カテゴリー「アメリカ」の76件の記事

2022年5月14日 (土)

観劇感想精選(434) 加藤健一事務所 「サンシャイン・ボーイズ」

2022年5月3日 京都府立府民ホールアルティにて観劇

午後2時から、京都府立府民ホールアルティ(ALTI)で、加藤健一事務所創立40周年・加藤健一役者人生50周年記念公演第1弾「サンシャイン・ボーイズ」を観る。
本来は一昨年に予定されていた公演であるが、コロナ禍により延期となり、本年に改めて上演されることとなった。

出演:加藤健一、佐藤B作、佐川和正(文学座)、田中利花、照屋実、加藤義宗、韓佑華。声の出演:清水明彦(文学座)、加藤忍。テキスト日本語訳:小田島恒志、小田島則子。
演出は、堤泰之が手掛ける。

「サンシャイン・ボーイズ」は、ニール・サイモンの代表作であり、ニール・サイモンに憧れて演劇を志した三谷幸喜(彼は本来は映画監督志望であったため、最初から演劇を目指していたという訳ではないのだが)が、自身が日大藝術学部時代に旗揚げした劇団に、東京サンシャインボーイズという名を与えたことでも知られる。
私が東京サンシャインボーイズの公演に接した経験は一度だけで、東京・新宿の紀伊國屋ホールで行われた「ショウ・マスト・ゴー・オン ~幕をおろすな!」の1994年再演版がそれなのだが、実はその時、座長である宇沢萬役で出演していたのが佐藤B作であった。当時の東京サンシャインボーイズは、看板俳優であった西村雅彦(現・西村まさ彦)が、三谷の脚本である「振り返れば奴がいる」への出演や、フジテレビの深夜音楽特集の一つである「マエストロ」に主演するなどして知名度を急速に高めていたが、知名度自体では客演の佐藤B作が最も高かった。

サンシャイン・ボーイズと佐藤B作が繋がったということで、個人的な原点回帰のようで嬉しくなる。


出演者は比較的多めだが、実質的には、かつて「サンシャイン・ボーイズ」の名でヴォードヴィル界を沸かせた、ウィリー・クラーク(今回演じるのは加藤健一)とアル・ルイス(同じく佐藤B作)の二人が軸であり、本道ではないが一種のバディものとなっているのが特徴である。時折、バディもの映画の代表的存在である「明日に向かって撃て!」のオープニング&エンディングテーマ(“Not Goin' Home Anymore” バート・バカラック作曲)が流れ、以前の二人の関係がノスタルジックに浮かび上がる。この音楽による演出はとても良い。


かつてアル・ルイスとコンビを組み、サンシャイン・ボーイズの名で一世を風靡したウィリー・クラーク。サンシャイン・ボーイズとして43年活躍したが、12年前にウィリーとアルの間で諍いが生じ、11年前にサンシャイン・ボーイズは解散。アルはヴォードヴィルでやっていける自信がないとして株式仲買人へと転身したが、ウィリーは、芸能の仕事を続けている。だが、すでに老境に達しつつあるウィリーの下に舞い込む仕事はほとんどない。
甥であるベン・シルバーマン(佐川和正)がマネージャーを務めているが、仕事を取ってくることは少なく、ウィリーは、経年劣化の進むホテルの一室に暮らし、通俗的な昼メロをぼんやりと見続けるような無為な日々を送っている(一応、仕事の依頼がいつ来てもいいよう、電話のそばにいる必要があるとの理由があるらしい)。本当にやる気があるのなら、映画館に出掛けて前衛的な作品を鑑賞したりもするのだろうし、テレビ映画は当時でもそれなりのものが放送されていたと思うが、そうしたものを観る気力ももう失せているようである。「サンシャイン・ボーイズ」というタイトルを付けながら、こうした黄昏の日々を舞台としているところがいかにもニール・サイモンらしい甘悲しさである。

そんな時、ベンがCBSからの仕事の依頼を持ってくる。往年のアメリカコメディーを特集する番組にウィリーにも出て欲しいというのだ。だが、11年前に解散したサンシャイン・ボーイズ再結成という形で、というのが条件であった。
喧嘩別れをしたということもあってウィリーは乗り気ではなかったが、ベンがようやく取ってきた「金メダル」級の仕事、またアルの方も、「孫にヴォードヴィルスターとしての自分の姿を見せたい」ということで、ニュージャージーからニューヨークへと出てきていた。

久しぶりに再会するウィリーとアル。過去のしこりは残っているものの、得意芸だったコント「診察室へどうぞ」のリハーサルを始めることにするのだが・・・・・・。


ビターな味わいのある大人のためのコメディであり、若き日の栄光と、そうではなくなった今の対比が、滑稽と悲哀を生む。

華々しさを取り戻すことはないという、リアルでシビアな展開なのだが、「近い将来実は」という救いになりそうな話を持ってくるところが憎い。あるいはサンシャイン・ボーイズはとある場所で、大成功こそしないかも知れないが……という希望が見える。日没前後のマジックアワーは人生にもあるのかも知れないと、強くではないが背中を押されたような気分になる素敵な作品であった。

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2022年2月20日 (日)

これまでに観た映画より(283) スティーヴン・スピルバーグ監督「ウエスト・サイド・ストーリー」

2022年2月15日 MOVIX京都にて

新京極のMOVIX京都でスティーヴン・スピルバーグ監督のミュージカル映画「WEST SIDE STORY ウエスト・サイド・ストーリー」を観る。先頃亡くなったスティーヴン・ソンドハイムの作詞、レナード・バーンスタイン作曲の最強ミュージカルである「ウエスト・サイド・ストーリー(ウエスト・サイド物語)」。1曲ヒットナンバーがあれば大成功というミュージカル界において、全曲が大ヒットというモンスター級の作品であり、シェイクスピアの「ロミオとジュリエット」の舞台をニューヨークのスラム街に置き換え、ポーランド系移民のジェッツとプエルトリコ移民によるシャークスという少年ギャングの対立として描いて、世界中の若者の共感も呼んでいる。

