カテゴリー「イギリス」の56件の記事

2024年8月18日 (日)

コンサートの記(854) 久石譲指揮日本センチュリー交響楽団京都特別演奏会2024

2024年8月10日 京都コンサートホールにて

午後3時から、京都コンサートホールで、久石譲指揮日本センチュリー交響楽団の京都特別演奏会を聴く。今日と同一のプログラムで明日、山口県防府(ほうふ)市の三友(さんゆう)サルビアホールでも特別演奏会が行われる予定である。

スタジオジブリ作品や北野武監督の映画作品の作曲家としてお馴染みの久石譲であるが、それは仮の姿というか、彼の一側面であり、本来はミニマル・ミュージックをベースとした先鋭的な作曲家である。ちなみによく知られたことではあるが、久石譲は芸名であり(本名は藤澤守)、クインシー・ジョーンズをもじった名前である。
近年は指揮者としての活動が目立っており、ナガノ・チェンバー・オーケストラ(途中で改組されてフューチャー・オーケストラ・クラシックスとなる)とのベートーヴェン交響曲全曲演奏会とライブ録音した「ベートーヴェン交響曲全集」で高い評価を得たほか、新日本フィルハーモニー交響楽団を母体とした新日本フィル・ワールド・ドリーム・オーケストラの音楽監督に就任して活動継続中。現在は、日本センチュリー交響楽団の首席客演指揮者を務めており、2025年4月には同楽団の音楽監督に就任する予定である。その他、新日本フィルハーモニー交響楽団 Music Partner、作曲家としてロンドンのロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団のComposer in Associationを務めている。海外のオーケストラも指揮しており、ウィーン交響楽団、ヘルシンキ・フィルハーモニー管弦楽団、ロンドン交響楽団、メルボルン交響楽団、アメリカ交響楽団、シカゴ交響楽団、トロント交響楽団、ロサンゼルス・フィルハーモニックなどの指揮台に立っている。
国立(くにたち)音楽大学で作曲を学び、現在は同音大の招聘教授となっているが、指揮法に関してはおそらく誰かに本格的に師事したことはなく、ほぼ我流であると思われる。


曲目は、ブリテンの歌劇「ピーター・グライムス」より4つの海の前奏曲、久石譲の「Links」、久石譲の「DA・MA・SHI・絵」、ヴォーン・ウィリアムズの「グリーン・スリーヴス」による幻想曲、久石譲の交響組曲「魔女の宅急便」

久石譲の自作とイギリスものからなるプログラムである。

全曲、20世紀以降の新しい時代の作品であるが、ヴァイオリン両翼の古典配置を採用。無料パンフレットには楽団員表などは載っていないため、詳しい情報は分からない。

なお、久石譲の指揮ということで、チケット料金は高めに設定されているが、久石作曲・指揮のジブリ音楽が聴けるということもあり、完売となっている。


ブリテンの歌劇「ピーター・グライムス」より4つの海の間奏曲。
イギリスが久しぶりに生んだ天才作曲家、ベンジャミン・ブリテン。近年、再評価が進んでいる作曲家であるが、指揮者としても活動しており、録音も残されていて一部の演奏は評価も高い。
歌劇「ピーター・グライムス」より4つの海の間奏曲も、ブリテンの才気が溢れ出ており、瑞々しくも神秘的且つ不穏な音楽が展開されていく。様々な要素が高い次元で統一された音楽である。
センチュリー響は、第1ヴァイオリン12という編成。元々、フォルムの造形美に定評のあるオーケストラだが、この曲でもキレのある音と丁寧な音色の積み重ねで聴かせる。
弦の艶やかさが目立つが、管楽器も透明感があり、音の抜けが良い。
歌劇「ピーター・グライムス」より4つの海の間奏曲は、レナード・バーンスタインが生涯最後のコンサートで取り上げた曲目の一つとしても知られており、それにより知名度も高くなっている。
久石の指揮は拍をきっちりと刻むオーソドックスなもので、専業の指揮者のような派手さはないが、よくツボを心得た指揮を行っている。


久石譲の「Links」と「DA・MA・SHI・絵」。いずれも久石お得意のミニマルミュージックである。「Links」は2007年の作曲。「DA・MA・SHI・絵」はやや古く1985年の作曲であるが、2009年にロンドン交響楽団と録音を行う際に大編成用に再構成されている。エッシャーのだまし絵にインスピレーションを得た作品である。
「Links」は愛すべき小品ともいうべき作品。甘くて楽しい「久石メロディー」とは一線を画したシャープな音響である。
「DA・MA・SHI・絵」は、冒頭はミニマルミュージックの創始者とされるマイケル・ナイマンの作風に似ているが、徐々にスケールが大きくなり、迫力も増していく。


ヴォーン・ウィリアムズの「グリーン・スリーヴス」による幻想曲。
ヴォーン・ウィリアムズも徐々にではあるが人気が高まっている作曲家。特に日本には、尾高忠明、藤岡幸夫、大友直人といったイギリスものを得意とする指揮者が多く、ヴォーン・ウィリアムズの作品がプログラムに載る確率も思いのほか高い。
イギリスも近年では指揮者大国になりつつあり、ヴォーン・ウィリアムズやエルガーといった英国を代表する作曲家の作品が演奏される機会が世界中で多くなっている。先頃亡くなったが、サー・アンドルー・デイヴィスが「ヴォーン・ウィリアムズ交響曲全集」を作成しており、またアメリカ人指揮者であるがイギリスでも活躍したレナード・スラットキンも交響曲全集を完成させている。
「グリーン・スリーヴス」による幻想曲は、日本でもお馴染みの「グリーン・スリーヴス」のメロディーを取り入れた分かりやすい曲で、おそらくドビュッシーの影響なども受けていると思われているが、音の透明度の高さや高雅な雰囲気などが魅力的な楽曲となっている。以前は、ヴォーン・ウィリアムズというと、この「グリーン・スリーヴス」による幻想曲の作曲家として知名度が高かったが、時代は変わり、今は交響曲作曲家として評価されるようになってきている。

久石譲はノンタクトで指揮。この曲が持つ美しさとそこはかとない哀愁、神秘性、ノーブルで繊細な雰囲気などを巧みに浮かび上がらせてみせた。


久石譲の交響組曲「魔女の宅急便」。スタジオジブリの映画の中でもテレビ放映される機会も多く、人気作品となっている「魔女の宅急便」の音楽をオーケストラコンサート用にアレンジしたものである。初演は2019年に作曲者指揮の新日本フィル・ワールド・ドリーム・オーケストラによって行われている。アコーディオン独奏は大阪を拠点に活動する、かとうかなこ。マンドリン独奏は青山忠。
チャーミングでノスタルジックで親しみやすいメロディーが次から次へと登場する楽曲で、久石の表現も自作だけに手慣れたもの。センチュリー響の技術も高い。
この曲では打楽器の活躍も目立っており、木琴、鉄琴が2台ずつ使われる他、チューブラーベルズなども活用される。アコーディオンとマンドリンの独奏も愛らしさを倍加させ、トランペット奏者やトロンボーン奏者、クラリネット奏者が立ち上がって演奏したり、フルート奏者がオカリナを奏でるなど、とても楽しい時が流れていく。
ラストはコンサートマスターのソロ(自分で譜面台を移動させ、立ち上がってソリストの位置に立って演奏)を伴う楽曲で閉じられた。


アンコール演奏は、久石譲の組曲「World Dreams」よりⅠ.World Dreams。チェロの活躍が目立つメロディアスで構築のしっかりした曲である。

演奏終了後、多くの「ブラボー!」が久石とセンチュリー響を讃え、1階席はほぼ総立ち、2階席3階席もスタンディングオベーションを行う人の姿が目立ち、大いに盛り上がった。

Dsc_4080

| | | コメント (0)

2024年6月 3日 (月)

これまでに観た映画より(336) 「ジョン・レノン 失われた週末」

2024年5月15日 京都シネマにて

京都シネマで、ドキュメンタリー映画「ジョン・レノン 失われた週末」を観る。
1969年に結婚し、1980年にジョンが射殺されるまでパートナーであったジョン・レノンとオノ・ヨーコだが、1973年の秋からの18ヶ月間、別居していた時代があった。不仲が原因とされ、ジョンはニューヨークにオノ・ヨーコを置いてロサンゼルスに移っている。この間、ジョンのパートナーとなったのが、ジョンとヨーコの個人秘書だったメイ・パンであった。
中国からの移民である両親の下、ニューヨークのスパニッシュ・ハーレム地区に生まれ育ったメイ・パンは、カトリック系の学校に学び、卒業後は大学への進学を嫌ってコミュニティ・カレッジに通いながら、大ファンだったビートルズのアップル・レコード系の会社に事務員として潜り込む。面接では、「タイピングは出来るか」「書類整理は出来るか」「電話対応は出来るか」との質問に全て「はい」と答えたものの実は真っ赤な嘘で、いずれの経験もなく、まさに潜り込んだのである。プロダクション・アシスタントとして映画の制作にも携わったメイ。ジョン・レノンの名曲「イマジン」のMVの衣装担当もしている。また「Happy Xmas(War is Over)」にコーラスの一人として参加。ジャケットに写真が写っている。

ジョンの最初の妻、シンシアとの間に生まれたジュリアン・レノン。ヨーコは、ジュリアンからの電話をジョンになかなか繋ごうとしなかったが、メイはジョンとジュリアン、シンシアとの対面に協力している。ジョンが「失われた週末」と呼んだ18ヶ月の間に、ジョンはエルトン・ジョンと親しくなって一緒に音楽を制作し、不仲となっていたポール・マッカートニーと妻のリンダとも再会してセッションを行い、ジョン・レノンとしてはアメリカで初めてヒットチャート1位となった「真夜中を突っ走れ」などを制作するなど、音楽的に充実した日々を送る。デヴィッド・ボウイやミック・ジャガーなどとも知り合ったジョンであるが、メイは後にデヴィッド・ボウイのプロデューサーであったトニー・ヴィスコンティと結婚して二児を設けている(後に離婚)。

