カテゴリー「イタリア」の12件の記事

2020年6月17日 (水)

これまでに観た映画より(183) ヴィットリオ・デ・シーカ監督作品「ひまわり」

2020年6月15日 京都シネマにて

京都シネマで、「ひまわり」を観る。イタリア、フランス、ソ連合作映画。ヴィットリオ・デ・シーカ監督作品。出演:ソフィア・ローレン、マルチェロ・マストロヤンニ、リュドミラ・サベーリエワほか。音楽:ヘンリー・マンシーニ。製作:カルロ・ポンティ。

ちなみに映画プロデューサーであったカルロ・ポンティは既婚者であったが、この映画の撮影時にはすでにソフィア・ローレンと交際中であり、1972年にはローレンと再婚している。カルロ・ポンティとソフィア・ローレンの長男であるカルロ・ポンティ・ジュニアは、劇中に赤ちゃんとして登場するが、現在は指揮者として活躍しており、私も彼がロシア・ナショナル管弦楽団を指揮したCDを持っている。

映画音楽の大家、ヘンリー・マンシーニが手掛けた音楽も素晴らしく、メインテーマは彼の代表作となっている。

 

1970年に公開された映画で、今回は公開50周年を記念しての特別上映。最新のデジタル修復技術を用いたHDレストア版での上映である。

 

冒頭、中盤、ラストに登場する一面のひまわり畑が印象的である。ソ連時代のウクライナで撮影されたものだそうだ。ひまわりというと日本では華やかな陽性の花の代表格であるが、イタリアでは太陽に片想いしている寂しい花というイメージもあるようである。

 

第二次大戦中と戦後のイタリアとソ連が舞台である。
ファッションの街としても名高いイタリア・ミラノ。ロシア戦線に送られたまま生死不明となっている夫のアントニオ(マルチェロ・マストロヤンニ)の行方を妻のジョバンナ(ソフィア・ローレン)が担当職員に問い詰める場面から始まる。

イタリア北部の田舎町出身のアントニオと南部の大都市ナポリ出身のジョバンナは恋に落ち、出征延期を目論んで結婚する。だが猶予はわずか12日。そこでアントニオはジョバンナと示し合わせて佯狂による一芝居を打つことで精神病院への隔離を狙うがすぐにばれ、ロシア戦線に送られることになる。
「ロシアの毛皮を土産として持って帰るよ」と約束してミラノ駅から旅立ったアントニオだったが、戦争が終わってからも行方はようとして知れない。
ロシア戦線から帰った一人の兵士が、アントニオのことを知っていた。彼によるとアントニオは真冬のロシア戦線、ドン河付近でソビエト軍からの奇襲攻撃を受け、逃走する途中で多くのイタリア兵と共に脱落したという。

それでもアントニオの生存を信じて疑わないジョバンナは、単身、ロシアに乗り込む。1953年にスターリンが亡くなり、雪解けの時代が始まっていて、ジョバンナもモスクワにたどり着くことが出来た。モスクワにある外務省で紹介された案内の男性と共にアントニオが脱落した場所付近に広がる一面のひまわり畑の中をジョバンナは進む。かつての激戦地に咲く鎮魂のひまわりに囲まれた空き地にイタリア兵とロシア人犠牲者のための供養塔があった。更にイタリア人戦没者墓地も訪ねるジョバンナだったが、「アントニオは生きている」という確信を棄てることはない。

そしてついにジョバンナは、アントニオの現在の夫人となっているマーシャ(リュドミラ・サベーリエワ)と出会う。アントニオとマーシャの間には娘のカチューシャがいた。ショックを受けるジョバンナ。すると汽笛が鳴り、働きに出ていたアントニオが自宅の最寄り駅に戻ってくる時間であることが示される。午後6時15分、以前、アントニオとジョバンナが約束の時間としていた6時よりも15分ほど先だ。

マーシャと共に駅に向かったジョバンナは今のアントニオの姿を見る。アントニオもジョバンナに気づき、歩み寄ろうとするが、もう以前のアントニオではないと悟ったジョバンナは走り出した汽車に飛び乗って去り、人目もはばからず泣き続ける。出会えさえすればたちどころに寄りを戻せると信じていたのだろうが、それは余りにも楽観的に過ぎた。

アントニオを諦めたジョバンナはミラノのマネキン工場で働く金髪の男性と新たにカップルとなり、子どもも設ける。

ジョバンナのことが忘れられないアントニオはマーシャと相談した上で、単身モスクワからミラノにたどり着き、紆余曲折を経てジョバンナと再び巡り会うのだが、ジョバンナにはすでに息子のアントニオ(カルロ・ポンティ・ジュニア)がいることを知り、関係修復が不可能なことを悟る。ジョバンナは息子にアントニオと名付けることで、かつての夫のアントニオを思い出の中の人物としていた。時計はすでに進んでしまっており、互いが互いにとって最愛の人物であることはわかっていても、時を取り戻すことは最早不可能である。報われぬ両片想いのラストが訪れる。

戦争により、本来の人生から外れてしまった男女の悲恋劇である。そしてこの物語もまた戦地に咲く片想いの花、ひまわりの一本一本が象徴する報われなかった数多の夢の一つでしかないのだということが暗示されてもいる。

 

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2020年3月22日 (日)

これまでに観た映画より(161) 「アンドレア・ボチェッリ 奇跡のテノール」

2020年3月18日 京都シネマにて

京都シネマで、イタリア映画「アンドレア・ボチェッリ 奇跡のテノール」を観る。原作・原案:アンドレア・ボチェッリ。「イル・ポスティーノ」のマイケル・ラドフォード監督作品。出演は、トビー・セバスチャン、ルイーザ・ラニエリ、ジョルディ・モリャ、エンニオ・ファンタスティキーニ、ナディール・カゼッリ、アントニオ・バンデラスほか。
イタリアで制作された映画であり、イタリア人俳優も数多く出演しているが、アンドレア・ボチェッリ本人のメッセージ以外のセリフは英語が用いられている。
邦題は「アンドレア・ボチェッリ」であるが、原作となったボチェッリの実話小説のタイトルと原題は「The Music of Silence」で原題の方がボチェッリが込めたメッセージに近い。というより、邦題だと単なるボチェッリのサクセスストーリーだと勘違いされる怖れもある。タイトルは大事である。

何度も繰り返すが、邦題は「アンドレア・ボチェッリ」であるが、映画の主人公の名前はアモス・バルディ(トビー・セバスチャンが演じている)である。もし許されるのならアンドレア・ボチェッリが名乗りたかったという理想の名前で、バルディという苗字は出身地であるイタリア・トスカーナ地方によくあるものだという。

