カテゴリー「文学」の229件の記事

2021年5月 5日 (水)

これまでに観た映画より(258) 山田太一原作 大林宣彦監督作品「異人たちとの夏」

2009年8月7日

DVDで日本映画「異人たちとの夏」を観る。原作:山田太一、脚色・脚本:市川森一、監督:大林宣彦。出演:風間杜夫、秋吉久美子、片岡鶴太郎、永島敏行、名取裕子ほか。

これまで何度も観ている映画だが、京都に来てから観るのは初めてになる。映画のあらすじは憶えていたが、細部の記憶はほとんど飛んでいた。

孤独なシナリオライターの原田(風間杜夫)の部屋に、ある日、同じマンションに住む藤野桂(名取裕子)というこれまたひどく孤独な印象を纏った女性が訪ねてくる。原田は桂を相手にしないが、直後に原田はすでに亡くなっているはずの両親(片岡鶴太郎と秋吉久美子が演じている)と出会う。幼い時に両親を亡くしていた原田は、二人の下に足繁く通うようになっていくのだが……。


山田太一の原作小説も読んでいるので、それを意識しながら観た。風間杜夫の特殊メイクはやり過ぎだろうとか、ここの部分の処理は本当にこれでいいのかだとか、不満を感じてしまったのは確かだが、映画としてはまずまずの出来だと思う。

一番ひっかかったのは、風間杜夫演じる原田英雄が独り言をいうシーン。私自身独り言というのは好きでないため自分の本で書くことはほとんどないということもあり、この独り言のシーンは芝居くさくて気になってしまった。

また、名取裕子演じる藤野桂との別れのシーンは少し甘すぎるんじゃないかと思う。私だったらここは原作の方を生かす。まあ、そういう方法を選択するのかは好き好きになるのだが。

この映画で最も好きなのは、風間杜夫が亡き父親の霊である片岡鶴太郎とキャッチボールをするシーン。日本人の男の子の多くが、幼き日の最良の記憶としても持っているものであるように思う。

そして、一人で線香花火をしているシーンの秋吉久美子はとても美しい。

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2021年4月25日 (日)

観劇感想精選(393) ミュージカル「シラノ」

2009年6月3日 梅田芸術劇場メインホールにて観劇

午後7時から、梅田芸術劇場メインホールでミュージカル「シラノ」を観る。エドモン・ロスタンの「シラノ・ド・ベルジュラック」のミュージカル化。台本・作詞:レスリー・ブリカッス、テキスト日本語訳:松岡和子、作曲:フランク・ワイルドホーン、演出:山田和也。
タイトルロールを演じるのは鹿賀丈史。出演は他に、朝海ひかる、中河内雅貴、戸井勝海、光枝明彦、鈴木綜馬等。

まず、レスリー・ブリカッスの台本だが、エドモン・ロスタンの本になるべく忠実に、ミュージカル用にセリフを縮めていた。ミュージカルだけに歌の部分の時間が長くなり、ロスタンの本をそのままやったら上演時間3時間には収まらないはずだが、不自然さが感じられない程度に圧縮していた。優れた台本だといっていいだろう。クリスチャン(中河内雅貴)とロクサーヌ(朝海ひかる)のバルコニー上における二人だけの場面の歌詞はどうするのだろうかと思っていたが、二人同時に歌うということで処理していた。ここは私だったら歌詞は同じものにしてロクサーヌの後にクリスチャンの歌を入れてカノンとしてやると思う。別に私が作家ではないので私の見解などどうでもよいのだが、一意見として書いておく。

ワイルドホーンの音楽はチャーミングだ。難を言うなら、修道院の場面でのロクサーヌの独唱がドラマティック過ぎること。場面に合っていないように思う。


鹿賀丈史の落ち着いた演技は安心して観ていられる。脇も充実。ロクサーヌを演じる朝海ひかるは歌声がアルトに近いメゾ・ソプラノで(宝塚では男役だった)、ロクサーヌの可憐さには合っていないように思うが、傷にはなっていないし、修道院の場面では落ち着いたメゾ・ソプラノの方がいいとも考えられる。

おなじみ山田和也の演出はオーソドックスで、セットの使い方なども目新しさこそないがツボを押さえた確かなものであった。

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2021年4月22日 (木)

これまでに観た映画より(256) ルキノ・ヴィスコンティ監督作品「異邦人」

2021年4月19日 京都シネマにて

京都シネマで、「異邦人」を観る。ルキノ・ヴィスコンティ監督作品のデジタル復元版。アルベール・カミュの同名小説の映画化(公式サイトではなぜか原作が「ペスト」になっている)である。主演はマルチェロ・マストロヤンニで、恋人役でアンナ・カリーナが出演している。
日本初公開時は、英語による国際版での上映だったようだが、今回はイタリア語版での初上映となる。

