カテゴリー「伝説」の20件の記事

2024年10月19日 (土)

スペシャルコント「志村けん in 探偵佐平60歳」

スペシャルコント「志村けん in 探偵佐平60歳」を視聴。志村けんが作った約60分のコントドラマ。原作:樋口有介『木野塚探偵事務所だ』。脚本:内村宏幸、平松雅俊、戸田幸宏、志村康徳(しむらけんの本名)。演出:吉田照幸。NHKエンタープライズの制作。2018年の正月に放送されたものだが、翌々年、新型コロナにより志村けんは他界。ドラマ形式による作品としては最後の出演作となった。

出演:志村けん、伊藤沙莉、高橋恵子、岸本加世子、平泉成、津田寛治、堀内敬子、堀部圭亮、野間口徹、大悟(千鳥)、井出卓也、広岡由里子、中上サツキ、大津尋美ほか。志村けん主演のためかNHKとはいえ、コントドラマにしては実力派の俳優が揃っている。

警視庁を定年退職した木野塚佐平は、ハードボイルドな私立探偵となることを決意する。とはいっても、警視庁に定年まで勤めたとはいえ会計係、それもパソコンも満足に使えない窓際。ということで無理があるのだが、それでも新宿・歌舞伎町に事務所を借り、強引にスタート。まずは美人秘書を募集するのだが、希望するバスト86㎝以上(後に82㎝以上に訂正)のグラマラスな若い美女で、60を過ぎたおっさんの助手になろうという物好きはいない。そんな折、事務所内を飾る植物を運んできた梅谷桃世(伊藤沙莉)という大学生の女の子が現れる。アルバイトをしていた会社の社長が失踪して倒産したという桃世。出会ったばかりなのに佐平とタメ口で話すなど、口や態度はやや悪いものの、頭脳明晰で推理力と洞察力に長けるなど探偵としての資質は十二分。後に武闘面でも力を発揮と大変優秀な右腕となる。というより、事件はほぼ彼女任せとなる。高難度の演技もこなす伊藤沙莉だが、今回のような自然体で等身大の女の子を演じてもリアリティがあり、作品に溶け込んでいる。どこまでが桃世でどこからが伊藤沙莉なのか分からなくなるほどである。ボケとツッコミを交互にやったり、頭をはたかれたり、はたき返したりとコント的な演技も多いのだが、日本では数少ない天性のコメディエンヌとしての資質がここで生きている。今思うとだが、コメディの資質が志村けんから伊藤沙莉にバトンタッチされた瞬間に立ち会ったような趣すら感じる。なお、伊藤沙莉の上の世代の天性のコメディエンヌの一人に、「トリック」の山田奈緒子を演じた仲間由紀恵がいるが、桃世も奈緒子同様に、「貧乳ネタ」で散々にいじられ、自虐発言まで行っている。
おそらく志村けんと伊藤沙莉二人だけのシーンはアドリブ満載だと思われる。

うだつの上がらなかった警視庁の会計係が名探偵になれるはずもないのだが、佐平は唯一の特技であるコイン投げで、銭形平次のように相手を倒していく。ただジェネレーションギャップで桃世は銭形平次も「知らねえ」

金魚誘拐事件を佐平に依頼する元女優の高峰和子を演じるのは高橋恵子。高峰和子のデビュー作は「女子高生ブルース」であるが、高橋恵子(関根恵子)のデビュー作が実際に「女子高生ブルース」である。

最初の依頼人、高村麗香を演じる堀内敬子は、私より4歳上ということで、収録時、放映時共に結構な年齢なのだが、変わらぬ美しさと色気で世の男性陣を魅了する。なお、この後(2022年)、堀内敬子と伊藤沙莉は「ももさんと7人のパパゲーノ」において親子役で共演することになる。

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2024年9月20日 (金)

観劇感想精選(468) イキウメ 「小泉八雲から聞いた話 奇ッ怪」

2024年9月5日 大阪・福島のABCホールにて観劇

午後7時から、大阪・福島のABCホールで、イキウメの公演「小泉八雲から聞いた話 奇ッ怪」を観る。原作:小泉八雲。脚本・演出:前川知大。出演:浜田信也(はまだ・しんや。小説家・黒澤)、安井順平(警察官・田神)、盛隆二(もり・りゅうじ。検視官・宮地)、松岡依都美(まつおか・いずみ。旅館の女将)、生越千晴(おごし・ちはる。仲居甲)、平井珠生(ひらい・たまお。仲居乙)、大窪人衛(おおくぼ・ひとえ。男性。仲居丙)、森下創(仲居丁)。ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)の『怪談』で描かれた物語と、現代(かどうかは分からない。衣装は今より古めに見えるが、詳しくは不詳。「100年前、明治」というセリフがあるが、100年前の1924年は大正13年なので今より少し前の時代という設定なのかも知れない。ただ小泉八雲の時代に比べるとずっと現代寄りである)。役名は、現代の場面(ということにしておく)のもので、小泉八雲の小説の内容が演じられるシーンでは他の役割が与えられ、一人で何役もこなす。

舞台中央が一段低くなっており、砂か砂利のようなものが敷き詰められていて、中庭のようになっている。下手に祠、上手に紅梅の木。開演前、砂が舞台上方から細い滝のように流れ落ちている。舞台端に細い柱が数本。


京都・愛宕山(「京都の近くの愛宕の山」とあるが京都の近くの愛宕山は京都市の西にある愛宕山しかないので間違いないだろう)の近くの旅館が舞台。かつては寺院で、50年前に旅館に建て替えられたという。天然温泉の宿である。この宿に小説家の黒澤シロウが長逗留している。小説を書きながら周囲でフィールドワークを行っているため、つい根を張るようになってしまったらしい。この宿はGPSなどにもヒットしない隠れ宿である。
宿に男二人組が泊まりに来る。田神と宮地。実は二人とも警察関係者であることが後に分かる。

使用される小泉八雲のテキストは、「常識」、「破られた約束」、「茶碗の中」、「お貞の話」、「宿世の恋」(原作:「怪談牡丹灯籠」)の5作品。これが現代の状況に絡んでいく。

舞台進行順ではなく、人物を中心に紹介してみる。小説家の黒澤。雑誌に顔写真が載るくらいには売れている小説家のようである。美大出身で、美大時代にはシノブという彼女がいた。黒澤は当時から小説家志望だったが、余り文章は上手くなく、一方のシノブは子どもの頃から年齢に似合わぬ絵を描いていたが、それが予知夢を描いたものであることが判明する。来世の話になり、黒澤は、「シノブが生まれ変わったとしても自分だと分かるように小説家として有名にならないと」と意気込む。だが、その直後にシノブは自殺してしまう。シノブは自身の自殺も絵で予見していた。
生まれ変わったシノブに会いたいと願っていた黒澤。そして愛宕山の近くの宿で、シノブによく似た19歳の若い女性、コウノマイコ(河野舞子が表記らしいが、耳で聞いた音で書くことにする)と出会う。マイコが「思い出してくれてありがとう」と話したことから、黒澤はマイコがシノブの生まれ変わりだと確信するのだが、マイコもまた自殺してしまう。マイコの姉によると精神的に不安定だったようで、田神は「乖離性同一障害」だろうと推察する。

