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2021年1月27日 (水)

観劇感想精選(381) 「万作萬斎新春狂言2021」@サンケイホールブリーゼ

2021年1月20日 西梅田のサンケイホールブリーゼにて観劇

午後7時から、西梅田のサンケイホールブリーゼで、「万作萬斎新春狂言2021」を観る。
緊急事態宣言発出により、劇場の営業は午後8時までとなっているが、「すでにチケットを売ったものについては例外」となっている。ただなるべく協力する形でということで、野村萬斎によるレクチャートークを短くし、休憩時間をなくすことで、午後8時15分頃の終演とした上で上演が行われる。
ちなみに明日も同一内容の公演がサンケイホールブリーゼであるが(主役級のキャストに変更はないが、ダブルキャストの役があるため、今日と完全に同じ出演者というわけではない)、マチネーであるため、レクチャートークも通常の長さ、休憩もありで上演される予定である。

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サンケイホールブリーゼの入るブリーゼタワーの周辺、西梅田や桜橋の地上は人がまばら。ショッピングビルであるブリーゼブリーゼ内部も休業中のショップも多いためか、がらんどうである。ブリーゼタワーは下層がショッピングビルのブリーゼブリーゼであり、その最上階の7階にあるサンケイホールブリーゼまでが一般人が立ち入れるスペースである。それより上はオフィスビルとなっており、日本ハムの本社もこのビル内に移転している。日本ハムは大阪の企業であるが、ファイターズが本拠地を東京(後楽園球場→東京ドーム)や札幌(今現在は札幌市の隣町である北広島市に自前の新球場を建設中であり、2年後を目途に移転する予定)、二軍を千葉県鎌ケ谷市に置いているということもあり、大阪の会社であるということは野球ファン以外には案外知られていないようである。

さて、「万作萬斎新春狂言2021」であるが、七五三縄が降りる中、まず謡初「雪山」が、中村修一、深田博治、野村萬斎、高野和憲、内藤連(上手からの並び順)によって謡われる。背景には舞い落ちる雪片が投影される。雪ということで「衣手」といった和歌でよく取り上げられる組み合わせの言葉も登場する。

狂言の演目は、野村万作がシテを務める「横座」と野村萬斎がシテを演じる「木六駄(きろくだ)」。「木六駄」は、野村万作が演じたものをびわ湖ホールで観たことがあるが、萬斎が太郎冠者を務める「木六駄」を観るのは初めてである。

好評をもって受け取られることが多い野村萬斎のレクシャートークであるが、今日は時間に制限がある。「明けましておめでとうございます、というには少し遅いような気がしますが」と萬斎は話し始める。ちなみに昨年の「万作萬斎新春狂言」では萬斎は、自身が総合演出を務めるはずだった東京オリンピックの開会式についても触れていたのだが、東京オリンピックは延期となり、今年開催されるにしても開会式も閉会式も規模縮小ということで、野村萬斎がリーダーであった「ドリームチーム」はすでに解散となっている。余りにも商業化しすぎ、筆頭スポンサーのNBCの意向で、真夏の開催となったことで批判の多い東京オリンピック。延期により秋の開催が出来るのかと思いきや、またもやNBCの意向で、酷暑の時期の開催が決まっている。正直、今の状態で東京オリンピックが開催されるようになる可能性は極めて低い。設備は整っているのだから、今年でなく近い将来に東京オリンピックが開催されるのもありだが、秋でないなら開催自体を見送った方がいい。オリンピックは一巨大メディアの専有物ではない。

野村萬斎はコロナ禍の中で駆けつけたお客さんに向かい、「よくぞいらっしゃいました。勇気と覚悟を持って」と話し、「今日は市松模様の俺様シート(左右前後空けのソーシャルディスタンスシフト)ですのでゆったりとご覧いただけます」と語った。緊急事態宣言発出の中での公演であるが、「なるべく劇場にお越し頂きたい」とお願いもする。

野村萬斎の家で元日に行われる謡初の話から入り、今日の演目が丑年にちなむ「牛尽くし」であることを説明する。「料理店のメニューのようですが」と語った後で、「横座」の解説。「横座」というのは上座のことで、牛主が「可愛らしい子牛が生まれた」というので、上座に子牛を据え、それが元で「横座」と呼ばれるようになった牛の話である。何某が牛を買ったのだが、見立てが出来ないので、見立てが出来る者のところに赴くことにする。さて、見立ての出来る牛主だが、大事な牛がどこかに行ってしまった。そこに通りかかった何某の牛を見て、それは自分が育てた横座という牛だと主張するのだが、何某は「金を出して買ったのだから自分の牛である」と譲らない。
萬斎は客席に、「牛の見分けが付く方、いらっしゃいますか? 私は自信がないのですが、ずっと牛と一緒にいれば見分けが付くようで」

その後に、平安時代の呪術の話が登場し、ややこしいので、萬斎はそこを重点的に解説する。「『陰陽師』(映画版は野村萬斎が安倍晴明役で主演している)って覚えてますでしょうか? リモートで戦うという」という話から、「横座」で語られる呪術合戦の物語へと入っていく。文徳天皇の御代の話である。平安時代の初期だ。日本の初期の歴史書6つ、総称して「六国史」と呼ばれるが、6つのうち4つは天皇数代の記録を一つの史書に纏めている。だが文徳天皇だけは『日本文徳天皇実録』と諡号入りの一代記になっている。藤原北家が本格的な摂関政治へと繰り出すきっかけになった天皇であり、天皇としての実績はほとんどないが、歴史のターニングポイントに在位した重要な存在である。ちなみに祖父は藤原冬嗣、伯父は藤原良房である。
さて、文徳天皇には後継者として有力視される二人の皇子がいた。紀静子との間に生まれた惟喬親王(萬斎は「タカちゃん」と呼ぶ)と、藤原明子の間に生まれた惟仁親王である。藤原北家の時代が始まりつつあったが、紀氏もまだ勢力を保っていたということで跡目争いが本格化する。惟喬親王と紀氏は、東寺の柿本紀僧正(真済)の力を借り、一方の惟仁親王と藤原氏は比叡山延暦寺の慧亮和尚の後ろ盾を得て、皇位継承を決める相撲合戦を密教で操作する。最初は柿本紀僧正の密教の方が力が強く、10戦で勝敗を決める相撲の第4取り組みまでは惟喬親王派が4連勝した。これを聞いた比叡山の慧亮和尚は、独鈷で頭を割り、脳みそを引きずり出して火にくべて祈祷し、結果、惟仁親王側の力士が6連勝し、惟仁親王が清和天皇として即位することになるのだが、萬斎は、「さっきググってみたら、どうも話を盛っている。清和天皇は清和源氏の祖となりますので、源氏の人達が先祖を讃えるべく盛った」らしいという話をしていた。

