カテゴリー「ヨーロッパ映画」の40件の記事

2025年4月15日 (火)

これまでに観た映画より(385) 浅野忠信&瀧内公美「レイブンズ」

2025年3月31日 京都シネマにて

京都シネマで、フランス・日本・ベルギー・スペイン合作映画「レイブンズ」を観る。現代の無頼のような生き方をした写真家の深瀬昌久と妻の洋子の人生を描いた伝記風作品である。伝記とは書いたが、生き方そのものよりも二人の関係性に重点が置かれている印象である。監督はイギリス・マンチェスター出身のマーク・ギル。最初、グラフィックデザインを学び、ミュージシャンに転向。その後、映画監督への再転向を果たしたという異色の人物である。脚本とプロデューサーも兼任。日本贔屓で日本語も学んでいる最中だという。2015年にイギリスの新聞で深瀬の記事を読み、興味を持ったのが今回の映画の入り口だという。
出演は、浅野忠信、瀧内公美、古舘寛治、池松壮亮、高岡早紀ほか。浅野忠信と瀧内公美に関しては、日本映画にも詳しいマーク・ギル監督によるキャスティングのようである。

浅野忠信が演じる深瀬昌久(ふかせ・まさひさ。1934-2012)は、北海道生まれの写真家。本名は同じ字で「よしひさ」と読むようである。写真館を経営する家に生まれ、日本大学藝術学部写真学科卒。いくつかの企業勤めを経てフリーの写真家に。奥さんの洋子(この映画では瀧内公美が演じる)をモデルにした写真で名を挙げ、1974年にニューヨーク近代美術館(MoMA)での写真展への出展により海外にも進出。しかし実家の離散などもあって酒量が増え、酔って階段から転落し、脳挫傷を負い、以後回復することなく10年後に他界している。

 

変わった人物であることを表すためか、首つり自殺する瞬間をカメラに収めようとするシーンなどから始まる。
深瀬にしか見えない巨大な烏(レイブンズ。「ツクヨミ」。ホセ・ルイス・フェラーが演じる)がおり、英語で深瀬に話しかけてくる。深瀬は英語はよく分からないはずだが、烏の言葉は分かる。烏は時に深瀬を導き、後押しをする。烏の存在により、この映画は日本語と英語の二カ国語作品となっている。

深瀬昌久(若い頃の深瀬は別の俳優が演じている)は、日大藝術学部写真学科に合格するが、父親の助造(古舘寛治)は、「写真館に大学の教育はいらない」と合格通知書を破り捨ててしまう。この厳父の存在が昌久の人格形成に大きな影響を与えているのは間違いなさそうだ。時間は飛ぶ。結局、昌久は日大藝術学部に進学して卒業したことが分かる。そして鰐部洋子(彼女も、Ocean Childである)という魅力的な女性と出会い、写真のモデルになって貰い、やがて結婚する。洋子は能楽師になりたいと思っていたようだが、今でこそ女性能楽師は珍しくない、というより私も知り合いに女性能楽師がいたりするのだが、この時代は女性は能楽師にはまだなれないようである(観世、金春、金剛、宝生、喜多という派に入ることは出来たが、能楽師として正式に登録出来るようになるのは2004年から)。だが、能楽の訓練は受けることにし、深瀬の稼ぎと洋子のパート代が費用として当てられることになる。だが、深瀬は芸術系の写真家であるため、余りお金は稼げない。そこで気は進まないが広告などの商業写真の仕事も手掛けるようになった。その頃には助手となる正田モリオ(池松壮亮)とも出会っている。
だが、商業写真にはどうしても乗り気になれない。昌久は芸術写真に戻り、十分な稼ぎが得られなくなってしまう。洋子も不満である。
北海道の実家に帰った深瀬。洋子も連れて行く。しかし、助造を怒らせた深瀬は打擲され続ける。洋子は青ざめたような顔でそれを見ていた。助造は最後には写真館倒産の責任を取って自裁した。深瀬は厳しかった助造が、自身が特集された写真雑誌を買っていたり、深瀬家での写真をスクラップブックに入れていたりと、深瀬のことを気に掛けていたことを知る。

そんな中、1974年(どうでもいいことだが私の生まれた年)、MoMAことニューヨーク近代美術館から写真を出展しないかという話が舞い込む。二人でニューヨークへと乗り込む二人。だが注目を浴びたのはモデルを務めた洋子の方であった。この頃から二人の間に溝が出来始める。洋子は洋子で、実際の洋子ではなく写真に収められたモデルの洋子が現実の洋子を飲み込むような気分になっていたと思われる。また夫がカメラ越しにしか自分を見ておらず、見られたのは自分ではなく夫自身、夫は自分のことしか見ていないと不満を募らせる。
結局、洋子は深瀬の家には戻らず、二人は別れた。それでも洋子が深瀬の家を訪ねた日、深瀬は短刀(脇差し)で洋子の背中を斬りつける。深瀬の家は屯田兵として北海道に渡った旧士族であり、廃刀令で刀は失ったが、旧士族の家によくあるように切腹用の脇差しは隠し持っていたようである(銃刀法違反にはなる)。旧士族らしく「男、四十にして功成らざれば、死をもって恥をすすぐべし」との家訓があり、父親から脇差しを渡されていた。旧士族の家には、切腹の仕方を伝授する家もあるようだが、多分、そこまでのことは深瀬家ではやっていなかっただろう。
とにかく刃傷沙汰となり、洋子が警察に通報したため、深瀬は逮捕される。重い罪にはならなかったようだ(この刃傷沙汰が事実なのかどうか確認は取れなかった)。離婚が成立する。
これで深瀬と洋子は終わり、にはならなかった。数年後、烏や猫などを題材とした深瀬の写真展を観に洋子が現れる。洋子は三好という男と再婚しており、三好洋子となっていた(エンドロールに、SpeciaL Thanks:Yoko Miyoshiの文字がある)。三好の身分は分からないが、大企業の重役風であり、洋子の言葉遣いも上品になっていた。これが二人の最後、にはやはりならなかった。行きつけのバーの階段から転落し、後頭部を打った深瀬。重症であり、以後、意識がハッキリしない状態が続く。老人ホームに入った深瀬を見舞う洋子。自分のことが分かっているのかさえ判然としない深瀬を見て複雑な思いでホームを去る。ホームの上には深瀬の象徴のような烏が舞う。これで終わり、にはならない。洋子はなんと深瀬が亡くなるまで10年間、見舞いを続けたのだった。

 

なんとも妙な二人。どこかで見たような関係だが、竹久夢二とたまきの間柄にそっくりである。画家・詩人・挿絵画家の夢二と、写真家の深瀬の違いはあるが、別れ際に刃傷沙汰になったり、それで永遠の別れかと思いきや延々と関係は続き、最期を看取ったというところまでそっくりである。深瀬と洋子が意図して似せた訳ではないだろうが、同じようなことをしている芸術系カップル、それも夢二とたまきほどには有名ではない二人がいた、というのは面白いことである。やっていること自体は面白い訳ではないのだが。
実際には、深瀬も洋子と別れた直後に再婚しており、深瀬と洋子は必ずしも映画内のような関係ではなかったとも考えられる。
脚本・監督のマーク・ギルはイギリス人であるため、竹久夢二とたまきを知っているのかどうかすら不明だが、「新版 夢二とたまき」を観たような気分になった。なお、洋子もたまきも金沢出身である。

深瀬が経済的な成功とは遠かったのは、洋子とは団地に住み、最後も家賃の安そうなアパートで一人暮らししていることからも分かる。誰もが知るほどの有名な存在にはなれなかったが、成功と言えるだけの体験はした。それでも芸術で食べていくのは大変なようである。

 

才能あるが故に、一般的な生活には馴染めない深瀬を浅野忠信が快演。最愛の女性となる洋子を演じた瀧内公美もチャーミングな場面から深瀬に迫る激しい表情まで幅広く「被写体に相応しい女」を演じている。半月ほど前に、サインを頂くために瀧内公美さんに至近距離で会ってお話も少ししたのだが、「この人は人間性が柔らかそうなので何にでもなれそうだな」という印象を受けた。表現を行う人はエネルギー放出量も多いので、一般的な人よりは能力などが伝わりやすい。もう古い話になるが、AKBグループが全盛の頃、「選抜入りした人達とそうじゃない子ではかなり実力差があるな。ファンは実力をよく見抜いているな」と思ったものだが、実際に有名アーティストなどは近くにいると才能などは伝わってくるので、「なるほど、そういうことか」と納得した。浅野忠信もヨコハマ映画祭の表彰式に彼が主演男優賞受賞者として出席した時に生で見たことがあるのだが、ただ立っているだけで誰よりも迫力があった。