小泉八雲の怪談第1弾は、「常識」。白い像に乗った普賢菩薩の話。この宿が寺院だった頃、人気のある僧侶がいて賑わい、道場のようであったという。僧侶は夜ごと、白い像に乗った普賢菩薩が門から入ってくるのが見えるのだという。普賢菩薩を迎える場面では、般若心経が唱えられる。しかしその場に居合わせた猟師が普賢菩薩をライフルで撃ってしまう。殺生を生業とする自分に仏が見えるはずはなく、まやかしだとにらんでのことだった。普賢菩薩が去った後に鮮血が転々と続いており、池のそばで狐が血を流して倒れていた。化け狐だったようだ。その狐が祀られているのが、中庭の祠である。

続いて、「破られた約束」。落ちぶれはしたが、まだ生活に余裕のある武士の夫婦。だが、妻は病気で余命幾ばくもない。夫は後妻は貰わないと約束したが、妻は跡継ぎがまだいないので再婚して欲しいと頼む。傍らで見ていた田神が、「女の方が現実的で、男の方がロマンティストというか」と突っ込む。妻は、亡骸を梅の木の下に埋めることと、鈴を添えて欲しいと願い出る。
妻の死後、やはり男やもめではいけないと周囲が再婚を進め、それに従う男。比較的若い奥さんを貰う。しかし夫が夜勤の日、鈴が鳴り、先妻の幽霊が現れ、「この家から去れ、さもなくば八つ裂きにする」と脅す。夫が夜に家を空ける際にはいつもそれが繰り返される。新妻は恐れて離縁を申し出る。ある夜、また夫が夜勤に出ることになった。そこで夫の友人が妻の寝所で見守ることにする。囲碁などを打っていた男達だが、一人が「奥さん、もう寝ても構いませんよ」を何度も繰り返すようになり、異様な雰囲気に。やがて先妻の幽霊が現れ、新妻の首を引きちぎるのだった。

現代。それによく似た事件が起こっており、泊まりに来た二人はその捜査(フィールドワークを称する)で来たことが分かる。ここで二人の身分が明かされる。首なし死体が見つかったのだが、首が刃物ではなく、力尽くで引きちぎられたようになっていたという。


「茶碗の中」。原作では舞台は江戸の本郷白山。今は、イキウメ主宰で作・演出の前川知大の母校である東洋大学のメインキャンパスがあるところである。だが、この劇での舞台は白山ではなく、愛宕山近くの宿屋であり、警察の遺体安置所である。田神が茶碗の中に注いだ茶に見知らぬ男の顔が映っている。なんとも気持ちが悪い。そこで、他の人にも茶碗を渡して様子を見るのだが、他の人には別人の顔は見えないようである。
ところ変わって遺体安置所。検視官の宮地も茶碗の中に別人の顔が映っているのを見つける。そして遺体安置所から遺体が一つ消えた。茶碗の中に映った男の顔が黒澤に似ているということで黒澤が疑われる。消えた遺体は自殺したコウノマイコのものだった。黒澤はコウノマイコには会ったことがないと語る(嘘である)。捜査は、この遺体消失事件を中心としたものに切り替えられる。

温泉があるというので、田神は入りに出掛ける。宮地は「風呂に入るのは1週間に1度でいい」と主張する、ずぼらというか不潔というか。そうではなくて、「1日数回シャワー」、あ、これ書くと炎上するな。あの人は言ってることも書いてることもとにかく変だし、なんなんでしょうかね。もう消えたからいいけど。


「お貞の話」。これが、先に語った、シノブと黒澤シロウ、黒澤シロウとコウノマイコの話になる。来世で会う。この芝居の核になる部分である。
ついこの間、Facebookに韓国の女優、イ・ウンジュ(1980-2005)の話を書いたが(友人のみ限定公開)、彼女がイ・ビョンホンと共演した映画「バンジージャンプする」に似たような展開がある。「バンジージャンプする」は、京都シネマで観たが、キャストは豪華ながら映画としては今ひとつ。イ・ウンジュは映画運には余り恵まれない人であった。

「宿世の恋」。落語「怪談牡丹灯籠」を小泉八雲が小説にアレンジしたものである。この場面では、女将役の松岡依都美が語り役を務める。
旗本・飯島家の娘、お露は評判の美人。飯島家に通いの医師である志丈(しじょう)が、萩原新三郎という貧乏侍を連れてきた。たちまち恋に落ちるお露と新三郎。お露は、「今後お目にかかれないのなら露の命はないものとお心得下さい」とかなり真剣である。しかし、徳川家直参の旗本と貧乏侍とでは身分が違う。新三郎の足はなかなか飯島家に向かない。それでも侍女のお米の尽力もあり、飯島家に忍び込むなどして何度か逢瀬を重ねたお露と新三郎だったが、新三郎の足がまた遠のいた時に、志丈からお露とお米が亡くなったという話を聞いた新三郎。志丈は、「小便くさい女のことは忘れて、吉原にでも遊びに行きましょう。旦那のこれ(奢り)で」と新三郎の下僕であるトモゾウにセリフを覚えさせ、トモゾウはその通り新三郎に話すが、激高した新三郎に斬られそうになる。お露のことが忘れられず落胆する新三郎であったが、ある日、お露とお米とばったり出会う。志丈が嘘をついたのだと思った新三郎。聞くと二人は谷中三崎(さんさき)坂(ここで東京に詳しい人はピンと来る)で暮らしているという。二人の下を訪れようとする新三郎だったが断られ、お露とお米が新三郎の家に通うことになる。だが、お察しの通り二人は幽霊である。新三郎の友人達は二人の霊を成仏させるため、新三郎の家の戸口を閉ざし、柱に護符を貼り、般若心経が再び唱えられる。お守りを渡された新三郎はその間写経をしている。新三郎の不実を訴えるお露の声。
6日我慢した新三郎だが、今日耐えれば成仏という7日目に、会えなくなるのは耐えられないと、お守りを外し、戸口を開けて……。

照明がつくと、田神と宮地が寝転んでいる。旅館だと思っていたところは荒れている。「こりゃ旅館じゃないな」と田神。
黒澤がマイコの遺体を隠したのだと見ていた二人は、狐を祀る祠の下で抱き合った二人の遺骸を発見する。マイコはミイラ化しており、黒澤は死後10日ほどだった。「報告書書くのが面倒な事件だなこりゃ」とこぼしながら旅館らしき場所を去る田神と宮地。下手袖に現れた黒澤の霊はお辞儀をしながら彼らを見送り、砂の滝がまた落ち始める。
生まれ変わった恋人にも自殺されてしまった新三郎だが、再会は出来て、あの世で一緒になれるのならハッピーエンドと見るべきだろうか。少なくともマイコもその前世のシノブも彼のものである。


