カテゴリー「歴史」の188件の記事

2024年4月15日 (月)

近鉄アート館復活10周年記念 春の演芸ウィーク「ブギウギ講談 笠置シヅ子と服部良一の時代」

2024年4月3日 あべのハルカス近鉄本店ウイング館8階・近鉄アート館にて

午後6時から、あべのハルカス近鉄本店ウイング館8階にある近鉄アート館で、近鉄アート館復活10周年記念 春の演芸ウィーク「ブギウギ講談 笠置シヅ子と服部良一の時代」に接する。共に大阪育ちで、作曲家と歌手として師弟関係にあった服部良一と笠置シヅ子の二人の音楽人生を講談に仕立てたもの。出演:四代目玉田玉秀斎、演奏:スイートルイジアナ楽団、歌手:前川歌名子、ゲスト:桜花昇ぼる(おうか・のぼる。元OSK日本歌劇団トップスター)。

約100年前、大阪・船場は北浜二丁目の料亭「灘万」で日本初のジャズ・サックスプレーヤーと呼ばれる前野港造らによってジャズが毎晩演奏され、ジャズが大阪に広まっていく。その後、少年音楽隊ブームが起こり、服部良一も鰻屋チェーンである「出雲屋」の少年音楽隊結成を聞いて応募。1番の成績で入り、ここでサックス、フルート、バンジョー、オーボエ、ピアノなどを習うことになる。我流で編曲や作曲も始めた。

服部は尋常小学校時代は成績優秀で試験はトップ争い。級長も務めたことがあるが、実家が貧しかったため中学校には進めず、尋常高等科に2年通い、その後、夜学の大阪実践商業に進み、昼は大阪電通の下っ端として働いて学費を捻出して、貿易商を目指すが、その頃に出雲屋少年音楽隊に入り、貰った給金で学費を払える上に出雲屋少年音楽隊も夜学に通うことを許してくれたため、大阪電通は辞めている。出雲屋少年音楽隊の結成式が行われたのは1923年9月1日。関東大震災が起こった日で、大阪でも式の最中に余震があったという。関東大震災で壊滅した東京から多くのジャズメンが大阪に移り、大阪のジャズは最盛期を迎えるようになる。大阪実践商業を卒業した服部は、大阪放送局(後のNHK大阪放送局)が組織した大阪フィルハーモニック・オーケストラ(放送用オーケストラで、現在の大阪フィルハーモニー交響楽団とは別団体。現在の大阪フィルは、NHKが所持していた大阪フィルハーモニーの商標を朝比奈隆が買い取って関西交響楽団から改称したものである)の第2フルート奏者となり、ここで大阪フィルハーモニック・オーケストラの指揮者を務めていたエマヌエル・メッテルと出会い、神戸の自宅まで和声学、対位法、管弦楽法、指揮法のレッスンに通うようになる。大阪フィルの内職としてジャズの演奏を始めた服部。ジャズのメッカとなっていた道頓堀のカフェでジャズの演奏を行い、ボーカルも務めて、特に「テル・ミー」という曲を十八番としていたことで、「テルミーさん」というあだ名が付くほどだったという。ということで、今回の公演ではスイートルイジアナ楽団によって「テル・ミー」の演奏と歌唱が行われたりもした。スイートルイジアナ楽団は、エノケンこと榎本健一がヒットさせた「私の青空」も披露する。

一方の笠置シヅ子は、服部の7歳下である。現在の香川県東かがわ市の生まれ。非嫡出子であり、母親の乳の出が悪かったため、丁度お産で大阪から里帰りしていた亀井うめという女性に添え乳をして貰っていたのだが、うめの情が移り、養女として貰い受けることになる。ちなみに笠置シヅ子の最初の名は、亀井ミツエであり、その後、志津子を経て静子が本名となっている。我が子とシヅ子を連れて大阪へと帰ったうめ。大阪駅で待ち構えていた夫の音吉は、「双子かいな」と驚いたという。
尋常小学校を出たシヅ子は、宝塚音楽学校を受験。常識試験や面接の出来は良かったが(歌唱の試験はなかった)、背が小さく痩せていたため、体格検査で不合格となってしまう。負けん気の強いシヅ子は、両親に落ちたとは言わず、「あんなとこ好かん。やめてきてしもた」と嘘を言い、道頓堀の松竹座を本拠地としていた松竹楽劇部(のちのOSSKこと大阪松竹少女歌劇団、現在のOSK日本歌劇団の前身)の養成所に押しかける。当時、松竹楽劇部養成所は生徒を募集していなかったが、何日も事務所に通い詰め、強引に入団を勝ち取ってしまう。この場面で桜花昇ぼるが客席通路から現れ、松竹への押しかけ入団の場面では、OSKのテーマソングである「桜咲く国」を歌う。桜花昇ぼるは、OSK日本歌劇団の元男役トップであるが、今日は女性の格好で登場。ドレスに着物にと次々に衣装を替えた。
桜花昇ぼるのステージに接するのは10年ぶり、前回は奈良県文化会館国際ホールで行われた、ムジークフェストならの関西フィルハーモニー管弦楽団とのジョイントコンサートで、まだOSKに男役トップとして在籍中であった。

今回の公演は、桜花昇ぼるが笠置シヅ子のナンバーを歌い、前川歌名子がその他の楽曲を受け持つ。まず前川がジャズナンバー2曲をしっとりとした声で歌った。

松竹少女歌劇団に入ったシヅ子は先輩の世話などの下積みやレッスンに精を出し、更には舞台を食い入るように見つめてセリフを全て覚え、怪我人や病人が出た時にいつでも代役として出られるよう備えた。
18歳の時に香川を訪れた際に自身の出生の秘密を知ったシヅ子。実母とも対面するが話が弾むことはなく、実父の形見の時計を受け取っただけであった。
やがてOSSKで頭角を現すようになったシヅ子は、東京で新しく組織されることになった男女混合のレビュー劇団、松竹楽劇団(SGD)に招かれ、ここの作曲家兼編曲家、第2指揮者となった服部良一と出会う。服部は、「大阪で一番人気のある歌手がやって来る」と聞き、「どんなプリマドンナか」と胸を弾ませていたのだが、やって来たのは頭に鉢巻きを巻き、下がり眉の目をショボショボさせた小柄な女性で、「笠置シヅ子です。よろしゅう頼んまっせ」と挨拶された服部は失望したという。しかしその夜の稽古を見て服部のシヅ子に対する印象は一変。長いつけまつげの下の目はパッチリ開き、舞台を所狭しと動き回るシヅ子に魅せられた服部は彼女のファンを自認するまでになった。
服部と笠置の名コンビはまず、「ラッパと娘」を披露する。桜花昇ぼるは、かなり速めのテンポで「ラッパと娘」を歌ったが、録音で残された「ラッパと娘」における笠置の歌声は、今の平均的な楽曲に比べるとテンポがかなり遅いようで、服部良一の孫である服部隆之もそのことを指摘している。ということで今の時代に合わせたアレンジだったようだ。
桜花昇ぼるは、アドリブも駆使しており、ジャジーな味わいをより深いものにしていた。

