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2024年6月11日 (火)

コンサートの記(848) カーチュン・ウォン指揮日本フィルハーモニー交響楽団 第255回 芸劇シリーズ「作曲家 坂本龍一 その音楽とルーツを今改めて振り返る」

2024年6月2日 池袋駅西口の東京芸術劇場コンサートホールにて

東京へ。

午後2時から、池袋駅西口にある東京芸術劇場コンサートホールで、日本フィルハーモニー交響楽団の第255回 芸劇シリーズを聴く。日フィルが日曜日の昼間に行っている演奏会シリーズで、回数からも分かる通り、かなり長く続いている。私も東京にいた頃にはよく通っていて、ネーメ・ヤルヴィやオッコ・カムなどの指揮で日フィルの演奏を聴いている。

東京芸術劇場は、音楽と演劇、美術の総合芸術施設であるが、考えてみれば音楽でしか来たことはない。
コンサートホールは、東京芸術劇場の最上階にあり、長いエスカレーターを上っていくことになる。以前はエスカレーターは1階から最上階のコンサートホール(当時は大ホールといった)まで直通というもっと長く巨大なものだったが、「事故が起こると危ない」などと言われており、リニューアル工事の際に付け替えられて二段階でコンサートホールまで昇るようになっている。

前回来たときは1階席の前の方だったが、今回も1階席の下手側前から2列目。東京芸術劇場コンサートホールは、ステージから遠いほど音が良いことで知られるが、前の方でも特に悪くはない。

今回の芸劇シリーズは、パンフレットやチケットなどにはタイトルが入っていないが、ポスターには「作曲家 坂本龍一 その音楽とルーツを今改めて振り返る」という文言が入っており、事実上の坂本龍一の追悼コンサートとなっている。

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指揮は、日本フィルハーモニー交響楽団首席指揮者のカーチュン・ウォン。シンガポールが生んだ逸材であり、2016年のグスタフ・マーラー指揮者コンクールで優勝。日本各地のオーケストラに客演して軒並み絶賛を博し、2023年9月に日フィルの首席指揮者に就任した。京都市交響楽団や大阪フィルハーモニー交響楽団に客演した際に聴いているが、演奏が傑出していただけでなく、京響のプレトークではちょっとした日本語を話すなど、まさに「才人」と呼ぶに相応しい人物である。ドレスデン・フィルハーモニー管弦楽団の首席客演指揮者でもあり、また今年の9月からは、イギリスを代表する工業都市・マンチェスターに本拠地を置く名門、ハレ管弦楽団の首席指揮者兼アーティスティック・アドバイザーへの就任が決まっている。


曲目は、ドビュッシーの「夜想曲」(女声合唱:東京音楽大学)、坂本龍一の箏とオーケストラのための協奏曲(二十五絃箏独奏:遠藤千晶)、坂本龍一の「The Last Emperor」、武満徹の組曲「波の盆(「並の凡」と変換されたが確かにそれもありだ)」よりフィナーレ、坂本龍一の地中海のテーマ(1992年バルセロナ五輪開会式音楽。ピアノ:中野翔太、合唱:東京音楽大学)。

コンサートマスターは客演の西本幸弘。ソロ・チェロとして日フィル・ソロ・チェロの菊地知也の名がクレジットされている。また生前の坂本龍一と共演するなど交流があったヴィオラ奏者の安達真理が、2021年から日フィルの客演首席奏者に就任しており、今日は乗り番である。


プログラムは評論家で早稲田大学文学学術院教授の小沼純一が監修を行っており、プログラムノートも小沼が手掛けている。
午後1時半頃より小沼によるプレトークがある。
昨年の暮れに、小沼の元に日フィルから「坂本龍一の一周忌なので何かやりたい」との連絡があり、指揮者がカーチュン・ウォンだということも知らされる。小沼は坂本が創設した東北ユースオーケストラも坂本の追悼演奏会をやるとの情報を得ていたため、「余りやられていない作品を取り上げよう」ということで今日のようなプログラムを選んだという。全曲坂本龍一作品でも良かったのだが、坂本龍一が影響を受けた曲を「コントラスト」として敢えて入れたそうだ。

坂本龍一が亡くなり、彼のことをピアニスト・キーボーディスト、俳優として認識していた人は演奏や演技を録音や録画でしか見聞き出来ず、それらは固定されて動かないものであるが、坂本龍一は何よりも作曲家であり、作曲されたものは生で演奏出来、同じ人がやっても毎回変わるという、ある意味での利点があることを小沼は述べていた。

坂本が若い頃に本気で自身のことを「ドビュッシーの生まれ変わり」だと信じていたということは比較的よく知られているが、「夜想曲」の第1曲「雲」は特にお気に入りで、テレビ番組でも「雲」の冒頭をピアノで弾いてその浮遊感と革新性について述べていたりする。小沼との対話でもたびたび「雲」が話題に上ったそうで、心から好きだった曲を取り上げることにしたそうである。
坂本龍一の箏とオーケストラのための協奏曲は、2010年に東京と西宮で初演され、「題名のない音楽会」でも取り上げられたが、その後1度も再演されておらず、14年ぶりの再演となる。沢井一恵のために作曲された作品で、初演時は、それぞれ調が異なる十七絃箏を1楽章ごとに1面、計4面を用いて演奏されたが、今日のソリストである遠藤千晶が「二十五絃箏を使えば1面でいけるかも知れない」ということで、今日は1面での初演奏となる。

「The Last Emperpr」は、ベルナルド・ベルトルッチ監督が清朝最後の皇帝となった愛新覚羅溥儀を主人公にした映画「ラストエンペラー」のために書かれた音楽で、坂本龍一は最初、俳優としてのオファーを受け、甘粕正彦を演じたが、音楽を依頼されたのはずっと後になってからで、全曲を締め切りまでの2週間で書き上げたというのが自慢だったらしい。「ラストエンペラー」の音楽で坂本は、デヴィッド・バーン、コン・スー(蘇聡、スー・ツォン)と共にアカデミー賞作曲賞を受賞。「世界のサカモト」と呼ばれるようになる。

武満徹の「波の盆」を入れることを提案したのは指揮者のカーチュン・ウォンだそうで、日本人作曲家の劇伴音楽という共通点から選んだようだ。
1996年に武満徹が亡くなり、NHKが追悼番組「武満徹の残したものは」を放送した時に真っ先に登場したのが坂本龍一で、学生時代に東京文化会館で行われたコンサートで、アンチ武満のビラを撒いていたところ武満本人が現れ、「これ撒いたの君?」と尋ねられたこと、後年、作曲家となって再会した時には、「ああ、あの時の君ね」と武満は坂本のことを覚えており、「君は作曲家として良い耳をしている」と言われた坂本は「あの武満徹に褒められた」と有頂天になったことを語り、「そんないい加減な奴なんですけどね」と自嘲気味に締めていた。

地中海のテーマは、1992年のバルセロナ・オリンピックのマスゲームの音楽として作曲されたもので、当初はオリンピックという国威発揚の側面がある催しの音楽を書くことを拒んだというが、最終的には作曲を引き受け、7月25日の開会式では自身でオーケストラを指揮し、その姿が全世界に放映された。指揮に関しては、当時、バルセロナ市立管弦楽団の首席指揮者をしていたガルシア・ナバロ(ナルシソ・イエペスがドイツ・グラモフォンに録音したアランフェス協奏曲の伴奏で彼の指揮する演奏を聴くことが出来る)の指揮に間近で触れて、「本物の指揮者は凄い」という意味の発言をしていたのを覚えている。またオリンピックで自作を指揮したことで、「凄い人」「偉い人」だと勘違いされるのが嫌だった旨を後に述べている。
地中海のテーマは、CDが発売され、また一部がCMにも使われたが、オーケストラ曲として日本で演奏されたことがあるのかどうかはちょっと分からない。ただこれはコンサートホールで生演奏を聴かないと本当の良さが分からない曲であることが確認出来た。

