コンサートの記(946) びわ湖ホール オペラへの招待 モーツァルト作曲「劇場支配人」&レオンカヴァッロ作曲「道化師」2026.1.24
2026年1月24日 滋賀県立芸術劇場びわ湖ホール中ホールにて
大津へ。びわ湖ホール中ホールで、びわ湖ホール オペラへの招待 モーツァルト作曲「劇場支配人」&レオンカヴァッロ作曲「道化師」を観る。
「道化師」は、京都国立博物館中庭特設会場で、吉田裕史(ひろふみ)指揮ボローニャ歌劇場フィルハーモニーによる大規模キャストによる野外公演を観たことがあるが、「劇場支配人」を観るのは初めて。「劇場支配人」序曲は、以前に「題名のない音楽会」のオープニング&エンディングに使われていた
キンボー・イシイ指揮日本センチュリー交響楽団の演奏(コンサートマスター:松浦奈々)。日本センチュリー交響楽団は、びわ湖ホール中ホールでのオペラ上演にたびたび呼ばれているが、中規模編成のオーケストラだけに中ホールの小さめのピットでも威力を発揮出来るからだろう。ただ日程によっては、ザ・カレッジ・オペラハウス管弦楽団や大阪交響楽団が入ったりもする。
大ホールでのオペラ上演は京都市交響楽団が受け持つことが多い。何と言っても隣町のオーケストラである。
キンボー・イシイは、本名を石井欽一といい、キンボーはヨーロッパでのニックネームである。ただ、欽一というと欽ちゃんこと萩本欽一のイメージが強いからかどうかは分からないが、師である小澤征爾から「お前はキンボーを名乗れ」と言われ、それを守っている。一時は、キンボー・イシイ=エトウと名乗っていたが、長いからか、いつの頃からかキンボー・イシイとなっている。
冗談みたいな名前の人だが、ヨーロッパを中心にオペラ指揮者として活動しており、ベルリン・コミッシェ・オーパーの首席カペルマイスターを経て、マクデブルク劇場音楽総監督、大阪交響楽団首席客演指揮者、ドイツ・シュレースヴィヒ=ホルシュタイン州立劇場音楽総監督などを歴任している。
ウィーン市立音楽院でヴァイオリンをバリリ四重奏団で知られるワルター・バリリに師事。ジュリアード音楽院でも当初はヴァイオリンを専攻していたが、怪我のために途中で指揮に転向。前述、小澤征爾やサイモン・ラトルに師事している。
演出と日本語台本を務めるのは、お馴染みの中村敬一。「ザ・スタッフ」所属ということで、岩田達宗とも同僚だった人である。国立(くにたち)音楽大学招聘教授、大阪音楽大学客員教授。沖縄県立芸術大学講師などを務めている。沖縄県人の多くは、クラシック音楽を聴く習慣がないと言われているが(古くからの民謡や伝統音楽と、アメリカ統治時代に入ったロックやジャズなどが盛んで、クラシックが根付く土壌自体が形成されなかった)、県立の芸術大学があり、砂川涼子などスター歌手も生まれているため、普及に期待が持たれている。
上演前に、中村敬一による解説がある。1時間ほどの短いオペラ2本で、いずれももう1本の中編オペラと併せて上演されることが多く、特に「道化師」は、イタリアのヴェリズモ(現実)と呼ばれたオペラであり、ヴェリズモオペラのもう1本の代表作であるマスカーニの「カヴァレリア・ルスティカーナ」との組み合わせで上演されることが多いが、今回はそうではなく、「劇団」を巡る2本の物語としている。
モーツァルトの「劇場支配人」はタイトルとは裏腹に、劇場ではなくシェーンブルン宮殿の温室で上演するために作られた、どちらかというと余興に近いオペラである。オペラと書いたが、セリフを喋るだけの人も多く、アリアも少ないことから、ジャンル的には「魔笛」同様、ジングシュピールに分類される。セリフも歌詞もドイツ語だ。ヨーゼフ2世がドイツ語によるオペラ「ドイツ国民劇場」運動に力を入れており、サリエリがイタリア語のオペラ・ブッファを、モーツァルトがドイツ語のジングシュピールを書き、同日に続けて初演されている。サリエリが書いたオペラのタイトルは、「はじめに音楽、次ぎに言葉」である。1786年2月7日初演ということで、中村は「寒かったんじゃないか」と思ったそうだが、実際にシェーンブルン宮殿の温室行ってみたところ、温水が壁の向こうの管に常に流れているような施設で、暖かかったそうだ。両作品はヨーゼフ2世が義弟に当たるオランダ総督夫妻をもてなすための上演で、一般市民は会場にいなかったものと思われる。
