カテゴリー「映画館」の13件の記事

2021年7月27日 (火)

これまでに観た映画より(265) 京都シネマ 中村壱太郎×尾上右近 「ART歌舞伎」 中村壱太郎舞台挨拶付き

2021年7月19日 京都シネマにて

午後4時35分から、京都シネマで「ART歌舞伎」を観る。
中村壱太郎と尾上右近が、コロナ禍の中で作成した配信用作品。昨年の7月1日に東京・九段の靖国神社能楽堂で収録され、7月12日から期間限定で配信された。
本編(86分)上映後に、中村壱太郎出演による舞台挨拶がある。
「ART歌舞伎」は、まずポレポレ東中野で上映され、今日1日限定で大阪・シネマート心斎橋と京都シネマで上映される。

出演は、中村壱太郎、尾上右近、花柳源九郎、藤間涼太郎。演奏は、中井智弥(箏・二十五弦箏)、浅野祥(津軽三味線)、藤舎推峰(笛)、山部泰嗣(太鼓)、友𠮷鶴心(琵琶)。

「四神降臨」「五穀豊穣」「祈望祭事」「花のこゝろ」の4部からなり、「四神降臨」と「祈望祭事」は歌舞伎舞踊、「五穀豊穣」は三味線の謡、「花のこゝろ」は中村壱太郎が歌謡集『閑吟集』に出てくる言葉を選んでストーリーを組み立てた舞踊物語である。


「四神降臨」では、壱太郎、尾上右近、源九郎、涼太郎がそれぞれ四神(青龍、朱雀、白虎、玄武)となり、舞踊を行う。玄武を受け持った尾上右近は黒の紋付きを着ていたが、他の演者は、顔の一部分に該当する色を入れていたり、背景のライトの色を変えたりすることで処理していた。

外は大雨で、雨音がマイクにも入っている。2020年7月1日は台風が近づいている日であったが、収録が行えるのはこの日しかないということで強行したそうである。ちなみにリハーサルも十分に行えない上に一発録り。カメラは7台用意したそうで、それでも上手くいかない場面があり、良く聴くと音楽が止まっていたり、よく見ると「あれ、ここなんか事故あったかな?」と分かる場面もあるそうだ。

「祈望祭事」では、藁が効果的に使われているが、たまたま靖国神社のそばで藁が手に入ったために使っているそうで、即興的要素も多いようである。

字幕入りの国際版での上映であるため、謡入りの「花のこゝろ」は英語での表現も気になる。
壱太郎は、白塗りの真ん中に日の丸を入れるというメイクである。壱太郎演じる女は、良き夫と子に恵まれ、幸せに過ごしていたが、突如として戦乱の世となり、夫は戦死、子は病死、自身は狂気にさいなまれ、遊女へと身をやつすことになる。
一方、尾上右近が演じるのは、「生涯を戦場(いくさば)にて過ごす若者」(英語字幕では、“Natural bone warrior”という凄い表現になっていた)。腕に覚えがあったが、朋に裏切られ、落ち武者となる。
そんな二人が巡り会うが、平穏が訪れる日を願いながら別れることになる。ちなみに西方浄土は、“Western Pure land”になるそうだ。

若者が去った後で、海兵の英霊(やはり尾上右近が演じている)が現れ、無用な戦をするなという意味のメッセージを女に伝える。
英霊というのは靖国神社に祀られている御霊のことだが、ここに登場する英霊は具体的には、『きけわだつみの声』の巻頭を飾ることになる遺書を残した上原良司だと思われる。上原良司は慶應義塾大学在学中に学徒出陣して戦死しているが、壱太郎による大学の先輩へのリスペクトということになるのかも知れない。


中村壱太郎による舞台挨拶。この後、午後6時45分からの回も観て欲しいため、壱太郎は色々と宣伝を行う。「うっとうしいのは僕の舞台挨拶を2回聴かないといけない」と冗談を言っていたが、壱太郎のファンなら2回聴けるのはむしろプレゼントだろう。
稽古は2週間ほど行えたが、本番は1日だけで、取り直しが利かない一発録り。「春のこゝろ」については半分ほどしか当日リハーサルが行えなかったそうである。

