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2025年3月 7日 (金)

コンサートの記(893) 大阪フィル×神戸市混声合唱団「祈りのコンサート」阪神・淡路大震災30年メモリアル@神戸国際会館こくさいホール 大植英次指揮

2025年2月27日 三宮の神戸国際会館こくさいホールにて

午後7時から、三宮の神戸国際会館こくさいホールで、大阪フィル×神戸市混声合唱団「祈りのコンサート」阪神・淡路大震災30年メモリアルに接する。大植英次指揮大阪フィルハーモニー交響楽団と神戸市混声合唱団による演奏会。

神戸国際会館こくさいホールに来るのは、13年ぶりのようである。干支が一周している。
神戸一の繁華街である三宮に位置し、多目的ホールではあるが、多目的ホールの中ではクラシック音楽とも相性が良い方の神戸国際会館こくさいホール。だが、クラシックコンサートが行われることは比較的少なく、ポピュラー音楽のコンサートを開催する回数の方がずっと多い。阪急電車を使えばすぐ行ける西宮北口に兵庫県立芸術文化センターKOBELCO大ホールというクラシック音楽専用ホールが2005年に出来たため、そちらの方が優先されるのであろう。ここで聴いたクラシックのコンサートはいずれも京都市交響楽団のもので、佐渡裕指揮の「VIVA!バーンスタイン」と、広上淳一指揮の「大河ドラマのヒロイン」として大河ドラマのテーマ曲を前半に据えたプログラムで、いずれもいわゆるクラシックのコンサートとは趣向がやや異なっている。ポピュラー音楽では柴田淳のコンサートを聴いている。

構造にはやや難があり、地上から建物内に上がるにはエスカレーターがあるだけなので、帰りはかなり混む。というわけで、聴衆にとっては使い勝手は余り良くないように思われる。客席は馬蹄形に近く、びわ湖ホールやよこすか芸術劇場を思わせるが、ステージには簡易花道があるなど、公会堂から現代のホールへと移る中間地点に位置するホールと言える。三宮には大倉山の神戸文化ホールに代わる新たなホールが出来る予定で、その後も国際会館こくさいホールでクラシックの演奏会が行われるのかは分からない。

 

曲目は、白井真の「しあわせ運べるように」(神戸市歌)、フォーレの「レクイエム」(ソプラノ独唱:隠岐彩夏、バリトン独唱:原田圭)、マーラーの交響曲第1番「巨人」

 

今日のコンサートマスターは須山暢大。ドイツ式の現代配置の演奏。ホルン首席の高橋将純はマーラーのみに登場する。
フォーレの「レクイエム」ではオルガンが使用される。神戸国際会館こくさいホールにはパイプオルガンはないので、電子オルガンが使われるが、パンフレットが簡易なものなので、誰がオルガンを弾いているのかは分からなかった。

 

白井真の「しあわせ運べるように」(神戸市歌)。神戸出身で、阪神・淡路大震災発生時は小学校の音楽教師であり、東灘区に住んでいたという白井真。神戸の変わり果てた姿に衝撃を受けつつ、震災発生から2週間後にわずか10分でこの曲を書き上げたという。
神戸市混声合唱団は、1989年に神戸市が創設した、日本では数少ないプロの合唱団。神戸文化ホールの専属団体であるが、今日は神戸国際会館こくさいホールで歌う。
ステージの後方に階段状となった横長の台があり、その上に並んでの歌唱。
聴く前は、「知らない曲だろう」と思っていた「しあわせ運べるように」であるが、実際に聴くと、「あ、あの曲だ」と分かる。映画「港に灯がともる」(富田望生主演。安達もじり監督)のノエビアスタジアム神戸での成人式の場面で流れていた曲である。
「震災に負けない」という心意気を謳ったものであり、30年に渡って歌い継がれているという。
ホールの音響もあると思うが、神戸市混声合唱団は発声がかなり明瞭である。

 

フォーレの「レクイエム」。大きめのホールということで、編成の大きな第3稿を使用。パリ万博のために編曲されたものだが、フォーレ自身は気が乗らず、弟子が中心になって改変を行っている。そのため、「フォーレが望んだ響きではない」として、近年では編成の小さな初稿や第2稿(自筆譜が散逸してしまったため、ジョン・ラターが譜面を再現したラター版を使うことが多い)を演奏する機会も増えている。

実は、大植英次の指揮するフォーレの「レクイエム」は、2007年6月の大阪フィルの定期演奏で聴けるはずだったのだが、開演直前に大植英次がドクターストップにより指揮台に上がることが出来なくなったことが発表され、フォーレの「レクイエム」は当時、大阪フィルハーモニー合唱団の指揮者であった三浦宣明(みうら・のりあき)が代理で指揮し、後半のブラームスの交響曲第4番は指揮者なしのオーケストラのみでの演奏となっている。ちなみにチケットの払い戻しには応じていた。
それから18年を経て、ようやく大植指揮のフォーレの「レクイエム」を聴くことが叶った。

マーラーなどを得意とする大植であるが、フランスものも得意としており、レコーディングを行っているほか、京都市交響楽団の定期演奏会に代役として登場した時にはフランスもののプログラムを変更なしで指揮している。
フォーレに相応しい、温かで慈愛に満ちた響きを大植は大フィルから引き出す。高雅にして上品で特上の香水のような芳しい音である。
神戸市混声合唱団の発音のはっきりしたコーラスも良い。やはりホールの音響が影響しているだろうが。

フォーレの「レクイエム」で最も有名なのは、ソプラノ独唱による「ピエ・イエス」であるが、実はソプラノ独唱が歌う曲はこの「ピエ・イエス」のみである。
ソプラノ独唱の隠岐彩夏は、岩手大学教育学部卒業後、東京藝術大学大学院修士および博士課程を修了。文化庁新進芸術家海外研修生としてニューヨークで研鑽を積んでいる。
岩手大学教育学部出身ということと、欧州ではなくニューヨークに留学というのが珍しいが、岩手県内での進学しか認められない場合は、岩手大学の教育学部の音楽専攻を選ぶしかないし、元々教師志望だったということも考えられる。真相は分からないが。ニューヨークに留学ということはメトロポリタンオペラだろうか、ジュリアード音楽院だろうか。Eテレの「クラシックTV」にも何度か出演している。
この曲に相応しい清澄な声による歌唱であった。

バリトン独唱の原田圭も貫禄のある歌声。東京藝術大学および同大学院出身で博士号を取得。現在では千葉大学教育学部音楽学科および日本大学藝術学部で講師も務めているという。

フォーレの「レクイエム」は「怒りの日」が存在しないなど激しい曲が少なく、「イン・パラディズム(楽園へ)」で終わるため、阪神・淡路大震災の犠牲者追悼に合った曲である。

 

後半、マーラーの交響曲第1番「巨人」。この曲も死と再生を描いた作品であり、メモリアルコンサートに相応しい。
マーラー指揮者である大植英次。「巨人」の演奏には何度か接しているが、今日も期待は高まる。譜面台なしの暗譜での指揮。
冒頭から雰囲気作りは最高レベル。青春の歌を溌剌と奏でる。チェロのポルタメントがあるため、新全集版のスコアを用いての演奏だと思われるが、譜面とは関係ないと思われるアゴーギクの処理も上手い。
第2楽章のややグロテスクな曲調の表現も優れており、大自然の響きがそこかしこから聞こえる。
マーラーの交響曲第1番は、実は交響詩「巨人」として作曲され、各楽章に表題が付いていた。当時は標題音楽の価値は絶対音楽より低かったため、表題を削除して交響曲に再編。その際、「巨人」のタイトルも削ったが、実際には現在も残っている。「巨人」は、ジャン・パウルの長編教養小説に由来しており、私も若い頃に、東京・神田すずらん通りの東京堂書店で見かけたことがあるが、読む気がなくなるほど分厚い小説であった。ただ、マーラーの「巨人」は、ジャン・パウルの小説の内容とはほとんど関係がなく、タイトルだけ借りたらしい。そしてこの曲は、民謡などを取り入れているのも特徴で、第3楽章では、「フレール・ジャック」(長調にしたものが日本では「グーチョキパーの歌」として知られる)が奏でられる。これも当時の常識から行くと「下品だ」「ふざけている」ということになったようで、マーラーの作曲家としての名声はなかなか上がらなかった。
大植と大フィルはこの楽章の陰鬱にして鄙びた味わいを巧みに表出してみせる。夢の場面も初春の日差しのように淡く美しい。
この葬送行進曲で打ち倒された英雄が復活するのが第4楽章である。そしてこのテーマは交響曲第2番「復活」へも続く。
第4楽章は大フィルの鳴りが良く、大植の音運びも抜群である。特に金管が輝かしくも力強く、この曲に必要とされるパワーを満たしている。
若々しさに満ちた再生の旋律は、これからの神戸の街の発展を祈念しているかのようだった。