バルディ家の長男として生を受けたアモスであるが、母親(ルイーザ・ラニエリ)が異変に気づき、診断を受けたところ先天性の緑内障であることが判明する。手術を受け、失明は免れたが弱視のまま育つ。入院先でアモスは音楽に興味を示す。子どもの頃のアモスのお気に入りは自宅の倉庫だった。そして大好きな叔父さんジョヴァンニ(エンニオ・ファンタスティキーニ)が掛けるレコードにアモスは惹かれていく。
やがて目に問題を抱えた子ども達のための寄宿学校にアモスは入ることになる。音楽の授業で、アモスは美声を見いだされることになるが、鈴の音サッカーでキーパーをしている時にシュートを顔面に受け、ついに全盲となってしまう。落ち込むアモスをジョヴァンニ叔父さんが無理矢理歌唱コンクールに参加させる。まずオーディションを突破したアモスは決勝でも青年シンガーを退けて優勝する。オペラ歌手を夢見るようになるアモスだったが、声変わりをしてからは歌声に自信が持てなくなる。父親(ジョルディ・モリャ)はピアノなどの演奏家を目指してはどうかと提案するが、演奏家は視覚障害者の定番だからという理由で避け、弁護士を目指して名門高校へ進学。しかし、視覚障害者を受け入れられる素地が高校には整っていなかった。コンクールに出た時の歌声を知っていたアドリアーノと親友になったアモスは勉強そっちのけでバンド活動などに打ち込み、成績は低迷。これを聴覚教育に優れた家庭教師の教育で乗り切り、大学の法学部に進学したアモスは、夜にはバーで弾き語りのアルバイトを始める。そこで高校在学中のエレナ(ナディール・カゼッリ)と出会い、エレナからのアプローチによって二人は恋に落ちる。
バーでオペラの楽曲の弾き語りを行って評判となったアモス。そこでジョヴァンニ叔父さんが本職の音楽評論家を連れてきて聴いて貰うのだが、ボロクソにけなされる。
そんなある日、ピアノの調律などを手掛ける友人がスペイン出身の歌唱指導のマエストロ(アントニオ・バンデラス)の指導を受けるよう進言。マエストロに評価されたアモスは生活から変えていくことになる。

マエストロから「沈黙」の時間を大切にするように言われたことが、この映画における最も重要な主題となっている。その理解を邦題は妨げるようになりそうな危うさがある。

ストーリー的にはオーソドックスで特に突飛なこともなく、捉えようによっては平板であるが、とにかく音と映像と風景が美しく、音楽映画を観る楽しみを十分に味わうことが出来る。あたかもオペラの構造と同じような構成であり、あるいは意識したのだろうか。流石にそんなことはないと思うが。

邦題から受ける印象とは別の感銘を受ける映画である。

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2019年12月16日 (月)

これまでに観た映画より(148) 「完璧な他人」

2019年12月11日 京都シネマにて

京都シネマで、韓国映画「完璧な他人」を観る。イタリア映画「おとなの事情」のリメイク。監督:イ・ジェギュ、出演:ユ・ヘジン、ヨム・ジョンア、チョ・ジヌン、キム・ジス、イ・ソジン、ソン・ハユン、ユン・ギョンホ。

幼馴染み4人とその妻が、新居完成祝いに集まり、自分達の間に秘密はないとして、互いのスマホに掛かってくる電話やメールを公開する(電話はスピーカーモード使用、メールは読み上げソフトを使う)という、誰がどう考えてもやらない方がいい「ゲーム」を始めてしまったがために起こるシチュエーションコメディ。喜劇ではあるが「俯瞰で見ると」という喜劇で、かなりビターな味わいのある大人のための作品である。そして、出演者がやらずもがなのことをするたびに客席から「あー!」といったような叫びが起こる。このスクリーンと客席との絶妙の一体感。映画館で観るべき作品といえる。

登場する男性達は全員同級生の45歳という設定であり、今の私と丁度同い年だ(韓国は数え年なので厳密に言うと少し違う)。全員がミッドライフクライシスを抱えており、家庭、男女間、仕事などでそれぞれが問題に直面している。

ソクホ(チョ・ジヌン)とイェジン(キム・ジス)は医師同士の夫婦である。ソクホは「韓国の東大」として日本でも知られるソウル国立大学校医科大学出身の美容外科医、イェジンは精神科医である。二人には二十歳になる娘がいるが、イェジンは二十歳はまだ子どもだとして娘が男性と付き合うことに猛反対している。ちなみにソクホもイェジンとの結婚をイェジンの父親に猛反対されたらしく、職場に乗り込んでの嫌がらせをされたりもした過去があったようだ。

テス(ユ・ヘジン)もソウル国立大学校のおそらく法科大学出身で弁護士。亭主関白である。二人の高校時代の恩師からの電話も入るのだが、「ソウル国立大学校に入るという快挙」というセリフがあるため、二人の出身大学がわかる。テスの妻・スヒョン(ヨム・ジョンア)は専業主婦だが、文学講座に通っており、韓国の有名詩人の詩をそらんじている。

ジュンモ(イ・ソジン)はレストラン経営者だが、これまで様々な事業で失敗を重ねており、学歴面で皆に及ばないことでコンプレックスを抱いていることを告白するセリフがある。また、カンボジアでタピオカのビジネスを始める計画を語って、皆から一笑に付される場面もある。かなりのプレイボーイで女性に不自由したことはない。妻のセギョン(ソン・ハユン)は獣医だが、これまたいかにも男にもてそうなタイプであり、さりげない嫌みで場の空気を掻き乱すのを得意としている。

校長の息子で、教員を辞めたばかりのヨンベ(ユン・ギョンホ)は、バツイチであり、新しい恋人を連れてくると言ったが、風邪で寝ているということで一人で来る。いかにもわけありそうで、実際のところ多くの人が予想するであろう通りの結果なのだが、とある事情でテスとスマホを交換することになり、そのことがあらぬ疑いを招く結果となってしまう。
なお、ヨンベが新居完成祝いとして大量のトイレットパーパーを持ってくるシーンがあるが、韓国ではトイレットパーパーを送ることは「末永く幸せが続くことを祈る」という意味があるそうで、新居完成や引っ越し祝いの定番だそうである。日本人が見ると奇異に感じるが、ヨンベがおかしなことをしているというわけではない。

男性と女性とでは、そもそも脳の仕組みが違うというセリフがあり、それぞれがスマートフォンに例えられるのだが、男性はAndroidで、「安くて効率が良くてアップデートしないと使い物にならない」、女性はiPhoneで、「美しくて機能的だが高くて互換性がなく、生意気」らしい。ちなみスマホの世界シェアトップはサムスンで、当然ながら韓国ではAndroidが主流である。

