カテゴリー「政治・社会」の46件の記事

2022年9月24日 (土)

観劇感想精選(446) 日本初演30周年記念公演 ミュージカル「ミス・サイゴン」@梅田芸術劇場メインホール 2022.9.15

2022年9月15日 梅田芸術劇場メインホールにて観劇

午後6時から、梅田芸術劇場メインホールで、ミュージカル「ミス・サイゴン」を観る。日本でもたびたび上演される大ヒットミュージカルである。ロングランのため複数人がキャストに名を連ねており、今日の出演は、伊礼彼方(エンジニア)、高畑充希(キム)、チョ・サンウン(クリス)、上原理生(ジョン)、松原凜子(エレン)、神田恭兵(トゥイ)、青山郁代(ジジ)、藤元萬瑠(タム)ほかとなっている。

プッチーニの歌劇「蝶々夫人」の舞台をベトナム戦争とその直後に置き換えて制作されたミュージカル。作曲は、「レ・ミゼラブル」のクロード=ミシェル・シェーンベルクである。クロード=ミシェル・シェーンベルクは、「蝶々夫人」の旋律を生かしており、「ここぞ」という場面では、「蝶々夫人」の旋律が効果的にアレンジされた上で奏でられる。またベトナムが主舞台ということで、東南アジア風の旋律も要所要所で登場する。どことなくラヴェル風でもある。

ベトナム最大の都市にして、南ベトナムの主都であったサイゴン市(現ホーチミン市)。戦災により家を失い、サイゴンへと逃げてきたキムは、女衒のエンジニアの後について、売春宿にやってくる。キムは米兵のクリスに買われて一夜を共にするが、それがキムの初体験だった。二人は愛し合い、結婚式を挙げるが、アメリカの傀儡国家であった南ベトナム(ベトナム共和国)の首都であるサイゴンが陥落し、米国の敗北が決定的になったことから、米兵であったクリスはサンゴンを後にしてアメリカへと戻る。その間にキムは、クリスの子である男の子を生んでいた。


有名作であるが、私は「ミス・サイゴン」を観るのは初めて。プッチーニの音楽を大胆に取り入れた音楽構成と、ベトナムの風習や衣装を生かし「蝶々夫人」では日本人以外は納得しにくかったラストを改変するなどしたストーリーが魅力で、「蝶々夫人」を観たことがない人でも楽しめる作品になっている。
「蝶々夫人」のラストは、日本人以外には納得しにくいもののようである。台本を担当したジュゼッペ・ジャコーザとルイージ・イッリカ、原作小説を書いたジョン・ルーサー・ロングとそれを戯曲化したデーヴィッド・ベラコス、更にはプッチーニも日本的な美意識を理解していたということになるが、「自決の美学」は西洋人にはピンとこない事柄であるようだ(そもそも西洋人の大半がキリスト教の信者であり、キリスト教では自殺は罪とされている)。そこで蝶々夫人にあたるキムを積極的にわが子に命を与える女性に設定し、死ぬことで子どもの未来を開いた女性の「自己犠牲」を描いた悲劇となっている。ただ日本人である私は、この改変に対しては「合理的」に過ぎるという印象を受け、良くも悪くも「死」でもって何かと決着をつけようとする日本的な美意識の方により引き付けられる。ただ日本人の美意識もたびたびの転換を迎えており、日本人であっても「蝶々夫人」のラストの意味が分からない人が大半になる日が来るのかも知れない。そしてそれは第二次大戦時の残酷さを思えば、必ずしも悪いことではないのだろう。

私自身は、高畑充希が演じるキムが見たかったので、この日を選んだが、童顔系でありながらパワフルな歌唱を聞かせる高畑充希は、キム役に合っていたように思う。何度も上演されているミュージカルなので、そのうちにまた高畑充希以外のキムで聴くのもいいだろう。今日は視覚・聴覚(歌詞が聞き取れない部分がいくつもあった)両面で問題のある席だったので、別の席で観る必要も感じた。今回のプロジェクトで再び観る気はないが、次回以降のプロジェクトでも観てみたくなる作品であった。

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2022年8月20日 (土)

観劇感想精選(443) 学生演劇企画「ガクウチ」 in E9「そよそよ族の叛乱」

2022年8月13日 東九条のTHEATRE E9 KYOTOにて観劇

午後7時から、THEATRE E9 KYOTOで、学生演劇企画「ガクウチ-学徒集えよ、打とうぜ芝居-」in E9「そよそよ族の叛乱」を観る。作:別役実、演出:小倉杏水。
京都や大阪の学生劇団14団体から36人の学生が集い、上演を行う企画。参加団体(50音順)は、演劇企画モザイク(同志社大学)、演劇集団Q(同志社大学)、演劇集団ペトリの聲(同志社大学)、演劇実験場下鴨劇場(京都府立大学)、劇団ACT(京都産業大学)、劇団明日の鳥(京都府立医科大学)、劇団月光斜(立命館大学)、劇団ケッペキ(京都大学)、劇団蒲団座(大谷大学)、劇団万絵巻(関西大学)、劇団〈未定〉(京都女子大学)、劇団愉快犯(京都大学)、劇団立命館芸術劇場、第三劇場(同志社大学)。「別役実メモリアル」参加作品である。

探偵と科学博物館に勤める女の二人が主人公となっている。サミュエル・ベケットの「ゴドーを待ちながら」を想起させるシーンがあるが、おそらく意図的に取り入れているのであろう。

午後2時33分、遺体が発見される。通報を受けた探偵は現場に駆けつける。女性の遺体であった。外傷は全くない。探偵と遺体に興味を持つ女が一人。科学博物館の地下にある鯨の骨の監視を職業としているのだが、鯨の骨を見に来る客は1ヶ月に1人程度の閑職である。

探偵と女は遺体の身長と体重を量る。身長165.5cm、体重39.8kg。かなりの痩身であり、女は「餓死したのではないか」と推理する。ちなみに身長165.5cmの女性は「大女」だそうだが、今でも高めで「スタイルが良い」と言われがちな身長ではあるが、現在では170cm以上ないと「大女」(という言葉自体今では使われないかも知れないが)とは呼ばれないだろう。時の流れを感じる。

今では餓死者が出た場合、「異例」とは見なされるだろうが、餓死する人がいるのかどうかは発表されないし、人々は「日本には餓死する者など今はいない」という前提で生きている。いるのかも知れないが見ないし知らないようにしている。それが現代の日本社会である。一方でアフリカなどには餓死者がいるのはよく知られており、「前提」ではある。だが、募金などはするかも知れないが我がこととして実感する日本人は少ないだろう。そうした社会に対して、別役は切り込んでいく。
「社会」の人々、個人個人は善良な人々である。それはこの劇でも描かれている。だがそれが全体となった時に「無関心」「事なかれ主義」といった目の曇りが生まれてしまう。