テレビ番組に出演した際にジョンが、「ビートルズの再結成はある?」と聞かれて、「どうかな?」と答える場面があるが、その直後にビートルズは法的に解散することになり、その手続きの様子も映っている。

現在(2022年時点)のメイ・パンも出演しており、若い頃のメイ・パンへのインタビュー映像も登場するなど、全体的にメイ・パンによるジョン・レノン像が語られており、中立性を保てているかというと疑問ではある。メイにジョンと付き合うことを勧めたのはオノ・ヨーコだそうで、性的に不安定であったジョンを見て、「あなたが付き合いなさい」とヨーコが勧めたそうである。ジョンの音楽活動自体は「失われた週末」の時期も活発であり、ヨーコの見込みは当たったことになるが、ジョンも結局はメイではなくヨーコを選んで戻っていくことになる。
ジョンがヨーコの下に戻ってからも付き合いを続けていたメイであるが、1980年12月8日、ジョンは住んでいた高級マンション、ダコタハウスの前で射殺され、2人の関係は完全に終わることになる。

メイ・パンは、ジュリアン・レノンとは親しくし続けており、映画終盤でもインタビューを受けるジュリアンに抱きつき、歩道を肩を組みながら歩いている。
ちなみにメイ・パンが2008年に上梓した『ジョン・レノン 失われた週末』が今年、復刊されており、より注目を浴びそうである。

Dsc_3335

| | | コメント (0)

2024年5月21日 (火)

観劇感想精選(461) 佐藤隆太主演「『GOOD』 -善き人-」

2024年4月28日 西宮北口の兵庫県立芸術文化センター阪急中ホールにて観劇

午後5時から、兵庫県立芸術文化センター阪急中ホールで、「『GOOD』-善き人-」を観る。イギリスの劇作家、C・P テイラーの戯曲を長塚圭史の演出で上演。テキスト日本語訳は浦辺千鶴が務めている。原作のタイトルは「GOOD」で、2008年にイギリス・ドイツ合作で映画化、日本では2012年に「善き人」のタイトルで公開されているようである。また、英国での舞台版がナショナル・シアター・ライブとして映画館で上映されている。
主演:佐藤隆太。出演:萩原聖人、野波麻帆、藤野涼子、北川拓実(男性)、那須佐代子、佐々木春香、金子岳憲、片岡正二郞、大堀こういち。ミュージシャン:秦コータロー、大石俊太郎、吉岡満則、渡辺庸介。出演はしないが、音楽進行に三谷幸喜の演劇でお馴染みの荻野清子が名を連ねている。

専任のミュージシャンを配していることからも分かる通り、音楽が重要な位置を占める作品で、出演者も歌唱を披露する(歌唱指導:河合篤子)など、音楽劇と言ってもいい構成になっている。

イギリスの演劇であるが、舞台になっているのはナチス政権下のドイツの経済都市、フランクフルト・アム・マインである(紛らわしいことにドイツにはフランクフルトという名の都市が二つあり、知名度の高い所謂フランクフルトがフランクフルト・アム・マインである)。ただ一瞬にしてハンブルクやベルリンに飛ぶ場面もある。

佐藤隆太の一人語りから舞台は始まる。大学でドイツ文学を教えるジョン・ハルダー教授(愛称は「ジョニー」。演じるのは佐藤隆太)は、1933年から音楽の幻聴や音楽付きの幻覚を見るようになる。1933年はナチス政権が発足した年だが、そのことと幻聴や幻覚は関係ないという。妻のヘレン(野波麻帆)は30歳になるが、脳傷害の後遺症からか、部屋の片付けや料理や子どもの世話などが一切出来なくなっており(そもそも発達障害の傾向があるようにも見える)、家事や3人の子どもの面倒は全てジョンが見ることになっていた。母親(那須佐代子)は存命中だが痴呆が始まっており、目も見えなくなって入院中。だが、「病院を出て家に帰りたい」と言ってジョンを困らせている。二幕では母親は家に帰っているのだが、帰ったら帰ったで、今度は「病院に戻りたい」とわがままを言う。
友人の少ないジョンだったが、たった一人、心を許せる友達がいた。ユダヤ人の精神科医、モーリス(萩原聖人)である。ジョンは幻聴についてモーリスに聞くが、原因ははっきりしない。幻聴はジャズバンドの演奏の時もあれば(舞台上で生演奏が行われる。「虹を追って」の演奏で、ジョンはショパンの「幻想即興曲」の盗用であると述べる)、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の演奏の時もある(流石にこれは再現は無理である)。音楽付きの幻覚として、ジョンはマレーネ・ディートリヒや、ヴァイオリンで「ライムライト」を弾くチャップリン(実際はアドルフ・ヒトラーである)の姿を見る。バンド編成によるワーグナーの「タンホイザー」序曲が演奏される珍しい場面もある。

ナチスが政権を取ったばかりであったが、ジョンもモーリスも「ユダヤ人の頭脳や商売に依存しているドイツはユダヤ人を排斥出来ない」「ユダヤ人差別ももうやめるに違いない」「政権は短期で終わる」と楽観視していた。

ある日、ジョンの研究室にゼミでジョンに教わっている女子学生のアン(藤野涼子)が訪ねてくる。19歳と若いアンは授業について行けず、このままでは単位を落としそうだというのでジョンに教えを請いに来たのだった(まるで二人芝居「オレアナ」のような展開である)。
その夜、アンを家に呼んだジョンは、雨でずぶ濡れになったアンを愛おしく思う。アンは明らかにジョンに好意を持っており、後はジョンがそれを受け入れるかどうかという問題。結果的に二人は結婚し、新居を構えることになる。

小説家や評論家としても活躍しているジョンは、ある日、ナチスの高官、フィリップ・ボウラーからジョンの書いた小説が宣伝大臣のヨーゼフ・ゲッベルス(元小説家志望)に絶賛されていることを知らされる。母親の病状を見て思いついた安楽死をテーマにした小説で、後のT4作戦に繋がる内容だった。ジョンの小説はゲッベルスからヒトラーに推薦され、ヒトラーも大絶賛しているという。ジョンは安楽死に関して、「人道的」立場から、安心させるためにバスルームのような施設にするいう案も編み出しており、更にユダヤ人の個人中心主義がドイツ第三帝国の「全体の利益を優先する」という主義に反しており、文化を乱すという論文も発表していた。
大学の教員もナチ党員であることを求められた時代。ジョンもナチ党員となり、親衛隊に加わる。ジョンは、「水晶の夜」事件が起こることを知りながらそれを黙認し、ナチスの焚書に関しても協力した。

ユダヤ人であるモーリスはフランクフルト・アム・マインを愛するがために当地に留まっていたが、身の危険を感じ、出国を申請するも叶えられない。モーリスは、永世中立国であるスイス行きの汽車の切符を手配するようにジョンに頼む。往復切符にすれば出国と捉えられないとの考えも披露するがジョンはその要望に応えることが出来ない。

アンは、「私がユダヤ人だったらヒトラーが政権を取った最初の年に逃げ出している」と語り、「今残っているのはどうしようもないバカか、財産に必死にしがみついている人」と決めつける。

やがてジョンは、アイヒマンの命により、新たな収容施設が出来た街に視察に赴くことになる。アウシュヴィッツという土地だった。
アウシュヴィッツの強制収容所に着いたジョンは、シューベルトの「軍隊行進曲」の演奏を聴く。それは幻聴ではなく、強制収容所に入れられたユダヤ人が奏でている現実の音楽だった。


アンが親衛隊の隊服を着たジョンに「私たちは善人」と言い聞かせる場面がある。実際にジョンに悪人の要素は見られない。T4作戦に繋がる発想もたまたま思いついて小説にしたものだ。ジョンは二元論を嫌い、モーリスにもあるがままの状態を受け入れることの重要性を説くが、後世から見るとジョンは、T4作戦の発案者で、障害のある妻を捨てて教え子と再婚、文学者でありながら焚書に協力、反ユダヤ的で親友のユダヤ人を見殺しにし、アウシュヴィッツ強制収容所に関与した親衛隊員で、ガス室の発案者という極悪人と見做されてしまうだろう。実際のジョンは根っからの悪人どころか、アンの言う通り「善人」にしか見えないのだが、時代の流れの中で善き人であることの難しさが問われている。

ジョンに幻聴があるということで、音楽も多く奏でられるのだが、シューベルトの「セレナーデ」やエノケンこと榎本健一の歌唱で知られる「私の青空」が新訳で歌われたのが興味深かった。今日の出演者に「歌う」イメージのある人はいなかったが、歌唱力に関しては普通で、特に上手い人はいなかったように思う。ソロも取った佐藤隆太の歌声は思ったよりも低めであった。

親衛隊の同僚であるフランツが、SP盤のタイトルを改竄する場面がある。フランツはジャズが好きなのだが、ナチス・ドイツではジャズは敵性音楽であり、黒人が生んだ退廃音楽として演奏が禁じられていた。それを隠すためにフランツはタイトルを改竄し、軍隊行進曲としたのだが、日本でもジャズは敵性音楽として演奏を禁じられ、笠置シヅ子や灰田勝彦は歌手廃業に追い込まれそうになっている。同盟国側で同じことが起こっていた。