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2025年2月27日 (木)

コンサートの記(891) 準・メルクル指揮 京都市交響楽団第697回定期演奏会

2025年2月15日 京都コンサートホールにて

午後2時30分から、京都コンサートホールで、京都市交響楽団の第697回定期演奏会を聴く。指揮は、日独ハーフの準・メルクル。

NHK交響楽団との共演で名を挙げた準・メルクル。1959年生まれ。ファーストネームの漢字は自分で選んだものである。N響とはレコーディングなども行っていたが、最近はご無沙汰気味。昨年、久しぶりの共演を果たした。近年は日本の地方オーケストラとの共演の機会も多く、京響、大フィル、広響、九響、仙台フィルなどを指揮している。また非常設の水戸室内管弦楽団の常連でもあり、水戸室内管弦楽団の総監督であった小澤征爾の弟子でもある。
現在は、台湾国家交響楽団音楽監督、インディアナポリス交響楽団音楽監督、オレゴン交響楽団首席客演指揮者と、アジアとアメリカを中心に活動。今後は、ハーグ・レジデエンティ管弦楽団の首席指揮者に就任する予定で、ヨーロッパにも再び拠点を持つことになる。これまでリヨン国立管弦楽団音楽監督、ライプツィッヒのMDR(中部ドイツ放送)交響楽団(旧ライプツィッヒ放送交響楽団)首席指揮者、バスク国立管弦楽団首席指揮者、マレーシア・フィルハーモニー管弦楽団音楽監督(広上淳一の前任)などを務め、リヨン国立管弦楽団時代にはNAXOSレーベルに「ドビュッシー管弦楽曲全集」を録音。ラヴェルも「ダフニスとクロエ」全曲を録れている。2012年にはフランス芸術文化勲章シュヴァリエ賞を受賞。国立(くにたち)音楽大学の客員教授も務め、また台湾ユース交響楽団を設立するなど教育にも力を入れている。

 

曲目は、ラフマニノフのパガニーニの主題による狂詩曲(ピアノ独奏:アレクサンドラ・ドヴガン)とラヴェルのバレエ音楽「ダフニスとクロエ」全曲(合唱:京響コーラス)。
「ダフニスとクロエ」は、組曲版は聴くことが多いが(特に第2組曲)全曲を聴くのは久しぶりである。
今日はポディウムを合唱席として使うので、いつもより客席数が少なめではあるが、チケット完売である。

 

午後2時頃から、準・メルクルによるプレトークがある。英語によるスピーチで通訳は小松みゆき。日独ハーフだが、日本語の能力については未知数。少なくとも日本語で流暢に喋っている姿は見たことはない。同じ日独ハーフでもアリス=紗良・オットなどは日本語で普通に話しているが。ともかく今日は英語で話す。
ラフマニノフのパガニーニの主題による狂詩曲だが、パガニーニの24のカプリースより第24番の旋律(メルクルがピアノで弾いてみせる)を自由に変奏するが、変奏曲ではなく狂詩曲なので、必ずしも忠実な変奏ではなく他の要素も沢山入れており、有名な第18変奏はパガニーニから離れて、「世界で最も美しい旋律の一つ」としていると語る。私が高校生ぐらいの頃、というと1990年代初頭であるが、KENWOODのCMで「ピーナッツ」のシュローダーがこの第18変奏を弾くというものがあった。おそらく、それがこの曲を聴いた最初の機会であったと思う。
「ダフニスとクロエ」についてであるが、19世紀末のフランスでバレエが盛んになったが、音楽的にはどちらかというと昔ならではのバレエ音楽が作曲されていた。そこにディアギレフがロシア・バレエ団(バレエ・リュス)と率いて現れ、ドビュッシーやサティ、ストラヴィンスキーなどに新しいバレエ音楽の作曲を依頼する。ラヴェルの「ダフニスとクロエ」もディアギレフの依頼によって書かれたバレエ曲である。演奏時間50分強とラヴェルが残した作品の中で最も長く(バレエ音楽としては長い方ではないが)、特別な作品である。バレエ音楽としては珍しく合唱付きで、また歌詞がなく、「声を音として扱っているのが特徴」とメルクルは述べた。またモチーフライトに関しては「愛の主題」をピアノで奏でてみせた。
また笛を吹く牧神のパンに関しては、元々は竹(日本語で「タケ」と発音)で出来ていたフルートが自然の象徴として表しているとした。

往々にしてありがちなことだが、バレエの場合、音楽が立派すぎると踊りが負けてしまうため、敬遠される傾向にある。「ダフニスとクロエ」も初演は成功したが、ディアギレフが音楽がバレエ向きでないと考えたこともあって、この曲を取り上げるバレエ団は続かず、長らく上演されなかった。
現在もラヴェルの音楽自体は高く評価されているが、基本的にはコンサート曲目としてで、バレエの音楽として上演されることは極めて少ない。

 

今日のコンサートマスターは泉原隆志。フォアシュピーラーに尾﨑平。ドイツ式の現代配置での演奏。フルート首席の上野博昭はラヴェル作品のみの登場である。今日のヴィオラの客演首席は佐々木亮、チェロの客演首席には元オーケストラ・アンサンブル金沢のルドヴィート・カンタが入る。チェレスタにはお馴染みの佐竹裕介、ジュ・ドゥ・タンブルは山口珠奈(やまぐち・じゅな)。

 

ラフマニノフのパガニーニの主題による狂詩曲。ピアノ独奏のアレクサンドラ・ドヴガンは、2007年生まれという、非常に若いピアニストである。モスクワ音楽院附属中央音楽学校で幼時から学び、2015年以降、世界各地のピアノコンクールに入賞。2018年には、10歳で第2回若いピアニストのための「グランド・ピアノ国際コンクール」で優勝している。ヒンヤリとしたタッチが特徴。その上で華麗なテクニックを武器とするピアニストである。
メルクルは敢えてスケールを抑え、京響の輝かしい音色と瞬発力の高さを生かした演奏を繰り広げる。ロシアのピアニストをソリストに迎えたラフマニノフであるが、アメリカ的な洗練の方を強く感じる。ドヴガンもジャズのソロのように奏でる部分があった。

ドヴガンのアンコール演奏は、ショパンのワルツ第7番であったが、かなり自在な演奏を行う。溜めたかと思うと流し、テンポや表情を度々変えるなどかなり即興的な演奏である。クラシックの演奏のみならず、演技でも即興性を重視する人が増えているが(第十三代目市川團十郎白猿、草彅剛、伊藤沙莉など。草彅剛と伊藤沙莉はインタビューでほぼ同じことを言っていたりする。二人は共演経験はあるが、別に示し合わせた訳ではないだろう)、今後は表現芸術のスタイルが変わっていくのかも知れない。
今まさにこの瞬間に生まれた音楽を味わうような心地がした。

 

ラヴェルの音楽「ダフニスとクロエ」全曲。舞台上に譜面台はなく、準・メルクルは暗譜しての指揮である。
パガニーニの主題による狂詩曲の時とは対照的に、メルクルはスケールを拡げる。京都コンサートホールは音が左右に散りやすいので、最初のうちは風呂敷を広げすぎた気もしたが次第に調整。京響の美音を生かした演奏が展開される。純音楽的な解釈で、あくまで音として聞かせることに徹しているような気がした。その意味ではコンサート的な演奏である。
京響の技術は高く、音は輝かしい。メルクルの巧みなオーケストラ捌きに乗って、密度の濃い演奏を展開する。リズム感も冴え、打楽器の強打も効果を上げる。

ラストに更に狂騒的な感じが加わると良かったのだが(ラヴェルはラストでおかしなことを要求することが多い)、「純音楽的」ということを考えれば、避けたのは賢明だったかも知れない。オーケストラに乱れがない方が良い。
ポディウムに陣取った京響コーラスも優れた歌唱を示した。

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2025年2月18日 (火)

観劇感想精選(484) リリックプロデュース公演 Musical「プラハの橋」

2025年2月10日 京都劇場にて

午後6時30分から、京都劇場で、リリックプロデュース公演 Musical「プラハの橋」を観る。歌手の竹島宏が「プラハの橋」(舞台はプラハ)、「一枚の切符」(舞台不明)、「サンタマリアの鐘」(舞台はフィレンツェ)という3枚のシングルで、2003年度の日本レコード大賞企画賞を受賞した「ヨーロッパ三部作」を元に書かれたオリジナルミュージカル公演である。作曲・編曲:宮川彬良、脚本・演出はオペラ演出家として知られる田尾下哲。作詞は安田佑子。竹島宏、庄野真代、宍戸開による三人芝居である。演奏:宮川知子(ピアノ)、森由利子(ヴァイオリン)、鈴木崇朗(バンドネオン)。なお、「ヨーロッパ三部作」の作曲は、全て幸耕平で、宮川彬良ではない。