戦時色が濃くなり、音楽家達は各地に慰問に出掛けるようになる。服部も志願して中国へと慰問に渡る。作曲家は慰問の対象にはならなかったので、サックスプレーヤーとして渡ったようだ。蘇州を経て、杭州に渡り、西湖に船を浮かべてソプラノ・サックスを吹いた時に浮かんだのが、「蘇州夜曲」の元となる旋律だったそうで、服部の種明かしによると蘇州は全く関係ないそうだ。
前川が「蘇州夜曲」を歌う。「蘇州夜曲」は映画では李香蘭が歌っているが、レコードでは渡辺はま子と霧島昇のデュエット曲としてコロムビアから発売されている。

戦争が激化を見せ、時流に合わなくなった松竹楽劇団は解散。ジャズを歌っていたため敵性歌手と見なされ、丸の内界隈で歌うことが出来なくなった笠置シヅ子は服部良一の尽力で「笠置シズ子とその楽団」を結成し、地方公演に活路を見出す。名古屋を訪れた時に、シヅ子は眉目秀麗の青年と出会う。元々、笠置シヅ子は面食いで美男子に弱い。その青年の正体は、吉本興業を女手一つで大企業に育て上げた吉本せいの一人息子である吉本穎右(えいすけ)と判明する。ちなみに玉田玉秀斎は、本名は吉本というそうだが、吉本興業とは縁もゆかりもなく、ただ親しみを覚えるだけだそうである。
笠置シヅ子の大ファンだったという穎右はこの時、早稲田大学仏文科の学生で9歳年下であった。神戸での公演を控えていたシヅ子。穎右は大阪に帰る前に和歌山まで行く予定だったのだが、変更して神戸まで同行することになる。
その後、東京に帰った二人は、9歳差という年齢を超えて愛し合うようになる。朝ドラ「ブギウギ」とは違い、穎右は結婚したらシヅ子には歌手を辞めて貰う予定で、シヅ子もそのつもりだった。穎右は結婚を認めて貰うために早大を中退し、吉本の東京支社で働き始めるが、仕事の整理のために大阪に帰ることにし、シヅ子も帰阪する穎右を琵琶湖まで送り、湖畔の宿で別れを惜しんだ。穎右はここで服部良一作曲の「湖畔の宿」を口ずさんだそうで、前川が再び登場し、「湖畔の宿」を歌う。

東京に戻ったシヅ子は妊娠を知る。すぐ穎右に知らせ、穎右も喜ぶが、帰京するはずがいつまで経っても戻る様子がない。体調が悪いようで、風邪ということであったが、病状がそれより悪いのは明らかであった。身重の体で「ジャズ・カルメン」に主演した笠置であるが、客席に穎右が現れることはなかった。大阪からは穎右の容態悪化の報が次々に届き、出産を間近に控えた時期に穎右は西宮の実家において25歳の若さで他界してしまう。
その10日後に笠置は女の子を産んだ。穎右は、生まれた子が「男だったら静男、女だったらヱイ子と名付けてほしい」と遺言しており、吉本静男名義の預金通帳が後日送られてきた。

シヅ子は、引退の撤回を決め、日本の復興ソングの作曲を服部に頼む。服部がコロムビアで霧島昇の「胸の振り子」のレコーディングを終え、家路につく電車の中で吊革につかまっていた時、ガタンゴトンというレールの響きと吊革の揺れがエイトビートに聞こえ、メロディーが浮かぶ。服部は最寄り駅で降りて駅前の喫茶店に駆け込み、紙ナプキンを五線紙代わりにして浮かんだばかりのメロディーを書き付けた。こうして生まれたのが、不朽の名曲「東京ブギウギ」である。
「東京ブギウギ」の録音は、内幸町にあった東洋拓殖ビル内のコロムビアの吹込所で行われたのだが、録音の時間が近づくと米軍の下士官が続々と入ってくる。「東京ブギウギ」の原詩を手掛けたのは、仏教哲学者・鈴木大拙の息子で、通訳などもしていたジャーナリストの鈴木勝であるが、東洋拓殖ビルの隣にあり、進駐軍が下士官クラブとして接収していた政友会ビルで英語の得意な鈴木が自作の録音が行われることを触れ回り、それが広まってしまったようで、下士官のみならず音楽好きの将校や軍属までもが噂を聞きつけて見物にやってきた。そんな中で録音が行われ、「東京ブギウギ」は米兵達に大受け。大合唱まで始まってしまう。服部はブギの本場であるアメリカ人達に好評だったことに喜びを感じたという。
桜花は、笠置の動きを元にしたオリジナルの振付で「東京ブギウギ」を熱唱する。

シングルマザーとして生きる道を選んだ笠置の姿は多くの未亡人に勇気を与えた。

シヅ子は、新しいブギを服部に依頼する。服部はアメリカではコールアンドレスポンスが流行っているということで、「ヘイヘイブギー」を笠置に提供。桜花も観客と「ヘイヘイ」 のコールアンドレスポンスを行った。

服部が他の歌手のために書いた曲を1曲ということで、淡谷のり子の「雨のブルース」が前川によって歌われる。

一方、笠置の曲を巧みに歌う少女の存在が話題となっていた。「ベビー笠置」「豆ブギ」などと呼ばれたこの少女がのちの美空ひばりである。幼い頃の美空ひばりは笠置シヅ子の持ち歌を物真似しており、笠置と服部がアメリカ横断ツアーを行う1ヶ月前に、一足早くアメリカツアーを行うことを決定。しかしこれに服部が難色を示す。ひばりが歌うのは笠置の楽曲ばかり。ということで先に歌われてしまうとひばりが本家で笠置が二番手のように誤解されてしまう。そこで服部は日本著作権協会を通して、ひばりにアメリカで自身の楽曲を歌うことを禁じた。
その後、ひばりは、人真似ではなく独自の音楽性を持った楽曲を発表し、江利チエミ、雪村いづみと共に三人娘として次代を牽引していくこととなる。
そんなひばりのナンバーから初期の「東京キッド」(作詞:藤浦洸、作曲:万城目正)が前川によって歌われた。

笠置が次に狙うのは紅白歌合戦用のナンバー。書かれたのは「買い物ブギー」である。笠置は第2回の紅白歌合戦で「買い物ブギー」を歌っている。
この講談では大阪弁を全国に広めるための楽曲として制作されたことになっている。笠置と服部のブギーシリーズの中で初動売り上げ枚数が最も多かったのが、この「買い物ブギー」。2番目は「東京ブギウギ」ではなく「大阪ブギウギ」だったはずである。インターナショナルな「東京ブギウギ」とは違い、ローカル色豊かな「大阪ブギウギ」は長い間忘れられた存在となっていたが、最近、NHKの「名曲アルバム」において矢井田瞳の歌唱で取り上げられるなど、再評価される可能性が高まりつつある。
「買い物ブギー」は、ハワイでも大ヒットしたようで、アメリカ横断ツアーの最初の目的地であるハワイで町を歩いていると、服部は「おっさんおっさん」、笠置は「ワテほんまによう言わんワ」と呼びかけられたそうである。
当時としてはかなりの長編で、最初のバージョンはSPレコードに収まりきらずカットがされている。このオリジナル版は映画で用いられ、今ではYouTubeで見ることが出来るが、放送自粛用語が入っており、リメイク版では歌詞が変わっている。今回も当然ながらリメイク版の歌詞での歌唱である。
着物姿で登場した桜花は、関西人(奈良県斑鳩町出身)の利点を生かして、コミカル且つニュアンス豊かにこの歌を歌い上げる。