収録中も、「(尾上右近の)髪型がおかしいじゃない?」など、臨機応変に変えた部分も多いそうだ。なお、雨がやむ気配がなく、邦楽器は雨に弱くていつ故障が起こってもおかしくないということで、よく見ていると出演者の顔がどんどん青ざめていくのが分かるそうである。
配信用の収録であり、スクリーンでの上映は念頭に置いていなかったが、「映画館で上演するには録音が貧弱」ということで、音楽に関しては全て一から録音し直したそうである。なお、再録音したものはCD化されており、壱太郎が舞台挨拶の最後でグッズの一つとして紹介していた。「CDはちょっと」という人向けのダウンロード版も発売されているそうである。
なお、舞台での初演がすでに決まっており、岡山市で行われるそうである。

舞台挨拶中は写真撮影や録画は一切禁止であるが、舞台挨拶終了後に短い時間ではあるが、フォトセッションの時間が設けられており、壱太郎もこの時は、「何も喋らないんで」とマスクを外すファンサービスを行っていた。

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2021年2月 9日 (火)

これまでに観た映画より(247) フレデリック・ワイズマン初監督作品「チチカット・フォーリーズ」

2021年2月5日 京都シネマにて

京都シネマでスケジュールを確認。連続講義「現代アートハウス入門 ネオクラシックをめぐる七夜」というイベントが行われており、今日は最終日で、フレデリック・ワイズマン監督のドキュメンタリー映画「チチカット・フォーリーズ」が上映され、終映後に想田和弘監督を講師とするレクチャー(リモートによるもので、日本全国6都市7つの映画館を繋いで行われる)があるというので観ることにする。

アートハウスというのは、日本でいうミニシアターのことで、海外ではアートハウスという呼び方が一般的であるようだ。

上演前にちょっとした事件があったりしたが、5分遅れで上映スタート。想田監督が出演する配信は東京から行うので、上映時間が遅れるとまずいのだが、なんとか間に合った。

「チチカット・フォーリーズ」は、フレデリック・ワイズマン監督の第1作で、1967年の制作。マサチューセッツ州ブリッジウォーターにある精神異常犯罪者矯正施設(州立マサチューセッツ矯正院。刑務所のようなものだが微妙に違うようである)を題材にカメラを回したものだが、題材が題材ということもあり、完成後に色々と難癖がついて、お蔵入りになりかけた作品である。全米公開が許されたのは1991年になってから。日本初公開は1998年となっている。

オープニングとクロージングは、矯正施設の入所者(スタッフが混じっていると思われるが、判別は付きにくい。男性のみの収容所であることは分かるので、女性は全員スタッフであると思われるが、男性は区分が曖昧な人もいる)による学芸会のようなもののシーンである。合唱が中心である。歌のシーンは中盤にも登場する。

何人かの精神異常犯罪者が登場する。11歳の少女を強姦したことで施設送りになった中年男性。いわゆるロリータコンプレックスがあるようで、実の娘を強姦したこともあるという。少年院、感化院を点々としており、人生の多くの時間を塀の中で過ごしているが、実の娘がいることからも分かる通り、奥さんもいる。容姿はまずまずなので結婚出来たのだろうか。奥さんからもずっと「あなたはおかしい」と言われ続けてきたようであるが。医師は同性愛について聞いたりもする(1967年ということで、異常性愛者は他の性的嗜好も持っているはずだと決めつけられたようである。ただ、実際にそのけもあるようだ)。ちなみに、矯正施設を謳っているが、特に矯正プログラムらしきものは見受けられず、投薬と医師との面談が中心のようである。精神医学がまだ進んでおらず、医師も煙草を吸いながら面談を行って、「鬱がハイになったから、薬で戻そう」などと今の精神医学から考えると無茶苦茶なことを平気で言っている。食事を摂れない入所者には、鼻からチューブを入れて強引に栄養を押し込む。

自分が精神病(分裂病=今でいう統合失調症や、偏執病=パラノイアと診断されている人が多いようである。おそらく、当時はそれぐらいしか診断名がなかったのだろう)と診断されたことを強く否定する入所者もいる。「刑務所に戻りたい」と繰り返していることから、矯正施設は刑務所より環境が悪いことが察せられる。男性入所者が全裸であることを強制される場面もあり、彼らの奇行を施設関係者が見下しているように見える(いや見えるだけではないな)時もある。独房(でいいのかどうか)も狭く、殺風景である。
独房だけでなく、中庭があり、そこで入所者が思い思いのことをしている場面も映されている。トロンボーンで「私の青空」を演奏している黒人男性。とにかくお喋りで政治や歴史について語り続ける老人(内容は微妙に間違っている)。三点倒立のようなことをして歌い続ける人。ボーッとしている人も多い。明らかに投薬の後遺症が出ている人も何人かフィルムに収められている。

