カテゴリー「イギリス」の64件の記事

2025年2月17日 (月)

コンサートの記(888) 金子鈴太郎(チェロ) ブリテン 無伴奏チェロ組曲全曲演奏会@カフェ・モンタージュ

2025年1月29日 京都御苑の南のカフェ・モンタージュにて

午後8時から、京都御苑の南にあるカフェ・モンタージュで、金子鈴太郎(りんたろう)によるベンジャミン・ブリテンの無伴奏チェロ組曲全曲演奏会に接する。ブリテンの無伴奏チェロ組曲は1番から3番まである。
「作曲家のいない国」といわれたイギリスが久しぶりに生んだ天才作曲家であるベンジャミン・ブリテン。今でも有名作曲家であるが、今後さらに評価が高まりそうな予感がある。イギリスも指揮者大国になってきており、当然、お国ものの演奏も増えるので将来有望である。

ブリテンの無伴奏チェロ組曲の全曲盤は、ラフェエル・ウォルフィッシュのものがNAXOSから出ていて、千葉にいる頃はよく聴いたのだが、京都にはそのCDは持ってこなかったので、聴くのは久しぶりになる。昔はウォルフィッシュ盤以外は手に入りにくかったが、現在は、YouTubeなどにもいくつかの音源がアップされており、聴きやすくなっている。

昨年(2024年)末に、石上真由子率いるEnsemble Amoibeにも参加していた金子鈴太郎。桐朋学園大学ソリスト・ディプロマコース(座学などの授業はなしで、ソリストを目指して音楽に集中する課程)を経て、ハンガリー国立リスト音楽院に学んでいる。コンクールでも優勝歴多数。2000年代には大阪シンフォニカー交響楽団(現在の大阪交響楽団)の首席チェロ奏者、その後に特別首席チェロ奏者を務めている。
トウキョウ・モーツァルト・プレーヤーズ首席チェロ奏者とあるが、この楽団は現在はトウキョウ・ミタカ・フィルハーモニア(ホームページに楽団員の紹介なし)と名前を変えているはずなので、現在も在籍しているのかどうかは不明。森悠子率いる長岡京室内アンサンブルのメンバーでもあり、2022年からは北九州市の響ホール室内合奏団の特別契約首席チェリストも務めている(ここのホームページには名前と紹介が載っている)。

金子は一昨年に、レーガーの無伴奏チェロ作品をカフェ・モンタージュで演奏し、「これ以上しんどいことはないだろう」と考えていたが、それ以上となるブリテンの無伴奏チェロ組曲に挑むことになったと語って聴衆を笑わせていた。

無伴奏チェロ作品は、どうしてもJ・S・バッハのものを意識することになるが、ブリテンは第1番ではイギリス音楽的な、第2番ではショスタコーヴィチなどを思わせる先鋭的な音楽を書き、第3番でようやくバッハを意識した作風を見せることになる。

以前はよく聴いた曲だが、久しぶりなので内容を覚えておらず、「こんな音楽だったっけ?」と思う箇所がいくつもある。二十代の頃で今に比べると音楽の知識にも乏しく、分析などはせずに感覚で聴いていたからでもあろう。ただ面白く聴くことは出来た。

アンコール演奏であるが、「皆さん、もうお腹いっぱいですよね。短いものを」ということで、J・S・バッハの無伴奏チェロ組曲第1番よりサラバンドが奏でられた。

 

ブリテンはカミングアウトした同性愛者でもあり、偏見を持たれることもあったが、現在ではそうした意識も薄らぎつつあるため、ブリテンの作品が受け入れられやすくなってきているようにも思う。

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2025年2月 2日 (日)

コンサートの記(884) レナード・スラットキン指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団第584回定期演奏会 オール・ジョン・ウィリアムズ・プログラム

2025年1月23日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後7時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、大阪フィルハーモニー交響楽団の第584回定期演奏会を聴く。今日の指揮者は、大フィルへは6年ぶりの登場となるレナード・スラットキン。オール・ジョン・ウィリアムズ・プログラムである。

MLBが大好きで、WASPではなくユダヤ系でありながら「最もアメリカ的な指揮者」といわれるレナード・スラットキン。1944年生まれ。父親は指揮者でヴァイオリニストのフェリックス・スラットキン。ハリウッド・ボウル・オーケストラの指揮者であった。母親はチェロ奏者。

日本にも縁のある人で、NHK交響楽団が常任指揮者の制度を復活させる際に、最終候補三人のうちの一人となっている。ただ、結果的にはシャルル・デュトワが常任指揮者に選ばれた(最終候補の残る一人は、ガリー・ベルティーニで、彼は東京都交響楽団の音楽監督になっている)。スラットキンが選ばれていたら、N響も今とはかなり違うオーケストラになっていたはずである。

セントルイス交響楽団の音楽監督時代に、同交響楽団を全米オーケストラランキングの2位に持ち上げて注目を浴びる。ただ、この全米オーケストラランキングは毎年発表されるが、かなりいい加減。セントルイス交響楽団は実はニューヨーク・フィルハーモニックに次いで全米で2番目に長い歴史を誇るオーケストラではあるが、注目されたのはその時だけであり、裏に何かあったのかも知れない。ちなみにその時の1位はシカゴ交響楽団であった。セントルイス響時代はセントルイス・カージナルスのファンであったが、ワシントンD.C.のナショナル交響楽団の音楽監督に転身する際には、「カージナルスからボルチモア・オリオールズのファンに転じることが出来るのか?」などと報じられていた(当時、ワシントン・ナショナルズはまだ存在しない。MLBのチームが本拠地を置く最も近い街がD.C.の外港でもあるボルチモアであった)。ただワシントンD.C.や、ロンドンのBBC交響楽団の首席指揮者の時代は必ずしも成功とはいえず、デトロイト交響楽団のシェフに招かれてようやく勢いを取り戻している。デトロイトではデトロイト・タイガーズのファンだったのかどうかは分からないが、関西にもTIGERSがあるということで、大阪のザ・シンフォニーホールで行われたデトロイト交響楽団の来日演奏会では「六甲おろし」をアンコールで演奏している。2011年からはフランスのリヨン国立管弦楽団の音楽監督も務めた。現在は、デトロイト交響楽団の桂冠音楽監督、リヨン国立管弦楽団の名誉音楽監督、セントルイス交響楽団の桂冠指揮者の称号を得ている。また、スペイン領ではあるが、地理的にはアフリカのカナリア諸島にあるグラン・カナリア・フィルハーモニー管弦楽団の首席客演指揮者も務めている。グラン・カナリア・フィルはCDも出していて、思いのほかハイレベルのオーケストラである。
録音は、TELARC、EMI、NAXOSなどに行っている。
X(旧Twitter)では、奇妙なLP・CDジャケットを取り上げる習慣がある。また不二家のネクターが好きで、今回もKAJIMOTOのXのポストにネクターと戯れている写真がアップされていた。
先日は秋山和慶の代役として東京都交響楽団の指揮台に立ち、大好評を博している。

ホワイエで行われる、大阪フィルハーモニー交響楽団事務局長の福山修氏によるプレトークサロンでの話によると、6年前にスラットキンが大フィルに客演した際、終演後の食事会で再度の客演の約束をし、ジョン・ウィリアムズのヴァイオリン協奏曲が良いとスラットキンが言って、丁度、「スター・ウォーズ」シリーズの最終章が公開される時期になるというので、オール・ジョン・ウィリアムズ・プログラムで、ヴァイオリン協奏曲と「スター・ウォーズ」組曲をやろうという話になったのだが、コロナで流れてしまい、「スター・ウォーズ」シリーズの公開も終わったというので、プログラムを変え、余り聴かれないジョン・ウィリアムズ作品を取り上げることにしたという。

