カテゴリー「野球」の225件の記事

2021年4月27日 (火)

観劇感想精選(394) 井上芳雄主演「十二番目の天使」

2019年4月26日 西宮北口の兵庫県立芸術文化センター阪急中ホールにて観劇

午後6時30分から、兵庫県立芸術文化センター阪急中ホールで「十二番目の天使」を観る。原作:オグ・マンディーノ、翻訳:坂本貢一、台本:笹部博司、演出:鵜山仁。出演:井上芳雄、栗山千明、六角精児、木野花、辻萬長ほか。東宝と新潟市のりゅーとぴあの製作。

ビジネスマンとして活動しつつベストセラー作家にもなったオグ・マンディーノの同名小説の舞台化である。

ジョン・ハーディング(井上芳雄)は、三十代にして大手コンピューター会社の社長にまで上り詰めたエリート。子供の頃から地元の英雄視されており、大学で怪我をするまではメジャーリーグのスカウトからも注目されるほどの野球選手だった。

前途洋々に思えたジョンの人生だが、妻のサリー(栗山千明)と息子のリックを事故で喪ったことで希望を失い、社長の座を辞することを決める。辞任は認められず、4ヶ月の休職が決まったが、心は晴れず、拳銃自殺をしようとまで思い悩むが、幼馴染みのビル(六角精児。「俺たちは同級生だ。誰も信じてくれないけど」というセリフあり)から「リトルリーグの監督にならないか」と誘われる。

リトルリーグは1チーム12人の編成で行われる。ジョンが監督になったエンジェルスは4つのチームからなるリーグに所属しており、選手獲得はウェーバー制によって行われる。

4チームの監督がくじを引き、1を引いた監督が最初の選手を指名することが出来るが、2巡目は逆に1を引いた監督が4番目に指名することになり、1を引いたジョンは投打に長けたトッドを獲得するが、12巡目の最後まで残ったティモシーも引き取ることになる。リトルリーグのルールではベンチ入り12人全員が1試合に1度は出場しなければならず、1度は必ず打席に入り、6つのアウト分は守備につかねばならない。つまり上手い子だけ出すのは駄目で全員を戦力として育てる必要がある。
ティモシーは亡くなった息子のリックにそっくりだが、1年前までサッカー大国のドイツで暮らしていたということもあって走攻守全てで劣る存在。ただ前向きでひたむきで、「諦めるな諦めるな、絶対、絶対、絶対諦めるな」(ウィンストン・チャーチルのモットーとしても有名である)「日々なにもかもが良くなっている」を信条に懸命に練習に取り組んでいた。

 

オグ・マンディーノは自己啓発系の小説を書く人であり、いかにもそれらしい展開とセリフが鏤められている。小説の舞台化ということで内容を観客に知らせるためのナレーションが多く、余り演劇らしくないが、その手法を取らないと上演時間が恐ろしく長くなってしまうため、こうした端折り方も納得のいくものではある。

ストーリー自体はこれまで映画やドラマなどで何回も観たことのある類いのものであり、特にひねりもないため既視感を覚えるが、野球を主題にした作品ということで野球好きにとっては悪くない芝居である。

井上芳雄主演の舞台ということで、ラストに井上が歌う場面が用意されている。ほかのキャストも合唱で参加し、なかなか楽しい。

 

終演後、井上芳雄、栗山千明、六角精児によるアフタートークがある。「先ほどまで、皆さんお気づきだと思いますが、一番セリフの量が多かった私、井上芳雄が司会を務めるという光栄に浴しまして、愚痴を言ってるわけじゃないですよ」ということで井上芳雄を中心に話を進める。