そよそよ族というのは、劇中では古代にいた失語症の民族と定義されているが、一方で、餓死者の痛みや「助けを呼べない心理」などを敏感に察知する人のことでもある。死体処理係の男は、餓死者が出たことの責任が自分にあるように感じ、「自首する」と言い出す。「誰かの分を自分が食べてしまった」とも語るのだが、この戯曲が書かれた1971年時点で日本は「飽食の時代」を迎えており、食料が足りているのみならず大量の残飯が社会問題になっていた。一方ではアフリカなどでは食べるものがなく餓死者が普通に出ている。そうしたことの痛みと責任を我がことのように受け取ることが出来るのが「そよそよ族」と呼ばれる人々である。飢えを訴えたとしても意味はない、餓死することでしか問題を提起することが出来ない。そうした現状を別役は「そよそよ族の叛乱」として訴えてみせるのである。

劇中で「そよそよ族」は自身の罪を訴えることしか出来ない。太宰治の言葉の逆を言うようだが、今の時代は「犠牲者」であることは必ずしも尊いことではないのかも知れない。だが「犠牲者」でなければ「自罰的」であらねば伝わらないものごとは確実にある。今現在の世界的状況に照らし合わせても意味のある、痛切なメッセージを持った本と上演であった。

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2022年8月11日 (木)

これまでに観た映画より(305) 「BLUE ISLAND 憂鬱之島」

2022年8月2日 京都シネマにて

京都シネマで、ドキュメンタリー映画「BLUE ISLAND 憂鬱之島」を観る。自由と民主を求める香港を舞台に、文化大革命、六七暴動、天安門事件によって香港へと亡命した人々や、香港を題材に撮影されているドラマなどを追ったドキュメンタリー。
監督・編集:チャン・ジーウン。香港と日本の合作で、プロデューサーは香港からピーター・ヤム、アンドリュー・チョイ、日本からは小林三四郎と馬奈木厳太郞が名を連ねている。映画制作のための資金が足りないため、クラウドファンディングにより完成に漕ぎ着けた。

「香港を解放せよ」「時代を革命(時代革命)せよ」というデモの声で始まる。
そして1973年を舞台としたドラマの場面。一組の若い男女が山を越え、海へと入る。文化大革命に反発し、香港まで泳いで亡命しようというのだ。この二人は実在の人物で、現在の彼ら夫婦の姿も映し出される。旦那の方は老人になった今でも香港の海で泳いでいることが分かる。

1989年6月4日に北京で起こった第二次天安門事件。中国本土ではなかったことにされている事件だが、当時、北京で学生運動に参加しており、中国共産党が学生達を虐殺したのを目の当たりにして香港へと渡り、弁護士をしている男性が登場する。本土ではなかったことにされている事件だが、香港では翌年から毎年6月4日に追悼集会が行われていた。それが2021年に禁止されることになる。男性は時代革命で逮捕された活動家や市民の弁護も行っているようだ。

六七暴動というのは日本では知られていないが、毛沢東主義に感化された香港の左派青年達が、イギリスの香港支配に反発し、中国人としてのナショナリズム高揚のためにテロを起こすなどして逮捕された事件である。
劇中で制作されている映画の中では、当時の若者が「自分は中国人だ」というアイデンティティを語る場面が出てくるが、その若者を演じる現代の香港の青年は、「そういう風には絶対に言えない」と語り、自らが「香港人である」という誇りを抱いている様子が見て取れる。1997年の返還後に生まれた青年であり、小学校時代には、「自分達は中国人」という教育を受けたようだが、今は中国本土からは完全に心が離れてしまっているようである。皮肉なことに現在は六七暴動とは真逆のメンタリティが香港の若者の心を捉えている。

青年達は、中国共産党の独裁打倒と中国の民主化を求めている。

だが中国共産党と香港政府からの弾圧は激しく、この作品に出演している多くの市民が逮捕され、あるいは判決を待ち、あるいは亡命して香港を離れている。

ラストシーンは、彼ら彼女らが受けた判決が当人の顔と共に映し出される。多くは重罪である。治安維持法下の日本で起こったことが、今、香港で起こっているようだ。歴史は繰り返すのか。

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2022年3月25日 (金)

Eテレ 「ドキュランド 『プーチン大統領と闘う女性たち』」

2022年2月25日

Eテレでドキュランド「プーチン大統領と闘う女性たち」を見る。2021年製作のイギリスのドキュメンタリー。プーチン大統領独裁下のロシアで、反プーチンのナワリヌイを支持しようとしたり、自ら立候補しようとする女性達に迫っているが、ロシアのやり方はかなり強引且つ滅茶苦茶で、立候補の完全阻止が行われている。「新型コロナウイルスを広めようとした」「新型コロナウイルスに感染した」として刑務所化している病院に閉じ込めるという政策である。「『よし、パンデミックだ、これを利用しよう』。こんなことをしている国は世界でロシアだけ」と彼女達も揃って苦笑するが、ここには民主主義も公正な選挙もなく、20世紀のソ連となんら変わりのない警察国家が続いている。

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2022年2月13日 (日)

これまでに観た映画より(280) 「シン・ゴジラ」

2022年2月9日

Blu-rayで、日本映画「シン・ゴジラ」を観る。「エヴァンゲリオン」シリーズの庵野秀明が脚本と総監督を務めた作品であり、豪華キャストでも話題になった。

出演は、長谷川博己、竹野内豊、石原さとみ、高良健吾、市川実日子、高橋一生、余貴美子、手塚とおる、渡辺哲、津田寛治、柄本明、嶋田久作、國村隼、平泉成、大杉漣ほか。その他にも有名俳優や、映画監督などがちょい役で出ている。ゴジラの動きは、野村萬斎の狂言での動きをコンピュータ解析したものである。

「ゴジラ」は第1作で、核の問題を描いた社会派の作品だった。その後、国民的特撮映画となってからは、人類の味方であるゴジラや、可愛らしいゴジラが描かれるなど、エンターテインメントの要素が強くなる。
私が初めて「ゴジラ」の映画を観たのは、1984年のことで、沢口靖子や武田鉄矢が出ていた作品である。現在のミニシアターとなる前の千葉劇場(千葉松竹)に母と二人で観に行った。1984年の「ゴジラ」も原点回帰作としても話題になったが、「シン・ゴジラ」もまた庵野秀明色を出しつつ、第1作目の「ゴジラ」のメッセージに帰った社会的な作品である。

「シン・ゴジラ」で描かれているのは、人々がゴジラというものを知らないパラレルワールドの現代日本である。そして作品全体が福島第一原子力発電所事故のメタファーとなっている。

3.11以前、準国営企業である各電力会社は、「日本の原発は安全です」と安全神話を振りまいていた。だが、福島第一原子力発電所が津波に襲われたことにより、事態は暗転。史上最悪レベルの原発事故を起こした日本は、これまで獲得してきた全世界からの信用を一気に失いかねない一大危機に陥る。そんな時であっても、政府は国民への呼びかけという最も大事な役割を果たすことが出来ず、菅直人内閣の信頼は地に落ちる。
菅直人は東京工業大学出身の理系の宰相で、放射線の波形などが読めるため、それを監視するのが自身がなすべき仕事と考えたようだが、結果としては傍から見ると引きこもっているようにしか思われず、また福島第一原発に乗り込んでもいるのだが、それが首相がまずすべきことなのかというと大いに疑問である。
「シン・ゴジラ」でも、対応が後手後手に回るという、いかにも日本らしい判断力の弱さが露呈し、いざとなったらアメリカ様頼りという悪い癖も描かれている。

