カテゴリー「演劇」の564件の記事

2021年4月 1日 (木)

観劇感想精選(389) 燐光群+グッドフェローズプロデュース公演「ローゼ・ベルント」

2008年7月16日 尼崎市塚口の兵庫県立ピッコロシアターにて観劇

午後7時から、尼崎市の兵庫県立ピッコロシアターで、燐光群+グッドフェローズプロデュース公演「ローゼ・ベルント」を観る。原作:ゲアハルト・ハウプトマン(底本 番匠谷英一訳『枯葉』)、上演台本&演出:坂手洋二。タイトルロールを演じるのは占部房子。出演はほかに、大鷹明良、猪熊恒和、鴨川てんし、大西孝洋、西山水木、嚴樫佑介、中山マリ、川中健次郎など。

ドイツの劇作家、ゲアハルト・ハウプトマン(1862-1946)の戯曲を、坂手洋二が比較的自由に翻案した本が用いられている。役名もドイツ人のもので、場所もドイツなのだが、官庁の名前が「文部科学省」だったり、結婚の日に大安か友引を選んだり、「地球の裏側のブラジルに移民しよう」というセリフがあるなど、実質的には日本が舞台となっている。遠い異国の出来事ではないということだ。

牛肉偽装事件が出てきたり、「現代の『蟹工船』諸君!」というセリフがあったり、時事問題を扱っているのがいかにも坂手洋二らしい。


「ローゼ・ベルント」という題名で、主人公もローゼ・ベルント。そしてローゼ・ベルントを巡る劇であるにも関わらず、(ここが逆説的であるが)実はローゼ・ベルントを描いた劇ではない。

ローゼ・ベルントは一個人でありながら、単なる一個人ではなく女性の歴史を体現しており、一方でローゼ・ベルントは一個人ですらなく、ある種の視座に過ぎないと見ることも出来る。私がこの劇の真相に迫れたのは現時点ではここまでである。記憶を辿りながら考える作業を進めれば、もっと深部まで行き着けるかも知れない。

ストーリー的には難解ではないのだが、背景に隠された巨大なものを読み解くのはなかなか容易ではない舞台である。


ローゼ・ベルントを演じた占部房子が大変な熱演。また、燐光群メンバー最古参ということもあって普段は落ち着いた紳士やリーダー格を演じることの多い猪熊恒和が、今回は頭は切れるが乱暴で残忍な悪役(シュトレックマン役)を演じているというのも面白かった。

| | | コメント (0)

2021年3月31日 (水)

観劇感想精選(388) 京都四條南座 「三月花形歌舞伎」令和3年3月20日 Aプロ 「義経千本桜」より“吉野山”&“川連法眼館”

2021年3月20日 京都四條南座にて観劇

午後4時15分から、京都四條南座で「三月花形歌舞伎」を観る。平成生まれの若き歌舞伎俳優達が中心となった公演である。AプログラムとBプログラムがあり、キャストが異なるが、本日4時15分開演の夜の部は、Aプログラムでの上演となる。

演目は、「歌舞伎の魅力」(中村米吉が担当)、「義経千本桜」より“吉野山(道行初音旅)”と“川連法眼館(通称・四の切)”。四の切とは、“川連法眼館の場”が「義経千本桜」四段目の切り(最後)にあることからついた通称である。「義経千本桜」は、元々は人形浄瑠璃(文楽)のために書かれた作品で、歌舞伎の「義経千本桜」は人形浄瑠璃の台本を元にした義太夫狂言と呼ばれる類いのものである。文楽でも“川連法眼館の場”は観たことがあるが、文楽では「四の切」という言い方はしないようである。

「歌舞伎の魅力」は、毎回、若手歌舞伎俳優が演目の説明や、歌舞伎に関する様々な紹介を行うもので、今回は中村米吉(播磨屋)が担当する。ちなみに、米吉、尾上右近、壱太郎(かずたろう)、橋之助の4人がローテーションを組んでおり、南座での「三月花形歌舞伎」の「歌舞伎の魅力」の初日最初の回の担当となってのも米吉だそうである。
「三月花形歌舞伎」は、明日千穐楽を迎えるため、米吉が「歌舞伎の魅力」を受け持つのは今回が最後となるようだ。

義太夫の「春の京都の南座で、歌舞伎の魅力語らんとまかり出でたる中村米吉」という言葉に乗って、米吉は花道から登場する。

今日は義太夫の紹介をまず行う。義太夫はわかりやすく言うと、「音楽付きのナレーション」で語りと三味線の二人からなると米吉は説明する。その後、義太夫は自分で退場のセリフを語り、定式幕の後ろへと引っ込むのだが、「義太夫さんが自分で語りながら退場するというアイデアを出したのは私」と米吉は胸を張っていた。

上演されるのは、「義経千本桜」の“吉野山”と“川連法眼館”であるが、それより前に忠信と静御前が登場する“鳥居前”(二段目)のあらすじを米吉は紹介する。義経と静御前の一人二役を行ったり、「会いたくて震える」という西野カナの歌詞を引用したりとユーモラスな語り口である。
その後、忠信のカツラや静御前の衣装、義経から忠信に授けられた甲冑や静御前に渡された初音の鼓などを紹介し、更に用意された巨大パネルで人物相関についても説明を行う。「すっぽん」は異形のものが現れる時に使われると説明し、花道と揚幕についても解説を行う。「揚幕は上がる時に音がして、向こうから誰か役者が出てきますので、皆さん、振り返ってみて下さい」と語るが、実はこれはトラップである。“川連法眼館の場”には、花道から誰かが出てくると思わせて、実は別の所から俳優が登場する場面が存在するのである。

 

「義経千本桜」より“吉野山”。出演は、尾上右近(音羽屋。佐藤忠信、実は源九郎狐)、中村壱太郎(成駒家。静御前)。
背景は吉野山の桜と吉野川。吉野川の装置は、途中に三段のローラーを設置し、川が流れているように見えるよう工夫されている(役者の見せ場では観客の意識が散らないよう、ローラーは止まる)。

若手でもトップクラスの女形と評価されている中村壱太郎。生まれ育ちは東京であるが、中村鴈治郎家の出身ということで、上方も拠点としており、屋号も江戸の成駒屋とは異なるとして、父親である鴈治郎が採用した成駒家という上方系の屋号を用いている。
仕草や表情がとにかく細やかであり、色気と上品さを合わせ持った静御前像を創造している。

尾上右近の狐忠信も凜々しく、動きはダイナミックで言うことなしである。

なお、「義経千本桜」には、澤瀉屋型と音羽屋型があり、宙乗りで有名なのは澤瀉屋型である。音羽屋の尾上右近の狐忠信ということで、当然ながら音羽屋型によって行われ、宙乗りや本物の忠信と狐忠信の早替えなどもないが、“吉野山”の一部で澤瀉屋型を採用したとのことである。

