カテゴリー「京都」の143件の記事

2021年9月18日 (土)

NHKBSプレミアム 「英雄たちの選択」 秀吉の“終活”~発見!幻の京都新城~

2021年9月15日

NHKBSプレミアム「英雄たちの選択」。今回は、豊臣秀吉が死の前年に京都御所(内裏、禁裏)にほぼ隣接した場所に築いた京都新城と豊臣氏の滅亡についての検証がなされる。

京都新城は、「太閤御屋敷」など他の名称と共に史料に出てくる城郭で、本丸の跡地には仙洞御所が建っている。というよりも城が築かれていて地固めなどもしっかりしていたため上皇のための御所に転用されたと考えた方が良いだろう。
仙洞御所の地下に眠っているため、本格的な発掘調査などは難しかったが、昨年、調査によって堀の幅などが分かった。約20メートルの堀を有していたというからかなり本格的な城郭である。

豊臣秀吉というと大坂城のイメージが強く、実際に本城は大坂城であるが、関白として平安京の大内裏跡に築かれた聚楽第で政務を執ることが多く、また晩年は指月と木幡山の二箇所の伏見城を隠居城としてそこで過ごしていた。指月の伏見城は隠居の場として居館に近い形状であったと思われるが慶長伏見地震で倒壊し、その廃材を利用してより堅固な城郭を木幡山に築いている。木幡山の伏見城は、城攻めの名手でもあった秀吉が知恵を絞って築いた天下の堅城であり、防御力は大坂城をも上回っていたと思われるが、関ヶ原の戦いの前哨戦である伏見城の戦いでは、鳥居元忠ほか僅か500騎が守る伏見城に石田三成ほかが率いる数万の軍勢が押し寄せ、落城。ただ、この落城自体が三成を東側におびき出すための罠だった可能性がある。実際、徳川家康は秀吉の伏見城が堅城であったとして跡地に新たな伏見城を築き直しており、征夷大将軍にも伏見城で任じられている。

伏見城は、徳川家光の時代に廃城になっているが、それには洛中に出来た二条城の存在が大きく影響している。元々は京とは別の街で、現在の京都市でも外れにある伏見の城より、京の街の真ん中にある二条城の方が便利であり、京都の町衆にも徳川の権威を見せつけやすい。それと同じ理由が豊臣氏にもあったのだと思われる。

聚楽第は秀吉から関白職を受け継いだ秀次の城となるが、その後、秀吉に実子の拾(のちの豊臣秀頼)が生まれたため、秀次の存在は邪魔になる。
秀吉の右腕であったのは、弟で大和大納言や小一郎の名でも知られる秀長である。聡明にして「人物」とされた秀長の死により、豊臣政権に歯止めが利かなくなり、秀次は謀反の疑いによって高野山に幽閉され、切腹(秀吉から切腹を命じられたという説と、抗議のために自ら切腹して果てたという説がある)。秀次の妻子は三条河原で皆殺しとなり、秀次の城だった聚楽第は跡形もなく破却された。だが、関白という公家系の称号で成り立った豊臣政権としては洛中に城がないのでは権威を示せなくなる。そこで聚楽第の代わりに御所の近くに新たに建てられたのが京都新城であると思われる。

秀吉の死後、京都新城には正室であった於寧(寧々、北政所、高台院、豊臣吉子)が住んでおり、この地で亡くなっている。高台院がこの地を選んだのは、生前に秀吉から「危なくなったら禁裏に逃げ込め」と指示されていたからとも言われている。堀と石垣以外の防御策はなく、守りは正直手薄だが、御所のそばにある京都新城を攻めるということが御所に弓引くと同じことになり、物質的ではなく心理的な防衛力が期待されていた可能性もある。
幕末とは違い、この時代の天皇は権威はそれほど高くなかったが、紫衣事件が起こる前で、まだ天皇の優位性は保たれていたと思われる。

ただ、平時ならいいが、いざ戦が始まった場合、昔の小島よしおのように「そんなの関係ねえ!」と京都新城を攻める武将が出てくる可能性もあり、秀吉は秀頼が物質的に守りの堅固な大坂城に移ることを決めている。


関ヶ原の戦いの前哨戦である伏見城の戦いが終わった後、京都新城の西側の堀や石垣などが西軍の兵士達によって崩されている。「御所の安全を守るため」とのことだったが、仮に京都新城を東軍方に乗っ取られた場合、西軍が攻め寄せると「天皇に弓引く」と受け取られて、石田三成らによる家康追討の説得力が失われる。そこで事前に京都新城の防御力を裂いたと見るのが適当であるように思われる。

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2021年9月 3日 (金)

観劇感想精選(411) IN STU×KAIKA 既成戯曲の演出シリーズ vol.1「アルカディア」

2021年8月13日 東九条のTHEATRE E9 KYOTOにて観劇

午後6時から、東九条のTHEATRE E9 KYOTOで、IN STU×KAKA 既成戯曲の演出シリーズ vol.1「アルカディア」を観る。作:トム・ストッパード。テキストは、ハヤカワ演劇文庫から出ている小田島恒志訳のものを使用。演出は大石達起。出演は、阿僧祇(白河夜船)、高橋紘介、勝二繁(日本海/およそ三十世帯)、黒木陽子(劇団衛星/ユニット美人)、横山清正(気持ちのいいチョップ)、藤村弘二、川﨑祐輔(劇団つちの娘)、岡田眞太郎(トム論)、伊藤彩里(gallop/カイテイ舎)、土肥嬌也、上条拳斗、大山渓花。

21世紀に入ってから日本でも作品が上演される機会が増えたトム・ストッパード(1937- )。映画「恋におちたシェイクスピア」や「未来世紀ブラジル」などで共同脚本として名を連ねていることでも有名である。
「アルカディア」は、1993年にイギリスで初演され、日本初演は2016年に栗山民也の演出によって行われている。

イングランドの貴族、カヴァリー家の屋敷が舞台なのだが、時代を隔てた二つの世界が互い違いに描かれていく。最初に舞台となるのは1800年代。13歳のトマシナ・カヴァリー(阿僧祇)は、家庭教師のセプティマス・ホッジ(高橋紘介)に数学などについて教わっている。イギリスの場合、貴族階級の女子は学校に通うのではなく家庭教師に教わるのが一般的で、それが変わるのは20世紀以降である。

トマシナは聡明な女の子で、特に代数に関しては図抜けた能力を持っている。おそらく彼女に解けないのは、17世紀に提唱された「フェルマーの最終定理」(「アルカディア」初演から2年経った1995年にアンドリュー・ワイズによってようやく証明された)ぐらいで、実際にトマシナがフェルマーの最終定理に挑む場面がある。それを教えるセプティマス・ホッジもパブリックスクールの名門であるハロー校を経てケンブリッジ大学のトリニティ・カレッジで学んだというインテリである。実はセプティマス・ホッジは、ロマン主義最大の詩人といわれるジョージ・ゴードン・バイロン(バイロン卿)の先輩であり面識もあった、ということでカヴァリー邸にもバイロンは訪れている(劇中には登場しない)。

