カテゴリー「フランス」の75件の記事

2024年4月20日 (土)

コンサートの記(840) びわ湖ホール オペラへの招待 オッフェンバック作曲「天国と地獄」(新制作)

2023年12月23日 滋賀県立芸術劇場びわ湖ホール中ホールにて

午後2時から、びわ湖ホール中ホールで、びわ湖ホール オペラへの招待 オッフェンバック作曲「天国と地獄」(新制作)を観る。オペレッタにも分類されるということで日本語上演・日本語字幕付きである。終盤のみフランス語が用いられる。台本と演出を手掛けるのは神戸出身の岩田達宗。岩田はホワイエに展示された神々相関図のイラストも手掛けていて、神々の可愛らしい絵姿を描いていた。訳詞は宮本益光。びわ湖ホール声楽アンサンブルの指揮者である大川修司指揮大阪交響楽団(コンサートマスター・林七奈)の演奏。出演は、有本康人、山岸裕梨、藤居知佳子、奥本凱哉、市川敏雅、森季子、佐々木真衣、船越亜弥、西田昂平、迎肇聡、黒田恵美、島影聖人。合唱はびわ湖ホール声楽アンサンブル。ダンサーは、浅野菜月、片山未知、天上うらら、天上さくら(振付:河森睦生)。
今回の演出では、字幕が「世論」として重要な役割を果たす(びわ湖ホールを制御するコンピューターの言葉という設定)。

フレンチカンカンの音楽がとにかく有名なオペラ(オペレッタ)だが、私が「天国と地獄」(原題は「地獄のオルフェ」)を観るのは映像も含めて初めてになる。

グルックのオペラでも有名な「オルフェオとエウリディーチェ」の話を当時の世相を反映させる形の奔放なパロディーに仕立てた作品で、今回の演出でも、自民党安倍派のパーティー券問題、アメフトの日大フェニックスの不祥事、インボイス制度の導入などが風刺されている。今年(2023年)亡くなった、吉本新喜劇の桑原和男の玄関先ネタも加えられていた。

今日は前から2番目の席で聴いたのだが、大川の指揮する大阪交響楽団に威力があり、歌手の歌唱の水準も高く、バカ騒ぎのようなファルスを楽しむことが出来た。

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2024年4月 9日 (火)

コンサートの記(838) リオ・クオクマン指揮 京都市交響楽団スプリング・コンサート2024

2024年4月7日 京都コンサートホールにて

午後2時から、京都コンサートホールで、京都市交響楽団スプリング・コンサートを聴く。
今回の指揮はマカオ出身のリオ・クオクマン。京響とは4度目の顔合わせとなる。

現在、マカオ管弦楽団の音楽監督・首席指揮者、香港フィルハーモニー管弦楽団の常任指揮者、マカオ国際音楽祭プログラム・ディレクターなどを務めるリオ・クオクマン。香港演芸学院を出た後でアメリカ東海岸に留学。ニューヨークのジュリアード音楽院、フィラデルフィアのカーティス音楽院、ボストンのニューイングランド音楽院でピアノと指揮を学び、2014年にスヴェトラーノフ国際指揮者コンクールで最高位を獲得。2016年まで、ヤニック・ネゼ=セガンの下でフィラデルフィア管弦楽団の副指揮者を務めている。
ピアノも達者であり、京響の定期演奏会では、「ラプソディ・イン・ブルー」のピアノ弾き振りなども行っている。

オール・フレンチ・プログラムで、ベルリオーズの序曲「ローマの謝肉祭」、プーランクのオルガン協奏曲(パイプオルガン独奏:桑山彩子)、サン=サーンスの交響曲第3番「オルガン付き」(パイプオルガン独奏:桑山彩子)が演奏される。


今日のコンサートマスターは泉原隆志。フォアシュピーラーに尾﨑平が入る。


ベルリオーズの序曲「ローマの謝肉祭」。切れ味と推進力が心地よい演奏で、各楽器の音色も輝かしく、純度も高い。全体的に溌剌とした印象である。


プーランクのオルガン協奏曲。単一楽章による作品だが、3部に分かれており、実質的にはオーソドックスな協奏曲と変わりない。
弦楽5部とティンパニによる編成である。
オルガン独奏の桑山彩子は、広島市のエリザベト音楽大学と同大学院を経て渡仏。リヨン国立高等音楽院を審査員一致のプルミエ・プリを得て首席で卒業。高等音楽学国家免状を取得している(ヨーロッパでは国家からの免状を得ないとプロの演奏家になれないところも多い)。第6回ゴットフリート・ジルバーマン国際オルガンコンクールで優勝。現在は、エリザベト音楽大学非常勤講師、京都カトリック河原町教会オルガニストなどを務めている。
桑山はステージ上でリモートでのパイプオルガン演奏。舞台下手端、すり鉢状にせり上がっていくステージの最上段に第二演奏台を置いての演奏である。
豪壮な響きでパイプオルガンが鳴ってスタート。この主題は第3部で形を少し変えて戻ってくる。
「パリのモーツァルト」とも呼ばれるプーランク。フランス六人組の中でも最も有名な作曲家だが、旋律や音色が洒落ており、第3部には、パリの街角をプーランクがウキウキと歩く姿が見えるようなチャーミングな場面も出てくる。
京響は生真面目な演奏で、音色にもう少し洒脱さがあると良かったのだが、技術は高い。
ティンパニが活躍する曲で、演奏終了後、ティンパニ奏者の中山航介が喝采を浴びた。


サン=サーンスの交響曲第3番「オルガン付き」。サン=サーンスの作品の中で、「動物の謝肉祭」と並んで最も有名な曲である。MOVIX京都の映画予告編では、この曲の第1楽章第1部の展開部が宝石店のCM曲として使われている。
2楽章からなるという異色の交響曲だが、それぞれの楽章が2部に分かれており、4楽章の伝統的な構成と見なすことも出来る。なお、重要な役割を果たすピアノデュオは、佐竹裕介と矢野百華が受け持つ。
リオと京響は、この曲の神秘的な雰囲気を上手く浮かび上がらせ、フォルムも適切で格好いい。
表情の描き分けも巧みで、厳かな場面はそれらしく、落ち着いた箇所はニュアンスたっぷりに、爽やかな部分は薫風が吹き抜けるように奏でられる。
桑山のパイプオルガンとの息もピッタリで、春の初めに相応しい生気溢れる演奏となった。

