カテゴリー「イギリス」の71件の記事

2026年2月18日 (水)

これまでに観た映画より(427) National Theatre Live「ウォレン夫人の職業」

2026年2月9日 大阪の扇町キネマにて

扇町キネマで、英National Theatre Live(NTLive)「ウォレン夫人の職業」を観る。奇才バーナード・ショー(代表作「ピグマリオン」=ミュージカル映画版タイトル「マイ・フェア・レディ」)の戯曲を、ロイヤル・コート劇場の芸術監督を務めたドミニク・クックが演出。出演は、イメルダ・ストウントン、ベッシー・カーター、ケヴィン・ドイル、ロバート・グレニスターほか。

英国のみならず、ブリュッセルやウィーンにも家を持つ金持ちのウォレン夫人の職業であるが、バーナード・ショーの世代とその時代のオペラがどのような女性を描くことが多かったかを考えると、タイトルでおおよその見当はつき、実際、当たっている。
母娘の話であり、当時の女性が置かれた立場をも明らかにする芝居である。

ウエストエンドの劇場での上演。上から見ると円形の舞台でやり取りが行われる。かなりの確率で笑いが起こるが、日本人としてはちょっと笑うのをはばかられるものが多い。やはりお国柄か、ブラックユーモアには笑いの反射神経が良さそうである。

ヴィヴィ・ウォレンは、幼い頃から寮などに住み、大学でも学んでいる(卒業したのか休学中なのかは不明)。「大学に戻る」という言葉が、「復学する」にも「大学院に進む」にも取れる。ただ知的水準は、牧師の息子であるフランクによると「ケンブリッジ大学卒業クラス」だそうだ。
母親のキティ・ウォレン(ウォレン夫人)は娘の面倒を余り見てこなかった。ずっとヨーロッパ大陸にいたが、久しぶりにイギリスに帰ってくる。
ちなみにヴィヴィは、自分の父親が誰なのかを知らない。
世間知らずと思われがちなヴィヴィであるが、短期間ながらロンドンに出て、事務仕事(数学が得意なので経理なども受け持ったのだろうか)をしたことがある。一方、ロンドンの芸術好きの友達に誘われて、ロンドンの美術館やオペラなどを観たが、彼女には芸術嗜好は全くなく、退屈でしかなくて今も芸術嫌いである。

キティ・ウォレンは、子ども4人のシングルマザーの子として育った。上二人は父親が違い、キティと姉のリズは純粋な姉妹だ。しかし、ある日、リズが姿を消す。橋から身投げして命を絶ったのだ、などと言われたが、ある日、リズが上品な上着に身を包んで帰ってくる。彼女は売春婦となったのだ。キティが1日14時間、バーでウエイトレスとして働いても薄給なのに対し、売春を行えば好きなものが好きなだけ手に入る。リズがブリュッセルに開いた高級娼婦の店でキティは働くことになり、ヴィヴィに十分な学費と生活費を送ることが出来たのだった。おそらくキティにとっては、女に必要なのは女であることで、聡明さなどは大して意味がない。娘を大学に進ませることが出来たのも金があったからだ。
この時代、女性が身を立てることの出来る職業は限られており、女性一人が一人だけの稼ぎで生きていくのは至難の業だった。国は違えど同じヨーロッパの国々で同じような問題が発生していたことは、オペラによく描かれている。
売春宿の話が出てくる時には、娼婦姿の女優達が背後に、ステージを取り囲むように立ち、その後、娼婦役のキャスト達は小道具を片付けたりする。
狩猟などをして遊び暮らし、収入が全くないフランクが、ヴィヴィの金を目当てに近づくも、二人は(おそらく異母)姉弟であることが分かるなど、バーナード・ショーらしい皮肉も効いている。
母親の言うことも分かるのだが、薄給でも職業婦人として歩き出したヴィヴィが頼もしくもある。

今回はパンフレットの取り扱いはなく、詳しいことは分からない。

イギリスの俳優は、表情と手の動きが日本人俳優より豊かだ。新劇の欧米作品上演などは白人の動きを真似て演技をするわけで、不自然ではあるのだが、一度、日本人の動きのままで欧米の作品に取り組んだ団体を観たことがあり、とてもじゃないが見ていられなかった。ということで新劇的な演技にならざるを得ないように思う。白人にはなれないが白人のフリをするしかない。

演出面であるが、不穏な音がずっと響いているのは逆効果。そんな説明はなくても分かる。

他にも欧米と日本の違いは色々あるが、英国の俳優の方が舞台に馴染んでいるように思う。そして自身に与えられた役を楽しんでいる。英国には王立の演劇学校や私立の音楽演劇学校があってそれによる違いもあるだろうが、技術よりも「いかに芝居が好きか」の違いは大きいように思う。昔の日本は新劇の劇団上がりなども多かったが、今は容姿が良かったのでスカウトして演技はそれからというケースも多い。「好きこそものの上手なれ」で、演技が好きな人の方が演技力が伸びやすいのは当然である。そうして培った演技をこちらも楽しんでみたくなるのだ。

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2026年1月 5日 (月)

これまでに観た映画より(421) ナショナル・シアター・ライブ(National Theatre Live) 「インター・エイリア(Inter Alia)」

2025年12月27日 梅田の大阪ステーションシティシネマにて

大阪へ。大阪ステーションシティシネマで、ナショナル・シアター・ライブ(National Theatre Live。NTL、NTLive)「インター・エイリア(Inter Alia)」を観る。今年の7月23日にロンドンの英国ナショナル・シアター リトルトン劇場で初演された作品で、三人芝居であるが、主役であるロザムンド・パイク(ジェシカ・パークス役)がストーリーテラーを兼任するため、膨大の量のセリフをこなしている。ロザムンド・パイク以外の出演は、ジェイミー・グローヴァー(マイケル・ウィートリー役)、ジャスパー・タルボット(ハリー・ウィートリー役)。その他に、子役が計6人出演する。
作は、オーストラリア・メルボルン出身のスージー・ミラー。豪州で弁護士兼劇作家として活躍した後、2010年にロンドンに移住したが、現在は、英、米、豪の3カ所で演劇、映画、テレビドラマに関わっている。
演出は、ジャスティン・マーティン。スティーブン・ダルドルーと共にキャリアを築いてきた演出家である。
スージー・ミラーとジャスティン・マーティンのコンビは、前作「プライマ・フェイシィ」に続き、NTL上映作品に選ばれた。
「Inter Alia」は、ラテン語で「その他のことの中で」という意味である。

セットはシンプルである。とある家庭の一室、中央にカウチとキッチンテーブル、上手にキッチンがあり、下手はものを入れる棚になっている。

ジェシカは、英刑事法院判事に昇格したばかりの法曹。夫のマイケルは弁護士だが、稼ぎは余り良くないようだ。弁護士などは接客業なので、頭脳は優秀でも対人関係を築くのが苦手な場合は、顧客が付かず、稼げず生活保護へ、というコースもあり得るため、日本でも近年は苦労して勉強してそれでは割に合わないと、弁護士志望者は減りつつある。マイケルも肩身が狭いというほどではないが、余り出しゃばらないよう心がけているようだ。
「妻より夫の方が上で」とジェシカも一人で夫婦円満法を唱えるが、取りあえずそれはそれである。夫婦間に亀裂はない。だが、18歳の息子、ハリーのことは心配である。ハリーの性的経験に関してはジェシカは踏み入らないようにしていた。自分が、男女間の暴力訴訟を得意とする検事だったからかも知れない。しかし、あるとき、ジェシカはハリーのノートパソコン(英米で言うラップトップ)の訪問履歴を検索する。しない方が賢明だとは思うのだが、ポルノハブなどの性関係の投稿サイトの閲覧履歴や、自分たちの仲間で撮影した性的な動画を見て、ジェシカは動揺する。
そして、ハリーが、強姦容疑で起訴される。ハワイ関連のイベントに参加し、クラスメイトと関係を持った疑惑が浮上したのだ。
ハリーとクラスメイトとの証言は食い違うのだが……。

