カテゴリー「イギリス」の50件の記事

2022年12月 7日 (水)

観劇感想精選(450) 「凍える」

2022年11月5日 西宮北口の兵庫県立芸術文化センター阪急中ホールにて観劇

午後6時から、兵庫県立芸術文化センター阪急中ホールで、「凍える」を観る。作:ブライオニー・レイヴァリー、テキスト日本語訳:平川大作、演出:栗山民也。坂本昌行、長野里美、鈴木杏による三人芝居である。

三人芝居であるが、序盤はそれぞれ一人ずつが独り言を言ったり語ったりするシーンが続き、一人芝居の集合体といった趣である。中盤以降は会話を交わすシーンも出てくるが、三人で会話を行うシーンは存在しない。たまたまかも知れないが、コロナ下に行うには適した作品である(もっとも顔を近づける場面などは存在する)。

犯罪と幼児期の虐待がテーマとなっており、ストレスが脳に与える影響が語られる。人体実験が出来ないため脳については不明の部分が圧倒的に多いが、CTスキャンなどを行うと脳の萎縮した場所などが分かるため、心の傷が脳の傷に直結しているということも最近では分かるようになってきた。

イギリスが舞台であるが、冒頭には鈴木杏演じる精神科医のアニータ(研究医だろうか。デイヴィッドという男性と共同で幼時のストレスが脳に与える影響を研究しており、犯罪者も幼時に虐待などを受けて脳に損傷が見られるケースが多いことを学会で発表する)がニューヨークを去る場面が置かれている。アニータはアイスランド系であり、苗字も変わったものだ。

今から21年前に事件は起きた。ナンシー(長野里美。ちなみに「ナンシー」というのは「アン」の愛称である)の次女で10歳のローナが行方不明になる。イギリスでは幼児の失踪事件も多く、ナンシーと夫のボブ(「ボブ」というのは「ロバート」の愛称である)は失踪した子どもの親達が作る互助会のグループ「炎」に入って活動を続けるが、ローナの行方は知れない。その間にナンシーと夫や長女のイングリットとの関係もきしみ始める。

それから21年が経ち、ラルフ(坂本昌行)が連続児童殺害の容疑で逮捕される。殺害された児童の中にローナの名があった。


犯罪者と心の傷に迫る作品であり、興味深いところも沢山あるのだが、知識として提示されただけで、解決が何一つなされないというのが物足りないところである(解決しようがない問題であり、無理矢理解決させてはいけないのかも知れないが)。ラルフ(「ごめんあそばせ」という男らしからぬ言葉遣いをすることがあり、DVを受けていると思われる母親の姿がトラウマとして焼き付いているのかも知れない)の幼時に対する掘り下げがもっとあった方が物語性も高まるので良いように思われるのだが、グロテスクになる可能性も高いため敢えて避けた可能性もある。
ラルフの狂気の場面は、可笑しくなったり大仰になったりする直前で止まる優れた表現で、坂本昌行の俳優としてのセンスの高さが感じられ、長野里美も鈴木杏も自らの個性を十分に発揮した演技を行っていたように思う。

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2022年10月18日 (火)

観劇感想精選(447) 「FORTUNE(フォーチュン)」

2020年2月15日 大阪の森ノ宮ピロティホールにて観劇

午後6時30分から、大阪の森ノ宮ピロティホールで「FORTUNE(フォーチュン)」を観る。ゲーテの「ファウスト」を原案に、設定を現代のイギリスの映画界に置き換えて描いた作品である。作:サイモン・スティーヴンス、テキスト日本語訳:広田敦郎。演出:ショーン・ホームズ。美術・衣装:ポール・ウィリス。出演:森田剛、吉岡里帆、田畑智子、市川しんぺー、平田敦子、菅原永二、内田亜希子、皆本麻帆、前原滉、斉藤直樹、津村知与支、根岸季衣、鶴見辰吾。

ロンドン。映画監督であるフォーチュン・ジョージ(森田剛)は、次の仕事を一緒にすることになったプロデューサーのマギー(吉岡里帆)と出会う。マギーに一目惚れしたフォーチュンであったが、マギーは既婚者。夫のデイヴィッドは構造エンジニアで、道路工事現場などで指揮に当たっているという。フォーチュンはマギーに告白するが、あっさり断られてしまう。
フォーチュンの父親のショーン(鶴見辰吾)は、飲んだくれのろくでなしであり、家を出てイギリス中をフラフラしていたが、52歳の時にリヴァプールで自殺している。母親のキャサリン(根岸季衣)は花屋を経営しており、慎ましやかに暮らしている。フォーチュンは少々マザコンの気があるようである。
フォーチュンは、ネット上で知り合ったルーシーという女性(田畑智子)と会う。ルーシーが開設している「シルクロード」というサイトを見るよう言われるフォーチュン。そこには不思議な契約が書かれている。
フォーチュンは現在41歳であり、父親の享年を抜く53歳になるまでの12年間、望んだものが手に入る思うがままの生活を送ることが出来るという契約に血文字でサインする。望みは主に3つ。53歳の7月1日まで生きること、映画監督としての世界的な成功、そしてマギーである。だが望みが叶う代わりにフォーチュンは魂を売る必要がある。
フォーチュンは喩えとして、「木を素手で引き裂けるようになる」「水がワインに変わる」などを挙げるが、それらは全て現実のものとなる。そしてまず最初に起こった大きな出来事は、マギーの夫、デイヴィッドの事故死である。フォーチュンは「誰が殺して欲しいと言った!」とルーシーをなじるのだが……。

ホラー作品であり、恐怖を描く術にはかなり長けている。演出の進め方は巧みで、同じステージ上で現実と魔界が交錯する様が見えるような独特の不気味さを醸し出している。音楽の使い方も実に上手い。
だがストーリーも面白いことは面白いのだが、ストーリーそのもので終わってしまうため、残るものがほとんどない。展開に特になんのひねりもないため、「3時近く費やしてこれなの?」と拍子抜けする。この内容ならわざわざ舞台にする必要もない。壮大な無駄遣いという印象も受ける。劇中に、「過ぎ去った時間を戻すことは出来ない」という忠告のセリフもあるが、皮肉に思えてしまった。