「今日は時間を短くしなくちゃいけないということで、もう時間が来てしまいました」と萬斎は、「木六駄」についても軽く解説する。「お歳暮の話です」と言い、「お歳暮を黒猫(ヤマト運輸)ではなく牛で運ぶ」と冗談を言って、「『横座』は実際に牛が出てくるんですが、『木六駄』はリモートでいるように見せます」と語った。
「牛と出くわしたことのある方、いらっしゃいますか? 私はイギリスに留学していた時に野生の牛と出くわしたことがあるのですが、牛というのはとにかく動きません。通り過ぎるまで15分ぐらい待ちました」
また、通常の能舞台とは異なる場所での上演ということで、「劇場ならではの演出をする」ことも明かしていた。

 

「横座」。出演:野村万作、石田幸雄、石田淡朗。後見:飯田豪。
何某(石田幸雄)が、牛(石田淡朗)を連れ簡易橋懸かりから現れる。たまたま牛を手に入れたのだが、価値も何もわからないので、目利きの出来る牛主(博労。演じるのは野村万作)に目利きを頼むつもりで、牛を東の在所の柱に繋ぐ。そこへ牛主がやって来る。なんでも横座という名の秘蔵の牛が行方不明になったらしい。
牛主が陰陽師に見て貰ったところ、「(横座は)東の在所にいる」ということで、東の在所にやって来たのだ。そこで何某が繋いでいる牛こそが横座なのではないか、と聞くが、何某は、「これは自分がきちんとしたところから買った牛で、横座とは思えない」と返し、横座であったとしても金を出して買ったのだから自分のものだと主張する。
牛主は、横座は呼べば答える牛なので、呼んでみようとするが、「100編呼ぶ内に答えたら」と回数が余りに多く、「それだけ呼んだらたまたま鳴くこともあるだろう」と何某に突っ込まれて、50回、5回と減らされ、最期は3度の内に落ち着く。鳴かなかった場合は、牛主は何某の譜代(家来)にならねばならないという。
2度呼ぶも横座は答えず、ならば、と文徳天皇の時代の故事を語る。陰陽師の話を聞いて東の在所にやって来たり、東寺と延暦寺による加持祈祷合戦の話をしたりと、スピリチュアルな内容になっているのが特徴の狂言である。
比叡山の慧亮和尚は、五大尊の曼荼羅を置いて祈ったのであるが、五大尊の中の大威徳は、水牛に座した姿で描かれており、慧亮和尚が祈祷を行うと、描かれた水牛が鳴いたという。
「絵の牛ですら鳴くのだから、実在する横座は鳴くだろう」というのが、語られた故事の結末となっている。果たして……
最後は書かないでおく。

 

「木六駄」。出演:野村萬斎、中村修一、高野和憲、深田博治。後見:内藤連。
狂言は、「この辺りの者でござる」で始まるのが一般的だが、この狂言では最初に出てきた主(中村修一)が、「奥丹波に住まい致す者でござる」と自己紹介をする。京に住む伯父(深田博治)にお歳暮を届けようと思い、太郎冠者(野村萬斎)に牛12頭のうち6頭に炭六駄、残る6頭に木六駄を付けて運ぶよう命じる。野村萬斎演じる太郎冠者は最初の返事から「はい」ではなく「ばい」といった感じで、常日頃から主の無理難題に辟易していることが見て取れる。その後の返事も、「ふぁい」「ふぇい」と不請不請答えていることが伝わってくる。通常の狂言は、舞台上で行われる古い時代の笑い話を見ることになるのだが、野村萬斎の場合は現代人に近い感じの人物を創造するため、現代的視点が狂言の中に入り込む仕掛けとなり、客体化もしくは相対化される。これはおそらく、野村萬斎一代限りの芸である。息子さんは継げないだろう。

雪深い奥丹波を行く太郎冠者。言うことをなかなか聞かない牛を連れて、舞台を横切っていく。能舞台で演じる時は、下手の橋懸かりから出て、再び橋懸かりから下手袖に戻るということしか出来ないのだが、今日は普通の劇場ということで、上手に退場。その後、背後の紗幕が透け、紗幕の後ろを上手から下手へと牛を追う仕草をしながら歩いて行くのが見える。そして再び下手から仮設の橋懸かりに登場。そこで太郎冠者は老の坂の峠の茶屋を発見し、一休みすることにする。牛を繋ごうとするが、「進め」と言っても進まないのに、「止まれ」と命じるとなぜか進もうとし、崖の方へ向かったりと太郎冠者を苦戦させる。
茶屋の中でくつろぐ太郎冠者に、茶屋の主(高野和憲)は茶を勧めるが、太郎冠者は酒を所望する。だが、茶屋は酒を切らしており、大雪のため買いにも行けない。実は太郎冠者は伯父に贈るための酒樽を持って歩いていた。茶屋の主と二人で、「濃い酒なので少しぐらい飲んでも水を足せばバレない」と話し合い、「ちょっと一杯のつもりで飲」み始め、「いつの間にやら」酒宴となってしまう。太郎冠者は鶉舞を披露。レクチャートークで「豪華パンフレット(冗談で、ペラペラの紙が二つ折りになっているだけである)に歌詞が載っているので」後で見て欲しいと萬斎は言っていたが、源三位頼政の鵺(ぬえ)退治の話が出てくる。京都市内には三位頼政の鵺退治ゆかりの場所がいくつか存在する。