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ドビュッシーの「夜想曲」。「雲」「祭り」「シレーヌ」の3曲からなる曲で、ドビュッシーの管弦楽曲の中でも人気曲だが、第3曲「シレーヌ」は女声合唱を伴うという特殊な編成であるため、演奏会または録音でもカットされることがある。今回は東京音楽大学の女声合唱付きで上演される。東京音楽大学の合唱団は必ずしも声楽科の学生とは限らず、学部は「合唱」の授業選択者の中からの選抜、大学院生のみ声楽専攻限定となるようだ。

フランス語圏のオーケストラによる名盤も多いため、流石にそれらに比べると色彩感や浮遊感などにおいて及ばないが、生演奏ならではのビビッドな響きがあり、繊細な音の移り変わりを視覚からも感じ取ることが出来る。
ノンタクトで指揮したカーチュン・ウォンは巧みなオーケストラ捌き。日フィルとの相性も良さそうである。
東京音楽大学の女声合唱もニュアンス豊かな歌唱を行った。


坂本龍一の箏とオーケストラのための協奏曲。独奏者の遠藤千晶は当然と言えば当然だが着物姿で登場。椅子に座って弾き、時折、身を乗り出して中腰で演奏する。箏のすぐ近くにマイクがセットされ、舞台左右端のスピーカーから音が出る。箏で音が小さいからスピーカーから音を出しているのかと思ったが、後にピアノもスピーカーから音を出していたため、そういう趣旨なのだと思われる。
遠藤千晶は、東京藝術大学及び大学院修了。3歳で初舞台を踏み、13歳で宮城会主催全国箏曲コンクール演奏部門児童部第1位入賞という神童系である。藝大卒業時には卒業生代表として皇居内の桃香楽堂で御前演奏を行っている。現在は生田流箏曲宮城社大師範である。
第1楽章「still(冬)」、第2楽章「return(春)」、第3楽章「firmament(夏)」、第4楽章「autumn(秋)」の四季を人生に重ねて描いた作品で、いずれも繊細な響きが何よりも印象的な作品である。箏の音が舞い散る花びらのようにも聞こえ、彩りと共に儚さを伝える。


坂本龍一の「The Last Emperor」。カーチュン・ウォンは冒頭にうねりを入れて開始。壮大さとオリエンタリズムを兼ね備えた楽曲として描き出す。坂本本人が加わった演奏も含めてラストをフォルテシモのまま終える演奏が多いが(オリジナル・サウンドトラックもそんな感じである)、カーチュン・ウォンは最後の最後で音を弱めて哀愁を出す。


武満徹の組曲「波の盆」よりフィナーレ。倉本聰の脚本、実相寺昭雄の演出、笠智衆主演によるテレビドラマのために書いた曲をオーケストラ演奏会用にアレンジしたものだが、このフィナーレは底抜けの明るさに溢れている。「弦楽のためのレクイエム」が有名なため、シリアスな作曲家だと思われがちな武満であるが、彼の書いた歌曲などを聴くと、生来の「陽」の人で、こちらがこの人の本質らしいことが分かる。この手の根源からの明るさは坂本龍一の作品からは聞こえないものである。


坂本龍一の地中海のテーマ。映画音楽でもポピュラー系ミュージックでも坂本龍一の音楽というとどこかセンチメンタルでナイーブというものが多いが、地中海のテーマはそれらとは一線を画した豪快さを持つもので、祝典用の楽曲ということもあるが、あるいは売れる売れないを度外視すれば、もっとこんな音楽を書きたかったのではないかという印象を受ける。若い頃は現代音楽志向で、難解な作品や前衛的な作品も書いていた坂本だが、劇伴の仕事が増えるにつれて、監督が求める「坂本龍一的な音楽」が増えていったように思う。特に映画などは最終決定権は映画監督にある場合が多いわけで、書きたいものよりも求められるものを書く必要はあっただろう。ファンも「坂本龍一的な音楽」を望んでいた。そういう意味ではバルセロナ五輪の音楽は「坂本龍一的なもの」は必ずしも求められていなかった訳で、普段は書けないようなものも書けたわけである。監督もいないし、指揮も自分がする。ストラヴィンスキーの「春の祭典」に通じるような音楽を書いても今は批難する人は誰もいない。というわけで基本的にアポロ芸術的ではあるが、全身の筋肉に力を込めた古代オリンピック選手達の躍動を想起させる音楽となっている。前半だけ、今日初めて指揮棒を使ったカーチュン・ウォンは、日フィルから凄絶な響きを引き出すが、虚仮威しではなく、密度の濃い音楽として再現する。バルセロナやカタルーニャ地方を讃える歌をうたった東京音楽大学の合唱も力強かった。

タブレット譜を見ながらピアノを演奏した中野翔太。プレ・カレッジから学部、大学院まで一貫してジュリアード音楽院で教育を受けたピアニストであり、晩年の坂本龍一と交流があって、今年の3月に行われた東北ユースオーケストラの坂本龍一追悼コンサートツアーにもソリストとして参加。「戦場のメリークリスマス」を弾く様子がEテレで放送されている。
地中海のテーマは、ピアノソロも力強い演奏が要求され、中野は熱演。
先に書いた通り、スピーカーからもピアノの音が鳴っていたが、そういう設定が必要とされていたのかどうかについては分からない。


アンコール演奏。カーチュン・ウォンは、「アンコール、Aqua」と語って演奏が始まる。坂本龍一本人がアンコール演奏に選ぶことも多かった「Aqua」。穏やかで優しく、瑞々しく、ノスタルジックでやはりどこかセンチメンタルという音楽が流れていく。坂本本人は「日本人作曲家だから日本の音楽を書くべき」という意見に反対している。岡部まりからインタビューを受けて、日本人じゃなくても作曲家にはなっていたという仮定もしている。だが、「Aqua」のような音楽を聴くとやはり坂本龍一も日本人作曲家であり、三善晃の弟子であったことが強く感じられる。

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なお、カーテンコールのみ写真撮影が可能であった。

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池袋では雨は降っていなかったが、帰りの山手線では新宿を過ぎたあたりから本降り、品川では土砂降りとなった。

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2024年5月 5日 (日)

観劇感想精選(460) RYUICHI SAKAMOTO+SHIRO TAKATANI 「TIME」京都初演

2024年4月27日 左京区岡崎のロームシアター京都メインホールにて

午後2時から、左京区岡崎のロームシアター京都メインホールで、坂本龍一の音楽+コンセプト、高谷史郎(ダムタイプ)のヴィジュアルデザイン+コンセプトによるシアターピース「TIME」を観る。坂本が「京都会議」と呼んでいる京都での泊まり込み合宿で構想を固めたもので、2019年に坂本と高谷史郎夫妻、浅田彰による2週間の「京都会議」が行われ、翌2020年の坂本と高谷との1週間の「京都会議」で大筋が決定している。当初は1999年に初演された「LIFE」のようなオペラの制作が計画されていたようだが、「京都会議」を重ねるにつれて、パフォーマンスとインスタレーションの中間のようなシアターピースへと構想が変化し、「能の影響を受けた音楽劇」として完成されている。
2021年の6月にオランダのアムステルダムで行われたホランド・フェスティバルで世界初演が行われ(於・ガショーダー、ウェスタガス劇場)、その後、今年の3月上旬の台湾・台中の臺中國家歌劇院でのアジア初演を経て、今年3月28日の坂本の一周忌に東京・初台の新国立劇場中劇場で日本初演が、そして今日、ロームシアター京都メインホールで京都・関西初演が行われる。
京都を本拠地とするダムタイプの高谷史郎との作業の中で坂本龍一もダムタイプに加わっており、ダムタイプの作品と見ることも出来る。

