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2026年6月14日 (日)

観劇感想精選(520) 市川染五郎主演「ハムレット」

2026年6月10日 JR大阪駅西口のSkyシアターMBSにて観劇

午後5時から、JR大阪駅西口のSkyシアターMBSで、(八代目)市川染五郎タイトルロールの「ハムレット」を観る。ぴあ貸切公演。折しも、今日6月10日は叔母である松たか子の誕生日である。49歳、来年はいよいよ大台だ。

「ハムレット」は大作であるが、シェイクスピア作品の中でも飛び抜けて有名なためか、公演も接する機会も多い。「ロミオとジュリエット」も有名だが、ロミオがあれなためか、公演はかなり少ない。

作:ウィリアム・シェイクスピア、テキスト日本語訳:松岡和子、演出:デヴィッド・ルヴォー。音楽:江草啓太。映像:松澤延拓。
出演は、市川染五郎の他に、當真あみ(とうま・あみ。オフィーリア)、石川凌雅(りょうが。レアティーズ)、横山賀三(かざん。ホレイショー)、梶原善(かじはら・ぜん。ポローニアス)、柚香光(ゆずか・れい。ガートルード)、石黒賢(クローディアス)ほか。
深い思念と耽美主義的傾向を特徴とするデヴィッド・ルヴォー。外国出身だが日本で活躍する演出家だ。

市川染五郎の父親である七代目市川染五郎(現・十代目松本幸四郎)は、日本におけるハムレット最年少主演記録を持っていたりする。親や親族に有名人が数多く、この家系は学業に秀でている人が多い(ただ仕事と学業の両立が大変なので大学を中退した人も多い)が、市川染五郎も初等部から青山学院に入ったものの、家系としては珍しく勉強嫌いを公言しており、青山学院高等部を中退している。市川團子君が青学の同学年で、「一緒に大学に行けるものだと思っていたのに」と、染五郎の中退について残念な思いを語っていた。ただ歌舞伎界で大きいのは学歴では全くなく、後ろ盾となる親族の存在である。高麗屋は父親も祖父も健在(大叔父は亡くなったが)。叔母もいざとなれば後ろ盾になってくれそうである。

オフィーリアを演じる當真あみは、今後が期待される女優。沖縄県出身。私は、日曜ドラマ「さよならマエストロ」(西島秀俊主演)の音楽に打ち込もうとする少女役で知ったが(変わった苗字なのですぐに覚えられた)、他にも多くの作品に出演している。今回が初舞台。市川染五郎も歌舞伎以外の舞台作品に出るのは初めてで、歌舞伎以外の演目で主役を張るのも初めてである。
大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で、アサシンの善児を演じて話題になった梶原善。見るのは、昨年の東京サンシャインボーイズ復活公演以来となるが、小劇場演劇的な癖はどうしても出てしまう。今回は演技スタイルを統一しようとはせず、染五郎は歌舞伎的な発声をすることもあるし、柚香光は完全に宝塚の演技スタイルである。

ハムレットを演じる市川染五郎は21歳、オフィーリアを演じる當真あみは19歳。共にストレートプレー初舞台と、フレッシュなハムレットである。

開場時のみ客席内撮影可だが、スクリーンに灰色の波がうねっているだけの映像で、記念に撮るだけで公開はしないと思う。

先王ハムレットは登場せず、スクリーンに映った抽象的な人型と声のみで表される。声は誰だったのだろう? 染五郎の祖父である二代目松本白鸚に似ている気もしたが、体調が戻らないという情報も得ているので違うだろう。声の専門家=声優かも知れない。

舞台の上手端と下手端の2階がバンドスペースとなっており、打楽器を主体とした演奏が行われた。また柚香光は登場時に上手に置かれたグランドピアノを弾く。実際に弾いているのかは分からないが、技巧的には平易な曲である。また當真あみが鍵盤の上に立って足でピアノを弾く場面もあるが、おそらくデヴィッド・ルヴォーは「柔道一直線」は見たことがないのだろう。

SkyシアターMBSは音の通りが良いが、染五郎のセリフも明瞭で、聴き取りやすかった。ただ、「ハムレット」はセリフが長めの人が多いので、セリフだけが肥大化してしまうという罠がある。今日も危うい人がいた。

當真あみは、とても澄んだ声で、普通のセリフでもあたかも韻を踏んでいるように発声したり、実際はそんなことはないのだが七五調や五七調に聞こえたりと、独自の表現力を持つ。映像はそれほど観ていないが、舞台女優としてはかなりの逸材である。こうしたイノセントなオフィーリアが手に入らないのなら、ガートルードのようになるのを避けるために、「尼寺へ行け!」となるのは説得力がある。
なお、今回はオフィーリアは埋葬されても霊は墓を抜け出し、彷徨うことを選んだようである。事故死なので墓に眠ることは出来ないのかも知れない。ちなみにオフィーリアの死はギリシャ悲劇以来の伝統で見えない場所で起こり、全てはガートルードが語る。ガートルードもその場にいたわけではなく伝聞によると思われるが、嘘をついた可能性は否定出来ない。確かめようがないのである。凄惨なことは舞台裏で起こるのが慣例であるが、剣での闘いは舞台上で行われ、密かに毒が用いられたということもあり、死者も出る。主要キャストでオフィーリアの死だけが伝統に則っていることに注目する演劇学者もいるかも知れない。

余談だが、Q1といわれる稿では、クローディアスとレアティーズ謀議の場がなく、飲み物に毒が入っているという情報は観客には与えられない。そのため、なぜ飲み物の杯を取ったガートルードを見てクローディアスがうろたえるのか、観客は全く分からない。今回は最も使われている稿での上演であったが、クローディアスを演じる石黒賢はガートルードを優しくたしなめるように語りかける。大きい声や鋭い声を発すると毒が入っていると全員に伝わってしまうからということもあるだろう。そうなると剣先に毒が塗ってあるのもばれる。

先王ハムレットが、「妻に手を出してはならない。殺してはならない」と命じ、ハムレットは、「(クローディアスとガートルードは)一心同体」と言っているため、ガートルードが先に何らかの形で死なないとクローディアスを殺せなくなるという呪縛が生まれる。
ただ、ハムレットは「一心同体」のセリフより前に、クローディアスと間違えてポローニアスを殺している。ここだけが整合性が取れない。クローディアスが一人で祈っているときに刺し殺そうとするも、「今殺しても(クローディアスは)天国行きだ」と無理矢理理屈をつけて、そのまま下がってしまっている。潜んでいる時ならいいのかも知れないが、作品として見れば、あそこでクローディアスが死んでしまったらドラマにならないのは間違いない。ポローニアスを殺したことで息子のレアティーズがフランスから帰ってハムレットに復讐しようとし、オフィーリアは気が触れてしまうのだから、重要な場面である。ハムレットは佯狂といって狂った振りだが、オフィーリアは本当におかしくなってしまう。當真あみは、オフィーリアの歌をうたうが透明且つ輪郭のクッキリとした声で、癒やしの効果に溢れていた。

