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2021年8月 2日 (月)

観劇感想精選(406) NODA・MAP第24回公演「フェイクスピア」

2021年7月24日 大阪・上本町の新歌舞伎座にて観劇

午後6時から、大阪・上本町の新歌舞伎座で、NODA・MAP第24回公演「フェイクスピア」を観る。上演時間約2時間5分、途中休憩なしである。作・演出・出演:野田秀樹。出演:高橋一生、川平慈英、伊原剛志、前田敦子、村岡希美、白石加代子、橋爪功ほか。衣装:ひびのこづえ。音楽・効果:原摩利彦

「フェイクスピア」は戯曲が「新潮」1398号(2021年7月号)に掲載されており、私も同号を藤野可織の「ねむらないひめたち」を読むために買っているのだが、これまで野田秀樹の戯曲を読んでから上演を観た場合、がっかりすることが多かったので(野田秀樹の戯曲は上演前に雑誌に発表されることも多い)、今回も読まずに本番に挑んだ。あらすじや何が描かれているのかも知れないままである。
私の場合、有料パンフレットを買うことは少ないのだが、野田秀樹作品の場合は買うことも多く、今日も手に入れたのだが、そこにもネタバレは全くと言っていいほど書かれていない。

ただ、今回は始まってすぐに何の話かは分かった。8月12日という日付と、高橋一生演じるmonoが唐突に繰り出す「頭下げろ!」というセリフによってである。年配の方、特に東京と大阪の方はこれだけでピンとくる方も多いと思われるが、描かれているのは、1985年8月12日に起きたJAL123便墜落事故(日本航空123便墜落事故、日航123便墜落事故)である。今回のNODA・MAP(野田地図)の公演は、コロナの影響もあってか、東京と大阪のみで行われるが、JAL123便が羽田空港発大阪空港(伊丹空港)行きだったということもあり、犠牲者のかなりの割合を、東京と阪神地域も含めた大阪の方が占めており、東京と大阪で上演する意義のある題材を選んだということになる。

「フェイクスピア」という、「フェイク」と「シェイクスピア」を掛けたタイトルであることから、フェイクが仕込まれていることが多いが(12日も「十二夜」に繋がるが関係はない)、JAL123便墜落事故もフェイクニュースがネットなどでたびたび流れる。

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幕が上がると、アンサンブルキャストが手前から奥に向かって並んでいる。その前に一人、高橋一生演じるmonoだけが床に座って小箱(戯曲では「パンドラの匣」」などにちなみと思われる「匣」表記である)のようなものを開ける。舞台は青森県の恐山。匣からは次々を言葉が漏れ(アンサンブルキャストが一人一人、何かを言っていく)……。
というところで板付のメンバーはいったん退場し、白石加代子が一人で登場する。白石加代子は白石加代子としての登場である。「白石加代子です。女優をやっております。……そんなこと知ってるよ、ですよね。でも私が女優を始める前の職業はご存じないでしょう。実は私は、高校卒業後、青森県の恐山でイタコの修行をしておりました」と語るのだが、これは思いっ切りフェイクである。白石加代子の前職はその意外性もあってよく知られている。実は彼女は、高校卒業後、東京都の職員(港区役所勤務)をしていた、つまり公務員だったのである。ただ白石加代子は、役所広司とは違ってそれらしい芸名を付けてもいないし、ほぼ舞台にしか出ないということでお茶の間で彼女を見ることも少ない。ということで、あるいは本当にイタコの修行をしていたと思い込む人もいたかも知れない。ちなみにイタコは俳優のメタファーとしても分かりやすく示される。

イタコの才能には欠けていた白石は、恐山を去ることになる(という設定)のだが、「午後6時56分28秒(JAL123便が御巣鷹尾根に墜落した時刻)」に予約を入れた不思議な客がいたことを語る。そこから白石加代子は、白石本人ではなく、「アタイは50年間もイタコの見習いをやっている」皆来(みならい)アタイに変じる。
予約を入れたのは、monoと楽(たの。橋爪功)の二人、細かすぎる予約だったのに、ダブルブッキングとなってしまう。ここで突然、monoが「頭下げろ!」と言い出す。

JAL123便のボイスレコーダーに記録されていたコックピットの音声は、ナレーションによる再現音声として、事故発生の数日後から何度もテレビ等で流され、一定以上の年齢の方には、機長が何度も発する「頭下げろ!(「機首を下ろせ!」という意味)」という言葉は、記憶に強烈に焼き付いているはずである。
monoは実は、JAL123便の機長であり、亡くなってからも息子の楽(橋爪功演じる楽の方がmonoよりも年上だろうと思わせるのもフェイクである)を思って恐山に留まっていたのである。冒頭のシーンでmonoが手にしていたのもJAL123便のボイスレコーダーである。JAL123便のボイスレコーダーの音声はその後に一部が流出するが、録音が不鮮明ということもあって様々な憶測を呼び、多くのフェイクがまかり通ることになる。

「頭下げろ!」だけでJAL123便の話だと分かった人も少なくなかったはずだが、若い人は、JAL123便墜落事故が起きた1985年当時は幼かったか、まだ生まれていなかったという人が多数であるため、少しずつネタを明かしていくというミステリー仕立てになっている。ちなみに私は、1985年には小学校5年生であるが、8月に生まれて初めて飛行機に乗って北海道へ家族旅行に行っている。北海道は連日32度以上を記録する歴史的な猛暑で、8月11日に千歳空港から羽田空港に帰ってきたら、東京は25度だったということで、わざわざ暑い場所に行っていたことになる(北海道で連日32度を超える猛暑が「歴史的」だったり、東京の最高気温が25度というところに時代を感じる)。私達が乗ったのは全日空機(ANA)だったが、JAL123便墜落事故が起こったのは、私が羽田に帰ってきた翌日のことであった。

