カテゴリー「冬」の9件の記事

2020年12月24日 (木)

コンサートの記(674) 「京都市交響楽団 クリスマスコンサート」2020

2020年11月20日 京都コンサートホールにて

午後3時から京都コンサートホールで、「京都市交響楽団 クリスマスコンサート」を聴く。
メインはレイモンド・ブリッグズ原作の無声アニメーション「スノーマン」(1982年制作)のフィルムコンサートであり、主に子ども向け、親子向けのコンサートである。「スノーマン」のフィルムコンサートは、以前にも京都市交響楽団のオーケストラ・ディスカバリーで園田隆一郎の指揮によって上映されたことがあり、好評を受けての再演ということになったのだと思われる。

今日の指揮者は広上淳一門下の関谷弘志。知名度はそれほど高くないが、「三度の飯よりクラシック音楽が好き」という人なら名前ぐらいは知っているという指揮者である。
関谷弘志は、元々はフルート奏者で、パリのエコール・ノルマルでのフルート科を卒業し、大阪センチュリー交響楽団(現・日本センチュリー交響楽団)のフルート奏者として活躍した後に東京音楽大学の指揮科に入学し、広上淳一と三石精一に師事している。
これまでに仙台フィルハーモニー管弦楽団副指揮者、オーケストラ・アンサンブル金沢の専属指揮者などを経て、現在は同志社女子大学学芸学部音楽学科講師(吹奏楽担当)を務めている。

 

曲目は、第1部「ファンタジック・メロディ」が、ルロイ・アンダーソンの「そりすべり」、「忘れられた夢」、「フィドル・ファドル」、J・S・バッハ/グノーの「アヴェ・マリア」(オーケストラ編曲者不明)、チャイコフスキーのバレエ組曲「くるみ割り人形」から“花のワルツ”。第2部が、ハワード・ブレイクの音楽による「スノーマン」フィルムコンサートだが、途中休憩はなく、上演時間約1時間に纏められている。

今日のコンサートマスターは泉原隆志、フォアシュピーラーに尾﨑平。ドイツ式の現代配置による演奏だが、「スノーマン」の上映のため、ステージは管楽器奏者が一段高くなっているだけで、高さは抑えられている。

今日も客席は前後左右1席空けのソーシャルディスタンス対応布陣となっていた。見切れ席は販売されていないため、集客も抑え気味であるが、それに指揮者の知名度などを加えて勘案すると入りはまあまあといったところである。

関谷弘志の指揮するルロイ・アンダーソン作品は、色彩豊かではあるが表情はやや堅め。昔、ドイツのオーケストラが演奏したルロイ・アンダーソン作品のCD(正確に書くと、ピンカス・スタインバーグ指揮ケルン放送交響楽団のCDである)を聴いたことがあるが、それに少し似ている。もう少し洒落っ気が欲しいところである。

関谷弘志は、マイクを両手に持って自己紹介と京都市交響楽団の紹介をし、客席に向かって「コロナ禍にお集まり下さったことに感謝致します」と述べた。

J・S・バッハ/グノーの「アヴェマリア」は、沼光絵理佳のピアノ・チェレスタでバッハ作曲の伴奏(元々は伴奏ではなく、平均律クラーヴィアのプレリュードという独立した楽曲である)が奏でられた後に泉原のヴァイオリンがグノー作曲のメロディーをソロで奏で始めるという編曲で、弦楽合奏にホルンとファゴットが加わり、フルートがソロを奏でて全楽合奏に到るというものである。

チャイコフスキーのバレエ組曲「くるみ割り人形」より“花のワルツ”も華やかさには欠け気味だったがきちんと整った演奏になっていた。

 