1961年に公開された映画「ウエスト・サイド物語」も大ヒットしており、名画として認知されているが、出演俳優がその後、なぜか不幸に見舞われるという因縁でも知られている。マリアを演じたナタリー・ウッドは、1981年、映画の撮影中に水死。事故とされたが、最近に至るまで殺害説がたびたび浮上している。トニー役のリチャード・ベイマーは、一時的に俳優のキャリアを中断している。ベルナルド役のジョージ・チャキリスも映画よりもテレビドラマなどに活動の場を移しているが、日本では小泉八雲ことラフカディオ・ハーンを演じた「日本の面影」に出演しており、私が初めてジョージ・チャキリスという俳優を知ったのも「日本の面影」においてである。


1961年の「ウエスト・サイド物語」と、今回の「ウエスト・サイド・ストーリー」とでは、設定や舞台、歌の担い手、ラストの解釈などが大きく異なっている。

スピルバーグ版「ウエスト・サイド・ストーリー」のキャストは、アンセル・エルゴート(トニー)、レイチェル・ゼグラー(マリア)、アリアナ・デボーズ(アニータ)、デヴィット・アルヴァレス(ベルナルド)、マイク・ファイスト(リフ)、ジョシュ・アンドレス(チノ)、コリー・ストール(シュランク警部補)、リタ・モレノ(バレンティーナ)ほか。リタ・モレノは、「ウエスト・サイド物語」で、アニータを演じ、アカデミー助演女優賞などを受賞した女優であり、今回の映画の製作総指揮も彼女が務めている。

脚本はトニー・クシュナーが担当しており、細部にかなり手を加えている。

指揮を担当するのは世界的な注目を浴びているグスターボ・ドゥダメル。ニューヨーク・フィルハーモニックや手兵のロサンゼルス・フィルハーモニック(コロナによりニューヨークでの録音が出来なくなったための追加演奏)からシャープにしてスウィング感にも溢れる極上の音楽を引き出している。

「ウエスト・サイド物語」では、リタ・モレノ以外は、白人のキャストがメイクによってプエルトリコ人に扮して演技を行っていたが、今回の「ウエスト・サイド・ストーリー」では、プレルトリコ移民側は全員、ラテンアメリカ出身の俳優がキャスティングされている。また、プエルトリコ移民は英語も話すが、主として用いる言語はスペイン語であり、プエルトリコ移民同士で話すときはスペイン語が主となるなど、リアリティを上げている。デヴィッド・ニューマン編曲によるスペイン語によるナンバーも加わっている。

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映画はまず、リンカーン・センター(メトロポリタン歌劇場や、ニューヨーク・フィルハーモニックの本拠地であるデヴィッド・ゲフィン・ホールなどが入る総合芸術施設)の工事現場の上空からのショットで始まる。マンハッタンのウエスト・サイドがスラム街から芸術の街に変わっていく時代を舞台としている。と書くと美しく聞こえるが、それまでその土地で暮らしていた人が住み家や居場所を失うということでもある。皮肉にも――と書くのはおかしいかも知れないが――彼らを追い込み追い出すのは、映画やミュージカルも含む芸術なのである。ジェッツのメンバーが、リンカーン・センター建設の工事現場地下からペンキを盗み出し、プエルトリコの国旗が描かれたレンガにぶちまけ、それを見たシャークスの面々と乱闘になる。

今回の映画では、ジェッツのメンバーの主力がポーランド系移民とは示されず(トニーはポーランド系移民であることが明かされる場面がある)、白人対有色人種の構図となっている。ヒスパニック系住民の増加は、現代アメリカの重要問題となっており、将来、英語を母語とする人種を数で上回るのではないかといわれている。また、ジェッツの取り巻きには、外見は女性だが内面は男性というトランスジェンダーのメンバーがおり、LGBTQの要素も入れている。

「ウエスト・サイド・ストーリー」といえば、ダンスシーンが有名だが、今回一新されたジャスティン・ペック振付によるダンスはキレも迫力も抜群であり、カメラ自身が踊っているような優れたカメラワークも相まって見物となっている。

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トニー(本名はアントン)は、傷害罪で逮捕され、刑務所で1年間の服役を終えて仮出所中という設定になっており、ベルナルドはボクサーとしても活躍しているということになっている(格闘のシーンではなぜかトニーの方がベルナルドより強かったりする)。

リフが歌う「クール」であるが、これがトニーの歌に変わっており、「クラプキ巡査どの」は警察署に拘留されたジェッツのメンバーによる戯れの劇中劇のような形で歌われる。「Somewhere」が、今回のバージョンのオリジナルキャラクターであるバレンティーナの独唱曲として懐旧の念をもって歌われる場面もある。

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決闘の場が塩の保管倉庫になっていたり、ラストシーンの舞台がバレンティーナが営む商店のそばになるなど、異なる場面は結構多い。ベルナルドの腰巾着的立場であったチノが幅のある人間として描かれているのも意外だが、映画全体の奥行きを出すのに一役買っている。

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シェイクスピアの「ロミオとジュリエット」は人間の愚かしさを恋愛劇という形で描き上げた作品であるが、1961年の「ウエスト・サイド物語」のラストシーンでもマリアが人間の愚かしさを憎むような表情で退場していた。ただ、今回の「ウエスト・サイド・ストーリー」では憎しみというよりも運命の受け容れに近いように見える。時を経て、差別に対しては憎悪よりもある程度の受け容れが重要であると認識が変わってきたことを表しているようでもある。

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2022年2月15日 (火)

これまでに観た映画より(281) 没後40年 セロニアス・モンクの世界「MONK」

2022年1月31日 アップリンク京都にて

アップリンク京都で、「没後40周年 セロニアス・モンクの世界『MONK(モンク)』」を観る。「セロニアス・モンクの世界」は「MONK」と「MONK IN EUROPE」の2本立てであり、共に上映時間1時間ちょっとと短いが、料金は1000円と安めに抑えられている。

