレーションに「和知太鼓で未来を開く」という言葉がある。

フィナーレ。佐々木蔵之介が舞台中央に現れ、出演者達を称えて、民俗芸能が京都の未来を開く可能性について再び述べた。こぼれ話として、この公演が乗り打ち(会場に乗り込んでその日の内に公演を打つことを指す、芸能・芸術用語)で、設営時間が短かったこと、「しかも今朝の雪」で、午前5時に起きた佐々木蔵之介であるが、「宮津の皆さん来られるだろうか、福知山の皆さん来られるだろうか」と心配したことを語る。

一度緞帳が下りるが再び上がり、出演者達が花道へと繰り出して、賑やかな締めとなった。

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2025年3月16日 (日)

観劇感想精選(485) 令和6年能登半島地震復興祈念公演「まつとおね」 吉岡里帆×蓮佛美沙子

2025年3月9日 石川県七尾市中島町の能登演劇堂にて観劇

能登演劇堂に向かう。最寄り駅はのと鉄道七尾線の能登中島駅。JR金沢駅から七尾線でJR七尾駅まで向かい、のと鉄道に乗り換える。能登中島駅も七尾市内だが、七尾市は面積が広いようで、七尾駅から能登中島駅までは結構距離がある。

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JR七尾線の各駅停車で七尾へ向かう。しばらくは金沢の市街地だが、やがて田園風景が広がるようになる。
JR七尾駅とのと鉄道七尾駅は連結していて(金沢駅で能登中島駅までの切符を買うことが出来る。のと鉄道七尾線は線路をJRから貸してもらっているようだ)、改札も自動改札機ではなく、そのまま通り抜けることになる。

のと鉄道七尾線はのんびりした列車だが、田津浜駅と笠師保駅の間では能登湾と能登島が車窓から見えるなど、趣ある路線である。

 

能登中島駅は別名「演劇ロマン駅」。駅舎内には、無名塾の公演の写真が四方に貼られていた。
能登演劇堂は、能登中島駅から徒歩約20分と少し遠い。熊手川を橋で渡り、道をまっすぐ進んで、「ようこそなかじまへ」と植物を使って書かれたメッセージが現たところで左折して進んだ先にある。

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午後2時から、石川県七尾市中島町の能登演劇堂で、令和6年能登半島地震復興祈念公演「まつとおね」を観る。吉岡里帆と蓮佛美沙子の二人芝居。

能登演劇堂は、無名塾が毎年、能登で合宿を行ったことをきっかけに建てられた演劇専用ホールである(コンサートを行うこともある)。1995年に竣工。
もともとはプライベートで七尾市中島町(旧・鹿島郡中島町)を訪れた仲代達矢がこの地を気に入ったことがきっかけで、自身が主宰する俳優養成機関・無名塾の合宿地となり、その後10年ほど毎年、無名塾の合宿が行われ、中島町が無名塾に協力する形で演劇専用ホールが完成した。無名塾は現在は能登での合宿は行っていないが、毎年秋に公演を能登演劇堂で行っている。

令和6年1月1日に起こった能登半島地震。復興は遅々として進んでいない。そんな能登の復興に協力する形で、人気実力派女優二人を起用した演劇上演が行われる。題材は、七尾城主だったこともある石川県ゆかりの武将・前田利家の正室、まつの方(芳春院。演じるのは吉岡里帆)と、豊臣(羽柴)秀吉の正室で、北政所の名でも有名なおね(高台院。演じるのは蓮佛美沙子。北政所の本名は、「おね」「寧々(ねね)」「ねい」など諸説あるが今回は「おね」に統一)の友情である。
回想シーンとして清洲時代の若い頃も登場するが、基本的には醍醐の花見以降の、中年期から老年期までが主に描かれる。上演は、3月5日から27日までと、地方にしてはロングラン(無名塾によるロングラン公演は行われているようだが、それ以外では異例のロングランとなるようだ)。また上演は能登演劇堂のみで行われる。

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有料パンフレット(500円)には、吉岡里帆と蓮佛美沙子からのメッセージが載っているが、能登での公演の話を聞いた時に、「現地にとって良いことなのだろうか」(吉岡)、「いいのだろうか」(蓮佛)と同じような迷いの気持ちを抱いたようである。吉岡は昨年9月に能登に行って、現地の人々から「元気を届けて」「楽しみ」という言葉を貰い、蓮佛は能登には行けなかったようだが、能登で長期ボランティアをしていた人に会って、「せっかく来てくれるんなら、希望を届けに来てほしい」との言葉を受けて、そうした人々の声に応えようと、共に出演を決めたようである。また二人とも「県外から来る人に能登の魅了を伝えたい」と願っているようだ。

原作・脚本:小松江里子。演出は歌舞伎俳優の中村歌昇ということで衣装早替えのシーンが頻繁にある。ナレーション:加藤登紀子(録音での出演)。音楽:大島ミチル(演奏:ブダペストシンフォニーオーケストラ=ハンガリー放送交響楽団)。邦楽囃子:藤舎成光、田中傳三郎。美術:尾谷由衣。企画・キャスティング・プロデュース:近藤由紀子。

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舞台美術は比較的簡素だが、能登演劇堂の特性を生かす形で生み出されている。

 

立ち位置であるが、上手側に蓮佛美沙子が、下手側に吉岡里帆がいることが多い。顔は似ていない二人だが、舞台なので顔がそうはっきり見えるわけでもなく、二つ違いの同世代で、身長は蓮佛美沙子の方が少し高いだけなので、遠目でもどちらがどちらなのかはっきり分かるよう工夫がなされているのだと思われる。

 

まずは醍醐の花見の場。秀吉最後のデモストレーションとなったことで有名な、今でいうイベントである。この醍醐の花見には、身内からは前田利家と豊臣秀頼のみが招かれているという設定になっており、おねは「次の天下人は前田利家様」になることを望んでいる。淀殿が秀吉の寵愛を受けており、子どもを産むことが出来なかった自分は次第に形見が狭くなっている。淀殿が嫌いなおねとしては、淀殿の子の秀頼よりも前田利家に期待しているようだ。史実としてはおねは次第に淀殿に対向するべく徳川に接近していくのであるが、話の展開上、今回の芝居では徳川家康は敵役となっており、おねは家康を警戒している。秀吉や利家は出てこないが、おね役の蓮佛美沙子が二人の真似をする場面がある。

二人とも映画などで歌う場面を演じたことがあるが、今回の劇でも歌うシーンが用意されている。

回想の清洲の場。前田利家と羽柴秀吉は、長屋の隣に住んでいた。当然ながら妻同士も仲が良い。その頃呼び合っていた、「まつ」「おね」の名を今も二人は口にしている。ちなみに年はおねの方が一つ上だが、位階はおねの方がその後に大分上となり、女性としては最高の従一位(「じゅいちい」と読むが、劇中では「じゅういちい」と読んでいた。そういう読み方があるのか、単なる間違いなのかは不明)の位階と「豊臣吉子」の名を得ていた。そんなおねも若い頃は秀吉と利家のどちらが良いかで迷ったそうだ。利家は歌舞伎者として有名であったがいい男だったらしい。
その長屋のそばには木蓮の木があった。二人は木蓮の木に願いを掛ける。なお、木蓮(マグノリア)は能登復興支援チャリティーアイテムにも採用されている。花言葉は、「崇高」「忍耐」「再生」。

しかし、秀吉が亡くなると、後を追うようにして利家も死去。まつもおねも後ろ盾を失ったことになる。関ヶ原の戦いでは徳川家康の東軍が勝利。まつの娘で、おねの養女であったお豪(豪姫)を二人は可愛がっていたが、お豪が嫁いだ宇喜多秀家は西軍主力であったため、八丈島に流罪となった。残されたお豪はキリシタンとなり、金沢で余生を過ごすことになる。その後、徳川の世となると、出家して芳春院となったまつは人質として江戸で暮らすことになり、一方、おねは秀吉の菩提寺である高台寺を京都・東山に開き、出家して高台院としてそこで過ごすようになる(史実としては、高台寺はあくまで菩提寺であり、身分が高い上に危険に遭いやすかったおねは、現在は仙洞御所となっている地に秀吉が築いた京都新城=太閤屋敷=高台院屋敷に住み、何かあればすぐに御所に逃げ込む手はずとなっていた。亡くなったのも京都新城においてである。ただ高台寺が公演に協力している手前、史実を曲げるしかない)。しかし、大坂の陣でも徳川方が勝利。豊臣の本流が滅びたことで、おねは恨みを募らせていく。15年ぶりに金沢に帰ることを許されたおまつは、その足で京の高台寺におねを訪ねるが、おねは般若の面をかぶり、夜叉のようになっていた。
そんなおねの気持ちを、まつは自分語りをすることで和らげていく。恨みから醜くなってなってしまっていたおねの心を希望へと向けていく。
まつは、我が子の利長が自分のために自決した(これは事実ではない)ことを悔やんでいたことを語り、苦しいのはおねだけではないとそっと寄り添う。そして、血は繋がっていないものの加賀前田家三代目となった利常に前田家の明日を見出していた(余談だが、本保家は利常公の大叔父に当たる人物を生んだ家であり、利常公の御少将頭=小姓頭となった人物も輩出している)。過去よりも今、今よりも明日。ちなみにおねが負けず嫌いであることからまつについていたちょっとした嘘を明かす場面がラストにある。
「悲しいことは二人で背負い、幸せは二人で分ける」。よくある言葉だが、復興へ向かう能登の人々への心遣いでもある。

