カテゴリー「日本映画」の117件の記事

2020年1月22日 (水)

これまでに観た映画より(152) 「武士の家計簿」

午後9時からBSプレミアムで放送された日本映画「武士の家計簿」を観る。森田芳光監督作品。2010年公開の映画である。テレビ出演も多い歴史学者の磯田道史のベストセラー『武士の家計簿「加賀藩御算用者」の幕末維新』が原作である。脚本は柏田道夫。出演:堺雅人、仲間由紀恵、松坂慶子、中村雅俊、西村雅彦、草笛光子、伊藤祐輝、藤井美菜、嶋田久作、宮川一朗太、小木茂光、茂山千五郎ほか。音楽:大島ミチル。

幕末に加賀前田家の御算用者を務めた猪山直之(堺雅人)とその息子である成之(なりゆき。幼名は直吉。伊藤祐輝)が残した入払帳(家計簿)に取材した作品である。

代々算用を家業としてきた猪山家。加賀前田家は百万石を超えるため、帳簿の計算は重要視されたのだが、御算用者を務めるのは下級武士に限られていた。七代目である信之(中村雅俊)は婿養子として入ったのだが、猪山家として初めて知行地を貰うなど、御算用者としては異例の出世を遂げており、加賀江戸藩邸上屋敷の赤門(現在の東京大学赤門)を経費節減のために表だけ赤に塗るという手法を編み出したことを常々自慢している(史実ではないようであるが)。

息子の直之も御算用者として前田家に仕えることになるのだが、とにかく計算好きであり、「算盤バカ」とまで呼ばれている。一方で、剣術の方は下手の横好きであったが、剣術の師範である西永与三郎(西村雅彦)の娘である駒(仲間由紀恵)と祝言を上げる。
藩内で起こった貧農への「お救い米」の横流し事件の真相に迫ったことから能登・輪島に左遷させられそうになる直之であったが、農民達が一揆を起こしたことから事が明るみに出て、逆に御執筆係に栄転する。
そのまま順調な人生を歩むかと思われた直之であるが、実は猪山家の家計が火の車であることが発覚。金になるものを全て売り払うことで切り抜けることを決断、以後、猪山家の全ての金の出入りを入払帳に書き記すことに決め、質素倹約に励むようになる。

息子の直吉にも御算用者になるよう厳しく接する直之であったが、幕末の騒乱の中、元服して成之と名を改めた直吉は、徳川将軍家と足並みを揃えることを決めた前田家の一兵卒として京へ向かうことになる。


下級武士の悲哀を描きながら、比較的淡々と進む物語である。幕末が舞台であるが、幕末ものにつきものの戦闘シーンなどは一切出てこない。刀ではなく算盤を武器とする武士の物語である。成之は長州の大村益次郎(嶋田久作)に算術の力を見込まれて新政府軍に入るのだが、これが新しい時代の到来を告げることになる。


計算が苦手で、ディスカリキュア(算数障害)ではないかという噂もある堺雅人。計算が苦手なのは本当のようで、国立大学(東京大学ではないかといわれている)の入試で数学の問題が全く解けなかったという話や、早大生時代にアルバイトをしていたドーナツ店でおつりを盛大に間違えたというエピソード、数に弱いので「半沢直樹」の銀行員役を受けるべきか躊躇したという逸話があったりもするが、この作品では算盤を弾く姿が絵になっている。

仲間由紀恵を始め他のキャストも豪華であるが、なんといっても堺雅人演じる猪山直之のキャラが立っており、堺雅人と猪山直之を見るべき映画と断言しても構わないであろう。

今や日本を代表する作曲家となった大島ミチルの音楽も実によく、物語をしっかりと支えている。

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2020年1月12日 (日)