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2025年3月28日 (金)

コンサートの記(896) 東北ユースオーケストラ演奏会2025@サントリーホール・マチネー公演

2025年3月21日 東京・溜池山王のサントリーホールにて

午後3時から溜池山王のサントリーホールで、東北ユースオーケストラ演奏会2025・マチネー公演を聴く。

東北ユースオーケストラ(TYO)は、東日本大震災で大きな被害を受けた東北地方の復興のために、坂本龍一が音楽監督として立ち上げたユースオーケストラ。小学生から大学院生までの若者が在籍している。入団に関しては音楽経験は不問で、やる気だけが入団条件である。まだ小学生で震災を知らない子もメンバーに加わっている。
今回のコンサートでは、演奏指導を行った東京フィルハーモニー交響楽団の楽団員のゲスト出演や東北ユースオーケストラの卒団生賛助出演などがある。またコンサートミストレス(無料パンフレットなどにも表記はなく、氏名は不明)のフォアシュピーラーは、ウクライナから今日のために駆けつけたイリア・ボンダレンコが務める。

震災発生後、坂本は東北地方を回り、壊れた学校の楽器の修復に尽力すると共に、「こどもの音楽再生基金」を立ち上げ、2012年に「スクール・ミュージック・リヴァイヴァル・ライブ」を開催。翌年も「スクール・ミュージック・リヴァイヴァル・ライブ」を行い、そこから東北ユースオーケストラが生まれた。リハーサルなどでの指揮やピアノは坂本本人が受け持ったが、専属の指揮者は坂本が栁澤寿男(やなぎさわ・としお)を指名。今日も栁澤が指揮を務める。

 

開演前に、東北ユースオーケストラのメンバー数名が登場。自己紹介や楽団、楽曲の紹介、プログラムの意図説明などを行った。

 

曲目は、坂本龍一の「Castalia」、坂本龍一の「Happy End」、坂本龍一作曲/篠田大介編曲の「Tong Poo」(ピアノ独奏:三浦友理枝)、坂本龍一作曲/篠田大介編曲の「Piece for Ilia」(ヴァイオリン独奏:イリア・ボンダレンコ)、坂本龍一の「いま時間が傾いて」、坂本龍一の「BB」(朗読:吉永小百合)、坂本龍一の「Parolibre」(朗読:吉永小百合。ピアノ独奏:三浦友理枝)、坂本龍一の「母と暮せば」(朗読:吉永小百合)、藤倉大の作・編曲によるThree TOHOKU Songs(大漁唄い込み、南部よしゃれ、相馬盆歌)、坂本龍一の「Little Buddha」、坂本龍一の「The Last Emperor」、坂本龍一の「Merry Christmas Mr.Lawrence(戦場のメリークリスマス)」(ピアノ独奏:三浦友理枝)。

司会は元TBSアナウンサーで、現在はフリーアナウンサーの渡辺真理が務める。渡辺は、ターコイズブルーのドレスで登場したが、スクリーンを見ると普通の青のドレスに見えるため、映像の限界も感じられる。

今日はP席(ポディウム)は開放しておらず、スクリーンが降りていて、そこに曲名や楽曲解説、現在進行形の映像や、坂本龍一の映像、抽象的な絵などが投影される。

開演前の紹介に並んだ子の中に、ピアノ担当の女の子がいたが、ピアノ担当は二人いるため、「Castalia」と「Happy End」でピアノ独奏を担当したのがどちらなのかは分からなかった。ソワレ公演では、別の子がソロを務めるのだろう。ネタバレになるが、アンコール曲の「ETUDE」では、二人で連弾を行っていた。「Castalia」と「Happy End」でソロを務めたのは開演前の自己紹介にも出ていた飯野美釉(いいの・みゆう)の可能性が高いがなんとも言えない。もう一人のピアノ奏者は、遊佐明香莉といういかにも東北的な苗字の子である。

 

入団条件に「音楽経験不問」とある以上、他の将来音楽家指向のユースオーケストラやジュニアオーケストラとは異なり、音楽をすること自体に意味があると考える団体のようである。そのため、音楽に対する情熱よりも喜びの方が勝っている印象を受ける。他のユースオーケストラやジュニアオーケストラほど音に厚みはないし、上手くもないかも知れないが、上手く演奏することだけが音楽ではない。かといって特段劣っているということはなく、よく訓練されていて、音の輝きは――サントリーホールの音響の恩恵を受けているかも知れないが――魅力的である。

 

栁澤寿男。コソボ・フィルハーモニー管弦楽団など政情不安定なところでの音楽活動も行う指揮者で、バラバラになった旧ユーゴスラビアの音楽家を集めたバルカン室内管弦楽団を創設したりもしている。知名度はまだ低いが、男前なので人気が出そうである。日本国内では京都フィルハーモニー室内合奏団のミュージックパートナーを務めている。今日はノンタクトでの指揮。

坂本龍一ファンにはお馴染みの曲が続くが、栁澤は坂本本人から指名されただけあって、優れたオーケストラ捌きを見せる。

「Tong Poo」などでピアノソロを受け持った三浦友理枝。美人ピアニストとしても知られるが、英国王立音楽院(アカデミーの方)を首席で卒業。同校の大学院も首席で修了するなど、腕が立つ。第47回マリア・カナルス国際音楽コンクール・ピアノ部門で1位を獲得している。京都市交響楽団とは、オーケストラ・ディスカバリーで共演したことがある。

「Piece for Ilia」でソロを務めるイリア・ボンダレンコは、キーウ音楽院の作曲専攻を卒業。卒業制作の「REN Symphony」は坂本龍一に捧げられている。ロシア軍による侵攻が始まると、30近い国の90人のヴァイオリニストがウクライナ民謡を演奏する様子をZoomなど使って配信。これを見て感動した坂本が、「イリアと共にウクライナ支援のチャリティ・アルバムへ参加しないか」と友人の作曲家から誘われ、すぐさまヴァイオリンとピアノのための曲を作曲。イリアに送った。ロシア軍による空爆後の瓦礫の中でこの曲を演奏するイリアの姿(今回も後部のスクリーンに映像が流れた)は多くの人に感銘を与えている。オーケストラ伴奏による編曲は篠田大介によるものだが、坂本が篠田に依頼したそうである。

「いま時間が傾いて」。タイトルはリルケの詩の一節から取られている。東北ユースオーケストラのために書かれた作品で、おそらく坂本最後のオーケストラ曲である。
3.11、9.11など、「11」という数字に特別なものを感じた坂本が、11拍子というかなり珍しい拍子を取り入れた書いたもの。終盤にはチューブラーベルズが11回鳴らされるが、11回目は弱音である。
途中、奏者に全て任された即興の部分もあり、同じ演奏は二度と出来ないという趣向になっている。
映画音楽などで聴かせるエモーショナルな旋律とは異なっているが、響きは美しく、後半はかなり力強い響きがする。

休憩時間に入るが、渡辺真理は、TYOのメンバーを呼んで物販の宣伝などをさせていた。

 

後半。吉永小百合が登場して、詩の朗読を行う。採用された詩は、和合亮一の「詩の黙礼」より、大平数子の「慟哭」、安里有生の「へいわってすてきだね」の3編。「BB」、「Parolibre」、「母と暮せば」の音楽に乗って朗読が行われる。「BB」は坂本が残した演奏データによる自動演奏ピアノ独奏と共に朗読が行われる。また「母と暮せば」は、吉永自身が主演した映画の音楽である。
東北ユースオーケストラの演奏会には度々参加(東京公演は皆勤だと思われる)しているほか、朗読公演自体も何度も行っている吉永だけに、極めて細やかな心情表現を込めた読みを聞かせる。
ちなみに坂本龍一もサユリストであったことを、第2弾自伝の『ぼくはあと何回、満月を見るだろう』で明かしている。

