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2019年11月23日 (土)

2346月日(18) 兵庫県立美術館 日本・ポーランド国交樹立100周年記念「ショパン―200年の肖像」

2019年11月9日 兵庫県立美術館ギャラリー棟3階にて

神戸へ。岩屋の兵庫県立美術館ギャラリー棟3階で日本・ポーランド国交樹立100周年記念「ショパン―200年の肖像」を観る。

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兵庫県立美術館は京都から行くには遠い。以前に1回行ったことがあるのだが、その時は神戸に泊まっての帰りかなにかであり、京都から向かったわけではない。

午後1時過ぎに出て、阪急大阪梅田駅で降り、阪神大阪梅田駅から岩屋に向かうという道筋を採ったのだが、阪神の普通電車に乗ってしまい、思ったよりも進まないということで、尼崎駅で特急に乗り換えて御影駅まで行き、そこから普通で岩谷駅に向かうというルートを辿る。尼崎駅のホームからは、尼崎上の模擬天守が見えた。

 

兵庫県立美術館ギャラリー棟3階の「ショパン―200年の肖像」展入り口に着いたのだが午後4時少し前。1時間で回れるだろうと踏んでいたのだが、想像していたよりも展示品がずっと多く、最後の方は駆け足で見てまわることになった。

まずは、ヴワディスワフ・ヤールが描いた、ショパン作品にインスパイアされた絵画作品(エッチング)が並ぶ。ポロネーズ、前奏曲、ノクターン、バラード、即興曲などが並ぶが、必ずしも楽曲から受けるイメージ通りのものを描いたわけではない。

その後は、ショパンの肖像画が並ぶ。本格的なものからマンガ風のものまであるが、中には本来は抽象的な作風を特徴としていたヘンリク・スタジェフスキが、共産主義的リアリズムを強制されて描かれたショパンの肖像画などもあり、ポーランドが辿った歴史を確認することも出来る。

ショパンの肖像画として有名なものに、ドラクロアが描いたものがあるが、実はドラクロアによる肖像画は元々は「ショパンのジョルジュ・サンド」という二人を描いた作品として発表されたものが、いつの間にか二つに分けられて別々に展示されるようになったものである。今回の展覧会では、ルドヴィク・ヴァヴリンキェーヴィチが復刻した「ショパンとジョルジュ・サンド」が展示されていた。

ローベルト・シュピースがショパンの24の前奏曲全曲のイメージ画連作も展示されている。元々一般的なイメージは避けて描かれたものが多いといわれているそうだが、確かになぜこうなったのかよくわからないものもある。ただ、イメージ通りの絵を描いたとしたらそれはそれで面白くないだろう。絵は音楽の従者ではないのであるから。エウゲニウシュ・ピヘルやズィグムント・パドフスキなども同様の仕事を行っており、それぞれの個性がある。

 

壁一面に、ドゥシュニキ=ズドルイ・ショパン音楽祭や、アントニン「秋色のショパン」国際音楽祭、マリアーンスケー・ラズーニェ・ショパン音楽祭のポスターが並ぶ。ポーランドはポスター芸術も盛んだそうである。フォルマリズム的な、いかにも東側の芸術といった感じのポスターもあるが、少女マンガ風のものがあったり、アンディ・ウォーホルの影響が見られる作品があったり、ルネ・マグリット風の絵があったりとバラエティに富んでおり、また近年のものはポップでお洒落である。
スピーカーからは、ピリオド楽器で弾かれたショパンの曲が流れていた。

日本におけるショパン受容のコーナーもある。日本で最初にショパンの曲を弾いたのは、音楽取調掛(東京音楽学校と東京芸術大学の前身)の学生であった遠山甲子という女性である。また日本人でショパン弾きとして最初に評価されたのが、澤田柳吉(1886-1936)であり、澤田の紹介として、澤田が作・編曲をした「セノオ楽譜 お江戸日本橋」が展示されている。日本人で最初にショパン作品の録音を行ったのも澤田だそうで、SPに「ポロネーズ」作品40-1と「ワルツ」作品64-2を吹き込んでいるという。

 

ショパンが見たであろう、ワルシャワの風景を描いた絵画の展示が続く。描かれたいくつかの建物の中では、ショパンがピアノ演奏を行った記録が残っているそうだ。ショパンもショパン自身の演奏を聴いた人も、確実にこの景色を見ていたということになる。

余り有名ではない、ショパンの父親に関する展示もある。フリデリク(ポーランドの発音により近い表記ではこうなるらしい)・ショパンの父親であるニコラはフランスのロレーヌ地方の生まれなのだが、ニコラが生まれる5年前まで、ロレーヌは独立国だったそうで、しかも大公はポーランド人だったそうである。そのこともあってニコラもポーランド人に仕えており、主のポーランド移住に伴ってニコラもポーランドに移ったようである。ポーランドに移住後は、ニコラはポーランド風のミコワイを名乗るようになる。

続いて、パリでのショパンとその周辺の人々の肖像画並ぶ。ニロラ=ウスタシュ・モランの「著名なピアニスト達」には、ショパンに加えて、フランツ・リストやジーギスムント・タールベルクらが勢揃いした像が描かれている。ショパンの肖像として最も有名なものは、アリ・シェフェールのものだと思われるが、アリ・シェエールの筆によるフランツ・リストの肖像や、画家としてのシェフェールの代表作なども同時に展示されている。

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若き日のショパンを描いたものとして有名なマリア・ヴィジスカのものや、ショパンのデスマスク、ショパンの左手像などを経て、いよいよショパンの自筆譜の展示がある。紙と筆跡を守るため、セパレーションで区切られた暗室の中に、ショパンの自筆の手紙と譜面が展示されている。近づくとケースの灯りがともる仕掛けとなっている。エチュードヘ長調作品10-8と、ポロネーズヘ短調71-3。閉館時間が迫っていたのでじっくりと見ることは出来なかったが、長い時間見たからといって感動が増すわけでもない。とりあえず、「見たぞ」という記憶と瞬間の映像を脳に刻む込む。

最後は、ショパン国際ピアノコンクール関連の展示である。コンクールのポスターが展示され、優勝者であるマウリツォ・ポリーニやクリスティアン・ツィマーマン、入賞者の中村紘子らの写真を確認することが出来る。映像の展示もあるが、残念ながら見ている時間はなかった。

会場を出てすぐの壁にショパンの手紙の翻訳が貼られている。ショパンは日記や手記などを残さなかった人であり、直接残された言葉は手紙に記されたもののみであるようだ。

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2019年11月17日 (日)

観劇感想精選(326) こまつ座&ホリプロ公演「組曲虐殺」2019

2019年11月8日 梅田芸術劇場シアター・ドラマシティにて観劇

午後6時30分から、梅田芸術劇場シアター・ドラマシティで、こまつ座&ホリプロ公演「組曲虐殺」を観る。井上ひさしの劇作家としての遺作の上演。2010年に初演され、2012年に再演。それから久しぶりの再々演となる。演出は初演から引き続き栗山民也が手掛け、音楽&ピアノ演奏も小曽根真が担当する。出演:井上芳雄、高畑淳子、上白石萌音、神野美鈴、山本龍二、土屋佑壱。上白石萌音は石原さとみからのバトンタッチ、土屋佑壱は山崎一から役を引き継いでいるが、それ以外は初演時と同じキャストでの上演である。

「組曲虐殺」は、プロレタリア小説家として最も有名な人物と思われる小林多喜二を主人公とした音楽劇である。リーマンショック後の2010年頃は一大不況が全世界を覆っており、イタリア初とされるプレカリアートという言葉が紹介されるなどプロレタリア文学にも光が当たっていた時期で、「蟹工船」が映画化されたりもしている。

昭和5年(1930)5月下旬から昭和8(1933)年2月下旬までの2年9ヶ月が断続的に描かれる。

まず、小林多喜二が伯父が経営するパン屋で育ったことが紹介される。小林多喜二は小学校を皆勤賞の上、成績も最優秀ということで伯父に見込まれ、住み込みでパン屋を手伝いながら小樽商業学校と小樽高等商業学校(現在の国立大学法人小樽商科大学)を卒業。北海道拓殖銀行(1997年に経営破綻し、山一証券とともにバブル崩壊後不況の象徴となった)に勤務し、銀行員として働く傍ら、「蟹工船」などのプロレタリア小説を発表し、高く評価されたが、そのことが原因で拓銀を追われている。