原発安全神話があった頃、「そんなに安全だというなら、東京湾に原発を作ればいいじゃないか」という皮肉が反原発派から発せられたが、「もし東京湾の原発がメルトダウンを起こしたら」という話を、ゴジラとの戦いという形で上手く描いているように思う。個人的には余り好きな展開ではなかったが、「問題を描く」という意志は評価したい。

庵野秀明が総監督ということで、音楽も鷺巣詩郎の「エヴァンゲリオン」シリーズのものが用いられていたり、字幕に使われるフォントや短いカットによる繋ぎなど、「エヴァ」的な演出が意図的に用いられていて、全体が庵野カラーに染め抜かれている。
一方で、オープニングやエンディングは、「ゴジラ」第1作へのオマージュのような映像(というよりそれそのもの)が用いられており、エンディングも伊福部昭の音楽によるお馴染みのもので、いつとも分からぬ時代に迷い込んでしまったような独自の趣を醸し出している。「シン・ゴジラ」が「ゴジラ」第1作の正統的な後継作であるとの庵野監督の矜持も垣間見える。

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2022年1月 2日 (日)

観劇感想精選(420) NODA・MAP番外公演 「THE BEE」2021大阪

2021年12月22日 グランフロント大阪北館4階ナレッジシアターにて観劇

午後6時30分から、グランフロント大阪北館4階のナレッジシアターで、NODA・MAP番外公演「THE BEE」を観る。原作:筒井康隆(「毟りあい」)、上演台本・演出:野田秀樹。阿部サダヲ、長澤まさみ、河内大和(こうち・やまと)、川平慈英による4人芝居である。井戸を演じる阿部サダヲ以外は、一人で複数の役を演じる。野田秀樹は出演しないが、NODA・MAPにおいて野田本人が出演しないのは初めてとなるようである。

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「THE BEE」は、9.11事件後の聖戦という名の報復をテーマに2006年にロンドンで英語版を初演。野田のオリジナル台本ではなく、筒井康隆の短編小説を原作とした脚本が書かれた。2007年に日本初演が行われている。
その後、2012年に日本語版が再演され、今回が再々演(三演)となる。前回、フェイクニュースを題材にした「フェイクスピア」を上演した野田秀樹が今の時期に「THE BEE」を取り上げるというのも興味深い。

阿部サダヲが客席後方から通路を通って舞台に上がる。このことにも実は意味があるように感じられる。

紙製の幕を用いた演出が特徴で、この幕に影絵が投影されるなど、シンプルな装置を上手く使っている。また、残虐シーンに鉛筆が多用される。


物語は、脱獄犯である小古呂(おごろ。演じるのは川平慈英)に我が家を占拠され、妻と息子が人質となっているサラリーマンの井戸(阿部サダヲ)が会社から戻ってきたところから始まる。井戸は自宅の前で警察官に止められるまで、我が家で何が起こっているのか誰にも知らされていなかった。家の前の通路は封鎖されており、帰ることが出来ない。更に警官やらマスコミ(川平慈英、長澤まさみ、河内大和が早替えで演じる)に取り囲まれ、被害者らしく振る舞うよう強要される。

事件をより見栄えあるものに変えるべく脚色が加えられる様は、つかこうへいの「熱海殺人事件」を想起させられるが、実はこの「THE BEE」は、「熱海殺人事件」へのオマージュ、更にはポスト「熱海殺人事件」の時代が描かれているような気がする。主人公が黒電話でがなり立てる場面があるほか、「熱海殺人事件といえば」の「白鳥の湖」が「THE BEE」ではオルゴールで流れ(長澤まさみが「白鳥の湖」であることをわざわざ告げるセリフがある)、更には「熱海殺人事件」におけるもう一つの重要楽曲である「マイウェイ」もちゃんと流れる。ハチャトゥリアンの「剣の舞」の日本語歌詞付きバージョン(尾藤イサオの歌唱、なかにし礼の作詞)や、プッチーニの歌劇「蝶々夫人」よりハミングコーラスなど、「熱海殺人事件」とは直接の関係がない楽曲も重要な場面で流れるが、野田秀樹の頭の中に「熱海殺人事件」が全くなかったとは考えにくい。

「熱海殺人事件」は、高度情報化社会が訪れ、イメージが事実に優先する時代を戯画風に描いた作品だが、今はポスト・トゥルースが当たり前のように幅を利かせる時代となっており、「フェイクスピア」で描かれたJAL123便墜落事故なども、「真相」という形を取って根拠不明の情報が溢れるようになってしまっている。そういう意味では現代は「熱海殺人事件」を数歩超えた時点に辿り着いてしまったという実感がある。それが今、「THE BEE」を再び世に問うた意義なのかも知れないが、ここではまず、「THE BEE」で描かれていることを追っていく。

妻と子を人質に取られた井戸は、「被害者を演じる力量が自分にはない」と悟り、案内役の刑事(川平慈英)の頭をバットで殴って拳銃を奪い、逆に脱獄犯・小古呂の妻(長澤まさみ)と小古呂の一人息子(川平慈英)を人質に取って、マンションの一室に立てこもる。

小古呂と連絡を取る内に、井戸に中に次第に狂気が芽生え始める。相手の家に押し入って妻子を人質に取るという行為からして異常だが、井戸のタナトスは次々に爆発していく。ついには小古呂を脅迫するために、小古呂の一人息子の指を切断し、封筒に入れて小古呂に送りつける。そうして井戸は小古呂の妻と情事に及び、翌朝は小古呂の妻が作った朝食を皆で共にする。そこへ、ドアポストから封筒に入れられたものが差し入れられる。井戸の一人息子の指であった。怒りに震える井戸であったが、また小古呂の息子の指を切断し、封筒に入れて送りつける。そして小古田の妻と情事に及び、翌朝には3人で食卓を囲み、そこへドアポストから井戸の息子の指を入れた封筒が投げ入れられる。それが繰り返される。
復讐の連鎖だが、何度も続いているうちに、それが日常風景のように思えてくる恐怖が観る者に忍び込んでくる。世界状況に照らし合わせれば、報復戦争が行われることが当たり前になり、感覚が麻痺していくのである。この連鎖が続いている間は、プッチーニの歌劇「蝶々夫人」のハミングコーラスが流れ続け、あと何回続くかは、長澤まさみが包丁でまな板を叩く回数でキューを出していることが分かる。

結局、21世紀に入ってからも人々は戦いを好み、己が信じるもののみを信じ続け、それが異常だという感覚すらなくなっていく。本当であること、「事実」、「真実」、それらに重みが置かれない。真偽に関わりなく自分の信じるものだけ信じるという姿勢。そうしたことが続けば人と人の間は切り裂かれ、共通の言葉も失い、寄って立つ場所もなくなる。
「熱海殺人事件」のイメージ優先がまだ可愛らしく思えるほど、我々は多数の「独善」が支配する怖ろしい場所へと、いつの間にか辿り着いてしまったのかも知れない。