小泉八雲の怪談と現代の恋愛、ミステリーに生まれ変わりの要素などを上手く絡めたロマンティックな作品である。次々に場面が入れ替わるストーリー展開にも妙味があり、また、青、白、オレンジなどをベースとした灯体を駆使した照明も効果的で、洗練とノスタルジアを掛け合わせた良い仕上がりの舞台となっていた。
やはり幽霊や妖怪を駆使した作風を持つ泉鏡花の作品に似ているのではないかと予想していたが、泉鏡花が持つ隠れた前衛性のようなものは八雲にはないため、より落ち着いた感じの芝居となった(ただし抱き合った遺体は、鏡花の傑作『春昼・春昼後刻』のラストを連想させる)。


上演終了後、スタンディングオベーション。多分、私一人だけだったと思うが、周りのことは気にしない。ほとんどの人が立っている時でも立たない時は立たないし、他に誰も立っていなくても立つ時は立つ。ただ一人だけ立っている状態は、大阪府貝塚市で観た舞台版「ゲゲゲの女房」(渡辺徹&水野美紀主演)以来かも知れない。渡辺徹さんも今はもういない。

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2024年5月25日 (土)

美術回廊(83) 京都国立博物館 特別展『雪舟伝説 -「画聖(カリスマ)の誕生」-』

2024年5月23日 東山七条の京都国立博物館・平成知新館にて

東山七条にある京都国立博物館・平成知新館で、特別展『雪舟伝説 -「画聖(カリスマ)の誕生」-』を観る。
日本史上最高の画家(絵師)の一人として崇められる雪舟等楊。備中国赤浜(現在の岡山県総社市。鬼ノ城や備中国分寺があることで有名なところである)に生まれ、京都の相国寺(花の御所の横にあり、五山十刹の五山第2位。相国は太政大臣など宰相の唐風官職名で征夷大将軍にして太政大臣の足利義満が開基である)で天章周文という足利将軍家お抱えの画僧に本格的な画を学び、庇護を申し出た周防国の守護大名・大内氏の本拠地である「西京」こと山口で過ごしている。応仁の乱勃発直前に明の国に渡り、明代よりも宋や元の時代の絵を参考にして研鑽を重ね、天童山景徳禅寺では、「四明天童山第一位」と称せられた。帰国してからは九州や畿内を回り、山口に戻った後で、石見国益田(島根県益田市)に赴き、当地で亡くなったとされる。ただ最晩年のことは詳しく分かっていない。残っている雪舟の絵は、伝雪舟も含めて50点ほど。後世の多くの絵師や画家が雪舟を理想とし、「画聖」と崇め、多大な影響を受けている。
今回の展覧会は、雪舟の真筆とされている作品(国宝6点全てを含む)と伝雪舟とされる真偽不明の作品に加え、雪舟に影響を受けた大物絵師達の雪舟作品の模写や、雪舟にインスパイアされた作品が並んでいる。

国宝に指定されているのは、「秋冬山水図」(東京国立博物館蔵)、「破墨山水画」(東京国立博物館蔵)、「山水図」(個人蔵)、「四季山水図巻(山水長巻。期間によって展示が変わり、今は最後の部分が展示されていて、それ以外は写真で示されている)」(毛利博物館蔵)、「天橋立図」(京都国立博物館蔵)、「慧可断臂図」(愛知 齊年寺蔵)である。全て平成知新館3階の展示が始まってすぐのスペースに割り当てられている。いずれも病的な緻密さと、異様なまでの直線へのこだわりが顕著である。普通なら曲線で柔らかく描きそうなところも直線で通し、木々の枝や建築も「執念」が感じられるほどの細かな直線を多用して描かれている。「病的」と書いたが、実際、過集中など何らかの精神病的傾向があったのではないかと疑われるほどである。少なくとも並の神経の人間にはこうしたものは――幸福なことかも知れないが――描けない。狩野探幽を始め、多くの絵師が雪舟の直系であることを自称し、雪舟作品の模写に挑んでいるが、細部が甘すぎる。当代一流とされる絵師ですらこうなのだから、雪舟にはやはり常人とは異なる資質があったように思われてならない。
だが、その資質が作画には見事に生きていて、繊細にして描写力と表出力に長け、多くの絵師に崇拝された理由が誰にでも分かるような孤高の世界として結実している。山の盛り上がる表現などは、富岡鉄斎の文人画を観たばかりだが、残念ながら鉄斎では雪舟の足下にも及ばない。一目見て分かるほど完成度が違う。雪舟がいかに傑出した異能の持ち主だったかがはっきりする。

国宝にはなっていないが、重要文化財や重要美術品に指定されているものも数多く展示されており、その中に伝雪舟の作品も含まれる。伝雪舟の作品には国宝に指定された雪舟作品のような異様なまでの表現力は見られないが、雪舟も常に集中力を使って描いたわけでもなく、リラックスして取り組んだと思われる真筆の作品も展示されているため、「過集中の傾向が見られないから雪舟の真筆ではない」と判断することは出来ない。風景画が多い雪舟だが、人物画も描いており、これもやはり緻密である。

2階の「第3章 雪舟流の継承―雲谷派と長谷川派―」からは、雪舟の継承者を自認する絵師達の作品が並ぶ。雪舟は山口に画室・雲谷庵を設けたが、雲谷派はその雲谷庵にちなみ、本姓の原ではなく雲谷を名乗っている。江戸時代初期を代表する絵師である長谷川等伯も雪舟作品の模写を行うなど、雪舟に惚れ込んでいた。雲谷派も長谷川派も雪舟の正統な継承者を自認していた。

江戸時代中期以降の画壇を制した感のある狩野派も雪舟は当然意識し、神格化しており、狩野探幽などは雪舟の「四季山水図巻」(重要文化財)を模写して、五代目雪舟を名乗っていたりする(雪舟の「四季山水図巻」も探幽による模本も共に京都国立博物館の所蔵)。狩野古信が描いた「雪舟四季山水図巻模本」は模本にも関わらず、何と国宝に指定されている。

展示はやがて、雪舟がモチーフとした富士山や三保の松原を題材とした画に移る。原在中の描いた「富士三保松原図」は描写力が高く、緻密さにおいて雪舟に近いものがある。ただ画風は異なっている。京都ということで伊藤若冲の作品も並ぶが、画風や描写力というよりも題材の選び方に共通点があるということのようだ。

その他にも有名な画家の作品が並ぶが、描写力や表現力はともかくとして緻密さにおいて雪舟に匹敵する者は誰もおらず、それこそ雪舟は富士山のような屹立した独立峰で、後の世のゴッホのように画家なら誰もが崇める存在であったことは間違いないようだ。

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2024年5月12日 (日)

