カテゴリー「京都」の88件の記事

2020年7月 4日 (土)

美術回廊(51) 京都文化博物館 「横山華山」

2019年7月17日 三条高倉の京都文化博物館にて

京都文化博物館で、「横山華山」の絵画展を観る。「かざん」という号を持つ人物としては渡辺崋山が有名だが、横山華山は江戸時代後期に活躍した京都の絵師である。曾我蕭白に私淑した後、岸駒(がんく)や呉春(ごしゅん)に師事し、円山応挙や伊藤若冲と入れ替わるようにして世に出る。明治時代末に書かれた夏目漱石の『坊ちゃん』にその名が登場しており、その後、大正時代頃までは有名な人物であったようだが、昭和に入ってからはその名が忘れ去られてしまうようになる。展覧会のキャッチコピーは「まだいた、忘れられた天才絵師」である。
横山華山は、祇園祭の山鉾を描いた「祇園祭例図絵巻」を著しており、祇園祭の時期に合わせての展覧会開催である。

まず曾我蕭白の「蝦蟇仙人図」模写から入る。曾我蕭白の原図は張り詰めた雰囲気だが、横山崋山の模写は全体的に明るく、体の線も緩やかである。
横山華山の作風の特徴は、クッキリとした輪郭と緻密な描写力にある。風景画などは手前側をリアルに描き、奥はぼやかすため、絵全体に浮遊感と奥行きが生まれている。
「祇園祭例図絵巻」も「そのまま」を描く精緻な筆が冴えており、近々復活する予定である山鉾の一つ「鷹山」の史料となったというのも頷ける。

一方で、画面全体が明るいということで陰影を欠きがちであり、絵の背後にあるものを余り感じ取ることが出来ない。健康的で優しい絵なのだが、写真が現れ、その精度が上がれば取って代わられるような絵なのではないかという思いも浮かぶ。昭和に入ってから急速に忘れ去られたという背景の一つにそうしたことがあるいはあったのではないか。ただ、そうでなくとも「激動の昭和を駆け抜けるに相応しいだけの力を持った絵師だったか」と問われれば、「否」と答えることになると思う。破滅の予感が日本を襲った時代にあっては横山華山の画風は優しすぎたであろうし、復興の時代になればなったでパワーに不足しているように見える。あるいはまた時代が変われば評価も変化するのかも知れないが、今の時点では「リアリズムの点において優れた描写力を発揮し、史料的に重要な絵を残した」絵師に留まると書くのが最も適当であるように思われる。

だが、祇園祭の史料になるだけのリアリスティックな絵を描いたというその一点だけでも、横山華山という絵師の存在意義は十分に肯定され得るものだと確信してもいる。芸術的な意味では必ずしもなく、時代の証言者としてということになるのかも知れないが「絶対に必要な存在」だったのだ。

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2020年5月29日 (金)

コンサートの記(640) 「“いにしえ”からベリオ」 ルチアーノ・ベリオ「セクエンツァ」全曲演奏会2日目 知恩院三門裏

2004年10月24日 知恩院三門裏にて

知恩院へ。ルチアーノ・ベリオの「セクエンツァ(連続)」2日目にして楽日、金管楽器と鍵盤楽器のコンサート。世界で最も巨大な木像門である三門の裏での演奏である。

トランペットとピアノの作品。ピアノは弾かずに、トランペットがピアノの弦に吹きかけて共鳴効果をつけるためだけに用いるという。ただ演奏している姿が見えないので、どこで吹きかけたのかわからない。音で判断出来ないとなると、わざわざピアノに吹きかける意味がないような気もする。

ピアノの演奏。ピアノで曲を弾いたことがある人には何となくだが理解出来る曲だ。奏でるのではなく、音を置いていくといえばいいのだろうか。ストーリーではなく韻文、あるいは俳句を作るような感じで弾く曲だと思う。

「女声のためのセクエンツァ」。ソプラノは、先日神戸国際会館国際ホールで行われた佐渡裕指揮の「VIVA! バーンスタイン」にも登場した天羽明惠(あもう・あきえ)。いかにも前衛作家の書いた歌(のようなもの)という印象。天羽は途中でサングラスを掛けたりしたが、これも楽譜に書かれているのであろうか? あるいは天羽の演出だろうか?

アコーディオン。「シャンソン」という副題がついているせいかも知れないが、「セクエンツァ」シリーズの中ではメロディアスな曲だ。奏者はフィンランド出身のヤンネ・ラットゥワ。1974年生まれだから私と同い年だ。表情の豊かな演奏である。

アコーディオンの次がラストの笙。吹奏楽器と鍵盤楽器の違いはあるが音の出る原理は同じで、笙とアコーディオンは親戚のような関係だ。妙なる音色が三門の庇に反射する。朱雀門の前で笛や笙を奏でたという伝説の残る源博雅を彷彿させる。小鳥が囀るなどいい雰囲気。ヘリコプターのはばたきや、バスを誘導する笛の音は少しかまびすしかったが。


知恩院境内を歩く。ここは城郭のような設計である。というより本当は隠れ城郭である。特に黒門付近は明らかに城郭の装いだ。
京都の城郭というと二条城だが、これはどちらかというと政庁の色彩が濃く守りは手薄なので、いざという時には、ここ知恩院を城として立て籠もれるようにしたのである。ここは浄土宗だった徳川氏に手厚い保護を受けた寺。境内のあちこちに徳川氏の葵の御紋が輝いている。

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2020年5月28日 (木)

コンサートの記(639) 「“いにしえ”からベリオ」 ルチアーノ・ベリオ「セクエンツァ」全曲演奏会初日 百万遍知恩寺&法然院

2004年10月23日 百万遍知恩寺御影堂&法然院本堂にて

今日と明日、浄土宗の三寺院で無料演奏会が行われる。「“いにしえ”からベリオ」と題し、ルチアーノ・ベリオの独奏曲集「セクエンツァ(連続)」全曲を演奏する試み。ルチアーノ・ベリオ(1925-2003)は20世紀を代表するイタリアの前衛作曲家である。
私も知恩寺(百万遍)と法然院での演奏を聴きに行く。