 

“川連法眼館”。出演は、尾上右近と中村壱太郎の他に、中村橋之助(成駒屋。源九郎判官義経)、中村福之助(亀井六郎重清)、中村歌之助(駿河次郎清繁)の三兄弟らが加わる。

壱太郎の静御前は相変わらず可憐なのだが、尾上右近の狐忠信は所作は良いものの、正体を現した時の独特のセリフが、「あれ??」と思うほど全くものになっておらず、これでは不出来と思われても仕方のない水準にしか達していなかった。尾上右近は自主公演「研の會」で“吉野山”を取り上げ、狐忠信をやったことがあるが、“川連法眼館”の狐忠信は初役だそうで、やはり初役で成功出来るほど易しい役ではないようである。自分のものにするにはまだまだ時間が掛かりそうだ。

“川連法眼館”は人気演目で、私も澤瀉屋型を当代の猿之助の狐忠信で、音羽屋型を愛之助の狐忠信で観ているが、いずれも優れた出来であった。そうした実力者と比較されやすいだけに、若手にとっては更なる難関となっているようである。

Dsc_1124

| | | コメント (0)

2021年3月26日 (金)

観劇感想精選(387) 上川隆也&斎藤晴彦 「ウーマン・イン・ブラック」2008

2008年7月10日 シアター・ドラマシティにて観劇

大阪へ。午後7時より、シアター・ドラマシティで、「ウーマン・イン・ブラック」を観る。原作:スーザン・ヒル、脚本・脚色:スティーブン・マラトレット、テキスト日本語訳:川本燁子(かわもと・ようこ)、補訳:三砂博、演出:ロビン・ハーフォード、主演:上川隆也、斎藤晴彦。

ゴシックホラーの傑作「ウーマン・イン・ブラック」。これまで観た芝居で最も恐かったものを挙げよと言われたら、私は間違いなくこの作品を選ぶ。

「ウーマン・イン・ブラック」は、1987年にロンドンで初演。日本版初演は1992年に萩原流行と斎藤晴彦の主演で行われている。斎藤晴彦は以後、相手役を変えながら、「ウーマン・イン・ブラック」の上演を続けており、今回は6度目の上演となる。本日、7月10日のこの大阪公演がツアー初日であり、この後、広島、名古屋、札幌、福岡、仙台、新潟、東京の順で上演が行われ、9月には同じメンバーで渡英、ロンドンのフォーチュン・シアターでの公演も行う。

アーサー・キップスという元弁護士(斎藤晴彦)が、若い頃の怖ろしい体験を家族や友人に語るために本を書き、朗読の訓練を受けるためにある俳優(上川隆也)を訪ねる。俳優は、この本をそのまま朗読したのでは少なくとも5時間はかかると言い、演劇スタイルでの発表を提案、早速稽古に入る。俳優が若き日のアーサー・キップス(ヤング・キップスと表記されてもいる)を演じ、今のアーサー・キップスはその他の登場人物全てを演じ分ける。

アーサー・キップスは日本初演の時からずっと斎藤晴彦が演じている。ヤング・キップスは萩原流行が2度演じ、西島秀俊が後を受けて1996年に演じている。そして上川隆也が1999年にヤング・キップスを演じ、以後上川は、2003年そして今回と、3度ヤング・キップスを演じている。

私は1999年の「ウーマン・イン・ブラック」と2003年の「ウーマン・イン・ブラック」も観ているので、上川のヤング・キップスは毎回観ているということになる。そもそも、1999年の「ウーマン・イン・ブラック」を観たきっかけは、上川隆也の主演だったからであり、ヤング・キップスは上川が演じた数々のキャラクターの中でも最もはまっている役だと思える(後記:2008年当時)。上川がヤング・キップスを演じるたびに観に出かけるのは当然であるともいえる。


とにかく恐い劇なのだが、恐怖劇の常として、最初に観たときのインパクトが最も強く、再演ではタネがわかっているために、恐怖はさほど感じないということになる。

私の場合も、1999年の「ウーマン・イン・ブラック」が最も衝撃的であった。だが、その後は、仕掛けによる恐怖よりも、役者の魅力や、人間存在の怖ろしさの方に目が向くようになったため、恐怖は薄らいでも楽しめるのである。

今回の「ウーマン・イン・ブラック」で新たに発見したのは、愛の恐さと、人間の情念の怖ろしさ、そして人間の業の深さである。特に業の深さについては、私も年を重ねているために、ありありと感じ取ることが出来るようになっている。20代の頃は、業はあっても、そう長くは続かないだろうと軽く考えていたものだが、今は、「いや、これは一生続くかも知れないな」と感じるようになっている。20代ですでに感じていた業のいくつかは、今に至ってもほとんど薄れていないからである。


上川の演技には、1999年の「ウーマン・イン・ブラック」の時から感心しっぱなしだが、今回はセリフ以外のところに感心させられた。段取り通りに動いているのだが、そうは見えず、その場その場の判断で動いているかのように見えるのがまず素晴らしい。そして、いかにも自然な動きに見えるのだが、良く見ると手の動きなどは最短コースを辿っていて、動きに無駄が全くないことがわかる。


斎藤晴彦は、これまでずっとアーサー・キップスを演じてきただけに、今後も彼以外のアーサー・キップスは考えられないほどの域に達していた(後記:斎藤晴彦は、2014年に73歳で他界した)。

| | | コメント (0)

2021年3月21日 (日)

配信公演 滋賀県犬上郡甲良町制作 新作能「高虎」(文字のみ)

2021年3月12日

ぴあのWeb配信で、新作能「高虎」を観る。びわ湖ホールに「ローエングリン」を観に行った時にチラシを見つけたもの。藤堂高虎の出身地とされる滋賀県犬上郡甲良町が制作したものである。初演は令和元年10月19日であるが、コロナ調伏を願って全国配信版が新たに制作され、14日23時59分まで有料配信された。

甲良町長の挨拶があった後で、まず第1部として舞・笙「禍(まが)ごとの鎮め」が上演される。白拍子舞人:井上由理子、楽人:和田篤志。
磯禅尼が始め、娘である静御前が継いだとされる白拍子だが、平安時代末までそうしたものが生まれなかったと考えるのは不自然であり、また二人とも架空の人物である可能性もある。特に静御前については、モデルになった人はいたかも知れないが、物語に出てくるように常に義経の傍らにいたという部分は怪しい。義経の正妻が河越氏出身であることが執権となった北条氏にとっては不都合だったため、静御前という実在の不確かな女性を前に出すことで隠蔽した可能性も高い。

ただ白拍子がいつ生まれたのかは、ここでは特に大きなことではない。コロナ禍を鎮めるための雅やかな舞である。即興による部分が多いとのことだが、謡がなかなか聞き取れない。やはり伝統芸能の謡を聞き取るには相当の訓練が必要なようである。