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2022年1月 1日 (土)

観劇感想精選(419) 草彅剛主演「アルトゥロ・ウイの興隆」2021@ロームシアター京都

2021年12月23日 左京区岡崎のロームシアター京都メインホールにて観劇

午後5時から、左京区岡崎のロームシアター京都メインホールで、「アルトゥロ・ウイの興隆」を観る。2020年1月に、KAAT 神奈川芸術劇場で行われた草彅剛主演版の再演である(初演時の感想はこちら)。前回はKAATでしか上演が行われなかったが、今回は横浜、京都、東京の3カ所のみではあるが全国ツアーが組まれ、ロームシアター京都メインホールでも公演が行われることになった。ちなみにKAATもロームシアター京都メインホールも座席の色は赤だが、この演出では赤が重要なモチーフとなっているため、赤いシートを持つ会場が優先的に選ばれている可能性もある。アルトゥロ・ウイ(草彅剛)が率いるギャング団は全員赤色の背広を身に纏っているが、仮設のプロセニアムも真っ赤であり、3人の女性ダンサーも赤いドレス。演奏を担当するオーサカ=モノレールのメンバーもギャング団と同じ赤いスーツを着ている。

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アドルフ・ヒトラー率いるナチス・ドイツ(国家社会主義ドイツ労働者党)を皮肉る内容を持った「アルトゥロ・ウイの興隆」。元々のタイトルは、「アルトゥロ・ウイのあるいは防げたかも知れない興隆」という意味のもので、ベルトルト・ブレヒト(1898-1956)がアメリカ亡命中の1941年に書かれている。ナチスもヒトラーも現役バリバリの頃だ。ヒトラー存命中にその危険性を告発したものとしては、チャールズ・チャップリンの映画「独裁者」と双璧をなすと見なしてもよいものだが、すぐに封切りとなった「独裁者」に対し、「アルトゥロ・ウイの興隆」はその内容が危険視されたため初演は遅れに遅れ、ブレヒト没後の1958年にようやくアメリカ初演が行われている。ブレヒトの母国でナチスが跋扈したドイツで初演されるのはもっと後だ。

ブレヒトの戯曲は、今がナチスの歴史上の場面のどこに当たるのか一々説明が入るものであるが(ブレヒト演劇の代名詞である「異化効果」を狙っている)、今回の演出ではブレヒトの意図そのままに、黒い紗幕に白抜きの文字が投影されて、場面の内容が観客に知らされるようになっている。

作:ベルトルト・ブレヒト、テキスト日本語訳:酒寄進一、演出:白井晃。
出演は、草彅剛、松尾諭(まつお・さとる)、渡部豪太、中山祐一朗、細見大輔、粟野史浩、関秀人、有川マコト、深沢敦、七瀬なつみ、春海四方(はるみ・しほう)、中田亮(オーサカ=モノレール)、神保悟志、小林勝也、榎木孝明ほか。


禁酒法時代のシカゴが舞台。酒の密売などで儲けたアル・カポネが権力を握っていた時代であるが、アル・カポネの存在は、セリフに一度登場するだけに留められる。
この時代が、ナチス台頭以前のドイツになぞらえられるのであるが、当時のドイツは深刻な不況下であり、ユンカーと呼ばれる地方貴族(ドイツ語では「ユンケル」という音に近い。「貴公子」という意味であり、ユンケル黄帝液の由来となっている。「アルトゥロ・ウイの興隆」では、カリフラワー・トラストがユンカーに相当する)が勢力を拡大しており、贈収賄なども盛んに行われていた。
清廉潔白とされるシカゴ市長、ドッグズバロー(榎木孝明)は、当時のドイツの大統領であったハンス・フォン・ヒンデンブルクをモデルにしている。ヒンデンブルクはヒトラーを首相に指名した人物であり、ナチスの台頭を招いた張本人だが、この作品でもドッグズバローはアルトゥロ・ウイの興隆を最初に招いた人物として描かれる。

小さなギャング団のボスに過ぎなかったアルトゥロ・ウイは、ドッグズバローが収賄に手を染めており、カリフラワー・トラストに便宜を図っていることを突き止め、揺する。それを足がかりにウイの一団は、放火、脅迫、殺人などを繰り返して目の前に立ち塞がる敵を容赦なく打ち倒し、暴力を使って頂点にまで上り詰める。
ぱっと見だと現実感に欠けるようにも見えるのだが、欠けるも何もこれは現実に起こった出来事をなぞる形で描かれているのであり、我々の捉えている「現実」を激しく揺さぶる。

途中、客席に向かって募金を求めるシーンがあり、何人かがコインなどを投げる真似をしていたのだが、今日は前から6列目にいた私も二度、スナップスローでコインを投げる振りをした。役者も達者なので、「わー! 速い速い!」と驚いた表情を浮かべて後退してくれた。こういう遊びも面白い。

クライマックスで、ヨーゼフ・ゲッペルスに相当するジュゼッペ・ジヴォラ(渡部豪太)とアドルフ・ヒトラーがモデルであるアルトゥロ・ウイは、客席中央通路左右の入り口から現れ、客席通路を通って舞台に上がるという演出が採られる。ナチス・ドイツは公正な民主主義選挙によって第一党に選ばれている。市民が彼らを選んだのである。市民に見送られてジヴォラとウイはステージに上がるという構図になる。

アメリカン・ソウルの代名詞であるジェイムズ・ブラウンのナンバーが歌われ、ステージ上の人物全員が赤い色の服装に変わり、ウイが演説を行って自分達を支持するよう客席に求める。ほとんどの観客が挙手して支持していたが、私は最後まで手を挙げなかった。お芝居なので挙手して熱狂に加わるという見方もあるのだが、やはり挙手ははばかられた。ただ、フィクションの中とはいえ、疎外感はかなりのものである。ナチスも熱狂的に支持されたというよりも、人々が疎外感を怖れてなんとなく支持してしまったのではないか。そんな気にもなる。流れに棹さした方がずっと楽なのだ。

アルトゥロ・ウイがヒトラーの化身として告発された後でも、音楽とダンスは乗りよく繰り広げられる。その流れに身を任せても良かったのだが、私はやはり乗り切ることは出来なかった。熱狂の中で、草彅剛演じるアルトゥロ・ウイだけが身じろぎもせずに寂しげな表情で佇んでいる。ふと、草彅剛と孤独を分かち合えたような錯覚に陥る。

こうやって浸ってみると孤独を分かち合うということも決して悪いことではない、むしろ世界で最も良いことの一つに思えてくる。誰かと孤独を分かち合えたなら、世界はもっと良くなるのではないか、あるいは「こうしたことでしか良くならないのではないか」という考えも浮かぶ。