第2部「スノーマン」。映写は京都映画センターが行う。上映時間は約26分。映像に演奏を合わせるのは難しく、時折、音楽が先走ったりする場面もあったが、全般的には状況によく合ったテンポと描写による演奏を行っていたように思う。関谷の指揮する京響の音色もアニメーションの内容にピッタリであった。「ウォーキング・イン・ジ・エア」のボーイソプラノを務めるのは京都市少年合唱団の谷口瑛太郎(一応、カヴァーキャストとして稲葉千洋が控えていたようである)。美しくも幻想的な歌声を聴かせ、「スノーマン」の空中飛行の場面を彩った。
「スノーマン」はキャラクターはよく知られているものの、内容は誰でも知っているという類いのものではないが、男の子が雪の日に自分で作り上げたスノーマン(雪だるま)と共に空を舞いながら冒険の旅に出掛けるという物語である。レイモンド・ブリッグズの絵のタッチが愛らしく、雪景色の描写の美しさとファンタスティックな展開(子どもの頃に映画館で「大長編ドラえもん」シリーズを観た時の心持ちが思い出される)、そしてラストなどが印象に残る。

 

アンコール演奏は、藤岡幸夫司会の音楽番組「エンター・ザ・ミュージック」(BSテレ東)のオープニング楽曲としても知られるようになった、ルロイ・アンダーソンの「舞踏会の美女」。関谷もフィルムコンサートの指揮という大仕事を成し遂げた後であるためか、今日聴いたルロイ・アンダーソン作品の演奏の中でも最もリラックスした感じのチャーミングな仕上がりとなっていた。

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2020年8月 6日 (木)

美術回廊(55) 京都国立近代美術館所蔵作品にみる「京(みやこ)のくらし――二十四節気を愉しむ」

2020年7月31日 左京区岡崎の京都国立近代美術館にて

左京区岡崎にある京都国立近代美術館で、京都国立近代美術館所蔵作品にみる「京(みやこ)のくらし――二十四節気を愉しむ」を観る。

新型コロナウィルスにより、多くの行事が流れてしまった京都。その京都の四季の彩りを再確認するために京都国立近代美術館所蔵品を中心として開催されている展覧会である。

階段を上ると「晩夏」から、エレベーターを使うと「初夏」の展示から観ることになる展覧会。階段を使って「晩夏」より入る。

四季を更に細分化した二十四の季節を持つ日本。古代中国由来なので、必ずしも今の暦と符合するわけではないが、恵みと脅威を合わせ持つ自然に対する細やかな意識が察せられる区分である。

 

階段を上がったところに、北沢映月の「祇園会」という屏風絵が拡げられている。1991年に京都国立近代美術館が購入した絵だ。「小暑」の区分である。
京舞を行っている母親をよそ目に、祇園祭の鉾の模型で二人の女の子が遊んでいる。一人は鉾を手に転がそうとしているところで、もう一人はそれを受け止めるためか、片手を挙げている。動的な絵である。

不動立山の「夕立」は、おそらく東本願寺の御影堂門と烏丸通を描いたと思われる作品である。昭和5年の作品なので、京都駅は今のような巨大ビルではないし、京都タワーもなかったが、それを予見するかのような高所からの俯瞰の構図となっている。これは不動茂弥氏からの寄贈である。

「大暑」では、丸岡比呂史の「金魚」という絵が出迎える。昨日観た深堀隆介の金魚とは当然ながら趣が異なり、愛らしさが前面に出ている。

同じタイトルの作品が並んでいるのも特徴で、「処暑」では、福田平八郎の軸絵「清晨」(どういう経緯なのかはよく分からないが、旧ソヴィエト連邦からの寄贈)と深見陶治の陶器「清晨」が並んでいる。趣は大分異なるが、各々が感じた朝の気分である。

具体美術協会を起こしたことで知られる吉原治良(よしはら・じろう)の作品もある。「朝顔等」という絵だが、朝顔の周りに海産物が並べられており、海は描かれていないが海辺であることが示唆されている。夫人による寄贈。

 

「立秋」にはこの展覧会のポスターにも使われている、安井曾太郎の「桃」が展示されている。邪気を払う特別な果物だ。

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「中秋」では、京都画壇を代表する女性画家である上村松園の「虹を見る」(文化庁からの管理換)という屏風絵が素敵である。虹は右上に小さく描かれ、それを若い女性と母親と赤ん坊が見上げるという作品であるが、虹がまだ何かもわからない年齢なのに惹かれている赤ん坊が特に印象的である。

「秋分」では、小川千甕(おがわ・せんよう)の「田人」という作品が「その先」の想像をくすぐる出来である。2001年度購入作。

俳優の近藤正臣の親族としても有名な陶芸家の近藤悠三の作品もある。堂々とした作風である。

 