 

第2部、能「高虎」。まずマンガによる能「高虎」の紹介がある。

新作能「高虎」。出演は、寺澤拓海(前ツレ・高虎の母)、浦部好弘(前シテ・高虎の父)、浦部幸裕(後シテ・高虎)、有松遼一(ワキ・天海僧正)、岡充(ワキツレ・従僧)。間狂言の出演、茂山茂(茶屋の主)、茂山宗彦(もとひこ。旅の者)、井口竜也(茶屋の妻)。

藤堂高虎は現在の滋賀県犬上郡甲良町の在士八幡宮付近の生まれとされ、在士八幡宮の藤の下が舞台となる。高虎は築城の名手として知られ、自らの居城の他に江戸城の縄張りも手掛けるなど、徳川家康からの信頼も厚かった。戦でも先陣は、譜代は井伊、外様は藤堂と決まっていた。

天海僧正が、江戸から京に向かうことになる。南禅寺山門供養のためである。途中、近江国で、満開の藤の花を見つけ、花の下で掃除をしている老夫婦にここはどこかと訪ねる。老夫婦は、甲良の在士八幡宮だと答え、この地が藤堂高虎公ゆかりの地であることを告げる。天海は今は亡き高虎と懇意であった。老夫婦の正体が高虎の両親の霊であることが明かされ、前場が終わる。

間狂言は、高虎が若い頃の話に基づいている。仕官先を求めて東へ向かい、三河国吉田(現在の愛知県豊橋市)で無一文で空腹となっていたところで餅屋を見つけて餅を食べるも銭がない。だが餅屋の主は銭を求めず、「東に行くのではなく故郷に戻りなさい」と高虎に勧める。故郷に戻った高虎は豊臣秀長に仕え、出世の第一歩を築く。高虎は後に吉田に行き、出世払いをしたという話である。
この狂言では、「三河国に住まい致す者」が京へ上る途中、近江国の茶屋に寄り、高虎の話が好きな茶屋の主から餅を振る舞われるという話になっている。
旅の者(茂山宗彦)が餅を豪快に食らうシーンが見せ場である。

後場。藤の花の下で眠りに就いた天海僧正の前に高虎の霊が現れ、昔を懐かしみ、大坂夏の陣での大活躍を舞で表現すると同時に身内を失った苦悩を吐露する。南禅寺山門は、高虎が親族を弔うために再建したものであり、天海がそこを訪れて供養を行うことを知って喜ぶのだった。

高虎は、主君を度々変えたということもあって、所領も頻繁に変わっており、築城した城も多い。新作能「高虎」にも、今治城や津城など、高虎が築いた名城が登場する。

| | | コメント (0)

2021年3月11日 (木)

観劇感想精選(386) COCOON PRODUCTION2021 「マシーン日記」京都公演

2021年3月5日 左京区岡崎のロームシアター京都メインホールにて観劇

午後6時30分から、ロームシアター京都メインホールで、COCOON PRODUCTION2021 「マシーン日記」を観る。作:松尾スズキ、演出:大根仁。松尾スズキがBunkamuraシアターコクーンの芸術監督に就任したことを記念して行われる公演で、横山裕(関ジャニ∞)、大倉孝二、森川葵、秋山菜津子による4人芝居である。ジャニーズ、それも関西ジャニーズの関ジャニ∞のメンバーである横山裕の主演ということで、来場者の99%以上は女性である。松尾スズキ作品であり、若い女性が好むような作品ではないと思われるのだが、集客という意味では成功したようである。なお、横山裕が新型コロナに感染したため、数公演が中止になっているが、更に横山がストーカー被害に遭っており、会社員の若い女性が逮捕されたとの報道が今日あった(その後、横山裕のマネージャーへのストーカー行為であったとの報道に変わった)。横山も災難続きのようである。
ジャニーズチケットというものがあるようなのだが、おそらくファンクラブのメンバーであることが必須で、身元はハッキリしているため、そちらでチケットを購入した人は特に何かをする必要はないのだが、それ以外の手段でチケットを購入した人は、半券の裏に氏名と電話番号を記入する必要がある。

「マシーン日記」は1996年の初演。戯曲も発売されているが、再演の度に松尾スズキが筆を加えており、今回のバージョンも発売となっている。松尾スズキの戯曲は基本的に私小説的な要素が強いと思われ、「マシーン日記」の他にも「ふくすけ」などでもいじめと復讐が描かれていたり、ミュージカル「キレイ」でも監禁されるという設定が登場する。松尾スズキ本人は子どもの頃は体育の授業はずっと見学だったというほどの虚弱児童で、大学は芸術学部に入るも、周囲に比べて画才がないことで落ち込み(ただそのことが本格的に演劇を始めるきっかけになる)、大学卒業後に就職したデザイン会社でも、正社員でありながら学生アルバイトに負けてしまうほど仕事が出来ないということで、かなりのコンプレックスを抱いていたようである。監禁された人々は、体が弱く劣等感の塊だった時代の松尾スズキ本人の姿が投影されていると解釈した方が分かりやすいように思う。

演出の大根仁は、ドラマ好きにはよく知られている人で、堤幸彦のオフィスクレッシェンド所属。堤幸彦が見出した才能で、「TRICK」シリーズでいくつかの演出を手掛けたほか、大河ドラマ「いだてん」にも演出として参加している。
映像出身ということで、「マシーン日記」でも映像を多用しているが、ベルトコンベアの動きを映像で出したこと以外は、大きな効果は上げられなかったように思う。

 

通常ならオーケストラピットとして使用出来るスペースに舞台を置き、本来のステージ上に客席を設け、更にオーケストラピット上の舞台を左右から挟む形での舞台上客席も設置されていて、舞台を4面から見る客席配置となっている。今日は私は通常の客席であったが、1階の左側サイド席(バルコニー席)である。バルコニー席の最後列にあるハイチェア席と4階席は未使用での上演となった。

 

小さな町工場である、ツジヨシ兄弟電業(舞台上方に会社名を書いた木製の看板が下がっている)が舞台であり、そこから一歩も出ることなく物語が進むという一杯飾りの作品である。中央に多角形(一見すると円形に見えるがそうではない)の回り舞台があり、周囲を途切れ途切れではあるが、ロープ状のものが囲っていて、プロレスのリングのように見えなくもない。秋山菜津子演じるケイコは、髪型といいメイクといい服装といい女子プロレスの悪役のような格好をしている。客席の配置から言ってもプロレスが意識されていることは明らかである。この回り舞台の中で様々な異種格闘技が展開される。

「オズの魔法使い」より“Over the Rainbow”が流れて芝居が始まる。この音楽はその後の重要な場面でも流れ、更に「オズの魔法使い」の変種の物語であることも提示される。

