カテゴリー「祭り」の15件の記事

2020年8月 6日 (木)

美術回廊(55) 京都国立近代美術館所蔵作品にみる「京(みやこ)のくらし――二十四節気を愉しむ」

2020年7月31日 左京区岡崎の京都国立近代美術館にて

左京区岡崎にある京都国立近代美術館で、京都国立近代美術館所蔵作品にみる「京(みやこ)のくらし――二十四節気を愉しむ」を観る。

新型コロナウィルスにより、多くの行事が流れてしまった京都。その京都の四季の彩りを再確認するために京都国立近代美術館所蔵品を中心として開催されている展覧会である。

階段を上ると「晩夏」から、エレベーターを使うと「初夏」の展示から観ることになる展覧会。階段を使って「晩夏」より入る。

四季を更に細分化した二十四の季節を持つ日本。古代中国由来なので、必ずしも今の暦と符合するわけではないが、恵みと脅威を合わせ持つ自然に対する細やかな意識が察せられる区分である。

 

階段を上がったところに、北沢映月の「祇園会」という屏風絵が拡げられている。1991年に京都国立近代美術館が購入した絵だ。「小暑」の区分である。
京舞を行っている母親をよそ目に、祇園祭の鉾の模型で二人の女の子が遊んでいる。一人は鉾を手に転がそうとしているところで、もう一人はそれを受け止めるためか、片手を挙げている。動的な絵である。

不動立山の「夕立」は、おそらく東本願寺の御影堂門と烏丸通を描いたと思われる作品である。昭和5年の作品なので、京都駅は今のような巨大ビルではないし、京都タワーもなかったが、それを予見するかのような高所からの俯瞰の構図となっている。これは不動茂弥氏からの寄贈である。

「大暑」では、丸岡比呂史の「金魚」という絵が出迎える。昨日観た深堀隆介の金魚とは当然ながら趣が異なり、愛らしさが前面に出ている。

同じタイトルの作品が並んでいるのも特徴で、「処暑」では、福田平八郎の軸絵「清晨」(どういう経緯なのかはよく分からないが、旧ソヴィエト連邦からの寄贈)と深見陶治の陶器「清晨」が並んでいる。趣は大分異なるが、各々が感じた朝の気分である。

具体美術協会を起こしたことで知られる吉原治良(よしはら・じろう)の作品もある。「朝顔等」という絵だが、朝顔の周りに海産物が並べられており、海は描かれていないが海辺であることが示唆されている。夫人による寄贈。

 

「立秋」にはこの展覧会のポスターにも使われている、安井曾太郎の「桃」が展示されている。邪気を払う特別な果物だ。

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「中秋」では、京都画壇を代表する女性画家である上村松園の「虹を見る」(文化庁からの管理換)という屏風絵が素敵である。虹は右上に小さく描かれ、それを若い女性と母親と赤ん坊が見上げるという作品であるが、虹がまだ何かもわからない年齢なのに惹かれている赤ん坊が特に印象的である。

「秋分」では、小川千甕(おがわ・せんよう)の「田人」という作品が「その先」の想像をくすぐる出来である。2001年度購入作。

俳優の近藤正臣の親族としても有名な陶芸家の近藤悠三の作品もある。堂々とした作風である。

 

坂本繁二郎の「林檎と馬齢著」(立冬)。全く関係ないが、最近観た見取り図の漫才ネタを思い出す。

 

秋野不矩の「残雪」(「初春」。1985年に作者が寄贈)。これも関係ないが中国を代表する前衛小説家の残雪の作品を最近は読んでいない。急に読んでみたくなったりする。

「仲春」には花と蝶を題材にした絵画が並ぶ。久保田米僊(くぼた・べいせん)の「水中落花蝶図」、枯れて水面に落ちた花弁と、その上を舞う蝶が描かれており、動物と静物、しかも盛りを過ぎた静物との対比が描かれている。2005年度購入作。

 

「春分」には今も花見の名所として名高い円山公園を描いた作品がいくつか登場する。

「晩春」では、藤田嗣治や長谷川潔が手掛けた「アネモネ」という花の絵が美を競っている。アネモネは色によって花言葉が違うようだが、調べてみると紫のアネモネの花言葉は「あなたを信じて待つ」であり、赤のアネモネの花言葉は「辛抱」であった。

 

「立夏」には葵祭を題材にした伊藤仁三郎の絵が2点(2002年寄贈作品)並び、苺の収穫を描いた小倉遊亀(寄託作品)の作品もある。

「夏至」には千種掃雲の「下鴨神社夏越神事」(2005年度寄贈)、更に美術の教科書によく作品が登場する安田靫彦の「菖蒲」(2000年度購入)などがある。

 