坂本繁二郎の「林檎と馬齢著」(立冬)。全く関係ないが、最近観た見取り図の漫才ネタを思い出す。

 

秋野不矩の「残雪」(「初春」。1985年に作者が寄贈)。これも関係ないが中国を代表する前衛小説家の残雪の作品を最近は読んでいない。急に読んでみたくなったりする。

「仲春」には花と蝶を題材にした絵画が並ぶ。久保田米僊(くぼた・べいせん)の「水中落花蝶図」、枯れて水面に落ちた花弁と、その上を舞う蝶が描かれており、動物と静物、しかも盛りを過ぎた静物との対比が描かれている。2005年度購入作。

 

「春分」には今も花見の名所として名高い円山公園を描いた作品がいくつか登場する。

「晩春」では、藤田嗣治や長谷川潔が手掛けた「アネモネ」という花の絵が美を競っている。アネモネは色によって花言葉が違うようだが、調べてみると紫のアネモネの花言葉は「あなたを信じて待つ」であり、赤のアネモネの花言葉は「辛抱」であった。

 

「立夏」には葵祭を題材にした伊藤仁三郎の絵が2点(2002年寄贈作品)並び、苺の収穫を描いた小倉遊亀(寄託作品)の作品もある。

「夏至」には千種掃雲の「下鴨神社夏越神事」(2005年度寄贈)、更に美術の教科書によく作品が登場する安田靫彦の「菖蒲」(2000年度購入)などがある。

 

そして階段から入った場合、最後の展示となるのが川端龍子(かわばた・りゅうし)の「佳人好在」(1986年度購入)。佳人(美人)の部屋を描いた作品だが、佳人は登場せず、並んだ小物などから佳人の人となりを想像させる絵となっている。これが今日一番気に入った絵となった。これぞまさに「不在の美」である。

 

京の行事はこの一年、ほぼ全て幻となってしまったが、展示された美術作品の数々の中に、悲しみと同時に希望を見出すことになった。
「京都は京都」幾多の災難を乗り越えた街であり、いつかまたこれらの作品に描かれているような愉しみが復活するのは間違いないのだから。

 

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2019年12月10日 (火)

観劇感想精選(327) 南座新開場一周年記念「當る子歳 吉例顔見世興行 東西合同大歌舞伎」夜の部

2019年12月5日 京都四條南座にて観劇

午後4時45分から、京都四條南座で、南座新開場一周年記念「當る子歳 吉例顔見世興行 東西合同大歌舞伎」夜の部を観る。演目は、近松門左衛門作「堀川波の鼓」、河竹黙阿弥作「釣女」、河竹黙阿弥作「魚屋宗五郎」(「新皿屋敷月雨暈」より)、「越後獅子」

「堀川波の鼓」と「魚屋宗五郎」は共に「酒乱」が鍵となっている作品であり、それを縦糸としたラインナップなのだと思われる。大人気といえる演目が存在しないため、今日は空席も比較的目に付いた。

 

「堀川波の鼓」。堀川というのは京都の堀川のことであるが、今回の上演は通し狂言ではないので、堀川の場は出てこない。鼓の師匠である宮地源右衛門(中村梅玉)が京都の堀川下立売に住んでいるという設定である。
因幡鳥取藩で実際に会った不義密通事件を題材にした世話物である。
鳥取藩士の小倉彦九郎(片岡仁左衛門)が参勤交代で江戸に出向いている時の話から始まる。彦九郎の妻お種(中村時蔵)は、江戸詰である夫が恋しくてたまらない。彦九郎が江戸詰の時は、お種は実家に帰っているのだが、そこでも妹のお藤(中村壱太郎)に夫に会えない寂しさを語って聞かせている。お種は、実弟の文六(片岡千之助)を連れ養子としているのだが、文六は、京都の鼓師である宮地源右衛門に鼓を習っている。稽古が終わり、お種と宮地は初対面の挨拶をするのだが、酒が入ることになり、お種は酒好きなのでつい盃が進んでしまう。お藤と文六は帰宅し、源右衛門が場を外している時に、お種に懸想している磯辺床右衛門(中村亀鶴)がやって来て関係を迫る。床右衛門は隣から謡の声が聞こえたのに驚いて帰って行くが、源右衛門に話を聞かれたと思ったお種は源右衛門に口外しないよう誓わせようとする。だが酒で酩酊していたお種は、つい源右衛門と道ならぬ関係になってしまう。その後、引き返してきた床右衛門は、お種と源右衛門のそれぞれの袖を引き剥がすことに成功し、これをネタにゆすりを掛けようとする。5月半ばに彦九郎は帰国するが、藩内にお種が不義密通をしたという噂が流れており、お藤は彦九郎とお種を離縁させようとすると計るも失敗し、結局、彦九郎は泣く泣くお種を手に掛けることになる。
酒の勢いでついという話であるが、当時は不義密通は死罪相当であり、酒のせいでは済まされなかったのである。というわけで誰のせいにも何のせいにも出来ないやるせなさが残る。