能登演劇堂は、舞台裏が開くようになっており、裏庭の自然が劇場内から見える。丸窓の向こうに外の風景が見えている場面もあったが、最後は、後方が全開となり、まつとおねが手を取り合って、現実の景色へと向かっていくシーンが、能登の未来への力強いメッセージとなっていた。

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能登中島駅に飾られた舞台後方が開いた状態の能登演劇堂の写真

様々な衣装で登場した二人だが、最後は清洲時代の小袖姿で登場(ポスターで使われているのと同じ衣装)。劇場全体を華やかにしていた。

共に生で見るのは3回目となる吉岡里帆と蓮佛美沙子。吉岡里帆の前2回がいずれも演劇であるのに対して、蓮佛美沙子は最初はクラシックコンサートでの語り手で(ちなみにこの情報をWikipediaに書き込んだのは私である)、2度目は演劇である。共に舞台で風間杜夫と共演しているという共通点がある。蓮佛美沙子は目鼻立ちがハッキリしているため、遠目でも表情がよく伝わってきて、舞台向きの顔立ち。吉岡里帆は蓮佛美沙子に比べると和風の顔であるため、そこまで表情はハッキリ見えなかったが、ふんわりとした雰囲気に好感が持てる。実際、まつが仏に例えられるシーンがあるが、吉岡里帆だから違和感がないのは確かだろう。ただ、彼女の場合は映像の方が向いているようにも感じた。

 

二人とも有名女優だが一応プロフィールを記しておく。

蓮佛美沙子は、1991年、鳥取市生まれ。蓮佛というのは鳥取固有の苗字である。14歳の時に第1回スーパー・ヒロイン・オーディション ミス・フェニックスという全国クラスのコンテストで優勝。直後に女優デビューし、15歳の時に「転校生 -さよなら、あなた-」で初主演を飾り、第81回キネマ旬報ベストテン日本映画新人女優賞と第22回高崎映画祭最優秀新人女優賞を獲得。ドラマではNHKの連続ドラマ「七瀬ふたたび」の七瀬役に17歳で抜擢され、好演を示した。その後、民放の連続ドラマにも主演するが、視聴率が振るわず、以後は脇役と主演を兼ねる形で、ドラマ、映画、舞台に出演。育ちのいいお嬢さん役も多いが、「転校生 -さよなら、あなた-」の男女逆転役、姉御肌の役、不良役、そして猟奇殺人犯役(ネタバレするのでなんの作品かは書かないでおく)まで広く演じている。白百合女子大学文学部児童文化学科児童文学・文化専攻(現在は改組されて文学部ではなく独自の学部となっている)卒業。卒業制作で絵本を作成しており、将来的には出版するのが夢である。映画では、主演作「RIVER」、ヒロインを演じた「天外者」の評価が高い。
2025年3月9日現在は、NHK夜ドラ「バニラな毎日」に主演し、月曜から木曜まで毎晩登場、好評を博している。
出演したミュージカル作品がなぜがWikipediaに記されていなかったりする。仕方がないので私が書いておいた。

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吉岡里帆は、1993年、京都市右京区太秦生まれ。書道を得意とし、京都橘大学で書道を専攻。演技を志したのは大学に入ってからで、それまでは書道家になるつもりであった。仲間内の自主製作映画に出演したことで演技や作品作りに目覚め、京都の小劇場にも出演したが、より高い場所を目指して、夜行バスで京都と東京を行き来してレッスンに励み、その後、自ら売り込んで事務所に入れて貰う。交通費などはバイトを4つ掛け持ちするなどして稼いだ。東京進出のため、京都橘大学は3年次終了後に離れたようだが、その後に大学を卒業しているので、東京の書道が専攻出来る大学(2つしか知らないが)に編入したのだと思われる。なお、吉岡は京都橘大学時代の話はするが、卒業した大学に関しては公表していない。
NHK朝ドラ「あさが来た」ではヒロインオーディションには落選するも評価は高く、「このまま使わないのは惜しい」ということで特別に役を作って貰って出演。TBS系連続ドラマ「カルテット」では、元地下アイドルで、どこか後ろ暗いものを持ったミステリアスな女性を好演して話題となり、現在でも代表作となっている。彼女の場合は脇役では有名な作品は多いが(映画「正体」で、第49回報知映画賞助演女優賞、第48回日本アカデミー賞最優秀助演女優賞受賞)、主演作ではまだ決定的な代表作といえるようなものがないのが現状である。知名度や男受けは抜群なので意外な気がする。現在はTBS日曜劇場「御上先生」にヒロイン役で出演中。また来年の大河ドラマ「豊臣兄弟!」では、主人公の豊臣秀長(仲野太賀)の正室(役名は慶=ちか。智雲院。本名は不明という人である)という重要な役で出ることが決まっている(なお、寧々という名で北政所を演じるのは石川県出身の浜辺美波。まつが登場するのかどうかは現時点では不明である)。

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二人とも良いとこの子だが、経歴を見ると蓮佛がエリート、吉岡が叩き上げなのが分かる。

カーテンコールで、先に書いたとおり小袖登場した二人、やはり吉岡が下手側から、蓮佛が上手側から現れる。二人とも三十代前半だが、そうは見えない若々しくて魅力的な女の子である。

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2025年3月15日 (土)

コンサートの記(895) 京都市立芸術大学第176回定期演奏会 大学院オペラ公演 モーツァルト 歌劇「ドン・ジョヴァンニ」

2025年2月17日 京都市立芸術大学・堀場信吉記念ホールにて

京都市立芸術大学崇仁新キャンパス A棟3階にある堀場信吉記念ホールで、京都市立芸術大学第176回定期演奏会 大学院オペラ公演 モーツァルトの歌劇「ドン・ジョヴァンニ」を観る。堀場信吉記念ホールで行われる初のオペラ公演である。「ドン・ジョヴァンニ」が京都市の姉妹都市であるプラハで初演され、大成功したことからこの演目が選ばれたようだ。

日本最古の公立絵画専門学校を前身とする京都市立芸術大学。京都市内を何度も移転している。美術学部は京都御苑内から左京区吉田の地を経て東山区今熊野にあり、京都市立音楽短期大学は左京区出雲路で誕生して左京区聖護院にあったが、京都市立音楽短期大学は京都市立芸術大学の音楽学部に昇格。その後、美術学部、音楽学部共に西京区大枝沓掛という街外れに移転した(沓掛キャンパス)。当時は近くに洛西ニュータウンが広がり、京都市営地下鉄の延伸で一帯が栄えると予想されていたのだが、地下鉄の延伸計画が白紙に戻り、ニュータウンも転出超過で、寂しい場所となっていった。美術学部は、自然豊かな方が風景画の題材が豊富ということで、多摩美や武蔵美などの例を挙げるまでもなく、郊外にあった方が有利な点もあるのだが(上野の東京芸術大学など、開けた街にある場合もあるが)、音楽学部は、例えば学内公演を行おうとした際、交通が不便な場合、よっぽど親しい人でない限り聴きに来てくれない。沓掛キャンパスはバスしか交通手段がなかったため、とにかく人が呼べないのがネックだった。だが、新しいキャンパスは京阪七条駅からもJR京都駅からも徒歩圏内であり(両方の駅の丁度中間地点にある)、集客の心配はしないで済むようになったと思われる。

堀部信吉記念ホールに名を冠する堀部信吉(ほりべ・しんきち)は、京都帝国大学出身の物理学者であり、京都では名の知れた企業である堀部製作所の創業者、堀部雅夫の父親でもあるのだが、京都市立音楽短期大学の初代学長であった。

移転した京都市立芸術大学のキャンパスであるが、敷地がそれほど広くないということもあって、完全なビルキャンパスである。京都市内が建物の高さ規制があるのでビルというほどの高さもない建物によって形成されている。庭のようなスペースがほとんどないため、専門学校の校舎のようでもあり、大学のキャンパスと聞いて思い浮かべるような広大な敷地とお洒落な建物を期待する人には合わないような気がする。周囲には自然はないので、美術学部の学生は東山などに写生に出掛ける必要があるだろう。幸い、遠くはない。

堀部信吉記念ホールであるが、敷地が余り広くないところに建てたということもあってか、客席がかなりの急傾斜である。これまで入ったことのあるホールの中で客席の傾斜が最もきついホールと見て間違いないだろう。そのため、天上の高さはある程度あるが、客席の奥行きはそれほどなく、全ての席に音が届きやすくなっている。音響設計などは十分いされているようには思えないが、音に不満を持つ人は余りいないだろう。一方、そのために犠牲になっている部分もあり、ホワイエが狭く、また興行用のホールではなく、あくまでも大学の講堂メインで建てられているため、トイレが少なく、休憩時間には長蛇の列が出来る。使い勝手が良いホールとは言えないようである(その後、解決法が考案されたようである)。外部貸し出しについてだが、ロームシアター京都や京都コンサートホールがあるのに、わざわざ堀部信吉記念ホールを借りたいという団体がそう多いとも思えないため、基本的には京都市立芸術大学専属ホールとして機能していくものと思われる。

 

