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2022年11月27日 (日)

観劇感想精選(449) 三谷幸喜 作・演出・出演 「ショウ・マスト・ゴー・オン」2022京都公演@京都劇場

2022年11月19日 京都劇場にて観劇

※1994年版の回想が中心になりますが、2022年版のネタバレも含みますのでご注意ください。

午後6時から京都劇場で、「ショウ・マスト・ゴー・オン」を観る。三谷幸喜の東京サンシャインボーイズ時代の代表作であり、私も1994年に行われた再演を東京・新宿の紀伊國屋ホールで目にしている。それが自分でチケットを買って観た初めての演劇公演であった。

今回の「ショウ・マスト・ゴー・オン」は、当然ながら当時とは完全に異なるキャストで上演される。小林隆だけは以前と完全に同じ役柄(役名だけは「佐渡島」から「万城目」になり、異なっている)で出演する予定だったのだが、左足筋損傷のため博多公演の初日から舞台に上がることは叶わず、作者である三谷幸喜が代役を務めることになった。博多公演は全て三谷幸喜が出演したが、小林の怪我が完治していないため、京都公演も引き続き三谷が代役として出演する。


作・演出・出演:三谷幸喜。出演:鈴木京香、尾上松也、ウエンツ瑛士、シルビア・グラブ、新納慎也、今井朋彦、峯村リエ、秋元才加、藤本隆宏、小澤雄太、井上小百合、大野泰広、中島亜梨沙、荻野清子、浅野和之。ミュージシャンである荻野清子は音楽・演奏(ピアノ)も兼任。女優としては、地声が小さすぎるのでそばにいる人を介さないと何を言っているのか分からないという変わった役(役名は尾木)を演じる。セリフでは有名俳優に敵わないので、仕草だけの演技ということになったのだと思われる。

1994年の再演時(NHKBS2で収録された映像が放送され、その後、同じ映像がDVDとなって発売されている)とは、出演者の数も違うし、性別も異なる俳優が何人もいる。例えば、鈴木京香演じる舞台監督の進藤は、再演時には西村雅彦(西村まさ彦)が演じており、西村雅彦が初めて「僕が主演」と感じたと振り返っているのが「ショウ・マスト・ゴー・オン」である。中島亜梨沙演じるプロデューサーの大瀬を再演時に演じていたのは近藤芳正(近藤芳正は東京サンシャインボーイズの後期の作品には全て出演しているが、正式な団員だったことはない)、シルビア・グラブ演じるあずさを演じていたのは、「鎌倉殿の13人」にも出演している野仲功(野仲イサオ)であった(ただし初演時には斎藤清子が演じており、性別がコロコロ変わる役であることが分かる)。また、再演時には存在しなかった役として、井上小百合演じる通訳の木村さん(演出がダニエル、再演時のフルネームはダニエル・ブラナーという外国人という設定)、浅野和之演じる医師の鱧瀬も再演時には出てこなかった人物である。当然ながら、荻野清子演じる尾木も今回のオリジナルキャストである。
シルビア・グラブが出ているということで、彼女がソロで歌うシーン、また尾上松也がソロで歌うシーン、更には前半終了時と全編終了時には全員が合唱を行う場面も用意されている(ちなみに再演時は休憩なしのワンシチュエーションものであった)。

私は初演時の「ショウ・マスト・ゴー・オン」は観ておらず、明治大学の図書館で見つけた戯曲(明治大学文学部には演劇専攻があるということで、演劇雑誌に掲載されていたものが冊子に纏められていた。今も明治大学の駿河台図書館に行けば読めると思われる。ただし入れるのは明大生、明大OBOG、千代田区在住者に限られる)を読んだだけなので、細部についてはよく分からないが(何カ国語も話せる人物が登場していたりする)、1994年の再演は目にしており、BSを録画した映像を何度も繰り返して観た上にDVDとなった映像も視聴している。ということで比較は容易になる。

ちなみに再演時のキャストは、進藤:西村雅彦、木戸:伊藤俊人、のえ:高橋理恵子(演劇集団円所属)、栗林:相島一之、八代:阿南健治、あずさ:野仲功、佐渡島:小林隆、大瀬:近藤芳正、七右衛門:梶原善、中島:甲本雅裕、ジョニー:小原雅人、進藤の妻:斎藤清子、宇沢:佐藤B作。