パリ、プラハ、フィレンツェの3つの都市が舞台となっているが、いずれも京都市の姉妹都市である。全て姉妹都市なので京都でも公演を行うことになったのかどうかは不明。
客席には高齢の女性が目立つ。
チケットを手に入れたのは比較的最近で、宮川彬良のSNSで京都劇場で公演を行うとの告知があり、久しく京都劇場では観劇していないので、行くことに決めたのだが、それでもそれほど悪くはない席。アフタートークでリピーターについて聞く場面があったのだが、かなりの数の人がすでに観たことがあり、明日の公演も観に来るそうで、自分でチケットを買って観に来た人はそれほど多くないようである。京都の人は数えるほどで、北は北海道から南は鹿児島まで、日本中から京都におそらく観光も兼ねて観に来ているようである。対馬から来たという人もいたが、京都まで来るのはかなり大変だったはずである。

青い薔薇がテーマの一つになっている。現在は品種改良によって青い薔薇は存在するが、劇中の時代には青い薔薇はまだ存在しない(青い薔薇は2004年に誕生)。

アンディ(本名はアンドレア。竹島宏)はフリーのジャーナリスト兼写真家。ヨーロッパ中を駆け巡っているが、パリの出版社と契約を結んでおり、今はパリに滞在中。編集長のマルク(宍戸開)と久しぶりに出会ったアンディは、マルクに妻のローズ(庄野真代)を紹介される。アンディもローズもイタリアのフィレンツェ出身であることが分かり、しかも花や花言葉に詳しい(ローズはフィレンツェの花屋の娘である)ことから意気投合する。ちなみにアンディはフィレンツェのアルノ川沿いの出身で、ベッキオ橋(ポンテ・ベッキオ)を良く渡ったという話が出てくるが、プッチーニの歌劇「ジャンニ・スキッキ」の名アリア“ねえ、私のお父さん”を意識しているのは確かである。
ローズのことが気になったアンディは、毎朝、ローズとマルクの家の前に花を一輪置いていくという、普通の男がやったら気味悪がられそうなことを行う。一方、ローズも夫のマルクが浮気をしていることを見抜いて、アンディに近づいていくのだった。チェイルリー公園で待ち合わせた二人は、駆け落ちを誓う。

1989年から1991年まで、共産圏が一斉に崩壊し、湾岸戦争が始まり、ユーゴスラビアが解体される激動の時代が舞台となっている。アンディは、湾岸戦争でクウェートを取材し、神経剤が不正使用されていること暴いてピューリッツァー賞の公益部門を受賞するのだが、続いて取材に出掛けたボスニア・ヘルツェゴビナで銃撃されて右手を負傷し、両目を神経ガスでやられる。

竹島宏であるが、主役に抜擢されているので歌は上手いはずなのだが、今日はなぜか冒頭から音程が揺らぎがち。他の俳優も間が悪かったり、噛んだりで、舞台に馴染んでいない印象を受ける。「乗り打ちなのかな?」と思ったが、公演終了後に、東京公演が終わってから1ヶ月ほど空きがあり、その間に全員別の仕事をしていて、ついこの間再び合わせたと明かされたので、ブランクにより舞台感覚が戻らなかったのだということが分かった。

台詞はほとんどが説明台詞。更に独り言による心情吐露も多いという開いた作りで、分かりやすくはあるのだが不自然であり、リアリティに欠けた会話で進んでいく。ただ客席の年齢層が高いことが予想され、抽象的にすると内容を分かって貰えないリスクが高まるため、敢えて過度に分かりやすくしたのかも知れない。演劇を楽しむにはある程度の抽象思考能力がいるが、普段から芝居に接していないとこれは養われない。風景やカット割りなどが説明的になる映像とは違うため、演劇を演劇として受け取る力が試される。
ただこれだけ説明的なのに、アンディとローズがなぜプラハに向かったのかは説明されない。一応、事前に「プラハの春」やビロード革命の話は出てくるのだが、関係があるのかどうか示されない。この辺は謎である。

竹島宏は、実は演技自体が初めてだそうだが、そんな印象は全く受けず、センスが良いことが分かる。王子風の振る舞いをして、庄野真代が笑いそうになる場面があるが、あれは演技ではなく本当に笑いそうになったのだと思われる。
宍戸開がテーブルクロス引きに挑戦して失敗。それでも拍手が起こったので、竹島宏が「なんで拍手が起こるんでしょ?」とアドリブを言う場面があった。アフタートークによると、これまでテーブルクロス引きに成功したことは、1回半しかないそうで(「半」がなんなのかは分からないが)、四角いテーブルならテーブルクロス引きは成功しやすいのだが、丸いテーブルを使っているので難しいという話をしていた。リハーサルでは四角いテーブルを使っていたので成功したが、本番は何故か丸いテーブルを使うことになったらしい。

最初のうちは今ひとつ乗れなかった三人の演技であるが、次第に高揚感が出てきて上がり調子になる。これもライブの醍醐味である。

宮川彬良の音楽であるが、三拍子のナンバーが多いのが特徴。全体の約半分が三拍子の曲で、残りが四拍子の曲である、出演者が三人で、音楽家も三人だが何か関係があるのかも知れない。

ありがちな作品ではあったが、音楽は充実しており、ラブロマンスとして楽しめるものであった。

 

竹島宏は、1978年、福井市生まれの演歌・ムード歌謡の歌手。明治大学経営学部卒ということで、私と同じ時代に同じ場所にいた可能性がある。

「『飛んでイスタンブール』の」という枕詞を付けても間違いのない庄野真代。ヒットしたのはこの1作だけだが、1作でも売れれば芸能人としてやっていける。だが、それだけでは物足りなかったようで、大学、更に大学院に進み、現在では大学教員としても活動している。
ちなみにこの公演が終わってすぐに「ANAで旅する庄野真代と飛んでイスタンブール4日間」というイベントがあり、羽田からイスタンブールに旅立つそうである。

三人の中で一人だけ歌手ではない宍戸開。終演後は、「私の歌を聴いてくれてありがとうございました」とお礼を言っていた。
ちなみにアフタートークでは、暗闇の中で背広に着替える必要があったのだが、表裏逆に来てしまい、出番が終わって控え室の明るいところで鏡を見て初めて表裏逆に着ていたことに気付いたようである。ただ、出演者を含めて気付いた人はほとんどいなかったので大丈夫だったようだ。

竹島宏は、「演技未経験者がいきなりミュージカルで主役を張る」というので公演が始まる前は、「みんなから怒られるんじゃないか」とドキドキしていたそうだが、東京公演が思いのほか好評で胸をなで下ろしたという。

庄野真代は、「こんな若い恋人と、こんな若い旦那と共演できてこれ以上の幸せはない」と嬉しそうであった。「これからももうない」と断言していたが、お客さんから「またやって」と言われ、宍戸開が「秋ぐらいでいいですかね」とフォローしていた。

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2025年2月 9日 (日)

これまでに観た映画より(375) 筒井康隆原作 長塚京三主演 吉田大八監督作品「敵」

2025年2月1日 烏丸御池のアップリンク京都にて

アップリンク京都で、日本映画「敵」を観る。筒井康隆の幻想小説の映画化。長塚京三主演、吉田大八監督作品。出演は、長塚京三のほかに、瀧内公美、河合優実、黒沢あすか、松尾諭(まつお・さとる)、松尾貴史、中島歩(なかじま・あゆむ。男性)、カトウシンスケ、高畑遊、二瓶鮫一(にへい・こういち)、高橋洋(たかはし・よう)、戸田昌宏、唯野未歩子(ただの・みあこ)ほか。脚本:吉田大八。音楽:千葉広樹。プロデューサーに江守徹(芸名はモリエールに由来)が名を連ねている。

令和5年の東京都中野区が舞台であるが、瀧内公美、河合優実、黒沢あすかといった昭和の面影を宿す女優を多く起用したモノクローム映画であり、主人公の家屋も古いことから、往時の雰囲気やノスタルジーが漂っている。

77歳になる元大学教授の渡辺儀助(長塚京三)は、今は親から、あるいは先祖から受け継いだと思われる古めかしい家で、静かな生活を送っている。両親を亡くし、妻も早くに他界。子どもも設けておらず、一人きりである。冒頭の丁寧な朝のルーティンは役所広司主演の「PERFECT DAYS」を連想させるところがある。専門はフランス文学、中でも特にモリエールやラシーヌらの戯曲に詳しい。今は、雑誌にフランス文学関連のエッセイを書くほかは特に仕事らしい仕事はしていない。実は大学は定年や円満退職ではなく、クビになっていたことが後になって分かる。

