カテゴリー「中国」の30件の記事

2022年7月19日 (火)

観劇感想精選(439) 「M.バタフライ」

2022年7月14日 梅田芸術劇場シアター・ドラマシティにて観劇

午後6時から、梅田芸術劇場シアター・ドラマシティで、「M.バタフライ」を観る。1988年にトニー賞を受賞した中国系アメリカ人の劇作家、デイヴィッド・ヘンリー・ファン(黄哲伦)の戯曲の上演である。実話を基にした話であり、ジョン・ローンが主演した映画でも話題になっている。テキスト日本語訳は吉田美枝。

出演は、内野聖陽、岡本圭人、朝海ひかる、占部房子、藤谷理子、三上市朗、みのすけ。
演出は、劇団チョコレートケーキの日澤雄介が手掛ける。

主な舞台は中国の首都・北京であり、一部でフランスの首都・パリが舞台となる。

文化大革命前夜とただ中の中国で、己を模索し続けたフランス人駐在員、ルネ・ガリマール(内野聖陽)と、彼が恋する京劇の女形、ソン・リリン(岡本圭人)の二人を主軸に物語は進んでいく。

まずはルネ・ガリマール役の内野聖陽が、今、パリの獄舎にいること、それには京劇の女優が深く関わっていること、プッチーニの歌劇「蝶々夫人」が大好きであることなどを述べる。ルネ・ガリマール役はとにかくセリフが多い。いわゆるセリフの他に狂言回しの役を担ったり、解説係を務める場面もある。ソン・リリン役の岡本圭人も状況説明のセリフが多く、更に京劇のアクションもこなす必要があるなど、この二人の役はかなりの難役である。


鍵を握るのは、タイトルやルネ・ガリマールの最初のセリフからも分かるとおり、プッチーニの歌劇「蝶々夫人」である。日本の長崎を舞台にしたオペラで、日本ではおそらく上演回数が最も多いオペラであり、私自身も最も多く目にしたオペラである。
日本を舞台にしているので馴染みやすいが、内容的には、いい加減な性格のアメリカ海軍将校のピンカートンが赴任先の長崎で現地妻を求め、丸山の蝶々さんに白羽の矢が立つが、ピンカートンはちょっと蝶々さんを愛しただけで「コマドリが巣を作る頃に戻る」などといい加減なことを言って、蝶々さんを捨ててアメリカに帰り、蝶々さんに息子が生まれたことを聞きつけると前からいた本妻と共に長崎を訪れ、自身と蝶々さんの子どもを奪おうとする。捨てられて恥をかかされた上に子どもまで奪われることを知った蝶々さんは生きる意味を失い、抗議の意味も込めて自刃する。
だいたいこんなあらすじであるが、「蝶々夫人」の、せめてあらすじを知らないと、何が起こっているのか把握するのが困難な舞台である。

更にこの時代を知りたいなら、「さらば我が愛、覇王別姫」や「ラスト・コーション」といった中国映画も観ておくとよりよいだろうが、純粋に舞台を楽しむだけなら、そこまでする必要はないかも知れない。


「蝶々夫人」も「M.バタフライ」も時間的隔たりはあるが、東洋人と西洋人――黄色人種と白人と置き換えてもいいが――更に男女間の差別があるのが当たり前の時代を舞台にしており、両者の間に広がる巨大な「断絶」を、「融合」へと変えることを試みた本と見ていいだろう。

1960年代初頭、北京に赴任しているフランス人外交官のルネ・ガリマールは、当地の劇場で、蝶々夫人を歌うソン・リリンと出会う。ソンは京劇の女優(というより女形である。京劇には以前は男性しか出演出来なかったが、今では女性役は女優が演じるのが主流になっている)なのだが、ソン(ガリマールは「バタフライ」という愛称で呼ぶ)に理想の女性像を見いだしたガリマールは、男女の駆け引きを用いてなかなか劇場に出向こうとしない。
ガリマールにはヘルガという名の妻(朝海ひかる)がいるが、ガリマールはソンのアパートへと頻繁に通うようになるのだった。


途中20分間の休憩を含めて上演時間約3時間半という長編であり(第1幕約1時間15分、休憩20分、第2幕約1時間50分)、それまでにちりばめられた細工や伏線のようなものが、ラスト15分ぐらいで一気に纏まるが、上演時間が長すぎる上に比較的淡々とした展開であるため、時間が経つのが遅く感じられる、ラスト15分の怒濤の展開で「観る価値あり」となるが、そこに至るまでの忍耐力が必要となる。だが耐えた先に爽快な視界が広がっている。


ガリマールがソンの正体が男(ついでの毛沢東が放ったスパイでもある)であることに気づいているかどうかが焦点の一つとなり、普通に考えれば気がつかないはずがないのだが、ここでガリマールの性意識の問題や「愛」に関する思想などが開陳される。
説得力があるかどうかで考えれば、「ない」と断じることになるなるだろうが、デヴィッド・ヘンリー・ファンの思い切った踏み込みには感心させられたりもする。歌劇「蝶々夫人」で提起された差別のあり方に対し、解決とまではいかないが、「人種や性別などは大した問題ではない」という一つの答えが出されている。


他の俳優も良かったが、この作品はなんといってもルネ・ガリマール役とソン・リリン役につきる。内野聖陽と岡本圭人の上手さと一種の熱さが際立っていた。

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2022年7月 8日 (金)

2346月日(38) 佛教大学オープンラーニングセンター(O.L.C.) 特別無料講座「七夕×和歌文学 ~31文字に想いを込めて~」

2022年7月7日 佛教大学15号館1階「妙響庵(みょうこうあん)」にて

午後5時から、佛教大学オープンラーニングセンター(O.L.C.)「七夕×和歌文学 ~31文字に想いを込めて~」を受講。無料講座である。担当は佛教大学文学部日本文学科教授の土佐朋子。専門は日本上代文学である。

先月、日本のポピュラー音楽を扱う講座に参加した際に貰ったチラシに今日の講演の宣伝が入っていたので出掛けてみる。個人的には大学の公開講座には大いに興味があるのだが、平日の昼間に行われることが多いので参加してはこなかった。ただ佛教大学のO.L.C.のラインナップは面白く、会場となる佛教大学15号館1階「妙響庵」の雰囲気も良く、行く価値は大いにあるように思われる。

