カテゴリー「文学」の221件の記事

2021年3月 1日 (月)

青空文庫 芥川龍之介 「アグニの神」&「妖婆」

「アグニの神」

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「妖婆」

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2021年2月22日 (月)

これまでに観た映画より(251) ロビン・ウィリアムズ主演「いまを生きる」

2021年2月20日

配信でアメリカ映画「いまを生きる」を観る。1989年の制作。シンセサイザーを使ったモーリス・ジャールの音楽が時代を感じさせる。ピーター・ウィアー監督作品。ロビン・ウィリアムズ主演作。脚本のトム・シュルマンが、第62回アカデミー賞で脚本賞を受賞している。内気な少年、トッド・アンダーソン役でイーサン・ホークが出演。ニール・ペリー役のロバート・ショーン・レナードとイーサン・ホークは後に劇団を結成したりもしたようだ。

1959年、バーモント州にある名門寄宿学校、ウェルトン学院(ウェルトン・アカデミー)が舞台である。卒業生の約75%がアイビーリーグ(アメリカの大学に詳しくない人のために、字幕では「8名門大学」と訳されている。ハーバード大学、イェール大学、プリンストン大学、ブラウン大学、コロンビア大学、コーネル大学、ダートマス大学、ペンシルベニア大学の8つの東海岸北部の私立大学)に進むという進学校だが、ウェルトン学院に掛けてヘルトン学院(地獄学院)と生徒達に揶揄されるほど厳格な校風である。

ウェルトン学院に英語教師(日本でいう英語の教師ではなく、国語の教師とも違い、文学指導の先生である)、ジョン・キーティング(ロビン・ウィリアムズ)が赴任してくる。ウェルトン学院のOBであるが、それまではロンドンのチェルシーにある学校で教師をしていた。
ジョン・キーティングは、アカデミックな詩の教育ではなく、自らが主体となる文学を授けるべく、教室だけではなく、学校の廊下や中庭などでも独自の授業を開始する。人生の短さにも触れ、「いまを生きる」ことの大切さを生徒達に教え、自身のことも「キーティング先生」と呼んでもいいが、ホイットマンがリンカーンに捧げた「おお、キャプテン! 我がキャプテン!」にちなんで「キャプテン」と呼んでも良いと生徒達に伝える。生徒達はキーティングのことを「キャプテン」と慕い始める。

学年トップの成績を誇るニール(ロバート・ショーン・レナード)がキーティングがウェルトン学院に在学していた時の年鑑を見つける。ケンブリッジ大学に進学希望で、「死せる詩人の会」というサークルに所属していたことを知った生徒達は、詩の朗読や創作を行うサークルであった「死せる詩人の会」を復活させ、キーティング在籍時代の「死せる詩人の会」も根拠地としていた洞窟の中で自由な青春を謳歌する。内気な少年であったトッド・アンダーソン(イーサン・ホーク)も「その場にいるだけ」という条件で「死せる詩人の会」に参加する。

やがて「死せる詩人の会」メンバー達の生活に変化が起こる。ノックスは、他の高校に通うクリスという女の子(チアリーディングを行うなど、なかなか活発な女子のようである。演じるのはアレクサンドラ・パワーズ)に一目惚れし、彼女に捧げる詩を作る。
詩の創作に乗り気でなかったトッドもキーティングの前で即興で詩を作ることになり、内面が解放されていく。
ニールは、俳優になりたいという夢を見つけ、「真夏の夜の夢」の舞台公演のオーディションに参加、一番人気であるパック役に抜擢される。
だが、そうした自由さはウェルトン学院の校風にそぐわず、やがていくつかの悲劇が訪れることになる。

硬直した校風のエリート校に風穴を開ける教師と、それまでとは違った価値観を見出すことになる若者達の物語である。文学作品、特に詩が主軸となっており、実学とは異なり「人生を豊かにする」文学作品の素晴らしさが語られる。ただ一方で、文学作品の自由な解釈に関しては私は懐疑的で、内容を把握する努力を怠る危険性を感じたりもするのだが、21世紀に入ってから文学軽視の風潮は世界的により高まっており、こうした映画によって言葉で語り、表現し、受け取ることの素晴らしさを人々に広めて貰えたらとも思っている。

名門大学進学のために「今」を犠牲にする風潮も、私達の世代ほどではないが、現在も日本では根強い。実は青春時代に身につけておかなければならないことは勉強以外にも数多い。きちんと語り、受け取る技術もそれで、若い時代に身につけておかないと挽回は難しい。この映画が制作された1989年や舞台となった1959年とは比べものにならないほどの情報社会が訪れ、文章による伝達の機会も多くなったが、青年期に文学作品にきちんと向かい合う人が少ないため、極々初歩的なやり取りも成立せず、勘違いに勘違いが重なるケースが後を絶たない。「自分自身で考える」「自分の言葉を用いる」ということは、当たり前のようでいて実は難度はかなり高い。相手がいる以上、自己流を貫いてばかりでは伝達は成立しない。そこには人文的素養が必ず必要になってくる。

