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2026年1月 4日 (日)

グスターボ・ドゥダメル指揮シモン・ボリバル・ユースオーケストラ レナード・バーンスタイン 「ウエスト・サイド・ストーリー」よりシンフォニック・ダンス

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2025年12月26日 (金)

コンサートの記(933) 沖澤のどか指揮 京都市交響楽団 オーケストラ・ディスカバリー2025「発見!メモリアルイヤーの作曲家」第3回「時代を超えて踊る踊る」

2025年12月21日 左京区岡崎のロームシアター京都メインホールにて

午後2時から、左京区岡崎のロームシアター京都メインホールで、京都市交響楽団 オーケストラ・ディスカバリー2025「発見!メモリアルイヤーの作曲家」第3回「時代を超えて踊る踊る」に接する。指揮は京都市交響楽団第14代常任指揮者の沖澤のどか。
沖澤が「オーケストラ・ディスカバリー」を指揮するのは初めてだが、ロームシアター京都(京都会館)で指揮すること自体が初めてであり(一昨日はノースホールでトークイベントには参加したが)今日は沖澤の輝かしきロームシアター京都デビューとなる。
沖澤は来年の3月にもロームシアター京都メインホールで2025年度最後の「オーケストラ・ディスカバリー」を指揮するが、2026年度の「オーケストラ・ディスカバリー」は2回だけと半減し、指揮者も6月に太田弦、2027年2月に川瀬賢太郎という若くしてオーケストラを率いる指揮者に変わる。プログラムも発表になっており、良く知られたクラシックの曲が多いが、映画音楽が増えているのが特徴。特に来年6月の「オーケストラ・ディスカバリー」では、オープニングの映画音楽を投票で決めるということで、私は「ハリー・ポッターと賢者の石」のヘドウィグのテーマに1票入れた。おそらく来年3月の「オーケストラ・ディスカバリー」でも投票は行われると思う。他の候補は、「スター・ウォーズ」、「パイレーツ・オブ・カリビアン」、「ジュラシック・パーク」、「ゴジラ」で、5曲中3曲がジョン・ウィリアムズ作曲作品である。

 

今回は、「踊る」がテーマだが、クリスマスシーズンに相応しい曲が選ばれている。
曲目は前半が、ヨハン・シュトラウスⅡ世(生誕200年)の「シャンペン・ポルカ」、ポルカ「観光列車」、「皇帝円舞曲」。ルロイ・アンダーソン(没後50年)の「ワルツィング・キャット」、「そりすべり」、「クリスマス・フェスティバル」
後半が、チャイコフスキーのバレエ音楽「くるみ割り人形」から“行進曲”、“トレパーク”、“パ・ド・ドゥ”、“あし笛の踊り”、“こんぺい糖の踊り”、“花のワルツ”。“トレパーク”は指揮体験コーナーとなっている。

 

今日のコンサートマスターは泉原隆志。フォアシュピーラーに尾﨑平。第2ヴァイオリンの安井優子は降り番のようで、客演首席として水鳥路が入る。ヴィオラの客演首席は大野若菜。トロンボーンの客演首席に西村菜月。
フルート首席の上野博昭は降り番である。ドイツ式の現代配置での演奏。11月の京響の定期演奏会を指揮したジャン=クリストフ・スピノジは、チェロが客席側に来るアメリカ式の現代配置にして右手で巧みに操っていたが、今日の沖澤も、真横に陣しているヴィオラに指揮棒を突くように向けることで音を大きくしていた。指揮台の横にどの楽器を置くかで、楽器の操りやすさやバランスが変わるようである。

今日は珍しく、首席クラリネット奏者の小谷口直子が一番先にステージに現れる。

 

司会も兼任する沖澤。楽曲の紹介などを行う。私の席の近くから「喋り上手いな」という老年男性の声が聞こえてきた。

 

「シャンペン・ポルカ」。ラストに特徴がある曲である。沖澤は「真面目」な音楽作り。この手の曲はもっとおちゃらけたものでも良いのだが、沖澤は性格的に余りふざけたことは出来ないのであろう。ラストでは、打楽器首席の中山航介が、口を開いてその前で両手を叩き、独特の音を出していた、空気銃でもシャンペンのコルクが開いた時の音を出しているのだが、人力(?)でも似た音を出す工夫がなされている。沖澤は中山の真似をして上手く音が出なかったが、実はヨハン・シュトラウスⅡ世は音について「どうやって出すか」は特に指定していないそうである。

 

ポルカ「観光列車」。沖澤は、この曲では「汽笛」と呼ばれたハーモニカに似た楽器を吹く。レールを進む音はカダフという中東で用いられる特殊な楽器で出していた。

 

「皇帝円舞曲」。沖澤は、「ポルカが続いたので、次はワルツを演奏します。といってもこの曲は最初は2拍子で、後で3拍子になります」と説明する。
ヨハン・シュトラウスⅡ世の楽曲は、メディアから流れてきて、いつの間にか知っていたり、CDを聴いて覚えたものも多いが、「皇帝円舞曲」に関してはいつどうやって知ったのかはっきりと覚えている。工藤静香が出ていたチョコレートのCMで知ったのである。その後に観た映画「ラストエンペラー」でも満州国建国記念の舞踏会でこの曲が用いられていた。沖澤と京響は堂々とした「皇帝円舞曲」を奏でる。一方で、オーストリアの楽団が出す揺れのようなものは出さなかったが、あれはオーストリア人だから自然に出るものなのかも知れない。

 

沖澤と京響のヨハン・シュトラウスⅡ世の演奏だが、ほぼノンビブラートで演奏している弦楽奏者と、ビブラートを一音ごとに掛けて演奏している弦楽奏者が半々だったのが特徴。例えばコンサートマスターの泉原隆志は稀にしかビブラートを行わず、フォアシュピーラーの尾﨑平は盛大にビブラートを掛けていた。
ヨハン・シュトラウスⅡ世の時代は、演奏法が変化していく時代である。大きなホールが建設され、ビブラートを用いないと音が隅まで届かないようになる。ただ20世紀のオーケストラのように弦楽器全員がビブラートを掛けて演奏するにはまだ間があり、ビブラートを使う人と使わない人が混じる過渡期の演奏も行われていたはずである。今日はその過渡期の演奏を味わったことになる。音色は爽やかで、派手派手しくなく、好感を抱いたが、その後に世界のほぼ全弦楽奏者がビブラートを掛ける演奏の時代が訪れたことで、音楽家達は爽やかさよりもスケールの大きさやゴージャスさを選択したということになりそうだ。

 

「アメリカのヨハン・シュトラウス」と呼ばれたルロイ・アンダーソン。見た目が余り良くない人だったのだが、名門ハーバード大学出身。音楽学部に学んだ後、大学院に進んで修士号取得。ニューイングランド音楽院でも学んだ後でハーバード大学に戻り、今度は両親が話者だったスカンジナビア語の研究を行って、最終的には博士号を取得するなど、非情に優秀にして多彩な人であった。アーサー・フィードラー時代のボストン・ポップス・オーケストラ(ボストン交響楽団が、各パートの首席奏者抜きでライトクラシックや映画音楽を演奏する時の名称)のアレンジャーとして仕事を始め、フィードラーに気に入られて自作を発表するようになっている。

「ワルツィング・キャット」について、沖澤は、「弦楽がグリッサンドといって、猫の鳴き声を真似ます。最後には猫じゃなくて犬が出てきます」と言って演奏開始。上品で柔らかな演奏である。この演奏で描かれているのはシャム猫か何かで絶対に雑種ではない。
犬は大勢の奏者が口で鳴き声を真似するが、沖澤によると「犬になりたい人多かったので、猫の倍ぐらいいました。アンダーソンは鳴き声を誰がどう出すかは書いていないんです」

 

「そりすべり」。クリスマスシーズンによく流れる曲であること、最後に馬がいななきすること、「スキーの橇ではなく、馬がひく橇です」と言って演奏開始。スケール、スピードとも理想的な演奏である。最後に馬のいななきを吹いたハラルド・ナエス(京響トランペット首席)も上手かった。

「クリスマス・フェスティバル」。クリスマスにちなんだ曲を並べてメドレーとしたもので、とても楽しい曲と演奏であった。考えてみれば、仏教にはこうした楽しい音楽は少ない。暗い曲も多いが明るい曲もある。ただ折角明るい曲があるのに、同じ歌詞の暗いメロディーを選ぶ傾向があるように思う。極楽往生が定まったのだから、それを祝う曲があってもいいと思うのだが、定めたのは自身ではなく阿弥陀如来(絶対他力)なので、能天気な曲は書けないのだろう。