大学教授時代の教え子だった鷹司靖子(瀧内公美。「鷹司」という苗字は摂関家以外は名乗れないはずだが、彼女がそうした上流の出なのかどうかは不明。また「離婚しようかと思って」というセリフが出てくるが、鷹司が生家の苗字なのか夫の姓なのかも不明である)はよく遊びに訪れる仲である。優秀な学生であったようなのだが、渡辺が下心を抱いていたことを見抜いていたようでもある。しょっちゅうフランス演劇の観劇に誘い、終わってから食事とお酒が定番のコースだったようだが、余程鈍い女性でない限り気付くであろう。ただ手は出さなかったようである。渡辺の家で夕食を取っている時に靖子が渡辺を誘惑するシーンがあるのだが、これも現実なのかどうか曖昧。その後の靖子の態度を見ると、現実であった可能性は低いようにも見える。
友人でデザイナーの湯島(松尾貴史)とよく訪れていた「夜間飛行」というサン=テグジュペリの小説由来のバーで、バーのオーナーの姪だという菅井歩美(河合優実)と出会う渡辺。歩美は立教大学の仏文科(立教大学の仏文科=フランス文学専修は、なかにし礼や周防正行など有名卒業生が多いことで知られる)に通う学生ということで、フランス文学の話題で盛り上がる(ボリス・ヴィアンやデュラス、プルーストの名が出る)。ある時、歩美が学費未納で大学から督促されていることを知った渡辺。歩美によると父親が失職したので学費が払えそうになくなったということなので、渡辺は学費の肩代わりを申し出て、金を振り込んだのだが、以降、歩美とは連絡が取れなくなる。「夜間飛行」も閉店。持ち逃げされたのかも知れないと悟った渡辺であるが、入院した湯島に「世間知らずの大学教授らしい失敗」と自嘲気味に語る。

湯島を見舞った帰り。渡辺は、「渡辺信子」と書かれた札の入った病室を発見。部屋に入るとシーツをかぶせられた遺体のようなものが見える。渡辺がシーツを剥ぎ取ると……。

どこまでが現実でどこまでが幻想もしくは夢なのか曖昧な手法が取られている。フランス発祥のシュールレアリズムや象徴主義、「無意思的記憶」といった技法へのオマージュと見ることも出来る。

タイトルの「敵」であるが、渡辺は高齢ながらマックのパソコンを自在に扱うが、あからさまな詐欺メールなども届く。相手にしない渡辺だったが、「敵について」というメールが届き、気になる。「敵が北から迫ってきている」「青森に上陸して国道4号線を南下。盛岡に着いた」「難民らしい」「汚い格好をしている」との情報もパソコンに勝手に流れてくる。このメールやパソコンの画面上に流れるメッセージも現実世界のものなのかは定かではない。渡辺は何度か「敵」の姿を発見するのだが、それらはいずれも幻覚であることに気付く。
一方で、自宅付近で銃声がして、知り合い2名が亡くなるが、これも現実なのかどうか分からない。令和5年夏から令和6年春に掛けての話だが。渡辺以外は「敵」が来た素振りなどは見せないので、これも渡辺の思い込みなのかも知れない。

亡くなったはずの妻、信子(黒沢あすか)が姿を現す。儀助と共に風呂に入り、一度も連れて行ってくれなかったパリに一緒に行きたいなどとねだる。渡辺の家を訪れた靖子や編集者の犬丸(カトウシンスケ)も信子の姿を見ているため、儀助の幻覚というより幽霊に近いのかも知れないが、この場面まるごとが儀助の夢である可能性も否定できない。

渡辺は自殺することに決め、遺言状を書く。ここに記された日付や住所によって、渡辺が東京都中野区在住で、今は令和5年であることが分かるのであるが、結局、渡辺は自殺を試みるも失敗した。生きることや自分の生活から遠ざかってしまった現実世界に倦んでいるような渡辺。生きていること自体が彼にとって「敵」なのかも知れないが、一方で残り少ない日々こそが彼の真の「敵」である可能性もある。逆に「死」そのものが「敵」であるということも考えられる。渡辺は次第に病気に蝕まれていくのだが、それもまた「敵」、老いこそが「敵」といった捉え方も出来る。

 

大河ドラマ「光る君へ」にも出演して好演を見せた瀧内公美。AmazonのCMにも抜擢されて話題になっているが、本格的な芸能界デビューが大学卒業後だったということもあり、比較的遅咲きの女優さんである。
育ちが良さそうでありながら匂うような色気を持ち、渡辺を誘惑する場面もある魅力的かつ蠱惑的な存在として靖子を描き出している。

映画やドラマに次々と出演している河合優実。今回も小悪魔的な役どころであるが、出演場面はそれほど長くない。

早稲田大学第一文学部中退後に渡仏し、ソルボンヌ大学(パリ大学の一部の通称。以前のパリ大学は、イギリスのオックスフォード大学やケンブリッジ大学同様にカレッジの集合体であった)に学ぶという俳優としては異色の経歴を持つ長塚京三。フランス語のシーンも無難にこなし、何よりも知的な風貌が元大学教授という役にピッタリである。

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2024年11月15日 (金)

観劇感想精選(476) 上川隆也主演「罠」

2024年11月3日 梅田芸術劇場シアター・ドラマシティにて観劇

正午から、梅田芸術劇場シアター・ドラマシティで、読売新聞創刊150周年記念 よみうり大手町ホール開場10周年記念舞台「罠」を観る。ロベール・トマの人気サスペンス作品で、これまでに何度も上演されている。日本テレビの企画・製作。
作:ロベール・トマ、テキスト日本語訳:平田綾子、演出:深作健太。出演は、上川隆也、藤原紀香、渡辺大(わたなべ・だい)、財木琢磨、藤本隆宏、凰稀(おうき)かなめ、赤名竜乃介(あかな・りゅうのすけ)。
よみうり大手町ホールでの上演を経て、昨日今日が大阪。今後、北九州、高松、岡山、愛知県東海市、富山県氷見市を回る。

開演前にはずっと時計の針音が響いている。音楽に関しては何の説明も記述もないが、ピアソラではないかと思われる。いずれにせよ音楽は要所要所にしか用いられない。

フランスのシャモニーの山荘が舞台。黄昏時、ダニエル(渡辺大)が窓の外を気にしている。実は妻のエリザベートが失踪したのだ。警察には届け出ているのだが、行方は分かっていない。ダニエルとエリザベートは3ヶ月前に結婚したばかりである。ダニエルには余り資産がなく、エリザベートも家族は亡くしているが、親戚に金持ちのおじさんがいるようである。

カンタン警部(上川隆也)がやって来る。上川隆也は、声をいつもより低めにして貫禄を出している。カンタン警部がそういう人物であるようだ。喋り方にどこか警部コロンボを思わせるところがあるが、意識しているのかどうかは分からない。
カンタン警部は、右手に腕時計をしている。また、注射器を手にするシーンがあるのだが(注射を打つことに慣れているそうだが、なぜ警部が注射を打つことに慣れているのかは不明)、左手に注射器を持っていた。利き手以外に注射器を持つことはまずない。ということで、カンタン警部が左利きであることが分かる。左利きというキャラクター設定には特に意味がなさそうだが、帽子を取るときは右手で取って、そのまま右手で手にしている(いざという時のために、利き腕の左手を空けておく)、よく観察していると左手を使う頻度が高いなど、きちんと左利きの演技をしていることが分かり、上川の俳優としての技量の高さが感じられる。ちなみに上川は演出の深作健太から、「カンタンはこの物語における○○家」というアドバイスを貰ったそうだが、おそらく「演出家」だと思われる。

エリザベートが帰ってくる。神父のマクシマン(財木琢磨)と一緒である。しかしダニエルは「彼女はエリザベートではない」と断言する。実際、このエリザベートを名乗る女(藤原紀香)はエリザベートではない。マクシマン神父(フランスはカトリックの国なので神父になる)のところで過ごしていたというエリザベート。ダニエルの質問(「新婚旅行はどこに行った?」など)も全て言い当てるが、ジュネーヴのホテルにいたという記憶だけが異なる。カンタン警部は一応、中立を保つが、彼女が本物のエリザベートではないというダニエルの意見には同調する。

エリザベートは次第に偽物であることを露わにし始めるのだが、意図はダニエルには分からない。

ダニエルとエリザベートの結婚式に参加したという芸術家(といっても街角で絵を描いているような貧乏芸術家だが)のメルルーシュ(藤本隆宏)が呼ばれ、「この女はエリザベートではない」との証言を得るが、メルルーシュはエリザベートを名乗る女に銃撃され、入院することになる。銃撃はダニエルが行ったことにされる。

また、エリザベートを看護したことがあるという看護婦のベルトン(凰稀かなめ)も最初のうちは、「彼女はエリザベートではない」と語るも、エリザベートを名乗る女に何かを渡されて証言を覆す。
やがてメルルーシュが病院で死亡したという報告が届く。メルルーシュを撃ったのはダニエルということになっているので、ダニエルが午後8時に逮捕されることになる。一方でカンタン警部は、「彼女はエリザベートではない」と断言するが、ここからどんでん返しが始まる。

