カテゴリー「アメリカ映画」の58件の記事

2020年10月26日 (月)

これまでに観た映画より(223) 「グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち」

2006年4月26日

DVDで映画「グッド・ウィル・ハンティング/旅立ち」を観る。ガス・ヴァン・サント監督作品。マット・デイモン、ロビン・ウィリアムズ主演。

脚本は、マット・デイモンがハーバード大学在学中に課題で書いた短い戯曲を基に、友人のベン・アフレックととともに実に2年の歳月を費やして書き上げたもの。二人はこの作品でアカデミー脚本賞を受賞している。

ロードーショーの時も、シネマックス千葉という映画館で観て感動したが、久しぶりに観て、以前よりもずっと深い感動を覚えた。

極めて高い知能指数と、稀に見る数学の才能を持ちながら、スラム生まれであり、幼児体験からひねくれた若者となったウィル・ハンティング(マット・デイモン)。
MIT(マサチューセッツ工科大学)の掃除夫となったウィルは、黒板に書かれた問題をあっさり解いてしまう。MIT教授でフィールズ賞受賞者でもあるランボー教授(ステラン・スカルスガルド)は彼の才能に惚れ込み、彼を何とか再生させようと試みるのだが……。

ウィルの自己発見の物語であり、教養小説のような味わいと、「感情」や「愛」に関する深く優しい視線を感じさせる佳編である。

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2020年10月22日 (木)

これまでに観た映画より(221) 「ビューティフル・マインド」

2006年4月17日

DVDで映画「ビューティフル・マインド」を観る。ロン・ハワード監督作品。ラッセル・クロウ主演。実話を基にした作品であり、アカデミー作品賞、監督賞、助演女優賞(ジェニファー・コネリー)などを受賞している。

1947年、プリンストン大学大学院に入学したジョン・ナッシュ(実在の人物である)は、天才的な数学の才能に恵まれていたが、人付き合いが苦手であり、思いやりにも乏しかった。画期的な理論を発案したジョンは数学者として順調にキャリアを築いていく。しかし彼はすでに統合失調症を患っていた……。

統合失調症に苦しむ天才を描いた作品であるが、統合失調症に対する誤解を与えかねないとの批判も受けたことで有名だ。
どんでん返しには圧倒させられるが、その仕掛けのために最後まで冷や冷やさせられる。もっと感動できる映画のはずなのに、その仕掛けの巧妙さが逆にあだになっている。
精神病を扱う作品の多くが、「面白さ」のために症状を誇張、または脚色、時には創作までしてしまう。また「感動」のために人物を綺麗に描きすぎるという欠点を持つ作品も多い。これもそういった作品の一つで、「もっと違う形で面白く出来るはずなのに……」、と思ってしまう。観ていて感動はするけれど、嘘の多さが目につくだけに心の底から感動することは出来ない。感動した自分の心に罪悪感を持ってしまうという後味の悪い感動だ。

ジョン・ナッシュを演じるラッセル・クロウの演技力の高さが一番の見物。ジェニファー・コネリーも確かに良いけれど、ラッセル・クロウの前では光を失いがちになる。

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2020年9月24日 (木)

これまでに観た映画より(211) 「12人の怒れる男」

2006年1月19日

DVDで「12人の怒れる男」を観る。ヘンリー・フォンダ主演作。陪審員を任された12人の男達による心理攻防戦を描いた作品。同名戯曲の映画化である。

これを基にした作品に現在大阪で公演中の三谷幸喜の舞台「12人の優しい日本人」があるが、本家の「12人の怒れる男」映画版の方が説得力があり、スリリングである。ともに頑なに有罪と言い張る男が出てくるのだが、なぜ有罪に拘るのか、その理由は映画版の方が説得力がある(現在上演中の「12人の優しい日本人」では、拘る男をやっているのが生瀬さんだからというのもある。初演の相島一之だったら説得力があったかも知れない)。

