カテゴリー「大阪」の42件の記事

2021年10月30日 (土)

コンサートの記(750) NISSAY OPERA 2021 プッチーニ 歌劇「ラ・ボエーム」日本語訳詞版上演@フェニーチェ堺

2021年10月23日 フェニーチェ堺大ホールにて

午後2時から、フェニーチェ堺大ホールで、NISSAY OPERA 2021 プッチーニの歌劇「ラ・ボエーム」を観る。本業はバリトン歌手であるが、演出家、音楽学者、翻訳家など多分野で活躍し、『職業:宮本益光』という著作も出している才人、宮本益光の翻訳による日本語上演・字幕付きである。

指揮は園田隆一郎、演出は伊香修吾(いこう・しゅうご)という、今月上旬にびわ湖ホールでやはりプッチーニの歌劇「つばめ」を手掛けたコンビが続けての登場となる。演奏は大阪フィルハーモニー交響楽団。フェニーチェ堺の最寄り駅は南海堺東駅であるが、大阪フィルが事務所を構える大阪フィルハーモニー会館の最寄り駅である南海天下茶屋駅から堺東までは各駅停車で7駅と近い。余談だが、大阪フィルハーモニー会館は、元々は南海の工場があった場所に建っており、南海の社長だったか重役だったかが、当時の大阪フィルの音楽監督だった朝比奈隆と京都帝国大学時代の友人だったという縁で建設が実現している。

出演は、迫田美帆(さこだ・みほ。ミミ)、岸浪愛学(きしなみ・あいがく。ロドルフォ)、冨平安希子(ムゼッタ)、池内響(マルチェッロ)、近藤圭(ショナール)、山田大智(やまだ・たいち。コッリーネ)、清水良一(ベノア)、三浦克次(アルチンドロ)、工藤翔陽(くどう・しょうよう。パルピニョール)。合唱は、C.ヴィレッジシンガーズ。

数あるオペラ作品の中でも屈指の人気を誇る「ラ・ボエーム」であるが、ボヘミアン(ボエーム)を描いているということもあって女性の出演者が少なく、対立のドラマが(見かけ上は)存在しないという特殊なオペラでもある。


今回の上演では、ミミが最初から舞台中央のソファベッドにおり、それを表すかのような第4幕の音楽が前奏として付けられているのが最大の特徴である。ミミはほぼ出ずっぱりである(ミミがこの部屋から出ることは一度もない。第1幕のラストでもドアの外までは出るが、階段を降りることはない。また本来の登場の場面も、ドアから入ってくるのではなくではなく、窓際に不意に立っているという設定になっている)が、他の出演者にミミの姿が見えないという場面が存在(特に最初の方は、ラ・ボエーム達がミミの姿に気づかないまま話が展開していく)しているため、リアルな女性ではないということが分かる。あの世へ行ったミミの回想のドラマというコンセプトらしいのだが、芸術家の卵達を描いた作品ということで、ミミを「ミューズ」と見立てたという解釈が一番面白いように思う。これなら単なる「視座」ではなく、「見守る女神」の視点となり、ミミの死が芸術家達の青春の終わりに繋がって、より効果的であり、私ならそうするが、中途半端なのを見ると(第4幕ではムゼッタも見えない存在として登場してしまう)そうでもないようである。ミミがずっといるからミミに焦点を当てたドラマになるということでもないため、それならばふいに現れては去って行くミミの儚さを強調した方が良いように思われる。あるとすれば、実はミミではなく、この部屋つまり彼らの青春の空間が主人公であり、ミミがその象徴としての役割を持つという可能性である。これならまあまあ面白いかも知れない。コロナ対策として取られた演出という面もあったようなのだが、6月の日生劇場の公演での評判を受けての堺公演でかなりの不入りということで、観客に受け入れられなかった可能性もある。

上演は基本的には全て室内で行われる。第2幕のカルチェ・ラタンの群衆の声は窓の外から聞こえ、第1幕でラ・ボエーム達が集っていた部屋(画家のマルチェッロが家主である)がそのままカフェ・モミュスに移行するというわけで、ムゼッタとアルチンドロは下手にある窓から屋内へ入って来て、ボエーム達も窓から退場する。リアルな演出でないため、これでも良いわけである。第3幕冒頭のアンフェール(インフェルノ)門の場面も屋外ではなく、部屋がそのまま移行して関税徴収所の内部として描かれる(舞台美術:二村周作)。

日本語による上演であるが、歌詞が日本語になったからといって聴き取りやすくなったということもなく(イタリア語に比べれば分かりやすい場面も多いが)やはり字幕に頼る場面も多かった。

フェニーチェ堺大ホールに来るのは二度目で、初のオペラ上演体験となるが、空間自体がそれほど大きくはないため(3階席の最前列で観たが、視界も良好である)、オペラには音響面でも「ジャストフィット」という印象である。オーケストラの音も通りやすく、歌声も聴きやすくて、声を張り上げても壁がびりつくということもない。歌手達の演技も上質だったように思う。

大阪フィルは、ドイツ音楽に特化した低音豊かな音が特徴だが、これがあたかもバリトンのカンタービレのように響き、こうしたイタリア音楽の再現も悪くない。園田隆一郎の音作りも「手慣れ」を感じさせつつ新鮮という理想的なものであった。

なかなか感動的な「ラ・ボエーム」であったが、演出が前衛と正統の中間であるため、どっちつかずの印象も受けてしまったのも確かである。

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2021年9月20日 (月)

コンサートの記(744) オーケストラ・キャラバン 飯森範親指揮東京ニューシティ管弦楽団豊中公演

2021年9月16日 豊中市立文化芸術センター大ホールにて

午後7時から、豊中市立文化芸術センター大ホールで、オーケストラ・キャラバン 東京ニューシティ管弦楽団豊中公演を聴く。指揮は、東京ニューシティ管弦楽団ミュージック・アドヴァイザーの飯森範親。

1990年創設と、日本オーケストラ連盟正会員となっている東京のプロオーケストラの中では最も若い東京ニューシティ管弦楽団だが、来年の4月からパシフィックフィルハーモニア東京への改名と、今日の指揮者である飯森範親の音楽監督就任が決まっている。