ヒトラーが告発され、葬られても人々のうねりは止まらない。そのうねりはまた別の誰かを支持し攻撃する。正しい正しくない、良い悪い、そうした基準はうねりにとってはどうでもいいことである。善とも悪ともつかない感情が真に世界を動かしているような気がする。


大河ドラマ「青天を衝け」で準主役である徳川慶喜を演じて好評を得た草彅剛。私と同じ1974年生まれの俳優としては間違いなくトップにいる人である。横浜で観た時も前半は演技を抑え、シェイクスピア俳優(小林勝也。ヒトラーは俳優から人前に出るための演技を学んだとされるが、ヒトラーに演技を教えたのはパウル・デフリーントというオペラ歌手であると言われている。「アルトゥロ・ウイの興隆」でシェイクスピア俳優に置き換えられているのは、この作品がシェイクスピアの「リチャード三世」を下敷きにしているからだと思われる)に演技を学んでから生き生きし出したことに気づいたのだが、注意深く観察してみると、登場してからしばらくは滑舌を敢えて悪くし、動きにも無駄な要素を加えているのが分かる。意図的に下手に演じるという演技力である。


演説には乗れなかったが、スタンディングオベーションは誰よりも早く行った。良い芝居だった。

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2021年9月27日 (月)

2346月日(34) 生誕120周年「杉原千畝展 命のビザに刻まれた想い」@京都髙島屋

2021年9月21日 四条河原町の京都髙島屋7階グランドホールにて

京都髙島屋7階グランドホールで、生誕120周年「杉原千畝展 命のビザに刻まれた想い」を観る。

リトアニアの駐在大使時代に、ナチスドイツに追われたユダヤ人に多くの日本経由のビザを発給し、命を救ったことで知られる杉原千畝(ちうね。愛称は有職読みした「せんぽ」)。スティーヴン・スピルバーグ監督の映画「シンドラーのリスト」が公開された際にも、「日本のシンドラー」として注目を浴びている。

杉原千畝は、1900年1月1日、岐阜県生まれ。父親が税務官で転勤が多かったため、福井県、石川県、三重県などに移り住む。小学校もいくつか変わっているが、名古屋古渡尋常小学校を卒業。成績優秀で表彰されており、その時の表彰状の実物が展示されている。中学校は愛知県立第五中学校(旧制。愛知県立瑞穂高等学校の前身)に進む。この学校からは江戸川乱歩こと平井太郎も出ており、後年、杉原千畝と江戸川乱歩がOB会で一緒に写った写真があって見ることが出来るが、学年としては乱歩こと平井の方が5つ上であり、旧制中学校は5年制であったので、丁度入れ替わりとなるようだ。

当時、日本領であった朝鮮の京城(ソウル)に単身赴任していた父親は、千畝が医師になることを望んでおり、京城医学専門学校を受けるよう勧めるが、千畝自身は得意だった外国語を生かせる仕事に就くことを望んでいたため、京城医学専門学校の入試を受けるには受けたが、白紙答案を出して帰り、父親を激怒させた。事実上の勘当となった千畝は、単身東京に移り、早稲田大学高等師範部(現在の教育学部の前身)英語科予科に入学。その後、本科に上がるが、勘当同然であったため仕送りもなく、アルバイトで学費を稼いでいたが、それも限界。「卒業まで資金が持たない」と思っていたところで、大学の図書館に張り出されていた「英語独語仏語以外の官費留学生募集」の広告を目にして受験。試験勉強は1ヶ月ほどしか出来なかったが、元来天才肌だった千畝は見事に合格。早大を中退し、ロシア語を学ぶためハルピンに渡ってハルビン学院で給料を貰いながら勉学に励む。
千畝はロシア語学習能力にも秀でており、ほどなく「ロシア人の話すロシア語と遜色ない」と呼ばれるまでになる。
その後、そのまま満州勤務となり、ロシア人の女性と結婚するが、この最初の結婚は10年持たず、また千畝が白系ロシア人(反ソビエト共産党のロシア人)と親しく付き合っていたため、ソビエトの人々からは「危険人物」と見られていたようである。

ということで、ロシア語を学んだ千畝だが、ロシア本国に派遣されることはなく、まずはロシアとの関係が深かった、というよりはロシアの支配が長かったフィンランドの日本公使館に赴任することになる。
その後、バルト三国の一番南にあるリトアニアの日本総領事代行として移る。リトアニアの首都はヴィリニュスであるが、当時はポーランドとの国境争いでポーランド領となっていたため、臨時首都がカウナスに置かれていて、千畝もここで勤務している。

1939年9月1日、ナチスドイツがポーランドに侵攻。第二次世界大戦が始まる。ポーランドに隣接したリトアニアは、一時はヴィリニュスを取り返すも、その後にリトアニアはソビエト連邦の一国として吸収される。

そんな中、危機感を抱いたユダヤ人達が、カウナスの日本領事館を訪ねてくる。亡命のために、シベリア鉄道に乗り、日本の敦賀港まで出て日本国内を通り、オランダ領キュラソー、上海、オーストラリアなどへ逃げることを目指していた人達だ。名簿が展示されているが、ポーランド人が最も多く、リトアニア人、ドイツ人、チェコスロヴァキア人(現在はチェコとスロヴァキアに分離)などが続く。カナダ国籍やアメリカ国籍、イギリス国籍の人もいた。

千畝は自身では判断せず、まず日本の外務省に電報を打っている。時の外務大臣は有名な松岡洋右だが、松岡の指示は、「亡命先の受け入れが確実な者には速やかにビザを発給すること」で、これではビザを発給出来る者はかなり限られてくる。何度か電信でのやり取りがあったことが分かるが(実物が展示されている)、千畝は一晩中考えた末、「人道、博愛精神第一」の立場から独断でビザを発給することを決意する。千畝は亡命者全員に、「お幸せに、お気を付けて」との言葉を掛けたそうである(何語で掛けたのかは不明)。その後、プラハに異動になった千畝はそこでもビザを発給。外務省からは、「ビザを発給しすぎではないか」「チェコスロヴァキアという国は(ドイツに併合されて)もうないのだから、チェコスロヴァキア人にはビザを発給しないように」との苦情も来たようである。リトアニアを支配したソ連側からも、「リトアニアはもう独立国ではないのだから退去するように」との命令を受けたが、ギリギリまで粘ってビザを発給し続けた。
その後、ヨーロッパを転々とし、ルーマニアのブカレストで収容所生活を送った後で日本に戻った千畝と家族であるが、結果的には外務省をクビになり、連合国側のPXの東京支配人、ロシア語講師、NHK国際局など職を転々とすることになる。彼が就職活動の際に書いた履歴書(今のような専用用紙ではなく、白い紙に横書きで書き付けたもの)も展示されている。

その間、実は千畝に命を助けられたユダヤ人達は恩人である千畝の消息を探していた。一説には、彼らが「すぎはら・ちうね」ではなく、愛称の「すぎはら・せんぽ」で記憶していたため、千畝を見つけるのが遅れたとも言われるが、外務省が千畝の存在を黙殺した可能性もあるようだ。
1968年にイスラエル大使館から電話を受けた千畝は、ビザを発給したユダヤ人の代表、ニシェリ氏と再会することになり、功績が讃えられることになる。だが日本において杉原千畝の名誉が回復されるのは彼の死後を待たねばならなかった。

