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2025年12月29日 (月)

コンサートの記(934) 鈴木優人指揮 京都市交響楽団 オーケストラ・ディスカバリー2025「発見!メモリアルイヤーの作曲家」第2回「国を越えてリズムがわたる」

2025年9月7日 左京区岡崎のロームシアター京都メインホールにて

午後2時から左京区岡崎のロームシアター京都メインホールで、京都市交響楽団 オーケストラ・ディスカバリー2025「発見!メモリアルイヤーの作曲家」第2回「国を越えてリズムがわたる」を聴く。指揮は第1回に引き続き鈴木優人。鈴木優人クラスの指揮者が2回連続で引き受けてくれるというのは珍しいことである。

今回はタイトルの通り、リズムが印象的な楽曲が並ぶ。また今回は全てメモリアルイヤーを迎えた作曲家の作品である。

曲目は、芥川也寸志(生誕100年)の交響管弦楽のための音楽、ヨハン・シュトラウスⅡ世(生誕200年)のワルツ「美しく青きドナウ」、ラヴェル(生誕150年)のピアノ協奏曲(ピアノ独奏:ルゥオ・ジャチン)、ショスタコーヴィチ(没後50年)の「舞台管弦楽のための組曲」第1番から5曲、ラヴェルの「ボレロ」

 

日本指揮者界のトップランナーの一人である鈴木優人。日本におけるバッハ演奏の泰斗である鈴木雅明の息子であるが、人気は父親を上回るかも知れない。
専門は古楽で、バッハ・コレギウム・ジャパンの首席指揮者であるが、現代音楽にも詳しく、日本の現代音楽の作曲家の作品のみに絞った演奏会なども行っている。「題名のない音楽会」にはたびたび登場。「エンター・ザ・ミュージック」にもたまに出演する。
経歴を確認すると、新たに九州大学の客員教授に着任したようである。

今日のコンサートマスターは泉原隆志、フォアシュピーラーに尾﨑平。ヴィオラの客演首席は大阪フィルハーモニー交響楽団首席ヴィオラ奏者の一樂もゆるで、京都市交響楽団のチェロ奏者である一樂恒(ひさし)と夫婦共演である。チェロの客演首席は藤原秀章。首席クラリネットの小谷口直子と首席フルートの上野博昭は降り番である。
いつも通りのドイツ式の現代配置での演奏。

 

台本を手に、カラヤンのような髪型で現れた鈴木優人。「前回はウエンツ瑛士さんがとても素敵な司会を務めて下さいましたが、今日は私が指揮と司会の両方をやります」と述べる。爽快で見通しの良い音楽作りもカラヤンに通ずるところがあるがくれぐれも権威主義に陥らないようにして貰いたい。あの一族なら大丈夫と思うが。

 

芥川也寸志の交響管弦楽のための音楽。鈴木は、「芥川也寸志は芥川龍之介の息子です。芥川龍之介知ってるって子?」と聞き、多くの子どもが手を挙げる。芥川龍之介の作品は、ほとんどの国語の教科書に載っているので、読んだことのある人は多いだろう。鈴木は、「あれ? 京響の側は?」と言い、京響のメンバーも慌てて手を挙げる。高校から音楽高校という人もいるだろうが、芥川龍之介の作品は、中学校の教科書によく載っているので、知らないということはないだろう。
芥川也寸志は、思想的には左翼で、ソビエトや中国の現代音楽を研究。ショスタコーヴィチの作品紹介にも尽力した。
「伊福部昭に学ぶことが多かった」と言われているが、たしかにこの交響管弦楽のための音楽も、伊福部作品のような土俗的な迫力とリズムに溢れている。

鈴木は、「芥川さんの音楽って、プロのオーケストラでやられてますかね? 伊福部さんはよくやられていると思うんですが」と語る。確かに、芥川作品はごくたまに見かける程度の演奏頻度でしかない。ただ芥川本人もプロオーケストラよりも新交響楽団のようなアマチュアオーケストラを好んで指揮したため、プロよりもアマチュア方面に知られているのかも知れない。今年も京都のアマチュアオーケストラのいくつかが芥川作品を取り上げている。

 

ヨハン・シュトラウスⅡ世のワルツ「美しく青きドナウ」。ウィーン・フィルのニューイヤーコンサートで演奏されることでお馴染みだが、鈴木は一度だけウィーンで年越しをしたことがあり、12月31日の夕方には、ウィーン市庁舎の前で様々な音楽が鳴り、スキーをしたりソリに乗って飛び上がったりしているのだが、翌年の1月1日が近づくと、それまでの音楽が鳴り止み、「美しく青きドナウ」が流れてくるのだという。
鈴木は説明しなかったが、ウィーンのドナウ川は特に美しくも青くもない濁った川だそうで、流れているのも街外れである。ドナウが美しい街というとウィーンよりもブダペストかも知れない。
広上淳一が以前、「美しく青きドナウ」を指揮した時に、「京都なら、『美しく青き桂川』」と鴨川にしなかったのも、ドナウ川が街外れを流れているからである。鴨川は100万都市の街中を流れる川としては珍しい清流を現在は取り戻している。
ウィンナ・ワルツということで、鈴木も溜めやテンポダウンなどを駆使しながらの音楽作り。聴くだけのワルツにはしない。

 

ラヴェルのピアノ協奏曲ト長調。20世紀後半になってから人気が上がり、音盤の数も増え続けている曲である。ジャズの影響を受けており、それを苦手に思う人もいると思われるが、現在の音楽教育は古典にも現代にも幅を拡げており、20世紀の作品を多くレパートリーに多く入れているピアニストもいる。

ラヴェルのピアノ協奏曲の第2楽章について、鈴木は「世界で最も美しい音楽」と讃えるが、ソリストのルゥオ・ジャチン(ルゥオと読める苗字には魯迅でお馴染みの「魯」や「羅」があるが漢字表記がないため分からない)も同感のようだった。
ルゥオ・ジャチンは、1999年生まれの中国の若手ピアニスト。湖南省の出身である。武漢音楽院附属中学校に入学し、卒業後に渡米。オバーリン音楽院(アメリカ初の4年制音楽大学。主体であるオバーリン大学は、この大学から校名を取った桜美林大学と提携しているので、オバーリン音楽院も桜美林大学と提携を結んでいるかも知れない)やニューイングランド音楽院に学ぶ。ニューイングランド音楽院では、ベトナム出身の大家、ダン・タイ・ソンに師事したという。今後は、ヨーロッパに渡り、ケルン音楽舞踊大学のドイツ国家演奏家資格課程で研鑽を積む予定だという。
2022年第8回仙台国際音楽コンクール・ピアノ部門の覇者でもある。

演奏前に、鈴木とルゥオのトーク。通訳が付くのだが、
鈴木「何歳からピアノを始めましたか?」
ルゥオ「(日本語で)4歳」
と簡単な日本語なら話せるようだ。日本が大好きだそうで、色々なところに観光に行っており、京都は今回が3回目だが、前2回は純然たる観光だったそうだ。日本の文化については「ほとんど好きですが、特にアニメ」と応え、「京アニ」と言ったため、鈴木は、「これはガチな人が来ちゃいましたね」と述べていた。中でも好きな作品は、京都府宇治市が主舞台の「響け!ユーフォニアム」だそうである。明日オフだった聖地巡礼出来るじゃん! まあそんなに暇ではないだろうけれど。
今日はロームシアター京都メインホールだったが、京都コンサートホールは、「響け!ユーフォニアム」の冒頭に出てくるので、そちらだったら喜んだだろうな。

ルゥオ・ジャチンのピアノは純度の高さが特徴。ペダリングは特別なことはせず、弱音の時にソフトペダルを踏む。ダンパーペダルは、ずっと踏んでいる時と頻繁に切り替える時がある。
鈴木とルゥオが共に「世界一美しい音楽」と呼んだ第2楽章。初演者はマルグリット・ロンだが、実はマルグリット・ロンが演奏したラヴェルのピアノ協奏曲第2楽章の録音が残っており、YouTubeで聴くことが出来る
ひょっとしたらこの楽章はヨーロッパ人よりも日本人の心に訴えかけるのではないかと思えてくる。センチメンタルな気分から次第に自然のただ中へと溶け込んでいく感覚。元NHK交響楽団首席オーボエ奏者で、現在は指揮者として活躍する茂木大輔はこの楽章に「初恋」というタイトルを付けているが、私の感覚とは少し違う。私が付けるなら「幼き日から今日まで」。人生のあらゆるシーンが蘇るかのようだ。
美音による第2楽章を経て、第3楽章へ。「ゴジラ」と呼ばれる箇所も力強く、(行ったことはないが)パリの街の風景が浮かび上がるような瑞々しい演奏だった。