ロベール・トマはフランスの劇作家・脚本家・映画監督。1927年生まれというから、指揮者のヘルベルト・ブロムシュテットと同い年である。1989年に没。「罠」は1960年にパリのブーフ・パリジャン劇場で初演。他にも「8人の女たち」や「殺人同盟」などの作品があり、「フランスのヒッチコック」と呼ばれている。


現在、舞台俳優として活躍している中堅男性俳優の中で、上川隆也は内野聖陽と並んでツートップを張る実力者だと思われる。少し下に阿部寛、堺雅人(最近は余り舞台をやらないが)、佐々木蔵之介が、そのまた少し下に高橋一生が来ると思われる。
現代を代表する舞台俳優だけに存在感は抜群。非常に理知的な演技を行う俳優であるが、今回はそれほど細かい演技は行わず、堂々とした演技を見せている。やはりカンタン警部は劇中の演出家なのであろう。

「代表作のない女優」などと揶揄されることも多い藤原紀香だが、今回は役にピッタリはまっており、予想以上の好演を見せる。この人は王道のヒロインをやるよりもこうしたミステリアスだったり、「翔んで埼玉 ~琵琶湖より愛を込めて~」の悪徳神戸市長のような癖のある役を演じた方が個性が生きるように思う。実は明るい女性の役は合っていないタイプなのだろう。藤原紀香は、女優デビュー時はとんでもなく下手だったのだが(セリフがまともに言えないレベル)、時を経て、演技力もかなり進歩しているようである。

現在放送中のNHK大河ドラマ「光る君へ」の赤染衛門役が好評を博している凰稀かなめの宝塚風ではあるが大仰さのない演技も好印象である。

その他の俳優も充実した演技を見せ、休憩時間なし約2時間の作品であるが、飽きることなく魅せてくれた。良い上演だったように思う。


座長である上川隆也の挨拶。「とう、とう(「東京」と言おうとしたようである。周りの俳優に突っ込まれる)大阪公演も無事千秋楽を迎えることが出来ました。これから皆様とキャスト全員でこの場を借りて1時間ほど芝居の感想を語り合いたいと思うのですが」と冗談を言い、「この後……(聞き取れず。おそらく「バラし」であろう)をしなければならないので、出来ません」と語ってからお礼を述べた。そして「これからもツアーは続きますが、大阪の千秋楽なので一丁締めを行いたいと思います。(客席に)一丁締めって分かります? 一回だけの」と言って、会場にいる人全員で一丁締め(一本締め、関東一本締め)を行った。俳優の退場の仕方にも個性があり、藤原紀香はエリザベートを名乗る女の正体にちなんだポーズを見せて、笑いを誘っていた。

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2024年11月 4日 (月)

京都コンサートホール フォール ピアノ五重奏曲第1番、第2番よりダイジェスト映像

エリック・ル・サージュ(ピアノ)、弓新&藤江扶紀(ヴァイオリン)、横島礼理(ヴィオラ)、上村文乃(チェロ)
2024年10月5日 京都コンサートホール小ホール「アンサンブルホールムラタ」にて

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フォーレ 「パヴァーヌ」 ガブリエル・フォーレ(ピアノ)

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2024年10月31日 (木)

コンサートの記(866) アジア オーケストラ ウィーク 2024 ハンス・グラーフ指揮シンガポール交響楽団@京都コンサートホール エレーヌ・グリモー(ピアノ)

2024年10月19日 京都コンサートホールにて

アジア オーケストラ ウィークが関西に戻ってきた。

午後4時から、京都コンサートホールで、アジア オーケストラ ウィーク 2024 京都公演を聴く。
アジアのオーケストラを日本に招く企画、「アジア オーケストラ ウィーク」は、当初は東京の東京オペラシティコンサーホール“タケミツ メモリアル”と大阪のザ・シンフォニーホールの2カ所で行われていたが、東日本大震災復興への希望を込めて、東京と東北地方での開催に変更。関西で聴くことは叶わなくなっていた。だが、今年は一転して京都のみでの開催となっている。


シンガポール交響楽団は、1979年創設と歴史は浅めだが、アジアのオーケストラの中ではメジャーな方。ラン・シュイ(水蓝)が指揮したCDが数点リリースされている。

治安が良く、街が綺麗なことで知られるシンガポール(そもそもゴミを捨てると罰金刑が課せられる)。日本人には住みやすく、「東京24区」などと呼ばれることもあるが、シンガポール自体は極めて厳しい学歴主義&競争社会であり、シンガポールに生まれ育った人達にとって必ずしも過ごしやすい国という訳でもない。競争が厳しいため、優秀な人が多いのも確かだが。
シンガポールもヨーロッパ同様、若い頃に将来の進路を決める。芸術家になりたい人はそのコースを選ぶ。学力地獄はないが、音楽性の競い合いもまた大変である。

無料パンフレットには、これまでのアジア オーケストラ ウィークの歴史が載っている。私がアジア オーケストラ ウィークで聴いたことのあるオーケストラは以下の通り、会場は全て大阪・福島のザ・シンフォニーホールである。
上海交響楽団(2004年)、ソウル・フィルハーモニック管弦楽団(2004年。実はソウルには日本語に訳すとソウル・フィルハーモニック管弦楽団になるオーケストラが二つあるという紛らわしいことになっており、どちらのソウル・フィルなのかは不明)、ベトナム国立交響楽団(2004年。本名徹次指揮)、大阪フィルハーモニー交響楽団(2004年。岩城宏之指揮。これが岩城の実演に接した最後となった)、オーストラリアのタスマニア交響楽団(2005年。オーストラリアはアジアではないが、アジア・オセアニア枠で参加)、広州交響楽団(2005年。余隆指揮。このオーケストラがアジア オーケストラ ウィークで聴いた海外のオケの中では一番上手かった)、ハルビン・黒龍江交響楽団(このオケがアジア オーケストラ ウィークで聴いた団体の中では飛び抜けて下手だった。シベリウスのヴァイオリン協奏曲を取り上げたが、伴奏の体をなしておらず、ソリストが不満だったのか何曲もアンコール演奏を行った。女性楽団員が「長いわね」と腕時計を見るって、何で腕時計してるんだ?)。一応、このオーケストラは朝比奈隆が指揮したハルビン交響楽団の後継団体ということになっているが、歴史的断絶があり、実際は別のオーケストラである。この後、アジア オーケストラ ウィークは大阪では行われなくなった。2021年にはコロナ禍のため、海外の団体が日本に入国出来ず、4団体全てが日本のオーケストラということもあった。日本もアジアなので嘘偽りではない。
2022年には琉球交響楽団が参加しているが、大阪ではアジア オーケストラ ウィークとは別の特別演奏会としてコンサートが行われている。

そして今年、アジア オーケストラ ウィークが京都に来た。

指揮は、2022年にシンガポール交響楽団の音楽監督に就任したハンス・グラーフ。2020年にシンガポール響の首席指揮者となり、そこから昇格している。オーストリア出身のベテラン指揮者であるが、30年ほど前に謎の死亡説が流れた人物でもある。当時、グラーフは、ザルツブルク・モーツァルティウム管弦楽団の音楽監督で、ピアノ大好きお爺さんことエリック・ハイドシェックとモーツァルトのピアノ協奏曲を立て続けに録音していたのだが、「レコード芸術」誌上に突然「ハンス・グラーフは死去した」という情報が載る。すぐに誤報と分かるのだが、なぜ死亡説が流れたのかは不明である。ハイドシェックは、当時の大物音楽評論家、宇野功芳(こうほう)の後押しにより日本で人気を得るに至ったのだが、宇野さんは敵が多い人だっただけに、妨害工作などがあったのかも知れない。ともあれ、ハンス・グラーフは今も健在である。
これまで、ヒューストン交響楽団、カナダのカルガリー・フィルハーモニー管弦楽団、フランスのボルドー・アキテーヌ管弦楽団、バスク国立管弦楽団、ザルツブルク・モーツァルティウム管弦楽団の音楽監督として活躍してきた。


曲目は、メンデルスゾーンの「真夏の夜の夢」序曲、ラヴェルのピアノ協奏曲ト長調(ピアノ独奏:エレーヌ・グリモー)、シンガポールの作曲家であるコー・チェンジンの「シンガポールの光」、ベートーヴェンの交響曲第5番「運命」


開演の大分前から、多くの楽団員がステージ上に登場。さらっている人もいるが特に何もしていない人もいる。そうやって人が増えていって、最後にゲストコンサートマスターのマルクス・グンダーマン(でいいのだろか。アルファベット表記なので発音は分からず)が登場して拍手となる。なお、テューバ奏者としてNatsume Tomoki(夏目智樹)が所属しており、夏目の「アジア オーケストラ ウィークに参加出来て光栄です」という録音によるメッセージがスピーカーから流れた。

