カテゴリー「フランス」の64件の記事

2021年9月13日 (月)

配信公演 古瀬まきを主演 プーランク オペラ「人間の声(声)」YouTube配信アーカイブ視聴

2021年9月2日

YouTubeで、古瀬まきを主演によるプーランクのオペラ「人間の声(声)」を視聴。8月9日に上演と同時配信とが行われた公演で、終演後1ヶ月はアーカイブとして映像を観ることが出来る。
プーランクのオペラ「人間の声」は、ジャン・コクトーのテキストを用いたモノオペラ(一人で演じるオペラ)である。

コクトーの一人芝居「声」は、青山のスパイラルホールで、鈴木京香の主演、三谷幸喜の演出で観たことがあるのだが、鈴木京香、三谷幸喜共に陽性で健康的な表現を得意とする人であるためか、痛切さはほとんど感じられなかった。鈴木京香が高校時代に陸上部だったということで、そうした要素も入れて笑いに変えていたが、この作品には笑いの要素は夾雑物でしかないように思われる。

オーケストラ伴奏によるプーランクの「声」は、「近江の春びわ湖クラシック音楽祭」2019において、石橋栄実の主演、沼尻竜典指揮京都市交響楽団の演奏、中村敬一の演出によるものを、びわ湖ホール大ホールでハーフステージ形式で聴いており(石橋栄実は体調不良で降板した砂川涼子の代役)、追い込まれた女の孤独が浮かび上がる優れた出来であったのを覚えている。

今回の上演は、コロナ感染拡大に配慮し、入場者20名と数を抑えて行われる公演で、關口康佑によるピアノ伴奏版と、歌い手だけでなく演奏者も一人きりの版での上演である。
字幕は、昨年11月に他界した藤野明子による日本語訳詞が用いられている。

なお、古瀬まきをは、2019年に行ったプーランクのオペラ「人間の声」を中心としたソプラノリサイタルで、第40回音楽クリティック・クラブ賞奨励賞を受賞している。


ジャン・コクトーのテキストによる一人芝居「人間の声(声)」が初演された1930年時点では、一人芝居はそれほどポピュラーなジャンルではなかった。一人語り形式のものは勿論あったが、朗読されることの方が多く、「声」のように語りではなくセリフのみで行われる一人芝居はほとんど例がなかった。「声」は、ある女性(名前不明)がある男(こちらも名前不明)と電話で話している状態を描いた作品である。当時はまだ電話は高級品で、一般にはそれほど普及しておらず、今と違って交換手を通じて望む相手に繋いで貰う必要があり、また混線があるなど、必ずしも便利な道具という訳ではなかった。この作品でも、混線や偶然起こった傍受などは女を焦らせ、苛立たせる。また今のようにワイヤレスではなく、電話機に伸びる電話線も、受話器と電話本体を繋ぐコードも長く、これがラストへと繋がっていく。

電話という当時はまだ新しい装置が、声は近くにあるが体は遠いという、当時としては奇妙なパースペクティブとアンバランスを招いている。また、犬の存在が、間接的かつ絶対的な男女の分け隔てを象徴する。

コクトーの原作では、女が外国語を話すシーンがある(オペラ版ではカットされている)。コクトーは「出演している女優が最も得意とする外国語を話すこと」としているのみで、何語を話すのが適切なのか指示はしていない。いずれにせよ、この女性がフランス語圏以外の外国籍で、出身身分もそれほど高くなく、経済的手段も能力もなんら持ち合わせていないことが分かってくる。当時のフランスは今よりもかなり差別が酷く、外国籍である程度年齢がいった女性が職に就ける可能性はまずない。あったとしても洗濯婦など最底辺の肉体労働で身も心もすり減らしていくだけだ。
そんな女が、5年間囲われていた男に捨てられた。女は睡眠薬自殺を図るのだが、命は取り留める。男からの電話に、女は「睡眠薬は飲んだが1錠だけだ」と嘘をつく……。

電話の向こうの男の声は聞こえないので、観る側が想像する必要がある。そのため、自由度が高いと同時に、内容を把握するのは困難で、100%想像するのはほぼ不可能である。観る者、聴く者に許されるのは、おおよその状況把握のみである。
ただ、オペラ「人間の声(声)」はプーランクが作曲した音楽によって、その場の空気や心理状態はある程度規定される。そういう意味では原作の一人芝居版よりもモノオペラ版の方が入りやすいかも知れない。

女にはマルトという女友達がいて(マルトというのはジャン・コクトーの実姉と同じファーストネームだが、どの程度関係があるのか、あるいは無関係なのかは不明。たまに「モルト=死」(この単語は劇中に登場する)に聞こえてゾッとするが、フランス人は多分間違えないだろう)、男と女が暮らしていた家の執事の名はジョゼフという。女が自殺未遂を図った際には、マルトが駆けつけ、マルトが医師を呼んだために女は助かっている。だが今はマルトは家に帰り、女は一人である。電話の向こうで男は、「マルトの下に身を寄せてはどうか」と提案しているようだが、女はそんな身勝手な真似は出来ないと断る。

男と女の甘い思い出が語られる際には、プーランクの音楽もロマンティックなものへと傾く。「パリのモーツァルト」の異名を取ったプーランク。甘い旋律を書かせると天下一品である。

男が新しい女と旅行に出ようとしているのは確実で、男が家から電話しているというのも交換手によって嘘であることが分かる。そして男は、かつて女と暮らしていた時に女にしてくれたのと同じ事を新しい女としようとしている。思い出が上書きされる。忘れ去られる。

女にとっては、おそらくは生活が出来なくなるということよりも、男が他の女のものになるということの方が耐えられない事実なのだと思われる。電話コードを体に巻き付け、男の声を体で感じながらの死は(ただし、今回の演出では死は明示されない)、単なる自殺というよりも男の声に抱かれた「空想の上での情死」を女が選んだことを仄かに伝えている。

明るすぎても暗すぎても良くないという、高度な演技が要求されるオペラであるが、古瀬まきをは過不足のない演技で、地球の外に放り出されたかのような女の孤独を炙り出していた。

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2021年8月22日 (日)

コンサートの記(740) 上方西洋古楽演奏会シリーズ2021夏「~フランス宮廷バレエと劇音楽~ コメディ・バレへの憧れⅡ」

2021年8月14日 大阪・中之島の大阪市中央公会堂中集会室にて

午後5時から、中之島にある大阪市中央公会堂中集会室で上方西洋古楽演奏会シリーズ2021夏「~フランス宮廷バレエと劇音楽~ コメディ・バレへの憧れⅡ」というコンサートを聴く

京都市左京区下鴨の楽器店兼音楽教室・月光堂の講師でもあるフルート・リコーダー奏者の森本英希(日本テレマン教会所属)が音楽監督を務める演奏会で、タイトル通りブルボン王朝最盛期のフランスの音楽家達が作曲したバレエと劇音楽が演奏される。


