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2026年6月14日 (日)

観劇感想精選(520) 市川染五郎主演「ハムレット」

2026年6月10日 JR大阪駅西口のSkyシアターMBSにて観劇

午後5時から、JR大阪駅西口のSkyシアターMBSで、(八代目)市川染五郎タイトルロールの「ハムレット」を観る。ぴあ貸切公演。折しも、今日6月10日は叔母である松たか子の誕生日である。49歳、来年はいよいよ大台だ。

「ハムレット」は大作であるが、シェイクスピア作品の中でも飛び抜けて有名なためか、公演も接する機会も多い。「ロミオとジュリエット」も有名だが、ロミオがあれなためか、公演はかなり少ない。

作:ウィリアム・シェイクスピア、テキスト日本語訳:松岡和子、演出:デヴィッド・ルヴォー。音楽:江草啓太。映像:松澤延拓。
出演は、市川染五郎の他に、當真あみ(とうま・あみ。オフィーリア)、石川凌雅(りょうが。レアティーズ)、横山賀三(かざん。ホレイショー)、梶原善(かじはら・ぜん。ポローニアス)、柚香光(ゆずか・れい。ガートルード)、石黒賢(クローディアス)ほか。
深い思念と耽美主義的傾向を特徴とするデヴィッド・ルヴォー。外国出身だが日本で活躍する演出家だ。

市川染五郎の父親である七代目市川染五郎(現・十代目松本幸四郎)は、日本におけるハムレット最年少主演記録を持っていたりする。親や親族に有名人が数多く、この家系は学業に秀でている人が多い(ただ仕事と学業の両立が大変なので大学を中退した人も多い)が、市川染五郎も初等部から青山学院に入ったものの、家系としては珍しく勉強嫌いを公言しており、青山学院高等部を中退している。市川團子君が青学の同学年で、「一緒に大学に行けるものだと思っていたのに」と、染五郎の中退について残念な思いを語っていた。ただ歌舞伎界で大きいのは学歴では全くなく、後ろ盾となる親族の存在である。高麗屋は父親も祖父も健在(大叔父は亡くなったが)。叔母もいざとなれば後ろ盾になってくれそうである。

オフィーリアを演じる當真あみは、今後が期待される女優。沖縄県出身。私は、日曜ドラマ「さよならマエストロ」(西島秀俊主演)の音楽に打ち込もうとする少女役で知ったが(変わった苗字なのですぐに覚えられた)、他にも多くの作品に出演している。今回が初舞台。市川染五郎も歌舞伎以外の舞台作品に出るのは初めてで、歌舞伎以外の演目で主役を張るのも初めてである。
大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で、アサシンの善児を演じて話題になった梶原善。見るのは、昨年の東京サンシャインボーイズ復活公演以来となるが、小劇場演劇的な癖はどうしても出てしまう。今回は演技スタイルを統一しようとはせず、染五郎は歌舞伎的な発声をすることもあるし、柚香光は完全に宝塚の演技スタイルである。

ハムレットを演じる市川染五郎は21歳、オフィーリアを演じる當真あみは19歳。共にストレートプレー初舞台と、フレッシュなハムレットである。

開場時のみ客席内撮影可だが、スクリーンに灰色の波がうねっているだけの映像で、記念に撮るだけで公開はしないと思う。

先王ハムレットは登場せず、スクリーンに映った抽象的な人型と声のみで表される。声は誰だったのだろう? 染五郎の祖父である二代目松本白鸚に似ている気もしたが、体調が戻らないという情報も得ているので違うだろう。声の専門家=声優かも知れない。

舞台の上手端と下手端の2階がバンドスペースとなっており、打楽器を主体とした演奏が行われた。また柚香光は登場時に上手に置かれたグランドピアノを弾く。実際に弾いているのかは分からないが、技巧的には平易な曲である。また當真あみが鍵盤の上に立って足でピアノを弾く場面もあるが、おそらくデヴィッド・ルヴォーは「柔道一直線」は見たことがないのだろう。

SkyシアターMBSは音の通りが良いが、染五郎のセリフも明瞭で、聴き取りやすかった。ただ、「ハムレット」はセリフが長めの人が多いので、セリフだけが肥大化してしまうという罠がある。今日も危うい人がいた。

當真あみは、とても澄んだ声で、普通のセリフでもあたかも韻を踏んでいるように発声したり、実際はそんなことはないのだが七五調や五七調に聞こえたりと、独自の表現力を持つ。映像はそれほど観ていないが、舞台女優としてはかなりの逸材である。こうしたイノセントなオフィーリアが手に入らないのなら、ガートルードのようになるのを避けるために、「尼寺へ行け!」となるのは説得力がある。
なお、今回はオフィーリアは埋葬されても霊は墓を抜け出し、彷徨うことを選んだようである。事故死なので墓に眠ることは出来ないのかも知れない。ちなみにオフィーリアの死はギリシャ悲劇以来の伝統で見えない場所で起こり、全てはガートルードが語る。ガートルードもその場にいたわけではなく伝聞によると思われるが、嘘をついた可能性は否定出来ない。確かめようがないのである。凄惨なことは舞台裏で起こるのが慣例であるが、剣での闘いは舞台上で行われ、密かに毒が用いられたということもあり、死者も出る。主要キャストでオフィーリアの死だけが伝統に則っていることに注目する演劇学者もいるかも知れない。

余談だが、Q1といわれる稿では、クローディアスとレアティーズ謀議の場がなく、飲み物に毒が入っているという情報は観客には与えられない。そのため、なぜ飲み物の杯を取ったガートルードを見てクローディアスがうろたえるのか、観客は全く分からない。今回は最も使われている稿での上演であったが、クローディアスを演じる石黒賢はガートルードを優しくたしなめるように語りかける。大きい声や鋭い声を発すると毒が入っていると全員に伝わってしまうからということもあるだろう。そうなると剣先に毒が塗ってあるのもばれる。

先王ハムレットが、「妻に手を出してはならない。殺してはならない」と命じ、ハムレットは、「(クローディアスとガートルードは)一心同体」と言っているため、ガートルードが先に何らかの形で死なないとクローディアスを殺せなくなるという呪縛が生まれる。
ただ、ハムレットは「一心同体」のセリフより前に、クローディアスと間違えてポローニアスを殺している。ここだけが整合性が取れない。クローディアスが一人で祈っているときに刺し殺そうとするも、「今殺しても(クローディアスは)天国行きだ」と無理矢理理屈をつけて、そのまま下がってしまっている。潜んでいる時ならいいのかも知れないが、作品として見れば、あそこでクローディアスが死んでしまったらドラマにならないのは間違いない。ポローニアスを殺したことで息子のレアティーズがフランスから帰ってハムレットに復讐しようとし、オフィーリアは気が触れてしまうのだから、重要な場面である。ハムレットは佯狂といって狂った振りだが、オフィーリアは本当におかしくなってしまう。當真あみは、オフィーリアの歌をうたうが透明且つ輪郭のクッキリとした声で、癒やしの効果に溢れていた。