 

アンコール演奏は、ラヴェルの「亡き王女のためのパヴァーヌ」。しっとりとして構築感のある演奏だった。

 

ショスタコーヴィチの「舞台管弦楽のための組曲」第1番から、“行進曲”、“ダンス第2番”、“リリック・ワルツ”、“ワルツ第2番”、“終曲”。全8曲から5曲を選曲。
ギター:佐藤紀雄、クロマチックアコーディオン:大田智美が参加。
この曲は「ジャズ組曲第2番」と呼ばれていたが、戦後行方不明になっていた本来の「ジャズ組曲第2番」のピアノ譜が1999年に発見され、以後、「舞台管弦楽のための組曲」第1番と名を変えている。
冒頭の“行進曲は”、のどかな田舎にある小学校で行われている徒競走の時のような音楽である。その後もほのぼのとした曲が続くが、ワルツ2曲だけは、妖艶でミステリアスで、悲劇の予感がするようで、他の楽曲とは大きく趣が異なる。ハチャトゥリアンも「仮面舞踏会」のワルツで似た旋律を作曲しており(アイスクリームによる毒殺を図る場面の音楽)特に関係はないと思われるが、地に吸い込まれそうなほど官能的な音楽が書けるのはロシア人しかいないのではないか。一人だけ例外がいた。梅林茂である。

佐藤の使っているギターであるが、その辺で売っているギターと一緒で特別なことはなにもないという。
ちなみに、佐藤は、鈴木のデビューリサイタルで共演しているそうである。その時は、鈴木はオルガンを弾いたそうだ。

クロマチックアコーディオンの紹介。学校などで使う鍵盤式のアコーディオンとは違い、ボタンしかない。大田智美によると、右側が92鍵、左側が108鍵だそうである。鍵盤はないが、一応、音の上がり方は一定であるとのこと。

 

ラヴェルの「ボレロ」。スネアドラム奏者がひたすら同じリズムを刻み続けるという過酷な曲。しかも旋律が2つしかないので、管楽器奏者は間違えたらすぐにバレるという怖ろしい曲でもある。
鈴木は、「実は、スネアドラム奏者二人で交互に演奏していたことが分かった」と述べる。京都市交響楽団は、ジャンルイジ・ジェルメッティを指揮台に招いた定期演奏会で、スネアドラム3台による「ボレロ」を演奏したことがある。
ただ今回は、第2のスネアドラム奏者は交代に叩くのではなく、どこかから出てくるそうである。
京響の音の美しさが生かされた演奏。フランス音楽らしい淡さと濃さが交差する色彩で、ラヴェルの魔術が十分に生かされている。音楽を旋律ではなく、クレッシェンドと楽器の変化とスネアの延々と叩かれる響きで変化させる。そして転調。音楽の転換ともいえる創造物である。実はこのモチーフを真似て、ショスタコーヴィチがとんでもない音楽を作るのだが、それはもう少し後の話である。

テンポとしてはトータルで15分台ぐらいの演奏だが、第1ヴァイオリンが第1主題を奏でる1つ前に鈴木はテンポアップ(作曲者の指示では全編通して「同じ速度で」であり、演奏時間は「17分ほど」である))。その後、更にもう1回速度を上げる。

そして1階席中央横断通路にスネアドラム奏者が登場。肩から下げたスネアドラムを歩きながら叩く。二つのスネアが鳴る中、転調があってクライマックス。鈴木優人は客席の方を向いて動きを止めた。

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2025年12月14日 (日)

コンサートの記(932) ジャン=クリストフ・スピノジ指揮 京都市交響楽団第706回定期演奏会

2025年11月29日 京都コンサートホールにて

午後2時30分から、京都コンサートホールで、京都市交響楽団の第706回定期演奏会を聴く。指揮は、ジャン=クリストフ・スピノジ。

ジャン=クリストフ・スピノジ。いかにもベートーヴェン好きになりそうな名前であり、フランス・コルシカ島出身ということでナポレオンと同郷である。ベートーヴェンは「ウェリントンの勝利」を書いているけれども。
詳しい経歴などは無料パンフレットには載っていないが、クラシック音楽における「アンファン・テリブル(恐るべき子ども)」と呼ばれていたり、「並外れたリズム感と身体能力を持ち合わせた。音楽家=振付師」と称されてもいるようだ。

2007年に自ら組織したアンサンブル・マテウスと共にシャトレ劇場で珍しいものも含むオペラをいくつも上演。客演指揮者として、ベルリン・ドイツ交響楽団、パリ管弦楽団、hr交響楽団、新日本フィルハーモニー交響楽団、トゥールーズ・キャピトル国立管弦楽団、ウィーン交響楽団などと定期的に共演し、2021年にはベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の指揮台にも立っている。

開演30分前からプレトークがあるが、スピノジは、フランス語で比較的長めのトークを行っていた。事前に打ち合わせはしていたと思うが、通訳泣かせではある。内容は楽曲の解説が中心。「田園」交響曲については、日本人の独自の自然観についても述べていた(私の認識とは多少異なっていたが)。

 

曲目は、ロッシーニの歌劇「アルジェのイタリア女」、ハイドンの交響曲第82番「熊」、ベートーヴェンの交響曲第6番「田園」

 

ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の町田琴和(まちだ・ことわ。女性)が客演コンサートマスターとして入る。町田姓は圧倒的に鹿児島県出身者が多いのだが、彼女は東京生まれのようである。ちなみに私には京都出身の町田姓の友人が二人いる。
フォアシュピーラーに泉原隆志。ヴィオラの客演首席に石橋直子、チェロの客演首席にルドヴィート・カンタ。管の首席奏者の大半はベートーヴェンのみの出演である。クラリネット首席の小谷口直子は、老眼鏡をかけて出演した。私も近頃は老眼に悩むようになっている。

チェロが客席側に来るアメリカ式の現代配置での演奏。実のところ、ドイツ式の現代配置でもアメリカ式の現代配置でも大した違いはないとこれまでは思ってきたが、「田園」交響曲を聴いてその認識が誤りであることが分かった。

 

指揮台の前に譜面台はなく、スピノジは全て暗譜によるノンタクトでの指揮を行う。拍を刻むことは稀で、基本的には音型を両手で示してみせる。

 

ロッシーニの歌劇「アルジェのイタリア女」。ピリオドによる弦楽の響きの透明さがプラスに働き、管も快活で楽しい演奏になる。

問題はここからである。
ハイドンの交響曲第82番「熊」。最近、熊が日本のあちこちに出没しているが、「タイムリー」などとは言えないタイトルである(後記:令和7年の今年の漢字は「熊」に決まった)。タイトルの由来はよく分かっていないが、第4楽章の音型が熊の鳴き声に聞こえた説などがある。ハイドンによる命名ではない。

ロッシーニにはティンパニのパートがなく、この曲から中山航介がバロックティンパニを担当するが、ティンパニは指揮者の真正面ではなく、後列の中で一番上手寄りに陣する。

交響曲第82番「熊」は、ロヴロ・フォン・マタチッチがNHK交響楽団の定期演奏で取り上げたときの放送用音源がCD化されているので、それで親しんだ人も多いかも知れない。
だが、スピノジの「熊」は一般的な「熊」交響曲とは別物。緩急、強弱の幅が著しく、「これが俺の考える『熊』だ!」と思い切り提示してみせる。常日頃の京響では追いつけない解釈で、そこでスピノジと共演経験のある町田琴和が客演コンサートマスターとして呼ばれたのだろう。

かなり即興的であり、再創造的であるが、ヴィルヘルム・フルトヴェングラーなどは「音楽は即興的でなければならない」と考えており、同じ演奏は二度としなかったし、朝比奈隆もその時々によって演奏を変えていた。だからスピノジが前例のないことをした訳でもない。

良い演奏かどうかは人によって意見が分かれると思うが、私は、「遊んでるな」と微笑ましく見ていた。

ハイドンは交響曲第90番で、「全曲終わったと見せかけてまだ終わってない」を繰り返すのだが、スピノジは「熊」で同じことをやる。勿論、スピノジが切ったところで曲が終わるわけはないのだが、客席からは、「クレイジー!」という言葉が飛び(演奏中に言葉が飛ぶのはかなり珍しい)、演奏が終わってからはブーイングも響いた。