今日のコンサートマスターは須山暢大。フォアシュピーラーはおそらくアシスタント・コンサートマスターの尾張拓登である。ドイツ式の現代配置での演奏。スラットキンは総譜を繰りながら指揮する。

 

曲目は、前半がコンサートのための作品で、弦楽のためのエッセイとテューバ協奏曲(テューバ独奏:川浪浩一)。後半が映画音楽で、「カウボーイ」序曲、ジョーズのテーマ(映画「JAWS」より)、本泥棒(映画「やさしい本泥棒」より)、スーパーマン・マーチ(映画「スーパーマン」より)、SAYURIのテーマ(映画「SAYURI」より)、ヘドウィグのテーマ(映画「ハリー・ポッターと賢者の石」より)、レイダース・マーチ(「インディ・ジョーンズ」シリーズより)。

日本のオーケストラ、特にドイツものをレパートリーの中心に据えるNHK交響楽団や大阪フィルハーモニー交響楽団は、アメリカものを比較的不得手としているが、今日の大フィルは弦に透明感と抜けの良さ、更に適度な輝きがあり、管も力強く、アメリカの音楽を上手く再現していたように思う。

 

今日はスラットキンのトーク付きのコンサートである。通訳は音楽プロデューサー、映画字幕翻訳家の武満真樹(武満徹の娘)が行う。

スラットキンは、「こんばんは」のみ日本語で言って、英語でのトーク。武満真樹が通訳を行う。

「ジョン・ウィリアムズの音楽は生まれた時から聴いていました。なぜなら私の両親がハリウッドの映画スタジオの音楽家だったからです。私は子どもの頃、映画スタジオでよく遊んでいて、ジョン・ウィリアムズの音楽を聴いていました」

 

スラットキンは、弦楽のためのエッセイのみノンタクトで指揮。弦楽のためのエッセイは、1965年に書かれたもので、バーバーやコープランドといったアメリカの他の作曲家からの影響が濃厚である。

テューバ協奏曲。テューバ独奏の川浪浩一は、大阪フィルハーモニー交響楽団のテューバ奏者。福岡県生まれ。大阪の相愛大学音楽学部に入学し、2006年に首席で卒業。在学中は相愛オーケストラなどでの活動を行った。2007年に大フィルに入団。第30回日本管打楽器コンクールで第2位になっている。
通常、協奏曲のソリストは指揮者の下手側で演奏するのが普通だが、楽器の特性上か、今回は指揮者の上手側に座って吹く。
テューバの独奏というと、余りイメージがわかないが、思っていた以上に伸びやかなものである。一方の弦楽器などはいかにもジョン・ウィリアムズしているのが面白い。
比較的短めの協奏曲であるが、テューバ協奏曲自体が珍しいものであるだけに、楽しんで聴くことが出来た。

 

「カウボーイ」序曲。いかにも西部劇の音楽と言った趣である。スラットキンは、「この映画を観たことがある人は少ないと思います。ただ音楽を聴けばどんな映画か分かる、絵が浮かんできます。ジョン・ウィリアムズはそうした曲が書ける作曲家です」

ジョーズのテーマであるが、スラットキンは「鮫の映画です。2つの音だけの最も有名な音楽です。最初にこの2つの音を奏でたのは私の母親です。彼女は首席チェロ奏者でした。ですので私の母親はジョーズです」(?)
誰もが知っている音楽。少ない音で不気味さや迫力を出す技術が巧みである。大フィルもこの曲にフィットした渋みと輝きを合わせ持った音色を出す。

本泥棒。反共産主義、反ユダヤ主義が吹き荒れる時代を舞台にした映画の音楽である。後に「シンドラーのリスト」も書いているジョン・ウィリアムズ。叙情的な部分が重なる。
「シンドラーのリスト」の音楽の作曲について、ジョン・ウィリアムズは難色を示したそうだ。脚本を読んだのだが、「この映画の音楽には僕より相応しい人がいるんじゃないか?」と思い、スピルバーグにそう言ったのだが、スピルバーグは、「そうだね」と認めるも「でも、相応しい作曲家はみんな死んじゃってるんだ。残ってる中では君が最適だよ」ということで作曲することになったそうである。

スラットキン「ジョン・ウィリアムズは、人間だけでなく、動物や景色などの音楽も書きました。そして勿論、スーパーマンも」
大フィルの輝かしい金管がプラスに働く。大フィルは全体的に音が重めなところがあるのだが、この曲でもそれも迫力に繋がった。

SAYURIのテーマ。「SAYURI」は、京都の芸者である(そもそも京都には芸者はいないが)SAYURIをヒロインとした映画。スピルバーグ作品である。SAYURIを演じたのは何故か中国のトップ女優であったチャン・ツィイー(章子怡)。日本人キャストも出ているが(渡辺謙や役所広司など豪華)セリフは英語という妙な映画でもある。日本の風習として変なものがあったり、京都の少なくとも格上とされる花街では絶対に起きないことが起こるなど、実際の花街界隈では不評だったようだ。映画では、ヨーヨー・マのチェロ独奏のある曲であったが、今回はコンサート用にアレンジした譜面での演奏である。プレトークサロンで事務局長の福山修さんが、「君が代」をモチーフにしたという話をされていたが、それよりも日本の民謡などを参考にしているようにも聞こえる。ただ、美しくはあるが、日本人が作曲した映画音楽に比べるとやはりかなり西洋的ではある。

ヘドウィグのテーマ。スラットキンは、「オーケストラ曲を書くときは時間は自由です。しかし映画音楽は違います。場面に合わせて秒単位で音楽を書く必要があります」と言った後で、「上の方に梟がいないかご注意下さい」と語る。
ジョン・ウィリアムズの楽曲の中でもコンサートで演奏される機会の多い音楽。主役ともいうべきチェレスタは白石准が奏でる。白石は他の曲でもピアノを演奏していた。
ミステリアスな雰囲気を上手く出した演奏である。
ちなみに、福山さんによると、ヘドウィグのテーマの弦楽パートはかなり難しいそうで、アメリカのメジャーオーケストラの弦楽パートのオーディションでは、ヘドウィグのテーマの演奏が課せられることが多いという。

レイダース・マーチ。大阪城西の丸庭園での星空コンサートがあった頃に大植英次がインディ・ジョーンズの格好をして指揮していた光景が思い起こされる。力強く、躍動感のある演奏。リズム感にも秀でている。今日は全般的にアンサンブルは好調であった。

 

スラットキンは、「ありがとう」と日本語で言い、「もう1曲聴きたくありませんか?」と聞く。「でもどの曲がいいでしょう? 選ぶのは難しいです。『E.T.』にしましょうか? それとも『ホームアローン』が良いですか? 『ティーラーリラリー、未知との遭遇』もあります。ではこの曲にしましょう。皆さんが予想している曲とは違うかも知れません。私がこの曲を上手く指揮出来るかわかりませんが」
アンコール演奏は、「スター・ウォーズ」より「インペリアル・マーチ」(ダース・ベイダーのテーマ)である。スラットキンは指揮台に上がらずに演奏を開始させる。その後もほとんど指揮せずに指揮台の周りを反時計回りに移動。そして譜面台に忍ばせていた小型のライトセーバーを取り出し、指揮台に上がってやや大袈裟に指揮した。その後、ライトセーバーは最前列にいた子どもにプレゼント。エンターテイナーである。演奏も力強く、厳めしさも十全に表現されていた。