性暴力の裁判を長年に渡って担ってきた女性が、息子が起こした性加害事件にどう向かい合うのか描いた作品である。
ただ、その前に、両親ともに法曹という、特殊な家庭であることには触れておきたい。イギリスは階級社会であり、労働者階級から上流階級に上がるには専門職に就くしかない。法曹は専門職なので、階級を超えることが出来る。上流階級になれるのだ。ただ、上流階級出身の法曹も当然ながらいるので、この夫婦の出身階級は不明である。ジェシカはやたらお喋りであるが、自分たちの出身階級には触れていない。息子のハリーは幼い頃にいじめに遭っていたが、これに関しても階級が影響しているのか不明である。労働階級の方が荒れてはいるが、仮に上流階級でパブリックスクールに入っていたとしてもいじめに遭う可能性はある。
それでも現時点では上流階級にいると思って間違いないだろう。前作の「プライマ・フェイシィ」は、労働者階級から法曹となり、上流階級へと移った女性が主人公だったが、本作とは繋がっていない。

階級によって思想や信条は変わってくるが、この芝居では、どの階級でも起こる事件を扱っており、意図的にかどうかは不明だが、階級にまつわる話は描かれていない。
その代わりに、妻の方が夫よりも上という、努力しても少し歪んでしまう家庭像には僅かながら振れている。階級よりも前に妻と夫のランクによって家庭のバランスが崩れるということもあり得る。

ハリーがどこまで行ったらレイプかどうか、ジェシカに問うシーンがある。性教育が十分ではなかったのだが、日本も性教育に関しては先進国中最低レベルといわれているため、耳の痛い問題である。

終盤はジェシカとハリー二人の話となるが、幼き頃のハリーを子役が舞台上を駆け巡ることで演じている。
ラストはベストではないかも知れないが、上手いところに落としたなという印象を受ける。法曹としてというよりも母親として、ジェシカはハリーときちんと向かい合ってこなかったように思う。18歳、子離れの年齢。ハリーからの提案をジェシカが受け入れることが、ほんの僅かながら明るさを感じさせる。

とにかくジェシカ役のロザムンド・パイクのセリフ量が多く、圧倒される。演じるジェシカ・パークスも判事で超エリート。ただ母親としてはスーパーウーマンではなくありふれた母親であったことが、観客をホッとさせる。これは超人達ではなく、普通の人々の物語だ。
今後、親子で事件に向き合うこともあるかも知れない。だがその前に母と息子の二人の話が続くはずだ。

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2025年11月10日 (月)

観劇感想精選(500) 森田剛主演「ヴォイツェック」(ジャック・ソーン版)

2025年10月25日 西宮北口の兵庫県立芸術文化センター阪急中ホールにて観劇

午後5時から、西宮北口の兵庫県立芸術文化センター阪急中ホールで、「ヴォイツェック」を観る。チフスのため23歳の若さで早逝した小説家、劇作家のゲオルク・ビューヒナーの未完にして代表作となる戯曲の上演。「ヴォイツェック」であるが、未完の上に原稿に通し番号などが振られていない状態で発見されたため、ビューヒナーがどこをどのようにどの順番で上演するつもりだったか今になっても分かっておらず、演出家が原稿の順番を選ぶため、同じ「ヴォイツェック」でも印象が大きく異なる。
ただ、アルバン・ベルクが作曲した歌劇「ヴォツェック」という、オペラ史上1、2を争うほどの傑作があり、このオペラが基準になるとは思われる。タイトルが「ヴォツェック」なのは、ベルクに送られた台本のタイトルに不備があり、「Woyzeck」であるべきところが「Wozzeck」となっていたためである。ヴォイツェックは実在の殺人犯であるため、ベルクはすぐにタイトルを変更しようとしたが、ゲオルク・ビューヒナーの「ヴォイツェック」と自身の歌劇「ヴォツェック」はもはや別物と考え、タイトルの変更を行わなかった。
ベルクの歌劇「ヴォツェック」の完成度が高いため、演劇の「ヴォイツェック」で満足の行く出来に持って行くことは至難の業である。

歌劇「ヴォツェック」は、東京・初台の新国立劇場オペラパレスで聴いている。今に至るまで唯一のオペラパレス体験である。指揮のギュンター・ノイホルトが優れた音像を生み出していたが、演出が余計なことをしまくったため、全く感動も納得も出来ないという残念な結果に終わっている。

ストレートプレーではなく。音楽劇とした「ヴォイツェク」は、大阪の京橋にあったシアターBRAVA!で、山本耕史のタイトルロールで観ており、そこそこ良い印象であった。
今回はストレートプレーでの上演であるが、ビューヒナーのテキストそのままではなく、ジャック・ソーンが翻案したテキストを使用しており、舞台を1981年の西ベルリンに変更。登場人物は、主にイギリス系とアイルランド系で、IRAが起こした闘争などを避けて、西ベルリンに渡っているという設定である。上演台本と演出は、新国立劇場演劇芸術監督の小川絵梨子が行っている。小川はプロデュース作品に演出家として参加するのは初となるようだ。

 

出演:森田剛、伊原六花、伊勢佳世、浜田信也、中上サツキ(なかがみ・さつき)、須藤瑞己(みずき)、冨家ノリマサ、栗原英雄。
冨家(ふけ)ノリマサの姿を見るのは久しぶりである。バブル期にはテレビによく出ていた気がするのだが。中上サツキは、「なかがみ」と読む苗字。中上姓の人物として、若くして亡くなった中上健次が有名であるが、彼の本姓は「なかうえ」と読む苗字である。ただ、「なかがみ・けんじ」はペンネームとしての読み方ではなく、中上自身、自分の苗字の読み方を終生勘違いしていたというのが本当のところのようである。中上は被差別部落出身を売りにしていたが、実際は被差別部落のそばの結構良い家出身だったりと、妙な話が多い。

中上健次の話は置くとして、「ヴォイツェック」である。タイトルロールを演じるのは森田剛だが、北アイルランドのベルファスト出身の「フランク」に設定が変わっている。妻のマリー(伊原六花)は、アイルランドの出身。この時点で上手く行きそうにない。
その他の登場人物では、医師(名前はマーティンとイギリス風だがドイツ人。栗原英雄)、東ドイツ市民(中上さつき)と東ドイツ市民とアパートの大家(須藤瑞己が二役で演じる)以外の全員がイギリス人という設定である。