曲目は、シャンパンティエのコメディ・バレ「病は気から」より、リュリのコメディ・バレ「町人貴族(「超人気俗」と誤変換された)」より、ラモーの歌劇「ピグマリオン」より序曲、ラモーの歌劇「イポリトとアリシ」より、歌劇「優雅なインドの国々」より、歌劇「ピグマリオン」より。

前半がバレ(バレエ)、後半が歌劇の曲で構成されているが、前半にもアリアは歌われ、後半でもバレエは踊られる。今でこそバレエとオペラは別分野となっているが、元々は区別なく上演されており、歌あり踊りありが普通の姿であった。


演奏は、「コメディ・バレへの憧れ」特別アンサンブル。ピリオド楽器使用である。音楽監督の森本英希が曲によって、指揮、リコーダー弾き振り、フルート弾き振りを行い、「町人貴族」の“トルコ儀式の行進曲”では太鼓も叩く。
参加者は、戸田めぐみ・赤坂放笛(オーボエ)、中山裕一・大谷史子(ヴァイオリン)、中川敦史(ヴィオラ)、上田康雄(チェロ。エンドピンなし)、池内修二(ヴィオローネ=コントラバスの先祖のようなもの)、二口晴一(ファゴット)、吉竹百合子(チェンバロ)、樋口裕子・有門奈緒子(バロック・ダンス)、進元一美(ソプラノ)、眞木喜親(テノール)。

オーボエとリコーダーを吹く赤坂放笛は、このコンサートを主催する「そう楽舎」の主宰でもあるが、1988年から14年間、狂言を修行したこともあるそうで、前半は曲の演奏の前に、「この辺りの者でござる」と狂言の口調で自己紹介をして、「疫病退散」のために演奏を行うことを宣言したり、「町人貴族」のあらすじを紹介したりする(ここでは森本英希も参加)。

歌手やダンサーは当時の衣装に近いものを身に纏い、重要文化財に指定されている大阪市中央公会堂中集会室の内装も相まって、古雅にして絢爛豪華な世界が繰り広げられる。

マルカントワーヌ・シャンパンティエもジャン=バティスト・リュリも、フランスのバロック以前の作曲家としてはかなり有名な部類に入るが、リュリは、「床を杖で突いて指揮している最中に誤って自分の足を突き刺してしまい、それが元で亡くなった作曲家」としてのみ有名で作曲作品が知られている訳ではない。ただ、共に典雅で良い音楽を書いている。

ジャン=フィリップ・ラモーは、シャンパンティエやリュリより時代が下ったバロック期の作曲家であり、フランスのみならず、この時代の最重要作曲家の一人に数えても良いと思われる。音楽愛好家以外にも名前は知れ渡っていたようで、ラモーの死の約20年後に思想家のディドロが『ラモーの甥』という小説を書いて当時のベストセラーとなったりしている。ラモー自身も風変わりな経歴を持った人物で、若い頃は教会のオルガニストや音楽理論を専門とする学者として活躍しており、40歳を越えてから本格的に作曲家に転身。フランス楽壇の頂点まで上り詰めることになる。

ラモーはそれまでの作曲家とは違い、明らかに自身の個性を作品に刻印している。そのため部分部分ではあるが、モーツァルトの先達のように聞こえたり、凝った技巧が展開されるなど、我々が「クラシック音楽」としてイメージする像に近くなっている。フランスのバロック音楽入門には、やはりラモーの楽曲が最適であろう。


アンコール演奏として、リュリのコメディ・バレ「町人貴族」より“イタリア人の二重唱”が再度演奏され、続いてプログラムノートには載っているが本編では演奏されなかった、同じく「町人貴族」より“道化のシャコンヌ”が、樋口裕子と有門奈緒子のバロック・ダンス付で演奏された。

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2021年8月 8日 (日)

コンサートの記(735) 沼尻竜典オペラセレクション ビゼー作曲 歌劇「カルメン」@びわ湖ホール 2021.81

2021年8月1日 滋賀県立芸術劇場びわ湖ホール大ホールにて

午後2時から、びわ湖ホール大ホールで、ビゼーの歌劇「カルメン」を観る。沼尻竜典オペラセレクションとして、沼尻が芸術監督を務めるびわ湖ホールと、東京・初台の新国立劇場との提携オペラ公演として上演される。今日がびわ湖2日目にして楽日。公演全体としても大千穐楽を迎える。


指揮は沼尻竜典。演奏は日本のオーケストラとしては最もオペラ経験が豊かであると思われる東京フィルハーモニー交響楽団が担う。
ダブルキャストによる公演で、今日の出演は、山下牧子(カルメン。メゾソプラノ)、村上敏明(ドン・ホセ。テノール)、須藤慎吾(エスカミーリョ。バリトン)、石橋栄実(ミカエラ。ソプラノ)、大塚博章(スニガ。バス)、星野淳(モラレス。バリトン。両日とも出演)、成田博之(ダンカイロ。バリトン)、升島唯博(レメンダード。テノール)、平井香織(フラスキータ。ソプラノ)、但馬由香(メルセデス。メゾソプラノ)ほか。合唱は、びわ湖ホール声楽アンサンブル、新国立劇場合唱団、大津児童合唱団。
演出は、アレックス・オリエ。舞台美術は、アルフォンス・フローレス。

先に新国立劇場オペラパレスで大野和士の指揮により上演されているが、舞台を現代のキャバレーやライブハウスに置き換えたアレックス・オリエの演出がかなりの不評であり、気にはなっていたが、自分の目で確かめないことには何ともいえない。

無料パンフレントに記載されたオリエの演出ノートを読むと、オリエがカルメンを27クラブ(27歳で他界したミュージシャン達を指す言葉。ジミ・ヘンドリクスやジャニス・ジョプリンなどなぜか数が多く、「27」は不吉な数字とされている)の一人であるエイミー・ワインハウスに重ねていることが分かる。エイミーは十代で成功を収めるも、酒とドラッグに溺れ、晩年は酔ったままステージに立って、まともな歌唱が行えないことで酷評を受けたりした(タモリがこの時のことを「笑っていいとも」で語っており、「名前がエイミー・ワインハウス」だからとネタにしていた)。その後に事故か自殺か分からない形でエイミーは他界している。

今日は4階席の中央通路より後ろで、出演者の顔などははっきりとは見えず、字幕の文字も小さめに感じられたが、音響的にはまずまずである。


沼尻はかなり速めのテンポを採用。迫力は増すが、特に合唱、重唱などでは歌手達がテンポに付いていけず、粗めになった場面が多かったことも否めない。

オーケストラピットで演奏する機会が多い東京フィルハーモニー交響楽団。ただ、びわ湖ホールでの演奏経験はそれほど多くなく、勝手が分からないためだと思われるが、第1幕などでは音が散り気味であった。