「名優」といわれる俳優が演じるのとは異なった、清々しいハムレット。デンマーク王朝全滅の悲劇であるが、暗い感じはしない。
ちなみに、フォーティンブラスを女優が演じるのが流行っているようで、今日もフォーティンブラス役は女性。そしてハムレットやホレイショーが望んだのとは違うラストとしてしまうようだ。
なお、ノルウェー軍は、「スター・ウォーズ」の登場人物のような格好をしている。オフィーリアの葬儀の場面でも人々はこうもり傘を差しており、現代ではないが、「ハムレット」の話の元ネタが起こった時代ではないようである。ホレイショーの筆による「遠い昔 はるかかなたの銀河系で」という叙事詩か書かれるのかも知れない。ノルウェーを主体にした解釈で、「ホレイショーは殺される」としていた人がいたが、そうなると今の今まで「ハムレット」の物語が伝わっていることに矛盾が生じてしまうので、解釈としては零点である。

 

市川染五郎は、東京の日生劇場での公演を終えて大阪での公演に入り、間もなく全体の折り返し地点に差し掛かることなどを話した。

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2026年6月 3日 (水)

観劇感想精選(519) 森田剛&藤間爽子 舞台「砂の女」

2026年4月18日 大阪の森ノ宮ピロティホールにて観劇

午後6時から、森ノ宮ピロティホールで、舞台「砂の女」を観る。安部公房の代表作の舞台化。5年前にも「砂の女」が舞台化されたことがあるが、それとは別物である。
作:安部公房、脚本・演出:山西竜矢。音楽:波多野敦子。映像:米倉伸。出演:森田剛、藤間爽子、大石将弘、東野良平、永島敬三、福田転球。映像が多用される。

安部公房の『砂の女』は、多くの人から称賛を受けた作品であるが、映画化や舞台化は難しい作品である。それでも映画は勅使河原三郎監督による有名な作品があるが、舞台は5年前のケラリーノ・サンドロヴィッチの台本と演出によるものがあったものの、それ以前にもあったのかどうか不明。基本的に新しいことは余り起こらず、淡々と進んでいくため、舞台として成立しにくい要素が多い。

登場人物には名前がある人もいるが、基本的にはアノニマスな感じで進んでいく。

男は、中学校の教師。ハンミョウという種類のトンボの新種を見つけて辞典に載るという夢を持ってここまで来た。3日間の休暇を取って訪れたのは、砂丘の町。部落(ここでは「集落」という意味。それ以外のニュアンスはない)に住む老人から、ある女の家に泊まるよう勧められる。そこは縄ばしごで降りる必要のある場所。出迎えた女は善人そうだったが……。
雪かきならぬ砂かきをしなければ埋もれてしまいそうな場所。男は眠りに落ちるが、目覚めると縄ばしごがなくなっている。「捕らえられたのか?」と自問する男。そこで強硬手段に出る。女を縛り上げ、縄ばしごを下ろすよう部落の人々に要求したのだ。部落の人々は砂のかき手を求めて女の家を勧めたのであり、男の要求を無視する。
そうこうするうちに時は流れ、男は砂の生活に慣れていく。ただ「希望」としてカラスを捕らえる罠を生み出す。カラスを捕らえることは出来なかったが、水を得たことに喜ぶ。この時点で砂での生活を続ける意思であることが分かる。女が産気づき、地上へと上げられるが、縄ばしごは掛かったままになっていた、だが男は逃げようとはしない。

 

映像の他に幕も多用される演出である。客席通路も使われ、部落の人々は基本的に客席通路を通って舞台に上がり、森田剛は客席通路を何周もする。二度ほど止まったことがあったが、おそらく観客からの握手の求めに応じたのだと思われる。
女の造形は難しいところだが、藤間爽子の女はかなり可愛らしい人物として描かれていた。確かにこうした可愛いタイプと一緒にいられるのなら、「このまま砂の町にいるのもいいか」と思う男もいるであろう。
しかし実際に、「捕らえられた」、引っ掛けられたとの感は否めない。
この作品は肯定的に捉えられることが多いが、自ら囚人となるゲームに参加しているかのようで、その時の社会情勢によっては、かなり怖ろしい結果を招く可能性があるように思われる。

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2026年6月 1日 (月)

観劇感想精選(518) フリードリヒ・シラー原作 ロバート・アイク翻案「メアリー・ステュアート」

2026年5月14日 西宮北口の兵庫県立芸術文化センター阪急中ホールにて観劇

午後6時から、西宮北口の兵庫県立芸術文化センター阪急中ホールで、フリードリヒ・シラー原作、ロバート・アイク翻案の「メアリー・ステュアート」を観る。シラーの原作を翻案したものとしては、2015年に、ダーチャ・マライーニが二人芝居に翻案したものを梅田芸術劇場シアター・ドラマシティで観ている。出演は、中谷美紀と神野三鈴であった。
今回のロバート・アイク翻案版は、それに比べると登場人物は多い。演出は栗山民也。テキスト日本語訳:小田島則子。メアリー・ステュアートとエリザベス1世は何年か前に映画にもなっているはずだが、未見である。
出演:宮沢りえ、若村麻由美、橋本淳(あつし)、木村達成(たつなり)、犬山イヌコ、谷田歩、大場泰正、宮﨑秋人(しゅうと)、采澤靖起(うねざわ・やすゆき)、阿南健治、久保酎吉、伊藤麗(れい)、上野恵佳(あやか)、松本祐華、段田安則。途中休憩20分を含み、上演時間が3時間を超えるという大作であった。

今回は、メアリー・ステュアートの幽閉から死までが描かれる。
メアリー・ステュアートは数奇な運命を辿った人で、生後6日でスコットランド王に即位。摂政にはジェームズ・ハミルトンが就くが、後に戦に敗れている。メアリーは、フランスに亡命。フランスのフランソワ王太子と婚約し、将来的にはフランス王妃となる。
一方、エリザベス女王(エリザベス1世)は、父親が離婚したいがためにイギリスの国教をカトリックからプロテスタント(英国国教会となる)に変えたヘンリー8世、母親はヘンリー8世が離婚後に再婚したアン・ブーリンである。アン・ブーリンは複数の罪で処刑された人として有名で、エリザベスが女王として即位後も「庶子」という理由から「相応しくない」との声が上がった。そしてフランス王フランソワ2世が16歳で亡くなったため、スコットランド王として即位したメアリーにもイングランド王となる権利があったことから事態はややこしくなる。当時はイングランドとスコットランドは別の国であるが、緩やかな連合体をなしていた。「メアリーの方が英国の王に相応しい」という声もある。メアリーはダーンリー卿ヘンリーと再婚。一児を設ける。この子どもであるジェームズが、ステュアート朝の祖であり、メアリー・ステュアートはステュアート朝の生みの親とも言うべき存在である。よく知られている通り、エリザベス女王は子をなさなかったため、敗れたはずのステュアート家が、イギリスの正統な王家を占めたこともあったのだ。諍いには敗れたが血統と歴史で勝ったというべきか。
そんなメアリー・ステュアートも、スコットランドで起こった暴乱により、イングランドに亡命。エリザベス女王はメアリーをイングランド内の城に軟禁状態に置く。
ここからが今日の「メアリー・ステュアート」の物語である。分かろうと思ったらそれなりに知識がいる。メアリーの幽閉先と、エリザベスの王宮の一室のみが舞台だ。

メアリー(宮沢りえ)と乳母のケネディ(犬山イヌコ)は、城の中で比較的自由に暮らしている。看守のポーレット(阿南健治)がいるが、さして厳しくない。
メアリーは処刑を恐れているが、続くエリザベス1世(若村麻由美)の場では、エリザベス女王が様々な理由で、メアリーの処刑を渋っている。