イギリスとアイルランドは、大英帝国の時代はイギリスがアイルランドを飲み込む形で同じ国家であったが、アイルランドはケルト系が多く、第二次大戦後は独立。国教はカトリックである。ただ北部の一部はプロテスタントが多く、そのままイギリスに残り、イギリスの日本語による正式名称は、「グレートブリテンおよび北部アイルランド連合王国」となっている。だが、当然ながら、「アイルランド全島がアイルランドだ」考える人も多く、宗教紛争、それも命に関わるものが絶えない。
イギリスも元々はカトリックの国だったが、カトリックでは離婚が出来ないため、国王が離婚したいがためにプロテスタントに改宗し、国教(英国国教会)としている。
ここに宗教の壁の問題がある。

更に舞台となる1981年のドイツは東西に分断されている。ベルリン市は東西に分かれ、西ベルリンから西ドイツに渡るには、空路か東ドイツが運営する鉄道を利用するしかなかった。東ベルリンは東ドイツの首都だが、西ベルリンは西ドイツの首都ではなく、西ドイツの首都はベートーヴェンの生まれ故郷として知られる中規模都市、ボンに置かれた。
東ドイツは事実上、ソビエト連邦の属国である。
ただ、陸の孤島状態とはいえ、西ベルリンは西ドイツの文化の中心。東ベルリンとの繁栄の差は明らかで、東ドイツでは人権も制限されるため、東ベルリンから西ベルリンに移る人が後を絶たず、ある日突然、東ベルリン当局によってベルリンの壁が築かれた。
兵士であるヴォイツェックは、同僚のアンドリュース(浜田信也)と共に、ベルリンの壁を見張っている。元の「ヴォイツェック」では、赤い空の幻影をヴォイツェックが見ておびえる印象的なシーンがあるが、それは今回はない。代わりに東ベルリンの街を見続け、マリーと二人で、アパートの6階から寂れた東ベルリンの街を見るシーンもある。東ベルリンから西ベルリンに入ろうとして失敗した女性(中上サツキ)が、東ドイツの兵士(須藤瑞己)に連れ戻される場面もある。

アンドリューズは、医師の妻であるマギー(伊勢佳世)と不倫しており、更にマリーとも不倫しているようである。マリーは、男と寝てお金を貰っていることを、マギーにさも当たり前でもあるかのように話しており、歌劇「ヴォツェック」の貞操感に悩むマリーとは大きく異なる。19世紀から1981年に舞台が移っているので、感覚がまるで違うのである。19世紀には、姦通罪のある国も多く(日本も含まれる)、不倫は本当に犯罪だったのだが、1981年時点の西ドイツには姦通罪はない。カトリックには、「汝姦淫するなかれ」など、厳格な規律があるが、20世紀には宗教の力も落ちている。ただ、マリーは寄付を募っている。カトリックは、信者から寄付を集めるのだが、マリーはカトリックの教会のために寄付を集めているのである。マリーの主な仕事は子育てと寄付集めになる。カトリックは集まった寄付で立派な教会を建てたりする。一方、プロテスタントは、そもそもそうした金集めの制度を疑問視しているので、基本、寄付は募らない。京都市内にもキリスト教の教会は多いが、綺麗で立派なのがカトリックの教会、なんだかオンボロなのがプロテスタントの教会という見分け方がある。
イギリスからの移民とアイルランドからの移民とでは宗教が異なることが最大の問題であり、イギリス出身のジャック・ソーンも宗教の違いを重要なテーマとしている。

ヴォイツェクとマリーの間には赤子が一人おり、なぜか子育てを「携わる」という堅い言葉で呼んでいるのだが、マリーは赤子の性別についても嘘をつく。「女の子」とヴォイツェックには告げるが実際には男の子である。

「ヴォツェック」と言えば、ヴォツェックに金を与える代わりに人体実験を施し、やたらと偉そうに命令する医師との場面が有名なのだが、オペラとは異なり、医師の登場は余り早くない。ヴォイツェックには立ち小便をする癖があり、医師から「立ち小便を止めろと言っただろう!」と叱責される場面があるのだが、オペラの台本では、「下品だ」という理由で、「咳を止めろと言っただろう!」という無茶苦茶な要求に変わっている。止めるに止められない生理現象に口出しするところが頭のおかしさの強調にもなっているのだが、いくらなんでも「咳を止めろ」という人は余りいない。最晩年のショルティが、演奏開始直前に最前列で咳が止まらなくなった老人を「うるさい」と叱りつけたという話はあるけれども。
今回は「立ち小便」になっている。ヴォイツェックは4歳で孤児になり、12歳の時に母と永遠に別れ(ヴォイツェクの母親とその幻影は、伊勢佳世が二役もしくは三役で演じている)、満足な教育を受けていないため読み書きは出来ず、礼儀作法なども教わっていない。袋小路という感じの悲惨な設定である。医師に「頭がおかしい」と断言される場面もある。そういう医師もおかしく、ドイツ語が出来ないヴォイツェクに延々とドイツ語で話して屈辱を与える。
マナーが悪いから立ち小便をするのを禁じるというのではなく、与えた薬の効き目を知りたいので「無闇に小便をするな!」という意味で言っていることが時間が経つに連れて明らかになる。

マリーは西ベルリンを諦め、アイルランドに帰ることを決意。先にアイルランドに帰るが、その後にヴォイツェックにも来て貰うつもりだった。だがヴォイツェックはトラウマのあるアイルランドに行くつもりはない。IRAについては多くの作品で描かれているが、最近の作品としては、ケネス・ブラナー監督の「ベルファスト」などが詳しい。

最終的には、マリーの不貞に気付くヴォイツェックだったが、マリーは断固否定。しかしマリーを信じられないヴォイツェックは彼女を絞め殺し、銃で自殺する。

歌劇「ヴォツェック」のラストは、ヴォツェックとマリーの息子が、子どもたちの遊びの輪に加わろうとするも、殺人者の子どもなので入れて貰えず退場するという、救いのないものだが、今回はベルリンの壁を表していると思われる落書き(ヴォイツェックの息子が冒頭で書き殴った)のある壁の下に座り込んでいる。2025年からの視点で見れば、1989年にベルリンの壁が崩壊し、東西両ドイツは併合。一時は旧西ドイツが旧東ドイツに経済面で足を引っ張られるものの回復。EUのリーダー格となり、GDPも日本を抜いて世界3位に浮上、というのは日本人としては悲しいが。
時代的には、ヴォイツェックの息子の未来は、ヴォイツェックよりは明るいと思われる。

森田剛は背が低いが、比較的背の高い俳優を何人も起用することで、見下された立場を表している。森田剛がタイトルロールに選ばれた一つの理由と考えられる。森田剛は演技のバリエーションは余り多く持っていない人で、5年前に観た「FORTUNE(フォーチュン)」の時と余り変わっていない気がするが、熱演ではあった。
マリー役の伊原六花。大阪府立登美丘高校の林キャプテンとして「バブリーダンス」のセンターを務めて注目された人だが、舞台で観るのは二度目。前回は安部公房原作の「友達」で、一番最初にセリフを発する役だったが、それほど良い役という訳でもなく、余り印象に残っていない。今回はナチュラルな演技で、熱演タイプの森田剛を上手く受け止めていたように思う。大阪出身なので、表に届いていた花も彼女宛のものだけだった。
この人は明るい性格だが、かなりの負けず嫌いだと思われるため、今後伸びそうである。NHK連続テレビ小説「ブギウギ」でも誰にも負けたくない女性・秋山美月を演じていたが、ある程度、伊原の性格に合わせた部分もあるのだろう。