劇中で、キーティングが机に上に立って視点を変えることを奨励する場面が出てくる。ラストではキーティングはウェルトン学院を去ることになるのだが、彼の志は何人かの生徒に確実に受け継がれるであろうことが見て取れる。1年前に他界した野村克也は、後藤新平の「財を遺すは下、仕事を遺すは中、人を遺すを上とする」という格言を愛したが、キーティングは進学実績を残す前に学院を去るも人を遺すことには成功したのだ。人に教える人間としては、「上」であったと言える。

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2021年2月21日 (日)

観劇感想精選(385) 佐藤隆太主演 舞台「いまを生きる」(再演)

2021年2月13日 大阪・西梅田のサンケイホールブリーゼにて観劇

午後1時から、西梅田のサンケイホールブリーゼで、舞台「いまを生きる」を観る。ロビン・ウィリアムズ主演の名画の舞台化で、今回は再演となる。主演は佐藤隆太。

佐藤隆太主演の「いまを生きる」が再演されるという情報は得ていたのだが、チケットの取り扱いがイープラスとローソンチケットとぴあの電話予約だったということもあり、いつどこで上演されるのかまでは掴んでいなかった。先月、野村万作萬斎の狂言公演を観に行った際に、サンケイホールブリーゼエントランス近くのチラシコーナーで「いまを生きる」のチラシを見つけ、「佐藤君主演だったら観なきゃな。『エブリ・ブリリアント・シング』では良い経験させて貰ったし」というわけでイープラスでチケットを取った。

佐藤隆太も女性のファンが多い俳優だが、それに加えて、ジャニーズJr.のメンバーが出演するため、客席の大半は若い女性である。

今回の「いまを生きる」は、オフブロードウェイで上演された作品の日本語上演版である。「いまを生きる」には、生徒が自殺するシーンがあるのだが、映画から起こした台本を使って高校演劇として上演されたことがあり、その高校で数ヶ月前に自殺事件が発生していたため、「倫理的にどうか」と疑問視されたことがある。ただ、今回はそれとは別のバージョンである。

脚本:トム・シュルマン(映画版脚本。第62回アカデミー賞脚本賞受賞)、演出・上演台本:上田一豪(うえだ・いっこう。東宝演出部所属)。
出演は、佐藤隆太、佐藤新(ジャニーズJr.)、瀬戸利樹、影山拓也(ジャニーズJr.)、基俊介(ジャニーズJr.)、三宅亮輔、市川理矩、日向なる、飯田基祐、佐戸井けん太。

日本初演は2018年で、3年ぶりの再演となる。

舞台となるのは、アメリカ北東部、バーモント州にある寄宿学校(ボーディングスクール)、ウェルトン・アカデミーである。アイビーリーグに多くの生徒を送り出している名門校であるが、その手の学校にありがちなように、保守的で厳格な校風であり、教師や親からの「幸福の押しつけ」が起こりやすい環境である。
そこに赴任して来た新人英語教師(日本のように非英語圏の人に英語を教えるわけではないので、日本でいう国語教師に近い。ただアメリカには当然ながら本当の意味での古文や漢文などはないので、教えるのは文学作品中心である)のジョン・キーティング(佐藤隆太)。ウェルトン・アカデミーのOBである。初登場シーンでは、口笛でベートーヴェンの「歓喜の歌」を吹きながら現れる(原作映画では別の曲である)。まず最初の「詩とは何か」の定義で教科書に書かれていることを否定し、真の意味での優れた文学教育や人間教育に乗り出していく。ただ、寄宿学校に通う生徒の両親は、往々にして金持ちだが保守的で息子の進路を勝手に決めてしまうというタイプが多いため、ジョンのやり方は次第に非難を浴びるようになっていく。ウェルトン・アカデミーの校長であるポール・ノーラン(佐戸井けん太)も自由さや独自性を重視するジョンのやり方を問題視するようになっていった。

ジョンは、生徒達に詩作を行うことを薦める。最初の内は戸惑っていた生徒だが、次第にジョンに共鳴するようになり、クラスで首席を取りながら、親が決めた道に進まざるを得ない状況となったニール(瀬戸利樹)も、ジョンに触発されて以前から興味のあった俳優の仕事に興味を持ち、他校で行われる「真夏の夜の夢」のオーディションに参加、一番の人気役であるパックにキャスティングされて大喜びである。
ジョンは、生徒達に机の上に立って、視点を変えるといったような発想法の転換などを中心に教えていく。