彦九郎役の仁左衛門(松嶋屋)は、実は登場している時間はそれほど長くないのだが、貫禄と悲しみを併せ持った彦九郎を浮かび上がらせている。お種を演じた時蔵(萬屋)も酒に溺れてしまった不甲斐なさを適切に表現している。お藤を演じた壱太郎(かずたろう。成駒屋)の可憐さも光る。
この演目では音楽が実に効果的である。南座は新しくなって音の通りが良くなっただけに、一層、音楽の良さが引き立つ。

 

「釣女」。狂言の「釣女」を常磐津で演じる。
妻を娶りたいと思っている大名(いわゆる何万石という所領を持っている大名ではなく、地方の有力者程度の意味である。演じるのは中村隼人)が、縁結びの神として知られている西宮戎(西宮神社)に参詣することを思い立ち、太郎冠者(片岡愛之助)と共に出掛ける。西宮の戎は社伝そのままに夷三郎と呼ばれている。狂言では演者が最初から舞台の前の方に立つことはないのだが、大名のような身分の高い人はそれを表すために他の人よりも前寄りに立つ。

参詣した大名は、美しい女性と出会えるよう、夜通しの籠祈願を行うことにするのだが、太郎冠者に寝ずの番をさせて自分はさっさと寝てしまう。あきれた太郎冠者は何度も大名の眠りを妨げようとする。そうするうちに大名が夢を見る。神社の西の門に運命の人が現れるというのである。西の門に駆け付けた大名と太郎冠者であるが、そこに釣り竿が落ちているのを見掛ける。「女を釣り上げろ」ということかと合点した大名が釣り糸を垂れ、何度か引いている内に、見目麗しい上臈(中村莟玉)が釣り上がる。早速に三三九度を取り交わし、太郎冠者が「高砂」を真似た祝いの舞を演じると、大名と上臈も喜びの舞を始める。

今度は、太郎冠者が釣り針を垂れる。やはり女(中村鴈治郎)が釣り上がるのだが、これがとんでもない醜女であり、太郎冠者は嫌がる。だが、女は太郎冠者にぞっこんで、大名も神が決めた相手なので拒むことは出来ないと言い……。

愛之助(松嶋屋)の軽やかな舞が一番の見所である。隼人(萬屋)は、台詞回しが板に付いていなかったが、若いということだろう。
中村莟玉(かんぎょく。梅丸改。高砂屋)は、襲名披露ということで「おめでとうございます」と言われるシーンがあった。素顔が男前ということで、女形としてもやはり美しく華やかである。

 

「魚屋宗五郎」。私が初めて歌舞伎というものを観たのは、1996年の12月、東京の歌舞伎座に於いてであるが、3つあった演目のうちの最後が「魚屋宗五郎」であり、十二代目市川團十郎が宗五郎を演じていた。「魚屋宗五郎」を観るのは、それ以来、23年ぶりである。ちなみに「堀川波の鼓」で小倉彦九郎を演じた片岡仁左衛門も、1996年以来、23年ぶりの彦九郎役だそうで、偶然ではあるが繋がっている。

