カテゴリー「日本映画」の248件の記事

2025年3月11日 (火)

これまでに観た映画より(381) 「その街のこども 劇場版」

2025年1月17日 京都シネマにて

京都シネマで、阪神・淡路大震災30年特別再上映「その街のこども 劇場版」を観る。2010年1月17日に阪神・淡路大震災15年特別企画としてNHKで放送されたドラマの映画版(2011年公開)。NHK大阪放送局(JOBK)の制作である。放送から15年が経っている。監督:井上剛。脚本:渡辺あや。出演:森山未來、佐藤江梨子、津田寛治ほか。音楽:大友良英。京都では今日1回のみの上映。神戸では今日から1週間ほど上映されて、森山未來がトークを行う日もあるようだ。
森山未來も佐藤江梨子も1995年当時、神戸に住んでおり、阪神・淡路大震災の被災者である。ただ佐藤江梨子はどうなのかは分からないが、森山未來は実家付近にほとんど被害が出なかったそうで、知り合いに亡くなった人もおらず、当事者なのに部外者のような気がしてコンプレックスになっていると語ったことがある。

2010年1月16日。森山未來演じる中田勇治は、阪神・淡路大震災被災後年内に、また佐藤江梨子演じる大村美夏は、震災の2年後に東京に転居し、以後、一度も神戸を訪れていないという設定である。
東京の建設会社に勤める中田は、先輩の沢村(津田寛治)と共に広島への出張で新幹線に乗っている。新神戸駅で下車しようとするスタイルのいい女性の後ろ姿を見掛けた二人。中田はふいに新神戸で降りることに決める。
スタイルのいい女、美夏から、「新神戸から三宮まで歩いて何分ぐらいですか?」と聞かれたことから、二人の物語が始まる(私は新神戸から三宮まで歩いたことがあるが、15分から20分といったところである。地下鉄で1駅なので普通は地下鉄を使う)。美夏は、明日の朝に東遊園地で行われる追悼集会に出る予定だった。中田は灘の、美夏は御影の出身である。
喫茶店や居酒屋で過ごした後、二人は御影(美夏の祖母の家がある)へと歩いて向かう。

オール神戸ロケによる作品である。震災から距離を置きたかったという気持ちが、少しずつ明らかになっていく(共に親族に問題があったようだが)。見終わった後に染みるような感覚が残る映画である。

ラストシーンは、2010年1月17日午前5時46分からの追悼集会で撮影され、即、編集が施されてその日のうちに放送されている。

撮影から15年が経っているが、森山未來は今も見た目が余り変わっていない。十代の頃の面影が今もある人なので、年を取ったように見えないタイプなのだと思われる。

 

上映終了後に、井上剛監督と配給の石毛輝氏による舞台挨拶がある。
キャストが森山未來と佐藤江梨子に決まったことで、当初よりも恋愛要素の濃い設定となったようである(ただし二人が恋仲になることはない)。色々と新しい試みを行ったそうで、カメラマンは、ドラマではなく報道専門の人を起用したそうである。また「百年に一度の災害」というセリフがあるのだが、放送の翌年に東日本大震災が発生。その後も熊本や能登で大規模な地震が発生している。関西でも大阪北部地震があった。ここまで災害が続くとは制作陣も予想していなかったようである。

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2025年3月10日 (月)

これまでに観た映画より(380) 「事実無根」

2025年3月5日 京都シネマにて

京都シネマで、日本映画「事実無根」を観る。原案・監督:柳裕章、脚本:松下隆一。出演:近藤芳正、村田雄浩、東茉凜(あずま・まりん)、西園寺章雄、和泉敬子ほか。

京都の女性と結婚してからは京都市在住となった俳優の近藤芳正。彼が京都の映画人に呼びかけて作った京都を舞台とする映画である。低予算映画ということもあって、お披露目公開をしてからしばらく眠っており、今年の2月21日から3月6日まで、京都シネマにおいて2週間のみの公開が行われている。今後はクラウドファンディングなどで全国での公開を目指すようである。なお、海外ではすでに多くの賞を受賞している。
ご当地映画ということで、京都シネマで2番目に大きいCinema2(定員90名)はほぼ満員の盛況である。

「そのうちcafe」という実在の喫茶店が舞台となっている。ヒロインの東茉凜はオーディションで選ばれた新人である。

京都駅前。京都駅ビルと京都タワーが映る。東本願寺(真宗本廟)の御影堂門と噴水の間、お東さん広場を北に向かって歩く若い女性がいる。大林沙耶(東茉凜)である。現在、18歳。彼女が向かっているのは、五条高倉の六條院公園に面した「そのうちcafe」である。一方、路地を歩く男性。彼も「そのうちcafe」に向かっている。「そのうちcafe」の店主である星孝史(近藤芳正)である。星は長く太秦で映画の助監督を務めていたのだが、監督には上がれないことが確実になって退社。たまたま入ったカフェの店員となり、そのうちに「良いカフェがある」との紹介を受けて「そのうちcafe」のマスターとなったのだった。「そのうちcafe」の前では子どもたちが遊んでいる。沙耶が戸惑っているところに星がやって来る。店を開ける星。星は子ども達に人気があり、一緒に遊んだりしているが、缶蹴りをしていた時に転んで右手を負傷してしまっていた。そのためアシスタントとしてアルバイトを募集したのだが、それに応募してきたのが沙耶だった。
高校を卒業したばかりだという沙耶。星は「高校を卒業したばかりならアルバイトよりも就職した方が良いんじゃないの?」と聞くが、沙耶は、「就職する前に体を慣らしておいた方が良いと思いまして」などと答える。高卒直後に就職しないと不利になるが、星は沙耶を雇うことにする。慣れていないということもあって、ちょっとドジなところのある沙耶。「京都が好きなので京都で働けるだけで嬉しい」と言うが、大阪府高槻市在住で、京都市内からは少しだけ遠い。ということで交通費も全額は出ない。JR京都駅を使っているため、阪急高槻市駅などではなく、JR高槻駅などから京都に来ていると思われる。だが、この沙耶。名前も学歴も全て嘘だったことが後に分かる。住所についても判然としないが、JR京都駅を使っていることは間違いないので、高槻に住んでいるというのは本当かも知れない。

その沙耶(偽名だが)を六條院公園内から見つめるホームレス風の男(村田雄浩)がいることに星は気付く。夜、男に近づいて話しかける星。「これ以上、彼女につきまとったら警察呼ぶぞ!」と警告する。ホームレス風の男は「自分で警察に連絡する」と言ってスマホを取り出し、ボタンを押す。星がスマホを取り上げるが、男が掛けたのは「110番」ではなく、「117番」つまり時報だった(ちなみにホームレスなのにスマホを充電できるのか、であるが、屋外型の有料充電サービスが今はあるので、そこで充電している、のかと思いきや、スーパーで勝手に充電していた。立派な窃盗罪である)。男はあの子は義理の娘で、自分は義理の娘の父親だと打ち明ける(星に、「だったら義理の父親でいいだろ!」と突っ込まれる)。男は元々は大学教授をしていたのだが(その後に話す内容からフランス文学の教授らしいことが分かる)、学内においてセクハラで訴えられ、「事実無根」として無実を訴えた裁判にも負けて、最終的には離婚して家を追い出されたようで、義理の娘にも会えなくなった。男の名は大林明彦。
星はバツイチで、娘の親権は相手が取り、「月に1回、娘に会わせる」という約束も反故にされて娘とは長い間顔を合わせていない。離婚調停において妻から「DVを受けた」と、「事実無根」の証言をされていた。大林の気持ちが分かった星は、星が勤めていた大学(岩倉木野にある京都精華大学がロケ地となっており、精華大学に通う際に多くの学生が使う叡山電車の車両と京都精華大前駅のホームも映る。ただ、京都精華大学にはフランス文学系の専攻は存在しないため、あくまでも架空の大学である)を訪れ、セクハラの被害者を名乗っていた助教の女性に新聞記者だと身分を偽って会う。女性は大林の証言を否定するが、星は直感で彼女は嘘をついていると確信した。

