カテゴリー「演劇」の453件の記事

2019年12月12日 (木)

志村喬 「ゴンドラの唄」(映画「生きる」より)

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2019年12月11日 (水)

観劇感想精選(328) 京都観世会館 第256回市民狂言会

2019年12月6日 左京区岡崎の京都観世会館にて観劇

午後7時から、左京区岡崎の京都観世会館で、第256回市民狂言会を観る。演目は、「宝の槌」(出演:茂山七五三、茂山茂、網谷正美)、「御茶の水」(出演:茂山逸平、茂山あきら、茂山千之丞)、「附子(ぶす)」(出演:丸石やすし、茂山千三郎、松本薫)、「蟹山伏」(出演:茂山忠三郎、山口耕道、鈴木実)

「御茶の水」の住持役は元々は茂山千作が予定されていたが、死去により茂山あきらが代役を務めることになった。


「宝の槌」。太平の世となり、人々は皆、道具自慢にふけるようになる。果報者(金持ちのこと。茂山七五三)も、家の蔵に自慢となるような宝が眠っていないか太郎冠者(茂山茂)に聞くが、太郎冠者は見覚えがないという。そこで果報者は太郎冠者に都に行って宝物を買い求めるよう命じる。
初めての都ということで、ウキウキの太郎冠者であったが、浮き足立っているところをすっぱ(網谷正美)に見抜かれ、ただの太鼓のバチを「鎮西八郎為朝(源為朝)が鬼ヶ島の鬼から奪った打ち出の小槌だ」と売りつけられてしまう。なんでも弓の名手である鎮西八郎為朝が鬼ヶ島に行って、鬼と弓の勝負をして勝ち、隠れ蓑、隠れ傘と共に勝ち取ったのがこの打ち出の小槌なのだという。呪文を唱えると(結構長い)欲しいものが出てくると聞かされた太郎冠者は、すっぱの誘導尋問により腰のもの(太刀)を所望。すっぱが仕込んでおいた太刀が現れたため、すっかり信じ込んでしまう。
さて、実際は太鼓のバチでしかない打ち出の小槌を持ち帰った太郎冠者。主の果報者の前で呪文を唱え、舞を舞い、小槌を振るって馬を出そうとするが何も出ない。太郎冠者は誤魔化すために、口のない馬(エサをやらなくていい)を出そうなどと、現実味のないことを言い始める。
呪文を唱える時の舞は迫力があり、見所の一つとなっている。


「御茶の水」。私の青春の街である東京の御茶ノ水とは関係がない。私の出身地である千葉市にもお茶の水はあるが特に関係はない。
住持(茂山あきら)が、明日茶会を開くことになり、新発意(新米の僧侶のこと。茂山逸平)に、野中の清水からお茶に使うための水を汲んで来て欲しいと頼むのだが、すげなく断られる。そこで、恋仲のいちゃ(茂山千之丞)に水を汲んできてくれるよう頼む。
実は、新発意は、自分が断れば住持はいちゃに水を汲みよう頼むであろうことを読んでおり、清水に一人で来たいちゃに思いを伝えるべく計算していたのだった。
男女の言葉のやり取りは謡として交わされる。伝統芸能の粋である。
二人の男の間で振り回されるいちゃ役が一番重要な役だと思われる。男二人が取っ組み合い(見た目は相撲である)になる場面があるのだが、ここでのいちゃの心の揺れが面白い。


「附子(ぶす)」。数ある狂言の中でも最も有名な演目である。私が小学生の頃の国語の教科書にも載っており、筋書き自体は多くの人の知るところとなっている。元々は中世の説話集である「沙石集」に入っている物語だそうで、一休のとんち話に出てくるよく似た話も「沙石集」に由来しているようだ。
主人(茂山千三郎)が、「山一つあなた」へ行くことになり、太郎冠者(丸石やすし)と次郎冠者(松本薫)に留守を言いつけるのだが、附子(トリカブトのこと)には決して近づかぬよう厳命する。だが実際は附子と言っていたのは砂糖のことであり、留守中に砂糖を盗む食いされぬよう附子だと嘘をついたのである。結局、砂糖は太郎冠者と次郎冠者に全て食べられてしまい、太郎冠者は砂糖を全て食べてしまったことの言い訳を考え出す。普通に考えたらそんな言い訳は通用しないのだが、狂言の中でのことなので「上手い落ち」となっている。実際には誰が損するわけでもないし。


「蟹山伏」。大峯山と葛城山で修行した山伏(茂山忠三郎)が、強力(山口耕道)を従えて、出羽・羽黒山に帰ることにする。山伏はうぬぼれきっており、出羽国に帰れば皆が自分のことを「生き不動」と崇拝するだろうと天狗になっている。
江州(近江国)の蟹が沢にたどり着いたとき、一転にわかにかき曇り、蟹の精(鈴木実)が非常にわかりやすい形で現れる。
山伏は蟹の精を調伏しようとするが全く効かず、という話である。
元々は、甲斐国に伝わる伝承で、謎の雲水が寺の住職に問答を仕掛け、答えられないと殴り殺してしまうという、「オイディプス王」にも描かれたスフィンクス伝説に近いものがあったようだが、「蟹山伏」では山伏は蟹の謎かけにすぐに答えており、問答が解けぬ話ではなくなっている。
蟹は民俗学的にはその姿から千手観音の化身とされる場合があるそうで、修験道と仏法の対比が発展した可能性も考えられる。

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2019年12月10日 (火)

観劇感想精選(327) 南座新開場一周年記念「當る子歳 吉例顔見世興行 東西合同大歌舞伎」夜の部

2019年12月5日 京都四條南座にて観劇

午後4時45分から、京都四條南座で、南座新開場一周年記念「當る子歳 吉例顔見世興行 東西合同大歌舞伎」夜の部を観る。演目は、近松門左衛門作「堀川波の鼓」、河竹黙阿弥作「釣女」、河竹黙阿弥作「魚屋宗五郎」(「新皿屋敷月雨暈」より)、「越後獅子」

「堀川波の鼓」と「魚屋宗五郎」は共に「酒乱」が鍵となっている作品であり、それを縦糸としたラインナップなのだと思われる。大人気といえる演目が存在しないため、今日は空席も比較的目に付いた。

 

「堀川波の鼓」。堀川というのは京都の堀川のことであるが、今回の上演は通し狂言ではないので、堀川の場は出てこない。鼓の師匠である宮地源右衛門(中村梅玉)が京都の堀川下立売に住んでいるという設定である。
因幡鳥取藩で実際に会った不義密通事件を題材にした世話物である。
鳥取藩士の小倉彦九郎(片岡仁左衛門)が参勤交代で江戸に出向いている時の話から始まる。彦九郎の妻お種(中村時蔵)は、江戸詰である夫が恋しくてたまらない。彦九郎が江戸詰の時は、お種は実家に帰っているのだが、そこでも妹のお藤(中村壱太郎)に夫に会えない寂しさを語って聞かせている。お種は、実弟の文六(片岡千之助)を連れ養子としているのだが、文六は、京都の鼓師である宮地源右衛門に鼓を習っている。稽古が終わり、お種と宮地は初対面の挨拶をするのだが、酒が入ることになり、お種は酒好きなのでつい盃が進んでしまう。お藤と文六は帰宅し、源右衛門が場を外している時に、お種に懸想している磯辺床右衛門(中村亀鶴)がやって来て関係を迫る。床右衛門は隣から謡の声が聞こえたのに驚いて帰って行くが、源右衛門に話を聞かれたと思ったお種は源右衛門に口外しないよう誓わせようとする。だが酒で酩酊していたお種は、つい源右衛門と道ならぬ関係になってしまう。その後、引き返してきた床右衛門は、お種と源右衛門のそれぞれの袖を引き剥がすことに成功し、これをネタにゆすりを掛けようとする。5月半ばに彦九郎は帰国するが、藩内にお種が不義密通をしたという噂が流れており、お藤は彦九郎とお種を離縁させようとすると計るも失敗し、結局、彦九郎は泣く泣くお種を手に掛けることになる。
酒の勢いでついという話であるが、当時は不義密通は死罪相当であり、酒のせいでは済まされなかったのである。というわけで誰のせいにも何のせいにも出来ないやるせなさが残る。

彦九郎役の仁左衛門(松嶋屋)は、実は登場している時間はそれほど長くないのだが、貫禄と悲しみを併せ持った彦九郎を浮かび上がらせている。お種を演じた時蔵(萬屋)も酒に溺れてしまった不甲斐なさを適切に表現している。お藤を演じた壱太郎(かずたろう。成駒屋)の可憐さも光る。
この演目では音楽が実に効果的である。南座は新しくなって音の通りが良くなっただけに、一層、音楽の良さが引き立つ。

