カテゴリー「中国映画」の13件の記事

2024年4月 5日 (金)

これまでに観た映画より(328) 「ラストエンペラー」4Kレストア

2024年3月28日 アップリンク京都にて

イタリア、中国、イギリス、フランス、アメリカ合作映画「ラストエンペラー」を観る。4Kレストアでの上映である。監督はイタリアの巨匠、ベルナルド・ベルトルッチ。中国・清朝最後の皇帝である愛新覚羅溥儀(宣統帝)の生涯を描いた作品である。プロデューサーは「戦場のメリークリスマス」のジェレミー・トーマス。出演:ジョン・ローン、ジョアン・チェン、ピーター・オトゥール、英若誠、ヴィクター・ウォン、ヴィヴィアン・ウー、マギー・ハン、イェード・ゴー、ファン・グァン、高松英郎、立花ハジメ、ウー・タオ、池田史比古、生田朗、坂本龍一ほか。音楽:坂本龍一、デヴィッド・バーン、コン・スー(蘇聡、スー・ツォン)。音楽担当の3人はアカデミー賞で作曲賞を受賞。坂本龍一は日本人として初のアカデミー作曲賞受賞者となった。作曲賞以外にも、作品賞、監督賞、撮影賞、脚色賞、編集賞、録音賞、衣装デザイン賞、美術賞も含めたアカデミー賞9冠に輝く歴史的名作である。

清朝最後の皇帝である愛新覚羅溥儀(成人後の溥儀をジョン・ローンが演じている)。弟の愛新覚羅溥傑は華族の嵯峨浩と結婚(政略結婚である)して千葉市の稲毛に住むなど、日本にゆかりのある人で、溥儀も日本の味噌汁を好んだという。幼くして即位した溥儀であるが、辛亥革命によって清朝が倒れ、皇帝の身分を失い、その上で紫禁城から出られない生活を送る。北京市内では北京大学の学生が、大隈重信内閣の「対華21カ条の要求」に反対し、デモを行う。そんな喧噪の巷を知りたがる溥儀であるが、門扉は固く閉ざされ紫禁城から出ることは許されない。

スコットランド出身のレジナルド・フレミング・ジョンストン(ピーター・オトゥール)が家庭教師として赴任。溥儀の視力が悪いことに気づいたジョンストンは、医師に診察させ、溥儀は眼鏡を掛けることになる。ジョンストンは溥儀に自転車を与え、溥儀はこれを愛用するようになった。ジョンストンはイギリスに帰った後、ロンドン大学の教授となり、『紫禁城の黄昏』を著す。『紫禁城の黄昏』は岩波文庫から抜粋版が出ていて私も読んでいる。完全版も発売されたことがあるが、こちらは未読である。

その後、北京政変によって紫禁城を追われた溥儀とその家族は日本公使館に駆け込み、港町・天津の日本租界で暮らすようになる。日本は満州への侵略を進めており、やがて「五族協和」「王道楽土」をスローガンとする満州国が成立。首都は新京(長春)に置かれる。満州族出身の溥儀は執政、後に皇帝として即位することになる。だが満州国は日本の傀儡国家であり、皇帝には何の権力もなかった。

満州国を影で操っていたのが、大杉栄と伊藤野枝を扼殺した甘粕事件で知られる甘粕正彦(坂本龍一が演じている。史実とは異なり右手のない隻腕の人物として登場する)で、当時は満映こと満州映画協会の理事長であった。この映画でも甘粕が撮影を行う場面があるが、どちらかというと映画人としてよりも政治家として描かれている印象を受ける。野望に満ち、ダーティーなインテリ風のキャラが坂本に合っているが、元々坂本龍一は俳優としてのオファーを受けて「ラストエンペラー」に参加しており、音楽を頼まれるかどうかは撮影が終わるまで分からなかったようである。ベルトルッチから作曲を頼まれた時には時間が余りなく、中国音楽の知識もなかったため、中国音楽のCDセットなどを買って勉強し、寝る間もなく作曲作業に追われたという。なお、民族楽器の音楽の作曲を担当したコン・スーであるが、彼は専ら西洋のクラシック音楽を学んだ作曲家で、中国の古典音楽の知識は全くなかったそうである。ベルトルッチ監督の見込み違いだったのだが、ベルトルッチ監督の命で必死に学んで民族音楽風の曲を書き上げている。
オープニングテーマなど明るめの音楽を手掛けているのがデヴィッド・バーンである。影がなくリズミカルなのが特徴である。