まあ、三谷さんが本気で説得力を求めているとも思えないので(求めているなら「実は彼女は」という一番やってはいけないことを書いたりはしない。しかも理詰めでいけば変なところがある)それは流すとして、「12人の怒れる男」はその背景に、スラムや人種差別といった根深い問題がある。偏見と思い込み。これをどう崩すかが、一番の鍵であり、ミステリー的な面白さは、面白くするための背景という側面が強い。「12人の優しい日本人」とはここが逆である。

三谷さんが本気で社会派になってしまったら、それもそれで困るので、あれはあれ、これはこれ、でいいのだ。

ヘンリー・フォンダを始め、往年の俳優達は、今から見ると少し芝居がかった演技をしているように見える。時代によって芝居も変わる。変わらない方が不思議である。だが、緊迫感、男同士のちょっとした心の通い合いなど、見事な映画であり、脚本であり、演出だ。

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2020年9月23日 (水)

2346月日(23) KYOTO CMEX第1回コンテンツクロスメディアセミナー 戸田奈津子「世界の映画俳優が愛した京都」

2020年9月18日 烏丸六角のホテルモントレ京都大宴会場「ケンジントン」にて

午後4時30分から、烏丸六角にあるホテルモントレ京都2階大宴会場「ケンジントン」で、KYOTO CMEX 第1回コンテンツクロスメディアセミナー「世界の映画俳優が愛した京都」に参加する。映画字幕翻訳者として著名な戸田奈津子の講演である。

予約先着順無料で行われる講演会。本来ならもっと大勢の方に来て貰いたかった講演会であるが、コロナのためソーシャルディスタンスを保つ必要があり、90名限定となった。

異国情緒を売りとするホテルモントレグループ。7月に泊まったホテルモントレ京都はスコットランドの首都エディンバラをイメージした内装であり、「ケンジントン」もお洒落である。クラシック音楽の演奏なども似合いそうな空間であるが、お高いのだろうか。

 

映画の字幕翻訳家の代名詞的な存在である戸田奈津子であるが、若い頃に映画と英語に憧れ、津田塾大学学芸学部英文科在学中に映画の字幕翻訳を志すのであるが、当時は映画の字幕翻訳家は日本中で10人いるかいないかという専門性の強い仕事であり、全員男性でそれぞれ得意分野を持っていた。大学を出たばかりの女性が割り込む余地はなく、戸田奈津子も短期間のOL(秘書)やフリーの翻訳業をしながら清水俊二に師事するなどして機会を窺っていたが、最初の映画の字幕の仕事を貰った時にはもうすでに40歳を過ぎていたそうで、20年越しの夢の達成となったそうである。
ただ、今回話すのは字幕翻訳家としての仕事ではなく、その中で出会ったハリウッドスタートの思い出話である。字幕翻訳家を目指しながら仕事に全く恵まれなかった時代にその物語は始まる。1980年以降、ハリウッドスターが続々と来日するようになるのだが、ハリウッドスターは英語しか話さないので通訳が必要ということになった。ということで字幕翻訳家希望の英語が出来る女性がいる、英語にも映画にも詳しいので大丈夫だろうというので、その話が戸田奈津子に回ってきたのである。だが、戸田は英文科出身なので英語の読み書きは得意であるが、今の若い人達とは違って学校でリスニングもスピーキングも習っていない。いわば「文字専門」の人だったわけである。というわけで断ろうとしたのであるが、実際に会ったロバート・レッドフォードの美しさに胸がときめいたということもあって、ハリウッドスターとの通訳としての交流が始まっていく。ちなみに若き日のロバート・レッドフォードの美しさは今の若手ハリウッドスターとは「格が違う」そうである。

スクリーンに写真を投影しながらのトーク。映るのはロバート・レッドフォード、リチャード・ギア、シルヴェスター・スタローン(大河内山荘で撮影)、ロバート・デ・ニーロ、アーノルド・シュワルツェネッガー(新幹線内で)、シガニー・ウィーバー(嶋原の角屋で撮影)、ロビン・ウィリアムズ、トム・クルーズである。ハリソン・フォードとも京都を旅したことがあるが、残念ながらハリソン・フォードとの写真は残っていないそうだ。