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2025年7月19日 (土)

観劇感想精選(493) 彩の国シェイクスピア・シリーズ2nd Vo2 「マクベス」 藤原竜也・土屋太鳳主演

2025年6月28日 梅田芸術劇場シアター・ドラマシティにて観劇

午後5時30分から、梅田芸術劇場シアター・ドラマシティで、彩の国シェイクスピア・シリーズ2nd Vol.2 「マクベス」を観る。彩の国さいたま芸術劇場大ホールで、蜷川幸雄の演出により、シェイクスピア作品の上演を続けた彩の国シェイクスピア・シリーズ。蜷川幸雄亡き後は吉田鋼太郎が演出を受け継ぎ、全作品を上演、完走した。そして2週目が吉田鋼太郎の演出でスタート。その2作目が四大悲劇の一つ「マクベス」である。

翻訳:小田島雄志、演出・上演台本・出演:吉田鋼太郎、音楽:東儀秀樹。
出演:藤原竜也、土屋太鳳、河内大和、廣瀬友祐、井上祐貴、たかお鷹ほか。

魔女の予言、マクベスノック、バンクォーの幽霊、手洗いを止められないマクベス夫人、バーナムの森が動くなど、数々の名場面で知られるマクベス。終盤の展開が速いため、締め切りが間近で筆を急いだのではないかという説があるが、上演されたものを観て「展開が速い」と思ったことはない。台本を読んだ時と上演したものを観た時の印象が異なるのかも知れないが、戦の展開がもっとゆったりだったり緩んだ可能性も高い。

音楽が東儀秀樹の担当ということで篳篥や笙を使ったものが流れる。蜷川幸雄と異なり、日本的な演出をしているわけではないので、合っているのか合っていないのかは微妙だが、音楽自体はいいように思う。

蜷川幸雄の「ハムレット」でタイトルロールを演じたのを観ている藤原竜也。今回はマクベスに挑戦だが、ハムレットを演じるのと同じスタンスでマクベスを演じているため、ハムレットがマクベスを演じているように見える。ハムレットは「悩める青年」だが、マクベスは魔女の予言らしくものに引きずられるスコットランドを代表する猛将であり、ナイーブな青年にするとこの人物の特性が違ってきてしまうように思う。

マクベスは果たして魔女達の予言に引きずられたのか。情勢は全てマクベスを唆すように移行していく。ダンカン王がマクベス邸に泊まりに来ることになり、暗殺する機会が訪れた。だが暗殺を行わないという選択もあるはずだ。スコットランドの寵臣として重用されており、遭えて王位を狙う必然性はどれほど高かったのか。予言に従うだけならそれだけの話だが、苦悩が生まれるところに「マクベス」という作品の面白さがある。

吉田鋼太郎は、魔女の一人として登場。野村萬斎が以前、「日本で『マクベス』をやると魔女達が化け物になってしまう」という話をしていて、野村萬斎は特殊な動きをする暗黒舞踏の人達を魔女役に起用したが、おじさん達が女装をして魔女をやると確かに化け物になってしまう。ユーモラスになる工夫はしていたが。
客席通路を頻繁に使う演出だったが、シアター・ドラマシティは客席通路が全て階段、しかも段差が場所によって異なるということで、冒頭でそれが突っ込まれていた。また客いじりがあり、舞台の上まで上がって貰っていた。

実力がありながら、何故かなかなか人気が上がらない土屋太鳳。森山未來主演の舞台「プルートゥ PLUTO」で一人二役を演じ、見事な演技を披露。彼女は日本女子体育大学舞踏学専攻でダンスを学んでおり、ダンスが行われるのは舞台、ということで演劇においてもステージでこそ本領が発揮されるのかも知れない。
私はマクベス夫人に関しては違う解釈をしているのだが、今回、土屋が演じるマクベス夫人はオーソドックスな悪女。土屋は声を変え、毒々しさすら湛えながらマクベスの背中を押す烈女を演じていく。彼女は153㎝と身長が低いので、本来は迫力はあまり出ないはずだが、そこは体の動きで補う。手を洗い続ける場面の強迫神経症の演技も大仰にならずリアルティを出すことに成功していたように感じられる。
The悪女という解釈としては、土屋太鳳は最良の演技を行っていたように思う。
今は「隠れ演技派」のようになっている土屋太鳳だが、もっともっと評価されても良い女優だと思う。

藤原竜也を始め、出演者たちの殺陣のレベルは高く、迫力ある舞台となっていた。

「マクベス」の最大の疑問は、魔女達は導いたのか、予言は絶対だったのかということである。宙に浮かぶ短剣も先導の形となっている。なのだとすれば人間は運命に抗えないということになるが。
マクベスが冷静な判断をしていればどうなっていたのかと考えると想像が膨らむ。魔女達もそのまま引き下がったりするまい。マクベスが魔女達に打ち克つことは可能なのか、あるいはこれよりももっと悲惨な筋書きが用意されていたのか。「マクベス」はシェイクスピア作品の中で最も興味深いものの一つである。

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2025年7月15日 (火)

コンサートの記(908) 〈RMF&山田和樹グローバルプロジェクト〉 山田和樹指揮バーミンガム市交響楽団日本公演2025京都公演

2025年7月5日 左京区岡崎のロームシアター京都メインホールにて

午後3時から、左京区岡崎のロームシアター京都メインホールで、〈RMF&山田和樹グローバルプロジェクト〉山田和樹指揮バーミンガム市交響楽団2025年日本公演京都公演を聴く。

先日、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団に客演して話題になった山田和樹。現在、モンテカルロ・フィルハーモニー管弦楽団の音楽監督兼芸術監督、バーミンガム市交響楽団の音楽監督(2024年5月から、それ以前は首席指揮者アーティスティックアドヴァイザーを務めていた)の座にあり、2026年からベルリン・ドイツ交響楽団首席指揮者兼芸術監督に着任する予定である。3つのオーケストラのシェフの兼任は困難であるため、モンテカルロ・フィルからの離任を表明している。
バーミンガム市交響楽団と山田の関係は長く、2016年のバーミンガム市交響楽団来日演奏会の指揮も山田が務めている。

サイモン・ラトルの時代に名声を高めたバーミンガム市交響楽団(City of Birmingham Symphony Orchestra。CBSO)。イギリスは首都ロンドンと地方の格差が広く、第二の都市であるバーミンガムのオーケストラも性能は低かったが、ラトルは大幅に機能を上げている。それでもロンドンの名門オーケストラ(ロンドン交響楽団、ロンドン・フィルハーモニー管弦楽団、フィルハーモニア管弦楽団、ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団、BBC交響学団)とは差があったが、ラトルの後任のフィンランド人指揮者サカラ・オラモの時代にはラトルに続き「シベリウス交響曲全集」を作成。2代続いてシベリウスの交響曲をリリースしたため、北欧ものの評価を高める。オラモはグリーグなどでも名盤を残した。
その後、数人がバーミンガム市交響楽団のシェフを務め、中にはミルガ・グラジニーテ・ティーラという若い女性指揮者が起用されたりもした(首席指揮者であった山田は、名前が長いので「ミルガ」と呼んでいたようである)。
響きの良いホールがないことで知られるイギリスであるが、バーミンガムはラトルがアメリカ人の技術者を招いて響きの優れたホールを建立。イギリス中から羨望の眼差しを向けられている。