そして階段から入った場合、最後の展示となるのが川端龍子(かわばた・りゅうし)の「佳人好在」(1986年度購入)。佳人(美人)の部屋を描いた作品だが、佳人は登場せず、並んだ小物などから佳人の人となりを想像させる絵となっている。これが今日一番気に入った絵となった。これぞまさに「不在の美」である。

 

京の行事はこの一年、ほぼ全て幻となってしまったが、展示された美術作品の数々の中に、悲しみと同時に希望を見出すことになった。
「京都は京都」幾多の災難を乗り越えた街であり、いつかまたこれらの作品に描かれているような愉しみが復活するのは間違いないのだから。

 

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2020年7月17日 (金)

美術回廊(53) 京都文化博物館 特別展「祇園祭 京都の夏を彩る祭礼」

2020年7月17日 三条高倉の京都文化博物館にて

三条高倉の京都文化博物館で、特別展「祇園祭 京都の夏を彩る祭礼」を観る。

新型コロナウイルスの影響で、山鉾巡航など大がかりなものは中止となってしまった今年の祇園祭。密にならない小規模なものは行われているが、それも毎日ではない。祇園囃子も録音されたものが四条通に流れているのは例年通りだが、生音を聴くことはない。
「動く美術館」といわれる山鉾巡航であるが、今年は 動くどころか建てることすら不可である。
そんな「動く美術館」をずっと静止した形で展示しているのが今回の展覧会である。

 

入場者を確認出来るようにするため、入る前に氏名等の記入が必要となる。

 

山鉾の前懸(その名の通り前に懸ける布)や胴懸の展示がまずある。「日本の祭り」というイメージの強い祇園祭であるが、実際は西洋画なども用いられている。ギリシャの「イーリアス」などの絵で、江戸時代ものである。京都人はよく「進取の気質に富む」といわれるが、こうしたところにそれが窺える。保守的であったら自分達の祭りに西洋の絵を用いようとは思わないだろう。

勿論、舶来のものだけでなく、和の要素も重要視される。安芸・宮島の前懸(占出山)などがそうである。

 

京都の円山派・四条派などの礎を築いた円山応挙(1733-1795。家は四条通に面しており、今は石碑が建つ)が書いた絵を基に編み上げた刺繍の展示がある。保昌山のものである。
とにかく徹底した描写力を追求した円山応挙だが、刺繍の基になっている絵は江戸の絵師達の影響を受け、エネルギー放射量を重要視するようになってからの作品である。
刺繍になると描写力の精緻さは当然ながら後退するのだが(絵筆を使ったタッチの再現は出来ない)そこに登場する虎などの動物は立体感と毛皮のように見える視覚を伴い、よりリアルなものへと変わっている。刺繍にした方が生きる絵を選んだということでもあるだろう。見事な発想である。

 

祇園祭がどのように行われてきたのかという記録も展示されている。名所図会などに描かれた山鉾、そして町衆によって書かれた「入日記」と呼ばれる記録用の冊子を見ることが出来る。

 

山鉾を彩る彫像などの展示もあるが、極めて繊細にして精緻な仕上がりであり、こうしたものを作り上げる技巧の高さは想像の外にある。中学校の美術の時間に取り組んだ木彫りが酷いものにしかならなかった私の技量では、まずどこからどう取りかかればこうなるのかすら掴むことが出来ない。空間認知能力に秀でていることも重要だろうし、手先の器用さも必要なのはわかる。技巧面でわかるのはそこまでである。
ただ、日本が誇る宮大工の技術や、仏教美術の蓄積がこれらの製作に大いに貢献しているということは想像に難くない。天明年間に製作された八幡宮の祠の展示もあるが、ここに展示されているのとほぼ同じ技術によるものが、京都の神社や寺院で見ることが出来る。祇園祭は八坂神社の祭礼であり、八坂神社は明治に入るまでは、祇園社や祇園感神院と呼ばれた神仏習合社であり、神道と仏教の両方の美術が社や氏子達に受け継がれてきたことになる。いわば、美の発信拠点でもあったわけだ。
それを象徴するような欄干様の細工がある。八坂神社の神紋は「五瓜に唐花」と神道共通の「左三つ巴」であるが、その真ん中に仏教の法輪が入ったものである。

ちなみに八坂神社の神紋が五瓜という瓜系の紋なのは、祭神である牛頭天王が瓜を好んだという話に由来すると思われる。左京区にある瓜生山は、牛頭天王に捧げる瓜を栽培したことにちなむ地名である。牛頭天王が初めて京に降り立った場所は北白川東光寺とされているが、この北白川東光寺がどこにあったのかは現在では不明である。ただ北白川という地名はいにしえとは範囲が異なると思われるが残っており、北白川東光寺の跡地に建つと主張している岡崎神社(東天王)は北白川に比較的近い場所にあり、同じく北白川東光寺の有力後継社である八大神社(北天王)は瓜生山の麓にある。