ということで、ソクホのスマホには娘から「彼氏と一夜を共にしたい」という内容の電話が入り、スヒョンのスマホには文学講座の仲間から電話が入るのだが、影でイェジンに対する悪口雑言を並べていることがバレてしまう。イェジンには実父からの電話があり、イェジンの手術を夫のソクホに任せることはまかり成らんというお達しがある。イェジンの父親が今もソクホのことを馬鹿にしていることもわかる。
セギョンには元彼からの電話がある。ジュンモは「俺は元カノの電話には出ない」と怒るが、元彼が愛犬の対処法を頼んでいるということで、スピーカーモードでの施術が行われる。だが、下のことであるため、妙な雰囲気が漂ってしまう。

ソクホの投資へ失敗、ジュンモの部下との浮気(更に他の女性とも浮気をしている)、ヨンベが教師を辞めたわけなど、人生の真ん中に差し掛かった男と女の「よくあるが深刻な危機」が描かれており、秘密にして誰にも明かしていない部分ということでよそ目には「完璧な他人」であるが、内情は誰もが経験する可能性のあることであり、特に私は彼らと同世代ということで、「あり得たかも知れない自分」を彼らの中に見出すことになった。そう感じる人は私一人だけではないはずで、彼らは全員「あなたに似た人」でもある。
暴露だけではなく、勘違いが勘違いを生むというシチュエーションコメディの王道を行く展開もあり、「面白ろうてやがて悲しき」悲喜劇となっている。

国家戦略として映画に国を挙げて取り組んでいる韓国。この映画でも思い切ったアングルを用いたり、他のものに託して心理描写を行うなど意欲的な仕上がりとなっている。

 

2005年に自殺してしまった女優、イ・ウンジュの最後の連続ドラマとなった「火の鳥」(2004)で相手役を務めていたイ・ソジン。最初はイ・ソジンじゃ笑っちゃうということだったのかイ・スジン表記だったがまあそれはいい。アメリカで演技を学んだ本格派で(当初は映画監督志望だったが両親に反対されたため、俳優の道に進んでいる)インテリを演じることが多かったのだが、この映画では女の敵ともいうべき遊び人役であり、ものにしている。

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2018年12月17日 (月)

コンサートの記(470) 京都オペラ協会定期公演 ベッリーニ 歌劇「カプレーティ家とモンテッキ家 ~ロミオとジュリエット~」

2018年12月9日 左京区岡崎のロームシアター京都サウスホールにて

午後2時から、ロームシアター京都サウスホールで、京都オペラ協会定期公演・歌劇「カプレーティ家とモンテッキ家 ~ロミオとジュリエット~」を観る。作曲:ヴィンチェンツォ・ベッリーニ。総監督・演出:ミッシェル・ワッセルマン。森香織指揮京都オペラ管弦楽団(特別編成。協力:公益社団法人アンサンブル神戸)の演奏。合唱も特別編成の京都オペラ合唱団。出演は、黒田恵美(ジュリエッタ)、森季子(ロメオ)、竹内直紀(デバルド)、東平聞(カペッリオ)、迎肇聡(ロレンツォ)。

いわゆる「ロミオとジュリエット」の話だが、シェイクスピアの戯曲ではなく、シェイクスピアも題材にしたヴェローナの故事から直接書かれた台本によっている。

シェイクスピアの「ロミオとジュリエット」との異同は多く、まず、ジュリエッタ(ジュリエット)の婚約相手がパリスではなくデバルド(ティボルトに相当)であり、ロレンツォ(ロレンスに当たる)は神父ではなく、カペッリオの親類の医師ということになっている。
また、ロメオ(ロミオ)は最初からジュリエッタと恋仲であり、戦いの中でカペッリオの息子を殺して追放されたという選定である。

このオペラでは、ロメオ役をメゾ・ソプラノの歌手が担うのも特徴。そのため、梅田芸術劇場メインホールなどで行われている、宝塚歌劇出身の女優と男性ミュージカル俳優とのコラボ上演に雰囲気がよく似てる。

今日は2階席の2列17番というほぼ真ん真ん中での鑑賞。サウスホールの2階席には何度も座ったことあるが、いずれも端の席であり、中央列に座るのはほぼ初めて。座席間が狭いため、席にたどり着くのに難儀する。サウスホールは内部改修で天井の高さに限界があるため、こうした無理なことになっているようだ。

ホール自体が余り大きなものでないため、音は良く聞こえる。残響が短めなのもオペラには適性があり、歌手が声を張り上げても音が割れることがない。森香織指揮の京都オペラ管弦楽団の音もクリアに響く。ただその分、強弱のニュアンスは余り出ないかも知れない。

今回は、演出のミッシェル・ワッセルマンに発案により、舞台をアル・カポネらが暗躍していた1920年代のシカゴに移した上演が行われる。名家同士ではなく、マフィアの諍いという設定に変わり、服装は現代的で、武器も短剣ではなくナイフだ。


「夢遊病の女」などで知られるヴィンチェンツォ・ベッリーニ(1801-1835)。シチリア島に生まれ、ナポリ王立音楽院に学び、20代前半にオペラ作曲家としてデビュー。「天才」と謳われたが33歳で早世している。
丁度、モーツァルトと入れ代わるようにして現れた世代であり、古典派と初期ロマン派の特徴を兼ね備えた作風である。メロディメーカーとして知られただけあって旋律はいずれも美しい。そのため圭角が取れすぎていて印象に残りにくいという贅沢な欠点にもなっている。

会場が小さいということもあって歌手達の声も良く通り、歌唱を存分に味わうことが出来た。

演出のワッセルマンは歌舞伎研究の専門家だが、この演出では特に奇をてらったところはないように感じた。

ラストで、ジュリエッタはナイフで胸を突いて死ぬのかと思いきや、右手を伸ばしたまま絶命。ショックで死んだということなのか、それともナイフを使ったが私の席からははっきりと見えなかったということなのか。折角、短剣をナイフに替えたのだから、もっと効果的な演出があっても良いと思う。



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2018年11月30日 (金)

