観劇感想精選(408) 「森 フォレ」
2021年8月8日 西宮北口の兵庫県立芸術文化センター阪急中ホールにて観劇
午後1時から、西宮北口の兵庫県立芸術文化センター阪急中ホールで、「森 フォレ」を観る。作:ワジディ・ムワワド、テキスト翻訳:藤井慎一郎、演出:上村聡史(かみむら・さとし)。出演:成河(ソン・ハ)、瀧本美織、栗田桃子、前田亜季、岡本玲、松岡依都美(まつおか・いずみ)、亀田佳明、小柳友(こやなぎ・ゆう。男性)、大鷹明良(おおたか・あきら)、岡本健一、麻実れい。
ワジディ・ムワワドは、1968年、レバノンの首都ベイルートに生まれた劇作家。幼い頃にレバノンの内戦を避けるためにフランスに亡命し、その後、カナダのフランス語圏であるケベック州に移住している。レバノンはフランスの文化受容が盛んな国のようだ。ケベック州は緻密な心理描写を特徴とする作品の数々が「ケベック演劇」と呼ばれて世界的な注目を浴びている場所であるが(日本で上演された有名作に、井上靖原作・中谷美紀主演の「銃口」や白井晃の一人芝居である「アンデルセン・プロジェクト」などがある)、ムワワドの作風は「ケベック演劇」の本流とは少し距離があるようで、むしろ血脈を描くことが多いスペイン文学や、マジックリアリズムなど独特の手法で評価される南米スペイン語圏の文学と親和性があるように見える。
2000年に「岸 Littoral(リトラル)」でカナダ総督文学賞(演劇部門)を受賞。その後、「岸 Littoral」に始まる「約束の地」4部作で高く評価された。今回上演される「森 フォレ」は、「約束の地」4部作の第3作に当たる。日本では第2作の「炎 アンサンディ」がまず上演され、次いで第1作である「岸 リトラル」が上演されているが、私はいずれも観る機会はなかった。有料パンフレットに「炎 アンサンディ」と「岸 リトラル」のあらすじが記載されているが、「森 フォレ」と共通する部分が多いようである。双子の主題が出てきたり、両親の過去の謎が前2作では描かれているようだが、「森 フォレ」ではそれらを発展させつつ、重層的構造の作品として構築している。
舞台は、ケベック州最大の都市モントリオール、ドイツ領時代のストラスブール(当時はドイツ読みでシュトラウスブルク)、第1次世界大戦中のアルデンヌの森、カナダ北部・マタン、フランスのメッスなどに飛ぶ。時系列も複雑である。
シーン表が有料パンフレットに記載されているが、演劇というより現代音楽のプログラムのようである。
ファーストシーンでは雪が舞い散る中、モントリオールに住むエメという女性(栗田桃子)が自己紹介も含めた長大なモノローグを行う。自分は余りものを覚えるのが得意ではないこと(おそらくワーキングメモリに関する話)、ただ教えられたことに関する記憶力は良いこと、今が1989年の11月16日であること、1週間前の11月9日にベルリンの壁が崩壊したこと、ただそのことに自身が何の興味も抱いていないことが明かされる。語り口と知識の豊かさからエメが聡明な女性であることが分かる。エメの両親は幼いエメを養子に出しており、エメは両親の顔を知らない。
他の人が登場し、11月9日がベルリンの壁崩壊だけでなく「水晶の夜」(1938年11月9日、ドイツ全土でナチスがユダヤ人の商家などを襲撃した事件)の日であるということも告げる。
エメはフランス人脱走兵の幻影を見たということで、精神科医の診察を受ける。
エメは、バチスト(岡本健一)と結婚し、子を授かったのだが、脳腫瘍を患っていることが判明する。今すぐどうこうというはないが余命は15年ほど。しかも脳の腫瘍と思われたものは、胎内にいる双子の片方が脳へと向かい、硬化したものであるということが分かる(この辺はマジックリアリズム的である)。ただ仮に堕胎したならエメの余命が伸びると医師に言われたエメとバチストの夫妻は、一度は堕ろすことに決めるが、そんな時にモントリオール理工科大学虐殺事件が起こる。同年12月6日のことだった。名門・モントリオール理工科大学に銃を持った若い男が押し入り、女子学生ばかり14名が射殺された。生まれてくる子供の性別が女であるということを知っていたエメは、「私は15人目を(堕胎という形で)殺したくない」と語り、出産することに決める。生まれた娘は、ルー(瀧本美織)と名付けられた。だがエメはその後に意識を失う。20年後、パンクロッカーのような格好を好む反抗的な女性に成長したルーは、5年前に亡くなった母親のエメの遺体を父親のバチストが埋葬しようとせず、冷凍保存していることに疑問を抱く。またエメの母、つまりルーの祖母であるリュス(麻実れい)やその先祖にまつわる謎が次々と沸いてくる。ルーはフランス人古生物学者のダグラス・デュポンテル(成河)と共に、先祖に関する調査を行い始める。ダグラスは、第二次大戦中のナチスによる虐殺の被害者の頭蓋骨を鑑定したのだが、その骨がエメの脳腫瘍となった双子の片方の骨と一致することを確認していた。