出演は、田中泯(ダンサー)、宮田まゆみ(笙)、石原淋(ダンサー)。実質的には田中泯の主演作である。上演時間約1時間20分。

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なお、シャボン玉石けんの特別協賛を受けており、配布されたチラシや有料パンフレットには、坂本龍一とシャボン玉石けん株式会社の代表取締役社長である森田隼人との対談(2015年収録)が載っており、来場者には「浴用 シャボン玉石けん 無添加」が無料で配られた。

「TIME」は坂本のニュートン時間への懐疑から構想が始まっており、絶対的に進行する時間は存在せず、人間が人為的に作り上げたものとの考えから、自然と人間の対比、ロゴス(論理、言語)とピュシス(自然そのもの)の対立が主なテーマとなっている。

舞台中央に水が張られたスペースがある。雨音が響き、鈴の音がして、やがて宮田まゆみが笙を吹きながら現れて、舞台を下手から上手へと横切っていく。水の張られたスペースも速度を落とすことなく通り過ぎる。
続いて、うねるようでありながらどこか感傷的な、いかにも坂本作品らしい弦楽の旋律が聞こえ、舞台上手から田中泯が現れる。背後のスクリーンには田中のアップの映像が映る。田中泯は、水の張られたスペースを前に戸惑う。結局、最初は水に手を付けただけで退場する。
暗転。
次の場面では田中泯は舞台下手に移動している。水の張られたスペースには一人の女性(石原淋)が横たわっている。録音された田中泯の朗読による夏目漱石の「夢十夜」より第1夜が流れる。「死ぬ」と予告して実際に死んでしまった女性の話であり、主人公の男はその遺体を真珠貝で掘った穴に埋め、女の遺言通り100年待つことになる。
背後のスクリーンには石垣の中に何かを探す田中泯の映像が映り、田中泯もそれに合わせて動き出す。

暗転後、田中泯は再び上手に移っている。スタッフにより床几のようなものが水を張ったスペースに置かれ、田中泯はその上で横になる。「邯鄲」の故事が録音された田中の声によって朗読される。廬生という男が、邯鄲の里にある宿で眠りに落ちる。夢の中で廬生は王位を継ぐことになる。

田中泯は、水を張ったスペースにロゴスの象徴であるレンガ状の石を並べ、向こう岸へと向かう橋にしようとする。途中、木の枝も水に浸けられる。

漱石の「夢十夜」と「邯鄲」の続きの朗読が録音で流れる。この作品では荘子の「胡蝶之夢」も取り上げられるが、スクリーンに漢文が映るのみである。いずれも夢を題材としたテキストだが、夢の中では時間は膨張し「時間というものの特性が破壊される」、「時間は幻想」として、時間の規則性へのアンチテーゼとして用いているようだ。

弦楽や鈴の響き、藤田流十一世宗家・藤田六郎兵衛の能管の音(2018年6月録音)が流れる中で、田中泯は橋の続きを作ろうとするが、水が上から浴びせられて土砂降りの描写となり、背後にスローモーションにした激流のようなものが映る。それでも田中泯は橋を作り続けようとするが力尽きる。

宮田まゆみが何事もなかったかのように笙を吹きながら舞台下手から現れ、水を張ったスペースも水紋を作りながら難なく通り抜け、舞台上手へと通り抜けて作品は終わる。

自然を克服しようとした人間が打ちのめされ、自然は優雅にその姿を見守るという内容である。

坂本の音楽は、坂本節の利いた弦楽の響きの他に、アンビエント系の点描のような音響を築いており、音楽が自然の側に寄り添っているような印象も受ける。
田中泯は朗読にも味があり、ダンサーらしい神経の行き届いた動きに見応えがあった。
「夢の世界」を描いたとする高谷による映像も効果的だったように思う。
最初と最後だけ現れるという贅沢な使い方をされている宮田まゆみ。笙の第一人者だけに凜とした佇まいで、何者にも脅かされない神性に近いものが感じられた。

オランダでの初演の時、坂本はすでに病室にあり、現場への指示もリモートでしか行えない状態で、実演の様子もストリーミング配信で見ている。3日間の3公演で、最終日は「かなり良いものができた」「あるべき形が見えた」と思った坂本だが、不意に自作への破壊願望が起こったそうで、「完成」という形態が作品の固定化に繋がることが耐えがたかったようである。

最後は高谷史郎が客席から登場し、拍手を受けた。なお、上演中を除いてはホール内撮影可となっており、終演後、多くの人が舞台セットをスマホのカメラに収めていた。

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2024年4月16日 (火)

楽興の時(46) 「古今東西 弦MEETING」2024.4.11

2024年4月11日 右京区西院のLIVE HOUSE GATTACAにて

午後6時30分過ぎから、西院にあるライブハウス「GATTACA」で、「古今東西 弦MEETING」のライブに接する。出演:尾辻優衣子(二胡)、戸田大地(ボーカル、エレキギター&アコースティックギター)、奥村由希(ボーカル&アコースティックギター)、津軽三味線itaru。

itaruさんは、現在、浄土宗の僧侶としても活動しているが、真宗大谷派の浄慶寺で行われていた仏教の勉強会で知り合いになっている。

尾辻&itaru組と、戸田&奥村組に分かれての演奏。

尾辻&itaru組は、第1曲として松任谷由実の「春よ、来い」を演奏する。二胡は単音しか弾けない楽器なので旋律を奏で、itaruの津軽三味線が合いの手を入れる。二胡が単音しか出せないということで、基本的にほとんどの楽曲でマイナスワンの音源(要はカラオケの伴奏)を用いての演奏が行われた。「今年は桜が遅くて、今の時期にピッタリの曲」と尾辻は述べる。
尾辻は、自作曲の「倖龍(こうりゅう)」(「四神相応」の四神を束ねる黄龍に由来する曲である。京都では学生団体によるよさこい踊りが盛んで、龍谷大学のよさこいサークルとコラボしたことのある曲だそうだ。この曲ではないが、尾辻は母校である同志社大学のよさこいサークルと共演したこともあるそうである)、「犬夜叉 時代(とき)を超える想い」、「朱雀 紫の花」を演奏。自作の「花紐解」では戸田大地のギターとデュオを行った。
itaruは、「アメイジング・グレイス~津軽あいや節」、津軽三味線の曲と言えばの「津軽じょんがら節」を演奏する。
「二胡と言えば」の曲である「賽馬」が最後に尾辻とitaruの二人で演奏された。

itaru、戸田、奥村の3人によるフラワーカンパニーズの「深夜高速」。SMBCのCMソングとして、岡崎体育、三浦透子、岸井ゆきの(英語バージョン)にカバーされている楽曲である。サビの「生きててよかった」は、コロナ禍を経て「生きていてよかった」に変更されたそうで、今日は戸田が「生きていてよかった」、奥村が「生きててよかった」の歌詞で歌う。


戸田&奥村組は、戸田が「ミルキーウェイ」、「平成ブルーバード」を弾き語りし、「侍ハリケーン」でitaruとのデュオも行う。
奥村由希と戸田大地の共演。戸田が、ザ・タイマーズの日本語版「デイ・ドリーム・ビリーバー」(後に忌野清志郎名義でも発表)のイントロを奏で、奥村が不快感を表す。奥村はセブンイレブンで長年アルバイトをしているようで(長いのでバイトリーダーになっているようである)、迷惑な客に対する不満を歌詞にした曲「711」を歌う。セブンイレブンのCMや店内で「デイ・ドリーム・ビリーバー」が流れているので、バイト先でのことを思い出してしまうようだ。
奥村は尾辻の二胡伴奏で、「月」という不倫をテーマにしたバラードも歌った。
最後は戸田と奥村の二人で、コロナの時期に作った「なんかせなあかんな」のデュオを行う。


