カテゴリー「大阪」の52件の記事

2025年3月 8日 (土)

コンサートの記(894) アルヴァ・ノト(カールステン・ニコライ)&坂本龍一 「insen」2006@大阪厚生年金会館芸術ホール

2006年10月25日 新町の大阪厚生年金会館芸術ホールにて

大阪へ。午後7時から、新町にある大阪厚生年金会館芸術ホール(2025年時点では現存せず)で、ドイツの映像作家・電子音楽家のアルヴァ・ノトことカールステン・ニコライと坂本龍一のセッション「insen」を鑑賞。アルヴァ・ノトのコンピューターが作る和音に坂本龍一がピアノで即興的に音楽をつけていくという試み。すでに同名アルバムのレコーディングは終了していて、即興といってもある程度のフォルムは出来ているようだ。

開演20分ほど前から下手袖に白髪に黒服の男性がそっと現れ、会場の様子を窺ってはスッと消えていくというのが何度か見られた。坂本龍一である。即興によるセッションということもあり、客の入りが気になるのだろうか。

坂本が心配するまでもなく客席は満員。大きな拍手に迎えられて坂本とアルヴァ・ノトが登場する。 

坂本のピアノにはセンサーが取り付けられており、坂本が音を出す毎にバックモニターに光や映像が現れたり変化したりする仕組みになっている。ピアノの蓋は取り払われていて、坂本はピアノの弦をメスのような金属片で奏でたりノイズを出したりという特殊奏法を見せたりもした。
アルヴァ・ノトの作るノイジーな不協和音に坂本のリリカルなピアノが絡む。音楽によって変化する映像も興味深いが、目に悪そうでもある。 

ラストの曲はコンピューターノイズに「戦場のメリークリスマス」のメロディーをピアノで乗せるというもの。客席からは大きな拍手。 

基本的には実験音楽であり、音楽の面白さよりは可能性を追求したものだが、たまにはこうしたライヴも楽しい。 

坂本はアンコールには余り乗り気ではなかったようだが、アルヴァ・ノトことニコライが「もっとやろうよ」という風に促したので、特別に演奏が行われる。予定外だったので映像はなし。音のみのアンコールとなった。

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2025年2月 4日 (火)

これまでに観た映画より(373) リドリー・スコット監督作品「ブラック・レイン」デジタル・リマスター版

2025年1月30日 烏丸御池のアップリンク京都にて

アップリンク京都で、リドリー・スコット監督作品「ブラック・レイン」デジタル・リマスター版を観る。松田優作の遺作としても知られる映画である。出演:マイケル・ダグラス、アンディ・ガルシア、高倉健、松田優作、ケイト・キャプショー、神山繁、若山富三郎、安岡力也、内田裕也、ガッツ石松、島木譲二、小野みゆき、國村隼ほか。音楽:ハンス・ジマー。撮影監督:ヤン・デ・ボン。
タイトルは、B29による爆撃の後に降り注いだ黒い雨に由来している。
1週間限定の上映。

ニューヨークで物語は始まるが、大阪や神戸など、関西圏でのロケ場面の方が長い作品である。
ニューヨークで日本のヤクザの抗争があり、佐藤(松田優作)を逮捕したニューヨーク市警のニック(マイケル・ダグラス)とチャーリー(アンディ・ガルシア)。二人は佐藤を彼の地元の大阪まで護送することになるが、伊丹空港で佐藤の手下に騙されて、佐藤に逃げられてしまう。大阪府警の松本警部補(高倉健)と共に佐藤を追うニックとチャーリーだったが、チャーリーは佐藤とその手下の罠にはまり、日本刀で斬られて命を落とす。復讐を誓うニック。アメリカへの強制送還を命じられるが、飛行機から抜け出し、松本を頼る。松本はニックに協力していたため停職処分を受けていたが、最終的にはニックとすることになる。
佐藤は偽札作りを行っていた元兄貴分の菅井(若山富三郎)と接触。その情報を得たニックは菅井が他の組の者達を落ち合う場所を知り、出向く。

関西でロケが行われているのが魅力であるが、銃撃シーンは許可が下りなかったため、アメリカの田舎で撮影されている。その辺は残念である。

すでに癌に蝕まれていた松田優作。血尿が出たりしていたそうだが、安岡力也以外には病状を教えず、撮影を貫いた。バイクアクションなども華麗にこなしている。

 

坂本龍一の『SELDOM ILLEGAL 時には、違法』を読むと、プロデューサーから彼に、「『ブラック・レイン』に出る背格好の丁度良い日本人俳優を探してるんだ、まあ君でもいいんだけど」という話があったことが分かる。坂本は依頼を断ったようだ。その代わり楽曲を提供しており、いかにも坂本龍一的な音楽が流れる場面がある。

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2025年1月26日 (日)

これまでに観た映画より(368) 濱口竜介監督作品「寝ても覚めても」

2024年11月23日

ひかりTV有料配信で、日仏合作映画「寝ても覚めても」を観る。「ドライブ・マイ・カー」の濱口竜介監督作品。濱口竜介監督はこれが初の商業作品である。その後、出演者が一悶着起こした曰く付きの映画でもある。原作:柴崎友香。脚本:田中幸子、濱口竜介。出演:東出昌大、唐田えりか、瀬戸康史、山下リオ、伊藤沙莉、渡辺大知、仲本工事、田中美佐子ほか。占部房子もワンシーンだけ出演している(3.11の地震で気分が悪くなってしゃがみ込んでいる女性役)。音楽:tofubeats。

大阪で物語が始まり、東京に移り、再び大阪に帰ってくる(最初の場面は大阪市内だが、戻ってきたときはおそらく大阪市内ではない。天野川が流れているというので、枚方市付近の可能性がある)。

大学生の朝子(唐田えりか)は、中之島の国立国際美術館で、牛腸茂雄(ごちょう・しげお)の写真展を見た後で、鳥居麦(ばく。東出昌大)にいきなりキスをされて恋に落ちる。朝子は親友の島春代(伊藤沙莉)や岡崎伸行(渡辺大知)と共に、麦が居候している岡崎の家で度々遊ぶようになる。春代は麦のことを警戒しており、「あの男だけはアカン」と忠告する(これが現実世界で響くことになるとは)。ちなみに春代と岡崎は同じ大学に通っていることが会話で分かるが、麦や朝子についてはどうなのかはっきりとは分からない。麦は風来坊のような性格で、度々無断でどこかへ行ってしまう。そしてある日、麦は朝子の前から姿を消した。

2年後、朝子は東京に出て喫茶店を経営している。近くにある酒造会社に勤める丸子亮平(東出昌大二役)と出会う朝子。最初は亮平のことを麦だと思い込んで、「麦だよね?」と話しかけるが、亮平は顔は麦にそっくりだが他人なので、「獏? 動物園のこと?」と意味が分からない。しかし、亮平が朝子に好意を持つのも早かった。おそらく一目惚れである。東京でも牛腸茂雄の作品展を観ようとしていた朝子。東京で出来た友人である鈴木マヤ(山下リオ)と画廊の前で待ち合わせていたのだが、そこに亮平が通りかかる。遅れてきたマヤがようやく画廊にたどり着くが、もう入場時間を過ぎている。ここで亮平が機転を利かせて、3人は画廊に入ることが出来た。亮平もやはり大阪出身である。惹かれ合う亮平と朝子だったが、おそらく朝子は自身が麦の面影を亮平に見ていることに気付き、一度は別れを決意する。

朝子の親友のリオは、たまにテレビの再現VTRに出る女優で、普段は舞台女優としての活動に力を入れている。チェーホフやイプセンの作品に出ているので、新劇系統の小劇団に参加しているのだと思われる。亮平の同僚である串橋耕介(瀬戸康史)と共に、リオが出演したチェーホフ作品(「桜の園」だと思われる)のビデオを見ていた時に、耕介が突然怒り出すという事件が起こる。耕介はリオの演技を自己満足だと批判し、不快感を露わにする。そしてその後、自身でチェーホフのセリフを語る。チェーホフのセリフはビデオを見てその場で覚えたものとは思えないのだが、実際に耕介は舞台俳優に憧れて演じていた経験があり、自分は諦めたのにまだ続けている人がいることに嫉妬したとして謝罪。おそらくチェーホフ作品で同じ役を演じたことがあるのだろう。最終的にはリオと耕介は結婚することになる。濱口監督は、「ドライブ・マイ・カー」でも、「ゴドーを待ちながら」や「ワーニャ伯父さん」を西島秀俊に演じさせているので、そうした王道の演劇作品が好みなのだろう。また伊藤沙莉の証言では、ニュアンスを抜いたセリフの喋り方の訓練を行っており、伊藤は、「ニュアンスを抜く」の意味が当初は分からなかったと告白しているが、「ドライブ・マイ・カー」で、西島秀俊演じる俳優兼演出家が感情を込めずにゆっくりとセリフを喋らせるシーンがあるため、これに近いことが行われていたことが想像出来る。

イプセンの「野鴨」に出演することになったリオ。亮介は金曜の午後のソワレを招待券として受け取る。朝子も同じ回を取るかと思ったが、彼女は金曜のマチネーのチケットを頼んだ。その後、朝子から別れを切り出された亮介は、受付で金曜のマチネーにチケットを変更して貰った。無論、朝子に会うためだ。開演直前だったがリオに挨拶。リオは当然ながら亮平の意図を見抜いており、朝子は明日のチケットに変えたのだと告げる。
それでも折角なので観ていくつもりだった亮平だが、その日は、2011年の3月11日。開演の客電が消えた瞬間に東京でも大きな揺れが発生し、大道具や照明などが倒れたり破損したりしたことなどから公演は中止に。電車が止まっているので、歩いて会社まで帰ろうとしたが、街は人で混雑。地震のショックでうずくまっている女性(占部房子)に声を掛けるなど、亮平は優しさを見せる。そんな中、亮平は朝子と出会う。運命を感じた二人は抱き合うのだった。

5年後、亮平と朝子は同棲を続けているが結婚はしていない。リオと耕介は結婚している。ある日、朝子はデパートで春代と偶然再会。春代はシンガポール人の男性と結婚して、シンガポールに住んでいたが、旦那が東京に転勤になったので東京で暮らしているという。亮平と出会った春代は、朝子が亮平の中に麦を見つけて付き合っているのだとすぐに見抜く。そして麦が最近売り出し中の芸能人になっており、CMに出演して、連続ドラマの主演も決まっていると教える。
実は亮平も麦が売り出し中の芸能人であることを知っており、出会いの件から、顔が似ているので自分に惹かれたのだろうと見当を付けていた。それでもそのお陰で出会えたのだからと寛容な態度を取る。
亮平は大阪の本社に転勤を願い出る。新居は天野川の近くだ。だが朝子が一人の時に、麦が訪ねている……。