小林多喜二の伯父が経営するパン屋(小林三ツ星パン)は最初は「小樽で一番のパン屋」と歌われるのだが、その後「北海道一のパン屋」に歌詞が変わり、最後は焼失かとしての小林多喜二の下地を生んだということで「日本で一番のパン屋」と歌われる。この小さいところから徐々に拡大していくセリフはその後も何度か登場する。
パン屋では代用パンが、安いにも関わらず売れない。小樽商業学校時代の小林多喜二(井上芳雄)は、誰かが「代用パンを買う金をくすねている」からだと考える。それが後の巨大資本や官僚批判へと繋がっていく。

多喜二は、酌婦(体を売る接待係)の田口瀧子(上白石萌音)と出会い、引き取ることにするのだが、「奥さんと許嫁の間」という中途半端なポジションであり、多喜二は奥手なので、「キスはしていて抱き合ってもいるが、生まれたままの状態でではない」というこれまた中途半端な付き合い方をしている。結局、瀧子とは籍を入れないままで終わった。

場面は大阪市の大阪府警島之内署の取調室に変わる。多喜二は大阪で講演を行った夜に、日本共産党への資金提供容疑で逮捕されたのだ。黙秘を続けていた多喜二だが、話が瀧子や伯父のことに及ぶやうっかり話し出してしまう。

豊多摩警察署の独房で、多喜二は自らの無力さを嘆くブルースを歌う(「独房からのラヴソング」)。

その後、多喜二は監視役の特高刑事である古橋(山本龍二)と山本(土屋佑壱)が杉並町馬橋の多喜二の借家に下宿するという形での不思議な生活を送る。多喜二の姉である佐藤チマ(高畑淳子)や瀧子も馬橋の家を訪ねてくる。瀧子は山野美容学校などに通い、美容学校の助手となっていたが、収入の問題で辞め、今は給仕をしている。瀧子はパーマネントの技術を身につけたのだが、当時、パーマネントの機械は日本に3台しかないということで、その腕を生かせずにいた。多喜二はそのことを嘆くのだが、これは「独房からのラヴソング」にも呼応している。多喜二は結局は同じ無産者活動家の伊藤ふじ子(神野美鈴)と結婚するのだが、それは瀧子を危険に巻き込みたくなかったからであり、不思議な距離の愛情は終生続くことになる。

酌婦に身を落とすしかなかった瀧子、美術学校に通い舞台美術家などを経て活動家となるふじ子など搾取される側にいる階級の女性が登場するが、憎むべき特高の刑事達も、上の命令に「犬」として従うしかないという苦みを歌い上げており、やはり下層にいる哀れむべき人々として描かれている。そこに井上独特の視点があるように思われる。

日本共産党員であった井上の政治観については、ここで私が書いても余り意味のないことであり、そうした面から語ることの出来る他の多くに人に任せた方が良いように思う。私がこの劇から感じたのは、「書くこと」「イメージすること」の重要性だ。多喜二は「体で書く」重要性を特高の山本に伝える。多くの人は手や頭や体の一部で文章を書くのだが、大切なのは体全体で書くことであり、体全体で書かれたものは、書き手そのものとなって残っていく。
小林多喜二は若くして虐殺されたが、「蟹工船」を始めとする作品は今も読まれ続け、時にはブームも巻き起こす。そのことで私達は小林多喜二その人に触れることも出来る。そして井上ひさしが全身で書いたこの戯曲も、井上が亡くなって間もなく10年が経とうとしている今も上演され、井上本人の肉声に触れるかのような体験を可能としている。

 

ミュージカルトップスターの井上芳雄の歌声が素晴らしいのは勿論だが、瀧子を演じた上白石萌音の歌声も予想を遙かに凌ぐ凄さ。彼女の声凄さは、耳にではなく心に直接染みこんでくることである。稀な歌唱力の持ち主とみていいだろう。ミュージカル映画「舞妓はレディ」の小春役で注目を浴びた上白石萌音。実は「舞妓はレディ」はミュージカル化されて博多座で上演されており、私も観に出掛けたのだが、その際は唯月ふうかが小春を演じている。唯月ふうかも若手ミュージカル女優としてはトップクラスなのだが、そのため却って「ああ、上白石萌音は別格なんだな」と実感することになった。

小曽根真のピアノと音楽も多彩な表情で芝居を彩る。クルト・ワイル風のワルツが登場したりするが、実は井上ひさしが「ロマンス」でクルト・ワイルの音楽に歌詞を付けていたそうで、その影響もあるのかも知れない。

井上ひさし本人が、これが最後の戯曲になるとわかっていたのかどうかは不明である。だが、井上の最後の戯曲らしい仕上がりとなったのも事実である。
これは悲劇であるが、「思いが残っていればいつかきっと」という希望と「不滅と広がりの予感」を歌い上げる祝祭劇でもある。

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2019年11月13日 (水)

美術回廊(43) 京都国立博物館 「佐竹本三十六歌仙絵と王朝の美」

2019年11月7日 東山七条の京都国立博物館にて

七条の京都国立博物館で、「佐竹本三十六歌仙絵と王朝の美」を観る。

佐竹本三十六歌仙絵は、秋田久保田藩主の佐竹氏が所蔵していた三十六歌仙絵巻を一つ一つに分けたものである。現在佐竹本といわれる三十六歌仙絵巻は、藤原信実の絵、後京極良経の書によるもので、鎌倉時代に制作されたのであるが、その後しばらく行方不明となっており、江戸時代初頭には下鴨神社が所蔵していることが確認されているのであるが、再び行方をくらませていた。それが大正に入ってから突然、元秋田久保田藩主の佐竹侯爵家から売りに出される。佐竹氏は戊辰の役の際に東北地方で唯一最初から新政府方についたこともあって侯爵に叙され、優遇を受けていたのだが、それでも家計が苦しくなったため売りに出されたのである。三十六歌仙絵巻は実業家の山本唯三郎が手に入れたのだが、第一次世界大戦による不況で山本もこの絵巻を手放さざるを得なくなる。不況に見舞われたのは当然ながら山本一人というわけではなく、どこも資金が不足していたため、佐竹本三十六歌仙絵巻を買い取れるほどの資産家は日本には存在しない。このままでは海外に流失してしまうということで、三井物産の益田孝(号は鈍翁)が、絵巻を一つ一つに分けて複数人で保有することを提案。これによってなんとか海外流出は食い止められ、住吉大社の絵も含めた37枚の絵を、当時の富豪達が抽選によって1枚ずつ手に入れることとなった。それが今から丁度100年前の1919年のことのである。当時の新聞記事に「絵巻切断」という言葉が用いられたため、衝撃をもって迎えられたが、実際は刃物は用いず、もともと貼り合わせてあった絵を職人の手によってばらしただけである。抽選の会場となったのは、東京・御殿山にあった益田邸内の応挙館である。円山応挙の襖絵が施されていたため応挙館の名があったのが、この円山応挙の絵も今回の展覧会で展示されている。
三十六歌仙といっても人気が平等ではない。そのためのくじ引き制が取られたのだが、主催者である益田は坊主の絵を引いてしまって不機嫌になったため(引いたのは源順の絵だったという証言もある)、一番人気であった「斎宮女御(三十六歌仙の中で唯一の皇族)」の絵を引き当てた古美術商が絵を交換することで益田をなだめたという話が伝わる。

37枚のうち31枚が集められているが、残念ながら斎宮女御の絵は含まれていない。また、6期に分かれての展示で、今日は、源宗于、小野小町、清原元輔の絵は展示されていない。なお、大戦をくぐり抜ける激動の時代ということもあり、37点のうち、現在、行方不明になっているものも3点ほどあるそうだ。

柿本人麻呂は、歌聖として別格扱いだったようで、柿本人麻呂の他の肖像画なども数点展示されているほか、柿本人麻呂は維摩居士の化身だというので、維摩居士の絵なども展示されている。

女性や若い人は華やかな王朝の美に酔いしれることが出来るのだろうが、もうすぐ45歳の私は、老いや孤独を歌った寂しい絵に心引かれる。やはり自分自身に絵や歌を重ね合わせてしまうようだ。
例えば、藤原興風の「たれをかも知る人にせむ高砂の松も昔の友ならなくに」や、藤原仲文の「ありあけの月の光をまつほどにわがよのいたくふけにけるかな」などである。

小倉百人一首でお馴染みの歌もいくつかある。藤原敦忠の「あひみてののちの心に比ぶれば昔はものを思わざりけり」などは有名だが、藤原敦忠は38歳で突然死した人物であり、菅原道真の怨霊によるものだと噂されたという。
ちなみに藤原敦忠の絵を手に入れたのは、後に血盟団事件で暗殺されることになる三井財閥の團琢磨である。流石にそれまでもが菅原道真の祟りというわけでもないだろうが。

在原業平の「世の中に絶えて桜のなかりせば春の心はのどけからまし」も百人一首で有名である。和歌の天才と呼ばれた在原業平であるが、漢詩を不得手としていたため出世はかなわず、『伊勢物語』の主人公となったように東下り伝説が残るなど激動の人生を送った。