施設で過ごす人と並行して、施設内で亡くなった人への死に化粧と火葬の様子などが挟まれる。

入所者の来歴はほとんど不明だが、一人だけ、それまで何をしていたか分かる男性がいる。学校の数学と音楽の教師をしていたようだ。

ワイズマン監督は、矯正施設の環境の悪さを映画にして訴える気があったようだが、先に書いた通り公開は大幅に遅れた。ラストに「1968年以降、マサチューセッツ矯正院の待遇は大幅に改善された」という内容の文字が出る(ワイズマン監督ではなく、マサチューセッツ州や政府当局の見解)。

 

想田和弘監督によるレクチャー。まずはフレデリック・ワイズマンの紹介から入る。
フレデリック・ワイズマンは1930年生まれ、今も現役のドキュメンタリー映像作家である。弁護士を父にボストンで生まれ、自身も父の後を継ぐべく法曹を志し、名門イェール大学のロースクールを卒業して弁護士資格を取得。大学でも法律について教え始めるのだが、自身は「法律は退屈」と思っており、文学や映画の方が好きであった。大学でも法律の講義だけだと学生も退屈するだろうから、ということで学外に出向いての実地授業を行い、様々な施設を学生と共に訪れた。その中で見た精神異常犯罪者矯正施設に興味を持ち、撮影することに決めた、というのがワイズマン監督デビューに至るまでだそうである。ワイズマンはマサチューセッツ州の副知事と仲が良かったため、撮影許可も簡単に下りたらしい。医師達の異様に見える言動も「当時は正しいこと」とされていたようだ。

ワイズマンの撮影の特徴としては、主人公の不在がまず上げられ、具体的な個人が主人公として設定されることはなく、「組織」が主役となっている。
また、インタビューは行わず、ナレーションはなく、テロップも示されず、BGMも使わない、「四無い主義」といわれる手法も特徴で、想田監督もかなり影響を受けている。
想田監督は、NHK出身であるが、NHK時代に「四無い主義」を用いたドキュメンタリーを撮ろうとしたところ、「そんなもの出来るわけがない」と却下されたことがあるという。
ストーリーらしいストーリーもなく、場所が移動することで対象物の実態が示される。

「チチカット・フォーリーズ」は、1967年の制作であるが、1960年にシンクサウンドカメラが発明され、その後にこうした手法のドキュメンタリー制作が可能になったそうである。それまでも、スタジオでの大型カメラでの収録なら映像と音声をシンクロさせる技術はあったそうだが、持ち運びの出来るカメラは、1959年以前は画と音声を同時にフィルムに残す技法はなく、ドキュメンタリーを作るにしても音声は後からナレーションで入れるしかなかったそうである。1960年以降になってやっと、今のドキュメンタリーに繋がる映像作成が可能になったそうである。

ワイズマン監督は多作であるが、ドキュメンタリー撮影は短くて4週間、長くても8週間くらいで終えてしまうそうで、その代わり編集は10ヶ月ぐらい費やすそうだ。ドキュメンタリーの撮影を行っていると、「まだ撮れるんじゃないか、もっと良い場面があるんじゃないか」との思いから、撮影が長引いてしまうことがよくあるそうだが、ワイズマン監督は予め撮る期間を決めて、その中で勝負するという。ドキュメンタリー作家としては珍しいそうだ。ちなみに全てフィルムで撮影しているが、フィルムの場合、1時間の撮影で現像料も含めて日本円にして10万から15万くらい掛かるそうで、ドキュメンタリーに十分な時間の撮影を行った場合、途轍もない金額が必要となる。アメリカの公共放送であるPBSやフォード財団など世界中で7つ団体が出資協力してくれるため、撮影が可能だったとのことだ。

 

想田監督のアートハウス=ミニシアターへの思い。
想田監督は、「ミニシアターが主戦場」と語ったことがあるそうだが、一般的には低予算映画がミニシアターで、予算がつぎ込めるようになるとシネマコンプレックスなどの大型スクリーンに移行するものだと勘違いされているそうである。「次、シネコン行けますね」などと言われたりするという。ミニシアターの良さはなんといってもラインナップで、大型映画館では掛からない映画が上演されるのが最大の魅力だそうである。
ドキュメンタリー映画については、フレデリック・ワイズマンとマイケル・ムーアの貢献度が高いという。それまではドキュメンタリーは興行的にスクリーンで行うのは難しいとされ、ワイズマン監督は全てのドキュメンタリー作品を映画館で上映すべく、フィルムを使って撮影したのだが、テレビでしか放送されないものも少なくなかったそうである。
マイケル・ムーアの作風については、想田監督は余り好みではないそうだが、ムーアが監督したドキュメンタリー映画がヒットしたことにより、風向きが変わったそうで、「あれ? ドキュメンタリー、映画館で行けるんじゃないか」という潮流が生まれ、想田監督はその波に丁度上手く乗れたそうである。

