カテゴリー「アメリカ」の67件の記事

2021年9月26日 (日)

観劇感想精選(413) 加藤健一事務所 「THE SHOW MUST GO ON~ショーマストゴーオン~」

2021年9月18日 京都府立府民ホールアルティ(ALTI)にて観劇

午後6時から京都府立府民ホールアルティで、加藤健一事務所の公演「THE SHOW MUST GO ON ~ショーマストゴーオン~」を観る。作:ジョン・マーレイ&アレン・ボレッツ、テキスト日本語訳:小田島恒志。演出:堤泰之。出演は、加藤健一、新井康弘、辻親八(つじ・しんぱち)、奥村洋治(ワンツーワークス)、林次樹(Pカンパニー)、土屋良太、伊原農(いはら・みのり。ハイリンド)、千葉建玖(ちば・けんき。Studio Life)、加藤忍、岡﨑加奈。

今回の作品の原題は、「ROOM SERVICE(ルーム・サービス)」というものなのだが、そのタイトルだとなんだか分かりづらいということで、加藤健一事務所が27年前に上演した際には、「イッツ・ショー・タイム」という英語を使った邦題に変え、今回は加藤健一自身が「ショーマストゴーオン」というタイトルで上演したいと希望し、翻訳の小田島恒志に提案したそうである。

初演が行われたのは深刻な不況下である1937年のニューヨーク。昭和に直すと12年で、かなり昔の本である。初演は大成功したそうで、500回以上の上演を重ねたという。

ジャズエイジとも呼ばれたアメリカの青春時代である1920年代が世界恐慌で終わり、混迷の時代へと突入する。セリフに「ハーバート・フーヴァー大統領」という言葉が登場するため、作品の舞台が初演より少し前の大恐慌の時代であることが分かる。ハーバート・フーヴァーは大恐慌発生時の大統領で、経済面での有効な策を打つことが出来なかったため評価は極めて低く、「米国史上最も無能な大統領」の一人に数えられている。


ブロードウェイの近くにある二流ホテルの一室が舞台。演劇プロデューサーのゴードン・ミラー(加藤健一)は、駆け出しの若い劇作家であるレオ・デーヴィス(千葉建玖)が書いた優れた戯曲「ごきげんよう(GOD SPEED)」の上演を計画しており、ホテル内の施設を使った稽古にも入っているのだが、十分な資金が集まらないため、稽古が始まってから7週間が経った今も公演の目処は立っていない。プロデューサーとして資金調達が求められているのだが、不況下ということもあって良いスポンサーを見つけることが出来ない。ミラーは上演すれば大当たり間違いなしの本を手にしていながら上演出来ないことを悔しがっている。

劇団員はこのホテルに寝泊まりしており、費用はミラーが受け持っているのだが、現在は手元に金がない。実はミラーはそれまでにも劇団員全員でホテルに泊まって稽古をしては資金がまかなえずにトンズラを繰り返しており、ブロードウェイ付近のほぼ全てのホテルでブラックリスト入りしているようである。演出家のハリー・ビニョン(土屋良太)、演出助手のフェイカー・イングランド(伊原農)らと共にトンズラの準備を始めたミラーだったが、そこに「ごきげんよう」の作者であるデーヴィスが訪ねてくる。


この作品に関しては、上演を観ていない人のためにあらすじを細部まで語っても余り意味はないように思われる。意味があるのは筋書きよりもこの公演における主題で、打ち出されているメッセージは明確で力強い。

ホテルの重役であるグレゴリー・ワグナー(新井康弘)は経済至上主義者で芸術に全く理解がなく、「ごきげんよう」のリハーサルを観ても良さが分からずに「駄作じゃないの?」などと語る人物であるが、そうした無理解な人々の思考を演劇でもって克服し、最終的には救済までしてしまうという痛快な内容となっている。結局、全てを成功に導くのは演技の力であり、演劇の要素である。逆に言えばこの世に演劇というものがなかった場合、何一つ乗り越えられなかったことばかりだ。演劇は不要不急どころかマイナスをプラスに変える力を備えていることが高らかに宣言される。

今回の上演が大千穐楽で、加藤健一事務所恒例の地方公演は今回に関しては京都公演のみとなっているが、演劇を愛する人の心に確実に訴えかける見事な上演となっていた。

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2021年9月11日 (土)

これまでに観た映画より(268) 「フィールド・オブ・ドリームス」

2021年9月6日

録画してまだ観ていなかったアメリカ映画「フィールド・オブ・ドリームス」を観る。ケヴィン・コスナー主演作。監督・脚本:フィル・アルデン・ロビンソン。原作:ウィリアム・パトリック・キンセラ(『シューレス・ジョー』)。出演は、ケヴィン・コスナーの他に、エイミー・マディガン、レイ・リオッタ、ジェームズ・アール・ジョーンズ、バート・ランカスター等。音楽:ジェームズ・ホーナー。

なお、「フィールド・オブ・ドリームス」を初めて観たのは、映画館でもテレビでもなく、高校2年の時(1991年)に学校の体育館で行われた映画鑑賞会においてであった。

1919年のワールドシリーズで起こった「ブラックソックス事件」(シカゴ・ホワイトソックスの選手8人が八百長を行ったとして永久追放になった事件)に題材を取った映画の一つである。ブラックソックス事件を扱った映画としては、「エイトメン・アウト」も有名であるが、私は「エイトメン・アウト」はまだ観たことがない。