ツジヨシ家の次男であるミチオ(横山裕)は、1年前の雨の日、「哀れな女工」を強姦した。そのことでミチオは逮捕され、仮釈放となるも、そのまま兄であるアキトシ(大倉孝二)によってツジヨシ兄弟電業のプレハブ小屋に監禁される。右脚を鎖で繋がれており、プレハブ小屋から出ることが出来ない(ミチオが「俺はプレハブ小屋を繋いでいる」と語る場面があり、冗談ではあるのだが、実際にそのように思える瞬間もある)。だが、ミチオは電気修理に関しては秀でた能力があり、月収3万円でありながら、ツジヨシ兄弟電業の修理の仕事のほぼ全てを手掛けていた。勿論、修理の仕事が好きだったというのが主な理由だが、その他にも理由があった。ミチオは子どもの頃からいじめられっ子であり、かつて自分をいじめた人々から受けた電気修理の過程で盗聴器を忍び込ませて盗聴を繰り返し、彼らが不幸になっていくのを楽しんでいた
ミチオが強姦した「哀れな女工」であるサチコ(森川葵)は、ミチオの兄であるアキトシと結婚した。弟のしでかしたことは兄が責任を取るということで結婚したのだが、その理屈にサチコもミチオも納得していない。ただミチオはサチコを受け入れておらず、ある意味、サチコがアキトシと結婚したことに安堵しているようでもある。なお、アキトシも以前に事件を起こしたことがあり、その影響でミチオの就職が取り消しになっている。だがその後、就職先でもかつてのいじめっ子に会ったという話をミチオはしているため、家業以外での地元での就職をおそらく短期間ではあるが経験していることが分かる。ケイコから、街を出るという選択はなかったのかと聞かれたミチオであるが、そのことについては考えたことがなかったようである。アキトシやサチコ同様、ミチオも「ここ」以外の場所での生活に怖れを抱いているようにも見え、また実際は「ここ」に居続けることを欲しているように思われる。
なお、兄のアキトシは、生まれつき左手の指が6本あるという奇形で、その後も飼っているワニに片方の睾丸を食いちぎられるなど、異形のものとなっていた。更に双極性障害(暴力癖が見られるため、重度のⅠ型であると思われる。双極性障害Ⅰ型の場合は入院が必要になるケースも多い)を患っており、心身ともに他者と違うことで暴走に歯止めが利かない。事実上、「ここ」以外の場所には行けない人間である。
アキトシは事件を起こした後、父親によってやはりプレハブ小屋に監禁されたことがあったそうだが、父親の話が出てくるのはここだけで、母親は「アキトシが夜中に母親の名を呼ぶTikTokをやっている」という話にしか出てこない。家族の存在は希薄で、それ故にアキトシは家族にこだわっていることが見て取れる。

ツジヨシ兄弟電業に新たなパートが入ることになる。ツジヨシ兄弟電業初の大卒社員となるケイコだ。ケイコは元中学校の教師で、サチコの恩師でもあった。サチコは中卒のようで、そのことをアキトシから見下されており、度々DVを受けていたが、彼女もミチオ同様、ツジヨシ兄弟電業から出ることが出来ないでいる。ケイコは、サチコのことをMであり、SMが好きなのだと断言する。
ケイコは、理数系であったが体育教師であり、かつてはオリンピックの日本代表になったこともあるほどの陸上選手だったが、両性具有者であったため(つまり彼女も異形者である)、セックスチェック(性別審査)に引っかかり、出場はならなかった。ケイコは、度々音楽が流れるマイケル・ジャクソン(黒人に生まれながら白人であろうとした)のような矛盾を抱えたアキトシやサチコとは異なり、単純な駄目男であるミチオを気に入り、様々な体位での性交をミチオと試みるようになる。ケイコは、サチコの同級生で、やはりいじめられっ子だったマツザワという生徒と結婚しており、単純な駄目男を受け入れることが好きなようである。ただそのことでサチコの夢を二度、いや三度も奪うことになる。
ケイコはミチオのセックスマシーンになることを決め、ミチオもケイコを3号機と名付ける。情を交わした3番目の女という意味で、1号機は中年の女性、2号機はサチコだった。
やがてミチオとの間の子を宿したケイコはミチオをトラウマから強引に解放するためのマシーンとして暴走を始めて行く。

 

大倉孝二と秋山菜津子というキャリア豊かな舞台出身の俳優の中にあって、横山裕は大健闘。ジャニーズは厳しいと言われているが、そのため演技をストイックに磨き抜くタイプが多く、横山もそれに入ると思われる。ダンスシーンも用意されているが、やはり横山のキレがダントツであり、これだけでも観客を魅了するのに十分であった。

Dsc_0967

| | | コメント (0)

2021年2月26日 (金)

劇団音乃屋オンライン公演 音楽劇「はごろも ~三保の伝承にもとづく~」(文字のみ)

2021年2月23日

劇団音乃屋のオンライン公演、音楽劇「はごろも ~三保の伝承にもとづく~」を視聴。静岡市清水区(旧静岡県清水市)の曹洞宗庵原山(あんげんざん)一乗寺の本堂で収録されたものである。静岡市清水区の三保の松原を始め、日本各地に残る羽衣伝説を題材にした「家族みんなで楽しめる音楽劇」である。宮城聰が芸術監督を務めるSPAC所属の女優で、劇団音乃屋主宰でもある関根淳子の作・演出、天女役。劇団大樹主宰で大蔵流狂言方の川野誠一の伯良(漁師。川野誠一は私立大分高校卒とのことなので、財前直見の後輩、森七菜の先輩となるようである)。新保有生(しんぼ・ありあ。苗字から察するに、先祖がご近所さんだった可能性もある)の作曲・演奏(三味線、篠笛、能管)での上演である。冒頭に一乗寺住職からの挨拶があり、劇団音乃屋主宰の関根淳子からの挨拶と新保有生の演奏が特典映像として収められている。

全国各地に存在する「羽衣伝説」であるが、三保の松原のそばにある御穂神社には天女のものとされる羽衣が今に伝わっている。
羽衣伝説は様々な芸能の素材となっているが、歌舞伎舞踊の「松廼羽衣(まつのはごろも)」が中村勘九郎・七之助の兄弟により、ロームシアター京都メインホールで上演された時には、上演前に行われた芸談で、「静岡公演の昼の部と夜の部の間に三保の松原と羽衣を見に行った」という話をしており、「残っているんなら切って与えたんだから、それを演出に取り入れよう」ということで、夜の部から急遽羽衣を切るという演出を加えたという話をしていたのを覚えている。

三保の松原は風光明媚な地として日本中に知られているが、そこから眺める富士山の美しさでも知られている。富士山は休火山で、今は噴煙は上がっていないが、噴火していた時代もあり、空へとたなびく白煙が天界へと続く羽衣に見立てられたことは想像に難くない。