 

後半。チャイコフスキーのバレエ音楽「くるみ割り人形」から。クリスマスの定番の演目であるバレエ「くるみ割り人形」。実は沖澤のどかはバレエオタクで、これまでベルリン州立バレエで様々なバレエを楽しんできたのだが、「くるみ割り人形」だけは人気が高すぎてチケットを手に入れることが出来なかった。それでも観たいのでドレスデン州立歌劇場バレエ(ドレスデンはザクセン州にあり、ベルリンとは州が異なる)まで遠征したこともあったのだが、ようやくベルリン州立バレエの「くるみ割り人形」のチケットに当選した、と思ったら公演当日の朝に電話が掛かってきて、「水道管が破裂した(だったかな?)ので照明を使ったりするのが危険なので公演中止」「ただリハーサルはご覧になれます」ということで出向いて、ジャージ姿で踊るバレリーナを観察したりしていたそうだ。

リムスキー=コルサコフの交響組曲「シェエラザード」を聴いた時にも感じたことだが、沖澤の振るロシアものは味が濃いめである。低弦が力強く、洗練された響きの奥にざらついたものが聞こえる。ロシアの大地を考えれば、そうした表現も適切なのかも知れない(ただ私はロシアの大地を見たことはない)。

“トレパーク”では、小学校2年の女の子と小学校4年の男の子が指揮に挑戦。
小学校2年の女の子は途中でテンポが遅すぎて止まりそうになったため、沖澤が助け船を出して右手を振ってテンポを示して見せ、最後まで振り切った。
小学校4年生の男の子は、途中でテンポの変更があって、京響の団員も合わせるのが難しそうであったが、こちらも完走した。
沖澤は、学校で習う四拍子や三拍子の振り方については、「あれはあくまで基本形。というよりどうでもいい」。ということで四拍子は二つ振り、三拍子は円を描く方法で教えていた。
パーヴォ・ヤルヴィは、「今のプロオーケストラは優秀なので拍を刻まなくても演奏出来ます」ということで、音型を描く指揮を教えているようである。アニメ「響け!ユーフォニアム」には、吹奏楽部の顧問による指揮の「打点が分からない」と友達が愚痴る場面があるが、あれはアマチュアだからきっちり拍を刻んだ指揮をしないと弾けないということである。

“パ・ド・ドゥ”は、組曲にも含まれていない曲だが、「組曲に取り上げられていない曲にも良い曲がある」と沖澤は語っていた。

「あし笛の踊り」。ソフトバンクのCMで知られる曲だが、沖澤のどかは、テレビもラジオもない生活を、しかもベルリンで送っているので、CMのことは知らなかったと思われる。YouTubeでなら見られるが、わざわざ「ソフトバンク CM」と検索したりはしないだろう。主役であるフルートは首席なしでの演奏なのでやや落ちる感じではあったが、雰囲気は出ていた。
京響は首席と次席に明らかな実力差があるのが難点である。

「こんぺい糖の踊り」。チェレスタをお馴染みの佐竹裕介が演奏する。
沖澤は、チャイコフスキーがパリでまだ新しい楽器だったチェレスタを見つけたこと、「新作のバレエで使いたい」のでロシアまで運んで欲しいと出版社に手紙を送ったこと、「ただしリムスキー=コルサコフやグラズノフには絶対知られないように」と念を押したことなどを述べ、「くるみ割り人形」の初演でチェレスタの音が大好評だったことを語った。
「オーケストラ団員になりたい」という夢を持つピアニスト、佐竹裕介。普通はピアニストというと個性勝負になるが、オーケストラの一楽器となったチェレスタを演奏する。
神秘的な雰囲気が良く出ていた。

最後はお馴染みの“花のワルツ”。この曲はいすゞジェミニのCMで知ったはずである。チャーミングであるが、案外、ガッシリとした聴き応えのある演奏であった。

 

最後に告知。2025年度最後となる「オーケストラ・ディスカバリー」が来年の3月29日に沖澤の指揮で行われること、また2026年度は2回の公演になること(理由はよく分からないが、プロコフィエフの交響曲チクルスがあるからではないかと思われる)、クリスマスシーズンというと、「くるみ割り人形」や(フンパーディンクの歌劇)「ヘンゼルとグレーテル」が上演されたりするが、「日本の年末と言えば第九ですよね」「と言いながらもうチケット完売なんですが」「来年、再来年と機会があるので」と話していた。

 

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2025年9月14日 (日)

これまでに観た映画より(399) 「ゴジラ」1984年版

2025年9月8日

Amazon Prime Videoで、「ゴジラ」1984年版を観る。ゴジラの死滅を描いたことで知られる作品である。
原水爆という重い問題を抱えて登場したゴジラ。しかし、その後、大衆化路線が図られ、ミニラが登場するなど親しみやすいキャラクターになっていく。ゴジラが子どものものになったのだ。しかし今のままでは第1作のメッセージが忘れ去られてしまうのではないかとの危惧から、「ゴジラは恐ろしいものでなくてはならない」との号令の下、再び恐怖怪獣ゴジラが復活したのが1984年版である。当時私は、小学校4年生であったが、テレビで大々的に宣伝されていたのを覚えている。
この「ゴジラ」1984年版は、第1作から30年ぶりにゴジラが現れたという設定になっており、その間に作られたゴジラシリーズとは無縁ということになっている。

「ゴジラ」1984年版は、千葉市の中央三丁目にあった千葉松竹という映画館で母親と一緒に観ている。今はもう存在しない映画館だ。実写の映画を映画館で観るのは2度目であった。初となったのは「南極物語」で、これは今の京成千葉中央駅の場所にあった京成ローザという映画館で、満員なので階段に座って観ている。今はもう消防法で駄目かも知れない。京成ローザという映画館は今もあるが、一度取り壊されてから再建されたシネマコンプレックスであり、名は同じだが別物である。

監督:橋本幸治。出演:田中健、沢口靖子、宅麻伸、夏木陽介、加藤武、鈴木瑞穂、織本順吉、村井國夫、橋爪功、江本孟紀(カメオ出演)、かまやつひろし(カメオ出演)、佐藤慶、森本毅郎(本人役での出演)、石坂浩二(カメオ出演)、武田鉄矢(特別出演)、小林桂樹ほか。音楽:小六禮次郎。

伊豆諸島の先端にある島、大黒島(架空の島)で噴火がある。付近で漁業を営んでいた第五八幡丸が遭難。何者かが第五八幡丸を大黒島へと引き寄せたらしい。
数日後、新聞記者の牧吾郎(田中健)がヨットを帆走させていた時に、幽霊船のようになった第五八幡丸を発見。中に入ってみる。船内からはミイラ化した死体などが発見されたが、ロッカーの奥に身を潜めていた若い男はまだ生きていた。男の名は奥村宏(宅麻伸)実家が貧しいのか、他に理由があるのか、妹で大学生である尚子(なおこ。沢口靖子)の学費を稼ぐために、賃金は高いが身の保証はない漁業のアルバイトを行っていたらしい。
船内には巨大化したフナムシがおり、ミイラ化した死体はフナムシに体液を吸われたものだと思われる。牧は何とかフナムシを倒す。
第五八幡丸を襲ったのが、ゴジラである可能性が高いことが分かる。巨大なフナムシはゴジラに付着していたため肥大化したのだ。
その後、ソ連の原子船が太平洋沖でゴジラに襲われる。大黒島から南に下がったことになり、「ゴジラが日本に来ないのではないか」という予想も立てられるが、専門家はゴジラは核や原子力を餌にしていると分析。最寄りの原発のある島国、日本にやって来るのは必定であった。
内閣はゴジラの日本上陸の可能性を報道規制するが、ゴジラに打撃を受けたソ連や、同盟国のアメリカがゴジラを核爆弾で迎撃する計画を立案。冷戦時代であり、当然ながら東西の盟主国である両国は仲が悪い。状況によっては、第三次世界大戦の引き金になることも否定出来ない。

日米露の会談がもたれ、ソ連は「ゴジラが日本を縦断したら、次に攻めてくるのはウラジオストックの原子炉だ」と懸念を表明。アメリカ側は日米同盟を打ち出すが、「作らず持たず持ち込ませず」の非核三原則により、結論としては、日本一国で戦うことに決める。

