カテゴリー「アメリカ映画」の53件の記事

2020年7月12日 (日)

これまでに観た映画より(190) ライブ・ビューイング フェス2020-Act Call-「坂本龍一 PERFORMANCE IN NEW YORK:async」@MOVIX京都 2020.7.7

2020年7月7日 新京極のMOVIX京都にて

午後7時から、MOVIX今日で、「坂本龍一 PERFORMANCE IN NEW YORK:async」を観る。「ライブ・ビューイングフェス2020-Act Call-」に選ばれた作品。初公開時(2018年2月)にもMOVIX京都で観ている映画であり、「猫町通り通信」や「鴨東記」にも記事を載せている。初公開時は5.1chで上映されたが、今回は2chMIX音声である。
監督は、スティーヴン・ノムラ・シブル。

2017年4月にニューヨークのパーク・アベニュー・アーモリーで100名のみの聴衆の前で2回、計200名しか接することの出来なかったライブの映像である。

前回は、映画を観てから、「async」(「非同期」という意味)のアルバムを聴いたのであるが、今回は「async」がどういう音楽かを知った上で映画を観ることになる。アルバムを聞き込んだからライブの内容もわかるというものではないように思うが、音楽自体の良さは前回映画を観たときよりも把握出来るようになっている。

現代音楽を指向する青年として音楽のキャリアをスタートさせた坂本龍一。ポピュラーミュージシャンのバックバンド、フリーのミュージシャン&プロデューサー、YMOなどを経て、映画音楽やポピュラーとクラシックの中間の音楽を多く書いているが、原点である現代音楽への回帰を目指しているように思える。
「async」は、アンドレイ・タルコフスキーの架空の映画のための音楽という設定で書かれた作品である。「惑星ソラリス」を観て感銘を受けたのだが、「惑星ソラリス」にはバッハの音楽が使われており、バッハの音楽を押しのけて新しい音楽を書くわけにもいかないので、架空の映画のための音楽という形で作曲している。

 

紛れもなく坂本龍一の旋律であるが、和音や音の進行などにバッハのような古典的格調が感じられるピアノソロと、その発展系のオルガン(その場で弾いて出すのではなく、サンプリングした音声を使用)といった調性音楽に近いものから、ノイズミュージック、音そのもの以上に視覚に訴えるパフォーマンスといったコンテンポラリーな要素まで曲調は幅広く、その点で映画音楽的であるともいえる。

同時にバッハに代表されるような音楽そのものを尊重すると同時に押し広げ、音そのものやそれを生み出す背景への愛着をも窺えるかのような、従来の枠を超えた作品となっている。
大空に吸い込まれて一体となるかのようなラストが特に好きだ。

本編上演後にプレゼントがある。「async」の宣伝用画像がスクリーンに1分間映し出され、自由に撮影が出来るほか、SNS等へのアップも可となっている。

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2020年7月10日 (金)

これまでに観た映画より(189) アルフレッド・ヒッチコック監督作品「疑惑の影」

2005年6月27日

アルフレッド・ヒッチコック監督作品をDVDで観る。「第三の男」のジョセフ・コットン主演、「疑惑の影」。

叔父と姪が同じチャーリーという名前であるのが一つのポイントになっている。叔父に恋心にも似た気持ちを抱く姪。しかし叔父の正体が明らかになるに連れて、同じ名前であることの親近感が近親憎悪へと変化していく。

実は殺人鬼である叔父チャーリーを演じるジョセフ・コットンがいい。大袈裟でなく迫力が出せる。コットンが悪役を演じたのはこの作品だけだそうだが、それだけに貴重でもある。

姪チャーリーを演じるテレサ・ライトがなかなかチャーミングだ。叔父への疑惑が芽生え、確信に変わる過程を上手く演じている。

ヒッチコックシャドーが例によって効果的。ただ音楽は今聴くとかなりうるさく、それだけが残念である。

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2020年6月30日 (火)

美術回廊(49) 京都国立近代美術館 「チェコ・デザイン 100年の旅」&日本・ポーランド国交樹立100周年記念「ポーランドの映画ポスター」

2020年6月25日 左京区岡崎の京都国立近代美術館にて

左京区岡崎にある京都国立近代美術館で、「チェコ・デザイン 100年の旅」と日本・ポーランド国交樹立100周年記念「ポーランドの映画ポスター」展を観る。
いずれも5月10日に最終日を迎えるはずの展覧会だったのだが、コロナ禍による臨時閉館期間があったため、再開後、7月までに展示期間が延びている。

チェコは、音楽(ドヴォルザークやスメタナ)、文学(カフカやカレル・チャペック)といった芸術が知られるが、チェコのデザインに触れる機会は余りないので、興味深い展覧会である。

チェコのデザインに触れるのは初めてではなく、以前にチェコ製のテントウムシのマグネットを買ったことがあり、今も冷蔵庫に止まっている。

チェコ出身のデザインアーティストというと、アルフォンス・ミュシャがまず頭に浮かぶが、ミュシャの「Q」をモチーフにした作品も勿論展示されている。19世紀末から20世紀初頭には、チェコでもアールヌーボーなどの影響を受けた美術が流行ったが、椅子などは実用性を度外視してデザインを優先させたために使い勝手が悪いものも多かったようである。

その後、チェコでは「結晶」を理想とした直線美によるパターンを重ねたデザインが流行する。考えてみれば、「自然は直線を嫌う」(ウィリアム・ケント)といわれているものの、肉眼では見えない結晶は例外的に直線で形作られている。顕微鏡の発達によってもたらされた、ある意味ではこれまでの常識を覆す自然美の発見であったともいえる。

家具や食器はアールヌーボーの反動で、シンプルで実用的なものが好まれる時代になるが、ガラス細工が盛んな地域をドイツに占領されてしまったため、木材などを中心とした新たなデザインを生み出す必要性に迫られるようにもなる。これはそれまで軽視されてきた木材の長所の再発見にも繋がったようだ。