 

「釣女」。狂言の「釣女」を常磐津で演じる。
妻を娶りたいと思っている大名(いわゆる何万石という所領を持っている大名ではなく、地方の有力者程度の意味である。演じるのは中村隼人)が、縁結びの神として知られている西宮戎(西宮神社)に参詣することを思い立ち、太郎冠者(片岡愛之助)と共に出掛ける。西宮の戎は社伝そのままに夷三郎と呼ばれている。狂言では演者が最初から舞台の前の方に立つことはないのだが、大名のような身分の高い人はそれを表すために他の人よりも前寄りに立つ。
参詣した大名は、美しい女性と出会えるよう、夜通しの籠祈願を行うことにするのだが、太郎冠者に寝ずの番をさせて自分をさっさと寝てしまう。あきれた太郎冠者は何度も大名の眠りを妨げようとする。そうするうちに大名が夢を見る。神社の西の門に運命の人が現れるというのである。西の門に駆け付けた大名と太郎冠者であるが、そこに釣り竿が落ちているのを見掛ける。「女を釣り上げろ」ということかと合点した大名が釣り糸を垂れ、何度か引いている内に、見目麗しい上臈(中村莟玉)が釣り上がる。早速に三三九度を取り交わし、太郎冠者が「高砂」を真似た祝いの舞を演じると、大名と上臈も喜びの舞を始める。
今度は、太郎冠者が釣り針を垂れる。やはり女(中村鴈治郎)が釣り上がるのだが、これがとんでもない醜女であり、太郎冠者は嫌がる。だが、女は太郎冠者にぞっこんで、大名も神が決めた相手なので拒むことは出来ないと言い……。

愛之助(松嶋屋)の軽やかな舞が一番の見所である。隼人(萬屋)は、台詞回しが板に付いていなかったが、若いということだろう。
中村莟玉(かんぎょく。梅丸改。高砂屋)は、襲名披露ということで「おめでとうございます」と言われるシーンがあった。素顔が男前ということで、女形としてもやはり美しく華やかである。

 

「魚屋宗五郎」。私が初めて歌舞伎というものを観たのは、1996年の12月、東京の歌舞伎座に於いてであるが、3つあった演目のうちの最後が「魚屋宗五郎」であり、十二代目市川團十郎が宗五郎を演じていた。「魚屋宗五郎」を観るのは、それ以来、23年ぶりである。ちなみに「堀川波の鼓」で小倉彦九郎を演じた片岡仁左衛門も、1996年以来、23年ぶりの彦九郎役だそうで、偶然ではあるが繋がっている。

「新皿屋敷月雨暈(しんさらやしきつきのあまがさ)」の第2幕と第3幕を上演するもので、この二幕だけを演じる場合は、「魚屋宗五郎」という題になる。
妹のお蔦を手討ちにされた魚屋の宗五郎(中村芝翫)が、金比羅様に誓って絶っていた酒を飲んでしまったことから巻き起こる大騒動である。
実はお蔦は無実で、横恋慕していた岩上典蔵(中村橋吾)の策謀によって不義密通を仕立て上げられたのであった。

宗五郎が酒をがぶ飲みする場面では、三味線がコミカルな感じを上手く出している。

中村芝翫(成駒屋)の演技は、名人芸の域に達しつつある。歌舞伎界のトップに君臨するようなタイプの人ではないが、演技力に関しては言うことなしである。
一方、名前を継いだ長男の橋之助(四代目)は、狂言回しの役割も担う三吉という重要な役で出ていたが、明らかに「浮いている」と思うほどに下手である。同年代の隼人も上手くはないし、まだ若いということなのだろう。十代目松本幸四郎(七代目市川染五郎)などは、若い時から演技の質は高かったが、昨年の11月の顔見世などを見ると伸び悩みが感じられ、早くから完成されているが伸びないタイプと、最初は拙いがどんどん成長するタイプの二つが存在する――というよりどちらかでないと俳優としては致命的である――と思われる。五十代六十代という歌舞伎役者として大成する時期にどちらが上に来るのか見守ることも面白いように思う。

 

中村隼人、中村橋之助、片岡千之助、中村莟玉という若手歌舞伎俳優4人による舞踊「越後獅子」。江戸・日本橋駿河町(現在の東京都中央区日本橋室町)の三井越後屋前が舞台である。背景には堀と蔵屋敷が並び、正面遠方奥に掛かるのが日本橋ということになるのだと思われる(地理的には異なるはずだが芝居の嘘である)。
一つ歯の高下駄で舞うなど、「俺だったら一発で捻挫する自信がある」と思える高度な舞を全員が器用にこなす。流石は歌舞伎俳優である。
4人の中では、莟玉が小柄だが動きに一番キレがある。元々日本舞踊の世界から梨園に入ったということも大きいのであろう。

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2019年11月17日 (日)

観劇感想精選(326) こまつ座&ホリプロ公演「組曲虐殺」2019

2019年11月8日 梅田芸術劇場シアター・ドラマシティにて観劇

午後6時30分から、梅田芸術劇場シアター・ドラマシティで、こまつ座&ホリプロ公演「組曲虐殺」を観る。井上ひさしの劇作家としての遺作の上演。2010年に初演され、2012年に再演。それから久しぶりの再々演となる。演出は初演から引き続き栗山民也が手掛け、音楽&ピアノ演奏も小曽根真が担当する。出演:井上芳雄、高畑淳子、上白石萌音、神野美鈴、山本龍二、土屋佑壱。上白石萌音は石原さとみからのバトンタッチ、土屋佑壱は山崎一から役を引き継いでいるが、それ以外は初演時と同じキャストでの上演である。

「組曲虐殺」は、プロレタリア小説家として最も有名な人物と思われる小林多喜二を主人公とした音楽劇である。リーマンショック後の2010年頃は一大不況が全世界を覆っており、イタリア初とされるプレカリアートという言葉が紹介されるなどプロレタリア文学にも光が当たっていた時期で、「蟹工船」が映画化されたりもしている。

昭和5年(1930)5月下旬から昭和8(1933)年2月下旬までの2年9ヶ月が断続的に描かれる。

まず、小林多喜二が伯父が経営するパン屋で育ったことが紹介される。小林多喜二は小学校を皆勤賞の上、成績も最優秀ということで伯父に見込まれ、住み込みでパン屋を手伝いながら小樽商業学校と小樽高等商業学校(現在の国立大学法人小樽商科大学)を卒業。北海道拓殖銀行(1997年に経営破綻し、山一証券とともにバブル崩壊後不況の象徴となった)に勤務し、銀行員として働く傍ら、「蟹工船」などのプロレタリア小説を発表し、高く評価されたが、そのことが原因で拓銀を追われている。

小林多喜二の伯父が経営するパン屋(小林三ツ星パン)は最初は「小樽で一番のパン屋」と歌われるのだが、その後「北海道一のパン屋」に歌詞が変わり、最後は焼失かとしての小林多喜二の下地を生んだということで「日本で一番のパン屋」と歌われる。この小さいところから徐々に拡大していくセリフはその後も何度か登場する。
パン屋では代用パンが、安いにも関わらず売れない。小樽商業学校時代の小林多喜二(井上芳雄)は、誰かが「代用パンを買う金をくすねている」からだと考える。それが後の巨大資本や官僚批判へと繋がっていく。

多喜二は、酌婦(体を売る接待係)の田口瀧子(上白石萌音)と出会い、引き取ることにするのだが、「奥さんと許嫁の間」という中途半端なポジションであり、多喜二は奥手なので、「キスはしていて抱き合ってもいるが、生まれたままの状態でではない」というこれまた中途半端な付き合い方をしている。結局、瀧子とは籍を入れないままで終わった。

場面は大阪市の大阪府警島之内署の取調室に変わる。多喜二は大阪で講演を行った夜に、日本共産党への資金提供容疑で逮捕されたのだ。黙秘を続けていた多喜二だが、話が瀧子や伯父のことに及ぶやうっかり話し出してしまう。

