カテゴリー「日本映画」の171件の記事

2021年2月18日 (木)

これまでに観た映画より(249) 長谷川一夫主演「四谷怪談」

2007年9月8日

DVDで長谷川一夫主演の「四谷怪談」を観る。1959年、大映作品。三隅研次監督作品。
「四谷怪談」というタイトルで、民谷伊右衛門とお岩を始め、登場人物も原作にほぼ忠実なのだが、民谷伊右衛門を悲劇のヒーローに仕立ててしまうという異色作。京極夏彦原作、蜷川幸雄監督の「嗤う伊右衛門」など同類の作品もあるが、「四谷怪談」と銘打っておきながら別の話にしてしまうというのは凄い。

浪人・民谷伊右衛門(長谷川一夫)は清廉な人柄。袖の下を通すのが嫌で職にありつけない。それでも妻のお岩(中田康子)とともに内職などをしながら清貧の生活を送っている。ある日、職を求めて代官・伊藤喜兵衛のところに出向いた伊右衛門。しかし、「今どき金も渡さず職にありつこうなんて」と伊藤に小馬鹿にされて帰る。ところが、伊藤の娘であるお梅(近藤美恵子)が伊右衛門に惚れてしまった。だが、お岩という妻があるため、伊右衛門はお梅を相手にしない。そこで伊藤や伊右衛門の家に出入りしている直助(高松英郎)はお岩に毒を盛り、顔を醜くして伊右衛門と離縁させようと謀る……。

ラストでは、伊右衛門が伊藤の家にお岩の恨みを晴らすべく討ち入るという妙な展開になる(長谷川の当たり役である大石内蔵助を意識したのだろうか)。こういう四谷怪談もありだとは思うが、その場合はタイトルを変えるなり、付け加えるなりした方がいいと思うのだが。人によっては、「こんなの四谷怪談じゃない」と怒るかも知れないし。

映像は美しく、構図も綺麗。時には繋ぎが不自然になってでも絵のようにバランスの良い構図を重視する。
耽美的な四谷怪談になっているが、それが物足りなくもある。


同時期に新東宝は天知茂主演の「東海道四谷怪談」を制作、公開している。長谷川一夫には敵わないと、低予算で、無名の天知茂を起用して作った「東海道四谷怪談」であるが、こちらは長谷川一夫版「四谷怪談」とは比較にならないほどの傑作となった。床に水を張った直助殺害シーンなどはアイデアも仕上がりも素晴らしいの一言である。

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2021年2月12日 (金)

コンサートの記(694) 加古隆コンサートツアー2007「熊野古道」@いずみホール

2007年7月1日 いずみホールにて

午後4時30分より、大阪・京橋にある、いずみホールで、加古隆コンサートツアー2007「熊野古道」を聴く。前半は加古がこれまでに作曲した有名曲の演奏、後半は加古の最新アルバムである「熊野古道」の音楽をメインとしたプログラム。
今回の加古隆のコンサートは、臨時編成の室内オーケストラ、そして、東京と大阪では人気サキソフォン奏者の須川展也(すがわ・のぶや)をゲストに迎えて行われる(名古屋、札幌など、その他の地域では室内オーケストラのメンバーでもある番場かおりがゲストである)。

加古隆は、1947年、大阪生まれ。東京藝術大学と同大学院で作曲を専攻した後、パリ国立音楽院に留学し、オリヴィエ・メシアンに作曲を師事。一方、パリではジャズピアニストとしてもデビューしている。現代音楽とイージーリスニング、ジャズの要素を取り入れた独自の作風を持ち、NHK「映像の世紀」、映画「大河の一滴」、「阿弥陀堂だより」、「博士の愛した数式」、テレビドラマ「白い巨塔」(2003-2004。唐沢寿明主演版)など話題作の音楽を数多く手がけていることでも知られる。

