WOWOW 野田秀樹版「パンドラの鐘」&蜷川幸雄版「パンドラの鐘」に関する感想とメモ
11月14日(月)
WOWOWで放送されたものを録画した野田秀樹演出版「パンドラの鐘」を観る。1999年、世田谷パブリックシアターでの収録。野田秀樹の作、野田秀樹自身の演出版と蜷川幸雄演出版でほぼ同時に上演された話題作である。以前にNHKBS2(NHKBSプレミアムの前身)で放送された映像をWOWOWが借りて放送したのだと思われる。
原爆投下と天皇の戦争責任を古代の架空の王朝に重ねて描いた作品であり、冒頭に忌野清志郎のロック版「君が代」が流れたり、二・二六事件がはっきりそれと分かるように描かれていたり(はっきり描かなくても分かるところを敢えて更にはっきり分かるようにしている)と、リアルな要素も含まれるが、全般的には日比野克彦の衣装の影響もあっておとぎ話のようにも見える。そしてこれは確かに大人のおとぎ話である。
出演:堤真一、天海祐希、富田靖子、古田新太、松尾スズキ、銀粉蝶、入江雅人、八嶋智人、野田秀樹ほか。
パンドラの鐘は、見るからに長崎に投下された原子爆弾であるファットマンの形をしている。ちなみに蜷川幸雄演出版のパンドラの鐘は広島に投下されたリトルボーイ(「鐘」について語る場面で登場する「金に童」の「童」である)の形をしており、ほぼ同時に上演されたのはこの2発の原爆になぞらえたのかも知れない。もっとも、「2つ同時にやるのだから片方はファットマンにして片方はリトルボーイにしよう」と決まっただけかも知れないが。
「蝶々夫人」に出てくるピンカートンのひ孫であるタマキ(富田靖子。「タマキ」という名は三浦環に由来すると思われる)のキャラクターは、野田演出版と蜷川演出版でかなり違い、他のキャラクターも当然ながら性格は微妙に異なる。
また野田秀樹演じるヒイバアと天海祐希演じるヒメ女の関係を見ていると、これがどうやらジュリエットと乳母の関係を模したものであるらしいことにも気がつく(蜷川版ではそういう風には見えない)。
23年前の作品であり、今でも学生演劇などで上演されることも多いが、野田演出版は今から振り返ると残念ながら時代を超えられていないように思われる。最初に映像で観たときは大いに感心したものだが、今では粗に目が行ってしまう。私も年を取ったということなのかも知れない。ただ当時も「パンドラの鐘」に感銘を受けると同時に不満も抱き、「こういう形ではない原爆を題材にした劇を書きたい」と思ったのも事実で、それが「落城」という私の戯曲での処女作に結びついている。
11月15日(火)
WOWOWで録画した「パンドラの鐘」蜷川幸雄演出版を観る。1999年の年末に、野田秀樹の自作自演版とほぼ同時期に東京・渋谷のBunkamuraシアターコクーンで上演されたものである。出演:大竹しのぶ、勝村政信、生瀬勝久、壌晴彦、宮本裕子、高橋洋、井手らっきょ、森村泰昌、沢竜二ほか。
蜷川幸雄はシアターコクーンの舞台に土砂を敷き詰め、「軽み」を重視した野田秀樹の演出とは対照的に重厚的な作品に仕上げている。長崎の発掘現場はアングラ的に見え、一方で古代の王国の場面はシェイクスピアの「リア王」の荒野にいるような効果を上げている。
昨日も書いたが、見るからに長崎に落とされた原爆・ファットマンを意識した野田版「パンドラの鐘」に対し、蜷川幸雄は広島に投下された原爆・リトルボーイに模したフォルムを鐘に採用している。
野田秀樹は階段状の舞台を使い、「上下」の関係を可視化。そのため二・二六事件をほのめかした場面は蜷川版よりも分かりやすかったりする。
蜷川の演出は野田のそれよりもはるかにリアルで、オズ(高橋洋)とタマキ(宮本裕子)の関係なども等身大に描かれている。
実は「パンドラの鐘」底流にはシェイクスピアの「ハムレット」が下敷きとして使われており、いくつかの場面ははっきりそれと分かるように蜷川も演出している。ただ私が演出するなら(演出することも演出する気もないが)もっと分かりやすく示すはずである。ミズヲが「葬儀屋」「葬儀王」と名乗ったり言われたりしていながら、やっていることは葬儀というよりも墓掘り人であり、ここ一つとっても墓掘り人による名場面がある「ハムレット」に繋がっている。私ならもっとシェイクスピアに近づける。
最も重要なセリフの一つと思われる、タマキの「待つなんて馬鹿、まして死ぬなんてもっと馬鹿よ」(蝶々夫人に対してのセリフであるが、広義的には当時に日本人に向けられていると思われる)のニュアンスが野田秀樹と蜷川幸雄とでは大きく異なるのも特徴。野田秀樹版の富田靖子は頑是ない子どもに言い聞かせるように語り、宮本裕子は吐き捨てるようにとまでは行かないが捨て台詞として見下すように口にしている。
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