東京ニューシティ管弦楽団は、私が東京にいた頃には聴く機会のなかったオーケストラで、実演に接するのは今日が初めてになる。
おそらく飯森範親が首席指揮者を務める日本センチュリー交響楽団の事務所があるのが豊中市ということで公演場所が決まったのだと思われるが、11月には豊中でのオーケストラ・キャラバン第2弾として三ツ橋敬子指揮東京フィルハーモニー交響楽団の演奏会が決まっている。

ドイツ式の現代配置での演奏。コンサートマスターは執行恒宏(しぎょう・つねひろ)。

曲目は、リヒャルト・シュトラウスの交響詩「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」、メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲ホ短調(ヴァイオリン独奏:神尾真由子)、ストラヴィンスキーのバレエ音楽「春の祭典」(1967年版)。
なお、楽器提供として国立音楽大学の名がクレジットされている。

パンフレットは無料であるが、書かれている日本語が奇妙で、校正もきちんとされていないと思われる。「ここ(引用者注:ベルリン・ジングアカデミー)でメンデルスゾーンはバッハの《マタイ受難曲》をした」と書かれているが、「何を?」と突っ込みたくなる。勿論、メンデルスゾーンが「マタイ受難曲」の復活上演(復活初演)を行ったことはこちらも知っているため補えるのであるが、にしても変である。


新型コロナウイルスに感染し、いくつかのコンサートをキャンセルした飯森範親。無事復帰し、今日は黒いマスクをしたまま全曲暗譜で指揮する。
マスクをしたままなのは旋律を歌いながら指揮するためであるが、飯森さんが歌いながら指揮しているのを聴いた経験はない。飯森範親は、日本センチュリー交響楽団と、いずみシンフォニエッタ大阪という大阪府内に本拠地を置くオーケストラのシェフであり、それ以前にも関西フィルハーモニー管弦楽団や京都市交響楽団への客演、更には山形交響楽団さくらんぼコンサートの大阪公演などを指揮しており、関西で聴く機会はかなり多い指揮者なのであるが、歌いながら指揮していた記憶がないため、東京ニューシティ管弦楽団を指揮する時だけ、もしくは今回だけ歌って指揮することにしたのだとしか思えない。


リヒャルト・シュトラウスの交響詩「ティル・オイレンシュピーゲルの愉快ないたずら」。豊中市立文化芸術センター大ホールは、残響は短めで、どちらかというとポピュラー音楽向けの音響であり、バランス的に金管が強く響く傾向があって、それはこの曲の演奏でも感じられた。
音に輝かしさはあるが、パワーやアンサンブルの細やかさでは東京の有名オーケストラとは少し差があるように思われる。記憶が余り定かでないが、1990年代に生で聴いていた東京の有名オーケストラの演奏はこんな感じだったように思う。単純に比較は出来ないが、アンサンブルの精度や音の密度などでは飯森が指揮した場合のセンチュリー響の方が上のような気はする。
とはいえ、描写力はなかなかで、東京のオーケストラらしい洗練度の高さも備えていて、面白い演奏を聴かせてくれた。


メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲。ソリストの神尾真由子は、豊中市の出身である。このコンサートを聴きに行くきっかけになったのも、フォローしている神尾真由子の公式Facebookで、「生まれ故郷の豊中市にまいります!メンコン(引用者注:メンデルスゾーンのヴァイオリンコンチェルトの略)弾きます」という告知があったからである。神尾真由子のメンコンなら聴きに行かねばなるまい。

ただ、大阪で東京ニューシティ管弦楽団の演奏会ではブランドが弱いのか、今日は空席も目立った。

大阪音楽大学が本部を置き、音楽教育が盛んな豊中市だが、大阪市のベッドタウン(人口約40万人)でありながら、神尾真由子に児玉姉妹、幸田姉妹まで生んでいるのだから大したものである。

ファンからは「神尾様」と呼ばれている神尾真由子。今日は上品な薄紫色のドレスで登場し、それに負けない気高い音楽を奏でる。神尾は強弱をどちらかというとメリハリとして付ける。
他の多くのヴァイオリニスト同様、輝かしい音を特徴とする神尾だが、彼女の場合は燦々と降り注ぐ太陽光のような輝きではなく、どこかしっとりとして陰があり、例えるなら漆器のような輝きを放っている。こうした音を出すヴァイオリニストは他にはほとんどいない。
メンデルスゾーンの旋律が宿す光と陰を同居させた演奏で、ロマン派の神髄をついている。

アンコールは、パガニーニの「24のカプリース(奇想曲)」より第5番。神尾真由子はデビュー第2作(第1作はヴァイオリン名曲集であったため、本格的な楽曲演奏盤としてはデビュー盤に相当する)として「24のカプリース」を選んでおり、得意としている。
とにかく超絶技巧が必要とされる楽曲であるが、神尾は弾き終えてから、「はい、難しい曲でした」という表情を浮かべ、客席の笑いを誘っていた。


後半、ストラヴィンスキーのバレエ音楽「春の祭典」(1967年版)。
かなり表現主義的な演奏で、アゴーギクと思われる部分がいくつもあり、ゲネラルパウゼも長く取るなど個性的である。打楽器の用い方、金管の用い方など、聞き慣れた「春の祭典」とはかなり違う印象を受ける。ただ、ストラヴィンスキーの版の経緯はかなり複雑であり、まだ買っていないがパーヴォ・ヤルヴィ指揮NHK交響楽団の新譜である「春の祭典」には1967年新版との表記があるため、版が違うのかも知れない。
東京ニューシティ管弦楽団は、個々の演奏ではメカニックの弱さを感じさせる部分はあったものの、トータルとしては熱演であり、豊中市立文化芸術センター大ホールはそれほど大きくない空間ということもあって、「ホールを揺るがす」と書いても大袈裟でないほどの力強い演奏を行っていた。

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2021年8月22日 (日)