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2021年8月21日 (土)

これまでに観た映画より(266) 「デニス・ホー ビカミング・ザ・ソング」

2021年8月11日 京都シネマにて

京都シネマでドキュメンタリー映画「デニス・ホー ビカミング・ザ・ソング」を観る。
英語と広東語による作品。北京語は、中国共産党の幹部などの発言など、一部で使われているのみである。スー・ウィリアムズ監督作品。

21世紀初頭にデビューし、香港を代表する女性シンガーとなったデニス・ホー(何韻詩)。1977年、教師をしていた両親の下、香港に生まれるが、1989年に第二次天安門事件が発生したことで、「教師が弾圧される可能性は否定出来ない」と考えた両親と共にカナダのモントリオールに移住。そこで様々な音楽に触れることになる(モントリオールにある大学で音楽を学んだ作曲家のバート・バカラックが以前、「モントリオールはポピュラー音楽が盛んな街」と話していたのを読んだことがある)。中でもデニス・ホーの心を捉えたのは、当時、香港最大の歌姫として君臨していたアニタ・ムイである。

香港ポップス初の女性スターといわれるアニタ・ムイ(梅艶芳)。一時は、「香港の美空ひばり」に例えられたこともある。
自身で作詞と作曲も始めたデニスは、「アニタ・ムイに会いたい」という一心で一人香港に戻ってオーディション番組などに参加。見事、グランプリを獲得してデビューすることになる。最初の頃は「カナダから来た子」であり、金もないし仕事もないしと苦しみ、アニタ・ムイにも余り相手にして貰えなかったようだが、デニスは自らアニタに弟子入りを志願。アニタと共演するようになり、アニタとデニスは師弟関係を超えた盟友のような存在となる。香港に帰ってくるまでは政治には関心がなかったデニスだが、アニタが社会問題に関する発言が多いということで、香港を巡る様々な問題に真正面から取り組むことになる。

元々同性愛者だったデニスだが、LGBTが香港でも注目された2012年に、レズビアンであることをカミングアウト。これがむしろ共感を呼ぶことになる。

中国共産党による香港の締め付けが厳しくなり、 2014年に「逃亡犯条例」を香港政府が認めそうになった時には、自ら「雨傘運動」と呼ばれる若者達中心の抗議活動に参加。座り込みによる公務執行妨害で逮捕されたりもした。

香港はアジアにおける重要な貿易拠点であり、人口も約750万人と多いが、音楽的なマーケットとしては規模が小さい(ちなみに東京23区の人口は約960万人である)。小室哲哉が凋落する原因となったのも香港の音楽マーケットとしての弱さを知らずに進出したためだったが、規模の小ささは香港出身のアーティストとっても重要な問題で、すでに90年代には香港のトップスター達は北京語をマスターして、中国本土や台湾に活動の場を拡げていた(リトル・ジャッキーことジャッキー・チュンなどは簡単な日本語をマスターして日本でもコンサートを行い、また北京出身で、香港を拠点に北京語、広東語、英語を駆使して歌手活動を行っていたフェイ・ウォンは、日本人以外のアジア人として初めて日本武道館でのコンサートを、しかも2回行っている)。デニスも北京語歌唱のアルバムを発表し、中国の主要都市でコンサートも行うようになっていた。中国ではテレビコマーシャルにも出演。ギャラの9割以上は中国本土から受け取っていた。それが香港の民主主義体制維持活動によって逮捕されたことで、中国での仕事、そしてギャラも当然ながらなくなり、香港での活動も制限されることになる。今は中国本土に入ることも出来ないようだ。
だがその後もデニスは一国二制度(一国両制)と香港の自由を訴えるために世界各国に赴いている。パリやワシントンD.C.で、デニスは法治国家でなく基本的人権も守られない共産党中国の危険性を訴えており、立ち寄った外国のライブハウスで、メッセージ性の強い歌詞を持つ曲を歌い続けている。

そんなデニスであるが、やはり子供の頃から憧れ、長じてからは姉のように慕う存在となったアニタ・ムイをどこかで追いかけていることが伝わってくる。出会ったばかりの頃は、アニタの真似をしており、逮捕後初のコンサートでもアニタを思わせる衣装を纏ったデニス。子宮頸がんによって2013年に40歳というかなり若い年齢で他界したアニタ・ムイの意志を継いでいる部分は当然あるのだろう。今はアニタ・ムイを超えたという意識はあるようだが、40年という短い人生ではあったが香港の黄金期の象徴の一つであり続けたアニタ・ムイに対する敬慕の念が薄れることはないはずである。アニタ・ムイの音楽における後継者であるデニス・ホーが、アニタ・ムイの姿勢をも受け継いだように、デニス・ホーの曲が歌い継がれることで香港人の意志も変わっていくのか。現在進行形の事柄であるだけに見守る必要があるように思う。

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2021年5月18日 (火)

観劇感想精選(397) 野田秀樹 作・熊林弘高 演出 「パンドラの鐘」2021@兵庫県立芸術文化センター

2021年5月13日 西宮北口の兵庫県立芸術文化センター阪急中ホールにて観劇

午後6時30分から、兵庫県立芸術文化センター阪急中ホールで、「パンドラの鐘」を観る。今でも野田秀樹の代表作の一つに挙げられる名戯曲の上演である。演出は熊林弘高。出演:門脇麦、金子大地、松尾諭(まつお・さとる)、柾木玲弥(まさき・れいや)、木山廉彬(きやま・ゆきあき)、長南洸生(ちょうなん・こうき)、八条院蔵人、松下優也、緒川たまき。比較的若い俳優がキャスティングされているが、名前を見ただけで若い世代の人が多いということが分かる(芸名の人も勿論いる。意図されたのかどうかはわからないが、門脇麦と緒川たまきの名前と役のイメージがひっくりかえっているのも面白い)。声の出演:野田秀樹。野田秀樹が芸術監督を務める東京芸術劇場の制作で、野田秀樹本人が許可を出した新演出版での上演となる。
今回の新演出では、ラスト付近が改変されているのが最大の特徴である。

1999年の暮れに初演された「パンドラの鐘」。同一の戯曲を野田秀樹の自作自演と蜷川幸雄演出の2バージョンでほぼ同時期に上演されたことで話題を呼んだ。野田秀樹演出版は三軒茶屋の世田谷パブリックシアターで、蜷川幸雄演出版は渋谷の東急Bunkamuraシアターコクーンで上演されている。「シアターガイド」などの演劇専門誌や、「ぴあ」などの情報誌にも野田秀樹や蜷川幸雄のインタービューが載り、野田秀樹は「あっちは渋谷でこっちは三軒茶屋。その時点で負けている」と言っていたり、蜷川幸雄がこれまでの野田の演出を評して、「あいつは綺麗にやり過ぎる。だから駄目なんだ」と口撃していたりと、言動でも盛り上がっていた。
すぐそこに迫った2000年は「ミレニアム」という名称を新たに与えられており、華やいだ雰囲気がまだあった。