六角精児は姫路生まれということで、客席に向かって「ただいま!」とやる。生後6年ほどは兵庫県内に住んでいたそうだ。井上芳雄が香川県生まれの福岡県育ちであり、今回は香川公演と福岡公演があったため、両方で「ただいま!」と言ったそうで、その影響を受けてのことらしい。井上芳雄は、「香川生まれということはむしろ隠して、福岡県出身としておいた方がメジャーなので」と冗談を言う。今回は、栗山千明の出身地である茨城県でも公演があったのだが、香川公演よりも先で、「私ごときがやっていいのか」と思っていたため、「ただいま」発言はしなかったそうである。
ちなみに香川県から福岡県に移動する際、大半の人は岡山まで出て新幹線で博多に向かったのだが、六角は地方列車に乗るのが好きということで、JR予讃線で松山に向かい、道後温泉で一泊。その後、八幡浜に向かい、船で臼杵に渡って大分経由の在来線で福岡入りしたそうである。

名古屋では井上がラストで歌うときのためのこめかみにつけるマイクが汗によって駄目になるというハプニングがあり、代わりとして普通のハンドマイクを渡されたそうだが、溶明時にいきなりマイクを持っているのは変だとの判断から腹の前まで下げてボールで隠しながら歌ったそうである。それでも案外ばれなかったそうだ。

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2021年4月12日 (月)

スタジアムにて(34) J1 京都サンガF.C.対ジェフユナイテッド千葉@西京極 2009.5.17

2009年5月17日 京都市西京極総合運動公園陸上競技場兼球技場にて

西京極総合運動公園陸上競技場兼球技場(西京極スタジアム)で行われるJ1、京都サンガF.C.対ジェフユナイテッド千葉の一戦を観に出かける。

が、その前に、今日は隣りの西京極球場(わかさスタジアム京都)で京都府春季高校野球大会の決勝戦があり、ストレートのMAX145キロを誇る福知山成美高校の好投手・長岡宏介が登場するというので、それをまず観ることにする。

福知山成美高校対京都両洋高校の一戦。小雨が断続的に降り続くという生憎の天気だったが、決勝戦、長岡の先発ということもあってか、西京極球場には思ったよりかなり多くの観衆が集っている。

福知山成美・長岡、京都両洋・釣井(ちょうい)両投手の好投で、引き締まったゲームとなる。だが、1-1で6回表を終えたところで雨足が激しくなり、試合は中断する。時間は午後1時20分。西京極スタジアムに向かうのに丁度良い時間だったということもあり、ここで私は球場を後にする。

試合はそのまま降雨のためノーゲーム、再試合となったようだ。

 

 

今日は西京極スタジアムのバックスタンドでの観戦。午後2時5分、京都サンガ対ジェフ千葉の試合がキックオフ。雨の降る中、序盤から京都が試合を優勢に運ぶ。

昨年はアキレス腱の断裂でシーズンを棒に振ったサンガのエースストライカー、パウリーニョが今年は元気に復帰。得意のスピードを生かした突破で今日もチャンスを作る。

前半、そのパウリーニョが先制点、更に2点目も決める。

 

後半に入ると、ジェフが押し気味となり、サンガサイドで試合を展開する時間が多くなる。後半20分、ジェフのエースストライカー巻誠一郎が、サンガゴールにボールを押し込み、2対1。

その後、サンガ、ジェフともに好機を作るがシュートは決まらず、そのまま2対1でサンガが逃げ切り、勝ち点3をものにする。 

 

雨のスポーツ観戦

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2021年3月18日 (木)

スタジアムにて(32) オリックス・バファローズ対東京ヤクルトスワローズ オープン戦@京セラドーム大阪 2021.3.9

2021年3月9日 京セラドーム大阪にて

京セラドーム大阪で、オリックス・バファローズと東京ヤクルトスワローズのオープン戦を観戦。午後6時プレーボールで、京セラドームにはプレーボール直前に到着。昨年は、オープン戦の大半が新型コロナウイルス蔓延の影響で中止もしくは無観客試合となり、交流戦も開催されなかった。ということで、久々となる球場でのプロ野球観戦である。