ブラックソックス事件で永久追放となった選手の中には、「シューレス・ジョー」というニックネームで知られた人気選手、ジョー・ジャクソンがいた。実際には8人全員が起訴されたが証拠不十分で無罪となっており、シューレス・ジョー・ジャクソンもワールドシリーズで打率3割7分5厘でノーエラー、本塁打も放っているため、この映画では全くの濡れ衣ということになっている(真相は今も不明である)。

そんなメジャーリーグベースボールに未練を残したまま去らざるを得なかったエイトメンが、アイオワのトウモロコシ畑の中にレイ・キンセラ(ケヴィン・コスナー)が築いたベースボール・フィールドに現れるというファンタジーである。

ベースボール(野球)が盛んなアメリカ。野球を題材にした映画には、「フィールド・オブ・ドリームス」の他に、同じくケヴィン・コスナー主演の「さよならゲーム」、今は名称が変わったクリーヴランド・インディアンスの話である「メジャーリーグ」シリーズ、実話を基にした「オールド・ルーキー」、ロバート・レッドフォード主演の「ナチュラル」といった傑作がある。ただ「フィールド・オブ・ドリームス」は主人公がベースボールプレーヤーではないという点が他の野球映画と異なっている。

レイ・キンセラは、ニューヨーク・ヤンキース傘下のマイナーリーグで捕手をしていたジョン・キンセラの息子で、ジョンはレイにメジャーリーガーになる夢を託していたのだが、レイはジョンに反発。ヤンキースびいきのジョンとは異なり、当時まだブルックリンに本拠地を置いていたドジャースのファンになったことに始まって、10歳で野球を嫌いになり、14歳以降は父親とのキャッチボールすら断るようになる。そして17歳でニューヨークの家を出て、名門カリフォルニア大学バークレー校(UCバークレー)で学び、そこで出会ったアニー(エイミー・マディガン)と結婚し、アイオワ州にトウモロコシ農園を買って移り住んだ。二人の間には一人娘のカレンがいる。レイはその間、父親と会うことも話すこともなく、葬儀の時に戻っただけだった。

ある日、レイは、トウモロコシ畑の中で、「造れば彼はやって来る」という声を聞く。何者の声なのかは不明なのだが、レイはトウモロコシ畑の中に野球場と照明灯が輝くという幻影を見る。レイはアニーを説得して、トウモロコシ畑の中に照明灯付きの野球場を造る。自分でも十分に理解出来ていないままの行動であり、また観客からも「展開が速すぎるのではないか」と疑問を抱かれそうなところだが、これはラストに繋がっている。

ある夜、トウモロコシ畑の中の野球場にシカゴ・ホワイトソックスの往年のユニフォームを着た左投げ右打ちの男、ジョー・ジャクソンが現れる(実際のジョー・ジャクソンは、右投げ左打ちである)。

ほどなく、レイに第二のメッセージが告げられる。「彼の傷を癒やせ」というものだが、レイには「彼」の心当たりがない。そんな中、小学校のPTA集会に出たレイは、「処分すべき書籍」の作者と槍玉に挙げられていたテレンス・マン(ジェームズ・アール・ジョーンズ。モデルはJ・D・サリンジャーである)こそが彼ではないかと思い当たる。ピューリッツァー賞を取ったこともあるテレンス・マンであるが、今は作家活動から離れ、ボストンの小さなマンションで暮らしている。レイとアニーは、ボストンのフェンウェイパークでテレンスと語り合うという共通の夢を見ており、レイはボストンに単身、車で向かう。なんとかテレンス・マンを説得して、フェンウェイパークでの試合を一緒に見に行くことになったレイは、第三のメッセージを耳にする。「最後までやり遂げろ」。そしてスコアボードには、アーチー・ムーンライト・グラハムという無名選手の名前と映像が浮かんだ。実はテレンスも声と映像に気づいており、二人でグラハムの故郷で引退後に過ごしていたというミネソタ州に向かう。


心残りのある人々が登場する。突然、メジャーリーグを追われることになったシューレス・ジョー・ジャクソンら8人のシカゴ・ホワイトソックスの選手、ドジャースの選手になりたいという夢を語り続けてきたが、実現することはなく、作家としても隠遁生活に入っていたテレンス・マン。メジャーリーガーで打席に立ちたいという夢を持ち、マイナーからメジャーに上がるも1イニングライトの守備固めとして入っただけでマイナー落ちが決まり、マイナー行きを嫌がって野球を辞め、学校に戻って医師となったアーチー・グラハムなどだが、最大の心残りを抱えていたのはレイである。野球選手になることを望む父親への反発からキャッチボールもしなくなってしまったレイ。父親には妻のアニーも娘のカレンも紹介出来ぬままに終わった。そんな果たせぬ思いが、多くの心残りある人々を引きつけていたのである。

