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2025年3月22日 (土)

観劇感想精選(486) パルテノン多摩共同事業体企画 三浦涼介&大空ゆうひ&岡本圭人「オイディプス王」2025@SkyシアターMBS

2025年3月1日 JR大阪駅西口のSkyシアターMBSにて観劇

午後5時から、JR大阪駅西口にあるJPタワー大阪の6階、SkyシアターMBSで、「オイディプス王」を観る。これもSkyシアターMBSオープニングシリーズに含まれる公演である。「オイディプス王」は、ギリシャ悲劇の中で最も有名な作品であるが、劇場で観るのは初めてである。男児が母親を独占しようとして、その障害となる父親を嫌悪するジークムント・フロイト定義の「エディプス・コンプレックス」の由来となったオイディプス王(女児が父親を独占しようとして、その障害となる母親を嫌悪する真逆の現象は、やはりギリシャ悲劇由来の「エレクトラ・コンプレックス」と呼ばれる。「エレクトラ」は高畑充希のタイトルロールで、ラストに別作品を加えたり少しアレンジしたバージョンを観たことがある)。ソポクレスのテキストを河合祥一郎が日本語訳したテキストを使用。演出は蜷川幸雄の弟子である石丸さち子。出演は、三浦涼介、大空ゆうひ、岡本圭人、浅野雅博、外山誠二、大石継太、今井朋彦ほか。パルテノン多摩共同事業体の企画・製作。大阪公演の主催はMBSである。MBS(毎日放送)は大阪城のそばの京橋にMBS劇場、後のシアターBRAVA!を持っていたのだが、土地の所有者と金銭面で意見が合わなくなり撤退。昨年春にSkyシアターMBSをオープンさせている。

文学座や演劇集団円など、新劇系の所属者や出身者が目立つが、様々な背景を持つ俳優が集められている。2023年のプロジェクトの再演。

「オイディプス王」の映像は、野村萬斎がタイトルロールを演じた蜷川幸雄演出のものを観たことがある。ギリシャでの上演で、オイディプス王はラストで自らピンで目を刺して失明するのだが(ギリシャ悲劇の約束事として、悲惨な場面は舞台裏の観客からは見えないところで行われることになっている)、野村萬斎は手に血糊をたっぷり付けて、白い壁に塗りたくるということをやっていた。今回演出の石丸さち子は、蜷川の弟子だが、そこまで外連味のある演出は行っていない。

「オイディプス王」のテクストであるが、ギリシャ悲劇は現代まで通じる演劇の大元となってはいるのだが、上演様式が異なるため、文庫などで購入出来るテキストをそのまま上演することは余りない(そもそもセットがない時代なので、最初は何があるかの描写や説明が延々と続いたりする。今回はセットはあるのでそうしたものは全部カットである)。今回もアレンジを施しての上演である。ギリシャ悲劇では、オーケストラの語源となったオルケストラという場所にコロスと呼ばれる合唱や朗唱を受け持つ人達がいて、解説なども行っていたのだが、今回はコロスは全員舞台上に上がり、合唱の代わりにダンスを行う。台詞も勿論ある。

セットは比較的シンプルで、階段の上に宮殿への入り口があるだけのものだが、入り口の上にも細長いセットが伸びている。まるでオイディプス(膨れた足という意味)の傷を負った脚のようだが、そういう意図があるのかどうかは不明である。

朗唱も多いのだが、SkyシアターMBSはミュージカル対応の劇場だけに少し残響があり、発音がはっきりと聞こえない場面もあった。

神託や予言が重要な役割を持つ作品で、テーバイの王、ライオスは、「生まれた子は父親を殺し、母親を犯すだろう」という神託を受けて、妻のイオカステに命じて、生まれた子のくるぶしをピンで突き刺し、キタイロンの山に捨てさせた。しかしその子は拾われ、オイディプスと名付けられて、子がなかったコリントスの王と王妃に育てられることになった。だが、成長したオイディプス(三浦涼介)はやはり「父親を殺し、母親を犯す」との神託を受けて、それから逃れるためにコリントスを去る。そして「三つの道が交わるところ」で、進路を妨害してきた老人達に激怒。殺害してしまう。テーバイに入ったオイディプスはスフィンクスの謎を解く(「朝は四本足、昼は二本足、夕方には三本足となるものは何か?」。この場面は、劇中には出てこない)。こうして英雄となったオイディプスはテーバイの王となり、先王の王妃であったイオカステ(大空ゆうひ)を妻に迎え、3人の子をもうける。余りにも有名なので記すが、オイディプスが殺害したのは実父でテーバイの先王であるライオスであり、妻にしたイオカステはオイディプスの実母である。神託を避けたつもりが逆に当たるという結果になってしまったのだ。
オイディプスが王になってから、疫病などが流行るようになった。そこでオイディプスは摂政のクレオン(岡本圭人)を使者としてデルポイに送り、神託を行わせる。神託の結果は、「ライオス殺害の穢れが原因であり、下手人を捕まえて追放せよ」というものだった。まずここでオイディプスが気付きそうなものだが気付かず進む。

ミステリーの要素が強いのがこの戯曲の特徴で、ギリシャ悲劇の中でも人気の作品となっている理由が分かる。途中でネタバレしそうになるのだが、バレずに続くという場面があるが、そこはお約束である。

三浦涼介は、三浦浩一と純アリスの息子。岡本圭人は岡本健一の息子で、二世俳優が劇の両腕ともいえるポジションを受け持っているのが特徴である。二世俳優は批判も受けがちだが、子どもの頃から芸能に接していることも多いため、芸の習得が早いなど、プラスに働くことも多い。今日の二人も若さを生かしたダイナミックでエネルギッシュな演技を行っており、なかなか魅力的である。ああいったギラギラした感じは二世だから出しやすいとも思える。叩き上げの人がやるとまた違った感じになるだろう。
大空ゆうひは、宝塚歌劇団宙組元トップスターだが、今日は「いかにも元宝塚」な演技は行っていなかった。ただ立ち姿が美しいのが宝塚的であったりもする。

波の音が比較的多く使われているのだが、これはラスト付近のコロスの台詞、「悲劇の海」に掛けられたものだと思われる。
コロスなので、朗唱もあるのだが、複数の人が一言一句同じ台詞を言うというのは、リアリズムという点で言うとやはり不自然である。台詞に厚みが出るというプラスの面もあるが、二人程度による朗唱に留めると「約束事」として受け取りやすくなるように思う。

今回のラストは、オイディプス王の退場ではなく、オイディプス王が舞台の前方に出てきて手を大きく広げ、その後に暗転があってコロスによるダンスで終わる。
オイディプス王の手に動きは何かを引き裂くようでもあるが、正確には何を表したかったのかは上手く伝わってこなかった。ただ、常に神託に頼る展開であり、自ら「追放してほしい」と願うオイディプスをクレオンが「神託を聞いてから」と止めているため、それに背いて道を切り開く、と見えないこともない。「オイディプス王」の一側面として、神託に背こうとして逃れられないという展開が続くという場面が多いことが挙げられる。神の前で人は無力。神が力を失った現代(特に日本人は無神論者が多数派)においても、例えば「運命」などという言葉は生きており、そこから逃れる、もしくは打ち勝つ(難しいが)というメッセージが込めやすい作品であるとも感じる。

コロスのダンスに関しては、プロのダンサーが揃っている訳ではないので、格別上手いということはなく、本当に踊る必要があるのかどうかも疑問だが、本筋とは関係のない部分であり、一つの実験として見るなら意味はあったように思う。結論としてはダンスは合わないとは思うが。

役者が客席から舞台に上げる場面が何度かあるが、視覚的効果と「遠くから来た印象を与える」以外の意味はないように感じた(客席から舞台に上げることに意味がある芝居も勿論存在する)。

神が絶対的な権威を持ち、神託からは逃れられない時代の物語である。人間は何をしても神には勝てない。だからこその悲劇なのであるが、それを破る展開も今ではありのような気がする。ただその場合はソフォクレスの「オイディプス王」としてはやらない方がいいようにも思う。

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2025年3月16日 (日)

観劇感想精選(485) 令和6年能登半島地震復興祈念公演「まつとおね」 吉岡里帆×蓮佛美沙子

2025年3月9日 石川県七尾市中島町の能登演劇堂にて観劇

能登演劇堂に向かう。最寄り駅はのと鉄道七尾線の能登中島駅。JR金沢駅から七尾線でJR七尾駅まで向かい、のと鉄道に乗り換える。能登中島駅も七尾市内だが、七尾市は面積が広いようで、七尾駅から能登中島駅までは結構距離がある。

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JR七尾線の各駅停車で七尾へ向かう。しばらくは金沢の市街地だが、やがて田園風景が広がるようになる。
JR七尾駅とのと鉄道七尾駅は連結していて(金沢駅で能登中島駅までの切符を買うことが出来る。のと鉄道七尾線は線路をJRから貸してもらっているようだ)、改札も自動改札機ではなく、そのまま通り抜けることになる。

のと鉄道七尾線はのんびりした列車だが、田津浜駅と笠師保駅の間では能登湾と能登島が車窓から見えるなど、趣ある路線である。

 

能登中島駅は別名「演劇ロマン駅」。駅舎内には、無名塾の公演の写真が四方に貼られていた。
能登演劇堂は、能登中島駅から徒歩約20分と少し遠い。熊手川を橋で渡り、道をまっすぐ進んで、「ようこそなかじまへ」と植物を使って書かれたメッセージが現たところで左折して進んだ先にある。

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午後2時から、石川県七尾市中島町の能登演劇堂で、令和6年能登半島地震復興祈念公演「まつとおね」を観る。吉岡里帆と蓮佛美沙子の二人芝居。

能登演劇堂は、無名塾が毎年、能登で合宿を行ったことをきっかけに建てられた演劇専用ホールである(コンサートを行うこともある)。1995年に竣工。
もともとはプライベートで七尾市中島町(旧・鹿島郡中島町)を訪れた仲代達矢がこの地を気に入ったことがきっかけで、自身が主宰する俳優養成機関・無名塾の合宿地となり、その後10年ほど毎年、無名塾の合宿が行われ、中島町が無名塾に協力する形で演劇専用ホールが完成した。無名塾は現在は能登での合宿は行っていないが、毎年秋に公演を能登演劇堂で行っている。