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2024年1月31日 (水)

コンサートの記(830) 沖澤のどか指揮京都市交響楽団第685回定期演奏会フライデー・ナイト・スペシャル

2024年1月19日 京都コンサートホールにて

午後7時30分から、京都コンサートホールで、京都市交響楽団の第685回定期演奏会を聴く。今日の指揮者は、京響常任指揮者の沖澤のどか。オール・フレンチ・プログラムで今日明日と演奏会があるが、今日は休憩なし演奏時間約1時間のフライデー・ナイト・スペシャルと称した演奏会となる。

曲目は、ドビュッシーのハープと弦楽のための舞曲「神聖な舞曲と世俗的な舞曲」(ハープ独奏:吉野直子)、オネゲルの交響曲第5番「三つのレ」、イベールの「寄港地」。明日はドビュッシーの代わりに、フランス六人組の紅一点であるタイユフェールのハープと弦楽のための小協奏曲が入り、ラヴェルの「ボレロ」が加わる。

なお、今日明日とNHKによる収録があるようで、天井からデッカツリーが下がり、ステージ上にもマイクロフォンが並んでいる。NHKはBSで「沖澤のどか特集」を放映したことがあり、推されているようである。


午後7時から沖澤のどかによるプレトークがある。
オネゲルの交響曲第5番「三つのレ」に関しては、客席に「お聴きになったことのある方、いらっしゃいますか?」と聞いていた。私は手は挙げなかったが、シャルル・デュトワ指揮バイエルン放送交響楽団による「オネゲル交響曲全集」(エラート)を持っているので、録音でなら聴いたことがある。「三つのレ」は、一応オネゲルの交響曲の中では最も分かりやすくポピュラーなので、実演でも一度聴いたことがあるような気がするのだが、はっきりとは覚えていない。
沖澤は、令和6年能登半島地震について触れ、オーケストラ・アンサンブル金沢で指揮研究員をしていた頃の話をし、終演後にエントランスに立って寄付金を募ることを表明した。

今日のコンサートマスターは特別客演コンサートマスターの会田莉凡。フォアシュピーラーに泉原隆志。今日はヴィオラにソロ首席ヴィオラ奏者の店村眞積が入り、チェロの首席には客演の森田啓介が招かれている。ドイツ式の現代配置での演奏。


ドビュッシーのハープと弦楽のための舞曲「神聖な舞曲と世俗的な舞曲」。この曲を聴くと2日前が誕生日だった故坂本龍一がドビュッシーから強い影響を受けていたことが感じられる。
広上とは透明感にあふれる見通しの良い音を出していた京響であるが、沖澤と出す音はやや渋めで彼女の個性が感じられる。
日本を代表するハープ奏者である吉野直子のハープもエレガントであった。


オネゲルの交響曲第5番「三つのレ」。プレトークで沖澤は「仮の宗教音楽」といった風に例えていたが、冒頭のコラールが実にかっこいい曲である。沖澤の指揮する京都市交響楽団は立体的な音響を作り出す。力強く、透明感もあり、スケールもしっかりとした演奏である。


イベールの「寄港地」からは管楽器の首席奏者も増え(明日はなんといってもラヴェルの「ボレロ」がラストにある)、音の豊かさが増す。沖澤のオーケストラドライブも素晴らしく、左手での指示も効果的で、地中海の匂いが音の殻を破って飛び出してくるような、生命力に満ちた演奏となっていた。


被災地・能登のためのアンコール演奏がある。徳山美奈子の交響的素描「石川」~加賀と能登の歌による~第2楽章「山の女」山中節より。ノスタルジックな楽曲であった。

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2022年7月21日 (木)

コンサートの記(789) 佐渡裕芸術監督プロデュースオペラ2022 プッチーニ 歌劇「ラ・ボエーム」 2022.7.17

2022年7月17日 西宮北口の兵庫県立芸術文化センターKOBELCO大ホールにて

午後2時から、西宮北口の兵庫県立芸術文化センターKOBELCO大ホールで、佐渡裕芸術監督プロデュースオペラ2022 プッチーニの歌劇「ラ・ボエーム」を観る。

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モーツァルトの「魔笛」やビゼーの「カルメン」と共に、音楽雑誌などの好きなオペラランキング1位争いの常連である「ラ・ボエーム」。パリを舞台に、芸術家に憧れる若者とお針子との悲恋を描いた作品である。それまでは芸術というと、例外は案外多いが上流階級が行うものであり、たしなみでもあったのだが、プッチーニの時代になると市民階級が台頭。芸術を楽しんだり、あるいは自分で芸術作品を生み出そうとする市民が現れる。たまたますぐに認められる人もいたが、大半は長い下積みを経験し、芽が出ないまま諦めたり、貧困の内に他界する者も多かった。そんな新しい「種族」であるボヘミアン(フランス語で「ボエーム」)は、人々の目を驚かし、あるいは唾棄され、あるいは憧れられる存在となっていった。

今回、演出・装置・衣装を手掛けるのは、1943年、イタリア・マルチェラータ生まれのダンテ・フェレッティ。多くの映画監督やオペラ演出家と仕事をしてきた巨匠である。フランコ・ゼフィレッリのオペラ映画で美術を手掛け、その後にピエル・パオロ・パゾリーニ作品5本に美術担当として参加。近年はマーティン・スコセッシ監督と多く仕事をこなしている。