ハイドンは古典派なので、格調高く演奏すべきという考えは分かる。ただそうした考えがハイドンの人気を下落させ、ピリオド・アプローチが盛んになってから復活したということを考えると、「べき」演奏は作曲家の魅力を下げることに繋がらないと言い切れるだろうか。

 

ベートーヴェンの交響曲第6番「田園」。

第1楽章はやはり緩急を付けた演奏。同じフレーズでも急に遅くなったり速くなったりアゴーギクを多用する。ゲネラルパウゼも長め。この楽章ではそうする必要を強くは感じなかったが、第2楽章ではほぼインテンポによる細やかな演奏を聴かせる。小川のせせらぎを描いているのでそんなに急に遅くなったり速くなったりする訳はない。
第3楽章は「風景」よりも「心情」を表出。沸き立つ気分が描かれる。そして「嵐」であるが、ここで客席側に配置されたチェロがエッジの立った音を聴かせる。チェロは音が前に飛ぶ楽器なので、ドイツ式の現代配置のようにオーケストラの内側にあった方が有利なような気がするのだが、アメリカ式の現代配置のように指揮者のすぐ横にあった方が操りやすい。ストコフスキーも単に録音用に配置をした訳ではないようである。
第1ヴァイオリンの響きも電光を表していることがいつも以上によく分かる。
そして「嵐」のラストの方は引き延ばされ、嵐が去って行く様が描かれる(実際、第5楽章に入る直前までチェロは雷鳴の響きを奏で続けている)。
第5楽章は非常に明るい演奏であるが、最後の方で、「ここから去りたくない」というメッセージをスピノジは見つけていた。

 

老年になると穏健派になってしまう指揮者も多いが、スピノジにはこれからも暴れまくって欲しいものである。

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2025年12月 1日 (月)

コンサートの記(931) シャルル・デュトワ指揮 大阪フィルハーモニー交響楽団第593回定期演奏会

2025年11月21日 大阪・中之島のフェスティバルホールにて

午後7時から、大阪・中之島のフェスティバあるホールで、大阪フィルハーモニー交響楽団の第593回定期演奏会に接する。指揮は、シャルル・デュトワ。
ここ数年は、毎年春から初夏にかけてに大阪フィルに客演していたデュトワ。だが昨年は、来日して東京での演奏会は指揮したものの、すでに体調の悪さは現れていたようで、大フィルのリハーサルにも現れたが、初日の終盤でリタイア。ヨーロッパに戻り、感染症(コロナではないとのこと)と診断されたが、めげずに再来日。予定通り福岡の九州交響楽団への初登壇を果たした。

今回も名誉音楽監督の座にあるNHK交響楽団を指揮してから大阪へとやって来たデュトワ。
N響でも大フィルでもメインとなるのはラヴェルのバレエ音楽「ダフニスとクロエ」全曲である。

デュトワにとって、「ダフニスとクロエ」全曲は特別な楽曲である。モントリオール交響楽団の音楽監督に就任後、ローカルなオーケストラに過ぎなかったモントリオール響の実力を大幅にアップさせ、DECCAにレコーディングした同曲がベストセラーとなり、デュトワとモントリオール交響楽団の名を天下に轟かせている。
以後、フランス音楽を中心に録音を軌道に乗せたデュトワとモントリオール響(OSM)。ラヴェル、ドビュッシー、フォーレ、ベルリオーズ、ビゼー、フランクなどのフランス音楽と、リムスキー=コルサコフ、ムソルグスキー、チャイコフスキー、プロコフィエフなどのロシア音楽を録音。リリースしたCDの約半分が何らかの賞を獲得している。
デュトワは、NHK交響楽団ともDECCAにレコーディングを行っており、OSM相手ではなく個別にオネゲル交響曲全集やルーセル交響曲全集などのフランス音楽の王道からやや外にいる作曲家の作品も録音している。
OSMと決別した後は、ロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団とリムスキー=コルサコフの交響組曲「シェエラザード」でOSM盤を上回る出来を示している。フランス国立管弦楽団とは「プーランク管弦楽曲全集」を録音。協奏曲なども含む全集で、プーランクは名声に比して録音が少ないため重要な仕事となっている。

なお、大阪フィルハーモニー交響楽団の来年度の定期演奏会のプログラムが発表になったが、そこにデュトワの名はない。デュトワも先月89歳の誕生日を迎えた。「ダフニスとクロエ」で始まった環が「ダフニスとクロエ」でいったん閉じられようとしているのかも知れない。

 

曲目は、モーツァルトのピアノ協奏曲第22番(ピアノ独奏:小菅優)、ラヴェルのバレエ音楽「ダフニスとクロエ」全曲(合唱:大阪フィルハーモニー合唱団)。

今日のコンサートマスターは崔文洙。ドイツ式の現代配置による演奏だが、ティンパニは指揮者の真正面ではなくやや下手寄りに陣取る。

オーケストラは90人編成だそうで、エキストラも多い。出演者一覧には、京都市交響楽団の一樂恒(いちらく・ひさし。チェロ)、京都フィルハーモニー室内合奏団の松田美奈子(ヴィオラ)の名が見える。

 

モーツァルトのピアノ協奏曲第22番。モーツァルトのピアノ協奏曲の20番台前半の中では取り上げられる回数が比較的少ない曲である。他の曲が個性に満ちているだけにやや埋もれ気味になるのかも知れない。
映画「アマデウス」では、売れなくなったモーツァルトがウィーンの街を一人で歩くシーンで第3楽章の冒頭が用いられている(選曲&音楽監督;ネヴィル・マリナー)。

小菅優は、日本の若手の代表格的存在であるピアニストだが、そろそろ中堅に差し掛かろうとしている。大きなコンクールに参加したことがないのが特徴だが、マックス・ポンマーが京都市交響楽団に客演した際、ソリストを務めた小菅優が子どもだった頃に参加したピアノコンクールの決勝で協奏曲の指揮を担当したと語っていた。優勝したそうである。マイナーなコンクールを受けたことはあるのかも知れない。
世界的なコンクールで好成績を収めると注目されるが、必ずしも良い成績を収めた奏者が順調なキャリアを築くとは限らない。

編成を小さめにしてピリオドを援用しての伴奏。フェエスティバルホールは空間が大きいので、最初のうちは伴奏が聞こえにくかったのだが、次第に耳が調節される。デュトワ指揮の伴奏だが、かなり陰が濃い印象である。明るい旋律を歌っていても陰が忍び寄ってくる。
小菅のピアノはモーツァルトらしく透明度が高く愛らしいが、こちらも次第に暗いものが底から溢れてくる。
第1楽章と第3楽章のカデンツァは、20世紀を代表する作曲家であるベンジャミン・ブリテンが書いたものを使用。ブリテンはピアノ協奏曲第22番に出てくる様々なメロディーをコラージュしたものをカデンツァとして纏めていたが、最後は不吉な感じで終わる。

もっとも明るいはずの第3楽章。だが、最初はピアノが弾き、ヴァイオリンが同じ音型を返していたものが、終盤では、ヴァイオリンはピアノが弾いた通りには演奏せず、次第に距離が出来ているように感じられる。ピアノ協奏曲第20番や、第23番の第2楽章で露わにした孤独な表情を、ピアノ協奏曲第22番では、悟られにくいように行っているように感じられる。同じ天才のブリテンは当然気付いたはずだ。

 

アンコール演奏は、ショパンの「エオリアのハープ」。駆け抜ける爽やかな風のような演奏だった。

 

ラヴェルのバレエ音楽「ダフニスとクロエ」全曲。演奏規模、上演時間共にラヴェル最大の作品である。ラヴェルはその後、演奏会用に2つの組曲を編んでおり、特にバレエ音楽の第3部をほぼそのまま転用した第2組曲はコンサートでもたびたび取り上げる。
デュトワの指揮する「ダフニスとクロエ」全曲は、実は以前に1度聴いたことがある。渋谷区神南のNHKホールで行われたNHK交響楽団の定期演奏会で取り上げられたのだ。だが、その演奏会は、演奏内容以上に、上演中に震度3の地震が起こったことをことでよく記憶している。不幸中の幸いで、合唱だけの部分だったため、演奏は止まらず続けられたが(デュトワが地震に気付いたのかどうかは不明)、楽器の演奏だったら止まっていたかも知れない。震度3にしては揺れた方だった。この日の演奏会はNHKBS2(当時)で生放送されており、私も録画した映像を見たが、地震が起こった瞬間、男声合唱団の人々が天井を見上げる姿が映っており、「大丈夫かな?」という表情をしているのが確認出来た。勿論、カメラも揺れていた。