コンサートの記(740) 上方西洋古楽演奏会シリーズ2021夏「~フランス宮廷バレエと劇音楽~ コメディ・バレへの憧れⅡ」

2021年8月14日 大阪・中之島の大阪市中央公会堂中集会室にて

午後5時から、中之島にある大阪市中央公会堂中集会室で上方西洋古楽演奏会シリーズ2021夏「~フランス宮廷バレエと劇音楽~ コメディ・バレへの憧れⅡ」というコンサートを聴く

京都市左京区下鴨の楽器店兼音楽教室・月光堂の講師でもあるフルート・リコーダー奏者の森本英希(日本テレマン教会所属)が音楽監督を務める演奏会で、タイトル通りブルボン王朝最盛期のフランスの音楽家達が作曲したバレエと劇音楽が演奏される。


曲目は、シャンパンティエのコメディ・バレ「病は気から」より、リュリのコメディ・バレ「町人貴族(「超人気俗」と誤変換された)」より、ラモーの歌劇「ピグマリオン」より序曲、ラモーの歌劇「イポリトとアリシ」より、歌劇「優雅なインドの国々」より、歌劇「ピグマリオン」より。

前半がバレ(バレエ)、後半が歌劇の曲で構成されているが、前半にもアリアは歌われ、後半でもバレエは踊られる。今でこそバレエとオペラは別分野となっているが、元々は区別なく上演されており、歌あり踊りありが普通の姿であった。


演奏は、「コメディ・バレへの憧れ」特別アンサンブル。ピリオド楽器使用である。音楽監督の森本英希が曲によって、指揮、リコーダー弾き振り、フルート弾き振りを行い、「町人貴族」の“トルコ儀式の行進曲”では太鼓も叩く。
参加者は、戸田めぐみ・赤坂放笛(オーボエ)、中山裕一・大谷史子(ヴァイオリン)、中川敦史(ヴィオラ)、上田康雄(チェロ。エンドピンなし)、池内修二(ヴィオローネ=コントラバスの先祖のようなもの)、二口晴一(ファゴット)、吉竹百合子(チェンバロ)、樋口裕子・有門奈緒子(バロック・ダンス)、進元一美(ソプラノ)、眞木喜親(テノール)。

オーボエとリコーダーを吹く赤坂放笛は、このコンサートを主催する「そう楽舎」の主宰でもあるが、1988年から14年間、狂言を修行したこともあるそうで、前半は曲の演奏の前に、「この辺りの者でござる」と狂言の口調で自己紹介をして、「疫病退散」のために演奏を行うことを宣言したり、「町人貴族」のあらすじを紹介したりする(ここでは森本英希も参加)。

歌手やダンサーは当時の衣装に近いものを身に纏い、重要文化財に指定されている大阪市中央公会堂中集会室の内装も相まって、古雅にして絢爛豪華な世界が繰り広げられる。

マルカントワーヌ・シャンパンティエもジャン=バティスト・リュリも、フランスのバロック以前の作曲家としてはかなり有名な部類に入るが、リュリは、「床を杖で突いて指揮している最中に誤って自分の足を突き刺してしまい、それが元で亡くなった作曲家」としてのみ有名で作曲作品が知られている訳ではない。ただ、共に典雅で良い音楽を書いている。

ジャン=フィリップ・ラモーは、シャンパンティエやリュリより時代が下ったバロック期の作曲家であり、フランスのみならず、この時代の最重要作曲家の一人に数えても良いと思われる。音楽愛好家以外にも名前は知れ渡っていたようで、ラモーの死の約20年後に思想家のディドロが『ラモーの甥』という小説を書いて当時のベストセラーとなったりしている。ラモー自身も風変わりな経歴を持った人物で、若い頃は教会のオルガニストや音楽理論を専門とする学者として活躍しており、40歳を越えてから本格的に作曲家に転身。フランス楽壇の頂点まで上り詰めることになる。

ラモーはそれまでの作曲家とは違い、明らかに自身の個性を作品に刻印している。そのため部分部分ではあるが、モーツァルトの先達のように聞こえたり、凝った技巧が展開されるなど、我々が「クラシック音楽」としてイメージする像に近くなっている。フランスのバロック音楽入門には、やはりラモーの楽曲が最適であろう。


アンコール演奏として、リュリのコメディ・バレ「町人貴族」より“イタリア人の二重唱”が再度演奏され、続いてプログラムノートには載っているが本編では演奏されなかった、同じく「町人貴族」より“道化のシャコンヌ”が、樋口裕子と有門奈緒子のバロック・ダンス付で演奏された。

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2021年8月 2日 (月)

観劇感想精選(406) NODA・MAP第24回公演「フェイクスピア」

2021年7月24日 大阪・上本町の新歌舞伎座にて観劇

午後6時から、大阪・上本町の新歌舞伎座で、NODA・MAP第24回公演「フェイクスピア」を観る。上演時間約2時間5分、途中休憩なしである。作・演出・出演:野田秀樹。出演:高橋一生、川平慈英、伊原剛志、前田敦子、村岡希美、白石加代子、橋爪功ほか。衣装:ひびのこづえ。音楽・効果:原摩利彦

「フェイクスピア」は戯曲が「新潮」1398号(2021年7月号)に掲載されており、私も同号を藤野可織の「ねむらないひめたち」を読むために買っているのだが、これまで野田秀樹の戯曲を読んでから上演を観た場合、がっかりすることが多かったので(野田秀樹の戯曲は上演前に雑誌に発表されることも多い)、今回も読まずに本番に挑んだ。あらすじや何が描かれているのかも知れないままである。
私の場合、有料パンフレットを買うことは少ないのだが、野田秀樹作品の場合は買うことも多く、今日も手に入れたのだが、そこにもネタバレは全くと言っていいほど書かれていない。

ただ、今回は始まってすぐに何の話かは分かった。8月12日という日付と、高橋一生演じるmonoが唐突に繰り出す「頭下げろ!」というセリフによってである。年配の方、特に東京と大阪の方はこれだけでピンとくる方も多いと思われるが、描かれているのは、1985年8月12日に起きたJAL123便墜落事故(日本航空123便墜落事故、日航123便墜落事故)である。今回のNODA・MAP(野田地図)の公演は、コロナの影響もあってか、東京と大阪のみで行われるが、JAL123便が羽田空港発大阪空港(伊丹空港)行きだったということもあり、犠牲者のかなりの割合を、東京と阪神地域も含めた大阪の方が占めており、東京と大阪で上演する意義のある題材を選んだということになる。