びわ湖ホール大ホールは、近年ワーグナー作品を立て続けに上演して、「日本のバイロイト」「オペラの殿堂」とも呼ばれるようになっているが、4面舞台を備えたオペラ対応劇場ではあるものの、基本的にはコンサートホール寄りの音響であるため残響も長く、今日も歌声で壁などがビリビリいう場面が何度もあった。兵庫県立芸術文化センターKOBELCO大ホールやロームシアター京都メインホールは、逆にオペラ寄りの音響であり、オーケストラ演奏よりも声楽に向いている。

アルフォンス・フローレスの美術は、鉄パイプを網の目に張り巡らせたセットを効果的に用いており、同じ風景がライトによって街頭、闘牛場の壁、牢獄などに変容していく。


舞台を現代に置き換えているということで、衣装なども現代風(衣装デザイン:リュック・カステーイス)。カルメンは煙草工場で働きながら密輸盗賊集団の一味として暗躍するというジプシー(ロマ)ではなく、ライブハウスなどで歌う人気歌手(ボヘミアン)で、よくあるように裏でマフィアとのパイプを持つという設定に変わっている。一方のドン・ホセは、捜査4課あるいは組対5課の私服刑事もしくは厚労省の麻薬取締官で、元の設定よりも公務員的印象が増している。
現代に置き換える必要性がどこまであったのかは疑問だが、私服刑事ということでドン・ホセがカルメンに抱く恨みが伝わりやすくなっているように思われる。
一方で、洗練され過ぎたことで、ドン・ホセがたやすくカルメンに籠絡される馬鹿男以外に見えなくなり、なぜそれほど簡単にカルメンに惚れるのかも納得しにくくなる。カルメンがドン・ホセの何が良いと思ったのかも同様に伝わりにくい。元々の歌劇「カルメン」にあった一種の土臭さが、こうした謎を中和していたのだが、舞台を現代に置き換えたことで理屈に合わないように見えてしまう。恋に落ちるのに理屈はいらないが、生涯未婚率が高くなった現代社会にはマッチしていない演出のように思われる。だがその他の本質の部分は変えていないため、全般的には満足のいく上演となっていた。


「面白いがなんか変」な場面はいくつもあり、カルメン登場の場面では、カルメンはステージの上でスタンドマイクに向かって「ハバネラ」を歌い、ビデオカメラで撮影された映像が背後のスクリーンに映る。これによってドン・ホセのカルメンに対する思いは、「歌姫への恋」となるのだが、これがその後の展開と余り結びつかない。

第3幕第2場では鉄パイプのセットが金色に照らされ、闘牛場らしく見えるセットの前に敷き詰められたレッドカーペットの上を出演者達が歩き、フラッシュがたかれる。映画祭の一場面のようになっているが、特になくてもいい演出のようにも思える。

ただ、この第3幕第2場での心理表現は優れている。カルメンのせいで公務員、しかも私服刑事という花形から追われる羽目になったドン・ホセは復讐のために現れてもいいのだが、実際はカルメンに復縁を迫る。カルメンはカルメンで、ホセから貰った指輪をはめたままである。本当に100%エスカミーリョに靡いたなら、ホセから貰った指輪を身につけたり所持していたりはしないはずで、カルメンも実はホセに未練があるのだと思われる。これは愛と葛藤の話なのである。演出によってはこれが上手く伝わってこなかったりするのだが、オリエはカルメンとホセの姿勢によって心情を観る者に悟らせる演出を施していた。奇抜なだけでなくきちんとした演出が出来る人であることもここで分かる。
闘牛場の中から聞こえてくる「闘牛士の歌」の合唱は、ビゼーが仕掛けたホセとカルメンの好対照な心理を暴き出す巧みな装置であるが、今回の演出は、合唱、ホセ、カルメンの演技の三つがはまって愚かしくも切ない人間ドラマが表れていた。かなり感動的である。ここさえしっかり描けていれば、現代に舞台を置き換えたことで発生したマイナスも気にする必要はないように思われる。人間が描けていればそれで良い。


歌手では、びわ湖ホールへの出演回数も多い石橋栄実が、繊細さと迫力を兼ね備えた歌声で魅せる。ミカエラのキャラクターもあるが、彼女はびわ湖ホール大ホールの音響を把握しているためか、迫力は出しても壁をビリビリ鳴らすことはなかった。

タイトルロールを務めた山下牧子も知情意のバランスの取れた歌唱で、カルメンを単なる「自由」に憧れる向こう見ずな女とはせず、「揺れ動く女性」として再現していて説得力がある。

女性陣に比べると、男性陣は歌声が大き過ぎたり、身振りが大仰だったりとマイナスも多いが、沼尻のテンポとの相性が悪かった可能性もある。


観る度に発見のある歌劇「カルメン」。やはり永遠の名作である。

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2021年7月30日 (金)

美術回廊(65) 京都市京セラ美術館 「フランソワ・ポンポン展」

2021年7月23日 京都市京セラ美術館にて

京都市京セラ美術館で、フランソワ・ポンポン展を観る。

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京都市美術館をリニューアルした京都市京セラ美術館。展示会場が増え、現在、6つの展覧会が同時進行で行われている。

「古代エジプト展」も「上松松園」展も、北回廊1階の展示室で行われているが、フランソワ・ポンポン展は、北回廊の2階が会場である。展覧会を見終えてから、東山キューブのバルコニーに出て、ウエスティン都ホテルなどを眺めた。

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フランソワ・ポンポン(1855-1933)は、フランスに生まれ、活躍した彫刻家である。遅咲きであり、全仏にその名が知れ渡ったのは67歳の時。それまでは彫刻家の下彫り職人をしながら自作を発表していたが、人物彫刻では十分な評価を得られず、51歳で動物彫刻に転向。巨大なシロクマ像を発表して話題になり、「売れている」と見なされるまでにはそれからまだ時間が掛かるが、巨大シロクマ像発表の前年である1922年に、東久邇宮稔彦(後に史上初にして唯一の宮家出身首相となる)がポンポンの作品を買い上げているそうである。

巨大シロクマ像は移動させることが大変であるため、展示はされていないが、小型のシロクマ像はいくつか展示されており、そのうちの一つは写真撮影可となっている。また展示場内売店にポンポンの巨大シロクマ像の模型が展示されており、記念撮影をすることが出来る。

なお、紙に印刷された作品リストは存在せず、QRコードを読み取って、スマホで確認することになる。コロナ対策なのか、今後は作品リストはこうしたタイプのものが主流になるのか、現時点では判断保留である。