再演を観たのは、1994年の4月の土曜日のソワレ、日付を確認するとおそらく4月16日のソワレで、当日券を求めて並び(並んでもチケットが手に入るとは限らない)なんとかチケットをゲットして、紀伊國屋ホールの最後列の後ろに設けられた補助席の一番下手寄りの席に腰掛けて観た。「この世にこんなに面白いものがあるのか」と喫驚したことを昨日のようにどころか終演直後のようにありありと思い返すことが出来る。そしてそれは懸念ともなった。前回の記憶が鮮明なだけに、今回の上演を楽しむことが出来ないのではないかという懸念である。そしてそれは現実のものになった、というより上演前から分かっており、確認出来たと書いた方が事実に近い。「ショウ・マスト・ゴー・オン」は、1994年の4月に上演されたからこそ伝説の舞台になったのだということをである。
内容を知り過ぎているということは、時に不幸となる。1994年のあの公演を劇場で観ていなければ、あるいは今回の上演も楽しめたかも知れないという意味で。
「過ぎたるは尚及ばざるがごとし」

ただ私事ばかり書いていても意味はない。今回の上演について記そう。
群像劇ではあるが、「ショウ・マスト・ゴー・オン」の主役は明らかに進藤である。舞台監督であるため、ほぼ全ての指示を出すことになるためだ。この進藤に鈴木京香。女性が舞台監督であることは特に珍しくもない(私が出演した京都造形芸術大学の授業公演でも女子が舞台監督を務めていた)が、バックステージもので舞台監督を女性が演じるというのは記憶にないので、フィクションの世界では珍しいことなのかも知れない。再演時に西村雅彦が演じていた進藤には、「現代のマクベス夫人」と言われる怖い奥さんがいたのだが、進藤役が女性になったということで、甲斐性のない男優希望の青年(小澤雄太が演じる)に置き換えられている。50歳を超えた今も第一線の女優であり続けている鈴木京香の進藤ということで、存在感もあり、女性ならではの悩みなども巧みに演じている。

進藤に、進藤の右腕となる木戸(ウエンツ瑛士)と、舞台女優志望ながら現在はスタッフとして働いているのえ(秋元才加。ちなみに現在放送中の「鎌倉殿の13人」に菊地凛子演じるのえという人物が出てくるが、「ショウ・マスト・ゴー・オン」ののえも、「鎌倉殿の13人」ののえも「ぶりっこ」という点で共通している)を加えたトリオがこの作品の原動力となっている。ただ、再演時には木戸を伊藤俊人(2002年没)、のえを今では演劇集団円の看板女優の一人となった高橋理恵子が演じており、キャラクター自体も再演時の俳優の方が合っていた。三谷幸喜は当て書きしかしない人であり、今回も出演者に合わせて大幅に加筆しているが、やはりインパクトでは再演時の俳優には敵わない。他の俳優についてもこのことは言える。客席からは笑いが起こっていたが、「違うんだよ、この程度じゃないんだよ。三谷幸喜と東京サンシャインボーイズは本当に凄かったんだよ」と私と舞い降りてきた19歳の時の私はひどく悲しい思いをすることになった。

1994年に観た「ショウ・マスト・ゴー・オン」は、あの日、あの時、あの出演者だったからこそ今でも思い返して幸福感に浸れるほどの作品となったのだ。そして同じ思いに浸れることはもう決してないのだということを確認し、なんとも言えぬ切なさが胸の底からこみ上げてきて、涙すら誘いそうになる。ただこれが生きていくということなのだ。生きていくというのはこういうことなのだ。

そんな懐旧の念にとらわれつつ、今回の「ショウ・マスト・ゴー・オン」もやはり魅力的に映った。小林隆が出演出来なかったことは残念であるが、代役を務める三谷幸喜の演技が思いのほか良かったというのも収穫である。映像ではまともな演技をしているのを見た記憶はないが、舞台となるとやはり学生時代からの経験が生きてくるのだろう。役者・三谷幸喜をもっと観たいと思う気持ちになったのは、我ながら意外であった。

劇場の下手袖が主舞台であるが、劇場(シアターコクーンならぬシアターコックンという劇場名らしい。ちなみに1994年の再演時には、三百人劇場ならぬ三億人劇場という劇場名だったが、その後に三百人劇場は閉館している)の舞台、つまり本当の舞台の上手袖ではほぼ一人芝居版の「マクベス」が宇沢萬(うざわ・まん。尾上松也)によって演じられているという設定である。このほぼ一人芝居版「マクベス」がその後、細部は全く異なるが実際に上演されている。佐々木蔵之介によるほぼ一人芝居版「マクベス」がそれで、佐々木蔵之介の演技を見ながら、「『ショウ・マスト・ゴー・オン』の世界が現実になった」と感慨深く思った日のことも思い出した。

