カテゴリー「伝説」の32件の記事

2026年2月 1日 (日)

コンサートの記(945) 下野竜也指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団第594回定期演奏会 バルトーク 歌劇「青ひげ公の城」(演奏会形式)ほか

2026年1月22日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後7時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、大阪フィルハーモニー交響楽団の第594回定期演奏会を聴く。今日の指揮は下野竜也。大フィル指揮研究員として朝比奈隆の下で学んだ指揮者でもある。ちなみに朝比奈の指揮に接した第一印象は、「何を振ってるのか分からないし、それなのに凄い音が出ていて訳が分からない」だったそうである。
現在は、NHK交響楽団の正指揮者、札幌交響楽団の首席客演指揮者、広島ウインドオーケストラの音楽監督を務め、広島交響楽団から桂冠指揮者の称号を得ている。吹奏楽出身の指揮者だけに広島ウインドオーケストラの音楽監督として吹奏楽の普及にも励んでいるものと思われる。

曲目は、大栗裕(おおぐり・ひろし)の管弦楽のための「神話」、小山清茂の管弦楽のための鄙歌第2番、バルトークの歌劇「青ひげ公の城」(演奏会形式。全一幕。出演:宮本益光、石橋栄実、田中宗利)。

いつものドイツ式の現代配置。今日のコンサートマスターは崔文洙だが、最前列の席だったため、崔文洙の隣で誰が弾いているのか見えず。真っ正面のコントラバスと、ヴィオラ奏者達の背中を見ることになる。管楽器はトロンボーンがわずかに見えるだけ。ただ「青ひげ公の城」ではトロンボーンが高い台に上って吹いたため、よく見えていた。

 

大栗裕の管弦楽のための「神話」。「天岩戸」を題材にした作品である。大阪フィルハーモニー交響楽団のホルン奏者にして、大フィルのための作品も多く書いた大栗裕。下野竜也が大阪フィルを指揮してレコーディングデビューしたのも大栗裕作品であった。
大栗は大阪・船場の生まれ。天王寺商業学校(現・大阪市立大阪ビジネスフロンティア高等学校)を卒業後、実家の小間物問屋を継ぐが、音楽を志し、旧東京交響楽団(現・東京フィルハーモニー交響楽団)や日本交響楽団(現・NHK交響楽団)のホルン奏者として活躍。朝比奈に呼ばれ再び大阪へ。関西交響楽団時代の1955年に大フィルに入団し、1966年まで在籍。その後は作曲家として活躍している。
管弦楽のための「神話」は、天岩戸が閉じたところから始まり、どうやったら天照大神が出てくるのか神々が考えるところから始まる。太陽神である天照大神が引きこもってしまったため、この世は闇である。ちなみに天照大神は伊勢神宮(内宮)に祀られてからも、「一人で食事をするのが寂しい」ということで豊受大神を呼び寄せているため(伊勢神宮外宮)、「皇祖神なのにメンヘラ」と呼ばれていたりする。
とにかく鶏が鳴けば朝になったと思うだろうということで、トランペットが鶏の鳴き声を真似る。その後も引きこもりの天照大神だったが、天鈿女命が裸踊りを始め、神々がその滑稽さに笑い転げる(芸術・芸能の神である天鈿女命は大宮姫命と同一視されることがあるが、大宮姫命はどちらかというと文芸系の女神である)。一体何事かと岩戸を少し開けてみる天照大神。そこに鏡が差し出され、鏡を知らない天照大神は何が起こったのか戸惑う。そこへ天手力男命が岩戸を強引にこじ開けるというストーリーである。古事記の中でも特に有名な場面の一つであるため、知っている人も多いと思われる。ちなみに京都市の蹴上にある日向(ひむかい)大神宮には、いかにも「作りました」という感じの天岩戸があり、戸隠神社として天手力男命が祀られている(厄除けの神)。初めて見た時には笑ってしまうかも知れないが、面白いことは面白い。
今日のプログラム全般にいえることだが、土俗的な迫力があり、一種の野蛮な力強さが聴く者を惹きつける。下野も造形をきちんと測った上でだが、いつもより強烈なドライブを見せていた。

 

小山清茂の管弦楽のための鄙歌第2番。小山清茂も音大に学んだ人物ではない。長野師範学校(現・信州大学教育学部)在学中にピアノの音を聴いて魅せられ、独学で作曲をものにする。師範学校卒業後は長野や東京で教員として勤務していた。1946年に「管弦楽のための信濃囃子」が第14回音楽コンクール(現・日本音楽コンクール)作曲部門で1位を獲得。1955年に教職を退いて作曲家として活動するようになっている。
鄙歌とあることからも分かるとおり、洗練とは真逆の古来から地方に残る生命力を音楽として昇華。力強い響きと「和」を感じさせる旋律を特徴とする。
「和讃」「たまほがい(上界と下界の魂のつどい)」「ウポポ(アイヌ語で室内で仕事をしたり儀式を行ったりするときに集団で歌う民謡)」「豊年踊り」の4部からなるが、今日は続けて演奏される。
やはり力強さが要求される曲であり、大フィルのパワーが生きている。大フィルも昔に比べると音に洗練度が増してきたが、こうした演奏も勿論可能である。

 

バルトークの歌劇「青ひげ公の城」(演奏会形式。全1幕)。大フィルは2013年に再開場したばかりのフェスティバルホールで、井上道義の指揮で、ハンガリー人の歌手2人を招いて「コンサートオペラ」として「青ひげ公の城」を上演している。
「青ひげ公の城」は、バルトークが完成させた唯一のオペラで、オペラ・ブッファとは異なる猟奇系オペラの代表作である。猟奇系オペラというジャンルはないが、挙げていくと、「ヴォツェック」、「ルル」、「サロメ」、「ねじの回転」などが含まれるだろう。「トゥーランドット」も場合によっては入るかも知れない。
青ひげ公は残忍な王で、数多の人を死へと導いている。「青ひげ公の城」の話が効果的に使われている映画として黒沢清の出世作である「CURE」が挙げられる。役所広司演じる刑事・高部の妻である文江(若くして亡くなった中川杏奈が演じている。中川杏奈という著名人は複数いるようだが、1965年生まれで演出家の栗山民也の奥さんだった人である)は精神を病んでいるのだが、それがかなり重いと分かる場面に「青ひげ公の城」の絵本が使われている。

出演は、宮本益光(ますみつ。青ひげ公)、石橋栄実(えみ。ユディット)、田中宗利(吟遊詩人)。
宮本益光は、バリトン歌手の他に、演出・構成、外国語オペラ詞の上演用日本語訳、執筆など幅広く活動しており、著書の名は、『職業、宮本益光』である。
大阪音楽大学教授としても知られる石橋栄実。澄んだ声を特徴とするソプラノだが、今日は役が役だけに痛切な声を聞かせる。
田中宗利は、劇団ひまわり所属の俳優。京都大学文学部哲学科卒。ピアノやチェロを習い、指揮者としても活動している。

下野、宮本、石橋の3人は、2023年に広島でも「青ひげ公の城」を上演している。

 

譜面の上に置かれた照明以外は光が絞られてスタート。吟遊詩人役の田中宗利が上手側から現れて、この話が昔々の語り継がれてきた物語であるということを告げる。
そして演奏開始。下野の巧みなリードに導かれて、豪快にしておどろおどろしい音楽が奏でられる。やはりこのオペラはオーケストラが強靱でないといけない。
青ひげ公の城にやって来た青ひげ公と、妻となったユディット。青ひげ公が残忍な王であるということはユディットも知っている。だが、ユディットは、家族と婚約者を捨てて青ひげ公の王妃になることに決めた。何故なのかは分からない。帰る場所をなくしたが、ユディットはかなり積極的である。青ひげ公に対して何度も「愛している」を口にする。あるいは帰る場所がないので青ひげ公にすがるしかないのかも知れないが。一方、青ひげ公の方は「愛してくれ」とは言うが、一度も「愛している」と口にすることはない。ユディットが「『愛してる』と言って」と迫っても、別の話をする。愛してなどいないのかも知れない。だとしたら正直だが。
一見、青ひげ公がユディットの行動を制しているように見えるのだが、実際にはそうやってユディットの非常に強い好奇心を引き寄せているようである。まんまと鍵を開けさせ、いくつもの部屋を見せ、最後の部屋へ。鍵を開けたのも多くの扉を開いたのもユディットの責任である。最後の部屋には朝の女と昼の女と夕方の女がいた。ユディットは夜の女となる。コンプリートである。
だが、どの部屋にも血痕があった。涙の湖にだけはなかったが、それは涙の湖だからか。とにかく殺さずに残忍な何かが起こっていたとしてもそれは知るよしもない。涙の湖が本当に涙の湖だとしたら、泣いたのは前にいた3人の女ということになる。会ったときには、たまたま普通の精神でいただけで、ユディットも3人の女同様、泣いて湖に涙を落とすことになるのだろうか。

夜の女になったと分かった時点で、ユディット役の石橋栄実は下手に向かって退場するという演出だったが、さて、どこに向かったのか。最後の部屋以外に行く当てはないが。

各部屋は色のついた照明によって表現される。

オペラではあるが、管弦楽に力強さが求められる。その点、馬力に関しては日本屈指のオーケストラである大阪フィルの力がプラスに働く。
独唱者2名の歌唱も優れており、独唱者を伴った管弦楽曲のような緻密な音楽を見事に再現してみせていた。

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2026年1月31日 (土)

観劇感想精選(508) キムラ緑子主演「わがうたブギウギ 笠置シヅ子物語」

2026年1月25日 京都四條南座にて観劇

午後3時30分から、京都四條南座で、キムラ緑子主演舞台「わが歌ブギウギ 笠置シヅ子物語」を観る。1994年初演の音楽劇。
主演:キムラ緑子。出演は、林翔太、曾我廼家寛太郎(そがのや・かんたろう)、賀集利樹、惣田紗莉渚(そうだ・さりな)、一色采子、桜花昇ぼる(おうか・のぼる)、松村雄基ほか。アンサンブルキャストを含めるとかなり多くの人が出演する。
作は小野田勇。補綴/演出は「現代の戯作者」こと齋藤雅文。音楽:服部隆之。
「ブギの女王」として一世を風靡しながら、42歳の若さで歌手を引退し、以後はおばちゃん役を得意とした女優として活躍、70歳で他界した笠置シヅ子の歌手時代の物語である。笠置シヅ子は、歌手時代には笠置シズ子の表記を用いており、女優に転身してから表記が笠置シヅ子に変わったとされるが、歌手時代に女優として出演した映画でもクレジットが「笠置シヅ子」になっているものがあり、歌手「笠置シズ子」、女優「笠置シヅ子」だったのかも知れない。