容姿の似た男性の間で揺れる女性を描いたファンタジー。評価は高く、第42回山路ふみ子映画賞、山路ふみ子新人映画賞(唐田えりか)、第10回TAMA映画賞最優秀作品賞、最優秀男優賞(東出昌大)、最優秀新人女優賞(伊藤沙莉)、第40回ヨコハマ映画祭の作品賞、主演男優賞(東出昌大)、助演女優賞(伊藤沙莉)、最優秀新人女優賞(唐田えりか)など受賞多数である。
ただ、個人的には都合の良い映画のように映る。朝子が麦と亮平の間で揺れるのも、顔の似たいい男だからのように思われ、軽く見えてしまうのも難点である。所詮、顔ってことか。
実際、軽い二人だったようで、不倫騒動を起こしてしまい、東出昌大はすでに撮影済みであった映画以外は出演自粛、唐田えりかは映画と配信、BSのみの出演で韓国に拠点を移しつつある。韓国では彼女の容姿は受けが良いようだ。最近になって日本の地上波のドラマに出演したが散々に叩かれている。
この映画は、濱口竜介監督作品ということで、いずれは観ることになったと思うのだが、「伊藤沙莉のSaireek Channel」を初回の方から聴いて、丁度「寝ても覚めても」が公開になるというタイミングだったので視聴してみた。伊藤沙莉は今よりポッチャリしていて、大阪弁を喋る役なのだが、千葉県出身で方言を話したことがほとんどないので、習得に時間を掛けたという話をしている。実は春代は出番はそれほど長くなく、鈴木マヤを演じた山下リオの方が助演に近いのだが、ヨコハマ映画祭では伊藤沙莉が助演女優賞を受賞している。春代が朝子にすっと温かい言葉を掛けて、ドキッとさせるシーンがあるが、それが評価されたのだろうか。この時に、共に助演女優賞を取ったのが親友の松岡茉優で、この時点では2016年の大河ドラマ「真田丸」にも良い役で出演していた松岡の方が知名度では上であったと思われる。すでに二人は親友になっているが、その後、更に友情が深まる事件が2020年に発生している。詳しくは書かないでおく。

伊藤沙莉が語るところでは、「寝ても覚めても」のチームは仲が良く、一緒に出掛けたりしていたらしいが、東出と唐田がああいうことになって会えなくなってからは親交もおそらく途絶えたのだと思われる。


叩かれてばかりの東出と唐田だが、少なくともこの映画においては東出はなかなか良い演技をしている。セリフは余り上手くないが、モデル出身だけあって佇まいが良い。唐田えりかの演技はやや拙い感じだが、演技経験に乏しく、苦手意識がある中での抜擢であったため、やむを得ない印象は受ける。初々しさがあって良い。「ナミビアの砂漠」では短い出番ながら自然な印象の演技で、表に情報は出ないが演技のレッスンは続けているのだと思われる。

一番印象に残るのは瀬戸康史で、英語を喋るシーンがあるなど、いい役を貰っているということもあるが、この時から存在感を放っている。ただあくまで引き立て役であるためか、瀬戸康史はこの映画では特に賞は貰っていない。

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2024年12月29日 (日)

2346月日(42) ナカノシマ大学2024年12月講座「大阪にオーケストラを! 江戸っ子・朝比奈隆の冒険」

2024年12月19日 大阪の中之島図書館にて

午後6時から、大阪・中之島の中之島図書館で、ナカノシマ大学2024年12月講座「大阪にオーケストラを! 江戸っ子・朝比奈隆の冒険」を受講。講師は、実業之日本社代表取締役社長で、編集者・音楽ジャーナリストの岩野裕一(いわの・ゆういち)。
岩野裕一は1964年東京生まれ。上智大学卒業後、実業之日本社に入社。社業の傍ら、満州国時代の朝比奈隆に興味を持ち、国立国会図書館に通い詰め、研究を重ねた。著書に『王道楽土の交響楽 満州-知られざる音楽史』(音楽之友社。第10回出光音楽賞受賞)、『朝比奈隆 すべては交響楽のために』(春秋社)。朝比奈隆の著書『この響きの中に 私の音楽・酒・人生』の編集も担当している。


日本を代表する指揮者であった朝比奈隆(1908-2001)。東京・牛込の生まれ。正式な音楽教育を受けたことはないが、幼い頃からヴァイオリンを弾いており、音楽には興味があった。旧制東京高校に進学(現在の私立東京高校とは無関係)。サッカーが得意で国体にも出ている。京都帝国大学法学部に進学。京都帝国大学交響楽団にヴァイオリン奏者として入る。当時の京大にはウクライナ出身の音楽家であるエマヌエル・メッテルがおり、朝比奈はメッテルに師事した。メッテルは服部良一の師でもあり、NHK連続テレビ小説「ブギウギ」に登場した服部良一をモデルにした音楽家、羽鳥善一(草彅剛)の自宅の仕事場に置かれたピアノの上にはメッテルの写真が置かれていた。
メッテルの個人レッスンは、神戸のメッテルの自宅で行われている。曜日が異なるので、朝比奈と服部が顔を合わせることはなかったが、服部良一の自伝によると、メッテルは朝比奈には「服部の方が上だ」と言い、服部には「朝比奈はそれくらいもう出来ているよ」と言ってライバル心を掻き立てる作戦を取っていたようだ。
京都帝大を出た朝比奈は、阪急に就職し、運転士の訓練を受けたり阪急百貨店の販売の仕事をしたりしたが(阪急百貨店時代には、NHK大阪放送局がお昼に行っていた室内楽の生放送番組に演奏家として出演するためにさりげなく職場を抜け出すことが何度もあったという)、2年で阪急を退社。退社する際には小林一三から、「どうしても音楽をやりたいなら宝塚に来ないか」と誘われている。宝塚歌劇団には専属のオーケストラがあった。それを断り、京都帝国大学文学部哲学科に学士入学する。しかし、授業には1回も出ず、音楽漬けだったそうだ。丁度同期に、やはり全く授業に出ない学生がおり、二人は卒業式の日に初めて顔を合わせるのだが、その人物は井上靖だそうで、井上は後年の随筆で、第一声が「あなたが朝比奈さんでしたか」だったことを記している。

京都帝国大学文学部哲学科在学中に大阪音楽学校(現・大阪音楽大学)に奉職。3年後には教授になっている。なお、大阪音楽大学には指揮の専攻がないため、ドイツ語などの一般教養を受け持つことが多かったようだ。後に大阪音楽大学の優れた学生を大阪フィルハーモニー交響楽団にスカウトするということもやっている。
大阪音楽学校のオーケストラを振って指揮者としての活動を開始。京都大学交響楽団の指揮者にもなっている。1940年には新交響楽団(NHK交響楽団の前身)を指揮して東京デビュー。翌年には東京音楽学校(現・東京藝術大学音楽学部)出身のピアニスト、田辺町子と結婚し、居を神戸市灘区に構える。町子夫人とは一度共演しているが、結婚後は「指揮者の妻が人前でピアノを弾くな」と朝比奈が厳命。町子夫人は大阪音楽大学の教員となり、ピアニストとしての活動はしなくなった。この町子夫人は101歳と長命だったそうだが、大阪フィルの演奏会を聴きに行き、「私より下手なピアニストが主人と共演しているのが許せない」と語るなど、気の強い人であったようだ。

その後、外務省の委嘱により上海交響楽団の常任指揮者となる。上海交響楽団はアジア最古のオーケストラとして知られているが、この当時の上海交響楽団は現在の上海交響楽団とは異なり、租界に住む白人中心のオーケストラであった。
その後、満州国に移住しハルビン交響楽団と新京交響楽団の指揮者として活躍。ハルビン交響楽団は白人中心のオーケストラ、新京交響楽団は日本人、中国人、朝鮮人の混交の楽団だったようである。町子夫人は満州に行くことに文句を言っていたようだ。

終戦はハルビンで迎える。「日本人は殺せ!」という雰囲気であり、朝比奈も命からがら日本へと帰る。

朝比奈隆は朝比奈家の生まれではない。小島家に生まれ、名前も付けられないうちに子どものいなかった朝比奈家に養子に入っている。本人はずっと朝比奈家の子どもだと思っていたようだが、両親が相次いで亡くなると、近所に住む小島家のおばさんから、「あなたは家の子だから」と告げられ、小島家で暮らすようになる。朝比奈家では一人っ子だと思っていたが、兄弟がいたことが嬉しかったようである。朝比奈の養父である朝比奈林之助は「春の海」で知られる宮城道雄と親しく、宮城は弟子への稽古を朝比奈家の2階で付けていたそうで、朝比奈隆は宮城道雄の音楽を聴いて育ったことになる。宮城道雄は朝比奈林之助のために「蒯露調」という曲を書いている。

さて、朝比奈の実父であるが、小島家の人間ではない。日本を代表する大実業家である渡邊嘉一(わたなべ・かいち)が実父である。小島家は渡邊の妾の家だったのである。
渡邊は京阪電鉄の初代専務取締役であった。朝比奈隆というと阪急のイメージが強いが、バックにあったのは実は京阪だったようだ。朝比奈が阪急に入ったのもコネ入社で、渡邊嘉一が小林一三に「預かってくれないか」と頼んだようである。
後に朝比奈は大阪フィルハーモニー交響楽団を指揮するのみでなく経営にも携わるのだが、それには渡邊の実業家としての血が影響している可能性があるとのことだ。

さて、終戦後、関西の楽壇では「朝比奈が帰ってくればなんとかなる」という雰囲気であり、実際に朝比奈が1946年に帰国すると、翌47年に関西交響楽団が組織され、朝日会館で第1回の定期演奏会を行っている。「朝比奈が帰ってくればなんとかなる」は朝比奈の音楽性もさることながら、京都帝国大学を二度出ているため、同級生は大手企業に就職。その人脈も期待されていた。
1949年には関西オペラグループ(現・関西歌劇団)を発足させ、オペラでの活躍も開始。当初は演出なども手掛けていたようだ。
ちなみに朝比奈は大阪フィルを、関西交響楽団時代も含めて4063回指揮しているそうだが、「楽団員を食わすため」とにかく指揮しまくったようである。
当時、東京にはオーケストラが複数あったが、NHK交響楽団、日本フィルハーモニー交響楽団(文化放送・フジテレビ)、東京交響楽団(元は東宝交響楽団で、東宝とTBSが出資)と全てメディア系のオーケストラであった。そうでないオーケストラを作るには「大阪しかない」と朝比奈も思ったそうである。京都帝国大学を出て阪急に入った経験があり、関西に土地勘があるというだけではなかったようだ。