ロードショー時に日本ではカットされていた部分も今回は上映されている。日本がアヘンの栽培を促進したというもので、衝撃が大きいとしてカットされていたものである。

後に坂本龍一と、「シェルタリング・スカイ」、「リトル・ブッダ」の3部作を制作することになるベルトルッチ。坂本によるとベルトルッチは、自身が音楽監督だと思っているような人だそうで、何度もダメ出しがあり、特に「リトル・ブッダ」ではダメを出すごとに音楽がカンツォーネっぽくなっていったそうで、元々「リトル・ブッダ」のために書いてボツになった音楽を「スウィート・リベンジ」としてリリースしていたりするのだが、「ラストエンペラー」ではそれほど音楽には口出ししていないようである。父親が詩人だというベルトルッチ。この「ラストエンペラー」でも詩情に満ちた映像美と、人海戦術を巧みに使った演出でスケールの大きな作品に仕上げている。溥儀が大勢の人に追いかけられる場面が何度も出てくるのだが、これは彼が背負った運命の大きさを表しているのだと思われる。


坂本龍一の音楽であるが、哀切でシリアスなものが多い。テレビ用宣伝映像でも用いられた「オープン・ザ・ドア」には威厳と迫力があり、哀感に満ちた「アーモのテーマ」は何度も繰り返し登場して、特に別れのシーンを彩る。坂本の自信作である「Rain(I Want to Divorce)」は、寄せては返す波のような疾走感と痛切さを伴い、坂本の代表曲と呼ぶに相応しい出来となっている。
即位を祝うパーティーの席で奏でられる「満州国ワルツ」はオリジナル・サウンドトラック盤には入っていないが、大友直人指揮東京交響楽団による第1回の「Playing the Orchestra」で演奏されており、ライブ録音が行われてCDで発売されていた(現在も入手可能かどうかは不明)。
小澤征爾やヘルベルト・フォン・カラヤンから絶賛されていた姜建華の二胡をソロに迎えたオリエンタルなメインテーマは、壮大で奥深く、華麗且つ悲哀を湛えたドラマティックな楽曲であり、映画音楽史上に残る傑作である。

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2022年5月29日 (日)

これまでに観た映画より(297) チャン・イーモウ監督作品「ワン・セカンド 永遠の24フレーム」

2022年5月25日 京都シネマにて

京都シネマで、張芸謀(チャン・イーモウ、张艺谋)監督作品「ワン・セカンド 永遠の24フレーム」を観る。出演:チャン・イー、リウ・ハオツン、ファン・ウェイほか。

文化大革命真っ只中の中国が舞台となっている。
風吹きすさぶ広大な砂漠の中を一人の男(チャン・イー)が歩いているシーンから始まる。男は喧嘩を行ったことを密告され、改造所(強制収容所)送りとなっていた。その間に離婚し、一人娘ともはぐれることになった。

この時代、映画のフィルムが送り届けられ、劇場(毛沢東思想伝習所という名になっている)で上映会が行われていた。田舎の人々にとってはそれが数ヶ月に一度の楽しみであった。上映前の場面では、劇場に詰めかけてきた全ての人の高揚感がこちらにも伝わってきて、胸がワクワクする。

娘がニュース映画の22号に映っているという情報を得た男は、14歳になる最愛の娘の映像を観るために改造所から逃亡してきたのだ。
夜中に農業会館(礼堂)にたどり着いた男は、子どもがオートバイに下げられた袋からフィルム一巻を盗むのを目撃して追いかける。男の子かと思っていたが、女の子であった。フィルムを取り返した男だったが、彼女はその後も何度もフィルムを奪いに来る。やがて男は、彼女が貧しく、劉の娘(演じるのはリウ・ハオツン)という名前のみで呼ばれていることを知る。彼女には幼い弟がいて、成績優秀なのだが、貧しいためにライトスタンドを買うことが出来ず、夜に十分に勉強することが出来ない(字幕では「本が読めない」となっていたが、おそらく「看书」は「勉強する」という意味で使われていると思われる)。そこで、借りることにしたのだが、誤って傘の部分を燃やしてしまい、持ち主から傘を付けて返すよう脅迫される。借りたのはやっちゃな少年達の一団からだったようで、劉の娘は彼らから散々にいじめられている。
当時は、映画のフィルムでライトの傘を作ることが流行っていたようで、劉の娘もフィルムで傘を作ろうとしていた。いじめられないため、そして弟のために必死だったのだ。