座談会。奥村が尾辻に、「二胡で弾き語りすることはあるんですか?」と聞く。尾辻は「する人がいないことはないけれど、二胡自体が歌う楽器なので歌ってから弾いてまた歌って」ということで、同時に弾き語りをする人はほとんどいないようである。三味線も弾き語りは余りしないが、三味線の祖に当たる沖縄の三線は弾き語りのための楽器で、演奏者と歌い手の分業制である津軽三味線とはそこが決定的に違うとitaruは述べていた。
PAを務めた人は、今月からGATTACAに入ったばかりだそうで、二胡や三味線など、普段ライブハウスで使われることの少ない楽器の生音を聴いたのは今日が初めてだそうである。

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2024年4月 5日 (金)

これまでに観た映画より(328) 「ラストエンペラー」4Kレストア

2024年3月28日 アップリンク京都にて

イタリア、中国、イギリス、フランス、アメリカ合作映画「ラストエンペラー」を観る。4Kレストアでの上映である。監督はイタリアの巨匠、ベルナルド・ベルトルッチ。中国・清朝最後の皇帝である愛新覚羅溥儀(宣統帝)の生涯を描いた作品である。プロデューサーは「戦場のメリークリスマス」のジェレミー・トーマス。出演:ジョン・ローン、ジョアン・チェン、ピーター・オトゥール、英若誠、ヴィクター・ウォン、ヴィヴィアン・ウー、マギー・ハン、イェード・ゴー、ファン・グァン、高松英郎、立花ハジメ、ウー・タオ、池田史比古、生田朗、坂本龍一ほか。音楽:坂本龍一、デヴィッド・バーン、コン・スー(蘇聡、スー・ツォン)。音楽担当の3人はアカデミー賞で作曲賞を受賞。坂本龍一は日本人として初のアカデミー作曲賞受賞者となった。作曲賞以外にも、作品賞、監督賞、撮影賞、脚色賞、編集賞、録音賞、衣装デザイン賞、美術賞も含めたアカデミー賞9冠に輝く歴史的名作である。

清朝最後の皇帝である愛新覚羅溥儀(成人後の溥儀をジョン・ローンが演じている)。弟の愛新覚羅溥傑は華族の嵯峨浩と結婚(政略結婚である)して千葉市の稲毛に住むなど、日本にゆかりのある人で、溥儀も日本の味噌汁を好んだという。幼くして即位した溥儀であるが、辛亥革命によって清朝が倒れ、皇帝の身分を失い、その上で紫禁城から出られない生活を送る。北京市内では北京大学の学生が、大隈重信内閣の「対華21カ条の要求」に反対し、デモを行う。そんな喧噪の巷を知りたがる溥儀であるが、門扉は固く閉ざされ紫禁城から出ることは許されない。

スコットランド出身のレジナルド・フレミング・ジョンストン(ピーター・オトゥール)が家庭教師として赴任。溥儀の視力が悪いことに気づいたジョンストンは、医師に診察させ、溥儀は眼鏡を掛けることになる。ジョンストンは溥儀に自転車を与え、溥儀はこれを愛用するようになった。ジョンストンはイギリスに帰った後、ロンドン大学の教授となり、『紫禁城の黄昏』を著す。『紫禁城の黄昏』は岩波文庫から抜粋版が出ていて私も読んでいる。完全版も発売されたことがあるが、こちらは未読である。

その後、北京政変によって紫禁城を追われた溥儀とその家族は日本公使館に駆け込み、港町・天津の日本租界で暮らすようになる。日本は満州への侵略を進めており、やがて「五族協和」「王道楽土」をスローガンとする満州国が成立。首都は新京(長春)に置かれる。満州族出身の溥儀は執政、後に皇帝として即位することになる。だが満州国は日本の傀儡国家であり、皇帝には何の権力もなかった。

満州国を影で操っていたのが、大杉栄と伊藤野枝を扼殺した甘粕事件で知られる甘粕正彦(坂本龍一が演じている。史実とは異なり右手のない隻腕の人物として登場する)で、当時は満映こと満州映画協会の理事長であった。この映画でも甘粕が撮影を行う場面があるが、どちらかというと映画人としてよりも政治家として描かれている印象を受ける。野望に満ち、ダーティーなインテリ風のキャラが坂本に合っているが、元々坂本龍一は俳優としてのオファーを受けて「ラストエンペラー」に参加しており、音楽を頼まれるかどうかは撮影が終わるまで分からなかったようである。ベルトルッチから作曲を頼まれた時には時間が余りなく、中国音楽の知識もなかったため、中国音楽のCDセットなどを買って勉強し、寝る間もなく作曲作業に追われたという。なお、民族楽器の音楽の作曲を担当したコン・スーであるが、彼は専ら西洋のクラシック音楽を学んだ作曲家で、中国の古典音楽の知識は全くなかったそうである。ベルトルッチ監督の見込み違いだったのだが、ベルトルッチ監督の命で必死に学んで民族音楽風の曲を書き上げている。
オープニングテーマなど明るめの音楽を手掛けているのがデヴィッド・バーンである。影がなくリズミカルなのが特徴である。

ロードショー時に日本ではカットされていた部分も今回は上映されている。日本がアヘンの栽培を促進したというもので、衝撃が大きいとしてカットされていたものである。

後に坂本龍一と、「シェルタリング・スカイ」、「リトル・ブッダ」の3部作を制作することになるベルトルッチ。坂本によるとベルトルッチは、自身が音楽監督だと思っているような人だそうで、何度もダメ出しがあり、特に「リトル・ブッダ」ではダメを出すごとに音楽がカンツォーネっぽくなっていったそうで、元々「リトル・ブッダ」のために書いてボツになった音楽を「スウィート・リベンジ」としてリリースしていたりするのだが、「ラストエンペラー」ではそれほど音楽には口出ししていないようである。父親が詩人だというベルトルッチ。この「ラストエンペラー」でも詩情に満ちた映像美と、人海戦術を巧みに使った演出でスケールの大きな作品に仕上げている。溥儀が大勢の人に追いかけられる場面が何度も出てくるのだが、これは彼が背負った運命の大きさを表しているのだと思われる。


坂本龍一の音楽であるが、哀切でシリアスなものが多い。テレビ用宣伝映像でも用いられた「オープン・ザ・ドア」には威厳と迫力があり、哀感に満ちた「アーモのテーマ」は何度も繰り返し登場して、特に別れのシーンを彩る。坂本の自信作である「Rain(I Want to Divorce)」は、寄せては返す波のような疾走感と痛切さを伴い、坂本の代表曲と呼ぶに相応しい出来となっている。
即位を祝うパーティーの席で奏でられる「満州国ワルツ」はオリジナル・サウンドトラック盤には入っていないが、大友直人指揮東京交響楽団による第1回の「Playing the Orchestra」で演奏されており、ライブ録音が行われてCDで発売されていた(現在も入手可能かどうかは不明)。
小澤征爾やヘルベルト・フォン・カラヤンから絶賛されていた姜建華の二胡をソロに迎えたオリエンタルなメインテーマは、壮大で奥深く、華麗且つ悲哀を湛えたドラマティックな楽曲であり、映画音楽史上に残る傑作である。

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2022年7月19日 (火)

観劇感想精選(439) 「M.バタフライ」

2022年7月14日 梅田芸術劇場シアター・ドラマシティにて観劇

午後6時から、梅田芸術劇場シアター・ドラマシティで、「M.バタフライ」を観る。1988年にトニー賞を受賞した中国系アメリカ人の劇作家、デイヴィッド・ヘンリー・ファン(黄哲伦)の戯曲の上演である。実話を基にした話であり、ジョン・ローンが主演した映画でも話題になっている。テキスト日本語訳は吉田美枝。