JAL123便墜落事故を題材にした演劇作品としては、劇団離風霊船(りぶれせん)の「赤い鳥逃げた…」が有名であり、私も2005年に大阪市立芸術創造館で劇団離風霊船による上演を観ているが、「もはや時代遅れ」というのが正直な印象で、離風霊船も2005年以降は「赤い鳥逃げた…」を上演していない(2005年もJAL123便墜落事故20年ということで特別に上演されたものである)。ちなみに「赤い鳥」というのはJALの赤い鶴丸のことであるが、今回の「フェイクスピア」では、赤い鳥ではなく白いカラス(日航機の機体をイメージしたものだと思われる)で、前田敦子が演じている。前田敦子は星の王子様なども演じているが、こちらもやはり飛行機絡みである。初登場は皆来アタイの母親の伝説イタコという設定であったが、飛行機や包丁(演劇好きは笑うところ)の話をして、アンサンブルキャストに抱えられ、飛行機で飛ぶような格好で退場していく。

monoや楽が、皆来アタイについた霊を見たり、逆にmonoや楽に霊がついたりして、シェイクスピアの四大悲劇(登場順に「リア王」「オセロ」「マクベス」「ハムレット」)の断片やパロディーが演じられる(高橋一生と橋爪功による二人芝居となる)が、「ハムレット」のセリフである「To be or not to be」の「To be」をローマ字読みで「飛べ」と読みたかったのと、亡き父の亡霊が息子に語るといったような構造的な理由からで、それ以上の深い意味はないようである。
monoは天界から火を盗んだプロメテウスの従兄だそうで、自分も「火」を盗むつもりだったが、江戸っ子だったため「ひ」が「し」になってしまい、「死」を盗むことになった。

ちなみに、神の使者であるアブラハム(川平慈英)や三日坊主(伊原剛志)が出会うのは、「永遠プラス36年ぶり(戯曲では舞台は2051年ということになっているため、「永遠プラス66年ぶり」となっている)」なのであるが、36年前は1985年である。実は彼らはJAL123便の副操縦士であり、実際には神の「使者」ではなく「死者」だったということになるようだ。

先に書いた通り、JAL123便はフェイクニュースの題材となることが多く、「最大の陰謀論」と呼ばれるまでになっている。普通に考えれば陰謀も何も存在しない飛行機事故なのであるが、話が膨らみ、機長に対するいわれなき暴言もネット上には存在するようで、野田秀樹はそうしたいい加減な気持ちで書かれたフェイクに対する違和感から、死に近づいた人間の「ノンフィクション」「神のマコトノ葉(「言の葉」との掛詞)」「ネットに書き込まれる言葉ではなく肉声=目に見えない大切なもの(肉声をそのまま届けられる演劇が念頭にあるのは間違いないだろう)」として、終盤ではボイスレコーダーに残された言葉がほぼそのまま再現される。本当は息子のために最後の言葉を残したかったのだが、乗客を救うために優先させた言葉という設定であり、これも当然ながらフェイクなのであるが、客席からはすすり泣きがここかしこから響くなどかなり感動的である。いわば有効なるフェイクだ。「頭を上げろ」は本来の意味からは外れるが、息子へのメッセージとなる。この辺りはフェイクニュース批判を超えた「演劇礼賛」と見ても良さそうである。

これまでの野田秀樹の作品と比べると、完成度はやや落ちるようにも感じられたのだが、満足は行く出来であり、最後は客席は総立ち、私も真っ先に近い時点で立って拍手を送った。
JAL123便墜落事故で多くの犠牲者が出た大阪での上演ということもあり、拍手は鳴り止まず、カーテンコールは4度に及んだ。


子役からキャリアをスタートさせた高橋一生。若い頃からそこそこの人気はあり、私も彼の舞台を観るのは3度目であるが、今回が初の主役である。それまでの2作品ではそれほど重要な役ではなく印象にも余り残っていなかったが、連続ドラマ「カルテット」でのブレイク以降、評価はうなぎ登り。アラフォーとしては最も重要な日本人俳優の一人にまで成長した。

これまでの30年近い観劇経験の中で、最高の舞台俳優は、主役を演じることの多い中堅男優に限れば内野聖陽と上川隆也がツートップで、その下に僅差で堺雅人、阿部寛、佐々木蔵之介らが追いかけるという構図を描いていたが、高橋一生は内野聖陽と上川隆也の二人を猛追する位置に一気に駆け上ったという印象を受ける。身のこなし、存在感、笑顔が印象的なのにどこか影を感じるところなど、舞台映えのする名優である。

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2021年7月27日 (火)

これまでに観た映画より(265) 京都シネマ 中村壱太郎×尾上右近 「ART歌舞伎」 中村壱太郎舞台挨拶付き

2021年7月19日 京都シネマにて

午後4時35分から、京都シネマで「ART歌舞伎」を観る。
中村壱太郎と尾上右近が、コロナ禍の中で作成した配信用作品。昨年の7月1日に東京・九段の靖国神社能楽堂で収録され、7月12日から期間限定で配信された。
本編(86分)上映後に、中村壱太郎出演による舞台挨拶がある。
「ART歌舞伎」は、まずポレポレ東中野で上映され、今日1日限定で大阪・シネマート心斎橋と京都シネマで上映される。

出演は、中村壱太郎、尾上右近、花柳源九郎、藤間涼太郎。演奏は、中井智弥(箏・二十五弦箏)、浅野祥(津軽三味線)、藤舎推峰(笛)、山部泰嗣(太鼓)、友𠮷鶴心(琵琶)。

「四神降臨」「五穀豊穣」「祈望祭事」「花のこゝろ」の4部からなり、「四神降臨」と「祈望祭事」は歌舞伎舞踊、「五穀豊穣」は三味線の謡、「花のこゝろ」は中村壱太郎が歌謡集『閑吟集』に出てくる言葉を選んでストーリーを組み立てた舞踊物語である。


「四神降臨」では、壱太郎、尾上右近、源九郎、涼太郎がそれぞれ四神(青龍、朱雀、白虎、玄武)となり、舞踊を行う。玄武を受け持った尾上右近は黒の紋付きを着ていたが、他の演者は、顔の一部分に該当する色を入れていたり、背景のライトの色を変えたりすることで処理していた。

外は大雨で、雨音がマイクにも入っている。2020年7月1日は台風が近づいている日であったが、収録が行えるのはこの日しかないということで強行したそうである。ちなみにリハーサルも十分に行えない上に一発録り。カメラは7台用意したそうで、それでも上手くいかない場面があり、良く聴くと音楽が止まっていたり、よく見ると「あれ、ここなんか事故あったかな?」と分かる場面もあるそうだ。

「祈望祭事」では、藁が効果的に使われているが、たまたま靖国神社のそばで藁が手に入ったために使っているそうで、即興的要素も多いようである。

字幕入りの国際版での上映であるため、謡入りの「花のこゝろ」は英語での表現も気になる。
壱太郎は、白塗りの真ん中に日の丸を入れるというメイクである。壱太郎演じる女は、良き夫と子に恵まれ、幸せに過ごしていたが、突如として戦乱の世となり、夫は戦死、子は病死、自身は狂気にさいなまれ、遊女へと身をやつすことになる。
一方、尾上右近が演じるのは、「生涯を戦場(いくさば)にて過ごす若者」(英語字幕では、“Natural bone warrior”という凄い表現になっていた)。腕に覚えがあったが、朋に裏切られ、落ち武者となる。
そんな二人が巡り会うが、平穏が訪れる日を願いながら別れることになる。ちなみに西方浄土は、“Western Pure land”になるそうだ。