加古隆の特徴は、ミニマルミュージックの影響を受けた反復の心地よさと、やや感傷的だが美しいメロディーラインにある。ピアノは左手で同型のモチーフが繰り返され、その上に優美な旋律が右手で繰り出される。
時に曲がセンチメンタル過ぎる場合もあり、私も「大河の一滴」のテーマなどは余り好きになれない。一方で「パリは燃えているか」(NHK『映像の世紀』テーマ曲)などは大好きで、千葉にいる頃はピアノソロ版の楽譜を手に入れてよく弾いていた。
ちなみに私が加古隆の音楽を初めて聴いたのは、藤子・F・不二雄原作の映画「未来の想い出」(森田芳光監督作品。主演:清水美砂、工藤静香、和泉元彌。何だか凄いキャストである)において。映画の音楽を手がけていたのが加古隆であった。

アルバム「熊野古道」では、須川展也がサキソフォンで参加、金聖響(きむ・せいきょう)が指揮を担当しているが、今日のコンサートには金聖響は出演せず、加古本人が指揮も行う(指揮といっても拍子を刻むのが主で、本格的なものではない)。
三重県からの委嘱で作曲され、丁度1年前、2006年7月1日に津市で初演されたという、「熊野古道」は全4楽章からなり、第2、第3、第4楽章でサキソフォンが活躍する。弦楽とピアノ、サキソフォンという編成、ミニマルミュージック風作風ということで、少し弱腰のマイケル・ナイマンの音楽のようにも聞こえる場面もあったが、日本的な旋律は紛れもなく加古隆のものであり、特に第4楽章は感動的であった。

アンコールは須川展也をフィーチャーし、「パリは燃えているか」のピアノ&サキソフォン特別版、そして「黄昏のワルツ」(NHK『にんげんドキュメント』テーマ曲)が演奏される。聴衆は熱狂し、拍手は長いこと鳴りやまなかった。

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2021年2月 7日 (日)

これまでに観た映画より(246) 「ハサミ男」

2007年6月3日

DVDで日本映画「ハサミ男」を観る。池田敏春監督作品。原作:殊能将之。出演は、豊川悦司、麻生久美子、阿部寛ほか。音楽担当:本田俊之。

日活ロマンポルノの監督として一時代を築いた池田敏春によるサイコホラーサスペンス。なお、本多俊之は、「ハサミ男」のラッシュフィルムを観ながら即興でサックスを吹いており、ルイ・マル監督の「死刑台のエレベーター」と同じ手法が取られている。

2004年の作品だが、冒頭から古い感じの映像と、学生の自主製作映画のような脚本と演出に違和感を覚える。わざとやっているとしか思えず、「どうしてなのかな?」と思っていたが、途中でその理由がわかった。それらは観る者の意識をそちらへと引きつけるための罠だったのである。

豊川悦司の怪しい魅力が生きているが、実質的な主役は麻生久美子。この映画での麻生久美子の演技には女優魂を感じる。「時効警察」の麻生久美子しか知らない人は、三日月クンと同じ女優がやっているとは気付かないかも知れない。

和製ホラー映画というと「リ×グ」(×は伏せ字です)のように、ショッキングな映像が頼りのちょっと情けないものが多いが、この映画はじんわりと来る怖さを持つ。何でもないようなラストも実は怖かったりする。

殊能将之が書いた原作の評価は極めて高く、原作好きの人からは「がっかり」という意見が聞かれたというが、純粋に映画作品として観ると良い作品だ。

(後期)その後、池田敏晴監督は三重県志摩市で投身自殺を遂げ、原作者の殊能将之も不可解な突然死を迎えるという因縁の作品となった。殊能将之は覆面作家であったが、死後に正体が明かされ、本名は田波正といい、高校生の頃からSF・ミステリー小説界では「福井の神童」といわれるほどの逸材であったことが明らかとなった。

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2021年2月 4日 (木)