ラストシーンで父親であるジョン・キンセラと出会い、父とキャッチボールを行う「和解」にも似たノスタルジックなシーンは、アメリカのみならず日本など野球文化圏の人々の心に強く訴えかけるものがある。私も父親とよくキャッチボールをした子どもの頃を思い出して、胸が熱くなった。レイが実際には継げなかった捕手の位置に立ってキャッチボールを行っているのも象徴的である。最大の心残りを抱いていたのはレイであり、謎の声はレイの無意識から上がってきたものだったのである。序盤の展開の速さもこれで納得出来る。

シューレス・ジョーでもテレンス・マンでもアーチー・ムーンライト・グラハムでもなく、レイの心残りが今解消されていく。

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2021年6月18日 (金)

これまでに観た映画より(263) アルフレッド・ヒッチコック監督作品 「サイコ」

2021年6月16日

録画してまだ観ていなかったBSプレミアムのプレミアムシネマ「サイコ」を観る。アルフレッド・ヒッチコック監督の代表作の一つで、興行成績は最高。知名度においても一二を争う。

「サイコ」は有名作なので、これまでにテレビで放送されたものを何度か観ている。一番最初に観たのは、まだ二十代前半だった頃で、テレビ東京で日曜の昼下がりに放送されていた映画劇場においてだった。当時のテレビ(地上アナログ放送)では、深夜を除いて洋画を放送する際は必ず吹き替え版であり、最初に観た「サイコ」も当然ながら吹き替えであった。余談であるが、京都ではテレビ東京系の地上波放送を見ることは基本出来ない。テレビ東京の関西準キー局であるテレビ大阪とKBS京都テレビとの放映権争いによるものである。


今でこそサイコサスペンスの名作は数多いが、ヒッチコックの「サイコ」はその先駆けであり、全てのサイコサスペンスがヒッチコックの「サイコ」の影響を受けているといっても、決して過言ではない。

出演:アンソニー・パーキンス、ジャネット・リー、ヴェラ・マイルズ、ジョン・ギャビンほか。原作:ロバート・ブロック、脚本:ジョセフ・ステファノ。音楽:バーナード・ハーマン。

バーナード・ハーマンは映画音楽の巨匠で、ヒッチコック映画の音楽もいくつも手掛けているが、「サイコ」の音楽は、彼が書いた作品の中でも最高の部類に属すると思われる。シャワーシーンの音楽が特に有名だが、その他の音楽も素晴らしい。オープニングテーマも心の動揺と焦燥感や不安定さ、車の疾走感などを音楽で見事に描き切っており、それでいてどこかエレガントである。

映画史上最も衝撃的な音楽としても知られるシャワーシーンの音楽であるが、シャワーシーンは音楽のみならずカット割りも有名で、ヒッチコックを取り上げた書籍によくシャワーシーンのカット割りの写真が載っている。

今はサイコサスペンス作品も珍しくないので、若い人が「サイコ」を観てもそれほどの衝撃を受けないかも知れないが、公開時にはこの手の映画はほとんど存在しなかった。また押さえておかねばならないのは、ジャネット・リーが当時の人気女優だったということである。そのため観客は最初のうちは、「サイコ」が彼女を主人公とするクライムスリラーだと信じて疑わなかった。ところが……、という点が衝撃だったのである。

今の大都市の映画館は完全入れ替え制が基本だと思われるが、私が若い頃はまだそれほど厳しくなく、途中から入って何度も映画を観るということも可能だった。だが、ヒッチコックは全ての映画館に途中入場を禁じる旨を言い渡したという。有名な作品なので、ストーリー展開を全て知っている人も多いと思うが、少しだけ内容を明かすと、主役と思われたジャネット・リーの出演シーンは、映画が半分にもたどり着かないうちに終わってしまい、その後二度と現れない。途中から映画館に入った客が、「なんでジャネット・リーが出ていないんだ?」と不審がるのを防ぐための措置であった。

これまた有名な話であるが、「サイコ」は便器がスクリーンに映る映画史上初の作品である。検閲があり、日常生活で隠されている部分は撮影しないという決まりがあった。当然ながら検閲に引っかかりそうになったが、「どうしても必要なシーンだから」という説得が成功し、カットされることなく上映されている。

ノーマン・ベイツを演じたアンソニー・パーキンスは、これが出世作となり、日本でも人気が出てCMにも出演している。アイビーリーグのコロンビア大学卒というインテリであり、ノーマンがしょっちゅう飴をなめているというのは、パーキンスが出したアイデアである。コロンビア大学在学中にフランス語をマスターしており、「サイコ」がヒットした後は、ノーマンのイメージに固定されるのを嫌い、パリに移住してフランス映画への出演を続けた。だが、結局は彼はノーマンから逃れることは出来ず、人気に翳りが見えてからはヒッチコック以外が手掛けた「サイコ」シリーズに出演せざるを得なかった。同性愛者であったことも彼を苦しめたという。1992年、エイズが原因の合併症により他界。

 

ちなみに「サイコ」は、脚本、音楽などはそのままに1998年にカラー映画としてリメイクされている。監督はガス・ヴァン・サントが担当し、製作側もかなり力を入れたことが窺われるが、大コケに終わり、ヒッチコックの偉大さが改めて浮かび上がる結果となった。

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2021年6月 9日 (水)