豊多摩警察署の独房で、多喜二は自らの無力さを嘆くブルースを歌う(「独房からのラヴソング」)。

その後、多喜二は監視役の特高刑事である古橋(山本龍二)と山本(土屋佑壱)が杉並町馬橋の多喜二の借家に下宿するという形での不思議な生活を送る。多喜二の姉である佐藤チマ(高畑淳子)や瀧子も馬橋の家を訪ねてくる。瀧子は山野美容学校などに通い、美容学校の助手となっていたが、収入の問題で辞め、今は給仕をしている。瀧子はパーマネントの技術を身につけたのだが、当時、パーマネントの機械は日本に3台しかないということで、その腕を生かせずにいた。多喜二はそのことを嘆くのだが、これは「独房からのラヴソング」にも呼応している。多喜二は結局は同じ無産者活動家の伊藤ふじ子(神野美鈴)と結婚するのだが、それは瀧子を危険に巻き込みたくなかったからであり、不思議な距離の愛情は終生続くことになる。

酌婦に身を落とすしかなかった瀧子、美術学校に通い舞台美術家などを経て活動家となるふじ子など搾取される側にいる階級の女性が登場するが、憎むべき特高の刑事達も、上の命令に「犬」として従うしかないという苦みを歌い上げており、やはり下層にいる哀れむべき人々として描かれている。そこに井上独特の視点があるように思われる。

日本共産党員であった井上の政治観については、ここで私が書いても余り意味のないことであり、そうした面から語ることの出来る他の多くに人に任せた方が良いように思う。私がこの劇から感じたのは、「書くこと」「イメージすること」の重要性だ。多喜二は「体で書く」重要性を特高の山本に伝える。多くの人は手や頭や体の一部で文章を書くのだが、大切なのは体全体で書くことであり、体全体で書かれたものは、書き手そのものとなって残っていく。
小林多喜二は若くして虐殺されたが、「蟹工船」を始めとする作品は今も読まれ続け、時にはブームも巻き起こす。そのことで私達は小林多喜二その人に触れることも出来る。そして井上ひさしが全身で書いたこの戯曲も、井上が亡くなって間もなく10年が経とうとしている今も上演され、井上本人の肉声に触れるかのような体験を可能としている。

 

ミュージカルトップスターの井上芳雄の歌声が素晴らしいのは勿論だが、瀧子を演じた上白石萌音の歌声も予想を遙かに凌ぐ凄さ。彼女の声凄さは、耳にではなく心に直接染みこんでくることである。稀な歌唱力の持ち主とみていいだろう。ミュージカル映画「舞妓はレディ」の小春役で注目を浴びた上白石萌音。実は「舞妓はレディ」はミュージカル化されて博多座で上演されており、私も観に出掛けたのだが、その際は唯月ふうかが小春を演じている。唯月ふうかも若手ミュージカル女優としてはトップクラスなのだが、そのため却って「ああ、上白石萌音は別格なんだな」と実感することになった。

小曽根真のピアノと音楽も多彩な表情で芝居を彩る。クルト・ワイル風のワルツが登場したりするが、実は井上ひさしが「ロマンス」でクルト・ワイルの音楽に歌詞を付けていたそうで、その影響もあるのかも知れない。

井上ひさし本人が、これが最後の戯曲になるとわかっていたのかどうかは不明である。だが、井上の最後の戯曲らしい仕上がりとなったのも事実である。
これは悲劇であるが、「思いが残っていればいつかきっと」という希望と「不滅と広がりの予感」を歌い上げる祝祭劇でもある。

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2019年11月 2日 (土)

観劇感想精選(325) 神里雄大/岡崎藝術座 「ニオノウミにて」

2019年10月26日 京都芸術センターフリースペースにて観劇

午後7時から、京都芸術センターフリースペースで、神里雄大/岡崎藝術座の「ニオノウミにて」を観る。英語のタイトルは「Happy Prince Fish」である。作・演出:神里雄大。

ニオノウミというのは琵琶湖の別名(ニオというのは滋賀県の県鳥になっているカイツブリのこと)である。日本三大弁財天の一つを祀る竹生島を舞台とした異人との遭遇を巡る物語。能の「竹生島」がモチーフとなっている。出演は、浦田すみれ、重実紗果(しげみ・さやか)、嶋田好孝。

京都国際舞台芸術祭参加作品としての上演であり、舞台上方(天井の近く)にセリフの英訳が投映されての上演である。意味としては似通っているが、思考パターンが異なるためニュアンスに大きな隔たりが出ているのを見るのも楽しい。

まず、薄明の中で舞台上にタブレット端末が置かれてスタートする。
治安の悪い国からやって来た男が滋賀県にたどり着く。日本に希望を持ってやって来たのだが、日本語をきちんと話せないことで(セリフ自体はきちんとした日本語として語られている)日本人から見下されており、日本人が嫌になって日本語の学習もやめてしまっていた。男は琵琶湖に釣りをしにやって来たのだが、そこで琵琶(タブレット端末から竿状のものが伸びており、画面に琵琶の腹部が映されている)を拾う。背後で若い女の声がする。女は「それは私の琵琶です。返してください」と男に言う。女は「じじい」と呼んでいる祖父と二人暮らし。両親は離婚して家を出て行き、兄が一人いるが東京に出たまま一度も帰ってこない。漁師をしている「じじい」と共に女は毎晩、漁に出ている。種明かしをするとこの女の正体は弁財天なのだが、共に竹生島に渡ろうと女は男に提案する。

琵琶湖では、ブラックバスやブルーギルという外来魚が固有種を食い荒らしてしまうため、問題となっている。「じじい」は外国人観光客を外来魚になぞらえて罵り始め、「下等動物」とまで呼んで怖れている。
ブルーギルは実は明仁上皇が皇太子時代に外遊先のシカゴで市長から贈られたものを持ち帰ったのが最初である。ブルーギルは水産庁淡水区水産研究所が食用研究の対象として飼育していたのだが、淡水真珠養殖で母貝として用いるイチョウガイの養殖場でイチョウガイ幼生の宿主としてブルーギルが利用され、逃げ出したものが琵琶湖で繁殖するようになった可能性が高いようである。実はブルーギル繁殖のきっかけを作ったことについて、上皇陛下が天皇であられた時に謝罪なされたことがある。

3つの場からなる芝居だが、1場が終わった後で10分間の休憩が入る。お弁当付きの前売り券があった他、少数だが当日申し込み用のお弁当も用意されており、スナック菓子やお茶も売られる。
客席もフリースペースの段差を利用した椅子状のものと座布団を敷き詰めた床席が用意されており、自由なスタイルで芝居を観ることが出来るようになっている。観劇に「多様性」を持たせたいという神里の意思である。

 

異人と外来種を「じじい」が語る(録音された声による)が、今度はブルーギルが謝罪と自己弁護を述べることになる。ブルーギルは食用にも適さず、臭く、何の取り柄もないと自分を卑下するが、一方で、明仁上皇がやはり皇太子時代にやはり外来種のティラピアをタイに食用として贈り、現在ではティラピアはブラーニンという名で国民食として愛されているという話もする。同じ外来種でもティラピアは食用として役に立つから良く、役に立たないブルーギルは差別されて当然なのかという問いがある。近年の日本では「実用性」ばかりが叫ばれ、差別や区別が当然のように論じられているがこれは正しいことなのか。外国人に限っても安くて便利な労働力として重宝する一方で治安が問題視され、観光客となると「観光公害」として排斥運動が起こる直前の情勢になっていたりする。これは雇用の調整弁と見なされた日本人においても同様である。

3つの楽器がキーとして登場する。まずは琵琶湖の名の由来にもなった琵琶。ペルシャが起源であり、シルクロードを伝わって奈良時代に日本に渡来し、琵琶法師や仏話の際に用いる楽器として広まった。2つめは三線である。沖縄の民族楽器として有名だが、中国由来の楽器である。これが関西地方に伝わって生まれたのが三味線で、胴体にはニシキヘビの皮ではなく手に入りやすい猫や犬の皮を用い、琵琶のようにバチを使って弾く。日本は海外から様々な文化要素を取り入れ、それを吸収してオリジナルへと昇華させるという歴史を歩んできた。しかも元も文化を否定せず、共生させる。楽器に限らず、言葉から演劇から音楽からあらゆることにおいてそうであり、これこそが日本の伝統なのである。無料で配られた用語集に「琵琶湖周航の歌」がさらっと入っていて、休憩時間に流れていたが、実は「琵琶湖周航の歌」はオリジナルではなく、第三高等学校(現在の京都大学)の生徒が書いた詩を「ひつじぐさ」のメロディーに乗せたものなのだが、これが今では滋賀県のご当地ソングとして愛されるまでになっている。また「琵琶湖哀歌」も用語集に入っていて、「琵琶湖周航の歌」の後で流されたが、これまた「琵琶湖周航の歌」のメロディーを転用したものである。だが、そのまま受け入れられている。こうした懐の深さが日本人にはあったのだ。
ところが現代の日本は取り込むことを止めて排斥へと変化している。それは「男性的」と呼ばれる刹那の喜びのために行われるブラックバスフィッシングのキャッチアンドリリースにも例えられる(ネット用語の「釣り」も関連しているのかも知れないが)。伝統的ではない状態なのに排外に回る人は自身を伝統的な保守主義者だと勘違いまでしている。そういった状態に無関心の人も多く、とにかく選挙にも行かない。権利を行使しなかったわけだが、その結果生まれた社会を意思を示さなかった人々が本当に受け入れられるのかどうか。
日本だけが正義で被害者というわけでもない。オセアニアやヨーロッパでは、日本や朝鮮半島では食用として愛されているわかめが侵略的な外来種として問題になっていることが用語集には書かれ、劇中でも仄めかされている。