出演は、内野聖陽、岡本圭人、朝海ひかる、占部房子、藤谷理子、三上市朗、みのすけ。
演出は、劇団チョコレートケーキの日澤雄介が手掛ける。

主な舞台は中国の首都・北京であり、一部でフランスの首都・パリが舞台となる。

文化大革命前夜とただ中の中国で、己を模索し続けたフランス人駐在員、ルネ・ガリマール(内野聖陽)と、彼が恋する京劇の女形、ソン・リリン(岡本圭人)の二人を主軸に物語は進んでいく。

まずはルネ・ガリマール役の内野聖陽が、今、パリの獄舎にいること、それには京劇の女優が深く関わっていること、プッチーニの歌劇「蝶々夫人」が大好きであることなどを述べる。ルネ・ガリマール役はとにかくセリフが多い。いわゆるセリフの他に狂言回しの役を担ったり、解説係を務める場面もある。ソン・リリン役の岡本圭人も状況説明のセリフが多く、更に京劇のアクションもこなす必要があるなど、この二人の役はかなりの難役である。


鍵を握るのは、タイトルやルネ・ガリマールの最初のセリフからも分かるとおり、プッチーニの歌劇「蝶々夫人」である。日本の長崎を舞台にしたオペラで、日本ではおそらく上演回数が最も多いオペラであり、私自身も最も多く目にしたオペラである。
日本を舞台にしているので馴染みやすいが、内容的には、いい加減な性格のアメリカ海軍将校のピンカートンが赴任先の長崎で現地妻を求め、丸山の蝶々さんに白羽の矢が立つが、ピンカートンはちょっと蝶々さんを愛しただけで「コマドリが巣を作る頃に戻る」などといい加減なことを言って、蝶々さんを捨ててアメリカに帰り、蝶々さんに息子が生まれたことを聞きつけると前からいた本妻と共に長崎を訪れ、自身と蝶々さんの子どもを奪おうとする。捨てられて恥をかかされた上に子どもまで奪われることを知った蝶々さんは生きる意味を失い、抗議の意味も込めて自刃する。
だいたいこんなあらすじであるが、「蝶々夫人」の、せめてあらすじを知らないと、何が起こっているのか把握するのが困難な舞台である。

更にこの時代を知りたいなら、「さらば我が愛、覇王別姫」や「ラスト・コーション」といった中国映画も観ておくとよりよいだろうが、純粋に舞台を楽しむだけなら、そこまでする必要はないかも知れない。


「蝶々夫人」も「M.バタフライ」も時間的隔たりはあるが、東洋人と西洋人――黄色人種と白人と置き換えてもいいが――更に男女間の差別があるのが当たり前の時代を舞台にしており、両者の間に広がる巨大な「断絶」を、「融合」へと変えることを試みた本と見ていいだろう。

1960年代初頭、北京に赴任しているフランス人外交官のルネ・ガリマールは、当地の劇場で、蝶々夫人を歌うソン・リリンと出会う。ソンは京劇の女優(というより女形である。京劇には以前は男性しか出演出来なかったが、今では女性役は女優が演じるのが主流になっている)なのだが、ソン(ガリマールは「バタフライ」という愛称で呼ぶ)に理想の女性像を見いだしたガリマールは、男女の駆け引きを用いてなかなか劇場に出向こうとしない。
ガリマールにはヘルガという名の妻(朝海ひかる)がいるが、ガリマールはソンのアパートへと頻繁に通うようになるのだった。


途中20分間の休憩を含めて上演時間約3時間半という長編であり(第1幕約1時間15分、休憩20分、第2幕約1時間50分)、それまでにちりばめられた細工や伏線のようなものが、ラスト15分ぐらいで一気に纏まるが、上演時間が長すぎる上に比較的淡々とした展開であるため、時間が経つのが遅く感じられる、ラスト15分の怒濤の展開で「観る価値あり」となるが、そこに至るまでの忍耐力が必要となる。だが耐えた先に爽快な視界が広がっている。


ガリマールがソンの正体が男(ついでの毛沢東が放ったスパイでもある)であることに気づいているかどうかが焦点の一つとなり、普通に考えれば気がつかないはずがないのだが、ここでガリマールの性意識の問題や「愛」に関する思想などが開陳される。
説得力があるかどうかで考えれば、「ない」と断じることになるなるだろうが、デヴィッド・ヘンリー・ファンの思い切った踏み込みには感心させられたりもする。歌劇「蝶々夫人」で提起された差別のあり方に対し、解決とまではいかないが、「人種や性別などは大した問題ではない」という一つの答えが出されている。


他の俳優も良かったが、この作品はなんといってもルネ・ガリマール役とソン・リリン役につきる。内野聖陽と岡本圭人の上手さと一種の熱さが際立っていた。

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2022年7月 8日 (金)

2346月日(38) 佛教大学オープンラーニングセンター(O.L.C.) 特別無料講座「七夕×和歌文学 ~31文字に想いを込めて~」

2022年7月7日 佛教大学15号館1階「妙響庵(みょうこうあん)」にて

午後5時から、佛教大学オープンラーニングセンター(O.L.C.)「七夕×和歌文学 ~31文字に想いを込めて~」を受講。無料講座である。担当は佛教大学文学部日本文学科教授の土佐朋子。専門は日本上代文学である。

先月、日本のポピュラー音楽を扱う講座に参加した際に貰ったチラシに今日の講演の宣伝が入っていたので出掛けてみる。個人的には大学の公開講座には大いに興味があるのだが、平日の昼間に行われることが多いので参加してはこなかった。ただ佛教大学のO.L.C.のラインナップは面白く、会場となる佛教大学15号館1階「妙響庵」の雰囲気も良く、行く価値は大いにあるように思われる。

五節句の一つである七夕。元々は中国の習慣で、針仕事をする女性が上達を願う祭(でいいのかな?)であったのだが、後に諸芸上達、特に芸術方面の能力発達を願う乞巧奠という儀式になり、日本へと入ってきた。七夕に和歌を取り上げるのは似つかわしいということになる。京都に唯一残った公家である下冷泉家は、七夕に和歌を詠む習慣がある。

「万葉集」に載せられた和歌が中心になるが、「万葉集」には和歌のみでなく、漢詩や漢文も載せられていて、まずは中国で書かれた七夕に関する漢詩が取り上げられる。ちなみに、中国の代名詞でもある「漢」は元々は「天の川」を意味する言葉であり、織姫=織女は、「河漢の女(天の川の女)」と表現されている。
ちなみに可漢(天の川)というのは、清流だが浅く、幅も狭いそうで、相手のことがよく見えるが手は届かない距離ということなのか、もどかしく思える設定を取っているようである。

実は、中国では織女から牽牛の方へ向かうのだが、日本では牽牛が船を漕いで織女の下へ向かうという設定に変わっている。日本では上代から中古に掛けては通い婚が一般的であり、向かうのは常に男の方だったので、牽牛と織女=彦星と織姫も男の方が会いに出掛けるのが当時の常識と照らし合わせても自然なことであったと思われる。
川幅が狭いのに船を使うのが不自然という指摘もあるようだが、多分、川幅が狭くてはドラマティックにならないので意識的にそうした情報は無視したのであろう。

「万葉集」に載っている七夕を題材にした和歌は約130首。かなり多い。
今回はその中から31首を採り上げて、設定や背景などが述べられている。

私も専門の一つが日本文学なのであるが、主に研究したのが近現代、それも作者が存命の作品に多く取り組んだので、上代の文学についてはいうほど詳しくはない。和歌を詠むこと自体は特技の一つなのであるが。

七夕には酒宴が催され、その席で歌われたと思われる和歌も多い。だが、七夕を詠んだ歌、約130首の内、作者が分かっているのは大伴家持だけで、他の作品は全て詠み人知らずとされている。

大友家持の歌は、彼が二十歳前後とかなり若い頃に詠んだ作品で、織女の船出と月を掛け合わせて詠んでいる。織女の方が出掛けるという唐土の習慣を家持は知っていたようである。
勿論、唐土の習慣を知っていたのは家持だけではなく、織女の方から牽牛の下へと出掛ける様を詠った和歌はいくつも存在している。