キムラ緑子は、同志社女子大学出身で、学生時代にお隣の同志社大学の演劇サークル第三劇場でマキノノゾミが演出するつかこうへい作品を観て参加。マキノとは結婚と離婚を繰り返している。
卒業後は、生まれ故郷の淡路島に帰って塾講師を務めるが、マキノに誘われ、マキノが主宰する劇団M.O.P.に参加。つかこうへい作品を上演していたが、マキノが作・演出を手掛けるようになってからは関西を代表する憑依型女優として名声を上げる。劇団M.O.P.が大阪、東京と本拠地を変えるごとに移住。映像作品にも出演するようになるが、全国区になるのは比較的遅く、朝ドラで意地悪な役や怖い役を演じて話題になってからである。舞台では、世間知らずなお嬢さんから性格のねじれた老婆まで幅広く演じ分け、才能を発揮している。

ただ今回はキムラ緑子を前面に出すためか、声など細部を除いては演じる年齢による演じ分けは行っていない。第1幕と第2幕からなる商業演劇であるが、カーテンコールでの声からいって、第2部が素のキムラ緑子の声で、第1部が若い声だったようだ。かなり違う。

NHK連続テレビ小説「ブギウギ」(主演:趣里)で、笠置シヅ子をモデルにした人物がヒロインとなり、笠置シヅ子の自伝や、シヅ子の師である服部良一の自伝などが久しぶりに再発売されているが、その間、研究はほとんど行われていなかったようである。笠置シヅ子も比較的謎の多い人物で、歌手引退と同時に歌を一切歌わなくなった、鼻歌すらも歌わなかったことが、一人娘の亀井ヱイ子氏の証言で分かっている。かなり頑なである。歌手引退の理由も曖昧だが、後年になって笠置シヅ子本人が、「太ってきたから」と理由を明かしている。笠置シヅ子の歌は、歌声だけでなくパフォーマンス(振付はほとんど自分で考えている)も併せて初めて一つの作品となるものだった。太ってしまっては踊れない。そして、笠置シヅ子が生きたのは日本人の平均寿命が今より短く、老けるのも早い時代だった。

 

黒澤明の作詞であり、黒澤映画「酔いどれ天使」でも使用された「ジャングル・ブギー」でスタート。キムラ緑子演じる笠置シヅ子が歌い踊り、それを多くのダンサーが盛り上げる。

話はシヅ子の若い日に戻る。少女時代のシヅ子(本名:亀井靜子。合田くるみが演じている)は、宝塚歌劇団を受けるも不合格。少女歌劇への夢を諦めきれないシヅ子は、今の大阪松竹座内にあった大阪松竹楽劇部(のちに大阪松竹少女歌劇団に改称)を訪れ、強引に入れて欲しいと頼む。二村定一の「アラビヤの唄」なども歌い上げる。生徒募集をしていなかった大阪松竹楽劇部も根負けして入団を認める。実際のシヅ子はもっとしつこかったそうで、毎日毎日「入れてくれ」と頼みに来たそうだ。
三笠シズ子の芸名で座員となるが、三笠宮が創設されたため、「畏れ多い」として笠置シズ子に改名させられている。
今回の劇では、服部良一(松村雄基)が大阪松竹少女歌劇団に在籍しているという設定(実際に二人が会うのは東京において)。 ピアニストとしてシヅ子たちにレッスンを付けるのは小暮五郎(賀集利樹)の役目であるが、小暮は若い頃から酒をたしなんでおり、その後、酒の飲み過ぎでピアノが弾けず、零落した姿でシヅ子の前に現れることになる。

大阪で歌声が評判になったシヅ子(大阪松竹少女歌劇団の後継団体であるOSK日本歌劇団で今も歌い継がれている「桜咲く国」などを歌う)に、東京の帝国劇場を舞台として組織される松竹楽劇団(SGD)に加わらないかという話が舞い込む。音楽監督は服部良一(史実でシヅ子と服部が出会ったのはこの時)。シヅ子は、男役のダンサーであるユリー五十鈴(桜花昇ぼる)と共に上京する。なおOSK日本歌劇団出身の桜花昇ぼるは、大阪の近鉄劇場で行われた「ブギウギ講談」では、歌唱担当として、笠置シヅ子とは名乗らなかったものの、実質、笠置シヅ子役で出演している。ユリー五十鈴は、体力では男性に敵わないことを感じ、男役の存在意義に悩むようになって、やがて芸能界から退き、五十鈴百合として女の人生を歩むことになる。
第1弾シングルとしてリリースされたのが、「ラッパと娘」である。朝ドラ「ブギウギ」でも「ラッパと娘」は「東京ブギウギ」以上に重要な曲となっていたが、この曲のメロディーは明らかに常道を外れており、服部良一の「音楽の殻を破ってやる」という意気込みが伝わってくる。実際に難しい楽曲で、本物の笠置シヅ子は、それまでこの手の激しいジャズは聴いたことがなかったはずなので、歌いこなすのにかなり苦労したことが察せられる。服部のレッスンは厳しいもので、夢中になると時間を忘れ、何時間もぶっ続けで進み、シヅ子は食事をすることも出来ず泣いたこともあるようだ。
笠置シヅ子の歌は、いわゆる「上手さ」ではそれほどでもない。あらゆる作品や書籍でも「歌が飛び抜けて上手い」という記述はない。そもそも音程には余り気をつかっていない。だが、黒人のジャズシンガーを思わせるソウルフルな歌声は、他に挙げる人物が見当たらないほど力強く、特にステージで聴く者を圧倒したことが証言から伝わってくる。

実は、終盤にシヅ子が歌った曲のメドレーが待ち構えている。

やがて戦時色が濃くなり、アメリカの影響を受けた歌を持ち歌としていたシヅ子は警察のターゲットとされて、「囲まれた線から出ずに歌え」と強要され、やがて「東京で歌ってはならない」という命令が下る。シヅ子は五郎をバンマスとした「笠置シズ子とその楽団」を結成し、地方巡業に活路を見出した。そんな中、シヅ子は一人の若い青年と出会う。早稲田大学に通う花森英介(林翔太)。花森興業創業家の一人息子である。花森英介は吉本興業の御曹司である吉本穎右(えいすけ。漢字も読みも難しいので、「エイスケ」とカタカナ表記にすることが多かった)をモデルとしているが、実際の吉本穎右はシヅ子の大ファンで追っかけをしており、出会ったのも偶然ではなかった。年が離れていたので恋人にはならないと思っていたシヅ子だが、英介の熱心さに惚れ、結婚を誓う。

シヅ子と英介が自己紹介をするシーン。シヅ子のパートは長台詞の上、状況説明が次々に変わり、体の動きも伴うため、キムラ緑子が軽々演じているのでそう見えないだけで、かなりの高難度である。

シヅ子の追っかけをしている人がもう一人。生駒芙美子(惣田紗莉渚)である。松竹少女歌劇団に押しかけて、榎本健一などの歌唱で知られる「私の青空」を歌って入団。シヅ子が東京に移ると、やはり追いかけてSGDのレビューガールに。しかし、自身の才能に見切りを付け、シヅ子の付き人となる。

日本はアメリカに敗れ、終戦となる。東京に戻ったシヅ子は有楽町の日本劇場(今は跡地に有楽町マリオンが建つ)で「ハイライト」公演に出演。中国に行っていた服部良一が、東京に戻った時に日劇の「ハイライト」公演の看板を目にし、吉祥寺の自宅に戻る前に日劇の笠置シヅ子の楽屋を訪れる。

服部は、シヅ子が主演する「ジャズ・カルメン」を企画。しかし、シヅ子は英介との愛の結晶である子を宿していた。妊娠しながら歌うのは難しいと、百合に反対されたシヅ子だったが、出演を強行。「ジャズ・カルメン」は大好評を得る。

だが英介は結核に冒されており、死んだ(史実では肺炎とされる)。「ジャズ・カルメン」を観る予定だったが、東京に来ることも出来なかった。数日後、シヅ子は女の子を産む。シヅ子は娘をヱイ子と名付けた。

服部は、「リンゴの唄」に続く復興ソングをシヅ子に歌わせようと考える、ある日、中央線の電車の中で、吊革が揺れているのを見た服部は、リズムと旋律が脳裏に閃く。史実では、服部は次の駅で降りて、すぐそばの喫茶店に駆け込み、紙ナプキンに五線譜と音符を書き込むのだが、舞台上ではそれは出来ない。満員の車内の乗客の揺れをアンサンブルキャストがダンスで表現し、服部が揺れの中で閃いて、手元の紙に五線譜と音符を書き込む。

こうして代表曲、「東京ブギウギ」が完成、裏手から実際に笠置シヅ子が着ていたドレスを模したものに身を包んだキムラ緑子とダンサーが登場し、「東京ブギウギ」が歌われる。最後の掛け声が「ヤー!」であることから、1947年に笠置が出演した映画「春の饗宴」を参考にしていることが分かる。実は、「東京ブギウギ」はかなりの難曲である。独特のリズムに乗り続けたまま歌うのはかなり難しい。キムラ緑子も、第2番の冒頭で少し遅れたが、乗り直した。ダンスも笠置のオリジナルと同じもの。全体を使った踊りなので、かなり体に来る。還暦を過ぎているキムラ緑子は、「東京ブギウギ」の終盤でバテているように見えたが、ここから地獄の「ブギウギメドレー」が始まる。要所要所を歌うだけだが、かなり疲れるはずである。「ブギウギメドレー」の曲目は、「買物ブギー」「ホームラン・ブギ」「大阪ブギウギ」「セコハン娘」「アロハ・ブギ」「センチメンタル・ダイナ」「ヘイヘイブギー」「東京ブギウギ」。ブギでないものも含まれる。

かくてシヅ子は、「ブギの女王」の名声を得る。

一方、シヅ子は、ラク町(有楽町のこと)のお葉(一色采子)らパンパンと交流を持つようになる。
お葉がいる喫茶店ドリームに一人の男。そこに笠置シヅ子が現れる。シヅ子は男が五郎だとすぐに気付く。五郎はピアノが弾けなくなり、生活に困っていた。シヅ子は五郎に禁酒を命じる。「禁酒は無理」だと思っていた五郎だが、持ち直し、ピアニストとして再出発出来るようになった。やがて芙美子と結婚する。

 