五節句の一つである七夕。元々は中国の習慣で、針仕事をする女性が上達を願う祭(でいいのかな?)であったのだが、後に諸芸上達、特に芸術方面の能力発達を願う乞巧奠という儀式になり、日本へと入ってきた。七夕に和歌を取り上げるのは似つかわしいということになる。京都に唯一残った公家である下冷泉家は、七夕に和歌を詠む習慣がある。

「万葉集」に載せられた和歌が中心になるが、「万葉集」には和歌のみでなく、漢詩や漢文も載せられていて、まずは中国で書かれた七夕に関する漢詩が取り上げられる。ちなみに、中国の代名詞でもある「漢」は元々は「天の川」を意味する言葉であり、織姫=織女は、「河漢の女(天の川の女)」と表現されている。
ちなみに可漢(天の川)というのは、清流だが浅く、幅も狭いそうで、相手のことがよく見えるが手は届かない距離ということなのか、もどかしく思える設定を取っているようである。

実は、中国では織女から牽牛の方へ向かうのだが、日本では牽牛が船を漕いで織女の下へ向かうという設定に変わっている。日本では上代から中古に掛けては通い婚が一般的であり、向かうのは常に男の方だったので、牽牛と織女=彦星と織姫も男の方が会いに出掛けるのが当時の常識と照らし合わせても自然なことであったと思われる。
川幅が狭いのに船を使うのが不自然という指摘もあるようだが、多分、川幅が狭くてはドラマティックにならないので意識的にそうした情報は無視したのであろう。

「万葉集」に載っている七夕を題材にした和歌は約130首。かなり多い。
今回はその中から31首を採り上げて、設定や背景などが述べられている。

私も専門の一つが日本文学なのであるが、主に研究したのが近現代、それも作者が存命の作品に多く取り組んだので、上代の文学についてはいうほど詳しくはない。和歌を詠むこと自体は特技の一つなのであるが。

七夕には酒宴が催され、その席で歌われたと思われる和歌も多い。だが、七夕を詠んだ歌、約130首の内、作者が分かっているのは大伴家持だけで、他の作品は全て詠み人知らずとされている。

大友家持の歌は、彼が二十歳前後とかなり若い頃に詠んだ作品で、織女の船出と月を掛け合わせて詠んでいる。織女の方が出掛けるという唐土の習慣を家持は知っていたようである。
勿論、唐土の習慣を知っていたのは家持だけではなく、織女の方から牽牛の下へと出掛ける様を詠った和歌はいくつも存在している。

子どもの頃に受けたイメージで、男の方から女の方へ出向いたり、男と女が鵲の渡せる橋の真ん中で出会うような情景を思い描いていたが、女の方から男の下へと出向くという発想は、実は抱いたことがなかった。今の日本でも女の方から押し掛けるということは余りないため、イメージの埒外にあったのだと思われる。

ちなみに、織女はかなり豪奢な乗り物に乗り、華やかな衣装で出掛けていることが分かる。

上代にあっては、恋というのは、恋人同士が会ってなすことを指すのではなく、会えない時に相手を求める気持ちのことを表す言葉のようで、郷ひろみの「よろしく哀愁」的な発想がなされていたようである。

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2022年5月29日 (日)

これまでに観た映画より(297) チャン・イーモウ監督作品「ワン・セカンド 永遠の24フレーム」

2022年5月25日 京都シネマにて

京都シネマで、張芸謀(チャン・イーモウ、张艺谋)監督作品「ワン・セカンド 永遠の24フレーム」を観る。出演:チャン・イー、リウ・ハオツン、ファン・ウェイほか。

文化大革命真っ只中の中国が舞台となっている。
風吹きすさぶ広大な砂漠の中を一人の男(チャン・イー)が歩いているシーンから始まる。男は喧嘩を行ったことを密告され、改造所(強制収容所)送りとなっていた。その間に離婚し、一人娘ともはぐれることになった。

この時代、映画のフィルムが送り届けられ、劇場(毛沢東思想伝習所という名になっている)で上映会が行われていた。田舎の人々にとってはそれが数ヶ月に一度の楽しみであった。上映前の場面では、劇場に詰めかけてきた全ての人の高揚感がこちらにも伝わってきて、胸がワクワクする。

娘がニュース映画の22号に映っているという情報を得た男は、14歳になる最愛の娘の映像を観るために改造所から逃亡してきたのだ。
夜中に農業会館(礼堂)にたどり着いた男は、子どもがオートバイに下げられた袋からフィルム一巻を盗むのを目撃して追いかける。男の子かと思っていたが、女の子であった。フィルムを取り返した男だったが、彼女はその後も何度もフィルムを奪いに来る。やがて男は、彼女が貧しく、劉の娘(演じるのはリウ・ハオツン)という名前のみで呼ばれていることを知る。彼女には幼い弟がいて、成績優秀なのだが、貧しいためにライトスタンドを買うことが出来ず、夜に十分に勉強することが出来ない(字幕では「本が読めない」となっていたが、おそらく「看书」は「勉強する」という意味で使われていると思われる)。そこで、借りることにしたのだが、誤って傘の部分を燃やしてしまい、持ち主から傘を付けて返すよう脅迫される。借りたのはやっちゃな少年達の一団からだったようで、劉の娘は彼らから散々にいじめられている。
当時は、映画のフィルムでライトの傘を作ることが流行っていたようで、劉の娘もフィルムで傘を作ろうとしていた。いじめられないため、そして弟のために必死だったのだ。


文化大革命の下放中に映画監督を志した張芸謀監督。若い頃は画家志望だったが、才能に不足を感じ、写真家志望へと転向している。文革終了後、北京電影学院(日本風に書くと北京映画学院。「学院」というのは単科大学のこと)を受験した際は、年齢制限に引っかかっていたが、彼の写真家としての腕が高く買われ、特別に入学を許されている。北京電影学院の同期(第五世代)で、仲間内で文学の才を称えられた陳凱歌は張芸謀の写真家としての才能を絶賛する詩を書いていたりするほどだ。映画監督よりも先に撮影監督として評価されたことからもその才能はうかがわれるが、この映画の主人公である逃亡者の男も写真を学んだことがあるという設定になっており、この男もまた張芸謀監督の分身であることが分かるようになっている。