リチャード・ギアは、千家(どこの千家かは不明)の茶室、苔寺(西芳寺)、そして余り人がいない寺院での写真に写っている。リチャード・ギアはダライ・ラマを崇拝する仏教徒であるが、若い頃はまだ何を信仰しようか迷っており、写真に写っているのは仏教を志し始めた頃の姿だそうである。ギアがカメラを構えた姿を捉えた写真もあるが、当時からモノクロームの写真を撮ること趣味で、毎年誕生日プレゼント代わりに自身が撮ったモノクロームの写真を伸ばしたものを送ってくれるそうである。
「アメリカン・ジゴロ」(1980)がヒットして、初めての来日。リチャード・ギアは大学で哲学を専攻したということもあって、思索を好む若者だったそうだ。人混みが嫌いであるリチャード・ギアは、清水寺や金閣寺といった観光寺には興味を示さず、「寂」が支配するような無名の寺院を好んだという。

1980年代初頭、来日したハリウッドスターはまず東京で会見を行い、更に大阪に移って再び会見を行って、その後、1週間ほど京都で遊ぶというのがスタンダードだったそうである。今のハリウッドスターは忙しすぎて、来日して会見してすぐ帰らなければいけないそうで、若いハリウッドの俳優達は往時の映画スターの来日スタイルをうらやましがっているそうである。一方、残念ながら映画のマーケット的にはもう日本は重要拠点ではなく、中国に取って代わられてしまったそうである。人口が多いところには勝てない、のであるが、実は日本の映画人口の減少も関係していると思われる。平均的な日本人が1年のうちに映画館で観る映画はわずかに2本。映画は「観る人は滅茶苦茶観る」というものであるため、実際は1本も観ないという人が圧倒的多数であると思われる。一方、中国や韓国では映画は国策の一つであるため、観ることを習慣としている人が多い。実は日本はクラシック音楽のマーケットとしても中国は勿論、韓国にすら負けてしまっており、オペラのDVDやBlu-rayの輸入盤に中国語や韓国語の字幕は入っていても日本語の字幕が入っていないというケースが散見される。韓国の人口は日本の半分にも満たないが、韓国の方がマーケットとして重視されているということである。私の周りにもオペラを観たことがないのにオペラを馬鹿にする人が普通にいる。かなりまずいことだと思われるのだが、危機意識を持っている日本人は少ない。中国にはいつの間にか座付きオーケストラを持つオペラハウスまで建つようになっており、かつて文化大革命を推進していた国とは思えないほどだ。

リチャード・ギアは、禅寺を回っている時に、“I was here.”と言ったことがあるそうだ。当然ながら輪廻の考えを知っており、昔、日本人だった時にこの寺院で修行していたことを思い出したという。本当かどうかはわからない。
京都から奈良に向かう途中、京田辺の一休寺(酬恩庵)に寄ったことがあるのだが、一休宗純の人物像や一休が詠んだ和歌(「有漏路より無漏路へ帰る一休み雨降らば降れ風吹かば吹け」だろうか?)にもリチャード・ギアは詳しかったそうだ。また桂離宮も愛したそうである。懐石料理なども好み、またなぜか「ひじき」が大好きだそうだ。

 

ロバート・デ・ニーロは、二条城の唐門で家族と共に撮った写真に収まっている。2006年に撮影されたものだという。
「レイジングブル」で、体重を20キロ増やし、20キロ落としたという伝説で知られるデ・ニーロ。戸田奈津子には、「体に悪いのでもう二度とやらない」と話していたそうだが、普通の人は一度だってそんなことはしない、と書きつつ、私も2003年に半年で17キロ体重を落としたことがあるのだが、みんなに心配され、病気説が流れ、重病説に変わるという経験をしたため、今では体重は「自然のまま」に任せている。

なんにでもなれる俳優として尊敬を集めるデ・ニーロ。ハリウッドでは売れない俳優や女優がウエイターやウエイトレスをやっていることが多いのだが、ウエイターに「憧れの俳優」を聞くと、10人中9人が「ロバート・デ・ニーロ」と答え、ウエイトレスに「憧れの女優」を聞くと、10人中9人が「メリル・ストリープ」と答えるそうで、この二人は神様扱いだそうである。