時が流れた。ブギの全盛期に、シヅ子は淡谷のり子と雑誌上で対談している。淡谷のり子が、「シャンソンは長く歌い継がれているけど、ブギは一過性で終わる」と断言しているのに対してシヅ子は、「ブギは長く歌い継がれていくと思います」と述べていた。だが、ブギの時代は短かった。ブギの全盛期には絶賛していた評論家が、手のひらを返して酷評の記事を書く。
そんな中、NHKでの公開録音に臨んだシヅ子だったが、「東京ブギウギ」の途中で歌唱を打ち切る(史実ではないようである)。もう高音が出ない。「もっと低い音程の歌をうたえば良い」と言ってくれる人もいた。だがシヅ子は歌手人生の終焉を感じる。「思うように歌えなくなったら歌手ではない」。服部は「それでこそプロの歌手の去り方だ」と称賛するのだった(実際は、服部は激怒したようである。服部はシヅ子に歌わせるために多くの歌を書いてきた。シヅ子がいなくなったら、思うような歌が書けなくなってしまう。しかしシヅ子は女優へと転身し、服部の最盛期も同時に終わることになる)。
華やかさの後の寂しさが身に染みる。
戦後を照らした太陽のような女性が、天岩戸へと帰っていく。天鈿女命(アメノウズメノミコト)がどんなに頑張っても意味はない。天鈿女命もまた彼女だったのだから。

 

今回の上演は、東京の三越劇場での上演を経て、京都四條南座での上演となっている。本来なら、笠置シヅ子、服部良一、吉本穎右全てと関わりのある大阪での上演が適当だったのかも知れないが、キムラ緑子が京都ゆかりの女優であることと、毎年のように南座で上演を行っていることから、南座が選ばれたのだと思われる。

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2026年1月30日 (金)

これまでに観た映画より(426) 「Tokyo Melody Ryuichi Sakamoto」4Kレストア版

2026年1月17日 T・ジョイ京都にて

京都駅八条口南西にあるイオンモールKYOTO内の映画館、T・ジョイ京都で、ドキュメンタリー映画「Tokyo Melody Ryuichi Sakamoto 4Kレストア版」を観る。上映時間62分の中編。フランス映画である。監督はエリザベス・レナード。1986年の作品だが、撮影自体は1984年に行われている。YMO散開直後であり、坂本は大島渚監督のオール・メイル・キャスト映画「戦場のメリークリスマス」の音楽が高く評価されて、アメリカではなくイギリスのアカデミー賞作曲賞を受賞。この映画の中にも映画「戦場のメリークリスマス」の場面が挿入されている。

1952年1月17日に東京都中野区に生まれた坂本龍一。東京都世田谷区に育ち、都立新宿高校を経て東京藝術大学音楽学部作曲科に現役合格。その後、同大学大学院音響研究科で、電子音楽やコンピューター音楽などを学んでいる。学生運動を行い、授業には余り出なかったそうだが、民族音楽の小泉文夫には多く学び、また作曲の師である三善晃から得たものも大きいことが作品を聴くと感じられる。
本当は大学院に進む気はなく、「社会には出たくない」ので留年しようと思っていたが、指導教員(誰なのかは不明)から、「留年は駄目だ。お前は卒業するか大学院に行くかどっちかにしろ」と言われ、大学院進学を選んでいる。望んで進んだわけではないが、これが愛称の「教授」に繋がる。大学院在学中に友部正人と出会い、レコーディングに参加。当時としては破格のギャラに驚喜し、バックバンドのミュージシャンとしてスタートすることになる。

最初にドビュッシーの言葉がフランス語で語られる(この作品は全編英語字幕付き)。“I am working on things that will only be understood by the grandchildren of the twentieth century.”。坂本はおもちゃの銃で遊んでいる。
坂本のアルバムの中でもマイルストーン的な1枚である「音楽図鑑」の制作に取材班は密着し、それ以外に坂本へのインタビューや思考を聞きだし、明治神宮や浅草寺の祭りなど、東京的な要素の濃い場所でロケを行っている。
当時の東京には、自動改札は勿論なく、駅員が切符を切っている。原宿では竹の子族が踊っているが、ダンスのレベルは今の若い人に比べるとかなり低い。今の若い子は、小学校の授業でダンスを学んでおり、誇張でなく竹の子族の何十倍も高度な動きとスピードでダンスを行っている。本当に隔世の感である。

坂本龍一が、新宿アルタの液晶ビジョンが見える位置に立つと、YMO時代の「体操」や「Behind the Mask」のPROPAGANDAライブ時の映像がビジョンに映る。

後年、坂本は若い頃の自分について、ヘッドバッドを行うポーズをして、「生意気だった」「(YMO結成の時も)時間があったらやります」「年取って(そういうことがなくなって)良かった」と述べている。

この頃は30代前半(厳密に書くと32歳)だが、父親への反発から文学書よりも思想書を多く読んでいたという坂本は、鋭さを特に隠そうとはしていない。

1から10まで、順番に作曲するのが音楽というのがそれまでの作曲法だったが、坂本はそれに疑義を呈し、部分部分を作曲して保存し、次の部分とつなぎ合わせるというシャッフリングのような発想をしていることが分かる。村上春樹が1985年に発表した『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』にもシャッフリングは登場するので、そういう発想をする人が多い時代だったのだろう。
シンセサイザーで作曲をする坂本だが、この時代のシンセサイザーの性能は今のおもちゃ以下。フロッピーディスクをLPレコードサイズにしたようなメモリーディスクを何枚も使い、音色の変更はメモリーディスクに入っているものの中からセレクトして行う。今なら適当な電気店で買った安いキーボードでも音色のチェンジは簡単に出来る。そう思うと、1984年は思っているよりも遙かに昔ということになるようだ。ちなみにCDの発売は、1985年なので、スクリーンの向こうの世界にはまだCDというものは存在しない。
明治神宮の神苑に似た場所で、坂本は「歩き煙草禁止」「順路→」という立て札の前を煙草を吸いながら逆方向に進んでいく。反骨精神を表しているようだ。今は「歩き煙草禁止」じゃなくて「禁煙」の立て札になっているだろう。
ちなみに明治神宮での祭りで鼓が打たれるが、鼓に近い音もメモリーディスクには入っている。

影響を受けた人物として坂本は、様々な作曲家を挙げた後で、哲学者・思想家の吉本隆明(「たかあき」ではなく有職読みで通称の「りゅうめい」で答えている)を挙げた。
一方で、「クラシックよりビートルズを先に聴いていたらクラシックには行かなかったかも知れない」と述べている。

坂本が作曲した作品以外に流れるのは、坂本が愛したフランスの作曲家の作品。ドビュッシーの「子供の領分」より第1曲“グラドゥス・アド・パルナッスム博士”、サティのグノシエンヌ第1番などだ。

YMO時代の中でもとりわけ有名な作品である「東風」は、PROPAGANDAライブの時のものと、矢野顕子とのピアノ連弾のものが採用されている。

なお、坂本はたまに眼鏡を掛けているが、後に老眼になるまで視力1.5なのが誇りだったと語っているため、伊達眼鏡である。老眼になってから丸眼鏡を掛けるようになり、「お洒落」と評判になったが、フランスの作曲家には丸眼鏡を愛用していた人が何人かいるため、影響を受けたのかも知れない。

坂本は、店舗で掛かるBGMについては、「最初から聴かないで次の階に行ったらまた別の音楽に変わる」として、音楽の聴き方が変わるという予兆を感じている。ただ、音楽の聴き方については現時点では激変はしていないように思う。ソフトから配信が主流になったりはしているが、基本的には好きな音楽を最初から最後まで聴く人の方が多いだろう。

1984年、バブル前夜。日本が上り調子の時代である。GDP(当時GNP)は世界第2位。1位のアメリカを脅かす勢いで、「Japan as No.1」と呼ばれるのが、1985年頃である。坂本も東京を「資本主義の最先端」と呼んでいる。まさかここまでひどい国になってしまうとは誰も予想していなかっただろうが、YMOも世界初のサンプリングを駆使したアルバム「テクノデリック」を発表するなど、世界最先端の音楽を作っていた。世界音楽史上、日本のミュージシャンが世界最先端の地位に躍り出たのはおそらくこの時だけだっただろう。

アルバム「音楽図鑑」の収録曲は、「M.A.Y. IN BACKYARD」と「マ・メール・ロワ」、ラストに演奏される「SELF PORTRAIT」がメインだ。それ以外の楽曲では、「戦場のメリークリスマス(Merry Christmas Mr.Lawrence)」が教授によるピアノソロと、映画の場面をセレクトして流れる。

その後、坂本は「ラストエンペラー」の音楽で、デヴィッド・バーン、コン・スー(蘇聡)と共にアメリカのアカデミー賞作曲賞を受賞。「世界のサカモト」と呼ばれるようになる(なお、この時、エンニオ・モリコーネが落選し、作曲者を大いに落胆させた)。
だがこれはまだ坂本龍一が世界的に知られる前の映像である。

この時の坂本は、整然としたものではなく、そこからこぼれ落ちたもの、はみ出たものなどに興味を持っていたようで、ノイズなどを取り入れた音楽に繋がって行くのかも知れない。アルヴァ・ノト(カールハインツ・ニコライ)との作業はまさにそんな感じだ。

ニューヨークに転居して世界的な活動を始める坂本。ニューヨーク転居については矢野顕子が強く望んだもので、その理由については知っている人は知っているので詳しくは書かない。村上龍はテレビ番組で「亡命していった」と語っていたが、坂本はそれも否定している。

一方で、東京に対する落胆は増していったようで、自伝『音楽は自由にする』では、東京に対して、「限界に来ている」「家賃が高すぎる」「誰が住むか」と露骨に嫌悪している。「東京じゃない、家賃の安い場所から新しいものが生まれる」という予感もあったそうで、最後の方では、「京都あたりに住んでみようかと思っている」と述べている。これは絵空事ではなく、実際に京阪神地域を愛したデヴィッド・ボウイが手に入れていた九条山の土地を買ったか、買おうとした動きがあったようである。だが、癌になったことで京都移住は夢と終わった。

東京に生まれ、東京に育ち、東京で学び、東京で仕事をしてきた坂本龍一。「東京はもう駄目だ」とまで宣告したようなものだったが、最後の癌の治療は主治医が東京にいたため、東京に仮住まいし、東京の病院で手術を受け、東京の病院で亡くなった。そして何よりも、本人は否定するかも知れないが、彼は東京が似合う男だった。

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2025年12月28日 (日)