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2020年5月21日 (木)

これまでに観た映画より(177) 佐々木美佳監督作品「タゴール・ソングス」

2020年5月18日 「仮設の映画館」@出町座

仮設の映画館@出町座で、ドキュメンタリー映画「タゴール・ソングス」を観る。佐々木美佳監督作品。

アジア人としてまた西欧人以外では初のノーベル文学賞受賞者となったタゴール(ラビンドラナート・タゴール)が残した、タゴール・ソングスという歌の数々がベンガル地方の人々に与えた影響に迫るドキュメンタリーである。インドの国際都市コルカタ(旧カルカッタ)と、英領インドから東パキスタン時代を経て独立したバングラデシュの首都ダッカでのロケを中心とした映像が流れる。

インドの国歌の作詞・作曲とバングラデシュの国歌の作詞を手掛けたのもタゴールであり、今もベンガル地方の人からは神のように崇拝されており、タゴールが残した歌は彼らのソウルミュージックとなっている。

タゴール・ソングスは多様な心模様を歌い上げている。愛しい人を思う歌もあれば、孤独や悲しみと向き合う歌もある。元々はベンガル地方の民族楽器の伴奏で歌われていたようだが、今はギターなどの西洋の楽器の伴奏に乗って歌われることが多く、編曲も現代風になっている。

タゴールが作ったメロディーではなくラップを歌い上げる若者もタゴール・ソングへのリスペクトを語る。


タゴールは、富豪の末っ子としてカルカッタに生まれた。生家である豪邸は今も残っており、この映画にも登場する。幼い頃から詩の才能を示すが、学校の勉強は拒否した(このことは映画の中でも語られている)。金銭的には恵まれていたが、当時のインドはイギリスの植民地。実に不自由な時代である。映画に出てくる人々の証言を纏めると、今もインドは不自由だそうである。貧しさに泣いている子どもが大勢おり、家では両親、特に父親の権限が強く、女性に対する差別も激しい。生まれてくる子どもが女の子だとわかると中絶してしまうことも少なくないようである。

現在はバングラディシュ領となっている農村、シライドホの領地管理を任されたタゴールは、自然の中で多くのインスピレーションを得るようになる。また、善政を敷き、領民が「土地が欲しい」と訴えれば与え、貧しい人には租税の一時免除を行った。そのため今でもシライドホではタゴールは神様そのものと讃えられているようである。


タゴール・ソングスは、常に人々と寄り添うものである。押しつけがましさはなく、同じ道を歩む同行者である。「もし君の呼び声に誰も答えなかったとしてもひとり進め」と歌う。だが、隣にはタゴールが付いている。悲しみや孤独をタゴールは共に感じてくれる。西洋の歌とは一味も二味も違う詞と音楽をタゴールは生む。
象徴的な場面がある。タゴール・ソングを歌い、教師として弟子にも教えている男性、オミテーシュ・ショルカール。彼は人から「あなたは歌手か?」と聞かれると「違う」と答える。「でも歌を歌っているでしょ?」と聞かれると彼はこう答えるそうである。「歌っているのはタゴール・ソング。タゴール・ソングと歌は別のものだ」

コルカタの大学に通う女子学生、オノンナが、日本を訪れる場面がある。タゴールは1916年に来日しており、東京の日本女子大学校(現在の日本女子大学の前身。当時は旧制の専門学校)と軽井沢で講演を行っている。軽井沢を訪れた後、東京に向かったオノンナは、バングラデシュと日本のハーフであるタリタと知り合い、(おそらく)横浜に遊びに出掛ける。ずっと日本で過ごしてきたタリタは日本語しか話せなかったが、東京外国語大学に進学し、ベンガル語やバングラデシュの文化を専攻している。タゴールを始めとするベンガル語の文学や音楽などを広めたいと語るタリタは、同じ東京外国語大学出身でタゴールを広く紹介することを目指す佐々木美佳監督の分身のようでもある。