ジャズ・ジャイアンツの中でも、一風変わったピアニストとして知られるセロニアス・モンク(1917-1982)。独学でピアノを習得し、ペダルの使用を控えた独特の響きと独自のコード進行などで人々を魅了している。今回の映像は、1968年に製作されたモノクローム作品で、ニューヨークのヴィレッジヴァンガードなどでの本番やリハーサル、モンクの日常の風景などを収めている。監督は、マイケル・ブラックウッド。

劇中でモンクは、1917年にノースカロライナで生まれたこと、母親が子供をニューヨークで育てたがったため、幼くしてニューヨークに移ったことなどを話している。モンクの若い時代については、本人が余り語りたがらなかったようで、今も良くは分かっていないようである。

ジャズ・ジャイアンツの多くは奇行癖の持ち主であったが、モンクもその場で何度もグルグル回ってみたりと謎の行動を見せている。煙草をくゆらせながら汗だくでピアノを弾いているが、リハーサルに密着した映像では酩酊したような語りを見せており、薬の影響が疑われるが、実は1970年代に入ると、セロニアス・モンクは表舞台から遠ざかってしまう。躁鬱病(双極性障害)であった可能性が高いとのことなのだが、あるいはこの時の喋り方は病気の予兆なのかも知れない。

情熱的で個性豊かな音楽を生んだ不思議な音楽家の姿を収めた貴重なフィルムである。

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2022年2月 8日 (火)

これまでに観た映画より(278) 「風と共に去りぬ」

2014年12月6日

DVDで、ハリウッド映画「風と共に去りぬ」を観る。誰もが知っている名画の一つ。マーガレット・ミッチェルの唯一の小説の映画化。戦中の製作であるが、少なくともこんな映画を作っている国に戦争を挑んでも勝ち目はないと思われる。

アメリカ唯一の内戦である南北戦争を背景にした男女の恋物語である。客観的に見ると男を手段として用いるスカーレット・オハラ(ヴィヴィアン・リー)は計算高すぎるし、レット・バトラー(クラーク・ゲーブル)は単にモテるだけの嫌な男なのだが、南側の立場から南北戦争を描いていることと、緻密な心理描写も重なり、見応えのある劇になっている。

監督:ヴィクター・フレミング。製作:デイヴィッド・O・セルズニック。出演:ヴィヴィアン・リー、クラーク・ゲーブル、レスリー・ハワード、オリヴィア・デ・ハヴィランド、トーマス・ミッチェル、バーバラ・オニール、ハティ・マクダニエル、イヴリン・キース、アン・ラザフォード他。音楽:マックス・スタイナー。


タラの屋敷が実は画によるものだったりと、色々と種明かしされているが、凝ったセットを用いた完成度の高い仕上がりである。後半はメロドラマに過ぎるといえなくもないが。


アカデミー賞で9部門を受賞しているが、現在では映画音楽としてトップレベルの知名度を誇る「タラのテーマ」を含む音楽部門は、この年は当たり年だっため受賞していない。

受賞こそしていないが、アシュレー役のレスリー・ハワードとオリヴィア・デ・ハヴィランドは主役であるヴィヴィアン・リーやクラーク・ゲーブル以上に洗練された演技を見せており、助演男優賞や助演女優賞を受けてもおかしくないハイレベルに達している(助演女優賞は、この映画で黒人のメイドを演じたハティ・マクダニエルが黒人初となる受賞を勝ち得ている)。

1939年度のアカデミー賞で受賞したのは、作品賞、監督賞、主演女優賞、助演女優賞、脚色賞、撮影賞、室内装飾賞、編集賞、特別賞である。

このDVDでは、ラストのスカーレット・オハラのセリフが、「明日は明日の風が吹く」ではなく、「明日は必ず約束されているのだから」という新しい訳になっている。

DVDは、地デジ対応以前の画像サイズで、現在のモニターだと左右が切れる形になる。Blu-rayだとそういうことはなさそうだ。

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2022年2月 5日 (土)

コンサートの記(762) 広上淳一指揮 第17回京都市ジュニアオーケストラコンサート

2022年1月30日 京都コンサートホールにて

午後2時から、京都コンサートホールで、第17回京都市ジュニアオーケストラコンサートを聴く。指揮は京都市ジュニアオーケストラのスーパーヴァイザーを務める広上淳一。広上は今年の3月をもって京都市交響楽団の第13代常任指揮者兼音楽顧問を離任し、オーケストラ・アンサンブル金沢のアーティスティック・リーダーに転じる。京都コンサートホールの館長は続けるが、京都で広上を聴く機会は減ることになる。

京都市在住もしくは在学の10歳から22歳まで(2021年4月時点で)の選抜メンバーからなる京都市ジュニアオーケストラ。奏者の育成のみならず、出身者がよき聴衆、よき音楽人となるための足掛かり的な意図も持って結成されている。

今回の曲目は、サン=サーンスの歌劇「サムソンとデリラ」からバッカナール、チャイコフスキーの幻想序曲「ロメオとジュリエット」、ラフマニノフの交響曲第2番。

サン=サーンスとチャイコフスキー作品のコンサートミストレスは神千春が、ラフマニノフの交響曲第2番のコンサートミストレスは田村紗矢香が務める。紗矢香という字は、有名ヴァイオリニストの庄司紗矢香と同じだが、あるいはご両親が庄司紗矢香にあやかって名付けたのかも知れない。


サン=サーンスの歌劇「サムソンとデリラ」からバッカナール。音の厚みや密度は不足気味だが、そもそもそんなものはこちらも求めていない。オーケストラメンバーの広上の指揮棒への反応も良く、終盤は大いに盛り上がる。広上の音楽設計も見事である。


チャイコフスキーの幻想序曲「ロメオとジュリエット」。ドラマティックな演奏が展開される。サン=サーンスもそうだったが、この曲でもティンパニの強打が効果的である。個人的にはコントラバスの音型に注目して聴いたが、理由は教えない。ともあれ、切れ味の鋭さも印象的な好演であった。