これまでに観た映画より(150) 「カツベン!」

2020年1月9日 TOHOシネマズ二条にて

TOHO二条シネマズで、日本映画「カツベン!」を観る。周防正行監督作品。活動写真と呼ばれた無声映画時代に活躍した活動弁士を題材にした映画である。出演:成田凌、黒島結菜、永瀬正敏、高良健吾、音尾琢真、山本耕史、池松壮亮、竹中直人、渡辺えり、井上真央、小日向文世、徳井優、田口浩正、正名僕蔵、成河、森田甘路、酒井美紀、竹野内豊ほか。音楽:周防義和。エンディングテーマを歌うのは奥田民生。
周防正行は脚本も兼ねることが多いが、この作品の脚本は周防ではなく片島章三が手掛けている。片島は監督補も兼任する。


京都府を中心とした関西圏が舞台となっており、出演者の多くが関西の言葉を話す。

1915年、京都府伏見町(現在の京都市伏見区)。お堂の前で活動写真の撮影が行われる。監督は後に日本映画の父と呼ばれることになる牧野省三(山本耕史)である。当時はサイレント映画ということで、音声の収録は行われないため、牧野の指示を出しながら撮影していく。染谷俊太郎少年は活動写真そのものよりも弁士に夢中。特に当時一世を風靡していた活動弁士、山岡秋聲(永瀬正敏)に憧れている。ある日、悪ガキ仲間と一緒にロケ現場(「種取り」と呼ばれたようである)を見物に出かけた染谷は、木村忠義巡査(竹野内豊)に追われ、そこで栗原梅子という少女と出会う。梅子と二人で劇場に潜り込んだ染谷は終演後、暗記した山岡秋聲の言葉を、梅子の前で語ってみせる。染谷少年は活動弁士になること夢見ていた。その後、再び活動写真に潜り込もうとした二人であるが、秘密の入り口は閉ざされていた。

十年後(1925年)、弁士募集に応じた染谷(成田凌)は、活動写真を上映している間に家の中を荒らすという窃盗団に加わっていた。弁士になれると思い込んでいたのに、盗賊の仲間入りしてしまったことに不満の染谷。名前も山岡秋聲などを有名弁士を騙り、なりすましを行っていた。そんな日々に飽き飽きしていた染谷は、ある日、警部に昇進した木村忠義に追われ、なんとかトラックに乗り込むが、仲間を見捨て、青木館(主は青木富夫という名で、竹中直人が演じている。竹中直人は今回も「青木」という役名である)という劇場に転がり込む。青木館は隣町のヤクザである橘重蔵(小日向文世)が興した活動写真小屋タチバナ館に押されていた。橘は青木館の弁士や楽士を次々に買収して引き抜いていく。青木館には、茂木貴之(高良健吾)という看板弁士がいたが、ナルシストでスター気取りであり、わがままが多い。山岡秋聲も今は青木館の弁士をしているが、とっくにやる気をなくしており、酒浸りで過度の説明を嫌って小声で語るスタイルが不評である。
染谷は、名を国定忠治に由来する国定と偽り、青木館の住み込みとして働くが、アル中で本番をドタキャンした山岡に代わって弁士を務め、往事の山岡そのままの語りを披露して大評判を取って、国定天聲という名で青木館の人気弁士になっていく。そして国定を名乗る染谷は、駆け出しの映画女優となった梅子、芸名・沢井松子(黒島結菜)と再会する。

山岡や茂木から、「人気弁士の真似だ」と指摘された国定であるが、次第に自分独自の語りをものにしていったのだが……。


山岡が活動弁士に対する不満を語る下りがある。弁士は誰かが作った活動写真に勝手に説明をつけていく。だが、説明がなくても活動写真は活動写真として成立する(実際、諸外国では活動弁士は存在せず、サイレント映画はサイレント映画という一ジャンルとして、音楽伴奏のみで上映されることが多かった)。だがその逆はない。


これは、国定天聲など様々な名を使い分けて、いわばなりすましを行っていた染谷俊太郎青年が、映画のその向こうへと進んでいく話である。
象徴的な場面がある。茂木や安田(音尾琢真)らに監禁された松子こと梅子を染谷が救出に向かう場面である。そこで襲ってきた橘の部下の用心棒が、勢い余って壁を突き抜けてしまう。実は梅子が監禁されていた部屋はタチバナ館のスクリーンの真後ろであり、観客達は、スクリーンに映った人物ではなく染谷と梅子を観ることになる。そこで二人は部屋から抜け出すことになるのだが、二人の後ろ姿は映像の登場人物の後ろ姿と完全に重なる。ある意味、虚構を抜けて現実へと向かっていく場面であり、見方によっては唐十郎的ともいえる。