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2021年6月16日 (水)

2346月日(33) 京都文化博物館 京都文化プロジェクト 誓願寺門前図屏風 修理完成記念「花ひらく町衆文化 ――近世京都のすがた」&「さまよえる絵筆―東京・京都 戦時下の前衛画家たち」

2021年6月11日 三条高倉の京都文化博物館にて

京都文化博物館で、京都文化プロジェクト 誓願寺門前図屏風 修理完成記念「花ひらく町衆文化 ――近世京都のすがた」と「さまよえる絵筆―東京・京都 戦時下の前衛画家たち」を観る。

「花ひらく町衆文化 ――近世京都のすがた」は、修復された寺町・誓願寺の門前町を描いた屏風絵の展示が中心となる。豊臣秀吉によって築かれた寺町。その中でも本能寺などと並んでひときわ巨大な伽藍を誇っていたのが誓願寺である。

落語発祥の地としても名高い浄土宗西山深草派総本山誓願寺。明治時代初期に槇村正直が新京極通を通したために寺地が半分以下になってしまったが、往時は北面が三条通に面するなど、京都を代表する大寺院であった。
この「誓願寺門前図屏風」作成の中心となった人物である岩佐又兵衛は、実は織田信長に反旗を翻したことで知られる荒木村重の子である(母親は美女として知られた、だしといわれるがはっきりとはしていないようである)。荒木村重が突然、信長を裏切り、伊丹有岡城に籠城したのが、岩佐又兵衛2歳頃のこととされる。使者として訪れた黒田官兵衛を幽閉するなど、徹底抗戦の姿勢を見せた荒木村重であるが、その後、妻子を残したまま有岡城を抜け出し、尼崎城(江戸時代以降の尼崎城とは別の場所にあった)に移るという、太田牛一の『信長公記』に「前代未聞のこと」と書かれた所業に出たため、有岡城は開城、村重の妻子は皆殺しとなったが、又兵衛は乳母によってなんとか有岡城を抜け出し、石山本願寺で育った。その後、暗君として知られる織田信雄に仕えるが、暗君故に信雄が改易となった後は京都で浪人として暮らし、絵師としての活動に入ったといわれる。

誓願寺門前図屏風は、1615年頃の完成といわれる。大坂夏の陣のあった年である。翌1616年頃に又兵衛は越前福井藩主・松平忠直に招かれて、福井に移っているため、京都時代最後の大作となる。又兵衛一人で描いたものではなく、弟子達との共作とされる。又兵衛は福井で20年を過ごした後、今度は二代将軍・徳川秀忠の招きによって江戸に移り、その地で生涯を終えた。又兵衛は福井から江戸に移る途中、京都に立ち寄ったといわれている。

岩佐又兵衛について研究している京都大学文学研究科准教授の筒井忠仁出演の13分ちょっとの映像が、「誓願寺門前図屏風」の横で流されており、「誓願寺門前図屏風」に描かれた京の風俗や修復の過程で判明したことなどが語られる。

経年劣化により、かなり見にくくなっていた「誓願寺門前図屏風」。修復の過程で、二カ所に引き手の跡が見つかり、一時期は屏風ではなく襖絵として用いられたことが確認されたという。

『醒睡笑』の著者で落語の祖とされる安楽庵策伝が出たことで、芸能の寺という側面を持つ誓願寺には今も境内に扇塚があるが、「誓願寺門前図屏風」にも誓願寺のそばに扇を顔の横にかざした女性が描かれている。

また、三条通と寺町通の交差する北東角、現在は交番のある付近には、扇子を売る女性が描かれているが、彼女達は夜は遊女として働いていたそうである。また、今は狂言で女性役を表すときに使う美男鬘を思わせるかづきを被った女性などが描かれている。

誓願寺は和泉式部が帰依した寺ということで、和泉式部の塚も以前は誓願寺にあったようだ(現在は少し南に位置する誠心院に所在)。誓願寺は女人往生の寺であるため、女性の姿も目立つ。
一方、三条寺町では馬が暴れて人が投げ出されていたり、喧嘩というよりも決闘が行われていたり、物乞いがいたりと、当時の京都の様々な世相が描かれている。