弁財天である女は仏教の十善戒から6つを唱えるが、もうそれは死んだしまった人間の言葉だとつぶやく。無宗教者が大多数を占める今の日本では仏教も神仏習合時代の言葉も心に届かない。そして女は男に自分の座を譲ろうとまでする。弁財天から渡された三味線の歴史が語られ、特に救いらしい救いもなく、不毛の未来が提示されて黙示録的に終わる。弁財天は男の良き未来を祈り、「またどこかでお会いすることがあるといいですね」と言うも、「でもわかりません」と続ける(英語字幕では、ビートルズやMr.Childrenの歌でお馴染みの「Tomorrow never knows」と表示されていた)。

芝居では答えは示されなかったが、日本人はどうすればいいのか? まずは本当の伝統を知ることである。受け入れ、止揚し、自らのものとしていった日本の歴史。それを断ち切らせることがあってはならない。「排除」を「正義」にしてはならない。三味線に見られるような「昇華」と「共生」を可能としてきた希有な伝統をもう一度振り返る必要がある。

我々は幕末の志士達よりも賢いはずだと思いたい。

 

内容は当然ながら異なるのだが同じ「共生」への意識を描いた黒沢清監督の「カリスマ」を見直してみたくなった。

 

内容が気に入り、台本が500円で売っていたので購入し、読む。「いいね!」。いや「いいね!」だけでは駄目なのだが。

 

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2019年11月 1日 (金)

観劇感想精選(324) 野田地図(NODA・MAP)第23回公演「『Q』 A Night At The Kabuki」

2019年10月24日 大阪・上本町の新歌舞伎座にて観劇

午後7時から、大阪・上本町の新歌舞伎座でNODA・MAPの第23回公演「『Q』 A Night At The Kabuki」を観る。作・演出・出演:野田秀樹。出演は、松たか子、上川隆也、広瀬すず、志尊淳、橋本さとし、小松和重、伊勢佳世、羽野晶紀、竹中直人ほか。音楽:QUEEN、サウンドデザイン:原摩利彦、衣装:ひびのこづえ。

野田秀樹がクイーンのアルバム「オペラ座の夜」にインスパイアされて作り上げたという舞台。シェイクスピアの「ロミオとジュリエット」に地獄といわれたシベリア抑留などを絡ませて物語は進む。

シェイクスピアの「ロミオとジュリエット」とは異なり、生き延びたそれからの愁里愛(じゅりえ。松たか子)とそれからの瑯壬生(ろみお。上川隆也)が、30年前の自分達である源の愁里愛(広瀬すず)と平の瑯壬生(志尊淳)の悲劇を避けるために介入していく。

時は平安末期、源平の騒乱の最中である。源義仲(橋本さとし)が源氏の統領となり、壁一枚隔てた平氏の館と冷戦が続いている。そんな中、平清盛(竹中直人)の息子である平の瑯壬生と源頼朝の妹である源の愁里愛は、一目で互いに恋に落ちた。全ての悲劇の発端となる出会いを思い起こし、それからの愁里愛とそれからの瑯壬生は、共にかつての自分に入れ知恵をする。まるでダブル「シラノ・ド・ベルジュラック」のように。

戦後、シベリアに抑留されていたそれからの瑯壬生は、実は30年前、都に帰ることになった平の凡太郎(竹中直人二役)に尼になったそれからの愁里愛への手紙を託していた。だが、30年かけてようやく平の凡太郎から愁里愛へと手渡された手紙は白紙だった。凡太郎は都に帰ってこられた嬉しさで遊び倒し、愁里愛に手紙を渡すことを30年も忘れていたと語るが、それは実は嘘であることがわかる。それからの瑯壬生は、通常の手紙とは異なる形のメッセージを凡太郎に託していたのだが、凡太郎はその内容に気後れがして、30年もの間、渡すことを躊躇していたのだ。

30年前、二人が出会い、たった5日間の愛を交わし合った日々。都では源氏が裏で操る「名を捨テロリスト」達とそれに反抗する平氏の「拾うヒロイズム」による抗争が続いていた。源の愁里愛は、平の瑯壬生が平氏の御曹司であることを嘆き、「名を捨てて」と願い、つぶやいた。愛も何も知らない少女のちょっとした思いつきが後の悲劇の始まりとなる。

 

「ロミオとジュリエット」のセリフを比較的忠実になぞる部分があるが(「平家物語」に出てくる言葉がそれに沿うように挟まれる)、ジュリエットが望んだ「名」つまり「属性」を捨てることの愚かさをある意味告発する内容である。

アノニマスとなりすましが日常的に行われている現在において、ネット上では匿名であるということが時に暴力に繋がるように、現代の戦争は匿名の兵士が人々を「名もなき存在」として殺していく。
生きながらえたそれからの瑯壬生は、「アカシアの雨に打たれてこのまま死んでしまいたい」と嘆くが、気を取り直して名もなき一兵卒として戦争に参加することを望み、名を平の平平(へいへい)と偽る。だが、名乗りを上げて一騎打ちのそれまでの戦とは違い、ロミオが加わった戦争は、どこからか誰ともわからぬ者達が一斉に打ちかけてくるというアノニマスな戦場だった。

一方、それからの愁里愛は尼となり、修道院へと向かう。修道院行きのバスで出会った「尼ぞねす」という団体には、源義仲を殺した瑯壬生への恨みを抱いたままの尼トモエゴゼ(伊勢佳世)や、世の中は色々なものが「混ざってるさ」ということでマザーッテルサと名乗る尼(羽野晶紀)がいた。それからの愁里愛は、彼女達と行動を共にするのだが、一行はいつの間にか看護師の団体として戦場に着いている。「尼ぞねす」達は、野戦病院の看護師として従軍、次々と運ばれてくる瀕死の兵士達を看護する。その野戦病院で瑯壬生と愁里愛は再会するのだが、瑯壬生は源義仲殺しのお尋ね者にして清盛亡き今では平氏の頭領ともなり得る人物で正体がバレれば即死罪は免れない。愁里愛は、今や為政者となった源頼朝(橋本さとし)の妹ということで正体が明らかになれば連れ戻される。そのため互いの名を呼ぶことが出来ない。
そしてそれからの瑯壬生は、シベリア送りとなり、名前をなくしたことで引き上げの際にも名前が呼ばれることはなく、戦友達が船出する中で俊寬のように一人シベリアに取り残されることになる。
そんな中、『夜と霧』のヴィクトール・フランクルのように愁里愛を想い続けてきた瑯壬生は、ある意外な内容の手紙を凡太郎に言付けた。回り回った表現で綴られた愁里愛への思い。凡太郎はそれを勘違いするが、愁里愛には確かに伝わる。想像の空間の中で二人は愛を成就させるのだが、「名」をなくした行いは重く、厳然たる現実が突きつけられて劇は終わりを告げる。平安絵巻の形を借りて、冷戦終結後30年の名もない時代、アノニマスとなりすましの時代である今が問われるのである。「名」を捨てて安易に暴力へと走って良いのか? 「誰か」になることで、己をむなしくしてはいないか?