観劇感想精選(400) リー・カルチェイム作 「ビリーバー」

2010年9月17日 梅田芸術劇場シアター・ドラマシティにて観劇

午後7時からシアター・ドラマシティで「ビリーバー」を観る。作:リー・カルチェイム、演出・上演台本:鈴木勝秀、出演:勝村政信、風間俊介、草刈民代、川平慈英。

ロサンゼルスが舞台。科学者のハワード(勝村政信)は、サンタクロースの存在を信じている。一方、9歳のスティーヴン(風間俊介)はサンタクロースの存在に否定的であった。ある日、スティーヴンの通う学校でハワードはサンタクロース実在の可能性について講義をする。スティーヴンにはそんな父親の姿が変人としてしか映らず……

信じること、信仰とは何かを問いかける作品。9・11後、神の存在は信じるが、信頼できなくなったアメリカの風潮を題材としている。


神を信じるのは尊いことで、サンタクロースの存在を信じるのは子供っぽいことなのか。神なき社会で何を信じればいいのかを問いかける作品でもある。ビッグバンの後で宇宙が生まれるが、それ以前の状態はどうだったのかという答えのでない質問に、科学と信仰が絡んでくる。ビッグバンは神様が起こしたのかどうか。

黒い立方体を組み立てることで、様々なセットを作り出す演出が面白い。役者達も達者であった。

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2021年5月27日 (木)

これまでに観た映画より(260) 「明日に向かって撃て!」

2010年1月21日

DVDでアメリカ映画「明日に向かって撃て!」を観る。アメリカン・ニューシネマの代表作。私も大好きな映画である。ジョージ・ロイ・ヒル監督作品。出演、ポール・ニューマン、ロバート・レッドフォード、キャサリン・ロスほか。

実在の銀行強盗、ブッチ・キャシディとサンダンス・キッドを主人公にしたアクション映画。アメリカン・パシフィック鉄道の列車を襲ったために、アメリカトップクラスの実力を持つ追跡団に追われることになるブッチとサンダンスの逃避行を中心に、ユーモアとウィットに富んだやり取りと展開が繰り広げられる。

脚本も演出も練りに練られており、バート・バカラックの音楽も素晴らしく、「完璧」な映画作品が出来上がっている。


今日観たDVDは特別版で、1994年に行われた、ポール・ニューマン、ロバート・レッドフォード、キャサリン・ロス、ウィリアム・ゴールドマン、バート・バカラックへのインタビューと、「明日に向かって撃て!」のメイキングドラマが収められている。これを観るとわかるが、完成直後の試写会における批評家の評価は最低だったそうで、「素人には面白いかも」、「(キャサリン・ロスが演じた)開拓時代の教師を侮辱する作品」といった、今読むと首をかしげたくなる批評も多い。批評というのはやはり当てにならないものなのだろうか。

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2021年2月28日 (日)

コンサートの記(698) スザンヌ・ヴェガ来日ライブ2008@心斎橋クラブクアトロ

2008年1月22日 大阪の心斎橋クラブクアトロにて

大阪へ。午後7時より、心斎橋パルコ8階にある「心斎橋クラブクアトロ」で、ニューヨークのシンガーソングライター、スザンヌ・ヴェガの来日ライブを聴く。スザンヌ・ヴェガは、実に8年ぶりの来日とのことである。

関西に来てからも、ライブハウスには何度か行ったことはあるけれど、心斎橋クラブクアトロのようなスタンディングのところは初めて。座る席もあるが、ライブはノリが大事なので、私は迷うことなくスタンディングを選ぶ。
ライブハウスといっても、私がよく行ったのは、東京では渋谷のオンエアだとか、新宿にあった日清パワーステーションのような比較的スペースの大きなところ。大阪のなんばhatchなどはライブハウスというよりコンサート会場といった方がぴったりくるほど広い。心斎橋クラブクアトロのような小スペースは初めてである。

スザンヌ・ヴェガは人気シンガーなので、東京では、有楽町にある東京国際フォーラム・ホールCでコンサートを行う。東京国際フォーラムのような広いところではライブ感覚はなかなか味わえなし、スザンヌ・ヴェガを間近で見られる可能性も低い。大阪で聴いた方がずっと得である。

ニューアルバム「Beauty&Crime」の収録曲を中心とした約1時間半のライブ。客層は幅広いが、若者はいかにも音楽が好きそうな人が多く、お年を召した方達は60年代のアメリカから抜け出してきたようなファッションをしていたりする。

スザンヌ・ヴェガは「Beauty&Crime」のジャケット写真と同じ、左肩の開いたスーツで登場。帽子(これはCDジャケットのものとは違った)を曲調に合わせてかぶったり脱いだりする。
おなじみの「トムズ・ダイナー」のアカペラでスタート。「トムズ・ダイナー」は伴奏ありのバージョンでも歌われた。
私は英語力に乏しいので、MCの内容は大雑把にしか把握できなかったが、要所要所は簡単な英語だったのでわかった。歌詞はアルバムを聴いているので内容はわかる。

アンコールとして、聴衆のリクエストを受けた「女王と兵士」「スモール・ブルー・シング」などが歌われた。

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2021年2月24日 (水)

ビル・エヴァンス 「NYC's No Lark」




多重録音アルバムである「自己との対話」より

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2021年2月22日 (月)