共産圏となったチェコスロバキアでは、国外に向けてのチェコやスロバキア美術プロパガンダのための高級感のあるデザイン品が輸出される一方で、国内向けには貧相なものしか作られないという乖離の時代を迎える。チェコ動乱の前はそれでもピンクやオレンジといった色を用いたポップなデザインのポスターなども制作されたが、それ以降は実用的ではあるが味気ないいわゆる共産圏的なデザインも増えてしまったようだ。チェコのデザインが復活するにはビロード革命を待つ必要があったようである。

アニメーションの展示もあり、短編アニメが何本か上映されている。言葉がわからなくても内容が把握可能なものだったが、東欧のアニメとしてどの程度の水準に入るものなのか一見しただけではわからない。

チェコの木製おもちゃの展示もある。テントウムシのマグネットにも通じる可愛らしくてぬくもりが感じられるもので、子どものみならずインテリアとしても喜ばれそうである。

 

「ポーランドの映画ポスター」。映画好きにはよく知られていると思われるが、ポーランド映画は完成度が高く、海外からの評価も上々で、「芸術大国ポーランド」の一翼を担っている。
今回は、映画そのものではなく映画ポスターの展示であるが、ポーランドでは海外の映画のポスターをそのまま用いるということが禁止されていたため、ポーランド人のデザイナーが一から新しいポスターを製作することになった。
日本映画のポスター展示コーナーもあり、ゴジラシリーズなどはわかりやすいが、「七人の侍」などは日本の侍というよりもギリシャの兵士のような不思議な装束が描かれていたりもする。

市川崑監督の「ビルマの竪琴」(1985年の中井貴一主演版)のポスターには、二つの顔を持ったオウム(というよりも顔を素早く横に降り続けている描写だと思われる)が描かれ、右側に「日本にかえろう」、左側に「かえれない」という文字が日本語で書かれている。一般的なポーランド人が日本語を読めるとは思えないが――一般的な日本人がポーランド語の読み書きが出来ないように――日本趣味を出すために敢えて日本語をそのまま用いているのかも知れない。

ハリウッド映画では、アルフレッド・ヒッチコック監督の「めまい」、レナード・バーンスタイン作曲のミュージカル映画「ウエストサイド物語」、ポール・ニューマンとロバート・レッドフォードの「明日に向かって撃て!」などのポスターがある。日本ではハリウッドオリジナルのポスターも見ることが出来るが、それらとはかなり違ったテイストのポスターとなっている。

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2020年6月14日 (日)

これまでに観た映画より(182) 「スティング」

2005年1月27日

DVDで映画「スティング」を観る。1974年公開のアメリカ映画。アカデミー賞で作品賞など6部門を受賞している。

主演はポール・ニューマンとロバート・レッドフォード。監督はジョージ・ロイ・ヒル。「明日に向かって撃て!」のトリオによる作品。

詐欺師やイカサマ師の騙し合いを描く作品。舞台は1936年のシカゴ。古き良きアメリカという感じだが、すでに高層ビルはいくつも建っている。

この頃のロバート・レッドフォードはブラッド・ピットによく似ている。

スコット・ジョップリンの「ジ・エンターテイナー」が主題曲として効果的に使われている。またマーヴィン・ハムリッシュの音楽もやはりラグタイム調で楽しい。「明日に向かって撃て!」ほどの完成度はないが、二転三転するストーリーは巧みだ。

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2020年6月 2日 (火)

これまでに観た映画より(179) 「俺たちに明日はない」

2020年6月1日 TOHOシネマズ二条にて

TOHOシネマズ二条で、「俺たちに明日はない」を観る。アメリカン・ニューシネマの代表的作品の一つ。原題の「Bonnie and Clyde」も有名である。同じアメリカン・ニューシネマの代表作で実在の銀行強盗を題材にしていること、また邦題やラストシーンが似通っていることから「明日に向かって撃て!(原題「Butch Cassidy and Sundance Kid」)と混同されやすい作品でもある。

アーサー・ペン監督作品。出演:ウォーレン・ベイティ、フェイ・ダナウェイ、マイケル・J・ポラード、ジーン・ハックマン、エステル・パーソンズ、ダブ・テイラーほか。ウォーレン・ベイティはこの映画の企画立案者でもあり、プロデューサーも務めた。

ボニー・パーカー(フェイ・ダナウェイ)は、母親の車を盗もうとしていた男を見とがめる。男の名はクライド・バロー(ウォーレン・ベイティ)。強盗によって服役し、出てきたばかりの男だった。アメリカの中でも特に保守的といわれるテキサス州。それも田舎町である。人は子孫を残すための繋ぎとして生きるしかないようなところがある。平凡な人生に飽き飽きしていたボニーはクライドの運転する車に乗り、強盗に協力する。相当な男前であるクライドに惹かれるボニーだったが、クライドはゲイで女には興味がないことを打ち明ける。男女の幸せに至ることはないということがこの時点でわかるのだが、ボニーは家に戻ることはなかった。二人は故障した車の修理を頼んだC・W・モス(マイケル・J・ポラード)という少年院帰りの少年やクライドの実兄であるバック(ジーン・ハックマン)とその妻のブランチ(エステル・パーソンズ)を引き入れて強盗団を結成する。

日本でも最近、ヤンキー指向やマイルドヤンキーという言葉が使われるようになっている。地元を愛し、身内を愛し、権威やよそ者を嫌うという傾向を持つ人々である。ヤンキーというのは元々はアメリカ人のこと(南北戦争の北軍の兵士のことだが、蔑称として用いられることもある。日本の「ヤンキー」は大阪のアメリカ村にたむろする不良を指すスラングが始まりとする説が有力である)であるが、実際にアメリカの田舎の保守層の性格によく似たところがある。クライドは同じように搾取される境遇にある人々には共感を示すし、事実、彼に出会った老人は警察に対して好意的な証言をしている。また兄のバックとはとても仲が良い。バックは冗談を言うのだが、聞いていて何が面白いのか正直わからない。だが、クライドは大笑い。レベルの低さで通じ合っている、つまり生まれた家自体が有用な知識を得る機会に恵まれなかった層にあったことがはっきりする。実際、バックも刑務所に入った経歴のあることが妻のブランチの口から明かされる。知識や教育の平等が担保されない「夢の国」アメリカの影である。

