カテゴリー「日本映画」の186件の記事

2022年4月 4日 (月)

これまでに観た映画より(291) 岸井ゆきの&浜辺美波「やがて海へと届く」

2022年4月1日 京都シネマにて

京都シネマで、日本映画「やがて海へと届く」を観る。彩瀬まるの同名小説の映画化。原作小説は幻想的な要素が濃いようだが、この映画では冒頭とラスト近くにアニメーションのシーンを挿入することで処理している。

主演は岸井ゆきの、準主役に浜辺美波。魅力的な若手女優二人を揃えたほか、鶴田真由、中嶋朋子、光石研ら脇役陣も充実している。監督は、中川龍太郎。


すみれ(浜辺美波)が消息を絶つ。海を見るために一人旅に出掛けた彼女は、2011年3月11日、岩手県の陸前高田市付近にいた可能性が高く、津波に呑まれたのではないかと見られていた。だが、すみれの親友であった真奈(岸井ゆきの)は、5年が経った今もすみれが生きている可能性を捨て切れないでいる。

二人が出会ったのは、2005年。大学の入学式もしくは新入生説明会の後(大学によって異なるが、フォーマルな格好はしていないので後者の可能性が高い)で行われたサークルの新歓においてだった。控えめな性格である真奈は、多くの先輩達が自身のサークルへの呼び込みを行っている中を恐る恐る進む。テニスサークルに誘われた真奈は断り切れそうにないが気も進まないということで立ち往生。そこに颯爽と現れたのが同じく新入生のすみれだった。誰に対しても笑顔で愛想が良く、人に合わせることの出来るすみれは先輩からの受けも良い。そしてその夜に行われた新歓コンパでは、所在なげだった真奈をすみれが救った。共に文学部に入学ということで、二人は親友となっていく。ある時からは、すみれが真奈のアパートに同居するようになる。
だが、その後、すみれは恋人の遠野敦(杉野遥亮)と同棲することを選び、1年ちょっとを過ごした二人のアパートから出て行くことになる。

真奈は、就職活動で、西川家具(京都西川)を本命としていたが、本社が京都であるため現在の場所から動くことに不安を覚える。結果的には真奈は東京の企業に就職し、飲食部門であるベイエリアのレフトランバーでフロア係(2016年時点ではフロアチーフ)として働くことになる。就職後も引っ越すことなく、学生時代からのアパートに住み続けた。レストランバーの店長である楢原(光石研)との関係も良好で、充実した日々。栖原はその時の雰囲気に合わせてBGMをチョイスする能力に長けている。深夜に真奈が落ち込んでレストランバーを訪れた時には、「いつか王子様が」を選んだ。

学生時代からすみれは、ビデオカメラで撮影することを好んでいた。真奈と二人で初めて行った旅行でもすみれはカメラを回していた。

遠野が引っ越すことになり、すみれの荷物を整理する必要があった。遠野と真奈はすみれの実家にすみれの品を届けに行く。遠野もすみれの母親である志都香(鶴田真由)も、すみれはすでに他界したものと見なしていたが、真奈は志都香からすみれの意外な一面を知らされる。そして遠野もすみれの本当の性格を実は見抜いていた。

真奈は有休を取って、レストランのシェフである国木田(中崎敏)と共に、陸前高田へと向かう。東日本大震災で街が壊滅状態に追い込まれた陸前高田。海沿いには高い防波堤(というよりは防波壁に近い)が立つ。そこで二人は、津波被害の思い出をインタビューという形で映像に収めている祥栄(中嶋朋子)らに出会うのだった。


女同士の友情と喪失を少し変わった形で描いた作品で、その繊細さが良い。すみれの本当の性格が明かされていく過程もスリリングであり、すみれが別の自分を演じ続けた理由や、なぜ真奈を友人として選んだかについての動機なども説得力がある。

アニメーションによる一種の「スピリチュアル」な過程の描写については、飛躍が目立つような気がするが、それはいったん置いて(実のところ、スピリチュアルでよく使われるとある言葉が二人の関係に最もしっくりくるのであるが)、女同士の心理劇として見ると、結構楽しめるように思う。主演の岸井ゆきのの演技も見事だ。実は岸井ゆきのと浜辺美波は8歳差で、同い年とするには無理があるのだが(すみれの出番は2011年で止まり、真奈はそれ以降の場面にも登場し続けるので、真奈を演じる俳優の方が年上である必要はある)、実年齢よりも若い役を演じて注目を浴びた岸井ゆきのだけに、「明らかに不自然」とは映らないレベルにはもって行けているように感じた。
浜辺美波は、語弊を恐れずにいえば「浮世離れした美貌」を持つ女優であるが、それがすみれ役に嵌まっていたように思う。

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2022年3月29日 (火)

これまでに観た映画より(288) 「焼け跡クロニクル」

2022年3月22日 アップリンク京都にて

新風館の地下にあるアップリンク京都で、ドキュメンタリー映画「焼け跡クロニクル」を観る。監督・撮影・編集:原まおり、原將人。

広末涼子の映画デビュー作である「20世紀ノスタルジア」などの監督を手掛けた、京都在住の映画人である原將人。彼の自宅が、2018年7月27日に全焼するという事件が起こった時に、原將人の奥さんである原まおりがスマホのカメラで捉えた映像などを中心にドキュメンタリー映画として再構成された作品である。

原將人の自宅があったのは、広義でいうと京都の西陣。より正確な住所を書くと、北野や上七軒辺りということなる。原將人自身のナレーションによると最初に出火に気付いたのは原將人のようで、「小さな火だと思ったのですぐ鎮火出来るだろう」と予想するも、思いのほか火の回りが速く、原將人は、新作映画の映像が収められたハードディスクと、その編集用のノートパソコンを取るために、煙の中に飛び込み、顔や腕に火傷を負う。出火原因については、電気コードが古くなっていた可能性が高いことが原將人監督の口から語られているが、結果は不明ということに落ち着いたようである。
風の吹いていない日だったということで、延焼は免れたのが不幸中の幸いで、原夫妻は騒がせたことを周囲の家に謝罪に行ったが、皆、同情してくれたようである。

