カテゴリー「ショートフィルム」の16件の記事

2026年1月 3日 (土)

これまでに観た映画より(420) ndjc 若手映画作家育成プロジェクト2016 ショートフィルム 伊藤沙莉主演「戦場へ、インターン」

2025年8月15日

Netflixで、若手映画作家育成プロジェクト2016 ショートフィルム「戦場へ、インターン」を観る。主演:伊藤沙莉。出演:萩原みのり、郭智博ほか。郭智博の演技を見るのは、蓮佛美沙子主演版のNHK連続ドラマ「七瀬ふたたび」以来である。
上映時間約25分。若手映画作家育成プロジェクトからスターダムに上り詰める人も多いようで、歴代の映画監督や出演俳優の中にはかなり売れている人の名も見ることが出来る。

監督は藪下雷太。

伊藤沙莉の役名は麗子だが、劇中で呼ばれることはない。撮影現場で名前を呼ばれるのはベテランの人だけだ。主に大学2年か3年に行われるインターンで撮影現場に派遣されたのだが、当然ながら華やかな仕事は任されず、その技術もなく、撮影中に車が走る音が聞こえるとそれをマイクが拾ってしまうので、麗子が事前に車を止めることになる。その他にケータリングの準備をしたりと下っ端の仕事を担う。常にインカムをし、やり取りをする。

今は違うかも知れないが、映画の現場はパワハラの温床で、暴力、暴言が日常茶飯事であり、それゆえにタイトルに「戦場」が入っている。映画監督の塚本晋也は、日本大学藝術学部映画学科卒業時に、「映画には悪いイメージしかない」ということでCM制作会社に就職している。今回の組の監督も気難しそうである。
麗子が一台の車を止める。運転席には若い男。後部のフロアにはその妻が横になって苦しんでいる。産気づいて病院へ向かう途中なのだ。撮影班からは苦情が出るが、麗子は人命を尊重するためにスマホで救急車を呼ぶ。埼玉県内であるが、舞台となる昭和前期の建物が残る外れの方で、周りには畑が広がる田舎。救急車を呼んだことで麗子は怒られるが、反論する。気が強いというよりもかなり真面目な性格のようである。

一方、新人女優の舞(萩原みのり)は、性体験に乏しいことに悩んでいた。戦中の話で、戦地に向かう夫との最後の夜を演じるのだが、奥手であるためキスも昨日の撮影でしたのが初めてで、そこから先は経験がない。「他の人は経験しているのに」とコンプレックスを抱く。

そんな麗子と舞が出会い、舞が女優として成長するという話である。
22歳頃の伊藤沙莉は化粧も薄めで、ナチュラルな風貌。「美少女」にカテゴライズする人も案外多そうである。本人は顔にかなり強い劣等感を抱いているようで、「整形したい」などと言っていたが、その必要はないと思う。
そして笑顔は天下無双。撮影現場に入って舞を励ますような表情もするのだが、言葉はなくとも非常に雄弁である。

役柄故か暗い表情をしていることの多い萩原みのり。清楚な雰囲気だが、残念ながらもう女優は辞めてしまったようである。

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2025年12月 4日 (木)

これまでに観た映画より(415) 「アクターズ・ショート・フィルム」シーズン2

2025年12月2日

アクターズ・ショート・フィルム シーズン2 エピソード1「いくえにも。」とエピソード2「物語」を観る。俳優が監督としてショートフィルムを制作するという試みの第2弾。WOWOWの制作である。

エピソード1「いくえにも。」は、脚本:山咲藍、出演:村上虹郎、平岩紙、見上愛、奥田洋平、黒沢あすか他。監督:青柳翔。

少年が線路沿い(総武快速線もしくは横須賀線沿いに見える)の電話ボックスに入るシーンから始まるが基本的には家族ものである。
阿部家では、毎週土曜日は一人暮らしをしている長男のシュウヘイ(村上虹郎)を呼んで家族4人で食事をすることにしている。朝食のテーブルについた4人。長女のナツミ(見上愛)は高校の制服を着ているが、土曜日でも学校に通う用事があるのかも知れない。ただ、結局、学校に行くことはない。
ナツミは肉を抜くダイエットを始め、シュウヘイは唐揚げが好きなので妹の分も食べる。
そんなところに、引っ越してきたお隣さんのフジノ(黒沢あすか)がやって来て、犬が……。

食事を始めたときは朝食だったのに、お隣のフジノがいる間に外は暗くなり、夕食となっている。そんなに長くいたのか?
シュウヘイがトイレの中で嘔吐する音が大きすぎるのが問題点。あんなに音が大きく漏れるトイレはもはや欠陥品である。

シュウヘイが自身のアイデンティティーを疑う展開があるが、基本的には食事をしているのがメインの話で、物語らしきものは見当たらない。
二世タレントとしては最も有名な一人である村上虹郎は、外見に似合う演技を見せている。
この時点では無名だったと思われる見上愛だが、大河ドラマ「光る君へ」で、中宮彰子(劇中での読み方は「あきこ」。実は「あきこ」と読む人が数人いた)に抜擢されて注目を浴び、次期朝ドラのWヒロインの一人をオファーで勝ち取っている。自然体の演技を行っているが、これだけでは女優としての資質は分からない。
平岩紙はおそらく主婦役だと思うが(旦那の職業は不明だが、一軒家に住んでいるので、少なくともそれなりの企業で良い地位にいると思われる。シュウヘイはホームセンターの倉庫係と、今ひとつパッとしない職業についた。正社員なのかどうかも不明)は、現実の彼女の年齢よりも若い女性を演じていると思われる。

エピソード2「物語」。出演:琉花、奥平大兼、玉城ティナ、はやしだみき他。脚本・監督:玉城ティナ

若い女性(琉花)が人混みの中でイヤホンを付ける。
彼女は白い部屋の中で寝たきりの男性、ユウヤに自身のことを話し続ける。彼女の職業が女優で、オーディションに落ちまくっていることが分かる。よそで聞いた話によると、男優でも女優でも大抵のオーディションは落ちるらしい。「オーディション荒らし」の異名を取った芳根京子でも落ちたオーディションの方が圧倒的に多いようだ。
とはいえ、オーディションに落ちてばかりでは仕事は出来ない。
彼女は昔、ユウヤがカラオケで歌った尾崎豊の「ダンスホール」を動画で撮影したことがあり、それを視聴して心を癒やしてきた。
見た目は要介護の男性に女性が話しかけているように思われるのだが、女性は部屋を出るとそこは病院のような施設で、女性が何も言わない男性に話しかけることで癒やしを得るセラピー施設のようだ。
新たな女性(玉城ティナ)が来た。ユウヤは、女性に好きなことを言っていいと紙に書いて示す。新たなセラピーが始まる。

7月12日

Amazon Prime Videoで、アクターズ・ショート・フィルム シーズン2エピソード3話「あんた」を観る。脚本・監督・主演:千葉雄大、主演:伊藤沙莉。

バーの雇われ男性ママが仕事を終えた後で小説を書き始める。それは遠い日の自分を題材にしたもののようだ。

仲が良さそうな男女が山にキャンプに来る。男の方(千葉雄大)も女の方(伊藤沙莉)も二人称は「あんた(標準語とは違い、『あ』ではなく『ん』にアクセントが来る)」であり、互いの名前は最後まで分からない。
男と女の親友という感じなのだが、共に未来に不安を感じている。女の方はマンションの22階から飛び降りる気になったことがあるということで希死念慮があり、男の方もまた同様の感情を抱いていた。