メアリーを演じている宮沢りえが黒いドレスを着たしなやかな身のこなしなのに対し、エリザベス女王は座っていることが多く、堂々とした王の装いで胸を張っている。これだけで二人の性質が分かるが、エリザベスはかなり演じている部分がありそうだ。

それでも処刑を避けることが出来ないと、エリザベスは、死刑執行書に署名をした。しかし、それを持って行かないよう命じる。エリザベスとメアリーは短い時間であったが面会していた。

ただこれは明らかにエリザベスのミスなのだが、死刑執行書に署名してしまったがために、最終的にはメアリーは処刑される。エリザベスの王宮は権謀術数が渦巻き、裏切りが多発していた。セリフの多くはそうした謀だ。

緋色のドレスになり、処刑場へと向かうメアリー。ケネディが手を取る。

役者陣はかなり充実。完璧に近い。

今日は2階席で観たのだが、舞台上には白の×があるのが見える。スコットランドの国旗の色である。栗山民也なりのメアリーへの追悼であった。

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中谷美紀&神野三鈴二人芝居「メアリー・ステュアート」

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2026年5月31日 (日)

コンサートの記(962) ローム ミュージック フェスティバル 2026 オーケストラコンサート 10th アニバーサリー・プログラム with 沖澤のどか

2026年4月19日 左京区岡崎のロームシアター京都メインホールにて

午後4時から、左京区岡崎のロームシアター京都メインホールで、ローム ミュージック フェスティバル 2026 オーケストラコンサート 10th アニバーサリー・プログラム with 沖澤のどかを聴く。ロームシアター京都開場と同時に始まったローム ミュージック フェスティバル。今年が節目の10年目である。中規模ホールのサウスホールと大ホールであるメインホールを使った小規模な音楽祭。中庭であるローム・スクエアでは、毎年吹奏楽の名門校による演奏も行われている。

ローム ミュージック フェスティバルのオーケストラコンサートは、東京のオーケストラが招かれることも多かったのだが、今年は京都の音楽の顔である沖澤のどか指揮の京都市交響楽団が演奏を行う。タイトルだけだと沖澤のどかが客演のようだが、沖澤のどかは京都市交響楽団の第14代(当代)常任指揮者である。ベルリン在住だが、現在、京都に長期滞在中で、来月まで京響と行動を共にする予定である。

 

曲目は、酒井健治の「ゆく河の流れは絶えずして~The flow of the river never ceases...」(ローム ミュージック フェスティバル第10回記念委嘱作品)、メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲(ヴァイオリン独奏:青木尚佳)、ビゼーの「アルルの女」第2組曲から“メヌエット”“ファランドール”、プロコフィエフのバレエ音楽「ロメオとジュリエット」第1組曲より“ロメオとジュリエット”、第2組曲jより“モンタギュー家とキャピュレット家”、ラヴェルの「ボレロ」

今日のコンサートマスターは客演の神谷未穂。神谷は現在、仙台フィルハーモニー管弦楽団のコンサートマスターと千葉交響楽団の特任コンサートマスターを務めている。
仙台フィルは関西で演奏会を行ったことはないはずだが、私の故郷にある千葉交響楽団は東大阪市で行われた合同コンサートで聴いたことがあり、神谷も出演していた。

泉原隆志は降り番で、フォアシュピーラーに尾﨑平。フルート首席の上野博昭は降り番。クラリネット首席の小谷口直子は全編に出演した。他の首席に関しては、ある事情によって顔が見えなかった。ある事情というのは、今日の席が前から3列目だったことである。コンピューターの都合と、申し込んだ時期により、前の方の席になった。そのため管楽器奏者の顔が陰になって見えないのである。小谷口さんは、本番前にステージ上でさらっていたので、それで確認出来た。

酒井健治の「ゆく河の流れは絶えずして」。酒井健治はアルティで行われた個展も聴きに行っており、京都の作曲家の中では作品に接する機会は多い方である。現在は京都市立芸術大学の教授を務めている。大阪出身。京都市立芸術大学卒業後に渡仏し、パリ国立高等音楽院作曲科、ジュネーヴ音楽院を共に最優秀の成績で卒業している。
これを読むと分かると思うが、音楽家というのは、大学を3つも4つも卒業しているのは「普通」である。
帰国後、武満徹作曲賞を受賞。更にローマ賞にも選ばれている。本人としては前衛嗜好なのだが、以前、ロームシアターのために分かりやすい曲を書いたこともあり。そのコンサートが終わって帰るときに、たまたま酒井さんが私の後ろにいて、「ああいう音楽を書く人だと思われるたら嫌だな」と話していた。

実際、「ゆく河の流れは絶えずして」は簡単に分かるような曲ではない。布陣から独特で、指揮者の背中を見る角度にハープが置かれ、松村衣里が演奏を行う。
指揮者の背中を見る角度にもう一人、奏者がいる。第1パーカッションの中山航介で、シロフォンや銅鑼を演奏する。更に一人、舞台下手端最前列に第2パーカッション奏者としてチェレスタ兼の矢野百華(本職はピアニスト)が入る。中山も矢野も水の入ったプラスチックケースを前にしている。この3人は指揮者より客席に近い場所にいるが、第1ヴァイオリンも膨らんで、ギリギリ指揮者よりも客席に近い場所にいるように見える。
曲であるが、鴨長明の『方丈記』を元にしている。今は現代語訳も出ているので、読んだことのある人は多いかも知れないが、竜頭蛇尾気味のところがある。
能楽を模したような響きに始まり、「和」のテイストが隅々まで行き渡っている。黛敏郎や武満徹もこうした曲を書いた。その遺産を上手く生かしている感じである。「ハープは箏を喚起する」と酒井は書いているが、掻き鳴らし方が激しいため、むしろ琵琶などを感じさせる。そういえば鴨長明の趣味は琵琶だった。『方丈記』にも琵琶の話は出てくる。
第1パーカッションの中山航介は、シロフォンを奏でた後で、小型の銅鑼を鳴らし、鳴り終わらないうちに水に浸ける。音が急速に弱まって消える。
第2パーカッションの矢野百華は、水が跳ねる音を、実際に水の入ったプラスチックケースの中に素手を入れて直接出す。また、中山と矢野は共にポットに入った水をプラスチックケース内の水の中に垂らす。また矢野はチューブを使って水の中に息を吐き出し、ボコボコという音を奏でた。
パーカッションの福山直子は、折れ曲がって柔らかいオレンジ色の棒のようなものを回す。「未知との遭遇」みたいな音が出る。あれはなんという楽器なのだろう?
視覚面にも訴える曲。なかなか面白いと思う。

客席にいた酒井健治は立ち上がって拍手を受けた。

舞台下手にナビゲーターの朝岡聡登場。口の横に集音器のつくマイクを装着していたが、故障なのか不具合なのか、作動しない。仕方がないので朝岡は声を張って話すが、手持ち式のワイヤレスマイクが届けられて以後はそれを使って話す。

「鴨長明の『方丈記』の冒頭は学生時代に暗記させられた方も多いのではないでしょうか」と朝岡。かくいう私も暗記させられた、というより率先して暗記していた。朝岡が述べたものと私が暗記しているものの間に異同があったが、古典とされるものは原典が消失しているのが普通で、多くの人が写筆したものによって現代まで生き残っている。人が書き写すので、違いが出るのが普通である。

メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲に関しても、「カデンツァは普通、第1楽章の最後に来るのですが、この曲は途中に2分ぐらい、ヴァイオリンの青木さんが一人で弾きます。そこがカデンツァです。音符も全てメンデルスゾーンが書いてます。それまではソリストの即興だったのですが」
それまで作曲家と演奏家は兼業だったのだが、それが分離し、演奏家が即興演奏を行うのが難しくなったということが背景にある。

 

メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲。独奏の青木尚佳(あおき・なおか)は、1992年東京生まれ。3歳でヴァイオリンを始め、桐朋学園大学ソリスト・ディプロマ・コースに最年少で合格。NHK交響楽団のコンサートマスターとして知られた堀正文に師事。2011年にイギリスに留学。英王立音楽大学(Collegeの方)に学び、卒業時にチャールズ皇太子(現・チャールズ三世国王)からタゴール・ゴールドメダルを授与される。その後、ミュンヘン音楽大学に進み、2014年にはロン=ティボー国際コンクール・ヴァイオリン部門で2位。2021年にミュンヘン・フィルハーモニー管弦楽団初の女性コンサートマスターに就任している。

京響は編成を一回り小さくしての伴奏。古楽の要素であるが、第1ヴァイオリンはビブラートを掛けないときは掛けない、掛けるときは掛けると、折衷型を選択。ヴィオラは一貫してノンビブラート奏法である。

桜色のドレスで現れた青木。おそらく女性としては背の高い方で、女性としても背が余り高くないと思われる沖澤(そのため今日の指揮台は二段重ねになっている)とでは身長差がかなりある。
青木のヴァイオリンであるが、ステップを踏みながら、正面と指揮者に向かう左向きとを連続しながら弾くスタイルである。左を向いたときは、沖澤とアイコンタクトを取ることもあるが、必ずしも同時に目が合うわけではない。
芯の通った美音家という印象で、メカニックもかなり高い。
第3楽章では、青木も右向きになってより勢いを付けて弾くようになる。技術面ではかなり高度な弾き手である。
沖澤指揮する京響も雅やかな伴奏を聴かせた。

 

休憩を挟んで、ビゼーの「アルルの女」第2組曲より“メヌエット”と“ファランドール”。「カルメン」と「アルルの女」で知られているジョルジュ・ビゼー。作曲家として成功できないまま若くして亡くなったが、亡くなった直後に「カルメン」が大ヒットした。生前の栄光に浴することが出来なかった不運な作曲家としても知られている。ただ残っている作品も多いということを考えれば、それでも作曲家としては幸せな方なのかも知れない。
南仏を舞台とした劇の附随音楽だけに、パリ周辺の音楽趣味とは少し異なる。
“メヌエット”はフルートの定番とでも言うべき有名曲。ビゼーは「カルメン」でも姉妹関係になるような曲を書いているが、一般受けは「アルルの女」の方が良い。
堂々として情熱的な“ファランドール”。沖澤は終盤に掛けて、アッチェレランドで大いに盛り上げた。

 

プロコフィエフのバレエ音楽「ロメオとジュリエット」第1組曲より“ロメオとジュリエット”と第2組曲“モンタギュー家とキャピュレット家”。
ナビゲーターの朝岡は、「2024年に沖澤さんと京都市交響楽団がプロコフィエフの『ロメオとジュリエット』を演奏して称賛」と語るが、実は沖澤と京響が「ロメオとジュリエット」を演奏したのは京都においてではない。大阪・中之島のフェスティバルホールで行われた「関西6オケ」というイベントで演奏し、大好評を博している。私も会場で聴いていたが、「美演」ということに関してはかなり上の部類に入るのは間違いないと思われた。朝岡は、「好評に応えて『プロコフィエフの陣』という交響曲全曲演奏会をやります」と宣伝。更に「プロコフィエフは来日したことがあり、2ヶ月ほど滞在して名所を巡り、京都では祇園と琵琶湖疎水を散策」と紹介した。実は、プロコフィエフは共産党の台頭したソ連を嫌い、アメリカに向かうつもりで、日本は単なる中継点で素通りするはずだった。しかしアメリカに行く船便は出たばかりで、次の便は2ヶ月後であったため、その間、日本を探索することにしたのだ。
プロコフィエフは、アメリカに亡命したが、最終的にはソ連に戻り、スターリンと全く同じ日に亡くなっている。
プロコフィエフのバレエ「ロメオとジュリエット」であるが、プロコフィエフは最初、ハッピーエンドにしようとした。「死人は踊れない」という理由である。だがそれでは困るというので、関係者に頼まれて、現行のものを書き上げた。しかしリハーサルになると今度はバレエダンサーが、「音楽が洗練されすぎていて踊れない」と言い出す。難産の末、バレエの最高峰を窺う「ロメオとジュリエット」が完成した。
ちなみにバレエ音楽「ロメオとジュリエット」は全曲盤が数種出ているが、いずれも「長大な交響詩」として聴くことが出来るものである。チャイコフスキーの三大バレエもバレエ音楽としては優れているが、バレリーナが主体で音楽は脇役であるため、それを心得た音楽だけにそれだけで聴き通すのは難しい。少なくとも1時間を超えるバレエ音楽で聴き通すことが出来るのは「ロメオとジュリエット」しかないように思う。

沖澤と京響による「ロメオとジュリエット」より2曲。いずれも美音で瞬発力がある。爆発的な音響とそれにつづく神秘的な雰囲気の対比が鮮やかである。管と弦の掛け合いも洗練されたものだ。

ロンドンでは、ヴァレリー・ゲルギエフが、ロンドン交響楽団を指揮してプロコフィエフの交響曲チクルスを行い、ちょっとしたプロコフィエフブームが起こった。京都でもそうなるだろうか。

 

ラヴェルの「ボレロ」。スネアドラムの福山直子が、オーケストラの中盤に陣取り、ボレロ(本場のボレロとはやや異なる)のリズムを叩き続ける。近年、「ボレロ」のスネア奏者は実は2人だったことが判明した。リレーしたのか交互に叩いたのか。ただ人が変わるとリズムも微妙に変わる可能性があるためか、今も一人のスネア奏者に任せることは多い。
「『ボレロ』の前半は指揮者はすることがない」と言われる。今のオーケストラの精度なら指揮者なしでも十分演奏出来る。ただ沖澤は最初から3拍を小さく刻む。首席のいないパートでメカニックが狂う場面であったが、沖澤の演出も上手く、クライマックスに向かって集中力を増していく。
クライマックスになると沖澤は二つ振りになり、高揚感に拍車を掛けていた。

演奏終了後、沖澤はスネアの福山直子に歩み寄り、握手し、そのまま手を引いて指揮台のところへと連れて行き、聴衆の拍手を受けさせた。

 

アンコール演奏は、ハチャトゥリアンのバレエ音楽「ガイーヌ」より“剣の舞”。短いが盛り上がる曲である。実は数年前にハチャトゥリアンを主人公にした「剣の舞」という映画が公開されたのだが、ハチャトゥリアンは体制側の作曲家で、ドラマティックなエピソードは全くない。ということで、伝記映画なのに100%脚本家がでっち上げたフィクションになっていた。伝記映画なら1%ぐらいは本当のことがあってもいいのだが、なかった。
なお、ハチャトゥリアンは、1963年に来日し、京響の指揮台にも立って、自作を指揮している。