京セラドーム大阪でも入場前の検温を受ける必要があるのだが、ゲートの前では手荷物検査もある関係で行うことが出来ず、いったん1階に降り(入場ゲートは2階にある)、搬入口のそばにあるバス乗降場に行ってサーモグラフィーによる検温を受ける必要があり、面倒である。京セラドーム大阪は、ジャアンツ戦とタイガース戦以外は不入りなので(コロナがない時でも観客動員は定員の半分に満たないはずである)、検温もすぐに終わったが、人気チームが主催試合を行う時は、かなりの密になるはずである。

 

スワローズの先発はスアレス、バファローズの先発は左腕の田嶋大樹。

スアレスはMAX154キロのストレートで押すが、コントロールが今ひとつで、初回は先頭の佐野に二塁打を打たれると、その後2者連続のフォアボールを与え、いきなり満塁のピンチ。4番の吉田はサードゴロでホーム封殺となるがゲッツーはならず。続くモヤのファーストゴロがゲッツー崩れとなる間に先制点を許した。
一方の田嶋は、ストレートのスピードガン表示こそ140キロ前半止まりだが、コントロールは抜群のようで、スワローズのバッターがコース一杯を見逃してストライクを取られる場面が目立つ。

1番ライト・坂口、2番レフト・青木、3番セカンド・山田、4番サード・村上というシーズンでもそのままの打順になりそうな打線ではあるが、オープン戦ということで村上以外は早い回で出番は終わり、若手が多く試される。バファローズもソフトバンクから自由契約となり、育成としてバファローズに入団した田城を出場させるなど、特に新人の力量を見る場となっていた。
スワローズは5番DHでホークスから来た内川聖一が先発出場。4回表には三遊間の中間を綺麗に抜けていくヒットを放った。

スワローズは、3回にショートの西浦がレフトスタンドへのソロホームランを放ち、同点に追いつく。通常は点が入ると「東京音頭」が歌われるのだが、今日は歌うことも楽器を演奏することも禁止されているため、無音の中を傘だけが舞っていた。
ライバルであった廣岡大志がジャイアンツにトレードで出されたことにより、ショートの単独レギュラーに近づいた西浦直亨。春先はいつも調子が良く、昨年も6月にずれ込んだが開幕当初は「覚醒」を感じさせる活躍を見せるも続かなかった。

 

スワローズは、T-岡田や吉田正尚といった左の強打者をランナーなしで迎えた場面で、サードの村上宗隆を一二塁間に移動させるという変則シフトを取る。王シフトに代表されるように、左の強打者を迎えた時にポジションを右寄りにするのは特に珍しいことではないが、その場合は、全ての内野手を打者から見て右寄りにするのが普通で、サードをサードではなくセカンドよりファースト寄りの位置に置くというシフトは珍しい。今日は三度行われたこの変則シフトであるが、残念ながら功を奏したことは一度もなく、T-岡田と吉田に安打を1本ずつ許す。
ダイヤモンドを何度も横切った村上であるが、バッティングでは4打数4三振、守備でもゴロは上手く捌いたが悪送球でピンチを生むなど、今日は良いところがなかった。

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投手陣も調整段階ということで、通常とは違う使い方が行われる。4回裏からは、今年もクローザーを務めることが予想される石山泰稚がマウンドに上がる。ストレートはまだ本来のキレには達していないようであった。

スワローズは5回裏に、ドラフト2位ルーキーの左腕、山野太一をマウンドに送る。野球の強豪、東北福祉大学で70イニングス連続無失点の記録を作り、22勝無敗の成績を上げている。
今日は山野のテストが最重要課題だったようで、3イニングスのロングリリーフとなる。
MAXは148キロを記録するが、スピードガン表示ほどには速く感じられなかったため、ホームベースに達する途中でスピードが落ちているのかも知れない。コントールは余り良くないようで、引っ掛けてワンバウンドになった球がいくつかあった。
フォアボール絡みで3回3失点と、出来としては今ひとつ。即戦力として獲ったはずだが、このままだと今年は通用しないかも知れない。