 

明治時代以降の山鉾についての展示が最後にある。幸野楳嶺や今尾景年、竹内栖鳳ら絵師というよりも画家と呼ばれる時代の人々による伝統美を追求した作品が展示されている。

 

一番最後に展示されているのは、鈴木松年(すずき・しょうねん)の筆による「宇治川合戦屏風」。浄妙山の人形の姿の元となった合戦の場面を屏風にしたものでダイナミックな構図が印象的であり、勝ち運の山である浄妙山への祈念が込められているようにも見えた。

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2020年7月 4日 (土)

美術回廊(51) 京都文化博物館 「横山華山」

2019年7月17日 三条高倉の京都文化博物館にて

京都文化博物館で、「横山華山」の絵画展を観る。「かざん」という号を持つ人物としては渡辺崋山が有名だが、横山華山は江戸時代後期に活躍した京都の絵師である。曾我蕭白に私淑した後、岸駒(がんく)や呉春(ごしゅん)に師事し、円山応挙や伊藤若冲と入れ替わるようにして世に出る。明治時代末に書かれた夏目漱石の『坊ちゃん』にその名が登場しており、その後、大正時代頃までは有名な人物であったようだが、昭和に入ってからはその名が忘れ去られてしまうようになる。展覧会のキャッチコピーは「まだいた、忘れられた天才絵師」である。
横山華山は、祇園祭の山鉾を描いた「祇園祭例図絵巻」を著しており、祇園祭の時期に合わせての展覧会開催である。

まず曾我蕭白の「蝦蟇仙人図」模写から入る。曾我蕭白の原図は張り詰めた雰囲気だが、横山崋山の模写は全体的に明るく、体の線も緩やかである。
横山華山の作風の特徴は、クッキリとした輪郭と緻密な描写力にある。風景画などは手前側をリアルに描き、奥はぼやかすため、絵全体に浮遊感と奥行きが生まれている。
「祇園祭例図絵巻」も「そのまま」を描く精緻な筆が冴えており、近々復活する予定である山鉾の一つ「鷹山」の史料となったというのも頷ける。

一方で、画面全体が明るいということで陰影を欠きがちであり、絵の背後にあるものを余り感じ取ることが出来ない。健康的で優しい絵なのだが、写真が現れ、その精度が上がれば取って代わられるような絵なのではないかという思いも浮かぶ。昭和に入ってから急速に忘れ去られたという背景の一つにそうしたことがあるいはあったのではないか。ただ、そうでなくとも「激動の昭和を駆け抜けるに相応しいだけの力を持った絵師だったか」と問われれば、「否」と答えることになると思う。破滅の予感が日本を襲った時代にあっては横山華山の画風は優しすぎたであろうし、復興の時代になればなったでパワーに不足しているように見える。あるいはまた時代が変われば評価も変化するのかも知れないが、今の時点では「リアリズムの点において優れた描写力を発揮し、史料的に重要な絵を残した」絵師に留まると書くのが最も適当であるように思われる。

だが、祇園祭の史料になるだけのリアリスティックな絵を描いたというその一点だけでも、横山華山という絵師の存在意義は十分に肯定され得るものだと確信してもいる。芸術的な意味では必ずしもなく、時代の証言者としてということになるのかも知れないが「絶対に必要な存在」だったのだ。

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2019年9月19日 (木)

コンサートの記(594) 大阪クラシック2019 第2公演&第4公演

2019年9月8日 大阪シティ信用金庫本店2階講堂と大阪市中央公会堂中集会室にて

午後1時から北浜にある大阪シティ信用金庫本店で行われる第2公演に向かう。第2公演は無料である。
大阪クラシックは、普段は演奏が行われない場所が用いられるのが楽しみの一つである。用がないので大阪シティ信用金庫本店には行ったことがないのだが、2階に講堂があり、ここで演奏が行われる。普段はまず入れない場所なので興味深い。

第2公演は、大阪交響楽団のメンバーによる室内楽演奏である。出演は、ホルン:細田昌弘&小曲善子、ヴァイオリン:里屋幸&吉岡克典、ヴィオラ:南條聖子、チェロ:大谷雄一。

曲目は、モーツァルトのディヴェルティメント第15番より第1楽章とベートーヴェンの2つのホルンと弦楽四重奏のための六重奏曲。

チェロの大谷雄一がマイクを手に曲目解説などを行う。弦楽四重奏と2つのホルンという編成のための曲はそれほど多くはないのだが、モーツァルトとベートーヴェンという二人の作曲家がそろってこの編成のための曲を書いているという。