これまでに観た映画より(251) ロビン・ウィリアムズ主演「いまを生きる」

2021年2月20日

配信でアメリカ映画「いまを生きる」を観る。1989年の制作。シンセサイザーを使ったモーリス・ジャールの音楽が時代を感じさせる。ピーター・ウィアー監督作品。ロビン・ウィリアムズ主演作。脚本のトム・シュルマンが、第62回アカデミー賞で脚本賞を受賞している。内気な少年、トッド・アンダーソン役でイーサン・ホークが出演。ニール・ペリー役のロバート・ショーン・レナードとイーサン・ホークは後に劇団を結成したりもしたようだ。

1959年、バーモント州にある名門寄宿学校、ウェルトン学院(ウェルトン・アカデミー)が舞台である。卒業生の約75%がアイビーリーグ(アメリカの大学に詳しくない人のために、字幕では「8名門大学」と訳されている。ハーバード大学、イェール大学、プリンストン大学、ブラウン大学、コロンビア大学、コーネル大学、ダートマス大学、ペンシルベニア大学の8つの東海岸北部の私立大学)に進むという進学校だが、ウェルトン学院に掛けてヘルトン学院(地獄学院)と生徒達に揶揄されるほど厳格な校風である。

ウェルトン学院に英語教師(日本でいう英語の教師ではなく、国語の教師とも違い、文学指導の先生である)、ジョン・キーティング(ロビン・ウィリアムズ)が赴任してくる。ウェルトン学院のOBであるが、それまではロンドンのチェルシーにある学校で教師をしていた。
ジョン・キーティングは、アカデミックな詩の教育ではなく、自らが主体となる文学を授けるべく、教室だけではなく、学校の廊下や中庭などでも独自の授業を開始する。人生の短さにも触れ、「いまを生きる」ことの大切さを生徒達に教え、自身のことも「キーティング先生」と呼んでもいいが、ホイットマンがリンカーンに捧げた「おお、キャプテン! 我がキャプテン!」にちなんで「キャプテン」と呼んでも良いと生徒達に伝える。生徒達はキーティングのことを「キャプテン」と慕い始める。

学年トップの成績を誇るニール(ロバート・ショーン・レナード)がキーティングがウェルトン学院に在学していた時の年鑑を見つける。ケンブリッジ大学に進学希望で、「死せる詩人の会」というサークルに所属していたことを知った生徒達は、詩の朗読や創作を行うサークルであった「死せる詩人の会」を復活させ、キーティング在籍時代の「死せる詩人の会」も根拠地としていた洞窟の中で自由な青春を謳歌する。内気な少年であったトッド・アンダーソン(イーサン・ホーク)も「その場にいるだけ」という条件で「死せる詩人の会」に参加する。

やがて「死せる詩人の会」メンバー達の生活に変化が起こる。ノックスは、他の高校に通うクリスという女の子(チアリーディングを行うなど、なかなか活発な女子のようである。演じるのはアレクサンドラ・パワーズ)に一目惚れし、彼女に捧げる詩を作る。
詩の創作に乗り気でなかったトッドもキーティングの前で即興で詩を作ることになり、内面が解放されていく。
ニールは、俳優になりたいという夢を見つけ、「真夏の夜の夢」の舞台公演のオーディションに参加、一番人気であるパック役に抜擢される。
だが、そうした自由さはウェルトン学院の校風にそぐわず、やがていくつかの悲劇が訪れることになる。

硬直した校風のエリート校に風穴を開ける教師と、それまでとは違った価値観を見出すことになる若者達の物語である。文学作品、特に詩が主軸となっており、実学とは異なり「人生を豊かにする」文学作品の素晴らしさが語られる。ただ一方で、文学作品の自由な解釈に関しては私は懐疑的で、内容を把握する努力を怠る危険性を感じたりもするのだが、21世紀に入ってから文学軽視の風潮は世界的により高まっており、こうした映画によって言葉で語り、表現し、受け取ることの素晴らしさを人々に広めて貰えたらとも思っている。

名門大学進学のために「今」を犠牲にする風潮も、私達の世代ほどではないが、現在も日本では根強い。実は青春時代に身につけておかなければならないことは勉強以外にも数多い。きちんと語り、受け取る技術もそれで、若い時代に身につけておかないと挽回は難しい。この映画が制作された1989年や舞台となった1959年とは比べものにならないほどの情報社会が訪れ、文章による伝達の機会も多くなったが、青年期に文学作品にきちんと向かい合う人が少ないため、極々初歩的なやり取りも成立せず、勘違いに勘違いが重なるケースが後を絶たない。「自分自身で考える」「自分の言葉を用いる」ということは、当たり前のようでいて実は難度はかなり高い。相手がいる以上、自己流を貫いてばかりでは伝達は成立しない。そこには人文的素養が必ず必要になってくる。

劇中で、キーティングが机に上に立って視点を変えることを奨励する場面が出てくる。ラストではキーティングはウェルトン学院を去ることになるのだが、彼の志は何人かの生徒に確実に受け継がれるであろうことが見て取れる。1年前に他界した野村克也は、後藤新平の「財を遺すは下、仕事を遺すは中、人を遺すを上とする」という格言を愛したが、キーティングは進学実績を残す前に学院を去るも人を遺すことには成功したのだ。人に教える人間としては、「上」であったと言える。