二度目の京都帝国大学時代、上田寿蔵という哲学者に師事しているのだが、上田は、「音楽は聴衆の耳の中で響くもの」とし、「西洋音楽だから日本人に分からないなんてことはない」という考えを聞かされていた。
東京では、齋藤秀雄とその弟子の小澤征爾が、「日本人にどこまでクラシックが出来るのか実験だ」という考えを持っていた訳だが、朝比奈は真逆で、その後にヘルシンキ市立管弦楽団やベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の指揮台にも立っているが、「自分がやって来たことが間違っていないか確認する」ために行っており、本場西洋の楽壇への挑戦という感じでは全くなかったらしい。朝比奈的な考えをする日本人は今ではある程度いそうだが、当時としては異色の存在だったと思われる。

朝比奈と大阪フィルハーモニー交響楽団は、関西交響楽団時代も含めて、朝比奈が亡くなるまでの53年間コンビを組んだが、これも異例。オーケストラ創設者は創設したオーケストラから追い出される運命にあり、山田耕筰や近衛文麿も新交響楽団を追われているが、朝比奈は近衛からそうならないように、「自分たちで稼ぐこと」「間断なく仕事を入れること」などのアドバイスを受けて大フィルと一心同体となって活動した。更に日本の他のオーケストラに客演した時のギャラは全て大阪フィルに入れ、レコーディングなどの印税も大フィルに入れて、自身は大阪フィルからの給料だけを受け取っていた。神戸の自宅も戦前に建てられたものをリフォームし、しかもずっと借家だった。朝比奈の没後の話だが、町子夫人によると、税務署が、「朝比奈はもっと金を儲けているはずだ」というので、朝比奈の自宅を訪れ、床を剥がして金を探したことがあったという。


最後には大阪フィルハーモニー交響楽団事務局長の福山修氏が登場し、朝比奈との思い出(外の人には優しかったが、身内には厳しかった)のほか、来年度の大阪フィルの定期演奏会の宣伝と、音楽監督である尾高忠明との二度目のベートーヴェン交響曲チクルスの紹介などを行っていた。

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2024年12月 9日 (月)

浄土宗開宗850年記念 法然フォーラム「これからの幸せ in 大阪」@大阪市中央公会堂

2024年11月12日 中之島の大阪市中央公会堂大集会室にて

午後6時30分から、中之島の大阪市中央公会堂(中之島公会堂)大集会室で、浄土宗開宗850年記念 法然フォーラム「これからの幸せ in 大阪」に参加する。応募抽選制で、当選者にだけ葉書が届いて来場可能なシステムになっている。

司会進行役は笑い飯の哲夫。今は仏教好きの芸人として有名で、東京大学で仏教の講座を開き、浄土真宗本願寺派の大学である相愛大学の客員教授も務めるほどだが、初めのうちは仏教好きを隠していたそうである。大学もミッション系の関西(かんせい)学院大学を出ており、誕生日もクリスマスである。ちなみに1974年生まれで私と同い年である。以前、「ムーントーク」というトーク公演を二人で行っていたテンダラーの浜本広晃も1974年生まれだが、彼は早生まれなので同い年ではない。よしもと祇園花月で、「ムーントーク」に二人が出演した際、お見送りがあったのだが、哲夫さんには「同い年です」と言って握手したが、浜本さんは同い年ではないので特に言葉は掛けていない。

まず哲夫と、浄土宗総合研究所副所長の戸松義晴が登場し、今回のイベントの趣旨を紹介した後で、スペシャルゲストのIKKOに出番を譲る。IKKOの出演時は、哲夫ではなくIKKO専属インタビュアーの岩崎さんという女性が仕切りを受け持つ。
IKKOは黒い着物姿で登場。宝づくしの柄で赤い糸が入り、桐の花が誂えられている。
「どんだけー!」と言って、舞台上手側から登場したが、仏教のイベントということで、「どんだけー!」と言っていいのかどうか迷ったそうである。だが、自分と言えば「どんだけー!」なのでやることにしたそうだ。

現在、62歳のIKKOだが、50歳の時に習字を教わるようになり、今では書家として字も売りの一つとなっている。字自体は40代の頃から独自に書いていたそうだが、思ったよりも上手くいかないというので、50歳になったのを機に習い始めたそうだ。
「川の流れのように」「福」「笑門」などの文字を好んで書くという。38歳の時にパニック発作が起こり、故郷の福岡県の田舎に戻って療養していたことがあるのだが、空気や山などに音があることにその時初めて気がついたそうだ。
人生はそのようにちょっとしたことで変わり、頭の中の色に敏感になることや、見える景色を大切にする必要性などについて語った。
音楽は、島津亜矢の「夜汽車」や布施明の「カルチェラタンの雪」が好きだそうで、実際に流して貰っていた。また荒木一郎の歌声が好きだそうである。

「今日の一日に感謝」と書かれた文字がスクリーンに映し出され、一日の中にも様々な気付きがあることを述べる。
最後は、最新の書、「笑」と「笑福寿」の披露。「笑福寿」はIKKOの造語だそうである。六十代に入ってからは、「見ざる言わざる聞かざる」をモットーとしたいとも語った。

休憩時間を挟んで、まず哲夫による一人漫談。漫才師としてはM-1王者にもなっている笑い飯・哲夫だが、ピン芸は得意ではなく、R-1では早い段階で敗退することが多い。今日も「滑った」と語っていた。「ありがとう」の反対は「当たり前」だということや、馬関係の「埒があかない」や「拍車を掛ける」などの話もする。
また相手をうらやむ心を打ち消すには、他人の幸せも自分の幸せとして受け入れればいい、ということで、「自他平等」も唱えていた。
「幸」という字は、元々は手枷を図案化したもので、良い文字ではないのだが(名前に付けるとよくない漢字説もある)、死刑になる時代に手枷だけで済むのなら幸せという解釈も披露していた。
ちなみに、「これからの幸せ」は、全国9カ所で行われ(京都でも初回が行われている。ただしゲストは三浦瑠麗であった)今日が楽日なのだが、毎回参加している戸松義晴によると、哲夫の話は毎回「9割一緒」で、やはり滑るそうで、「本場の大阪なら受けるかと思ったが、やはり滑った」そうである。哲夫は、「浄土宗さんのフォーラムの司会をさせて貰っていますが、実は家は曹洞宗」と明かしていた。ただ家の仏壇の本尊は阿弥陀如来だったそうである。
江戸時代に宗門人別改などの関係で家の宗派が固定されるまでは、意外に宗派の選択は自由で、禅と念仏の両方をやるのが普通だったり、家の宗派とは関係なく、自由に信仰したい宗派を選んでいたりしたようだ。

なお、浄土宗、浄土真宗(真宗)、時宗などの念仏宗は易行であるため庶民に広がって信徒も多く、日本の仏教の信徒数1位は浄土真宗本願寺派で確定(真宗系の信徒は「門徒」と呼ばれる)。2位も正確な数は分からないが、浄土宗、真宗大谷派などの念仏系が争っている。天台、真言なども庶民の信仰者は多いが、どちらかというと上流階級向けの宗派であり、当然ながら上流階級は人数が少ない。

浄土宗は徳川将軍家が信仰した宗派で、江戸時代には優遇された。京都の総本山知恩院には徳川の三つ葉葵の紋が多く見られる。京都には知恩院の北に黒谷こと金戒光明寺もあるが、これらは東海道を挟んだ隠れ城郭寺院となっており、有事に備えられるようになっていた。幕末の京都守護職、松平容保ら会津藩は金戒光明寺を本陣としている。なお会津松平家の宗派は浄土宗でないどころか仏教でもなく神道である。神道を家の宗教とするほぼ唯一の大名家であった。


哲夫の司会、元ABCアナウンサーで、現在はフリーアナウンサーとなっている三代澤康司(みよさわ・やすし)と、奈良県吉野郡の西迎院副住職の女僧・光誉祐華(こうよゆうか)、そして戸松義晴を迎えてのパネルトーク。

三代澤康司は、哲夫の大分年上の先輩になるそうだ。奈良県公立トップ進学校である奈良県立奈良高校の出身で(奈良商業高校出身の明石家さんまが、哲夫が奈良高校出身なのを聞いて驚いたという話がある。ちなみに相方の笑い飯・西田も奈良女子大学文学部附属高校出身で、女子大の附属ということで笑われることもあるが、国立大学の附属であるため、こちらもかなりの進学校である。有名OBに八嶋智人がいる)、奈良高校は今は校地が移転してしまったが、以前は東大寺や興福寺にすぐ行ける場所にあり、仏教的な感性を養うのに最適な環境だったという。
三代澤は、奈良高卒業後は大阪市立大学に進学。大阪市立大学は現在は大阪府立大学と合併し、大阪公立大学(「ハム大」という略称があるようだ)となっている。大阪市立大学を5年掛けて卒業した後で、朝日放送のアナウンサーとなり、4年前に定年退職を迎えたそうである。
三代澤は、「うちは浄土宗」と述べるが、家の宗派が浄土宗であると分かったのは、つい最近だそうで、松本出身の父親(98歳で存命中)の菩提寺を探し当てて、そこが浄土宗の寺院だったそうである。ただ、三代澤の家系は曹洞宗の家が多く、「なぜ家だけ浄土宗?」と思ったのだが、なんでも曾祖父が曹洞宗の寺院の住職と喧嘩して宗門替えを行っていたことが分かったという。

光誉祐華は、お寺に生まれ育ち、佛教大学を出て、実家の寺院の仕事に就いたのだが、信徒がお年寄りしかいなかったため、「若い人を呼ばないと」と思い立ち、若い人のいるライブハウスで、仏教にちなんだ歌をうたうなど、「現代の辻説法」を行っていたという。以前は愛$(アイドル)菩薩を称していた。

「これからの幸せ」についてであるが、出演者の多くが「気付き」という言葉を口にしていた。
「幸せ」というものは、実は「ある」もので、それに気付くか気付かないかに左右されることが多いように感じられる。「幸せ」は創造するものではなく、むしろ創造するのは困難で、今ある「幸せ」に気付くのがよりよい幸せに繋がるような気がする。
三代澤が、スポーツ紙5冊、一般紙4冊を毎朝読んでから仕事に向かうという話を受けて、哲夫が、松本人志や百田尚樹の不祥事が一般紙にも載るようになったことを語っていたが、彼らは幸せを自らの手で切り開いた系であり、それゆえに脆いのではないかという印象も受ける。大きな話に寄りかかるようになり、身近で起こる小さなことに気付きにくくなるからである。

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2024年10月22日 (火)

