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2022年11月21日 (月)

WOWOW 野田秀樹版「パンドラの鐘」&蜷川幸雄版「パンドラの鐘」に関する感想とメモ

11月14日(月)

WOWOWで放送されたものを録画した野田秀樹演出版「パンドラの鐘」を観る。1999年、世田谷パブリックシアターでの収録。野田秀樹の作、野田秀樹自身の演出版と蜷川幸雄演出版でほぼ同時に上演された話題作である。以前にNHKBS2(NHKBSプレミアムの前身)で放送された映像をWOWOWが借りて放送したのだと思われる。

原爆投下と天皇の戦争責任を古代の架空の王朝に重ねて描いた作品であり、冒頭に忌野清志郎のロック版「君が代」が流れたり、二・二六事件がはっきりそれと分かるように描かれていたり(はっきり描かなくても分かるところを敢えて更にはっきり分かるようにしている)と、リアルな要素も含まれるが、全般的には日比野克彦の衣装の影響もあっておとぎ話のようにも見える。そしてこれは確かに大人のおとぎ話である。

出演:堤真一、天海祐希、富田靖子、古田新太、松尾スズキ、銀粉蝶、入江雅人、八嶋智人、野田秀樹ほか。

パンドラの鐘は、見るからに長崎に投下された原子爆弾であるファットマンの形をしている。ちなみに蜷川幸雄演出版のパンドラの鐘は広島に投下されたリトルボーイ(「鐘」について語る場面で登場する「金に童」の「童」である)の形をしており、ほぼ同時に上演されたのはこの2発の原爆になぞらえたのかも知れない。もっとも、「2つ同時にやるのだから片方はファットマンにして片方はリトルボーイにしよう」と決まっただけかも知れないが。

「蝶々夫人」に出てくるピンカートンのひ孫であるタマキ(富田靖子。「タマキ」という名は三浦環に由来すると思われる)のキャラクターは、野田演出版と蜷川演出版でかなり違い、他のキャラクターも当然ながら性格は微妙に異なる。
また野田秀樹演じるヒイバアと天海祐希演じるヒメ女の関係を見ていると、これがどうやらジュリエットと乳母の関係を模したものであるらしいことにも気がつく(蜷川版ではそういう風には見えない)。

23年前の作品であり、今でも学生演劇などで上演されることも多いが、野田演出版は今から振り返ると残念ながら時代を超えられていないように思われる。最初に映像で観たときは大いに感心したものだが、今では粗に目が行ってしまう。私も年を取ったということなのかも知れない。ただ当時も「パンドラの鐘」に感銘を受けると同時に不満も抱き、「こういう形ではない原爆を題材にした劇を書きたい」と思ったのも事実で、それが「落城」という私の戯曲での処女作に結びついている。

 

 

11月15日(火)

WOWOWで録画した「パンドラの鐘」蜷川幸雄演出版を観る。1999年の年末に、野田秀樹の自作自演版とほぼ同時期に東京・渋谷のBunkamuraシアターコクーンで上演されたものである。出演:大竹しのぶ、勝村政信、生瀬勝久、壌晴彦、宮本裕子、高橋洋、井手らっきょ、森村泰昌、沢竜二ほか。

蜷川幸雄はシアターコクーンの舞台に土砂を敷き詰め、「軽み」を重視した野田秀樹の演出とは対照的に重厚的な作品に仕上げている。長崎の発掘現場はアングラ的に見え、一方で古代の王国の場面はシェイクスピアの「リア王」の荒野にいるような効果を上げている。

昨日も書いたが、見るからに長崎に落とされた原爆・ファットマンを意識した野田版「パンドラの鐘」に対し、蜷川幸雄は広島に投下された原爆・リトルボーイに模したフォルムを鐘に採用している。

野田秀樹は階段状の舞台を使い、「上下」の関係を可視化。そのため二・二六事件をほのめかした場面は蜷川版よりも分かりやすかったりする。

蜷川の演出は野田のそれよりもはるかにリアルで、オズ(高橋洋)とタマキ(宮本裕子)の関係なども等身大に描かれている。

実は「パンドラの鐘」底流にはシェイクスピアの「ハムレット」が下敷きとして使われており、いくつかの場面ははっきりそれと分かるように蜷川も演出している。ただ私が演出するなら(演出することも演出する気もないが)もっと分かりやすく示すはずである。ミズヲが「葬儀屋」「葬儀王」と名乗ったり言われたりしていながら、やっていることは葬儀というよりも墓掘り人であり、ここ一つとっても墓掘り人による名場面がある「ハムレット」に繋がっている。私ならもっとシェイクスピアに近づける。