そんな思い出から30年近く経っての「ダフニスとクロエ」。往時のN響より今の大フィルは音の密度が濃い。また原色系の音色も特徴である。バスク地方に生まれたラヴェル。バスク地方はフランスとスペインに跨がるが、ラヴェルの血には、スペイン的な色合いや賑やかさを好むところがあるように思う。この曲も繊細なフランス的なところがありながら、闘牛を好むようなスペインの狂躁もまた顔を覗かせる。デュトワがフランス人だったら、あるいはもっと熱狂的な音楽を志向したかも知れないが、スイス・フランス語圏出身であるため、適度な上品さが加わり、理想的な演奏となりうるのだろう。
大フィルの技術も高く、大阪フィルハーモニー合唱団も力があった。
濃い密度を保ち、迫力に満ちながら、全体的に匂うような上品さを持ったラヴェル。今後、こうしたラヴェルが聴けるのかどうか分からないが、取りあえず今日はデュトワを聴けて良かった。

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2025年11月30日 (日)

観劇感想精選(502) 朗読劇「星の王子さま」 構成・朗読:安田成美

2025年11月12日 三条高倉の京都文化博物館別館ホールにて

午後5時から、京都文化博物館別館ホールで、朗読劇「星の王子さま」に接する。作:アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ、翻訳:内藤濯(ないとう・あろう)。構成・朗読:安田成美、音楽(作曲・演奏):阿部海太郎、美術:木梨銀士(きなし・ぎんじ。安田成美と木梨憲武の次男)。

東京の自由学園明日(みょうにち)館(国指定重要文化財)での公演を経て、昨日今日と京都文化博物館別館ホール(旧・日本銀行京都支店。国指定重要文化財)での京都公演が行われる。

 

「トレンディ女優」という言葉から連想される女優の一人である安田成美。映画、ドラマ、演劇と幅広く活躍しているが、結婚後は育児などを優先して、仕事をセーブしていた時期もある。「同・級・生」、「素顔のままで」、「ヴァンサンカン・結婚」、年末時代劇「源義経」、仲代達矢演じる弁護士と敵対関係になる女性を演じた松本清張ドラマ「霧の旗」、ベトナムロケを行った「ドク」など多くのヒットドラマに出演。映画では、「犬死せしもの」、林海象監督作品「ZIPANG」、オムニバス映画「バカヤロー!私怒ってます」第2話“遠くでフラれるなんて”、緒形拳と共演した「咬みつきたい」、役所広司主演作「すばらしき世界」などに出演している。演劇も出演作は多くはないが、「リチャード三世」は私も観ている。ただこれは劇団新感線による新感線版「リチャード三世」で、出演時間は余り長くはなかった。
こうやって見ると、ドラマに特化した活動を行っていることが分かる。

元々は、「風の谷のナウシカ」のイメージソング(作詞:松本隆、作曲:細野晴臣。映画本編では流れない)のシンガーとして登場した人で、昨年、細野晴臣との共同作業で「風の谷のナウシカ」をリメイクしている。

 

まず木梨銀士による動く美術。アニメーションとは少し違い、動く美術としか形容の仕様がないものである。そして、作曲家でマルチプレーヤーである阿部海太郎によって様々な楽器が演奏され、安田成美がにこやかな表情で下手側から現れて朗読を行う。

安田成美が構成を担当したテキストは、かなり改変されていて、原作とは違い、星の王子さまからの視点で物語は進んでいく。本来の語り手である飛行機の操縦士は途中で登場し、星の王子さまからのメッセージを受け取る役目を担う。

ドラマでは基本的に声音の使い分けは行わなかった安田成美だが、流石はプロの女優。様々な声を駆使して演じ分ける。星の王子さまの声は子どもっぽく、ヘビの物言いは狡猾そうだ。
テキストの改編については、様々な意見があるかも知れない。『星の王子さま』の著作権はすでに切れており、多くの出版社から刊行されていて、青空文庫では無料で読めたりする。なので改編も自由なのであるが、今回の上演は星の王子さまの内省の物語としてなら有効だと思われる。改編が嫌なら後で無料でテキストを読むことも可能なのだから、原作通りに頭から読まれることを希望するよりも安田成美が解釈した「星の王子さま」に耳を傾けるのも良い経験である。美声でもあるし。

 

カーテンコールには、木梨銀士も登場。安田成美が自身の次男であることを明かすと、「似てる!(安田成美にというよりも木梨憲武にだと思われるが)」という声も上がるが、実際はそんなに似ておらず、サッカー選手のような見た目である。木梨憲武も強豪・帝京高校サッカー部で、3年の地区予選までレギュラー、帝京高校は全国大会に出場を決めるが、全国大会では補欠に落ちてしまい、ピッチには立てなかった。なので両親に似ているというよりも木梨憲武のサッカー選手的雰囲気を受け継いでいるのかも知れない。

それよりも印象的だったのは、安田成美の声の可愛らしさである。今日の上演、更にはこれまでに出演したドラマや映画で演じている時の声よりも更に可愛い。つまり我々がこれまで聞いてきたのは演技用の安田成美の声であり、地声はさらに魅力的だったのだ。彼女はバラエティーにはほとんど出ないので(「笑っていいとも!」のテレフォンショッキングのゲストとして出演し、ここに来る直前にスタジオアルタの前で痴漢に遭ったことを告白していたのが記憶に残っているが)、彼女の地声はほとんど関係者にしか知られていなかったということになる。

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2025年10月24日 (金)

コンサートの記(927) ジャン=エフラム・バヴゼ ピアノ・リサイタル「モーリス・ラヴェル生誕150年記念 ピアノ独奏曲全曲演奏会」@京都

2025年10月9日 京都コンサートホール アンサンブルホールムラタにて

午後6時から、京都コンサートホール アンサンブルホールムラタ(通称:ムラタホール。ムラタは長岡京市の村田製作所ではなく京都市のムラテックこと村田機械のことである)で、ジャン=エフラム・バヴゼ ピアノ・リサイタル モーリス・ラヴェル生誕150年記念 ピアノ独奏曲全曲演奏会を聴く。文字通り、ラヴェルが作曲したピアノ独奏曲を一晩で演奏してしまおうという試み。上演時間は、アンコールと2度の休憩を含んで約3時間である。
3時間というのはピアノ・リサイタルとしては長いので、ラヴェルのファンしか集まらない。だが、まずまずの入りである。
ラヴェルのピアノ独奏曲全曲演奏会はもう一つ京都コンサートホールで行われていて、京都在住のロシア人ピアニストであるイリーナ・メジューエワが2回に分けてムラタホールで行う。2回に分けた方が聴きやすいので、メジューエワの方が人気が高いかも知れないが、バヴゼは本場フランス人ピアニストということでこちらを選ぶ人も多いはずである。おそらく両方に行くラヴェル好きも少なくはないはずである。

ジャン=エフラム・バヴゼは、パリ音楽院でピエール・サンカンに師事。1995年にサー・ゲオルグ・ショルティ指揮パリ管弦楽団の演奏会でデビュー。「ショルティが見出した最後の逸材」とも呼ばれた。ただ個人的には母国であるフランスのピアノ音楽に目覚めるのは遅く、三十代半ばになってからだそうだ。フランス人ピアニストだからフランス音楽を愛さなければならないなどいう法も規則もないので、それはそれで良いだろう。日本人だけれど、洋楽の方が好きという人も多いのだから。
ただ、バヴゼはラヴェルの音楽だけは若い頃から弾いており、共感を抱いてきたそうだ。

 

モーリス・ラヴェルは、ドビュッシーと同じ印象派に分類される作曲家だが、曲調はドビュッシーとは大きく異なり、響き重視のドビュッシーに対して、ラヴェルはメロディーラインも明確であり、初心者にはドビュッシーよりも取っつきやすい作風である。

 

曲目は、「グロテスクなセレナード」、「古風なメヌエット」、「亡き王女のためのパヴァーヌ」、「水の戯れ」、ソナチネ、「鏡」、「ハイドンの名によるメヌエット」、「高雅で感傷的なワルツ」、「夜のガスパール」、「ボロディン風に」、「シャブリエ風に」、前奏曲(プレリュード)、「クープランの墓」

以前は、演奏家といえば、ドイツ人かフランス人。加えるにロシア人とイタリア人。イギリス人は古楽という感じだったのだが、ドイツとフランスは音楽大国からすでに脱落。めぼしい指揮者は一人ずつしかいないという状態で、器楽奏者も数が限られる。祖国の音楽を演奏や録音するアーティストが多いため、その国の音楽の知名度や人気が上がったが、ドイツもフランスも現状では苦しい。指揮者大国となったフィンランドは、出身指揮者が必ずシベリウスを演奏するため、「シベリウス交響曲全集」リリースラッシュが何年も続いている。アメリカ出身の指揮者も増えたので、アイヴスやレナード・バーンスタイン作品を耳にする機会が増えた。日本出身の演奏家も健闘しており、武満作品などは着実に演奏回数を増やしている。