観劇感想精選(506) 佐々木蔵之介ひとり芝居「ヨナ -Jonah」

2025年11月23日 大阪城公園内のCOOL JAPAN PARK OSAKA TTホールにて観劇

正午から、大阪城公園内のCOOL JAPAN PARK OSAKA TTホールで、佐々木蔵之介ひとり芝居「ヨナ -Jonah」を観る。原作:マリン・ソレスク、翻訳・修辞:ドリアン助川。演出:シルヴィウ・プルカレーテ。東京芸術劇場×ルーマニア・ラドゥ・スタンカ国立劇場 国際共同制作作品である。

ヨナというと韓国人女性にありがちな名前だが、本作は韓国とは一切関係がなく、「旧約聖書」のヨナ書に描かれた聖人のことである。クジラに飲まれたという話があることから、この作品のモチーフとして用いられている。

プルカレーテを発見したのは野田秀樹で、野田は自身が1992年に潤色した「真夏の夜の夢」の演出をプルカレーテに託しているが、プルカレーテは佐々木蔵之介との仕事も好んでおり、「リチャード三世」(正統派ではなく独自のテキストによる演出)、「守銭奴 ザ・マネー・クレージ」を上演している。

佐々木蔵之介は以前に、ほぼひとり芝居となる「マクベス」を演じている。ほとんどの時間は蔵之介一人が舞台にいて、セリフを話すのも蔵之介だけなのだが、精神病院の閉鎖病棟にいるという設定で、医師役と看護師役の二人が出ていた。

今回もひとり芝居とのことだが、歌手として歌だけをうたう役が一人(佐々木奏音。ささき・かのん)。座っているだけで特に何もしない「黒子」と呼ばれる若手俳優が二人(小林宏樹と吉田朋弘)出演している。

開演前から佐々木蔵之介は、緞帳代わり(演劇対応ホールで劇場ではないので緞帳はないと思われる)のセットの前に座り込んでいる。

海を見つめ、網を打つヨナ。
しかしあるときからクジラに丸呑みにされたことに気付く。クジラの体内で、ヨナは刃物を取り出すのだが……。

飲み込まれているという状況と抜け出すという行為が、メタ的に無限に広がっていく可能性を帯びた芝居である。
途中で英国風の一室が現れるのだが、ヨナはそうしたものに余り興味は示さず、ただ服装は英国風にして去って行く。なぜ英国風の一室が出てきたのかは分からないが、植民地主義の否定を意味していたのだろか。ちなみにヨナは、古代イスラエル国と関わりの深い聖人のようである。そしてイギリスは中東問題において最大の悪役である。

なお、今回の公演は、日本での上演に先立ち、東ヨーロッパでのツアー公演を行っており、ルーマニアのシビウ、ハンガリーのブダペスト、ルーマニアのクルージュ・ナポカ、ルーマニアのブカレスト、モルドバのキシナウ、ブルガリアのソフィア、再度ルーマニアのシビウで上演を行っている。
東ヨーロッパの人々がこの芝居に何を見出したのかは興味深い。勿論、人がクジラの体内から出るという単純な話ではなく、あるいは社会、常識とそれに附随する文脈、戦争、経済的苦境、差別と偏見など多層に解釈は及ぶであろう。

上演時間1時間25分と、一人芝居としては長めの作品であるが、余裕を持って乗り切った佐々木蔵之介の表現力も優れていた。

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2025年11月14日 (金)

Eテレ「伝説のマエストロ カラヤンの日本公演再び」

2025年11月5日

NHKONEで、「伝説のマエストロ カラヤンの日本公演再び」を視聴。11月1日にEテレで放送されたもの。
20世紀後半最大の指揮者だったヘルベルト・フォン・カラヤン(1908-1989)。最大という形容に反して、身長は155㎝と白人男性としてはかなり小柄であった。ただレナード・バーンスタインも160㎝、広上淳一、下野竜也、大植英次という日本を代表する指揮者も軒並み小柄。女性指揮者も三ツ橋敬子は151㎝と女性としてもかなり小さい部類に入る。ただ考えてみれば、体が小さいと手も小さい。手が小さいと楽器を弾くには不利であり、ソリストよりも指揮者を目指す傾向はあるように思う。

カラヤンは計11回来日。ベルリン・フィルとの来日公演、ウィーン・フィルの来日公演、そして単身NHK交響楽団に客演している。
NHK交響楽団を指揮したのは1954年。日本での知名度は高くなかった。とても有能だったが、傲慢な性格に辟易したという話も伝わっている。
カラヤンがベルリン・フィルのシェフになった時代は、他にライバルとなり得るドイツ系指揮者がおらず(ベームはすでに高齢。ヨッフムは出世よりも楽団を育てることに喜びを見出すタイプ)、ベルリン・フィルのアメリカツアーに指揮者として帯同させて貰えれば、芸術監督の座を受けても良いとベルリン・フィル側に伝えていた。カラヤンの前にベルリン・フィルの首席指揮者となっていたのは、ルーマニア出身のセルジウ・チェリビダッケであったが、チェリビダッケはカラヤン以上に厳しい性格で、ベルリン・フィルの団員を平気で「下手くそ!」となじっていた。指揮者としては極めて有能だったが、ベルリン・フィルの団員はチェリビダッケにはこりごりだった。ということでカラヤン政権が誕生する。ナチ党員であったカラヤンは、戦後、「公的な演奏活動」を全て止められたが、録音活動は「公的な演奏活動」に含まれていなかったため、EMIのプロデューサーであるウォルター・レッグと組み、ロンドンに録音のために結成されたフィルハーモニア管弦楽団を指揮してレコーディングを行い、名声を高めていた。そんなこともあり、録音に関しては誰よりも積極的だった。
映像の制作にも熱心であったが、通常の配置では撮れないアングルから撮りたいというので、演奏する真似だけをさせることも多く、楽団員からは不評であった。

まず、東京・内幸町(愛宕山と表記されることもある)の旧NHKホール(現存せず)で行われたベルリン・フィルハーモニー管弦楽団との来日演奏会。1957年、ベルリン・フィルとの初来日時の映像である。演奏されるのはワーグナーの楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」前奏曲である。
カラヤンの指揮であるが、不思議な印象を受ける。この頃は「カラヤンは指揮するときに目を閉じる」は徹底されておらず、閉じたり開けたりしながらの指揮だが、動きが必ずしも流麗とはいえず、指揮棒も分かりにくいということはないが、予想外の動きをするため、オーソドックスタイプの指揮者に見えない。1957年のモノクロ映像であるが、ステレオでの収録である。カラヤンはすでにフィルハーモニア管弦楽団とステレオでの録音を行っていたが、映像としてはカラヤンとしても初のステレオ収録かも知れない。演奏としては録音が古いということもあってややまとまりに欠ける感じ。そもそもカラヤンはワーグナーはよく取り上げたが得意ではなかった。

続いてベートーヴェンの交響曲第5番。冒頭付近は映像がなく静止画、面白いのは、ハープが指揮者よりも前に位置するという配置。日本指揮者協会(というものがある。岩城宏之が外国人指揮者に、「日本には指揮者協会というのがあってね」と話したところ、「指揮者は二人いたらもうライバルなのに、お前の国は何やってんだ?」と呆れられたそうである)の演奏会で、山田一雄がハープを受け持ったのだが、「山田先生のような偉い方を奥に置くわけにはいかない」ということで、指揮者より前に出したことがあったそうだが、そんな感じである。
カラヤンは生涯に4度、「ベートーヴェン交響曲全集」を録音している。50年代、60年代、70年代、80年代だからほぼ10年おきだ。更に東京の普門館で行われたベートーヴェン交響曲チクルスを録音した放送音源の全集もリリースされている。個人的には70年代盤が好みである。
今回の映像であるが、貴重なものであることには間違いないが、指揮者がまだ熟していない気がする。この年、カラヤンは49歳。「40、50は洟垂れ小僧」ならまだ洟垂れ小僧である。この時点では、カラヤンがこの後、ベルリン・フィルとウィーン国立歌劇場(ウィーン・フィルの母体でもある)の芸術監督を兼任して帝王と呼ばれるようになるとは思えない。それほど若さが先行した演奏である。

格好いいとされた指揮姿も、今の指揮者達に比べると地味だ。やはり真正面を向いたまま指揮することが多く、左右に体を向けることはほとんどない。他の指揮者もそうなので、これがこの時代の正統的な指揮のスタイルだったのだろう。

カラヤンとウィーン・フィルの演奏。カラヤンはウィーン国立歌劇場芸術監督時代にはウィーンに家を持っているが、その後、田舎に居を構え、ベルリンではホテル暮らしだった。ベルリン・フィルのメンバーにはそのことを不満に思う人もいたようである。
1959年11月6日に、日比谷公会堂で行われたブラームスの交響曲第4番の演奏である。モノラルでの収録。カラヤンのブラームスには定評があったが、ベルリン・フィルを振った交響曲全集などは、私にとっては音で押してくる感じがして苦手である。
ここでは構造重視の演奏。センチメンタリズムなどは表に出さない。その方がカラヤンらしいと言える。
部分的には指揮棒を抑えてオーケストラに任せるところもある。一部は映像が存在しないようで、やはり写真などで乗り切っている。

最後は、1957年10月27日の、旧NHKホールで行われたブラームスの交響曲第1番第4楽章のベルリン・フィルとの映像。熱い演奏だが、カラヤンの若々しさの方が勝っているように思う。指揮姿も巨匠というより若武者といった感じ。旧NHKホールは収用人数600人程度とかなり手狭だったが、音響の良さは今にも伝わっており、この日訪れた聴衆も期待の若手指揮者と世界最高峰のアンサンブルに満足したのではないかと思われる。

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2025年10月16日 (木)

これまでに観た映画より(407) 原作:小泉八雲、監督:小林正樹、音楽音響:武満徹 映画「怪談」

2025年10月14日

Amazon Prime Videoで、日本映画「怪談」を観る。小泉八雲ことラフカディオ・ハーンがまとめた著書の中から、「黒髪」「雪女」「耳無芳一の話」「茶碗の中」を選び、オムニバス映画としているが、4つの作品に共通するものは特にない。

2007年にも私は観ていて、記録を残しているが、大したことは書いていない。

原作:小泉八雲。監督:小林正樹。脚本:水木洋子。音楽音響:武満徹。出演:新珠三千代(なんとIMEで変換されず)、渡辺美佐子、三國連太郎ほか(以上「黒髪」)、仲代達矢、岸惠子、望月優子、浜村純ほか(以上「雪女」)、中村賀津雄、志村喬、丹波哲郎、田中邦衛、林与一、北村和夫ほか(以上「耳無芳一の話」)、中村翫右衛門、滝沢修、杉村春子、中村鴈治郎、仲谷昇、佐藤慶、奈良岡朋子、神山繁(こうやま・しげる)、天本英世ほか(以上「茶碗の中」)。