「道化師」は、3人の作曲家にまつわる話があり、イタリアで行われた1幕物のオペラコンクールで、プッチーニが「妖精ヴィッリ」を送るも落選。しかしボーイトが高く評価して初演に漕ぎ着ける。初演時のピットに音楽院時代以来のプッチーニの友人であるマスカーニがコントラバス奏者として参加していたそうだが、上演は大成功。マスカーニは負けじと1幕物のオペラを書く。これが「カヴァレリア・ルスティカーナ」でコンクールで、当選を果たす。その上演の成功を目の当たりにしたレオンカヴァッロが書いた1幕物オペラが「道化師」である。コンクールには最終選考に残らず落選したが、コンクールの主催者が高く評価し、アルトゥーロ・トスカニーニ指揮で行われた初演は大成功したが、レオンカヴァッロの成功作はこの1作だけとなったようである。作曲以外には台本作家、教育者として活躍した。レオンカヴァッロに刺激を与えたマスカーニもまたヒット作は「カヴァレリア・ルスティカーナ」1作に留まっているようだ。
「カヴァレリア・ルスティカーナ」は実は原作を岩波文庫で読むことが出来るのだが、ごくごく短い物語であり、特にどうということもない作品である。オペラの方がずっと面白い。
歌劇(またはジングシュピール)「劇場支配人」。Wキャストで今日の出演は、脇阪法子(ヘルツ夫人)、高田瑞希(たかだ・みずき。ジルバークラング嬢)、古谷彰久(ふるや・あきひさ。フォーゲルザング)、林隆史(ブフ)、有ヶ谷友輝(ありがや・ともき。フランク)、佐貫遙斗(さぬき・はると。アイラー)、山田結香子(プファイル夫人)、岩石智華子(いわいし・ちかこ。クローネ夫人)、五島真澄(ヘルツ)、徳田あさひ(とくだ・あさひ。マドモアゼル・ルイーズ)。
まずは、現実の話。びわ湖ホールが今年の7月から改修工事に入るが、びわ湖ホール声楽アンサンブルはどこで活躍すればいいのかという話になって、滋賀県内を地方巡業と明かされるが、そこで劇場支配人のフランク(有ヶ谷友輝)が小さな劇団を作ろうとしていることを打ち明ける。それを知った人々が、「我こそが劇団に相応しい」と名乗り出てくるという芝居である。
初めの方はセリフだけという珍しい展開でもある。セリフは基本的に日本語で関西弁も混じるが、時折、ドイツ語が用いられる。
演技はオペラならではのもので、演劇的ではないが、演劇風の演技をしている人がいきなり歌い始めるのも差が激しすぎて妙なので、「オペラという架空世界の演技」として見るしかない。それはそれで楽しい。
今日が初日であるが、そのため緊張したのか、歌や振る舞いに堅さの見える人が何人かいる。今日のキャストは、1月26日にも出演する。平日のマチネーになるが、そちらの方が良い歌唱になりそうである。
出てくる人は皆、自身満々。「私より良い歌手はいない」と堂々と宣言し、「あなた程の人は他にはいない(「そこまで天狗な人はあなただけ」という当てつけ)」「あなたはいくらで契約したの?」「私より高いはずがない」というやり取りがある。
今回はフォーゲンザング夫人をマドモアゼル・ルイーズ(徳田あさひ)というバレリーナに変えて登場させているが、これは中村敬一が作り上げたキャラだそうだ。「びわ湖ホールの大規模改修期間における芸術家たちの活動ぶり」を示すためのキャラだそうだが、ジャンルの違うバレエで和らげようという意図もあったのだと思われる(元々のセリフは金に関する話ばかりでえげつないらしい)。