フェレッティは、ボヘミアン達の住み処をアパルトマンの屋根裏部屋から、セーヌ川に浮かぶ船に変更。垂直の移動をなくすことで、パリの地上に近づける工夫を施している。個人的にはアパルトマンの屋根裏から見えるパリの光景が、バルザックの小説『ゴリオ爺さん』で語られる最後のセリフ、「パリよ今度はお前が相手だ」に繋がるようで気に入っているのだが、船上で暮らすボヘミアン達というのはそれはそれで面白いように思う。ただ船上に住むとした場合、隣の部屋に人知れず住んでいるミミという女性のキャラクターは余り生きないように思う。今回のミミは、船のセットの前を歩いて後方に回り、船内の部屋のドアの向こうに立って人を呼ぶという設定になる。元々は火が消えたから分けて欲しいという設定なのだが、船の家までわざわざやって来て、火を分けて欲しいというのは変である。ミミはおそらく舞台上手側にある部屋に住んでいて、船の家まで来たと思われるのだが、その場合は、ロドルフォが男前なので、近づきたいがために無理な設定をでっち上げたということなのだろうか。他に理由があるのかも知れないが、思いつかない。


指揮はいうまでもなく佐渡裕。兵庫芸術文化センター管弦楽団(PACオーケストラ)の演奏。ゲストコンサートマスターはステファノ・ヴァニヤレッリ(トリノ王立歌劇場管弦楽団コンサートマスター)、第2ヴァイオリントップはペーター・ヴェヒター(元ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団首席)、チェロ客演首席はレリヤ・ルキッチ(トリノ王立歌劇場管弦楽団首席)。第2幕のカフェ・モミュスの場に現れる軍楽隊のメンバーの中に、元京都市交響楽団トランペット奏者の早坂宏明の名が見える。
プロデューサーは小栗哲家(大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で主役を張っている小栗旬の実父)。

ダブルキャストによる上演で、今回はヨーロッパの若手歌手を中心としたA組の出番である。出演は、フランチェスカ・マンゾ(ミミ)、エヴァ・トラーチュ(ムゼッタ)、リッカルド・デッラ・シュッカ(ロドルフォ)、グスターボ・カスティーリョ(マルチェッロ)、パオロ・イングラショッタ(ショナール)、エウジェニオ・ディ・リエート(コッリーネ)、清原邦仁(パルピニョール)、ロッコ・カヴァッルッツイ(ベノア/アルチンドーロ)、島影聖人(物売り)、時宗努(軍曹)、下林一也(税官吏)。合唱は、ひょうごプロデュースオペラ合唱団、ひょうご「ボエーム」合唱団、ひょうごプロデュースオペラ児童合唱団。
ひょうごプロデュースオペラ合唱団のメンバーには関西では比較的有名な若手歌手も含まれている。

第2幕のカフェ・モミュスの場では、ステージ上がかなり密になるということで、吉田友昭(医学博士/感染制御医)と浮村聡(医学博士/大阪医科薬科大学大学院感染対策室長)という二人の医学関係者が感染対策の監修を手掛けている。


舞台設定は大きく変えたが、演技面などに関してはいくつかの場面を除いてオーソドックスな手法が目立つ。セットではやはりカフェ・モミュスのテラス席と屋内を一瞬で転換させる技法が鮮やかである。

オーディションを勝ち抜いた若手歌手達の歌と演技も楽しめる水準にあり、特にムゼッタを演じたエヴァ・トラーチュのコケティッシュな演技と歌声が魅力的であった。

佐渡裕指揮の兵庫芸術文化センター管弦楽団の演奏も潤いと艶と勢いがあり、私が座った席の関係か、たまに鳴り過ぎに聞こえる場面があったが、生命力に満ちている。在籍期間が最長3年で、常に楽団員が入れ替わる育成型オーケストラであるため、他のプロオーケストラに比べると独自の個性は発揮出来ないが、一瞬一瞬の価値を大事にしたフレッシュな演奏が可能ともなっている。


第3幕の「ダダン!」という音による始まりと終わりについてであるが、個人的には、アンフェール関門(インフェルノ関門)という場所が舞台になっているため、地獄の扉が開く音として捉えている。第2幕であれほど生き生きしていたボエーム達とミミが、第3幕では、ミミの病気やロドルフォのミミに対するDV、マルチェッロとムゼッタの喧嘩などで、地獄への道へと落ちていくことになる。

立場はそれぞれ違えども、ステージにいる人、客席にいる人の多くが、ボエーム達の生活に憧れたか、実際にそういう暮らしを送った人達であり、己の姿を投影することの可能な作品である。

一方で、この時代は女性にとっては残酷であり、地方からパリに出てきてお針子になる女性が多かったが、パリの家賃や物価は高く、多くは仕事をしているだけでは生活出来ず、売春などで小金を稼ぐ必要があった。ムゼッタのように金持ちに囲われ、歌の教師などの職を得るものもあれば、ミミのように売春をしても暮らしは楽にならず、若くして命を散らすことも決して珍しくなかった。女性でも芸術方面で活躍している人もいるにはいたが、彼女達は基本的に上流階級の出身であり、そうでない多くの女性は芸術家(ボエーム)になることも許されず、地獄のような生活を送る人も少なくはなかった。

ミミというのは俗称で(売春をする女性は、ミミのように同じ音が続く俗称で呼ばれることが多かった。ムゼッタの俗称はルルである)本名はルチア。「Lux」に由来する「光」という名の名前である。この作品でもロドルフォの戯曲を燃やす暖炉の明かり、ミミが借りに来る「火」の灯り、カフェ・モミュスの輝き、第3幕での春の陽の光に抱く恐れや、最後の場面での日光に関するやり取りなど、「光」が重要な鍵となっている。

ロドルフォは最後までミミのことを本名のルチアで呼ばない。結婚相手とは考えられないのだ。本名で呼ぶような関係の夫婦となるのに多くの障壁がある。まず金銭面、身分の問題(ロドルフォは売れない詩人、ミミは売春も行うお針子)、そして価値観の違い。ミミはボエーム達のように芸術に関して深く理解する力はなかっただろう。ロドルフォはミミを愛しい人とは思っても結婚相手とは見ておらず、芸術上の同士とも考えていないため、「ルチア」とは呼ばないのである。すれ違いといえばすれ違いであるが、新しい階級を築きつつある一方で、旧弊から抜け出せない端境期(あるいは今も端境期のままなのかも知れないが)の「自由な」「わかり合えない」若者達の悲しさと愚かしさを描く、痛切な作品でもある。

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2022年5月26日 (木)