だが、ボニーとクライドは、故郷に留まらず、アメリカの州境を車で何度も越えていくという生活を選ぶ。越境である。生まれ故郷の桎梏を棄て、新天地へと飛んでいく。アメリカン・ドリームの体現者といえないこともない。いや、いえないか。ただ、アメリカン・ドリームを求めた若者の一側面をよく表しているとはいえるだろう。彼らはテキサス州から隣のオクラホマ州に何の躊躇もなく入っていける。一方で、権威や旧体制を表す警察は州の境を越えることは出来ず、テキサス州警察(テキサス・レンジャー)はオクラホマとの州境は越えたが、すぐに引き返すしかない。アメリカの州は国家並みの権限を持つため、州警察は州境を越えての捜査が出来ないのである。そのため後にFBIが生まれることになるのだが、境を越える行為において、ボニー&クライドと警察に代表される体制派の思考や指向の違いが象徴的に描かれている。

ただ、一方で二人は故郷喪失者でもある。母に会いたいということでテキサス州に戻るボニーだったが、母親からは冷たくされる。事実上、棄てられるのである。デラシネとなった二人は州から州へと渡り歩くしかない。今いる州から別の州へと移って行く未来を嬉々と語るクライドにボニーは露骨に失望の表情を見せる。強盗なんてするからではあるのだが、「アメリカン・ドリーム」や「ゴー・ウエスト」といった言葉に乗せられて夢破れていった多くの若者の一形態を暗示してもいる。

女を愛せないクライドであるが、ラストが近づくにつれてボニーを愛する人と認め、愛する人のために怒り、性的な関係を結ぶまでになる。所詮、悪党には届かぬ夢ではあるのだが、これまでのことを全て帳消しにして二人で幸せになるという夢を描くボニー。何の知識も持ち合わせていなかったら、二人は仲の良い夫婦にしか見えなかったかも知れない。

ラストシーンは「最も衝撃的な映画のラスト」の一つとしてよく挙げられるもので、「俺たちに明日はない」という映画を観たことのない人でも、ラストシーンは知っているというケースはよくある。冷静に考えると悪党の男女が当然の報いを受けたというだけなのかも知れないが、二人が夢を語り合ったシーンの直後だけに切なくなる。


夢と希望と自由の国、アメリカが生んだ映画は、祖国の偉大さを描くプロパガンダ的なものも多かったが、アメリカン・ニューシネマは、それとは対称的に社会からこぼれ落ちてしまったものを描く。後に建国史上初の敗北を迎えることになるベトナム戦争が続いており、格差は開く一方で、人種差別問題や犯罪の多発に悩まされていたアメリカ。若者達は祖国に疑問を抱く。そのため「俺たちに明日はない」のみならず、「明日に向かって撃て!」、「イージー・ライダー」、「真夜中のカウボーイ」などの登場人物はいずれも悲劇的な最期を迎える。社会は若者の夢など許さない。その時代の空気は、平成時代を丸々覆った閉塞感溢れる日本の現状に繋がる。近年の日本は保守的な若者が増えているとされるが、こうした時代にあってもアメリカン・ニューシネマは若者達のバイブルの一つとして支持され続けるだろう。

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2020年4月 9日 (木)

コンサートの記(633) 川瀬賢太郎指揮 京都市交響楽団 オーケストラ・ディスカバリー2016 ~こどものためのオーケストラ入門~ 「オーケストラ・ミステリー」第1回「オーケストラの秘密~ヒット曲にはわけがある!?」

2016年6月19日 京都コンサートホールにて

午後2時から、京都コンサートホールで、京都市交響楽団 オーケストラ・ディスカバリー2016 ~こどものためのオーケストラ入門~「オーケストラ・ミステリー」第1回「オーケストラの秘密 ~ヒット曲にはわけがある!?」を聴く。指揮は川瀬賢太郎。

こどものためのオーケストラ入門とあるが、選曲は比較的マニアックなものが多く、親子でも楽しめるようになっている。というより曲目に期待して、子供連れでもないのに来ている私のような人の方が多い。


現在、神奈川フィルハーモニー管弦楽団常任指揮者と名古屋フィルハーモニー交響楽団の指揮者を務める川瀬賢太郎は1984年生まれの若手指揮者。私立八王子高校芸術コースを経て、広上淳一に師事するために東京音楽大学指揮科に進学、広上の他に、汐澤安彦、チョン・ミョンフンらにも指揮を師事している。広上の弟子ということで、京都市交響楽団にも何度か招かれており、また広上も川瀬が常任指揮者を務める神奈川フィルに客演を続けている。

今日のナビゲーターはガレッジセールの二人。


曲目は、ジョン・ウィリアムズの「オリンピック・ファンファーレとテーマ」、マスカーニの歌劇「カヴァレリア・ルスティカーナ」間奏曲、ジョン・ウィリアムズの「スター・ウォーズ」より「アナキンのテーマ」&「ダース・ベイダーのテーマ」、モーツァルトのピアノ協奏曲第21番より第2楽章(ピアノ独奏:三浦友理枝)、エルガーの行進曲「威風堂々」、ベートーヴェンの交響曲第5番より第1楽章、ハイドンの交響曲第90番より第4楽章、レスピーギの交響詩「ローマの松」から第4曲「アッピア街道の松」

今日の京都市交響楽団のコンサートマスターは渡邊穣。泉原隆志は降り番でフォアシュピーラーに尾﨑平。オーボエ首席奏者の髙山郁子は全編に渡って出演。小谷口直子は「スター・ウォーズ」の音楽からの参加となった。