ラフマニノフの交響曲第2番。大曲である。
ラフマニノフの交響曲第2番は、20世紀も終盤になってから人気が急速に高まった曲である。「遅れてきたロマン派」ともいうべきラフマニノフの大作であるが、初演以降、長きに渡って音楽関係者からは不評で、「ジャムとマーマレードでベタベタの曲」などと酷評され、そうしたマイナスの評価が支持されてきた。ラフマニノフ自身も「曲が長すぎることが不成功の一因」と考えて、カットした版も作成している。
この曲の評価上昇に一役買ったのがアンドレ・プレヴィンである。プレヴィンはこの交響曲を高く評価し、カット版での上演が普通だった時代に完全版をたびたび演奏。レコーディングも行ってベストセラーとなっている。その後にウラディーミル・アシュケナージなどがこの曲を演奏会やレコーディングで取り上げて好評を博した。日本では1990年代に「妹よ」という連続ドラマで取り上げられ、知名度が急上昇している。
今回の演奏も完全版によるものだが、カット版も今でも演奏されており、「のだめカンタービレ」のマンガとドラマに登場したことでも知られる故ジェイムズ・デプリーストが当時の手兵である東京都交響楽団を指揮したライブ録音でカット版を聴くことが出来る。

広上がヨーロッパで修行し、当初はヨーロッパでキャリアを築いたということも影響しているのだと思われるが、今回の京都市ジュニアオーケストラもギラギラしたアメリカ的な輝きではなく上品なヨーロピアンテイストの響きを紡ぎ出す。光度も十分だが、ビターな憂いを秘めていることがアメリカのオーケストラとは異なる。
京都市交響楽団ともこの曲でベストの出来を示した広上。今回もテンポ設定、スケール共に抜群で、この曲を指揮させたら日本一だと思われる。
この曲を演奏するには京都市ジュニアオーケストラのメンバーはまだ若いと思われるが、メカニックのみならず、細やかな表情付けなど内面から湧き上がる音楽を生み出せていたように思う。


広上は何度かカーテンコールに応えた後で、マイクを持って登場。「いかがでしたでしょうか? 私はもう疲れました」と言った後で、「ジュニアオーケストラとしては、私は普段はこんなこと言わないんですが、本当にこんなこと言わないんですが、日本一でしょう」と京都市ジュニアオーケストラを讃えた。また京都市ジュニアオーケストラのメンバーが音楽だけでなく、医学や化学や教育学を学んでいることに触れ、様々なバックグラウンドを持った人々が一緒に音楽をやるという教育法を「オーストリー(オーストリア)のウィーンにも似ている」と語った。ウィーンと京都は、その閉鎖性というマイナス面も含めてよく似ていると音楽家から言われることがあるが、姉妹都市にはなっていない(京都市の姉妹都市となっているのはヨーロッパではパリ市とプラハ市、ケルン市にフィレンツェ市にザグレブ市である。今注目のウクライナの首都、キエフ市とも姉妹都市になっている)。

最後に、京都市ジュニアオーケストラの合奏指導に当たった、大谷麻由美、岡本陸、小林雄太の3人の若手指揮者が登場し、広上から自己紹介するよう求められる。

大谷麻由美は、「私は30歳で京都市立芸術大学に再入学して」指揮を学んだことを語る(近畿大学を卒業後、会社員をしていた)。広上に、「大谷翔平選手のご親戚?」と聞かれて、「全く違います」と答える。

岡本陸は京都市ジュニアオーケストラの出身で、その時も指導に当たっていた広上に師事したいと思い立ち、広上が教授を務める東京音楽大学の指揮科に入学。昨年の3月に卒業したという。
広上が、「広上先生は怖かったですか?」と聞き、岡本は「怖いときも多かったです」と答えていた。

小林雄太は新潟県長岡市の出身。余り関係ないが、司馬遼太郎原作で長岡藩家老の河井継之助を主人公とした映画「峠」(役所広司主演)が近く公開される予定なので、長岡も注目を浴びそうである。
小林は岡本陸と東京音楽大学で同期であり、やはり広上に師事している。京都に来るのは中学校時の修学旅行以来久々だそうである。


アンコール曲はこの3人がリレー形式で指揮することになるのだが、大谷が作曲家名のドリーヴをドリップと言い間違い、広上に「ドリーヴね。フランスの作曲家。ドリップだとコーヒーになる」と突っ込まれていた。アンコール曲はドリーヴのバレエ音楽「コッペリア」から前奏曲とマズルカであるが、3人とも「コッペリア」についてよく知らないようで、広上に「なんだか恥ずかしいことになって来ました」と突っ込まれていた。純音楽ではなくバレエ音楽なので、少なくとも大体の意味と内容は知らないと本来なら指揮出来ないのである。
指揮者の世界には、「40、50は洟垂れ小僧」という言葉があり、指揮者として成長する道の長さと厳しさが知られている。40歳にも満たない場合は「赤ちゃん」扱いである。
ということで、アンサンブルの精度や細部までの詰めや表情付けなど、「指揮者でここまで変わるか」というほどの雑さが感じられたが、それが指揮者として成功するまでの困難さを表してもいた。

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2022年1月26日 (水)

コンサートの記(760) 大植英次指揮大阪フィルハーモニー交響楽団第554回定期演奏会

2022年1月21日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後7時からフェスティバルホールで大阪フィルハーモニー交響楽団の第554回定期演奏会を聴く。当初はウェイン・マーシャルが客演する予定だったが、外国人が基本的に日本に入国出来なくなったため、大フィル桂冠指揮者の大植英次が指揮台に上がる。曲目も一部変更になった。