佐藤隆太は途中休憩は入るもの約3時間出ずっぱりという熱演。宣伝用写真だとW主演のように見える萩原聖人は思ったよりも出番は少なかったが、出演者中唯一のユダヤ人役として重要な役割を果たした。
結果として略奪婚を行うことになるアン役の藤野涼子であるが、小悪魔的といった印象は全く受けず、ジョンならヘレンよりもアンを選ぶだろうという説得力のある魅力を振りまいていた。


今日が大千秋楽である。座長で主演の佐藤隆太は、公演中一人の怪我人も病人も出ず完走出来たことを喜び、見守ってくれた観客への感謝を述べた。
佐藤によって演出の長塚圭史が客席から舞台上に呼ばれ、長塚は「この劇場は日本の劇場の中でも特に好き」で、その劇場で大千秋楽を迎えられた喜びを語った。

Dsc_3190

| | | コメント (0)

2024年5月 1日 (水)

これまでに観た映画より(330) 山田太一原作 イギリス映画「異人たち」

2024年4月22日 京都シネマにて

京都シネマで、イギリス映画「異人たち」を観る。日本を代表する脚本家で、昨年亡くなった山田太一の小説『異人たちとの夏』(1987年刊行)を原作とした作品である。第1回山本周五郎賞を受賞した『異人たちとの夏』は山田太一の小説家としての代表作と言える。

大林宣彦の監督により1988年に映画化されているが、山田太一は脚本には関わらず、市川森一に任せている。大林宣彦監督版「異人たちとの夏」(出演:風間杜夫、片岡鶴太郎、秋吉久美子、名取裕子、永島敏行ほか)は評価も高く、これが映画デビュー作となった片岡鶴太郎は、キネマ旬報賞、ブルーリボン賞、日本アカデミー賞で助演男優賞を獲得。日本アカデミー賞受賞時は男泣きした。鶴太郎が俳優として認識されるきっかけを作った作品でもある。
その他、大林宣彦監督が毎日映画コンクール監督賞、秋吉久美子が毎日映画コンクールとブルーリボン賞の助演女優賞、市川森一が日本アカデミー賞の脚本賞を受賞している。作品自体もファンタスティック映画祭審査員特別賞を受賞した。風間杜夫の代表作の一つであるとも思われるが、意外にも無冠である。風間杜夫演じる脚本家の原田はプッチーニのオペラを愛聴しているが、私がプッチーニという作曲家を知るきっかけとなったのはこの映画であった。

舞台化も何度かされており、椎名桔平の主演による2009年の公演がメジャーで、すき焼き屋のシーンでは、実際に舞台上ですき焼きを作り、芳香が客席にまで立ちこめていた。

2003年に『異人たちとの夏』の英訳版が出版され、大林宣彦監督の映画も含めて広く知られた存在になっているという。今回のイギリス制作の映画は、2003年の英訳版『異人たちとの夏』を原作に、大幅な改変を加えて映画化されたものである。大林宣彦版の映画とは趣が大きく異なり、ほとんど参考にされていないようだ。
ロンドンの高層マンションと、そこから電車で少し掛かる郊外の住宅街が主舞台となっている。
監督:アンドリュー・ヘイ。出演:アンドリュー・スコット、ポール・メスカル、ジェイミー・ベル、クレア・フォイほか。

ロンドンの高層マンションに住む脚本家のアダム(アンドリュー・スコット)は、スランプ気味であるようで、ダラダラとした生活を送っている。アダムが住むマンションは夜になると人気がなくなる。友達が一人もいないアダムは孤独な日々を過ごしている。ある夜、マンションの6階に住むハリー(スコット・ポール)という男が訪ねてくる。寂しいので日本産のウイスキーでも一緒にどうかと勧めるハリー。アダムはゲイであり、同じくゲイであるハリーもそれを見抜いているようだったが、アダムはハリーを室内には入れずに帰す。

12歳になる前に両親を交通事故で亡くしたアダム。ふと思い立って子ども時代を過ごした郊外の住宅街を訪れる。そこでアダムは亡くなったはずの両親と出会う。それがきっかけで、アダムは両親を題材にした脚本を書き始めることになる。
両親はアダムが物書きになったことを喜ぶが、ゲイだと告白したことに戸惑いも見せる。

アダムはハリーとの仲も深めていくが、ゲイであるために差別され、子どもの頃から、からかわれたりいじめられたりしたことが深い傷となっている。だがそのことを両親に告げることが出来なかった。再会した父親にも、自分がアダムの同級生だったらいじめに加わっていただろうと告げられる。ハリーもまた同じような境遇にあったことが察せられ、最初にアダムの部屋を訪れた時から孤独に押しつぶされそうな雰囲気を湛えていた。

「孤独」を主題にした作品に置き換えられている。原作や大林版の映画にも恐ろしく孤独な女性が登場するのだが、男女の恋愛要素も強くなっている。だが、今回のアンドリュー・ヘイ版では、二人ともゲイであるということで、濃密なラブシーンこそあるが、周囲から理解されない孤独な魂を抱えた二人の話となっている。大林版では、日本的な抒情美や東京の下町を舞台としたことから起こるノスタルジアも印象的であったが、今回の映画からはそうしたものはほとんど感じられない。また実は山田太一の原作は結構怖い話であり、大林版の映画にもそうした部分はあるのだが、そうしたものは今回の映画では省かれている。
大林宣彦作品のイギリス版を期待するとかなりの違和感を覚えるはずであり、全く別の映画として捉えた方が良いように思える。

Dsc_3132

| | | コメント (0)

2024年4月27日 (土)

コンサートの記(841) 第62回大阪国際フェスティバル2024「関西6オケ!2024」

2024年4月20日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後1時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、第62回大阪国際フェスティバル2024「関西6オケ!2024」を聴く。関西に本拠地を置く6つのプロコンサートオーケストラが一堂に会するイベント。

Dsc_3084

これまでは、大阪府内に本拠地を置く4つのオーケストラ(4オケ)の共演や合同演奏会を行ってきたのだが、今回は関西全域にまでエリアを拡大し、兵庫と京都から1つずつオーケストラが加わった。日本オーケストラ連盟の正会員となっている関西のオーケストラはこれで全てである。

以前、大阪フィルハーモニー交響楽団事務局次長(現・事務局長)の福山修氏が大フィルの定期演奏会の前に行われるプレトークサロンで、6オケ共演の構想を話していたのだが、その時点では、「上演時間が長すぎる」というので保留となっていた。それが今日ようやく実現した。
ちなみに午後1時から午後6時過ぎまでの長丁場である。

出演順に参加楽団と演奏曲目を挙げていくと、山下一史指揮大阪交響楽団がリヒャルト・シュトラウスの歌劇「ばらの騎士」組曲、尾高忠明指揮大阪フィルハーモニー交響楽団がエルガーのエニグマ変奏曲、下野竜也指揮兵庫芸術文化センター管弦楽団(PACオーケストラ)がアルヴォ・ペルトの「カントゥス-ベンジャミン・ブリテンの思い出に」とベンジャミン・ブリテンのシンフォニア・ダ・レクイエム、藤岡幸夫指揮関西フィルハーモニー管弦楽団がシベリウスの交響曲第5番、飯森範親指揮日本センチュリー交響楽団がドビュッシーの3つの交響的素描「海」、沖澤のどか指揮京都市交響楽団がプロコフィエフの「ロメオとジュリエット」組曲からセレクション(7曲)。


トップバッターの大阪交響楽団は、大阪のプロコンサートオーケストラの中では2番目に若い存在で、本拠地は大阪府堺市に置いている。定期演奏会場は大阪市北区のザ・シンフォニーホールであるが、堺市に新たな文化拠点であるフェニーチェ堺が出来たため、そちらでの公演も始めている。結成当初は大阪シンフォニカーと名乗っており、「シンフォニカー」はドイツ語で「交響楽団」を表す言葉であるが、シンフォニカーという言葉が日本に浸透しておらず、営業に行っても「カー」がつくので車の会社だと勘違いされたりしたため、大阪シンフォニカー交響楽団に改名。しかし、意味で考えると大阪交響楽団交響楽団となる名称に疑問の声も上がり、「なぜ大阪交響楽団じゃいけないの?」という話が各地で起こっていたということもあって、大阪交響楽団に改名して今に至っている。


今回出演するオーケストラの中で一番歴史が長いのが「大フィル」の略称でお馴染みの大阪フィルハーモニー交響楽団である。1947年に朝比奈隆を中心に関西交響楽団の名で結成。戦後の復興を音楽の面から支え続けたという歴史を持つ。1960年に、NHK大阪放送局(JOBK)が持っていた「大阪フィルハーモニー」の商標を朝比奈隆が買い取り、大阪フィルハーモニー交響楽団に改称。定期演奏会の回数も1から数え直している。
朝比奈隆とは半世紀以上に渡ってコンビを組み、ブルックナー、ベートーヴェン、ブラームスなどドイツ音楽で強さを発揮してきた。京都帝国大学を2度出ている朝比奈隆の京大時代の友人が南海電鉄の重役になった縁で、西成区岸里(きしのさと)の南海の工場跡に大阪フィルハーモニー会館を建てて本拠地とし、練習場も扇町プールから移転している。
フェスティバルホールを定期演奏会場にしている唯一のプロオーケストラである。


兵庫芸術文化センター管弦楽団は、西宮北口にある兵庫県立芸術文化センターの座付きオーケストラとして2005年に創設された、今回登場するオーケストラの中で一番若い楽団である。しかも日本唯一の育成型オーケストラであり、楽団員は最長3年までの任期制で、その間に各自進路を決める必要がある。オーディションは毎年、世界各地で行われており、外国人のメンバーが多いのも特徴。愛称のPACオーケストラのPACは、「Performing Arts Center」の略である。結成以来、佐渡裕が芸術監督を務めている。毎年夏に、兵庫県立芸術文化センターKOBELCO大ホールで行われる佐渡裕芸術監督プロデュースオペラのピットに入るオーケストラである。