2346月日(41) 京都文化博物館 「松尾大社(まつのおたいしゃ)展 みやこの西の守護神(まもりがみ)」

2024年5月1日 三条高倉の京都文化博物館にて

三条高倉の京都文化博物館で、「松尾大社(まつのおたいしゃ)展 みやこの西の守護神(まもりがみ)」を観る。王城の西の護りを担った松尾大社(まつのおたいしゃ/まつおたいしゃ)が所蔵する史料や絵図、木像などを集めた展覧会。

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松尾山山上の磐座を祀ったのが始まりとされる松尾大社。祭神の大山咋神(おおやまくいのかみ)は、「古事記」にも登場する古い神で、近江国の日吉大社にも祀られている。別名は「山王」。大山咋神は素戔嗚尊の孫とされる。松尾山山麓に社殿が造営されたのは701年(大宝元)で、飛鳥時代のことである。ちなみに、松尾大社の「松尾」は「まつのお」が古来からの正式な読み方であるが、「まつおたいしゃ」も慣例的に使われており、最寄り駅の阪急松尾大社駅は「まつおたいしゃ」を採用している。
社名も変化しており、最初は松尾社、その後に松尾神社に社名変更。松尾大社となるのは戦後になってからである。

神の系統を記した「神祇譜伝図記」がまず展示されているが、これは松尾大社と神道系の大学である三重県伊勢市の皇學館大学にしか伝わっていないものだという。


松尾大社があるのは、四条通の西の外れ。かつて葛野郡と呼ばれた場所である。渡来系の秦氏が治める土地で、松尾大社も秦氏の氏神であり、神官も代々秦氏が務めている。神官の秦氏の通字は「相」。秦氏は後に東家と南家に分かれるようになり、諍いなども起こったようである。
対して愛宕郡を治めたのが鴨氏で、上賀茂神社(賀茂別雷神社)、下鴨神社(賀茂御祖神社)の賀茂神社は鴨氏の神社である。両社には深い関係があるようで共に葵を社紋とし、賀茂神社は「東の厳神」、松尾大社は「西の猛神」と並び称され、王城の守護とされた。

秦氏は醸造技術に長けていたようで、松尾大社は酒の神とされ、全国の酒造会社から信仰を集めていて、神輿庫には普段は酒樽が集められている。今回の展覧会の音声ガイドも、上京区の佐々木酒造の息子である俳優の佐々木蔵之介が務めている(使わなかったけど)。

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「名所絵巻」や「洛外図屏風」、「洛中洛外図」屏風が展示され、松尾大社も描かれているが、都の西の外れということもあって描写は比較的地味である。「洛中洛外図」屏風ではむしろ天守があった時代の二条城や方広寺大仏殿の方がずっと目立っている。建物のスケールが違うので仕方ないことではあるが。

松尾大社が酒の神として広く知られるようになったのは、狂言「福の神」に酒の場が出てくるようになってからのようで、福の神の面も展示されている。松尾大社の所蔵だが、面自体は比較的新しく昭和51年に打たれたもののようだ。

松尾大社で刃傷沙汰があったらしく、以後、神官による刃傷沙汰を禁ずる命令書が出されている。当時は神仏習合の時代なので、刃傷沙汰は「仏縁を絶つ」行為だと記されている。松尾大社の境内には以前は比較的大きな神宮寺や三重塔があったことが図で分かるが、現在は神宮寺も三重塔も消滅している。

PlayStationのコントローラーのようなものを使って、山上の磐座や松風苑という庭園をバーチャル移動出来るコーナーもある。

徳川家康から徳川家茂まで、14人中12人の将軍が松尾大社の税金免除と国家の安全を守るよう命じた朱印状が並んでいる。流石に慶喜はこういったものを出す余裕はなかったであろう。家康から秀忠、家光、館林出身の綱吉までは同じような重厚な筆致で、徳川将軍家が範とした書体が分かるが、8代吉宗から字体が一気にシャープなものに変わる。紀伊徳川家出身の吉宗。江戸から遠く離れた場所の出身だけに、書道の流派も違ったのであろう。以降、紀州系の将軍が続くが、みな吉宗に似た字を書いている。知的に障害があったのではないかとされる13代家定も書体は立派である。
豊臣秀吉も徳川将軍家と同じ内容の朱印状を出しており、織田信長も徳川や豊臣とは違った内容であるが、松尾大社に宛てた朱印状を出している。
細川藤孝(のちの号・幽斎)が年貢を安堵した書状も展示されている。

松尾大社は摂津国山本(今の兵庫県宝塚市)など遠く離れた場所にも所領を持っていた。伯耆国河村郡東郷(現在の鳥取県湯梨浜町。合併前には日本のハワイこと羽合町〈はわいちょう〉があったことで有名である)の荘園が一番大きかったようだ。東郷庄の図は現在は個人所蔵となっているもので、展示されていたのは東京大学史料編纂所が持っている写本である。描かれた土地全てが松尾大社のものなのかは分からないが、広大な土地を所有していたことが分かり、往事の神社の勢力が垣間見える。

その他に、社殿が傾きそうなので援助を頼むとの書状があったり、苔寺として知られる西芳寺との間にトラブルがあったことを訴えたりと、窮状を告げる文も存在している。

映像展示のスペースでは、松尾祭の様子が20分以上に渡って映されている。神輿が桂川を小船に乗せられて渡り、西大路七条の御旅所を経て、西寺跡まで行く様子が描かれる。実は西寺跡まで行くことには重要な意味合いが隠されているようで、松尾大社は御霊会を行わないが、実は御霊会の発祥の地が今はなき西寺で、往事は松尾大社も御霊会を行っていたのではないかという根拠になっているようだ。

室町時代に造られた松尾大社の社殿は重要文化財に指定されているが(松尾大社クラスでも重要文化財にしかならないというのが基準の厳しさを示している)、その他に木像が3体、重要文化財に指定されている。いずれも平安時代に作られたもので、女神像(市杵島姫命か)、男神像(老年。大山咋神か)、男神像(壮年。月読尊か)である。仏像を見る機会は多いが、神像を見ることは滅多にないので貴重である。いずれも当時の公家の格好に似せたものだと思われる。老年の男神は厳しい表情だが、壮年の男神像は穏やかな表情をしている。時代を考えれば保存状態は良さそうである。

神仏習合の時代ということで、松尾社一切経の展示もある。平安時代のもので重要文化財指定である。往事は神官も仏道に励んでいたことがこれで分かる。松尾社一切経は、1993年に日蓮宗の大学で史学科が有名な立正大学の調査によって上京区にある本門法華宗(日蓮宗系)の妙蓮寺で大量に発見されているが、調査が進んで幕末に移されたことが分かった。移したのは妙蓮寺の檀家の男で、姓名も判明しているという。


松尾大社は、摂社に月読神社を持つことで知られている。月読神(月読尊)は、天照大神、素戔嗚尊と共に生まれてきた姉弟神であるが、性別不詳で、生まれたことが分かるだけで特に何もしない神様である。だが、松尾大社の月読神はそれとは性格が異なり、壱岐島の月読神社からの勧請説や朝鮮系の神説があり、桂、桂川や葛野など「月」に掛かる地名と関連があるのではないかと見られている。