コンサートの記(459) 金沢歌劇座 ヴェルディ 歌劇「リゴレット」

2018年11月25日 金沢歌劇座にて

午後2時から、金沢歌劇座でヴェルディの歌劇「リゴレット」を観る。原作はヴィクトル・ユゴーの『王は愉しむ』。鈴木織衛指揮オーケストラ・アンサンブル金沢による演奏。演出は三浦安浩。出演は、青山貴(リゴレット)、森麻季(ジルダ)、アレクサンドル・バディア(マントヴァ公爵)、森雅史(スパラフチーレ)、東園(ひがし・その。ジョヴァンナ)、藤井麻美(ふじい・あさみ。マッダーレナ)、李宗潤(イ・ジョンイン。モンテローネ伯爵)、藤井勇雅(ふじい・ゆうや。マルッロ)、原田幸子(はらだ・さちこ。チェプラーノ伯爵夫人)、近藤洋平(ボルサ)、石川公美(いしかわ・くみ。公爵夫人付きの小姓)、吉田大輝(金沢オペラ合唱団より。チェプラーノ伯爵)、国谷優也(金沢オペラ合唱団より。王宮の随行)。男声合唱は金沢オペラ合唱団、貴婦人達も金沢オペラ合唱団の選抜メンバーが務める。


「リゴレット」は、テノールのアリアである「女心の歌」がとにかく有名な作品。テノールの歌う曲としては一二を争う知名度を誇り、特に日本では藤原義江が十八番としていたことから「最も有名なオペラナンバー」と断言しても構わないほどよく知られている。
オーケストラ・アンサンブル金沢と金沢歌劇座はこれまで、国内のホールとの共同制作によるオペラを毎年上演してきたが、今回は初の金沢独自公演として、今日1回限りの上演を行う。


金沢歌劇座は、以前は金沢観光会館という名前で知られていた建物である。2001年に金沢駅前の石川県立音楽堂が出来るまでは、オーケストラ・アンサンブル金沢はここを本拠地にしていた。2007年に名称が金沢歌劇座に変わっている。
1962年竣工ということで、京都会館(現・ロームシアター京都)の2年後の完成。当時流行っていた扇形の広がりのある内観である。竣工からかなりの歳月が経っているが、内部は改装が行われているようで、それほど古いという印象は受けなかった。
音響であるが、構造からいって2階席の方が1階席よりも音が通るような感じである。ただオペラを上演するには響きすぎるようで音のクリアさは十分でなく、オーケストラ・アンサンブル金沢の演奏にしては濁りが感じられ、声も場面によっては十分に届いて来ない。2階席の出入り口横の席で観たのだが、この席は手すりが視覚の邪魔になり、舞台の一部がよく見えない。こちらも慣れているので、想像力でその欠点を補うことは比較的たやすいが、「この手すりは本当にいるのか?」と疑問に思う構造ではある。


指揮の鈴木織衛は、現在、オーケストラ・アンサンブル金沢(OEK)の専任指揮者を務めている。東京藝術大学指揮科卒業後、同大学院修了。藝大在学中より、中田喜直の薫陶を受け、中田とのジョイントコンサートでピアニストとしてデビュー。その後、二期会の指揮者やコレペティートゥアとしてキャリアを積み、2010年にOEKの専任指揮者に就任している。


好色家のマントヴァ公爵が、主人公である道化師リゴレットの主として登場する。好色ということで、ドン・ジョヴァンニを連想させる人物であり、老いたモンテローネ伯爵が「ドン・ジョヴァンニ」における騎士団長の役割をなぞっていることも見ていてわかる。ただ「ドン・ジョヴァンニ」とは違って「リゴレット」では好色家は地獄には落ちない。


歌舞伎の戸板を模したような舞台セットが用いられており、場面の転換や「戸板返し」などで効果を発揮する。

照明は、赤、白、緑のイタリアンカラーを基調としたもので、暗さが増すシーンでは不吉な青が用いられる。

もう一つ印象的なのが、キャットウォークから下りてくるゼルダのためのブランコで、これに乗って歌うことによりゼルダの心の揺れと無邪気さが強調され、ラストではその喪失感が見る者の胸に迫るような仕掛けになっている。

第2幕が始まる前に、総合プロデューサーの山田正幸がマイクを持って登場する。何かと思ったら、マントヴァ公爵役のアレクサンドル・バディアが体調不良だそうで、昨夜点滴を受け、今朝も点滴を行ったそうで、山田は代役も考えたそうであるが(ボルサ役の近藤洋平がマントヴァ公爵のアンダースタディとしても入っている)、バディアが「金沢のお客さんのために最後まで頑張る」と言っているため、最後まで任せることにしたそうだ。山田が退場した後で客席が少しざわついた。


バディアは「女心の歌」などでは流石に声の出が悪かったが、全般を通しては体調不良を感じさせない元気な振る舞いを見せた。

タイトルロールを歌う青山貴は、貫禄と安定感のあるリゴレットを聴かせる。

ゼルダ役の森麻季は最初のうちは技術偏重のように感じられたが、伸びのある高音ときめ細やかな声音の変化、そして音程も輪郭も全くぶれない歌唱で世評の高さを納得させる圧倒的存在感を示した。

金沢オペラ合唱団は、オーディションで選ばれたアマチュア団体。ということもあってか、ダンスのシーンなどではキレに欠けたりもしたが、一定の水準に達した歌唱を聴かせる。


ちなみに、第3幕にはヴェルディが作曲技術の限りを尽くした4重唱が登場するのだが、これはロナルド・ハーウッドの本に基づく黒柳徹子主演の舞台「想い出のカルテット~もう一度唄わせて~」のクライマックスで用いられている。「想い出のカルテット~もう一度唄わせて~」の種明かしになるのだが、この4重唱には「嘘」という言葉が繰り返し登場する。


鈴木織衛指揮のOEKも起伏に富んだ音楽作りで聴衆を魅了。オーケストラ、歌手、演出の三拍子が揃い、感動的なオペラ上演となった。


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2018年10月18日 (木)

観劇感想精選(263) アルテ・エ・サルーテ 「マラー/サド」@クリエート浜松

2018年10月11日 浜松市のクリート浜松 ホールにて観劇

午後5時30分から、クリエート浜松のホールで、アルテ・エ・サルーテの「マラー/サド(原題は「マルキ・ド・サドの演出のもとにシャラントン精神病院の患者たちによって演じられらジャン=ポール・マラーの迫害と暗殺」)」を観る。フランス革命時のジャコバン派首領であるジャン=ポール・マラーと、サディズムの語源として知られ、後世に多大な影響を与えたマルキ・ド・サド(サド侯爵)を軸にした芝居である。

アルテ・エ・サルーテは、浜松市の音楽文化交流都市であるイタリア・ボローニャに拠点を置く非営利協会。エミリア・ロマーニャ州立地域保健機構ボローニャ精神保険局の精神障害者80名以上が通っており、そのうち41名がプロの俳優として、散文劇団(コンパニィア・ディ・プローザ、児童向け劇団(コンパニィア・ディ・テアトロ・ラガッツィ)、人形劇団(テアトロ・ディ・フィーグラ)、精神を題材とした放送局であるサイコラジオに所属している。
今回来日したのは散文劇団のメンバーである。2000年の創設で、ボローニャに本拠を置く劇団としては最古参になるという。