最も重要なセリフの一つと思われる、タマキの「待つなんて馬鹿、まして死ぬなんてもっと馬鹿よ」(蝶々夫人に対してのセリフであるが、広義的には当時に日本人に向けられていると思われる)のニュアンスが野田秀樹と蜷川幸雄とでは大きく異なるのも特徴。野田秀樹版の富田靖子は頑是ない子どもに言い聞かせるように語り、宮本裕子は吐き捨てるようにとまでは行かないが捨て台詞として見下すように口にしている。

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2021年7月14日 (水)

京都版ラ・デファンスのための覚え書き

 卒業後の就職先が少ないため、大学時代だけを過ごす「通過する街」とも呼ばれる京都。だが今後の事を考えれば、京都市内南部にパリのラ・デファンスに相当する経済特区を設ける必要があるのは明らかである。京都駅よりも北にそうしたものを作るのは景観上も問題があって不可能だが、南側なら可能である。景観上も過去と現在と未来が調和したものになるはずで、問題がないどころか望ましいものとなる。北陸新幹線の駅もそこに作ればなお良い。特に金沢との連携は重要である。双子都市である大津市を始めとする湖南地域も今はむしろ大阪との経済的結びつきが強くなっているが、京都駅の南側に京都版ラ・デファンスを設けられたなら、京滋の絆は強まるだろう。京都に拠点を置きたい企業はいくらでもあるので心配はない。大学の街、京都の特性を生かすなら、就職するのではなく京都で起業したいと考える学生の後押しも行いたい。税制などの優遇策を設ければ不可能ではないはずだ。

 近くに大阪という一大経済都市があるが、京都は名門大学や個性のある大学をいくつも抱えているということで、情報産業に重きを置きたい。製造業で大阪に勝つのは難しいため、棲み分け戦略が必要となる。

 京都版ラ・デファンスを置くべき場所は、らくなん進都および洛南新都心である。少しややこしい問題もあったりするが、開発は可能なはずである。京都市の財政再建策であるということを考えると、パリの隣町にあるラ・デファンスとは異なり、京都市内に置く必要がある。
 洛南新都心計画は交通の問題によって頓挫したままになっているが、従来計画されて全く進まなかった京都市営地下鉄烏丸線の延伸ではなく、新たに開発されたLRTなども含めた複数の交通手段を用いる。らくなん進都に北陸新幹線の駅を置くことで、交通は更に便利になる。らくなん進都と更に先の洛南新都心に向かう乗客数が増えれば、京都市営地下鉄の赤字問題も軽減され、将来的には解消される可能性もあるだろう。
 地域政党・京都党は、崇仁地区に京都市立芸術大学を移転させるのではなく商業地域にするプランを打ち出しているが、崇仁地区は景観上、経済特区のようなものを作るのは無理で、もっと南である必要がある。

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2020年6月15日 (月)

チャット型インプロ演劇の発案

 演劇を上演する上でネックとなっているのが、舞台上でセリフを話すと飛沫感染の怖れがあるということである。ソーシャル・ディスタンスを保っての演劇も試みとして始まっているが、2メートル以上離れたまま会話をするという状況を設定することは難しい。離れたまま会話を交わすということは日常的な場面ではほとんどないため、嘘くさくなってしまうのである。電話での会話ならあり得る。ジャン・コクトーの「声(人間の声)」の二人バージョンである。電話なら二人芝居以上は難しいが、スカイプやZoomを使っているという設定にすれば複数人での会話が可能になる。ただその場合はわざわざ舞台でやらなくてもZoom劇でいいだろうということに落ち着きそうであるが。

 セリフを発することが問題ならば無言劇もいいし、ギリシャ悲劇のようにパフォーマーと話者を切り離すのもいいかも知れないが、これまで散々演じられてきたスタイルであり、新しさはない。せっかくなのだから新しい表現方法を取り入れてみたいものである。ならば、巨大スクリーンに各々のパソコンから打ち込んだ文字を投影出来るようにして、チャット形式で進める劇はどうだろう。舞台上に複数のパソコンを用意して、役者がセリフを打ち込んでいくのである。折角なので台本はなくして配役のみの完全インプロ(インプロヴィゼーション=即興)で続けていく。難しいかも知れないが、役者の腕の見せどころともなる。
 人数制限は必要だが、客を入れれば反応もあるし、劇の展開も随時変わっていく。良いセリフが書ければ拍手も貰えるだろう。上手くいけばかなり面白いものになるはずである。