一方の舞台は現代である。登場人物は、カヴァリー家の末裔であるヴァレンタイン・カヴァリー(上条拳斗)とクロエ・カヴァリー(大山渓花)、そしてガス・カヴァリー(川﨑祐輔)。更にカヴァリー邸の歴史を調査しているベストセラー作家のハンナ・ジャービス(伊藤彩里)と、ハンナのライバル的存在であるサセックス大学研究員のバーナード・ナイチンゲール(最初の場面ではバーナード・ピーコックという偽名を付けられる。土肥嬌也)の5人。ガス・カヴァリーは、場面緘黙もしくは全緘黙で、知能は高いと思われるのだが話すことが出来ない。ただし音楽の才能は抜群で、母親からは「我が家の天才くん」と呼ばれている。ヴァレンティンは数学者ということで、先祖の血を受け継いでいるように思われる。
ちなみにガスを演じる川﨑祐輔は、1800年代の場面ではオーガスタス・カヴァリーを二役で演じているが、オーガスタスはガスとは真逆の、映画「アマデウス」に登場するモーツァルトを思わせるような天真爛漫な人物である。「オーガスタス」は、ラテン風に読むと「アウグストゥス」であり、クレオパトラの名前が劇中で出てくるのとおそらく関係があり、またセプティマスがセプテンバーに繋がる名前なのも意図的だと思われる。

現代の場面では、バイロンの研究をしているバーナードが、バイロンとカヴァリー邸で出会った詩人のエズラ・チェイター(藤村弘二)が、自作の詩をバイロンに酷評されたため決闘を申し出て、敗北。チェイターは死んだが、その結果、バイロンはイングランドにいられなくなったという説を唱える。その証拠となりそうな史料がカヴァリー邸にはいくつも眠っていたのである。だが、最終的にはその説は否定されることになる。

現代がこの路線で進む一方、1800年代の物語は、カヴァリー邸の庭園であるシドリー・パークが軸になって展開される。トマシナがシドリー・パークの設計図に書かれた「隠者の家」に隠者の絵を描き込み、庭園設計家のリチャード・ノークス(横山清正)は実際に隠者の家を建てるも、肝心の隠者が見つからないという話になる。セプティマスは、「隠者でしたらすぐに見つかると思います」と嘯く。

現代では、ハンナがこの隠者の正体について調査していたのだが、隠者と呼ばれた人物が、セプティマスと同い年であるという事実に気づき……。


トム・ストッパードは、数学に強い劇作家だそうで、この作品にも数学や物理に関する専門用語がちりばめられているが、理系に弱いと内容が分からないということはない。数字によって物語が展開していく訳ではないからだ。というよりもむしろ、数学の理論は最終的には退けられている。

面白いのは、本当に重要な物語が語られることなく作品が進み、終わるということである。

インテリでお堅いように見えるセプティマスであるが、男前で文武両道ということで様々な女性から誘われたり情を交わしたりしている。そんな彼が隠者、つまりなぜ女を避けて引きこもるようになったのか、という疑問が起こる。
この理由も仄めかされる。初登場時には13歳と10ヶ月(あと6週間で「ロミオとジュリエット」のジュリエットに並ぶ)だったトマシナであるが、終盤では16歳と11ヶ月に成長している。だが、トマシナは火事に遭って17歳の若さで亡くなっていることが記録されているのである。セプティマスが隠者となるのはそれ以降。つまり女からモテモテであったセプティマスが、亡くなったトマシナを最後の女性として、残りの人生を隠者として彼女の思い出と共に過ごしたというかなりロマンティックな物語が浮かび上がる。この話が舞台上で語られることはないのだが、おそらく多くの人に隠者としてのセプティマスの物語の始めと終わりが浮かぶだろうし、それは多分、正しい。語られない愛が最も雄弁に観る者に訴えかけるという極めて巧みな作劇法が用いられた物語である。

交互に登場した1800年代の場面と現代の場面が、終盤には同じ場で展開される。互いのことは見えないのだが、同時進行である。
ラストは、高い次元で理解し合えた二組の男女のワルツを踊る場面である。そのうち、トマシナとセプティマスは最初にして最後のワルツであり、永遠の男女としての最後にして最初のワルツだ。甘く悲しい最後である。


多くの出演者が、京都の小演劇で活躍している舞台俳優であるが、最近、京都の小劇場に接する機会が余りないので、何度も演技を見たことがあるのは黒木陽子だけである。
おそらくTHEATRE E9 KYOTOの舞台に慣れていないのと、キャリアが浅いことの両方が関係していると思われるのだが、特に男性陣はセリフも動きも押しの一手であり、「この大きさの空間なら怒鳴らなくても伝わるのに」と思った場面が多いのが気になるところである。

ラストのワルツの場面も、出演者達が音楽の素養に欠けるため、拍をちゃんと刻めていなかったり(三拍子の三角形を空間に描くのだが、三拍分を一拍で描くため、拍が取れていないことが分かる)、拍が取れていないので当然ながらワルツが踊れていなかったりと、かなり気になった。男性が常にリードするといったようなルールも知らないまま適当にやっているようである。

舞台美術などは結構お洒落に作ってあったり(舞台美術:岩崎靖史)、衣装なども良かった(衣装:久保梨緒)ので、後は演技の細部を詰めればもっと良くなるはずである。

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2021年8月29日 (日)

観劇感想精選(409) team申第5回公演「君子無朋(くんしにともなし)~中国史上最も孤独な「暴君」雍正帝~」

2021年8月26日 広小路の京都府立文化芸術会館にて観劇

午後6時から、広小路の京都府立文化芸術会館で、team申の「君子無朋(くんしにともなし)~中国史上最も孤独な「暴君」雍正帝~」を観る。作・阿部修英(あべ・のぶひで)、演出:東憲司(ひがし・けんじ)。主演:佐々木蔵之介。team申は、第1回公演の出演者である佐々木蔵之介(1968年生まれ。座長=申長)と佐藤隆太(1980年生まれ)が共に申年生まれだったことに由来する演劇プロデュースユニットで、本公演を行うのは11年ぶりとなるが、その間に番外公演を4回行っている。
出演は佐々木蔵之介の他に、中村蒼(あおい)、奥田達士(たつひと)、石原由宇(ゆう)、河内大和(こうち・やまと)。