文化大革命の下放中に映画監督を志した張芸謀監督。若い頃は画家志望だったが、才能に不足を感じ、写真家志望へと転向している。文革終了後、北京電影学院(日本風に書くと北京映画学院。「学院」というのは単科大学のこと)を受験した際は、年齢制限に引っかかっていたが、彼の写真家としての腕が高く買われ、特別に入学を許されている。北京電影学院の同期(第五世代)で、仲間内で文学の才を称えられた陳凱歌は張芸謀の写真家としての才能を絶賛する詩を書いていたりするほどだ。映画監督よりも先に撮影監督として評価されたことからもその才能はうかがわれるが、この映画の主人公である逃亡者の男も写真を学んだことがあるという設定になっており、この男もまた張芸謀監督の分身であることが分かるようになっている。

第2分場の劇場で映写を担当しているのはファン(ファン・ウェイ)という男である。映画(電影)のことを知り抜いているため、ファン電影の名で呼ばれている。
逃亡者の男と、劉の娘がフィルムの取り合いを行いながら、ファン電影のいる第2分場にたどり着く。その間、ヤンという男がオートバイで第2分場へとフィルムを運んでいたのだが、ヤンは荷馬車引きであるファン電影の息子にフィルムを託してしまう。これが事件へと発展する。知能に障害のあるファンの息子は、フィルムを入れた缶の蓋をきちんと閉めることを怠り、フィルムが路上に投げ出されてしまう。土まみれで、とぐろを巻いた蛇のようにグチャグチャになったフィルム。このままでは上映は出来ないが、ファン電影は分場総出で、フィルムの洗浄を行う。なお、第2分場の劇場にはフィルムの洗浄液が置かれていないが、子ども時代のファン電影の息子が洗浄液を水と間違えて飲んでしまい、後遺症で知能に後れが出て荷運びしか出来ない青年となってしまったため、ファン電影は洗浄液を劇場に置くのを止めたのであった。
フィルム洗浄の工程からはファン電影の執念の凄まじさが感じられるが、ファン電影もやはり張芸謀の分身の一人であると思われる。

なんとかかんとかフィルムの修復が完了。だが、その後も、逃亡者の男が劉の娘の復讐のためにやんちゃな少年達とやり合うなど場は混乱。その際、劉の娘に預けたニュース映画22号のフィルムを劉の娘がライトスタンドの傘にするために家の持ち帰ったのではないかと疑った男が劇場を離れるなどしたため、本編の前に上映されるニュース映画を飛ばして映画本編からの上映となる。

ニュース映画に男の娘が映っている時間はわずかに1秒(ワン・セカンド One Second。映画は1秒間に24コマ=フレームを費やす)。14歳であるが、大人に交じって袋を担ぐ肉体労働を行っている。男は、ファンにそのシーンを何度も上映するよう命令する。


1秒だけ映る14歳の娘の姿は、男にとって何よりも大事な映像だが、映画や芝居、ドラマなどが好きな人は誰でも「自分だけの大切な一場面」を胸に宿しているはずで、多くの人が娘の場面を、「自分の愛しい瞬間」に重ねることだろう。勿論、娘を思う男の気持ちにも心動かされる。

ライトスタンドの傘であるが、最終的にはフィルムが美しい傘となって劉の娘に送られる。形は違うが、娘のフィルムへの執着が実っており、これまた映画への愛を感じることになる。

「映画への愛」と「自分だけの大切な場面」を描き切った張芸謀の力量に感心させられる一本であった。

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2022年3月 1日 (火)

これまでに観た映画より(284) 「再会の奈良」

2022年2月21日 京都シネマにて

京都シネマで、日中合作映画「再会の奈良」を観る。脚本・監督:ポンフェイ(鹏飞)。エグゼクティブプロデューサー:河瀨直美、ジャ・ジャンクー(贾樟柯)。出演:國村隼、ウー・イエンシュー(吴颜姝)、イン・ズー(英泽)、秋山真太郎(劇団EXILE)、永瀬正敏(友情出演)ほか。音楽:鈴木慶一。鈴木慶一はワンシーンのみであるが出演している(セリフあり)。