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2024年4月20日 (土)

コンサートの記(840) びわ湖ホール オペラへの招待 オッフェンバック作曲「天国と地獄」(新制作)

2023年12月23日 滋賀県立芸術劇場びわ湖ホール中ホールにて

午後2時から、びわ湖ホール中ホールで、びわ湖ホール オペラへの招待 オッフェンバック作曲「天国と地獄」(新制作)を観る。オペレッタにも分類されるということで日本語上演・日本語字幕付きである。終盤のみフランス語が用いられる。台本と演出を手掛けるのは神戸出身の岩田達宗。岩田はホワイエに展示された神々相関図のイラストも手掛けていて、神々の可愛らしい絵姿を描いていた。訳詞は宮本益光。びわ湖ホール声楽アンサンブルの指揮者である大川修司指揮大阪交響楽団(コンサートマスター・林七奈)の演奏。出演は、有本康人(オルフェ)、山岸裕梨(ユリディス)、藤居知佳子(字幕)、奥本凱哉(おくもと・ときや。プルトン/アリステ)、市川敏雅(いちかわ・としまさ。ジュピター)、森季子(もり・ときこ。キューピッド)、佐々木真衣(ダイアナ)、船越亜弥(ヴィーナス)、西田昂平(マルス)、迎肇聡(むかい・ただとし。メルキュール)、黒田恵美(ジュノン)、島影聖人(しまかげ・きよひと。ハンス・スティックス)。合唱はびわ湖ホール声楽アンサンブル。ダンサーは、浅野菜月、片山未知、天上うらら、天上さくら(振付:河森睦生)。
今回の演出では、字幕が「世論」として重要な役割を果たす(びわ湖ホールを制御するコンピューターの言葉という設定)。

フレンチカンカンの音楽がとにかく有名なオペラ(オペレッタ)だが、私が「天国と地獄」(原題は「地獄のオルフェ」)を観るのは映像も含めて初めてになる。

グルックのオペラでも有名な「オルフェオとエウリディーチェ」の話を当時の世相を反映させる形の奔放なパロディーに仕立てた作品で、今回の演出でも、自民党安倍派のパーティー券問題、アメフトの日大フェニックスの不祥事、インボイス制度の導入などが風刺されている。今年(2023年)亡くなった、吉本新喜劇の桑原和男の玄関先ネタも加えられていた。

今日は前から2番目の席で聴いたのだが、大川の指揮する大阪交響楽団に威力があり、歌手の歌唱の水準も高く、バカ騒ぎのようなファルスを楽しむことが出来た。

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2022年11月17日 (木)

コンサートの記(813) オペラ「石見銀山」石見銀山世界遺産登録15周年記念関西公演@京都劇場

2022年11月2日 京都劇場にて

午後6時30分から、京都劇場でオペラ「石見銀山」石見銀山世界遺産登録15周年記念関西公演を観る。

オペラ「石見銀山」は、石見銀山の世界遺産登録10周年と石見銀山のある島根県大田(おおだ)市の地方創生として2017年に制作されたもので、オペラユニット「THE LEGEND」が中心になり、THE LEGENDの吉田知明が、石見神楽の団体である大屋神楽社中の安立均がまとめた神楽の演目「石見銀山 於紅谷」を原作に脚本を書き、演出も行う。作曲は、デュオ「鍵盤男子」(現在はソロユニットとなっているようである)のメンバーでもある中村匡宏(くにひろ)が手掛けている。
中村匡宏は、ウィーン国立音楽大学大学院作曲科最終試験で最上位を獲得。国立音楽大学と同大学院で共に首席を獲得し、博士後期課程の博士号を取得している。
中村は指揮と音楽監督も兼任している。

出演は、柿迫秀(かきざこ・あきら。島根県大田市出身)、菅原浩史(すがわら・ひろし)、吉田知明、坂井田真実子、志村糧一(しむら・りょういち)、内田智一、松浦麗。ゲストピアニストは西尾周祐(にしお・しゅうすけ)。石見神楽上演は大屋神楽社中。合唱はオペラ「石見神楽」合唱団(一般公募による合唱団)。

有料パンフレットに東京公演での模様を撮影した写真が掲載されており、オーケストラピットにオーケストラ(東京室内管弦楽団)が入っているのが確認出来るが、京都公演ではオーケストラはなしで、当然ながらカーテンコールでも紹介されなかった。音色からいってシンセサイザーが用いられているのが分かるが、どのように音が出されていたのかは不明である。

石見銀山に伝わる於紅孫右衛門事件という史実が題材となっており、石見銀山で働く男女の悲劇が描かれる。

第1幕から第4幕まであるが、第1幕から第3幕までが通しで上演。休憩を挟んで石見神楽が本格的に登場する第4幕が上演された。

ストーリー的には良くも悪くも素人っぽい感じだったが、中村匡宏の音楽は明快にして才気に溢れており、今後オペラ作曲科としてさ更なる活躍が期待される。

第1幕は、1526年(大永6)に博多の大商人であった神屋寿禎(演じるのは柿迫秀)が石見銀山の主峰、仙ノ山を発見することに始まる。第2幕と第3幕は、石見銀山の間歩(まぶ。坑道のこと)頭である於紅孫右衛門(吉田知明)と、やはり間歩頭である吉田与三右衛門、そして与三右衛門の妻であるお高(坂井田真実子)、与三右衛門の弟である吉田藤左衛門(内田智一)の話が主になる。「銀よりも皆が無事であることが大事」と説き、仕事仲間からの人望もある孫右衛門に、与三右衛門は嫉妬。更に妻であるお高と孫右衛門が懇意になったことから嫉妬は更に加速していく。与三右衛門は妻のお高に暴力を振るっているが、心の底ではお高を強く愛しており、両親の命を奪った銀山からお高を救いたいと願っている。ただ愛情が強すぎて妻にきつく当たってしまうようだ。
第4幕では神屋寿禎が再度登場し、鬼女(龍蛇。演じるのは松浦麗)が登場して、石見神楽が演じられる中、緊迫感が増していく。

京都劇場は、元々はシアター1200として建てられ、音響設計がしっかりされている訳ではないと思われるが、劇団四季が一時常打ち小屋として使っていたこともあり、音響はまずまずのはずなのだが、やはりオペラをやるには空間が狭すぎるようである。PAを使っての上演だったが、声が響きすぎて壁がビリビリとした音を延々と発する場面も結構多かった。
またオペラは生のオーケストラで聴きたい。

今後この作品がオペラの定番としてレパートリー化されるのは、島根以外ではあるいは難しいかも知れないが、地方創生としておらが街のオペラを創作するというのは素晴らしい試みであると感じられた。

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2022年2月15日 (火)