「フェイクスピア」という、「フェイク」と「シェイクスピア」を掛けたタイトルであることから、フェイクが仕込まれていることが多いが(12日も「十二夜」に繋がるが関係はない)、JAL123便墜落事故もフェイクニュースがネットなどでたびたび流れる。

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幕が上がると、アンサンブルキャストが手前から奥に向かって並んでいる。その前に一人、高橋一生演じるmonoだけが床に座って小箱(戯曲では「パンドラの匣」」などにちなみと思われる「匣」表記である)のようなものを開ける。舞台は青森県の恐山。匣からは次々を言葉が漏れ(アンサンブルキャストが一人一人、何かを言っていく)……。
というところで板付のメンバーはいったん退場し、白石加代子が一人で登場する。白石加代子は白石加代子としての登場である。「白石加代子です。女優をやっております。……そんなこと知ってるよ、ですよね。でも私が女優を始める前の職業はご存じないでしょう。実は私は、高校卒業後、青森県の恐山でイタコの修行をしておりました」と語るのだが、これは思いっ切りフェイクである。白石加代子の前職はその意外性もあってよく知られている。実は彼女は、高校卒業後、東京都の職員(港区役所勤務)をしていた、つまり公務員だったのである。ただ白石加代子は、役所広司とは違ってそれらしい芸名を付けてもいないし、ほぼ舞台にしか出ないということでお茶の間で彼女を見ることも少ない。ということで、あるいは本当にイタコの修行をしていたと思い込む人もいたかも知れない。ちなみにイタコは俳優のメタファーとしても分かりやすく示される。

イタコの才能には欠けていた白石は、恐山を去ることになる(という設定)のだが、「午後6時56分28秒(JAL123便が御巣鷹尾根に墜落した時刻)」に予約を入れた不思議な客がいたことを語る。そこから白石加代子は、白石本人ではなく、「アタイは50年間もイタコの見習いをやっている」皆来(みならい)アタイに変じる。
予約を入れたのは、monoと楽(たの。橋爪功)の二人、細かすぎる予約だったのに、ダブルブッキングとなってしまう。ここで突然、monoが「頭下げろ!」と言い出す。

JAL123便のボイスレコーダーに記録されていたコックピットの音声は、ナレーションによる再現音声として、事故発生の数日後から何度もテレビ等で流され、一定以上の年齢の方には、機長が何度も発する「頭下げろ!(「機首を下ろせ!」という意味)」という言葉は、記憶に強烈に焼き付いているはずである。
monoは実は、JAL123便の機長であり、亡くなってからも息子の楽(橋爪功演じる楽の方がmonoよりも年上だろうと思わせるのもフェイクである)を思って恐山に留まっていたのである。冒頭のシーンでmonoが手にしていたのもJAL123便のボイスレコーダーである。JAL123便のボイスレコーダーの音声はその後に一部が流出するが、録音が不鮮明ということもあって様々な憶測を呼び、多くのフェイクがまかり通ることになる。

「頭下げろ!」だけでJAL123便の話だと分かった人も少なくなかったはずだが、若い人は、JAL123便墜落事故が起きた1985年当時は幼かったか、まだ生まれていなかったという人が多数であるため、少しずつネタを明かしていくというミステリー仕立てになっている。ちなみに私は、1985年には小学校5年生であるが、8月に生まれて初めて飛行機に乗って北海道へ家族旅行に行っている。北海道は連日32度以上を記録する歴史的な猛暑で、8月11日に千歳空港から羽田空港に帰ってきたら、東京は25度だったということで、わざわざ暑い場所に行っていたことになる(北海道で連日32度を超える猛暑が「歴史的」だったり、東京の最高気温が25度というところに時代を感じる)。私達が乗ったのは全日空機(ANA)だったが、JAL123便墜落事故が起こったのは、私が羽田に帰ってきた翌日のことであった。

JAL123便墜落事故を題材にした演劇作品としては、劇団離風霊船(りぶれせん)の「赤い鳥逃げた…」が有名であり、私も2005年に大阪市立芸術創造館で劇団離風霊船による上演を観ているが、「もはや時代遅れ」というのが正直な印象で、離風霊船も2005年以降は「赤い鳥逃げた…」を上演していない(2005年もJAL123便墜落事故20年ということで特別に上演されたものである)。ちなみに「赤い鳥」というのはJALの赤い鶴丸のことであるが、今回の「フェイクスピア」では、赤い鳥ではなく白いカラス(日航機の機体をイメージしたものだと思われる)で、前田敦子が演じている。前田敦子は星の王子様なども演じているが、こちらもやはり飛行機絡みである。初登場は皆来アタイの母親の伝説イタコという設定であったが、飛行機や包丁(演劇好きは笑うところ)の話をして、アンサンブルキャストに抱えられ、飛行機で飛ぶような格好で退場していく。

monoや楽が、皆来アタイについた霊を見たり、逆にmonoや楽に霊がついたりして、シェイクスピアの四大悲劇(登場順に「リア王」「オセロ」「マクベス」「ハムレット」)の断片やパロディーが演じられる(高橋一生と橋爪功による二人芝居となる)が、「ハムレット」のセリフである「To be or not to be」の「To be」をローマ字読みで「飛べ」と読みたかったのと、亡き父の亡霊が息子に語るといったような構造的な理由からで、それ以上の深い意味はないようである。
monoは天界から火を盗んだプロメテウスの従兄だそうで、自分も「火」を盗むつもりだったが、江戸っ子だったため「ひ」が「し」になってしまい、「死」を盗むことになった。

ちなみに、神の使者であるアブラハム(川平慈英)や三日坊主(伊原剛志)が出会うのは、「永遠プラス36年ぶり(戯曲では舞台は2051年ということになっているため、「永遠プラス66年ぶり」となっている)」なのであるが、36年前は1985年である。実は彼らはJAL123便の副操縦士であり、実際には神の「使者」ではなく「死者」だったということになるようだ。