スワローズの今日の収穫は、昨年、最優秀中継ぎ投手に選ばれた清水昇。140キロ台半ばながら伸びの感じられるストレートで追い込み、ウイニングショットにフォークという投球パターンで8回を三者三振に打ち取り、スタンドからも拍手を受けていた。

7回、ヤクルトの攻撃前に、1塁側スタンドから拍手が起こる。メジャー帰りの平野佳寿がマウンドへと向かっていたのである。これが日本球界復帰初登板となるようだ。
若い頃は150キロを超えるスピードボールで押した平野。昨日37歳の誕生日を迎えたということもあり、スピードガン表示はMAX146キロに留まるが、球には今も勢いがある。

試合は4-1でバファローズの勝利。スワローズは主力は早めに下げたとはいえ、3本しか安打を放つことが出来ず、若手の層がまだまだ薄いことが感じられる。

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2021年3月 3日 (水)

野村克也が明かす「古田敦也とメガネ」の真相(『ヤクルトスワローズ論』より)

「よく知られていることだが、古田は捕手なのにメガネをかけているということで、ドラフトの指名に二の足を踏む球団が多かった。野茂英雄や石井丈裕などをリードして、ソウルオリンピックで銀メダルを獲ったアマ有数の捕手だったのに、メガネが引っかかってしまったのだ。
 世間では、私(引用者注:野村克也)もメガネを理由に古田の指名に反対した、などと言われている。それをスカウトが説得して二位で指名して入団にこぎつけた、といった話が広がっているようだ。しかし、これはとんでもない誤解、いや捏造だ。
 ガラスのレンズしかなかった昔ならいざ知らず、プラスチック製で割れにくいレンズが出たことで、メガネが支障になる心配はほとんどなかった。そもそも私自身がメガネを使っているのだから、そのことに気づかないはずがない。
 きっと、のちの名捕手・古田を獲得したことを手柄にしたい者がいて、そのダシに私が使われたのだろう。つまらない話である」

野村克也 『ヤクルトスワローズ論』(MdN新書)より

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2020年10月27日 (火)

スタジアムにて(29) 読売ジャイアンツ対東京ヤクルトスワローズ@大阪ドーム 2006.4.19

2006年4月19日 大阪ドーム(京セラドーム大阪)にて

京阪電車と大阪市営地下鉄を乗り継ぎ、大阪ドームで読売ジャイアンツ対東京ヤクルトスワローズ戦を観戦。もちろん3塁側(ヤクルトサイド)に座ったのだが、大阪ドームを埋める観客の9割近くはジャイアンツファンであり、ヤクルト応援団はレフト側の外野2階席の一部を占めるのみである。
一方、1階外野席と2階外野席のライト側、そしてレフト側の中間付近までは全てジャイアンツの応援団である。やはり人数が多いだけあって、声の迫力は耳を圧せんばかりである。特にチャンス時の声援は、ドームを揺るがすほどのパワーがある。

巨人軍の先発は尼崎出身の野間口貴彦。東京ヤクルトの先発は5年連続2けた勝利を狙う石川雅規。

野間口は初回から乱調。先頭打者の青木宣親にフォアボールを出す。真中満のヒットと岩村明憲の犠飛で三塁を陥れた青木は、ラミレスの犠牲フライで生還。ヤクルトが1点を先制する。

その後も、野間口は再び青木を歩かせると、完全にモーションを盗まれて二盗を許す。キャッチャー阿部慎之助が送球体勢に入った時にはすでに青木は二塁ベースに達していた。ヤクルトは続く二人が立て続けに犠牲フライを打って、ノーヒットで2点目を奪う。