これまでに観た映画より(245) 黒沢清監督作品「叫(さけび)」

2007年4月6日 京都シネマにて

京都シネマで、日本映画『叫(さけび)』を観る。「立教ヌーヴェルバーグの旗手」、「ネオ黒沢」の異名を持つ黒沢清の脚本・監督によるホラー・サスペンス。出演は、役所広司、伊原剛志、小西真奈美、オダギリジョー、奥貫薫、葉月里緒奈ほか。同じく「立教ヌーヴェルバーグの旗頭」と目される周防正行監督の『それでもボクはやってない』の加瀬亮もちょい役で出演しており、『それでもボクではやってない』同様、役所広司と絡んでいる。

黒沢監督自身の作品である『CURE』や『回路』などに通ずるところのある作品だ。特にラストは『回路』のそれを別側から描いているように見える。


刑事の吉岡登(役所広司)は東京ベイエリアの古いマンションに一人暮らし。独身であるが、ずっと年下の春江(小西真奈美)という恋人がいる。

東京湾岸で、潮水で被害者を窒息させて殺すという手口の犯行が相次いでいる。吉岡は犯行現場で自分のコートのボタンによく似たボタンが落ちているのを発見する。自宅に帰るとコートのボタンがやはり無くなっている。春江に電話で確かめてもコートのボタンのことはわからないという。気になった吉岡は犯行現場に向かい、ボタンを拾う。その時、赤い服の女(葉月里緒奈)が現れる。その女の正体は幽霊であった。吉岡は自分がその女を殺したのではないかとの想念にとらわれ始める。しかしそれこそが女の陰謀の始まりだった……

CGなどにやり過ぎの箇所があるなど、完成度は黒沢監督としてはそう高い方ではないだろう。ただ先に書いた『回路』に繋がる終末感を示し、『回路』では主人公を演じた麻生久美子に前向きな言葉をかけた役所広司を、「許され、残されるが故の地獄」に置くことで、『回路』が相対化されているようにも見える。

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2021年1月24日 (日)

これまでに観た映画より(242) 周防正行監督作品「それでもボクはやってない」

2007年3月15日 TOHOシネマズ二条にて

TOHOシネマズ二条で周防正行監督作品『それでもボクはやってない』を観る。久しぶりに映画館に行ったが、「映画館で観ることが出来て良かった」と思える作品に久々に当たった。秀作であった。

『それでもボクはやってない』は、『Shall We ダンス?』から11年ぶりとなる周防監督の新作。周防監督は『Shall We ダンス?』公開後は著述業やプロデューサー業をしながら、「どうしても撮りたいもの」を探し続けており、2002年の秋から痴漢冤罪事件に関する取材を開始、30件、200回以上に渡る裁判を傍聴、約200人に話を聴き、200冊以上の参考文献に目を通し、取材時期は3年以上に及んだという。
周防監督はもともと題材を丹念に探し、取材を徹底して行うタイプだが、3年以上というのは異例である。

監督・脚本:周防正行。主演:加瀬亮。出演:役所広司、瀬戸朝香、山本耕史、もたいまさこ、小日向文世、尾美としのり、鈴木蘭々、光石研、正名僕蔵、唯野未歩子(ただの・みあこ)、NHKドラマ「ハゲタカ」で知名度が急上昇中の大森南朋(おおもり・なお)、そして周防ファミリーである竹中直人、田口浩正、清水美砂(のちに清水美沙に改名)らが出演している。

笑えるエンターテインメントを作ってきた周防正行監督だが、今回の『それでもボクはやってない』は、取り調べから裁判の過程を通して「人間」の問題を問うた極めてシリアスでシビアな作品である。

配役の妙もある。裁判長に善人も悪人も巧みに演じる小日向文世を当てたことでスリルが増す。痴漢被害者で、加瀬亮演じる金子徹平を誤認逮捕する女子中学生役には真面目で可愛らしく傷つきやすい雰囲気を持ち、声も幼い感じの女の子(柳生みゆ)を起用、徹平や観客の「冤罪を作ってしまった者に対する憎悪」を見事に逸らしてしまう。またミステリアスな雰囲気を持つ唯野未歩子を「痴漢でないことを見ていた」証言者として用いたのも効果的だ。