2018年の夏は、歴史上稀な降雨量を記録しており、気温も高かった。火傷を負ったため救急車で運ばれ、入院することになった原監督であるが、熱中症の患者が多く運ばれていたためか、翌日には退院させられてしまったようである。火傷の処置は長男が手伝ってくれた。
新作の映像は無事であったが、それまでに撮った映画のフィルムや、プライベートを収めた8ミリフィルムは駄目になってしまう。8ミリフィルムのなんとか再生可能な箇所がスクリーンにたびたび映される。家族の思い出がそこには収められていた。

原將人は、親子ほども年の離れたまおり夫人と結婚。奥さんの実家から猛反対されたそうだが、長男が生まれると態度も軟化し、一家を応援してくれるようになったという。原監督は、自身と奥さん、長男と双子の女の子の計5人家族。まおり夫人は当日、仕事に出ており、長男から電話で知らせを受けても、頭が真っ白になって、すぐには実感が生まれなかったようである。帰宅後、全員の無事を確認、とっさにスマホで撮影を行い、これが本編映像として生きることになる。その後もまおり夫人はスマホでの撮影を続行する。スマホによる録画であるが、最近のスマホは性能が良いため、商業作品に耐えるだけのクオリティを持った映像が続く。原將人監督とまおり夫人が、山田洋次、大林宣彦、大島渚等と共に撮影した写真が収められたアルバムは焼け残っていた。

家を失った一家は、公民館に身を寄せるが、数日で退去する必要があり、それまでに知人の紹介により、なんとか家財道具付きのアパートを見つけることが出来た。家が全焼するという災難に遭った一家であるが、前向きに困難を乗り越えていく様が印象的である。原監督とまおり夫人の性格を受け継いだためか、子供達が動揺せずに、淡々と現実に向き合っていることも心強い。

一方で、原將人監督の芸術家としての資質を強く感じさせる場面もある。出火を目にした時に、「火が手を繋いで踊っているように見えた」と原監督は語る。困難に遭遇した時でさえそこに美を見いだす感性。十代の頃から映像を撮り続けている原監督の映画人としての矜持と本質が垣間見える気がした。

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2022年3月 1日 (火)

これまでに観た映画より(284) 「再会の奈良」

2022年2月21日 京都シネマにて

京都シネマで、日中合作映画「再会の奈良」を観る。脚本・監督:ポンフェイ(鹏飞)。エグゼクティブプロデューサー:河瀨直美、ジャ・ジャンクー(贾樟柯)。出演:國村隼、ウー・イエンシュー(吴颜姝)、イン・ズー(英泽)、秋山真太郎(劇団EXILE)、永瀬正敏(友情出演)ほか。音楽:鈴木慶一。鈴木慶一はワンシーンのみであるが出演している(セリフあり)。

2005年の秋の奈良を舞台に、姿を消した元中国残留孤児の女性を探す、彼女の育ての親である陳おばさん(ウー・イエンシュー)、その孫のような存在(遠縁らしい)で日中ハーフの女性、清水初美(中国名は萧泽。演じるのはイン・ズー)、定年退職した元警察官の吉澤(國村隼)の3人を主役としたロードムービーである。
奈良市の他に、河瀨直美の故郷である御所(ごせ)市も撮影に協力しており、主舞台となっている。

映画が始まってしばらく経ってから、中国残留孤児の説明アニメが入る。第二次大戦中、日本から中国東北部に約33万人の開拓者が送り込まれ、満州国発展のために農村を拓いていったのだが、1945年8月にソビエトが突如参戦。満州にいた人々は逃げるのに必死であり、自分達の子供を現地の中国人に託すか、捨てるかしかなかった。この時、約4千人の中国残留孤児が生まれたという。1972年に日中の国交が正常化されると、残留孤児と呼ばれた人々の身元が判明するようになり、続々日本への帰国を始める。

この作品で行方が捜されることになる陳麗華という女性は、1994年に日本に帰国。奈良県で親族と思われる人を探し出していた。その際に名前を日本名に変えたことが分かっているが、その名を誰も記憶しておらず、手掛かりがつかめない。

陳おばさんに手紙を書いていた麗華だが、ある日を境に居場所がようとして知れなくなる。その後、何年にも渡って音信不通となったため、陳おばさんは来日して麗華を探す決意をする。初美も当然ながらそれに参加。更に、初美が居酒屋でアルバイトをしていた時代に知り合った元警察官の吉澤も加わり、少ない情報を手掛かりとした捜査のようなものが始まる。
当初は居酒屋に勤めていた初美だが、今はみかん工場でのアルバイト。麗華を探すために休みがちであり、上司からは「今度やったらクビだよ」と言われている。


淡々とした描写の映画であり、秋の奈良の光景が美しいが、劇的な展開を意図的に避けてユーモアを盛り込んでおり、さほどドラマティックにもならない。それでいて結論として導き出された答えは悲劇的である。奈良県の伝統芸能などが登場するなど盛り上がる場面もあり、残留孤児の問題や、日本と中国の間に横たわる底知れぬ溝などを正面から見据えていて、悪い映画ではないのだが、探す行為に終始するため、どうしても物足りなさは感じてしまう。

ただ奈良を舞台としたロードムービーはほとんどないため、貴重な一本となっている。奈良の景色はやはり美しい。

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2022年2月13日 (日)

これまでに観た映画より(280) 「シン・ゴジラ」

2022年2月9日

Blu-rayで、日本映画「シン・ゴジラ」を観る。「エヴァンゲリオン」シリーズの庵野秀明が脚本と総監督を務めた作品であり、豪華キャストでも話題になった。

出演は、長谷川博己、竹野内豊、石原さとみ、高良健吾、市川実日子、高橋一生、余貴美子、手塚とおる、渡辺哲、津田寛治、柄本明、嶋田久作、國村隼、平泉成、大杉漣ほか。その他にも有名俳優や、映画監督などがちょい役で出ている。ゴジラの動きは、野村萬斎の狂言での動きをコンピュータ解析したものである。