令和6年1月1日に起こった能登半島地震。復興は遅々として進んでいない。そんな能登の復興に協力する形で、人気実力派女優二人を起用した演劇上演が行われる。題材は、七尾城主だったこともある石川県ゆかりの武将・前田利家の正室、まつの方(芳春院。演じるのは吉岡里帆)と、豊臣(羽柴)秀吉の正室で、北政所の名でも有名なおね(高台院。演じるのは蓮佛美沙子。北政所の本名は、「おね」「寧々(ねね)」「ねい」など諸説あるが今回は「おね」に統一)の友情である。
回想シーンとして清洲時代の若い頃も登場するが、基本的には醍醐の花見以降の、中年期から老年期までが主に描かれる。上演は、3月5日から27日までと、地方にしてはロングラン(無名塾によるロングラン公演は行われているようだが、それ以外では異例のロングランとなるようだ)。また上演は能登演劇堂のみで行われる。

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有料パンフレット(500円)には、吉岡里帆と蓮佛美沙子からのメッセージが載っているが、能登での公演の話を聞いた時に、「現地にとって良いことなのだろうか」(吉岡)、「いいのだろうか」(蓮佛)と同じような迷いの気持ちを抱いたようである。吉岡は昨年9月に能登に行って、現地の人々から「元気を届けて」「楽しみ」という言葉を貰い、蓮佛は能登には行けなかったようだが、能登で長期ボランティアをしていた人に会って、「せっかく来てくれるんなら、希望を届けに来てほしい」との言葉を受けて、そうした人々の声に応えようと、共に出演を決めたようである。また二人とも「県外から来る人に能登の魅了を伝えたい」と願っているようだ。

原作・脚本:小松江里子。演出は歌舞伎俳優の中村歌昇ということで衣装早替えのシーンが頻繁にある。ナレーション:加藤登紀子(録音での出演)。音楽:大島ミチル(演奏:ブダペストシンフォニーオーケストラ=ハンガリー放送交響楽団)。邦楽囃子:藤舎成光、田中傳三郎。美術:尾谷由衣。企画・キャスティング・プロデュース:近藤由紀子。

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舞台美術は比較的簡素だが、能登演劇堂の特性を生かす形で生み出されている。

 

立ち位置であるが、上手側に蓮佛美沙子が、下手側に吉岡里帆がいることが多い。顔は似ていない二人だが、舞台なので顔がそうはっきり見えるわけでもなく、二つ違いの同世代で、身長は蓮佛美沙子の方が少し高いだけなので、遠目でもどちらがどちらなのかはっきり分かるよう工夫がなされているのだと思われる。

 

まずは醍醐の花見の場。秀吉最後のデモストレーションとなったことで有名な、今でいうイベントである。この醍醐の花見には、身内からは前田利家と豊臣秀頼のみが招かれているという設定になっており、おねは「次の天下人は前田利家様」になることを望んでいる。淀殿が秀吉の寵愛を受けており、子どもを産むことが出来なかった自分は次第に形見が狭くなっている。淀殿が嫌いなおねとしては、淀殿の子の秀頼よりも前田利家に期待しているようだ。史実としてはおねは次第に淀殿に対向するべく徳川に接近していくのであるが、話の展開上、今回の芝居では徳川家康は敵役となっており、おねは家康を警戒している。秀吉や利家は出てこないが、おね役の蓮佛美沙子が二人の真似をする場面がある。

二人とも映画などで歌う場面を演じたことがあるが、今回の劇でも歌うシーンが用意されている。

回想の清洲の場。前田利家と羽柴秀吉は、長屋の隣に住んでいた。当然ながら妻同士も仲が良い。その頃呼び合っていた、「まつ」「おね」の名を今も二人は口にしている。ちなみに年はおねの方が一つ上だが、位階はおねの方がその後に大分上となり、女性としては最高の従一位(「じゅいちい」と読むが、劇中では「じゅういちい」と読んでいた。そういう読み方があるのか、単なる間違いなのかは不明)の位階と「豊臣吉子」の名を得ていた。そんなおねも若い頃は秀吉と利家のどちらが良いかで迷ったそうだ。利家は歌舞伎者として有名であったがいい男だったらしい。
その長屋のそばには木蓮の木があった。二人は木蓮の木に願いを掛ける。なお、木蓮(マグノリア)は能登復興支援チャリティーアイテムにも採用されている。花言葉は、「崇高」「忍耐」「再生」。

しかし、秀吉が亡くなると、後を追うようにして利家も死去。まつもおねも後ろ盾を失ったことになる。関ヶ原の戦いでは徳川家康の東軍が勝利。まつの娘で、おねの養女であったお豪(豪姫)を二人は可愛がっていたが、お豪が嫁いだ宇喜多秀家は西軍主力であったため、八丈島に流罪となった。残されたお豪はキリシタンとなり、金沢で余生を過ごすことになる。その後、徳川の世となると、出家して芳春院となったまつは人質として江戸で暮らすことになり、一方、おねは秀吉の菩提寺である高台寺を京都・東山に開き、出家して高台院としてそこで過ごすようになる(史実としては、高台寺はあくまで菩提寺であり、身分が高い上に危険に遭いやすかったおねは、現在は仙洞御所となっている地に秀吉が築いた京都新城=太閤屋敷=高台院屋敷に住み、何かあればすぐに御所に逃げ込む手はずとなっていた。亡くなったのも京都新城においてである。ただ高台寺が公演に協力している手前、史実を曲げるしかない)。しかし、大坂の陣でも徳川方が勝利。豊臣の本流が滅びたことで、おねは恨みを募らせていく。15年ぶりに金沢に帰ることを許されたおまつは、その足で京の高台寺におねを訪ねるが、おねは般若の面をかぶり、夜叉のようになっていた。
そんなおねの気持ちを、まつは自分語りをすることで和らげていく。恨みから醜くなってなってしまっていたおねの心を希望へと向けていく。
まつは、我が子の利長が自分のために自決した(これは事実ではない)ことを悔やんでいたことを語り、苦しいのはおねだけではないとそっと寄り添う。そして、血は繋がっていないものの加賀前田家三代目となった利常に前田家の明日を見出していた(余談だが、本保家は利常公の大叔父に当たる人物を生んだ家であり、利常公の御少将頭=小姓頭となった人物も輩出している)。過去よりも今、今よりも明日。ちなみにおねが負けず嫌いであることからまつについていたちょっとした嘘を明かす場面がラストにある。
「悲しいことは二人で背負い、幸せは二人で分ける」。よくある言葉だが、復興へ向かう能登の人々への心遣いでもある。

能登演劇堂は、舞台裏が開くようになっており、裏庭の自然が劇場内から見える。丸窓の向こうに外の風景が見えている場面もあったが、最後は、後方が全開となり、まつとおねが手を取り合って、現実の景色へと向かっていくシーンが、能登の未来への力強いメッセージとなっていた。

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能登中島駅に飾られた舞台後方が開いた状態の能登演劇堂の写真

様々な衣装で登場した二人だが、最後は清洲時代の小袖姿で登場(ポスターで使われているのと同じ衣装)。劇場全体を華やかにしていた。

共に生で見るのは3回目となる吉岡里帆と蓮佛美沙子。吉岡里帆の前2回がいずれも演劇であるのに対して、蓮佛美沙子は最初はクラシックコンサートでの語り手で(ちなみにこの情報をWikipediaに書き込んだのは私である)、2度目は演劇である。共に舞台で風間杜夫と共演しているという共通点がある。蓮佛美沙子は目鼻立ちがハッキリしているため、遠目でも表情がよく伝わってきて、舞台向きの顔立ち。吉岡里帆は蓮佛美沙子に比べると和風の顔であるため、そこまで表情はハッキリ見えなかったが、ふんわりとした雰囲気に好感が持てる。実際、まつが仏に例えられるシーンがあるが、吉岡里帆だから違和感がないのは確かだろう。ただ、彼女の場合は映像の方が向いているようにも感じた。

 

二人とも有名女優だが一応プロフィールを記しておく。

蓮佛美沙子は、1991年、鳥取市生まれ。蓮佛というのは鳥取固有の苗字である。14歳の時に第1回スーパー・ヒロイン・オーディション ミス・フェニックスという全国クラスのコンテストで優勝。直後に女優デビューし、15歳の時に「転校生 -さよなら、あなた-」で初主演を飾り、第81回キネマ旬報ベストテン日本映画新人女優賞と第22回高崎映画祭最優秀新人女優賞を獲得。ドラマではNHKの連続ドラマ「七瀬ふたたび」の七瀬役に17歳で抜擢され、好演を示した。その後、民放の連続ドラマにも主演するが、視聴率が振るわず、以後は脇役と主演を兼ねる形で、ドラマ、映画、舞台に出演。育ちのいいお嬢さん役も多いが、「転校生 -さよなら、あなた-」の男女逆転役、姉御肌の役、不良役、そして猟奇殺人犯役(ネタバレするのでなんの作品かは書かないでおく)まで広く演じている。白百合女子大学文学部児童文化学科児童文学・文化専攻(現在は改組されて文学部ではなく独自の学部となっている)卒業。卒業制作で絵本を作成しており、将来的には出版するのが夢である。映画では、主演作「RIVER」、ヒロインを演じた「天外者」の評価が高い。
2025年3月9日現在は、NHK夜ドラ「バニラな毎日」に主演し、月曜から木曜まで毎晩登場、好評を博している。
出演したミュージカル作品がなぜがWikipediaに記されていなかったりする。仕方がないので私が書いておいた。