これまでに観た映画より(296) 「勝手にしやがれ」4Kレストア版(2K上映)

2022年5月23日 京都シネマにて

京都シネマで、ジャン=リュック・ゴダール監督の「勝手にしやがれ」を観る。日本では特に沢田研二がこの映画にインスパイアされた曲をヒットさせたということもあるが、ゴダール監督作品の中でも最も有名な映画と見て間違いないだろう。長編第1作が著名にして今なお世界的評価を得ているというのも稀なことである。

出演:ジャン=ポール・ベルモンド、ジーン・セバーグほか。原案をフランソワ・トリュフォー、監修をクロード・シャブロルが務めている。

2007年にDVDで観ているが、映像特典では、ジョン=ポール・ベルモンドが、自身が行った即興の演技の解説を行っていた。
有名なラストシーンで、どこまで走るかはベルモンドに一任されており、ゲリラ撮影であったため、ベルモンドは、「これ以上走ると車に轢かれる」という寸前で倒れたことを明かしている。死ぬ前に自分の手でまぶたを閉じるという有名な仕草もベルモンドによる即興である。


ろくでなしのミシェル(ジャン=ポール・ベルモンド)の話。実話が基になっている。マルセイユで車を盗み、南仏で乗り回していたミシェル。警察のバイクに追いかけられ、逃げるが、エンストして追い込まれた時に警官を射殺してしまう。かくてミシェルはお尋ね者となった。
パリに戻ったミシェルは、知り合いの女性から金をくすねたり、トイレで手を洗っていた男性を襲って金を奪ったりと、相変わらずのろくでなし生活。最終的にはアメリカ人の恋人であるパトリシア(ジーン・セバーグ)の下に転がり込むことになる。パトリシアはジャーナリストを志している。そうしている間にも捜査は進み、ミシェルは指名手配され、新聞にも顔写真と名前が載るようになっていた。


多くの映画監督が言葉を武器とする批評家からスタートしたというヌーヴェルヴァーグの映画らしく、過度にエスプリをちりばめたセリフが特徴。いくらフランス人とはいえ(ジーン・セバーグはアメリカ人だが)、ここまで凝った言葉を喋る人はいないと思われ、リアリティを欠くのだが、いわゆるリアリティとは別のところで勝負しているところがヌーヴェルヴァーグ(新しい波)の特徴である。おそらくヌーヴェルヴァーグの作家達にとって、リアリティの重要度はそれほど高くはなかっただろう。

ジャン=リュック・ゴダールの作品は、私はそれほど好きではないが、「勝手にしやがれ」の完成度にはやはり感心させられる。

ちなみに、「勝手にしやがれ」制作時に、ジャン=リュック・ゴダールは28歳、ジャン=ポール・ベルモンドは26歳、ジーン・セバーグは二十歳である。みんな若い。


フランソワーズ・サガン原作の映画「悲しみよこんにちは」のセシル役で鮮烈なデビューを飾ったジーン・セバーグ。続けて出た「勝手にしやがれ」も好評だったが、実は彼女の出演作の中でヒットしたのは、この2作だけである。興行成績的にいうなら「悲しみよこんにちは」も成功とはいえないとされる。以降は女優としては低迷し、政治活動に力を入れるが、精神を病み、40歳の若さで自殺している。
ただ、「悲しみよこんにちは」で売れたということで、「勝手にしやがれ」のセリフの中に、サガンの『一年ののち』や『ブラームスはお好き』といった小説のタイトルがちりばめられている。だが、今日は残念ながら客席から笑いや反応は起こらなかった。天才少女作家の代名詞でもあったフランソワーズ・サガンも他界して久しく、小説も絶版が多く、今後は読まれない過去の作家となっていくのかも知れない。

とはいえジーン・セバーグもジャン=ポール・ベルモンドもとにかく魅力的である。セリフも映画のスタイルも自己中心的もしくは自己完結的であり、登場人物の間、そしてスクリーンと観客の間でもすれ違いが起こっていることは実感出来る。まさしく「勝手にしやがれ」状態だが、それが魅力になるというのが、この映画の強さである。車を盗んでは逃げ回っている男、そんな男についていく女、ろくでもない二人だが、そのろくでもなさの哀感が観る者を魅了する。「勝手にしやがれ」という邦題はベルモンドのセリフに由来するが、かなり上手い邦題だと思える。

3年前(2019年)に火災に遭ったノートルダム大聖堂、凱旋門、エッフェル塔、コンコルド広場など、舞台となっているパリの名所も多く登場し、パリの美しい街並みや風景も目にすることが出来るが、同時に例えばユゴーの『ノートルダム・ド・パリ』に描かれたような、もう一つのパリとその魅力が語られているような独特の妙味を持った映画と賞賛したい。

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2022年3月21日 (月)

配信公演 パーヴォ・ヤルヴィ指揮パリ管弦楽団 フィルハーモニー・ド・パリ オープニングプレミアムガラコンサート2015(文字のみ)

2015年1月15日

フランス・パリに出来上がった初の本格的コンサートホール、フィルハーモニー・ド・パリのオープニングプレミアムガラコンサートをインターネットで視聴。arteの制作である。パーヴォ・ヤルヴィ指揮パリ管弦楽団の演奏。

パリとロンドンには本格的なコンサートホールがなく、「ロンドンとパリには一流のオーケストラはあっても一流のコンサートホールはない」と言われ続けてきたが、パリ管弦楽団の音楽監督に就任したパーヴォ・ヤルヴィが「今のままでは駄目だ」ということで、新たな本拠地とするための音響設計のきちんとなされたホールを作るよう進言。パリ管弦楽団の評価を高めたパーヴォの発言力は大きく、すぐさま実行に移されることになった。一方で、パリ管弦楽団がこれまで本拠地としてきたサル・プレイエルは歴史があり、パリの都心に近いとして(一応、パーヴォがパリ管弦楽団の音楽監督に就任した際に内部改修工事が行われている)新ホールへの本拠地移転に反対する意見もあるようだ。