若者が去った後で、海兵の英霊(やはり尾上右近が演じている)が現れ、無用な戦をするなという意味のメッセージを女に伝える。
英霊というのは靖国神社に祀られている御霊のことだが、ここに登場する英霊は具体的には、『きけわだつみの声』の巻頭を飾ることになる遺書を残した上原良司だと思われる。上原良司は慶應義塾大学在学中に学徒出陣して戦死しているが、壱太郎による大学の先輩へのリスペクトということになるのかも知れない。


中村壱太郎による舞台挨拶。この後、午後6時45分からの回も観て欲しいため、壱太郎は色々と宣伝を行う。「うっとうしいのは僕の舞台挨拶を2回聴かないといけない」と冗談を言っていたが、壱太郎のファンなら2回聴けるのはむしろプレゼントだろう。
稽古は2週間ほど行えたが、本番は1日だけで、取り直しが利かない一発録り。「春のこゝろ」については半分ほどしか当日リハーサルが行えなかったそうである。

収録中も、「(尾上右近の)髪型がおかしいじゃない?」など、臨機応変に変えた部分も多いそうだ。なお、雨がやむ気配がなく、邦楽器は雨に弱くていつ故障が起こってもおかしくないということで、よく見ていると出演者の顔がどんどん青ざめていくのが分かるそうである。
配信用の収録であり、スクリーンでの上映は念頭に置いていなかったが、「映画館で上演するには録音が貧弱」ということで、音楽に関しては全て一から録音し直したそうである。なお、再録音したものはCD化されており、壱太郎が舞台挨拶の最後でグッズの一つとして紹介していた。「CDはちょっと」という人向けのダウンロード版も発売されているそうである。
なお、舞台での初演がすでに決まっており、岡山市で行われるそうである。

舞台挨拶中は写真撮影や録画は一切禁止であるが、舞台挨拶終了後に短い時間ではあるが、フォトセッションの時間が設けられており、壱太郎もこの時は、「何も喋らないんで」とマスクを外すファンサービスを行っていた。

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2021年7月13日 (火)

NHK教育テレビ(現・Eテレ) 「思い出の名演奏」 カール・ベーム指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団来日公演1975@NHKホール ブラームス 交響曲第1番ほか

2011年2月5日

NHK教育テレビ「思い出の名演奏」で、カール・ベーム指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の来日公演の映像を観る。1975年、NHKホールでの収録。NHKホールは1973年の竣工なのでまだ出来たばかりだ。

メインはブラームスの交響曲第1番。最近の演奏に比べると音が分厚く、ウィーン・フィル独特の弦の音色が美しい。ベームはどうも弦楽主体に音楽を組み立てるタイプのようだ(その点で、クレンペラーなどとは好対照)。

ベートーヴェンの交響曲第4番のリハーサルの模様なども流されるが、大変厳格である。口調も厳しい。ベームは性格的にはウィーン・フィルのメンバーからは嫌われていたようで(特に新人いじめが酷かったらしい)、あるウィーン・フィル奏者の回想を読んだことがあるが、「ベームは性格は悪いんだけど、腕がいいから尊敬する」といったようなことを語っていた記憶がある。多分カメラが入っていなかったらもっと辛辣なことを言っていたかも知れない。
グラーツ生まれのベームは、生涯、グラーツを愛したようで、それまでいじめていた新人奏者がグラーツ生まれだとわかった途端に優しい態度をとったという。

ベームのインタビューも放送されたが興味深いものだった。ショルティもそうだったが、ベームも日本の聴衆を褒めちぎっている。

ヨハン・シュトラウスⅡ世の「美しく青きドナウ」も演奏される。きっちりとした演奏で、名演とされる歴代の「美しく青きドナウ」に比べるとお堅い感じだが、音は美しいし、立派であり、また、ベームがこうした曲を演奏するというのは微笑ましくもある。

この頃のベームは日本では神様扱い。演奏終了後、聴衆が熱狂してステージそばに押し寄せ、ベームに花束を贈ったり握手を求めたりし、ベームがそれに応える光景が映っている。実はこの時、舞台袖に指揮者の岩城宏之がいて、「ああいう熱狂的な聴衆は実は本当のクラシック好きではないから」と、ステージから身を乗り出す高齢のベームに相手にしないよう忠告したが、ベームは「私はこれまでの生涯でこれほど熱烈な歓迎を受けたことはない。もし仮にステージから落ちたとしても本望だ」として聞き入れなかったという。

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2021年7月 7日 (水)

「千葉市七夕空襲を忘れない」

1945年7月7日未明、千葉市中心部を襲った大空襲、「七夕空襲」。死傷者は1204人を記録した。

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2021年7月 2日 (金)

NHKオンデマンド「英雄たちの選択スペシャル 決戦!西南戦争 ラストサムライ西郷隆盛の真実」

2021年6月21日

NHKオンデマンド「英雄たちの選択スペシャル 決戦!西南戦争 ラストサムライ西郷隆盛の真実」を見る。2018年に放送されたもので、昨日の午後1時から再放送されている。再放送の録画の予約をしておいたのだが、ハードディスクの容量が足りず、ラスト20分ほどが録画されていなかったため、NHKオンデマンドで確認することにした。

再現VTRとロケ、スタジオでのトークからなる構成で、軍事方面の解説者として友人の竹本知行(現・安田女子大学准教授)が二度ほど登場する。

再現VTRで山県有朋を演じるのは懐かしの河相我聞。今は俳優専業ではないはずだが、俳優としての活動は続けているはずである。

クライマックスとなるのは田原坂。最後の内戦となった西南戦争最大の激戦地である。熊本民謡「田原坂」で、またNHK紅白歌合戦に対抗して日本テレビ系が年末に放送していた大型時代劇の一つ「田原坂」(西郷隆盛を里見浩太朗が演じた)の由来としても知られる。年末大型時代劇の「田原坂」は、それまでの「白虎隊」に見られるような群像劇ではなく、西郷隆盛一人の人生を追ったスタイルとなっていたが、そのために不評で、視聴率も振るわなかったと記憶している。


西郷の下野については、征韓論論争での敗北が引き金となっているが、鹿児島に帰った西郷の下に、不平を抱く多くの士族が集結。西郷が開いた「私学校」で武術の研鑽に励んだ。
中央を退いても人材の育成に努めた姿は多くの人の共感を呼び、私の出身地でもある千葉県にも、敬愛大学や千葉敬愛高校などを運営する千葉敬愛学園が存在する。敬愛は、西郷の座右の銘である「敬天愛人」が由来である。