 これは劇ではないのだが、以前、某SNSで私と「トリック」(仲間由紀恵&阿部寛主演)ファンのネット上の知り合いの二人で、「トリック」を題材にした二次創作的セリフ劇を延々と続けたことがある。残念ながら公表は出来ないが、かなり笑える面白い仕上がりになっていた。文字の力、文章の力を劇場において発揮するというのも良い試みであると思う。

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2020年6月12日 (金)

反東京一極集中のための特化型劇場試論

 日本の劇場の歴史は寺院の本堂の前の仮設舞台に始まる。往時、それも千年以上レベルで昔の話だが、本堂の前には往々にして芝が敷き詰められており、人々は芝の上の腰掛けて演目を楽しんだ。これが「芝居」という言葉の始まりである。芝居はそれ専用の劇場で行われているわけではなかった。

 やがて座が生まれ、日本の古典芸能は能楽堂(現在と違って野外)や歌舞伎の劇場(これも天上がない)へと繋がっていくのだが、想定された形態(橋がかりや花道を用いる)以外の演目を行うことは難しくなる。演目と劇場は不即不離の関係であった。

 翻って日本のクラシック音楽は多目的ホールで演奏を行うのが一般的であった。東京音楽学校(現在の東京芸術大学音楽学部)の奏楽堂など音楽のための会場もあるにはあったが、東京でも講演用に建てられた日比谷公会堂に始まり、地方では公会堂や文化会館という多目的の空間での上演が当たり前だった。多目的であるため、音楽のみならず演劇、映画上映会、講演会など多種多様の催しに対応出来るのだが、「多目的は無目的」という言葉がある通り、全ての演目において「万全という形」での上演は難しいということになる。いずれも「帯に短したすきに長し」というわけである。

 音楽特化型のホールが誕生したのは、大阪は1958年のフェスティバルホールオープン、東京は1960年の東京文化会館の竣工を待たねばならない。クラシック音楽専用となると更に遅く、大阪が1982年のザ・シンフォニーホール、東京が1986年のサントリーホール開場が嚆矢となっている。せいぜい150年ほどしかない日本における西洋音楽演奏史から見てもつい最近のことである。いずれも大阪が東京に先んじているというのが興味深い。

 その後に室内楽、器楽用の小ホールが併設されるようになり、今では室内楽・器楽曲専用のホールが単独で存在する(名古屋の宗次ホール、大阪のザ・フェイニックスホールなど)。

 オペラも多目的大ホールでの上演が主であったが、豊中市にある大阪音楽大学に小さいながらも日本初のオペラハウスがあり(1989年竣工の大阪音楽大学ザ・カレッジ・オペラハウス。優れたオペラハウスだが、大学の施設ということもあって、オペラ上演は年2、3回程度と稼働率は高くない)、東京・初台の新国立劇場にもオペラパレスが誕生し、1年を通して上演が行われる日本唯一の常設オペラハウスとして機能している。

 演劇の場合も多目的ホールでの上演の他に、大劇場、中劇場、小劇場、更に小さいアトリエといった区分しかなかったが、東京の浅草九劇がオンライン配信劇場として生まれ変わっている。ということで、能・歌舞伎の時代に立ち返り、特化型の劇場がもっと出来ても良いのではないかと考えるわけである。ミュージカル専用劇場は存在する。宝塚歌劇や劇団四季による自前の劇場である。ただこれからは、音楽劇限定、映像収録前提、出演者3人までの少人数制の芝居しかやらない、若手のみあるいはシニアオンリーといったように特化された強さを持つ劇場が日本各地に存在して良いのではないかと考えるのである。専用は難しいため特化型とする。

 問題はソフト面と採算が取れるかということであるが、特化した方が固定ファンが付きやすいということはあるように思われる。「ここに行けば面白いものが観られる」というのであれば、人はよく分からなくても通うようになる。本当の演劇好きなら遠くても「行ってみようか」という気になる。

