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2026年6月 1日 (月)

観劇感想精選(518) フリードリヒ・シラー原作 ロバート・アイク翻案「メアリー・ステュアート」

2026年5月14日 西宮北口の兵庫県立芸術文化センター阪急中ホールにて観劇

午後6時から、西宮北口の兵庫県立芸術文化センター阪急中ホールで、フリードリヒ・シラー原作、ロバート・アイク翻案の「メアリー・ステュアート」を観る。シラーの原作を翻案したものとしては、2015年に、ダーチャ・マライーニが二人芝居に翻案したものを梅田芸術劇場シアター・ドラマシティで観ている。出演は、中谷美紀と神野三鈴であった。
今回のロバート・アイク翻案版は、それに比べると登場人物は多い。演出は栗山民也。テキスト日本語訳:小田島則子。メアリー・ステュアートとエリザベス1世は何年か前に映画にもなっているはずだが、未見である。
出演:宮沢りえ、若村麻由美、橋本淳(あつし)、木村達成(たつなり)、犬山イヌコ、谷田歩、大場泰正、宮﨑秋人(しゅうと)、采澤靖起(うねざわ・やすゆき)、阿南健治、久保酎吉、伊藤麗(れい)、上野恵佳(あやか)、松本祐華、段田安則。途中休憩20分を含み、上演時間が3時間を超えるという大作であった。

今回は、メアリー・ステュアートの幽閉から死までが描かれる。
メアリー・ステュアートは数奇な運命を辿った人で、生後6日でスコットランド王に即位。摂政にはジェームズ・ハミルトンが就くが、後に戦に敗れている。メアリーは、フランスに亡命。フランスのフランソワ王太子と婚約し、将来的にはフランス王妃となる。
一方、エリザベス女王(エリザベス1世)は、父親が離婚したいがためにイギリスの国教をカトリックからプロテスタント(英国国教会となる)に変えたヘンリー8世、母親はヘンリー8世が離婚後に再婚したアン・ブーリンである。アン・ブーリンは複数の罪で処刑された人として有名で、エリザベスが女王として即位後も「庶子」という理由から「相応しくない」との声が上がった。そしてフランス王フランソワ2世が16歳で亡くなったため、スコットランド王として即位したメアリーにもイングランド王となる権利があったことから事態はややこしくなる。当時はイングランドとスコットランドは別の国であるが、緩やかな連合体をなしていた。「メアリーの方が英国の王に相応しい」という声もある。メアリーはダーンリー卿ヘンリーと再婚。一児を設ける。この子どもであるジェームズが、ステュアート朝の祖であり、メアリー・ステュアートはステュアート朝の生みの親とも言うべき存在である。よく知られている通り、エリザベス女王は子をなさなかったため、敗れたはずのステュアート家が、イギリスの正統な王家を占めたこともあったのだ。諍いには敗れたが血統と歴史で勝ったというべきか。
そんなメアリー・ステュアートも、スコットランドで起こった暴乱により、イングランドに亡命。エリザベス女王はメアリーをイングランド内の城に軟禁状態に置く。
ここからが今日の「メアリー・ステュアート」の物語である。分かろうと思ったらそれなりに知識がいる。メアリーの幽閉先と、エリザベスの王宮の一室のみが舞台だ。

メアリー(宮沢りえ)と乳母のケネディ(犬山イヌコ)は、城の中で比較的自由に暮らしている。看守のポーレット(阿南健治)がいるが、さして厳しくない。
メアリーは処刑を恐れているが、続くエリザベス1世(若村麻由美)の場では、エリザベス女王が様々な理由で、メアリーの処刑を渋っている。

メアリーを演じている宮沢りえが黒いドレスを着たしなやかな身のこなしなのに対し、エリザベス女王は座っていることが多く、堂々とした王の装いで胸を張っている。これだけで二人の性質が分かるが、エリザベスはかなり演じている部分がありそうだ。

それでも処刑を避けることが出来ないと、エリザベスは、死刑執行書に署名をした。しかし、それを持って行かないよう命じる。エリザベスとメアリーは短い時間であったが面会していた。

ただこれは明らかにエリザベスのミスなのだが、死刑執行書に署名してしまったがために、最終的にはメアリーは処刑される。エリザベスの王宮は権謀術数が渦巻き、裏切りが多発していた。セリフの多くはそうした謀だ。

緋色のドレスになり、処刑場へと向かうメアリー。ケネディが手を取る。

役者陣はかなり充実。完璧に近い。

今日は2階席で観たのだが、舞台上には白の×があるのが見える。スコットランドの国旗の色である。栗山民也なりのメアリーへの追悼であった。

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中谷美紀&神野三鈴二人芝居「メアリー・ステュアート」

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2026年4月30日 (木)

Netflix連続ドラマ「地獄に堕ちるわよ」概要

2026年4月27日

Netflixドラマ「地獄に堕ちるわよ」が配信開始。全9話同時配信のようである。流石に全9話を一気には見られないので、細切れで見ていく。
占い本の売り上げがギネス記録になっている一方で、暴力団との直接的な関係を利用した恐喝など裏社会を利用した悪女でもある細木数子の一生を描くドラマ。主演:戸田恵梨香(細木数子役。ナレーション兼)。出演:伊藤沙莉(ナレーション兼)、富田靖子、高橋和也、細川岳、田村健太郎、余貴美子、根岸季衣、市川実和子(ナレーション兼)、田中要次、杉本哲太、生田斗真、三浦透子、青山テルマ、ヒコロヒー、細田善彦、石橋蓮司ほか。監督は、瀧本智行(友人に名前が似ている)と大庭功睦(おおば・のりちか)。脚本は真中もなか。音楽は、「どうする家康」の稲本響。

「SPEC」などでエキセントリックな人物も演じている戸田恵梨香。怪物クラスの人物である細木数子も、妖艶かつ時折凄みを出して演じている。終戦後、母(富田靖子)と四人姉弟でひもじい思いをした細木数子。弟や妹には街角のお供え物を与え、自分は仕方がないのでミミズを口にした。その味は、生涯忘れないと語る。一家でおでん屋を立ち上げた数子。早泣きが得意で、客から喝采を受ける。早くに稼ぐために高校時代にクラブデビュー。クラブではナンバーワンとなりやっかみを受けるもオーナーの落合元(奥野瑛太)に気に入られ、初めての体験をする。しかし、落合には裏の顔があった。自殺を図った数子だが、命を取り留める。高校を辞めた数子は、おでん屋の常連だった中園榮一(高橋和也)の紹介で、スタンド食堂「ポニー」を立ち上げる。店は繁盛するが、事実はどうか知らないが、数子は窓口係で食事の多くを姉が作ったため、姉が憤る場面がある。そのスタンドは半年で計画的にやめ、新橋にクラブ「潤」を起こす。水商売の女は教養がないと馬鹿にされるため、新聞を読み、更に大学に潜り込んで授業を受ける。どの大学なのかは明らかにしていないが、ロケでは立教大学が用いられている。一つの大学だけに潜るとは限らないが、交通費が掛かるため、複数の大学で学ぶということはなかったと思われる。
新橋の店が繁盛すると、今度は目標の地である銀座に「カズサ」という店を出す。オープン前に出資者の中園に土下座する場面がある。カズサというと千葉県の中部である上総を連想するが、彼女と千葉県には接点がない。織田上総介信長が、「総ての上に立つ」という意味で上総介を自称したが、あるいはそれを見抜いたのか。単に「カズコ」の「カズ」なのか。
数子は、最初は上司に連れられて来てその後は一人で週3回ペースで訪れるようになる三田麻呂彦(田村健太郎)のことが気になる。このままだと破産するのではと心配するが、実は三田は静岡の大地主の息子であった。三田の父親が亡くなった日、静岡に帰る三田との結婚を決意する数子。ただそれ以外の部分で三田に惚れたというより、金銭的な上がりを意識して三田と結婚したように見えてしまう。
これが第2話までの細木数子の人生である。
二番目にクレジットされている伊藤沙莉は小説家役である。伊藤沙莉本人も小説家という職業に憧れを持っているが、1から増やしていくことは出来るても、0から1を生み出す才能はないため、来世ではそうした才能を持つ天才作家になりたいようだ。おそらく蓬莱さんに惚れたのもそこだろう。売れない作家とクレジットされた魚澄美乃里であるが、実際は文芸新人賞を受賞した実力の持ち主である。しかし次の作品が書けなくなってしまい、書けないと金にはならないのでクリーニング工場でアルバイトをしている(余談だが、伊藤沙莉は若い頃にクリーニング工場ならぬクリーニング店でアルバイトをしていたことがあり、その時のことは著書やネットラジオで語られている)。細木数子のことを小説に書くことで再起を狙っている美乃里。美乃里のことは編集者が推薦し、細木からも「期待してるわ」と言われる。細木の自宅でのインタビューも行えていることから、全くの無名作家という訳でもないらしい。今後、対立が予想されるが、今のところ不仲という訳ではない。伊藤沙莉も取材対象を観察して「何でも書いてやる」と意気込んでいるためか、いつにもましてキリッとした姿勢である。

ただ気になるのは、Episode2で、美乃里の書棚が映る場面があるのだが、マンガのほかは、よしもとばななななどの現代小説と茨木のり子などの現代詩しか見当たらない。それも女性の作品ばかりである。漱石、芥川、太宰といった近代文学の王道や、泉鏡花や谷崎潤一郎などの耽美派、日本の古典文学、外国文学などは見当たらない。処女作『透明な女たち』であるが、帯を見ると私小説らしいことが分かる。誰でも私小説なら1冊は書ける。上手いか下手かは別にして。本当に何冊もヒット作を生み出す小説家になりたいのならこの読書量なら明らかに勉強不足である。私小説として『透明な女たち』に全て書いてしまったら、もう何も書けないのはむしろ当たり前といえる。
ただ第1作で自分に向き合ったというのなら、第2作で向き合うのは細木数子。細木数子が美乃里にとっては初めて描く他人だ。


静岡の旧家である三田の家(浄土真宗門徒のようで「正信偈」が唱えられる。浄土と地獄の対比である)に嫁いだ数子。しかし、眉をうすくして、『犬神家の一族』に出てきそうな風貌になった麻呂彦の母キヨ(余貴美子)が家の支配権を握っているようである。
初夜の日、麻呂彦はこれがはじめてだそうで、数子に指南して貰う。その間、鶏の映像が流れる。翌朝、起きた数子は麻呂彦の手伝いをしようとするが、キヨから何もしなくていいと言われる。それでも何かしようとするが、女中の仕事を奪うということで、何とか鶏小屋の掃除だけさせて貰う。名家である三田家では、跡継ぎを生むことだけが嫁の仕事だった。弟で「カズサ」の経営を任せた久雄への長距離電話もキヨに止められる。女中達が自身の悪口を言っていることを耳にした数子は、女中達を追い出し、鶏を皆殺しにして、夕食の膳に総て鶏料理を並べて家を出て行く。ちなみに親子丼は持って東京へ帰る途中のバスの中で食べるが(バスの中での食事は余り褒められたものではないが)卵だけ産む鶏の肉だけに、美味しくはなかったようだ。
それほど面白い話ではないが、美乃里は声を上げて笑う。数子はその理由も見抜いていた。美乃里は新人賞受賞直後に編集者の男と結婚。一女を設けるが、2作目の小説を書けない美乃里は、夫から「お前には才能がない」「小説家の道を諦めて子育てに専念しろ」と暴言を浴びせられたため離婚。娘の親権も取っている。
夫に酷い目にあった女。その復讐心や開放感が笑いへと繋がったのだと。ただ美乃里の夫はそれほど悪い人物ではない。