第2分場の劇場で映写を担当しているのはファン(ファン・ウェイ)という男である。映画(電影)のことを知り抜いているため、ファン電影の名で呼ばれている。
逃亡者の男と、劉の娘がフィルムの取り合いを行いながら、ファン電影のいる第2分場にたどり着く。その間、ヤンという男がオートバイで第2分場へとフィルムを運んでいたのだが、ヤンは荷馬車引きであるファン電影の息子にフィルムを託してしまう。これが事件へと発展する。知能に障害のあるファンの息子は、フィルムを入れた缶の蓋をきちんと閉めることを怠り、フィルムが路上に投げ出されてしまう。土まみれで、とぐろを巻いた蛇のようにグチャグチャになったフィルム。このままでは上映は出来ないが、ファン電影は分場総出で、フィルムの洗浄を行う。なお、第2分場の劇場にはフィルムの洗浄液が置かれていないが、子ども時代のファン電影の息子が洗浄液を水と間違えて飲んでしまい、後遺症で知能に後れが出て荷運びしか出来ない青年となってしまったため、ファン電影は洗浄液を劇場に置くのを止めたのであった。
フィルム洗浄の工程からはファン電影の執念の凄まじさが感じられるが、ファン電影もやはり張芸謀の分身の一人であると思われる。

なんとかかんとかフィルムの修復が完了。だが、その後も、逃亡者の男が劉の娘の復讐のためにやんちゃな少年達とやり合うなど場は混乱。その際、劉の娘に預けたニュース映画22号のフィルムを劉の娘がライトスタンドの傘にするために家の持ち帰ったのではないかと疑った男が劇場を離れるなどしたため、本編の前に上映されるニュース映画を飛ばして映画本編からの上映となる。

ニュース映画に男の娘が映っている時間はわずかに1秒(ワン・セカンド One Second。映画は1秒間に24コマ=フレームを費やす)。14歳であるが、大人に交じって袋を担ぐ肉体労働を行っている。男は、ファンにそのシーンを何度も上映するよう命令する。


1秒だけ映る14歳の娘の姿は、男にとって何よりも大事な映像だが、映画や芝居、ドラマなどが好きな人は誰でも「自分だけの大切な一場面」を胸に宿しているはずで、多くの人が娘の場面を、「自分の愛しい瞬間」に重ねることだろう。勿論、娘を思う男の気持ちにも心動かされる。

ライトスタンドの傘であるが、最終的にはフィルムが美しい傘となって劉の娘に送られる。形は違うが、娘のフィルムへの執着が実っており、これまた映画への愛を感じることになる。

「映画への愛」と「自分だけの大切な場面」を描き切った張芸謀の力量に感心させられる一本であった。

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2022年4月22日 (金)

美術回廊(75) 京都市京セラ美術館 「兵馬俑と古代中国 ~秦漢文明の遺産~」

2022年3月30日 左京区岡崎の京都市京セラ美術館にて

京都市京セラ美術館で、「兵馬俑と古代中国 ~秦漢文明の遺産~」を観る。日中国交正常化50周年を記念した展覧会である。

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私の生まれた1974年、西安市郊外にある始皇帝の陵墓の東側で、等身大の兵馬の俑(副葬品の人形)が数多発見され、世界的な大ニュースとなった。他の皇帝も殉死者の代わりに俑を埋めるということは行ってきたが、等身大であることがまず初めて、そして尋常でない数の兵馬の俑に全世界が驚愕した。始皇帝の兵馬俑は確認出来るだけで8千を超えるらしいが、きちんと発掘されているのは今日に至るまで1600程度だそうで、まだ多くの兵馬俑が眠っていることになる。俑を等身大に作るのは、実は縁起が悪いそうで、始皇帝がなぜ数多くの等身大の俑を作らせたのかについては、今も正確な理由は不明のようである。

会場は、京都市京セラ美術館の本館北回廊2階。ということで、展示はそれほど多くない。そもそも等身大の兵馬俑を中国から運ぶのは一苦労である。ということで、小型のものも含めて36体の選抜メンバー(?)による展示。このうち等身大のものは数点だが、いずれも個性溢れる兵と馬である。始皇帝の兵馬俑に関しては原則撮影可であり、京都市京セラ美術館自体がSNSへの投稿を推奨している。

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それ以外は、刀、矛、鏃(やじり)などの青銅製の武器、貨幣、木簡、副葬品などの展示である。
今回は、紙製のリストは作られておらず、リストが欲しい場合は、会場入り口付近などによるQRコードをスマホで読み取って、確認することになる。
始皇帝に関しては、近年、原泰久のマンガ「キングダム」で描かれて人気であり、今回の展覧会でも「キングダム」絡みの展示があった。

兵の俑も個性が出ていて良いが、馬などの動物の俑の方がよりリアルであり、当時の職人の腕の確かさと描写力の高さが感じられる。

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中国史上初の統一王朝となった秦。拼音だとQinで、これはChinaの語源となっている。だが秦は漢民族による王朝ではなく、元々は西方の遊牧民族によって建国されたものである。ということもあってか、始皇帝は後に漢民族となるマジョリティに対して圧政を行い、反発を買って統一後わずか15年で秦は瓦解。劉邦が漢を建国し、今に至るまで漢が中国と中国人の代名詞となっている。

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2021年11月14日 (日)

コンサートの記(752) 「ALTI 民族音楽祭~津軽・中国・モンゴル・琉球の音楽~」@京都府立府民ホールアルティ

2021年10月28日 京都府立府民ホールアルティ(ALTI)にて

午後6時から、京都府立府民ホールアルティで、「民族音楽祭~津軽・中国・モンゴル・琉球の音楽~」という音楽会に接する。津軽三味線(itaru)、二胡(尾辻優依子)、馬頭琴&ホーミー(福井則之)、ヴァイオリン(提琴&ヴァイパー。大城淳博)に古楽器のヴィオラ・ダ・ガンバ(中野潔子)を加え、各国・各地域の音楽が奏でられる。