名君として伝わる清朝第4代皇帝・康熙帝と第6代皇帝・乾隆帝の間に13年だけ治天の君となった雍正帝を主人公とした話である。

康熙帝は、皇帝としての実績もさることなるが、「康熙字典」の編纂を命じたことでも有名で、「康熙字典」は現在に至るまでの中国語の字典の大元と見なされており、康熙帝の名もこの「康熙字典」の存在によってより認知度が高まっている。乾隆帝は清朝最盛期の皇帝として有名で、軍事と文化の両面で拡大を行っている。
その間に挟まれた地味な皇帝、雍正帝に光を当てたのが今回の作品である。
阿部修英は、東京大学大学院で中国美術を学んだ後にテレビマンユニオンに参加したテレビディレクターで、戯曲執筆は今回が初めて。有料パンフレットの阿部の挨拶に「東憲司さんという最高の師父を得て」と書かれており、また佐々木蔵之介と東憲司との鼎談でも「手取り足取り教えて頂いて」とあり、内容は別にして物語の展開のさせ方に関しては東憲司からの影響がかなり強いと思われる。複数の人物が何役も演じるというスタイルは東憲司の作品によく見られるものである。

「ゲゲゲの女房」、「夜は短し歩けよ乙女」などの脚色・作・演出で知られる東憲司は、アングラ(アンダーグラウンド演劇)の手法を今に伝える演出家で、今回も歌舞伎の戸板返しの手法が駆使されていた。

佐々木蔵之介が雍正帝を、中村蒼が雲南省の若き地方官・オルクを演じるが、それ以外の3人の俳優は、狂言回しなども含めて何役も演じる。

中国史は日本でも比較的人気の高いジャンルだが、清朝に関しては最後の皇帝である宣統帝溥儀や、西太后など末期のみが映画なども含めてよく知られているだけで、雍正帝についてもほとんど知られていない。ということで、冒頭は、3人の俳優が、「紫禁城」「皇帝」「後宮」「宦官」などの初歩的な用語の説明を、京都ネタを挟みつつ(「紫禁城って知っている?」「出町の甘栗屋でしょ?」「いや、京大の近くの雀荘のことさ」といった風に)行う。

雍正帝の治世の特長は、地方官と文箱による直接的な手紙のやり取りをしたことで、歴史学者の宮崎市定が『雍正硃批諭旨』という雍正帝と地方官が交わした手紙を纏めた大部の書物を読んだことが、今回の作品に繋がるのだが、それが戦後直後の1947年のこと。宮崎市定がそれらの研究の成果を『雍正帝 中国の独裁君主』という書物に著したのが1950年。作の阿部修英もこの本で雍正帝を知ったという。阿部修英は中国を舞台にした小説も好きで、浅田次郎の一連の作品も読んでおり、そうした背景があったために中国の歴史を辿るドキュメンタリー番組の制作に携わり、そこで一緒に仕事をしたのが佐々木蔵之介であった。ドキュメンタリー番組作成中に、「雍正帝で、戯曲を書いてみませんか?」と佐々木に言われ、それが今回の上演へと繋がる。戯曲執筆時間や稽古の時間はいうほど長くはないだろうが、一番最初から「君子無朋」が完成するまでの歴史を辿ると構想74年ということになる。その間、何か一つでもボタンの掛け違えがあったら、舞台が完成することはなかっただろう。

「中国の皇帝モノと言うのは珍しい。ストレートプレイでは滅多にないのではないだろうか」という東憲司の記述が有料パンフレットにあるが、京劇では「覇王別記」(厳密に言うと覇王こと項羽は皇帝ではないが)などいくつかあるものの、そもそも日本では知名度のある中国の皇帝は限られるということで、上演はしにくいと思われる(私も明朝最後の皇帝である崇禎帝を主人公にした未上演の戯曲を書いているが、変な話になるが実際に描かれているのは崇禎帝ではない)。その中でも更に知名度の低い雍正帝を主人公に選んだことになるが、知名度が低いだけに自由に書ける部分は多くなるというメリットはある。

康熙帝の次の皇帝でありながら、雍正帝は父親とは違い、同母弟でやはり次期皇帝候補であったインタイに康熙帝(諡号は聖祖)の墓守を命じるなど残忍な面を見せつける。それを見た雍正帝の実母は自殺。また、先帝である康熙帝の事績を見習うよう進言した家臣は容赦なく処分した。
暴君であり、独裁者であった雍正帝であるが、その意外な実像に迫っていく謎解き趣向の作品である。手法的にはよくあるものだが、史実かどうかは別として少なくとも物語としての説得力はあり、よく出来た作品であると思う。

佐々木蔵之介の地元ということで、ロングランとなった京都公演。残念ながら京都における新型コロナの感染者が日々新記録を更新中である上に、佐々木蔵之介以外は知名度がそれほど高いとはいえないオール・メール・キャストということで、後ろの方を中心に空席が目立ったが、観る価値のある作品であることは間違いない。悪役も得意とする佐々木蔵之介を始め、出演者達は熱演であり、東憲司のスピーディーな演出も相まって、演劇そして史劇の素晴らしさを観る者に伝えていた。

歴史ものに限らないが、演劇というのは、今この場所で二つの歴史が始まっていくことが魅力である。上演史としての歴史と観る者の中に流れる歴史だ。それが同じ時、同じ場所を共有することで始まるというジャンルは、演劇をおいて他にない。今この場所で歴史が始まると同時に歴史が変わっていく。しかも直に。これだけ素晴らしいジャンルを知っている人は、それだけで生きるということの意義を、少なくともその一端を獲得しているのだと思われる。


雍正帝という人物であるが、44歳の時まで皇帝になれる見込みがなく、本ばかり読んでいたというところが井伊直弼に似ており、母親が後に雍正帝となるインシンよりも弟のインタイの方を可愛がっていたという話は織田信長とその弟の信行、母親の土田御前との関係や、徳川家光とその弟の駿河大納言こと忠長、母親のお江の方(お江与の方。小督の方)との関係を思い起こさせる。また自身の業績を我が子の功績とするところなどは徳川秀忠を連想させる。隣国の歴史であるが、人間の本質は国籍や人種によってさほど変わらないはずであり、また歴史というものは大抵どこかで結びついているものである。

久しぶりに中国史も学んでみたくなる舞台であった。あるいは今日からこれまでの私とは違った歴史が始まるのかも知れない。

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2021年8月15日 (日)

コンサートの記(738) アンサンブル九条山コンサート VOL.12 観世流能楽師・浦田保親×アンサンブル九条山「彼岸にて」

2021年8月6日 烏丸迎賓館通りの京都府立府民ホールアルティにて

午後7時から、京都府立府民ホールアルティで、アンサンブル九条山コンサート VOL.12 観世流能楽師・浦田保親×アンサンブル九条山「彼岸にて」を聴く。文字通り、観世流の能楽師である浦田保親とアンサンブル九条山によるコラボレーション。

現代音楽への挑戦を続けるアンサンブル九条山。2010年にヴィラ九条山のレジデントであったヴァレリオ・サニカンドロによって現代音楽アンサンブルとして結成され、2015年からは演奏家による企画を主体的に行う団体として再始動している。今日の出演は、太田真紀(ソプラノ)、畑中明香(はたなか・あすか。打楽器)、石上真由子(いしがみ・まゆこ。ヴァイオリン)、上田希(うえだ・のぞみ。クラリネット)、福富祥子(ふくとみ・しょうこ。チェロ)、森本ゆり(ピアノ)。