ホールを熱狂させた沖澤と京響。良いコンサートだったように思う。

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2026年4月29日 (水)

観劇感想精選(515) アーサ・ミラー作「るつぼ The Crucible」(坂本昌行主演)

2026年4月3日 西宮北口の兵庫県立芸術文化センター阪急中ホールにて観劇

午後6時から、兵庫県立芸術文化センター阪急中ホールで、「るつぼ The Crucible」を観る。「アメリカの頭脳」アーサー・ミラーの代表作である。「アメリカの頭脳」に名前負けせず、彼が残した戯曲の数々は今も各国で上演され、高い評価を得ている。「るつぼ」は、日本でも数年前に堤真一の主演で上演されたが、チケット争奪戦に敗れて観ることは叶わなかった。

今回は坂本昌行の主演版である。テキスト日本語訳は水谷八也、演出は上村聡史。

「エクソシスト」を先取りしたような、奇怪にしておどろおどろしい作品だが、主軸にはキリスト教などの権威の傲慢さへの冷めた目があるように思う。

出演:坂本昌行、前田亜季、松崎祐介、瀧七海、伊達暁、佐川和正、夏子、大滝寛、那須佐代子、大鷹明良ほか。

舞台美術は長田佳代子で、○を八百屋飾りにし、中間の何もない部分に、こちらも少し八百屋になったセットを作っている。出入り口は背後、階段を降りた先にある。

 

魔女狩りが主題である。中世ヨーロッパでは魔女狩りが横行し、ジャンヌ・ダルクも魔女として火刑台に消えた。今もイギリスなどでは魔女として暮らしている人は多いが、特に他者を害するということはないようである。一方、新大陸では……。

アメリカ合衆国独立前の英領アメリカで起こったセイラム魔女裁判がモデルとされる。

黒人役の人が出てくるが、肌を塗ったりは出来ないので、髪型をそれらしくして演じている。鍵を握るのは、アビゲイルという17歳の女性(瀧七海)である。アビゲイルというと、オーケストラ・アンサンブル金沢のコンサートミストレスであるアビゲイル・ヤングを連想してしまう。アビゲイルという名前の人を彼女以外に知らないからでもあるが。
アビゲイルは他の女の子と共に、夜の森で踊り、それが悪魔崇拝だとして問題視される。特にパリス牧師の娘であるベティ(前田亜季)は意識不明となり、ベッドで寝ているのだが、突如起き上がって暴れたりする。本当に「エクソシスト」の世界である。ベティの出番は短いが、前田亜季はその後は成人女性であるエリザベス(エリザベスの愛称もベティである)役で登場する。

パリスというのも意味ありげな名前だが、この人物は魔女騒動を焚きつけているようなところがあり、好人物とは言えない。魔女を巡る人々の心に寄り添うのはヘイル牧師(松崎祐介)の方である。

しかし、おそらく集団ヒステリーによるものだと思われるが、街の若い娘達が悪魔を目撃するなど奇妙な精神状態へと陥り、奇声を発するようになる。

主人公のジョン・プロクター(坂本昌行)は、信仰心はそこそこ。畑仕事をしている方が好きで、安息日である日曜日にも畑に出掛けて土を耕していたことがある。日曜の集会にも出られる日だけ出ている。
妻のエリザベスとの関係は良好だが、つい侍女のアビゲイルと関係を持ってしまう。アビゲイルはそれをネタに……。

 

魔女狩りという前近代的な習慣を題材にしながら、絶対的権威と個人など、現代においても起こる対立を緻密に描いた作品である。魔女審問では次々に死刑とされるなど、血なまぐさい出来事が背後で起こっているが、そうした凄惨な出来事は今は終わったわけではない。

この小さな街の魔女狩りの話をスライドさせれば日本で言えば特高警察の話になる。アーサー・ミラーは、そうした作劇法を確信犯的に用いている。

 

坂本昌行はミスもあったが集中力の高い演技を見せ、ジョンという男の多面性を表していた。ジョンという人物は必ずしも格好良くはないのだが、坂本昌行は多くの女性の目に格好良く映るだろう。
近年は舞台を活躍の場に選ぶことが多い前田亜季。やはり可憐な役も多かったが、今回は心揺れる女性を情感豊かに演じていた。

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2026年4月 4日 (土)

これまでに観た映画より(433) 村上春樹原作・市川準監督作品「トニー滝谷」4Kリマスター版

2026年3月28日 烏丸御池のアップリンク京都にて

アップリンク京都で、村上春樹原作・市川準監督作品「トニー滝谷」4Kリマスター版を観る。音楽は坂本龍一。今日(3月28日)は坂本龍一の命日で、イオンモールKYOTOのT・ジョイ京都では、坂本龍一のフィルムコンサートも行われている(WOWOWの制作で放送された際の映像は録画して持っている)。残念ながら時間的にはしごは出来ない。

原作:村上春樹。脚本・監督:市川準。出演に:イッセー尾形、宮沢りえ、篠原孝文、四方堂亘、小山田サユリ、猫田直、木野花(特別出演)ほか。ナレーション:西島秀俊。音楽:坂本龍一。西島秀俊の敢えて感情を込めない語りが、トニー滝谷の心境を却って明らかにする。

「トニー滝谷」は、短編集『レキシントンの幽霊』に収められた短編小説が原作である。トニー滝谷という人物は、実は『ねじまき鳥クロニクル』の中の笠原メイのセリフにも登場している。こちらの方が短編小説「トニー滝谷」よりも先だと思われる。

「僕はとにかく『トニー滝谷』という小説が書きたかったんだ」ということで書かれた小説。トニー滝谷(イッセー尾形)は本名で日本人である。ジャズトロンボーン奏者、滝谷省三郎(イッセー尾形二役)の息子として生まれ、幼い頃から絵画を得意とした。父親は戦時中、魔都上海のおそらく租界で気楽に過ごした。日本本国の惨状は彼の知るところではなかった。しかし日本は戦いに敗れ、滝谷省三郎は抑留される。そのまま処刑されてもおかしくなかったが、罪に問われることはなく、日本に帰ることが出来た。そしてすぐに結婚。おそらく親族が決めた結婚だったのだろう。そしてトニー滝谷が生まれた。アメリカの将校から、「これからはアメリカの時代だからアメリカの名前を付けてやる」ということでトニー滝谷という名前になったのだ。トニー滝谷が生まれてすぐに母親は死んだ。
幼年時代、絵画教室でトニー滝谷はおそろしく緻密な絵を描いて、絵の先生(四方堂亘)を困らせた。上手いことは上手いのだが、情感が感じられないのだ。
そのまま美術を極めるために美大に進んだトニー滝谷だが、同級生からは、「物語性」「思想性」などが欠けていると言われる。だがトニー滝谷にとってはそんなものは幼稚で不正確なものでしかなかった。

トニー滝谷は絵画ではなくデザインの世界に進む。メカニックなものを描くのは彼の得意とするところだった。仕事は楽しく、金は貯まった。
ある日、トニーはデザイン誌の編集者である英子(宮沢りえ)と自宅で打ち合わせをする。英子に惹かれるトニーだったが、15歳も年齢の開き(つまりかなりの歳月がはしょられていたことになる)があることから素直に気持ちを伝えることが出来ず……。