かなり豪華な面子である。新珠三千代、岸惠子(彼女が出ている「雪女」の舞台は雪国ではなく、意外にも現在の東京都調布市である)などは、今の時代でも美人女優として通用しそうである。ただ歳月が流れたと言うこともあり、かつての大女優もIMEでは一発変換出来なくなった。

耽美的な演出が特徴。日本画を意識した、別世界のような背景が広がる中で、この世とあの世との境のドラマが展開される。
美術が凝っている一方で、演出はオーソドックス。余計なことはせずとも伝わるよう、カット割りを綿密に行っている。芸術映画なので客を楽しませようというようなサービス精神はなしだが、誠実に作品と向かい合っている。もし今のような優れたテクノロジーがあったら、より優れた作品になっていたと思われるが、それは仕方ない。
若き日の三國連太郎は佐藤浩市に似ているが、その佐藤浩市の息子である寛一郎が現在、連続テレビ小説「ばけばけ」に、山根銀二郎改め、松野銀二郎役で出ている。祖父と孫とで「怪談」絡みの話に出演しているということになる。山根銀二郎という名前は大物音楽評論家であった山根銀二を連想させる。山根銀二は、武満徹のピアノ曲「二つのレント」を「音楽以前である」と酷評したことで有名だが、その山根銀二に似た名前の役を演じている人がいる。更に映画「怪談」の音楽担当は武満徹。ということで繋げているのだと思われる。

その武満の音楽であるが、音楽のみならず音楽音響とされているように、金属音を出したり、プリペイドピアノを使ったり、風の音で場を作ったり、三味線などの邦楽器が掻き鳴らされたり、読経を音楽として持ち込んだりしている。メロディーらしきものはラストにしか出てこないが、意欲的な映画音楽であると言える。

セリフが極端に少ないのが特徴だが、話すと説明ゼリフになってしまっているため、もっとセリフを入れればそれは避けられたかも知れない。ただ無言で行われることで恐怖やただならぬ雰囲気を生めているのも事実だ。

小泉八雲の『怪談』であるが、やはり魅力的という他ない。単に怖いだけでなく、人間の機微のようなものが伝わってくる。人間の悪い面をも浄化していくようだ。そして幽霊は美人であればあるほど怖いように(幽霊ではないが、貞子役は小説での設定もあってほぼ全て日本の女優の中でも上位の美人女優が演じている)美と恐怖の関係を再確認させてくれたりする。泉鏡花も怪異譚を多く書いているが、文章は抜群に美しい。

3時間強の大作だが、途中で休憩の時間があったことが今日の配信映像を見て分かった。

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2025年9月26日 (金)

追悼・栗塚旭 これまでに観た映画より(401) 「燃えよ剣(土方歳三 燃えよ剣)」

2025年9月21日

先日亡くなった栗塚旭追悼ということで、主演映画「燃えよ剣」を観る(公開時のタイトルは「土方歳三 燃えよ剣」)。1966年、松竹の制作。栗塚の代表作である。今では土方歳三役というと、大河ドラマ「新選組!」と箱館での土方を描いたそのスピンオフ、朝ドラ「あさが来た」などで、計7回も土方を演じている山本耕史がまず頭に浮かぶと思うが、その前は土方歳三役といえば栗塚旭であった。テレビドラマでも土方を何度も演じたのだが、それらは映画とは異なり、配信などで見ることは出来ない。
原作は司馬遼太郎の小説『燃えよ剣』。それまで新選組不動の一番人気は近藤勇であったが、この小説によって土方がトップに躍り出たという伝説の作品である。ただ新選組に関しては史料が少ないためフィクションの部分が多く、私は余り好きではないし、『竜馬がゆく』や『峠』などに比べても完成度では落ちると思われる。なお、「燃えよ剣」は、数年前に岡田准一の土方で新たな映画が撮られているが、そちらは観ていない。

司馬遼太郎の『燃えよ剣』は、比較的厚めの文庫本2冊からなるため、そのまま1時間半の映画に収めることは不可能で、小説と映画は別物である。

監督:市川泰一。脚本:加藤泰ほか。主演:栗塚旭。出演:和崎俊哉、石倉英彦、小林哲子、高宮敬二、戸上城太郎、天津敏、北村英三、内田良平ほか。ナレーション:芥川隆行。

元田中にアトリエを構えていた京都の新劇の劇団、劇団くるみ座(21世紀に入ってから座員不足のため解散)が全面的に協力している。ちなみに私は、元くるみ座の女優さんと知り合いである。おばあちゃんだけど。


土方歳三が江戸の試衛館道場から、日野の実家に帰る途中が物語の開始である。土方は男前なので橋を渡るときに百姓娘に冷やかされる。橋を渡り終えた直後、道楽者の若い武士と女郎の若い女が駆け落ちを図るも村人達に見つかって窮地に追い込まれている場面に出くわす。土方は、「穀潰しは好きじゃない(武士と言えば聞こえはいいが、太平の世では生産性皆無で禄を食む遊民のようなものであり、土方は本来の意味とそちらと二重の意味で言っていると思われる)」と言いつつ、武士が殺されると女を守るために百姓相手に大立ち回りを繰り広げる。その際、土方は肩に担いでいた真剣で農民に斬りつけて、長老格の男性からとがめられている。土方は真剣の他に農民から奪い取った長くて丸い武器を持っている。新選組の剣法である天然理心流は竹刀よりも真剣と同じ重さの木刀で稽古することが多かったので、木刀だと思われるのだが、棍棒のようにも見える。あるいは藁を束ねて何かで外に巻いたものか。叩き付けたときにたわむなど柔らかいので吉本新喜劇の乳首ドリル棒も思い浮かぶ。本当の木刀で斬りつけたら役者が大怪我をするのでこの辺は見逃すべきであろう。

土方が里帰りしたのは、その日が日野の神社の年に一度の大祭だったからだ。この祭りは夜祭りで、神社の草叢で多くの百姓階級の男女が野合に及ぶ。
その夜、土方が神社の本殿の横を歩いていると(この場面は経年のためか見づらい映像になっている)、般若の面を被った女と出くわす。普通だったらそんな頭のおかしそうな女は無視して通り過ぎそうなものだが、土方は余程女好きなのか、女を抱きしめる。女の面が外れ美しい輝く。二人はそのまま……。

土方が日野に帰る途中に大立ち回りをした直後、八王子百人同心が日野の道場を破りに来たという情報を得て、土方はその足で佐藤彦五郎の家に向かっていた。ここが日野における天然理心流の道場となっている。天然理心流はメジャーな流派ではなく、江戸ではなかなか門人が集まらない。そこで多摩地方まで出稽古を行って門人を増やしていた。八王子の同心達はそれが気に食わなかったのだと推測される。道場破りに来たのは二人。道場主の比留間(ひるま)と六車(ろくしゃ)という若い男である。天然理心流四代目宗家の近藤勇が日野まで出稽古に来ているという噂を聞きつけて来たらしい。近藤は「天然理心流は実践的な剣法で、竹刀で戦うと弱い」という意味のことを説明し、他の者も百姓相手の田舎剣法なので「八王子の同心の島を荒らすことはない」といった意味のことを述べるが、六車は竹刀での戦いを挑む。
土方が名乗りを上げる。小手で六車が勝ったように見えたが、近藤は、「真剣だったら小手を決める前に、顔中と尻を斬られてる」と語る。「だが、尻に一本てのは(剣道ではねえなあ)」ということで六車の勝ちとなる。納得のいかない土方は近藤と土手の上を歩きながら「真剣なら絶対に自分が勝っている」と力説する。近藤も分かっているのだろうが、真剣で立ち合いという訳にもいかない。
翌朝、土方の姉が女の道具を土方の部屋で見つけ、それが神官の娘である佐枝のものであることに気付く。女の正体を知った土方はその夜に神官の家に忍び込み、道具を返して佐枝と抱き合う。
塀を乗り越えて帰る際、土方は見張っていた六車に声を掛けられる。「夜這い剣法」などとからかわれた土方は、六車と真剣で対戦。惨殺する。それが土方初の本格的な人斬りであった。

六車と戦った場所で真剣で素振りをしていた土方を見つけた佐枝は、「歳三さん」と呼ぶ。二晩だけのほぼ無言の相手だったため、「どうして俺の名前を知ってるんだ」と土方はいぶかるが、佐枝はそれには答えず、「やはり斬ったのはあなたなんですね」と素振りをしていただけなのに見抜く。

八王子同心が小石川柳町の試衛館(試衛館という名前は史料には出てこず、試衛とあるだけなのだが、「試衛」だけでは道場らしくないので、「他の道場には『館』が付く」ということで取りあえず試衛館と呼ばれている。また試衛館の跡地が特定されたのは最近で、最寄り駅の名前から市ヶ谷と呼ばれることが多い)に押し寄せ、七里研之助(しちり・けんのすけ。「燃えよ剣」の重要人物だが、司馬が創作した架空の存在である。演じるのは内田良平)が六車に代わって土方と対戦。竹刀での対戦だったが、土方が強いことが分かる。だがそれは正統的な太刀筋ではなく、すねを斬るなど卑怯な剣法である(天然理心流は頸動脈を切って絶命させるというとどめの刺し方まで教える残忍さを持つ)。七里は、「すね斬り剣法」と呼び、六車が数人がかりで殺されたという同僚の推理は誤りで、土方一人が斬りまくったのだと見抜いた。

その夜、七里が馬を駆って試衛館の門前に来て決闘を申し出る。刻限は明日の夕刻、分倍河原に架かる橋の上にて。その夜、分倍河原(今は東京都府中市の地名として知られている。古畑任三郎の自宅があることで有名)の河原を歩く土方と沖田。原作ではここで尾籠な話があって笑えるのだが、勿論、映画でそんなものを撮るわけにはいかない。
試衛館方は約束通り二人だが、七里の方は大人数。だが土方も沖田もそれを読んでおり、阿修羅の如く戦う。土方の映画なので土方を演じる栗塚の殺陣が中心で沖田は余り目立たないが。
七里は土方への復讐を誓う。