デ・ニーロが家族を連れて二条城に来たとき、息子達が「チャンバラが見たい」と言ったため、太秦の東映映画村で大部屋の俳優がチャンバラショーをやっているということを知り、息子達は太秦に向かうことになった。デ・ニーロも「見たい」と言ったのだが、大部屋の俳優のショーをロバート・デ・ニーロが見るとなると演じる方も困惑するということで、子ども達が映画村に行っている間、車の中で本を読んでいたそうである。物静かで「Sweetな」性格の人だそうだ。初来日前は、「気難しいらしいよ」などと聞かされていたそうだが、会ってみたら話とは別人であり、以降、戸田奈津子は「自分の目で判断したこと」以外は信じなくなったそうだ。

 

双極性障害(躁鬱病)に苦しみ、6年前に自殺したロビン・ウィリアムズ。戸田奈津子とツーショットの写真がスクリーンに映る。戸田奈津子は「東山の寺」とした覚えていなかったが、おそらく法然院だと思われる。
彼は本物の「天才」だそうで、コメディー出身ということもあり、人を笑わせるのが得意だった。記者会見でも即興による芸でその場を爆笑の渦に巻き込むことが得意だったそうである。アメリカのコメディーは作家が書いたものをコメディアンが演じるというケースが多いのだが、ロビン・ウィリアムは作家を使わず、全て自分で考えて演じていたという。
彼もロバート・デ・ニーロ同様、素顔は物静かな人で、それが人を前にするとサービス精神に火が付き、楽しませることに夢中になっていたという。
その二面性が、個人的には双極性障害に繋がっているようにも見える。悲劇的な死は天才であったことの代償なのか。

 

トム・クルーズもエンターテインメント精神に関しては誰にも負けないという。ディスレクシア(読字障害)を持ち、人一倍苦労して育ったトム・クルーズ。新宗教に入れあげていて、それで批判されることも多いが、現役としては最高の映画スターであることは間違いなく、戸田奈津子はトム・クルーズのことを「映画のために生まれてきた人」と評している。二条城での「ラスト サムライ」公開時の記者会見の写真がスクリーンに映る。
トム・クルーズは、「ラスト サムライ」出演に当たって、武士道や剣術などを徹底して研究したそうで、プロ意識も高く、日本など諸外国へのリスペクトも忘れないという。

危険なシーンにもスタントマンなしで挑むことでも知られるトム・クルーズであるが、他の映画を観た時に、あきらかに別人が吹き替えているとわかるものがあり、自分がそうなるのはみっともないという考えがあるそうだ。そのためトム・クルーズが危険なシーンに挑んでいる時は、必ず自身の顔が映るようにして貰っているそうである。「ファンが僕がやってるんだとわかると喜んでくれるから」だそうである。

トム・クルーズは笑顔が印象的な俳優であるが、朝起きた瞬間から笑顔というような人だそうで、「ちょっと気持ち悪いかも知れないんですけど」と戸田もいうが、とにかく人を喜ばせることを生き甲斐としているそうである。

 

ハリウッドスターの共通点は、「ビッグになればなるほど謙虚」だそうである。残念ながら写真はないが、最後はハリソン・フォードの話になる。ハリソン・フォードは30代になってから売れ始めた遅咲きの俳優であるが、売れ始めた頃から今に到るまで、内面は全く変わらないそうである。
ハリソン・フォードは20代の頃は丸々売れず、「大工をしていた」という話があるが、正確にいうとしていたのは大工というよりも「家具職人」に近いそうである。
アメリカの場合、売れない俳優にはポルノ映画からの声が掛かることがあるそうで、有名俳優にも若い頃はそうやって日銭を稼いでいた人はいるそうだが、ハリソン・フォードはポルノ映画から声が掛かっても、「それをやってしまうと俳優の仕事への誇りを失ってしまいそうだ」という理由で断り、職人仕事を行いながら映画俳優への道を模索し続けていたそうである。

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2020年8月20日 (木)

これまでに観た映画より(199) クリント・イーストウッド監督作品「バード」

2005年11月3日

DVDで映画「バード」を観る。伝説のジャズ・サキソフォン奏者、チャーリー・パーカーの後半生を描いた作品。監督はクリント・イーストウッド。上映時間161分の大作である。