ジョン・ウィリアムズの「オリンピック・ファンファーレとテーマ」。川瀬が生まれた1984年のロサンゼルス・オリンピックのためのファンファーレとして書かれたものである。ちなみに川瀬は12月生まれであるため、ロス五輪の行われた夏にはまだ生まれておらず、「お腹の中でこの曲を聴いていた」と話す。
数あるオリンピック・ファンファーレの中でも最も有名と断言しても良い1984年ロス五輪のファンファーレ(日本人は1964年の東京オリンピックのファンファーレの方が馴染みがあるかも知れないが)。
川瀬は広上の弟子(つまりレナード・バーンスタインの孫弟子)ということもあってダイナミックな指揮をする。京響のブラスが輝かしい音色を奏でたということもあって華やかな演奏になった。
演奏が終わってからガレッジセールの二人が登場し、ゴリが川瀬に「これまで見た中で一番ダイナミックな指揮。海老反りになるところなんか、袖でスタッフさんが、『広上さんだったらぎっくり腰になってる』って言ってましたけど」と言う。実は広上は90年代には今の川瀬よりも派手な指揮をしていたのだが(90年代後半にNHK交響楽団の定期演奏会に客演した際には、グリーグの『ペール・ギュント』より「アニトラの踊り」で、本当に指揮台の上でステップを踏んで踊っていた)、「首や腰をかなりやられてまして」(広上談)ということで、最近は以前よりも抑えた指揮になっている(それでもまだまだ派手ではあるが)。
ゴリも、「この84年のファンファーレがオリンピックのファンファーレの中で最も有名なんじゃないか」と述べる。とにかくよく知られた曲である。


マスカーニの歌劇「カヴァレリア・ルスティカーナ」間奏曲。歌劇自体も上演されることはあるが(原作がありきたりな決闘を題材にした三文短編小説で筋書きも単純ということもあり、舞台に掛けられる頻度はそう多くはない)とにかく間奏曲が美しいというので有名である。
川瀬指揮の京響はリリシズム満点の演奏を展開。広上の時代に入ってから、京響の弦は本当に音の抜けが良くなった。
演奏終了後に出てきたゴリは、「優しい! 優しい旋律! これならヒットする」と断言する。

ガレッジセールの二人が、「クラシックの作曲家もポピュラーの作曲家同様、ヒットを狙ったりするんですか?」と聞く。川瀬は、「クラシックの場合、作曲家が亡くなってしまっていることが多いので、真意を確かめることは出来ないのですが」と断りを入れた上で、「心に残る曲を書く努力や工夫はしたと思います」というようなことを述べ、「ヒット狙い」と断言することはなかった。

続いて、ジョン・ウィリアムズの「スター・ウォーズ」から、「アナキンのテーマ」と「ダース・ベイダーのテーマ」。有名なメインテーマは敢えて外したというが、ゴリが「台本にトランペットがメインテーマを奏でると書いてます」と言う。トランペットの3人がゴリの表現を借りると「『聞いてないよ』って感じですけれど」というそぶりで否定するので、「いや、台本に書いてあるんですけど」と言って台本に書かれた文字を読み上げる。ということで、早坂宏明、西馬健史、稲垣路子の3人のトランペット奏者による「スター・ウォーズ」メインテーマ冒頭。和音が微妙だったがまあまの出来であった。
アナキン(アナキン・スカイウォーカー)はダース・ベイダーの幼児期から青年期までの名前である。優秀なジェダイになることを期待されながら自惚れや身勝手な振る舞いによって身を持ち崩し、ダークサイドへと落ちていくことになる。
「アナキンのテーマ」は美しい音楽だが、ラストで「ダース・ベイダー」のテーマが長調ではあるが顔を出す。
「ダース・ベイダーのテーマ」は一度も聴いたことがないという人を探す方が困難なほど知られた曲。
いずれも若々しく、推進力に富んだ演奏であったが、ゴリが「ダース・ベイダーの音楽を聴いて和田アキ子の姿が目に浮かんだ」と言う。川瀬は、「ジョン・ウィリアムズという作曲家は映画のキャラクターと音楽を結ぶ付けるのがとても得意な人で、ダース・ベイダーもジョン・ウィリアムズの音楽と一体であり、今の音楽でなかったらイメージが変わっていたかも知れない」と語った。


三浦友理枝をソリストに招いての、モーツァルト、ピアノ協奏曲第21番第2楽章。設置変換のために楽団員が退場したのだが、ゴリは「ここでストライキに入りました」とボケる。
三浦によると、ピアノ協奏曲は沢山あるが、頻繁に取り上げているものは3曲か4曲だという。三浦が一番弾いた回数が多いのはショパンのピアノ協奏曲第1番だそうである。
最近のコンサートで人気のピアノ協奏曲というと、なんといってもラフマニノフのピアノ協奏曲第2番。1年に1回は必ず聴く。ラフマニノフのピアノ協奏曲第3番も映画「シャイン」の影響もあって演奏回数が増えているが、他のピアノ協奏曲の王道というと、チャイコフスキーのピアノ協奏曲第1番、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第5番「皇帝」、ブラームスのピアノ協奏曲第2番、グリーグのピアノ協奏曲にシューマンのピアノ協奏曲、そして20世紀を代表してラヴェルのピアノ協奏曲も取り上げられることが増えている。モーツァルトのピアノ協奏曲も傑作揃いなのだが、曲数が多いということもあって特定の協奏曲に人気が偏るということは余りない(20番台がやはり人気だが)。

モーツァルトのピアノ協奏曲第21番第2楽章は、スウェーデン映画「みじかくも美しく燃え」のメインテーマとして使われたことでも有名である。心中に至るラストシーンが有名であり、これは以前にも何度か書いているが北野武監督の映画「HANA-BI」のラストで完全に同じ手法が用いられている。偶然ではなく、「みじかくも美しく燃え」へのオマージュであろう。


若手ピアニストの三浦友理枝。2005年にイギリスの王立音楽院ピアノ科を首席で卒業、同大学院も首席で修了している。2001年に第47回マリア・カナルス国際音楽コンクール・ピアノ部門で優勝、2006年には第15回リーズ国際ピアノコンクールで特別賞を受賞している。