私がCBSOをホールで聴くのは4回目。最初は初台の東京オペラシティコンサートホール“タケミツ メモリアル”での演奏会で指揮はサー・サイモン・ラトル。タケミツホールで音楽を聴くのは初めてだった。ラトルの指揮であったが、前半に現代曲が並んだため、客席はガラガラであった。
2度目は、サカリ・オラモ指揮の演奏会。2002年9月22日で、この時が初京都コンサートホールであった。オール・シベリウス・プログラム。覇気にあふれる演奏で、ヴァイオリン協奏曲の独奏を務めた諏訪内晶子のソロも神品と呼ぶに相応しい出来であった。

3回目は山田和樹指揮。大阪での公演。山田とピアニストの河村尚子の共演が特に印象的だった。

 

曲目は、ショスタコーヴィチの祝典序曲、エルガーのチェロ協奏曲(チェロ独奏:シェク・カネー=メイソン)、ムソルグスキーの組曲「展覧会の絵」(ヘンリー・ウッド編曲)

 

山田和樹のプレトーク。「このツアーも残り2か所となりました」ということで、「8回の演奏会で、明日、横浜で最後を迎えます」
先日、ベルリン・フィルの指揮台に立ったことについては、「直前にバーミンガム市交響楽団が同じプログラムの演奏会を開いてくれました。『よし、カズキを送り出そう』」という粋のようである。
また今回は、京都両洋高校吹奏楽部がショスタコーヴィチの祝典序曲でバンダを務めることが明かされる。東京では音楽科のある千葉県立幕張総合高校がバンダを担ったようだ

「ちなみにこれまでもバーミンガム市交響楽団生で聴いたことあるよ、という方」と山田。結構手が挙がる。来日の機会の多いオーケストラである。山田は、「2年に1度、来日公演で聴けるオーケストラが3つある。まずはベルリン・フィル、続いてウィーン・フィル。最後にバーミンガム市交響楽団」

エルガーのチェロ協奏曲。ソリストを務めるシェク・カネー=メイソンについて山田は、「素晴らしいチェリストなので是非お聴きいただきたい」と述べた。

組曲「展覧会の絵」は、よく聴かれるモーリス・ラヴェル編曲版ではなく、ヘンリー・ウッド編曲版で演奏する。山田は、ヘンリー・ウッドについてプロムスを始めた人と紹介し、山田はヘンリー・ウッドの方が先に編曲しているということで、「ラヴェルがどれほどパクったかに注目」とも語っていた。

また今回は、RMF(Rohm Music Foundation)と山田和樹の共同企画ということで、若い演奏家が選ばれ、バーミンガムでの研修を経て今回の演奏にも参加する。今回は、FUKUDA Asakoというヴァイオリニストが、第2ヴァイオリンの第4プルトで演奏していた。

 

チェロが客席側に来るアメリカ式の現代配置での演奏。ティンパニは指揮者の正面ではなく上手端に置かれた。

 

祝典序曲。昔からよく言うと渋い、悪く言うと地味な音色が特徴であったバーミンガム市交響楽団。ただこの曲は謎の多い曲調の時は渋めだったが、後半に入るとブラスが輝かしい音を奏でる。
京都両洋高校のバンダは、中央通路と、上手バルコニー席に陣取って通りの良い音を聴かせた。

 

エルガーのチェロ協奏曲。ソリストのシェク・カネー=メイソンは、黒人の血が入った奏者である。ピアニストである妹とデュオコンサートを行うこともあるそうだ。
気高さの感じられる曲調がやがて祈りへと通じていくかのようである。

シェクのアンコール演奏は、ナタリー・クロウダのチェロ組曲第4楽章。ファンキーなノリもある楽しい曲である。

 

休憩後、ムソルグスキーの組曲「展覧会の絵」(ヘンリー・ウッド編曲)。豪壮な編曲である。ラヴェルの編曲よりも楽器が多く用いられ、爆発的な場面もある。編曲の腕も確かなのだが、大風呂敷を広げたようなところがあり、ラヴェルがこの編曲を聴いていたとしたら、もっと自然体の編曲を行おうと考えただろう。そういう意味ではラヴェルは音をタイトにして、この曲の「追悼曲的意味」に心を砕いているような印象を受ける。
プロムナードは最初の1回しか出て来ない。
ヘンリー・ウッド編曲版ではバンダも使用。下手側2階席にトランペットを、上手側3階席にテューバなどを配して、立体的な音響を築き上げていた。
なお、オルガン(電子オルガン)が編成に加わっており、都築由理江が演奏を行った。

CBSOの音は主にラトル指揮の音源で聴くことが多いが、往時に比べると音の輝かしさが格段に増しているのが分かる。

 

アンコール演奏は、ウォルトンの戴冠式行進曲「宝玉と王の杖」。イギリスの作曲家の中でも構築力に定評のあるウォルトン。格好良い曲と演奏である。

 

楽団員が退場しても拍手は続き、山田和樹再登場。山田はいったん引っ込んだ楽団員をステージ上に呼び戻し、みんなで記念写真を撮影していた。

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2025年7月 4日 (金)

コンサートの記(906) 尾高忠明指揮大阪フィルハーモニー交響楽団第587回定期演奏会 エルガー 「ゲロンティアスの夢」

2025年4月12日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後3時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、大阪フィルハーモニー交響楽団の第587回定期演奏会を聴く。今日の指揮は、大フィル音楽監督の尾高忠明。

桜も散り始め、フェスティバルホール周辺の多くの桜が葉桜となっている。

今日の曲目は、エルガーの「ゲロンティアスの夢」1曲のみ。上演に約90分を要する大作である。エルガーの出世作で、イギリスではよく演奏されるが、日本で上演される機会は少ない。大フィルも、音楽監督がU.K.でポストを持った経験があり、エルガーを得意とする尾高でなかったら取り上げることはなかったであろう。
プレトークサロンで、大フィル事務局長の福山修さんが、ジョナサン・ノット指揮の東京交響楽団が7年前に取り上げているが、それ以外の上演は把握していないと仰っていた。おそらくだが、それ以外に上演されたことはないのだろう。

今日のコンサートマスターは崔文洙。フォアシュピーラーに須山暢大。今日も第2ヴァイオリンは全員女性である。ドイツ式の現代配置での演奏だが、ティンパニは視覚上の理由(背後に合唱が陣取る)からやや下手寄りに位置し、指揮者の正面にはトランペットが回った。
合唱は大阪フィルハーモニー合唱団。
独唱は、マリー=ヘンリエッテ・ラインホルト(メゾ・ソプラノ。守護天使)、マクシミリアン・シュミット(テノール。ゲロンティアス)、大山大輔(バリトン。司祭、苦悶の天使)。

「ゲロンティアスの夢」は、オラトリオであるが、エルガーが作曲時点でオラトリオとしていなかったという理由からだと思われるが、今回は曲目は「ゲロンティアスの夢」とのみ表記されている。

 

ゲロンティアスという男性が天国に召される様を描いたもので、イギリスの神学者・詩人であるジョン・ヘンリー・ニューマンの宗教詩を基のテキストとしているが、ニューマンは英国国教会からカトリックに改宗した人物であり、エルガーもカトリックの信者だった。イギリス人の大半は英国国教会(プロテスト)の信者であるため、エルガーはカトリック的な要素を詩から除くことで、反発を弱めようとしている。