モーツァルトのディヴェルティメント第15番第1楽章。音響設計がされていない会場ということで、弦がかさついて聞こえ、ホルンの不安定さも目立ってしまう。

ただ人間の耳というのは大したもので、ほどなくして環境に馴染んでしまい、音楽が良く聞こえ始める。

ということでベートーヴェンの2つのホルンと弦楽四重奏のための六重奏曲は満足して聴くことが出来た。

2つホルンと弦楽四重奏のための六重奏曲の第2楽章が始まって程なくして、上手の入り口から大植英次がすっと入ってくるのが目に入る。

演奏が終わると、大植英次がマイクを手にステージの前に進み、挨拶と大阪交響楽団の紹介を行う。大谷雄一は演奏が始まる前に「今日はアンコールはありません」と明言していたのだが、大植英次が「アンコール聴きたいですよね」と聴衆に聞いて無茶ぶり。ベートーヴェンの2つのホルンと弦楽四重奏のための六重奏曲より第3楽章がもう一度演奏された。

大植は「ベートーヴェンの年は来年(生誕250)なのだが、我々はいつも先取りして行う」と語っていた。また大阪交響楽団のモットーである「聴くものも、演奏するものも満足できる音楽を!」を絶賛し、「海外ではいつも使わせて貰ってます」「著作権はありませんよね」と語っていた。


第3公演も無料公演なのだが、スケジュールが重なっているため、そちらは聴かずに大阪市中央公会堂中集会室で行われる第4公演へと向かう。大阪フィルハーモニー交響楽団団員達による演奏で、これは1000円の有料公演である。

出演は、宮田英恵(ヴァイオリン)、石田聖子(チェロ)、宮本聖子(ピアノ)によるピアノトリオ。全員がベルリンへの留学経験があるため、ベルリン・トリオという名も名乗っているそうである。まず宮田英恵がスピーチを行うのだが、聖子が二人いたり、「宮」や「田」の字が重なっていて結構ややこしいという話から入って、曲目の解説を行う。

メンデルスゾーンのピアノ三重奏曲第1番とブラームスのピアノ三重奏曲第1番という、ピアノ三重奏曲第1番を重ねたプログラムである。宮田によるとメンデルスゾーンのピアノ三重奏曲第1番は、彼が二十歳の時に書かれたもので、二十歳というと普通はまだ若いと思われる年齢だが、メンデルスゾーンは38歳の若さで亡くなってしまうため、作曲家としてはすでに中期に差し掛かっていると見なされるそうである。

メンデルスゾーンのピアノ三重奏曲第1番は、仄暗い情熱を湛えた曲であり、メンデルスゾーンの早熟ぶりを窺うことが出来る。

ブラームスのピアノ三重奏曲第1番の前には、チェロの石田聖子がスピーチを行う。本来はメンデルスゾーンのピアノ三重奏曲第1番のみで収めようと思ったのだが、大阪クラシックの持ち時間は45分で、どれだけゆっくり演奏したとしても45分持たないということで、ブラームスのピアノ三重奏曲第1番も演奏することにしたという。ブラームスがピアノ三重奏曲第1番を作曲したのは21歳と若い頃だったのだが、その後に改訂され、今日演奏されるのもその改訂版だという。

スケールの大きな曲だが、ブラームスとしては開放的な曲調を持っており、メンデルスゾーンが「暗」、ブラームスが「陽」という一般的なイメージとは逆の楽曲で構成されているのが面白い。

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2019年3月26日 (火)

2346月日(11) 京都文化博物館 「北野天満宮 信仰と名宝」

2019年3月19日 三条高倉の京都文化博物館にて

三条高倉の京都文化博物館で「北野天満宮 信仰と名宝」を観る。
天満宮の総社である北野天満宮。その祭神である菅原道真公と天神の本地である十一面観音などに関する展示である。

学問の神様とされる菅原道真。氏や育ちではなく知力で右大臣にまで上った人物である。知で昇進した先例には吉備真備らがいるが家格を超える昇進を遂げたのは菅原道真が初とされる。その後、藤原時平らの讒言があって太宰府に左遷され、失意の内に亡くなる。だがその後、清涼殿に落雷があったり、藤原氏の有力者が次々に他界するなどの変異があり、雷神と集合して天神として北野の地に祀られることになった。元々、北野の地は都の北西を守る霊地であり、道真は都を守る怨霊として祀られることになる。

 

「北野天神縁起」はパネル展示があるだけだが、文子天満宮や吉祥院天満宮など、北野天満宮より成立が早いとされる天満宮の由来が描かれているのがわかる。

 