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2024年12月28日 (土)

これまでに観た映画より(360) National Theatre Live「ワーニャ(Vanya)」

2024年11月14日 大阪の扇町キネマにて

大阪の・扇町キネマで、National Theatre Live「ワーニャ(Vanya)」を観る。チェーホフの「ワーニャ伯父さん」を、ロイヤル・コート劇場のアソシエイト劇作家でマンチェスター・メトロポリタン大学の脚本教授でもあるサイモン・スティーヴンス(1971年生まれ。ローレンス・オリヴィエ賞最優秀新作プレイ賞やトニー賞プレイ部門最優秀作品賞を受賞した経験がある)が一人芝居用にリライト(翻案&共同クリエイターとクレジットされている)した作品。演出&共同クリエイターはサム・イェーツ(1983年生まれ)。
1976年生まれのアイルランド出身の俳優で、イギリス映画「異人たち」(原作:山田太一 『異人たちとの夏』)、英国のTVドラマ「SHERLOCK」やNetflix配信ドラマ「リプリー」で知られるアンドリュー・スコット(2019年にローレンス・オリヴィエ最優秀主演男優賞を受賞)が、一人で9役を演じ分ける。突然変わるため、すぐには誰の役なのか分からないところも多い。
2024年2月22日、ロンドンのデューク・オブ・ヨークス劇場での収録。上演時間は休憩込みの117分である(映画版には休憩時間はない)。ローレンス・オリヴィエ賞最優秀リバイバル賞受賞作。

チェーホフの「ワーニャ伯父さん」は、チェーホフの四大戯曲の一つなのだが、「かもめ」、「三人姉妹」、「桜の園」の三作品に比べると地味な印象が強く、上演機会も4つの作品の中では一番少ないはずである。それでも濱口竜介監督の映画「ドライブ・マイ・カー」では西島秀俊演じる舞台俳優兼演出家の主人公・家福が積極的に取り上げる作品として、一時、注目を浴びた。
ワーニャというのはイワンの相性で、英語版なのでアイヴァンという名で呼ばれている。47歳。なんと今の私よりも年下である。ちなみにチェーホフは44歳と若くして他界しているので、この歳にはたどり着けていない。
ワーニャ伯父さんは、大学教授のアレクサンドルに心酔し、支援を惜しまなかったが、結局は、アレクサンドルに失望し、怒りの余り発砲騒ぎを起こしてしまって、姪のソーニャ(今回の劇での役名はソニア)が慰めるという物語である。ちなみにソーニャについては、戯曲にはっきりと「器量が良くない」との記述がある。

今回は舞台を現代のアイルランドに置き換え、アレクサンドルはアレクサンダーという名で映画監督という設定に変わっている。ちなみに医師のマイケル(原作ではミハイル)はテニスボールをつくという謎の癖がある。
チェーホフというと「片思い」の構図が有名で、「かもめ」では好きな人は別の人を好きという片思いの連鎖が見られるのだが、「ワーニャ伯父さん」でも片思いが見られ、今回の「ワーニャ」にもそのまま反映されている。
中央にドアがあり(デザイン&共同ディレクター:ロザンナ・ヴァイズ)、それを潜った時に人物が変わることが多いが、それ以外にも突然、別人になるなど、一貫性があるわけではない。

アイヴァンは、アレクサンダーの映画監督としての才能に惚れ、援助を惜しまず、作品はセリフを全て覚えるほど何度も観たが、今はアイヴァンはアレクサンダーを「詐欺師」だと思っている。アレクサンダーは「国民的映像作家」と呼ばれたこともあったようなのだが、17年に渡ってスランプに陥っており、作品を発表出来ていない。アイヴァンの妹のアナがアレクサンダーの妻だったのだが、アナは若くして他界。アレクサンダーはヘレナという二番目の妻と一緒になっている。そのアレクサンダーとヘレナがアイヴァンの住む屋敷に長きに渡って滞在している。ヘレナはいい女のようで、アイヴァンも、主治医のマイケルも思いを寄せている。マイケルは特に診察が必要な訳でもないのに、毎日のようにヘレンが現在いるアイヴァンの家を訪ねてくる。

一人の俳優が男性女性問わず、入れ替わりながら演じることで、俳優、おいては人間の多面性が浮かび上がることになる。何の前ぶれもなくいきなり変わるので、正直、すぐに誰にチェンジしたのかは分かりにくいのだが、要所要所でははっきり分かるよう示されている。

ある男が将来を賭けてある人物に期待したのに、実態はろくでもない人間だった。地位に騙された。もし彼のために費やした歳月を自分のために使っていたのなら、自分も一廉の人物に――なれたかどうかは分からないのだが――アイヴァン(イワン、ワーニャ)はそう思っており、最終的には発砲事件を起こして、自己嫌悪に陥る。ソーニャ(ソニア)がそれでも生きていくことの大切さを説くという、現在でも多くの人々が抱えている問題を描いたチェーホフの筆致は、他の戯曲ほどではないが冴えているように思う。ちなみに発砲はライフルを用い、実際の発砲音に近い音が用いられている。

アンドリュー・スコットはコミカルな表現も得意なようで、デューク・オブ・ヨークス劇場の客席からは、しばしば爆笑の声が聞こえる。

様々な表情で多くの人物を演じていくアンドリュー・スコットであるが、ラストのソニアのメッセージは誠実さをもって語られ、「何があっても生きていかなければならない」という人間の業と宿命と、ある種の希望が示される。

複数の人物が登場する戯曲を一人芝居に置き換えるというのは、さほど珍しいことではないが、一人芝居というのは、文字通り、ステージ上に一人しかいないため、誤魔化しが利かないということと、役者に魅力を感じなかった場合、客が付いてこないというリスクがある。複数の俳優が出ている芝居だったら、中には気に入る役者が一人はいるかも知れないが、一人芝居は一人しかいないので一人で惹きつけるしかない。その点で、アンドリュー・スコットはユーモアのセンスとイケオジ的雰囲気を前面に出して成功していたように思う。

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2024年12月13日 (金)

これまでに観た映画より(358) 「BACK TO BLACK エイミーのすべて」

2024年11月27日 京都シネマにて

京都シネマで、イギリス・フランス・アメリカ合作映画「BACK TO BLACK エイミーのすべて」を観る。27クラブのメンバーとなってしまったイギリスのシンガーソングライター、エイミー・ワインハウスの人生を描いた作品である。監督:サム・テイラー=ジョンソン。脚本:マット・グリーンハルシュ、出演:マリア・アベラ、ジャック・オコンネル、エディ・マーサン、ジュリエット・コーワン、サム・ブキャナン、レスリー・マンヴィルほか。

27クラブの説明から行いたい。英語圏では27歳で早逝するミュージシャンが多く、この不吉な年齢で亡くなった場合、「27クラブに入った」と見なされる。27歳は若いので、自然死や病死の人は少なく、オーバードーズや自殺など、世間から見て「良くない」とされる死に方をしている人が大半である。エイミー・ワインハウスも急性アルコール中毒で、一応、病気の範疇には入るが、つまりは酒の飲み過ぎで、自ら死を招いている。
27クラブの主なメンバーには、ジミ・ヘンドリックス(変死)、ジャニス・ジョプリン(オーバードーズ)、ジム・モリソン(心臓発作であるがオーバードーズの可能性が高い)、カート・コバーン(自殺)がいる。