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2021年2月21日 (日)

観劇感想精選(385) 佐藤隆太主演 舞台「いまを生きる」(再演)

2021年2月13日 大阪・西梅田のサンケイホールブリーゼにて観劇

午後1時から、西梅田のサンケイホールブリーゼで、舞台「いまを生きる」を観る。ロビン・ウィリアムズ主演の名画の舞台化で、今回は再演となる。主演は佐藤隆太。

佐藤隆太主演の「いまを生きる」が再演されるという情報は得ていたのだが、チケットの取り扱いがイープラスとローソンチケットとぴあの電話予約だったということもあり、いつどこで上演されるのかまでは掴んでいなかった。先月、野村万作萬斎の狂言公演を観に行った際に、サンケイホールブリーゼエントランス近くのチラシコーナーで「いまを生きる」のチラシを見つけ、「佐藤君主演だったら観なきゃな。『エブリ・ブリリアント・シング』では良い経験させて貰ったし」というわけでイープラスでチケットを取った。

佐藤隆太も女性のファンが多い俳優だが、それに加えて、ジャニーズJr.のメンバーが出演するため、客席の大半は若い女性である。

今回の「いまを生きる」は、オフブロードウェイで上演された作品の日本語上演版である。「いまを生きる」には、生徒が自殺するシーンがあるのだが、映画から起こした台本を使って高校演劇として上演されたことがあり、その高校で数ヶ月前に自殺事件が発生していたため、「倫理的にどうか」と疑問視されたことがある。ただ、今回はそれとは別のバージョンである。

脚本:トム・シュルマン(映画版脚本。第62回アカデミー賞脚本賞受賞)、演出・上演台本:上田一豪(うえだ・いっこう。東宝演出部所属)。
出演は、佐藤隆太、佐藤新(ジャニーズJr.)、瀬戸利樹、影山拓也(ジャニーズJr.)、基俊介(ジャニーズJr.)、三宅亮輔、市川理矩、日向なる、飯田基祐、佐戸井けん太。

日本初演は2018年で、3年ぶりの再演となる。

舞台となるのは、アメリカ北東部、バーモント州にある寄宿学校(ボーディングスクール)、ウェルトン・アカデミーである。アイビーリーグに多くの生徒を送り出している名門校であるが、その手の学校にありがちなように、保守的で厳格な校風であり、教師や親からの「幸福の押しつけ」が起こりやすい環境である。
そこに赴任して来た新人英語教師(日本のように非英語圏の人に英語を教えるわけではないので、日本でいう国語教師に近い。ただアメリカには当然ながら本当の意味での古文や漢文などはないので、教えるのは文学作品中心である)のジョン・キーティング(佐藤隆太)。ウェルトン・アカデミーのOBである。初登場シーンでは、口笛でベートーヴェンの「歓喜の歌」を吹きながら現れる(原作映画では別の曲である)。まず最初の「詩とは何か」の定義で教科書に書かれていることを否定し、真の意味での優れた文学教育や人間教育に乗り出していく。ただ、寄宿学校に通う生徒の両親は、往々にして金持ちだが保守的で息子の進路を勝手に決めてしまうというタイプが多いため、ジョンのやり方は次第に非難を浴びるようになっていく。ウェルトン・アカデミーの校長であるポール・ノーラン(佐戸井けん太)も自由さや独自性を重視するジョンのやり方を問題視するようになっていった。

ジョンは、生徒達に詩作を行うことを薦める。最初の内は戸惑っていた生徒だが、次第にジョンに共鳴するようになり、クラスで首席を取りながら、親が決めた道に進まざるを得ない状況となったニール(瀬戸利樹)も、ジョンに触発されて以前から興味のあった俳優の仕事に興味を持ち、他校で行われる「真夏の夜の夢」のオーディションに参加、一番の人気役であるパックにキャスティングされて大喜びである。
ジョンは、生徒達に机の上に立って、視点を変えるといったような発想法の転換などを中心に教えていく。

思春期の男の子達ということで、一番の話題はやはり恋愛。寄宿学校は男子生徒のみであり、女子との接点は少ないのだが、ノックス(影山拓也)は、パーティーで知り合ったクリス(日向なる)に一目惚れ。何かと話題にしている。

男子生徒達は、ウェルトン・アカデミー在学時代のジョンに興味を示し、残された文集やデータなどから、ジョンがウェルトン時代に「死せる詩人の会」という詩の朗読サークルに所属していたことを知る。現在は残っていないサークルだったが、生徒達は再興することを決め、文学と自由を謳歌するようになるのだが……。

ニールは「真夏の夜の夢」に出て好評を得たが、父親のペリー(飯田基祐)から、俳優などやらず、ハーバード大学の医学部に進み、医者になるよう強制される。それが代々のペリー家の男子の生き方だったようだ。苦悩するニールは最終的には拳銃自殺を選んでしまうという、ヘルマン・ヘッセの『車輪の下』の系譜に列する作品でもあり、子ども達への「愛情」のあり方が問われている。