 

日本における理知派俳優の代表格である松たか子と上川隆也の共演。1997年の元日にTBS系列で放送された正月ドラマ「竜馬がゆく」で坂本竜馬と千葉さなとして共演していた二人だが、舞台での共演を見るのは初めてである。理知派の二人であるが、野田秀樹の舞台ということもあって、頭で作り上げた演技よりもこれまで培ってきた俳優としての身体技術の高さの方が目に付く。上川隆也は、大河ドラマなど数々の時代劇への出演で身につけたキレのある動きと存在感、松たか子は40歳を超えてなお光る可憐さで魅了する。

広瀬すずは熱演だが、感情が先走りしすぎてセリフが追いつかない場面が散見される。ただ、まだ若いのだし、初舞台ということでこんなものなのかも知れない。志尊淳は見た目や立ち振る舞いは良いが、存在感においては先に挙げた三人には及ばないように思われた。キャリアの差かも知れない。

野田秀樹の舞台へは初出演となる竹中直人。いつもながらの竹中直人で安心する。竹中直人と松たか子という大河ドラマ「秀吉」(1996年)のコンビのやり取りが見られたのも嬉しい。竹中直人が主役である豊臣秀吉、当時まだ十代であった松たか子が淀殿を演じていた。

羽野晶紀と伊勢佳世は、共に男に媚びを売るぶりっこの演技も見せるのだが、関西でそうした演技をすると二人とも島田珠代に見えてしまう。キャラを確立している島田珠代が凄いということなのかも知れないが。

言葉遊びを多用する野田秀樹の手法はいつもながら冴えているが、シベリア抑留の生活を言葉だけで語る(「言葉、言葉、言葉」)となるとどうしても弱くなり、切実さが感じられない憾みもあった。クイーンの音楽の使い方も十分とは思えず、インスパイアされるのは良いが、劇中で「オペラ座の夜」に収録された音楽が流れると面映ゆく感じられもした。

途中20分の休憩を挟んで上演時間約3時間という、野田秀樹としては大作であり、平氏の一党がハカを踊るシーンがあったりと、詰め込みすぎの印象も拭えないが、野田秀樹の問いの鋭さと深いメッセージにはやはり感心させられる。

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2019年10月27日 (日)

観劇感想精選(323) 「中村勘九郎 中村七之助 錦秋特別公演2019」京都公演

2019年10月19日 左京区岡崎のロームシアター京都メインホールにて観劇

午後3時から、ロームシアター京都メインホールで、「中村勘九郎 中村七之助 錦秋特別公演2019」京都公演を観る。中村勘九郎と七之助の兄弟が15年間に渡って続けている特別公演である。基本的に歌舞伎専用劇場は用いず、日本各地の公共のホールを使った上演が行われている。

演目は、勘九郎と七之助による芸談の後で、「艶紅曙接拙 紅翫(いろもみじつぎきのつつか べにかん)」、「三ツ面子守(みつめんこもり)」、「松廼羽衣(まつのはごろも)」の3つの歌舞伎舞踊が繰り広げられる。

まず勘九郎と七之助による芸談がある。司会は関西テレビアナウンサーの谷元星奈。
勘九郎と七之助がそれぞれ挨拶するのだが、明らかに七之助に対しての拍手の方が大きい。勘九郎もキレのあるいい歌舞伎俳優であるが、華は不足がち。また若い女性にはどうしても女形の方が人気がある。
京都についての思い出から話し始める。二人が子どもの頃、父親である中村勘三郎はずっと南座での顔見世に出続けており、二人も冬休みの間は京都に来て父親と一緒に過ごしていたそうで、京都巡業といっても旅という感じはしないそうだ。一方、勘九郎と七之助が歌舞伎俳優として活躍し始めてからは、不思議なこと勘三郎が京都で公演を行うことは稀になってしまったそうで、2年前に勘九郎と七之助はロームシアター京都メインホールで行われた顔見世に登場しているが、家族の招きが上がるのは20数年ぶりだったそうである。

勘九郎が大河ドラマ「いだてん」で、主役の一人である金栗四三を演じたということで、その苦労話などが語られる。昨年4月からの撮影であったのだが、準備期間も含めて「ずっと走っていたような記憶がある」そうで、舞台では誤魔化せても映像では無理ということで、体作りのことなどを話す。歌舞伎で軽やかな演技を見せている印象のある勘九郎だが、実は「運動は大嫌い」「動くことがそもそも嫌いであり」、運動が得意そうと見られることも多いが、それは勘違いだという。歌舞伎をやっていると下半身が重要になるため腿が太くなるそうで、勘九郎の腿は周囲が62cmもあり、これはスピードスケートの金メダリストである清水宏保と同じ数値だそうである。ただ、マラソン選手でそんなに腿の太い選手はいないということで、腿の余計な肉を落とすことから始めたそうだ。運動の他に糖質カットダイエットなども行ったそうだが、糖質をカットすると怒りっぽくなるので困ったそうである。頭の働きにブドウ糖が必要ということは知られているが関係があるのだと思われる。食事は鶏のササミが中心。飲み物も水だけに限られるそうで、「地獄ですね」と勘九郎は語っていた。昨年の錦秋特別公演時も撮影期間に入っており、地方公演はその土地土地の地方グルメが楽しみなのだが、勘九郎は体作りのためにその土地のものは何も食べることが出来ず、持ち込んだ鶏のササミをずっと食べていたそうである。撮影時のロケ弁も美味しいのだが、やはり食べることが出来なかったそうだ。金栗が引退してからは体を引き締めなくても良くなり、食事制限が解除されてから初めて食べたのはカレーだそうである。三日三晩カレーが続いても大丈夫なほど好きであり、まず家庭の味のカレーを求めたそうだ(奥さんの前田愛が作ったのかな?)。そしてあれほど苦労して体を絞ったのに、「一瞬で元の体に戻った」そうで、「皆さん、ダイエットなんてしないほうがいいですよ」と語っていた。現在上映中の映画「JOKER」に主演しているホアキン・フェニックスも役作りのため体を絞ったが、「戻る時は一瞬だった」と同じ事を語っていたと紹介もする。

七之助も「いだてん」に出演し、最初は当時の落語家役など一瞬登場するだけのカメオ出演だと思っていたのだが、落語家・三遊亭圓生という重要な役どころだったため、残っている圓生の映像は全て見て研究したそうだ。
また現在、BSプレミアムで放送中の「令和元年版 怪談牡丹灯籠」にも出演しており、この作品は京都の太秦で撮影が行われたそうである。実は七之助はこれまで映像の仕事はほとんど断っており、1年に2度映像作品に参加するというのはとても珍しいことだそうである。「いだてん」に出ることに決めたのは、兄が出るということと、脚本が映画「真夜中の弥次さん喜多さん」でお世話になった宮藤官九郎ということも大きかったようだ。
同じNHKのドラマでも撮影の仕方に違いがあり、「令和元年版 怪談牡丹灯籠」は1台か2台のカメラで撮影が行われるのだが、「いだてん」の現場にはカメラが5台ほどずらりと並んでいて、全て長回しでの撮影が平均で7回ほど繰り返されていたそうである。以前、「龍馬伝」の大友啓史監督が長回しで撮るという話を横浜で行われた「全国龍馬ファンの集い」でしていたが、今回もそれに近い手法が採られていたようである。
長回しは長回しで大変だが、「令和元年版 怪談牡丹灯籠」はすぐカットのかかる細切れで撮っているため、「じゃあ、次、泣いて下さい」といわれたらすぐに泣かなければいけないそうで、感情の上げ方が難しいそうである。しかもその前の長めのセリフを撮り終えてカットが掛かってから、短いセリフの導入部ですぐに泣かなければならないため、なかなか上手くいかなかったそうだ。

二十代の頃は勘九郎が女形、七之助が立役という時代もあり、七之助は先月、南座での「東海道四谷怪談」でお岩さんを演じていたが、本当にやりたかったのは民谷伊右衛門の方だそうで、子どもの頃から演じてみたい人物のナンバーワンが伊右衛門だったそうだ。七之助の解釈では「伊右衛門は実はいい人」だそうで、お岩さんと実はとても愛していて、お岩さんの顔が薬で変わっていなかったらお梅を捨ててお岩とよりを戻した可能性もあると思っているそうである。お岩さんに対する態度も好きな人に踏ん切りをつけるためのいじめだと捉えているそうだ。

その後、二人で今日の演目の紹介を行い、客席からの質問を受ける。七之助への「女形をやる時には、女性の仕草を研究したりはするんですか?」という質問には、「女を演じているのではなく女形という生き物を演じている」ということで、「内面は女であることを目指しているが、仕草などは女形の先輩が残してきた型を参考に取り入れている」ということで本物の女性の仕草を参考にすることはないそうだ。女形として魅力的に見える仕草は女性のそれとは当然異なっており「所詮男なので」女であることでなく女形であることを目指しているそうだ。「普通の女の人がこんな髪の掻き上げ方したら嫌でしょ?」と型を見せて笑いも取っていた。