二人の関係に変化が起こる。女の方に彼氏が出来て同棲を始めたのだ。男の方は仕事を終えた後、小説を書こうとしているようだが、思うようなものは書けないようである。

女に彼氏が出来たことを男は喜ぶが、単なる親友で男女の関係になることはないと思っていた男が愚痴を言い始め……。

非常に仲が良いが恋人にもパートナーにもなれないし、なる気のない二人の心理劇。二度目のキャンプにおける心理攻防戦が見どころ。基本的に男も女も優しい人であることは分かる。


プライベートでも仲良しという千葉雄大と伊藤沙莉ということで、互いの良さが生かされている。台本はあるはずだが、伊藤沙莉の口癖が入っていたり、口語でしか使わない語順のセリフがあったりするため、かなり即興的に撮られた部分も多そうである。どうやったら自然に見えるかを第一に考えて二人で演技しているということもあり、俳優でない本当の一組の男女のやり取りを見ているかのようだ。
カメラの台数はそれほど多くないが、伊藤沙莉のキュートな丸顔(チャームポイントだと思うのだが、本人はコンプレックスに感じているようで、Instagramなどではビューティー+を使って顔を細くした写真をアップしている)が綺麗に撮られており、千葉雄大が伊藤沙莉のことを人間として大好きであることが察せられる。
線香花火のシーンの伊藤沙莉の子どものような無邪気さも愛らしいが、台本の必用がないシーンなので素でやっていると思われる。

「死んだら殺す」と発言出来る相手と出会う確率はかなり低く、その後はおそらく上手くいかなかったのだろうが、キャンプを楽しんだ日々は思い出として永遠に残るほどの幸せであったのだと思う。

伊藤沙莉は、この作品の演技で、国際短編映画祭 ショートショート フィルムフェスティバル&アジア2022 ジャパン部門のベストアクターアワードを受賞した。

8月22日

アクターズ・ショート・フィルム パート2のエピソード4「ありがとう」を観る。脚本・監督:永山瑛太。主演:役所広司。出演:永山瑛太、橋本マナミ、服部文祥ほか。
地方都市。役所広司はきちんとした格好をしているが勤め人ではないようだ。食事も十分に取らずに店を出る。金銭的にも行き詰まっているようである。
その後、性感マッサージの店に入るが、ここも途中で抜け出す。
コロナ禍で多くの人がマスクをしているが、マスクをせずに大きな咳をしている男が一人。役所広司演じる男は、咳をしている男の車を奪う。黄色のオープンカーで、重厚な役所広司には軽すぎて全く似合っていない。男は、森の森の中に入り、首吊り自殺を試みようとするが、目の前に黄色い服を着た男が一人。それでも男は縊死を試みるが、ネクタイとベルトだけでは弱く、宙づりにすらなれない。たまに幼女や妻らしき姿が目の前に浮かぶ、男は二人を亡くし(もしくは別れ)、生き甲斐を失ったようだ。
役所広司演じる男は、黄色い服を着た男に案内されて山の中の家へ。二人暮らしで猟をして生活しているようだ。
役所広司演じる男は、猟銃を盗み出し、ヘミングウェイのように口内を撃って自殺しようとするが上手くいかず、ならばと腹に銃口を向けてゴッホのように死のうとするがやはり上手くいかない。
男は、都井睦雄になろうとして、商店街まで出て人々に銃口を向けるが、誰からも相手にされず、森へと戻る。娘の思い出の花束を川に流した後で、男は瑛太演じる黄色い服の男から撃たれる。かすり傷のようだ。
上を見れば太陽は輝き、自然は息づいている。「この世には生きるだけの価値がある」と男は思い直したようである。

妻子を失った老年に入ろうとする男の孤独に焦点を当てた作品だが、悲しく見えねばならないはずの妻子の姿がやけに綺麗であるだけに喪失感が薄まっている。何か一つエピソードを入れた方が良くなるはずである。セリフなしだったとしても十分である。
男の持ち金が少ないことは分かるので、失業がきっかけで妻に去られたのかもしれないが、自殺の理由としてはやや弱い。現実社会ではそうしたこともあるのかも知れないが、フィクションなので更なる説得力が要る。説得力がないと観客が置き去りにされてしまう。

最後に、格好悪い役所広司も格好良かった。

11月18日

Amazon Prime Videoで、アクターズ・ショート・フィルム シーズン2パート5「理解される体力」を観る。出演:柳英里紗(やなぎ・えりさ)、三浦貴大ほか。監督:前田敦子。
小さな喫茶店で、パフェを食べながら泣きじゃくる女、キエ(柳恵里紗)と煙草を吸いながらそれを見守るトランスジェンダーの男、ユミ(三浦貴大)。
キエは、旦那に浮気された。家に帰ったら、旦那が新婚旅行の時に買ったカメラで若い女のことを録画していた(多分、「撮影していた」のだと思われる)。これ以上の悲しみはないというので大泣きしていたのである。キエは悲しみが表に見えないタイプで、しかも身の回りで起こった悪いことにのみ記憶がいい。幼稚園児の頃や小学校時代に起きた悪いことを克明に覚えている。最近の研究で、発達障害のある人は悪いことばかり覚えて良いことを忘れてしまう傾向があることが分かっている。同じ失敗を二度としないために悪いことを覚えるのだが、良いことを覚えて悪いことは忘れるという一般人にありがちな傾向とは真逆であり、生きづらさを抱えている。最終的にはユミも同じような傾向があるらしいことが分かる(演技の可能性もあるので断言は出来ない)。
余り広がりのない物語だが、友情についてはよく分かる話になっている。なお、柳英里紗と前田敦子は大親友だそうだ。その関係を置き換えたところがあるのかも知れない。

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2025年10月29日 (水)

コンサートの記(928) 太田弦指揮 日本センチュリー交響楽団第293回定期演奏会

2025年10月24日 大阪・福島のザ・シンフォニーホールにて

午後7時から、大阪・福島のザ・シンフォニーホールで、日本センチュリー交響楽団の第293回定期演奏会を聴く。指揮は、松本宗利音(しゅうりひと)と共に日本の若手指揮者界をリードする太田弦(げん)。1994年生まれの太田弦。今年で31歳になるがかなりの童顔で下手したら高校生に間違えられそうである。札幌生まれ。幼少の頃からピアノとチェロを学び、東京藝術大学音楽学部指揮科を首席で卒業。尾高忠明と高関健に師事した。今の藝大指揮科の主任は山下一史であるが、全員、桐朋学園大学出身である。ということで、藝大の指揮科は長い間、桐朋学園大学の植民地となっている。国公立の藝大、それに対抗する私立の桐朋であるが、格としてはやはり藝大の方が上。上のはずの学校の看板部門が植民地化されている例は珍しく、芸術関係ならではのような気がする。他の一般の学問では有名私立大の特定の分野が有名国立大の教授で占められ、植民地となっているケースが多い。
それはさておき、太田弦は東京藝術大学大学院に進み、指揮専攻修士課程を修了。指揮以外にも作曲を二橋潤一に師事している。
2015年、第17回東京国際音楽コンクール・指揮部門で2位入賞。
2019年から2022年まで大阪交響楽団正指揮者、2023年には仙台フィルハーモニー管弦楽団の指揮者に就任。2024年4月より、福岡市を本拠地とする九州交響楽団の首席指揮者に就任。初めて手兵を得ている。昨年、シャルル・デュトワ指揮九州交響楽団の定期演奏会を聴きに、九響の本拠地であるアクロス福岡シンフォニーホール(正式にはアクロス福岡という総合文化施設の中にある福岡シンフォニーホールであるが、続けて表記されることが多い)に初めて出向いたが、ホワイエに太田弦の全身パネルが飾られていた。等身大ではないと思うが。