星は、大林を沙耶に会わせることにする。だまし討ちに近い形で沙耶を大林に会わせた星だが、大林が「沙耶」ではなく「悠美(ゆうみ)」と呼びかけるのを見て驚く。沙耶は偽名で本名は悠美。大林が離婚したので、現在は大林ではなく中野姓になっている。つまり中野悠美が本名である。大林が裁判に負けてからは4~5年ほど引き籠もりを続けており、高校も中退していた。そしてなんといっても、悠美は星の娘の名前だった。星の元妻は大林と再婚。悠美は大林の義理の娘であり、星の実の娘でもあったのだ。実父が京都でカフェを経営していることを知り、会いたくて正体を偽り、アルバイト店員として実父と過ごしていたのだった。

少し複雑な親子関係を描いた作品で、描き方にはよってはドロドロ系になってもおかしくないのだが、京都という時間の流れがゆったりした街で繰り広げられるということもあって、まったり系の話になっている。

正直、傑出した映画ではないかも知れないが、東京的なせわしない程の劇的な展開とは異なった映画となっており、東京を中心とした大手の映画製作会社の作品とは違った「手作り」的な味わいがある。京都という日本最大の観光地を舞台にしながら、それほど観光色を表に出さず、京都で暮らす人々の日常を主軸にしているのも良いと感じた。

映画デビュー作だと思われる東茉凜は、初々しい演技が好印象だが、正直、容姿で勝負出来るタイプではないため、これからも女優を続けるのなら演技をもっともっと磨く必要があるように思う。幸い、日本の芸能界はルッキズムがやわらぐ傾向にあり、絶世の美女でなくても主役やヒロインになれる場合も多く、この傾向は当分続くだろうから、チャンスはあるだろう。

なお、元刑事の城田を演じた西園寺章雄が今年の1月14日に他界しており、この映画は彼に捧げられている。

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2025年3月 7日 (金)

コンサートの記(893) 大阪フィル×神戸市混声合唱団「祈りのコンサート」阪神・淡路大震災30年メモリアル@神戸国際会館こくさいホール 大植英次指揮

2025年2月27日 三宮の神戸国際会館こくさいホールにて

午後7時から、三宮の神戸国際会館こくさいホールで、大阪フィル×神戸市混声合唱団「祈りのコンサート」阪神・淡路大震災30年メモリアルに接する。大植英次指揮大阪フィルハーモニー交響楽団と神戸市混声合唱団による演奏会。

神戸国際会館こくさいホールに来るのは、13年ぶりのようである。干支が一周している。
神戸一の繁華街である三宮に位置し、多目的ホールではあるが、多目的ホールの中ではクラシック音楽とも相性が良い方の神戸国際会館こくさいホール。だが、クラシックコンサートが行われることは比較的少なく、ポピュラー音楽のコンサートを開催する回数の方がずっと多い。阪急電車を使えばすぐ行ける西宮北口に兵庫県立芸術文化センターKOBELCO大ホールというクラシック音楽専用ホールが2005年に出来たため、そちらの方が優先されるのであろう。ここで聴いたクラシックのコンサートはいずれも京都市交響楽団のもので、佐渡裕指揮の「VIVA!バーンスタイン」と、広上淳一指揮の「大河ドラマのヒロイン」として大河ドラマのテーマ曲を前半に据えたプログラムで、いずれもいわゆるクラシックのコンサートとは趣向がやや異なっている。ポピュラー音楽では柴田淳のコンサートを聴いている。

構造にはやや難があり、地上から建物内に上がるにはエスカレーターがあるだけなので、帰りはかなり混む。というわけで、聴衆にとっては使い勝手は余り良くないように思われる。客席は馬蹄形に近く、びわ湖ホールやよこすか芸術劇場を思わせるが、ステージには簡易花道があるなど、公会堂から現代のホールへと移る中間地点に位置するホールと言える。三宮には大倉山の神戸文化ホールに代わる新たなホールが出来る予定で、その後も国際会館こくさいホールでクラシックの演奏会が行われるのかは分からない。

 

曲目は、白井真の「しあわせ運べるように」(神戸市歌)、フォーレの「レクイエム」(ソプラノ独唱:隠岐彩夏、バリトン独唱:原田圭)、マーラーの交響曲第1番「巨人」

 

今日のコンサートマスターは須山暢大。ドイツ式の現代配置の演奏。ホルン首席の高橋将純はマーラーのみに登場する。
フォーレの「レクイエム」ではオルガンが使用される。神戸国際会館こくさいホールにはパイプオルガンはないので、電子オルガンが使われるが、パンフレットが簡易なものなので、誰がオルガンを弾いているのかは分からなかった。

 

白井真の「しあわせ運べるように」(神戸市歌)。神戸出身で、阪神・淡路大震災発生時は小学校の音楽教師であり、東灘区に住んでいたという白井真。神戸の変わり果てた姿に衝撃を受けつつ、震災発生から2週間後にわずか10分でこの曲を書き上げたという。
神戸市混声合唱団は、1989年に神戸市が創設した、日本では数少ないプロの合唱団。神戸文化ホールの専属団体であるが、今日は神戸国際会館こくさいホールで歌う。
ステージの後方に階段状となった横長の台があり、その上に並んでの歌唱。
聴く前は、「知らない曲だろう」と思っていた「しあわせ運べるように」であるが、実際に聴くと、「あ、あの曲だ」と分かる。映画「港に灯がともる」(富田望生主演。安達もじり監督)のノエビアスタジアム神戸での成人式の場面で流れていた曲である。
「震災に負けない」という心意気を謳ったものであり、30年に渡って歌い継がれているという。
ホールの音響もあると思うが、神戸市混声合唱団は発声がかなり明瞭である。

 

フォーレの「レクイエム」。大きめのホールということで、編成の大きな第3稿を使用。パリ万博のために編曲されたものだが、フォーレ自身は気が乗らず、弟子が中心になって改変を行っている。そのため、「フォーレが望んだ響きではない」として、近年では編成の小さな初稿や第2稿(自筆譜が散逸してしまったため、ジョン・ラターが譜面を再現したラター版を使うことが多い)を演奏する機会も増えている。

実は、大植英次の指揮するフォーレの「レクイエム」は、2007年6月の大阪フィルの定期演奏で聴けるはずだったのだが、開演直前に大植英次がドクターストップにより指揮台に上がることが出来なくなったことが発表され、フォーレの「レクイエム」は当時、大阪フィルハーモニー合唱団の指揮者であった三浦宣明(みうら・のりあき)が代理で指揮し、後半のブラームスの交響曲第4番は指揮者なしのオーケストラのみでの演奏となっている。ちなみにチケットの払い戻しには応じていた。
それから18年を経て、ようやく大植指揮のフォーレの「レクイエム」を聴くことが叶った。

マーラーなどを得意とする大植であるが、フランスものも得意としており、レコーディングを行っているほか、京都市交響楽団の定期演奏会に代役として登場した時にはフランスもののプログラムを変更なしで指揮している。
フォーレに相応しい、温かで慈愛に満ちた響きを大植は大フィルから引き出す。高雅にして上品で特上の香水のような芳しい音である。
神戸市混声合唱団の発音のはっきりしたコーラスも良い。やはりホールの音響が影響しているだろうが。

フォーレの「レクイエム」で最も有名なのは、ソプラノ独唱による「ピエ・イエス」であるが、実はソプラノ独唱が歌う曲はこの「ピエ・イエス」のみである。
ソプラノ独唱の隠岐彩夏は、岩手大学教育学部卒業後、東京藝術大学大学院修士および博士課程を修了。文化庁新進芸術家海外研修生としてニューヨークで研鑽を積んでいる。
岩手大学教育学部出身ということと、欧州ではなくニューヨークに留学というのが珍しいが、岩手県内での進学しか認められない場合は、岩手大学の教育学部の音楽専攻を選ぶしかないし、元々教師志望だったということも考えられる。真相は分からないが。ニューヨークに留学ということはメトロポリタンオペラだろうか、ジュリアード音楽院だろうか。Eテレの「クラシックTV」にも何度か出演している。
この曲に相応しい清澄な声による歌唱であった。