ジョンが最初に生徒に教えたのは、ホイットマンがリンカーン大統領の思い出に捧げた「おおキャプテン! わがキャプテン!」であり、ジョンも教師というよりキャプテンであることを生徒に印象づける。この「おおキャプテン! わがキャプテン!」は、亡くなったリンカーンを死にゆく船長になぞらえたもので、内容自体は不吉であり、ジョンのその後を予言する結果となっている。

結局、ジョンは、保守的な学校体制には勝てず、寄宿学校を去ることになるのだが、最後に生徒達は机の上に立ち上がり、「おおキャプテン! わがキャプテン!」と唱えて、ジョンを支持するのであった。

 

アメリカの学園もの映画の中では、「いまを生きる」以外に、リチャード・ドレイファス主演の「陽のあたる教室」なども好きなのだが、「陽のあたる教室」も日本でも舞台化されており、まだ東京に通っていた頃なので、私は世田谷パブリックシアターで観ている。主演は水谷豊で、大阪ではシアター・ドラマシティで公演が行われたようである。息子役が黒田勇樹であったのが良かったのか悪かったのか今となっては微妙に思える。

 

カーテンコールでは佐藤隆太が、本日の話し手として、リチャード・キャメロン役の市川理矩を指名。キャメロンは、生徒達が「おおキャプテン! わがキャプテン!」でジョンを讃えている時に、自己保身のため一人だけ立ち上がることの出来ない生徒なのだが、市川が「机の上に立ってみたかった」と言ったため、特別にキャメロンも立ち上がるバージョンのラストシーンが演じられることになる。途中で自殺してしまうニール役の瀬戸利樹も冗談で参加しようとするが、佐藤隆太が、「いや、ニールがいるのはおかしい」と突っ込んだためすぐに退場する。
キャメロンが机の上に立って、「おおキャプテン! わがキャプテン!」をやった時には、客席が若い女の子中心ということで、黄色い声や笑い声、拍手などが鳴り響いた。

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2021年2月 9日 (火)

これまでに観た映画より(247) フレデリック・ワイズマン初監督作品「チチカット・フォーリーズ」

2021年2月5日 京都シネマにて

京都シネマでスケジュールを確認。連続講義「現代アートハウス入門 ネオクラシックをめぐる七夜」というイベントが行われており、今日は最終日で、フレデリック・ワイズマン監督のドキュメンタリー映画「チチカット・フォーリーズ」が上映され、終映後に想田和弘監督を講師とするレクチャー(リモートによるもので、日本全国6都市7つの映画館を繋いで行われる)があるというので観ることにする。

アートハウスというのは、日本でいうミニシアターのことで、海外ではアートハウスという呼び方が一般的であるようだ。

上演前にちょっとした事件があったりしたが、5分遅れで上映スタート。想田監督が出演する配信は東京から行うので、上映時間が遅れるとまずいのだが、なんとか間に合った。

「チチカット・フォーリーズ」は、フレデリック・ワイズマン監督の第1作で、1967年の制作。マサチューセッツ州ブリッジウォーターにある精神異常犯罪者矯正施設(州立マサチューセッツ矯正院。刑務所のようなものだが微妙に違うようである)を題材にカメラを回したものだが、題材が題材ということもあり、完成後に色々と難癖がついて、お蔵入りになりかけた作品である。全米公開が許されたのは1991年になってから。日本初公開は1998年となっている。

オープニングとクロージングは、矯正施設の入所者(スタッフが混じっていると思われるが、判別は付きにくい。男性のみの収容所であることは分かるので、女性は全員スタッフであると思われるが、男性は区分が曖昧な人もいる)による学芸会のようなもののシーンである。合唱が中心である。歌のシーンは中盤にも登場する。

何人かの精神異常犯罪者が登場する。11歳の少女を強姦したことで施設送りになった中年男性。いわゆるロリータコンプレックスがあるようで、実の娘を強姦したこともあるという。少年院、感化院を点々としており、人生の多くの時間を塀の中で過ごしているが、実の娘がいることからも分かる通り、奥さんもいる。容姿はまずまずなので結婚出来たのだろうか。奥さんからもずっと「あなたはおかしい」と言われ続けてきたようであるが。医師は同性愛について聞いたりもする(1967年ということで、異常性愛者は他の性的嗜好も持っているはずだと決めつけられたようである。ただ、実際にそのけもあるようだ)。ちなみに、矯正施設を謳っているが、特に矯正プログラムらしきものは見受けられず、投薬と医師との面談が中心のようである。精神医学がまだ進んでおらず、医師も煙草を吸いながら面談を行って、「鬱がハイになったから、薬で戻そう」などと今の精神医学から考えると無茶苦茶なことを平気で言っている。食事を摂れない入所者には、鼻からチューブを入れて強引に栄養を押し込む。

自分が精神病(分裂病=今でいう統合失調症や、偏執病=パラノイアと診断されている人が多いようである。おそらく、当時はそれぐらいしか診断名がなかったのだろう)と診断されたことを強く否定する入所者もいる。「刑務所に戻りたい」と繰り返していることから、矯正施設は刑務所より環境が悪いことが察せられる。男性入所者が全裸であることを強制される場面もあり、彼らの奇行を施設関係者が見下しているように見える(いや見えるだけではないな)時もある。独房(でいいのかどうか)も狭く、殺風景である。
独房だけでなく、中庭があり、そこで入所者が思い思いのことをしている場面も映されている。トロンボーンで「私の青空」を演奏している黒人男性。とにかくお喋りで政治や歴史について語り続ける老人(内容は微妙に間違っている)。三点倒立のようなことをして歌い続ける人。ボーッとしている人も多い。明らかに投薬の後遺症が出ている人も何人かフィルムに収められている。