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今日の曲目は、ベートーヴェンの交響曲第2番、武満徹の「波の盆」、武満徹の「系図 -若い人のための音楽詩-」(語り:寺田光、アコーディオン:かとう かなこ。岩城宏之編曲による小管弦楽版)

 

武満作品が2つ並ぶという意欲的なプログラム。ドイツ人指揮者がベートーヴェンを指揮するように、フランス人指揮者がドビュッシーを指揮するように、フィンランド人指揮者がシベリウスを指揮するように、デンマーク人指揮者がニールセンを指揮するように、ノルウェー人指揮者がグリーグを指揮するように、イギリス人指揮者がエルガーを指揮するように、日本人指揮者は武満徹を指揮する。

 

だが、武満作品、それもかなり分かり易いものであっても現代音楽は避けられるようで、集客面ではかなり残念であった。特に2階席は空席が目立つ。
今日は茨木市在住の人のための招待公演でもあったのだが、その人達なのかどうかは分からないものの、コンサート初心者が多いようで、ベートーヴェンでは楽章が終わるたびに拍手が起こっていた。この場合、どうするのかというと人による。藤岡幸夫は、「エンター・ザ・ミュージック」で、「新しいお客さんが来てくれたんだ」と喜ぶと明かしている。一方で、聴衆の中にはマナー違反と取る人もいるようだ。
モーツァルトやベートーヴェンの時代には、交響曲が丸々演奏されず、1つの楽章が終わったら歌曲が入るなど、もっと雑多な構成であったようだ。聴衆は貴族が多かったが、音楽そっちのけで話す人も珍しくなかったらしい。正しい姿勢で、楽章間拍手なしでという風になったのはワーグナーの影響が大きいと言われている。ワーグナーが礼儀正しかったからではなく、逆に「俺様の音楽を黙って聴け」という尊大な人だったからと言われている。

 

ベートーヴェンの交響曲第2番。今日のコンサートマスターはセンチュリー響客員コンサートマスターの篠原悠那(しのはら・ゆな)。ドイツ指揮の現代配置での演奏である。
日本センチュリー交響楽団は、中編成のオーケストラなので在阪の他の3つのプロコンサートオーケストラに比べるとサイズが小さい。弦楽奏者が全くと言って良いほどビブラートを掛けないピリオド・アプローチによる演奏であったが、ザ・シンフォニーホールの音響をもってしても中編成でのピリオドだと音が弱い。ただ広上淳一とオーケストラ・アンサンブル金沢はザ・シンフォニーホールで「田園」交響曲をきちんと鳴らしていたから、演奏者側の問題も皆無ではないだろう。だが、次第に耳が慣れてくるので音の小ささは余り気にならなくなる。
太田弦は、大きめの総譜を見ながらノンタクトでの指揮。暗譜で振る曲は今日はなかったが、暗譜否定派かも知れない。両手を使って巧みにオーケストラを操る。
流れが良く、フォルムもカチッと決めているのに、今ひとつ手応えを感じないのは指揮者の若さ故だろうか。日本だから31歳でもベートーヴェンを振らせてくれるが、ヨーロッパではそうはいかないかも知れない。「40、50は洟垂れ小僧」の世界である。
いくつか聴いたことのないメロディーなどが聞こえてきたが、あるいはブライトコプフ新版を使っていたのかも知れない。大阪フィルの演奏だったら福山さんに気軽に尋ねることが出来るのだが、センチュリー響にはそうした人はいない。

 

 

武満徹の「波の盆」。民放のテレビドラマのための音楽として書かれ、後に演奏会用に編み直されている。チェレスタとシンセサイザーが入るのが特徴。チェレスタ:橋本礼奈、シンセサイザー:新井正美(女性)
センチュリー響の特徴である、編成が小さいが故に効く音のエッジが印象的。メロディーを美しく歌い上げる。武満は響きの作曲家であるが、今日取り上げる「波の盆」と「系図」はいずれも美しいメロディーを特徴とする。

 

 

武満徹の「系図 -若い人のための音楽詩-」。武満晩年の作品であり、映画用に書くはずだった音楽を語り付きの管弦楽曲にまとめたもので、チャーミングなメロディーと武満ならではの響き、谷川俊太郎のテキストが相まって、武満の次なる方向性を示すはずだったのかも知れないが、幼い頃から病弱だった武満は長生き出来ず、初演の翌年の1996年に他界した。

 

初演は、レナード・スラットキン指揮ニューヨーク・フィルハーモニックによって、1995年4月に行われたが、谷川俊太郎の詩集『はだか』から取られた「おかあさん」のテキストが、「ネグレクトで、相応しくない」と指摘され、危うく初演が流れるところだった。

 

日本でも同年に、岩城宏之指揮NHK交響楽団により、映像作品と実演で初演された。語りを務めたのは、先頃若くして亡くなった遠野なぎこ(当時:遠野凪子)である。
子役として本名でデビューした遠野なぎこであるが、毒親育ちであり、親は子役をやらせることで儲けようとしていた。遠野凪子の芸名で活躍するようになってからもDVやネグレクトなどがあったようである。彼女がテキストをどんな気持ちで読んでいたのかは分からないが、プロに徹して朗読していたような気がする。
遠野なぎこは、シャルル・デュトワ指揮NHK交響楽団の定期演奏でも、テキストを暗記して語り手を務め、小澤征爾指揮サイトウ・キネン・オーケストラとの録音でも語りを行ったが、小澤盤での語りはナチュラルさが失われ、感情過多で良くない。なぜ悪くなったのかは分からないが、小澤の意向だろうか。

 

「系図 -若い人のための音楽詩-」を生で聴くのは3回目。日本語の朗読で聴くのは2回目である。どういうことかというと、初めて聴いたのは、東京オペラシティコンサートホール“タケミツ メモリアル”で聴いたケント・ナガノ指揮リヨン国立歌劇場管弦楽団の来日演奏会で、フランス人の少女によるフランス語の朗読だったのである。武満は語り手について、「15歳前後の少女が望ましい」としているが、この時の少女は15歳ほどだったと記憶している。フランス語は分からないので、音楽だけ聴いていた。
2度目は、横浜みなとみらいホールで行われた、沼尻竜典指揮日本フィルハーモニー交響楽団の横浜定期演奏会。語り手は当時18歳の蓮佛美沙子。座ってテキストを読みながらの朗読であった。今の蓮佛美沙子は名女優だが、18歳の頃は今ほどではなく、演奏が終わった後も少し照れくさそうにしていた。ただ女優といっても、コンサートホールで大勢の聴衆を前に朗読という機会はなかなか巡ってこないのだから貴重な体験だったはずである。なお、この演奏会の記録をWikipediaに書き込んだのは私である。

 

今回、朗読を務める寺田光は、2005年11月19日生まれ。現在、19歳、まもなく二十歳である。大阪府出身。テキストを読みながらの語りである。
ミュージカル女優としてデビュー後、映像にも進出。朗読劇にも参加したことがあるようだ。
アコーディオンのかとう かなこは指揮台右横のスピーカーのすぐ後ろに座って演奏する。ボタン式であるクロマチックアコーディオンを弾く機会が多い人だが、今回は多くの人が目にしたことのある鍵盤式のアコーディオンで演奏を行う。

 

寺田光のテキスト解釈は、私とはズレているところが何カ所かあったが、詩なので解釈が異なるのは当たり前であり、そういうものとして受け入れるしかない。谷川俊太郎の『はだか』は私もお気に入りの詩集で、自分で持っているほか、人にプレゼントしたこともある。

 