「私の歌を聴くことで現実を5分だけでも忘れることが出来たら」との思いで歌い続けるエイミー・ワインハウス(マリア・アベラ)。音楽好きの一家の生まれ、に見えるのだが、すでに両親は別居していることが分かる。演劇学校に合格し、入学当初は「ジュディ・ガーランドの再来」などと期待されるも素行不良で退学に。煙草と酒が好きでドラッグにも手を出すなど、かなりだらしない人という印象も受ける。特にアルコールには目がなかったようで、酒を飲みながらライブを行うシーンがある。
この映画では描かれていないが、エイミーは、酩酊したまま舞台に上がり、ほとんどまともに歌えないまま本番を終えて、「史上最悪のコンサート」とこき下ろされたライブを行っている。これを「笑っていいとも」でタモリが紹介しており、「エイミー・ワインハウスという名前で、ワインが入っているから」と笑い話にしていたが、結果的にこの「史上最悪のコンサート」がエイミーのラストライブとなったようである。

若い頃にジャズシンガーをしていて、音楽に理解のあった祖母のシンシア(レスリー・マンヴィル)と仲が良かったエイミーだが、この祖母にすでに癌に侵されていることを告げられ、彼女が他界するといよいよ歯止めが利かなくなっていったようである。

歌手としてデビュー後に出会ったブレイク(ジャック・オコンネル)と恋仲になり、胸にブレイクの名のタトゥーを入れるエイミー。しかし、その後、ブレイクとは別れることになる。祖母のシンシアが他界した時も、エイミーは腕にシンシアのタトゥーを入れている。
ブレイクとの別れを歌った曲が、映画のタイトルにもなっている「BACK TO BLACK」である。この曲での成功により、エイミーとブレイクはよりを戻す。コンサートで、結婚したことを発表するエミリー。しかし、どうにも駄目なところのある二人は上手くいかず、ブレイクは暴行罪で逮捕。スターとなっていたエイミーはパパラッチに追い回されることになる。更にブレイクからは、「共依存の状態にあるのは良くない」と別れを切り出される。

ダイアナ妃が事故死した際も問題になったが、英国のパパラッチは相当に悪質でエイミーを精神的に追い詰めていく。そしてエイミーもそれほど強い女性には見えない。何かにつけ、依存する傾向がある。エイミーはリハビリのための施設に入ることを選択する。

そんな中でグラミー賞において6部門においてノミネートされ、5部門で受賞するという快挙を達成。しかしそれが最高にして最後の輝きとなった。

以後もリハビリを続けたエイミーだが、映画では描かれなかった「史上最悪のコンサート」などを経て、同じ年にロンドンの自宅で遺体となって発見される。享年27。27クラブへの仲間入りだった。生前、エイミーは27クラブに入ることを恐れていたと言われている。自堕落な生活に不安もあったのだろう。
才能がありながらいい加減な生活を送って身を滅ぼした愚かな女で済ませることも出来なくはない。だが彼女の人生には人間が本来抱えている弱さと、周囲の容赦のなさが反映されているように思える。あそこまでされると生きる気力をなくす人も多いだろう。親族と親密な関係を築けたのがせめてもの幸いだろうか。

ライブシーンなども多く、マリサ・アベラ本人によると思われる歌唱も臨場感があって、イギリスの一時代を彩った歌姫の世界を間接的にではあるが味わうことが出来る。
エイミーの姿が悲惨なので、好まない人もいるかも知れないが、音楽映画として優れているように思う。

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2024年12月 8日 (日)

これまでに観た映画より(357) National Theatre Live 「プライマ・フェイシィ」

2024年11月11日 大阪の扇町キネマにて

大阪の扇町キネマで、National Theatre Live「プライマ・フェイシィ」を観る。イギリスのナショナル・シアターが上演された演劇作品を映画館で上映するシリーズ作品。今回は、2022年4月15日から6月18日まで、ロンドン・ウエストエンドのハロルド・ピンター劇場で行われたジョディ・カマーの一人芝居「プライマ・フェイシィ」が上映される。作:スージー・ミラー、演出:ジャスティン・マーティン。ジャスティン・マーティンは、「ビリー・エリオット ~リトル・ダンサー~」などを手掛けたスティーブン・ダルドリーと長年に渡ってコラボレーションを組んできた人だという。

初の扇町キネマ。京都市内にも映画館は多く、大抵は京都の映画館で済んでしまうため、大阪市内の映画館には入ること自体が二度目である。

作者のスージー・ミラーは、オーストラリアのメルボルン出身で、オーストラリアの弁護士からイギリスの劇作家に転身したという異例の人である。この「プライマ・フェイシィ」も女性弁護士が主人公となっている。「プライマ・フェイシィ」の初演は2019年、オーストラリア・シドニーのグリフィン・シアターで行われている。

非常にセリフの量が多く、上演時間は休憩なしの2時間ほどだが、その間、ずっと喋りっぱなしのような状態である。物語は全てセリフで説明される。

女性弁護士のテッサ(ジョディ・カマー)は、性的暴行を受けた若い女性の弁護を法廷で行っている。テッサはわざと隙を作って、そこに相手を誘い込むという手法を得意としているようだ。テッサはリヴァプールで清掃業を営む労働者階級の出身であり(初演時はオーストラリアが舞台だったが、演じるジョディ・カマーがリヴァプール出身ということで設定が変わった)、公立のハイスクールを出たが、ケンブリッジ大学法学部の法科大学院(ロースクール)に進んでいる。オックスフォード大学と並ぶ世界最高峰の名門であるケンブリッジ大学の法科大学院といえど、イギリスの法曹資格を得るのは容易ではないようで、合格するのは10人に1人程度の狭き門であるようだ。ちなみに同級生にはやはり育ちの良い子が多かったようで、知り合いの多くは私立高校やパブリックスクール出身である。

テッサは、小さな弁護士事務所に勤めているのだが、大手の弁護士事務所からも誘いがある。

弁護士仲間とも上手くやっていたが、ある日、やはり弁護士のジュリアン・ブルックスと事務所内で情事に及ぶ。その後、ジュリアンとは親しくなり、日本食レストランで食事をし、日本酒(「サキ」と発音される)を飲み、テッサのアパートに移ってワインなどを空け、この日も情事に及ぶのだが、テッサはその後、吐き気がしてトイレでもどしていた。そこにジュリアンがやってきてテッサをベッドまで抱え、テッサが望まぬ二度目のことに及ぶ。テッサは「これはレイプだ」と傷つき、自身のアパートを飛び出す。雨の日でずぶ濡れになったテッサはタクシーを拾い、最寄りの警察署に言って欲しいと告げる。