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吉岡里帆は、1993年、京都市右京区太秦生まれ。書道を得意とし、京都橘大学で書道を専攻。演技を志したのは大学に入ってからで、それまでは書道家になるつもりであった。仲間内の自主製作映画に出演したことで演技や作品作りに目覚め、京都の小劇場にも出演したが、より高い場所を目指して、夜行バスで京都と東京を行き来してレッスンに励み、その後、自ら売り込んで事務所に入れて貰う。交通費などはバイトを4つ掛け持ちするなどして稼いだ。東京進出のため、京都橘大学は3年次終了後に離れたようだが、その後に大学を卒業しているので、東京の書道が専攻出来る大学(2つしか知らないが)に編入したのだと思われる。なお、吉岡は京都橘大学時代の話はするが、卒業した大学に関しては公表していない。
NHK朝ドラ「あさが来た」ではヒロインオーディションには落選するも評価は高く、「このまま使わないのは惜しい」ということで特別に役を作って貰って出演。TBS系連続ドラマ「カルテット」では、元地下アイドルで、どこか後ろ暗いものを持ったミステリアスな女性を好演して話題となり、現在でも代表作となっている。彼女の場合は脇役では有名な作品は多いが(映画「正体」で、第49回報知映画賞助演女優賞、第48回日本アカデミー賞最優秀助演女優賞受賞)、主演作ではまだ決定的な代表作といえるようなものがないのが現状である。知名度や男受けは抜群なので意外な気がする。現在はTBS日曜劇場「御上先生」にヒロイン役で出演中。また来年の大河ドラマ「豊臣兄弟!」では、主人公の豊臣秀長(仲野太賀)の正室(役名は慶=ちか。智雲院。本名は不明という人である)という重要な役で出ることが決まっている(なお、寧々という名で北政所を演じるのは石川県出身の浜辺美波。まつが登場するのかどうかは現時点では不明である)。

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二人とも良いとこの子だが、経歴を見ると蓮佛がエリート、吉岡が叩き上げなのが分かる。

カーテンコールで、先に書いたとおり小袖登場した二人、やはり吉岡が下手側から、蓮佛が上手側から現れる。二人とも三十代前半だが、そうは見えない若々しくて魅力的な女の子である。

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2025年2月18日 (火)

観劇感想精選(484) リリックプロデュース公演 Musical「プラハの橋」

2025年2月10日 京都劇場にて

午後6時30分から、京都劇場で、リリックプロデュース公演 Musical「プラハの橋」を観る。歌手の竹島宏が「プラハの橋」(舞台はプラハ)、「一枚の切符」(舞台不明)、「サンタマリアの鐘」(舞台はフィレンツェ)という3枚のシングルで、2003年度の日本レコード大賞企画賞を受賞した「ヨーロッパ三部作」を元に書かれたオリジナルミュージカル公演である。作曲・編曲:宮川彬良、脚本・演出はオペラ演出家として知られる田尾下哲。作詞は安田佑子。竹島宏、庄野真代、宍戸開による三人芝居である。演奏:宮川知子(ピアノ)、森由利子(ヴァイオリン)、鈴木崇朗(バンドネオン)。なお、「ヨーロッパ三部作」の作曲は、全て幸耕平で、宮川彬良ではない。

パリ、プラハ、フィレンツェの3つの都市が舞台となっているが、いずれも京都市の姉妹都市である。全て姉妹都市なので京都でも公演を行うことになったのかどうかは不明。
客席には高齢の女性が目立つ。
チケットを手に入れたのは比較的最近で、宮川彬良のSNSで京都劇場で公演を行うとの告知があり、久しく京都劇場では観劇していないので、行くことに決めたのだが、それでもそれほど悪くはない席。アフタートークでリピーターについて聞く場面があったのだが、かなりの数の人がすでに観たことがあり、明日の公演も観に来るそうで、自分でチケットを買って観に来た人はそれほど多くないようである。京都の人は数えるほどで、北は北海道から南は鹿児島まで、日本中から京都におそらく観光も兼ねて観に来ているようである。対馬から来たという人もいたが、京都まで来るのはかなり大変だったはずである。

青い薔薇がテーマの一つになっている。現在は品種改良によって青い薔薇は存在するが、劇中の時代には青い薔薇はまだ存在しない(青い薔薇は2004年に誕生)。

アンディ(本名はアンドレア。竹島宏)はフリーのジャーナリスト兼写真家。ヨーロッパ中を駆け巡っているが、パリの出版社と契約を結んでおり、今はパリに滞在中。編集長のマルク(宍戸開)と久しぶりに出会ったアンディは、マルクに妻のローズ(庄野真代)を紹介される。アンディもローズもイタリアのフィレンツェ出身であることが分かり、しかも花や花言葉に詳しい(ローズはフィレンツェの花屋の娘である)ことから意気投合する。ちなみにアンディはフィレンツェのアルノ川沿いの出身で、ベッキオ橋(ポンテ・ベッキオ)を良く渡ったという話が出てくるが、プッチーニの歌劇「ジャンニ・スキッキ」の名アリア“ねえ、私のお父さん”を意識しているのは確かである。
ローズのことが気になったアンディは、毎朝、ローズとマルクの家の前に花を一輪置いていくという、普通の男がやったら気味悪がられそうなことを行う。一方、ローズも夫のマルクが浮気をしていることを見抜いて、アンディに近づいていくのだった。チェイルリー公園で待ち合わせた二人は、駆け落ちを誓う。

1989年から1991年まで、共産圏が一斉に崩壊し、湾岸戦争が始まり、ユーゴスラビアが解体される激動の時代が舞台となっている。アンディは、湾岸戦争でクウェートを取材し、神経剤が不正使用されていること暴いてピューリッツァー賞の公益部門を受賞するのだが、続いて取材に出掛けたボスニア・ヘルツェゴビナで銃撃されて右手を負傷し、両目を神経ガスでやられる。

竹島宏であるが、主役に抜擢されているので歌は上手いはずなのだが、今日はなぜか冒頭から音程が揺らぎがち。他の俳優も間が悪かったり、噛んだりで、舞台に馴染んでいない印象を受ける。「乗り打ちなのかな?」と思ったが、公演終了後に、東京公演が終わってから1ヶ月ほど空きがあり、その間に全員別の仕事をしていて、ついこの間再び合わせたと明かされたので、ブランクにより舞台感覚が戻らなかったのだということが分かった。

台詞はほとんどが説明台詞。更に独り言による心情吐露も多いという開いた作りで、分かりやすくはあるのだが不自然であり、リアリティに欠けた会話で進んでいく。ただ客席の年齢層が高いことが予想され、抽象的にすると内容を分かって貰えないリスクが高まるため、敢えて過度に分かりやすくしたのかも知れない。演劇を楽しむにはある程度の抽象思考能力がいるが、普段から芝居に接していないとこれは養われない。風景やカット割りなどが説明的になる映像とは違うため、演劇を演劇として受け取る力が試される。
ただこれだけ説明的なのに、アンディとローズがなぜプラハに向かったのかは説明されない。一応、事前に「プラハの春」やビロード革命の話は出てくるのだが、関係があるのかどうか示されない。この辺は謎である。

竹島宏は、実は演技自体が初めてだそうだが、そんな印象は全く受けず、センスが良いことが分かる。王子風の振る舞いをして、庄野真代が笑いそうになる場面があるが、あれは演技ではなく本当に笑いそうになったのだと思われる。
宍戸開がテーブルクロス引きに挑戦して失敗。それでも拍手が起こったので、竹島宏が「なんで拍手が起こるんでしょ?」とアドリブを言う場面があった。アフタートークによると、これまでテーブルクロス引きに成功したことは、1回半しかないそうで(「半」がなんなのかは分からないが)、四角いテーブルならテーブルクロス引きは成功しやすいのだが、丸いテーブルを使っているので難しいという話をしていた。リハーサルでは四角いテーブルを使っていたので成功したが、本番は何故か丸いテーブルを使うことになったらしい。

最初のうちは今ひとつ乗れなかった三人の演技であるが、次第に高揚感が出てきて上がり調子になる。これもライブの醍醐味である。

宮川彬良の音楽であるが、三拍子のナンバーが多いのが特徴。全体の約半分が三拍子の曲で、残りが四拍子の曲である、出演者が三人で、音楽家も三人だが何か関係があるのかも知れない。

ありがちな作品ではあったが、音楽は充実しており、ラブロマンスとして楽しめるものであった。

 

竹島宏は、1978年、福井市生まれの演歌・ムード歌謡の歌手。明治大学経営学部卒ということで、私と同じ時代に同じ場所にいた可能性がある。

「『飛んでイスタンブール』の」という枕詞を付けても間違いのない庄野真代。ヒットしたのはこの1作だけだが、1作でも売れれば芸能人としてやっていける。だが、それだけでは物足りなかったようで、大学、更に大学院に進み、現在では大学教員としても活動している。
ちなみにこの公演が終わってすぐに「ANAで旅する庄野真代と飛んでイスタンブール4日間」というイベントがあり、羽田からイスタンブールに旅立つそうである。

三人の中で一人だけ歌手ではない宍戸開。終演後は、「私の歌を聴いてくれてありがとうございました」とお礼を言っていた。
ちなみにアフタートークでは、暗闇の中で背広に着替える必要があったのだが、表裏逆に来てしまい、出番が終わって控え室の明るいところで鏡を見て初めて表裏逆に着ていたことに気付いたようである。ただ、出演者を含めて気付いた人はほとんどいなかったので大丈夫だったようだ。

竹島宏は、「演技未経験者がいきなりミュージカルで主役を張る」というので公演が始まる前は、「みんなから怒られるんじゃないか」とドキドキしていたそうだが、東京公演が思いのほか好評で胸をなで下ろしたという。

庄野真代は、「こんな若い恋人と、こんな若い旦那と共演できてこれ以上の幸せはない」と嬉しそうであった。「これからももうない」と断言していたが、お客さんから「またやって」と言われ、宍戸開が「秋ぐらいでいいですかね」とフォローしていた。

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2025年2月12日 (水)

観劇感想精選(483) 渡邊守章記念「春秋座 能と狂言」令和七年 狂言「宗論」&能「二人静」立出之一声

2025年2月8日 京都芸術劇場春秋座にて

午後2時から、京都芸術劇場春秋座で、渡邊守章記念「春秋座 能と狂言」を観る。毎年恒例となっている能と狂言の上演会である。今回の狂言の演目は「宗論」、能は「二人静」立出之一声である。