1963年。翌年には東京オリンピックが開催される。都内は突貫工事だらけであった。そんな中、「シンザン」と「だりや」という新店舗を銀座に出した数子は、不動産会社を経営している須藤豊という男(中島歩)と出会う。
一方、法外なみかじめ料を取ろうとした暴力団員に割って入った客がいる。滝口宗次郎(杉本哲太)。滝口組の組長だった。ここで初めて暴力団との接点が出来る。


この時点では、数子は占いを全く信じていないようだが、母親のみね(富田靖子)が占いを頼りにしており、辻占い師(田中要次)に頼み、娘の将来が明るいことを喜ぶ。
富田靖子も髪の毛を薄くするなど、かなり思い切った老けメイクを行っており、パッと見、富田靖子だと気付かない人もいそうである。

Episode5。1964年。細木数子は銀座で3軒のバーを流行らせ銀座の女帝となった。
だが好事魔多し。須藤と共同で赤坂のクラブ「艶歌」をオープンさせる計画を立て、中園と手を切るが、資金の半分を提供するはずだった須藤が金を持ち逃げして消えてしまう。新事業に力を入れていた数子だったが、須藤に欺されることになった。須藤は以前から密かに数子の内偵と欺す手口を考えていた。
そんな折、母親が死去。辻占い師に「数子が地獄を見る」と言われたという。実家にまで借金取りが来ていたそうだ。
再び自殺を考えた数子。須藤と滝口はグルだったようで、滝口は「艶歌」を存続させる代わりに自分の「おもちゃ」になるよう要求した。数子は飲むしかなかった。

現代(といっても2000年代)。細木数子は日本で最も有名な占い師となっていた。六星占術の本は世界で最も売れた占いの本として、ギネス記録になっていた。
だが、細木数子の本を書こうとしている魚澄美乃里役の伊藤沙莉は、観察の意味もあってか、厳しい眼差しを崩さない。細木数子への個人診断は10万円もし、その価格に見合うだけの診断を行っているとも思えない。やたら先祖供養を勧めるが、高い墓石を紹介し、美乃里のナレーションによると、細木はバックマージンを受け取っているという。

眼差しの演技が特徴的な伊藤沙莉。普段は強い眼差しを続けているので、それ以上のことは分からないが、細木数子が一万円札を燃やしたときに、最初は何が起こっているのか分からないという眼差しをし、その後、動揺を気取られないよう目を無表情に近づける。2枚目の一万円札に火を付けた時は流石に怒るが、これで1枚目を燃やしたことの意味が出る。火を付けてすぐ怒ったらドラマにならない。

細木数子が「最良の年」と呼んだ1964年が終わり、1965年。銀座の店は悉く閉店。数子は、「艶歌」の中では自由だが、滝口の情婦で外に一人で出ることも出来ない。滝口の求めにも応じなければならなかった。ある日、滝口の部下達が「艶歌」で騒ぐ。それを静めたのが江戸川一家の堀田雅也(生田斗真)だった。遅れてきた滝口を博打に誘う堀田。しかし堀田は博打の腕は確かであり、滝口を追い込むつもりだった。最終的には滝口は大負けし、負債を追う。そして復讐のために堀田を撃ちに現れる。

1973年。オイルショック。時短営業が求められ、「艶歌」の営業も上手くいかない。コロナを連想させる出来事だ。そんなある日、数子はついに占いに出会う。辻占い師だったが、「占いは統計学だから」(そう言いながら、占いの統計を取っている人はいないと思われる)ということで、「今付き合っている人とは相性が良いが、良すぎるかも知れない。そして新しいことを始めるのが良いかも知れない。あなたは人の何倍もエネルギーがある」
それを本気にしたのか分からないが、数子は「艶歌」をディスコ「マンハッタン」に模様替えすることにする。人一倍商才に長けた数子は再び時流に乗るが、車を運転している時に、橋から飛び降りようとしている女性を見かけ、声を掛ける。その女性は当代一の人気女性歌手、島倉千代子(三浦透子)であった、彼氏が出した手形に署名しているうちに借金が4億3千万を超え、マスコミが報じることに。数子は千代子を保護し、新宿コマ劇場でのリサイタルを完走させるのだった。
映画「ドライブ・マイ・カー」のドライバー役で注目された三浦透子。伊藤沙莉の友人である。東京理科大学数学科卒という理系の中の理系。今度、イギリスで生まれた一人芝居に挑む予定である。伊藤沙莉は高校の時にテストで0点を取ったと明かしているが、おそらく数学の試験においてであると思われるので、数学について語った場合は全く話が通じないと思われる。
伊藤沙莉がなかなかオーディションに受からず、受かったと思ってもエキストラだった時に、役を貰っていた三浦透子と昼ご飯を食べ、「ここじゃないから、沙莉のいる場所は」と言ってくれたという話がある。

Netflixドラマ「地獄に堕ちるわよ」Episode7からEpisode9(最終話)。

眼差しが険しかった美乃里だが、細木数子の話を聞いているうちに段々視線が柔らかくなる。数子は島倉千代子のマネージャーを務め、稼がせるためにドサ回りから刑務所慰問まで何でもやらせる。年間200ステージの強行軍。更にレコード購入者限定のサイン会など、金になることなら何でもやらせた。そして円満のうちに関係解消。
だが、数子の弟で一緒にバーやディスコを手伝っていた久雄から「そんなの全部嘘に決まってるじゃん」と美乃里は告げられる。久雄はその後に二度逮捕されて有罪になっており、数子からは離縁されていた。数子は姉や妹からも距離を置かれており、家族には好かれなかった。
久雄が言うには、芸能界と暴力団の両方に詳しいフィクサーから堀田に連絡があり、島倉千代子と面会し、傘下に置くことになかった。橋で千代子と会ったというのは大嘘だった。
数子が千代子に課した仕事そのものには嘘はないようだが、得た金の大半を懐に入れていた。千代子は月3万円を給料として貰っていたが、千代子の元マネージャーで今は新人のマネージメントを行っている男に聞くと、明らかにおかしいらしい。島倉千代子クラスなら、呼ぶだけで200万から500万かかるため、借金の4億円など1年で返せるという。数子は1年で稼いだという1億5千前円を出して、これで山分けとしていたがそんなはずはないというのだ。欺されたことを知り、週刊誌に離別の記事を載せて、「これで手切れ」としたようだ。美乃里は、テレビ局に島倉千代子を訪ねるが、千代子は数子への感謝を述べ、着服されたことについても「欺されたことに気付かない方が幸せなこともあるのよ」と取り合わなかった。そして数子が笑うようなタイミングで笑い声を上げる。数子の人に取り入る術を見せられる思いだ。

数子が最初に占ったのは千代子だったが、本格的に占いを学ぶことに決める。初めて占って貰った先生(木村優子)に弟子入りし、「占いには10年掛けないと」と言われるが1年でマスター。本当にそんなことが可能だったのか分からないが、これをベースにした六星占術を生み出すきっかけとなる。ちなみに先生に借りた本はついぞ返しにこなかったという。
更に思想界の大物、安永正隆(石橋蓮司)にも近づく。最初は推命学を教えて欲しいと近づき、得意の泣き真似もする。最初の先生によると「安永正隆は易経の人」で四柱推命には詳しくないそうだが、各界に顔が利く正隆との付き合いにより、数子も顔と知名度を上げていく。正隆の娘の加藤十和子(市川実和子)によると、正隆には軽度の認知症があり、それを数子が見抜いたのではないかという。認知症は徐々に進んだようで、正隆と数子が二人で部屋で飲んでいる時に、危機感を覚えて駆けつけた十和子を「静子」と母親の名前で呼ぶ。そしてその時、数子は正隆に印鑑を押させていて、婚姻届を出す準備を整えていた。しかし婚姻については後に裁判により無効となる。
正隆の葬儀の日、駆けつけた数子は、心から絞り出したかのような泣き声を上げるが、元々泣きの演技は得意であり、数子に同情する人はいなかった。
正隆が推薦文を書いた六星占術の本は売れに売れ、数子はテレビ界に進出することになる。

「ヤクザの女」じゃなくて「女ヤクザ」と呼ばれた細木数子。テレビ局の前での出迎えは、テレビ局ではなく暴力団事務所の前のような光景である。

それでも数子を悪く言う人は少数派。番組ADは不満をぶつけるが、ディレクターは大絶賛。以前、10万円払って数子に見て貰った老婆も、状況は全く改善されていない上に高額の墓石まで買わされているが、「有名な方」に見て貰って嬉しいと、述べる本人が良いと言うなら良いで収まる結果となっている。

数子は、美乃里を鑑定することにする。放送には流さずカメラも回さないという条件下だ。美乃里は今書いている小説の話をする。モデルがいて、それが誰のことなのかは明かさなかったが、数子にはすぐに分かったはずだ。

1冊しか書けていないが、小説家の血が騒ぐ美乃里。ノートパソコンのワープロソフトに向かって縦書きで書く、とにかく書く、アルバイト先でも(本来の仕事はさぼってるが)書く。そうして文字を奏でた美乃里は、2冊目の小説となる『虚飾の自画像(原題『女の自画像』)』を書き上げる。週刊誌に細木数子のスキャンダルを連載する予定があり、美乃里の小説はそれに対して細木数子擁護の書籍となるはずだった。だが、美乃里は耳にしたままを小説にした。
美乃里は、「誰よりも先に読んで欲しい」ということで、出勤前の細木数子の家に向かい、プリントアウトしたばかりのA4用紙を入れた紙袋を車中の数子に手渡す。
実のところ、数子は美乃里が書いた小説に泣いた。感受性も強い人らしい。
しかし、再び美乃里と自宅であった数子は、「面白かった」と言いながら「嘘ばかりで表に出せない」と美乃里を責める。おそらく本は世に出ないだろう。だが美乃里と対峙した時にぶちまけた原稿を、数子は美乃里が帰ってから1枚1枚慈しむかのように丁寧に拾う。
虚飾と嘘に満ちた人生。知力、商才、胆力、演技力に長けながら、それを悪へと向かわせてしまった女。それでも人々は「虚飾には虚飾を」なのか、本来の数子に向けられたとは思わない言葉を掛ける。これは自分じゃない、それも自分じゃない、あんなものも自分じゃない。そんな中でただ一人、等身大の自分に向き合う人がいた。美乃里である。美乃里は自分のことを分かってくれていた。だが、この内容で出版する訳にはいかない。

翌2006年、週間「現代」が細木数子の数々のスキャンダルを書き立てた。数子はテレビ界から追放。表舞台から姿を消す。しかし死ぬまで「占いなんて信じてない」と言いながら占い師の仕事を続け、ケータイ向けの六星占術のサイトが爆発的にヒットするなど、占いに関わり続けた。また姪を養女に貰い、細木家を繋いだ。
「細木数子は欲しいものを全て手に入れた」ように見える。本当の理解者以外は。

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2026年4月29日 (水)

観劇感想精選(515) アーサ・ミラー作「るつぼ The Crucible」(坂本昌行主演)