 

坂本龍一に多大な影響を受けた藤倉大。高校時代に渡英し、現在もロンドンで活動する作曲家である。英国王立音楽大学(カレッジの方。カレッジとアカデミーはライバル関係にあり、藤倉の取り合いになったことが藤倉の自伝に記されている)出身。キングス・カレッジ・オブ・ロンドンで博士号を取得。指揮者の山田和樹と共に日本人若手音楽家の旗頭的存在で、東京芸術劇場の音楽部門の監督に就任することが決まっている。
東北の、宮城、岩手、福島の民謡のオーケストラバージョンであるが、掛け声をそのまま採用し、楽団員達に言わせることでノリの良い楽曲に仕上がっている。

 

最後は坂本龍一の映画音楽3曲。「Little Buddha」、「The Last Emperor」、「Merry Christmas Mr.Lawrence」。

「Little Buddha」は、ベルナルド・ベルトリッチから、「悲しいけれど救いのある曲を」という難しい注文を受けて書かれたものだが、4度ボツになり(坂本龍一はベルトルッチについて「自分が音楽監督だと思っているから」と述べていたりする)、5度目でようやく採用された。「どんどんカンツォーネっぽくなっていった」とも語っているが、哀切だが光が差し込むような、胸にひびく楽曲となっている。

「The Last Emperor」。坂本龍一は満映理事長の甘粕正彦役で出演。甘粕を演じた俳優は何人もいるが、甘粕本人とは外見が一番似ていない坂本龍一が最も有名なフィクションにおける甘粕像となっている。最初は俳優だけのオファーで、「戴冠式の音楽を書いてくれ」と言われただけだったが、撮影終了後半年ほど経ってから、「音楽を書いてくれ。二週間で」と言われて、まず、中国音楽のLPセットを聴くことから始めて、不眠不休で作曲。納期に間に合わせたが、過労のため、突発性難聴に見舞われて入院することになっている。
映画ではオーケストレーションまでは手が回らなかったため他人に任せたが、その後に自身でオーケストレーションを行い。二胡で奏でられていた主題を木管楽器に置き換えたりしている。
栁澤はかなりスケールの大きい演奏を形成。銅鑼なども盛大に鳴らされた。
なお、スクリーンには映画「ラストエンペラー」本編の映像も投影された。

「Merry Christmas Mr.Lawrence(戦場のメリークリスマス)」。序奏は、坂本龍一が「最後のコンサート」としてNHKのスタジオ5で収録した演奏のデータによるピアノ自動演奏で始まる。その時の映像もスクリーンに映る。
本編に入ってからは三浦友理枝がピアノ演奏を受け持つ。坂本の映像も映り続けるので、テンポは坂本の演奏に合わせる。
ペンタトニックを使った東洋風の作曲技術を用いながら、東洋でも西洋でもない独自の音の世界を生み出した楽曲。栁澤はこの曲でも終盤をかなり盛り上げていた。

 

アンコールは、先に明かしたとおり「ETUDE」(狭間美帆編曲)。ピアノの連弾がある。聴衆も一緒になって手拍子を入れる曲だが、吉永小百合や三浦友理枝もステージに登場して手拍子で参加。盛り上がった。

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2025年2月 2日 (日)

コンサートの記(884) レナード・スラットキン指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団第584回定期演奏会 オール・ジョン・ウィリアムズ・プログラム

2025年1月23日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後7時から、大阪・中之島のフェスティバルホールで、大阪フィルハーモニー交響楽団の第584回定期演奏会を聴く。今日の指揮者は、大フィルへは6年ぶりの登場となるレナード・スラットキン。オール・ジョン・ウィリアムズ・プログラムである。

MLBが大好きで、WASPではなくユダヤ系でありながら「最もアメリカ的な指揮者」といわれるレナード・スラットキン。1944年生まれ。父親は指揮者でヴァイオリニストのフェリックス・スラットキン。ハリウッド・ボウル・オーケストラの指揮者であった。母親はチェロ奏者。

日本にも縁のある人で、NHK交響楽団が常任指揮者の制度を復活させる際に、最終候補三人のうちの一人となっている。ただ、結果的にはシャルル・デュトワが常任指揮者に選ばれた(最終候補の残る一人は、ガリー・ベルティーニで、彼は東京都交響楽団の音楽監督になっている)。スラットキンが選ばれていたら、N響も今とはかなり違うオーケストラになっていたはずである。

セントルイス交響楽団の音楽監督時代に、同交響楽団を全米オーケストラランキングの2位に持ち上げて注目を浴びる。ただ、この全米オーケストラランキングは毎年発表されるが、かなりいい加減。セントルイス交響楽団は実はニューヨーク・フィルハーモニックに次いで全米で2番目に長い歴史を誇るオーケストラではあるが、注目されたのはその時だけであり、裏に何かあったのかも知れない。ちなみにその時の1位はシカゴ交響楽団であった。セントルイス響時代はセントルイス・カージナルスのファンであったが、ワシントンD.C.のナショナル交響楽団の音楽監督に転身する際には、「カージナルスからボルチモア・オリオールズのファンに転じることが出来るのか?」などと報じられていた(当時、ワシントン・ナショナルズはまだ存在しない。MLBのチームが本拠地を置く最も近い街がD.C.の外港でもあるボルチモアであった)。ただワシントンD.C.や、ロンドンのBBC交響楽団の首席指揮者の時代は必ずしも成功とはいえず、デトロイト交響楽団のシェフに招かれてようやく勢いを取り戻している。デトロイトではデトロイト・タイガーズのファンだったのかどうかは分からないが、関西にもTIGERSがあるということで、大阪のザ・シンフォニーホールで行われたデトロイト交響楽団の来日演奏会では「六甲おろし」をアンコールで演奏している。2011年からはフランスのリヨン国立管弦楽団の音楽監督も務めた。現在は、デトロイト交響楽団の桂冠音楽監督、リヨン国立管弦楽団の名誉音楽監督、セントルイス交響楽団の桂冠指揮者の称号を得ている。また、スペイン領ではあるが、地理的にはアフリカのカナリア諸島にあるグラン・カナリア・フィルハーモニー管弦楽団の首席客演指揮者も務めている。グラン・カナリア・フィルはCDも出していて、思いのほかハイレベルのオーケストラである。
録音は、TELARC、EMI、NAXOSなどに行っている。
X(旧Twitter)では、奇妙なLP・CDジャケットを取り上げる習慣がある。また不二家のネクターが好きで、今回もKAJIMOTOのXのポストにネクターと戯れている写真がアップされていた。
先日は秋山和慶の代役として東京都交響楽団の指揮台に立ち、大好評を博している。

ホワイエで行われる、大阪フィルハーモニー交響楽団事務局長の福山修氏によるプレトークサロンでの話によると、6年前にスラットキンが大フィルに客演した際、終演後の食事会で再度の客演の約束をし、ジョン・ウィリアムズのヴァイオリン協奏曲が良いとスラットキンが言って、丁度、「スター・ウォーズ」シリーズの最終章が公開される時期になるというので、オール・ジョン・ウィリアムズ・プログラムで、ヴァイオリン協奏曲と「スター・ウォーズ」組曲をやろうという話になったのだが、コロナで流れてしまい、「スター・ウォーズ」シリーズの公開も終わったというので、プログラムを変え、余り聴かれないジョン・ウィリアムズ作品を取り上げることにしたという。

今日のコンサートマスターは須山暢大。フォアシュピーラーはおそらくアシスタント・コンサートマスターの尾張拓登である。ドイツ式の現代配置での演奏。スラットキンは総譜を繰りながら指揮する。

 

曲目は、前半がコンサートのための作品で、弦楽のためのエッセイとテューバ協奏曲(テューバ独奏:川浪浩一)。後半が映画音楽で、「カウボーイ」序曲、ジョーズのテーマ(映画「JAWS」より)、本泥棒(映画「やさしい本泥棒」より)、スーパーマン・マーチ(映画「スーパーマン」より)、SAYURIのテーマ(映画「SAYURI」より)、ヘドウィグのテーマ(映画「ハリー・ポッターと賢者の石」より)、レイダース・マーチ(「インディ・ジョーンズ」シリーズより)。