壬生忠見と平兼盛の歌もあるが、この二人の場合は今回の絵に採用されているものではなく、百人一首に取り上げられた歌の方が有名である。
歌合戦という言葉があるが、昔の歌合はまさに合戦であり、よりよい歌を詠んだ方が政において有利な立場を得ることが出来た。
天徳内裏歌合において、一番最後に「恋」を題材にした歌合があった。壬生忠見は、自信満々に「恋すてふ我が名はまだきたちにけり人知れずこそ思ひそめしか」と歌ったが、平兼盛の「しのぶれど色に出にけりわか恋はものや思ふと人の問ふまで」に敗れ、出世の道が絶たれたため悶死したとされる(史実ではないようだが)。このことは夢枕獏の『陰陽師』などにも出てくる。

 

佐竹本の三十六歌仙絵は2階に展示されているのだが、1階にもそれとはまた違った三十六歌仙の絵が展示されており、違いを楽しむことも出来る。

 

展示の最後を飾るのは、3隻の三十六歌仙屏風。作者は、土佐光起、狩野永岳、鈴木其一である。人気上昇中といわれる鈴木其一の三十六歌仙図屏風はやはり面白い。

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2019年11月 6日 (水)

これまでに観た映画より(137) 「エセルとアーネスト ふたりの物語」

2019年11月1日 京都シネマにて

京都シネマでアニメーション映画「エセルとアーネスト ふたりの物語」を観る。「スノーマン」などで知られる絵本作家、レイモンド・ブリッグズが自身の両親を描いたベストセラー絵本のアニメ映画化。監督:ロジャー・メインウッド、音楽:カール・デイヴィス。声の出演は、ブレンダ・ブレッシン、ジム・ブロードベント、ルーク・トレッダウェイほか。エンディングテーマはポール・マッカートニーが手掛けている。ポール・マッカートニーはレイモンド・ブリッグズの大ファンだそうで、レイモンドから直筆のオファーを受けて快諾したそうだ。

まず原作者のレイモンド・ブリッグズを写した実写映像が流れる。ブリッグズは両親が共に普通の人物であったことを語り、両親を描いた絵本がベストセラーになったことを不思議に思っていると率直に述べている。

物語は1928年に始まる。日本でいうと昭和3年。京都では毎日新聞の京都支局であった1928ビルが完成し、ロシアでは名指揮者であるエフゲニー・スヴェトラーノフが生まれた年である。

ロンドン。牛乳配達夫のアーネストは自転車を走らせている時に、豪邸の窓を掃除していたメイドのエセルを見掛け、手を振る。それが運命の出会いとなった。アーネストは毎朝、エセルを見掛けることを楽しみとし、エセルはアーネストのことで頭が一杯になって気もそぞろ。そしてある日、アーネストが花束を持ってエセルが働いている豪邸のチャイムを鳴らす。アーネストにプロポーズされたエセルは一緒に映画を観に出掛ける。実はアーネストは1900年生まれであるが、エセルは1895年生まれと5歳上であった。エセルは30代半ばに差し掛かっており、子どもを産むためには結婚を急ぐ必要があった。
二人は新居を買い、エセルはメイドを辞める。アーネストにもっと稼いで欲しいエセルであったが、アーネストは街に出て働くことが好きなため牛乳配達夫を続けており、出世すると事務方になって表に出られなくなるため消極的であった。エセルは自身を労働者階級ではないと考えており、プライドを持っていたが、アーネストの稼ぎは労働者階級よりも低かった。
政治的にもエセルが保守党支持者であるのに対してアーネストは労働党を支持しており、夫婦で思想なども異なっている。
エセルが38歳の時に、後に絵本作家となるレイモンドが生まれる。だが、高齢出産のため難産であり、エセルの命が危ぶまれたということで、出産直後にエセルとアーネストは産科医から「もう子どもは作らないように」と釘を刺されてしまう。

ドイツではヒトラーが政権を取り、1939年にドイツがポーランドに侵攻するとイギリスはナチスドイツに対して宣戦を布告。アーネストもイギリス軍に協力するようになる。ロンドンでも空襲が始まり、アーネストは防空壕を作るのだが、出来上がったのはなんとも心許ない代物であった。空襲は激しさを増し、アーネストとレイモンドもあわやという場面に遭遇したため、レイモンドは疎開することになる。エセルはレイモンドの疎開に反対するが、戦況は差し迫っていた。やがてエセルとアーネストが暮らしていた家も空襲によって破壊されてしまう。
ナチスが降伏し、ヨーロッパ戦線は終結を迎えた。しかし、1945年8月6日、広島に原子爆弾が投下され、10万人を超える市民が一瞬にして犠牲になる。アーネストは余りのむごさを嘆くが、エセルは「戦争を終えるためには」という姿勢であった。エセルもアーネストも第1次世界大戦で肉親を失っており、戦争が一日も早く終わることを願っていた。

戦後、エセルはチャーチルの選挙での敗北を嘆くが、アーネストは労働党による新しい政治に期待する。思想も指向性も正反対であったが、夫婦としては上手くやっていく。

レイモンドは神経質な子どもだった。パブリックスクールに合格を果たし、これでオックスフォード大学かケンブリッジ大学に入って出世コースに乗れるとエセルは喜んだのだが、レイモンドは夢を追いかけるためにパブリックスクールを自主退学して美術学校に進んでしまう。やがてレイモンドは独立し、彼女を両親に紹介するのだが、その彼女が統合失調症を患っているということで両親は心配し……。

 

特別なことは何もない二人の41年の共同生活を描いた作品である。二人は息子と違って特別な才能があったわけでも何かしらの分野で有名であったわけでもない。日々生活し、子どもを生み、育て、将来を見守る。ただ、世の中の大多数を占めているのはそうした人々であり、これはエセルとアーネストの物語であると同時に、世界中の多くの家族の物語であるともいえる。激動の時代の中を淡々とただしっかりと生きていくという姿勢こそ、あるいは「世界」にとっては最も偉大なあり方なのかも知れない。
ありふれた人生だが、それだけに素晴らしい。


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2019年11月 3日 (日)

美術回廊(42) KYOTO EXPERIMENT 2019 グループ展「ケソン工業団地」

2019年10月26日 京都芸術センターにて

京都芸術センターへ。現在、館内各所で京都国際舞台芸術祭(KYOTO EXPERIMENT、KEX)2019参加作品である「ケソン工業団地」の展示が行われている。エントランスに映像展示と説明文があり、ギャラリー南では、ケソン工業団地で働いていた南側と北側の人々の写真展示がある。

南北朝鮮の協働によって開発されたケソン工業団地。北朝鮮国内で最も南に位置する大都市のケソン(開城)の経済特区に置かれ、北朝鮮が土地と労働力を韓国が技術と資本を提供して2004年にスタートした。いわゆる金大中の太陽政策の一環であり、北側と南側の人々が一緒に働くこの場所は、「南北統一の先駆け」と評価されたという。普段は一般市民は国境を越えることは出来ないが、ケソン工業団地に勤める韓国側の人々は、日々国境を越えて通勤していたという。
だが、2013年に北朝鮮が核開発を行ったことで韓国側が撤退を表明。2016年には操業がストップして、南北朝鮮が見た夢は12年の歴史で幕を下ろすことになった。

「ケソン工業団地」は、そこで働いていた一人一人に焦点を当てた3人のアーティスト(イ・ブロク、イム・フンスン、ユ・ス)による展示会であり、2018年の夏にソウルでの展示会が行われ、このたび京都でも開催されることになった。

 

ギャラリー南には、ケソン工業団地で働いていた人々の等身大と思われるパネルがある。入って来た側に並んでいるのが北朝鮮の人々、裏側が韓国の人々である。ぱっと見では北側の人なのか南側の人なのかはわからない。顔は勿論、服装でもである。
誰が見ても美少女と思えるような若い女性の写真もある。胸に金日成のバッジを着けており、北側の人だとわかるのだが、余り北っぽさはない。北朝鮮は美人の産地として知られており、ここのパネルでは北側の女性の方が綺麗に見えるが、サンプル数が少ないので「北側の方が美人」と断言は出来ない。意図的に綺麗な人が選ばれた可能性もある。
背後にはケソンの一帯の風景写真が壁一面に広がっていた。

 

講堂では映像展示が行われている。中央にスクリーンが立ち、両側から別々の映像が照射されている。入り口に近い方は棺桶を担いで歩く人物の映像、裏側はニュースなどを中心とした映像である。両方の映像は時折クロスする。