観劇感想精選(472) シス・カンパニー公演 日本文学シアター Vol.7 [織田作之助] 「夫婦パラダイス~街の灯はそこに~」

2024年9月26日 大阪の森ノ宮ピロティホールにて観劇

午後2時から、大阪の森ノ宮ピロティホールで、シス・カンパニー公演 日本文学シアターVol.7[織田作之助] 「夫婦(めおと)パラダイス ~街の灯はそこに~」を観る。作:北村想、演出:寺十吾(じつなし・さとる)。出演:尾上松也、瀧内公美、高田聖子(たかだ・しょうこ)、福地桃子、鈴木浩介、段田安則。なかなか魅力的な俳優が揃っているのだが、大阪公演は平日のマチネーのみでもったいない。ちなみにナレーターは劇中では明かされなかったが、上演終了後に「高橋克実でした」と正体が明かされた。

一応、織田作之助の『夫婦善哉』を題材にしているのだが、内容は全くといっていいほど重なっていない。有名な折檻のシーンなどもない。川島雄三の映画「洲崎パラダイス 赤信号」の要素も入れているようである。

名古屋を代表する演劇人である北村想。滋賀県大津市の出身であるが、滋賀県立石山高校卒業後は進学しなかったものの、友人がいた名古屋の中京大学の演劇サークルなどに加わり、演劇活動を始めている。鬱病持ちであるため、活動に波のある人でもある。

名古屋の演劇界は、北村想と天野天街が二枚看板だったのだが、天野天街は今年死去。名古屋の大物演劇人は北村想だけとなった。
そんな北村さんであるが、ホワイエにいて、自身の戯曲を買ってくれた人にその場でサインを入れている。戯曲は他の場所で買うよりも安めの価格設定だったので、私も買って北村さんにサインして貰った。買うと同時にサインしてくれるシステムである。呼び込みのおじさんは、「1500円で戯曲を買うと北村先生のサインが貰えます」と呼びかけていたのだが、何度も同じ言葉を繰り返していたためか、途中、「1500円でサインが貰えます」と間違えて言ってしまい、自身でも周囲の人々も笑っていた。


実のところ、天野天街の演劇は触れる機会が比較的多かったが、北村想の演劇は思ったよりも接していない。「寿歌(ほぎうた)」、「十一人の少年」などいくつかに限られ、いずれも北村さん本人は関与していない上演である。北村さんの本は読んでいるし、私は参加はしなかったが、北村さんは伊丹AIホールで、「想流私塾」という戯曲講座を行っており、また出身が滋賀県ということで関西にゆかりのある人だけに自分でも意外である。北村想が原作を手掛けた映画「K-20 怪人二十面相・伝」(出演:金城武、松たか子ほか)などは観ている。

時代物であるが、現代が鏡に映った像のように反映され、鋭い指摘がなされている。


今回の舞台は大阪の東部にある河内地方である。大阪市は北摂地方に当たるため、直接的な舞台ではないが、同じ大阪府内ということでご当地ものと言って良いだろう(大阪市の人は言葉の荒い河内の人と一緒にされるのを嫌がるようだが)。

お蝶(蝶子。瀧内公美)が、欄干にもたれて、鞄の中から色々と取りだしている場面で芝居は始まる。滋賀県野洲(やす)市の出身である是野洲柳吉(これやす・りゅうきち。尾上松也)が下手の客席入り口から登場。客席通路を通って舞台に上がる。
お蝶は元コンパニオンガール。年を取ったので、今はその仕事は出来ない。一時期は三味線芸者をしていたこともある。柳吉は商人の息子であるが放蕩が過ぎたため勘当され、今では浄瑠璃パンク・ロックという特殊なジャンルの芸人をしているが、ほとんど相手にされていない。
金がなくなった二人は、蝶子の腹違いの姉である信子(高田聖子)が営む居酒屋「河童」に転がり込んだ。川を挟んで向かいには公営カジノ「パラダイス」の看板が浮かんでいる。
「河童」のなじみ客に馬淵牛太郎(段田安則)という社長がいる。牛太郎は「パラダイス」でも遊んでいるようだ。
信子には藤吉(鈴木浩介)という亭主がいたのだが、藤吉はある日、「煙草を買いに行ってくる」と言ったきり帰ってこなかった。

なお、福地桃子演じる静子は、出前持ちの女性として登場する。彼女は夢と現実の間で翻弄されることになる。

信子は神棚に胡瓜を供えていた。やがて、居酒屋「河童」に河童が訪れる。藤吉だった。
藤吉は、エクセルが出来るのを見込まれて経理の仕事を始めていたのだった。

江戸川乱歩の「屋根裏の散歩者」、田端義夫の「十九の春」(尾上松也が客席に、「田端義夫を知ってます? 知っている人は結構なお年の人」と振っていた)など、文学や音楽の要素がちりばめられており、照明の転換の仕方などは天野天街の作品に似ていて、名古屋のローカル色が感じられる。歌舞伎の影響を受けて、だんまりの場面があるなど、多ジャンルを横断する形で描かれているのも特徴。フィクションや物語の力も肯定されている。

物質の瞬間移動も用いられている。役者が手にしたものをすっと引っ込めると同時に、別の役者が、同じ種類のものを袖などから引き出して、物体が瞬間移動したように見える技である。これは実は私もやったことがある。私の役目は投げられた振りをした鼓を、投げた俳優の背後で受け取り、体の影に隠すというもので、その間に、向こう側では隠し持っていた鼓を出して、あたかも受け取ったかのように見せかけていた。

また、アドリブが多く、特に尾上松也は段田安則によく突っ込んでいた。

「リバーシブルオーケストラ」、「Amazon」のCM、NHK大河ドラマ「光る君へ」の源明子役で注目を集めている瀧内公美。独特の色気のある女優さんだが、今日はそのスタイルの良さが特に目立っていた。

ベテランの段田安則、実力派の鈴木浩介、関西出身レジェンドの高田聖子らが、楽しみながらの演技を披露し、東京や大阪のそれとは異なる独自のエンターテインメントとして上質の仕上がりとなっていた。

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2024年10月14日 (月)

NHKBS「クラシック俱楽部」 大阪府堺市公開収録 石橋栄実ソプラノリサイタル(再放送)

2024年9月12日

録画しておいた、NHKBS「クラシック俱楽部」大阪府堺市公開収録 石橋栄実ソプラノリサイタルを視聴。2023年12月15日に堺市立美原文化会館での収録されたもの。ピアノは關口康祐(せきぐち・こうすけ)。

ソプラノ歌手の石橋栄実(えみ)は、1973年、東大阪市生まれ。私より1つ上で、有名人でいうと、イチロー、松嶋菜々子、篠原涼子、大泉洋、稲垣吾郎、夏川りみなどと同い年となる。大阪音楽大学声楽科を卒業、同大学専攻科を修了。現在は大阪音楽大学の教授と、大阪音楽大学付属音楽院の院長を兼任している。ソプラノの中でも透明度の高い声の持ち主で、リリック・ソプラノに分類されると思われる。東京や、この間、「エンター・ザ・ミュージック」で取り上げられていたように広島など日本各地で公演を行っているが、現在も活動の拠点は大阪に置いている。インタビュー映像も含まれているが、「一度も大阪を離れようと思ったことはなかった」そう。ちなみにインタビューには標準語で答えているが、言い回しが明らかに関東人のそれとは異なる。石橋はオペラデビューが1998年に堺市民会館で行われたフンパーディンクの「ヘンゼルとグレーテル」だったそうで、「堺は特別な街」と語る。


曲目は、ジョルダーノ作曲の「カロ・ミオ・ベン」、マスカーニ作曲の「愛してる、愛してない」、モーツァルト作曲の歌劇「フィガロの結婚」から「とうとううれしい時が来た」と「恋人よ、早くここへ」、ドヴォルザーク作曲の歌劇「ルサルカ」から「月に寄せる歌」、プッチーニ作曲の歌劇「ラ・ボエーム」から「私が町を歩くと」、
連続テレビ小説「ブギウギ」メドレー(「東京ブギウギ」、「買い物ブギー」、「恋はやさし野辺の花よ」)、
歌曲集「カレンダー」から「十月」「三月」(薩摩忠作詞、湯山昭作曲)、「のろくても」(星野富弘作詞、なかにしあかね作曲)、「今日もひとつ」(星野富弘作詞、なかにしあかね作曲)、「いのちの歌」(miyabi=竹内まりや作詞、村松崇継作曲。NHK連続テレビ小説「だんだん」より)


声の美しさとコントロールが絶妙である(実は歌手の方には多いのだが、話しているときの地声が特別美しいというわけではない)。
映像映えのするタイプではないのだが、実物はかなり可愛(検閲により以下の文章は削除されました)

「愛してる、愛してない」は、マスカーニの作品よりも、坂本龍一が中谷美紀をfeaturingした同名タイトルの曲の方が有名であると思われるが、花占いをしながら歌う歌曲で、石橋もそうした仕草をしながら歌う。

モーツァルトのスザンナのアリアは彼女の個性に合っている。


途中で、堺市の紹介があり、大仙古墳は仁徳天皇陵と従来の名称で呼ばれている。
なんか冗談が寒いのがNHKである。

連続テレビ小説「ブギウギ」メドレー。最も有名な「東京ブギウギ」(作詞:鈴木勝=鈴木大拙の息子、作曲:服部良一)がまず歌われる。実は「東京ブギウギ」はリズムに乗るのがかなり難しい曲なのだが、クラシック音楽調に編曲されているので、オリジナル版よりは歌いやすいと思われる。
關口のピアノで、「ラッパと娘」と「センチメンタル・ダイナ」が演奏される。服部良一も大阪の人で、少年音楽隊に入って音楽を始め、朝比奈隆の師としても知られるウクライナ人のエマヌエル・メッテルに和声学、管弦楽法、対位法、指揮法などを師事しているが、音の飛び方が独特で、「え? こっからそこに行くの?」という進行が結構ある。「ラッパと娘」などは「それルール違反でしょ」という箇所が多い。

「買い物ブギー」。この曲は笠置シヅ子をモデルとした朝ドラに主演した東京出身の趣里、兵庫県姫路市出身の松浦亜弥、神奈川県茅ヶ崎市出身の桑田佳祐なども歌っているが、大阪弁の曲であるため、大阪の人が歌った方が味わいが出る。作詞は作曲の服部良一自身が村雨まさを名義で行っている。
石橋は客席通路での歌唱。カメラを意識しながら演技を入れての歌唱を行って、ステージに上がる。ただ、この曲はクラシックの歌手が歌うと美しすぎてしまう。笠置シヅ子は実は歌唱力自体はそんなに高い方ではない。彼女の長所は黒人の女性ジャズシンガーに通じるようなソウルフルな歌声にある。日本人には余りいないタイプである。