能舞を行う浦田保親は、1967年生まれ。父親は観世流職分・浦田保利。3歳で初舞台を踏み、10歳で初シテを「猩々」で演じている。2012年には長男である親良との「ちかの会」を結成。復曲能や新作能にも意欲的に取り組んでいる。重要無形文化財総合指定保持者。


曲目は、まず早坂文雄の「佐藤春夫の詩に據る四つの無伴奏の歌」より「孤独」と「漳州橋畔口吟」の2曲が太田真紀によって歌われ、畑中明香の演奏による石井眞木の「サーティーン・ドラムス」を挟む形で残りの2曲である「嫁ぎゆく人に」と「うぐひす」の歌唱が行われる。後半にはメシアンの代表作の一つである世の終わりのための四重奏曲が演奏される。


黒澤映画の作曲家としても知られる早坂文雄。仙台生まれの札幌育ち。家庭の事情で中学卒業後すぐに社会に出ており、作曲は独学である。同じ北海道出身の伊福部昭や三浦敦史らと札幌で新音楽連盟を結成。この頃、サティ作品に傾倒し、いくつかの曲を日本初演している。1939年に東宝映画に音楽監督として入社し、黒澤明との名コンビで知られたが、結核の悪化により41歳の若さで他界。その死に際して黒澤明は、「両腕をもがれたよう」と悲嘆に暮れている。同じく結核に苦しんでいた武満徹は、早坂のために「弦楽のためのレクイエム」を書き上げた。
「佐藤春夫の詩に據る四つの無伴奏の歌」は、佐藤春夫のごくごく短い詩の一節を選んで作曲したものだが、四つの歌を通すと一つの物語が浮かぶように設計されている。
汎東洋主義を掲げた早坂文雄。この歌曲でも尺八の息づかいを応用するなど、独特の試みがなされている。
「漳州橋畔口吟」に浦田保親が登場。扇子を持って舞う。


石井眞木(男性)の「サーティーン・ドラムス」。タイトル通り13の太鼓で演奏される曲である。数種類のバチの他、素手でも演奏が行われる。畑中明香のダイナミックな演奏が魅力的である。
浦田保親は、榊の付いた杖を持って登場。神へ奉納するような舞を見せる。


メシアンの世の終わりのための四重奏曲(ヴァイオリン、クラリネット、チェロ、ピアノのための)。20世紀に作曲された最高の室内楽作品の一つとして高く評価されており、その特異な曲名と共に有名である。演奏は、石上真由子、上田希、福富祥子、森本ゆり。
森本ゆりの硬質のピアノが、全曲を通して良いアクセントとなっている。

世の終わりのための四重奏曲は、第二次大戦中にドイツの捕虜収容所にて書かれ、1941年にメシアン自身のピアノで初演されている。ヴァイオリン、クラリネット、チェロ、ピアノという編成は、たまたま捕虜収容所で一緒だった演奏家を念頭に入れたが故の産物である。世の終わりのための四重奏曲というタイトルは『ヨハネ黙示録』に由来するが、意味的には「時の終わりのための四重奏曲」とした方が原題に近いようである。

この曲では浦田は増女の能面を付けて登場。まずは赤の着物、次いで白の着物、最後は頭に鳳凰の飾りを付けた天女の衣装で現れる。
アルティは舞台が可動式で自由に設計することが出来るが、今日は中央部を張り出した独特の設置。舞台奥側から俯瞰で見ると凸型に見えるはずである。

能面を付けると視界がほとんど遮られるはずだが、浦田はそれを感じさせないキレのある舞を披露。舞台端や演奏家のすぐそばまで寄るため、見ているこちらがヒヤヒヤしたりもした。

オリヴィエ・メシアンの母親は、詩人であり、メシアンがまだお腹の中にいる時に、「いまだかつて誰も聴いたことのない音楽が聞こえる」という詩を書いたというが、生まれた息子は本当に「誰も聴いたことのない音楽」を生み出すことになる。
世の終わりのための四重奏曲は、この世とあの世の対比が描かれるのだが、それはまさに能が描き続けてきた世界である。
上田希のピアニシモで彼方から響き始めるかのようなクラリネットの音は、異人である能の登場人物の肉声のように聞こえたりもする。
余り指摘されてはいないはずだが、メシアンの音楽は天体と親和性があり、天の川や星々の煌めきが音楽で描写されたようなところがある。「天国への階段」とされるラストも、同時に満点の星空へと吸い込まれていくような「魂の昇華」が目に見えるかのようだ。

浦田の舞も、本当の意図は分からないが、衣装の変遷とメシアンの音楽とのストーリー性、また演奏者が全員女性であるということから、三者三様というよりも三つの女性の舞を通して「女人往生」に繋がるものがあるようにも見えた。一言で表せるほど単純なものでもないと思われるが。

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2021年8月13日 (金)

美術回廊(67) 京都国立近代美術館 「モダンクラフトクロニクル」(京都国立近代美術館コレクションより)&京都国立近代美術館コレクション・ギャラリー「令和3年 第2回コレクション展」

2021年8月4日 左京区岡崎の京都国立近代美術館にて

左京区岡崎の京都国立近代美術館で、「モダンクラフトクロニクル」(京都国立近代美術館コレクションより)と京都国立近代美術館コレクション・ギャラリー「令和3年度 第2回コレクション展」を観る。

「モダンクラフトクロニクル」は、工芸品を中心とした展覧会。工芸品はどちらかというとアーティスト(芸術家)よりもアルチザン(職人)寄りであるため、芸術品と評価されない時代が長かった。特に日本では職人芸と芸術が引き離された形で発展したため、「工芸家は工芸家」と見なされることが今でも少なくない。

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1階に海外の作家による作品が並べられているが、これはこれまでに京都国立近代美術館で行われた工芸展に出展されたものが中心となっているようだ。

工芸作品には疎いため、知っている作家の名前を見つけることがほとんど出来ないが、理解するのではなく、「そういうもの」を受け入れる形で楽しむべき作品が多いことは分かる。理屈を言い出した途端に面白くなくなる作品群である。

ただ、想像と知識でもって理解すべき作品も勿論あって、里中英人の「シリーズ:公害アレルギー」は、水道の蛇口が徐々に破損されていく様を描いており、象徴的である。

益田芳徳の「1980年5月」という作品は、1980年5月のとある一日の新聞の一面が球状のケースの中に押し込まれているが、紙面ははっきりとは見えない。1980年5月を後で調べると、光州事件、日本のモスクワオリンピック不参加決定といった出来事が起こっていたことが分かる。また5月にはWHOが天然痘の根絶を宣言していた。
ただ、実際に一面を飾っていたのは、大平正芳内閣総理大臣とジミー・カーター米大統領の共同声明だったことが分かる。その直後、内閣不信任案が自民党内の反大平派が黙認したことによって通過し、衆議院は解散。翌6月12日に大平は過労が元で急死している。