関西フィルハーモニー管弦楽団は、1970年に大阪フィルと決別した指揮者の宇宿允人(うすき・まさと)により弦楽アンサンブルのヴィエール室内合奏団として誕生。その後、管楽器を加えたヴィエール・フィルハーモニックを経て、1982年に関西フィルハーモニー管弦楽団に改称。事務所と練習場は大阪市港区弁天町にあったが、2021年にパナソニックの企業城下町として知られる大阪府門真市に本拠地を移転している。定期演奏会場はザ・シンフォニーホールで、京都府城陽市や東大阪市などでも定期的に演奏会を行っている。


日本センチュリー交響楽団は、大阪センチュリー交響楽団の名で大阪府所管の大阪文化振興財団のオーケストラとして1989年に創設。大阪の参加楽団の中で最も若い。大阪府をバックとするオーケストラで、最初から良い人材が集まり、人気も評判も上々だったが、維新府政が始まると状況は一変。補助金がカットされ、楽団は大阪府から離れて日本センチュリー交響楽団と改称して演奏を続けている。中編成のオーケストラであり、小回りが利くのが特徴。定期演奏会場はザ・シンフォニーホールだが、大阪府豊中市を本拠地としていることもあり、新しく出来た豊中市立文化芸術センターでも豊中名曲シリーズを行っている。


京都市交響楽団は、1956年創設の公立公営オーケストラ。以前は京都市直営だったが、今は外郭団体の運営に移行している。結成当初は編成も小さく、それでも演奏出来るモーツァルト作品の演奏に磨きをかけていたことから「モーツァルトの京響」と呼ばれた。音響の悪い京都会館第1ホールを定期演奏会場とするハンデを負っていたが、1995年に京都コンサートホールが開場し、そちらに定期演奏会場を移している。近年は京都会館を建て直したロームシアター京都での演奏も増えているほか、公営オーケストラということで、京都市内各地の市営文化会館での仕事もこなす。地方公演にも積極的で、大阪公演、名古屋公演も毎年行っている。
初期は常任指揮者を2、3年でコロコロと変えていたが、井上道義が第9代常任指揮者兼音楽監督として長期政権を担った頃から方針が変わり、第12代と第13代の常任指揮者を務めた広上淳一は人気、評価共に高く、計14年の長きに渡って君臨した。


正午開場で、12時40分頃から、指揮者全員出演によるプレトークがある。司会進行は朝日放送アナウンサーの堀江政生が務める。なお、指揮者のトークの時間は撮影可となっている。

Dsc_3091

まず、大阪交響楽団(大響)の常任指揮者である山下一史から。山下は現在、大響常任指揮者の他に、千葉交響楽団と愛知室内オーケストラの音楽監督を兼任しており、東大阪で3楽団合同の演奏会も行っている。いずれも経営の厳しいオーケストラばかりだが、N響や都響、京響のような経済的に恵まれた楽団に関わるよりも危機を乗り越えることに生き甲斐を見出すタイプなのかも知れない。桐朋学園大学を経て、ベルリン芸術大学に進み、ニコライ・マルコ国際指揮者コンクールで優勝。ヘルベルト・フォン・カラヤンのアシスタントとなり、カラヤンが急病になった際には、急遽の代役としてジーンズ姿でベルリン・フィルの指揮台に立ったという伝説がある(誇張されてはいるらしい)。
大阪交響楽団はこれまで、ミュージックアドバイザーや名誉指揮者を務めていた外山雄三が4オケの共演で指揮を担ってきたが、その外山が昨年死去。作曲家でもあった外山は多くの作品を残しており、オール外山作品の演奏会を今月行うことを山下は宣伝していた。


尾高忠明。大阪フィルの第3代音楽監督のほかに、NHK交響楽団の正指揮者を務める。海外での経験も多く、イギリスのBBCウェールズ交響楽団の首席指揮者として多くのレコーディングを行ったほか、オーストラリアのメルボルン交響楽団の首席客演指揮者も務めている。東京フィルハーモニー交響楽団桂冠指揮者、読売日本交響楽団名誉客演指揮者、札幌交響楽団名誉音楽監督、紀尾井シンフォニエッタ東京(現・紀尾井ホール室内管弦楽団)桂冠名誉指揮者など名誉称号も多く、日本指揮者界の重鎮的存在である。

尾高は、オーケストラが6つに増えたことについて、「来年は8つになるんじゃないか」と述べる。関西には日本オーケストラ連盟準会員の楽団として、オペラハウスの座付きだがザ・カレッジ・オペラハウス管弦楽団(大阪府豊中市)、定期演奏会は少ないが奈良フィルハーモニー管弦楽団(奈良県大和郡山市)、歴史は浅いがアマービレフィルハーモニー管弦弦楽団(大阪府茨木市)、いずれも室内管弦楽団だが、テレマン室内オーケストラ(大阪市)、京都フィルハーモニー室内合奏団、神戸室内管弦団などがあり、反田恭平が組織したジャパン・ナショナル・オーケストラも大和郡山市を本拠地とするなど、プロ楽団は多い。
今日演奏するのはエルガーのエニグマ変奏曲だが、尾高はイギリスに行くまでエルガーが嫌いだったそうで、エニグマ変奏曲を勉強したことで好きに変わっていったそうだ。今では尾高といえばエルガー演奏の大家。変われば変わるものである。


今回の演奏会ではどのオーケストラも、楽団のシェフか重要なポストを得ている指揮者が指揮台に立つが、下野竜也は兵庫芸術センター管弦楽団のポストは得ていない。ということで、「本当は、(芸術監督の)佐渡裕がここにいなきゃいけないんですが」と下野は述べ、「どうしても予定が合わないということで、『毎年のように客演してるんだからお前が行け』ということで」指揮を引き受けたそうである。今年の3月で広島交響楽団の音楽総監督を勇退し、今はNHK交響楽団の正指揮者として活躍する下野。元々、NHKの顔である大河ドラマのオープニングテーマを毎年のように指揮して、N響との関係は良好だった。
NHK交響楽団の正指揮者は現在は、下野と尾高の二人だけであり、二人ともに同一コンサートの指揮台に立つことになる。
鹿児島生まれの下野竜也は、子どもの頃から音楽にいそしむ環境にあったわけではなく、音楽に接したのは中学校の吹奏楽部に入部した時から。大学も音大ではなく鹿児島大学教育学部音楽科に進み音楽の先生になるつもりだったが、指揮者になるという夢が捨てられず、卒業後に上京して桐朋学園の指揮者教室に通い、指揮者としてのキャリアをスタートさせている。朝比奈隆の下で、大阪フィルハーモニー交響楽団の指揮研究員をしていたこともあり、大阪でのキャリアも豊富である。
エストニアの現役の作曲家であるアルヴォ・ペルトが作曲した「カントゥス-ベンジャミン・ブリテンの思い出に」は、イギリスの天才作曲家であるブリテンの追悼曲として書かれたもので、続いてブリテン本人が作曲した曲が続く。合間なしに演奏することを下野は告げた。


昨年の夏の甲子園で優勝した慶應義塾高校出身の藤岡幸夫。慶應には中学から大学まで通っており、その間、シベリウス演奏の世界的権威であった渡邉暁雄に師事している。慶大卒業後にイギリスに渡り、英国立ノーザン音楽大学指揮科に入学して卒業。その後、15年ほどイギリスを活動の拠点としてきたが、今は日本に帰っている。関西フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者を25年に渡って務め、現在は東京シティ・フィルハーモニック管弦楽団の首席客演指揮者でもある。BSテレ東で放送中の「エンター・ザ・ミュージック」の司会(ナビゲーター)としてもクラシックファンにはお馴染みで、同番組のオープニングで語られる言葉をタイトルにした『音楽はお好きですか?』という著書も続編と合わせて2冊上梓している。

シベリウスの交響曲第5番は、藤岡が最も好きな曲だそうで、第1楽章のラストの「喜びの狂気」や「16羽の白鳥が銀のリングに見えた」というシベリウス本人の体験を交えつつ、「生きる喜び」を描いたこの楽曲の魅力や性質について語った。


神奈川県葉山町出身の飯森範親。公立高校の普通科から私立音大に進学という指揮者としては珍しいタイプである。高校時代には葉山町出身の先輩である尾高忠明に師事。桐朋学園大学指揮科に進んでいる。公立高校普通科出身で桐朋学園の指揮科に入ったのは飯森が初めてではないかと言われている。東京交響楽団正指揮者、ドイツ・ヴュルテンベルク・フィルハーモニー管弦弦楽団の音楽監督を経て、現在は日本センチュリー交響楽団の首席指揮者のほかに、パシフィックフィルハーモニア東京の音楽監督、群馬交響楽団常任指揮者、山形交響楽団桂冠指揮者、いずみシンフォニエッタ大阪の音楽監督、東京佼成ウインドオーケストラの首席客演指揮者、中部フィルハーモニー交響楽団の首席客演指揮者など多くのポジションに着いて多忙である。山形交響楽団の常任指揮者時代にアイデアマンとしての才能を発揮。「田舎のオーケストラ」というイメージだった山形交響楽団を「食と温泉の国のオーケストラ」として売り出し、映画「おくりびと」に山形交響楽団のメンバーと共に出演したり、ラ・フランスジュースをプロデュースしたりとあらゆる戦術で山形交響楽団をアピール。定期演奏会の会場を音響は優れているがキャパの少ない山形テルサに変え、その代わり1演目2回公演にするなど演奏回数増加とアンサンブル向上に寄与し、今や山形交響楽団はブランドオーケストラである。山形交響楽団とは「モーツァルト交響曲全集」を作成するなどレコーディングにも積極的である。現在、日本センチュリー交響楽団とは、「ハイドン・マラソン」という演奏会を継続しており、ハイドンの交響曲全曲録音が間近である。
自称であるが、演奏会前に指揮者が行うプレトークを最初に実施したのは飯森だそうである。山形交響楽団の常任指揮者時代だそうだ。