最後は日本語の歌曲。親しみやすい楽曲が多く、安定した歌声を楽しむことが出来る。顔の表情も豊かで、やはりかわ(検閲により以下の文章は削除されました)

メッセージ性豊かな歌詞の曲が選ばれているという印象も受ける。

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2024年5月 8日 (水)

NHK連続テレビ小説「ブギウギ」総集編

2024年5月6日

録画しておいた連続テレビ小説「ブギウギ 総集編」前・後編を見る。主演:趣里。出演:草彅剛、柳葉敏郎、水川あさみ、菊地凛子、水上恒司、生瀬勝久、黒崎煌代、伊原六花、蒼井優、翼和希、近藤芳正、黒田有、村上新悟、木野花、森永悠希、吉柳咲良、市川実和子、三浦獠太、みのすけ、中村倫也、藤間爽子、田中麗奈、水澤紳悟、小雪、三浦誠己、富田望生、ふせえり、陰山泰、新納慎也、安井順平、中越典子、橋本じゅん、升毅、澤井梨丘ほか。脚本:足立紳、櫻井剛。音楽:服部隆之。
「東京ブギウギ」などで知られるブギの女王、笠置シヅ子(歌手時代の表記は笠置シズ子)をモデルに、歌と踊りで綴る昭和絵巻。

1話15分だが、週5回放送、半年続くので、結構な長さであるが、総集編として上手くまとめてある。
ヒロインの福来スズ子を演じる趣里の歌の進歩が確認出来るのが大きい。第1回での「東京ブギウギ」では旋律通りの歌い方といった印象だが、次第に即興性を増し、最後のバラード版「東京ブギウギ」では本職の歌手も真っ青の出来まで高めている。

NHK大阪放送局(JOBK)の制作だけに、血の繋がらない親子や師弟関係、悲恋など人情の描き方も上手く、華やかさと哀しさを合わせ持った良作となっている。戦時突入で公演が思うように打てなくなる様子が、エンターテインメント界を直撃したコロナ禍にも繋がり、芸術や芸能のパワーを示すメッセージも込められている。

初の朝ドラ出演で、服部良一をモデルとした羽鳥善一を演じた草彅剛の存在感はやはり大きく、羽鳥が望んだ「ジャズ」を演技で体現しているかのよう。同時期に西島秀俊や濱田岳が指揮者役で他のドラマに出ていたが、草彅剛の動きと佇まいが一番指揮者っぽい。

意外に不評の声もあった富田望生や三浦獠太であるが、初々しさもあり、好演といって良いと思う。

少し抜けた弟、六郎を演じた黒崎煌代。高倍率のオーディションを何度も突破した猛者だが、人とは違ったキャラを巧みに演じている。実は脚本の足立紳の息子が発達障害の傾向があるそうで、そうした要素を取り入れることになったようである。

未来の大女優候補である伊原六花。OSKで40年以上に渡って舞台に立ち続けたという秋月恵美子がモデルとされる秋山美月を、最初は少し生意気な後輩として、後には東京でスズ子と同居しながら夢を追う盟友として生き生きと演じていた。彼女は「バブリーダンス」で有名になった大阪府立登美丘高校ダンス部の元キャプテンであり、梅丸少女歌劇団を引っ張って行くであろう姿が様になっていた。

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2024年4月27日 (土)

コンサートの記(841) 第62回大阪国際フェスティバル2024「関西6オケ!2024」

2024年4月20日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後1時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、第62回大阪国際フェスティバル2024「関西6オケ!2024」を聴く。関西に本拠地を置く6つのプロコンサートオーケストラが一堂に会するイベント。

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これまでは、大阪府内に本拠地を置く4つのオーケストラ(4オケ)の共演や合同演奏会を行ってきたのだが、今回は関西全域にまでエリアを拡大し、兵庫と京都から1つずつオーケストラが加わった。日本オーケストラ連盟の正会員となっている関西のオーケストラはこれで全てである。

以前、大阪フィルハーモニー交響楽団事務局次長(現・事務局長)の福山修氏が大フィルの定期演奏会の前に行われるプレトークサロンで、6オケ共演の構想を話していたのだが、その時点では、「上演時間が長すぎる」というので保留となっていた。それが今日ようやく実現した。
ちなみに午後1時から午後6時過ぎまでの長丁場である。

出演順に参加楽団と演奏曲目を挙げていくと、山下一史指揮大阪交響楽団がリヒャルト・シュトラウスの歌劇「ばらの騎士」組曲、尾高忠明指揮大阪フィルハーモニー交響楽団がエルガーのエニグマ変奏曲、下野竜也指揮兵庫芸術文化センター管弦楽団(PACオーケストラ)がアルヴォ・ペルトの「カントゥス-ベンジャミン・ブリテンの思い出に」とベンジャミン・ブリテンのシンフォニア・ダ・レクイエム、藤岡幸夫指揮関西フィルハーモニー管弦楽団がシベリウスの交響曲第5番、飯森範親指揮日本センチュリー交響楽団がドビュッシーの3つの交響的素描「海」、沖澤のどか指揮京都市交響楽団がプロコフィエフの「ロメオとジュリエット」組曲からセレクション(7曲)。


トップバッターの大阪交響楽団は、大阪のプロコンサートオーケストラの中では2番目に若い存在で、本拠地は大阪府堺市に置いている。定期演奏会場は大阪市北区のザ・シンフォニーホールであるが、堺市に新たな文化拠点であるフェニーチェ堺が出来たため、そちらでの公演も始めている。結成当初は大阪シンフォニカーと名乗っており、「シンフォニカー」はドイツ語で「交響楽団」を表す言葉であるが、シンフォニカーという言葉が日本に浸透しておらず、営業に行っても「カー」がつくので車の会社だと勘違いされたりしたため、大阪シンフォニカー交響楽団に改名。しかし、意味で考えると大阪交響楽団交響楽団となる名称に疑問の声も上がり、「なぜ大阪交響楽団じゃいけないの?」という話が各地で起こっていたということもあって、大阪交響楽団に改名して今に至っている。


今回出演するオーケストラの中で一番歴史が長いのが「大フィル」の略称でお馴染みの大阪フィルハーモニー交響楽団である。1947年に朝比奈隆を中心に関西交響楽団の名で結成。戦後の復興を音楽の面から支え続けたという歴史を持つ。1960年に、NHK大阪放送局(JOBK)が持っていた「大阪フィルハーモニー」の商標を朝比奈隆が買い取り、大阪フィルハーモニー交響楽団に改称。定期演奏会の回数も1から数え直している。
朝比奈隆とは半世紀以上に渡ってコンビを組み、ブルックナー、ベートーヴェン、ブラームスなどドイツ音楽で強さを発揮してきた。京都帝国大学を2度出ている朝比奈隆の京大時代の友人が南海電鉄の重役になった縁で、西成区岸里(きしのさと)の南海の工場跡に大阪フィルハーモニー会館を建てて本拠地とし、練習場も扇町プールから移転している。
フェスティバルホールを定期演奏会場にしている唯一のプロオーケストラである。


兵庫芸術文化センター管弦楽団は、西宮北口にある兵庫県立芸術文化センターの座付きオーケストラとして2005年に創設された、今回登場するオーケストラの中で一番若い楽団である。しかも日本唯一の育成型オーケストラであり、楽団員は最長3年までの任期制で、その間に各自進路を決める必要がある。オーディションは毎年、世界各地で行われており、外国人のメンバーが多いのも特徴。愛称のPACオーケストラのPACは、「Performing Arts Center」の略である。結成以来、佐渡裕が芸術監督を務めている。毎年夏に、兵庫県立芸術文化センターKOBELCO大ホールで行われる佐渡裕芸術監督プロデュースオペラのピットに入るオーケストラである。


関西フィルハーモニー管弦楽団は、1970年に大阪フィルと決別した指揮者の宇宿允人(うすき・まさと)により弦楽アンサンブルのヴィエール室内合奏団として誕生。その後、管楽器を加えたヴィエール・フィルハーモニックを経て、1982年に関西フィルハーモニー管弦楽団に改称。事務所と練習場は大阪市港区弁天町にあったが、2021年にパナソニックの企業城下町として知られる大阪府門真市に本拠地を移転している。定期演奏会場はザ・シンフォニーホールで、京都府城陽市や東大阪市などでも定期的に演奏会を行っている。


日本センチュリー交響楽団は、大阪センチュリー交響楽団の名で大阪府所管の大阪文化振興財団のオーケストラとして1989年に創設。大阪の参加楽団の中で最も若い。大阪府をバックとするオーケストラで、最初から良い人材が集まり、人気も評判も上々だったが、維新府政が始まると状況は一変。補助金がカットされ、楽団は大阪府から離れて日本センチュリー交響楽団と改称して演奏を続けている。中編成のオーケストラであり、小回りが利くのが特徴。定期演奏会場はザ・シンフォニーホールだが、大阪府豊中市を本拠地としていることもあり、新しく出来た豊中市立文化芸術センターでも豊中名曲シリーズを行っている。


京都市交響楽団は、1956年創設の公立公営オーケストラ。以前は京都市直営だったが、今は外郭団体の運営に移行している。結成当初は編成も小さく、それでも演奏出来るモーツァルト作品の演奏に磨きをかけていたことから「モーツァルトの京響」と呼ばれた。音響の悪い京都会館第1ホールを定期演奏会場とするハンデを負っていたが、1995年に京都コンサートホールが開場し、そちらに定期演奏会場を移している。近年は京都会館を建て直したロームシアター京都での演奏も増えているほか、公営オーケストラということで、京都市内各地の市営文化会館での仕事もこなす。地方公演にも積極的で、大阪公演、名古屋公演も毎年行っている。
初期は常任指揮者を2、3年でコロコロと変えていたが、井上道義が第9代常任指揮者兼音楽監督として長期政権を担った頃から方針が変わり、第12代と第13代の常任指揮者を務めた広上淳一は人気、評価共に高く、計14年の長きに渡って君臨した。


正午開場で、12時40分頃から、指揮者全員出演によるプレトークがある。司会進行は朝日放送アナウンサーの堀江政生が務める。なお、指揮者のトークの時間は撮影可となっている。