検察の取り調べのシーンもあるが、例えばキムタク主演のテレビドラマ『HERO』のようなちゃらちゃらしたものではなく、自然に身につけてしまう悪意を前面に出すなど、非人間性の表れを冷徹に示してみせる。

エンターテインメントというと、出演者が騒いで楽しく楽しくというものをイメージするが、『それでもボクはやってない』もエンターテインメントだ。そして『HERO』と『それでもボクはやってない』どちらがエンターテインメントしているかと聞かれたら、私は『それでもボクはやってない』の方が『HERO』の100倍エンターテインメントしていると答えるだろう。

『それでもボクはやってない』は観る者に普通とは違った意味での肯定を与える。勇気づけられる人も多いはずだ。

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2021年1月19日 (火)

R.I.P. 大城美佐子 「十九の春」(映画『ナビィの恋』より)

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2021年1月11日 (月)

これまでに観た映画より(239) 「アイデン&ティティ」

2006年12月12日

DVDで映画「アイデン&ティティ」を観る。俳優の田口トモロヲがメガホンを取った作品。原作:みうらじゅん、脚本:宮藤官九郎。出演:峯田和信、麻生久美子、中村獅道、マギーほか。

4人組のバンド・スピードウェイ。メジャーデビューしたばかりのスピードウェイだが、メジャーになっても生活が良くなるわけではない。バンドマンは使い捨てであり、明日が見えるわけでもない。
スピードウェイのギタリスト・中島(峯田和信)は、バンドの楽曲を一人で制作しているが、自分達が目指す音楽と音楽業界との間に隔たりを感じ、自分達は本当のロックをしていないと痛感している。そんな中島の前にボブ・ディランが現れる……

予想していたよりもずっと良い映画だった。ロックの映画だが、心を揺り動かすのではなく、胸にそっと染み込みタイプの物語だ。かといってロックしていないわけではなく、配分が絶妙である。
宮藤官九郎の脚本の巧さが光るが、あるいは宮藤自身がロックバンドのメンバーであることも関係しているのかも知れない。音楽もやる人の脚本はやらない人の脚本とは違うはずだし、この「アイデン&ティティ」の脚本もある意味音楽的である。

麻生久美子がかなり理想化された大人の女性を演じている。ああいう出来た女性はまずいないはずだが、本当にいたらいいな、と男ゆえに馬鹿である私は叶わぬことを思ってしまうのだった。

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2021年1月 8日 (金)

これまでに観た映画より(238) 「罪の声」

2021年1月4日 MOVIX京都にて

MOVIX京都で、日本映画「罪の声」を見る。グリコ・森永事件をモデルとした未解決事件に巻き込まれた子ども達の視点を中心に描いた作品。原作:塩田武士。監督:土井裕泰。脚本は「逃げるは恥だが役に立つ」の野木亜紀子。出演:小栗旬、星野源、市川実日子、松重豊、梶芽衣子、古舘寛治、宇野祥平、篠原ゆき子、原菜乃華、阿部亮平、火野正平、尾上寛之、橋本じゅん、川口覚、阿部純子、塩見三省、宇崎竜童ほか。音楽:佐藤直紀。

NHKがドラマ&ドキュメンタリーで制作した「未解決事件」でも第1作で取り上げられたグリコ・森永事件(NHKスペシャル「未解決事件 グリコ・森永事件」のドラマ部分主演は上川隆也)。多くの物的証拠や目撃証言が残りながら、今なお犯人像は藪の中という不可思議な事件であり、今に到るまで「逮捕出来ない理由があった説」「犯人外国人説」など様々な説が浮かんでは消えている。身代金を要求しながら犯人グループは一銭も手にしておらず、直接的な死者が出たわけでもなく、とにかく他に例を見ない奇妙な事件であった。いくつかある説の中で株を操作して儲けたのではないかという説をこの映画では採用しているが、たんなる愉快犯説、怨恨説などもある。
奇妙なことだらけの事件であるが、その中でも特に奇妙だったのが、電話で流された犯人からの指示メッセージである。録音された子どもの声によるものだった。グリコ・森永事件が振り返られる時にも、この声の主が誰でなぜ録音されるに到ったのか、またこの子ども達は今どうしているのかが最大の謎として立ちはだかる。「罪の声」はこの子どもの声による指示メッセージに注目して書かれたフィクションである。