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フランス中央部、旧ブルゴーニュ地方のソーリューに生まれたフランソワ・ポンポン。父親は高級木工家具職人であり、ポンポンも幼時から父親の仕事を手伝っている。将来彫刻家になる素養はこの父親と成育環境から受け継いだものだと思われる。
15歳の時に地元の司祭に才能を認められたポンポンは奨学金を得て、ブルゴーニュ地方のより大きな都市であるディジヨンに移り、墓石を掘る大理石職人として働きながら美術学校の夜間部で本格的に彫刻を学び始める。ディジヨンの彫刻コンクールで1等賞を得たポンポンは兵役に就くためにパリに出て、短期間で軍務を終えた後は、パリのモンパルナスに住み、やはり墓石の大理石職人をしながらプティット・エコール(ポンポンが入学した年に国立装飾美術学校に改名)の夜間部で学ぶ。ここでは動物彫刻家のピエール=ルイ・ルイヤールが教えており、ポンポンにパリの植物園内の動物園で動物の観察をするようポンポンに勧めたそうだが、この時はポンポンは人物の彫刻家を目指していたため、助言を聞き入れなかったようである。

1890年から5年ほど、ポンポンはオーギュスト・ロダンの工房で下彫り職人を務め、最終的には工房長にまでなる。当時、彫刻家として並ぶ者のいないほどの名声を得ていたロダンの「動き」に着目する技法にポンポンは影響を受ける。ロダンの下を離れてからは、ルネ・ド・ポール・ド・サン=マルソーという彫刻家の下彫り職人として働き、夏場はノルマンディー地方のキュイ=サン==フィアクルという小さな村で過ごしたサン=マルソーに従って、ポンポンもキュイ=サン=フィアクルに家を買い、サン=マルソーの仕事を手伝ったのだが、キュイ=サン=フィアクルの農場で飼われている動物達の姿がポンポンのインスピレーションを刺激することになる。

当時のフランスの彫刻界では、人物の彫刻像が主流。それも文学作品に出てくる人物を彫るのが流行りであった。ポンポンも『レ・ミゼラブル』のコゼット像などを彫っており、好評で本人も自信があったそうだが、国による買い上げは認められず、これを機にポンポンは本格的に動物彫刻の道へと進んでいく。動物彫刻は人物彫刻よりも格下と見られていた時代だったが、20世紀初頭には動物彫刻の再評価が始まっており、ポンポンもこの潮流に乗ることが出来た。

ポンポンの後期の動物彫刻は、磨き抜かれたフォルムが特徴で、これは墓石の大理石職人をしていた影響が強いと思われる。表面は陶器か漆器のようであり、現実なのか非現実なのか、リアルなのか象徴なのか、その絶妙の間でポンポンが作成した彫刻は生命力を見せつける。

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有名なシロクマシリーズなども、足が太く、足の運び方も現実とは異なっているのだが、「今まさに移動している最中のような」躍動感を上手く面に出すことに成功している。「ノッシノッシ」という擬音が聞こえてくるかのようだ。現実ではあり得ないが、よりリアル(切実)である。目で見たものそれ自体よりも目で感じたこととして彫刻作品を作り上げている。またこの時代にフランスではアールデコが流行っており、ポンポンもアールデコに基づくデザイン性を取り入れた動物彫刻を作成している。
「休んでいる冠鶴」などはその典型で、細部をデザイン化することで、「そのもの」からは遠くなるが、フォルムと生命感を抽出した作品となっており、「そのもの」が持つ力はより先鋭化されるというアンビバレントが技巧が用いられている。

ポンポンは、パリ旧王立植物園付属動物園に足繁く通っていたようで、ついには動物園の動物達がポンポンになついてしまったという。そうした動物への愛情が、動物も持つであろう心情やエネルギーをいわば理想化しつつ誠実に読み込み、彫刻作品として昇華することを可能にさせたのだと思われる。

ポンポンが理想の一つとしたのだが、古代エジプトの動物彫刻だそうで、シンプル且つ生命力豊かという古代エジプト芸術に感銘を受けたようだ。

ポンポンが売れる直前の1921年に、苦楽をともにした妻のベルトが死去。ポンポンは彼女の墓にコンドルの像を飾った。同じ形のコンドル像が展示されているが、ポンポンは古代エジプトでは、コンドルに似たハゲワシが冥界の守護神となっていることを知っており、妻のあの世での安寧を期して、コンドル像を飾ったことが推測される。1933年、78歳の誕生日を3日後に控えて他界したポンポンは、コンドル像のある墓所で妻と共に眠っている。


ポンポンの作品は、ソーリューのフランソワ・ポンポン美術館、ディジヨン美術館、パリのオルセー美術館などの他に群馬県立館林美術館が多く所蔵しており、館林美術館所蔵のものが数多く展示されている。また、今年の11月からは、館林美術館でフランソワ・ポンポン展が開催される予定である。

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2021年7月22日 (木)

コンサートの記(732) 大植英次指揮 京都市交響楽団第658回定期演奏会

2021年7月17日 京都コンサートホールにて

午後2時30分から、京都コンサートホールで京都市交響楽団の第658回定期演奏会を聴く。今日の指揮は、大阪フィルハーモニー交響楽団第2代音楽監督で現在は同楽団桂冠指揮者としても知られる大植英次。当初予定されていたパスカル・ロフェが、新型コロナウイルスによる外国人入国制限で来日不可となったための代役である。
同一地区内にポストを持つ指揮者は、基本的に客演は難しいが、桂冠指揮者は名誉称号なので問題はなく、京都市交響楽団の桂冠指揮者である大友直人も大阪フィルや関西フィルに客演しているが、大友の場合は京響の常任指揮者に就任する前から大阪のオーケストラと良好な関係を築いていたのに対して、大植は海外に拠点を起き続けてきたこともあって今回が京響初客演。もしコロナ禍がなかったら、永遠に実現しなかったかも知れない顔合わせである。

曲目は、ストラヴィンスキーのバレエ音楽「ペトルーシュカ」(1947年版)、ミュライユの「シヤージュ(航跡)」、ドビュッシーの交響詩「海」。パスカル・ロフェと決めたプログラムを変更なしで演奏する。


午後2時頃から大植英次によるプレトークがある。大植は見た目がコロコロ変わるタイプだが、今日はスッキリとした顔で登場。滑舌が悪い人なので、京都コンサートホールの貧弱なスピーカーで内容が聞き取れるか心配だったが、今日は比較的聞き取りやすかった。

京都市交響楽団は1956年の創設だが、大植も1956年生まれで同い年だという話から入る。なお、大植は大フィルの音楽監督時代には毎年、京都コンサートホールで大フィル京都公演を指揮しており、慣れた会場である。

各曲の作品解説。「ペトルーシュカ」は人形を主人公としたバレエだが、「『ピノキオ』はご存じだと思いますが、あれの逆」「ピノキオは人間になってハッピーエンドになりますが」と、人間のようになったペトルーシュカが悲劇を迎えるというストーリーの説明を行う。