本編はここまでで終わりなのだが、アンコールとして、笠置の歌手引退と、次世代へのバトンタッチの意味を込めた楽曲として、桜花と前川が「たよりにしてまっせ」を歌う。KinKi Kidsがカバーしているということもあって比較的知られた曲である。この曲も全編に大阪弁が用いられている。一応、笠置最後のレコーディング曲なのだが、資料によるとその後に「女床屋の歌」という作品が録音はされていないものの舞台用楽曲として制作されているようで、「たよりにしてまっせ」が笠置最後の歌とは必ずしも言えないようである。
最後は、桜花と前川のデュオで再び「東京ブギウギ」が歌われた。

Dsc_2521_20240415224301

| | | コメント (0)

2024年4月 5日 (金)

これまでに観た映画より(328) 「ラストエンペラー」4Kレストア

2024年3月28日 アップリンク京都にて

イタリア、中国、イギリス、フランス、アメリカ合作映画「ラストエンペラー」を観る。4Kレストアでの上映である。監督はイタリアの巨匠、ベルナルド・ベルトルッチ。中国・清朝最後の皇帝である愛新覚羅溥儀(宣統帝)の生涯を描いた作品である。プロデューサーは「戦場のメリークリスマス」のジェレミー・トーマス。出演:ジョン・ローン、ジョアン・チェン、ピーター・オトゥール、英若誠、ヴィクター・ウォン、ヴィヴィアン・ウー、マギー・ハン、イェード・ゴー、ファン・グァン、高松英郎、立花ハジメ、ウー・タオ、池田史比古、生田朗、坂本龍一ほか。音楽:坂本龍一、デヴィッド・バーン、コン・スー(蘇聡、スー・ツォン)。音楽担当の3人はアカデミー賞で作曲賞を受賞。坂本龍一は日本人として初のアカデミー作曲賞受賞者となった。作曲賞以外にも、作品賞、監督賞、撮影賞、脚色賞、編集賞、録音賞、衣装デザイン賞、美術賞も含めたアカデミー賞9冠に輝く歴史的名作である。

清朝最後の皇帝である愛新覚羅溥儀(成人後の溥儀をジョン・ローンが演じている)。弟の愛新覚羅溥傑は華族の嵯峨浩と結婚(政略結婚である)して千葉市の稲毛に住むなど、日本にゆかりのある人で、溥儀も日本の味噌汁を好んだという。幼くして即位した溥儀であるが、辛亥革命によって清朝が倒れ、皇帝の身分を失い、その上で紫禁城から出られない生活を送る。北京市内では北京大学の学生が、大隈重信内閣の「対華21カ条の要求」に反対し、デモを行う。そんな喧噪の巷を知りたがる溥儀であるが、門扉は固く閉ざされ紫禁城から出ることは許されない。

スコットランド出身のレジナルド・フレミング・ジョンストン(ピーター・オトゥール)が家庭教師として赴任。溥儀の視力が悪いことに気づいたジョンストンは、医師に診察させ、溥儀は眼鏡を掛けることになる。ジョンストンは溥儀に自転車を与え、溥儀はこれを愛用するようになった。ジョンストンはイギリスに帰った後、ロンドン大学の教授となり、『紫禁城の黄昏』を著す。『紫禁城の黄昏』は岩波文庫から抜粋版が出ていて私も読んでいる。完全版も発売されたことがあるが、こちらは未読である。

その後、北京政変によって紫禁城を追われた溥儀とその家族は日本公使館に駆け込み、港町・天津の日本租界で暮らすようになる。日本は満州への侵略を進めており、やがて「五族協和」「王道楽土」をスローガンとする満州国が成立。首都は新京(長春)に置かれる。満州族出身の溥儀は執政、後に皇帝として即位することになる。だが満州国は日本の傀儡国家であり、皇帝には何の権力もなかった。

満州国を影で操っていたのが、大杉栄と伊藤野枝を扼殺した甘粕事件で知られる甘粕正彦(坂本龍一が演じている。史実とは異なり右手のない隻腕の人物として登場する)で、当時は満映こと満州映画協会の理事長であった。この映画でも甘粕が撮影を行う場面があるが、どちらかというと映画人としてよりも政治家として描かれている印象を受ける。野望に満ち、ダーティーなインテリ風のキャラが坂本に合っているが、元々坂本龍一は俳優としてのオファーを受けて「ラストエンペラー」に参加しており、音楽を頼まれるかどうかは撮影が終わるまで分からなかったようである。ベルトルッチから作曲を頼まれた時には時間が余りなく、中国音楽の知識もなかったため、中国音楽のCDセットなどを買って勉強し、寝る間もなく作曲作業に追われたという。なお、民族楽器の音楽の作曲を担当したコン・スーであるが、彼は専ら西洋のクラシック音楽を学んだ作曲家で、中国の古典音楽の知識は全くなかったそうである。ベルトルッチ監督の見込み違いだったのだが、ベルトルッチ監督の命で必死に学んで民族音楽風の曲を書き上げている。
オープニングテーマなど明るめの音楽を手掛けているのがデヴィッド・バーンである。影がなくリズミカルなのが特徴である。

ロードショー時に日本ではカットされていた部分も今回は上映されている。日本がアヘンの栽培を促進したというもので、衝撃が大きいとしてカットされていたものである。

後に坂本龍一と、「シェルタリング・スカイ」、「リトル・ブッダ」の3部作を制作することになるベルトルッチ。坂本によるとベルトルッチは、自身が音楽監督だと思っているような人だそうで、何度もダメ出しがあり、特に「リトル・ブッダ」ではダメを出すごとに音楽がカンツォーネっぽくなっていったそうで、元々「リトル・ブッダ」のために書いてボツになった音楽を「スウィート・リベンジ」としてリリースしていたりするのだが、「ラストエンペラー」ではそれほど音楽には口出ししていないようである。父親が詩人だというベルトルッチ。この「ラストエンペラー」でも詩情に満ちた映像美と、人海戦術を巧みに使った演出でスケールの大きな作品に仕上げている。溥儀が大勢の人に追いかけられる場面が何度も出てくるのだが、これは彼が背負った運命の大きさを表しているのだと思われる。