片山九郎右衛門(観世流シテ方)と天野文雄(大阪大学名誉教授)によるプレトークでは、能「二人静」立出之一声の演出についての話が展開される。『義経記』を元に静御前の霊を描いた「二人静」。静御前は日本史上最も有名な女性の一人であるが、その正体についてはよく分かっておらず、不自然な存在でもあるため、架空の人物ではないかと思われる節もある。正史である『吾妻鏡』には記されているが、公家の日記や手紙など、一次史料とされるものにその名が現れることはない。『義経記』は物語で、史料にはならない。
「二人静」は、元々はツレの菜摘の女と、後シテの静の霊が同じ舞を行うという趣向だったのだが、宝生九郎が「舞の名手を二人揃えるのは大変」ということで宝生流では「二人静」を廃曲とし、観世元章も同じような考えも持つに至った。ただ廃する訳にはいかないので、立出之一声という新しい演出法を行うことにしたという。立出之一声を採用しているのは観世流のみのようである。
二人とも狂言に関する解説は行わなかった。

 

狂言「宗論」。宗派の違う僧侶同士が論争を行うことを宗論という。仏教が伝来した奈良時代から行われており、最澄と徳一の三一権実論争などが有名だが、史上、たびたび行われており、時には天下人を利用したり利用されたりもしている(安土宗論など)。現在の仏教界は共存共栄路線を取っているので、伝統仏教同士で争うことは少ないが、昔は宗派による争いも絶えず、時に武力に訴えることもあった。
出演は、野村万作(浄土僧。シテ)、野村萬斎(法華僧。シテ)、野村裕基(宿屋。アド)。三世代揃い踏みである。
京・日蓮宗大本山本国寺(現在は本圀寺の表記で山科区にあるが、以前は洛中にあった。山科に移る前は西本願寺の北にあり、塔頭は今もその周辺に残るため、再移転の案もある。江戸時代には水戸藩との結びつきが強く、水戸光圀より圀の名を譲られて本圀寺の表記となっている)の僧で、日蓮宗の総本山、身延山久遠寺(甲斐国、現在の山梨県にある。日蓮は鎌倉幕府から鎌倉か京都に寺院を建立しても良いとの許可を得たが、これを断って、僻地の身延山に本山を据えた)に詣でた法華僧(野村萬斎)は、都への帰り道で、同道してくれる都の僧侶を探すことにする。丁度良い感じの僧(野村万作)が見つかったが、よく話を行くと、東山の黒谷(浄土宗大本山の金戒光明寺の通称)の僧で、信濃の善光寺から京に帰る途中だという。
共に有名寺院の僧侶であったことから、宿敵に近い関係であることがすぐに分かる。
浄土宗と日蓮宗は考え方が真逆である。往生を目的とするのは同じなのだが、「南無阿弥陀仏」の六字名号を唱えれば極楽往生出来るとするのが浄土宗、「妙法蓮華経」を最高の経典として日々の務めに励むのが日蓮宗である。日蓮宗の宗祖である日蓮は、『立正安国論』において、「今の世の中が悪いのは(浄土宗の宗祖である)法然坊源空のせいだ」と名指しで批判しており、浄土宗への布施をやめるよう説いていたりする。

互いに自宗派の優位を説く法華僧と浄土僧。法華僧は、嫌になって「在所に用がある」「何日も、数ヶ月も掛かるかも知れない」といって、同道をやめようとするが(「法華骨なし」という揶揄の言葉がある)、浄土僧は「何年でも待ちまする」とかなりしつこい(「浄土情なし」という揶揄が存在する)。
何とかまいて、宿屋へと逃げ込む法華僧だったが、浄土僧も宿屋を探り当て、同室となる……。

法華僧が論争にそれほど積極的ではないのに、扇子で床を打つ様が激しく、浄土僧も扇子で床を叩くが言葉の読点を置くようにだったりと、対比が見られる。性格と態度が異なるのも面白いところである。浄土僧は法然から授かった数珠を持っており、法華僧は日蓮から下された数珠を手にしているということで、かなりの高僧であることも分かる。本圀寺と金戒光明寺という大本山の僧侶なのだから、その辺の坊主とは違うのであろう。
最後は、浄土僧が「南無阿弥陀仏(狂言では「なーもーだー」が用いされる)」、法華僧が「妙法蓮華経」を唱えるが、いつの間にか逆転してしまうという笑いを生むのだが、それ以前から逆転の現象は起こっているため、最後だけとってつけたように逆転を起こしている訳ではないことが分かる。

 

能「二人静」立出之一声。出演は、観世銕之丞(前シテ、里女。後シテ、静御前)、観世淳夫(菜摘女。ツレ)、宝生常三(勝手宮神主。ワキ)。鳴り物は、亀井広忠(大鼓)、大倉源次郎(小鼓)、竹市学(笛)。

大和国吉野。神主が菜摘女に、菜摘川に若菜を採りに行くよう命じる。菜摘女は菜摘川の近くで、不思議な女に声を掛けられる。罪業が重いので、社家の人々に弔ってくれるよう伝えて欲しいというのだ、菜摘女は憑依体質のようで、女が取り憑き、判官殿(源九郎判官義経)の身内と名乗り出る。
春秋座は歌舞伎対応の劇場なので、花道があり、途中にセリがある。静御前の霊は、このセリを使って現れる。
しばらくは共に大物浦や吉野山の話(義経関連のみではなく、後に天武天皇となる大海人皇子の宮滝落ちの話なども出てくる。ちなみに天武天皇も天智天皇の「弟」である)などをしていた菜摘女と静御前の霊であるが、互いに舞い始める。最初は余り合っていないが、次第に二人で一人のようになってくる。
ただ、頼朝の前での舞を再現するときは、菜摘女のみが舞い、静御前は動かない。おそらく頼朝の前で舞を強要された屈辱から、同じ舞を行うことを拒否しているのだと思われる。その他の理由は見当たらない。そして「しづやしづ賤の苧環繰り返し昔を今になすよしもがな」から再び静は菜摘女と一体になり、存在を示す。

近年のドラマは、ストーリーよりも「伏線回収」が重視されているような印象を受けるが(物語は謎解きではないので必ずしも良い傾向だとは思えない)、今日観た狂言と能の演目は、伏線のしっかりした作品である。ただし、ある程度の知識がないと伏線が伏線だと分からないようにはなっている。

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2025年2月 7日 (金)

コンサートの記(885) びわ湖ホール オペラへの招待 クルト・ヴァイル作曲「三文オペラ」2025

2025年1月26日 滋賀県立芸術劇場びわ湖ホール中ホールにて

午後2時から、びわ湖ホール中ホールで、びわ湖ホール オペラへの招待 クルト・ヴァイル作曲「三文オペラ」を観る。ジョン・ゲイの戯曲「ベガーズ・オペラ(乞食オペラ)」をベルトルト・ブレヒトがリライトした作品で、ブレヒトの代表作となっている。ブレヒトは東ベルリンを拠点に活動した人だが、「三文オペラ」の舞台は原作通り、ロンドンのソーホーとなっている。

セリフの多い「三文オペラ」が純粋なオペラに含まれるのかどうかは疑問だが(ジャンル的には音楽劇に一番近いような気がする)、「マック・ザ・ナイフ」などのスタンダードナンバーがあり、クラシックの音楽家達が上演するということで、オペラと見ても良いのだろう。
ちなみに有名俳優が多数出演するミュージカル版は、白井晃演出のもの(兵庫県立芸術文化センター阪急中ホール)と宮本亞門演出のもの(今はなき大阪厚生年金会館芸術ホール)の2つを観ている。

実は私が初めて買ったオペラのCDが「三文オペラ」である。高校生の時だった。ジョン・マウチュリ(当時の表記は、ジョン・モーセリ)の指揮、RIASベルリン・シンフォニエッタの演奏、ウテ・レンパーほかの歌唱。当時かなり話題になっており、CD1枚きりで、オペラのCDとしては安いので購入したのだが、高校生が理解出来る内容ではなかった。

 

栗山晶良が生前に手掛けたオペラ演出を復元するプロジェクトの中の1本。演出:栗山晶良、再演演出:奥野浩子となっている。

振付は、小井戸秀宅。

 

園田隆一郎指揮ザ・カレッジ・オペラハウス管弦楽団の演奏。今日は前から2列目での鑑賞だったので、オーケストラの音が生々しく聞こえる。オルガン(シンセサイザーを使用)やバンドネオンなど様々な楽器を使用した独特の響き。

出演はWキャストで、今日は、市川敏雅(メッキー・メッサー)、西田昂平(にしだ・こうへい。ピーチャム)、山内由香(やまうち・ゆか。ピーチャム夫人)、高田瑞希(たかだ・みずき。ポリー)、有ヶ谷友輝(ありがや・ともき。ブラウン)、小林由佳(ルーシー)、岩石智華子(ジェニー)、林隆史(はやし・たかし。大道歌手/キンボール牧師)、有本康人(フィルチ)、島影聖人(しまかげ・きよひと)、五島真澄(男性)、谷口耕平、奥本凱哉(おくもと・ときや)、古屋彰久、藤村江李子、白根亜紀、栗原未知、溝越美詩(みぞこし・みう)、上木愛李(うえき・あいり)。びわ湖ホール声楽アンサンブルのメンバーが基本である。
オーケストラピットの下手端に橋状になった部分があり、ここを渡って客席通路に出入り出来るようになっている。有効に利用された。

ロンドンの乞食ビジネスを束ねているピーチャム(今回は左利き。演じる西田昂平が左利きなのだと思われる)。いわゆる悪徳業者であるが、悪党の親玉であるメッキー・メッサーが自身の娘であるポリーと結婚しようとしていることを知る。メッキー・メッサーは、スコットランドヤード(ロンドン警視庁)の警視総監ブラウンと懇意であり、そのために逮捕されないのだが、ピーチャムは娘を取り戻すためにブラウンにメッサーとの関係を知っていることを明かして脅す。
追われる身となったメッセーは、部下達に別れを告げ、ロンドンから出ることにするが、娼館に立ち寄った際に逮捕されてしまう。牢獄の横でメッサーに面会に来たポリーとブラウンの娘ルーシーは口論に。その後、上手く逃げおおせたメッサーであるが、再び逮捕されて投獄。遂には絞首刑になることが決まるのだが……。