「名優」といわれる俳優が演じるのとは異なった、清々しいハムレット。デンマーク王朝全滅の悲劇であるが、暗い感じはしない。
ちなみに、フォーティンブラスを女優が演じるのが流行っているようで、今日もフォーティンブラス役は女性。そしてハムレットやホレイショーが望んだのとは違うラストとしてしまうようだ。
なお、ノルウェー軍は、「スター・ウォーズ」の登場人物のような格好をしている。オフィーリアの葬儀の場面でも人々はこうもり傘を差しており、現代ではないが、「ハムレット」の話の元ネタが起こった時代ではないようである。ホレイショーの筆による「遠い昔 はるかかなたの銀河系で」という叙事詩か書かれるのかも知れない。ノルウェーを主体にした解釈で、「ホレイショーは殺される」としていた人がいたが、そうなると今の今まで「ハムレット」の物語が伝わっていることに矛盾が生じてしまうので、解釈としては零点である。

 

市川染五郎は、東京の日生劇場での公演を終えて大阪での公演に入り、間もなく全体の折り返し地点に差し掛かることなどを話した。

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2026年6月 8日 (月)

「新・科捜研の女スペシャル」(2008)

2026年3月25日

「新・科捜研の女スペシャル」(2008)。Season8に先だって放送されたもので、加藤貴子は、加藤たか子から加藤貴子に表記が戻っている。
物語は舞鶴から始まる。舞鶴で行われるサミットで遊覧船が用いられたのだが、爆発が起こった。過激派が犯行声明を出している。そして再び舞鶴の船着き場で爆発が起こる。
京都府警科捜研が捜査を行うが、美貴が見つけたハンドルに起爆装置がついている。マリコは叫ぶ以上のことは出来ないが、とっさに美貴が持つハンドルを奪って海に投げ込む女刑事が現れる。京都府警警備四課の久保望(黒谷友香)である。警視庁ならSPに相当するが、要人警護にSPという言葉を名乗れるのは東京の警視庁のみらしい。ただ便宜的にSPという言葉は使われる。
過激派の間での脅しあいだったようだが、続くサミットが行われる京都イースタンホテル(ウエスティン都ホテルがロケ地になっているようだ)に過激派の火岡が潜り込んでおり、警備四課の刑事達と撃ち合いになる。その最中に四課の鵜飼が銃弾を浴び、その後、亡くなる。鵜飼を撃ったのは望である。この時はまだ、「望」という漢字が何種類もの読み方で女性の名前の用いられるとは思っていなかった。
真相を究明したい望は、火岡の銃弾を左肩に受けた状態で、入院中の火岡に会いに行く。しかし、火岡は死亡。望は窓を開けて飛び降り、逃走した。
望は仕事帰りのマリコを襲い、真相を究明するよう頼む。

望の射撃の腕前は高く、安易に誤射を行うとは思えないということはマリコも土門から聞いていただろう。結果としては、銃が入れ替わっていたことが分かる。火岡に致命傷を与えたのは四課警備隊長の小田島(鶴見辰吾)であり、小田島は殺意を持って鵜飼を撃っていた。火岡が京都イースタンホテルの従業員として潜り込めたのも小田島の力である。小田島はサミットが遊覧船で行われるということを飲みの席でうっかり喋ってしまい、重要機密漏洩というということで火岡らに脅されるようになっていたのだった。

つかこうへいに見出され、女ながら「熱海殺人事件」の木村伝兵衛部長刑事を演じた黒谷友香。何度か演じているはずだが、私がワッハ上方ワッハホールで観た時のタイトルは、「黒谷友香エンドレス 女子アナ残酷物語」であった(当初の「黒谷友香エンドレス 売春捜査官」からタイトル変更)。延々と続く長台詞に、その日の全力を出し切ることを求められるような演技で、会場全体を黒谷友香色に染め抜くような壮絶な舞台であった。「女子アナ残酷物語」とあるのは、売春婦が女子アナという設定にされている店のことである。つかこうへい自身の演出で、口立てといい、事前に本が配られ、セリフも覚えていくのだが、稽古場ではつかこうへいが脚本をアレンジしながらセリフを言い、俳優は一発で覚えなければならない。覚えられないとどんどんセリフが短くなっていくという俳優として過酷な稽古場であった。それを乗り越えて単独主演を勝ち取っているのだから力はある。

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2026年6月 3日 (水)

観劇感想精選(519) 森田剛&藤間爽子 舞台「砂の女」

2026年4月18日 大阪の森ノ宮ピロティホールにて観劇

午後6時から、森ノ宮ピロティホールで、舞台「砂の女」を観る。安部公房の代表作の舞台化。5年前にも「砂の女」が舞台化されたことがあるが、それとは別物である。
作:安部公房、脚本・演出:山西竜矢。音楽:波多野敦子。映像:米倉伸。出演:森田剛、藤間爽子、大石将弘、東野良平、永島敬三、福田転球。映像が多用される。

安部公房の『砂の女』は、多くの人から称賛を受けた作品であるが、映画化や舞台化は難しい作品である。それでも映画は勅使河原三郎監督による有名な作品があるが、舞台は5年前のケラリーノ・サンドロヴィッチの台本と演出によるものがあったものの、それ以前にもあったのかどうか不明。基本的に新しいことは余り起こらず、淡々と進んでいくため、舞台として成立しにくい要素が多い。

登場人物には名前がある人もいるが、基本的にはアノニマスな感じで進んでいく。

男は、中学校の教師。ハンミョウという種類のトンボの新種を見つけて辞典に載るという夢を持ってここまで来た。3日間の休暇を取って訪れたのは、砂丘の町。部落(ここでは「集落」という意味。それ以外のニュアンスはない)に住む老人から、ある女の家に泊まるよう勧められる。そこは縄ばしごで降りる必要のある場所。出迎えた女は善人そうだったが……。
雪かきならぬ砂かきをしなければ埋もれてしまいそうな場所。男は眠りに落ちるが、目覚めると縄ばしごがなくなっている。「捕らえられたのか?」と自問する男。そこで強硬手段に出る。女を縛り上げ、縄ばしごを下ろすよう部落の人々に要求したのだ。部落の人々は砂のかき手を求めて女の家を勧めたのであり、男の要求を無視する。
そうこうするうちに時は流れ、男は砂の生活に慣れていく。ただ「希望」としてカラスを捕らえる罠を生み出す。カラスを捕らえることは出来なかったが、水を得たことに喜ぶ。この時点で砂での生活を続ける意思であることが分かる。女が産気づき、地上へと上げられるが、縄ばしごは掛かったままになっていた、だが男は逃げようとはしない。