二部構成であり、男声歌手二人は始めから登場して歌唱を行う。メゾ・ソプラノのマリー=ヘンリエッテ・ラインホルトは、二部が始まる時に上手側から登場した。

字幕付きでの上演。
エルガーらしいノーブルさと音の輝き、力強さなどを共存させた楽曲である。大阪フィルハーモニー合唱団も優れた歌唱を聴かせる。
オラトリオなので、独唱者の歌唱もいくぶんドラマティックになるが、みな節度を持った歌唱。

死者が天国に向かうまでを描いており、ある意味、英国版の「おくりびと」(人ではなく天使だが)のような楽曲である。

CDを含めて聴いたことのない楽曲であったが、エルガーを振るときの尾高と、大フィルの堅実な演奏力への信頼が共に高まる演奏会であった。

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2025年6月12日 (木)

「God Only Knows」

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2025年2月17日 (月)

コンサートの記(888) 金子鈴太郎(チェロ) ブリテン 無伴奏チェロ組曲全曲演奏会@カフェ・モンタージュ

2025年1月29日 京都御苑の南のカフェ・モンタージュにて

午後8時から、京都御苑の南にあるカフェ・モンタージュで、金子鈴太郎(りんたろう)によるベンジャミン・ブリテンの無伴奏チェロ組曲全曲演奏会に接する。ブリテンの無伴奏チェロ組曲は1番から3番まである。
「作曲家のいない国」といわれたイギリスが久しぶりに生んだ天才作曲家であるベンジャミン・ブリテン。今でも有名作曲家であるが、今後さらに評価が高まりそうな予感がある。イギリスも指揮者大国になってきており、当然、お国ものの演奏も増えるので将来有望である。

ブリテンの無伴奏チェロ組曲の全曲盤は、ラフェエル・ウォルフィッシュのものがNAXOSから出ていて、千葉にいる頃はよく聴いたのだが、京都にはそのCDは持ってこなかったので、聴くのは久しぶりになる。昔はウォルフィッシュ盤以外は手に入りにくかったが、現在は、YouTubeなどにもいくつかの音源がアップされており、聴きやすくなっている。

昨年(2024年)末に、石上真由子率いるEnsemble Amoibeにも参加していた金子鈴太郎。桐朋学園大学ソリスト・ディプロマコース(座学などの授業はなしで、ソリストを目指して音楽に集中する課程)を経て、ハンガリー国立リスト音楽院に学んでいる。コンクールでも優勝歴多数。2000年代には大阪シンフォニカー交響楽団(現在の大阪交響楽団)の首席チェロ奏者、その後に特別首席チェロ奏者を務めている。
トウキョウ・モーツァルト・プレーヤーズ首席チェロ奏者とあるが、この楽団は現在はトウキョウ・ミタカ・フィルハーモニア(ホームページに楽団員の紹介なし)と名前を変えているはずなので、現在も在籍しているのかどうかは不明。森悠子率いる長岡京室内アンサンブルのメンバーでもあり、2022年からは北九州市の響ホール室内合奏団の特別契約首席チェリストも務めている(ここのホームページには名前と紹介が載っている)。

金子は一昨年に、レーガーの無伴奏チェロ作品をカフェ・モンタージュで演奏し、「これ以上しんどいことはないだろう」と考えていたが、それ以上となるブリテンの無伴奏チェロ組曲に挑むことになったと語って聴衆を笑わせていた。

無伴奏チェロ作品は、どうしてもJ・S・バッハのものを意識することになるが、ブリテンは第1番ではイギリス音楽的な、第2番ではショスタコーヴィチなどを思わせる先鋭的な音楽を書き、第3番でようやくバッハを意識した作風を見せることになる。

以前はよく聴いた曲だが、久しぶりなので内容を覚えておらず、「こんな音楽だったっけ?」と思う箇所がいくつもある。二十代の頃で今に比べると音楽の知識にも乏しく、分析などはせずに感覚で聴いていたからでもあろう。ただ面白く聴くことは出来た。

アンコール演奏であるが、「皆さん、もうお腹いっぱいですよね。短いものを」ということで、J・S・バッハの無伴奏チェロ組曲第1番よりサラバンドが奏でられた。

 

ブリテンはカミングアウトした同性愛者でもあり、偏見を持たれることもあったが、現在ではそうした意識も薄らぎつつあるため、ブリテンの作品が受け入れられやすくなってきているようにも思う。

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2025年2月 2日 (日)

コンサートの記(884) レナード・スラットキン指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団第584回定期演奏会 オール・ジョン・ウィリアムズ・プログラム

2025年1月23日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後7時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、大阪フィルハーモニー交響楽団の第584回定期演奏会を聴く。今日の指揮者は、大フィルへは6年ぶりの登場となるレナード・スラットキン。オール・ジョン・ウィリアムズ・プログラムである。

MLBが大好きで、WASPではなくユダヤ系でありながら「最もアメリカ的な指揮者」といわれるレナード・スラットキン。1944年生まれ。父親は指揮者でヴァイオリニストのフェリックス・スラットキン。ハリウッド・ボウル・オーケストラの指揮者であった。母親はチェロ奏者。

日本にも縁のある人で、NHK交響楽団が常任指揮者の制度を復活させる際に、最終候補三人のうちの一人となっている。ただ、結果的にはシャルル・デュトワが常任指揮者に選ばれた(最終候補の残る一人は、ガリー・ベルティーニで、彼は東京都交響楽団の音楽監督になっている)。スラットキンが選ばれていたら、N響も今とはかなり違うオーケストラになっていたはずである。

セントルイス交響楽団の音楽監督時代に、同交響楽団を全米オーケストラランキングの2位に持ち上げて注目を浴びる。ただ、この全米オーケストラランキングは毎年発表されるが、かなりいい加減。セントルイス交響楽団は実はニューヨーク・フィルハーモニックに次いで全米で2番目に長い歴史を誇るオーケストラではあるが、注目されたのはその時だけであり、裏に何かあったのかも知れない。ちなみにその時の1位はシカゴ交響楽団であった。セントルイス響時代はセントルイス・カージナルスのファンであったが、ワシントンD.C.のナショナル交響楽団の音楽監督に転身する際には、「カージナルスからボルチモア・オリオールズのファンに転じることが出来るのか?」などと報じられていた(当時、ワシントン・ナショナルズはまだ存在しない。MLBのチームが本拠地を置く最も近い街がD.C.の外港でもあるボルチモアであった)。ただワシントンD.C.や、ロンドンのBBC交響楽団の首席指揮者の時代は必ずしも成功とはいえず、デトロイト交響楽団のシェフに招かれてようやく勢いを取り戻している。デトロイトではデトロイト・タイガーズのファンだったのかどうかは分からないが、関西にもTIGERSがあるということで、大阪のザ・シンフォニーホールで行われたデトロイト交響楽団の来日演奏会では「六甲おろし」をアンコールで演奏している。2011年からはフランスのリヨン国立管弦楽団の音楽監督も務めた。現在は、デトロイト交響楽団の桂冠音楽監督、リヨン国立管弦楽団の名誉音楽監督、セントルイス交響楽団の桂冠指揮者の称号を得ている。また、スペイン領ではあるが、地理的にはアフリカのカナリア諸島にあるグラン・カナリア・フィルハーモニー管弦楽団の首席客演指揮者も務めている。グラン・カナリア・フィルはCDも出していて、思いのほかハイレベルのオーケストラである。
録音は、TELARC、EMI、NAXOSなどに行っている。
X(旧Twitter)では、奇妙なLP・CDジャケットを取り上げる習慣がある。また不二家のネクターが好きで、今回もKAJIMOTOのXのポストにネクターと戯れている写真がアップされていた。
先日は秋山和慶の代役として東京都交響楽団の指揮台に立ち、大好評を博している。