今では「士農工商」という言葉も学校では教えなくなっているが、当時は皇族や公家、将軍家や大名家などを除いた人々の身分は、「士族とそれ以外」からなっていた。そして勝海舟や坂本龍馬のように、先祖が御家人身分などを金で買って士族に加わるものもあり、思ったほど厳しい身分社会という訳でもなかった。
だが、明治維新となり、士族はその特権を次々と失っていく。武士の魂とも呼ばれる刀を奪う廃刀令、そして仕えることで俸禄を頂くという体制も主君が華族となって東京に移り住むことで徐々に崩壊していく。そして1869年の秩禄処分により多くの士族が生活の糧を失う。商売に手を出す者もいたが、ノウハウが全くないため次々と失敗。これが「武士の商法(士族の商法)」と呼ばれるようになる。
秩禄体制の崩壊に深く関わってくるのが、徴兵令の施行である。国民皆兵を目指したことで、士族が特権階級である意義は事実上消滅したことになる。

そうした状況下で不平士族が次々と決起。佐賀の乱、神風連の乱、秋月の乱、萩の乱などの士族反乱が立て続けに起こる。

そして不平士族の首領として担がれることになったのが、鹿児島に隠居していた西郷隆盛である。下野していたとはいえ、戊辰戦争の英雄であり、陸軍大将の称号は保持。その魅力は全国の士族達を引きつけていた。

ただ、西南戦争自体は、西郷隆盛以上に桐野利秋(幕末は中村半次郎を名乗る。あだ名はご存じ「人斬り半次郎」である)が積極的に関わっており、西南政争を「桐野の戦争」と呼ぶこともある。桐野は徴兵制が士族の存在意義を否定するものと捉えていた。

西郷の決起は本意でなかったとされるが、新しい解釈として、西郷もいずれは反乱を起こす気でいたが、薩摩士族の暴挙や西郷暗殺計画を知ったことにより、十分に準備を整えることが出来ないまま立ち上がらざるを得なくなったという説が紹介される。神風連の乱が起こった際に西郷が、「ひとたび相動き候わば、天下おどろくべきの事をなし」という書状を友人に送ってるのがその根拠とされるが、漠然とした希望を語っただけの可能性もあり、根拠として十分とはいえないように思われる。文面から察するに、この時は今すぐ何らかの行動を起こすつもりはなかったと思われる。文章がやや悠長だ。

ともあれ、西郷は桐野と共に決起。まずは新政府軍の鎮台が置かれた熊本城を目指す。西郷軍が動いた時点での熊本城の守りは手薄であったが、当時最新鋭の電信、鉄道などを駆使する新政府側は速やかに熊本城内に援軍を送ることに成功。結局、西郷軍は谷干城を司令官として置く熊本城を落とせぬまま、博多から迫り来る新政府軍の援軍と退治するため、熊本城の北にある田原坂に陣取り、迎撃態勢を整える。
従来は、田原坂の一本道を巡る死闘とされていた田原坂の戦いだが、現在では調査により、西郷軍は田原坂の一本道の上方に砦を築き、地の利を生かす戦法を取ったことが分かっているようだ。

天下の堅城、熊本城とはいえ、援軍が来なければ籠城側は負ける。田原坂で援軍を押し止め、同時に分隊が熊本城への攻撃を続けることで、南北同時勝利を目指した作戦であった。

ここでまた徴兵制の問題が絡んでくる。西郷軍に所属するのはほぼ全員が士族。一方、新政府軍は、平民身分出身者が軍事教練を受けて参加していた。勿論、士族出身者も幹部を中心に含まれていたが、主力は平民階級の兵士である。
その後、白兵戦で勝てぬと踏んだ新政府側は、士族を中心とした警視局の抜刀隊を組織。士族出身者を特別視することで徴兵制を否定するような戦術だったが、日本刀での斬り合いの訓練を幼少時から受けていたのは士族階級出身者のみであるため、背に腹は代えられなかった。警視局抜刀隊には、元新選組の三番隊組長・斎藤一こと藤田五郎が参加していて、新聞にも載るほどの獅子奮迅の激闘を演じ、新選組隊士の維新後唯一の活躍となっている。
会津新選組局長、山口二郎を名乗ったこともある斎藤一こと藤田五郎の活躍などもあって、戊辰戦争で負けた会津出身の抜刀隊員が、「戊辰の敵! 戊辰の敵!」と叫びながら激闘を繰り広げたという有名な話があるが、これは誤解によるものとされており、実際に抜刀隊の主力となったのは、旧薩摩藩士だそうである。

江戸時代の薩摩藩(島津家)の統治体制は独特であり、一国一城令の時代に100を超える支城(外城)を持つことが許されていた。その代わりなのかどうかは分からないが、島津氏も譲歩しており、居城の鹿児島城は、鶴丸館という本来の名の方が相応しい質素な居館であり、堅固で巨大な城郭は築いていない。支城を守るために武士を多くする必要があり、他の大名家の家臣なら農民階級に属する人々が苗字帯刀を許されて士族に組み入れられ、半農半士というスタイルで生活していたため、薩摩における武士の割合は、子女も含めて15%から25%ほどにもなる。江戸時代に全人口において武士が占める割合は、子女を含めて5%から7%といわれているため、薩摩の武士層の厚さが分かる。ただ一方で、鶴丸館の周りに屋敷を構える城下士と、支城を固める役割を持つ外城士では身分に違いがあり、外城士は郷士とも呼ばれ、自作農が許される代わりに俸禄なしなど待遇は良くない上に、城下士からは蔑まれていた。維新になっていよいよ生活出来なくなった外城士からは東京に出て警視局に入る者が多く出る。そして、因果なことに抜刀隊として同国人同士で斬り合うことになるのである。抜刀隊を支えたのは戊辰の怒りではなく、階級体制に対するかつての不満だったようだ。

ところで、島津氏の居城は鶴丸城のみで、親戚の藩もあったが、支城の数の方が遙かに多く、それを守る外城士=郷士の方も当然ながら多かった。西南戦争においても、城下士=西郷軍、外城士=新政府軍という単純な二極化ではなく、西郷軍も数からいえば郷士出身の者の方が圧倒的に多かった。郷士も「私学校」への入学を許されたためで、統計を見てみると、城下士は郷士の10分の1強の数しかいない。郷士は半農半士なので、剣術はともかくとして、砲術、射撃、軍事的知識などについては城下士ほどには通じていないはずである。