 

映像の他に幕も多用される演出である。客席通路も使われ、部落の人々は基本的に客席通路を通って舞台に上がり、森田剛は客席通路を何周もする。二度ほど止まったことがあったが、おそらく観客からの握手の求めに応じたのだと思われる。
女の造形は難しいところだが、藤間爽子の女はかなり可愛らしい人物として描かれていた。確かにこうした可愛いタイプと一緒にいられるのなら、「このまま砂の町にいるのもいいか」と思う男もいるであろう。
しかし実際に、「捕らえられた」、引っ掛けられたとの感は否めない。
この作品は肯定的に捉えられることが多いが、自ら囚人となるゲームに参加しているかのようで、その時の社会情勢によっては、かなり怖ろしい結果を招く可能性があるように思われる。

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2026年6月 1日 (月)

観劇感想精選(518) フリードリヒ・シラー原作 ロバート・アイク翻案「メアリー・ステュアート」

2026年5月14日 西宮北口の兵庫県立芸術文化センター阪急中ホールにて観劇

午後6時から、西宮北口の兵庫県立芸術文化センター阪急中ホールで、フリードリヒ・シラー原作、ロバート・アイク翻案の「メアリー・ステュアート」を観る。シラーの原作を翻案したものとしては、2015年に、ダーチャ・マライーニが二人芝居に翻案したものを梅田芸術劇場シアター・ドラマシティで観ている。出演は、中谷美紀と神野三鈴であった。
今回のロバート・アイク翻案版は、それに比べると登場人物は多い。演出は栗山民也。テキスト日本語訳:小田島則子。メアリー・ステュアートとエリザベス1世は何年か前に映画にもなっているはずだが、未見である。
出演:宮沢りえ、若村麻由美、橋本淳(あつし)、木村達成(たつなり)、犬山イヌコ、谷田歩、大場泰正、宮﨑秋人(しゅうと)、采澤靖起(うねざわ・やすゆき)、阿南健治、久保酎吉、伊藤麗(れい)、上野恵佳(あやか)、松本祐華、段田安則。途中休憩20分を含み、上演時間が3時間を超えるという大作であった。

今回は、メアリー・ステュアートの幽閉から死までが描かれる。
メアリー・ステュアートは数奇な運命を辿った人で、生後6日でスコットランド王に即位。摂政にはジェームズ・ハミルトンが就くが、後に戦に敗れている。メアリーは、フランスに亡命。フランスのフランソワ王太子と婚約し、将来的にはフランス王妃となる。
一方、エリザベス女王(エリザベス1世)は、父親が離婚したいがためにイギリスの国教をカトリックからプロテスタント(英国国教会となる)に変えたヘンリー8世、母親はヘンリー8世が離婚後に再婚したアン・ブーリンである。アン・ブーリンは複数の罪で処刑された人として有名で、エリザベスが女王として即位後も「庶子」という理由から「相応しくない」との声が上がった。そしてフランス王フランソワ2世が16歳で亡くなったため、スコットランド王として即位したメアリーにもイングランド王となる権利があったことから事態はややこしくなる。当時はイングランドとスコットランドは別の国であるが、緩やかな連合体をなしていた。「メアリーの方が英国の王に相応しい」という声もある。メアリーはダーンリー卿ヘンリーと再婚。一児を設ける。この子どもであるジェームズが、ステュアート朝の祖であり、メアリー・ステュアートはステュアート朝の生みの親とも言うべき存在である。よく知られている通り、エリザベス女王は子をなさなかったため、敗れたはずのステュアート家が、イギリスの正統な王家を占めたこともあったのだ。諍いには敗れたが血統と歴史で勝ったというべきか。
そんなメアリー・ステュアートも、スコットランドで起こった暴乱により、イングランドに亡命。エリザベス女王はメアリーをイングランド内の城に軟禁状態に置く。
ここからが今日の「メアリー・ステュアート」の物語である。分かろうと思ったらそれなりに知識がいる。メアリーの幽閉先と、エリザベスの王宮の一室のみが舞台だ。

メアリー(宮沢りえ)と乳母のケネディ(犬山イヌコ)は、城の中で比較的自由に暮らしている。看守のポーレット(阿南健治)がいるが、さして厳しくない。
メアリーは処刑を恐れているが、続くエリザベス1世(若村麻由美)の場では、エリザベス女王が様々な理由で、メアリーの処刑を渋っている。

メアリーを演じている宮沢りえが黒いドレスを着たしなやかな身のこなしなのに対し、エリザベス女王は座っていることが多く、堂々とした王の装いで胸を張っている。これだけで二人の性質が分かるが、エリザベスはかなり演じている部分がありそうだ。

それでも処刑を避けることが出来ないと、エリザベスは、死刑執行書に署名をした。しかし、それを持って行かないよう命じる。エリザベスとメアリーは短い時間であったが面会していた。

ただこれは明らかにエリザベスのミスなのだが、死刑執行書に署名してしまったがために、最終的にはメアリーは処刑される。エリザベスの王宮は権謀術数が渦巻き、裏切りが多発していた。セリフの多くはそうした謀だ。

緋色のドレスになり、処刑場へと向かうメアリー。ケネディが手を取る。

役者陣はかなり充実。完璧に近い。

今日は2階席で観たのだが、舞台上には白の×があるのが見える。スコットランドの国旗の色である。栗山民也なりのメアリーへの追悼であった。

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中谷美紀&神野三鈴二人芝居「メアリー・ステュアート」

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2026年5月24日 (日)

観劇感想精選(517) 広田ゆうみ+二口大学 別役実 「湯たんぽを持った脱獄囚ーー求むな、されど与えられんーー」

2026年4月21日 木屋町のアバンギルド京都にて観劇

午後7時30分頃から、木屋町のアバンギルド(XでUrBANGUILDとアルファベエット表記にすると、南米かどこかにある同じ名前の店に飛んで行ってしまう)で、広田ゆうみ+二口大学による「湯たんぽを持った脱獄囚 ーー求むな、されど与えられんーー」を観る。ちなみに副題は、聖書の「求めよ、さらば与えられん」のパロディである。そして湯たんぽを持った脱獄囚は現れない。作:別役実、演出:広田ゆうみ&二口大学。出演:広田ゆうみ、二口大学。通常は、演出:広田ゆうみとなっている場合が多かったが、今回は演出家の名前は無いので、二人で共同演出したのだと思われる。

開場時の音楽は、mama!milkのものだったが、どうも今後、アバンギルドでmama!milkの伴奏でダンスをする人がいるようだ。「your voice」が流れたところで開演。