 

晩年の市川準は、自身の作風を捨て、カメラが左から右へと移行する(人物は逆に右から左へと移る)、絵巻物的な絵作りを行っている。

市川準監督は小説について「乾いた」という表現を使っているが、実際には「トニー滝谷」は村上春樹の作品の中では、『ノルウェイの森』に代表されるウエットな路線の話である。

頼りにならない父親、もうすでにいない母親、自分の絵を認めてくれない周囲。孤立の中で孤独感を深めていくトニー滝谷。小説でもそうだが、映画でも仕事の関係者はいるが親しい友人はいないようである。

一部を除いて、ほぼ全編に流れる坂本龍一のピアノ曲「Solitude」。諦めながら沈みつつ、それでもなお美しいものを追い求めるようなこの曲は坂本の作品の中でも異色である。物語が進むごとに孤独が深まっていく。

純粋に一人を楽しんで生きれば、トニー滝谷は真に孤独ではなかったのかも知れない。
だが英子と「出会ってしまった」。出会ってしまったことが彼を幸福にもし、別個の孤独へと押し込んだ。

だが、これが本来なのかも知れない。孤独を知ることなく人生を味わうことは出来ないのかも知れない。華やかな人生など花火のようなものだ。

この作品は、DVDで観ており、坂本龍一のサウンドトラックも買っている。スクリーンで観るのは初めてで、当然、スクリーンで観た方が良い、と思ったのだが、一人の部屋でモニターを見つめていた方が、この作品の真の味が分かりそうだ。孤独と孤独がよりそうことの。

これまでに観た映画より(230) 村上春樹原作 市川準監督作品「トニー滝谷」

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2026年4月 1日 (水)

上七軒 第七十四回「北野をどり」

2026年3月28日 上七軒歌舞練場にて

午後4時30分から、上七軒歌舞練場で、第七十四回「北野をどり」を観る。
これまで、五花街の内の四花街、いずれも鴨川に近い、祇園甲部、祇園東、宮川町、先斗町の春のをどり(宮川町だけは「おどり」)は観ているのだが、一つだけ離れたところにあり、始まりも早い上七軒のをどりは観たことがなかった。交通の便がそれほど良くない(悪いという程ではない)ことに加え、始まりが早いので、「そういえば上七軒は」と思った頃には券が売り切れているということもよくあった。「都の賑い」など、五花街総出の催しでは、上七軒の芸舞妓も見たことがあるが、上七軒単独ではないということである。

一つだけ離れたところにあるということで、上七軒は他の花街とは性質も異なる。
まず室町時代に、時の将軍・足利義稙の命ですぐそばにある北野天満宮の社殿造営工事が行われた際に、余った木材で七軒の茶屋が作られたのが最初とされる。豊臣秀吉が行った北野大茶会では、団子などを提供して、秀吉に気に入られ、日本初の茶屋を営む権利を許されたという。
そして江戸時代になると、西陣織や染め物など、西陣の旦那衆が遊ぶ花街として上七軒は発展する。しかし、昭和に入り、西陣での工芸や工業が振るわないようになると、上七軒も規模を縮小するようになり、去る人も多かったので、芸舞妓募集の貼り紙が行われるようになったという。今はやや持ち直しているが、インターネットで舞妓の募集をしているそうで、上七軒をもじった下八軒という架空の花街を舞台にしたミュージカル映画「舞妓はレディ」と全く同じことが行われていることが分かる。おそらくインターネットでの舞妓募集は周防正行監督の思いつきではなく、上七軒を取材して実際に行われていることを描いたのだろう。OLなど他の職種からの芸舞妓受け入れも行っているようだ。

以前はよく、上七軒文庫に通って絵本の朗読を聞いたり、仏教について教わったりしていたため、上七軒への生き方は分かっている。バスで行くのだが、行きも帰りも空いていて、座ることが出来た。北野天満宮の祭りの日には満員になるが。

 

少し早めに上七軒に着いて、上七軒通を歩いて回る。すぐそばに北野天満宮があるが、何回参拝したか分からないくらい来ているので、今日は遠慮する。
ちなみに、上七軒歌舞練場は上七軒通から外れたところにあり、歌舞練場の前の通りにはおそらく名前がついていない。これも五花街で唯一である(祇園甲部は花見小路通、祇園東は東大路通、宮川町は宮川筋、先斗町は先斗町通に面している)。

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上七軒歌舞練場は大正時代に建った建物を大規模改修して使用している。管理は行き届いているようだが、他の花街の歌舞練場に比べると一回り小さめ。花道は下手に一本あるだけで、その裏が地方のスペースとなる。上手側は桟敷席になっている。
なお、席順は前から「いろは」順。いろは四十七文字全てを言えない人もいるだけに迷う人も出そうである。外国人観光客もいたが、彼らはそもそも「いろは」を知らないはずである。

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演目は二部構成で、第一部は、舞踊劇「鐘を数えるお姫さま」(原作は「シンデレラ」)、第二部が純舞踊「俗曲(ぞっきょく)わすれな草」そしてフィナーレ「上七軒夜曲」が続く。前半が舞踊劇で後半が純舞踊というのは、先斗町の「鴨川をどり」と同じである。

 

舞踊劇「鐘を数えるお姫さま」。実は「シンデレラ」が坪内逍遙の訳で紹介されたとき、シンデレラの名は「おしん」になっており、連続テレビ小説風の役名になっていた。今回もヒロインの名は「おしん」になっている。
舞踊劇なのだが、皆、声が聞こえない。腹式呼吸ではなく、明らかに胸式呼吸である。男役の人も声を作らず女声のままで演じる。
先斗町がしっかりした演劇を行うことが多いだけに、上七軒はこのままでは評価出来ない。通路を演者が通るなど、工夫も凝らされているが、その前にちゃんと演じられないと。
上七軒は一つだけ離れているだけに、他の花街の芸舞妓は来ていないと思われるが、先斗町の芸舞妓が観たら「勝った!」と思うだろう。何と言っても声が聞こえないというのは致命的である。
ちなみに今回の劇は、おしんがお城に行くのではなく、王子様に相当する若殿、その正体は猿田彦命で、おしんが見初められるという展開になる。可哀相だったけど優しさに気づけたかららしい。
ちなみに「とんでもございません」というセリフがある。
猿田彦と一緒になるということは、彼女は天鈿女命で、猿女になるということである。猿女氏の子孫が稗田氏であり、現在の大和郡山市を根拠地として、稗田阿礼を生んでいる。

 

第二部「俗曲わすれな草」。十日戎に始まり、愛宕山を越えて(おそらく亀岡の方から)更に近江に出て八景を巡る。結構、露骨な色町の描写を経て、上七軒の名物の団子と江戸から明治に掛けての京都が描かれる。そして「名所名所」となるのだが、出てくるのは金閣寺だけ。後はお軽と勘平の話になる。次は「京都名所」で、こちらは、祇園、円山(公園)、清水、八坂となぜかライバル花街のそばを通り、南禅寺、知恩院、黒谷真如堂(「黒谷」こと金戒光明寺と、「真如堂」こと真正極楽寺。隣接している)、三十三間堂、金閣寺、銀閣寺、北野天満宮、平野神社、嵐山、高雄、永観堂、下鴨(神社)、上賀茂(神社)、御所の遊園地(不詳)、新京極と寺町京極、四条通、千本通と経て上七軒に至る。ちなみに京の東側の名所の方が多い。