曲目は、「もみじ」(全員)、「津軽よされ節」(三味線)、「楓葉繚乱(ふうようりょうらん)」(三味線)、「ナラチメグ」(馬頭琴、提琴、ガンバ)、「蘇州夜曲」(二胡)、「灯影揺紅」(二胡)、「スーホの白い馬」(馬頭琴)、「ホーミー・ホルバー・アヤルゴー」(馬頭琴&ホーミー)、「こきりこ節」(三味線、二胡)、「だんじゅかりゆし」(提琴、ガンバ)、「久高万寿主/唐船どーい」(ヴァイパー)、「かごめかごめ」の即興演奏(三味線、提琴、ガンバ)、「牧羊姑娘」(二胡、馬頭琴)、即興演奏(馬頭琴、三味線)、「茉莉花」(二胡、提琴、ガンバ)、「アメイジンググレイス~津軽あいや節」(三味線)、「津軽じょんがら節」(三味線)、「良宵」(二胡)、「三門峡暢思曲」(二胡)、「ドンシャン・グーグー」(馬頭琴)、「白馬」(馬頭琴)、「月ぬ美(ちゅら)しゃ」(ヴァイパー、ガンバ)、「てぃんさぐぬ花/闘山羊」(提琴、ガンバ)、「賽馬」(全員)。

全席自由だが、前後左右1席空けのソーシャルディスタンススタイルで、舞台席の上方、二階席と呼ばれる部分(一般的な二階席とは違う意味で使われている)は今日は関係者以外立ち入り禁止となっている。


ヴァイパーという楽器は、目にするのもその名を聞くのも初めてだが、アメリカで開発された6弦のエレキヴァイオリンで、日本では大城淳博が第一人者ということになるようである。

馬頭琴は演奏や曲を録音で聴いたことがあり、以前に訪れた浜松市楽器博物館では、「体験できる楽器」の中に馬頭琴(もどき)が含まれていたので、ちょっと音を出したこともあるのだが、演奏を生で聴くのは初めてかも知れない。

ホーミーは、今から30年ほど前に日本でも話題になったモンゴルの歌唱法である。低音の「ウィー」という声に倍音で中音域、高音域が重なるのが特徴となっている。坂本龍一の著書には、日本にホーミーを紹介したのは「いとうせいこう君」という記述があるが、これは本当かどうか分からない。坂本龍一は、日本で初めてラップを歌った人物もいとうせいこうであるとしている。


個人的なことを書かせて貰うと、民族音楽は比較的好きな方で、二十歳前後の頃にはキングレコードから出ている民族音楽シリーズのCDを何枚か買って楽しんでいた。「ウズベクの音楽」はかなり気に入った(HMVのサイトで、各曲の冒頭を聴くことが出来る)。
二胡は、姜建華が弾く坂本龍一の「ラストエンペラー」や、坂本龍一がアレンジしたサミュエル・バーバーの「アダージョ」を聴いて憧れ、キングレコードの民族楽器シリーズの中の1枚もよく聴いており、25歳の頃に先生について習い始めたのだが、色々と事情もあって3ヶ月でレッスンは終わってしまった。考えてみれば、二胡は単音しか出せない楽器なので、一人では「ラストエンペラー」を弾くことは出来ない。演劇を学ぶために京都に行く決意をしたのもこの頃ということもあり、以降は二胡とは疎遠になっている。

こうやって書いてみると、坂本龍一という音楽家の存在が私の中ではかなり大きいことが改めて分かってくる。ちなみに今日演奏された「てぃんさぐぬ花」も、初めて聴いたのは「BEAUTY」というアルバムに収められた坂本龍一編曲版であった。


客席に若い人が余りないのが残念であるが(親子連れはいた)、民族楽器が終結した演奏会を聴くという機会も余りないため、印象に残るものとなった。


福島則之の説明によると、馬頭琴は二弦からなる楽器であるが、一本の弦に馬の尻尾の毛100本ほどが束ねられているそうで、二弦と見せかけて実は二百弦という話をしていた。馬頭琴の音は人間の声に近い。西洋の楽器を含めて、これほど人間の声に近い音色を奏でる楽器は他に存在しないのではないだろうか。

ちなみに、弓の持ち方であるが、ヴァイオリンだけ上から掴むように持つオーバーハンドで、馬頭琴、二胡、ヴィオラ・ダ・ガンバは箸を持つように下から添えるアンダーハンドである。二胡とヴィオラ・ダ・ガンバは手首を返しながら左右に弓を動かすが、馬頭琴は二胡やヴィオラ・ダ・ガンバほどには弓を動かさないということもあってか、手首を固定したまま弾いている。

ヴィオラ・ダ・ガンバの、ガンバは「足」という意味で、両足で挟みながら演奏する。Jリーグのガンバ大阪も、フットボールの「フット」のイタリア語である「ガンバ」と、「頑張れ!」の「頑ば!」を掛けたチーム名である。
エンドピンのないチェロのようにも見え、ヴィオラ・ダ・ガンバのために書かれた曲も現在はチェロで弾かれることが多いことから、「チェロの祖先」と思われがちだが、実際は違う体系に属する楽器であり、弦の数も6本が基本と、チェロよりも多い。


「茉莉花」は、中国の国民的歌謡で、第二の国歌的存在であり、アテネオリンピックや北京オリンピックでも流れて話題になっている。尾辻は、上海に短期留学したことがあるのだが、街角のスーパーや薬局などで「茉莉花」の編曲版が流れているのを普通に耳にしたそうで、中国人の生活に「茉莉花」という曲が根付いているのが分かる。

「良宵」は、二胡の独奏曲の中で間違いなく最も有名な曲であり、二胡奏者は全員この曲をレパートリーに入れているはずである。作曲した劉天華は、それまで京劇などの伴奏楽器でしかなかった二胡を一人で芸術的な独奏楽器の地位まで高めた人物であり、中国の民族音楽の向上に多大な貢献を行っているが、多忙が災いしたのか37歳の若さで他界している。
「良宵」は、元々のタイトルは「除夜小唱(大晦日の小唄)」というもので、大晦日の酒宴をしている時に浮かんだ曲とされる。尾辻によると、後半になるにつれて酔いが回ったような曲調として演奏する人もいるそうである。


アンコールとして、こちらは日本の国民的歌曲となっている「故郷」が独奏のリレーの形で演奏された。

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2021年8月29日 (日)

観劇感想精選(409) team申第5回公演「君子無朋(くんしにともなし)~中国史上最も孤独な「暴君」雍正帝~」

2021年8月26日 広小路の京都府立文化芸術会館にて観劇

午後6時から、広小路の京都府立文化芸術会館で、team申の「君子無朋(くんしにともなし)~中国史上最も孤独な「暴君」雍正帝~」を観る。作・阿部修英(あべ・のぶひで)、演出:東憲司(ひがし・けんじ)。主演:佐々木蔵之介。team申は、第1回公演の出演者である佐々木蔵之介(1968年生まれ。座長=申長)と佐藤隆太(1980年生まれ)が共に申年生まれだったことに由来する演劇プロデュースユニットで、本公演を行うのは11年ぶりとなるが、その間に番外公演を4回行っている。
出演は佐々木蔵之介の他に、中村蒼(あおい)、奥田達士(たつひと)、石原由宇(ゆう)、河内大和(こうち・やまと)。