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その他には、茶屋氏、角倉氏と並ぶ京の豪商だった後藤氏関係の資料が展示されている。後藤氏の邸宅は現在、新風館が建つ場所にあった。かなり広大な面積を持つ屋敷だったようで、往時の後藤氏の勢力が窺える。
作庭家や茶人としても有名な小堀遠州(小堀遠江守政一)や、豊臣家家老でありながら大坂を追われることになった片桐且元、加賀金沢藩2代目の前田利光(後の前田利常)、熊本城主・加藤清正らが後藤家の当主に宛てた手紙が残されており、後藤家の人脈の広さも分かる。虎狩りで知られる加藤清正だが、清正から後藤氏に出された手紙には、虎の毛皮を送られたことへの感謝が綴られており、清正が虎狩りをしたのではなく虎皮を貰った側ということになるようだ。


元々、下京の中心は四条室町であったが、江戸時代には町衆の中心地は、それよりやや東の四条烏丸から四条河原町に至る辺りへと移っていく。
出雲阿国の一座が歌舞伎踊りを披露した四条河原は、京都を代表する歓楽地となり、紀広成と横山華渓がそれぞれに描いた「四条河原納涼図」が展示されている。紀広成は水墨画の影響を受けたおぼろな作風であり、一方の横山華渓は横山華山の弟子で華山の養子に入ったという経歴からも分かる通り描写的で、描かれた人々の声や賑わいの音が聞こえてきそうな生命力溢れる画風を示している。

後半には四条河原町付近の住所である真町(しんちょう)の文書も展示されている。面白いのは、四条小橋西詰の桝屋(枡屋)喜右衛門の名が登場することである。万延元年(1860)の文書で、灰屋という家の息子である源郎が、桝屋喜右衛門の家に移るという内容の文書と、転居したため宗門人別改にも変更があり、河原町塩谷町にあった了徳寺という寺院の宗門人別改帳への転籍が済んだことが記載されている。

実はこの翌年、または2年後に、桝屋の主であった湯浅喜右衛門に子がなかったため、近江国出身で山科毘沙門堂に仕えていた古高俊太郎が湯浅家に養子として入り、桝屋喜右衛門の名を継いでいる。古高俊太郎は毘沙門堂に仕えていた頃に梅田雲浜に師事しており、古高俊太郎が継いで以降の桝屋は尊皇討幕派の隠れアジトとなって、後の池田屋事件の発端へと繋がっていくことになる。ということで、灰屋源郎なる人物も古高俊太郎と会っていた可能性があるのだが、詳細はこれだけでは分からない。

 

3階では、「さまよえる絵筆―東京・京都 戦時下の前衛画家たち」展が開催されている。
シュルレアリスムを日本に紹介した福沢一郎が独立美術協会を立ち上げたのが1930年。その後、四条河原町の雑居ビルの2階に独立美術京都研究所のアトリエが設置され、京都でも新しい美術の可能性が模索されるようになる。だが戦時色が濃くなるにつれてシュルレアリスムなどの前衛芸術などは弾圧されていく。そんな中で現在の京都府京丹後市出身である小牧源太郎は、仏画を題材とした絵画を制作することで土俗性や精神性を追求していったようである。

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2021年2月 2日 (火)

2346月日(27) 立原道造記念館(2011年閉館)にて 2007年5月18日

2007年5月18日

東京大学工学部の弥生門の前にある立原道造記念館を訪れる。東京帝国大学工学部建築学科出身で、天才詩人と呼ばれながら、わずか24歳で他界した立原道造(1914-1939)のために1997年に建てられた小さな記念館だ。弥生時代の由来となった東京大学弥生キャンパスもすぐそばである。

立原道造の直筆原稿などを見ることが出来る。

立原道造の詩を私が好んで読んだのは、ちょうど24歳の頃。立原が亡くなったのと同じ年齢の頃だ。

立原は西洋趣味が強く、同じく西洋志向の持ち主であった堀辰雄と仲が良かった。堀辰雄の小説『菜穂子』に出てくる建築学科出身の青年・都築のモデルが立原道造だと言われている。

立原の本当に若い頃(20歳前後)の文字は丸みがあって可愛らしいが、最晩年(それでも20代前半だ)、死期が近いこと悟った頃に書いた文字からは凜とした寂しさのようなものが漂ってくる。