橘の妨害により、フィルムはズタズタにされ、あり合わせのフィルムでの上映が行われる。梅子救出のために遅れて駆けつけた国定こと染谷は、瞬間瞬間に自分の言葉で状況を生み出すことで切り抜けていく。橘との騒動や自身の贖罪の日々も描かれるが、ある意味、これからが染谷俊太郎としての本番である。誰かが作った活動写真に寄りかかるのではなく、自分で生み出す人生を歩んでいくのだ。
そして私もまた。

これは活劇であり、ラブロマンスでもあるが、その後廃れていく活動弁士を通して「生の在り方」を問う哲学的な面も持ち合わせている。

自転車での追いかけっこは愉快であるが、サドルのない自転車で進むより捨てて走った方が絶対に速いはずなのにそうしないのは、これが彼らの生き方を象徴している場面だからであろう。俊太郎は活動写真という乗り物に乗っているが、自力で漕いで走っているわけではない。
この2年後、1927年、昭和2年であるが一週間しかなかった昭和元年から変わった本格的な昭和の始まりの年に、世界初のトーキー映画である「ジャズ・シンガー」がアメリカで封切りとなる。やがてトーキーの時代になると活動弁士達は失職し、山岡秋聲のモデルである徳川夢聲(小説『徳川家康』の作者は山岡荘八であり、山岡という名はそこから取られたのだと思われる)などは漫談家に転じている。俊太郎も映像がなくても語りで人を惹きつけるという、漫談家に転身してもやっていけそうな才能を示している。


成田凌はオーディションで選ばれたのであるが、活動弁士を演じるために特訓を受けたそうで、なかなかの芸達者ぶりを見せている。若き日の才気煥発たる山岡秋聲と落ちぶれてからの山岡を演じ分ける永瀬正敏も魅力的だ。
子供時代の染谷を演じる子役の語りが上手く、また子供時代の梅子役の子役も可愛く、いい素材を見つけてきたなという印象を受ける。

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2019年12月12日 (木)

志村喬 「ゴンドラの唄」(映画「生きる」より)

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2019年11月18日 (月)

これまでに観た映画より(140) 「愛がなんだ」

2019年5月15日 京都シネマにて

京都シネマで「愛がなんだ」を観る。今泉力哉監督作品。原作:角田光代。出演:岸井ゆきの、成田凌、深川麻衣、若葉竜也、江口のりこ、筒井真理子、片岡礼子、穂志もえか、中島歩ほか。

今月10日で上映終了のはずが、好評につき上映期間延長となっている。定員55名のシアター3での上演であるが、チケット完売で立ち見まで出るという盛況である。私も随分久しぶりに最前列で観ることになる。

小さな会社で電話営業などをしている山田テルコ(岸井ゆきの)は、友人のそのまた友人の結婚式の二次会で田中守(成田凌)という雑誌のレイアウトデザイナーをしている男と知り合う。すぐさま恋仲にという展開を予想したテルコであるが、なかなか恋人にはなれない。テルコは守を「マモちゃん」と愛称で呼んでいるのに、守はテルコを「山田さん」と呼び、距離がある。風邪を引いた守から電話があり、テルコは看病に向かうが、最後は追い出されてしまう。それでも守との距離は近くなり、「もう恋人だろう」とその気になったテルコは仕事が手につかず、「33歳になったらプロ野球選手になろかな」「飼育係になろうかな。プロ野球選手よりは現実的でしょ」などと語る守の未来に自分がいるものだと思っていたのだが、ある日それはあっさりと裏切られる。
同じように、テルコの友人である坂本洋子(深川麻衣)の手下のような形に落ち着いているカメラマンアシスタントの仲原青(若葉竜也)。今のままでもいいと仲原は思っているようだが。