静岡公演では、昼公演と夜公演の間に羽衣伝説のある三保の松原を見に行き、その日の夜の公演の芸談で司会を務めた静岡のテレビ局のアナウンサーが、「羽衣が残っているんです」という話をしたため、「松廼羽衣」では特別に羽衣を切るという演出を加えたそうなのだが、三重公演の芸談でそれを明かしたために三重公演でも同じ演出を行うことになったそうで、「今日もそうなんですか?」という質問がある。勘九郎は「わかってます? それは脅迫です。質問じゃなくて」と返す。ただ七之助が「でもやるんでしょ?」と言ったため、今回も「松廼羽衣」は特別演出で行われることになった。

 

「艶紅曙接拙 紅翫」。出演は、中村いてう、中村仲助、中村仲之助、中村仲侍、中村仲弥、中村仲四郎、澤村國久。
富士山の山開きの日に、虫売り、朝顔売り、団子売りなどが集うのだが、芸達者の紅翫(中村いてう)が現れて、歌舞伎の様々な演目の真似を披露して一同を楽しませるという趣向である。主人公のモデルは紅谷勘兵衛という実在の人物だそうで、浅草で芸を披露して人気を博していたそうである。

 

「三ツ面子守」は、9月の南座「東海道四谷怪談」ではお梅を演じていた中村鶴松が一人で舞う。子守がひょっとこやおかめ、えびすなど次々と面を変え、衣装も替えて踊り続けるユーモラスな作品である。鶴松の舞踊は、手の動きがピシッと決まり、愛らしさもある巧みなものであった。

 

「松廼羽衣」。勘九郎と七之助の共演である。勘九郎演じる漁夫の伯竜は凜々しいが、七之助の演じる天女が現れるとやや姿がかすんでしまう。女形と立役の違いもあるが、七之助の方が華はあるようだ。
ともあれ、二人とも稀代の名優であった中村勘三郎の息子であり、譲り受けた芸の巧みさには十分に光るものがあった。

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2019年10月26日 (土)

観劇感想精選(322) 宮沢りえ×堤真一×段田安則 シス・カンパニー公演「死と乙女」

2019年10月18日 大阪・西梅田のサンケイホールブリーゼにて観劇

午後7時から、西梅田のサンケイホールブリーゼでシス・カンパニー公演「死と乙女」を観る。宮沢りえ、堤真一、段田安則による三人芝居。作:アリエル・ドーフマン、テキスト日本語訳:浦辺千鶴、演出:小川絵梨子。上演時間約1時間35分、途中休憩なしである。

アリエル・ドーフマンは、1942年生まれの小説家、劇作家、詩人、ジャーナリスト、人権問題活動家。アルゼンチンに生まれ、3歳の時に一家で渡米。1954年にはチリに移り、70年に社会主義国家を目指したアジェンデ政権発足時に文化補佐官を務める。73年にチリで軍事クーデターが起こるとオランダに亡命。その後、アメリカに移り、90年にチリのピノチェト政権が終焉を迎えてからはアメリカとチリを往復する生活を送っている。


アリエル・ドーフマンが青年時代を過ごしたチリと思われる国が舞台であるが、ドーフマンは国の名を特定していない。この国では17年間に渡って軍事独裁政権が続いていたが、それが引っくり返った。かつて反独裁政権運動組織に所属していた弁護士のジェラルド・エスコバル(堤真一)は、大統領から直々に人権調査委員会への中心メンバーとしての加入を打診される。軍事独裁政権が続いていた間、数え切れないほどの無辜の人々が政治犯の疑いによって姿を消していた。ジェラルドはそうした人々の関係者に話を聞いて回り、大量虐殺の真相を突き止めようという役割に就こうとしていたのだ。
大統領と面会した夜、ジェラルドは帰り道に車のトラブルに見舞われる。パンクをしてしまい、トランクに入れていた代わりのタイヤも使い物にならない。そもそもジャッキがなくなってしまっていた。たまたま通りかかった医師のロベルト・ミランゲ(段田安則)の車に乗ってジェラルドは帰ってくるのだが、ロベルトの声を聞いたジェラルドの妻のポーリーナ(宮沢りえ)は、15年前に自分を監禁し、何度も強姦するよう仕向けた医師こそがロベルトなのだと確信する。監禁されていた間、ポーリーナはずっと目隠しをされていたのだが、見えないことで聴覚が研ぎ澄まされ、医師の声をずっと覚えていたのだという。ポーリーナもロベルト同様、反独裁政権運動組織に入っていたのだが、1975年のある日突然誘拐され、拷問を受けたのだった。ポーリーナは当時医学部に通う学生だったのだが、卒業は出来ず、当然ながら医師資格も得られていない。今はジェラルドの妻として暮らしているが、精神的に不安定であり、ずっと神経質な仕草を繰り返している。

ロベルトが再びジェラルドの家を訪れた日。深夜ということで、ロベルトはジェラルドの家に泊まることになったのだが、夜中、眠っていたロベルトをポーリーナが襲う。ポーリーナはロベルトを椅子に縛り付け、拳銃で脅して、かつて自分を監禁した秘密警察に協力し、指示を出していた医師はロベルトだろうと詰め寄る。ロベルトは何のことかわからないと否定するのだが……。

15年前、ポーリーナが監禁されていた時に、秘密警察の医師はシューベルトの音楽をよく流していた。ポーリーナはシューベルトが好きだったが、その時のトラウマで今はシューベルトの音楽を聴くことが出来ない。ポーリーナはロベルトを襲撃した後で彼の車を移動させて見えないところに隠したのだが、その際、車の中にシューベルトの弦楽四重奏曲「死と乙女」のテープがあったのを発見し、ラジカセにテープを入れて流す。死を恐れる瀕死の乙女に死神が優しく語りかけるという内容の「死と乙女」になぞらえた心理的攻防が展開されていく。

ポーリーナはロベルトを私的裁判に掛けようとするのだが、「これでは俺たちが否定し続けて来たことと同じだ」とジェラルドは強く反対する。ジェラルドは責任ある立場に就くことが決まった今、妻の行いが表沙汰になることで積み上げてきたことが全て崩壊してしまい、元の暗黒へと戻ってしまうことも恐れている。

独裁政権が終わり、民主主義の時代がやって来た。だが、その中でポーリーナは復讐として独裁者と同じような行動に出てしまう。独裁を否定し、危険を冒して反対運動に身を投じて来たはずが、独裁者を同じような振る舞いをするようになってしまうのである。ポーリーナの復讐と秘密警察の行いとの間に差があるかといえば、ほとんどない。かつての被害者は加害者となって同じ事を繰り返してしまう。鏡の反転の中で行われる芝居である。

ロベルトが本当に秘密警察に協力してポーリーナを蹂躙した医師だったのかどうか、はっきりとは明かされない。ジェラルドの提案で、ポーリーナもロベルトも証言をテープに録音し、書き起こすことになるのだが、ロベルトはポーリーナの証言を先に聞いてから証言を行っており、またジェラルドから事の成り行きを教えて貰ったそうで、処刑を免れるために流れに沿って証言したという。だが、ポーリーナは自身の証言の中に嘘を交えており、ロベルトがポーリーナが語った偽の固有名詞などを無意識のうちに正確なものに変えてしまっていると指摘する。ただこれも本当のことなのかわからない。
ロベルトは、秘密警察に協力していた医師同様、ニーチェの言葉を引用する。またシューベルトの音楽を好む。ただ、それだけである。それだけではなんともいえない。ポーリーナがロベルトがその医師だと判断した根拠は声だが、顔を見ていない以上、確固たる根拠と見なすことは出来ない。
被害者意識が暴走しているだけのようにも見える。それはある意味、痛みの告白であると同時に新たなる社会への警告でもある。


ラストはそれまでの話の流れとは切り離されたものだ。教会で行われるコンサート。演目はシューベルトの弦楽四重奏曲第14番「死と乙女」。ジェラルドとポーリーナの夫妻が並んで腰掛け、ロベルトはやや離れた後ろ側の席で聴く。途中、ポーリーナが振り向き、ロベルトと視線を交わす。ポーリーナは笑みを浮かべ、ロベルトは浮かぬ顔のままだ。ただ、基本的には全員が同じ方向を向いている。
この場が何を意味するのか明確に示されてはいない。ポーリーナがシューベルトの音楽を聴けるようになったことはわかるが、それまでにどのようか過程があったのか、何をどう乗り越えてここに至ったのか、死があったのか和解がなされたのか、あるいはこの場面全てが幻想なのか。ただ例え幻想であったとしても、それはリアルで切実なものである。