西部劇のイメージが強いイーストウッドだが、彼自身ジャズ・マニアということもあって、夭逝した天才ジャズマンへの思い入れたっぷりの演出をしている。

ただ、麻薬中毒など、パーカーの影の部分は、「描かれてはいる」という程度。狂気に満ちたエピソードの数々は封じられている。

時間が前後するということもあって、ストーリー展開がやや解りにくく、人種問題の扱いも今から見ると詰めが甘いなど、 直に楽しめないところがあるのは否めない。

チャーリー・パーカーがオーバードースによる心臓麻痺で亡くなったとき、検視医は、「推定年齢60代」としたが、実際のチャーリーの享年は34歳であった。この有名なエピソードも勿論取り込まれている。

音楽はチャーリー・パーカー本人の演奏が用いられているが、リマスタリングが良く、鮮明な音で「バード」と呼ばれた不世出の天才ジャズマンの演奏を楽しむことが出来る。

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2020年7月12日 (日)

これまでに観た映画より(190) ライブ・ビューイング フェス2020-Act Call-「坂本龍一 PERFORMANCE IN NEW YORK:async」@MOVIX京都 2020.7.7

2020年7月7日 新京極のMOVIX京都にて

午後7時から、MOVIX京都で、「坂本龍一 PERFORMANCE IN NEW YORK:async」を観る。「ライブ・ビューイングフェス2020-Act Call-」に選ばれた作品。初公開時(2018年2月)にもMOVIX京都で観ている映画であり、「猫町通り通信」や「鴨東記」にも記事を載せている。初公開時は5.1chで上映されたが、今回は2chMIX音声である。
監督は、スティーヴン・ノムラ・シブル。

2017年4月にニューヨークのパーク・アベニュー・アーモリーで100名のみの聴衆の前で2回、計200名しか接することの出来なかったライブの映像である。

前回は、映画を観てから、「async」(「非同期」という意味)のアルバムを聴いたのであるが、今回は「async」がどういう音楽かを知った上で映画を観ることになる。アルバムを聞き込んだからライブの内容もわかるというものではないように思うが、音楽自体の良さは前回映画を観たときよりも把握出来るようになっている。

現代音楽を指向する青年として音楽のキャリアをスタートさせた坂本龍一。ポピュラーミュージシャンのバックバンド、フリーのミュージシャン&プロデューサー、YMOなどを経て、映画音楽やポピュラーとクラシックの中間の音楽を多く書いているが、原点である現代音楽への回帰を目指しているように思える。
「async」は、アンドレイ・タルコフスキーの架空の映画のための音楽という設定で書かれた作品である。「惑星ソラリス」を観て感銘を受けたのだが、「惑星ソラリス」にはバッハの音楽が使われており、バッハの音楽を押しのけて新しい音楽を書くわけにもいかないので、架空の映画のための音楽という形で作曲している。

 

紛れもなく坂本龍一の旋律であるが、和音や音の進行などにバッハのような古典的格調が感じられるピアノソロと、その発展系のオルガン(その場で弾いて出すのではなく、サンプリングした音声を使用)といった調性音楽に近いものから、ノイズミュージック、音そのもの以上に視覚に訴えるパフォーマンスといったコンテンポラリーな要素まで曲調は幅広く、その点で映画音楽的であるともいえる。

同時にバッハに代表されるような音楽そのものを尊重すると同時に押し広げ、音そのものやそれを生み出す背景への愛着をも窺えるかのような、従来の枠を超えた作品となっている。
大空に吸い込まれて一体となるかのようなラストが特に好きだ。

本編上演後にプレゼントがある。「async」の宣伝用画像がスクリーンに1分間映し出され、自由に撮影が出来るほか、SNS等へのアップも可となっている。

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2020年7月10日 (金)

これまでに観た映画より(189) アルフレッド・ヒッチコック監督作品「疑惑の影」

2005年6月27日

アルフレッド・ヒッチコック監督作品をDVDで観る。「第三の男」のジョセフ・コットン主演、「疑惑の影」。

叔父と姪が同じチャーリーという名前であるのが一つのポイントになっている。叔父に恋心にも似た気持ちを抱く姪。しかし叔父の正体が明らかになるに連れて、同じ名前であることの親近感が近親憎悪へと変化していく。