「太陽が眩しかったから」人を殺したというくだりが有名な不条理文学を代表する作品が原作である。ただこの「不条理」をどう捉えるかで解釈も変わってくる。「自分でもよく分からない」「とにかく謎」という意味であるとするならば、今現在の現実社会ではそうした状態であることの方がむしろ自然であり、もしそうだとするなら不条理というよりも先駆的であるという意味で優れた文学作品であると評価出来る。

ただ、当然ながらそうした「よく分からない」状態は文学作品であるからこそ有効であり、映画にするとどうしても説得力を欠く作品となってしまう。20世紀を代表するヴィスコンティ監督の力量を持ってしてもそれは覆せなかったようで、映像美やカットの面白さが取り柄の作品となってしまっている。原作の文章をモノローグとして用いることが多いが、そうした手法自体が映像的ではない。映画「異邦人」は、映像ソフト化されることがこれまで一切なかったそうだが、あらすじをなぞっているだけであるため、映画として楽しむのは苦しいというのが第一の理由であると思われる。そして今現在から観ると映画化された「異邦人」はごくありきたりの物語に見えてしまう。原作小説自体が映像化に向いていないのだが、筋だけ見ると、カミュが示した世界に現実が追いつきつつあるような、一種の不気味さも感じられる。

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2021年4月12日 (月)

観劇感想精選(390) 上川隆也座長公演「その男」

2009年5月22日 大阪・なんばの(旧)新歌舞伎座にて観劇

午後4時から、大阪・なんばの新歌舞伎座で、上川隆也座長公演「その男」を観る。池波正太郎の原作を鈴木聡の脚本で舞台化。演出:ラサール石井、音楽:上妻宏光、主演:上川隆也、出演は、内山理名、キムラ緑子、池田成志、波岡一喜、六平直政、平幹次郎ほか。

幕末と明治維新期を舞台に、架空の人物である杉虎之助(上川隆也)の一代記を描く。

全3幕、各1時間ずつで、途中休憩を除いても3時間を超える大作である。第1幕と第2幕の舞台は幕末が舞台であり、第3幕では戊辰の役から西南戦争を経て、日清・日露戦争、昭和に入ってからの二・二六事件までの時代が流れていく。

第1幕、第2幕は、激動の幕末を舞台に、井伊大老の命を帯びた隠密の暗躍、薩摩藩の台頭などを背景としたスリリングな展開が見られる。その対比として、第3幕では維新後の、時代は動いていくが主人公の杉虎之助は比較的平穏な生活を送っているという設定になっている(維新後に小樽で楽隠居となった新選組の永倉新八のちの杉村義衛は杉虎之助のモデルの一人であると思われる)。

そのためか、第2幕と第3幕の間に断絶が感じられる上に、第3幕には食い足りなさを覚えた。

時代は変わっても人間は変わらない。その人間の愚かしき宿命を動くために第3幕の展開はある程度の妥当性があるのだろうが、演劇として面白いかどうかは別である。本にもう一工夫欲しいところ。

ラサール石井の演出はセットの使い方が巧みで、笑いも大いに取れるものだったが、人間の奥深さはもっと描く必要があったように思う。その点で脚本の主題を上手く押さえていたとは言い難い。


殺陣のシーンでは、上川隆也の刀の先までピシリと決まった動きが美しかった。発声も出演者の中で上川が一番明瞭で聞きやすい。

内山理名は、蜷川幸雄演出の「リア王」が良くなかったので期待していなかったが、役が彼女のキャラクターに合っていたのか、「リア王」の時よりはずっと上出来であった。

六平直政はストーリーテラーも兼ねるが、新歌舞伎座の音響が悪いということも重なってセリフが聞き取りにくいところがあった。

中村半次郎=桐野利秋を演じた池田成志は個性全開だが好き嫌いが分かれそうな演技。そこがまた池田成志らしいのだが。


脚本と演出をもっと練り上げて欲しかったが、役者の演技は楽しめた公演だった。

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2021年3月26日 (金)

観劇感想精選(387) 上川隆也&斎藤晴彦 「ウーマン・イン・ブラック」2008

2008年7月10日 シアター・ドラマシティにて観劇

大阪へ。午後7時より、シアター・ドラマシティで、「ウーマン・イン・ブラック」を観る。原作:スーザン・ヒル、脚本・脚色:スティーブン・マラトレット、テキスト日本語訳:川本燁子(かわもと・ようこ)、補訳:三砂博、演出:ロビン・ハーフォード、主演:上川隆也、斎藤晴彦。