かとう かなこは腕利きとして知られるだけに、今回もノスタルジックなメロディーを温かな音で奏でていた。

 

今回は、岩城宏之の編曲による小管弦楽版での演奏である。日本センチュリー交響楽団は、フル編成ではないのでこの版が選ばれたのだろう。初演の指揮者である岩城宏之がなぜ編曲を行ったかというと、彼らは日本初のプロ室内管弦楽団であるオーケストラ・アンサンブル金沢(OEK)の初代音楽監督をしており、OEKの編成ではそのままでは演奏出来ないので、編成を小さくしてもタケミツトーンが生きる編曲をする必要があったのだ。小管弦楽版での初演は、2002年11月20日に、岩城指揮のOEKによって行われた。
岩城は語り手として吉行和子を選んだことがあり、若杉弘も自分の奥さんを語り手にしたことがあるが、これは良くないと思う。「しらないあいだにわたしはおばあちゃんになっているのかしら きょうのこともわすれて」という部分があるため、高齢の人が読むとある症状を連想してしまう。テキストを俯瞰で読めると考えたのだと思われるが、ラストを考えるとやはりこれは若い人が語り手を務めるべき作品である。

 

太田弦指揮する日本センチュリー交響楽団、かとう かなこらによる演奏は、胸が苦しくなるほど美しく、背筋が寒くなるほどに麗しい。抜群の色彩感は武満ならではで、生前、武満と親しかった岩城も、単に編成を切り詰めるだけでなく、響きのポイントを押さえた編曲を行っているように思う。
音楽に国境はないが、日本人でなかったらここまでの美しさはやはり感じ取れなかっただろう。
とはいえ、世界にアピールできる武満作品の一つ、それが「系図 -若い人のための音楽詩-」である。この音楽を知る人は、きっと誰よりも「とおくへ」行ける。

 

拍手が鳴り止まなかったため、太田は総譜を閉じて、「これで終わりです」というパフォーマンスを見せた。

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2025年1月29日 (水)

これまでに観た映画より(369) 齊藤工監督 伊藤沙莉主演 ショートムービー「女優iの憂鬱 COMPLY+-ANCE」 

2024年12月13日

ショートムービー「女優iの憂鬱 COMPLY+-ANCE」を観る。齊藤工監督作品。主演:伊藤沙莉。出演:戸塚純貴、斉藤工(監督としては「齊藤工」表記で、俳優としては「斉藤工」表記)、平子祐希(アルコ&ピース)、大水洋介(ラバーガール)。
最初の方のテロップが読みにくいのだが、コロナ禍でのコンプライアンスを題材にしたブラックコメディ作品である。上映時間16分。コメディはコメディなのだが、ディストピアや「警察国家」という言葉も浮かぶような作品になっている。2021年の作品。以前に齊藤工が撮ったフィルムのリメイクとなるようだ。
伊藤沙莉が伊藤沙莉本人役で主演。後に「虎に翼」で共演することになる戸塚純貴が伊藤沙莉のマネージャー役で出演している。斉藤工本人は取材クルーのカメラマン(スマホで撮影)兼音声兼提案係として出演している。

「これは、ある人物の実体験を基にしています」という字幕が出るが、本当なのかどうかは分からない。あったとしても誇張されてはいるだろう。

架空の映画に主演することになった伊藤沙莉が、事前に何の予告もなく番宣用のインタビューを撮影するために喫茶店で呼ばれるという内容。伊藤は喫茶店に着いてから今から何をするのか知らされるという設定である。この時、インタビュアーとなるスタッフ側は伊藤に挨拶をしていない。

驚くのは、台本があってその通りに演じているはずなのに、本当に素の伊藤沙莉がインタビューを受けているようにしか見えないということである。インタビューを演じるという設定自体はそれほど珍しいものではなく、それこそ韓国映画に「インタビュー」という作品(シム・ウナ主演)があるほどだが、多くはインタビューを受ける演技をしているように見える。自然な感じはなかなか出ない。日本でも1990年代にフジテレビ系の深夜枠で「Dの遺伝子」というドラマとドキュメンタリーを合わせたような実験的な番組が作られており、インタビューを受けている人という設定の俳優の演技が見られたが、それらもいかにも「芝居」という感じであった。それらに比べると伊藤沙莉のインタビューシーンは本当に伊藤沙莉が伊藤沙莉の言葉で語っているように錯覚させられる出来である。当たり前のようにやっている風に見えるが(手の動きを入れるなど実際はかなり細かいが)、こういう演技はなかなか出来ないはずで、伊藤沙莉の凄さが分かる。

コロナ禍ということで、上映時間の半分ぐらいまではマスクをしている伊藤だが、そのため却って目の演技がよく分かる。最初は戸惑いのまなざしをしており、その後、目が笑う瞬間が何度かあるのだが、愛想笑いと、スタッフの提案に引いたのを誤魔化す笑いと、心からの笑いに差を付けて演じている。

伊藤沙莉は、憑依型ではなく、その場で計算して方程式を解くように演じるタイプだと思われる(実際の暗算はかなり苦手らしいが)。
ドラマ&映画オタクで好きな作品を何度も観て(「擦(こす)る」と表現している)セリフを覚えるのが好き。アルバイトも女優の仕事に生かせるように人間観察の出来る接客業に絞って行っていたという人なので、頭の中に様々な人間像の膨大なストックがあって、そこから引き出しているのだと思われるのだが、このタイプの俳優の演技は「盗める」というと言葉が悪いが、「学べる」ので若い俳優志望の人は大いに参考にして貰いたい。逆に言うと憑依型タイプの人の真似はしてはいけないということでもある。

インタビュースタッフの言動は滅茶苦茶で、伊藤がこれから読むという紙の台本にアルコールスプレーを掛けてびしょ濡れにしてしまったり、伊藤の発言を「コンプライアンス的に問題がある」としてことごとく退け、勝手に提案した言葉を伊藤に言わせたりする。どのコンプライアンスに反するのかは字幕で示される。
最初は大人しく従っていた伊藤だが、その後、コロナ以外のコンプライアンスの話になり(「児童に夢を与えないことは言ってはならない」)、遂には下ネタの話になって(伊藤本人のInstagramに実際に載っている写真が「変態に見える」と問題視する)、明らかに見下された伊藤がぶち切れるという内容である。スタッフは「伊藤さんが好き」と話しているが、伊藤独特の声も把握しておらず、声が普通ではないので体調不良なのではと聞くなど、やっつけで仕事を行っていることが分かる。
伊藤がスタッフに不満をぶつけるようになってからは、スタッフ、特にディレクター役の平子祐希が「勿論」を繰り返して、伊藤に「勿論も多いし」と言われるシーンがあるのだが、「勿論」は実は伊藤の口癖の一つである。たまたまなのか、それとも伊藤と共演の多い斉藤工がそれに気付いて敢えて用いているのかは分からない。
そして完成品は加工が施されて、目も当てられない出来になってしまっている。これも笑えるようになっているが、その裏に「表現者の自殺」のような不気味さが感じられる。完成品に映る伊藤沙莉は長所が完全に削られ、極言すると人間扱いされていない。

これほど短い時間の中に伊藤の魅力を詰め込んだ齊藤工の技量も確かで、多くの人に観て貰いたいフィルムである。

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2025年1月 4日 (土)

これまでに観た映画より(362) 伊藤沙莉主演 ショートフィルム「平成真須美 ラスト ナイト フィーバー」

2024年12月16日

ひかりTV配信で、ショートフィルム「平成真須美 ラスト ナイト フィーバー」を観る。二宮健監督作品。主演:伊藤沙莉。出演:篠原悠伸、中島歩ほか。2019年の作品。上映時間32分。
この時期の伊藤沙莉は、ミニシアター系で上映されるような通向けの作品に多く出ている。