その三浦のピアノであるが、煌めきがもう一つ。モーツァルトのピアノ協奏曲第21番第2楽章の典雅さの裏に隠された痛切さの表出も余り感じられなかった。技術は達者なのだけれど(モーツァルトのピアノ協奏曲は技術的にはそう高度ではない)。
川瀬指揮の京響は音の移り変わりを巧みに描き出す演奏。京響は創設当初に「モーツァルトの京響」と呼ばれており、モーツァルトには今も思い入れがある。


後半、エルガーの行進曲「威風堂々」第1番。迫力溢れる演奏である。川瀬の指揮もわかりやすい。「イギリス第2の国歌」といわれる中間部はもっとノーブルに歌えると思うが、今のままでも十分である。
ゴリは、「CMでよく耳にする。だからヒットしているように感じる」と述べ、川瀬もメディアの影響は否定しなかった。ゴリは「エルガーもまさか、味の素のCookDoのCMに自分の曲が使われるとは思っていなかったでしょうね」とボケる。


ベートーヴェンの交響曲第5番。川瀬は「運命」をタイトルではなくニックネームだと述べる。ベートーヴェンの交響曲第5番が「運命」と呼ばれるようになったきっかけは、ベートーヴェンの弟子のシントラー(シンドラー)という人物が、交響曲第5番の解釈の鍵になるものを聞いたところ、ベートーヴェンが「運命はこのように扉を叩くのだ」と答えたという話が元になっている。だが、このシントラー、虚言癖の持ち主である上に、ベートーヴェンのスコアにベートーヴェンの死後、勝手に手を加えたことがわかっているなど、「信用できる人物ではない」ということで、「運命」というタイトルも欧米では保留になっている。川瀬によると研究は更に進んでいて、ベートーヴェンが交響曲第5番を書き、演奏していた時期にはまだシントラーはベートーヴェンと出会ったいなかった可能性が高いという。
ベートーヴェンの弟子にピアノの教則本を書いたことで知られるツェルニーがいるが、ツェルニーは比較的早い時期からのベートーヴェンの弟子であり、ツェルニーによると、「運命主題」と呼ばれるものは「鳥の鳴き声を模して作ったものだ」とベートーヴェンは語っていたという。歴史にちょっとした狂いが生じていたらベートーヴェンの交響曲第5番のタイトルは「鳥」になっていたかも知れないそうだ。
ただ基本的にはベートーヴェンの交響曲第5番はわずか4つの音で大伽藍を築き上げるという、当時としては「実験的」とも呼んでいい大作である。

ベートーヴェンの交響曲第5番が書かれたのは200年ほど前のこと。ということで、ゴリも川瀬も「200年以上ヒット曲であり続けている凄い曲」だと再認識する。
ベートーヴェンの交響曲第5番は1拍目が休止なので入りが難しいのだが、川瀬は二つ小さく振った後で、大きく振りかぶり、両手を下に降ろして止めたところで最初の音を出させた。
ビブラートは控えめだが、余りピリオドらしくはない演奏である。「ピリオドの要素も少しだけ取り入れてみました」という程度である。
スケールはそれほど大きくないが構造把握のしっかりした演奏である。もっと獰猛さがあっても良いと思うがそれはこれからの課題だろう。

川瀬もガレッジセールの二人も、「これからも200年、いや今後500年以上もヒットする傑作だと思います」というところで意見が一致した。


ハイドンの交響曲第90番より第4楽章。実は、この曲、終わったと見せかけてまだ続くという仕掛けのある曲である。繰り返し記号があるため終わったと勘違いさせる場所は2回ある。
川瀬によると4小節分空白があるそうで、当時の音楽を聴きながら居眠りをしている貴族の挑戦なのではないかという。
ちなみに、川瀬もコンサートを客席で聴くことがあるそうだが、基本的に寝てしまうそうで、「音楽を聴くと眠たくなるタイプの人間らしい」(指揮者の故・岩城宏之もそうした癖の持ち主だった)。
ただ作曲家としては自分の曲を演奏している間に寝る客がいるのは面白くない。ということで、「告別」や「驚愕」のような仕掛けのある曲を作ったり、交響曲第90番でも敢えて変わったことをやっているという。一種のユーモアなのだがブラックユーモアであり、川瀬はハイドンのそうしたブラックなところが好きなのだという。
ハイドンとレスピーギはガレッジセールは客席で聴いたのだが、ハイドンの演奏終了後、ゴリが「本当に終わりですか?」と聞きながらステージに戻ったりしていた。

ハイドンはベートーヴェンよりもピリオドの影響が強い演奏。流麗な演奏である。ちなみにニセのラストがあることが事前には知らされず、川瀬は音が消えると同時に客席の方を振り返り、拍手が起こるのを待ってから右手で第1ヴァイオリンに指示して演奏を続けた。
ブラックではあるが、聴衆を飽きさせないための工夫であり、それがヒットにも繋がると川瀬は分析する。

ちなみに、交響曲第90番をやっても、ニセのラストで拍手が起こらないことがたまにあり、そういう時には演奏家の方が気まずい気持ちになるのだが、後で確認すると、プログラムに「拍手の場所にご注意下さい」などネタバレが書かれているケースが大体だという。


ラストはレスピーギの交響詩「ローマの松」から第4曲「アッピア街道の松」。金管のバンダが活躍する曲だが、今日はバンダはパイプオルガンの前に陣取る。
迫力のある演奏である。川瀬の指揮も己の若さをオーケストラに浴びせかけるような激しさを持つ。
京響も熱演であり、若い指揮者による演奏としてはかなり良い出来だったのではないかと思う。


アンコール曲は、ヴェルディの歌劇「椿姫」より第1幕への前奏曲。オペラ的、物語的ではなかったかも知れないが繊細な演奏であった。

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2020年3月24日 (火)

これまでに観た映画より(162) 「アナと雪の女王」(吹き替え版)