2005年の秋の奈良を舞台に、姿を消した元中国残留孤児の女性を探す、彼女の育ての親である陳おばさん(ウー・イエンシュー)、その孫のような存在(遠縁らしい)で日中ハーフの女性、清水初美(中国名は萧泽。演じるのはイン・ズー)、定年退職した元警察官の吉澤(國村隼)の3人を主役としたロードムービーである。
奈良市の他に、河瀨直美の故郷である御所(ごせ)市も撮影に協力しており、主舞台となっている。

映画が始まってしばらく経ってから、中国残留孤児の説明アニメが入る。第二次大戦中、日本から中国東北部に約33万人の開拓者が送り込まれ、満州国発展のために農村を拓いていったのだが、1945年8月にソビエトが突如参戦。満州にいた人々は逃げるのに必死であり、自分達の子供を現地の中国人に託すか、捨てるかしかなかった。この時、約4千人の中国残留孤児が生まれたという。1972年に日中の国交が正常化されると、残留孤児と呼ばれた人々の身元が判明するようになり、続々日本への帰国を始める。

この作品で行方が捜されることになる陳麗華という女性は、1994年に日本に帰国。奈良県で親族と思われる人を探し出していた。その際に名前を日本名に変えたことが分かっているが、その名を誰も記憶しておらず、手掛かりがつかめない。

陳おばさんに手紙を書いていた麗華だが、ある日を境に居場所がようとして知れなくなる。その後、何年にも渡って音信不通となったため、陳おばさんは来日して麗華を探す決意をする。初美も当然ながらそれに参加。更に、初美が居酒屋でアルバイトをしていた時代に知り合った元警察官の吉澤も加わり、少ない情報を手掛かりとした捜査のようなものが始まる。
当初は居酒屋に勤めていた初美だが、今はみかん工場でのアルバイト。麗華を探すために休みがちであり、上司からは「今度やったらクビだよ」と言われている。


淡々とした描写の映画であり、秋の奈良の光景が美しいが、劇的な展開を意図的に避けてユーモアを盛り込んでおり、さほどドラマティックにもならない。それでいて結論として導き出された答えは悲劇的である。奈良県の伝統芸能などが登場するなど盛り上がる場面もあり、残留孤児の問題や、日本と中国の間に横たわる底知れぬ溝などを正面から見据えていて、悪い映画ではないのだが、探す行為に終始するため、どうしても物足りなさは感じてしまう。

ただ奈良を舞台としたロードムービーはほとんどないため、貴重な一本となっている。奈良の景色はやはり美しい。

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2021年2月16日 (火)

これまでに観た映画より(248) 章子怡主演作「ジャスミンの花開く」

2007年8月17日

DVDで中国映画「ジャスミンの花開く」を観る。章子怡(チャン・ツィイー、チャン・ツーイー、ZHANG Ziyi)主演。「ラストエンペラー」のジョアン・チェンや、張芸謀監督作品への出演も多い姜文も出演している。ホウ・ヨン監督作品。

ジャスミンを漢字で表記すると茉莉花であるが、そこから取った、茉(Mo)、莉(Li)、花(Hua)という名の親子三代に渡る女性の物語。名前の付け方がイージーな気もするし、茉、莉、花の三人とも章子怡が演じるというのも変だが、まあいいだろう。
少し前の暗い中国映画の雰囲気を引きずっているような映画。茉、莉、花ともに男運が悪く、苦労する。

上海が魔都と呼ばれていた時代。写真屋の娘である茉(章子怡)は、店頭に飾ってあった写真を見た映画プロデューサーの孟(姜文)に見初められ、映画女優としての道を歩き始める。しかし、上海事変など、戦時色が強くなる中で映画会社は解散、孟は有り金全てを持って香港へと逃げてしまう。茉は孟の子を身籠もっていたが、捨てられた格好となった。茉と孟の子は女の子で莉と名付けられる。

18年後、莉(章子怡)は、文革の時代の少し以前に、高傑という男性に恋をする。高は労働者階級で、共産党員である。母親の茉(ジョアン・チェン)は結婚に反対するが、それを押し切って莉は高と結婚する。だが、高の実家のいかにも労働者階級的な生活に絶えきれなかった莉は実家へと戻る。高が莉の実家へとやってきて、新たな生活が始まる。しかし、莉は子供が産めない体質であり、そのことを気に病んでいる。高は養子を貰うことで莉を納得させ、花という女の子を養子とする。
しかし、莉の精神状態は更に悪化していった。