結局、ベロベロに酔っ払った太郎冠者は、木六駄とそれを付けた牛を茶屋の主に与えてしまい、酔ったまま千鳥足で旅路を急いで、都の伯父の家に辿り着く。状を伯父に渡した太郎冠者。伯父は、「炭六駄と木六駄とあるが、木六駄がないではないか」と太郎冠者を問い詰める。太郎冠者は、「近頃、名を木六駄と変えまして、それがし木六駄が炭六駄を付けた牛を連れて上って参りました」と無理矢理誤魔化そうとするのだが……

太郎冠者のトリックスターぶりを際立たせた名演技であった。

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2021年1月16日 (土)

コンサートの記(683) ロームシアター京都開館5周年記念事業 シリーズ 舞台芸術としての伝統芸能 Vol.4「雅楽――現代舞踏との出会い」

2021年1月10日 左京区岡崎のロームシアター京都メインホールにて

午後2時から、ロームシアター京都メインホールで、シリーズ 舞台芸術としての伝統芸能 Vol.4「雅楽――現代舞踏との出会い」を聴く。

来場者はいつもとは少し異なっているようである。25歳以下無料招待や、留学生のための特別チケットなどもあったようだが、ロームシアターの構造をよく知らない人が多く、少なくとも常連さんは余り来ていない。あるいは招待客が多いということも考えられる。普通に考えて、雅楽とコンテンポラリーダンスという、どちらもマイナーなジャンルの組み合わせで行われる公演に数多の人が訪れるとは思えない。雅楽の演奏を行うのは宮田まゆみ率いる伶楽舎であるが、宮田まゆみが雅楽のスターとはいえ、あくまで雅楽を聴く人の中でのスターである。東儀秀樹のように自作やポピュラー音楽を奏でる人ならファンが多いが、宮田まゆみは雅楽とクラシック音楽のみなので誰もが知っているという存在ではないと思われる。
クラシック音楽好きも、同じ時間帯に京都コンサートホールで井上道義指揮京都市交響楽団によるニューイヤーコンサートが行われるため、そちらを優先させた人が多いはずである。

 

二部構成の公演で、第一部が「開館5周年を寿ぐ雅楽演奏」、第二部が武満徹作曲の雅楽「秋庭歌一具(しゅうていがいちぐ)」による現代舞踏作品「残影の庭-Traces Garden」(振付・出演:金森穣。出演:ノイズム・カンパニー・ニイガタよりNoism0)の上演である。

 

第一部「開館5周年を寿ぐ雅楽演奏」の曲目は、芝祐靖作曲の「巾雫輪説(きんかりんぜつ)」、双調音取/催馬楽「新しき年」(以上、演奏:伶楽舎)、声明「普賢讃」/舞楽「陵王」(演奏と舞:音輪会)。

雅楽では、「残楽(のこりがく)」という演奏法が一般的で、これは次第に音の数を減らして最後は篳篥と箏の掛け合いになるというものである。クラシックに例えると――例える必要があるのかどうかはわからないが――ハイドンの交響曲第45番「告別」のような感じである。箏は「輪説」という自由奏法を行う。芝祐靖(しば・すけやす)は、「輪説」に焦点を絞った新作を依頼され、「残楽」とは逆に箏の独奏から始まって次第に楽器を増やし、全員合奏で終わるという、クラシック音楽に例えるとラヴェルの「ボレロ」のような曲を構想する。だがなかなか思うようには行かず、作曲には苦労したようだ。曲名にある「巾」とは箏の一番高い音のことだそうである。
箏の独奏に始まり、琵琶の独奏が加わり、篳篥、龍笛、笙が鳴り、箏は三重奏、琵琶も二重奏となる。音のボリュームと迫力の変化が楽しい曲だが、雅やかさも失うことはない。雫がせせらぎとなって川に注ぎ、ということでスメタナの「モルダウ」が意識されている可能性がある。

後白河法皇が好んだことで知られる催馬楽であるが、一時期伝承が途絶えており、江戸時代に再興されているが、平安時代のものがそのまま復活したという訳ではないようである。
「新しき年」でも芝祐靖が復元した楽譜を使用。「新しき 年の始めにや かくしこそ はれ」という歌詞が引き延ばされつつ歌われる。

音輪会による声明「普賢讃」。仏教音楽である声明だが、「普賢讃」は日蓮宗の声明の一つである。普賢菩薩を讃える声明と雅楽が融合される。散華の場もある。そのまま続けて舞楽「陵王」。舞人は、友田享。
クラシック音楽愛好者の中には、黛敏郎のバレエ音楽「舞楽」を好むという人も多いと思われるが、その「舞楽」の本家本元の舞楽の一つであり、曲調も似ている。迫力と優雅さを合わせ持ちつつどことなくユーモラスな感じもする舞も面白い。

 

第二部「残影の庭-Traces Garden」。伶楽舎が演奏する武満徹の「秋庭歌一具」は、現代雅楽を代表する作品である。武満は、雅楽について、「まさに音がたちのぼるという印象を受けた。それは、樹のように、天へ向かって起ったのである」(音楽エッセイ集『音、沈黙と測りあえるほどに』より)とコメントしている。1962年10月、宮内庁楽部の演奏を聴いた時のコメントである。それから約10年が経った1973年に武満は国立劇場から新作雅楽の作曲の委嘱を受け、「秋庭歌」を作曲。その後、1979年に「秋庭歌」に5曲を加えた「秋庭歌一具」を完成させている。
「秋庭歌一具」は知名度も高いが、今回のようにコンテンポラリーダンスとの共演が行われたこともある。2016年に伶楽舎と勅使河原三郎によって行われたもので、この公演はその後、NHKによって放送され、私も観ている。タケミツホール(東京オペラシティコンサートホール“タケミツメモリアル”)での上演であった。

今回の上演では、りゅーとぴあ 新潟市民芸術文化会館・舞踏部門芸術監督の金森穣と彼が率いるNoism Company Niigataによる現代舞踏とのコラボレーションとなる。