イタリアからはエミリア・ロマーニャ州のボローニャ市長代理やアルテ・エ・サルーテの主治医が同行しており、上演前にスピーチを行う。イタリア語通訳の方が頼りなく、州知事代理の方が遠州方言である「やらまいか」を観客達とやりたいと申し出るも上手く通じる、バラバラになってしまう。スタッフも演劇上演には明らかに慣れていないが、地方都市であるだけにこれは仕方がない。

今回の浜松上演は、静岡文化芸術大学の名誉教授&理事で、イタリア語・イタリア演劇を専門とする高田和文の協力によって実現したものであり、高田氏が真っ先にスピーチを行った。

舞台後方の白い壁には、「じゆう」「障害はあるけど奴隷じゃない!」「革命しよう 拘束反対」「自由 平等 友愛」「マラー万歳!」といった言葉が赤と青の文字で記されている。

「マラー/サド」。作:ペーター・ヴァイス。脚色・演出:ナンニ・ガレッラ。オリジナル音楽:サヴェルオ・ヴィータ。制作はエミリア・ロマーニャ演劇財団、NPOアルテ・エ・サルーテ、エミリア・ロマーニャ州立ボローニャ地域保健連合機構精神保険局。
1964年に初演が行われたドイツ演劇作品で、1967年にはピーター・ブルックによって映画化されている。

イタリアには1978年まで精神病専門の病院があり、多くの人がそこに強制入院させられていたが、今ではそうした押し込め型の長期入院型精神病院はなくなっていて、公立総合病院の精神専門部門での病状に応じた治療が中心となっているそうである。

シャラントン精神病院に収監されたマルキ・ド・サド(演出であるナンニ・ガレッラが演じている)が、患者達を使ってマラーの人生を描いた芝居を上演する模様を上演するいう劇中劇の入れ子構造になっている。

出演は、布告役(口上役。劇中劇では窃盗罪と境界例があるという設定):ミルコ・ナンニ、サド侯爵(ここには殺人の罪で入っている。偏執狂の持ち主):ナンニ・ガレッラ、ジャン=ポール・マラー(過激派、妄想型統合失調症):モリーノ・リモンディ、シャルロット・コルデー(嬰児殺人罪、躁鬱病、ナルコレプシー):ロベルタ・ディステファノ、シモンヌ・エヴラール(家庭虐待、ヒステリー):パメラ・ジャンナージ、デュペレ(強制性交等、錯乱性色情症):ロベルト・リジィ、ジャンヌ・ルー(破壊行為、誇大妄想症虚言癖):ルーチォ・パラッツィ、ロッシニュール(売春、強迫性窃盗症):イレーオ・マッツェティ、キュキュリュキュ(放火魔):増川ねてる 、ポルポック(麻薬密売、強迫症):デボラ・クインタバッレ、ココル(麻薬常用、境界例):ルカ・ファルミーカ、患者1(殺人により強制措置):ファビオ・モリナーリ、患者2:ニコラ・ベルティ、女医(医院長):マリア・ローザ・ラットーニ、看護士:ロレッタ・ベッキエッティ&カテリーナ・トロッタ、看守:ダビデ・カポンチェッリ。

まず、医院長からの挨拶で芝居が始まる。舞台は鉄格子の向こうであるが、医院長だけは客席側に出て、芝居を観る(これも演技の内)ことが出来る。クリエート浜松ではなく、シャラントン精神病院での院内上演という設定で、観に来ているのも同じ入院患者として劇の紹介を行う。

フランス革命直後のフランス。貴族階級が否定され、この世の春を謳歌していた貴族達は次々とギロチン送りにされている。庶民達は自分達の時代を築こうとしているが、そちらの方は順調には進んでいない。血気盛んな庶民達は自由を望み、決起を、というところで医院長からストップが掛かる。「熱くなりすぎる! もっと冷静に」との注文を受けて芝居再開。

多数の貴族をギロチン送りにしているマラー。だが重度の皮膚病に苦しみ、症状を和らげるために常に浴槽に水を張って浸かっていないと症状が悪化してしまう。身の回りのことは家政婦のシモンヌに全て任せていた。
理想に燃えるマラーであるが、浴槽に幽閉されたような状態である。

パリに出てきたばかりのカーン出身の少女がマラーの命を狙っている。シャルロット・コルデー。後に「暗殺の天使」として世界に知られることになる下級貴族出身のこの女性も閉鎖的な修道院から出たばかりで、自由と理想を追求していた。
ちなみにコルデー役の女優さんが一番症状が重いという設定であり、常に眠気に襲われている上に重篤な鬱状態ということで、自分の出番が来るまでは看護士の膝を枕にして眠っている。
シャルロットは1日に3度、マラーを訪問し、3度目に刺し殺すのであるが、気が昂ぶったシャルロッテは最初の訪問でいきなりマラーを殺そうとしてサドから注意を受ける。

反体制派のマラーと貴族階級出身のサドの意見は対立する。このマラーとサドのディベートが一つの軸になっている。
サドは自然を嫌う。自然は偉大なる傍観者、弱者が滅びるのを観察しているだけ。あたかも「沈黙の神」に対するかのような姿勢だ。一方のマラーは自然がもたらすことには意味があり、それを超克したいという希望がある(西洋においては自然の対語が芸術である)。

マラーは急速に革命を推し進めようとするが、サドに革命が起こっても何も変わっていないと指摘される。下層階級は革命の前も後も苦しみのただ中にいると。

マラーを支持する下層階級のグループは自分達の改革の邪魔になりそうな人物の名を挙げて、血祭りに上げようと騒ぐ。ラファイエットやビュゾー、ロベスピエールの名が挙がるが、そのうちに医院長や医師の名前が挙がったため医院長に芝居を止められる。そもそもカットされたはずの部分が上演されてしまっていたらしい。

マラーは貴族階級を憎み、下層階級に与えられた苦しみに比べれば、貴族階級の苦悩などまだまだ浅いと考えており……。

音楽が流れ、歌い、隊列を作って行進しと様々な要素を取り入れた芝居である。
イタリアでは1978年にバザーリア法により精神病院と閉鎖病棟の制度は廃止されたが、日本では精神障害者のうち重度の患者は何十年にも渡って精神病院に閉じ込められているという現実がある。そこに精神障害者の自由はない。
登場人物の多くも幽閉されている。現実の精神病院にだけではなく、あるいは病気に、あるいは階級に、あるいは年齢に、あるいは修道院に代表される宗教に。