そんな下り坂ともいえるフランスピアノ界であるが、フランス人ピアニストには他の国にはない特徴がいくつかある。どちらかといえば即物的な解釈、強く硬めのタッチ、ダイナミックレンジの広さなどで、いずれもエスプリ・ゴーロワに通じるものがある。
エスプリというと、典雅なエスプリ・クルトワがイメージされるが、もう一つエスプリ・ゴーロワがあり、野卑で力強く、豪放磊落というものである。フランス人トランペッターは力強く吹くので優れた奏者が多いと言われるのもエスプリ・ゴーロワによるものだろう。作曲に関してはエスプリ・クルトワ重視だが、演奏になるとエスプリ・ゴーロワが出てくるのが面白い。
ということで我々が思い浮かべる理想のフランス音楽の演奏はフランス人演奏家によるものでない場合が多い。フランス音楽演奏のスペシャリストであったエルネスト・アンセルメ指揮スイス・ロマンド管弦楽団、シャルル・デュトワ指揮モントリオール交響楽団などいずれもフランス語圏ではあるがフランスの指揮者とオーケストラのコンビではない。彼らはエスプリ・ゴーロワの要素を巧みに薄めているため(あるいはフランス人ではないのでエスプリ・ゴーロワを身につけなくても良いため)、一般的にフランス的と思われる演奏が可能だったのだと思われる。サティのスペシャリストといわれたアルド・チッコリーニは甘美なカンタービレが特徴だが、チッコリーニはイタリアからフランスに帰化したピアニストで、カンタービレはイタリアの血が生んだものだ。純粋なフランス人ピアニストによるサティ演奏は案外素っ気ない。

と、長々書いたが、バヴゼのピアノもフランスの正統派で、これまでに書いた要素を全て含むが、日本人好みのラヴェル演奏家かというと人によるとしか書きようがない。

日本でも人気の「亡き王女のためのパヴァーヌ」も日本人ピアニストによるものよりも突き放した解釈で構造重視という印象を受ける。

「水の戯れ」は圧倒的なピアニズムが発揮され、水が鍵盤から溢れる様が見えるような演奏。5月に聴いたアルゲリッチの演奏を連想させる。

「鏡」はテクニック勝負。基本的にダンパーペダルは踏んだままで、音を濁らせたくない時だけ踏み換える。
オーケストラ曲としても親しまれている第4曲の“道化師の朝の歌”は白熱した演奏で、曲が終わった後に拍手が起こりそうになったが、バヴゼは右手の人差し指を立てて、「まだ1曲あるよ」と示し、笑いを誘っていた。第2部第3部ともに当初の曲目順から変更があるが、第2部は確かに「夜のガスパール」で終わった方がいいだろう。
「夜のガスパール」はオカルトな内容で、エドガー・アラン・ポーやモーパッサンなどが好きな人にお薦めの曲である。また筒井康隆がこの曲にインスパイアされた『朝のガスパール』を書いている。
超絶技巧が必要とされる曲だが、バヴゼは余裕を持って弾きこなしているように見える。

「ボロディン風に」はパストラル的、「シャブリエ風に」はワルツであるが、個人的には「亡き王女のためのパヴァーヌ」にも似たパストラルの方がシャブリエ的であるような気がする。

前奏曲は、初見で弾くための審査用に作曲された作品。技巧的には平易で、私も何度か弾いたことがあるが(初見では無理だった)、私が弾くときに「繊細に滑らかに詩的に」と心がけたものとは明らかに異なる、一音一音を大きな音で弾く「小さいが巨大な曲」として再現したのが面白かった。プロと比べるのも無粋だが、同じ音符を見て弾いているのにここまで違うとは。

ラストは「クープランの墓」。これもオーケストラ版で有名である。バヴゼのピアノからは、オーケストラ版からは聞こえない一種の切なさのようなものを感じた。フランス映画のラストによくあるあの切なさに似たもの。
音の透明度は高く、巨大な「クープランの墓」であった。

 

アンコール演奏は、「ラ・ヴァルス」ピアノ独奏版。低音から始まり、典雅なワルツが聞こえ始める。そして舞踏会は盛り上がるのだが……。
ラヴェルの曲は、「最後にとんでもないことが起こる」ものが多いが、「ラ・ヴァルス」もその1曲である。貴族階級の終わりを描いたのかも知れないが、こういうラストにした意図は不明である。

 

全てのプログラムが終わり、複数名がスタンディグオベーションを行うなど客席は沸き、バヴゼも満足そうな笑みを浮かべていた。

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2025年10月 6日 (月)

「警部補・古畑任三郎」 さよなら、DJ

2025年6月8日

ひかりTVで「古畑任三郎」の「さよなら、DJ」を見てみる。1994年当時はデジタルで映像が撮られている時代だが、初期なので劣化したのか、それともアナログで撮ったのか、今から見ると少し古く感じられる映像である。

桃井かおりが演じるのは、「おたかさん」の愛称で知られるラジオDJ、中浦たか子である。運転免許を持っていないため、専属運転手として沢村エリ子(八木小織)を雇ったのだが、たか子のボーイフレンドを寝取ったため、たか子は沢村殺害を計画する。

たか子がラジオ局内を猛ダッシュで駆け抜け、駐車場で待機していた沢村を殺害してラジオブースに戻ってくるまでに掛かっているのが越路吹雪の「サン・トワ・マミー」である。越路吹雪というと、「大ベテラン」というイメージで老年まで歌っていそうなのであるが、実際には56歳で亡くなっており、美空ひばりや江利チエミなとど共にイメージとは異なり早逝した人物の一人である。

私が、「サン・トワ・マミー」を知ったのは、勿論、越路吹雪版によってであるが、現在、よく聴いたり歌ったりするのはRCサクセションのロックバージョンである。因縁のアルバム「COVERS」に収録されているもので、越路吹雪版の主人公が女なのに対し、RC版は主人公が男になっている。ちなみに原曲のアダモ版では主人公は男である。

トリック自体は単純で、たか子のミスにも多くの人が気づくはずであり、ミステリーとしての完成度は余り高くない。ただ、桃井かおりの存在感に激走、殺人直後なので、エルヴィス・プレスリーのLPを手が震えて掛けられないので相方に任せるというリアルさなど印象深い回である。田村正和がわざと下手くそに歌う「ラストダンスは私に」が聴けるのも面白い。桃井かおりは学生時代に陸上部所属だったそうで、ノリノリで走ったそうである。

なお、有名な「赤い洗面器の男」は、この回が初出であり、冒頭でたか子が話をするのだが、落ちは当然ながら明かされない。

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2025年7月27日 (日)

コンサートの記(909) 沖澤のどか指揮京都市交響楽団第701回定期演奏会

2015年6月19日 京都コンサートホールにて

午後2時30分から、京都コンサートホールで京都市交響楽団の第701回定期演奏会を聴く。今日の指揮者は、常任指揮者の沖澤のどか。

 

今日のコンサートマスターは泉原隆志、フォアシュピーラーに尾﨑平。今日のヴィオラの客演首席は大阪フィルハーモニー交響楽団の一樂もゆる。京都市交響楽団チェロ奏者の一樂恒(いちらく・ひさし)の奥さんで、今日は夫婦共演になる。

 

曲目は、G.レンツのヴァイオリン協奏曲「...to beam in distant heavens...」(日本初演。ヴァイオリン独奏:アラベラ・美歩・シュタインバッハー)、タイユフェールの小組曲、ラヴェルの組曲「マ・メール・ロワ」、デュカスの交響詩「魔法使いの弟子」

前半に現代音楽、後半にフランスものが並ぶ。沖澤のどかは現代音楽を積極的に演奏しており、またフランスものは得意としている。

 