2026年4月3日 西宮北口の兵庫県立芸術文化センター阪急中ホールにて観劇

午後6時から、兵庫県立芸術文化センター阪急中ホールで、「るつぼ The Crucible」を観る。「アメリカの頭脳」アーサー・ミラーの代表作である。「アメリカの頭脳」に名前負けせず、彼が残した戯曲の数々は今も各国で上演され、高い評価を得ている。「るつぼ」は、日本でも数年前に堤真一の主演で上演されたが、チケット争奪戦に敗れて観ることは叶わなかった。

今回は坂本昌行の主演版である。テキスト日本語訳は水谷八也、演出は上村聡史。

「エクソシスト」を先取りしたような、奇怪にしておどろおどろしい作品だが、主軸にはキリスト教などの権威の傲慢さへの冷めた目があるように思う。

出演:坂本昌行、前田亜季、松崎祐介、瀧七海、伊達暁、佐川和正、夏子、大滝寛、那須佐代子、大鷹明良ほか。

舞台美術は長田佳代子で、○を八百屋飾りにし、中間の何もない部分に、こちらも少し八百屋になったセットを作っている。出入り口は背後、階段を降りた先にある。

 

魔女狩りが主題である。中世ヨーロッパでは魔女狩りが横行し、ジャンヌ・ダルクも魔女として火刑台に消えた。今もイギリスなどでは魔女として暮らしている人は多いが、特に他者を害するということはないようである。一方、新大陸では……。

アメリカ合衆国独立前の英領アメリカで起こったセイラム魔女裁判がモデルとされる。

黒人役の人が出てくるが、肌を塗ったりは出来ないので、髪型をそれらしくして演じている。鍵を握るのは、アビゲイルという17歳の女性(瀧七海)である。アビゲイルというと、オーケストラ・アンサンブル金沢のコンサートミストレスであるアビゲイル・ヤングを連想してしまう。アビゲイルという名前の人を彼女以外に知らないからでもあるが。
アビゲイルは他の女の子と共に、夜の森で踊り、それが悪魔崇拝だとして問題視される。特にパリス牧師の娘であるベティ(前田亜季)は意識不明となり、ベッドで寝ているのだが、突如起き上がって暴れたりする。本当に「エクソシスト」の世界である。ベティの出番は短いが、前田亜季はその後は成人女性であるエリザベス(エリザベスの愛称もベティである)役で登場する。

パリスというのも意味ありげな名前だが、この人物は魔女騒動を焚きつけているようなところがあり、好人物とは言えない。魔女を巡る人々の心に寄り添うのはヘイル牧師(松崎祐介)の方である。

しかし、おそらく集団ヒステリーによるものだと思われるが、街の若い娘達が悪魔を目撃するなど奇妙な精神状態へと陥り、奇声を発するようになる。

主人公のジョン・プロクター(坂本昌行)は、信仰心はそこそこ。畑仕事をしている方が好きで、安息日である日曜日にも畑に出掛けて土を耕していたことがある。日曜の集会にも出られる日だけ出ている。
妻のエリザベスとの関係は良好だが、つい侍女のアビゲイルと関係を持ってしまう。アビゲイルはそれをネタに……。

 

魔女狩りという前近代的な習慣を題材にしながら、絶対的権威と個人など、現代においても起こる対立を緻密に描いた作品である。魔女審問では次々に死刑とされるなど、血なまぐさい出来事が背後で起こっているが、そうした凄惨な出来事は今は終わったわけではない。

この小さな街の魔女狩りの話をスライドさせれば日本で言えば特高警察の話になる。アーサー・ミラーは、そうした作劇法を確信犯的に用いている。

 

坂本昌行はミスもあったが集中力の高い演技を見せ、ジョンという男の多面性を表していた。ジョンという人物は必ずしも格好良くはないのだが、坂本昌行は多くの女性の目に格好良く映るだろう。
近年は舞台を活躍の場に選ぶことが多い前田亜季。やはり可憐な役も多かったが、今回は心揺れる女性を情感豊かに演じていた。

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2026年4月24日 (金)

観劇感想精選(514) ニットキャップシアター第47回公演「土曜日の過ごし方」

2026年2月20日 左京区岡崎のロームシアター京都ノースホールにて観劇

午後7時から、左京区岡崎のロームシアター京都ノースホールにて、ニットキャップシアター第47回公演「土曜日の過ごし方」を観る。ロームシアター京都10周年連携事業の一つである。脚本・出演:ごまのはえ、演出:橋本匡市(万博設計)。出演:千田訓子、仲谷萌、山﨑茉由、西村貴治、門脇俊輔、尾澤ショータロー、山谷一也、越賀はなこ、澤村喜一郎、高田晴菜、小野毅、高橋敏文。

昼に見た有名俳優に比べると、個々が反するエネルギーが小さいのが分かるが、向こうは普通の人が出来ないことをいくつも経験している一般人とはかけ離れた人。舞台での演技経験しかない、街の舞台俳優の存在が弱く見えたとしてもそれは仕方ない。別個で考えるべきである。

戦前の京都に実在した新聞「土曜日」を巡る群像劇。
主な舞台となるのは喫茶デイジーであるが、地図を見ると凄いところにある。今は綺麗になっているはずだが、往時はどうだったのだろう。
一方、京都の専門家を揃えていない弱さで、木屋町の喫茶店を「フランソア」ではなく「フランソワ」と書いてしまうなど、思い込みによるミスが目立つ。
さて、下鴨警察署であるが、元々は田中警察署であったが、移転して下鴨警察署を名乗っている。この時、現在地に移転したのか他の場所に移転したのかが不明。現在の住所は田中だが、下鴨が目の前で、田中警察署から移ったので下鴨警察署としたのか、あるいは下鴨に移ってから田中の現在地に再移転したのか、戦中、どこにあったのか気になるが、下鴨警察署は川端警察署と合併して左京警察署になるため、その手の記事しかヒットしなかった。

なお、戦前には松竹の撮影所は太秦ではなく下鴨(下加茂)にあった。下鴨神社の糺の森が、時代劇の風景に相応しかったからかも知れない。

新聞「土曜日」は、昭和11年7月から12年11月まで京都で発行されていた新聞である。映画批評などの文化欄、海外情報、京都のことを載せた社会欄などがあったが、警察に検挙されて短命に終わっている。ソ連のモスクワとの通信網なども問題視されたようである。
新聞「土曜日」を発行していたのは斎藤雷太郎という映画俳優である。大部屋俳優としての待遇に納得がいかず、新聞の発行を始めたのだった。映画欄には若き日の淀川長治も寄稿しているようだが、批評として成立していない短い文章だったので、これを機に映画評論家へ、とはならなかったようである。
ただ単に映画評を載せるだけでなく、伊丹万作(伊丹十三の父親、池内万作の祖父)監督の「新しい土」が満州への進出を促す内容であり、それによって満州国が傀儡国家であることが明らかになっていることを、ヒントとして載せるなど、政治的な批評に及ぶ場合もあり、特高に目を付けられるようになる。

ちなみに喫茶デイジーの白瀬キミ(山﨑茉由)が通っている学校は校名が記されていないが、現在は御所東小学校が建つ場所で、架空の学校である可能性が高い。

齋藤雷太郎が、主人公格かと思いきや、当時の特高のやり方などを体験した館林(門脇俊輔)の方が与えられた役割は大きいようだ。

政府に従う人々は日々増えていき、それは無表情の面で示される。個人的には面を使った演出は好きではないが、単純に好きではないだけである。

館林は大学で独逸文学を学んだ学者であるが、共産主義者ということにされ、転ぶよう命じられる。共産主義者でも何でもないので転ぶも何もなかったが、特高の刑事(ごまのはえ)と出町柳(往時は一帯は、「柳ヶ辻」、「柳」、「柳元」といういい方の方が一般的だったようだ。由来となった柳の巨木が倒れてからは、叡山電車のターミナルである出町柳に呼び方が移ろう)に食事に行ったりするなどして過ごし、最終的に作文を書いて釈放される。
「人民戦線」という言葉がある。奥寺(澤村喜一郎)は、戦争を阻止しようとし、電柱に「戦争反対」と書いた紙を貼ったり、「帝国主義侵略戦争反対」という言葉を広めようとするが、特高に逮捕される。

途中からは、録音した音声による、戦時下のメッセージが延々と流れる。面を被った人々が時計回りにせわしなく歩き回る。

ただ、戦後のシーンはもっと軽く済ませても良かったかも知れない。

無料パンフレット代わりに、新聞「土曜日」を模したタブロイド判が入っているが、東京ヤクルトスワローズの応援をしている人の記事があって楽しかった。

 

時代的に笠置シヅ子が重なっており、最初は、「Smile」、「東京節」の替え歌、「アラビヤの唄」「リンゴの木の下で」(ジャズバンド版)など、アメリカの曲やアメリカの影響を受けた音楽が流れるが、戦時色が濃くなるにつれて軍歌が流れるようになり、玉音放送を経て、最後は復興ソング第1弾の「リンゴの唄」が流れるなど、音楽でも時代の経過が把握可能であった。

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2026年3月26日 (木)

観劇感想精選(511) 下鴨車窓 「点滅ハーバー」

2026年3月13日 京都市東山青少年活動センター創造活動室にて観劇

午後7時から、東山区総合庁舎の2階にある、京都市東山青少年活動センター創造活動室で、下鴨車窓の「点滅ハーバー」を観る。上演時間約70分の中編。

東山青少年活動センター創造活動室は、以前は京都の小演劇の公演が行われていたのだが、その後、主な上演会場は、アトリエ劇研(現存せず)、ART COMPLEX 1928(現在は、GEAR専用劇場となっている)、京都芸術センターのフリースペースや講堂での上演が多くなり、最近ではTHEATRE E9 KYOTOや木屋町のイベントスペース&レストランUrBANGUILDなどでの公演が増えている。
ということで、東山青少年活動センター創造活動室に来るのは、ひょっとしたら20年ぶりぐらいになるのかも知れない。

作・演出:田辺剛。出演:菱井喜美子(人間座)、鈴木嵩久、福井菜月(下鴨車窓)、酒井信古(人間座)、岡田菜見(下鴨車窓)。

京都の老舗新劇劇団には、劇団くるみ座、人間座、劇団京芸などがあったが、くるみ座はすでに解散。人間座も下鴨にあるアトリエを劇場として使えない状態にある。

 

どこともいつとも知れない時代が舞台。場所は海と船着き場の見える病院である。基本的には病院の一室のみが描かれるが、病院内の通路や外に出られる場所、そして架空の空間なども出てくる。

本作は、昨年、49歳で他界した舞台人の小早川保隆の死が反映されていることが、田辺によって無料パンフレットに書かれている。
小早川さんは主に音響など裏方として活躍された方で、私とは接点はなかったが(Facebookでは友達になっていた)、河原町広小路にある京都府立文化芸術会館で小早川さんが演出されたシェイクスピアの「オセロー」を観ている。「オセロー」はタイトルロールがムーア人で肌が黒い、だが黒人以外が肌を黒く塗って上演すると侮辱に当たるということでシェイクスピアの四大悲劇の中では上演が難しくなっている。その時の「オセロー」は、ラストシーンに始まり、どんどん時を遡っていくという演出で、こうした筋書きだとオセローよりもイアーゴーの活動が目立ち、「これは『イアーゴー』だなあ」と思った記憶がある。
ただ気になったのは、「わからんかったやろ。わからんことやったらあかんねん」と言う人がいたこと。私はかなりの高確率で捉えられたつもりだが、この人は「自分がわからないんだから他の人もわからない」と自分を軸にして全てを判断してしまうようだ。「このような人物は極めて怖ろしい」