百万遍知恩寺は御影堂(みえいどう)での演奏。弦楽器による独奏曲の演奏である。チェロの安田謙一郎、ヴィオラの川本嘉子、ハープの吉野直子などかなり有名な演奏家が出演する。ちょうど影になって奏者が見えない席だったので、伽藍を彩る音に耳を澄ますという感じで聴くことにする。知恩寺の御影堂には何度も来ているので、静寂の中にあるいつもとは違い、音の着いた伽藍の雰囲気を楽しもうというわけだ。音によって堂内のイメージが変わっていくのが面白い。ギターの呆れるほどのミスマッチ間もいいし、ハープ演奏の時には竜宮城のように見えた須弥壇が、琴の演奏になるとあの世への入り口という印象に変わったりする。

プログラムとは違い、ヴィオラよりヴァイオリンが先になったが、見えない席の人はわからないので、ヴァイオリンの音をヴィオラと取り違えたりしていた。両曲とも、いかにも超絶技巧という感じの曲で、特にヴィオラはとてつもなく難しいことが聴いていてわかる。

現代音楽なので聴いていて心躍るというわけではない。しかし寺院でやると異空間に迷い込んでしまったような気にさせられる。
ハープの曲が音の美しさもあって一番聴き応えがあった。


続いて法然院で演奏会が行われる。知恩寺の演奏が終わってすぐに歩いて法然院に向かう。15分ほどで到着。まだ開場していないので、近くの喫茶店でケーキなどを食べる。

法然院の本堂で演奏会を行うのだが、ここは特別公開が行われる春と秋の数日間を除いては入ることの出来ない場所なので興味深い。こちらでは管楽器の演奏を行う。

しかし本堂は狭く、お客が入りきれないので、障子を開け、縁側にも客席を設けたりしていた。夜風は冷たく震えながら聴く人もいた。予想を上回る人が来てしまったのだと思われるが、余り手際が良くない。

ファゴット独奏には、聴衆、沸く。曲が面白かったからというよりも、息継ぎの間なく吹き続ける曲だったので、頑張った奏者(パスカル・ガロワ。この曲の初演者である)に拍手が起こったのだ。

一番面白かったのはフルート独奏の「セクエンツァⅠ」。フルートは横笛に似ているので吹く姿もどことなく寺院に合う。

最後は横笛(龍笛)の演奏。これはベリオの作品ではなく古来から伝わる曲だ。

「セクエンツァ」はかなり高度なテクニックが要求される曲であろうことは容易に察せられて、奏者にとってはやりがいのある曲だが、聴いて面白いという感じではない。ベリオは楽器のこれまで見出されていなかった可能性を追求するので、今まで聴いたことのない音がしたり、音がとてつもなく美しい塊として響いたりと興味深くはあったのだが、聴くよりも演奏して楽しい曲という印象を受ける。これは邦楽(雅楽など)にも通じるところがある。

夜の法然院境内は、ライトアップされた山門が闇に浮かび、上を見ると月が輝いている。幻想的な光景。京都だな、と思う。

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2020年4月16日 (木)

配信公演 「白井あさぎ七回忌追善 春青能『半蔀・立花供養』」YouTubeライブ(文字のみ)

2020年4月11日

午後3時から能公演「白井あさぎ七回忌追善 春青能『半蔀・立花供養』」YouTubeライブ公演を観る。

春青能実行委員長である白井孝明の娘で、6年前に19歳の若さで亡くなった白井あさぎの追悼公演である。京都市中京区にある冬青庵能楽堂での上演。


演目は、舞囃子「田村」、仕舞「弱法師」、能「半蔀・立花供養」


舞囃子「田村」を演じる青木真由人。立命館宇治高校の1年生という若手である。坂上田村麻呂を主人公にした「田村」のハイライト上演。
かなり前まで出ての上演であるが、坂上田村麻呂が征夷大将軍という高い身分に就いていたからかも知れない。
青木真由人は若いので、謡などは様になっていない感じだが、動きは切れがある。


片山九朗右衛門らによる「弱法師」を経て、「半蔀・立花供養」が上演される。「弱法師」上演の後で舞台が消毒された。


「半蔀」は「源氏物語」に登場する夕顔を描いた能である。夕顔が六条御息所の生き霊に取り殺される場面はとても有名であり、教科書などにも採用されているため、「源氏物語」の知識がなくても夕顔の名を覚えている人は多いはずである。青木道喜ほかによる上演。

第一場の舞台となっているのは雲林院。今は場所も移転して大徳寺の塔頭となっている小さな寺院であるが、以前は天台宗の大寺院だったという。私も大徳寺からの帰り道に寄ったことのある寺院である。紫式部自身がこの近くの生まれという説があり、また大寺院時代の雲林院は「源氏物語」にも登場する。

雲林院の僧侶が立花供養を行おうとすると、謎の女性が現れ、夕顔の花の話をして去って行く。

第二場では、女性の正体が「源氏物語」に登場する夕顔であろうと悟った僧侶がいにしえの五条御殿の辺りに出掛け、半蔀の後ろに姿を現した夕顔の幽霊から光源氏との思い出を聞かされるという内容である。

元々能の謡は聞き取り憎いが、第二場に入ってから一層聞き聞き取りづらくなったため、Kindleで「半蔀」の謡曲本を買ってダウンロードし、本を追いながら観る。専門用語が多く、確かにこれでは聴いただけではわからないだろう。
ただ本をダウンロードしたおかげで、なぜここで舞が入るのかといったことまで推測出来るようになる。画面にタッチすれば索引まで飛んで戻ってこられるため便利だ。


その後、「田村」の謡曲本もダウンロード。伊勢国鈴鹿の鬼神を清水寺の開基でもある坂上田村麻呂が退治する話であり、最後は清水寺の観音の仏力によって鬼神が退治される。今の状況で上演されるのに相応しい演目でもある。

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2020年3月11日 (水)

美術回廊(48) 生誕135年「竹久夢二展 幻想の美 秘められた謎」@京都髙島屋

2020年3月6日 京都髙島屋7階グランドホールにて

京都髙島屋7階グランドホールで、生誕135年「竹久夢二展 幻想の美 秘められた謎」を観る。新型コロナウィルスの影響で、京都髙島屋店内はガラガラ。こんな状態がいつまでも続けば天下の髙島屋も傾くという危機感がありありと伝わってくる。