戊辰戦争に参加した薩摩軍の兵士は、大半が身分は低めであったものの城下士で、郷士の大半は実戦経験を持っていない。また、これまで郷士を見下してきた城下士に部下として仕える意味も必ずしも持っているわけではない。そうした状況でありながら、数を頼りに挙兵したことが、西郷方のそもそもの誤りであった可能性もある。

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2021年6月27日 (日)

観劇感想精選(402) 市川海老蔵企画公演「いぶき、」@南座

2021年6月19日 京都四條南座にて観劇

午後4時から、京都四條南座で、市川海老蔵企画公演「いぶき、」を観る。といっても海老蔵が出る公演ではなく、コロナ禍によって若手歌舞伎俳優が舞台に立つ機会が激減してしまったことを憂いた海老蔵が企画した公演である。南座ではついこの間まで海老蔵主催の公演が行われており、「いぶき、」に出演する若手歌舞伎俳優達も帯同して、海老蔵の公演が終わった後の南座の舞台上で稽古をさせて貰っていたという。
タイトルの「いぶき、」の「、」には、「次に続くこと」、「歌舞伎の未来への継承」の意味が込められているという。

まず市川九團次による挨拶と作品解説があり、続いて「妹背山婦女庭訓(いもせやまおんなていきん)」より“願絲縁苧環(ねがいのいとえにしのおだまき)”と“三笠山御殿”、そして「乗合船恵方万歳(のりあいぶねえほうまんざい)」が上演される。

九團次さんとは知り合いの知り合い、もしくは友人の友人という関係で、一度、バーで話したことがある。九團次さんが出演していた舞台「Honganji」のことを話したり、私は市川染五郎(現・二代目松本白鸚)の「野バラ咲く路」が歌えるのでうたってみたりした。


市川九團次の挨拶と作品解説。「妹背山婦女庭訓」の上演される段に至るまでのあらすじや人物紹介などを行い、全員が初役であることを告げる。

 

「妹背山婦女庭訓」は、飛鳥時代を舞台にした作品であるが、歌舞伎の演目の常として事実からは少し離れている。背景にあるのは藤原氏と蘇我氏の対立である。

私が子どもの頃には、645年に蘇我蝦夷を暗殺して成し遂げられたのが「大化の改新」と教わったが、今は蘇我入鹿暗殺は「乙巳の変」と呼ばれ、その後の「大化の改新」とは離して教えられるようである。
それはともかくとして、飛鳥時代に隆盛を極めた蘇我氏と、それを快く思っていなかった中臣氏(後に政に携わるようになった血統は藤原氏を名乗るようになる)の対立という史実がベースにある。ただ、蘇我入鹿が登場するのは史実とは異なり、天智天皇の時代ということになっている。

蘇我蝦夷は蘇我馬子の孫であるが、「妹背山婦女庭訓」では妖術を使う悪漢として登場する。蘇我入鹿の父親が蘇我蝦夷というのは史実通りであるが、蝦夷に子が出来ず、妻に白鹿の生き血を飲ませたところ子を宿し、超人的な能力を持つ入鹿が生まれたということになっている。入鹿の名もこの怪談由来とされている。実際には、祖父が馬子で孫が入鹿という名であることから察せられるように、飛鳥時代には動物の名を子どもに付けることが流行っていたのである。動物の名を付けることは、幕末の土佐でも流行り、坂本龍馬直柔(なおなり)の通称である龍馬も流行りに乗ったものである。キラキラネームというものがあることからも分かる通り、日本は命名が比較的自由な国なので、命名の流行りというものも存在する。

超人・蘇我入鹿を倒すためには、爪黒の鹿の生き血と疑着(執着、嫉妬)の相の女の生き血を混ぜたものを笛に入れて吹くという方法しかないので、疑着の相の女を探す、という話の骨子がある。

なお、史実では蘇我入鹿の時代の都は飛鳥に存在したが、「妹背山婦女庭訓」では、都が平城京に置かれていた時代に変更され、藤原氏の氏神で、この頃にはまだ存在していない春日大社が舞台になっていたりするが、全ては芝居の嘘であり、歴史考証的な事柄は大して意味がない。ただ由来については適宜解説していく。

まず鹿の話であるが、入鹿という名と、鹿が春日大社のお使いであるということに由来している。

 

“願絲縁苧環”(道行戀苧環)に登場するのは、入鹿の妹である橘姫(モデルは県犬養橘三千代であるが、彼女は実際には蘇我氏の娘ではない。演じるのは中村芝のぶ)、烏帽子折求女(もとめ)実は藤原淡海(たんかい。モデルは藤原不比等で、不比等の国風諡号である「淡海公」に由来。演じるのは大谷廣松)、杉酒屋娘のお三輪(中村児太郎)の3人である。

春日大社の鳥居前が舞台である(原作の人形浄瑠璃では、石上神宮の鳥居前となっている)。蘇我氏と藤原氏は対立しているが、橘姫と藤原淡海は互いの素性を知らずに恋仲になっている。一方、藤原淡海にはもう一人、男女の契りを結んだ相手がいる。杉酒屋の娘であるお三輪である。藤原淡海は烏帽子折職人の求女を名乗っていたため、お三輪は彼の正体が藤原氏の貴公子であり、身分違いの恋であるということを知らない。そのため、橘姫のことを責め始める。
険悪な雰囲気となったため、橘姫はその場を去るのだが、求女は橘姫の振袖に赤い苧環(おだまき)の糸を結びつけ、その糸を頼りに跡を追う。お三輪も求女の着物に白い苧環の糸を結びつけ、同じく跡を追おうとするのだが、白い糸は切れてしまう。

大和国が舞台ということで、大和ゆかりの様々な伝承が盛り込まれている。
まず、苧環でありが、これは大和・吉野で義経と別れた静御前の謡「しずやしず しずの苧環繰り返し 昔を今になすよしもがな」が元ネタである。この謡には更に元ネタとなる本歌があり、『伊勢物語』に載っている在原業平の歌「いにしへの倭文(しず)の苧環繰り返し 昔を今になすよしもがな」がそれである。苧環とは糸車(糸巻き)のことで、輪廻をも連想させる「繰り返し」に掛かる言葉であるが、同時に「糸し糸し」ということで「恋し恋し(戀し戀し)」にも繋がっている。
また、着物に糸を付けて、相手の行方をたどるというのは、「三輪山伝説」に由来する。お三輪という名なのはそのためである。

二組の悲恋の男女が登場し、「日本版ロミオとジュリエット」とも呼ばれる「妹背山婦女庭訓」。そのため、お三輪の憂いの表現が重要になるのだが、中村児太郎はきめ細やかな演技を披露。十分に合格点に達している。苧環の糸が切れたことを知った時の絶望の表情などは見事であった。