製菓メーカーなどは架空のものに入れ替わっており、時効となったこの事件を取材することになった阿久津英士(小栗旬)が所属するのも大阪大日新聞という架空の新聞社で、大阪市役所の庁舎が大日新聞の社屋という設定で登場する。

架空の物語ではあるが、事件の経緯自体はグリコ・森永事件をほぼなぞっており、「キツネ目の男」も登場する。

京阪神地区を中心とする関西一円が舞台となっており、登場人物達も関西の言葉を話す。


京都でテーラーの二代目として働く曽根俊也(星野源)は、ふとしたことからギンガ・萬堂事件(略称「ギン萬事件」。グリコ・森永事件がモデル)で犯人が用いたメッセージに使われたのが幼い頃の自分の声だったことを知り、動揺する。父親の光雄(尾上寛之)が俊也の思い出の品をまとめたと思われる缶の中から、1984年に録音されたカセットテープが見つかったのだが、警察への指示メッセージの前には、わらべの「もしも明日が」を歌う幼い頃の俊也の声と、亡き父の笑い声などが入っていた。しかし、セットになっていると思われたメモ帳には英文が綴られていた。テーラーであった父にこれほどの英語力があったとは思えず、また字も父親のものではない。実は俊也には、「死んだ」と聞かされていた伯父の達雄がいた。「死んだ」というのは嘘だったのだが、達雄は姿をくらませており、生きているのか死んでいるのかもわからない。

大日新聞の記者、阿久津英士は、元々は社会部にいたのだが、事件取材のあり方に疑問を感じ、今は文化部に異動している。しかし、社会部から昭和の未解決事件を追跡する特別企画を任されることになり、ギン萬事件を追ううちに、やはり事件について調べている俊也の存在に気付く。

電話から流れた子どもの声によるメッセージは3回、いずれも違う子の声によるものだった。俊也と阿久津は残された二人の声の主を探すことになる。

犯人グループは暴力団の組長を中心に、暴力団から賄賂を受け取っていたことが発覚して懲戒免職になった元警官・生島秀樹(阿部亮平)、チンピラなどで構成されていたが、その中に俊也の伯父である達雄がいたことがわかる。達雄は若い頃は学生運動に身を捧げており(京大全共闘出身のようである)、権力というものに反感を抱いていた。父親が過激派に殺されたのをきっかけに左翼運動に傾倒し、革命を夢見ていたのだが、その後の学生運動の迷走に嫌気がさし、単身ロンドンへと渡っていた。そこに学生時代に柔道を通して知り合いになった生島が訪ねてきて、警察や世間に一泡吹かせてやりたいという話を持ちかける。達雄は自らの正義を完遂するために、ブレーンとして犯人グループに加わる。

「正義」というといかにも格好良く、死者を出さなかったということでフェアを気取っていたのかも知れないが、結局の所、製菓メーカーや食品会社が業績不振となり、規模縮小による解雇などで多くの人が不幸になっている。そしてそうしたことに関する想像力は一行に働いていない。俊也は事件について全く覚えていなかったため、普通に暮らし、妻子を得て仕事も順調であったが、カセットテープに録音された幼い頃の声を聞き、それまでと同じ精神状態で過ごすことは難しくなる。そして残る二人の声の主、実の姉弟は事件発生直後から暴力団によって軟禁状態に置かれるなど悲惨な人生を歩むことになっていた。真の悪の前には、自称「正義」はなんとも軽薄である。
メッセージに子どもの声を選んだのは、捜査の攪乱も狙っていたが、「子どもならそのうち声も変わる」という理由も含まれていた。声が変わってしまった後では心に傷も残らないと考えたようだが、そうした考えもやはり浅い。
「正義」は結局、私怨に過ぎず、「正しさ」自体が嘘だったのだ。