13年後、花(章子怡)は、杜という男と恋に落ちる。杜は蘭州にある大学に入学することが決まっている。杜が蘭州に向かう前に、花は祖母の茉には内緒で杜と入籍する……。


監督のホウ・ヨンは、張芸謀の下で撮影監督をしていた人。それだけに色彩感覚は鋭く、茉の時代はグリーンを、莉の時代は赤などの暖色系を、花の時代はブルーを基調とした美しい映像を撮る。
章子怡の演技力も非常に高い。
莉と血のつながりのない花も章子怡が演じていたり、ストーリーに新しさが感じられなかったりと、問題点もあるが、映像に浸る感じで観れば楽しめる。ただ、悲惨な展開が多いため、一昔前の暗い中国映画が苦手な人は観ない方が良いかも知れない。

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2020年8月14日 (金)

これまでに観た映画より(197) 張芸謀監督作品「キープ・クール」

2005年10月21日

DVDで中国映画「キープ・クール」を観る。張芸謀監督作品。張芸謀というと地方を舞台にした時代劇が多いが、この作品は北京が舞台の現代劇。ブラックユーモアが効いており、かなり笑える。中国のコメディの質はあまり高くないが、この作品は合格点に達している。

原題は「有话好好说(話しがあるならじっくり話そう)」で、タイトル通り、復讐しようという側とそれを止めようとする側の攻防が主な内容だ。

極端な顔のクローズアップやカメラの揺れもあって、観ていて余り気分が良くなかったり、心理的攻防は面白いが、話し合いのシーンが長すぎるのでイライラもするなどの難点もあるが、ラストは上手く描かれており、人間ドラマとして一定水準に達している。

主演は、「紅いコーリャン」などに主演し、「太陽の少年」、「鬼が来た!」などの監督も務めた姜文と、北京にある中央戯劇学院の演技指導教授であった李保田。中国を代表する男優の対決が見物である。

余談だが、姜文の顔は近くで見ると、中村勘三郎によく似ている。

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2020年3月19日 (木)

これまでに観た映画より(160) 東京フェルメックス京都出張篇「『東』&ジャ・ジャンクー短編集」

2020年3月17日 京都シネマにて

京都シネマで、東京フェルメックス京都出張篇「『東』&ジャ・ジャンクー短編集」を観る。

東京で行われている映画祭、東京フィルメックス。京都を拠点に活動するシマフィルムがスポンサーとして参加したことを機に京都シネマと出町座という京都の2つの映画館でも出張篇として特別上映が行われることになった。

「『東』&ジャ・ジャンクー短編集」は、現代中国を代表する映像作家であるジャ・ジャンクー(贾樟柯 JIA Zhagke)の中編ドキュメンタリー映画「東」と短編ドラマ映画3本を合わせて行われる上映会である。

まずドキュメンタリー映画「東」。中国現代美術の代表的画家である劉小東(リュウ・シャオトン)を追った2006年の作品。上映時間は66分である。

北京に住んでいた劉小東が三峡にやって来る。発展著しい都市部とは異なり、内陸部にある三峡地区はまだ20世紀の中国の色彩が色濃く残っている。田舎で暮らすにはパワーが必要であるとして、劉は昔習った太極拳に取り組んだりする。
劉小東は制限された中で作品を作り上げるのを得意としている。際限のない自由を求めるような表現はしない。描くべき対象と向き合ってキャンバスを埋めていく。
若い頃は人体から溢れ出るような生命力には気がつかなかったという劉小東。今は体から発せられる活力と切なさを絵に込めるよう心がけているようである。

劉小東は、かつて絵のモデルの一人となり、今は他界した労働者の家族を訪ねる。中国の片田舎に住む、決して洗練されているとはいえない人々であるが、劉小東の余り上質とはいえないプレゼントにも喜ぶなど、人と人との関係は上手くいっている場所のようである。やがて劉小東は、タイのバンコクに向かう。バンコクの日差しに馴染むことが出来ず、タイの自然も理解することは難しいと悟った劉は、屋内でタイの若い女性達に向き合い、大作に挑んでいく。