オール・アメリカ・プログラムで、ガーシュウィンのキューバ序曲、ガーシュウィンの「ラプソディ・イン・ブルー」(ピアノ独奏:中野翔太)、ガーシュウィンの「ガール・クレイジー」序曲、グローフェのミシシッピ組曲、ガーシュウィンの交響的絵画「ポーギーとベス」(ベネット編)が演奏される。

今日のコンサートマスターは須山暢大。

昨年の1月、出町柳の名曲喫茶・柳月堂でガーシュウィンの組曲「グランド・キャニオン(大峡谷)」をリクエストで入れて聴き、「アメリカ音楽はカラッとしていて新年に合うなあ、例年なら」と思ったが、たまたま今年の大フィルの1月定期はオール・アメリカ・プログラムとなった。

二十歳でアメリカに渡り、タングルウッド・ミュージック・センターとニューイングランド音楽院に学び、レナード・バースタインに師事した大植英次。アメリカ音楽も得意である。

大植は大フィルの分厚い音色を生かしたシンフォニックな演奏を築きつつ、キレや華にも欠けない理想的な音像を引き出す。


ガーシュウィンのキューバ序曲。この曲と交響的絵画「ポーギーとベス」は、シャルル・デュトワ指揮モントリオール交響楽団によるDECCA盤で初めて聴いて大好きになっている。大植と大フィルはデュトワとモントリオールのラテン的なノリとは異なるが爽快な演奏を展開する。


ガーシュウィンの「ラプソディ・イン・ブルー」。ファーディ・グローフェがオーケストレーションした最も有名な版による演奏である。
ピアノ独奏の中野翔太は、1999年からジュリアード音楽院プレカレッジに学び、その後に同音楽院と同音楽院大学院を修了。それ以前の1996年には第50回全日本学生音楽コンクール小学生の部で全国1位及び野村賞を受賞している。

冒頭のクラリネットが少しデフォルメされた音型を吹いてスタート。アメリカ音楽の中では演奏頻度の比較的高い楽曲だけに、大フィルも慣れた演奏を聴かせる。

中野は、作曲、編曲、ジャズ演奏も行っているだけに、即興性にも富んだ演奏を展開。特にカデンツァではモダンジャズとカントリーの間を往来するような音楽を奏でた後で、「イパネマの娘」を主題とした変奏を展開。洗練されていてお洒落であった。

演奏終了後、中野は何度もカーテンコールに応えたが、最後は大植英次が共に登場。鍵盤を白い布で拭い、アンコール演奏を要請するというパフォーマンスを行う。
中野はガーシュウィンの「A Foggy Day」を自身で編曲したものを演奏した。


ガーシュウィンの「ガール・クレイジー」序曲。有名な「アイ・ガッタ・リズム」を含むミュージカル作品の序曲で、「アイ・ガッタ・リズム」も効果的に用いられている一方で、全体的に洗練された旋律とお洒落なオーケストレーションが印象的な楽曲である。
大植も、「どうです? お洒落でしょ?」という風に客席を振り向いたりする。


グローフェのミシシッピ組曲。日本テレビ系で放送されていた「アメリカ横断ウルトラクイズ」の勝ち抜けの音楽に第2曲の「ハックルベリー・フィン」と第4曲「マルディ・グラ」が使用されていたことで知られているが、コンサートで取り上げられることはほとんどなく、録音点数も多くはない。私はNAXOSのアメリカ音楽シリーズの一つであるウィリアム・ストロンバーグ指揮ボーンマス交響団の演奏で聴いている。

比較対象が余りないのだが、大植はストロンバーグよりはやや遅めのテンポを採用し、堂々たる演奏を展開する。年代的にだが、多分、大植さんは「ウルトラクイズ」を見たことはないと思われる。
日本ではアメリカのクラシック音楽は余り重要視されておらず、アメリカ音楽がプログラムに載ることも少ないため、オーケストラも慣れていないことが多い。大フィルの個性もアメリカ音楽からは遠めであるが、かなり健闘しているように思える。

日本だけでなく、日本が範とする独墺系のオーケストラもアメリカ音楽は不得手で、録音は少なく、その少ない録音も出来は今ひとつのものが多い。


ガーシュウィン作曲、ベネット編の交響的絵画「ポーギーとベス」。「サマータイム」が一番有名だが、その他にもよく知られたメロディーがいくつも含まれている。バンジョー(演奏:福田晃一)が往時のアメリカ南部の雰囲気を上手く描き出している。

ガーシュウィンの歌劇「ポーギーとベス」は、サイモン・ラトル指揮によるオペラ映画を観ているが、感動的な出来となっていた。これまで接したオペラの中で実演、映像含めて最も感動したかも知れない。日本でも歌劇「ポーギーとベス」を観てみたいが、オール黒人キャストである必要があるため、難しいと思われる。日本人が外面を黒人に見せることは現在では宜しくないとされているため実現することはないであろう。

最後に大植が総譜を掲げて曲に敬意を表し、演奏会はお開きとなった。

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2022年1月22日 (土)

これまでに観た映画より(271) 「スティーブ・ジョブズ」(2015)

2022年1月11日

録画してまだ観ていなかった映画「スティーブ・ジョブズ」(2015)を観る。「スティーブ・ジョブズ」というタイトルの映画は2010年代に2作品が生み出されているが、こちらは後発となる2015年版である。先に2013年版が制作公開されているが、評判は今日観る2015年版の方が良いようである。

原作:ウォルター・アイザックソン、監督:ダニー・ボイル、脚本:アーロン・ソーキン。音楽:ダニエル・ペンパートン。出演は、マイケル・ファスベンダー、ケイト・ウィンスレット、セス・ローゲン、ジェフ・ダニエルズ、マイケル・スタールバーグ、キャサリン・ウォーターストーン、パーラ・ヘイニー=ジャーディンほか。

56年という決して長くないスティーブ・ジョブズの生涯の中で、1984年のMacintosh発売、1988年のNeXT社のネクスト・キューブ発売、1998年のiMac発売の3つの時期に絞って物語が展開されていく。伝記映画ではあるが、描く時代を限定したことで冗長な部分が少なくなり、ジョブズと娘であるリサの一口変わったヒューマンドラマ的な仕上がりとなっている。