配信でディズニー映画「アナと雪の女王」(2019吹き替え版)を観る。「アナ雪」の略称を持ち、大ヒットした作品で、アカデミー賞の長編アニメーション部門を受賞するなど評価も高く、「Let It Go ありのままで」などの楽曲も好セールスを記録、続編まで作られているが、私はこの映画を観るのは初めてである。字幕版でも良かったのだが、話題になった吹き替え版で観てみる。エルサのセリフや歌を聴いている間、吹き替えを担当した松たか子の顔がずっと浮かんでしまうのが個人的な難点である。

ハンス・クリスチャン・アンデルセンの余り知られていない童話が原作であるが、映画のストーリーは原作とは全く別のものである。後に女王の座に就くことになるエルサと妹で王女のアナの二人が主人公であるが、ディズニー映画でダブルヒロインが採られるのは史上初とのことである。

北欧の架空の王国、アレンデールが舞台である。国王の長女のエルサは、手で触ったものを氷に変え、雪や氷を自由に操るという特殊能力を持っている。エルサが8歳の時、妹のアナにせがまれて王城内を氷に変え、雪だるまや雪山を作って遊んでいたのだが、エルサはちょっとしたミスを犯し、雪山から雪山へと飛び移っていたアナのために次の雪山を作るのが遅れてしまう。アナの墜落を止めるため、エルサは雪玉をアナの顔に当てるのだが、アナはそのまま床に落ち、気を失ってしまう。王と王妃はアナを救うため、トロール達に助けを求める。トロールの長老、パビーは、「当たったのが頭で良かった。頭ならなんとかなる」とアナの命を救う。しかし、心に当たってしまうと取り返しがつかないということで、エルサに魔法を封じるように命じ、アナからエルサが自在に氷や雪を操れるという記憶を消し去る。しかし、エルサの魔術はエルサ本人にも封じることが出来ず、しかも日々、能力は進化していく。アナを傷つけることを怖れたエルサは自室に閉じこもり、アナの声にも応えないようになるが、記憶を消されたアナは、エルサが自分を嫌いになったのだと勘違いする。

月日は流れ、エルサは18歳となった。王と王妃は船で海外へと出掛けるが海難事故にて落命。その3年後、成人したエルサが女王として即位することになる。
戴冠式の日、アナは、サザンアイルズ王国の王子であるハンスと出会い、瞬く間に恋に落ちる。戴冠式の後に舞踏会でアナはハンスと婚約したことをエルサに告げるが、エルサは結婚を許さない。そしてふとしたことで今まで隠してきた能力を表に出してしまう。皆から怖れられて絶望したエルサは王城から抜けだし、ノースマウンテンに氷の宮殿を築いて閉じこもる。だが、エルサの能力は本人が自覚しているよりも強く、7月のアレンデールが雪に覆われることになってしまう。
ちなみにノースマウンテンに到着したエルサが、もう自分の能力を隠さなくていいという開放感から歌うナンバーが「Let It Go ありのままで」である。


ファンタジー映画なので、そのまま楽しんでも良いのだが、自分なりに理解してみたくなる。そしてこうした試みはこの映画の中で密かに伝えられるメッセージを受け取ることでもある。

私にとっては、ということであるが、雪や氷を自在に操る能力は言葉の喩えのように思える。それは世界を生み出し、芸術にまで高めることの出来るものであるが、容易に人を傷つけ、人と人の間を破壊するものでもある。インターネット上ではそうした言葉が日々飛び交っている。優れたものであるが過信してはならないということだ。エルサへの仕打ちは魔女狩りそのものであるが、古代に起こった魔女狩りは言葉を狩るものでもあった。

そしてそれは知への絶対崇拝への疑問に繋がる。智者ではあるが冷酷な人物が何人か登場する一方で、最重要人物の一人であるクリストフは無学で野蛮な氷売りだが、人生の本質については王族の人達よりもよく心得ている。更にクリストフの相棒であるトナカイのスヴェンは、獣であるにも関わらず、人よりも人の心に敏感であったりする。
とはいえ、無知であることが推奨されるようなポピュリズムに傾くことはない。森の智者であり、自然の知恵の象徴であるトロール達を人間を上回る慧眼の持ち主とすることでバランスは保たれている。

言葉や知に勝るものについての答えはありきたりではある。だが、それが飽くことなく繰り返されているという事実は、唯一絶対ではないが最上のものの一つであることの証明でもある。

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2020年3月13日 (金)

これまでに観た映画より(158) 「パークランド ケネディ暗殺、真実の4日間」

DVDでアメリカ映画「パークランド ケネディ暗殺、真実の4日間」を観る。ピーター・ランデズマン監督作品。製作:トム・ハンクスほか。出演:ジェームズ・バッジ・デール、ザック・エフロン、ジャッキー・アール・ヘイリー、コリン・ハンクス、デヴィッド・ハーパー、マーシャ・ゲイ・ハーデン、ロン・リヴィングストン、ジェレミー・ストロング、ビリー・ボブ・ソーントン、ジャッキー・ウィーヴァー、トム・ウェリング、ポール・ジアマッティ、カット・ステフェンズほか。

1962年11月22日に起こった、ジョン・F・ケネディ大統領暗殺事件を、陰謀論などを交えず、事実をなるべく忠実に再現することに力点を置いた映画である。パークランドというのはケネディ大統領が狙撃された後に運び込まれた病院の名であり、後にジャック・ルビーに狙撃されたリー・ハーヴェイ・オズワルドもパークランド病院に運び込まれている。

狙撃犯とされるリー・ハーヴェイ・オズワルド(ジェレミー・ストロング)の兄であるロバート・オズワルド(ジェームズ・バッジ・デール)やそのかなりエキセントリックな母親であるマーゲリート・オズワルド(ジャッキー・ウィーヴァー)、サプルーダーフィルムの撮影者として知られながら、その素顔がほとんど知られていないエイブラハム・サプルーダー(ポール・ジアマッティ)などに焦点が当てられており、オリバー・ストーン監督の「JFK」などでは知ることの出来なかった事件直後の生々しい出来事などが丁寧に描かれている。リー・ハーヴェイ・オズワルドがかなり不可解な人物であったことはよく知られているが、その母親もかなり変わっており、あるいは今もなお残るオズワルド単独犯説の根拠となっているのかも知れない。