原辰徳監督の采配にも疑問が残る。ピンチでヤクルトの8番バッター、キャッチャー米野智人を迎えた場面が二度あった。米野は打率1割台のバッターである。しかし、ここで原監督は2回とも米野との勝負を避けて敬遠のフォアボールを与え、続くピッチャー石川との対決を選んだ。
野間口はコントロールがどうしようもなかったので安全策としてわかるが、原監督は二番手の久保にも米野を歩かせるよう指示を出した。慎重といえば慎重だが、弱腰采配であることは否めない。ピッチャーにしてみれば全く信頼されてないことがわかってしまい、士気に影響が出る。結果、巨人は出るピッチャーがことごとく打ち込まれ、8失点。ピッチャー心理を読めなかった原監督のミスだろう。

東京ヤクルトの先発・石川雅規は、スピードはないがコントロールが冴え、徹底して低めを攻めて、ジャイアンツ打線を1点に抑える。
石川は7回まで投げ、8回からは木田優夫が古巣・巨人相手のマウンドに上がる。球に勢いがある。スピードガン計時もMAX148キロを記録したが、それ以上の球威を感じる。だが、かつての木田のストレートはこんなものではなかった。もう15年も前になるが、神宮球場でのヤクルト戦(当時、木田は巨人に在籍)でブルペンで投げる木田を見たことがあるが、彼の投げたボールは生き物のように勝手に飛んでいくように見えた。人間が投げたボールとは思えなかったほどだ。今日の木田のストレートもスピードガンでの表示は以前と余り変わらない。しかし投げる球の質が変わってしまったようだ。木田はワイルドピッチで1点を失う。しかし、スコアは8対2。8回裏が終わった時点で、観客はどんどん帰り始める。

スワローズ最後のピッチャーは快速右腕・五十嵐亮太。MAXは149キロを記録。しかし生で見ると、ボールに勢いを感じない。スピードはあるのだが、伸びがないのだろうか。高めに投げた釣り球をあっさりと弾き返されたのがその証拠である。普通ならあのコースにあれだけの速さのボールを投げ込まれたら絶対に空振りするはずなのだが。それでも五十嵐はなんとか0点に抑える。8対2で東京ヤクルトスワローズの完勝であった。

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2020年9月30日 (水)

スタジアムにて(27) 桑田真澄VS一場靖弘 NPBオープン戦@大阪ドーム 読売ジャイアンツ対東北楽天ゴールデンイーグスル 2006.3.10

2006年3月10日 大阪ドーム(京セラドーム大阪)にて

大阪へ。大阪ドーム(公式戦時には「京セラドーム大阪」と名前を変える予定」)で、プロ野球オープン戦、読売ジャイアンツ×東北楽天ゴールデンイーグルスの戦いを観戦する。

原巨人と野村監督との因縁の対決。先発は巨人がベテランの桑田真澄、楽天が2年目の一場靖弘。いずれも昨年は期待されながら、桑田は1勝も出来ず、一場もわずか2勝に終わっている。二人とも勝負の年だ。

ピッチングは対照的。

桑田はコーナーを丁寧につく。ピッチャーがセットポジションを取った時に真っ正面になる三塁側内野自由席に座ったので、変化球は何を投げているのかわからなかったが、ストレートはMAX139キロを計時。年齢と3月という時期を考えると良い仕上がりだ。
一場は150キロを超えるストレートでぐいぐい押す。巨人のバッターは一場のストレートをなかなか芯で捉えることが出来ず、カットするのが精一杯であった。

先制したのは楽天イーグルス。西武から移籍のフェルナンデスがレフトスタンドにアーチを架ける。5回を終えて、1対0で楽天がリード。桑田は5回でマウンドを降りた。オープン戦ということで、6回以降は若手と一軍当落線上の選手が試される。しかし、両チームとも厳しいようだ。桑田の後を受けた佐藤宏志は、元阪神の沖原にソロホームランを浴びる。楽天も一場が6回を零封したことのみが収穫。リリーフ陣はいずれもスピードやコントロールに難があることを露呈した。ノムさんもさぞぼやいたことだろう。