施設で過ごす人と並行して、施設内で亡くなった人への死に化粧と火葬の様子などが挟まれる。

入所者の来歴はほとんど不明だが、一人だけ、それまで何をしていたか分かる男性がいる。学校の数学と音楽の教師をしていたようだ。

ワイズマン監督は、矯正施設の環境の悪さを映画にして訴える気があったようだが、先に書いた通り公開は大幅に遅れた。ラストに「1968年以降、マサチューセッツ矯正院の待遇は大幅に改善された」という内容の文字が出る(ワイズマン監督ではなく、マサチューセッツ州や政府当局の見解)。

 

想田和弘監督によるレクチャー。まずはフレデリック・ワイズマンの紹介から入る。
フレデリック・ワイズマンは1930年生まれ、今も現役のドキュメンタリー映像作家である。弁護士を父にボストンで生まれ、自身も父の後を継ぐべく法曹を志し、名門イェール大学のロースクールを卒業して弁護士資格を取得。大学でも法律について教え始めるのだが、自身は「法律は退屈」と思っており、文学や映画の方が好きであった。大学でも法律の講義だけだと学生も退屈するだろうから、ということで学外に出向いての実地授業を行い、様々な施設を学生と共に訪れた。その中で見た精神異常犯罪者矯正施設に興味を持ち、撮影することに決めた、というのがワイズマン監督デビューに至るまでだそうである。ワイズマンはマサチューセッツ州の副知事と仲が良かったため、撮影許可も簡単に下りたらしい。医師達の異様に見える言動も「当時は正しいこと」とされていたようだ。

ワイズマンの撮影の特徴としては、主人公の不在がまず上げられ、具体的な個人が主人公として設定されることはなく、「組織」が主役となっている。
また、インタビューは行わず、ナレーションはなく、テロップも示されず、BGMも使わない、「四無い主義」といわれる手法も特徴で、想田監督もかなり影響を受けている。
想田監督は、NHK出身であるが、NHK時代に「四無い主義」を用いたドキュメンタリーを撮ろうとしたところ、「そんなもの出来るわけがない」と却下されたことがあるという。
ストーリーらしいストーリーもなく、場所が移動することで対象物の実態が示される。

「チチカット・フォーリーズ」は、1967年の制作であるが、1960年にシンクサウンドカメラが発明され、その後にこうした手法のドキュメンタリー制作が可能になったそうである。それまでも、スタジオでの大型カメラでの収録なら映像と音声をシンクロさせる技術はあったそうだが、持ち運びの出来るカメラは、1959年以前は画と音声を同時にフィルムに残す技法はなく、ドキュメンタリーを作るにしても音声は後からナレーションで入れるしかなかったそうである。1960年以降になってやっと、今のドキュメンタリーに繋がる映像作成が可能になったそうである。

ワイズマン監督は多作であるが、ドキュメンタリー撮影は短くて4週間、長くても8週間くらいで終えてしまうそうで、その代わり編集は10ヶ月ぐらい費やすそうだ。ドキュメンタリーの撮影を行っていると、「まだ撮れるんじゃないか、もっと良い場面があるんじゃないか」との思いから、撮影が長引いてしまうことがよくあるそうだが、ワイズマン監督は予め撮る期間を決めて、その中で勝負するという。ドキュメンタリー作家としては珍しいそうだ。ちなみに全てフィルムで撮影しているが、フィルムの場合、1時間の撮影で現像料も含めて日本円にして10万から15万くらい掛かるそうで、ドキュメンタリーに十分な時間の撮影を行った場合、途轍もない金額が必要となる。アメリカの公共放送であるPBSやフォード財団など世界中で7つ団体が出資協力してくれるため、撮影が可能だったとのことだ。

 

想田監督のアートハウス=ミニシアターへの思い。
想田監督は、「ミニシアターが主戦場」と語ったことがあるそうだが、一般的には低予算映画がミニシアターで、予算がつぎ込めるようになるとシネマコンプレックスなどの大型スクリーンに移行するものだと勘違いされているそうである。「次、シネコン行けますね」などと言われたりするという。ミニシアターの良さはなんといってもラインナップで、大型映画館では掛からない映画が上演されるのが最大の魅力だそうである。
ドキュメンタリー映画については、フレデリック・ワイズマンとマイケル・ムーアの貢献度が高いという。それまではドキュメンタリーは興行的にスクリーンで行うのは難しいとされ、ワイズマン監督は全てのドキュメンタリー作品を映画館で上映すべく、フィルムを使って撮影したのだが、テレビでしか放送されないものも少なくなかったそうである。
マイケル・ムーアの作風については、想田監督は余り好みではないそうだが、ムーアが監督したドキュメンタリー映画がヒットしたことにより、風向きが変わったそうで、「あれ? ドキュメンタリー、映画館で行けるんじゃないか」という潮流が生まれ、想田監督はその波に丁度上手く乗れたそうである。

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