今回のモーツァルトの歌劇「ドン・ジョヴァンニ」は、タイトル通り、京都市立芸術大学大学院声楽専攻の学生の発表の場をして設けられたものである。おそらく声楽専攻の全学生が出演すると思われるのだが、役が足りないため、ドンナ・アンナやドンナ・エルヴィーラやツェルリーナは3人が交代で演じるという荒技が用いられていた。逆に男声歌手は数が足りないので、客演の歌手が3名招かれている。基本的に修士課程在学者が出演。博士課程1回生で騎士長役の大西凌は客演扱いとなっている。アンサンブルキャストは大学院声楽専攻の学生では数が足りないので、全員、学部の学生である。
オーケストラも京都市立芸術大学の在学生によって組織されているが、学部と修士学生の混成団体である。中には客演の人もいるが、どういう経緯で客演の話が回ってきたのかは不明である。
レチタティーボを支えるチェンバロは、学生ではなく、京都市立芸術大学音楽学部非常勤講師の越知晴子が務めている。

スタッフには指導教員の名前も記されているのだが、阪哲朗の名が目を引く。

今回の指揮者は、びわ湖ホール声楽アンサンブルの指揮者として知られる大川修司。京都市立芸術大学非常勤講師でもある。

演出は、久恒秀典。国際基督教大学で西洋音楽史を専攻し、東宝演劇部を経て1994年にイタリア政府奨学生としてボローニャ大学、ヴェネツィア大学、マルチェッロ音楽院でオペラについて学び、ヴェネト州ゴルドーニ劇場演劇学校でディプロマを取得。同劇場やフェニーチェ劇場、ミラノ・カルカノ劇場などの公演に参加。2004年にも文化庁芸術家在外研究員に選ばれている。
現在は、新国立劇場オペラ研究所、東京藝術大学、東京音楽大学、京都市立芸術大学の非常勤講師を務める。

バロックティンパニを使用しており、ピリオドを意識した演奏であるが、弦楽はビブラートを控えめにしているのが確認出来たものの、「ザ・ピリオド」という音色にはなっておらず、演奏スタイルの違いにはそれほどこだわっていないように感じられた。
冒頭の序曲にもおどろおどろしさは余り感じられず、音楽による心理描写よりも音そのものの響きを重視したような演奏。個人的にはもっとドラマティックなものが好きであるが、これが普段は声楽の指揮者である大川のスタイルであり、限界なのかも知れない。

 

公立大学による公演で、セットにお金は余り掛けられないという事情もあると思われるが、舞台装置は比較的簡素で、照明なども大仰になりすぎるなど、余り効果的とはいえないようである。騎士長の顔色については、明らかに色をなくしていると歌っているはずだが、衝撃度を増すための赤い照明を使ったため、歌詞の意味が分かりにくくなっていた。

この芝居は、ドン・ジョヴァンニがドンナ・アンナを強姦しようとしたところから始まるのだが、ドン・ジョヴァンニとドンナ・アンナが初めて舞台に現れた時は、二人は離れており、たまたまドンナ・アンナがドン・ジョヴァンニを見つけて腕を掴むという展開になっていたが、おそらくだが、ドンナ・アンナとドン・ジョヴァンニはもっと近くにいたはずである。でないと、自分を犯そうとした人物がドン・ジョヴァンニだと分からないはずだからである。細かいことだが、理屈が通らないところは気になる。

女たらしのドン・ジョヴァンニ。ドンナ・アンナに関しては力尽くであったが、それ以外は魅力でベッドに持ち込んだらしいことがエルヴィーラの話によって分かる。ドン・ジョヴァンニに捨てられ、精神のバランスを崩したエルヴィーラ。復讐のためにドン・ジョヴァンニを追っているが、再び彼に魅せられることになる。エルヴィーラだけが特別なのではなく、基本的にはドン・ジョヴァンニは、少なくとも表面上は紳士的に振る舞い、優しいのであろう。ドン・ジョヴァンニは博愛の精神を信奉しており、スカートをはいている人物なら、老いも若きも、美醜も一切差別しないという人物である。男が女装している場合はどうなのか分からないが(歴史的には男性の一番の魅力が脚線美であり、男がスカートをはく文化を持つ時代なども存在した)。やっていることは外道でも、それ自体が100%悪とも断言は出来ない。騎士長殺しは別として。
一方で、ドン・ジョヴァンニが憎まれるのは、「愛する愛する」言っておきながら、相手からの愛を一向に受け入れないからではないのか。エルヴィーラに対する態度を見るとそんな気がしてならない。一方的な愛など罪以外のなにものでもない。というわけで地獄落ちも納得である。

まだ若い大学院生による演技と歌唱であるが、難関をくぐり抜けてきた実力者であるためか、プロと比べず、純粋に作品の登場人物として見れば、十分にリアルな存在として舞台上に立つことが出来ていたように思う。ただ、現時点では、「オペラ歌手はあくまで歌手なのだから、どんな場面でも歌う体勢を優先させるのが基本」であるが、今後はもっと舞台俳優の演技に近づいていきそうな予感もある。例えば、オペラ歌手と舞台俳優が「共演しよう」となった時に、オペラ歌手が舞台俳優のようなナチュラルな演技が出来ないため浮くという可能性も考えられる。それでも「オペラ歌手はオペラ歌手」で行くのか、「ミュージカル俳優は舞台俳優と遜色ない演技が出来るのだから」オペラ歌手にも相当のものが求められるのか。これは日本語のオペラが増えてきたために明らかになった問題でもある。

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2025年3月10日 (月)

これまでに観た映画より(380) 「事実無根」

2025年3月5日 京都シネマにて

京都シネマで、日本映画「事実無根」を観る。原案・監督:柳裕章、脚本:松下隆一。出演:近藤芳正、村田雄浩、東茉凜(あずま・まりん)、西園寺章雄、和泉敬子ほか。

京都の女性と結婚してからは京都市在住となった俳優の近藤芳正。彼が京都の映画人に呼びかけて作った京都を舞台とする映画である。低予算映画ということもあって、お披露目公開をしてからしばらく眠っており、今年の2月21日から3月6日まで、京都シネマにおいて2週間のみの公開が行われている。今後はクラウドファンディングなどで全国での公開を目指すようである。なお、海外ではすでに多くの賞を受賞している。
ご当地映画ということで、京都シネマで2番目に大きいCinema2(定員90名)はほぼ満員の盛況である。

「そのうちcafe」という実在の喫茶店が舞台となっている。ヒロインの東茉凜はオーディションで選ばれた新人である。

京都駅前。京都駅ビルと京都タワーが映る。東本願寺(真宗本廟)の御影堂門と噴水の間、お東さん広場を北に向かって歩く若い女性がいる。大林沙耶(東茉凜)である。現在、18歳。彼女が向かっているのは、五条高倉の六條院公園に面した「そのうちcafe」である。一方、路地を歩く男性。彼も「そのうちcafe」に向かっている。「そのうちcafe」の店主である星孝史(近藤芳正)である。星は長く太秦で映画の助監督を務めていたのだが、監督には上がれないことが確実になって退社。たまたま入ったカフェの店員となり、そのうちに「良いカフェがある」との紹介を受けて「そのうちcafe」のマスターとなったのだった。「そのうちcafe」の前では子どもたちが遊んでいる。沙耶が戸惑っているところに星がやって来る。店を開ける星。星は子ども達に人気があり、一緒に遊んだりしているが、缶蹴りをしていた時に転んで右手を負傷してしまっていた。そのためアシスタントとしてアルバイトを募集したのだが、それに応募してきたのが沙耶だった。
高校を卒業したばかりだという沙耶。星は「高校を卒業したばかりならアルバイトよりも就職した方が良いんじゃないの?」と聞くが、沙耶は、「就職する前に体を慣らしておいた方が良いと思いまして」などと答える。高卒直後に就職しないと不利になるが、星は沙耶を雇うことにする。慣れていないということもあって、ちょっとドジなところのある沙耶。「京都が好きなので京都で働けるだけで嬉しい」と言うが、大阪府高槻市在住で、京都市内からは少しだけ遠い。ということで交通費も全額は出ない。JR京都駅を使っているため、阪急高槻市駅などではなく、JR高槻駅などから京都に来ていると思われる。だが、この沙耶。名前も学歴も全て嘘だったことが後に分かる。住所についても判然としないが、JR京都駅を使っていることは間違いないので、高槻に住んでいるというのは本当かも知れない。

その沙耶(偽名だが)を六條院公園内から見つめるホームレス風の男(村田雄浩)がいることに星は気付く。夜、男に近づいて話しかける星。「これ以上、彼女につきまとったら警察呼ぶぞ!」と警告する。ホームレス風の男は「自分で警察に連絡する」と言ってスマホを取り出し、ボタンを押す。星がスマホを取り上げるが、男が掛けたのは「110番」ではなく、「117番」つまり時報だった(ちなみにホームレスなのにスマホを充電できるのか、であるが、屋外型の有料充電サービスが今はあるので、そこで充電している、のかと思いきや、スーパーで勝手に充電していた。立派な窃盗罪である)。男はあの子は義理の娘で、自分は義理の娘の父親だと打ち明ける(星に、「だったら義理の父親でいいだろ!」と突っ込まれる)。男は元々は大学教授をしていたのだが(その後に話す内容からフランス文学の教授らしいことが分かる)、学内においてセクハラで訴えられ、「事実無根」として無実を訴えた裁判にも負けて、最終的には離婚して家を追い出されたようで、義理の娘にも会えなくなった。男の名は大林明彦。
星はバツイチで、娘の親権は相手が取り、「月に1回、娘に会わせる」という約束も反故にされて娘とは長い間顔を合わせていない。離婚調停において妻から「DVを受けた」と、「事実無根」の証言をされていた。大林の気持ちが分かった星は、星が勤めていた大学(岩倉木野にある京都精華大学がロケ地となっており、精華大学に通う際に多くの学生が使う叡山電車の車両と京都精華大前駅のホームも映る。ただ、京都精華大学にはフランス文学系の専攻は存在しないため、あくまでも架空の大学である)を訪れ、セクハラの被害者を名乗っていた助教の女性に新聞記者だと身分を偽って会う。女性は大林の証言を否定するが、星は直感で彼女は嘘をついていると確信した。