ヴァイオリン両翼の古典配置がベースだが、ティンパニは指揮者の正面ではなくやや上手寄り。指揮者の正面にはファゴットが来る。またホルンは中央上手側後列に陣取るが、他の金管楽器は、上手側のステージ奥に斜めに並ぶという、ロシア式の配置が採用されている。なぜロシア式の配置を採用しているのかは不明。
多国籍国家のシンガポール。メンバーは中華系が多いが、白人も参加しており、日本人も夏目の他に、第2ヴァイオリンにKURU Sayuriという奏者がいるのが確認出来る。


グラーフは、メンデルスゾーンとベートーヴェンは譜面台を置かず、暗譜で振る。指揮姿には外連はなく、いかにも職人肌というタイプの指揮者である。その分、安定感はある。

メンデルスゾーンの「真夏の夜の夢」序曲は、各楽器、特に弦楽器がやや細めながら美しい音を奏でるか、ホールの響きに慣れていないためか、内声部が未整理で、モヤモヤして聞こえる。それでも推進力には富み、活気のある演奏には仕上がった。


ラヴェルのピアノ協奏曲ト長調。今年はラヴェルの伝記映画が公開され、ピアノ協奏曲の2楽章がエンディングテーマとして使用されている。

ソリストのエレーヌ・グリモーは、フランスを代表する女流ピアニスト。変人系美人ピアニストとしても知られている。幼い頃からピアノの才能を発揮するが、同時に自傷行為を繰り返す問題児でもあった。美貌には定評があり、フランス本国ではテレビCMに出演したこともある。オオカミの研究者としても知られ、オオカミと暮らすという、やはりちょっと変わった人である。先月来日する予定であったが、新型コロナウイルスに感染したため予定を変更。心配されたが、X(旧Twitter)には、「東アジアツアーには参加する」とポストしており、予定通り来日を果たした。


グリモーのピアノであるが、メカニックが冴え、第1楽章では爽快感溢れる音楽を作る。エスプリ・クルトワやジャジーな音楽作りも利いている。
第2楽章は遅めのテンポでスタート。途中で更に速度を落とし、ロマンティックな演奏を展開する。単に甘いだけでなく、夢の中でのみ見た幸せのような儚さもそこはかとなく漂う。
第3楽章では、一転して快速テンポを採用。生まれたてのような活きのいい音楽をピアノから放っていた。


アンコール演奏は2曲。シルヴェストロフの「バガテル」は、シャンソンのような明確なメロディーが特徴であり、歌い方も甘い。ブラームスの間奏曲第3番では深みと瑞々しさを同居させていた。


休憩を挟んで、コー・チェンジンの「シンガポールの光」。オーケストラの音の輝きを優先させた曲だが、音楽としてもなかなか面白い。揚琴(Yangqin)という民族楽器を使用しているが、楽器自体は他の楽器の陰に隠れて見えず。演奏しているのはパトリック・Ngoというアジア系の男性奏者である。良いアクセントになっている。


ベートーヴェンの交響曲第5番「運命」。日本では「運命」のタイトルで知られるが(西洋では余り用いられない。ごくたまに用いられるケースもある)、北京語では運命のことを命運と記すので、「運命」交響曲ではなく、「命運」交響曲となる。

冒頭の運命動機はしっかりと刻み、フェルマータも長めで、その後、ほとんど間を空けずに続ける。流線型のフォルムを持つ格好いい演奏である。アンサンブルの精度は万全とはいえないようで、個々の技術は高いのだが、例えば第4楽章に突入するところなどは縦のラインが曖昧になっていたりもした。
ただ全般的には優れた部類に入ると思う。グラーフには凄みはないが、その代わりに安心感がある。
ラスト付近のピッコロの音型により、ベーレンライター版の譜面を使っていることが分かった。


アンコール演奏は、ラヴェルの「亡き王女のためのパヴァーヌ」。丁寧で繊細で典雅。シンガポール響の技術も高く、理想的な演奏となる。グラーフも満足げな表情を浮かべていた。

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2024年10月30日 (水)

コンサートの記(865) シャルル・デュトワ指揮 九州交響楽団第425回定期演奏会

2024年10月23日 福岡・天神のアクロス福岡シンフォニーホールにて

博多へ。

午後7時から、アクロス福岡シンフォニーホールで、九州交響楽団の第425回定期演奏会を聴く。指揮は九州交響楽団(九響)初登場のシャルル・デュトワ。
デュトワは、6月に来日して、新日本フィルハーモニー交響楽団を指揮。その後、大阪フィルハーモニー交響楽団と札幌交響楽団を指揮する予定だったが、体調不良によりキャンセルしてヨーロッパに帰っていた。だが、年内に再び来日して、九州交響楽団、そして名誉音楽監督を務めるNHK交響楽団を指揮することになった。
デュトワが九響を指揮することになった経緯は明らかではないが(おそらく依頼したら承諾してくれたという単純な理由ではないかと思われるのだが)、九州の人々にとっては思いも掛けない僥倖であったと思われる。今丁度、東京では97歳になったヘルベルト・ブロムシュテットが、桂冠名誉指揮者を務めるNHK交響楽団を指揮していて話題になっているが、88歳になったばかりのデュトワの指揮する九響のコンサートもそれに負けないほどの話題となっている。

今更デュトワの紹介をするのも野暮だが、知らない方のために記しておくと、1936年、スイス・フランス語圏のローザンヌに生まれた指揮者で、生地と、スイス・フランス語圏(スイス・ロマンド)の中心都市であるジュネーヴの音楽院でヴィオラ、ヴァイオリン、指揮などを学ぶ。ジュネーヴ時代にフランスものとロシアものを得意としていた指揮者のエルネスト・アンセルメの薫陶を受けている。ボストンのタングルウッド音楽祭ではシャルル・ミュンシュに師事。この時、1歳年上の小澤征爾と共に学んでおり、後年のセイジ・オザワ松本フェスティバルへの客演に繋がる。ヴィオラ奏者としてデビューした後に指揮者に転向。まずヘルベルト・フォン・カラヤンにバレエ指揮者としてのセンスを認められ、ウィーン国立歌劇場のバレエ専属指揮者にならないかと誘われているが、オールマイティに活躍したいという意向があったので、これは断っている。オーケストラコンサート、オペラ、バレエなど多くの公演を指揮。ただ有名になってからはバレエ音楽の全曲盤を出したりはしているものの、ピットでバレエを指揮したという情報は聞かない。

最初のポストとして祖国のベルン交響楽団の首席指揮者に就任。スウェーデンのエーテボリ交響楽団の首席指揮者も務めた。この間、主に協奏曲の伴奏の録音を多くこなして知名度を高める。その時期は「伴奏指揮者」などと陰口を叩かれたりしたが、1977年にモントリオール交響楽団の音楽監督に就任し、以後、短期間でオーケストラの性能を持ち上げて、「フランスのオーケストラよりフランス的」と称されるアンサンブルに仕上げた。デュトワとモントリオール交響楽団は、英DECCAのフランスものとロシアのもの演奏を一手に引き受け、その分野での第一人者との名声を獲得するに至った。デュトワとモントリオール響の蜜月は、2002年までの四半世紀に渡って続く。デュトワ自身、「有名曲よりもまず自分達の得意なものを」という戦略を持っており、「アンセルメの録音が古くなったので新たなコンビを探していた」DECCAと思惑が一致した。ただデュトワはモントリオール響の性能を上げるため、「腕が良くない」とみたプレーヤーにはプレッシャーを掛けて自ら辞めるよう仕向けるという方針を採っており、最後は、こうしたやり方に反発した楽団員と喧嘩してモントリオールを去っている。デュトワ辞任後のモントリオール響はストライキに入るなど揉めに揉めた。

1970年に読売交響楽団に客演したのが、日本のオーケストラを指揮した最初だが、解釈と棒の明晰さですぐに高い評価を獲得。その後、日本のオーケストラとの共演を重ね、1996年にNHK交響楽団の常任指揮者に就任する。それまでN響は長きに渡ってシェフのポストを空位としており(ウィーン・フィルを真似たものと思われる)、久々の主の座に就いた。NHK交響楽団との演奏では、NHKホールのステージを前に張り出させるなど、音響面での工夫を行っていて、これは現在でも踏襲されている。その後、同楽団初の音楽監督に就任。辞任後は名誉音楽監督の称号を贈られた。
この時期は北米のモントリオール交響楽団、アジアのNHK交響楽団、ヨーロッパのフランス国立管弦楽団という三大陸のオーケストラのシェフを兼ね、多忙を極めている。優先順位としては、モントリオールとNHKが上で、フランス国立管弦楽団の元コンサートマスターは、「パリではいつも時差ボケ状態」であったことに不満を述べているが、フランス国立管弦楽団とも「プーランク管弦楽曲、協奏曲全集」という優れた仕事を残している。3つのオーケストラのシェフを辞めてからは、アメリカのフィラデルフィア管弦楽団の首席指揮者、ロンドンのロイヤル・フィルハーモニー管弦楽団の首席指揮者・芸術監督を務めた。またヴェルビエ祝祭管弦楽団の音楽監督に就任し、同楽団のメンバーが参加する宮崎国際音楽祭の音楽監督も兼務している。
主にヨーロッパでセクハラ疑惑が起こってからは、N響との共演も見送られていたが、久しぶりに同楽団を指揮することも決まっている。
N響との共演が途絶えてからは、日本のオーケストラによる争奪戦が始まり、まず大阪フィルハーモニー交響楽団が手を挙げて、毎年の客演を取り付ける。それに新日本フォルハーモニー交響楽団が追随し、札幌交響楽団や九州交響楽団も手を挙げるようになった。