「死と乙女」が映画化された際、監督を務めたロマン・ポランスキーは、「『羅生門』のビデオをもう一度観たいのだが、手に入るだろか?」とアリエル・ドーフマンの妻に打診したことがあるそうだが、確かに「死と乙女」は映画「羅生門」と原作である芥川龍之介の「藪の中」に似た構図と内容である。証言が食い違う場面などは酷似している。

個人的には、マルグリット・デュラスの「ヴィオルヌの犯罪」を思い出した。この作品も録音された声による証言を巡る話である。戯曲をデュラス自身がリライトしたものが文庫から出ており(今は絶版かな?)、戯曲も大きめの図書館に行けば読むことが出来るが、上演自体は私が確認した限りでは日本ではほとんど行われていない。デュラスは「ユダヤ人の家」もそうだが、こうしたテイストの戯曲は多い。

宮沢りえの演技が本当に素晴らしい。心に傷を負いながら、時にサディスティックに、時にセンシティブになるポーリーナを声色を変えつつ抜群の説得力を持って演じている。映画「人間失格 太宰治と3人の女たち」での演技も見事だったが、宮沢りえもいよいよ本物である。挫折とスキャンダルも多かった俳優人生であるが、頂点に立つ一人へと駆け上がりそうだ。

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2019年10月19日 (土)

観劇感想精選(321) 南座新開場記念 藤山直美主演 「喜劇 道頓堀ものがたり」

2019年10月13日 京都四條南座にて観劇

午後4時から、京都四條南座で「喜劇 道頓堀ものがたり」を観る。三田純市の小説『道頓堀』を原作とする作品。脚本:宮永雄平、演出:浅香哲哉。主演:藤山直美。出演:喜多村緑郎、河合雪之丞、松村雄基、鈴木杏樹、石倉三郎、春本由香、辻本祐樹、三林京子、大津峯子、林与一ほか。セリフらしいセリフを貰えていない役ではあるが、吉本新喜劇の「横顔新幹線」こと伊賀健二や京都の小演劇界で活躍している岡嶋秀昭なども出演している。

道頓堀に大阪松竹座を持っている松竹であるが、今回は南座新開場記念として敢えて京都で上演される。藤山直美は藤山寛美の娘ということで大阪のイメージが強いが、実は京都女子高校出身であり、京都に縁のある人である。

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「喜劇 道頓堀ものがたり」は平成12年11月に大阪松竹座で初演された作品で、道頓堀五座と呼ばれた5つの劇場(中座、浪花座、朝日座、角座、弁天座)が建ち並び、日本屈指の演劇街であった時代の道頓堀を描いている。道頓堀五座のうち、現在も稼働している劇場は実は一つもない。最も権威のあった中座もすでに解体され、跡地には中座くいだおれビル(現在は、くいだおれ太郎はここにいる)が建ち、地下に演劇も上演できる2つのライブハウスを持っているが、昔ながらの芝居が上演されることはまずない。角座は戦災で焼失した後に映画館になったり演芸場として生まれ変わったりしていたが、今は場所も移転し、道頓堀の劇場ではなくなっている。

松竹の芝居ということで、創設者の一人である白井松次郎が登場。松村雄基を配して(実は初演時の白井松次郎を演じていたのも松村だという)やたらと男前に描かれている。

 

歌舞伎から喜劇に転じることになる尾野川菊之助(喜多村緑郎)を妻として支えることになるお徳(藤山直美)が主人公。お徳は父に先立たれたため奈良から大阪に出てきたのだが、道頓堀で芝居に目がくらんでしまって通い詰めているうちに金がなくなり、芝右衛門狸のようにアオタ(芝居のただ見)を行って劇場から叩き出される。その場にいた芝居茶屋・菊濱の女将である菊乃(三林京子)に「そんなに芝居が好きなら」ということで、お茶子として引き取られることになったお徳は、実は最も好きな役者である菊之助が生まれ育ったのがここ菊濱と知り、菊之助に出会うと卒倒するほどに喜ぶ。
その菊之助であるが、華があり人気もあって将来の尾野川一座の看板となる資質十分なのだが、先代の型に従わず、独自の演技をしてしまうため、周囲からの評判が悪い。そこで師匠である尾野川延十郎(林与一)によって弟分である女形の尾野川あやめ(女形の場合は弟分でいいのだろうか? 演じるのは河合雪之丞)と共に喜劇劇団に移籍させられることになる。当初は見捨てられたと感じ、一日も早く歌舞伎に復帰することを願う菊之助だったが……。

 

人情芝居であり、難しい部分も特にない。実話も絡めた庶民向けの話であり、大阪や道頓堀に通い慣れている人にはとても面白く感じられるだろう。喜多村緑郎、河合雪之丞、林与一といった歌舞伎畑出身の俳優による「恋飛脚大和往来」より“封印切の場”や「瞼の母」の稽古シーンなどが劇中劇として入っているのも芝居好きには一粒で二度美味しいといったところだ。

基本的に藤山直美のキャラで持たせている芝居であるが、他の役者も好演。尾上松助の娘で尾上松也の妹である春本由香は生まれつきなのか環境の方が大きいのかは分からないが華があり、演技のセンスも高い。実は関西出身である鈴木杏樹は慣れた感じの大阪弁による台詞回しが魅力的であった。

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2019年10月 9日 (水)

2346月日(16) 水谷彰良講演会「サリエーリ モーツァルトに消された宮廷楽長」

2019年9月23日 関西大学梅田キャンパスKANDAI Me RISE8階Me RISEホールにて

午後2時から、関西大学梅田キャンパス8階Me RISEホールで、水谷彰良(みずたに・あきら)講演会「サリエーリ モーツァルトに消された宮廷楽長」を聴く。

関西大学梅田キャンパス KANDAI Me RISEは3年前に出来たばかりのまだ新しいキャンパスである。大阪でも大学の都心志向が顕著であり、宝塚大学梅田キャンパス(看護学部)や大阪工業大学梅田キャンパス(ロボディクス&デザイン工学部)など、新設学部のためのキャンパスを設けるところもあるが、関西大学の梅田キャンパスは他の多くの大学同様、学部の教育ではなく、社会人向け講座(エクステンション)や就職活動の利便性のための出張所的なもの(サテライトキャンパス)であり、8階建てのビルであるが大工大や宝塚大のような大規模ビルキャンパスではない。1階にはスターバックスと書店が入っており、学生達でほぼ満員であった。

 

今年に入ってから大阪では、サリエリルネッサンスともいえる企画が続いているが、今回は春先にあったサリエリムジカとの関連講演である。水谷彰良は『サリエーリ 生涯と作品』の著者であり、オペラを中心とした音楽の研究家で、日本ロッシーニ協会の会長でもある。サリエリムジカの主催で、今回の講演では協力という形で携わっているナクソス・ジャパンの公式サイトに「聴くサリエーリ」を連載中である。
今回は大阪よみうり文化センターの主催、読売新聞大阪本社の後援となっている。

最近、サリエーリがスマホゲームの登場人物として話題になっているそうで、若い人にとってはサリエーリというとゲームのイメージが強いようだ。お年の方、55歳以上となると映画「アマデウス」のサリエリを思い浮かべることが多いのだが、私はそこまでは年ではない。55歳以上というのはロードショーで「アマデウス」を見た層で、私の場合は高校2年生の時にテレビ放送された「アマデウス」を観ている。その後、1994年3月5日の明治大学の受験日に、受験を終えて三省堂の神田神保町本店でピーター・シェーファーの戯曲『アマデウス』を買ったのだが、これが東京で買った最初の本であった。翌1995年には池袋のサンシャイン劇場で、九代目松本幸四郎のサリエリ、七代目市川染五郎のモーツァルト、中島梓のコンスタンツェで「アマデウス」を観ている。映画版と演劇版とでは異なっている部分が結構多い。実は大阪でも2011年に幸四郎のサリエリ、武田真治のモーツァルトで「アマデウス」を観る予定があったのだが、これは叶わなかった。

 