それから782日が経過した。ジュリアンはその後、婦女暴行で逮捕され、審判の日を迎えることになったのだ。だが、その間、テッサが失ったものは余りに多かった。

刑事法院に原告として証言台に立ったテッサは、不快な記憶を辿る必要がある上に、様々な矛盾を指摘される。俗に言う「セカンドレイプ」である。「両手を抑えられていたのに、口も塞がれたなんてどうやったんだ?」と痛いところを突かれる。テッサは、ジュリアンが片手でテッサの両手を抑えて、片手で口を塞いだことを思い出すのだが、レイプ体験の証言ということで、どうしても頭が混乱してしまい、その場では上手く証言出来ない。法律は全て家父長的な精神の下で男性が作ったものであり、男性に有利に出来ているとテッサは告発する。「法への信念」を抱いてきたテッサの失望である。
更に、テッサがスカウトされ、現在所属している大手弁護士事務所は、ジュリアンなど複数の弁護士に誘いを掛けており、最終候補に残ったのがテッサとジュリアンの二人だった。テッサはそれを知らなかったのだが、「ジュリアンを追い落とそうとしたのでは」との疑いを掛けられる。

「魂の殺人」とも言われる強姦。女性の3人に1人が被害に遭っているという統計もあるが、被害者が基本的に混乱に陥っているということもあって立証は難しく、この劇での被告であるジュリアンも無罪となっている。
敗れたテッサだが、被害者の一人としていずれ法が変わり、多くの女性が救われる日が来ることを願う。そして、この芝居のためにセルフ・エステーム(レベッカ・ルーシー・テイラー)が書き下ろした「私が私でいられる完全な自由」を求める歌によって締められる。

1993年生まれと若いジョディ・カマーは、普段はテレビドラマを主戦場としている人のようだが、膨大な量のセリフを機関銃のように吐き出すという迫力のある演技を見せる。彼女は「プライマ・フェイシィ」で、イブニング・スタンダード演劇賞と、権威あるローレンス・オリヴィエ賞最優秀主演女優賞を獲得している。ニューヨーク・ブロードウェイ公演ではトニー賞最優秀主演女優賞にも輝いた。
作品自体もローレンス・オリヴィエ賞の最優秀新作プレイ賞を受賞している。

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2024年11月24日 (日)

これまでに観た映画より(353) 「リトル・ダンサー」デジタルリマスター版

2024年10月31日 烏丸御池のアップリンク京都にて

新風館の地下にあるアップリンク京都で、イギリス映画「リトル・ダンサー」のデジタルリマスター版上映を観る。
「リトル・ダンサー(原題:「Billy Elliot」)」は、2000年に制作された映画で、日本公開は翌2001年。その後、映画に感銘を受けたエルトン・ジョンによってミュージカル化され、原題の「ビリー・エリオット」のタイトルで、日本でも現在三演(再々演)中である。

ミュージカル化された「ビリー・エリオット」は、社会問題により焦点を当てた筋書きとなっており、マーガレット・サッチャー元首相も悪女として語られるのだが、映画版では社会性はそれほど濃厚には感じられない。イングランド北東部の炭鉱の町を舞台とした映画で、サッチャーの新自由主義的政策により、まさに切り捨てられようとしている人々が多数出てくるのだが、それよりもビリー・エリオットのサクセスストーリーが中心となっている。サッチャーも名前が一度、ラジオから流れるだけだ。ただ自分たちには未来がなく、ビリーだけが希望という悲しい現実は示されている。
日本で公開された2001年には、日本経済にもまだ余裕があったのだが、その後、日本は徐々に衰退していき、英国病に苦しんでいたイギリスと似た状況が続いている。そうした上でも「染みる」作品となっている。

監督は、スティーヴン・ダルトリー。これが長編映画デビュー作となる。ヒューマンドラマを描くのが上手い印象だ。ダルドリーは元々は演劇の演出家として活躍してきた人である。
ミュージカル「ビリー・エリオット」の演出も手掛けている。

脚本のリー・ホールは、ミュージカル「ビリー・エリオット」の脚本も手掛けた。賛否両論というより否定的な感想に方が多かった映画版「キャッツ」の脚本を書いてもいる(映画「キャッツ」は視覚効果やカメラワークの不評もあって評価は低めだが、脚本自体は悪いものではない)。

振付のピーター・ダーリングもミュージカル「ビリー・エリオット」での振付を担当している。

出演は、ジェイミー・ベル、ジュリー・ウォルターズ、ジェイミー・ドラヴェン、ゲイリー・ルイス、ジーン・ヘイウッドほか。老婆役だったジーン・ヘイウッドは2019年9月14日に死去している。
ビリー・エリオット役のジェイミー・ベルも約四半世紀を経て大人の俳優となり、山田太一の小説『異人たちとの夏』を原作としたイギリス映画「異人たち」にも出演している。

「リトル・ダンサー」は、英国アカデミー賞英国作品賞、主演男優賞、助演女優賞を受賞。日本アカデミー賞で最優秀外国作品賞などを受賞している。

斜陽の炭鉱の街に生まれたビリー・エリオットは11歳。ボクシングを習っていたが、バレエ教室が稽古場の関係で、ボクシングジムと同じ場所で練習を行うことになり、ビリーは次第にバレエに魅せられ、またバレエ教室の先生からは素質を認められ、ロンドンのロイヤル・バレエ学校を受けてはどうかと勧められる。だが、ここは保守的な田舎町。父親から、「バレエは男がやるものではない。男ならサッカーやボクシングだ」とボクシングを続けるよう諭される。それでもビリーはロイヤル・バレエ学校のオーディションを受けることにするのだが、受験日と労働闘争の日が重なってしまい……。

前回「リトル・ダンサー」の映画を観た時と今との間に多くの映画・演劇作品に触れてきており、そのためもあってか、初めて観たときほどの感銘を受けなかったのも事実である。ただ「愛すべき映画」という評価は変わらないように思う。デジタルリマスターされた映像も美しく、俳優達の演技も生き生きとしている。

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2024年11月23日 (土)

観劇感想精選(477) ミュージカル「ビリー・エリオット ~リトル・ダンサー~」再々演(三演) 2024.11.10 SkyシアターMBS

2024年11月10日 JR大阪駅西口のSkyシアターMBSにて観劇

12時30分から、JR大阪駅西口のSkyシアターMBSで、Daiwa House Presents ミュージカル「ビリー・エリオット ~リトル・ダンサー~」を観る。2000年に製作されたイギリス映画をミュージカル化した作品で、日本では今回が三演(再々演)になる。前回(再演)は、2020年の上演で、私は梅田芸術劇場メインホールで観ている。特別に感銘深い作品という訳ではなかったのだが(完成度自体は映画版の「リトル・ダンサー」の方が良い)、とある事情で観ることになった。

今年出来たばかりのSkyシアターMBS。このミュージカル「ビリー・エリオット ~リトル・ダンサー~」もオープニングシリーズの一つとして上演される。先にミュージカル「RENT」を観ているが、この時は2階席。今日は1階席だが、1階席だと音響はミュージカルを上演するのに最適である。程よい残響がある。演劇やミュージカルのみならず、今後は斉藤由貴などがコンサートを行う予定もあるようだ。オーケストラピットを設置出来るようになっていて、今日はオケピを使っての上演である。

ロングラン上演ということもあって、全ての役に複数の俳優が割り当てられている。前回は、益岡徹の芝居が見たかったので、益岡徹が出る回を選んだのだが、今回も益岡徹は出演するので、益岡徹出演回を選び、濱田めぐみの歌も聴いてみたかったので、両者が揃う回の土日上演を選び、今日のマチネーに決めた。