新保有生による冴え冴えとした邦楽器の音が奏でられる中、まず川野誠一演じる伯良が狂言の発声と所作と様式で状況を説明して松に掛かった羽衣を見つけ、次いで天女役の関根淳子が現れて、返して欲しいと謡の発声で話し掛ける。邦楽を用いることで郷愁や哀愁が自ずから漂う。「舞を行うので衣を返して欲しい」と頼まれた伯良は「嘘偽りではないか」と疑うが、天女は「天に偽りなきものを」と言い、羽衣を纏っての舞を披露する。もちろん嘘ではない、嘘ではないが「芸術とは最も美しい嘘のことである」というドビュッシーの言葉が浮かぶ。天女は天界の人(正確にいうと人ではないが)なので神通力が使えるはずなのであるが、無理に衣を奪い返そうとせず、舞を披露することで羽衣を取り返す。このあたりが、芸能に生きる人々の「舞こそおのが神通力なれ」という心意気であり、今も受け継がれているように思える(伝承での「羽衣」は舞を披露したりはせず、夫婦となった後に天上へと帰ったり、地上に残ったりするパターンが多い。舞によって羽衣を取り返すのは伝世阿弥の謡曲「羽衣」以降である)。
三保の松原を舞台にした「羽衣」作品群には、天女への愛着のみならず、霊峰と仰がれ神格化された富士山(寿命を持った女神である「木花開耶姫=浅間神」に見立てられた)とそこから上る白煙を通した天界への憧れが、背後に隠されていると思われる。

関根淳子と川野誠一の演技と動きも寺院で上演されるに相応しい雅趣がある。現代劇の発声ではないので、セリフが耳に馴染みにくい方もいらっしゃるかも知れないが、日本語字幕付きのバージョンがあったり、英語字幕付きのバージョンがあったり、目の不自由な方のための解説副音声付きのものがあったりと、バリアフリー対応の公演となっている。

| | | コメント (0)

2021年2月21日 (日)

観劇感想精選(385) 佐藤隆太主演 舞台「いまを生きる」(再演)

2021年2月13日 大阪・西梅田のサンケイホールブリーゼにて観劇

午後1時から、西梅田のサンケイホールブリーゼで、舞台「いまを生きる」を観る。ロビン・ウィリアムズ主演の名画の舞台化で、今回は再演となる。主演は佐藤隆太。

佐藤隆太主演の「いまを生きる」が再演されるという情報は得ていたのだが、チケットの取り扱いがイープラスとローソンチケットとぴあの電話予約だったということもあり、いつどこで上演されるのかまでは掴んでいなかった。先月、野村万作萬斎の狂言公演を観に行った際に、サンケイホールブリーゼエントランス近くのチラシコーナーで「いまを生きる」のチラシを見つけ、「佐藤君主演だったら観なきゃな。『エブリ・ブリリアント・シング』では良い経験させて貰ったし」というわけでイープラスでチケットを取った。

佐藤隆太も女性のファンが多い俳優だが、それに加えて、ジャニーズJr.のメンバーが出演するため、客席の大半は若い女性である。

今回の「いまを生きる」は、オフブロードウェイで上演された作品の日本語上演版である。「いまを生きる」には、生徒が自殺するシーンがあるのだが、映画から起こした台本を使って高校演劇として上演されたことがあり、その高校で数ヶ月前に自殺事件が発生していたため、「倫理的にどうか」と疑問視されたことがある。ただ、今回はそれとは別のバージョンである。

脚本:トム・シュルマン(映画版脚本。第62回アカデミー賞脚本賞受賞)、演出・上演台本:上田一豪(うえだ・いっこう。東宝演出部所属)。
出演は、佐藤隆太、佐藤新(ジャニーズJr.)、瀬戸利樹、影山拓也(ジャニーズJr.)、基俊介(ジャニーズJr.)、三宅亮輔、市川理矩、日向なる、飯田基祐、佐戸井けん太。

日本初演は2018年で、3年ぶりの再演となる。

舞台となるのは、アメリカ北東部、バーモント州にある寄宿学校(ボーディングスクール)、ウェルトン・アカデミーである。アイビーリーグに多くの生徒を送り出している名門校であるが、その手の学校にありがちなように、保守的で厳格な校風であり、教師や親からの「幸福の押しつけ」が起こりやすい環境である。
そこに赴任して来た新人英語教師(日本のように非英語圏の人に英語を教えるわけではないので、日本でいう国語教師に近い。ただアメリカには当然ながら本当の意味での古文や漢文などはないので、教えるのは文学作品中心である)のジョン・キーティング(佐藤隆太)。ウェルトン・アカデミーのOBである。初登場シーンでは、口笛でベートーヴェンの「歓喜の歌」を吹きながら現れる(原作映画では別の曲である)。まず最初の「詩とは何か」の定義で教科書に書かれていることを否定し、真の意味での優れた文学教育や人間教育に乗り出していく。ただ、寄宿学校に通う生徒の両親は、往々にして金持ちだが保守的で息子の進路を勝手に決めてしまうというタイプが多いため、ジョンのやり方は次第に非難を浴びるようになっていく。ウェルトン・アカデミーの校長であるポール・ノーラン(佐戸井けん太)も自由さや独自性を重視するジョンのやり方を問題視するようになっていった。

ジョンは、生徒達に詩作を行うことを薦める。最初の内は戸惑っていた生徒だが、次第にジョンに共鳴するようになり、クラスで首席を取りながら、親が決めた道に進まざるを得ない状況となったニール(瀬戸利樹)も、ジョンに触発されて以前から興味のあった俳優の仕事に興味を持ち、他校で行われる「真夏の夜の夢」のオーディションに参加、一番の人気役であるパックにキャスティングされて大喜びである。
ジョンは、生徒達に机の上に立って、視点を変えるといったような発想法の転換などを中心に教えていく。

思春期の男の子達ということで、一番の話題はやはり恋愛。寄宿学校は男子生徒のみであり、女子との接点は少ないのだが、ノックス(影山拓也)は、パーティーで知り合ったクリス(日向なる)に一目惚れ。何かと話題にしている。

男子生徒達は、ウェルトン・アカデミー在学時代のジョンに興味を示し、残された文集やデータなどから、ジョンがウェルトン時代に「死せる詩人の会」という詩の朗読サークルに所属していたことを知る。現在は残っていないサークルだったが、生徒達は再興することを決め、文学と自由を謳歌するようになるのだが……。

ニールは「真夏の夜の夢」に出て好評を得たが、父親のペリー(飯田基祐)から、俳優などやらず、ハーバード大学の医学部に進み、医者になるよう強制される。それが代々のペリー家の男子の生き方だったようだ。苦悩するニールは最終的には拳銃自殺を選んでしまうという、ヘルマン・ヘッセの『車輪の下』の系譜に列する作品でもあり、子ども達への「愛情」のあり方が問われている。