「ゴジラ」は第1作で、核の問題を描いた社会派の作品だった。その後、国民的特撮映画となってからは、人類の味方であるゴジラや、可愛らしいゴジラが描かれるなど、エンターテインメントの要素が強くなる。
私が初めて「ゴジラ」の映画を観たのは、1984年のことで、沢口靖子や武田鉄矢が出ていた作品である。現在のミニシアターとなる前の千葉劇場(千葉松竹)に母と二人で観に行った。1984年の「ゴジラ」も原点回帰作としても話題になったが、「シン・ゴジラ」もまた庵野秀明色を出しつつ、第1作目の「ゴジラ」のメッセージに帰った社会的な作品である。

「シン・ゴジラ」で描かれているのは、人々がゴジラというものを知らないパラレルワールドの現代日本である。そして作品全体が福島第一原子力発電所事故のメタファーとなっている。

3.11以前、準国営企業である各電力会社は、「日本の原発は安全です」と安全神話を振りまいていた。だが、福島第一原子力発電所が津波に襲われたことにより、事態は暗転。史上最悪レベルの原発事故を起こした日本は、これまで獲得してきた全世界からの信用を一気に失いかねない一大危機に陥る。そんな時であっても、政府は国民への呼びかけという最も大事な役割を果たすことが出来ず、菅直人内閣の信頼は地に落ちる。
菅直人は東京工業大学出身の理系の宰相で、放射線の波形などが読めるため、それを監視するのが自身がなすべき仕事と考えたようだが、結果としては傍から見ると引きこもっているようにしか思われず、また福島第一原発に乗り込んでもいるのだが、それが首相がまずすべきことなのかというと大いに疑問である。
「シン・ゴジラ」でも、対応が後手後手に回るという、いかにも日本らしい判断力の弱さが露呈し、いざとなったらアメリカ様頼りという悪い癖も描かれている。

原発安全神話があった頃、「そんなに安全だというなら、東京湾に原発を作ればいいじゃないか」という皮肉が反原発派から発せられたが、「もし東京湾の原発がメルトダウンを起こしたら」という話を、ゴジラとの戦いという形で上手く描いているように思う。個人的には余り好きな展開ではなかったが、「問題を描く」という意志は評価したい。

庵野秀明が総監督ということで、音楽も鷺巣詩郎の「エヴァンゲリオン」シリーズのものが用いられていたり、字幕に使われるフォントや短いカットによる繋ぎなど、「エヴァ」的な演出が意図的に用いられていて、全体が庵野カラーに染め抜かれている。
一方で、オープニングやエンディングは、「ゴジラ」第1作へのオマージュのような映像(というよりそれそのもの)が用いられており、エンディングも伊福部昭の音楽によるお馴染みのもので、いつとも分からぬ時代に迷い込んでしまったような独自の趣を醸し出している。「シン・ゴジラ」が「ゴジラ」第1作の正統的な後継作であるとの庵野監督の矜持も垣間見える。

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2022年2月 2日 (水)

これまでに観た映画より(275) 京都シネマ ペルー映画祭「Supa Layme(スーパ・ライメ)」

2022年1月27日 京都シネマにて

京都シネマで、ペルー映画祭「Supa Layme(スーパ・ライメ)」を観る。藤川史人(ふみと)監督が撮影、編集を手掛けたドキュメンタリー映画。藤川監督が、アンデス高地で牧畜を営むスーパ・ライメ一家に取材した作品である。ナレーションや音楽は一切なく、物語的に見えるような編集もされていないため、独自の風習に関するこちらの解釈が合っているのかどうか分からないところがある。ナレーションはないが、藤川監督がスペイン語で一家と語り合っている(藤川監督は「フミト」と呼ばれている)のを聞くことが出来る。

スーパ・ライメ家は、二男二女(だったかな? 男の子2人と女の子1人は印象に残っいるが、もう一人は記憶に残っておらず)の6人家族。リャマとアルパカが計約200頭、更に羊に鶏、馬にロバを飼っている。アルパカは毛皮を刈って売り、リャマは解体して食料としている。

子供達がスペイン語のドリルを学習したり、簡単な暗算をするシーンがあるが、学校はふもとの村にあるようで、そのために一家は4700mの高地から2600mの土地へと下りていく。子供達が学校に通う時期は、父親は都会に出て別の生活を送るようである。

リャマを殺して食料とするシーンは結構残忍であるが、子供達も生きるための営みとして理解しているようである。

母親であるベロニカの話が興味深い。彼女が子供の頃はまだアンデス山脈一帯にはテロリストが良く出たそうで、彼女の父親も成功を妬む誰かから、「泥棒をやっている」と偽の告発をされ、怒ったテロリストが家に押しかけて来たことがあったそうだ。父親はその時不在だったそうで、テロリスト達は彼女の母親の腕を銃で撃つなど乱暴を働いた上、年の離れた父親の弟を連れて行ってしまったそうだ。テロリスト達はまだ子供だった父親の弟に兵器の使い方を教えたりしていたそうだが、結局、身ぐるみ剥いで追い出したという。父親は激怒してテロリスト達の後を追おうとしていたという。

更にベロニカは自身の子供時代についても語る。父親は彼女が幼い頃に亡くなり、母親の手で育てられたという。学歴に関してだが、学校に通ったのは小学校3年生まで、それも学齢通りではなく、10歳前後になってから小学校に通い始めたそうである。小学校1年2年は昼間の学校に通ったが、小学校3年の時は他の街での夜学に転じる。昼間は住み込みの使用人として働き、夕方になると着替えて学校に通うという生活だったが、無給だったそうで、住む場所と食事を保障されるだけで我慢するしかなかったようだ。まだ十代前半で、仕事の勝手も何も分からず、かなりの苦労をしたようである。それでも彼女の妹は学校に通った経験が一切ないそうで、それに比べれば恵まれていたと感じていることも分かる。ベロニカは小学校に通わなくなった直後に現在の夫と出会い、将来を誓い合うのだが、彼女の兄達が「若すぎる」という理由で猛反対。ベロニカは実の兄から両目を殴打され、失明しそうになったこともあったようである。