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2021年1月 4日 (月)

これまでに観た映画より(237) 「さよならみどりちゃん」

2006年11月5日

DVDで日本映画「さよならみどりちゃん」を観る。「この窓は君のもの」、「ロボコン」の古厩智之監督作品。女性漫画家・南Q太の漫画が原作。
「3年B組金八先生」の乙女ちゃん役でおなじみの星野真里主演。共演は西島秀俊、岩佐真悠子ほか。

素直なことだけが取り柄であるOLのゆうこ(星野真里)は元バイト先の先輩であるユタカ(西島秀俊)と結ばれて幸せ一杯。ところが、ユタカから「みどり」という名の彼女がいると知らされてショックを受ける。それでもユタカが好きなゆうこは、ユタカの勧めで仕事帰りにスナック「有楽 YouLark」でのバイトを始める。ユタカの働くカフェバーで優希(岩佐真悠子)という女の子が働き始める。優希に「ユタカさんの彼女ですか?」かと聞かれたゆうこは違うと否定する。優希もユタカが好きで彼女になってみたいと言う。彼女じゃないから、とゆうこは答えた。
ユタカの優しさに惹かれるゆうこ。だが、ユタカの優しさはいい加減さと表裏一体であり、またユタカは誰に対しても優しいのだった……

自己が希薄で、すぐに流されてしまうゆうこ。映画の中でも成長は見られず、このまま人生駄目駄目街道を歩み続けそうだが、一途なところがあるため、鈍くささよりも愛らしさを先に感じてしまう。

大人になれない大人のユタカであるが、あるいは一度はゆうこに「No」と言って貰いたかったのかも知れない。言って貰ったからと言ってユタカが成長するとも、ゆうこが成長するとも限らないのだが。

星野真里のかなり長いヌードシーンがあるが、エロティックな感じが余りしないのは、「二人(ゆうことユタカ)はまるで捨て猫みたい」に見えるからだろうか。実に切ないのである。

ユーミンの「14番目の月」、“次の日からは欠ける満月より 14番目の月が一番好き”という歌詞を持つ曲を、ゆるーく歌うゆうこは本当に魅力的である。多分ゆうこは14番目の月にも満月にもなれないだろうし、救いがあるわけでもないのに何故か救われたような気分になれる。
「14番目の月」は主題歌としても用いられている。

古厩監督は最初の頃は矢口史靖監督と良く比較されたが、矢口監督がエンターテインメント路線を歩み続けているのに対し、古厩監督は独自の路線を進みつつあるようだ。電車の音や子供達の遊ぶ声など、街の音をそのまま効果音として使うところや、本来なら少しはカメラが寄りそうなところを全く寄らずにフラットに撮っているところなどが興味深い。

なお、星野真里はこの映画で、「ナントの勅令」で有名なフランス・ナントの映画祭の主演女優賞を獲得している。


昨日、「洛北日和」に“十四番目の月”というタイトルでモノクロームの写真を載せた。タイトルはもちろんユーミンの「14番目の月」に由来しているのだが、その翌日に「14番目の月」を主題歌にした映画を観るという偶然。大した偶然ではないけれど、人生は不思議だ。

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2020年12月29日 (火)

2346月日(26) 東京芸術劇場オンライン「ドイツ アウフブルッフによる刑務所演劇の挑戦――芸術と矯正の融合を目指して――」

2020年12月21日

東京芸術劇場のオンラインイベント、「ドイツ アウフブルッフによる刑務所演劇の挑戦 ――芸術と矯正の融合を目指して――」を視聴。約3時間の長丁場である。事前申し込み制で、当初定員は先着100名であったが、申し込みが多かったため、150名に増えている。