連続ドラマ「カルテット」で大いに注目されながら、主演ドラマは低視聴率、主演映画は大コケと伸び悩んでいる吉岡里帆。真面目すぎる性格が役の幅を狭めている印象も受けるが、演技に関してはかなり才能がありそうである。基本的に自然体の構えであるが、感情をちょっと動かしただけで大きくスライドしたように感じられるというのはやはり並の女優では出来ないことである。表現の幅がかなり広いタイプと見た。ただ、マギーは終盤になるとほとんど出てこなくなってしまうため、役としての美味しさは十分ではないかも知れない。
最も良かったのは悪魔のルーシー役を演じた田畑智子である。飛び抜けて良かったと書いても構わないだろう。普通の女性やいいとこのお嬢さんを演じることが多い田畑智子だが、今回はコケティッシュにしてサディスティックという役を見事にものにしており、実力を十二分に示した。これからも従来のイメージを覆す役のオファーが来そうである。
タイトルロール(「幸運とはなにか」を問うタイトルであるが、芝居を観た後では薄っぺらく感じられてしまう)を演じた森田剛も切れがありながら重厚という特筆すべき出来であり、いい味を出していた根岸季衣と鶴見辰吾を含めて役者陣は満点である。それだけになんとも惜しい作品であった。

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2022年10月 6日 (木)

コンサートの記(808) サー・サイモン・ラトル指揮ロンドン交響楽団来日演奏会2022@フェニーチェ堺

2022年10月1日 フェニーチェ堺大ホールにて

午後4時から、フェニーチェ堺大ホールで、サー・サイモン・ラトル指揮ロンドン交響楽団の来日演奏会に接する。コロナ禍以降、初めて接する海外オーケストラの来日演奏会である。

サー・サイモン・ラトルの実演に接するのは2度目。前回は1998年に東京オペラシティコンサートホール“タケミツメモリアル”でのバーミンガム市交響楽団の来日演奏会で、ポディウム席(P席)で聴いている。メインはベートーヴェンの交響曲第5番、いわゆる「運命」であったが、前半の2曲がいずれも現代音楽であったため、客席はガラガラ。ラトルの指揮だというのに半分入っているのかどうかも怪しいという惨状で、日本人の現代音楽アレルギーが露わになった格好であった。
他の人が記した記録を参考にすると、コンサートが行われたのは1998年6月3日のことで、前半のプログラムは、武満徹の「鳥は星形の庭に降りる」とバートウィスル「時の勝利」(日本初演)である。武満の「鳥は星形の庭に降りる」は超有名というほどではないものの比較的知られた楽曲だが、バートウィスルの曲の情報が不足していたため避けられたのかも知れない。当時はまだ今ほどネットが普及しておらず、YouTubeなどで音源を気軽に聴くなどということも出来なかった。

ベートーヴェンの交響曲第5番はとにかく面白い演奏だったが、それが「ピリオド・アプローチ」なるものによる演奏であったことを知るのはそれからしばらく経ってからである。

それから24年ぶりとなるラトル指揮の演奏会。今回は現在の手兵で祖国を代表するオーケストラのロンドン交響楽団との来日であるが、ラトルはすでにロンドン交響楽団を離れ、バイエルン放送交響楽団の首席指揮者に就任することが決定しており、ロンドン交響楽団の音楽監督としては最後の来日公演となる。
本来は、2020年にラトルとロンドン響の来日演奏会が行われる予定で、京都コンサートホールでの演奏曲目はマーラーの交響曲第2番「復活」に決まっていたが、コロナにより来日演奏会は全て流れた。

今回の来日ツアーでも京都コンサートホールでの演奏会は組まれており、メインはブルックナーの交響曲第7番(B=G.コールス校訂版) であるが、フェニーチェ堺ではシベリウスの交響曲第7番がプログラムに入っていたため、少し遠いが京都ではなく堺まで出掛けることにした。流石に両方聴く気にはなれない。

演奏曲目は、ベルリオーズの序曲「海賊」、武満徹の「ファンタズマ/カントスⅡ」(トロンボーン独奏:ピーター・ムーア)、ラヴェルの「ラ・ヴァルス」、シベリウスの交響曲第7番、バルトークのバレエ「中国の不思議な役人」組曲。

フランス、日本、フィンランド、ハンガリーと国際色豊かな曲目が並ぶ。

アメリカ式の現代配置による演奏だが、ティンパニは指揮者の正面ではなく舞台上手奥に配される。


ベルリオーズの序曲「海賊」。オーケストラのメカニック、アンサンブルの精度などは日本のオーケストラと五分五分といったところ、ホールの音響もあると思われるが音の厚みではむしろ勝っているほどで、日本のオーケストラの成長の著しさが確認出来るが、音色の多彩さや輝きなどは日本のオーケストラからは聞こえないものである。おそらく音に対する感覚が異なっているのだと思われるが、そうなると日本のオーケストラがもうワンランク上がることの困難さが想像出来てしまう。
フランス音楽らしい響きが出ているが、ジェントルでノーブルであるところがイギリスのオーケストラらしい。このジェントルなノーブルさはコンサートを通して聴かれ、ロンドン交響楽団ならではの個性となっている。よく「日本のオーケストラは個性がない」と言われることがあるが、こうした演奏に接すると「確かにそうかも知れない」と納得しそうになる。


武満徹の「ファンタズマ/カントスⅡ」。
武満徹が書いたトロンボーン協奏曲で、ロンドン交響楽団首席トロンボーン奏者のピーター・ムーアがソリストを務める。
夢の中で更に夢を見るような重層的な夢想の構図を持つ作品で、次第に光度を増し、彼方からまばゆい光が差し込むようなところで終わる。
まどろみながら歩き続けているような、武満らしい楽曲である。ピーター・ムーアのソロも良い。