さてフィクションのサリエーリではなく、実在のサリエーリについて語ると、1750年8月18日、北イタリアのレニャーゴという街で商人の子として生まれている。家は裕福で、10歳の時にレニャーゴ大聖堂のオルガニストであったジュゼッペ・シモーニに就いて音楽を学び始めている。13歳で母と14歳で父と死別するという悲運に遭ったものの、音楽の才があったためか程なくしてヴェネツィアの貴族に引き取られ、ウィーンの宮廷作曲家であったガスマンに見出されてウィーンに渡り、当時の皇帝ヨーゼフ2世に気に入られたということもあり、当時の大作曲家であるグルックに師事することを許されたほか、帝室歌劇場のマエストロ・アル・チェンバロ助手として出入りするようになり、実地でオーケストレーションを学んでいく。当時のイタリアやオーストリアには音楽的才能のある少年はゴロゴロいたそうで、その中でガスマンらに特別に見出されたということで、サリエーリは神童クラスであったのだろうと推測されるそうだ。
19歳でオペラ作曲家デビュー。処女作は「女文士たち」というオペラだったが、この作品は残念ながら散逸してしまっているそうである。同年にグルックがオペラ「オルフェーオとエウリディーチェ」の改訂版初演が行われるのだが、サリエーリはこの作品に影響を受けていることが、1771年初演のオペラ「アルミーダ」で確認出来るそうだ。「アルミーダ」の序曲がCDで流され、グルックの「オルフェーオとエウリディーチェ」の映像がスクリーンに投映されるのだが、黄泉での出来事を描いた「オルフェーオとエウリディーチェ」の音楽が、サリエーリの「アルミーダ」序曲の、怪物の咆哮の描写に生かされている。当時はこうした激しい「疾風怒濤(シュトゥルム・ウント・ドラング)」形式の音楽は最先端を行くものであった。
グルックからは相当可愛がられたようで、グルックに委嘱された作品を譲られる形で書いたりもしているそうである。

歌劇「アルミーダ」でサリエーリは、独自の手法を発揮している。この作品はサリエーリの自筆譜が残されているのだが、スコアにト書きが施されているそうで、こうしたことはこれまで行われていなかったそうである。

さて、サリエーリの直接の師であるガスマンは、オペラ・ブッファ(喜劇的歌劇)の名手であったため、サリエーリも、オペラ・セリア(シリアスなオペラ)よりもオペラ・ブッファを多く手掛け、得意とするようになっていく。
ガスマンは、歌手に任せる部分であるカデンツァも自身で書き込むという習慣があったのだが、サリエーリもこれに倣うようになり、歌劇「奪われた手桶」では、歌の旋律だけでなく楽器の伴奏など全てが書かれているという「十八世紀に書かれた最も奇妙なカデンツァ」と呼ばれる手法を行っている。本来、音楽家の即興性を発揮するはずの部分も作曲家が全て書いてしまっているわけで、演奏家と作曲家の分離がいち早く行われているかのようである。この時期のイタリアオペラの特徴として、ソプラノにコルラトゥーラなど超高音の技法を要求していることが挙げられる。モーツァルトの夜の女王のコルラトゥーラが有名だが、これはモーツァルトがイタリアオペラを真似たということのようだ。サリエーリもコロラトゥーラによるアリアを書いている。
だが、サリエーリがグルックの後継者としてフランスで仕事をする機会が増えるとこれに変化が生じる。フランスでは歌よりも芝居が好まれたため、ストーリーが重視され、歌手のこれ見よがしな技巧は好まれなかったようである。またバレエが盛んだったため、オペラの中に必ずバレエのシーンがあった。ということで、サリエーリの作風も落ち着いたものへと変化していく。

23歳の時にガスマンが亡くなると、サリエーリは後任としてウィーン宮廷室内作曲家兼イタリア・オペラ指揮者に任命される。モーツァルトがウィーン宮廷での就職に失敗したのはその前年で、モーツァルトは父に宛てたサリエーリを憎む手紙を残しているが、サリエーリの方はモーツァルトについてはこの時ほとんど知らなかったようで、人事面でも関与していなかったらしい。その後、ウィーン宮廷楽長に就任。名実ともにヨーロッパ楽壇のトップに立った。

モーツァルトがウィーンに移住したのは、1781年のこと。ただその直後、モーツァルトにとっては悲運なことにヨーゼフ2世が劇場の改革を行う。これによってオペラ・セリアはつまらないとして否定され、オペラ・ブッファのみがオペラとされる時代となったのである。モーツァルトもオペラ・ブッファは書くが、オーストリア人ということもあって本当はオペラ・セリアの方が得意である。折角、大司教の下を離れてウィーンに来たのに、ここでも得意なジャンルの作品を発表出来なくなるのだ。

モーツァルトが「フィガロの結婚」などで思想面での革新性を示したことは知られているが、サリエーリもボーマルシェの本によるオペラ「タラール」で身分社会の否定を取り上げている。こう考えると、モーツァルトだけが時代から突出してたということはなく、なかなか上には行けない状態だったことがわかる。更にモーツァルトにとっての不運は続き、今も人気作として有名な「コジ・ファン・トゥッテ」がヨーゼフ2世の死去によって初演からわずか5回の上演で打ち切られる。新皇帝のレオポルト2世はそもそも音楽に興味のない人で、音楽家は全て冷遇されるようになった。

サリエーリは、モーツァルト最晩年のジングシュピール(オペラ)「魔笛」を絶賛していたことがわかっている。モーツァルト自身の手紙にこのことは記されており、最大級の賛辞を得たことを妻のコンスタンツェに伝えている。その7週間後にモーツァルトは他界するのだが、サリエーリはシュテファン大聖堂で行われたモーツァルトの葬儀に参列している。

ということで、モーツァルトの冷遇と死に関してはサリエーリは全く関与していない。

サリエーリは、モーツァルトの死後も積極的に作曲活動を行い、オペラ10作を作曲。ハイドンの「天地創造」初演に協力したり、イタリア語版上演では指揮を行っていたりと自身以外の作曲家の活動にも参加している。ちなみにモーツァルト作品の初演のいくつかでもサリエーリは初演の指揮を手掛けており、交響曲第40番の公式初演はサリエーリが指揮したことが確実とされている。
現在のウィーン国立音楽大学の前身となる教育機関を作ったのもサリエーリであり、音楽の弟子にベートーヴェンやシューベルトがいる。ベートーヴェンは「サリエリがモーツァルトを毒殺したと告白した」と日記に記しているが、この時にはサリエーリはウィーン総合病院に入院しており、意識がはっきりしていたのかどうかも定かではない。

栄光に包まれた生涯を送ったサリエーリだが、晩年にイタリア人作曲家の後輩に当たるロッシーニの台頭で状況に変化があったようである。「全盛期のビートルズよりも人気があった」といわれたウィーンでのロッシーニブームにより、ドイツ語圏の作曲家は不遇をかこつことになる。なにしろ歌劇場で上演されるのはロッシーニ作品ばかりなのだ。ベートーヴェンすら不満を漏らしているほどである。そして起こったロッシーニ憎しの空気がイタリア人作曲家に向かい、イタリア出身の宮廷楽長であったサリエーリにも怨嗟の声が上がるようになっていった。これがモーツアルト暗殺説に繋がっていったようである。

「アマデウス」によって悪名が高くなったサリエーリであるが、知名度が上がったことも確かであり、その後、録音される作品も増えている。ただ、サリエーリの本領が発揮されたオペラに関してはまだ録音される機会が少ないというのが現状である。

 

思えば、サリエーリは、音楽史の変換点を生きた人物であった。サリエーリが若い頃は、ウィーンでは「音楽はイタリア人がやるもの」という認識があり、イタリア人が宮廷作曲家や宮廷楽長になることに抵抗はほとんどなかったと思われる。オペラはイタリアのものであり、イタリア語のオペラが上演されるのが当たり前だった。そしてサリエーリが生まれ育った北イタリアは当時はハプスブルク家が治めており、親近感も持たれていた。
勿論、バッハやヘンデルなど、それまでにも優れたドイツ人作曲家はいたが、バッハは内容が高度であるため、この時期はプロのための音楽という認識で民衆の間では忘れられた存在になっており、ヘンデルはロンドンに移住してイギリスの作曲家となっていた。ハイドンはサリエーリの同時代人だが、長年に渡ってハンガリーのエステルハージ候に仕えており、ウィーンの作曲家というイメージではない。それがモーツァルト、ベートーヴェン、シューベルトと、ドイツ語圏出身の作曲家が立て続けに現れたことで、音楽におけるナショナリズムの高揚が起こる。これはモーツァルト自身も唱えていることである。ドイツ語によるオペラが立て続けに生まれ、更にはオペラではなくドイツ生まれのアウフヘーベンの理論を取り入れた交響曲やピアノ・ソナタが音楽の主役になる。そんな時代のウィーンの楽壇のトップに君臨していたことが、あるいはサリエーリにとっては不幸なことだったのかも知れない。

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