発案に関しては天才的であり、今も全世界で使われているアップル社製品の生みの親でありながら、プライドが高く、偏屈で執念深く、人の不幸を何とも思わないという一種のサイコパス的性格を怖れられたスティーブ・ジョブズ。この映画でも、内縁の妻であるクリスアン(キャサリー・ウォーターストーン)とその間に出来た娘のリサに押しかけられるまで金銭的援助を一切するつもりがなかったり(最終的には養育費が支払われ、家も買い与えられる)、アップル社創業以来の仲間であるアンディ(マイケル・スタールバーグ)をこき使ったり、同じく創業メンバーのジョン・スカリー(ジェフ・ダニエルズ)と衝突したりしている。

1984年のMacintoshの発売は画期的であったが、セールスはほどなくして落ち込み、オープンソースにしなかったため、その後しばらくしてマイクロソフトなど他の企業に抜かれ窮地に立たされることになる。
そして、ジョブズは自ら創設したアップル社を解雇されるという前代未聞の事態に発展。ジョブズはNeXT社を立ち上げ、アップル社とは商売敵となるも、その後、アップル社の業績不振によってアップル社に再度招聘されることになる。

ジョブズはアイデアマンであり、優れたデザイン感覚を有し、高度なプレゼンテーション能力の持ち主で、カリスマ性のあるフロントマンだった。一方で、コンピューター会社の創業者でありながら、プログラムが書けるわけでもなく、技術面では創業時からのメンバーに頼り切り。それでいてしばしば無理難題を押しつけるということで、身近かな人から好かれるタイプでは全くなかった。
この映画でも、開発責任者で、「ウォズの魔法使い」と呼ばれたウォズことスティーブ・ウォズニアック(セス・ローゲン)や現場でのコンピューター操作主任であるアンディとたびたび衝突する様子が描かれている。特にウォズが自分が製作し、アップル社の礎を築いたAppleⅡ開発メンバーへの謝辞をジョブズに求めるも、ジョブズは「もう過去の遺物」として断固拒否。未来志向といえば聞こえはいいが、人間の心を読む能力に欠けているようである。スティーブ・ジョブズASD説というのはこの辺りから来ていることが予想されるが、おそらくジョブズ自身は診断を受けていないと思われるため、余り軽々にものを言うべきでもないと思う。

そうした「人間的」なのかどうか分からないジョブズが、娘のことだけは真剣に思いやる姿が微笑ましい。ラスト近くで娘のリサにiPod作成の提案を語る場面がある。iPod誕生秘話が本当にこんな感じだったのかは定かでないが、ジョブズという人物の伝記映画として優れた着地点が用意されているように思われた。

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2022年1月 1日 (土)

観劇感想精選(419) 草彅剛主演「アルトゥロ・ウイの興隆」2021@ロームシアター京都

2021年12月23日 左京区岡崎のロームシアター京都メインホールにて観劇

午後5時から、左京区岡崎のロームシアター京都メインホールで、「アルトゥロ・ウイの興隆」を観る。2020年1月に、KAAT 神奈川芸術劇場で行われた草彅剛主演版の再演である(初演時の感想はこちら)。前回はKAATでしか上演が行われなかったが、今回は横浜、京都、東京の3カ所のみではあるが全国ツアーが組まれ、ロームシアター京都メインホールでも公演が行われることになった。ちなみにKAATもロームシアター京都メインホールも座席の色は赤だが、この演出では赤が重要なモチーフとなっているため、赤いシートを持つ会場が優先的に選ばれている可能性もある。アルトゥロ・ウイ(草彅剛)が率いるギャング団は全員赤色の背広を身に纏っているが、仮設のプロセニアムも真っ赤であり、3人の女性ダンサーも赤いドレス。演奏を担当するオーサカ=モノレールのメンバーもギャング団と同じ赤いスーツを着ている。

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アドルフ・ヒトラー率いるナチス・ドイツ(国家社会主義ドイツ労働者党)を皮肉る内容を持った「アルトゥロ・ウイの興隆」。元々のタイトルは、「アルトゥロ・ウイのあるいは防げたかも知れない興隆」という意味のもので、ベルトルト・ブレヒト(1898-1956)がアメリカ亡命中の1941年に書かれている。ナチスもヒトラーも現役バリバリの頃だ。ヒトラー存命中にその危険性を告発したものとしては、チャールズ・チャップリンの映画「独裁者」と双璧をなすと見なしてもよいものだが、すぐに封切りとなった「独裁者」に対し、「アルトゥロ・ウイの興隆」はその内容が危険視されたため初演は遅れに遅れ、ブレヒト没後の1958年にようやくアメリカ初演が行われている。ブレヒトの母国でナチスが跋扈したドイツで初演されるのはもっと後だ。

ブレヒトの戯曲は、今がナチスの歴史上の場面のどこに当たるのか一々説明が入るものであるが(ブレヒト演劇の代名詞である「異化効果」を狙っている)、今回の演出ではブレヒトの意図そのままに、黒い紗幕に白抜きの文字が投影されて、場面の内容が観客に知らされるようになっている。

作:ベルトルト・ブレヒト、テキスト日本語訳:酒寄進一、演出:白井晃。
出演は、草彅剛、松尾諭(まつお・さとる)、渡部豪太、中山祐一朗、細見大輔、粟野史浩、関秀人、有川マコト、深沢敦、七瀬なつみ、春海四方(はるみ・しほう)、中田亮(オーサカ=モノレール)、神保悟志、小林勝也、榎木孝明ほか。