その後、舞台は京都へと移る。清河八郎(本名:斎藤正明)の案による浪士組に試衛館の面々は応募。中仙道を西に向かう。天然理心流宗家である近藤も浪士組では平隊士。一方、昼間から瓢箪徳利を仰いで酒を飲んでいる芹沢鴨ら水戸の一派は扱いが上である。沖田総司はそれが不満だが、この映画では芹沢鴨は水戸の天狗党に参加し、名を挙げているため仕方ないという結論になる。芹沢鴨の正体については今も詳しくは分かっていない。中世には芹沢城の城主を務めたという名家の出身とされるが、現在の芹沢家の人々も鴨との関係については把握し切れていないようである。近藤は芹沢について、「元の名は下村嗣司といい、水府(水戸)脱藩」と記している。芹沢家から下村家に養子に出された者はいるそうで、それが鴨かどうかは分からないが下村嗣司という人物が実在し、天狗党に参加したことが分かっている。が、斬首されたことが確実視されている。斬首された人物が生きている訳もないので、近藤の記述とは異なり、芹沢鴨と下村嗣司は別人と考えるほかない。という訳で謎だらけの人物である。芹沢には平間重助というお付きの老人がおり、殿様とまでは行かないまでも良家の出らしいことは分かる。
芹沢が残した有名な和歌がある。「雪霜に色よく花の魁けて散りてものちに匂ふ梅が香」というものだが、かなり出来が良い。新選組に詳しい人に、「梅が香」というのは藤田東湖を詠んだものだろうと教わったが、平安時代に雪や霜が梅に例えられたことは、『古今和歌集』や『新古今和歌集』などを読んだことのある人でないと知らないはずで、詠めない歌でもある。かなりの教養人であったことは間違いない。
また松平容保公や清河八郎と知り合いだったという話もあり、どこまでが本当なのか分からないが、不可思議な人物である。
この映画は、土方歳三が主役なので、芹沢の扱いは低いが、新徳寺での清河八郎の「江戸に戻って攘夷の先駆けとなろう」という提唱に近藤や土方が反発し、京に残ることに決めた際、芹沢も残そうと話したのは、この映画では他ならに土方であり、「芹沢なら会津守護職(京都守護職の松平容保)と引きがある(縁がある)」と、司馬の原作にはなかったはずの「容保公と芹沢は知り合いだった説」を打ち出している。史実でも瞬く間に松平肥後守御預となっているが、これは容保公がよく知る人物が浪士の中にいないと無理かも知れない。ただその後、それとは矛盾した「土方の奔走により新選組結成」というナレーションが入る。芹沢はどうしたのかと思うが、土方の映画なので土方の手柄にしないとまずいのだろう。
ちなみにこの映画の芹沢はかなり弱く、あっという間に刺殺されている。罪状は「士道に背いた」からであるが、「一、士道に背くまじきこと」で始まる「局中法度」は史実通り芹沢粛正後に定められたことになっているので矛盾している。「局中法度」については、永倉新八が、「そのようなものがあったのは覚えているが、内容は覚えていない」と証言しており、実在したかどうかは不明。だが、永倉が覚えていないということは、あったとしても幹部ではなく平隊士向けだったのだろう。
その他の水戸派の人々も弱い人物として描かれ、新見錦は、切腹も自分一人では出来ない臆病者ということになっている(新見錦が「新選組局長」を名乗る場面があるが、史実ではその少し前に「なんらかの理由」で局長から副長に降格となっている。なのでこのセリフは厳密には誤り。ただ史実を述べていくと切りがない)。

芹沢と清河が知り合いだったという話は今の茨城県の水郷地帯に残っており、清河が天狗党時代の芹沢を訪ねてきて「芹沢先生」と呼んだというものだが、これが何を意味するのか分からない。清河八郎というと今でこそ「うさんくさい奴」「策士」というイメージしかないが、生前は江戸で学問と武道の両方の道場を開き、一廉の人物として幕府からも信用されていた。

この映画では、芹沢が清河を切り損ねるシーンがあるが、史実では新徳寺で激怒した浪士の一部が清河を斬ろうと探るも、それを逃したのが芹沢である可能性も高いように思われる。芹沢は尊皇攘夷の総本山である水戸藩の出身なので、清河とは思想が一致しているのだ。芹沢も「清河を斬る」と出掛けたようだが、余り動いた形跡は見られない。

土方は、佐枝の家に招かれる。掛け軸の上には、あの般若の面。(攘夷派と親しい)九条家に仕えているので、協力せざるを得ないと語る佐枝。

壬生浪士組は京で討幕派を退治し、知名度を上げるが、水戸派が豪商の大和屋を揺するなど(焼き討ちではなく大砲を一発という設定)したため、会津本陣(黒谷こと金戒光明寺)で会津藩家老(神保修理であろうか。名前は出てこない)から、「芹沢『先生』の行状が問題」と言われる。寺院の方丈を巡りながら、土方は「芹沢を斬れということさ」というが、この時点では近藤は芹沢粛正に反対のようである。近藤のセリフから、容保公と芹沢はやはり面識があり(それゆえに会津藩家老から「先生」と呼ばれる)、それを土方が利用したということが分かる(これが土方奔走の正体かも)。芹沢は身分は郷氏とされるが武士であり、共に農民出身の近藤と土方とは異なり、信頼もあるのだろう。
土方は、「俺こそが武士だ」と誇りを見せる。

四条小橋の西で討幕派の古高俊太郎が捕らえられ、壬生前川邸屯所で拷問が行われて、「京を火の海にし、帝を長州へとお連れする」という謀議の内容を白状する。次の謀議が行われるのは木屋町三条上ルの丹虎(跡地の入り口に「武市瑞山(半平太)寓居の地」の碑が残る。以前は、私の父方の祖母の親戚が営む金茶寮という料亭になっていたのだが、10年ほど前に廃業してしまった。祖母は京都人である)。
一方、佐枝から土方に文が届く。会いたいという内容だ。沖田は「罠かも知れません」と忠告するが、土方は「なら罠にかかるまでよ」と出掛ける。
文は佐枝のものではなく、七里らの罠であった。沖田が手配したようで、新選組の隊士達が駆けつけ、大立ち回りは回避される。
だが、新選組監察・山崎烝(すすむ)は佐枝のことを始めから怪しいとにらんでおり、謀議のことも知っている可能性が高いとして、壬生で拷問に掛ける。佐枝は「三条小橋の西、池田屋」と白状する。池田屋は密議の場所の候補に入っておらず、隊士達は店の名前も知らなかった。

池田屋事件の日。土方は敢えて丹虎に向かう(本物の土方も池田屋よりも先に丹虎に行っていることが史料や証言で分かっているが、誰もおらず空振りだった)。七里が待ち受けていると読んでのことだった。なお、史実とは異なり、副長(のち総長)の山南敬助も討ち入りに加わったことになっている。謀議の首謀者として、「肥後の宮部、長州の吉田、土佐の北添、野呂山」が挙げられているが、この中に一人、難読姓の人がいる。すぐ分かると思うが野呂山である。「野呂山」と書いて「ところやま」と読む難読姓だ。この頃は研究が進んでいなかったので、そのまま「のろやま」と呼ばれている。
この時、土方は定紋である左三つ巴ではく、丸に左四つ巴の紋が入った羽織を着ているが、祇園祭の最中なので、神紋と同じ左三つ巴を避けたのだと思われる。家紋はいくつ持っていても構わない。
丹虎での七里派との対決の後、七里は「俺は池田屋に向かう」と宣言し、主戦場は池田屋に移る。史実だと、討幕派が新選組の討ち入りを聞いて、すぐに行灯を消したため、旅籠の中は真っ暗だったが、当時のカメラの技術ではそれでは映画にならないので灯がついた状態での戦いとなる。一際凜々しい志士は宮部鼎蔵、二階から滑り落ちたのは、とある理由により吉田稔麿だと推測される。新選組の剣豪として知られるのは、沖田、斎藤、近藤、永倉、人によっては芹沢や藤堂、大石らで、土方は入っていないことが多い。実際、土方には「稽古に余り熱心ではなかった」という話もあり、その分、知謀を武器としていた。その点で山南と重なるため、後の山南切腹に繋がる可能性はありそうだ。やはり同じタイプの伊東甲子太郎(伊東摂津)も粛正されている。

不安を感じ、佐枝の家に向かう土方。佐枝は自刃して果てていた。

池田屋事件で全国に名を轟かせた新選組。その後に幕臣に取り立てられ、土方は初めて武士の身分となる(近藤は義父である天然理心流三代目宗家の近藤周助の養子になった時点で士分になっている。近藤周助も名主とはいえ農民から武士になった人である)。

池田屋事件の歴史的意義であるが、「維新を数年遅らせた」という定説がある一方で、歴史学者の中村武生(一応、知り合いである)は、「長州軍が京に進発することは池田屋事件の起こる前から決まっており、早まっても遅れてもいない」として影響はなかったと結論づけている。また桂小五郎は事件が起こった際に池田屋にいた可能性が高いとしている。

東寺の五重塔をバックに、明日を見据える土方の横顔で映画は終わる。


モノクロ映画で、モノクロは光と影の芸術だけにライティングなどを含めて優れた出来を示している。経年劣化と思われる場面だけが残念。
またこの時代は、今ほどマイクが高性能というわけではなかったこともあってか、発音の明瞭さ重視のセリフ回し。一音一音をはっきりと発音する。ナチュラルなセリフではないが、舞台が幕末なので、今の人と同じような喋り方をしている人が多かったとも思われず、この辺は違和感はない。一方で、セリフを補うための表情の演技が目立つ。
今回の栗塚による土方はハードボイルドな感じで、くさいセリフも多いが、意味がよく分からない俳句を沢山残している土方なので、そういうことを言うこともあったかも知れない。

最も見事なのは殺陣である。時代劇の盛んな時代、太秦の大部屋で「殺陣でのし上がってやる」と考える若者もいただろう。朝ドラ「カムカムエヴリバティ」の世界である。朝から晩まで撮影所内の道場で殺陣。
今は時代劇も殺陣の名手が減り、安全面優先であるため、「斬れるのに斬らない敵方」が散見されることが「時代劇あるある」に入っていたりするが、この映画では斬っては避けの繰り返しで、今よりもずっと迫力がある。殺陣の人材不足が続くと、将来は殺陣の場面は、主役級以外はAIが担うことになるかも知れない。