大正時代を代表する美人画家として知られる竹久夢二(本名:茂次郎)。現在の岡山県瀬戸内市にある造り酒屋の次男として生まれ(長男は幼くして亡くなったため、扱いとしては事実上の長男となる)、神戸中学校(現在の兵庫県立神戸高校)に進むも家業が傾いたために中退。この頃の夢二の夢は詩人になることだった。一家で福岡県の八幡(現在の北九州市)に移り住むが、家出して上京。早稲田実業学校の専攻科(2年制)に進学し、この頃に本格的に絵を描き始める。早稲田実業も結局は中退した。

正直、日本画家としての竹久夢二は大したことがないというのが私の評価である。本格的に絵を学ばなかったことを本人も周りも後悔していたという話もある。

竹久夢二の名が現在に伝わることになったのは、彼が作詞した名曲「宵待草」によるところが大きい。作詞と書いたが、夢二は「宵待草」を歌詞として書いたわけではない。宵待草という草は存在せず、待宵草を宵待草として詩を発表。単純な覚え間違いという説もあるが、その方が語呂がいいからか、それとも架空の草とした方が良かったのか修正することはなかった。ちなみに「宵待草」は明らかに大逆事件を意識して書かれたものである。この「宵待草」の一節に多忠亮(おおの・ただすけ)が曲をつけて初演し、大評判となる。といってもこれは夢二と多のコラボレーションではなく多が許可を得ずに曲をつけてしまったものである。多も流石にこれはまずいと夢二宅に謝罪に出向いたのだが、逆に夢二に泣きながら歓待されたという話が残っている。どこまで本当なのかはよくわからないが、夢二が「これで自分の名は後世に残る」と確信したであろうことは窺える。実際、今回出展された夢二の作品に登場する夢二の分身は頭を抱えるなど苦悩に満ちた姿で描かれていることが多く、自分の画才に自信が持てないことが伝わってくる。

絵として致命的なのは密度の薄さ。情報量が少ないのである。淡く可愛らしいが、それだけでは他の日本画家には太刀打ち出来ない。挿絵画家としてスタートし、絵葉書を描く仕事や、楽譜の表紙絵やレコードジャケットのデザイン(「ペール・ギュント」から“ソルヴェイグの歌”のSPジャケットなどが展示されていたが、歌詞の内容とは余り関係ないような絵である)などを手掛けた夢二は、芸術を身近なものにしたという功績があり、グラフィックデザイナーの先駆けともいうべき存在である。大正という時代にあって、その挿絵や美人画は一斉を風靡した。だからといって彼の作品がそれそのものの魅力で激動の昭和を駆け抜けることが出来たかというと、単純に絵の出来から考えれば難しかったかも知れない。
夢二という存在が今も人を惹きつけるのは、絵画以上に彼のミステリアスな人間性である。とにかく女にもてる上に、たまきやお葉との奇妙な関係は他に例が見当たらない。
夢二と籍を入れた唯一の女性であるたまき。知名度はとても高いが、不可思議としかいいようのない存在でもある。2つ年下の夢二の猛アタックを受けて結婚したたまきだったが、とにかく浮気ばかりする夢二に愛想を尽かして2年で離婚。しかしその後もつかず離れずの関係を続け、子まで設ける。その後、夢二はたまきと当時画学生だった東郷青児の関係を疑い、富山でたまきの腕を短刀で刺すという事件を起こす。これで完全に終わり、のはずなのだが、その後も関係は続いている節があり、夢二が結核のため長野の療養所で亡くなった後、たまきが訪ねてきて後片付けなどをして帰っている。

富山での事件の後で、夢二は京都に向かう。二寧坂(二年坂)に取り敢えずの居を構えた夢二はここで一人の女性を待つ。女性の名は笠井彦乃。のちに「夢二最愛の女性」と呼ばれることになる女学生である。たまきと夢二が経営する港屋に入り浸っていた夢二ファンの女学生であった彦乃は、一説にはたまきと東郷青児の関係が怪しいと夢二に告げた張本人ともいわれている。彦乃は親の反対を押し切って京都へ。二寧坂で夢二と同棲生活をスタートさせ、ほどなく高台寺の近くに家を構える。だが、九州旅行時に彦乃は喀血。結核であった。彦乃は実家に連れ戻されることになり、ほどなくして亡くなる。夢二も京都を去ることになった。最初の家を二寧坂に構えたことが良くなかったのかどうか、夢二の京都時代は丁度2年で幕を下ろすことになる。

彦乃と入れ替わるように夢二の恋人となったのが、お葉(よう)である。本名は佐々木カ子ヨ。お葉の名は夢二が付けたものである。秋田生まれで、藤島武二のモデルを経て、責め絵師の伊藤晴雨のモデルをしていたお葉であるが(伊藤晴雨のモデルであったことは今回の展覧会では触れられていない)、愛人関係にあった伊藤晴雨と別れて夢二と同棲するようになる。その後に自殺未遂をするなど前半生は波乱に富んでいたお葉だが、医師と結婚して以降は安定した生活を送るようになり、その後、約半世紀ほど静かに生き続けた。

 

実人生の方が絵よりも魅力的であった夢二であるが、油絵などは独特の陰鬱さが作者の懊悩を物語っており、奥行きが感じられて好印象である。

出口付近には映像コーナーがある。岡山市にある竹久夢二美術館が制作した約10分の映像。49歳という短い生涯であった夢二であるが、この映像は比較的知られていない晩年の夢二を描いている。47歳の時に夢二は渡米。サンフランシスコで上陸し、その後、西海岸の都市を回る。その時に描かれたのが今回展示されている「西海岸の裸婦」である。完成度の方はそう高くないと思われ、その証拠にというわけでもないが、夢二は西海岸で個展なども開いているが評価は今ひとつであった。そこで今度はヨーロッパに渡るが、そこで評価されることもなく、帰国後に結核を得て、翌年に他界することになる。

夢二の絵に関してはその生涯ほどには魅力は感じないのであるが、物販では吉井勇が現代語訳(あくまで当時の現代語である)した『伊勢物語』に夢二が挿絵を描いたものが売られており、気になったので高めではあったが購入した。

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2020年2月16日 (日)