武満徹の作品において「樹」は重要なモチーフとなっているが、演出・振付の金森穣が無料パンフレットに載せた文章にも、この新作ダンスが樹という風景を用いた「過ぎ去り日の残影」を描いた旨が記されている。

 

武満徹の「秋庭歌一具」は、中央に秋庭と呼ばれるスペースを置き、左右後方の三カ所に「木霊」と呼ばれる演奏者達を配置して庭の移ろいを描く。「木霊」は精霊であり、移ろいゆく時間そのものを表していると解釈することも可能である。
武満は、有名な「ノヴェンバー・ステップス」や劇伴になるが大河ドラマ「源義経」のオープニングテーマで邦楽器とオーケストラのコラボレーション作品を書いているが、そうした和と洋の対比ではなく、「武満徹が純粋な雅楽作品を書いた」ということ自体が歴史的な意義を持っている。古代中国由来で日本でだけ生き残った雅楽に、日本で生まれ育ったが西洋音楽の道に進み、フランスの評論家から「タケミツは日系フランス人だ」とまで言われた偉大なクラシックの作曲家が己の作風を注ぎ込む。これは時代と場所とが音楽として重層的且つ歴史的に立ち上がることに他ならない。世界で彼にしか書けないと言われたタケミツトーンが、歴史の集合体として生かされており、おそらく日本音楽史上に永遠に残る傑作である。

「庭」を題材にした作品も多い武満だが、時と共に姿を変えゆく庭は音楽との共通点を有し、時の移ろいもまた重要なテーマとなっている。

コンテンポラリーダンスの出演は、Noism0(金森穣、井関佐和子、山田勇気)。衣装:堂本教子。映像:遠藤龍。秋庭の前の空間でダンスが行われる。

まずは三人横並びで同じ動きを始めることでスタート。やがてその動きやポジショニングが徐々にずれていく。キャットウォークから赤い羽織のようなものが降りてきて、井関佐和子がそれを纏う。紅葉を表しているのだと思われる。だが、すぐに井関佐和子は上手に向かって退場。紅葉の時期はほんの一瞬で、秋の盛りが一瞬で過ぎ去ったことを示すのかも知れない。その後は、移ろいゆく時の流れとその回想からなるダンスが展開される。男性ダンサーは二人とも黒系の羽織を着て再登場するが、よく見ると一人は茶色、一人は黒の羽織で色が微妙に異なることがわかる。黒は「玄冬」ということで冬を表し、茶色は赤と黒の中間で晩秋もしくは初冬を表していると思われる。移ろう時の中で秋の思い出が何度もリフレインするが、赤と茶の二人のダンスから、赤と茶と黒の三人のダンスに変わり、季節が移り変わっていくことが表される。
やがて落葉した樹のオブジェが現れる。舞台上方にはいくつものロウソクの明かりが灯っているが、それも次第に下がってくる。背後には橙色の光が投影され、太陽の力が弱まり、冬が近いことが告げられる。赤色の秋の精も眠りにつき、やがて去る。
空白の舞台を囲む三方で雅楽の演奏が続く(「秋庭歌」の場面だと思われる。庭そのものが主役の場とされたのであろう)が、やがて秋の精が現れ、眠りから一瞬覚める。秋が終わる前の、一瞬の夢が展開される。舞台上にはダンスを行っている影の映像が投影され、秋の精も自身の思い出と共に舞う。天上から紅葉の葉が降り、初冬の精と冬の精も現れ、舞台上に投影された中秋の名月を李白のように掴もうと試み、失敗する。
やがて赤い羽織はワイヤーに乗って天上へと帰り、思い出としての秋も完全に終結する。秋の精と初冬の精は手に手を取って舞台から退場。冬の精が一人ポツンと残される。

ダンスを筋書きで描くというのは粋な行為ではないが、おおよそこのようなことが演じられているように見えた。金森のプロダクションノートからは、移ろいゆく今よりも移ろい去ってしまったものへの哀感が強く感じられる。秋の盛りよりもそれが過ぎ去った後を描いたシーンの数々は、一種の幻想美として目の奥に留まることとなった。

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2021年1月15日 (金)

コンサートの記(682) 阪哲朗指揮 大阪シンフォニカー交響楽団(現・大阪交響楽団)第45回名曲演奏会

2007年1月13日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

大阪へ。ザ・シンフォニーホールで大阪シンフォニカー交響楽団の第45回名曲演奏会を聴く。指揮は京都市生まれの阪哲朗。1995年にブザンソン国際指揮者コンクールで優勝して注目を浴びた指揮者である。シンフォニーオーケストラではなくドイツの歌劇場を中心に活躍しているためか、CDなどは出ていないが、評価は高く、特にドイツにおいてはオペラ指揮者として高く評価されている。1968年生まれと若く、広上淳一(1958年生まれ)、大野和士(1960年生まれ)、大植英次(1956年生まれ)、佐渡裕(1961年生まれ)の次の世代の逸材として注目を浴びている一人である。

ニューイヤーということもあってか、後半はオール・シュトラウス・ファミリー・プログラム。前半はシュニトケの「モーツ・アルト・ア・ラ・ハイドン」と、モーツァルトの交響曲第36番「リンツ」。

「モーツ・アルト・ア・ラ・ハイドン」は京都市交響楽団の定期演奏会で井上道義も採り上げていた半冗談音楽。井上道義はこの曲を十八番としているようで、京響との演奏では外連味たっぷりの指揮と演技で大いに笑わせてくれた。阪さんは真面目なので(井上が不真面目ということではないが)井上のような悪ふざけはしない。ただオーケストラ団員が指揮に従わず、どんどん勝手に演奏するという演出はする。チェロ奏者やヴァイオリン奏者に指揮台を占領されてオロオロするという演技などは面白い。阪哲朗は指揮者というよりも老舗旅館の若旦那といった風貌なのでオロオロする様は実にはまっている。