実は殺人鬼である叔父チャーリーを演じるジョセフ・コットンがいい。大袈裟でなく迫力が出せる。コットンが悪役を演じたのはこの作品だけだそうだが、それだけに貴重でもある。

姪チャーリーを演じるテレサ・ライトがなかなかチャーミングだ。叔父への疑惑が芽生え、確信に変わる過程を上手く演じている。

ヒッチコックシャドーが例によって効果的。ただ音楽は今聴くとかなりうるさく、それだけが残念である。

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2020年6月30日 (火)

美術回廊(49) 京都国立近代美術館 「チェコ・デザイン 100年の旅」&日本・ポーランド国交樹立100周年記念「ポーランドの映画ポスター」

2020年6月25日 左京区岡崎の京都国立近代美術館にて

左京区岡崎にある京都国立近代美術館で、「チェコ・デザイン 100年の旅」と日本・ポーランド国交樹立100周年記念「ポーランドの映画ポスター」展を観る。
いずれも5月10日に最終日を迎えるはずの展覧会だったのだが、コロナ禍による臨時閉館期間があったため、再開後、7月までに展示期間が延びている。

チェコは、音楽(ドヴォルザークやスメタナ)、文学(カフカやカレル・チャペック)といった芸術が知られるが、チェコのデザインに触れる機会は余りないので、興味深い展覧会である。

チェコのデザインに触れるのは初めてではなく、以前にチェコ製のテントウムシのマグネットを買ったことがあり、今も冷蔵庫に止まっている。

チェコ出身のデザインアーティストというと、アルフォンス・ミュシャがまず頭に浮かぶが、ミュシャの「Q」をモチーフにした作品も勿論展示されている。19世紀末から20世紀初頭には、チェコでもアールヌーボーなどの影響を受けた美術が流行ったが、椅子などは実用性を度外視してデザインを優先させたために使い勝手が悪いものも多かったようである。

その後、チェコでは「結晶」を理想とした直線美によるパターンを重ねたデザインが流行する。考えてみれば、「自然は直線を嫌う」(ウィリアム・ケント)といわれているものの、肉眼では見えない結晶は例外的に直線で形作られている。顕微鏡の発達によってもたらされた、ある意味ではこれまでの常識を覆す自然美の発見であったともいえる。

家具や食器はアールヌーボーの反動で、シンプルで実用的なものが好まれる時代になるが、ガラス細工が盛んな地域をドイツに占領されてしまったため、木材などを中心とした新たなデザインを生み出す必要性に迫られるようにもなる。これはそれまで軽視されてきた木材の長所の再発見にも繋がったようだ。

共産圏となったチェコスロバキアでは、国外に向けてのチェコやスロバキア美術プロパガンダのための高級感のあるデザイン品が輸出される一方で、国内向けには貧相なものしか作られないという乖離の時代を迎える。チェコ動乱の前はそれでもピンクやオレンジといった色を用いたポップなデザインのポスターなども制作されたが、それ以降は実用的ではあるが味気ないいわゆる共産圏的なデザインも増えてしまったようだ。チェコのデザインが復活するにはビロード革命を待つ必要があったようである。

アニメーションの展示もあり、短編アニメが何本か上映されている。言葉がわからなくても内容が把握可能なものだったが、東欧のアニメとしてどの程度の水準に入るものなのか一見しただけではわからない。

チェコの木製おもちゃの展示もある。テントウムシのマグネットにも通じる可愛らしくてぬくもりが感じられるもので、子どものみならずインテリアとしても喜ばれそうである。

 

「ポーランドの映画ポスター」。映画好きにはよく知られていると思われるが、ポーランド映画は完成度が高く、海外からの評価も上々で、「芸術大国ポーランド」の一翼を担っている。
今回は、映画そのものではなく映画ポスターの展示であるが、ポーランドでは海外の映画のポスターをそのまま用いるということが禁止されていたため、ポーランド人のデザイナーが一から新しいポスターを製作することになった。
日本映画のポスター展示コーナーもあり、ゴジラシリーズなどはわかりやすいが、「七人の侍」などは日本の侍というよりもギリシャの兵士のような不思議な装束が描かれていたりもする。