今日の出演は、石黒瑛土(いしぐろ・えいと。ビリー・エリオット)、益岡徹(お父さん=ジャッキー・エリオット)、濱田めぐみ(サンドラ・ウィルキンソン先生)、芋洗坂係長(ジョージ・ワトソン)、阿知波悟美(おばあちゃん)、西川大貴(にしかわ・たいき。トニー)、山科諒馬(やましな・りょうま。オールダー・ビリー)、髙橋維束(たかはし・いつか。マイケル)、上原日茉莉(デビー)、バレエダンサーズ・ベッドリントン(組)、髙橋翔大(トールボーイ)、藤元萬瑠(ふじもと・まる。スモールボーイ)ほか。
ベッドリントン(組)=岩本佳子、木村美桜、清水優、住徳瑠香、長尾侑南。


ミュージカル「ビリー・エリオット ~リトル・ダンサー~」は、映画「リトル・ダンサー(原題「Billy Elliot」)」をエルトン・ジョンの作曲でミュージカル化(「Billy Elliot the Musical」)したもので、2005年にロンドンで初演。日本版は2017年に初演され、2020年に再演、今回が三演(再々演)となる。日本でも初演時には菊田一夫演劇大賞などを受賞した。

ミュージカル「ビリー・エリオット ~リトル・ダンサー~」は、トニー賞で、ミュージカル作品賞、脚本賞、演出賞、振付賞など多くの賞を受賞している。なお、脚本(リー・ホール)、演出(スティーブン・ダルドリー)、振付(ピーター・ダーリング)は映画版と一緒である(テキスト日本語訳:常田景子、訳詞:高橋亜子、振付補:前田清実&藤山すみれ)。
ただ、社会批判はかなり強くなっており、冒頭の映像で、マーガレット・サッチャー(劇中ではマギー・サッチャーの愛称で呼ばれる。マーガレットの愛称にはもう一つ、メグというチャーミングなものがあるが、そちらで呼ばれることは絶対にない)首相が炭鉱の国有化を反故にした明らかな悪役として告発されているほか、第2幕冒頭のクリスマスイブのパーティーのシーンではジョージがサッチャーの女装をしたり、サッチャーの巨大バルーン人形が登場したりして、サッチャーの寿命が1年縮んだことを祝う場面があるなど、露骨に「反サッチャー色」が出ている。実際にサッチャーが亡くなると労働者階級の多くがパーティーを開いたと言われている。
イングランド北東部の炭鉱の町、ダラムのエヴァリントンが舞台なので、炭鉱で働く人の多くを失業に追いやったサッチャーが目の敵にされるのは当然なのだが、サッチャー的な新自由主義そのものへと嫌悪感が示されているようである。新自由主義は21世紀に入ってから更に大手を振って歩くようになっており、日本も当然ながらその例外ではない。

炭鉱の町が舞台ということで、日本を代表する炭鉱の存在する筑豊地方の方言にセリフが置き換えられている。
子役は多くの応募者の中から厳選されているが(1374人が応募して合格者4人)、今日、ビリーを演じた石黒君も演技の他に、バレエ、ダンス、タンブリング、歌など、高い完成度を見せている(2023年NBA全国バレエコンクール第1位、2023年YBCバレエコンクール第1位などの実績がある)。


反サッチャー色が濃くなっただけで、大筋については特に変更はない。1984年、ボクシングを習っていた11歳のビリー(どうでもいいことですが、私より1歳年上ですね)は、ボクシング教室の後に同じ場所で行われるバレエ教室のウィルキンソン先生(自己紹介の時に「アンナ・パヴロワ」と「瀕死の白鳥」で知られる名バレリーナを名乗る)にバレエダンサーとしての素質を見出され、ロンドンのロイヤル・バレエ・スクールを受けてみないかと誘われる。しかし、男臭い田舎の炭鉱町なので、最初はビリーも「バレエをやるのはオカマ」という偏見を持ち、炭鉱夫であるビリーの父親もやはり「バレエはオカマがやるもの」と思い込んでいる。なお、ビリーの母親はすでに亡くなっているが、幻影として登場する(演:大月さゆ)。現在、町はサッチャリズムに反対したストライキ中で、炭鉱の将来の見通しも暗い。
人々は、英語で「仕事と命を守れ」、「この町を地獄に追い落とすな」等の文句の書かれたプラカードを掲げている(英語が苦手な人は意味が分からないと思われる)。

元々筋が良いため、バレエも日々上達し、次第にロイヤル・バレエ・スクールのオーディションを受けることに関心を見せていくビリー。しかし、オーディションの当日、警官達がストライキ中の町を襲撃するという事件があり、ビリーはオーディションを受けることが出来なくなってしまう。

作曲はエルトン・ジョンであるが、ビリーがジュラルミンの楯を持った警官達と対峙するときに、チャイコフスキーの「白鳥の湖」より情景のメロディーが一瞬流れ、ビリーがオールダー・ビリーとデュオを踊る(ワイヤーアクションの場面あり)シーン(映画ではラストシーンだが、ミュージカルでは途中に配される)にも「白鳥の湖」が用いられ、更にその後も一度、「白鳥の湖」は流れる。

ウィルキンソン先生を、ビリーが母のように慕うシーンは映画版にはなかったもの(そもそも映画版とミュージカル版ではウィルキンソン先生の性格が異なる)。またビリーの父親であるジャッキーが故郷への愛着を三拍子の曲で歌ったり、炭鉱の人々がビリーを励ます歌をあたかもプロテストソングのように歌い上げたりするシーンもより政治色を強めている。
ビリーの兄のトニーがいうように、炭鉱の人々はサッチャーによって全員失業させられる。これからどうやって生きていくのか。ビリーのサクセスストーリーよりもそちらの方が気になってしまう。ビリーのために乏しい財布からカンパをした人々だ。この後、炭鉱の閉鎖が決まり、地獄のような時代が待っているはずだが、皆、生き抜いて欲しい。

ビリーは、出る時も客席通路からステージに向かう階段を昇って現れたが、去る時も母親の幻影と決別した後に階段を使って客席通路に降り、客席通路を一番上まで上って退場した。客席から第二のビリーが現れるようにとの制作側のメッセージが感じられた。実際、今日のビリーを演じた石黒瑛土君もミュージカル「ビリー・エリオット ~リトル・ダンサー~」の初演と再演を観てオーディション参加を決めたという。

観劇感想精選(363) ミュージカル「ビリー・エリオット ~リトル・ダンサー~」再演

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2024年11月 9日 (土)

これまでに観た映画より(350) 英国ロイヤル・オペラ・ハウス シネマシーズン 2023/24 プッチーニ 歌劇「蝶々夫人」

2024年6月13日 桂川・洛西口のイオンシネマ京都桂川にて

イオンシネマ京都桂川で、英国ロイヤル・オペラ・ハウス シネマシーズン 2023/24 プッチーニの歌劇「蝶々夫人」を観る。イギリス・ロンドンのロイヤル・オペラ・ハウス(コヴェント・ガーデン)で上演されたオペラやバレエを上映するシリーズ。今回は、今年の3月26日に上演・収録された「蝶々夫人」の上映である。最新上演の上映といっても良い早さである。今回の上演は、2003年に初演されたモッシュ・ライザー&パトリス・コーリエによる演出の9度目の再演である。日本人の所作を専門家を呼んできちんと付けた演出で、そのため、誇張されたり、不自然に思えたりする場面は日本人が見てもほとんどない。