 

本作には喫煙シーンがあるが、事前にスタッフにより偽煙草の使用であると説明される。

 

上手に枠で窓が示されている。
ベッドのそばに座って外を見つめる老女が一人。ヨシコ(菱井喜美子)である。だが、ここはヨシコの病室ではない。
この病室の主は、戦地から来たカイ(鈴木嵩久)だ。カイはこの病院がどこにあるのか分からず、ここに来た経緯を覚えていなかった。
ヨシコは、順番待ちをサボって人の病室にいたため、看護師(福井菜月)に見つかって注意され、順番待ちに戻るよう言われる。なお、ヨシコの病状であるが、腰痛である。腰痛なのに入院していて順番待ちというとある言葉や状況が浮かぶが、ここではそうした意味ではない。ここでは。
カイは、戦場で活躍し、メダルを手に入れた。今も戦地の仲間が恋しく、病院を抜け出して戦地に帰りたいと考えている。
カイを見舞う男(酒田信古)が一人。「おじ」だと言うが、「伯父」なのか「叔父」なのかは分からない。男はある経験により、「家族」(ここでは親族だが)以外は信用出来ないと考えるようになっていた。

カイとヨシコの二人のシーン。偽煙草を吸う。劇場もある日、急に「喫煙シーンがありますが、使用しているのは芝居用の偽煙草です」という表示がどこに行ってもされるようになった。当初は、「ご気分の悪くなられた方は」という文章が続いていることもあり、煙や匂いに敏感な人のための措置であることが分かるが、今はそうした説明もないため、筒井康隆の「最後の喫煙者」の世界が近くなったような気分になる。全ては小泉純一郎内開時の健康増進法が元ではあると思われる。健康は間違いなく良いものだが、「健康でなくてはならない」とナチスが突っ走った先例があるため、注意が必要である。健康であることは絶対的に「善」であるため、異議は唱えにくい。

ただ、この劇で扱っているのはそうしたものではないと思われる。

人々は火を求めるようになる。煙草を吸うための火だ。最初は火を求めるのは少数派だったが、今では多くの人が火を求める。人の心はその集合体の「世論」のように移ろいやすい。
プロメテウスが盗んだ火は、人類に進歩をもたらしたが、同時に戦乱も広めた。

夜中の病院をカンテラで照らしながら、出口を求めて彷徨うカイとヨシコ。しかし翌朝、看護師にとがめられる。そういえば看護師も昔は看護婦で良かった言葉である。今は「看護婦」と書いたら直される。ちなみに看護師は、カイとヨシコがベッドの上で二人でいるときは、架空の場所に現れて糸を引っ張り、灯りを揺らす。タイトルにある「点滅」ではないが、揺れる感じはする。人生のように不安定に。

二人はベッドの船で海に出る話をする。漕ぐものの名称が出てこない(オールでも自分の名前の櫂でもいいのだが思い浮かばない。近すぎると見えないのかも知れない)が、海を行く話をする。そんな中、ヨシコは子どもの頃に父親と釣りに行った話をする。ヨシコは退屈であったが、父親は昼と夜の入れ替わる時の話をしていた。

カイが死に瀕していることは、始めの方で明かされる。そもそもこの病室は余命いくばくもない人が入る部屋なのだ。

船着き場からは、故郷に帰るような、あるいは新天地に向かうような気持ちの人々が船に乗って海へと繰り出す。まるでおとぎ話の中の出来事のようだが、「実際にこういう人達、北にも南にもいたよね」

カイは死ぬ。

それより前に、若い女性(岡田菜見)がカイの病室を訪れている。ヨシコは「誰かと思ったら若い頃の私じゃない」と彼女が去ってから気付く。時空が歪んでいるのか、あるいは歳の離れたドッペルゲンガーか。ドッペルゲンガーを見たものは直後に死ぬとも言われているが、死んだのは別人だ。今の時点では。

冒頭と同じようなシーンが来る。順番が来た。ただ、私はこのラストシーンは取らない。
一人の人が死ぬということ。その重みを感じていたい。

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2026年3月22日 (日)

森山直太朗 「あの世でね」概説

森山直太朗の「あの世でね」。現在開催中のツアーのタイトルにもなっていますが、映画「風のマジム」のエンディングテーマとして書かれたもので、内容も「風のマジム」とクロスします。

歌詞をあまり引用してしまうと問題になるので控えめにいきますが、まずはメッセージについての内容です。これは歌詞の主人公のメッセージのはずですが、より客観的に第三者が込めたものと見ることも出来ます。伝えることの大切さです。言葉もそうですが、言葉でないものを伝えるというシーンが映画にも出てきます。

さて、焼けてなくなった鳥居が出てきますが、「戦で」とあるので沖縄戦で焼けて再建されていないのだと思われます。続く「焼き尽くされた夏祭り」は沖縄戦の比喩です。
「迎えがない」という言葉が出てきますが、どこが出典なのかは分かりませんが、自然死でない死に方、事故死、自殺、戦死などをした者のお迎えは遅れるといわれています。歌詞の主人公も戦死したのでしょう。悲しみが続いて涙も涸れて悲しくなくなった後に沈丁花が出てきますが、花言葉は「不滅」で死んでも魂は終わりではないことを意味していると思われます。

「雲の上」という言葉が出てきますが、これは主人公が天国にいるということでしょう。なので、彼らは天国から地上に戻ってきて宴を行っているということになります。

セリフの部分に出てくる「あの子」というのがまじむ(伊藤沙莉)のことです。「あなた」もやはりまじむのことです。

「ひ孫の代」。映画にはまじむの母と祖母が出てきます。父親は出てきません。理由は原作小説には書かれていますが、映画では敢えて伏せられています。おばあ(高畑淳子)の孫がまじむですので、まじむの子の代まで見届けてほしいという意味になります。ちなみに映画の中ではまじむは結婚しておらず、子どももいません。

最後に幽霊達は天国へと帰って行き、「あの世でね」と死後のめぐり逢いを誓います。御霊は自分たちのことで、蝉時雨は別れの歌。具体的どの蝉のことかは明示されていませんが、ヒグラシかも知れません。蝉時雨は季語としては晩夏。「夏の終わり」です。

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2026年2月15日 (日)

コンサートの記(948) 下野竜也指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団豊中演奏会 オールNHK大河ドラマテーマ曲

2026年2月6日 曽根の豊中市立文化芸術センター大ホールにて

午後7時から、曽根にある豊中市立文化芸術センター大ホールで、「大阪フィルハーモニー交響楽団豊中演奏会」を聴く。指揮は下野竜也。全曲、大河ドラマのテーマ曲というプログラムである。

大河ドラマのテーマ曲は、NHK職員の息子で、自称「大河フェチ」の広上淳一が当時の手兵であった京都市交響楽団と、前半が大河ドラマのテーマ、後半がクラシック名曲という形で何度か行っており、京響の常任を離れてからもニューイヤーコンサートなどで取り上げている。
また本家のNHK交響楽団は、沖澤のどかの指揮で、さいたま市の大宮ソニックシティ大ホールで大河ドラマのテーマ曲とクラシック名曲のコンサートを来月行う予定である。ちなみにチケット料金であるが、N響が大フィルの倍以上高い。

久しぶりの豊中文芸。豊中市は日本センチュリー交響楽団のホームタウンであるため、センチュリー響が豊中文芸で優先的に演奏会を行っているが(定期演奏会は大阪市内のザ・シンフォニーホールから変更なし。おそらくザ・シンフォニーホールでやった方が豊中で行うよりも客が入る)、大阪フィルハーモニー交響楽団は大阪市の南の方(西成区岸里)に本拠地を置いているため、豊中で演奏する機会はそう多くないはずである。

下野竜也は大阪フィルの1月の定期を振り、その後、京都市ジュニアオーケストラのリハーサルと本番、更に大フィルの豊中演奏会と続いており、おそらくずっと関西で過ごしているものと思われる。
下野は、大フィルの指揮研究員出身だが、研究員であった2年間は、豊中市の庄内(大阪音楽大学がある場所)で暮らしていたそうだ。

下野が大河ドラマのテーマ曲を振ったのは計7回で、近年では最多となる。
ここ10年ほどは、下野と同じくNHK交響楽団の正指揮者である尾高忠明、広上淳一の3人で回しており、今年の大河「豊臣兄弟!」のテーマ曲指揮者として沼尻竜典が新たに加わっている。

 

曲目は、大島ミチルの「天地人」、芥川也寸志の「赤穂浪士」、湯浅譲二の「元禄太平記」、林光の「花神(かしん)」、池辺晋一郎の「黄金の日日」と「独眼竜政宗」、山本直純の「武田信玄」、千住明の「風林火山」、坂本龍一の「八重の桜」、吉松隆の「平清盛」、服部隆之の「真田丸」(ヴァイオリン独奏:三浦文彰)、菅野祐悟の「軍師官兵衛」、エバン・コールの「鎌倉殿の13人」、ジョン・グラムの「べらぼう」

N響が今年の大河「豊臣兄弟!」のテーマ音楽を演奏するのが売りなら、大フィルは昨年の大河「べらぼう」のコンサート初演奏を実際に指揮した人のタクトで聴けるのが魅力である。

ゲストは3人。先に記した三浦文彰、作曲家の池辺晋一郎、オンド・マルトノ奏者の原田節(たかし)。池辺晋一郎は作曲の拠点は東京だが、アクリエひめじなど姫路市での仕事も多く、また「川が流れてる街が好き」と述べたことがあり、「大阪とか」と大阪市を筆頭に挙げている。

 

今日のコンサートマスターは崔文洙。フォアシュピーラーに須山暢大。ドイツ式の現代配置による演奏だが、豊中市立文化芸術センター大ホールはステージが比較的狭いので、大編成の大フィルが乗ると、「ぎっしり」という感じである。
邦楽器の音は、下手端に位置するキーボードが出していた。また「赤穂浪士」では、エレキギターが演奏された。

下野は、身長が高くないので、高めの指揮台を使用。総譜であるが、製本されていないので、印刷された譜面を1曲ごとに取り替えて指揮していた。
司会を兼ねながらの指揮(「司会をします。たまに指揮もします」と冗談を言っていた)。

豊中市立文化芸術センター大ホールは、西宮市にある兵庫県立芸術文化センターKOBELCO大ホールをモデルとして建てられたが、サイズや内装、音響なども異なるため(音響設計は、クラシック音楽専門のところではなく映画館の音響が専門の会社に頼んでいるはずである)、今日の演奏会では、音が塊となって迫ってくるかのよう。やはりこのホールには中編成から小編成のアンサンブルの方が相応しいようである。

下野は、俳優には余り詳しくないようで、「妻夫木聡」という名前を何度か間違えていた。
「映画に負けない時代劇を作ろう」という掛け声と共に始まった大河ドラマ。当時の時代劇映画は、一流の作曲家に音楽を依頼することが多かったため、負けないためにはこちらも一流の作曲家を起用する必要がある。これまでの大河ドラマの音楽担当者を見ても、著名な作曲家の名前が綺羅星の如く並んでいる。