事前に、稽古やワークショップの様子や、本番のダイジェスト映像、資料などにアクセスするURLが書かれたメールが送られて来ており、それに目を通すことで、内容がわかりやすくなるようになっている。

ドイツで刑務所の受刑者に演技指導をして上演するという活動を続けているアウフブルッフ(ドイツ語で「出発」という意味)の芸術監督で舞台美術家のホルガー・ズィルベによるレクチャーと、坂上香監督のドキュメンタリー映画「プリズン・サークル」にも出演していた毛利真弓(同志社大学心理学部准教授、元官民協働刑務所民間臨床心理士)による日本の刑務所で矯正のために行われている治療共同体(Therapeutic Community。頭文字を取ってTCと呼ばれる)の活動報告、そしてホルガー・ズィルベと毛利真弓の対談「矯正教育による芸術の可能性」からなるオンラインイベントである。モデレーターは、明治大学国際日本学部教授の萩原健(専門はドイツの演劇及びパフォーマンスと日本の演劇及びパフォーマンス)。

アウフブルッフは、刑務所演劇を専門に行っている団体ではなく、フリーのプロ演劇カンパニーだそうで、1996年に結成。翌1997年から刑務所演劇に取り組みようになったという。

アウフブルッフが本拠地を置くベルリン都市州は大都市ということもあって犯罪率も高めだが、「移民が多い」「教育水準の低い人が多い」「再犯率が高い」という特徴があるそうで、刑務所演劇によって再犯率が低くなればという狙いもあったようだが、演劇を行ったことで再犯率に変化があったかどうかの立証は不可能であるため、統計も取られていないようである。
「移民で教育水準が低い」と悪条件が重なった場合はドイツ語も喋れないため、犯罪に手を出す確率は高くなることは容易に想像される。また職業訓練も上手く受けられない場合も多いようだ。そうした状態にある人に芸術でのアプローチを試みたのが、ズィルベ率いるアウフブルッフである。アウフブルッフは、ドイツの他にもロシアやチリの刑務所での上演も行っているようだ。

刑務所演劇の意義として、刑務所のマイナスイメージに歯止めをかけることが挙げられる。受刑者以外で刑務所に入ったことのある人は余り多くないため、その中やそこから出てきた人に対するイメージはとにかく悪い。ただ、刑務所で受刑者が演じる演劇を観て貰うことで、両者を隔てる壁が少しだけ低くなるような効果は生まれる。少なくとも「断固拒絶すべきスティグマ」ではなくなるようである。
1997年にドイツ最大の男性刑務所であるテーゲル司法行刑施設での、「石と肉」という作品で上演が始まり、今に到るまでベルリンの全ての刑務所で公演を行ったほか、外部プロジェクトとして元受刑者で今は社会に出ている人などをキャスティングし、プロの俳優や市民と共同で上演を行う混成アンサンブルによる上演が、博物館、裁判所、教会、ベルリンの壁記念碑の前などで行われているそうである。

ちなみに小さい刑務所の場合は上演を行うスペースがないため、代わりに演劇のワークショップなどを行っているという。

キャストであるが、刑務所側が止めた場合(暴行罪や暴力癖のある人)を除くと希望者がトレーニングを受けて本番に臨むというスタイルのようである。アウフブルッフ側は敢えて受刑者の知識は入れないようにしており、罪状なども一切知らないで稽古を進めるようだ。最初は1回4時間の稽古を4~6回行い、その先に行きたい希望者向けに計300時間ほどの稽古を行うという。刑務作業以外の自由時間は全て稽古に費やす必要がある。無断欠席を3回行った場合は脱落者と見做されるそうである。