ラヴェルの「ラ・ヴァルス」。一昨日参加した「JUN'ICHI'S Cafe」で広上淳一が、「ラヴェルの書いた『ダフニスとクロエ』はディアギレフに気に入られなかった」という話をしていたが、「ラ・ヴァルス」もディアギレフのためのバレエ音楽として書かれながら採用されなかった曲である。
雲の上から俯瞰で見るという冒頭の描写力も高く、典雅な演奏が繰り広げられるが、フランスの指揮者やフランスのオーケストラによる演奏に比べると上品である。エスプリ・ゴーロワに当たる性質を有していない(大枠でそれに含まれるものもあるにはあるだろうが)ということも大きいだろう。


シベリウスの交響曲第7番。これを聴きたいがために堺まで出向いた曲目である。
ラトルはシベリウスを得意としており、バーミンガム市交響楽団とベルリン・フィルを指揮した二種類の「シベリウス交響曲全集」をリリースしているが、シベリウスの交響曲の中でも後期の作品の方がラトルに合っている。
武満やラヴェルとはまた違った幻想的なスタートを見せる。人間と自然とが完全に溶け合った、シベリウスならではの音楽が巧みに編まれていく。フルートのソロなども谷間の向こうから聞こえてくるような広がりと神秘性を宿している。
ロンドン交響楽団は、わずかに乳白色がかったような透明な響きをだし、このオーケストラの上品な個性がプラスに作用している。
金管がややリアルなのがこの曲には合っていないような気がしたが、それ以外は理想的なシベリウス演奏であった。


バルトークのバレエ「中国の不思議な役人」組曲。実はシベリウスの交響曲第7番と同じ年に書かれた作品なのであるが、シベリウスとは真逆の個性を放っている。猟奇的なストーリーを持つバレエの音楽であり、鋭く、キッチュでストラヴィスキーにも通じる作風だが、バルトークの作曲家としての高い実力が窺える作品と演奏である。
バルトークは20世紀を代表する作曲家として、今でも十分に高い評価を受けているが、今後更に評価が上がりそうな予感もする。


今日は最前列の席も販売されており、最前列に座った男性が「BRAVISSIMO(ブラヴィーッシモ。ブラヴォーの最上級)」と書かれた紙を広げ、ラトルは気に入ったようで、その男性と握手を交わす。
ラトルは、「皆さんお聴き下さりありがとうございました」と日本語で語り、最前列の男性を指して「ブラヴィーッシモ!」と言ってから、「フォーレの『パヴァーヌ』を演奏します」とやはり日本で語る。

そのフォーレの「パヴァーヌ」。繊細でエレガント。耳ではなく胸に直接染み込んでくるような嫋々とした演奏であった。

楽団員の多くがステージから去った後も拍手は鳴り止まず、ラトルが再登場して拍手が受ける。ラトルは客席に向かって投げキッスを送っていた。

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2022年7月24日 (日)

これまでに観た映画より(302) ドキュメンタリー映画「エリザベス 女王陛下の微笑み」

2022年7月21日 京都シネマにて

京都シネマで、ドキュメンタリー映画「エリザベス 女王陛下の微笑み」を観る。今年で96歳になる世界最高齢元首のエリザベス女王(エリザベス2世)の、即位前から現在に至るまでの映像を再構成したドキュメンタリーである。時系列ではなく、ストーリー展開も持たず、あるテーマに沿った映像が続いては次のテーマに移るという複数の断章的作品。

イギリスの王室と日本の皇室はよく比べられるが、万世一系の日本の皇室とは違い、イギリスの王室は何度も系統が入れ替わっており、日本には余り存在しない殺害された王や女王、逆に暴虐非道を行った君主などが何人もおり、ドラマティックであると同時に血なまぐさい。
そんな中で、英国の盛期に現れるのがなぜか女王という巡り合わせがある。シェイクスピアも活躍し、アルマダの海戦で無敵艦隊スペインを破った時代のエリザベス1世、「日の沈まない」大英帝国最盛期のヴィクトリア女王、そして前二者には及ばないが、軍事や経済面のみならずビートルズなどの文化面が花開いた現在のエリザベス2世女王である。

イギリスの王室が日本の皇室と違うのは、笑いのネタにされたりマスコミに追い回されたりと、芸能人のような扱いを受けることである。Mr.ビーンのネタに、「謁見しようとしたどう見てもエリザベス女王をモデルとした人物に頭突きを食らわせてしまう」というものがあるが(しかも二度制作されたらしい。そのうちの一つは頭突きの前の場面が今回のドキュメンタリー映画にも採用されている)、その他にもエリザベス女王をモデルにしたと思われるコメディ番組の映像が流れる。

1926年生まれのエリザベス2世女王。1926年は日本の元号でいうと大正15年(この年の12月25日のクリスマスの日に大正天皇が崩御し、その後の1週間だけが昭和元年となった)であり、かなり昔に生まれて長い歳月を生きてきたことが分かる。

とにかく在位が長いため、初めて接した首相がウィンストン・チャーチルだったりと、その生涯そのものが現代英国史と併走する存在であるエリザベス女王。多くの国の元首や要人、芸能のスターと握手し、言葉を交わし、英国の顔として生き続けてきた。一方で、私生活では早くに父親を亡くし、美貌の若き女王として世界的な注目を集めるが(ポール・マッカートニーへのインタビューに、「エリザベス女王は中学生だった私より10歳ほど年上で、その姿はセクシーに映った」とポールが語る下りがあり、アイドル的な存在だったことが分かる)、子ども達がスキャンダルを起こすことも多く、長男のチャールズ皇太子(エリザベス女王が長く生きすぎたため、今年73歳にして今なお皇太子のままである)がダイアナ妃と結婚したこと、更にダイアナ妃が離婚した後も「プリンセス・オブ・ウェールズ」の称号を手放そうとせず、そのまま事故死した際にエリザベス女王が雲隠れしたことについて市民から避難にする映像も流れたりする。この時は、エリザベス女王側が市民に歩み寄ることで信頼を取り戻している。