芥川龍之介の三男で、芥川也寸志作曲賞にその名を残す芥川也寸志。ソ連の音楽に詳しくショスタコーヴィチ作品の紹介なども行っていた人である。「赤穂浪士」のテーマ音楽(本編での演奏はまだNHK交響楽団ではない)は、数ある大河のテーマ曲の中でも知名度は随一。赤穂浪士を描いた音楽としては最も有名で、民放のバラエティ番組なども赤穂浪士を紹介する際にはこの音楽を流すことが多かった。ちなみに大河ドラマの音楽は、テーマもその他の音楽もフリー素材扱いとなり、自由に使うことが出来る。
芥川の「赤穂浪士」はすでに大河ドラマのテーマ曲のみならず、彼のオーケストラ小品と見なして間違いないと思われる。

「元禄太平記」の音楽を担当した湯浅譲二は、「徳川慶喜」のテーマ音楽でも知られている。現代音楽の作曲であり、いつも易しい音楽を書くということはしなかった。「元禄太平記」の音楽は平明である。主人公は異例の出世を遂げた柳沢吉保。ただ柳沢吉保は男色好きで、時の将軍・徳川綱吉も衆道を好んだ。ということで教科書に書けない、テレビにも映せない何かがあったのかも知れない。

林光は、現代音楽の風潮を嫌い、メロディー第一の作曲を行った人である。「花神」のテーマ曲でもテーマを繰り返しながら変化させるのが上手い。
「花神」の映像は、総集編が出ていて、私は見たことがある。司馬遼太郎の原作も読んだが、原作の方が面白かった。ただ全話見たら評価が覆るかも知れない。

池辺晋一郎作曲の「黄金の日日」と「独眼竜政宗」。演奏前に、池辺晋一郎がトークゲストとして登場。いきなり、「歯医者みたいなことやってるね。歯科医者(司会者)」とジャブ。池辺晋一郎というと駄洒落がお馴染みで、下野に「5回までにして下さい」と言われる。5回ということに掛かるが、池辺晋一郎は大河ドラマの音楽を冨田勲に並ぶ最多タイとなる5回手掛けている。

池部「5回。誤解のないように」

「黄金の日日」を手掛けていたときは、同時進行で「未来少年コナン」の音楽も担当していたそうで、大変な忙しさだったという。
主人公である呂宋助左衛門こと納屋助左衛門を演じた六代目市川染五郎は、2016年の大河ドラマ「真田丸」でも九代目松本幸四郎として同じ役を演じている(その年の暮れに二代目松本白鸚襲名を発表)。

「独眼竜政宗」は今も「好きな大河ドラマランキング」でたびたび1位を取る作品であるが、通常は前年の秋にテーマ音楽を録音するところを、N響が秋に海外ツアーを行うため、前年の8月に録音が行われることになった。脚本は2ページしか出来ておらず、仕方なくイメージを膨らませて作曲したそうだ。下野は、「独眼竜政宗」を見ていて、変わった音が鳴っていることに気付いたが、後にそれがオンド・マルトノの音だと知ったそうだ。
ということで、オンド・マルトノ奏者の原田節がステージ上に呼ばれる。オンド・マルトノは、メシアンのトゥーランガリラ交響曲に用いられていることで知られているが、使用されている曲はそれほど多くない。池辺は、「勇壮なイメージ」ということでオンド・マルトノを取り入れたそうである。
池部「伊達なので伊達に」
ちなみに流行語となった「梵天丸もかくありたい」と語っていた少年は、今は京都芸術劇場春秋座の芸術監督である。

池部は、「皆さん、テーマ曲が一番大変だと思うでしょ。でもそうじゃない。ドラマの中で流れる曲が大変。打ち合わせして、場面の切り替わりだとか転調」に合わせた音楽を書かないといけない。全話分で620曲ぐらい作曲するそうである。
「今はそうじゃない。ストックしておいて、合った曲を選ぶ。でも事前に100曲から200曲ぐらい書くので、準備が大変。あと使われない曲も出てくる」
更に、「テーマ曲が大変なのは手間が掛かる」と駄洒落を言っていた。
原田節も池辺に合わせて、池辺「和音が出来ない」、原田「わおーん」と言ったり、一番端に置かれたスピーカーのような見た目の楽器の裏に銅鑼がついているのだが、「どこでも銅鑼」と言って、下野は、「原田さん、普段、こんな人じゃないんですよ」とフォローしていた。

第1部では、昭和の大河ドラマのテーマ曲を取り上げたが、第2部では新しい曲も増える。

山本直純が作曲した「武田信玄」に続き、信玄の軍師として知られる山本勘助を主人公にした「風林火山」が演奏される。赤備えである。共に武田の騎馬隊をイメージして作曲している。「風林火山」の千住明は、母親に作曲したものを聴かせたのだが、「もっともっと」と要求されて、最後には「騎馬隊の馬の耳まで見えた」として納得出来る作品となったようだ。一部では、「コッペパーン」で始まる矛盾した歌詞が付けられて歌われている。

曲が多いので、下野も、「次ぎ、『八重の桜』ですよね」と頭がこんがらがるようだ。
「2分から3分の間に、ベートーヴェンの交響曲1曲分のエネルギーを皆さん込めるので、やる方は大変」

坂本龍一が唯一書いた大河ドラマのテーマ曲「八重の桜」。2013年、「八重の桜」放送当時に、坂本龍一本人がピアノとアンコール楽曲での指揮を担当した「Playing the Orchestra 2013」で取り上げている。私にとっては、新装オープンとなったフェスティバルホールでの最初のコンサートであった。その時は篠笛が鳴るという、ドラマ通りの編曲であったが、今回は篠笛も笛の類いも鳴らない編曲であった。坂本龍一はニューヨーク在住ということで、テーマ曲と、「八重のテーマ」だけを作曲。本編の作曲は中島ノブユキに託している。
現在、「八重の桜」はNHKBSで再放送中である。

吉松隆の「平清盛」。冒頭にピアノが活躍するが、これは「左手のピアニスト」として活躍している舘野泉が左手だけで弾いたものである。「梁塵秘抄」の「遊びをせんとや生まれけむ戯れせんとや生まれけむ」の部分をピアノで表している。ちなみにこの部分は純粋に遊ぶ子供を愛でているもので、「遊女が」という解釈は「梁塵秘抄」の性格に合わない。
時代に合わせてリアルなセットや服装にしたところ、神戸市長から「汚い」と苦情が入ったことでも知られる大河ドラマである。

服部隆之の「真田丸」。短い曲だが、この曲を演奏するためだけに大河本編でもヴァイオリンを弾いた三浦文彰登場。三浦文彰は最近は指揮者としても活動している。本編の指揮者は下野であり、オリジナルのソリストと指揮者が揃うことになった。下野は、ドラマにも堺の商人役で出演。セリフは、「はい」だけであったが、大河俳優となっている(?)。広上淳一が、「私も出たかったんです」と嫉妬していたが、その後に大河ではないが音楽監修を務めたTBS系日曜劇場の「さよならマエストロ~父と私のアパッシオナート~」にピアニカ奏者役でカメオ出演することになる。
三浦は、「服部先生に冒頭だけでも聴けて貰ったのが良かった。『土臭く。侍』というイメージも言って頂けた。作曲者に直接答えて貰えることは実は稀で。みんな死んじゃってるんで」と語っていた。
広上淳一指揮の京都市交響楽団がこの曲を演奏したときには、コンサートマスターの石田泰尚がソロを弾いたが、ソリストと、普段コンサートマスターとして活動しているヴァイオリニストの違いがよく分かった。
この曲はヴァイオリンが駆け、オーケストラがそれを追いかけるという構図を取っている。
三浦の退場後、下野は、「三浦さん、本番2分45秒でした」と語る。それだけのために豊中に来ている。

 

菅野祐悟の「軍師官兵衛」。菅野さんが席にいて、大フィルの福山さんと話しているように見えたのだが、気のせいだろうか。
京響に初登場した時は、雨天で、「嵐を呼ぶ男」と呼ばれるほどの雨男だと明かしてた菅野祐悟。その後、主に関西フィルハーモニー管弦楽団と仕事をすることが多く、交響曲などを発表している。

下野は演奏後、「(主演の)岡田准一さんの顔が見えましたか?(岡田准一は大阪府枚方市の出身で、今もひらかたパークのひらパー兄さんとして親しまれている)。これからは海外の作曲家が書いた曲を演奏します。エンニオ・モリコーネも書いていますが(「武蔵」。お蔵入り決定で、大河の黒歴史となっている)、エバン・コール。この人はアメリカ人ですが、日本のアニメにも詳しいです。これを録るときはコロナの頃だったものですから、あんまり大人数ではいけない。一応、全員でも録ったんですが、パートごとに分けて録る。ただそれをそのまま全部合わせると上手くいかないものですから(カラヤンはそうした手法でも録音していたようだが)、クリックを使おうと。しかし、オーケストラの音が大きいので、クリック音が聞こえるように音量を上げると外からも聞こえてしまう。そこで『電磁波クリックがあります』ということで、後頭部に電磁波が出るものを装着すると外には聞こえなくても頭の中には聞こえる。でもやはりオーケストラの音が大きい。今度は『針があります』ということで、腕時計に針が仕込まれていて交互に腕を指す。この曲には懐かしさもありますがあの痛さも思い出します」

エバン・コールの「鎌倉殿の13人」。演奏時間は2分15秒と短い。鎌倉時代が舞台で、戦国時代や幕末ほどには様々な人は登場しない。承久の乱も軽く触れるだけで、身内同士の殺し合いと姉弟関係を描くという内容であったため、キャストの数は他の大河に比べて少なめだったはずである。身内同士の粛正が多いので、陰惨でもあったが。
広上淳一と京都市交響楽団がこの曲を演奏した時には、掛け声は録音されたものをスピーカーから流していたが、今日は大フィルの団員がその場で声を発していた。

ジョン・グラムの「べらぼう」。下野はジョン・グラムについて、「『麒麟がくる』も作曲しています」と紹介する。
ジョン・グラムはアメリカ人だが(ちなみに生年が1960年または1961年とあり、よく分からないらしい)、日本情調の表し方も巧みである。

 

最後は、
下野「鹿児島県出身なので、鹿児島県が舞台になった大河を。『篤姫』じゃありません。『西郷どん』(富貴晴美作曲)という愉快な曲を」
主役オファーを断られ、当時、お茶の間では無名に近かった鈴木亮平が代役として大抜擢されるなど、色々あった大河だが、「西郷どん」が言葉通り愉快に鳴った。

下野は最後に、「大阪フィルの指揮研究員だった時、2年間だけ豊中市民でした。大阪フィルのメンバーに『どこに住んだらいいだろう』と相談したら、『庄内がいいんちゃう』と言われたもので、庄内の部屋とは反対側にある不動産屋に行って契約して。その時は部屋はまだ見てません。それから大阪フィルで、岩城宏之先生のドビュッシーの「海」のリハーサルを見学して、庄内の表側に行ったら、『楽しくて、庄内』と書いてあって、楽しい街だなあ」と思い出を語っていた。

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2026年2月13日 (金)