子供達がサッカーに興じるシーンがあったり、電波状況の悪い中でサッカー・ペルー代表の試合をテレビ観戦しようとする姿もあり、南米らしさを感じさせる。
子供達は、将来はエンジニアや医師になりたいという夢を持っている、というにはまだ早いが、ぼんやりとであるが描いている将来に牧畜は入っていないようである。

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2022年1月28日 (金)

これまでに観た映画より(273) 「ドライブ・マイ・カー」

2022年1月13日 T・ジョイ京都にて

八条のイオンモールKYOTO内にある映画館T・ジョイ京都で、「ドライブ・マイ・カー」を観る。村上春樹の長めの短編小説(もしくは短めの中編小説)を、黒沢清監督の「スパイの妻」の脚本も手掛けた濱口竜介の脚本と監督で映画化した作品であるが、「ドライブ・マイ・カー」は短編小説で、そのまま映画化するとかなり短いものになってしまうため、「ドライブ・マイ・カー」が収録された短編集『女のいない男たち』に入っている「シェエラザード」と「木野」という2編の短編小説に出てくる要素を加えて一本の映画としている。

『ダンス・ダンス・ダンス』や『国境の南、太陽の西』といった村上春樹のその他の小説に影響を受けた可能性のある展開も出てくるのだが、たまたま似たのか意図的に加味したのかは不明である(濱口竜介監督は村上春樹作品の愛読者である)。

「ドライブ・マイ・カー」の主人公である家福が舞台を中心に活躍している俳優であり、今現在出演している舞台であるチェーホフの「ワーニャ伯父さん(小説中では「ヴァーニャ伯父さん」表記)」が、この映画では「柱」と言っていいほどの存在となっている。

出演は、西島秀俊、三浦透子、岡田将生、霧島れいか、パク・ユリム、安部聡子、ジン・デヨン、ソニア・ユアンほか。日本トップレベルの映画俳優である西島秀俊、話題作に次々出演している三浦透子、十代からイケメン俳優として注目され続けてきた岡田将生、アラフィフとは思えないほどの美貌を持つ霧島れいかなど魅力的な俳優が揃っており、かなり力が入っていることが窺える。

上映時間約3時間。村上春樹作品の特徴である比喩、隠喩、寓喩などの多用や重層構造を生かした芸術映画であり、監督が観客に要求するレベルが高めであることが分かる。「ワーニャ伯父さん」は知っていて当然というスタンスで、もし「ワーニャ伯父さん」のタイトルも知らないレベルで観に行ってしまうと、実際には何が起こっているのかほとんど分からないのではないかと思えるほどである。

舞台俳優で演出家の家福悠介(西島秀俊)は、様々な国の俳優とコラボレートした多言語上演に意欲的に取り組んでおり、注目を浴びている。まず上演シーンが映されるのはベケットの「ゴドーを待ちながら」である。家福はジジ(ウラジミール)を演じている。
そして次に演じられるのが、「ワーニャ伯父さん」である。タイトルロールは家福が演じており、十八番となっている。

家福の妻である音(おと。この「音」という役名は「極めて」重要である。演じるのは霧島れいか)は、元女優で現在は脚本家として活躍している。脚本家としてはまずまず売れっ子のようであり、夫とベットを共にした時に自らが創作した物語を語って聴かせていた。音が語るのは、好きな男の子の家に空き巣として何度も入る女子高生の話である(短編小説「シェエラザード」に出てくるエピソードだが、細部や結末は映画の筋に合うよう変えられている)。女子高生は、男の子の部屋に忍び込み、そこに母親の影響を嗅ぎ取る。そして女子高生は男の子の部屋から何かを盗み、代わりに自分のものを置いていく。それが繰り返される。王家衛の映画「恋する惑星」(村上春樹の『ノルウェイの森』に影響を受けた作品である)のような展開だが、これは実は暗示である。音は夫の留守中に他の男と寝ていた。それも複数人と。全員俳優である。音は寝たことのある、もしくは寝る予定の俳優を家福に紹介する癖があった。高槻耕史(岡田将生)もその一人だった。

ウラジオストックでの演劇祭に審査員として招かれた家福は成田国際空港に向かうが、空港の駐車場に車を停めた直後に天候不順によりウラジオストック行きの飛行機が全て欠航となったことを知り、一度都内の自宅に戻る。そこで妻と男の不貞行為を目撃してしまう。家福は二人に見つからないようにそっと家を出て成田に向かい、演劇祭の実行委員が宿泊代を負担してくれるホテルに泊まり、妻の音とのビデオ電話ではウラジオストックにいると嘘をついた。その後も家福は俳優の技量を生かして「気付かない」ふりを演じ続ける。

「ワーニャ伯父さん」に出演するようになった家福は、音からセリフを吹き込んだカセットテープを渡される。ワーニャ伯父さんのセリフの部分だけが抜けた、音楽でいうと「マイナスワン」仕様のもので、他の登場人物のセリフは全て音が吹き込んでいた。

ある日、家福は自動車事故に巻き込まれ、左目が緑内障によって視野に死角(ブラインドスポット)が生じていると医師から告げられる。それでも運転は続けた。ちなみに「死角」や「死角にいる妻」は、村上春樹の代表作の一つである『ねじまき鳥クロニクル』で重要なモチーフとなっている。
仕事に向かう際に、音から「今晩帰ったら少し話せる?」と訊かれる家福。寄り道せずに帰ろうとするのだが、別れを切り出されるのではないかとの予感があったため、仕事を終えてからも都内を彷徨い帰宅が遅れる。ようやく家に帰った家福は、音がリビングに倒れているのを見つけ、119番。だが、くも膜下出血により音は帰らぬ人となった。「もし早く帰っていたのなら」と家福は自責の念にとらわれる。