別役実の信奉者である広田ゆうみが文章を書いているが、別役実の文章に間違いがある。「我が国には古来より(中略)、三度すすめられて、二度遠慮し、最後のすすめを断りかねてもらってしまう(中略)作法」という文章が引用されているが、「三度すすめられて、二度遠慮」するのは中国の風習である。煙草などを勧められても二度は断り、三度目に「仕方ないなあ」と受け取る。今はどうか知らないが、1990年代まではこの風習はあった。日本にもあったのかも知れないが、寡聞にして知らない。日本は相手から好意を持って与えられたものを素直に受け取るのが礼儀である。好意を持って与えられたものを断ったら、それは明らかに礼儀に反する。
別役は満州生まれで、ある程度の年齢まで満州にいたので、幼い頃に身についた習慣を覚え続けて、それが日本の習慣だと思っていたのかも知れない。ただ劇中ではそれとは異なる展開となっている。
別役作品は「不条理」という言葉で語られるが、極めて高い論理構成力が光る作家であり、頭を使えばほぼ全てが分かる。同時代の文学や映画の「不条理」に似てると、論理構成力に目が行かずに思ってしまった人が多かったのかも知れない。

 

西町というバス停が舞台である。ここから舞台が動くことはない。バス停に女(広田ゆうみ)が立っている。やがてバスが来る(音のみで表現)。乗り遅れそうになった男(二口大学)が駆けてくる(客席通路を使用)が、バスは行ってしまう。そして女もバスに乗らなかった。
男は、女に「少し待たせても」と文句を言うが、女の気が強そうなので続く言葉を飲み込んでしまう。
今のが今日の最終便であった。というわけで、男は「歩いたら何分?」、「宿はある?」といったようなことを聞くが、女は無視して自分のことばかり話す。女はこれからの旅に必要なものとして、シガレットケースやウィスキーのボトル、灰皿(まだ携帯灰皿がない時代であるため小型の丸い灰皿を渡す)、コート、湯たんぽ、空気枕などを男に与える。空気枕というと、どうしても小津安二郎の「東京物語」を連想してしまうが、一切、関係がない。
女の夫が失踪したこと、暗い性格なのに冗談ばかり言っていたこと、初めて会った時に、「俺は脱獄囚だ」と打ち明けたことなどを女は語る。本当に脱獄囚だったのかは分からない。そして男は興信所の調査員で、女の夫を探しに来たが、見つからないので帰ろうとしていたところだった。
女は拳銃を取り出し、夫を殺したことを明かす。男は衣服を受け取っていたが、それは女の夫が着ていたもので、血痕が付いていた。女は夫に二発の銃弾を浴びせて殺害したが、男には三発銃撃する。一発多いのは意味があるかも知れないし(念押し、恨み、全ての銃弾を使ってしまうため)、ないかも知れない。
しかし前の道路を一台も車が通らない田舎である。銃声も民家までは届かないのだろう。これで男の死体を処分すれば、もう夫のことを嗅ぎ回る人もいない。とにかく田舎なので埋めようが焼こうがバレる心配はないだろう。
女は男を待ち受けてバス停にいたのである。何らかの情報を得ていたのかも知れないし、たまたま男を見かけたのかも知れない。だが無事男を葬ったのなら完全犯罪成立である。

明かされていない情報があるのかも知れない。ただ、エッセイの内容とは異なり、男は与えられたものを全て受け入れている。これは日本と日本人の戯画なのかも知れない。明治維新になると西洋の文物を特に抵抗なく全て受け入れる。それ以前にも大陸渡来のものを受け入れて、軍事、文化に反映させてきた。ただ20世紀になると受け入れてはいけないものを受け入れて、日本は破滅への階段を下ることになる。

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2026年5月21日 (木)

観劇感想精選(516) KOKAMI@network vol.22 「トランス TRANS」

2026年5月17日 大阪・西梅田のサンケイホールブリーゼにて観劇

午後1時から、西梅田のサンケイホールブリーゼで、KOKAMI@network vol.22「トランス TRANS」を観る。鴻上尚史の代表作の上演。鴻上本人による戯曲改訂&演出版である。
三人芝居ということもあり、日本全国で上演が行われており、私自身は3度目の観賞である。最初は、ル テアトル銀座(現存せず)での上演で、ともさかりえ、河原雅彦、山崎銀之丞の出演で、演出は木野花。ともさかりえと河原雅彦が、この共演で仲良くなり、結婚するも後に離婚へと至っている。2000年8月の上演で、「鴨東記」も「猫町通り通信」も始まっていない。そもそも千葉市在住である。ということで感想は残っておらず、記憶としても曖昧である。この戯曲は、鴻上尚史が冒頭に、「俳優を必ず客席から登場させるように」と記している。理由は実は知らされることはないのだが、演劇をやるぐらいの人なら察しが付く。ル テアトル銀座での上演では、三人が客席通路の階段をかなりゆっくりと降りてきた。

二度目は鴻上の規則を破ってしまった上演である。京都大学の演劇サークルによる京都大学吉田寮食堂(通称:りょうしょく)での上演だったが、登場人物は、舞台下手から並んで入ってきてしまった。これでは「トランス」は完結しない。

作者が指定したことが守られず、反論出来るだけの要素がないなら舞台に乗せるべきではない。作者が気まぐれで書くはずがないのだ。そして、「トランス」において客席から出てこないのであれば、いかに演技が達者であったとしても、それは「トランス」という作品ではない。上演する資格がないと断言する。

 

今回の出演者は、風間俊介、岡本玲、伊礼彼方。

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ステージの中央には白衣が掛けてあり、客席通路を歩いて舞台に上がった3人は、誰が白衣を取るかで牽制し合うが、岡本玲が白衣を着て、精神科医・紅谷礼子となる。風間俊介は、記事に名前が出ない売れないフリーライターの立原雅人となり、伊礼彼方は、ゲイバーのシュワ子こと後藤参三になる。「なる」と書いたのには実は意味がある。

3人は高校の同級生で、よく屋上でだべっていた。
卒業後、礼子と立原は学部は違うが同じ大学に入るが、礼子は生きる意欲を失い、新宗教にのめり込み、それが無意味と分かったとき、「自殺しようと思うならまだ力が残っている」ということで、大学再受験を行い、医学部に入って精神科の医師になったのだ。