最後に私のタゴールに関する思い出を一つ。二十代前半の頃だったと思うが、現代詩文庫のアジアの詩人の作品を集めた詩集を明治大学駿河台キャンパス12号館の地下にあった生協(今は生協はなくなり、三省堂書店が入っている)で買って読んだのだが、劈頭を飾っていたのがタゴールの詩であった。アジア初のノーベル文学賞受賞なのだから当然といえる。海辺で遊ぶ子ども達を描いた詩であり、詳しいことは忘れてしまったが、広がりと煌めきとが印象的であったことを覚えている。

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2020年5月18日 (月)

これまでに観た映画より(175) 坪田義史監督作品「だってしょうがないじゃない」

2020年5月17日 「仮設の映画館」@京都シネマにて

「仮設の映画館」@京都シネマでドキュメンタリー映画「だってしょうがないじゃない」を観る。坪田義史監督作品。字幕付きでの上映である。

40歳を過ぎてから発達障害に含まれるADHDの診断を受けた坪田義史監督が、やはり発達障害の診断を受けた親戚(再従兄弟とのことだったが後に違うことが判明する)のまことさんとの3年間をカメラに収めた映画である。
まことさんは中学卒業後、溶接工などの職を転々とした後で、二十歳の時に自衛官となるが、ほどなく父親が死去したため、神奈川県藤沢市辻堂にある実家に戻り、以後、40年に渡って母親と二人で暮らしていたのだが、母親も死去。今は障害基礎年金を受け取り、様々な福祉サービスを受けながら一人暮らしをしている。

まことさんは、母親が亡くなってから軽度の知的障害を伴う広汎性発達障害と診断を受けた。叔母さんがまことさんの面倒を主に見ているのだが、診断を受けるには様々な資料が必要だそうで、小学校の通知表などもなんとか探し出したそうである。ちなみにオール1が並んでいるようなものだったらしい。今なら特別学級に通うことになるのだと思われるが、当時は知的障害の認定は可能だったかも知れないが、発達障害は存在すらほとんど知られていなかった時代。知的障害があることは分かっていたのかも知れないが、軽度であるため、「学習に支障なし」とされたのであろう(成績から察するに実際は支障があったと思われる)。

まことさんは、吃音はあるが、言語は明瞭であり、漢字の読み書きなども割合普通に出来る。ということで何の情報もなければ障害者には見えないが、だからこその辛さも経験しているであろう。

 

精神医学は近年、急速に発達しているが、枠組みも変化しており、自閉症、アスペルガー症候群、広汎性発達障害障害などはより大きな枠組みである自閉症スペクトラムに組み込まれるようになっている。スペクトラム(連続体)という言葉が表している通り、同じ障害であっても症状は人それぞれ違うというのがやっかいなところである。知的障害があるものとないものがあり(知的障害がないものを以前はアスペルガー症候群といっていたが、今ではこの区分は少なくとも積極的には用いられていない)、その他の能力もバラバラである。ただ強いこだわりなど、共通するいくつかの特徴がある。強いこだわりはコレクターという形で現れることが多く、まことさんもフィギュアのコレクションを行っている。また風呂には土曜日にしか入らず、洗濯は水曜にしかしないと決めており、変更を嫌がる。

生まれ育った神奈川県への愛着があるようで、まことさんは毎年、藤沢市を通る箱根駅伝を見に出掛け、地元の神奈川大学(私立で、略称は「じんだい」。優勝経験もある)を応援する。またベイスターズのファンであり、坪田監督と横浜スタジアムに試合を見に出掛ける前にベイスターズのレプリカキャップを購入。その後、ずっと愛用し続けている。これもこだわりであるが、障害故なのかは判然としないところである。

 

「レインマン」という有名な映画があるが、ダスティン・ホフマンが演じているレイモンドも今診断を受けると自閉症スペクトラムになると思われる。レイモンドもこだわりが強く何曜日の何時からどのテレビを見るかを決めており、メジャーリーガーの成績を細部まで記憶しているというマニアであった。ただ、レイモンドは計算能力に秀でたり、驚異的な記憶力や認知能力を誇るサヴァン症候群でもあったが、サヴァン症候群は極めてまれな存在であり、まことさんには人よりも特に優れている部分はないように見受けられる。ということで、計算がうまく出来なかったり、小さな事で悩んだりと余り格好は良くない。自制心に欠けるところがあるため、ビニール袋が風に飛ばされる様をずっと眺めていて(いけないとわかっていてもやってしまうそうである)隣家から苦情を言われたり、エロ本を隠し持っていたことで叔母さんに心配され、怒られたりしている。