G.レンツのヴァイオリン協奏曲「...to beam in distant heavens,,,」。溶暗してスタート。まずハンマーによる一撃で開始。照明が光度を増して行く。バッハの「シャコンヌ」を模したような旋律がソロで奏でられるが、奏者は舞台上におらず、袖で弾いているようである。3階席の後方にはバンダが設置されており、それとのやり取りもある。
ソロヴァイオリンの音色がスピーカーから聞こえるようになると、アラベラ・美歩・シュタインバッハーがステージ上に現れ、タブロイド譜を見ながら演奏を始まる。
神秘的な作風であり、サンダーマシーン、カウベルなど特殊な打楽器が打ち鳴らされるが(それでいながらティンパニは編成に加えられていない)。ヴァイオリンの超絶技巧と、オーケストラの迫力が聴きどころとなる。沖澤は時折指揮棒を持った右手一本による指揮を見せ、なかなか格好良い。
ジョルジュ・レンツは、1965年、ルクセンブルク生まれの作曲家。1990年にオーストラリアのシドニーに移住し、当地で活躍している。このヴァイオリン協奏曲は、2023年4月28日、アラベラ・美歩・シュタインバッハーの独奏によりシドニーで初演されている。
現代楽曲風であるが、難解になりすぎず、スケールの大きな作品である。アラベラ・美歩・シュタインバッハーの独奏も初演者だけに自信に溢れたものであった。
演奏の終了は再びの溶暗によって告げられる。

アラベラ・美歩・シュタインバッハーのアンコール演奏は、クライスラーのレチタティーヴォとスケルツォカプリース。
憂いと愉悦に満ちた楽曲を的確に演奏してみせる。

 

後半。タイユフェールの小組曲。フランス六人組の紅一点として、女性作曲家の中では知名度は高めのタイユフェール。ただ、作品が演奏される機会は多くない。
パリの街を自転車で駆け抜けていくような、あるいはメリーゴーランドに乗って中空を走る気分のようなご機嫌な曲である。エスプリ・クルトワ全開。
沖澤の指揮する京響は前半とは打って変わって、乳白色の軽みを帯びたような洒落た音に変わる。どうやってこのような響きを生み出しているのかは不明だが、ヴァイオリンなどはハーモニーの作り方を変えているようである。

 

ラヴェルの組曲「マ・メール・ロワ」も繊細にして浮遊感のある音で高雅な絵巻を作り上げていく。泉原隆志のヴァイオリンソロも美しい。
なお、終曲である第5曲の前にトラブルがあったようで、沖澤と泉原が何か話している。泉原が「行きましょう」という態度を示して終曲の演奏に突入したが、どうやら記録用ビデオのエラー音が鳴っていたようである。私の席からは聞こえなかった。

 

デュカスの交響詩「魔法使いの弟子」。デュカスは自分に厳しい人で寡作。破棄してしまった作品も多いとされる。ある日、友人がデュカスを訪ねた時、「破棄しようと思っている曲がある」と見せたところ、友人から、「こんな素晴らしい曲を捨てたりしたら駄目だよ」と言われ、初演することにする。それは「ラ・ペリ」という代表作となる作品であった。
「魔法使いのお弟子」は、ディズニーアニメ映画「ファンタジア」でミッキーマウスが魔法使いの弟子を演じていることで有名だが(そのためにアニメ映像の著作権はまだ切れていない)、そうでなくても描写力はかなり高く交響詩として優れた作品である。
沖澤は京響からイメージ喚起力豊かな音を引き出し、爽快な演奏となった。

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2025年5月30日 (金)

観劇感想精選(489) ミュージカル「レ・ミゼラブル」2025大阪公演 2025年3月19日

2025年3月19日 梅田芸術劇場メインホールにて観劇

午後5時から、梅田芸術劇場メインホールで、ミュージカル「レ・ミゼラブル」を観る。
東京では、帝国劇場のクロージング演目として上演されたプロジェクトである。

1985年の日本初演以来、上演を重ねているミュージカルの定番。ヒュー・ジャックマン、アン・ハサウェイらが出演した映画版も名画としての地位を確立している。
原作:ビクトル・ユゴー。原作は岩波文庫から分厚いもの4巻組みで出ているが、訳も良くて読みやすいので、一度は読むことをお薦めする。フランスのロマン派の小説なので、突然、詩が出てきたりするなど、今の小説とはスタイルが異なる。
作:アラン・ブーブリル&クロード=ミッシェル・シェーンベルク。作詞:ハーバート・クレッツマー。演出:ローレンス・コナー/ジェームズ・パウエル。翻訳:酒井洋子、訳詞:岩谷時子。製作:東宝。

全ての役が完全オーディションで決まることで知られる「レ・ミゼラブル」。以前に役を歌ったことがある人でも、再び役を貰えるとは限らない。一方で、無名でもミュージカルのイメージがない俳優でもオーディションさえ通れば出演する可能性がある。

トリプルキャストが基本だが、今日の出演は、飯田洋輔(ジャン・バルジャン)、小野田龍之介(ジャベール警部)、 生田絵梨花(ファンテーヌ)、ルミーナ(エポニーヌ)、三浦宏規(マリウス)、加藤梨里香(コゼット)、六角精児(テナルディエ)、谷口ゆうな(マダム・テナルディエ)、岩橋大(アンジョルラス)、大園尭楽(おおぞの・たから。ガブローシュ)、井澤美遥(リトル・コゼット)、平山ゆず希(リトル・エポニーヌ)、鎌田誠樹(かまだ・まさき。司教)、佐々木淳平(工場長)、小林遼介(パマタボア)、近藤真行(グランティール)、杉浦奎介(フイイ)、伊藤広祥(いとう・ひろあき。コンブフェール)、島崎伸作(クールフェラック)、東倫太郎(ひがし・りんたろう。ジョリ)、中村翼(プルベール)、廬川晶祥(ろがわ・あきよし。レーグル)、町田慎之介(バベ)、ユーリック武蔵(ブリジョン)、土倉有貴(とくら・ゆうき。クラクスー)、松村桜李(モンパルナス)、白鳥光夏(しらとり・みか。ファクトリーガール)、般若愛実(はんにゃ・まなみ。買入屋)、湖山夏帆(かつら屋)、三浦優水香(マダム)、青山瑠里(宿屋の女房)、荒居清香(あらい・せいか。カフェオーナーの妻)、石丸椎菜(病気の娼婦)、大泰司桃子(おおたいし・ももこ。鳩)、北村沙羅(あばずれ)、吉良茉由子(身代わりの妻)。

 

「夢やぶれて」、「民衆の歌」、「オン・マイ・オウン」など有名曲を擁し、これらの曲が何度も用いられる循環形式も効果的なミュージカルである。パンを盗んだだけで19年間投獄されていた男、ジャン・バルジャンの更生と、ジャン・バルジャンが育てた娘のコゼット、コゼットに恋する大学生の好青年マリウスなどを軸に、叶わぬ恋に悩むエポニーヌ、6月暴動に向かう若者達の姿が交錯する叙事詩である。

聴き映えはするが歌唱難度はそれほど高くない曲と、高音域が要求されたり音の進行が不安定だったりと本当に難度が高い曲が混在しており、バランスが良い。まるでショパンの楽曲のようだ。

今回、ジャン・バルジャンを演じる飯田洋輔は裏声の美しさが印象的。ミュージカルのみならず歌手としても活動が出来そうだ。人気が出るかどうかはまた別の話だが。

すでに若手トップクラスのミュージカル女優の一人として評価されている生田絵梨花。ミュージカルのみならずテレビドラマにも主演するなど順調なキャリアを歩んでいるが、ミュージカルをやっている時の彼女が一番生き生きしているように見える。
最も有名なナンバー「夢やぶれて」を彼女は意図的に走り気味に歌唱。おそらく感情が先走っていることを表現しているのだろうと思われる。歌い方は節度が保たれており、映画版のアン・ハサウェイとは好対照である。彼女が演じるファンテーヌは同じ女工から苛め抜かれた上、コゼットを生んであっさり亡くなってしまうのだが、終盤におそらく聖人となってジャン・バルジャンの下を訪れる。また「夢やぶれて」のメロディーはリフレインされる。

マリウスに片想いするエポニーヌ。彼女もまた非業の死を遂げる人物である。6月暴動でバリケードに閉じこもるが(思想面ではなく、単にマリウスと一緒にいたかったから)射殺されてしまう。
彼女がマリウスへの気持ちを歌った「オン・マイ・オウン」は難度も高いが、事前にメロディーが流れる場面があったり、その後、クライマックスでリフレインされる。
ルミーナは、インドと日本のハーフで、ソウル国立大学校で声楽を学んだというインテリである。まず韓国版「レ・ミゼラブル」のエポニーヌ役で出演。続いて日本版の「レ・ミゼラブル」にも出演している。