これまでに観た映画より(281) 没後40年 セロニアス・モンクの世界「MONK」

2022年1月31日 アップリンク京都にて

アップリンク京都で、「没後40周年 セロニアス・モンクの世界『MONK(モンク)』」を観る。「セロニアス・モンクの世界」は「MONK」と「MONK IN EUROPE」の2本立てであり、共に上映時間1時間ちょっとと短いが、料金は1000円と安めに抑えられている。

ジャズ・ジャイアンツの中でも、一風変わったピアニストとして知られるセロニアス・モンク(1917-1982)。独学でピアノを習得し、ペダルの使用を控えた独特の響きと独自のコード進行などで人々を魅了している。今回の映像は、1968年に製作されたモノクローム作品で、ニューヨークのヴィレッジヴァンガードなどでの本番やリハーサル、モンクの日常の風景などを収めている。監督は、マイケル・ブラックウッド。

劇中でモンクは、1917年にノースカロライナで生まれたこと、母親が子供をニューヨークで育てたがったため、幼くしてニューヨークに移ったことなどを話している。モンクの若い時代については、本人が余り語りたがらなかったようで、今も良くは分かっていないようである。

ジャズ・ジャイアンツの多くは奇行癖の持ち主であったが、モンクもその場で何度もグルグル回ってみたりと謎の行動を見せている。煙草をくゆらせながら汗だくでピアノを弾いているが、リハーサルに密着した映像では酩酊したような語りを見せており、薬の影響が疑われるが、実は1970年代に入ると、セロニアス・モンクは表舞台から遠ざかってしまう。躁鬱病(双極性障害)であった可能性が高いとのことなのだが、あるいはこの時の喋り方は病気の予兆なのかも知れない。

情熱的で個性豊かな音楽を生んだ不思議な音楽家の姿を収めた貴重なフィルムである。

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2021年7月13日 (火)

NHK教育テレビ(現・Eテレ) 「思い出の名演奏」 カール・ベーム指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団来日公演1975@NHKホール ブラームス 交響曲第1番ほか

2011年2月5日

NHK教育テレビ「思い出の名演奏」で、カール・ベーム指揮ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の来日公演の映像を観る。1975年、NHKホールでの収録。NHKホールは1973年の竣工なのでまだ出来たばかりだ。

メインはブラームスの交響曲第1番。最近の演奏に比べると音が分厚く、ウィーン・フィル独特の弦の音色が美しい。ベームはどうも弦楽主体に音楽を組み立てるタイプのようだ(その点で、クレンペラーなどとは好対照)。

ベートーヴェンの交響曲第4番のリハーサルの模様なども流されるが、大変厳格である。口調も厳しい。ベームは性格的にはウィーン・フィルのメンバーからは嫌われていたようで(特に新人いじめが酷かったらしい)、あるウィーン・フィル奏者の回想を読んだことがあるが、「ベームは性格は悪いんだけど、腕がいいから尊敬する」といったようなことを語っていた記憶がある。多分カメラが入っていなかったらもっと辛辣なことを言っていたかも知れない。
グラーツ生まれのベームは、生涯、グラーツを愛したようで、それまでいじめていた新人奏者がグラーツ生まれだとわかった途端に優しい態度をとったという。

ベームのインタビューも放送されたが興味深いものだった。ショルティもそうだったが、ベームも日本の聴衆を褒めちぎっている。

ヨハン・シュトラウスⅡ世の「美しく青きドナウ」も演奏される。きっちりとした演奏で、名演とされる歴代の「美しく青きドナウ」に比べるとお堅い感じだが、音は美しいし、立派であり、また、ベームがこうした曲を演奏するというのは微笑ましくもある。

この頃のベームは日本では神様扱い。演奏終了後、聴衆が熱狂してステージそばに押し寄せ、ベームに花束を贈ったり握手を求めたりし、ベームがそれに応える光景が映っている。実はこの時、舞台袖に指揮者の岩城宏之がいて、「ああいう熱狂的な聴衆は実は本当のクラシック好きではないから」と、ステージから身を乗り出す高齢のベームに相手にしないよう忠告したが、ベームは「私はこれまでの生涯でこれほど熱烈な歓迎を受けたことはない。もし仮にステージから落ちたとしても本望だ」として聞き入れなかったという。

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2021年2月26日 (金)

劇団音乃屋オンライン公演 音楽劇「はごろも ~三保の伝承にもとづく~」(文字のみ)

2021年2月23日

劇団音乃屋のオンライン公演、音楽劇「はごろも ~三保の伝承にもとづく~」を視聴。静岡市清水区(旧静岡県清水市)の曹洞宗庵原山(あんげんざん)一乗寺の本堂で収録されたものである。静岡市清水区の三保の松原を始め、日本各地に残る羽衣伝説を題材にした「家族みんなで楽しめる音楽劇」である。宮城聰が芸術監督を務めるSPAC所属の女優で、劇団音乃屋主宰でもある関根淳子の作・演出、天女役。劇団大樹主宰で大蔵流狂言方の川野誠一の伯良(漁師。川野誠一は私立大分高校卒とのことなので、財前直見の後輩、森七菜の先輩となるようである)。新保有生(しんぼ・ありあ。苗字から察するに、先祖がご近所さんだった可能性もある)の作曲・演奏(三味線、篠笛、能管)での上演である。冒頭に一乗寺住職からの挨拶があり、劇団音乃屋主宰の関根淳子からの挨拶と新保有生の演奏が特典映像として収められている。

全国各地に存在する「羽衣伝説」であるが、三保の松原のそばにある御穂神社には天女のものとされる羽衣が今に伝わっている。
羽衣伝説は様々な芸能の素材となっているが、歌舞伎舞踊の「松廼羽衣(まつのはごろも)」が中村勘九郎・七之助の兄弟により、ロームシアター京都メインホールで上演された時には、上演前に行われた芸談で、「静岡公演の昼の部と夜の部の間に三保の松原と羽衣を見に行った」という話をしており、「残っているんなら切って与えたんだから、それを演出に取り入れよう」ということで、夜の部から急遽羽衣を切るという演出を加えたという話をしていたのを覚えている。

三保の松原は風光明媚な地として日本中に知られているが、そこから眺める富士山の美しさでも知られている。富士山は休火山で、今は噴煙は上がっていないが、噴火していた時代もあり、空へとたなびく白煙が天界へと続く羽衣に見立てられたことは想像に難くない。