その他に、イギリスの上流階級のたしなみとして競馬の観戦に出掛け、当てて喜ぶなど、普通の可愛いおばあちゃんとしての姿もカメラは捉えており、おそらく世界史上に長く残る人物でありながら、一個の人間としての魅力もフィルムには収められている。

「ローマの休日」でアン王女を演じたオードリー・ヘップバーンなど、エリザベスが影響を与えた多くのスター達の姿を確認出来ることも、この映画の華やかさに一役買っている。

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2022年7月22日 (金)

コンサートの記(790) 大友直人指揮京都市交響楽団第669回定期演奏会

2022年7月16日 京都コンサートホールにて

午後2時30分から、京都コンサートホールで京都市交響楽団の第669回定期演奏会を聴く。指揮は、京都市交響楽団桂冠指揮者の大友直人。

曲目は、シベリウスの交響曲第6番とヴォーン・ウィリアムズの交響曲第2番「ロンドン交響曲」。大友は全編ノンタクトでの指揮を行った。


午後2時頃から大友直人によるプレトークがある。まずシベリウスに関しては、交響詩「フィンランディア」や交響曲第2番、あるいは最も演奏されるのはヴァイオリン協奏曲かも知れないが、最も得意としたのは交響曲の作曲であること、ただ第3番以降の交響曲はあまり演奏されないことなどを述べる。京都市交響楽団がシベリウスの交響曲第6番を演奏するのも久しぶり。大友自身も20年ほど前に京響を指揮して交響曲第6番を演奏したことがあるが、もうどんな演奏だったかも覚えていないという。

ヴォーン・ウィリアムズはシベリウス以上に演奏されない作曲家で、「作曲家のいない国」といわれたイギリスの出身であるが、イギリスが音楽的に不毛な国だったかというとそうではなく、ドイツ出身のヘンデルがイギリスに帰化していたり、モーツァルトやベートーヴェンもイギリスを訪れて影響を受けたりと、やはり大英帝国ということで、音楽の分野でも影響力は大きかったことを明かす。
また、シベリウスもヴォーン・ウィリアムズも同時代人であり、シベリウスの交響曲第6番もヴォーン・ウィリアムズのロンドン交響曲も静かに始まり静かに終わるという共通点を持つと語っていた。


今日のコンサートマスターは、京都市交響楽団特別客演コンサートマスターの会田莉凡(あいだ・りぼん)。泉原隆志は降り番で、フォアシュピーラーに尾﨑平。ドイツ式の現代配置での演奏である。ロンドン交響曲ではヴィオラ独奏が活躍するということで、ソロ首席ヴィオラ奏者の店村眞積(たなむら・まづみ)が全編に出演する。
ロンドン交響曲が演奏時間約50分という大作であるため、シベリウスの交響曲第6番に参加した管楽器の首席奏者はトロンボーンの岡本哲とホルンの垣本昌芳のみ。垣本はロンドン交響曲には参加しなかったため、全編に出た首席奏者は岡本哲のみであった。


シベリウスの交響曲第6番。大友は京響から神秘的で透明感溢れる音を引き出す。21世紀に入ってから力技の演奏も目立つ大友だが、この曲の演奏は丁寧で見通しが良くハイレベルである。第3楽章のラストや第4楽章では音が濁ることがあり、万全の出来とはいかなかったが、潤いと憂いと美と救済とそのほかあらゆるものを描き出した「神品」交響曲第6番の美質を巧みに浮かび上がらせた秀演となっていた。
先に書いたとおり、この曲では、管楽器に首席奏者が少なかったが、「首席だったらもっと」と思うパートがあったのは事実である。


ヴィーン・ウィリアムズのロンドン交響曲(交響曲第2番)。シベリウスの交響曲全集はフィンランド出身の指揮者が音楽界を席巻しているということもあり、リリースラッシュだが、イギリスの指揮者も台頭が目立つため、当然ながら母国の偉大な交響曲作曲家であるレイフ・ヴォーン・ウィリアムズの交響曲全集を作成する人は多い。サー・アンドリュー・デイヴィスのように早くから世界的な知名度を築いた指揮者から、サー・マーク・エルダーのように日本では知名度はそれほど高くないが英国では尊敬を集めている実力派の指揮者まで、ヴォーン・ウィリアムズの交響曲全集を作成しており、シベリウスやショスタコーヴィチにようにヴォーン・ウィリアムズも今後ブレイクが必至の作曲家となっている。なんだかんだで名指揮者が多い国の音楽は演奏される機会も多くなるし、多く聴かれることでファンも増えていく。
ドイツやフランスといったかつての音楽大国は、最近、指揮者が才能払底気味であり、比較的新しい時代の自国の作曲家の作品が思ったよりも演奏されないという現象も起きている。

イギリスの交響曲作曲家というとエルガーが有名であるが、彼は交響曲を3曲、完成したものに限ると2曲書いただけで、交響曲第2番は余り人気がない。一方、ヴィーン・ウィリアムズは9曲の交響曲を残しており、曲調もバラエティーに富んでいるということで、今後、日本でも取り上げられる回数が増えていくことだろう。

大友直人は元々、ヴォーン・ウィリアムズなどのイギリス音楽を得意としており、今回も引き締まった良い演奏を展開する。得意曲を振らせると、大友は若返ったように生き生きしている。

ロンドン交響曲は、大英帝国の首都時代のロンドンの様々な光景を描いたもので、趣としては同時代に作曲されたエルガーの交響曲第2番に近い。第1楽章では2台のハープがウエストミンスターの鐘(「キンコンカンコン」という学校のチャイムでよく使われる響き)を奏で、第4楽章の終盤でもウエストミンスターの鐘が1台のハープで奏でられて、幕開けと終幕の役割を担っている。活気に満ちていたり、異国情調溢れる場面があったりと、多彩な表情を持つ曲であり、師であるラヴェルからの影響も窺える。たまに雑然としたアンサンブルになるところもあったが、総体的には高く評価出来る演奏だと思う。大友の指揮も冴え、京響も力強い演奏で応えていた。