バリトン独唱の原田圭も貫禄のある歌声。東京藝術大学および同大学院出身で博士号を取得。現在では千葉大学教育学部音楽学科および日本大学藝術学部で講師も務めているという。

フォーレの「レクイエム」は「怒りの日」が存在しないなど激しい曲が少なく、「イン・パラディズム(楽園へ)」で終わるため、阪神・淡路大震災の犠牲者追悼に合った曲である。

 

後半、マーラーの交響曲第1番「巨人」。この曲も死と再生を描いた作品であり、メモリアルコンサートに相応しい。
マーラー指揮者である大植英次。「巨人」の演奏には何度か接しているが、今日も期待は高まる。譜面台なしの暗譜での指揮。
冒頭から雰囲気作りは最高レベル。青春の歌を溌剌と奏でる。チェロのポルタメントがあるため、新全集版のスコアを用いての演奏だと思われるが、譜面とは関係ないと思われるアゴーギクの処理も上手い。
第2楽章のややグロテスクな曲調の表現も優れており、大自然の響きがそこかしこから聞こえる。
マーラーの交響曲第1番は、実は交響詩「巨人」として作曲され、各楽章に表題が付いていた。当時は標題音楽の価値は絶対音楽より低かったため、表題を削除して交響曲に再編。その際、「巨人」のタイトルも削ったが、実際には現在も残っている。「巨人」は、ジャン・パウルの長編教養小説に由来しており、私も若い頃に、東京・神田すずらん通りの東京堂書店で見かけたことがあるが、読む気がなくなるほど分厚い小説であった。ただ、マーラーの「巨人」は、ジャン・パウルの小説の内容とはほとんど関係がなく、タイトルだけ借りたらしい。そしてこの曲は、民謡などを取り入れているのも特徴で、第3楽章では、「フレール・ジャック」(長調にしたものが日本では「グーチョキパーの歌」として知られる)が奏でられる。これも当時の常識から行くと「下品だ」「ふざけている」ということになったようで、マーラーの作曲家としての名声はなかなか上がらなかった。
大植と大フィルはこの楽章の陰鬱にして鄙びた味わいを巧みに表出してみせる。夢の場面も初春の日差しのように淡く美しい。
この葬送行進曲で打ち倒された英雄が復活するのが第4楽章である。そしてこのテーマは交響曲第2番「復活」へも続く。
第4楽章は大フィルの鳴りが良く、大植の音運びも抜群である。特に金管が輝かしくも力強く、この曲に必要とされるパワーを満たしている。
若々しさに満ちた再生の旋律は、これからの神戸の街の発展を祈念しているかのようだった。

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2025年3月 2日 (日)

これまでに観た映画より(379) 「ホテルローヤル」

2025年2月23日

J:COMストリームで、日本映画「ホテルローヤル」を観る。直木賞を受賞した桜木紫乃の同名短編小説集の映画化。ホテルローヤルは、桜木紫乃の父親が実際に釧路で経営していたラブホテルの名称であり、モデルにもなっていると思われる。
短編集であるため、映画化は難しかったようだが、桜木紫乃が「全てお任せ」としたため、桜木の他の小説などを含めた独自のシナリオで撮られている。
監督:武正晴。脚本:清水友佳子。出演:波瑠、松山ケンイチ、余貴美子、伊藤沙莉、岡山天音、正名僕蔵、内田慈(ちか)、冨手麻妙(とみて・あみ)、丞威(じょうい)、稲葉友(ゆう)、和知龍範、玉田志織、斎藤歩(釧路市生まれで北海道演劇界の重鎮)、原扶貴子、友近、夏川結衣、安田顕ほか。音楽:富貴晴美。
北海道のマスコミも多く制作に協力しているが、なぜかメ~テレ(名古屋テレビ)が筆頭となっている。

時代が飛ぶ手法が用いられている。ラブホテルが舞台だけに、男女の入り乱れた関係が描かれる。
北海道釧路市。釧路湿原を望む地に、ラブホテル、ホテルローヤルが建っていた。現在は閉鎖されているが、ヌード写真撮影のために男女が訪れる。この場面に意味があるのかどうかは不明だが(原作には出てくる場面である)、過去のホテルローヤルの場面が断片的に浮かび上がる。

田中雅代(波瑠)は、ホテルローヤルを営む大吉(安田顕)とるり子(夏川結衣)の一人娘。絵が得意で札幌の美大を受験するが不合格となる(原作では大学ではなく就職試験全敗という設定)。浪人する余裕がないのか、進学を諦めて、実家を継ぐことになるのだが、その前に母親のるり子が不倫の末、駆け落ちする。実は大吉も元々の妻を捨ててるり子と一緒になったのだが、今度は逆に自分が捨てられる羽目になった。
ホテルの部屋の音は、換気口を通して従業員室で聞き取れるようになっている(他のラブホテルでもそういうことがあるのかどうかは不明)。

ホテルには様々なカップルが泊まりに来る。何度も泊まりに来る熟年夫婦(正名僕蔵と内田慈が演じる)、ホームレス女子高生の佐倉まりあ(伊藤沙莉)と担任教師の野島亮介(岡山天音)や台詞も特にないカップルなど。

従業員は、能代ミコ(余貴美子)と太田和歌子(原扶貴子)の二人だけだが、ある日、左官として働いていると思ってたミコの長男が実は暴力団員であり、犯罪で捕まったことがテレビで報道される。ミコの夫の正太郎(斎藤歩)は病気で働くことが出来なくなっており、息子から「給料が上がったから」と仕送りが届いたばかりだった。ショックの余り森を彷徨うミコ。正太郎が何とか探し出す。るり子は雅代に「稼ぎよりも自分を本気で愛してくれる人を見つけなさい」とアドバイスするが、その後に姿を消したのだった。

佐倉まりあは、17歳。おそらく近く18歳になる高校3年生だと思われる(原作では高校2年生)。母親が男と駆け落ちし、その後、父親も女の下へ走ったため、ホームレスとなった。担任教師の野島亮介とは、雨宿りのためにホテルローヤルに立ち寄った、というと嘘くさいが本当らしい。実際にまりあが野島を誘うシーンがあるが、野島は応じない。進学先の候補である専門学校に二人で見学に行ったのだが、まりあは進学する気はなく途中で姿を消し、その後に野島が追いついたらしい。まりあが通うのは偏差値が低めの高校のようで、まりあを演じる伊藤沙莉もそれっぽく振る舞っている(武監督から「口開けてろ」「余計なことしろ」との指示があったとのこと)。なので大学進学という選択はないようだ(現在の北海道は私立大学受難の地で、名門私立大学はあるが難関私立大学は存在せず、Fランクと呼ばれる大学が多いが、それでも両親がいないのでは金銭的に難しいのだろう)。
キャバクラごっこ(札幌のススキノという設定らしい)で自己紹介をするのだが、野島に「君はキャバクラには向かない」と言われる。野島は妻の不倫が発覚したばかりで、それも相手は身近な人物だった。この場面の意味であるが、まりあには実際に「キャバクラ嬢になる」という選択肢があったのかも知れない。
この二人が起こした事件がきっかけで、ホテルローヤルからは客が離れることになる。ちなみに野島や佐倉という役名は原作通り(野島は原作では下の名前が広之)だが、某有名ドラマへのオマージュだと思われる。某有名ドラマの女優さん(現在は引退)も伊藤沙莉同様、千葉県出身である。