記念館には、立原の婚約者であった水戸部アサイさんの若い頃の写真も展示されている。アサイさんは今見てもかなりの美人である。
せっかくこれまで人生順調に来て、綺麗な人をお嫁さんに貰おうかという時にこの世を旅立たねばならないとは、立原もさぞや無念だったろう。

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2020年12月 8日 (火)

これまでに観た映画より(232) 手塚治虫原作 手塚眞監督作品「ばるぼら」

2020年12月2日 京都シネマにて

京都シネマで「ばるぼら」を観る。日本・ドイツ・イギリス合作映画。原作:手塚治虫。監督は息子の手塚眞。脚本:黒沢久子。撮影監督:クリストファー・ドイル。音楽:橋本一子。出演は、稲垣吾郎、二階堂ふみ、渋川晴彦、石橋静河、美波、大谷亮介、片山萌美、ISSAY、渡辺えり他。9月に自殺という形で他界してしまった藤木孝も大物作家役で出演している。

手塚治虫が大人向け漫画として描いた同名作の映画化である。原作を読んだことはないが(その後、電子書籍で買って読んでいる)、エロス、バイオレンス、幻想、耽美、オカルトなどを盛り込んだ手塚の異色作だそうで、そうした要素はこの映画からも当然ながら受け取ることが出来る。

主人公は売れっ子作家の美倉洋介(稲垣吾郎)である。耽美的な作風によるベストセラーをいくつも世に送り出し、高級マンションに住む美倉。美男子だけにモテモテだが、未婚で本命の彼女もいない。秘書の加奈子(石橋静河)や、政治家の娘である里見志賀子(美波)が思いを寄せているが、美倉は相手にしていない。仕事は順調で連載をいくつも抱えているが、「きれいすぎる」ことばかり書いているため、奥行きが出ておらず、才能に行き詰まりも感じていた。

ある日、美倉は新宿の地下街で寝転んでいたホームレス同然の女(原作漫画では「フーテン」と記されている)ばるぼら(スペルをそのまま読むと「バーバラ」である。二階堂ふみ)を見つける。ヴェルレーヌの詩を口ずさんだばるぼらに興味を持った美倉は自宅に連れ帰る。実は美倉は異常性欲者であることに悩んでいたのだが、自分のためだけに書き上げたポルノ小説風の原稿をばるぼらに嘲笑われて激怒。すぐに彼女を家から追い出すが、それから現実社会が奇妙に歪み始める。

街で見かけた妖艶な感じのブティックの店員、須方まなめ(片山萌美)に心引かれた美倉は、彼女の誘惑を受け入れ、店の奥へ。美倉のファンだというまなめだったが、「何も考えずに読める」「馬鹿な読者へのサービスでしょ」「頭使わなくていい……ページ閉じれば忘れちゃう」と内心気にしていることを突きまくったため美倉は激昂。そこに突然ばるぼらが現れて……。

長時間に渡るラブシーンあるのだが、ウォン・カーウァイ監督映画でスピーディーなカメラワークを見せたクリストファー・ドイルの絶妙のカメラワークが光り、単なるエロティシズムに終わらせない。美醜がない交ぜになった世界が展開されていく。

ばるぼらの登場により、美倉の頭脳と文章は冴え渡るようになる。美倉はばるぼらのことをミューズだと確信するのだが、ばるぼらは映画冒頭の美倉のナレーションで「都会が何千万という人間をのみ込んで消化し、垂れ流した排泄物のような女」と語られており、一般的なミューズ像からは大きくかけ離れている。取りようによっては抽出物ということでもあり、究極の美と醜さの両端を持つ存在ということにもなる。

原作では実際にミューズのようで、バルボラ(漫画内では片仮名表記である)と会ったことで美倉はテレビドラマ化や映画化もされるほどの大ベストセラー『狼は鎖もて繋げ』を生むようになるが、バルボラと別れた途端に大スランプに陥り、6年に渡ってまともな小説が書けなくなってしまう。そして時を経てバルボラの横でバルボラを主人公にした小説を書き始める。のちに大ベストセラー小説となる長編小説『ばるぼら』がそれだが、美倉は執筆中に小説に魂を奪われてしまうという展開になっている。