市川崑監督の「ビルマの竪琴」(1985年の中井貴一主演版)のポスターには、二つの顔を持ったオウム(というよりも顔を素早く横に降り続けている描写だと思われる)が描かれ、右側に「日本にかえろう」、左側に「かえれない」という文字が日本語で書かれている。一般的なポーランド人が日本語を読めるとは思えないが――一般的な日本人がポーランド語の読み書きが出来ないように――日本趣味を出すために敢えて日本語をそのまま用いているのかも知れない。

ハリウッド映画では、アルフレッド・ヒッチコック監督の「めまい」、レナード・バーンスタイン作曲のミュージカル映画「ウエストサイド物語」、ポール・ニューマンとロバート・レッドフォードの「明日に向かって撃て!」などのポスターがある。日本ではハリウッドオリジナルのポスターも見ることが出来るが、それらとはかなり違ったテイストのポスターとなっている。

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2020年6月14日 (日)

これまでに観た映画より(182) 「スティング」

2005年1月27日

DVDで映画「スティング」を観る。1974年公開のアメリカ映画。アカデミー賞で作品賞など6部門を受賞している。

主演はポール・ニューマンとロバート・レッドフォード。監督はジョージ・ロイ・ヒル。「明日に向かって撃て!」のトリオによる作品。

詐欺師やイカサマ師の騙し合いを描く作品。舞台は1936年のシカゴ。古き良きアメリカという感じだが、すでに高層ビルはいくつも建っている。

この頃のロバート・レッドフォードはブラッド・ピットによく似ている。

スコット・ジョップリンの「ジ・エンターテイナー」が主題曲として効果的に使われている。またマーヴィン・ハムリッシュの音楽もやはりラグタイム調で楽しい。「明日に向かって撃て!」ほどの完成度はないが、二転三転するストーリーは巧みだ。

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2020年6月 2日 (火)

これまでに観た映画より(179) 「俺たちに明日はない」

2020年6月1日 TOHOシネマズ二条にて

TOHOシネマズ二条で、「俺たちに明日はない」を観る。アメリカン・ニューシネマの代表的作品の一つ。原題の「Bonnie and Clyde」も有名である。同じアメリカン・ニューシネマの代表作で実在の銀行強盗を題材にしていること、また邦題やラストシーンが似通っていることから「明日に向かって撃て!(原題「Butch Cassidy and Sundance Kid」)と混同されやすい作品でもある。

アーサー・ペン監督作品。出演:ウォーレン・ベイティ、フェイ・ダナウェイ、マイケル・J・ポラード、ジーン・ハックマン、エステル・パーソンズ、ダブ・テイラーほか。ウォーレン・ベイティはこの映画の企画立案者でもあり、プロデューサーも務めた。

ボニー・パーカー(フェイ・ダナウェイ)は、母親の車を盗もうとしていた男を見とがめる。男の名はクライド・バロー(ウォーレン・ベイティ)。強盗によって服役し、出てきたばかりの男だった。アメリカの中でも特に保守的といわれるテキサス州。それも田舎町である。人は子孫を残すための繋ぎとして生きるしかないようなところがある。平凡な人生に飽き飽きしていたボニーはクライドの運転する車に乗り、強盗に協力する。相当な男前であるクライドに惹かれるボニーだったが、クライドはゲイで女には興味がないことを打ち明ける。男女の幸せに至ることはないということがこの時点でわかるのだが、ボニーは家に戻ることはなかった。二人は故障した車の修理を頼んだC・W・モス(マイケル・J・ポラード)という少年院帰りの少年やクライドの実兄であるバック(ジーン・ハックマン)とその妻のブランチ(エステル・パーソンズ)を引き入れて強盗団を結成する。