日本のオーケストラ、特にドイツものをレパートリーの中心に据えるNHK交響楽団や大阪フィルハーモニー交響楽団は、アメリカものを比較的不得手としているが、今日の大フィルは弦に透明感と抜けの良さ、更に適度な輝きがあり、管も力強く、アメリカの音楽を上手く再現していたように思う。

 

今日はスラットキンのトーク付きのコンサートである。通訳は音楽プロデューサー、映画字幕翻訳家の武満真樹(武満徹の娘)が行う。

スラットキンは、「こんばんは」のみ日本語で言って、英語でのトーク。武満真樹が通訳を行う。

「ジョン・ウィリアムズの音楽は生まれた時から聴いていました。なぜなら私の両親がハリウッドの映画スタジオの音楽家だったからです。私は子どもの頃、映画スタジオでよく遊んでいて、ジョン・ウィリアムズの音楽を聴いていました」

 

スラットキンは、弦楽のためのエッセイのみノンタクトで指揮。弦楽のためのエッセイは、1965年に書かれたもので、バーバーやコープランドといったアメリカの他の作曲家からの影響が濃厚である。

テューバ協奏曲。テューバ独奏の川浪浩一は、大阪フィルハーモニー交響楽団のテューバ奏者。福岡県生まれ。大阪の相愛大学音楽学部に入学し、2006年に首席で卒業。在学中は相愛オーケストラなどでの活動を行った。2007年に大フィルに入団。第30回日本管打楽器コンクールで第2位になっている。
通常、協奏曲のソリストは指揮者の下手側で演奏するのが普通だが、楽器の特性上か、今回は指揮者の上手側に座って吹く。
テューバの独奏というと、余りイメージがわかないが、思っていた以上に伸びやかなものである。一方の弦楽器などはいかにもジョン・ウィリアムズしているのが面白い。
比較的短めの協奏曲であるが、テューバ協奏曲自体が珍しいものであるだけに、楽しんで聴くことが出来た。

 

「カウボーイ」序曲。いかにも西部劇の音楽と言った趣である。スラットキンは、「この映画を観たことがある人は少ないと思います。ただ音楽を聴けばどんな映画か分かる、絵が浮かんできます。ジョン・ウィリアムズはそうした曲が書ける作曲家です」

ジョーズのテーマであるが、スラットキンは「鮫の映画です。2つの音だけの最も有名な音楽です。最初にこの2つの音を奏でたのは私の母親です。彼女は首席チェロ奏者でした。ですので私の母親はジョーズです」(?)
誰もが知っている音楽。少ない音で不気味さや迫力を出す技術が巧みである。大フィルもこの曲にフィットした渋みと輝きを合わせ持った音色を出す。

本泥棒。反共産主義、反ユダヤ主義が吹き荒れる時代を舞台にした映画の音楽である。後に「シンドラーのリスト」も書いているジョン・ウィリアムズ。叙情的な部分が重なる。
「シンドラーのリスト」の音楽の作曲について、ジョン・ウィリアムズは難色を示したそうだ。脚本を読んだのだが、「この映画の音楽には僕より相応しい人がいるんじゃないか?」と思い、スピルバーグにそう言ったのだが、スピルバーグは、「そうだね」と認めるも「でも、相応しい作曲家はみんな死んじゃってるんだ。残ってる中では君が最適だよ」ということで作曲することになったそうである。

スラットキン「ジョン・ウィリアムズは、人間だけでなく、動物や景色などの音楽も書きました。そして勿論、スーパーマンも」
大フィルの輝かしい金管がプラスに働く。大フィルは全体的に音が重めなところがあるのだが、この曲でもそれも迫力に繋がった。

SAYURIのテーマ。「SAYURI」は、京都の芸者である(そもそも京都には芸者はいないが)SAYURIをヒロインとした映画。スピルバーグ作品である。SAYURIを演じたのは何故か中国のトップ女優であったチャン・ツィイー(章子怡)。日本人キャストも出ているが(渡辺謙や役所広司など豪華)セリフは英語という妙な映画でもある。日本の風習として変なものがあったり、京都の少なくとも格上とされる花街では絶対に起きないことが起こるなど、実際の花街界隈では不評だったようだ。映画では、ヨーヨー・マのチェロ独奏のある曲であったが、今回はコンサート用にアレンジした譜面での演奏である。プレトークサロンで事務局長の福山修さんが、「君が代」をモチーフにしたという話をされていたが、それよりも日本の民謡などを参考にしているようにも聞こえる。ただ、美しくはあるが、日本人が作曲した映画音楽に比べるとやはりかなり西洋的ではある。

ヘドウィグのテーマ。スラットキンは、「オーケストラ曲を書くときは時間は自由です。しかし映画音楽は違います。場面に合わせて秒単位で音楽を書く必要があります」と言った後で、「上の方に梟がいないかご注意下さい」と語る。
ジョン・ウィリアムズの楽曲の中でもコンサートで演奏される機会の多い音楽。主役ともいうべきチェレスタは白石准が奏でる。白石は他の曲でもピアノを演奏していた。
ミステリアスな雰囲気を上手く出した演奏である。
ちなみに、福山さんによると、ヘドウィグのテーマの弦楽パートはかなり難しいそうで、アメリカのメジャーオーケストラの弦楽パートのオーディションでは、ヘドウィグのテーマの演奏が課せられることが多いという。

レイダース・マーチ。大阪城西の丸庭園での星空コンサートがあった頃に大植英次がインディ・ジョーンズの格好をして指揮していた光景が思い起こされる。力強く、躍動感のある演奏。リズム感にも秀でている。今日は全般的にアンサンブルは好調であった。

 

スラットキンは、「ありがとう」と日本語で言い、「もう1曲聴きたくありませんか?」と聞く。「でもどの曲がいいでしょう? 選ぶのは難しいです。『E.T.』にしましょうか? それとも『ホームアローン』が良いですか? 『ティーラーリラリー、未知との遭遇』もあります。ではこの曲にしましょう。皆さんが予想している曲とは違うかも知れません。私がこの曲を上手く指揮出来るかわかりませんが」
アンコール演奏は、「スター・ウォーズ」より「インペリアル・マーチ」(ダース・ベイダーのテーマ)である。スラットキンは指揮台に上がらずに演奏を開始させる。その後もほとんど指揮せずに指揮台の周りを反時計回りに移動。そして譜面台に忍ばせていた小型のライトセーバーを取り出し、指揮台に上がってやや大袈裟に指揮した。その後、ライトセーバーは最前列にいた子どもにプレゼント。エンターテイナーである。演奏も力強く、厳めしさも十全に表現されていた。

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2024年12月20日 (金)

「サミュエル・ベケット映画祭」2024 program1 ゲスト:森山未來

2024年12月7日 京都芸術劇場春秋座にて

午後1時から、京都芸術劇場春秋座で、「疫病・戦争・災害の時代に―― サミュエル・ベケット映画祭」2024 program1に接する。2019年のベケット没後30年のサミュエル・ベケット映画祭に続く二度目のサミュエル・ベケット映画祭である。前回は京都造形芸術大学映写室での上映会がメインだったが、今回はキャパの大きい春秋座での開催である。
先にオープニングイベントがあり、今日が本編の初日となる。今日は、「ゴドーを待ちながら」、「ねえ、ジョー」、「クラップの最後の録音」の3作品が上映される。またトークの時間が設けられ、俳優・ダンサーの森山未來が登場する。森山未來を生で見るのは、先月17日のPARCO文化祭以来、と書くと不思議と長そうに思えるが、半月ちょっとぶりなので、同一の有名人に接する期間としては比較的短い。
総合司会兼聞き手は、京都芸術大学大学院芸術研究科教授の小崎哲哉(おざき・てつや)。


まずベケットの代表作である「ゴドーを待ちながら」が上映されるのだが、その前に小崎による解説がある。ベケットが長身で男前だったこと、語学の才に長け、英語、フランス語、ドイツ語、イタリア語などを操ったことを紹介する。性格的には怖い人だったようである。また人前に出るのが嫌いで、ノーベル文学賞を受賞しているが、授賞式には出なかったという。また、下ネタが好きで、「高尚なものから下品なものまで描くのが芸術」だと考えていたようである。便器を「泉」というタイトルで芸術作品にしたマルセル・デュシャンとは仲が良かったようである。