道真は、左遷された不遇を漢詩に詠んでいるが、その「去年今夜待清涼 秋思詩編独断腸 恩賜御衣今在此 報持毎日拝余香」は、その後に描かれた天神像にたびたび書き込まれている。
天神像も様々で、一般によく知られているのは憤怒の表情を浮かべた天神像だが、中には道真の失意をそのままに表した憂い顔の天神像も存在する。

道真は漢詩や和歌だけでなく、学者として史書の「類聚国史」編纂の仕事もしており、そのうちの2冊が展示されている。

 

後半は北野天満宮に関する展示である。
北野天満宮は麹造りを支援しており、醸造業者の連盟である麹座に神人の位を与えて保護していたのだが、洛中の酒屋が麹造りを始めたため、独占権を失いそうになる。そこで北野麹座は室町幕府に訴え、独占権の確約を手にする。足利義持の命により、北野麹座以外の麹室は破却されることになった。
足利義持の下知状と一色義範の遵行書状が展示されているが、二人とも「北野」の「北」の字を崩しており「小」に見えるのが特徴である。草書だとそうなるのだと思われる。

その後、北野が生んだ文学とされる連歌(宗祇の肖像などが展示されている)の展示を経て、北野天満宮の祭礼展示となる。上映時間約20分の映像が流されており、北野天満宮で一年の間に行われる祭礼の模様をダイジェストで見ることが出来る。

 

北野天満宮史上最大のハイライトの一つである北野大茶会の展示としては、実際に掲げられた高札の他に大茶会の様子を描いた絵図、またその繋がりで現在の北野天満宮の社殿を築いた豊臣秀頼の筆による御神号などが展示されていた。

 

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2018年5月10日 (木)

コンサートの記(383) 「近江の春 びわ湖クラシック音楽祭」2018 かがり火オペラ パーセル 歌劇「ディドとエアネス」

2018年5月5日 びわ湖ホール湖畔広場にて

午後7時から、湖畔広場(中ホールの外)で、かがり火オペラ、パーセルの歌劇「ディドとエネアス」を観る。指揮は大川修司、ザ・カレッジ・オペラハウス管弦楽団のメンバーと、笠原雅仁(リュート)、梁川夏子(チェンバロ)、中村洋彦&井上佳代(リコーダー)による演奏。出演は全員びわ湖ホール声楽アンサンブルのメンバーで、船越亜弥(ディド)、内山建人(エネアス)、飯嶋幸子(ペリンダ)、藤村江李奈、益田早織、吉川秋穂、溝越美詩、山際きみ佳、鳥越聖人、熊谷綾乃、川野貴之、蔦谷明夫、板東達也、五島真澄、宮城島康。演出:中村敬一。英語上演、日本語字幕付きである。

上演前に演出の中村敬一によるトークがある。「ディドとエネアス」のあらすじを紹介した他、イタリア人は歌を愛し、フランス人はダンスを好んで、イギリス人はシェイクスピアの国ということもあって演劇を愛好するという話をして、そのためもあってイギリス人の有名なオペラ作曲家はパーセルとベンジャミン・ブリテンの二人だけという話をする。
イギリス史上ただ一人といっていい天才作曲家のヘンリー・パーセル。エリザベス朝時代に活躍した作曲家であるが、彼の没後、約200年に渡ってイギリスは大物作曲家不在の国となってしまう。その後、20世紀に入ってから、ベンジャミン・ブリテンがようやく世界的なオペラを書くようになるのだが、ブリテンはパーセルのことを大変尊敬しており、ブリテン自身が編曲を手掛けたブリテン版「ディドとエアネス」も存在するという。

仮設舞台の上に布が一枚垂れているが、これに映像が投影されたり、船の帆に見立てられたりする。

びわ湖ホール館長の山中隆と、「近江の春 びわ湖クラシック音楽祭」のプロデューサーでびわ湖ホールの音楽監督でもある沼尻竜典によるかがり火点灯式の後でオペラスタート。


神話の時代のお話である。トロイ戦争に破れ、ローマを目指しての船旅に出たエアネス王子は嵐に遭い、カルタゴへ流される。カルタゴを建てたディド女王は、アプロディーテーの息子で男前のエアネスと恋に落ちる。だが二人の仲を知った魔女は嫉妬して、精霊に化けてエアネスの前に現れ、カルタゴを離れてローマに向かうよう命じる。ディドからも精霊の命令に従うよう説得されたエアネスはためらいつつもイタリアへと向かい、元々気鬱気味であったディドは自ら命を絶つ。

バロック時代のオペラということもあってあらすじは平易である。パーセルの音楽は「天才」の評価にふさわしい優れたものだ。古楽だけにドラマ性に富んでいるというわけにはいかないが、ラストの暗い響きなどには時代を超越したものがあるように思う。
中ホールがすぐ背後にあり、「俺だったら中ホールの照明を使うなあ」と思っていたが、中村敬一もラストで中ホールの明かりを使っていた。