コンサートの記(947) 広上淳一指揮京都市交響楽団第707回定期演奏会

2026年1月23日 京都コンサートホールにて

午後7時から、京都コンサートホールで京都市交響楽団の第707回定期演奏会を聴く。

京都コンサートホールの周りには雪の固まりが残っている。京都の中心部では降らなかったが、北山では雪が降ったのかも知れない。北山近辺の道は濡れていなかったが、北大路通は濡れているところもあった。京都はほんの少し違っただけで天気が変わるため、一口に「京都市の天気」と言えないところがある。

今日の指揮者は、「京都市交響楽団 広上淳一」という肩書きの広上淳一。

曲目は、準オール・アメリカ・プログラム。レナード・バーンスタインの「スラヴァ!(政治的序曲)」、バルトークのピアノ協奏曲第3番(ピアノ独奏:三浦謙司)、コープランドの交響曲第3番。
有名曲がないため(バルトークのピアノ協奏曲第3番は、強いて言えばバルトークのピアノ協奏曲の中では有名な方)客の入りは悪く、おそらく半分行っていない。1席の前の方と2階席と3階席のステージ脇両サイドは人がいるが、他は入っていない。

 

6時30分頃から、広上淳一と京響ゼネラルマネージャーの森貴之によるプレトークがある。森が、「雪が降ったところの皆さん、大変なところをよくぞお越し頂きました」と述べたため、北山や北大路以外にも雪が降ったところがあることが分かる。
広上は、「死にかけた」という話をする。大晦日に家族で伊豆高原に旅行に行き、ビール3杯などを飲んで風呂に入ったところ意識をなくし、奥さんが気付いて救急車を呼んで助かったという。医者に「こっぴどく怒られました」だそうで、「皆さん、お酒飲んで風呂に入ったら駄目ですよ」と語った。奥さんからも「こんなところから葬式出すの嫌だからね」と言われたそうである。
そして家に戻って、沖澤のどかが「ボレロ」を振るカウントダウンに間に合ったそうである。

レナード・バーンスタインの「スラヴァ!(政治的序曲)」もコープランドの交響曲第3番も政治色が強い曲目である。
「スラヴァ」は、チェリスト&指揮者のムスティスラフ・ロストロポーヴィチの愛称である。彼がソ連からの亡命に成功し、ワシントンD.C.のナショナル交響楽団の音楽監督に就任したのを記念してバーンスタインが書いたものである。バーンスタインによる選挙大会の政治演説や聴衆の歓声が録音で流される。
コープランドの交響曲第3番は、第4楽章に「市民のためのファンファーレ」が流れるのだが、この曲は指揮者のユージン・グーセンスが1942年8月に「アメリカの戦争遂行の愛国的なファンファーレ」として18人の作曲家に依頼したファンファーレの一つであるため、広島のようにアメリカによる甚大な被害を受けた街では「市民のためのファンファーレ」もコープランドの交響曲第3番も演奏出来ないそうである。
バルトークのピアノ協奏曲第3番のソリストである三浦謙司に関しては、「ベルリンに住む上手いピアニスト」と語っていた。
京都市交響楽団の成長については広上は、コンセルトヘボウ・アムステルダム(ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団)、チェコ・フィル、フィンランドのラハティ(交響楽団)、スウェーデン放送響、バンベルク交響楽団に似たオーケストラになったと語るが、これはあくまでも広上が振った時。指揮者によって音が変わる。そういう意味では広上淳一と沖澤のどかは対極にいる指揮者かも知れない。鬼束ちひろが、「音楽性は生まれた土地の気候によって決まる」と若い頃に記していたが、東京生まれの広上と青森生まれの沖澤とでは音楽性が違ってくるのは当たり前かも知れない。

 

今日のコンサートマスターは「組長」こと石田泰尚。フォアシュピーラーに泉原隆志。ドイツ式の現代配置による演奏である。客演首席ヴィオラ奏者には新日本フィルの森野開、客演首席チェロ奏者には新日本フィルの櫃本瑠音(ひつもと・るね)、首席客演トロンボーン奏者には都響の風早宏隆。風早という苗字はマンガ・映画「君に届け」で有名になっているが、風早氏は本流は数少ない平氏系の公家である。京都市内に風早町という住所があるが、御所近辺の公家街に移る(移される)まではその近辺に屋敷を置いていた公家だ。風早宏隆がどこまで公家の風早氏と近いのかは不明である。
コープランドの交響曲第3番は、大編成であり、打楽器に客演奏者がずらりと並ぶ。

 

バーンスタインの「スラヴァ!(政治的序曲)」。広上はバーンスタインに直接指揮を学んでいる。今の時代には巨匠にして教育者という指揮者は少ない。良き時代に教育を受けたと言える。
「スラヴァ!(政治的序曲)」は、ドイツ・グラモフォンから、作曲者がイスラエル・フィルを指揮した録音が出ているが、今は積極的にイスラエル・フィルを聴きたいという状況ではない。ただ広上と京響の演奏の方がバーンスタインらしさがはっきり分かる。バーンスタインは優れた指揮者であったが、音楽にのめり込みやすいという性格であり、客観的に彼の音楽を聴きたいのなら他の指揮者による演奏を選んだ方が良いのかも知れない。幸い弟子は数えられないほどいる。
甘く澄んだ弦、輝きのあるブラス、抜けの良い音など、広上の良さが十全に出ている。
エレキギターが浮かび上がるなど、いかにもバーンスタインらしい曲想(エレクトリックギター演奏:山田岳)。最後は、楽団員の「スラヴァ!」の言葉で締める。これはロストロポーヴィチの愛称であると同時にロシア語で「栄光あれ!」の意味を持つ。

 

バルトークのピアノ協奏曲第3番。ハンガリーを代表する作曲家であるバルトークであるが、ナチスの台頭を嫌い、アメリカに亡命する。しかしアメリカの水が合わなかったようで、引きこもりのようになり、作曲よりも民族音楽研究に取り込むことが多くなる。ただこれでは音楽で稼ぐことは出来ない。見かねたボストン交響楽団の音楽監督であるセルゲイ・クーセヴィツキーが作品を依頼。出来上がった管弦楽のための協奏曲はバルトークの代表作の一つとなった。だが白血病を患い、気難しい性格が災いして対人関係に悩むなど、最後までアメリカになじむことはなかった。最後は服装も浮浪者のようになって、デイヴィッド・ジンマン少年に石を投げられる(直接投げつけたという話と、住んでいる家の窓にぶつけたという話があり、どちらなのか、あるいは両方なのか不明)など惨憺たる有り様で、在米5年で他界している。
ピアノ協奏曲第3番は、バルトークのアメリカ時代の作品である。

ソリストの三浦謙司は、1993年、神戸生まれのピアニスト。13歳で英国政府奨学金を得てロンドン・パーセル・スクールに入学。2011年からはベルリン芸術大学で学ぶも、翌年に中退。日本で様々な仕事をしながらボランティア活動を行う。2014年に再び渡独。ハンス・アイスラー音楽大学ベルリンに入り、卒業後は同校の教員としても活動している。第4回マンハッタン国際音楽コンクール金賞受賞、第1回Shigeru Kawai国際ピアノコンクール優勝。スタインウェイコンクールベルリン第1位、2019年のロン=ティボー国際コンクール・ピアノ部門優勝及び3つの特別賞を獲得して名を挙げている。

ジャネットにネクタイ姿で現れた三浦。右肩を落として構える癖のあるピアニストである。広上指揮の京響が奏でる伴奏であるが、昨日聞いた歌劇「青ひげ公の城」とは明らかに異なる洒脱でモダンな響きがする。バルトークがアメリカに滞在した月日は短かったが、アメリカ的なるものを確実に吸収していたことが分かる。単に引きこもっていただけではなかったようだ。
三浦の難所も軽やかに乗り越えるピアノも聴き応えがある。クリアな音色も魅力的だ。
バルトークもアメリカの影響を受けた、あるいは受けざるを得なかったことが分かる楽曲でもある。

三浦のアンコール演奏は、シューマンの「子供の情景」から“詩人のお話”。技巧的には平易な曲で、あるいは私も昔弾いたことがあったかも知れない。
「子供の情景」も決定的名盤が存在しない楽曲である。そもそも録音が余り多くない。個人的に好きなのは、録音は古いがホロヴィッツ盤。こんな小品集であってもホロヴィッツのひらめきは冴えている。アルゲリッチ盤は彼女にしては大人しいが、そもそも彼女に向いている楽曲ではないような気がする。

 

コープランドの交響曲第3番。コープランドは同性愛者、バーンスタインは両性愛者で、二人は短い間だったがパートナーであった。バーンスタインに指揮者になるよう進言したのもコープランドであったと言われる。
それはそれとして、コープランドの交響曲第3番は大傑作である。いかにもアメリカ的な広がりとノスタルジアを兼ね備えた旋律が巨大なモニュメントを打ち立てていく。
京響が奏でる音はたおやかで立体的であり、印象派に影響を受けたと思われるグラデーションも美しさに満ちているが、楽章が進むにつれて大音響へと変わっていく。最後列にずらりと並んだ打楽器群が進軍を後押しする。ピアノ、チェレスタ、2台のハープなども威力を加える。
第4楽章に「市民のためのファンファーレ」が登場。この曲は、広上が京響の常任指揮者に就任して初めてのコンサートの第1曲として演奏したものである。そんなことも思い出しつつ、強烈な音を堪能する。
東にN響あれば西に京響あり。広上と地元オーケストラの実力を堪能した夜であった。

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2026年1月31日 (土)

観劇感想精選(508) キムラ緑子主演「わがうたブギウギ 笠置シヅ子物語」

2026年1月25日 京都四條南座にて観劇

午後3時30分から、京都四條南座で、キムラ緑子主演舞台「わが歌ブギウギ 笠置シヅ子物語」を観る。1994年初演の音楽劇。
主演:キムラ緑子。出演は、林翔太、曾我廼家寛太郎(そがのや・かんたろう)、賀集利樹、惣田紗莉渚(そうだ・さりな)、一色采子、桜花昇ぼる(おうか・のぼる)、松村雄基ほか。アンサンブルキャストを含めるとかなり多くの人が出演する。
作は小野田勇。補綴/演出は「現代の戯作者」こと齋藤雅文。音楽:服部隆之。
「ブギの女王」として一世を風靡しながら、42歳の若さで歌手を引退し、以後はおばちゃん役を得意とした女優として活躍、70歳で他界した笠置シヅ子の歌手時代の物語である。笠置シヅ子は、歌手時代には笠置シズ子の表記を用いており、女優に転身してから表記が笠置シヅ子に変わったとされるが、歌手時代に女優として出演した映画でもクレジットが「笠置シヅ子」になっているものがあり、歌手「笠置シズ子」、女優「笠置シヅ子」だったのかも知れない。

キムラ緑子は、同志社女子大学出身で、学生時代にお隣の同志社大学の演劇サークル第三劇場でマキノノゾミが演出するつかこうへい作品を観て参加。マキノとは結婚と離婚を繰り返している。
卒業後は、生まれ故郷の淡路島に帰って塾講師を務めるが、マキノに誘われ、マキノが主宰する劇団M.O.P.に参加。つかこうへい作品を上演していたが、マキノが作・演出を手掛けるようになってからは関西を代表する憑依型女優として名声を上げる。劇団M.O.P.が大阪、東京と本拠地を変えるごとに移住。映像作品にも出演するようになるが、全国区になるのは比較的遅く、朝ドラで意地悪な役や怖い役を演じて話題になってからである。舞台では、世間知らずなお嬢さんから性格のねじれた老婆まで幅広く演じ分け、才能を発揮している。