その奥の大広間には、ケソン工業団地の内部を再現したコーナーが設けられている。大広間は畳敷きであるが、今回は畳は取りのけられており、板敷きでの公開となっていた。ミシンがずらりと並び、キャビネットにはハングル文字の書かれた袋に入ったお菓子などが並んでいる。

 

3階のミーティングルーム2では、ケソン工業団地で作られた布袋の展示や、写真資料、映像展示などが行われている。布袋にはいかにも共産圏らしいデザインのものもあるが、中には偶然東京ヤクルトスワローズカラーになっているものもあって微笑ましい。

 

南北共通の夢が、短い間ではあったが達成されたことを物語る貴重な展示であった。

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2019年11月 1日 (金)

観劇感想精選(324) 野田地図(NODA・MAP)第23回公演「『Q』 A Night At The Kabuki」

2019年10月24日 大阪・上本町の新歌舞伎座にて観劇

午後7時から、大阪・上本町の新歌舞伎座でNODA・MAPの第23回公演「『Q』 A Night At The Kabuki」を観る。作・演出・出演:野田秀樹。出演は、松たか子、上川隆也、広瀬すず、志尊淳、橋本さとし、小松和重、伊勢佳世、羽野晶紀、竹中直人ほか。音楽:QUEEN、サウンドデザイン:原摩利彦、衣装:ひびのこづえ。

野田秀樹がクイーンのアルバム「オペラ座の夜」にインスパイアされて作り上げたという舞台。シェイクスピアの「ロミオとジュリエット」に地獄といわれたシベリア抑留などを絡ませて物語は進む。

シェイクスピアの「ロミオとジュリエット」とは異なり、生き延びたそれからの愁里愛(じゅりえ。松たか子)とそれからの瑯壬生(ろみお。上川隆也)が、30年前の自分達である源の愁里愛(広瀬すず)と平の瑯壬生(志尊淳)の悲劇を避けるために介入していく。

時は平安末期、源平の騒乱の最中である。源義仲(橋本さとし)が源氏の統領となり、壁一枚隔てた平氏の館と冷戦が続いている。そんな中、平清盛(竹中直人)の息子である平の瑯壬生と源頼朝の妹である源の愁里愛は、一目で互いに恋に落ちた。全ての悲劇の発端となる出会いを思い起こし、それからの愁里愛とそれからの瑯壬生は、共にかつての自分に入れ知恵をする。まるでダブル「シラノ・ド・ベルジュラック」のように。

戦後、シベリアに抑留されていたそれからの瑯壬生は、実は30年前、都に帰ることになった平の凡太郎(竹中直人二役)に尼になったそれからの愁里愛への手紙を託していた。だが、30年かけてようやく平の凡太郎から愁里愛へと手渡された手紙は白紙だった。凡太郎は都に帰ってこられた嬉しさで遊び倒し、愁里愛に手紙を渡すことを30年も忘れていたと語るが、それは実は嘘であることがわかる。それからの瑯壬生は、通常の手紙とは異なる形のメッセージを凡太郎に託していたのだが、凡太郎はその内容に気後れがして、30年もの間、渡すことを躊躇していたのだ。

30年前、二人が出会い、たった5日間の愛を交わし合った日々。都では源氏が裏で操る「名を捨テロリスト」達とそれに反抗する平氏の「拾うヒロイズム」による抗争が続いていた。源の愁里愛は、平の瑯壬生が平氏の御曹司であることを嘆き、「名を捨てて」と願い、つぶやいた。愛も何も知らない少女のちょっとした思いつきが後の悲劇の始まりとなる。

 

「ロミオとジュリエット」のセリフを比較的忠実になぞる部分があるが(「平家物語」に出てくる言葉がそれに沿うように挟まれる)、ジュリエットが望んだ「名」つまり「属性」を捨てることの愚かさをある意味告発する内容である。

アノニマスとなりすましが日常的に行われている現在において、ネット上では匿名であるということが時に暴力に繋がるように、現代の戦争は匿名の兵士が人々を「名もなき存在」として殺していく。
生きながらえたそれからの瑯壬生は、「アカシアの雨に打たれてこのまま死んでしまいたい」と嘆くが、気を取り直して名もなき一兵卒として戦争に参加することを望み、名を平の平平(へいへい)と偽る。だが、名乗りを上げて一騎打ちのそれまでの戦とは違い、ロミオが加わった戦争は、どこからか誰ともわからぬ者達が一斉に打ちかけてくるというアノニマスな戦場だった。

一方、それからの愁里愛は尼となり、修道院へと向かう。修道院行きのバスで出会った「尼ぞねす」という団体には、源義仲を殺した瑯壬生への恨みを抱いたままの尼トモエゴゼ(伊勢佳世)や、世の中は色々なものが「混ざってるさ」ということでマザーッテルサと名乗る尼(羽野晶紀)がいた。それからの愁里愛は、彼女達と行動を共にするのだが、一行はいつの間にか看護師の団体として戦場に着いている。「尼ぞねす」達は、野戦病院の看護師として従軍、次々と運ばれてくる瀕死の兵士達を看護する。その野戦病院で瑯壬生と愁里愛は再会するのだが、瑯壬生は源義仲殺しのお尋ね者にして清盛亡き今では平氏の頭領ともなり得る人物で正体がバレれば即死罪は免れない。愁里愛は、今や為政者となった源頼朝(橋本さとし)の妹ということで正体が明らかになれば連れ戻される。そのため互いの名を呼ぶことが出来ない。
そしてそれからの瑯壬生は、シベリア送りとなり、名前をなくしたことで引き上げの際にも名前が呼ばれることはなく、戦友達が船出する中で俊寬のように一人シベリアに取り残されることになる。
そんな中、『夜と霧』のヴィクトール・フランクルのように愁里愛を想い続けてきた瑯壬生は、ある意外な内容の手紙を凡太郎に言付けた。回り回った表現で綴られた愁里愛への思い。凡太郎はそれを勘違いするが、愁里愛には確かに伝わる。想像の空間の中で二人は愛を成就させるのだが、「名」をなくした行いは重く、厳然たる現実が突きつけられて劇は終わりを告げる。平安絵巻の形を借りて、冷戦終結後30年の名もない時代、アノニマスとなりすましの時代である今が問われるのである。「名」を捨てて安易に暴力へと走って良いのか? 「誰か」になることで、己をむなしくしてはいないか?

 

日本における理知派俳優の代表格である松たか子と上川隆也の共演。1997年の元日にTBS系列で放送された正月ドラマ「竜馬がゆく」で坂本竜馬と千葉さなとして共演していた二人だが、舞台での共演を見るのは初めてである。理知派の二人であるが、野田秀樹の舞台ということもあって、頭で作り上げた演技よりもこれまで培ってきた俳優としての身体技術の高さの方が目に付く。上川隆也は、大河ドラマなど数々の時代劇への出演で身につけたキレのある動きと存在感、松たか子は40歳を超えてなお光る可憐さで魅了する。

広瀬すずは熱演だが、感情が先走りしすぎてセリフが追いつかない場面が散見される。ただ、まだ若いのだし、初舞台ということでこんなものなのかも知れない。志尊淳は見た目や立ち振る舞いは良いが、存在感においては先に挙げた三人には及ばないように思われた。キャリアの差かも知れない。

野田秀樹の舞台へは初出演となる竹中直人。いつもながらの竹中直人で安心する。竹中直人と松たか子という大河ドラマ「秀吉」(1996年)のコンビのやり取りが見られたのも嬉しい。竹中直人が主役である豊臣秀吉、当時まだ十代であった松たか子が淀殿を演じていた。

羽野晶紀と伊勢佳世は、共に男に媚びを売るぶりっこの演技も見せるのだが、関西でそうした演技をすると二人とも島田珠代に見えてしまう。キャラを確立している島田珠代が凄いということなのかも知れないが。

言葉遊びを多用する野田秀樹の手法はいつもながら冴えているが、シベリア抑留の生活を言葉だけで語る(「言葉、言葉、言葉」)となるとどうしても弱くなり、切実さが感じられない憾みもあった。クイーンの音楽の使い方も十分とは思えず、インスパイアされるのは良いが、劇中で「オペラ座の夜」に収録された音楽が流れると面映ゆく感じられもした。

途中20分の休憩を挟んで上演時間約3時間という、野田秀樹としては大作であり、平氏の一党がハカを踊るシーンがあったりと、詰め込みすぎの印象も拭えないが、野田秀樹の問いの鋭さと深いメッセージにはやはり感心させられる。

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2019年10月28日 (月)

コンサートの記(600) 「時の響」2019 「金色に魅せられた日本とオーストリア 琳派からクリムト、そして現代への継承」 広上淳一指揮京都市交響楽団 第1部「オーストリア×日本 琳派 ゴールド」ウィーンの景色&第2部「古都京都の文化財世界遺産登録25周年」京都今昔物語