思春期の男の子達ということで、一番の話題はやはり恋愛。寄宿学校は男子生徒のみであり、女子との接点は少ないのだが、ノックス(影山拓也)は、パーティーで知り合ったクリス(日向なる)に一目惚れ。何かと話題にしている。

男子生徒達は、ウェルトン・アカデミー在学時代のジョンに興味を示し、残された文集やデータなどから、ジョンがウェルトン時代に「死せる詩人の会」という詩の朗読サークルに所属していたことを知る。現在は残っていないサークルだったが、生徒達は再興することを決め、文学と自由を謳歌するようになるのだが……。

ニールは「真夏の夜の夢」に出て好評を得たが、父親のペリー(飯田基祐)から、俳優などやらず、ハーバード大学の医学部に進み、医者になるよう強制される。それが代々のペリー家の男子の生き方だったようだ。苦悩するニールは最終的には拳銃自殺を選んでしまうという、ヘルマン・ヘッセの『車輪の下』の系譜に列する作品でもあり、子ども達への「愛情」のあり方が問われている。

ジョンが最初に生徒に教えたのは、ホイットマンがリンカーン大統領の思い出に捧げた「おおキャプテン! わがキャプテン!」であり、ジョンも教師というよりキャプテンであることを生徒に印象づける。この「おおキャプテン! わがキャプテン!」は、亡くなったリンカーンを死にゆく船長になぞらえたもので、内容自体は不吉であり、ジョンのその後を予言する結果となっている。

結局、ジョンは、保守的な学校体制には勝てず、寄宿学校を去ることになるのだが、最後に生徒達は机の上に立ち上がり、「おおキャプテン! わがキャプテン!」と唱えて、ジョンを支持するのであった。

 

アメリカの学園もの映画の中では、「いまを生きる」以外に、リチャード・ドレイファス主演の「陽のあたる教室」なども好きなのだが、「陽のあたる教室」も日本でも舞台化されており、まだ東京に通っていた頃なので、私は世田谷パブリックシアターで観ている。主演は水谷豊で、大阪ではシアター・ドラマシティで公演が行われたようである。息子役が黒田勇樹であったのが良かったのか悪かったのか今となっては微妙に思える。

 

カーテンコールでは佐藤隆太が、本日の話し手として、リチャード・キャメロン役の市川理矩を指名。キャメロンは、生徒達が「おおキャプテン! わがキャプテン!」でジョンを讃えている時に、自己保身のため一人だけ立ち上がることの出来ない生徒なのだが、市川が「机の上に立ってみたかった」と言ったため、特別にキャメロンも立ち上がるバージョンのラストシーンが演じられることになる。途中で自殺してしまうニール役の瀬戸利樹も冗談で参加しようとするが、佐藤隆太が、「いや、ニールがいるのはおかしい」と突っ込んだためすぐに退場する。
キャメロンが机の上に立って、「おおキャプテン! わがキャプテン!」をやった時には、客席が若い女の子中心ということで、黄色い声や笑い声、拍手などが鳴り響いた。

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2021年2月20日 (土)

観劇感想精選(384) 大竹しのぶ主演「フェードル」(再演)

2021年2月13日 西宮北口の兵庫県立芸術文化センター阪急中ホールにて観劇

午後6時から、兵庫県立芸術文化センター阪急中ホールで、「フェードル」を観る。作:ジャン・ラシーヌ、テキスト日本語訳:岩切正一郎、演出:栗山民也。出演:大竹しのぶ、林遣都、瀬戸さおり、谷田歩(男性)、酒向芳(さこう・よし)、西岡美央、岡崎さつき、キムラ緑子。
ラシーヌ最後の戯曲であり、ギリシャ悲劇「ヒッポリュトス」を題材に、当時のフランスの世相などを加えて書き上げたという重層的構造を持つ作品である。大竹しのぶのフェードル、栗山民也の演出による上演は2017年に行われ、今回は再演となる。

オペラやミュージカル上演時にはオーケストラピットとなるスペースが、客席側の壁を取り払う形でしつらえられており、階段が2つ下りていて、大竹しのぶ演じるフェードルがピットの部分に下りて嫉妬心を語るシーンがある。また菱形を重ねた舞台装置であるが、登場人物がその縁スレスレを歩く場面があり、不安定感が表現される。また、ライトによって舞台床面に十字架のようなものが浮かぶ場面があり、フェードルが両手を伸ばして磔になったかのように見える仕掛けが施されていたりもする。