伊藤沙莉演じる真須美(苗字不明)は、おそらく売れない芸能人である。女友達の兄がポピュラー楽曲の作曲家であるのだが、3人のダンサーが踊っている前でないと曲が作れないという奇妙な癖を持っている。平成があと3日で終わり、5月1日からは令和になるということで、残り3日の間に1曲作り上げたいとプロデューサーが要望。しかし、3人いたダンサーのうちの1人が何らかの理由で脱退したため、ダンス経験のある真須美にアルバイトとしてこの仕事が回ってきたのだ。

作曲作業は小さなスタジオで合宿という形式で行われる。

作曲家のユーシン(篠原悠伸)は上半身裸でアコースティックギターを掻き鳴らすという奇妙な作曲スタイル。残り二人のダンサーはレオタードを着たおっさんということで、真須美は戸惑い、ユーシンに対しては不審の目を向け、手を抜いて踊る。
ユーシンの作曲は全く進まず、ユーシンはプロデューサー(怒ると関西弁になる)から一喝される。

ダンサーの一人から、「真須美ちゃんって、『真須美ちゃん』って顔だよね」と嬉しくもなんともない言葉を掛けられる真須美。「毒物カレー事件の時、めっちゃいじめられましたよ」(1998年に起こった和歌山毒物カレー事件。林眞須美死刑囚は現在も収監されたままである)と応えた。当時は幼稚園生であったという。

翌日も作曲は進まないが、夜、真須美がトイレに行こうとした時に、中に入って鍵を掛けていなかったユーシンと遭遇。悠伸は用を足していた訳ではなく、単に狭い場所に籠もっていたかったのだ。ここで交わした会話で、互いの心が少しほぐれ、平成最後の日となった4月30日には、真須美も全力で踊り、昨夜の真須美の「探しものって、探すのをやめた時に見つかるらしいですよ」という井上陽水譲りの真須美の言葉が功を奏したのか、曲も出来上がっていく。
真須美のiPhoneに電話が入る。母親からのものだったが、実は母親の声は伊藤沙莉の実母が演じたものだという。声は似ていないが、言い回しは少しだけだが同じようなところがある(生で聞くと声質も似ているらしい)。真須美の母は、真須美に「応援はしている」としつつ実家に帰ってこないかと誘う。この実母との会話により、真須美がやはり売れていない芸能人だと確信出来る。そして、噂を聞きつけてスタジオの下に来ていた元彼と出会う真須美。元彼はつい最近まで付き合っていた相手と別れたという。

曲が完成した後で、表へと飛び出す真須美。ここからは、実際に平成31年4月30日深夜から、令和元年5月1日になった瞬間の渋谷でゲリラ的に撮影された映像になる。おそらくだが、JR渋谷駅からセンター街を抜けるルートを真須美は走る。そしてユーシンが女性(おそらく通りがかりの人)の前で出来たばかりの曲を弾き語りしているのを見つける。昨夜トイレで、「人前では一度も歌ったことがない」というユーシンに真須美が「歌ってみたらどうですか」と提案。ユーシンがその言葉を受け入れたのを確認する。
真須美の誕生日は5月1日。追ってきた元恋人に「誕生日おめでとうって言ってよ」とお願いし、鼻歌を歌いながら来た道を引き返していく真須美。

冒頭の伊藤沙莉は眼鏡を掛けて不安そうな顔をしている。芸能活動が全く上手くいっていない上に、奇妙としか言えない仕事の依頼。自信をなくしていたのだと思われるが、自分の言葉で人が変わったのを見て、自分の存在に意義があるということを見つけたのかも知れない。

地味で奇妙で、誰が観ても面白いという作品ではないかも知れないが、生きるのが辛い人の背中をそっと押してくれるような、ほんのちょっとした優しさが感じられる作品である。

今回も伊藤沙莉は自然体の演技であるが、彼女の「その辺にいそうな子の中では一番可愛い」という容姿も結構ずるいのではないかと感じられる。自己投影がしやすく感情移入もまたしやすいのだ。二十代の頃は「誰が見ても美人」という女優の方が有利だが、彼女も三十代になり、美人度よりも親しみやすさの方が客の心を捉える世代に入った。活躍の幅が広がりそうな予感もする。

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2024年12月21日 (土)

「サミュエル・ベケット映画祭」2024 program2

2024年12月8日 京都芸術劇場春秋座

午後1時から、京都芸術劇場春秋座で、「サミュエル・ベケット映画祭」2024 program2に接する。今日上映されるのは、「エンドゲーム」、「フィルム」、「ハッピーデイズ」の3本。
司会進行役は昨日に引き続き、小崎哲哉が務める。


「エンドゲーム」は、目が見えず椅子に座ったままの主人公・ハム(演じるのは、「ハリー・ポッター」シリーズのマイケル・ガンボン)と、下半身を失いバケツに入れられたその両親、そしてその使用人で足の悪いグロヴ(デヴィッド・シューリス)である。監督はコナー・マクファーレン。
グロヴが部屋の両方にある窓にかかったカーテンを開けるところからスタート。
グロヴは常にこの部屋にいるわけではなく、厨房などに行っている場合もある。
セリフは情報量が多い上に早口で、こちらが字幕を読み終わらない間に次の字幕に移行してしまうことも多い。
様々なことが語られるが、一貫性がないというのも特徴。あたかも時間を言葉で埋める作業をしているかのようだ。
バケツに入っているという奇妙な設定の両親であるが、出番やセリフは余りなく、ハムとグロヴとのやり取りが中心となる。
出演者全員が障害者であるが、使用人のグロヴが次第に雇い主で暴君のハムよりも優勢になっていくように見えるのが、タイトルである「エンドゲーム」(チェスの用語で、チェックメイトが近い終盤戦のこと)を表しているようである。


「フィルム」はバスター・キートン主演映画。チャールズ・チャップリン、ハロルド・ロイドと共に三大喜劇人の一人に数えられるバスター・キートン。ベケットはこの映像作品の脚本と総合製作を担当しているが、様々なアドバイスをしていることから、実質共同監督と見なされている。監督はアラン・シュナイダー。上映時間24分の短編である。ベケットが唯一、映画だけのために脚本を書いた作品でもある。
ベケットは、当初はチャップリンに出演依頼をしたが、チャップリンは自身が監督した作品にしか出ないということもあって断られ、バスター・キートンに話が回った。キートンも依頼を受けたときは特に興味を示さなかったようだが依頼は引き受けている。

キートンの目のクローズアップから始まり、キートンが目を閉じたときに出来る襞に似た模様を持つ壁が立った公園内を走るキートンの後ろ姿に繋がる。
一組の男女をキートンは追い抜くのだが、そこから先に何かがあったようで、男女は顔をしかめる。
とある建物に入るキートン。階段を老女が降りてくるのを見て姿を隠すのだが、この老女が何かを発見したのか、もの凄い表情をする。その間にキートンは老女の横をすり抜けて階段を上がる。
部屋に入ったキートン。落ち着かない様子であるが、椅子に腰掛けた時に初めてキートンの顔が正面から捉えられる。キートンは片方の目を黒い眼帯で隠している。
そして現れるキートンのドッペルゲンガー。
「ドッペルゲンガーを見た者は死ぬ」と言われているので、キートンも最期を迎えることになると思われるのだが、キートンを追っていたカメラは実はドッペルゲンガーの視点なのではないかと思われるところもある。