ジョンが最初に生徒に教えたのは、ホイットマンがリンカーン大統領の思い出に捧げた「おおキャプテン! わがキャプテン!」であり、ジョンも教師というよりキャプテンであることを生徒に印象づける。この「おおキャプテン! わがキャプテン!」は、亡くなったリンカーンを死にゆく船長になぞらえたもので、内容自体は不吉であり、ジョンのその後を予言する結果となっている。

結局、ジョンは、保守的な学校体制には勝てず、寄宿学校を去ることになるのだが、最後に生徒達は机の上に立ち上がり、「おおキャプテン! わがキャプテン!」と唱えて、ジョンを支持するのであった。

 

アメリカの学園もの映画の中では、「いまを生きる」以外に、リチャード・ドレイファス主演の「陽のあたる教室」なども好きなのだが、「陽のあたる教室」も日本でも舞台化されており、まだ東京に通っていた頃なので、私は世田谷パブリックシアターで観ている。主演は水谷豊で、大阪ではシアター・ドラマシティで公演が行われたようである。息子役が黒田勇樹であったのが良かったのか悪かったのか今となっては微妙に思える。

 

カーテンコールでは佐藤隆太が、本日の話し手として、リチャード・キャメロン役の市川理矩を指名。キャメロンは、生徒達が「おおキャプテン! わがキャプテン!」でジョンを讃えている時に、自己保身のため一人だけ立ち上がることの出来ない生徒なのだが、市川が「机の上に立ってみたかった」と言ったため、特別にキャメロンも立ち上がるバージョンのラストシーンが演じられることになる。途中で自殺してしまうニール役の瀬戸利樹も冗談で参加しようとするが、佐藤隆太が、「いや、ニールがいるのはおかしい」と突っ込んだためすぐに退場する。
キャメロンが机の上に立って、「おおキャプテン! わがキャプテン!」をやった時には、客席が若い女の子中心ということで、黄色い声や笑い声、拍手などが鳴り響いた。

Dsc_08082

| | | コメント (0)

2021年2月20日 (土)

観劇感想精選(384) 大竹しのぶ主演「フェードル」(再演)

2021年2月13日 西宮北口の兵庫県立芸術文化センター阪急中ホールにて観劇

午後6時から、兵庫県立芸術文化センター阪急中ホールで、「フェードル」を観る。作:ジャン・ラシーヌ、テキスト日本語訳:岩切正一郎、演出:栗山民也。出演:大竹しのぶ、林遣都、瀬戸さおり、谷田歩(男性)、酒向芳(さこう・よし)、西岡美央、岡崎さつき、キムラ緑子。
ラシーヌ最後の戯曲であり、ギリシャ悲劇「ヒッポリュトス」を題材に、当時のフランスの世相などを加えて書き上げたという重層的構造を持つ作品である。大竹しのぶのフェードル、栗山民也の演出による上演は2017年に行われ、今回は再演となる。

オペラやミュージカル上演時にはオーケストラピットとなるスペースが、客席側の壁を取り払う形でしつらえられており、階段が2つ下りていて、大竹しのぶ演じるフェードルがピットの部分に下りて嫉妬心を語るシーンがある。また菱形を重ねた舞台装置であるが、登場人物がその縁スレスレを歩く場面があり、不安定感が表現される。また、ライトによって舞台床面に十字架のようなものが浮かぶ場面があり、フェードルが両手を伸ばして磔になったかのように見える仕掛けが施されていたりもする。

ギリシャのペロポネソス半島の街、トレゼーヌが舞台である。アテナイ(アテネ)の王であるテゼが消息を絶つ。テゼは勇猛果敢な王であり、数々の戦勝によって英雄視されているが、「英雄、色を好む」を地で行く人物であり、とにかく女癖が悪く、至る所に愛妾を設けていた。
現在のテゼの王妃がフェードル(ギリシャ悲劇ではパイドラという名前である。演じるのは大竹しのぶ)である。クレタ島の王家の出。ミノス王の娘で、ミノタウロスとは異母姉弟、そしてゼウスの孫にして太陽神の家系という複雑な環境に生を受けている。フェードルが恋路について、ミノタウルスが幽閉されたラビリンスに例える場面が劇中に登場し、テゼとアリアドネの話も仄めかされる。テゼはフェードルを寵愛し、フェードルを妻にして以降は女遊びも止めている。だが、そんなテゼがいなくなった。
フェードルにもテゼとの間に子どもがあるが、テゼと先の王妃、アンティオペとの間に生まれたのがイッポリット(林遣都)である。女であれば誰もが一目見て恋に落ちるほどの美男子だ。アンティオペはアマゾン国の女王出身であり(つまりアマゾネスである)、今はもう他界しているが、人々の話から激しい性格であったことが察せられる。そのためイッポリットは女を憎むようになっていた。イッポリットはテゼを探しに、この場所から外へと飛び出そうとしているのだが、侍臣のテラメーヌ(酒向芳)から、「どうも王が死んだようだ」と聞かされる。
フェードルも、イッポリットを一目見て恋い焦がれてしまったのだが、血は繋がっていないとはいえ、義理の親子であるため、近親相姦と見なされる可能性が高い。そのため、フェードルは敢えてイッポリットに冷たく当たり、イッポリットもフェードルの恋心に気づいてはいない。フェードルは、イッポリットへの恋の病で伏せるようになる。

イッポリットはイッポリットで、かつてテゼに反抗したアテナイ王族の娘で、今は保護観察処分となっているアリシー(瀬戸さおり)に恋をしている。こうして「片思いの連鎖」が生まれているのだが、イッポリットは男前なので、アリシーもイッポリットを恋慕っていた。アリシーは7人兄妹だったようだが、自分以外の6人は全てテゼによって殺害されたそうである。

さて、テゼが亡くなったとされたため、王位継承の候補として、フェードルの子、イッポリット、アリシーの3人が挙がる。フェードルは忍ぶ恋の相手だったイッポリットを選ぼうとし、最後は自分の思いを打ち明けてしまうのだが、イッポリットからは当然ながらというべきか色よい返事が貰えない。イッポリットはアリシーに王座を譲ることを考えていた。若者二人、恋の障壁といえば現在の身分の違いである。だが、もしアリシーがアテナイの女王となった場合、全ての障害は取り除かれる。
そんな時、テゼ(谷田歩)が生きており、まもなく帰還するという情報がもたらされる。その他の人物の努力が、このテゼの帰還によって水泡に帰する危険があった。

フェードルは、イッポリットへの復讐として、乳母で相談役のエノーヌ(キムラ緑子)と共に、イッポリットが自身を誘惑したという真逆の情報をテゼに伝えようと謀る。
だが、イッポリットが自分ではなくアリシーを愛しているということを知ったフェードルは嫉妬の炎に燃え上がる。