ギリシャのペロポネソス半島の街、トレゼーヌが舞台である。アテナイ(アテネ)の王であるテゼが消息を絶つ。テゼは勇猛果敢な王であり、数々の戦勝によって英雄視されているが、「英雄、色を好む」を地で行く人物であり、とにかく女癖が悪く、至る所に愛妾を設けていた。
現在のテゼの王妃がフェードル(ギリシャ悲劇ではパイドラという名前である。演じるのは大竹しのぶ)である。クレタ島の王家の出。ミノス王の娘で、ミノタウロスとは異母姉弟、そしてゼウスの孫にして太陽神の家系という複雑な環境に生を受けている。フェードルが恋路について、ミノタウルスが幽閉されたラビリンスに例える場面が劇中に登場し、テゼとアリアドネの話も仄めかされる。テゼはフェードルを寵愛し、フェードルを妻にして以降は女遊びも止めている。だが、そんなテゼがいなくなった。
フェードルにもテゼとの間に子どもがあるが、テゼと先の王妃、アンティオペとの間に生まれたのがイッポリット(林遣都)である。女であれば誰もが一目見て恋に落ちるほどの美男子だ。アンティオペはアマゾン国の女王出身であり(つまりアマゾネスである)、今はもう他界しているが、人々の話から激しい性格であったことが察せられる。そのためイッポリットは女を憎むようになっていた。イッポリットはテゼを探しに、この場所から外へと飛び出そうとしているのだが、侍臣のテラメーヌ(酒向芳)から、「どうも王が死んだようだ」と聞かされる。
フェードルも、イッポリットを一目見て恋い焦がれてしまったのだが、血は繋がっていないとはいえ、義理の親子であるため、近親相姦と見なされる可能性が高い。そのため、フェードルは敢えてイッポリットに冷たく当たり、イッポリットもフェードルの恋心に気づいてはいない。フェードルは、イッポリットへの恋の病で伏せるようになる。

イッポリットはイッポリットで、かつてテゼに反抗したアテナイ王族の娘で、今は保護観察処分となっているアリシー(瀬戸さおり)に恋をしている。こうして「片思いの連鎖」が生まれているのだが、イッポリットは男前なので、アリシーもイッポリットを恋慕っていた。アリシーは7人兄妹だったようだが、自分以外の6人は全てテゼによって殺害されたそうである。

さて、テゼが亡くなったとされたため、王位継承の候補として、フェードルの子、イッポリット、アリシーの3人が挙がる。フェードルは忍ぶ恋の相手だったイッポリットを選ぼうとし、最後は自分の思いを打ち明けてしまうのだが、イッポリットからは当然ながらというべきか色よい返事が貰えない。イッポリットはアリシーに王座を譲ることを考えていた。若者二人、恋の障壁といえば現在の身分の違いである。だが、もしアリシーがアテナイの女王となった場合、全ての障害は取り除かれる。
そんな時、テゼ(谷田歩)が生きており、まもなく帰還するという情報がもたらされる。その他の人物の努力が、このテゼの帰還によって水泡に帰する危険があった。

フェードルは、イッポリットへの復讐として、乳母で相談役のエノーヌ(キムラ緑子)と共に、イッポリットが自身を誘惑したという真逆の情報をテゼに伝えようと謀る。
だが、イッポリットが自分ではなくアリシーを愛しているということを知ったフェードルは嫉妬の炎に燃え上がる。

 

テゼが王宮を不在にしたことを発端として巻き起こる悲劇である。テゼがそのまま留まり続けていれば起きなかった悲劇とも考えることが出来る。
イッポリットは呪いによって命を落とし、エノーヌはフェードルの裏切りによって海中に身を投げるのだが、これらはギリシャ悲劇らしく伝聞によって語られる。悲劇は見えないところで起きるのだが、ラシーヌはフェードルの服毒死だけは舞台上で行われるようアレンジしている(原作ではフェーデルことパイドラが落命するシーンはないそうである)。ここがギリシャ悲劇とは違ったラシーヌらしさである。

かつてある映画(どの映画かは忘れてしまった)で、大竹しのぶと桃井かおりの二人の「魔女」と言われる女優が路上で喧嘩しているシーンを撮っている時に、本当に雷が落ちて、映画にもそのまま収められたという有名な話があり、監督が「魔女二人が一緒に画面に入っちゃ駄目!」と言ったという話があるが、今回の舞台は、大竹しのぶとキムラ緑子という二人の「魔女」系女優の共演となった。ただ王妃とその乳母という関係であり、一部を除いては激しいやり取りもなく、落雷も起こらず(当然だが)、キムラ緑子の悲哀の表現の上手さが引き立っていた。