ここで、映画批評家で、京都芸術大学映画学科主任の北小路隆志を迎え、小崎哲哉が聞き手となるゲストトークの時間となる。
北小路もベケットについては特に詳しくはないとのことだったが、「映画と演劇は別物」とした上で、先ほど上映した「フィルム」や昨日上映された「ねえ、ジョー」は映画作品として成功しているが、「エンドゲーム」や昨日上映された「クラップの最後の録音」は、役者の演技が前に出すぎているため、ベケット作品の映画化としては上手くいっているとはいえないのではないかとの感想を述べた。ベケットの理想を考えれば、もっと「機械的」になった方が良いという。


最後に上映されるのは、「ハッピーデイズ」。老女が第1幕は腰まで埋もれ、第2幕は首まで埋まりながら話し続けるという奇妙な設定の作品であるが、埋まれば埋まるほど死が近いというメタファーはよく分かる。監督:ジャン=ポール・ルー。出演:マドレーヌ・ルノー、レジス・ウタン。
体が埋まっているという不自由な状態でありながら、「今日もハッピーな1日」と語るセリフが興味深い。言葉と体の分離が行われているようである。回想が語られることが多いが、カバンの心配をしたり、手がまだ自由な第1幕ではピストルを取り出したり、パラソルを差したりと、まだ体の動きが表現出来ることは多いのだが、第2幕になるとそれもなくなっていく。死を意識したようなセリフも出てくるのだが決して悲観的にはなっていないのが印象的である。


小崎哲哉による締め。「昨日、ゲストに来ていただいた森山未來さんから、『ベケット、1日3本はきついっすね』と言われましたが、皆さんお疲れ様でした」と語り、京都芸術大学舞台芸術学科主任の平井愛子からも挨拶があった。

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2024年12月20日 (金)

「サミュエル・ベケット映画祭」2024 program1 ゲスト:森山未來

2024年12月7日 京都芸術劇場春秋座にて

午後1時から、京都芸術劇場春秋座で、「疫病・戦争・災害の時代に―― サミュエル・ベケット映画祭」2024 program1に接する。2019年のベケット没後30年のサミュエル・ベケット映画祭に続く二度目のサミュエル・ベケット映画祭である。前回は京都造形芸術大学映写室での上映会がメインだったが、今回はキャパの大きい春秋座での開催である。
先にオープニングイベントがあり、今日が本編の初日となる。今日は、「ゴドーを待ちながら」、「ねえ、ジョー」、「クラップの最後の録音」の3作品が上映される。またトークの時間が設けられ、俳優・ダンサーの森山未來が登場する。森山未來を生で見るのは、先月17日のPARCO文化祭以来、と書くと不思議と長そうに思えるが、半月ちょっとぶりなので、同一の有名人に接する期間としては比較的短い。
総合司会兼聞き手は、京都芸術大学大学院芸術研究科教授の小崎哲哉(おざき・てつや)。


まずベケットの代表作である「ゴドーを待ちながら」が上映されるのだが、その前に小崎による解説がある。ベケットが長身で男前だったこと、語学の才に長け、英語、フランス語、ドイツ語、イタリア語などを操ったことを紹介する。性格的には怖い人だったようである。また人前に出るのが嫌いで、ノーベル文学賞を受賞しているが、授賞式には出なかったという。また、下ネタが好きで、「高尚なものから下品なものまで描くのが芸術」だと考えていたようである。便器を「泉」というタイトルで芸術作品にしたマルセル・デュシャンとは仲が良かったようである。


「ゴドーを待ちながら」は、2019年のサミュエル・ベケット映画祭で、京都造形芸術大学映写室で上映されたものと同一内容だと思われる。この時は再生トラブルがあり、途中で中断があって、デッキを交換して上映を続けている。この時はこうした手際の悪さに呆れて以降に上映された作品は観ていない。この大学のいい加減さを象徴するような出来事であった。

「ゴドーを待ちながら」は、エストラゴン(ゴゴ)とウラディミール(ジジ)が一本の木が生えた場所で、ゴドーなる人物を待ち続けるという作品である。途中で、資本家の権化のようなパッツオと、奴隷のラッキーとのやり取りが2回ある。
監督:マイケル・リンゼイ=ホッグ。出演:バリー・マクガヴァン、ジョニー・マーフィーほか。マイケル・リンゼイ=ホッグ監督は、瓦礫だらけの場所を舞台に設定している。明らかに第二次大戦後の荒廃した光景を意識している。
エストラゴンとウラディミールという二人の浮浪者については、余り分かりやすいセリフではないのだが、いい加減に生きてきたから浮浪者になっているのではなく、頑張ってやるだけのことはやったが結局努力が実らなかったことが察せられるものがある。そして二人の人生はもうそれほど長くはない。大人の男の寂寥感が漂っている。ベケットは黒人による「ゴドー」の上演は強化したが、女優による「ゴドー」の上演は禁じている。「女性差別じゃないか」との批判もあったが、ベケットは「女性には前立腺がないから」というをその理由としている。ただ女性二人組にした場合、寂寥感は出ないかも知れない。男性でしか表現出来ないもの、女性にしか表現不可能なものは確かにある。
資本家のポッツォと奴隷のラッキーであるが、こうした組み合わせは戦前までは当たり前のように存在していた構図でもある。法律上は禁止されていても、金持ちが貧乏人がいいように扱うというのは一般的で、今でもある。世界の縮図がこの二人の関係に表れている。
人生そのものを描いたかのような「ゴドーを待ちながら」。何があるのか分からないのだが、とにかく待って生き続けるしかない。


上映終了後、15分の休憩を挟んで、森山未來を迎えてのトークがある。先に書いたとおり、聞き手は小崎哲哉が務める。

小崎はベケットと森山の共通点として、「多領域で活躍し」「格好いい(森山は「イヤイヤ」と首を振る)」などを挙げていた。森山はこれまでベケット作品にはほとんど触れてこなかったそうで、「初心者です」と述べていた。
「ゴドーを待ちながら」は、事前に映像データを貰っていたのだが、冒頭をパソコンで観て、「これはパソコンで観られる作品ではない」と感じ、知り合いの神戸の喫茶店がスクリーン完備だというので、そこを貸してもらって観たそうだ。「見終わって体力的に疲れた」という。
小崎が「ゴドー」が人生を描いたものという説を紹介し、森山も「人生暇つぶし」というよくある解釈が思い浮かんだようだ。

NHK大河ドラマ「いだてん」では森山は落語家の古今亭志ん生の若い頃を演じ、老成してからの志ん生は北野武が演じたが、入れ替わりになるので接点はなかったそうである。ただ、小崎は北野武はベケットから影響を受けているのではないかと指摘する。監督4作目の「ソナチネ」で、沖縄のヤクザに戦いを挑んだ弱小ヤクザ軍団が見事に敗れ、離島に逃げて何もやることがないので時間を潰すというシーンがあるのだが、これは「ゴドー」を念頭に置いているのではないかとのことだった。
なお、落語家の演技は、亡くなった中村勘三郎が抜群に上手かったそうだが、実は勘三郎は、立川談志の楽屋を訪れて弟子入りを志願したそうで、談志に実際に師事していたそうである。また殺陣は勝新太郎に習っていたそうだ。

ベケットの作品は自身の戦争体験が基になっているということで、ダンサーの田中泯の話になる。田中泯は、1945年3月10日、東京の西の方で生まれている。実はこの日、東京の東の方では、いわゆる東京大空襲があり、田中泯自身には東京大空襲の記憶はないだろうが、その日に生まれたということで様々な話を聞かされたのではないかと小崎は語っていた。