この映画でも、ラストで美倉が『ばるぼら』という小説を書き始めるのだが、その後は敢えて描かずに終わっている。

この映画では、美倉の作家仲間である四谷弘之(原作では冒頭のみに登場する四谷弘之と、筒井隆康という明らかにあの人をモデルとした作家を合わせた役割を担っている。演じるのは渋川晴彦)がミューズについて、「お前にミューズがいるとしたら加奈子ちゃんだろ?」と発言している。美倉が売れない頃から苦楽を共にしてきた加奈子。清楚で真面目で家庭的で頭も良くて仕事も出来てと良き伴侶になりそうなタイプなのだが、それでは真のミューズにはなり得ないのだろう。おそらく耽美派の作家である美倉にとって、創作とは狂気スレスレの行いであろうから。

SMAP時代から俳優活動にウエイトを置いてきた稲垣吾郎。風貌も耽美派小説家によく合い、演技も細やかである。優等生役から奔放な悪女まで演じる才能がある二階堂ふみは、真の意味でのミューズとしてのばるぼら像を巧みに現出させていたように思う。出番は多くないが、美波、石橋静河、片山萌美も印象に残る好演であった。

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2020年11月29日 (日)

観劇感想精選(370) 風琴工房 「紅き深爪」

2006年8月1日 左京区下鴨の人間座スタジオにて観劇

下鴨にある人間座スタジオで、東京の劇団、風琴工房の「紅き深爪」を観る。作・演出:詩森ろば。風琴工房も“TOKYO SCAPE”で上洛して公演を行っている劇団の一つだ。

「紅き深爪」は幼児虐待やアダルトチルドレンをテーマとした芝居である。

まず、人物設定が細かいことに感心する。箱書きにはおそらく個々の登場人物に関してかなり書き込まれているはずで、丁寧な仕事ぶりを好ましく思う。
サブテキストもわかりやすく、姉妹がなぜこれほど性格が異なるのか、彼女たちがどんな子供時代を過ごし、どのように成長してきたかが手に取るようにわかる。
病室が舞台であり、姉妹の母がカーテンの向こうで死の床に就いているのだが、この母親の人物像も自然なセリフでわかりやすく説明される(映画「愛を乞うひと」の原田美枝子のような人だったらしい)。

少しステレオタイプかな、と感じた場面も実は狙いであったことがわかり、「やるな」と思う。作家はよく勉強している。

役者のレベルにはややバラツキがあるが、上手い役者はとにかく上手く、全体の水準が引き上げられていた。

見応えのある芝居であった(全席指定であり、最前列に座ることになったのだが、最前列で観るには重い芝居ではあったが)。ただ、この手の芝居は好き嫌いがはっきり分かれるのが常である。「愛を乞うひと」が嫌いな人は(「『愛を乞うひと』なんて二度と見たくない」という人を私は何人か知っている)この劇も苦手なはずだ。

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2020年6月25日 (木)

配信公演 ACALINO TOKYO 「演劇の街をつくった男」(文字のみ)

2020年6月21日 下北沢・小劇場B1からの配信

午後6時から、ぴあのストリーミング配信で、ACALINO TOKYOの演劇公演「演劇の街をつくった男」を観る。下北沢・小劇場B1で客を入れて行われている公演の有料配信。チケット事前購入制だが、リアルタイムでなくアーカイブのみを観られるチケットも発売されている。

原作:徳永京子、脚本・演出:徳尾浩治(とくお組)。出演:石川啓介、大部恵理子、笠井里美、杉山圭一、とみやまあゆみ、中薗菜々子、野川雄大、林雄大、本多一夫。

東京の下北沢で本多劇場など8つの劇場の経営主となっている本多一夫を描いた『「演劇の街」をつくった男 本多一夫と下北沢』(本多一夫:語り、徳永京子:著)を元にした演劇作品。ストーリーテラーを兼ねた女優を二人配するなど、わかりやすさを重視した作品となっている。

まずタイムスリップによる展開があり、舞台は2020年から1972年に飛ぶ。札幌工業高校時代に演劇部に在籍し、顧問の母校である北海道大学の学生劇団に入り浸っていた経験があり、元新東宝ニューフェイスであった本多一夫が、新東宝の倒産もあって俳優の道を諦め、下北沢で50軒もの飲食店を経営するまでになるが、やはり演劇を愛していたことから下北沢駅前の一等地に空いた土地を購入し、紆余曲折の末、本多劇場をオープンさせるまでを現代からタイムスリップした舞台女優の視点を通して描いていく。