先に書いた通り、JAL123便はフェイクニュースの題材となることが多く、「最大の陰謀論」と呼ばれるまでになっている。普通に考えれば陰謀も何も存在しない飛行機事故なのであるが、話が膨らみ、機長に対するいわれなき暴言もネット上には存在するようで、野田秀樹はそうしたいい加減な気持ちで書かれたフェイクに対する違和感から、死に近づいた人間の「ノンフィクション」「神のマコトノ葉(「言の葉」との掛詞)」「ネットに書き込まれる言葉ではなく肉声=目に見えない大切なもの(肉声をそのまま届けられる演劇が念頭にあるのは間違いないだろう)」として、終盤ではボイスレコーダーに残された言葉がほぼそのまま再現される。本当は息子のために最後の言葉を残したかったのだが、乗客を救うために優先させた言葉という設定であり、これも当然ながらフェイクなのであるが、客席からはすすり泣きがここかしこから響くなどかなり感動的である。いわば有効なるフェイクだ。「頭を上げろ」は本来の意味からは外れるが、息子へのメッセージとなる。この辺りはフェイクニュース批判を超えた「演劇礼賛」と見ても良さそうである。

これまでの野田秀樹の作品と比べると、完成度はやや落ちるようにも感じられたのだが、満足は行く出来であり、最後は客席は総立ち、私も真っ先に近い時点で立って拍手を送った。
JAL123便墜落事故で多くの犠牲者が出た大阪での上演ということもあり、拍手は鳴り止まず、カーテンコールは4度に及んだ。


子役からキャリアをスタートさせた高橋一生。若い頃からそこそこの人気はあり、私も彼の舞台を観るのは3度目であるが、今回が初の主役である。それまでの2作品ではそれほど重要な役ではなく印象にも余り残っていなかったが、連続ドラマ「カルテット」でのブレイク以降、評価はうなぎ登り。アラフォーとしては最も重要な日本人俳優の一人にまで成長した。

これまでの30年近い観劇経験の中で、最高の舞台俳優は、主役を演じることの多い中堅男優に限れば内野聖陽と上川隆也がツートップで、その下に僅差で堺雅人、阿部寛、佐々木蔵之介らが追いかけるという構図を描いていたが、高橋一生は内野聖陽と上川隆也の二人を猛追する位置に一気に駆け上ったという印象を受ける。身のこなし、存在感、笑顔が印象的なのにどこか影を感じるところなど、舞台映えのする名優である。

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2021年7月18日 (日)

観劇感想精選(404) 関西・歌舞伎を愛する会第29回「七月大歌舞伎」夜の部 「双蝶々曲輪日記」より“引窓”&「恋飛脚大和往来」より“新口村” 令和3年7月11日

2021年7月11日 道頓堀の大阪松竹座にて

午後4時30分から、道頓堀にある大阪松竹座で、関西・歌舞伎を愛する会第29回「七月大歌舞伎」夜の部、「双蝶々曲輪日記」より“引窓”と「恋飛脚大和往来」より“新口村”を観る。いずれも犯罪者に転落した息子を思う親の心情を描いた作品である。


「双蝶々曲輪日記(ふたつちょうちょうくるわにっき)」より“引窓”。舞台となっているのは、現在の京都府八幡市である。出演は、片岡仁左衛門、松本幸四郎、中村壱太郎、中村隼人、上村吉弥、片岡孝太郎。

石清水八幡宮の門前町、山城国八幡。8月15日(旧暦。ただ初演時には新暦こと太陽暦の存在は一般には知られていなかったため、旧も新もなく通常の8月15日である。今の暦より約1ヶ月遅れ。中秋の名月の日である)の石清水八幡宮の放生会(殺生を戒めるために生き物を解き放つ行事)の日に、南与兵衛(なんよへえ。片岡仁左衛門)は郡代官となり、苗字帯刀を許されて士分に上がることが決まる。新しい名は南方十次兵衛である。
そんな時に、南与兵衛の義母であるお幸(上村吉弥)と与兵衛の妻、お早(片岡孝太郎)を一人の男が訪ねてくる。大坂で相撲取りとして活躍し、大関にまで昇進した濡髪長五郎(松本幸四郎)である。実は長五郎は、お幸の実子で、5歳の時に大坂に養子に出されていた。むしろで体を隠したまま花道から現れる長五郎。見るからに訳ありな感じだが、実は大坂で人を四人も殺めてしまい、お尋ね者となっていたのだった。八幡を訪れたのも、母に別れを告げるためだった。長五郎の本音を知らない二人は長五郎を二階へと案内する。

十次兵衛となった南与兵衛が、平岡丹平(中村壱太郎)と三原伝造(中村隼人)を伴って帰ってくる。平岡は大坂で弟を、三原は同じく兄を殺害されており、下手人が共に濡髪長五郎であるということが分かった。事情を知ったお幸とお早も驚くが、十次兵衛は長五郎の人相書きを二人に渡し、昼の間の捜査は二人に任せるとして、樟葉や橋本(いずれも現在の枚方市内の地名で、国でいうと河内国に当たる)方面を探すよう勧める。
自分の仕事は夜になってからと語っていた十次兵衛が庭の手水を覗いた時、二階から下を眺めている長五郎の顔が映っていることに気づく。
だが、お早とお幸の様子から、長五郎が自身の義理の兄弟だと知った十次兵衛は意図的に長五郎を逃がす手段をそれとなく告げ……。

責任を感じ、母の手によって召し捕られることを願う長五郎と、我が子を突き出さねばならなくなった実の母親の悲哀と葛藤が描かれる。人殺しであっても我が子は我が子。そんな二人に粋な計らいをする十次兵衛であるが、主軸となるのはあくまで親子の感情である。芝居は一応、大団円(団円は本来、満月に由来する言葉である)で終わるのだが、その後のことを考えると一種の地獄の縁が描かれてるようにも思われる。