禁酒法時代のシカゴが舞台。酒の密売などで儲けたアル・カポネが権力を握っていた時代であるが、アル・カポネの存在は、セリフに一度登場するだけに留められる。
この時代が、ナチス台頭以前のドイツになぞらえられるのであるが、当時のドイツは深刻な不況下であり、ユンカーと呼ばれる地方貴族(ドイツ語では「ユンケル」という音に近い。「貴公子」という意味であり、ユンケル黄帝液の由来となっている。「アルトゥロ・ウイの興隆」では、カリフラワー・トラストがユンカーに相当する)が勢力を拡大しており、贈収賄なども盛んに行われていた。
清廉潔白とされるシカゴ市長、ドッグズバロー(榎木孝明)は、当時のドイツの大統領であったハンス・フォン・ヒンデンブルクをモデルにしている。ヒンデンブルクはヒトラーを首相に指名した人物であり、ナチスの台頭を招いた張本人だが、この作品でもドッグズバローはアルトゥロ・ウイの興隆を最初に招いた人物として描かれる。

小さなギャング団のボスに過ぎなかったアルトゥロ・ウイは、ドッグズバローが収賄に手を染めており、カリフラワー・トラストに便宜を図っていることを突き止め、揺する。それを足がかりにウイの一団は、放火、脅迫、殺人などを繰り返して目の前に立ち塞がる敵を容赦なく打ち倒し、暴力を使って頂点にまで上り詰める。
ぱっと見だと現実感に欠けるようにも見えるのだが、欠けるも何もこれは現実に起こった出来事をなぞる形で描かれているのであり、我々の捉えている「現実」を激しく揺さぶる。

途中、客席に向かって募金を求めるシーンがあり、何人かがコインなどを投げる真似をしていたのだが、今日は前から6列目にいた私も二度、スナップスローでコインを投げる振りをした。役者も達者なので、「わー! 速い速い!」と驚いた表情を浮かべて後退してくれた。こういう遊びも面白い。

クライマックスで、ヨーゼフ・ゲッペルスに相当するジュゼッペ・ジヴォラ(渡部豪太)とアドルフ・ヒトラーがモデルであるアルトゥロ・ウイは、客席中央通路左右の入り口から現れ、客席通路を通って舞台に上がるという演出が採られる。ナチス・ドイツは公正な民主主義選挙によって第一党に選ばれている。市民が彼らを選んだのである。市民に見送られてジヴォラとウイはステージに上がるという構図になる。

アメリカン・ソウルの代名詞であるジェイムズ・ブラウンのナンバーが歌われ、ステージ上の人物全員が赤い色の服装に変わり、ウイが演説を行って自分達を支持するよう客席に求める。ほとんどの観客が挙手して支持していたが、私は最後まで手を挙げなかった。お芝居なので挙手して熱狂に加わるという見方もあるのだが、やはり挙手ははばかられた。ただ、フィクションの中とはいえ、疎外感はかなりのものである。ナチスも熱狂的に支持されたというよりも、人々が疎外感を怖れてなんとなく支持してしまったのではないか。そんな気にもなる。流れに棹さした方がずっと楽なのだ。

アルトゥロ・ウイがヒトラーの化身として告発された後でも、音楽とダンスは乗りよく繰り広げられる。その流れに身を任せても良かったのだが、私はやはり乗り切ることは出来なかった。熱狂の中で、草彅剛演じるアルトゥロ・ウイだけが身じろぎもせずに寂しげな表情で佇んでいる。ふと、草彅剛と孤独を分かち合えたような錯覚に陥る。

こうやって浸ってみると孤独を分かち合うということも決して悪いことではない、むしろ世界で最も良いことの一つに思えてくる。誰かと孤独を分かち合えたなら、世界はもっと良くなるのではないか、あるいは「こうしたことでしか良くならないのではないか」という考えも浮かぶ。

ヒトラーが告発され、葬られても人々のうねりは止まらない。そのうねりはまた別の誰かを支持し攻撃する。正しい正しくない、良い悪い、そうした基準はうねりにとってはどうでもいいことである。善とも悪ともつかない感情が真に世界を動かしているような気がする。


大河ドラマ「青天を衝け」で準主役である徳川慶喜を演じて好評を得た草彅剛。私と同じ1974年生まれの俳優としては間違いなくトップにいる人である。横浜で観た時も前半は演技を抑え、シェイクスピア俳優(小林勝也。ヒトラーは俳優から人前に出るための演技を学んだとされるが、ヒトラーに演技を教えたのはパウル・デフリーントというオペラ歌手であると言われている。「アルトゥロ・ウイの興隆」でシェイクスピア俳優に置き換えられているのは、この作品がシェイクスピアの「リチャード三世」を下敷きにしているからだと思われる)に演技を学んでから生き生きし出したことに気づいたのだが、注意深く観察してみると、登場してからしばらくは滑舌を敢えて悪くし、動きにも無駄な要素を加えているのが分かる。意図的に下手に演じるという演技力である。


演説には乗れなかったが、スタンディングオベーションは誰よりも早く行った。良い芝居だった。

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2021年12月26日 (日)

これまでに観た映画より(269) 「HARUOMI HOSONO SAYONARA AMERICA 細野晴臣 サヨナラ アメリカ」

2021年11月26日 アップリンク京都にて

アップリンク京都で、細野晴臣のライブドキュメンタリー映画「HARUOMI HOSONO SAYONARA AMERICA 細野晴臣 サヨナラ アメリカ」を観る。細野晴臣が2019年5月にニューヨーク、6月にロサンゼルスで行ったアメリカライブの映像を中心とした構成である。監督はNHK出身の佐渡岳利(さど・たけとし)。「イエローマジックショー」も手掛けた監督である。タイトルは、細野が所属したはっぴぃえんどの楽曲「さよならアメリカ さよならニッポン」から取られており、同曲を細野が再録音したものが映画のエンドロールで流れる。

日本音楽界に燦然と輝くカリスマ、細野晴臣。イエローマジックオーケストラ(Yellow Magic Orchestra。YMO)などで世界的な名声も得ており、今回のドキュメンタリー映画でも細野の音楽について熱く語るアメリカ人が何人も登場する。