 

坪田監督とは良好な関係を築いていたが、ずっと住んでいた実家を手放さざるを得ない状況となる。これまでまことさんを支えてきた親族もみな高齢化し、今後もずっとまことさんの面倒を見るというわけにもいかない。

ということでグループホームに入るという話が出るのだが、変化を嫌がるという性質を持つまことさんは、いい顔をしない。

 

坪田監督は、まことさんの居場所を探し、平塚市にある就労継続支援B型(B型事業所)のstudio COOCAという芸術特化型の施設を見つける。平塚までの送り迎えは自分がやってもいいという。
studio COOCAに見学に出掛けたまことさんと監督であるが、まことさんは入所する気は全くないようだ。

 

その後、日本三大七夕祭りの一つである平塚の七夕祭りに出掛けたまことさんは、その夜、初めてカラオケに挑戦する。予想を遙かに上回る歌唱を披露したまことさん。歌をみんなに聴いて貰いたいという希望が生まれた。

 

といったように概要を述べてきたわけであるが、ドキュメンタリーであるため、「レインマン」のようなフィクションとは異なり、ドラマティックなことは起こらない。ダスティン・ホフマンやトム・クルーズのような男前も登場しないし、レインマンの正体が解き明かされたりもしない。軽い知的障害を伴う発達障害者の姿そのものを映し出すに留まる。そこにメッセージ性があるわけでもない。

だが、この世界に、まことさんは生きている。確実に存在している。上手くいかないことの方が多いが、これまで生きてきて今もいる。何かのためにというわけでもなく。
本来人間というのはそれだけでいいものなのかも知れない。時代と環境とによって規定が変わっていくだけなのだ。

 

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2020年5月17日 (日)

これまでに観た映画より(174) 想田和弘監督作品「精神0」

2020年5月15日 「仮設の映画館」@京都シネマにて

「仮設の映画館」@京都シネマで、ドキュメンタリー映画「精神0」を観る。想田和弘監督作品。プロデューサー:柏木規与子(想田和弘夫人)。

現在、日本中の映画館が臨時休館を余儀なくされているが、その中でも営業的に苦しい運営形式であるミニシアターが共同でWeb上での映画配信を行うのが「仮設の映画館」である。映画の一般料金と同じ1800円をクレジットカードなどで支払い、自分が料金を支払いたい映画館を選択してストリーミングでの映像配信を観るというシステムとなっている。私はそもそもこの映画をここで観る予定であった京都シネマを選択する。京都シネマはこれまでも民事再生法の適用を受けながら営業、つまり倒産はしているわけで、今も資金面ではかなり苦しいはずである。更に近くにある新風館の地下にミニシアターのシネマコンプレックスが誕生する予定であり、先行きはかなり不安である。ただコロナ禍は去ったがお気に入りの映画館が潰れていたということは避けたい。今後も「仮設の映画館」の京都シネマでいくつか作品を観る予定である。

描かれるのは前作「精神」の10年後であるが、今回の主役は精神障害者の方達ではなく、山本昌知医師である。精神障害者に真摯に向き合い、親しく接する山本医師の人物像を掘り下げるということも含めて「精神2」ではなく「精神0」というタイトルになっている。

岡山市。精神科医院「こらーる岡山」の医師である山本昌知も82歳ということで、第一線から退くことになる。現役最後となる講演には山本の評判を聞いて東京から駆けつけた女性からサインを求められるなど、名医としての地位を築いた山本であるが、もう精神科の医師として働ける年齢は過ぎたと悟った(のかも知れない)。

ただ心残りなのは残される患者達である。山本医師の特徴は患者の言葉をよく聞いて、的確なアドバイスを送るというところである。説得力があり、ぬくもりに満ちている。だが少なくとも岡山市内にはそうした医師は他にいない。向精神薬は次々と優れたものが登場しているが、その結果として精神科医は最適な薬を選ぶことを主な仕事とするようになり、患者の話を聞かない医師が増えた。患者の一人は他の病院を受診した時のことを、「散々待たせて1分半で受診が終わり」と不満げに語る。

最初の、「CDを買いたいだとかそういった欲求が抑えられない」という患者に山本医師は、自然に欲求が沸いてくるのはいいことだがゼロになる日をたまに作るといいというアドバイスをする。アドバイスをするだけではなく、精神病者は誰よりも頑張っているというリスペクトも送る。