愛し合わなきゃいけない、恋愛関係でなきゃいけない、結婚に至らなければいけないという思い込みに「愛がなんだ」とカウンターパンチを打ち込むようなテーマを扱っているのだが、むやみに映像詩的な部分があるなど押しが弱いため、結局のところ駄目男と馬鹿女の話しに見えてしまうのが難点である。ただ、主演の岸井ゆきのはとても良い。成田凌はどことなく妻夫木聡に似ているし、江口のりこはなんとなく安藤サクラ風である(江口のりこと安藤サクラは姉妹だと思われることもあるようだ)。ただ岸井ゆきのは誰にも似ていない、岸井ゆきのだ。女優としてそれだけで素晴らしいことであるが、演技や存在がとても魅力的である。映画自体が弱いかも知れないが、なんらかの映画祭で女優賞を獲ってもおかしくないと思える。

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2019年11月 4日 (月)

これまでに観た映画より(136) 「蜜蜂と遠雷」

2019年10月29日 MOVIX京都にて

MOVIX京都で、日本映画「蜜蜂と遠雷」を観る。恩田陸の直木賞&本屋大賞受賞ベストセラー小説の映画化。監督・脚本・編集:石川慶。出演:松岡茉優(ピアノ担当:河村尚子)、松坂桃李(ピアノ担当:福間洸太郎)、森崎ウィン(ピアノ担当:金子三勇士)、鈴鹿央士(新人。ピアノ担当:藤田真央)、平田満、臼田あさ美、ブルゾンちえみ、光石研、片桐はいり、斉藤由貴、鹿賀丈史ほか。

第10回芳ヶ江国際ピアノコンクールの参加者(コンテスタント)達を描く青春映画。天才少女と騒がれながら7年前に演奏会場から逃亡してしまった栄伝亜夜(松岡茉優)、音大生など24時間ピアノに集中できる出場者に交じって28歳の妻子持ちのサラリーマンで年齢制限から最後のチャンスに賭ける高島明石(松坂桃李)、「ジュリアード王子」と呼ばれて大人気であるが、師から「完璧を目指せ、余計なことするな」と厳命されているマサル・カルロス・レヴィ・アナトール(森崎ウィン)、伝説のピアニストであるホフマンに見出され、正統的な音楽教育を受けていないにも関わらずホフマンの推挙を受けてコンクールに参加することになった風間塵(かざま・じん。鈴鹿央士)ら、それぞれに複雑な背景を持ったピアニスト達が、時に競い、時に心を通わせ合っていく様が描かれている。それぞれのピアノ演奏を受け持つのが、日本を代表するトップクラスのピアニストというのが、見所であり聴き所である。

基本的には、20歳のピアニスト、栄伝亜夜(えいでん・あや)の物語である。ファーストシーンは幼い頃の亜夜とピアノ教師だった母親によるショパンの「雨だれ」の連弾場面である。母親によってピアノに開眼した亜夜は幼くしてカーネギーホールで演奏を行うなど神童ぶりを発揮するが、7年前に母親が死去した直後、ピアノ協奏曲のソリストとして登場するも演奏を行わずに逃亡。以後、表舞台から姿を消していた。そんな亜夜が芳ヶ江ピアノコンクールのコンクラリストとして姿を現す。口さがない人々は、「あの天才少女の?」「また逃げちゃうんじゃないの?」とひそひそ噂する。

そんな亜夜の前に現れた16歳の少年ピアニスト、風間塵。ホフマンの推薦状を手に現れた塵だが、ピアノも持たず無音鍵盤で練習を行っており、本格的な音楽教育も受けていないことから物議を醸す。審査員の中には露骨に彼を「最低だ」と批難するものまでいる。だが、心からピアノが好きな塵の姿勢に亜夜は影響を受ける。亜夜は塵ほどにはピアノを愛していないことを悟る。
 