フィルハーモニー・ド・パリのオープニングにパーヴォが選んだのはオール・フランス・プログラム。エドガー・ヴァレーズの「チューニング・アップ」、アンリ・デュティユーの「ひとつの和音の上で」(ヴァイオリン協奏曲。ヴァイオリン独奏:ルノー・キャピュソン)、フォーレの「レクイエム」、ラヴェルのピアノ協奏曲(ピアノ独奏:エレーヌ・グリモー)、ティエリー・エスケシュ(Thierry ESCAICH)の管弦楽のための協奏曲(世界初演)、ラヴェルの「ダフニスとクロエ」第2組曲。

通常の定期演奏会の倍近い時間を要する特別コンサートである。

マイクを通してだが、音響の良さが伝わってくる。映像で見る限り、内装はベルリン・フィルハーモニーに似ており、左右非対称なのも特徴である。


ヴァレーズの作風はそれほど易しいものではないが、「チューニング・アップ」は冗談音楽のような作品であり、楽しい。デュティユーの「ひとつの和音の上で」はクリスティアン・テツラフのヴァイオリンとパーヴォ指揮パリ管のCDが発売されたばかりだが、音だけで聴くより、演奏している風景が伴った方がわかりやすいような気がする。

フォーレの「レクイエム」は、パーヴォとパリ管はすでにCDと映像(Blu-rayとDVD)をリリースしているが、今回の演奏でも好演を示している。


ラヴェルのピアノ協奏曲。フランスを代表する天才ピアニストにして変人美人のエレーヌ・グリモーのピアノ。
チャーミングにしてリズミカルな演奏をグリモーは展開。パーヴォ指揮パリ管の伴奏も粋だ。

アンコールとしてグリモーとパーヴォ、パリ管は、ラヴェルのピアノ協奏曲の第3楽章を再度演奏した。


ティエリー・エスケシュの管弦楽のための協奏曲(オーケストラのための協奏曲)。
ティエリー・エスケシュはフランスの現役の作曲家兼オルガニスト。才気溢れる作風で知られているようだ。
今回が世界初演となる管弦楽のための協奏曲も分かり易い音楽ではないかも知れないが響きは美しい。


ラストの曲目となるラヴェルの「ダフニスとクロエ」第2組曲。繊細さ、緻密さ、熱狂の度合い、どれを取ってもお手本となるような高水準の出来。フィルハーモニー・ド・パリのオープニングプレミアムガラコンサートは大成功とみて良いだろう。

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2022年2月 1日 (火)

これまでに観た映画より(274) 京都シネマ ペルー映画祭「アンダーグラウンド・オーケストラ」

2022年1月26日 京都シネマにて

京都シネマで、ペルー映画祭「アンダーグラウンド・オーケストラ」を観る。1997年に製作されたドキュメンタリー映画。1999年の山形国際ドキュメンタリー映画祭で審査員特別賞を受けている。1951年、ペルーの首都リマに生まれ、リマで文学と生物学を専攻した後でローマに渡って映画製作を学び、1978年にオランダに帰化したエディ・ホニグマン監督の作品。パリのメトロで演奏を行って生活費を稼いでいる亡命者達の姿を捉えている。

パリにはスリを生業としている人が多いため、地下道でも「荷物から目を離さないように、椅子の下に鞄を置かないように」というアナウンスが流れている。

メトロでは撮影が禁止されているようだが、白人をカメラが追っていても職員や警察は見て見ぬふり。一方、有色人種が演奏を行った後にお金を集めようとすると、途端に撮影を止めさせたり、有色人種の音楽家を追い出そうとしたりするようである。

まず最初に登場するのは、アルパ奏者のマリオ(マリオ本人も、おそらくエディ・ホニグマンとおぼしきインタビュアーも「アルパ」と言っているが、アルパはそれほどメジャーな楽器ではないため、英語字幕でも日本語字幕でも「ハープ(harp)」となっている)。ベネズエラからの移民だそうである。アルパの演奏はかなり上手い。そういえば、以前は大阪のザ・シンフォニーホールの前の広場に南米系と思われる男性のアルパ奏者がよく演奏を行って、自分のCDも発売していたが、彼は今はどうしているのだろうか。

その他にもルーマニアから出稼ぎに来ている家族や、チャウシェスク政権崩壊以降のルーマニアに絶望してパリに亡命した親子なども登場する。

CDデビューもしている黒人系(とは断言出来ない。色は黒めだが、エチオピア人などの中間種かも知れない)の女性歌手は、小さなアパートメントに子供2人と暮らしているが、移民の場合、フランス人よりも賃貸料が高くなるそうで、移民に厳しいフランスの現状(1997年の撮影なので、今とは異なる可能性があるが)を知ることが出来る。また、アルパ奏者のマリオは、アパートの一室を購入しようとするが、移民ということもあってか契約は成立しない。

移民や亡命者ということで、フィドルやギター、アコーディオンといった世界中で演奏されている楽器のみならず、ツィンバロンなどの民族楽器を奏でる奏者もいる。

ユーゴスラビア紛争のただ中にあったボスニアから兵役拒否をしてパリに逃げてきた男性の姿もカメラは捉えている。ユーゴスラビアの国立歌劇場のオーケストラでヴァイオリンを弾いていたそうだが、ボスニアにはもう戻れない。その他に、亡命申請をして他国に渡った場合、二度と祖国に帰ることが許されないというケースもあるようである。

かなり厳しい状態に置かれているストリートミュージシャン達であるが、演奏している時とその直後の顔は清々しさに溢れている。音楽をする喜びは、いかなる苦難にも勝るようである。

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2022年1月23日 (日)

美術回廊(71) 大丸ミュージアム〈京都〉 「堀内誠一 絵の世界」

2022年1月5日 大丸京都店6階大丸ミュージアム〈京都〉にて

大丸京都店6階大丸ミュージアム〈京都〉で、「堀内誠一 絵の世界」を観る。
1932年、東京に生まれた堀内誠一は、第二次世界大戦の影響を受けて、家計を助けるため中学校卒業後に伊勢丹に就職。日本大学第一商業学校(日本大学第一高校の前身)の夜間部に入学しているが中退している。父親が今でいうデザイナーの日本での走りということもあり、誠一も幼い頃から絵が得意で、伊勢丹でもデザイン部門の仕事を行っているが、その後に独立。絵本や童話の挿絵などを手掛けるようになる。「an・an」や「Popeye」の創刊号の表紙の想定を手掛けるなど、グラフィックデザイナーとしても活躍している。