スタジアムにて(21) サンガスタジアム by KYOCERA オープニング プレシーズンマッチ 京都サンガF.C.対セレッソ大阪 

2020年2月9日 京都・亀岡のサンガスタジアム by KYOCERAにて

この冬初めての雪らしい雪の日。

この天候であるが、サンガスタジアム by KYOCERA(京都府立京都スタジアム)のオープニングゲームがある。プレシーズンマッチであり、選手交代は3人に限らず、またアディショナルタイムの表示もない。

京都市営地下鉄二条駅で降り、JRに乗り換える。JR二条駅から亀岡に向かう電車は満員。円町駅で結構人が降りたが、車内が混雑したまま亀岡へと向かう。サンガのサポーターグッズを身につけている人や、チームカラーの紫を衣装に取り入れている人も多い。
嵐山を越えると竹林が続き、保津峡駅を過ぎると、大堰川の渓谷が何度も姿を現す。まるで秘境へと向かっているかのような気分だ。
トンネルを抜けると目の前に田園風景が広がる。トロッコ列車亀岡駅を過ぎると、黒い巨大な漆器のようなものが遠くに見える。サンガスタジアムである。
まるでホグワーツ城に向かうハリー・ポッターのような気分だ。

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メインスタンドのチケットは取れなかったため、バックスタンドの自由席を取ったのだが、サンガスタジアムの入り口はメインスタンドとバックスタンド、更にビジター専用の3カ所だけであり、バックスタンドに入る人で長蛇の列が出来ている。チケットもぎりの人員は多く、行列も進んではいるのでストレスはたまらないが、これほどの列が出来ているスタジアムは見たことがないので、改善の余地ありである。初開催なので、今後は改善されていくだろうが。スタジアムの出入り口の3つは絶対数ではなく、今日は一つは再入場口、一つは関係者用として使われていた。コンコースの広さから考えると、複数箇所からの入場があると、コンコースがつかえてしまうということなのかも知れない。帰りの際は2カ所に狭まったが、サンガスタジアムからJR亀岡駅までの歩道が人で溢れているのが見えたため、帰り口を多くしてしまうと駅に人が押し寄せてどうにもならないということも考えられる。Twitterでいくつか検索したところ、サンガスタジアムからJR亀岡駅まで普通に歩けば3分で着くところを30分掛かったそうだが、2カ所にしたからそれで済んだということなのかも知れない。杮落としということでサンガスタジアムへの来場者は1万7000人以上を記録したが、亀岡に一時にこれだけの人が押し寄せるということは大げさでなく有史以来初めてなのではないだろうか。
大勢の人が押し寄せるということ自体、亀岡にとって未曾有のことであり、スタジアムの周りには警察官を、駅には警備員を多数配して交通の混乱を避けるべく努力していた。

京都にサッカー専用スタジアム建設の構想が持ち上がったのは、1995年のこと。京都パープルサンガのJFLからJリーグへの昇格が決定的となり、プロサッカーチームに相応しいサッカー専用スタジアムを建設する機運が高まる。そして2002年のサッカーワールドカップ開催に向けて城陽市の木津川右岸にサッカースタジアムを建設する計画が立案されたのだが、2002年のワールドカップが日本単独ではなく日韓共催となったことから日本国内に建設予定だったサッカースタジアムの計画のいくつかが白紙撤回となり、そのなかに木津川右岸も含まれていて、サッカースタジアムの建設は振り出しに戻った。2002年には京都パープルサンガが天皇杯で日本一となり、追い風が吹くかに思われたのだが、目に前には混乱が待ち構えていた。
京都サンガF.C.(前身の京都パープルサンガを含む)が本拠地としていた京都市西京極総合運動公園陸上競技場兼球技場はそもそもJリーグ参加チームのホームグラウンドとしての規格に達しておらず、Jリーグのホームグランドとしては日本最低などといわれていた。初期はLEDビジョンもなく席は安手のもの。陸上競技場であるためスタンドからピッチまでが遠い、スタンドの傾斜も緩いので臨場感がないなど京都府唯一の本格的プロスポーツチームの本拠地としてはお寒い限りであった。
そこで伏見区の横大路にサッカー専用スタジアム建設計画が起こったのだが、ここからいかにも京都らしいというべきグチャグチャの展開を見せ、横大路はアクセス面で無理、西京極に仮設スタンドなどを設ける案もあったが、技術面で困難な上に陸上競技連盟による反対があり、西京極を一から建て直すにしてもその間の代替スタジアムがないため不可能。梅小路広場や京都府立植物園に建設するプランも出るが、「府市民の方々の同意が得られない」という「府市民の方々って具体的に誰なの?」という謎を呼ぶ否決で終わる。京都サンガF.C.は宇治市の太陽が丘こと京都府立山城総合運動公園に本拠地スタジアムを作る計画を京都府などに打診するも交通の便に問題ありということで進まず。
ということで、改めてサッカー専用スタジアム候補地を募集。いったんは下りていた京都市に加え、亀岡市、城陽市などが手を上げ、」最終的に亀岡市に決定する。ただ、最初の建設予定地は天然記念物であるアユモドキの生息場所であるとして反対運動が起こり、JR亀岡駅前の現在地に建設場所が移っている。その後も亀岡で反対デモなどがあったが、ようやく完成に漕ぎ着け、最初の試合が行われる。構想から実に四半世紀の道のりであった。

 

残念ながらバックスタンドの2席席(1階席は存在しないのでややこしい)には空席を見つけることが出来なかったので、3階席に向かう。3階席は比較的空いていた。2階席も臨場感があって良いが、3階席は3階席で、昔遊んだことのあるFIFA公認プレイステーション用サッカーゲームに似た角度でピッチを見下ろせる構造で、ボールの近くにいない選手の動きもはっきりと確認出来る。サッカーを観るためのスタジアムとしては最高の部類に入るのは間違いない。

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試合前に京都府のゆるキャラであるまゆまろがミス亀岡かなにかだと思われる着物姿のお姉さんと共にグラウンドに現れ、サンガサポーターの掛け声に合わせて踊っていたが、寒いので体を動かしたかったのかも知れない。雪はやんでいたが、今日の亀岡はとにかく寒い。
西脇隆俊京都府知事と京セラの山口悟郎会長が試合前の挨拶を行う。公約の一つがサッカー専用スタジアムの建設推進だった西脇知事(他の自治体の方々には考えられないかも知れないが、京都はついこの間まで「サッカー専用スタジアムの建設推進」が公約になり得るような場所なのである)は、「現時点では日本一のサッカースタジアム」と胸を張り、「サンガスタジアムというチーム名が入った日本初のスタジアム」として、ネーミングを行った京セラを讃えていた。