ゴシックホラーの傑作「ウーマン・イン・ブラック」。これまで観た芝居で最も恐かったものを挙げよと言われたら、私は間違いなくこの作品を選ぶ。

「ウーマン・イン・ブラック」は、1987年にロンドンで初演。日本版初演は1992年に萩原流行と斎藤晴彦の主演で行われている。斎藤晴彦は以後、相手役を変えながら、「ウーマン・イン・ブラック」の上演を続けており、今回は6度目の上演となる。本日、7月10日のこの大阪公演がツアー初日であり、この後、広島、名古屋、札幌、福岡、仙台、新潟、東京の順で上演が行われ、9月には同じメンバーで渡英、ロンドンのフォーチュン・シアターでの公演も行う。

アーサー・キップスという元弁護士(斎藤晴彦)が、若い頃の怖ろしい体験を家族や友人に語るために本を書き、朗読の訓練を受けるためにある俳優(上川隆也)を訪ねる。俳優は、この本をそのまま朗読したのでは少なくとも5時間はかかると言い、演劇スタイルでの発表を提案、早速稽古に入る。俳優が若き日のアーサー・キップス(ヤング・キップスと表記されてもいる)を演じ、今のアーサー・キップスはその他の登場人物全てを演じ分ける。

アーサー・キップスは日本初演の時からずっと斎藤晴彦が演じている。ヤング・キップスは萩原流行が2度演じ、西島秀俊が後を受けて1996年に演じている。そして上川隆也が1999年にヤング・キップスを演じ、以後上川は、2003年そして今回と、3度ヤング・キップスを演じている。

私は1999年の「ウーマン・イン・ブラック」と2003年の「ウーマン・イン・ブラック」も観ているので、上川のヤング・キップスは毎回観ているということになる。そもそも、1999年の「ウーマン・イン・ブラック」を観たきっかけは、上川隆也の主演だったからであり、ヤング・キップスは上川が演じた数々のキャラクターの中でも最もはまっている役だと思える(後記:2008年当時)。上川がヤング・キップスを演じるたびに観に出かけるのは当然であるともいえる。


とにかく恐い劇なのだが、恐怖劇の常として、最初に観たときのインパクトが最も強く、再演ではタネがわかっているために、恐怖はさほど感じないということになる。

私の場合も、1999年の「ウーマン・イン・ブラック」が最も衝撃的であった。だが、その後は、仕掛けによる恐怖よりも、役者の魅力や、人間存在の怖ろしさの方に目が向くようになったため、恐怖は薄らいでも楽しめるのである。

今回の「ウーマン・イン・ブラック」で新たに発見したのは、愛の恐さと、人間の情念の怖ろしさ、そして人間の業の深さである。特に業の深さについては、私も年を重ねているために、ありありと感じ取ることが出来るようになっている。20代の頃は、業はあっても、そう長くは続かないだろうと軽く考えていたものだが、今は、「いや、これは一生続くかも知れないな」と感じるようになっている。20代ですでに感じていた業のいくつかは、今に至ってもほとんど薄れていないからである。


上川の演技には、1999年の「ウーマン・イン・ブラック」の時から感心しっぱなしだが、今回はセリフ以外のところに感心させられた。段取り通りに動いているのだが、そうは見えず、その場その場の判断で動いているかのように見えるのがまず素晴らしい。そして、いかにも自然な動きに見えるのだが、良く見ると手の動きなどは最短コースを辿っていて、動きに無駄が全くないことがわかる。


斎藤晴彦は、これまでずっとアーサー・キップスを演じてきただけに、今後も彼以外のアーサー・キップスは考えられないほどの域に達していた(後記:斎藤晴彦は、2014年に73歳で他界した)。

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2021年3月23日 (火)

これまでに観た映画より(252) スピルバーグ製作「SAYURI」

2008年6月17日

DVDでアメリカ映画「SAYURI」を観る。スティーヴン・スピルバーグ製作、ロブ・マーシャル監督作品。主演:章子怡(チャン・ツィイー)。出演は、鞏俐(コン・リー)、ミシェル・ヨー、桃井かおり、役所広司、工藤夕貴、大後寿々花、渡辺謙ほか。アメリカから見た日本が描かれているため、実際の日本や日本文化とは異なるところが多くある。

第二次世界大戦前後の、京都・祇園を舞台にした作品である。主役である「さゆり」は芸者。京都なので芸妓が正しいが、“GEISHA”や“MAIKO”は英語で通じても、“GEIKO”は通じないので、芸者でもいいだろう。