若い頃に描いた絵画なども観ることが出来るが、ピカソ、モディリアーニ、ゴッホ、ゴーギャン、ラウル・デュフィなど、フランスで活躍した画家からの影響が一目で分かるほど顕著な作品もあり、フランスへの憧れが垣間見える。1974年に堀内誠一は、日本でのグラフィックデザインの仕事を全て断って渡仏。パリ郊外のアントニーに居を構え、絵本の制作などに打ち込んだ。パリには1981年まで滞在。1987年に下咽頭癌のため54歳の若さで死去している。

パリに移る前後に、詩人の谷川俊太郎とのコラボレーションを行っており、谷川俊太郎が翻訳した『マザーグース』に挿絵を付けたり(現在の講談社文庫の挿絵は堀内誠一のものではない)、共通の趣味であるクラシック音楽のために堀内がエッセイと作曲家の肖像を描き、谷川が作曲家に纏わる詩を書くなど、芸術性の高い仕事を行っている。ストラヴィンスキーの肖像画は、明らかにラウル・デュフィの作品へのオマージュであることが分かる。

絵本のために描いた絵は作品ごとにタッチが異なっており、アメリカ風だったり、淡彩画風だったり、バランスを敢えて崩してチャーミングさを増してみたりと、様々な工夫を行っている。

地理も愛していたようで、移住したパリを始め、世界各地の都市の地図を描いている。原色系の愛らしい地図である。

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2021年10月18日 (月)

コンサートの記(749) 沖澤のどか指揮 京都市交響楽団第661回定期演奏会

2021年10月15日 京都コンサートホールにて

午後7時から、京都コンサートホールで京都市交響楽団の第661回定期演奏会を聴く。今日の指揮は期待の若手、沖澤のどか。

沖澤のどかは、1987年、青森県生まれ。以前に聞いた話では、青森で音楽を学ぶことにはやはりハンディがあるそうで、プロのオーケストラの演奏を聴く機会は年に1度あるかないか。お金さえあれば毎日のようにオーケストラの演奏会に通える東京とは雲泥の差だそうである。
東京藝術大学と同大学大学院で指揮を学んだ後、渡独。ベルリン・ハンス・アイスラー音楽大学大学院で学び、二つ目の修士号を獲得した。現在もベルリン在住。
2018年に東京国際音楽コンクール指揮部門で優勝して注目を浴び、翌2019年にはブザンソン国際指揮者コンクールでも優勝している。現在は、ベルリン・フィルハーモニー・カラヤン・アカデミー奨学生として、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団首席指揮者・芸術監督であるキリル・ペトレンコのアシスタントを務めながら世界各地のオーケストラに客演するという生活を送っている。今年はまず、大阪フィルハーモニー交響楽団の定期演奏会にデビューする予定だったのだが、ベルリン在住ということで、日本で活動するには2週間の自主隔離が必要となり、スケジュール的に無理ということで流れ、続くオーケストラ・アンサンブル金沢への客演も同じ理由で実現しなかった。京都市交響楽団への客演も当然ながら2週間の隔離が必要となるのだが、こちらは間に合った。


オール・フランス・プログラムで、ドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」、サン=サーンスのピアノ協奏曲第2番(ピアノ独奏:務川慧悟)、ラヴェルの「ダフニスとクロエ」組曲第1番&第2番。
ラヴェルのバレエ音楽「ダフニスとクロエ」は、全曲や第2組曲がコンサートで演奏されることが多いが、第1組曲も演奏されるのは珍しい。

今日のコンサートマスターは、京都市交響楽団特別客演コンサートマスターの会田莉凡(りぼん)。フォアシュピーラーに泉原隆志。今日は、客演首席チェロにNHK交響楽団首席チェロ奏者の「大統領」こと藤森亮一が入る。「大統領」「藤森大統領」というのは、ペルーのアルベルト・フジモリ(元)大統領に由来するあだ名で、1990年代に書かれた茂木大輔のエッセイに頻繁に登場するのだが、アルベルト・フジモリ大統領失脚から長い時間が経過した今も使われているあだ名なのかどうかは不明である。
フルート首席の上野博昭は「牧神の午後への前奏曲」と「ダフニスとクロエ」に登場。オーボエ首席の髙山郁子は「ダフニスとクロエ」のみの出演。クラリネット首席の小谷口直子は全編に登場した。


午後6時30分頃から沖澤のどかによるプレトークがある。「プレトークというものを行うのは生まれて初めてなので緊張している」と、まず述べた沖澤だが、話が面白く、頭の良さが感じられる。

京都に来るのは高校の修学旅行以来だそうだが、リハーサルをしていたので観光にはほとんど行けなかったこと、数年前に黛敏郎のオペラ「金閣寺」のアシスタントをしたことがあるのだが、その時は京都には行けないので、GoogleマップやGoogleストリートビューで金閣寺の周りをWeb上で回ってイメージ作りをしたという話をして笑いを取っていた。京都市交響楽団については、「まろやかな音」「音のパレットが豊富」という印象を受けたそうである。

ベルリン・フィルのアシスタントをしているということで、リハーサルや本番に立ち会うことが多いのだが、ベルリン・フィルはたまに人間の声のような音を出すそうである。そして、京響との今回のリハーサルでも、「ダフニスとクロエ」バレエ全曲版などでは合唱の入る「夜明け」のクライマックスのような部分でも同じことを感じたと語る。「合唱が入る部分なので気のせいかと思った」がやはりそのような音がしていたとのこと。
「牧神の午後への前奏曲」と「ダフニスとクロエ」には牧神パンが登場するのだが、「ダフニスとクロエ」のパンの登場にはうねりのようなものを感じるという。今回の演奏会のためにスコアを読んでいたところ、パンの登場の場面で本当に地響きのようなものを感じ、「自分の想像力もいよいよこの領域まで来たか」と思ったものの、実際に地震が起こっていた(先日、関東地方を襲った地震)ということでまた笑いを取っていた。
また、芸術=Artは、自然=Natureの対義語であるとし、今は自然を感じる機会が減っているという話もしていたが、「アートネイチャーはきっととても知的な方が付けた社名」というようなことを語り、ここでも笑いを誘っていた。