 

テゼが王宮を不在にしたことを発端として巻き起こる悲劇である。テゼがそのまま留まり続けていれば起きなかった悲劇とも考えることが出来る。
イッポリットは呪いによって命を落とし、エノーヌはフェードルの裏切りによって海中に身を投げるのだが、これらはギリシャ悲劇らしく伝聞によって語られる。悲劇は見えないところで起きるのだが、ラシーヌはフェードルの服毒死だけは舞台上で行われるようアレンジしている(原作ではフェーデルことパイドラが落命するシーンはないそうである)。ここがギリシャ悲劇とは違ったラシーヌらしさである。

かつてある映画(どの映画かは忘れてしまった)で、大竹しのぶと桃井かおりの二人の「魔女」と言われる女優が路上で喧嘩しているシーンを撮っている時に、本当に雷が落ちて、映画にもそのまま収められたという有名な話があり、監督が「魔女二人が一緒に画面に入っちゃ駄目!」と言ったという話があるが、今回の舞台は、大竹しのぶとキムラ緑子という二人の「魔女」系女優の共演となった。ただ王妃とその乳母という関係であり、一部を除いては激しいやり取りもなく、落雷も起こらず(当然だが)、キムラ緑子の悲哀の表現の上手さが引き立っていた。

余談だが、キムラ緑子が、「さんまのまんま」に出演したことがあるのだが、キムラ緑子は、明石家さんまの話をほとんど聞かず、思いついたことを即行動に移してしまうため、さんまが、「言葉のキャッチボールって分かる?」「良い女優さんって、どうしてみんな変なんやろ? 俺に大竹しのぶは無理やったんやわ」と嘆いていたことが今も思い出される。

タイトルロールを演じる大竹しのぶであるが、セリフが極めて音楽的である。大竹しのぶは舞台出演も多いため、接する機会も多いのだが、近年になってセリフがより音楽的なものへの傾斜していることが実感される。おそらく本人も意識しているはずである。
大竹しのぶは、女優だけでなく歌手としても活動しており、コンサートなども開いている。また、エディット・ピアフの生涯を描いた「ピアフ」では、タイトルロールとして見事な歌唱を聴かせ、評価も高い。ということで音楽と親和性の強い台詞回しの追求が可能な女優である。
今回の「フェードル」でも三連符の連続のような節回しや、バロック音楽の装飾音のように華麗な口調、声の高さによって操られる情感や業に至るまでの多彩な表現を繰り広げる。真に音楽として聴くことの出来るセリフであり、大竹しのぶはさながら「セリフのマエストラ」と称賛すべき存在となっている。音楽好きの人にも是非見て聴いて貰いたいセリフ術だ。ちなみに今最も人気のあるピアニストである反田恭平が、東京で「フェードル」を観たようで、Twitterで大竹しのぶの演技を絶賛していた。

子役から成長した林遣都。子役の時は、映画「バッテリー」でピッチャー役を務めており、そのことからも分かる通り運動神経抜群で、高校生の頃に箱根駅伝を題材にした映画に出演した際は、指導を行った桐蔭横浜大学陸上部の監督に才能を見込まれ、「進路はどうなってるの? うちに来ないか?」とスカウトを受けたという話が残っている。駅伝の選手になりたいわけではなかったので当然ながら断っているが。
今回もイッポリットを凜々しく演じているが、運動神経が良いので、それを生かした演技も今後見てみたくなる。

今回は「魔女」ではない役のキムラ緑子(そうした要素が全くない訳ではないが、他者によって伝聞として語られるだけであり、演技では面には余り出ない)。セリフなしで佇んでいるだけでも雄弁という、ザ・女優の演技で見る者を惹きつけていた。

 

カーテンコールでは、客席がオールスタンディグオベーションとなり、俳優達は何度も舞台に登場。最後は大竹しのぶが、「ありがとうしか言えないんですけれど。こんな状況の中、お越し下さって感謝しております」と語り、その後、観客だけではなくスタッフや関係者へのお礼を述べた後で、「でも一番は、客席に来て下さった方のために」と感謝を伝え、「演劇が永遠に続きますように。頑張ります」と言って締めた。

Dsc_0811

| | | コメント (0)

2021年2月14日 (日)

2346月日(28) 神奈川近代文学館「井上靖展」ほか、横浜市イギリス館、ゲーテ座 2007.7.21

2007年7月21日

港の見える丘公園のある、通称フランス山に登り、神奈川近代文学館へ向かう。
神奈川近代文学館では、今年が生誕100年に当たり、大河ドラマ「風林火山」の原作者でもある井上靖展が開かれていた。常設展も充実していて、夏目漱石、芥川龍之介、吉川英治、大佛次郎(おさらぎ・じろう)、中島敦、島崎藤村、志賀直哉、武者小路実篤、有島武郎、北村透谷、谷崎潤一郎、三島由紀夫、岡本かの子、泉鏡花といった神奈川県に縁の深い作家の直筆原稿が展示されており、面白いことこの上ない。直筆原稿の字を読みながら、原稿用紙に字を書いていく文豪の姿を思い浮かべると頬がゆるむ。
作家によって使う筆記用具が違い、字の読みやすさも違う。明治時代前期に執筆活動を始めた人は毛筆書きが多く、時代が下がると万年筆で書く人が多くなる。中には鉛筆書きの作家もいる。字も非常に読みやすい人から何が書いてあるのかほとんどわからないほど悪筆の人まで様々である。推敲の頻度も当然ながら異なり、ほとんど推敲の跡が見られない人もいれば、数行ごとに文章を黒く塗りつぶして、横に新しい文を小さく書き記す人もいる。

井上靖展も井上の直筆原稿と、金沢四高(現・金沢大学教養課程)時代から始まる詩作のノート、京都帝国大学在学中(といってもすでに28歳であった)に“就職難を吹き飛ばして”大学生でありながらキネマ社の脚本部に入るという“快挙”を成し遂げた井上靖青年を取り上げた新聞記事(井上の顔写真入り)なども展示されている。


港の見える丘公園内にある横浜市イギリス館を見学。かつてのイギリス総領事館公邸である。1937年完成の木造建築。2004年から内部が一般公開されている。入館無料。1階のホールはサークル活動などの稽古場として、2階の集会所はミーティングルームとしても使用されており、私が訪れた時は両方とも使用中で、その2つの部屋だけは見ることが出来なかった。

ついで、岩崎ミュージアムを訪れる。地下は山手ゲーテ座というホール、2階が服飾関係のミュージアム、1階がミュージアムショップと喫茶店となっている。
山手ゲーテ座は、明治時代に建てられた「ゲーテ座」という西洋劇場の跡地であることを記念して作られたホール。ゲーテは、文豪のゲーテではなく、英語のGaiety(陽気な)に由来するとのことである。
かつてのゲーテ座では、居留西洋人のための居留西洋人による演劇上演や音楽会が催されており、西洋文化に直接触れることの出来る日本でほとんど唯一の場所であった。西洋文化を学ぶために、坪内逍遙、北村透谷、瀧廉太郎、芥川龍之介などが足繁く通っていたという。

| | | コメント (0)