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2022年4月20日 (水)

コンサートの記(774) 尾高忠明指揮大阪フィルハーモニー交響楽団第557回定期演奏会

2022年4月8日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後7時から、大阪・中之島のフィエスティバルホールで、大阪フィルハーモニー交響楽団の第557回定期演奏会を聴く。今日の指揮は大阪フィルハーニー交響楽団音楽監督の尾高忠明。

曲目は、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番(ピアノ独奏:藤田真央)とエルガーの交響曲第2番。

ベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番の独奏は、元々はフランス人ピアニストであるアンヌ・ケフェレックが担う予定であったが、コロナ禍により来日不可となったため、気鋭の若手ピアニストとして知名度を上げている藤田真央が代役に指名された。


今日のコンサートマスターは崔文洙、フォアシュピーラーに須山暢大。ドイツ式の現代配置による演奏である。


ベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番。
ちょっと風変わりな青年であるが、天衣無縫の音楽性を持つピアニストである藤田真央(有名人ではあるが一応注釈を入れておくと男性ピアニストである)。冒頭の天国的な響きから聴衆を魅了する。音楽は次第に思索を深めていくが、藤田真央のピアノはピアノの音そのものよりも高い音楽性で聴かせる。「いいピアノだ」という印象よりも「なんて素敵な音楽なのだろうと」、ベートーヴェンの音楽性の高さをありありと示すことが出来るのである。まだ若い故に時にムラッけが出ることもあるが、リリシズムやロマンティシズム、この上ない喜びなどを自在に奏でてみせるのだからその実力に疑問の余地はない。
尾高指揮の大フィルも、ピリオドを取り入れた深くて格好の良い伴奏を聴かせた。


藤田真央のアンコール演奏は、J・S・バッハの「無伴奏ヴァイオリン・ソナタとパルティータ」よりガヴォット(ラフマニノフ編)。チャーミングにして愉悦感に飛んだ演奏であった。


エルガーの交響曲第2番。
大英帝国の栄耀栄華を描いたような交響曲第1番で名声を博したエドワード・エルガー。彼の交響曲第2番も大いに期待されたが、1911年5月24日にクイーンズホールで行われた作曲者自身の指揮による初演は、演奏終了後に困惑が広がったという。聴衆は交響曲第1番のような壮麗な楽曲を期待していたのだと思われるが、交響曲第2番は旋律も短めで、しかも何度も同じ音型が繰り返されるというものであり、交響曲第1番に比べてモダンな印象も受けるが、その余りの落差に、初めて聴いた聴衆が戸惑ったのもむべなるかなという気もする。

全ての楽章で、当時、大英帝国の首都として世界一の賑わいを見せていたロンドンの街の種々雑多な賑わいが描かれているようであり、楽しい曲ではあるのだが、作風がモダンすぎたのかも知れない。
第2楽章は、「故エドワード7世陛下の想い出に捧ぐと」記された追悼曲であるが、それにしては明るめの印象を受ける。一説には、エルガーが親しくしていた人物の他界に寄せた楽曲でもあるといわれているようだ。
第4楽章のラストは、「高揚」というよりも、「次の時代へと続く」という「その先」を感じさせる終わり方で、効果的である。

エルガーの交響曲第1番は英国音楽史上に燦然と輝く名曲だが、交響曲第2番も、ヴォーン=ウィリアムズを始め、その後の英国人交響曲作曲家に繋がるような曲調であり、英国音楽史上重要な音楽作品と見ることが出来るだろう。

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2022年4月 1日 (金)

これまでに観た映画より(290) 「ベルファスト」

2022年3月29日 京都シネマにて

京都シネマで、ケネス・ブラナー脚本・監督作「ベルファスト」を観る。アイルランド・イギリス合作。アカデミー賞では脚本賞に輝いた作品である。イギリス(グレート・ブリテンおよび北アイルランド連合王国)の北アイルランドの中心都市、ベルファストを舞台としたカトリック派とプロテスタント派の闘争を少年の視点から描いた作品。ケネス・ブラナーはベルファストに生まれ、9歳の時までこの街で生活していた。ということで、自身の子供時代を重ねて描いた映画である。

出演:ジュード・ヒル、カトリーナ・バルフ、ジェイミー・ドーナン、キアラン・ハインズ、ジュディ・デンチほか。

宗教闘争が鍵となっているが、それには北アイルランドの成り立ちについて知らないと内容がよく分からないことになる。
カトリックの国であったアイルランドであるが、徐々にイギリスに浸食されることになり、遂にはイギリスに併合されてしまう。その過程で、イギリスはカトリックを離れたイギリス国教会(英国聖公会)を樹立させ、更に多くの派が分離してプロテスタント系へと流れていく。ということで、イギリスはプロテスタントが主流、アイルランドはカトリックが主流ということになる。その後、ようやく20世紀に入ってからアイルランドはイギリスからの独立を勝ち取るのだが、北アイルランドはカトリック系の住民よりもプロテスタント系の住民の方が圧倒的に多かったため、アイルランド独立後もイギリスに属することになった。これが火種となる。

映画は現在のベルファスト市の上空からのカラー映像に続き、1969年8月15日のモノクロ映像へと移る。9歳のバディ(ジュード・ヒル)が戦士ごっこを終えて家へと帰ろうとした時のことだ。向こう側から、武装した異様な風体の男達が現れる。男達は火炎瓶を投げるなどして周囲を混乱と恐怖へと陥れていった。バディが住む街ではプロテスタント派もカトリック派も家族のように仲良く暮らしていた。だが、プロテスタントのタカ派青年達がやって来て、カトリックの住民を排斥するために暴力に訴え出たのである。これがIRAなどを生んだことで知られる北アイルランド紛争の始まりであった。実はバディの一家はプロテスタントを信仰しており、直接的に排除される対象ではなかった。後にバディは従姉のモイラによって反カトリック派によるスーパーマーケット襲撃の列に強引に加えられてしまったりする。