一方、奥村は恩師で生物学者である林田信(まこと。夏木陽介)に牧とともに接近。妹の尚子が林田の助手をしていることもあり、4人のチームでゴジラ撃退法を探る。

ゴジラは静岡の井浜原発(モデルはあるが架空の原発)を襲い、エネルギーを蓄積する。現地に赴いた林田は、渡り鳥に対するゴジラの反応から、ゴジラに帰巣本能があるとの仮定を立て、自殺の名所としても知られる伊豆大島の三原山火口にゴジラを落とすという作戦を立てる。

ゴジラは東京湾を北上、航空自衛隊も攻撃に出るが、それを突破して東京に上陸する。東京湾に浮かぶソ連の貨物船には核ミサイル発射装置が密かに設けられていたが、ゴジラに襲われた際に誤作動を起こし、ゴジラを標的としたミサイルが発射されてしまう。

そしてゴジラは、第1作同様、築地から銀座、有楽町というコースを取る。
今回は銀座の和光は破壊されなかったが、前回破壊された日本劇場の跡地に建つ有楽町マリオンは壊され、前回は在来線の車両を持ち上げていたが、今回は新幹線の車両を持ち上げる。第1作との連続性を強調する意味もあるだろう。ゴジラに新幹線を捕捉出来るだけの俊敏性があるのかどうか疑問だが、とにかく持ち上げている。
その後、ゴジラは永田町に向かうが、永田町の風景のシーンは今回はない。そして行き着いたのは、新宿副都心(まだ都庁移転前である)。

西新宿のビルでは、林田がゴジラを三原山へと誘導する超音波装置を完成させるが、ゴジラが西新宿に来たため、停電やビルの一部破壊などが起こり、身動きが取れなくなってしまう。

ゴジラがなぜ西新宿に現れたのかは謎だが、政府は特設戦闘機「X」でゴジラを迎え撃つ。
高層ビルにゴジラの吐いた放射熱戦による丸い穴が空き、その穴を通してゴジラとXとが撃ち合う様は、この映画が公開される少し前に流行ったインベーダーゲームの名古屋撃ちのようである。おそらく意識はされているのだろう。
Xはカドミウム弾でゴジラを倒すが、気絶させただけ。息を吹き返したゴジラとXは戦わねばならないが、カドミウム弾はすでに尽きており、標準装備のみで乗り切らねばならず、ゴジラの敵足りえなかった。

その間、高層ビルの上階から自衛隊のヘリコプターに乗り込んだ林田は、三原山へとゴジラを導く。ソ連の核ミサイルはアメリカの迎撃ミサイルが落とし、西新宿での核爆弾破裂は避けられる。

林田の目論見は当たり、ゴジラは、伊豆大島・三原山へと向かい、自ら火口に落ちるのだった。

 

第1作では原水爆が生み出したゴジラということになっていたが、1984年版では、冷戦下における核の問題が浮かび上がる。アメリカもソ連も核を持ち、唯一の被爆国である日本も時代の流れから原子力発電所を所有するようになっている。
おそらく今回はゴジラは地震により目覚めているので、原爆や原爆実験は問題ではない。というよりもあるのが当たり前の社会になっている。
日本は非核三原則があるので、核は持てないが、アメリカの傘の下でソビエトの脅威におびえるという状態。そうした危機意識が1984年版「ゴジラ」には込められているように思う。「わからない」とは書いたが、1984年時点で高層ビル群があったのは、日本では西新宿だけで、文明に対する警告という意味も込められていたように思われる。

三原山の火口に落ちたゴジラを、首相の三田村清輝(小林桂樹)ら内閣は、哀悼の面持ちで見つめる。原子力に守られた日本の終わりを原子力によって眠りを覚まされたゴジラの終わりに重ねたのか。

実力派を揃えたキャストが並ぶが、新人同然の沢口靖子の台詞回しが余りにも素人じみていて笑ってしまう。東宝シンデレラ出身だけに早めにヒロイン役に抜擢したかったのだと思うが、まだ早かったようだ(日本アカデミー賞新人賞は受賞している)。彼女も90年代に入ると安定した力を見せ、そして「科捜研の女」という彼女でなければ主役は務まらなかったであろう番組を、断続的に四半世紀以上に渡って務めるという偉業を成し遂げている。

なお、加藤武演じる笠岡通産大臣が、「わからない!」と言われる場面があるのだが、おそらく加藤武の名ゼリフ「よしっ! わかった!」(わかった例しがないが)のパロディであると思われる。

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2025年8月14日 (木)

これまでに観た映画より(392) 「ひろしま」

2025年8月6日

Amazon Prime Video シネフィルWOWOWで、日本映画「ひろしま」を観る。1953年の作品。原爆に襲われた1945年8月6日からの数日間の広島の街と、それから7年後(1952年)の広島市が描かれる。関川秀雄監督作品。音楽:伊福部昭。古い映画なので、映像、音声共に経年劣化しており、ライトの明滅で目がチカチカしたり、高音が再生されず聞こえないので何を言っているのか分からない場面もある。

1952年のパートの主役は高校の英語教師である北川(岡田英次)。この時代の広島の高校は男女共学になっているが、教室の教壇に向かって右側に女子が、向かって左側に男子が共に集団で座っており、現在の一般的な共学のように男女バラバラというわけではないことが分かる。北川は広島原爆に関するラジオを生徒達に聞かせているのだが、生徒の大庭みち子(町田いさ子)が、鼻血を流すなどして倒れてしまい、保健室に運ばれる。みち子もまた被爆者であった。北川はどうも広島以外の場所から赴任したらしいことが分かるのだが、高校の生徒は3人に1人が被爆体験を持っているようだ。
その後、みち子は被爆が原因と思われる白血病で亡くなる。

そして時代は遡って広島の原爆(ピカ)投下直後の広島の地獄絵図が描かれる。逃げ延びようとする人々の中で、月丘夢路、山田五十鈴などが熱演を繰り広げている。
広島市民延べ8万8千500人がエキストラとして参加しており、かなり力の入った作品である。セリフがある人も役者ではなくエキストラが多いと思われる。セリフは標準語で書かれているが、広島弁で喋るシーンにはアドリブがある可能性が高そうだ。
原爆投下直後の場面は文章では表現しきれないものであり、実際に映画を観ていただくしかない。

伊福部昭の音楽は、民族音楽的なもの、宗教音楽的なものなどバラエティに富んでいる。この映画は音楽が流れている時間がかなり長い。

素人を大量導入ということで、原爆直後の場面では、「戦艦ポチョムキン」を意識したような絵作りが続くのも興味深いところである。

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2025年6月27日 (金)

観劇感想精選(492) 高畑充希主演ミュージカル「ウェイトレス」(再演)

2025年5月16日 梅田芸術劇場メインホールにて観劇

午後6時から、梅田芸術劇場メインホールで、ミュージカル「ウェイトレス」の再演を観る。脚本:ジョーン・ネルソン、音楽・歌詞:サラ・バレリス。原作映画製作:エイドリアン・シェリー。ブロードウェイ演出:ダイアン・パウルス。出演:高畑充希、森崎ウィン、ソニン、LiLiCo、水田航生、おばたのお兄さん、田中要次、山西惇ほか。

日本初演時に話題になったミュージカルであるが、私は初演は観ていない。
魅力的な人が全く出てこないという変わったミュージカルである。その分、俳優は魅力的な人で揃えられている。かなり魅力的な人が出ていないと、アメリカだとお客さんが途中で続々と帰ってしまいそうな内容だが、元々そうした計算で、アメリカでも魅力的な俳優が揃えられていたことが予想される。