若い頃の劉は西洋画を学んでいた。ギリシャの絵画などを参考や模範としていた。しかし今は古代の中国、北魏や北斉(葛飾北斎ではない)の絵に惹かれるという。それらの絵はアンバランスであるが、西洋とは違ったパワーが感じられるという。
カメラがモデルの一人の女性を追い(出身地が水害で大変なことになっているようだ。近く戻る予定だそうである)、混沌と熱気に満ちたバンコクの街と夜の屋台街で歌う流しの盲目の歌手の様子などを捉えて作品は終わる。

 

続いて上映時間19分の「河の上の愛情」。2008年の作品である。
「水の蘇州」として知られる蘇州が舞台である。おそらく蘇州大学に通っていた大学の同級生4人が久しぶりに再会するという話である。男性の一人は今も蘇州に住んでいるようだが、もう一人の男性は南京に、女性二人は合肥と深圳に移り住んでいるようである。
蘇州の水路でのシーンが、登場人物の揺れる心を描き出す。今の彼らは別の相手と結婚しているが、昔の恋が再会によって仄かに燃える。それがどこに行くかは示されないままこの短い映画は終わる。

 

「私たちの十年」。2007年の作品で上映時間は10分。どうもコマーシャルとして撮影されたようである。山西省を走る列車の中が舞台。この列車の常連である二人の女性の1997年から2007年までの十年が断片的に描かれる。それはメディアによっても表され、最初は似顔絵を描いたいたのがポラロイドカメラに変わり、最後は携帯のカメラでの撮影となる。若い方の女性は余り生活に変化がないように感じられるが、もう一人の女性は結婚し、出産し、そしておそらく別れを経験している。最初は活気のあった列車内が最後は閑散としているのには理由があるのだと思われるのだが、日本人の私にはいまいちピンとこない。

 

「遙春」。2018年の作品で、ごく最近制作されたものである。上映時間は18分。
いきなりワイヤーアクションのある時代劇の場面でスタートするが、これは日本でいう東映太秦映画村や日光江戸村といったアトラクションパークのシーンであり、舞台は現代の中国である。このアトラクションパークで端役のアクターをしている夫婦が主人公である。夫はやられ役、妻は西太后に仕える清王朝の女官役をしている。

長年にわたり一人っ子政策が行われてきた中国であるが、少子高齢化に直結するということで見直しが行われ、二人までなら生むことが推奨されるようになった。二人の間には中学生になる女の子がいるが、男の子が欲しいという気持ちもある。実は一度、男の子を流産したか堕胎した経験が夫婦にはあるようだ。一人っ子政策推進時代には二人目を産むと罰金が科せられたため、あるいはそういうことがあったのかも知れない。

もうすでに中年に達している二人だが、「映画監督なら38歳は若手、政治家としても若手。相対的なもの。相対性理論。アインシュタイン」という、多分、内容をよくわかってない理論で、息子を作る決意をする。
一人娘を田舎の祖父母に預け、二人は冴えないアトラクションのアクターのままではあるが、再び愛し合う決意をする。それはいわばセカンドバージンの終わりであり、目の前には希望が広がっている。
心の機微を掬い上げるのが、とても巧みな映画監督という印象を受けた。

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2018年9月22日 (土)

これまでに観た映画より(107) 「ラスト、コーション」

DVDで、米・中・台湾・香港合作映画「ラスト、コーション」を観る。アン・リー監督作品。トニー・レオン&湯唯:主演。

日中戦争の時代を舞台としたサスペンス映画である。香港に渡り、嶺南大学の学生となった王佳芝(湯唯)は、学生劇団に参加。劇団仲間は日本の手下である易という男(トニー・レオン)が、香港に来ていることを知り、易殺害の計画を練る。王佳芝も易殺害のために協力するのだが……。
激しいラブシーンが話題になったが、想像以上に激しい。中国の俳優がこういったシーンをやるのは少し前まで考えられなかったことだ。

最後の30分ほどにサスペンスシーンは凝縮されており、それまでの展開は慎重に慎重を重ねているためジリジリとしたもので、ここで飽きる人は飽きてしまうかも知れない。ただ展開が遅い分、ラスト30分が生きているともいえる。
サスペンスとしての出来は必ずしも良いものではないかも知れないが、映画としては一級品。見終わった後に不思議な印象の残る映画であった。

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2009年7月10日 (金)