第4章の「古典の発見と伝統の創出」には、河井寛次郎、北大路魯山人などのビッグネームが登場する。近藤正臣の親戚である近藤悠三の作品も展示されている。近藤悠三は人間国宝に指定されたが、近藤正臣の話によると、その途端に作品の値が跳ね上がったはいいが、高すぎて売れなくなってしまったそうで、「名誉は手にしたがお金は」という状態だったそうである。


4階展示室に場を移した第6章「図案の近代化 浅井忠と神坂雪佳を中心に」。現在の千葉県佐倉市出身(生まれは江戸の佐倉藩邸内)で、京都高等工芸学校(国立大学法人京都工芸繊維大学の前身)の教授としての活躍や、関西美術院の創設と後進の育成に尽力したことで知られる浅井忠。私が生まれ育った千葉県では郷土の偉人として教科書に載っていたり、小学校の廊下に肖像画が掛けられていたりする。京都での活躍でも知られるのだが、実際に京都で過ごしたのは死ぬまでの6年間ほどだそうで、決して長くはない。
フランスからの帰国後の京都時代に浅井は、当時のフランスで流行していたアールヌーヴォーを取り入れた陶芸作品の図案をいくつも作成。日仏工芸の融合に貢献したようである。


「令和3年度 第2回コレクション展」の展示では、冒頭に置かれた「西洋近代美術作品選」のアーシル・ゴーキーという画家の作品が面白い。

1904年、オスマントルコ統治下のアルメニアで生まれたアーシル・ゴーキーは、11歳の時にアルメニア人大虐殺によって母親を殺害され、アメリカに渡っていた父を頼って渡米。ボストンの美術学校に学び、抽象派やシュルレアリスムの影響を受けた独自の手法で高く評価されたが、少年期のトラウマに加え、度重なる怪我や病気を苦にして44歳の時に自ら命を絶っている。
「令和3年度 第2回コレクション展」のポスターにも選ばれた「バースデイ・グリーティング」は、いたずら書きのような自在感の中に、赤と緑の対抗色などを含めた計算された配置が存在感を放っている。

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2021年7月31日 (土)

コンサートの記(734) 熊倉優指揮 京都市交響楽団 みんなのコンサート2021「世界の川と音楽」

2021年7月25日 北大路の京都市北文化会館にて

午後2時から、北大路にある京都市北文化会館で、京都市交響楽団 みんなのコンサート2021「世界の川と音楽」を聴く。指揮は熊倉優(まさる)。

期待の若手指揮者、熊倉優は1992年生まれ。16歳で作曲を始め、桐朋学園大学作曲専攻入学後に指揮も学び始める。桐朋学園大学卒業後に同大学研究科修了。指揮を梅田俊明と下野竜也に師事。2016年から2019年までNHK交響楽団でパーヴォ・ヤルヴィのアシスタントを務め、沖澤のどかが女性として初めて優勝したことで話題になった第18回東京国際音楽コンクール・指揮者部門では3位入賞を果たしている。オーディションに合格して来月からハンブルク国立歌劇場でケント・ナガノのアシスタントを務める予定で、今日が渡独前最後の演奏会となる。

熊倉と京都市交響楽団のメンバーは、特別協賛であるSOU SOUの数字入りTシャツを着て登場する。

曲目は、ヘンデル作曲ハーディ編曲の組曲「水上の音楽」、ムソルグスキー作曲リムスキー=コルサコフ編曲の歌劇「ホヴァンシチナ」から前奏曲「モスクワ川の夜明け」、ヨハン・シュトラウスⅡ世のワルツ「美しく青きドナウ」、シューマンの交響曲第3番「ライン」から第1楽章、オッフェンバックの歌劇「ホフマン物語」から「ホフマンの舟歌」、スメタナの連作交響詩「わが祖国」から「モルダウ」

今日のコンサートマスターは泉原隆志。夏ということで各地の音楽祭に出演する楽団員も多いと思われ、今日は客演の奏者も目立つ。管楽器の首席奏者で登場したのは、ホルンの垣本昌芳、トロンボーンの岡本哲、トランペットのハラルド・ナエスの3人。
昨年のみんなのコンサートは、コロナの影響で室内オーケストラ編成での演奏となったが、今年はフル編成に近い形での演奏が可能となっている。

熊倉がマイクを手にしてトークを入れながら演奏会は進む。
熊倉「こんな時期ですが、来月からドイツに引っ越すことになりました」と語り、「日本では自然、水のある自然というと川より海を思い浮かべる人が多いと思うのですが、ヨーロッパで海のない国も多いということで」川を題材にしたプログラムを組んだようある。


組曲「水上の音楽」。ロンドンのテムズ川で行われたジョージⅠ世の船遊びのために作られた機会音楽である。熊倉によると、初演は過酷だったそうで、同じ曲を3回繰り返して演奏することもあったそうだ。
近年では古楽器オーケストラでの演奏が主流となっているが、今回はアイルランドの指揮者であるサー・ハミルトン・ハーティが現代のオーケストラ用に編曲したハーティ版での演奏である。
熊倉の生き生きとした音楽作りが魅力的。京都市北文化会館はスペースが余り大きくなく、ステージの壁面なども改修されていて、クラシックの演奏に相応しい音響となっている。京響は輝かしい響きを奏でた。


ムソルグスキーの歌劇「ホヴァンシチナ」から前奏曲「モスクワ川の夜明け」。ロシア五人組の一人であるムソルグスキー。官吏出身で死後に「天才作曲家」として再評価されることになるのであるが、生前は余り認められず、官吏としての仕事も上手くいかずに酒に溺れて若くして亡くなり、「ホヴァンシチナ」も未完に終わった。友人であるリムスキー=コルサコフが補筆完成させたが、リムスキー=コルサコフはムソルグスキーのスコアを常識的なものに改変してたため、結果としてムソルグスキーの先進性が発見されにくくなるという皮肉な結果も生んだ。

今後オペラハウスでの本格的なキャリアをスタートさせることになる熊倉。細部まで丁寧な仕上がりの音楽を聴かせる。

熊倉の指揮は端正なもので、「ここぞ」という時以外は拍の刻み方も小さめで、ほとんどが体の全面で行われ、両手を拡げることも余り多くない。外連とは無縁のようである。


ヨハン・シュトラウスⅡ世のワルツ「美しく青きドナウ」。演奏前に熊倉はドナウ川の長さを語る。鴨川は約31キロであるが、ドナウ川は2860キロ。「想像出来ない長さ」である。「ウィーンのドナウ川をご覧になったことのある方、いらっしゃいますか?」と熊倉は客席に聞く。「私は見に行ったことがあるですけれど、結構、汚かったです。茶色かったです」と話した。
北文化会館の空間が小さめということもあって、迫力と潤い豊かな演奏となる。