ホテルローヤルにアダルトグッズ(大人のおもちゃ)を売りに来る宮川聡史(松山ケンイチ)。「えっち屋さん」と呼ばれているが、松山ケンイチが演じているため、雅代が宮川に気があるのはすぐに分かるようになっている。雅代はかなり暗めの性格で、男っ気は全くなく、実際に処女である。宮川が結婚したことを知った時、少しショックを受けたような素振りも見せるが、宮川もその妻が最初の女性という奥手の男性だったことが後に明らかになる。

ホテルローヤルの閉鎖後は、エピローグ的に若き日の大吉(和知龍範)と若き日のるり子(玉田志織)の物語が置かれ、雅代を妊娠した日のことが描かれる。


映画化しにくい題材のためか、ややとっちらかった印象があり、焦点がぼやけてしまって、「ここが見せ場」という場面には欠けるように思う。一番良いのは松山ケンイチで、北海道弁(釧路弁)も上手いし、少し出しゃばり過ぎの場面もあるが、商売に似合わぬ爽やかな青年で優しさもあるという魅力的な人物像を作り上げている。

当時、26歳で高校生役に挑んだ伊藤沙莉。若く見せるために体重を増やして撮影に臨んでいる。「好きなだけ食べて良いのでラッキー」と思ったそうだ。担任教師役の岡山天音とは実は同い年で高校1年の時に同じドラマに同級生役で出演(共にいるだけの「モブ」役だったそうだが)しているそうである。まりあは17歳、野島は28歳という設定であるが、この時の伊藤沙莉は色気があるので、高校生には見えないように思われる。実際、「これが最後の制服姿」とも語っていたのだが、その後も、Huluオリジナルドラマ「あなたに聴かせたい歌があるんだ」や、高校生ではなく高等女学生役ではあるが「虎に翼」でも制服を着ており、いずれも十代後半に見える。「ホテルローヤル」で女子高生に見えないのはおそらく、特に工夫のない髪型のせいもあると思われる。
トローンとした眠そうな目が様々なことを語っていそうな場面があるのだが、これは伏線の演技であることが後に分かる。
武監督は、キャストとしてまずまりあ役に伊藤沙莉を決めたそうだ。ただ童顔の伊藤沙莉も段々大人っぽくなってきていたため焦ったそうである。

長く舞台中心に活動していた内田慈が思いのほか魅力的なおばさん(と言ったら失礼かな)を演じていて、興味深かったりもする。

ただ、波瑠が演じる雅代が暗すぎるのが大衆受けしない要素だと思われる。波瑠を使うならやはり明るい女性をやらせて欲しかった。美大に落ちたことをずっと引き摺っているような陰気なヒロインではキャストが充実していても波瑠ファン以外の多くの人から高い評価を得るのは難しい。

音楽を担当しているのは大河ドラマ「西郷どん」などで知られる富貴晴美。私は連続ドラマ「夜のせんせい」(観月ありさ主演)の音楽などは好きである。タンゴ調の(「単語帳の」と変換された)音楽が多く、ピアソラの「リベルタンゴ」に似た曲もあるが、おそらくそうした曲を書くよう注文されたのだと思われる。

舞台美術は美しいの一言。

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2025年2月23日 (日)

「あさイチ プレミアムトーク」 瀧内公美 2025.2.14

NHK+で、「あさイチプレミアムトーク」を見る。ゲストは女優の瀧内公美。

次期連続テレビ小説「あんぱん」など、出演作が目白押しの瀧内公美であるが、女優デビューが遅かったということもあり、多くの人が知るレベルで売れるようになったのは近年になってからである。大河ドラマ「光る君へ」で共演した黒木華と同い年で親友だそうだが、黒木華は京都造形芸術大学(現・京都芸術大学)在学中にデビューしており、最初から良い役を貰っていたこと、また黒木華は見た目が昔からほとんど変わらないのに対して、瀧内公美は比較的落ち着いた容姿であることなどから黒木華の方が若いように見える。

富山県高岡市に生まれた瀧内公美。一人っ子ということもあり、お転婆な少女ではあったようだが、育てられ方は箱入り。富山県内から出さない方針で、大学進学も「専門職を目指すなら東京に行ってもいい」という感じだったようである。小学校教諭を目指して「恥を知れ」の校訓で有名な(?)大妻女子大学に進学。富山県でも富山大学教育学部などに進めば小学校教諭にはなれるが、誤魔化した(?)そうである。富山大学は国立で難しいだろうからねえ。富山県の私立大学はパッとしないし(出身地の高岡にある高岡法科大学は近く廃校になることが決まっている。ということで富山県内の私立大学は富山国際大学1校のみとなった)。そのまま小学校の先生になるつもりであったが、大学4年の時に都内で撮影現場に出くわし、勢いでエキストラに応募。その場で事務所に入ることも決定し、あれよあれよという間に女優になってしまったようである。今でも出演したい作品のある映画監督の下に直接通うなど、かなり積極的な性格であることが窺える。

映画に関してはオタクを通り越してマニア級であり、映画祭の受賞作品を調べて全て観たり、休日には事前にスケジュールを決めて最高5本観たりという生活を送っているらしい。どの映画館に何時に行って、移動に何分要して、食事はどこで入れるかなど徹底的にシミュレートしてから行くようだ。

これは瀧内公美ではなく伊原六花の話になるが、伊原六花は「観劇マニア」を自認しており、色々なところに観に出掛けていて「沢山勉強した」気になっていたが、他の俳優さんはもっと観ているということを知り、ジャンルを小劇場や大衆演劇にまで拡げたそうである。芝居と映画の違いはあるが、おそらく瀧内公美も「もっと観ている人」の一人になるのだろう。瀧内公美に関しては観た映画の演技を参考にすることはよくあるようだ。

今度、久しぶりに長い休みが取れるそうで、旅行に行きたいというので良い行き先を募集したところ、「世界60カ国を回りましたが」といったような猛者が次々に現れて「良かった場所」を紹介していた。

男を誘惑するような色っぽい役も多い瀧内公美であるが、「色気を出すにはどうしたらいいでしょうか?」の質問に「私、色気ないからなあ」。確かに今日の番組で見た限りは、どちらかというと地は男っぽい性格に見える。ただ、富山時代を知っている古い友人の投稿によると、根はずっと可愛い人らしい。
ちなみに色気を出すには「抑えること」が必要になるようだ。確かに思いっきり婀娜っぽくやると色気があるというより下品になる。

瀧内公美に関する記事をX(旧Twitter)にポストしたら、彼女がヒロインを演じる映画「レイブンズ」にフォローされてしまった。これ、「絶対、観に来い」ってことじゃないか。行くけど。

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2025年2月18日 (火)

これまでに観た映画より(378) 赤楚衛二&上白石萌歌&中島裕翔「366日」

2025年2月5日 新京極のMOVIX京都にて

MOVIX京都で、日本映画「366日」を観る。HYの同名ヒット曲にインスパイアされた作品。松竹とソニーの制作。ソニーが開発し、一時は流行したMD(Mini Disc)がキーとなっている。監督:新城毅彦(しんじょう・たけひこ)、脚本:福田果歩。出演:赤楚衛二、上白石萌歌、中島裕翔(なかじま・ゆうと)、玉城(たましろ)ティナ、稲垣来泉(くるみ)、齋藤潤、溝端淳平、石田ひかり、きゃんひとみ、国仲涼子、杉本哲太ほか。
主題歌は、HYの「恋をして」。「366日」もクライマックスの一つで全編流れる。

若い人はMD(Mini Disc)について知らないかも知れないが、カセットテープに代わるメディアとして登場したデジタル録音媒体で、四角く平たいケースの中に小さなディスクが収まっており、録音と再生が比較的簡単に出来た。CDほど音は良くないが、カセットテープより小さくて持ち運びに便利ということで流行るかに思われたが、ほぼ時を同じくしてパソコンでCDの音源をCD-Rに焼けるようになり、以後、急速に廃れてしまった。今は配信の時代であり、音楽を聴くだけならサブスクリプションで十分で、CDすらも売れない傾向にある。カセットテープやLPが見直されたことはあったが、MDが復活することはもうないであろう。