「ウェイトレス」というタイトル通り、誰でも出来る仕事をしている下層階級の人がメイン。ただ実はウェイトレスは絶対出来ない種類の人がいる職種なので注意は必要である。魅力があるというだけでハイクラスに行ける場合も案外多いので、ずっと下層でくすぶっている人に魅力的な人が少ないというのも道理である。
ヒロインのジェナ(高畑充希)からして、一目で「なし」と分かるはずの駄目男と結婚し、無計画に妊娠し、挙げ句の果てには不倫に走るという、これだけだと本当にどうしようもない女性である。同僚のドリー(ソニン)は年齢=彼氏いない歴、ベッキー(LiLiCo)は夫が要介護と皆冴えない生活を送っている。
3人が働くのは「ジョーのパイのダイナー」というアメリカ南部にある店。ジェナはパイ作りの才能があり、オーナーのジョー(山西惇)や店長のカル(田中要次)との仲も良好である。
一方で家庭は破綻していたが、やることはやっていて、妊娠が分かる、とここまで書いてもまだどうしようもない人である。
夫のアール(水田航生)は、ミュージシャンの夢破れて働いている(工具を持っているのでブルーカラーであることが分かる。というよりあの性格ではホワイトカラーは無理である)が、不真面目という理由でクビになる。上司から「傲慢だ」と言われたそうで、手鏡を見ながら、「この俺が傲慢?」と不満を述べるが、100人いたら100人が傲慢だと1秒で分かるキャラである。本人だけが気付いていない。ジェナはその100人に入れなかった。ここに至ってもまだまだ駄目な人である。こんな男と結婚するなんて成り行きか? と思うのだが、実際に成り行き任せの人であることが後に分かる。
アールは仕事を探す気がなく、ジェナに更に稼がせようとする。ジェナは仕方なくウェイトレスのシフトを増やす。
ドリーに恋人が出来る。オギー(おばたのお兄さん)という青年だが、舞台俳優時代の話をするも、どう聞いても下手な俳優であり、「詩を書いている」というも、どう聞いて下手な詩である。本当に徹底して駄目な人しか出てこない。

産婦人科を訪れるジェナ。いつもは女医さんに診察して貰っていたようだが、引退して、今は男性のポマター医師(森崎ウィン)が担当医となっている。ポマター医師は、専門用語を淀みなく話すことから頭は良いと思われるのだが、察する能力に乏しい、話がつまらない、ジェナに好意を抱いて診察の2時間前から診察室で待っている……、ここまで読んで、「なんてつまらない芝居なんだ」と思った方、あなたは正常ですが、つまらないのは私の責任じゃありません。本当にこういうあらすじなんでです。
ジェナはポマター医師と成り行きでダブル不倫に落ちる。あんたねえ……。

ちなみに相手の奥さんと知り合いなのに不倫している女性2名。まるで今日(2025年5月16日)、東京で行われるやばい……、あの女優さんの演技ほとんど見たことないからどうでもいいや。

スプリングフィールドという街(アメリカにはスプリングフィールドという名の街が数多く存在するため、どのスプリングフィールドなのかは不明)でパイ作りのコンクールが行われることを知ったジェナは優勝して賞金を手にし、アールと離婚して自立することを目標とする。

 

魅力的な筋書きとは言えないが、これを魅力的に変えるのが芝居の力であり、音楽の効用であり、俳優の魔術である。

 

とにかく高畑充希の存在に尽きる。歌唱力の格が違う。ソニン、森崎ウィンなど歌の上手さで知られる人も霞んでしまう。歌うようにセリフを奏でながら不自然に聞こえないというのも大した才能である。この点においては、高畑充希は大竹しのぶの後継者第一候補とも思える。男性俳優とはデュオの場面があるのだが、同じ旋律を歌うため、高畑充希の上手さが目立って、男性陣が可哀相になってくる。でも才能だからねえ。とんでもなく上手いんだからどうしようもない。
第2幕では、ピアノ伴奏に乗って歌うナンバーが2曲あるのだが、いずれも第1拍から歌い出しに入る。拍のジャストで必ず入るのだが、全て完璧。歌の滅茶苦茶上手い人でも1回か2回はずれるものなのだが。
大阪の観客はこれだけのご当地出身女優がいて誇らしいだろうなあ。

BOBAさんこと田中要次は好きな俳優なのだが、映像の人の演技。今度、映像で見ようと思う。

パイ作りのコンクールの模様は描かれないが、優勝するか上位入賞するかしてジョーに店を譲られ、店の名も「ジェナのダイナー」になる。
ブレヒト的なハッピーエンドになるのだが、「え? この人達だよ。大丈夫なの?」という気になる。ただ、作り手にとってはそれも計算のうちなのだろう。

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2025年6月12日 (木)

「God Only Knows」

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2025年6月 9日 (月)

観劇感想精選(491) 「リンス・リピートーそして、再び繰り返すー」

2025年5月10日 京都劇場にて観劇

午後6時から、京都劇場で、「リンス・リピート―そして、再び繰り返す―」を観る。作:ドミニカ・フェロー、テキスト日本語訳:浦辺千鶴、演出:稲葉賀恵(いなば・かえ)。出演:寺島しのぶ、吉柳咲良(きりゅう・さくら)、富本惣昭(とみもと・そうしょう)、名越志保(なごし・しほ)、松尾貴史。

ドミニカ・フェローは、まだ二十代と思われる若い劇作家。この「リンス・リピート」は、自身が摂食障害を患っていたニューヨーク大学在学中に多くの演劇を観るも摂食障害を取り上げた作品が一つもないことに気付き、自伝的作品として書き上げたもので、オフブロードウェイでの初演時は、自身が摂食障害のレイチェル役を演じたそうである。なお、劇中ではレイチェルは名門イェール大学法学部在学中で弁護士を目指しているが、ドミニカ・フェローは法学ではなく、ニューヨーク大学では演劇を学んでいる。

アメリカ、東海岸。コネチカット州グリニッジ。ジョーン(寺島しのぶ)は、エクアドル系のヒスパニックである。ヒスパニック系は、アメリカでは数は多いが最下層と見なされ、最も差別されている。そこから這い上がって弁護士となり、今では共同弁護士事務所を立ち上げるというキャリアウーマンであるジョーン。ジョーンの夫のピーター(松尾貴史)は、名家出身だが、経済力はなく、セミリタイアのような生活を送っている。ということでジョーンが一家を支えている。
長女のレイチェル(吉柳咲良)は、イェール大学の4年生。成績も優秀だが、摂食障害を患い、レンリーという施設に入っている。
長男のブロディ(宮本惣昭)は高校3年生。フットボール選手として活躍したため、名門のノートル・ダム大学への進学が決まっている。

人種差別の激しいアメリカ。ヒスパニック系が勝ち上がるには専門職に就くしかない。ジョーンはそうして勝ち抜いてきた。名門大学に入り成績優秀な娘にも同じ道を歩むことを望んでいる。

レイチェルが施設から帰ってくる。吉柳咲良はミュージカル俳優として期待されている人だが、今回はストレートプレーなので歌はないのかと思っていたが、短いもののスキャットで歌ってくれる。このレイチェルがしょっちゅう着替えるのだが、それによって時間の経過や場所の移動が分かるようになっている。
入院施設レンリーは、一度は回想として、一度は悪夢の中に出てくる場所として登場する。レンリーでレイチェルを受け持つのは、ブレンダ(名越志保)というセラピスト。実はこのブレンダは黒人という設定なのだが、今の日本では肌を黒く塗って黒人を演じることは禁忌とされているため、とくに何も施さずに登場。おそらく黒人だと分かった人はいないと思われる。

レイチェルは、イェール大学で文系クラスを受講していることをジョーンに打ち明け(ジョーンも「学生時代、詩の授業を取ってたわよ」と返す)、レンリーでも詩を書いてブレンダに見せている。だが自信があるわけではなく、「エミリー・ディキンソン(「希望とは翼あるもの」などで知られる米国最高の女流詩人。半引きこもりのような生涯を送り、若くして亡くなっているが、生前は詩を発表せず、死後に発見された詩の数々が反響を呼び、世界的名声を得る。日本でも岩波文庫から英文と日本語対訳の詩集が発売されるなど人気は高い)ぐらいでないと」と自らの才能に限界を感じているようでもある。また、レイチェルは自殺を図ったことがあるが、それを仄めかすナイフの詩を書いていた。
4ヶ月大学を休んでいたレイチェル。だがそれまでの成績が優秀だったため、イェール大学ロースクールの受験資格はありそうである。
だが、本当は、レイチェルは、法学ではなく文学の道に進みたくて、それが摂食障害に繋がったのでは……、と思わせるのはミスリード。この家には何故か体重計が母親のジョーンの部屋に置いてあるのだが、これが伏線になっている。

ヒスパニック系の話であり、親子の話であり、心理劇であり、ミステリーの要素も含まれる。

母親のジョーン役の寺島しのぶが主演で、彼女が出ると空気が引き締まり、いかにも格上という感じがするのだが、レイチェルを演じる吉柳咲良が舞台上にいる時間が最も長くセリフも多く、また初演時に作者が自分自身のこととして演じているため、W主演的な位置にある。寺島しのぶと吉柳咲良とでは本当に親子ほど年齢が離れているので、なかなかW主演とは銘打ちがたいのだが。
寺島しのぶと吉柳咲良が抱き合ってから、吉柳咲良が客席通路を通って退場するのは、母からの巣立ちを意味すると思われる。