 重要なのは、特化型劇場は日本にいくつも存在しなくていいということである。特化型なので、演劇のおける特定のジャンルの最高峰を日本に一つだけ、それが無理なら各地方に一カ所だけ設けるのである。
 高校の硬式野球部においては甲子園が目標になるように、○○の甲子園、例えば高校の軟式野球部なら明石トーカロ球場、サッカーなら以前は国立競技場、吹奏楽ならかつては普門館今なら名古屋国際会議場センチュリーホールといったように各分野の頂点がある。そのような演劇における甲子園を創設するのである。東京の小劇場にとっては以前は紀伊國屋ホールが上がりだったが、その上がりをジャンルごとに新たに制定する。そしてそれは東京になくてもいい。否、東京でない場所にメッカを作ることで、東京一極集中が当然となっている演劇界へのカウンターとなる可能性を秘めているように思われるのである。ワーグナーの楽劇におけるバイロイトのように。

 これはあくまで案だが、例えば札幌に一人芝居の甲子園というべき劇場を設ける。会場自体も一人芝居が観やすいように設計する。アマチュアの一人芝居なら集客は期待出来ないが、有名芸能人の公演なら客が呼べる。しばらくは東京の俳優の力を借りるようになるだろうが、憧れの劇場と見做されるようになれば地元からスターが誕生することも期待出来る。同様に二人芝居なら、例えば金沢にメッカを作る。今は金沢も東京からも大阪からもアクセスは良好であり、日本全国から腕に覚えのあるものが集結する「二人芝居の頂点」を金沢とすることも可能だろう。まず始めにコンクールを開くのも良い。あくまで特化型で、専用ではないので、その他のジャンルを挟みつつ上演することになるだろうが。
 今はシニア劇団が日本各地にあるようだが、その年のナンバーワンを決める大会を例えば別府で行うとする。別府は観光地で老若男女が集う土地であり、シニア世代の集客も期待出来そうである。
 国際都市ということで、神戸で外国語演劇の上演を行うのも良い。来日団体に限らず、日本の団体も外国語による上演を行う。神戸市外国語大学が毎年学生による外国語演劇祭を行っているが、それを発展させた形でも良い。積極的に行うことが出来たなら、その場所は世界各国の、世界各国語の劇が上演される「国際演劇の街」として世界的な評価を得るという青写真を描くこともあるいは可能かも知れない。

 早稲田小劇場が富山県の利賀村に移ったり、青年団が本拠地を兵庫県豊岡市に移転したりと、劇団の本拠地移転は以前からあり、新本拠地での演劇祭も好評を博しているが、一劇団だけでなく、日本演劇界全体レベルで拠点を確立したならば、一劇団、一都市、そして演劇というジャンルのみならず、日本の全文化への貢献を果たせるように思うのだ。

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2020年6月 1日 (月)

遠隔強制時代の一人芝居上演案

以下のような案です
 
 ミニシアターで行われているように、俳優や劇団が好きな劇場と契約して、zoomなりYouTubeライブなりを使った公演を行う。行う場所は劇場でなくてもよい、というより今はまだ劇場を本格的に稼働させることは不可能だろうから、ある程度の広さがあれば自宅でも良い。劇場とは契約を結ぶだけである。一人芝居の場合は狭い場所でも行える作品ある。

 zoomなら前払い制度、YouTubeなら投げ銭制度がある。ミニシアターは「仮設の映画館」として視聴者が好きな映画館を選んで料金を制作者側と分けたが、演劇の場合は先に書いたと通り演じ手が支援したい、協力したい劇場を選んだ方が良いだろう。ソーシャル・ディスタンスを保って演技を行うのは難しい。別画面での演技を行うのも良いが、それが演劇的といえるかどうかだが、一人芝居なら純粋に演劇的といえる表現は可能である。

 一人芝居は難しく、それでいて複数の出演者が出る芝居より面白くなる可能性は低く、孤独な作業で、一人の魅力が全て、そしも責任は一人で負うためやりたがらない人も多いが、私は個人的には一人芝居を観るのは好きだ。

 加藤健一の「審判」、新妻聖子の「青空!!」、柄本明の「風のセールスマン」、風間杜夫の「カラオケマン」など一連の牛山明シリーズ、佐々木蔵之介の「マクベス」一人芝居版(厳密にはセリフのない俳優が他に二人出演)、白井晃の「アンデルセン・プロジェクト」、実質的に一人芝居といえる中谷美紀の「猟銃」(セリフのない出演者がいる)、戸田恵子の「なにわバタフライ」、井上芳雄の「夜と霧」や「沖田総司」(半朗読半一人芝居)、市村正親の「海の上のピアニスト」(市村正親はピアノを弾けないので、稲本響がピアノを担当)、鈴木京香の「声」(ピアノ伴奏版でプーランク作曲のオペラ上演も出来るかも知れない)など、思いつくだけでもこれだけ魅力的な芝居がある。