京セラはすでに、京セラドーム大阪や京都市京セラ美術館などでネーミングライツを行っており、仮に京セラスタジアムや京セラアリーナなどにすると京セラドームと混同される恐れがある。またユニフォームのメインスポンサーであり、京都サンガF.C.が元々京セラを中心にプロ化を進めた経緯はよく知られているため、何重にも宣伝する必要は感じられなかったのかも知れない。


以前は、西京極でよく京都サンガF.C.の試合を観ていたのだが、土曜日に稽古を入れることになっていから足が遠のき(結局、稽古が公演に結びつくことはなかったが)、サンガもJ2に低迷したままで、京都の街全体も盛り上がりに欠けていた。昨年は、一時期J2の首位に立つなど、J1昇格のチャンスが訪れたかに見えたが、対柏レイソル戦で1-13という、サッカーの試合とは思えないほどの大量失点を喫し(当然ながらJリーグの1試合における最多失点記録となった)失速。今年もJ2でのスタートとなった。

一方、対戦相手のセレッソ大阪はこのところずっとJ1で戦い続けているチームである。亀岡に向かう列車の中では、サンガが大敗するのではと心配する声も聞かれた。

JR亀岡駅からサンガスタジアムに向かっている途中で、セレッソ大阪の選手を乗せたバスが前を横切る。多くの人が拍手を送った。

久しぶりのサンガ戦観戦ということで、選手の中で名前を知っているのは李忠成だけ。李は今日はスタメンではなく、後半開始からの登場となった。背番号9のピーター・ウタカ、背番号10の庄司悦大(しょうじ・よしひろ。昨季はベガルタ仙台からのレンタル移籍としてサンガでプレーし、シーズン終了後に完全移籍となった)らが現在のサンガを代表する選手となっているようである。

 

試合前は晴れていたサンガスタジアムであるが、試合開始と同時に小雪が舞い始める。祝い雪となるであろうか。絵的に美しい雪舞う中でのサッカーであるが、とにかく寒い。防寒対策は私としてはかなり徹底したつもりであるが、サンガスタジアムの北にある丹波富士こと牛松山とその背後の愛宕山から北風が吹き下ろしてくるため、体感温度もかなり低い。

試合はやはり、というべきか一貫してセレッソペース。どう見てもセレッソの方が強い。サンガ陣内でプレーが行われる時間が長く、またサンガがカウンターを狙ってもセレッソディフェンス陣に角度を潰されるため、シュートを打ってもキーパーの正面かゴールマウスを外れたものにしかならない。またサンガの選手達は上がりが遅く、パスを回すも相手ディフェンスに隙が見られないため、ゴール前にボールを送り込むことがなかなか出来ない。

先制点も当然のようにセレッソが奪う。坂元が右サイドから狙ったロングシュートはそのままゴールに吸い込まれた。

そのままセレッソペースになってもおかしくないような展開であったが、サンガも相手ゴール前での混戦に持ち込み、庄司が蹴り上げたボールがゴールネットを揺らしてサンガが同点に追いつく。その後もセレッソ有利ながら前半は1-1の同点で終えた。

ハーフタイムに太陽が姿を現し、日差しが優しく感じられるようになる。とにかく寒いが、様々な天気を楽しめる一日ともなった。

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後半もセレッソの方が勢いがあり、64分にパスで中央を破られて奧埜にゴールを決められる。
更にアディショナルタイムにもサンガゴール前でのセレッソの波状攻撃があり、サンガは防衛ならず、都倉にゴールを許す。
なんとか一矢報いたいサンガは、ウタカがドリブルでディフェンスを突破してのビューティフルゴールをサンガサポーターの目の前で決める。直後にタイムアップとなるが、サンガファンを大いに沸かせる一発となった。サッカー専用スタジアムにおいて目の前で決まるゴールは芸術そのものと言っても過言ではないほどの美しさを持つ。ハリー・ポッター・シリーズのクィディッチも、サンガスタジアムで観る現実のサッカーには敵うまい。

 

おびただしい数の人々がJR亀岡駅に向かう。このまま亀岡駅に向かうのは賢明ではない、ということもあるが、元々寄るつもりであった「麒麟がくる 京都大河ドラマ館」に寄る。亀岡市にある亀山城は明智光秀が居城としていた城であり、サンガスタジアムの1階に大河ドラマ館が作られた。亀山城跡はサンガスタジアムの南西、JRの線路を挟んで向かい側にある。現在は宗教法人大本の所有となっており、無料では入れるのだが、宗教団体ということで入りにくい状態ではある。ただ「麒麟がくる」制作発表後に亀山城跡を訪れる人が増えたため、対応に当たるべく、有料での観光に切り替わる予定である。
亀山城という城は、ここ丹波のみならず伊勢にもあり、丹波亀山城の天守を取り壊すよう幕府からの命が下った時に間違えて伊勢亀山城の天守が取り壊されたという嘘のような本当の話がある。丹波亀山城天守は今は存在しないが、明治時代初期に撮影された古写真が残っている。丹波亀山城天守は、一説によると今治城の天守を移築されたものとされ、現在の今治城には丹波亀山城天守の古写真を元にした模擬天守が建てられている。

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館内には、出演俳優が着た衣装やサインなどが飾られており、明智光秀役の長谷川博己や松永久秀役の吉田鋼太郎らのインタビュー映像などを見ることが出来る。出演者の写真パネルや光秀ゆかりの亀岡観光案内などは撮影可である。

京都大河ドラマ館を出ると、夕日を浴びた牛松山とその背後の愛宕山が美しい。愛宕神社を崇拝していたという明智光秀であるが、亀山城にいる時は、毎日愛宕山の姿を眺めていたということになる。

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2020年1月13日 (月)