立原は、自分は南朝正統の立原天皇だと言い始める。熊沢天皇事件がモデルである。
まず前段階として、明治天皇が自らが属する北朝ではなく、「南朝こそ正統な皇統」だと断言したという事実がある。
熊沢天皇事件が起こる直前にも裏工作があったようだが、1946年に名古屋市に住む熊沢寛道という人物が、「自分こそが後亀山天皇の血を引く南朝の正統たる天皇」だと名乗りを上げ、北朝系である裕仁天皇(昭和天皇)に退位を求めている。
その後も、熊沢天皇は天皇としての活動(京都首都宣言など)を続けた。便乗して、「自分こそが天皇」と名乗りを上げた人もいたようだ。
立原雅人も「南朝」で、苗字である立原を名とする天皇と称する。シュワ子については、「シュウ・ワコ」という中国から来た宦官だと立原天皇は勘違いする。ゲイが宦官に飛躍したようだ。
立原天皇は、即位を望むが、世話係となったシュウ・ワコが、立原天皇が病室を出て行くのを何度も阻止する。
この、立原雅人=立原天皇、紅谷礼子、シュウ・ワコのやり取りが一番長い。しかし立原雅人は立原天皇ではないし、紅谷礼子は白衣を着る際に戸惑ったことから分かる通り、医師ではない。ではなんなのかということになるが、精神科の入院患者の可能性が高い。というよりほぼ確定である。参三も閉鎖病棟にいたのを医師である立原が連れてきたという。ただ、立原が医師である可能性はかなり低く、やはり病院に来るまでは売れないライターだったのだろう。
それぞれがそれぞれの役を演じることは演劇そのものにも繋がる。
また、役者が客席から出てくるのは、舞台と客席とが隔てられているわけではなく、自分達は普通の人々、もしくは客席にいる人々の代表としてステージに上がったという意味になる。誰もが少しは(かなりの人もいるかも知れないが)病んでおり、誰もが少しは日常で演じている。
というわけで、これは精神障害者を面白おかしく描いたものではなく、民衆を讃美する演劇である。

立原天皇が、尾籠な話をしようとして、邪魔が入るのはいつものことである(何を言うのか察しは付く)。時代が進んだということで、どこでもすぐに映像が見られるなど、現代社会に合わせた改変がある。
また、明治天皇、大正天皇、昭和天皇に掛けた駄洒落が新たに入っている(「目いじってんのう?」「鯛背負ってんのう?」「SHOW終わってんのう?」)。ただの駄洒落である。

 

KOKAMI@networkへの出演も多い風間俊介。「金八先生」での悪役で注目を浴びたが、今は清潔感のあるビジュアルを武器にしている。
高校時代に高学力女優として知られた岡本玲。大きな役はなかなか得られないが、朝ドラ「虎に翼」では、弁護士時代の寅子(伊藤沙莉)を出し抜く悪女役で話題になった。和歌山市出身なので親族が観に来ているかも知れない。今日は出だしは声がガラガラだったが、応急処置をしたようで、その後は澄んだ声になった。
伊礼彼方はミュージカルで見ることが多いが、ストレートプレーでも安定感のある演技を見せていた。

鴻上尚史は、来阪しており、開演前には1階ホワイエでパンフレットを手売りし(握手はOKだが、サインはNG。ただ少し離れたところで売られている鴻上の著書を買った人にはサインを入れていた)、更には2階席にも現れてパンフレットを売っていた。今日は私は2階席の一番後ろだったが、鴻上は、「すみませんねえ。追加公演をやることになったので2階席になっちゃって」と語っていたため、本来は私も含め1階席だったのだが、2階席に変わったため、ファンサービスに訪れたのだろう。私は2階テラスから、1階にいる鴻上を観察していたが、他の2階席のお客さんは1階には注目せずに来たので、鴻上が会場にいるのも知らず、びっくり仰天であった。
鴻上が帰るときに拍手が起こったが、鴻上は、「駄目駄目。下の階(1階席)の人、何が起こったかと思われる」

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2026年4月29日 (水)

観劇感想精選(515) アーサ・ミラー作「るつぼ The Crucible」(坂本昌行主演)

2026年4月3日 西宮北口の兵庫県立芸術文化センター阪急中ホールにて観劇

午後6時から、兵庫県立芸術文化センター阪急中ホールで、「るつぼ The Crucible」を観る。「アメリカの頭脳」アーサー・ミラーの代表作である。「アメリカの頭脳」に名前負けせず、彼が残した戯曲の数々は今も各国で上演され、高い評価を得ている。「るつぼ」は、日本でも数年前に堤真一の主演で上演されたが、チケット争奪戦に敗れて観ることは叶わなかった。

今回は坂本昌行の主演版である。テキスト日本語訳は水谷八也、演出は上村聡史。

「エクソシスト」を先取りしたような、奇怪にしておどろおどろしい作品だが、主軸にはキリスト教などの権威の傲慢さへの冷めた目があるように思う。

出演:坂本昌行、前田亜季、松崎祐介、瀧七海、伊達暁、佐川和正、夏子、大滝寛、那須佐代子、大鷹明良ほか。

舞台美術は長田佳代子で、○を八百屋飾りにし、中間の何もない部分に、こちらも少し八百屋になったセットを作っている。出入り口は背後、階段を降りた先にある。

 

魔女狩りが主題である。中世ヨーロッパでは魔女狩りが横行し、ジャンヌ・ダルクも魔女として火刑台に消えた。今もイギリスなどでは魔女として暮らしている人は多いが、特に他者を害するということはないようである。一方、新大陸では……。

アメリカ合衆国独立前の英領アメリカで起こったセイラム魔女裁判がモデルとされる。

黒人役の人が出てくるが、肌を塗ったりは出来ないので、髪型をそれらしくして演じている。鍵を握るのは、アビゲイルという17歳の女性(瀧七海)である。アビゲイルというと、オーケストラ・アンサンブル金沢のコンサートミストレスであるアビゲイル・ヤングを連想してしまう。アビゲイルという名前の人を彼女以外に知らないからでもあるが。
アビゲイルは他の女の子と共に、夜の森で踊り、それが悪魔崇拝だとして問題視される。特にパリス牧師の娘であるベティ(前田亜季)は意識不明となり、ベッドで寝ているのだが、突如起き上がって暴れたりする。本当に「エクソシスト」の世界である。ベティの出番は短いが、前田亜季はその後は成人女性であるエリザベス(エリザベスの愛称もベティである)役で登場する。

パリスというのも意味ありげな名前だが、この人物は魔女騒動を焚きつけているようなところがあり、好人物とは言えない。魔女を巡る人々の心に寄り添うのはヘイル牧師(松崎祐介)の方である。

しかし、おそらく集団ヒステリーによるものだと思われるが、街の若い娘達が悪魔を目撃するなど奇妙な精神状態へと陥り、奇声を発するようになる。

主人公のジョン・プロクター(坂本昌行)は、信仰心はそこそこ。畑仕事をしている方が好きで、安息日である日曜日にも畑に出掛けて土を耕していたことがある。日曜の集会にも出られる日だけ出ている。
妻のエリザベスとの関係は良好だが、つい侍女のアビゲイルと関係を持ってしまう。アビゲイルはそれをネタに……。

 

魔女狩りという前近代的な習慣を題材にしながら、絶対的権威と個人など、現代においても起こる対立を緻密に描いた作品である。魔女審問では次々に死刑とされるなど、血なまぐさい出来事が背後で起こっているが、そうした凄惨な出来事は今は終わったわけではない。