「パンドラの鐘」とは、長崎に投下された原子爆弾「ファットマン」と広島に投下された原子爆弾「リトルボーイ」(鐘を説明する「金に童」の「童」である)、長崎の鐘などのイメージを重ねたものであり、「戦争責任」という重いテーマを扱った作品である。夢の遊眠社時代は、今聴くと面映ゆくなるほど詩的な言葉選びと、掛詞などを中心とした言葉遊び、古典的な作品からの引用などをちりばめて、イメージの世界を拡大した野田秀樹だが、イギリス留学をきっかけに社会的なテーマを題材に選ぶようになっており、戦争、天皇制、差別、貧困、暴力、アウトローなどを独自の筆致で描くようになる。
昭和天皇の戦争責任というきわどい問題に触れながら、当時の右翼に絶賛されたことでも話題になった。

実際のところは、私は世田谷パブリックシアターにもシアターコクーンにも行けなかったのだが(当時はまだインターネットが十分に発達しておらず、チケットの購入は電話か店頭のみで、人気公演のチケットを手に入れるのはかなり難しかった)、共に収録されたものがNHKBSで放送されており、比較が可能になった。
アクションと見立て重視の軽妙な野田演出に対して、蜷川幸雄の演出はあたかもシェイクスピア作品に挑むかのような重厚なものであった。蜷川がシェイクスピア作品のような演出を行ったのには訳があり、「パンドラの鐘」ではシェイクスピアの「ハムレット」が重要なモチーフとして使用されているのである。題材とされているのは他に、「古事記」などに描かれる日本の神話、邪馬台国などの古代国家、大正天皇知的障害者説、二・二六事件、統帥権問題、道成寺もの、長崎原爆、長崎を舞台としたプッチーニの歌劇「蝶々夫人」などである。
1936年から1941年に掛けての長崎と、古代の長崎にあった王国とが交互に描かれるのが最大の特徴。

野田版でも蜷川版でも一人二役はあったが、今回の熊林版ではそれがかなり徹底されており、タマキとヒメ女を門脇麦が、オズとミズヲを金子大地が、カナクギ教授と狂王を松尾諭が、イマイチと古代の未来の参謀を柾木玲弥が、ピンカートン未亡人とヒイバアを緒川たまきが演じており、過去と未来とが一対(生まれ変わりに相当する可能性を残す)になるよう工夫されていて、「歴史は繰り返す」の構図が見やすくなっている。ちなみに野田秀樹演出版では、野田秀樹がヒイバアを演じており、先王の葬儀の演出をしたヒイバアにミズヲが「ちゃちな演出」と難癖を付けて、ヒイバアを演じる野田秀樹が「この私が演出した葬式がちゃちだっていうの?!」と怒るセリフで爆笑の嵐が起こっていた。ただ蜷川版でも熊林版でもそれは特に意味のないセリフとなっている。なお今回はヒイバアにアラフィフとはいえバアと呼ぶにはまだ若い緒川たまきをキャスティングしたことで、ハンニバル(松下優也)とヒイバアが男女の関係であるという演出が出来るようになっている。

1936年、国をひっくりかえそうとした二・二六事件が起こる直前のこととして物語は始まる。長崎の遺跡発掘現場で、オズ(「オズの魔法使い」に登場する島国、オズ王国が由来か)とカナクギ教授が「ひっくりかえった古代の舟」のようなものとそのそばにあった釘や人骨などを発見する。それが邪馬台国とは異なる、ヒメ女(ひめじょ)という女王を頂く古代国家発見の可能性へと繋がるのだが、カナクギ教授は教授の肩書きを得ているものの、自分の意見や考えといったものは持っておらず、ほぼ全て他人のものを剽窃して上り詰めてきた男である。今回も助手であるオズの意見を悉くパクリ、オズの恋人まで奪い、論文もオズが書いたものを自身とタマキの共著であるとして発表する。
そういうことを許してしまうオズというのが、実に鈍い男であり、恋人であるはずのタマキがカナクギ教授と関係を持ったことを仄めかしても何一つ気がつかない。古代に向かう想像力は豊かだが、目の前のことは何も見えていないのである。
だが、オズが書き、カナクギ教授が発表しようとした説は、古代から来たハンニバルによって阻止される。今、国のために犠牲になった王がいたということが明らかになれば、国体が保てない。

ヒメ女は14歳で即位。この14歳というのが実は重要である。シェイクスピア劇に登場するオフィーリアやコーディリアといった有名ヒロインが14歳前後という設定なのである。シェイクスピア劇にはあと2週間で14歳の誕生日を迎える13歳のジュリエットなど、他にも年齢の近いヒロインが何人か登場する。当時の結婚適齢期がこれぐらいの年齢ということもあるが、シェイクスピアの時代には男性しか舞台に上がることが出来なかったため、ヒロインは少年が演じたのだが、少年が演じてそれっぽく見えるのは声変わりを迎える前の14歳前後が限界だったという事情もあったようである。同じような年齢のヒロインが多いのはそのためだ。ヒメ女は「柳の下で」で始まる幽霊とのダブルミーニングの象徴的なセリフで自身のモチーフがオフィーリアであることをさりげなく知らせる。

今回の演出では即位したばかりのヒメ女がハンニバルやヒイバアの操り人形(傀儡)であることが強調されている。実はここに新しい解釈を入れる余地があると思うのだが、今のところそうした解釈を分かるように入れた演出は存在していないようである。

最初は言われるがままだったヒメ女であるが次第に自立していき、ハンニバルとヒイバアもヒメ女を怖れるようになる。ちなみにヒイバアがヒメ女の性格を「ちょっと言い過ぎ」と言いつつ絶賛する場面があるが、これもオフィーリアがハムレットの資質を讃える場面のパロディーであると思われる。

「ハムレット」では、主人公のハムレットが佯狂を演じる場面が有名だが、「パンドラの鐘」ではこのパロディーがヒメ女の兄である先王が狂ったという設定で登場する。狂ったということを民衆に悟られないために先王はハンニバルとヒイバアによって幽閉される。公には先王は死んだということにされ、葬儀が行われ、ミズヲら墓掘り人達(「ハムレット」にも墓掘り人達による有名な場面がある)によって埋葬されることになるのだが、棺桶の中に入っていたのは実は猫の死体であった。
口封じのために生き埋めにされるはずだったミズヲ達だが、ミズヲの挑発にヒメ女が乗ったことで生きながらえる。ミズヲは生きている人間よりも死体の方がよっぽど人間らしいと考えおり、また死んだ人間が化けて出てきたら再会したことを喜ぶべきだと説く(幽霊に関するセリフは、先王ハムレットの幽霊登場の場面を踏まえていると思われる)。
ヒメ女の王国は、デンマークを含むスカンジナビアの国家のように海賊(ヴァイキング)行為を行うことで国力を付けてきた。ヒメ女の王国があった長崎の地下からは世界中から集められた様々な遺物が見つかり、博物館のようになっている。このあたりは、カナクギ教授の人物像、引いては野田秀樹自身の作風へのカリカチュアとなっているようにも思われる。
その海賊行為によって、オズとカナクギ教授が発見するようになる「ひっくり返った船のようなもの」もミズヲによって長崎へと運ばれていた。ヒメ女の王国の人々もその正体が分からず、パンドラという都市の辺りで見つけたものだが、これは「なにかね?」ということでパンドラの鐘と名付けることにする。
実はヒメ女の王国は見えない敵と戦争中なのだが、最近では連戦連敗。ハンニバルとヒイバアはそれを隠すため、偽のニュースを流し、海岸の打ち寄せた死体を海へと投げ戻すよう命じていた。