「ゴドーを待ちながら」は、2019年のサミュエル・ベケット映画祭で、京都造形芸術大学映写室で上映されたものと同一内容だと思われる。この時は再生トラブルがあり、途中で中断があって、デッキを交換して上映を続けている。この時はこうした手際の悪さに呆れて以降に上映された作品は観ていない。この大学のいい加減さを象徴するような出来事であった。

「ゴドーを待ちながら」は、エストラゴン(ゴゴ)とウラディミール(ジジ)が一本の木が生えた場所で、ゴドーなる人物を待ち続けるという作品である。途中で、資本家の権化のようなパッツオと、奴隷のラッキーとのやり取りが2回ある。
監督:マイケル・リンゼイ=ホッグ。出演:バリー・マクガヴァン、ジョニー・マーフィーほか。マイケル・リンゼイ=ホッグ監督は、瓦礫だらけの場所を舞台に設定している。明らかに第二次大戦後の荒廃した光景を意識している。
エストラゴンとウラディミールという二人の浮浪者については、余り分かりやすいセリフではないのだが、いい加減に生きてきたから浮浪者になっているのではなく、頑張ってやるだけのことはやったが結局努力が実らなかったことが察せられるものがある。そして二人の人生はもうそれほど長くはない。大人の男の寂寥感が漂っている。ベケットは黒人による「ゴドー」の上演は強化したが、女優による「ゴドー」の上演は禁じている。「女性差別じゃないか」との批判もあったが、ベケットは「女性には前立腺がないから」というをその理由としている。ただ女性二人組にした場合、寂寥感は出ないかも知れない。男性でしか表現出来ないもの、女性にしか表現不可能なものは確かにある。
資本家のポッツォと奴隷のラッキーであるが、こうした組み合わせは戦前までは当たり前のように存在していた構図でもある。法律上は禁止されていても、金持ちが貧乏人がいいように扱うというのは一般的で、今でもある。世界の縮図がこの二人の関係に表れている。
人生そのものを描いたかのような「ゴドーを待ちながら」。何があるのか分からないのだが、とにかく待って生き続けるしかない。


上映終了後、15分の休憩を挟んで、森山未來を迎えてのトークがある。先に書いたとおり、聞き手は小崎哲哉が務める。

小崎はベケットと森山の共通点として、「多領域で活躍し」「格好いい(森山は「イヤイヤ」と首を振る)」などを挙げていた。森山はこれまでベケット作品にはほとんど触れてこなかったそうで、「初心者です」と述べていた。
「ゴドーを待ちながら」は、事前に映像データを貰っていたのだが、冒頭をパソコンで観て、「これはパソコンで観られる作品ではない」と感じ、知り合いの神戸の喫茶店がスクリーン完備だというので、そこを貸してもらって観たそうだ。「見終わって体力的に疲れた」という。
小崎が「ゴドー」が人生を描いたものという説を紹介し、森山も「人生暇つぶし」というよくある解釈が思い浮かんだようだ。

NHK大河ドラマ「いだてん」では森山は落語家の古今亭志ん生の若い頃を演じ、老成してからの志ん生は北野武が演じたが、入れ替わりになるので接点はなかったそうである。ただ、小崎は北野武はベケットから影響を受けているのではないかと指摘する。監督4作目の「ソナチネ」で、沖縄のヤクザに戦いを挑んだ弱小ヤクザ軍団が見事に敗れ、離島に逃げて何もやることがないので時間を潰すというシーンがあるのだが、これは「ゴドー」を念頭に置いているのではないかとのことだった。
なお、落語家の演技は、亡くなった中村勘三郎が抜群に上手かったそうだが、実は勘三郎は、立川談志の楽屋を訪れて弟子入りを志願したそうで、談志に実際に師事していたそうである。また殺陣は勝新太郎に習っていたそうだ。

ベケットの作品は自身の戦争体験が基になっているということで、ダンサーの田中泯の話になる。田中泯は、1945年3月10日、東京の西の方で生まれている。実はこの日、東京の東の方では、いわゆる東京大空襲があり、田中泯自身には東京大空襲の記憶はないだろうが、その日に生まれたということで様々な話を聞かされたのではないかと小崎は語っていた。

小崎は、森山が2020年に行った朗読劇「『見えない/見える』ことについての考察」の話をする。実は小崎はこの公演は観ていないようだが(私は尼崎での公演を観ている)、使われたテキストの作者、ジョゼ・サラマーゴとモーリス・ブランショは共にベケットから強い影響を受けた作家とのことだった。森山未來はそのことについては知らなかったという。


森山未來は神戸市東灘区の出身である。11歳の時に阪神・淡路大震災に被災。しかし東灘区は神戸市内でも特に被害が大きかった場所であるにもかかわらず、森山未來の自宅付近は特に大きな被害はなく、周囲に亡くなった人もいないということで、当事者でありながら周縁者という自覚があり、コンプレックスになっているそうだ。「ゴドー」を観てそんなことを思い出したりしたそうだが、小崎に「ラッキーをやってみたらどうですか? 合うと思いますよ」と言われてちょっと迷う素振りを見せた。

なお、阪神・淡路大震災発生30年企画展「1995-2025 30年目のわたしたち」が兵庫県立美術館で今月21日から開催されるが、森山未來も梅田哲也と共に出展している。


続けて「ねえ、ジョー」の上映。上映時間16分の短編である。監督:ミシェル・ミトラニ、出演:ジャン=ルイ・バロー。声の出演:マドレーヌ・ルノー。
モノクロの映像。男が室内を歩き回り、やがてこちら向きに腰掛ける。そこへ女の声がする。「ねえ、ジョー」と呼びかける女の声は、ジョーのこれまでの人生などを語る。ジョーは涙を流す。
声と表情を分離したテレビ作品である。


「クラップの最後の録音」。ベケット作品の中でも知名度は高い部類に入る。
監督:アトム・エゴヤン。出演:ジョン・ハート。
69歳になる老人、クラップは、これまで毎年、誕生日にテープレコーダーにメッセージを吹き込んできた。30年前に録音した自分の声を聞いたクラップはその余りの内容の乏しさに、自身の人生の空虚さを感じ、悔いを語るメッセージを残すことにする。
小さめのオープンリールのテープレコーダーを使用。実際には民生用のテープ録音機材が発売されてから間もない時期に書かれているため、30年前の録音テープが残っているというのはフィクションである。
老年の寂しさ、生きることの虚しさなどが伝わってくるビターな味わいの作品である。


最後に森山未來が登場。「皆さん、これ3本観るわけでしょう。体力ありますね」と述べていた。

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2024年9月10日 (火)

これまでに観た映画より(345) 「チャイコフスキーの妻」

2024年9月9日 京都シネマにて

京都シネマで、ロシア・フランス・スイス合作映画「チャイコフスキーの妻」を観る。キリル・セレブレンニコフ監督作品。音楽史上三大悪妻(作曲家三大悪妻)の一人、ピョートル・イリイチ・チャイコフスキーの妻、アントニーナを描いた作品である。ちなみに音楽史上三大悪妻の残る二人は、ハイドンの妻、マリアと、モーツァルトの妻、コンスタンツェで、コンスタンツェは、世界三大悪妻の一人(ソクラテスの妻、クサンティッペとレフ・トルストイの妻、ソフィアに並ぶ)にも数えられるが、モーツァルトが余りにも有名だからで、この中では比較的ましな方である。

出演:アリョーナ・ミハイロワ、オーディン・ランド・ビロン、フィリップ・アヴデエフ、ナタリア・パブレンコワ、ニキータ・エレネフ、ヴァルヴァラ・シュミコワ、ヴィクトル・ホリニャック、オクシミロンほか。

主役のアントニーナを演じるアリョーナ・ミハイロワは、オーディションで役を勝ち取っているが、これぞ「ロシア美人」という美貌に加え、元々はスポーツに打ち込んでいた(怪我で断念)ということから身体能力が高く、バレエや転落のシーンなどもこなしており、実に魅力的。1995年生まれと若く、将来が期待される女優なのだが、ロシア情勢が先行き不透明なため、今後どうなるのか全く分からない状態なのが残念である。