芝居は、コルデーが意識の解放を遂げた後で、フランス国歌にしてフランス革命歌「ラ・マルセイエーズ」を全員で歌って終わる。「marchons,marchons(進め! 進め!)」の部分を「マラー、マラー」に変えられ、その後の歌詞もマラーへの応援歌となり、「障害はあるけど奴隷じゃない!」と希望を望む言葉で締めくくられる。

最後は、「ラ・マルセイエーズ」をファンファーレとして使用したビートルズの「愛こそはすべて(All you need is love)」が流れる中を出演者が踊って大いに盛り上がる。
「自由」そして「解放」を訴える芝居だけあって、革命期の高揚を伴う展開に説得力があり、病気や環境によって真に抑圧されてきた経験のある俳優が演じているだけあってオーバーラップの効果は大変なものである。
ラストの選曲も実に上手かった。

芝居の上演の後に、ティーチインのようなものがあり、浜松市内のみならず日本全国から集まった当事者、医療関係者によって様々な質問がなされ、演出家のナンニ・ガレッラや劇団員達が答えていた。

精神障害者が精神障害から完全に抜け出る日は、あるいは来ないのかも知れない。来るとしてもまだまだ先なのかも知れない。ただ、演じることで苦しみのある現実から一瞬でも抜け出すことは可能であるように思われる。自分ではない他者として生きる経験を持つということ。この点において演劇は有効だ。

 

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2018年9月22日 (土)

コンサートの記(428) 吉田裕史指揮ボローニャフィルハーモニー管弦楽団特別演奏会@京都コンサートホール2018

2018年9月10日 京都コンサートホールにて

午後7時から、京都コンサートホールでボローニャフィルハーモニー管弦楽団の特別演奏会を聴く。指揮はボローニャフィルハーモニー管弦楽団芸術監督の吉田裕史(ひろふみ)。

北海道生まれ、千葉県育ちの吉田裕史。市川市にある千葉県立国府台高校を卒業後、東京音楽大学と同研究科で指揮を広上淳一らに師事し、ウィーン国立大学のマスターコースではハンス・グラーフらに師事してディプロマを取得。イタリア・シエナのキジアーナ音楽院でも学んでいる。ドイツやスウェーデンの歌劇場でも研鑽を積んでいるが、21世紀に入ってからはイタリアの歌劇場を中心とした活動を続けている。

昨年も同じ時期に京都コンサートホールでの演奏会を吉田の指揮で行っているボローニャフィルハーモニー管弦楽団。ボローニャ市立歌劇場管弦楽団のメンバーから構成されている。現在、名古屋城本丸天守前での「トスカ」野外上演を行っており、上演の合間を縫って京都にやって来ている。京都へは名鉄バスに乗って移動して来たようだ。

明治150年と京都府庁開庁150年を記念した演奏会。曲目は、第1部がオール・ロッシーニ・プログラムで、「泥棒かささぎ」序曲、「絹のはしご」序曲、「マティルデ・ディ・シャブラン」序曲、「ウィリアム・テル」序曲、第2部がプッチーニのオペラ「トスカ」ハイライトである。

ドイツ式の現代配置での演奏。ボローニャフィルは昨年もコンサートの前半にオーケストラ曲を演奏しているが、アンサンブルの精度や魅力は今ひとつであった。
今回も「泥棒かささぎ」序曲の冒頭ではスケールが小さいように感じられたが、徐々に調子を上げていく。管楽器はソロの技術が高い。ただユニゾンやハーモニーになると何故か雑になってしまう。イタリア人には個人プレーの方が合っているのかも知れない。弦の上品さと管の抜けの良さは昨年の演奏では聴けなかったもので、やはりボローニャ出身であるロッシーニの楽曲には思い入れがあるのであろう。
「マティルデ・ディ・シャブラン」序曲は聴き慣れない曲だが、吉田の発言によると、今回がおそらく日本初演になるだろうとのことだった。

第2部のオペラ「トスカ」ハイライト。現在、名古屋で上演を続けているということもあってか、第1部とは音への敏感さや反応が違う。しなやかに歌い、情熱的に盛り上がる。オペラの序曲よりもオペラ本編の演奏の方を何倍も得意としているようだ。

まず、ソプラノのアマリッリ・ニッツァとバリトンのジョヴァンニ・メオーニによるデュオ「マリオ、マリオ、マリオ」。ステージ前方で演技をつけながら歌う。
京都コンサートホールの特性なのか、ソプラノの張り上げた声は余り響かない。ピアニシモは通るのだが、オペラ的発声には向いていないようである。

テノールのカルロ・ヴェントレの独唱による「テ・デウム」。ヴェントレは南米ウルグアイ出身で、新国立劇場オペラの常連でもあるそうだ。良い歌い手である。

アマリッリ・ニッツァの独唱による「歌に生き愛に行き」。やや線の細さはあるが、透明感のある安定した歌声で聴かせる。

ジョヴァンニ・メオーニ独唱による「星は光ぬ」。ドラマティックで熱のこもった歌声であり、「見事」であった。

演奏終了後に、吉田がマイクを片手に登場。「イタリアではアンコールをやるかどうかを最初から決めているわけではないんです。お客さんの反応が良かった時だけ、アンコールを、BISというのですが、それでは」「恐ろしく美しい曲、天国的に美しい曲です。おそらく日本初演になると思います。マルトゥッチという作曲家の『夜曲』という曲を」
マルトゥッチの「夜曲」は叙情的且つ繊細な作風で、秋の空のような高雅さを持っている。演奏も匂うような上品さを保っていた。

ラストは、ボローニャ出身のロッシーニの曲をボローニャ出身のレスピーギが編曲したという「風変わりな店」より“タランテラ”。吉田は演奏前に「浅田真央ちゃんが使って有名になった曲」と事前に説明を行う。イタリアの情熱的な舞曲を指す言葉である「タランテラ」(毒蜘蛛のタランチュラと語源が一緒である)。イタリア南部の熱気が溢れ出すような曲と演奏であった。

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2018年9月15日 (土)

コンサートの記(425) 吉田裕史指揮ボローニャフィルハーモニー管弦楽団特別演奏会2017@京都コンサートホール

2017年9月8日 京都コンサートホールにて

午後7時から、京都コンサートホールで、Kyoto Opera Festival 2017 ボローニャフィルハーモニー管弦楽団特別演奏会を聴く。指揮はボローニャフィルハーモニー管弦楽団芸術監督およびボローニャ歌劇場首席客演指揮者の吉田浩史(よしだ・ひろふみ)。