トリスタン・ミュライユの「シヤージュ」については、京都信用金庫の依頼によって作曲されたもので、「シヤージュ」は「航跡」という意味であり、京都の石庭をイメージして作った曲だと語る。
ミュライユの「シヤージュ」は、1985年に京都信用金庫の創立60周年記念の一環として3人の作曲家に新作を依頼し、同年9月9日に小澤征爾指揮京都市交響楽団の演奏によって初演された交響的三部作「京都」を構成する1曲である。ちなみに他の2曲は、マリー・シェーファーの「香を聞く」、そして現在は武満徹の代表作の一つとして知られる「夢窓/Dream Window」である。「シヤージュ」「香を聞く」「夢窓」の順に演奏されたようだ。

ドビュッシーの交響詩「海」。人気作であり、海の日が祝日として誕生してからは7月の演奏会のプログラムに載ることが増えている。
大植は、ドビュッシーが葛飾北斎の海の浮世絵(「神奈川沖浪裏」)に影響を受けて作曲したと語る。ただ、ドビュッシーはアトランティックオーシャン(大西洋)しか知らなかったため、葛飾北斎が描いたパシフィックオーシャン(太平洋)とは異なるという話もする。
カルロ・マリア・ジュリーニがロイヤル・コンセルトヘボウ管弦楽団を指揮した「海」は、ゆったりとしたテンポでスケールも大きく、太平洋を感じさせる演奏であるが、ジュリーニが太平洋を意識したものなのかは定かでない。

大阪クラシックの時などに一人で喋ることに慣れている大植。最後は京都市交響楽団と素晴らしい一週間を過ごすことが出来たことを述べ、プレトークは10分ほどと手短に纏めた。


今日のコンサートマスターは、京都市交響楽団特別名誉友情コンサートマスター(肩書きが長いな)の豊島泰嗣(とよしま・やすし)。フォアシュピーラーに泉原隆志。「ペトルーシュカ」では、ピアノが指揮者と正対するところに置かれるというスタイルで、ピアノ独奏を担当するのは佐竹裕介。第2ヴァイオリン客演首席は、読売日本交響楽団の瀧村依里。チェロ客演首席には、オーケストラ・アンサンブル金沢のルドヴィート・カンタが入る。フルート首席の上野博昭と、クラリネット首席の小谷口直子は「シヤージュ」からの参加。一方、ホルン首席の垣本昌芳は「ペトルーシュカ」のみの参加で、「シヤージュ」と「海」は水無瀬一成が1番の位置に入った。トランペット首席のハラルド・ナエスは「ペトルーシュカ」と「海」に参加する。

大フィルを指揮した演奏は何度も耳にしている大植英次。だがやはりオーケストラが違うと印象も異なる。重厚さが売りの大フィルに比べ、京響は音の重心が高めで音色も華やかだ。

大植というと、暗譜での指揮が基本だったが、今日は全曲譜面台を用いて、総譜を見ながらの指揮。「ペトルーシュカ」と「シヤージュ」では老眼鏡を掛けての指揮だったが、「海」では老眼鏡は用いていなかった。


ストラヴィンスキーのバレエ音楽「ペトルーシュカ」(1947年版)。
ストラヴィンスキーは大植の得意曲目の一つで、「春の祭典」や「火の鳥」組曲はミネソタ管弦楽団とレコーディングしたCDも出ているが、「ペトルーシュカ」は未録音だと思われる。
京響らしい色彩感溢れる演奏で、浮遊感もあり、フランス音楽のように響く。ラストの悲劇に重点を置く重い「ペトルーシュカ」の演奏もあるが、大植と京響の「ペトルーシュカ」はお洒落な印象すら受ける。だからといって悲劇性やストラヴィンスキーならではの異様さがないがしろにされているわけではなく、バランスも良い。

演奏終了後に、大植は弦楽器の最前列の奏者とリストタッチ、グータッチ、エルボータッチなどを行うが、泉原は今日も客席の方をずっと見つめていたため、大植の存在に気づくのに少し時間が掛かっていた。


ミュライユの「シヤージュ(航跡)」。石庭をイメージした曲だが、具体的には枯山水の砂紋を船の航跡に見立てたものだとされる。先に書いた通り、交響的三部作「京都」の1曲として武満徹の「夢窓」などと共に初演されたものだが、武満の作風にも通じるところのある作品である。打楽器奏者が複数の楽器を掛け持ちするのが特徴で、見ていてもかなり忙しそうである。ただティンパニは使用されておらず、この辺りも武満に通じる。武満のティンパニ嫌いは有名であるため、あるいはミュライユも三部作として統一感を出すため、ティンパニを使用しないことに決めたのかも知れない。
京響らしい煌びやかな音色も特徴である。


ドビュッシーの交響詩「海」。大植が浮世絵を意識したのかどうかは分からないが、フランス系の指揮者が描く「海」とは若干異なり、音のパレットをいたずらに重ねることなく詩的な音像を築き上げる。「ペトルーシュカ」ではあれだけ華やかな音を出していたため、意図的に抑えたのだと思われるが、これはこれでタイトにして生命力に溢れている。元々が音色鮮やかである京響だけに、多少抑えたとしても味気ない演奏になることはあり得ず、良い選択である。
第3楽章「風と海との対話」の途中でテンポをぐっと落としたのも印象的。パシフィックオーシャン的な広がりを出すための演出なのかどうかは不明だが、これによってスケールが増し、日本人がイメージする「海」像に近づいたように感じた。

今日明日の同一プログラム2回公演で、コロナ下、更に定期会員に当たる京響友の会会員の募集も停止中ということで、客席はやや寂し目であったが、盛大な拍手が大植と京響を讃えた。

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2021年7月 4日 (日)

コンサートの記(727) 京都市交響楽団×藤野可織 オーケストラストーリーコンサート「ねむらないひめたち」

2021年6月20日 左京区岡崎のロームシアター京都メインホールにて

午後2時から、左京区岡崎のロームシアター京都メインホールで、京都市交響楽団×藤野可織 オーケストラストーリーコンサート「ねむらないひめたち」を聴く。

緊急事態宣言発出のため、4月25日から5月31日まで臨時休館していたロームシアター京都。今日の公演が再スタートとなる。

京都市出身の芥川賞受賞作家である藤野可織と京都市交響楽団によるコラボレーション。藤野の新作小説の朗読と、パリゆかりの作曲家の作品による新たな表現が模索される。指揮は三ツ橋敬子。