京都が舞台であるが、セリフの大半は英語。ただ、背景で時々日本語が聞こえてくる。

映像もセットも美しく。話も美しい。全てが「美しい」の一言で済んでしまうところが惜しいが。

舞いの名手である章子怡の舞いは、怖ろしいほどの美しさを持つ。

それにしても、さゆりの子供時代を演じる大後寿々花の演技の上手いこと上手いこと。これだけの子役を良く見つけてきたものである。

音楽はジョン・ウィリアムズ。ヴァイオリン演奏はイツァーク・パールマン、チェロ演奏はヨーヨー・マ。実に豪華な顔ぶれだ。旋律がたまに中国しているのが気になるが、章子怡と鞏俐という中国の二大女優の共演でもあり、中国風の音楽であっても文句はいえないだろう。

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2021年3月 7日 (日)

コンサートの記(700) 下野竜也指揮 NHK交響楽団西宮公演2021

2021年3月3日 西宮北口の兵庫県立芸術文化センターKOBELCO大ホールにて

午後7時から、西宮北口の兵庫県立芸術文化センターKOBELCO大ホールで、NHK交響楽団演奏会西宮公演を聴く。指揮は下野竜也。下野とN響のコンビの実演に接するのは二度目である。

下野竜也は、NHKの顔となる大河ドラマのオープニングテーマの指揮を手掛けることが多く、NHKとNHK交響楽団から高く評価されていることが分かる。

少し早めに兵庫県立芸術文化センター(HPAC、PAC)に着いたので、いったんHPAC前の高松公園に下り、コンビニで飲料などを買って(新型コロナ対策として、ビュッフェは稼働せず、ウォーターサーバも停止されているため、飲み物はHPACの1階にある自動販売機か、劇場の外で買う必要がある)高松公園で飲み、高松公園からHPACのデッキ通路へと上がる階段を昇っている時に、眼鏡を掛け、髪を後ろで一つに束ねて(ポニーテールとは少し異なり、巫女さんがしているような「垂髪」に近い)、ヴァイオリンケースを背負った女性が折り返し階段を巡って目の前に現れたのに気がついた。マスクをしていたが、「あ、大林(修子。「のぶこ」と読む。NHK交響楽団第2ヴァイオリン首席奏者)さんだ」とすぐに気づいたが、それは表に出さずにすれ違った。大ベテランと呼んでもいい年齢のはずなのに、今なお女学生のような可愛らしい雰囲気を漂わせていることに驚いた。
NHK交響楽団も世代交代が進み、私が1990年代後半に学生定期会員をしていた頃とは顔触れが大きく異なる。歴代のN響団員全ての名前を覚えているわけではないのだが、学生定期会員をしていた頃から変わらず活動しているのは、大林修子、第1コンサートマスターの「マロ」こと篠崎史紀や首席チェロ奏者の「大統領」こと藤森亮一(共に今回のツアーでは降り番)など一桁しかいないはずである。首席オーボエ奏者であった茂木大輔は2019年に定年退職。5年間のオーボエ奏者としてのN響との再雇用を選ぶか指揮者の道に進むかで悩んだそうだが、指揮法の師である広上淳一の助言を受けて、指揮者として独立して活動することに決めたことが、茂木の最新刊である『交響録 N響で出会った名指揮者たち』(音楽之友社)に記されている。クラリネット首席の磯部周平、コンサートマスターとしてN響の顔も務めた堀正文などは、いずれもN響を定年退職している。

 

今回の、NHK交響楽団演奏会西宮公演は、入場前にチケットの半券の裏側に氏名と電話番号を記しておく必要がある。またAndroidのアプリが全く機能していなかったことで悪名高くなってしまったCOCOAのインストールや、兵庫県独自の追跡サービスに登録することが推奨されている。

 

今日のコンサートマスターは伊藤亮太郎。N響が日本に広めたとされるドイツ式の現代配置での演奏である。下野はステージに上がる前にコンサートマスターとフォアシュピーラーの二人と右手を少し挙げるだけのエア握手を行う。

 

曲目は、ベートーヴェンの「プロメテウスの創造物」序曲、ブラームスのヴァイオリン協奏曲ニ長調(ヴァイオリン独奏:三浦文彰)、ブラームスの交響曲第4番。N響が得意とするドイツものが並ぶ。

 

今日も客席は前後左右1席ずつ空けるソーシャル・ディスタンス対応シフトであるが、席によっては隣り合っていても問題なしとされているようである(家族や友人、知人などの場合が多いようである)。1階席の前列は、1列目と2列目は飛沫が掛からないよう席自体を販売しておらず、2階サイド席のステージに近い部分も客を入れずに飛沫対策を優先させている。

