これまでに観た映画より(350) 英国ロイヤル・オペラ・ハウス シネマシーズン 2023/24 プッチーニ 歌劇「蝶々夫人」
2024年6月13日 桂川・洛西口のイオンシネマ京都桂川にて
イオンシネマ京都桂川で、英国ロイヤル・オペラ・ハウス シネマシーズン 2023/24 プッチーニの歌劇「蝶々夫人」を観る。イギリス・ロンドンのロイヤル・オペラ・ハウス(コヴェント・ガーデン)で上演されたオペラやバレエを上映するシリーズ。今回は、今年の3月26日に上演・収録された「蝶々夫人」の上映である。最新上演の上映といっても良い早さである。今回の上演は、2003年に初演されたモッシュ・ライザー&パトリス・コーリエによる演出の9度目の再演である。日本人の所作を専門家を呼んできちんと付けた演出で、そのため、誇張されたり、不自然に思えたりする場面は日本人が見てもほとんどない。
京都ではイオンシネマ京都桂川のみでの上映で、今日が上映最終日である。
指揮はケヴィン・ジョン・エドゥセイ。初めて聞く名前だが、黒人の血が入った指揮者で、活き活きとしてしなやかな音楽を作る。
演奏は、ロイヤル・オペラ・ハウス管弦楽団&ロイヤル・オペラ合唱団。
タイトルロールを歌うのは、アルメニア系リトアニア人のアスミク・グリゴリアン。中国系と思われる歌手が何人か出演しているが、日本人の歌手は残念ながら参加していないようである。エンドクレジットにスタッフの名前も映るのだが、スタッフには日本人がいることが分かる。
入り口で、タイムテーブルの入ったチラシを渡され、それで上映の内容が分かるようになっている。まず解説と指揮者や出演者へのインタビューがあり(18分)、第1幕が55分。14分の途中休憩が入り、その後すぐに第2幕ではなくロイヤル・オペラ・ハウスの照明スタッフの紹介とインタビューが入り(13分)、第2幕と第3幕が続けて上映され、カーテンコールとクレジットが続く(98分)。合計上映時間は3時間18分である。
チケット料金が結構高い(今回はdポイント割引を使った)が、映画館で聴く音響の迫力と美しい映像を考えると、これくらいの値がするのも仕方ないと思える。テレビモニターで聴く音とは比べものにならないほどの臨場感である。
蝶々夫人役のアスミク・グリゴリアンの声がとにかく凄い。声量がある上に美しく感情の乗せ方も上手い。日本人の女性歌手も体格面で白人に大きく劣るということはなくなりつつあり、長崎が舞台のオペラということで、雰囲気からいっても蝶々夫人役には日本人の方が合うのだが、声の力ではどうしても白人女性歌手には及ばないというのが正直なところである。グリゴリアンの声に負けないだけの力を持った日本人女性歌手は現時点では見当たらないだろう。
男前だが、いい加減な奴であるベンジャミン・フランクリン・ピンカートンを演じたジョシュア・ゲレーロも様になっており、お堅い常識人だと思われるのだが今ひとつ押しの弱いシャープレスを演じたラウリ・ヴァサールも理想的な演技を見せる。
今回面白いのは、ケート・ピンカートン(ピンカートン夫人)に黒人歌手であるヴェーナ・アカマ=マキアを起用している点。アカマ=マキアはまず影絵で登場し、その後に正体を現す。
自刃しようとした蝶々夫人が、寄ってきた息子を抱くシーンで、その後、蝶々夫人は息子に目隠しをし、小型の星条旗を持たせる。目隠しをされたまま小さな星条旗を振る息子。父親の祖国を讃えているだけのようでありながら、あたかもアメリカの帝国主義を礼賛しているかのようにも見え、それに対する告発が行われているようにも感じられる。そもそも「現地妻」という制度がアメリカの帝国主義の象徴であり、アフリカ諸国や日本もアメリカの帝国主義に組み込まれた国で、アメリカの強権発動が21世紀に入っても世界中で続いているという現状を見ると、問題の根深さが感じられる。
一方で、蝶々夫人の自刃の場面では桜の樹が現れ、花びらが舞う中で蝶々夫人は自らの体を刀で突く。桜の花びらが、元は武士の娘である蝶々夫人の上に舞い落ち、「桜のように潔く散る」のを美徳とする日本的な光景となるが、「ハラキリ」に代表される日本人の「死の美学」が日本人を死へと追いやりやすくしていることを象徴しているようにも感じられる。日本人は何かあるとすぐに死を選びやすく自殺率も高い。蝶々夫人も日本人でなかったら死ぬ必要はなかったのかも知れないと思うと、「死の美学」のある種の罪深さが実感される。
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