朗読を担当するのはAKB48出身の川栄李奈であるが、企画発表時には出演者はまだ決まっておらず、しばらく経ってから川栄の出演が公にされた。

演奏曲目は、ラヴェルの組曲「クープランの墓」より第1曲〈プレリュード〉、ストラヴィンスキーのバレエ組曲「カルタ遊び」より抜粋、ラヴェルの「スペイン狂詩曲」より〈夜への前奏曲〉、シベリウスの「悲しきワルツ」、ラヴェルの組曲「クープランの墓」より第2曲〈フォルラーヌ〉、サティ作曲ドビュッシー編曲の「ジムノペディ」第2番(表記の揺れのある楽曲で、ここではピアノ版のジムノペディ第1番のオーケストラ用編曲を指す)、ラヴェルの「スペイン狂詩曲」より〈マラゲーニャ〉、ドビュッシーの「夜想曲」より〈雲〉、ラヴェルの「亡き王女のためのパヴァーヌ」。シベリウスを除いて、パリゆかりの作曲家の作品が並んでいる。


藤野可織は、1980年、京都市生まれの小説家。同志社大学文学部卒業、同大学大学院美学および芸術学専攻博士課程前期修了とずっと京都市で生きてきた人である。大学院修了後は、京都市内にある出版社でのアルバイトをこなしながら小説の執筆を開始。2006年に「いやしい鳥」で第103回文學界新人賞を受賞し、2013年には「爪と目」で第149回芥川賞を受賞。2014年には『おはなしして子ちゃん』で第2回フラウ文芸大賞を受賞している。
藤野は、今回の企画を持ちかけられてから、初めてロームシアター京都メインホールを訪れたそうで、4階席から舞台を見下ろした時に作品の構想を得たようである。


今日の京都市交響楽団のコンサートマスターは、特別客演コンサートマスターの会田莉凡(りぼん)。泉原隆志は降り番で、フォアシュピーラーに尾﨑平。シベリウスの「悲しきワルツ」演奏後に20分の休憩が入るが、出演者は見た限りでは前半後半ともに変わらない。首席クラリネット奏者の小谷口直子は今日は降り番。他の管楽器パートは首席奏者がほぼ顔を揃えている。

藤野可織の「ねむらないひめたち」は、9歳の少女を主人公とした作品で、新型コロナウイルス流行に絡めた「昏睡病」がまん延する近未来の話である。近未来ではスマートフォンではなくスマート眼鏡というもので情報をやり取りするようになっており、パソコンはまだ用いられているが、キーボードはバーチャルのものに置き換わっているようである。
なお、「ねむらないひめたち」のテキストは、「新潮」7月号に掲載されている。「新潮」7月号には野田秀樹の新作戯曲「フェイクスピア」も載ってるため、舞台芸術好きにはお薦めであるが、野田秀樹の戯曲は多くの場合、上演よりもテキストの方が勝ってしまうため、観る予定のある方は、舞台を鑑賞後にテキストを読むことを勧めたい。

上演前にまず藤野可織が登場して挨拶を行い、この作品が朗読とオーケストラが奏でる音楽とが一体となったものであるため、曲ごとの拍手はご遠慮頂きたい旨を述べる。京都市の生まれ育ちということで、柔らかな京言葉で話し、雅やかな印象を受ける。おそらくこうした話し方や雰囲気を「はんなり」と言うのだと思われる。

京都市交響楽団に客演する機会も多い三ツ橋敬子。バトンテクニックの高い非常に器用な指揮者だが、今に至るまでオーケストラのポストは得られないでいる。平均点の高いタイプながら、何が得意なのか分からない指揮者でもあったが、これまで聴いた限りでは、現代音楽、モーツァルトなどで好演を示しており、フランスものも合っているようである。

朗読担当の川栄李奈。AKB48在籍中は、お勉強が不得意なお馬鹿キャラとして知られたが、握手会で襲撃されて負傷。トラウマにより「握手会にはもう出られない」としてAKBを卒業した。その直後から本格的な女優活動に入るが、CMや映画、テレビドラマなどで、「あのお馬鹿キャラの川栄」とは思えないほどの才気煥発ぶりを発揮。上り調子の時にできちゃった結婚で休業に入ってしまい、「ああ、やっぱり」と思わせたりもしたが、復帰後も活躍はめざましく、大河ドラマ「青天を衝け」に一橋慶喜正室の美賀君役で出演し、怪演を展開中。次期NHK朝の連続テレビ小説「カムカムエヴリバディ」のヒロインの一人を演じることも決まっている。女優は天職なのだろう。
声優としても活動しており、映画「きみと、波にのれたら」では主演声優を務めている。

舞台後方にスクリーンがあり、三好愛のイラストと、藤野可織の「ねむらないひめたち」のテキストが映し出される。

主人公の「あたし」は、タワーマンションの37階に住んでいる。年齢は9歳で、今年13歳になる姉がいる。
姉妹が両親と住むマンションの部屋にはバルコニーがあるのだが、バルコニーにはいつも嵐のような強風が吹き荒れており、母親は、「嵐はすごく危険」「だからバルコニーには出ちゃいけません」と言う。だが、姉妹は学校から帰るとバルコニーに出て、姉は双眼鏡で外を覗き、妹のあたしは機関銃タイプの水鉄砲で姉が指示した人物に向かって狙撃を行った。「射殺」したのだが、当然ながら水鉄砲で人は殺せない。殺し屋ごっこである。マンションの周りには様々なタイプの人がいたが、スパイだの異星人だの、不思議な人々もいる。もっとも、これは姉の見立てによるもので、実際にスパイや異星人がいた訳ではないと思われる。

そうしているうちに、人々が昏睡状態になるという謎の病が流行し、人々は感染を避けるため外出せずに家に籠もるようになる。姉妹が通う学校も休校になり、両親もリモートワークでいつも家にいるようになる。両親は姉妹に好きなだけ映画を観ることを許可し、姉妹は、暗殺者ものの映画を観まくるようになる。だが、予想に反して暗殺者達の仕事そのものよりもロマンスに焦点を当てた作品が多いことに気づく。
やがて両親が昏睡病に感染。砂色の飴で覆われたようにコチコチに固まってしまう。
あたしは、新たにアカウントを開設。「ソラコ」という名で自撮りの写真などを載せたが、誤って住所も見えるように載せてしまったため、奇妙な男達が何人も「君を助けたい」と言ってタワーマンションの下までやって来るようになる。姉妹は、カップアンドソーサーのカップやジャムの瓶などをバルコニーから落とすことで彼らを次々に殺していき……。


選ばれた楽曲を見ると、「死」に直結するイメージをもった作品が多いことに気づく。
射殺ごっこが、本物の殺人へと変わり、映画で観るような暗殺者の恋愛の代わりに、異様な人々の来訪があるという展開が高度に情報化された現実社会の不気味さを表しているかのようである。
やがて舞台はコンサートホールの4階席へと移り、未来への希望と不信がない交ぜになったまま再び殺し屋としての社会との対峙が始まる。

設定が近未来ということで、不思議な話が展開されるが、外部の危機的状況とそんな中でもネット上や現実社会で繰り広げられる不穏さが描かれている。そんな中で未来の夢や漠然とした期待に浸ることなく目の前を見つめ続けること、今を生き続けることと、引いては小説を書くことの意義が仄かに浮かび上がる。