 遠隔には向かない一人芝居もありますが、どうです、チャレンジしてみませんか? 実は東京都内だけで、俳優を職業にする人は30万人ほどいるといわれています。そのうち、いつもテレビに出ているような人は100人ぐらいと厳しい世界なのですが、一人芝居なら、良い本を見つけて最高の演技を見せればチャンスを掴める可能性は他のことをするよりも高まります。配信が出来る技術と自己プロデュースが鍵となりますのでコネは余り要りません。他人にキャリアを邪魔されたりもしません。

 私は自分で書いた作品以外では、志賀直哉の短編小説「クローディアスの日記」を基にしたものなどをやってみたいですね。志賀直哉は著作権が切れていませんし、演技の才能はないので、実際にはやりませんけれど。

 若手女優さんがYouTubeでお菓子作りにチャレンジの映像を上げていたりして、それもファンサービスとしていいのでしょうが、演技が見たいんです。せっかく才能に恵まれているのですから。佐々木蔵之介の「マクベス」のように翻案を行って、一人で全員の役を演じてしまうのもいい。私なら有料でも観ますよ。

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2020年5月29日 (金)

見知らぬ友へ

言葉を大切にして欲しい。きちんと生きて来なかった人が、伝わりやすく整然とした文章を書くことはまずない。そして出来れば音楽も大切にして欲しい。言葉にならないものを受け取ることが可能となるように。大切にするとは相手を思いやることに他ならない。

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2020年4月14日 (火)

一定額以上の募金者のための日時不確定オーケストラプレミアム公演複数回券構想

 オーケストラが未来に行う定期演奏会のチケットを指揮者も曲も決まらない状態で売るという未来チケット話を以前書いたわけですが、今度は定期演奏会でないコンサート、特別コンサートと書いて良いと思われますが、そのチケットを提供するという案を書きます。名付けて「一定額以上の募金者のための日時不確定プレミアム公演複数回券構想」。今は、オーケストラの事務局も時間短縮営業をしていたり閉鎖されたりで、この案自体が今はその時ではない状況となっているのですが。

 対象となるのは、一定額の以上の募金をされた方や組織の社員などです。個人だけだとコンサートホールの大きさによっては客席を埋めることが難しくなることも考えられますので、企業などに所属する方も含めます。その方々を招待するコンサートです。

 年に4回。1つの季節につき1回が理想的だと思いますが、紙のチケットではなくプラスチックのカードにするか、あるいはスマホのアプリとして入る電子チケットなどが良いと思われますが、4回通し券のチケットを配布します。1年、もしくはもっと未来の公演です。指揮者はそのオーケストラのシェフが良いと思われますがこれも未来のことですので決めなくても良いでしょう。日時や演目も後で決めます。当然ながら「その日は行けない」という方が多数出てくると思われますが、4回分のチケットで定額制なので、そもそも毎回来られることを想定していないコンサートです。4回全てに訪れても1回だけであっても一定額以上の募金をした方対象なので、チケット自体が無駄になるということはありません。当然ながら4回全てに参加する方がお得だとは思いますが。仮に1回も来ることが出来なかったとしても、それは募金という本来は無償の好意へのお礼ですので、その時はご勘弁いただくという姿勢で良いでしょう。

 募金額について1万円以上というのが適当だと個人的には思うのですが、応募者殺到の場合は抽選制にするか、あるいは現時点での個々の募金額を見て決定しても良いと思われます。

 いずれにせよ今の危機を乗り越えて未来で恩を返すというシステムです。先取りであります。その日が来るまで、確実にオーケストラが存在している可能性を高めるための一種の回向です。

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2020年4月 6日 (月)

オーケストラ定期演奏会 未来チケットの可能性を考える

 オーケストラには定期会員制度というものがあります。1年を通して同じ席で定期演奏会を聴けるという制度で、1回の定期演奏会におけるチケット料金も1回券よりも割安になります。私も1990年代後半に2年ほどNHK交響楽団の学生定期会員をやっていました。「今回は聴きたくないな」という曲や指揮者であっても損をしないためには聴きに行かなくてはならないというデメリットもあるわけですが。