サン=サーンスについては、ドイツ人がフランス人について憧れを抱く「計算された自由さやさりげなさ」(実際は違う言葉を使っていたがこちらの方が分かりやすいので変えてみた)を体現している代表格と見なされているという話をしていた。

沖澤が下手袖に退場すると、京響の楽団員が出迎える拍手の音が聞こえる。かなり気に入られたようである。


ドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」。非常に優しい感じの演奏であり、一音一音を愛でるかのような丁寧さが目立つ。フランス系の指揮者が奏でるような「爽やか」だったり「カッコイイ」系だったりする「牧神の午後への前奏曲」ではなく、もっと温かで柔らかな演奏である。


サン=サーンスのピアノ協奏曲第2番。
独奏者の務川慧悟(むかわ・けいご)は、東京藝術大学音楽学部ピアノ科1年在学中に第81回日本音楽コンクール第1位を受賞して注目され、2014年にパリ国立高等音楽院に審査員満場一致で合格して入学。ピアノ科第2課程と室内楽科を修了し、現在はピアノ科第3課程とフォルテピアノ科にも在籍しているという。2019年、ロン・ティボー・クレスパン国際コンクール2位入賞。2021年、エリザベート王妃国際コンクール3位とコンクール歴を重ねている。
硬質な音で入り、堅固な造形を見せるが、第2楽章などはサン=サーンスの気の利いた旋律をお洒落に奏で、パリ在住者ならでは――というと言い過ぎかも知れないが――のエスプリ・クルトワを振りまく。第3楽章もチャーミングさを失わない演奏だ。
沖澤指揮の京響も細部まで神経が行き届きつつ、神経質にはならない独特のおおらかさを持った伴奏を繰り広げる。

務川のアンコール演奏は、ラヴェルの「クープランの墓」より第5曲“メヌエット”。これもやはり洒落た感覚が生きた演奏であった。


ラヴェルの「ダフニスとクロエ」組曲第1番&第2番。沖澤と京響の作り出す音楽はスケール豊かで、音の煌めきが見事である。
沖澤の指揮は、昨今の指揮者に多い派手さやバトンテクニックの鮮やかさで勝負するものではなく、「堅実」といった印象を受ける。指揮姿で見せるタイプではないようだ。音楽もまた誠実なものなのだが、つまらない演奏には陥らない。なお、第1番演奏終了と同時に照明が絞られ、薄明の中で第2番の「夜明け」が始まるという視覚的な演出が施されていた。
沖澤が、「声のように聞こえた」と語った、「夜明け」の場面のクライマックス。私には声にようには残念ながら聞こえなかったが(そこまで耳が良くないということなのだろう)、「光彩陸離」や「極彩色」といった常套句を超えた色彩が横溢するのを感じた。「爆発的」と言ってもいいほどの輝きである。
その他の部分の描き方も鮮やかで、沖澤の圧倒的な才能を感じる演奏会となった。

なお、沖澤のどかは、今後産休に入るということで、実演に接する機会はしばらくおあずけとなりそうである。

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2021年10月14日 (木)

コンサートの記(748) びわ湖ホール オペラへの招待 プッチーニ 歌劇「つばめ」2021.10.10

2021年10月10日 大津市の滋賀県立芸術劇場びわ湖ホール中ホールにて

午後2時から、びわ湖ホール中ホールで、びわ湖ホール オペラへの招待 プッチーニの歌劇「つばめ」を観る。園田隆一郎指揮大阪交響楽団の演奏。演出は伊香修吾。なお、園田と伊香は、今月下旬にフェニーチェ堺大ホールで日本語訳詞によるプッチーニの歌劇「ラ・ボエーム」を上演する予定である(演奏は大阪フィルハーモニー交響楽団)。
ダブルキャストで今日の出演は、中村恵理(マグダ)、熊谷綾乃(リゼット)、谷口耕平(ルッジェーロ)、宮城朝陽(プルニエ)、平欣史(ランバルド)、市川敏雅(ペリショー)、有本康人(ゴバン)、美代開太(クレビヨン)、山岸裕梨(イヴェット)、阿部奈緒(ビアンカ)、上木愛李(スージィ)ほか。原語(イタリア語)歌唱、日本語字幕付きでの上演。字幕担当は藪川直子。伊香修吾が字幕監修も行っている。

なお、東京ヤクルトスワローズにマジックナンバーが点灯しているが、「つばめ」ということで、舞台袖ではつば九郎の人形が見守っていることがSNSで紹介されていた。

上演開始前に、伊香修吾によるお話がある。注目の若手オペラ演出家である伊香修吾。東京大学経済学部を経て、同大学院経済学研究修士課程を修了するが、そのまま経済学やビジネス方面には進まず、英国ミドルセックス大学大学院舞台演出科修士課程を修了し、ザルツブルク音楽祭、ウィーン国立歌劇場、ウィーン・フォルクスオーパーなどで研鑽を積んだという比較的変わった経歴の持ち主である。びわ湖ホール オペラへの招待では、モーツァルトの歌劇「ドン・ジョヴァンニ」の演出を手掛けている。

伊香は、まず「つばめ」が初演された時代の背景について、ココ・シャネルをモデルに語る。ココ・シャネル(「ココ」は愛称で、本名はガブリエル・シャネル)が、パリにサロンを開いたのが、今から丁度100年前の1921年のこと。シャネルのサロンには、ジャン・コクトー、パブロ・ピカソ、イーゴリ・ストラヴィンスキーらが出入りしていたという。
行商人の娘として生まれたシャネルは、12歳の時に母親を亡くし、父親はフランス中を旅していてそばにいられないということで教会が運営する孤児院に入れられ、そこで育つことになる。その後、22歳の時にキャバレーで歌手としてデビュー。この時代にはまだ歌手や女優というのは売春婦と同義語であり、シャネルも元将校の愛人となって、歌手として大成は出来なかったものの、後にデザイナーとして頭角を現していくことになる。シャネルだけが特別なのではなく、この時代は資産家の愛人となる以外に資金を得たり自立したりといった術はほとんどなく、今とは女性の存在価値自体が大きく異なっていた。これが「つばめ」が初演された時代のパリである。