子どもの頃に受けたイメージで、男の方から女の方へ出向いたり、男と女が鵲の渡せる橋の真ん中で出会うような情景を思い描いていたが、女の方から男の下へと出向くという発想は、実は抱いたことがなかった。今の日本でも女の方から押し掛けるということは余りないため、イメージの埒外にあったのだと思われる。

ちなみに、織女はかなり豪奢な乗り物に乗り、華やかな衣装で出掛けていることが分かる。

上代にあっては、恋というのは、恋人同士が会ってなすことを指すのではなく、会えない時に相手を求める気持ちのことを表す言葉のようで、郷ひろみの「よろしく哀愁」的な発想がなされていたようである。

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2022年5月29日 (日)

これまでに観た映画より(297) チャン・イーモウ監督作品「ワン・セカンド 永遠の24フレーム」

2022年5月25日 京都シネマにて

京都シネマで、張芸謀(チャン・イーモウ、张艺谋)監督作品「ワン・セカンド 永遠の24フレーム」を観る。出演:チャン・イー、リウ・ハオツン、ファン・ウェイほか。

文化大革命真っ只中の中国が舞台となっている。
風吹きすさぶ広大な砂漠の中を一人の男(チャン・イー)が歩いているシーンから始まる。男は喧嘩を行ったことを密告され、改造所(強制収容所)送りとなっていた。その間に離婚し、一人娘ともはぐれることになった。

この時代、映画のフィルムが送り届けられ、劇場(毛沢東思想伝習所という名になっている)で上映会が行われていた。田舎の人々にとってはそれが数ヶ月に一度の楽しみであった。上映前の場面では、劇場に詰めかけてきた全ての人の高揚感がこちらにも伝わってきて、胸がワクワクする。

娘がニュース映画の22号に映っているという情報を得た男は、14歳になる最愛の娘の映像を観るために改造所から逃亡してきたのだ。
夜中に農業会館(礼堂)にたどり着いた男は、子どもがオートバイに下げられた袋からフィルム一巻を盗むのを目撃して追いかける。男の子かと思っていたが、女の子であった。フィルムを取り返した男だったが、彼女はその後も何度もフィルムを奪いに来る。やがて男は、彼女が貧しく、劉の娘(演じるのはリウ・ハオツン)という名前のみで呼ばれていることを知る。彼女には幼い弟がいて、成績優秀なのだが、貧しいためにライトスタンドを買うことが出来ず、夜に十分に勉強することが出来ない(字幕では「本が読めない」となっていたが、おそらく「看书」は「勉強する」という意味で使われていると思われる)。そこで、借りることにしたのだが、誤って傘の部分を燃やしてしまい、持ち主から傘を付けて返すよう脅迫される。借りたのはやっちゃな少年達の一団からだったようで、劉の娘は彼らから散々にいじめられている。
当時は、映画のフィルムでライトの傘を作ることが流行っていたようで、劉の娘もフィルムで傘を作ろうとしていた。いじめられないため、そして弟のために必死だったのだ。


文化大革命の下放中に映画監督を志した張芸謀監督。若い頃は画家志望だったが、才能に不足を感じ、写真家志望へと転向している。文革終了後、北京電影学院(日本風に書くと北京映画学院。「学院」というのは単科大学のこと)を受験した際は、年齢制限に引っかかっていたが、彼の写真家としての腕が高く買われ、特別に入学を許されている。北京電影学院の同期(第五世代)で、仲間内で文学の才を称えられた陳凱歌は張芸謀の写真家としての才能を絶賛する詩を書いていたりするほどだ。映画監督よりも先に撮影監督として評価されたことからもその才能はうかがわれるが、この映画の主人公である逃亡者の男も写真を学んだことがあるという設定になっており、この男もまた張芸謀監督の分身であることが分かるようになっている。

第2分場の劇場で映写を担当しているのはファン(ファン・ウェイ)という男である。映画(電影)のことを知り抜いているため、ファン電影の名で呼ばれている。
逃亡者の男と、劉の娘がフィルムの取り合いを行いながら、ファン電影のいる第2分場にたどり着く。その間、ヤンという男がオートバイで第2分場へとフィルムを運んでいたのだが、ヤンは荷馬車引きであるファン電影の息子にフィルムを託してしまう。これが事件へと発展する。知能に障害のあるファンの息子は、フィルムを入れた缶の蓋をきちんと閉めることを怠り、フィルムが路上に投げ出されてしまう。土まみれで、とぐろを巻いた蛇のようにグチャグチャになったフィルム。このままでは上映は出来ないが、ファン電影は分場総出で、フィルムの洗浄を行う。なお、第2分場の劇場にはフィルムの洗浄液が置かれていないが、子ども時代のファン電影の息子が洗浄液を水と間違えて飲んでしまい、後遺症で知能に後れが出て荷運びしか出来ない青年となってしまったため、ファン電影は洗浄液を劇場に置くのを止めたのであった。
フィルム洗浄の工程からはファン電影の執念の凄まじさが感じられるが、ファン電影もやはり張芸謀の分身の一人であると思われる。

なんとかかんとかフィルムの修復が完了。だが、その後も、逃亡者の男が劉の娘の復讐のためにやんちゃな少年達とやり合うなど場は混乱。その際、劉の娘に預けたニュース映画22号のフィルムを劉の娘がライトスタンドの傘にするために家の持ち帰ったのではないかと疑った男が劇場を離れるなどしたため、本編の前に上映されるニュース映画を飛ばして映画本編からの上映となる。

ニュース映画に男の娘が映っている時間はわずかに1秒(ワン・セカンド One Second。映画は1秒間に24コマ=フレームを費やす)。14歳であるが、大人に交じって袋を担ぐ肉体労働を行っている。男は、ファンにそのシーンを何度も上映するよう命令する。


1秒だけ映る14歳の娘の姿は、男にとって何よりも大事な映像だが、映画や芝居、ドラマなどが好きな人は誰でも「自分だけの大切な一場面」を胸に宿しているはずで、多くの人が娘の場面を、「自分の愛しい瞬間」に重ねることだろう。勿論、娘を思う男の気持ちにも心動かされる。

ライトスタンドの傘であるが、最終的にはフィルムが美しい傘となって劉の娘に送られる。形は違うが、娘のフィルムへの執着が実っており、これまた映画への愛を感じることになる。

「映画への愛」と「自分だけの大切な場面」を描き切った張芸謀の力量に感心させられる一本であった。

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2022年4月22日 (金)

美術回廊(75) 京都市京セラ美術館 「兵馬俑と古代中国 ~秦漢文明の遺産~」

2022年3月30日 左京区岡崎の京都市京セラ美術館にて

京都市京セラ美術館で、「兵馬俑と古代中国 ~秦漢文明の遺産~」を観る。日中国交正常化50周年を記念した展覧会である。

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私の生まれた1974年、西安市郊外にある始皇帝の陵墓の東側で、等身大の兵馬の俑(副葬品の人形)が数多発見され、世界的な大ニュースとなった。他の皇帝も殉死者の代わりに俑を埋めるということは行ってきたが、等身大であることがまず初めて、そして尋常でない数の兵馬の俑に全世界が驚愕した。始皇帝の兵馬俑は確認出来るだけで8千を超えるらしいが、きちんと発掘されているのは今日に至るまで1600程度だそうで、まだ多くの兵馬俑が眠っていることになる。俑を等身大に作るのは、実は縁起が悪いそうで、始皇帝がなぜ数多くの等身大の俑を作らせたのかについては、今も正確な理由は不明のようである。