小崎は、森山が2020年に行った朗読劇「『見えない/見える』ことについての考察」の話をする。実は小崎はこの公演は観ていないようだが(私は尼崎での公演を観ている)、使われたテキストの作者、ジョゼ・サラマーゴとモーリス・ブランショは共にベケットから強い影響を受けた作家とのことだった。森山未來はそのことについては知らなかったという。


森山未來は神戸市東灘区の出身である。11歳の時に阪神・淡路大震災に被災。しかし東灘区は神戸市内でも特に被害が大きかった場所であるにもかかわらず、森山未來の自宅付近は特に大きな被害はなく、周囲に亡くなった人もいないということで、当事者でありながら周縁者という自覚があり、コンプレックスになっているそうだ。「ゴドー」を観てそんなことを思い出したりしたそうだが、小崎に「ラッキーをやってみたらどうですか? 合うと思いますよ」と言われてちょっと迷う素振りを見せた。

なお、阪神・淡路大震災発生30年企画展「1995-2025 30年目のわたしたち」が兵庫県立美術館で今月21日から開催されるが、森山未來も梅田哲也と共に出展している。


続けて「ねえ、ジョー」の上映。上映時間16分の短編である。監督:ミシェル・ミトラニ、出演:ジャン=ルイ・バロー。声の出演:マドレーヌ・ルノー。
モノクロの映像。男が室内を歩き回り、やがてこちら向きに腰掛ける。そこへ女の声がする。「ねえ、ジョー」と呼びかける女の声は、ジョーのこれまでの人生などを語る。ジョーは涙を流す。
声と表情を分離したテレビ作品である。


「クラップの最後の録音」。ベケット作品の中でも知名度は高い部類に入る。
監督:アトム・エゴヤン。出演:ジョン・ハート。
69歳になる老人、クラップは、これまで毎年、誕生日にテープレコーダーにメッセージを吹き込んできた。30年前に録音した自分の声を聞いたクラップはその余りの内容の乏しさに、自身の人生の空虚さを感じ、悔いを語るメッセージを残すことにする。
小さめのオープンリールのテープレコーダーを使用。実際には民生用のテープ録音機材が発売されてから間もない時期に書かれているため、30年前の録音テープが残っているというのはフィクションである。
老年の寂しさ、生きることの虚しさなどが伝わってくるビターな味わいの作品である。


最後に森山未來が登場。「皆さん、これ3本観るわけでしょう。体力ありますね」と述べていた。

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2024年6月18日 (火)

ホームドラマチャンネル「笠置シヅ子スヰング伝説」

2024年6月10日

録画しておいたホームドラマチャンネルのオリジナル特番「笠置シヅ子スヰング伝説」を見る。司会は佐藤利明。「スヰングかっぽれ ラッパと娘」「HOT CHINA 聖林(ハリウッド)見物」「HOT CHINA ほっとちゃいな」という神戸映画資料館から見つかった3本のショートフィルムが公開される。
いずれも笠置シヅ子が、SGDこと松竹楽劇団に所属していた26歳頃の映像である。

「スヰングかっぽれ ラッパと娘」には、まず、やんちゃガールズという4人組(荒川おとめ、雲井みね子、志摩佐代子、波多美喜子)の女性グループが現れ、「スヰングかっぽれ」を踊りながら歌う。続いて、笠置シズ子(笠置シヅ子)が現れ、デビュー曲の「ラッパと娘」を歌う。音声も映像も古いので途中で飛んだり、ノイズが多かったりするが、戦前の笠置シヅ子の映像は存在しないとされていただけに貴重である。単に映像を撮っているだけではなく、トランペットの映像を重ねるなど、当時としては凝った編集が施されている。トランペット独奏は斉藤広義。SGDスイングバンドのバンドマスターで、「ラッパと娘」のSP盤でもトランペットを吹いている奏者である。新交響楽団、日本交響楽団(いずれもNHK交響楽団の前身)を経て、大阪に渡り、関西交響楽団(大阪フィルハーモニー交響楽団の前身)の首席トランペット奏者として活躍した。

「HOT CHINA 聖林見物」。聖林というのは、Hollywood(柊林)のHollyをHolyだと勘違いして付けられた日本語表記である。
まず、リズム・ボーイズ(一條徹、上白潔、飛鳥亮、三上芳夫。「あすか・りょう」という人物がいるのが面白い)の「お江戸日本橋」の歌唱があり、SGDスイングバンドの演奏を経て、笠置シズ子が登場して「紺屋高尾の聖林見物」を歌う。「紺屋高尾の聖林見物」は、篠田実の浪曲「紺屋高尾」を服部良一がジャズ化したもので、途中でアニメーションが挿入され、笠置シズ子がハリウッド俳優のタイロン・パワーと出会う様が描かれている。

「HOT CHINA ほっとちゃいな」は、笠置シズ子の「ホットチャイナ」と、やんちゃガールが「支那の夜」ならぬ「支那の朝」を歌う様が収録されている。
SGDスイングバンドの華麗な演奏(予想以上に上手い)に始まり、爆竹の鳴る映像が流れて、笠置シズ子が中華風の衣装を纏って登場して歌う。普段よく見るのは、笠置シズ子が「東京ブギウギ」を発表して以降の映像なので、若くて可愛らしい頃の笠置シズ子の映像を見ることが出来るのは新鮮な心地を覚える。
やんちゃガールズは、まず「支那の夜」(李香蘭主演の同名映画の主題歌。渡辺はま子が歌った)を歌い、その後、小芝居を挟んで、中国を題材にした楽曲を次々に歌い、最後は「支那の夜」のパロディーである「支那の朝」を歌って終わる。途中でタップを踏む場面があるなど、やんちゃガールズがかなり器用な女性の集まりであることが分かる。

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2020年3月19日 (木)

これまでに観た映画より(160) 東京フェルメックス京都出張篇「『東』&ジャ・ジャンクー短編集」

2020年3月17日 京都シネマにて

京都シネマで、東京フェルメックス京都出張篇「『東』&ジャ・ジャンクー短編集」を観る。

東京で行われている映画祭、東京フィルメックス。京都を拠点に活動するシマフィルムがスポンサーとして参加したことを機に京都シネマと出町座という京都の2つの映画館でも出張篇として特別上映が行われることになった。

「『東』&ジャ・ジャンクー短編集」は、現代中国を代表する映像作家であるジャ・ジャンクー(贾樟柯 JIA Zhagke)の中編ドキュメンタリー映画「東」と短編ドラマ映画3本を合わせて行われる上映会である。

まずドキュメンタリー映画「東」。中国現代美術の代表的画家である劉小東(リュウ・シャオトン)を追った2006年の作品。上映時間は66分である。

北京に住んでいた劉小東が三峡にやって来る。発展著しい都市部とは異なり、内陸部にある三峡地区はまだ20世紀の中国の色彩が色濃く残っている。田舎で暮らすにはパワーが必要であるとして、劉は昔習った太極拳に取り組んだりする。
劉小東は制限された中で作品を作り上げるのを得意としている。際限のない自由を求めるような表現はしない。描くべき対象と向き合ってキャンバスを埋めていく。
若い頃は人体から溢れ出るような生命力には気がつかなかったという劉小東。今は体から発せられる活力と切なさを絵に込めるよう心がけているようである。

劉小東は、かつて絵のモデルの一人となり、今は他界した労働者の家族を訪ねる。中国の片田舎に住む、決して洗練されているとはいえない人々であるが、劉小東の余り上質とはいえないプレゼントにも喜ぶなど、人と人との関係は上手くいっている場所のようである。やがて劉小東は、タイのバンコクに向かう。バンコクの日差しに馴染むことが出来ず、タイの自然も理解することは難しいと悟った劉は、屋内でタイの若い女性達に向き合い、大作に挑んでいく。