飯森は、藤岡の楽曲解説が長いのではないかと指摘するが、飯森の解説も長く、藤岡は隣にいた下野に何か囁いていた。
ドビュッシーの「海」は、飯森の亡くなった母が好きだった曲だそうで、ジャン・マルティノン指揮フランス国立放送管弦楽団の演奏による「海」(EMI)を愛聴していたそうである。飯森は別荘地としても有名な葉山町出身であるため相模湾が身近な存在であり、葉山の海とドビュッシーの「海」には似たところがあるそうだ。現在、大阪中之島美術館ではモネの展覧会をやっているが、印象派のモネとドビュッシーには共通点があることなどを述べていた。


ラストは、沖澤のどか。京都市交響楽団の第14代常任指揮者で、京響初の女性常任指揮者である。青森県生まれ。東京藝術大学と同大学院で尾高忠明、高関健らに師事。パーヴォ・ヤルヴィや広上淳一、下野竜也のマスタークラスでも学んだ。2007年の第19回アフィニス夏の音楽祭では下野竜也の指導の下、指揮研究員として在籍する。芸大在学中には井上道義に誘われてオーケストラ・アンサンブル金沢の指揮研究員として籍を置いていたこともある。芸大大学院修士課程修了後に渡独してハンス・アイスラー音楽大学ベルリン・オーケストラ指揮専攻修士課程を修了。2019年にブザンソン国際指揮者コンクールで優勝し、東京国際音楽コンクール指揮部門でも1位獲得。ベルリン・フィルのカラヤン・アカデミーに学び、ベルリン・フィルの芸術監督であるキリル・ペトレンコの助手も務めた。現在もベルリン在住である。
今回の出演者の中では飛び抜けて若い(二番目に若い下野の弟子という関係である)が、京響の常任指揮者には兼任しないことを条件に選ばれている。その後、セイジ・オザワ 松本フェスティバルの首席客演指揮者に就任しているが、夏の短期の音楽祭なので支障はないのだろう。
沖澤は、他の指揮者が話しなれていることに驚くが、藤岡は音楽番組の司会を務めているし、飯森はプレトークの先駆者、下野も京都と広島でトークを入れた子ども向けの音楽会シリーズを行っており、尾高もトーク入りのコンサートをよく開いている。
京都市交響楽団も定期演奏会の前にはプレトークを行っているが、沖澤が出演したのは4回ほど。トーク力が必要なオーケストラ・ディスカバリーというシリーズにも1回しか出演していない。
沖澤は、「ラスト」ということでラストに来るのは「死」という発想から死で終わる「ロメオとジュリエット」を選んだという話をした。また客席には「京都に来て下さい」とアピールした。


山下一史指揮大阪交響楽団によるリヒャルト・シュトラウスの歌劇「ばらの騎士」組曲。
コンサートマスターは森下幸路。なお今日は、兵庫芸術文化センター管弦楽団と関西フィルハーモニー管弦楽団がチェロが客席側に来るアメリカ式の現代配置(ストコフスキー・シフト)での演奏。その他はドイツ式の現代配置での演奏である。

大阪交響楽団は、重厚さが売りの大阪フィルや、音の密度の濃さで勝負するセンチュリー響とは違い、大阪のオーケストラの中ではあっさりとした味わいのアンサンブルが特徴であり、庶民的な響きとも言えたが、今回の「ばらの騎士」組曲では音が煌びやか且つしなやかで、以前とは別のアンサンブルに変貌したような印象を受ける。ここ数年、オペラ以外で大響の演奏は聴いていなかったのだが、児玉宏時代に様々な隠れた名曲の演奏、外山雄三時代に将来有望な若手指揮者の登用という他のオーケストラとは異なる路線を歩んだのがプラスになっているのかも知れない。
譜面台を置かず、ノンタクトにより暗譜で指揮した山下のオーケストラ捌きも見事だった。

演奏終了後にも外山雄三作品の演奏会をアピールした山下。トップバッターを務めることについては、「その後の演奏をずっと聴いていられる」というメリットを挙げた。その後に抽選会があり、くじ引きが行われて当選者には今後行われるコンサートのチケットが当たった。
Dsc_3096


尾高忠明指揮大阪フィルハーモニー交響楽団によるエルガーのエニグマ変奏曲。コンサートマスターは須山暢大。
大阪フィルは他のオーケストラと比べて低弦部の音が明らかに太く大きい。朝比奈以来の伝統が今に息づいていることが分かる。他のオーケストラは摩天楼型だが、大フィルだけはピラミッド型のバランスである。
音に奥行きと深みがあり、これは大阪交響楽団からは感じられなかったものである。イギリスで活躍した尾高ならではの紳士の音楽が空間に刻まれていく。優雅なだけではない渋みにも溢れた音楽だ。

終演後のトーク。6つのオーケストラの共演を、これまでの4つオーケストラの共演と比べて、「短い曲が選ばれるので仕事としては楽になった」と尾高は述べる。階級社会であるイギリスにおいて、エルガーが労働者階級出身(楽器商の息子)で、上流階級の女性と結婚しようとして相手の両親から猛反対されたという話もしていた。
大フィルに関しては上手くなったと褒め称えていた。
Dsc_3102


下野竜也指揮兵庫芸術文化センター管弦楽団。コンサートマスターはゲストの田野倉雅秋。
サックスの客演奏者として、京都を拠点にソロで活躍している福田彩乃の名前が見える。
エストニアの作曲家であるアルヴォ・ペルトの「カントゥス-ベンジャミン・ブリテンの思い出に」。エストニア出身の名指揮者であるパーヴォ・ヤルヴィがよく取り上げることでも知られる。強烈なヒーリング効果を持つ曲調を特徴とするが、あるいはペルトの音楽はライブよりも録音で聴いた方が効果的かも知れない。
間を置かずにベンジャミン・ブリテンのシンフォニア・ダ・レクイエムが演奏される。200年以上に渡って「作曲家のいない国」などとドイツ語圏などから揶揄されてきたイギリスが久々に生んだ天才作曲家のベンジャミン・ブリテン。指揮者としても活躍し、自作のみならず他のクラシック作品の指揮も手掛けている。指揮者としてもかなり有能である。
シンフォニア・ダ・レクイエムは、大日本帝国政府から皇紀2600年(1940年)奉祝曲として各国の有名作曲家に依頼して書かれた曲の一つであるが、タイトルにレクイエムが入っていたため、「祝いの曲にレクイエムとは何事か」と政府から拒否され、演奏もされなかった。1956年になってようやくブリテン自身の指揮でNHK交響楽団により日本初演が行われている。
兵庫芸術文化センター管弦楽団は、任期3年までと在籍期間の短い奏者によって構成され、メンバーも次々に入れ替わるため、独自のカラーが生まれにくい。その分、指揮者の特性が出やすいともいえる。
若い奏者が多いからか、下野はいつもに比べてオーバーアクション。鋭い分析力を駆使して楽曲に切り込んでいく。各楽器の分離が良く、解像度が高くて音が細部まで腑分けされていく。オケを引っ張る力もなかなかだ。

演奏終了後のトークで、下野は、基本的にソリスト志望の人が多く集まっているため、最初はまとまりがなかったというような話をする。PACオーケストラは多くのオーケストラに人材を供給しており、京都市交響楽団でいえば首席トランペットのハラルド・ナエス、NHK交響楽団では首席オーボエの吉村結実が有名である。
「関西6オケ!」については下野は、「関西でしか出来ない企画」と述べる。東京にはプロコンサートオーケストラが主なものだけでも9つ。関東地方には埼玉県と栃木県を除く全県にプロのオーケストラ(非常設含む)があり、それぞれが忙しいということで一堂に会するのは無理である。
Dsc_3103


藤岡幸夫指揮関西フィルハーモニー管弦楽団。コンサートマスターは客演の木村悦子。
日本とフィンランドのハーフで、シベリウスの世界的な権威として知られた渡邉暁雄の最後の愛弟子である藤岡幸夫。自身もシベリウスを得意としており、たびたびコンサートで取り上げ、関西フィルで1年に1曲7年掛けるというシベリウス交響曲チクルスを行い、ライブ録音が行われて「シベリウス交響曲全集」としてリリースされている。

喉に腫瘍が見つかり、手術を受けたシベリウス。腫瘍は陽性だったが、死を意識したシベリウスはその時の感情をそのまま曲にしたような交響曲第4番を発表。初演時には、「会場に曲を理解出来た人が一人もいなかった」と言われるほどだったが、自身の生誕50年を祝う演奏会のために書かれた交響曲第5番は一転して明るさに溢れた作品となった。初演は成功したが、シベリウス本人は出来に納得せず、大幅な改訂を実行。4楽章あった曲を3楽章にするなど構造をも変更する改作となった。そうして生まれた改訂版が現在、シベリウスの交響曲第5番として聴かれているものである。ちなみに初版はオスモ・ヴァンスカ指揮ラハティ交響楽団によって録音され、聴くことが出来る。