吉柳咲良は、昨年、朝ドラ「ブギウギ」では、主人公のスズ子(趣里)に挑もうとする若手歌手の水城アユミ役、大河ドラマ「光る君へ」では1話だけの出演だったが、のちに『更級日記』などを書くことになる菅原孝標女を演じて話題になり、お茶の間にも知名度を拡げている。今年はTBS日曜劇場で詩森ろばが脚本を書いた「御上先生」に髙石あかりらと共に生徒役で出演している。

 

今日は上演終了後にアフタートークがあり、寺島しのぶ、松尾貴史、吉柳咲良の3人が出演する。松尾貴史は、始まってから終わるまで一度も客席から笑いの起こらない芝居に出るのは初めてだと語る。

客席からの質問があり、消え物の話のほか、細かいところも質問として出た。

アフタートークが終わり、寺島しのぶと松尾貴史は、客席に手を振る。吉柳咲良はそのまま退場しようとして、二人が手を振っていることに気づき、慌てて手を振るなど微笑ましい。

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2025年6月 7日 (土)

コンサートの記(904) アンサンブル九条山 コンサートvol.16「The Phoenix Rises New Music from Los Angels」

2025年5月11日 左京区岡崎のロームシアター京都ノースホールにて

午後2時から、ロームシアター京都ノースホールで、アンサンブル九条山(くじょうやま) コンサートvol.16「The Phoenix Rises New Music from Los Angels」を聴く。

2010年に京都のヴィラ九条山のレジデントであったヴァレリオ・サニカンドロにより設立された現代音楽アンサンブル。メンバーは全員女性で、全員が女性の現代音楽アンサンブルはかなり珍しいと思われる。

今回は、ロサンゼルスで生まれ育った指揮者のジェフ・フォン・デル・シュミットと、上海出身で1986年に渡米し、以後、ロサンゼルスで学び、作曲活動を行っている女流作曲家のジョーン・ファンというLA在住の二人のゲストを招いての演奏会である。

 

出演は、石上真由子(いしがみ・まゆこ。ヴァイオリン)、上田希(クラリネット)、太田真紀(ソプラノ)、後藤彩子(客演。ヴィオラ)、畑中明香(はたなか・あすか。パーカッション)、松蔭(まつかげ)ひかり(客演。チェロ。レギュラーメンバーである福富祥子が出演出来なくなったための代役)、森本ゆり(ピアノ)、若林かをり(フルート)。石上真由子は本拠地を京都から東京に移しているが、それ以外は関西を拠点とするアーティスト達である。

曲目は、ルー・ハリソンの「森の歌」、ジョン・ケージの「7つの俳句」、ウィリアム・クラフトの「月に憑かれたピエロ」からのセッティング(アジア/日本初演)、ヴ・ニャット・タンの「雲」(遺作/世界初演)、ジョーン・ファンの「インプレッション・オブ・グスー」(アジア/日本初演)、ウィリアム・クラフト&ジョージ・ファンの「万華鏡とモザイク」(アジア/日本初演)

 

現代音楽こそ若い人に聴いて欲しいのだが、やはりこの演奏会も平均年齢は高め、50歳の私が最年少候補である。クラシック音楽の聴衆の新陳代謝は余り進んでいないように思える。もう20年近く前になるが、京都造形芸術大学の学園祭で、ジョン・ケージの小規模なオペラが上演されたときは、学生が多く観に来ていて好評だったのだが、あるいは音楽よりも美術専攻者などの方が現代音楽には馴染みやすいのに、そちらへの宣伝が不十分なのかもしれない。

 

チラシやポスターだけでは分からなかったのだが、今回は「アジア」が重要なテーマのようで、出演者は全員、旗袍(チーパオ)やアオザイなどを参考にしたようなアジア風ドレスを着こなしていた(パーカッションの畑中明香だけは、他の人と同じような格好では動きにくいので、少し緩やかな衣装であった)。

 

まず、森本ゆりによる挨拶がある。今回のコンサートの指揮と監修を務めるジェフ・フォン・デル・シュミットが、ロサンゼルスの生まれ育ちであること、また今回の演奏会を企画するに当たり、「現在は現代音楽の分岐点にある」というシュミットの考えから、当初は「始まりの終わり」というタイトルに決まりかけていたことを語る。しかし、今年の1月、ロサンゼルスで大火が起こり、作曲家のジョーン・ファンは体は無事であったが自宅は全焼、シュミットの家にも2つ先の通りまで火が押し寄せてきたそうで、ロサンゼルスの街を復興を願い、「不死鳥」を入れた今回のタイトルに変更したそうである。

 

指揮と監修を務めるジェフ・フォン・デル・シュミットは、1955年、ロサンゼルス生まれ。苗字からしてドイツ系だと思われ、フォンが入るので貴族の血筋かも知れない(ちなみにドイツ語圏では戦後、貴族階級に属することを意味する「フォン」の称号は名乗ることを禁じられたため、ヘルベルト・フォン・カラヤンなどは特別に芸名としてフォンを名乗ることを許されている)。ウィーン大学、南カリフォルニア大学で学び、カリフォルニアで現代音楽アンサンブルであるサウスウエスト・チェンバー・ミュージックを主宰。2012年からはロサンゼルスで行われる現代音楽のフェスティバルを開催している。
グラミー賞に8回ノミネートされ、2度受賞。2015年からは、ベトナムのハノイ・ニュー・ミュージック・アンサンブルの指揮者兼芸術顧問を務めている。

 

ルー・ハリソンの「森の歌」。フルート、ヴァイオリン、パーカッション、ピアノのための作品である。
ルー・ハリソンは、オレゴン州ポートランド生まれのアメリカの作曲家だが、ジャワのガムラン音楽に強い関心を示すなど、非西洋の音楽に惹かれていた。この曲もガムランを思わせるパーカッションを始め、フルートというより笛ような音で奏でられる旋律(おそらくペンタトニック使用)など、極めて東洋的な音楽が展開される。何の情報ももたらされなければ、アジア人作曲家の作品と誰もが思い込んだに違いない。
中学生の頃、坂本龍一、デヴィッド・バーン・コン・スー(蘇聡。スー・ツォン)が音楽を手掛けた「ラストエンペラー」の映画音楽を愛聴し、ついでに二胡などの演奏のCDも楽しんでいた私にとってはアジア風の音楽は音楽における故郷の一つである。

 

ジョン・ケージの「7つの俳句」。今回演奏される曲の中では比較的知名度が高い作品である。森本ゆりのピアノ独奏。
「俳句」と名付けただけ合って、極めて簡潔な作品群である。音を少し置くだけで終わってしまう。ただサティなども音楽で石取りゲームのようなことをしているため、その延長線上にあると考えても把握はしやすくなる。弦を直接指で弾く特殊奏法も用いられる。

 

ウィリアム・クラフトの「月に憑かれたピエロ」からのセッティング。ソプラノ、フルート、クラリネット、ヴァイオリン、チェロ、ピアノ、パーカッションのための作品。シュミットの指揮である。
シェーンベルクも作曲した「月に憑かれたピエロ」の詩に基づく作品であるが、シェーンベルクが採用しなかった詩の部分にインスピレーションを受けて作曲されている。
ウィリアム・クラフト(1923-2022)は、シカゴ生まれの作曲家。コロンビア大学で学士と修士を修め、まず打楽器奏者として出発。ダラス交響楽団を経て、ロサンゼルス・フィルハーモニックの打楽器奏者・首席ティンパニ奏者として活躍。その後、副指揮者を経てレジデンスコンポーザーを務めた。同い年でロサンゼルスでも活躍した指揮者・作曲家のロバート・クラフトとは特に血縁関係にはないようである。
パーカッションの活躍が目立つ一方で、ヴァイオリンの出番がなかなか訪れないという特殊な構成。音と音の合間から染み出てくる音のようなものが印象的である。器楽に対し、太田真紀のソプラノが良いアクセントになっている。

 