フィナーレの「上七軒夜曲」は、短調の楽曲。宮川町の「宮川音頭」もそうだが、儚い感じがする。「宮川音頭」については、男性は儚く感じ、女性は威勢が良いと男女で違うものを聴いているような現象が起きているのだが、「上七軒夜曲」も男女で印象が異なるのかも知れない。歌詞は色っぽいものである。

踊りに関してだが、ちょっと大人しい気はする。やはり一つだけ離れた花街であることは大きいだろう。他の四花街は、色々なお客さんが来て中にははしごする人もいるのかも知れないが、上七軒は近くに大きな企業があるわけでもないし、繁華街のそばにある鴨川沿いと比べて行きにくい。
他の花街は、色々実験して、結果的には失敗しているが、実験が必要なのは他の花街ではないのかも知れない。そしてその前に、セリフが聞き取れるようでないと厳しい。

パンフレットは、800円で、セリフと歌詞の全てが載っているという良心的なものであった。

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2026年3月21日 (土)

これまでに観た映画より(432) 又吉直樹原作・行定勲監督作品「劇場」

2026年1月31日

ひかりTVで、日本映画「劇場」を観る。原作:又吉直樹。ということで、吉本興業が制作した映画である。脚本:蓬莱竜太。監督:行定勲。
出演:山﨑賢人、松岡茉優、寛一郎、伊藤沙莉、上川周作、井口理(king Gnu)、大友律ほか。ケラリーノ・サンドロヴィッチや吹越満が観客役で出演している。観客「役」といっても座っているだけだけれど。
行定勲というと、演技指導が最も厳しい映画監督として知られているが、この映画は出演者に実力派が揃っているため、どの程度だったのかは、観ていても分からない。

一貫して東京23区内が舞台である。
表参道で自問自答する男、永田(山﨑賢人)。やがて、原宿へ向かう。原宿の画廊で猿の絵を観ていた永田。そこへ、同じ絵に興味を持った沙希(松岡茉優)が近づいてくる。それが出会いであった。
劇団おろかを、野原(寛一郎)と共同主宰している永田。劇評サイトなどを見ても最低点しかついていないが、OFF・OFFシアターということで客は入っている。それが東京の利点でもある。野原は、高校時代から「悲劇喜劇」を読むタイプ。永田を演劇の道に誘ったのも野原だった。

「前衛過ぎる」などの評価を受けた永田。しかし、「その日」という公演に沙希を起用したところ評判を呼び、次第に観客が増え、好評を博す。沙希は中学から演劇部の活動を始めており、キャリアは最低でも6年。高校の時に演劇に興味を持ち、卒業してから劇団を立ち上げた永田や野原とは演劇に費やして来た時間が違う。しかし永田はその後の芝居に沙希を起用しようとはしなかった。「沙希のお陰で成功」とは認めたくなかったのかも知れない。
劇団おろかの初期の女優として所属していたのが、青山(伊藤沙莉)である。容姿で選ばれたのではないということで、永田に暴言を吐かれそうになるのだが、野原が押しとどめる。その後、青山は劇団を辞めて、演劇関係のライターとなり、更に他の分野からの執筆依頼が殺到して捌ききれなくなったため、永田に仕事を回す。永田は最初は日雇いの仕事をしていたが、下北沢の沙希のアパートで同棲するようになってからはこれといって仕事をしていなかった。青山がくれる仕事はわざとなのかどうかは分からないが、原稿料は安い。
沙希は服飾の専門学校に通いながら、朝はアパレル、夜は居酒屋の仕事をこなしている。

OFF・OFF劇場で、劇団まだ死んでないよの舞台が上演される。小峰(井口理)が戯曲を手掛けたこの作品は、ケラリーノ・サンドロヴィッチや吹越満も観に来るほど話題になっており、終演後にはオールスタンディングになる。

永田は「才能とは何か」について考えさせられるのだが、この劇を観に来ていた沙希を責めてしまう。

なんとなく続いた同棲に見切りを付けるように、永田は高円寺へと引っ越すのだが、それでも足は下北沢の沙希の部屋へと向かうのだった。


「劇場」というタイトルで、小劇場が舞台になっているが、又吉直樹の主舞台である漫才やコント、ピン芸なども小劇場に似た場所で行われているため、要素が取り込まれていると思われる。小劇場もお笑いも食えない世界であり、自然、雰囲気も似てくる。
前作、「火花」では売れないお笑い芸人を題材にしていたが、「劇場」では恋愛の要素が増え、ラストも夢を諦めずに続けることで終わるのが違いとなっている。

ラストは劇場を現実世界が包含する形で終わるが、演劇の部分はもう少し短くても良かったかも知れない。最後には、初期の劇団のメンバーも含めて全員が登場し、カーテンコールとなる。

山﨑賢人は、主演映画の興行収入が悪い俳優というイメージがついてしまっているが、個性が他の俳優と重なってしまうことが大きいのかも知れない。演技自体は特に悪いと思うところはない。
松岡茉優は、もっとはじけた役が似合う女優だが、ありふれた女性をしっかりと演じていた。
伊藤沙莉は、もっと若い女性役も出来るが、本作のような大人の女性も、上品な色気があって良い。

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2026年3月15日 (日)

観劇感想精選(510) 小早川保隆演出 C.T.Tプロデュース公演「オセロー」

2005年12月9日 河原町広小路の京都府立文化芸術会館にて観劇

京都府立文化芸術会館でC.T.Tプロデュース公演「オセロー」を観る。原作:ウィリアム・シェイクスピア、翻訳:福田恆存(ふくだ・つねあり 新潮文庫刊)、脚色・演出:小早川保隆。
京都の新劇と小劇場劇団から選ばれたメンバーによる公演である。

ショパンの夜想曲第20番(遺作)のソプラノ編曲版が流れ、幕が上がる。いきなり本来のラストシーンであるオセローのデズデモーナ殺しと自殺の場から始まってしまう。そこから時間が遡行していくという描き方である。
「オセロー」を観たことも読んだこともない人の中には途中まで展開がわからなかった方もいるかも知れない。巨大な時計の文字盤がセットにあったので、それを左右逆にしておけば、内面的時間における再構成ドラマとして、もっとわかりやすく見せられただろう。
率直に言ってしまえば、これは「オセロー」ではなく(少なくとも悲劇「オセロー」ではなく)、「イアーゴー」と名付けた方が適当な劇であった。
思い切った脚色と演出で試みとしては面白かったけれど、「オセロー」を観たことがない人が、「『オセロー』とはこういう芝居なのか」と誤解してしまう可能性があるのが少し恐い。それに、結果から冒頭に進む形態にしてしまうと、イアーゴー以外の人物が愚かに見えて仕方がない。

更に徹底して脚色し、ピカレスク・ロマン「イアーゴー」と銘打って公演してしまうのも一つの手であっただろう。もともとイアーゴーはオセロと並んで人気のある役であり、オセロー俳優を喰ってしまうイアーゴー役者も歴史上には沢山いた。