星は、大林を沙耶に会わせることにする。だまし討ちに近い形で沙耶を大林に会わせた星だが、大林が「沙耶」ではなく「悠美(ゆうみ)」と呼びかけるのを見て驚く。沙耶は偽名で本名は悠美。大林が離婚したので、現在は大林ではなく中野姓になっている。つまり中野悠美が本名である。大林が裁判に負けてからは4~5年ほど引き籠もりを続けており、高校も中退していた。そしてなんといっても、悠美は星の娘の名前だった。星の元妻は大林と再婚。悠美は大林の義理の娘であり、星の実の娘でもあったのだ。実父が京都でカフェを経営していることを知り、会いたくて正体を偽り、アルバイト店員として実父と過ごしていたのだった。

少し複雑な親子関係を描いた作品で、描き方にはよってはドロドロ系になってもおかしくないのだが、京都という時間の流れがゆったりした街で繰り広げられるということもあって、まったり系の話になっている。

正直、傑出した映画ではないかも知れないが、東京的なせわしない程の劇的な展開とは異なった映画となっており、東京を中心とした大手の映画製作会社の作品とは違った「手作り」的な味わいがある。京都という日本最大の観光地を舞台にしながら、それほど観光色を表に出さず、京都で暮らす人々の日常を主軸にしているのも良いと感じた。

映画デビュー作だと思われる東茉凜は、初々しい演技が好印象だが、正直、容姿で勝負出来るタイプではないため、これからも女優を続けるのなら演技をもっともっと磨く必要があるように思う。幸い、日本の芸能界はルッキズムがやわらぐ傾向にあり、絶世の美女でなくても主役やヒロインになれる場合も多く、この傾向は当分続くだろうから、チャンスはあるだろう。

なお、元刑事の城田を演じた西園寺章雄が今年の1月14日に他界しており、この映画は彼に捧げられている。

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2025年3月 4日 (火)

コンサートの記(892) 大植英次指揮大阪フィルハーモニー交響楽団 宇治演奏会2025

2025年2月21日 宇治市文化センター大ホールにて

午後7時から、宇治市文化センター大ホールで、大阪フィルハーモニー交響楽団宇治演奏会を聴く。指揮は大阪フィルハーモニー交響楽団桂冠指揮者の大植英次。
大植と大阪フィルは今後、奈良県の大和高田さざんかホール大ホールで同一プログラムによる演奏を行った後、神戸国際会館こくさいホールで、阪神・淡路大震災30年メモリアルとなるコンサートを行う。その後、大阪フィルは、指揮者を音楽監督の尾高忠明に替えて、和歌山、彦根、姫路という3つの城下町での特別演奏会を行う予定である。城下町でのコンサートを企画するということは、大フィルのスタッフの中に城好きがいるのだと思われる(日本人でお城が嫌いという人は余りいないが)。

宇治市文化センター大ホールであるが、厳密に言うと、宇治市文化センターという複合文化施設の中にある宇治市文化会館の大ホールということになるようだが、長くなるので宇治市文化センター大ホールという表記に統一しているようだ。宇治市を主舞台とした武田綾乃の小説及び宇治市に本社を置く京都アニメーションによってアニメ化された「響け!ユーフォニアム」の聖地の一つとしても知られているようである。
以前にも、夏川りみのコンサートで訪れたことがあるのだが、とにかく交通が不便なところにある。駅からは遠く、公共の交通手段はバスしかないが、本数が少ない。私は歩くのは得意なので、京阪宇治駅から歩いて行くことにした。なお、駐車場はあるのでマイカーがある人は来られるようである。

延々と歩く。高さ制限があるため、目に付く大きな建物は宇治市役所のみである。京都府内2位となる人口を誇る宇治市。誇るとはいえ18万程度で、140万を超える京都市とは比べものにならない。その割には市役所は立派である。

宇治市文化センターは、登り坂の上、折居台という場所にある。周りは一戸建ての住宅が並んでいる。おそらく住民は皆、自家用車を使って移動しているのだろう。
大ホールは、約1300席で、音響設計などはなされておらず、残響は全くといっていいほどない。首席奏者には立派な椅子があてがわれているが、他の奏者はパイプ椅子に座っての演奏で、いつもとは勝手が違うようである。

入りであるが、かなり悪い。大植と大フィルのコンビはブランドであるが、宇治市文化センターは交通の便が余りに悪く、来たくても来られない人が多数いたと思われる。私のように足に自信があれば別だが、普通の人はあの坂を歩いて上りたいとは思わないだろう。
帰りであるが、バスがないので特別にJRおよび京阪宇治駅行きのシャトルバスが運行されるようであった(ちなみに有料である)。大フィルメンバーは駅までは送迎があったのか、帰りの京阪宇治線で楽器を背負った人々を何人か見かけた。

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曲目は、チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番(ピアノ独奏:阪田知樹)とチャイコフスキーの交響曲第4番。

コンサートマスターは須山暢大。ドイツ式の現代配置での演奏である。指揮台は高めのものが用いられていたが、おそらく大フィル所有のものの持ち込みだと思われる。

 

チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番。
宇治市文化センター大ホールは響きが良くないが、その分、阪田の輪郭のはっきりとした清冽なピアニズムははっきりと分かる。華麗にして的確な表現である。
冒頭がゴージャスなことで知られるチャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番であるが、大植と大フィルは壮麗さは生かしながら外連味は抑えた伴奏。ただ響きが良くないので派手さが抑えられた可能性もある。
第2楽章のリリシズムなども印象的であった。
第3楽章のラストでは阪田が強靱にしてスケールの大きい、巌のような演奏を展開。大フィルも負けじと大柄な伴奏を行った。

阪田のアンコール演奏は、ラフマニノフ作曲・阪田知樹編曲の「ここは素晴らしいところ」。吹き抜ける風のようにリリカルで涼やかな曲と演奏である。
アンコール演奏の間、大植は下手袖に立って、演奏に耳を傾けていた。

 

チャイコフスキーの交響曲第4番。大植は譜面台を置かず、暗譜での指揮である。要所要所で指揮棒を持っていない左手を効果的に用いる指揮。
21世紀に入ってから、解釈がガラリと変わったチャイコフスキー。「ロシアの巨人」「愛らしいバレエ音楽と交響曲の作曲家」から、「時代の犠牲となった悲劇の天才作曲家」へとイメージが変わりつつある。昨年は、ロシア映画「チャイコフスキーの妻」が日本でも公開され、実生活では英雄とは呼べなかったチャイコフスキー像を目にした人も多かったと思われる。ソ連時代は「聖人君子」的存在であったのが、ロシア本国でも次第に「人間チャイコフスキー」へと変化しているのが分かる。

大植は、冒頭の運命の主題を力強く吹かせた後で、弦楽などを暗めに弾かせて、最初から悲劇的色彩を濃くする。強弱もかなり細かく付けている印象である。
孤独なつぶやきのような第2楽章。同じテーマが何度か繰り返されるが、大植はテンポを落とすなど、次第に寂寥感が増すように演奏していた。
第3楽章は、弦楽がピッチカートのみで演奏するという特異な楽章であるが、音響の面白さと同時に、明るいはずの管の響きもどことなく皮肉や絵空事に聞こえるようである。
盛大に奏でられる第4楽章。「小さな白樺」のメロディーが何度か登場するが、やはり次第に精神のバランスを欠いていくような印象を受ける。そして最後はやけになったとしか思えない馬鹿騒ぎ。チャイコフスキーは、交響曲第3番「ポーランド」までは叙景詩的な曲調を旨としていたのだが、交響曲第4番からいきなり趣向を変えて、以後、最後の交響曲となった第6番「悲愴」まで、苦悩を題材とした人間ドラマを曲に込めるようになる。その第1弾である交響曲第4番は、「第5番や第6番『悲愴』に比べると粗い」などと言われてきたが、実際にはチャイコフスキーが自身の煩悶が最もダイレクトに出した曲であるようにも思われ、評価が上がりそうな予感がある。本当に粗いならチャイコフスキーなら直しただろうが、それをしていないということは本音の吐露なのだろう。

 

大植は、「宇治の皆さんありがとうございました。アンコール演奏を行っていいですか?」と客席に聞き、「チャイコフスキーの『くるみ割り人形』よりマーチ。(コンサートマスターの須山に)なんていうんだっけ? 行進曲」と言って演奏開始。安定した演奏であった。

 

大和高田さざんかホール大ホールでも同一演目による演奏家が行われる訳だが、大和高田さざんかホールは、小ホールで萩原麻未のピアノリサイタルを聴いたことがある。傾斜なし完全平面の客席のシューボックス型ホールで、ピアノ演奏などを主とするホールとしては、これまで聴いた中で最高の音響であった。大ホールはまた勝手が違うかも知れないが、おそらく音響は良いのだろう。宇治で聴くより良いかもしれないが、大和高田はやはり少し遠い。