一方、バディの父親(本名不明。演じるのはジェイミー・ドーナン)はその日、家を空けていた。北アイルランドでは待遇が悪いため、ロンドンに出稼ぎに出て大工(正確には建具工のようである)をしていたのだ。平日はロンドンで働き、週末にベルファストに戻るという生活をしていたが、ベルファストが物騒になってきたため、週末にロンドンで働いて、それ以外はベルファストにいるという逆の生活を選ぶことになる。経済的に苦しくなることが予想されたが、そんな折り、契約しているロンドンの会社から大工の正社員にならないかという誘いを受ける。それも新居が約束されているという好待遇でである。しかしバディの母親(こちらも本名不明。演じるのはカトリーナ・バルフ)は生まれ育ったベルファストに愛着があり、またアイルランドなまりによって差別を受けるのではないかとの怖れからロンドンに移ることを渋る。

バディは小学校では成績優秀。クラス一の秀才であるキャサリンに好感を抱いている。小学校では、テストがある度に席替えが行われ、成績優秀者が最前列で、点数が低いと後ろに下がることになる。今回のテストでバディの成績は3番。オリンピックになぞらえて「銅メダル」と呼ばれる。あと一つ、順位を上げれば「金メダル」であるキャサリンの隣の席になれる。
そうした事情もあり、また祖父(キアラン・ハインズ)や祖母(ジュディ・デンチ)と別れたくないとの理由もあって「ベルファストから離れたくない」と泣きわめくのだった。


ケネス・ブラナーが自身の子供時代を投影していると思われるシーンがいくつかある。バディの一家は映画好きで、たびたび家族で映画館に出掛けており、映画館で「チキ・チキ・バン・バン」を観るシーンがある。またバディが一人でテレビで放送される西部劇映画を食い入るように見つめている場面がクローズアップなども使って描かれている。また、一家は劇場にも通う習慣があったようで、ディケンズ原作の「クリスマス・キャロル」を舞台化したものを観るシーンも盛り込まれている。夢見る少年にとって、生まれた場所を離れるのは耐えがたいことであったが、ベルファストの状況が日毎に悪化していく中で、母親も移住賛成派に回り、ベルファストを去ることが決定的となるのであった。


人生の最も重要な時期の一つである少年時代の夢と悪夢を絡めながら描いた瑞々しい作品である。状況的には悲惨なのであるが、幼い日の淡い恋心や映画への憧れなど、子供を主人公にしたからこそ可能な、心が軽くスキップするような瞬間が丁寧に描かれている。そしてそうであるが故に、それと対比される暴力や争うことの愚かさが、より際立って見える。

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2022年2月26日 (土)

観劇感想精選(428) 大竹しのぶ主演「ザ・ドクター」

2021年12月4日 西宮北口の兵庫県立芸術文化センター阪急中ホールにて観劇

午後5時から、西宮北口の兵庫県立芸術文化センター阪急中ホールで、「ザ・ドクター」を観る。作:ロバート・アイク、テキスト日本語訳:小田島恒志、演出:栗山民也。出演は、大竹しのぶ、橋本さとし、村川絵梨、橋本淳、宮崎秋人、那須凜、天野はな、久保酎吉、明星真由美、床嶋佳子、益岡徹。

イギリスを舞台とした作品である。

芝居はまず、ルース・ウルフ(大竹しのぶ)の録音された声から始まる。彼女が目の前に死体が横たわっているのを見つけたのでどうすればいいのかを聞いている。しかし、必要なのは「救急車ではありません」「それははっきりしています」と語る。「私は医師ですから」

ルースは、エリザベス(医療)研究所の創設者であり、所長でもある。いわばエリートだ。一方で、同性愛者でもあり、チャーリーというパートナー(床嶋佳子)がいる。

ある日、エリザベス研究所に、堕胎に失敗して敗血症となったエミリーという14歳の女の子が運ばれてくる。主治医は所長で教授でもあるルースが受け持つが、もう長くないことは明らかであった。そこにジェイコブ・ライス(益岡徹)という黒人の神父がやって来る(戯曲の指定もあるが、黒人のメイクはしていない)。エミリーの両親から臨終の儀式を行うよう頼まれたのだ。ルースは医学的見地からジェイコブの面会を拒否。エミリーが「自分は死ぬ」と察してパニックになるのを防ぐ意味もあった。だが、熱心なカトリック信者であるエミリーの両親は、臨終の儀式を行わないと地獄に落ちると信じており、自分達は飛行機に乗って移動中であるため間に合わないが、ジェイコブには絶対に臨終に立ち会うよう言っていた。ジェイコブも責任を感じ、エミリーの病室に向かおうとしてルースと揉み合いになる。ジェイコブは裁判になった時の証拠になるよう、その模様を録音していた。結局、ジェイコブの立ち会いは拒否され、エミリーは混乱の内に他界。ジェイコブは怒り心頭。その後に研究所にやって来たエミリーの父であるローナン(益岡徹二役)も、「娘を地獄に落とされた」と抗議を行う。やがてネット署名も始まって、自体は深刻化する。

一つには宗教の問題がある。ルースは無神論者のようだが、両親はユダヤ教徒。エリザベス研究所にもユダヤ系が多いということで、宗教的な贔屓があるのではないかと疑われた。広報のレベッカ(村川絵梨)もユダヤ系である。また500名の研究所員のうち65%が女性ということで、女性優遇があるのではないかという疑問も生まれる。また新たに薬理学系の教授候補となったユダヤ系女性と黒人男性のうち、採用されたのがユダヤ系女性のファインマンであったことも疑いを加速させる。

結局、ルースは所長の座を辞すのだが、ルースを追求する声は日増しに大きくなり、自宅の前に停めておいた車にもハーケンクロイツの傷を付けられるなど、魔女のような扱いを受ける。そしてルースは「ザ・ディベート」という番組に出演することになるのだが……。