1番前の席だったので、各々の役者が演技をする上で何を大切にしているのかがわかり過ぎてしまい、演技の方に注意が行ってしまって、ストーリーになかなか入り込めなかった。
心理を重視する人は、ジョギングに例えると気ばかりが走って体が前のめりになり、今にも足がもつれそうな演技だったし、文化芸術会館の広さを気にする人は(特に小劇場の俳優は)声が通るように滑舌に気を配ったり、姿勢を含めた見た目に注意が行ったりで、心理面がフラットになってしまっている。ナチュラルな演技を心がけている人も周りの演技スタイルからは浮いている。別に統一感がある必要はないけれど、スタイルに差がありすぎるのは気になる。

ラストはテレビドラマでよくやるような、視覚的に美しいものだったが、やはりイアーゴーがオセローを憎む理由を強化して、ピカレスクな終わり方にした方が全体の統一感が出て、より効果的だったと思う。「イアーゴー」として観た方が楽しめる劇であった。

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2026年3月10日 (火)

観劇感想精選(509) 稲垣吾郎主演「プレゼント・ラフター」

2026年3月5日 京都劇場にて観劇

午後6時から、京都劇場で、「プレゼント・ラフター」を観る。ノエル・カワードが自身の生活をモデルにしたとされるドタバタ喜劇。ノエル・カワードはシチュエーションコメディが得意な人だが、この劇は完全にスラップスティックである。

ロンドンにあるギャリー・エッセンディーン(稲垣吾郎)の高級アパートメントの一室が舞台であり、セットの転換はない。

作:ノエル・カワード、テキスト日本語訳:徐賀世子(じょ・かよこ)。演出:小山(こやま)ゆうな。
出演:稲垣吾郎、倉科カナ、黒谷友香、桑原裕子、望月歩、金子岳憲、中谷優心、白河れい、浜田信也、広岡由里子。

時代から言って、多くの人が喫煙をするが、ニコチンなしの茶葉スティック、つまり偽煙草であることがホワイエに掲示してある。今はどの芝居も演技で用いるのは「ネオシダー」などの偽煙草であることが掲示されており、事実上、舞台上で本物の煙草を吸うことは不可能になっている。この茶葉スティック、結構匂う。

トップクラスのスター俳優であるギャリー・エッセンディーン。間違いなく成功者だが、俳優の職業病故か、常に演技をしてしまう癖がある。そう言いつつ演技でない部分も多いと思われるが、「マクベス」の「眠りを殺した」など有名ゼリフを引用してしまうことがある。

2日間の出来事が描かれる。ギャリーの朝は遅め。スウェーデン人の家政婦であるミス・エリクソン(広岡由里子。広岡由里子に家政婦役だけではもったいないので、もう一つ別の役を演じる)が掃除をし、付き人兼使用人のフレッド(中谷優心)が朝食を作り、秘書のモニカ(桑原裕子)が、ギャリーが起きる前にやるべきことを始める。主が起きるより先に働いているので、この人達は住み込みなのだと思われる。
ギャリーには妻のリズ(倉科カナ)がいる。彼女は劇作家で業界人だが、現在は別居中だ。

だが、この家にやたらと人が訪ねてくる。アフリカでのツアーが迫っており(この時代、イギリスはアフリカに多くの植民地を持っていた。今は全て手放しているが、元英国領の多くは英語を公用語としている。ということでアフリカの植民地でなら英語での芝居が打てたのである)、その関係者が来るのは分かるのだが、劇作家志望のローランド・モール(望月歩)が戯曲を読んでほしいと訪ねてきたり(リズが本職の劇作家なのでリズに聞いた方がいいような気がするが、二人が夫婦と知らないのかも知れない。ギャリーは「20回作品を書け、そうすれば21回目に光が見える」とアドバイスする)、プロデューサーのヘンリー・リピアット(金子岳憲)の妻のジョアンナ(黒谷友香)が、「トスカニーニ(指揮)のコンサートを聴きに行ったけれど鍵を落とした」というので夜遅く訪ねてくる。二人が抱き合うのが第1幕のラストだが、二人は普通に考えて男女の関係になっているということで、仕事関係で女を巡るゴタゴタが起こりそうになったりする(ギャリーが大スターなので、よく起こるような展開にはならない)。

その他にも、ギャリーに憧れた母子が訪ねてきたりする。

なんでこんなに人が訪ねてくるんだろうという展開には、三谷幸喜作の「巌流島」の佐々木小次郎(益岡徹)のセリフ、「どうして今日に限って沢山人が訪ねてくるんだ!」が思い起こされたりするが、三谷幸喜も連なる英米系の喜劇作家の作風を作り上げたのがノエル・カワードだと言っても差し支えないので、似てはくるのである。「巌流島」で人が訪ねてくる理由は、「宮本武蔵の居場所が珍しく知られているから」だが、ギャリーに会いに来るのは、「今日を逃すとしばらくギャリーに会えないから」だと思われる。

ノエル・カワードは、1899年生まれ。聖歌隊で知り合った両親の子であり、音楽的才能にも優れていた。階級的には下層中流階級で、余り大金を稼ぐことは望めないが、母親が「子役募集」のチラシを見つけ、息子の才能を信じて応募。ノエルは売れっ子子役となり、そのまま俳優、劇作家へと進んでいく。学校教育はほとんど受けていない。

常に自分を格好良く見せる強迫に駆られているようなギャリーだが、稲垣吾郎なら伊達男を演じても嫌な気はしない。
倉科カナは、初舞台を観ている女優である。2008年、兵庫県立芸術文化センター中ホール。クラシックの室内楽とコラボレーションした「4×4」という芝居である。当然ながら演技は上手くなかったが、それから5年後に上川隆也主演版の舞台「真田十勇士」にくノ一役で出たときはかなりの成長が見られ、今日の演技も役に馴染んでいる。
なお、イギリスが舞台なので、基本的に新劇スタイルの演技が採用されている。
黒谷友香は久しぶりだが、大人の女の色香がほんのりと漂い、魅力的。彼女とならギャリーが間違いを犯したとしても仕方ないように思える。

出捌けが多く、とにかく導線が重要となる舞台である。登場人物達も個性的で、ローランドが2日目に特に用もないのに訪ねてきたり、ジョアンナが夫のヘンリーの前で2人の男と関係を持ったことを明かしてしまったりと、2日間だというのに、10年分のことが起こったりする。

ヘンリック・イプセンの「ペール・ギュント」の話が出てくる。イプセンがレーゼドラマ(読むための戯曲)として書いたもので、上演を想定していなかったが、クリスチャンセン(現・オスロ)の国民劇場から何度も上演依頼があり、イプセンも「グリーグの劇附随音楽付きでなら」と許可。当初は大ヒットするが、一度上演が途切れるとほとんど上演されなくなる。
「ペール・ギュント」は、山の魔王の娘と結婚させられそうになったり、モロッコで富豪になったり、アラビアで予言者となって尊敬されるも騙されて無一文になったりと波乱万丈のストーリーである。予言的ではある。
「ペール・ギュント」の舞台でもあるアフリカでのツアーには妻のリズも愛人となったジョアンナも同行するようだ。

稲垣吾郎に最も合う音楽は、マーラーの「アダージェット」だと思っていたが、今日は実際にアダージェットが響く。ギャリーが蓄音機から流した。

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