これまでに観た映画より(44) 「2046」

DVDで映画「2046」を観る。王家衛監督作品。出演は、トニー・レオン、木村拓哉、章子怡、フェイ・ウォン、コン・リー、カリーナ・ラウ。特別出演にマギー・チャン。

前作「花様年華」の続編とも言うべき作品。恋に敗れた、チャウ(トニー・レオン)はシンガポールにいた。そして、スー・リーチェン(コン・リー)という女に惹かれる。別れた女、スー・リーチェン(マギー・チャン)と全く同じ名前の女。おそらく運命の出会い。しかしチャウは敗れた恋から完全に逃れることは出来なかった。香港に帰るので一緒について来て欲しいというチャウ。スーが出した答えはノーだった。それはチャウにとって運命の、そして最後の恋だった。そしてその最後の恋に敗れたのだ。

スーはいつも黒いドレスを着ている。これが重要な意味を持ってくる。
香港に帰ったチャウはオリエンタルホテルの2046号室を取ろうとする。かつて逢瀬を重ねた部屋と同じ番号の部屋だ。しかし2046はさる事情により使えず、隣りの2047号室にチャウは入る。

 

1960年代のクリスマス・イヴが主な舞台になる。そのため、徹底して赤と緑の色彩のコントラストが用いられている。

2046は中国と香港の一国両制が終わる年であるが、それとは直接的な関係はないようだ。チャウの視線は常に過去を向いている。

最後の恋に敗れたチャウは、もう本気で人を愛することがない。娼婦のバイ・リン(章子怡)やホテルのオーナーの長女・ジンウェン(フェイ・ウォン)と親しくなるが、それも過去を埋めるための遊びだ。チャウは彼女達を見つめてはいない。ちなみに章子怡もフェイ・ウォンも、チャウとつきあうようになると黒いドレスを着る。チャウが彼女達を彼女達と見なさず、彼女達の服装を通して、スーを見つめていることがよくわかる演出だ。

チャウはバイ・リンを恋人ではなく、娼婦として扱う。バイ・リンは報われない恋と知りながら、チャウの渡す金をポイントでも集めるかのように大切にベッドの下にしまっておく。その乙女心が切ない。

ジンウェンは日本人の商社マン(木村拓哉。正式な役名は不明)と恋仲である。しかし、彼女の父親が歴史的なこともあって日本人を毛嫌いしており、二人が一緒になれる可能性はほとんどない。キムタクは「俺と一緒に行かないか?」と訊くが、フェイ・ウォンは何も答えない。このシーンは、画冒頭のトニー・レオンとコン・リーのシーンと完全な相似形を成している。

 

ジンウェンは木村拓哉の問いに、いつか「はい」と答えようと、2046号室で日本語の練習をしている。

 

チャウは「2046」という小説を書き始める。しかし、ジンウェンの文章力を知ったチャウは彼女を助手として執筆を続け、いつしか、「2046」は彼女のための小説「2047」に書き換わる。2047年。2046から戻ってきたtak(木村拓哉)はアンドロイド(フェイ・ウォン)と恋に落ちる。このアンドロイドも黒い服を着ている。チャウは自分とスーとの関係をこの小説の中で分析しようとする。感情があるのかないのかわからないアンドロイド。スーの心が読めなかったチャウは自分の思いを、takとアンドロイドとの関係に置き換える。そして、彼女は自分を愛していなかったと結論づける。
「俺と一緒に行かないか?」。だがどこへ? その答えを彼は見出せないのだ。

 

しかし、小説を書き終えたチャウは、ジンウェンに国際電話を掛けさせ、キムタクとの仲を取り持つ。結果、ジンウェンは日本へ行き、結婚する。結婚に大反対だった父親も、娘が結婚を決めたとわかった途端に万々歳。「やはり娘の幸せが一番だ」と改心する。この辺のチャウはまるで恋のサンタクロースのようだ。ジンウェンとキムタクが行くべき場所が彼にはわかったのだ。

 

黒い服のアンドロイド(フェイ・ウォン)とともに白い服のアンドロイド(カリーナ・ラウが演じる)も登場する。カリーナ・ラウのセリフからわかるが、黒が過去なら、白は未来だ。

 