坂本龍一の音楽であるが、哀切でシリアスなものが多い。テレビ用宣伝映像でも用いられた「オープン・ザ・ドア」には威厳と迫力があり、哀感に満ちた「アーモのテーマ」は何度も繰り返し登場して、特に別れのシーンを彩る。坂本の自信作である「Rain(I Want to Divorce)」は、寄せては返す波のような疾走感と痛切さを伴い、坂本の代表曲と呼ぶに相応しい出来となっている。
即位を祝うパーティーの席で奏でられる「満州国ワルツ」はオリジナル・サウンドトラック盤には入っていないが、大友直人指揮東京交響楽団による第1回の「Playing the Orchestra」で演奏されており、ライブ録音が行われてCDで発売されていた(現在も入手可能かどうかは不明)。
小澤征爾やヘルベルト・フォン・カラヤンから絶賛されていた姜建華の二胡をソロに迎えたオリエンタルなメインテーマは、壮大で奥深く、華麗且つ悲哀を湛えたドラマティックな楽曲であり、映画音楽史上に残る傑作である。

Dsc_2504

| | | コメント (0)

2024年2月29日 (木)

これまでに観た映画より(322)「風よ あらしよ 劇場版」

2024年2月19日 京都シネマにて

京都シネマで、日本映画「風よ あらしよ 劇場版」を観る。甘粕事件によって28歳で散った伊藤野枝を主人公とした作品。2022年にNHKBSで放送され、今回劇場版が上映される運びとなった。原作:村山由佳、脚本:矢島弘一、演出:柳川強。音楽:梶浦由記。出演:吉高由里子、永山瑛太、稲垣吾郎、松下奈緒、美波、山田真歩、音尾琢真、石橋蓮司ほか。

「青鞜」後期の編集者として、また無政府主義者・大杉栄との関係で知られる伊藤野枝の生涯に迫る作品である。

東京の上野高等女学校に通う伊藤ノヱ(後のペンネーム・伊藤野枝。演じるのは吉高由里子)は、生まれ故郷の福岡で無理矢理結婚させられそうになる。「家にあっては父に従い、嫁しては夫に従い、夫が死んだ後は子に従う」という男尊女卑の文化が当たり前であった大正時代にあって伊藤野枝はそれに反発。上野高等女学校の教師だった辻潤(稲垣吾郎)に文才を見出され、平塚らいてうの主宰する青鞜社に就職し、女性の地位向上を唱えるが、青鞜社が傾くようになり、平塚らいてうから雑誌「青鞜」を受け継ぎ、編集をこなすが、結果的には「青鞜」は廃刊になってしまう。一方、辻と結婚した野枝であるが、辻は自堕落な生活を送るようになる。そんな中、野枝は無政府主義者の大杉栄(永山瑛太)と出会い……。

伊藤野枝という人が極めて行動的で積極的な人柄であることが分かるような描き方がなされている。率先して「青鞜」を受け継ぎ、憧れの存在であった辻潤や大杉栄とも対等に渡り合う。

大河ドラマ「光る君へ」に紫式部役で主演している吉高由里子。彼女の個性である甘ったるい声はやはり気になるが、不自由な時代を全力で駆け抜ける勇ましさが出ていた。永山瑛太の存在感、アンニュイな男を演じさせたらピカイチの稲垣吾郎の魅力も十分に発揮されていたように思う。

Dsc_2359

| | | コメント (0)

2022年11月21日 (月)

WOWOW 野田秀樹版「パンドラの鐘」&蜷川幸雄版「パンドラの鐘」に関する感想とメモ

11月14日(月)

WOWOWで放送されたものを録画した野田秀樹演出版「パンドラの鐘」を観る。1999年、世田谷パブリックシアターでの収録。野田秀樹の作、野田秀樹自身の演出版と蜷川幸雄演出版でほぼ同時に上演された話題作である。以前にNHKBS2(NHKBSプレミアムの前身)で放送された映像をWOWOWが借りて放送したのだと思われる。

原爆投下と天皇の戦争責任を古代の架空の王朝に重ねて描いた作品であり、冒頭に忌野清志郎のロック版「君が代」が流れたり、二・二六事件がはっきりそれと分かるように描かれていたり(はっきり描かなくても分かるところを敢えて更にはっきり分かるようにしている)と、リアルな要素も含まれるが、全般的には日比野克彦の衣装の影響もあっておとぎ話のようにも見える。そしてこれは確かに大人のおとぎ話である。

出演:堤真一、天海祐希、富田靖子、古田新太、松尾スズキ、銀粉蝶、入江雅人、八嶋智人、野田秀樹ほか。

パンドラの鐘は、見るからに長崎に投下された原子爆弾であるファットマンの形をしている。ちなみに蜷川幸雄演出版のパンドラの鐘は広島に投下されたリトルボーイ(「鐘」について語る場面で登場する「金に童」の「童」である)の形をしており、ほぼ同時に上演されたのはこの2発の原爆になぞらえたのかも知れない。もっとも、「2つ同時にやるのだから片方はファットマンにして片方はリトルボーイにしよう」と決まっただけかも知れないが。

「蝶々夫人」に出てくるピンカートンのひ孫であるタマキ(富田靖子。「タマキ」という名は三浦環に由来すると思われる)のキャラクターは、野田演出版と蜷川演出版でかなり違い、他のキャラクターも当然ながら性格は微妙に異なる。
また野田秀樹演じるヒイバアと天海祐希演じるヒメ女の関係を見ていると、これがどうやらジュリエットと乳母の関係を模したものであるらしいことにも気がつく(蜷川版ではそういう風には見えない)。

23年前の作品であり、今でも学生演劇などで上演されることも多いが、野田演出版は今から振り返ると残念ながら時代を超えられていないように思われる。最初に映像で観たときは大いに感心したものだが、今では粗に目が行ってしまう。私も年を取ったということなのかも知れない。ただ当時も「パンドラの鐘」に感銘を受けると同時に不満も抱き、「こういう形ではない原爆を題材にした劇を書きたい」と思ったのも事実で、それが「落城」という私の戯曲での処女作に結びついている。

 

 

11月15日(火)

WOWOWで録画した「パンドラの鐘」蜷川幸雄演出版を観る。1999年の年末に、野田秀樹の自作自演版とほぼ同時期に東京・渋谷のBunkamuraシアターコクーンで上演されたものである。出演:大竹しのぶ、勝村政信、生瀬勝久、壌晴彦、宮本裕子、高橋洋、井手らっきょ、森村泰昌、沢竜二ほか。

蜷川幸雄はシアターコクーンの舞台に土砂を敷き詰め、「軽み」を重視した野田秀樹の演出とは対照的に重厚的な作品に仕上げている。長崎の発掘現場はアングラ的に見え、一方で古代の王国の場面はシェイクスピアの「リア王」の荒野にいるような効果を上げている。

昨日も書いたが、見るからに長崎に落とされた原爆・ファットマンを意識した野田版「パンドラの鐘」に対し、蜷川幸雄は広島に投下された原爆・リトルボーイに模したフォルムを鐘に採用している。

野田秀樹は階段状の舞台を使い、「上下」の関係を可視化。そのため二・二六事件をほのめかした場面は蜷川版よりも分かりやすかったりする。

蜷川の演出は野田のそれよりもはるかにリアルで、オズ(高橋洋)とタマキ(宮本裕子)の関係なども等身大に描かれている。

実は「パンドラの鐘」底流にはシェイクスピアの「ハムレット」が下敷きとして使われており、いくつかの場面ははっきりそれと分かるように蜷川も演出している。ただ私が演出するなら(演出することも演出する気もないが)もっと分かりやすく示すはずである。ミズヲが「葬儀屋」「葬儀王」と名乗ったり言われたりしていながら、やっていることは葬儀というよりも墓掘り人であり、ここ一つとっても墓掘り人による名場面がある「ハムレット」に繋がっている。私ならもっとシェイクスピアに近づける。