ボローニャを州都とするイタリア・エミリア・ロマーニャ州と京都府が交流を深めているそうで、今年7月に山田啓二京都府知事の親書を携えた「響の都オペラの祭典」財団一行ががエミリア・ロマーニャ州を訪問し、エミリア・ロマーニャ州知事やボローニャ工業会会長、ボローニャ大学学長らと会談したという。ということで開演前の挨拶では山田啓二知事もステージに上がり、スピーチを行った。山田知事によるとボローニャ市とエミリア・ロマーニャ州は、映画産業、自動車などの製造業、食産業が盛んで、大学都市でもあるということで京都市や京都府と共通点が多いという。
来年はエミリア・ロマーニャ州の行政・産業・大学関係者らが京都府を訪問する予定だという(後記:予定が1年延びたようである)。
私の出身地である千葉県はアメリカのウィスコンシン州と姉妹県州の関係を結んでいるが、京都府もエミリア・ロマーニャ州と姉妹関係になれれば色々な意味で嬉しい。

指揮者の吉田浩史は、1968年生まれの中堅。東京音楽大学指揮科および同研究科を修了後、ウィーン国立音楽大学マスターコースでディプロマを取得。イタリア・シエナのキジアーナ音楽院マスターコースでも学ぶ。2010年にイタリアのマントヴァ歌劇場の音楽監督に就任。2014年にボローニャフィルハーモニー管弦楽団の芸術監督となっている。ボローニャフィルとの来日では、京都国立博物館野外ステージで歌劇「道化師」を、奈良の平城宮で歌劇「トゥーランドット」を上演している。

曲目はいくつか変更になっており、第1部がヴェルディの歌劇「ナブッコ」序曲、ジョルダーノの歌劇「フェードラ」間奏曲、プッチーニの交響的前奏曲、ヴェルディの歌劇「椿姫」前奏曲、ヴェルディの歌劇「オテロ」よりバレエ音楽。第2部が「椿姫」よりハイライトとなっている。

ドイツ式の現代配置での演奏。コンサートマスターは第1部と第2部で異なる。

クラシック音楽の祖国であり、多くの名指揮者、演奏家、歌手を生んできたイタリアであるが、ことオーケストラとなると「名門オーケストラはあるが一流オーケストラは存在しない」という状態。ローマ聖チェチーリア国立アカデミー管弦楽団やミラノ・スカラ座管弦楽団(スカラ・フィルハーモニー管弦楽団)は紛う事なき名門であるが、世界的な一流団体と認識する人はほとんどいないと思われる。
いい加減な人が多いことで知られるイタリア人が大人数での合奏を得意としないというのは、いかにもありそうな話ではある。

ボローニャフィルハーモニー管弦楽団も第1部では実力不足を露呈。弦には独特の艶があるが厚みや輝きに欠けており、管は粗さが目立つ。
吉田はボローニャフィルに細やかな指示を出すが、少なくとも「上手く応えれた」とは言えないと思う。

第2部の「椿姫」ハイライトには、歌手3人が出演。登場順にソプラノのヌンツィア・デファルコ、バリトンのヴィットリオ・プラート、テノールのマッティオ・ファルチエであるが、ヌンツィア・デファルコは声が余り通らず、オーケストラに埋もれてしまったりする。ホールの響きが影響したのかと思われたが、バリトンのプラート、テノールのファルチエの声量に不足は感じられなかったため、単純に声量が足りなかったのかも知れない。京都コンサートホールはステージ上での音響がかなり良いといわれているため抑えたのかも知れないが真相は不明である。
ボローニャフィルはボローニャ市立歌劇場管弦楽団を母体としているが、手慣れたオペラ伴奏だからか、あるいはコンサートマスターが変わったからか、第1部に比べるとはるかに生き生きとした演奏を展開。チェロを始めとする弦のエッジがキリリと立つ。ピッチカートは精度不足で団子になって聞こえたりしていたけれども。

プログラムに入っていなかった「乾杯の歌」がアンコールで演奏された。

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2018年9月 1日 (土)

コンサートの記(419) ローマ・イタリア管弦楽団 「映画音楽名曲選」@京都コンサートホール

2018年8月22日 京都コンサートホールにて

午後6時30分から京都コンサートホールで、ローマ・イタリア管弦楽団の「映画音楽名曲選」コンサートを聴く。

ローマ・イタリア管弦楽団は、1990年創設のオーケストラである。クラシックと映画音楽の演奏を両輪として活動しており、室内楽や小編成のアンサンブルでの公演も行っているという。映画音楽に関しては多くのサウンドトラックのレコーディングを手掛けており、エンリオ・モリコーネ作品のほか、「ライフ・イズ・ビューティフル」や「イル・ポスティーノ」などの映画本編の演奏を担当している。

以前は、ローマ室内管弦楽団の名義で日本ツアーを行っていたが、今回はローマ・イタリア管弦楽団として日本中を回る。これまでに関東各地と愛知県日進市、静岡県浜松市で演奏会を行っており、今後は、呉、山口、福岡県、熊本、宮崎、大分、鹿児島を経て関東に戻り、長野、静岡、楽日となるてつくば市のノバホールまで計24会場を回るという大型ツアーである。このうち、鹿児島市文化第1ホール、東京オペラシティコンサートホール、ノバホールでの3公演は吉俣良特別プロデュース公演であり、「篤姫」や「江~姫たちの戦国~」で知られる吉俣良が出演して自作を中心としたコンサートを行う。

曲目は、ジョルジュ・オーリックの「ローマの休日」メインテーマ、ヘンリー・マンシーニの「ティファニーで朝食を」より“ムーンリバー”と「ピンクパンサー」のテーマ、ジョン・ウィリアムズの「シンドラーのリスト」よりテーマ、マックス・スタイナーの「風と共に去りぬ」より“タラのテーマ”、ピエトロ・マスカーニの「カヴァレリア・ルスティカーナ」より間奏曲(ゴッド・ファーザー」パートⅢ)、ニーノ・ロータの「ゴッド・ファーザー」より“愛のテーマ”、「ロミオとジュリエット」よりテーマ、「山猫」より“愛のテーマ”、「フェリーニのアマルコムド」よりテーマ、「道」よりテーマ、「8 1/2(はっかにぶんのいち)」よりテーマ、ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの交響曲第25番第1楽章(「アマデウス」)と歌劇「フィガロの結婚」序曲(「アマデウス」)、ニコラ・ピオヴァーニの「ライフ・イズ・ビューティフル」メインテーマ、フランシス・レイの「ある愛の詩」テーマ、「白い恋人たち」テーマ、「男と女」よりテーマ、ミシェル・ルグランの「シェルブールの雨傘」より“愛のテーマ”、エンリオ・モリコーネの「海の上のピアニスト」より“愛を奏でて”、「ニュー・シネマ・パラダイス」より“愛のテーマ”、「ミッション」よりメインテーマ、「続・夕日のガンマン」よりテーマ。当日になって曲順を大幅に入れ替えている。