池田屋事件というと階段落ちだが、それはなく、二階から落ちる者2名、滑り落ちて切腹した者が1名である。切腹したのはおそらく吉田稔麿であると思われるが、字幕もなにも出ないので不明。実際には吉田は池田屋を抜け出し、長州藩邸の門の前まで援護を頼みに行くが、桂小五郎が「無関係なので応じないように」と厳命したため開けて貰えず、帰る途中の加賀藩邸前で切腹したと伝わっている。「生きていれば首相になれた」という逸材であり、橘を氏とする数少ない有名人の一人である。
土方は池田屋中を歩き回った後で、玄関付近で七里研之助を倒すが、実際、池田屋事件の時には土方は積極的には戦わず、入り口付近で後から駆けつけた会津藩など味方の軍勢を止め、手柄を新選組で独り占めしようとしていたという話が残っていることから、理には叶っている。

謎の女、佐枝であるが、攘夷派の九条家に仕えることになったので、土方を敵に回したということになっている。だが、それよりも、最初から長州の間者であると考えた方が辻褄は合う。最後も口を割らないために自刃したと。だが、それは、無名道場の食客の一人を監視する意味があるとすればである。後の土方を知っていればそれもあり得るが、未来を見通せる者などいない。
ということで、土方の名前を知っていたのは前から土方に惚れていたから、土方が六車を斬り殺したと判断したのも土方の行いが普段とは異なっていたからであろう。自刃の理由であるが、討幕派の謀議が行われる場所を池田屋だと土方に教えてしまったからで、このままだと討幕派の残党にどんな目に遭うか分からないので自刃を選んだ。般若の面は彼女の内面を表したものではなく、土方との出会いを特別視していたため京の住まいに飾ったと解釈出来る。
ちなみに佐枝が「謀議の場は池田屋」だと明かしたことは土方が七里に告げてしまっている。七里は佐枝が嘘をついたので土方が丹虎に来たと思い込んでいるので驚く。結末は変わらなかっただろうが、土方はちょっと抜けたところがあるように思う。

男臭い俳優が多いのも特徴。今は男だか女だか分からないような俳優も多く、男臭い俳優は絶滅危惧種である。だが、時代劇には男臭い俳優の方が似合う。

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2025年9月10日 (水)

上田秋成 『雨月物語』より「菊花の約(菊花の契)」

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2025年3月22日 (土)

観劇感想精選(486) パルテノン多摩共同事業体企画 三浦涼介&大空ゆうひ&岡本圭人「オイディプス王」2025@SkyシアターMBS

2025年3月1日 JR大阪駅西口のSkyシアターMBSにて観劇

午後5時から、JR大阪駅西口にあるJPタワー大阪の6階、SkyシアターMBSで、「オイディプス王」を観る。これもSkyシアターMBSオープニングシリーズに含まれる公演である。「オイディプス王」は、ギリシャ悲劇の中で最も有名な作品であるが、劇場で観るのは初めてである。男児が母親を独占しようとして、その障害となる父親を嫌悪するジークムント・フロイト定義の「エディプス・コンプレックス」の由来となったオイディプス王(女児が父親を独占しようとして、その障害となる母親を嫌悪する真逆の現象は、やはりギリシャ悲劇由来の「エレクトラ・コンプレックス」と呼ばれる。「エレクトラ」は高畑充希のタイトルロールで、ラストに別作品を加えたり少しアレンジしたバージョンを観たことがある)。ソポクレスのテキストを河合祥一郎が日本語訳したテキストを使用。演出は蜷川幸雄の弟子である石丸さち子。出演は、三浦涼介、大空ゆうひ、岡本圭人、浅野雅博、外山誠二、大石継太、今井朋彦ほか。パルテノン多摩共同事業体の企画・製作。大阪公演の主催はMBSである。MBS(毎日放送)は大阪城のそばの京橋にMBS劇場、後のシアターBRAVA!を持っていたのだが、土地の所有者と金銭面で意見が合わなくなり撤退。昨年春にSkyシアターMBSをオープンさせている。

文学座や演劇集団円など、新劇系の所属者や出身者が目立つが、様々な背景を持つ俳優が集められている。2023年のプロジェクトの再演。

「オイディプス王」の映像は、野村萬斎がタイトルロールを演じた蜷川幸雄演出のものを観たことがある。ギリシャでの上演で、オイディプス王はラストで自らピンで目を刺して失明するのだが(ギリシャ悲劇の約束事として、悲惨な場面は舞台裏の観客からは見えないところで行われることになっている)、野村萬斎は手に血糊をたっぷり付けて、白い壁に塗りたくるということをやっていた。今回演出の石丸さち子は、蜷川の弟子だが、そこまで外連味のある演出は行っていない。

「オイディプス王」のテクストであるが、ギリシャ悲劇は現代まで通じる演劇の大元となってはいるのだが、上演様式が異なるため、文庫などで購入出来るテキストをそのまま上演することは余りない(そもそもセットがない時代なので、最初は何があるかの描写や説明が延々と続いたりする。今回はセットはあるのでそうしたものは全部カットである)。今回もアレンジを施しての上演である。ギリシャ悲劇では、オーケストラの語源となったオルケストラという場所にコロスと呼ばれる合唱や朗唱を受け持つ人達がいて、解説なども行っていたのだが、今回はコロスは全員舞台上に上がり、合唱の代わりにダンスを行う。台詞も勿論ある。

セットは比較的シンプルで、階段の上に宮殿への入り口があるだけのものだが、入り口の上にも細長いセットが伸びている。まるでオイディプス(膨れた足という意味)の傷を負った脚のようだが、そういう意図があるのかどうかは不明である。

朗唱も多いのだが、SkyシアターMBSはミュージカル対応の劇場だけに少し残響があり、発音がはっきりと聞こえない場面もあった。

神託や予言が重要な役割を持つ作品で、テーバイの王、ライオスは、「生まれた子は父親を殺し、母親を犯すだろう」という神託を受けて、妻のイオカステに命じて、生まれた子のくるぶしをピンで突き刺し、キタイロンの山に捨てさせた。しかしその子は拾われ、オイディプスと名付けられて、子がなかったコリントスの王と王妃に育てられることになった。だが、成長したオイディプス(三浦涼介)はやはり「父親を殺し、母親を犯す」との神託を受けて、それから逃れるためにコリントスを去る。そして「三つの道が交わるところ」で、進路を妨害してきた老人達に激怒。殺害してしまう。テーバイに入ったオイディプスはスフィンクスの謎を解く(「朝は四本足、昼は二本足、夕方には三本足となるものは何か?」。この場面は、劇中には出てこない)。こうして英雄となったオイディプスはテーバイの王となり、先王の王妃であったイオカステ(大空ゆうひ)を妻に迎え、3人の子をもうける。余りにも有名なので記すが、オイディプスが殺害したのは実父でテーバイの先王であるライオスであり、妻にしたイオカステはオイディプスの実母である。神託を避けたつもりが逆に当たるという結果になってしまったのだ。
オイディプスが王になってから、疫病などが流行るようになった。そこでオイディプスは摂政のクレオン(岡本圭人)を使者としてデルポイに送り、神託を行わせる。神託の結果は、「ライオス殺害の穢れが原因であり、下手人を捕まえて追放せよ」というものだった。まずここでオイディプスが気付きそうなものだが気付かず進む。

ミステリーの要素が強いのがこの戯曲の特徴で、ギリシャ悲劇の中でも人気の作品となっている理由が分かる。途中でネタバレしそうになるのだが、バレずに続くという場面があるが、そこはお約束である。

三浦涼介は、三浦浩一と純アリスの息子。岡本圭人は岡本健一の息子で、二世俳優が劇の両腕ともいえるポジションを受け持っているのが特徴である。二世俳優は批判も受けがちだが、子どもの頃から芸能に接していることも多いため、芸の習得が早いなど、プラスに働くことも多い。今日の二人も若さを生かしたダイナミックでエネルギッシュな演技を行っており、なかなか魅力的である。ああいったギラギラした感じは二世だから出しやすいとも思える。叩き上げの人がやるとまた違った感じになるだろう。
大空ゆうひは、宝塚歌劇団宙組元トップスターだが、今日は「いかにも元宝塚」な演技は行っていなかった。ただ立ち姿が美しいのが宝塚的であったりもする。

波の音が比較的多く使われているのだが、これはラスト付近のコロスの台詞、「悲劇の海」に掛けられたものだと思われる。
コロスなので、朗唱もあるのだが、複数の人が一言一句同じ台詞を言うというのは、リアリズムという点で言うとやはり不自然である。台詞に厚みが出るというプラスの面もあるが、二人程度による朗唱に留めると「約束事」として受け取りやすくなるように思う。

今回のラストは、オイディプス王の退場ではなく、オイディプス王が舞台の前方に出てきて手を大きく広げ、その後に暗転があってコロスによるダンスで終わる。
オイディプス王の手に動きは何かを引き裂くようでもあるが、正確には何を表したかったのかは上手く伝わってこなかった。ただ、常に神託に頼る展開であり、自ら「追放してほしい」と願うオイディプスをクレオンが「神託を聞いてから」と止めているため、それに背いて道を切り開く、と見えないこともない。「オイディプス王」の一側面として、神託に背こうとして逃れられないという展開が続くという場面が多いことが挙げられる。神の前で人は無力。神が力を失った現代(特に日本人は無神論者が多数派)においても、例えば「運命」などという言葉は生きており、そこから逃れる、もしくは打ち勝つ(難しいが)というメッセージが込めやすい作品であるとも感じる。

コロスのダンスに関しては、プロのダンサーが揃っている訳ではないので、格別上手いということはなく、本当に踊る必要があるのかどうかも疑問だが、本筋とは関係のない部分であり、一つの実験として見るなら意味はあったように思う。結論としてはダンスは合わないとは思うが。

役者が客席から舞台に上げる場面が何度かあるが、視覚的効果と「遠くから来た印象を与える」以外の意味はないように感じた(客席から舞台に上げることに意味がある芝居も勿論存在する)。

神が絶対的な権威を持ち、神託からは逃れられない時代の物語である。人間は何をしても神には勝てない。だからこその悲劇なのであるが、それを破る展開も今ではありのような気がする。ただその場合はソフォクレスの「オイディプス王」としてはやらない方がいいようにも思う。

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2025年2月11日 (火)

コンサートの記(886) 日本シベリウス協会創立40周年記念 シベリウス オペラ「塔の乙女」(日本初演。コンサート形式)ほか 新田ユリ指揮

2024年11月29日 東京都江東区の豊洲シビックセンターホールにて

東京へ。豊洲シビックセンターホールで、シベリウス唯一のオペラ「塔の乙女」の日本初演を聴くためである・
劇附随音楽などはいくつも書いているシベリウスであるが、オペラを手掛けているというイメージを持つ人はかなり少ないと思われる。「塔の乙女」はシベリウスがまだ若い頃に書かれたもので、初演後長い間封印されていた。1981年にようやく再演が行われたという。
実は、シベリウス同様にほとんどオペラのイメージのない指揮者のパーヴォ・ヤルヴィ(実際には、「フィデリオ」やミュージカルになるが「ウエスト・サイド・ストーリー」などを指揮している)が「塔の乙女」を録音しており、これが最も手に入りやすい「塔の乙女」のCDとなっている。