2019年10月20日 京都コンサートホールにて

午後1時から、京都コンサートホールで「時の響」2019を聴く。一昨年から始まった音楽文化祭典「時の響」。昨年は規模が拡大されて音楽祭となっていたが、今年は第1部第2部とも上演時間1時間ほどのコンサート2つ、更にアンサンブルホールムラタで西村由紀江らによるスペシャルコンサートがあるが、スペシャルコンサートには参加しない。

「時の響」本編「金色に魅せられた日本とオーストリア 琳派からクリムト、そして現代への継承」は、広上淳一指揮京都市交響楽団によるコンサートである。第1部は「オーストリア×日本 琳派 ゴールド」ウィーンの景色と称したコンサート。日本とオーストリアの国交150周年を記念し、オーストリアの首都ウィーンを題材にした曲目が並ぶ。ウィーンを代表する画家のクリムトと、日本の琳派が共に金を使った絵を残しているということで、ホワイエでは作品のレプリカの展示などがある。またホール内ポディウムには「豊国祭礼図屏風」の高精度複製が立てかけられている。余談だが、この「豊国祭礼図屏風」には嘘がある。豊臣秀吉七回忌として慶長9年(1604)に行われた豊国大明神臨時祭礼であるが、その2年前に方広寺の大仏殿は火災で焼失しており、「豊国祭礼図屏風」に描かれている大仏殿は焼失前のものを仏画などによく見られる異時同図で描いたもので、実際には祭礼が行われた時には大仏殿はなかったのだ。大仏殿の再建が始まるのは慶長13年に入ってからである。

曲目は、前半が「音楽の都『ウィーン』を想う」と題して、ヨハン・シュトラウスⅡ世のワルツ「美しく青きドナウ」、ヨハン・シュトラウスⅠ世の「ラデツキー行進曲」、ヨハン・シュトラウスⅡ世の喜歌劇「こうもり」序曲、モーツァルトの交響曲第41番「ジュピター」第1楽章という曲が並ぶ。後半は「岸田繁『ウィーン』の景色」という題で、岸田繁が作曲した「心の中のウィーン」と「ジュビリー」が演奏される。「ジュビリー」は岸田のギター弾き語り入りである。ナビゲーターは栗山千明。

今日は客演のコンサートミストレス。顔に見覚えがあるような気もするが思い出せない。フォアシュピーラーに尾﨑平。

席であるが、最前列の指揮者のほぼ真後ろという、先日観た映画「レディ・マエストロ」のような状態。最前列は直接音が強すぎて音は余り良くない。管楽器のメンバーの顔も弦楽奏者の影になって窺えず、フルート首席の上野博昭が前半のみ、クラリネット首席の小谷口直子は前後半共に出演ということぐらいしかわからない。トランペットは第1部ではハラルド・ナエスの、第2部では稲垣路子と早坂宏明の顔が確認出来たが、全体としてどういう布陣だったのかは不明である。
栗山千明を間近で見られるのは嬉しかったけれど。

開演前に、「時の響」実行委員会に名を連ねている公益財団法人京都市音楽芸術文化振興財団と大日本印刷株式会社の代表者からの挨拶があった。

ヨハン・シュトラウスⅡ世のワルツ「美しく青きドナウ」。ニューイヤーコンサートで演奏される類いのものとは違い、がっしりとしたシンフォニックな演奏で来たのが意外だった。中間部でテンポを落としてからアッチェレランドし、ステップを踏みながら踊るのが広上らしい。

演奏終了後に、ナビゲーターである栗山千明が登場。今回の演奏会は京都を前面に押し出しており、また公益財団法人京都和装産業振興財団による「きもの文化をユネスコ無形文化遺産に!」という推進運動もあって、着物着用の聴衆にはキャッシュバックがある。栗山千明もプログラムにわざわざ「きもの着用」と書かれており、その通りの格好で現れる(現れないとまずいが)。クリムトと尾形光琳の絵には金箔が用いられているということで、栗山千明の着物にも金が用いられているのだが、ぱっと見はよく分からない。広上が「金(きん)あるの?」と聞き、栗山が「あります」と答えていた。このやり取りは台本にはないそうである。
栗山千明で京都というと、まずフジテレビ系の深夜に放送されていた「0-daiba.com」の京都特別編「京都慕情」が思い浮かぶ。栗山千明演じる成瀬一美は、京都芸術センターや百万遍交差点などを訪れている。
また映画「鴨川ホルモー」では、オタクっぽい京大リケジョの「凡ちゃん」こと楠木ふみを演じている。

広上による楽曲解説。「美しく青きドナウ」はオーストリア(広上はオーストリーという呼び方をしていた)第2の国歌と呼ばれており、広上は「日本でいう『故郷』のようなもの」と語る。またウィーンは京都に似ているということで、京都に例えて「美しく青き桂川のような」と表現する。ドナウ川はウィーン市の郊外を流れているため、京都の町中を流れている鴨川はやはりちょっと違うだろうと思われる。東京だと隅田川ではなくて多摩川、大阪だと淀川じゃなくて……、大阪市の郊外には綺麗な川はあったかな? 大和川は絶対に違う。
ウィーンはハプスブルク家の都で魅力的な場所であり、昔から様々な人がそこをものにしようと狙って来た。そこも京都に似ていると広上は述べる。
またヨハン・シュトラウスⅡ世とⅠ世は親子で同じ名前だと紹介し、ヨハン・シュトラウスⅠ世は放蕩者だったため、Ⅱ世が15歳ぐらいの時によそに女を作って出て行ってしまったという話をする。Ⅱ世はそれまで本格的に音楽に取り組む気はなかったのだが、生活費を稼ぐために音楽を学んで成功。父とはライバル関係になって勘当されたりもしている。実はⅡ世も弟2人に作曲をするよう強要して兄弟仲まで悪くなってしまうのだが、それはまた別の話である。

栗山千明は、「ラデツキー行進曲」を「デラツキー行進曲」と間違えて紹介。広上がすぐ「ラデツキー行進曲は」と言い直して、ウィーンのニューイヤーコンサートでお客さんが手拍子を入れるという話をしたのだが、結局、その後も栗山千明は「デラツキー行進曲」と何度も間違え続けていた。「ラデツキー行進曲」も知らないという事は、クラシック音楽に関してほとんど何の知識もないということであり、ちょっとがっかりする。

「ラデツキー行進曲」では、広上はオーケストラよりも聴衆の拍手を中心に指揮した。カットありの版での演奏。

 

ヨハン・シュトラウスⅡ世の喜歌劇「こうもり」序曲。喜歌劇「こうもり」はウィーンでは年末に上演されることが恒例となっている。
華やかさとスケールの大きさ、ウイットを兼ね備えた演奏で、京響の響きも充実している。

演奏終了後に登場した栗山千明は、「先程は大変失礼いたしました。『ラデツキー行進曲』」と詫びていた。

モーツァルトの交響曲第41番「ジュピター」第1楽章。この曲では栗山はなぜか「ジュピター」というタイトルは一度も告げなかった。
広上が栗山に、「モーツァルトがどういう人だったかご存じ?」と聞き、「ごめんね、台本にないことばかり言って」と続ける。「実際に会ったわけじゃないんですが」と広上は前置きして、「ハリウッド映画で『アマデウス』という作品がありましたが、あれに出てくるモーツァルトはフィクションです。ただ書き残したものから、あれに近い人だったんじゃないかと言われています。人前では言えないようなことを書いていたり、女の子が『キャー!』とか『わあ!』とか言うと、『うひひひひ』と喜ぶような。小学生がそのまま大きくなったような、こういう人ってどう?」
栗山「仲良くなりやすいとは思います」(若干引き気味に見えたが気のせいだろうか)
広上「そういう人を喜ばせるのが好きな人だったと思います」

「ジュピター」を得意とする広上。澄んだ弦楽の響きを生かした純度の高い演奏を繰り広げる。弦のビブラートは各々で異なり、ピリオドを徹底させた演奏ではないが、途中で現れる音を切りながらの演奏は古楽を意識したものだろう。
モーツァルト本人はあるいは全く意識していなかったかも知れないが、今日のような演奏で聴くと本当に宇宙的な音楽に聞こえる。

 