ケネディ大統領は即死ではなくパークランド病院に運び込まれた時にはまだ脈があり、蘇生術が試みられたこと、リー・ハーヴェイ・オズワルドも狙撃後同じ病院で施術を受けたこと、ケネディ大統領の遺体を巡ってシークレットサービスとテキサス州関係者の間で一悶着あったこと、ケネディ大統領の棺を納めるためにエアフォースワンの搭乗口や内部に手を加えたこと、オズワルドがケネディ大統領と同じ25日に埋葬されたことなど、余り知られていない話が次々に描かれていく。

なるべく忠実に描くことを第一としているため、JFK暗殺に関する陰謀を期待するとドラマに欠けるかも知れないが、骨太で見応えのある作品に仕上がっている。描かれた人々がその後どのような人生を送ったのか明かされているのも興味深い。

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2020年2月13日 (木)

これまでに観た映画より(153) 「CATS キャッツ」(字幕版)

2020年2月8日 MOVIX京都にて

MOVIX京都で、ミュージカル映画「CATS キャッツ」(字幕版)を観る。世界的ヒットミュージカルの映画化であるが、前評判は散々。アメリカの本年度最低映画を決めるラジー賞に最多ノミネートされている他、アメリカやイギリスの映画評論家達が「最低の作品」「とんでもない駄作」との評価を下しており、興行収入も散々で、大コケ映画確定となっている。日本は劇団四季が看板ミュージカルとしていて知名度抜群なためか、入りはまだ良い方であるが、日本の映画評論家や映画ファンからの評価も芳しくない。

「レ・ミゼラブル」のトム・フーパー監督作品。作曲はミュージカル版同様、アンドリュー・ロイド=ウェバーで、ロイド=ウェバーは、映画のための新曲も書き下ろしている。制作総指揮:スティーヴン・スピルバーグ。出演は、フランチェスカ・ヘイワード、ロビー・フェアチャイルド、ジェニファー・ハドソン、ジュディ・デンチ(実は「キャッツ」の世界初演の際にグリザベル役を務めるはずだったのがジュディ・デンチであるが、怪我により降板している)、ジェームズ・コーデン、ローリー・デヴィッドソン、スティーブン・マックレー、ジェイソン・デルーロ、レベル・ウィルソン、イアン・マッケラン、イドリス・エルバ、テイラー・スウィフト、ダニー・コリンズ、ニーヴ・モーガンほか。本来は雄猫の役であるオールドデュトロノミーをジュディ・デンチ演じる雌猫としているのは、先に挙げた理由によるものであり、一定の効果を上げている。

 

ロンドンの下町に、一匹の子猫が捨てられる。白い雌猫のヴィクトリア(フランチェスカ・ヘイワード)である。ヴィクトリアが包まれた袋に集まってくるジェリクルキャッツという猫たち。今夜開かれる舞踏会と歌合戦で選ばれた最も優れた猫が天上の世界で再生する権利を得るのだという。様々な猫たちが個性溢れるパフォーマンスを披露する中、この集いに入ることを許されない猫もいて……。

 

余談になるが、浅利慶太がこの作品を劇団四季のメインレパートリーに据えたのには明確な哲学があったとされている。舞台で主役を演じるのは美男美女という常識に、猫のメイクをする「キャッツ」でアンチテーゼを掲げたのである。顔が良いのか悪いのかも分からないほどのメイクをして演じられる「キャッツ」(そもそもこの作品には主役らしい主役はいないわけであるが)では、容姿でない部分で評価されたり良い役を勝ち取る可能性が広がる。そしてこれは「キャッツ」というミュージカルの根幹にも関わるものである。ただ、映画の場合はクローズアップを使う必要もあるため、そうしたテーゼは通用しないわけだが。

ミュージカル「キャッツ」は、T・S・エリオットの詩集『キャッツ ポッサムおじさんの猫とつき合う方法』という詩集を元にしたものである。『キャッツ ポッサムおじさんの猫とつき合う方法』は、実は90年代にちくま文庫から日本語訳が出て(邦題は『キャッツ ポッサムおじさんの猫とつき合う方法』。池田雅之の訳)、私も明治大学在学中に今はなき明大の生協で買って読んでいる。哲学的な面もあるが子ども向けの詩集であり、特にどうということもないものなのだが、詩集を原作にしているということもあって「キャッツ」には明確なストーリーが実はないのである。ショー的な要素が極めて強いのであるが、登場する猫達が歌うのは基本的に自己紹介が多く、広がりのある舞台空間で行われるなら良いのだが、映像だとそうもいかないため話が遅々として進まないように感じられ、そこが映画版の悪評に繋がっていることは間違いないと思われる。特にフーパー監督はクローズアップを多用しているため、尚更空間を感じにくい。かといって引きで撮ると迫力が出ないのも目に見えているため、そもそも映像化が難しい題材ではある。他にもCGが気持ち悪いだの、猫なのか人間なのかわからなくて不気味だとの声もあるが、今の技術ならこんなものだろうし、ビジュアル面で気になることは個人的には特になかった。

個人的には結構楽しんでみられたが、それは過去の自分とはぐれてしまった猫や、いざという時に弱い猫などの悲哀がきちんと描かれているからである。底抜けに明るいミュージカルも良いが、実は「キャッツ」はそうした路線のミュージカルではない。気持ち悪いといわれたメイクやCGの多用も、猫でありながら人間を描いていると取れば(ラストにはそうしたセリフがちゃんと用意されている)納得のいくものである。「猫を描いたから成功した」といわれるミュージカル「キャッツ」であるが、今回の映画版でも猫といいながら様々な人間の諸相が描かれていることで、皮相でない充実感も味わうことが出来たように思う。

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2019年12月25日 (水)

観劇感想精選(332) 戸田恵子一人芝居「虹のかけら~もうひとりのジュディ」(ネタバレありバージョン)