そんな中での今回の九響客演である。


曲目は、ドビュッシーの「小組曲」(ビュッセル編曲)、グラズノフのヴァイオリン協奏曲(ヴァイオリン独奏:辻彩奈)、チャイコフスキーの交響曲第5番。デュトワ得意のフランスものとロシアものである。


アクロス福岡シンフォニーホールに来るのは初めて。正式には、アクロス福岡という複合文化施設の中に福岡シンフォニーホールがあるという構造なのだが、一般的にはまとめてアクロス福岡シンフォニーホールと呼んでいるようである。
1995年の竣工ということで、京都コンサートホールと同い年である。構造的にもシューボックス型ベースで(日本人は視覚を重視するため、どちらも客席に傾斜があるが、福岡シンフォニーホールの方が傾斜は緩やかである)、天井が高めで反響板がないという共通点がある。福岡シンフォニーホールにはパイプオルガンはなく、シャンデリアがいくつも下がっていて、木目もシックであり、見た目が洋風である。京都コンサートホールは和の要素を取り入れる術に長けているとも言える。音響であるが、音は通りやすいが、残響は短め。残響2秒とのことだったが実際はそんなにはない。音は京都コンサートホールの方が広がりがあり、福岡シンフォニーホールはタイトである。特に優劣をつけるほどの違いはないので、後は好みの問題となるだろう。

九州交響楽団の実演奏を聴くのは2度目。前回は、西宮北口の兵庫県立芸術文化センターKOBELCO大ホールで、沼尻竜典の指揮した演奏会を聴いている。本拠地で九響を聴くのは初めてである。

今日のコンサートマスターは扇谷泰朋(おうぎたに・やすとも)。ドイツ式の現代配置での演奏である。


ドビュッシー(ビュッセル編曲)の「小組曲」。九響が洗練された瑞々しい音を出す。九響の音をそれほど多く聴いている訳ではないが、透明で洒落た感覚と、他の楽団員が出す音に対する鋭敏な反応は、デュトワが指揮するオーケストラに共通した特徴である。浮遊感や推進力などもあり、これぞ「エスプリ・クルトワ」の音楽となっている。フランス語圏のケベック州とはいえ、カナダのオーケストラがフランス本国やヨーロッパのフランス語圏の名門楽団を凌ぐだけの名声を手に入れることがいかに困難かは想像に難くなく、それを実現したデュトワの力に改めて感服させられる。


グラズノフのヴァイオリン協奏曲。
ヴァイオリン独奏の辻彩奈は、最も将来が嘱望される若手ヴァイオリニストの一人。可愛らしい容姿や、Web上でファンと気さくにやり取りする飾らない人柄も人気の一因となっている。1997年、岐阜県生まれ。以前、インターネット上で質問に答えるという企画で、「岐阜県の良いところはどこですか?」との質問に「良いところかどうかは分かりませんが、夏は暑いです」と答えていたが、それは多分、良いところじゃない。ただこれだけでも彼女の人柄が分かる。2016年、18歳の時に、モントリオール国際音楽コンクールで第1位獲得。5つの特別賞も合わせて受賞して、一躍、時の人となった。今でも「モントリオールの子」と呼ばれることがあるのはこのためである。ということでデュトワとはモントリオール繋がりである。小学生の頃から全国大会で1位を獲り、12歳で初のリサイタルを行うなど神童系であった。
東京音楽大学附属高校及び東京音楽大学に特別奨学生として入学して卒業。卒業式では総代を務めている。

純白のドレスで登場した辻彩奈。グラズノフのヴァイオリン協奏曲は、知名度こそ高くないが、後半のノリや、高度な技巧で聴かせる隠れた名曲的存在である。
辻彩奈は、今年の4月に京都市交響楽団に客演してプロコフィエフのヴァイオリン協奏曲第2番を弾いているのだが、仕事が入って聴きに行けず、実演に接するのは久しぶりである。
高音のキレが抜群の辻であるが、まずはロシアの音楽ということで、荒涼とした大地を表すような太めの音から入る。意図的に洗練を抑えた感じである。そこから音楽の純度を上げていき、左手ピッチカートなど高度な技を繰り出しつつ、第3楽章の軽快で祝祭的な音楽へと突き進んでいく。耳を裂くほどの鋭い高音は名刀の切れ味。顔は可愛いが精悍な女剣士のように音と切り結んでいく。技巧面が優れているだけでなく、曲調の描き方も鮮やかで、優れた構築力も感じさせる。デュトワ指揮の九響もロシア的な仄暗くてヒンヤリとした響きを出し、最後は華やかさが爆発する。
演奏終了後、喝采を浴びた辻。アンコール演奏として、親しみやすい旋律を持つが、やはり左手ピッチカートなど高度な技巧が要求される曲を演奏する。スコットウィラーの「アイ・ルーションラグ~ギル・シャハムのために」という曲であった。

なお、辻が出しているCD購入者には、終演後、サイン会参加の特典があり、折角なので私もブラームスのヴァイオリン・ソナタ全集を購入してサインを入れて貰った。


チャイコフスキーの交響曲第5番。デュトワは、チャイコフスキーの交響曲第5番を2度録音している。最初はモントリオール交響楽団とのDECCAへのスタジオ録音であり、2度目はNHK交響楽団とのライブ収録盤で、「チャイコフスキー後期三大交響曲」としてリリースされている(モントリオール交響楽団とも、交響曲第4番と第6番「悲愴」はレコーディングしている)が、両者の解釈は大きく異なる。モントリオール交響楽団とレコーディングを行った時期は、ソ連当局による統制でチャイコフスキーの情報を西側で得ることは困難であり、美しいメロディーと豊かなスケールを歌い上げる演奏が主流だった。
しかし、N響との後期三大交響曲のライブ収録を行った時には、チャイコフスキーの悲劇的な最期が明らかになっており、当然ながら曲に込められたメッセージを暴くような演奏が主流となっていた。交響曲第6番「悲愴」では、第3楽章を終えて拍手が起こるも、それを無視してアタッカで第4楽章に突入するなど、表現を優先させている。

今回も当然ながら、この曲の深刻な面を掘り下げるような演奏が展開される。

ゆったりとしたテンポの憂いを込めたクラリネットソロによる「運命の主題」でスタート。クラリネットのソロが終わると更にテンポは落ちる。蠢くような木管と、冴え冴えとして潤いはあるが滲んだような色彩の弦が呻吟する。チャイコフスキーらしい美しさは保たれているが、金管の咆哮が立ちはだかる。デュトワはバランス感覚に優れているため、深刻な表現になっても暗すぎることはないが、それでも聴いていて苦しくなる演奏である。
デュトワの指揮は指揮棒を持った右手と同等かそれ以上に左手の表情が雄弁である。

第2楽章の冒頭も、灰色のような色彩であり、広がりはあるが、行方が定まらないような印象を受ける。
この楽章のハイライトであるホルンのソロ、首席のルーク・ベイカーが豊かで美観に溢れた演奏を行う。遠い日の回想の趣であり、今は手に入らない往年の輝きを愛おしむかのようである。その後も愛しい旋律が続くが、激情が押し寄せ(長調なのに痛切なのがチャイコフスキー作品の特徴である)流されていく。やがて運命の主題が立ちはだかる。