初期の代表作である「HOSONO HOUSE」のリメイク「HOCHONO HOUSE」をリリースして話題にもなったが、「HOCHONO HOUSE」制作中にロームシアター京都サウスホールで公演を行っており、「HOSONO HOUSE」のナンバーを何曲も歌ったが、今回の映画でも京都でのライブと同一の楽曲がいくつか流れる(「住所不定無職低収入」「北京ダック」「SPORTS MEN」「GHOO-CHOOガタゴト」など)。

ニューヨークでの公演開場前に列をなしている人々に被さるようにして「In Memories of No-Masking World」という文字が浮かび上がるが、「出掛ける時はマスク」が常態化している現在(2021年11月)から見ると、誰もマスクをしていない光景は異世界のように感じられる。途中にバックバンドのメンバーがコロナ下での生活状況について語るシーンがあるのだが、高田漣が「これまでの音楽人生の方が夢だったんじゃないか」という意味のことを語る場面があり、新型コロナが生んでしまった断絶を観ているこちらも強く感じる。

「芸術とは最も美しい嘘のことである」とドビュッシーが語ったとされる。その言葉が浮かぶほどにスクリーンの向こう側は美しく、生命力に満ち、華やかな世界が音楽によって形作られている。それがコロナを経た今となっては虚構のようにも見えるのだが、今の世界にあって、それだけが本当に必要なもの、あるいは全てのような実感も覚えるのだから不思議である。「こういうもの」のために世界はあるのではなかろうか。「こういうもの」のために我々は「今」を耐えているのではなかろうか。
とにかく「ここ」には人種や国境を超えた調和がある。「今」を耐えた暁には、またいつか結び合える時が来る。隔てられた世界の映像を観た後で、「欠落感」とその奥に浮かぶ上がる音楽という名の希望を見いだしたような複雑な感情が胸に去来した。

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2021年9月26日 (日)

観劇感想精選(413) 加藤健一事務所 「THE SHOW MUST GO ON~ショーマストゴーオン~」

2021年9月18日 京都府立府民ホールアルティ(ALTI)にて観劇

午後6時から京都府立府民ホールアルティで、加藤健一事務所の公演「THE SHOW MUST GO ON ~ショーマストゴーオン~」を観る。作:ジョン・マーレイ&アレン・ボレッツ、テキスト日本語訳:小田島恒志。演出:堤泰之。出演は、加藤健一、新井康弘、辻親八(つじ・しんぱち)、奥村洋治(ワンツーワークス)、林次樹(Pカンパニー)、土屋良太、伊原農(いはら・みのり。ハイリンド)、千葉建玖(ちば・けんき。Studio Life)、加藤忍、岡﨑加奈。

今回の作品の原題は、「ROOM SERVICE(ルーム・サービス)」というものなのだが、そのタイトルだとなんだか分かりづらいということで、加藤健一事務所が27年前に上演した際には、「イッツ・ショー・タイム」という英語を使った邦題に変え、今回は加藤健一自身が「ショーマストゴーオン」というタイトルで上演したいと希望し、翻訳の小田島恒志に提案したそうである。

初演が行われたのは深刻な不況下である1937年のニューヨーク。昭和に直すと12年で、かなり昔の本である。初演は大成功したそうで、500回以上の上演を重ねたという。

ジャズエイジとも呼ばれたアメリカの青春時代である1920年代が世界恐慌で終わり、混迷の時代へと突入する。セリフに「ハーバート・フーヴァー大統領」という言葉が登場するため、作品の舞台が初演より少し前の大恐慌の時代であることが分かる。ハーバート・フーヴァーは大恐慌発生時の大統領で、経済面での有効な策を打つことが出来なかったため評価は極めて低く、「米国史上最も無能な大統領」の一人に数えられている。


ブロードウェイの近くにある二流ホテルの一室が舞台。演劇プロデューサーのゴードン・ミラー(加藤健一)は、駆け出しの若い劇作家であるレオ・デーヴィス(千葉建玖)が書いた優れた戯曲「ごきげんよう(GOD SPEED)」の上演を計画しており、ホテル内の施設を使った稽古にも入っているのだが、十分な資金が集まらないため、稽古が始まってから7週間が経った今も公演の目処は立っていない。プロデューサーとして資金調達が求められているのだが、不況下ということもあって良いスポンサーを見つけることが出来ない。ミラーは上演すれば大当たり間違いなしの本を手にしていながら上演出来ないことを悔しがっている。

劇団員はこのホテルに寝泊まりしており、費用はミラーが受け持っているのだが、現在は手元に金がない。実はミラーはそれまでにも劇団員全員でホテルに泊まって稽古をしては資金がまかなえずにトンズラを繰り返しており、ブロードウェイ付近のほぼ全てのホテルでブラックリスト入りしているようである。演出家のハリー・ビニョン(土屋良太)、演出助手のフェイカー・イングランド(伊原農)らと共にトンズラの準備を始めたミラーだったが、そこに「ごきげんよう」の作者であるデーヴィスが訪ねてくる。


この作品に関しては、上演を観ていない人のためにあらすじを細部まで語っても余り意味はないように思われる。意味があるのは筋書きよりもこの公演における主題で、打ち出されているメッセージは明確で力強い。

ホテルの重役であるグレゴリー・ワグナー(新井康弘)は経済至上主義者で芸術に全く理解がなく、「ごきげんよう」のリハーサルを観ても良さが分からずに「駄作じゃないの?」などと語る人物であるが、そうした無理解な人々の思考を演劇でもって克服し、最終的には救済までしてしまうという痛快な内容となっている。結局、全てを成功に導くのは演技の力であり、演劇の要素である。逆に言えばこの世に演劇というものがなかった場合、何一つ乗り越えられなかったことばかりだ。演劇は不要不急どころかマイナスをプラスに変える力を備えていることが高らかに宣言される。

今回の上演が大千穐楽で、加藤健一事務所恒例の地方公演は今回に関しては京都公演のみとなっているが、演劇を愛する人の心に確実に訴えかける見事な上演となっていた。

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