巨人も楽天もベテランだけが活躍している。オープン戦とはいえ、いやオープン戦だからこそこれではまずい。

巨人は1点を返すのが精一杯。ドラマらしいドラマも見せ場もなく、正直言って退屈な試合だった。巨人戦にしては余り入りの良くない試合だったが、両チームともふがいない展開を見せ始めたためか、7回を終えた時点で帰る人が続出。その後も席を立つ人は後を絶たない。

巨人も楽天も優勝の可能性はほぼないと見た。巨人は今年は国産大砲が小久保しかいない。イ・スンヨプもディロンも通用するかどうかはわからない。何より、生え抜きの大砲がいないというのが苦しい。戦力、人気ともに影響しそうだ。

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2020年5月25日 (月)

コンサートの記(637) アジアオーケストラウィーク2004 本名徹次指揮ベトナム国立交響楽団

2004年10月6日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

ザ・シンフォニーホールでベトナム国立交響楽団の来日演奏会を聴く。アジアオーケストラウィーク2004参加団体として招聘されたもの。指揮は本名徹次。本名は2001年からベトナム国立響のミュージック・アドバイザーを務めている。ベトナム国立響は1959年の創設。最初のコンサートでホー・チ・ミン(胡志明)が指揮台に上がってベトナム国歌を指揮したという何とも社会主義なエピソードを持つ。本拠地は首都ハノイ。ハノイは漢字では河内と書く。かなり大阪っぽい。

ベトナム国立響というと大分前にテレビのドキュメンタリーで日本人指揮者、福村芳一を相手に演奏に苦戦している姿が流された。

ということもあって今回は不安だったのだが、杞憂に終わった。世代交代が進んだようで、メンバーは若い。昨日のソウル・フィルは女性メンバーが全員、ドレスではなくスーツで登場したのが印象的だったが、ベトナム国立響の女性メンバーはドレスだったり民族衣装風だったり様々だ。

弦には輝きがある。たまに雑然とした感じになるのは仕方ないだろう。管はやや不安定だ。

第1曲はド・ホン・クァンの「ベトナム狂詩曲」。面白い曲だがやや長い。後半になるとだれた感じがする。

2曲目はショスタコーヴィチのヴァイオリン協奏曲。ソリストは1981年生まれの若手、ブイ・コン・ズイ。曲自体は渋いものである。ソヴィエト当局の妨害に遭い、初演は7年も遅れた。ブイのヴァイオリンは昨日のヤン・ソンウォンとは正反対でテクニックを前面に押し出す。いかにも熱演という感じだが、力任せの感じは否めず。ずっと攻めのヴァイオリンなので聴いていて疲れるところがある。


メインもショスタコーヴィチ。交響曲第5番。いうまでもなく交響曲としては20世紀最高のヒット曲である。最近、生でショスタコーヴィチを聴く機会が多くなった。それも第5だけでなく、第10、第11などがプログラミングされる。ショスタコーヴィチの大ブレイクはもうそこまで来ている気がする。

冒頭は音に厚みが不足しているが、煌びやかさはあるし、構築もまずまずである。第2楽章はアイロニカルな表情が生きている。第3楽章も悪くはないが、歌にやや不足。表情ももっと豊かに出来るはずだ。第4楽章、トランペットが落ちる。本名のテンポはかなり速い。トランペットが落ちてからは更にテンポを上げる。この楽章がこれほど速く演奏されるのを聴くのは初めてである。ラストも重みがもう少しあればいいと思ったが、このオケの現状を考えるとよくやったと思う。国立のオケとはいうものの財源が不足しているため、メンバーの多くはアルバイトをしながらリハーサル、本番をこなすという。

アンコールではベトナムの曲と、大阪での演奏会ということで「六甲おろし」が演奏された。

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2020年5月 4日 (月)