武士に上がったばかりの男を演じる仁左衛門(松嶋屋)のキリリとした演技、揺れ動く親子の心情を描く幸四郎(高麗屋)や吉弥(美吉屋)の姿など、秀逸である。


「恋飛脚大和往来(こいびきゃくやまとおうらい)」より“新口村(にのくちむら)”。本来なら中村鴈治郎が二役で出演する予定だったのだが、休演となったため、主人公の亀屋忠兵衛とその父親である孫右衛門の二役を弟である中村扇雀が、扇雀が演じるはずだった傾城梅川を鴈治郎の子である中村壱太郎が代演することになる。

「恋飛脚大和往来」は、近松門左衛門が書いた人形浄瑠璃(文楽)「冥途の飛脚」を改作した「けいせい恋飛脚」を歌舞伎化した作品(義太夫狂言)である。“新口村”は“封印切”の後のシーンで、封印切の大罪を犯した忠兵衛が、傾城(遊女)の梅川と共に生まれ故郷の新口村に帰ってくる場面が描かれている。今回の上演は、忠兵衛とその父親の孫右衛門を一人二役で演じるというのが売りである。忠兵衛と孫右衛門が一緒にいる場面があるが、小屋に入って以降の忠兵衛は吹き替えの役者が演じている。

若手を代表する女方となった壱太郎(かずたろう。成駒家)。今日もきめ細やかな仕草が冴えて、婀娜な傾城を演じてみせる。
忠兵衛と孫右衛門を扇雀(成駒家)が二役で演じることで、引き裂かれるような心情がより伝わりやすくなったように見える。一人の人間の中にある相反する二つの感情、つまり「ずっとこのままでいたい」と「早く立ち去らねばならない」を自身で纏めることが出来ぬまま渾然とした形で表現することになるのだが、截然とすることが不可能な人間の感情がそのまま舞台上に現れているように見えた。

雪の降る中での別れは、絵としての美しさと同時に、永訣となることの厳しさが伝わってくるかのようであった。

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2021年4月18日 (日)

コンサートの記(711) 「cafe mimo Vol.20 ~春爛漫茶会~」大阪公演

2021年4月10日 大阪・西天満のあいおいニッセイ同和損保ザ・フェニックスホールにて

午後5時から、大阪・西天満(曾根崎といった方が分かりやすいかも知れないが、住所は微妙に異なる)にある、あいおいニッセイ同和損保ザ・フェニックスホールで、遊佐未森のコンサート「cafe mimo Vol.20 ~春爛漫茶会~」を聴く。遊佐未森(ヴォーカル&ピアノ)が、ギターの西海孝とドラムス&パーカッション+打ち込みの楠均とのトリオで行っている毎春恒例のコンサート。昨年もcafe mimo大阪公演は予定されていたのだが、コロナ禍により中止。記念すべき20回目は今回に持ち越しとなっていた。

変異株流行の可能性が高いということで、今日の大阪は最多記録を更新する918人の新規新型コロナ感染者を記録し、コンサートの開催自体が危ぶまれたのだが、なんとか開催にこぎ着けた。密を避けるため、グッズ販売などはあいおいニッセイ同和損保フェニックスビル1階の広いスペースのみで行い、ザ・フェニックスホール内ホワイエなどでは販売などは一切行われない。ザ・フェニックスホールの1階席は平土間であるが、通常なら最前席となる場所に席を置かず、ステージと距離を取る、入場前に大阪独自のコロナ追跡サービスへの登録、手指のアルコール消毒などの感染予防対策が取られた。

JR大阪駅で下車。ホーム上などには人が多いが、通常に比べると少なめ。中央通路なども人出は平時の半分以下である。
梅田地下街などは今日も人が多かったのかも知れないが、用事がないので下りず、大阪駅中央南口から梅田の街に出て、御堂筋を南下する。なんだかんだで人々はコロナ対策を取っているようで、「これが梅田か?」と思うほど人が少ない。この状態で記録が更新されているとすると、局地的にコロナ感染が発生していると考えた方が妥当な気がする。それにしても人の少ない梅田は、木々の緑も鮮やかで、不気味なほどに美しい。

曾根崎ということで「曽根崎心中」ゆかりの露天神(お初天神)に参拝してからすぐ南にあるザ・フェニックスホールに入る。ザ・フェニックスホール到着は午後6時17分頃、今日は午後6時15分開場なので、開場後すぐに到着したことになる。

ザ・フェニックスホールでcafe mimoが行われるのは2回目。前回は、遊佐未森が作詞・作曲を行った国立市立国立第八小学校の校歌を3人で歌い、私はアンケートに「国立市立国立第八小学校の校歌を録音して欲しい」と書いたのだが、希望者が多かったようで、その後、ベストアルバムに同曲は収録された。
前回のザ・フェニックスホールでcafe mimoが行われたのは、2008年のことなので、実に13年ぶりの開催となる。

大阪を代表する室内楽専用ホールであるザ・フェニックスホールであるが、私が前回来たのは、2008年のcafe mimoで、それ以前は来ていないということで、自分でも意外だがクラシックの演奏で来たことはないということになる。室内楽の演奏を聴くこと自体もオーケストラやピアノの演奏会に比べると多くないが、聴く場合も京都市内やびわ湖ホールなど大阪以外の会場が多く、また単独ではなく音楽祭のプログラムの一つとして聴くことも多いため、来場機会がほとんどないということになっているのだと思われる。

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トークで、遊佐未森は、大阪で公演を行うのは昨年の2月以来だという話をする。西海孝は、昨年の12月に公演を行えたが、今年初めの自身がメインのコンサートはコロナ第3波によって中止にせざるを得なかったという。楠均は、2020年は来阪なし。「前代未聞」のことだという。
ポピュラー音楽のバックミュージシャンは、実力のある人が幾つも掛け持ちを行っているため、ギターが西海さんである確率もドラムス&パーカッションが楠さんである確率もかなり高いのだが、2020年はコンサート自体がほとんど行えなかったということが分かる。