今回のコンクールの本命と目されるマサル・カルロス・レヴィ・アナトール。アメリカ人だが、日系で幼い頃には亜夜の母親が開いているピアノ教室に通っており、亜夜と見るやすぐあの時の少女と見抜く。亜夜もマサルのことをすぐに思い出す。互いを「あーちゃん」「まーくん」と呼び合う二人。師から教わった通りの「完璧」を目指しており、それが現代のピアニストなのだと教え込まれている。だが実際の彼はコンポーザーピアニストになることを夢見ており、完璧な表現とは違った創造性を求めていた。

高島明石は、楽器メーカーで働きながらピアノコンクールに応募。学生達では不可能な「生活に根ざしたピアノ」を弾くことを目標としている。年齢制限があるため、今回が最後のピアノコンクール参加であり、結果が出なかったら潔くピアニストを止めるつもりでいた。

 

2次審査は、新曲「春と修羅」(実際の作曲は、今最も話題の作曲家である藤倉大が行っている)の演奏で、カデンツァは、ヴィルトゥオーゾの時代のようにピアニスト達が独自に作曲したものを弾く。大時代的でドラマティックな超絶技巧を披露するマサル。一方、宮澤賢治の言葉にインスパイされた詩的なピアノを明石は弾く。宮澤賢治が理想とした生活に根ざした農民芸術的な明石のピアノに触発された亜夜は感激し、すぐさま練習室でピアノを弾こうとするが、全て塞がってしまってる。それでもどうしても今夜中にピアノが弾きたい亜夜は、明石の手配で、芳ヶ江の街のピアノ工房でピアノに向かう。亜夜の行動を察知して後を付けてきた塵は亜夜と二人で、ドビュッシーの「月の光」、「It's only a paper moon」、ベートーヴェンの「月光」などを即興で連弾する。

亜夜にとってピアノとは母親と弾くものであり、母と心を通い合わせる道具であった。だから母が他界してしまった時、亜夜はピアノを弾く意味を喪失してしまった。コンサート会場から逃げ出したのはその時である。だが、コンクールに出たことで、ピアノは人々と通じ合うツールへと姿を変える。様々な邂逅を経て、亜夜はピアノを弾く意味と失われた音楽を取り戻していく。

 女性が主人公ということもあって、登場人物にどれだけ共感出来るかが鍵となる映画。そういう点において女性向けの作品と見ることも出来るかも知れない。幸い、亜夜の実際のピアノ演奏を担当しているのが河村尚子というとこもあって、私は亜夜に感情移入することに成功したように思うし、他の人物の心境も完全というにはおこがましいが、ある程度把握することが出来、音楽を通してささやかだが確実に成長していく人々を温かく見守ることが出来た。
プロコフィエフのピアノ協奏曲第3番演奏シーンでは、自分でもなぜ感動しているのかわからない感動も味わう。

芸術に限らず多くのジャンルにおいてそうだが、人との関わりや巡り合わせがとても重要であることを示してくれる映画である。

 

 

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2019年10月12日 (土)

これまでに観た映画より(132) 「お百姓さんになりたい」

2019年10月4日 京都シネマにて

京都シネマでドキュメンタリー映画「お百姓さんになりたい」を観る。原村政樹監督作品。
語りは小林綾子が務めている。

埼玉県三芳町にある明石農園の1年間を追う。16年前、28歳の時に東京から埼玉県の南端にある三芳町に移り住んで新規就農をした明石誠一が始めた明石農園。明石は子どもの頃の夢の3位が農業をやることだったそうである。1位は宇宙飛行士だったが「虫歯があったりしたら駄目」というので早々に諦め、2位の「サッカー選手になる」を求めて体育大学に進学したが、「自分の実力ではプロにはなれない」と悟り、しばらく何もする気になれなかったが、子どもの頃の夢を思い出して農業を始めることにしたそうである。