美術回廊(47) 京都髙島屋7階グランドホール 「没後220年 京都の若冲とゆかりの寺―いのちの輝き―」

2020年1月8日 京都髙島屋7階グランドホールにて

京都髙島屋7階グランドホールで、「没後220年 京都の若冲とゆかりの寺―いのちの輝き―」という展覧会を観る。左京区岡崎にある細見美術館の若冲コレクションと京都府内にある寺院が所蔵する若冲作品を集めた展覧会。細見美術館のコレクションはこれまで数回に渡って観たことのあるものも含まれている。

近年、急速に再評価が進んでいる伊藤若冲(1716-1800)。京都錦小路の青物問屋に生まれ、23歳から実家の商いを継ぐも、40歳で弟に店を譲り、隠居の身として絵に打ち込んでいる(最近になってその後も町衆のために働いていたことも確認された)。鶏の絵を多く残していることでも有名だ。

伊藤若冲の弟子についてはこれまでほとんど知られていたかったが、頭に「若」を付ける系譜と、下の漢字に「冲」を当てるもう一種類の系譜があることが分かってきたという。今回の展覧会では、若冲の弟子の作品も展示される。


まず最初に展示されているのは、若冲の木版画である。描写よりも意匠が重視される作品であるが、その後、竹久夢二を経て和田誠にまで至るデザイン性をそこに見いだすことは容易である。というよりも当たり前でもある。絵画というよりもデザイン画の伝統は江戸時代からすでに始まっており、後世の者が先人の絵に学ぶのは当然だからである。良くも悪くも現代人は江戸時代の影響を受け続けているといわれるが、こうした一見、関連がなさそうなところにもそれが見出せるのが面白くもある。

細見美術館のコレクションからは、「雪中雄鶏図」、「糸瓜郡虫図」、「伏見人形図」などお馴染みの作品が並ぶ。「伏見人形図」などもデザイン画の先祖の系譜に入りそうな作品である。そのほかにも、禅の祖を描いた「朱達磨図」、軍神「関羽図」、一瞬を描いた「虻に双鶏図」、簡略の美が光る「群鶏図」、今年の干支で、私も年賀状に採用した「鼠婚礼図」などが展示されている。

寺院所蔵の絵画としては、慈照寺(銀閣寺)所蔵の「牡丹百合図」、「鯉図」、鹿苑寺(金閣寺)所蔵の「竹虎(ちっこ)図」、「玉熨斗図」、「亀図」、伊藤若冲の菩提寺である裏寺町の宝蔵寺所蔵の「髑髏図」、相国寺(慈照寺、鹿苑寺の本山)の「鱏(えい)図」、「鳳凰図」などが展示されている。「鱏図」が面白い。

伊藤若冲が壬生寺に奉納した狂言の面も展示されている。これは今でも壬生狂言で使われているそうである。

あっかんべーをしたユーモラスな「布袋図」や、千葉県の魚でもある鯛を描いた「鯛図」なども面白い。「鯛図」は釣り上げられた瞬間の鯛を描いたものだが、鯛が躍り上がっていることがわかり、躍動感が感じられる。釣り針と鯛を描いた絵であるが、「留守絵」と呼ばれるもので、主人公である恵比寿を敢えて描かない手法で描かれたものだという。

相国寺の「釈迦三尊像(釈迦如来、文殊菩薩、普賢菩薩)」は色鮮やかだが、複製である。複製ではあるが、緻密な筆致を知ることが出来る。

屏風に描かれた鶏は実に生き生きしている。弟子である若演が描いた鶏の絵もあるが、生命力が違う。若冲が描いた鶏は今にも動き出しそうな生命力が宿っているが、若演が描いた鶏はやはり単純に描かれたものという印象を受ける。構図の問題も大きいが、細部の描き方も大きいと思われる。ある意味捻れたポージングが躍動感を生んでいるともいえる。

最後にMBS(毎日放送)が制作した上映時間約10分の若冲紹介映像が流れており、若冲と仏教、とりわけ伊藤家の宗派である浄土宗と若冲が障壁画や仏画を手がけた臨済宗相国寺派、若冲が晩年に関係を持つことになった黄檗宗との関わりなどが描かれていた。

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2019年12月20日 (金)

美術回廊(46) ジョーン・ジョナス京都賞受賞記念展覧会「Five Rooms For Kyoto:1972-2019」

2019年12月18日 御池通の京都市立芸術大学ギャラリー@KCUAにて

御池通にある京都市立芸術大学ギャラリー@KCUAで、ジョーン・ジョナスの京都賞受賞記念展覧会「Five Rooms For Kyoto:1972-2019」を観る。
1936年生まれのジョーン・ジョナス。今月12日にロームシアター京都サウスホールでパフォーマンス「Reanimatio」が上演され、14日から京都市立芸術大学@KCUAのでの展覧会が行われている。年をまたいで来年の2月2日までの開催である。入場無料。

展覧会のタイトル通り、京都市立芸術大学@KCUAの5つの展示室を使って行われる展覧会。映像作品と美術の展示がある。
最初の部屋は、12日にロームシアター京都サウスホールで行われた「Reanimation」のものである。ジェイソン・モランの音楽も録音で流れてくる。
ジョナスは、歌舞伎や能を観て日本の表現形式に魅せられたそうだが、「Reanimation」では障子をスクリーンとして用いている。氷河の山脈の映像や、ドローイングの風景などが投影されている。
「Reanimation」の上演映像もモニターで流れている。セリフを書いた冊子が手前の椅子の上に置いており、自由に読むことが出来るようになっている。

2階に上がり、3つの部屋で行われる展示を眺める。最初の部屋に映されているのは、「Lines in the Sand」。パリスと結婚したとされるヘレネーの物語を題材としているが、ヘレネーはトロイアではなくエジプトに行ったとするアイスキュロスの戯曲を元にしており、エジプトに取材した作品である。ただ、ジョナスはエジプトには行かず、ピラミッドやスフィンクスの模倣品が街中にあるラスベガスに向かい、ラスベガスのそばの砂漠で砂にドローイングを行ったりしている。二重の意味で「本来ではない場所」での創造が行われるのである。
モニターには「ピロートーク」という題の、男女による語りの作品が映されていた。こちらは演劇性が高いものである。

2階の2つ目の部屋は、最も演劇性の高い実験映像である。「Organic Honey」と題された映像群で、最初期の作品である「Oranic Honey's Visual Telepathy」を始めとする6つの映像がスクリーンやモニターに流れている。何が映っているのかよくわからないものもある。