2021年2月11日 (木)

観劇感想精選(383) 深津篤史演出 桃園会 “a tide of classics”公演 岸田國士戯曲連続上演 「留守」「驟雨」「紙風船」

2007年6月13日 大阪・心斎橋のウイングフィールドにて観劇

大阪へ。ウイングフィールドで、桃園会の“a tide of classics”公演、岸田國士(きしだ・くにお)戯曲連続上演、『留守』、『驟雨』、『紙風船』を観る。演出はもちろん桃園会主宰の深津篤史(ふかつ・しげふみ)。

岸田國士戯曲賞にその名を残す岸田國士は、明治23年(1890)生まれ。劇作家、小説家、演出家、翻訳家として活躍し、戯曲の文学性と独自性がいかに重要であるかを説いて、後進に多大な影響を与えた。先頃(2006年12月17日)亡くなった岸田今日子の父親としても知られる。
また、明治大学文芸科科長となり、演劇専攻を設立した。明治大学文芸科はその後に再編され、明治大学文学部文学科となった。その際、文芸科は廃されることなく、明治大学文学部文学科文芸学専攻として第二部(夜間部)にのみ残された。日本を始めとした各国の文学と演劇が学べるというカリキュラムと、ずっと御茶ノ水にいられるということに惹かれた私が明治大学文学部文学科文芸学専攻(文芸学科という俗称もあった)に入ってしまったのが1994年のこと。というわけで、明治大学文学部出身の私としては岸田國士作品の上演を見逃すわけにはいかない。

午後8時開演の公演。午後7時より受付開始、整理券発行とのことだったので、その時間ぴったりにウイングフィールドに着く。やはり整理券番号1番を貰ってしまう。東京だと、受付開始時間前に人が列を作っていたりするのだが、関西ではそうした光景を見ることはほとんどない(有名人の出る公演は別である)。「いらち」と言われる大阪人だが、個人的な見解を述べると東京人の方がずっとせっかちである。というわけで東京では受付時間前に行って並ばないと気が済まない人が多いということになる。

戯曲の独自性を説いた岸田國士だが、今の時代から見ると小説との親和性が強い。そして登場人物がとにかく良く喋る。明治・大正期の小説を読むと、会話が長い人が多く出てくるし(泉鏡花の小説などを読むと一人で3ページ分ほど延々と喋り続ける人が出てくる)、往時の人は現代人より長く喋る傾向もあったと思われるので(他に娯楽もないし)余り違和感は覚えないのだが、その世界に入り込むのに多少時間が掛かる。桃園会は、普段は短いセリフを繋いでいくスタイルを持つ劇団なので尚更だ。

一人の人物が延々と話すというスタイルの演劇は現代ではやりにくい。今は一人で長々と喋る人はほとんどいないので、それをやろうとすると「いかにも演劇的スタイル」となり、そうした「いかにも演劇的な嘘」に観客も慣れていない。「いかにも演劇的な嘘」を見せるとしたら、義太夫のように、もしくはク・ナウカのように、演じ手と話し手をわけるといった思い切った嘘が必要なのかも知れない。岸田が活躍した時代というのは、ある意味、戯曲を創作するのに恵まれていたとも言える。

『留守』、『驟雨』、『紙風船』全てにおいて、男女の関係のバランスに重点が置かれている。特に『驟雨』と『紙風船』では我が儘な男と自分の立場を主張する女のやり取りが題材となっており、当時、男女の立場がいかに重要な議題であったかが窺われる。

深津の演出はオーソドックス。衣装なども往時のスタイルを守っている。
役者は、女優陣の方がレベルが高い。特に看板女優である江口恵美の存在感は特筆事項。江口がいるだけで舞台が引き締まる。

| | | コメント (0)

より以前の記事一覧

その他のカテゴリー

2346月日 DVD YouTube …のようなもの いずみホール おすすめCD(TVサントラ) おすすめサイト おすすめCD(クラシック) おすすめCD(ジャズ) おすすめCD(ポピュラー) おすすめCD(映画音楽) お笑い その日 びわ湖ホール アニメ・コミック アニメーション映画 アメリカ アメリカ映画 イギリス イギリス映画 イタリア イタリア映画 ウェブログ・ココログ関連 オペラ オンライン公演 カナダ グルメ・クッキング ゲーム コンサートの記 コンテンポラリーダンス コンビニグルメ サッカー ザ・シンフォニーホール シアター・ドラマシティ シェイクスピア シベリウス ショートフィルム ジャズ スタジアムにて スペイン スポーツ ソビエト映画 テレビドラマ デザイン トークイベント ドイツ ドイツ映画 ドキュメンタリー映画 ドキュメンタリー番組 ニュース ノート ハイテクノロジー バレエ パソコン・インターネット パフォーマンス パーヴォ・ヤルヴィ ピアノ ファッション・アクセサリ フィンランド フェスティバルホール フランス フランス映画 ベルギー ベートーヴェン ポーランド ミュージカル ミュージカル映画 ヨーロッパ映画 ラーメン ロシア ロームシアター京都 中国 中国映画 交通 京都 京都コンサートホール 京都フィルハーモニー室内合奏団 京都劇評 京都四條南座 京都国立博物館 京都国立近代美術館 京都市交響楽団 京都文化博物館 京都芸術センター 京都芸術劇場春秋座 伝説 住まい・インテリア 余談 兵庫県立芸術文化センター 劇評 動画 千葉 南米映画 占い 台湾映画 史の流れに 哲学 大河ドラマ 大阪 大阪フィルハーモニー交響楽団 大阪松竹座 学問・資格 宗教 室内楽 小物・マスコット・インテリア 広上淳一 建築 心と体 恋愛 意識について 携帯・デジカメ 政治・社会 教育 散文 文化・芸術 文学 文楽 旅行・地域 日本映画 日記・コラム・つぶやき 映像 映画 映画音楽 映画館 書店 書籍・雑誌 書籍紹介 朗読劇 来日団体 東京 梅田芸術劇場メインホール 楽興の時 歌舞伎 正月 歴史 海の写真集 演劇 無明の日々 猫町通り通信・鴨東記号 祭り 笑いの林 第九 経済・政治・国際 絵画 美容・コスメ 美術 美術回廊 習慣 能・狂言 花・植物 芸能・アイドル 落語 街の想い出 言葉 趣味 追悼 邦楽 配信ライブ 野球 関西 雑学 雑感 韓国 韓国映画 音楽 音楽劇 音楽映画 食品 飲料 香港映画