明石農園は、肥料や農薬に頼らない自然栽培を行っている。肥料の代わりに他の野菜や雑草を自然発酵させたものを用い、秋には枯葉を集めて土の質を向上させるなど(落ち葉堆肥農法として江戸時代からこの地方に伝わっているそうだ)、自然を最大限に利用する。自然栽培で育てられた作物だけに人気があるようだが、自然を相手にしているため、思い通りにならないことも多い。
農業というと種を植えて面倒を見る過程が思い浮かぶが、自然栽培を行う明石農園では種が育つための土を作ることが何よりも重要なようである。

明石農園では農家志望の人達が研修生として働いている。研修生として学んだ人のうち、これまでに10人ほどが農家として独立しているそうである。
農業高校を卒業して研修生として働いている最初から農家志望の女性もいるが、障害者なども幅広く受け入れている。知的障害者などは対人関係などは不得手だが、自然は人間よりも広量である。
明石は、「効率の良いこと、お金になることが優先される世の中だが、資本主義や民主主義とは違う、新しい物差し作り」を目指してもいるようである。

江戸時代には人口の8割を農民が占めていたが、時代を経るに従って農業に従事する人は減っていき、皆都会に出て対人業務を行うことが多くなっている。ただそうした第三次産業に合わない人も出てくる中で、消費者の声が大きくなりすぎるなど行き詰まりの感もあり、新たな価値観を求めて農業に就くということはある意味先祖返り、原点回帰的なことであり、現代社会で希求されるものとはまた別の豊かさを持つ未来が想像されるようにも思われる。

明石農園の森では、音楽祭なども催され、障害があって普通の音楽会に行けない人達も音楽を楽しんでいる。東京のベッドタウンで、特になにもないような町だが、ちょっとしたハレの喜びがここにはあるようだ。

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2019年10月11日 (金)

「怪盗ルビイ」より「たとえばフォーエバー」

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2019年10月 3日 (木)

これまでに観た映画より(130) 「記憶にございません!」

2019年10月1日 MOVIX京都にて

MOVIX京都で「記憶にございません!」を観る。三谷幸喜監督作品。脚本も勿論、三谷幸喜である。出演:三谷幸喜、石田ゆり子、小池栄子、ディーン・フジオカ、迫田孝也、ROLLY、木村佳乃、田中圭、小林隆、宮澤エマ、濱田龍臣、有働由美子、佐藤浩市、吉田羊、斉藤由貴、草刈正雄ほか。

政策に不満な男が投げた石が頭に当たったことで記憶喪失になった総理大臣・黒田啓介(中井貴一)を巡るコメディー映画である。名前も風景も日本なのだが、政治家の振る舞いなどは日本と異なっており、会見の時に使われる国を表す印も「五七桐」ではなく、微妙に違う文様である。

消費税を上げに上げまくり、一方で生活保護費などは減らすという政策、更に自己中心的で人を見下した態度から「史上最低の総理」と言われている黒田。支持率は2%台と低迷中である。妻の聡子(石田ゆり子)、息子の篤彦(濱田龍臣)という家族、更には身辺を守るSPからも嫌われているという鼻持ちならない男であり、黒田をブラックジョークで批判するニュースショーのキャスター(有働由美子)が人気を博しているほどだ。
だが、記憶を失った黒田は、総理時代とは全く異なる小市民的好人物。政治家になる以前の記憶は残っているということで、元々の性格はそれなりに良かったことが想像される。実は、総理大臣は傀儡であり、官房長官である鶴丸(草刈正雄)が黒田を含めて5人の総理の下で立て続けに官房長官を務めていて、実質的には鶴丸の独裁体制が敷かれていた。

黒田を「無能」と見下していた首相秘書の井坂(ディーン・フジオカ)や総理夫人の聡子の面倒を見ることも多い事務秘書官の番場のぞみ(小池栄子)らは、黒田が記憶喪失となったことを隠したままで「全力で押し通る」路線を選び、定例記者会見を一言で打ち切らせたりと、ボロを見せないよう苦心するのだが、黒田が倒れた女性記者を助け起こしたりしたことなどから、総理の変化が徐々に周囲に伝わり始める。