 

“三笠山御殿”。蘇我氏の館があったのは、飛鳥の甘樫丘であるが、舞台が平城京になっているため、三笠山(春日山)に変わっている。

橘姫が三笠山御殿に戻り、続いて苧環の糸をたどって求女(藤原淡海)が御殿に入ってくる。三笠御殿に戻ったことで橘姫が蘇我氏の娘であること悟った求女は、橘姫に「入鹿が盗んだ十握の剣を取り戻したら祝言を挙げよう」と約束する。

苧環の糸が切れてしまったお三輪だが、なんとか自力で三笠山御殿にたどり着く。そして、偶然出会った顔馴染みの豆腐買おむら(市川新蔵)から求女の正体と、二人が祝言を挙げようとしていることを明かされる。

自らを「賤(しず。ここでも静御前の謡が掛かっている)の女」と語るお三輪には、到底叶わぬ恋であるのだが、それでも一目求女に会いたいと屋敷に上がったところを、現れた女官達に散々になぶり者にされる。お三輪を一目で庶民と悟った女官達は、「到底無理」と分かっていながらお三輪に貴族階級の礼儀作法を真似るよう強要し、徹底していじめまくる。

かなり嫌な印象を受けるシーンであるが、これが漁師鱶七(ふかしち。正体は藤原鎌足の家来である金輪五郎今国。演じるのは市川九團次)に刀で胸を刺し貫かれてもお三輪が喜ぶ伏線となっている。身分違いを乗り越えても、お三輪にはいじめが待っているだけ、ならば疑着の相の女として生き血を入鹿追討に使われた方が求女こと藤原淡海のためとなる。犠牲の美しさへと繋がるのである。
お三輪は輪廻の苧環を手に、来世で求女こと淡海と夫婦になることを夢見ながら息絶える。

“三笠山御殿”でも中村児太郎の繊細な演技が見物で、初役とは思えないほどの好演となっていた。



「乗合船恵方万歳」。江戸の隅田川沿いが舞台である。ということで、常磐津節の浄瑠璃の太夫も『伊勢物語』に掛けた「都鳥」という言葉を歌う。

隅田川を渡り、岸に漕ぎ着けた船。女船頭(中村児太郎)以下、田舎侍(市川新蔵)、芸者(中村芝のぶ)、通人(市川新十郎)、白酒売(市川右若)、大工(市川升三郎)、子守(市川福太郎)の計7名は、数からも分かる通り、七福神に見立てられている。そこに三河萬歳の鶴太夫(市川九團次)と才造の亀吉(大谷廣松)が現れ、全員が芸を披露することになるという、華やかな演目である。

ストーリーらしいストーリーはない歌舞伎舞踊の演目であるが、皆、洒脱な感じもよく出ており、若々しさに溢れる上演となっていた。

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2021年6月23日 (水)

史の流れに(9) 京都市京セラ美術館 国立ベルリン・エジプト博物館所蔵「古代エジプト展 天地創造の神話」再訪

2021年6月17日 左京区岡崎の京都市京セラ美術館にて

京都市京セラ美術館で、国立ベルリン・エジプト博物館所蔵「古代エジプト展 天地創造の神話」を観る。二度目である。ビデオ映像など以外は写真撮影可であるが、前回はネフェルティティの頭部像のみ写真を撮った。それで十分だと思っていたのだが、「ピーコ&兵動のピーチケパーチケ」で中山優馬が色々と写真撮影しているのを見て、やはりいくつかはスマホに収めておこうと思い立ち、再び京都市京セラ美術館に赴くことになった。

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今回は前回よりも遅い時間だったが、人が比較的多めである。写真撮影可という情報もテレビなどで伝わっているようで、スマホやガラケーではなく、デジカメを持ってきて撮影している人もいる。

撮影対象として最も良いのがネフェルティティの頭像だというのは変わらないが、今度は横顔(プロフィール)も撮影してみる。ハトシェプスト女王のスフィンクスも被写体として絶好であり、仏像のようなアルカイックスマイルが良い。ハトシェプスト女王のスフィンクスも正面からの画も良いが、横顔は更なる美しさを湛えている。日本人とは違って鼻が高く、掘りも深めなので横顔が映えるのだ。
名前だけは有名だが、早逝したため正体がよく分からないツタンカーメン(トゥトアンクアメン)を描いたレリーフも写真に収める。
ツタンカーメンについては暗殺説が有名であるが、現在では暗殺は否定されつつある。遺伝子検査によるとツタンカーメンは生まれつき病弱で左足が不自由であり、マラリアに感染した時に不自由だった左足を骨折してしまったため免疫力が下がり、死に至った可能性が高いそうである。

前回は古代エジプトについて、特に知識を入れていかなかったが、今回は前回訪れた時に京都市京セラ美術館の売店で買ったエジプト神話に関する文庫本を読んでいったため、展示物やそれが示す意味の理解がある程度まで可能になっていた。予備知識は時には邪魔になることがあるが、やはり少し予習をして行った方が理解度が高まることは確かなようである。

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2021年6月16日 (水)

2346月日(33) 京都文化博物館 京都文化プロジェクト 誓願寺門前図屏風 修理完成記念「花ひらく町衆文化 ――近世京都のすがた」&「さまよえる絵筆―東京・京都 戦時下の前衛画家たち」

2021年6月11日 三条高倉の京都文化博物館にて

京都文化博物館で、京都文化プロジェクト 誓願寺門前図屏風 修理完成記念「花ひらく町衆文化 ――近世京都のすがた」と「さまよえる絵筆―東京・京都 戦時下の前衛画家たち」を観る。

「花ひらく町衆文化 ――近世京都のすがた」は、修復された寺町・誓願寺の門前町を描いた屏風絵の展示が中心となる。豊臣秀吉によって築かれた寺町。その中でも本能寺などと並んでひときわ巨大な伽藍を誇っていたのが誓願寺である。

落語発祥の地としても名高い浄土宗西山深草派総本山誓願寺。明治時代初期に槇村正直が新京極通を通したために寺地が半分以下になってしまったが、往時は北面が三条通に面するなど、京都を代表する大寺院であった。
この「誓願寺門前図屏風」作成の中心となった人物である岩佐又兵衛は、実は織田信長に反旗を翻したことで知られる荒木村重の子である(母親は美女として知られた、だしといわれるがはっきりとはしていないようである)。荒木村重が突然、信長を裏切り、伊丹有岡城に籠城したのが、岩佐又兵衛2歳頃のこととされる。使者として訪れた黒田官兵衛を幽閉するなど、徹底抗戦の姿勢を見せた荒木村重であるが、その後、妻子を残したまま有岡城を抜け出し、尼崎城(江戸時代以降の尼崎城とは別の場所にあった)に移るという、太田牛一の『信長公記』に「前代未聞のこと」と書かれた所業に出たため、有岡城は開城、村重の妻子は皆殺しとなったが、又兵衛は乳母によってなんとか有岡城を抜け出し、石山本願寺で育った。その後、暗君として知られる織田信雄に仕えるが、暗君故に信雄が改易となった後は京都で浪人として暮らし、絵師としての活動に入ったといわれる。