最も重要なセリフの一つと思われる、タマキの「待つなんて馬鹿、まして死ぬなんてもっと馬鹿よ」(蝶々夫人に対してのセリフであるが、広義的には当時に日本人に向けられていると思われる)のニュアンスが野田秀樹と蜷川幸雄とでは大きく異なるのも特徴。野田秀樹版の富田靖子は頑是ない子どもに言い聞かせるように語り、宮本裕子は吐き捨てるようにとまでは行かないが捨て台詞として見下すように口にしている。

| | | コメント (0)

2022年11月17日 (木)

コンサートの記(813) オペラ「石見銀山」石見銀山世界遺産登録15周年記念関西公演@京都劇場

2022年11月2日 京都劇場にて

午後6時30分から、京都劇場でオペラ「石見銀山」石見銀山世界遺産登録15周年記念関西公演を観る。

オペラ「石見銀山」は、石見銀山の世界遺産登録10周年と石見銀山のある島根県大田(おおだ)市の地方創生として2017年に制作されたもので、オペラユニット「THE LEGEND」が中心になり、THE LEGENDの吉田知明が、石見神楽の団体である大屋神楽社中の安立均がまとめた神楽の演目「石見銀山 於紅谷」を原作に脚本を書き、演出も行う。作曲は、デュオ「鍵盤男子」(現在はソロユニットとなっているようである)のメンバーでもある中村匡宏(くにひろ)が手掛けている。
中村匡宏は、ウィーン国立音楽大学大学院作曲科最終試験で最上位を獲得。国立音楽大学と同大学院で共に首席を獲得し、博士後期課程の博士号を取得している。
中村は指揮と音楽監督も兼任している。

出演は、柿迫秀(かきざこ・あきら。島根県大田市出身)、菅原浩史(すがわら・ひろし)、吉田知明、坂井田真実子、志村糧一(しむら・りょういち)、内田智一、松浦麗。ゲストピアニストは西尾周祐(にしお・しゅうすけ)。石見神楽上演は大屋神楽社中。合唱はオペラ「石見神楽」合唱団(一般公募による合唱団)。

有料パンフレットに東京公演での模様を撮影した写真が掲載されており、オーケストラピットにオーケストラ(東京室内管弦楽団)が入っているのが確認出来るが、京都公演ではオーケストラはなしで、当然ながらカーテンコールでも紹介されなかった。音色からいってシンセサイザーが用いられているのが分かるが、どのように音が出されていたのかは不明である。

石見銀山に伝わる於紅孫右衛門事件という史実が題材となっており、石見銀山で働く男女の悲劇が描かれる。

第1幕から第4幕まであるが、第1幕から第3幕までが通しで上演。休憩を挟んで石見神楽が本格的に登場する第4幕が上演された。

ストーリー的には良くも悪くも素人っぽい感じだったが、中村匡宏の音楽は明快にして才気に溢れており、今後オペラ作曲科としてさ更なる活躍が期待される。

第1幕は、1526年(大永6)に博多の大商人であった神屋寿禎(演じるのは柿迫秀)が石見銀山の主峰、仙ノ山を発見することに始まる。第2幕と第3幕は、石見銀山の間歩(まぶ。坑道のこと)頭である於紅孫右衛門(吉田知明)と、やはり間歩頭である吉田与三右衛門、そして与三右衛門の妻であるお高(坂井田真実子)、与三右衛門の弟である吉田藤左衛門(内田智一)の話が主になる。「銀よりも皆が無事であることが大事」と説き、仕事仲間からの人望もある孫右衛門に、与三右衛門は嫉妬。更に妻であるお高と孫右衛門が懇意になったことから嫉妬は更に加速していく。与三右衛門は妻のお高に暴力を振るっているが、心の底ではお高を強く愛しており、両親の命を奪った銀山からお高を救いたいと願っている。ただ愛情が強すぎて妻にきつく当たってしまうようだ。
第4幕では神屋寿禎が再度登場し、鬼女(龍蛇。演じるのは松浦麗)が登場して、石見神楽が演じられる中、緊迫感が増していく。

京都劇場は、元々はシアター1200として建てられ、音響設計がしっかりされている訳ではないと思われるが、劇団四季が一時常打ち小屋として使っていたこともあり、音響はまずまずのはずなのだが、やはりオペラをやるには空間が狭すぎるようである。PAを使っての上演だったが、声が響きすぎて壁がビリビリとした音を延々と発する場面も結構多かった。
またオペラは生のオーケストラで聴きたい。

今後この作品がオペラの定番としてレパートリー化されるのは、島根以外ではあるいは難しいかも知れないが、地方創生としておらが街のオペラを創作するというのは素晴らしい試みであると感じられた。

Dsc_1868

| | | コメント (0)

2022年10月26日 (水)

史の流れに(10) 京都文化博物館 「新選組展2022」

2022年10月4日 三条高倉の京都文化博物館にて

京都文化博物館で、「新選組展2022」を観る。
京都文化博物館で、「新選組展」が行われたのは2004年のこと。大河ドラマ「新選組!」放送を記念してのことだった。だがその時点では歴史学界では、松浦玲の『新選組』(岩波新書)によると「研究に値しない団体」と見なされていた。小説やマンガ、ゲームなどでは新選組は特に女子に人気で、当時流行り始めていた言葉を使うと幕末の「『イケメン』剣豪集団」としてもてはやされていた。だがそれらは全てフィクションの世界を主舞台としており、地道な研究の道には繋がりにくいものだったのである。それが大河ドラマ「新選組!」が契機となってようやく研究の俎上に乗り、以降の研究の成果が「新選組展2022」として発表されることになった。

文書が中心の展示であるため、比較的地味であり、私は崩し字は読めないということで、「真の成果」がどこにあるのか判別しがたい状態ではあるのだが、文書に記された「小島鹿之助」「佐藤彦五郎」といった多摩の人々の名前を見ると、久しぶりに出会った親戚のように思えて懐かしくなる。

新選組の土台を築いたのは、主に近藤勇が宗家を務める天然理心流の道場「試衛」一派と芹沢鴨ら水戸派の二派である。「試衛」と書いたが、実は近藤勇の道場を一般に知られる試衛館と記した史料は見つかっておらず、伝わっているのは試衛の2文字もしくは試衛場とした3文字だけである。主立った江戸の剣術道場、例えば千葉周作の玄武館、斎藤弥九郎の練兵館、桃井春蔵の士学館の三大道場などには全て「館」の字がつくため、「試衛の2文字だけでは不自然だから館が付いたのだろう」との推測によって試衛館とされているのである。ただ試衛館という名は現時点ではあくまでも想像上のものであるため、今回の展覧会の説明書きでは試衛の2文字で記されている。