 

ベートーヴェンの「プロメテウスの創造物」序曲。弦楽器奏者はビブラートをほとんど用いないというピリオド的な演奏が行われる。古楽器での演奏のマイナス点として現代のコンサートホールという広大な空間にあっては音が小さ過ぎるということが挙げられると思うのだが、モダン楽器によるピリオド・アプローチならその差は僅かで、今回もN響の音の強度と密度と硬度にまず魅せられる。結晶化されつつボリュームも満点であり、音の輝きも素晴らしい。下野の怖ろしいほど精緻に形作られた音の輪郭が聴く者を圧倒する。
N響の奏者も今日は技術的に完璧とはいかなかったようだが、楽団としては90年代からは考えられないほどに進歩していることを実感させられる。90年代に渋谷のNHKホールで聴いていた時も「良いオーケストラだ」と思っていたが、近年になってEテレで再放送された当時の演奏や、リリースされた音盤を聴くと、「あれ? N響ってこんなに下手だったっけ?」と思うことが度々ある。それ故に長足の進歩を遂げたことが実感されるのであるが。特にエッジのキリリと立った各楽器の音は関西のオーケストラからは余り聴かれない種類のものであり、名刀を自由自在に操る剣豪集団が、刀を楽器に変えて、音で斬りかかって来るかのような凄みを放っている。

 

ブラームスのヴァイオリン協奏曲ニ長調。売れっ子ヴァイオリニストである三浦文彰がソリストを務める。下野とN響、三浦文彰という組み合わせは、2016年の大河ドラマである「真田丸」のオープニングテーマを想起させられるが、今回は残念ながらアンコール演奏自体がなし。考えてみれば「真田丸」も5年前のドラマであり、劇伴ということで賞味期限切れと見なされている可能性もある。

「真田丸」は過去のこととして、ブラームスのヴァイオリン協奏曲で三浦は純度の高いヴァイオリンを奏でる。淀みがなく、この世の穢れと思えるものを全て払いのけた後に残った至高の精神が、音楽として姿を現したかのようである。「純度が高い」と書くと綺麗なだけの音に取られかねないが、そうした形而下の美を超越した段階が何度も訪れる。スケールも大きい。
下野指揮するN響も熟した伴奏を聴かせる。第2楽章のオーボエソロを担った首席オーボエ奏者の吉村結実(だと思われる。今日は4階席の1列目で、転落防止のための手すりが、丁度目の高さに来るということもあり、ステージ全体を見合わすことが出来ないという視覚的ハンディがある)の演奏も神々しさが感じられ、この曲の天国的一面を可憐に謳い上げる。
渋さと輝きを合わせ持つ下野指揮のN響は、ライプツィッヒ・ゲヴァントハウス管弦楽団のような演奏を行える可能性を宿しているように感じられた。

 

ブラームスの交響曲第4番。ブラームス作品2作ではベートーヴェンとは違ってビブラートも盛大に用いられており、ピリオドの影響は感じられない。
下野の音楽性の高さは、苦味の中に甘さを湛えた表現を繰り出すことで明らかになっていく。感傷的だが自己憐憫には陥らない冒頭を始め、濃厚なロマンティシズムを感じさせつつ古典的造形美をきちんと踏まえた表現の的確さが印象的である。
第4楽章のシャコンヌ(パッサカリア)では、尊敬する大バッハへの憧憬を示しつつ、激流の中へと巻き込まれ、呻吟しているブラームスの自画像のようでもある。

N響の音は威力満点であるが、それに溺れることなく、バランスを保ちながら細部まで丁寧に詰めることで、濃厚にして情熱的なブラームス像が立ち上がる。

 

演奏終了後、指揮台に戻った下野は、右手の人差し指を立てて、「あともう1曲だけ」とジェスチャーで示し、「ベートーヴェンの『フィデリオ』の行進曲を演奏します。またお目にかかれますように」と語り(語尾の部分は客席からの拍手ではっきりとは聞き取れなかったので、聞こえた音に一番近い表現を記した)演奏が始まる。やはり音の輝きと堅固さが最大の特徴である。短い曲であり、あっさり終わってしまうため、下野は客席を振り返って、「終わり」と曲が終わったことを宣言して指揮台を後にした。

下野竜也はおそらく完璧主義者(師である広上淳一によると「音楽オタク」らしい)で、曲の細部に至るまでメスを入れて、表現を徹底させようとしているところがある。そのため、聴いている最中は彼が生み出す音楽の生命力に感心させられることしきりなのであるが、ほぼ全ての部分や場面を完璧に仕上げようとしているため、聞き終わった後の曲全体の印象が茫洋としてしまうところがある。余り重要でない部分を流せる技術や心情を得られるかどうか、そこが下野が今後克服すべき課題のように思われる。