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2025年2月17日 (月)

コンサートの記(888) 金子鈴太郎(チェロ) ブリテン 無伴奏チェロ組曲全曲演奏会@カフェ・モンタージュ

2025年1月29日 京都御苑の南のカフェ・モンタージュにて

午後8時から、京都御苑の南にあるカフェ・モンタージュで、金子鈴太郎(りんたろう)によるベンジャミン・ブリテンの無伴奏チェロ組曲全曲演奏会に接する。ブリテンの無伴奏チェロ組曲は1番から3番まである。
「作曲家のいない国」といわれたイギリスが久しぶりに生んだ天才作曲家であるベンジャミン・ブリテン。今でも有名作曲家であるが、今後さらに評価が高まりそうな予感がある。イギリスも指揮者大国になってきており、当然、お国ものの演奏も増えるので将来有望である。

ブリテンの無伴奏チェロ組曲の全曲盤は、ラフェエル・ウォルフィッシュのものがNAXOSから出ていて、千葉にいる頃はよく聴いたのだが、京都にはそのCDは持ってこなかったので、聴くのは久しぶりになる。昔はウォルフィッシュ盤以外は手に入りにくかったが、現在は、YouTubeなどにもいくつかの音源がアップされており、聴きやすくなっている。

昨年(2024年)末に、石上真由子率いるEnsemble Amoibeにも参加していた金子鈴太郎。桐朋学園大学ソリスト・ディプロマコース(座学などの授業はなしで、ソリストを目指して音楽に集中する課程)を経て、ハンガリー国立リスト音楽院に学んでいる。コンクールでも優勝歴多数。2000年代には大阪シンフォニカー交響楽団(現在の大阪交響楽団)の首席チェロ奏者、その後に特別首席チェロ奏者を務めている。
トウキョウ・モーツァルト・プレーヤーズ首席チェロ奏者とあるが、この楽団は現在はトウキョウ・ミタカ・フィルハーモニア(ホームページに楽団員の紹介なし)と名前を変えているはずなので、現在も在籍しているのかどうかは不明。森悠子率いる長岡京室内アンサンブルのメンバーでもあり、2022年からは北九州市の響ホール室内合奏団の特別契約首席チェリストも務めている(ここのホームページには名前と紹介が載っている)。

金子は一昨年に、レーガーの無伴奏チェロ作品をカフェ・モンタージュで演奏し、「これ以上しんどいことはないだろう」と考えていたが、それ以上となるブリテンの無伴奏チェロ組曲に挑むことになったと語って聴衆を笑わせていた。

無伴奏チェロ作品は、どうしてもJ・S・バッハのものを意識することになるが、ブリテンは第1番ではイギリス音楽的な、第2番ではショスタコーヴィチなどを思わせる先鋭的な音楽を書き、第3番でようやくバッハを意識した作風を見せることになる。

以前はよく聴いた曲だが、久しぶりなので内容を覚えておらず、「こんな音楽だったっけ?」と思う箇所がいくつもある。二十代の頃で今に比べると音楽の知識にも乏しく、分析などはせずに感覚で聴いていたからでもあろう。ただ面白く聴くことは出来た。

アンコール演奏であるが、「皆さん、もうお腹いっぱいですよね。短いものを」ということで、J・S・バッハの無伴奏チェロ組曲第1番よりサラバンドが奏でられた。

 

ブリテンはカミングアウトした同性愛者でもあり、偏見を持たれることもあったが、現在ではそうした意識も薄らぎつつあるため、ブリテンの作品が受け入れられやすくなってきているようにも思う。

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2025年2月15日 (土)

コンサートの記(887) 下野竜也指揮 第20回 京都市ジュニアオーケストラコンサート

2025年1月25日 京都コンサートホールにて

午後2時から、京都コンサートホールで、第20回 京都市ジュニアオーケストラコンサートを聴く。今回の指揮者は下野竜也。

ジュニアオーケストラとしては日本屈指の実力を誇る京都市ジュニアオーケストラ。2005年に創設され、2008年から2021年までは広上淳一がスーパーヴァイザーを務めたが、現在はそれに相当する肩書きを持つ人物は存在しない。10歳から22歳までの京都市在住また通学の青少年の中からオーディションで選ばれたメンバーによって結成されているが、全員が必ずしも音楽家志望という訳ではないようである。今年は小学生のメンバーは6年生が一人いるだけ。一番上なのは大学院1回生であると思われるが、「大卒」という肩書きのメンバーも何人かいて、同年代である可能性が高い。専攻科在籍者も院在籍者と同年代であろう。また「高卒」となっている団員もいるが、大学浪人中なのか、正社員として働いているのかフリーターなどをしているのか、あるいはすでに音楽の仕事に就いているのかは不明である。またOBやOGが何人か参加。彼らは少し年上のはずである。パート指導は京都市交響楽団のメンバーが行っている。

 

曲目は、前半が、バッハ=エルガーの「幻想曲とフーガ」ハ短調 BWV537、アルチュニアンのトランペット協奏曲(トランペット独奏:ハラルド・ナエス)。後半がフランクの交響曲ニ短調。アルチュニアンのトランペット協奏曲もフランクの交響曲も主題が回帰するという同じ特性を持っているため、プログラムに選ばれたのだと思われる。

今回のコンサートマスターは、前半が森川光、後半が嶋元葵。共に男女共用の名前の二人だが、森川光は男性、嶋元葵は女性である。嶋元葵は前半に、森川光は後半にそれぞれ第2ヴァイオリン首席奏者を務める。

 

ここ数年は毎年のようにNHK大河ドラマのテーマ曲の指揮を手掛けている下野竜也。今年の「べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~」のテーマ音楽も指揮している(昨年の大河である「光る君へ」のテーマ音楽は広上淳一が指揮)。現在は、NHK交響楽団正指揮者、札幌交響楽団首席客演指揮者、広島ウインドオーケストラ音楽監督の地位にあり、音楽総監督を務めていた広島交響楽団からは桂冠指揮者の称号を得ている。京都市交響楽団でも師の一人である広上淳一の時代に常任客演指揮者を経て常任首席客演指揮者として活躍していた。京都市立芸術大学音楽学部の教授を経て、現在は東京藝術大学音楽学部と東京音楽大学で後進の指導に当たっている。

 

午後1時10分頃からロビーコンサートがあり、ジョルジュ・オーリックやヘンデル、モーツァルトなどの曲が演奏された。

 

バッハ=エルガーの「幻想曲とフーガ」ハ短調 BWV。J・S・バッハの曲をエルガーが20世紀風に編曲したものである。
京都市ジュニアオーケストラは、音の厚みこそないが、輝きや透明感に溢れ、アンサンブルの精度も高い。バッハの格調高さとエルガーのノーブルさが合わさったこの曲を巧みに聴かせた。

 

アルチュニアンのトランペット協奏曲。
アレクサンドル・アルチュニアン(1920-2012)は、アルメニアの作曲家。自国の民族音楽を取り入れた親しみやすい作風で知られているという。
トランペット独奏のハラルド・ナエスは、ノルウェー出身。ノルウェー国立音楽院を卒業し、母国や北欧のオーケストラ、軍楽隊などで活躍した後に兵庫芸術文化センター管弦楽団に入団。京都市交響楽団のオーディションに合格して、現在は同楽団の首席トランペット奏者を務めている。日本に長く滞在しているため、日本語も達者で、自己紹介の時は「ナエス・ハラルド」と日本風に姓・名の順で名乗っている。
アルメニア出身のアルチュニアンであるが、作風はアルメニアを代表する作曲家であるハチャトゥリアンよりもショスタコーヴィチに似ている。諧謔性と才気に満ちた音楽である。ハラルド・ナエスは、輝かしい音によるソロを披露した。
下野指揮する京都市ジュニアオーケストラの伴奏もしっかりしたものである。

 

後半。フランクの交響曲ニ短調。ベルギーを代表する作曲家であるセザール・フランク。ベルギー・フランス語圏の中心都市であるリエージュに生まれ、パリに出てオルガニストとして活躍。オルガンの特性をオーケストラで生かしたのが交響曲ニ短調である。初演時にはこの曲の特徴である循環形式などが不評で、失敗とされたが、フランクはよそからの評判を余り気にしない人で、「自分が思うような音が鳴っていた」と満足げであったという話が伝わっている。その後、この曲の評判は高まり、フランスを代表する交響曲との評価を勝ち得るまでになっている。
下野の指揮する京都市ジュニアオーケストラは、この曲に必要とされる音の潤沢さと色彩感を見事に表す。音の厚みもプロオーケストラほどではないが生み出す。下野の音楽設計もしっかりしたもので、フォルムをきっちりと築き上げる。フランス音楽の肝であるエスプリ・クルトワも十分に感じられた。

 

演奏終了後、拍手を受けてから何度か引っ込んだ後で、下野はマイクを片手に登場。「本日はご来場ありがとうございます」とスピーチを行う。「ジュニアオーケストラのものとは思えない曲目が並びましたが、敢えて挑ませました」「京都市ジュニアオーケストラからは、多くの人材が、それこそ数えられないくらい輩出しているのですが」とこのオーケストラの意義を讃えた上で、合奏指導を行った二人を紹介することにする。
下野「指導は人に任せて私はいいとこ取り。極悪指揮者なので」