ヴ・ニャット・タン(男性)の「雲」。タンの遺作であり、世界初演である。
ヴ・ニャット・タンは、1970年、ベトナムの首都ハノイ生まれの作曲家。ベトナム戦争下の生まれである。ハノイ国立音楽院でピアノと作曲を学んだ後、ドイツ学術交流会の奨学金を得てケルン音楽大学で現代音楽を学ぶ。その後、カリフォルニア大学サンディエゴ校で作曲を学んだ。一方で祖国の音楽の研究や、祖国の楽器である葦笛奏者としても活躍。1995年から2000年まではハノイ国立音楽院で教育活動に従事した。2020年、癌のため50歳の若さで死去。

「雲」は、ヴァイオリンとピアノのための作品である。どちらかというとピアノ主体の曲で、雅やかな音色と、ピアノの弦を直接弾く特殊奏法によるグリッサンドが印象的である。

 

ジョーン・ファンの「インプレッション・オブ・グスー」
ジョーン・ファンは、1957年、上海生まれの女流作曲家。文化大革命で下放させられた経験を持つ。労働は過酷であったが、農民から地方の民謡を教えられたりもしたそうだ。文革終了後、上海音楽院に入学。ということで、中国映画における第五世代に当たるようだ。上海音楽院で学士と修士を得て、1986年に渡米。カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)で学ぶ。後に夫となるウィリアム・クラフトとはここで出会った。祖国中国と西洋の音楽の融合を研究し、1991年に博士課程を修了。

グスー(姑蘇)というのは、蘇州の旧名だそうである。パーカッション以外は総出で、シュミットの指揮での演奏。
連続した小協奏曲という趣向を持つ。
最初のうちは現代音楽的な複雑な音だが、やがてチェロに中国的な旋律が現れる。その後も、混沌と中華的旋律の登場が繰り返されるが、「水の蘇州」ということで、水の流れを描くような部分も多い。ヴァイオリンとヴィオラが、スメタナの「モルダウ」の冒頭のような掛け合いを聴かせる部分もあった。

 

演奏終了後、客席にいたジョーン・ファンがシュミットに呼ばれて登場し、拍手を受けた。実年齢よりも若々しい印象を受ける女性である。

 

ウィリアム・クラフト&ジョーン・ファンの「万華鏡とモザイク」。作曲中に病に倒れたクラフトが、死の3時間前に 妻であるジョーン・ファンに「補作して完成させてくれ」るよう頼んだという作品である。
無料パンフレットに「満ち引きする一種の脈略のない夢のような心象風景の場面」とあることから、この曲も「インプレッション・オブ・グスー」同様、流れのようなものが全体を貫いている。異なるのは、「インプレッション・オブ・グスー」では用いられなかったパーカッションの大活躍で、特に力強いドラムの音が全体をリードする。今回の演奏会では、他では見られないほどパーカッションが活躍する場面が多く、演奏終了後、シュミットはパーカッションの畑中明香の手を取って高々と掲げ、労をねぎらった。

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2025年6月 4日 (水)

観劇感想精選(490) 望海風斗主演「マスタークラス」

2025年4月13日 西梅田のサンケイホールブリーゼにて観劇

午後2時から、西梅田のサンケイホールブリーゼで、「マスタークラス」を観る。マリア・カラスが引退後にジュリアード音楽院で行ったマスタークラス(公開授業)を聴講した経験と講義録を基に、テレンス・マクナリーが書いた戯曲を森新太郎が演出。1939年に生まれ、コロンビア大学在学中から劇作を始めたテレンス・マクナリー。2020年にコロナに罹患して亡くなったという。ゲイであり、キリストと弟子達をゲイとして描いたことで抗議運動を起こされたこともあったようだ。
「マスタークラス」は、1995年にアメリカのフィラデルフィアで初演され、日本では翌1996年に黒柳徹子主演で銀座セゾン劇場において初演が行われている。黒柳徹子版は1999年にも再演されているが、以後、「マスタークラス」を取り上げる日本人女優は現れず、久々の上演となった。出演:望海風斗(のぞみ・ふうと)、池松日佳瑠(いけまつ・ひかる)、林真悠美(藤原歌劇団)、有本康人(藤原歌劇団、びわ湖ホール声楽アンサンブル)、石井雅登、谷本喜基(たにもと・よしき。音楽監督兼任)。テキスト日本語訳:黒田絵美子。

出演者は6人いるが、マリア・カラス役は延々と喋り続けるため、実質一人芝居と変わらない量のセリフをこなす必要がある。上演時間は15分の休憩を含んで2時間20分ほどなので、2時間近くは喋ることになる。これだけの量のセリフをこなすだけでも大変なのに、短いが歌うシーンもある。マリア・カラス役なので引退した時分とはいえそれなりの説得力は必要となる。関西テレビの「ピーチケパーチケ」というエンターテインメント&芸術紹介番組で演出の森新太郎が、「この役をやりたいという女優がいたら少しおかしい」と語っていたが、出来る女優がなかなかいない(余り歌うイメージはないが、黒柳徹子は東京音楽大学の前身である東洋音楽学校声楽科卒であり、本格的な声楽の教育を受けている)。今回は宝塚歌劇団元雪組トップスターの望海風斗がマリア・カラス役に挑むことになった。他の出演者も全員、音楽を専門的に学んでいる。池松日佳瑠は、東京音楽大学声楽演奏家コース卒で元劇団四季、林真悠美は、武蔵野音楽大学大学院修了で第23回万里の長城杯国際音楽コンクール声楽部門1位獲得。藤原歌劇団所属だが、その前にはミュージカルにも出演していた。ホームページを見ると、ストレートプレーを学んだ経験もあるようである。有本康人は、昭和音楽大学声楽科ポピュラーヴォーカルコース卒、日本オペラ振興会オペラ歌手育成部門第37期修了。藤原歌劇団に所属しているが、大学でも学んだと思われるJ-POPにも取り組んでいる。石井雅登は、今回は音楽に興味を示さない音楽院の道具係役であるが、東京藝術大学音楽学部卒業、在学中に小澤征爾音楽塾塾頭を経験、劇団四季で主役を務めるなど、音楽の素養は十分である。今回は地味な役だが、いざというときにはテナーのカバーも務めることになっている。音楽監督兼任でピアノ独奏を担当するの谷本喜基は、東京芸術大学声楽科卒業。現在は合唱指導者のほか、指揮者、ピアニスト、歌手、アレンジャーなど多方面で活躍。音楽団体「イコラ」の代表、ヴォーカルグループカペラのメンバーである。声楽科の出身者であるが、ピアノとチェンバロ、通奏低音奏法なども修めているようだ。
スウィングという形で、岡田美優(おかだ・みゆう。ソプラノ役両方のカバー)と中田翔真(道具係役のカバー/プロンプター)の名がクレジットされているが、岡田美優は、東京音楽大学卒、日本オペラ振興会オペラ歌手育成部修了で、藤原歌劇団に所属している。

 

開演前には、ピアノ独奏用にアレンジされた名アリアの数々が流れている。
おそらくニューヨーク・ジュリアード音楽院の教室または講堂が舞台。公開講義なので聴衆がいる。最初のうちは客電が明るいままだが、マリア・カラス役の望海風斗が客いじりをする場面があるためである。

プリマドンナの代名詞的存在であるマリア・カラス。ギリシャ系のアメリカ人でニューヨーク生まれである。最初のうちは容姿に問題があった。100キロを超す巨体の持ち主で、容姿をあげつらう声もあった。マリア・カラスは減量を行い、体重を半分にすることに成功する。カラス本人は「菜食によるもの」としていたが、わざとサナダムシを体内で飼い、体重を減らしたとする「サナダムシ説」も今も有力である。実際、サナダムシがいたことは確かなようだが、それが減量のためなのか、たまたま体の中に入ってしまったのか、真相は分からないようである。
こうして容姿の問題を解決したカラス。視力が悪いという問題もあったが、劇中で、「視力が悪いのも悪くない。指揮者の指示が目に入らなかったということに出来る」という意味のセリフがあり、難点を難点としなかったようだ。

オペラを題材にした芝居ということで、フランコ・ゼフィレッリ、ルキノ・ヴィスコンティ、レナード・バーンスタイン、ヴィクトル・デ・サバタ、ジョーン・サザーランドなどビッグネームが登場する。
カラスは、「私は同業者の悪口は絶対に言わない」と言いながら、サザーランドが長身であることをくさすなど、毒舌を発揮。マリア・カラスは、性格的には良いとは言えない人であるが、そのために人生がドラマティックになったという一面はある。