今よりも神の存在がずっと大きかった時代の話。人間は神の前ではちっぽけな存在でしかなかったが、ある意味、「神のせい」に出来た時代でもある。神という存在に後付けされた免罪符とでもいうべきか。人間の意識が肥大化し、神が殺害されて全ての事柄が個人に結びつくようになった今に比べると、この時代は別の種類の豊かさに満ちていたとも言える。

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2018年5月 9日 (水)

コンサートの記(382) 沼尻竜典指揮 京都市交響楽団 「近江の春 びわ湖クラシック音楽祭」2018 クロージングガラコンサート

2018年5月5日 びわ湖ホール大ホールにて

午後5時30分から、メインホールで、沼尻竜典指揮京都市交響楽団ほかによる「クロージングガラコンサート」を聴く。ガラコンサートというと正装が必要な場合がある。音楽祭の一環としてのガラコンサートなので、ドレスコードはないはずだが、今日はこちらも特別にネクタイは締めて行った。たまには正装して臨むのもいいだろう。

大ホール外のメインロビーでも無料演奏会が行われており、午後4時40分からは、日本センチュリー交響楽団のクラリネット奏者である吉岡奏絵が、ピアノの寺嶋千紘と共にチャイコフスキーの「くるみ割り人形」を基にした変奏曲(A・シャボー編曲)の演奏で聴衆を沸かせていた。

クロージングガラコンサートの曲目は、ロッシーニ没後150年を記念した歌劇「ウィリアム・テル」序曲より“スイス軍の行進”と同じく歌劇「ウィリアム・テル」よりアリア“暗い森、寂しい荒野”(ソプラノ独唱:森谷真理)、ウェーバーのクラリネット・コンチャルティーノとドビュッシーのクラリネットのための第1狂詩曲(クラリネット独奏:マイケル・コリンズ)、プッチーニの歌劇「トスカ」よりアリア“星は光りぬ”(テノール独唱:市原多朗)、ラヴェルの「ボレロ」

京響の男声楽団員達は蝶ネクタイを着けての登場。指揮者の沼尻竜典も蝶ネクタイ姿である。
沼尻は今日も全曲ノンタクトでの指揮である。

「ウィリアム・テル」序曲より“スイス軍の行進”は京響の金管群の輝かしい響きが印象的な演奏である。

演奏終了後、沼尻はマイクを片手に挨拶。「私の世代ですと、この曲は『俺たちひょうきん族』のテーマというイメージなのですが、若い人はピンとこないようで」と語る。
沼尻はロッシーニについての解説を行う。「ウィリアム・テル」はロッシーニ最後のオペラであるが、37歳の時にこの作品を書いて以降はオペラの作曲家を辞めて美食評論家になったということなどについて。

ロッシーニは、ベートーヴェンと同時代人であり、ロッシーニオペラの人気はベートーヴェンを震撼させたのだが、あっさりとリタイアし、悠々自適の生活を送るという、珍しい経歴を持つ。本人が余り音楽に執着がなかったのかも知れないが、ロッシーニのオペラは作曲者の死後には上演される機会がほとんどなくなってしまい、序曲だけが名曲として演奏会で取り上げられるということが続いている。一方で、アルベルト・ゼッダなどロッシーニのスペシャリストとされる演奏家も何人かいる。

歌劇「ウィリアム・テル」よりアリア“暗い森、寂しい荒野”。独唱の森谷(もりや)真理は栃木県小山市出身。武蔵野音楽大学を卒業後、同大学院を首席で修了。渡米してマネス音楽院に留学し、プロフェッショナルコースを修了。現在はウィーン在住である。第5回ヴェロニカ・ダン国際声楽コンクールなどで優勝し、パームビーチオペラの「魔笛」夜の女王役でオペラデビュー。2014年には、びわ湖ホールの「リゴレット」で日本デビューを果たしている。

声のコントロールが巧みであり、表情も細かい。本当に自由自在という印象を受ける。

続いて、マイケル・コリンズが登場する、ウェーバーのクラリネット・コンチャルティーノとドビュッシーのクラリネットのための第1狂詩曲。
マイケル・コリンズは、1962年イギリス生まれ。8歳でクラリネットを始め、16歳の時にBBCヤング・ミュージシャン・オブ・ジ・イヤーに輝いている。フィルハーモニア管弦楽団の首席クラリネット奏者を経て現在は指揮者としても活躍しており、シティ・オブ・ロンドン・シンフォニアの首席指揮者も務めている。

ウェーバーもベートーヴェンの同時代人で、いかにもドイツロマン派の作曲家らしい作風を示している。これに比べるとドビュッシーの作品は明らかに異質であり、ドビュッシーの登場が音楽史上におけるエポックメイキングであったことがわかる。