余談だが、キムラ緑子が、「さんまのまんま」に出演したことがあるのだが、キムラ緑子は、明石家さんまの話をほとんど聞かず、思いついたことを即行動に移してしまうため、さんまが、「言葉のキャッチボールって分かる?」「良い女優さんって、どうしてみんな変なんやろ? 俺に大竹しのぶは無理やったんやわ」と嘆いていたことが今も思い出される。

タイトルロールを演じる大竹しのぶであるが、セリフが極めて音楽的である。大竹しのぶは舞台出演も多いため、接する機会も多いのだが、近年になってセリフがより音楽的なものへの傾斜していることが実感される。おそらく本人も意識しているはずである。
大竹しのぶは、女優だけでなく歌手としても活動しており、コンサートなども開いている。また、エディット・ピアフの生涯を描いた「ピアフ」では、タイトルロールとして見事な歌唱を聴かせ、評価も高い。ということで音楽と親和性の強い台詞回しの追求が可能な女優である。
今回の「フェードル」でも三連符の連続のような節回しや、バロック音楽の装飾音のように華麗な口調、声の高さによって操られる情感や業に至るまでの多彩な表現を繰り広げる。真に音楽として聴くことの出来るセリフであり、大竹しのぶはさながら「セリフのマエストラ」と称賛すべき存在となっている。音楽好きの人にも是非見て聴いて貰いたいセリフ術だ。ちなみに今最も人気のあるピアニストである反田恭平が、東京で「フェードル」を観たようで、Twitterで大竹しのぶの演技を絶賛していた。

子役から成長した林遣都。子役の時は、映画「バッテリー」でピッチャー役を務めており、そのことからも分かる通り運動神経抜群で、高校生の頃に箱根駅伝を題材にした映画に出演した際は、指導を行った桐蔭横浜大学陸上部の監督に才能を見込まれ、「進路はどうなってるの? うちに来ないか?」とスカウトを受けたという話が残っている。駅伝の選手になりたいわけではなかったので当然ながら断っているが。
今回もイッポリットを凜々しく演じているが、運動神経が良いので、それを生かした演技も今後見てみたくなる。

今回は「魔女」ではない役のキムラ緑子(そうした要素が全くない訳ではないが、他者によって伝聞として語られるだけであり、演技では面には余り出ない)。セリフなしで佇んでいるだけでも雄弁という、ザ・女優の演技で見る者を惹きつけていた。

 

カーテンコールでは、客席がオールスタンディグオベーションとなり、俳優達は何度も舞台に登場。最後は大竹しのぶが、「ありがとうしか言えないんですけれど。こんな状況の中、お越し下さって感謝しております」と語り、その後、観客だけではなくスタッフや関係者へのお礼を述べた後で、「でも一番は、客席に来て下さった方のために」と感謝を伝え、「演劇が永遠に続きますように。頑張ります」と言って締めた。

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2021年2月19日 (金)

これまでに観た映画より(250) 麻生久美子主演「ハーフェズ ペルシャの詩(うた)」(第20回東京国際映画祭にて)

2007年10月25日 東京・渋谷の東急Bunkamuraシアターコクーンにて

午前10時32分京都発の新幹線で東京に向かう。第20回東京国際映画祭コンペティション作品「ハーフェズ ペルシャの詩(うた)」を観るためである。

午後3時30分、シアターコクーン開場。シアターコクーン内に入ろうとする我々の横を逆方向(つまり劇場内)からふらりとやって来た若者数人が通り抜ける。その中の一人をよく見ると俳優の安藤政信であった。安藤政信、ふらりと普通に出てこないでくれ、驚くじゃないか。
「ハーフェズ ペルシャの詩」は、麻生久美子初となる海外進出作品であり、麻生久美子が上映終了後舞台挨拶に登場する。安藤政信と麻生久美子は友人なので、おそらく安藤政信は麻生久美子の楽屋を訪れていたのだろう。

「ハーフェズ ペルシャの詩」はイラン映画。アボルファズル・ジャリリ監督作品である。ジャリリ監督は映画「カンゾー先生」を観て麻生久美子に惚れ込み、長年に渡りオファーを続けてきたそうだ。麻生久美子は業界や同業者にファンが多いことでも知られるが、イラン人映画監督までファンになってしまうとは。何か凄いな。
麻生久美子は日本人ではなく、ペルシャ人を演じる。セリフもペルシャ語とアラビア語だ。ただし見た目はどう考えてもペルシャ人ではないので、ペルシャ人とチベット人のハーフという設定にしてある(ただ、後日確認したところ、イランには日本人風の見た目の人も多いらしい。麻生久美子のイラン旅行記も読んだが、親日家が多く、日本語が出来る人も珍しくないそうである)。