一人目は、井出奏(いで・かな)。彼女も漢字だけ見ると男性なのか女性なのか分からない名前である。東京都出身で、現在は東京藝術大学指揮科に在学中であり、下野の指導も受けている。なお、藝大に入る前には桐朋学園大学でヴァイオリンを専攻しており、藝大には学士入学となるようである。
井出奏の指揮によるアンコール演奏、ビゼーの「アルルの女」より“ファランドール”。メンバーを増やしての演奏である。
やや遅めのテンポによる堂々とした音楽作りなのだが、京都コンサートホールは天井が高く、残響が留まりやすい上に音が広がる傾向があり、スケールが野放図になって音が飽和し、全体像のぼやけた演奏になってしまっていた。やはりホールの音響特性を事前に把握しておくことは重要なようである。東京の人なので、十分に下調べを行うことが出来なかったのだろう。

二人目は、東尾多聞。京都市立芸術大学指揮専攻の学生である。奈良県出身。下野も京都市立芸大を退任するまでの2年間だけ直接指導したことがあるという。
演奏するのはヨハン・シュトラウスⅠ世の「ラデツキー行進曲」。
東尾はおそらく京都コンサートホールでの演奏経験が何度かあり、厄介な音響だということを知っていたため、音を抑えめにして輪郭を形作っていた。
演奏途中に下野と井出がステージ上に現れ、聴衆の手拍子の誘導などを行っていた。

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2025年2月13日 (木)

美術回廊(88) 京都市京セラ美術館 「村上隆 もののけ 京都」

2024年5月31日 左京区岡崎の京都市京セラ美術館 東山キューブにて

左京区岡崎の京都市京セラ美術館・東山キューブで、「村上隆 もののけ 京都」を観る。

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ポップアーティストの村上隆(個人的には隆の前に「宗」の字を入れたくなる名前)の京都を題材にした新作展である。結構、無茶を言われたようで、未完成のままの開催となった。
2浪して東京芸術大学美術学部日本画科に入学した村上隆。東京芸術大学は同じ大学でも美術学部と音楽学部は別世界で、美術学部は現役生はまれ。多浪入学者の巣窟となっており、2浪3浪は当たり前、5浪、6浪が普通にいる世界で、2浪なら優秀な方。一方の音楽学部はほぼ現役生で占められている。同大学大学院博士前期課程(修士課程)を次席で修了。首席を取れなかったために正統派の日本画家を諦めて方向転換し、博士後期課程に進んで修了。論文が通って博士号を得た。現在はアーティスト集団「カイカイ・キキ」を主宰している。

「洛中洛外図屏風」や四神(玄武、青龍、朱雀、白虎)をポップにしたもの、永観堂禅林寺のみかえり阿弥陀のパロディ、花々が野球などあらゆることをしているシーン、「十三代目市川團十郎白猿襲名十八番」、ポップな五山送り火、舞妓さんなど、京都にちなんだポップアートが並んでいる。思ったよりも展示は少なかったが、全て写真撮影OKで、多くの人がカメラを向けていた。

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2024年7月31日 左京区岡崎の京都市京セラ美術館 東山キューブにて

左京区岡崎の京都市京セラ美術館・東山キューブで、「村上隆 もののけ 京都」に新作が展示されたというので観に行ってみる。「村上隆 もののけ 京都」は「全部新作で」との依頼を受けて、京都に関するポップアートを制作したのだが、やはりスケジュール的に無理があったようで、完成しないまま展覧会が開始されている。そのため、途中で新作が加わることになったのである。全作品、撮影可であり、多くの人がカメラやカメラ付きのスマホで撮影を行っている。外国人も多い。

前回も展示のメインだった、「洛中洛外図屏風」。荒木村重の子である岩佐又兵衛筆の「洛中洛外図屏風」をポップアートにしたものだが、登場人物達は桃山時代から江戸初期の格好をしている。
二条城の天守からは、何人かが顔をのぞかせているのが分かる。また、方広寺には、大坂の陣の引き金となった鐘楼が描かれており、何者かが撞こうとしているのが確認出来る。

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今日で終わる祇園祭の「祇園祭礼図」も展示されている。長刀鉾などの鉾や山が見え、橋弁慶山では義経と弁慶の五条大橋での一騎打ちの像が飾られている。
そんな山鉾巡航を木の上から眺めている若い女性がいるが、彼女は何者なのだろう。

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行列の中には、毛利氏から一と三つ星をひっくり返した家紋を授かった渡辺氏の家紋を旗に記した武将も登場しているが、どこの渡辺さんなのかはよく分からない。

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新作としては「梟猿図」が展示されているほか、京都を舞台とした小説『古都』を書いた川端康成象(ギョロリとした目が誇張され、切り取られた腕を手にしている)、金閣寺(鏡湖池に映った逆さ金閣との二重の影となっている)などが展示されていた。

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2025年2月 2日 (日)

コンサートの記(884) レナード・スラットキン指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団第584回定期演奏会 オール・ジョン・ウィリアムズ・プログラム

2025年1月23日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後7時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、大阪フィルハーモニー交響楽団の第584回定期演奏会を聴く。今日の指揮者は、大フィルへは6年ぶりの登場となるレナード・スラットキン。オール・ジョン・ウィリアムズ・プログラムである。

MLBが大好きで、WASPではなくユダヤ系でありながら「最もアメリカ的な指揮者」といわれるレナード・スラットキン。1944年生まれ。父親は指揮者でヴァイオリニストのフェリックス・スラットキン。ハリウッド・ボウル・オーケストラの指揮者であった。母親はチェロ奏者。

日本にも縁のある人で、NHK交響楽団が常任指揮者の制度を復活させる際に、最終候補三人のうちの一人となっている。ただ、結果的にはシャルル・デュトワが常任指揮者に選ばれた(最終候補の残る一人は、ガリー・ベルティーニで、彼は東京都交響楽団の音楽監督になっている)。スラットキンが選ばれていたら、N響も今とはかなり違うオーケストラになっていたはずである。

セントルイス交響楽団の音楽監督時代に、同交響楽団を全米オーケストラランキングの2位に持ち上げて注目を浴びる。ただ、この全米オーケストラランキングは毎年発表されるが、かなりいい加減。セントルイス交響楽団は実はニューヨーク・フィルハーモニックに次いで全米で2番目に長い歴史を誇るオーケストラではあるが、注目されたのはその時だけであり、裏に何かあったのかも知れない。ちなみにその時の1位はシカゴ交響楽団であった。セントルイス響時代はセントルイス・カージナルスのファンであったが、ワシントンD.C.のナショナル交響楽団の音楽監督に転身する際には、「カージナルスからボルチモア・オリオールズのファンに転じることが出来るのか?」などと報じられていた(当時、ワシントン・ナショナルズはまだ存在しない。MLBのチームが本拠地を置く最も近い街がD.C.の外港でもあるボルチモアであった)。ただワシントンD.C.や、ロンドンのBBC交響楽団の首席指揮者の時代は必ずしも成功とはいえず、デトロイト交響楽団のシェフに招かれてようやく勢いを取り戻している。デトロイトではデトロイト・タイガーズのファンだったのかどうかは分からないが、関西にもTIGERSがあるということで、大阪のザ・シンフォニーホールで行われたデトロイト交響楽団の来日演奏会では「六甲おろし」をアンコールで演奏している。2011年からはフランスのリヨン国立管弦楽団の音楽監督も務めた。現在は、デトロイト交響楽団の桂冠音楽監督、リヨン国立管弦楽団の名誉音楽監督、セントルイス交響楽団の桂冠指揮者の称号を得ている。また、スペイン領ではあるが、地理的にはアフリカのカナリア諸島にあるグラン・カナリア・フィルハーモニー管弦楽団の首席客演指揮者も務めている。グラン・カナリア・フィルはCDも出していて、思いのほかハイレベルのオーケストラである。
録音は、TELARC、EMI、NAXOSなどに行っている。
X(旧Twitter)では、奇妙なLP・CDジャケットを取り上げる習慣がある。また不二家のネクターが好きで、今回もKAJIMOTOのXのポストにネクターと戯れている写真がアップされていた。
先日は秋山和慶の代役として東京都交響楽団の指揮台に立ち、大好評を博している。

ホワイエで行われる、大阪フィルハーモニー交響楽団事務局長の福山修氏によるプレトークサロンでの話によると、6年前にスラットキンが大フィルに客演した際、終演後の食事会で再度の客演の約束をし、ジョン・ウィリアムズのヴァイオリン協奏曲が良いとスラットキンが言って、丁度、「スター・ウォーズ」シリーズの最終章が公開される時期になるというので、オール・ジョン・ウィリアムズ・プログラムで、ヴァイオリン協奏曲と「スター・ウォーズ」組曲をやろうという話になったのだが、コロナで流れてしまい、「スター・ウォーズ」シリーズの公開も終わったというので、プログラムを変え、余り聴かれないジョン・ウィリアムズ作品を取り上げることにしたという。

今日のコンサートマスターは須山暢大。フォアシュピーラーはおそらくアシスタント・コンサートマスターの尾張拓登である。ドイツ式の現代配置での演奏。スラットキンは総譜を繰りながら指揮する。

 