2年後。家福は、広島市で行われる国際演劇祭に演出家として招かれる。広島県内に2ヶ月ほど滞在し、世界各国からオーディションのために集まった俳優達の中から出演者を選び、1ヶ月半の稽古を行った後で本番を行うのだが、演劇祭のスタッフは、家福のために瀬戸内海に面した宿を用意し、そこまでの送り迎えのドライバーとして、渡利みさきという若い女性(原作には見た目が良くないという設定があり、これが劇中劇のある人物に繋がっている。演じるのは三浦透子)を手配していた。最初の内は自分で運転すると主張していた家福だが、抜群に運転の上手いみさきの技量に惚れ、運転を任せるようになる。

オーディション参加者の中には高槻もいた。2年の間にそれなりの売れっ子俳優となっていた高槻だったが、ハニートラップに引っ掛かり、未成年との淫行疑惑で事務所を退所(事実上のクビだと思われる)、現在はフリーの俳優となっていた。

アーストロフ役を希望する高槻に、家福はワーニャ伯父さん役を振る。「ワーニャ伯父さん」がどういう話か知っている人は、半ば当てつけだと気付くはずである。村上春樹の原作には「ワーニャ伯父さん」の上演シーンはなく、高槻に対する家福の思いは、セリフと地の文で語られるのだが、映画では「ワーニャ伯父さん」のテキスト及び稽古との二重構造となっている。その後も、見た目ではそれほどでもないが、意識下では激しい殴り合いが起こっていることが感じられるような描写が続き、この映画の優れた部分の一つとなっている。「ワーニャ伯父さん」を知らないと、ここまでの激闘になっているとは気付かないかも知れない。

「ワーニャ伯父さん」も「ゴドーを待ちながら」も、敗北を抱えながら生きていく、生きていかざるを得ない人間を描いたものだが、この映画でも妻を亡くしたことで喪失感を抱きながら生きる家福の姿が描かれており、俳優としての家福と彼の実生活の部分がオーバーラップする技法が取られている。それまで自分で車を運転していた家福が、みさきという運転手を得たことで、新たな視座と視野を得るという展開にも上手さを感じる。

「みさき」というのは、今の時代ではありふれた女性の名前だが、実は「事故死したため成仏出来ない幽霊」という意味もあり、縁起は良くなかったりするのだが、「神様の先触れや案内役=御先」という意味も存在している。運転手として家福を導いていくみさきは、御先由来の名前である可能性もある。
一方で、みさきは現在23歳で、4歳の時に亡くなった家福と音の娘が生きていたとしたら同い年。またみさきの父親は実は家福と同い年であるため、前者の「みさき」の可能性もあって、その場合も奥行きが出るのだが、こちらの方は主筋にはさほど関係がないため、どちらでも良いような気がする。

広島での「ワーニャ伯父さん」の稽古では、日本語、韓国語、北京語、タガログ語、英語、韓国語の手話などが飛び交い、無国籍的な芝居が現出しているが、言葉では通じ合えない部分という、村上春樹がよく取る手法が却って浮き彫りになる。村上春樹の場合は、基本的には肉体関係、つまりセックスという形を取ることが多く、これが村上作品への好悪を分かつ一番の理由にもなっているのだが、それは人間の根源的な謎へのアプローチでもある。妻の音がなぜ隠れて他の男と情を交わし続けねばならなかったのかという、答えのない謎に家福は戸惑い続けていたのだが、一つの「啓示」のようなものがみさきの口から語られている。
また、劇中劇の重要なセリフが「音ではない手法」で語られるのも効果的である。

「ワーニャ伯父さん」でも「ゴドーを待ちながら」でも、そして「ドライブ・マイ・カー」でも人々は空虚、虚無、喪失感の中で生き続けている。それは人間の宿命でもある。
そうしたことと向かい合うことの出来る文学、映画、演劇の素晴らしさを改めて感じさせてくれる好編であった。

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2021年12月26日 (日)

これまでに観た映画より(269) 「HARUOMI HOSONO SAYONARA AMERICA 細野晴臣 サヨナラ アメリカ」

2021年11月26日 アップリンク京都にて

アップリンク京都で、細野晴臣のライブドキュメンタリー映画「HARUOMI HOSONO SAYONARA AMERICA 細野晴臣 サヨナラ アメリカ」を観る。細野晴臣が2019年5月にニューヨーク、6月にロサンゼルスで行ったアメリカライブの映像を中心とした構成である。監督はNHK出身の佐渡岳利(さど・たけとし)。「イエローマジックショー」も手掛けた監督である。タイトルは、細野が所属したはっぴぃえんどの楽曲「さよならアメリカ さよならニッポン」から取られており、同曲を細野が再録音したものが映画のエンドロールで流れる。

日本音楽界に燦然と輝くカリスマ、細野晴臣。イエローマジックオーケストラ(Yellow Magic Orchestra。YMO)などで世界的な名声も得ており、今回のドキュメンタリー映画でも細野の音楽について熱く語るアメリカ人が何人も登場する。

初期の代表作である「HOSONO HOUSE」のリメイク「HOCHONO HOUSE」をリリースして話題にもなったが、「HOCHONO HOUSE」制作中にロームシアター京都サウスホールで公演を行っており、「HOSONO HOUSE」のナンバーを何曲も歌ったが、今回の映画でも京都でのライブと同一の楽曲がいくつか流れる(「住所不定無職低収入」「北京ダック」「SPORTS MEN」「GHOO-CHOOガタゴト」など)。

ニューヨークでの公演開場前に列をなしている人々に被さるようにして「In Memories of No-Masking World」という文字が浮かび上がるが、「出掛ける時はマスク」が常態化している現在(2021年11月)から見ると、誰もマスクをしていない光景は異世界のように感じられる。途中にバックバンドのメンバーがコロナ下での生活状況について語るシーンがあるのだが、高田漣が「これまでの音楽人生の方が夢だったんじゃないか」という意味のことを語る場面があり、新型コロナが生んでしまった断絶を観ているこちらも強く感じる。