マイケル・コリンズは技巧難度最高レベルのソロを楽々と吹いていく。ドビュッシーの演奏終了後、沼尻はマイケル・コリンズについて「難しいはずなのに余裕を持って吹いているのが凄い。しかも目を合わせてくれる。私どもの伴奏もとても難しいので、こちらも余裕を持って、と言いたいところなんですが」と語った。

プッチーニの「トスカ」より“星は光りぬ”。テノール独唱の市原多朗は日本テノール界の大御所的存在である。「本間様には及びもせぬが」で有名な山形県酒田市出身。東京芸術大学及び同大学院修了。
沼尻は、かなり前にNHKニューイヤーオペラで市原と「星は光りぬ」をやったことがあるそうである。その時の苦労話も話したのだが、「ここだけの話ということで」「Twitterに書かないで下さい」と話していた。沼尻も喋りは達者である。指揮者の場合、トークが苦手だと仕事が減りそうな傾向がある。

市原は貫禄の歌唱を披露。とにかくドラマティックである。アンコールもあり、「オー・ソレ・ミオ」が朗々と歌われた。

ラヴェルの「ボレロ」。沼尻は「ボレロ」について、「変奏曲、メロディーを変えるのではなく、音色を変えていくという、まあ何と斬新な」と語る。その後、珍しい楽器が用いられているというので、オーボエ・ダモーレやソプラノサックス、テノールサックスなどが紹介される。
ラヴェルはバレエ音楽として「ボレロ」を作曲。ラヴェル本人は手慰みのつもりで書いたといわれているが、作曲者の意図に反して、現在では最も有名なラヴェル作品として認知されている。

やや速めのテンポを採用。「ボレロ」の場合、指揮者が楽団に委ねてしまう場合もあるのだが、沼尻は最初から最後まで指揮を続けた。


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2018年5月 8日 (火)

コンサートの記(381) 「近江の春 びわ湖クラシック音楽祭」2018 大植英次指揮大阪フィルハーモニー交響楽団 ショスタコーヴィチ 交響曲第5番

2018年5月5日 びわ湖ホール大ホールにて

午後2時30分から、大ホールで、大植英次指揮大阪フィルハーモニー交響楽団の演奏によるショスタコーヴィチの交響曲第5番を聴く。

今年はレナード・バーンスタインの生誕100年に当たるということで、バーンスタインの作品と、指揮者としてのバーンスタインが最も得意としたショスタコーヴィチの交響曲第5番を合わせて取り上げるという演奏会を広上淳一や佐渡裕が行ったり企画したりしているが、この演奏会も同様のものである(大植と大フィルは、昨日、バーンスタインの「ウエストサイド・ストーリー」より“シンフォニック・ダンス”を演奏している)。

今日のコンサートマスターは崔文洙。今日は第4楽章でヴァイオリンの弦が切れるというアクシデントがあり、ヴァイオリンがリレーされて運ばれ、弦が張り替えられて戻ってくるという珍しい場面を目にすることになった。

びわ湖ホール大ホールの音響の効果もあって、鈍重な傾向のある大フィルの音がソフィスティケートされて聞こえる。弦に厚みがあり、管も力強い。
大植は1拍目のみを示すことが多いが、低弦と管には細かな表情付けを行うこともある。この曲のヒロイックな場面は皮相にして、嘆きの部分を丁寧に歌うことで、この曲の一般的な演奏とは別の表情を浮かび上がらせる。ピッチカートの力強さが印象的であり、第3楽章では弦楽器ががなり立てるように歌うところがある。当然、音は汚くなるのだが、それもまた意図したものなのだと思える。


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コンサートの記(380) 「近江の春 びわ湖クラシック音楽祭」2018 ダルマ・ブダヤ 「ドビュッシーが魅せられたジャワガムラン」

2018年5月4日 びわ湖ホール中ホールにて

大ホールの向かいにある中ホールで、ダルマ・ブダヤによるガムランの演奏「ドビュッシーが見せられたジャワガムラン」を聴く。12時30分開演。ガムランに影響を受けた作曲家であるドビュッシーの没後100年を記念しての演奏である。

ダルマ・ブダヤは、1979年に大阪大学文学部音楽学研究室を拠点に結成された団体。中部ジャワスタイルの古典音楽の研究とガムランのための現代作品の創作・演奏を行っているそうである。1996年にインドネシアでの4都市公演を行い、2000年にはCDデビューも果たしている。メンバーは全員日本人(山崎晃男、林公子、安田香織、稲田直美、松田仁美、近藤チャコ、明日香郁子、板脇眞理子、平良理子、近藤美奈子、棚橋慶恵)だが、今日は賛助出演としてインドネシア人のアナント・ウィチャクソノが加わる。