この小さな街の魔女狩りの話をスライドさせれば日本で言えば特高警察の話になる。アーサー・ミラーは、そうした作劇法を確信犯的に用いている。

 

坂本昌行はミスもあったが集中力の高い演技を見せ、ジョンという男の多面性を表していた。ジョンという人物は必ずしも格好良くはないのだが、坂本昌行は多くの女性の目に格好良く映るだろう。
近年は舞台を活躍の場に選ぶことが多い前田亜季。やはり可憐な役も多かったが、今回は心揺れる女性を情感豊かに演じていた。

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2026年4月24日 (金)

観劇感想精選(514) ニットキャップシアター第47回公演「土曜日の過ごし方」

2026年2月20日 左京区岡崎のロームシアター京都ノースホールにて観劇

午後7時から、左京区岡崎のロームシアター京都ノースホールにて、ニットキャップシアター第47回公演「土曜日の過ごし方」を観る。ロームシアター京都10周年連携事業の一つである。脚本・出演:ごまのはえ、演出:橋本匡市(万博設計)。出演:千田訓子、仲谷萌、山﨑茉由、西村貴治、門脇俊輔、尾澤ショータロー、山谷一也、越賀はなこ、澤村喜一郎、高田晴菜、小野毅、高橋敏文。

昼に見た有名俳優に比べると、個々が反するエネルギーが小さいのが分かるが、向こうは普通の人が出来ないことをいくつも経験している一般人とはかけ離れた人。舞台での演技経験しかない、街の舞台俳優の存在が弱く見えたとしてもそれは仕方ない。別個で考えるべきである。

戦前の京都に実在した新聞「土曜日」を巡る群像劇。
主な舞台となるのは喫茶デイジーであるが、地図を見ると凄いところにある。今は綺麗になっているはずだが、往時はどうだったのだろう。
一方、京都の専門家を揃えていない弱さで、木屋町の喫茶店を「フランソア」ではなく「フランソワ」と書いてしまうなど、思い込みによるミスが目立つ。
さて、下鴨警察署であるが、元々は田中警察署であったが、移転して下鴨警察署を名乗っている。この時、現在地に移転したのか他の場所に移転したのかが不明。現在の住所は田中だが、下鴨が目の前で、田中警察署から移ったので下鴨警察署としたのか、あるいは下鴨に移ってから田中の現在地に再移転したのか、戦中、どこにあったのか気になるが、下鴨警察署は川端警察署と合併して左京警察署になるため、その手の記事しかヒットしなかった。

なお、戦前には松竹の撮影所は太秦ではなく下鴨(下加茂)にあった。下鴨神社の糺の森が、時代劇の風景に相応しかったからかも知れない。

新聞「土曜日」は、昭和11年7月から12年11月まで京都で発行されていた新聞である。映画批評などの文化欄、海外情報、京都のことを載せた社会欄などがあったが、警察に検挙されて短命に終わっている。ソ連のモスクワとの通信網なども問題視されたようである。
新聞「土曜日」を発行していたのは斎藤雷太郎という映画俳優である。大部屋俳優としての待遇に納得がいかず、新聞の発行を始めたのだった。映画欄には若き日の淀川長治も寄稿しているようだが、批評として成立していない短い文章だったので、これを機に映画評論家へ、とはならなかったようである。
ただ単に映画評を載せるだけでなく、伊丹万作(伊丹十三の父親、池内万作の祖父)監督の「新しい土」が満州への進出を促す内容であり、それによって満州国が傀儡国家であることが明らかになっていることを、ヒントとして載せるなど、政治的な批評に及ぶ場合もあり、特高に目を付けられるようになる。

ちなみに喫茶デイジーの白瀬キミ(山﨑茉由)が通っている学校は校名が記されていないが、現在は御所東小学校が建つ場所で、架空の学校である可能性が高い。

齋藤雷太郎が、主人公格かと思いきや、当時の特高のやり方などを体験した館林(門脇俊輔)の方が与えられた役割は大きいようだ。

政府に従う人々は日々増えていき、それは無表情の面で示される。個人的には面を使った演出は好きではないが、単純に好きではないだけである。

館林は大学で独逸文学を学んだ学者であるが、共産主義者ということにされ、転ぶよう命じられる。共産主義者でも何でもないので転ぶも何もなかったが、特高の刑事(ごまのはえ)と出町柳(往時は一帯は、「柳ヶ辻」、「柳」、「柳元」といういい方の方が一般的だったようだ。由来となった柳の巨木が倒れてからは、叡山電車のターミナルである出町柳に呼び方が移ろう)に食事に行ったりするなどして過ごし、最終的に作文を書いて釈放される。
「人民戦線」という言葉がある。奥寺(澤村喜一郎)は、戦争を阻止しようとし、電柱に「戦争反対」と書いた紙を貼ったり、「帝国主義侵略戦争反対」という言葉を広めようとするが、特高に逮捕される。

途中からは、録音した音声による、戦時下のメッセージが延々と流れる。面を被った人々が時計回りにせわしなく歩き回る。

ただ、戦後のシーンはもっと軽く済ませても良かったかも知れない。

無料パンフレット代わりに、新聞「土曜日」を模したタブロイド判が入っているが、東京ヤクルトスワローズの応援をしている人の記事があって楽しかった。

 

時代的に笠置シヅ子が重なっており、最初は、「Smile」、「東京節」の替え歌、「アラビヤの唄」「リンゴの木の下で」(ジャズバンド版)など、アメリカの曲やアメリカの影響を受けた音楽が流れるが、戦時色が濃くなるにつれて軍歌が流れるようになり、玉音放送を経て、最後は復興ソング第1弾の「リンゴの唄」が流れるなど、音楽でも時代の経過が把握可能であった。

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2026年4月 8日 (水)

観劇感想精選(513) 舞台「私立探偵 濱マイク 『罠 THE TRAP』」

2026年3月14日 大阪城公園内のCOOL JAPAN PARK OSAKA TTホールにて観劇

午後5時から、COOL JAPAN PARK OSAKA TTホールで、舞台「私立探偵 濱マイク 『罠 THE TRAP』」を観る。林海象監督の「私立探偵 濱マイク」三部作の完結編である。林海象監督は、「濱マイク三部作」を撮るために探偵学校に通い、免許を取得している。
映画の「私立探偵 濱マイク三部作」は、不良上がりで今は横浜・黄金町の映画館、横浜日劇(実在の映画館だったが現存せず)の2階に事務所を構えている私立探偵、濱マイク(本名だ。永瀬正敏)が、横浜を舞台に繰り広げるハードボイルドサスペンスである。第1作の「我が人生最悪の時(「我等が生涯の最良の年」という映画をもじったもの)」はモノクロで撮られ、東京サンシャインボーイズの俳優も多く出演。東京サンシャインボーズの俳優(ちなみに近藤芳正は東京サンシャインボーズの俳優ではない)達は以後も出演する。第2作「遙かな時代の階段を」は、マイクの出生に迫る物語である。岡田英次と鰐淵晴子という往年のスターがノスタルジックな味わいを生んでいる。岡田英次は、「白い男」と呼ばれ、横浜の河川の権益を裏で操るヤクザであり、他の組も手出し出来ないという設定である。