日本でも最近、ヤンキー指向やマイルドヤンキーという言葉が使われるようになっている。地元を愛し、身内を愛し、権威やよそ者を嫌うという傾向を持つ人々である。ヤンキーというのは元々はアメリカ人のこと(南北戦争の北軍の兵士のことだが、蔑称として用いられることもある。日本の「ヤンキー」は大阪のアメリカ村にたむろする不良を指すスラングが始まりとする説が有力である)であるが、実際にアメリカの田舎の保守層の性格によく似たところがある。クライドは同じように搾取される境遇にある人々には共感を示すし、事実、彼に出会った老人は警察に対して好意的な証言をしている。また兄のバックとはとても仲が良い。バックは冗談を言うのだが、聞いていて何が面白いのか正直わからない。だが、クライドは大笑い。レベルの低さで通じ合っている、つまり生まれた家自体が有用な知識を得る機会に恵まれなかった層にあったことがはっきりする。実際、バックも刑務所に入った経歴のあることが妻のブランチの口から明かされる。知識や教育の平等が担保されない「夢の国」アメリカの影である。

だが、ボニーとクライドは、故郷に留まらず、アメリカの州境を車で何度も越えていくという生活を選ぶ。越境である。生まれ故郷の桎梏を棄て、新天地へと飛んでいく。アメリカン・ドリームの体現者といえないこともない。いや、いえないか。ただ、アメリカン・ドリームを求めた若者の一側面をよく表しているとはいえるだろう。彼らはテキサス州から隣のオクラホマ州に何の躊躇もなく入っていける。一方で、権威や旧体制を表す警察は州の境を越えることは出来ず、テキサス州警察(テキサス・レンジャー)はオクラホマとの州境は越えたが、すぐに引き返すしかない。アメリカの州は国家並みの権限を持つため、州警察は州境を越えての捜査が出来ないのである。そのため後にFBIが生まれることになるのだが、境を越える行為において、ボニー&クライドと警察に代表される体制派の思考や指向の違いが象徴的に描かれている。

ただ、一方で二人は故郷喪失者でもある。母に会いたいということでテキサス州に戻るボニーだったが、母親からは冷たくされる。事実上、棄てられるのである。デラシネとなった二人は州から州へと渡り歩くしかない。今いる州から別の州へと移って行く未来を嬉々と語るクライドにボニーは露骨に失望の表情を見せる。強盗なんてするからではあるのだが、「アメリカン・ドリーム」や「ゴー・ウエスト」といった言葉に乗せられて夢破れていった多くの若者の一形態を暗示してもいる。

女を愛せないクライドであるが、ラストが近づくにつれてボニーを愛する人と認め、愛する人のために怒り、性的な関係を結ぶまでになる。所詮、悪党には届かぬ夢ではあるのだが、これまでのことを全て帳消しにして二人で幸せになるという夢を描くボニー。何の知識も持ち合わせていなかったら、二人は仲の良い夫婦にしか見えなかったかも知れない。

ラストシーンは「最も衝撃的な映画のラスト」の一つとしてよく挙げられるもので、「俺たちに明日はない」という映画を観たことのない人でも、ラストシーンは知っているというケースはよくある。冷静に考えると悪党の男女が当然の報いを受けたというだけなのかも知れないが、二人が夢を語り合ったシーンの直後だけに切なくなる。


夢と希望と自由の国、アメリカが生んだ映画は、祖国の偉大さを描くプロパガンダ的なものも多かったが、アメリカン・ニューシネマは、それとは対称的に社会からこぼれ落ちてしまったものを描く。後に建国史上初の敗北を迎えることになるベトナム戦争が続いており、格差は開く一方で、人種差別問題や犯罪の多発に悩まされていたアメリカ。若者達は祖国に疑問を抱く。そのため「俺たちに明日はない」のみならず、「明日に向かって撃て!」、「イージー・ライダー」、「真夜中のカウボーイ」などの登場人物はいずれも悲劇的な最期を迎える。社会は若者の夢など許さない。その時代の空気は、平成時代を丸々覆った閉塞感溢れる日本の現状に繋がる。近年の日本は保守的な若者が増えているとされるが、こうした時代にあってもアメリカン・ニューシネマは若者達のバイブルの一つとして支持され続けるだろう。

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