カラスは、まず「見た目」が大事だという。ピアニストのマニー(エマニュエル。ユダヤ系の名前である。演じるのは谷本喜基)にも、最初に会った時の赤いセーターのようなインパクトがあればと言う。そして客席を、「あなたは見た目に気を使っているとは言えないわね」「その後ろの人も見た目に気を使っているとは言えないわね」といじる。「見た目を良くするのは、歌を良くするより簡単」と断言する。

最初のレッスン生であるソフィー(池松日佳瑠)も、田舎娘のような格好で、見た目がいまいちである。苦労知らずの子のようで、苦労についても「いや、それぐらいは全員」ということしかいえない。ソフィーはギリシャ系イタリア人であるが、譜面に書かれたイタリア語の指示を読めないため、少なくとも育ちはアメリカで、イタリア語はネイティブではないのだと思われる。歌うのはベッリーニの歌劇「夢遊病の女」より“ああ、信じられない”。
まずピアノ伴奏を聴いていないという指摘をカラスから受けるソフィー。作曲家は音符に全てを書いているので、それを聞き逃してはならない。そして演技をしてはならない。なぞるのではない。「感じる、本当にそうなる。それが私達の仕事です」
そうしたアドバイスを書き留めなければならないのだが、ソフィーは鉛筆を持っていない。カラスは若い頃の話をする。カラスが若い頃は鉛筆は高級品だった。ある日、鉛筆とオレンジが並んだ場所で売られていた。オレンジはカラスの大好物であったが、「(歌手として成功したら)後で好きなだけ買える」ので鉛筆を選んだ。
ちなみにソフィーの好きなソプラノ歌手は、サザーランドであるが、ここで先に書いたサザーランドの悪口が出る(「熊みたい」)。カラスは「夢遊病の女」のアミーナを歌い継いできた歌手のことを思い浮かべ、歴史を感じて歌うようアドバイス。ソフィーは、「サザーランドは入りませんか?」と聞いてカラスににらまれる。オペラ界は嫉妬とやっかみの世界である。
ソフィー役(本にはソプラノ1とある)も歌うシーンが短いがあるので、やはりソプラノ歌手としての訓練を積んだ者でないと演じることは出来ない。

レッスン生2人目。シャロン(林真悠美)。ソプラノである(本にはソプラノ2と書かれている)。ドレスアップして登場。緑の美しいドレスなのだが、これから行われるのは本番ではなくて授業である。ということで、TPOに問題がある。カラスは、「あなたは何系?」と聞くが、シャロンは答えない。シャロン・グレアムという、ファーストネームもファミリーネームもWASP系だが、本名を名乗る必要もないので(マリア・カラスも本名ではない。本名は、マリア・アンナ・ソフィア・セシリア・カロゲロプーロス)不明のままである。仮にWASPだったとしても、ギリシャ移民系のカラスに「WASPです」とは言えないだろう(俗に言う「マウントを取った」ことになる)。
ヴェルディの歌劇「マクベス」からマクベス夫人のアリア“勝利の日に私は~さあ急いでいらっしゃい!”を歌う。シャロンに、シェイクスピアの「マクベス」を読んだことはあるかと聞くカラス。シャロンは、「18歳の時に」と大分前の話として答えるが、「ヴェルディが『マクベス』を読まずにオペラを書いたと思ってるの?」と不勉強を責める。
ラブレターを読むシーンから入るのだが、ちゃんと読んでいるようには見えない。カラスがやってみせるが、カラスは読まない。これは、「ラブレターを何度も読んでもう暗記しているので読む必要がない」という解釈だそうである。
一度退場して、登場することになるシャロン。カラスによると「登場があって退場がある。その間に芸術がある」
しかし、シャロンは戻ってこない。様子を見に行ったカラスは、「いない」
カラスは若い頃に、ミラノ・スカラ座でマクベス夫人を歌った時のことを思い返す。フランコ・ゼフィレッリの演出、ヴィクトル・デ・サバタの指揮。高所にいるという演出である。ここでの成功で、カラスはスターへの道を歩み始める。
背景には鏡が市松模様になる形で埋め込まれているが、この時は背景にスカラ座の内部が投影される。

3人目のレッスン生は、トニー(アントニー。有本康人)である。テノール。南カリフォルニア大学で声楽を学び、カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)の大学院で声楽の修士獲得。この時代は今よりも東海岸と西海岸の差が激しかったはずである。
プッチーニの「トスカ」のマリオのアリア“妙なる調和”を歌う。ちょっと軽い感じの男であるが、歌は確かである。カラスは情景描写を行う。実際には台本に書かれていないことも想像力で把握していく。画家であるマリオが描いている絵の題材まで言い当てる。
カラスはトニーの歌に感銘を受けたように見えるが、実際は、マリオの相手であるトスカに自己同一化して思い出に浸っていたようである。「アリー」と愛称で呼ばれるその男、海運王、アリストテレス・オナシスである。オナシスは金持ちであるが、芸術に理解のない居丈高の男としてカラスが演じてみせる。実際のところ、オナシスがカラスに好意を持ったのは、彼女が自分と同じギリシャ系の世界最高のソプラノ歌手だったからで、別に音楽が好きだったからではない。オナシスは、カラスにオペラではなくて売春宿で歌われるような民謡を要求する。
オナシスは、その後、カラスを捨ててジャクリーン・ケネディと結婚する。ジャクリーンと結婚したのもやはりアクセサリー集め感覚だったようで、すぐに不仲になり、離婚後はまたカラスと付き合うようになるが、カラスの引退を早めた一因がオナシスにもあったように思われる。

シャロンが戻っている。体調不良となり、化粧室で嘔吐してしまったが、再びマクベス夫人に挑む。カラスに解釈を否定されつつも歌い終えるシャロンだったが、「あなたは自分が分かっていない」と言われる。カラスは、マクベス夫人には向いていないとして、いわゆるリリック・ソプラノが起用される役を提案。しかし、これにシャロンは激怒。「大嫌い!」「若い才能を潰したいだけ」と捨て台詞を吐いて出て行く。

最初の夫であるバティスタと、愛人のオナシスの思い出。ここで、バティスタとオナシスの顔写真が背景に投影されるのだが、これは余り趣味が良くないように感じた。語りすぎるくらいに語るので、それ以外は余計な要素である。
実はバティスタは、カラスより30歳年上。親子程もしくはそれ以上の差である。それが次第に耐えられなくなる。この作品中では語られないが、マネージャーでもあったバティスタはカラスに技巧的に難度の高い歌が登場するオペラへの出演を引き受けさせ、その結果、カラスは喉の故障で40歳そこそこで引退せざるを得なくなっている。オナシスの下へと走ったカラスだが、不倫だったためバッシングを浴び、離婚。オナシスと再婚したかったが、オナシスはジャクリーン・ケネディを選んだ。

ジュリアード音楽院でのマスタークラスを始める前に、カラスは映画に出演している。パゾリーニ監督の「王女メディア」。この映画は、何年か前にリバイバル上映されているが、劇中でカラスが歌うことはない。映画の内容も、回想や想像の場面がそれと示されずに突然挿入されるという抽象性の高いもので難解であり、またパゾリーニ監督作品ということで残虐シーンもあるなど少々悪趣味で、興行的には成功していない。

 

オペラのマスタークラスを描いた作品であるが、描かれるのは芸術論である。オペラだけではない。
「この世から『椿姫』がなくなっても、お日様はちゃんと昇ります。オペラ歌手なんていなくても世界は回っていきます。でも私達がいると、その世界が少し、豊かに、そして賢くなるんじゃないかって」
「肝心なのは、あなたがたが学んだことを、どう生かすかってことです。言葉をどう表現するか、どうしたらはっきり伝わるか、自分の中にある魂をどう震わせるか。どうか正しく、そして素直な気持ちで歌を歌って下さい」
正しく素直。これは実はかなり難度の高いことなのだが、おそらく講義録からの言葉でカラスはそこを目指していたのだろう。

 

最後には、マリア・カラスの肖像が、キャットウォークから降りてきて、望海風斗は膝を折ってマリア・カラスに敬意を表した。

 