クルト・ヴァイル(ワイル)は、いかにも20世紀初頭を思わせるようなジャンルごちゃ混ぜ風の音楽を書く人だが、「マック・ザ・ナイフ(殺しのナイフ)」はジャズのスタンダードナンバーにもなっていて有名である。今回の上演でもエピローグ部分も含めて計4度歌われる。エピローグ的な歌唱では、びわ湖ホールを宣伝する歌詞も特別に含まれていた。
また「海賊ジェニーの歌」も比較的有名である。

ブレヒトというと、「異化効果」といって、観客が登場人物に共感や没入をするのではなく、突き放して見るよう仕向ける作劇法を取っていることで知られるが、今回は特別に「異化効果」を狙ったものはない。ただ、オペラ歌手による日本語上演であるため、セリフが強く、一音一音はっきり発音するため、感情を込めにくい話し方となっており、そこがプロの俳優とは異なっていて、「異化効果」に繋がっていると見ることも出来る。
白井晃がミュージカル版「三文オペラ」を演出した際には、ポリー役に篠原ともえを起用。篠原ともえは今はいい女風だが、当時はまだ不思議ちゃんのイメージがあった頃、ということでヒロインっぽさゼロでそこが異化効果となっていた。今日、ポリーを演じたのは歌劇「竹取物語」で主役のかぐや姫を1公演だけ歌った高田瑞希。彼女はセリフも歌も身のこなしも自然で、いかにもオペラのヒロインといった感じであった。6年前に初めて見た時は、京都市立芸術大学声楽科に通うまだ二十歳の学生で、幼い感じも残っていたが、立派に成長している。

園田隆一郎指揮するザ・カレッジ・オペラハウス管弦楽団も、ヴァイルのキッチュな音楽を消化して表現しており、面白い演奏となっていた。

「セツアン(四川)の善人」などでもそうだが、ブレヒトは、ギリシャ悲劇の「機械仕掛けの神(デウス・エクス・マキナ)」を再現しており、それまでのストーリーをぶち破るように強引にハッピーエンドに持って行く。これも一種の異化効果である。

 

「三文オペラ」は、オペラ対訳プロジェクトの一作に選ばれており、クルト・ヴァイルの奥さんであったロッテ・レーニャなどの歌唱による音源を日本語字幕付きで観ることが出来る。

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2025年1月30日 (木)

観劇感想精選(482) 加藤健一事務所 「夏の盛りの蝉のように」

2022年12月25日 京都府立府民ホールアルティにて観劇

午後2時から、京都府立府民ホールアルティ(ALTI)で、加藤健一事務所の公演「夏の盛りの蟬のように」を観る。浮世絵師の代名詞的存在である葛飾北斎を中心に、弟子の蹄斎北馬、田原藩家老となる渡辺崋山、遅咲きながら現在では屈指の人気を誇る歌川国芳、更に北斎の娘で、応為の雅号を持つ(北斎がいつも「おーい」と呼ぶので応為を雅号にしたといわれる)絵師となったおえいらを中心とした浮世絵画壇ものである。

作:吉永仁郎、演出:黒岩亮。出演:加藤健一、新井康弘、加藤忍、岩崎正寛(演劇集団 円)、加藤義宗、日和佐美香(ひわさ・みか)。

生涯に93回の引っ越しを行ったといわれる葛飾北斎(加藤健一)。この劇も引っ越しの場面から始まる。時は1816年。おえい(加藤忍)はまだ12歳である。ということで、加藤忍は12歳から50代までを演じることになるのだが、流石の上手さである。
葛飾北斎が引っ越しを頻繁に行ったのは、片付けの能力がなかったためといわれており、片付けが全く出来ないので、引っ越すことで身の回りの整理を行っていた――この場合、行えていたと表現していいのか怪しいのだが――のである。同じ傾向を持った芸術家にベートーヴェンがいる。ただベートーヴェンは若い頃は衣服などを清潔に保ち、手を頻繁に洗うという潔癖なところがあった一方で、葛飾北斎は身の回りの環境にほとんど無頓着であり、末娘で絵師となり、北斎と同居していたおえいも同様の傾向があったようで、二人とも絵以外に興味を持つことはほとんどなかったといわれており、そうした過集中の傾向はこの芝居でも描かれている。

一方、北斎の一番弟子である蹄斎北馬(新井康弘。ストーリーテラーも兼ねる)は、自らの絵に集中するよりも、北斎と浮世絵士達の仲介役を務めている。
北斎を訪ねる門人ともいうべき浮世絵師は、歌川国芳(岩崎正寛)と渡辺崋山(加藤義宗)である。
国芳(よしさんと呼ばれている)は若い頃は手癖が悪く、絵師としてもなかなか芽の出ない日々が続いた。そんな中で和印(春画)に励んだり、武者絵に取り組んだりすることで、未来を切り開こうと必死である。
崋山は、武士身分だけあって潔癖なところがあり、絵には「技術」と「人格」の両方が必要だとして譲らない。
応為ことおえいは、自らの名を出しての作品も発表していたが、北斎名義の作品を出すこともしばしばである。

表現を巡っての対話が主になり、タイトルである「夏の盛りの蟬のように」に繋がる訳だが、北斎は主人公でありながら、いわば中心軸であり、崋山や国芳の絵師としてのスタイルを中心に話は展開していく。武士としての気質を崩せないでいる崋山や、絵を用いて風刺を盛んに行う国芳に対して、北斎は「絵は絵だ」と絶対芸術的な立場をとり続ける(そもそも絵以外のことに興味がないということもある)。それぞれの絵に対するスタンスが物語を動かす原動力となり、蛮社の獄(崋山は抗議の自刃を行う)や天保の改革(国芳の風刺画は幕府にマークされる)などの時代を背景に、己の作品と向き合う絵師の姿が浮かび上がってくる。

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2025年1月27日 (月)

コンサートの記(882) 上白石萌音 MONE KAMISHIRAISHI “yattokosa” Tour 2024-25《kibi》京都公演@ロームシアター京都メインホール

2025年1月18日 左京区岡崎のロームシアター京都メインホールにて

午後6時から、左京区岡崎のロームシアター京都メインホールで、上白石萌音 “yattokosa” Tour 2024-25 《kibi》京都公演を聴く。若手屈指の人気女優として、また歌手としても活動している上白石萌音のコンサート。最新アルバム「kibi」のお披露目ツアーでもある。京都公演のチケットは完売。「kibi」はアルバムの出来としては今ひとつのように思えたのだが、実際に生声と生音で聴くと良い音楽に聞こえるのだから不思議である。

上白石萌音の歌声は、小林多喜二を主人公とした井上ひさし作の舞台作品「組曲虐殺」(於・兵庫県立芸術文化センター阪急中ホール。小林多喜二を演じたのは井上芳雄)で耳にしており、心にダイレクトに染み渡るような美声に感心した思い出がある。ただ女優ではなく純粋な歌手としての上白石萌音の公演に接するのは今日が初めてである。
昨年の春に、一般受験で入った明治大学国際日本学部(中野キャンパス)を8年掛けて卒業した上白石萌音。英語が大の得意である。また、幼少時にメキシコで過ごしたこともあるため、スペイン語も話せるというトリリンガルである。フランス語の楽曲もサティの「ジュ・トゥ・ヴー」を歌って披露したことがある。
同じく女優で歌手の上白石萌歌は2つ下の実妹。萌歌は先に明治学院大学文学部芸術学科を卒業している。姉妹で名前が似ていてややこしいのに、出身大学の名称も似ていて余計にややこしいことになっている。

現在、「朝ドラ史上屈指の名作」との呼び声も高いNHK連続テレビ小説「カムカムエヴリバティ」がNHK総合で再放送中。ヒロインが3人いてリレー形式になる異色の朝ドラであったが、上白石萌音は一番目のヒロインを務めている(オーディションでの合格)。また新たな法曹関連の連続主演ドラマの放送が始まっている。

上白石萌音の声による影アナがあったが、録音なのかその場で言っているのかは判別出来ず。ただ、「もうちょっとで開演するから、待っててな」を京言葉の口調で語っており、毎回、ご当地の方言をアナウンスに入れていることが分かる。

客層であるが、年齢層は高めである。私よりも年上の人が多く、娘や孫を見守る感覚なのかも知れない。また、「『虎に翼』は面白かった!」という話も聞こえてきて、朝ドラのファンも多そうである。若い人もそれなりに多いが、女の子の割合が高い。やはり女優さんということで憧れている子が多いのだろう。なお、会場でペンライトが売られており、演出としても使われる。黄色のものと青のものがあり、ウクライナの国旗と一緒だが、関係があるのかどうかは分からない。

紗幕(カーテン)が降りたままコンサートスタート。カーテンが開くと上白石萌音が椅子に座って歌っている。ちなみにコンサートは上白石萌音が椅子に腰掛けたところでカーテンが閉まって終わったので、シンメトリーの構図になっていた。

白の上着と青系のロングスカート。スカートの下にはズボンをはいていたようで、途中の衣装替えではスカートを取っただけですぐに出てきた。

「『kibi』という素敵な曲ばかりのアルバムが出来たので、全部歌っちゃいます」と予告。「kibi」では上白石萌音も作詞で参加しているが、優等生キャラであるため、良い歌詞かというとちょっと微妙ではある。

浮遊感のある歌声で、音程はかなり正確(おそらく一音も外していない)。聴き心地はとても良い。
思っていたよりも歌手しているという感じで、クルクル激しく回ったりと、ステージでの振る舞いが様になっている。
原田知世や松たか子といった歌手もやる女優はトークも面白く、トーク込みで一つの商品という印象を受けることが多いが、上白石萌音も例外ではなく、楽しいトークを展開していた。

「今日は4階(席)まであるんですね」と上白石。4階席に向かって手を振る。更に、上手バルコニー席(サイド席)に向けて、「あちらの方は見えますか? 首が痛くありません?」、そして下手バルコニー席には、「そして、こちらにも。首がずっと(横を向いていて)。途中で(上手バルコニー席と)交換出来たら良いんですけど」「私も演劇で、ああいう席(バルコニー席)に座ったことがあって、終わったら首がこんな感じで」と首が攣った状態を模していた。ちなみに私は3階の下手バルコニー席にいた。彼女にはオフィシャルファンクラブ(le mone do=レモネードというらしい)があるので、1階席などは会員優先だと思われる。