演劇への思い入れが感じられる可愛らしい中編で、好感が持てた。

実は、本多劇場には一度も行ったことがない。竹中直人の会の公演である「水の戯れ」を観に行く予定があったのだが、当日の朝に首を痛めて病院に行く羽目になり、本多劇場で観劇は叶わなかった。なお、「水の戯れ」は、その後、光石研主演による再演を梅田芸術劇場シアター・ドラマシティで観ている。
本多劇場に先駆けて開場した小劇場であるザ・スズナリには一度だけ行ったことがあり、青空美人の「空にかかわるもの」という作品を観ている。下北沢での観劇経験はそれ一度だけであり、他の劇場に通えていないのが残念である。

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2019年11月12日 (火)

京都宣言

 私は関東の生まれで、そのことをとても誇りに思っています。生まれる場所は選べませんが、東京ではなく千葉県の出身であることを幸運だとも感じています。自分にしか語れない事柄があり、映像では確認出来ない風景の数々と録音では聴けない多くの音が頭の中に残っているので。貝の殻である私の耳は九十九里浜の潮騒を常に宿しており、一体であります。私自身の歴史が流れる場所。
 ただ生まれる場所は選べなくても過ごす街は自分で決めたい。そしてそれが京都です。子どもの頃から憧れを抱いていた古都。私と私の以前の記憶と呼応する街。山があり、鴨川が流れ、寺社が佇み、城が胸を張る。
 勿論、私を私たらしめた都市である東京は大好きですし、金沢、名古屋、岡山、広島、福岡など、他にも心引かれる街はありますが、私は京都が良いです。

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2019年10月15日 (火)

美術回廊(38) 細見美術館 レスコヴィッチコレクション「広重・北斎とめぐるNIPPON」

2019年9月29日 左京区岡崎の細見美術館にて

ロームシアター京都と琵琶湖疎水を挟んで向かいにある細見美術館で、レスコヴィッチコレクション「広重・北斎とめぐるNIPPON」という展覧会を観る。
パリ在住のポーランド人であるジョルジュ・レスコヴィッチの蒐集した浮世絵の数々を展示した展覧会である。

歌川広重と葛飾北斎の他に、鈴木春信、喜多川歌麿、東洲斎写楽、渓斎英泉、歌川国貞らの絵が並んでいる。

劈頭を飾るのは鈴木春信の美人画の数々である。浮世絵、錦絵、春画などの部門で活躍した鈴木春信であるが、登場する女性達が異様に華奢なのが特徴である。江戸時代は今より栄養状態が良くなかったが、これほど細い女性が実在したとも思えない。他の絵師達の美人画とも比べると鈴木春信が描いた女性が段違いに細いことが確認出来る。浮世絵は余りモデルを使わず、イメージで描くこと多かったと思われるのだが、仮にモデルがいたとしてもかなりデフォルメされているのあろう。細い女が好みだったのか、か細さになんらかの意味を込めようとしたのか。

東洲斎写楽の役者絵は、逆に歌舞伎俳優達を美化しておらず、そのために描かれた俳優本人からは評判が悪かったそうで、写楽の活動期間を縮めた一因ともいわれているのだが、写楽の正体は能楽師の斎藤十郎兵衛だったという説が近年では有力視されており(「東洲斎」というのは「さいとうしゅう」のもじりというわけだ)、同じ舞台人であるがために役者の心情を上手く描けているという評価もある。残念ながら写楽の絵に描かれている演目を私は観たことがないのだが、あるいは観たらもっとわかることがあるのかも知れない。

葛飾北斎の「詩哥写真鏡」は、全体的に青の多用が印象的で、ピカソや北野ブルーの先駆けっぽい(?)。

広重の「六十余州名所図会」は嘉永6年に描き始められているが、この年は黒船来航の年である。攘夷の意識が高まる時代にこうした絵が描かれていたということになる。

「木曽街道六拾九次」は、広重の渓斎英泉の共作である。東海道に比べると木曽街道は地味だが、行き交う様々な人々が多彩に描かれている。そういえば以前に、渓斎英泉を主人公にした矢代静一の「淫乱斎英泉」という芝居を観たことがあるのだが、余り面白くなかった記憶がある。

広重の「東海道川尽 大井川の図」「相州江之嶋弁財天開帳参詣詣群衆之図」などでは波が図式化されている。実際は波がこういう形に並ぶことはないと思われるのだが、そこに意匠というか江戸時代のデザイン的な刻印が行われているようにも感じる。