会場は、京都市京セラ美術館の本館北回廊2階。ということで、展示はそれほど多くない。そもそも等身大の兵馬俑を中国から運ぶのは一苦労である。ということで、小型のものも含めて36体の選抜メンバー(?)による展示。このうち等身大のものは数点だが、いずれも個性溢れる兵と馬である。始皇帝の兵馬俑に関しては原則撮影可であり、京都市京セラ美術館自体がSNSへの投稿を推奨している。

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それ以外は、刀、矛、鏃(やじり)などの青銅製の武器、貨幣、木簡、副葬品などの展示である。
今回は、紙製のリストは作られておらず、リストが欲しい場合は、会場入り口付近などによるQRコードをスマホで読み取って、確認することになる。
始皇帝に関しては、近年、原泰久のマンガ「キングダム」で描かれて人気であり、今回の展覧会でも「キングダム」絡みの展示があった。

兵の俑も個性が出ていて良いが、馬などの動物の俑の方がよりリアルであり、当時の職人の腕の確かさと描写力の高さが感じられる。

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中国史上初の統一王朝となった秦。拼音だとQinで、これはChinaの語源となっている。だが秦は漢民族による王朝ではなく、元々は西方の遊牧民族によって建国されたものである。ということもあってか、始皇帝は後に漢民族となるマジョリティに対して圧政を行い、反発を買って統一後わずか15年で秦は瓦解。劉邦が漢を建国し、今に至るまで漢が中国と中国人の代名詞となっている。

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2021年11月14日 (日)

コンサートの記(752) 「ALTI 民族音楽祭~津軽・中国・モンゴル・琉球の音楽~」@京都府立府民ホールアルティ

2021年10月28日 京都府立府民ホールアルティ(ALTI)にて

午後6時から、京都府立府民ホールアルティで、「民族音楽祭~津軽・中国・モンゴル・琉球の音楽~」という音楽会に接する。津軽三味線(itaru)、二胡(尾辻優依子)、馬頭琴&ホーミー(福井則之)、ヴァイオリン(提琴&ヴァイパー。大城淳博)に古楽器のヴィオラ・ダ・ガンバ(中野潔子)を加え、各国・各地域の音楽が奏でられる。

曲目は、「もみじ」(全員)、「津軽よされ節」(三味線)、「楓葉繚乱(ふうようりょうらん)」(三味線)、「ナラチメグ」(馬頭琴、提琴、ガンバ)、「蘇州夜曲」(二胡)、「灯影揺紅」(二胡)、「スーホの白い馬」(馬頭琴)、「ホーミー・ホルバー・アヤルゴー」(馬頭琴&ホーミー)、「こきりこ節」(三味線、二胡)、「だんじゅかりゆし」(提琴、ガンバ)、「久高万寿主/唐船どーい」(ヴァイパー)、「かごめかごめ」の即興演奏(三味線、提琴、ガンバ)、「牧羊姑娘」(二胡、馬頭琴)、即興演奏(馬頭琴、三味線)、「茉莉花」(二胡、提琴、ガンバ)、「アメイジンググレイス~津軽あいや節」(三味線)、「津軽じょんがら節」(三味線)、「良宵」(二胡)、「三門峡暢思曲」(二胡)、「ドンシャン・グーグー」(馬頭琴)、「白馬」(馬頭琴)、「月ぬ美(ちゅら)しゃ」(ヴァイパー、ガンバ)、「てぃんさぐぬ花/闘山羊」(提琴、ガンバ)、「賽馬」(全員)。

全席自由だが、前後左右1席空けのソーシャルディスタンススタイルで、舞台席の上方、二階席と呼ばれる部分(一般的な二階席とは違う意味で使われている)は今日は関係者以外立ち入り禁止となっている。


ヴァイパーという楽器は、目にするのもその名を聞くのも初めてだが、アメリカで開発された6弦のエレキヴァイオリンで、日本では大城淳博が第一人者ということになるようである。

馬頭琴は演奏や曲を録音で聴いたことがあり、以前に訪れた浜松市楽器博物館では、「体験できる楽器」の中に馬頭琴(もどき)が含まれていたので、ちょっと音を出したこともあるのだが、演奏を生で聴くのは初めてかも知れない。

ホーミーは、今から30年ほど前に日本でも話題になったモンゴルの歌唱法である。低音の「ウィー」という声に倍音で中音域、高音域が重なるのが特徴となっている。坂本龍一の著書には、日本にホーミーを紹介したのは「いとうせいこう君」という記述があるが、これは本当かどうか分からない。坂本龍一は、日本で初めてラップを歌った人物もいとうせいこうであるとしている。


個人的なことを書かせて貰うと、民族音楽は比較的好きな方で、二十歳前後の頃にはキングレコードから出ている民族音楽シリーズのCDを何枚か買って楽しんでいた。「ウズベクの音楽」はかなり気に入った(HMVのサイトで、各曲の冒頭を聴くことが出来る)。
二胡は、姜建華が弾く坂本龍一の「ラストエンペラー」や、坂本龍一がアレンジしたサミュエル・バーバーの「アダージョ」を聴いて憧れ、キングレコードの民族楽器シリーズの中の1枚もよく聴いており、25歳の頃に先生について習い始めたのだが、色々と事情もあって3ヶ月でレッスンは終わってしまった。考えてみれば、二胡は単音しか出せない楽器なので、一人では「ラストエンペラー」を弾くことは出来ない。演劇を学ぶために京都に行く決意をしたのもこの頃ということもあり、以降は二胡とは疎遠になっている。

こうやって書いてみると、坂本龍一という音楽家の存在が私の中ではかなり大きいことが改めて分かってくる。ちなみに今日演奏された「てぃんさぐぬ花」も、初めて聴いたのは「BEAUTY」というアルバムに収められた坂本龍一編曲版であった。


客席に若い人が余りないのが残念であるが(親子連れはいた)、民族楽器が終結した演奏会を聴くという機会も余りないため、印象に残るものとなった。


福島則之の説明によると、馬頭琴は二弦からなる楽器であるが、一本の弦に馬の尻尾の毛100本ほどが束ねられているそうで、二弦と見せかけて実は二百弦という話をしていた。馬頭琴の音は人間の声に近い。西洋の楽器を含めて、これほど人間の声に近い音色を奏でる楽器は他に存在しないのではないだろうか。

ちなみに、弓の持ち方であるが、ヴァイオリンだけ上から掴むように持つオーバーハンドで、馬頭琴、二胡、ヴィオラ・ダ・ガンバは箸を持つように下から添えるアンダーハンドである。二胡とヴィオラ・ダ・ガンバは手首を返しながら左右に弓を動かすが、馬頭琴は二胡やヴィオラ・ダ・ガンバほどには弓を動かさないということもあってか、手首を固定したまま弾いている。

ヴィオラ・ダ・ガンバの、ガンバは「足」という意味で、両足で挟みながら演奏する。Jリーグのガンバ大阪も、フットボールの「フット」のイタリア語である「ガンバ」と、「頑張れ!」の「頑ば!」を掛けたチーム名である。
エンドピンのないチェロのようにも見え、ヴィオラ・ダ・ガンバのために書かれた曲も現在はチェロで弾かれることが多いことから、「チェロの祖先」と思われがちだが、実際は違う体系に属する楽器であり、弦の数も6本が基本と、チェロよりも多い。


「茉莉花」は、中国の国民的歌謡で、第二の国歌的存在であり、アテネオリンピックや北京オリンピックでも流れて話題になっている。尾辻は、上海に短期留学したことがあるのだが、街角のスーパーや薬局などで「茉莉花」の編曲版が流れているのを普通に耳にしたそうで、中国人の生活に「茉莉花」という曲が根付いているのが分かる。