「芸術とは最も美しい嘘のことである」とドビュッシーが語ったとされる。その言葉が浮かぶほどにスクリーンの向こう側は美しく、生命力に満ち、華やかな世界が音楽によって形作られている。それがコロナを経た今となっては虚構のようにも見えるのだが、今の世界にあって、それだけが本当に必要なもの、あるいは全てのような実感も覚えるのだから不思議である。「こういうもの」のために世界はあるのではなかろうか。「こういうもの」のために我々は「今」を耐えているのではなかろうか。
とにかく「ここ」には人種や国境を超えた調和がある。「今」を耐えた暁には、またいつか結び合える時が来る。隔てられた世界の映像を観た後で、「欠落感」とその奥に浮かぶ上がる音楽という名の希望を見いだしたような複雑な感情が胸に去来した。

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2021年8月25日 (水)

これまでに観た映画より(267) 「シコふんじゃった。」2021.8.21

2021年8月21日

録画してまだ観ていなかった映画「シコふんじゃった。」を観る。周防正行監督作品。出演:本木雅弘、清水美砂(現・清水美沙)、竹中直人、田口浩正、宝井誠明、ロバート・ホフマン、六平直政、片岡五郎、梅本律子、柄本明ほか。1991年の制作。観るのはこれが5回目か6回目になる。千葉にいた頃はセルビデオ(VHS)を持っていたのだが、今は実家にも存在していないと思う

周防正行監督の母校である立教大学をモデルとした教立大学相撲部を描いたスポ根コメディ。立教大学と教立大学の関係からも分かる通り、かなり徹底してひっくり返した名称が用いられており、ライバル校も北東学院大学(東北学院大学)、応慶大学(慶應義塾大学)、本日医科大学(日本医科大学)、波筑大学(筑波大学)、衛防大学(防衛大学校)など全て転倒させた校名である。二部三部入れ替え戦の相手だけが例外で、大東亜大学という受験用語の大東亜帝国(大東文化大学、東海大学、亜細亜大学、帝京大学、国士舘大学。大東は大東文化大学から二文字という説と、大東文化大学と東海大学の2校という説がある。文学部以外は偏差値が低めである國學院大學を国士舘大学の代わりに入れることもごく稀にだがあるようだ)から取った大東亜大学という右派硬派の大学という設定である。東日本学生相撲リーグの三部に防衛大学校をモデルにした学校がいるというのは不思議で、小説版(山本秋平による一人称小説である)にも、「国を守らなきゃいけないのに、なんでお前ら三部にいるんだ?」というような記述があったはずだが、実際に防衛大学校の相撲部は強くないようで、基本的に三部が主戦場のようだ。なお、この映画が公開されてから4年後の1996年から数年だけ四部リーグが存在したようである。

役名もイージーに決められており、本日医科大学相撲部の学生役で、後に有名になる手塚とおると戸田昌宏が出ているが、それぞれ「足塚」、漢字を逆にして少しアレンジした「田所」という役名である。

また本木雅弘、清水美砂、宝井誠明、柄本明の役名は、「山本秋平」、「川村夏子」、「山本春雄」、「穴山冬吉」で、春夏秋冬が割り振られている。実は、周防正行監督はチェーホフが好きで、早稲田大学第一文学部のロシア文学専攻を第一志望としていたのだが、浪人中もアルバイトをしていたりして熱心に勉強に打ち込んだわけでもないということで二浪しても無理で、フランス文学も好きだったということで立教大学文学部フランス文学科で妥協している。そしてその名残が「シコふんじゃった。」でも現れていて、春夏秋冬の名の4人+間宮正子(梅本律子)の間には、チェーホフの「かもめ」に用いられていることで有名な「片思いの連鎖」が発生している。周防正行監督というと、小津安二郎へのオマージュで有名で、この映画でも登場人物を画面の中央に据えたり、引きのローアングルでシンメトリーの構図を撮ったりしているが、小津一人へのオマージュでないことは確かである。

「シコふんじゃった。」は周防正行監督によるノベライズがあり(細部や結末が異なるため、小説版と書いた方が適当な気がする)、私も18歳の時に夢中になって読んだが、映画版でもセリフに出てくる「辛抱」「我慢」がテーマになっていることが分かる。やる気のない駄目学生で、就職もコネで決め、いい加減に生きようとしていた山本秋平が相撲部での日々を経て生まれ変わるという教養小説的な要素も盛り込まれており、私も若い頃に大いに影響を受けた。おそらくであるが、この映画を18歳の時に観なかったら、そして小説版を読まなかったら、私は今よりずっといい加減な人間になっていただろう。映画にはそれだけの力がある。


これまでに観た映画より(17) 「シコふんじゃった。」

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2021年7月27日 (火)

これまでに観た映画より(265) 京都シネマ 中村壱太郎×尾上右近 「ART歌舞伎」 中村壱太郎舞台挨拶付き

2021年7月19日 京都シネマにて

午後4時35分から、京都シネマで「ART歌舞伎」を観る。
中村壱太郎と尾上右近が、コロナ禍の中で作成した配信用作品。昨年の7月1日に東京・九段の靖国神社能楽堂で収録され、7月12日から期間限定で配信された。
本編(86分)上映後に、中村壱太郎出演による舞台挨拶がある。
「ART歌舞伎」は、まずポレポレ東中野で上映され、今日1日限定で大阪・シネマート心斎橋と京都シネマで上映される。

出演は、中村壱太郎、尾上右近、花柳源九郎、藤間涼太郎。演奏は、中井智弥(箏・二十五弦箏)、浅野祥(津軽三味線)、藤舎推峰(笛)、山部泰嗣(太鼓)、友𠮷鶴心(琵琶)。

「四神降臨」「五穀豊穣」「祈望祭事」「花のこゝろ」の4部からなり、「四神降臨」と「祈望祭事」は歌舞伎舞踊、「五穀豊穣」は三味線の謡、「花のこゝろ」は中村壱太郎が歌謡集『閑吟集』に出てくる言葉を選んでストーリーを組み立てた舞踊物語である。


「四神降臨」では、壱太郎、尾上右近、源九郎、涼太郎がそれぞれ四神(青龍、朱雀、白虎、玄武)となり、舞踊を行う。玄武を受け持った尾上右近は黒の紋付きを着ていたが、他の演者は、顔の一部分に該当する色を入れていたり、背景のライトの色を変えたりすることで処理していた。