モーツァルトの交響曲第36番「リンツ」は古典配置による演奏。阪哲朗は知的な音楽作りに定評があるので、おそらくピリオドアプローチで来るだろうと予想。果たしてその通りであった。弦楽器のビブラートを抑えてすっきりとした響きを作り、音の強弱を「ミリ単位」という例えを使ってもいいほど細かくつける。これほど強弱に気を遣う指揮者も珍しい。躍動感にも満ちた音楽を創造するが、踏み外しが一切ないのが逆に気になる。こんなに優等生的な演奏でいいのだろうか。

後半のシュトラウス・ファミリーの音楽は、音に勢いがあり、演出も気が利いていて文句なしに楽しめる演奏であった。昨日聴いたウィーン・シュトラウス・フェスティヴァル・オーケストラのような、ヨハン・シュトラウスⅡ世が率いていたバンドと同じサイズの編成による演奏も良いが、やはり現代のコンサートホールで聴くにはサイズの大きなオーケストラの方が適している。大阪シンフォニカー交響楽団も澄んだ響きを出しており、好演だ。

ところで阪哲朗という指揮者はいつも涼しい顔をして振っている。同じ京都市生まれで京都市立芸術大学出身であっても、佐渡裕とは正反対だ。

アンコールは3曲。まずヨハン・シュトラウスⅡ世の「トリッチ・トラッチ・ポルカ」。阪は演奏の途中で指揮台を降り、残りの演奏をオーケストラに任せて下手袖(ステージ向かって左側)へ引っ込んでしまうという演出をする。だがこれ、阪は事前にオーケストラに告げていなかったようで、演奏を終えたファーストヴァイオリンの奏者達が驚きの混じった顔で阪の去っていった下手袖を振り返っていた。

アンコール2曲目は恒例のワルツ「美しく青きドナウ」、3曲目も恒例の「ラデツキー行進曲」。まずまずの演奏であった。

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2021年1月13日 (水)

コンサートの記(681) ペーター・グート指揮ウィーン・シュトラウス・フェスティバル・オーケストラ「ニューイヤー・コンサート」2007京都

2007年1月12日 京都コンサートホールにて

京都コンサートホールで、ペーター・グート指揮ウィーン・シュトラウス・フェスティヴァル・オーケストラによるニューイヤー・コンサートを聴く。日本を代表する若手ソプラノ歌手・森麻季がゲスト出演する。

ウィンナ・ワルツやポルカのスペシャリストとして一部で高い評価を受けているペーター・グートはもともとはヴァイオリニストであり、生地のウィーンでヴァイオリンを学んだ後、旧ソ連に留学。モスクワ音楽院で当時世界最高のヴァイオリニストの一人であったダヴィッド・オイストラフに師事している。
ウィーン交響楽団の初代コンサートマスターとなったグートは1982年に指揮者としての活動を開始、ヨハン・シュトラウスⅡ世同様、ヴァイオリンを弾きながらオーケストラを指揮することもある。

ウィーン・シュトラウス・フェスティヴァル・オーケストラは名前通りの祝祭オーケストラだが、1978年から活動を続けており、シュトラウス・ファミリーの演奏はお手の物だ。

森麻季は有名だ。
で済ませたいところだが、クラシックの知識のある方ばかりとは限らないので紹介しておくと、1970年、東京に生まれ、東京藝術大学および大学院、文化庁オペラ研修所を経て、イタリアに留学。まずアメリカで成功を収め、日本ではNHK交響楽団との共演で知名度を上げる。昨年(執筆当時。具体的に書くと2006年)、avexからCDデビューしている。伸びやかな高音と華やかな容姿が売りである。

ウィーン・シュトラウス・フェスティヴァル・オーケストラは小編成(ファースト・ヴァイオリン8、セカンド・ヴァイオリン3、ヴィオラとチェロとコントラバスが2。2管編成)であり、京都コンサートホール大ホール向きではない。だから最初の曲である「こうもり」序曲などは音量に不満を感じたが、ワルツやポルカなどは音量よりも音の美しさが重要なのでボリューム不足はさほど気にならなかった。アンサンブルの精度はもう1ランク上を望みたくなるが音の艶やかさは十二分に合格点に達していた。

ペーター・グートの指揮はCDでも耳にしているが、本当に楽しそうにワルツやポルカを演奏する。ショーマンである。これは音だけではわからない。やはり音楽は生が一番である。チケットもそう高くはないんだし。

森麻季は3曲に登場。まずはオペレッタ「こうもり」より“伯爵様、あなたのようなお方は”。続いてワルツ「春の声」。最後がオペレッタ「こうもり」より“田舎娘を演る時は”。いずれも余裕を持って歌われる高音が素晴らしい。ただ今日は私はステージ下手(左側)真横に座っており、私の席からは森の声は聞き取りにくかった。残念。
森は“伯爵様、あなたのようなお方は”ではピンクのドレスにショッキングピンクの手袋、「春の声」では青いドレスにターコイスブルーのショール、“田舎娘を演るときは”ではエメラルドグリーンのドレスに白い手袋で登場。森のドレス姿の鮮やかさに会場のここかしこから女性のため息が起こる。

全プログラムを終えて、グートと森が登場。森は最初に出てきた時と同じピンクのドレスにショッキングピンクの手袋。グートはラデツキー行進曲をオーケストラに演奏させて、自分は森と共に客席に降りて1階席を巡る。会場にいた子供3人を呼んでステージに立たせ、指揮棒を持たせて指揮の真似事をさせると再び森麻季と更にファーストヴァイオリン8人を引き連れて1階席を一巡り。サービス精神旺盛である。


ウィーン・シュトラウス・フェスティバル・オーケストラ ニューイヤー・コンサート2007 公演パンフレット(鴨東記)

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2021年1月 1日 (金)

初詣に行きました 雪の崇道神社

今年は例年とは違い、繁華街からは遠く隔たった左京区上高野の崇道神社を初詣の社に選びました。祭神は崇道天皇=早良親王で、「京都市内最強説」を持つ社の一つです。都の鬼門=丑寅、やや丑寄りに鎮座しています。