チャウはバイ・リンと再び会う。バイ・リンは黒と白のストライプの服を着ている。過去でも未来でもなく現在の彼女。二度目は白の部分が増していた。未来、それに期待する。しかしチャウは結局、バイ・リンを選ぶことはなく、「2047」ではなく、「2046」にとどまるのである。

 

別れ際、バイ・リン(章子怡)はチャウに言う。「どうしてそんなに優しいの?」
多分、それはチャウがもう誰も愛さないと決めているからだろう。愛さないなら責任も生じないため、いくらでも優しくなれるし、同時にいくらでも残酷になれる。別れると決めている女に優しく振る舞うのは残酷なことでもある。

 

ナレーションが多く、しかもそれは相変わらず村上春樹調(王家衛監督は自他共に認めるハルキ族の一人である)だ。寓喩や、数字、服装や色の使い方なども村上春樹的である。また映画の結末自体が春樹の小説『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』のそれを思わせる。

 

2046を中国と香港の一国両制が終わる年とするなら、2047(未来)に踏み出せる人達(キムタク、ジンウェン)と、2046(過去、現在および思い出)から抜け出せない、抜け出さない人(チャウ)を描いていると見ることも出来る。
しかしそれはそれで背景とのみ解釈し、寂しい男の寂しい恋愛映画として観た方がずっと面白い。

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2007年10月 7日 (日)

これまでに観た映画より(11) 「北京ヴァイオリン」

DVDで中国映画「北京ヴァイオリン」を観る。陳凱歌(チェン・カイコー CHEN Kaige)監督作品。何故か監督自身も余(YU)教授役で出演している。なかなか達者な演技だ。
ストーリーはだいたいこんな感じかなという予想通りに進んでいく。メッセージもありきたりな感じ。ただ主人公に注ぐ父親の愛情が心に響く。種明かしはしたくないが日本人にはなかなか真似できない。ここだけは流石、陳凱歌だ。そこまでとは読めなかった。中国映画というと暗い、陳凱歌監督作品は特に暗いというイメージがあるがそれを吹き飛ばしてくれる愛らしい作品だ。
ただラストはちょっと俗に過ぎるか。冷静に考えると相当変なシーンである。
この作品は陳監督には珍しく現代物だ。もとになった実話がある。この実話は中国ではかなり有名な話のようで、日本人向けの中国語学習テキストにも良く出てくる。
北京の街も10年前に比べるとかなり洗練されている。俳優達も生き生きしている。特にリリを演じる陳紅(CHEN Hong)がいい。実は陳紅は陳凱歌監督夫人である。この映画の製作を務めているのも彼女だったりする。

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2007年7月31日 (火)

これまでに観た映画より(5) 「あの子を探して」

DVDで中国映画「あの子を探して」を観る。張芸謀監督作品。良い映画である。

ストーリーは至ってシンプル。中国の僻地にある水泉村。水泉小学校の老教師であるカオ先生が病気の母親を見舞うため1ヶ月ほど村を離れることになる。代用教員として水泉村の村長が探してきたのはウェイ・ミンジという13歳の少女。水泉村はとんでもない田舎であるため、なり手が他にいなかったのだ。中学も出ていないような少女に教師が務まるのかと不安なカオ先生。実際、ウェイ・ミンジは歌もきちんと歌えず、教える力もなさそうである。カオ先生は黒板に教科書の字を写すことで授業の代わりとするようミンジに命じる。

中国の僻地では良くあることだが、水泉村でも教育は重要視されておらず、家の事情で学校をやめる生徒が多い。生徒が一人もやめなかったら50元やると約束する村長。
しかし、11歳の男子児童ホエクーが病身の母親の借金を返すため、都会(ロケ地である張家口〈zhangjiakou〉市をモデルにしたjiangjiakou市)に出稼ぎに出されてしまう。ホエクーを連れ戻したいミンジはあの手、この手を使って何とか都会に出るのだが、ホエクーは街の駅で仲間からはぐれてしまっており…。

出演者は全員素人。役名も本名のままである。
中国は映画を国策の一つに掲げているため、映像はとにかく美しい。

僻地の農村だけに人々の心に優しさが残っており、都会にも優しい心を持つ人はいる。素人の俳優を使っているだけに人間の素朴な優しさがよりストレートに出ている。
心温まる物語。やはり張芸謀は「LOVERS」のようなワイヤーアクションよりも、こうしたシンプルながらも味のある映画を撮った方がずっと良い。

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