ともあれ、N響と下野の力を再確認させられた演奏会であり、あるいは今後何十年にも渡って共演を重ねていくであろう同コンビの、まだまだ初期の局面に接することの出来た幸せを噛みしめたい。

 

ブラームスの交響曲第4番を聴くと、たまに村上春樹の小説『ノルウェイの森』を思い出す。主人公の「僕(ワタナベトオル)」が、この作品の二人いるヒロインの一人である直子を誘ったコンサートのメインの曲目がブラームスの交響曲第4番であった。「僕」はブラームスの交響曲第4番が「直子の好きな」曲であることを知っており、演奏会を選び、チケットも2枚取ったのだ。ブラームスが好きな女性は昔も今も珍しい。
当日、直子はコンサート会場には現れなかった。直子のいない空間で一人、ブラームスの交響曲第4番を聴くことになった「僕」の気持ちを時折想像してみる。おそらくそれはブラームスのクララ・シューマンに対する慕情に似たものであるように思われる。だからこそ村上春樹はこの曲を選んだのだ。報われぬ恋の一過程として。

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2021年3月 1日 (月)

青空文庫 芥川龍之介 「アグニの神」&「妖婆」

「アグニの神」

https://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/43014_17430.html

 

「妖婆」

 https://www.aozora.gr.jp/cards/000879/files/184_15259.html

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2021年2月22日 (月)

これまでに観た映画より(251) ロビン・ウィリアムズ主演「いまを生きる」

2021年2月20日

配信でアメリカ映画「いまを生きる」を観る。1989年の制作。シンセサイザーを使ったモーリス・ジャールの音楽が時代を感じさせる。ピーター・ウィアー監督作品。ロビン・ウィリアムズ主演作。脚本のトム・シュルマンが、第62回アカデミー賞で脚本賞を受賞している。内気な少年、トッド・アンダーソン役でイーサン・ホークが出演。ニール・ペリー役のロバート・ショーン・レナードとイーサン・ホークは後に劇団を結成したりもしたようだ。

1959年、バーモント州にある名門寄宿学校、ウェルトン学院(ウェルトン・アカデミー)が舞台である。卒業生の約75%がアイビーリーグ(アメリカの大学に詳しくない人のために、字幕では「8名門大学」と訳されている。ハーバード大学、イェール大学、プリンストン大学、ブラウン大学、コロンビア大学、コーネル大学、ダートマス大学、ペンシルベニア大学の8つの東海岸北部の私立大学)に進むという進学校だが、ウェルトン学院に掛けてヘルトン学院(地獄学院)と生徒達に揶揄されるほど厳格な校風である。

ウェルトン学院に英語教師(日本でいう英語の教師ではなく、国語の教師とも違い、文学指導の先生である)、ジョン・キーティング(ロビン・ウィリアムズ)が赴任してくる。ウェルトン学院のOBであるが、それまではロンドンのチェルシーにある学校で教師をしていた。
ジョン・キーティングは、アカデミックな詩の教育ではなく、自らが主体となる文学を授けるべく、教室だけではなく、学校の廊下や中庭などでも独自の授業を開始する。人生の短さにも触れ、「いまを生きる」ことの大切さを生徒達に教え、自身のことも「キーティング先生」と呼んでもいいが、ホイットマンがリンカーンに捧げた「おお、キャプテン! 我がキャプテン!」にちなんで「キャプテン」と呼んでも良いと生徒達に伝える。生徒達はキーティングのことを「キャプテン」と慕い始める。

学年トップの成績を誇るニール(ロバート・ショーン・レナード)がキーティングがウェルトン学院に在学していた時の年鑑を見つける。ケンブリッジ大学に進学希望で、「死せる詩人の会」というサークルに所属していたことを知った生徒達は、詩の朗読や創作を行うサークルであった「死せる詩人の会」を復活させ、キーティング在籍時代の「死せる詩人の会」も根拠地としていた洞窟の中で自由な青春を謳歌する。内気な少年であったトッド・アンダーソン(イーサン・ホーク)も「その場にいるだけ」という条件で「死せる詩人の会」に参加する。