ホワイエで行われる、大阪フィルハーモニー交響楽団事務局長の福山修氏によるプレトークサロンでの話によると、6年前にスラットキンが大フィルに客演した際、終演後の食事会で再度の客演の約束をし、ジョン・ウィリアムズのヴァイオリン協奏曲が良いとスラットキンが言って、丁度、「スター・ウォーズ」シリーズの最終章が公開される時期になるというので、オール・ジョン・ウィリアムズ・プログラムで、ヴァイオリン協奏曲と「スター・ウォーズ」組曲をやろうという話になったのだが、コロナで流れてしまい、「スター・ウォーズ」シリーズの公開も終わったというので、プログラムを変え、余り聴かれないジョン・ウィリアムズ作品を取り上げることにしたという。

今日のコンサートマスターは須山暢大。フォアシュピーラーはおそらくアシスタント・コンサートマスターの尾張拓登である。ドイツ式の現代配置での演奏。スラットキンは総譜を繰りながら指揮する。

 

曲目は、前半がコンサートのための作品で、弦楽のためのエッセイとテューバ協奏曲(テューバ独奏:川浪浩一)。後半が映画音楽で、「カウボーイ」序曲、ジョーズのテーマ(映画「JAWS」より)、本泥棒(映画「やさしい本泥棒」より)、スーパーマン・マーチ(映画「スーパーマン」より)、SAYURIのテーマ(映画「SAYURI」より)、ヘドウィグのテーマ(映画「ハリー・ポッターと賢者の石」より)、レイダース・マーチ(「インディ・ジョーンズ」シリーズより)。

日本のオーケストラ、特にドイツものをレパートリーの中心に据えるNHK交響楽団や大阪フィルハーモニー交響楽団は、アメリカものを比較的不得手としているが、今日の大フィルは弦に透明感と抜けの良さ、更に適度な輝きがあり、管も力強く、アメリカの音楽を上手く再現していたように思う。

 

今日はスラットキンのトーク付きのコンサートである。通訳は音楽プロデューサー、映画字幕翻訳家の武満真樹(武満徹の娘)が行う。

スラットキンは、「こんばんは」のみ日本語で言って、英語でのトーク。武満真樹が通訳を行う。

「ジョン・ウィリアムズの音楽は生まれた時から聴いていました。なぜなら私の両親がハリウッドの映画スタジオの音楽家だったからです。私は子どもの頃、映画スタジオでよく遊んでいて、ジョン・ウィリアムズの音楽を聴いていました」

 

スラットキンは、弦楽のためのエッセイのみノンタクトで指揮。弦楽のためのエッセイは、1965年に書かれたもので、バーバーやコープランドといったアメリカの他の作曲家からの影響が濃厚である。

テューバ協奏曲。テューバ独奏の川浪浩一は、大阪フィルハーモニー交響楽団のテューバ奏者。福岡県生まれ。大阪の相愛大学音楽学部に入学し、2006年に首席で卒業。在学中は相愛オーケストラなどでの活動を行った。2007年に大フィルに入団。第30回日本管打楽器コンクールで第2位になっている。
通常、協奏曲のソリストは指揮者の下手側で演奏するのが普通だが、楽器の特性上か、今回は指揮者の上手側に座って吹く。
テューバの独奏というと、余りイメージがわかないが、思っていた以上に伸びやかなものである。一方の弦楽器などはいかにもジョン・ウィリアムズしているのが面白い。
比較的短めの協奏曲であるが、テューバ協奏曲自体が珍しいものであるだけに、楽しんで聴くことが出来た。

 

「カウボーイ」序曲。いかにも西部劇の音楽と言った趣である。スラットキンは、「この映画を観たことがある人は少ないと思います。ただ音楽を聴けばどんな映画か分かる、絵が浮かんできます。ジョン・ウィリアムズはそうした曲が書ける作曲家です」

ジョーズのテーマであるが、スラットキンは「鮫の映画です。2つの音だけの最も有名な音楽です。最初にこの2つの音を奏でたのは私の母親です。彼女は首席チェロ奏者でした。ですので私の母親はジョーズです」(?)
誰もが知っている音楽。少ない音で不気味さや迫力を出す技術が巧みである。大フィルもこの曲にフィットした渋みと輝きを合わせ持った音色を出す。

本泥棒。反共産主義、反ユダヤ主義が吹き荒れる時代を舞台にした映画の音楽である。後に「シンドラーのリスト」も書いているジョン・ウィリアムズ。叙情的な部分が重なる。
「シンドラーのリスト」の音楽の作曲について、ジョン・ウィリアムズは難色を示したそうだ。脚本を読んだのだが、「この映画の音楽には僕より相応しい人がいるんじゃないか?」と思い、スピルバーグにそう言ったのだが、スピルバーグは、「そうだね」と認めるも「でも、相応しい作曲家はみんな死んじゃってるんだ。残ってる中では君が最適だよ」ということで作曲することになったそうである。

スラットキン「ジョン・ウィリアムズは、人間だけでなく、動物や景色などの音楽も書きました。そして勿論、スーパーマンも」
大フィルの輝かしい金管がプラスに働く。大フィルは全体的に音が重めなところがあるのだが、この曲でもそれも迫力に繋がった。

SAYURIのテーマ。「SAYURI」は、京都の芸者である(そもそも京都には芸者はいないが)SAYURIをヒロインとした映画。スピルバーグ作品である。SAYURIを演じたのは何故か中国のトップ女優であったチャン・ツィイー(章子怡)。日本人キャストも出ているが(渡辺謙や役所広司など豪華)セリフは英語という妙な映画でもある。日本の風習として変なものがあったり、京都の少なくとも格上とされる花街では絶対に起きないことが起こるなど、実際の花街界隈では不評だったようだ。映画では、ヨーヨー・マのチェロ独奏のある曲であったが、今回はコンサート用にアレンジした譜面での演奏である。プレトークサロンで事務局長の福山修さんが、「君が代」をモチーフにしたという話をされていたが、それよりも日本の民謡などを参考にしているようにも聞こえる。ただ、美しくはあるが、日本人が作曲した映画音楽に比べるとやはりかなり西洋的ではある。

ヘドウィグのテーマ。スラットキンは、「オーケストラ曲を書くときは時間は自由です。しかし映画音楽は違います。場面に合わせて秒単位で音楽を書く必要があります」と言った後で、「上の方に梟がいないかご注意下さい」と語る。
ジョン・ウィリアムズの楽曲の中でもコンサートで演奏される機会の多い音楽。主役ともいうべきチェレスタは白石准が奏でる。白石は他の曲でもピアノを演奏していた。
ミステリアスな雰囲気を上手く出した演奏である。
ちなみに、福山さんによると、ヘドウィグのテーマの弦楽パートはかなり難しいそうで、アメリカのメジャーオーケストラの弦楽パートのオーディションでは、ヘドウィグのテーマの演奏が課せられることが多いという。