「新皿屋敷月雨暈(しんさらやしきつきのあまがさ)」の第2幕と第3幕を上演するもので、この二幕だけを演じる場合は、「魚屋宗五郎」という題になる。
妹のお蔦を手討ちにされた魚屋の宗五郎(中村芝翫)が、金比羅様に誓って絶っていた酒を飲んでしまったことから巻き起こる大騒動である。
実はお蔦は無実で、横恋慕していた岩上典蔵(中村橋吾)の策謀によって不義密通を仕立て上げられたのであった。

宗五郎が酒をがぶ飲みする場面では、三味線がコミカルな感じを上手く出している。

中村芝翫(成駒屋)の演技は、名人芸の域に達しつつある。歌舞伎界のトップに君臨するようなタイプの人ではないが、演技力に関しては言うことなしである。
一方、名前を継いだ長男の橋之助(四代目)は、狂言回しの役割も担う三吉という重要な役で出ていたが、明らかに「浮いている」と思うほどに下手である。同年代の隼人も上手くはないし、まだ若いということなのだろう。十代目松本幸四郎(七代目市川染五郎)などは、若い時から演技の質は高かったが、昨年の11月の顔見世などを見ると伸び悩みが感じられ、早くから完成されているが伸びないタイプと、最初は拙いがどんどん成長するタイプの二つが存在する――というよりどちらかでないと俳優としては致命的である――と思われる。五十代六十代という歌舞伎役者として大成する時期にどちらが上に来るのか見守ることも面白いように思う。

 

中村隼人、中村橋之助、片岡千之助、中村莟玉という若手歌舞伎俳優4人による舞踊「越後獅子」。江戸・日本橋駿河町(現在の東京都中央区日本橋室町)の三井越後屋前が舞台である。背景には堀と蔵屋敷が並び、正面遠方奥に掛かるのが日本橋ということになるのだと思われる(地理的には異なるはずだが芝居の嘘である)。
一つ歯の高下駄で舞うなど、「俺だったら一発で捻挫する自信がある」と思える高度な舞を全員が器用にこなす。流石は歌舞伎俳優である。
4人の中では、莟玉が小柄だが動きに一番キレがある。元々日本舞踊の世界から梨園に入ったということも大きいのであろう。

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2015年1月12日 (月)

The Piano Guys 「Let It Go」&ヴィヴァルディの「四季」より“冬”

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2009年1月13日 (火)

1998年1月の雪

1998年の1月、東京に大雪が降りました。

当時私は大学の4年生だったのですが、午後3時頃に大雪警報の発表があったことを放送で知りました。とはいえ、東京のこと、「大雪といっても大したことあるまい」と高をくくっておりました。

しかし、帰り道に難儀することに。東京は街自体が雪に対応していないのですが、JRの列車のパンタグラフが積雪によって下がってしまい、電車に電気が十分に送られないという状況が発生したのです。

当時の私の帰路は、JR御茶ノ水から総武線に乗り、錦糸町駅で総武線快速に乗り換えて、JR千葉駅まで向かうのが普通だったので、その日もそうしたのですが、JR千葉駅の一つ手前の駅である、JR稲毛駅で電車がとうとうストップしてしまいました。

ホームでしばらく待っていると、総武線普通列車が間もなく動くというアナウンスがあったので、そちらに乗り換えましたが、どうも先の駅のホームが列車で一杯になっているようで、一向に動き出しません。JR稲毛駅からJR千葉駅までは2駅ですので、天候が良ければ歩いていけないこともないのですが、雪ということで足元が非常に悪いことが予想されます。

長いこと電車の中で待っていたのですが、一向に動く気配がないので、少し遠いですが、京成電鉄の稲毛駅まで歩いてみることにしました。京成電鉄が動いていることはJRの駅員さんから確かだという情報を頂き、雪の中を15分か20分ほどでしょうか、ハーハーと息をしながら歩いたのを憶えています。道路上を雪が我が物顔に占拠していて、雪に慣れていない千葉の人間である私は歩くのに難儀しました。

幸い、京成電鉄は動いていました、ただし、私と同じようにJRから乗り換えようと思った人が京成稲毛駅で大量に乗り込んだので、京成千葉駅まで車内は押し合いへし合いの状態でしたが。