2階の3つ目の部屋は、ジョナスが取り組んでいる環境問題に題材を取った映像2つ(「Moving off the Land Ⅱ」と「Whale Video」)が流れている。人類と魚類の共通点が少年や少女によって語られ、「Reanimation」のラストに登場した魚は、やはり生物の原点という意味で扱われていたことがわかる。
ジョナスがスクリーンに映る海の生き物たちと一体になろうとしたり、自分の体に紙を押し当てて体型をなぞったものに吸盤を加えてタコと一体化したりと、生物の歴史を超えた融合を試みる場面が見られる。この作品でもジョナスがハンドベルを鳴らず場面があるが、自然破壊への「警鐘」そのものとして用いているようである。

階段を降りて、1階にある最後の展示室へ。この部屋ではジョナスの教育活動が紹介されている。4つのモニターが互いに背を向ける形で四方に並べられており、大学や美術アカデミーで行われたインプロビゼーション(即興)でのパフォーマンスが映し出されている。
ガラスケースの中には、ジョナスが授業の際に使用した指示書が展示されている。これも日本語訳テキストが壁に2冊ずつ下がっていて、手に取って読むことが出来る。詩や映像作品の組み立てを分析してパフォーマンスに生かすこともやっているようだが、日記を書いて、実際にあったことを表現するよう指示が出されたものもあった。

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観劇感想精選(330) ジョーン・ジョナス 京都賞受賞記念パフォーマンス「Reanimation」

2019年12月12日 左京区岡崎のロームシアター京都サウスホールにて

午後7時から、ロームシアター京都サウスホールで、ジョーン・ジョナスの京都賞受賞記念パフォーマンス「Reanimation」を観る。

ジョーン・ジョナスは、1936年、ニューヨーク生まれ。現在も同市在住である。1960年代にパフォーマンスとビデオを融合させた新たな表現形式を創始し、現在もデジタルメディアとパフォーマンスとの関係を探求し続けている。

 

舞台中央に障子で出来たスクリーンが降りており、そこに映像が投影される。まず映されるのは寒冷地の街の映像であり、その後、アイスランドを描いた地図が映り(左下に首都のレイキャビクがある)、先程の映像がアイスランドのものであるらしいことがわかる。

舞台左手にグランドピアノがあり、その上にキーボードが乗せられている。演奏を行うのは、1975年、テキサス州生まれのピアニストで作曲家であるジェイソン・モラン。グランドピアノには坂本龍一のコンサートでよく見られるような自動演奏機能が付いており、モランはグランドピアノを自動演奏モードにしてキーボードを弾いたり、片手でキーボード、もう片方の手でピアノの演奏を行ったりする。ミニマルミュージックに始まり、即興演奏風になり、再びミニマルミュージックに戻ってくる。北欧の先住民であるサーミ人の伝統歌謡「ヨイク」も効果的に用いられている。

舞台上手にはテーブルが置かれ、助手が映像を映し出したり、ドローイングが行われたりする。

 

アイスランドの作家、ハルドル・ラクスネスの著作、特に『極北の秘教』に影響を受けたパフォーマンスである。近年、世界的な問題となっている氷河の融解を題材としているが、実はラクスネスは氷河がまだ溶け出していない1960年代に氷河の問題を取り上げているそうである。
ラクスネスの著作を題材にしたパフォーマンスは、まず2010年にジョナスが教鞭を執るマサチューセッツ工科大学(MIT)で制作され、講義形式の作品であったようだが、その後、ジェイソン・モランとのコラボレーションを行うようになり、完成形へと徐々に近づいていったようである。

ハルドル・ラクスネスは、1955年にノーベル文学賞を受賞しているが、彼が書いた戯曲のような小説『Under the Glacier(氷河の下で。邦題:極北の秘教)』が今回の公演の軸となっている。『極北の秘教』からのテキストをジョナスが朗読することで進んでいく。上演時間は約1時間。

ジョナスが、舞台中央やや下手寄りに立てられた板に掛かる黒板風のものにチョークで六角形の図形を並べた花のような絵を描き込んでいく。
「完全な死体となった全裸の女が目覚め、棺から出てアイルランド風のパンを焼き(どんなパンなのかはわからないが)、棺担ぎの男達に振る舞った」という民話風のミステリアスな蘇生(Reanimation)の話が冒頭で語られる。その後、北欧(アイスランドではなくノルウェーらしい)の光景である山々や動物達がスクリーンに映し出される。ジョナスは舞台上手のドローイングスペースに行って、映像の輪郭をなぞるような書き込みを行うが、完成する前に映像は先に進んでしまい、ジョナスが描き込んだ絵は残像のように残されることになる。「喪失」が強く印象づけられる。

ラクスネスによると氷河は世界の中心であり、昔、錬金術師に導かれて3人の男が氷河に覆われた火山の噴火口に降り、そこで世界の中心を見つけたという。

ノルウェーの氷に閉ざされた山の麓を走る列車から取られたと思われる映像が続き、ジョナスは草笛のようなものや、角笛のようなものを鳴らす。また紙をくしゃくしゃに丸める音を出す。それは氷河の溶解の音のようでもある。

「歴史は寓話、それも粗末な。それに絶えられず私は神学を学ぶことにした」だが、その神学もやがては信じられなくなるようである。新たな寓話が求められる。

嵐に耐えるユキホオジロの話も語られる。「完璧」の喩えとしてだ。人間がユキホオジロのように鳴き声を交わす生き物でないことを残念に思い、ならば沈黙を求めようとする。氷河は沈黙している。野の百合もまた。

やがて話は冒頭の全裸の女の死体の話に戻る。それは今や完全な死体である。幽霊の話も語られるが、幽霊は常に不完全な存在であり、「世界の流産」と形容される。これは氷河の融解に繋がるメタファーだと思われる。氷河の融解は進んでおり、時間を巻き戻すことは出来ない。それを食い止める夢を描いたとしても、それはかつての氷河の姿に由来する幽霊に過ぎないのではないか。