曲目は、前半がコンサートのための作品で、弦楽のためのエッセイとテューバ協奏曲(テューバ独奏:川浪浩一)。後半が映画音楽で、「カウボーイ」序曲、ジョーズのテーマ(映画「JAWS」より)、本泥棒(映画「やさしい本泥棒」より)、スーパーマン・マーチ(映画「スーパーマン」より)、SAYURIのテーマ(映画「SAYURI」より)、ヘドウィグのテーマ(映画「ハリー・ポッターと賢者の石」より)、レイダース・マーチ(「インディ・ジョーンズ」シリーズより)。

日本のオーケストラ、特にドイツものをレパートリーの中心に据えるNHK交響楽団や大阪フィルハーモニー交響楽団は、アメリカものを比較的不得手としているが、今日の大フィルは弦に透明感と抜けの良さ、更に適度な輝きがあり、管も力強く、アメリカの音楽を上手く再現していたように思う。

 

今日はスラットキンのトーク付きのコンサートである。通訳は音楽プロデューサー、映画字幕翻訳家の武満真樹(武満徹の娘)が行う。

スラットキンは、「こんばんは」のみ日本語で言って、英語でのトーク。武満真樹が通訳を行う。

「ジョン・ウィリアムズの音楽は生まれた時から聴いていました。なぜなら私の両親がハリウッドの映画スタジオの音楽家だったからです。私は子どもの頃、映画スタジオでよく遊んでいて、ジョン・ウィリアムズの音楽を聴いていました」

 

スラットキンは、弦楽のためのエッセイのみノンタクトで指揮。弦楽のためのエッセイは、1965年に書かれたもので、バーバーやコープランドといったアメリカの他の作曲家からの影響が濃厚である。

テューバ協奏曲。テューバ独奏の川浪浩一は、大阪フィルハーモニー交響楽団のテューバ奏者。福岡県生まれ。大阪の相愛大学音楽学部に入学し、2006年に首席で卒業。在学中は相愛オーケストラなどでの活動を行った。2007年に大フィルに入団。第30回日本管打楽器コンクールで第2位になっている。
通常、協奏曲のソリストは指揮者の下手側で演奏するのが普通だが、楽器の特性上か、今回は指揮者の上手側に座って吹く。
テューバの独奏というと、余りイメージがわかないが、思っていた以上に伸びやかなものである。一方の弦楽器などはいかにもジョン・ウィリアムズしているのが面白い。
比較的短めの協奏曲であるが、テューバ協奏曲自体が珍しいものであるだけに、楽しんで聴くことが出来た。

 

「カウボーイ」序曲。いかにも西部劇の音楽と言った趣である。スラットキンは、「この映画を観たことがある人は少ないと思います。ただ音楽を聴けばどんな映画か分かる、絵が浮かんできます。ジョン・ウィリアムズはそうした曲が書ける作曲家です」

ジョーズのテーマであるが、スラットキンは「鮫の映画です。2つの音だけの最も有名な音楽です。最初にこの2つの音を奏でたのは私の母親です。彼女は首席チェロ奏者でした。ですので私の母親はジョーズです」(?)
誰もが知っている音楽。少ない音で不気味さや迫力を出す技術が巧みである。大フィルもこの曲にフィットした渋みと輝きを合わせ持った音色を出す。

本泥棒。反共産主義、反ユダヤ主義が吹き荒れる時代を舞台にした映画の音楽である。後に「シンドラーのリスト」も書いているジョン・ウィリアムズ。叙情的な部分が重なる。
「シンドラーのリスト」の音楽の作曲について、ジョン・ウィリアムズは難色を示したそうだ。脚本を読んだのだが、「この映画の音楽には僕より相応しい人がいるんじゃないか?」と思い、スピルバーグにそう言ったのだが、スピルバーグは、「そうだね」と認めるも「でも、相応しい作曲家はみんな死んじゃってるんだ。残ってる中では君が最適だよ」ということで作曲することになったそうである。

スラットキン「ジョン・ウィリアムズは、人間だけでなく、動物や景色などの音楽も書きました。そして勿論、スーパーマンも」
大フィルの輝かしい金管がプラスに働く。大フィルは全体的に音が重めなところがあるのだが、この曲でもそれも迫力に繋がった。

SAYURIのテーマ。「SAYURI」は、京都の芸者である(そもそも京都には芸者はいないが)SAYURIをヒロインとした映画。スピルバーグ作品である。SAYURIを演じたのは何故か中国のトップ女優であったチャン・ツィイー(章子怡)。日本人キャストも出ているが(渡辺謙や役所広司など豪華)セリフは英語という妙な映画でもある。日本の風習として変なものがあったり、京都の少なくとも格上とされる花街では絶対に起きないことが起こるなど、実際の花街界隈では不評だったようだ。映画では、ヨーヨー・マのチェロ独奏のある曲であったが、今回はコンサート用にアレンジした譜面での演奏である。プレトークサロンで事務局長の福山修さんが、「君が代」をモチーフにしたという話をされていたが、それよりも日本の民謡などを参考にしているようにも聞こえる。ただ、美しくはあるが、日本人が作曲した映画音楽に比べるとやはりかなり西洋的ではある。

ヘドウィグのテーマ。スラットキンは、「オーケストラ曲を書くときは時間は自由です。しかし映画音楽は違います。場面に合わせて秒単位で音楽を書く必要があります」と言った後で、「上の方に梟がいないかご注意下さい」と語る。
ジョン・ウィリアムズの楽曲の中でもコンサートで演奏される機会の多い音楽。主役ともいうべきチェレスタは白石准が奏でる。白石は他の曲でもピアノを演奏していた。
ミステリアスな雰囲気を上手く出した演奏である。
ちなみに、福山さんによると、ヘドウィグのテーマの弦楽パートはかなり難しいそうで、アメリカのメジャーオーケストラの弦楽パートのオーディションでは、ヘドウィグのテーマの演奏が課せられることが多いという。

レイダース・マーチ。大阪城西の丸庭園での星空コンサートがあった頃に大植英次がインディ・ジョーンズの格好をして指揮していた光景が思い起こされる。力強く、躍動感のある演奏。リズム感にも秀でている。今日は全般的にアンサンブルは好調であった。

 

スラットキンは、「ありがとう」と日本語で言い、「もう1曲聴きたくありませんか?」と聞く。「でもどの曲がいいでしょう? 選ぶのは難しいです。『E.T.』にしましょうか? それとも『ホームアローン』が良いですか? 『ティーラーリラリー、未知との遭遇』もあります。ではこの曲にしましょう。皆さんが予想している曲とは違うかも知れません。私がこの曲を上手く指揮出来るかわかりませんが」
アンコール演奏は、「スター・ウォーズ」より「インペリアル・マーチ」(ダース・ベイダーのテーマ)である。スラットキンは指揮台に上がらずに演奏を開始させる。その後もほとんど指揮せずに指揮台の周りを反時計回りに移動。そして譜面台に忍ばせていた小型のライトセーバーを取り出し、指揮台に上がってやや大袈裟に指揮した。その後、ライトセーバーは最前列にいた子どもにプレゼント。エンターテイナーである。演奏も力強く、厳めしさも十全に表現されていた。

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2025年1月27日 (月)

コンサートの記(882) 上白石萌音 MONE KAMISHIRAISHI “yattokosa” Tour 2024-25《kibi》京都公演@ロームシアター京都メインホール

2025年1月18日 左京区岡崎のロームシアター京都メインホールにて

午後6時から、左京区岡崎のロームシアター京都メインホールで、上白石萌音 “yattokosa” Tour 2024-25 《kibi》京都公演を聴く。若手屈指の人気女優として、また歌手としても活動している上白石萌音のコンサート。最新アルバム「kibi」のお披露目ツアーでもある。京都公演のチケットは完売。「kibi」はアルバムの出来としては今ひとつのように思えたのだが、実際に生声と生音で聴くと良い音楽に聞こえるのだから不思議である。

上白石萌音の歌声は、小林多喜二を主人公とした井上ひさし作の舞台作品「組曲虐殺」(於・兵庫県立芸術文化センター阪急中ホール。小林多喜二を演じたのは井上芳雄)で耳にしており、心にダイレクトに染み渡るような美声に感心した思い出がある。ただ女優ではなく純粋な歌手としての上白石萌音の公演に接するのは今日が初めてである。
昨年の春に、一般受験で入った明治大学国際日本学部(中野キャンパス)を8年掛けて卒業した上白石萌音。英語が大の得意である。また、幼少時にメキシコで過ごしたこともあるため、スペイン語も話せるというトリリンガルである。フランス語の楽曲もサティの「ジュ・トゥ・ヴー」を歌って披露したことがある。
同じく女優で歌手の上白石萌歌は2つ下の実妹。萌歌は先に明治学院大学文学部芸術学科を卒業している。姉妹で名前が似ていてややこしいのに、出身大学の名称も似ていて余計にややこしいことになっている。

現在、「朝ドラ史上屈指の名作」との呼び声も高いNHK連続テレビ小説「カムカムエヴリバティ」がNHK総合で再放送中。ヒロインが3人いてリレー形式になる異色の朝ドラであったが、上白石萌音は一番目のヒロインを務めている(オーディションでの合格)。また新たな法曹関連の連続主演ドラマの放送が始まっている。

上白石萌音の声による影アナがあったが、録音なのかその場で言っているのかは判別出来ず。ただ、「もうちょっとで開演するから、待っててな」を京言葉の口調で語っており、毎回、ご当地の方言をアナウンスに入れていることが分かる。