京都ではイオンシネマ京都桂川のみでの上映で、今日が上映最終日である。

指揮はケヴィン・ジョン・エドゥセイ。初めて聞く名前だが、黒人の血が入った指揮者で、活き活きとしてしなやかな音楽を作る。
演奏は、ロイヤル・オペラ・ハウス管弦楽団&ロイヤル・オペラ合唱団。
タイトルロールを歌うのは、アルメニア系リトアニア人のアスミク・グリゴリアン。中国系と思われる歌手が何人か出演しているが、日本人の歌手は残念ながら参加していないようである。エンドクレジットにスタッフの名前も映るのだが、スタッフには日本人がいることが分かる。

入り口で、タイムテーブルの入ったチラシを渡され、それで上映の内容が分かるようになっている。まず解説と指揮者や出演者へのインタビューがあり(18分)、第1幕が55分。14分の途中休憩が入り、その後すぐに第2幕ではなくロイヤル・オペラ・ハウスの照明スタッフの紹介とインタビューが入り(13分)、第2幕と第3幕が続けて上映され、カーテンコールとクレジットが続く(98分)。合計上映時間は3時間18分である。

チケット料金が結構高い(今回はdポイント割引を使った)が、映画館で聴く音響の迫力と美しい映像を考えると、これくらいの値がするのも仕方ないと思える。テレビモニターで聴く音とは比べものにならないほどの臨場感である。

蝶々夫人役のアスミク・グリゴリアンの声がとにかく凄い。声量がある上に美しく感情の乗せ方も上手い。日本人の女性歌手も体格面で白人に大きく劣るということはなくなりつつあり、長崎が舞台のオペラということで、雰囲気からいっても蝶々夫人役には日本人の方が合うのだが、声の力ではどうしても白人女性歌手には及ばないというのが正直なところである。グリゴリアンの声に負けないだけの力を持った日本人女性歌手は現時点では見当たらないだろう。

男前だが、いい加減な奴であるベンジャミン・フランクリン・ピンカートンを演じたジョシュア・ゲレーロも様になっており、お堅い常識人だと思われるのだが今ひとつ押しの弱いシャープレスを演じたラウリ・ヴァサールも理想的な演技を見せる。

今回面白いのは、ケート・ピンカートン(ピンカートン夫人)に黒人歌手であるヴェーナ・アカマ=マキアを起用している点。アカマ=マキアはまず影絵で登場し、その後に正体を現す。
自刃しようとした蝶々夫人が、寄ってきた息子を抱くシーンで、その後、蝶々夫人は息子に目隠しをし、小型の星条旗を持たせる。目隠しをされたまま小さな星条旗を振る息子。父親の祖国を讃えているだけのようでありながら、あたかもアメリカの帝国主義を礼賛しているかのようにも見え、それに対する告発が行われているようにも感じられる。そもそも「現地妻」という制度がアメリカの帝国主義の象徴であり、アフリカ諸国や日本もアメリカの帝国主義に組み込まれた国で、アメリカの強権発動が21世紀に入っても世界中で続いているという現状を見ると、問題の根深さが感じられる。
一方で、蝶々夫人の自刃の場面では桜の樹が現れ、花びらが舞う中で蝶々夫人は自らの体を刀で突く。桜の花びらが、元は武士の娘である蝶々夫人の上に舞い落ち、「桜のように潔く散る」のを美徳とする日本的な光景となるが、「ハラキリ」に代表される日本人の「死の美学」が日本人を死へと追いやりやすくしていることを象徴しているようにも感じられる。日本人は何かあるとすぐに死を選びやすく自殺率も高い。蝶々夫人も日本人でなかったら死ぬ必要はなかったのかも知れないと思うと、「死の美学」のある種の罪深さが実感される。

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2024年8月18日 (日)

コンサートの記(854) 久石譲指揮日本センチュリー交響楽団京都特別演奏会2024

2024年8月10日 京都コンサートホールにて

午後3時から、京都コンサートホールで、久石譲指揮日本センチュリー交響楽団の京都特別演奏会を聴く。今日と同一のプログラムで明日、山口県防府(ほうふ)市の三友(さんゆう)サルビアホールでも特別演奏会が行われる予定である。

スタジオジブリ作品や北野武監督の映画作品の作曲家としてお馴染みの久石譲であるが、それは仮の姿というか、彼の一側面であり、本来はミニマル・ミュージックをベースとした先鋭的な作曲家である。ちなみによく知られたことではあるが、久石譲は芸名であり(本名は藤澤守)、クインシー・ジョーンズをもじった名前である。
近年は指揮者としての活動が目立っており、ナガノ・チェンバー・オーケストラ(途中で改組されてフューチャー・オーケストラ・クラシックスとなる)とのベートーヴェン交響曲全曲演奏会とライブ録音した「ベートーヴェン交響曲全集」で高い評価を得たほか、新日本フィルハーモニー交響楽団を母体とした新日本フィル・ワールド・ドリーム・オーケストラの音楽監督に就任して活動継続中。現在は、日本センチュリー交響楽団の首席客演指揮者を務めており、2025年4月には同楽団の音楽監督に就任する予定である。その他、新日本フィルハーモニー交響楽団 Music Partner、作曲家としてロンドンのロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団のComposer in Associationを務めている。海外のオーケストラも指揮しており、ウィーン交響楽団、ヘルシンキ・フィルハーモニー管弦楽団、ロンドン交響楽団、メルボルン交響楽団、アメリカ交響楽団、シカゴ交響楽団、トロント交響楽団、ロサンゼルス・フィルハーモニックなどの指揮台に立っている。
国立(くにたち)音楽大学で作曲を学び、現在は同音大の招聘教授となっているが、指揮法に関してはおそらく誰かに本格的に師事したことはなく、ほぼ我流であると思われる。


曲目は、ブリテンの歌劇「ピーター・グライムス」より4つの海の前奏曲、久石譲の「Links」、久石譲の「DA・MA・SHI・絵」、ヴォーン・ウィリアムズの「グリーン・スリーヴス」による幻想曲、久石譲の交響組曲「魔女の宅急便」

久石譲の自作とイギリスものからなるプログラムである。

全曲、20世紀以降の新しい時代の作品であるが、ヴァイオリン両翼の古典配置を採用。無料パンフレットには楽団員表などは載っていないため、詳しい情報は分からない。

なお、久石譲の指揮ということで、チケット料金は高めに設定されているが、久石作曲・指揮のジブリ音楽が聴けるということもあり、完売となっている。


ブリテンの歌劇「ピーター・グライムス」より4つの海の間奏曲。
イギリスが久しぶりに生んだ天才作曲家、ベンジャミン・ブリテン。近年、再評価が進んでいる作曲家であるが、指揮者としても活動しており、録音も残されていて一部の演奏は評価も高い。
歌劇「ピーター・グライムス」より4つの海の間奏曲も、ブリテンの才気が溢れ出ており、瑞々しくも神秘的且つ不穏な音楽が展開されていく。様々な要素が高い次元で統一された音楽である。
センチュリー響は、第1ヴァイオリン12という編成。元々、フォルムの造形美に定評のあるオーケストラだが、この曲でもキレのある音と丁寧な音色の積み重ねで聴かせる。
弦の艶やかさが目立つが、管楽器も透明感があり、音の抜けが良い。
歌劇「ピーター・グライムス」より4つの海の間奏曲は、レナード・バーンスタインが生涯最後のコンサートで取り上げた曲目の一つとしても知られており、それにより知名度も高くなっている。
久石の指揮は拍をきっちりと刻むオーソドックスなもので、専業の指揮者のような派手さはないが、よくツボを心得た指揮を行っている。