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叡山電車三宅八幡駅下車。比叡山を見上げながら高野川沿いを進みます。

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崇道神社の祭神である、崇道天皇こと早良親王は、長岡京造営中の藤原種継暗殺事件の首謀者として、淡路に配流となる途中に食を絶って憤死(惨殺説もある)。以後、長岡京は度々の水害に遭うなどして造営を諦めざるを得なくなり、造営開始から10年後の794年(延暦13)に都は現在の京都市の前身となる平安京に移されました。長岡京の造営失敗は早良親王の怨霊によるものとされ、早良親王には崇道天皇が追諡されています。

京都市内には、御霊神社(上御霊神社)と下御霊神社に早良親王が合祀されていますが、早良親王を単独の祭神とするのは、京都市内では崇道神社だけです。

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普段は、「つゆ訪う者なし」といった感じの崇道神社ですが、1月1日ということもあり、地元の人を中心にそれなりの人出があるます。ただ並ぶということはほとんどありません。あったとしても拝殿の前で数十秒だけです。

雪の積もる崇道神社。帰り道には本格的な雪が舞い始めました。

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左の社には天照大神と豊受大神、右側の社は出雲高野神社で玉依姫が祀られています。この辺りは、平安遷都以前には古代豪族の出雲氏や小野氏の支配下にあった場所でした。また早良親王の生母は高野新笠ですが、玉依姫が高野新笠に重ねられてもいるのでしょうか。

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あけましておめでとうございます

あけましておめでとうございます
今年は丑年です
憂し年ではなく、CATTLE(勝てる)年になりますように

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2020年1月31日 (金)

観劇感想精選(339) 「万作 萬斎 新春狂言2020」大阪 「月見座頭」&「首引」

2020年1月21日 大阪・西梅田のサンケイホールブリーゼにて観劇

午後7時から、大阪・西梅田のサンケイホールブリーゼで、「万作 萬斎 新春狂言2020」を観る。野村萬斎人気で女性客が圧倒的に多いが、他の会場よりも男性率が低い気もする。どういうことなのかはよくわからない。

新春公演ということで、舞台上方には七五三縄が下がっている。

演目は、残酷狂言として知られる「月見座頭」と、茂山千之丞の台本によってオペラ化もされている「首引」の二番。

 

まず新年ということで謡初 連吟「雪山」が謡われる。謡は、石田淡朗、岡聡史、野村萬斎、内藤連、飯田豪(客席から見た上手から下手への並び順)。

その後、野村萬斎によるレクチャートークが行われる。野村萬斎は、「明けましておめでとうございます、というには時間が経ってしまったような感じがしますが」と語り出し、「2020年ということで東京は『てえへんな』ことになっていますが、大阪は他人事のような感じなんでしょうか。まだこれから」ということで自身が開会式と閉会式の総合演出を手掛ける東京オリンピックについても少し触れる。
新年ということで、初謡を行ったのだが、「最初に一礼するのがなぜなのか子供の頃から不思議だった」「この間、『チコちゃんに叱られる!』で教わりました」と言って笑いを取る。年神に向かって一礼しているそうで、「皆さんに向かってお辞儀しているわけじゃないんです。歌舞伎の襲名披露なんかはお客さんに向かってお辞儀をしている感じですが」と語った。野村萬斎の家では、年が明けるとまず野村万作が初謡を行い、一門がそれぞれ謡を行っていく。それが終わると初舞が行われるそうである。

多様性の時代ということで、「地球自体が人間だけのものではない」「同じ人間でも、人種、言語、宗教、国籍など色々」「LGBTという言葉があったりします。障害者の方などもおられます。『月見座頭』では障害者が登場します」。そして狂言については、「ここらあたりに住まいする者でござる」という言葉で始まり、誰でもが「ここらあたりに住まいする者」になり得るということで、これも多様性だと位置づけたが、今日の演目には残念ながら「ここらあたりに住まいする者」と名乗る人物は出てこないと明かす。
座頭というのは盲人という意味である。放送では使えない「めくら」という言葉も使われている。その言葉が当たり前に使われていた時代の作品なので変えるわけにもいかない。「座頭が月見をするというのも変な感じがしますが、月を見るのではなく、虫の声を聴く」「狂言の禁欲的なところは、虫の声を一切音響で出さない。月も出さない」とイメージで進行する狂言の神髄についても大仰さを出さずに語っていた。この座頭、目は見えないが一人でしっかりと生きており、「虫の声が聞こえないと他の人に当たるクレーマーになったりする」とステレオタイプでない座頭の姿についても説明する。
「月見座頭」では、洛中に住む者が登場するのだが、洛中に住む者が洛外に住む座頭より偉そうに振る舞うため、「洛中と洛外でそんなに違うんでしょうか?」と東京人である野村萬斎は不思議がっていたが、京都はその辺はかなりエグい。萬斎は、「東京でも23区とそれ以外、山手線の内側と外側でちょっと違う。大阪でも環状線の内側と外側で違ったりするんでしょうか」という話をしていた。
二人が詠む和歌について、無料冊子に書かれた「秋風にたなびく雲の隙間よりもれいづる月の影のさやけき」を萬斎は読み上げるが、「これよりも易しい和歌が出てきます」と語る。「月見れば千々に物こそ悲しけれわが身ひとつの秋にはあらねど。大江千里。おおえせんりじゃありません。おおえのちさとと読みます。え? 作者、おおえせんりなのと思ってしまいそうですが、大体は同じなんですけど時代が違う」「今、お正月に百人一首をやったりするんでしょうか?」と萬斎は客席に聞くが返事はなし。「昔は、お正月には百人一首のカルタ取りとか坊主めくりとかやったんですが、今、百人一首というと、高校生がやる競技のあれしか思い浮かばない。子供達は(ゲームのコントローラーを持つ仕草をして)カチカチカチカチやってるだけ」ということで時代の移り変わりについても述べていた。
パリで「月見座頭」を上演した際は、「不条理劇」と評されたそうだが、そう思ってもいいし思わなくてもいい。それぞれが感想を持つことが多様性と締めていた。