背景はいくつかのスクリーンを組み合わせたものだが、最後には一番大きなスクリーンにびわ湖ホール中ホールの客席が映り、これが遠い18世紀のことでなく今のびわ湖ホールの改修にも繋がっていることを示していた。なお、上野の東京文化会館も改修工事にはいることがセリフで告げられていた。
キンボー・イシイ指揮の日本センチュリー交響楽団はピリオド・アプローチを採用。古典様式を守った上で活気ある音楽を生んでいた。
レオンカヴァッロの歌劇「道化師」。出演は、福井敬(けい。カニオ)、船越亜弥(ネッダ)、西田昂平(こうへい。トニオ)、福西仁(じん。ペッペ)、大野光星(こうせい。シルヴィオ)。
「ヴェリズモ」と呼ばれるジャンルのオペラの代表作である。イタリア人は陽気で明るいイメージがあるが、こと芸術作品となるとシリアスな悲劇が好まれる傾向がある。
旅回りの芝居の一座に起こった悲劇である。殺害事件が観客の目の前で起こる(ギリシャ悲劇以来、悲惨なシーンは舞台裏で行われるのが慣習だった。ビゼーの歌劇「カルメン」の初演が失敗したのも、客の見えるところで殺害シーンが行われたからでもある。ちなみに歌劇「カヴァレリア・ルスティカーナ」も殺害は舞台裏で起こることになっているが、舞台上で起こるようにした演出もある)。
まず、足が不自由な道化役のトニオの口上で始まる。ステージ上には人が多いが、それでも「群衆」と呼ぶには足りないので、歓声などはスピーカーから録音されたものを流す。
座長のカニオとネッダは夫婦だが、ネッダは男にもて、トニオに言い寄られたり(鞭でぶって返り討ちにする)、村の青年であるシルヴィオと駆け落ちの約束をしていたりする。ネッダとシルヴィオがベンチの上で抱き合っているところをカニオが目撃したことから全ての悲劇が始まる。カニオはネッダに相手の名前を言うよう迫るが、座員ペッペがなだめる。
開演が迫り、カニオは衣装を纏い、化粧をするが、ここで歌われるのが有名な「衣装を纏え」である。オペラの冒頭にもこの旋律は登場する。ケヴィン・コスナーの出世作である映画「アンタッチャブル」で、ロバート・デ・ニーロ演じるアル・カポネが劇場のボックス席でこのアリアを聴きながら感動の涙を流しているところへ、配下からの「暗殺成功」の報告を受けて、一転ほくそ笑むというシーンに使われていることでも知られている。
一座の芝居が始まる。劇中劇である。アルレッキーノ(男の道化役でトリックスターのこと。代表例は「フィガロの結婚」のフィガロ)はペッペ、コロンビーナ(女の道化役で恋の取り持ち役のこと。代表例は「フィガロの結婚」のスザンナ)はネッダが務める。
心理劇の妙味として、カニオはネッダが抱き合っていた相手の名前を言わないから刺したのではない。それなら実にありきたりだ。実際は、トニオが間に入ったことで目撃した逢瀬を思い出し、逆上してネッダを刺すことになる。能天気にも顔が割れているにも関わらず芝居を見に来ていたシルヴィオも刺す。そしてラストの「喜劇は終わりました」のセリフは本来はトニオが語って、始めと終わりを結ぶことになるが、今回はカニオが客席の方を向いて語る。ベートーヴェンの遺言と同じ意味を持つことになる。
キンボー・イシイの指揮姿は私が座っていた席からもよく見えたが、キビキビとしてエモーショナルなものであった。生み出される音もダイナミックであり、ラストでは心を揺すられる思いであった。
どこぞで、「テノール界のラスボス」とも呼ばれている福井敬の歌はダイナミックで感情の表出も豊かであった。ネッダをコケティッシュに演じた船越亜弥のこれまでのイメージを覆す歌と演技も良かった。
びわ湖ホール オペラへの招待は何度も見聞きしているが、今回は上位に来る出来であったように思う。



















































































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