ただ今回はキムラ緑子を前面に出すためか、声など細部を除いては演じる年齢による演じ分けは行っていない。第1幕と第2幕からなる商業演劇であるが、カーテンコールでの声からいって、第2部が素のキムラ緑子の声で、第1部が若い声だったようだ。かなり違う。

NHK連続テレビ小説「ブギウギ」(主演:趣里)で、笠置シヅ子をモデルにした人物がヒロインとなり、笠置シヅ子の自伝や、シヅ子の師である服部良一の自伝などが久しぶりに再発売されているが、その間、研究はほとんど行われていなかったようである。笠置シヅ子も比較的謎の多い人物で、歌手引退と同時に歌を一切歌わなくなった、鼻歌すらも歌わなかったことが、一人娘の亀井ヱイ子氏の証言で分かっている。かなり頑なである。歌手引退の理由も曖昧だが、後年になって笠置シヅ子本人が、「太ってきたから」と理由を明かしている。笠置シヅ子の歌は、歌声だけでなくパフォーマンス(振付はほとんど自分で考えている)も併せて初めて一つの作品となるものだった。太ってしまっては踊れない。そして、笠置シヅ子が生きたのは日本人の平均寿命が今より短く、老けるのも早い時代だった。

 

黒澤明の作詞であり、黒澤映画「酔いどれ天使」でも使用された「ジャングル・ブギー」でスタート。キムラ緑子演じる笠置シヅ子が歌い踊り、それを多くのダンサーが盛り上げる。

話はシヅ子の若い日に戻る。少女時代のシヅ子(本名:亀井靜子。合田くるみが演じている)は、宝塚歌劇団を受けるも不合格。少女歌劇への夢を諦めきれないシヅ子は、今の大阪松竹座内にあった大阪松竹楽劇部(のちに大阪松竹少女歌劇団に改称)を訪れ、強引に入れて欲しいと頼む。二村定一の「アラビヤの唄」なども歌い上げる。生徒募集をしていなかった大阪松竹楽劇部も根負けして入団を認める。実際のシヅ子はもっとしつこかったそうで、毎日毎日「入れてくれ」と頼みに来たそうだ。
三笠シズ子の芸名で座員となるが、三笠宮が創設されたため、「畏れ多い」として笠置シズ子に改名させられている。
今回の劇では、服部良一(松村雄基)が大阪松竹少女歌劇団に在籍しているという設定(実際に二人が会うのは東京において)。 ピアニストとしてシヅ子たちにレッスンを付けるのは小暮五郎(賀集利樹)の役目であるが、小暮は若い頃から酒をたしなんでおり、その後、酒の飲み過ぎでピアノが弾けず、零落した姿でシヅ子の前に現れることになる。

大阪で歌声が評判になったシヅ子(大阪松竹少女歌劇団の後継団体であるOSK日本歌劇団で今も歌い継がれている「桜咲く国」などを歌う)に、東京の帝国劇場を舞台として組織される松竹楽劇団(SGD)に加わらないかという話が舞い込む。音楽監督は服部良一(史実でシヅ子と服部が出会ったのはこの時)。シヅ子は、男役のダンサーであるユリー五十鈴(桜花昇ぼる)と共に上京する。なおOSK日本歌劇団出身の桜花昇ぼるは、大阪の近鉄劇場で行われた「ブギウギ講談」では、歌唱担当として、笠置シヅ子とは名乗らなかったものの、実質、笠置シヅ子役で出演している。ユリー五十鈴は、体力では男性に敵わないことを感じ、男役の存在意義に悩むようになって、やがて芸能界から退き、五十鈴百合として女の人生を歩むことになる。
第1弾シングルとしてリリースされたのが、「ラッパと娘」である。朝ドラ「ブギウギ」でも「ラッパと娘」は「東京ブギウギ」以上に重要な曲となっていたが、この曲のメロディーは明らかに常道を外れており、服部良一の「音楽の殻を破ってやる」という意気込みが伝わってくる。実際に難しい楽曲で、本物の笠置シヅ子は、それまでこの手の激しいジャズは聴いたことがなかったはずなので、歌いこなすのにかなり苦労したことが察せられる。服部のレッスンは厳しいもので、夢中になると時間を忘れ、何時間もぶっ続けで進み、シヅ子は食事をすることも出来ず泣いたこともあるようだ。
笠置シヅ子の歌は、いわゆる「上手さ」ではそれほどでもない。あらゆる作品や書籍でも「歌が飛び抜けて上手い」という記述はない。そもそも音程には余り気をつかっていない。だが、黒人のジャズシンガーを思わせるソウルフルな歌声は、他に挙げる人物が見当たらないほど力強く、特にステージで聴く者を圧倒したことが証言から伝わってくる。

実は、終盤にシヅ子が歌った曲のメドレーが待ち構えている。

やがて戦時色が濃くなり、アメリカの影響を受けた歌を持ち歌としていたシヅ子は警察のターゲットとされて、「囲まれた線から出ずに歌え」と強要され、やがて「東京で歌ってはならない」という命令が下る。シヅ子は五郎をバンマスとした「笠置シズ子とその楽団」を結成し、地方巡業に活路を見出した。そんな中、シヅ子は一人の若い青年と出会う。早稲田大学に通う花森英介(林翔太)。花森興業創業家の一人息子である。花森英介は吉本興業の御曹司である吉本穎右(えいすけ。漢字も読みも難しいので、「エイスケ」とカタカナ表記にすることが多かった)をモデルとしているが、実際の吉本穎右はシヅ子の大ファンで追っかけをしており、出会ったのも偶然ではなかった。年が離れていたので恋人にはならないと思っていたシヅ子だが、英介の熱心さに惚れ、結婚を誓う。

シヅ子と英介が自己紹介をするシーン。シヅ子のパートは長台詞の上、状況説明が次々に変わり、体の動きも伴うため、キムラ緑子が軽々演じているのでそう見えないだけで、かなりの高難度である。

シヅ子の追っかけをしている人がもう一人。生駒芙美子(惣田紗莉渚)である。松竹少女歌劇団に押しかけて、榎本健一などの歌唱で知られる「私の青空」を歌って入団。シヅ子が東京に移ると、やはり追いかけてSGDのレビューガールに。しかし、自身の才能に見切りを付け、シヅ子の付き人となる。

日本はアメリカに敗れ、終戦となる。東京に戻ったシヅ子は有楽町の日本劇場(今は跡地に有楽町マリオンが建つ)で「ハイライト」公演に出演。中国に行っていた服部良一が、東京に戻った時に日劇の「ハイライト」公演の看板を目にし、吉祥寺の自宅に戻る前に日劇の笠置シヅ子の楽屋を訪れる。

服部は、シヅ子が主演する「ジャズ・カルメン」を企画。しかし、シヅ子は英介との愛の結晶である子を宿していた。妊娠しながら歌うのは難しいと、百合に反対されたシヅ子だったが、出演を強行。「ジャズ・カルメン」は大好評を得る。

だが英介は結核に冒されており、死んだ(史実では肺炎とされる)。「ジャズ・カルメン」を観る予定だったが、東京に来ることも出来なかった。数日後、シヅ子は女の子を産む。シヅ子は娘をヱイ子と名付けた。

服部は、「リンゴの唄」に続く復興ソングをシヅ子に歌わせようと考える、ある日、中央線の電車の中で、吊革が揺れているのを見た服部は、リズムと旋律が脳裏に閃く。史実では、服部は次の駅で降りて、すぐそばの喫茶店に駆け込み、紙ナプキンに五線譜と音符を書き込むのだが、舞台上ではそれは出来ない。満員の車内の乗客の揺れをアンサンブルキャストがダンスで表現し、服部が揺れの中で閃いて、手元の紙に五線譜と音符を書き込む。

こうして代表曲、「東京ブギウギ」が完成、裏手から実際に笠置シヅ子が着ていたドレスを模したものに身を包んだキムラ緑子とダンサーが登場し、「東京ブギウギ」が歌われる。最後の掛け声が「ヤー!」であることから、1947年に笠置が出演した映画「春の饗宴」を参考にしていることが分かる。実は、「東京ブギウギ」はかなりの難曲である。独特のリズムに乗り続けたまま歌うのはかなり難しい。キムラ緑子も、第2番の冒頭で少し遅れたが、乗り直した。ダンスも笠置のオリジナルと同じもの。全体を使った踊りなので、かなり体に来る。還暦を過ぎているキムラ緑子は、「東京ブギウギ」の終盤でバテているように見えたが、ここから地獄の「ブギウギメドレー」が始まる。要所要所を歌うだけだが、かなり疲れるはずである。「ブギウギメドレー」の曲目は、「買物ブギー」「ホームラン・ブギ」「大阪ブギウギ」「セコハン娘」「アロハ・ブギ」「センチメンタル・ダイナ」「ヘイヘイブギー」「東京ブギウギ」。ブギでないものも含まれる。

かくてシヅ子は、「ブギの女王」の名声を得る。

一方、シヅ子は、ラク町(有楽町のこと)のお葉(一色采子)らパンパンと交流を持つようになる。
お葉がいる喫茶店ドリームに一人の男。そこに笠置シヅ子が現れる。シヅ子は男が五郎だとすぐに気付く。五郎はピアノが弾けなくなり、生活に困っていた。シヅ子は五郎に禁酒を命じる。「禁酒は無理」だと思っていた五郎だが、持ち直し、ピアニストとして再出発出来るようになった。やがて芙美子と結婚する。

 

時が流れた。ブギの全盛期に、シヅ子は淡谷のり子と雑誌上で対談している。淡谷のり子が、「シャンソンは長く歌い継がれているけど、ブギは一過性で終わる」と断言しているのに対してシヅ子は、「ブギは長く歌い継がれていくと思います」と述べていた。だが、ブギの時代は短かった。ブギの全盛期には絶賛していた評論家が、手のひらを返して酷評の記事を書く。
そんな中、NHKでの公開録音に臨んだシヅ子だったが、「東京ブギウギ」の途中で歌唱を打ち切る(史実ではないようである)。もう高音が出ない。「もっと低い音程の歌をうたえば良い」と言ってくれる人もいた。だがシヅ子は歌手人生の終焉を感じる。「思うように歌えなくなったら歌手ではない」。服部は「それでこそプロの歌手の去り方だ」と称賛するのだった(実際は、服部は激怒したようである。服部はシヅ子に歌わせるために多くの歌を書いてきた。シヅ子がいなくなったら、思うような歌が書けなくなってしまう。しかしシヅ子は女優へと転身し、服部の最盛期も同時に終わることになる)。
華やかさの後の寂しさが身に染みる。
戦後を照らした太陽のような女性が、天岩戸へと帰っていく。天鈿女命(アメノウズメノミコト)がどんなに頑張っても意味はない。天鈿女命もまた彼女だったのだから。

 

今回の上演は、東京の三越劇場での上演を経て、京都四條南座での上演となっている。本来なら、笠置シヅ子、服部良一、吉本穎右全てと関わりのある大阪での上演が適当だったのかも知れないが、キムラ緑子が京都ゆかりの女優であることと、毎年のように南座で上演を行っていることから、南座が選ばれたのだと思われる。

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2026年1月14日 (水)