「366日」であるが、実は私はこの曲を知ったのは、HYのオリジナルではなく、上白石萌歌のお姉さんである上白石萌音のカバーによってであった。

2月29日生まれ、つまり1年が366日ある閏年の例年より1日多い日に生まれた玉城美海(たましろ・みう。演じるのは上白石萌歌)がヒロインである。なお、誕生日に1つ年を重ねるとした場合、2月29日生まれの人は4年に1度しか年を取れないため、法律上は誕生日の前日に1つ年を取ることになっている。4月1日生まれの人は3月31日に年を取るので上の学年に入れられる。

沖縄。HYが沖縄出身のバンドなのでこの土地が舞台に選ばれている。2024年2月29日の最初のシーンで、美海が病に冒され、病室を出て緩和ケアに移り、余命幾ばくもないことが示されてから、時間が戻り、2003年。美海がまだ高校1年生の時代に舞台は移る。MDで音楽を聴くのが趣味だった美海は、同じくMDを愛用していた2つ上の先輩である真喜屋湊(赤楚衛二)と落としたMDを拾おうとして手が触れる。それが美海が湊にときめきを抱いた始まりだった。文武両道の湊。女子人気も高いが、美海は湊と交換日記ならぬ交換MDを行うことで距離を縮めていく。美海の幼馴染みの嘉陽田琉晴(かようだ・りゅうせい。中島裕翔)も明らかに美海に気があるのだが、美海は気付いていない。
湊は東京の大学に進学して音楽を作る夢を語り、美海は英語の通訳になりたいと打ち明けた。

2005年、美海は、湊が通っている明應大学(どことどこの大学がモデルかすぐに分かる。ちなみに、連続ドラマ「やまとなでしこ」には明慶大学なる大学が登場しており、この二つの大学は架空の大学のモデルになりやすいようである。なお、23区内ではなく都下にキャンパスがありそうな雰囲気である)に入学。本格的な交際が始まった。

2009年、湊は都内のレコード会社に勤務中。湊と美海は同棲を初めており、美海は就活中だが、リーマンショックの翌年ということで、就職は極めて厳しく、都内の通訳関係の仕事は全てアウト。沖縄の通訳関係は会社はまだエントリー可だったが、美海は湊から離れたくないという思いがあり、通訳を諦めて他の仕事を探そうとしていた。
ある日、美海は湊の子を身籠もっていることに気付く。しかし、打ち明ける間もなく湊から突然の別れを切り出された美海。夢を諦めるなどしっかりしていないからだと自分を責める美海だったが、湊が別れを告げた理由は他にあった。
美海は沖縄に帰る。沖縄では通訳の仕事に就くことに成功。そして琉晴が、子どもの父親は自分だと嘘をつき(ずっと離れていたのに子どもが出来るはずはないので、すぐにバレたと思うが)、二人は結婚に至る。結婚式はやや遅れて3年後、2012年の2月29日に挙げることになるのだった。この結婚式でのカチャーシーを付けての踊りの場面で、「366日」が流れる。

いかにも若者向けの映画である。美男美女によるキラキラ系。レコード会社に勤務し、通訳になる。花形の職業である。往年のトレンディドラマの設定のようだ。
三角関係、病気もの。若い女の子が感動しそうな要素が全て含まれている。実際、涙を流す若い女の子が多く、作品としては成功だと思える。
若い俳優陣が多いが、演技もしっかりしている。感情や感覚重視で、頭を使った演技をしている俳優がいないのが物足りなくもあるが。

ただやはり私のような年を取った人間が見ると粗が見えてしまう。どう見ても自分を好いている女の子が目の前にいるのに別の女の子の話をしてしまう無神経さ(そして自分を好いているということにずっと気がつかない)。外国の伝説の話をして断りにくくしてから告白するという狡さ(徹底できず誤魔化してしまうが)。相手のことを思っているつもりで実は後先のことは何も考えていないという浅はかさなど、若さ故の過ちが見えてしまう。大人なのでそうした見方を楽しむのもありなのだが。

沖縄ということでウチナーグチが用いられているが、みな達者に使いこなしているように聞こえる。薩摩美人といった感じで「鹿児島県出身」と言われるとすぐ納得できる上白石萌音に対し、妹の上白石萌歌は洋風美人で、ぱっと見で薩摩っぽくはないが、こうして沖縄を舞台にした作品で見てみると確かに南国風の顔立ちであることが分かる(鹿児島県も沖縄県も縄文系が多いとされ、弥生系の多い大和の人間に比べると顔立ちが西洋人に近いとされる)。上白石萌歌は沖縄が舞台になった連続テレビ小説「ちむどんどん」に出演しており、沖縄には慣れていると思われる。

縄文系は美人が多いということで、沖縄からは仲間由紀恵や新垣結衣、比嘉愛未など、美人とされる女優が多く出ているが、一番沖縄っぽい女優というと、この映画にも美海の母親の明香里役で出ている国仲涼子のような気がする。大河ドラマ「光る君へ」では、せっかく出演したのに第1話の途中で殺害されるという、元朝ドラヒロインにしては酷い扱いであったが、この映画では当然ながら良い役で出ている。

若い人向けとしてはまあまあ良い作品だと思うが(年配の方には合わないかも知れない)、こうした美男美女キラキラ系や、病気不幸系、三角関係ありという昔ながらの映画は今後減っていくのではないかと思われる。
ルッキズムが浸透し、自由恋愛が基本ということで、ある程度の容貌を持たないと、パートナーを見つけることが難しい時代になりつつあるが、逆に芸能人に関しては高いルックスは必ずしも必要でなくなりつつある。堅実な人が増えたためか、あるいはSNSが普及したためなのか、向こう側の世界に夢を求めず、美男美女しか出ないリアリティのない世界よりも、親しみが持てて高い演技力のある俳優――男優、女優共に――が出ている作品の方が人気が出やすくなって来ている。男優の方は昔から性格俳優が主役を張ることも珍しくなかったが、女優の方も圧倒的な美貌よりも等身大の外見の方が感情移入がしやすく好まれるようになりつつある。「主役は美人女優」も今は常識ではない。
美男美女キラキラ系映画も需要はあるのでなくなることはないだろうが、今は日本映画界も丁度端境期で、今後潮流が変わる可能性は多いにある。

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2025年2月16日 (日)

これまでに観た映画より(377) 松たか子&松村北斗「ファーストキス 1ST KISS」

2025年2月13日 TOHOシネマズ二条にて

TOHOシネマズ二条で、日本映画「ファーストキス 1ST KISS」を観る。松たか子主演作だが、実質的には松たか子&松村北斗の松&松コンビW主演作である。出演は他に、吉岡里帆、リリー・フランキー、森七菜、YOU、鈴木慶一、神野美鈴(かんの・みすず)ほか。脚本:坂元裕二、監督:塚原あゆ子。

坂元裕二脚本で、松たか子と吉岡里帆が出演というと、吉岡の出世作ともなった連続ドラマ「カルテット」を思い出すが、今回は絡みは少ない。基本的に主役二人のみが主軸となった作品である。特に松たか子演じる硯カンナが物語の全ての鍵を握っていると行っても過言ではない。

2024年7月10日。東京都三鷹市内の駅で、硯駈(すずり・かける。松村北斗)がプラットホームから落ちたベビーカーを救おうとして、救出には成功したものの命を落とした。その日、駈は早めに仕事を終え、妻のカンナ(松たか子)との離婚届を役所に提出するつもりであった。

硯カンナは、演劇の舞台スタッフをしている。仕込みやバラシだけではなく、本番中に俳優が小道具のピストルを忘れたとなると、キャットウォークを伝って届けに行くという何でも屋だ。以前はデザインの仕事をしていたようだが、舞台美術などには携わっていないようである。