前作の「精神」で流れたものや、撮られたがカットされて使われなかった映像はモノクロームで映し出される。

想田和弘監督が東京大学文学部宗教学科卒業ということで、山本医師の姿に「膝をつき合わせるようにして弟子や信徒と語った」というブッダや、「共生(ともいき)」を掲げる浄土宗の祖で現在の岡山県出身の法然、その弟子で一人一人と共に悩み共に生きる宗教家である親鸞などを重ねて見ることも出来る。そしてそれは比較的たやすいことなのであるが、「精神0」で観るべきは、おそらくそこではないだろう。

山本昌知医師の奥さんである芳子さん。こらーる岡山で夫を手伝ったりもしていたが、山本昌知が医師ではない一個の人間となる「ゼロの場」である家庭でも共に時を過ごしてきた。山本医師とは中学高校と一緒であったという。10年前にはテキパキ動き、ハキハキと喋る奥さんだった芳子さんだが、高齢ということで無口になり、カメラの前でも所在なげである。撮影を行う想田監督に見当違いな発言をするなど勘違いが増えて、普通の生活を送ることももうままならないようだ。山本医師の引退も芳子さんの現状が絡んでいるように思われる。
芳子さんが学生時代の思い出を語る場面がある。山本医師は学生時代は「勉強がよく出来ない」生徒だったと芳子さんは語り、一方の山本医師は芳子さんのことを成績は一番が指定席のような人と話す。

芳子さんの親友が芳子さんについて話す場面がある。「凄い頭のいい方」だそうで、歌舞伎やクラシック音楽が大好きで、海老蔵(おそらく今の海老蔵ではなく、「海老さま」と呼ばれた先々代だと思われる)の大ファン。更にバブルの頃は夫に内緒で株で儲けたりもしていたそうで、政治面にも明るく、単に聡明なだけでなく多芸多才の女性であることがわかる。家には芳子さんの作った俳句が飾られており、おそらく生まれ持った能力は山本医師よりも上であると思われる。

 

ここから先は、映画には描かれていないが、確実であると思われることを書く。山本医師を作ったのは実は芳子さんなのではないかということだ。山本医師は芳子さんの成績が常に一番であることを知っていた。興味を持っていたのである。クラスのマドンナ的存在だったのかどうかはわからないが、山本医師が芳子さんに憧れを抱いていたのは間違いない。同じ人生を歩む女性の候補と考えてもいただろう。だが、成績優秀な女性を振り向かせるには、こちらも勉強を頑張って認めて貰うしかない。同じ男なのでよくわかる。「勉強が出来ない」と言われていた山本昌知が医師になるだけの学力を付けたのだから、相当努力したことは間違いない。そして結ばれることが出来た。岩井俊二監督の「四月物語」的ロマンティックな話である。映像ではそうしたことは一切語られていないが、それ以外のストーリーはあり得ない。芳子さんがいなかったら、おそらく名医・山本昌知は誕生していなかったであろう。芳子さんいう尊敬出来る女性と出会ったこと、それが山本昌知の医師としてのゼロ地点(起点)であったのだと思う。

ラストシーンで二人はお墓参りに向かう。この日は芳子さんも山本医師と一緒に歌を唄い、よく喋る。高齢と病状のため芳子さんが立ち止まってしまうと山本医師が戻ってきて手を握り、一緒に墓地へと向かう。ずっと手を握り合っている。私の想像は間違っていないと確信する。

 

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2009年9月 5日 (土)

街の想い出(28) 有楽町 有楽町マリオン

街の想い出(28)  有楽町 有楽町マリオン

東京で映画といえば有楽町マリオン。日本劇場の跡地に立つこのシネマコンプレックスに私もよく通いました。
ここで観た映画でパッと思い浮かぶものを挙げると、「メジャーリーグ2」、「リトル・ブッダ」、「ラヂオの時間」、「みんなのいえ」などです。「ラヂオの時間」はまず地元の千葉の映画館で観たのですが、もう一度観たくなってマリオンに行きました。マリオンのお客さんは千葉のお客さんよりもずっと笑いに対する反応がよく、私も千葉で観た時よりも愉快な気分になれました。映画といえども観る箱を選ぶ必要があるのだと実感しましたね。

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2009年5月 7日 (木)