くるりの岸田繁が登場しての後半。栗山千明が、くるりがウィーンでレコーディングを行った経験があることなどを紹介する。ウィーンについて岸田は「京都に似ている」と言い、広上は意見が合ったと喜ぶ。「人口も180万くらいで(京都市は147万人ほどだが昼間人口は増える)。まあ同じぐらい」「中心部は昔ながらの建物が残されていて(第二次大戦の戦災で焼失したものもあるが元通りに復元されている)、郊外には意外に工業地帯があったりする」。ドイツ語圏ではあるが言葉も違い、「おはよう」も「グーテンモルゲン」ではなく、「グリュースゴット」と言うと紹介する。ウィーンで初めて聞いた時は岸田は意味が分からず、「なにそれ?」と聞き、「いや、ウィーンではこうやって言うんだ」と主張された(?)そうである。「グリュースゴッド」は、「神があなたに挨拶しますように」という意味で、広上は「キザ」と形容する。
岸田は自身の事を述べる際には「僕はキザではないんですが」と断りを入れていた。

「心の中のウィーン」はワルツと4拍子を取り入れた曲であり、ウィンナコーヒーのような甘さを意図的に出している。

岸田繁のギター弾き語り入りの「ジュビリー」はウィーンで作曲されたというだけで、特にウィーン情緒を出した感じは受けなかった。

 

1時間ほどの休憩を入れて第2部スタート。休憩の間、私は一度外に出て自販機でカフェラテを買って飲んだ。特にウィーンを意識したわけではない。

 

第2部は、「古都京都の文化財世界遺産登録25周年」京都今昔物語と題したコンサートで、新作の世界初演2曲が続く。

開演前に門川大作京都市長の挨拶があり、文化庁の京都移転や京都駅東南地区を共生の街にするプランなどが話された。どちらもちょっと前までは明るい話題であったが、そこは京都ということか、何やら暗雲が垂れ込み始めている。
門川市長は、「日本が世界に誇れるもの、それは文化」と語っていたが、現状ではこれも疑問である。クラシック音楽の分野における日本の未来は明るいかも知れないが、その他は厳しいかも知れない。

 

まずは母校の京都市立芸術大学作曲科講師でもある酒井健治のヴィオラ協奏曲「ヒストリア」。ヴィオラ独奏は、京都市交響楽団首席ヴィオラ奏者の小峰航一が務める。
疾走するヴィオラをオーケストラが盛り立てていくような曲調である。メシアンにも近いがノーノ的にも聞こえる。ヴィオラ協奏曲ということで、ヴィオラ独奏がオーケストラのヴィオラパートと歌い交わす場面もあり、意欲的な作風だ。
緊迫感もあり、面白い楽曲である。ヴィオラ独奏はかなり難度が高そうであったが。

 

今日最後の曲は、岸田繁の作・編曲(共同編曲:足本憲治)による「朗読とオーケストラ 京のわらべうた変奏曲による『徒然草』」~京都生まれの日本哲学~。吉田兼好の「徒然草」を現代語訳したものを栗山千明が朗読し、背後のスクリーンには武蔵野美術大学出身の文字×映像ユニット宇野由希子+藤田すずかによる文字アニメーションが投映される。

岸田繁の音楽はタイトルの通り、「丸竹夷二押御池 姉三六角蛸錦」という京の通り名を挙げる「京のわらべうた」を変奏していくもので、オーケストラのパレットも次々変わる。酒井健治の作品とは対照的であるともいえる。
素朴で愛らしいメロディーを奏でるのだが、広上の指揮ということもあってか響きは意外に重厚で輝かしく、さながらベンジャミン・ブリテンの「青少年のための管弦楽入門」の日本版のような趣である。
栗山千明が読み上げるテキストは、「人生の短さ」「物事を先延ばしにすることの愚かしさ」「想像力の大切さ」「先入観を捨てることの有効性(虚であるべきこと)」などを抜粋したもの。葵祭が終わった夕暮れの寂しさなども採用されている。
栗山千明は茨城県出身なので標準語とは少し異なるイントネーションである。明るめの声を生かし、「流石は国際派女優」のしっかりした朗読を披露した。

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2019年10月26日 (土)

観劇感想精選(322) 宮沢りえ×堤真一×段田安則 シス・カンパニー公演「死と乙女」

2019年10月18日 大阪・西梅田のサンケイホールブリーゼにて観劇

午後7時から、西梅田のサンケイホールブリーゼでシス・カンパニー公演「死と乙女」を観る。宮沢りえ、堤真一、段田安則による三人芝居。作:アリエル・ドーフマン、テキスト日本語訳:浦辺千鶴、演出:小川絵梨子。上演時間約1時間35分、途中休憩なしである。

アリエル・ドーフマンは、1942年生まれの小説家、劇作家、詩人、ジャーナリスト、人権問題活動家。アルゼンチンに生まれ、3歳の時に一家で渡米。1954年にはチリに移り、70年に社会主義国家を目指したアジェンデ政権発足時に文化補佐官を務める。73年にチリで軍事クーデターが起こるとオランダに亡命。その後、アメリカに移り、90年にチリのピノチェト政権が終焉を迎えてからはアメリカとチリを往復する生活を送っている。


アリエル・ドーフマンが青年時代を過ごしたチリと思われる国が舞台であるが、ドーフマンは国の名を特定していない。この国では17年間に渡って軍事独裁政権が続いていたが、それが引っくり返った。かつて反独裁政権運動組織に所属していた弁護士のジェラルド・エスコバル(堤真一)は、大統領から直々に人権調査委員会への中心メンバーとしての加入を打診される。軍事独裁政権が続いていた間、数え切れないほどの無辜の人々が政治犯の疑いによって姿を消していた。ジェラルドはそうした人々の関係者に話を聞いて回り、大量虐殺の真相を突き止めようという役割に就こうとしていたのだ。
大統領と面会した夜、ジェラルドは帰り道に車のトラブルに見舞われる。パンクをしてしまい、トランクに入れていた代わりのタイヤも使い物にならない。そもそもジャッキがなくなってしまっていた。たまたま通りかかった医師のロベルト・ミランゲ(段田安則)の車に乗ってジェラルドは帰ってくるのだが、ロベルトの声を聞いたジェラルドの妻のポーリーナ(宮沢りえ)は、15年前に自分を監禁し、何度も強姦するよう仕向けた医師こそがロベルトなのだと確信する。監禁されていた間、ポーリーナはずっと目隠しをされていたのだが、見えないことで聴覚が研ぎ澄まされ、医師の声をずっと覚えていたのだという。ポーリーナもロベルト同様、反独裁政権運動組織に入っていたのだが、1975年のある日突然誘拐され、拷問を受けたのだった。ポーリーナは当時医学部に通う学生だったのだが、卒業は出来ず、当然ながら医師資格も得られていない。今はジェラルドの妻として暮らしているが、精神的に不安定であり、ずっと神経質な仕草を繰り返している。

ロベルトが再びジェラルドの家を訪れた日。深夜ということで、ロベルトはジェラルドの家に泊まることになったのだが、夜中、眠っていたロベルトをポーリーナが襲う。ポーリーナはロベルトを椅子に縛り付け、拳銃で脅して、かつて自分を監禁した秘密警察に協力し、指示を出していた医師はロベルトだろうと詰め寄る。ロベルトは何のことかわからないと否定するのだが……。

15年前、ポーリーナが監禁されていた時に、秘密警察の医師はシューベルトの音楽をよく流していた。ポーリーナはシューベルトが好きだったが、その時のトラウマで今はシューベルトの音楽を聴くことが出来ない。ポーリーナはロベルトを襲撃した後で彼の車を移動させて見えないところに隠したのだが、その際、車の中にシューベルトの弦楽四重奏曲「死と乙女」のテープがあったのを発見し、ラジカセにテープを入れて流す。死を恐れる瀕死の乙女に死神が優しく語りかけるという内容の「死と乙女」になぞらえた心理的攻防が展開されていく。

ポーリーナはロベルトを私的裁判に掛けようとするのだが、「これでは俺たちが否定し続けて来たことと同じだ」とジェラルドは強く反対する。ジェラルドは責任ある立場に就くことが決まった今、妻の行いが表沙汰になることで積み上げてきたことが全て崩壊してしまい、元の暗黒へと戻ってしまうことも恐れている。

独裁政権が終わり、民主主義の時代がやって来た。だが、その中でポーリーナは復讐として独裁者と同じような行動に出てしまう。独裁を否定し、危険を冒して反対運動に身を投じて来たはずが、独裁者を同じような振る舞いをするようになってしまうのである。ポーリーナの復讐と秘密警察の行いとの間に差があるかといえば、ほとんどない。かつての被害者は加害者となって同じ事を繰り返してしまう。鏡の反転の中で行われる芝居である。