やがて「死せる詩人の会」メンバー達の生活に変化が起こる。ノックスは、他の高校に通うクリスという女の子(チアリーディングを行うなど、なかなか活発な女子のようである。演じるのはアレクサンドラ・パワーズ)に一目惚れし、彼女に捧げる詩を作る。
詩の創作に乗り気でなかったトッドもキーティングの前で即興で詩を作ることになり、内面が解放されていく。
ニールは、俳優になりたいという夢を見つけ、「真夏の夜の夢」の舞台公演のオーディションに参加、一番人気であるパック役に抜擢される。
だが、そうした自由さはウェルトン学院の校風にそぐわず、やがていくつかの悲劇が訪れることになる。

硬直した校風のエリート校に風穴を開ける教師と、それまでとは違った価値観を見出すことになる若者達の物語である。文学作品、特に詩が主軸となっており、実学とは異なり「人生を豊かにする」文学作品の素晴らしさが語られる。ただ一方で、文学作品の自由な解釈に関しては私は懐疑的で、内容を把握する努力を怠る危険性を感じたりもするのだが、21世紀に入ってから文学軽視の風潮は世界的により高まっており、こうした映画によって言葉で語り、表現し、受け取ることの素晴らしさを人々に広めて貰えたらとも思っている。

名門大学進学のために「今」を犠牲にする風潮も、私達の世代ほどではないが、現在も日本では根強い。実は青春時代に身につけておかなければならないことは勉強以外にも数多い。きちんと語り、受け取る技術もそれで、若い時代に身につけておかないと挽回は難しい。この映画が制作された1989年や舞台となった1959年とは比べものにならないほどの情報社会が訪れ、文章による伝達の機会も多くなったが、青年期に文学作品にきちんと向かい合う人が少ないため、極々初歩的なやり取りも成立せず、勘違いに勘違いが重なるケースが後を絶たない。「自分自身で考える」「自分の言葉を用いる」ということは、当たり前のようでいて実は難度はかなり高い。相手がいる以上、自己流を貫いてばかりでは伝達は成立しない。そこには人文的素養が必ず必要になってくる。

劇中で、キーティングが机に上に立って視点を変えることを奨励する場面が出てくる。ラストではキーティングはウェルトン学院を去ることになるのだが、彼の志は何人かの生徒に確実に受け継がれるであろうことが見て取れる。1年前に他界した野村克也は、後藤新平の「財を遺すは下、仕事を遺すは中、人を遺すを上とする」という格言を愛したが、キーティングは進学実績を残す前に学院を去るも人を遺すことには成功したのだ。人に教える人間としては、「上」であったと言える。

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2021年2月21日 (日)

観劇感想精選(385) 佐藤隆太主演 舞台「いまを生きる」(再演)

2021年2月13日 大阪・西梅田のサンケイホールブリーゼにて観劇

午後1時から、西梅田のサンケイホールブリーゼで、舞台「いまを生きる」を観る。ロビン・ウィリアムズ主演の名画の舞台化で、今回は再演となる。主演は佐藤隆太。

佐藤隆太主演の「いまを生きる」が再演されるという情報は得ていたのだが、チケットの取り扱いがイープラスとローソンチケットとぴあの電話予約だったということもあり、いつどこで上演されるのかまでは掴んでいなかった。先月、野村万作萬斎の狂言公演を観に行った際に、サンケイホールブリーゼエントランス近くのチラシコーナーで「いまを生きる」のチラシを見つけ、「佐藤君主演だったら観なきゃな。『エブリ・ブリリアント・シング』では良い経験させて貰ったし」というわけでイープラスでチケットを取った。

佐藤隆太も女性のファンが多い俳優だが、それに加えて、ジャニーズJr.のメンバーが出演するため、客席の大半は若い女性である。

今回の「いまを生きる」は、オフブロードウェイで上演された作品の日本語上演版である。「いまを生きる」には、生徒が自殺するシーンがあるのだが、映画から起こした台本を使って高校演劇として上演されたことがあり、その高校で数ヶ月前に自殺事件が発生していたため、「倫理的にどうか」と疑問視されたことがある。ただ、今回はそれとは別のバージョンである。

脚本:トム・シュルマン(映画版脚本。第62回アカデミー賞脚本賞受賞)、演出・上演台本:上田一豪(うえだ・いっこう。東宝演出部所属)。
出演は、佐藤隆太、佐藤新(ジャニーズJr.)、瀬戸利樹、影山拓也(ジャニーズJr.)、基俊介(ジャニーズJr.)、三宅亮輔、市川理矩、日向なる、飯田基祐、佐戸井けん太。