外は大雨で、雨音がマイクにも入っている。2020年7月1日は台風が近づいている日であったが、収録が行えるのはこの日しかないということで強行したそうである。ちなみにリハーサルも十分に行えない上に一発録り。カメラは7台用意したそうで、それでも上手くいかない場面があり、良く聴くと音楽が止まっていたり、よく見ると「あれ、ここなんか事故あったかな?」と分かる場面もあるそうだ。

「祈望祭事」では、藁が効果的に使われているが、たまたま靖国神社のそばで藁が手に入ったために使っているそうで、即興的要素も多いようである。

字幕入りの国際版での上映であるため、謡入りの「花のこゝろ」は英語での表現も気になる。
壱太郎は、白塗りの真ん中に日の丸を入れるというメイクである。壱太郎演じる女は、良き夫と子に恵まれ、幸せに過ごしていたが、突如として戦乱の世となり、夫は戦死、子は病死、自身は狂気にさいなまれ、遊女へと身をやつすことになる。
一方、尾上右近が演じるのは、「生涯を戦場(いくさば)にて過ごす若者」(英語字幕では、“Natural bone warrior”という凄い表現になっていた)。腕に覚えがあったが、朋に裏切られ、落ち武者となる。
そんな二人が巡り会うが、平穏が訪れる日を願いながら別れることになる。ちなみに西方浄土は、“Western Pure land”になるそうだ。

若者が去った後で、海兵の英霊(やはり尾上右近が演じている)が現れ、無用な戦をするなという意味のメッセージを女に伝える。
英霊というのは靖国神社に祀られている御霊のことだが、ここに登場する英霊は具体的には、『きけわだつみの声』の巻頭を飾ることになる遺書を残した上原良司だと思われる。上原良司は慶應義塾大学在学中に学徒出陣して戦死しているが、壱太郎による大学の先輩へのリスペクトということになるのかも知れない。


中村壱太郎による舞台挨拶。この後、午後6時45分からの回も観て欲しいため、壱太郎は色々と宣伝を行う。「うっとうしいのは僕の舞台挨拶を2回聴かないといけない」と冗談を言っていたが、壱太郎のファンなら2回聴けるのはむしろプレゼントだろう。
稽古は2週間ほど行えたが、本番は1日だけで、取り直しが利かない一発録り。「春のこゝろ」については半分ほどしか当日リハーサルが行えなかったそうである。

収録中も、「(尾上右近の)髪型がおかしいじゃない?」など、臨機応変に変えた部分も多いそうだ。なお、雨がやむ気配がなく、邦楽器は雨に弱くていつ故障が起こってもおかしくないということで、よく見ていると出演者の顔がどんどん青ざめていくのが分かるそうである。
配信用の収録であり、スクリーンでの上映は念頭に置いていなかったが、「映画館で上演するには録音が貧弱」ということで、音楽に関しては全て一から録音し直したそうである。なお、再録音したものはCD化されており、壱太郎が舞台挨拶の最後でグッズの一つとして紹介していた。「CDはちょっと」という人向けのダウンロード版も発売されているそうである。
なお、舞台での初演がすでに決まっており、岡山市で行われるそうである。

舞台挨拶中は写真撮影や録画は一切禁止であるが、舞台挨拶終了後に短い時間ではあるが、フォトセッションの時間が設けられており、壱太郎もこの時は、「何も喋らないんで」とマスクを外すファンサービスを行っていた。

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2021年5月30日 (日)

これまでに観た映画より(261) 「戦場のメリークリスマス」

2021年5月27日 京都シネマにて

京都シネマで、「戦場のメリークリスマス」を観る。大島渚監督作品。日本=イギリス=ニュージーランド合作作品で、撮影は主にニュージーランドで行われている。出演:デヴィッド・ボウイ、坂本龍一、ビートたけし、トム・コンティ、ジャック・トンプソン、内田裕也、ジョニー大倉、内藤剛志ほか。オール・メイル・キャストである。結構よく知られた話だが、無名時代の三上博史も日本軍の一兵卒役で出演しており、比較的目立つ場面に出ていたりする。脚本:大島渚&ポール・マイヤーズバーグ。製作はジェレミー・トーマス。2023年に大島渚の作品が国立機関に収蔵される予定となったため、全国的な大規模ロードショーは今回が最後となる。4K修復版での公開となるが、京都シネマの場合は設備の関係で、2Kでの上映となる。

映画音楽の作曲は坂本龍一で、略称の「戦メリ」というと通常では映画ではなく坂本龍一作曲のメインテーマの方を指す。おそらく映画よりも音楽の方が有名で、大島渚監督の「戦場のメリークリスマス」は観たことがなくても、坂本龍一作曲の「戦場のメリークリスマス」は聴いたことがあるという人も多いだろう。サウンドトラック盤の他に、ピアノアルバムとして発表した「Avec Piano」も有名で、坂本龍一本人の監修による楽譜などが出版されている。私は坂本龍一本人の監修ではなく、許可を得て採譜され、kmpから出版された楽譜を紀伊國屋書店新宿本店で買ってきて、よく練習していた。「戦場のメリークリスマス」メインテーマよりも、「Last Regrets」という短い曲の方が好きで、これまでで一番弾いた回数の多い曲であると思われる。
私のことはどうでもいいか。

ローレンス・ヴァン・デル・ポストの小説『影の獄にて』を原作としたものであり、インドネシアにおける日本軍の敵国兵捕虜収容所が舞台となっている。捕虜収容所を舞台とした映画としては「大いなる幻影」が有名であるが、「戦場のメリークリスマス」も「大いなる幻影」同様、戦争映画なのに戦闘シーンが全くないという異色作で、おそらくであるが、「大いなる幻影」はかなり意識されていると思われる。

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1942年、ジャワ島レバクセンパタにある日本軍の捕虜収容所。収容所所長はヨノイ大尉(坂本龍一)である。部下のハラ軍曹(ビートたけし)と、捕虜であるが日本在住経験があるため日本語も操れるジョン・ロレンス(トム・コンティ)は敵であり、時には一方的にハラがロレンスに暴力を振るう関係でありながら、友情のようなものも築きつつあった。