望海風斗は鼻が高く、風貌がカラスに似ている。少なくとも同系統でカラス役には最適である。膨大なセリフを淀みなく喋る至芸を披露。歌声も美声である。
他の出演者も音楽家ということで、音楽的に充実していた。林真悠美と有本康人は、演技を見て、「この人達はオペラの人かな?」と思ったが、実際にそうであった。オペラの登場人物は――オテロ、蝶々夫人、トゥーランドット、ポーギーとベスなど例外も多いが――白人であることが多いため、オペラ歌手は白人のような身のこなしをすることに慣れている。それが舞台俳優との一番の違いである。新劇は西洋の戯曲の上演も多いので、その時は白人のような身のこなしをするが、オペラ歌手の場合はそれともちょっと違う。

 

近く、マリア・カラスを主人公にした「Maria」(原題)という映画が日本で公開される予定である。マリア・カラスを演じるのはアンジェリーナ・ジョリー。これまた癖のある女優が選ばれている。

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2025年2月27日 (木)

コンサートの記(891) 準・メルクル指揮 京都市交響楽団第697回定期演奏会

2025年2月15日 京都コンサートホールにて

午後2時30分から、京都コンサートホールで、京都市交響楽団の第697回定期演奏会を聴く。指揮は、日独ハーフの準・メルクル。

NHK交響楽団との共演で名を挙げた準・メルクル。1959年生まれ。ファーストネームの漢字は自分で選んだものである。N響とはレコーディングなども行っていたが、最近はご無沙汰気味。昨年、久しぶりの共演を果たした。近年は日本の地方オーケストラとの共演の機会も多く、京響、大フィル、広響、九響、仙台フィルなどを指揮している。また非常設の水戸室内管弦楽団の常連でもあり、水戸室内管弦楽団の総監督であった小澤征爾の弟子でもある。
現在は、台湾国家交響楽団音楽監督、インディアナポリス交響楽団音楽監督、オレゴン交響楽団首席客演指揮者と、アジアとアメリカを中心に活動。今後は、ハーグ・レジデエンティ管弦楽団の首席指揮者に就任する予定で、ヨーロッパにも再び拠点を持つことになる。これまでリヨン国立管弦楽団音楽監督、ライプツィッヒのMDR(中部ドイツ放送)交響楽団(旧ライプツィッヒ放送交響楽団)首席指揮者、バスク国立管弦楽団首席指揮者、マレーシア・フィルハーモニー管弦楽団音楽監督(広上淳一の前任)などを務め、リヨン国立管弦楽団時代にはNAXOSレーベルに「ドビュッシー管弦楽曲全集」を録音。ラヴェルも「ダフニスとクロエ」全曲を録れている。2012年にはフランス芸術文化勲章シュヴァリエ賞を受賞。国立(くにたち)音楽大学の客員教授も務め、また台湾ユース交響楽団を設立するなど教育にも力を入れている。

 

曲目は、ラフマニノフのパガニーニの主題による狂詩曲(ピアノ独奏:アレクサンドラ・ドヴガン)とラヴェルのバレエ音楽「ダフニスとクロエ」全曲(合唱:京響コーラス)。
「ダフニスとクロエ」は、組曲版は聴くことが多いが(特に第2組曲)全曲を聴くのは久しぶりである。
今日はポディウムを合唱席として使うので、いつもより客席数が少なめではあるが、チケット完売である。

 

午後2時頃から、準・メルクルによるプレトークがある。英語によるスピーチで通訳は小松みゆき。日独ハーフだが、日本語の能力については未知数。少なくとも日本語で流暢に喋っている姿は見たことはない。同じ日独ハーフでもアリス=紗良・オットなどは日本語で普通に話しているが。ともかく今日は英語で話す。
ラフマニノフのパガニーニの主題による狂詩曲だが、パガニーニの24のカプリースより第24番の旋律(メルクルがピアノで弾いてみせる)を自由に変奏するが、変奏曲ではなく狂詩曲なので、必ずしも忠実な変奏ではなく他の要素も沢山入れており、有名な第18変奏はパガニーニから離れて、「世界で最も美しい旋律の一つ」としていると語る。私が高校生ぐらいの頃、というと1990年代初頭であるが、KENWOODのCMで「ピーナッツ」のシュローダーがこの第18変奏を弾くというものがあった。おそらく、それがこの曲を聴いた最初の機会であったと思う。
「ダフニスとクロエ」についてであるが、19世紀末のフランスでバレエが盛んになったが、音楽的にはどちらかというと昔ならではのバレエ音楽が作曲されていた。そこにディアギレフがロシア・バレエ団(バレエ・リュス)と率いて現れ、ドビュッシーやサティ、ストラヴィンスキーなどに新しいバレエ音楽の作曲を依頼する。ラヴェルの「ダフニスとクロエ」もディアギレフの依頼によって書かれたバレエ曲である。演奏時間50分強とラヴェルが残した作品の中で最も長く(バレエ音楽としては長い方ではないが)、特別な作品である。バレエ音楽としては珍しく合唱付きで、また歌詞がなく、「声を音として扱っているのが特徴」とメルクルは述べた。またモチーフライトに関しては「愛の主題」をピアノで奏でてみせた。
また笛を吹く牧神のパンに関しては、元々は竹(日本語で「タケ」と発音)で出来ていたフルートが自然の象徴として表しているとした。

往々にしてありがちなことだが、バレエの場合、音楽が立派すぎると踊りが負けてしまうため、敬遠される傾向にある。「ダフニスとクロエ」も初演は成功したが、ディアギレフが音楽がバレエ向きでないと考えたこともあって、この曲を取り上げるバレエ団は続かず、長らく上演されなかった。
現在もラヴェルの音楽自体は高く評価されているが、基本的にはコンサート曲目としてで、バレエの音楽として上演されることは極めて少ない。

 

今日のコンサートマスターは泉原隆志。フォアシュピーラーに尾﨑平。ドイツ式の現代配置での演奏。フルート首席の上野博昭はラヴェル作品のみの登場である。今日のヴィオラの客演首席は佐々木亮、チェロの客演首席には元オーケストラ・アンサンブル金沢のルドヴィート・カンタが入る。チェレスタにはお馴染みの佐竹裕介、ジュ・ドゥ・タンブルは山口珠奈(やまぐち・じゅな)。

 

ラフマニノフのパガニーニの主題による狂詩曲。ピアノ独奏のアレクサンドラ・ドヴガンは、2007年生まれという、非常に若いピアニストである。モスクワ音楽院附属中央音楽学校で幼時から学び、2015年以降、世界各地のピアノコンクールに入賞。2018年には、10歳で第2回若いピアニストのための「グランド・ピアノ国際コンクール」で優勝している。ヒンヤリとしたタッチが特徴。その上で華麗なテクニックを武器とするピアニストである。
メルクルは敢えてスケールを抑え、京響の輝かしい音色と瞬発力の高さを生かした演奏を繰り広げる。ロシアのピアニストをソリストに迎えたラフマニノフであるが、アメリカ的な洗練の方を強く感じる。ドヴガンもジャズのソロのように奏でる部分があった。

ドヴガンのアンコール演奏は、ショパンのワルツ第7番であったが、かなり自在な演奏を行う。溜めたかと思うと流し、テンポや表情を度々変えるなどかなり即興的な演奏である。クラシックの演奏のみならず、演技でも即興性を重視する人が増えているが(第十三代目市川團十郎白猿、草彅剛、伊藤沙莉など。草彅剛と伊藤沙莉はインタビューでほぼ同じことを言っていたりする。二人は共演経験はあるが、別に示し合わせた訳ではないだろう)、今後は表現芸術のスタイルが変わっていくのかも知れない。
今まさにこの瞬間に生まれた音楽を味わうような心地がした。

 

ラヴェルの音楽「ダフニスとクロエ」全曲。舞台上に譜面台はなく、準・メルクルは暗譜しての指揮である。
パガニーニの主題による狂詩曲の時とは対照的に、メルクルはスケールを拡げる。京都コンサートホールは音が左右に散りやすいので、最初のうちは風呂敷を広げすぎた気もしたが次第に調整。京響の美音を生かした演奏が展開される。純音楽的な解釈で、あくまで音として聞かせることに徹しているような気がした。その意味ではコンサート的な演奏である。
京響の技術は高く、音は輝かしい。メルクルの巧みなオーケストラ捌きに乗って、密度の濃い演奏を展開する。リズム感も冴え、打楽器の強打も効果を上げる。

ラストに更に狂騒的な感じが加わると良かったのだが(ラヴェルはラストでおかしなことを要求することが多い)、「純音楽的」ということを考えれば、避けたのは賢明だったかも知れない。オーケストラに乱れがない方が良い。
ポディウムに陣取った京響コーラスも優れた歌唱を示した。

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