名君として伝わる清朝第4代皇帝・康熙帝と第6代皇帝・乾隆帝の間に13年だけ治天の君となった雍正帝を主人公とした話である。

康熙帝は、皇帝としての実績もさることなるが、「康熙字典」の編纂を命じたことでも有名で、「康熙字典」は現在に至るまでの中国語の字典の大元と見なされており、康熙帝の名もこの「康熙字典」の存在によってより認知度が高まっている。乾隆帝は清朝最盛期の皇帝として有名で、軍事と文化の両面で拡大を行っている。
その間に挟まれた地味な皇帝、雍正帝に光を当てたのが今回の作品である。
阿部修英は、東京大学大学院で中国美術を学んだ後にテレビマンユニオンに参加したテレビディレクターで、戯曲執筆は今回が初めて。有料パンフレットの阿部の挨拶に「東憲司さんという最高の師父を得て」と書かれており、また佐々木蔵之介と東憲司との鼎談でも「手取り足取り教えて頂いて」とあり、内容は別にして物語の展開のさせ方に関しては東憲司からの影響がかなり強いと思われる。複数の人物が何役も演じるというスタイルは東憲司の作品によく見られるものである。

「ゲゲゲの女房」、「夜は短し歩けよ乙女」などの脚色・作・演出で知られる東憲司は、アングラ(アンダーグラウンド演劇)の手法を今に伝える演出家で、今回も歌舞伎の戸板返しの手法が駆使されていた。

佐々木蔵之介が雍正帝を、中村蒼が雲南省の若き地方官・オルクを演じるが、それ以外の3人の俳優は、狂言回しなども含めて何役も演じる。

中国史は日本でも比較的人気の高いジャンルだが、清朝に関しては最後の皇帝である宣統帝溥儀や、西太后など末期のみが映画なども含めてよく知られているだけで、雍正帝についてもほとんど知られていない。ということで、冒頭は、3人の俳優が、「紫禁城」「皇帝」「後宮」「宦官」などの初歩的な用語の説明を、京都ネタを挟みつつ(「紫禁城って知っている?」「出町の甘栗屋でしょ?」「いや、京大の近くの雀荘のことさ」といった風に)行う。

雍正帝の治世の特長は、地方官と文箱による直接的な手紙のやり取りをしたことで、歴史学者の宮崎市定が『雍正硃批諭旨』という雍正帝と地方官が交わした手紙を纏めた大部の書物を読んだことが、今回の作品に繋がるのだが、それが戦後直後の1947年のこと。宮崎市定がそれらの研究の成果を『雍正帝 中国の独裁君主』という書物に著したのが1950年。作の阿部修英もこの本で雍正帝を知ったという。阿部修英は中国を舞台にした小説も好きで、浅田次郎の一連の作品も読んでおり、そうした背景があったために中国の歴史を辿るドキュメンタリー番組の制作に携わり、そこで一緒に仕事をしたのが佐々木蔵之介であった。ドキュメンタリー番組作成中に、「雍正帝で、戯曲を書いてみませんか?」と佐々木に言われ、それが今回の上演へと繋がる。戯曲執筆時間や稽古の時間はいうほど長くはないだろうが、一番最初から「君子無朋」が完成するまでの歴史を辿ると構想74年ということになる。その間、何か一つでもボタンの掛け違えがあったら、舞台が完成することはなかっただろう。

「中国の皇帝モノと言うのは珍しい。ストレートプレイでは滅多にないのではないだろうか」という東憲司の記述が有料パンフレットにあるが、京劇では「覇王別記」(厳密に言うと覇王こと項羽は皇帝ではないが)などいくつかあるものの、そもそも日本では知名度のある中国の皇帝は限られるということで、上演はしにくいと思われる(私も明朝最後の皇帝である崇禎帝を主人公にした未上演の戯曲を書いているが、変な話になるが実際に描かれているのは崇禎帝ではない)。その中でも更に知名度の低い雍正帝を主人公に選んだことになるが、知名度が低いだけに自由に書ける部分は多くなるというメリットはある。

康熙帝の次の皇帝でありながら、雍正帝は父親とは違い、同母弟でやはり次期皇帝候補であったインタイに康熙帝(諡号は聖祖)の墓守を命じるなど残忍な面を見せつける。それを見た雍正帝の実母は自殺。また、先帝である康熙帝の事績を見習うよう進言した家臣は容赦なく処分した。
暴君であり、独裁者であった雍正帝であるが、その意外な実像に迫っていく謎解き趣向の作品である。手法的にはよくあるものだが、史実かどうかは別として少なくとも物語としての説得力はあり、よく出来た作品であると思う。

佐々木蔵之介の地元ということで、ロングランとなった京都公演。残念ながら京都における新型コロナの感染者が日々新記録を更新中である上に、佐々木蔵之介以外は知名度がそれほど高いとはいえないオール・メール・キャストということで、後ろの方を中心に空席が目立ったが、観る価値のある作品であることは間違いない。悪役も得意とする佐々木蔵之介を始め、出演者達は熱演であり、東憲司のスピーディーな演出も相まって、演劇そして史劇の素晴らしさを観る者に伝えていた。

歴史ものに限らないが、演劇というのは、今この場所で二つの歴史が始まっていくことが魅力である。上演史としての歴史と観る者の中に流れる歴史だ。それが同じ時、同じ場所を共有することで始まるというジャンルは、演劇をおいて他にない。今この場所で歴史が始まると同時に歴史が変わっていく。しかも直に。これだけ素晴らしいジャンルを知っている人は、それだけで生きるということの意義を、少なくともその一端を獲得しているのだと思われる。


雍正帝という人物であるが、44歳の時まで皇帝になれる見込みがなく、本ばかり読んでいたというところが井伊直弼に似ており、母親が後に雍正帝となるインシンよりも弟のインタイの方を可愛がっていたという話は織田信長とその弟の信行、母親の土田御前との関係や、徳川家光とその弟の駿河大納言こと忠長、母親のお江の方(お江与の方。小督の方)との関係を思い起こさせる。また自身の業績を我が子の功績とするところなどは徳川秀忠を連想させる。隣国の歴史であるが、人間の本質は国籍や人種によってさほど変わらないはずであり、また歴史というものは大抵どこかで結びついているものである。