キーオのさして厳しくないコースに投じたカーブを不器用に避けるポンセ。最後はデッドボールになりますが、解説は……




ちなみに二塁にいるのが、キーオのカーブを「最高」と讃えた高木豊です。
キーオのカーブ(中指一本で曲げるので原理的にはナックルカーブ)は、右バッターは「頭に当たる!」と思って避けてしまうそうですが、それがこの映像でよく分かります。

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高木豊がマット・キーオのカーブについて語った場面(BASE BALLチャンネルby高木豊)より

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2020年2月12日 (水)

追悼・野村克也

名捕手、名監督として活躍した野村克也が死去。84歳。「名選手必ずしも名監督にあらず」とよくいわれるが、その言葉は野村には当てはまらない。

現在の京都府京丹後市生まれ。母子家庭で育った上に母親は病気がちで赤貧といってもいい家庭で生まれ育った。高校は峰山高校に進学。その地方では進学校であるが、そのため野球部は弱く、野村もプロから注目されることはなかった。経済事情から進学は無理であり、野村は母親を助けるためにプロ野球入りを志す。捕手陣が弱いとみた南海ホークスの入団テストを受験。評価はかなり微妙なものだったようだが、「カベ(ブルペン捕手のこと)が足りないから」という理由で合格。契約金は0で、全くといっていいほど期待されてはいなかった。入団後、初めてご馳走になったハヤシライスの味に感動。「世の中にはこんなに美味しいものがあるんだ。プロで成功すれば、こうしたものが毎日食べられる」ということで、真剣に野球に取り組む。捕手としては肩が弱いのが難点であり、遠投などで鍛えたが、晩年になると肩は衰える。そこで投手陣と共に今でいうクイックモーションとの連携を生み出すことで盗塁を阻止するなど現役時代から創造力に長けていた。打撃面も投手の癖や配球の読みなどを駆使して上昇。4年目にして初めて本塁打王のタイトルを獲ると、1963年には当時の日本記録となるシーズン52本塁打を記録。これは現在でも日本人選手2位の記録である。1964年には、最高打率(首位打者)、本塁打王、打点王を独占するいわゆる三冠王となる。史上初の三冠王となるはずだったが、記録の見直しが行われ、二期制だった戦前の中島治康の記録が通年で三冠王と見做されるようになり、二番目の三冠王となった。以後、野村は「二番目」に縁のある野球人生を送るようになる。
通算本塁打、通算安打数、通算打点、出場試合数はいずれも歴代2位。本塁打と打点の通算1位は王貞治、通算安打(NPBでの記録のみ)の1位は張本勲、最多出場記録保持者は谷繁元信である。「王がいなければ俺が1位だったのに」とぼやいたことは有名だが、ONを太陽のようなヒマワリ、自身を日本海側の月見草に例えた野村らしい渋さを感じさせる記録である。

南海のプレイングマネージャー時代には、阪神タイガースを事実上追放されて南海に移籍した江夏豊をリリーフ専門に転向させて結果を出す。それまでにもリリーフ専門のピッチャーはいたが、リリーフを確立させたのは野村と江夏とされている。南海球団と決裂した後は、ロッテ、西武と渡り歩いて45歳で現役を引退。野球解説者となる。解説者時代にはテレビ画面の隅に映し出されるストライクゾーン9分割の「ノムラスコープ」を用いての配球を予測する解説が話題となった。私が野村克也の存在を意識したのはこの解説者時代である。野村は予言者ではないし、そもそも一人の読み通りに配球が行われたら滅多打ちに遭うため、ノムラスコープは必ずしも成功したとはいえなかったが、ある意味、ID野球の到来を人々に感じさせたのがこの時代かも知れない。