その間、未森さんは、ニューアルバムの録音を行っていたそうで、マスタリングがついこの間終わったばかりだそうだ。発売日も6月23日決まったという。


遊佐未森というシンガーソングライターは、「癒やし系」の元祖にして代表格ということで、日本ポピュラー音楽史上、重要な地位を占める音楽家であることは間違いないのだが、シングルが大ヒットするというタイプでもないので、知らない人の方が多いという印象を受ける。「ココア」、「クロ」、「I'm here with you」、「地図を下さい」などをカラオケで歌うこともあるのだが、曲を知っている人に会ったことは今まで一度もない。というわけで知名度と音楽性の高さが一致するわけではないということの好例でもある。
仙台出身であり、東日本大震災から10年ということで、今年は宮城県東松島市に招かれてコンサートを行ったそうで、初日のゲストはコロッケ、2日目のゲストはサンドウィッチマンであったそうだ。未森さん自身も、東松島市には幼い頃に海水浴に行ったり、奥松島と呼ばれるところまで観光に行った思い出があるそうなのだが、 震災によって住宅地が壊滅状態となり、復旧も遅れて、住宅再建まで10年以上掛かっているとのことなので、元々住んでいた人も諦めて、他の場所での再スタートを選ぶケースの方が多いようである。今も家屋がポツンポツンと建っているという寂しい状態だという。

ニューアルバム「潮騒」から2曲(「サイレントムーン」と「鼓動」)が初披露された他、cafe mimoの名物であるカバーのコーナーもあり、今年はヘンリー・マンシーニ作曲で、オードリー・ヘップパーンが唯一、自身の歌声を聞かせている「ムーン・リバー」が歌われた。長調の曲であるが、歌詞が希望と切なさが同居したものということもあり、未森さんの澄んだ歌声で聴くと儚さがより強く出る。
カバーはもう1曲。「これまでのcafe mimoで最も盛り上がった曲」ということで、「ひょっこりひょうたん島」が歌われる。ちなみに振り付けは毎回、未森さんが担当している。

仙台を舞台にした曲としては、「欅~光の射す道で~」が歌われた。また初期の楽曲である「月姫」が歌われたが、ライブで歌うのはこれが初めてになるかも知れないとのことだった。デビュー曲の「瞳水晶」も歌われたが、33年前にデビューした時の話なども語られる。EPICソニーからのデビューだったのだが、当時、EPICが入っていた青山一丁目のツインタワーの向かいのビルの2階にCDショップがあり、デビューの日が4月1日ということで、日付が「疑わしい日」「本当に発売になってるんだろか?」と確認に行った思い出があるそうである。

初期の頃に一緒に仕事をすることが多かった外間隆史と久しぶりに組むことになったのだが、音楽を巡って熱論を戦わせた日々のことなども回想される。

アンコールでは、「春らしい曲を」ということで、「Floria」が歌われたのだが、ザ・フェニックスホールの名物として、アンコール時には、後ろの壁(遮音壁)がせり上がり、ガラス越しに大阪の街が姿を現すという演出が施される。

 

淀屋橋駅から京阪電車に乗って帰る。やはり土曜の夜とは思えないほど車内は空いていた。

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2021年4月14日 (水)

スタジアムにて(35) サッカーキリンカップ 日本対チリ戦 2009.5.27

2009年5月27日 大阪の長居スタジアムにて

午後7時35分キックオフの、サッカーキリンカップ日本対チリ戦を観るために大阪の長居スタジアムへ。

長居スタジアムに行くのは初めてである。京阪電車で終点の淀屋橋まで行き、そこから大阪市営地下鉄御堂筋線に乗り換え、長居まで行く。長居は大阪市の南端にあり、京都からだと結構遠い。

長居駅で降りて、長居スタジアムを探そうとするが、探すまでもなかった。遠くに長居スタジアムの威容が見て取れる。京都の西京極スタジアムとは比べものにならない立派なスタジアムである。客席も適度な勾配でグラウンドが見易い。

対戦相手のチリ代表はこのところ好調で、ワールドカップ南米予選ではアルゼンチン相手に勝ち点を奪っている。

 

先制点は日本。本田のシュートを相手キーパーが弾いたところに岡崎が詰めて、相手ゴールマウスをこじ開ける。

岡崎は2点目も決まる。中澤のクロスをツートラップして相手ゴールのボールを蹴りこんだ。

日本の3点目は阿部。コーナーキックに頭で合わせた。ヘディングシュート直後の写真を「鴨東記」に掲載したので見られたし。

ロスタイムに入ってから、本田がゴールを決める。これで4-0。そのままタイムアップを迎え、日本が大量リードで勝利した。

 

関連記事 「サッカー キリンカップ 日本対チリ戦を観てきました」(鴨東記)

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2021年3月20日 (土)

美術回廊(63) 国立国際美術館 「液晶絵画」

2008年6月13日 大阪・中之島の国立国際美術館にて

中之島にある国立国際美術館まで行って、今何をやっているのか確認する。映像を用いた「液晶絵画」なる展覧会をやっており、出品者の中にブライアン・イーノの名前を発見。国立国際美術館は、金曜日は特別に午後7時まで開館しているとのことなので入ってみる。

イーノの作品は、映像よりもブース内に流れているイーノの作曲した音楽の方が面白かった。

サム・テイラー=ウッドという作家の作品は、ウサギの死骸や果物が腐敗していく様を映し、高速で再生するというもの。発想がピーター・グリーナウェイの「ZOO」そのままのような気もするのだが……。

展示されている作品の中で、もっとも印象深かったのは、自身が歴史上の有名人物になりきるアートを発表していることで有名な森村泰昌の「フェルメール研究」という連作。「真珠の耳飾りの少女」に森村がなりきった作品が特に良かった。

ドミニク・レイマンという作家の作品は、スペース上方に据えられたカメラの映像が、少し遅れて正面のスクリーンに映し出される。私も色々なポーズをして楽しんだ。

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2021年2月28日 (日)

コンサートの記(698) スザンヌ・ヴェガ来日ライブ2008@心斎橋クラブクアトロ

2008年1月22日 大阪の心斎橋クラブクアトロにて

大阪へ。午後7時より、心斎橋パルコ8階にある「心斎橋クラブクアトロ」で、ニューヨークのシンガーソングライター、スザンヌ・ヴェガの来日ライブを聴く。スザンヌ・ヴェガは、実に8年ぶりの来日とのことである。