レイダース・マーチ。大阪城西の丸庭園での星空コンサートがあった頃に大植英次がインディ・ジョーンズの格好をして指揮していた光景が思い起こされる。力強く、躍動感のある演奏。リズム感にも秀でている。今日は全般的にアンサンブルは好調であった。

 

スラットキンは、「ありがとう」と日本語で言い、「もう1曲聴きたくありませんか?」と聞く。「でもどの曲がいいでしょう? 選ぶのは難しいです。『E.T.』にしましょうか? それとも『ホームアローン』が良いですか? 『ティーラーリラリー、未知との遭遇』もあります。ではこの曲にしましょう。皆さんが予想している曲とは違うかも知れません。私がこの曲を上手く指揮出来るかわかりませんが」
アンコール演奏は、「スター・ウォーズ」より「インペリアル・マーチ」(ダース・ベイダーのテーマ)である。スラットキンは指揮台に上がらずに演奏を開始させる。その後もほとんど指揮せずに指揮台の周りを反時計回りに移動。そして譜面台に忍ばせていた小型のライトセーバーを取り出し、指揮台に上がってやや大袈裟に指揮した。その後、ライトセーバーは最前列にいた子どもにプレゼント。エンターテイナーである。演奏も力強く、厳めしさも十全に表現されていた。

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2024年12月28日 (土)

これまでに観た映画より(360) National Theatre Live「ワーニャ(Vanya)」

2024年11月14日 大阪の扇町キネマにて

大阪の・扇町キネマで、National Theatre Live「ワーニャ(Vanya)」を観る。チェーホフの「ワーニャ伯父さん」を、ロイヤル・コート劇場のアソシエイト劇作家でマンチェスター・メトロポリタン大学の脚本教授でもあるサイモン・スティーヴンス(1971年生まれ。ローレンス・オリヴィエ賞最優秀新作プレイ賞やトニー賞プレイ部門最優秀作品賞を受賞した経験がある)が一人芝居用にリライト(翻案&共同クリエイターとクレジットされている)した作品。演出&共同クリエイターはサム・イェーツ(1983年生まれ)。
1976年生まれのアイルランド出身の俳優で、イギリス映画「異人たち」(原作:山田太一 『異人たちとの夏』)、英国のTVドラマ「SHERLOCK」やNetflix配信ドラマ「リプリー」で知られるアンドリュー・スコット(2019年にローレンス・オリヴィエ最優秀主演男優賞を受賞)が、一人で9役を演じ分ける。突然変わるため、すぐには誰の役なのか分からないところも多い。
2024年2月22日、ロンドンのデューク・オブ・ヨークス劇場での収録。上演時間は休憩込みの117分である(映画版には休憩時間はない)。ローレンス・オリヴィエ賞最優秀リバイバル賞受賞作。

チェーホフの「ワーニャ伯父さん」は、チェーホフの四大戯曲の一つなのだが、「かもめ」、「三人姉妹」、「桜の園」の三作品に比べると地味な印象が強く、上演機会も4つの作品の中では一番少ないはずである。それでも濱口竜介監督の映画「ドライブ・マイ・カー」では西島秀俊演じる舞台俳優兼演出家の主人公・家福が積極的に取り上げる作品として、一時、注目を浴びた。
ワーニャというのはイワンの相性で、英語版なのでアイヴァンという名で呼ばれている。47歳。なんと今の私よりも年下である。ちなみにチェーホフは44歳と若くして他界しているので、この歳にはたどり着けていない。
ワーニャ伯父さんは、大学教授のアレクサンドルに心酔し、支援を惜しまなかったが、結局は、アレクサンドルに失望し、怒りの余り発砲騒ぎを起こしてしまって、姪のソーニャ(今回の劇での役名はソニア)が慰めるという物語である。ちなみにソーニャについては、戯曲にはっきりと「器量が良くない」との記述がある。

今回は舞台を現代のアイルランドに置き換え、アレクサンドルはアレクサンダーという名で映画監督という設定に変わっている。ちなみに医師のマイケル(原作ではミハイル)はテニスボールをつくという謎の癖がある。
チェーホフというと「片思い」の構図が有名で、「かもめ」では好きな人は別の人を好きという片思いの連鎖が見られるのだが、「ワーニャ伯父さん」でも片思いが見られ、今回の「ワーニャ」にもそのまま反映されている。
中央にドアがあり(デザイン&共同ディレクター:ロザンナ・ヴァイズ)、それを潜った時に人物が変わることが多いが、それ以外にも突然、別人になるなど、一貫性があるわけではない。

アイヴァンは、アレクサンダーの映画監督としての才能に惚れ、援助を惜しまず、作品はセリフを全て覚えるほど何度も観たが、今はアイヴァンはアレクサンダーを「詐欺師」だと思っている。アレクサンダーは「国民的映像作家」と呼ばれたこともあったようなのだが、17年に渡ってスランプに陥っており、作品を発表出来ていない。アイヴァンの妹のアナがアレクサンダーの妻だったのだが、アナは若くして他界。アレクサンダーはヘレナという二番目の妻と一緒になっている。そのアレクサンダーとヘレナがアイヴァンの住む屋敷に長きに渡って滞在している。ヘレナはいい女のようで、アイヴァンも、主治医のマイケルも思いを寄せている。マイケルは特に診察が必要な訳でもないのに、毎日のようにヘレンが現在いるアイヴァンの家を訪ねてくる。

一人の俳優が男性女性問わず、入れ替わりながら演じることで、俳優、おいては人間の多面性が浮かび上がることになる。何の前ぶれもなくいきなり変わるので、正直、すぐに誰にチェンジしたのかは分かりにくいのだが、要所要所でははっきり分かるよう示されている。

ある男が将来を賭けてある人物に期待したのに、実態はろくでもない人間だった。地位に騙された。もし彼のために費やした歳月を自分のために使っていたのなら、自分も一廉の人物に――なれたかどうかは分からないのだが――アイヴァン(イワン、ワーニャ)はそう思っており、最終的には発砲事件を起こして、自己嫌悪に陥る。ソーニャ(ソニア)がそれでも生きていくことの大切さを説くという、現在でも多くの人々が抱えている問題を描いたチェーホフの筆致は、他の戯曲ほどではないが冴えているように思う。ちなみに発砲はライフルを用い、実際の発砲音に近い音が用いられている。

アンドリュー・スコットはコミカルな表現も得意なようで、デューク・オブ・ヨークス劇場の客席からは、しばしば爆笑の声が聞こえる。

様々な表情で多くの人物を演じていくアンドリュー・スコットであるが、ラストのソニアのメッセージは誠実さをもって語られ、「何があっても生きていかなければならない」という人間の業と宿命と、ある種の希望が示される。

複数の人物が登場する戯曲を一人芝居に置き換えるというのは、さほど珍しいことではないが、一人芝居というのは、文字通り、ステージ上に一人しかいないため、誤魔化しが利かないということと、役者に魅力を感じなかった場合、客が付いてこないというリスクがある。複数の俳優が出ている芝居だったら、中には気に入る役者が一人はいるかも知れないが、一人芝居は一人しかいないので一人で惹きつけるしかない。その点で、アンドリュー・スコットはユーモアのセンスとイケオジ的雰囲気を前面に出して成功していたように思う。

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