1990年から、それまで長らく下位に甘んじてきたヤクルトスワローズの監督に就任。ファミリー球団と呼ばれ、若手が伸び伸びとプレーしていて魅力的ではあったがそのために弱かったスワローズに勝つ精神とID野球を叩き込む。ドラフト面では投手の補強を重視。
「一番打ちにくいのはとにかく球の速いピッチャーだ」ということで先発候補の本格派投手を中心に獲得。奪三振マシーン、石井一久らがドラフト1位で入団している。外国人投手も速球派を揃えた。抑え投手としては右サイドハンドの高津臣吾にシンカーの習得を命じて球界最高の守護神に育て上げる。スワローズは選手層が薄いため、他チームを解雇になった選手も積極的に獲得し、エース級・主力級へと再起させたため、「野村再生工場」という言葉が生まれた。
正捕手にはいわずと知れた古田敦也。ID野球の申し子である。古田は野村以来となる捕手としての首位打者を獲得している。それまで捕手をしていた飯田哲也を最初セカンドへ、その後センターへコンバートし(飯田哲也の応援歌の歌詞は「キャッチャー、センター、セカンドどこでも守れる 足ならだれにも負けない韋駄天飯田」というものである)切り込み隊長とした。更に池山隆寛、広沢克己という和製大砲2門を備えた打線は90年代最強といっても過言ではなかった。

一方で、長嶋茂雄を監督に頂くジャイアンツを度々挑発。「伝統の一戦」巨人対阪神戦に対抗する形で、「因縁の対決」ヤクルト対巨人戦を演出し、セ・リーグを盛り上げる。
1991年に3位でAクラスに入ると、翌92年には14年ぶりとなるリーグ優勝を達成。日本シリーズでは西武ライオンズとプロ野球史上に残る死闘を演じるも日本一はならず。エースの岡林洋一の酷使が話題となった。

92年のドラフトで、スワローズは松井秀喜を指名する予定であったが、スカウトが強く押す伊藤智仁の指名を野村が支持し、直前での指名切り替えとなる。競合の末獲得した伊藤智仁は翌93年に高速スライダーを武器に旋風を巻き起こす。
だが、岡林にしろ伊藤智仁にしろ酷使が指摘されており、投手分業を確立させた野村ではあったが、勝利の味には弱かったようである。
スワローズの監督として優勝4度。日本一には3度輝き、日本一回数をセ・リーグに2位に押し上げるという、野村らしい仕事を成し遂げた。
その後、阪神タイガーズの監督に招かれるが、ドラフトに野村の意向が反映されなかったということもあって成績は残せぬまま、夫人の不祥事で退任することになる。レギュラーに決定しているのは新庄剛志だけという層の薄いチームであったが、野村は後に「ミーティングでヤクルトの選手は話を良く話を聞いてくれた。楽天の選手もまあ聞いてくれたが、阪神の選手は話を聞こうとしない。しきりに時計を気にしているが、この後、タニマチとの約束でもあるのか」と述懐しており、チーム体質に問題があったようである。後任には「怖い人がいい」ということで星野仙一を推した。野村の推挙はその後、実を結ぶこととなる。

社会人野球のシダックスの監督として武田勝(のち北海道日本ハムファイターズ)らを育てた後で東北楽天ゴールデンイーグルスの監督に就任。「神の子」と呼ぶことになる田中将大を育てた。

南海時代の背番号は19であるが、監督時代も足して10になる番号を好んでつけている。

最近では、1ヶ月に1冊というハイペースで著書を出す生活が続いた。昨年はヤクルトスワローズのOB戦に監督として出場。教え子達に支えられながら打席にも立つ。高齢のためバットを本気で振ることは不可能で、対戦を終えずに相手チームの若松勉監督による申告敬遠ということでベンチへと引っ込んだが、これが生涯最後の打席となった。

 

昼食は、予定を変更して、京都芸術センター内にある前田珈琲明倫店で赤味噌ハヤシライスを注文。野村監督のことを思いながら食べた。
野村克也とハヤシライスの話は、結構有名なものだと思っていたが、Googleで検索しても余りヒットせず、今となってはレアなエピソードであったことを知る。その後、野球記者などが野村克也追悼としてハヤシライスの話などを挙げていた。

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