藤岡指揮の関西フィルは雰囲気作りが上手く、音に透明感があり、威力にも欠けていない。曲目によっては非力を感じさせることもある関西フィルだが、シベリウスの楽曲に関しては力強さはそれほど必要ではない。疾走感や神秘性なども適切に表現出来ていた。
藤岡は細部まで丁寧な音楽作り。奇をてらうことなくシベリウスの音楽を全身全霊で表現していた。
シベリウス作品は基本的に内省的であると同時にノーブルであるが、それがイギリスや日本で人気がある理由なのかも知れない。

東京生まれである藤岡(学者の家系である)は、東京は情報は多いが、文化度は大阪が上という話をされたと語る。日本初のクラシック音楽専用ホールは、大阪のザ・シンフォニーホール(1982年竣工)で、サントリーホール(1986年竣工)より先という話をする。その他の文化を見ても宝塚歌劇団があり、高校野球の聖地は甲子園で高校ラグビーは花園(東大阪市)と全て関西にあると例を挙げていた。
ちなみに日本初の本格的な音楽対応ホールも1958年竣工の旧フェスティバルホールで、東京文化会館がオープンするのはその2年後である。
なお、司会の堀江の息子である堀江恵太は関西フィルのアシスタント・コンサートマスターだそうで、今日は降り番で家で休んでいるという。
首席指揮者は、普通は1シーズンに20回ほど指揮台に立つが、藤岡の場合はその倍の40回は指揮しているそうで、共演回数は1000回を超えている可能性があるらしい。
Dsc_3113


飯森範親指揮日本センチュリー交響楽団によるドビュッシーの3つ交響的素描「海」。コンサートマスターは松浦奈々。フォアシュピーラー(アシスタントコンサートマスター)に田中佑子。飯森は譜面台を置かず暗譜での指揮である。バトンテクニックはかなり高い。
現在では管弦楽曲として屈指の人気を誇る曲だが、ドビュッシーが恋愛絡みで事件を起こした時期に発表されたものであり、そのせいで初演が成功しなかったことでも知られている。
日本センチュリー響はくっきりとした輪郭の響きを生む。たまにある曖昧さを抱えたドビュッシーではなく全てがクリアだ。音にキレがあり、スケールも大きすぎず小さすぎず中庸を行く。カルロ・マリア・ジュリーニ指揮ロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団による太洋を思わせるような名演奏があるが、それとは正反対の性格で、日本なら太平洋よりも日本海、イギリスなら北海といったような北の地方の海を連想させるような響きである。
音の密度の濃さは相変わらず感じられ、それが長所なのだが、「海」に関しては音の広がりがもう少し欲しくなる。

演奏終了後、飯森はホルンの新入りである鎌田渓志を呼ぶ。鎌田は鎌倉にある神奈川県立七里ヶ浜高校出身であるが、司会進行の堀江政生もまた七里ヶ浜高校出身で先輩後輩になるという話であった。
Dsc_3117


沖澤のどか指揮京都市交響楽団によるプロコフィエフの「ロメオとジュリエット」組曲からセレクション(7曲)。第2組曲を中心とした選曲である。コンサートマスターは泉原隆志。尾﨑平は降り番で、フォアシュピーラー(アシスタント・コンサートマスター)には客演の岩谷弦が入る。
京都市交響楽団の音のパレットはどの楽団よりも豊かで、様々な表情に最適の音色を生み出すことが出来る。
「モンタギュー家とキャピュレット家」のブラスの威力と弦の厳格な表情、「少女ジュリエット」の楚々とした可憐さなどは同じ楽団が出している音とは思えないほど違う。
沖澤の指揮は女性らしく柔らかだが、出てくる音も威圧的ではなく、優しさや悲しみが自然に宿っている。「タイボルトの死」も迫力はあるが暴力的にはならない。「僧ローレンス」の慈しみに満ちた表情と音のグラデーションも理想的である。終曲である「ジュリエットの墓の前のロメオ」も鮮度と純度の高い音が空間を自然に満たしていく。感動の押し売り的なところは微塵もない。

プロコフィエフの「ロメオとジュリエット」はバレエ音楽の最高傑作だけに全曲盤、組曲盤、抜粋盤含めて名録音は多いが(ロリン・マゼール盤、ヴァレリー・ゲルギエフの2種類の録音、スタニスラフ・スクロヴァチェフスキ盤、チョン・ミョンフン盤など)、1つだけ、今日の演奏に似た音盤がある。シャルル・デュトワ指揮モントリオール交響楽団の抜粋盤(DECCA)で、美音を追求した演奏であり、ドラマ性重視の他の演奏に比べて異色だが、プロコフィエフの「ロメオとジュリエット」の一つの神髄を突いた名盤である。私がデュトワ指揮の「ロメオとジュリエット」のCDを買ったのは高校生の頃だが、初めて聴いた時のことを懐かしく思い出した。

演奏終了後のトークで、堀江から「青森生まれで東京で学んだとなると関西には余り縁がないんじゃないですか」と聞かれた沖澤は、「修学旅行で京都に来ただけ。お上りさん」と答え、関西では「歩いているとよく話しかけられる」と文化の違いを口にしていた。今日、会場に来るときも「美術館どこですか?」と聞かれ、一緒に行ってそれから戻ってきたそうである。
Dsc_3122

抽選であるが、当選した席は私の席のすぐ後ろ。だが、誰もいない。後ろにいた人が「帰った!」と言い、堀江も「帰った?」と呆れたように繰り返す。結局、無効となり、堀江が「帰るなよ、帰るなよ」とつぶやく中、再度くじが引かれた。

最後はこの公演に関わったスタッフ全員がステージ最前列に呼ばれ、拍手を受けていた。

Dsc_3087

| | | コメント (0)

2024年4月25日 (木)

これまでに観た映画より(329) ピーター・グリーナウェイ レトロスペクティヴ 美を患った魔術師「ZOO」

2024年4月1日 京都シネマにて

京都シネマで、ピーター・グリーナウェイ監督作品「ZOO」を観る。独特の映像美を特徴とするピーター・グリーナウェイの代表作4作を上映する「ピーター・グリーナウェイ レトロスペクティヴ 美を患った魔術師」の1本として上映されるもの。出演:アンドレア・フェレオル、ブライアン・ディーコン、エリック・ディーコン、フランシス・バーバー、ジェラード・トゥールン、ジョス・アクランドほか。音楽:マイケル・ナイマン。

動物園で動物学者として働くオズワルド(ブリアン・ディーコン)とオリヴァー(エリック・ディーコン)の双子の兄弟は、交通事故で共に妻を亡くす。事故を起こした車を運転していたアルバ(アンドレア・フェレオル)は一命を取り留めるが、右足を付け根から切断することになる。アルバとオズワルド、オリヴァーは次第に接近していくのだが、双子の兄弟は腐敗する動物の死骸に興味を持つようになる。

全裸のシーンが多いため、日本でのロードショー時にはかなりの部分がカットされたというが、現在はカットなしで上映されている。
シンメトリーの構図が多用されているのが特徴で、フェルメールの話が出てくるなど、グリーナウェイ監督が元々は画家志望だったことが窺える要素がちりばめられている。絵画的な映画と呼んでもいいだろう。

動物の死骸が腐敗していく様子を早回しで映すシーンで流れるマイケル・ナイマンの曲は、映画のために書かれたものではなく、先に「子どもの遊び」として作曲されていた曲の転用である。

Dsc_2514

| | | コメント (0)

2022年12月 7日 (水)

観劇感想精選(450) 「凍える」

2022年11月5日 西宮北口の兵庫県立芸術文化センター阪急中ホールにて観劇

午後6時から、兵庫県立芸術文化センター阪急中ホールで、「凍える」を観る。作:ブライオニー・レイヴァリー、テキスト日本語訳:平川大作、演出:栗山民也。坂本昌行、長野里美、鈴木杏による三人芝居である。

三人芝居であるが、序盤はそれぞれ一人ずつが独り言を言ったり語ったりするシーンが続き、一人芝居の集合体といった趣である。中盤以降は会話を交わすシーンも出てくるが、三人で会話を行うシーンは存在しない。たまたまかも知れないが、コロナ下に行うには適した作品である(もっとも顔を近づける場面などは存在する)。

犯罪と幼児期の虐待がテーマとなっており、ストレスが脳に与える影響が語られる。人体実験が出来ないため脳については不明の部分が圧倒的に多いが、CTスキャンなどを行うと脳の萎縮した場所などが分かるため、心の傷が脳の傷に直結しているということも最近では分かるようになってきた。

イギリスが舞台であるが、冒頭には鈴木杏演じる精神科医のアニータ(研究医だろうか。デイヴィッドという男性と共同で幼時のストレスが脳に与える影響を研究しており、犯罪者も幼時に虐待などを受けて脳に損傷が見られるケースが多いことを学会で発表する)がニューヨークを去る場面が置かれている。アニータはアイスランド系であり、苗字も変わったものだ。

今から21年前に事件は起きた。ナンシー(長野里美。ちなみに「ナンシー」というのは「アン」の愛称である)の次女で10歳のローナが行方不明になる。イギリスでは幼児の失踪事件も多く、ナンシーと夫のボブ(「ボブ」というのは「ロバート」の愛称である)は失踪した子どもの親達が作る互助会のグループ「炎」に入って活動を続けるが、ローナの行方は知れない。その間にナンシーと夫や長女のイングリットとの関係もきしみ始める。