新保有生による冴え冴えとした邦楽器の音が奏でられる中、まず川野誠一演じる伯良が狂言の発声と所作と様式で状況を説明して松に掛かった羽衣を見つけ、次いで天女役の関根淳子が現れて、返して欲しいと謡の発声で話し掛ける。邦楽を用いることで郷愁や哀愁が自ずから漂う。「舞を行うので衣を返して欲しい」と頼まれた伯良は「嘘偽りではないか」と疑うが、天女は「天に偽りなきものを」と言い、羽衣を纏っての舞を披露する。もちろん嘘ではない、嘘ではないが「芸術とは最も美しい嘘のことである」というドビュッシーの言葉が浮かぶ。天女は天界の人(正確にいうと人ではないが)なので神通力が使えるはずなのであるが、無理に衣を奪い返そうとせず、舞を披露することで羽衣を取り返す。このあたりが、芸能に生きる人々の「舞こそおのが神通力なれ」という心意気であり、今も受け継がれているように思える(伝承での「羽衣」は舞を披露したりはせず、夫婦となった後に天上へと帰ったり、地上に残ったりするパターンが多い。舞によって羽衣を取り返すのは伝世阿弥の謡曲「羽衣」以降である)。
三保の松原を舞台にした「羽衣」作品群には、天女への愛着のみならず、霊峰と仰がれ神格化された富士山(寿命を持った女神である「木花開耶姫=浅間神」に見立てられた)とそこから上る白煙を通した天界への憧れが、背後に隠されていると思われる。

関根淳子と川野誠一の演技と動きも寺院で上演されるに相応しい雅趣がある。現代劇の発声ではないので、セリフが耳に馴染みにくい方もいらっしゃるかも知れないが、日本語字幕付きのバージョンがあったり、英語字幕付きのバージョンがあったり、目の不自由な方のための解説副音声付きのものがあったりと、バリアフリー対応の公演となっている。

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2021年1月27日 (水)

観劇感想精選(381) 「万作萬斎新春狂言2021」@サンケイホールブリーゼ

2021年1月20日 西梅田のサンケイホールブリーゼにて観劇

午後7時から、西梅田のサンケイホールブリーゼで、「万作萬斎新春狂言2021」を観る。
緊急事態宣言発出により、劇場の営業は午後8時までとなっているが、「すでにチケットを売ったものについては例外」となっている。ただなるべく協力する形でということで、野村萬斎によるレクチャートークを短くし、休憩時間をなくすことで、午後8時15分頃の終演とした上で上演が行われる。
ちなみに明日も同一内容の公演がサンケイホールブリーゼであるが(主役級のキャストに変更はないが、ダブルキャストの役があるため、今日と完全に同じ出演者というわけではない)、マチネーであるため、レクチャートークも通常の長さ、休憩もありで上演される予定である。

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サンケイホールブリーゼの入るブリーゼタワーの周辺、西梅田や桜橋の地上は人がまばら。ショッピングビルであるブリーゼブリーゼ内部も休業中のショップも多いためか、がらんどうである。ブリーゼタワーは下層がショッピングビルのブリーゼブリーゼであり、その最上階の7階にあるサンケイホールブリーゼまでが一般人が立ち入れるスペースである。それより上はオフィスビルとなっており、日本ハムの本社もこのビル内に移転している。日本ハムは大阪の企業であるが、ファイターズが本拠地を東京(後楽園球場→東京ドーム)や札幌(今現在は札幌市の隣町である北広島市に自前の新球場を建設中であり、2年後を目途に移転する予定)、二軍を千葉県鎌ケ谷市に置いているということもあり、大阪の会社であるということは野球ファン以外には案外知られていないようである。

さて、「万作萬斎新春狂言2021」であるが、七五三縄が降りる中、まず謡初「雪山」が、中村修一、深田博治、野村萬斎、高野和憲、内藤連(上手からの並び順)によって謡われる。背景には舞い落ちる雪片が投影される。雪ということで「衣手」といった和歌でよく取り上げられる組み合わせの言葉も登場する。

狂言の演目は、野村万作がシテを務める「横座」と野村萬斎がシテを演じる「木六駄(きろくだ)」。「木六駄」は、野村万作が演じたものをびわ湖ホールで観たことがあるが、萬斎が太郎冠者を務める「木六駄」を観るのは初めてである。

好評をもって受け取られることが多い野村萬斎のレクシャートークであるが、今日は時間に制限がある。「明けましておめでとうございます、というには少し遅いような気がしますが」と萬斎は話し始める。ちなみに昨年の「万作萬斎新春狂言」では萬斎は、自身が総合演出を務めるはずだった東京オリンピックの開会式についても触れていたのだが、東京オリンピックは延期となり、今年開催されるにしても開会式も閉会式も規模縮小ということで、野村萬斎がリーダーであった「ドリームチーム」はすでに解散となっている。余りにも商業化しすぎ、筆頭スポンサーのNBCの意向で、真夏の開催となったことで批判の多い東京オリンピック。延期により秋の開催が出来るのかと思いきや、またもやNBCの意向で、酷暑の時期の開催が決まっている。正直、今の状態で東京オリンピックが開催されるようになる可能性は極めて低い。設備は整っているのだから、今年でなく近い将来に東京オリンピックが開催されるのもありだが、秋でないなら開催自体を見送った方がいい。オリンピックは一巨大メディアの専有物ではない。

野村萬斎はコロナ禍の中で駆けつけたお客さんに向かい、「よくぞいらっしゃいました。勇気と覚悟を持って」と話し、「今日は市松模様の俺様シート(左右前後空けのソーシャルディスタンスシフト)ですのでゆったりとご覧いただけます」と語った。緊急事態宣言発出の中での公演であるが、「なるべく劇場にお越し頂きたい」とお願いもする。

野村萬斎の家で元日に行われる謡初の話から入り、今日の演目が丑年にちなむ「牛尽くし」であることを説明する。「料理店のメニューのようですが」と語った後で、「横座」の解説。「横座」というのは上座のことで、牛主が「可愛らしい子牛が生まれた」というので、上座に子牛を据え、それが元で「横座」と呼ばれるようになった牛の話である。何某が牛を買ったのだが、見立てが出来ないので、見立てが出来る者のところに赴くことにする。さて、見立ての出来る牛主だが、大事な牛がどこかに行ってしまった。そこに通りかかった何某の牛を見て、それは自分が育てた横座という牛だと主張するのだが、何某は「金を出して買ったのだから自分の牛である」と譲らない。
萬斎は客席に、「牛の見分けが付く方、いらっしゃいますか? 私は自信がないのですが、ずっと牛と一緒にいれば見分けが付くようで」

その後に、平安時代の呪術の話が登場し、ややこしいので、萬斎はそこを重点的に解説する。「『陰陽師』(映画版は野村萬斎が安倍晴明役で主演している)って覚えてますでしょうか? リモートで戦うという」という話から、「横座」で語られる呪術合戦の物語へと入っていく。文徳天皇の御代の話である。平安時代の初期だ。日本の初期の歴史書6つ、総称して「六国史」と呼ばれるが、6つのうち4つは天皇数代の記録を一つの史書に纏めている。だが文徳天皇だけは『日本文徳天皇実録』と諡号入りの一代記になっている。藤原北家が本格的な摂関政治へと繰り出すきっかけになった天皇であり、天皇としての実績はほとんどないが、歴史のターニングポイントに在位した重要な存在である。ちなみに祖父は藤原冬嗣、伯父は藤原良房である。
さて、文徳天皇には後継者として有力視される二人の皇子がいた。紀静子との間に生まれた惟喬親王(萬斎は「タカちゃん」と呼ぶ)と、藤原明子の間に生まれた惟仁親王である。藤原北家の時代が始まりつつあったが、紀氏もまだ勢力を保っていたということで跡目争いが本格化する。惟喬親王と紀氏は、東寺の柿本紀僧正(真済)の力を借り、一方の惟仁親王と藤原氏は比叡山延暦寺の慧亮和尚の後ろ盾を得て、皇位継承を決める相撲合戦を密教で操作する。最初は柿本紀僧正の密教の方が力が強く、10戦で勝敗を決める相撲の第4取り組みまでは惟喬親王派が4連勝した。これを聞いた比叡山の慧亮和尚は、独鈷で頭を割り、脳みそを引きずり出して火にくべて祈祷し、結果、惟仁親王側の力士が6連勝し、惟仁親王が清和天皇として即位することになるのだが、萬斎は、「さっきググってみたら、どうも話を盛っている。清和天皇は清和源氏の祖となりますので、源氏の人達が先祖を讃えるべく盛った」らしいという話をしていた。