内容は難解ではある。説明をなるべく省くというスタイルを取っているからだが、非常にロマンティックで愛らしい作品だ。

コーランを暗唱出来る聖人のことを指すハーフェズ。そのハーフェズを目指すシャムセディン(メヒディ・モラディ)は、一方で詩の創作に興味を持っており、詩の塾に通っている。しかし、ハーフェズは詩などを作ってはならないと諫められ、詩作は辞める。コーランの暗唱試験に合格し、見事ハーフェズとなったシャムセディン。シャムセディンことハーフェズは、街の宗教指導者(大師)から、チベットから帰ってきたばかりの娘ナバート(麻生久美子)のコーランの家庭教師としてつくよう求められる。
顔を合わせることなく侍女の監視付きでコーランの授業を進めるハーフェズとナバートだが、ナバートは詩に興味を持っており、ハーフェズに様々な質問をする。それに答えるハーフェズ。いつしか二人は互いを恋するようになるのだが、その恋が認められるはずもなく、ハーフェズは裁判により有罪となり、ハーフェズの称号を奪われ、鞭打ち50回の刑を受ける。ハーフェズではなくなったシャムセディンは煉瓦工場で肉体労働をすることに。
一方、ハーフェズとの恋路を絶たれたナバートは鬱状態に陥る。祈祷師がいくら祈ってもナバートの鬱は快癒しない。

元ハーフェズのシャムセディンとのやり取りを何とか許されることで鬱を脱したナバート。だが、ナバートは大師の部下で宗教学者である、元ハーフェズと同名のシャムセディン(メヒディ・ネガーバン)という男と無理矢理結婚させられてしまう。だが、宗教学者のシャムセディンも、元ハーフェズのシャムセディンに尊敬の念を抱いており、ナバートに手を触れようとはしなかった。

元ハーフェズのシャムセディンは、恋を忘れる儀式として鏡を持って各地の村を周り、各村で一人の処女に鏡を磨いて貰う。全部で七人の処女に鏡を磨いて貰えば恋が忘れられるというのだが、鏡を磨く儀式は本来は恋を成就させるための儀式である……。


麻生久美子は思ったより出番が少ないのだが、それでも重要な役割を務めている。

ジャリリ監督は、脚本、監督、撮影などを一人で手掛けている。登場人物がスクリーンを横切る形で走ったり歩いたりするシーンが多いのが印象的。人物の水平移動をこれほど徹底して撮る監督も珍しい。

ラストシーンがまた素晴らしい。押しつけがましさの全くないラストであり、説明的要素もほとんどないのだが、素直に“ああ、良かったね”と喜べる。

イラン映画なのに、どこか懐かしさを感じるのは、日本の民話や世界各国に古代から伝わる話に通底するものがあるからかも知れない。
邦題だけでなく、この映画自体が本当に「詩」だと思う。


上映終了後、麻生久美子とジャリリ監督が登場。主に記者を対象にしたティーチインが行われる。
麻生久美子は劇中でも着ていたイランの民族衣装を着て登場。だが、本人いわく、「映画で見慣れたのか(お客さんに)余り驚いて貰えなくてちょっと残念」とのこと。

ジャリリ監督は、「素敵な夜空を見ていたらこの風景を人に伝えたくなるんだ」といったようなことも話し、司会者の方から「ロマンティックな監督ですね」と言われていたが、「ハーフェズ ペルシャの詩」自体が大変ロマンティックであり、やはりこういう作品はロマンティックな人でないと撮れないだろう。


麻生久美子の海外映画デビューを祝えるのは嬉しい。それも欧米作品ではなくイラン映画で、更に監督に出演をせがまれてというのがいいじゃないか。

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2021年2月15日 (月)

安全地帯 「Friend」




安全地帯のバラード「Friend」。歌詞をパッと見ると、恋人から友達に戻ることを決めた男の歌のように読み取れますが、「Friend」には「友達」の他に、「愛する人」や「特別な人」という意味があるため、個人的には死別の曲と捉えています。その方が曲調にも合うように感じます。

恋人から友達に戻るという解釈では女々しい男という風にも受け取れますが、死別した恋人へのメッセージと解釈すると壮大で深い愛の曲に生まれ変わります。私は後者の方がずっと好きです。

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2021年2月14日 (日)