「ラ・ボエーム」と背景が似ているといわれる「つばめ」であるが、シャネルの例からもわかる通り、この時代のフランスは女性の地位が著しく低く、貴族階級の生き残りや新興のブルジョワジーなどの良家や資産家に生まれなかった女性は、低賃金労働に従事せざるを得ず、それでも搾取の対象で、どれだけ働いても生活するのに十分な金銭を稼ぐことは到底無理であり、愛人として囲われたり、売春をして日銭を稼ぐしかなかった。その中で特に寵愛を得た者は高級娼婦(クルティザンヌ)となっていく。「椿姫」のヴィオレッタ(原作ではマルグリット)が特に有名だが、「つばめ」のヒロインであるマグダも銀行家のランバルドをパトロンとする高級娼婦である。

「つばめ」は、プッチーニの歌劇の中でも人気がある方ではなく、上演される機会も少ない。ということで伊香は、プッチーニが上演の機会に恵まれない「つばめ」のことを気に掛けながら亡くなったということを紹介してから、「これが『オペラへの招待』のみではなく『つばめ』への招待となるように」「皆様が『つばめ』のようにびわ湖ホールに舞い戻って来られますように」という話もしていた。タイトルとなっている「つばめ」は、マグダの性質を燕に重ねたものである。渡り鳥である燕は、遠く海を越えた場所へと飛び去っていくが、1年後に元の巣へと戻ってくることで知られている。

3幕からなる歌劇。第1幕はマグダのサロン、第2幕はブリエの店(ダンスホール)、第3幕は南仏コート・ダジュールが舞台となっている。今回の上演では舞台となる時代は、第二帝政期から1920年代に置き換えられている。

サロンの運営者であるマグダは、豪奢な生活を送っている。不満も述べるマグダだが、他の夫人からは、「貧乏していないから分からないのよ」とたしなめられる。マグダは少女時代に、ブリエの店(今もその名残はあるが、この頃のダンスホールはちゃんとした身分の人はほとんどいない場所である)で若い男性に一目惚れする。まだ男を知らなかったマグダは恐怖心を抱いて逃げてしまったため、この初恋は2時間しか持たなかったが、マグダはまたあの時のようなときめきを味わいたいと語る。
サロンに出入りする詩人のプルニエは、戯曲なども書いているようで、2時間のみの恋を題材にした作品を書こうと語ったりするのだが、手相も見られるようで、マグダの手相を見て、「運命に導かれ、つばめのように海を越え、愛を目指すだろう」(伊香修吾の訳)と診断する。そこにランバルドの旧友の息子であるルッジェーロがやって来る。パリは初めてのルッジェーロが「パリを観光するならまずどこに」と聞くと、プルニエは、「ブリオの店だ」と即答し……。

高級娼婦というのは、愛人の援助を受けて、場合によっては社会的な成功を収めることも可能だが、基本的に好きな男性と結婚することは出来ない。マグダも身分を隠したままルッジェーロと恋に落ちるが、身分故に最初から結婚に行き着くことは不可能であり、また元の場所へと戻っていく。その姿が「つばめ」に重ねられている。

「高級娼婦は好きな人と結婚出来ない」。このことは初演が行われた時代には常識であり、「当たり前のことが上演されている退屈なオペラ」と見られるのも必然であったように思う。悲恋でもなんでもなかった。ただ、身分違いの恋は、初演から100年を経た今現在では十分に悲恋の要素をはらんでいるように見受けられる。実際、「つばめ」の日本での上演は21世紀に入ってから大幅に増えているようだ。


伊香修吾は、常に紗幕が降りているという演出を採用。紗幕に様々な映像が投影され、モノクロの映画を観ているような気分を味わえる。実はこのことは説明的な要素だけでなく伏線ともなっていて、第2幕には、自転車に二人乗りしたルッジェーロとマグダがパリの名所(凱旋門、ノートルダム大聖堂、エッフェル塔など)を回るという、本来にはない場面が用意されているのだが、これが名画「ローマの休日」の名場面に重なって見える。おそらくかなり意識していると思われるのだが、「つばめ」にはもう一組、これまたオードリー・ヘップバーン主演の映画「マイ・フェア・レディ」(原作はバーナード・ショーの戯曲『ピグマリオン』)を連想させるカップルが登場する。詩人のプルニエと、マグダの女中であるリゼットで、プルニエはリゼットに詩人の恋人に相応しい行いをするように命じている。結果としてこのピグマリオンは失敗に終わるのだが、そこからの連想で「ローマの休日」へと繋げるアイデアが生まれたのかも知れない。これが当たっているのかどうかは分からないが、「ローマの休日」ならぬ「パリの休日」の場面は本当に微笑ましく(俗にいう「キュンキュンする」場面である)、第1幕で歌われる「ドレッタの美しい夢」そのものである。ちなみにドレッタというのはプルニエが書いた詩劇のヒロインのことである。

「つばめ」自体は知名度の高いオペラとはいえないが、「ドレッタの美しい夢(ドレッタの素晴らしい夢)」は、40代以上の方は聞き覚えはあると思われる。1990年頃だったと思うが、当時新進ソプラノであった中丸三千繪がこの曲を得意としており、テレビCMにも採用されていた。

評価の高いソプラノ、中村恵理の歌は本当に圧倒的。スケールといい、声の艶と輝きといい文句なしの歌唱である。

「つばめ」の登場するもう一組のカップルであるプルニエとリゼットは実はもっと注目されても良いように思われる。ピグマリオンに失敗して別れるかと思った二人なのだが、プルニエはそのままのリゼットを受け入れるのである。それまでには余り見られなかったタイプのキャラクターだ。プルニエという人物は、進歩的であると同時に一連の出来事の仕掛け人的立場であり、かなり魅力的である。

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