野田版でも蜷川版でもパンドラの鐘は舞台上に置かれていたが、今回はそれらしき部分がある背景は置かれているものの、パンドラの鐘そのものを表すセットは存在せず、パンドラの鐘を描写した部分のト書きを野田秀樹が朗読している音声が流れる。

ヒメ女には、オフィーリアの他に卑弥呼や天照大神のイメージが重ねられているが、真の意味でのモデルは性別はひっくりかえっているが昭和天皇である。狂王の次の王ということなのだが、昭和天皇の父親である大正天皇には、その在位中から「知的水準に問題があるのではないか」という噂が流れていた。「遠めがね事件」など有名な話もあり、この作品でも狂王のモデルが大正天皇であることが分かるよう取り入れられている。実際には大正天皇は文学の才能にも秀でており、「明治天皇に比べると」ということだったようだが、病弱だったのは確かであり、皇太子だった裕仁親王が摂政に立ったことで噂は更に広がることになった。皇室の系統に、冷泉帝や陽成帝といったちょっとおかしな天皇が存在することもそれに輪を掛けたであろう。
性別がひっくりかえっていることについては、ヒメ女と昭和天皇の他に、いざなぎいざなみをモデルにしたような話でも同様の場面があるなど、何度も用いられている。

タマキの母親のピンカートン未亡人は、プッチーニの歌劇「蝶々夫人」に登場するピンカートンの孫の妻という設定であるため、タマキ(「蝶々夫人」で世界的なスターとなった三浦環がその名の由来であると思われる)はピンカートンのひ孫ということになる。ピンカートン未亡人は祖父のピンカートンが日本の幼い娘を自身のせいで自殺に追い込んでしまったことを悔い、ピンカートン財団を築いて長崎の発掘事業に貢献していることを語る。ただ、ピンカートン未亡人もタマキも蝶々夫人の自殺については否定的である。野田版と蜷川版で最も解釈が異なったセリフは、タマキが蝶々夫人を評した「待つなんてバカ、まして死ぬなんて、もっとバカよ」というものだったと思われるが、今回はこのセリフが発せられる場面が変更されていたため、全くと言っていいほど目立たなかった。これはミズヲの「生きるべきか死ぬべきかそれは問題じゃない、どう死ぬのか、それがが葬式屋の問題だ」という「ハムレット」由来のセリフにも呼応する重要なセリフであるため、ちょっと物足りなく感じた。
蝶々夫人は「恥をかかされたら死ぬしかない」という日本の倫理観の犠牲になったのであるが、ここで問われているのは、責任を取って死ぬべきかということであり、「死を持って詫びる」ことを美徳とする日本人の意識であり、戦争責任を取って死を受け入れるという可能性のことを指してもいる。ただ、当時の日本の上層部に戦争責任を取らされることを拒んだ人達がかなり多かったというのも事実で、終戦間際の時点で、すでに江戸時代からの美意識は崩れつつあったようにも思う。そうした上層部の意識も戦争の責任と昭和天皇の退位とを結びつけることになる。

同音異義語などを多用する言葉遊びは今も変わらず野田演劇の特徴だが、今回は若手俳優中心のキャストということが災いしたようで、アクセントを間違えたために意味が通じないセリフになっていたり(「彼方(あなた)」を「貴方」の発音で言うなど)、言葉で情景を描くためにセリフにメリハリを付ける必要があるのだが上手くいかなかったりと、野田版や蜷川版の豪華キャストの演技を知っている者にとっては歯がゆい出来となった。これまた野田演劇の特徴である早口によるセリフ回しが今回も行われていたが、相手のセリフとの間を詰めすぎたため、人の言うことを聞かずに話し始めてしまう人々のように見えたのはかなりのマイナスである。相手を見ないと成立しないはずのやり取りが対面しないまま行われたのも意図がよく分からない。ミュージシャンの名を挙げる場面で、1999年当時に全盛を誇っていた小室哲哉ではなく、小室は小室でもミュージシャンではなく皇室絡みで話題のあの人の名前に変えていたりしたが、ここも余り意味はなかったように思う。
ただ、演技面では十分とはいえなかったが、緊急事態宣言発出の中で熱演を繰り広げた俳優達を、終演後は多くの人がスタンディングオベーションで讃えた。こういう時なので、出来不出来は横に置き、芝居に出演してくれるだけでも尊敬に値すると思う。

ラストであるが、本来のラストとその前のシーンをひっくりかえすというかなり大胆なものである。本来のラストは「パンドラの箱」に掛けた希望を語るミズヲの独白で終わるのだが、今回は古代のヒメ女の王国ではなく、1941年12月8日の長崎をラストシーンとする。オズがアメリカに向かうタマキに、「この戦争が終わったら、また長崎で逢いましょう。天主堂(爆心地のそばにあった浦上天主堂のこと)の前に流れる浦上川の畔で必ず」と再会の約束をする場面である。歌劇「蝶々夫人」とは立場がひっくりかえっており、女の方が長崎を去り、男が帰りを待つのである。本来のラストでミズヲは未来の話をした。今回の演出ではその未来の話として、タマキとオズのシーンをラストに回した。歴史そのままなら浦上で待ち続けたオズは長崎原爆により間違いなく命を落とす。ラストに流れる音楽は、マーラーの交響曲第5番よりアダージェット。様々な解釈が可能な曲だが、「愛と死」がない交ぜになったイメージが強い。棺桶にも使われたセットの中にミズヲは自ら身を沈めていき、タマキは背後のセットの一番高い部分、ひっくりかえったアーチのような場所(本来なら船の舳先なのだが、ひっくりかえった浦上天主堂のアーチに見える)にしばし佇む。本来はここで発せられるセリフが、先に挙げた「待つなんてバカ、まして死ぬなんて、もっとバカよ」なのだが、更に前のシーンに置き換えられたため、事実上、カットされたことになり、オズの言葉にタマキは応えない。ここでそのセリフを言ってしまうと答えを出したことになるためカットするということになったのだろう。
後ろを向いたままのタマキは、前後をひっくりかえしたマリア像のようにも見える。少なくとも色は一致している。
答えが用意されない祈りのような風景によって、今回の「パンドラの鐘」は幕を下ろした。

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