政治という大きな舞台を設定しているが、実際にはファミリードラマであり、妻の聡子や息子の篤彦との関係修復に最後は繋がっていく。三谷版「心の旅」(ハリソン・フォード主演の映画の方)と観ることも出来るかも知れない。

三谷ファンには嬉しい小ネタが充実しているのも特徴であり、三谷が好む人物再登場の法ならぬ小ネタ再登場の法とも呼ぶべきものである。いずれにせよ人間喜劇の手法と取れるのだが、ドミソピザ(舞台&映画「12人の優しい日本人」に登場。キーになっている)が出てきたり、ラストの回想で黒田が語る内容は、1994年に上演された三谷の舞台「出口なし」(サルトルの「出口なし」とは別物である)の主人公である野村東馬(唐沢寿明が演じていた。実は彼は本当は野村東馬ではないのだが、ややこしくなるのでここでは書かないでおく)のセリフがほぼそのまま転用されていたり、人物造形には九代目松本幸四郎(現・二代目松本白鸚)と七代目市川染五郎(現・十代目松本幸四郎)の二人舞台である「バイ・マイ・セルフ」との共通点が見られたりする。「バイ・マイ・セルフ」に登場する幸四郎演じる謎の老優は、自分を特別な人物になんとか仕立てようとするのだが、自分の素の部分が本来は魅力的であるということを染五郎演じる若きフリーライターに指摘されるという筋を辿る。この映画でも黒田が政界を生き抜くために身につけた要素に決別し、家族を再構築しようという様が素敵でもある。
黒田は妻の聡子についてある軽薄な印象を受ける言葉を何度も繰り返すのだが、種明かしされた後では「男なら妻に言ってみたいセリフ」へと変わる。ある意味、言葉の魔術である。

政治家としての部分とファミリードラマを両立させるために流れは悪くなっており、場面によってはグダグダ続くところもあるが、見終わった後はファミリードラマならではのほのぼのとした気持ちになれる。大したことのない作品かも知れないが、三谷本人が大したことない作品を目指しているようなところがあり、政界を扱ったのは背景を大きくすることで小さなドラマをより有効に進めるためでもあるように思われる。成功はしなかったが連続ドラマ「総理と呼ばないで」と同じ路線であり、自らの演出で復讐を図っているように思われる。ただ演説や告白が上手く書けないという三谷の弱点は克服されておらず、今後に持ち越しということになるようだ。

 

中井貴一演じる黒田は小劇場なら小林隆(この映画には省エネルックの大臣として登場)が演じるのに相応しいような役であり(別に中井貴一でもいいのだが)、ROLLYが演じていた鰐淵影虎は、あるいは伊藤俊人が生きていたら抜群に上手く演じられた役のように思われる。ディーン・フジオカが演じていた井坂は若い頃の西村まさ彦が合いそうな役でもある。これまでの三谷作品と重ねながら観るのも面白いだろう。ディーン・フジオカは海外でキャリアを築いてきた俳優ということで、今も発声に問題があり、かなり残念ではあったが、雰囲気は役に合っている。三谷幸喜は全て当て書きの人であり、三谷幸喜に「会ってみたらトンチンカンな人でした」と言われている石田ゆり子などは素の良さが生きているのだと思われる。一方、ROLLYや有働由美子は普段とは違った魅力で見せることに成功している。

 

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2019年10月 2日 (水)

これまでに観た映画より(129) 「人間失格 太宰治と3人の女たち」

2019年9月25日 MOVIX京都にて

MOVIX京都で、日本映画「人間失格 太宰治と3人の女たち」を観る。蜷川実花監督作品。出演:小栗旬、宮沢りえ、沢尻エリカ、二階堂ふみ、成田凌、千葉雄大、瀬戸康史、高良健吾、壇蜜、近藤芳正、木下隆行、藤原竜也ほか。

タイトルには「人間失格」とあるが、小説『人間失格』の話は直接的には登場せず、太宰治(小栗旬)が『人間失格』執筆に至るまでを3人の実在の女性を絡めて描く。

鎌倉・腰越の小動岬での心中未遂の場面に始まり、玉川上水での入水に終わる。
登場する3人の女は、太宰の正妻である石原美知子(作家・津島佑子の母親。宮沢りえ)、愛人の太田静子(作家・太田治子の母親。沢尻エリカ)、愛人で心中することになる山崎富栄(二階堂ふみ)である。