2346月日(28) 神奈川近代文学館「井上靖展」ほか、横浜市イギリス館、ゲーテ座 2007.7.21

2007年7月21日

港の見える丘公園のある、通称フランス山に登り、神奈川近代文学館へ向かう。
神奈川近代文学館では、今年が生誕100年に当たり、大河ドラマ「風林火山」の原作者でもある井上靖展が開かれていた。常設展も充実していて、夏目漱石、芥川龍之介、吉川英治、大佛次郎(おさらぎ・じろう)、中島敦、島崎藤村、志賀直哉、武者小路実篤、有島武郎、北村透谷、谷崎潤一郎、三島由紀夫、岡本かの子、泉鏡花といった神奈川県に縁の深い作家の直筆原稿が展示されており、面白いことこの上ない。直筆原稿の字を読みながら、原稿用紙に字を書いていく文豪の姿を思い浮かべると頬がゆるむ。
作家によって使う筆記用具が違い、字の読みやすさも違う。明治時代前期に執筆活動を始めた人は毛筆書きが多く、時代が下がると万年筆で書く人が多くなる。中には鉛筆書きの作家もいる。字も非常に読みやすい人から何が書いてあるのかほとんどわからないほど悪筆の人まで様々である。推敲の頻度も当然ながら異なり、ほとんど推敲の跡が見られない人もいれば、数行ごとに文章を黒く塗りつぶして、横に新しい文を小さく書き記す人もいる。

井上靖展も井上の直筆原稿と、金沢四高(現・金沢大学教養課程)時代から始まる詩作のノート、京都帝国大学在学中(といってもすでに28歳であった)に“就職難を吹き飛ばして”大学生でありながらキネマ社の脚本部に入るという“快挙”を成し遂げた井上靖青年を取り上げた新聞記事(井上の顔写真入り)なども展示されている。


港の見える丘公園内にある横浜市イギリス館を見学。かつてのイギリス総領事館公邸である。1937年完成の木造建築。2004年から内部が一般公開されている。入館無料。1階のホールはサークル活動などの稽古場として、2階の集会所はミーティングルームとしても使用されており、私が訪れた時は両方とも使用中で、その2つの部屋だけは見ることが出来なかった。

ついで、岩崎ミュージアムを訪れる。地下は山手ゲーテ座というホール、2階が服飾関係のミュージアム、1階がミュージアムショップと喫茶店となっている。
山手ゲーテ座は、明治時代に建てられた「ゲーテ座」という西洋劇場の跡地であることを記念して作られたホール。ゲーテは、文豪のゲーテではなく、英語のGaiety(陽気な)に由来するとのことである。
かつてのゲーテ座では、居留西洋人のための居留西洋人による演劇上演や音楽会が催されており、西洋文化に直接触れることの出来る日本でほとんど唯一の場所であった。西洋文化を学ぶために、坪内逍遙、北村透谷、瀧廉太郎、芥川龍之介などが足繁く通っていたという。

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2021年2月11日 (木)

観劇感想精選(383) 深津篤史演出 桃園会 “a tide of classics”公演 岸田國士戯曲連続上演 「留守」「驟雨」「紙風船」

2007年6月13日 大阪・心斎橋のウイングフィールドにて観劇

大阪へ。ウイングフィールドで、桃園会の“a tide of classics”公演、岸田國士(きしだ・くにお)戯曲連続上演、『留守』、『驟雨』、『紙風船』を観る。演出はもちろん桃園会主宰の深津篤史(ふかつ・しげふみ)。

岸田國士戯曲賞にその名を残す岸田國士は、明治23年(1890)生まれ。劇作家、小説家、演出家、翻訳家として活躍し、戯曲の文学性と独自性がいかに重要であるかを説いて、後進に多大な影響を与えた。先頃(2006年12月17日)亡くなった岸田今日子の父親としても知られる。
また、明治大学文芸科科長となり、演劇専攻を設立した。明治大学文芸科はその後に再編され、明治大学文学部文学科となった。その際、文芸科は廃されることなく、明治大学文学部文学科文芸学専攻として第二部(夜間部)にのみ残された。日本を始めとした各国の文学と演劇が学べるというカリキュラムと、ずっと御茶ノ水にいられるということに惹かれた私が明治大学文学部文学科文芸学専攻(文芸学科という俗称もあった)に入ってしまったのが1994年のこと。というわけで、明治大学文学部出身の私としては岸田國士作品の上演を見逃すわけにはいかない。

午後8時開演の公演。午後7時より受付開始、整理券発行とのことだったので、その時間ぴったりにウイングフィールドに着く。やはり整理券番号1番を貰ってしまう。東京だと、受付開始時間前に人が列を作っていたりするのだが、関西ではそうした光景を見ることはほとんどない(有名人の出る公演は別である)。「いらち」と言われる大阪人だが、個人的な見解を述べると東京人の方がずっとせっかちである。というわけで東京では受付時間前に行って並ばないと気が済まない人が多いということになる。

戯曲の独自性を説いた岸田國士だが、今の時代から見ると小説との親和性が強い。そして登場人物がとにかく良く喋る。明治・大正期の小説を読むと、会話が長い人が多く出てくるし(泉鏡花の小説などを読むと一人で3ページ分ほど延々と喋り続ける人が出てくる)、往時の人は現代人より長く喋る傾向もあったと思われるので(他に娯楽もないし)余り違和感は覚えないのだが、その世界に入り込むのに多少時間が掛かる。桃園会は、普段は短いセリフを繋いでいくスタイルを持つ劇団なので尚更だ。