 

豊洲シビックセンターは、江東区役所の特別出張所や文化センター、図書館などからなる複合施設で、2015年にオープン。ホールは5階にある。音楽イベントの開催なども多いようだが、音楽専用ではなく多目的ホールである。それほど大きくない空間なので、おそらく音響設計などもされていないだろう。ステージの背景はガラス張りになっていて、豊洲の街のビルディングが見えるが、遮蔽することも出来るようになっている。本番中は閉じて屋外の景色は見えにくくなっていた。

 

今回の演奏会は、日本シベリウス協会の創立40周年を記念して行われるものである。
オペラ「塔の乙女」は、上演時間40分弱であり、それだけでは有料公演としては短いので、前半に他のシベリウス作品も演奏される。

曲目は、第1部が、コンサート序曲、鈴木啓之のバリトンで「フリッガに」と「タイスへの賛歌」(いずれも小沼竜之編曲)、駒ヶ嶺ゆかりのメゾソプラノで「海辺のバルコニーで」(山田美穂編曲)と「アリオーソ」。第2部がオペラ「塔の乙女」(コンサート形式)である。スウェーデン語の歌唱であるが日本語字幕表示はなく、聴衆は無料パンフレットに掲載された歌詞対訳を見ながら聴くことになる(客席は暗くはならない)。

日本初演作品ということでチケットは完売御礼である。

 

指揮は、北欧音楽のスペシャリストで、日本シベリウス協会第3代会長の新田ユリ。彼女は日本・フィンランド新音楽協会の代表も務めている。

管弦楽団は創立40周年記念オーケストラという臨時編成のもの(コンサートミストレス・佐藤まどか)。第1ヴァイオリン4、第2ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロがいずれも3、コントラバス2という小さい編成の楽団だが、「塔の乙女」初演時のオーケストラ編成はこれよりも1人少ないものだったそうである。

 

午後6時30分頃より、新田ユリによるプレトークがある。
シベリウスとオペラについてだが、シベリウスはベルリンやウィーンに留学していた時代にワーグナーにかぶれたことがあるそうで、「自分もあのようなオペラを書いてみたい」と思い立ち、「船の建造」という歌劇作品に取り組むことになったのだが、結局、筆が止まってしまい、未完。その素材を生かして「レンミンカイネン」組曲 が作曲された。「レンミンカイネン」組曲の中で最も有名な交響詩「トゥオネラの白鳥」は、元々は歌劇「船の建造」の序曲として書かれたものだという。
その後、ヘルシンキ・フィルハーモニー・ソサエティーからチャリティーコンサートの依頼を行けたシベリウスは、オペラ「塔の乙女」を完成させる。初演は、1896年11月7日。この時点ではシベリウスは「クレルヴォ」以外の交響曲を1曲も書いていない。指揮はシベリウス本人が行った。演奏会形式であったという。しかし、このオペラはシベリウスが半ば取り下げる形で封印してしまい、その後、1世紀近く知られざる曲となっていた。オペラにしては短いということと、シンプルなストーリー展開が作品の完成度を下げているということもあったのだろう。なお、台本はラファエル・ヘルツベリという人が書いており、先にも書いたとおりスウェーデン語作品である。これ以降、シベリウスは交響曲の作曲に本格的に取り組むようになり、オペラを書くことはなかった。
シベリウスはスウェーデン系フィンランド人で、母語はスウェーデン語である。当時のフィンランドはロシアの支配下にあったが、ロシア以前にはスウェーデンの領地であったことからスウェーデン系が上流階層を占めていた。ただ時代的には国民がフィンランド人としてのアイデンティティーを高めていた時期であり、シベリウスもフィンランド語の学校で学んでいる(ただ彼は夢想家で勉強は余り好きではなく、フィンランド語をスウェーデン語並みに操ることは終生出来なかった)。シベリウスの歌曲は多いが、大半はスウェーデン語の詩に旋律を付けたものであり、フィンランド語、英語、ドイツ語の歌曲などが少しずつある。

今日の1曲目として演奏されるコンサート序曲は、フィンランドの指揮者兼作曲家のトゥオマス・ハンニカイネンが、2018年に「塔の乙女」のスコアを研究しているうちに、矢印など意味ありげな記号を辿り、それが一つの楽曲になることを発見したもので、2021年に現代初演がなされている。1900年4月7日に、コンサート序曲が初演され、それが「塔の乙女」由来のものであることが分かっているのだが、総譜などは見つかっておらず、幻の楽曲となっていた。
一応、制約があり、2025年いっぱいまでは、トゥオマス・ハンニカイネンにのみ指揮する権利があるのだが、今回、日本シベリウス協会が「塔の乙女」の日本初演に合わせて演奏したいと申し出たところ特別に許可が下りたそうで、世界で2番目に演奏することが決まったという。

世界レベルで見るとシベリウス人気が高い国に分類される日本だが、それでも北欧音楽はドイツやフランスの音楽に比べるとマイナーである。ただ日本シベリウス協会の会員にはシベリウスや北欧の作品に熱心に取り組んでいる人が何人もいるため、オペラ作品なども上演可能になったそうである。

 

1曲目のコンサート序曲。日本初演である。創立40周年記念オーケストラは、チェロが客席寄りに来るアメリカ式の現代配置をベースにしている。楽団員のプロフィールが無料パンフレットに載っているが、日本シベリウス協会の会員も含まれている。現役のプロオーケストラの奏者や元プロのオーケストラ団員だった人もいれば、フリーの人もいる。有名奏者としては舘野泉の息子であるヤンネ舘野(山形交響楽団第2ヴァイオリン首席、ヘルシンキのラ・テンペスタ室内管弦楽団コンサートマスター兼音楽監督)が第2ヴァイオリン首席として入っている。
コンサートミストレスの佐藤まどかは、東京藝術大学大学院博士後期課程を修了。シベリウスの研究で博士号を取得している。シベリウス国際ヴァイオリンコンクールでは3位に入っている。上野学園短期大学准教授(上野学園大学は廃校になったが短大は存続している)。日本シベリウス協会理事。
シベリウスがまだ自身の作風を確立する前の作品であり、グリーグに代表される他の北欧の作曲家などに似た雰囲気を湛えている。この頃のシベリウスはチャイコフスキーにも影響を受けているはずだが、この曲に関してはチャイコフスキー的要素はほとんど感じられない。後年のシベリウス作品に比べるとメロディー勝負という印象を受ける。

 

バリトンの鈴木啓之による「フリッガに」と「タイスへの賛歌」。神秘的な作風である。
鈴木啓之は、真宗大谷派の名古屋音楽大学声楽科および同大学大学院を修了。フィンランド・ヨーチェノ成人大学でディプロマを取得している。第8回大阪国際音楽コンクール声楽部門第3位(1位、2位該当なしで最高位)を得た。

 

駒ヶ嶺ゆかりによる「海辺のバルコニーで」と「アリオーソ」。神秘性や悲劇性を感じさせる歌詞で、メロディーも哀切である。
駒ヶ嶺ゆかりも、真宗大谷派の札幌大谷短期大学(音楽専攻がある)を卒業。同学研究科を修了。1998年から2001年までフィンランドに留学し、舘野泉らに師事した。東京でシベリウスの歌曲全曲演奏会を達成している。北海道二期会会員。

 

オペラ「塔の乙女」。合唱は東京混声合唱団が務める。
配役は、乙女に前川朋子(ソプラノ)、恋人に北嶋信也(テノール)、代官に鈴木啓之(バリトン)、城の奥方に駒ヶ嶺ゆかり(メゾソプラノ)。

前川朋子は、国立(くにたち)音楽大学声楽科卒業後、ドイツとイタリアに留学。フィンランドの歌曲に積極的に取り組んでいる。東京二期会、日本・フィンランド新音楽協会、日本シベリウス協会会員。

北嶋信也は、東海大学教養学部芸術学科音楽学課程卒業、同大学大学院芸術学研究科音響芸術専攻修了。二期会オペラ研修所マスタークラス修了時に優秀賞及び奨励賞を受賞。東海大学非常勤講師、二期会会員。
東海大学出身のクラシック音楽家は比較的珍しい。東海大学には北欧学科があり(元々は文学部北欧学科だったが、現在は文化社会学部北欧学科に改組されている)、言語以外の北欧を学べる日本唯一の大学となっている。ただ、そのことと今回の演奏会に出演していることに関係があるのかは分からない。

 

「塔の乙女」のあらすじ。
乙女が岸辺で花を摘んでいると、代官が現れ、娘をさらって塔に閉じ込めてしまう。乙女は嘆き、歌う。乙女が姿を消したことで彷徨っている恋人は乙女の歌声を耳にし、乙女が塔に閉じ込められていることを知る。代官と恋人の一騎打ちになろうとしたところで城の奥方が現れ(代官は偉そうに見えるが、身分としては城の奥方の方が上である)、乙女を解放した上で代官を捕縛するよう家臣に命じる。かくて乙女と恋人はハッピーエンド、という余りにも単純なストーリーである。一種のメルヘンであるが、代官がなぜそれほど乙女に惚れ込むのか、恋人と乙女はそれまでどういう関係だったのかなど、細部についてはよく分からないことになっている。
本格的なオペラというよりも余興のような作品として台本が書かれ、作曲が行われたということもあるだろう。
このテキストだと確かに受けないだろうなとは思う。見方を変えて、これは若き芸術の内面を描いたものであり、芸術家の中に眠っている才能を葛藤を経ながら自らの手で発掘していく話として見ると多少は面白く感じられるかも知れない。演奏会形式でしか上演されたことはないようだが、いわゆるオペラとして上演する時には演出を工夫してそういう見方が出来ても良いようにするのも一つの手だろう。
出来れば字幕付きでの上演が良かったのだが、それでも楽しむことは出来た。
シベリウスの音楽は抒情美があり、ピッチカートが心の高鳴りを表すなど、心理描写にも秀でている。ストーリーに弱さがあるため、今後も単独での上演は難しいかも知れないが、他の短編もしくは中編オペラと組み合わせての上演なら行える可能性はある。

今日は前から2番目の席ということもあり、歌手達の声量ある歌声を存分に楽しむことが出来た。

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