バレエ音楽にも繋がるようなワルツである第3楽章。小粋な旋律であり、演奏であるが、どことなく涙をためながら無理に伊達を気取っているようなところがある。基本的にチャイコフスキーは哀しみを隠さない人なので、自然に憂いの表情が可憐さの裏から現れる。諦めにも似た「運命の主題」。それを強引に振り払うようにして第4楽章へ。デュトワは、チャイコフスキーの後期三大交響曲では、第3楽章と第4楽章をいずれもアタッカで繋ぐという解釈を採用している。第3楽章と第4楽章で一繋がりと見なしているのだろう。
堂々と始まる第4楽章であるが、やはり気分は晴れない。21世紀に入ってから、第4楽章を明るく演奏する解釈は極端に減り、憂いを常に潜ませた演奏が主流となった。無理矢理気分を持ち上げようとしているところが逆に切なかったりする。往時は堂々と演奏した部分も懐旧の念がどうしても加わる。勝利はもはや過去のもので、今は思い返すだけである。それでも低弦の不気味な蠢きなどが表す過酷な運命と格闘し、取り敢えずの休止という形で擬似ラストを迎える。
ここから先は、堂々とした凱歌であり、主旋律は確かに運命の主題を長調にした凱歌なのだが、その他で鳴っている音は、どこか不吉であり、特に弦の荒れ狂い方は尋常ではなく、やはりまともな精神状態とは思えない。デュトワは糸車を撒くように左右の手を前で回転させる巧みな指揮棒捌き。九響は輝かしい音で応えるが、虚ろさを表現することも忘れない。
最後の一暴れが終わり、ティンパニが鳴り響く中、別れを告げるような「タタタタン」のベートーヴェンの運命主題が決然と奏でられる。ここを大袈裟にする人もいるが、デュトワとしては意識はもう向こうにあるという解釈なのか、あるいは最後の一撃なのできっぱりとということなのか、とにかく外連とは対極にある終え方であった。


デュトワの十八番の一つであるチャイコフスキーの演奏ということで、多くの聴衆が拍手と「ブラボー!」でデュトワと九響を讃える。
デュトワは各パートごとに奏者達を立たせる。ホルンやクラリネットといった活躍する楽器は特に一人ずつ立たせていた。
九響の団員が去った後も拍手は続き、デュトワはコンサートマスターの扇谷を伴ってステージ下手側に現れて、聴衆に応えていた。


京都市交響楽団の楽団員も演奏会終了後のお見送りを行うようになったが、九州交響楽団の楽団員のお見送りはもっと聴衆との距離が近く、常連客と親しげに話している楽団員も多い。

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2024年10月25日 (金)

コンサートの記(864) デイヴィッド・レイランド指揮 京都市交響楽団第694回定期演奏会 フライデー・ナイト・スペシャル

2024年10月11日 京都コンサートホールにて

午後7時30分から、京都コンサートホールで、京都市交響楽団の第694回定期演奏会 フライデー・ナイト・スペシャルを聴く。指揮は、デイヴィッド・レイランド。京響には2度目の登場である。

休憩時間なし、上演時間約1時間のフライデー・ナイト・スペシャル。今回は、アンドリュー・フォン・オーエンのピアノソロ演奏の後に京響が登場。京響は1曲勝負である。


曲目は、アンドリュー・フォン・オーエンのピアノソロで、ラフマニノフの前奏曲作品23から、第4番ニ長調、第2番変ロ長調、第6番変ホ長調、第5番ト短調。デイヴィッド・レイランド指揮京都市交響楽団の演奏で、ムソルグスキーの組曲「展覧会の絵」(ラヴェル編曲)。


アンドリュー・フォン・オーエンは、ドイツとオランダにルーツを持つアメリカのピアニスト。5歳でピアノを始め、10歳でオーケストラと共演という神童系である。名門コロンビア大学に学び、ジュリアード音楽院でピアノを修めた。アルフレッド・ブレンデルやレオン・フライシャーからも薫陶を受けている。1999年にギルモア・ヤング・アーティスト賞を受賞。レニ・フェ・ブランド財団ナショナル・ピアノ・コンペティションで第1位を獲得。アメリカとフランスの二重国籍で、ロサンゼルスとパリを拠点としている。

午後7時頃からのデイヴィッド・レイランドによるプレトーク(通訳:小松みゆき)でも、オーエンが、ロサンゼルスとパリを拠点とするピアニストであることが紹介されている。
プレトークでは他に作品の解説。共にロシアの作品で、ムソルグスキーの組曲「展覧会の絵」はラヴェルの編曲なのでフランスの要素も入ってくるということを語る。組曲「展覧会の絵」は、ムソルグスキーが、若くして亡くなった友人のヴィクトル・ハルトマン(ガルトマン)の遺作の展覧会を見て回るという趣向の作品だが、ハルトマンの絵は今では見られなくなってしまったものが多いと語る(いくつかは分かっていて、ずっと前にNHKで特集が組まれたことがあった。その際、「ビィドロ」は牛が引く荷車ではなく、「虐げられた人々」という意味でつけられたことが判明していたりする)。最後の曲は「キエフの大門」(今回は、「キエフ(キーウ)の大門」という併記表現になっている)で、これは今演奏することに意味があるとレイランドは語る。キエフ(キーウ)は、現在、ロシアと交戦中のウクライナの首都。更に、レイランドは知らないかも知れないが、京都市の姉妹都市である。ロシアはそもそもキエフ公国から始まっており、ロシアにとっても特別な場所だ。「キエフ(キーウ)の大門」の絵は現物が残っている。その名の通り、キエフに建てられる予定だった大門のデザインのコンペティションに応募した時の作品なのだが、不採用となっている。

アンドリュー・フォン・オーエンのピアノは、音がクリアで、構築もしっかりしている。全曲ラフマニノフを並べていることからメカニックに自信があることが分かるが、難曲のラフマニノフを軽々と弾いていく感じだ。

第4番のロマンティシズム、第2番のスケールの豊かさ、第6番のリリシズム、第5番のリズム感といかにもラフマニノフらしい甘い旋律などを的確に表現していく。ロシアものにかなり合っているし、おそらくフランスものを弾いても出来は良いだろう。

アンコール演奏は、ラフマニノフの前奏曲作品32-12 嬰ト短調であった。これも好演。


デイヴィッド・レイランド指揮京都市交響楽団によるムソルグスキーの組曲「展覧会の絵」(ラヴェル編曲)。ピアノをはけさせるなど舞台転換があるため、まず管楽器や打楽器の奏者が登場し、最後に弦楽器の奏者が現れる。通常は一斉に登場して客席からの拍手を受けるのだが、今日は拍手をするタイミングはなかった。

デイヴィッド・レイランドは、ベルギー出身。ブリュッセル音楽院、パリのエコール・ノルマル音楽院、ザルツブルク・モーツァルティウム大学で学び、ピエール・ブーレーズ、デイヴィッド・ジンマン、ベルナルト・ハイティンク、ヨルマ・パヌラ、マリス・ヤンソンスに師事。イギリスの古楽器オーケストラであるエイジ・オブ・エンライトメント管弦楽団の副指揮者として、サー・マーク・エルダー、ウラディーミル・ユロフスキ、サー・ロジャー・ノリントン、サー・サイモン・ラトルと活動している。ウラディーミル・ユロフスキだけはイギリス人ではなくロシア出身のドイツ国籍の指揮者だが、長年に渡ってロンドン・フィルの指揮者を務めており、名誉イギリス人的存在である。
ルクセンブルク室内管弦楽団の音楽監督を経て、現在はフランス国立メス管弦楽団(旧フランス国立ロレーヌ管弦楽団)と韓国国立交響楽団の音楽監督を務めるほか、スイスのローザンヌ・シンフォニエッタ首席客演指揮者としても活動している。

今日のコンサートマスターは、京響特別客演コンサートマスターの会田莉凡(りぼん)。フォアシュピーラーに泉原隆志。ドイツ式の現代配置での演奏。ヴィオラの客演首席に東条慧(とうじょう・けい。女性)が入る。サクソフォンの客演は崔勝貴(さい・しょうき)。
ハープの客演は朝川朋之。朝川は以前にも京響に客演していたが、日本では男性のハーピストは比較的珍しい。ヨーロッパではそもそも女性が楽団員になれないオーケストラも多かったので、男性ハーピストは普通である。今は指揮者として活躍している元NHK交響楽団の茂木大輔氏が、エッセイで、「ハープは女性には運搬が大変なので、男性にやらせたらどうか」という内容を書いており、その後なぜかハープ演奏がヤクザのしのぎの話になって、「ハープの演奏をする」が「しばいてくる」になったりしていた。
トランペットは首席のハラルド・ナエス、副首席の稲垣路子が揃い、曲はナエスの輝かしいトランペットソロで始まる。
京響は音に艶と輝きがあり、音のグラデーションが絶妙な変化を見せる。まさに虹色のオーケストラである。京響も本当に魅力的なオーケストラになった。

レイランドの指揮は簡潔にして明瞭。指揮の動きに合わせれば演奏出来る安心感があり、オーケストラの捌き方も抜群。どちらかというと音の美しさで聴かせるタイプで、ムソルグスキーというよりラヴェル寄りであるが、十二分に満足出来る水準に達していた。

演奏終了後、京響の楽団員はレイランドに敬意を表して立たず、レイランドはコンサートマスターの会田莉凡の手を取って立たせて、全楽団員にも立つよう命じていた。

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