硯とカンナ(旧姓は高畑=「たかばたけ」)が出会ったのは、2009年の8月1日である。具体的な場所は詳しくは分からないが、山梨県内のホテルであることは確かだ。それ以来、愛を育み、結婚し、しばらくは上手くやっていたのだが、次第にすれ違いが増え、最近は、朝食も各々準備をして別の部屋で食べるという有り様(駈は和食、カンナはトースト)。遂に離婚を決意したのだった。
しかし、駈が亡くなってもカンナは左手薬指の指輪を外していない。

駈は自らの命と引き換えにベビーカーの子を守った英雄だとしてテレビドラマ化の話なども舞い込むが、カンナは「赤の他人を助けるのと身内を助けるのとどちらが大切なんでしょう? 赤の他人を助けるのが英雄なんですか?」と相手にしない。

ある日、深夜に仕事の依頼があり、首都高を走っていたカンナは三宅坂付近で事故を起こし、2009年8月1日にタイムスリップする。
その日、高畑カンナは、自らがデザインを手掛けた鐘の披露のために山梨県内のホテルを訪れていた。学会で同じホテルにいた駈とはそこで出会うこととなる。
駈は古生物が専門で、大学で助手をしており、天馬教授(リリー・フランキー)のお供としてやって来ていたのだ。天馬には里津という妙齢の娘(吉岡里帆)がいる。
この後、駈はカンナと結婚するために実入りの少ない大学助手を辞して、ハードなことで知られるが給料は高い不動産会社に入社することになる。カンナも売れないデザイナーから舞台スタッフに転身した。

車で三宅坂に行くとタイムスリップするようで、「ハリー・ポッター」シリーズや、浅田次郎の小説『地下鉄(メトロ)に乗って』(堤真一主演で映画化済み)を連想させるような作品。藤子・F・不二雄の「未来の想い出」も思い起こされるなど、ありがちな設定ではある。

カンナは、駈が死なないように、何とか未来を変えようと何度も何度も奔走。時には自分を魅力的に見せるために不似合いな場所でわざと露出の多いドレスを着たり、逆に自分を嫌いになるように仕向けたりと、あらゆる手段を用いる。その過程が笑えたりもする。

自分と結婚しなければ駈は死なないと悟ったカンナは、里津と駈を結婚させようとする。大学教授の娘である里津と結婚すれば駈も研究をやめる必要もなくなるし、若くして死ななくても済む。もはや自己犠牲だが、小さな女の子からも見抜かれるほど、駈はカンナに惹かれている(「おばさん、違うよ、その人が好きなのおばさんだよ。教授の小娘なんて相手にしてないよ」)。
最終手段に出るが、結局のところ別の惨事が起こることが分かり……。

しかし、目の前にいる人が15年間付き合うことになる女性だと知った駈は、カンナが想像していない選択を行うのだった。


ファンタジーとしてはまあまあ合格点のレベルで、十分に楽しめると思う。かなり都合の良い話のようにも思えるが、エンターテインメントなので多くを求めても仕方がない。
ラストも他の多くのファンタジーと同じようなものだが、「人間のなせることなどたかが知れている」という点においては納得がいく。ただ二度目の結婚生活が一度目よりも上手くいったのは、駈が45歳のカンナに会って学んだからだろう。駈がカンナに残したラブレターも感謝の気持ちに溢れていて良い。どんな形であったにせよ、二人は幸せな日々を過ごしたのだ。

ストーリーよりも驚かされたのは、松たか子の変身ぶり。二十代の頃のカンナを演じるための若作りを行うのだが、本当に若く見える。「ロングバケーション」の奥沢涼子(密かにピアニストの深沢亮子が名前の由来ではないかとにらんでいるのだが)が蘇ったかのようだ。ロングヘアにし、眉を細くして、声も少し高め(上の歯の裏に息を当てるようにして発音すると声は高くなる)にし、仕草も変えているのだが、それだけで15歳も若返って見えるのは不思議である。おそらく順撮りではなく、45歳のカンナのシーンを全部撮ってから、眉毛を細く整えて、若い頃のカンナの場面を撮影したのだと思われるのだが、それにしても見事な化けっぷりである。
2024年のカンナと2009年の駈が夜道を歩くシーンがあり、「15年後には、なんでも『ヤバイ』で表現するようになっている」とカンナは駈に語るのだが、松たか子の変身ぶりが一番「ヤバイ」と思う。

演技であるが、出演者は皆達者。安心して楽しめる。松村北斗は旧ジャニーズ出身者であり、今もSixTONESのメンバーとして後継事務所に所属しているのだが、良い意味で素朴さがあり、ジャニーズらしさがない。
吉岡里帆もいい年だし、映画でもテレビドラマでも舞台でもいいから、そろそろ誰もが知るような代表作と言える作品が欲しくなるが。演技は安定感があるし、彼女ならではの個性にも欠けてはいない。出演作は目白押しのようなので期待したい。

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2025年2月12日 (水)

これまでに観た映画より(376) 「美晴に傘を」

2025年2月6日 京都シネマにて

京都シネマで、日本映画「美晴に傘を」を観る。演劇畑出身で、短編映画の制作で評価されてきた渋谷悠(しぶや・ゆう。男性)監督の初長編映画作品である。
出演:升毅、田中美里、日髙麻鈴(ひだか・まりん)、和田聰宏(わだ・そうこう)、宮本凜音(みやもと・りおん)、上原剛史(うえはら・たけし)、井上薰、阿南健治ほか。

劇中で具体的な地名が明かされることはないが、北海道の余市郡が舞台。プロデューサーの大川祥吾が余市町の出身である。

漁師の吉田善次(升毅)の息子である光雄(和田聰宏)が癌で亡くなる。光雄は詩人を志して上京。以後、故郷に戻ることはなかった。雑誌に詩は投稿していたようだが、詩だけで食べることは出来ず、新聞の校正の仕事などをしていたようである。妻と娘が二人。
善次は妻に先立たれて一人暮らし。漁師仲間がいるが、付き合いは余り良い方ではない。東京で行われた光雄の葬儀にも出なかった善次であるが、そんな善次の下を、光雄の妻の透子(田中美里)、光雄の長女の美晴(日髙麻鈴)と次女の凛(宮本凜音)が訪ねてくる。こちらで光雄の四十九日を行うのだ。強引に押しかけた三人は善次の家で寝泊まりし、四十九日が終わっても帰ろうとしない。

小さな漁師町の余市には、透子のような美人はいない。ということで男どもが色めきだつ。光雄の遺言により、透子は白地の涼やかなワンピースに赤い口紅を塗って墓前に立ち、顰蹙を買うも、光雄の遺言だからと気にしない。

長女の美晴は、聴覚過敏を持つ自閉症である。自閉症は名称だけは有名だが、実態はよく知られていない症状である。基本的に知能は低く、視線が合わない、会話が上手く出来ないなどコミュニケーションの障害がある(かつてカナータイプと呼ばれたもの)。知能が正常、もしくは高い自閉症を以前はアスペルガー症候群や高機能自閉症といったが、差別的に用いられたこともあって(一見、普通の人なのだがコミュニケーションや想像力に問題があるため却って差別されやすい)、今はASDや自閉症スペクトラムという呼び方になったが、却って分かりにくくなったように思う。
美晴は二十歳だが、知能が低いタイプなので年齢よりはかなり幼く、不思議な手の動きなどを行う(これも自閉症の典型的な症状の一つ)。また擬音(オノマトペ)を好む。美晴は光雄が残してくれた絵本「美晴に傘を」を透子に朗読して貰うのが好きだ。次女の凛は、少々生意気な性格だが、姉を守る必要もあってかしっかりしている。
実は、善次は、文章が苦手である。当然ながら義務教育は受けているはずなのだが、生来苦手なのか漢字などが上手く書けず、文章にも自信がない。そこで書道家の正野(井上薰)が開いている書き方教室のようなものに通い始めたのだが、最近はサボり気味。実は、売れないとはいえ、詩を書いている息子に送るのに恥ずかしくない手紙を書くべく、習おうとしていたのだった。しかし、息子が病気に倒れたのを知り、更に亡くなったとあっては、書き方を習う必要はなくなってしまったのだった。