関西に来てからも、ライブハウスには何度か行ったことはあるけれど、心斎橋クラブクアトロのようなスタンディングのところは初めて。座る席もあるが、ライブはノリが大事なので、私は迷うことなくスタンディングを選ぶ。
ライブハウスといっても、私がよく行ったのは、東京では渋谷のオンエアだとか、新宿にあった日清パワーステーションのような比較的スペースの大きなところ。大阪のなんばhatchなどはライブハウスというよりコンサート会場といった方がぴったりくるほど広い。心斎橋クラブクアトロのような小スペースは初めてである。

スザンヌ・ヴェガは人気シンガーなので、東京では、有楽町にある東京国際フォーラム・ホールCでコンサートを行う。東京国際フォーラムのような広いところではライブ感覚はなかなか味わえなし、スザンヌ・ヴェガを間近で見られる可能性も低い。大阪で聴いた方がずっと得である。

ニューアルバム「Beauty&Crime」の収録曲を中心とした約1時間半のライブ。客層は幅広いが、若者はいかにも音楽が好きそうな人が多く、お年を召した方達は60年代のアメリカから抜け出してきたようなファッションをしていたりする。

スザンヌ・ヴェガは「Beauty&Crime」のジャケット写真と同じ、左肩の開いたスーツで登場。帽子(これはCDジャケットのものとは違った)を曲調に合わせてかぶったり脱いだりする。
おなじみの「トムズ・ダイナー」のアカペラでスタート。「トムズ・ダイナー」は伴奏ありのバージョンでも歌われた。
私は英語力に乏しいので、MCの内容は大雑把にしか把握できなかったが、要所要所は簡単な英語だったのでわかった。歌詞はアルバムを聴いているので内容はわかる。

アンコールとして、聴衆のリクエストを受けた「女王と兵士」「スモール・ブルー・シング」などが歌われた。

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2021年2月27日 (土)

コンサートの記(697) 大植英次指揮大阪フィルハーモニー交響楽団第413回定期演奏会

2007年12月6日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後7時より、大阪・福島のザ・シンフォニーホールで大阪フィルハーモニー交響楽団の第413回定期公演を聴く。
今日の指揮者は音楽監督の大植英次。曲目はブルッフのヴァイオリン協奏曲第1番(ヴァイオリン独奏:ルノー・カプソン)とラフマニノフの交響曲第2番。いずれも耽美的な作品である。

大植英次指揮大阪フィルの定期公演といえば、これまでは毎回補助席が出るほどの大盛況だったが、大植が今年に入って定期公演を2度もキャンセルした影響からか、今日の演奏会はほぼ満員にはなったが補助席が出るほどではなかった。

ルノー・カプソンは1976年生まれのフランス人ヴァイオリニスト。ベルリンで学び、クラウディオ・アバドの招きでグスタフ・マーラー・ユーゲント・オーケストラのコンサートマスターを務めた後、ソリストとしての活躍を始めたという。

カプソンのヴァイオリンは雅やかな音を出す。技術も高く、第3楽章の冒頭で、敢えてひっかくような音を出した他は、汚い音を一切出さない。また、演奏スタイルも面白く、時に体を後ろに思いっきり傾けてヴァイオリンを奏でる。上体をこれだけ後ろに反らせる人を見るのは荒川静香以来である。

大植指揮の大阪フィルも特にファースト・ヴァイオリンが素晴らしく、カプソンに負けじと美しい音を出していた。管は弦に比べると不調で、ホルンは音がずれる場面があったが、これは毎度のことなので気にしても仕方ない。


ラフマニノフの交響曲第2番は、今でこそラフマニノフの最高傑作と評価も高いが、真価が認められるまでにかなりの時間を要した。ロシアでの初演時は大好評を得たが、「長すぎる」との不満も聞かれたため、ラフマニノフはより短いバージョンを作った。その後は長いこと短縮されたバージョンが演奏されてきたのだが、前衛の時代となり、余りにも甘美なこの曲は「ジャムでベトベトの交響曲」などと酷評されることが多くなり、ラフマニノフの死後はコンサートの曲目に載ることも減っていった。

この曲の再評価のきっかけを作ったのはアンドレ・プレヴィンである。彼はこの曲を積極的に取り上げ、カットを廃した完全全曲版をレコーディングするなど曲の普及に努める。
CDの時代になり、CD1枚に収めるのに適当な長さを持つ完全全曲版によるラフマニノフの交響曲第2番は、それまでの不遇が嘘のように人気交響曲となる。前衛の時代も過ぎ去り、甘美なメロディーへの抵抗が少なくなっていたのも大きいだろう。

甘美なメロディーと壮大なスケールを持つラフマニノフの交響曲第2番は、大植の師であるレナード・バーンスタインが好みそうな曲であるはずだが、曲の評価が再び上がり始めていた1990年にバーンスタインが亡くなってしまったためか、それとも他の理由があるのか、バーンスタインはこの曲を録音していない。

ロマン派を得意とする大植の指揮だけに名演が期待される。
冒頭から弦楽は好調、管も健闘する。スケールは大きく、立体感も抜群だ。最も有名な第3楽章で、大植は旋律を粘って歌い、必要以上にアッチェレランドをかけるなどして効果を上げようとしていたが、逆に作為が目立ってしまった。もっと自然に歌った方が美しさが生きると思うのだが。
第4楽章ではお祭り騒ぎのように派手に音が鳴りすぎる場面があった。大植は不満だったようで、再び盛り上がりを迎えたところで今度は抑制を利かせ、完璧に決める。大植は親指を上げて、オーケストラに「グッド」とサインを送った。
問題が全くないわけではないけれど、優れた演奏。音があとちょっと垢抜ければ世界レベルでも通用すると思う。


演奏終了後、爆発的な拍手が大植と大阪フィルを讃える。大植は何度も指揮台に呼び戻され、最後は「もうこれまで」というように大植が客席に向かって手を振り、コンサートマスターの長原幸太が一礼して、演奏会はようやく終わった。大阪の聴衆は素直で、良いときは盛んに拍手するし、そうでないときはそれなりの拍手をする。わかりやすい。純粋に音楽が好きな人が聴きに来ているから、こうした拍手になるのだろう。これが大阪で音楽を聴く楽しみの一つである。

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