 定期会員のチケットは1年分しか売ることは出来ません。会員が継続の意思を示せば、その席は1年分延長されます。
 さて、これらは当たり前のように思えますが、オーケストラの定期演奏会システムは、基本的に変更はありません。NHK交響楽団も3月定期をなくして地方演奏会を入れるなどの変更はありましたが、月に数回(地方オーケストラなどは1回)の定期演奏会があるというルーティンが繰り返されます。

 今、オーケストラは演奏会のキャンセルが相次いでいることで倒産の危機に瀕する団体も現れています。オーケストラはチケット料金だけでは運営出来ないのですが、1年先より未来のチケットを売ることでこの苦境に立ち向かえないか思うわけです。倒産しない限り、例えば「2023年の4月に定期演奏会はありますか?」と聞かれたとしても、「あります」と断言出来るシステムが取られているわけですので。

 例えば2021年4月から2024年3月までの3年間に行われる定期演奏会が年に10回あるとして、その半分、つまり5回の演奏会のS席で来年度は継続される可能性のない席を割引先行予約出来る「未来チケット」方式(私の思い付きで名付けたものなので検索しても出てきません)などはいいかも知れませんね。一種のプレミアムチケットです。3年分の良席を予め確保出来ることになります。今度年の席を継続する意思のある人も事前に3年分買うことが可能です。実際に売れるかどうかはわかりません。ただオーケストラの定期演奏会は他の舞台芸術と違ってこれが可能なシステムなのは確かです。国内オーケストラの定期演奏会のS席は関西だと6千円台から5千円台が相場。千円割引としても5千円台から4千円台。年5回、3年間で15回として、一人当たり7万5千円余りを事前に確保。千円割引はかなりの割引ですので実際はもっと収入は見込めます。 
 
 曲目や指揮者が分からない状態でチケットを買う人が多いとは思えませんので、勝算はないかも知れませんが、今のままのシステムでコロナ危機は乗り越えられません。上手くはいかないかも知れませんが何らかの工夫を凝らすが必要となって来ます。もっと良い方法を思いついたら、続きを書くことにします。

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2020年4月 4日 (土)

オーケストラよ、歴史を生かせ

 例えば、私が京都に来たのは2002年だから、朝比奈隆(1908ー2001)時代の大阪フィルハーモニー交響楽団の公演パンフレットなどは持っていないし、手にしたことさえない。 
 基本的にパンフレットは無料だが、数年分を纏めて冊子にしたら売るだけの価値は出る。どれだけ売れるかは疑問であるだが、少なくとも私は買う。損失額を考えれば収益など微々たるもので焼け石に水かも知れないが、何もせずに寄付だけを頼みにするよりは幾分ましだろう。 
 パンフレットに載せられた文章や写真は、学術的、史料的に価値があるはずだし、その時代の空気が反映された貴重な証言ともなっているはずである。載せられた文章は全て権利をクリアしたものであるし、なんらかの問題があったとしても、この状況において転載や再利用に「NO」という執筆者や権利者がいるとも思えない。一から本を作るには時間と経費が掛かるが、編集だけならすぐに、とまでは言えないが、かなり早く出せる。紙媒体でなく、PDFの有料ダウンロードでもいい。電子書籍でも出せるだろう。パンフレットだけではない。積み上げてきた歴史の中に価値のあるものは必ず眠っているはずである。
 
「音楽団体だから音楽でしか勝負出来ない」というのは正しいが、これまで歩んできた歴史には、それが固有のものだけに価値があり、売りになる。音楽は音楽だけに価値があるのではなく、その背後にある若しくはそれに関わった多くの人々の物語と記録の精華でもあるのだ。

 日本のクラシック音楽愛好者層はとにかく薄く、成功する可能性は低いかも知れないが、意地は見せて欲しい。

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2020年3月25日 (水)

人類が自然との戦いに勝利したことは史上一度もない

考えてもみて欲しい。老いも死も全て自然のなせる業である。秦の始皇帝を始め、不老不死を願って様々な無茶を重ねた者がいるが、一人たりとも凱歌を上げ続けたことはない。

主に西洋においてはだが、自然は芸術の対立概念である。人は芸術的な意味において、あるいは別の捉え方も可能かも知れないが、自然を愛する。だが、自然に愛され返されることは、こと実質面に関してはない。精神性においてはまた違ってくるが、人類の自然への思いは永遠の片想いに終わる。

一方的な愛で勝利しようなどということ自体が、あるいは人類の奢りなのかも知れないとも思われる。我々は自然を含めた大きな歴史の中に「ある」しかない。

「そういうものだ」と受け止めて我々はまた歩き出す。

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