後半、シューマンの交響曲第3番「ライン」から第1楽章。「ライン」というタイトルはシューマンが付けたものではないが、何を描いたかはほぼ分かっており、熊倉は各楽章のイメージするものを述べる。
第1楽章はローレライを描いたもので、熊倉と京響は生き生きとした音像を作り上げる。


オッフェンバックの歌劇「ホフマン物語」より「舟歌」。
熊倉は「ホフマン物語」について、「簡単に言うと失恋の話」「それもとっても不思議な失恋の話」と語る。
情緒豊かな演奏であった。


スメタナの連作交響詩「わが祖国」より「モルダウ」。源流に始まり、農村で踊る人々、月夜の流れなどを経て、プラハに入って「高い城(なんで「他界しろ」と変換するかね)」の主題が現れる風景などを熊倉は語る。
スケールも適切で、流れや描写力にも長けている。京響の鳴りも良く優れた演奏となった。


アンコール演奏は、ドビュッシーの「小組曲」より「小舟にて」(ビュッセル編曲)。詩情豊かに仕上げた。


今日も晴れて猛暑ということで、来場者全員に「京の水道 疎水物語」というボトル入り飲料が無料で配られた。

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2021年7月28日 (水)

美術回廊(64) 京都市京セラ美術館開館1周年記念展「上村松園」

2021年7月20日 左京区岡崎の京都市京セラ美術館にて

左京区岡崎の京都市京セラ美術館で、京都市京セラ美術館開館1周年記念展「上村松園」を観る。なお、ポスターなどに用いられている重要文化財「序の舞」は、8月17日から始まる後期のみでの展示となる。

近世京都画壇の重要人物の一人である上村松園(1875-1949)。京都の街中である四条御幸町西入ル奈良物町(現在はビックカメラのある辺り)に生まれた彼女は、幼い頃から絵が好きで、京都市立開智小学校(跡地に現在は京都市学校歴史博物館が建つ)卒業後、京都府画学校(京都市立芸術大学美術学部の前身)で鈴木松年(しょうねん)に円山派の絵画を学び、「松」の字を譲り受けて松園と名乗る。松年が画学校を退職すると松園も退学して、松年の私塾で学ぶ。元々、美人画を描きたいと考えていた松園は、幸野楳嶺に師を変え、楳嶺が2年後に死去すると、楳嶺の一番弟子で現在も京都画壇の最重要人物と目されている竹内栖鳳に師事するようになる。その後は主に市井の女性を題材とした絵で注目され、死の前年には女性として初めて文化勲章を受章。死後には従四位に叙せられている。門徒でもあり、墓は大谷祖廟の東大谷墓地(展示されていた年表では大谷本廟となっていたが誤り)にある。息子は日本画家の上村松篁(しょうこう)、孫も日本画家の上村淳之(あつし。京都四條南座の緞帳も手掛けている)。

初期は表面的な美人画を描いていた松園だが、次第に内面の描写へと傾いていく。

初期作品の一つである「清少納言」は、清少納言が中宮定子に「香炉峰の雪はどう見るの?」と問われて御簾を掲げる場面が描かれているのが、全く同じ題材の「清少納言」を松園を大正時代に入った二十数年後に描き上げている。画風は大きく異なる。初期に書かれた「清少納言」は、床など余白とされる部分が大きく、清少納言の表情も何を考えているのかよく分からない。一方、大正時代に描かれた「清少納言」は清少納言の姿が大きく描かれ、迫力からして異なる。また清少納言の顔は、この場面には相応しくないほどの憂いに満ちている。大正期の「清少納言」の次に展示されているのは、「焔」という作品であるが、これは、紫式部の「源氏物語」に登場する六条御息所をモデルにした作品で、やはり強い憂愁の表情を浮かべている。その横に並ぶのは「紫式部之図」で、紫式部は和やかな面持ちである。歴史的に清少納言は皇后の座争いに負けた中宮定子側、紫式部は勝った中宮彰子側である。これはそう見えるようにキュレーターが並べているので、実際に松園が清少納言の憂いに何を込めたのかは分からない。御簾を掲げる場面は、清少納言が己の教養の高さを示すために「枕草子」に自慢気に書いたもので、その場で憂鬱な顔をしていたとは考えにくい。大正時代の「清少納言」が描かれた時期は、松園がスランプに陥っていた時代のようだが、己の姿を清少納言に重ねたのであろうか。

初期の松園の絵は、伝統的な日本画に多い、S字カーブの構図を用いているのも特徴。「花のにぎわい」など、同じモチーフで描かれている一連の作品は、崩れそうなバランスを敢えて取ることで、一瞬の華やぎを上手くすくい取っている。後年の作品ではS字カーブはあまり見られなくなり、代わって垂直の構図が多く用いられるようになる。

「表面的で内面描写に乏しい」というのが、初期の松園が受けた評価であった。これを受けて松園も心情が一目見て分かるような描写を心がけるようになり、先に挙げた「清少納言」や「焔」はそうした時代を代表するものである。だが松園はその後、直接的な描写ではなく、主人公以外の要素を描くことで、心象が間接的に伝わる技法へと転換していく。

昨年、京都国立近代美術館で行われた「京(みやこ)のくらし」展でも観た「虹を見る」(京都国立近代美術館所蔵)では母親と赤子、そしてもう一人の若い女性がタイトル通り虹を見上げているところを描いた絵であるが、目に映る虹は三者三様であることが察せられ、観る者の想像力をくすぐる。
また亡くなった母に捧げたとされる「母子」(重要文化財指定。前期のみの展示)では、赤子を抱いている母親の横顔が描かれているのだが、赤子は向こうを向いているので表情は見えない。だが母親の方は清々しい表情を浮かべているため、赤子も良い表情をしていることが察せられる。このように松園は直接的な描写でなく観る者の想像力に委ねる画風を確立する。「楚蓮香」など、蝶々が華やかさを演出している絵が何枚かあるが、やがてそれが憂いの蛍へと変わっていく。描かれている女性は特に憂鬱な感じではないのだが、蛍を追っていることで、自然に儚さが出ている。後期になると再び余白の部分も大きくなる。

松園の絶筆とされる「初夏の夕」(京都市美術館所蔵)も蛍を目で追う女性を描いたものだ。だがこの作品では女性は柔らかな微笑みを浮かべており、蛍が憂鬱の象徴から懐古の念を起こさせるものに変化したことが受け取れる。憂いさえも微笑んで受け入れる松園円熟の境地である。

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2021年7月27日 (火)

これまでに観た映画より(265) 京都シネマ 中村壱太郎×尾上右近 「ART歌舞伎」 中村壱太郎舞台挨拶付き

2021年7月19日 京都シネマにて

午後4時35分から、京都シネマで「ART歌舞伎」を観る。
中村壱太郎と尾上右近が、コロナ禍の中で作成した配信用作品。昨年の7月1日に東京・九段の靖国神社能楽堂で収録され、7月12日から期間限定で配信された。
本編(86分)上映後に、中村壱太郎出演による舞台挨拶がある。
「ART歌舞伎」は、まずポレポレ東中野で上映され、今日1日限定で大阪・シネマート心斎橋と京都シネマで上映される。