新選組は、「京都守護職御預」と記されることも多いが、これも厳密にいうと誤りで、松平容保(松平肥後守)が約2ヶ月だけ京都守護職を離れて陸軍総裁となり、京都守護職が松平春嶽となった際も、松平春嶽ではなく容保の配下となっていることから、役職に従っていたのではなく、松平肥後守個人に従っていたことが分かるようである。そのため松平肥後守御預とした方が実態に近いようである。

新選組にはもう一つ、新撰組という表記もあり、これらは併用されていた。近藤や土方も両方の表記を用いている。当時は漢字などは「読めればいい」「分かればいい」という考えが一般的であったため、正式な表記というものもないということになっている。だが、研究の結果、正式な場では「新選組」表記がなされる傾向にあるということは分かったそうである。

土方歳三の愛刀は和泉守兼定、脇差が堀川国広ということはよく知られているが、根拠となっているのは近藤勇の書簡だそうで、今回の展覧会ではその書簡の現物も展示されている。
なお土方所蔵の和泉守兼定は現存しており、今回の展覧会でも展示されていたが、堀川国広は行方不明となっていて、本当に国広が打ったものなのかどうかは定かではない(近藤勇の愛刀である長曽根虎徹もまた見つかってはおらず真贋不明である)。

新選組の活躍を今に伝える史料として重要視されているものの一つに、永倉新八(本姓は長倉。維新後の名前は杉村義江)が書いた『新選組顛末記』(こちらは厳密に言うとインタビュー記事をまとめたもの)と『浪士文久報国記事』が挙げられる。いずれも最晩年の永倉が遺したもので、共に今も文庫版を手に入れて読むことが出来るが、残念ながらこの時代は今と違って編集者が内容を面白おかしく書き換えてしまうのが常識となっており、『新選組顛末記』の方は掲載された小樽新聞の記者が脚色した可能性が高く、『浪士文久報国記事』の方も永倉が記した原本は失われたままだが、『新選組顛末記』よりは永倉の実体験に近い内容が記されていると考えられているようである。

Dsc_1700

| | | コメント (0)

2022年9月15日 (木)

2346月日(40) 特別展「河内長野の霊地 観心寺と金剛寺ー真言密教と南朝の遺産」

2022年9月7日 京都国立博物館にて

東山七条の京都国立博物館で、特別展「河内長野の霊地 観心寺と金剛寺-真言密教と南朝の遺産」を観る。3階建ての平成知新館の2階と1階が「観心寺と金剛寺」の展示となっている。

観心寺と金剛寺は、南朝2代目・後村上天皇の仮の御所となっており(南朝というと吉野のイメージが強いが、実際は転々としている)、南朝や河内長野市の隣にある千早赤阪村出身である楠木正成との関係が深い。

共に奈良時代からある寺院であるが、平安時代に興隆し、国宝の「観心寺勘録縁起資材帳」には藤原北家台頭のきっかけを作った藤原朝臣良房の名が記されている。

観心寺や金剛寺は歴史ある寺院であるが、そのためか、黒ずんでよく見えない絵画などもある。一方で、非常に保存状態が良く、クッキリとした像を見せている画もあった。

1回展示には、ずらりと鎧が並んだコーナーもあり、この地方における楠木正成と南朝との結びつきがよりはっきりと示されている。

明治時代から大正時代に掛けて、小堀鞆音が描いた楠木正成・正行(まさつら)親子の像があるが、楠木正成には大山巌の、楠木正行には東郷平八郎の自筆による署名が記されている。楠木正成・正行親子は、明治時代に和気清麻呂と共に「忠臣の鑑」とされ、人気が高まった。今も皇居外苑には楠木正成の、毎日新聞の本社に近い竹橋には和気清麻呂の像が建っている。

河内長野近辺は、昔から名酒の産地として知られたそうで、織田信長や豊臣秀吉が酒に纏わる書状を発している。

観心寺や金剛寺の再興に尽力したのは例によって豊臣秀頼である。背後には徳川家康がいる。家康は秀頼に多くの寺社の再興を進め、結果として豊臣家は資産を減らすこととなり、大坂の陣敗北の遠因となっているが、そのために豊臣秀頼の名を多くの寺院で目にすることとなり、秀頼を身近に感じる一因となっている。木材に記された銘には、結果として豊臣家を裏切る、というよりも裏切らざるを得ない立場に追い込まれた片桐且元の名も奉行(現場の指揮官)として記されている。

最期の展示室には、上野守吉国が万治三年八月に打った刀剣が飾られている。陸奥国相馬地方中村の出身である上野守吉国(森下孫兵衛)は、実は坂本龍馬の愛刀の作者として知られる陸奥守吉行(森下平助。坂本龍馬の愛刀は京都国立博物館所蔵)の実兄だそうで、共に大坂に出て大和守吉道に着いて修行し、吉国は土佐山内家御抱藩工、吉行も鍛冶奉行となっている。価値としては吉国の方が上のようである。

Dsc_1465

| | | コメント (0)

2022年8月14日 (日)

観劇感想精選(442) 「観世青年研究能」 令和4年8月6日

2020年8月6日 左京区岡崎の京都観世会館にて

左京区岡崎の京都観世会館で、「観世青年研究能」を観る。午前11時開演。能楽観世流若手による上演だが、時節柄体調不良の者が多く、出演者にかなりの変更がある。

演目は、「田村」、大蔵流狂言「太刀奪」、「杜若」、「鵺」

先日、上七軒文庫のシラス講座「能と唯識」で取り上げられた「鵺」が上演されるということで、講師で観世流シテ方の松井美樹が宣伝していた公演である。今日は本来なら出勤日なのだが、手掛けている仕事も一段落ということで、休みを取って観に行くことにしたのだ。同じ講座を受講している人と会えるかなとも思ったのだが、残念ながら観に行ったのは私一人だけだったようである(松井美樹は地謡として「鵺」に出演していた)。

謡本は、Kindleで買ったものをスマホにダウンロードしており、昨日、一通り読んで来たのだが、いざ本番となると、肝心要のセリフが聞き取れなかったりする。「聞き取れない部分の面白さ」も能にはあるわけだが、なるべくなら謡も聞き取れた方がいい。ということで、売店でミニサイズの謡本「杜若」と「鵺」を購入。不思議なもので本を読んでいると謡も「そう言っているようにしか聞こえない」ようになる。周りを見ると、謡本を手に能を観ている人も結構多い。


謡本を購入する前に観た「田村」。この作品は、YouTubeなどで何度か観たことがあり、あらすじも分かっているのだが、次回は謡本を手に観た方が良さそうである。
「田村」というのは、征夷大将軍・坂上田村麻呂(劇中では田村丸)のことである。
ワキの僧侶は、東国出身で都(京都。平安京)を見たことがないというので、上洛してまず清水寺(「せいすいじ」「きよみずでら」の両方で読まれる)に詣で、そこで地主権現(現在の地主神社)の桜の精(前シテ)と坂上田村丸の霊(後ジテ)に出会うという物語である。「杜若」に出てくる僧侶が京の生まれで東国を見たことがないというので東下りするのと丁度真逆の設定となっている。
出演:谷弘之助(前シテ、後ジテ)、岡充(ワキ。旅僧)、島田洋海(アイ。清水寺門前ノ者)。