「首引」には鎮西八郎為朝(源為朝)が登場する。狂言にその辺の人ではなく歴史上の人物が登場するのは珍しいのだが、「別に為朝でなくても良かった」「マッチョなイメージだから為朝になった」と語る。「首引」は、鬼が自分の愛娘に人間の食い初めをさせようとする話なのだが、「マッチョだと美味しそう。私のような鶏ガラは美味しそうじゃないが、マッチョだと霜降りで美味しそう」ということで、単純に見た目だけで為朝が選ばれたことを語る。「為朝は何か跨いでしまったんでしょう」ということで異界に入った為朝が鬼と出会う話を語り、古代では異国の人々が鬼と呼ばれたという史実も明かしていた。
ちなみに鬼と鬼の娘は面を被って登場するのだが、「話が進むにつれて為朝が鬼に見えてきて、鬼が人間に見えてくる」という話もしていた、その理由は実際に見れば分かる。
ちなみに娘鬼が嫌がっているのに「食え、食え」と命令する親鬼のことを野村萬斎は「モンスターペアレント」と形容していた。
最後に、為朝と鬼の娘が首に布を巻いて引き合う「首引」をする時に発する鬼の掛け声、「えーさらさ、えいさらさ」を萬斎と客席で掛け合うことにする。
野村萬斎「それでは、Repeat after meということで」掛け合いが行われ、更に1階席と2階席での掛け合いも行われる。まず萬斎が言い、1階席のお客さんが繰り返す。それをまた2階席のお客さんも履行するという形である。ちなみに狂言では低い音から突き上げるように発声するのだが、「芸大時代にソルフェージュの先生から『なんでいつも下から行くんだ?』と注意されていた」そうである。西洋と東洋の発声法は発想が真逆である。
「私がこう仕草で示しますので、一緒になってやって下さい」

 

「月見座頭」。旧暦(といっても当時の日本には新暦が存在しないため、普通の暦だったわけだが)8月15日。一人の座頭(野村万作)が月見のために現れる。杖をつき、杖の音を確認してから踏み出すという歩き方である。その姿は杖に導かれているようにも見える。立ち止まると「このあたりに住まいする座頭でござる」で名乗る。
目の見えるものは歌を歌ったり和歌を作ったりして月見を楽しむそうだが、座頭は虫の声を楽しみ、少し離れたところにいる客には「虫の声が聞こえないのでもう少し静かにして欲しい」と注文を出す。そこに上京の者(高野和憲)が現れる。座頭が月見をしているのを不審がって話しかけた上京の者。座頭は不調法で和歌など詠んだことがないというので、上京の者は、「天の原ふりさけ見れば春日なる三笠の山に出でし月かも」と阿倍仲麻呂の歌を自作として歌い、座頭は「月見れば千々に物こそ悲しけれわが身一つの秋にはあらねど」と大江千里の歌を詠む。共に有名な和歌であり、風流のわかる者だと確認し合った二人は酒宴を始める。互いに謡い、舞う二人。酒が尽きたので別れることなり、互いに気分良くその場を後にするはずだったのだが……。

種明かしはしないが、客席で女性が「あ!」と悲鳴を上げるのが聞こえた。

最後は方角がわからなくなった座頭が杖を拾い上げ、川で杖を清めて、川の流れの沿う形で去って行く。人生そのものの劇であるともいえる。

 

「首引」。鎮西八郎為朝(野村太一郎)は、訳あって西国(九州)から上方に上ることになる。途中、播磨印南野(はりま・いなみの)まで来たところで、親鬼(野村萬斎)が「人間臭い!」と言ってやにわに姿を現し、笑いを誘う。姫鬼(中村修一)はまだ人間の食い初めをしたことがないため、親鬼は為朝で食い初めを行おうと決める。親鬼は為朝に「自分に食われるのと娘に食われるのとどちらが良い?」と聞き、為朝が「娘の方が」と言ったので、姫鬼を呼ぶ。姫鬼はピョンピョン跳びはねて登場し、やたらと可愛らしい。だがそこは強力為朝、簡単に食い初めをさせてはくれず、姫鬼はワーワー泣き叫び、親鬼は姫鬼をなだめて為朝を叱る。そうこうするうちに為朝が、「勝負に勝ったら食うというのが道理」と言い始め、腕押しやらすね押しやらで戦うが、いずれも姫鬼は投げ飛ばされてワンワン泣くことに。最後の勝負として首に布を巻いて引き合う首引を行うことになるのだが、やはり為朝相手では勝てそうにない、ということで親鬼は眷属(一族。演じるのは、内藤連、石田淡朗、飯田豪、岡聡史)の鬼を呼び、姫鬼に加勢させ、掛け声を出していっせいに引くのであったが……。

ヘラクレスのように超然としている為朝に対して、娘を猫かわいがりしている親鬼は「人間臭い」と言いながら出てきた割に本人の方がよっぽど人間臭く、野村萬斎がレクチャートークで語った逆転が起こっている。

大阪のお客さんのありがたいところは、予め「やって下さい」と言っておくと、ちゃんと一緒になって掛け声を行ってくれることである。びわ湖ホールでの公演ではお客さんが乗ってくれないこともある。
萬斎は、「えーさらさ、えいさらさ」の掛け声をアッチェレランドで行い、舞台上と客席との一体感を高めていた。

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2020年1月 3日 (金)

猫町通り通信・鴨東記号 正月三日、信長公詣で

パソコンが使えないため、こちらで正月三日目の様子をお伝えします。別に伝えなくても良いのですが、それはそれとして。

元日が秀吉公、二日が家康公と来たので、三日は当然のように(?)信長公に参拝しました。三英傑全員に参拝できる街は日本で京都だけだと思われます。

信長公が祭神である建勲神社(正式な読み方は「たけいさおじんじゃ」通称は「けんくんじんじゃ」で最寄りのバス停や道路標識は「けんくんじんじゃ」を採用)は、京都の霊場の一つ、船岡山の山頂にあります。船岡山は平安京の朱雀大路の基点ともなった場所で、都の玄武にも当たります。かつては処刑場だったり、応仁の乱の際には西軍の本陣として城が築かれたという歴史がありますが、本能寺の変で信長亡き後、秀吉は船岡山全山を信長の菩提寺である元号寺・天正寺を建てる計画を建て、大徳寺に信長の菩提寺として築いた総見院の住職であった古渓宗陳を開山に指名し、正親町天皇の勅許も得ましたが、計画自体はすぐに頓挫しています。その後、船岡山は信長ゆかりの霊地とされて来ましたが、明治に入ってから信長を祭神とする建勲神社が建てられました。