川栄李奈の朗読であるが、予想よりも遙かに上手い。地の文とセリフの使い分け、感情の描き分け、抑揚やメリハリの付け方などが巧みで、声自体も美しい。女優の朗読に接する機会は多くはないながらもあるが、少なくともこれまでに聴いた二十代の女優の中ではトップだと思われる。全身が表現力に満ちあふれており、表現者としてのエネルギーやパワーの総体が同世代の他の女優よりも大きいことが察せられる。やはりこの人は女優が天職なのであろう。

三ツ橋敬子指揮する京都市交響楽団も煌びやかな演奏を展開。ドビュッシーやラヴェルの音楽ということで、浮遊感や典雅さの表現が重要になるが、これも十分にクリアしている。後は奥行きだが、これは更に年齢を重ねないと表出は難しいようにも感じる。


本編終了後にアフタートークがある。司会は、京都市交響楽団からロームシアター京都の音楽事業担当部長に異動になった柴田智靖。三ツ橋敬子、藤野可織、川栄李奈、会田莉凡の女性4人が参加する。

曲目は、ロームシアター京都から提案されたものが中心だったようだが、三ツ橋敬子は、普段余りフランス音楽を演奏しない京都市交響楽団で、元々別の物語性を持つ音楽を奏でることの難しさを語った。ちなみにリハーサル時と本番とではオーケストラの色彩が大きく異なっていたため驚いたそうである。

藤野可織は、小説家の仕事は自己完結であるが、こうしてオーケストラとのコラボレーションという協働作業の機会を得られたことへの面白さを語る。ちなみに司会の柴田は、表現したかったことを藤野に聞いていたが、「それを小説家に聞いちゃ駄目でしょ」と思う。

川栄李奈は朗読で緊張したことを語り、手の汗でページがめくれないんじゃないかとヒヤヒヤしたことを打ち明ける。また、個人的に京都の街が大好きだそうで、お土産をいっぱい買って帰りたいと笑顔で話していた。

会田莉凡も、京都市交響楽団でフランス音楽の演奏を行う難しさと新型コロナ流行下での演奏活動の困難さを語り、更には京都市交響楽団の活動の宣伝も忘れなかった。

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2021年4月28日 (水)

観劇感想精選(395) 青年団国際演劇交流プロジェクト2009日仏交流企画「鳥の飛ぶ高さ」

2009年6月12日 京都芸術センターフリースペースにて観劇

午後7時から京都芸術センターフリースペースで青年団国際演劇交流プロジェクト2009日仏交流企画「鳥の飛ぶ高さ」を観る。ミシェル・ヴィナヴェール作、アルノー・ムニエ演出、翻案&演出協力:平田オリザ。出演は、山内健司、ひらたよーこ、松田弘子、志賀廣太郎、永井秀樹ほか。

猿渡商会という便器専門会社を舞台に、フランスの家具会社に押されつつある日本の会社の奮闘を描く。

企業もの、それも買収や合併話が絡む話というとドロドロとした劇になりがちだが、この劇は比較的さっぱりとした味わいである。

会社内、営業担当とその娘と娘がつきあうルアンダ人、会社社長の息子とフランス人の恋人など、いくつかのストーリーが交錯するが複雑な劇ではなく、歌など交えた楽しさもある。

役者では、独特の雰囲気を醸し出すひらたよーこ(平田オリザの当時の奥さん。2012年に離婚)が特に印象的であった。

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2021年4月25日 (日)

観劇感想精選(393) ミュージカル「シラノ」

2009年6月3日 梅田芸術劇場メインホールにて観劇

午後7時から、梅田芸術劇場メインホールでミュージカル「シラノ」を観る。エドモン・ロスタンの「シラノ・ド・ベルジュラック」のミュージカル化。台本・作詞:レスリー・ブリカッス、テキスト日本語訳:松岡和子、作曲:フランク・ワイルドホーン、演出:山田和也。
タイトルロールを演じるのは鹿賀丈史。出演は他に、朝海ひかる、中河内雅貴、戸井勝海、光枝明彦、鈴木綜馬等。

まず、レスリー・ブリカッスの台本だが、エドモン・ロスタンの本になるべく忠実に、ミュージカル用にセリフを縮めていた。ミュージカルだけに歌の部分の時間が長くなり、ロスタンの本をそのままやったら上演時間3時間には収まらないはずだが、不自然さが感じられない程度に圧縮していた。優れた台本だといっていいだろう。クリスチャン(中河内雅貴)とロクサーヌ(朝海ひかる)のバルコニー上における二人だけの場面の歌詞はどうするのだろうかと思っていたが、二人同時に歌うということで処理していた。ここは私だったら歌詞は同じものにしてロクサーヌの後にクリスチャンの歌を入れてカノンとしてやると思う。別に私が作家ではないので私の見解などどうでもよいのだが、一意見として書いておく。

ワイルドホーンの音楽はチャーミングだ。難を言うなら、修道院の場面でのロクサーヌの独唱がドラマティック過ぎること。場面に合っていないように思う。


鹿賀丈史の落ち着いた演技は安心して観ていられる。脇も充実。ロクサーヌを演じる朝海ひかるは歌声がアルトに近いメゾ・ソプラノで(宝塚では男役だった)、ロクサーヌの可憐さには合っていないように思うが、傷にはなっていないし、修道院の場面では落ち着いたメゾ・ソプラノの方がいいとも考えられる。

おなじみ山田和也の演出はオーソドックスで、セットの使い方なども目新しさこそないがツボを押さえた確かなものであった。

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2021年2月13日 (土)

コンサートの記(695) 下野竜也指揮 京都市交響楽団 京都ミューズ フォーレ「レクイエム」+林光「木琴協奏曲・夏の雲走る」(日本初演)

2007年7月14日 京都コンサートホールにて

京都コンサートホールへ。台風が接近中であり、たまにどしゃ降りになる。

今日のコンサートは、下野竜也(しもの・たつや)指揮京都市交響楽団(京響)の演奏で、前半はメンデルスゾーンの序曲「フィンガルの洞窟」と林光の木琴協奏曲「夏の雲走る」(日本初演)の演奏。木琴独奏は通崎睦美(つうざき・むつみ)。
後半は、京都ミューズ・フォーレ・レクイエム合唱団を加えて、フォーレの「レクイエム」が演奏される。ソプラノ独唱:日紫喜恵美(ひしき・えみ)――今日のコンサートは読みにくい苗字の人が多いなあ、他人のことは言えないけれど――、バスバリトン独唱:片桐直樹。

下野竜也は1969年、鹿児島県生まれの若手指揮者。見るからに「薩摩隼人」という風貌の持ち主である。若手としてはオーケストラを鳴らす術に長けており、「フィンガルの洞窟」は迫力がありながら細部までの目配りも怠らない好演であった。