ロベルトが本当に秘密警察に協力してポーリーナを蹂躙した医師だったのかどうか、はっきりとは明かされない。ジェラルドの提案で、ポーリーナもロベルトも証言をテープに録音し、書き起こすことになるのだが、ロベルトはポーリーナの証言を先に聞いてから証言を行っており、またジェラルドから事の成り行きを教えて貰ったそうで、処刑を免れるために流れに沿って証言したという。だが、ポーリーナは自身の証言の中に嘘を交えており、ロベルトがポーリーナが語った偽の固有名詞などを無意識のうちに正確なものに変えてしまっていると指摘する。ただこれも本当のことなのかわからない。
ロベルトは、秘密警察に協力していた医師同様、ニーチェの言葉を引用する。またシューベルトの音楽を好む。ただ、それだけである。それだけではなんともいえない。ポーリーナがロベルトがその医師だと判断した根拠は声だが、顔を見ていない以上、確固たる根拠と見なすことは出来ない。
被害者意識が暴走しているだけのようにも見える。それはある意味、痛みの告白であると同時に新たなる社会への警告でもある。


ラストはそれまでの話の流れとは切り離されたものだ。教会で行われるコンサート。演目はシューベルトの弦楽四重奏曲第14番「死と乙女」。ジェラルドとポーリーナの夫妻が並んで腰掛け、ロベルトはやや離れた後ろ側の席で聴く。途中、ポーリーナが振り向き、ロベルトと視線を交わす。ポーリーナは笑みを浮かべ、ロベルトは浮かぬ顔のままだ。ただ、基本的には全員が同じ方向を向いている。
この場が何を意味するのか明確に示されてはいない。ポーリーナがシューベルトの音楽を聴けるようになったことはわかるが、それまでにどのようか過程があったのか、何をどう乗り越えてここに至ったのか、死があったのか和解がなされたのか、あるいはこの場面全てが幻想なのか。ただ例え幻想であったとしても、それはリアルで切実なものである。


「死と乙女」が映画化された際、監督を務めたロマン・ポランスキーは、「『羅生門』のビデオをもう一度観たいのだが、手に入るだろか?」とアリエル・ドーフマンの妻に打診したことがあるそうだが、確かに「死と乙女」は映画「羅生門」と原作である芥川龍之介の「藪の中」に似た構図と内容である。証言が食い違う場面などは酷似している。

個人的には、マルグリット・デュラスの「ヴィオルヌの犯罪」を思い出した。この作品も録音された声による証言を巡る話である。戯曲をデュラス自身がリライトしたものが文庫から出ており(今は絶版かな?)、戯曲も大きめの図書館に行けば読むことが出来るが、上演自体は私が確認した限りでは日本ではほとんど行われていない。デュラスは「ユダヤ人の家」もそうだが、こうしたテイストの戯曲は多い。

宮沢りえの演技が本当に素晴らしい。心に傷を負いながら、時にサディスティックに、時にセンシティブになるポーリーナを声色を変えつつ抜群の説得力を持って演じている。映画「人間失格 太宰治と3人の女たち」での演技も見事だったが、宮沢りえもいよいよ本物である。挫折とスキャンダルも多かった俳優人生であるが、頂点に立つ一人へと駆け上がりそうだ。

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2019年10月19日 (土)

観劇感想精選(321) 南座新開場記念 藤山直美主演 「喜劇 道頓堀ものがたり」

2019年10月13日 京都四條南座にて観劇

午後4時から、京都四條南座で「喜劇 道頓堀ものがたり」を観る。三田純市の小説『道頓堀』を原作とする作品。脚本:宮永雄平、演出:浅香哲哉。主演:藤山直美。出演:喜多村緑郎、河合雪之丞、松村雄基、鈴木杏樹、石倉三郎、春本由香、辻本祐樹、三林京子、大津峯子、林与一ほか。セリフらしいセリフを貰えていない役ではあるが、吉本新喜劇の「横顔新幹線」こと伊賀健二や京都の小演劇界で活躍している岡嶋秀昭なども出演している。

道頓堀に大阪松竹座を持っている松竹であるが、今回は南座新開場記念として敢えて京都で上演される。藤山直美は藤山寛美の娘ということで大阪のイメージが強いが、実は京都女子高校出身であり、京都に縁のある人である。

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「喜劇 道頓堀ものがたり」は平成12年11月に大阪松竹座で初演された作品で、道頓堀五座と呼ばれた5つの劇場(中座、浪花座、朝日座、角座、弁天座)が建ち並び、日本屈指の演劇街であった時代の道頓堀を描いている。道頓堀五座のうち、現在も稼働している劇場は実は一つもない。最も権威のあった中座もすでに解体され、跡地には中座くいだおれビル(現在は、くいだおれ太郎はここにいる)が建ち、地下に演劇も上演できる2つのライブハウスを持っているが、昔ながらの芝居が上演されることはまずない。角座は戦災で焼失した後に映画館になったり演芸場として生まれ変わったりしていたが、今は場所も移転し、道頓堀の劇場ではなくなっている。

松竹の芝居ということで、創設者の一人である白井松次郎が登場。松村雄基を配して(実は初演時の白井松次郎を演じていたのも松村だという)やたらと男前に描かれている。

 

歌舞伎から喜劇に転じることになる尾野川菊之助(喜多村緑郎)を妻として支えることになるお徳(藤山直美)が主人公。お徳は父に先立たれたため奈良から大阪に出てきたのだが、道頓堀で芝居に目がくらんでしまって通い詰めているうちに金がなくなり、芝右衛門狸のようにアオタ(芝居のただ見)を行って劇場から叩き出される。その場にいた芝居茶屋・菊濱の女将である菊乃(三林京子)に「そんなに芝居が好きなら」ということで、お茶子として引き取られることになったお徳は、実は最も好きな役者である菊之助が生まれ育ったのがここ菊濱と知り、菊之助に出会うと卒倒するほどに喜ぶ。
その菊之助であるが、華があり人気もあって将来の尾野川一座の看板となる資質十分なのだが、先代の型に従わず、独自の演技をしてしまうため、周囲からの評判が悪い。そこで師匠である尾野川延十郎(林与一)によって弟分である女形の尾野川あやめ(女形の場合は弟分でいいのだろうか? 演じるのは河合雪之丞)と共に喜劇劇団に移籍させられることになる。当初は見捨てられたと感じ、一日も早く歌舞伎に復帰することを願う菊之助だったが……。

 

人情芝居であり、難しい部分も特にない。実話も絡めた庶民向けの話であり、大阪や道頓堀に通い慣れている人にはとても面白く感じられるだろう。喜多村緑郎、河合雪之丞、林与一といった歌舞伎畑出身の俳優による「恋飛脚大和往来」より“封印切の場”や「瞼の母」の稽古シーンなどが劇中劇として入っているのも芝居好きには一粒で二度美味しいといったところだ。

基本的に藤山直美のキャラで持たせている芝居であるが、他の役者も好演。尾上松助の娘で尾上松也の妹である春本由香は生まれつきなのか環境の方が大きいのかは分からないが華があり、演技のセンスも高い。実は関西出身である鈴木杏樹は慣れた感じの大阪弁による台詞回しが魅力的であった。

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2019年10月17日 (木)

2346月日(17) ラボカフェ「社会と表現の相互作用-フィンランド近現代史と陶芸」

2019年9月16日 京阪なにわ橋駅アートエリアB1にて

午後2時から、京阪電車なにわ橋駅アートエリアB1で、ラボカフェ「社会と表現の相互作用-フィンランド近現代史と陶芸」を聴く。すぐそばにある大阪市立東洋陶磁美術館で開催されている「フィンランドの陶芸 芸術家たちのユートピア-コレクション・カッコネン」との連携プロジェクトである。ゲストは、石野裕子(国士舘大学文学部史学地理学科准教授)と宮川智美(大阪市立東洋陶磁美術館学芸員)。カフェマスターは、當野能之(大阪大学言語文化研究科講師)。

石野裕子は、フィンランド史が専門。フェリス女学院大学文学部を経て、津田塾大学大学院国際関係学研究科博士課程単位取得退学後に博士号取得。中央公論社から『物語 フィンランドの歴史』を上梓している。

 

日本で北欧関係というと、東海大学の文化社会学部に北欧学科(旧文学部北欧学科。その前は文学部北欧文学科であった)があるだけであり、フィンランド語を専攻できるのもここが唯一。専門家を生み出す課程自体は少ないということで、日本では一般に北欧のイメージは良いが、北欧の歴史や文化までもが熟知されているというわけではない。

カフェマスターの當野能之が所属している大阪大学言語文化研究科は、外国語学部の研究科で、大阪大学の外国語学部は大阪外国語大学時代から日本で最も多くの言語を教える外国語学部であったが、スウェーデン語専攻はあるものの、フィンランド語のコースは残念ながらないそうである。フィンランド語は他のヨーロッパ言語とは異なる構造を持つことで知られている。

 