それから21年が経ち、ラルフ(坂本昌行)が連続児童殺害の容疑で逮捕される。殺害された児童の中にローナの名があった。


犯罪者と心の傷に迫る作品であり、興味深いところも沢山あるのだが、知識として提示されただけで、解決が何一つなされないというのが物足りないところである(解決しようがない問題であり、無理矢理解決させてはいけないのかも知れないが)。ラルフ(「ごめんあそばせ」という男らしからぬ言葉遣いをすることがあり、DVを受けていると思われる母親の姿がトラウマとして焼き付いているのかも知れない)の幼時に対する掘り下げがもっとあった方が物語性も高まるので良いように思われるのだが、グロテスクになる可能性も高いため敢えて避けた可能性もある。
ラルフの狂気の場面は、可笑しくなったり大仰になったりする直前で止まる優れた表現で、坂本昌行の俳優としてのセンスの高さが感じられ、長野里美も鈴木杏も自らの個性を十分に発揮した演技を行っていたように思う。

Dsc_1890

| | | コメント (0)

2022年10月18日 (火)

観劇感想精選(447) 「FORTUNE(フォーチュン)」

2020年2月15日 大阪の森ノ宮ピロティホールにて観劇

午後6時30分から、大阪の森ノ宮ピロティホールで「FORTUNE(フォーチュン)」を観る。ゲーテの「ファウスト」を原案に、設定を現代のイギリスの映画界に置き換えて描いた作品である。作:サイモン・スティーヴンス、テキスト日本語訳:広田敦郎。演出:ショーン・ホームズ。美術・衣装:ポール・ウィリス。出演:森田剛、吉岡里帆、田畑智子、市川しんぺー、平田敦子、菅原永二、内田亜希子、皆本麻帆、前原滉、斉藤直樹、津村知与支、根岸季衣、鶴見辰吾。

ロンドン。映画監督であるフォーチュン・ジョージ(森田剛)は、次の仕事を一緒にすることになったプロデューサーのマギー(吉岡里帆)と出会う。マギーに一目惚れしたフォーチュンであったが、マギーは既婚者。夫のデイヴィッドは構造エンジニアで、道路工事現場などで指揮に当たっているという。フォーチュンはマギーに告白するが、あっさり断られてしまう。
フォーチュンの父親のショーン(鶴見辰吾)は、飲んだくれのろくでなしであり、家を出てイギリス中をフラフラしていたが、52歳の時にリヴァプールで自殺している。母親のキャサリン(根岸季衣)は花屋を経営しており、慎ましやかに暮らしている。フォーチュンは少々マザコンの気があるようである。
フォーチュンは、ネット上で知り合ったルーシーという女性(田畑智子)と会う。ルーシーが開設している「シルクロード」というサイトを見るよう言われるフォーチュン。そこには不思議な契約が書かれている。
フォーチュンは現在41歳であり、父親の享年を抜く53歳になるまでの12年間、望んだものが手に入る思うがままの生活を送ることが出来るという契約に血文字でサインする。望みは主に3つ。53歳の7月1日まで生きること、映画監督としての世界的な成功、そしてマギーである。だが望みが叶う代わりにフォーチュンは魂を売る必要がある。
フォーチュンは喩えとして、「木を素手で引き裂けるようになる」「水がワインに変わる」などを挙げるが、それらは全て現実のものとなる。そしてまず最初に起こった大きな出来事は、マギーの夫、デイヴィッドの事故死である。フォーチュンは「誰が殺して欲しいと言った!」とルーシーをなじるのだが……。

ホラー作品であり、恐怖を描く術にはかなり長けている。演出の進め方は巧みで、同じステージ上で現実と魔界が交錯する様が見えるような独特の不気味さを醸し出している。音楽の使い方も実に上手い。
だがストーリーも面白いことは面白いのだが、ストーリーそのもので終わってしまうため、残るものがほとんどない。展開に特になんのひねりもないため、「3時近く費やしてこれなの?」と拍子抜けする。この内容ならわざわざ舞台にする必要もない。壮大な無駄遣いという印象も受ける。劇中に、「過ぎ去った時間を戻すことは出来ない」という忠告のセリフもあるが、皮肉に思えてしまった。


連続ドラマ「カルテット」で大いに注目されながら、主演ドラマは低視聴率、主演映画は大コケと伸び悩んでいる吉岡里帆。真面目すぎる性格が役の幅を狭めている印象も受けるが、演技に関してはかなり才能がありそうである。基本的に自然体の構えであるが、感情をちょっと動かしただけで大きくスライドしたように感じられるというのはやはり並の女優では出来ないことである。表現の幅がかなり広いタイプと見た。ただ、マギーは終盤になるとほとんど出てこなくなってしまうため、役としての美味しさは十分ではないかも知れない。
最も良かったのは悪魔のルーシー役を演じた田畑智子である。飛び抜けて良かったと書いても構わないだろう。普通の女性やいいとこのお嬢さんを演じることが多い田畑智子だが、今回はコケティッシュにしてサディスティックという役を見事にものにしており、実力を十二分に示した。これからも従来のイメージを覆す役のオファーが来そうである。
タイトルロール(「幸運とはなにか」を問うタイトルであるが、芝居を観た後では薄っぺらく感じられてしまう)を演じた森田剛も切れがありながら重厚という特筆すべき出来であり、いい味を出していた根岸季衣と鶴見辰吾を含めて役者陣は満点である。それだけになんとも惜しい作品であった。

Dsc_8690

| | | コメント (0)

2022年10月 6日 (木)

コンサートの記(808) サー・サイモン・ラトル指揮ロンドン交響楽団来日演奏会2022@フェニーチェ堺

2022年10月1日 フェニーチェ堺大ホールにて

午後4時から、フェニーチェ堺大ホールで、サー・サイモン・ラトル指揮ロンドン交響楽団の来日演奏会に接する。コロナ禍以降、初めて接する海外オーケストラの来日演奏会である。

サー・サイモン・ラトルの実演に接するのは2度目。前回は1998年に東京オペラシティコンサートホール“タケミツメモリアル”でのバーミンガム市交響楽団の来日演奏会で、ポディウム席(P席)で聴いている。メインはベートーヴェンの交響曲第5番、いわゆる「運命」であったが、前半の2曲がいずれも現代音楽であったため、客席はガラガラ。ラトルの指揮だというのに半分入っているのかどうかも怪しいという惨状で、日本人の現代音楽アレルギーが露わになった格好であった。
他の人が記した記録を参考にすると、コンサートが行われたのは1998年6月3日のことで、前半のプログラムは、武満徹の「鳥は星形の庭に降りる」とバートウィスル「時の勝利」(日本初演)である。武満の「鳥は星形の庭に降りる」は超有名というほどではないものの比較的知られた楽曲だが、バートウィスルの曲の情報が不足していたため避けられたのかも知れない。当時はまだ今ほどネットが普及しておらず、YouTubeなどで音源を気軽に聴くなどということも出来なかった。

ベートーヴェンの交響曲第5番はとにかく面白い演奏だったが、それが「ピリオド・アプローチ」なるものによる演奏であったことを知るのはそれからしばらく経ってからである。

それから24年ぶりとなるラトル指揮の演奏会。今回は現在の手兵で祖国を代表するオーケストラのロンドン交響楽団との来日であるが、ラトルはすでにロンドン交響楽団を離れ、バイエルン放送交響楽団の首席指揮者に就任することが決定しており、ロンドン交響楽団の音楽監督としては最後の来日公演となる。
本来は、2020年にラトルとロンドン響の来日演奏会が行われる予定で、京都コンサートホールでの演奏曲目はマーラーの交響曲第2番「復活」に決まっていたが、コロナにより来日演奏会は全て流れた。

今回の来日ツアーでも京都コンサートホールでの演奏会は組まれており、メインはブルックナーの交響曲第7番(B=G.コールス校訂版) であるが、フェニーチェ堺ではシベリウスの交響曲第7番がプログラムに入っていたため、少し遠いが京都ではなく堺まで出掛けることにした。流石に両方聴く気にはなれない。

演奏曲目は、ベルリオーズの序曲「海賊」、武満徹の「ファンタズマ/カントスⅡ」(トロンボーン独奏:ピーター・ムーア)、ラヴェルの「ラ・ヴァルス」、シベリウスの交響曲第7番、バルトークのバレエ「中国の不思議な役人」組曲。

フランス、日本、フィンランド、ハンガリーと国際色豊かな曲目が並ぶ。

アメリカ式の現代配置による演奏だが、ティンパニは指揮者の正面ではなく舞台上手奥に配される。


ベルリオーズの序曲「海賊」。オーケストラのメカニック、アンサンブルの精度などは日本のオーケストラと五分五分といったところ、ホールの音響もあると思われるが音の厚みではむしろ勝っているほどで、日本のオーケストラの成長の著しさが確認出来るが、音色の多彩さや輝きなどは日本のオーケストラからは聞こえないものである。おそらく音に対する感覚が異なっているのだと思われるが、そうなると日本のオーケストラがもうワンランク上がることの困難さが想像出来てしまう。
フランス音楽らしい響きが出ているが、ジェントルでノーブルであるところがイギリスのオーケストラらしい。このジェントルなノーブルさはコンサートを通して聴かれ、ロンドン交響楽団ならではの個性となっている。よく「日本のオーケストラは個性がない」と言われることがあるが、こうした演奏に接すると「確かにそうかも知れない」と納得しそうになる。


武満徹の「ファンタズマ/カントスⅡ」。
武満徹が書いたトロンボーン協奏曲で、ロンドン交響楽団首席トロンボーン奏者のピーター・ムーアがソリストを務める。
夢の中で更に夢を見るような重層的な夢想の構図を持つ作品で、次第に光度を増し、彼方からまばゆい光が差し込むようなところで終わる。
まどろみながら歩き続けているような、武満らしい楽曲である。ピーター・ムーアのソロも良い。