出演は、中村壱太郎、尾上右近、花柳源九郎、藤間涼太郎。演奏は、中井智弥(箏・二十五弦箏)、浅野祥(津軽三味線)、藤舎推峰(笛)、山部泰嗣(太鼓)、友𠮷鶴心(琵琶)。

「四神降臨」「五穀豊穣」「祈望祭事」「花のこゝろ」の4部からなり、「四神降臨」と「祈望祭事」は歌舞伎舞踊、「五穀豊穣」は三味線の謡、「花のこゝろ」は中村壱太郎が歌謡集『閑吟集』に出てくる言葉を選んでストーリーを組み立てた舞踊物語である。


「四神降臨」では、壱太郎、尾上右近、源九郎、涼太郎がそれぞれ四神(青龍、朱雀、白虎、玄武)となり、舞踊を行う。玄武を受け持った尾上右近は黒の紋付きを着ていたが、他の演者は、顔の一部分に該当する色を入れていたり、背景のライトの色を変えたりすることで処理していた。

外は大雨で、雨音がマイクにも入っている。2020年7月1日は台風が近づいている日であったが、収録が行えるのはこの日しかないということで強行したそうである。ちなみにリハーサルも十分に行えない上に一発録り。カメラは7台用意したそうで、それでも上手くいかない場面があり、良く聴くと音楽が止まっていたり、よく見ると「あれ、ここなんか事故あったかな?」と分かる場面もあるそうだ。

「祈望祭事」では、藁が効果的に使われているが、たまたま靖国神社のそばで藁が手に入ったために使っているそうで、即興的要素も多いようである。

字幕入りの国際版での上映であるため、謡入りの「花のこゝろ」は英語での表現も気になる。
壱太郎は、白塗りの真ん中に日の丸を入れるというメイクである。壱太郎演じる女は、良き夫と子に恵まれ、幸せに過ごしていたが、突如として戦乱の世となり、夫は戦死、子は病死、自身は狂気にさいなまれ、遊女へと身をやつすことになる。
一方、尾上右近が演じるのは、「生涯を戦場(いくさば)にて過ごす若者」(英語字幕では、“Natural bone warrior”という凄い表現になっていた)。腕に覚えがあったが、朋に裏切られ、落ち武者となる。
そんな二人が巡り会うが、平穏が訪れる日を願いながら別れることになる。ちなみに西方浄土は、“Western Pure land”になるそうだ。

若者が去った後で、海兵の英霊(やはり尾上右近が演じている)が現れ、無用な戦をするなという意味のメッセージを女に伝える。
英霊というのは靖国神社に祀られている御霊のことだが、ここに登場する英霊は具体的には、『きけわだつみの声』の巻頭を飾ることになる遺書を残した上原良司だと思われる。上原良司は慶應義塾大学在学中に学徒出陣して戦死しているが、壱太郎による大学の先輩へのリスペクトということになるのかも知れない。


中村壱太郎による舞台挨拶。この後、午後6時45分からの回も観て欲しいため、壱太郎は色々と宣伝を行う。「うっとうしいのは僕の舞台挨拶を2回聴かないといけない」と冗談を言っていたが、壱太郎のファンなら2回聴けるのはむしろプレゼントだろう。
稽古は2週間ほど行えたが、本番は1日だけで、取り直しが利かない一発録り。「春のこゝろ」については半分ほどしか当日リハーサルが行えなかったそうである。

収録中も、「(尾上右近の)髪型がおかしいじゃない?」など、臨機応変に変えた部分も多いそうだ。なお、雨がやむ気配がなく、邦楽器は雨に弱くていつ故障が起こってもおかしくないということで、よく見ていると出演者の顔がどんどん青ざめていくのが分かるそうである。
配信用の収録であり、スクリーンでの上映は念頭に置いていなかったが、「映画館で上演するには録音が貧弱」ということで、音楽に関しては全て一から録音し直したそうである。なお、再録音したものはCD化されており、壱太郎が舞台挨拶の最後でグッズの一つとして紹介していた。「CDはちょっと」という人向けのダウンロード版も発売されているそうである。
なお、舞台での初演がすでに決まっており、岡山市で行われるそうである。

舞台挨拶中は写真撮影や録画は一切禁止であるが、舞台挨拶終了後に短い時間ではあるが、フォトセッションの時間が設けられており、壱太郎もこの時は、「何も喋らないんで」とマスクを外すファンサービスを行っていた。

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2021年7月15日 (木)

コンサートの記(730) 下野竜也指揮 京都市立芸術大学音楽学部・大学院音楽研究科第166回定期演奏会

2021年7月8日 京都コンサートホールにて

午後7時から、京都コンサートホールで京都市立芸術大学音楽学部・大学院音楽研究科第166回定期演奏会を聴く。指揮は京都市立芸術大学音楽学部指揮専攻教授の下野竜也。

新型コロナウイルスの流行により昨年夏の定期演奏会は中止となった京都市立芸術大学音楽学部と大学院音楽研究科。今年はなんとか開催に漕ぎ着けた。

曲目は、第1部が、シェーンベルクの「主題と変奏」(吹奏楽版)、ベートーヴェンの歌劇「フィデリオ」序曲、ラヴェルの「ラ・ヴァルス」。第2部が、プッチーニのオペラ「ラ・ボエーム」より“私の名前はミミ”と“あなたの愛の呼ぶ声に”、「トスカ」より“歌に生き、愛に生き”(ソプラノ:佐藤もなみ)。第3部がドヴォルザークの交響曲第8番。
京都市立芸術大学にはハープの専攻はないようで、ハープは京都ではお馴染みの松村多嘉代、松村衣里の松村姉妹が奏でる。

入りはまずまずで、この点に関してはコロナの影響はさほど感じられない。


シェーンベルクの「主題と変奏」(吹奏楽版)。ユダヤ人だったシェーンベルクがナチスの迫害を逃れて渡米し、カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)で教授を務めていた時代に書かれた作品である。高校の吹奏楽部でも演奏可能な曲として依頼されたのであるが、結果として演奏難度の高い楽曲となった。

この曲を聴くのは初めてだが、ユーモラスというか人を食ったような旋律があったり、十二音技法とは異なった和音が響いていたりと、かなり個性の強い作品である。
ただ和声や響きに、ハリウッド映画に出てくるような部分もあり、アメリカの映画音楽がシェーンベルクからの影響を受けていることが感じられる。シェーンベルクが生んだ十二音技法は、クラシックでは結局のところ不毛に終わりそうだが、映画音楽では心理描写などで巧みに用いられ、かなりの成果を上げていると言っていいように思う。