街の想い出(25) 千葉その3 千葉劇場

街の想い出 千葉劇場

千葉市中央区中央3丁目にある映画館、千葉劇場。前身は本当に劇場でしたが、戦後に映画館になりました。
私が10代の頃は2階席のある比較的大きな映画館でしたが、内部はオンボロでした。1995年にいったん取り壊され、その後、ミニシアターとして復活しています。

以前の千葉劇場で上映された映画で一番記憶に残っているのは、高校生の時に観た、オリバー・ストーン監督、ケビン・コスナー主演の「JFK」。ジョン・フィッツジェラルド・ケネディ大統領暗殺の闇に迫る作品で、当時、大きな話題を呼びました。今ではJFKというと、阪神タイガースの抑え陣のことですね。

ミニシアターになってからの千葉劇場にも何度か通っていますが、正月に映画を見に行った際、何故か暖房が効いていなくて館内が酷く寒かったのを憶えています。

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2008年4月30日 (水)

街の想い出(23) 銀座その4 銀座シネパトス

街の想い出(23) 銀座その4 銀座シネパトス

東銀座にある銀座シネパトス。地下にある映画館です。3つのスクリーンがあり、ロードショー、名画など様々な映画を上映。

この映画館観た映画で印象深いのは、ルネ・クレマン監督、アラン・ドロン主演の「太陽がいっぱい」のリバイバル上映。1994年か1995年のことだったと思います。

今はどうか知りませんが、当時の銀座シネパトスは近くを走る地下鉄の音がときおり館内に響いてくるという、のんびりした感じの映画館。そうした場所で、アラン・ドロン演じる主人公が海辺で太陽の光を浴びながら満面の笑みを浮かべ、でも実は……、という切ないラスト(このラストシーンは原作にはない、映画独自のもの)を観るのは、最新式の映画で万人向けの映画を観るのとは違った独特の感慨があったのをよく憶えています。

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2008年1月 9日 (水)

街の想い出(21) 千葉その2 シネマックス千葉

街の想い出(21) 千葉その2 シネマックス千葉

千葉市中央区にある映画館「シネマックス千葉(CINEMAX千葉)」。5つのスクリーンを有する、千葉市初のシネマコンプレックスです。1997年のオープン。この映画館で最初に観た映画は、確か竹中直人監督の「東京日和」だったと思います。写真家のアラーキーこと荒木経惟(あらき・のぶよし)夫妻をモチーフにしたドラマです。竹中直人と中山美穂の主演。松たか子の映画初出演作でもありました。岩松了の脚本。映画音楽の作曲は大貫妙子で、坂本龍一が編曲を担当しています。私は「洛北日和」というブログもやっていますが、そのタイトルの基になったのが「東京日和」です。

この映画館にはたびたび通い、色々な作品を観ています。というのもシネマックスにはメンズデイがあって、毎週木曜日に男性は1,000円で映画を鑑賞することが出来るので行きやすかったという理由があります。学生料金も1,300円で、東京の映画館に対抗しています(東京の映画館の学生料金は1,500円が一般的)。

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2007年12月17日 (月)

街の想い出(19) 銀座その2 東劇

街の想い出(19) 銀座その2 東劇

東劇。銀座と築地の中間、東銀座にある映画館です。

ここで観た映画と特に印象に残っているのは、竹中直人監督の「119」と黒沢清監督の「ニンゲン合格」。

「119」は消防署員の物語。とはいえ、ここ何年も火事が起こっていないという平和な海辺の街でのお話です。出演は、赤井英和、鈴木京香、温水洋一、塚本晋也、浅野忠信、津田寛治、マルセ太郎、宮城聰、竹中直人ほか。脚本は、筒井ともみ、宮沢章夫、竹中直人の3人が担当。音楽:忌野清志郎。
静岡県沼津市を中心とした日本情緒の残る風景、小津安二郎を意識した竹中の演出、撮影当時25歳だった鈴木京香の日本美人ぶり、忌野清志郎の歌など、見所の多い作品です。

「ニンゲン合格」は、14歳の時に事故で記憶を失った青年(西島秀俊)が10年ぶりに目覚めたところから始まるヒューマンドラマ。出演は、西島秀俊、役所広司、りりぃ、麻生久美子、哀川翔、洞口依子ほか。
展開が淡々としているので、“退屈だ”と評価する人も多かったようですが、「人間」、「夢」、「家族」などについて考えさせられるところも多く、個人的には第一級の人間ドラマであると思っています。

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