前半は宗教観やジェンダーを巡るシリアスで重い展開となるが、後半はヒューマンドラマへと変わっていく。

「ザ・ドクター」というタイトルがルースのアイデンティティそのものを示している。彼女は女やユダヤ教徒の娘、そして人間である前に「ドクター」である。生まれながらにしてドクターに相応しい気質を持っているのだ。性別、人種、信条によって様々なイメージが生まれ、実体を占領する。だが、彼女には揺るぎない自己像と医師としての誇りと信念がある。ラスト近くのジェイコブやチャーリーとの会話に、それがはっきり表れていた。

大竹しのぶや益岡徹の存在感が見もの。また村川絵梨を舞台で見るのは久しぶりだが、いい女になっていて驚かされた。

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2021年12月20日 (月)

観劇感想精選(417) 「Home,I’m Darling~愛しのマイホーム~」

2021年11月12日 西宮北口の兵庫県立芸術文化センター阪急中ホールにて観劇

午後6時から、西宮北口の兵庫県立芸術文化センター阪急中ホールで、「Home,I'm Darling~愛しのマイホーム~」を観る。2019年の英国ローレンス・オリヴィエ賞5部門にノミネートされ、ベスト・ニュー・コメディ賞を受賞したブリティッシュ・コメディの日本初演である。作:ローラ・ウェイド、テキスト日本語訳:浦辺千鶴、演出:白井晃。東宝の製作である。出演は、鈴木京香、高橋克実、江口のりこ、青木さやか、袴田吉彦、銀粉蝶。
最近話題になることの多い江口のりこは姫路市の出身であるため、今回が凱旋公演ということになる。

ロンドン近郊の一軒家が舞台。ジュディ(鈴木京香)は、元々は部下が6人いるキャリアウーマンだったのだが、会社の経営が傾き、自主退職者が募られた時に、「クビになるのは確実だからその前に」と申し込み、以後は専業主婦になっている。ジュディの母親であるシルヴィア(銀粉蝶)は、娘が専業主婦になったことに納得がいっておらず、ジュディの下をたびたび訪れては不満を漏らす。ジュディの夫であるジョニー(高橋克実。カツラを付けての演技)は、不動産会社に勤務。ジュディはバーミンガム大学卒であるが、ジョニーは大学入学資格試験の日にインフルエンザに罹ったという不運も重なって高校で学業を終えている。高卒ということで、会社では最古参であるにも関わらずなかなか出世出来ないでいるのだが、ジュディにはどうしてもジョニーに出世して貰いたい理由があった。

ジュディの趣味である1950年代風に統一された家の内装。ジュディも50年代風の衣装を好んで着る。「最高に幸せ」という雰囲気で始まる芝居だが、ジュディもジョニーも内心には不満を秘めている。

ジョニーの上司が変わる。若いアレックスという人物だ。ジュディはアレックスというファーストネームから男だと信じていたのだが、実は女性である(江口のりこが演じる)。
部下のことをよく知りたいというアレックス。ジュディとジョニーはアレックスを自宅に招くことにする。ジョニーとアレックスは実に相性が良い。アレックスはロンドン大学のスクール・オブ・エコノミクス(英タイムズ紙による2022年版英国内ランキング5位)を卒業したインテリで、バーミンガム大学(同じく2022年版英国内ランキング25位)出身のジュディよりも高学歴。ジョニーとのやり取りも親密で、ジュディは嫉妬を覚え……。

第2幕冒頭には、会社を辞める前のジュディとジョニーのシーンが挿入されており、ジョニーがキャリアウーマンタイプの女性を好んでおり、ジュディを結婚相手に選んだ理由が仄めかされている。

ストーリー的には特に目新しい展開も、特筆すべき事件も起こらないのだが、夫婦が再び互いに恋するという話でもあり、鈴木京香演じるジュディと高橋克実演じるジョニーが愛らしく、微笑ましい夫婦として映る。特段に優れた舞台という訳でもないのだが、「良いものを観たな」と思える大人のための演劇である。

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2021年9月 3日 (金)

観劇感想精選(411) IN STU×KAIKA 既成戯曲の演出シリーズ vol.1「アルカディア」

2021年8月13日 東九条のTHEATRE E9 KYOTOにて観劇

午後6時から、東九条のTHEATRE E9 KYOTOで、IN STU×KAKA 既成戯曲の演出シリーズ vol.1「アルカディア」を観る。作:トム・ストッパード。テキストは、ハヤカワ演劇文庫から出ている小田島恒志訳のものを使用。演出は大石達起。出演は、阿僧祇(白河夜船)、高橋紘介、勝二繁(日本海/およそ三十世帯)、黒木陽子(劇団衛星/ユニット美人)、横山清正(気持ちのいいチョップ)、藤村弘二、川﨑祐輔(劇団つちの娘)、岡田眞太郎(トム論)、伊藤彩里(gallop/カイテイ舎)、土肥嬌也、上条拳斗、大山渓花。

21世紀に入ってから日本でも作品が上演される機会が増えたトム・ストッパード(1937- )。映画「恋におちたシェイクスピア」や「未来世紀ブラジル」などで共同脚本として名を連ねていることでも有名である。
「アルカディア」は、1993年にイギリスで初演され、日本初演は2016年に栗山民也の演出によって行われている。

イングランドの貴族、カヴァリー家の屋敷が舞台なのだが、時代を隔てた二つの世界が互い違いに描かれていく。最初に舞台となるのは1800年代。13歳のトマシナ・カヴァリー(阿僧祇)は、家庭教師のセプティマス・ホッジ(高橋紘介)に数学などについて教わっている。イギリスの場合、貴族階級の女子は学校に通うのではなく家庭教師に教わるのが一般的で、それが変わるのは20世紀以降である。