成河、瀧本美織以外の俳優は、血脈を強調するためだと思われるが複数の役を演じ、また時間と場所が次々と移るため、簡単に把握出来るような内容にはなっていない。だが先祖がどこで何をしており、その結果何が起こったかを辿ることは困難というほどでもない。ただ、名前などの由来などに裏設定があるようで、こうした情報は有料パンフレットを買わないと手に入らない。
時系列順に並び替えると、大元は、1871年、ドイツ・ストラスブール(シュトラウスブルク)に始める。アレクサンドル・ケレールー(大鷹明良)の息子で獣医のアルベール(岡本健一)は、オデット(栗田桃子二役)と結婚し、エドモンという子を設けるが、アレクサンドルがオデットとの間に生んだ(オデットは「見知らぬ男に強姦された」と嘘をついている)義理の娘に当たるエレーヌ(岡本玲)と性的関係を持つ。エレーヌはエドガー(小柳友)と二卵性双生児として生まれたが、エレーヌはエドガーとも性的関係を持つという、かなりグチャグチャドロドロの展開である。やがてエレーヌは双子を産むが、父親がアルベールなのかエドガーなのかは分からない。双子の男の子の方は怪物で、エレーヌを襲い、洞窟のようなところに閉じこもってしまう。女の子の方はレオニー(岡本玲二役)と名付けられ、アルベールがアルデンヌの森の奥に築いた「森」という組織で暮らすようになる。レオニーは第一次大戦中に森に逃げ込んだフランス人脱走兵のリュシアン(亀田佳明)と結ばれて、リュディヴィーヌ(松岡依都美)という女の子を産む。第二次大戦中に、リュディヴィーヌは、サミュエル(岡本健一二役)らが立ち上げたレジスタンス軍団「コウノトリ・ネットワーク」に所属し、反ナチス活動に身を投じる。リュディヴィーヌの親友だったサラ(前田亜季)はサミュエルと結婚。女の子を設ける。実はこの女の子がルーの祖母であるリュスである。
血脈を辿る旅であったが、ルーが確かめたかったリュディヴィーヌとの血縁の輪は、繋がってはいなかった。更にリュディヴィーヌは両性具有者(「リング」シリーズの貞子もそうであることがよく知られている)であり、子供を産むことは不可能で、繋がっている可能性も途切れていた。
だが、この話は血脈が繋がっていなかったという調査報告では勿論、終わらない。リュスが自分のことをリュディヴィーヌの娘だと思ったのには訳がある。「母親の名はリュディヴィーヌという」と伝えられていたのだ。だがリュディヴィーヌの正体はサラであった。「コウノトリ・ネットワーク」に加わったサラとリュディヴィーヌは、アジトを発見されそうになる。リュディヴィーヌは偽名の証明書を持っていたが、サラは本名の証明書しか持っていない。ゲシュタポは「コウノトリ・メンバー」の本名のリストは手に入れており、このままではサラは確実に殺される。サラはこの時すでにリュスを宿していたため、リュディヴィーヌは、サラの証明書とそれに張られている写真を自身の偽造証明書と交換することを提案。結果、リュディヴィーヌとなったサラはアメリカ兵に救助されてカナダへと渡ったが、本物のリュディヴィーヌはダッハウの強制収容所に送られて殺害された。自らを犠牲にして親友とその娘を救おうという「思い」。それがエメを通してルーにまで伝わっていた。血は絶えていたが「思い」はそうではない。
話は複雑だがメッセージはシンプルで力強い。そして観客も含めたここにいる全員が、「思い」をリレーするのだという決意が示されて劇は終わった。
出演者の多くは、他の舞台でもよく見る人達なのだが、瀧本美織の演技を生で見るのはおそらく初となる。朝ドラ出身の女優で、真面目で優等生的な性格といわれている瀧本美織だが、今回はそれとは真逆のタイプの女性を演じる。演技は達者であり、余裕を持って演じているように見える。真面目タイプゆえにどうしても「地味」と捉えられてしまう傾向があるようだが、彼女の場合は器用で華もあり、これからも様々な役柄で活躍出来そうである。
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