まず石野裕子によるフィンランド現代史の概説が述べられ、次いで宮川智美による大阪市立東洋陶磁美術館で開催中の「フィンランドの陶芸 芸術家たちのユートピア-コレクション・カッコネン」展示作品の解説がある。

フィンランドは約600年に渡ってスウェーデンの統治下にあり、公用語はスウェーデン語だけで、フィンランド語は農民達が話す言葉であった。支配層はスウェーデン系が多く、スウェーデン語が話されていた。それが1809年にスウェーデンとロシアの間で2度目の戦争があり、ロシアが勝利して、フィンランドはロシアに割譲される。ここにフィンランド大公国が生まれ、フィンランドはロシアの中の一国となる。フィンランド大公はロシア皇帝が兼任しており、独立を果たしたわけではなかったが、フィンランド人による自治が認められ、やがて公用語にフィンランド語が加わることになる。
その後、アレクサンドル2世の時代にフィンランドの自由化があり、フィンランドは「自由の時代」を迎えるが、アレクサンドル2世が暗殺され、ドイツの台頭が顕著になると、ロシアはフィンランドへの締め付けを強化し始める。エートウ・イストの風刺画「攻撃」が描かれたのがこの頃だそうだ。

1917年にロシアで2月革命が起こると、フィンランドは同年12月6日に独立を宣言する。だが、そのまますんなりとは進まず、親ソ連派の赤衛隊と親ドイツ派の白衛隊に分かれて内戦が起こり、白衛隊が勝利したが、フィンランド人同士での殺し合いが発生し、約3万人が犠牲になったという。
更に第二次世界大戦ではソ連と戦い、冬戦争と継続戦争という2度の戦いにいずれも敗北(2つの戦争は日本の人気漫画に出てくるそうで、若い人の間では知名度が高いそうだ)。フィンランドはカレリア地方を含む国土の10分の1を失い、多額の賠償金を支払うことになる。
フィンランドが世界に復興を示すのは、1952年のヘルシンキ・オリンピックを待たなければならなかった。ちなみに1940年の東京オリンピックが返上された時、次点であったヘルシンキが開催地に決まったが、大戦が始まってしまったため中止となっている。1940年のヘルシンキ・オリンピックのためにデザインされたポスターは、1952年のヘルシンキ・オリンピックのポスターとして年号だけ変えて使用されたそうである。

 

宮川智美によるフィンランド陶芸の解説。ラボカフェの最初の挨拶で、當野能之がフィンランドの陶芸について、「(イメージと違って)意外だった」と述べていたが、大阪市立東洋陶磁美術館の「フィンランド陶芸」に並ぶ作品は、バラエティに富み、「フィンランドのデザイン」と聞いて思い浮かべるすっきりとしたものもあるがそうでないものも多い。
ただ、まずはもう一つの展示であるマリメッコについてから。フィンランドを代表するテキスタイルブランドのマリメッコ。「マリのドレス」という意味だが、マリというのは、創設者の一人であるArmi Ratiのファースネームの綴りを変えたものに由来しているという。ジャクリーヌ・ケネディなどがマリメッコの衣装を愛用したことで、「知識人のユニフォーム」と言われた時代もあったようである。

そしてフィンランドの陶芸史。
フィンランドの陶芸に偉大な足跡を残している人物は二人いる。アルフレッド・ウィリアム・フィンチとクルト・エクホルムであるが、二人ともフィンランド人ではない。フィンチはイギリス系両親の下、ベルギーに生まれ育ち、ベルギーで画家として活動した後に陶芸にも乗り出し、実践的な芸術運動であるアーツ・アンド・クラフト運動に乗る。やがてフィンランドに招かれ、1897年に設立されたアイリス工房で陶芸を指導。アイリス工房自体は5年の歴史しか持たずに閉鎖されてしまったが、1900年のパリ万国博覧会のフィンランド館にアイリス・ルームなる展示を行い、評判を呼んでいる。アイリス工房閉鎖後は、フィンチはアテネウム(工芸中央美術学校)の教師となり、後継者の育成に尽力。フィンランドを代表する陶芸作家達を生み出していった。
クルト・エクホルムは、スウェーデン出身。ストックホルムで陶磁器デザインを学び、ヘルシンキのアラビア地区に生まれたアラビア製陶所を率いて活躍していく。クルト・エクホルムは陶芸作家でもあったが、批評家としても活動し、実績を残しているようだ。
スウェーデンの陶芸会社であるロールストランド製陶所が税制優遇のためにヘルシンキに作ったのではないかといわれるアラビア製陶所。エクホルムはこの製陶所美術部門のディレクターとなる。ここに所属する陶芸作家達は、社員ではあるが、製陶所の売り上げに繋がる作品を制作するよりも、個々の個性に根ざした作品を作ることが奨励されるという恵まれた環境にあった。社員に女性が多かったのも特徴である。フィンランドでは昔から女性の地位は諸外国に比べて高かったようである。
ただ、アラビア製陶所の作風は凝っていたため、「ライオンとコーヒーカップ」論争というものが起こり、陶器はもっと実用的なものであるべきだという立場の人々からは「ボタンホールの飾りに過ぎない」と批難された。これを受けて、機能主義的な作品を生み出していったのがカイ・フランクらである。カイ・フランクの作風などはシンプルですっきりとしていてそれでいてチャーミングというアルヴァ・アアルトに代表されるいわゆる北欧デザイン的な特徴が表れている。ただ、カイ・フランクらの作風だけがフィンランド陶芸ではなく、もっと多様性を持つのがフィンランド陶芸なのだそうだ。

 

再び、石野裕子による講義「19世紀フィンランドの芸術とナショナリズム」
アレクサンドル2世時代にフィンランド語が公用語となったとき、人々はフィンランド人のアイデンティティを求めるようになる。「もうスウェーデン人ではない。ロシアン人にもなれない。ならばフィンランド人で行こう」という言葉と共に、ナショナリズムが勃興する。
フィンランド的なるものを追求した時に注目されたのだが、叙事詩「カレワラ」である。スウェーデン系フィンランド人であるシベリウスも「カレワラ」を題材にした「クレルヴォ」交響曲を書き、同じくスウェーデン系フィンランド人の画家であるアクセリ・ガッレン=カッレラは「カレワラ」を題材にした絵画を制作している。

一方、文学の方は、ルーネベリとトペリウスというスウェーデン系の作家が生まれた。ただ当然ながら、スウェーデン語での文学であり、フィンランド語による本格的な文学の誕生は、フランス・E・シッランパーの登場を待たねばならなかった。

それまでスウェーデンとロシアという二つの大国の間に押し込められてきた感のあったフィンランドに、「ヨーロッパの一員となりたい」という希望が生まれ、「ヨーロッパへの窓を開けよ」を合い言葉に、松明を掲げる者たちと呼ばれた人々が勢いを増す。ヨーロッパの文化が盛んに取り入れられるようになるのだが、当時の、特にフランスではジャポニズムが流行っており、フィンランドの画家達もそれを間接的に受け入れて、「カレリア」の挿絵を浮世絵の手法を入れて描いたりしているそうである。
この頃、フィンランドは右傾化し、男子学生は「大戦で奪われたカレリアを取り戻せ」としてカレリア学徒会に参加、女子学生は「良き家庭」を理想としたロッタ・スヴァルトという保守的団体にこぞって加入する。
こうしたナショナリズムは言葉と密接に関係しているが、言葉を用いない陶芸や絵画はそれにとらわれない自由さがあり、ナショナリズムでひとくくりには出来ないというのが石野の意見のようである。

フィンランドは人口が約500万人と少ないので個を大切にする教育が行われており、またフィンランドに限らず北欧全体にいえることだが、芸術への手厚い保護があり、例としてシベリウスが若い頃から生涯年金を貰っていたという話をする。アラビア製陶所も企業ではあるが、売れ線のものを作らずに個性を発揮させることが許されていた。そのため、バラバラな個性の陶芸が生まれたのではないかというのが石野の想像のようである。

フィンランド的なデザインとしてよく挙げられるアルヴァ・アアルトとの関係であるが、二人とも建築やデザインは専門ではないのでよくわからないとしていたが、カイ・フランクなどは多分にアアルト的であり、人間の自然にフィットしているように感じられる。これはシベリウスの音楽にも共通することである。

 

思えば、私がシベリウス以外でフィンランドについて注目したのは、ヘルシンキ大学の学生だったリーナス・トーバルズが、UNIXをベースとして生み出したLinuxが初めであった。Linuxは個々が自由に改良できるオープンソースOSであり、個性や多様性を許したプログラムである。また汎用性豊かという意味で極めて機能的である。Linuxがフィンランド的なるものに根ざしているのかどうかはわからないが、少なくとも「発想」に関してはフィンランドのような歴史を持つ国からでないと生まれないような気がする。

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