久しぶりに中国史も学んでみたくなる舞台であった。あるいは今日からこれまでの私とは違った歴史が始まるのかも知れない。

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2021年8月21日 (土)

これまでに観た映画より(266) 「デニス・ホー ビカミング・ザ・ソング」

2021年8月11日 京都シネマにて

京都シネマでドキュメンタリー映画「デニス・ホー ビカミング・ザ・ソング」を観る。
英語と広東語による作品。北京語は、中国共産党の幹部などの発言など、一部で使われているのみである。スー・ウィリアムズ監督作品。

21世紀初頭にデビューし、香港を代表する女性シンガーとなったデニス・ホー(何韻詩)。1977年、教師をしていた両親の下、香港に生まれるが、1989年に第二次天安門事件が発生したことで、「教師が弾圧される可能性は否定出来ない」と考えた両親と共にカナダのモントリオールに移住。そこで様々な音楽に触れることになる(モントリオールにある大学で音楽を学んだ作曲家のバート・バカラックが以前、「モントリオールはポピュラー音楽が盛んな街」と話していたのを読んだことがある)。中でもデニス・ホーの心を捉えたのは、当時、香港最大の歌姫として君臨していたアニタ・ムイである。

香港ポップス初の女性スターといわれるアニタ・ムイ(梅艶芳)。一時は、「香港の美空ひばり」に例えられたこともある。
自身で作詞と作曲も始めたデニスは、「アニタ・ムイに会いたい」という一心で一人香港に戻ってオーディション番組などに参加。見事、グランプリを獲得してデビューすることになる。最初の頃は「カナダから来た子」であり、金もないし仕事もないしと苦しみ、アニタ・ムイにも余り相手にして貰えなかったようだが、デニスは自らアニタに弟子入りを志願。アニタと共演するようになり、アニタとデニスは師弟関係を超えた盟友のような存在となる。香港に帰ってくるまでは政治には関心がなかったデニスだが、アニタが社会問題に関する発言が多いということで、香港を巡る様々な問題に真正面から取り組むことになる。

元々同性愛者だったデニスだが、LGBTが香港でも注目された2012年に、レズビアンであることをカミングアウト。これがむしろ共感を呼ぶことになる。

中国共産党による香港の締め付けが厳しくなり、 2014年に「逃亡犯条例」を香港政府が認めそうになった時には、自ら「雨傘運動」と呼ばれる若者達中心の抗議活動に参加。座り込みによる公務執行妨害で逮捕されたりもした。

香港はアジアにおける重要な貿易拠点であり、人口も約750万人と多いが、音楽的なマーケットとしては規模が小さい(ちなみに東京23区の人口は約960万人である)。小室哲哉が凋落する原因となったのも香港の音楽マーケットとしての弱さを知らずに進出したためだったが、規模の小ささは香港出身のアーティストとっても重要な問題で、すでに90年代には香港のトップスター達は北京語をマスターして、中国本土や台湾に活動の場を拡げていた(リトル・ジャッキーことジャッキー・チュンなどは簡単な日本語をマスターして日本でもコンサートを行い、また北京出身で、香港を拠点に北京語、広東語、英語を駆使して歌手活動を行っていたフェイ・ウォンは、日本人以外のアジア人として初めて日本武道館でのコンサートを、しかも2回行っている)。デニスも北京語歌唱のアルバムを発表し、中国の主要都市でコンサートも行うようになっていた。中国ではテレビコマーシャルにも出演。ギャラの9割以上は中国本土から受け取っていた。それが香港の民主主義体制維持活動によって逮捕されたことで、中国での仕事、そしてギャラも当然ながらなくなり、香港での活動も制限されることになる。今は中国本土に入ることも出来ないようだ。
だがその後もデニスは一国二制度(一国両制)と香港の自由を訴えるために世界各国に赴いている。パリやワシントンD.C.で、デニスは法治国家でなく基本的人権も守られない共産党中国の危険性を訴えており、立ち寄った外国のライブハウスで、メッセージ性の強い歌詞を持つ曲を歌い続けている。

そんなデニスであるが、やはり子供の頃から憧れ、長じてからは姉のように慕う存在となったアニタ・ムイをどこかで追いかけていることが伝わってくる。出会ったばかりの頃は、アニタの真似をしており、逮捕後初のコンサートでもアニタを思わせる衣装を纏ったデニス。子宮頸がんによって2013年に40歳というかなり若い年齢で他界したアニタ・ムイの意志を継いでいる部分は当然あるのだろう。今はアニタ・ムイを超えたという意識はあるようだが、40年という短い人生ではあったが香港の黄金期の象徴の一つであり続けたアニタ・ムイに対する敬慕の念が薄れることはないはずである。アニタ・ムイの音楽における後継者であるデニス・ホーが、アニタ・ムイの姿勢をも受け継いだように、デニス・ホーの曲が歌い継がれることで香港人の意志も変わっていくのか。現在進行形の事柄であるだけに見守る必要があるように思う。

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2020年7月 3日 (金)

美術回廊(50) 京都国立博物館 「曾我蕭白展」2005

2005年5月14日 京都国立博物館にて

京都国立博物館で行われている「曾我簫白展」を観に出掛ける。円山応挙や池大雅、伊藤若沖などと同時期の曾我簫白であるが、その作風は極めて個性的であり、グロテスクでさえある。鷹の画などは顔がティラノサウルスのようだ。

かなりの枚数の画が展示されている。簫白の画は筆致が濃く力強い。その気迫に押されそうになるので、何枚も見ているうちに疲れてしまった。

簫白は敢えて当時流行の画風に異を唱え、無頼を気取り、「中庸よりは狂」であることを良しとした。また画を見ていてわかるのは中国への傾倒。日本の画家が中国を題材にすることは珍しくも何ともないのだが、簫白が描いた子供の顔はまさに現在も中国製の土産物などに書かれている中国の子供の顔そのものである。中国によくある作風を取り入れたのだ。生活も中国の粋人を真似ていたようで、酒と碁と画を描くこと以外には何もしなかったそうである。また簫白という人は明の洪武帝の子孫を称したりしている。他にも相模の三浦一族の末裔を名乗るなど、残した画以上に変わった人物であったようだ。