坂上田村麻呂と縁の深い清水寺。この演目ではその由来が語られる。懸造りの舞台が有名な清水寺であるが、勿論そればかりではない。音羽の滝の清水や、地主神社、十一面観音などの来歴がシテや地謡によって語られていく。


狂言「太刀奪」。野村万作、野村萬斎、野村裕基の親子三代による和泉流狂言も観ているが、大蔵流は設定からして和泉流とは異なる。

和泉流では太郎冠者がすっぱに太刀を奪われるのであるが、大蔵流では太郎冠者が北野天満宮通いの男の太刀をすっぱよろしく奪おうとするという真逆の設定になっている。
出演:山本善之(太郎冠者)、茂山忠三郎(主人)、山口耕道(道通の者)。

和泉流でも大蔵流でも霊験あらたかな寺社に詣でるのは一緒だが、和泉流の鞍馬寺に対して大蔵流は北野天満宮となっている。どちらも京都の北の方にある寺社ということだけ共通している。


「杜若」。三河の八つ橋の在原業平伝説にちなみ演目である。出演:河村晴道(代役。シテ。杜若ノ精)、有松遼一(ワキ。旅僧)。
当代一の色男にして色好み(三河は「実は三人の女」、八つ橋も「実は八人の女」説があるようだ)、加えて天才歌人と見なされた才能。だがそれ故にか嫉妬され、出世を阻まれ東下り(実際にはそれなりに出世しており、東下りも伝説に留まる)と不遇の貴公子のイメージも強い業平であるが、この演目では、業平の霊と共に業平の愛人である高子后の霊、杜若の霊が一体となって舞う場面がある。
「田村」での田村丸の舞、「鵺」での鵺の前も勇壮であり、気が飛んでくるような迫力があるが、この「杜若」での舞はそれとは真逆の静寂でたおやかなものである。「色ばかりこそ昔なれ」という謡の前に置かれていることから、それは「単なる時の経過」を表していると見ることも出来るのだが、その発想が尋常ではない。「時の過ぎゆく様を舞で表したい」とは普通は着想も実現も出来ない。しかしこの「杜若」での舞は、そうした様子が悲しいほど切実に伝わってきた。時が過ぎゆくほど残酷なことはない。そしてこの杜若の舞が、「草木国土悉皆成佛」へと繋がっていくのである。


「鵺」。以前に春秋座の「能と狂言」公演で観たことのある演目である。世阿弥の作といわれている。出演:寺澤拓海(シテ)、原陸(ワキ。旅僧)、増田浩紀(アイ。里人)。

頭は猿、尾は蛇、手足は虎、胴体は狸に似ているというキメーラの鵺。鳴き声が鵺という鳥(トラツグミ)に似ているので鵺と名付けられた怪物である。近衛天皇の御代(この時の近衛天皇は今でいう中学生と同い年ぐらい。その後、わずか17歳で崩御している)、東三条の空に黒雲が宿り、やがて御所へと押し寄せて近衛天皇を気絶させるほどに苛むものがあった。その正体が鵺である。三位頼政、源三位頼政として知られる源頼政がこの鵺を弓矢で射て退治することになる。

鵺退治の褒美として頼政は宇治の大臣(悪左府の名で知られる左大臣藤原頼長)の手を通して獅子王という剣を拝領するのだが、その時にホトトギスが鳴いたので、頼長は、「ほととぎす名をも雲居に揚げるかな」と上の句を詠み、頼政が「弓張月のいるにまかせて」と下の句を即興で継いだという下りが出てくる。三位頼政も悪左府頼長も平安時代末期の人であり、室町時代初期の人である世阿弥は彼らの最期がどうなったかを当然ながら知っている。それを考えた場合、鵺の最期も悲惨であろうと想像することは必然でもある。

鵺の悪とは、天皇を苛んだことであるが、それ以上に大きななにかがありそうである。だがそれは劇中では明らかにされない。なぜ鵺として現れたのか、なぜ天皇を苛んだのかいずれも謎である。

春秋座で「鵺」を観た時には、渡邊守章が「鵺=秦河勝説」を唱えていたが、世阿弥自身も秦河勝の末裔を名乗っており、秦河勝は能楽(猿楽)の祖ともいわれている。
最晩年に赤穂・坂越に流罪になったともいわれる秦河勝は、キメーラである摩多羅神と同一視されてもいるという。
「鵺」は世阿弥の最晩年に書かれた作品とされている。世阿弥の心に何か去来するものがあったのであろうか。

午前11時に開演して、終演は午後4時近く。約5時間の長丁場であった。

Dsc_1232

| | | コメント (0)

2022年8月11日 (木)

これまでに観た映画より(305) 「BLUE ISLAND 憂鬱之島」

2022年8月2日 京都シネマにて

京都シネマで、ドキュメンタリー映画「BLUE ISLAND 憂鬱之島」を観る。自由と民主を求める香港を舞台に、文化大革命、六七暴動、天安門事件によって香港へと亡命した人々や、香港を題材に撮影されているドラマなどを追ったドキュメンタリー。
監督・編集:チャン・ジーウン。香港と日本の合作で、プロデューサーは香港からピーター・ヤム、アンドリュー・チョイ、日本からは小林三四郎と馬奈木厳太郞が名を連ねている。映画制作のための資金が足りないため、クラウドファンディングにより完成に漕ぎ着けた。

「香港を解放せよ」「時代を革命(時代革命)せよ」というデモの声で始まる。
そして1973年を舞台としたドラマの場面。一組の若い男女が山を越え、海へと入る。文化大革命に反発し、香港まで泳いで亡命しようというのだ。この二人は実在の人物で、現在の彼ら夫婦の姿も映し出される。旦那の方は老人になった今でも香港の海で泳いでいることが分かる。

1989年6月4日に北京で起こった第二次天安門事件。中国本土ではなかったことにされている事件だが、当時、北京で学生運動に参加しており、中国共産党が学生達を虐殺したのを目の当たりにして香港へと渡り、弁護士をしている男性が登場する。本土ではなかったことにされている事件だが、香港では翌年から毎年6月4日に追悼集会が行われていた。それが2021年に禁止されることになる。男性は時代革命で逮捕された活動家や市民の弁護も行っているようだ。

六七暴動というのは日本では知られていないが、毛沢東主義に感化された香港の左派青年達が、イギリスの香港支配に反発し、中国人としてのナショナリズム高揚のためにテロを起こすなどして逮捕された事件である。
劇中で制作されている映画の中では、当時の若者が「自分は中国人だ」というアイデンティティを語る場面が出てくるが、その若者を演じる現代の香港の青年は、「そういう風には絶対に言えない」と語り、自らが「香港人である」という誇りを抱いている様子が見て取れる。1997年の返還後に生まれた青年であり、小学校時代には、「自分達は中国人」という教育を受けたようだが、今は中国本土からは完全に心が離れてしまっているようである。皮肉なことに現在は六七暴動とは真逆のメンタリティが香港の若者の心を捉えている。