ラヴェルの「ラ・ヴァルス」。一昨日参加した「JUN'ICHI'S Cafe」で広上淳一が、「ラヴェルの書いた『ダフニスとクロエ』はディアギレフに気に入られなかった」という話をしていたが、「ラ・ヴァルス」もディアギレフのためのバレエ音楽として書かれながら採用されなかった曲である。
雲の上から俯瞰で見るという冒頭の描写力も高く、典雅な演奏が繰り広げられるが、フランスの指揮者やフランスのオーケストラによる演奏に比べると上品である。エスプリ・ゴーロワに当たる性質を有していない(大枠でそれに含まれるものもあるにはあるだろうが)ということも大きいだろう。


シベリウスの交響曲第7番。これを聴きたいがために堺まで出向いた曲目である。
ラトルはシベリウスを得意としており、バーミンガム市交響楽団とベルリン・フィルを指揮した二種類の「シベリウス交響曲全集」をリリースしているが、シベリウスの交響曲の中でも後期の作品の方がラトルに合っている。
武満やラヴェルとはまた違った幻想的なスタートを見せる。人間と自然とが完全に溶け合った、シベリウスならではの音楽が巧みに編まれていく。フルートのソロなども谷間の向こうから聞こえてくるような広がりと神秘性を宿している。
ロンドン交響楽団は、わずかに乳白色がかったような透明な響きをだし、このオーケストラの上品な個性がプラスに作用している。
金管がややリアルなのがこの曲には合っていないような気がしたが、それ以外は理想的なシベリウス演奏であった。


バルトークのバレエ「中国の不思議な役人」組曲。実はシベリウスの交響曲第7番と同じ年に書かれた作品なのであるが、シベリウスとは真逆の個性を放っている。猟奇的なストーリーを持つバレエの音楽であり、鋭く、キッチュでストラヴィスキーにも通じる作風だが、バルトークの作曲家としての高い実力が窺える作品と演奏である。
バルトークは20世紀を代表する作曲家として、今でも十分に高い評価を受けているが、今後更に評価が上がりそうな予感もする。


今日は最前列の席も販売されており、最前列に座った男性が「BRAVISSIMO(ブラヴィーッシモ。ブラヴォーの最上級)」と書かれた紙を広げ、ラトルは気に入ったようで、その男性と握手を交わす。
ラトルは、「皆さんお聴き下さりありがとうございました」と日本語で語り、最前列の男性を指して「ブラヴィーッシモ!」と言ってから、「フォーレの『パヴァーヌ』を演奏します」とやはり日本で語る。

そのフォーレの「パヴァーヌ」。繊細でエレガント。耳ではなく胸に直接染み込んでくるような嫋々とした演奏であった。

楽団員の多くがステージから去った後も拍手は鳴り止まず、ラトルが再登場して拍手が受ける。ラトルは客席に向かって投げキッスを送っていた。

Dsc_1674

| | | コメント (0)

2022年7月24日 (日)

これまでに観た映画より(302) ドキュメンタリー映画「エリザベス 女王陛下の微笑み」

2022年7月21日 京都シネマにて

京都シネマで、ドキュメンタリー映画「エリザベス 女王陛下の微笑み」を観る。今年で96歳になる世界最高齢元首のエリザベス女王(エリザベス2世)の、即位前から現在に至るまでの映像を再構成したドキュメンタリーである。時系列ではなく、ストーリー展開も持たず、あるテーマに沿った映像が続いては次のテーマに移るという複数の断章的作品。

イギリスの王室と日本の皇室はよく比べられるが、万世一系の日本の皇室とは違い、イギリスの王室は何度も系統が入れ替わっており、日本には余り存在しない殺害された王や女王、逆に暴虐非道を行った君主などが何人もおり、ドラマティックであると同時に血なまぐさい。
そんな中で、英国の盛期に現れるのがなぜか女王という巡り合わせがある。シェイクスピアも活躍し、アルマダの海戦で無敵艦隊スペインを破った時代のエリザベス1世、「日の沈まない」大英帝国最盛期のヴィクトリア女王、そして前二者には及ばないが、軍事や経済面のみならずビートルズなどの文化面が花開いた現在のエリザベス2世女王である。

イギリスの王室が日本の皇室と違うのは、笑いのネタにされたりマスコミに追い回されたりと、芸能人のような扱いを受けることである。Mr.ビーンのネタに、「謁見しようとしたどう見てもエリザベス女王をモデルとした人物に頭突きを食らわせてしまう」というものがあるが(しかも二度制作されたらしい。そのうちの一つは頭突きの前の場面が今回のドキュメンタリー映画にも採用されている)、その他にもエリザベス女王をモデルにしたと思われるコメディ番組の映像が流れる。

1926年生まれのエリザベス2世女王。1926年は日本の元号でいうと大正15年(この年の12月25日のクリスマスの日に大正天皇が崩御し、その後の1週間だけが昭和元年となった)であり、かなり昔に生まれて長い歳月を生きてきたことが分かる。

とにかく在位が長いため、初めて接した首相がウィンストン・チャーチルだったりと、その生涯そのものが現代英国史と併走する存在であるエリザベス女王。多くの国の元首や要人、芸能のスターと握手し、言葉を交わし、英国の顔として生き続けてきた。一方で、私生活では早くに父親を亡くし、美貌の若き女王として世界的な注目を集めるが(ポール・マッカートニーへのインタビューに、「エリザベス女王は中学生だった私より10歳ほど年上で、その姿はセクシーに映った」とポールが語る下りがあり、アイドル的な存在だったことが分かる)、子ども達がスキャンダルを起こすことも多く、長男のチャールズ皇太子(エリザベス女王が長く生きすぎたため、今年73歳にして今なお皇太子のままである)がダイアナ妃と結婚したこと、更にダイアナ妃が離婚した後も「プリンセス・オブ・ウェールズ」の称号を手放そうとせず、そのまま事故死した際にエリザベス女王が雲隠れしたことについて市民から避難にする映像も流れたりする。この時は、エリザベス女王側が市民に歩み寄ることで信頼を取り戻している。

その他に、イギリスの上流階級のたしなみとして競馬の観戦に出掛け、当てて喜ぶなど、普通の可愛いおばあちゃんとしての姿もカメラは捉えており、おそらく世界史上に長く残る人物でありながら、一個の人間としての魅力もフィルムには収められている。

「ローマの休日」でアン王女を演じたオードリー・ヘップバーンなど、エリザベスが影響を与えた多くのスター達の姿を確認出来ることも、この映画の華やかさに一役買っている。

Dsc_1134

| | | コメント (0)

より以前の記事一覧

その他のカテゴリー

2346月日 AI DVD MOVIX京都 NHK交響楽団 THEATRE E9 KYOTO YouTube …のようなもの いずみホール おすすめCD(TVサントラ) おすすめサイト おすすめCD(クラシック) おすすめCD(ジャズ) おすすめCD(ポピュラー) おすすめCD(映画音楽) お笑い その日 びわ湖ホール よしもと祇園花月 アニメ・コミック アニメーション映画 アメリカ アメリカ映画 イギリス イギリス映画 イタリア イタリア映画 ウェブログ・ココログ関連 オペラ オンライン公演 カナダ グルメ・クッキング ゲーム コンサートの記 コンテンポラリーダンス コント コンビニグルメ サッカー ザ・シンフォニーホール シアター・ドラマシティ シェイクスピア シベリウス ショートフィルム ジャズ スタジアムにて スペイン スポーツ ソビエト映画 テレビドラマ デザイン トークイベント トーク番組 ドイツ ドイツ映画 ドキュメンタリー映画 ドキュメンタリー番組 ニュース ノート ハイテクノロジー バレエ パソコン・インターネット パフォーマンス パーヴォ・ヤルヴィ ピアノ ファッション・アクセサリ フィンランド フェスティバルホール フランス フランス映画 ベルギー ベートーヴェン ポーランド ポーランド映画 ミュージカル ミュージカル映画 ヨーロッパ映画 ラーメン ロシア ロームシアター京都 中国 中国映画 交通 京都 京都コンサートホール 京都シネマ 京都フィルハーモニー室内合奏団 京都劇評 京都四條南座 京都国立博物館 京都国立近代美術館 京都市交響楽団 京都市京セラ美術館 京都府立府民ホールアルティ 京都文化博物館 京都芸術センター 京都芸術劇場春秋座 伝説 住まい・インテリア 余談 兵庫県立芸術文化センター 写真 劇評 動画 千葉 南米 南米映画 占い 台湾映画 史の流れに 哲学 大河ドラマ 大阪 大阪フィルハーモニー交響楽団 大阪松竹座 学問・資格 宗教 宗教音楽 室内楽 小物・マスコット・インテリア 広上淳一 建築 心と体 恋愛 意識について 携帯・デジカメ 政治・社会 教育 教養番組 散文 文化・芸術 文学 文楽 旅行・地域 日本フィルハーモニー交響楽団 日本映画 日記・コラム・つぶやき 映像 映画 映画リバイバル上映 映画音楽 映画館 時代劇 書店 書籍・雑誌 書籍紹介 朗読劇 来日団体 東京 柳月堂にて 梅田芸術劇場メインホール 楽興の時 歌舞伎 正月 歴史 浮世絵 海の写真集 演劇 無明の日々 猫町通り通信・鴨東記号 祭り 笑いの林 第九 経済・政治・国際 絵画 美容・コスメ 美術 美術回廊 習慣 能・狂言 花・植物 芸能・アイドル 落語 街の想い出 言葉 趣味 追悼 連続テレビ小説 邦楽 配信ライブ 野球 関西 雑学 雑感 韓国 韓国映画 音楽 音楽劇 音楽映画 音楽番組 食品 飲料 香港映画