で、千葉駅に着いてみると、雪がさほど積もっていません。稲毛と千葉なんてすぐそばという感覚ですが、積雪量がかなり異なるのが不思議でした。千葉駅からはバスで、千葉駅に着く前は、「バスは動いているか」と心配だったのですが、積雪量が違い、杞憂に終わりました。

それにしても、もう一本遅い電車に乗っていたら私は稲毛までたどり着けず、電車内で一晩過ごすことになっていたかも知れません。その日はとうとうJRの列車は終日動かなかったのですから。

1998年1月といえば、丁度私は卒業論文を書いていた時期で、その日も帰ってからずっと清書を続けていた記憶があります。当時は今と違ってパソコンを持っていなかったので、原稿用紙に万年筆で清書する必要があったのです。卒論本編を書くより、清書を仕上げるのが大変でした。

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2007年12月23日 (日)

クリスマス燭火讃美礼拝

近所にあるプロテスタント教会の「クリスマス燭火讃美礼拝」に参加してきました。

「クリスマス燭火讃美礼拝」式次第および歌集(楽譜入り) 讃美歌を歌い、牧師さんのメッセージを聴く、約1時間半の礼拝。

クリスチャンではないのですが、讃美歌を歌い、牧師さんのメッセージを聴いていると、心が洗われるような気分になります。

牧師さんの今年のメッセージは、アンデルセン童話「マッチ売りの少女」を基にした感動的なものでした。

聖歌隊は若い男女で構成されていましたが、同じ教団(日本基督教団)に属する同志社の学生だったのかも知れません。「荒野の果てに」、「きよしこの夜」、「もろびとこぞりて」などの讃美歌を一緒に歌い、「O Holy Night」などを聴きました。

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2007年12月 7日 (金)

冬の風鈴

冬の風鈴

街を歩いていると、冬でも風鈴を出している家を見つけたりします。寒風に吹かれて風鈴がリンリン、凛々となるのを聞くと寒さがいや増しに増します。

冬でも風鈴を出している家は、単にしまうのが面倒なのか、あるいは凛と鳴る風鈴の冷たい抒情が気に入っているのか。

そういえば清少納言も『枕草子』で「冬はつとめて」と一日で最も寒い早朝の寒さの情緒を愛でています。冬の寒さをより際立たせる装置も情趣があって時にはいいものです(あくまで時にはです)。

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2007年1月16日 (火)

ユリカモメの季節

鴨川のユリカモメ(都鳥)

今やすっかり京都の冬の風物詩となった鴨川のユリカモメ。ユリカモメが鴨川に初めて群れをなして飛来したのは私が生まれた1974年のことだそうです。以後、30年以上に渡り、毎年冬になるとユリカモメは鴨川にやって来ます。餌付けが成功したためとも言われています。

別名を都鳥というユリカモメ。鴨川を泳ぎ、周辺を舞う姿は優雅で心が和みますが、四条大橋以南の上空をユリカモメの大群が輪になって飛行している様(「鳥柱」というらしい)を見るとヒッチコックの「鳥」を連想して少し不気味になったりもします。
とはいえ、基本的には愛らしいユリカモメ。地球温暖化のためか飛来する数が年々減っているとのことですが、これからもずっと京都の冬の名物であって欲しいと思います。

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2006年11月19日 (日)

冬を感じる時

寒くなったら冬を感じる、というのはごく当たり前ですが、その他にも私はオリオン座が夜更け前に見えるようになると、気温はさほど厳しくなくても「ああ冬だなあ」と感じます。

私は11月12日生まれなので星座は蠍座。ギリシャ神話では蠍はオリオン殺害のために大地の女神ガイアによって放たれた刺客であり、そのためオリオンは星座になっても蠍を怖れていて、蠍座が東の空に現れると同時に西の空から逃げるようにして沈みます。
オリオン座と関係の深い蠍座生まれだからオリオン座を強く意識するということも私の場合はあると思います。冬というとシリウス(おおいぬ座アルファ。地球から見えるあらゆる恒星〔但し太陽は別格なので除く〕の中で最も明るく光る)の輝きも印象的ですが、シリウスを見ても、「ああ冬になった」とは感じないので、やはりオリオン座は特別です。

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