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まず、大阪交響楽団(大響)の常任指揮者である山下一史から。山下は現在、大響常任指揮者の他に、千葉交響楽団と愛知室内オーケストラの音楽監督を兼任しており、東大阪で3楽団合同の演奏会も行っている。いずれも経営の厳しいオーケストラばかりだが、N響や都響、京響のような経済的に恵まれた楽団に関わるよりも危機を乗り越えることに生き甲斐を見出すタイプなのかも知れない。桐朋学園大学を経て、ベルリン芸術大学に進み、ニコライ・マルコ国際指揮者コンクールで優勝。ヘルベルト・フォン・カラヤンのアシスタントとなり、カラヤンが急病になった際には、急遽の代役としてジーンズ姿でベルリン・フィルの指揮台に立ったという伝説がある(誇張されてはいるらしい)。
大阪交響楽団はこれまで、ミュージックアドバイザーや名誉指揮者を務めていた外山雄三が4オケの共演で指揮を担ってきたが、その外山が昨年死去。作曲家でもあった外山は多くの作品を残しており、オール外山作品の演奏会を今月行うことを山下は宣伝していた。


尾高忠明。大阪フィルの第3代音楽監督のほかに、NHK交響楽団の正指揮者を務める。海外での経験も多く、イギリスのBBCウェールズ交響楽団の首席指揮者として多くのレコーディングを行ったほか、オーストラリアのメルボルン交響楽団の首席客演指揮者も務めている。東京フィルハーモニー交響楽団桂冠指揮者、読売日本交響楽団名誉客演指揮者、札幌交響楽団名誉音楽監督、紀尾井シンフォニエッタ東京(現・紀尾井ホール室内管弦楽団)桂冠名誉指揮者など名誉称号も多く、日本指揮者界の重鎮的存在である。

尾高は、オーケストラが6つに増えたことについて、「来年は8つになるんじゃないか」と述べる。関西には日本オーケストラ連盟準会員の楽団として、オペラハウスの座付きだがザ・カレッジ・オペラハウス管弦楽団(大阪府豊中市)、定期演奏会は少ないが奈良フィルハーモニー管弦楽団(奈良県大和郡山市)、歴史は浅いがアマービレフィルハーモニー管弦弦楽団(大阪府茨木市)、いずれも室内管弦楽団だが、テレマン室内オーケストラ(大阪市)、京都フィルハーモニー室内合奏団、神戸室内管弦団などがあり、反田恭平が組織したジャパン・ナショナル・オーケストラも大和郡山市を本拠地とするなど、プロ楽団は多い。
今日演奏するのはエルガーのエニグマ変奏曲だが、尾高はイギリスに行くまでエルガーが嫌いだったそうで、エニグマ変奏曲を勉強したことで好きに変わっていったそうだ。今では尾高といえばエルガー演奏の大家。変われば変わるものである。


今回の演奏会ではどのオーケストラも、楽団のシェフか重要なポストを得ている指揮者が指揮台に立つが、下野竜也は兵庫芸術センター管弦楽団のポストは得ていない。ということで、「本当は、(芸術監督の)佐渡裕がここにいなきゃいけないんですが」と下野は述べ、「どうしても予定が合わないということで、『毎年のように客演してるんだからお前が行け』ということで」指揮を引き受けたそうである。今年の3月で広島交響楽団の音楽総監督を勇退し、今はNHK交響楽団の正指揮者として活躍する下野。元々、NHKの顔である大河ドラマのオープニングテーマを毎年のように指揮して、N響との関係は良好だった。
NHK交響楽団の正指揮者は現在は、下野と尾高の二人だけであり、二人ともに同一コンサートの指揮台に立つことになる。
鹿児島生まれの下野竜也は、子どもの頃から音楽にいそしむ環境にあったわけではなく、音楽に接したのは中学校の吹奏楽部に入部した時から。大学も音大ではなく鹿児島大学教育学部音楽科に進み音楽の先生になるつもりだったが、指揮者になるという夢が捨てられず、卒業後に上京して桐朋学園の指揮者教室に通い、指揮者としてのキャリアをスタートさせている。朝比奈隆の下で、大阪フィルハーモニー交響楽団の指揮研究員をしていたこともあり、大阪でのキャリアも豊富である。
エストニアの現役の作曲家であるアルヴォ・ペルトが作曲した「カントゥス-ベンジャミン・ブリテンの思い出に」は、イギリスの天才作曲家であるブリテンの追悼曲として書かれたもので、続いてブリテン本人が作曲した曲が続く。合間なしに演奏することを下野は告げた。


昨年の夏の甲子園で優勝した慶應義塾高校出身の藤岡幸夫。慶應には中学から大学まで通っており、その間、シベリウス演奏の世界的権威であった渡邉暁雄に師事している。慶大卒業後にイギリスに渡り、英国立ノーザン音楽大学指揮科に入学して卒業。その後、15年ほどイギリスを活動の拠点としてきたが、今は日本に帰っている。関西フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者を25年に渡って務め、現在は東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団の首席客演指揮者でもある。BSテレ東で放送中の「エンター・ザ・ミュージック」の司会(ナビゲーター)としてもクラシックファンにはお馴染みで、同番組のオープニングで語られる言葉をタイトルにした『音楽はお好きですか?』という著書も続編と合わせて2冊上梓している。

シベリウスの交響曲第5番は、藤岡が最も好きな曲だそうで、第1楽章のラストの「喜びの狂気」や「16羽の白鳥が銀のリングに見えた」というシベリウス本人の体験を交えつつ、「生きる喜び」を描いたこの楽曲の魅力や性質について語った。


神奈川県葉山町出身の飯森範親。公立高校の普通科から私立音大に進学という指揮者としては珍しいタイプである。高校時代には葉山町出身の先輩である尾高忠明に師事。桐朋学園大学指揮科に進んでいる。公立高校普通科出身で桐朋学園の指揮科に入ったのは飯森が初めてではないかと言われている。東京交響楽団正指揮者、ドイツ・ヴュルテンベルク・フィルハーモニー管弦弦楽団の音楽監督を経て、現在は日本センチュリー交響楽団の首席指揮者のほかに、パシフィックフィルハーモニア東京の音楽監督、群馬交響楽団常任指揮者、山形交響楽団桂冠指揮者、いずみシンフォニエッタ大阪の音楽監督、東京佼成ウインドオーケストラの首席客演指揮者、中部フィルハーモニー交響楽団の首席客演指揮者など多くのポジションに着いて多忙である。山形交響楽団の常任指揮者時代にアイデアマンとしての才能を発揮。「田舎のオーケストラ」というイメージだった山形交響楽団を「食と温泉の国のオーケストラ」として売り出し、映画「おくりびと」に山形交響楽団のメンバーと共に出演したり、ラ・フランスジュースをプロデュースしたりとあらゆる戦術で山形交響楽団をアピール。定期演奏会の会場を音響は優れているがキャパの少ない山形テルサに変え、その代わり1演目2回公演にするなど演奏回数増加とアンサンブル向上に寄与し、今や山形交響楽団はブランドオーケストラである。山形交響楽団とは「モーツァルト交響曲全集」を作成するなどレコーディングにも積極的である。現在、日本センチュリー交響楽団とは、「ハイドン・マラソン」という演奏会を継続しており、ハイドンの交響曲全曲録音が間近である。
自称であるが、演奏会前に指揮者が行うプレトークを最初に実施したのは飯森だそうである。山形交響楽団の常任指揮者時代だそうだ。

飯森は、藤岡の楽曲解説が長いのではないかと指摘するが、飯森の解説も長く、藤岡は隣にいた下野に何か囁いていた。
ドビュッシーの「海」は、飯森の亡くなった母が好きだった曲だそうで、ジャン・マルティノン指揮フランス国立放送管弦楽団の演奏による「海」(EMI)を愛聴していたそうである。飯森は別荘地としても有名な葉山町出身であるため相模湾が身近な存在であり、葉山の海とドビュッシーの「海」には似たところがあるそうだ。現在、大阪中之島美術館ではモネの展覧会をやっているが、印象派のモネとドビュッシーには共通点があることなどを述べていた。


ラストは、沖澤のどか。京都市交響楽団の第14代常任指揮者で、京響初の女性常任指揮者である。青森県生まれ。東京藝術大学と同大学院で尾高忠明、高関健らに師事。パーヴォ・ヤルヴィや広上淳一、下野竜也のマスタークラスでも学んだ。2007年の第19回アフィニス夏の音楽祭では下野竜也の指導の下、指揮研究員として在籍する。芸大在学中には井上道義に誘われてオーケストラ・アンサンブル金沢の指揮研究員として籍を置いていたこともある。芸大大学院修士課程修了後に渡独してハンス・アイスラー音楽大学ベルリン・オーケストラ指揮専攻修士課程を修了。2019年にブザンソン国際指揮者コンクールで優勝し、東京国際音楽コンクール指揮部門でも1位獲得。ベルリン・フィルのカラヤン・アカデミーに学び、ベルリン・フィルの芸術監督であるキリル・ペトレンコの助手も務めた。現在もベルリン在住である。
今回の出演者の中では飛び抜けて若い(二番目に若い下野の弟子という関係である)が、京響の常任指揮者には兼任しないことを条件に選ばれている。その後、セイジ・オザワ 松本フェスティバルの首席客演指揮者に就任しているが、夏の短期の音楽祭なので支障はないのだろう。
沖澤は、他の指揮者が話しなれていることに驚くが、藤岡は音楽番組の司会を務めているし、飯森はプレトークの先駆者、下野も京都と広島でトークを入れた子ども向けの音楽会シリーズを行っており、尾高もトーク入りのコンサートをよく開いている。
京都市交響楽団も定期演奏会の前にはプレトークを行っているが、沖澤が出演したのは4回ほど。トーク力が必要なオーケストラ・ディスカバリーというシリーズにも1回しか出演していない。
沖澤は、「ラスト」ということでラストに来るのは「死」という発想から死で終わる「ロメオとジュリエット」を選んだという話をした。また客席には「京都に来て下さい」とアピールした。


山下一史指揮大阪交響楽団によるリヒャルト・シュトラウスの歌劇「ばらの騎士」組曲。
コンサートマスターは森下幸路。なお今日は、兵庫芸術文化センター管弦楽団と関西フィルハーモニー管弦楽団がチェロが客席側に来るアメリカ式の現代配置(ストコフスキー・シフト)での演奏。その他はドイツ式の現代配置での演奏である。

大阪交響楽団は、重厚さが売りの大阪フィルや、音の密度の濃さで勝負するセンチュリー響とは違い、大阪のオーケストラの中ではあっさりとした味わいのアンサンブルが特徴であり、庶民的な響きとも言えたが、今回の「ばらの騎士」組曲では音が煌びやか且つしなやかで、以前とは別のアンサンブルに変貌したような印象を受ける。ここ数年、オペラ以外で大響の演奏は聴いていなかったのだが、児玉宏時代に様々な隠れた名曲の演奏、外山雄三時代に将来有望な若手指揮者の登用という他のオーケストラとは異なる路線を歩んだのがプラスになっているのかも知れない。
譜面台を置かず、ノンタクトにより暗譜で指揮した山下のオーケストラ捌きも見事だった。