「今日は時間を短くしなくちゃいけないということで、もう時間が来てしまいました」と萬斎は、「木六駄」についても軽く解説する。「お歳暮の話です」と言い、「お歳暮を黒猫(ヤマト運輸)ではなく牛で運ぶ」と冗談を言って、「『横座』は実際に牛が出てくるんですが、『木六駄』はリモートでいるように見せます」と語った。
「牛と出くわしたことのある方、いらっしゃいますか? 私はイギリスに留学していた時に野生の牛と出くわしたことがあるのですが、牛というのはとにかく動きません。通り過ぎるまで15分ぐらい待ちました」
また、通常の能舞台とは異なる場所での上演ということで、「劇場ならではの演出をする」ことも明かしていた。

 

「横座」。出演:野村万作、石田幸雄、石田淡朗。後見:飯田豪。
何某(石田幸雄)が、牛(石田淡朗)を連れ簡易橋懸かりから現れる。たまたま牛を手に入れたのだが、価値も何もわからないので、目利きの出来る牛主(博労。演じるのは野村万作)に目利きを頼むつもりで、牛を東の在所の柱に繋ぐ。そこへ牛主がやって来る。なんでも横座という名の秘蔵の牛が行方不明になったらしい。
牛主が陰陽師に見て貰ったところ、「(横座は)東の在所にいる」ということで、東の在所にやって来たのだ。そこで何某が繋いでいる牛こそが横座なのではないか、と聞くが、何某は、「これは自分がきちんとしたところから買った牛で、横座とは思えない」と返し、横座であったとしても金を出して買ったのだから自分のものだと主張する。
牛主は、横座は呼べば答える牛なので、呼んでみようとするが、「100編呼ぶ内に答えたら」と回数が余りに多く、「それだけ呼んだらたまたま鳴くこともあるだろう」と何某に突っ込まれて、50回、5回と減らされ、最期は3度の内に落ち着く。鳴かなかった場合は、牛主は何某の譜代(家来)にならねばならないという。
2度呼ぶも横座は答えず、ならば、と文徳天皇の時代の故事を語る。陰陽師の話を聞いて東の在所にやって来たり、東寺と延暦寺による加持祈祷合戦の話をしたりと、スピリチュアルな内容になっているのが特徴の狂言である。
比叡山の慧亮和尚は、五大尊の曼荼羅を置いて祈ったのであるが、五大尊の中の大威徳は、水牛に座した姿で描かれており、慧亮和尚が祈祷を行うと、描かれた水牛が鳴いたという。
「絵の牛ですら鳴くのだから、実在する横座は鳴くだろう」というのが、語られた故事の結末となっている。果たして……
最後は書かないでおく。

 

「木六駄」。出演:野村萬斎、中村修一、高野和憲、深田博治。後見:内藤連。
狂言は、「この辺りの者でござる」で始まるのが一般的だが、この狂言では最初に出てきた主(中村修一)が、「奥丹波に住まい致す者でござる」と自己紹介をする。京に住む伯父(深田博治)にお歳暮を届けようと思い、太郎冠者(野村萬斎)に牛12頭のうち6頭に炭六駄、残る6頭に木六駄を付けて運ぶよう命じる。野村萬斎演じる太郎冠者は最初の返事から「はい」ではなく「ばい」といった感じで、常日頃から主の無理難題に辟易していることが見て取れる。その後の返事も、「ふぁい」「ふぇい」と不請不請答えていることが伝わってくる。通常の狂言は、舞台上で行われる古い時代の笑い話を見ることになるのだが、野村萬斎の場合は現代人に近い感じの人物を創造するため、現代的視点が狂言の中に入り込む仕掛けとなり、客体化もしくは相対化される。これはおそらく、野村萬斎一代限りの芸である。息子さんは継げないだろう。

雪深い奥丹波を行く太郎冠者。言うことをなかなか聞かない牛を連れて、舞台を横切っていく。能舞台で演じる時は、下手の橋懸かりから出て、再び橋懸かりから下手袖に戻るということしか出来ないのだが、今日は普通の劇場ということで、上手に退場。その後、背後の紗幕が透け、紗幕の後ろを上手から下手へと牛を追う仕草をしながら歩いて行くのが見える。そして再び下手から仮設の橋懸かりに登場。そこで太郎冠者は老の坂の峠の茶屋を発見し、一休みすることにする。牛を繋ごうとするが、「進め」と言っても進まないのに、「止まれ」と命じるとなぜか進もうとし、崖の方へ向かったりと太郎冠者を苦戦させる。
茶屋の中でくつろぐ太郎冠者に、茶屋の主(高野和憲)は茶を勧めるが、太郎冠者は酒を所望する。だが、茶屋は酒を切らしており、大雪のため買いにも行けない。実は太郎冠者は伯父に贈るための酒樽を持って歩いていた。茶屋の主と二人で、「濃い酒なので少しぐらい飲んでも水を足せばバレない」と話し合い、「ちょっと一杯のつもりで飲」み始め、「いつの間にやら」酒宴となってしまう。太郎冠者は鶉舞を披露。レクチャートークで「豪華パンフレット(冗談で、ペラペラの紙が二つ折りになっているだけである)に歌詞が載っているので」後で見て欲しいと萬斎は言っていたが、源三位頼政の鵺(ぬえ)退治の話が出てくる。京都市内には三位頼政の鵺退治ゆかりの場所がいくつか存在する。

結局、ベロベロに酔っ払った太郎冠者は、木六駄とそれを付けた牛を茶屋の主に与えてしまい、酔ったまま千鳥足で旅路を急いで、都の伯父の家に辿り着く。状を伯父に渡した太郎冠者。伯父は、「炭六駄と木六駄とあるが、木六駄がないではないか」と太郎冠者を問い詰める。太郎冠者は、「近頃、名を木六駄と変えまして、それがし木六駄が炭六駄を付けた牛を連れて上って参りました」と無理矢理誤魔化そうとするのだが……

太郎冠者のトリックスターぶりを際立たせた名演技であった。

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