芸術性の高い映画であり、瞬間移動やバレエにダンスなど、トリッキーな場面も多く見られる。映像は美しく、時に迷宮の中を進むようなカメラワークなども優れている。

冒頭、いきなりチャイコフスキー(アメリカ出身で、20歳でロシアに渡り、モスクワ芸術座付属演劇大学で学んだオーデン・ランド・ビロンが演じている)の葬儀が描かれる。チャイコフスキーの妻として葬儀に出向いたアントニーナは、チャイコフスキーの遺体が動くのを目の当たりにする。チャイコフスキーはアントニーナのことを難詰する。

神経を逆なでするような蝿の羽音が何度も鳴るが、もちろん伏線になっている。

チャイコフスキーとアントニーナの出会いは、アントニーナがまだ二十代前半の頃。サロンでチャイコフスキーを見掛けたのが始まりだった(ロシアの上流階級が、ロシア語ではなくフランス語を日常語としていた時代なので、この場ではフランス語が用いられている)。作曲家の妻になりたいという夢を持ったアントニーナは、チャイコフスキーが教鞭を執るモスクワ音楽院に入学。チャイコフスキーが教える実技演習を立ち聞きしたりする。しかし学費が続かず退学を余儀なくされたアントニーナは、より大胆な行動に出る。郵便局(でだろうか。この時代のロシア社会の構造についてはよく分からない)でチャイコフスキーの住所を教えて貰い、『ラブレターの書き方』という本を参考に、チャイコフスキーに宛てた熱烈な恋文を送る。
チャイコフスキーから返事が来た。そして二人はアントニーナの部屋で会うことになる。しかし、そこで見せた彼女の態度は、余りにも情熱的で思い込みが激しく、一方的で、自己評価も高く、チャイコフスキーも「あなたは舞い上がっている。自重しなさい」と忠告して帰ってしまう。そして彼女には虚言癖があった。「チャイコフスキーと出会った時にはチャイコフスキーのことを知らなかった」という意味のことをチャイコフスキーの友人達に語ったりとあからさまな嘘が目立つ。

一度は振られたアントニーナだが、ロシア正教のやり方で神に祈り、めげずに恋文を送る。そしてチャイコフスキーは会うことを了承した。チャイコフスキーは同性愛者であった。当時、ロシアでは「同性愛は違法」であり、有名人であるチャイコフスキーが同性愛者なのはまずいので、ロシア当局がチャイコフスキーに自殺を強要したという説がある。この説はソビエト連邦の時代となり、情報統制が厳しくなったので、真偽不明となっていたのだが、ソビエトが崩壊してからは、情報の網も緩み、西側で資料が閲覧可能になったということもあって、「本当らしい」ことが分かった。以降、チャイコフスキー作品の解釈は劇的に変わり、交響曲第6番「悲愴」は、初演直後に囁かれた「自殺交響曲」説(チャイコフスキーは、「悲愴」初演の9日後に他界。コレラが死因とされる。死の数日前にコレラに罹患する危険性の高い生水を人前で平然と口にしていたことが分かっている)を復活させたような演奏をパーヴォ・ヤルヴィやサー・ロジャー・ノリントンが行って衝撃を与えた。また交響曲第5番の解釈も変わり、藤岡幸夫はラストを「狂気」と断言している。荒れ狂い方が尋常でない交響曲第4番も更に激しい演奏が増え、人気が上がっている。ただ、同性愛を公にしていた人物もいたようで、この映画にも架空の人物と思われるが、一目でそっち系と分かる人も登場する。
チャイコフスキーは、「今まで女性を愛したことがない」と素直に告白。「それにもう年だし、兄妹のような静かで穏やかな愛の関係になると思うが、それでも良ければ同居しよう」とアントニーナの思いを受け入れる。二人は教会で結婚式を挙げた。チャイコフスキーには自分が同性愛者であることを隠す意図があった。

プーシキンの作品を手に入れたチャイコフスキー。サンクトペテルブルクから仕事の依頼があり、二人の愛の形をオペラとして書くことに決め、旅立つ。この時書かれたのが、プーシキンの長編詩を原作とした歌劇「エフゲニー・オネーギン」であることが後に分かる。
しかしチャイコフスキーは帰ってこなかった。モスクワで見せたアントニーナの行動が余りにも異様だったからだ。夫婦の営みがないことにアントニーナは不満でチャイコフスキーを挑発する。二人の生活は6週間で幕を下ろすことになった。
史実では、アントニーナとの結婚に絶望したチャイコフスキーは入水自殺を図っており、それがアントニーナが悪妻と呼ばれる最大の理由なのだが、そうしたシーンは出てこない。

アントニーナをモスクワ音楽院の創設者でもあるニコライ・ルビンシテイン(オクシミロン)が、チャイコフスキーの弟であるアナトリー(フィリップ・アヴデエフ)と共に訪れる。有名音楽家の来訪にアントニーナは舞い上がるが、チャイコフスキーの親友でもあるニコライは、チャイコフスキーと離婚するようアントニーナに告げに来たのだった。アナトリーは、キーウ(キエフではなくキーウの訳が用いられている)近郊に住む自分たちの妹のサーシャ(本名はアレクサンドラ。演じるのはヴァルヴァラ・シュミコワ)を訪ねてみてはどうかと提案する。サーシャの家に逗留するアントニーナは、サーシャから「兄は若い男しか愛さない」とはっきり告げられる。

離婚協議が始まる。当時のロシアは、離婚に厳しく、王室(帝室)か裁判所の許可がないと離婚は出来ない。また女性差別も激しく、夫の家に入ることが決まっており、そこから抜け出すのも一苦労であり、選挙権もないなど女性には権利らしい権利は一切与えられていなかった。アントニーナにも男達に激しく責められる日々が待ち受けていた。
チャイコフスキーの友人達は、離婚の理由を「チャイコフスキーの不貞」にしても良いからとアントニーナに迫るが、アントニーナは「私はチャイコフスキーの妻よ。別れさせることができるのは神だけよ!」と、頑として離婚に応じない。チャイコフスキーの友人達はチャイコフスキーは天才であり、天才は「なにをしても許されており」褒め称えられなければならない。凡人が天才の犠牲になるのは当然との考えを示す。元々、性格に偏りのあったアントニーナだが、チャイコフスキーとの再会を願って黒魔術のようなことを行う(当時のロシアでは主に下層階級の人々が本気で呪術を信じていた)など、次第に狂気の世界へと陥っていく……。

チャイコフスキーを描いた映画でもあるのだが、チャイコフスキー作品は余り使われておらず、ダニール・オルロフによるオリジナルの音楽が中心となる。最も有名なメロディーである「白鳥の湖」の情景の音楽はチャイコフスキーの友人達が旋律を口ずさむだけであり、本格的に演奏されるのは、オーケストラ曲は「フランチェスカ・ダ・リミニ」の一部、またピアノ曲は「四季」の中の2曲をアントニーナが部分的に奏でるだけである。あくまでもアントニーナの映画だという意思表示もあるのだろう。

俳優の演技力、独自の映像美と展開などいずれもハイレベルであり、今年観た映画の中でもおそらくトップに来る出来と思われる。

アントニーナは本当に嫌な女なのだが、自分自身にもてあそばれているような様が次第に哀れになってくる。

ちなみにチャイコフスキーと別れた後の実際のアントニーナの生涯が最後に字幕で示される。彼女がチャイコフスキーと別れた後に再会するチャイコフスキーが幻影であることは映像でも示されているのだが、史実としてはアントニーナはチャイコフスキーと再会することなく(数回会ったという記録もあるようだが、正確なことは不明)、最後は長年入院していた精神病院で亡くなった。

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2024年7月22日 (月)

これまでに観た映画より(341) 「関心領域 THE ZONE OF INTEREST」

2024年5月27日 京都シネマにて

京都シネマで、アメリカ・イギリス・ポーランド合作映画「関心領域 THE ZONE OF INTEREST」を観る。監督・脚本:ジョナサン・グレイザー。出演:クリスティアン・フリーデル、ザンドラ・ヒュラーほか。音楽:ミカ・レヴィ。原作:マーティン・エイミス。音響:ジョニー・バーン&ターン・ウィラーズ。ドイツ語作品である。
第76回カンヌ国際映画祭グランプリ、英国アカデミー賞非英語作品賞、ロサンゼルス映画評論家協会賞作品賞・監督賞・主演賞・音響賞、トロント映画批評家協会賞作品賞・監督賞、米アカデミー賞国際長編映画賞(元・外国語映画賞)・音響賞などを受賞している。