トマシナは聡明な女の子で、特に代数に関しては図抜けた能力を持っている。おそらく彼女に解けないのは、17世紀に提唱された「フェルマーの最終定理」(「アルカディア」初演から2年経った1995年にアンドリュー・ワイズによってようやく証明された)ぐらいで、実際にトマシナがフェルマーの最終定理に挑む場面がある。それを教えるセプティマス・ホッジもパブリックスクールの名門であるハロー校を経てケンブリッジ大学のトリニティ・カレッジで学んだというインテリである。実はセプティマス・ホッジは、ロマン主義最大の詩人といわれるジョージ・ゴードン・バイロン(バイロン卿)の先輩であり面識もあった、ということでカヴァリー邸にもバイロンは訪れている(劇中には登場しない)。

一方の舞台は現代である。登場人物は、カヴァリー家の末裔であるヴァレンタイン・カヴァリー(上条拳斗)とクロエ・カヴァリー(大山渓花)、そしてガス・カヴァリー(川﨑祐輔)。更にカヴァリー邸の歴史を調査しているベストセラー作家のハンナ・ジャービス(伊藤彩里)と、ハンナのライバル的存在であるサセックス大学研究員のバーナード・ナイチンゲール(最初の場面ではバーナード・ピーコックという偽名を付けられる。土肥嬌也)の5人。ガス・カヴァリーは、場面緘黙もしくは全緘黙で、知能は高いと思われるのだが話すことが出来ない。ただし音楽の才能は抜群で、母親からは「我が家の天才くん」と呼ばれている。ヴァレンティンは数学者ということで、先祖の血を受け継いでいるように思われる。
ちなみにガスを演じる川﨑祐輔は、1800年代の場面ではオーガスタス・カヴァリーを二役で演じているが、オーガスタスはガスとは真逆の、映画「アマデウス」に登場するモーツァルトを思わせるような天真爛漫な人物である。「オーガスタス」は、ラテン風に読むと「アウグストゥス」であり、クレオパトラの名前が劇中で出てくるのとおそらく関係があり、またセプティマスがセプテンバーに繋がる名前なのも意図的だと思われる。

現代の場面では、バイロンの研究をしているバーナードが、バイロンとカヴァリー邸で出会った詩人のエズラ・チェイター(藤村弘二)が、自作の詩をバイロンに酷評されたため決闘を申し出て、敗北。チェイターは死んだが、その結果、バイロンはイングランドにいられなくなったという説を唱える。その証拠となりそうな史料がカヴァリー邸にはいくつも眠っていたのである。だが、最終的にはその説は否定されることになる。

現代がこの路線で進む一方、1800年代の物語は、カヴァリー邸の庭園であるシドリー・パークが軸になって展開される。トマシナがシドリー・パークの設計図に書かれた「隠者の家」に隠者の絵を描き込み、庭園設計家のリチャード・ノークス(横山清正)は実際に隠者の家を建てるも、肝心の隠者が見つからないという話になる。セプティマスは、「隠者でしたらすぐに見つかると思います」と嘯く。

現代では、ハンナがこの隠者の正体について調査していたのだが、隠者と呼ばれた人物が、セプティマスと同い年であるという事実に気づき……。


トム・ストッパードは、数学に強い劇作家だそうで、この作品にも数学や物理に関する専門用語がちりばめられているが、理系に弱いと内容が分からないということはない。数字によって物語が展開していく訳ではないからだ。というよりもむしろ、数学の理論は最終的には退けられている。

面白いのは、本当に重要な物語が語られることなく作品が進み、終わるということである。

インテリでお堅いように見えるセプティマスであるが、男前で文武両道ということで様々な女性から誘われたり情を交わしたりしている。そんな彼が隠者、つまりなぜ女を避けて引きこもるようになったのか、という疑問が起こる。
この理由も仄めかされる。初登場時には13歳と10ヶ月(あと6週間で「ロミオとジュリエット」のジュリエットに並ぶ)だったトマシナであるが、終盤では16歳と11ヶ月に成長している。だが、トマシナは火事に遭って17歳の若さで亡くなっていることが記録されているのである。セプティマスが隠者となるのはそれ以降。つまり女からモテモテであったセプティマスが、亡くなったトマシナを最後の女性として、残りの人生を隠者として彼女の思い出と共に過ごしたというかなりロマンティックな物語が浮かび上がる。この話が舞台上で語られることはないのだが、おそらく多くの人に隠者としてのセプティマスの物語の始めと終わりが浮かぶだろうし、それは多分、正しい。語られない愛が最も雄弁に観る者に訴えかけるという極めて巧みな作劇法が用いられた物語である。

交互に登場した1800年代の場面と現代の場面が、終盤には同じ場で展開される。互いのことは見えないのだが、同時進行である。
ラストは、高い次元で理解し合えた二組の男女のワルツを踊る場面である。そのうち、トマシナとセプティマスは最初にして最後のワルツであり、永遠の男女としての最後にして最初のワルツだ。甘く悲しい最後である。


多くの出演者が、京都の小演劇で活躍している舞台俳優であるが、最近、京都の小劇場に接する機会が余りないので、何度も演技を見たことがあるのは黒木陽子だけである。
おそらくTHEATRE E9 KYOTOの舞台に慣れていないのと、キャリアが浅いことの両方が関係していると思われるのだが、特に男性陣はセリフも動きも押しの一手であり、「この大きさの空間なら怒鳴らなくても伝わるのに」と思った場面が多いのが気になるところである。

ラストのワルツの場面も、出演者達が音楽の素養に欠けるため、拍をちゃんと刻めていなかったり(三拍子の三角形を空間に描くのだが、三拍分を一拍で描くため、拍が取れていないことが分かる)、拍が取れていないので当然ながらワルツが踊れていなかったりと、かなり気になった。男性が常にリードするといったようなルールも知らないまま適当にやっているようである。

舞台美術などは結構お洒落に作ってあったり(舞台美術:岩崎靖史)、衣装なども良かった(衣装:久保梨緒)ので、後は演技の細部を詰めればもっと良くなるはずである。

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