青年達は、中国共産党の独裁打倒と中国の民主化を求めている。

だが中国共産党と香港政府からの弾圧は激しく、この作品に出演している多くの市民が逮捕され、あるいは判決を待ち、あるいは亡命して香港を離れている。

ラストシーンは、彼ら彼女らが受けた判決が当人の顔と共に映し出される。多くは重罪である。治安維持法下の日本で起こったことが、今、香港で起こっているようだ。歴史は繰り返すのか。

Dsc_1220

| | | コメント (0)

2022年7月24日 (日)

これまでに観た映画より(302) ドキュメンタリー映画「エリザベス 女王陛下の微笑み」

2022年7月21日 京都シネマにて

京都シネマで、ドキュメンタリー映画「エリザベス 女王陛下の微笑み」を観る。今年で96歳になる世界最高齢元首のエリザベス女王(エリザベス2世)の、即位前から現在に至るまでの映像を再構成したドキュメンタリーである。時系列ではなく、ストーリー展開も持たず、あるテーマに沿った映像が続いては次のテーマに移るという複数の断章的作品。

イギリスの王室と日本の皇室はよく比べられるが、万世一系の日本の皇室とは違い、イギリスの王室は何度も系統が入れ替わっており、日本には余り存在しない殺害された王や女王、逆に暴虐非道を行った君主などが何人もおり、ドラマティックであると同時に血なまぐさい。
そんな中で、英国の盛期に現れるのがなぜか女王という巡り合わせがある。シェイクスピアも活躍し、アルマダの海戦で無敵艦隊スペインを破った時代のエリザベス1世、「日の沈まない」大英帝国最盛期のヴィクトリア女王、そして前二者には及ばないが、軍事や経済面のみならずビートルズなどの文化面が花開いた現在のエリザベス2世女王である。

イギリスの王室が日本の皇室と違うのは、笑いのネタにされたりマスコミに追い回されたりと、芸能人のような扱いを受けることである。Mr.ビーンのネタに、「謁見しようとしたどう見てもエリザベス女王をモデルとした人物に頭突きを食らわせてしまう」というものがあるが(しかも二度制作されたらしい。そのうちの一つは頭突きの前の場面が今回のドキュメンタリー映画にも採用されている)、その他にもエリザベス女王をモデルにしたと思われるコメディ番組の映像が流れる。

1926年生まれのエリザベス2世女王。1926年は日本の元号でいうと大正15年(この年の12月25日のクリスマスの日に大正天皇が崩御し、その後の1週間だけが昭和元年となった)であり、かなり昔に生まれて長い歳月を生きてきたことが分かる。

とにかく在位が長いため、初めて接した首相がウィンストン・チャーチルだったりと、その生涯そのものが現代英国史と併走する存在であるエリザベス女王。多くの国の元首や要人、芸能のスターと握手し、言葉を交わし、英国の顔として生き続けてきた。一方で、私生活では早くに父親を亡くし、美貌の若き女王として世界的な注目を集めるが(ポール・マッカートニーへのインタビューに、「エリザベス女王は中学生だった私より10歳ほど年上で、その姿はセクシーに映った」とポールが語る下りがあり、アイドル的な存在だったことが分かる)、子ども達がスキャンダルを起こすことも多く、長男のチャールズ皇太子(エリザベス女王が長く生きすぎたため、今年73歳にして今なお皇太子のままである)がダイアナ妃と結婚したこと、更にダイアナ妃が離婚した後も「プリンセス・オブ・ウェールズ」の称号を手放そうとせず、そのまま事故死した際にエリザベス女王が雲隠れしたことについて市民から避難にする映像も流れたりする。この時は、エリザベス女王側が市民に歩み寄ることで信頼を取り戻している。

その他に、イギリスの上流階級のたしなみとして競馬の観戦に出掛け、当てて喜ぶなど、普通の可愛いおばあちゃんとしての姿もカメラは捉えており、おそらく世界史上に長く残る人物でありながら、一個の人間としての魅力もフィルムには収められている。

「ローマの休日」でアン王女を演じたオードリー・ヘップバーンなど、エリザベスが影響を与えた多くのスター達の姿を確認出来ることも、この映画の華やかさに一役買っている。

Dsc_1134

| | | コメント (0)

より以前の記事一覧

その他のカテゴリー

2346月日 AI DVD NHK交響楽団 THEATRE E9 KYOTO YouTube …のようなもの いずみホール おすすめCD(TVサントラ) おすすめサイト おすすめCD(クラシック) おすすめCD(ジャズ) おすすめCD(ポピュラー) おすすめCD(映画音楽) お笑い その日 びわ湖ホール よしもと祇園花月 アニメ・コミック アニメーション映画 アメリカ アメリカ映画 イギリス イギリス映画 イタリア イタリア映画 ウェブログ・ココログ関連 オペラ オンライン公演 カナダ グルメ・クッキング ゲーム コンサートの記 コンテンポラリーダンス コンビニグルメ サッカー ザ・シンフォニーホール シアター・ドラマシティ シェイクスピア シベリウス ショートフィルム ジャズ スタジアムにて スペイン スポーツ ソビエト映画 テレビドラマ デザイン トークイベント ドイツ ドイツ映画 ドキュメンタリー映画 ドキュメンタリー番組 ニュース ノート ハイテクノロジー バレエ パソコン・インターネット パフォーマンス パーヴォ・ヤルヴィ ピアノ ファッション・アクセサリ フィンランド フェスティバルホール フランス フランス映画 ベルギー ベートーヴェン ポーランド ミュージカル ミュージカル映画 ヨーロッパ映画 ラーメン ロシア ロームシアター京都 中国 中国映画 交通 京都 京都コンサートホール 京都シネマ 京都フィルハーモニー室内合奏団 京都劇評 京都四條南座 京都国立博物館 京都国立近代美術館 京都市交響楽団 京都市京セラ美術館 京都府立府民ホールアルティ 京都文化博物館 京都芸術センター 京都芸術劇場春秋座 伝説 住まい・インテリア 余談 兵庫県立芸術文化センター 劇評 動画 千葉 南米 南米映画 占い 台湾映画 史の流れに 哲学 大河ドラマ 大阪 大阪フィルハーモニー交響楽団 大阪松竹座 学問・資格 宗教 室内楽 小物・マスコット・インテリア 広上淳一 建築 心と体 恋愛 意識について 携帯・デジカメ 政治・社会 教育 教養番組 散文 文化・芸術 文学 文楽 旅行・地域 日本映画 日記・コラム・つぶやき 映像 映画 映画リバイバル上映 映画音楽 映画館 書店 書籍・雑誌 書籍紹介 朗読劇 来日団体 東京 柳月堂にて 梅田芸術劇場メインホール 楽興の時 歌舞伎 正月 歴史 浮世絵 海の写真集 演劇 無明の日々 猫町通り通信・鴨東記号 祭り 笑いの林 第九 経済・政治・国際 絵画 美容・コスメ 美術 美術回廊 習慣 能・狂言 花・植物 芸能・アイドル 落語 街の想い出 言葉 趣味 追悼 邦楽 配信ライブ 野球 関西 雑学 雑感 韓国 韓国映画 音楽 音楽劇 音楽映画 食品 飲料 香港映画