ドイツ占領下のポーランド領アウシュヴィッツにあった強制収容所の隣に住んでいたナチス親衛隊中尉一家、ヘス家の日常を描いた作品である。アウシュヴィッツ強制収容所の直接的な描写は一切ないが、遠くからなんとも言えない声や音がヘス家の中まで響いてきて、目に見えない惨劇を連想させる。音響のための映画とも言えるだろう。
アウシュヴィッツ強制収容所との対比を出すために、意図的に何気ない日常が中心に描かれており、隣で何が起こっているのかについては、登場人物の多くが関心を持たない。ドラマとしては面白いものとは言えないだろうが(実際、いびきが響いていた)、それが狙いであると思われる。実際にアウシュヴィッツで撮られた映像は理想郷をカメラに収めたかのように美しい。

主人公のルドルフ・ヘス(クリスティアン・フリーデル)は、アウシュヴィッツ強制収容所の隣に住み、収容所の所長をしているが、近く異動になる予定である。出世であるが、単身赴任する必要があり、妻子がアウシュヴィッツの家で暮らすことが出来るよう取り計らってくれるように頼んでいる。ヒムラー、アイヒマン、ヒトラーなどのナチスを代表する人物達の名前が登場するが、彼らが画面に登場することはない。なお、ルドルフ・ヘスは実在の人物で、アウシュヴィッツ強制収容所の所長をしていた頃の告白遺録『アウシュヴィッツ収容所』を遺しており貴重な史料となっているようである。

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2024年4月 5日 (金)

これまでに観た映画より(328) 「ラストエンペラー」4Kレストア

2024年3月28日 アップリンク京都にて

イタリア、中国、イギリス、フランス、アメリカ合作映画「ラストエンペラー」を観る。4Kレストアでの上映である。監督はイタリアの巨匠、ベルナルド・ベルトルッチ。中国・清朝最後の皇帝である愛新覚羅溥儀(宣統帝)の生涯を描いた作品である。プロデューサーは「戦場のメリークリスマス」のジェレミー・トーマス。出演:ジョン・ローン、ジョアン・チェン、ピーター・オトゥール、英若誠、ヴィクター・ウォン、ヴィヴィアン・ウー、マギー・ハン、イェード・ゴー、ファン・グァン、高松英郎、立花ハジメ、ウー・タオ、池田史比古、生田朗、坂本龍一ほか。音楽:坂本龍一、デヴィッド・バーン、コン・スー(蘇聡、スー・ツォン)。音楽担当の3人はアカデミー賞で作曲賞を受賞。坂本龍一は日本人として初のアカデミー作曲賞受賞者となった。作曲賞以外にも、作品賞、監督賞、撮影賞、脚色賞、編集賞、録音賞、衣装デザイン賞、美術賞も含めたアカデミー賞9冠に輝く歴史的名作である。

清朝最後の皇帝である愛新覚羅溥儀(成人後の溥儀をジョン・ローンが演じている)。弟の愛新覚羅溥傑は華族の嵯峨浩と結婚(政略結婚である)して千葉市の稲毛に住むなど、日本にゆかりのある人で、溥儀も日本の味噌汁を好んだという。幼くして即位した溥儀であるが、辛亥革命によって清朝が倒れ、皇帝の身分を失い、その上で紫禁城から出られない生活を送る。北京市内では北京大学の学生が、大隈重信内閣の「対華21カ条の要求」に反対し、デモを行う。そんな喧噪の巷を知りたがる溥儀であるが、門扉は固く閉ざされ紫禁城から出ることは許されない。

スコットランド出身のレジナルド・フレミング・ジョンストン(ピーター・オトゥール)が家庭教師として赴任。溥儀の視力が悪いことに気づいたジョンストンは、医師に診察させ、溥儀は眼鏡を掛けることになる。ジョンストンは溥儀に自転車を与え、溥儀はこれを愛用するようになった。ジョンストンはイギリスに帰った後、ロンドン大学の教授となり、『紫禁城の黄昏』を著す。『紫禁城の黄昏』は岩波文庫から抜粋版が出ていて私も読んでいる。完全版も発売されたことがあるが、こちらは未読である。

その後、北京政変によって紫禁城を追われた溥儀とその家族は日本公使館に駆け込み、港町・天津の日本租界で暮らすようになる。日本は満州への侵略を進めており、やがて「五族協和」「王道楽土」をスローガンとする満州国が成立。首都は新京(長春)に置かれる。満州族出身の溥儀は執政、後に皇帝として即位することになる。だが満州国は日本の傀儡国家であり、皇帝には何の権力もなかった。

満州国を影で操っていたのが、大杉栄と伊藤野枝を扼殺した甘粕事件で知られる甘粕正彦(坂本龍一が演じている。史実とは異なり右手のない隻腕の人物として登場する)で、当時は満映こと満州映画協会の理事長であった。この映画でも甘粕が撮影を行う場面があるが、どちらかというと映画人としてよりも政治家として描かれている印象を受ける。野望に満ち、ダーティーなインテリ風のキャラが坂本に合っているが、元々坂本龍一は俳優としてのオファーを受けて「ラストエンペラー」に参加しており、音楽を頼まれるかどうかは撮影が終わるまで分からなかったようである。ベルトルッチから作曲を頼まれた時には時間が余りなく、中国音楽の知識もなかったため、中国音楽のCDセットなどを買って勉強し、寝る間もなく作曲作業に追われたという。なお、民族楽器の音楽の作曲を担当したコン・スーであるが、彼は専ら西洋のクラシック音楽を学んだ作曲家で、中国の古典音楽の知識は全くなかったそうである。ベルトルッチ監督の見込み違いだったのだが、ベルトルッチ監督の命で必死に学んで民族音楽風の曲を書き上げている。
オープニングテーマなど明るめの音楽を手掛けているのがデヴィッド・バーンである。影がなくリズミカルなのが特徴である。

ロードショー時に日本ではカットされていた部分も今回は上映されている。日本がアヘンの栽培を促進したというもので、衝撃が大きいとしてカットされていたものである。

後に坂本龍一と、「シェルタリング・スカイ」、「リトル・ブッダ」の3部作を制作することになるベルトルッチ。坂本によるとベルトルッチは、自身が音楽監督だと思っているような人だそうで、何度もダメ出しがあり、特に「リトル・ブッダ」ではダメを出すごとに音楽がカンツォーネっぽくなっていったそうで、元々「リトル・ブッダ」のために書いてボツになった音楽を「スウィート・リベンジ」としてリリースしていたりするのだが、「ラストエンペラー」ではそれほど音楽には口出ししていないようである。父親が詩人だというベルトルッチ。この「ラストエンペラー」でも詩情に満ちた映像美と、人海戦術を巧みに使った演出でスケールの大きな作品に仕上げている。溥儀が大勢の人に追いかけられる場面が何度も出てくるのだが、これは彼が背負った運命の大きさを表しているのだと思われる。


坂本龍一の音楽であるが、哀切でシリアスなものが多い。テレビ用宣伝映像でも用いられた「オープン・ザ・ドア」には威厳と迫力があり、哀感に満ちた「アーモのテーマ」は何度も繰り返し登場して、特に別れのシーンを彩る。坂本の自信作である「Rain(I Want to Divorce)」は、寄せては返す波のような疾走感と痛切さを伴い、坂本の代表曲と呼ぶに相応しい出来となっている。
即位を祝うパーティーの席で奏でられる「満州国ワルツ」はオリジナル・サウンドトラック盤には入っていないが、大友直人指揮東京交響楽団による第1回の「Playing the Orchestra」で演奏されており、ライブ録音が行われてCDで発売されていた(現在も入手可能かどうかは不明)。
小澤征爾やヘルベルト・フォン・カラヤンから絶賛されていた姜建華の二胡をソロに迎えたオリエンタルなメインテーマは、壮大で奥深く、華麗且つ悲哀を湛えたドラマティックな楽曲であり、映画音楽史上に残る傑作である。

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2024年3月16日 (土)