演奏終了後にも外山雄三作品の演奏会をアピールした山下。トップバッターを務めることについては、「その後の演奏をずっと聴いていられる」というメリットを挙げた。その後に抽選会があり、くじ引きが行われて当選者には今後行われるコンサートのチケットが当たった。
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尾高忠明指揮大阪フィルハーモニー交響楽団によるエルガーのエニグマ変奏曲。コンサートマスターは須山暢大。
大阪フィルは他のオーケストラと比べて低弦部の音が明らかに太く大きい。朝比奈以来の伝統が今に息づいていることが分かる。他のオーケストラは摩天楼型だが、大フィルだけはピラミッド型のバランスである。
音に奥行きと深みがあり、これは大阪交響楽団からは感じられなかったものである。イギリスで活躍した尾高ならではの紳士の音楽が空間に刻まれていく。優雅なだけではない渋みにも溢れた音楽だ。

終演後のトーク。6つのオーケストラの共演を、これまでの4つオーケストラの共演と比べて、「短い曲が選ばれるので仕事としては楽になった」と尾高は述べる。階級社会であるイギリスにおいて、エルガーが労働者階級出身(楽器商の息子)で、上流階級の女性と結婚しようとして相手の両親から猛反対されたという話もしていた。
大フィルに関しては上手くなったと褒め称えていた。
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下野竜也指揮兵庫芸術文化センター管弦楽団。コンサートマスターはゲストの田野倉雅秋。
サックスの客演奏者として、京都を拠点にソロで活躍している福田彩乃の名前が見える。
エストニアの作曲家であるアルヴォ・ペルトの「カントゥス-ベンジャミン・ブリテンの思い出に」。エストニア出身の名指揮者であるパーヴォ・ヤルヴィがよく取り上げることでも知られる。強烈なヒーリング効果を持つ曲調を特徴とするが、あるいはペルトの音楽はライブよりも録音で聴いた方が効果的かも知れない。
間を置かずにベンジャミン・ブリテンのシンフォニア・ダ・レクイエムが演奏される。200年以上に渡って「作曲家のいない国」などとドイツ語圏などから揶揄されてきたイギリスが久々に生んだ天才作曲家のベンジャミン・ブリテン。指揮者としても活躍し、自作のみならず他のクラシック作品の指揮も手掛けている。指揮者としてもかなり有能である。
シンフォニア・ダ・レクイエムは、大日本帝国政府から皇紀2600年(1940年)奉祝曲として各国の有名作曲家に依頼して書かれた曲の一つであるが、タイトルにレクイエムが入っていたため、「祝いの曲にレクイエムとは何事か」と政府から拒否され、演奏もされなかった。1956年になってようやくブリテン自身の指揮でNHK交響楽団により日本初演が行われている。
兵庫芸術文化センター管弦楽団は、任期3年までと在籍期間の短い奏者によって構成され、メンバーも次々に入れ替わるため、独自のカラーが生まれにくい。その分、指揮者の特性が出やすいともいえる。
若い奏者が多いからか、下野はいつもに比べてオーバーアクション。鋭い分析力を駆使して楽曲に切り込んでいく。各楽器の分離が良く、解像度が高くて音が細部まで腑分けされていく。オケを引っ張る力もなかなかだ。

演奏終了後のトークで、下野は、基本的にソリスト志望の人が多く集まっているため、最初はまとまりがなかったというような話をする。PACオーケストラは多くのオーケストラに人材を供給しており、京都市交響楽団でいえば首席トランペットのハラルド・ナエス、NHK交響楽団では首席オーボエの吉村結実が有名である。
「関西6オケ!」については下野は、「関西でしか出来ない企画」と述べる。東京にはプロコンサートオーケストラが主なものだけでも9つ。関東地方には埼玉県と栃木県を除く全県にプロのオーケストラ(非常設含む)があり、それぞれが忙しいということで一堂に会するのは無理である。
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藤岡幸夫指揮関西フィルハーモニー管弦楽団。コンサートマスターは客演の木村悦子。
日本とフィンランドのハーフで、シベリウスの世界的な権威として知られた渡邉暁雄の最後の愛弟子である藤岡幸夫。自身もシベリウスを得意としており、たびたびコンサートで取り上げ、関西フィルで1年に1曲7年掛けるというシベリウス交響曲チクルスを行い、ライブ録音が行われて「シベリウス交響曲全集」としてリリースされている。

喉に腫瘍が見つかり、手術を受けたシベリウス。腫瘍は陽性だったが、死を意識したシベリウスはその時の感情をそのまま曲にしたような交響曲第4番を発表。初演時には、「会場に曲を理解出来た人が一人もいなかった」と言われるほどだったが、自身の生誕50年を祝う演奏会のために書かれた交響曲第5番は一転して明るさに溢れた作品となった。初演は成功したが、シベリウス本人は出来に納得せず、大幅な改訂を実行。4楽章あった曲を3楽章にするなど構造をも変更する改作となった。そうして生まれた改訂版が現在、シベリウスの交響曲第5番として聴かれているものである。ちなみに初版はオスモ・ヴァンスカ指揮ラハティ交響楽団によって録音され、聴くことが出来る。

藤岡指揮の関西フィルは雰囲気作りが上手く、音に透明感があり、威力にも欠けていない。曲目によっては非力を感じさせることもある関西フィルだが、シベリウスの楽曲に関しては力強さはそれほど必要ではない。疾走感や神秘性なども適切に表現出来ていた。
藤岡は細部まで丁寧な音楽作り。奇をてらうことなくシベリウスの音楽を全身全霊で表現していた。
シベリウス作品は基本的に内省的であると同時にノーブルであるが、それがイギリスや日本で人気がある理由なのかも知れない。

東京生まれである藤岡(学者の家系である)は、東京は情報は多いが、文化度は大阪が上という話をされたと語る。日本初のクラシック音楽専用ホールは、大阪のザ・シンフォニーホール(1982年竣工)で、サントリーホール(1986年竣工)より先という話をする。その他の文化を見ても宝塚歌劇団があり、高校野球の聖地は甲子園で高校ラグビーは花園(東大阪市)と全て関西にあると例を挙げていた。
ちなみに日本初の本格的な音楽対応ホールも1958年竣工の旧フェスティバルホールで、東京文化会館がオープンするのはその2年後である。
なお、司会の堀江の息子である堀江恵太は関西フィルのアシスタント・コンサートマスターだそうで、今日は降り番で家で休んでいるという。
首席指揮者は、普通は1シーズンに20回ほど指揮台に立つが、藤岡の場合はその倍の40回は指揮しているそうで、共演回数は1000回を超えている可能性があるらしい。
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飯森範親指揮日本センチュリー交響楽団によるドビュッシーの3つ交響的素描「海」。コンサートマスターは松浦奈々。フォアシュピーラー(アシスタントコンサートマスター)に田中佑子。飯森は譜面台を置かず暗譜での指揮である。バトンテクニックはかなり高い。
現在では管弦楽曲として屈指の人気を誇る曲だが、ドビュッシーが恋愛絡みで事件を起こした時期に発表されたものであり、そのせいで初演が成功しなかったことでも知られている。
日本センチュリー響はくっきりとした輪郭の響きを生む。たまにある曖昧さを抱えたドビュッシーではなく全てがクリアだ。音にキレがあり、スケールも大きすぎず小さすぎず中庸を行く。カルロ・マリア・ジュリーニ指揮ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団による太洋を思わせるような名演奏があるが、それとは正反対の性格で、日本なら太平洋よりも日本海、イギリスなら北海といったような北の地方の海を連想させるような響きである。
音の密度の濃さは相変わらず感じられ、それが長所なのだが、「海」に関しては音の広がりがもう少し欲しくなる。

演奏終了後、飯森はホルンの新入りである鎌田渓志を呼ぶ。鎌田は鎌倉にある神奈川県立七里ヶ浜高校出身であるが、司会進行の堀江政生もまた七里ヶ浜高校出身で先輩後輩になるという話であった。
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沖澤のどか指揮京都市交響楽団によるプロコフィエフの「ロメオとジュリエット」組曲からセレクション(7曲)。第2組曲を中心とした選曲である。コンサートマスターは泉原隆志。尾﨑平は降り番で、フォアシュピーラー(アシスタント・コンサートマスター)には客演の岩谷弦が入る。
京都市交響楽団の音のパレットはどの楽団よりも豊かで、様々な表情に最適の音色を生み出すことが出来る。
「モンタギュー家とキャピュレット家」のブラスの威力と弦の厳格な表情、「少女ジュリエット」の楚々とした可憐さなどは同じ楽団が出している音とは思えないほど違う。
沖澤の指揮は女性らしく柔らかだが、出てくる音も威圧的ではなく、優しさや悲しみが自然に宿っている。「タイボルトの死」も迫力はあるが暴力的にはならない。「僧ローレンス」の慈しみに満ちた表情と音のグラデーションも理想的である。終曲である「ジュリエットの墓の前のロメオ」も鮮度と純度の高い音が空間を自然に満たしていく。感動の押し売り的なところは微塵もない。

プロコフィエフの「ロメオとジュリエット」はバレエ音楽の最高傑作だけに全曲盤、組曲盤、抜粋盤含めて名録音は多いが(ロリン・マゼール盤、ヴァレリー・ゲルギエフの2種類の録音、スタニスラフ・スクロヴァチェフスキ盤、チョン・ミョンフン盤など)、1つだけ、今日の演奏に似た音盤がある。シャルル・デュトワ指揮モントリオール交響楽団の抜粋盤(DECCA)で、美音を追求した演奏であり、ドラマ性重視の他の演奏に比べて異色だが、プロコフィエフの「ロメオとジュリエット」の一つの神髄を突いた名盤である。私がデュトワ指揮の「ロメオとジュリエット」のCDを買ったのは高校生の頃だが、初めて聴いた時のことを懐かしく思い出した。

演奏終了後のトークで、堀江から「青森生まれで東京で学んだとなると関西には余り縁がないんじゃないですか」と聞かれた沖澤は、「修学旅行で京都に来ただけ。お上りさん」と答え、関西では「歩いているとよく話しかけられる」と文化の違いを口にしていた。今日、会場に来るときも「美術館どこですか?」と聞かれ、一緒に行ってそれから戻ってきたそうである。
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抽選であるが、当選した席は私の席のすぐ後ろ。だが、誰もいない。後ろにいた人が「帰った!」と言い、堀江も「帰った?」と呆れたように繰り返す。結局、無効となり、堀江が「帰るなよ、帰るなよ」とつぶやく中、再度くじが引かれた。

最後はこの公演に関わったスタッフ全員がステージ最前列に呼ばれ、拍手を受けていた。

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2022年8月 8日 (月)