広重が描いた「山下町日比谷さくら田」は現在の警視庁の辺りを描いた絵。その他にも「神田明神曙之原」や「上野山した」「下谷廣小路」などは、東京の風景を知っていると楽しみがグンと増す。

北斎は、かめいど天神たいこばしなど、今は現存しない橋をかなり大袈裟に描いている。リアリズムよりも人の内面の感情を優先させた描き方なのだと思われる。
富嶽三十六景は、京都浮世絵美術館に飾られていると同じ「江都駿河町三井店略図」なども展示されている。「甲州石班澤(かじかざわ)」の絵にも顕著に表れているが、同じ形になるものを並べる相似形の構図にすることで、構築をより堅固にしようという意思が伝わってくるかのようだ。
葛飾北斎は、「琉球八景」という絵画シリーズを手掛けているが、実際に琉球に行ったことはなく、琉球で描かれた絵や図などを見ながらイメージを膨らませて架空の琉球を作り上げたようである。

広重の「京都名所之内」は、その名の通り名所を細部に至るまで描いて(実際に行ったことのある場所と他の絵師の絵図を参考に想像で描いたものが混在しているようだ)、往時の京都のイメージを知ることが可能になっている。

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2018年1月18日 (木)

富岡八幡宮案内

残念な事件で有名になってしまった東京都江東区の富岡八幡宮。ただここは東京屈指の名門神社であり、見どころがたくさんあります。今日はそれをご紹介していきたいと思います。

まずは本殿。二階建ての立派なものです。

富岡八幡宮本殿

八幡宮であるため、祭神は当然、八幡神(誉田別命=応仁天皇を合祀)です。

 

境内の花本社には松尾芭蕉が神として祀られています。その名も松尾芭蕉命(まつおばしょうのみこと)。そのまんまですね。

富岡八幡宮花本社

ちなみに私は松尾芭蕉の『奥の細道』の冒頭は暗記していますので、案内のお姉ちゃん相手に暗唱して、ポカーンとさせました。

 

富岡八幡宮は、伊能忠敬が測量の旅に出掛ける前に参拝した神社です。ということで伊能忠敬の銅像もあります。

富岡八幡宮伊能忠敬銅像

 

富岡八幡宮の最大の特徴は、大相撲関係の碑が充実していること。まずは横綱力士碑。

富岡八幡宮横綱力士碑

 

最近話題の人の名前も勿論あります(左下に注目)。

千代の富士貢、貴乃花光司、若乃花勝らの銘

 

最強の力士といわれながら素行等が問題で横綱になれなかったという説のある雷電為右衛門の名前も番外に「無類力士」として刻まれています。

雷電為右衛門の銘

 

富岡八幡宮の一番人気は、横綱でも大関でもなく、強豪関脇碑に刻まれたこの人なんです。

強豪関脇碑力道山光浩の銘

皆が触るので変色してます。

 

そして富岡八幡宮の遺産というべきものが、昭和天皇御製のこの歌です。

富岡八幡宮昭和天皇御歌

「身はいかになるともいくさとどめけりただたふれゆく民をおもひて」

昭和20年3月18日に富岡八幡宮を視察された時の思いがこのお歌に込められたとされています

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2017年9月23日 (土)

NHK交響楽団学生定期会員時代のこと

 東京時代にNHK交響楽団の学生定期会員を2年ほどやっておりました(1997年-99年)。定期会員としての最初のコンサートの指揮者は、現在、京都市交響楽団の常任指揮者を務めている広上淳一でした。因縁を感じます。メインはグリーグの「ペール・ギュント」組曲第1番&第2番で、広上さんったら「アニトラの踊り」では指揮台の上でステップ踏んで踊ってました。

 定期会員の1年目は良かったのですが、2年目にはきつくなりました。渋谷のNHKホールまでは片道2時間。そして毎回聴きたい指揮者や曲目とは限らない。というわけで「今日は気が進まないなあ」と思いながら通うこともありました。「聴きたい」から「聴かなければならない」に変わってしまったのです。日本では評価が低いドミトリ・キタエンコが実は名指揮者だったという発見もありましたけれども。というわけで社会人になってからはN響の定期会員も辞め(N響のシーズンは9月ー6月なので、「なると同時に」ではありません)、以後もオーケストラの定期会員にはなっていません。

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