林光は現代の作曲家としては平易な作風を特徴とする。木琴協奏曲はリズミカルでユーモラスな木琴独奏が実に楽しい。通崎睦美も遺漏のない演奏。下野指揮の京響もリズムの良い伴奏を奏でた。
演奏終了後、客席にいた林光がステージに上がり、聴衆からの喝采を浴びる。


京都ミューズ・フォーレ・レクイエム合唱団は、今回の演奏会のために編成されたアマチュア合唱団。京都市民の参加、自主運営で、今年の1月から今日のために練習を積み重ねてきた。総勢は200名を超える、ってそんな大編成だったらプロの合唱団でも声がずれるぞ。
こちらも、技術面は期待していない。それに私は合唱は聞き込んでいないので詳しくもなく、良し悪しがはっきりわかるわけでもない。
やはり声のズレはあったけれど、大編成のアマチュア合唱団にしては良い部類に入るのではないだろうか。

フォーレの「レクイエム」は、私の大好きな曲。台風だろうか何だろうが聞き逃すわけにはいかない。
ちなみに、先月も大阪フィルハーモニー交響楽団の定期演奏会でフォーレの「レクイエム」は演奏されたのだが、指揮予定の大植英次が突然のめまいにより緊急降板するというハプニングがあった。

下野竜也の指揮はやや速めのテンポを基調とした若々しくも輪郭のクッキリした音楽を作り出す。京響は金管、特にホルンの音色が輝かしい。

ソプラノ独唱の“ピエ・イエス”は、満足するのが非常に難しい曲。オペラ歌手が歌うと(今日のソリストの日紫喜恵美もオペラで活躍している)ドラマティック過ぎて、曲の持つ楚々とした旋律美が壊されてしまう。もっともそう感じるのは、ミシェル・コルボという指揮者がボーイ・ソプラノや、ボーイ・ソプラノに近い声質を持ったソプラノ歌手にソリストを務めさせた名盤が複数存在するからなのだが。
日紫喜恵美も少しドラマティックに過ぎる箇所があったが、曲の雰囲気にはそこそこ合っていたのではないかと思う。

終演後、花束贈呈がある。指揮者の下野竜也が受け取った花束を手にステージ奥へと進み、ポディウム席に陣取っていた女声コーラス陣に花束を投げて渡す。粋なことをやる。

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2021年2月 6日 (土)

コンサートの記(692) 「京都・国際音楽学生フェスティバル2007」フィンランド&フランスDay

2007年5月28日 京都府立府民ホールアルティにて

午後6時30分から、京都府立府民ホールALTIで、「京都・国際音楽学生フェスティバル2007」フィンランド&フランスDayを聴く。全席自由、1000円均一の公演。チケットの安い公演は、「何か知らないけれど来てしまいました」という、マナーとは無縁の客が入ってきてしまうことが多いのだが、今日もそうした方がちらほら。

「京都・国際音楽学生フェスティバル」は、ALTIで毎年開かれており、ドイツ、フランス、オーストリア、イタリアという音楽大国の学生を始めとする有名音楽院の学生が参加している。

今日は、フィンランドのシベリウス音楽院(シベリウス・アカデミー。旧ヘルシンキ音楽院)と、「のだめカンタービレ」でもおなじみ(?)フランスのパリ国立高等音楽院(コンセールヴァトワール・パリ)の選抜学生による室内楽をメインとした演奏会である。

プログラムは、まずシベリウス音楽院の学生によるシベリウスの弦楽四重奏曲「親愛なる声」が演奏され、次いでパリ国立高等音楽院の学生によるフォーレのチェロ・ソナタ第1番と「エレジー」。そして、シベリウス音楽院、パリ国立高等音楽院、京都市立芸術大学の学生による弦楽合奏で、ドビュッシーの「小組曲」より“小舟にて”と“バレエ”、そして「夜想曲」(管弦楽のための「夜想曲」ではなく、ピアノ曲の編曲。いずれも篠田聡史による弦楽合奏版編曲による演奏である)、シベリウスの「アンダンテ・フェスティーヴォ(祝祭アンダンテ)」、「弦楽のためのプレスト」、1981年生まれの若き作曲家ハルティカイネン(シベリウス音楽院に在籍)の新作「ルーメン(光)」(世界初演)が演奏される。

いずれもコンクールなどで優秀な成績を修めている学生達だが、あくまで学生であり、こちらも名演は期待していない。


シベリウス音楽院の学生による弦楽四重奏曲「親愛なる声」。ファーストヴァイオリン、セカンドヴァイオリン、ヴィオラは女の子で、どういうわけか全員眼鏡をかけている。チェロだけ男の子。トーマス・ヨアキム・ヌニエス=ガルセ君という長い名前の男の子だ。
祖国の大作曲家シベリウスの作品とはいえ、「親愛なる声」は深い音楽であり、学生では表現できないのではないかと思う。案の定、曲の把握が徹底されていない演奏であった。単に音が鳴っているだけの箇所が多い。それでも第3楽章などは哀切で透明な音楽を再現することに成功していたように思う。
アンコールとして、コッコネンの弦楽四重奏曲第3番より第2楽章が演奏される。シャープな演奏であった。

パリ国立高等音楽院在籍の女性チェリスト、オレリアン・ブラウネールさんは、高い技術力を持ち、豊かな音色による淀みない歌を奏でる。なかなかの実力者と見た。
フォーレの2曲は、いずれも若さに似合わない奥行きのある演奏であり、アンコールの「白鳥」(サン=サーンス作曲)でも優雅な音楽を奏でた。ピアノのエマニュエル・クリスチャン君も煌めくような音色の持ち主であり、好演だった。

弦楽合奏。京都市立芸術大学からの出演者は全員女の子。ということで、ステージ上の男性メンバーは先ほど名前を出したトーマス君ただ1人である。
コンサートミストレスはシベリウス音楽院のシニ・マーリア・ヴァルタネンさん。
ドビュッシーの「小組曲」よりと「夜想曲」も良かったが、シベリウスの「アンダンテ・フェスティーヴォ」と「弦楽のためのプレスト」はより優れた演奏。時に勢いに流されそうにはなるが、若々しさ溢れる演奏に好感を持った。

「ルーメン(光)」のハルティカイネン氏は会場に来ており、演奏前に簡単な楽曲解説を行った。
現代音楽であるため奏者だけでの演奏は難しく、この曲だけミラノ・ヴェルディ音楽院在籍のアンドゥレーア・ラッファニーニ氏が指揮を務める。
「ルーメン(光)」は、ヴァイオリンがグラスハープのような音を奏でるなど、繊細な音のグラデーションを特徴とする。しかし、この手の曲は全て武満徹作品のように聞こえてしまうのは気のせいなのか。

アンコールはシベリウスの「カンツォネッタ」。これも若さがプラスに作用した好演であった。

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