「良宵」は、二胡の独奏曲の中で間違いなく最も有名な曲であり、二胡奏者は全員この曲をレパートリーに入れているはずである。作曲した劉天華は、それまで京劇などの伴奏楽器でしかなかった二胡を一人で芸術的な独奏楽器の地位まで高めた人物であり、中国の民族音楽の向上に多大な貢献を行っているが、多忙が災いしたのか37歳の若さで他界している。
「良宵」は、元々のタイトルは「除夜小唱(大晦日の小唄)」というもので、大晦日の酒宴をしている時に浮かんだ曲とされる。尾辻によると、後半になるにつれて酔いが回ったような曲調として演奏する人もいるそうである。


アンコールとして、こちらは日本の国民的歌曲となっている「故郷」が独奏のリレーの形で演奏された。

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2021年8月29日 (日)

観劇感想精選(409) team申第5回公演「君子無朋(くんしにともなし)~中国史上最も孤独な「暴君」雍正帝~」

2021年8月26日 広小路の京都府立文化芸術会館にて観劇

午後6時から、広小路の京都府立文化芸術会館で、team申の「君子無朋(くんしにともなし)~中国史上最も孤独な「暴君」雍正帝~」を観る。作・阿部修英(あべ・のぶひで)、演出:東憲司(ひがし・けんじ)。主演:佐々木蔵之介。team申は、第1回公演の出演者である佐々木蔵之介(1968年生まれ。座長=申長)と佐藤隆太(1980年生まれ)が共に申年生まれだったことに由来する演劇プロデュースユニットで、本公演を行うのは11年ぶりとなるが、その間に番外公演を4回行っている。
出演は佐々木蔵之介の他に、中村蒼(あおい)、奥田達士(たつひと)、石原由宇(ゆう)、河内大和(こうち・やまと)。

名君として伝わる清朝第4代皇帝・康熙帝と第6代皇帝・乾隆帝の間に13年だけ治天の君となった雍正帝を主人公とした話である。

康熙帝は、皇帝としての実績もさることなるが、「康熙字典」の編纂を命じたことでも有名で、「康熙字典」は現在に至るまでの中国語の字典の大元と見なされており、康熙帝の名もこの「康熙字典」の存在によってより認知度が高まっている。乾隆帝は清朝最盛期の皇帝として有名で、軍事と文化の両面で拡大を行っている。
その間に挟まれた地味な皇帝、雍正帝に光を当てたのが今回の作品である。
阿部修英は、東京大学大学院で中国美術を学んだ後にテレビマンユニオンに参加したテレビディレクターで、戯曲執筆は今回が初めて。有料パンフレットの阿部の挨拶に「東憲司さんという最高の師父を得て」と書かれており、また佐々木蔵之介と東憲司との鼎談でも「手取り足取り教えて頂いて」とあり、内容は別にして物語の展開のさせ方に関しては東憲司からの影響がかなり強いと思われる。複数の人物が何役も演じるというスタイルは東憲司の作品によく見られるものである。

「ゲゲゲの女房」、「夜は短し歩けよ乙女」などの脚色・作・演出で知られる東憲司は、アングラ(アンダーグラウンド演劇)の手法を今に伝える演出家で、今回も歌舞伎の戸板返しの手法が駆使されていた。

佐々木蔵之介が雍正帝を、中村蒼が雲南省の若き地方官・オルクを演じるが、それ以外の3人の俳優は、狂言回しなども含めて何役も演じる。

中国史は日本でも比較的人気の高いジャンルだが、清朝に関しては最後の皇帝である宣統帝溥儀や、西太后など末期のみが映画なども含めてよく知られているだけで、雍正帝についてもほとんど知られていない。ということで、冒頭は、3人の俳優が、「紫禁城」「皇帝」「後宮」「宦官」などの初歩的な用語の説明を、京都ネタを挟みつつ(「紫禁城って知っている?」「出町の甘栗屋でしょ?」「いや、京大の近くの雀荘のことさ」といった風に)行う。

雍正帝の治世の特長は、地方官と文箱による直接的な手紙のやり取りをしたことで、歴史学者の宮崎市定が『雍正硃批諭旨』という雍正帝と地方官が交わした手紙を纏めた大部の書物を読んだことが、今回の作品に繋がるのだが、それが戦後直後の1947年のこと。宮崎市定がそれらの研究の成果を『雍正帝 中国の独裁君主』という書物に著したのが1950年。作の阿部修英もこの本で雍正帝を知ったという。阿部修英は中国を舞台にした小説も好きで、浅田次郎の一連の作品も読んでおり、そうした背景があったために中国の歴史を辿るドキュメンタリー番組の制作に携わり、そこで一緒に仕事をしたのが佐々木蔵之介であった。ドキュメンタリー番組作成中に、「雍正帝で、戯曲を書いてみませんか?」と佐々木に言われ、それが今回の上演へと繋がる。戯曲執筆時間や稽古の時間はいうほど長くはないだろうが、一番最初から「君子無朋」が完成するまでの歴史を辿ると構想74年ということになる。その間、何か一つでもボタンの掛け違えがあったら、舞台が完成することはなかっただろう。

「中国の皇帝モノと言うのは珍しい。ストレートプレイでは滅多にないのではないだろうか」という東憲司の記述が有料パンフレットにあるが、京劇では「覇王別記」(厳密に言うと覇王こと項羽は皇帝ではないが)などいくつかあるものの、そもそも日本では知名度のある中国の皇帝は限られるということで、上演はしにくいと思われる(私も明朝最後の皇帝である崇禎帝を主人公にした未上演の戯曲を書いているが、変な話になるが実際に描かれているのは崇禎帝ではない)。その中でも更に知名度の低い雍正帝を主人公に選んだことになるが、知名度が低いだけに自由に書ける部分は多くなるというメリットはある。

康熙帝の次の皇帝でありながら、雍正帝は父親とは違い、同母弟でやはり次期皇帝候補であったインタイに康熙帝(諡号は聖祖)の墓守を命じるなど残忍な面を見せつける。それを見た雍正帝の実母は自殺。また、先帝である康熙帝の事績を見習うよう進言した家臣は容赦なく処分した。
暴君であり、独裁者であった雍正帝であるが、その意外な実像に迫っていく謎解き趣向の作品である。手法的にはよくあるものだが、史実かどうかは別として少なくとも物語としての説得力はあり、よく出来た作品であると思う。

佐々木蔵之介の地元ということで、ロングランとなった京都公演。残念ながら京都における新型コロナの感染者が日々新記録を更新中である上に、佐々木蔵之介以外は知名度がそれほど高いとはいえないオール・メール・キャストということで、後ろの方を中心に空席が目立ったが、観る価値のある作品であることは間違いない。悪役も得意とする佐々木蔵之介を始め、出演者達は熱演であり、東憲司のスピーディーな演出も相まって、演劇そして史劇の素晴らしさを観る者に伝えていた。

歴史ものに限らないが、演劇というのは、今この場所で二つの歴史が始まっていくことが魅力である。上演史としての歴史と観る者の中に流れる歴史だ。それが同じ時、同じ場所を共有することで始まるというジャンルは、演劇をおいて他にない。今この場所で歴史が始まると同時に歴史が変わっていく。しかも直に。これだけ素晴らしいジャンルを知っている人は、それだけで生きるということの意義を、少なくともその一端を獲得しているのだと思われる。


雍正帝という人物であるが、44歳の時まで皇帝になれる見込みがなく、本ばかり読んでいたというところが井伊直弼に似ており、母親が後に雍正帝となるインシンよりも弟のインタイの方を可愛がっていたという話は織田信長とその弟の信行、母親の土田御前との関係や、徳川家光とその弟の駿河大納言こと忠長、母親のお江の方(お江与の方。小督の方)との関係を思い起こさせる。また自身の業績を我が子の功績とするところなどは徳川秀忠を連想させる。隣国の歴史であるが、人間の本質は国籍や人種によってさほど変わらないはずであり、また歴史というものは大抵どこかで結びついているものである。

久しぶりに中国史も学んでみたくなる舞台であった。あるいは今日からこれまでの私とは違った歴史が始まるのかも知れない。

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