過去に犯した罪か現在か。過去に犯した罪を執拗に追及するジャベール警部は、自分が追っていたものが過去の幻影だと思い知らされ、セーヌ川に身を投げることになる。ジャン・バルジャンが最初に仮出所したのは46歳ともう若くない年齢であり、それでも悔い改めようとはしなかったが、そこから事業で成功して市長になり、その後もコゼットを育てるなど失敗からのやり直しを果たした、慈父のようになった人物である。
過去に手を差し伸べた二人の女性(ファンテーヌとエポニーニ)の霊に見守られながら、ジャン・バルジャンは旅立っていく。

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2025年3月 7日 (金)

コンサートの記(893) 大阪フィル×神戸市混声合唱団「祈りのコンサート」阪神・淡路大震災30年メモリアル@神戸国際会館こくさいホール 大植英次指揮

2025年2月27日 三宮の神戸国際会館こくさいホールにて

午後7時から、三宮の神戸国際会館こくさいホールで、大阪フィル×神戸市混声合唱団「祈りのコンサート」阪神・淡路大震災30年メモリアルに接する。大植英次指揮大阪フィルハーモニー交響楽団と神戸市混声合唱団による演奏会。

神戸国際会館こくさいホールに来るのは、13年ぶりのようである。干支が一周している。
神戸一の繁華街である三宮に位置し、多目的ホールではあるが、多目的ホールの中ではクラシック音楽とも相性が良い方の神戸国際会館こくさいホール。だが、クラシックコンサートが行われることは比較的少なく、ポピュラー音楽のコンサートを開催する回数の方がずっと多い。阪急電車を使えばすぐ行ける西宮北口に兵庫県立芸術文化センターKOBELCO大ホールというクラシック音楽専用ホールが2005年に出来たため、そちらの方が優先されるのであろう。ここで聴いたクラシックのコンサートはいずれも京都市交響楽団のもので、佐渡裕指揮の「VIVA!バーンスタイン」と、広上淳一指揮の「大河ドラマのヒロイン」として大河ドラマのテーマ曲を前半に据えたプログラムで、いずれもいわゆるクラシックのコンサートとは趣向がやや異なっている。ポピュラー音楽では柴田淳のコンサートを聴いている。

構造にはやや難があり、地上から建物内に上がるにはエスカレーターがあるだけなので、帰りはかなり混む。というわけで、聴衆にとっては使い勝手は余り良くないように思われる。客席は馬蹄形に近く、びわ湖ホール大ホールやよこすか芸術劇場を思わせるが、ステージには簡易花道があるなど、公会堂から現代のホールへと移る中間地点に位置するホールと言える。三宮には大倉山の神戸文化ホールに代わる新たなホールが出来る予定で、その後も国際会館こくさいホールでクラシックの演奏会が行われるのかは分からない。

 

曲目は、白井真の「しあわせ運べるように」(神戸市歌)、フォーレの「レクイエム」(ソプラノ独唱:隠岐彩夏、バリトン独唱:原田圭)、マーラーの交響曲第1番「巨人」

 

今日のコンサートマスターは須山暢大。ドイツ式の現代配置の演奏。ホルン首席の高橋将純はマーラーのみに登場する。
フォーレの「レクイエム」ではオルガンが使用される。神戸国際会館こくさいホールにはパイプオルガンはないので、電子オルガンが使われるが、パンフレットが簡易なものなので、誰がオルガンを弾いているのかは分からなかった。

 

白井真の「しあわせ運べるように」(神戸市歌)。神戸出身で、阪神・淡路大震災発生時は小学校の音楽教師であり、東灘区に住んでいたという白井真。神戸の変わり果てた姿に衝撃を受けつつ、震災発生から2週間後にわずか10分でこの曲を書き上げたという。
神戸市混声合唱団は、1989年に神戸市が創設した、日本では数少ないプロの合唱団。神戸文化ホールの専属団体であるが、今日は神戸国際会館こくさいホールで歌う。
ステージの後方に階段状となった横長の台があり、その上に並んでの歌唱。
聴く前は、「知らない曲だろう」と思っていた「しあわせ運べるように」であるが、実際に聴くと、「あ、あの曲だ」と分かる。映画「港に灯がともる」(富田望生主演。安達もじり監督)のノエビアスタジアム神戸での成人式の場面で流れていた曲である。
「震災に負けない」という心意気を謳ったものであり、30年に渡って歌い継がれているという。
ホールの音響もあると思うが、神戸市混声合唱団は発声がかなり明瞭である。

 

フォーレの「レクイエム」。大きめのホールということで、編成の大きな第3稿を使用。パリ万博のために編曲されたものだが、フォーレ自身は気が乗らず、弟子が中心になって改変を行っている。そのため、「フォーレが望んだ響きではない」として、近年では編成の小さな初稿や第2稿(自筆譜が散逸してしまったため、ジョン・ラターが譜面を再現したラター版を使うことが多い)を演奏する機会も増えている。

実は、大植英次の指揮するフォーレの「レクイエム」は、2007年6月の大阪フィルの定期演奏で聴けるはずだったのだが、開演直前に大植英次がドクターストップにより指揮台に上がることが出来なくなったことが発表され、フォーレの「レクイエム」は当時、大阪フィルハーモニー合唱団の指揮者であった三浦宣明(みうら・のりあき)が代理で指揮し、後半のブラームスの交響曲第4番は指揮者なしのオーケストラのみでの演奏となっている。ちなみにチケットの払い戻しには応じていた。
それから18年を経て、ようやく大植指揮のフォーレの「レクイエム」を聴くことが叶った。

マーラーなどを得意とする大植であるが、フランスものも得意としており、レコーディングを行っているほか、京都市交響楽団の定期演奏会に代役として登場した時にはフランスもののプログラムを変更なしで指揮している。
フォーレに相応しい、温かで慈愛に満ちた響きを大植は大フィルから引き出す。高雅にして上品で特上の香水のような芳しい音である。
神戸市混声合唱団の発音のはっきりしたコーラスも良い。やはりホールの音響が影響しているだろうが。

フォーレの「レクイエム」で最も有名なのは、ソプラノ独唱による「ピエ・イエス」であるが、実はソプラノ独唱が歌う曲はこの「ピエ・イエス」のみである。
ソプラノ独唱の隠岐彩夏は、岩手大学教育学部卒業後、東京藝術大学大学院修士および博士課程を修了。文化庁新進芸術家海外研修生としてニューヨークで研鑽を積んでいる。
岩手大学教育学部出身ということと、欧州ではなくニューヨークに留学というのが珍しいが、岩手県内での進学しか認められない場合は、岩手大学の教育学部の音楽専攻を選ぶしかないし、元々教師志望だったということも考えられる。真相は分からないが。ニューヨークに留学ということはメトロポリタンオペラだろうか、ジュリアード音楽院だろうか。Eテレの「クラシックTV」にも何度か出演している。
この曲に相応しい清澄な声による歌唱であった。

バリトン独唱の原田圭も貫禄のある歌声。東京藝術大学および同大学院出身で博士号を取得。現在では千葉大学教育学部音楽学科および日本大学藝術学部で講師も務めているという。

フォーレの「レクイエム」は「怒りの日」が存在しないなど激しい曲が少なく、「イン・パラディズム(楽園へ)」で終わるため、阪神・淡路大震災の犠牲者追悼に合った曲である。

 

後半、マーラーの交響曲第1番「巨人」。この曲も死と再生を描いた作品であり、メモリアルコンサートに相応しい。
マーラー指揮者である大植英次。「巨人」の演奏には何度か接しているが、今日も期待は高まる。譜面台なしの暗譜での指揮。
冒頭から雰囲気作りは最高レベル。青春の歌を溌剌と奏でる。チェロのポルタメントがあるため、新全集版のスコアを用いての演奏だと思われるが、譜面とは関係ないと思われるアゴーギクの処理も上手い。
第2楽章のややグロテスクな曲調の表現も優れており、大自然の響きがそこかしこから聞こえる。
マーラーの交響曲第1番は、実は交響詩「巨人」として作曲され、各楽章に表題が付いていた。当時は標題音楽の価値は絶対音楽より低かったため、表題を削除して交響曲に再編。その際、「巨人」のタイトルも削ったが、実際には現在も残っている。「巨人」は、ジャン・パウルの長編教養小説に由来しており、私も若い頃に、東京・神田すずらん通りの東京堂書店で見かけたことがあるが、読む気がなくなるほど分厚い小説であった。ただ、マーラーの「巨人」は、ジャン・パウルの小説の内容とはほとんど関係がなく、タイトルだけ借りたらしい。そしてこの曲は、民謡などを取り入れているのも特徴で、第3楽章では、「フレール・ジャック」(長調にしたものが日本では「グーチョキパーの歌」として知られる)が奏でられる。これも当時の常識から行くと「下品だ」「ふざけている」ということになったようで、マーラーの作曲家としての名声はなかなか上がらなかった。
大植と大フィルはこの楽章の陰鬱にして鄙びた味わいを巧みに表出してみせる。夢の場面も初春の日差しのように淡く美しい。
この葬送行進曲で打ち倒された英雄が復活するのが第4楽章である。そしてこのテーマは交響曲第2番「復活」へも続く。
第4楽章は大フィルの鳴りが良く、大植の音運びも抜群である。特に金管が輝かしくも力強く、この曲に必要とされるパワーを満たしている。
若々しさに満ちた再生の旋律は、これからの神戸の街の発展を祈念しているかのようだった。