場面転換が必要となるため、下野がマイクを手に登場してトークを行う。「本日はお足元のお悪い中、お越し下さりありがというございます」という挨拶に続き、新型コロナの影響で授業やレッスンに支障が出たが、教員も学生も(芸術系大学の場合は師弟関係になるため、「学生」ではなく「生徒」と呼ぶことの方が多いのだが、ここでは「学生」に統一する)感染対策をして乗り越えたこと、「いたずらに厳しい、下野竜也という男」によく着いてきてくれたことなどを語る。
今回のコンサートでは感染のリスクを抑えるため、奏者達が演奏を行うたびにポジションを変更し、また副指揮者の学生などが中心となって消毒作業なども行うようだ。
1曲目のシェーンベルクの楽曲が吹奏楽版であることにも触れ、「今年からユーフォニアムの専攻が出来て」「学部と大学院に一人ずつ入学した」ということでユーフォニアムが活躍する音楽を選んだことを語る。「有名な曲をやろうとも思いましたが、ひねくれているので」あまり知られていない曲を選んだようである。下野自身が吹奏楽出身であるため、愛着もあるのだと思われる。ちなみに下野は広島ウインドオーケストラの音楽監督でもあり、9月には広島ウインドオーケストラと京都コンサートホールでも公演を行う予定である。


ベートーヴェンの歌劇「フィデリオ」序曲。
日本の音楽大学や音楽学部は、基本的に9割前後を女子学生が占めている。京都市立芸術大学音楽学部も例外ではなく、例えば第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリンやヴィオラは、それぞれ男子は1名から2名で、その他は全員女の子である。チェロも女子が過半数。ただ楽器自体が大きいコントラバスは一人を除いて全員男子など、パートによって傾向が異なる。コントラバスの女子は苗字から察するに韓国の方なので、日本人女性でコントラバスを積極的にやりたいという人はまだ余り多くないようである。

弦はフル編成であるが、ビブラートを抑えたピリオドによる演奏。ティンパニもバロックタイプでこそないが、木製のバチを使って硬めの音を出す。

残響の長い京都コンサートホールということで、ゲネラルパウゼを長めに取るのが特徴。ラストではヴァイオリンが情熱的な音色を奏でて、灼熱の世界へとなだれ込んでいく。


ラヴェルの「ラ・ヴァルス」。ラヴェルは「ボレロ」など、ラストにとんでもないことが起こる楽曲がいくつかあるが、これもその一つである。
色に例えるとピンク色のような独特の気品を持つ音色が特徴。チャーミングな美演であるが、最後は狂気にも似た空中分解を迎える。
ラヴェルは、フランスとスペインの境にあるバスク地方の出身であるが、その豪快さはエスプリ・ゴーロワというよりもスペイン的な気質を感じさせる。

皮肉なことだが、ラヴェルの人生自体もそのラストで悲劇的な転調を迎えることになる。


第2部。声楽専攻4回生の佐藤もなみの独唱によるソプラノのアリア。京都市立芸術大学では、各専攻の成績優秀者でオーディションを行い、最優秀者がソリストとなる権利を得るシステムのようで、今年は声楽の佐藤もなみが出場権を得たようだ。

緊張と、客を入れてのステージ上の音響がつかめなかったためか、最初の内は声がやや硬めだったが、次第に音響にも慣れたようで伸びやかな声を聴かせる。
下野指揮の京都市立芸術大学音楽学部・大学院管弦楽団も、繊細で柔らかな伴奏を奏でる。


第3部。ドヴォルザークの交響曲第8番。学生のオーケストラということで洗練度にはやや不足しているが、土俗感や自然の息吹など、ドヴォルザークらしさは十全に表現出来ている。
弦楽はヴァイオリンが優秀で、第3楽章の抒情美や冒頭の切れ味、第4楽章の高揚感など見事である。同じ弦楽器でもヴァイオリンとそれ以外では異なり、音大などでヴァイオリンを専攻している人は基本的に子どもの頃からヴァイオリン一筋だが、その他はまず別の楽器をやってから現在の楽器に至っている場合が多い。いわばヴァイオリンはエリートで、大学レベルだとまだ違いが現れやすいのかも知れない。
ということで低弦が薄めではあったが、技術的には学生としては十分な高さに達しており、下野の音楽作りの巧みさも相俟って、聴かせる演奏となっていた。

京都市交響楽団、京都市立芸術大学、京都市立京都堀川音楽高校、京都市ジュニアオーケストラと四段構えになっているのが京都市のクラシック音楽界の強さである。残念ながら、大学卒業後の就職先が少ないため、京都市を離れる人が多いが、それでも京都のクラシックの聴衆の若返りは他の都市に比べると上手くいっているように思う。

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2021年7月14日 (水)

京都版ラ・デファンスのための覚え書き

 卒業後の就職先が少ないため、大学時代だけを過ごす「通過する街」とも呼ばれる京都。だが今後の事を考えれば、京都市内南部にパリのラ・デファンスに相当する経済特区を設ける必要があるのは明らかである。京都駅よりも北にそうしたものを作るのは景観上も問題があって不可能だが、南側なら可能である。景観上も過去と現在と未来が調和したものになるはずで、問題がないどころか望ましいものとなる。北陸新幹線の駅もそこに作ればなお良い。特に金沢との連携は重要である。双子都市である大津市を始めとする湖南地域も今はむしろ大阪との経済的結びつきが強くなっているが、京都駅の南側に京都版ラ・デファンスを設けられたなら、京滋の絆は強まるだろう。京都に拠点を置きたい企業はいくらでもあるので心配はない。大学の街、京都の特性を生かすなら、就職するのではなく京都で起業したいと考える学生の後押しも行いたい。税制などの優遇策を設ければ不可能ではないはずだ。

 近くに大阪という一大経済都市があるが、京都は名門大学や個性のある大学をいくつも抱えているということで、情報産業に重きを置きたい。製造業で大阪に勝つのは難しいため、棲み分け戦略が必要となる。

 京都版ラ・デファンスを置くべき場所は、らくなん進都および洛南新都心である。少しややこしい問題もあったりするが、開発は可能なはずである。京都市の財政再建策であるということを考えると、パリの隣町にあるラ・デファンスとは異なり、京都市内に置く必要がある。
 洛南新都心計画は交通の問題によって頓挫したままになっているが、従来計画されて全く進まなかった京都市営地下鉄烏丸線の延伸ではなく、新たに開発されたLRTなども含めた複数の交通手段を用いる。らくなん進都に北陸新幹線の駅を置くことで、交通は更に便利になる。らくなん進都と更に先の洛南新都心に向かう乗客数が増えれば、京都市営地下鉄の赤字問題も軽減され、将来的には解消される可能性もあるだろう。
 地域政党・京都党は、崇仁地区に京都市立芸術大学を移転させるのではなく商業地域にするプランを打ち出しているが、崇仁地区は景観上、経済特区のようなものを作るのは無理で、もっと南である必要がある。

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