若い頃の劉は西洋画を学んでいた。ギリシャの絵画などを参考や模範としていた。しかし今は古代の中国、北魏や北斉(葛飾北斎ではない)の絵に惹かれるという。それらの絵はアンバランスであるが、西洋とは違ったパワーが感じられるという。
カメラがモデルの一人の女性を追い(出身地が水害で大変なことになっているようだ。近く戻る予定だそうである)、混沌と熱気に満ちたバンコクの街と夜の屋台街で歌う流しの盲目の歌手の様子などを捉えて作品は終わる。

 

続いて上映時間19分の「河の上の愛情」。2008年の作品である。
「水の蘇州」として知られる蘇州が舞台である。おそらく蘇州大学に通っていた大学の同級生4人が久しぶりに再会するという話である。男性の一人は今も蘇州に住んでいるようだが、もう一人の男性は南京に、女性二人は合肥と深圳に移り住んでいるようである。
蘇州の水路でのシーンが、登場人物の揺れる心を描き出す。今の彼らは別の相手と結婚しているが、昔の恋が再会によって仄かに燃える。それがどこに行くかは示されないままこの短い映画は終わる。

 

「私たちの十年」。2007年の作品で上映時間は10分。どうもコマーシャルとして撮影されたようである。山西省を走る列車の中が舞台。この列車の常連である二人の女性の1997年から2007年までの十年が断片的に描かれる。それはメディアによっても表され、最初は似顔絵を描いたいたのがポラロイドカメラに変わり、最後は携帯のカメラでの撮影となる。若い方の女性は余り生活に変化がないように感じられるが、もう一人の女性は結婚し、出産し、そしておそらく別れを経験している。最初は活気のあった列車内が最後は閑散としているのには理由があるのだと思われるのだが、日本人の私にはいまいちピンとこない。

 

「遙春」。2018年の作品で、ごく最近制作されたものである。上映時間は18分。
いきなりワイヤーアクションのある時代劇の場面でスタートするが、これは日本でいう東映太秦映画村や日光江戸村といったアトラクションパークのシーンであり、舞台は現代の中国である。このアトラクションパークで端役のアクターをしている夫婦が主人公である。夫はやられ役、妻は西太后に仕える清王朝の女官役をしている。

長年にわたり一人っ子政策が行われてきた中国であるが、少子高齢化に直結するということで見直しが行われ、二人までなら生むことが推奨されるようになった。二人の間には中学生になる女の子がいるが、男の子が欲しいという気持ちもある。実は一度、男の子を流産したか堕胎した経験が夫婦にはあるようだ。一人っ子政策推進時代には二人目を産むと罰金が科せられたため、あるいはそういうことがあったのかも知れない。

もうすでに中年に達している二人だが、「映画監督なら38歳は若手、政治家としても若手。相対的なもの。相対性理論。アインシュタイン」という、多分、内容をよくわかってない理論で、息子を作る決意をする。
一人娘を田舎の祖父母に預け、二人は冴えないアトラクションのアクターのままではあるが、再び愛し合う決意をする。それはいわばセカンドバージンの終わりであり、目の前には希望が広がっている。
心の機微を掬い上げるのが、とても巧みな映画監督という印象を受けた。

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2019年11月24日 (日)

これまでに観た映画より(143) ポーランド映画祭2019 in 京都 「ポランスキー短編集」

2019年11月20日 出町枡形商店街の出町座にて

出町枡形商店街の出町座で、ポーランド映画祭2019 in 京都 「ポランスキー短編集」を観る。ポーランドを代表する映画監督の一人、ロマン・ポランスキーがウッジ国立映画大学在学中に制作した無声短編映画の上映である。クレジットに制作年が書かれており、全て1950年代後半の作品であることがわかる。

「殺人」、「微笑」、「パーティーを破壊せよ」、「タンスと二人の男」、「灯り」という作品の上映。いずれもDVDで入手できる映像であるが、今回はポーランドの音楽デュオであるシャザの生演奏付きでの上映である。ヴァイオリンとクラリネット他による演奏。

 

「殺人」は、ベッドで寝ていた男性が、小型ナイフで胸を刺されて殺害されるという、それだけを撮影したショートムービーである。
若き日のポランスキーが何を考えて、これだけのムービーを撮ったのかはわからない。ただ特殊に見える小型ナイフで心臓を一突きにしていることや、犯人の見た目が温厚そうなおじさんであることから却ってプロの殺し屋らしく見える。これらは意識して撮っているのだろう。

 

「微笑」は、覗きを題材にしたコメディーである。志村けんが作りそうなギャグでもある。マンションの部屋の主がドアの前に牛乳瓶を並べるシーンがあるが、ポーランドは共産党支配時代は牛乳が配給制だったそうで、夜の間に家のドアの前に牛乳の瓶を出しておくと、朝には配給されているというシステムだったそうである。

 

「パーティーを破壊せよ」。ウッジ国立映画大学のあるウッジという街は、ポーランドの中でもフーリガン(通訳は「ヤンキー」と訳していた)が多いことで知られているそうで、ウッジ国立映画大学在学中のポランスキーは大学でパーティーを開催する時に、街のフーリガン達も誘うことにしていたそうだ。その流れでこの「パーティーを破壊せよ」もフーリガン達に出演して貰って撮ったそうだが、喧嘩の場面は実際に殴っているとしか思えない。そんなこんなでポランスキーも大学を退学になりそうになったことがあるそうだ。映画に登場するフーリガン達は、ジェームズ・ディーン風というか、「ウエスト・サイド・ストーリー」のジェッツ(ジェット団)風というか(ジェッツはポーランド系移民のストリートギャングである)ポーランドであっても当時の不良はアメカジだったことがわかる。

 

「タンスと二人の男」は、ポランスキーの初期作品の中でも傑作として知られている作品である。音楽はクシシュトフ・コメダが作曲しているが、今回はシャザの二人がコメダの音楽を元にアレンジした曲を演奏する。映画の一場面は、同志社大学寒梅館クローバーホールで観た「コメダ・コメダ」の中でも取り上げられていた。
タンスを担ぎながら海から上がってきた二人の男が街へと繰り出し、あらゆる場所で拒否されてまた海に戻っていくという話である。かなりシュールであるが、ヨーロッパということで異人や移民の話なども絡んでいるのかも知れない。ポランスキー自身がユダヤ系ということもある。タンスを担ぎながら歩く二人の横で、スリや殺人といった犯罪が起こり、二人は街で見掛けた可愛い女の子には相手にされず、女の子にちょっかいを出そうとした不良グループとは揉めて、殴り倒される。路面電車やホテルにはタンスを担いでいるが故に立ち入りを拒否される。
タンスが何のメタファーなのかは、特に考える必要はないのかも知れない。生活用具なので、生活や人生を担いでいると見るべきなのかも知れないが、そこは固定せずに個人で捉えた方がいいだろう。
個人的には、ボードレールの「人皆キメールを背負えり」という詩を連想した。

 

「灯り」。人形館が舞台である。人形職人の男が嬉々として人形を作り続けている。部屋には完成したものや作りかけの人形が一杯で、結構不気味である。だが、電気がショートして火事が起こり、人形達は炎に包まれる。大惨事である。
ここでカメラが切り替わり、人形館の外の風景が映る。雨の日で、人々は人形館から漏れ出ている灯りが火事によるものだということに気づかず淡々と通り過ぎていく。内と外の違いが、ある意味、現代の孤独と断絶と無関心を引き立たせているとも感じ取れる。

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