コンサートの記(796) 大阪交響楽団・千葉交響楽団・愛知室内オーケストラ合同演奏会「3つのオーケストラが奏でる山下一史の世界」

2022年7月28日 東大阪市文化創造館 Dream House 大ホールにて

午後7時から、東大阪市文化創造館 Dream House 大ホールで、大阪交響楽団・千葉交響楽団・愛知室内オーケストラ合同演奏会「3つのオーケストラが奏でる山下一史の世界」を聴く。オーケストラ・キャラバンの一つとして企画されたもの。山下一史が手兵としている3つのオーケストラの個々の演奏と合同演奏が行われる。

堅実な手腕が評価されている山下一史(かずふみ)。大阪音楽大学 ザ・カレッジ・オペラハウス管弦楽団の常任指揮者だったこともあり、関西でもお馴染みの存在である。広島生まれ。桐朋学園大学を卒業後、ベルリン芸術大学に留学。1985年から89年まで、ヘルベルト・フォン・カラヤンのアシスタントを務める。病気になったカラヤンの代役として、ジーンズ姿でベルリン・フィルのコンサートで第九を振ったことでも知られる。
国内では、オーケストラ・アンサンブル金沢のプリンシパル・ゲスト・コンダクター、九州交響楽団常任指揮者、前述の大阪音楽大学 ザ・カレッジ・オペラハウス管弦楽団の常任指揮者、仙台フィルハーモニー管弦楽団の正指揮者を務め、2016年から千葉交響楽団の音楽監督に就任。今年の4月から大阪交響楽団の常任指揮者と愛知室内オーケストラの音楽監督の座についている。

大阪交響楽団(略称は大響)は、大阪に4つあるプロのコンサートオーケストラの一つで、当初はドイツ語で交響楽団を意味する大阪シンフォニカーを名乗っていたが、シンフォニカーという言葉が根付いていない日本では営業面で苦戦。カーが付くだけに車関係の団体だと思われたこともあったという。その後、大阪シンフォニカー交響楽団という重複になる名前の時代を経て、大阪交響楽団という名称に落ち着いている。

千葉交響楽団(略称は千葉響)は、以前はニューフィルハーモニーオーケストラ千葉というアマチュアオーケストラのような名前で活動していたが、山下が音楽監督になって千葉交響楽団という重みのある名称に変わった。
1985年に、伴有雄が結成したニューフィルハーモニーオーケストラをプロ化。しかし直後に伴が他界するという悲劇に見舞われ、その後は日本のプロオーケストラの中でも最も恵まれない団体の一つとして低空飛行をせざるを得なかった。現在は正楽団員も20名を超えているが、私が初めてニューフィルハーモニーオーケストラ千葉を聴いた時には正式な楽団員は1桁で、後は全てエキストラという状態であった。
私は千葉市出身であるため、生まれて初めて聴いたプロオーケストラは当然ながらニューフィルハーモニーオーケストラ千葉である。千葉県東総文化会館でのコンサート。石丸寛の指揮で、モーツァルトの歌劇「フィガロの結婚」序曲、同じくピアノ協奏曲第23番(ピアノ独奏:深沢亮子)、ブラームスの交響曲第1番というプログラムで、アンコールとしてハンガリー舞曲第5番が演奏された。
高校3年の時には、高校の「芸術鑑賞会」として千葉市中央区亥鼻の千葉県文化会館で行われたニューフィルハーモニーオーケストラ千葉の演奏を聴いている。指揮は誰だか忘れてしまったが(ひょっとしたら山岡重信だったかも知れない)、ドヴォルザークの交響曲第9番「新世界より」第2楽章と第4楽章などを聴いた。アンコール演奏はマスカーニの歌劇「カヴァレリア・ルスティカーナ」間奏曲で良い演奏だったのを覚えている。普段はクラシック音楽を聴かない子達からの評判も上々であった。
しかし経済的基盤は弱く、定期演奏は年5回だけ。そのうち2回が千葉市の千葉県文化会館での演奏で、他は、習志野市、船橋市、市川市で行われた。という状況で本拠地が安定しておらず、結果としてファンも付かず学校を巡る演奏会を繰り返すことになった。千葉市は政令指定都市であり、千葉県も東京に隣接する重要な地位を占める県だが、文化面はかなり弱く、あるとしたら長嶋茂雄の出身地故の野球や強豪校の多いサッカーなどのスポーツ分野で、千葉ロッテマリーンズにジェフユナイテッド千葉に柏レイソルと充実している。ただ音楽面は恵まれているとはいえない。

愛知室内オーケストラ(略称はACO)は、愛知県立芸術大学音楽学部出身者を中心に2002年に結成された室内管弦楽団で、今年が創立20周年に当たる。私は新田ユリが指揮した演奏会を名古屋の電気文化会館ザ・コンサートホールで聴いたことがある。

ということで、いずれも実演に接したことのあるオーケストラの競演を耳にすることになる。


曲目は、グリンカの歌劇「ルスランとリュドミラ」序曲(大阪交響楽団の演奏)、ワーグナーの「ジークフリート牧歌」(千葉交響楽団の演奏)、ニーノ・ロータのトロンボーン協奏曲(トロンボーン独奏:マッシモ・ラ・ローサ。愛知室内オーケストラの演奏)、ストラヴィンスキーのバレエ音楽「春の祭典」(3楽団合同演奏)。


東大阪市文化創造館に入るのは初めて。そもそも東大阪市に降り立つこと自体が初めてかも知れない。これまで私にとって東大阪市は通過する街でしかなかった。
花園ラグビー場があることで知られる東大阪市。東大阪市文化創造館の中にもラグビー少年をイメージしたゆるキャラ(トライくん)が展示されている。
近鉄八戸ノ里(やえのさと)という駅で降りたのだが、周辺案内図を見て大学が多いことに気づく。行きの近鉄電車から見えた大阪樟蔭女子大学(田辺聖子の母校として知られ、彼女の記念館がある)、そして東大阪市文化創造館の近くには野球部やサッカー部が強いことで知られる大阪商業大学とその付属校などがある。少し歩いた小若江には、今や受験生から最も人気のある大学の一つになった近畿大学の本部キャンパスがある。
八戸ノ里は、司馬遼太郎記念館の最寄り駅でもあるようだが、残念ながら閉館時間はとうに過ぎていた。

Dream House 大ホールであるが、客席の形状は馬蹄形をしており、よこすか芸術劇場に似ている。ステージ上は天井が高く、兵庫県立芸術文化センターKOBELCO大ホールが一番近い。ステージの天井が高いため、モヤモヤとした響きなのが最初は気になった。


大阪交響楽団によるグリンカの歌劇「ルスランとリュドミラ」序曲。コンサートマスターは森下幸路。
大阪交響楽団は、大阪に4つあるプロのコンサートオーケストラの中でも若い方であるため、他の伝統ある楽団の影に隠れがちだが、そこはやはり大都会のオーケストラ。音は洗練され、華やかで艶がある。大阪のプロオーケストラはどこも全国的に見てレベルは高く、大阪市民と府民はもっと誇っていい事柄である。
今日は前から4列目という前の方の席だったので、残響や音の通りを含めたホールの響きは残念ながら把握出来なかったが、天井が高いため直接音がなかなか降りてこないことが気になる。


千葉交響楽団によるワーグナーの「ジークフリート牧歌」。コンサートマスターは神谷未穂。高さ調整の出来る椅子の座席を一番高いところまで跳ね上げて弾くのが好きなようである。
出身地のオーケストラであるが、大学に入ってからはNHK交響楽団の学生定期会員になり、その後に京都に移住ということで(聴くのが義務になるのが苦痛だったため、こちらに来てからは定期会員などにはなっていない)、聴くのは久しぶり。千葉交響楽団になってから聴くのも初めてである。
大阪交響楽団の華やかさとは違った渋くて優しい音色が特徴。昔はこうした個性のオーケストラではなかったはずだが、山下の下、個性に磨きを掛けているのかも知れない。ワーグナーのマジカルな音響も巧みに捌いていた。


愛知室内オーケストラによるニーノ・ロータのトロンボーン協奏曲。トロンボーン独奏のマッシモ・ラ・ローサは、シチリアのパレルモ音楽院でフィリッポ・ボナンノに師事。1996年から2007年までフェニーチェ歌劇場で第1トロンボーン奏者、2007年から2018年まではクリーヴランド管弦楽団の首席トロンボーン奏者を務めている。

映画音楽の大家として知られるニーノ・ロータのトロンボーン協奏曲であるが、出だしがショスタコーヴィチのチェロ協奏曲第1番に似ている。その後もショスタコーヴィチを思わせる鋭い響きは続くため、意図してショスタコーヴィチに似せているのかも知れない。愛知室内オーケストラは北欧ものを得意とする新田ユリに鍛えられたからか、透明度の高い合奏を披露。ここまでの3曲、全て山下一史一人の指揮による演奏であるが、まさに三者三様であり、曲が異なるという条件を差し引いても楽団の個性がはっきり現れていた。

マッシモ・ラ・ローサのアンコール演奏の前に、ラ・ローサが山下に耳打ち。山下は客席に向かって、「彼はシシリーのオーケストラにいたそうです」と語る。
演奏されたのは、マスカーニの歌劇「カヴァレリア・ルスティカーナ」間奏曲のトロンボーン独奏版。シチリアを舞台としたオペラの間奏曲である。伸びやかで美しい演奏であった。


大響、千葉響、ACOの合同演奏によるストラヴィンスキーのバレエ音楽「春の祭典」。コンサートマスターは大阪交響楽団の森下幸路。フォアシュピーラーに千葉交響楽団の神谷未穂が入る。

前の方の席だったため、「春の祭典」を聴くには適した環境ではなかったが、3つのオーケストラのメンバーと山下一史の音楽性の高さを実感出来る演奏となった。

合同演奏というと聞こえはいいが、寄せ集めの演奏となるため、それぞれの団体の良さが相殺されてしまいやすくなるのは致し方のないことである。一方で、山下の実力を量るには良い機会となる。
3つのオーケストラの長所がブレンドされると良いのだが、なかなかそう上手くはいかない。ただ機能美に関しては十分に合格点。力強くも細部まで神経の行き渡った好演となる。山下の美質である全体を通しての設計力の高さ、棒の上手さ、盛り上げ上手な演出力などが3オーケストラ合同の演奏でも発揮される。これらの点に関してはむしろ、既成の団体を振ったときよりも明瞭に捉えやすかったかも知れない。
迫力も満点であり、3つのオーケストラのメンバーの山下の棒に対する反応も俊敏である。
良い意味で燃焼力の高い演奏であり、演奏終了後、聴衆も万雷の拍手で山下と3楽団のメンバーの熱演を称えた。

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