今日はステージからは遠いが音は良い3階正面席で聴く。なおポディウム席、2階ステージ横席、3階サイド席は発売されていない。

イタリアはクラシック音楽の祖国ではあるが、名門オーケストラはあっても一流オーケストラはないというのが現状である。指揮者に関してはアルトゥーロ・トスカニーニに始まり、カルロ・マリア・ジュリーニ、クラウディオ・アバド、リッカルド・ムーティ、リッカルド・シャイー、ジュゼッペ・シノーポリ、最近話題のダニエレ・ガッティに至るまで、オーケストラビルダーとしても名高い多くの逸材が生まれているが、イタリア国内はオーケストラコンサートよりもオペラが盛んということもあってオーケストラ自体の名声が上がらない。名門よりもむしろ最近出来たミラノ・ジュゼッペ・ヴェルディ交響楽団やアルトゥーロ・トスカニーニ・フィルハーモニー管弦楽団の方が高い評価を得ていたりする。

というわけで、機能に関しては余り期待していなかったのだが、想像していたよりもはるかに優れたオーケストラであった。透明な音と朗らかなカンタービレが特徴。管の抜けも良いが、弦はそれ以上に優れており、流石は「弦の国」のオーケストラと感心させられる出来であった。今後も日本でハイレベルな演奏を聴かせてくれそうである。

今回のツアーの指揮を務めるのは、ニコラ・マラスコ。フォッジア・ウンベルト・ジョルダーノ音楽院とペスカーラ音楽院で指揮をピエロ・ベルージやヨルマ・パヌラ、リッカルド・ムーティらに師事。2005年にはジュゼッペ・パターネ指揮コンクールで優勝している。マラスコは曲によってはピアノ独奏も担当しており、多才であるようだ。
「シンドラーのリスト」、「ニュー・シネマ・パラダイス」などではヴァイオリン独奏も務めたコンサートマスターのアントニオ・ペッレグリーノは、ローマ・イタリア管弦楽団の創設者の一人で、ローマ歌劇場第2ヴァイオリン奏者を経て同楽団のコンサートマスターも務めたという経歴の持ち主である。1999年から2003年まではフェーデレ・フェナローリ音楽院やアブルッツォ・ユース・オーケストラでオーケストラ演奏法指導者としても活躍していたそうだ。

ローマ・イタリア管弦楽団は、室内オーケストラより一回り大きめの編成。メンバー表を見たが、ほぼ全員がイタリア人のようである。アメリカ式の現代配置を基本としているが、ティンパニを舞台上手、ヴィオラの隣に置くなど独自性が見られる。「ティファニーで朝食を」より“ムーンリバー”では、出だしがサティの「ジムノペディ」第1番を意識した編曲だったりとアレンジにも凝っている。エレキ音はギターなどは用いず、全てキーボード(赤毛のミレラ・ヴィンチゲラという女性奏者が担当)で出しているようだ。

映画音楽だけでなく、マスカーニやモーツァルトの演奏も優れている。特にマスカーニの「カヴァレリア・ルスティカーナ」間奏曲はイタリアのオーケストラでないと出せないような絶妙の彩りが特徴である。
指揮のニコラ・マラスコは強弱のコントラストを大きくつけた音楽作りをする。パースペクティヴの作り方も上手い。

アンコールは、ペッレグリーノのヴァイオリン独奏による「愛の賛歌」、更にオーリックの「ローマの休日」メインテーマが再度演奏される。豊かな歌と輝かしい音が印象的であった。

20世紀のクラシック音楽がどんどん歌から離れていく一方で、劇伴やポップスはよりメロディアスなものへと発展を遂げていく。音楽史的には、12音楽を始めとして響きの音楽へと転換していくクラシック部門に耳目を奪われがちになるが、ポピュラー部門に関していうなら20世紀ほど旋律が追求された時代はこれまでなかったように思う。録音技術やマスメディアの発達で世界各国の音楽をいながらにして聴くことが出来るようになったことも大きいだろう。望めば24時間音楽が聴ける環境が整ったことでメロディーの世界は広大無辺は大げさにしても一個人や国家の壁を越えて広がるようになっている。
というわけで、クラシックのコンサートホールでは例がないほど甘い旋律に酔うことが出来た。

 

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2018年4月29日 (日)

これまでに観た映画より(102) 「愛の神、エロス」

DVDで映画「愛の神、エロス」を観る。香港の王家衛、アメリカのスティーブン・ソダーバーク、イタリアのミケランジェロ・アントニオーニの3人の映画監督が「エロス」をテーマにして撮った映画のオムニバス。ミケランジェロ・アントニオーニはこれが遺作となった。

トップを飾るのは王家衛監督の「若き仕立屋の恋(英題:THE HAND)」だが、これが怖ろしいほどの完成度を誇る。
1960代の香港を舞台に、仕立屋のチャン(チャン・チェン)と、高級娼婦ホア(コン・リー)の関係を描いた作品。王家衛監督は、「花様年華」で直接描写を避けることでより強烈にエロティシズムを引き立てることに成功していたが、「若き仕立屋の恋」ではそれが更に徹底されている。キスシーン一つにしても顔は映さず、カメラは手や腰を追う。
直接描写はほとんどないのに極めて官能的な空気が画面から匂ってくる。カメラは人が去った部屋の中を写し続けて、登場人物の声だけが隣の部屋から聞こえたり、誰もいなくなった廊下や階段を映すことで、寂寥感や失望感を引き立たせたり、とにかく洗練された映画手法が次々に繰り出される。
官能的なだけでなく、美しくも悲しい作品。40分ちょっとの映画だが、下手な長編映画よりもずっと見応えがある。
コン・リーとチャン・チェンの演技も最高であり、尺は短いが、これ1本だけで十分客を呼ぶことが出来る。「完璧」に限りなく近い傑作だ。

王家衛に比べると、「オーシャンズ」シリーズのスティーブン・ソダーバークや、「太陽はひとりぼっち」で知られるイタリアの巨匠監督ミケランジェロ・アントニオーニの作品は、“試みとしては面白いんだけどねえ”というレベルに留まる。作品の質が2桁ほど違うといっても過言ではないだろう。ソダーバーク(ラストのどんでん返し)やアントニオーニ(さりげない超リアリズムの手法)も撮ったもの自体は悪くないのだが、相手が悪かった。

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