第3作の「罠」は、サイキックホラーの色彩が強い。個人的には「罠」が3部作の中では一番好きである。
濱マイクが人命救助によって横浜市長賞を受賞し(写真には当時の本物の横浜市長が写っている。かなり有名な人である)、妹の茜は有名私立大学への推薦合格が決まる。そしてマイク自身にも百合子という口の利けない恋人が出来ており、永瀬正敏演じる濱マイクが運転をしながらカメラ目線で「人生は薔薇色だ」と得意になる。
口の利けない恋人・百合子を演じているのが夏川結衣だが、この頃の夏川結衣は驚くほどの透明感で健気な女性を演じていて魅力的である。この映画の成功の3分の1程度は彼女をキャスティングしたことによるものだろう。そして犯人像(犯人グループ)は実に不気味である。永瀬正敏演じるミッキーもこの一味なのだが、怪物的な要素がいくつも備わっている。

原作:林海象。脚本・演出:西田大輔。出演(カッコ内は役名):佐藤流司(濱マイク)、福井巴也(神津)、川上千尋(百合子)、上田堪大(かんだい。ミッキー)、矢野昌暉(星野)、小泉萌香(濱茜)、七木奏音(ななき・かのん。王百蘭)、なだぎ武(中山刑事)、大沢健(神父)、野々花ひまり(水月/影男)ほか。
映画では、ミッキーは、永瀬正敏の二役だが、演劇では一人二役は困難なので、別の俳優をキャスティングしている。
若者向けの演劇であり、キャスティングも若い人向け。知っている俳優はなだぎ武と大沢健の二人しかいない。ただ、声優として有名だったり、マルチな活動で一部ではすでに高い評価を受けている人がいたり、これから有名になっていくであろう人もいるだろう。

映画が原作なので、複数の場所が舞台になるが、汎用性のあるセットを用いていたため、場面転換がさほど不自然にはならず、ストーリーに集中出来た。またライティングは素晴らしいの一言。これほどハイレベルのライティングにはなかなかお目にかかれない。
東京ではサンシャイン劇場で上演された本作品だが、まだ新しい大阪のTTホールの方が良い条件で観劇出来ると思う。
なお、客席通路を使った演出も多かった。

1996年公開の映画の30周年を記念しての舞台制作だが、舞台上にも客席にも、ロードショー時生まれていなかった人がかなりの割合を占めると思われる。

 

映画とは異なり、コメディーの要素の多い上演で、アドリブもビシバシ飛び交う。映画とは異なる趣だが、今の時代、映画はいつでも観られるので、映画との違いを楽しんだ方が得である。

七木奏音は、中国人の役(映画には登場しない舞台オリジナルのキャラクター)だが、本場でも通じるレベルの北京語を話していた。

元々吉本のお笑い芸人で、たまたま演劇に出演したところ宮本亞門の目にとまり、俳優としての仕事も増えたなだぎ武。今日はズボンのお尻の部分を破ってしまうというアクシデントがある。東京でも同じアクシデントがあったようである。捌けている間に衣装さん(だと思う)に縫って貰ったらしい。
役者陣は、若い人は動きにキレがあり、流れの良い芝居を作る。特別素晴らしい人がいるわけではないが、特別素晴らしい人は滅多にいないので、この水準で文句なしである。映画版の方が豪華なキャスティングで演技も優れているが、その場合はやはり映画を観ればいいわけで、舞台で観るならこれで良い。ただ、映画版を知らないのはもったいないので、観たことがない人はこれを機会に原作映画を観てみると良いだろう。

ダンス、音楽、様々な要素が盛り込まれ、エンターテインメント演劇となっている。上演時間は途中休憩なしの約2時間半であったが、長くは感じなかった。

ラストは、佐藤流司が、「我が人生最悪の時」のエンディングテーマである「キネマの屋根裏」(オリジナルシンガーは永瀬正敏。なお、カラオケに入っている)を歌った。

 

本編終了後に、主要キャストによるアフタートークがある。明日はマチネーでアフタートークはなく、愛知公演でもアフタートークは企画されていないので、今回が最後のアフタートークとなる。
司会はなだぎ武で、出演者に、「名前と、何か面白いこと言って」と振っていた。百合子を演じた川上千尋は、なだぎに「あなた吉本なんだから期待してるよ」と言われる。なお、川上は、隣にあるCOOL JAPAN PARK OSAKA SSホール(森ノ宮よしもと漫才劇場)で、BKBことバイク川崎バイクに挨拶してきたそうだが、なだぎに「なんで、BKBなの。もっといるでしょう!」と言われていた。COOL JAPAN PARK OSAKAは吉本も出資している劇場であり、一番小さいSSホールは、「森ノ宮よしもと漫才劇場」となっている場合が多い。WWホール、TTホール、SSホールがあるが、命名は全て明石家さんまである。

今日は1日2回公演で、1回目と2回目の間に何をしているかという話になる。大沢健は大阪城公園を散策したそうで、事前に見つけておいたJR森ノ宮駅の近くに新しく出来た四文字のラーメン店(店名は思い出せなかった)で食事をしたそうだ。若い男性陣は昼寝。なだぎ武は年の近い大沢と話をしようと思っていたが、大沢の姿が見えないため、仕方なく一人で過ごしたようである。なだぎによると、大沢はラーメンを食べたにも関わらず、帰ってきてすぐに用意されていた弁当を掻き込むようにして食べていたそうである。
女性陣は4人が同じ部屋に集まり、アンサンブルキャストの2人も含めて女6人で、間もなく解散してしまうグループの音楽をランダムにして聴いていたそうである。野々花ひまりは、元宝塚娘役スターだが、宝塚の癖が抜けず、1日複数回公演でも、公演が1回終わるごとにメイクを落として、次の公演の前に再度メイクをするそうである。

 

帰り道、大沢健が行ったという四文字のラーメン屋に行ってみる。「一揚一杯(いちあげいっぱい)」という店であった。

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2026年4月 6日 (月)