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2020年3月19日 (木)

これまでに観た映画より(160) 東京フェルメックス京都出張篇「『東』&ジャ・ジャンクー短編集」

2020年3月17日 京都シネマにて

京都シネマで、東京フェルメックス京都出張篇「『東』&ジャ・ジャンクー短編集」を観る。

東京で行われている映画祭、東京フィルメックス。京都を拠点に活動するシマフィルムがスポンサーとして参加したことを機に京都シネマと出町座という京都の2つの映画館でも出張篇として特別上映が行われることになった。

「『東』&ジャ・ジャンクー短編集」は、現代中国を代表する映像作家であるジャ・ジャンクー(贾樟柯 JIA Zhagke)の中編ドキュメンタリー映画「東」と短編ドラマ映画3本を合わせて行われる上映会である。

まずドキュメンタリー映画「東」。中国現代美術の代表的画家である劉小東(リュウ・シャオトン)を追った2006年の作品。上映時間は66分である。

北京に住んでいた劉小東が三峡にやって来る。発展著しい都市部とは異なり、内陸部にある三峡地区はまだ20世紀の中国の色彩が色濃く残っている。田舎で暮らすにはパワーが必要であるとして、劉は昔習った太極拳に取り組んだりする。
劉小東は制限された中で作品を作り上げるのを得意としている。際限のない自由を求めるような表現はしない。描くべき対象と向き合ってキャンバスを埋めていく。
若い頃は人体から溢れ出るような生命力には気がつかなかったという劉小東。今は体から発せられる活力と切なさを絵に込めるよう心がけているようである。

劉小東は、かつて絵のモデルの一人となり、今は他界した労働者の家族を訪ねる。中国の片田舎に住む、決して洗練されているとはいえない人々であるが、劉小東の余り上質とはいえないプレゼントにも喜ぶなど、人と人との関係は上手くいっている場所のようである。やがて劉小東は、タイのバンコクに向かう。バンコクの日差しに馴染むことが出来ず、タイの自然も理解することは難しいと悟った劉は、屋内でタイの若い女性達に向き合い、大作に挑んでいく。

若い頃の劉は西洋画を学んでいた。ギリシャの絵画などを参考や模範としていた。しかし今は古代の中国、北魏や北斉(葛飾北斎ではない)の絵に惹かれるという。それらの絵はアンバランスであるが、西洋とは違ったパワーが感じられるという。
カメラがモデルの一人の女性を追い(出身地が水害で大変なことになっているようだ。近く戻る予定だそうである)、混沌と熱気に満ちたバンコクの街と夜の屋台街で歌う流しの盲目の歌手の様子などを捉えて作品は終わる。

 

続いて上映時間19分の「河の上の愛情」。2008年の作品である。
「水の蘇州」として知られる蘇州が舞台である。おそらく蘇州大学に通っていた大学の同級生4人が久しぶりに再会するという話である。男性の一人は今も蘇州に住んでいるようだが、もう一人の男性は南京に、女性二人は合肥と深圳に移り住んでいるようである。
蘇州の水路でのシーンが、登場人物の揺れる心を描き出す。今の彼らは別の相手と結婚しているが、昔の恋が再会によって仄かに燃える。それがどこに行くかは示されないままこの短い映画は終わる。

 

「私たちの十年」。2007年の作品で上映時間は10分。どうもコマーシャルとして撮影されたようである。山西省を走る列車の中が舞台。この列車の常連である二人の女性の1997年から2007年までの十年が断片的に描かれる。それはメディアによっても表され、最初は似顔絵を描いたいたのがポラロイドカメラに変わり、最後は携帯のカメラでの撮影となる。若い方の女性は余り生活に変化がないように感じられるが、もう一人の女性は結婚し、出産し、そしておそらく別れを経験している。最初は活気のあった列車内が最後は閑散としているのには理由があるのだと思われるのだが、日本人の私にはいまいちピンとこない。

 

「遙春」。2018年の作品で、ごく最近制作されたものである。上映時間は18分。
いきなりワイヤーアクションのある時代劇の場面でスタートするが、これは日本でいう東映太秦映画村や日光江戸村といったアトラクションパークのシーンであり、舞台は現代の中国である。このアトラクションパークで端役のアクターをしている夫婦が主人公である。夫はやられ役、妻は西太后に仕える清王朝の女官役をしている。

長年にわたり一人っ子政策が行われてきた中国であるが、少子高齢化に直結するということで見直しが行われ、二人までなら生むことが推奨されるようになった。二人の間には中学生になる女の子がいるが、男の子が欲しいという気持ちもある。実は一度、男の子を流産したか堕胎した経験が夫婦にはあるようだ。一人っ子政策推進時代には二人目を産むと罰金が科せられたため、あるいはそういうことがあったのかも知れない。

もうすでに中年に達している二人だが、「映画監督なら38歳は若手、政治家としても若手。相対的なもの。相対性理論。アインシュタイン」という、多分、内容をよくわかってない理論で、息子を作る決意をする。
一人娘を田舎の祖父母に預け、二人は冴えないアトラクションのアクターのままではあるが、再び愛し合う決意をする。それはいわばセカンドバージンの終わりであり、目の前には希望が広がっている。
心の機微を掬い上げるのが、とても巧みな映画監督という印象を受けた。

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2019年6月23日 (日)

コンサートの記(567) シャー・シャオタン指揮チャイナ・フィルハーモニー管弦楽団来日演奏会2019大阪

2019年6月13日 谷町4丁目のNHK大阪ホールにて

午後7時から、谷町4丁目のNHK大阪ホールでチャイナ・フィルハーモニー管弦楽団の来日演奏会を聴く。

チャイナ・フィルハーモニー管弦楽団(中国爱乐乐团)は、2000年に発足した北京のオーケストラである。その少し前には北京のオーケストラを統合する形で中国国家交響楽団が生まれており、チャイナ・フィルも中国放送交響楽団を母体に放送系団体を再編成してスタートしている。
メンバー表にピンイン(中国語版ローマ字)表記による氏名が載っているが、香港系の名前が一人いる他は全員が漢民族系の姓名である。
芸術監督兼首席指揮者は中国唯一の世界的指揮者である余隆(YU Long)。百度百科の記事によると首席客演指揮者は世界的な作曲家でもあるクシシュトフ・ペンデレツキが務めているようである。