実は善次は光雄のことをずっと気に掛けており、光雄の詩が載った雑誌を購入して、息子の詩を全て暗唱していた。童謡のような詩を書く人だったことが分かる。

善次の仲間は個性豊か。二郎(阿南健治)は、俳句(川柳。無季俳句)を生き甲斐としているが、詠むのはエロ俳句ばかり。雑誌に投稿もしているようだがかすりもしない。妻に先立たれたようだが、娘のさくらは美容室を開いている。そんなある日、二郎の俳句が有名な専門誌に採用される。さくらは得意になってその雑誌を何冊も買い、知り合いに配るのだが実は……。

居酒屋が人々の行きつけの場所になっており、ほとんどの客は地元出身者なのだが、桐生(上原剛史)だけは東京からワイン造りのために余市へ越してきている。郊外に広大なワイン畑を所有していた。

美晴の夢の中では、光雄は傘売りのおじさんとなって登場。傘を様々なものに見立てて手渡すが、ある日、骨だけの傘を美晴に手渡す。

透子は当然ながら美晴のことを心配している。就職も恋愛も無理。自分が美晴を守らなかったら誰が美晴を守ってくれるのか。しかしそれが過保護になっていたことにある日気付く。凛の指摘もあった。透子は美晴のオノマトペの世界の豊穣さにも目を見張らされるようになる。

傘は守りの象徴だが、守られてばかりでは自由がなくなる。骨だけの傘は自由への第一歩の象徴でもあったのだと思われる。

ラストは善次と透子によるモノローグと、美晴の象徴的なシーン。モノローグのシーンにはリアリティはなく、少し恥ずかしい感じもするのだが、これぐらい語らないと伝わらないということでもある。メッセージを伝えることはリアリティよりも重要である。伝わらないくらいならリアリティを無視するのも手だと思われる。

夫に先立たれた妻と聴覚過敏を持つ自閉症の娘。息子を若くして亡くした父親というシリアスな設定なのだが、大声で笑える場面も用意されており、「良作」という印象を受ける。俳優陣も優秀。自閉症は圧倒的に男子に多く、女子は少ないのだが、日髙麻鈴は、実際の自閉症の女子に接して、役作りに励んだものと思われる。良い演技だ。

田舎に突如として美女が現れ、男達の心にさざ波を起こすという展開に、竹中直人監督の映画「119」を思い出した。「119」の鈴木京香は当時25歳で大学院生の役であったが、田中美里は今年48歳で透子も同世代と思われ、若くはない。それでもやはり男は美人に弱い。

ノスタルジックな余市の風景、美しいブドウ畑など映像面でも魅力的であり、多くの人に推せる作品となっている。

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2025年2月 9日 (日)

これまでに観た映画より(375) 筒井康隆原作 長塚京三主演 吉田大八監督作品「敵」

2025年2月1日 烏丸御池のアップリンク京都にて

アップリンク京都で、日本映画「敵」を観る。筒井康隆の幻想小説の映画化。長塚京三主演、吉田大八監督作品。出演は、長塚京三のほかに、瀧内公美、河合優実、黒沢あすか、松尾諭(まつお・さとる)、松尾貴史、中島歩(なかじま・あゆむ。男性)、カトウシンスケ、高畑遊、二瓶鮫一(にへい・こういち)、高橋洋(たかはし・よう)、戸田昌宏、唯野未歩子(ただの・みあこ)ほか。脚本:吉田大八。音楽:千葉広樹。プロデューサーに江守徹(芸名はモリエールに由来)が名を連ねている。

令和5年の東京都中野区が舞台であるが、瀧内公美、河合優実、黒沢あすかといった昭和の面影を宿す女優を多く起用したモノクローム映画であり、主人公の家屋も古いことから、往時の雰囲気やノスタルジーが漂っている。

77歳になる元大学教授の渡辺儀助(長塚京三)は、今は親から、あるいは先祖から受け継いだと思われる古めかしい家で、静かな生活を送っている。両親を亡くし、妻も早くに他界。子どもも設けておらず、一人きりである。冒頭の丁寧な朝のルーティンは役所広司主演の「PERFECT DAYS」を連想させるところがある。専門はフランス文学、中でも特にモリエールやラシーヌらの戯曲に詳しい。今は、雑誌にフランス文学関連のエッセイを書くほかは特に仕事らしい仕事はしていない。実は大学は定年や円満退職ではなく、クビになっていたことが後になって分かる。

大学教授時代の教え子だった鷹司靖子(瀧内公美。「鷹司」という苗字は摂関家以外は名乗れないはずだが、彼女がそうした上流の出なのかどうかは不明。また「離婚しようかと思って」というセリフが出てくるが、鷹司が生家の苗字なのか夫の姓なのかも不明である)はよく遊びに訪れる仲である。優秀な学生であったようなのだが、渡辺が下心を抱いていたことを見抜いていたようでもある。しょっちゅうフランス演劇の観劇に誘い、終わってから食事とお酒が定番のコースだったようだが、余程鈍い女性でない限り気付くであろう。ただ手は出さなかったようである。渡辺の家で夕食を取っている時に靖子が渡辺を誘惑するシーンがあるのだが、これも現実なのかどうか曖昧。その後の靖子の態度を見ると、現実であった可能性は低いようにも見える。
友人でデザイナーの湯島(松尾貴史)とよく訪れていた「夜間飛行」というサン=テグジュペリの小説由来のバーで、バーのオーナーの姪だという菅井歩美(河合優実)と出会う渡辺。歩美は立教大学の仏文科(立教大学の仏文科=フランス文学専修は、なかにし礼や周防正行など有名卒業生が多いことで知られる)に通う学生ということで、フランス文学の話題で盛り上がる(ボリス・ヴィアンやデュラス、プルーストの名が出る)。ある時、歩美が学費未納で大学から督促されていることを知った渡辺。歩美によると父親が失職したので学費が払えそうになくなったということなので、渡辺は学費の肩代わりを申し出て、金を振り込んだのだが、以降、歩美とは連絡が取れなくなる。「夜間飛行」も閉店。持ち逃げされたのかも知れないと悟った渡辺であるが、入院した湯島に「世間知らずの大学教授らしい失敗」と自嘲気味に語る。

湯島を見舞った帰り。渡辺は、「渡辺信子」と書かれた札の入った病室を発見。部屋に入るとシーツをかぶせられた遺体のようなものが見える。渡辺がシーツを剥ぎ取ると……。

どこまでが現実でどこまでが幻想もしくは夢なのか曖昧な手法が取られている。フランス発祥のシュールレアリズムや象徴主義、「無意思的記憶」といった技法へのオマージュと見ることも出来る。

タイトルの「敵」であるが、渡辺は高齢ながらマックのパソコンを自在に扱うが、あからさまな詐欺メールなども届く。相手にしない渡辺だったが、「敵について」というメールが届き、気になる。「敵が北から迫ってきている」「青森に上陸して国道4号線を南下。盛岡に着いた」「難民らしい」「汚い格好をしている」との情報もパソコンに勝手に流れてくる。このメールやパソコンの画面上に流れるメッセージも現実世界のものなのかは定かではない。渡辺は何度か「敵」の姿を発見するのだが、それらはいずれも幻覚であることに気付く。
一方で、自宅付近で銃声がして、知り合い2名が亡くなるが、これも現実なのかどうか分からない。令和5年夏から令和6年春に掛けての話だが。渡辺以外は「敵」が来た素振りなどは見せないので、これも渡辺の思い込みなのかも知れない。

亡くなったはずの妻、信子(黒沢あすか)が姿を現す。儀助と共に風呂に入り、一度も連れて行ってくれなかったパリに一緒に行きたいなどとねだる。渡辺の家を訪れた靖子や編集者の犬丸(カトウシンスケ)も信子の姿を見ているため、儀助の幻覚というより幽霊に近いのかも知れないが、この場面まるごとが儀助の夢である可能性も否定できない。