観劇感想精選(512) 花形歌舞伎特別公演「曽根崎心中物語」松プログラム

2026年3月6日 京都四條南座にて

午後3時から、京都四條南座で、花形歌舞伎特別公演「曽根崎心中物語」を観る。
近松門左衛門が、人形浄瑠璃(文楽)のために書いた「曽根崎心中」の義太夫狂言を中村鴈治郎の監修で若手歌舞伎俳優が上演。お初と徳兵衛は、中村壱太郎(かずたろう。中村鴈治郎の息子)と尾上右近が、上演回ごとに替わるというスタイルを取っている。
午後3時開演の「曽根崎心中物語」は、尾上右近のお初、中村壱太郎の徳兵衛である。これが「松」プログラム。今日の午前中に開演した「桜」プログラムは、中村壱太郎のお初、尾上右近の徳兵衛であった。尾上右近は立役女形の両方やるが、中村壱太郎は女形(彼自身は「女方」表記の方を好むようである)が大半。そもそも女形でない中村壱太郎は、踊りの時と歌舞伎映画のアフタートークゲスト、京都芸術センターでの講演の時しか見ていない。ということで、中村壱太郎の立役を見ることの出来る貴重な機会である。

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「曽根崎心中」は、大坂の曾根崎新地と曾根崎の森を舞台とした作品で、実際に起こった事件に基づいている。
なお、曾根崎新地は蜆川(しじみがわ。曾根崎川)を挟んで南北から覆うように色町が軒を連ねていたが、現在は蜆川は埋め立てられて車道になり、南北にはキャバクラなどが建ち並んでいる。ビルの一角に蜆川と蜆橋を示す文字が刻まれており、現在では説明も刻まれている。大坂に下った壬生浪士組(後の新選組)が力士に行く手を阻まれ、芹沢鴨が力士を殴り倒したというのが、この蜆橋である。
曾根崎の森であるが、露天神(お初天神)のある辺りが想定されている。露天神はそれほど大きな神社ではないが、曾根崎の森はかなり広かったようだ。

「曽根崎心中」は文楽ではヒットして、ジャンルを代表する作品となっているが、歌舞伎の演目としては余り人気がないようである。人形を使えば出来ることが、生身の人間だと出来ないということも大きいだろう。
戦後に二世鴈治郎の徳兵衛と二世扇雀(後の四世坂田藤十郎)のお初による上演が話題となる。台本を時代に合うよう変えての上演だった。
ただ、その後も上演回数が爆発的に増えるということはなく、平成の30余年で上演されたのは僅かに5回。そして今回は令和初の上演となる。全て成駒家(上方の成駒屋)による上演である。

出演:中村壱太郎(成駒家)、尾上右近(音羽屋)、中村鴈成、片岡松十郎、板東竹之助、上村折之助、中村翫政、上村吉太朗、尾上菊次、片岡孝志、片岡千次郎、片岡仁三郎、尾上菊三呂ほか。

 

上演時間約1時間25分、冒頭の大坂三十三所観音廻りの場を復活上演、休憩なしである。背景は大坂のはずであるが、大きな御堂が並んでいる様が本願寺のように見えるし、生玉神社の場でも、池とその向こうの建物などが長岡京市の八条池に見える。生玉神社にあんなに大きな池はないはずなので、京都に合わせた背景にした可能性もある。背景が京都寄りでも上演には特に差し支えない。

右近の女形を見るのは初めてかも知れないが、骨格がガッシリしているので、この人はやはり立役の方が生えそうだ。壱太郎の徳兵衛であるが、滑舌が悪い上に早口。右近も早口なので、余計に拍車がかかるようである。壱太郎は女形としてはトップクラスの評価と人気を得ているので、女形一本で行った方が良いように感じる。ただ今回は成駒家の演目なので、ファンサービス的にやるのは良いかも知れない。

あらすじを書くと、曾根崎新地・天満屋の傾城であるお初と、醤油商・平野屋手代の徳兵衛の話である。徳兵衛には嫁を取って平野屋を継ぐ話があったのだが、徳兵衛には無断で進められたため、徳兵衛は好いているお初と一緒になろうとする。それが主の癇にさわり、大坂から追い出されることに。更に徳兵衛は友人の油屋久兵衛の窮地を救うために金を貸したところが、しばらくして会った久兵衛になじられ、嘘つき呼ばわりされ、袋だたきにあって大恥をかいてしまう。徳兵衛は天満屋に行く。お初は天満屋の人に見られないよう、徳兵衛を縁の下に隠し、足でやり取りをする。そして現代人の感覚には合わないが、心中を決意する。徳兵衛25歳、お初19歳である。
天満屋を出て、二人は曾根崎の森に向かう……。

本当に二人は死ななければならなかったのか。これは時代によって異なるところである。ただ、近松の「曽根崎心中」が大当たりしたことで、心中(「忠」を上下逆さにした言葉)が流行るようになってしまい、幕府も心中禁止令を出して、「心中未遂を犯したものは非人階級に落とす」と脅しを掛ける必要があった。

文楽と歌舞伎ということもあり、ラストは大きく異なる。梅田橋に出る二人。橋は此岸と彼岸を繋ぐものに見立てられ、死への覚悟が語られる。本音では怖ろしいのか、二人はなかなか橋を渡ろうとしない。

そして曾根崎の森へ。白い花が咲いている。お初と徳兵衛は、ヘアピンカーブを行くように右へ左へと進む。
人形でなく生身の人間であるためか、刺殺と自死のシーンはない。人形は人間の手を離れれば(また使われるとしても)魂が抜けた状態になる。そう考えれば文楽とは違ったラストの方が良いかもしれない。
鳴り物に甘美な音色の胡弓が使われていたのも印象的だった。

 

35分の幕間(幕の内弁当を食べる人が多い)を挟んで、壱太郎と右近による「花形歌舞伎特別対談」が行われる。上手から右近が登場し、下手から壱太郎が現れる。
右近が「若手は良い役が貰えない」ということで、若手による「三月花形歌舞伎」が決まったが、最初は何をしていいか分からなかったという。始まったのはコロナの頃であっため、客席を市松模様の着席可にして、お客さんも少なかった。
自分たちにしか出来ないことをしようということで、SNSを駆使し、更にグッズなどにも力を入れたという。南座で買えるだけでなく、ネットショップも同時オープンして、しばらく先まで買えるようにしてあるという。
ちなみに、右近の「『国宝』を観ていらっしゃった方、どれぐらいいるでしょう?」の質問には、多くの人が手を挙げ、壱太郎は、「『国宝』の恩恵にあずかりまくり」と話していた。
壱太郎は、「生まれも育ちも東京だが、上方の歌舞伎の家ということになっている成駒家」を紹介し、右近は「江戸の荒事の家なんで、江戸だったら徳兵衛はやられないで全員やっつけちゃう」と語っていた。
後半は質問コーナーとなり、これまでインスタライブをしていたのに今回はやらないの? の声には、「すぐやります。三日後ぐらい」と答えていた。

早めに終わった公演。團十郎などは早めに終えて遊びに行くそうだが、この若い人達は夜遅くまで稽古をしていると聞く。

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