日本初演は2018年で、3年ぶりの再演となる。

舞台となるのは、アメリカ北東部、バーモント州にある寄宿学校(ボーディングスクール)、ウェルトン・アカデミーである。アイビーリーグに多くの生徒を送り出している名門校であるが、その手の学校にありがちなように、保守的で厳格な校風であり、教師や親からの「幸福の押しつけ」が起こりやすい環境である。
そこに赴任して来た新人英語教師(日本のように非英語圏の人に英語を教えるわけではないので、日本でいう国語教師に近い。ただアメリカには当然ながら本当の意味での古文や漢文などはないので、教えるのは文学作品中心である)のジョン・キーティング(佐藤隆太)。ウェルトン・アカデミーのOBである。初登場シーンでは、口笛でベートーヴェンの「歓喜の歌」を吹きながら現れる(原作映画では別の曲である)。まず最初の「詩とは何か」の定義で教科書に書かれていることを否定し、真の意味での優れた文学教育や人間教育に乗り出していく。ただ、寄宿学校に通う生徒の両親は、往々にして金持ちだが保守的で息子の進路を勝手に決めてしまうというタイプが多いため、ジョンのやり方は次第に非難を浴びるようになっていく。ウェルトン・アカデミーの校長であるポール・ノーラン(佐戸井けん太)も自由さや独自性を重視するジョンのやり方を問題視するようになっていった。

ジョンは、生徒達に詩作を行うことを薦める。最初の内は戸惑っていた生徒だが、次第にジョンに共鳴するようになり、クラスで首席を取りながら、親が決めた道に進まざるを得ない状況となったニール(瀬戸利樹)も、ジョンに触発されて以前から興味のあった俳優の仕事に興味を持ち、他校で行われる「真夏の夜の夢」のオーディションに参加、一番の人気役であるパックにキャスティングされて大喜びである。
ジョンは、生徒達に机の上に立って、視点を変えるといったような発想法の転換などを中心に教えていく。

思春期の男の子達ということで、一番の話題はやはり恋愛。寄宿学校は男子生徒のみであり、女子との接点は少ないのだが、ノックス(影山拓也)は、パーティーで知り合ったクリス(日向なる)に一目惚れ。何かと話題にしている。

男子生徒達は、ウェルトン・アカデミー在学時代のジョンに興味を示し、残された文集やデータなどから、ジョンがウェルトン時代に「死せる詩人の会」という詩の朗読サークルに所属していたことを知る。現在は残っていないサークルだったが、生徒達は再興することを決め、文学と自由を謳歌するようになるのだが……。

ニールは「真夏の夜の夢」に出て好評を得たが、父親のペリー(飯田基祐)から、俳優などやらず、ハーバード大学の医学部に進み、医者になるよう強制される。それが代々のペリー家の男子の生き方だったようだ。苦悩するニールは最終的には拳銃自殺を選んでしまうという、ヘルマン・ヘッセの『車輪の下』の系譜に列する作品でもあり、子ども達への「愛情」のあり方が問われている。

ジョンが最初に生徒に教えたのは、ホイットマンがリンカーン大統領の思い出に捧げた「おおキャプテン! わがキャプテン!」であり、ジョンも教師というよりキャプテンであることを生徒に印象づける。この「おおキャプテン! わがキャプテン!」は、亡くなったリンカーンを死にゆく船長になぞらえたもので、内容自体は不吉であり、ジョンのその後を予言する結果となっている。

結局、ジョンは、保守的な学校体制には勝てず、寄宿学校を去ることになるのだが、最後に生徒達は机の上に立ち上がり、「おおキャプテン! わがキャプテン!」と唱えて、ジョンを支持するのであった。

 

アメリカの学園もの映画の中では、「いまを生きる」以外に、リチャード・ドレイファス主演の「陽のあたる教室」なども好きなのだが、「陽のあたる教室」も日本でも舞台化されており、まだ東京に通っていた頃なので、私は世田谷パブリックシアターで観ている。主演は水谷豊で、大阪ではシアター・ドラマシティで公演が行われたようである。息子役が黒田勇樹であったのが良かったのか悪かったのか今となっては微妙に思える。

 

カーテンコールでは佐藤隆太が、本日の話し手として、リチャード・キャメロン役の市川理矩を指名。キャメロンは、生徒達が「おおキャプテン! わがキャプテン!」でジョンを讃えている時に、自己保身のため一人だけ立ち上がることの出来ない生徒なのだが、市川が「机の上に立ってみたかった」と言ったため、特別にキャメロンも立ち上がるバージョンのラストシーンが演じられることになる。途中で自殺してしまうニール役の瀬戸利樹も冗談で参加しようとするが、佐藤隆太が、「いや、ニールがいるのはおかしい」と突っ込んだためすぐに退場する。
キャメロンが机の上に立って、「おおキャプテン! わがキャプテン!」をやった時には、客席が若い女の子中心ということで、黄色い声や笑い声、拍手などが鳴り響いた。

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