 

スクリーン全体が一色に染まる場面が多用されるという、蜷川実花らしい演出が特徴である。舞い落ちる雪が花びらに変わったり、太宰が屋台の並ぶ祭りの中で迷い、真っ赤な風車(かざぐるま)と嘲笑を浴びせる子ども達に囲まれるという幻覚のシーンは、あるいは父親である蜷川幸雄の晩年の代表的演出作品「身毒丸」へのオマージュだったりするのかも知れない。

 

太宰が小説を書くために心中やらなんやらの事件を起こしているという噂は太宰の生前からいわれていたことであり、玉川上水で心中した際も、「どうせホラだろう」と本気にしなかった人もいたようだ。

 

『斜陽』を書くために太田静子と不倫することを許し、「もっと凄い作品」を書くために山崎富栄に走るよう仕向ける石原美知子が実は影の主人公なのではないかと思われる節もある。美知子の存在感はラストが近づくたびに増していき、最後は『斜陽』のヒロインと重なるような、太宰以上に重要な人物となる。
正樹(太宰治の息子。15歳で夭逝)がこぼしてしまった青の絵の具を美知子と娘の園子が顔に塗りたくりながら泣くという印象的なシーンがあるが、青は悲しみの色であると同時に太宰が吐き出す血の赤の反対色でもあり、はっきりとはわからないが結核を病む太宰を介抱する富栄への対抗意識と合わせて二つながらに描いているようである。本当にそうならベタで露骨ではあるが上手い技法でもある。
他の俳優も優れているが、宮沢りえが、この映画の中では最高の出演者であろう。沢尻エリカや二階堂ふみには押しの演技が必要とされるため、引きの演技の部分は宮沢りえが一人で担っているともいえる。

 

スキャンダラスな太宰治を描くということで、プレイボーイが嵌まるイメージのある小栗旬はよく合っている。頭が良さそうにも文才がありそうにも見えないが、この作品の太宰はそうした要素は二の次三の次で、とにかく色気があることが重要であり、剽軽な部分の描き方も小栗旬の良さが出ている。これまでの太宰治像というと、とにかく陰鬱で自意識過剰でありながら女々しくて、小説家としては天才だが生活は破綻しているという描き方が多かったが、小栗旬の太宰には「軽み」がある。

坂口安吾役の藤原竜也は出番は極々短いが、太宰を『人間失格』執筆へと導く重要な役どころであり、藤原竜也を配したのは正解だと思われる。

耽美的な要素と、男女関係が前面に出ているため、太宰本人ではなく太宰が書いた小説の切実さはあるいは伝わりにくくなっているかも知れない。見ようによっては本当に「ただの不倫」とも取られかねないところはある。

 

個人的には、『人間失格』は、悲惨この上ない物語だとは思っていない。人から愛されるため、他の人と同じ道を歩むために演じ続けることが人間というものなのだとしたら、そんなものは失格してしまった方が良いのではないかとすら思っている。昨今は同調圧力が今まで以上に高まり、「ダイバーシティ」の掛け声とは裏腹に、「同じであること」が強要されるようになってきている。要約すると「LGBTはまともな男と女になるよう努力しろ」ということになる文章を書く人が現れたりするのだから困ってしまう。

 

「存在するため」に人はあるいは「人間」になるのかも知れない。存在するだけではなく生きるためには人間を失格しても良いのではないか。『人間失格』という小説をそう受け取った時、私は初めて太宰治の友人になれたような気がした。この映画では、凄い小説を書くために人間を失格するという解釈なのだと思われるのだが、こうした太宰個人や表現者だけでなく、もっと多くの人に「失格」の良さを示して欲しかったと個人的には思うのだ。

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2019年8月26日 (月)

坂本龍一 2種の「Batavia」

 

 

 

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