白人が約半数を占める香港フィルを除けば、中国のオーケストラを聴くのは5回目。コンサートオーケストラに限ると4回目である。一口に「中国のオーケストラ」といっても国土が広いため、レベルには差がある。広州交響楽団のようなアジアを代表する水準に達しているオーケストラもあれば、これまで聴いた中で最低レベルでしかなかった黒竜江・ハルビン交響楽団(朝比奈隆が指揮していた白系ロシア人を中心とした楽団とは別の比較的新しいオーケストラ)のような団体も存在する。アジアで最も長い歴史を誇る上海交響楽団も十数年前に聴いた限りでは日本のアマチュアオーケストラの平均的レベルより下になると思われる。

文化大革命によってクラシック音楽が弾圧の対象となったため、中国のクラシックの水準は世界的に見てそう高いとはいえないが、ソリストでは、ピアニストのランラン、ユンディ・リ、ユジャ・ワン、チェリストのジャン・ワンなど世界的な演奏家が次々に現れている。
オーケストラの方はまだまだこれからであり、90年代に結成されたばかりの中国国家交響楽団にシャルル・デュトワが客演した際に作られたドキュメンタリーでは、中国国家交響楽団のメンバーがどうしてもフランス音楽の音が出せないため、デュトワと共にパートごとに居残り特訓をする様が流されていた。

 

曲目は、ベルリオーズの序曲「ローマの謝肉祭」、チェン・チーガン(陳其鋼)のヴァイオリン協奏曲「苦悩の中の歓喜」(ヴァイオリン独奏:リュー・ルイ)、ベートーヴェンの交響曲第5番。

指揮はチャイナ・フィルハーモニー管弦楽団常任指揮者のシャー・シャオタン(夏小汤)。1964年生まれ、北京の中央音楽院で学び、現在はチャイナ・フィルの常任指揮者の他、チャイナ・ユース交響楽団の首席指揮者と中央音楽院の指揮科教授を務めている。

当然ながらチケットは全然売れていない。今日は2階席のチケットを取ったのだが、1階席の招待席が全く捌けていないので交換可ということになっており、NHK大阪ホールの1階席は必ずしも音は良くないのだが、「少しでも客席に人がいる方が演奏する側もやりやすいだろう」ということもあって換えて貰う。結局、1階席のそこここに人はいるが間ががら空きという状態での演奏会となる。

ドイツ式の現代配置での演奏。入場の仕方に特徴があり、立って聴衆の拍手を受けるのだが、全員がステージの上に揃わないうちに、コンサートマスターが「この辺でいいよ」と手で示して、弦楽奏者などは座ってしまう。

 

ベルリオーズの序曲「ローマの謝肉祭」。
最初に発された音から優れたアンサンブルであることが分かる。細部などは割合いい加減だったりするのだが、音に張りと勢いがあり、和音に対する感性が独特であると同時に優れている。内声部の強調なども個性的であり、世界的にマイナーとされるオーケストラの個性を聴く喜びが総身を駆け抜ける。聴くだけで感動するタイプの音である。

 

チェン・チーガンのヴァイオリン協奏曲「苦悩の中の歓喜」。単一楽章による変奏曲である。
世界的に高い評価を受けているチェン・チーガン。上海に生まれ、文化大革命の苦難を経て、再発足したばかりの中央音楽院に入学。34歳で渡仏し、パリでメシアンに師事。現在もフランス在住である。
ヴァイオリン独奏のリュー・ルイ(刘睿。リュー・ルェイの方が原音に近い)は、現在、チャイナ・フィルのアソシエイト・コンサートマスターの地位にある。1983年、四川省成都生まれ。4歳でヴァイオリンを始め、10歳で中央音楽院の小学校部門に入学。2005年に中央音楽院を卒業してチャイナ・フィルに入団し、2014年にアシスタント・コンサートマスターとなっている。

冒頭はいかにもメシアン風の響きであり、薄明の中をただ一人で歩んでいるような孤独な音楽が繰り広げられる。中国風のメロディーと西洋的な旋律が奏でられた後で、クラリネットが甘い歌で誘うが、ヴァイオリンソロが決然と拒否するという印象的な場面が2度続く。予想を裏切る展開であり、ハッとさせられる瞬間である。チャルメラの音色を模したオーボエが同じようにソロを吹く場面があるが、今度はヴァイオリンによって肯定されるようだ。
最後は広がりのある音楽で締めくくられる。

演奏終了後、リュー・ルイは喝采を受けるが、日本のオーケストラとは違い、カーテンコールを長く受けずに、ある程度でさっと切り上げてしまうという光景が珍しい。

 

メインであるベートーヴェンの交響曲第5番。
シャー・シャオタンは一度指揮棒を振り下ろしてから半分ほど上げ、もう一度振り下ろす瞬間に運命動機がスタートする。動きのみならず息づかいも駆使する。
第1楽章は反復あり。転調による警告の場面ではグッとテンポを遅くして文学的な解釈を示す。緩急やタメの作り方が独特であり、他の指揮者や団体がためるところは素通りして、余り例がないところでテンポを緩めたりする。全体的にシャープなフォルムによる演奏であり、トスカニーニやカラヤンが追求したタイプの音像が聴かれる。当然ながらピリオドではない。
物語性も重視しており、ある意味、懐かしいタイプのベートーヴェンになっているといえる。内声のえぐり方も強烈であるが、音で圧するのではなく、様々な音を独自に積み重ねることで生まれる重層性が魅力的な演奏である。

 

アンコール演奏は、菅野よう子の「花は咲く」。優しい編曲と演奏であった。

シャー・シャオタンは、何度目かのカーテンコールで、弦楽器の最前列の奏者と握手を交わすが、弦楽器の他の奏者達はそれと同時に横にいる奏者と握手を始める。管楽器奏者はステージ中央に集まってスマホで記念写真を撮り始める。その後、楽団員達は客席に向かって手を振ったり、投げキッスをしたりしながらステージを後にする。なんだかとってもフリーダムに見える。検閲制度のある国の人々なのだが。
拍手がそれほど長く続いたというわけでもないのだが、最後はシャー・シャオタンが一人でステージ中央に現れ、お辞儀と投げキッスをして手を振りながら帰って行く。
これらは世界的にマイナーなオーケストラの演奏会に行く醍醐味でもある。

 

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