ただ、時間は解決のための有効な手段として今も考えられており、最後の結論として再度登場する。

「蘇生」を題材にした映像。池の中に白い影が映り込んでいる。やがてその白い影は白い服を着た女性だということがわかり、飛び込み台の上にいる女性はやがて池に飛び込み、泳ぎ出す。その後、映像はアザラシなど、氷河の海で暮らす生物達の映像に突然切り替わる。

タンポポとミツバチの話、ミツバチがタンポポの蜜を吸い、ミツバチがタンポポの花粉を体につけて他のタンポポに移り、受粉が行われることを「超交信」と呼ぶ。これが新たな宇宙的発展の希望と考えられているようである。

世界は悪魔が支配しているという話。ものが燃やされている映像。あるいは焚書を表しているのかも知れない。悪魔はいつまで経っても悪魔であり続けると考えたとしても、神を冒涜したことにはならないだろうという内容が読み上げられる。

山羊などアイスランドの家畜達が映った映像が流れた後で、ジョナスはカウベルなどを鳴らす。スクリーンにはすでに家畜はおらず、雪の畑を延々と歩き出す人の影が映し出されている。やがて右の方に北極海が見え、影は砂浜にたどり着く。

ジョナスは、最初は黒板のようなものが掛けられていた板に半紙を垂らし、墨で魚の絵を描く。

『極北の秘教』からの最後の引用が語られる。「時について」だ。「時の超越性は誰も知ることである。時はエネルギーでも物質でもないが、始まりと終わりを担っている。世界の創成のだ」
スクリーンには魚達の姿が映されている。あるいは他に意味があるのかも知れないが、「始まり」と「魚」は相性が良い。生物の始まりは魚だからである。
ジョーン・ジョナスは、教訓的な表現は行わない人だそうで、あるいは細分化して「意味」として受け取るのは間違っているのかも知れないが、「根源に戻ること」は何事においても重要なのかも知れない。我々はそもそも何を求めてどこからやって来たのかということだ。
キリスト教では、魚は特別な存在であり、題材からいってそちらの可能性もあるのだが、キリスト教徒の少ない日本においてはそうした解釈は真偽に限らず有効性を持たない。先の解釈の方が良いだろう。

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2019年12月18日 (水)

美術回廊(45) 京都国立近代美術館 「円山応挙から近代京都画壇へ」

2019年12月12日 左京区岡崎の京都国立近代美術館にて

京都国立近代美術館で、「円山応挙から近代京都画壇へ」という展覧会を観る。
円山派の祖としてその名を残す円山応挙(1733-1795)。京都の四条通に面した家に住んでおり、弟子の多くも四条通沿いに居を構え、弟子の呉春は応挙の写実性と与謝蕪村の瀟洒さを兼ね備えた四条派を起こしている。

この展覧会ではまず応挙が最晩年に手掛けた大乗寺の障壁画が並んでいる。兵庫県の日本海側、美方郡香美(かみ)町にある大乗寺。円山応挙の名は全国に鳴り響いており、大乗寺もその名声を耳にして応挙とその弟子達に障壁画を依頼している。現在では大乗寺は「応挙寺」の別名でも知られているという。

円山応挙が描いた大乗寺の障壁画。まずは、「松に孔雀図」である。円山応挙は四条河原の見世物小屋で孔雀を見て惚れ込み、孔雀の絵を何枚も描いているが、これがおそらく応挙最後の孔雀絵である。細部まで極めて丁寧に描き込まれており、写実を得意とした応挙の真骨頂が発揮されてる。角になる部分に松を配して、松ヶ枝が降りかかってくるよう錯覚させる工夫がなされていることも、江戸時代の芸術らしい計算が感じられる。

孔雀は阿弥陀如来の乗り物であり、孔雀が描かれた襖を開けると、奥に大乗寺の阿弥陀如来像が現れる仕掛けとなっている。

呉春が描いた「巖上孔雀図」も展示されているが、肩の部分の盛り上がりなど、応挙に比べると立体感を重視しているように見受けられる。

相国寺が所蔵する円山応挙の「牡丹孔雀図」は可憐であり、極楽浄土の縮景として孔雀が描かれているかのようである。隣には岸駒(がんく)の「孔雀図」も展示されており、岸駒の孔雀も緻密な描写であるが、目の部分などはグロテスクさを隠さないほど写実的であり、特に極楽的なものを盛り込む意思が岸駒にはなかったと思われる。

円山応挙はありとあらゆるものを描いており、その点においては東の葛飾北斎と並ぶ西の雄であったと思われるのだが、躍動感や構図を重視する北斎に比べ、応挙は細部に至るまでの徹底した観察と描写を重視しており、同じものを様々な構図から描いているが、基本的には静物画指向である。その点において、応挙の方が北斎よりも西洋絵画に近いといえる。
「応挙漫画」ともいえる「写生図鑑」は、「それそのもの」を描くことのお手本である。

円山派・四条派の写実の力はとにかく傑出したものがあり、「どうやったらここまでリアルに描くことが出来るのか」と呆れてしまうほどである。この点においては現代の画家の筆致が稚拙に思われるほどであるが、映像が溢れている時代に往時のような描写力で勝負しようと思っても余り意味がない。ある意味、円山応挙とその弟子達が追い求めた絵画の世界は理想郷ではあったが、今となっては遠い場所となっている。上村松園は、応挙の世界を「理想的」と讃えていたが、その世界を再現する意志はなかったと思われる。

忠臣蔵の季節ということもあって、円山応挙による「大石良雄図」も展示されている。「おおいしよしお」と読むようである。「お軽と勘平」のお軽とのやり取りの場面である。この図を源琦が模写したものが並んでいる。着物が透けているというリアルな描写を応挙は行っているのだが、源琦はそれを更によくわかるよう再現している。

写実的な静物画を描いていた円山応挙であるが、「保津川図」では、水の流れが見えるような動的な描写を行っている。寛政7年(1795)応挙最後の年の作品である。動的な描写を旨とした江戸の絵画に影響を受けたのかどうかはわからないが、応挙もまた最後はダイナミズムと躍動感に溢れる絵画へと行き着いたということだろうか。動くはずのない絵の中に、あたかも動画と錯覚させるような流れを盛り込む技法。西洋絵画の影響を受けた応挙が、その西洋画壇を驚嘆させることになる日本画の系譜の中に、しっかりと入っていることが感じられる作品である。

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