コンサートの記(940) 「ウィーン・ヨハン・シュトラウス管弦楽団 ニューイヤーコンサート」2026@フェスティバルホール

2026年1月11日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後2時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、「ウィーン・ヨハン・シュトラウス管弦楽団 ニューイヤーコンサート」2026を聴く。

ヨハン・シュトラウスⅡ世が率いたヨハン・シュトラウス管弦楽団の後継を目指して、エデュアルト・シュトラウスの孫で、ヨハン・シュトラウスⅡ世の又甥に当たるエデュアルト・シュトラウスⅡ世を招いて結成されたウィーン・ヨハン・シュトラウス管弦楽団。常設ではなく、ウィーンのヨハン・シュトラウス・ファミリー好きの音楽達が集結して演奏会などが開かれる。ウィーン・フィルなど、ウィーンの中でも世界的に評価されている団体のメンバーも含まれる。

毎年、元日に開催され、全世界に中継される「ウィーン・フィル ニューイヤーコンサート」。ヨハン・シュトラウス・ファミリーの音楽はそれを聴くだけでも十分との思いがあったり、「ウィンナ・ワルツやポルカは正月よりも夏に聴くと涼しくていい」と思っていたりするため、例年はシュトラウス・ファミリーのニューイヤーコンサートを聴きに行くことは少ない(京都市交響楽団は除く)のだが、ウィーン・ヨハン・シュトラウス管弦楽団の演奏会ということで、今年は出掛けてみることにした。

ウィーン・ヨハン・シュトラウス管弦楽団の中で、一際輝いているのが、ウィリー・ボスコフスキーの時代。クレメンス・クラウスが始めたウィーン・フィル ニューイヤーコンサートであるが、クラウスは61歳と、指揮者としてはかなり若くして死去。ヨーゼフ・クリップスが2年間引き継いだ後に、ウィーン・フィルのコンサートマスターであったボスコフスキーが指揮台の上でヴァイオリンを奏でながら指揮するという弾き振りを行い、ヨハン・シュトラウスⅡ世もまた弾き振りを行っていたことから人気となり、四半世紀にわたって君臨している。その後、ボスコフスキーはコンサートマスターよりも指揮者としての活動を増やすようになり、非常設ながら手兵として選んだのがウィーン・ヨハン・シュトラウス管弦楽団だった。ウィーン・ヨハン・シュトラウス管弦楽団の名声はボスコフスキーが築いたと言える。ボスコフスキーはウィーン・ヨハン・シュトラウス管弦楽団と共にドイツEMIに多くのワルツやポルカの録音を行い、日本でも東芝EMI(当時)から数多くリリースされた。
ウィーン・ヨハン・シュトラウス管弦楽団の歴史の中で特筆すべき二人目の指揮者は、アルフレート・エシュヴェ。エシュヴェは、ウィーン・ヨハン・シュトラウス管弦楽団とキングレコードにレコーディングを行ったが、顔がヨハン・シュトラウスⅡ世に似ているということで話題になり、来日した際はNHKの音楽番組に出演したりもした。

ウィーン・ヨハン・シュトラウス管弦楽団の歴代の指揮者は皆、ウィンナ・ワルツやポルカのスペシャリストということで、ほぼ全員が、NAXOS制作による「ヨハン・シュトラウス全集」に参加している。

今回の指揮者は、ヨハネス・ヴィルトナー。NAXOSに比較的早い時期から録音を行っていた指揮者としても知られる。ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団のヴァイオリン奏者を経て、指揮者に転向。指揮はNHK交響楽団名誉指揮者として知られたオトマール・スウィトナーに師事している。スロヴァキア国立コシツェ・フィルハーモニー管弦楽団、プラハ国立歌劇場、ライプツィッヒ歌劇場、ノイエ・フィルハーモニー・ヴェストファーレンなどの音楽監督を務め、ライトクラシックの演奏団体であるBBCコンサート・オーケストラの首席客演指揮者なども務めている。2014年からは、ウィーンの「ガルス野外オペラ」という催しの総監督の座にある。
日本では新国立劇場オペラで、ヨハン・シュトラウスⅡ世の喜歌劇「こうもり」のタクトを担った。

 

そんなヴィルトナーであるが、極端な太鼓腹。しかも下っ腹が膨らんでいるメタボのみならず上の方まで膨らんでいる。見るからに不健康そうだが、本人は至って元気である。腹の出っ張り具合に、女性客達が口々に「凄い! 凄い!」と呟く。

 

ウィーン・ヨハン・シュトラウス管弦楽団は、ヨハン・シュトラウスⅡ世が率いた楽団に近い編成で演奏が行われる。室内オーケストラ編成になるが音は大きめで、空間の広いフェスティバルホールでも全くマイナスにはならなかった。

薄いが上質の紙を使った無料パンフレット付き。オーストリア大使館などが後援しているためか、チケット料金なども含めて良心的な部分が多い。

 

曲目は、ヨハン・シュトラウスⅡ世のオペレッタ「こうもり」序曲、ヨーゼフ・シュトラウスのポルカ・フランセーズ「芸術家の挨拶」、ヨーゼフ・シュトラウスのワルツ「水彩画」、ヨーゼフ・シュトラウスのポルカ・シュネル「憂いもなく」、ヨハン・シュトラウスⅡ世のエジプト行進曲、ヨハン・シュトラウスのワルツ「ウィーン気質(かたぎ)」、ヨハン・シュトラウスⅡ世のオペレッタ「ローマの謝肉祭」、ヨーゼフ・シュトラウスのポルカ・シュネル「休暇旅行で」、フランツ・レハールのワルツ「金と銀」、ヨハン・シュトラウスⅡ世のポルカ「雷鳴と電光」、ヨハン・シュトラウスⅡ世&ヨーゼフ・シュトラウスの「ピッチカート・ポルカ」、ヨハン・シュトラウスⅡ世のポルカ・シュネル「ハンガリー万歳!」、ヨハン・シュトラウスⅡ世のワルツ「美しく青きドナウ」

 

編成は変わっていて、指揮台の前にチェロが3台横に並ぶ。
ヴィルトナーは譜面台を用いず、全曲暗譜での指揮。ただピアノ演奏用の椅子が指揮台の前に置いてあったが、これはヴィルトナーがヴァイオリンの弾き振りをするため、ヴァイオリンの台代わりとして置かれたものである。
当初は、ステージ下手側を占めるヴァイオリン群が第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンだと思っていたが、ずっと同じボウイングをしているため、全員第1ヴァイオリンであったことが分かる。第1ヴァイオリンは9名で他のパートに比べて極端に分厚い。第2ヴァイオリンは対向配置で上手の客席側に5人で陣取っていた。その奥がヴィオラ3人である。コントラバスはヴィオラの後ろに3台で構えている。ティンパニは上手奥、スネアが下手奥だが、この二人は様々な打楽器を兼任する。

室内オーケストラ編成だけに、ゴージャスなサウンドという程ではないが、各楽器の光度や透明度は高く、ウィーンの楽団ならではの楽譜に書かれていない部分での緩急、強弱などが示され、日本のオーケストラが弾くウィンナ・ワルツやポルカとは異なった味わいがある。20世紀はどちらかというとそうしたローカリズムではなくインターナショナルが志向される傾向のあった世紀であり、「普遍的であることは良いこと」とされたが、京都人並みに頑固と言われるウィーンっ子は、伝統を頑なに守ってきた。今後も他の国ではシュトラウス・ファミリーの音楽が変わっても(おそらくもっとスマートになると思われる)、ウィーンのオーケストラが奏でるそれはほとんど変化しないのだろう。もっとも、ウィーン交響楽団やウィーン放送交響楽団が必ずしも巧いウィンナ・ワルツやポルカを奏でるかというとそうでもないのだが。両オーケストラ共に実演に接したことがあり、アンコール演奏でシュトラウス・ファミリーの作品を取り上げていたが、普段はウインナ・ワルツやポルカをほとんど演奏していないため、共に荒めであった。ウィーン・ヨハン・シュトラウス管弦楽団創設当初はオーストリア放送交響楽団(現・ウィーン放送交響楽団)から参加したメンバーが多かったようだが、今はどうなのだろう。

 

指揮者のヴィルトナーはナビゲーターも務め、「(日本語で)みなさん、ほんま(で言葉に詰まってしまい、ポケットからアンチョコを取り出して)いらっしゃいませ(繋がっていないように思うが、多分、別の箇所を読んだのだろう)」と挨拶し、英語での楽曲紹介も行う。日本語コメントでは、「おおきに」など大阪の言葉をなるべく入れるようにしていた。

楽団員が声を出す曲も多く、ヴィルトナーも、「ウィーン気質」では得意と思われるヴァイオリン弾き振りを行った。ヨハン・シュトラウスⅡ世の楽曲はヴァイオリンが甘美な旋律を奏でる曲が多いが、ヨハン・シュトラウスⅡ世が最も得意とした楽器がヴァイオリンだから、というのはこうして視覚で確認すると一層納得がいく。
数年前にザ・シンフォニーホールで、別のニューイヤーコンサートのアナウンスを女性スタッフが行っていたのだが、「ウィーン気質」を「ウィーンきしつ」と読んでいた。「きしつ」とも読むが、「気質」が「かたぎ」と読まれなくなる日が来るのかも知れない。

レハールのワルツ「金と銀」は日本で特に人気のある曲として知られる。立体感と生命力のある演奏に仕上げてきた。

ポルカ「雷鳴と稲妻」は、スネア(片面シンバル兼任)とティンパニを両端に据えたのが効果的で、視覚的にも楽しめるものになっていた。

ヴィルトナーは、「ピッチカート・ポルカ」のみノンタクトで指揮する。

「美しく青きドナウ」であるが、この曲だけミスが目立つ。大きなミスではないが3つほど。何度も演奏しているだけに却って隙が生まれやすいのかも知れない。

 

アンコール演奏であるが、4曲ある。
まず「一月一日」の管弦楽編曲版。勇壮な感じである。演奏が終わった後で、楽団員全員が「あけましておめでとうございます」と新年の式辞を述べる。

2曲目は、H・C・ルンビェの「シャンパン・ギャロップ」。打楽器奏者が、空気砲使っておひねりか何かを客席に発射する。楽曲自体は余り記憶に残る類いのものではなかった。

3曲目は、エデュアルト・シュトラウスの「テープは切られた」。打楽器奏者がオーストリアの車掌の制帽を被り、「次は大阪、大阪」とアナウンスしてスタートする。打楽器奏者は、汽笛という汽笛の音を出すためだけの楽器も吹く。軽快な走りを見せる曲であった。

最後はお馴染み、ヨハン・シュトラウスⅠ世の「ラデツキー行進曲」。ヴィルトナーは時折客席の方を見て軽く指揮。「下手側のお客さんだけ」「上手側のお客さんだけ」もやりたかったようだが、聴衆は追いつけなかった。

ヴィルトナーとウィーン・ヨハン・シュトラウス管弦楽団の楽団員は最後はステージの真ん中に向かって一礼。意味は分からなかったがよくやっている習慣なのだろう。あるいはヨハン・シュトラウスⅡ世に向かっての敬意だったのか。

今日は2700人収容のフェスティバルホールがほぼ満員。休憩時間にはザッハトルテが当たるプレゼントコーナーがあったのだが、当選者は10人。ヴィルトナーがおどけながらくじを引く。同じ階の同じ列の人が当選していたが、2700分の10では、やはり当たるのは難しかった。

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