これまでに観た映画より(324) ビクトル・エリセ監督作品「瞳をとじて」

2024年2月15日 京都シネマにて

京都シネマで、スペイン映画「瞳をとじて」を観る。ビクトル・エリセ監督が31年ぶりにメガホンを取った作品。出演:マノロ・ソロ、アナ・トレント、ホセ・コロナドほか。

1967年、映画「別れのまなざし」撮影中に主演俳優のフリオ・アレナスが失踪する。22年後、フリオの元親友で元映画監督、その後は小説家などとしても活動していたミゲルは、テレビ局からフリオ失踪事件の謎に迫るドキュメンタリー番組の取材を受ける。その後、フリオに似た男が海辺の町の養老院にいるという情報を得たミゲルは、海辺の町へと向かう。

上映時間2時間49分の大作である。失踪事件のミステリーを描きながら、家族の事情、ミゲルの人生などにも踏み込んだ意欲作である。
劇中劇ならぬ映画中映画「別れのまなざし」で中国語が用いられているのも興味深い。
ラストは明かされることなく、観客に委ねられている。失われた歳月に思いをはせながら今を描いた作品である。

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2022年9月10日 (土)

これまでに観た映画より(310) 「ポルトガル、夏の終わり」

2022年9月8日

録画しておいた映画「ポルトガル、夏の終わり」を観る。2019年の制作。アメリカ・フランス・ポルトガル合作。セリフは英語とフランス語、一部ポルトガル語が用いられている。
監督:アイラ・サックス。出演:イザベル・ユペール、グレッグ・キニア、マリサ・トメイ、ジェレミー・レニエ、ブレンダン・グリーソン、ヴィネット・ロビンソン、パスカル・グレゴリーほか。

原題は、主演女優であるイザベル・ユペールの役名である「フランキー」(フランソワの愛称)であるが、ポルトガルの避暑地であるシントラ(世界文化遺産指定)を舞台に繰り広げられる群像劇であり(フランキーは中心にはいるが)、「夏の終わり」がフランキーの病状に重ねられているため、邦題としてはまずまず良いのではないかと思われる。多分、「フランキー」というタイトルだったら、「観たい」と思う日本人はかなり少なかったはずである。

比較的淡々と物語は進んでいく。

有名女優であるフランキーことフランソワ・クレモント(イザベル・ユペール)は、末期の癌に冒されており、診断によると年を跨ぐことは出来ない。そこで、家族や友人を連れて、ポルトガルのシントラで晩夏を過ごすことにする。夫に元夫、元夫との間の息子とその恋人候補、現在の夫の娘(連れ子)とその夫と娘などの行く末を見定めるつもりでもあっただろう。特に息子のポール(ジェレミー・レニエ)を友人のヘアメイクアーティストのアイリーン(マリサ・トメイ)とめあわせようとするのだが、実のところ……といった展開になる。アイリーンはニューヨーク在住で、息子のポールは仕事でニューヨークに移るということで期待したのであるが、アイリーンにはすでに婚約者候補があり、ポールもそれとなくアイリーンにアプローチをするのだが、断られている。

最期は登山のシーンである。フランキーがプランを立てたのだ。先に山に登ったフランキーが下にいるジミーとアイリーンを見つめる。そのフランキーを更に上から元夫のミシェルが望遠鏡で覗いている(ミシェルは今では男と恋愛関係にあるようだ)。その後、更に上の場所から山頂に到達した人々を捉える視点。おそらく神の視点であろう。計画はフランキーの予定通りには進まなかった。だが人々は思い思いに人生を過ごしていく。それを見つめる神の視座にいるカメラは、最後の頂に立ったフランキーのもう一つの視点なのかも知れない。

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2022年5月11日 (水)

これまでに観た映画より(293) 「見えるもの、その先に ヒルマ・アフ・クリントの世界」

2022年5月6日 京都シネマにて

京都シネマで、ドキュメンタリー映画「見えるもの、その先に ヒルマ・アフ・クリントの世界」を観る。監督:ハリナ・ディルシュカ、撮影:アリシア・パウル、ルアーナ・クニップファー。ドイツ映画であるが、ドイツ語、英語、スウェーデン語の3カ国語が用いられている。

カンディンスキーらに先駆けて抽象画を生み出したスウェーデンの女流画家、ヒルマ・アフ・クリントの生涯とその謎に迫る、再現VTRなどもまじえたドキュメンタリーである。

カンディンスキーらが抽象画を発表したのは1910年代であるが、ヒルマ・アフ・クリントは、それよりも前の1906年に初めて抽象画の系譜に入る絵画を創作している。だが、当時、ヒルマの抽象画はほとんど認められず、ヒルマもつましい生活のまま82歳で世を去り、甥のエリックに、「晩年の作品は死後20年公開しないように」との遺言を残した。

ヒルマ・アフ・クリントが生まれたのは、1862年。代々海軍士官を務める貴族の家に生を受けた。当時、スウェーデンの貴族の娘が長年独身でいるケースが目立っており、「自立させる」ための絵画教育を施すことが流行っていた。ヒルマもこれの波に乗り、スウェーデン王立美術院に学んで、卒業後は伝統的な絵画を描くことで職業画家として自立。ストックホルムの当時の中心部にアトリエを与えられ、純粋な絵画作品の他に、病院などで用いられる実用的な作品も手掛けていた。

当時のスウェーデンでは降霊術が流行っており、ヒルマも降霊術のサークルに参加している。同じサークルにのちに劇作家となるストリンドベリも参加していたそうだが、その時は互いに有名になる前だったため、接点らしい接点はなかったようである。

やがて神秘主義に傾倒したヒルマは、志を同じくする女性芸術家達と「5人」という芸術集団を結成。啓示を受け、降霊などにインスピレーションを得た絵画を創造することになる。

「降霊などにインスピレーションを得た」などと書くといかにも怪しそうだが、シャーロック・ホームズ・シリーズで知られるサー・アーサー・コナン・ドイルも降霊術に傾倒していたことで知られているように、降霊に興味を持つことは世界的な風潮でもあった。スウェーデンは、その名もずばりエマヌエル・スウェーデンボルグ(スウェーデンボリ)という、世界史上最大級の心霊学者が生まれた国でもある。
また、科学が一大進歩を遂げる時代でもあり、原子や波動などの発見があり、「世界そのものを描きたいなら見えるように描いてはいけない」という科学からの影響も大きかった。

ただ、新しいものは往々にして受け入れられない。ヒルマの新しい絵画は仲間の女性芸術家2人から否定的に受け取られ、ヒルマが理解を求めた神秘思想家のルドルフ・シュタイナーからも色よい返事は貰えず、シュタイナーと会った1908年から4年ほどは創作自体を行っていない。

当時はスウェーデンでもまだ、「女性は結婚したら家庭に入り、仕事は辞めるべき」という風潮があり、女性が芸術家として生きていくことは難しい時代。そして、美術史は男性画家の歴史であり、女性の作品というだけで価値以前の扱いを受けていた。

こうして、カンディンスキーやモンドリアンといった男性の抽象画家が注目を浴びる中、ヒルマは埋もれた存在となっていく。これまでヒルマは生前に展覧会を開いたことはないとされていたが、実はロンドンで一度だけ個展を開いていることが分かったそうだ。
売れない画家として後半生を送ったヒルマ。彼女が生活していけたのは、芸術団体「5人」のメンバーで、富豪の娘であったアンナ・カッセルによる援助があったためとされている。

ところが、2019年、ヒルマは突如として脚光を浴びる。没後20年が経過し、ヒルマの抽象画も世に出るようになるが、最初のうちは、「降霊術の絵なんて興味はない」と断られたりもしていた。しかし、各地の展覧会での好評を受けて、ニューヨークのグッゲンハイム美術館で行われた回顧展が大評判となり、同美術館史上最高となる約60万の来場者を記録。マスコミ各紙からも絶賛される。

ただ大成功したからといって、美術的な価値が診断されるには20年から30年掛かるそうで、ヒルマがこのまま偉大な画家との評価が定まるかどうかは不確定であるが、このドキュメンタリーに出演した多くの専門家は、美術史の書き換えに肯定的な意見を述べている。

彼女の作品は巨大であり、実物を観ないことには、そのエネルギーは感じられないであろうことが察せられる。一度は実作を目にしてみたくなる。

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