上白石萌音も上白石萌歌も、「音」や「歌」といった音楽系の漢字が入っているが、母親が音楽の教師であったため、「音楽好きになるように」との願いを込めて命名されている。当然ながら幼時から音楽には触れていて、今日はキーボードの弾き語りも披露していた。

「京都には本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当に本当にお世話になっていて」と語る上白石萌音。彼女の出世作である周防正行監督の映画「舞妓はレディ」も京都の上七軒をもじった下八軒という架空の花街を舞台としており、「カムカムエヴリバティ」も戦前から戦後直後に掛けての岡山の町並みのシーンなどは太秦の東映京都撮影所で撮られていて、京都に縁のある女優でもある(ただ大抵の売れっ子女優は京都と縁がある)。「舞妓はレディ」の時には、撮影の前に、上七軒の置屋に泊まり込み、舞妓さんの稽古を見学し、日々の過ごし方を観察し、ご飯も舞妓さん達と一緒に食べるなど生活を共にして役作りに励んだそうだ。ただ、置屋の「女将さん? お母さん?」からは、帯を締めて貰うときにかなりの力で引っ張られたそうである。着付けは色んな人にやって貰ったことがあるが、そのお母さんが一番力強かったそうだ。そのため転んでしまいそうになったそうだが、お母さんからは、「『こんなんでよろけてたら、稽古なんか出来しません』だったか、正確な言葉は忘れてしまったんですけれども」と振り返っていた。「『舞妓はレディ』を撮っていた頃の自分は好き」だそうである。

「京都には何度もお世話になっているんですけれども、京都でライブをやるのは初めてです」と語るが、「あ、一人でやるのは初めてです。何人かと」と続けるも、聴衆が拍手のタイミングを失ったため、少し前に出て、「京都でライブをやるのは初めてです!」と再度語って拍手を貰っていた。
毎回、ご当地ソングを歌うようにしているそうで、今日は、くるりの「京都の大学生」が選ばれたのだが、「京都なので、この歌もうたっちゃった方がいいですよね」と、特別に「舞妓はレディ」のサビの部分をアカペラで歌ってくれたりもした。「『花となりましょう~おおお』の『おおお』の部分が当時は歌えなかったんですけども」と装飾音の話をし、「でも努力して、今は出来るようになりました」と語った。
また、京都については、「時間がゆっくり流れている場所」「初心に帰れる場所」と話しており、「京都弁は大好きです」と言って、京風の言い回しも何度かしていた。仕事関係の知り合いに京都弁を喋る女性がいて、「いいなあ」と思っているそうだ。京都の言葉では汚い単語を使ってもそうは聞こえないそうである。

京都の冬は寒いことで知られるが、「雪は降ったんですかね?」と客席に聞く。若い男性の声で「まだ降ってないよ」と返ってくるが、続いて、若い女性複数の声が「降ったよ、降ったよ」と続き、上白石萌音は、「どっちやねん?!」と関西弁で突っ込んでいた。「さては、最初の方は京都の人ではないですね」
「降ったり降らなかったり」でまとめていたが、京都はちょっと離れると天気も変わるため、京都市の北の方は確実に降っており、南の方はあるいは降っていないと思われる。

「ロンドン・コーナー」。舞台「千と千尋の神隠し」の公演のため、3ヶ月ロンドンに滞在した上白石萌音。「数々の名作を生んだ、文化の土壌のしっかりしたところ」で過ごした日々は思い出深いものだったようだ。ウエストエンドという劇場が密集した場所で「千と千尋の神隠し」の公演は行われたのだが、昼間に他の劇場でミュージカルを観てスタンディングオベーションをした後に走って自分が出演する劇場に向かい、夜は「千と千尋の神隠し」の舞台に出ることが可能だったそうで、滞在中にミュージカルを十数本観て、いい刺激になったそうだ。英語は得意なので言葉の問題もない。
ということで、ロンドンゆかりの楽曲を3曲歌う。全て英語詞だが、上白石本人が日本語に訳したものがカーテンに白抜き文字で投影される。「見えない方もいらっしゃるかも知れませんが、後で対処します」と語っていたため、後日ホームページ等にアップされるのかも知れない。
ビートルズの「Yesterday」、ミュージカル「メリー・ポピンズ」から“A Spoonful of sugar(お砂糖一さじで)” 、ミュージカル「レ・ミゼラブル」から“夢やぶれて”の3曲が歌われる。実はビートルズナンバーの歌詞を翻訳することは「あれ」なのだが、観客数も限られていることだし、特に怒られたりはしないだろう。
“夢やぶれて”は特に迫力と心理描写に優れていて良かった。

参加ミュージシャンへの質問も兼ねたメンバー紹介。これまでは上白石萌音が質問を考えていたのだが、ネタ切れということでお客さんに質問を貰う。質問は、「これまで行った中で一番素敵だと思った場所」。無難に「京都」と答える人もいれば、「伊勢神宮」と具体的な場所を挙げる人もいる。「行ったことないんですけど寂光院」と言ったときには、「常寂光院ですか? 私行ったことあります」と上白石は述べていたが、寂光院と常寂光院は名前は似ているが別の寺院である。「萌音さんといればどこでも」と言ったメンバーの首根っこを上白石は後ろから押したりする。「思いつかない」人には、「実家の子ども部屋です」と強引に言わせていた。上白石は、「京都もいいんですけど、スペイン」と答えた。

ペンライトを使った演出。舞台上にテーブルライトがあり、上白石萌音がそれを照らすとペンライトの灯りを付け、消すとスイッチを切るという「算段です」。「算段」というのは一般的には文語(書き言葉)で使われる言葉で、口語的ではないのだが、読書家の人は往々にして無意識に書き言葉で喋ることがある。私の知り合いにも何人かいる。上白石萌音は読書家といわれているが、実際にそのようである。
「付けたり消したり上手にしはるわあ」

「スピカ」という曲で本編を終えた上白石萌音。タイトルの似た「スピン」という曲も歌われたのだが、「スピン」は今回のセットリストの中で唯一の三拍子の歌であった。

アンコールは2曲。「まぶしい」「夜明けをくちずさめたら」であった。

「この中には、今、苦しんでらっしゃる方もいるかも知れません。また生きていればどうしても辛いこともあります」といったようなことを述べ、「でも一緒に生きていきまひょ」と京言葉でメッセージを送っていた。

サインボールのようなものを投げるファンサービスを行った後で、バンドメンバーが下がってからも上白石萌音は一人残って、上手側に、そして下手側に、最後に中央に回って深々とお辞儀。土下座感謝もしていた。土下座感謝は野田秀樹も松本潤、永山瑛太、長澤まさみと共にやっていたが、東京では流行っているのだろうか。

エンドロール。スクリーンに出演者や関係者のテロップが流れ、最後は上白石萌音の手書きによる、「みなさんおおきに、また来とくれやす! 萌音」の文字が投影された。

帰りのホワイエでは、若い女性が、「オペラグラスで見たけど、本当、めっちゃ可愛かった!」と興奮したりしていて、聴衆の満足度は高かったようである。

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2025年1月26日 (日)

これまでに観た映画より(368) 濱口竜介監督作品「寝ても覚めても」

2024年11月23日

ひかりTV有料配信で、日仏合作映画「寝ても覚めても」を観る。「ドライブ・マイ・カー」の濱口竜介監督作品。濱口竜介監督はこれが初の商業作品である。その後、出演者が一悶着起こした曰く付きの映画でもある。原作:柴崎友香。脚本:田中幸子、濱口竜介。出演:東出昌大、唐田えりか、瀬戸康史、山下リオ、伊藤沙莉、渡辺大知、仲本工事、田中美佐子ほか。占部房子もワンシーンだけ出演している(3.11の地震で気分が悪くなってしゃがみ込んでいる女性役)。音楽:tofubeats。

大阪で物語が始まり、東京に移り、再び大阪に帰ってくる(最初の場面は大阪市内だが、戻ってきたときはおそらく大阪市内ではない。天野川が流れているというので、枚方市付近の可能性がある)。

大学生の朝子(唐田えりか)は、中之島の国立国際美術館で、牛腸茂雄(ごちょう・しげお)の写真展を見た後で、鳥居麦(ばく。東出昌大)にいきなりキスをされて恋に落ちる。朝子は親友の島春代(伊藤沙莉)や岡崎伸行(渡辺大知)と共に、麦が居候している岡崎の家で度々遊ぶようになる。春代は麦のことを警戒しており、「あの男だけはアカン」と忠告する(これが現実世界で響くことになるとは)。ちなみに春代と岡崎は同じ大学に通っていることが会話で分かるが、麦や朝子についてはどうなのかはっきりとは分からない。麦は風来坊のような性格で、度々無断でどこかへ行ってしまう。そしてある日、麦は朝子の前から姿を消した。

2年後、朝子は東京に出て喫茶店を経営している。近くにある酒造会社に勤める丸子亮平(東出昌大二役)と出会う朝子。最初は亮平のことを麦だと思い込んで、「麦だよね?」と話しかけるが、亮平は顔は麦にそっくりだが他人なので、「獏? 動物園のこと?」と意味が分からない。しかし、亮平が朝子に好意を持つのも早かった。おそらく一目惚れである。東京でも牛腸茂雄の作品展を観ようとしていた朝子。東京で出来た友人である鈴木マヤ(山下リオ)と画廊の前で待ち合わせていたのだが、そこに亮平が通りかかる。遅れてきたマヤがようやく画廊にたどり着くが、もう入場時間を過ぎている。ここで亮平が機転を利かせて、3人は画廊に入ることが出来た。亮平もやはり大阪出身である。惹かれ合う亮平と朝子だったが、おそらく朝子は自身が麦の面影を亮平に見ていることに気付き、一度は別れを決意する。