客層であるが、年齢層は高めである。私よりも年上の人が多く、娘や孫を見守る感覚なのかも知れない。また、「『虎に翼』は面白かった!」という話も聞こえてきて、朝ドラのファンも多そうである。若い人もそれなりに多いが、女の子の割合が高い。やはり女優さんということで憧れている子が多いのだろう。なお、会場でペンライトが売られており、演出としても使われる。黄色のものと青のものがあり、ウクライナの国旗と一緒だが、関係があるのかどうかは分からない。

紗幕(カーテン)が降りたままコンサートスタート。カーテンが開くと上白石萌音が椅子に座って歌っている。ちなみにコンサートは上白石萌音が椅子に腰掛けたところでカーテンが閉まって終わったので、シンメトリーの構図になっていた。

白の上着と青系のロングスカート。スカートの下にはズボンをはいていたようで、途中の衣装替えではスカートを取っただけですぐに出てきた。

「『kibi』という素敵な曲ばかりのアルバムが出来たので、全部歌っちゃいます」と予告。「kibi」では上白石萌音も作詞で参加しているが、優等生キャラであるため、良い歌詞かというとちょっと微妙ではある。

浮遊感のある歌声で、音程はかなり正確(おそらく一音も外していない)。聴き心地はとても良い。
思っていたよりも歌手しているという感じで、クルクル激しく回ったりと、ステージでの振る舞いが様になっている。
原田知世や松たか子といった歌手もやる女優はトークも面白く、トーク込みで一つの商品という印象を受けることが多いが、上白石萌音も例外ではなく、楽しいトークを展開していた。

「今日は4階(席)まであるんですね」と上白石。4階席に向かって手を振る。更に、上手バルコニー席(サイド席)に向けて、「あちらの方は見えますか? 首が痛くありません?」、そして下手バルコニー席には、「そして、こちらにも。首がずっと(横を向いていて)。途中で(上手バルコニー席と)交換出来たら良いんですけど」「私も演劇で、ああいう席(バルコニー席)に座ったことがあって、終わったら首がこんな感じで」と首が攣った状態を模していた。ちなみに私は3階の下手バルコニー席にいた。彼女にはオフィシャルファンクラブ(le mone do=レモネードというらしい)があるので、1階席などは会員優先だと思われる。

上白石萌音も上白石萌歌も、「音」や「歌」といった音楽系の漢字が入っているが、母親が音楽の教師であったため、「音楽好きになるように」との願いを込めて命名されている。当然ながら幼時から音楽には触れていて、今日はキーボードの弾き語りも披露していた。

「京都には本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当にお世話になっていて」と語る上白石萌音。彼女の出世作である周防正行監督の映画「舞妓はレディ」も京都の上七軒をもじった下八軒という架空の花街を舞台としており、「カムカムエヴリバティ」も戦前から戦後直後に掛けての岡山の町並みのシーンなどは太秦の東映京都撮影所で撮られていて、京都に縁のある女優でもある(ただ大抵の売れっ子女優は京都と縁がある)。「舞妓はレディ」の時には、撮影の前に、上七軒の置屋に泊まり込み、舞妓さんの稽古を見学し、日々の過ごし方を観察し、ご飯も舞妓さん達と一緒に食べるなど生活を共にして役作りに励んだそうだ。ただ、置屋の「女将さん? お母さん?」からは、帯を締めて貰うときにかなりの力で引っ張られたそうである。着付けは色んな人にやって貰ったことがあるが、そのお母さんが一番力強かったそうだ。そのため転んでしまいそうになったそうだが、お母さんからは、「『こんなんでよろけてたら、稽古なんか出来しません』だったか、正確な言葉は忘れてしまったんですけれども」と振り返っていた。「『舞妓はレディ』を撮っていた頃の自分は好き」だそうである。

「京都には何度もお世話になっているんですけれども、京都でライブをやるのは初めてです」と語るが、「あ、一人でやるのは初めてです。何人かと」と続けるも、聴衆が拍手のタイミングを失ったため、少し前に出て、「京都でライブをやるのは初めてです!」と再度語って拍手を貰っていた。
毎回、ご当地ソングを歌うようにしているそうで、今日は、くるりの「京都の大学生」が選ばれたのだが、「京都なので、この歌もうたっちゃった方がいいですよね」と、特別に「舞妓はレディ」のサビの部分をアカペラで歌ってくれたりもした。「『花となりましょう~おおお』の『おおお』の部分が当時は歌えなかったんですけども」と装飾音の話をし、「でも努力して、今は出来るようになりました」と語った。
また、京都については、「時間がゆっくり流れている場所」「初心に帰れる場所」と話しており、「京都弁は大好きです」と言って、京風の言い回しも何度かしていた。仕事関係の知り合いに京都弁を喋る女性がいて、「いいなあ」と思っているそうだ。京都の言葉では汚い単語を使ってもそうは聞こえないそうである。

京都の冬は寒いことで知られるが、「雪は降ったんですかね?」と客席に聞く。若い男性の声で「まだ降ってないよ」と返ってくるが、続いて、若い女性複数の声が「降ったよ、降ったよ」と続き、上白石萌音は、「どっちやねん?!」と関西弁で突っ込んでいた。「さては、最初の方は京都の人ではないですね」
「降ったり降らなかったり」でまとめていたが、京都はちょっと離れると天気も変わるため、京都市の北の方は確実に降っており、南の方はあるいは降っていないと思われる。

「ロンドン・コーナー」。舞台「千と千尋の神隠し」の公演のため、3ヶ月ロンドンに滞在した上白石萌音。「数々の名作を生んだ、文化の土壌のしっかりしたところ」で過ごした日々は思い出深いものだったようだ。ウエストエンドという劇場が密集した場所で「千と千尋の神隠し」の公演は行われたのだが、昼間に他の劇場でミュージカルを観てスタンディングオベーションをした後に走って自分が出演する劇場に向かい、夜は「千と千尋の神隠し」の舞台に出ることが可能だったそうで、滞在中にミュージカルを十数本観て、いい刺激になったそうだ。英語は得意なので言葉の問題もない。
ということで、ロンドンゆかりの楽曲を3曲歌う。全て英語詞だが、上白石本人が日本語に訳したものがカーテンに白抜き文字で投影される。「見えない方もいらっしゃるかも知れませんが、後で対処します」と語っていたため、後日ホームページ等にアップされるのかも知れない。
ビートルズの「Yesterday」、ミュージカル「メリー・ポピンズ」から“A Spoonful of sugar(お砂糖一さじで)” 、ミュージカル「レ・ミゼラブル」から“夢やぶれて”の3曲が歌われる。実はビートルズナンバーの歌詞を翻訳することは「あれ」なのだが、観客数も限られていることだし、特に怒られたりはしないだろう。
“夢やぶれて”は特に迫力と心理描写に優れていて良かった。

参加ミュージシャンへの質問も兼ねたメンバー紹介。これまでは上白石萌音が質問を考えていたのだが、ネタ切れということでお客さんに質問を貰う。質問は、「これまで行った中で一番素敵だと思った場所」。無難に「京都」と答える人もいれば、「伊勢神宮」と具体的な場所を挙げる人もいる。「行ったことないんですけど寂光院」と言ったときには、「常寂光院ですか? 私行ったことあります」と上白石は述べていたが、寂光院と常寂光院は名前は似ているが別の寺院である。「萌音さんといればどこでも」と言ったメンバーの首根っこを上白石は後ろから押したりする。「思いつかない」人には、「実家の子ども部屋です」と強引に言わせていた。上白石は、「京都もいいんですけど、スペイン」と答えた。

ペンライトを使った演出。舞台上にテーブルライトがあり、上白石萌音がそれを照らすとペンライトの灯りを付け、消すとスイッチを切るという「算段です」。「算段」というのは一般的には文語(書き言葉)で使われる言葉で、口語的ではないのだが、読書家の人は往々にして無意識に書き言葉で喋ることがある。私の知り合いにも何人かいる。上白石萌音は読書家といわれているが、実際にそのようである。
「付けたり消したり上手にしはるわあ」

「スピカ」という曲で本編を終えた上白石萌音。タイトルの似た「スピン」という曲も歌われたのだが、「スピン」は今回のセットリストの中で唯一の三拍子の歌であった。

アンコールは2曲。「まぶしい」「夜明けをくちずさめたら」であった。

「この中には、今、苦しんでらっしゃる方もいるかも知れません。また生きていればどうしても辛いこともあります」といったようなことを述べ、「でも一緒に生きていきまひょ」と京言葉でメッセージを送っていた。

サインボールのようなものを投げるファンサービスを行った後で、バンドメンバーが下がってからも上白石萌音は一人残って、上手側に、そして下手側に、最後に中央に回って深々とお辞儀。土下座感謝もしていた。土下座感謝は野田秀樹も松本潤、永山瑛太、長澤まさみと共にやっていたが、東京では流行っているのだろうか。

エンドロール。スクリーンに出演者や関係者のテロップが流れ、最後は上白石萌音の手書きによる、「みなさんおおきに、また来とくれやす! 萌音」の文字が投影された。

帰りのホワイエでは、若い女性が、「オペラグラスで見たけど、本当、めっちゃ可愛かった!」と興奮したりしていて、聴衆の満足度は高かったようである。

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