誓願寺門前図屏風は、1615年頃の完成といわれる。大坂夏の陣のあった年である。翌1616年頃に又兵衛は越前福井藩主・松平忠直に招かれて、福井に移っているため、京都時代最後の大作となる。又兵衛一人で描いたものではなく、弟子達との共作とされる。又兵衛は福井で20年を過ごした後、今度は二代将軍・徳川秀忠の招きによって江戸に移り、その地で生涯を終えた。又兵衛は福井から江戸に移る途中、京都に立ち寄ったといわれている。

岩佐又兵衛について研究している京都大学文学研究科准教授の筒井忠仁出演の13分ちょっとの映像が、「誓願寺門前図屏風」の横で流されており、「誓願寺門前図屏風」に描かれた京の風俗や修復の過程で判明したことなどが語られる。

経年劣化により、かなり見にくくなっていた「誓願寺門前図屏風」。修復の過程で、二カ所に引き手の跡が見つかり、一時期は屏風ではなく襖絵として用いられたことが確認されたという。

『醒睡笑』の著者で落語の祖とされる安楽庵策伝が出たことで、芸能の寺という側面を持つ誓願寺には今も境内に扇塚があるが、「誓願寺門前図屏風」にも誓願寺のそばに扇を顔の横にかざした女性が描かれている。

また、三条通と寺町通の交差する北東角、現在は交番のある付近には、扇子を売る女性が描かれているが、彼女達は夜は遊女として働いていたそうである。また、今は狂言で女性役を表すときに使う美男鬘を思わせるかづきを被った女性などが描かれている。

誓願寺は和泉式部が帰依した寺ということで、和泉式部の塚も以前は誓願寺にあったようだ(現在は少し南に位置する誠心院に所在)。誓願寺は女人往生の寺であるため、女性の姿も目立つ。
一方、三条寺町では馬が暴れて人が投げ出されていたり、喧嘩というよりも決闘が行われていたり、物乞いがいたりと、当時の京都の様々な世相が描かれている。

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その他には、茶屋氏、角倉氏と並ぶ京の豪商だった後藤氏関係の資料が展示されている。後藤氏の邸宅は現在、新風館が建つ場所にあった。かなり広大な面積を持つ屋敷だったようで、往時の後藤氏の勢力が窺える。
作庭家や茶人としても有名な小堀遠州(小堀遠江守政一)や、豊臣家家老でありながら大坂を追われることになった片桐且元、加賀金沢藩2代目の前田利光(後の前田利常)、熊本城主・加藤清正らが後藤家の当主に宛てた手紙が残されており、後藤家の人脈の広さも分かる。虎狩りで知られる加藤清正だが、清正から後藤氏に出された手紙には、虎の毛皮を送られたことへの感謝が綴られており、清正が虎狩りをしたのではなく虎皮を貰った側ということになるようだ。


元々、下京の中心は四条室町であったが、江戸時代には町衆の中心地は、それよりやや東の四条烏丸から四条河原町に至る辺りへと移っていく。
出雲阿国の一座が歌舞伎踊りを披露した四条河原は、京都を代表する歓楽地となり、紀広成と横山華渓がそれぞれに描いた「四条河原納涼図」が展示されている。紀広成は水墨画の影響を受けたおぼろな作風であり、一方の横山華渓は横山華山の弟子で華山の養子に入ったという経歴からも分かる通り描写的で、描かれた人々の声や賑わいの音が聞こえてきそうな生命力溢れる画風を示している。

後半には四条河原町付近の住所である真町(しんちょう)の文書も展示されている。面白いのは、四条小橋西詰の桝屋(枡屋)喜右衛門の名が登場することである。万延元年(1860)の文書で、灰屋という家の息子である源郎が、桝屋喜右衛門の家に移るという内容の文書と、転居したため宗門人別改にも変更があり、河原町塩谷町にあった了徳寺という寺院の宗門人別改帳への転籍が済んだことが記載されている。

実はこの翌年、または2年後に、桝屋の主であった湯浅喜右衛門に子がなかったため、近江国出身で山科毘沙門堂に仕えていた古高俊太郎が湯浅家に養子として入り、桝屋喜右衛門の名を継いでいる。古高俊太郎は毘沙門堂に仕えていた頃に梅田雲浜に師事しており、古高俊太郎が継いで以降の桝屋は尊皇討幕派の隠れアジトとなって、後の池田屋事件の発端へと繋がっていくことになる。ということで、灰屋源郎なる人物も古高俊太郎と会っていた可能性があるのだが、詳細はこれだけでは分からない。

 

3階では、「さまよえる絵筆―東京・京都 戦時下の前衛画家たち」展が開催されている。
シュルレアリスムを日本に紹介した福沢一郎が独立美術協会を立ち上げたのが1930年。その後、四条河原町の雑居ビルの2階に独立美術京都研究所のアトリエが設置され、京都でも新しい美術の可能性が模索されるようになる。だが戦時色が濃くなるにつれてシュルレアリスムなどの前衛芸術などは弾圧されていく。そんな中で現在の京都府京丹後市出身である小牧源太郎は、仏画を題材とした絵画を制作することで土俗性や精神性を追求していったようである。

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2021年6月 6日 (日)

史の流れに(8) 京都市京セラ美術館 国立ベルリン・エジプト博物館所蔵「古代エジプト展 天地創造の神話」

2021年6月3日 左京区岡崎の京都市京セラ美術館にて

左京区岡崎にある京都市京セラ美術館で、国立ベルリン・エジプト博物館所蔵「古代エジプト展 天地創造の神話」を観る。日独交流160周年記念企画である。緊急事態宣言による臨時休館を行っていた京都市京セラ美術館だが、一昨日、6月1日から展示を再開している。

京都市美術館が京都市京セラ美術館になってから入るのは初めて。内部が大幅に変わっている。以前は京セラの本社内にあった展示スペースが京セラ美術館という名前だったが、紛らわしいということで、そちらは京セラギャラリーと名前を変えている。