ラップや合唱など、コーラスを使った演出も特徴で(演出は全てペーター・アタナソフが行っている)、その他にもセリフの稽古、書き方のワークショップなどが音楽の練習と並行して行われる。本番は6回から14回ほど、キャパは75人から250人までだそうである。受刑者には芸術に触れた経験も興味もない人も多いため、最初は暇つぶしのために参加したり、人から勧められて参加したりと、前向きな理由で加わる人はほとんどいないそうだが、稽古を重ねるうちに社会性が高まる人もおり、更に本番では観客からの拍手を受けるのだが、それが生まれて初めての称賛だったという人も多いそうで、「人生で初めて何かを最後までやり遂げた」と感激の表情を浮かべる受刑者もかなりの数に上るそうである。これにより自信を付け、自己肯定感を得て再犯率も減り……、だといいのだが先に書いたとおり、再犯率低下に演劇が貢献しているのかどうかまではわからないようである。
ただ、刑務所に入るまでに抱き続けていた劣等感は、仮にたった一時であったとしても振り払えるため、何らかの形での再生に繋がっている可能性は否定出来ないように思う。
稽古の終わりに、毎回、キャスト全員で反省会を行い、各々の意見を述べるのだが、これも受刑者がそれまでの人生で余りやってこなかったことであり、人間関係と他者の存在とその視点を知るという意味では有意義なように思われる。

ズィルベによると犯罪者はいずれ社会復帰することになるため、社会の側も刑務所演劇を観ることで受刑者に対する新たな見方を得て彼らを受け入れるための準備をすることが出来る。そうした意味での刑務所演劇の可能性も語られた。

 

毛利真弓による刑務所の報告。「プリズン・サークル」の舞台となった島根あさひ社会復帰促進センターという半官半民の刑務所で臨床心理士をしていた毛利だが、島根あさひ社会復帰促進センターでTCを受けた人の再犯率は9.5%と、TCを受けていない人達の19.6%より優位に低かったそうである。
日本の刑務所は、あくまで収監し、懲役を行うのが主目的で、社会復帰のための教育は遅れているのが現状であり、職業訓練などはあるが、再犯防止のための教育策は基本、取られてこなかった。それでも2006年から少しだけ風向きが変わっているという。

島根あさひ社会復帰促進センターでは、アミティという海外で考え出されたプログラムを使い、イメージトレーニングや加害者と被害者を一人二役で演じる自己内対話を経て他者の視点を得る訓練、また受刑者が受刑者に教えるというシステムもあり、他者と接する機会を多く設けている。これまでの日本の刑務所は他者と触れ合うこと自体が禁じられていることも多かったため、画期的なことであったといえる。

島根あさひ社会復帰促進センターは、初犯の男性受刑者のみが収監されるが、それまでの人生で他者と向き合う機会がほとんどなかったという人も少なくなく、「他者を通して自己と向き合う」「生身の人間のリアルに触れる」ことを目標としたトレーニングが組まれているようである。

ホルガー・ズィルベが島根あさひ社会復帰促進センターの情報を得て、「社会と繋がっていないように感じる」と述べたが、やはり日本の場合、受刑者が社会と直接的な繋がりを持つのは難しいだろう。刑務所演劇の場合は、目の前で受刑者が演技を行い、終演後に観客と受刑者が会話を交わすことも許されているようだが、日本の場合は受刑者という存在に対するスティグマがかなり強いため、少なくともドイツと同様というわけにはいかないように思う。

「犯罪の加害者と上演をしているが、被害者とはどうなんだ?」という視聴者からの質問が来ていたが、被害者とは接点が持てないそうで、まず被害者同士で纏まるということもなく、接触も禁じられているため、手を打とうにも打てないようである。加害者が出演している芝居を観た被害者から一度連絡が来たことがあったそうだが、その一例だけのようである。

刑務所演劇も稽古や上演に到るまで、何ヶ月にも渡って行政と話し合いを持ったそうだが、最終的には「やってやる!」というズィルベの意志が勝ったそうで、毛利も「日本では(刑務所演劇は)難しい」ということを認めながら、「違いを超える」必要性を説いていた。

折しも、日本では第九の季節である。シラーとベートーヴェンが唱えたように「引き裂かれていたものが再び結び合わされる」力にもし演劇がなれるとしたのなら、それに携わる者としてはこの上ない喜びである。

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