渡辺は自殺することに決め、遺言状を書く。ここに記された日付や住所によって、渡辺が東京都中野区在住で、今は令和5年であることが分かるのであるが、結局、渡辺は自殺を試みるも失敗した。生きることや自分の生活から遠ざかってしまった現実世界に倦んでいるような渡辺。生きていること自体が彼にとって「敵」なのかも知れないが、一方で残り少ない日々こそが彼の真の「敵」である可能性もある。逆に「死」そのものが「敵」であるということも考えられる。渡辺は次第に病気に蝕まれていくのだが、それもまた「敵」、老いこそが「敵」といった捉え方も出来る。

 

大河ドラマ「光る君へ」にも出演して好演を見せた瀧内公美。AmazonのCMにも抜擢されて話題になっているが、本格的な芸能界デビューが大学卒業後だったということもあり、比較的遅咲きの女優さんである。
育ちが良さそうでありながら匂うような色気を持ち、渡辺を誘惑する場面もある魅力的かつ蠱惑的な存在として靖子を描き出している。

映画やドラマに次々と出演している河合優実。今回も小悪魔的な役どころであるが、出演場面はそれほど長くない。

早稲田大学第一文学部中退後に渡仏し、ソルボンヌ大学(パリ大学の一部の通称。以前のパリ大学は、イギリスのオックスフォード大学やケンブリッジ大学同様にカレッジの集合体であった)に学ぶという俳優としては異色の経歴を持つ長塚京三。フランス語のシーンも無難にこなし、何よりも知的な風貌が元大学教授という役にピッタリである。

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2025年2月 5日 (水)

これまでに観た映画より(374) 「港に灯がともる」

2025年1月27日 京都シネマにて

京都シネマで、日本映画「港に灯がともる」を観る。NHK大阪放送局(JOBK)の安達もじり監督(鷲田清一の娘。BK制作の連続テレビ小説「カムカムエヴリバティ」チーフ演出)作品。
作品によって体重や体型を変えて挑むことで、「日本の女デ・ニーロ」と呼ばれることもある富田望生(みう)の映画初主演作である。富田望生はBK制作の連続テレビ小説「ブギウギ」に、ヒロインである福来スズ子(趣里)の付き人、小林小夜役で出演。この時はふっくらした体型と顔であったが、撮影が終わってから体重を落とし、「ブギウギ」が終盤に差し掛かった頃に「あさイチ」に出演。見た目がまるっきり変わっていたため誰だか分からない視聴者が続出し、話題となっている。今回の映画ではスッキリとしたスタイルで出演。出演は、富田望生のほかに、伊藤万理華、青木柚(ゆず)、山之内すず、中川わさ美(わさび)、MC NAM、田中健太郎、土村芳(つちむら・かほ)、渡辺真起子、山中崇、麻生祐未、甲本雅裕ほか。脚本:安達もじり&川島天見。音楽担当は引っ越し魔の作曲家としても知られる世武裕子(せぶ・ひろこ)。

 

富田望生は、2000年、福島県いわき市の生まれ。2011年の東日本大震災で被災し、家族で東京に移住。「テレビに出れば、福島の友達が自分を見てくれるかも」との思いから女優を志し、オーディションに合格。ただその時は太めの体型の女の子の役だったので、母親の協力を得てたっぷり食べて体重を増やし、撮影に臨んだ。その後も体重や体型を変えながら女優を続けている。痩せやすい体質だそうで、体重を増やす方難しいそうである。多くの人が羨ましがりそうだが。
初舞台は長塚圭史演出の「ハングマン」で、この時は太めの体型の役。太めの体型をいじられて不登校になっている女の子の役だったはずである。私はロームシアター京都サウスホールでこの作品を観ている。
「港に灯がともる」では、主題歌「ちょっと話を聞いて」の作詞も行っている。

 

海の見える診察室。神戸市垂水区。金子灯(かねこ・あかり。通名で、本名は金灯。演じるのは富田望生)は、精神科医である富川和泉(渡辺真起子)に、「自分には何もない、なりたいものもない」と泣きながら告げている。
灯は、神戸在住の在日韓国人であり、韓国籍であるが、自分のことを韓国人だと思ったことはない。また生まれたのは、阪神・淡路大震災の起きた翌月(1995年2月)であり、当然ながら震災の記憶はない。そのため、在日韓国人や神戸出身であることを背負わされるのに倦んでいる。時は、2015年。灯は、ノエビアスタジアム神戸(御崎公園球技場)で行われた成人式に出席する。式では震災に負けない心を歌詞にした歌が流れた。
その2年前に神戸中央工業高校(架空の高校である)を卒業した灯は、技能を生かすため、造船工場に就職。社員寮で一人暮らしを始める。しかし、この頃に両親が長年の不仲を経て別居。また姉の美悠(伊藤万理華)が、日本に帰化したいと言い始める。日本人と結婚すると国際結婚になるため、韓国側と書類等、様々な手続きを行わなければならない。両親は在日韓国人同士の結婚だが、自分はそれは嫌である。父親の一雄(甲本雅裕)は出て行ったので、母親の栄美子(麻生祐未)と美悠と灯、そして弟の滉一(青木柚)の三人で帰化を申し出ることにする。この頃から灯は感情の起伏が激しくなり、精神科に通うことになる。最初に訪れた精神科は薬の増減を調節するだけであり、病状は良くならず、灯は工場を辞めることになる。その後、垂水区にある精神科のクリニックを紹介された灯。冒頭にも登場するその病院は、話を聞いてくれる女医さんが院長で、灯には合い、更にクリニックが行っているデイケアにも通うようになる。そこに通う患者の中に在日韓国人の男性がいた。偏見やらなんやらでうんざりしているらしい。

病状も快方に向かったので、再就職活動を始める灯。しかし、ブランクがある上に履歴書に「療養のため」と正直に書いたこともあって不採用の嵐。だが、療養のことを理由に落とす会社は採用されても理解が得られないということで、何も変えずに就職活動を続ける。そして、南京町の近くにある小さな建設事務所に就職が決まる。所長の青山(山中崇)と同じ工業高校の出身だったこともプラスとなったようだ。しかし、小さな事務所。大手事務所のような華やかな仕事は回ってこない。長田区にある丸五市場のリフォームを手掛けることになった灯達。外国人居住者の多い場所であり、灯の家族も震災に遭うまではこの近くに住んでいて、その後も今の家に移るまでは長田区内の仮設住宅に住んでいた。仕事は思うように進まないが、ようやく軌道に乗り始めた頃にコロナが襲い、計画は中断せざるを得なくなる……。

阪神・淡路大震災を意識した映画であり、発生から30年に当たる1月17日に封切られている。ただ震災を直接描くことはなく、むしろ災害や国籍などを背負わされることの息苦しさが描かれている。
無論、灯に記憶がないからといって、震災の影響を全く受けていないということはなく、父親の一雄が帰化を拒む理由となったのも震災であり、灯が両親と祖母と姉とで元々住んでいた長田区ではなく別の場所で住むようになった(現住所は一瞬だけ映るが確認出来なかった)のも震災がきっかけであり、今の人間関係も震災を経て生まれたものである。
ただ結論としては、灯が記したように「私は私として生まれてしまった。」ということで、過去に縛られずに今ここにいる自分を生きていくことに決めるのだった。この思いは、富田望生の手による主題歌の歌詞のラストにも登場する。

富田望生は、繊細な動きによる演技が特徴。間の取り方も上手い。美人タイプではないが、親しみの持てる容姿であり、今後も長く活躍していけそうである。

安達もじり監督がNHKの人ということもあって、ワンカットの長回しによるシーンが随所に登場する。見る者に「リアルタイム」を感じさせる手法である。演者によって好き嫌いが分かれそうだが、感情を途切れさせずに演じることが出来るため、没入型の演技を好む人には向いていそうである。また、ずっと演じていられるため、映像よりも舞台で演じることが好きな人は喜ぶであろう。

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