曲目は、グンディン「マジュムッ(饗宴)」、クワタン「スボカストウォ(表敬)」~「アヤッアヤアン」~「スルプッ」~ドラナン「ルスン・ジュムングルン」、「クボ・ギロ」、舞踊「カロンセ(相思相愛)」(舞踊出演:リンタンシシッ)、「ムギ・ラハユ(平穏なれ)」

ドビュッシーは、1889年(明治憲法制定の年である)のパリ万博でガムランを聴いており、多大な影響を受けている。それまでの西洋音楽においては禁じ手とされた和音などを盛んに使った独自の作曲法を築きつつあったドビュッシーにとって、西洋音楽とはことなるイディオムを持ったガムランは大いに刺激となっただろう。

日本では、坂本龍一の師としても知られる小泉文夫が東京芸術大学で研究と実践を行っている。

ガムランはCDでは聴いたことがあるが、生で聴くのはおそらく今日が初めてである。青銅の独特の響き、ミニマルミュージックにも繋がる繰り返し、急激な加速と減速を特徴としている。

1889年のパリ万博の記録によると、「クボ・ギロ」という曲が演奏されたことは確からしいのだが、今日演奏する「クボ・ギロ」と同一演目なのかどうかはわからないそうだ。

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2018年5月 7日 (月)

コンサートの記(379) 沼尻竜典指揮 京都市交響楽団 「近江の春 びわ湖クラシック音楽祭」2018 オープニングコンサート

2018年5月4日 びわ湖ホール大ホールにて

今年から始まった「近江の春 びわ湖クラシック音楽祭」まずは大ホールで、沼尻竜典指揮京都市交響楽団によるオープニングコンサートがある。午前11時15分開演。

びわ湖ホールの音楽監督である沼尻竜典は、近江の春 びわ湖クラシック音楽祭2018のプロデューサーでもある。昨年まではびわ湖ホールでラ・フォル・ジュルネの大津公演が行われていたが、金沢に次いで大津も独立、新たにびわ湖ホールを中心とした音楽祭を立ち上げた。今年は沼尻指揮京都市交響楽団と大植英次指揮大阪フィルハーモニー交響楽団が軸となり、有名ソリスト達が独自色の濃いリサイタルを散りばめていくという構成である。

オープニングコンサートの曲目は、ソプラノの中村恵理が独奏を務めるグノーの「ロメオとジュリエット」より“私は夢に生きたい”とジーツィンスキーの「ウィーン、わが夢の町」、そしてドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」である。上演時間約1時間の公演。

独唱者の中村恵理は、近年ヨーロッパでの評価を高めている歌手。兵庫県出身。大阪音楽大学、同大学院、新国立劇場オペラ研修所を経てオランダでも学ぶ。2008年にイギリスのロイヤル・オペラにデビュー。2010年からはウォルフガング・サヴァリッシュが長年総監督を務めたことでも知られるバイエルン国立歌劇場の専属歌手として6年に渡って活躍。2016年にはウィーン国立歌劇場デビューも果たしている。


グノーの「ロメオとジュリエット」より“私は夢に生きたい”。響きが良いことで知られるびわ湖ホール大ホール。京都市交響楽団の立体感をともなった緻密なアンサンブルを聴き取ることが出来る。中村恵理の歌声はパワフル。残響が長いので耳にはビリビリとした感じで伝わってくるが、声の美質はよくわかる。

演奏終了後、沼尻は、マイクを片手に「おはようございます」の挨拶(コンサートで聴衆に向かって「おはようございます」を使うことは稀である)の後で、音楽祭のタイトルが覚えにくいというのでお客さんと共に唱和。「これで覚えて貰ったと思います」と語る。『私は夢に生きたい』は、音楽祭の今年のテーマとなっているが、「昨今、『そんなこと言ってないで稼げることをしなさい』という風潮があるように感じますが、そこに逆らうように敢えて付けた」そうである。今日の沼尻は全曲ノンタクトでの指揮であった。


ジーツィンスキーの「ウィーン、わが夢の町」。近年、聴く機会が増えている曲でもある。中村の朗らかな歌唱と、京響のグラデーション豊かな伴奏が耳を楽しませてくれる。


ドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」は、最近では新たなる旅立ちの折によく取り上げられる。今回も「近江の春 びわ湖クラシック音楽祭」の船出を祝っての演奏である。
午前中から聴くような曲ではないように思えて、余り集中出来なかったが、きちんと整った演奏であることは聴き取れた。ただ、沼尻竜典の指揮ということで特別な面白さを感じるということはない。沼尻はそうしたタイプの音楽家ではない。

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