久石譲の「Links」と「DA・MA・SHI・絵」。いずれも久石お得意のミニマルミュージックである。「Links」は2007年の作曲。「DA・MA・SHI・絵」はやや古く1985年の作曲であるが、2009年にロンドン交響楽団と録音を行う際に大編成用に再構成されている。エッシャーのだまし絵にインスピレーションを得た作品である。
「Links」は愛すべき小品ともいうべき作品。甘くて楽しい「久石メロディー」とは一線を画したシャープな音響である。
「DA・MA・SHI・絵」は、冒頭はミニマルミュージックの創始者とされるマイケル・ナイマンの作風に似ているが、徐々にスケールが大きくなり、迫力も増していく。


ヴォーン・ウィリアムズの「グリーン・スリーヴス」による幻想曲。
ヴォーン・ウィリアムズも徐々にではあるが人気が高まっている作曲家。特に日本には、尾高忠明、藤岡幸夫、大友直人といったイギリスものを得意とする指揮者が多く、ヴォーン・ウィリアムズの作品がプログラムに載る確率も思いのほか高い。
イギリスも近年では指揮者大国になりつつあり、ヴォーン・ウィリアムズやエルガーといった英国を代表する作曲家の作品が演奏される機会が世界中で多くなっている。先頃亡くなったが、サー・アンドルー・デイヴィスが「ヴォーン・ウィリアムズ交響曲全集」を作成しており、またアメリカ人指揮者であるがイギリスでも活躍したレナード・スラットキンも交響曲全集を完成させている。
「グリーン・スリーヴス」による幻想曲は、日本でもお馴染みの「グリーン・スリーヴス」のメロディーを取り入れた分かりやすい曲で、おそらくドビュッシーの影響なども受けていると思われているが、音の透明度の高さや高雅な雰囲気などが魅力的な楽曲となっている。以前は、ヴォーン・ウィリアムズというと、この「グリーン・スリーヴス」による幻想曲の作曲家として知名度が高かったが、時代は変わり、今は交響曲作曲家として評価されるようになってきている。

久石譲はノンタクトで指揮。この曲が持つ美しさとそこはかとない哀愁、神秘性、ノーブルで繊細な雰囲気などを巧みに浮かび上がらせてみせた。


久石譲の交響組曲「魔女の宅急便」。スタジオジブリの映画の中でもテレビ放映される機会も多く、人気作品となっている「魔女の宅急便」の音楽をオーケストラコンサート用にアレンジしたものである。初演は2019年に作曲者指揮の新日本フィル・ワールド・ドリーム・オーケストラによって行われている。アコーディオン独奏は大阪を拠点に活動する、かとうかなこ。マンドリン独奏は青山忠。
チャーミングでノスタルジックで親しみやすいメロディーが次から次へと登場する楽曲で、久石の表現も自作だけに手慣れたもの。センチュリー響の技術も高い。
この曲では打楽器の活躍も目立っており、木琴、鉄琴が2台ずつ使われる他、チューブラーベルズなども活用される。アコーディオンとマンドリンの独奏も愛らしさを倍加させ、トランペット奏者やトロンボーン奏者、クラリネット奏者が立ち上がって演奏したり、フルート奏者がオカリナを奏でるなど、とても楽しい時が流れていく。
ラストはコンサートマスターのソロ(自分で譜面台を移動させ、立ち上がってソリストの位置に立って演奏)を伴う楽曲で閉じられた。


アンコール演奏は、久石譲の組曲「World Dreams」よりⅠ.World Dreams。チェロの活躍が目立つメロディアスで構築のしっかりした曲である。

演奏終了後、多くの「ブラボー!」が久石とセンチュリー響を讃え、1階席はほぼ総立ち、2階席3階席もスタンディングオベーションを行う人の姿が目立ち、大いに盛り上がった。

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2024年6月 3日 (月)

これまでに観た映画より(336) 「ジョン・レノン 失われた週末」

2024年5月15日 京都シネマにて

京都シネマで、ドキュメンタリー映画「ジョン・レノン 失われた週末」を観る。
1969年に結婚し、1980年にジョンが射殺されるまでパートナーであったジョン・レノンとオノ・ヨーコだが、1973年の秋からの18ヶ月間、別居していた時代があった。不仲が原因とされ、ジョンはニューヨークにオノ・ヨーコを置いてロサンゼルスに移っている。この間、ジョンのパートナーとなったのが、ジョンとヨーコの個人秘書だったメイ・パンであった。
中国からの移民である両親の下、ニューヨークのスパニッシュ・ハーレム地区に生まれ育ったメイ・パンは、カトリック系の学校に学び、卒業後は大学への進学を嫌ってコミュニティ・カレッジに通いながら、大ファンだったビートルズのアップル・レコード系の会社に事務員として潜り込む。面接では、「タイピングは出来るか」「書類整理は出来るか」「電話対応は出来るか」との質問に全て「はい」と答えたものの実は真っ赤な嘘で、いずれの経験もなく、まさに潜り込んだのである。プロダクション・アシスタントとして映画の制作にも携わったメイ。ジョン・レノンの名曲「イマジン」のMVの衣装担当もしている。また「Happy Xmas(War is Over)」にコーラスの一人として参加。ジャケットに写真が写っている。

ジョンの最初の妻、シンシアとの間に生まれたジュリアン・レノン。ヨーコは、ジュリアンからの電話をジョンになかなか繋ごうとしなかったが、メイはジョンとジュリアン、シンシアとの対面に協力している。ジョンが「失われた週末」と呼んだ18ヶ月の間に、ジョンはエルトン・ジョンと親しくなって一緒に音楽を制作し、不仲となっていたポール・マッカートニーと妻のリンダとも再会してセッションを行い、ジョン・レノンとしてはアメリカで初めてヒットチャート1位となった「真夜中を突っ走れ」などを制作するなど、音楽的に充実した日々を送る。デヴィッド・ボウイやミック・ジャガーなどとも知り合ったジョンであるが、メイは後にデヴィッド・ボウイのプロデューサーであったトニー・ヴィスコンティと結婚して二児を設けている(後に離婚)。

テレビ番組に出演した際にジョンが、「ビートルズの再結成はある?」と聞かれて、「どうかな?」と答える場面があるが、その直後にビートルズは法的に解散することになり、その手続きの様子も映っている。

現在(2022年時点)のメイ・パンも出演しており、若い頃のメイ・パンへのインタビュー映像も登場するなど、全体的にメイ・パンによるジョン・レノン像が語られており、中立性を保てているかというと疑問ではある。メイにジョンと付き合うことを勧めたのはオノ・ヨーコだそうで、性的に不安定であったジョンを見て、「あなたが付き合いなさい」とヨーコが勧めたそうである。ジョンの音楽活動自体は「失われた週末」の時期も活発であり、ヨーコの見込みは当たったことになるが、ジョンも結局はメイではなくヨーコを選んで戻っていくことになる。
ジョンがヨーコの下に戻ってからも付き合いを続けていたメイであるが、1980年12月8日、ジョンは住んでいた高級マンション、ダコタハウスの前で射殺され、2人の関係は完全に終わることになる。

メイ・パンは、ジュリアン・レノンとは親しくし続けており、映画終盤でもインタビューを受けるジュリアンに抱きつき、歩道を肩を組みながら歩いている。
ちなみにメイ・パンが2008年に上梓した『ジョン・レノン 失われた週末』が今年、復刊されており、より注目を浴びそうである。

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