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「古代エジプト展 天地創造の神話」の展示品の多くが石造りや金属製ということもあって、ほぼ全てが写真撮影可となっているが、「個人的に楽しむためのものとしてご使用下さい」となっているので、おそらくWeb上にアップするのはNGだと思われる。

雄のライオンの顔を持つセクメト女神が疫病退散の力を持っているようで、その像がエジプト版「アマビエ」として積極的に撮影するよう促されていたが、お守りとして待ち受け画面に使うことが推奨されているようである。

まず始めに冥界への導き手を務める神であるアビヌスの像が展示されており、続いてアニメーション上映のコーナーがあって、アビヌス(声の担当:荒牧慶彦)が語り手を務めるエジプト版天地創造の神話が語られる。アビヌスが登場するアニメーションは他の場所でも上映されているが、それらに関しては撮影も録画も禁止である。

日本の神話でも天照大神と素戔嗚尊が姉弟でうけいをする場面があるが、エジプトの神々も兄妹で愛し合い、子どもが生まれている。エジプトは歴史が古いので、プトレマイオス朝など紀元前の王朝でも近親婚が普通だったことが知られている。例えば、美女の代名詞の一人であるクレオパトラ7世の最初の夫は、彼女の実弟である。

エジプトの原初の神は、ナイル川をモデルにしたと思われるヌンである。「原初の水」という意味だそうで、ヘロドトスの「エジプトはナイルの賜物」という言葉が浮かぶ。
そこから太陽神であるアトゥムが生まれたが、アトゥムは両性具有の創造神だそうで、自慰によって、大気の神であるシューと湿気の女神であるテフヌトが生まれたという。シューとテフヌトの兄妹が交わることで、大地の神のゲブと天空の女神であるヌトが生まれたのだが、やはり兄妹で結婚したゲブとヌトの仲が余りに良いことに父親のシューが嫉妬し、ヌトの体をつかんで引き離そうとした。ヌトはゲブから完全に体を離そうとはせず、体が弧状に伸び、これが天穹となった。


今回の展示は、クレオパトラなどの実在の人物よりも、エジプト神話の世界の展示が中心となっているが、伝ハトシェプスト女王や、伝ネフェルティティ王妃の像(有名な胸像ではなく頭部の像)なども展示されている。ハトシェプスト女王は即位中は男装していたとされるため、その像も男性化されたスフィンクスとしての装飾を施されているが、顔は柔和で女性的である。エジプトの美女というとやはりクレオパトラ7世が世界的に名高いが、彼女の場合は聡明さなども含めての評価で、純粋な容姿でナンバーワンといわれるのがネフェルティティである。今回展示されている頭部の像なども、今の基準でいっても世界的な美女と評価されるのは確実だと思われる。一方で、ネフェルティティは正体がよくわからない謎の女性としても知られている。古代エジプトの話は、TBS系の「世界ふしぎ発見!」がよく取り上げており、ハトシェプストもネフェルティティも何度も登場している。京都に来てから「世界ふしぎ発見!」も見なくなってしまったが。

ネフェルティティは、古代エジプトの宗教改革者であるアメンホテプ4世王(アクエンアテン、イクナートン)の王妃である。ただ分かっているのは、そのこととアメンホテプ4世王との間に数人の子を設けたということだけである。それ以外の記録はほとんどない。そのため、早いうちに亡くなったという説が生まれたが、正確なところははっきりしていない。アメンホテプ4世王は、突如としてそれまでの多神教的だったエジプトの宗教性を覆し、アテン神(南中した太陽を表す神)1神のみを崇拝する一神教へと舵を切った人物であり、テーベからアケトアテンに遷都するなど、徹底した改革を行ったが、その死後には揺り戻しとしてアメンホテプ4世自身が否定される存在となり、その子とされるツタンカーメン(トゥトアンクアメン)らによって実際に多くの記録などが処分された。そのためその妃であったネフェルティティに関する情報もほぼ全て失われてしまっている。

あの世に再生するための指南書である「死者の書」については、アニメーションなども使って分かりやすく説明されている。死後、魂は試練を経てあの世に向かうのだが、あの世はその時代のエジプトと完全に同じ姿をしていると考えられたようである。死後の世界に行けなかった場合は、怪物アメミットに心臓を食べられて、その人物は消滅する。輪廻転生から逃れるための修行を重視する仏教においては無になることの方がむしろハッピーエンドに近いため、死に対する観念が大きく異なっているのが分かる。


ちなみに、エジプトには世界の終焉伝説があり、蛇に身を変えたアトゥム神とオシリス神が世界の終わりを見届けるという。ただ、世界は再生するそうだ。アトゥムは創造神であり、日没時の太陽を表す神であるが、同時に破壊も司るという、シバ神に似た性格を持っているようである。
アテフ冠を被ったオシリス神の小像の冠の部分には、アトゥム神だと思われる蛇の飾りが施されている。

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2021年5月29日 (土)

観劇感想精選(398) 「ANJIN イングリッシュ・サムライ」

2010年1月23日 梅田芸術劇場シアター・ドラマシティにて観劇

午後6時から梅田芸術劇場シアター・ドラマシティで、「ANJIN イングリッシュ・サムライ」を観る。徳川家康に仕えた三浦按針ことウィリアム・アダムスを主人公にした日英合作の舞台である。脚本:マイク・ポウルトン、共同脚本執筆:河合祥一郎、演出:グレゴリー・ドーラン(ロイヤル・シェイクスピア・カンパニー)。出演は、市村正親、オーウェン・ティール、藤原竜也、高橋和也、床嶋佳子ほか。

名前だけは有名だが、実際はどういう人だったのか余り知られていない三浦按針(1564年生まれでシェイクスピアと同い年であり、そのため英国のロイヤル・シェイクスピア・カンパニーが制作に参加している)を主人公に、関ヶ原の戦いや大坂の陣の起こる激動の時代を綴る叙事詩である。途中休憩20分を含めて上演時間約3時間半という長編。

セリフは英語と日本語で、舞台両端に字幕が出る。

イギリス人でありながら、旗本・三浦按針となり、イギリス人でも日本人でもなくなったウィリアム・アダムス(オーウェン・ティール)と、名門・北条氏の出身で侍の心を持ちながら宣教師となったドメニコ(藤原竜也)という、自我が二つに引き裂かれた人物が登場する。ただ、彼らの苦悩を描くという点では突っ込みが甘く、せっかくの設定を生かし切れなかったように見えた。その他の点では、優れた舞台であったように思う。

役者は大熱演。特に驚異的な長ゼリフをこなす徳川家康役の市村正親、英語のセリフをこなした藤原竜也(役作りのために2ヶ月に渡ってロンドンで英語の特訓に挑んだという)の二人の演技には脱帽ものである。

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