2019年12月3日 大阪・西梅田のサンケイホールブリーゼにて観劇

午後6時30分から、大阪・西梅田のサンケイホールブリーゼで「虹のかけら~もうひとりのジュディ」を観る。構成・演出:三谷幸喜。戸田恵子による一人芝居である。音楽監督は、三谷作品にはお馴染みとなった荻野清子であり、荻野のピアノ、平野なつきのベース、BUN Imaiのドラムという3人の女性バンドの演奏に乗せて、戸田が演じ、歌う。
振付・ステージングは、本間憲一。
昨年初演が行われた作品で、今回は再演となる。

開演前に三谷幸喜による録音のアナウンスが2度あったのだが、内容は少し異なり、一度目は「私が三谷幸喜です」と落ち着いた自己紹介を行っていたが、二度目は「そうです! 私が三谷幸喜です!」と演説調になり、「会場内での録画、再生、早送りはご遠慮下さい」が、「会場内での録画、再生、巻き戻しはご遠慮下さい」に変わったり、「音の出る電子機器をお持ちの方は、電源を切るか、いっそのこと壊すかして下さい」が「電源を切るか、水に漬けて下さい」に変わったりする。2度目のアナウンスでは、「まもなく開演です! 開演です! 開演です!」とせかしていた。
そういえば、青山劇場で「オケピ!」の初演を観た時も、三谷の録音によるアナウンスがあり、「埼玉県にお住まいの方は、早めにお帰りになるか、引っ越すかして下さい」と言っていたっけ。

実は、この作品、重要なネタバレ禁止事項がある。12月25日のクリスマスの日に行われる千秋楽を迎えたため明かすことにする。

 

映画「オズの魔法使」や「スタア誕生」などで知られるジュディ・ガーランドの生涯を、ガーランドのスタンドインや付き人を務めたジュディ・シルバーマンの目を通して語る作品である。戸田恵子と三谷幸喜による一人芝居は先に「なにわバタフライ」があり、「なにわバタフライ」がセリフのみによる進行だったのに対して、「虹のかけら」は、ストーリーテラーとセリフを兼ねる語り物である。歌も全11曲が歌われるため、ショーの要素もふんだんにある。

歌唱楽曲は、「I got rhythm」「Zing! went the string of my heart」「over the Rainbow」「I Love A Piano」「A couple of swells」「You made me love you(Dear Mr Gable)」「The trolly song」「Get Happy」「Swanee」「Over the Rainbow(Rep)」「On the sunny side of the street」

まず、荻野清子、平野なつき、BUN Imaiのバンド3人が、客席入り口から現れ、客席通路を通ってステージに上がる。一応、3人にもセリフがあり、荻野「今日、これ終わったら何食べる?」、平野「餃子」、荻野「私は551の豚まん(大阪ネタ)」、BUN「ゆで卵」、荻野「みんなそれぞれだね」というもので、入れる意味はあんまりない。まあ、折角なので喋って貰おうということなのだろう。

その後、戸田恵子がやはり客席入り口から、「遅くなっちゃった!」と言って現れる。

まずはジュディ・ガーランドの説明から入る。ジュディ・ガーランドは1922年生まれ。1929年に二人の姉とガムシスターズを結成し、幼くしてデビュー。ちなみにガムは、本名であるフランシス・エセル・ガムに由来する。
13歳にしてMGMと契約を交わして映画デビューし、天才子役として持て囃され、17歳の時に「オズの魔法使」のドロシー役で人気を決定的なものにする。
しかし、子どもの頃から薬物中毒に苦しめられ、若くして成功したことに由来すると思われる奔放さによって多くの人から見放されることとなり、47歳の若さで他界している。ちなみに娘は女優となったライザ・ミネリである。

そんなジュディ・ガーランドの姿が、もうひとりのジュディであるジュディ・シルバーマンの日記から構成されたテキストによって浮かび上がる。
ちなみに「虹のかけら」というのは、戸田恵子がニューヨークに行った時に発見し、夢中になって一晩で読んだというジュディ・シルバーマンの著書『Piece of Rainbow』に由来する。

ジュディ・ガーランドは、トニー賞やグラミー賞を受賞しており、アカデミー賞は何度もノミネートされるも手が届かなかったが、女性としては最高の栄誉をいくつも手にしたアメリカンドリームの体現者である。ただその栄光とは裏腹に、結局、全員が最後は彼女を見捨て、心から愛してくれる人に巡り会うことが出来なかった人間としての失敗者でもある。オーディションで「オズの魔法使」のドロシー役に手が届く所にいながら、ガーランドに奪われ、平凡な道のりを辿ることになったジュディ・シルバーマンとの対比により、人生の意味が問われることになる。

実は、ジュディ・シルバーマンというのは架空の人物である。これはクライマックスにおいて、三谷の影アナによって明かされる。『Piece of Rainbow』という書籍も当然ながら存在せず、全ては三谷が書いたテキストである。

三谷幸喜「そもそも戸田恵子に英語の原書を一晩で読める英語力はありません」

というわけで、三谷幸喜の構成というのも実はフェイクで、実際には三谷幸喜の作と書いた方が適当である。表裏一体ともいえる人生の明と暗を描く上で三谷が行った仕掛けというわけだ。
なお、ドロシー役をジュディ・ガーランドに奪われることになった女優は、実際はシャーリー・テンプルだそうで、「ジュディ・ガーランドよりもずっと成功することになった。人生どうなるかわからないもんですね」と三谷は語っていた。

 

当て書きを常とする三谷幸喜であるが、今の年齢の戸田恵子にまさにぴったりの作品となっている。戸田恵子以外の俳優には上手く馴染まないだろうし、もう少し若い時の戸田恵子が演じても今ほど奥行きは出ないだろう。

なお、終演後のアナウンスで三谷は、「戸田恵子生誕70年記念作品として、『三人目のジュディ 魅せられて』を上演する予定です」と、どう考えてもジュディ・オングを描いた一人芝居の上演を予告していたが、本当にやるのかどうかはわからない。

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