朝子の親友のリオは、たまにテレビの再現VTRに出る女優で、普段は舞台女優としての活動に力を入れている。チェーホフやイプセンの作品に出ているので、新劇系統の小劇団に参加しているのだと思われる。亮平の同僚である串橋耕介(瀬戸康史)と共に、リオが出演したチェーホフ作品(「桜の園」だと思われる)のビデオを見ていた時に、耕介が突然怒り出すという事件が起こる。耕介はリオの演技を自己満足だと批判し、不快感を露わにする。そしてその後、自身でチェーホフのセリフを語る。チェーホフのセリフはビデオを見てその場で覚えたものとは思えないのだが、実際に耕介は舞台俳優に憧れて演じていた経験があり、自分は諦めたのにまだ続けている人がいることに嫉妬したとして謝罪。おそらくチェーホフ作品で同じ役を演じたことがあるのだろう。最終的にはリオと耕介は結婚することになる。濱口監督は、「ドライブ・マイ・カー」でも、「ゴドーを待ちながら」や「ワーニャ伯父さん」を西島秀俊に演じさせているので、そうした王道の演劇作品が好みなのだろう。また伊藤沙莉の証言では、ニュアンスを抜いたセリフの喋り方の訓練を行っており、伊藤は、「ニュアンスを抜く」の意味が当初は分からなかったと告白しているが、「ドライブ・マイ・カー」で、西島秀俊演じる俳優兼演出家が感情を込めずにゆっくりとセリフを喋らせるシーンがあるため、これに近いことが行われていたことが想像出来る。

イプセンの「野鴨」に出演することになったリオ。亮介は金曜の午後のソワレを招待券として受け取る。朝子も同じ回を取るかと思ったが、彼女は金曜のマチネーのチケットを頼んだ。その後、朝子から別れを切り出された亮介は、受付で金曜のマチネーにチケットを変更して貰った。無論、朝子に会うためだ。開演直前だったがリオに挨拶。リオは当然ながら亮平の意図を見抜いており、朝子は明日のチケットに変えたのだと告げる。
それでも折角なので観ていくつもりだった亮平だが、その日は、2011年の3月11日。開演の客電が消えた瞬間に東京でも大きな揺れが発生し、大道具や照明などが倒れたり破損したりしたことなどから公演は中止に。電車が止まっているので、歩いて会社まで帰ろうとしたが、街は人で混雑。地震のショックでうずくまっている女性(占部房子)に声を掛けるなど、亮平は優しさを見せる。そんな中、亮平は朝子と出会う。運命を感じた二人は抱き合うのだった。

5年後、亮平と朝子は同棲を続けているが結婚はしていない。リオと耕介は結婚している。ある日、朝子はデパートで春代と偶然再会。春代はシンガポール人の男性と結婚して、シンガポールに住んでいたが、旦那が東京に転勤になったので東京で暮らしているという。亮平と出会った春代は、朝子が亮平の中に麦を見つけて付き合っているのだとすぐに見抜く。そして麦が最近売り出し中の芸能人になっており、CMに出演して、連続ドラマの主演も決まっていると教える。
実は亮平も麦が売り出し中の芸能人であることを知っており、出会いの件から、顔が似ているので自分に惹かれたのだろうと見当を付けていた。それでもそのお陰で出会えたのだからと寛容な態度を取る。
亮平は大阪の本社に転勤を願い出る。新居は天野川の近くだ。だが朝子が一人の時に、麦が訪ねている……。

容姿の似た男性の間で揺れる女性を描いたファンタジー。評価は高く、第42回山路ふみ子映画賞、山路ふみ子新人映画賞(唐田えりか)、第10回TAMA映画賞最優秀作品賞、最優秀男優賞(東出昌大)、最優秀新人女優賞(伊藤沙莉)、第40回ヨコハマ映画祭の作品賞、主演男優賞(東出昌大)、助演女優賞(伊藤沙莉)、最優秀新人女優賞(唐田えりか)など受賞多数である。
ただ、個人的には都合の良い映画のように映る。朝子が麦と亮平の間で揺れるのも、顔の似たいい男だからのように思われ、軽く見えてしまうのも難点である。所詮、顔ってことか。
実際、軽い二人だったようで、不倫騒動を起こしてしまい、東出昌大はすでに撮影済みであった映画以外は出演自粛、唐田えりかは映画と配信、BSのみの出演で韓国に拠点を移しつつある。韓国では彼女の容姿は受けが良いようだ。最近になって日本の地上波のドラマに出演したが散々に叩かれている。
この映画は、濱口竜介監督作品ということで、いずれは観ることになったと思うのだが、「伊藤沙莉のSaireek Channel」を初回の方から聴いて、丁度「寝ても覚めても」が公開になるというタイミングだったので視聴してみた。伊藤沙莉は今よりポッチャリしていて、大阪弁を喋る役なのだが、千葉県出身で方言を話したことがほとんどないので、習得に時間を掛けたという話をしている。実は春代は出番はそれほど長くなく、鈴木マヤを演じた山下リオの方が助演に近いのだが、ヨコハマ映画祭では伊藤沙莉が助演女優賞を受賞している。春代が朝子にすっと温かい言葉を掛けて、ドキッとさせるシーンがあるが、それが評価されたのだろうか。この時に、共に助演女優賞を取ったのが親友の松岡茉優で、この時点では2016年の大河ドラマ「真田丸」にも良い役で出演していた松岡の方が知名度では上であったと思われる。すでに二人は親友になっているが、その後、更に友情が深まる事件が2020年に発生している。詳しくは書かないでおく。

伊藤沙莉が語るところでは、「寝ても覚めても」のチームは仲が良く、一緒に出掛けたりしていたらしいが、東出と唐田がああいうことになって会えなくなってからは親交もおそらく途絶えたのだと思われる。


叩かれてばかりの東出と唐田だが、少なくともこの映画においては東出はなかなか良い演技をしている。セリフは余り上手くないが、モデル出身だけあって佇まいが良い。唐田えりかの演技はやや拙い感じだが、演技経験に乏しく、苦手意識がある中での抜擢であったため、やむを得ない印象は受ける。初々しさがあって良い。「ナミビアの砂漠」では短い出番ながら自然な印象の演技で、表に情報は出ないが演技のレッスンは続けているのだと思われる。

一番印象に残るのは瀬戸康史で、英語を喋るシーンがあるなど、いい役を貰っているということもあるが、この時から存在感を放っている。ただあくまで引き立て役であるためか、瀬戸康史はこの映画では特に賞は貰っていない。

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2025年1月21日 (火)

コンサートの記(880) 神戸文化ホール開館50周年記念事業 ヴェルディ:オペラ「ファルスタッフ」

2024年12月21日 大倉山の神戸文化ホールにて

午後2時から、大倉山にある神戸文化ホールで、神戸文化ホール開館50周年記念事業 ヴェルディ:オペラ「ファルスタッフ」を観る。ジュゼッペ・ヴェルディ最後のオペラで、唯一の喜劇成功作となっている(ヴェルディは喜劇は好きであったが、若い頃に発表した「1日だけの王様」が大失敗に終わり、以後は喜劇に手を出せないでいた)。
「ファルスタッフ」の原作はシェイクスピアの「ウィンザーの陽気な女房たち」で、この作品はシェイクスピア最大の駄作と言われている。そもそも正式な公演用ではなく、王室での余興用に書かれた本である可能性が高いそうだ。それでもオットー・ニコライがオペラ化しており、ヴェルディもボーイトが書き換えた「ファルスタッフ」をオペラの題材に選んでいる。タイトルロールのファルスタッフは、元騎士だがビア樽体型の悪党であり、二人の女性を同時に唆そうとする食えない男である。

指揮は佐藤正浩、演出は岩田達宗。出演は、黒田博(ファルスタッフ)、西尾岳史(フォード)、小堀勇介(フェルトン)、谷口文敏(カイウス)、福西仁(じん。バルドルフォ)、松森治(ピストーラ)、老田裕子(アリーチェ)、福原寿美枝(クイックリー夫人)、内藤里美(ナンネッタ)、林真衣(メグ。体調不良の山田愛子の代役)、森本絢子、福嶋勲ほか。

管弦楽は神戸市室内管弦楽団。コンサートマスターの高木和弘が体調不良で降板したため、森岡聡が代わりにコンサートマスターを務める。
神戸市室内管弦楽団は、1981年に神戸市により神戸室内合奏団として発足。当初は弦楽アンサンブルであったが、2018年に管楽奏者を正式に加入させて神戸市室内管弦楽団に改称。2021年に鈴木秀美を音楽監督に迎えている。鈴木さんとはホワイエですれ違った。
神戸文化ホールの専属団体である。なお、神戸市にはフル編成のプロオーケストラは存在しない。

合唱は神戸市室内合唱団。神戸市が設立したプロの合唱団である。

神戸文化ホールは開館50周年ということで私より一つ上で、東京・渋谷区神南のNHKホールと同い年である。この時代に建てられたホールは比較的多いが、その多くが寿命を迎えており、1975年竣工の神奈川県民ホール(NHKホールを模したホールである)は無期限休館に入る予定である。神戸文化ホールも閉鎖して、三宮に新しいホールを建てる計画があり、当初は、来年に新ホールがオープンする予定であったが、計画が遅れている。
古いホールなのでホワイエなども手狭で、客席間も狭いので移動に難がある。響き自体は悪くはない。階段が多く、エレベーターなどはないのでバリアフリーには対応していない。

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指揮者の佐藤正浩は初めて聞く名前だが、福島県出身で東京藝術大学に学び、ジュリアード音楽院のピアノ伴奏科に進んで修士課程を修了。歌劇場のコレペティトゥア(ピアノ伴奏者)として欧米で活躍した後にオペラ指揮者に転向。神戸市混声合唱団音楽監督、新国立劇場オペラ研修所所長を務めている。オペラ専門の指揮者のようだ。
日本の場合、12月になると有名な指揮者はほぼ全員第九を指揮しているので、第九以外の催しはなかなかオファーが出来ないという事情がある。

昨年の年末には、びわ湖ホール中ホールで「天国と地獄」の演出をしていた岩田達宗。年末には馬鹿騒ぎが似合うということなのか、今年もラストで馬鹿騒ぎがある「ファルスタッフ」を選んでいる。岩田達宗演出の「ファルスタッフ」は、9年前に下野竜也が指揮したものを大阪音楽大学ザ・カレッジ・オペラハウスで観たことがある。