一人の人物が延々と話すというスタイルの演劇は現代ではやりにくい。今は一人で長々と喋る人はほとんどいないので、それをやろうとすると「いかにも演劇的スタイル」となり、そうした「いかにも演劇的な嘘」に観客も慣れていない。「いかにも演劇的な嘘」を見せるとしたら、義太夫のように、もしくはク・ナウカのように、演じ手と話し手をわけるといった思い切った嘘が必要なのかも知れない。岸田が活躍した時代というのは、ある意味、戯曲を創作するのに恵まれていたとも言える。

『留守』、『驟雨』、『紙風船』全てにおいて、男女の関係のバランスに重点が置かれている。特に『驟雨』と『紙風船』では我が儘な男と自分の立場を主張する女のやり取りが題材となっており、当時、男女の立場がいかに重要な議題であったかが窺われる。

深津の演出はオーソドックス。衣装なども往時のスタイルを守っている。
役者は、女優陣の方がレベルが高い。特に看板女優である江口恵美の存在感は特筆事項。江口がいるだけで舞台が引き締まる。

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2021年2月 7日 (日)

これまでに観た映画より(246) 「ハサミ男」

2007年6月3日

DVDで日本映画「ハサミ男」を観る。池田敏春監督作品。原作:殊能将之。出演は、豊川悦司、麻生久美子、阿部寛ほか。音楽担当:本田俊之。

日活ロマンポルノの監督として一時代を築いた池田敏春によるサイコホラーサスペンス。なお、本多俊之は、「ハサミ男」のラッシュフィルムを観ながら即興でサックスを吹いており、ルイ・マル監督の「死刑台のエレベーター」と同じ手法が取られている。

2004年の作品だが、冒頭から古い感じの映像と、学生の自主製作映画のような脚本と演出に違和感を覚える。わざとやっているとしか思えず、「どうしてなのかな?」と思っていたが、途中でその理由がわかった。それらは観る者の意識をそちらへと引きつけるための罠だったのである。

豊川悦司の怪しい魅力が生きているが、実質的な主役は麻生久美子。この映画での麻生久美子の演技には女優魂を感じる。「時効警察」の麻生久美子しか知らない人は、三日月クンと同じ女優がやっているとは気付かないかも知れない。

和製ホラー映画というと「リ×グ」(×は伏せ字です)のように、ショッキングな映像が頼りのちょっと情けないものが多いが、この映画はじんわりと来る怖さを持つ。何でもないようなラストも実は怖かったりする。

殊能将之が書いた原作の評価は極めて高く、原作好きの人からは「がっかり」という意見が聞かれたというが、純粋に映画作品として観ると良い作品だ。

(後期)その後、池田敏晴監督は三重県志摩市で投身自殺を遂げ、原作者の殊能将之も不可解な突然死を迎えるという因縁の作品となった。殊能将之は覆面作家であったが、死後に正体が明かされ、本名は田波正といい、高校生の頃からSF・ミステリー小説界では「福井の神童」といわれるほどの逸材であったことが明らかとなった。

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2021年2月 2日 (火)

2346月日(27) 立原道造記念館(2011年閉館)にて 2007年5月18日

2007年5月18日

東京大学工学部の弥生門の前にある立原道造記念館を訪れる。東京帝国大学工学部建築学科出身で、天才詩人と呼ばれながら、わずか24歳で他界した立原道造(1914-1939)のために1997年に建てられた小さな記念館だ。弥生時代の由来となった東京大学弥生キャンパスもすぐそばである。

立原道造の直筆原稿などを見ることが出来る。

立原道造の詩を私が好んで読んだのは、ちょうど24歳の頃。立原が亡くなったのと同じ年齢の頃だ。

立原は西洋趣味が強く、同じく西洋志向の持ち主であった堀辰雄と仲が良かった。堀辰雄の小説『菜穂子』に出てくる建築学科出身の青年・都築のモデルが立原道造だと言われている。

立原の本当に若い頃(20歳前後)の文字は丸みがあって可愛らしいが、最晩年(それでも20代前半だ)、死期が近いこと悟った頃に書いた文字からは凜とした寂しさのようなものが漂ってくる。

記念館には、立原の婚約者であった水戸部アサイさんの若い頃の写真も展示されている。アサイさんは今見てもかなりの美人である。
せっかくこれまで人生順調に来て、綺麗な人をお嫁さんに貰おうかという時にこの世を旅立たねばならないとは、立原もさぞや無念だったろう。

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