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建勲神社の入り口。船岡山は標高75メートルほどの低い山(丘)ですが階段は急です。


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信長公が桶狭間の戦い出陣前に舞ったという幸若舞の「敦盛」。ちなみに幸若舞の「敦盛」の節は現在まで伝わっておらず、不明です。能舞の「敦盛」の節は伝わっているため、テレビや映画で信長が幸若舞「敦盛」を舞うシーンでは、能舞「敦盛」が代用されます。


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建勲神社拝殿脇。ちなみに拝殿脇の献燈は、信長の幼なじみである池田恒興の血筋に当たる岡山池田氏の池田茂政さんが行ったものです。茂政(もちまさ)さんは岡山池田家最後の当主で、茂の字は将軍・徳川家茂公からの偏諱ですが、生まれは実は水戸徳川家で、十五代将軍・徳川慶喜公の実弟です。

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戦国の天下人リングは明治になっても続いていたのでした。

なお、信長公は大正6年に正一位を追号されていますが、それ以降、正一位を与えられた人物は存在せず、現時点で最後に正一位に叙された人物となっています。


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建勲神社から見た比叡山

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2020年1月 2日 (木)

正月二日 家康公と光秀公詣で

徳川家康公と明智光秀公を訪ねる正月二日。

哲学の道を南下。途中、道を外れて、法然院墓地で谷崎潤一郎先生のお墓参り。

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近くの大豊神社には狛鼠がいるのですが、子年だけに人気で、昨日は3時間待ち、今日も2時間以上の待ち時間が必要なために避けて、若王子熊野神社に参拝。

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暮れに訪れることの多い若王子熊野神社ですが、今年は新年の参詣となりました。


いよいよ金地院東照宮へ。

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かつては日光東照宮とも比べられたら絢爛豪華な社でしたが、今は古びたら味わいがあります。

徳川家康公遺訓(神君遺訓)。実際は、水戸黄門こと徳川光圀公の作とも伝わります。私の座右の銘で、長いことをたまにネタにします。

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明治初年に廃仏毀釈を避けて大徳寺から移築された明智門。

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ちなみにそれ以前にあった唐門は再興された豊国神社に移っています。昨日潜った国宝・豊国神社唐門です。凄い戦国トレードですね。


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金地院の特別名勝・鶴亀の庭園。とても清々しい場所です。


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蹴上にある日向大神宮。徳川家康公が社地を寄進しています。京都にありながら京都でないような雰囲気を味わえる穴場でしたが、最近は参拝客が増えています。

ちなみに日向大神宮と入り口が一緒である安養寺は、村上春樹の祖父である村上辨識が住職を務めていた寺院です。

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三条通を西に向かい、祇園白川を下がったところにある明智光秀首塚。

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謀反人、裏切り者として悪名高かった明智光秀ですが、知と義に生きた武将として再評価が進み、今年はいよいよ大河ドラマの主役です。

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2020年1月 1日 (水)

初詣に行って来ました

今年も七条にある豊国神社へ。

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国宝の唐門は三が日だけ潜れます。

知名度が上がったためか、拝殿の前に行列が出来ていましたが、私が参拝する少し前に太陽が雲間から顔を覗かせたため、待った甲斐がありました。

於寧、寧々、寧、豊臣吉子などの名で知られる北政所(高台院)に単独で参拝出来るのも三が日だけです。

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摂社・貞照神社。天下の趨勢を握った、ある意味秀吉公以上に重要な人物が神様になっています。

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その後、京都女子学園前の女坂を上がり、新日吉神宮(いまひえじんぐう)へ。

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この神社の摂社である樹下社(このもとのやしろ)が江戸時代には秀吉公を密かに祀る社となっていました。

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秀吉の幼名ということにされた日吉丸(秀吉は幼名というものが存在するような階級の出身ではないわけですが)、あだ名とされた「猿」(猿に似ていたという証言とそうではないとする史料が混在していて真偽不明)、最初の苗字である「木下」(於寧さんの実家は杉原と木下の両方の苗字を用いており、後に木下の統一。木下は於寧さんの苗字である可能性がある)の符丁により秀吉を祀る社であることが示唆されています。

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滋賀県大津市にある日吉大社(ひよしたいしゃ)のお使いが猿であり、樹下社も日吉大社にあって、新日吉神宮の猿の樹下社も勝手にでっち上げたものではなく、言い訳が利きます。

 

更に東へ。阿弥陀ヶ峰山頂にある豊国廟を目指します。豊国廟登山(になるでしょうねえ)には100円が必要です。

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豊国廟に向かうのは通算で4度目だと思いますが、四十代になってからは初めて。若い頃はすんなりと行けたような記憶がありますが、この年で急階段を昇るのは流石にしんどく、休憩を挟みながらの登山です。

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伊東忠太設計による墓碑(供養碑)。思わず、「会いたかったよー!」という言葉が口から飛び出しました。

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写真ではよくわかりませんが、豊国廟の前からは京都御所の近辺がはっきりと見通せます。

豊国廟に到達した途端に太陽が燦々と墓碑を照らし始めたため、きっと秀吉さんも参拝のあったことをお喜びなのでしょう。

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最期は、豊臣秀頼公の息子である国松公と秀吉公の側室であった松の丸殿(京極龍子)の墓所に参拝。大坂夏の陣の後で斬首された国松公を松の丸殿は供養し続けたといいます。

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というわけで令和初の元日、豊臣家尽くしでした。

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