本編開始前に、神戸文化ホール開館50周年を祝う吉本新喜劇風寸劇が行われる。

今回は階段状の舞台を用い、回り舞台を用いてガーター亭とウィンザーの光景が交互に現れるようになっている。
字幕もユーモアに富み、「だめよだめだめ」という今では古くなった流行語(以前の下野竜也指揮の公演でも用いられていて、それほど受けていなかったが)なども用いられている。
神戸文化ホールは、左右に花道があり、それを効果的に使っているのだが、ホールの横幅が広いので必要以上に遠くにいるように感じられるところがあった。
滑稽なダンスのような動きを取り入れているのも特徴。ロビンは、9年前の上演同様、大阪音楽大学ミュージカル科出身の森本絢子が務めており、キレのある動きを見せていた。

「メタボ」と呼ばれるファルスタッフ。しかし、ファルスタッフ自身は脂肪があることに誇りを持っているようであり、テムズ川に落とされた時には、脂肪のせいで浮かんで助かったと冗談を言っている。特に意味はないと思われるのだが、何らかのメタファーとして見た場合、あるいは面白いかも知れない。片方が蔑んでいることを片方が誇っているということがあり得るのは「年齢」であろうか。ファルスタッフは若い頃は自称・痩せた美青年だったようである。
そして老年のファルスタッフと対比されるように若い恋人が登場する。

プレトークで岩田達宗は、虐げられた女性像について語っていたが、「ファルスタッフ」は女性が男性に復讐する、それも暴力的でなく成し遂げるという様を描いていることについて触れていた。男性の復讐は暴力的であるが、女性の復讐は必ずしも暴力的ではない。
またヴェルディは奥さんや子どもを相次いで亡くすという悲劇に見舞われているが、奥さんの名前はマルゲリータ、あだ名はメグで、「ファルスタッフ」に登場するメグのモデルになっているのではないかという。メグは、特に何もしないというオペラにあっては珍しい人物である。またヴェルディは家族を描くことに腐心していたとも語っていた。

 

ファルスタッフがアリーチェとメグを同時に誘惑しようとし(恋文を書くが、宛名以外は全て一緒という手抜きである)、アリーチェの夫であるフォードが「泉」という偽名でガーター亭に乗り込んでくるなど、ドタバタの要素が多く、痛い目にあったのに、公園での逢い引きに応じてしまうファルスタッフは滑稽である。
最後の「世の中はみな冗談」は、老境の人間による人間賛歌であり、最後はガーター亭に全ての人が記念写真のように収まるという演出が施されていた(ここが前回の演出とは大きくに違うところであった)。

二幕と三幕の間に岩田さんに挨拶。来年、びわ湖ホールで上演されるコルンゴルトの歌劇「死の都」についても伺ったのだが、びわ湖ホールが出している情報によると岩田さんが栗山昌良の演出を再現するかのように書かれているが、実際は他の人が再現の演出を行うそうで、「何かあった時のためにいるだけ」だそうである。


なお、カーテンコールのみ写真撮影可であった。

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2025年1月20日 (月)

観劇感想精選(481) 絢爛豪華 祝祭音楽劇「天保十二年のシェイクスピア」2024-25

2025年1月6日 梅田芸術劇場メインホールにて観劇

午後5時から、梅田芸術劇場メインホールで、絢爛豪華 祝祭音楽劇「天保十二年のシェイクスピア」を観る。作:井上ひさし、演出:藤田俊太郎。出演:浦井健治、大貫勇輔、唯月ふうか、土井ケイト、阿部裕、玉置孝匡、瀬奈じゅん、中村梅雀、章平、猪野広樹、綾凰風、福田えり、梅沢昌代、木場勝己ほか。音楽:宮川彬良。振付:新海絵里子。

日生劇場の制作。セリフの方が多いため、音楽劇となっているが、ミュージカル界の若手を代表する俳優が配役されている。2020年に上演されるもコロナで東京公演は途中で打ち切り、大阪公演は全て中止となっており、リベンジの上演となる。だが2020年上演の目玉だった高橋一生は今回は出演しない。そしてミュージカル俳優は舞台が主戦場となるため、一般の知名度はそう高くなく、そのためか空席がかなり目立った。ただ実力的にはやはり高いものがある。

浦井健治はこれまで観たミュージカルの中では、「アルジャーノンに花束を」が印象に残っており、唯月ふうかは博多座で「舞妓はレディ」を観ている(共に主役)。

 

「十二夜」を除くシェイクスピアの全戯曲からの抜粋と、「天保水滸伝」の「ハイブリッド」作品である。

この作品の説明が木場勝己によって講談調で語られた後で、シェイクスピアに関する情報が出演者全員で歌われる。「シェイクスピアがいなかった演目に困る」「英文学者が食べていけない」「全集が出せないので出版社が儲からない」「シェイクスピアがいなかったら女が弱き者とされることもなかった」「バンスタイン(レナード・バーンスタインのこと)が、名作(「ロミオとジュリエット」の翻案であるミュージカル「ウエスト・サイド・ストーリー」のこと)を書くこともない」「ツーナイトツーナイト(「Tonight」のこと。実際にバーンスタインの「Tonight」のメロディーで歌われる)というヒット曲が生まれることもない」「シェイクスピアはノースペア」といった内容である。

「十二夜」を除くシェイクスピアの全戯曲からの抜粋であるが、四大悲劇と「ロミオとジュリエット」、「リチャード三世」、「間違いの喜劇」だけを抑えておけば作品の内容は分かる。

舞台となるのは下総国清滝(現・千葉県旭市清滝)。私の母方の実家が旭市であるが、清滝は旧・海上郡海上町(かいじょうぐんうなかみまち)にあり、平成の大合併により旭市に編入されている。銚子のすぐそばであり、作中にも銚子の名は登場する。現在の千葉県内であるが、「東のとっぱずれ」と称される銚子のそばだけに、江戸からはかなり遠い。

まずは「リア王」に始まる。清滝宿の旅籠を仕切る侠客・鰤の十兵衛(中村梅雀)の三女のお光(おみつ。唯月ふうか)が「愛情表現が足りない」という理由で家を追われる(「リア王」と違い、それなりに表現は出来ているのだが)。ちなみにお光がコーディリアに当たることはセリフで明かされる。
長女のお文(瀬奈じゅん)と次女のお里(土井ケイト)がそれぞれに派閥を作り、これがモンタギュー家(紋太)とキャピュレット家の関係に繋がる。
なお、お文とお里は傍白を語るときに体の向きを変えなかったため、本音の後におべっかを使ったということが分かりにくくなっていた。お光を演じる唯月ふうかは体の向きを変えていたが、演出ではなく自主的に向きを変えたのだろう。シェイクスピア好きなら傍白であることは分かるし、シェイクスピアのことを何にも知らない人がこの芝居を観に来る可能性も低いので敢えて変えなかったのだろうが、やはり傍白の時は体の向きを変えて分かりやすくした方が良かったように思う。

ハムレットは「き印の王次」の名で登場し(大貫勇輔)、リチャード三世は佐渡の三世次(浦井健治)として登場する。「マクベスノック」として有名なノック(障子を叩いているので実際にはノックとは呼べないが)を行うのも三世次である。
役名を変えずに何役も兼ねている場合があるが(尾瀬の幕兵衛というオセロとマクベスを合わせた名前の人物もいる)、お光とおさちは双子という設定で唯月ふうかが衣装早替えで演じている。
「オセロ」に出てくるハンカチは櫛に替えられている。
「ハムレット」の有名なセリフ、「To be or not to be,That's the Question.」は、様々な翻訳者による訳が紹介される(登場する中では、ちくま文庫収蔵の松岡和子による訳が最も新しいと思われる)。一般に知られる「生か死かそれが問題だ」は、実は文章自体は有名であるが、「ハムレット」の戯曲の翻訳に採用されるのは、21世紀に入ってからの河合祥一郎訳が初めてである。「ハムレット」のテキスト翻訳はその後も行われており、内野聖陽のハムレットと貫地谷しほりのオフィーリアという大河ドラマ「風林火山」コンビによる上演では全く違う表現が用いられていた。
お冬(綾凰華)という女性がオフィーリアに相当し、「尼寺へ行け!」や狂乱の場などはそのまま生かされている。お冬は新川という川に転落して命を落とすが、実はこの新川(新川放水路)は、私の母親が幼い時分に流されそうになった川である。
ラストは「リチャード三世」の展開となり、「馬をくれ!」というセリフはそのまま出てくるが、三世次は国王でも将軍でも天皇でもないので、「馬をくれたら国をやる」とはならず、転落死を選ぶ。

いわゆるパッチワークだが、繋ぎ方は上手く、「流石は井上ひさし」とうなる出来である。若手トップレベルのミュージカル女優でありながら、「舞妓はレディ」の時は、「(原作映画で同じ役を演じている)上白石萌音に比べるとね」と相手が悪かった唯月ふうかだが、やはり華と実力を兼ね備えた演技と歌唱を披露していた。
他の俳優も殺陣や歌唱に貫禄があり、好演である。

ラストは全員が1階客席通路に出て、「シェイクスピアがいなかったら」を再度歌い、大いに盛り上がった。

 

宮川彬良率いるバックバンドはステージの奥で演奏。基本的には見えないが、第2部冒頭では演奏する姿を見ることが出来るようになっていた。

 

梅田芸術劇場開場20周年ということで、終演後に、藤田俊太郎(司会)、浦井健治、大貫勇輔によるアフタートークがある。20年前にも劇場はあったのだが、経営が変わり、梅田芸術劇場という名称になってから20年ということである。以前は、梅田芸術劇場メインホールは梅田コマ劇場といった。シアター・ドラマシティは名前はそのままだが正式名称が梅田芸術劇場シアター・ドラマシティに変わっている。

梅田芸術劇場メインホールでの思い出深い公演として、浦井健治は「ロミジュリ(ロミオとジュリエット)」、大貫勇輔は「北斗の拳」を挙げた。なお、大貫勇輔は、き印の王次の「き印」が何のことか分からず、最初は「雉のことかな」と思っていたそうである。
元梅田コマ劇場ということで、梅田芸術劇場メインホールでは宙乗りが行える。浦井健治も宙乗りをしたことがあるそうだが、Wキャストで出ていた柿澤勇人(昨年、「ハムレット」で大当たりを取ったため、浦井も大貫も「ハムレット俳優」と呼んだ)は高所恐怖症であったため、宙乗りはしたが、「もう二度とやらない」と言っていたそうである。

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