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2025年2月27日 (木)

コンサートの記(891) 準・メルクル指揮 京都市交響楽団第697回定期演奏会

2025年2月15日 京都コンサートホールにて

午後2時30分から、京都コンサートホールで、京都市交響楽団の第697回定期演奏会を聴く。指揮は、日独ハーフの準・メルクル。

NHK交響楽団との共演で名を挙げた準・メルクル。1959年生まれ。ファーストネームの漢字は自分で選んだものである。N響とはレコーディングなども行っていたが、最近はご無沙汰気味。昨年、久しぶりの共演を果たした。近年は日本の地方オーケストラとの共演の機会も多く、京響、大フィル、広響、九響、仙台フィルなどを指揮している。また非常設の水戸室内管弦楽団の常連でもあり、水戸室内管弦楽団の総監督であった小澤征爾の弟子でもある。
現在は、台湾国家交響楽団音楽監督、インディアナポリス交響楽団音楽監督、オレゴン交響楽団首席客演指揮者と、アジアとアメリカを中心に活動。今後は、ハーグ・レジデエンティ管弦楽団の首席指揮者に就任する予定で、ヨーロッパにも再び拠点を持つことになる。これまでリヨン国立管弦楽団音楽監督、ライプツィッヒのMDR(中部ドイツ放送)交響楽団(旧ライプツィッヒ放送交響楽団)首席指揮者、バスク国立管弦楽団首席指揮者、マレーシア・フィルハーモニー管弦楽団音楽監督(広上淳一の前任)などを務め、リヨン国立管弦楽団時代にはNAXOSレーベルに「ドビュッシー管弦楽曲全集」を録音。ラヴェルも「ダフニスとクロエ」全曲を録れている。2012年にはフランス芸術文化勲章シュヴァリエ賞を受賞。国立(くにたち)音楽大学の客員教授も務め、また台湾ユース交響楽団を設立するなど教育にも力を入れている。

 

曲目は、ラフマニノフのパガニーニの主題による狂詩曲(ピアノ独奏:アレクサンドラ・ドヴガン)とラヴェルのバレエ音楽「ダフニスとクロエ」全曲(合唱:京響コーラス)。
「ダフニスとクロエ」は、組曲版は聴くことが多いが(特に第2組曲)全曲を聴くのは久しぶりである。
今日はポディウムを合唱席として使うので、いつもより客席数が少なめではあるが、チケット完売である。

 

午後2時頃から、準・メルクルによるプレトークがある。英語によるスピーチで通訳は小松みゆき。日独ハーフだが、日本語の能力については未知数。少なくとも日本語で流暢に喋っている姿は見たことはない。同じ日独ハーフでもアリス=紗良・オットなどは日本語で普通に話しているが。ともかく今日は英語で話す。
ラフマニノフのパガニーニの主題による狂詩曲だが、パガニーニの24のカプリースより第24番の旋律(メルクルがピアノで弾いてみせる)を自由に変奏するが、変奏曲ではなく狂詩曲なので、必ずしも忠実な変奏ではなく他の要素も沢山入れており、有名な第18変奏はパガニーニから離れて、「世界で最も美しい旋律の一つ」としていると語る。私が高校生ぐらいの頃、というと1990年代初頭であるが、KENWOODのCMで「ピーナッツ」のシュローダーがこの第18変奏を弾くというものがあった。おそらく、それがこの曲を聴いた最初の機会であったと思う。
「ダフニスとクロエ」についてであるが、19世紀末のフランスでバレエが盛んになったが、音楽的にはどちらかというと昔ならではのバレエ音楽が作曲されていた。そこにディアギレフがロシア・バレエ団(バレエ・リュス)と率いて現れ、ドビュッシーやサティ、ストラヴィンスキーなどに新しいバレエ音楽の作曲を依頼する。ラヴェルの「ダフニスとクロエ」もディアギレフの依頼によって書かれたバレエ曲である。演奏時間50分強とラヴェルが残した作品の中で最も長く(バレエ音楽としては長い方ではないが)、特別な作品である。バレエ音楽としては珍しく合唱付きで、また歌詞がなく、「声を音として扱っているのが特徴」とメルクルは述べた。またモチーフライトに関しては「愛の主題」をピアノで奏でてみせた。
また笛を吹く牧神のパンに関しては、元々は竹(日本語で「タケ」と発音)で出来ていたフルートが自然の象徴として表しているとした。

往々にしてありがちなことだが、バレエの場合、音楽が立派すぎると踊りが負けてしまうため、敬遠される傾向にある。「ダフニスとクロエ」も初演は成功したが、ディアギレフが音楽がバレエ向きでないと考えたこともあって、この曲を取り上げるバレエ団は続かず、長らく上演されなかった。
現在もラヴェルの音楽自体は高く評価されているが、基本的にはコンサート曲目としてで、バレエの音楽として上演されることは極めて少ない。

 

今日のコンサートマスターは泉原隆志。フォアシュピーラーに尾﨑平。ドイツ式の現代配置での演奏。フルート首席の上野博昭はラヴェル作品のみの登場である。今日のヴィオラの客演首席は佐々木亮、チェロの客演首席には元オーケストラ・アンサンブル金沢のルドヴィート・カンタが入る。チェレスタにはお馴染みの佐竹裕介、ジュ・ドゥ・タンブルは山口珠奈(やまぐち・じゅな)。

 

ラフマニノフのパガニーニの主題による狂詩曲。ピアノ独奏のアレクサンドラ・ドヴガンは、2007年生まれという、非常に若いピアニストである。モスクワ音楽院附属中央音楽学校で幼時から学び、2015年以降、世界各地のピアノコンクールに入賞。2018年には、10歳で第2回若いピアニストのための「グランド・ピアノ国際コンクール」で優勝している。ヒンヤリとしたタッチが特徴。その上で華麗なテクニックを武器とするピアニストである。
メルクルは敢えてスケールを抑え、京響の輝かしい音色と瞬発力の高さを生かした演奏を繰り広げる。ロシアのピアニストをソリストに迎えたラフマニノフであるが、アメリカ的な洗練の方を強く感じる。ドヴガンもジャズのソロのように奏でる部分があった。

ドヴガンのアンコール演奏は、ショパンのワルツ第7番であったが、かなり自在な演奏を行う。溜めたかと思うと流し、テンポや表情を度々変えるなどかなり即興的な演奏である。クラシックの演奏のみならず、演技でも即興性を重視する人が増えているが(第十三代目市川團十郎白猿、草彅剛、伊藤沙莉など。草彅剛と伊藤沙莉はインタビューでほぼ同じことを言っていたりする。二人は共演経験はあるが、別に示し合わせた訳ではないだろう)、今後は表現芸術のスタイルが変わっていくのかも知れない。
今まさにこの瞬間に生まれた音楽を味わうような心地がした。

 

ラヴェルの音楽「ダフニスとクロエ」全曲。舞台上に譜面台はなく、準・メルクルは暗譜しての指揮である。
パガニーニの主題による狂詩曲の時とは対照的に、メルクルはスケールを拡げる。京都コンサートホールは音が左右に散りやすいので、最初のうちは風呂敷を広げすぎた気もしたが次第に調整。京響の美音を生かした演奏が展開される。純音楽的な解釈で、あくまで音として聞かせることに徹しているような気がした。その意味ではコンサート的な演奏である。
京響の技術は高く、音は輝かしい。メルクルの巧みなオーケストラ捌きに乗って、密度の濃い演奏を展開する。リズム感も冴え、打楽器の強打も効果を上げる。

ラストに更に狂騒的な感じが加わると良かったのだが(ラヴェルはラストでおかしなことを要求することが多い)、「純音楽的」ということを考えれば、避けたのは賢明だったかも知れない。オーケストラに乱れがない方が良い。
ポディウムに陣取った京響コーラスも優れた歌唱を示した。

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