当時日本領だった朝鮮半島出身の軍属であるカネモト(ジョニー大倉)が、オランダ兵俘虜のデ・ヨンに性行為を働いたかどで捕縛され、ハラから切腹を強要されそうになるというところから始まる。実はこの同性愛の主題がずっと繰り返されることになるのがこの映画の特徴であるのだが、単なるホモセクシャルの話で終わらないところが流石は大島渚というべきだろうか。戦場には男しかいないため、洋の東西を問わず同性愛は盛んに行われたのだが、この映画では、それが単なる性欲という形で終わることはない。

ヨノイは、バタビヤ(現在のジャカルタ。長年、インドネシアの首都として知られたジャカルタだが、首都移転計画が本格化しており、ボルネオ島内への遷都が行われる可能性が高い)で行われる軍律会議に参加したのだが、そこで被告となったジャック・セリアズ(デヴィッド・ボウイ)に一目惚れする。ここで流れる音楽は「The Seed(種)」というタイトルで、メインテーマ以上に重要である。

死刑を宣告されたセリアズであったが、ヨノイによって日本軍捕虜収容所に入れられることとなる。

「戦場のメリークリスマス」は、まだ千葉にいた二十代の頃に、セルビデオ(VHSである。懐かしいね)で観たことがあるのだが、スクリーンで観るのは今回が初めてとなる。日本公開は1983年。当時、私は小学3年生で、まあ10歳にもならない子どもが観るような映画ではない。


大島渚は京都大学在学中に学生運動に参加し、左派思想からスタートした人だが、坂本龍一も都立新宿高校在学中から学生運動に加わり、芸大在学中も、――当時は学生運動は盛りを過ぎていたが――、美術学部の学生を中心に(音楽学部の学生は純粋なお坊ちゃんお嬢ちゃんばかりで、政治には全く興味を示さなかったとのこと)自ら学生運動の団体を興していたということもあって、大島渚に憧れていたという(この辺りの記述は坂本龍一の口述による著書『Seldom Illegal 時には、違法』が元ネタである)。大島渚は学生劇団でも活動していたが、坂本龍一も芸大在学中はアンダーグラウンド演劇に参加しており、吉田日出子などとも知り合いで、舞台音楽を手掛けたほか、舞台に立ったこともあるというが、この映画での演技はかなり酷いもので、本人も自覚があり、坂本龍一のお嬢さんである坂本美雨によると、「試写後、たけしさんとフィルムを燃やそうかと話していたそうですからね(笑)」(「戦場のメリークリスマス/愛のコリーダ」有料パンフレットより)とのことである。日本語のセリフは切るところも変だし、感情と言葉が一致していなかったりする。ビートたけしは、喋りを仕事としているので、癖は強いが聞ける範囲であるが、坂本龍一はあのYMOの坂本龍一でなかったら降板もやむなしとなっていたとしてもおかしくない。ただ、大島渚は演技の巧拙ではなく、人物の持つエネルギーを重視する映画監督であり、当時、時代の寵児と持て囃されていた坂本龍一の佇まいは、やはり印象に残るものである。実際、坂本龍一の姿がメインで映っているが、坂本が喋っていないという場面が最も効果的に撮られている。
なお、当時の坂本龍一は「美男子」というイメージで女子学生のファンが多く、坂本龍一目当てで観に来ている女の子も多かったそうである。

敵味方や性別といった境界全てを超える「愛」というものを、変則的ではあるが思いっ切りぶつけてくる大島の態度には清々しさすら感じる。また、主役にデヴィッド・ボウイと坂本龍一という二人のミュージシャンを配しながら、ボウイ演じるセリアズは歌が苦手で、頭脳明晰でありながら自己表現が不得手であることにコンプレックスを感じているという設定なのが面白い。

余り指摘している人は見かけないが、デヴィッド・ボウイが担っているのはイエス・キリストの役割だと思われる。十字架への磔に見立てられたシーンが実際にある。物語の展開を考えれば、むしろない方が通りが良くなるはずのシーンである。そして何よりタイトルにメリークリスマスが入っている。


坂本龍一へのオファーは、最初は俳優のみでというものだったようだが(今日BSプレミアムで放送されたベルナルド・ベルトルッチ監督の「ラストエンペラー」も同様である)「音楽をやらせてくれるなら出ます」と答え、自身初となる映画音楽に取り組む。デヴィッド・ボウイが出るなら、ボウイのファンと音楽関係者はみんな「戦場のメリークリスマス」を観るから、映画音楽を手掛ければ世界中の人に聴いて貰えるという計算もあったようだ。映画音楽の手本となるものをプロデューサーのジェレミー・トーマスに聞き、「『市民ケーン』を参考にしろ」と言われ、書いたのが「戦場のメリークリスマス」の音楽である。インドネシアが舞台ということでアジア的なペンタトニックで書かれた音楽で、試写会を終えた後にジェレミー・トーマスから、“Not good,but Great!”と言われたことを坂本が自慢気に書いて(正確に書くと「語って」)いたのを覚えているが、かなり嬉しかったのだろう。坂本はその後も数多くの映画音楽を手掛けており、一時は本気で映画音楽の作曲に専念しようと思ったこともあるそうだが、処女作である「戦場のメリークリスマス」は、今でも特別な音楽であり続けている。

1992年頃に、坂本龍一が、日本人として初めてハリウッドで成功した俳優である早川雪洲役で大島渚の映画に主演するという情報が流れたが、予算が足りずにお蔵入りになってしまったようで、代わりに「御法度」という、これもまた同性愛を描いた大島渚の映画に坂本は音楽担当として参加している。


ラストのクローズアップでの笑みが、「仏の笑顔」、「これだけでアカデミー助演男優賞もの」と海外で騒がれたというビートたけし。たけしのイメージに近い役を振られているということもあって、演技力は余り感じられないが、ハラ軍曹その人のように見える。

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